漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 卷十二

743年(61)李太白集巻十二06-《夕霽杜陵登樓寄韋繇》 380-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(61) Ⅰ李白詩1734 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7210

李白  夕霽杜陵登樓寄韋繇#2

蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。徒然迫晚暮,未果諧心胸。

結桂空佇立,折麻恨莫從。思君達永夜,長樂聞疏鐘。

かくて海をふんで東海の仙界を遐想を寄せようとするし、山に還ろうとすれば、旧蹤を尋ねてはいけないとされるから、心は実に海山の間に彷徨して居るのである。おもへば、従来することがなく無為にして、次第に年を取り晩期を迎え、この心胸に諧う様な快心の事業をもなしとげることもない。桂枝を結んで、心をつなぐ誓をたてたとすれば、ここを去らずにここに空しく佇むのであり、こんどは麻の幹を折って、結同心として我が思う人に贈ろうとするも、心の儘にならないのである。このように、おのが不遇を嘆き侘び、いよいよ君を懐かしく思い、はては、長き夜を寝ることもせず、夜を更かし、長樂宮の鐘の聲を聞くように成ったのである。

743年(61)李太白集巻十二06-《夕霽杜陵登樓寄韋繇》 380-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-61) Ⅰ李白詩1734 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7210

 

 

 
  2016年1月20日 の紀頌之5つのBlog  
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卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    夕霽杜陵登樓寄韋繇

作地點:              萬年(京畿道 / 京兆府 / 萬年)

及地點:              杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

交遊人物/地點:韋繇          書信往來

 

 

夕霽杜陵登樓寄韋繇 #1

(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

浮陽滅霽景,萬物生秋容。

雨がやみ霽れてくると、空の色は晶明徹になる、やがて、夕日がしずんで次第に薄くなり、折から、萬物は、秋容を生じるようになる。

登樓送遠目,伏檻觀群峰。

かくて、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、遠目を放って四邊を曠望し、又欄干に倚って、終南の羣峰を眺めたのである。

原野曠超緬,關河紛雜重。

そこには、原野は曠超にして遥かさきまでひろがる、関河は紛雜にして重ね合って居る。

清暉映竹日,翠色明雲松。
竹に映ずる日光は、灑然として清く、雲の宿れる松は、翠色がはっきりして居る。

(夕霽 杜陵の樓に登り韋繇に寄せる)

浮陽 滅霽景をし,萬物 秋容を生ず。

樓に登りて遠目を送り,檻に伏して群峰を觀る。

原野 曠超にして緬たり,關河 紛雜にして重る。

清暉 竹日に映じ,翠色 雲松に明かなり。
#2

蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。

かくて海をふんで東海の仙界を遐想を寄せようとするし、山に還ろうとすれば、旧蹤を尋ねてはいけないとされるから、心は実に海山の間に彷徨して居るのである。

徒然迫晚暮,未果諧心胸。

おもへば、従来することがなく無為にして、次第に年を取り晩期を迎え、この心胸に諧う様な快心の事業をもなしとげることもない。

結桂空佇立,折麻恨莫從。

桂枝を結んで、心をつなぐ誓をたてたとすれば、ここを去らずにここに空しく佇むのであり、こんどは麻の幹を折って、結同心として我が思う人に贈ろうとするも、心の儘にならないのである。

思君達永夜,長樂聞疏鐘。

このように、おのが不遇を嘆き侘び、いよいよ君を懐かしく思い、はては、長き夜を寝ることもせず、夜を更かし、長樂宮の鐘の聲を聞くように成ったのである。

#2

海を蹈んで遐想を寄せ,山に還らんとして舊蹤に迷う。

徒然として晚暮に迫る,未だ心胸に諧【かな】うを果さず。

桂を結び 空しく佇立し,麻を折り 恨むらくは 從う莫し。

君を思うて 永夜に達し,長樂に 疏鐘を聞く。

漢長安城 00 

『夕霽杜陵登樓寄韋繇』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。

徒然迫晚暮,未果諧心胸。

結桂空佇立,折麻恨莫從。

思君達永夜,長樂聞疏鐘。

(下し文)
#2

海を蹈んで遐想を寄せ,山に還らんとして舊蹤に迷う。

徒然として晚暮に迫る,未だ心胸に諧【かな】うを果さず。

桂を結び 空しく佇立し,麻を折り 恨むらくは 從う莫し。

君を思うて 永夜に達し,長樂に 疏鐘を聞く。

(現代語訳)
#2

かくて海をふんで東海の仙界を遐想を寄せようとするし、山に還ろうとすれば、旧蹤を尋ねてはいけないとされるから、心は実に海山の間に彷徨して居るのである。

おもへば、従来することがなく無為にして、次第に年を取り晩期を迎え、この心胸に諧う様な快心の事業をもなしとげることもない。

桂枝を結んで、心をつなぐ誓をたてたとすれば、ここを去らずにここに空しく佇むのであり、こんどは麻の幹を折って、結同心として我が思う人に贈ろうとするも、心の儘にならないのである。

このように、おのが不遇を嘆き侘び、いよいよ君を懐かしく思い、はては、長き夜を寝ることもせず、夜を更かし、長樂宮の鐘の聲を聞くように成ったのである。

京兆地域図002
(訳注) #2

夕霽杜陵登樓寄韋繇

(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

1 杜陵 元和郡縣志 「杜陵在京兆府萬年縣東南二十里」といい、胡三省鑑註に「漢の宣帝、杜陵邑を起せしより、後漢に至りて、縣となし、京兆に属す。隋、京城幷に杜陵を遷して大興縣に入る、唐、大興を改めて萬年という」とある。

この詩は、夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せたものである。

【解説】前八句は、登楼見るところの景色、後の八句は、自己の感慨より相思に及んだので、情景相配して、まことに一段の妙を覚える。

 

蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。

かくて海をふんで東海の仙界を遐想を寄せようとするし、山に還ろうとすれば、旧蹤を尋ねてはいけないとされるから、心は実に海山の間に彷徨して居るのである。

5 蹈 踏む。

6 遐想 (はるか遠く先まで)思いをはせる,心をはせる.

 

徒然迫晚暮,未果諧心胸。

おもへば、従来することがなく無為にして、次第に年を取り晩期を迎え、この心胸に諧う様な快心の事業をもなしとげることもない。

7 徒然 1 することがなくて退屈なこと。また、そのさま。手持ちぶさた。「読書をして病床の―をまぎらわす」2 つくづくと物思いにふけること。3 しんみりとして寂しいこと。また、そのさま。

8 晚暮 晚景。晚霞。晚会。晚。晚年。晚期。晚。晚婚

 

結桂空佇立,折麻恨莫從。

桂枝を結んで、心をつなぐ誓をたてたとすれば、ここを去らずにここに空しく佇むのであり、こんどは麻の幹を折って、結同心として我が思う人に贈ろうとするも、心の儘にならないのである。

9 結桂 桂の枝を結ぶ。 “結同心”と同様に、愛情のしるしを佩につくる。屈原《楚辭·九歌·大司命》「結桂枝兮延佇, 羌愈思兮愁人。」(桂枝を結んで延佇すれど, 羌あ 愈よ思いて 人をして愁えしむ。)

10 佇立 たたずむこと。しばらくの間立ちどまること。

11 折麻 屈原《楚辭·九歌·大司命》「折疏麻兮瑶華,将以兮離居。(疏麻の瑶華を折り,将に以て離れ居るものに遺らんとす。)

 

思君達永夜,長樂聞疏鐘。

このように、おのが不遇を嘆き侘び、いよいよ君を懐かしく思い、はては、長き夜を寝ることもせず、夜を更かし、長樂宮の鐘の聲を聞くように成ったのである。

12 長樂 長楽宮は、古代中国の前漢の都である長安にあった宮殿である。 『三輔黄図』によると元は秦の興楽宮だったものを流用したもので、漢の高祖5年後9月に高祖劉邦は少府陽城延の指揮のもと長楽宮を造営させ、同7年に完成した。

《三輔黃圖》“長楽宮 本秦之興樂宮也。高皇帝始居櫟陽,七年長樂宮成,徙居長安城。《三輔舊事》、《宮殿疏》皆曰:「興樂宮,秦始皇造,漢修飾之,周迴二十里」。 前殿東西四十九丈七尺,兩序中三十五丈,深十二丈。”(長楽宮 本と秦の興樂宮なり。高皇帝 始め櫟陽に居る,七年 長樂宮成り,徙って長安城に居る。《三輔舊事》、《宮殿疏》皆曰う:「興樂宮,秦の始皇が造る,漢 之を修飾す,周迴二十里」。 前殿 東西四十九丈七尺,兩序中三十五丈,深十二丈。)とある。

 

夕霽杜陵登樓寄韋繇

(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

1 杜陵 元和郡縣志 「杜陵在京兆府萬年縣東南二十里」といい、胡三省鑑註に「漢の宣帝、杜陵邑を起せしより、後漢に至りて、縣となし、京兆に属す。隋、京城幷に杜陵を遷して大興縣に入る、唐、大興を改めて萬年という」とある。

この詩は、夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せたものである。

2 浮陽 1 太陽; 日光 the sun 2 山の南面、水の北面をいう。

3 伏檻 欄干に倚る。

4 關河 杜陵から見渡す河川、関中の河川。長安原に有る八川,涇水、渭水、灞水、滻水、澧水、滈水、潦水、潏すいをいうなり。

 

屈原《楚辭·九歌·大司命》

廣開兮天門,紛吾乘兮玄雲。

令飄風兮先驅,使涷雨兮灑塵。

君迴翔兮以下,踰空桑兮從女。

紛總總兮九州,何壽夭兮在予!

高飛兮安翔,乘清氣兮御陰陽。

吾與君兮齋速,導帝之兮九坑。

靈衣兮被被,玉佩兮陸離。

壹陰兮壹陽,衆莫知兮余所為。

折疏麻兮瑤華,將以遺兮離居。

老冉冉兮既極,不寖近兮愈疏。

乘龍兮轔轔,高駝兮沖天。

結桂枝兮延竚,羌愈思兮愁人。

愁人兮柰何,願若今兮無虧。

固人命兮有當,孰離合兮可為?

743年(61)李太白集巻十二06-《夕霽杜陵登樓寄韋繇》(浮陽滅霽景,) 380Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(61) Ⅰ李白詩1731 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7195

李白  夕霽杜陵登樓寄韋繇

浮陽滅霽景,萬物生秋容。登樓送遠目,伏檻觀群峰。

原野曠超緬,關河紛雜重。清暉映竹日,翠色明雲松。
(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

雨がやみ霽れてくると、空の色は晶明徹になる、やがて、夕日がしずんで次第に薄くなり、折から、萬物は、秋容を生じるようになる。かくて、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、遠目を放って四邊を曠望し、又欄干に倚って、終南の羣峰を眺めたのである。そこには、原野は曠超にして遥かさきまでひろがる、関河は紛雜にして重ね合って居る。竹に映ずる日光は、灑然として清く、雲の宿れる松は、翠色がはっきりして居る。

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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1646> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7206  
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年:743年天寶二年43歳 94-61

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    夕霽杜陵登樓寄韋繇

作地點:              萬年(京畿道 / 京兆府 / 萬年)

及地點:              杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

交遊人物/地點:韋繇          書信往來

 

 

夕霽杜陵登樓寄韋繇 #1

(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

浮陽滅霽景,萬物生秋容。

雨がやみ霽れてくると、空の色は晶明徹になる、やがて、夕日がしずんで次第に薄くなり、折から、萬物は、秋容を生じるようになる。

登樓送遠目,伏檻觀群峰。

かくて、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、遠目を放って四邊を曠望し、又欄干に倚って、終南の羣峰を眺めたのである。

原野曠超緬,關河紛雜重。

そこには、原野は曠超にして遥かさきまでひろがる、関河は紛雜にして重ね合って居る。

清暉映竹日,翠色明雲松。
竹に映ずる日光は、灑然として清く、雲の宿れる松は、翠色がはっきりして居る。

(夕霽 杜陵の樓に登り韋繇に寄せる)

浮陽 滅霽景をし,萬物 秋容を生ず。

樓に登りて遠目を送り,檻に伏して群峰を觀る。

原野 曠超にして緬たり,關河 紛雜にして重る。

清暉 竹日に映じ,翠色 雲松に明かなり。
#2

蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。

徒然迫晚暮,未果諧心胸。

結桂空佇立,折麻恨莫從。

思君達永夜,長樂聞疏鐘。

 

京兆地域図002 

『夕霽杜陵登樓寄韋繇』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夕霽杜陵登樓寄韋繇

浮陽滅霽景,萬物生秋容。

登樓送遠目,伏檻觀群峰。

原野曠超緬,關河紛雜重。

清暉映竹日,翠色明雲松。

(下し文)
(夕霽 杜陵の樓に登り韋繇に寄せる)

浮陽 滅霽景をし,萬物 秋容を生ず。

樓に登りて遠目を送り,檻に伏して群峰を觀る。

原野 曠超にして緬たり,關河 紛雜にして重る。

清暉 竹日に映じ,翠色 雲松に明かなり。

(現代語訳)
夕霽杜陵登樓寄韋繇#1(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

雨がやみ霽れてくると、空の色は晶明徹になる、やがて、夕日がしずんで次第に薄くなり、折から、萬物は、秋容を生じるようになる。

かくて、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、遠目を放って四邊を曠望し、又欄干に倚って、終南の羣峰を眺めたのである。

そこには、原野は曠超にして遥かさきまでひろがる、関河は紛雜にして重ね合って居る。

竹に映ずる日光は、灑然として清く、雲の宿れる松は、翠色がはっきりして居る。

長安城図 作図00
(訳注)

夕霽杜陵登樓寄韋繇

(夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せた)

1 杜陵 元和郡縣志 「杜陵在京兆府萬年縣東南二十里」といい、胡三省鑑註に「漢の宣帝、杜陵邑を起せしより、後漢に至りて、縣となし、京兆に属す。隋、京城幷に杜陵を遷して大興縣に入る、唐、大興を改めて萬年という」とある。

この詩は、夕方雨の新に霽れし時、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、その感懐を写して、韋繇といふ人に寄せたものである。

 

 

浮陽滅霽景,萬物生秋容。

雨がやみ霽れてくると、空の色は晶明徹になる、やがて、夕日がしずんで次第に薄くなり、折から、萬物は、秋容を生じるようになる。

2 浮陽 1 太陽; 日光 the sun 2 山の南面、水の北面をいう。

 

登樓送遠目,伏檻觀群峰。

かくて、旧の杜陵の地に在る某樓に登り、遠目を放って四邊を曠望し、又欄干に倚って、終南の羣峰を眺めたのである。

3 伏檻 欄干に倚る。

 

原野曠超緬,關河紛雜重。

そこには、原野は曠超にして遥かさきまでひろがる、関河は紛雜にして重ね合って居る。

4 關河 杜陵から見渡す河川、関中の河川。長安原に有る八川,涇水、渭水、灞水、滻水、澧水、滈水、潦水、潏すいをいうなり。

 

清暉映竹日,翠色明雲松。

竹に映ずる日光は、灑然として清く、雲の宿れる松は、翠色がはっきりして居る。

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李白  望終南山寄紫閣隱者

出門見南山,引領意無限。秀色難為名,蒼翠日在眼。

有時白雲起,天際自舒卷。心中與之然,託興每不淺。

何當造幽人,滅跡棲
(終南山を望み山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せた詩)

門を出でて南方を臨めば、終南山が見えるので、首を延ばして、じつと見惚れて居る間に、

無限の思いに沈むのである。終南山辺りの蒼翠は、日日眼前に在って、格別珍らしくもないが、その秀色は、何とも名づけ難く、従って、いくら見ても、見あきもしない。そこは、時時白雲が起るところであり、天際に舒卷し、愈々、趣ありげの景色。わが心も、物に執着しないことは、丁度、その雲の如くである處から、毎毎興を託することが深い。あわれ、何の時か、山中に分け入って、紫閣峰下の幽人を尋ね、ともに、蹤跡を晦まして、高峰の間に住むことが出来るか。恨むらくは、われ塵縁未だ尽きることなく、今に尚齷齪として、風塵中にまごついて居るので、隠者輩に対して、まことに愧じ入る次第である。
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年:743年天寶二年43歳 94-60

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    望終南山寄紫閣隱者

作地點:              目前尚無資料

及地點:終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

紫閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)     

交遊人物/地點:  

 

 

望終南山寄紫閣隱者

(終南山を望み山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せた詩)

出門見南山,引領意無限。

門を出でて南方を臨めば、終南山が見えるので、首を延ばして、じつと見惚れて居る間に、

無限の思いに沈むのである。

秀色難為名,蒼翠日在眼。

終南山辺りの蒼翠は、日日眼前に在って、格別珍らしくもないが、その秀色は、何とも名づけ難く、従って、いくら見ても、見あきもしない。

有時白雲起,天際自舒卷。

そこは、時時白雲が起るところであり、天際に舒卷し、愈々、趣ありげの景色。

心中與之然,託興每不淺。

わが心も、物に執着しないことは、丁度、その雲の如くである處から、毎毎興を託することが深い。

何當造幽人,滅跡棲巘。

あわれ、何の時か、山中に分け入って、紫閣峰下の幽人を尋ね、ともに、蹤跡を晦まして、高峰の間に住むことが出来るか。恨むらくは、われ塵縁未だ尽きることなく、今に尚齷齪として、風塵中にまごついて居るので、隠者輩に対して、まことに愧じ入る次第である。

(終南山を望み 紫閣隱者に寄す)

門を出でて 南山を見,領を引いて 意 限り無し。

秀色 名を為し難し,蒼翠 日に眼に在り。

時 有って白雲起り,天際 自ら舒卷す。

心中 之れと然り,興を託する每に淺からず。

何ぞ當に幽人に造【いた】り,跡を滅して 巘に棲む。
京兆地域図002

『望終南山寄紫閣隱者』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

望終南山寄紫閣隱者

出門見南山,引領意無限。

秀色難為名,蒼翠日在眼。

有時白雲起,天際自舒卷。

心中與之然,託興每不淺。

何當造幽人,滅跡棲

(下し文)

(終南山を望み 紫閣隱者に寄す)

門を出でて 南山を見,領を引いて 意 限り無し。

秀色 名を為し難し,蒼翠 日に眼に在り。

時 有って白雲起り,天際 自ら舒卷す。

心中 之れと然り,興を託する每に淺からず。

何ぞ當に幽人に造【いた】り,跡を滅して 巘に棲む。

(現代語訳)
望終南山寄紫閣隱者(終南山を望み山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せた詩)

門を出でて南方を臨めば、終南山が見えるので、首を延ばして、じつと見惚れて居る間に、

無限の思いに沈むのである。

終南山辺りの蒼翠は、日日眼前に在って、格別珍らしくもないが、その秀色は、何とも名づけ難く、従って、いくら見ても、見あきもしない。

そこは、時時白雲が起るところであり、天際に舒卷し、愈々、趣ありげの景色。

わが心も、物に執着しないことは、丁度、その雲の如くである處から、毎毎興を託することが深い。

あわれ、何の時か、山中に分け入って、紫閣峰下の幽人を尋ね、ともに、蹤跡を晦まして、高峰の間に住むことが出来るか。恨むらくは、われ塵縁未だ尽きることなく、今に尚齷齪として、風塵中にまごついて居るので、隠者輩に対して、まことに愧じ入る次第である。
終南山06

(訳注)

望終南山寄紫閣隱者

(終南山を望み山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せた詩)

1 終南山 史記正義に「括地志に云ふ、終南山、一名中南山、一名太乙山、一名南山、一名橘山、一名楚山、一名秦山、一名周南山、一名地肺山、雍州萬年縣南五十里に在り」とあり、圖書編に「終南は乃ち関中の南山、西は隴鳳より起り、東は商洛をこえ、綿亙千里有除、その南北、亦た然り、地に随って名を異にす、総じて、之を言へば南山といふのみ」とある。それから西安志に「紫閣峰は、すなわち終南山の一峰なり」とあって、その詩は、前に見えて居る。この詩は山色を望み・山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せたのである。

終南 唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

2 紫閣 紫閣連終南 紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。その下に渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある、杜甫 《巻1733秋興,八首之八》「昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。」(昆吾 御宿 自ら逶迤【いい】たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崒增光輝,乘陵惜俄頃。」とみえる。

李白  《君子有所思行》(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

紫閣連終南,青冥天倪色。憑崖望咸陽,宮闕羅北極。萬井驚畫出,九衢如絃直。

紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。

紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

743年(25)李白345-#1 巻四02-《君子有所思行》(紫閣連終南,) 345-#1Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-25)Ⅰ李白詩1680 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6948

nat0022

出門見南山,引領意無限。

門を出でて南方を臨めば、終南山が見えるので、首を延ばして、じつと見惚れて居る間に、

無限の思いに沈むのである。

3 出門 高適《田家春望》(田園の家、春の眺め。)「出門何所見、春色滿平蕪。可歎無知己、高陽一酒徒。」(門を出でて何の見る所ぞ、春色、平蕪に 滿つ。歎ず 可し、知己 無きを、高陽の一酒徒。)城門を出て、郊外へ行ったが、何も見るものがない、春の気配が、草原一面に満ちているだけである。嘆かわしいことは、私を理解してくれる者がいないことだ。高陽の一酒徒となって悶々としている。

高適の詩は、春のけだるさを田園の景色に見るものがないということで強調します。春の気配が草原一面にあるが、理解してくれるものは誰もいない。賢人の集まりで酒を飲み交わすことにしよう。古来、権力者に対する、賢人は、酒を酌み交わして、談義した。

4 引領 首を伸ばして眺めること、強調表現。

 

秀色難為名,蒼翠日在眼。

終南山辺りの蒼翠は、日日眼前に在って、格別珍らしくもないが、その秀色は、何とも名づけ難く、従って、いくら見ても、見あきもしない。

 

有時白雲起,天際自舒卷。

そこは、時時白雲が起るところであり、天際に舒卷し、愈々、趣ありげの景色。

5 有時白雲起,天際自舒卷 この二句は道教隠遁者の道と一体となる修行をして仙人となる神髄をいうもの。

6 舒卷 ① のばし広げることとまき固めること。転じて,時勢に応じて身を処すこと。 書物を開くこと。

 

心中與之然,託興每不淺。

わが心も、物に執着しないことは、丁度、その雲の如くである處から、毎毎興を託することが深い。

 

何當造幽人,滅跡棲巘。

あわれ、何の時か、山中に分け入って、紫閣峰下の幽人を尋ね、ともに、蹤跡を晦まして、高峰の間に住むことが出来るか。恨むらくは、われ塵縁未だ尽きることなく、今に尚齷齪として、風塵中にまごついて居るので、隠者輩に対して、まことに愧じ入る次第である。

7 滅跡 消滅蹤跡。文選·李陵·《答蘇武書》「滅跡掃塵,斬其梟帥。」(跡を滅して塵を掃き,其れを斬り梟帥す。)

8 棲 絶壁の上の山頂。世俗を断ち切った山の頂に隠棲すること。

271#2 《卷12-16月夜江行寄崔員外宗之#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<271#2> Ⅰ李白詩1547 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6283

李白  月夜江行寄崔員外宗之#2

歸路方浩浩,徂川去悠悠。徒悲蕙草歇,復聽菱歌愁。

岸曲迷後浦,沙明瞰前洲。懷君不可見,望遠增離憂。
この時、大親友である君のことを懐えども、互いの間が千里も隔てていては、見ることはできないが、この素晴らしい景色の中に在って、遠天を望みながら、別離の憂いは增すばかりである。

 

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    月夜江行寄崔員外宗之

交遊人物:崔成輔              書信往來

 

 

月夜江行寄崔員外宗之 #1

(この詩は、月夜、揚子江を航行し、員外部の雀宗之に寄せたもの)

飄飄江風起,蕭颯海樹秋。

諷諷と軽く馨って、江上の清風吹き起り、それが海樹を描かせば、諾楓として、秋孝を起す。

登艫美清夜,掛席移輕舟。

その時、舷頭に坐して、美しい清夜の風景を賞しつつ、高く帆を掛けて、軽舟を移して江中を進行した。

月隨碧山轉,水合青天流。

すると、月は碧山に随って、その影を移し、水は青天に合して流れてゆく。

杳如星河上,但覺雲林幽。

杳然としで、天の河の邁にでも凍かかった様な想がするし、雲を帯びたる林は、岸上にほの暗く見えて居る。 

#2

歸路方浩浩,徂川去悠悠。

かくて、行く川の流れは、浩浩としてながれ、本の水ではないのである。歸らむとすれば、水は悠悠として、さながら、際涯などないように流れるのである。

徒悲蕙草歇,復聽菱歌愁。

頃しも秋、岸上の蕙草も次第に凋まんと色づいていくと悲んでしまう、そうなると、又、菱の実を采る歌を聞いて、愈よ 愁を催すばかりである。

岸曲迷後浦,沙明瞰前洲。

江岸は頻りに曲折し、下流の浦湾は、何処が下流かとも見えず、沙浜は明かにして、前側の洲渚のみは、はっきりと見える。

懷君不可見,望遠增離憂。

この時、大親友である君のことを懐えども、互いの間が千里も隔てていては、見ることはできないが、この素晴らしい景色の中に在って、遠天を望みながら、別離の憂いは增すばかりである。

 

(月夜江行 崔員外宗之に寄す)

飄飄として江風起り、蕭颯たり 海樹の秋。

艫に登って、清夜を美とし、席を掛けて、軽舟を移す。

月は碧山に随って轉じ、水は青天に合して流る。

杳として、星河の上の如く、但だ雲林の幽なるを覚ゆ。

 

帰路、方に浩浩,徂川 去って悠悠。

徒らに蕙草の歇むを悲しみ,復た、菱歌を聽いて愁う。

岸は曲り 後浦に迷い,沙は明かにして 前洲を瞰る。

君を懷えども 見る可からず,遠きを望んで 離憂を增す。

 

唐時代 地図615 長江下流域 

『月夜江行寄崔員外宗之』 #2 現代語訳と訳註解説
(本文) #2

歸路方浩浩,徂川去悠悠。

徒悲蕙草歇,復聽菱歌愁。

岸曲迷後浦,沙明瞰前洲。

懷君不可見,望遠增離憂。

(下し文)
帰路、方に浩浩,徂川 去って悠悠。

徒らに蕙草の歇むを悲しみ,復た、菱歌を聽いて愁う。

岸は曲り 後浦に迷い,沙は明かにして 前洲を瞰る。

君を懷えども 見る可からず,遠きを望んで 離憂を增す。

(現代語訳)
かくて、行く川の流れは、浩浩としてながれ、本の水ではないのである。歸らむとすれば、水は悠悠として、さながら、際涯などないように流れるのである。

頃しも秋、岸上の蕙草も次第に凋まんと色づいていくと悲んでしまう、そうなると、又、菱の実を采る歌を聞いて、愈よ 愁を催すばかりである。

江岸は頻りに曲折し、下流の浦湾は、何処が下流かとも見えず、沙浜は明かにして、前側の洲渚のみは、はっきりと見える。

この時、大親友である君のことを懐えども、互いの間が千里も隔てていては、見ることはできないが、この素晴らしい景色の中に在って、遠天を望みながら、別離の憂いは增すばかりである。


(訳注) #2

月夜江行寄崔員外宗之 #2

(この詩は、月夜、揚子江を航行し、員外部の雀宗之に寄せたもの)

江天の夜景を詠って、頗る次第あって、これまでの詩と、全く重複する所がないのは、流石にその筆力を見る傑作である。結句二句は、題面の正意である。

崔宗之 宗之。宗之は崔日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。(崔宗之〔唐〕名成輔,以字行,滑州靈昌(今河南滑縣)人。日用子,襲封齊國公。好學,寬博有風檢,與李白、杜甫以文相知。)

李白《卷9-06贈崔郎中宗之#3》

(李白の飲み仲間で、且つ、親友であるところから、李白は自分の不遇を述べてその同情を促がしたもの。)

杜甫《卷二01飲中八仙歌》「宗之蕭灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。瀟灑 さっぱりしたさま。腸 さかずき。白眼 魏の阮籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。 しろいさま。玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。臨風前 風の前に立っている。

員外 官名。前の詩に《卷9-06贈崔郎中宗之》。とあり、この詩に員外とあるから、員外郎であり、郎中の補佐役、本来は郎中の定員外の官という意。

 

歸路方浩浩,徂川去悠悠。

かくて、行く川の流れは、浩浩としてながれ、本の水ではないのである。歸らむとすれば、水は悠悠として、さながら、際涯などないように流れるのである。

 

徒悲蕙草歇,復聽菱歌愁。

頃しも秋、岸上の蕙草も次第に凋まんと色づいていくと悲んでしまう、そうなると、又、菱の実を采る歌を聞いて、愈よ 愁を催すばかりである。

菱歌 府清商曲名。又称《采菱歌》、《采菱曲》。南朝宋鮑照《采菱歌之一》「簫弄澄湘北, 菱歌清漢南。

 

岸曲迷後浦,沙明瞰前洲。

江岸は頻りに曲折し、下流の浦湾は、何処が下流かとも見えず、沙浜は明かにして、前側の洲渚のみは、はっきりと見える。

 

懷君不可見,望遠增離憂。

この時、大親友である君のことを懐えども、互いの間が千里も隔てていては、見ることはできないが、この素晴らしい景色の中に在って、遠天を望みながら、別離の憂いは增すばかりである。

離憂 別離の憂い。
李白の足跡003 

271#1 《卷12-16月夜江行寄崔員外宗之#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<271#1> Ⅰ李白詩1546 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6278

李白《卷12-16 月夜江行寄崔員外宗之#1》

飄飄江風起,蕭颯海樹秋。登艫美清夜,掛席移輕舟。

月隨碧山轉,水合青天流。杳如星河上,但覺雲林幽。
諷諷と軽く馨って、江上の清風吹き起り、それが海樹を描かせば、諾楓として、秋孝を起す。その時、舷頭に坐して、美しい清夜の風景を賞しつつ、高く帆を掛けて、軽舟を移して江中を進行した。すると、月は碧山に随って、その影を移し、水は青天に合して流れてゆく。杳然としで、天の河の邁にでも凍かかった様な想がするし、雲を帯びたる林は、岸上にほの暗く見えて居る。 

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    月夜江行寄崔員外宗之

交遊人物:崔成輔              書信往來

 

 

月夜江行寄崔員外宗之 #1

(この詩は、月夜、揚子江を航行し、員外部の雀宗之に寄せたもの)

飄飄江風起,蕭颯海樹秋。

諷諷と軽く馨って、江上の清風吹き起り、それが海樹を描かせば、諾楓として、秋孝を起す。

登艫美清夜,掛席移輕舟。

その時、舷頭に坐して、美しい清夜の風景を賞しつつ、高く帆を掛けて、軽舟を移して江中を進行した。

月隨碧山轉,水合青天流。

すると、月は碧山に随って、その影を移し、水は青天に合して流れてゆく。

杳如星河上,但覺雲林幽。

杳然としで、天の河の邁にでも凍かかった様な想がするし、雲を帯びたる林は、岸上にほの暗く見えて居る。 

#2

歸路方浩浩,徂川去悠悠。

徒悲蕙草歇,復聽菱歌愁。

岸曲迷後浦,沙明瞰前洲。

懷君不可見,望遠增離憂。

 

(月夜江行 崔員外宗之に寄す)

飄飄として江風起り、蕭颯たり 海樹の秋。

艫に登って、清夜を美とし、席を掛けて、軽舟を移す。

月は碧山に随って轉じ、水は青天に合して流る。

杳として、星河の上の如く、但だ雲林の幽なるを覚ゆ。

帰路、方に浩浩,徂川 去って悠悠。

徒らに蕙草の歇むを悲しみ,復た、菱歌を聽いて愁う。

岸は曲り 後浦に迷い,沙は明かにして 前洲を瞰る。

君を懷えども 見る可からず,遠きを望んで 離憂を增す。

 

 

『月夜江行寄崔員外宗之』 #1 現代語訳と訳註解説
(
本文)

《卷12-16 月夜江行寄崔員外宗之#1》

飄飄江風起,蕭颯海樹秋。登艫美清夜,掛席移輕舟。

月隨碧山轉,水合青天流。杳如星河上,但覺雲林幽。

(下し文)
(月夜江行 崔員外宗之に寄す)

飄飄として江風起り、蕭颯たり 海樹の秋。

艫に登って、清夜を美とし、席を掛けて、軽舟を移す。

月は碧山に随って轉じ、水は青天に合して流る。

杳として、星河の上の如く、但だ雲林の幽なるを覚ゆ。

(現代語訳)
諷諷と軽く馨って、江上の清風吹き起り、それが海樹を描かせば、諾楓として、秋孝を起す。

その時、舷頭に坐して、美しい清夜の風景を賞しつつ、高く帆を掛けて、軽舟を移して江中を進行した。

すると、月は碧山に随って、その影を移し、水は青天に合して流れてゆく。

杳然としで、天の河の邁にでも凍かかった様な想がするし、雲を帯びたる林は、岸上にほの暗く見えて居る。 



(訳注)

月夜江行寄崔員外宗之 #1

(この詩は、月夜、揚子江を航行し、員外部の雀宗之に寄せたもの)

崔宗之 宗之。宗之は崔日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。(崔宗之〔唐〕名成輔,以字行,滑州靈昌(今河南滑縣)人。日用子,襲封齊國公。好學,寬博有風檢,與李白、杜甫以文相知。)

李白《卷9-06贈崔郎中宗之#3》

(李白の飲み仲間で、且つ、親友であるところから、李白は自分の不遇を述べてその同情を促がしたもの。)

杜甫《卷二01飲中八仙歌》「宗之蕭灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。瀟灑 さっぱりしたさま。腸 さかずき。白眼 魏の阮籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。 しろいさま。玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。臨風前 風の前に立っている。

員外 官名。前の詩に《卷9-06贈崔郎中宗之》。とあり、この詩に員外とあるから、員外郎であり、郎中の補佐役、本来は郎中の定員外の官という意。

 

飄飄江風起,蕭颯海樹秋。

諷諷と軽く馨って、江上の清風吹き起り、それが海樹を描かせば、諾楓として、秋孝を起す。

飄飄 1飛び上がるさま。翻るさま。2風の吹くさま。

 

登艫美清夜,掛席移輕舟。

その時、舷頭に坐して、美しい清夜の風景を賞しつつ、高く帆を掛けて、軽舟を移して江中を進行した。

登艫 艫は船の前頭で櫂を刺すところをいう。

美清夜 美しい清夜の風景を賞しつつあることをいう。

掛席 高く帆を桂けることをいう。

 

月隨碧山轉,水合青天流。

すると、月は碧山に随って、その影を移し、水は青天に合して流れてゆく。

 

杳如星河上,但覺雲林幽。

杳然としで、天の河の邁にでも凍かかった様な想がするし、雲を帯びたる林は、岸上にほの暗く見えて居る。 

星河 あまのがわ。河漢・天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。詩経の大雅•棫樸、「倬彼雲漢、爲章于天。」小雅大東などに雲漢,銀河,天河がみえる。古詩十九首之十「迢迢牽牛星、皎皎河漢女。」、謝霊運(康楽) 『燕歌行』「誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。」、李商隠『燕臺詩四首 其二』 「直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」七夕伝説では、織女星と牽牛星を隔てて会えなくしている川が天の川である。二人は互いに恋しあっていたが、天帝に見咎められ、年に一度、七月七日の日のみ、天の川を渡って会うことになった。

杜甫  天河

  當時任顯晦,秋至轉分明。縱被浮雲掩,猶能永夜清。

  含星動雙闕,半月落邊城。牛女年年渡,何曾風浪生。

杜甫   初月

  光細弦欲上,影斜輪未安。微升古塞外,已隱暮雲端。

  河漢不改色,關山空自寒。庭前有白露,暗滿菊花團。

270 《卷12-09寄淮南友人》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 五言律詩<270> Ⅰ李白詩1545 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6273

李白  寄淮南友人  

紅顏悲舊國,青歇芳洲。不待金門詔,空持寶劍遊。

海雲迷驛道,江月隱樓。復作淮南客,因逢桂樹留。

(淮南にいる友人に寄せたもの)わたしは、紅顔の少年の時分に旧國を去り、淮水の連なる芳洲において、春の景色を眺めたものである。見わたせば、海に連なる雲は、驛幹道を迷わせるものであり、江天の月は、故國の楼に沈み、四顧蒼茫、まことに羈客の恨に堪へない。いまは、又々、淮南方面へ行こうと思っているが、そこは、招隠士の詞中に見えた桂樹の在るところで、心のどかに滞留したいと思うばかりで、そこで先ぶれとして、君に此詩を寄せるのである。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七二              文體:    五言律詩

詩題:    寄淮南友人

及地點:揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 

 

寄淮南友人

(淮南にいる友人に寄せたもの)

紅顏悲舊國,青歇芳洲。

わたしは、紅顔の少年の時分に旧國を去り、淮水の連なる芳洲において、春の景色を眺めたものである。

不待金門詔,空持寶劍遊。

そして、地方で推薦を受け、それをもって朝廷の金門に待詔しているにもかなわず、賓剣を持して、四方に遊侠してあるくのである。

海雲迷驛道,江月隱樓。

見わたせば、海に連なる雲は、驛幹道を迷わせるものであり、江天の月は、故國の楼に沈み、四顧蒼茫、まことに羈客の恨に堪へない。

復作淮南客,因逢桂樹留。

いまは、又々、淮南方面へ行こうと思っているが、そこは、招隠士の詞中に見えた桂樹の在るところで、心のどかに滞留したいと思うばかりで、そこで先ぶれとして、君に此詩を寄せるのである。

 

(淮南の友人に寄す)

紅顏 舊國を悲み,青 芳洲に歇る。

金門の詔を待たず,空しく寶劍を持して遊ぶ。

海雲 驛道に迷い,江月 樓にたり。

復た淮南の客と作り,因って桂樹に逢うて留まる。

 

李白の足跡003

『寄淮南友人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄淮南友人

紅顏悲舊國,青歇芳洲。

不待金門詔,空持寶劍遊。

海雲迷驛道,江月隱樓。

復作淮南客,因逢桂樹留。

(下し文)
(
淮南の友人に寄す)

紅顏 舊國を悲み,青 芳洲に歇る。

金門の詔を待たず,空しく寶劍を持して遊ぶ。

海雲 驛道に迷い,江月 樓に隱たり。

復た淮南の客と作り,因って桂樹に逢うて留まる。


(現代語訳)
(淮南にいる友人に寄せたもの)

わたしは、紅顔の少年の時分に旧國を去り、淮水の連なる芳洲において、春の景色を眺めたものである。

そして、地方で推薦を受け、それをもって朝廷の金門に待詔しているにもかなわず、賓剣を持して、四方に遊侠してあるくのである。

見わたせば、海に連なる雲は、驛幹道を迷わせるものであり、江天の月は、故國の楼に沈み、四顧蒼茫、まことに羈客の恨に堪へない。

いまは、又々、淮南方面へ行こうと思っているが、そこは、招隠士の詞中に見えた桂樹の在るところで、心のどかに滞留したいと思うばかりで、そこで先ぶれとして、君に此詩を寄せるのである。

長安皇城宮城00
(訳注)

寄淮南友人

(淮南にいる友人に寄せたもの)

 

紅顏悲舊國,青歇芳洲。

わたしは、紅顔の少年の時分に旧國、蜀を去り、淮水の連なる芳洲において、春の景色を眺めたものである。

○旧國 李白は25歳で蜀を離れて襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊んだことをいう。

○青 青春。

芳洲 揚州のこと。淮南道 揚州。 別名:廣陵、淮南、淮海のこと。

 

不待金門詔,空持寶劍遊。

そして、地方で推薦を受け、それをもって朝廷の金門に待詔しているにもかなわず、賓剣を持して、四方に遊侠してあるくのである。

○不待金門詔 地方で推薦を受け、それをもって朝廷の金門に待詔しているにもかなわないこと。・金門:文人は金馬門から入ると一芸の者が集められた梨園の別棟、翰林院の前身の施設をいう。。

○寶劍遊 志を高く持ち、任侠の士として、事ある時に駆けつけるということで、諸国に遊ぶこと。ここまでの詩はこの考えに基づいて行動していることを示すものである。

 

海雲迷驛道,江月隱樓。

見わたせば、海に連なる雲は、驛幹道を迷わせるものであり、江天の月は、故國の楼に沈み、四顧蒼茫、まことに羈客の恨に堪へない。

 

復作淮南客,因逢桂樹留。

いまは、又々、淮南方面へ行こうと思っているが、そこは、招隠士の詞中に見えた桂樹の在るところで、心のどかに滞留したいと思うばかりで、そこで先ぶれとして、君に此詩を寄せるのである。

桂樹留 淮南王の招隠士に、「桂樹叢生兮山之幽、攀援桂樹兮聊淹留」とある。〈淮南小山·招隱士〉 桂樹叢生兮山之幽,偃蹇連蜷兮枝相繚。山氣巃兮石嵯峨,谿谷嶄巖兮水曾波。猿狖群嘯兮虎豹原,攀援桂枝兮聊淹留。
 江南東道 婺州 東陽00

254-#3 《卷12-12淮陰書懷寄王宗成-#3》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <254-#3>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1514 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6118

李白  淮陰書懷寄王宗成#3  斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

予為楚壯士,不是魯諸生。有德必報之,千金恥為輕。緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。
それに、恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致すところであるが、千金のお金ぐらいでは、まことに軽少で、それくらいでは恥ずべきことと心得ていることころだ。このように孤客の羈懐を書面にしたため、船頭の舟歌の聲に託して、遠くの君に寄せるので、君も定めて、その意を諒とされることと思っている。

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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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72-#8(改訂版Ver.2.1) 《巻04-19 苦寒 #8》 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1427> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6119 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1939 同元使君舂陵行 -#5》【6分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-52 <917-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6120 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四19定西番一首》『花間集』170全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6122 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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(改訂版Ver..2.1

年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    淮陰書懷寄王宗成【淮陰書懷寄王宗城】

作地點:              淮陰(淮南道 / 楚州 / 淮陰)

及地點:              淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)    

沙墩 (淮南道 楚州 淮陰)  

梁園 (河南道 宋州 宋城) 別名:梁苑           

交遊人物/地點:王宋城      書信往來(河南道 宋州 宋城)

 

(改訂版Ver..2.1

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

沙墩至梁苑,二十五長亭。

私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。

大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。

時おりしも、天には、雲晴れ盡して、碧色に住みわたり、大江も山岳共に余清のなかに涵している。

飛鳧從西來,適與佳興并。

やがて、飛鳧が西の方から来るのを見て、たまたま佳興をましてくるのである。

#2

眷言王喬,婉孌故人情。

振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがあるが同姓であるから君も彼に比すると思っている、美しい友情、思いやるものである。
復此親懿會,而增交道榮。

再会してこのような懿親の団欒、歓談をして、よりいっそうの交道の榮を正しくし、また増したいと思っている。
沿洄且不定,飄忽悵徂征。

なにぶん、川に沿って上下することが、難しいために、意の如くにはならない。飄忽として、そのまま旅を続ける。
暝投淮陰宿,欣得漂母迎。

それから、日暮れになって淮陰に着き、投宿し、幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれる。
#3

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

漂母のような老女の斗酒、黃雞の煮込んだ料理の御馳走にあずかり、この一食のあいだにも、この素心の誠、温まるもてなしにたいし感激した。

予為楚壯士,不是魯諸生。

私は楚の雄壮な武士である韓信にも比すべきものであり、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではない。
有德必報之,千金恥為輕。

それに、恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致すところであるが、千金のお金ぐらいでは、まことに軽少で、それくらいでは恥ずべきことと心得ていることころだ。

緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。

このように孤客の羈懐を書面にしたため、船頭の舟歌の聲に託して、遠くの君に寄せるので、君も定めて、その意を諒とされることと思っている。

 

(淮陰にて懐を書して王宋城に寄す。)#1

沙墩より梁苑に至る、二十五長亭。

大舶、雙艣を夾み、中流に鵝鸛鳴く。

雲天、空碧を掃ひ、川嶽、餘清を涵す。

飛鳧、西より来たり、適ま 佳興と幷す。

#2

眷言の王喬の、婉孌、故人の惰。

復た此に 親懿 會し,而も 交道の榮を增す。

沿洄 且つ定らず,飄忽として 徂征を悵む。

暝して 淮陰に投じて宿し,漂母の迎えるを得たるを欣ぶ。

#3

斗酒 黃雞を烹,一餐 素誠。を感ず

予は楚の壯士 為り,是れ魯の諸生ならず。

德 有れば 必ず之に報い,千金 恥じて輕しと為す。

緬として羈孤の意を書し,遠く 棹歌の聲に寄す。

 李白の足跡0000

 

(改訂版Ver..2.1

『淮陰書懷寄王宗成』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
3
#3

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

予為楚壯士,不是魯諸生。

有德必報之,千金恥為輕。

緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。

(下し文) #3

斗酒 黃雞を烹,一餐 素誠。を感ず

予は楚の壯士 為り,是れ魯の諸生ならず。

德 有れば 必ず之に報い,千金 恥じて輕しと為す。

緬として羈孤の意を書し,遠く 棹歌の聲に寄す。

(現代語訳)
漂母のような老女の斗酒、黃雞の煮込んだ料理の御馳走にあずかり、この一食のあいだにも、この素心の誠、温まるもてなしにたいし感激した。

私は楚の雄壮な武士である韓信にも比すべきものであり、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではない。
それに、恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致すところであるが、千金のお金ぐらいでは、まことに軽少で、それくらいでは恥ずべきことと心得ていることころだ。

このように孤客の羈懐を書面にしたため、船頭の舟歌の聲に託して、遠くの君に寄せるので、君も定めて、その意を諒とされることと思っている。


(訳注) (改訂版Ver..2.1

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

淮陰 徐州臨淮郡は、淮水流域にあたる。漢書地理志によれば、淮水流域は肥沃な粘土質の赤土が広がり、草木は密集して生えていて、人々は異民族とともに暮らしているという。五色の羽をもった雉が生息し、真珠・絹とともに重要な献上物であったと云う。現在の江蘇省淮安市に位置する。秦代に設置される。南北朝時代になると東魏により懐恩県(または淮恩県)と改称され淮陰郡の郡治とされた。その後北周により寿張県、583年(開皇3年)には淮陰県と改称されたが、大業初年に山陽県に編入された。

667年(乾封2年)、唐朝は再び淮陰県を設置

宋城縣 河南道 宋州 宋城(x-8)

 

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

漂母のような老女の斗酒、黃雞の煮込んだ料理の御馳走にあずかり、この一食のあいだにも、この素心の誠、温まるもてなしにたいし感激した。


予為楚壯士,不是魯諸生。

私は楚の雄壮な武士である韓信にも比すべきものであり、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではない。
○楚壯士 李白が、淮陰に在るによってそのため、淮陰の故事を持って喩えとした。楚の国は韓信を指して言うが、多くの勇壮な武士を出している地である。

○魯諸生 山東省魯の孔子の里。李白は儒教を評価していない


有德必報之,千金恥為輕。

それに、恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致すところであるが、千金のお金ぐらいでは、まことに軽少で、それくらいでは恥ずべきことと心得ていることころだ。


緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。
このように孤客の羈懐を書面にしたため、船頭の舟歌の聲に託して、遠くの君に寄せるので、君も定めて、その意を諒とされることと思っている。

○棹歌 棹をひいて歌うこと。船頭の舟歌。

254-#2 《卷12-12淮陰書懷寄王宗成-#2》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <254-#2>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6113

李白  淮陰書懷寄王宗成-#2  

眷言王喬,婉孌故人情。復此親懿會,而增交道榮。

沿洄且不定,飄忽悵徂征。暝投淮陰宿,欣得漂母迎。
なにぶん、川に沿って上下することが、難しいために、意の如くにはならない。飄忽として、そのまま旅を続ける。それから、日暮れになって淮陰に着き、投宿し、幸いにも韓信の故事の漂母のような方が迎えてくれる。
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254-#2 《卷12-12淮陰書懷寄王宗成-#2》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <254-#2>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6113

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    淮陰書懷寄王宗成【淮陰書懷寄王宗城】

作地點:              淮陰(淮南道 / 楚州 / 淮陰)

及地點:              淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)    

沙墩 (淮南道 楚州 淮陰)  

梁園 (河南道 宋州 宋城) 別名:梁苑           

交遊人物/地點:王宋城      書信往來(河南道 宋州 宋城)

 

 

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

沙墩至梁苑,二十五長亭。

私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。

大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。

時おりしも、天には、雲晴れ盡して、碧色に住みわたり、大江も山岳共に余清のなかに涵している。

飛鳧從西來,適與佳興并。

やがて、飛鳧が西の方から来るのを見て、たまたま佳興をましてくるのである。

#2

眷言王喬,婉孌故人情。

振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがあるが同姓であるから君も彼に比すると思っている、美しい友情、思いやるものである。
復此親懿會,而增交道榮。

再会してこのような懿親の団欒、歓談をして、よりいっそうの交道の榮を正しくし、また増したいと思っている。
沿洄且不定,飄忽悵徂征。

なにぶん、川に沿って上下することが、難しいために、意の如くにはならない。飄忽として、そのまま旅を続ける。
暝投淮陰宿,欣得漂母迎。

それから、日暮れになって淮陰に着き、投宿し、幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれる。
#3

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

予為楚壯士,不是魯諸生。

有德必報之,千金恥為輕。

緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。

 

 

(淮陰にて懐を書して王宋城に寄す。)#1

沙墩より梁苑に至る、二十五長亭。

大舶、雙艣を夾み、中流に鵝鸛鳴く。

雲天、空碧を掃ひ、川嶽、餘清を涵す。

飛鳧、西より来たり、適ま 佳興と幷す。

#2

眷言の王喬の、婉孌、故人の惰。

復た此に 親懿 會し,而も 交道の榮を增す。

沿洄 且つ定らず,飄忽として 徂征を悵む。

暝して 淮陰に投じて宿し,漂母の迎えるを得たるを欣ぶ。

#3

斗酒 黃雞を烹,一餐 素誠。を感ず

予は楚の壯士 為り,是れ魯の諸生ならず。

德 有れば 必ず之に報い,千金 恥じて輕しと為す。

緬として羈孤の意を書し,遠く 棹歌の聲に寄す。

都畿道河南道01 

 

(改訂版Ver..2.1

『淮陰書懷寄王宗成』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

眷言王喬,婉孌故人情。

復此親懿會,而增交道榮。

沿洄且不定,飄忽悵徂征。

暝投淮陰宿,欣得漂母迎。

(下し文) #2

眷言の王喬の、婉孌、故人の惰。

復た此に 親懿 會し,而も 交道の榮を增す。

沿洄 且つ定らず,飄忽として 徂征を悵む。

暝して 淮陰に投じて宿し,漂母の迎えるを得たるを欣ぶ。

(現代語訳)
振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがあるが同姓であるから君も彼に比すると思っている、美しい友情、思いやるものである。
再会してこのような懿親の団欒、歓談をして、よりいっそうの交道の榮を正しくし、また増したいと思っている。
なにぶん、川に沿って上下することが、難しいために、意の如くにはならない。飄忽として、そのまま旅を続ける。
それから、日暮れになって淮陰に着き、投宿し、幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれる。

(訳注) (改訂版Ver..2.1

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

淮陰 徐州臨淮郡は、淮水流域にあたる。漢書地理志によれば、淮水流域は肥沃な粘土質の赤土が広がり、草木は密集して生えていて、人々は異民族とともに暮らしているという。五色の羽をもった雉が生息し、真珠・絹とともに重要な献上物であったと云う。現在の江蘇省淮安市に位置する。秦代に設置される。南北朝時代になると東魏により懐恩県(または淮恩県)と改称され淮陰郡の郡治とされた。その後北周により寿張県、583年(開皇3年)には淮陰県と改称されたが、大業初年に山陽県に編入された。

667年(乾封2年)、唐朝は再び淮陰県を設置

宋城縣 河南道 宋州 宋城(x-8)

 

眷言王喬舄、婉孌故人情。 
振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがあるが同姓であるから君も彼に比すると思っている、美しい友情、思いやるものである。
眷言 ふりかえって云う。

○王喬舄 底を二重にした冠位の履。王喬は所管の役人だったころ、九族の集う時節ということで王家に集まったが、その時期にはずれ、禁令にも違反しているとして、上奏され、不遇であった。いとこの王基は毋丘倹を平定したあと、安楽郷侯の爵位を賜り、王喬の教育してくれた。この王基の徳にむくいたいと精進した。のち、王喬は関内侯の爵位を賜った。王喬のいとこ王基に教育され、その上で冠位の靴を貰ったことに由来する。

婉孌 えんれん 年若く美しい。したう、すなお、 みめよい。

故人情 友情。



復此親懿會、而增交道榮。 
再会してこのような懿親の団欒、歓談をして、よりいっそうの交道の榮を正しくし、また増したいと思っている。
懿親 親しい親戚。うるわしい、ふかい。

交道 交際していく上での筋道。李白《巻一59古風五十九首、其五十九》「世途多翻覆,交道方嶮巇。」


沿洄且不定、飄忽悵徂征。
なにぶん、川に沿って上下することが、難しいために、意の如くにはならない。飄忽として、そのまま旅を続ける。
○飄 飄蓬。

徂征 行ったり戻ったり。


暝投淮陰宿、欣得漂母迎。』 
それから、日暮れになって淮陰に着き、投宿し、幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれる。
漂母 史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。

李白詩「漂母」

巻 ID

詩題

句・聯

204巻五 37

猛虎行 ( 此詩蕭士()云是偽作 )

來投漂母作主人、賢哲棲棲古如此。

301巻八15

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首其二

飢從漂母食、 閑綴羽陵簡。

323巻八卷八37

贈新平少年

千金答漂母、萬古共嗟稱。

330卷九卷九

九秋日煉藥院鑷白發贈元六兄林宗

窮與鮑生賈、飢從漂母餐。

422巻十二12

淮陰書懷寄王宗成 (一作王宗城 )

暝投淮陰宿、欣得漂母迎。

515卷十五18

送薛九被讒去魯

沙丘無漂母、誰肯飯王孫。

742巻二十一20

宿五松山下荀媼家

令人慚漂母、三謝不能餐。

 李白の足跡0000

254-#1 《卷12-12淮陰書懷寄王宗成-#1》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <254-#1>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1512 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6108

李白  淮陰書懷寄王宗成 #1  

沙墩至梁苑,二十五長亭。大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。飛鳧從西來,適與佳興并。
(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

254-#1 《卷12-12淮陰書懷寄王宗成-#1》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <254-#1>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1512 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6108

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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254-#1 《卷12-12淮陰書懷寄王宗成-#1》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <254-#1>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1512 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6108 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    淮陰書懷寄王宗成【淮陰書懷寄王宗城】

作地點:              淮陰(淮南道 / 楚州 / 淮陰)

及地點:              淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)    

沙墩 (淮南道 楚州 淮陰)  

梁園 (河南道 宋州 宋城) 別名:梁苑           

交遊人物/地點:王宋城      書信往來(河南道 宋州 宋城)

 

(改訂版Ver..2.1) 

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

沙墩至梁苑,二十五長亭。

私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。

大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。

時おりしも、天には、雲晴れ盡して、碧色に住みわたり、大江も山岳共に余清のなかに涵している。

飛鳧從西來,適與佳興并。

やがて、飛鳧が西の方から来るのを見て、たまたま佳興をましてくるのである。

#2

眷言王喬舃,婉孌故人情。

復此親懿會,而增交道榮。

沿洄且不定,飄忽悵徂征。

暝投淮陰宿,欣得漂母迎。

#3

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

予為楚壯士,不是魯諸生。

有德必報之,千金恥為輕。

緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。

 

(改訂版Ver..2.1) 

(淮陰にて懐を書して王宋城に寄す。)#1

沙墩より梁苑に至る、二十五長亭。

大舶、雙艣を夾み、中流に鵝鸛鳴く。

雲天、空碧を掃ひ、川嶽、餘清を涵す。

飛鳧、西より来たり、適ま 佳興と幷す。

#2

眷言の王喬の舃、婉孌、故人の惰。

復た此に 親懿 會し,而も 交道の榮を增す。

沿洄 且つ定らず,飄忽として 徂征を悵む。

暝して 淮陰に投じて宿し,漂母の迎えるを得たるを欣ぶ。

#3

斗酒 黃雞を烹,一餐 素誠。を感ず

予は楚の壯士 為り,是れ魯の諸生ならず。

德 有れば 必ず之に報い,千金 恥じて輕しと為す。

緬として羈孤の意を書し,遠く 棹歌の聲に寄す。

都畿道河南道01 

(改訂版Ver..2.1) 

『淮陰書懷寄王宗成』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

淮陰書懷寄王宗成

沙墩至梁苑,二十五長亭。

大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。

飛鳧從西來,適與佳興并。

(下し文)
(淮陰にて懐を書して王宋城に寄す。)#1

沙墩より梁苑に至る、二十五長亭。

大舶、雙艣を夾み、中流に鵝鸛鳴く。

雲天、空碧を掃ひ、川嶽、餘清を涵す。

飛鳧、西より来たり、適ま 佳興と幷す。

(現代語訳)
(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。

その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

時おりしも、天には、雲晴れ盡して、碧色に住みわたり、大江も山岳共に余清のなかに涵している。

やがて、飛鳧が西の方から来るのを見て、たまたま佳興をましてくるのである。


(訳注) #1
(改訂版Ver..2.1)

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

淮陰 徐州臨淮郡は、淮水流域にあたる。漢書地理志によれば、淮水流域は肥沃な粘土質の赤土が広がり、草木は密集して生えていて、人々は異民族とともに暮らしているという。五色の羽をもった雉が生息し、真珠・絹とともに重要な献上物であったと云う。現在の江蘇省淮安市に位置する。秦代に設置される。南北朝時代になると東魏により懐恩県(または淮恩県)と改称され淮陰郡の郡治とされた。その後北周により寿張県、583年(開皇3年)には淮陰県と改称されたが、大業初年に山陽県に編入された。

667年(乾封2年)、唐朝は再び淮陰県を設置

宋城縣 河南道 宋州 宋城(x-8)

 

沙墩至梁苑,二十五長亭

私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。

沙墩 淮南道 楚州 淮陰。

梁苑 前漢の文帝の子、景帝の弟、梁孝王劉武が築いた庭園。現在の河南省開封府商丘市東南5kmに在った。宋の都となった。『史記』巻五十八「梁孝王世家」の「史記正義」「吟」は、詩歌の一体。この詩は、第一次在京期の後、長安を離れて梁園に遊んだおり、三十一歳の作と考えられる。梁の孝王が築いた園の名。現・河南省東部、商丘の東にある。竹が多く、修竹園とも呼ばれた。宮室の庭園。『史記・世家・梁孝王』に「孝王,竇太后少子也,愛之,賞賜不可勝道。於是孝王築東苑,方三百餘里。廣陽城七十里。」とある。王昌齡の『梁苑』「梁園秋竹古時煙,城外風悲欲暮天。萬乘旌旗何處在,平臺賓客有誰憐。

長亭 古時於路旁,每十里設一長亭,五里設一短亭,供行人憩息。因此,近城的十里長亭常為人們送別的地方。

 

大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

大舶 おおきなふね。

夾雙艣 櫓を二挺つけてはさんでいる。

鵝鸛鳴 舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

 

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。

時おりしも、天には、雲晴れ盡して、碧色に住みわたり、大江も山岳共に余清のなかに涵している。

 

飛鳧從西來,適與佳興并。

やがて、飛鳧が西の方から来るのを見て、たまたま佳興をましてくるのである。

 

 

 

 

(淮陰書懷寄王宗成)

沙墩至梁苑,二十五長亭。大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。飛鳧從西來,適與佳興并。

 

眷言王喬舃,婉孌故人情。復此親懿會,而增交道榮。

沿洄且不定,飄忽悵徂征。暝投淮陰宿,欣得漂母迎。

 

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。予為楚壯士,不是魯諸生。

有德必報之,千金恥為輕。緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。

 

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秋夜宿龍門香山寺 ―#2

玉斗橫網銀河耿花宮。

興在趣方逸,歡餘情未終。

鳳駕憶王子,虎溪懷遠公。

桂枝坐蕭瑟,棣華不復同。

流恨寄伊水,盈盈焉可窮。

北斗は、横に網戸を射り、天の川は、清く寺に当たっている。興あるところ、逸趣殊におおく、歓び余り有って、情、未だ終らない。王方城は、鳳凰に駕せし古への王子喬の如く、瑩上人は、虎溪の惠遠公にゆずらないが、一緒に来ないから、この景に対して、相思の情にたえぬ。

 

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年:736年開元二十四年36

卷別:    卷一七二                李太白集 巻十二07  文體:             五言古詩

詩題:    秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問

作地點:              伊闕(都畿道 / 河南府 / 伊闕)

及地點:              伊闕 (都畿道 河南府 伊闕) 別名:龍門山、闕口         

香山寺 (都畿道 河南府 伊闕)         

方城 (山南東道 唐州 方城)             

交遊人物:王方城              書信往來(山南東道 唐州 方城)

瑩上人 ;書信往來

李幼成 ;書信往來

李令問 ;書信往來

 

 

秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問

(秋の夜、龍門山の香山寺に宿したことにより、この詩を賦して方城の王十七丈に寄せ、奉國寺の瑩上人、二人の從弟である幼成と令問におくったものである)

朝發汝海東,暮棲龍門中。

朝早く、汝水の東を出発し、暮れには龍門山の山中に投宿した。

水寒夕波急,木落秋山空。

秋も深まり、水は寒く、川辺の夕波は急に打ち寄せ、木の葉は落ちて山も地肌をあらわにしている。

望極九霄迥,賞幽萬壑通。

夜になれば、九天高く悠かに晴れ渡り、万壑の間には、幽静な景色を賞賛すべきところが多い。

目皓沙上月,心清松下風。

月は砂上を照らして見えるとこの何処も、皆白く、松の木の下を風が通り過ぎてゆき、一心自然に清くなる。

#2

玉斗橫網銀河耿花宮。

北斗は、横に網戸を射り、天の川は、清く寺に当たっている。

興在趣方逸,歡餘情未終。

興あるところ、逸趣殊におおく、歓び余り有って、情、未だ終らない。

鳳駕憶王子,虎溪懷遠公。

王方城は、鳳凰に駕せし古への王子喬の如く、瑩上人は、虎溪の惠遠公にゆずらないが、一緒に来ないから、この景に対して、相思の情にたえぬ。

桂枝坐蕭瑟,棣華不復同。

それから桂花既に落ちて、その枝の寂しげなるを見るにつけて、棣蕚の親ある我が二人の從弟である幼成と令問の共にここに来られぬことは、まことに、遺憾である。

流恨寄伊水,盈盈焉可窮。

かくて、恨みを流して伊水に寄せ、諸君の方に伝えようと思うが、水の盈盈たるもこの恨みを十分に窮めることはできない。

 

(秋夜 龍門の香山寺に宿し,王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成、令問に寄せ奉る)

朝に汝海の東を發し,暮に龍門の中に棲む。

水寒くして 夕波 急なり,木落ちて 秋山空し。

望 極って九霄 迥かに,賞幽にして 萬壑 通ず。
目は皓たり 沙上の月,心は清し 松下の風。

#2

玉斗 網わり,銀河 花宮に耿たり。

興 在り 趣 方に逸,歡 餘って 情 未だ終らず。

鳳駕に 王子を憶い,虎溪に 遠公を懷う。

桂枝 坐ろに 蕭瑟,棣華 復た同じからず。

流恨 伊水に寄す,盈盈 焉んぞ 窮む可けんや。

 

 

『秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

玉斗橫網銀河耿花宮。

興在趣方逸,歡餘情未終。

鳳駕憶王子,虎溪懷遠公。

桂枝坐蕭瑟,棣華不復同。

流恨寄伊水,盈盈焉可窮。


(下し文) #2

玉斗 網に橫わり,銀河 花宮に耿たり。

興 在り 趣 方に逸,歡 餘って 情 未だ終らず。

鳳駕に 王子を憶い,虎溪に 遠公を懷う。

桂枝 坐ろに 蕭瑟,棣華 復た同じからず。

流恨 伊水に寄す,盈盈 焉んぞ 窮む可けんや。

(現代語訳)
北斗は、横に網戸を射り、天の川は、清く寺に当たっている。

興あるところ、逸趣殊におおく、歓び余り有って、情、未だ終らない。

王方城は、鳳凰に駕せし古への王子喬の如く、瑩上人は、虎溪の惠遠公にゆずらないが、一緒に来ないから、この景に対して、相思の情にたえぬ。

それから桂花既に落ちて、その枝の寂しげなるを見るにつけて、棣蕚の親ある我が二人の從弟である幼成と令問の共にここに来られぬことは、まことに、遺憾である。

かくて、恨みを流して伊水に寄せ、諸君の方に伝えようと思うが、水の盈盈たるもこの恨みを十分に窮めることはできない。


(訳注) #2

秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問

(秋の夜、龍門山の香山寺に宿したことにより、この詩を賦して方城の王十七丈に寄せ、奉國寺の瑩上人、二人の從弟である幼成と令問におくったものである)

 

玉斗橫網銀河耿花宮。

北斗は、横に網戸を射り、天の川は、清く寺に当たっている。

玉斗 北斗、色明朗、珠の如く輝くことでいう。

 門扉の上に彫刻して方目を作った網目の格子

銀河 天の川あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。

 明淨の容貌。

花宮 仏寺をいう。花界、白六帖と云う言い方もある。

 

興在趣方逸,歡餘情未終。

興あるところ、逸趣殊におおく、歓び余り有って、情、未だ終らない。

 

鳳駕憶王子,虎溪懷遠公。

王方城は、鳳凰に駕せし古への王子喬の如く、瑩上人は、虎溪の惠遠公にゆずらないが、一緒に来ないから、この景に対して、相思の情にたえぬ。

王子 王子喬のこと。周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。

虎溪 在江西省九江市南盧山東林寺前。陶潛. 《蓮社高賢傳·百二十三人傳》「時遠法師居東林。其處流泉匝寺下入於溪。每送客過此。輒有虎號鳴。因名虎溪。」(遠法師 東林す。其の處 流泉匝寺下り溪に入る。客を送る每に此を過る。虎號鳴する。因って虎溪づく」とある。

 

桂枝坐蕭瑟,棣華不復同。

それから桂花既に落ちて、その枝の寂しげなるを見るにつけて、棣蕚の親ある我が二人の從弟である幼成と令問の共にここに来られぬことは、まことに、遺憾である。

蕭瑟 秋風が寂しく吹くこと。また、そのさま。

 

流恨寄伊水,盈盈焉可窮。

かくて、恨みを流して伊水に寄せ、諸君の方に伝えようと思うが、水の盈盈たるもこの恨みを十分に窮めることはできない。

伊水 黄河南岸支流洛河の支流の一,水源は熊耳山南麓的栾川陶湾であり,流域は嵩県、伊川,熊耳山南麓で,牛山北麓をながれ,洛陽に入る,東北偃師に至り洛河に注入される,ここで合流した後黄河に注入する。

盈盈 (1) (水が)澄みきった.(2) (姿や態度が)上品な.(3) 軽やかな.李白《宮中行楽詞 其一》「小小生金屋、盈盈在紫微。」小さい子供のときから、黄金で飾った家でそだてられ、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。

古詩十九首の第二首に「青青河畔艸、欝欝園中柳。盈盈楼上女、皎皎当窓牅。青青 河畔の艸【くさ】、欝欝【うつうつ】たる園中の柳。盈盈【えいえい】たる 楼上の女、皎皎【こうこう】として窓牅【そうゆう】に当たる。)とある。

236-#1 《巻12-7 秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問 -#1》Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <236-#1> Ⅰ李白詩1481 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5953

李白  秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問

朝發汝海東,暮棲龍門中。

水寒夕波急,木落秋山空。

望極九霄迥,賞幽萬壑通。

目皓沙上月,心清松下風。

(秋の夜、龍門山の香山寺に宿したことにより、この詩を賦して方城の王十七丈に寄せ、奉國寺の瑩上人、二人の從弟である幼成と令問におくったものである)

 

236-#1 《巻12-7 秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問 -#1Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <236-#1> Ⅰ李白詩1481 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5953

 
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詩題:    秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問

作地點:              伊闕(都畿道 / 河南府 / 伊闕)

及地點:              伊闕 (都畿道 河南府 伊闕) 別名:龍門山、闕口         

香山寺 (都畿道 河南府 伊闕)         

方城 (山南東道 唐州 方城)             

交遊人物:王方城              書信往來(山南東道 唐州 方城)

瑩上人 ;書信往來

李幼成 ;書信往來

李令問 ;書信往來

 

 

秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問

(秋の夜、龍門山の香山寺に宿したことにより、この詩を賦して方城の王十七丈に寄せ、奉國寺の瑩上人、二人の從弟である幼成と令問におくったものである)

朝發汝海東,暮棲龍門中。

朝早く、汝水の東を出発し、暮れには龍門山の山中に投宿した。

水寒夕波急,木落秋山空。

秋も深まり、水は寒く、川辺の夕波は急に打ち寄せ、木の葉は落ちて山も地肌をあらわにしている。

望極九霄迥,賞幽萬壑通。

夜になれば、九天高く悠かに晴れ渡り、万壑の間には、幽静な景色を賞賛すべきところが多い。

目皓沙上月,心清松下風。

月は砂上を照らして見えるとこの何処も、皆白く、松の木の下を風が通り過ぎてゆき、一心自然に清くなる。

#2

玉斗橫網銀河耿花宮。

興在趣方逸,歡餘情未終。

鳳駕憶王子,虎溪懷遠公。

桂枝坐蕭瑟,棣華不復同。

流恨寄伊水,盈盈焉可窮。

 

(秋夜 龍門の香山寺に宿し,王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成、令問に寄せ奉る)

朝に汝海の東を發し,暮に龍門の中に棲む。

水寒くして 夕波 急なり,木落ちて 秋山空し。

望 極って九霄 迥かに,賞幽にして 萬壑 通ず。
目は皓たり 沙上の月,心は清し 松下の風。

#2

玉斗 網わり,銀河 花宮に耿たり。

興 在り 趣 方に逸,歡 餘って 情 未だ終らず。

鳳駕に 王子を憶い,虎溪に 遠公を懷う。

桂枝 坐ろに 蕭瑟,棣華 復た同じからず。

流恨 伊水に寄す,盈盈 焉んぞ 窮む可けんや。

 

 

『秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問

朝發汝海東,暮棲龍門中。

水寒夕波急,木落秋山空。

望極九霄迥,賞幽萬壑通。

目皓沙上月,心清松下風。


(下し文)
(秋夜 龍門の香山寺に宿し,王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成、令問に寄せ奉る)

朝に汝海の東を發し,暮に龍門の中に棲む。

水寒くして 夕波 急なり,木落ちて 秋山空し。

望 極って九霄 迥かに,賞幽にして 萬壑 通ず。
目は皓たり 沙上の月,心は清し 松下の風。


(現代語訳)
(秋の夜、龍門山の香山寺に宿したことにより、この詩を賦して方城の王十七丈に寄せ、奉國寺の瑩上人、二人の從弟である幼成と令問におくったものである)

朝早く、汝水の東を出発し、暮れには龍門山の山中に投宿した。

秋も深まり、水は寒く、川辺の夕波は急に打ち寄せ、木の葉は落ちて山も地肌をあらわにしている。

夜になれば、九天高く悠かに晴れ渡り、万壑の間には、幽静な景色を賞賛すべきところが多い。

月は砂上を照らして見えるとこの何処も、皆白く、松の木の下を風が通り過ぎてゆき、一心自然に清くなる。


(訳注)

秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問

(秋の夜、龍門山の香山寺に宿したことにより、この詩を賦して方城の王十七丈に寄せ、奉國寺の瑩上人、二人の從弟である幼成と令問におくったものである)

龍門香山寺 地名、伊闕ともいう。河南省洛陽の西南三十支部里(十七キロ)にあり、伊水によって断たれた峡谷。・香山寺:洛陽にある寺院の名。竜門の北岸にあって、南に香山寺と対する。なお、この香山寺の北側の琵琶峰上に白居易の墓園があり、白園と呼ばれている。龍門の東にあり、後出・龍門寺ともいう。《河南通志山川》:闕塞山在府城西南三十里。兩山對峙:東曰香山,西曰龍門。石壁峙立,伊. 水中出,又名伊闕。《左傳》:趙鞅納王,使女寬守闕塞,即此。又名伊闕。大禹疏龍門,伊水出其間。漢服虔謂南山,伊闕是也,

山。

《五年秋病後獨宿香山寺三絶句其一》  白居易

經年不到龍門寺,今夜何人知我情。

還向暢師房裏宿,新秋月色舊灘聲。

(五年の秋 病後に獨り香山寺に宿す 三絶句其一)

經年到らず 龍門寺,今夜 何人か 我が情を 知らん。

還た 暢師の房裏に 向【お】いて宿すれば,新秋の月色 舊灘の聲。

王方城十七丈 山南東道 唐州 方城の王十七丈。

奉國瑩上人 奉國寺の瑩上人。

從弟幼成・令問 二人の從弟である幼成と令問。

 

朝發汝海東,暮棲龍門中。

朝早く、汝水の東を出発し、暮れには龍門山の山中に投宿した。

汝海 汝海は汝水のことである。枚乘《七發》「南望荊山、北望汝海」李白《題元丹丘潁陽山居》「遙通汝海月,不隔嵩丘雲。」

182-3 《巻24-03 題元丹丘潁陽山居 并序-3Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <182-3> Ⅰ李白詩1405 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5573

 

水寒夕波急,木落秋山空。

秋も深まり、水は寒く、川辺の夕波は急に打ち寄せ、木の葉は落ちて山も地肌をあらわにしている。

 

望極九霄迥,賞幽萬壑通。

夜になれば、九天高く悠かに晴れ渡り、万壑の間には、幽静な景色を賞賛すべきところが多い。

九霄迥 九天高く悠かに晴れ渡る。

賞幽 幽静な景色を賞賛す

 

目皓沙上月,心清松下風。

月は砂上を照らして見えるとこの何処も、皆白く、松の木の下を風が通り過ぎてゆき、一心自然に清くなる。

 

 

詩文(含異文)     朝發汝海東,暮棲龍門中。水寒夕波急,木落秋山空。望極九霄迥,賞幽萬壑通。目皓沙上月,心清松下風。玉斗橫網,銀河耿花宮。興在趣方逸,歡餘情未終【咫尺世喧隔,微冥真理融】。鳳駕憶王子,虎溪懷遠公。桂枝坐蕭瑟,棣華不復同。流恨寄伊水,盈盈焉可窮。

 

汝海

古水名。"水路」「汝水河南汝州出梁県勉郷西息山」は、上流すなわち今河南北汝河;歴史上に記載の三回避走:つまり元代至正年間は郾城截汝水入川を形成し、南北汝河明嘉靖の年間;截南汝水支流水入水(今洪河)を形成汝河と洪水係、しかし依然として西平県方向から来た柳堰河は上蔡南西に汝河;清朝の乾隆年間、西平県方向諸水がよどんで遮断され、河南省にある県名県、遂平県の水(今沙河)南汝河源流ダム建設形成宿鴨湖前の汝河河道の状況汝南以下、つまり今日南汝河や新蔡以下の洪河。解放後、宿鴨湖ダム建設と何度も汝河截取直曲がって、南汝河特に汝南県付近と「水路"を汝河出入りが大きい。

①古水名、臨汝県で臨水はと汝水集まって撫菜川名前の由来で、つまり江西省州市(現州大部は古い川)。撫菜川は鄱陽湖水係主要河川の一つで、発祥武夷山西麓广昌県駅前郷の血木嶺、全長312キロメートル、流域面積1.5811万平方キロメートル。一般に主本盱江を上流、その間は南から州がまばらに山、廖坊2か所火成岩段、以下は徐々に発展の平野や丘陵;州以下は下流、両岸を沖積台地で、広い田畑。た柴ベイ口を撫でて川に入って江西の撫平原。から矢江口東、西の2本の東の主流を経て、梁家渡下泄、青湖入鄱陽湖。

②古水名。上流すなわち今河南北汝河自郾城以下、旧コース南流から西平県今洪河東、南経上蔡県西から東は遂平県濯ぐ水(今沙河)、つまり今日この下南汝河や新蔡以下の洪河。元の至正間郾城カットオフ南流、上流と避走東今入穎川沙河と北汝、下流に変更は汝水を源として、名南汝。明嘉靖の末汝水また避走東(注水と呼ばれる洪河)、南汝遂改は水を源として、今の勢い。

 

五年秋病後獨宿香山寺三絶句其一》  白居易

經年不到龍門寺,今夜何人知我情。

還向暢師房裏宿,新秋月色舊灘聲。

(五年の秋 病後に獨り香山寺に宿す 三絶句其一)

經年到らず 龍門寺,今夜 何人か 我が情を 知らん。

還た 暢師の房裏に 向【お】いて宿すれば,新秋の月色 舊灘の聲。

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年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七二                李太白集 巻12 21首目  文體:五言古詩

詩題:    北山獨酌寄韋六

作地點:              白兆山(淮南道 / 安州 / 白兆山)

及地點:              白兆山 (淮南道 安州 白兆山) 別名:北山      

交遊人物:韋六    書信往來 (京畿道 京兆府 長安)

 

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》#1

(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

巢父將許由,未聞買山隱。

巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。

道存跡自高,何憚去人近。

つまり、道家の道にして存すれば、その人の行跡、自ずから高く、大隠は市中に棲むというように、人間を去ること近くとも、そんなことは一向に構わないはずである、

紛吾下茲嶺,地閒喧亦泯。

ここに、吾、この峰を下ると地閒にして、世俗の喧騒もすでに滅して、もう耳には聞こえてはこない。

#2

門橫群岫開,水鑿眾泉引。

谷間を入る崖は門とは、群岫に対して横に向って開いており、水は、山中の衆泉を遠くから集め引いて来て滝となって落ちて流れを穿っている。

屏高而在雲,竇深莫能準。

それから四面の靑嶂は屏風のように屹立して、その頂は、兀として雲を抜け、洞窟の深いものはとてもその奥を測ることはできないくらいである。

川光晝昏凝,林氣夕淒緊。

川の色は昼だというのに暗くて、太陽が動いても暗さは変わらない、森の木々の嵐気は夕べのような冷気がすごくて身に浸みる。

於焉摘朱果,兼得養玄牝。

ここでは、熟した朱色の果物を摘み取り、そして老子の云う「神秘なる母性」なる宇宙の大道をこの身に涵養することができる。

#3

坐月觀寶書,拂霜弄瑤軫。

そして、名月の秋には、坐して仙書を讀み、霜を払って、琴柱を引き締めやがて糸を掻き鳴らす。

傾壺事幽酌,顧影還獨盡。

酒壺を傾けて、一人心静かに、また、酌み、そして月影を顧みて、またその尽きるに任せる。

念君風塵游,傲爾令自哂。

北山山中の幽居の趣きはおおよそこんなところで、君が今風塵にさまよい歩くのを思い、吾は既にその処を得ているので、傲然として、君がいまだに浮世に執着しているのを自然と笑ってしまうのである。

安知世上人,名利空蠢蠢。【案:一本此下有以下二句:安知世上人,名利空蠢蠢。】

これほどのことをどうして世の中の人は知ろうとしないのであろうか、名誉と利益を求めようとする気持ちばかり先に立ち、秩序なく動きまわるだけではないか、そんなことより君も、衣の塵を払って、ここに来て、一緒に、凊修を事としてはいかがだろうか。

 

(北山に獨酌し韋六に寄す)

巢父 將許由と,未だ聞かず 山を買うて隱るるを。

道 存すれば 跡 自ら高し,何ぞ憚らん 人を去ろこと 近きを。

紛として 吾 茲の嶺を下る,地閒にして 喧の亦た 泯【ほろ】ぶ。

 

門は群岫に橫って開き,水は眾泉を鑿って引く。

屏 高くして 雲に在り,竇 深くして能く準ずる莫し。

川光 晝 昏凝【こんぎょう】,林氣 夕べに淒緊【せいきん】。

於焉【ここ】に朱果を摘み,兼ねて 玄牝を養うを得たり。

 

月に坐して寶書を觀,拂霜をうて瑤軫【ようしん】を弄す。

壺を傾けて 幽酌を事とし,影を顧りみて還た獨り盡く。

君が風塵の游ぶを念えば,傲爾【ごうじ】として自ら哂わ令む。

安ぞ知らん 世の上人,名利 空しく蠢蠢【しゅんしゅん】。

 

 

『北山獨酌寄韋六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》
#3

坐月觀寶書,拂霜弄瑤軫。

傾壺事幽酌,顧影還獨盡。

念君風塵游,傲爾令自哂。

安知世上人,名利空蠢蠢。

(下し文)
月に坐して寶書を觀,拂霜をうて瑤軫【ようしん】を弄す。

壺を傾けて 幽酌を事とし,影を顧りみて還た獨り盡く。

君が風塵の游ぶを念えば,傲爾【ごうじ】として自ら哂わ令む。

安ぞ知らん 世の上人,名利 空しく蠢蠢【しゅんしゅん】。


(現代語訳)
そして、名月の秋には、坐して仙書を讀み、霜を払って、琴柱を引き締めやがて糸を掻き鳴らす。

酒壺を傾けて、一人心静かに、また、酌み、そして月影を顧みて、またその尽きるに任せる。

北山山中の幽居の趣きはおおよそこんなところで、君が今風塵にさまよい歩くのを思い、吾は既にその処を得ているので、傲然として、君がいまだに浮世に執着しているのを自然と笑ってしまうのである。

これほどのことをどうして世の中の人は知ろうとしないのであろうか、名誉と利益を求めようとする気持ちばかり先に立ち、秩序なく動きまわるだけではないか、そんなことより君も、衣の塵を払って、ここに来て、一緒に、凊修を事としてはいかがだろうか。


(訳注) #3

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》

(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

 

坐月觀寶書,拂霜弄瑤軫。

そして、名月の秋には、坐して仙書を讀み、霜を払って、琴柱を引き締めやがて糸を掻き鳴らす。

寶書 歴史書。寶は保の意で、世々、傳えていくべき戒めと為すべきものである貴重な書籍。天子が収集された書籍。道学傳「夏禹撰眞靈之玄要,集天官之寶書。」(夏禹は眞靈の玄要を撰し、天官の寶書を集む。)とあり、寶書は眞經であるとされる。ここでは道教に関する書籍、仙書。

瑤軫 軫は琴柱に弦の枕を言い、絃を張り調音することをいう。《魏書、樂志》「以軫調聲」に基づく。

 

傾壺事幽酌,顧影還獨盡。

酒壺を傾けて、一人心静かに、また、酌み、そして月影を顧みて、またその尽きるに任せる。

幽酌 杯を傾けるが風流を愛で、静かに、また酌むというほどの意。

 

念君風塵游,傲爾令自哂。

北山山中の幽居の趣きはおおよそこんなところで、君が今風塵にさまよい歩くのを思い、吾は既にその処を得ているので、傲然として、君がいまだに浮世に執着しているのを自然と笑ってしまうのである。

 

安知世上人,名利空蠢蠢。

これほどのことをどうして世の中の人は知ろうとしないのであろうか、名誉と利益を求めようとする気持ちばかり先に立ち、秩序なく動きまわるだけではないか、そんなことより君も、衣の塵を払って、ここに来て、一緒に、凊修を事としてはいかがだろうか。

世上  世の中。世間。 -の風聞」 -取りざたされているうわさ」 まわりの世界。あたり。近辺。

名利【みょうり】名誉と利益。また、それを求めようとする気持ち。

蠢蠢【しゅんしゅん】とは。意味や解説、類語。[ト・タル][文][形動タリ]1 虫などがうごめくさま。「―として御玉杓子(おたまじゃくし)の如く動いて居たものは」〈漱石・趣味の遺伝〉2 おろかで無知なさま。また、そうした人が秩序なく動きまわるさま。

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208-#2 《巻12-21 北山獨酌寄韋六   -#2Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <208-#2> Ⅰ李白詩1441 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5753

 

 

年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七二                李太白集 巻12 21首目  文體:五言古詩

詩題:    北山獨酌寄韋六

作地點:              白兆山(淮南道 / 安州 / 白兆山)

及地點:              白兆山 (淮南道 安州 白兆山) 別名:北山      

交遊人物:韋六    書信往來 (京畿道 京兆府 長安)

 

 

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》#1

(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

巢父將許由,未聞買山隱。

巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。

道存跡自高,何憚去人近。

つまり、道家の道にして存すれば、その人の行跡、自ずから高く、大隠は市中に棲むというように、人間を去ること近くとも、そんなことは一向に構わないはずである、

紛吾下茲嶺,地閒喧亦泯。

ここに、吾、この峰を下ると地閒にして、世俗の喧騒もすでに滅して、もう耳には聞こえてはこない。

#2

門橫群岫開,水鑿眾泉引。

谷間を入る崖は門とは、群岫に対して横に向って開いており、水は、山中の衆泉を遠くから集め引いて来て滝となって落ちて流れを穿っている。

屏高而在雲,竇深莫能準。

それから四面の靑嶂は屏風のように屹立して、その頂は、兀として雲を抜け、洞窟の深いものはとてもその奥を測ることはできないくらいである。

川光晝昏凝,林氣夕淒緊。

川の色は昼だというのに暗くて、太陽が動いても暗さは変わらない、森の木々の嵐気は夕べのような冷気がすごくて身に浸みる。

於焉摘朱果,兼得養玄牝。

ここでは、熟した朱色の果物を摘み取り、そして老子の云う「神秘なる母性」なる宇宙の大道をこの身に涵養することができる。

#3

坐月觀寶書,拂霜弄瑤軫。

傾壺事幽酌,顧影還獨盡。

念君風塵游,傲爾令自哂。

安知世上人,名利空蠢蠢。【案:一本此下有以下二句:安知世上人,名利空蠢蠢。】

 

(北山に獨酌し韋六に寄す)

巢父 將許由と,未だ聞かず 山を買うて隱るるを。

道 存すれば 跡 自ら高し,何ぞ憚らん 人を去ろこと 近きを。

紛として 吾 茲の嶺を下る,地閒にして 喧の亦た 泯【ほろ】ぶ。

 

門は群岫に橫って開き,水は眾泉を鑿って引く。

屏 高くして 雲に在り,竇 深くして能く準ずる莫し。

川光 晝 昏凝【こんぎょう】,林氣 夕べに淒緊【せいきん】。

於焉【ここ】に朱果を摘み,兼ねて 玄牝を養うを得たり。

 

月に坐して寶書を觀,拂霜をうて瑤軫【ようしん】を弄す。

壺を傾けて 幽酌を事とし,影を顧りみて還た獨り盡く。

君が風塵の游ぶを念えば,傲爾【ごうじ】として自ら哂わ令む。

安ぞ知らん 世の上人,名利 空しく蠢蠢【しゅんしゅん】。

 

李白の足跡0000 

『北山獨酌寄韋六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》#2

門橫群岫開,水鑿眾泉引。

屏高而在雲,竇深莫能準。

川光晝昏凝,林氣夕淒緊。

於焉摘朱果,兼得養玄牝。


(下し文)
門は群岫に橫って開き,水は泉を鑿って引く。

屏 高くして 雲に在り,竇 深くして能く準ずる莫し。

川光 晝 昏凝【こんぎょう】,林氣 夕べに淒緊【せいきん】。

於焉【ここ】に朱果を摘み,兼ねて 玄牝を養うを得たり。

(現代語訳)
谷間を入る崖は門とは、群岫に対して横に向って開いており、水は、山中の衆泉を遠くから集め引いて来て滝となって落ちて流れを穿っている。

それから四面の靑嶂は屏風のように屹立して、その頂は、兀として雲を抜け、洞窟の深いものはとてもその奥を測ることはできないくらいである。

川の色は昼だというのに暗くて、太陽が動いても暗さは変わらない、森の木々の嵐気は夕べのような冷気がすごくて身に浸みる。

ここでは、熟した朱色の果物を摘み取り、そして老子の云う「神秘なる母性」なる宇宙の大道をこの身に涵養することができる。



(訳注)  #2

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》

(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

 

門橫群岫開,水鑿眾泉引。

谷間を入る崖は門とは、群岫に対して横に向って開いており、水は、山中の衆泉を遠くから集め引いて来て滝となって落ちて流れを穿っている。

群岫 岫は山穴で、山に洞窟がたくさんある。

 

屏高而在雲,竇深莫能準。

それから四面の靑嶂は屏風のように屹立して、その頂は、兀として雲を抜け、洞窟の深いものはとてもその奥を測ることはできないくらいである。

 

川光晝昏凝,林氣夕淒緊。

川の色は昼だというのに暗くて、太陽が動いても暗さは変わらない、森の木々の嵐気は夕べのような冷気がすごくて身に浸みる。

 

於焉摘朱果,兼得養玄牝。

ここでは、熟した朱色の果物を摘み取り、そして老子の云う「神秘なる母性」なる宇宙の大道をこの身に涵養することができる。

朱果 果物の中で朱色のもの、熟したもの。

玄牝 老子はこれを玄牝:“神秘なる母性”と呼んでいる。老子の『道徳経』第6章。「谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。」(谷神は死せず。これを玄牝と謂う。玄牝の門、これを天地の根と謂う。緜緜として存する若く、これを用いて勤【つ】きず。)万物を生み出す谷間の神は、とめどなく生み出して死ぬ事は無い。これを私は「玄牝(げんぴん) 神秘なる母性」と呼ぶ。この玄牝は天地万物を生み出す門である。その存在はぼんやりとはっきりとしないようでありながら、その働きは尽きる事は無い。(大河の源流にある谷神は、とめどなく生命を生み出しながらも絶えることはない。谷神同様、女性(器)もまた、万物を生み出す源であり、その働きは尽きることがない。)
洛陽 函谷関 嵩山005 

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李白《巻12-21 北山獨酌寄韋六》(嵩山の北山において独酌しつつ、道士の韋六というものに寄せた詩)巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。


 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-32韋荘110《巻3-10 天仙子五首 其三》三巻10-〈110〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5752 
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年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七二                李太白集 巻12 21首目  文體:五言古詩

詩題:    北山獨酌寄韋六

作地點:              白兆山(淮南道 / 安州 / 白兆山)

及地點:              白兆山 (淮南道 安州 白兆山) 別名:北山      

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《巻12-21 北山獨酌寄韋六》#1

(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

巢父將許由,未聞買山隱。

巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。

道存跡自高,何憚去人近。

つまり、道家の道にして存すれば、その人の行跡、自ずから高く、大隠は市中に棲むというように、人間を去ること近くとも、そんなことは一向に構わないはずである、

紛吾下茲嶺,地閒喧亦泯。

ここに、吾、この峰を下ると地閒にして、世俗の喧騒もすでに滅して、もう耳には聞こえてはこない。

#2

門橫群岫開,水鑿眾泉引。

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#3

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傾壺事幽酌,顧影還獨盡。

念君風塵游,傲爾令自哂。

安知世上人,名利空蠢蠢。【案:一本此下有以下二句:安知世上人,名利空蠢蠢。】

 

(北山に獨酌し韋六に寄す)

巢父 將許由と,未だ聞かず 山を買うて隱るるを。

道 存すれば 跡 自ら高し,何ぞ憚らん 人を去ろこと 近きを。

紛として 吾 茲の嶺を下る,地閒にして 喧の亦た 泯【ほろ】ぶ。

 

門は群岫に橫って開き,水は眾泉を鑿って引く。

屏 高くして 雲に在り,竇 深くして能く準ずる莫し。

川光 晝 昏凝【こんぎょう】,林氣 夕べに淒緊【せいきん】。

於焉【ここ】に朱果を摘み,兼ねて 玄牝を養うを得たり。

月に坐して寶書を觀,拂霜をうて瑤軫【ようしん】を弄す。

壺を傾けて 幽酌を事とし,影を顧りみて還た獨り盡く。

君が風塵の游ぶを念えば,傲爾【ごうじ】として自ら哂わ令む。

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『北山獨酌寄韋六』 現代語訳と訳註解説
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本文)

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》#1

巢父將許由,未聞買山隱。

道存跡自高,何憚去人近。

紛吾下茲嶺,地閒喧亦泯。



(下し文)
北山に獨酌し韋六に寄す
巢父 將許由と,未だ聞かず 山を買うて隱るるを。

道 存すれば 跡 自ら高し,何ぞ憚らん 人を去ろこと 近きを。

紛として 吾 茲の嶺を下る,地閒にして 喧の亦た 泯【ほろ】ぶ。


(現代語訳)
(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。

つまり、道家の道にして存すれば、その人の行跡、自ずから高く、大隠は市中に棲むというように、人間を去ること近くとも、そんなことは一向に構わないはずである、

ここに、吾、この峰を下ると地閒にして、世俗の喧騒もすでに滅して、もう耳には聞こえてはこない。



(訳注)

《巻12-21 北山獨酌寄韋六》#1

(嵩山の北山において独酌しつつ、韋六というものに寄せた詩)

 

巢父將許由,未聞買山隱。

巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。

巢父・許由 許由と巣父の故事による。許由は、中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

買山 もっぱら山を使い、自分の為だけのために支配するために購入する。《世新語/排調》「支道林因人就深公買印山,深公答曰:「未聞巢、由買山而隱。」(支道林 因て人 深公に就いて印山を買う,深公 答えて曰く:「未だ巢、由の山を買うて而隱るるを聞かず。」)

 

道存跡自高,何憚去人近。

つまり、道家の道にして存すれば、その人の行跡、自ずから高く、大隠は市中に棲むというように、人間を去ること近くとも、そんなことは一向に構わないはずである、

去人近 人間を去ること近くとは、大隠は市中に棲むということをいう。

 

紛吾下茲嶺,地閒喧亦泯。

ここに、吾、この峰を下ると地閒にして、世俗の喧騒もすでに滅して、もう耳には聞こえてはこない。

喧亦泯 世俗の喧騒もすでに滅して、もう耳には聞こえてはこない。
洛陽 函谷関 嵩山005 

207-#2 《(改訂版) 巻12-1 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰  -#2》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <207-#2> Ⅰ李白詩1439 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5743

李白《(改訂版) 巻12-1 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰  -#2》こうして、ひとり山中桃花巖の奥深くわけいって林下に、読書室で楽しむ気持ちであり、世間との縁は杳然として絶無というということになってしまったということだ。私は、霜臺にときめく劉綰侍御史の客分となり、そして一時辞しておりましたが、千載の一時として、今ようやくこの地に帰って来たのでご報告します。

 

 
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50-#5 〔《上張僕射書》-#5〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1352> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5744 
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207-#2 《(改訂版) 巻12-1 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰  -#2》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <207-#2> Ⅰ李白詩1439 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5743

 

 

年:733年開元二十一年33

卷別:  卷一七二          李太白集巻12 文體:        五言古詩

詩題:  安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰【春歸桃花巖貽許侍御】

作地點:        白兆山(淮南道 / 安州 / 白兆山)

及地點:        白兆山 (淮南道 安州白兆山) 別名:北山   

桃花巖 (淮南道 安州 安陸)       

羅浮山 (嶺南道東部 無第二級行政層級羅浮山)     

交遊人物:劉綰  書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰 #1

(李白が再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖に籠ったに就いて、侍御史の劉綰に寄せた詩である)

雲臥三十年,好閒復愛仙。

われ、山にこもり白雲に臥して暮らして30年、その間、生来の閑暇を好んで隠遁し、それはまた神仙の道を愛しているからである。
蓬壺雖冥鸞鶴心悠然。

蓬萊山は杳冥の際にありと雖も、悠悠として鸞鶴に驂せんとする志は依然として残っている。

のような心はゆったりとしています。
【幼采紫房談,早愛滄溟仙。心跡頗相誤,世事空徂遷。歸來丹巖曲,得憩青霞眠】。

歸來桃花巖,得憩雲窗眠。

こうして、今回、再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖下に帰ってきて棲み、雲窓のもとに休息することとなった。
對嶺人共語,飲潭猿相連。

山中には屋舎もとより稀であるため、山嶺をへだてて人とともに語り合い、猿は、潭水を飲むために、手を取り合って下って来るのである。
時昇翠微上,邈若羅浮

それから、時には、翠微の上に登れば、邈として、羅浮山の絶巓のような気がする。
#2

兩岑抱東壑,一嶂橫西天。

その山を形成している、二つの岑峰が東の谷を抱いてそそり立ち、屏風のような一嶂は西の空に横たわっている。

樹雜日易隱,崖傾月難圓。【崖傾月難延】

もとより、樹々紛雜に茂り合って日陰になりやすく、崖壁は急傾斜で危険そのもの、ここに登る 満月もその形が丸くなり難く見えにくい。

芳草換野色,飛蘿搖春煙。

そして、芳草は、ほのかにかおりをはなちつつ、野色を変化させてゆく、なびく飛蘿は木々にはびこり、まるで春霞のようはゆらめいている。

入遠構石室,選幽開上田。

遠く山中に石室をかまえ、分け入って、幽遂の場所を選んで高いところに山田をひらいた。

獨此林下意,杳無區中緣。

こうして、ひとり山中桃花巖の奥深くわけいって林下に、読書室で楽しむ気持ちであり、世間との縁は杳然として絶無というということになってしまったということだ。

永辭霜臺客,千載方來旋。

私は、霜臺にときめく劉綰侍御史の客分となり、そして一時辞しておりましたが、千載の一時として、今ようやくこの地に帰って来たのでご報告します。

 

(安陸の白兆山桃花巌にて劉侍御綰に寄す)
雲臥すること三十年、閑を好み復()た仙を愛す。
蓬壷【ほうこ】  冥絶すと雖も、鸞鳳  心 悠然。
帰り来る桃花巌【とうかがん】 、雲窻【うんそう】に憩うて眠るを得たり。
嶺に対して人は共に語り、潭に飲んで猿 相い連なる。
時に翠微【すいび】の上に昇れば、邈【ばく】として羅浮【ふら】の巓【いただき】の若し。
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両岑 東壑【とうがく】を抱き、一嶂 西天を横たう。
樹 雑にして 日 隠れ易く、崖 傾いて 月 円【まどか】なり難し。
芳草 野色を換え、飛蘿【ひら】 春煙を揺るがす。
遠きに入りて石室を構え、 幽きを選んで 山田【さんでん】を開く。
獨 此の林下の意、杳【よう】として区中【くちゅう】の縁無し。
永く霜台の客を辞し、千載【せんざい】 方【まさ】に来り 旋【かえ】らん。

 

華山道教

『安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

兩岑抱東壑,一嶂橫西天。

樹雜日易隱,崖傾月難圓。【崖傾月難延】

芳草換野色,飛蘿搖春煙。

入遠構石室,選幽開上田。

獨此林下意,杳無區中緣。

永辭霜臺客,千載方來旋。


(下し文)
両岑 東壑【とうがく】を抱き、一嶂 西天を横たう。

樹 雑にして 日 隠れ易く、崖 傾いて 月 円【まどか】なり難し。

芳草 野色を換え、飛蘿【ひら】 春煙を揺るがす。

遠きに入りて石室を構え、 幽きを選んで 山田【さんでん】を開く。

獨 此の林下の意、杳【よう】として区中【くちゅう】の縁無し。

永く霜台の客を辞し、千載【せんざい】 方【まさ】に来り 旋【かえ】らん。

(現代語訳)
その山を形成している、二つの岑峰が東の谷を抱いてそそり立ち、屏風のような一嶂は西の空に横たわっている。

もとより、樹々紛雜に茂り合って日陰になりやすく、崖壁は急傾斜で危険そのもの、ここに登る 満月もその形が丸くなり難く見えにくい。

そして、芳草は、ほのかにかおりをはなちつつ、野色を変化させてゆく、なびく飛蘿は木々にはびこり、まるで春霞のようはゆらめいている。

遠く山中に石室をかまえ、分け入って、幽遂の場所を選んで高いところに山田をひらいた。

こうして、ひとり山中桃花巖の奥深くわけいって林下に、読書室で楽しむ気持ちであり、世間との縁は杳然として絶無というということになってしまったということだ。

私は、霜臺にときめく劉綰侍御史の客分となり、そして一時辞しておりましたが、千載の一時として、今ようやくこの地に帰って来たのでご報告します。


安陸・南陽・嚢陽 李白00
(訳注) #2

安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰 

(李白が再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖に籠ったに就いて、侍御史の劉綰に寄せた詩である)

白兆山 淮南道 安州 白兆山) 別名:北山 安陸縣西30里に在る。一統志「伯兆山は徳安府城の西30里に在り、下に桃花巖、及び李白の読書室あり。」とある。別のテクストには733年開元二十一年春、桃花巖に帰って許侍御に貽るとある。

【起六句:幼采紫房談,早愛滄溟仙。心跡頗相誤,世事空徂遷。歸來丹巖曲,得憩青霞眠】。

 

兩岑抱東壑,一嶂橫西天。

その山を形成している、二つの岑峰が東の谷を抱いてそそり立ち、屏風のような一嶂は西の空に横たわっている。

○兩岑 二つの先のとがった山。 爾雅. 釋山第十一「河南華,河西嶽,河東岱,河北恒,江南衡。」「山小而高,岑。」

○壑 がく 谷間。あな。いわや。抱く東と横わる西が対句になる。

○一嶂 高く嶮しい山。屏風、障子のようにそばだった峰。

 

樹雜日易隱,崖傾月難圓。【崖傾月難延】

もとより、樹々紛雜に茂り合って日陰になりやすく、崖壁は急傾斜で危険そのもの、ここに登る 満月もその形が丸くなり難く見えにくい。

 

芳草換野色,飛蘿搖春煙。

そして、芳草は、ほのかにかおりをはなちつつ、野色を変化させてゆく、なびく飛蘿は木々にはびこり、まるで春霞のようはゆらめいている。

○飛蘿 サネカズラ(実葛、学名: Kadsura japonica)はマツブサ科サネカズラ属の常緑つる性木本。ふつう雌雄異株で、8月頃開く花は径1cmほど、10枚前後の白い花被に包まれ、中央におしべ、めしべがそれぞれ多数らせん状に集まる。雌花の花床は結実とともにふくらみ、キイチゴを大きくしたような真っ赤な丸い集合果をつくる。花は葉の陰に咲くが、果実の柄は伸びて7cmになることもあり、より目につくようになる。単果は径1cmほどで、全体では5cmほどになる。果実は個々に落ちて、あとにはやはり真っ赤なふくらんだ花床が残り、冬までよく目立つ。

 

入遠構石室,選幽開上田。

遠く山中に石室をかまえ、分け入って、幽遂の場所を選んで高いところに山田をひらいた。

 

獨此林下意,杳無區中緣。

こうして、ひとり山中桃花巖の奥深くわけいって林下に、読書室で楽しむ気持ちであり、世間との縁は杳然として絶無というということになってしまったということだ。

○杳 杳然。 くらい。はるかな。はっきりしない。 ここは悦楽を示唆する。

 

永辭霜臺客,千載方來旋。

私は、霜臺にときめく劉綰侍御史の客分となり、そして一時辞しておりましたが、千載の一時として、今ようやくこの地に帰って来たのでご報告します。
李白の足跡0000 

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李白《(改訂版) 巻12-1 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰  -#1》(李白が再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖に籠ったに就いて、侍御史の劉綰に寄せた詩である)われ、山にこもり白雲に臥して暮らして30年、その間、生来の閑暇を好んで隠遁し、それはまた神仙の道を愛しているからである。

 


 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:733年開元二十一年33

卷別:  卷一七二          李太白集巻12 文體:        五言古詩

詩題:  安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰【春歸桃花巖貽許侍御】

作地點:        白兆山(淮南道 / 安州 / 白兆山)

及地點:        白兆山 (淮南道 安州白兆山) 別名:北山   

桃花巖 (淮南道 安州 安陸)       

羅浮山 (嶺南道東部 無第二級行政層級羅浮山)     

交遊人物:劉綰  書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰 #1

(李白が再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖に籠ったに就いて、侍御史の劉綰に寄せた詩である)

雲臥三十年,好閒復愛仙。

われ、山にこもり白雲に臥して暮らして30年、その間、生来の閑暇を好んで隠遁し、それはまた神仙の道を愛しているからである。
蓬壺雖冥鸞鶴心悠然。

蓬萊山は杳冥の際にありと雖も、悠悠として鸞鶴に驂せんとする志は依然として残っている。

のような心はゆったりとしています。
【幼采紫房談,早愛滄溟仙。心跡頗相誤,世事空徂遷。歸來丹巖曲,得憩青霞眠】。

歸來桃花巖,得憩雲窗眠。

こうして、今回、再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖下に帰ってきて棲み、雲窓のもとに休息することとなった。
對嶺人共語,飲潭猿相連。

山中には屋舎もとより稀であるため、山嶺をへだてて人とともに語り合い、猿は、潭水を飲むために、手を取り合って下って来るのである。
時昇翠微上,邈若羅浮

それから、時には、翠微の上に登れば、邈として、羅浮山の絶巓のような気がする。
#2

兩岑抱東壑,一嶂橫西天。

樹雜日易隱,崖傾月難圓。【崖傾月難延】

芳草換野色,飛蘿搖春煙。

入遠構石室,選幽開上田。

獨此林下意,杳無區中緣。

永辭霜臺客,千載方來旋。

 

(安陸の白兆山桃花巌にて劉侍御綰に寄す)
雲臥すること三十年、閑を好み復()た仙を愛す。
蓬壷【ほうこ】  冥絶すと雖も、鸞鳳  心 悠然。
帰り来る桃花巌【とうかがん】 、雲窻【うんそう】に憩うて眠るを得たり。
嶺に対して人は共に語り、潭に飲んで猿 相い連なる。
時に翠微【すいび】の上に昇れば、邈【ばく】として羅浮【ふら】の巓【いただき】の若し。
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<!--[endif]-->

両岑 東壑【とうがく】を抱き、一嶂 西天を横たう。
樹 雑にして 日 隠れ易く、崖 傾いて 月 円【まどか】なり難し。
芳草 野色を換え、飛蘿【ひら】 春煙を揺るがす。
遠きに入りて石室を構え、 幽きを選んで 山田【さんでん】を開く。
獨 此の林下の意、杳【よう】として区中【くちゅう】の縁無し。
永く霜台の客を辞し、千載【せんざい】 方【まさ】に来り 旋【かえ】らん。

李白の足跡0000 

 

『安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰 #1

雲臥三十年,好閒復愛仙。

蓬壺雖冥鸞鶴心悠然。

【幼采紫房談,早愛滄溟仙。心跡頗相誤,世事空徂遷。歸來丹巖曲,得憩青霞眠】。

歸來桃花巖,得憩雲窗眠。

對嶺人共語,飲潭猿相連。

時昇翠微上,邈若羅浮


(下し文)

(安陸の白兆山桃花巌にて劉侍御綰に寄す)

雲臥すること三十年、閑を好み復()た仙を愛す。

蓬壷【ほうこ】  冥絶すと雖も、鸞鳳  心 悠然。

帰り来る桃花巌【とうかがん】 、雲窻【うんそう】に憩うて眠るを得たり。

嶺に対して人は共に語り、潭に飲んで猿 相い連なる。

時に翠微【すいび】の上に昇れば、邈【ばく】として羅浮【ふら】の巓【いただき】の若し。


(現代語訳)
(李白が再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖に籠ったに就いて、侍御史の劉綰に寄せた詩である)

われ、山にこもり白雲に臥して暮らして30年、その間、生来の閑暇を好んで隠遁し、それはまた神仙の道を愛しているからである。
蓬萊山は杳冥の際にありと雖も、悠悠として鸞鶴に驂せんとする志は依然として残っている。

のような心はゆったりとしています。
こうして、今回、再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖下に帰ってきて棲み、雲窓のもとに休息することとなった。
山中には屋舎もとより稀であるため、山嶺をへだてて人とともに語り合い、猿は、潭水を飲むために、手を取り合って下って来るのである。
それから、時には、翠微の上に登れば、邈として、羅浮山の絶巓のような気がする。

安陸・南陽・嚢陽 李白00
(訳注)

安陸白兆山桃花巖寄劉侍御綰 #1

(李白が再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖に籠ったに就いて、侍御史の劉綰に寄せた詩である)

白兆山 淮南道 安州 白兆山) 別名:北山 安陸縣西30里に在る。一統志「伯兆山は徳安府城の西30里に在り、下に桃花巖、及び李白の読書室あり。」とある。別のテクストには733年開元二十一年春、桃花巖に帰って許侍御に貽るとある。

【起六句:幼采紫房談,早愛滄溟仙。心跡頗相誤,世事空徂遷。歸來丹巖曲,得憩青霞眠】。

 

雲臥三十年,好閒復愛仙。

われ、山にこもり白雲に臥して暮らして30年、その間、生来の閑暇を好んで隠遁し、それはまた神仙の道を愛しているからである。
○雲臥 道家が山中に入って隠遁する。自然に同化し、白雲に臥す。

○愛仙 道教の神仙の道

 

蓬壺雖冥鸞鶴心悠然。

蓬萊山は杳冥の際にありと雖も、悠悠として鸞鶴に驂せんとする志は依然として残っている。

のような心はゆったりとしています。
○蓬壺 蓬莱山とおなじ。中国東方の海中にあって、不老不死の仙人が住むところ。 

古風,五十九首之四十八

秦皇按寶劍,赫怒震威神。

逐日巡海右,驅石駕滄津。

徵卒空九宇,作橋傷萬人。

但求蓬島藥,豈思農雇春。

力盡功不贍,千載為悲辛。

48 《古風五十九首之四十八》Index-26-1 747年天寶六年47467古風,五十九首之四十八秦皇按寶劍, <48> Ⅰ李白詩1211 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4603

○冥 果てしなく遠いさま。手の届かない存在。 

○鸞鶴 想像上の鳥。天子の乗る御車。 

○悠然 ゆったりとしたさま。

 

歸來桃花巖,得憩雲窗眠。

こうして、今回、再び安陸縣西の白兆山なる桃花巖下に帰ってきて棲み、雲窓のもとに休息することとなった。
桃花巖 (淮南道安州 安陸)山巖名。 現在の湖北省安陸縣, 李白が讀書をした處。

 

對嶺人共語,飲潭猿相連。

山中には屋舎もとより稀であるため、山嶺をへだてて人とともに語り合い、猿は、潭水を飲むために、手を取り合って下って来るのである。
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時昇翠微上,邈若羅浮

それから、時には、翠微の上に登れば、邈として、羅浮山の絶巓のような気がする。
○昇 のぼる。成熟する。

○翠微 1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。

○邈 ばく はるか、はなれる。もだえる。 

羅浮 羅浮山のこと。広東省恵州市博楽県長寧鎮にある。 広州の東90キロに位置する羅浮山は古くは東樵山といわれ南海の西樵山と姉妹関係にある。広東四大名山の一つで、道教の聖地として中国十大名山の一つにも数えられている。主峰飛雲頂は海抜1296m、は香港の北、広州市の東、東莞市の北東に所在する山である。広東省の道教の聖地「羅浮山」羅浮仙ラフセン:隋の趙師雄が梅の名所の羅浮山で羅をまとった美女と出会い酒を酌み交わす酒に酔い伏し梅の樹の下で気が付いた美女は梅の精で羅浮仙ラフセンと呼ばれた故事もある。
李白『江西送友人之羅浮
爾去之羅浮、我還憩峨眉。
中閥道萬里、霞月逼相思。
如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。
李白『金陵江上遇蓬池隱者』
心愛名山游、身隨名山遠。 
羅浮麻姑台、此去或未返。
初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩446 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1155
初發石首城

「游當羅浮行,息必廬霍期。越海淩三山,遊湘曆九嶷。」游びには當に羅浮【らふ】に行くべし,息うは必ず廬 霍に期す。海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。

 てん 山頂。ものの上側。おちる。

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李白《秋山寄衛尉張卿及王徵君》ここでお二人の所へ行こうと思っても翌朝出発することしかできない。だから、二人を思う時には、陸機・左思の「招隱詩」でも吟ずるしかないのである。

 

 
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年:-730年開元十八年30

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    秋山寄衛尉張卿及王徵君

及地點:剡溪 (江南東道 越州 剡縣)              

山陰 (江南東道 越州 山陰)              

 

 

秋山寄衛尉張卿及王徵君

(李白が、長安近郊の隠遁者を訪ね、秋、そのどこかわからぬ山中にこもったときのことをうたったものを衛尉である張卿、及び王徵君に寄せた。)

何以折相贈,白花青桂枝。

山中には白い花の咲く青桂樹があるから、これを折って遙か先の君に贈りたいと思う。

月華若夜雪,見此令人思。

今宵の月は花のように明るく、万地にまるで雪が降り積もっているかのようであり、これを見ればわが友を思うのである。

雖然剡溪興,不異山陰時。

昔、王徽之は山陰に在って、雪夜の月に、その友を思い出し、わざわざ、剡渓を遡ったというが、自分もこの雪夜を見て同じように風流の興をもったのである。

明發懷二子,空吟招隱詩。

ところが、ここでお二人の所へ行こうと思っても翌朝出発することしかできない。だから、二人を思う時には、陸機・左思の「招隱詩」でも吟ずるしかないのである。

 

(秋山 衛尉張卿及び王徵君に寄す)

何を以て折って相い贈らん,白花 青桂の枝。

月華 夜雪の若く,此を見れば人をして思わしむ。

然かく剡溪の興と雖も,山陰の時に異ならず。

明發 二子を懷わば,空しく吟ぜん 招隱の詩。

 

 終南山06

『秋山寄衛尉張卿及王徵君』 現代語訳と訳註解説

(本文)

秋山寄衛尉張卿及王徵君

何以折相贈,白花青桂枝。

月華若夜雪,見此令人思。

雖然剡溪興,不異山陰時。

明發懷二子,空吟招隱詩。

 

(下し文)

 (秋山 衛尉張卿及び王徵君に寄す)

何を以て折って相い贈らん,白花 青桂の枝。

月華 夜雪の若く,此を見れば人をして思わしむ。

然かく剡溪の興と雖も,山陰の時に異ならず。

明發 二子を懷わば,空しく吟ぜん 招隱の詩。

 

(現代語訳)

(李白が、長安近郊の隠遁者を訪ね、秋、そのどこかわからぬ山中にこもったときのことをうたったものを衛尉である張卿、及び王徵君に寄せた。)

山中には白い花の咲く青桂樹があるから、これを折って遙か先の君に贈りたいと思う。

今宵の月は花のように明るく、万地にまるで雪が降り積もっているかのようであり、これを見ればわが友を思うのである。

昔、王徽之は山陰に在って、雪夜の月に、その友を思い出し、わざわざ、剡渓を遡ったというが、自分もこの雪夜を見て同じように風流の興をもったのである。

ところが、ここでお二人の所へ行こうと思っても翌朝出発することしかできない。だから、二人を思う時には、陸機・左思の「招隱詩」でも吟ずるしかないのである。

 

華山道教 

(訳注)

秋山寄衛尉張卿及王徵君

(李白が、長安近郊の隠遁者を訪ね、秋、そのどこかわからぬ山中にこもったときのことをうたったものを衛尉である張卿、及び王徵君に寄せた。)

衛尉 宮殿の門内に役所あり衛士と屯兵とを掌る。丞(輔佐)一人。属官には、国事、散召を掌る公車司馬(官車で召された人を送迎また宮中を夜間巡視する宮殿の司馬門の役所を掌る武官)、衛士(宿衛の士)、旅蕡三令丞(戎と盾とをもち王車を護衛する三人の令、長と丞、衛士三人の丞)、また諸屯の衛候(見張役)、司馬二十二人(宮殿の外門を総称して司馬門といいまた単に司馬ともいう。その近衛兵)。

張卿 張? - 至徳2載(757年))は、唐代玄宗朝に仕えた政治家。名宰相とされる張説の次子であり、玄宗の娘婿であったが、安史の乱の際、安禄山に仕えたため、処刑された。兄に張均、弟に張がいる。

王徵 王徽之 王徽之とは? (?~388 中国,東晋(しん)の人。字(あざな)は子猷。王羲之(おうぎし)の第五子。官は黄門侍郎に至る。会稽の山陰に隠居し,風流を好み,特に竹を愛した。

 

何以折相贈,白花青桂枝。

山中には白い花の咲く青桂樹があるから、これを折って遙か先の君に贈りたいと思う。

青桂 仙郷に植えてある青桂樹のこと。

 

月華若夜雪,見此令人思。

今宵の月は花のように明るく、万地にまるで雪が降り積もっているかのようであり、これを見ればわが友を思うのである。

月華 月色、月光。月の光が明るく照らされるている様子。

 

雖然剡溪興,不異山陰時。

昔、王徽之は山陰に在って、雪夜の月に、その友を思い出し、わざわざ、剡渓を遡ったというが、自分もこの雪夜を見て同じように風流の興をもったのである。

剡溪 浙江省剡県。町の南に剡渓があり、両岸の景色がうつくしく、六朝時代にはことに人びとに愛貸された。謝霊運、王羲之に李白自身を映したのであろう。

李白《秋浦歌十七首 其六》

李白の詩の中でまともに解釈されていない詩のひとつである。さらっと読んで行ってもすぐ解釈できるが、何か引っかかる詩なのである。裏の裏の意味があるのか、暗号なのか、不思議な詩なのである。

秋浦歌十七首 其六

愁作秋浦客。 強看秋浦花。

山川如剡縣。 風日似長沙。

愁えて秋浦の客と作り、強いて秋浦の花を看()る。

山川は 剡県の如く、風日は 長沙に似るに。

秋浦歌十七首 其六  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集250/350

 

明發懷二子,空吟招隱詩。

ところが、ここでお二人の所へ行こうと思っても翌朝出発することしかできない。だから、二人を思う時には、陸機・左思の「招隱詩」でも吟ずるしかないのである。

招隱詩 隠遁者を尋ねもとめて、隠棲したい旨を詠うもので、文選に左思の招隱詩二首、陸機の一首、期待できぬ富貴を望まず、隠者を尋ね行き隠遁したいことをいう詩である。

 

陸機:陸 機は、中国三国時代から西晋の文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓の一つである陸氏の出身。祖父は陸遜。父は陸抗。子は陸蔚、陸夏。 本籍は呉郡呉県。ただし家は呉の都建業の南や、祖父の封地であった華亭等にあったようである。 七尺もの身の丈を持ち、その声は鐘のように響きわたったという。

陸機 招隱詩

明發心不夷,振衣聊躑欲安之,幽人在浚谷。

朝採南澗藻,夕息西山足。輕條象雲構,密葉成翠幄。

激楚佇蘭林,回芳薄秀木。山溜何泠泠,飛泉漱鳴玉。

哀音附靈波,響赴曾曲。至樂非有假,安事澆醇樸?

富貴難圖,駕從所欲。

左思:西晋の文学者。字は太沖。斉国臨淄の人。門閥の後ろ盾のない寒門の出身であり、官途は不遇だったが、文才に優れ、代表作「三都賦」は「洛陽の紙価を高からしむ」の故事の由来となった。妹の左芬も詩文の才能があり、司馬炎の後宮の女官となった。

左思 招隱詩其一.

杖策招隱士,荒塗橫古今。巖穴無結構,丘中有鳴琴。

白雪停陰岡,丹葩曜陽林。石泉漱瓊瑤,纖鱗亦浮沈。

非必絲與竹,山水有清音。何事待嘯歌,灌木自悲吟。

秋菊兼糇糧,幽蘭閒重襟。躊躇足力煩,聊欲投吾簪。

招隱詩 其二.

經始東山廬。果下自成榛。 前有寒泉井。聊可瑩心神。

峭蒨青蔥間。竹柏得其真。 弱葉棲霜雪。飛榮流餘津。

爵服無常玩。好惡有屈伸。 結綬生纏牽。彈冠去埃塵。

惠連非吾屈。首陽非吾仁。 相與觀所尚。逍遙撰良辰。

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李白《寄弄月溪山人》むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

 
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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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124-2 《寄弄月溪吳山人》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<124-2> Ⅰ李白詩1306 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5078

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    寄弄月溪山人

及地點:             

鹿門山 (山南東道 襄州 襄陽) 別名:鹿門     

襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

交遊人物:山人             

 

 

寄弄月溪山人

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

終身棲鹿門,不入襄陽市。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

夫君弄明月,滅景清淮裡。

そうした意味で、君も清淮の里の中でその景色を滅っする明月を弄びつつ、決して塵間にでることはなかった。

高蹤邈難追,可與古人比。

その高潔な蹤跡は邈然として追尋することは難しいのであり、ただ、この詩でこれまで述べた龐德公に比較されるべき人であろう。

清揚杳莫睹,白雲空望美。

君の風貌は杳然として見る事が難しく、白雲を臨んで、空しくその美なることを想像してみるだけのことである。

待我辭人間,攜手訪松子。

我々はやがて神仙の道を学ぶため、世間一般の人間社会を辞して、手を携えて赤松子を尋ねることができる日まで待ってもらいたいとおもっているのである。

 

 (弄月溪の山人に)

嘗て聞く 龐德公,家は住す 洞湖の水。

終身 鹿門に棲み,襄陽の市に入らず。

夫君 明月を弄し,景を滅す 清淮の裡。

高蹤 邈【ばく】として追い難く,古人と比す可し。

清揚 杳として睹る莫く,白雲 空しく美を望む。

待て人間を辭すと我し,手を攜えて松子を訪うを。

嚢陽一帯00 

 

『寄弄月溪山人』 現代語訳と訳註解説

(本文)

寄弄月溪山人

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

終身棲鹿門,不入襄陽市。

夫君弄明月,滅景清淮裡。

高蹤邈難追,可與古人比。

清揚杳莫睹,白雲空望美。

待我辭人間,攜手訪松子。

 

 

(下し文)

(弄月溪の山人に寄す)

嘗て聞く 龐德公,家は住す 洞湖の水。

終身 鹿門に棲み,襄陽の市に入らず。

夫君 明月を弄し,景を滅す 清淮の裡。

高蹤 邈【ばく】として追い難く,古人と比す可し。

清揚 杳として睹る莫く,白雲 空しく美を望む。

待て人間を辭すと我し,手を攜えて松子を訪うを。

 

(現代語訳)

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

そうした意味で、君も清淮の里の中でその景色を滅っする明月を弄びつつ、決して塵間にでることはなかった。

その高潔な蹤跡は邈然として追尋することは難しいのであり、ただ、この詩でこれまで述べた龐德公に比較されるべき人であろう。

君の風貌は杳然として見る事が難しく、白雲を臨んで、空しくその美なることを想像してみるだけのことである。

我々はやがて神仙の道を学ぶため、世間一般の人間社会を辞して、手を携えて赤松子を尋ねることができる日まで待ってもらいたいとおもっているのである。

 

(訳注)

寄弄月溪山人

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

 

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

○龐德公 東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。

洞湖水 洞湖とは襄陽の鹿門山の居のことをいう。山簡とともに高陽池で飲み続け、戯れて云ったことが、襄陽の池は酔って飲む酒を「洞湖の水」である。

山簡公:山簡(さん かん、生没年未詳)は三国時代の魏および西晋の襄陽の刺史である。字は季倫。父親は竹林の七賢の一人、山濤。

 

終身棲鹿門,不入襄陽市。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

○鹿門山 鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(2556年)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられた。

襄陽市 孟浩然『登安陽城樓』「縣城南面漢江流,江漲開成南雍州。」(縣城の南面に 漢江流る,江を漲らせて成を開く 南雍の州。)襄陽城の南の城壁に向かって漢水の江が流れていく。川はその水を満々とたたえてこの南の襄陽の街を開いている。

○安陽城 西には太行山脈がそびえ、そこから流れる漳河(しょうが、海河水系衛河の支流)が河北省邯鄲市との境を流れる。中国七大古都(北京、南京、杭州、西安、洛陽、開封、安陽)の一つである。約三千三百年前の商代後期の都で中国古代王朝の一つである殷の時代の遺跡「殷墟」があり、ヒエログリフ、楔形文字と並び世界三大古代文字の一つに数えられる甲骨文字が大量に出土している。

○縣城 襄陽城。○江漲 春の雪解け水が満々と水を湛えていること。別には、嶂と造るものがある。その場合安陽城の北側を流れる漳河のことを指すのか。○開成 世の人知を開発し、事業を完成すること。○雍州 湖北省襄陽。九州の一つ。古代王朝の安陽ということ。

 

夫君弄明月,滅景清淮裡。

そうした意味で、君も清淮の里の中でその景色を滅っする明月を弄びつつ、決して塵間にでることはなかった。

 

高蹤邈難追,可與古人比。

その高潔な蹤跡は邈然として追尋することは難しいのであり、ただ、この詩でこれまで述べた龐德公に比較されるべき人であろう。

 

清揚杳莫睹,白雲空望美。

君の風貌は杳然として見る事が難しく、白雲を臨んで、空しくその美なることを想像してみるだけのことである。

清揚 眉目のあいだをいう風貌

 

待我辭人間,攜手訪松子。

我々はやがて神仙の道を学ぶため、世間一般の人間社会を辞して、手を携えて赤松子を尋ねることができる日まで待ってもらいたいとおもっているのである。

松子 赤松子のこと。赤松子とは、黄帝の八代前、神農の時代の雨師(雨の神、または雨乞い)。自分の体を焼いて仙人となった尸解仙とされ、後世では仙人の代名詞となり劉邦の家臣張良も彼について言及している。そこでは、赤松子と同一視され、黄色い石の化身と言われ、そのため黄石公と称される。張子房に太公望が記した兵法書を授けたとされるものだ。

 

 

 

孟浩然《登鹿門山懐古》

清曉因興來,乘流越江峴。

沙禽近方識,浦樹遙莫辨。

漸至鹿門山,山明翠微淺。

岩潭多屈曲,舟楫屢回轉。

昔聞龐德公,采藥遂不返。

#2

金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。

紛吾感耆舊,結攬事攀踐。

隱跡今尚存,高風邈已遠。

白雲何時去,丹桂空偃蹇。

探討意未窮,回艇夕陽晚。

(鹿門山に登り古えを懐かしむ)#1

清暁 興来るに因り、流れに乗りて江峴を越ゆ。

沙禽 近づきて方に識り、浦樹 遙かに辨ずる莫し

漸く鹿門山に至れば、山明らかにして翠微浅し。

岩潭 屈曲多く、舟楫 屡々回り転ず。

昔聞く 龐徳公、業を採りて遂に返らずと。

#2

金澗に芝朮(しじゅつ)を養ひ、石床 苔蘇に臥す。

紛として 吾 耆舊(ききゅう)に感じ、攬を結びて攀踐(はんせん)を事とす。

隠跡 今尚は存するも、高風 邈(ばく)として已に遠し。

白雲 何れの時にか去らん、丹桂 空しく偃蹇(えんけん)たり。

探討 意未だ窮まらず、艇を回らす 夕陽の晩。

 

鹿門山に登り古えを懐かしむ

初夏の清々しい明け方、風興の気分によってここに来ている。漢水の流れに乗って峴山が川を越えて見る。

砂浜にいる水鳥に近づくとこちらを向いて気が付いたようだ。入り江の奥の樹林は遙か遠くにあり、瓣別することができない。

しばらく山の道を進んでゆくと鹿門山にいたるのだけれど、山に日の光が射していて、山の中腹の浅いところが見える。

大岩と淵で、川は折れ曲がりが多い、舟の楫をしばしば使って舳先をめくらして進む。

ここには昔、後漢の龐徳公の有名な故事がある。薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかったというものだ。

 

黄金に輝く谷川の透きとった水際に貴重な薬草を育てている。その岩壁には緑の苔がびっしり生えている。

わたしの心の中では複雑なものがある。「襄陽耆舊記」の龐德公のように生きたいとは思っている。もう一方では、家族からも期待されている頭髪を束ねて結い直し、官位に付き上り詰めるということも考えるのである。

確かに、龐德公が隠棲された史蹟は今なお残っているのであるが、『高士』の風はぼんやりとして来て今や遠くなりつつあるのだ。

龐德公の隠棲という雰囲気を残した白雲がいつしかきえさって、その丹桂遺跡はその場所に空しく広がっているだけなのである。

鹿門山のあちこちを奥深く隅々までさぐり調べたのだがその気持ちはいまだ窮まってはいない。今すぐ隠棲するわけではないので夕日が落ちて暮れてきているなかで、船を廻して帰ろうと思う。

孟浩然 登鹿門山懐古 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320

盛唐詩 夜歸鹿門山歌 孟浩然<41> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -348

李白と道教48襄陽歌 ⅰ

 

寄天臺道士

海上求仙客,三山望幾時。

焚香宿華頂,裛露采靈芝。

屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。

倘因松子去,長與世人辭。

(天臺の道士に寄せる)

海上に仙客を求め、三山 望むこと幾時ぞ。

香を焚きて華頂に宿し、露に裛ひて靈芝を采る。

屢しば踐む莓苔の滑なるを、將に尋ねんとす汗漫の期。

儻し松子に因りて去らば、長く世人と辭せん。

始皇帝の命を受け徐福らが海上に神仙を求めて旅立った、その三神山を望んでから一体どれくらいの年月がたったのだろう。

しかし、海上に神薬を求める道などなく、天台山において香を焚いて華頂峰に宿泊し自然と同化している。そして、露に潤いながら霊芝を摘み取るのである。

しばしば、苔生した滑りやすい滝上の石橋を渡るのである。そして、広大無辺で計り知れないひろい神仙的世界で過ごす約束を果たしに行くのである。

もしもそれがかなうなら、赤松子に連れて行ってもらって、この人間世界から永遠にお別れをすることできるということなのだ。

盛唐詩 寄天台道士 孟浩然<27> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -334

 

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安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    寄弄月溪山人

及地點:             

鹿門山 (山南東道 襄州 襄陽別名:鹿門     

襄州 (山南東道 襄州 襄州別名:襄陽         

交遊人物:山人             

 

 

寄弄月溪山人

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

終身棲鹿門,不入襄陽市。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

夫君弄明月,滅景清淮裡。

高蹤邈難追,可與古人比。

清揚杳莫睹,白雲空望美。

待我辭人間,攜手訪松子。

 

 (弄月溪の山人に)

嘗て聞く 龐德公,家は住す 洞湖の水。

終身 鹿門に棲み,襄陽の市に入らず。

夫君 明月を弄し,景を滅す 清淮の裡。

高蹤 邈【ばく】として追い難く,古人と比す可し。

清揚 杳として睹る莫く,白雲 空しく美を望む。

待て人間を辭すと我し,手を攜えて松子を訪うを。

嚢陽一帯00 

 

『寄弄月溪山人』 現代語訳と訳註解説

(本文)

寄弄月溪山人

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

終身棲鹿門,不入襄陽市。

夫君弄明月,滅景清淮裡。

高蹤邈難追,可與古人比。

清揚杳莫睹,白雲空望美。

待我辭人間,攜手訪松子。

 

 

(下し文)

(弄月溪の山人に寄す)

嘗て聞く 龐德公,家は住す 洞湖の水。

終身 鹿門に棲み,襄陽の市に入らず。

夫君 明月を弄し,景を滅す 清淮の裡。

高蹤 邈【ばく】として追い難く,古人と比す可し。

清揚 杳として睹る莫く,白雲 空しく美を望む。

待て人間を辭すと我し,手を攜えて松子を訪うを。

 

(現代語訳)

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

嚢陽一帯00

 

(訳注)

寄弄月溪山人

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

 

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

○龐德公 東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。

洞湖水 洞湖とは襄陽の鹿門山の居のことをいう。山簡とともに高陽池で飲み続け、戯れて云ったことが、襄陽の池は酔って飲む酒を「洞湖の水」である。

山簡公:山簡(さん かん、生没年未詳)は三国時代の魏および西晋の襄陽の刺史である。字は季倫。父親は竹林の七賢の一人、山濤。

 

終身棲鹿門,不入襄陽市。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

○鹿門山 鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(2556年)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられた。

襄陽市 孟浩然『登安陽城樓』「縣城南面漢江流,江漲開成南雍州。」(縣城の南面に 漢江流る,江を漲らせて成を開く 南雍の州。)襄陽城の南の城壁に向かって漢水の江が流れていく。川はその水を満々とたたえてこの南の襄陽の街を開いている。

○安陽城 西には太行山脈がそびえ、そこから流れる漳河(しょうが、海河水系衛河の支流)が河北省邯鄲市との境を流れる。中国七大古都(北京、南京、杭州、西安、洛陽、開封、安陽)の一つである。約三千三百年前の商代後期の都で中国古代王朝の一つである殷の時代の遺跡「殷墟」があり、ヒエログリフ、楔形文字と並び世界三大古代文字の一つに数えられる甲骨文字が大量に出土している。

○縣城 襄陽城。○江漲 春の雪解け水が満々と水を湛えていること。別には、嶂と造るものがある。その場合安陽城の北側を流れる漳河のことを指すのか。○開成 世の人知を開発し、事業を完成すること。○雍州 湖北省襄陽。九州の一つ。古代王朝の安陽ということ。

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

105 《廣陵贈別》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <105> Ⅰ李白詩1277 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4933

ようやく君に追いついたので枝が茂った楊柳の下に馬をつないだ。そして、大道の傍らで道祖神を祭って道中の安全を祈るために盃を含んで旅の安全を祈念した。長江の流れは澄み切った水で、渺渺として大空と接している。海上においては、春の山がはるか遠くに連なっている。

 
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105 《廣陵贈別》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <105> Ⅰ李白詩1277 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4933

 

 

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年:726年開元十四年26

卷別:    卷一七四              文體:    五言律詩

詩題:    廣陵贈別

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:              揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、726年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。

 

廣陵贈別

(この詩は、広陵に於いて遠行する行人に贈ったもの)

玉瓶沽美酒,數里送君還。

白磁の輝く酒瓶に美酒を買って満たす、そして、此の酒を携えて、数里の道を歩いてゆき、君を送別するためである。

繫馬垂楊下,銜杯大道間。

ようやく君に追いついたので枝が茂った楊柳の下に馬をつないだ。そして、大道の傍らで道祖神を祭って道中の安全を祈るために盃を含んで旅の安全を祈念した。

天邊看淥水,海上見青山。

長江の流れは澄み切った水で、渺渺として大空と接している。海上においては、春の山がはるか遠くに連なっている。

興罷各分袂,何須醉別顏。

酒も尽き、興も尽きるとそれぞれに袂を分けることにするけれど、どういう

(廣陵にて贈別す)

玉瓶 美酒を沽い,數里 君の還るを送る。

馬を垂楊の下に繫ぎ,杯を大道の間に銜む。

天邊 淥水を看て,海上 青山を見る。

興を罷んで各の袂を分ち,何ぞ醉別の顏を須いん。

李白の足跡003

 

『廣陵贈別』 現代語訳と訳註

(本文)

廣陵贈別

玉瓶沽美酒,數里送君還。

繫馬垂楊下,銜杯大道間。

天邊看淥水,海上見青山。

興罷各分袂,何須醉別顏。

 

 

(下し文)

(廣陵にて贈別す)

玉瓶 美酒を沽い,數里 君の還るを送る。

馬を垂楊の下に繫ぎ,杯を大道の間に銜む。

天邊 淥水を看て,海上 青山を見る。

興を罷んで各の袂を分ち,何ぞ醉別の顏を須いん。

 

(現代語訳)

(この詩は、広陵に於いて遠行する行人に贈ったもの)

白磁の輝く酒瓶に美酒を買って満たす、そして、此の酒を携えて、数里の道を歩いてゆき、君を送別するためである。

ようやく君に追いついたので枝が茂った楊柳の下に馬をつないだ。そして、大道の傍らで道祖神を祭って道中の安全を祈るために盃を含んで旅の安全を祈念した。

長江の流れは澄み切った水で、渺渺として大空と接している。海上においては、春の山がはるか遠くに連なっている。

酒も尽き、興も尽きるとそれぞれに袂を分けることにするけれど、どういうわけか、無理によって、無理に別れの悲しげな顔をしてすることが必要なのだろうか。

a謝霊運永嘉ルート02 

(訳注)

廣陵贈別

(この詩は、広陵に於いて遠行する行人に贈ったもの)

廣陵 広陵は江蘇省江都県の東北。魏志によれば225年黄初六年文帝広陵の故城に幸し、江に臨んで兵を観した。時に戊卒十余万、旌旗数百里におよんだ。帝が馬上に於て賦したのがこの詩であると。意は千戈を廃して敵を帰服させようとするにあるものである。

廣陵散 漢代の大型琴曲。別名「廣陵止息」。安徽省壽縣境の民間樂曲。琴、箏、笙、築等の樂器で演奏,現存するもっとも古い琴曲である。

宿桐廬江寄廣陵舊遊

山暝聽猿愁,滄江急夜流。

風鳴兩岸葉,月照一孤舟。

建德非吾土,維揚憶舊遊。

還將兩行涙,遙寄海西頭。

(桐廬江に宿して 廣陵の舊遊に寄す)

山 暝【くらく】して 猿愁を聽き,滄江【そうこう】 急ぎて夜に流る。

風は鳴る 兩岸の葉,月は照らす 一孤舟【しゅう】。

建德【けんとく】は 吾が土【と】に非ず,維揚【いよう】は 舊遊を憶ふ。

還【また】 兩行の涙を將【もっ】て,遙かに 海西【かいせい】の頭【ほとり】に寄す。

 

玉瓶沽美酒,數里送君還。

白磁の輝く酒瓶に美酒を買って満たす、そして、此の酒を携えて、数里の道を歩いてゆき、君を送別するためである。

 売る・買うという意味。量り売りの酒を買う。

 

繫馬垂楊下,銜杯大道間。

ようやく君に追いついたので枝が茂った楊柳の下に馬をつないだ。そして、大道の傍らで道祖神を祭って道中の安全を祈るために盃を含んで旅の安全を祈念した。

銜杯大道間 大通りの道端に万幕を張って道祖神を祭って酒の宴をするという意味。

祖道 旅立ちのとき、道祖神を祭って道中の安全を祈ること。また、旅立つ者を送る宴。

 

天邊看淥水,海上見青山。

長江の流れは澄み切った水で、渺渺として大空と接している。海上においては、春の山がはるか遠くに連なっている。

淥水 春の雪解け水が澄みきっている。

青山 春の山

 

興罷各分袂,何須醉別顏。

酒も尽き、興も尽きるとそれぞれに袂を分けることにするけれど、どういうわけか、無理によって、無理に別れの悲しげな顔をしてすることが必要なのだろうか。

李白図102 

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故郷蜀の城門は遙天のほかは見るものはないが、郷里に通ずる駅路は遠山に隔てられている。そうはいっても、朝には司馬相如の琴台を思ううかべ、夕べには揚雄の故宅を心に思って時には夜夢にこれを見るという有様である。

 
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會には、一つの浮浪雲が浮かんでいる。飄々として遠くへ行く旅人のようである。旅人である自分も、まさしく雲のようである。私も故郷を出たものの、功業いまだ就業してはいない、歳月はしばしば奔り迫り過ぎ去ってゆく。

 
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Index-

6

Ⅱ― 1-726年開元十四年26

21

ID

No.

詩題

詩文初句

 

98

39

1

楊叛兒

君歌楊叛兒,

巻三

99

40

2

採蓮曲

若耶溪傍採蓮女,

巻三

100

41

3

長干行,二首之一

妾髮初覆額,

巻三

101

42

4

長干行,二首之二

憶妾深閨裡

巻三

102

43

5

淥水曲

淥水明秋月,

巻五

103

44

6

估客行【估客樂】

海客乘天風,

巻五

104

45

7

淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤

會一浮雲,

巻十二

105

46

8

廣陵贈別

玉瓶沽美酒,

巻十四

106

47

9

別儲邕之剡中

借問剡中道,

巻十四

107

48

10

口號【口號留別金陵諸公】

食出野田美,

巻十四

108

49

11

金陵酒肆留別

風吹柳花滿店香,

巻十四

109

50

12

秋日登揚州西靈塔

寶塔凌蒼蒼,

巻二十

110

51

13

夜下征虜亭

船下廣陵去,

巻二十一

111

52

14

西施

西施越溪女,

巻二十一

112

53

15

王右軍

右軍本清真,

巻二十一

113

54

16

秋夕旅懷

涼風度秋海,

巻二十三

114

55

17

陌上贈美人【小放歌行】

駿馬驕行踏落花,

巻二十四

115

56

18

對酒

蒲萄酒,

巻二十四

116

57

19

贈段七娘

羅襪凌波生網塵,

巻二十四

117

58

20

越女詞,五首之一

長干兒女,

巻二十四

118

59

21

越女詞,五首之二

兒多白皙,

巻二十四

119

60

22

越女詞,五首之三

耶溪采蓮女。

巻二十四

120

61

23

越女詞,五首之四

東陽素足女。

巻二十四

121

62

24

越女詞,五首之五

鏡湖水如月。

巻二十四

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

李太白集 巻十二

詩題:    淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:             

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海    

蘇州 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:郡、           

會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰       

琴臺 (劍南道北部 益州 成都)         

草玄堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:子雲宅           

交遊人物:趙蕤    書信:(劍南道北部 梓州 )

 

 

淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤 #1

(李白が淮南に遊んでいるとき、病気になり、その時の様子を蜀の旧友である趙蕤によせたもの。)

會一浮雲,飄如遠行客。

會には、一つの浮浪雲が浮かんでいる。飄々として遠くへ行く旅人のようである。旅人である自分も、まさしく雲のようである。

功業莫從就,光屢奔迫。

私も故郷を出たものの、功業いまだ就業してはいない、歳月はしばしば奔り迫り過ぎ去ってゆく。

良圖俄棄損,衰疾乃綿劇。

折角よい計画であっても、にわかに打ち棄てることになってしまうし、衰疾こもごも犯して容易に全治しようもない。

古琴藏虛匣,長劍掛空壁。

こうして、古琴は虛匣に納めたきりになっており、長劍は空壁に掛けたまま、琴も弾かず剣をぬぐうこともできない状態が続いている。

楚冠懷鍾儀,越吟比莊舃。

楚の冠は、鍾儀が南音をあやつり、莊舃が越吟を為したことのようで、さすがに故郷の事は忘れてしまったところだ。

#2

國門遙天外,路遠山隔。

朝憶相如臺,夜夢子雲宅。

旅情初結緝,秋氣方寂歷。

風入松下清,露出草間白。

故人不可見,幽夢誰與適。

寄書西飛鴻,贈爾慰離析。

 

(淮南にて病いに臥し、懷を書して蜀中の趙徵君 蕤【ずい】に寄す) #1

會 一の浮雲,飄として遠行の客の如し。

功業 從って就る莫く,光 屢ば奔迫。

良圖 俄に棄損し,衰疾 乃ち 綿劇。

古琴 虛匣【きょこう】に藏し,長劍 空壁に掛く。

楚冠 鍾儀を懷い,越吟 莊舃【そうせき】に比す。

#2

國門 遙天の外,路 遠山隔つ。

朝に相如の臺を憶い,夜は子雲の宅を夢む。

旅情 初めて結緝【けつしゅう】す,秋氣 方に寂歷【せきれき】たり。

風は松下に清く入る,露は出草間に白く。

故人 見る可からず,幽夢 誰と與にか適かん。

書を寄す 西飛の鴻,爾に贈って 離析を慰む。

 

a謝霊運永嘉ルート02

『淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤』 現代語訳と訳註

(本文)

淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤 #1

會一浮雲,飄如遠行客。

功業莫從就,光屢奔迫。

良圖俄棄損,衰疾乃綿劇。

古琴藏虛匣,長劍掛空壁。

楚冠懷鍾儀,越吟比莊舃。

 

(含異文)

會一浮雲,飄如遠行客【萬里無主人,一身獨為客】。

功業莫從就,光屢奔迫。

良圖俄棄損,衰疾乃綿劇。

古琴藏虛匣,長劍掛空壁。

楚冠懷鍾儀【楚懷懷鍾儀】【楚冠奏鍾儀】【楚懷奏鍾儀】,越吟比莊舃。

國門遙天外,路遠山隔【臥來恨已久,興發思逾積】。

 

(下し文)

(淮南にて病いに臥し、懷を書して蜀中の趙徵君 蕤【ずい】に寄す) #1

會 一の浮雲,飄として遠行の客の如し。

功業 從って就る莫く,光 屢ば奔迫。

良圖 俄に棄損し,衰疾 乃ち 綿劇。

古琴 虛匣【きょこう】に藏し,長劍 空壁に掛く。

楚冠 鍾儀を懷い,越吟 莊舃【そうせき】に比す。

 

(現代語訳)

(李白が淮南に遊んでいるとき、病気になり、その時の様子を蜀の旧友である趙蕤によせたもの。)

會には、一つの浮浪雲が浮かんでいる。飄々として遠くへ行く旅人のようである。旅人である自分も、まさしく雲のようである。

私も故郷を出たものの、功業いまだ就業してはいない、歳月はしばしば奔り迫り過ぎ去ってゆく。

折角よい計画であっても、にわかに打ち棄てることになってしまうし、衰疾こもごも犯して容易に全治しようもない。

こうして、古琴は虛匣に納めたきりになっており、長劍は空壁に掛けたまま、琴も弾かず剣をぬぐうこともできない状態が続いている。

楚の冠は、鍾儀が南音をあやつり、莊舃が越吟を為したことのようで、さすがに故郷の事は忘れてしまったところだ。

南池江 採蓮002 

 

(訳注)

淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤 #1

(李白が淮南に遊んでいるとき、病気になり、その時の様子を蜀の旧友である趙蕤によせたもの。)

淮南 江蘇・安徽(あんき)両省の江北部を中心とした地域名。北緯33゜を東西に流れる淮水の南の意で淮北と対して使われる。淮水を境に北は黄土の乾燥地で,淮南以南のモンスーン地帯と著しい違いがある。

趙徵君蕤 趙蕤は鹽亭の人、梓州淒縣長平山安昌巌に隠れ、六経諸家を学び、長短經十巻を著した。又数学に強く、蘇娗は西蜀の人材を進めるに、趙蕋の術数、李白の文章といったという。

 

會一浮雲,飄如遠行客。

會には、一つの浮浪雲が浮かんでいる。飄々として遠くへ行く旅人のようである。旅人である自分も、まさしく雲のようである。

會 地をいう,現在の江蘇省。

 

功業莫從就,光屢奔迫。

私も故郷を出たものの、功業いまだ就業してはいない、歳月はしばしば奔り迫り過ぎ去ってゆく。

 

良圖俄棄損,衰疾乃綿劇。

折角よい計画であっても、にわかに打ち棄てることになってしまうし、衰疾こもごも犯して容易に全治しようもない。

 

古琴藏虛匣,長劍掛空壁。

こうして、古琴は虛匣に納めたきりになっており、長劍は空壁に掛けたまま、琴も弾かず剣をぬぐうこともできない状態が続いている。

 

楚冠懷鍾儀,越吟比莊舃。

楚の冠は、鍾儀が南音をあやつり、莊舃が越吟を為したことのようで、さすがに故郷の事は忘れてしまったところだ。

鍾儀 《楚の鍾儀は晋に捕らわれた後も、自国の冠をつけていたという「春秋左伝」成公9年の故事から》他国に捕らわれた楚の国の人。転じて、他国に捕らえられ望郷の思いをいだく人。そしゅう【楚囚】。

莊舃 荘舃が越の詩を吟じたように故郷への想いはつのる

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李白詩全集 卷十二 (古近體詩二十五首) 
ID初句
411巻十二 75安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰 ( 一作春歸桃花岩貽許侍御 ) 云臥三十年。 
412巻十二 淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤 吳會一浮云。 
413巻十二 寄弄月溪山人 嘗聞龐德公。 
414巻十二 秋山寄衛慰張卿及王徵君 何以折相贈。 
415巻十二 望終南山寄紫閣隱者 出門見南山。 
416巻十二 夕霽杜陵登樓寄韋繇 浮陽滅霽景。 
417巻十二 秋夜宿龍門香山寺奉寄王方城十七丈 奉國瑩上人從弟
418巻十二 春日獨坐寄鄭明府 燕麥青青游子悲
419巻十二 寄淮南友人 紅顏悲舊國。 
420巻十二 沙丘城下寄杜甫 我來竟何事。 
421巻十二 11.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡 春華滄江月。 
422巻十二 淮陰書懷寄王宗成 (一作王宗城 ) 沙墩至梁苑。 
423巻十二 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄 楊花落盡子規啼
424巻十二 寄王屋山人孟大融 我昔東海上。 
425巻十二 憶舊游寄譙郡元參軍 憶昔洛陽董糟丘
426巻十二 月夜江行寄崔員外宗之 飄飄江風起。 
427巻十二 宿白鷺洲寄楊江寧 朝別朱雀門。 
428巻十二 新林浦阻風寄友人 潮水定可信。 
429巻十二 寄韋南陵冰余江上乘興訪之遇尋顏尚書笑有此贈 南船正東風。 
430巻十二 題情深樹寄象公 腸斷枝上猿。 
431巻十二 北山獨酌寄韋六 巢父將許由。 
432巻十二 寄當涂趙少府炎 晚登高樓望。 
433巻十二 42寄東魯二稚子 在金陵作 吳地桑葉綠。 
434巻十二 獨酌清溪江石上寄權昭夷 我攜一樽酒。 
435巻十二 禪房懷友人岑倫 時南游羅浮兼泛
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