漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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ずいぶん回復してきました。(12/10)
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
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李太白集

李白集校注 訳注解説Blog 750年-6 《留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】》-#3 漢文委員会 紀 頌之 Blog11168

李白集校注 訳注解説Blog 750-6 《留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】》-#3  漢文委員会 紀 頌之 Blog11168

 

750

天寶九年 750

 

6. 留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】 #3

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 11168

 

 

 

 

留別金陵諸公  #1
海水昔飛動。 三龍紛戰爭。 
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。 
黃旗一掃蕩。 割壤開
京。 
-

六代更霸王。 遺跡見都城。 
至今秦淮間。 禮樂秀群英。

地扇鄒魯學。 詩騰顏謝名。 
-#3

五月金陵西。 祖余白下亭。 
欲尋廬峰頂。 先繞漢水行。 
香爐紫煙滅。 瀑布落太清。 
若攀星辰去。 揮手緬含情。 
(
跡一作都 ) ( 都一作空 )

1
海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 

六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。 
今に至る秦淮の間、禮樂 群英 秀し。 
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。 

五月 金陵の西。 祖余 白下亭。 
盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。
香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。
もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。


-1
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

海水昔飛動、三龍紛戦争。
むかし、春秋戦国の時代から呉越戦争に代表される戰があったが、その後も事あるごとに金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。その後は魏後蜀の三國がいりまじって三匹の龍が激しく争う戦があり、また、その後小国乱立した時代にも小さな戦争が続いていたのがこの地域である。

鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。

黄旗一掃蕩、割尽開呉京。
孫氏が黄色い旗をおし建てて帝王が現われると、江南一帯を掃蕩し、混乱を収拾したのである、壊され傾いた部分を打ち壊し、土壌をきりひらいて呉の都、金陵を経営したのである。

2

六代更霸王、遺跡見都城。 
孫氏はそれに引き続いて、六代のあいだ、ここに覇王としてつづいた、その後遺跡はすべて都城にのこっており、帝都では無くなっても東南の都の城郭をみることができるのである。
至今秦淮間、禮樂秀群英。 
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかな文化をたたえており、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地とするところなのである。
地扇鄒魯學。詩騰顏謝名。 

そうして、この地の湧き上がる風は、鄒魯とする老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせているのが流行し誰でも学んだし、顔延之、謝靈運がでてきて、詩歌はここで盛んになり、謝朓など多くの詩人が生まれ、江南文化は中国を席巻したのである。
-#3

五月金陵西。祖余白下亭。 

いまは五月、真夏に向かう季節である、「将に行かんとそして酒を飲む」祖道ということで、恒例として、旅立つ私を金陵城の西側にある白下亭に招いてくれたということでまことにありがたいものである。

欲尋盧峰頂、先繞漢水行。

わたしがしたいのは、江西の盧山の絶頂に登ろうと思っているのだけれど、それにはまずこのやまの麓をぐるりとめぐり、漢水をさかのぼっていこうとしているのである。

 

香炉紫煙滅、瀑布落太清。

盧峰の嶤嶤嵺嵺とした香炉峰の紫の霞も消えつくし、名高い落差三百丈の瀑布が、「玄気は大赤天の太清境と化す」ととてもはっきりと見えることだろう。

若攀星辰去、揮手緬含情。( 跡一作都 ) ( 都一作空 )

そこまで行けば手を延ばすだけで星辰に届くだろうから、いよいよ絶頂に達したら、手を振って、情を含み、緬然として諸公のこの地にあるのを思い起こすに違いないのである。

 

 

清・王琦 李白集校注(卷十五 〔一〕九二六

金陵諸
海水昔飛動、三龍紛戰爭。 鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。 黃旗一掃蕩、割壤開京。 

六代更霸王、遺跡見都城。 一作遺都見空城  至今秦淮間、禮樂秀群英。

地扇鄒魯學、詩騰顏謝名。 

五月金陵西、祖余白下亭。 欲尋廬峰頂、先繞漢水行。 香爐紫煙滅、瀑布落太清。 

若攀星辰去、揮手緬含情。 

海水〕王云: 劇秦美新、海水羣飛。 李善註: 海水萬民、羣飛言亂。

三龍〕  三龍蜀魏也。

 鐘山〕 太平寰宇記:蔣山在昇州上元縣東北十五里、周迴六十里面南顧東東逹青龍門等山西臨青溪。絶山南面有鍾浦水流下入秦淮、北連雉亭山。 按輿地志云: 蔣山古曰金陵山、縣之名因此而立。 漢輿地圖名鍾山、大帝時有蔣子文發神騐於此、封子文為蔣侯、改曰蔣山。  参考:巻七金陵歌送別范宜註。

〕謝朓詩:奔鯨自此曝。 顔延年詩:襟衛徙京金陵也。以人所都。 故曰 

都城〕 王云: 景定建康志: 古都城。  按官苑記:呉大帝所築、周迴二十里一十九步、在淮水北五里。 晉元帝過江、不改其舊。宋、齊、梁、陳皆都之。 輿地志曰: 晉琅邪王渡江、鎮建業、因舊都、修而居之。宋、齊而下、室有因革、而都城不改。 東南利便書曰: 孫權雖據石頭、以扼江險、然其都邑、則在建業、歴代所謂都城也。 東晉、宋、齊、梁因之、雖時有改築、而其經畫皆之舊。

秦淮〕初學記 孫盛晉陽秋曰:秦始皇東望氣者云五百年後金陵有天子氣、於是始皇、於方山掘流西入江亦曰:淮今在潤州江寧縣土俗號曰:秦淮太平寰宇記、丹陽記云:始皇鑿金陵方山其斷處為瀆、即今淮水經城中入大江是曰秦淮。 

鄒魯〕史記鄒魯濱邾泗猶有周公遺風俗好儒備於禮 漢書 鄒魯守經學。

 

顏謝〕 宋書顔延之與謝靈運俱以詞采齊名自。 潘岳陸機之後文士莫及也江左稱顔謝焉所著並傳於世

〕鄭𤣥儀禮註將行而飲酒曰祖

白下〕 蕭士曰圖經白下亭在上元縣西北

廬峰〕 廬峰即廬山也。 

 香爐〕江西通志:廬山在南康府治北二十里、九江府城南二十五里、脈接衡陽由武功來古南障山也髙三千三百六十丈或云七千三百六十丈。凡有七重、周迴五百里、山無主峰横潰四出、嶤嶤嵺嵺、各為尊髙。不相拱揖異於武當太岳、諸名山出風降雨抱異懷靈道書稱為第八洞天香爐峰在開先文殊寺後其形圓聳如爐山南山北皆見峰上常出雲氣、有似香烟故名。

瀑布〕太平寰宇記:廬山瀑布在山東、亦名白水源出、髙峰挂流三百許丈望如匹布故名瀑布。

揮手劉琨詩揮手長相

 

 

李白集校注(卷十五 〔一〕九二六

《留別金陵諸公》 現代語訳と訳註
(
本文)

-
3
五月金陵西。祖余白下亭。 
欲尋盧峰頂、先繞漢水行。
香炉紫煙滅、瀑布落太清。
若攀星辰去、揮手緬含情。

 

 (下し文)
#3

五月 金陵の西。 祖余 白下亭。

盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。

香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。

もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。

 

 (現代語訳)

(留別金陵諸公)
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

いまは五月、真夏に向かう季節である、「将に行かんとそして酒を飲む」祖道ということで、恒例として、旅立つ私を金陵城の西側にある白下亭に招いてくれたということでまことにありがたいものである。
わたしがしたいのは、江西の盧山の絶頂に登ろうと思っているのだけれど、それにはまずこのやまの麓をぐるりとめぐり、漢水をさかのぼっていこうとしているのである。

盧峰の嶤嶤嵺嵺とした香炉峰の紫の霞も消えつくし、名高い落差三百丈の瀑布が、「玄気は大赤天の太清境と化す」ととてもはっきりと見えることだろう。

そこまで行けば手を延ばすだけで星辰に届くだろうから、いよいよ絶頂に達したら、手を振って、情を含み、緬然として諸公のこの地にあるのを思い起こすに違いないのである。

 

(訳注)
留別金陵諸公

(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

金陵に来た李白は、旧知の友人たちとの再会を喜びつつ酒を飲み、一時を楽しんで、やがて廬山を目指して旅立ってゆく。「金陵の諸公に留別す」では、その送別の宴で、廬山に隠棲したい胸の中を明らかにしている詩である。

 

五月金陵西。祖余白下亭。 
いまは五月、真夏に向かう季節である、「将に行かんとそして酒を飲む」祖道ということで、恒例として、旅立つ私を金陵城の西側にある白下亭に招いてくれたということでまことにありがたいものである。
祖余 旅に出るわたし。〕 鄭𤣥儀禮の註に、「將に行かんとして、酒を飲むを祖と曰う。

白下〕 蕭士贅曰く「圖經に白下亭は上元縣の西北に在る」とある。


欲尋盧峰頂、先繞漢水行。
わたしがしたいのは、江西の盧山の絶頂に登ろうと思っているのだけれど、それにはまずこのやまの麓をぐるりとめぐり、漢水をさかのぼっていこうとしているのである。

廬峰〕 廬峰は即ち廬山なり。 

漢水 漢水は陝西省漢中市寧強県の嶓冢山を水源とする。東に流れ湖北省に入り武漢市で長江に合流する。支流として胥水河(中文)、旬河(中文)、堵河(中文)(最大)、丹江(中文)、唐白河(中文)等を併せる。流域の主要な都市として漢中市、安康市、十堰市、襄陽市、武漢市などがある。漢水の上流に丹江口ダム(中文)があり、南水北調工程(南方の水を北方へ引く国家プロジェクト、English、中文)の水源となっている。『書経・禹貢』に「嶓冢導漾東流為漢。」とあり、清代の『嘉慶一統志』漢中府・山川に「漢水,在寧羌州北,源出嶓冢山。東流経沔県南,又東経褒城県南,又東経府治南鄭県南......東南流入興安府石泉県界。」とある。地形の変化のため、安康より上流は航行することができない。また支流は冬季には断流することがある。漢水の中・下流の流域では都市は川床よりも低い位置にあり、漢水の氾濫は大きな災難をもたらす。


香炉紫煙滅、瀑布落太清
盧峰の嶤嶤嵺嵺とした香炉峰の紫の霞も消えつくし、名高い落差三百丈の瀑布が、「玄気は大赤天の太清境と化す」ととてもはっきりと見えることだろう。

 香爐〕江西通志に「廬山は南康府治北二十里に在り、九江府城の南二十五里の脈は衡陽に接す。由に武功は古に來るは南障山なり。 髙さは三千三百六十丈であり或は七千三百六十丈と云う、凡そ、七重有り、周迴五百里、山無主峰横潰四出、嶤嶤嵺嵺【ギョウギョウコウコウ】各の尊髙を為し、相拱さず、於武當太岳に揖異し、諸名山風降雨出し抱き、異懷靈道書に第八洞天と稱すを為す。香爐峰は開先文殊寺の後に在り、其の形は圓聳爐の如く、山南山北、皆峰上常に雲氣を出すを見る。 香烟に似たる有り、故に名づく。」とある。

瀑布〕太平寰宇記に「廬山瀑布は山東に在り、亦た白水と名づく源は、髙峰に出て、挂流三百許丈、望すれば匹布の如し、故に瀑布と名づく。

太清  道教の創世紀は、三十六天の天界が派生したことも説いている。その中には欲界・色界・無色界の「三界二十八天」が含まれているほか、三界の外の八天(四梵天・三清境と最高の大羅天)も含まれる。欲界には六天があり、人々が性交によって胎生し、姿形を備え情欲を持つ現実世界である。色界には十八天があり、人々は変化によって生まれ、姿形はあるが情欲はなく、およそ道士たちが修練する世界である。無色界の四天では、人々に色欲はなく、その姿を知覚することはできないが、真人だけはその姿を見ることができる。実際にはここは修練の精神の境界である。三界を越えた所に四梵天があり、ここが人々の言う天である。ここでは生死や災禍はなく、修道の完成した人が帰属する場所である。それを越えて行くと、三清境がある。その最も高いところが玉清境の清微天、その次が上清境の禹餘天、その次が太清境の大赤天である。三清境は道教が理想とする仙人の境界であり、道教の三清の尊神が住む場所でもある。最高の大羅天は、「道」の象徴である。大羅天で生み出された玄・元・始の三が、三清天に変化する。始気は清微天の玉清界と化し、元気は禹餘天の上清境と化し、玄気は大赤天の太清境と化す


若攀星辰去、揮手緬含情。
そこまで行けば手を延ばすだけで星辰に届くだろうから、いよいよ絶頂に達したら、手を振って、情を含み、緬然として諸公のこの地にあるのを思い起こすに違いないのである。

星辰 1.夜空で光っているように見える天体。星。 2.天球上の恒星を動物やものに見立てて区分したもの。星座。

揮手〕 劉琨詩に手長に揮って相い謝す。

------- 参考 --------------

謝霊運  385433 南朝の宋の詩人。陽夏(河南省)の人。永嘉太守・侍中などを歴任。のち、反逆を疑われ、広州で処刑された。江南の自然美を精緻(せいち)な表現によって山水詩にうたった。 

謝霊運詩の一覧表

顔 延之(がん えんし) 384 - 456 、)は中国南北朝時代、宋の文学者。字は延年。本籍地は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市)。宋の文帝や孝武帝の宮廷文人として活躍し、謝霊運・鮑照らと「元嘉三大家」に総称される。また謝霊運と併称され「顔謝」とも呼ばれる。

謝朓(しゃちょう) 464 - 499 南北朝時代、南斉の詩人。現存する詩は200首余り、その内容は代表作とされる山水詩のほか、花鳥風月や器物を詠じた詠物詩、友人・同僚との唱和・離別の詩、楽府詩などが大半を占める。竟陵八友のひとり

巻三-32-#2 雜詩三首其一七月七日夜詠牛女〔謝恵連〕漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ

李白集校注 訳注解説ブログ 750年-6 《留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】》-#2 漢文委員会 紀 頌之 Blog11160

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750

天寶九年 750

 

6. 留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】 #2

 

李白集校注 訳注解説

 

 

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留別金陵諸公  #1
海水昔飛動。 三龍紛戰爭。 
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。 
黃旗一掃蕩。 割壤開
京。 
-

六代更霸王。 遺跡見都城。 
至今秦淮間。 禮樂秀群英。

地扇鄒魯學。 詩騰顏謝名。 
-#3

五月金陵西。 祖余白下亭。 
欲尋廬峰頂。 先繞漢水行。 
香爐紫煙滅。 瀑布落太清。 
若攀星辰去。 揮手緬含情。 
(
跡一作都 ) ( 都一作空 )

1
海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 

六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。 
今に至る秦淮の間、禮樂 群英 秀し。 
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。 

五月 金陵の西。 祖余 白下亭。 
盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。
香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。
もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。


-1
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

海水昔飛動、三龍紛戦争。
むかし、春秋戦国の時代から呉越戦争に代表される戰があったが、その後も事あるごとに金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。その後は魏後蜀の三國がいりまじって三匹の龍が激しく争う戦があり、また、その後小国乱立した時代にも小さな戦争が続いていたのがこの地域である。鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。

黄旗一掃蕩、割尽開呉京。
孫氏が黄色い旗をおし建てて帝王が現われると、江南一帯を掃蕩し、混乱を収拾したのである、壊され傾いた部分を打ち壊し、土壌をきりひらいて呉の都、金陵を経営したのである。

2

六代更霸王、遺跡見都城。 
孫氏はそれに引き続いて、六代のあいだ、ここに覇王としてつづいた、その後遺跡はすべて都城にのこっており、帝都では無くなっても東南の都の城郭をみることができるのである。
至今秦淮間、禮樂秀群英。 
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかな文化をたたえており、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地とするところなのである。
地扇鄒魯學。詩騰顏謝名。 

そうして、この地の湧き上がる風は、鄒魯とする老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせているのが流行し誰でも学んだし、顔延之、謝靈運がでてきて、詩歌はここで盛んになり、謝朓など多くの詩人が生まれ、江南文化は中国を席巻したのである。

 

李白集校注 関係個所 抜粋

都城〕 王云: 景定建康志: 古都城。  按官苑記:呉大帝所築、周迴二十里一十九步、在淮水北五里。 晉元帝過江、不改其舊。宋、齊、梁、陳皆都之。 輿地志曰: 晉琅邪王渡江、鎮建業、因舊都、修而居之。宋、齊而下、室有因革、而都城不改。 東南利便書曰: 孫權雖據石頭、以扼江險、然其都邑、則在建業、歴代所謂都城也。 東晉、宋、齊、梁因之、雖時有改築、而其經畫皆之舊。

秦淮〕初學記 孫盛晉陽秋曰:秦始皇東望氣者云五百年後金陵有天子氣、於是始皇、於方山掘流西入江亦曰:淮今在潤州江寧縣土俗號曰:秦淮太平寰宇記、丹陽記云:始皇鑿金陵方山其斷處為瀆、即今淮水經城中入大江是曰秦淮。 

鄒魯〕史記鄒魯濱邾泗猶有周公遺風俗好儒備於禮 漢書 鄒魯守經學。

 

顏謝〕 宋書顔延之與謝靈運俱以詞采齊名自。 潘岳陸機之後文士莫及也江左稱顔謝焉所著並傳於世

 

李白集校注(卷十五 〔一〕九二六

《留別金陵諸公》 現代語訳と訳註
(
本文)

-

六代更霸王。 遺跡見都城。 
至今秦淮間。 禮樂秀群英。

地扇鄒魯學。 詩騰顏謝名。

 

 (下し文)
六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。 
今に至る秦淮の間、禮樂 群英 秀し。 
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。 

 

 (現代語訳)

(留別金陵諸公)
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

孫氏はそれに引き続いて、六代のあいだ、ここに覇王としてつづいた、その後遺跡はすべて都城にのこっており、帝都では無くなっても東南の都の城郭をみることができるのである。
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかな文化をたたえており、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地とするところなのである。

そうして、この地の湧き上がる風は、鄒魯とする老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせているのが流行し誰でも学んだし、顔延之、謝靈運がでてきて、詩歌はここで盛んになり、謝朓など多くの詩人が生まれ、江南文化は中国を席巻したのである。

(訳注)
留別金陵諸公

(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

金陵に来た李白は、旧知の友人たちとの再会を喜びつつ酒を飲み、一時を楽しんで、やがて廬山を目指して旅立ってゆく。「金陵の諸公に留別す」では、その送別の宴で、廬山に隠棲したい胸の中を明らかにしている詩である。

#2

六代更霸王、 遺跡見都城。 
孫氏はそれに引き続いて、六代のあいだ、ここに覇王としてつづいた、その後遺跡はすべて都城にのこっており、帝都では無くなっても東南の都の城郭をみることができるのである。
六代 かつては呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、王朝の都であった。

都城〕  王云: 景定建康志に古都城とある。  按ずるに官苑記に呉大帝の築く所なり、周迴二十里一十九步、淮水の北五里に在る。 晉の元帝 江を過ぎ、其の舊を改めず。宋、齊、梁、陳は皆 之を都す。 輿地志に曰う: 晉の琅邪王江を渡る、建業を鎮め、因て舊都とし、之を居にして修す。宋、齊は下って、室は因を有すれば革有り、而して都城 改めず。 東南利便書に曰く: 孫權は石頭に據すと雖も、以て江險を扼し、然し其れ都邑とし、則ち建業を在す、歴代 所謂る都城とするなり。 東晉、宋、齊、梁之に因って、時に改築有ると雖も、而して其の經畫は皆  之れ舊なり。


至今秦淮間、 禮樂秀群英。 
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかな文化をたたえており、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地とするところなのである。
禮樂礼儀と音楽、礼記と楽記、周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物を、戴聖が編纂したものである。全49篇。これは唐代以降、五経の1つとして尊重された。楽記‐一説に前漢の武帝のときに河間献王が編纂させたといわれている。その他、公孫尼子、荀子などの説もある。

長江と秦淮河の辺には歓楽街があった。

秦淮〕 初學記に 孫盛え、晉陽秋に曰う:秦始皇が東氣を望む者、五百年後金陵とい、天子の氣有り、是に於て始皇、於方山西入江に掘流し、亦た曰う:淮は今、潤州の江寧縣に在る。土俗號に曰う:秦淮は太平寰宇記と、丹陽記に云う:始皇、金陵の方山を鑿つ、其の斷ずる為瀆と處す、即ち今、淮水經城の中、大江に入り、是て秦淮と曰う。 

 

地扇鄒魯學。詩騰顏謝名。 
そうして、この地の湧き上がる風は、鄒魯とする老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせているのが流行し誰でも学んだし、顔延之、謝靈運がでてきて、詩歌はここで盛んになり、謝朓など多くの詩人が生まれ、江南文化は中国を席巻したのである。
地扇 その地の湧き上がる風 

鄒魯學 鄒と魯の国の学問、鄒は孟子、魯は孔子。老荘思想、儒教。
詩騰 詩の高ぶり。

顏謝 顔 延之と謝霊運の山水詩人。文末に参考として掲載。

鄒魯〕 孔子、孟子の生地、儒学を指す。史記に鄒とは邾泗に濱し、猶お周公の遺風有り。 俗、儒を好み、禮に備る。 漢書に鄒魯は、經學を守る。とある。

李白集校注 訳注解説ブログ 750年-6 《留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】》 漢文委員会 紀 頌之 Blog11152

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750

天寶九年 750

 

6. 留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】 #1

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 11152

 

 

 

留別金陵諸公  #1
海水昔飛動。 三龍紛戰爭。 
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。 
黃旗一掃蕩。 割壤開
京。 
-

六代更霸王。 遺跡見都城。 
至今秦淮間。 禮樂秀群英。

地扇鄒魯學。 詩騰顏謝名。 
-#3

五月金陵西。 祖余白下亭。 
欲尋廬峰頂。 先繞漢水行。 
香爐紫煙滅。 瀑布落太清。 
若攀星辰去。 揮手緬含情。 
(
跡一作都 ) ( 都一作空 )

1
海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 

六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。 
今に至る秦淮の間、禮樂 群英 秀し。 
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。 

五月 金陵の西。 祖余 白下亭。 
盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。
香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。
もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。


-1
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

海水昔飛動、三龍紛戦争。
むかし、春秋戦国の時代から呉越戦争に代表される戰があったが、その後も事あるごとに金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。その後は魏後蜀の三國がいりまじって三匹の龍が激しく争う戦があり、また、その後小国乱立した時代にも小さな戦争が続いていたのがこの地域である。鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。

黄旗一掃蕩、割尽開呉京。
孫氏が黄色い旗をおし建てて帝王が現われると、江南一帯を掃蕩し、混乱を収拾したのである、壊され傾いた部分を打ち壊し、土壌をきりひらいて呉の都、金陵を経営したのである。

 

清・王琦 李白集校注(卷十五 〔一〕九二六

金陵諸
海水昔飛動、三龍紛戰爭。 鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。 黃旗一掃蕩、割壤開京。 

六代更霸王、遺跡見都城。 一作遺都見空城  至今秦淮間、禮樂秀群英。

地扇鄒魯學、詩騰顏謝名。 

五月金陵西、祖余白下亭。 欲尋廬峰頂、先繞漢水行。 香爐紫煙滅、瀑布落太清。 

若攀星辰去、揮手緬含情。 

海水〕王云: 劇秦美新、海水羣飛。 李善註: 海水萬民、羣飛言亂。

三龍〕  三龍蜀魏也。

 鐘山〕 太平寰宇記:蔣山在昇州上元縣東北十五里、周迴六十里面南顧東東逹青龍門等山西臨青溪。絶山南面有鍾浦水流下入秦淮、北連雉亭山。 按輿地志云: 蔣山古曰金陵山、縣之名因此而立。 漢輿地圖名鍾山、大帝時有蔣子文發神騐於此、封子文為蔣侯、改曰蔣山。  参考:巻七金陵歌送別范宜註。

都城〕 謝朓詩:奔鯨自此曝。 顔延年詩:襟衛徙京金陵也。以人所都。 故曰 

王云: 景定建康志: 古都城。  按官苑記:呉大帝所築、周迴二十里一十九步、在淮水北五里。 晉元帝過江、不改其舊。宋、齊、梁、陳皆都之。 輿地志曰: 晉琅邪王渡江、鎮建業、因舊都、修而居之。宋、齊而下、室有因革、而都城不改。 東南利便書曰: 孫權雖據石頭、以扼江險、然其都邑、則在建業、歴代所謂都城也。 東晉、宋、齊、梁因之、雖時有改築、而其經畫皆之舊。

秦淮〕初學記 孫盛晉陽秋曰:秦始皇東望氣者云五百年後金陵有天子氣、於是始皇、於方山掘流西入江亦曰:淮今在潤州江寧縣土俗號曰:秦淮太平寰宇記、丹陽記云:始皇鑿金陵方山其斷處為瀆、即今淮水經城中入大江是曰秦淮。 

鄒魯〕史記鄒魯濱邾泗猶有周公遺風俗好儒備於禮 漢書 鄒魯守經學。

 

顏謝〕 宋書顔延之與謝靈運俱以詞采齊名自。 潘岳陸機之後文士莫及也江左稱顔謝焉所著並傳於世

〕鄭𤣥儀禮註將行而飲酒曰祖

白下〕 蕭士曰圖經白下亭在上元縣西北

廬峰〕 廬峰即廬山也。 

 香爐〕江西通志:廬山在南康府治北二十里、九江府城南二十五里脈接衡陽由武功來古南障山也髙三千三百六十丈或云七千三百六十丈凡有七重周迴五百里山無主峰横潰四出嶤嶤嵺嵺各為尊髙不相拱揖異於武當太岳諸名山出風降雨抱異懷靈道書稱為第八洞天香爐峰在開先文殊寺後其形圓聳如爐山南山北皆見峰上常出雲氣有似香烟故名

瀑布〕太平寰宇記:廬山瀑布在山東、亦名白水源出、髙峰挂流三百許丈望如匹布故名瀑布。

劉琨詩揮手長相

 

 

 

《留別金陵諸公》 現代語訳と訳註
(
本文)

留別金陵諸公

海水昔飛動。 三龍紛戰爭。 
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。 
黃旗一掃蕩。 割壤開
京。 

 

(下し文)
(別金陵の諸公に留す)

海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 

(現代語訳)
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

むかし、春秋戦国の時代から呉越戦争に代表される戰があったが、その後も事あるごとに金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。その後は魏後蜀の三國がいりまじって三匹の龍が激しく争う戦があり、また、その後小国乱立した時代にも小さな戦争が続いていたのがこの地域である。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。
孫氏が黄色い旗をおし建てて帝王が現われると、江南一帯を掃蕩し、混乱を収拾したのである、壊され傾いた部分を打ち壊し、土壌をきりひらいて呉の都、金陵を経営したのである。

(訳注)

留別金陵諸公
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

 

 

海水昔飛動、三龍紛戦争
むかし、春秋戦国の時代から呉越戦争に代表される戰があったが、その後も事あるごとに金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。その後は魏後蜀の三國がいりまじって三匹の龍が激しく争う戦があり、また、その後小国乱立した時代にも小さな戦争が続いていたのがこの地域である。
海水昔飛動、戦国時代に呉と楚と秦の三国がここ金陵の地で戦いがあった。 海水〕王琦云う: 揚雄の劇秦美新に、海水羣飛とあって、李善の註に: 海水は萬民にえ、羣飛は亂を言う。とある。

三龍 魏後蜀の三國がいりまじって戦争を行った。三龍〕  三龍は蜀魏なり。とある。

紛戦争 南北朝、五胡十六国時代には、局地戦争のようにあちこちで戦が起こった。


鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。
いかに金陵山は「王気がある」と金陵は守られているといっても、みだされ渦に呑みこまれそうになったのである、そして、傾き崩れていったが自在な巨鯨のような始皇帝によって天下統一さえたのには驚かされたものだ。
この二句の根拠 春秋時代に呉がこの地に城を築いたことに始まる。戦国時代に呉を征服した楚は金陵邑を設置。その後秦朝による統一事業が達成され、始皇帝がこの地に巡幸してきた際に、「この地に王者の気がある」と言われ、それに怒って地形を無理やり変えてこの地の気を絶とうとした。また名前も金から秣(まぐさ)の秣陵県と改称している。このことを示している。

鐘山 金陵の東の郊外にある紫金山(鍾山)を金陵山と呼ぶところから生まれた。-現在の南京市の雅名。李白は特にこの名を愛用している。金陵 現在の南京市。六朝の古都。南朝の各朝の首都。金陵、建業、建、建康、南京。戦国時代の楚の威王が金を埋めて王気を鎮めたことによる。

 鐘山、別名の紫金山、南京市の東の北の郊外に位置して、中山陵を中心にして、紫金山、玄武湖の2の大きい地区を含む。自然が優美な地域で、古跡の文化財の豊かにすること、“金陵毓ショー”の称賛がある。鐘山は寧月城鎮山脈の西端で、南京の中で山門の外で横たわって、古くて有名な金陵山、聖人は山に泳いで、三国の時に東呉はそれを蒋山と呼んでことがあるものの長い7.4キロメートル、南北の幅の3キロメートル、周囲は約20数キロメートル。くねくねと起伏して、投げてもし竜に泳ぐならば、だから古人は“時計の多い竜蟠”を語っている。金陵毓ショーの鐘山、中国の第1陣の国家級の名勝の中の一つです。山の上に紫色の岩石層があって、日光が照らすもとに、はるかに紫金の生耀を見て、故人達はまたそれを紫金山と呼んだのである。山に3匹の龍がいるが、詩中にある三龍は戦の子というための比喩であるからこの山のことを言うのではない。

それは、主峰の北のピーク、海抜の468メートル、金陵最高峰で、第二峰の偏る東南、名小茅山、海抜の360メートル、中山陵のあるその南の麓、第三峰の偏る南西、太平天国の曾在山の上で築天トーチカ城のため、だから1日のトーチカの山を語って、海抜の250メートル、有名な紫金山天文台はすぐこの山頂の上にある。 玄武湖は鐘山の西で、南京城北、古名桑は停泊して、またトップに立つ湖である。鏡のような湖と青々した山が相映っている景色である。湖水は青く波打って、島の上で緑の木は青々と茂って、周囲の青い山は青黒色である。

 鐘山〕 太平寰宇記:即ち蔣山は昇州上元縣東北十五里に在り、周迴六十里、南に面し東を顧る、東に青龍・雁門等山に逹り、西に青溪を臨む。絶山の南面には鍾浦が有り水流下って秦淮に入り、北に雉亭山に連る。 按ずるに輿地志に云う: 蔣山は古曰金陵山といい、縣の名は此れに立つことに因る。 漢の輿地圖には鍾山と名す、大帝の時、蔣子に文に此に神騐を發すと有る、封子の文に 蔣侯と為す、改めて蔣山と曰う。  参考:巻七に 《金陵歌送別》范宜の註。

奔鯨 秦の始皇帝の南巡により、この地が平定されたことを指す。謝朓詩に「奔鯨は自ら此に曝れる。」 


黄旗一掃蕩、割尽開呉京。
孫氏が黄色い旗をおし建てて帝王が現われると、江南一帯を掃蕩し、混乱を収拾したのである、壊され傾いた部分を打ち壊し、土壌をきりひらいて呉の都、金陵を経営したのである。
黄旗 孫権による呉の建国。孫権の中央の船隊はすべて 黄旗をひるがえしたとある。

呉京 呉の都、建業(金陵)とした。顔延年詩に「襟衛は京をす。京は金陵なり。以て人都とする所なり。 故に京と曰う。


李白集校注 訳注解説ブログ 750年-5 《雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】》 #8 漢文委員会 紀 頌之 Blog11120

 

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李白集校注 訳注解説ブログ 750-5 《雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】》 #8 漢文委員会 紀 頌之 Blog11120

 

750

天寶九年 750

 

3. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】   #8

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 11120

 

 

 

 

168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

蒼波蕩日,起于微涓。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

坦蕩君子,無悅簧言。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

このように讒言するような輩の罪というのは実に非常なもので、大切な髪の毛を抜いて贖うとしてもその罪の多いことは贖いきれるものではない。

傾海流惡,惡無以過。

海水を傾けてその悪を洗い流すとしても、その悪が悪として広がり大きくしているのでこれも贖いきれるものではないのである。

人生實難,逢此織羅。

かかる小人の織羅するところとなり、ありもしない罪を構成されてはどうにもならないのであるから、人生ここに至ればどのように対処したらよいのか実にむつかしいのである。

積毀銷金,沈憂作歌。

そんな悪口でも積もり積もれば、やがて金をも熔かすというとおりに、ここに讒に遭ったことで身も心も深く沈んでしまったのである。

#7

天未喪文,其如余何。

しかし、天の未だこの文を滅ぼさざるや、区区の小人よ、それで予をどうしようというのか。予はすでに天の使命を担ってこの世に生まれてきたのであるから、どうしようもないはずである。

妲己滅紂,褒女惑周。

むかし、妲己は紂を迷わし、そのために、紂は淫虐を事としたから、対に周の武王に滅ぼされてしまったし、褒姒は幽王を惑わし、幽王は烽火を持って戯れとし、

天維蕩覆,職此之由。

後に申侯が犬戎を率いて攻め入った時、烽火をあげたが、諸侯の救援部隊が来ず、やがて殺されてしまったので、帝室の綱紀の破れ覆るのは、主としてこのような女子の仕業である。

漢祖呂氏,食其在傍。

それから漢の先祖の呂后が政治に携わった時は、審食其というものが、その傍にいて、嬖幸せられ、秦の始皇帝の母皇には、嫪莓というものがついていて淫交したのである。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

秦の始皇帝の母の皇太后にはいわゆる“ツバメ”である嫪毐というものがいて、淫行をしていた。性倫理が儒教的に確立されていない時代であるため、淫行して風紀が乱れ、綱紀も緩んだ。(とされるが、この句、これ以降は、あくまでのちの時代からの見方である。)

螮蝀作昏,遂掩太陽。

こうした、陰陽交會が蔓延することで、虹が出て、対に太陽まで覆い隠すほどであった。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

こういう婦女子や小人にかかっては盤上の国といえども、争乱や滅亡は免れない、ので、匹夫においてはなおさらのこと言うものである。だから、今更これを憂い傷んても致し方がないのである。

辭殫意窮,心切理直。

わが胸の思いを述べ、詩を賦してここに至れば、言葉も尽き、思意も極まっているし、心いよいよ切になり、なおさら理を直とし、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋 #7

秦皇) 苑秦始皇帝太后不謹幸郎嫪封以為長信侯為生兩子専國亊寖益驕與侍中左右貴臣俱博

飲酒醉爭言而瞋目大叱曰吾乃皇帝之假父也。 窶人子何敢乃與我亢所與者走行白皇帝皇

帝大怒懼誅因作亂戰咸陽宫毐敗始皇乃取四肢車裂之取其兩弟囊撲殺之取皇太后遷之於

萯陽𤣥

螮蝀) 禮/記註螮蝀謂之虹孔穎達正義虹是陰陽交會之氣純陰純陽則虹不見若雲薄漏日日照雨滴則虹

生毛萇詩傳元氣廣大則稱昊天

 

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

8

秦の始皇帝の母の皇太后にはいわゆる“ツバメ”である嫪毐というものがいて、淫行をしていた。性倫理が儒教的に確立されていない時代であるため、淫行して風紀が乱れ、綱紀も緩んだ。(とされるが、この句、これ以降は、あくまでのちの時代からの見方である。)

こうした、陰陽交會が蔓延することで、虹が出て、対に太陽まで覆い隠すほどであった。

こういう婦女子や小人にかかっては盤上の国といえども、争乱や滅亡は免れない、ので、匹夫においてはなおさらのこと言うものである。だから、今更これを憂い傷んても致し方がないのである。

わが胸の思いを述べ、詩を賦してここに至れば、言葉も尽き、思意も極まっているし、心いよいよ切になり、なおさら理を直とし、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

秦の始皇帝の母の皇太后にはいわゆる“ツバメ”である嫪毐というものがいて、淫行をしていた。性倫理が儒教的に確立されていない時代であるため、淫行して風紀が乱れ、綱紀も緩んだ。(とされるが、この句、これ以降は、あくまでのちの時代からの見方である。)

秦皇) 苑に「秦始皇帝の太后、謹まず、郎嫪幸し、封じて以て長信侯と為す。 兩子を生を為す。 國亊を専し、寖く益す驕り、侍中左右貴臣と俱にし、博として酒を飲み、醉うて爭言して瞋目して大いに叱って曰く、吾乃ち皇帝の假父なり。 窶人の子、何ぞ敢て乃ち我と亢すると。與所の者、走行して皇帝に白す。皇帝 大いに怒る。 誅を懼れ、因って、亂を作し、咸陽う。敗。始皇、乃ち四肢を取って車裂之取其兩弟囊撲殺之取皇太后遷之於萯陽𤣥

宣太后(せんたいごう、? - 紀元前265年)は、中国戦国時代末期の楚の女公子で秦の王太后。本名と両親は不明。姓は羋、別号を羋八子。恵文王の側室で昭襄王・涇陽君(公子巿)・高陵君(公子悝)の生母で義渠の戎王との間にも二子を成したと言われる。始皇帝嬴政の高祖母に当たる。昭襄王の治世において権勢を奮った相国の魏冄は異父同母弟で、左丞相の華陽君(羋戎)は弟である。昭襄王の治世前期に権勢を振るった宣太后・魏冄・羋戎を指して三貴とも称される。

 

 

螮蝀作昏,遂掩太陽。

こうした、陰陽交會が蔓延することで、虹が出て、対に太陽まで覆い隠すほどであった。

螮蝀) 虹の別名。禮記註螮蝀謂之虹孔穎達正義虹是陰陽交會之氣純陰純陽則虹不見若雲薄漏日日照雨滴則虹生毛萇詩傳元氣廣大則稱昊天

 

萬乘尚爾,匹夫何傷。

こういう婦女子や小人にかかっては盤上の国といえども、争乱や滅亡は免れない、ので、匹夫においてはなおさらのこと言うものである。だから、今更これを憂い傷んても致し方がないのである。

 

 

辭殫意窮,心切理直。

わが胸の思いを述べ、詩を賦してここに至れば、言葉も尽き、思意も極まっているし、心いよいよ切になり、なおさら理を直とし、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

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3. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】   #9

 

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168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

蒼波蕩日,起于微涓。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

坦蕩君子,無悅簧言。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

このように讒言するような輩の罪というのは実に非常なもので、大切な髪の毛を抜いて贖うとしてもその罪の多いことは贖いきれるものではない。

傾海流惡,惡無以過。

海水を傾けてその悪を洗い流すとしても、その悪が悪として広がり大きくしているのでこれも贖いきれるものではないのである。

人生實難,逢此織羅。

かかる小人の織羅するところとなり、ありもしない罪を構成されてはどうにもならないのであるから、人生ここに至ればどのように対処したらよいのか実にむつかしいのである。

積毀銷金,沈憂作歌。

そんな悪口でも積もり積もれば、やがて金をも熔かすというとおりに、ここに讒に遭ったことで身も心も深く沈んでしまったのである。

#7

天未喪文,其如余何。

しかし、天の未だこの文を滅ぼさざるや、区区の小人よ、それで予をどうしようというのか。予はすでに天の使命を担ってこの世に生まれてきたのであるから、どうしようもないはずである。

妲己滅紂,褒女惑周。

むかし、妲己は紂を迷わし、そのために、紂は淫虐を事としたから、対に周の武王に滅ぼされてしまったし、褒姒は幽王を惑わし、幽王は烽火を持って戯れとし、

天維蕩覆,職此之由。

後に申侯が犬戎を率いて攻め入った時、烽火をあげたが、諸侯の救援部隊が来ず、やがて殺されてしまったので、帝室の綱紀の破れ覆るのは、主としてこのような女子の仕業である。

漢祖呂氏,食其在傍。

それから漢の先祖の呂后が政治に携わった時は、審食其というものが、その傍にいて、嬖幸せられ、秦の始皇帝の母皇には、嫪莓というものがついていて淫交したのである。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

秦の始皇帝の母の皇太后にはいわゆる“ツバメ”である嫪というものがいて、淫行をしていた。性倫理が儒教的に確立されていない時代であるため、淫行して風紀が乱れ、綱紀も緩んだ。(とされるが、この句、これ以降は、あくまでのちの時代からの見方である。)

螮蝀作昏,遂掩太陽。

こうした、陰陽交會が蔓延することで、虹が出て、対に太陽まで覆い隠すほどであった。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

こういう婦女子や小人にかかっては盤上の国といえども、争乱や滅亡は免れない、ので、匹夫においてはなおさらのこと言うものである。だから、今更これを憂い傷んても致し方がないのである。

辭殫意窮,心切理直。

わが胸の思いを述べ、詩を賦してここに至れば、言葉も尽き、思意も極まっているし、心いよいよ切になり、なおさら理を直とすることである。

#9

如或妄談,昊天是殛。

そうすると、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

子野善聽,離婁至明。

かの師曠は、耳がよく聞こえ、音声を聞き分けたという、離婁は、きわめて目のよい人で、秋毫の末を百歩先の外に察したというくらいであったという。君はこれらのことをそれ以上の能力を持っているし、とても聡明な人であるとわかっているから、きっと私の衷情を識別してくれることと思っている。

神靡遁響,鬼無逃形。

まして鬼神の前には、遁響なく、逃げだすこともなく、もっとも、形があり、声を出すものであれば、鬼神の耳目を遮ることなどできはしないのである。

不我遐棄,庶昭忠誠。

したがって、鬼神は、昭昭として、人間を監ておられるので見捨てられることなどない、こいねがわくば、一片の忠誠の心をどうぞご照覧いただきたいものである。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋 #

子野) 李善文選註子野師曠字曉音曲者 纒子董無心

離婁) 孟子離婁篇: 孟子曰:離婁之目、察秋毫之末於百歩之外可謂明矣。 

遐棄) 詩國風見君子不我遐棄。 毛傳遐也讀褒愽毛切音包作薄侯切抔/ 者非食其音異基

 

 

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

9

そうすると、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

かの師曠は、耳がよく聞こえ、音声を聞き分けたという、離婁は、きわめて目のよい人で、秋毫の末を百歩先の外に察したというくらいであったという。君はこれらのことをそれ以上の能力を持っているし、とても聡明な人であるとわかっているから、きっと私の衷情を識別してくれることと思っている。

まして鬼神の前には、遁響なく、逃げだすこともなく、もっとも、形があり、声を出すものであれば、鬼神の耳目を遮ることなどできはしないのである。

したがって、鬼神は、昭昭として、人間を監ておられるので見捨てられることなどない、こいねがわくば、一片の忠誠の心をどうぞご照覧いただきたいものである。

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

#9

如或妄談,昊天是殛。

そうすると、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

昊天 1 夏の空。2 広い空。大空。

 

子野善聽,離婁至明。

かの師曠は、耳がよく聞こえ、音声を聞き分けたという、離婁は、きわめて目のよい人で、秋毫の末を百歩先の外に察したというくらいであったという。君はこれらのことをそれ以上の能力を持っているし、とても聡明な人であるとわかっているから、きっと私の衷情を識別してくれることと思っている。

子野) 李善文選の註に「子野は師曠の字である。 曉音の曲する者で 纒子董 無心なり。

離婁) 孟子離婁篇: 孟子曰く:「離婁の目は、秋毫の末を察し、百歩の外、明らかと謂う可し。」とあるに基づく。

 

神靡遁響,鬼無逃形。

まして鬼神の前には、遁響なく、逃げだすこともなく、もっとも、形があり、声を出すものであれば、鬼神の耳目を遮ることなどできはしないのである。

 

 

不我遐棄,庶昭忠誠。

したがって、鬼神は、昭昭として、人間を監ておられるので見捨てられることなどない、こいねがわくば、一片の忠誠の心をどうぞご照覧いただきたいものである。

遐棄) 詩國風見君子不我遐棄。毛傳遐也讀褒愽毛切音包作薄侯切抔/ 者非食其音異基

 

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雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

蒼波蕩日,起于微涓。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

坦蕩君子,無悅簧言。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

このように讒言するような輩の罪というのは実に非常なもので、大切な髪の毛を抜いて贖うとしてもその罪の多いことは贖いきれるものではない。

傾海流惡,惡無以過。

海水を傾けてその悪を洗い流すとしても、その悪が悪として広がり大きくしているのでこれも贖いきれるものではないのである。

人生實難,逢此織羅。

かかる小人の織羅するところとなり、ありもしない罪を構成されてはどうにもならないのであるから、人生ここに至ればどのように対処したらよいのか実にむつかしいのである。

積毀銷金,沈憂作歌。

そんな悪口でも積もり積もれば、やがて金をも熔かすというとおりに、ここに讒に遭ったことで身も心も深く沈んでしまったのである。

#7

天未喪文,其如余何。

しかし、天の未だこの文を滅ぼさざるや、区区の小人よ、それで予をどうしようというのか。予はすでに天の使命を担ってこの世に生まれてきたのであるから、どうしようもないはずである。

妲己滅紂,褒女惑周。

むかし、妲己は紂を迷わし、そのために、紂は淫虐を事としたから、対に周の武王に滅ぼされてしまったし、褒姒は幽王を惑わし、幽王は烽火を持って戯れとし、

天維蕩覆,職此之由。

後に申侯が犬戎を率いて攻め入った時、烽火をあげたが、諸侯の救援部隊が来ず、やがて殺されてしまったので、帝室の綱紀の破れ覆るのは、主としてこのような女子の仕業である。

漢祖呂氏,食其在傍。

それから漢の先祖の呂后が政治に携わった時は、審食其というものが、その傍にいて、嬖幸せられ、秦の始皇帝の母皇には、嫪莓というものがついていて淫交したのである。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋 #7

喪文) 論語孔子曰天之未斯文也匡人其如于何!  

何晏註如予何者猶言奈我何也天之未斯文則/我當傳之匡人欲奈我何 

妲己)史記殷本/紀紂好酒樂嬖於婦人愛妲己妲己之言是從 。

周武王率諸侯伐紂紂兵敗走入登鹿臺衣其寳玊衣赴火而死。

周武王遂斬紂頭、懸之白旗殺妲己。

褒女)周本紀幽王嬖愛褒姒/褒姒生子伯服幽王竟廢申后及太子以褒姒為后伯服為太子褒姒不好笑

幽王欲其笑萬方故不笑幽王為熢燧大鼓有冦至則舉烽火諸侯悉至而無褒姒乃大笑幽王

為數舉烽火其後不信諸侯亦不至申侯與繒西夷犬戎攻幽王幽王舉烽火徵兵兵莫至遂殺幽王驪

山下虜褒姒盡取周賂而去

天維)後漢書天維/陵弛民鬼慘愴。  西京賦振天維薛綜註維綱也

職此) 左傳葢言語漏洩則職汝之由杜預註職主也。 

食其) 史記后紀/太后稱制以辟陽侯審食其為左丞相不治事令監中如郎中令食其故得幸太后常

用事公卿皆因而决事

秦皇) 苑秦始皇帝太后不謹幸郎嫪封以為長信侯為生兩子専國亊寖益驕與侍中左右貴臣俱博

飲酒醉爭言而瞋目大叱曰吾乃皇帝之假父也。 窶人子何敢乃與我亢所與者走行白皇帝皇

帝大怒懼誅因作亂戰咸陽宫毐敗始皇乃取四肢車裂之取其兩弟囊撲殺之取皇太后遷之於

萯陽𤣥

螮蝀) 禮/記註螮蝀謂之虹孔穎達正義虹是陰陽交會之氣純陰純陽則虹不見若雲薄漏日日照雨滴則虹

生毛萇詩傳元氣廣大則稱昊天

 

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#7

天未喪文,其如余何。

妲己滅紂,褒女惑周。

天維蕩覆,職此之由。

漢祖呂氏,食其在傍。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

#7

しかし、天の未だこの文を滅ぼさざるや、区区の小人よ、それで予をどうしようというのか。予はすでに天の使命を担ってこの世に生まれてきたのであるから、どうしようもないはずである。

むかし、妲己は紂を迷わし、そのために、紂は淫虐を事としたから、対に周の武王に滅ぼされてしまったし、褒姒は幽王を惑わし、幽王は烽火を持って戯れとし、

後に申侯が犬戎を率いて攻め入った時、烽火をあげたが、諸侯の救援部隊が来ず、やがて殺されてしまったので、帝室の綱紀の破れ覆るのは、主としてこのような女子の仕業である。

それから漢の先祖の呂后が政治に携わった時は、審食其というものが、その傍にいて、嬖幸せられ、秦の始皇帝の母皇には、嫪莓というものがついていて淫交したのである。

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

 

7

天未喪文,其如余何。

しかし、天の未だこの文を滅ぼさざるや、区区の小人よ、それで予をどうしようというのか。予はすでに天の使命を担ってこの世に生まれてきたのであるから、どうしようもないはずである。

天未喪文,其如余何。 論語子罕第九 5 子畏於匡章「子畏於匡。曰。文王既没。文不在茲乎。天之將喪斯文也。後死者。不得與於斯文也。天之未喪斯文也。匡人其如予何。」(子、匡に畏す。曰く、文王既に没し、文茲に在ずや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者、斯の文に与るを得ざるなり。天の未だ斯この文を喪ぼさざるや、匡人 其れ予を如何んせん。)とあるに基づく。

「文王がなくなられた後、文という言葉の内容をなす古聖の道は、天意によってこの私に継承されているではないか。もしその文をほろぼそうとするのが天意であるならば、なんで、後の世に生れたこの私に、文に親しむ機会が与えられよう。文をほろぼすまいというのが天意であるかぎり、匡の人たちが、いったい私に対して何ができるというのだ」

何晏註に:予は如何とする者、猶お我 奈何なりと言う。「天之未斯文」とは則ち我 之を匡人の傳えるに當って我 奈何しようと欲す。

 

妲己滅紂,褒女惑周。

むかし、妲己は紂を迷わし、そのために、紂は淫虐を事としたから、対に周の武王に滅ぼされてしまったし、褒姒は幽王を惑わし、幽王は烽火を持って戯れとし、

妲己) 《史記殷本紀》: 「紂 酒を好んで、樂、婦人を嬖し、妲己を愛し、妲己の言、是れ從う。周の武王、諸侯を率いて、紂を伐つ。  紂の兵 敗走す。 入って鹿臺に登り、其の寳玊の衣を衣て、火に赴いて死す。 周の武王は遂に紂の頭を斬り、之を白旗に懸け、妲己を殺す。

妲己は帝辛に寵愛され、帝辛は彼女のいうことなら何でも聞いたという。師涓に新淫の声・北鄙の舞・靡靡の楽を作らせた。賦税を厚くして鹿台に銭をたくわえ、鉅橋に粟を満たし、狗馬・奇物を収めて宮室いっぱいにした。沙丘の苑台を拡張して、野獣蜚鳥をその中に置いた。鬼神をあなどり、沙丘に大勢の者を集めて楽しみ戯れた。酒をそそいで池とし、肉を掛けて林とし(酒池肉林)、男女を裸にして互いに追いかけさせ、長夜の飲をなした。

その後、妲己は周によって攻められた際に武王により殺されたとされる。

『列女伝』巻7孽嬖伝 殷紂妲己[2]では、炮烙の法を見て妲己が笑ったとされている。比干が「先王の典法をおさめずに、婦人の言を用いていれば、禍のいたる日も近いでしょう」と諫めた。すると、妲己は「聖人の心臓に七つの穴があると私は聞いております」と答え、比干の心臓を取り出させて観賞した。紂王が自殺すると、妲己は武王によって首を斬られ、小白旗に掛けられた。「紂を亡ぼす者はこの女なり」と評論された。

『漢書』外戚列伝の顔師古注には、「弁辞をよく好み、姦を究めること盛んにした。その言を帝辛が用いて民を苦しめた」とある。

褒女) 《史記・周本紀》に「幽王、嬖 褒姒を愛す。 褒姒、子伯服を生む。 幽王 竟に申后を廢し、及び、太子 以て褒姒 后と為す。伯服は太子と為し、褒姒は笑うを好まず。幽王は其の笑を欲し、萬方すれども、故に幽王笑わず。熢燧大鼓を為し、冦の至るを有し、則ち烽火を悉ば舉げ、諸侯 至りてく、姒 乃ち大いに笑う。幽王 之為數しば烽火を舉げ、其の後、諸侯を信じず亦た申侯と繒とを至らず、西夷犬戎は幽王を攻め、幽王 烽火を舉げ、徵の兵 兵 至ること莫し。遂に幽王を驪山に殺し、虜に下る。褒姒 盡く周賂を取りて去る。

ある日、幽王は(緊急事態の知らせの)烽火を上げさせ、太鼓を打ち鳴らした。諸将はさっそく駆けつけたが、来てみると何ごとも無い。右往左往する諸将を見た褒姒は、そのときはじめて晴れやかに笑った。喜んだ幽王は、そののちたびたび烽火を上げさせたので、次第に諸将は烽火の合図を信用しなくなった。また王は佞臣の虢石父を登用して政治をまかせたので、人民は悪政に苦しみ、王を怨むようになった。

王はとうとう当時の太后だった申氏と太子を廃し、褒姒を太后にして伯服を太子にした。怒った申氏の父の申侯は反乱して、蛮族の犬戎の軍勢と連合して幽王を攻めた。王は烽火を上げさせたが、応じて集まる兵はなかった。反乱軍は驪山で幽王を殺し、褒姒を捕え、周の財宝をことごとく略奪して去った。この乱で、西周は滅びたのである。

 

天維蕩覆,職此之由。

後に申侯が犬戎を率いて攻め入った時、烽火をあげたが、諸侯の救援部隊が来ず、やがて殺されてしまったので、帝室の綱紀の破れ覆るのは、主としてこのような女子の仕業である。

天維) 「維」は綱紀。帝室の綱紀とする。《後漢書》:「天維とは陵弛民鬼慘愴。  文選・張衡、西京賦 天を振う維。 薛綜の註に維は綱なり。

職此) 「職」は主としての意。左傳襄十四年:、葢して言語漏洩、則ち、職汝の由、杜預の註に職主なり。

 

漢祖呂氏,食其在傍。

それから漢の先祖の呂后が政治に携わった時は、審食其というものが、その傍にいて、嬖幸せられ、秦の始皇帝の母皇には、嫪莓というものがついていて淫交したのである。

漢祖・呂氏 「漢祖」は劉 邦は、前漢の初代皇帝。 沛県の亭長であったが、反秦連合に参加した後に秦の都咸陽を陥落させ、一時は関中を支配下に入れた。その後項羽によって西方の漢中へ左遷され漢王となるも、東進して垓下に項羽を討ち、前漢を興した。正式には廟号が太祖、諡号が高皇帝であるが、通常は高祖と呼ばれることが多い。「呂氏」劉邦が没して劉盈(恵帝)が即位すると、呂后は皇太后としてその後見にあたる。また、自らの地位をより強固なものにするため、張耳の息子張敖と魯元公主の娘(恵帝の姪に当たる)を恵帝の皇后(張皇后)に立てた。だが、高祖の後継を巡る争いは根深く尾を引いており、恵帝即位後間もなく呂后は、恵帝の有力なライバルであった高祖の庶子の斉王劉肥、趙王劉如意の殺害を企て、斉王暗殺は恵帝によって失敗するが、趙王とその生母戚夫人を殺害した。この時、呂后は戚夫人を奴隷とし、趙王如意殺害後には、戚夫人の両手両足を切り落とし、目玉をくりぬき、薬で耳・声を潰し、その後便所に置いて人彘(人豚)と呼ばせ、そのさまを笑い転げながら見ていたと史書にはある(なお、古代中国の厠は、広く穴を掘った上に張り出して作り、穴の中には豚を飼育して上から落ちてくる糞尿を「餌」にする「豚便所」であった。戚氏を厠に入れたことから、豚に喩えたと思われる)。

これに激しく落胆した恵帝は政務を放棄し、酒に溺れ間もなく死去する。死去後の葬儀で呂后が激しく嘆くも涙が出ていないことを張良の息子張辟彊から聞きつけた陳平は、呂后が今後に不安を抱いていることを見抜き、呂后に実家の呂氏一族を重役に立てることを進言、呂后はその遺児・(前)少帝を立て、呂氏一族や陳平、周勃ら建国の元勲たちの協力を得て、政治の安定を図る。しかしこの頃から、各地に諸侯王として配された劉邦の庶子を次々と暗殺し、その後釜に自分の甥たちなど呂氏一族を配して外戚政治を執り、自分に反抗的な少帝を殺害して劉弘(後少帝)を立てるなどの行動をとり、劉邦恩顧の元勲たちからの反発を買うようになる。また、元勲たちも自らの暗殺を不安視したために、ろくに仕事をしなくなった。呂后自身このことには気が付いていたようで、日食が起きた時には周囲の者に「私のせいだ」と言っていたといい、死ぬ数か月前には青い犬に脇の下を引っ張られる幻を見たため占い師に占わせ、少帝の祟りだと告げられた。さらには脇の病気にかかり、甥の呂産らに元勲たちの動向に気をつけるようにさんざん言い聞かせ、さらに呂氏一族を中央の兵権を握る重職などに就けて万全を期した後、死去した。

しかし間もなく、陳平や周勃らの元勲は、斉王の遺児などの皇族や諸国に残る劉氏の王と協力してクーデターを起こし、呂氏一族を皆殺しにした上で、恵帝の異母弟・代王劉恒を新たに皇帝に擁立した。これが文帝である。文帝擁立の前後には少帝弘も、恵帝の実子ではなく呂后がどこからか連れてきた素性の知れぬ者という理由で、恵帝の子とされていた常山王劉朝(軹侯)、淮陽王劉武(壷関侯)らと共に暗殺された。また、呂后の妹の呂は鞭打ちの刑で殺害され、呂の息子の樊伉も殺害された。呂氏の血を引く者のうち、この粛清で殺害されなかったのは、魯元公主が生んだ張敖の子である張皇后と張偃のみであった(公主は母の呂后に先だって死去している)。

食其) 《史記后紀》: 太后 制を稱す。辟陽侯審食其以て左丞相と為し、事を治めず。中を監せしむること郎中令の如し、食其、故に太后に幸せられるを得て、常に事を用う、公卿 皆 因って事を决す。

審 食其(しんいき、? - 紀元前177年)は、前漢の人。沛の人で、劉邦が沛公となり自立すると、父劉太公を世話する者として兄の劉喜と審食其を太公に付けた。高祖2年(紀元前205年)、漢王劉邦は楚の項籍(項羽)に敗れ、妻子を置いて逃走した。劉邦の妻呂雉(呂后)と劉太公は項羽の捕虜となったが、審食其は呂后らに従い世話をした。その後、呂后らは漢王の元へ戻り、審食其も漢王に従った。

高祖6年(紀元前201年)、辟陽侯に封じられた。

高祖8年(紀元前199年)、趙王張敖の高祖暗殺未遂事件が起こると、趙王の元の側室で高祖の寵愛を受けた劉長の母の趙夫人も、連座して獄に繋がれた。彼女の弟が審食其を通して呂后に助命を願ったが、呂后は嫉妬して取り上げず、審食其もこの件を強くは言わなかった。劉長の母は劉長を産むと自殺した。

高祖12年(紀元前195年)、燕王盧綰が反乱を企んでいるという情報を得た高祖は、審食其と御史大夫趙堯を向かわせて盧綰を迎えさせたが、盧綰は疑い、病気を称して出てこなかった。

その年、高祖が死ぬと、呂后は審食其と「諸将はかつて高祖と同じ民であったのに部下になっているため、内心穏やかではない。そこで若い主に交代するのは、諸将を皆殺しにしない限り天下は不安定であろう」と謀り、敢えて高祖の喪を発表せずにいた。しかしそれを聞いた酈商は審食其を「諸将を皆殺しにしようとすれば天下は危うい。各地に居て兵を率いている諸将が黙ってはいないだろう」と説得したため、呂后は喪を発表した。

恵帝7年(紀元前188年)に典客となり、翌年呂后元年に左丞相となった。しかし、彼は丞相ではあったが郎中令のように宮殿内を監視し、官僚はみな彼を通して決裁を得た。

呂后8年(紀元前180年)、呂后が死ぬと、太傅となった。呂氏一党が滅ぼされた後、再度丞相となったが、文帝が即位する頃にまた罷免された。

文帝前3年(紀元前177年)、淮南王となっていた劉長は、母を真剣に助けようとしなかった審食其を恨んでおり、審食其の元を訪ねると殺害した。

審食其は幽侯と諡された。侯国は審平が継いだが、景帝2年(紀元前155年)に謀反の罪で自殺した。

李白集校注 訳注解説ブログ 750年-5 《雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】》 #6 漢文委員会 紀 頌之 Blog11104

 

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750

天寶九年 750

 

3. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】 #6

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 11104

 

 

 

168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

蒼波蕩日,起于微涓。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

坦蕩君子,無悅簧言。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

このように讒言するような輩の罪というのは実に非常なもので、大切な髪の毛を抜いて贖うとしてもその罪の多いことは贖いきれるものではない。

傾海流惡,惡無以過。

海水を傾けてその悪を洗い流すとしても、その悪が悪として広がり大きくしているのでこれも贖いきれるものではないのである。

人生實難,逢此織羅。

かかる小人の織羅するところとなり、ありもしない罪を構成されてはどうにもならないのであるから、人生ここに至ればどのように対処したらよいのか実にむつかしいのである。

積毀銷金,沈憂作歌。

そんな悪口でも積もり積もれば、やがて金をも熔かすというとおりに、ここに讒に遭ったことで身も心も深く沈んでしまったのである。

#7

天未喪文,其如余何。

妲己滅紂,褒女惑周。

天維蕩覆,職此之由。

漢祖呂氏,食其在傍。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋 #6

人生)  左傳人生實難/其有不獲死乎  

銷金) 漢書衆口鑠金積銷骨  顔師古註美金見衆共疑之數被燒煉以至銷鑠江淹上建平王書:積銷金積讒磨骨 

向註言讒之深能銷磨金石之堅   劉鑠詩沉憂懷明發  張銑註沉深也。 

 

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

傾海流惡,惡無以過。

人生實難,逢此織羅。

積毀銷金,沈憂作歌。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

#6

このように讒言するような輩の罪というのは実に非常なもので、大切な髪の毛を抜いて贖うとしてもその罪の多いことは贖いきれるものではない。

海水を傾けてその悪を洗い流すとしても、その悪が悪として広がり大きくしているのでこれも贖いきれるものではないのである。

かかる小人の織羅するところとなり、ありもしない罪を構成されてはどうにもならないのであるから、人生ここに至ればどのように対処したらよいのか実にむつかしいのである。

そんな悪口でも積もり積もれば、やがて金をも熔かすというとおりに、ここに讒に遭ったことで身も心も深く沈んでしまったのである。

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

 

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

このように讒言するような輩の罪というのは実に非常なもので、大切な髪の毛を抜いて贖うとしてもその罪の多いことは贖いきれるものではない。

擢髮續罪 《史記.卷七九.范雎蔡澤列傳.范雎》:「須賈曰:擢賈之髮,以續賈之罪,尚未足」(須らく賈曰く:賈の髮を擢き,以て賈の罪を續うも,、尚お未だ足らず).にもとづく。

孔多 はなはだ多いこと

 

傾海流惡,惡無以過。

海水を傾けてその悪を洗い流すとしても、その悪が悪として広がり大きくしているのでこれも贖いきれるものではないのである。

 

人生實難,逢此織羅

かかる小人の織羅するところとなり、ありもしない罪を構成されてはどうにもならないのであるから、人生ここに至ればどのように対処したらよいのか実にむつかしいのである。

人生  左傳成公二年に 「人生、實に難し,其れ 死を獲わらずこと有るや。」.に基づく。

織羅:羅織 羅織虚構. 読み方, らしききょこう(らしょくきょこう). 意味, 事実でない罪を捏造すること。 「羅織」は無罪の人を捕まえて、罪を作り上げること。 「虚構」は事実のように捏造すること。

 

積毀銷金,沈憂作歌。

そんな悪口でも積もり積もれば、やがて金をも熔かすというとおりに、ここに讒に遭ったことで身も心も深く沈んでしまったのである。

積毀銷金 (銷金) 漢書衆口鑠金積銷骨(漢書 衆口 金を鑠かし、を積めば骨を銷す。)とあり、顔師古註美金見衆共疑之數被燒煉以至銷鑠 (顔師の古註に、美金 衆を見る共に之を疑い、數しば燒煉を被る以て銷鑠に至る。)  江淹上建平王書:積銷金積讒磨骨江淹 (建平王に上るの書:が積れば金を銷かし、讒が積れば骨を磨る。) 向註言讒之深能銷磨金石之堅向の註に言う、讒 之れ深く能くすれば、金石の堅きを銷磨す。)

沈憂 劉鑠詩沉憂懷明發(劉鑠詩に、沉憂は明發を懷す。  張銑註沉深也。張銑の註に沉は深なり。) 

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代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

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5. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】   #5

 

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168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

蒼波蕩日,起于微涓。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

坦蕩君子,無悅簧言。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

傾海流惡,惡無以過。

人生實難,逢此織羅。

積毀銷金,沈憂作歌。

#7

天未喪文,其如余何。

妲己滅紂,褒女惑周。

天維蕩覆,職此之由。

漢祖呂氏,食其在傍。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋 #5

奔奔) 詩國風鶉之奔奔:鵲之彊彊。鄭箋曰:奔奔彊彊、言其居有常匹、飛則相隨之貎。 孔頴達正義曰言鶉則鶉自相隨奔奔然鵲則鵲自相隨彊彊然各有常匹不亂其類何晏

坦盪) 論語註坦蕩蕩寛廣貌

簧言) 詩小雅巧言如簧、孔頴達。  正義:巧為言語、結搆虛辭、速相待合、如笙中之簧、聲相應和。

 

 河南道、兗州、瑕邱、俎來山、山東半島 02

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

坦蕩君子,無悅簧言。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

#5

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

 

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

 

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

哀哉悲夫 継母の計略と言われる故事であるが、魏の尹伯奇は、母の襟に留っていた毒蜂を打ち取ったが、義母を殺そうと毒蜂をつけたと義父に疑われ、母には泣かれ、大いに窮地に追い込まれ自殺したと“悲夫”いうことで、李白は、讒言というものをあらわした。

貞堅 節操を堅く守ること。

 

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

猖狂 激しくふるまう、思うが儘にふるまえばそれで満足でき、無心と同じようになるしそれ以外のことを求めようとしない、行くところを決めないで懸命にするという意。 《莊子·在宥第十一》「浮游不知所求、猖狂不知所往。」(浮游は求むる所を知らず、猖狂は往く所を知らず。)”成玄英疏:“無心妄行,無的當也。”南朝宋鮑照《侍郎報滿辭閣疏》:「幼性猖狂,因頑慕勇,釋擔受書,廢耕學文。」とある。

 

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

淫昏 度をすごして物事に熱中するのこと。

 

坦蕩君子,無悅言。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

 楽器に用いられる薄片をいい、振動して音源となる。
李白の足跡図 01李白の足跡

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 別李義 - #6

 

謝朓雜詩十二〔2

 

李白集校注 訳注解説ブログ 750-5 《雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】》 #4 漢文委員会 紀 頌之 Blog11088

 

750

天寶九年 750

 

3. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】 #4

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 11088

 

 

 

168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

蒼波蕩日,起于微涓。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

坦蕩君子,無悅簧言。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

傾海流惡,惡無以過。

人生實難,逢此織羅。

積毀銷金,沈憂作歌。

#7

天未喪文,其如余何。

妲己滅紂,褒女惑周。

天維蕩覆,職此之由。

漢祖呂氏,食其在傍。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋 #4

)   音式灼切。鑠埃音哀爍式灼切音

四國) 詩小雅青蠅: 讒人罔極交亂四國。

八埏) 文選司馬相如封禪/書: 下泝八埏。 注: 孟康註:八埏地之八際也。 張銧註:八埏八方也。

拾塵) 家語巻五: 孔子厄於陳蔡、從者七日不食、子貢以所齎/貨竊犯圍而出、告糴於野人、得米一石焉。

顔回、仲由炊之於壊屋之下、有埃墨墮甑中、顔回取而食之。子貢自升/望見之不悅、以為竊食也、

以告孔子。子曰:『吾信回之為仁久矣、雖汝有云、弗以疑也、其或者必有故乎!吾將問之』

     召顔回曰:『疇昔予夢見先人、豈或佑我哉!子炊而進飯吾將進焉。』 對曰:『向有埃墨墮飯中、

欲置之則不潔、欲/棄之則可惜、回即食之、不可祭也。』 孔子曰:『然乎!吾亦食之。』 顔回出、

孔子顧二三子曰:『吾之信回也、非特今日也。』 二三子由此乃服之。

 (掇蜂) 王倚云:琴操:尹吉甫、周上卿也。有子伯竒、伯竒母死、更娶後妻、生伯邦。

乃譖伯竒於吉甫曰:『見妾有美色、然有欲心。』 吉甫曰:『伯竒為人慈仁、豈有此也?』 

後妻曰:『試置妾空、居中君登樓而察之。』 後妻知竒仁孝、乃取毒蜂緣衣領、伯竒前掇之。

於是吉甫大怒、 放伯竒於野。宣王出遊、吉甫從、伯竒乃作歌、感之於宣王。 宣王曰:此放子詞。

吉甫乃收伯竒、射殺後妻。陸機詩、『掇蜂滅天道、恰塵惑孔顔。』 

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#3

羣輕折軸,下沈黃泉。

衆毛飛骨,上凌青天。

萋斐暗成,貝錦粲然。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

4

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

 

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

爍山 山が火炎によって溶かされるほど燃え上がることを言う。爍 ①ひかる。かがやく。「爍爍」 類 灼(シャク) ②とかす。金属をとかす。「爍金」 類 鑠(シャク). 下つき. 灼爍(シャクシャク)・閃爍(センシャク). 「爍」から始まる言葉. 爍爍(シャクシャク) · 爍かす(と-かす).

 

蒼波蕩日,起于微涓

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

微涓 わずかな水の一滴を言う。. ①水のしずく。「涓滴」小さい流れ。「涓流」わずか。すこし。「涓毫(ケンゴウ)はらい清める。涓涓· 涓滴

 

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

四國 領土の東西南北に接している四つの国。

 

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

疑聖猜賢 聖人でさえ疑い、賢者でさえも猜疑心を持つということである。これh、論語に言う、孔子の顔回を疑った、「顔回の盗み食い」をいうのである。

「顔回の盗み食い」

陳国と蔡国の中間で孔子達の食糧が尽きてしまった。孔子達は、七日間も食べる物が無く、体力も衰え、昼間も横になって休むしかなかった。そんな時、顔回は何処からか米を貰って来て、すぐにご飯を炊き始めた。

 

 しばらくしてご飯が蒸れた時、孔子は顔回が鍋のご飯を手でつかんで食べるところを見た。その後、ご飯が出来たので、顔回は孔子を食事に招いた。孔子はさっきのことを見てないふりをして起き上がり、顔回に「私はさっき祖先の夢を見ました。このご飯はとても清潔なので、まず祖先にお供えしてから食べよう」と言った。人が食べたご飯をお供えするのは、祖先に対し不敬になるのだ。

 

 顔回は慌てて、「それはだめです!さっきご飯を炊いたとき、木炭の灰が鍋に落ちて、ご飯が汚れて、捨てるのは良くないので、つかんで食べました。」と言った。

 

 顔回の言葉を聞いた孔子は嘆息して弟子たちに話した。「人は自分で見たものを信じるべきだが、目で見えても信用できるとは限らない。人は心に頼るが、自分の心があてにならない時もある。弟子たちよ、人を理解するのは簡単ではないことを忘れてはいけない!」

 

 「顔回の盗み食い」この事で、孔子は危うく自分の優れた門下生を誤解するところだった。この後、孔子は「目で見た事が真実とは限らない」という道理を悟った。孔聖人でさえ誤って、自分が最も信頼している弟子を疑ってしまったのだから、ましてや普通の私達ではどうだろう。幸いにも、孔子は知恵を働かせて簡単に真実を知り、誤解を解くことができた。

 

 人はしばしば自分が見たものだけを信じるが、目に見えないものはあまりにも多い。我々は外見だけで判断するのではなく,様々な角度から分別を認識しなければならない。自分が見た「見た目の印象」だけで恨みを抱く人は何人もいるが、死ぬまで自分の初めの認識が間違いだったことに気付かない。

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3. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】 #3

 

李白集校注 訳注解説

 

 

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168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

蒼波蕩日,起于微涓。

交亂四國,播于八埏。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

坦蕩君子,無悅簧言。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

傾海流惡,惡無以過。

人生實難,逢此織羅。

積毀銷金,沈憂作歌。

#7

天未喪文,其如余何。

妲己滅紂,褒女惑周。

天維蕩覆,職此之由。

漢祖呂氏,食其在傍。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋

摺軸) 漢書: 叢輕折軸、羽翮飛肉。 顔師古註:言積載輕物、物多至令車軸毀折而鳥之所、以能飛翔者、

 以羽翮扇揚之故也。

淮南子: 積羽沉舟、羣輕折軸。 

貝錦) 詩小雅: 萋兮斐兮成是貝錦。 彼譖人者、亦已太甚: 毛傳曰:萋斐、文章相錯也。貝錦、錦文也。

鄭箋曰: 錦文者、文如餘泉餘蚳之貝文也。

興者、讒人集作已過以成於罪、猶女工之集采色以成錦文文。涓小流也

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#3

羣輕折軸,下沈黃泉。

衆毛飛骨,上凌青天。

萋斐暗成,貝錦粲然。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

3

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

 

#3

羣輕折軸,下沈黃泉

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

羣輕折軸 漢書: 叢輕折軸、羽翮飛肉。 顔師古註:言積載輕物、物多至令車軸毀折而鳥之所、以能飛翔者、以羽翮扇揚之故也。淮南子: 積羽沉舟、羣輕折軸。

黃泉 古代の中国人は、地下に死者の世界があると考え、そこを黄泉と呼んだ。黄は五行説で「土」を表象しているので、もともとは地下を指したもので、死後の世界という意味ではなかったが、後に死後の世界という意味が加わった。現代中国語でも死後の世界の意味で日常的に用いられている。

 

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

 

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

萋斐貝錦 小さな失敗を誇張して言ったり、実際には無いことを事実であるかのように言って、他人を罪に陥れること。「萋斐」はあや模様の美しい様子。「貝錦」は貝殻のような美しい模様をしている錦。言葉を美しく飾り立てて、人を陥れるという意味から。詩經小雅に 萋斐は是れ貝錦を成す。 彼譖人者、亦已太甚: 毛傳曰:萋斐、文章 相い錯るなり。貝錦は、錦文なり。鄭箋 曰く: 錦文者、文如餘泉餘蚳之貝は文なり。興者、讒人集り作る已に過り 以て罪を成す、猶女工之集は采色なり 以て錦文を成す、文に涓が小流となる。

. ①水のしずく。「涓滴」小さい流れ。「涓流」わずか。すこし。「涓毫(ケンゴウ)はらい清める。涓涓· 涓滴

 

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

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3. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】 #2

 

李白集校注 訳注解説

 

 

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168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

#3

羣輕折軸,下沈黃泉。

衆毛飛骨,上凌青天。

萋斐暗成,貝錦粲然。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

蒼波蕩日,起于微涓。

交亂四國,播于八埏。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

坦蕩君子,無悅簧言。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

傾海流惡,惡無以過。

人生實難,逢此織羅。

積毀銷金,沈憂作歌。

#7

天未喪文,其如余何。

妲己滅紂,褒女惑周。

天維蕩覆,職此之由。

漢祖呂氏,食其在傍。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋

包荒) 周易泰卦: 包荒用馮河。王弼註: 能包含荒穢、受納馮河者也。

匿瑕) 左傳宜十五年: 瑾瑜匿瑕。 杜預註: 匿、藏也、雖美玉之質、亦或居藏/瑕穢。

     鄭康成禮記註: 瑕、玉之病也。 文: 瑕、玉小赤也。

月出) 毛萇詩傳: 月出刺好色也。 在位不好徳而悅美色焉。

皓首) 李陵詩: 皓首以為期

青蠅) 王倚云: 埤雅青蠅糞尤能敗物、雖玉猶不免、所謂蠅糞玉是也。

葢青蠅善亂色、故詩人以刺讒。 爾雅翼: 者以青蠅白為黑、黑為白、自昔相傳如此。

青蠅之行、好遺矢於物上、遇物之潔者則見。 論衡曰: 清受塵、白受垢。

      青蠅所汚、常在練素。此所謂白為黑也。 

摺軸) 漢書: 叢輕折軸、羽翮飛肉。 顔師古註:言積載輕物、物多至令車軸毀折而鳥之所、以能飛翔者、

 以羽翮扇揚之故也。

淮南子: 積羽沉舟、羣輕折軸。 

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

月出致譏,貽愧皓首。

感悟遂晚,事往日遷。

白璧何辜,青蠅屢前。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

#2

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

 

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

包荒 周易泰卦に荒を包み馮河を用する。とあって王弼の註に「能く荒穢を包含し、馮河を受納する者なり。」とある。

匿瑕 左傳宜十五年に「瑾瑜匿瑕。」とある。 杜預の註に 匿とは、藏することなり、美玉の質と雖も、亦た或いは瑕穢を居藏しているものである。鄭康成禮記の註には 瑕とは、玉の病いなり。 文にも 瑕とは、玉の小赤をいうものなり。

 

月出致譏,貽愧皓首

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

月出 毛萇の詩傳に月出は好色を刺るなり。 位に在って徳を好まずして、美色を悅ぶ。

皓首 白髪頭。 李陵詩に皓首とあり、以って期と為す。

 

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

 

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

青蠅 王倚は云う: 埤雅に青蠅の糞、尤も能く物w敗る、玉と雖も猶お免れず、所謂る蠅の糞の玉、是れなり。葢し、青蠅は亂色を善くし、故に詩人 以て讒を刺す。 爾雅翼: 者以青蠅白為黑、黑為白、自昔相傳如此。今青蠅之行、好遺矢於物上、遇物之潔者則見。 論衡曰: 清受塵、白受垢。青蠅所汚、常在練素。此所謂白為黑也。

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張中丞傳後敘-#9

寫懷二首其一-#1

 

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寫懷二首其一 -2

 

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張中丞傳後敘 -#11

寫懷二首其一 -3

 

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代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

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張中丞傳後敘 -#16

柳司馬至 -#1

 

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柳司馬至-#2

 

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3. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】 #1

 

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雪讒詩贈友人    (李白 唐詩)

  嗟予沉迷,猖獗已久。  五十知非,古人有。

  立言補過,庶存不朽。  包荒匿瑕,蓄此頑醜。

  月出致譏,貽愧皓首。  感悟遂晚,事往日遷。

  白璧何辜,青蠅屢前。  群輕摺軸,下沉黄泉。

  眾毛飛骨,上凌青天。  萋斐暗成,貝錦粲然。

  泥沙聚埃,珠玉不鮮。  洪焰爍山,發自纖煙。

  蒼波盪日,起於微涓。  交亂四國,播於八埏。

  拾塵掇蜂,疑聖猜賢。  哀哉悲夫,誰察予之貞堅。

  彼婦人之猖狂,不如鵲之強強。

  彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

  坦盪君子,無悦簧言。  擢發續罪,罪乃孔多。

  傾海流惡,惡無以過。  人生實難,逢此織羅。

  積銷金,沉憂作歌。  天未喪文,其如餘何。

  妲己滅紂,褒女惑周。  天維盪覆,職此之由。

  漢祖呂氏,食其在傍。  秦皇太後,亦淫荒。

  螮蝀作昏,遂掩太陽。  萬乘尚爾,疋夫何傷。

  辭殫意窮,心切理直。  如或妄談,昊天是殛。

  子野善聽,離婁至明。  神靡遁響,鬼無逃形。

  不我遐棄,庶昭忠誠。

 

 雪讒詩贈友人

  嗟予沉迷,猖獗繆本/作蹶已久。  五十知非,古人有。

  立言補過,庶存不朽。  包荒匿瑕,蓄此頑繆本/作頑醜。

  原文 資料

 

 

168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

月出致譏,貽愧皓首。

感悟遂晚,事往日遷。

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#3

羣輕折軸,下沈黃泉。

衆毛飛骨,上凌青天。

萋斐暗成,貝錦粲然。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

蒼波蕩日,起于微涓。

交亂四國,播于八埏。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

坦蕩君子,無悅簧言。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

傾海流惡,惡無以過。

人生實難,逢此織羅。

積毀銷金,沈憂作歌。

#7

天未喪文,其如余何。

妲己滅紂,褒女惑周。

天維蕩覆,職此之由。

漢祖呂氏,食其在傍。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

嗟予沈迷,猖獗已久。

五十知非,古人嘗有。

立言補過,庶存不朽。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

 

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

 

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたりした、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

沈迷,猖獗 丘遲の陳伯之に与える諸書に、「沉迷猖獗、以て此に至る。」とあるに基づく。つまらないことに迷い、勝手に暴れまわることを言う。沈迷:惑溺する,おぼれる,夢中になる.猖獗:警局決定全面加強巡邏,以維護社區安全。狂妄放肆。《文選.丘遲.與陳伯之書》:「尋君去就之際,非有他故,直以不能審諸己,外受流言,沉迷猖獗,以至於此。」

 

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

五十知非 淮南子;「蘧伯玉、年五次十而知四十九年非」「蘧伯玉、年五十にして知四十九年の非を識る。」とある。

 

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

立言 左傳「太上有立徳其次有立功其有立言雖久不廢此之謂不朽」とある。

補過 「又曰能補過者君子也」とある。

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750年   天寶九年  750 

3. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】 #1-資料

 

李白集校注原文 訳注解説

 

 

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雪讒詩贈友人    (李白 唐詩)

  嗟予沉迷,猖獗已久。  五十知非,古人有。

  立言補過,庶存不朽。  包荒匿瑕,蓄此頑醜。

  月出致譏,貽愧皓首。  感悟遂晚,事往日遷。

  白璧何辜,青蠅屢前。  群輕摺軸,下沉黄泉。

  眾毛飛骨,上凌青天。  萋斐暗成,貝錦粲然。

  泥沙聚埃,珠玉不鮮。  洪焰爍山,發自纖煙。

  蒼波盪日,起於微涓。  交亂四國,播於八埏。

  拾塵掇蜂,疑聖猜賢。  哀哉悲夫,誰察予之貞堅。

  彼婦人之猖狂,不如鵲之強強。

  彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

  坦盪君子,無悦簧言。  擢發續罪,罪乃孔多。

  傾海流惡,惡無以過。  人生實難,逢此織羅。

  積銷金,沉憂作歌。  天未喪文,其如餘何。

  妲己滅紂,褒女惑周。  天維盪覆,職此之由。

  漢祖呂氏,食其在傍。  秦皇太後,亦淫荒。

  螮蝀作昏,遂掩太陽。  萬乘尚爾,疋夫何傷。

  辭殫意窮,心切理直。  如或妄談,昊天是殛。

  子野善聽,離婁至明。  神靡遁響,鬼無逃形。

  不我遐棄,庶昭忠誠。

 

 

  雪讒詩贈友人

  嗟予沉迷,猖獗繆本/作蹶已久。  五十知非,古人有。

  立言補過,庶存不朽。  包荒匿瑕,蓄此頑繆本/作頑醜。

 

  月出致譏,貽愧皓首。  感悟遂晚,事往日遷。

  白璧何辜,青蠅屢前。  群輕摺軸,下沉黄泉。

 

  眾毛飛骨,上凌繆本/作陵青天。  萋斐繆本/作菲暗成,貝錦粲然。

  泥沙聚埃,珠玉不鮮蕭本/作憐。  洪焰爍山繆本/作炎,發自纖煙。

  蒼波蕭本/作蒼盪日,起於繆本/作乎微涓。  交亂四國,播於八埏。

  拾塵掇蜂,疑聖猜賢。  哀哉悲夫,誰察予之貞堅。

 

猖獗) 文選 丘遲與陳伯之書: 沉迷猖獗、以至於此。

知非) 淮南子原道訓: 故蘧伯玉年五次/十而知四十九年非。 

不朽) 左傳襄二十四: 太上有立徳、其次有立功、其有立言、雖久不廢、此之謂不朽。

又曰能補過者君子也。

包荒) 周易泰卦: 包荒用馮河。王弼註: 能包含荒穢、受納馮河者也。

匿瑕) 左傳宜十五年: 瑾瑜匿瑕。 杜預註: 匿、藏也、雖美玉之質、亦或居藏/瑕穢。

     鄭康成禮記註: 瑕、玉之病也。 文: 瑕、玉小赤也。

月出) 毛萇詩傳: 月出刺好色也。 在位不好徳而悅美色焉。

皓首) 李陵詩: 皓首以為期

青蠅) 王倚云: 埤雅青蠅糞尤能敗物、雖玉猶不免、所謂蠅糞玉是也。

葢青蠅善亂色、故詩人以刺讒。 爾雅翼: 者以青蠅白為黑、黑為白、自昔相傳如此。

青蠅之行、好遺矢於物上、遇物之潔者則見。 論衡曰: 清受塵、白受垢。

      青蠅所汚、常在練素。此所謂白為黑也。 

摺軸) 漢書: 叢輕折軸、羽翮飛肉。 顔師古註:言積載輕物、物多至令車軸毀折而鳥之所、以能飛翔者、

 以羽翮扇揚之故也。

淮南子: 積羽沉舟、羣輕折軸。 

貝錦) 詩小雅: 萋兮斐兮成是貝錦。 彼譖人者、亦已太甚: 毛傳曰:萋斐、文章相錯也。貝錦、錦文也。

鄭箋曰: 錦文者、文如餘泉餘蚳之貝文也。

興者、讒人集作已過以成於罪、猶女工之集采色以成錦文文。涓小流也

)   音式灼切。鑠埃音哀爍式灼切音

四國) 詩小雅青蠅: 讒人罔極交亂四國。

八埏) 文選司馬相如封禪/書: 下泝八埏。 注: 孟康註:八埏地之八際也。 張銧註:八埏八方也。

拾塵) 家語巻五: 孔子厄於陳蔡、從者七日不食、子貢以所齎/貨竊犯圍而出、告糴於野人、得米一石焉。

顔回、仲由炊之於壊屋之下、有埃墨墮甑中、顔回取而食之。子貢自升/望見之不悅、以為竊食也、

以告孔子。子曰:『吾信回之為仁久矣、雖汝有云、弗以疑也、其或者必有故乎!吾將問之』

     召顔回曰:『疇昔予夢見先人、豈或佑我哉!子炊而進飯吾將進焉。』 對曰:『向有埃墨墮飯中、

欲置之則不潔、欲/棄之則可惜、回即食之、不可祭也。』 孔子曰:『然乎!吾亦食之。』 顔回出、

孔子顧二三子曰:『吾之信回也、非特今日也。』 二三子由此乃服之。

 (掇蜂) 王倚云:琴操:尹吉甫、周上卿也。有子伯竒、伯竒母死、更娶後妻、生伯邦。

乃譖伯竒於吉甫曰:『見妾有美色、然有欲心。』 吉甫曰:『伯竒為人慈仁、豈有此也?』 

後妻曰:『試置妾空、居中君登樓而察之。』 後妻知竒仁孝、乃取毒蜂緣衣領、伯竒前掇之。

於是吉甫大怒、 放伯竒於野。宣王出遊、吉甫從、伯竒乃作歌、感之於宣王。 宣王曰:此放子詞。

吉甫乃收伯竒、射殺後妻。陸機詩、『掇蜂滅天道、恰塵惑孔顔。』 

 

  彼繆本下多/一婦字婦人之猖狂,不如鵲之強強。

  彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

  坦盪一作/皎皎君子,無悦簧言。  擢發續罪,罪乃孔多。

 

  傾海流惡,惡無以過。  人生實難,逢此織羅。

  積銷金,沉憂作歌。  天未喪文,其如餘何。

奔奔) 詩國風鶉之奔奔:鵲之彊彊。鄭箋曰:奔奔彊彊、言其居有常匹、飛則相隨之貎。 孔頴達正義曰言鶉則鶉自相隨奔奔然鵲則鵲自相隨彊彊然各有常匹不亂其類何晏

坦盪) 論語註坦蕩蕩寛廣貌

簧言) 詩小雅巧言如簧、孔頴達。  正義:巧為言語、結搆虛辭、速相待合、如笙中之簧、聲相應和。

續罪) 史記須賈曰擢賈之髮以續賈之罪尚未足。  按續、王倚云:贖古通/用。

流惡) 詩小雅:謀夫孔多祖君彦為李檄   洛州文罄南山之竹書罪無窮次東海之波流惡難盡

人生)  左傳人生實難/其有不獲死乎  

銷金) 漢書衆口鑠金積銷骨  顔師古註美金見衆共疑之數被燒煉以至銷鑠江淹上建平王書:積銷金積讒磨骨 

向註言讒之深能銷磨金石之堅   劉鑠詩沉憂懷明發  張銑註沉深也。 

喪文) 論語孔子曰天之未斯文也匡人其如于何!  

何晏註如予何者猶言奈我何也天之未斯文則/我當傳之匡人欲奈我何 

 

  妲己滅紂,褒女惑周。  天維盪覆,職此之由。

  漢祖呂氏,食其在傍。  秦皇太蕭本/作成後,亦淫荒。

 

  螮蝀作昏,遂掩太陽。  萬乘尚爾,疋夫何傷。

  辭殫意窮,心切理直。  如或妄談,昊天是殛。

 

  子野善聽,離婁至明。  神靡遁響,鬼無逃形。

  不我遐棄,庶昭忠誠。

妲己史記殷本/紀紂好酒

樂嬖於婦人愛妲己妲己之言是從周武王率諸侯/伐紂紂兵敗走入登鹿臺衣其寳玊衣赴火而死周武

王遂斬紂頭懸之白旗殺妲己。

褒女)周本紀幽王嬖愛褒姒/褒姒生子伯服幽王竟廢申后及太子以褒姒為后伯

服為太子褒姒不好笑幽王欲其笑萬方故不笑幽王/為熢燧大鼓有冦至則舉烽火諸侯悉至而無

乃大笑幽王之為數舉烽火其後不信諸侯亦不至/申侯與繒西夷犬戎攻幽王幽王舉烽火徵兵兵莫至 

遂殺幽王驪山下虜褒姒盡取周賂而去

天維)後漢書天維/陵弛民鬼慘愴。  西京賦振天維薛綜註維綱也左傳葢

職此) 言語漏洩則職汝之由杜預註職主也。 

食其) 史記后紀/太后稱制以辟陽侯審食其為左丞相不治事令監

中如郎中令食其故得幸太后常用事公卿皆因而决/事 

秦皇) 苑秦始皇帝太后不謹幸郎嫪封以為長信

為生兩子専國亊寖益驕與侍中左右貴臣俱博飲酒醉爭言而瞋目大叱曰吾乃皇帝之假父也窶

子何敢乃與我亢所與者走行白皇帝皇帝大怒懼誅因作亂戰咸陽宫毐敗始皇乃取四肢車裂 

取其兩弟囊撲殺之取皇太后遷之於萯陽𤣥 

螮蝀) 禮/記註螮蝀謂之虹孔穎達正義虹是陰陽交會之氣純

陰純陽則虹不見若雲薄漏日日照雨滴則虹生毛萇詩傳元氣廣大則稱昊天

子野) 李善文選註子野師曠字曉音曲者 纒子董無心

離婁) 孟子離婁篇: 孟子曰:離婁之目、察秋毫之末於百歩之外可謂明矣。 

遐棄) 詩國風見君子不我遐棄。 毛傳遐也讀褒愽毛切音包作薄侯切抔/ 者非食其音異基

 

 

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寫懷二首其一 -2

 

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寫懷二首其一 -3

 

代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

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750

天寶九年

 

3. 贈丹陽橫山周處士惟長 【巻九(一)六〇八】  #2

 

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贈丹陽橫山周處士惟長  巻一六八11

(隠遁するに有名な丹陽縣の横山に棲んでいる處士の周惟長に自己の不遇を残念であると、感慨を述べ贈った詩である)

周子橫山隱,開門臨城隅。    

周惟長殿は横山に棲む隠士であってその住まいの門より、丹陽縣城を見下ろすことができる。

連峯入牖,勝概凌方壺。    

横山に続いている連峰は牖まで入り来たっていて、その景勝は、滄海沖の神仙三山の一つである渤海にある、方壺島をも凌ぐほどである。

時作白紵詞,放歌丹陽湖。    

丁度この時、呉地方で流行している白紵詞を作り、丹陽湖の上に、放歌している。

水色傲溟渤,川光秀菰蒲。    

その丹陽湖の水の色は、大海に傲るべく、水際の渚の一帯には、菰とか、蒲などが秀でてつややかに光っている。

#2         

當其得意時,心與天壤俱。    

周惟長殿が得意の時にあたっては、その心、天地と契合するかのように、

閑雲隨舒卷,安識身有無。    

たとえば閑雲が心の赴くままに舒卷すると一般、この形骸の有無さえ忘れるくらいである。

抱石耻獻玉,沈泉笑探珠。    

昔、汴和は、玉璞を献じて、楚王に容れられず、石だといわれ、その石を抱いて、山中に號哭したというが、自分はせっかくの才能も世に認められないのは、いかにも残念であるが、驪龍が泉に沈んでひるねをしているあいだに、珠を探し手に入れようとはとんだお笑い草である。

羽化如可作,相攜上清都。    

そんな姑息なことは考えもしないが、真を修めるため羽化登仙することができるなら、君と携えて天帝のおわしたまう清都に上京したいものである。

 

(丹陽橫山の周處士惟長に贈る)

周子橫山 隱れ,門を開いて 城隅に臨む。

連峯 牖に入り,勝概 凌方壺をぐ。

時に白紵の詞を作り,放歌す 丹陽湖。

水色 溟渤に傲り,川光 菰蒲を秀ず。

#2         

其の得意の時に當って,心は天壤と俱にす。

閑雲 舒卷に隨い,安んぞ 身の有無を識らむ。

石を抱いて 玉を獻ずるを耻ず,泉に沈んで 珠を探るを笑う。

羽化 如し作す可くんば,相い攜えて清都に上らん。

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

卷九(一)六○八

巻一六八11

李太白集 巻八13

詩題

贈丹陽橫山周處士惟長

文體

五言古詩

 

詩序

     初句

周子橫山隱,

天寶六年  747  47

作地點

0

及地點

橫山 (江南西道 宣州 橫山別名:橫望山

 

潤州 (江南東道 潤州 潤州別名:昇州、丹陽

交遊人物/交遊地點

周惟長

江南西道 宣州 橫山

 

 

 

《贈丹陽橫山周處士惟長》現代語訳と訳註解説

(本文)

#2    

當其得意時,心與天壤俱。     

閑雲隨舒卷,安識身有無。     

抱石耻獻玉,沈泉笑探珠。     

羽化如可作,相攜上清都。     

 

(下し文)

#2    

其の得意の時に當って,心は天壤と俱にす。

閑雲 舒卷に隨い,安んぞ 身の有無を識らむ。

石を抱いて 玉を獻ずるを耻ず,泉に沈んで 珠を探るを笑う。

羽化 如し作す可くんば,相い攜えて清都に上らん。

 

(現代語訳)

周惟長殿が得意の時にあたっては、その心、天地と契合するかのように、

たとえば閑雲が心の赴くままに舒卷すると一般、この形骸の有無さえ忘れるくらいである。

昔、汴和は、玉璞を献じて、楚王に容れられず、石だといわれ、その石を抱いて、山中に號哭したというが、自分はせっかくの才能も世に認められないのは、いかにも残念であるが、驪龍が泉に沈んでひるねをしているあいだに、珠を探し手に入れようとはとんだお笑い草である。

そんな姑息なことは考えもしないが、真を修めるため羽化登仙することができるなら、君と携えて天帝のおわしたまう清都に上京したいものである。

 

(訳注)

 贈丹陽橫山周處士惟長

1. (隠遁するに有名な丹陽縣の横山に棲んでいる處士の周惟長に自己の不遇を残念であると、感慨を述べ贈った詩である)

2. 【題意】丹陽は縣名、唐書地理志に「潤州の丹陽郡に丹陽縣有り、本と曲阿、天寳元年、名を更む。」とある。横山は太平御覧に「山謙之の丹陽記に曰く、丹陽縣の東十八里に横山有り、連亘數十里、傳えて云う、楚の子重、横山に至ると、是也。」とあり、江南通志に「横山は江寧府江寧縣の東南一百二十里、高淳縣東二十里に在り、其の山、四方、之を望めば、皆横、故に横山と曰う、亦た横望山と名づく。」とあり、太平府志に、「横山は當塗縣東六十里に在り、高さ二百丈、周八十里、穹窿峻、蒼翠、天際に亘り、四望皆横、故に横山と名づく。江寧の溧水と壤を接す。丹陽湖は、其に南に在り、春秋、楚の子重、って至る所の地」とある。

 

#2 

當其得意時,心與天壤俱。  

周惟長殿が得意の時にあたっては、その心、天地と契合するかのように、

 

閑雲隨舒卷,安識身有無。  

たとえば閑雲が心の赴くままに舒卷すると一般、この形骸の有無さえ忘れるくらいである。

9. 舒卷 ① のばし広げることとまき固めること。転じて,時勢に応じて身を処すこと。  書物を開くこと。

 

抱石耻獻玉,沈泉笑探珠。  

昔、汴和は、玉璞を献じて、楚王に容れられず、石だといわれ、その石を抱いて、山中に號哭したというが、自分はせっかくの才能も世に認められないのは、いかにも残念であるが、驪龍が泉に沈んでひるねをしているあいだに、珠を探し手に入れようとはとんだお笑い草である。

10. 抱石 汴和献玉。楚の国にいた卞和(べんか)という人が、山中で玉の原石を見つけて楚の厲王(蚡冒)に献上した。厲王は玉石に詳しい者に鑑定させたところとただの雑石だと述べたので、厲王は怒って卞和の右足の筋を切断する刑をくだした。厲王没後、卞和は同じ石を武王に献上したが結果は同じで、今度は左足切断の刑に処せられた。文王即位後、卞和はその石を抱いて33晩泣き続けたので、文王がその理由を聞き、試しにと原石を磨かせたところ名玉を得たという。その際、文王は不明を詫び、卞和を称えるためその名玉に卞和の名を取り「和氏の璧」と名付けた。

そののち、宝玉は趙の恵文王の手にわたり、秦の昭襄王が自領にある15の城と交換に入手しようと持ちかけられた。しかし、秦が信用できるかどうか悩んだ恵文王は藺相如を秦に送った。命をかけた藺相如の働きにより、約束を守る気の無かった昭襄王から璧を無事に持ち帰ることができ、「璧(へき)を完(まっとう)する」ことができた。少しのきずもない、完全無欠なことを「完璧」と称するのは、そのためである。また、15城もの価値がある璧だと「連城の璧」と称されるようにもなった。

11. 探珠 莊子に、「人、宋玉に見ゆる者有り、車十乗を錫う。其の十乗を以て莊子に驕穉る。 莊子曰く、河上に、家貧に、緯蕭を恃んで食する者有り、其の子、淵に沒して、千金の珠を得たり、其の父、其の子に謂って曰く、石を取り來って之を鍜えよ。夫れ、千金の珠は必ず九重の淵にして、驪龍頷下にあり、子、能く珠を得るとは、必ず其睡に遭う也。

驪龍をして寤めしむれば、子、尚お奚んぞ微しく之れ有んや。今、宋國の深さは、直に九重の淵のみに非さる也。宋王の猛は、直に驪龍のみに非ざる也。子、能く車を得たるは、必ず其睡に遭える也。 使宋王をして寤めしむれば、子、齎粉と為らん。」とある。

 

 

羽化如可作,相攜上清都。  

そんな姑息なことは考えもしないが、真を修めるため羽化登仙することができるなら、君と携えて天帝のおわしたまう清都に上京したいものである。

12. 羽化 1人間に羽が生える.用例羽化登仙=人間に羽が生え天に昇って仙人になる.2((婉曲語)) (道教信者の用語)人が死ぬ.

13. 清都 天帝のおわしたまう清都

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3. 贈丹陽橫山周處士惟長 【巻九(一)六〇八】-#1

 

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贈丹陽橫山周處士惟長

#1

周子橫山隱,開門臨城隅。連峯入牖,勝概凌方壺。

時作白紵詞,放歌丹陽湖。水色傲溟渤,川光秀菰蒲。

#2

當其得意時,心與天壤俱。閑雲隨舒卷,安識身有無。

抱石耻獻玉,沈泉笑探珠。羽化如可作,相攜上清都。

 

(丹陽橫山の周處士惟長に贈る)

#1

周子 橫山に隱し,門を開いて 城隅に臨む。

連峯 牖【こゆう】に入り,勝概 方壺を凌ぐ。

時に 白紵の詞を作り,放歌す 丹陽湖。

水色 溟渤に傲り,川光 菰蒲を秀ず。

#2

其の得意の時に當って,心は天壤と俱にす。

閑雲 舒卷に隨い,安んぞ身の有無を識らん。

石を抱いて 獻玉するを耻じ,泉に沈んで 珠を探るを笑う。

羽化 如【も】し作すべくんば,相い攜えて 清都に上らん。

 

 

 

 贈丹陽横山周處士惟長

【校記】

  [題]《英華》作〈贈丹陽周處士惟長〉。

  [開門]開,咸本作閉。誤。

  [時枉]枉,咸本、胡本、《全唐詩》本俱作作。劉本注云:時枉一作時作。

  [舒卷]蕭本郭本、朱本、嚴評本、胡本俱作卷舒。

  [安識]識,《英華》作議,注云:集作識。

  [相攜上清都(一作「攜手止清都」)]咸本、蕭本、玉本、郭本俱無一作注。相攜,《英華》作攜手,注云:集作相攜。

丹陽 唐書地理志:潤州丹陽郡有丹陽縣本曲阿天・・・・寳元年更名

横山 太平御覧:山謙之丹陽記曰:丹陽縣東十八里有横山、連亘數十里。傳云楚子重至於横山是也。

  江南通志;横山在江寧府江寧縣東南一百二十里、高淳縣東二十里。其山四方望之皆横、故曰横山。

  亦名横望山。太平府志:横山在當塗縣東六十里、高二百丈、周八十里。穹窿峻、蒼翠亘天際、

  四望皆横、故名横山。與江寧、溧水接壤。丹陽湖在其南、春秋楚子重伐所至之地。

 

周子橫山隱,開門臨城隅。連峯入牖,勝概凌方壺。

時作一作枉白紵詞,放歌丹陽湖。水色傲溟渤,川光秀菰蒲。

當其得意時,心與天壤俱。閑雲隨舒卷,蕭本作/巻施安識身有無。

抱石耻獻玉,沈泉笑探珠。羽化如可作,相攜上/作攜手/清都。

方壺 方壺方丈也。海中三神山之一見

白紵詞  明堂賦註白紵詞見四巻註

丹陽湖 江南通志:丹陽湖在江寧府高淳縣西南三十里、太平府當塗縣東南七十里。

/湖之中流分界。其源有三、徽州、高淳、寧國、廣德諸溪皆匯之。

通為三湖:一曰石臼、一曰固城、一曰丹陽、而丹陽/最大、葢總名也。周圍三百餘里。

鮑照詩:穿池類溟渤謝

菰蒲 

靈運詩:『菰蒲冒清淺。』 本草:蘇頌曰:菰根、江湖陂澤中皆/有之、生水中、葉如蒲葦、刈以秣馬甚肥。

春末生白芽如筍即菰菜也、又謂之茭白。 生熟皆可啖、甜美。其中心如/小兒臂者名菰手、作菰首者非矣。

宼宗奭曰:菰乃蒲類、河朔邊人止以飼馬作薦、八月開花如葦、結青子、合粟/為粥、食甚濟飢。李時珍曰:

蒲叢生水際、似莞而褊、有脊而柔、二三月生苗、八九月收葉、以為席、亦可作扇、軟滑/而温。

張協詩:「清風激萬代名與天壤俱抱石獻玉用卞」

探珠 

和事見四巻註:莊子列禦寇篇:人有見宋王者、錫車十乗以其十/乗、驕穉莊子。 莊子曰:『河上有家貧恃緯

蕭而食者、其子沒於淵、得千金之珠。 其父謂其子曰:取石來鍜之。 夫千/金之珠、必九重之淵而驪龍頷下、

子能得珠者、必遭其

睡也。使驪龍而寤、子尚奚微之有哉? 今宋國之深、非直九重之淵也。 宋王之猛、非直驪龍也。

子能得車者、必遭其睡也。使宋王而寤、子為齎粉矣。』  

羽化成仙而去也。 清都上帝所都見二巻註 

 

 

 

贈丹陽橫山周處士惟長  巻一六八11

(隠遁するに有名な丹陽縣の横山に棲んでいる處士の周惟長に自己の不遇を残念であると、感慨を述べ贈った詩である)

周子橫山隱,開門臨城隅。    

周惟長殿は横山に棲む隠士であってその住まいの門より、丹陽縣城を見下ろすことができる。

連峯入牖,勝概凌方壺。    

横山に続いている連峰は牖まで入り来たっていて、その景勝は、滄海沖の神仙三山の一つである渤海にある、方壺島をも凌ぐほどである。

時作白紵詞,放歌丹陽湖。    

丁度この時、呉地方で流行している白紵詞を作り、丹陽湖の上に、放歌している。

水色傲溟渤,川光秀菰蒲。    

その丹陽湖の水の色は、大海に傲るべく、水際の渚の一帯には、菰とか、蒲などが秀でてつややかに光っている。

             

當其得意時,心與天壤俱。             

閑雲隨舒卷,安識身有無。             

抱石耻獻玉,沈泉笑探珠。             

羽化如可作,相攜上清都。             

 

(丹陽橫山の周處士惟長に贈る)

周子橫山 隱れ,門を開いて 城隅に臨む。

連峯 牖に入り,勝概 凌方壺をぐ。

時に白紵の詞を作り,放歌す 丹陽湖。

水色 溟渤に傲り,川光 菰蒲を秀ず。

#2         

其の得意の時に當って,心は天壤と俱にす。

閑雲 舒卷に隨い,安んぞ 身の有無を識らむ。

石を抱いて 玉を獻ずるを耻ず,泉に沈んで 珠を探るを笑う。

羽化 如し作す可くんば,相い攜えて清都に上らん。

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

卷九(一)六○八

巻一六八11

李太白集 巻八13

詩題

贈丹陽橫山周處士惟長

文體

五言古詩

 

詩序

     初句

周子橫山隱,

天寶六年  747  47

作地點

0

及地點

橫山 (江南西道 宣州 橫山別名:橫望山

 

潤州 (江南東道 潤州 潤州別名:昇州、丹陽

交遊人物/交遊地點

周惟長

江南西道 宣州 橫山

 

 

 

《贈丹陽橫山周處士惟長》現代語訳と訳註解説

(本文)

贈丹陽橫山周處士惟長

周子橫山隱,開門臨城隅。

連峰入牖,勝概凌方壺。

時作白紵詞,放歌丹陽湖。

水色傲溟渤,川光秀菰蒲。

 

(下し文)

(丹陽橫山の周處士惟長に贈る)

周子橫山 隱れ,門を開いて 城隅に臨む。

連峯 牖に入り,勝概 凌方壺をぐ。

時に白紵の詞を作り,放歌す 丹陽湖。

水色 溟渤に傲り,川光 菰蒲を秀ず。

 

(現代語訳)

(隠遁するに有名な丹陽縣の横山に棲んでいる處士の周惟長に自己の不遇を残念であると、感慨を述べ贈った詩である)

周惟長殿は横山に棲む隠士であってその住まいの門より、丹陽縣城を見下ろすことができる。

横山に続いている連峰は牖まで入り来たっていて、その景勝は、滄海沖の神仙三山の一つである渤海にある、方壺島をも凌ぐほどである。

丁度この時、呉地方で流行している白紵詞を作り、丹陽湖の上に、放歌している。

その丹陽湖の水の色は、大海に傲るべく、水際の渚の一帯には、菰とか、蒲などが秀でてつややかに光っている。

 

(訳注)

贈丹陽橫山周處士惟長

1. (隠遁するに有名な丹陽縣の横山に棲んでいる處士の周惟長に自己の不遇を残念であると、感慨を述べ贈った詩である)

2. 【題意】丹陽は縣名、唐書地理志に「潤州の丹陽郡に丹陽縣有り、本と曲阿、天寳元年、名を更む。」とある。横山は太平御覧に「山謙之の丹陽記に曰く、丹陽縣の東十八里に横山有り、連亘數十里、傳えて云う、楚の子重、横山に至ると、是也。」とあり、江南通志に「横山は江寧府江寧縣の東南一百二十里、高淳縣東二十里に在り、其の山、四方、之を望めば、皆横、故に横山と曰う、亦た横望山と名づく。」とあり、太平府志に、「横山は當塗縣東六十里に在り、高さ二百丈、周八十里、穹窿峻、蒼翠、天際に亘り、四望皆横、故に横山と名づく。江寧の溧水と壤を接す。丹陽湖は、其に南に在り、春秋、楚の子重、って至る所の地」とある。

 

周子橫山隱,開門臨城隅。

周惟長殿は横山に棲む隠士であってその住まいの門より、丹陽縣城を見下ろすことができる。

 

連峰入牖,勝概凌方壺。

横山に続いている連峰は牖まで入り来たっていて、その景勝は、滄海沖の神仙三山の一つである渤海にある、方壺島をも凌ぐほどである。

3. 方壺 「方丈」の意味には「神仙が住むという、渤海にある島。方壺」とあり。ここでいう渤海とは、漢の東方の海域全体のことで、太平洋、日本海など含んでいます。

 

時作白紵詞,放歌丹陽湖。

丁度この時、呉地方で流行している白紵詞を作り、丹陽湖の上に、放歌している。

4. 白紵詞  晋の時代、呉の地方に白紵の舞というのが起った。晋の時代、呉の地方に白紵の舞というのが起った。白紵というのは、麻の着物の美白なもの。それを着て舞い、その舞の歌を白紵辞と言った。

『白紵舞』は晉の頃から唐代の宮廷のみならず民間にも広まった舞踊で、日本、韓国、東南アジア一帯にも伝えられた。白紵とは、麻の一種で織られた薄手の白い織物のことで、白紵で仕立てられた長い袖を翻す舞い姿は、優美にして変化に富み、その美しさは古来、波を揺らすそよ風や舞い降りる雪などにたとえられている。呉歌においては、白紵、雅楽では子夜といった。梁の武帝が沈約に命じて、その詩を更制せしめた。梁の武帝が改作させたのは、四首連続して、四時を分詠したもので、子夜四時歌である。

鮑照《白紵舞》

朱脣動、素腕舉。

洛陽少童邯鄲女。古稱綠水今白紵。

催弦急管為君舞。窮秋九月荷葉黃。

北風驅鴈天雨霜。夜長酒多樂未央。

5. 丹陽湖 江南通志に「丹陽湖は、江寧府高淳縣の西南三十里、太平府當塗縣の東南七十里に在り、湖之中流以って分界とす。其の源、三有り、徽州高淳、寧國、廣德の諸溪、皆之に匯し、通じて為三湖とる。一を石臼と曰う、一を固城と曰う、一を丹陽と曰いい、而して丹陽最も大なり、葢し、總名なり。周圍三百餘里。」ある。

 

水色傲溟渤,川光秀菰蒲。

その丹陽湖の水の色は、大海に傲るべく、水際の渚の一帯には、菰とか、蒲などが秀でてつややかに光っている。

6.  溟渤 果てしなく広い海。大海。

7. 菰 本草、「蘇頌曰く、菰根は、江湖陂澤中、皆之有り、水中に生ず、葉は蒲葦の如く、刈って以て馬を秣えば甚だ肥える。春末、白芽生じ、筍の如し、即ち菰菜なり。又、之を茭白と謂う、生熟皆啖う可し、甜美。其の中心、小兒の臂の如きものを菰手と名づき、菰首に作る者は非なり。

8. 蒲は、「李時珍曰く、蒲は水際に叢生し、莞に似て褊、脊有って柔、二三月、苗を生じ、八九月、葉を收む、以て席と為す、亦、扇を作る可し、軟滑に而して温。」とある。

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750

天寶九年

 

3. 僧伽歌 【巻七(一)五二三】  #2

 

李白集校注 訳注解説

 

 

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僧伽歌

(子供頃、天竺から仏教を広めるために来たえらい高僧、僧伽法師と論じ、あるいは懺悔して、重い罪を軽くできると詠う)

#1

真僧法號號僧伽,有時與我論三車。

まことの高僧というべき尊き法師がいらっしゃる、その法号を僧伽といわれるお方である。ある時、このお方は我々とともに、諸賢聖道力の浅深、三車に類することを論じたのである。

問言誦咒幾千徧,口道恆河沙復沙。

いままでに経文を幾千遍唱えてきたかといって、問うてみたが恆河の沙また沙ほどで、とても数え切れるものではない、と申された。

此僧本住南天竺,爲法頭陀來此國。

この大師はもともと天竺に生まれたが仏教を広めるために、行いを澄まして、わざわざ中国まで来たのである。

戒得長天秋月明,心如世上青蓮色。

この法徳堅固なることは、もとより論ずべくもなく、戒を持することは、長天の秋月のように明るく、心は塵埃に染まらない青蓮の色のようである。

#2

意清淨,貌稜稜,亦不減,亦不增。

こうして、意は清浄を旨とされたし、貌は稜稜としてさわやかになるし、一切諸法空相を得て、この上、減らすこともできず、増やすこともできない。

瓶裏千年鐵柱骨,手中萬胡孫藤。

瓶の中には千年も経過しているお釈迦様の舎利を納めていて、手には、萬歳を経過した藤杖をもっている。

嗟予落魄江淮久,罕遇真僧空有。

ああ、予は、江南、淮河地方に漂泊することもすでに長期間になるけれど、空有をたがいに用ち得るような尊い真の僧侶に遭遇できることは極めてまれなことである。

一言散盡波羅夷,再禮渾除犯輕垢。

しかし、今日機縁、幸いにしてむなしくはないことであり、この高僧に邂逅したことは誠にありがたいことで、一言して懺悔すれば、波羅夷のごくごく重い罪をも消すことができ、再度禮をなせば、一切の輕垢をすべて取り除くことができる。

 

(僧 伽の歌)

#1

真僧の法號は僧伽と號し,時に有って 我と三車を論ず。

問うて言う 咒を誦する幾千徧,口に道う 恆河沙 復た沙。

此の僧 本と 住うは南天竺,法の爲に 頭陀 此の國に來る。

戒は得たり 長天秋月 明らかなるを,心は世上青蓮の色の如し。

#2

意 清淨,貌 稜稜,亦た不減,亦た不增。

瓶裏 千年 鐵柱の骨,手中 萬 胡孫の藤。

嗟す予が江淮に落魄すること久しく,真僧が空有をくに遇うこと罕【まれ】なるを

一言散じ盡す波羅夷,再禮 渾【す】べて 輕垢を犯すを除く。

 

 

李白集校注《僧伽歌》現代語訳と訳註解説
(
本文)

僧伽歌

#1

真僧法號號僧伽,有時與我論三車。

問言誦咒幾千徧,口道恆河沙復沙。

此僧本住南天竺,爲法頭陀來此國。

戒得長天秋月明,心如世上青蓮色。

 

(下し文)
(僧 伽の歌)

#1

真僧の法號は僧伽と號し,時に有って 我と三車を論ず。

問うて言う 咒を誦する幾千,口に道う 恆河沙 復た沙。

此の僧 本と 住うは南天竺,法の爲に 頭陀 此の國に來る。

戒は得たり 長天秋月 明らかなるを,心は世上青蓮の色の如し

 

(現代語訳)

(子供頃、天竺から仏教を広めるために来たえらい高僧、僧伽法師と論じ、あるいは懺悔して、重い罪を軽くできると詠う)

#2

こうして、意は清浄を旨とされたし、貌は稜稜としてさわやかになるし、一切諸法空相を得て、この上、減らすこともできず、増やすこともできない。

瓶の中には千年も経過しているお釈迦様の舎利を納めていて、手には、萬歳を経過した藤杖をもっている。

ああ、予は、江南、淮河地方に漂泊することもすでに長期間になるけれど、空有をたがいに用ち得るような尊い真の僧侶に遭遇できることは極めてまれなことである。

しかし、今日機縁、幸いにしてむなしくはないことであり、この高僧に邂逅したことは誠にありがたいことで、一言して懺悔すれば、波羅夷のごくごく重い罪をも消すことができ、再度禮をなせば、一切の輕垢をすべて取り除くことができる。

 

(訳注)

僧伽歌

(子供頃、天竺から仏教を広めるために来たえらい高僧、僧伽法師と論じ、あるいは懺悔して、重い罪を軽くできると詠う)

 僧伽は、唐時代の高僧で、その傳は、太平廣記にみえる。

僧伽(そうぎゃ、 628 - 710年(景龍4年))は、中国の唐代に西域より渡来した神異の僧である。

パミール高原の北の何国の人であり、自ら姓は何氏であると称していた。幼くして出家し、諸国を遊方した後、龍朔元年(661年)に、西涼地方に渡来し、さらに江南に至り、山陽県(江蘇省淮安県)の龍興寺に所属した。しばしば神異にわたる行跡が見られた。臨淮県(江蘇省盱眙県)城の信義坊で、地面を掘らせ、そこに伽藍を建立すると言った。古碑が出土し、そこは北斉代の香積寺の遺地であることが判明した。また、「普照王佛」と刻まれた金像も出土した。そこは賀跋氏の家であったが喜捨して、香積寺の故地に寺を建立した。

詳しくは、#1を参照

 

#2

意清淨,貌稜稜,亦不減,亦不增

こうして、意は清浄を旨とされたし、貌は稜稜としてさわやかになるし、一切諸法空相を得て、この上、減らすこともできず、増やすこともできない。

7 稜稜 1 かどだっているさま。また、気性などが厳しいさま。「稜稜たる山々」「気骨の稜稜たる人」2 寒さが厳しいさま。「稜稜たる寒気」

 

瓶裏千年鐵柱骨,手中萬胡孫藤

瓶の中には千年も経過しているお釈迦様の舎利を納めていて、手には、萬歳を経過した藤杖をもっている。

鐵柱骨 別本に舎利骨とあり、お釈迦様のお骨ということ。

胡孫藤 胡孫藤で作った杖。楊齊賢、曰く「胡孫藤は乃ち藤杖を手にした所執者」をいう。

 

嗟予落魄江淮久,罕遇真僧空有

ああ、予は、江南、淮河地方に漂泊することもすでに長期間になるけれど、空有をたがいに用ち得るような尊い真の僧侶に遭遇できることは極めてまれなことである。

江淮 江南、淮河地方をいう。

罕遇 遭遇することがまれなことである。

真僧 尊い真の僧侶のお説教。

空有 空有 後漢書西域傳・淸心釋累之訓に「空有」とあり、兼ねて之を宗章懷太子に遣した。 註に「執著せざるを空と爲し、執著するを有と爲す。兼ねて遣謂う「不空不有とは虚實なり。兩忘れるなり。鳩摩羅什維摩詰經の註に佛法に有は二種ある。一には有、二には空、若し常に有に在らば、則ち想著に累せられ、若し常に空に在らば、則ち善本に於て捨てられる。若し空有迭に用いられれば、則ち二過を設けず、猶お日月代明、萬物以成がごとし。」とある。胡三省通鑑の註釋に「氏以て面、陳悔過ぎて懺と爲す。」とある。

 

一言散盡波羅夷,再禮渾除犯輕垢

しかし、今日機縁、幸いにしてむなしくはないことであり、この高僧に邂逅したことは誠にありがたいことで、一言して懺悔すれば、波羅夷のごくごく重い罪をも消すことができ、再度禮をなせば、一切の輕垢をすべて取り除くことができる。

波羅夷 波羅夷罪(はらいざい)、あるいは単に波羅夷(はらい、巴::pārājika, パーラージカ、波羅市迦)とは、仏教の出家者(比丘・比丘尼)に課される戒律(具足戒)の内、僧団(僧伽)永久追放に値する最重罪の総称。

輕垢 軽垢罪のこと。たとえ犯したとしても許される軽い罪のこと。四十八軽戒のそれぞれを犯した場合、軽垢罪とみなされる。重罪、波羅夷はらいの対語。軽垢罪は重罪と異なり、犯したとしても仏教徒としての資格を失わないから軽く、しかしながら犯してよいわけではなく、もし犯せば清浄な行いを汚すから垢である。四十八軽戒をやぶり、軽垢罪を犯した場合は、懺悔によってこれが許されるとされる。

 

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3. 僧伽歌 【巻七(一)五二三】  #1

 

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僧伽歌

#1

真僧法號號僧伽,有時與我論三車。

問言誦咒幾千徧,口道恆河沙復沙。

此僧本住南天竺,爲法頭陀來此國。

戒得長天秋月明,心如世上青蓮色。

#2

意清淨,貌稜稜,亦不減,亦不增。

瓶裏千年鐵柱骨,手中萬胡孫藤。

嗟予落魄江淮久,罕遇真僧空有。

一言散盡波羅夷,再禮渾除犯輕垢。

 

 

僧伽歌

 僧伽 太平廣記:僧伽大師、西域人、姓何氏。唐龍/朔初來遊北土、𨽻名於楚州龍興寺。後於

  泗州臨淮縣信義坊乞地施標、將建伽藍、於標下掘得古香積寺銘記并金像一軀、上有普照王佛

  字、遂建寺焉。景龍二年、中宗皇帝遣使迎師入内道塲、尊爲國師、尋出居薦福寺。嘗獨處一室其頂

  上有一穴恒以絮塞之夜則去絮香從頂穴中出/烟氣滿房非常芳馥及曉香還入頂穴中又以絮

  窒之師嘗濯足人取其水飲之痼疾皆愈一日中/宗於内殿語師曰京師無雨已是數月願師慈悲

  解朕憂迫師乃將瓶水泛洒俄頃陰雲驟起甘雨/大降中宗大悅詔賜所修寺額以臨淮寺爲名師

  請以普照王字爲名蓋欲依金像上字也中宗以/照字是天后廟諱乃改爲普光王寺御筆親書以

  賜焉

至景龍四年三月二日端坐而終中宗卽令/於薦福寺起塔供養俄而大風歘起臭氣滿長安

  中宗問曰是何祥也近臣奏曰僧伽大師化緣在/臨淮恐是欲歸彼處故現此變中宗心許其臭頓

  息頃刻之間竒香馥烈卽以其年五月送至臨淮/起塔供養中宗問萬迴師曰僧伽大師何人萬迴

  曰是觀音化身也如法華經普門品云應以比丘/身得度者卽見比丘身而爲法此卽是也傳

  録泗州僧伽大師世謂觀音大士應化也但此土/有緣之衆乃謂大師自西國來唐高宗時至長安

  洛陽行化歴楚間身執楊枝混於緇流或問師/何姓答曰我姓何又問師是何國人師曰我何國

  人尋於泗上欲搆伽藍因宿州民賀跋氏捨所居/師曰此本爲佛宇令掘地果得古碑云香積寺卽

  齊李龍建所剏又獲金像衆謂然燈如來師曰普/光王佛也因以爲寺額景龍二年中宗遣使迎大

  師至輦轂深加禮異命住大薦福寺三年/三月三日大師示滅 伽具牙切音茄

 

 

真僧法號號僧伽,有時與我論三車。

問言誦咒幾千徧,口道恆河沙復沙。

此僧本住南天竺,爲法頭陀來此國。

戒得長天秋月明,心如世上青蓮色。

 

意清淨,貌稜稜,亦不減,亦不增。

瓶裏千年舍利蕭本作/鐵柱骨,手中萬胡孫藤。

嗟予落蕭本/作魄江淮久,罕遇真僧空有。

一言許本作散盡波羅夷,再禮渾除犯輕垢。

 

三車 言羊車、鹿車、牛車。今在門外可以遊戲汝等於此火宅/宜速出來。註云:羊車聲聞乘鹿車緣覺乘牛車

菩薩乘俱以運載爲義方便設施舊聲聞不能化他/如羊不顧後羣故以羊車譬聲聞乘緣覺是法行人從

他如法少自推義多故以鹿車譬緣覺乘鹿不依人故/也或云譬鹿猶有囘顧之慈菩薩慈悲化物如牛之安

忍運載故以牛車譬菩薩乘琦謂當是以三獸之力有/大小三車之所載有多寡三乘諸賢聖道力之淺

恆河 耳恒河西域中水名釋典謂西域香山頂上有無熱惱/池四方流出四水其東方之水謂之伽河卽恒河

廣四十里水中之沙微細如法之處皆與此河/相近故常取以爲云如恒河中所有沙數蓋言其

之極多非算數所能知者耳劉昫

南天竺 唐書天竺國卽漢之/身毒國或云婆羅門地也在葱嶺西北周三萬餘里其

中分爲五天竺一曰中天竺二曰東天竺三曰南天竺/四曰西天竺五曰北天竺地各數千里城邑數百南天

竺際大海北天竺拒雪山四周有山爲壁南面一谷通/爲國門東天竺東際大海與扶南林邑鄰接西天竺與

波斯相接中天竺據四天竺之其都城周圍七/十餘、里北臨禪連河云。

頭陀 法苑珠林西云頭陀此云抖擻

能行此法卽能抖擻煩惱去離貪著如衣抖擻能去塵/垢是故從爲名錦繡萬花谷頭陀梵語云杜多漢

抖擻謂三毒如塵坌眞心此人能振撣除去故今訛稱/頭陀

秋月,青蓮 陳永陽王解講疏戒與秋月共明禪與春池共潔

華嚴經菩提心者猶如蓮花不染一切諸罪垢故僧肇/維摩詰經註天竺有靑蓮花其葉修廣靑白分明

舍利 孫興公見林公稜稜露其爽心經是諸法空相不生不/滅不垢不淨不減不增

魏書佛謝世香木焚尸靈骨分碎大小如粒擊之不壞焚亦不焦或有光明神騐胡

言謂之舍利弟子收奉置之寳瓶竭香花致敬慕法苑珠林舍利者西域梵語此云骨身恐濫凡夫死人之骨

故存梵本之名舍利有三種一是骨舍利其色白二是

髪舍利其色黒三是肉舍利其色赤是佛舍利椎打不/碎是弟子舍利椎擊便破矣

胡孫藤 楊齊賢曰胡孫藤乃藤杖手所執者

空有 後漢書西域傳淸心釋累之訓空有兼遣之/宗章懷太子註不執著爲空執著爲有兼遣謂不空不

有虚實兩忘也鳩摩羅什維摩詰經註佛法有二種一/者有二者空若常在有則累於想著若常在空則捨於

善本若空有迭用則不設二過猶日月代明萬物以成/胡三省通鑑註釋氏以面陳悔過爲懺

波羅夷,輕垢 波羅夷者華言

棄謂犯此罪者永棄佛法邊外法苑珠林云波羅夷者/此云極重罪是也輕垢罪者比重減輕一等凡玷汙淨

行之類皆是據梵網輕重戒有十犯者得波羅夷罪輕/戒有四十八犯者爲輕垢罪。 

 

廣川書跋僧伽傳蔣穎叔作其謂李太白嘗以詩與師論三車者誤也

詩鄙近知非太白所作世以昔人類在集中信而不疑且未嘗深求其言而知其不類予爲之校其年始知之太白死在

代宗元年上距大足二年壬寅爲六十年而白生當景龍四年白生九固不與僧伽接然則其詩爲出於世

俗而復不考月殆其服者托白以爲重而儒者信之又増異也聲懺

鑑切攙

 

 

僧伽歌

(子供頃、天竺から仏教を広めるために来たえらい高僧、僧伽法師と論じ、あるいは懺悔して、重い罪を軽くできると詠う)

#1

真僧法號號僧伽,有時與我論三車。

まことの高僧というべき尊き法師がいらっしゃる、その法号を僧伽といわれるお方である。ある時、このお方は我々とともに、諸賢聖道力の浅深、三車に類することを論じたのである。

問言誦咒幾千徧,口道恆河沙復沙。

いままでに経文を幾千遍唱えてきたかといって、問うてみたが恆河の沙また沙ほどで、とても数え切れるものではない、と申された。

此僧本住南天竺,爲法頭陀來此國。

この大師はもともと天竺に生まれたが仏教を広めるために、行いを澄まして、わざわざ中国まで来たのである。

戒得長天秋月明,心如世上青蓮色。

この法徳堅固なることは、もとより論ずべくもなく、戒を持することは、長天の秋月のように明るく、心は塵埃に染まらない青蓮の色のようである。

#2

意清淨,貌稜稜,亦不減,亦不增。

瓶裏千年鐵柱骨,手中萬胡孫藤。

嗟予落魄江淮久,罕遇真僧空有。

一言散盡波羅夷,再禮渾除犯輕垢。

 

(僧 伽の歌)

#1

真僧の法號は僧伽と號し,時に有って 我と三車を論ず。

問うて言う 咒を誦する幾千徧,口に道う 恆河沙 復た沙。

此の僧 本と 住うは南天竺,法の爲に 頭陀 此の國に來る。

戒は得たり 長天秋月 明らかなるを,心は世上青蓮の色の如し。

#2

意 清淨,貌 稜稜,亦た不減,亦た不增。

瓶裏 千年 鐵柱の骨,手中 萬 胡孫の藤。

嗟す予が江淮に落魄すること久しく,真僧が空有をくに遇うこと罕【まれ】なるを

一言散じ盡す波羅夷,再禮 渾【す】べて 輕垢を犯すを除く。

 

 

李白集校注《僧伽歌》現代語訳と訳註解説
(
本文)

僧伽歌

#1

真僧法號號僧伽,有時與我論三車。

問言誦咒幾千徧,口道恆河沙復沙。

此僧本住南天竺,爲法頭陀來此國。

戒得長天秋月明,心如世上青蓮色。

 

(下し文)
(僧 伽の歌)

#1

真僧の法號は僧伽と號し,時に有って 我と三車を論ず。

問うて言う 咒を誦する幾千,口に道う 恆河沙 復た沙。

此の僧 本と 住うは南天竺,法の爲に 頭陀 此の國に來る。

戒は得たり 長天秋月 明らかなるを,心は世上青蓮の色の如し

 

(現代語訳)

(子供頃、天竺から仏教を広めるために来たえらい高僧、僧伽法師と論じ、あるいは懺悔して、重い罪を軽くできると詠う)

まことの高僧というべき尊き法師がいらっしゃる、その法号を僧伽といわれるお方である。ある時、このお方は我々とともに、諸賢聖道力の浅深、三車に類することを論じたのである。

いままでに経文を幾千遍唱えてきたかといって、問うてみたが恆河の沙また沙ほどで、とても数え切れるものではない、と申された。

この大師はもともと天竺に生まれたが仏教を広めるために、行いを澄まして、わざわざ中国まで来たのである。

この法徳堅固なることは、もとより論ずべくもなく、戒を持することは、長天の秋月のように明るく、心は塵埃に染まらない青蓮の色のようである。

 

(訳注)

僧伽歌

(子供頃、天竺から仏教を広めるために来たえらい高僧、僧伽法師と論じ、あるいは懺悔して、重い罪を軽くできると詠う)

 僧伽は、唐時代の高僧で、その傳は、太平廣記にみえる。

 《太平廣記異僧》:「僧伽大師,西域人也,俗姓何氏。唐龍朔初來遊北土,隸名於楚州龍興寺。後於泗州臨淮縣信義坊乞地施標。將建伽藍。於其標下,掘得古香積寺銘記。幷金像一軀。上有普照王佛字,遂建寺焉。唐景龍二年,中宗皇帝遣使迎師,入道場,尊為國師。尋出居薦福寺。常獨處一室。而其頂有一穴,恒以絮塞之,夜則去絮。香從頂穴中出,煙氣滿房,非常芬馥。及曉,香還入頂穴中,又以絮塞之。師常濯足,人取其水飲之。痼疾皆愈。一日,中宗於殿語師曰:「京畿無雨,已是數月,願師慈悲,解朕憂迫。」師乃將瓶水泛洒,俄頃陰雲驟起,甘雨大降。中宗大喜,詔賜所修寺額,以臨淮寺為名。師請以普照王字明鈔本、陳校本字作寺。為名,蓋欲依金像上字也。中宗以照字是天后廟諱。乃改為普光王寺,仍御筆親書其額以賜焉。至景龍四年三月二日,於長安薦福寺端坐而終。中宗即令於薦福寺起塔,漆身供養。俄而大風歘起。臭氣徧滿於長安。中宗問曰:「是何祥也。近臣奏曰:「僧伽大師化緣在臨淮,恐是欲歸彼處,故現此變也。。中宗默然心許,其臭頓息。頃刻之間,奇香郁烈。即以其年五月,送至臨淮,起塔供養,即今塔是也。後中宗問萬廻師曰。僧伽大師何人耶。萬廻曰。是觀音化身也。如法華經普門品云:『應以比丘、比丘尼等身得度者。即皆見之而為法。此即是也。」先是師初至長安。萬廻禮謁甚恭。」

《太平廣記異僧》:「僧伽大師は,西域の人なり,俗姓を何氏といい。唐の龍朔の初めに,來って北土に遊ぶ,名を楚州の龍興寺に隸す。後に泗州臨淮縣信義坊において地を乞うて標を施し,將に伽藍を建んとす。其標下に於て,古香積寺も銘記,並びに金像一軀を掘り得たり,上に普照王佛の字有り,遂に寺を建てる。唐の景龍二年に,中宗皇帝は使を遣わし師を迎え,道場に入れ,尊き國師と為す。尋いで出でて薦福寺に居る。常に獨りで一室に處る。而して其の頂に一穴有り,恒に絮を以て之を塞ぎ,夜は則ち絮を去る。香 頂穴中從り出でて,煙氣房に滿ち,非常芬馥【ほうふく】す。曉くに及び,香は還た頂穴中に入り,又た以て絮 之を塞ぐ。師は常に足を濯い,人 其の水を取って之を飲めば,病疾 皆 愈ゆ。一日,中宗 殿において師に語って曰く:「京畿 雨無し,已でに是れ數月,願わくば師慈悲,朕の憂迫を解く。」と。師 乃ち瓶水を將って泛灑【はんさい】し,俄頃【がけい】にして 陰雲 驟【にわか】に起り,甘雨 大いに降る。中宗 大いに喜び,詔して修する所の寺の額を賜り,臨淮寺を以て名と為す。師 普照王寺を以て名を為さんと請い,蓋し金像上の字に依らんと欲するなり。中宗 照の字は是れ天後の廟諱【びょうき】なるを以て。乃ち改めて普光王寺と為す,仍って御筆親書 其額を以て賜う。景龍四年三月二日に至り,長安に於て薦福寺に端坐して終る。中宗 即ち令じて薦福寺に於て塔を起し,漆身供養す。俄にして大風 歘【たちま】ち起り,臭氣 長安に遍滿す。中宗 問うて曰く:「是れ何ぞ祥ぞや?」  近臣 奏じて曰く:「僧伽大師 化緣して臨淮に在り,恐らく是れ 彼處に歸らんと欲し,故に此の變を現ずるならん。」と。中宗 默然として心許し,其の臭 頓に息む。頃刻の間,奇香鬱烈。即ち 其の年五月を以て,送て臨淮に至り,塔を起して供養し,即ち今 塔 是なり。後に中宗 問うて萬回師に曰く:「僧伽大師は何人や?」萬回曰く:「是れ觀音の化身なり。と、法華經普門品に如して云う:『應に比丘、比丘尼等の身を以て得度すべき者なり。即ち皆 之れを見して為に法をく。』と、此れ即ち是れなり。」

僧伽(そうぎゃ、 628 - 710年(景龍4年))は、中国の唐代に西域より渡来した神異の僧である。

パミール高原の北の何国の人であり、自ら姓は何氏であると称していた。幼くして出家し、諸国を遊方した後、龍朔元年(661年)に、西涼地方に渡来し、さらに江南に至り、山陽県(江蘇省淮安県)の龍興寺に所属した。しばしば神異にわたる行跡が見られた。臨淮県(江蘇省盱眙県)城の信義坊で、地面を掘らせ、そこに伽藍を建立すると言った。古碑が出土し、そこは北斉代の香積寺の遺地であることが判明した。また、「普照王佛」と刻まれた金像も出土した。そこは賀跋氏の家であったが喜捨して、香積寺の故地に寺を建立した。

景龍2年(708年)には、中宗が宮中の内道場に招聘して供養を行なった。また、僧伽の住寺に普光王寺の名を賜った。「照」字は武則天の避諱字に当たり、用いられなかったものである。

景龍4年(710年)に、大薦福寺で坐亡した。そのさまは生前と何ら変わらず、静かに瞑目した姿であった。中宗はその死を悼み、絹300疋を賜い、臨淮の普光王寺に葬った。生前の僧伽は、十一面観音形を現したことがあり、また、万廻が観音菩薩の化身であると中宗の下問に答えたため、その化身として信仰を集めた。

なおその没年に関しては、『景徳伝灯録』は「景龍3年に卒す」とし、『隆興仏教編年通論』では「景雲2年に卒す」などと異なるが、ここでは、『宋高僧伝』巻18や『太平広記』などの没年によって記す。

実は、僧伽の生前の事跡に関しては、殆ど記される記事はなく、その伝の大半は、その没後のことに割かれている。中宗は特恩度僧によって、慧岸・慧儼・木叉という僧伽の3人の弟子をも供養していたが、僧伽の没後、しばしば僧伽がその姿を現すようになった。そのような記事は、大暦中(766 - 779年)から、乾寧元年(894年)にまで及んでいる。そのため、「泗州大聖僧伽和尚」として人々の信仰を集めるようになった。臨淮県は泗州に属していた。

それは、唐代だけにはとどまらず、五代十国の後周の世宗の時代を経て、宋代にまで及んでいる。『宋高僧伝』の撰者、賛寧の時代にも、『僧伽実録』という書物が見られ、太宗がそれを見て、寺の勅額を、武則天の避諱の「普光王」から「普照王」に改めさせている。

 

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古風,五十九首之三十五 (醜女來效顰,) 李白詩750年-02

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李白集校注 訳注解説ブログ 750-2 《古風,五十九首之三十五 【巻二(一)一五六・醜女】》  漢文委員会 紀 頌之 Blog11016

 

 

750

天寶九年

 

2. 古風,五十九首之三十五 【巻二(一)一五六・醜女】

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 11016

 

 

 

 

古風,五十九首之三十五

醜女來效顰,還家驚四鄰。壽陵失本步,笑殺邯鄲人。

一曲斐然子,雕蟲喪天真。

 

棘刺造沐猴,三年費精神。功成無所用,楚楚且華身。

大雅思文王,頌聲久崩淪。安得郢中質,一揮成斧斤。  

 

 

 古風,五十九首之三十五

  其三十五

醜女來效顰,還家驚四鄰。壽陵失本步,笑殺邯鄲人。

一曲一作/東西斐然子,雕蟲喪天真。

棘刺造沐猴,三年費精神。功成無所用,楚楚且華一作/身。

大雅思文王,頌聲久崩淪。安得郢中質,一揮成斧斤。  

【校記】

  [效嚬]蕭本作效顰。

  [一曲(一作東西)]咸本、蕭本、玉本、郭本、劉本俱無一作東西注。

  [華(一作榮)身]咸本、蕭本、玉本、郭本、劉本俱無一作榮注。

劉本注云:華身一作榮身。

  [久崩淪]久,咸本注云:一作天。按天字誤。

  [一揮成斧斤(一作承風一運斤)]蕭本、玉本、郭本俱無一作句注。

劉本斧作風,注云:風斤,世本俱作斧斤。

王本作一揮成風斤,注云:一作承風一運斤。按作成風斤是。

〔醜女〕  莊子天運篇: 故西施病心而矉其里、其里之醜人見而美之、歸亦捧心而矉其里。 

其里之富人見之、堅閉門而不出。 貧人見之、挈妻子而去之走。 陸徳明註: 蹙額曰矉。

〔壽陵〕 莊子秋水篇: 子獨不聞夫陵餘子之學行于邯鄲與? 未得國能、又失其故行矣。

直匍匐而歸耳。

〔雕蟲〕 法言巻二: 或問吾子少而好賦、曰:然。 童子雕蟲篆刻。 俄而曰:壯夫不為也。

〔棘刺〕 韓非子外諸説左:宋人有請為燕王以棘刺之端為母猴者,必三月齋然後能觀之, 

 

 

 

 

燕王因以三乘養之。

右御、治工言王曰:『臣聞人主無十日不燕之齋。今知王不能久齋以觀無用之器也,

故以三月為期。凡刻削者,以其所以削必小。今臣治人也,無以為之削,此不然物也,

王必察之。』王因囚而問之,果妄,乃殺之。治人謂王曰:『計無度量,言談之士多棘刺之?

也。』一曰。燕王好微巧,衛人曰:『能以棘刺之端為母猴。』燕王?之,養之以五乘之奉。

王曰:『吾試觀客為棘刺之母猴。』客曰:『人主欲觀之,必半?不入宮,不飲酒食肉,

雨霽日出視之晏陰之間,而棘刺之母猴乃可見也。』燕王因養衛人不能觀其母猴。

鄭有臺下之治者謂燕王曰:『臣為削者也,諸微物必以削削之,而所削必大於削。

今棘刺之端不容削鋒,難以治棘刺之端。王試觀客之削能與不能可知也。』

王曰:『善。』謂衛人曰:『客為棘削之?』曰:『以削。』王曰:『吾欲觀見之。』

客曰:『臣請之舍取之。』因逃。

〔楚楚〕詩國風:衣裳楚楚。 毛傳:楚楚、鮮明貌。

〔成斧斤〕莊子徐無鬼篇:莊子送葬、過惠子之墓、顧其從者曰: 『郢人堊漫其鼻端若蠅翼、使匠

石斵之。 匠石運斧成風、聴而斵之。 盡堊而鼻不傷。 

郢人立不失容、宋元君聞之、而召匠石曰:『嘗試為寡人為之。』 匠石曰:『臣則嘗能斲之。

雖然、臣之質死久矣。 自夫子之死也、吾無以為質矣吾無與言之矣。』

【題解】

 此篇係論詩之作。

蕭云:「此篇蓋譏世之作詩賦者,不過藉此以取科第、干祿位而已,何益於世教哉!太白嘗論詩曰:『將復古道,非我而誰?』雅頌之作,太白自負者如此。然安得雅頌之人識之如郢人之質能當匠石之運斤耶?」

朱諫《李詩選注》:「此白論當時之為詩辭者不能復古也。」

沈德潛《唐詩別裁集》卷二:「譏世之文章無補風教,而因追思大雅也。」

 

 

製作年:  750  天寶九年  50

卷別: 卷一六一  

文體: 五言古詩  

詩題: 古風,五十九首之三十五  

及地點:  邯鄲 (河北道南部  邯鄲)      

  

 

古風,五十九首之三十五

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)

醜女來效顰,還家驚四鄰。

むかし、醜女が来て、西施の癪を煩い胸の苦しい時に胸をかかえて顔をしかめるのを見た、家に還って自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がって、隣近所を驚かした。

壽陵失本步,笑殺邯鄲人。

寿陵というところの二男が行儀作法を趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った、というので邯鄲の人を大笑ひさせた。

一曲斐然子,雕蟲喪天真。

かの斐然として文章ある子弟輩が詩歌を作るのはよいが、雕蟲の様な小技を弄し、つまらぬ修辞に凝って天真爛漫な妙趣をなくしてしまう。

 

棘刺造沐猴,三年費精神。

実際、三年の間精根を打込んで懸命に会得しようとしたが、何の役にも立たず、ただその人が、物事を計るのに、基準と為る度量が無いならば,此のイバラのとげを彫刻するというような(荒唐無稽な)を論じる言説の士が多くなることでしょうということなのだ。

功成無所用,楚楚且華身。

つまらない技巧は、出来上ったものが用途が無く、製作者が王に養われて美々しい衣服で身を飾ったに過ぎないということなのだ。

大雅思文王,頌聲久崩淪。

かの詩経の大雅は文王の孝徳を賛じたもので、それはまことに結構なことだが、今日これを誦辭てみてもただ古を懐情するということだけだし、詩経、頌の一文は、立派なものではあるが、それ自体は崩れ淪んでから久しいのである。

安得郢中質,一揮成斧斤。  

何とかして郢中の目標に、風を起こす斧を揮って一遍に削り落して見たいものだ。

 

(古風,五十九首の三十五)

醜女 來って顰【ひん】に效【なら】い,家に還って四鄰を驚かす。

壽陵 本步を失い,邯鄲【かんたん】の人を笑殺す。

一曲 斐然の子,雕蟲【ちょうちゅう】天真を喪う。

 

棘刺【きょくし】沐猴【もくこう】を造り,三年 精神を費す。

功 成って用うる所無く,楚楚 且つ身を華にす。

大雅 文王を思い,頌聲【しょうせい】久しく崩淪【ほうりん】。

安んぞ得ん 郢中【えいちゅう】の質,一揮 斧斤【ふうきん】を成すを。  

 

安史の乱当時の勢力図 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『古風,五十九首之三十五』 現代語訳と訳註解説

(本文)

古風,五十九首之三十五

醜女來效顰,還家驚四鄰。

壽陵失本步,笑殺邯鄲人。

一曲斐然子,雕蟲喪天真。

 

(下し文)

(古風,五十九首の三十五)

醜女 來って顰【ひん】に效【なら】い,家に還って四鄰を驚かす。

壽陵 本步を失い,邯鄲【かんたん】の人を笑殺す。

一曲 斐然の子,雕蟲【ちょうちゅう】天真を喪う。

 

(現代語訳)

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)

むかし、醜女が来て、西施の癪を煩い胸の苦しい時に胸をかかえて顔をしかめるのを見た、家に還って自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がって、隣近所を驚かした。

寿陵というところの二男が行儀作法を趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った、というので邯鄲の人を大笑ひさせた。

かの斐然として文章ある子弟輩が詩歌を作るのはよいが、雕蟲の様な小技を弄し、つまらぬ修辞に凝って天真爛漫な妙趣をなくしてしまう。

安史期のアジアssH 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(訳注)

古風,五十九首之三十五

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)

 【題解】 蕭士贇の説に 此の篇は、

蕭云:「此篇蓋譏世之作詩賦者,不過藉此以取科第、干祿位而已,何益於世教哉!太白嘗論詩曰:『將復古道,非我而誰?』雅頌之作,太白自負者如此。然安得雅頌之人識之如郢人之質能當匠石之運斤耶?

けだし世の詩賦を作るものをそしる。これをかって、もって科第を取る、祿位を干むるにすぎざるのみ、何ぞ世教に益あらんや。太白かって詩を論じていわく、『まさに古道に復せんとす、我にあらずして誰ぞや』、と。雅頌の作,太白自負するもののかくのごとくしかり。いずくんぞ雅頌の人、これを識こと郢人の質、能く匠石の斤を運するにあたるがごとを得んや?」

とある。

醜女來效顰,還家驚四鄰。

むかし、醜女が来て、西施の癪を煩い胸の苦しい時に胸をかかえて顔をしかめるのを見た、家に還って自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がって、隣近所を驚かした。

效顰 《荘子、天運篇》〔西施が胸を病み,胸をかかえて顔をしかめるのを見た醜女が,自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がったという「荘子天運」の寓話から〕むやみに人の真似をして物笑いとなること。また,人の真似をしたものであることを謙遜していう場合に使う。西施捧心(ほうしん)。単に「顰みに倣う」とも。

 

壽陵失本步,笑殺邯鄲人。

寿陵というところの二男が行儀作法を趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った、というので邯鄲の人を大笑ひさせた。

寿陵 中国の皇帝が生前にあらかじめ造営する陵墓。驪山(りざん)の始皇陵が最大だが,渭水北方の前漢の帝陵,洛陽付近の後漢の帝陵,醴泉(れいせん)の唐の太宗の昭陵も有名。

矢本歩 壽陵の若者が趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った《荘子、秋水篇》。

 

一曲斐然子,雕蟲喪天真。

かの斐然として文章ある子弟輩が詩歌を作るのはよいが、雕蟲の様な小技を弄し、つまらぬ修辞に凝って天真爛漫な妙趣をなくしてしまう。

一曲 一隅である。一地方。

斐然 文章を成すの貌。

 

棘刺造沐猴,三年費精神。

実際、三年の間精根を打込んで懸命に会得しようとしたが、何の役にも立たず、ただその人が、物事を計るのに、基準と為る度量が無いならば,此のイバラのとげを彫刻するというような(荒唐無稽な)を論じる言説の士が多くなることでしょうということなのだ。

棘刺造沐猴 《韓非子、外儲説左上》宋人で燕王のために、イバラのとげの先端で猿を作ることを願った者がいた。必ず三ヶ月の間、潔斎をして、その後に始めて像を觀ることができるのだと言った。そこで燕王は兵車三台(を出せる格式)の俸給を出し宋人を養った。燕王のそばに仕える治工(かじや)は王にこう言った「私は、人の上に立つ君主が十日も宴会をせず潔斎することはないと聞いております。今、宋人は王が用もない器を観るために潔斎することなど不可能だと考えて,そこで三ヶ月を期限としたのでしょう。凡そ彫刻する者が,彫刻のために用いる道具は必ず削るものより小さい道具を使います。今、私は鍛冶屋ですが,(イバラのとげの先より小さい)そんな彫刻刀は作ることはできません。此れはありえない物であります。王よ、必ずこの事を御明察なさって下さい。」そこで王は、宋人を囚えて尋問したところ,果たして虚言だったので,この人を殺した。鍛冶屋は王にこう言った「物事を計るのに、基準と為る度量が無いならば,此のイバラのとげを彫刻するというような(荒唐無稽な)を論じる言説の士が多くなることでしょう。」

三年費精紳 是は上韓非子の故事と無関係だが、「荘子」列御寇篇に見える、朱泙が竜を屠るの術を学び、三年にして技成る、而して其の巧を用いる所無し、と云ふ寓話を結合したものらしい。

 

功成無所用,楚楚且華身。

つまらない技巧は、出来上ったものが用途が無く、製作者が王に養われて美々しい衣服で身を飾ったに過ぎないということなのだ。

楚楚 鮮明の貌。

 

大雅思文王,頌聲久崩淪。

かの詩経の大雅は文王の孝徳を賛じたもので、それはまことに結構なことだが、今日これを誦辭てみてもただ古を懐情するということだけだし、詩経、頌の一文は、立派なものではあるが、それ自体は崩れ淪んでから久しいのである。

思文王 「詩経」大雅の首十すだれ篇は主として周の文王に関することが詠じられてゐる。

頌聾 「詩経」に周頌・裔頌・魯頌有り、主として其の先組を祭る歌。大雅と並んで荘重なる詩。

 

安得郢中質,一揮成斧斤。  

何とかして郢中の目標に、風を起こす斧を揮って一遍に削り落して見たいものだ。

安得 あきらてのひら願望を表はす言葉。

郢中質 郢の人が其の鼻の端に白土を蝿の翼ほど塗り付けて、匠石(石工)をして之を削らせてみると、斧を運らして風を成し、つちを削り取って鼻は傷かない。後に此の質になる男が死んでから、匠石の妙技も出来なくなった《荘子、徐無鬼》。

 もと弓の質的【まと】。ここでは運斤の目標である。

成斧斤 宋本には「成斧斤」と有るが斤は斧である。

李白集校注 訳注解説ブログ 750年-1 《古風,五十九首之一 【巻二(一)九一・大雅】》 #2 漢文委員会 紀 頌之 Blog11008

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750

天寶九年

 

 

1. 古風,五十九首之一   #2

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ11000

 

 

 

 

李白の思想哲學を考察する上で、最も基礎的な文献として指摘・言及される作品は古風五十九首である。

修僻技法の側面とりわけ、隠喩やその延長線上にある諷喩においても、大きな成果をあげているものと考えられ、その表現手法そのものが、李白の発想上の特色なのである。

を明らかにする手掛りになるように思われるのである。

 

 

古風五十九首之一  #1

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)の一

大雅久不作,吾衰竟誰陳。

詩経の大雅のような堂々として荘重な詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活して陳べてくれるだろうか。

王風委蔓草,戰國多荊榛。

諸侯の国の民話である「王風」の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の世の詩、文学は、イバラとハシバミが代表するような雑草・雑木林ばかりになってしまった。

龍虎相啖食,兵戈逮狂秦。」

それは竜と虎とが食いあうように戦国諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、天下は統一されたものの、狂暴な秦国の「焚書坑儒」の思想弾圧事件に及んでしまった。

正聲何微茫,哀怨起騷人。

「詩経、大雅」の系統で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより「楚辞」を著し、騒人を生み出した。

揚馬激波,開流蕩無垠。」

揚雄と司馬相如は、屈原の流を汲む者として崩れゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。」
廢興雖萬變,憲章亦已淪。

その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化したのだけれど、正しい詩法はすっかり文学の世界から沈んでしまったのだ。

自從建安來,綺麗不足珍。』

それ以降、建安文学の時代に至ったのであるが、ただ綺麗な文、清談といわれる詩を作るだけで、新しく珍しく良いものは見ることはできない。

大雅久しく作【おこ】らず、吾れ衰えなば竟【つい】に誰か陳【の】べん。

王風 蔓草【まんそう】に委【い】し、戦国 荊榛【けいしん】多し。

龍虎 相い啖食【たんしょく】し、兵戈 狂秦【きょうしん】に逮【およ】ぶ。」

正声 何ぞ微茫たる、哀怨 騒人より起こる。

揚馬【ようば】頽波【たいは】を激し、流れを開き 蕩として垠【ぎん】無し。」

廃興 万変すと雖も、憲章 亦た已に淪【ほろ】ぶ。

建安より来【こ】のかたは、綺麗にして珍とするに足らず。』

 

#2

聖代復元古,垂衣貴清真。

唐歴代の皇帝は聖天子であり、太古の三皇五帝の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すがすがしい宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道を貴ぶようになった。

群才屬休明,乘運共躍鱗。

これまで多くの才能ある人びとは、やすらかであかるい御代にいることで活かされたのだ、そして、その時代の運気に乗って、才能ある者たちが相乗して魚がうろこをおどらせるように活躍し出したのである。』

文質相炳煥,眾星羅秋旻。」

その素材にはあや模様と良い生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやくようになったのである。

我志在刪述,垂輝映千春。

わたしの志は、孔子が三千以上から選りすぐり、再編して三百余りの『詩経』とされた古代のおおらかな詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。

希聖如有立,筆於獲麟。」

聖人孔子の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにしようと思うのだ。』

 

聖代 元古に復し、衣を垂れて清真を貴ぶ。

群才 休明に属し、運に乗じて共に鱗を躍【おど】らす。

文質 相い炳煥【へいかん】し、衆星 秋旻【しゅうびん】に羅【つら】なる。」

我が志は刪述【さんじゅつ】に在り、輝を垂れて千春を映【てら】さん。

聖を希【こいねが】いて如【も】し立つ有らば、筆を獲麟【かくりん】に絶たん。』

 

 

『古風五十九首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風五十九首之一  #1

大雅久不作,吾衰竟誰陳。王風委蔓草,戰國多荊榛。

龍虎相啖食,兵戈逮狂秦。」

正聲何微茫,哀怨起騷人。揚馬激波,開流蕩無垠。」

廢興雖萬變,憲章亦已淪。自從建安來,綺麗不足珍。』

#2

聖代復元古,垂衣貴清真。群才屬休明,乘運共躍鱗。

文質相炳煥,眾星羅秋旻。」

我志在刪述,垂輝映千春。希聖如有立,筆於獲麟。」

 

 

(下し文)

(古風五十九首 其の一)#2

聖代 元古に復し、衣を垂れて清真を貴ぶ。

群才 休明に属し、運に乗じて共に鱗を躍【おど】らす。

文質 相い炳煥【へいかん】し、衆星 秋旻【しゅうびん】に羅【つら】なる。」

我が志は刪述【さんじゅつ】に在り、輝を垂れて千春を映【てら】さん。

聖を希【こいねが】いて如【も】し立つ有らば、筆を獲麟【かくりん】に絶たん。』

 

(現代語訳)

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)の一 #2

唐歴代の皇帝は聖天子であり、太古の三皇五帝の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すがすがしい宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道を貴ぶようになった。

これまで多くの才能ある人びとは、やすらかであかるい御代にいることで活かされたのだ、そして、その時代の運気に乗って、才能ある者たちが相乗して魚がうろこをおどらせるように活躍し出したのである。』

その素材にはあや模様と良い生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやくようになったのである。

わたしの志は、孔子が三千以上から選りすぐり、再編して三百余りの『詩経』とされた古代のおおらかな詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。

聖人孔子の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにしようと思うのだ。』

 

 

(訳注)

古風五十九首之一  #1

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)の一 #2

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。宋本は通計五十九篇であり、おおむねこの本をテキストとして進める。

この「古風」篇は李白が自ら其の志をいうのである。結論は冒頭の二句にあり、最後の四句にある。

前段の「給麗不足珍」以上は首の第一句の意、即ち大雅の衰微久しきを述べ、後段の「筆于獲麟」までは首の第二句の意、即ち「我末だ老衰せざる間に大雅復興の業を完成したい」との志望を述べたのである。

 

聖代復元古。 垂衣貴清真。 

唐歴代の皇帝は聖天子であり、太古の三皇五帝の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すがすがしい宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道を貴ぶようになった。

聖代 聖は唐歴代の皇帝は聖天子であり、唐王朝、唐の時代をさす。

元古 太古。

垂衣 周易」の繋辭傳に「黄帝・堯・舜は衣裳を垂れて而して天下治まる」と有り、無為にして世の治まったこと。唐の治世を之に比す。三皇五帝の時代は仁徳という衣を地に垂れていただけで、天下がよく治まったことをいう。

清真 すっきりとして、ありのままなことで、清は清浄であり、真は天真である。「清真を貴ぶ」とは、宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道(タオ)とする道教を貴んだことではある。いずれも道家の貴ぶ所。唐の王室の姓は李であり、老子は李耳と同姓であるとして、それを以て之を尊び、道教を盛んにした。

 

群才屬休明。 乘運共躍鱗。』

これまで多くの才能ある人びとは、やすらかであかるい御代にいることで活かされたのだ、そして、その時代の運気に乗って、才能ある者たちが相乗して魚がうろこをおどらせるように活躍し出したのである。』

休明 休は善であり、慶である。芽出たく明らかなる御代に逢うたと云ふこと。

鱗 龍鱗。優れたる才能を喩へる。

 

文質相炳煥、眾星羅秋旻。 

その素材にはあや模様と良い生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやくようになったのである。

文質 文はあやで模様と質は素材、生地。詩の雰囲気と詩の形式。

炳煥 てりはえる。

秋旻 秋の空。

 

我志在刪述、垂輝映千春。 

わたしの志は、孔子が三千以上から選りすぐり、再編して三百余りの『詩経』とされた古代のおおらかな詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。

刪述 けずって、のべる。良くない所はけずり、良い所をのべつたえる。西周時代、当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる。史記・孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成し直したということに倣うこと。 

千春 千年

 

希聖如有立、筆于獲麟。』

聖人孔子の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにしようと思うのだ。』

希聖 聖は孔子。希は之に倣ふことを希【こいねが】う。

有立 成立すること。成就すること。

筆於獲麟 孔子が魯の歴史「春を編して、魯の哀公十四年に至り、魯人が麒麟を捕獲した事箕に遭遇し、此の霊験が乱世に出現して野人に獲られたことを嘆じ、比の一條を最後として「春秋」の筆を絶ったと云ふ。孔子を慕ふ意味で此の故事を用いたのである。

獲麟 むかし孔子は歴史の本「春秋」を著わしたとき、「麒麟をつかまえた」という所で筆を絶った。麒麟は、空想の動物で、聖人のあらわれる瑞兆とされている。


 

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李白集校注 訳注解説ブログ 750-1 《古風,五十九首之一 【巻二(一)九一・大雅】》 漢文委員会  Blog11000

 

 

李白の思想哲學を考察する上で、最も基礎的な文献として指摘・言及される作品は古風五十九首である。

修僻技法の側面とりわけ、隠喩やその延長線上にある諷喩においても、大きな成果をあげているものと考えられ、その表現手法そのものが、李白の発想上の特色なのである。

を明らかにする手掛りになるように思われるのである。

この李白を理解するためには、彼の代表的な連作である古風五十九首を一首づつ丁寧に読んでいく必要がある。この作品群に対する彼の作詩態度を探っていって、その後に、時系列に他の作品を読んでいくことが大切なのである。李白を理解する、早道であり、基本的な学習法である。一千首前後有り、長詩もあるので、毎日8句~10句程度で進める。できる事なら、それを数回繰り返して読み、螺旋階段を上るように理解が高められるということなのである。

  

750

天寶九年

 

 

1. 古風,五十九首之一【巻二(一)九一・大雅】#1 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ11000

 

 


 750
年天寶九年50歳 春、梁苑から穎陽で元丹邱と嵩山に行く、襄陽で半年、秋、南陽で年越 の間の作品は次のとおりである。 

1

古風,五十九首之一   【巻二(一)九一・大雅】

大雅久不作,

2

古風,五十九首之三十五   【巻七(一)五二三】

醜女來效顰,

3

僧伽歌   【巻二(一)一五六・醜女】

真僧法號號僧伽,

4

贈丹陽橫山周處士惟長   【巻九(一)六〇八】

周子橫山隱,

5

雪讒詩贈友人   【巻九(一)六三二】

嗟予沈迷,

6

留別金陵諸公   【巻一五(一)九二六】

海水昔飛動,

7

金陵白下亭留別   【巻一五(一)九三〇】

驛亭三楊樹,

8

別東林寺僧   【巻一五(一)九三〇】

東林送客處,

9

送別   【巻一七(二)一〇二二】

潯陽五溪水,

10

潯陽送弟昌峒鄱陽司馬作  【巻一八(二)一〇六〇】

桑落洲渚連,

11

登黃山凌歊臺,送族弟溧陽尉濟充泛舟赴華陰【巻一八(二)一〇八六】

鸞乃鳳之族,

12

日夕山中忽然有懷  【巻二三(二)一三四六】

久臥青山雲,

13

廬山東林寺夜懷   【巻二三(二)一三四九】

我尋青蓮宇,

14

秋日與張少府楚城韋公藏書高齋作 【巻二三(二)一三五六】

日下空庭暮,

15

感遇,四首之一   【巻二四(二)一三九五】

吾愛王子晉,

16

尋陽紫極宮感秋作   【巻二四(二)一四〇〇】

何處聞秋聲,

17

題嵩山逸人元丹丘山居  【巻二五(二)一四四五】并序:白久在廬霍,元公近遊嵩山,故交深情,出處無間。巖信頻及,許為主人,欣然適會本意,當冀長往不返,欲便舉家就之,兼書共遊,因有此贈

家本紫雲山,

18

尋高鳳石門山中元丹丘 【卷二三(二)一三二六】

尋幽無前期

19

秋日鍊藥院鑷白髮贈元 【卷十(一)六六五】

木落識

20

憶舊遊寄譙郡元參軍 【卷十三(一)八四四】

憶昔洛陽董糟

21

冬夜醉宿龍門覺起言 【卷二三(二)一三三六】

醉來寶劍

22

江上寄元六林宗【卷四(一)八七九】

霜落江始寒

23

酬談少府 【卷十九(二)一○九一】

一尉居倏忽

24

崇明寺佛頂尊勝陀尼幢頌并序 【卷二八(二)一六○八】

共工不觸山

 

 

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。宋本は通計五十九篇であり、おおむねこの本をテキストとして進める。

 

 

 

古風五十九首之一  #1

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)の一

大雅久不作,吾衰竟誰陳。

詩経の大雅のような堂々として荘重な詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活して陳べてくれるだろうか。

王風委蔓草,戰國多荊榛。

諸侯の国の民話である「王風」の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の世の詩、文学は、イバラとハシバミが代表するような雑草・雑木林ばかりになってしまった。

龍虎相啖食,兵戈逮狂秦。」

それは竜と虎とが食いあうように戦国諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、天下は統一されたものの、狂暴な秦国の「焚書坑儒」の思想弾圧事件に及んでしまった。

正聲何微茫,哀怨起騷人。

「詩経、大雅」の系統で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより「楚辞」を著し、騒人を生み出した。

揚馬激波,開流蕩無垠。」

揚雄と司馬相如は、屈原の流を汲む者として崩れゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。」
廢興雖萬變,憲章亦已淪。

その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化したのだけれど、正しい詩法はすっかり文学の世界から沈んでしまったのだ。

自從建安來,綺麗不足珍。』

それ以降、建安文学の時代に至ったのであるが、ただ綺麗な文、清談といわれる詩を作るだけで、新しく珍しく良いものは見ることはできない。

 

大雅久しく作【おこ】らず、吾れ衰えなば竟【つい】に誰か陳【の】べん。

王風 蔓草【まんそう】に委【い】し、戦国 荊榛【けいしん】多し。

龍虎 相い啖食【たんしょく】し、兵戈 狂秦【きょうしん】に逮【およ】ぶ。」

正声 何ぞ微茫たる、哀怨 騒人より起こる。

揚馬【ようば】頽波【たいは】を激し、流れを開き 蕩として垠【ぎん】無し。」

廃興 万変すと雖も、憲章 亦た已に淪【ほろ】ぶ。

建安より来【こ】のかたは、綺麗にして珍とするに足らず。』

 

#2

聖代復元古,垂衣貴清真。群才屬休明,乘運共躍鱗。

文質相炳煥,眾星羅秋旻。」

我志在刪述,垂輝映千春。希聖如有立,筆於獲麟。」

 

聖代 元古に復し、衣を垂れて清真を貴ぶ。

群才 休明に属し、運に乗じて共に鱗を躍【おど】らす。

文質 相い炳煥【へいかん】し、衆星 秋旻【しゅうびん】に羅【つら】なる。」

我が志は刪述【さんじゅつ】に在り、輝を垂れて千春を映【てら】さん。

聖を希【こいねが】いて如【も】し立つ有らば、筆を獲麟【かくりん】に絶たん。』

 

 

『古風、五十九首其一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

古風,五十九首之一  #1

大雅久不作,吾衰竟誰陳。王風委蔓草,戰國多荊榛。

龍虎相啖食,兵戈逮狂秦。」

正聲何微茫,哀怨起騷人。揚馬激波,開流蕩無垠。」

廢興雖萬變,憲章亦已淪。自從建安來,綺麗不足珍。』

 

(下し文)

王風 蔓草【まんそう】に委【い】し、戦国 荊榛【けいしん】多し。

龍虎 相い啖食【たんしょく】し、兵戈 狂秦【きょうしん】に逮【およ】ぶ。」

正声 何ぞ微茫たる、哀怨 騒人より起こる。

揚馬【ようば】頽波【たいは】を激し、流れを開き 蕩として垠【ぎん】無し。」

廃興 万変すと雖も、憲章 亦た已に淪【ほろ】ぶ。

建安より来【こ】のかたは、綺麗にして珍とするに足らず。』

 

(現代語訳)

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)

詩経の大雅のような堂々として荘重な詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活して陳べてくれるだろうか。

諸侯の国の民話である「王風」の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の世の詩、文学は、イバラとハシバミが代表するような雑草・雑木林ばかりになってしまった。

それは竜と虎とが食いあうように戦国諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、天下は統一されたものの、狂暴な秦国の「焚書坑儒」の思想弾圧事件に及んでしまった。

「詩経、大雅」の系統で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより「楚辞」を著し、騒人を生み出した。

揚雄と司馬相如は、屈原の流を汲む者として崩れゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。」
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化したのだけれど、正しい詩法はすっかり文学の世界から沈んでしまったのだ。

それ以降、建安文学の時代に至ったのであるが、ただ綺麗な文、清談といわれる詩を作るだけで、新しく珍しく良いものは見ることはできない。

 

(訳注解説)

古風五十九首之一  #1

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)の一

 

大雅久不作。 吾衰竟誰陳。 

詩経の大雅のような堂々として荘重な詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活して陳べてくれるだろうか。

大雅 「詩経」の分類の一種で、周の王室に関することを詠じたものが多く、詩経中もっとも堂々として荘重な作が集められている。

 「禮記」王制篇に、古は天子が大師(楽官の長)に命じ、詩を陳ねしめて以て民間の風俗を観た、と有る。陳は陳述である。 

 

王風委蔓草、戰國多荊榛。 

諸侯の国の民話である「王風」の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の世の詩、文学は、イバラとハシバミが代表するような雑草・雑木林ばかりになってしまった。

王風 詩経の国風篇巻の六。周の都が東方の洛邑(今の河南洛陽)に遷都により、王室の尊厳が衰えたので、王城畿内の歌話を諸侯の国の民話(即ち国風)と同等に取扱って之を王風と日った。

 棄置である。蔓草の叢生、はびこるにまかせる。・

戦国 紀元前5~前3世紀までの秦・楚・燕・斉・韓・超・魏の七国が争った時代。周は洛邑(王城・成周)周辺を支配する小国となり、往時と比するべくもない程まで没落した。それでも権威だけは保持しており、諸侯たちはその権威を利用して諸侯の間の主導権を握ろうとした(春秋五覇)。そのわずかな権威も戦国時代に入ると完全に無くなり、各諸侯がそれぞれ「王」を称するようになった。その小さな王朝の中でも権力争いは続いており、東西に分裂したり、何度となく王が殺されることが起きた。

荊榛 雑木雑草。イバラとハシバミ。また、それらが茂る雑木林のこと。「

 

龍虎相啖食、兵戈逮狂秦。

それは竜と虎とが食いあうように戦国諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、天下は統一されたものの、狂暴な秦国の「焚書坑儒」の思想弾圧事件に及んでしまった。

兵戈 武器。戦争。 

 及ぶ。とどく。 

狂秦 狂暴な秦。秦王朝が統治していた時代に発生した「焚書坑儒」の思想弾圧事件。

 

正聲何微茫、哀怨起騷人。 

「詩経、大雅」の系統で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより「楚辞」を著し、騒人を生み出した。

正聲 詩経、特に大雅の系統を意味する。

騒人 「離騒」の作者である屈原(前三世紀)をはじめ「楚辞」をあらわし、悲憤條慨の詩を作った一派の詩人たち、それ以来悲憤憤慨の人をたくさん作りだしたことをいう。

 

揚馬激波、開流蕩無垠。」 

揚雄と司馬相如は、屈原の流を汲む者として崩れゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。」

揚馬 前一、二世紀の漢の時代に出た文人で、漢の揚雄と司馬相如。漢代の賦の代表的作家。屈原の流を汲む者。 

揚雄 《甘泉賦 序》 全26回文選  詩<107李白に影響を与えた詩854 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2818

 揚雄(よう ゆう、紀元前53年(宣帝の甘露元年) - 18年(王莽の天鳳5年))は、中国前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。揚雄は年少の頃から学問を好み、広く書を読んで見ていない書物がないほどであった。細々としたことは気にしない大まかな性格で、人と論争するのは得意ではなく、黙って思惑に耽ることを好んだ。また富谷や名声を求めようとしなかった。家産は十金にすぎず、わずか1石(訳31キロ)か2石の米のたくわえもない貧しさであったが、安らかで落ち着いており、度量が大きかった。蜀の地にいた若いころは、郷土の先輩司馬相如の影響から辞賦作りに没頭していた。賦を作るごとに司馬相如の作品を見本とした。また揚雄は、世に悲観し、自ら江水に身を投じた屈原の『離騒』に深く感銘を受け、『反離騒』を作り、その死を哀悼した。30歳を過ぎたときはじめて都の京師に上るが、彼の文学の才能を推薦する者がおり、これが認められて待詔(皇帝の下問に答える者)となった。

司馬相如 《子虚賦 》(1)#0-0 文選 賦<109-#0-0>9分割26回 李白に影響を与えた詩880 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2948

司馬相如 《上林賦 》(1)#1-1 文選 賦<110-#1-1>9分割26回 李白に影響を与えた詩906 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3078

司馬 相如(しば しょうじょ、紀元前179 - 紀元前117年)は、中国の前漢の頃の文章家である。字は長卿(ちょうけい)。もとの名は犬子(けんし)と言った。蜀郡成都県の人。賦の名人として知られ、武帝に仕え、その才能を高く評価された。また妻である卓文君との恋愛も有名である。司馬相如は、蜀郡の成都の裕福な家に生まれた。若い頃は、書物を読むことを好み、剣術を習っていた。もともと名は犬子であったが、成長後、戦国時代の趙の将軍である藺相如に憧れて、相如に改めた。前漢の当時の官僚体制では、入貲という、飢饉などの際にある一定の穀物やそれに相当する金銭を納めることで郎となることができた。そのため司馬相如もこの方法によって、郎となり景帝に仕えた。後、武騎常侍となった。しかし、景帝が文学を好まなかったこともあり、司馬相如はこの仕事に愛着を持っていなかった。

 屈原の後、衰えかけた賦を盛んにした人である。

 かぎり、はて。さかい。

 

廢興雖萬變、憲章亦已淪。

その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化したのだけれど、正しい詩法はすっかり文学の世界から沈んでしまったのだ。

憲章 正しい法則。・憲章 法度憲章。

 沈没。

 

自從建安來。 綺麗不足珍。』 

それ以降、建安文学の時代に至ったのであるが、ただ綺麗な文、清談といわれる詩を作るだけで、新しく珍しく良いものは見ることはできない。

自徒 同義の字を重ねたものである。

建安 後漢末期、建安年間、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。三曹七子。三曹 : 曹操・曹丕・曹植 建安七子孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀。

秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝朓 #2 校注(卷二二〔二〕一三〇二)、卷181-32(天上何所有,) 李白詩749年-12 紀頌之Blog12065

秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝朓 #2 校注(卷二二〔二〕一三〇二)、卷181-32(天上何所有,) 李白詩749-12 紀頌之Blog12065

 

 

秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝

朝代:唐代

作者:李白

#1

天上何所有,迢迢白玉繩。
斜低建章闕,耿耿對金陵。
漢水舊如練,霜江夜清澄。

#2
長川瀉落月,洲渚曉寒凝。
獨酌板橋浦,古人誰可徵。
玄暉難再得,灑酒氣填膺。

 

 (秋夜,板橋浦,月に泛んで獨酌し、謝脁を懷う。)

天上 何の有る所,迢迢たり 白玉繩。
斜に建章の闕のに低れ,耿耿として 金陵に對す。
漢水 舊と練の如し,霜江 夜 清澄たり。
長川 落月を瀉し,洲渚 曉寒 凝る。
獨り酌む 板橋浦,古人 誰か徵す可き。
玄暉 再び得びがたし,酒を灑いで 氣 膺を填む。

 

  秋夜板橋浦汎月獨酌懐謝眺            王琦註

 《水經註》江水經三山又湘浦出焉水上南北結浮橋渡水故曰板橋浦

 《太平寰宇記》板橋浦在昇州江寜縣南四十里五尺源出觀山三十七里注大江

 謝𤣥暉之《宣城出新林浦向板橋詩》云、江路西南永歸流東北鶩天際識歸舟雲中辨江樹

天上何所有,迢迢白玉繩。

斜低建章闕,耿耿對金陵。

漢水舊如練,霜江夜清澄。

長川瀉落月,洲渚曉寒凝。

獨酌板橋浦,古人誰可徵。

玄暉難再得,灑酒氣填膺。

謝眺詩 玉䋲低建章。 李善註 春秋元命苞曰玉衡北兩星為玉䋲星。 

宋書永光元年以石頭城為長樂宫以北邸為建章宫

齊書、謝眺字𤣥暉陳郡陽夏人少好學有美名文章清麗江淹恨賦置酒欲

飲悲來填膺。李善註填滿也。

 

 

《秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝》 譯文及註釋

秋夜 (1) 板橋浦泛月獨酌懷 (2) 謝脁

天上何所有,迢迢白(3)玉繩
斜低 (4) 建章闕,耿耿對金陵。
漢水舊如練,霜江夜清澄。
長川瀉落月,洲渚曉寒凝。
獨酌板橋浦,古人誰可徵。
(5)玄暉難再得,灑酒氣 (6) 填膺

 

読み下し文

(秋夜、板橋浦、月に泛んで獨酌し、謝脁を懷う。)

天上 何の有る所,迢迢たり 白玉繩。 
斜に建章の闕に低れ,耿耿として 金陵に對す。 
漢水 舊と練の如し,霜江 夜 清澄たり。 
長川 落月を瀉し,洲渚 曉寒 凝る。 
獨り酌む 板橋浦,古人 誰か徵す可き。 
玄暉 再び得がたし,酒を灑いで 氣 膺【むね】を填【うづ】む。

 

詩意

(秋の夜長、金陵の近くの板橋浦に船を泛べ、月に対して独酌しつつ、かねてより推服している謝朓のゆかりの地であり、それを胸に思い作った詩である。)

天井には何かあるというところであり、北斗の玉繩の星が迢迢として白く輝いている。

そしてその星たちは、建章宮の上の斜めに低く垂れている、そして、耿耿として金陵の山々に対して続いている。

漢水は、“元の練の如し”と言われたぐらいに流れているが、まして、長江の水は極めて冷ややかに、夜色は澄み切っている。

長川はまさに落月に瀉いでいるようだし、河岸の渚、中洲の渚が断続的に連なる間に、曉寒が凝って白靄が川面に広がる。

船を泛べる板橋蒲に、こうして独酌への興も上がってくれば、古くから詩人のだれを徵すべきであろうか。

そうなれば、この地の風景を詠っている謝玄暉は再び得難い詩人であり、酒を灌げば、恨気はこの胸を填ばかりである。

 

 

 

 

訳注解説

秋夜 (1) 板橋浦泛月獨酌懷 (2) 謝脁

(秋の夜長、金陵の近くの板橋浦に船を泛べ、月に対して独酌しつつ、かねてより推服している謝朓のゆかりの地であり、その遺跡を目にすれば、それを胸に思い作った詩である。)

 

長川瀉落月,洲渚曉寒凝

長川はまさに落月に瀉いでいるようだし、河岸の渚、中洲の渚が断続的に連なる間に、曉寒が凝って白靄が川面に広がる。

・長川瀉落月 川面の映る西に落ちかかる月を盃に支流の長川からの流れが注ぎ込む という。

・曉寒凝 深夜から朝が近づくにつれ、空気中の温度が去ってゆくと川面の温度変化に、靄が発生する。

 

獨酌板橋浦,古人誰可

船を泛べる板橋蒲に、こうして独酌への興も上がってくれば、古くから詩人のだれを徵すべきであろうか。

 

 

(5)玄暉難再得,灑酒氣 (6) 填膺。

そうなれば、この地の風景を詠っている謝玄暉は再び得難い詩人であり、酒を灌げば、恨気はこの胸を填ばかりである。

(5)玄暉:齊書に、謝眺、字は𤣥暉、陳郡陽夏の人、少にして學を好み、美名有り 文章は清麗」とある。

(6) 填膺:江淹の恨賦に「置酒飲んと欲せば悲來し膺に填る。」とある。填は満満る。

膺:①むね(胸)。「服膺」 ②あ(当)てる。うける。ひきうける。「膺受」 ③うつ。征伐する。「膺懲」

秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝朓 #1 校注(卷二二〔二〕一三〇二)、卷181-32(天上何所有,) 李白詩749年-12 紀頌之Blog12057

秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝朓 #1 校注(卷二二〔二〕一三〇二)、卷181-32(天上何所有,) 李白詩749-12 紀頌之Blog12057

 

 

秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝

朝代:唐代

作者:李白

#1

天上何所有,迢迢白玉繩。
斜低建章闕,耿耿對金陵。
漢水舊如練,霜江夜清澄。

#2
長川瀉落月,洲渚曉寒凝。
獨酌板橋浦,古人誰可徵。
玄暉難再得,灑酒氣填膺。

 

 (秋夜,板橋浦,月に泛んで獨酌し、謝脁を懷う。)

天上 何の有る所,迢迢たり 白玉繩。
斜に建章の闕のに低れ,耿耿として 金陵に對す。
漢水 舊と練の如し,霜江 夜 清澄たり。
長川 落月を瀉し,洲渚 曉寒 凝る。
獨り酌む 板橋浦,古人 誰か徵す可き。
玄暉 再び得びがたし,酒を灑いで 氣 膺を填む。

 

  秋夜板橋浦汎月獨酌懐謝眺            王琦註

 《水經註》江水經三山又湘浦出焉水上南北結浮橋渡水故曰板橋浦

 《太平寰宇記》板橋浦在昇州江寜縣南四十里五尺源出觀山三十七里注大江

 謝𤣥暉之《宣城出新林浦向板橋詩》云、江路西南永歸流東北鶩天際識歸舟雲中辨江樹

天上何所有,迢迢白玉繩。

斜低建章闕,耿耿對金陵。

漢水舊如練,霜江夜清澄。

長川瀉落月,洲渚曉寒凝。

獨酌板橋浦,古人誰可徵。

玄暉難再得,灑酒氣填膺。

謝眺詩 玉䋲低建章。 李善註 春秋元命苞曰玉衡北兩星為玉䋲星。 

宋書永光元年以石頭城為長樂宫以北邸為建章宫

齊書、謝眺字𤣥暉陳郡陽夏人少好學有美名文章清麗江淹恨賦置酒欲

飲悲來填膺。李善註填滿也。

 

 

《秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝》 譯文及註釋

秋夜 (1) 板橋浦泛月獨酌懷 (2) 謝脁

天上何所有,迢迢白(3)玉繩
斜低 (4) 建章闕,耿耿對金陵。
漢水舊如練,霜江夜清澄。
長川瀉落月,洲渚曉寒凝。
獨酌板橋浦,古人誰可徵。
(5)玄暉難再得,灑酒氣 (6) 填膺

 

読み下し文

(秋夜、板橋浦、月に泛んで獨酌し、謝脁を懷う。)

天上 何の有る所,迢迢たり 白玉繩。 
斜に建章の闕に低れ,耿耿として 金陵に對す。 
漢水 舊と練の如し,霜江 夜 清澄たり。 
長川 落月を瀉し,洲渚 曉寒 凝る。 
獨り酌む 板橋浦,古人 誰か徵す可き。 
玄暉 再び得がたし,酒を灑いで 氣 膺【むね】を填【うづ】む。

 

詩意

(秋の夜長、金陵の近くの板橋浦に船を泛べ、月に対して独酌しつつ、かねてより推服している謝朓のゆかりの地であり、それを胸に思い作った詩である。)

天井には何かあるというところであり、北斗の玉繩の星が迢迢として白く輝いている。

そしてその星たちは、建章宮の上の斜めに低く垂れている、そして、耿耿として金陵の山々に対して続いている。

漢水は、“元の練の如し”と言われたぐらいに流れているが、まして、長江の水は極めて冷ややかに、夜色は澄み切っている。

長川はまさに落月に瀉いでいるようだし、河岸の渚、中洲の渚が断続的に連なる間に、曉寒が凝って白靄が川面に広がる。

船を泛べる板橋蒲に、こうして独酌への興も上がってくれば、古くから詩人のだれを徵すべきであろうか。

そうなれば、この地の風景を詠っている謝玄暉は再び得難い詩人であり、酒を灌げば、恨気はこの胸を填ばかりである。

 

 

訳注解説

秋夜 (1) 板橋浦泛月獨酌懷 (2) 謝脁

(秋の夜長、金陵の近くの板橋浦に船を泛べ、月に対して独酌しつつ、かねてより推服している謝朓のゆかりの地であり、その遺跡を目にすれば、それを胸に思い作った詩である。)

作者:李白
(1) 板橋浦:王琦の解説、・《水經註》に「江水、三山を經、又た湘浦に出づ。水上南北、浮橋を結んで水を渡す。故に板橋浦と曰う」とある。

  ・《太平寰宇記》には、「板橋浦は、昇州江縣の南四十里に在り、五尺源は、觀山を出でて、三十七里、大江に注ぐ。」とある。

謝𤣥暉之《宣城出新林浦向板橋詩》に云う、「江路西南永、歸流東北鶩、天際識歸舟、雲中辨江樹。」

・昇州江縣:建康、金陵、南京のことで、隋代には江寧県、唐代には金陵県、白下県、上元県と改称されている。隋唐代には新たに開削された大運河により、長江対岸の揚州が物資の集積地となり、この地域の中心地としての地位を奪われた恰好となり、往時の都としての繁栄は見られなくなった。唐崩壊後の五代十国時代には、南唐の都城である金陵府が置かれ、後に改名されて西都と称する。三国時代になると呉の孫権が229年に石頭城という要塞を築いて建業と称してこの地に都を置いた。西晋にて一旦、建業とされた後に司馬鄴(愍帝)を避諱して建康と改められ、東晋及びその後の四王朝(宋、斉、梁、陳)の都となった。呉を含めた六国が全て同じ地に都を置いたことから六朝時代の名がある。

【意構成】起首四句は、玉縄の星を写す板橋浦の夜更けの風情を詠じ、中四句は、金陵付近の江上の風景を詠う。下四句は、謝朓を思って追慕の念を詠う。

天上何所有  迢迢白玉
斜低建章闕  耿耿對金
漢水舊如練  霜江夜清
長川瀉落月  洲渚曉寒
獨酌板橋浦  古人誰可
玄暉難再得  灑酒氣填

  
  
  
  
  
  

 

(2)   謝𤣥暉之《宣城出新林浦向板橋詩》云、「江路西南永歸流東北鶩天際識歸舟雲中辨江樹

六朝時代の斉の詩人。字は玄暉(げんき)。陽夏(河南省)の人。早くから文才をうたわれ,明帝のとき宣城太守となった。それによって謝宣城とも呼ばれる。のち斉末の勢力争いに巻き込まれて獄死した。沈約らとともに,武帝の永明年間に竟陵王(きょうりょうおう)蕭子良の客となり,いわゆる「永明体」の詩風をつくった「竟陵八友」の第一人者。形式美の追求と繊細清新な着想と表現を示し,特に叙景詩に優れ,その巧みな対句はのちに唐代の近体詩成立に影響を与えた。唐の杜甫,李白からも大いに推重され,一族の謝霊運,謝恵連とともに「三謝」と呼ばれる。『謝宣城集』(5巻)が現存する。

 

天上何所有,迢迢白(3)玉繩。

天井には何かあるというところであり、北斗の玉繩の星が迢迢として白く輝いている。

迢迢」の意味は遠くへだたるさまのこと。《文選.古詩十九首其十.迢迢牽牛星》:「迢迢牽牛星,皎皎河漢女。」

 

斜低 (4) 建章闕,耿耿對金陵
そしてその星たちは、建章宮の上の斜めに低く垂れている、そして、耿耿として金陵の山々に対して続いている。

(4) 建章闕:宋書に、「永光元年、石頭城を以って長樂と為し、北邸って建章宫。」とある。

・耿耿:1 光が明るく輝くさま。「洋 灯(ランプ)が―と輝いて居る」〈独歩・忘れえぬ人々〉2 気にかかることがあって、心が 安らかでないさま。

・金陵: 長江(揚子江)の河口近く、江蘇省の平野部の中心に位置する重要な都市。中国史上、何度か都とされ、その名も変わった。戦国時代の楚国に金陵邑に始まるとされ、金陵は今でも南京の古名および雅名とされている。三国時代の呉が都として建業といわれ、南北朝時代には東晋が都として建康と改名され、宋→斉→梁→陳の南朝の都となり、六朝文化が栄えた。隋は陳を滅ぼすと建康の都城を破壊、地名も江寧と改めた。唐以降は都ではなくなり、隣の揚州(江都)に繁栄を奪われたが、五代十国でこの地を都とする王朝(呉、南唐)が現れ、宋から元にかけても金陵府・江寧府・建康府と改称されたが、江南地方の中心として繁栄をとりもどした。元末の紅巾の乱のさなか、朱元璋は1356年にこの地を拠点として自立、応天府と名付けた。1368年に即位して明を建国、この地に大都城を築いて京師と称し都とした。1421年に永楽帝が北京に遷都してからはその副都となり、それ以降はこの地は南京と言われるようになる。以上、金陵→建業→建康→江寧→南京という地名に変化した。

 

漢水舊如練,霜江夜清澄。

漢水は、“元の練の如し”と言われたぐらいに流れているが、まして、長江の水は極めて冷ややかに、夜色は澄み切っている。

・漢水:漢江(かんこう)または漢水(かんすい)は、長江の最大の支流である。延長は1,532km、流域の面積は17.43km2。をいうものであるが、李白は、板橋蒲に浮かべての表現であるから長江のことを言う。

749年 13《答族姪僧中孚贈玉泉仙人掌茶并序(卷十九(二)一一二七)》#2漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10562

749年 13《答族姪僧中孚贈玉泉仙人掌茶并序(卷十九(二)一一二七)》#2

 

 

749年 13《答族姪僧中孚贈玉泉仙人掌茶并序(卷十九(二)一一二七)》#2漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10562

千歳を経過すると、体がしだいに白くなって、さながら雪のようであるという。

その棲息する時は、身を逆さまにして懸って居る。蓋し、乳水を飲んで、長生するのである。

それから、清渓の水邊には、茗という草が連り生えている。

その枝葉は、碧玉のようである。ここに、玉泉寺の住持眞和尚だけが、平生その名草を采り、これを茶として飲用して居る。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 3

 

 

12. 荅王十二寒夜獨酌有懷

〈此詩,蕭士贇云是僞作〉

昨夜中雪,子猷佳興發。

萬里浮雲卷碧山,青天中道流孤月。

孤月滄浪河漢清,北斗錯落長庚明。

#2

懷余對酒夜霜白,玉牀金井冰崢嶸。

人生飄忽百年,且須酣暢萬古情。

君不能狸膏金距學雞,坐令鼻息吹虹霓。

#3

君不能學哥舒,橫行青海夜帶刀,西屠石堡取紫袍。

吟詩作賦北牕裏,萬言不直一杯水。

世人聞此皆掉頭,有如東風射馬耳。

#4

魚目亦笑我,請與明月同。

驊騮拳跼不能食,蹇驢得志鳴春風。

折楊皇華合流俗,晉君聽琴枉清角。

巴人誰肯和陽春,楚地由來賤奇璞。

#5

黃金散盡交不成,白首爲儒身被輕。

一談一笑失顏色,蒼蠅貝錦喧謗聲。

曾參豈是殺人者,讒言三及慈母驚。

#6

與君論心握君手,榮辱於余亦何有。

孔聖猶聞傷鳳麟,董龍更是何雞狗。

一生傲岸苦不諧,恩疏媒勞志多乖。

#7

嚴陵高揖漢天子,何必長劍拄頤事玉階?

達亦不足貴,窮亦不足悲。

韓信羞將絳灌比,禰衡恥逐屠沽兒。

#8

君不見李北海,英風豪氣今何在?

君不見裴尚書,土墳三尺蒿棘居。

少年早欲五湖去,見此彌將鐘鼎疎。

 

 

13. 答族侄僧中孚贈玉泉仙人掌茶

(序文)

余聞州玉泉寺。近清溪諸山。山洞往往有乳窟。窟中多玉泉交流。其中有白蝙蝠大如鴉。按仙經。蝙蝠一名仙千歳之後。體白如雪。則倒懸。葢飲乳水而長生也。其水邊處處有茗草羅生。枝葉如碧玉。惟玉泉真公常采而飲之。年八十餘歳。顔色如桃花。而此茗清香滑熟。異於他者。所以能還童振枯。扶人壽也。余遊金陵。見宗僧中孚。示余茶数十片。拳然重疊。其狀如手。號為仙人掌茶。葢新出乎玉泉之山。曠古未覿。因持之見遺。兼贈詩。要余荅之。遂有此作。後之高僧大隱。知仙人掌茶。發乎中孚禪子及青蓮居士李白也。

 

 

常聞玉泉山,山洞多乳窟。

仙鼠如白鴉,倒懸清溪月。

茗生此中石,玉泉流不歇。

#2

根柯灑芳津,採服潤肌骨。

叢老卷綠葉,枝枝相接連。

曝成仙人掌,似拍洪崖肩。

舉世未見之,其名定誰傳。

#3

宗英乃禪伯,投贈有佳篇。

清鏡燭無鹽,顧慚西子妍。

朝坐有餘興,長吟播諸天。

 


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749年 13《答族姪僧中孚贈玉泉仙人掌茶并序(卷十九(二)一一二七)》  余聞荊州漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10555

749年 13《答族姪僧中孚贈玉泉仙人掌茶并序(卷十九(二)一一二七)》  余聞荊州

 

 

749年 13《答族姪僧中孚贈玉泉仙人掌茶并序(卷十九(二)一一二七)》  余聞荊州漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10555

私は荊州の玉泉寺の事を聞いているが、清溪秀壁の連山の近くにあるということである。

そこには、山洞があり、往往乳窟と称するものがあって、窟中には、玉泉が交流しており、

そして又、窟中には、白い蝙蝠がいて、その大さは鴉のようであるという。

仙経を按ずるに、蝙蝠は、別名、仙鼠という。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 3

 

 

12. 荅王十二寒夜獨酌有懷

〈此詩,蕭士贇云是僞作〉

昨夜中雪,子猷佳興發。

萬里浮雲卷碧山,青天中道流孤月。

孤月滄浪河漢清,北斗錯落長庚明。

#2

懷余對酒夜霜白,玉牀金井冰崢嶸。

人生飄忽百年,且須酣暢萬古情。

君不能狸膏金距學雞,坐令鼻息吹虹霓。

#3

君不能學哥舒,橫行青海夜帶刀,西屠石堡取紫袍。

吟詩作賦北牕裏,萬言不直一杯水。

世人聞此皆掉頭,有如東風射馬耳。

#4

魚目亦笑我,請與明月同。

驊騮拳跼不能食,蹇驢得志鳴春風。

折楊皇華合流俗,晉君聽琴枉清角。

巴人誰肯和陽春,楚地由來賤奇璞。

#5

黃金散盡交不成,白首爲儒身被輕。

一談一笑失顏色,蒼蠅貝錦喧謗聲。

曾參豈是殺人者,讒言三及慈母驚。

#6

與君論心握君手,榮辱於余亦何有。

孔聖猶聞傷鳳麟,董龍更是何雞狗。

一生傲岸苦不諧,恩疏媒勞志多乖。

#7

嚴陵高揖漢天子,何必長劍拄頤事玉階?

達亦不足貴,窮亦不足悲。

韓信羞將絳灌比,禰衡恥逐屠沽兒。

#8

君不見李北海,英風豪氣今何在?

君不見裴尚書,土墳三尺蒿棘居。

少年早欲五湖去,見此彌將鐘鼎疎。

 

 

13. 答族侄僧中孚贈玉泉仙人掌茶

(序文)

余聞州玉泉寺。近清溪諸山。山洞往往有乳窟。窟中多玉泉交流。其中有白蝙蝠大如鴉。按仙經。蝙蝠一名仙千歳之後。體白如雪。則倒懸。葢飲乳水而長生也。其水邊處處有茗草羅生。枝葉如碧玉。惟玉泉真公常采而飲之。年八十餘歳。顔色如桃花。而此茗清香滑熟。異於他者。所以能還童振枯。扶人壽也。余遊金陵。見宗僧中孚。示余茶数十片。拳然重疊。其狀如手。號為仙人掌茶。葢新出乎玉泉之山。曠古未覿。因持之見遺。兼贈詩。要余荅之。遂有此作。後之高僧大隱。知仙人掌茶。發乎中孚禪子及青蓮居士李白也。

 

 

常聞玉泉山,山洞多乳窟。

仙鼠如白鴉,倒懸清溪月。

茗生此中石,玉泉流不歇。

#2

根柯灑芳津,採服潤肌骨。

叢老卷綠葉,枝枝相接連。

曝成仙人掌,似拍洪崖肩。

舉世未見之,其名定誰傳。

#3

宗英乃禪伯,投贈有佳篇。

清鏡燭無鹽,顧慚西子妍。

朝坐有餘興,長吟播諸天。


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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#8漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10548

749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#8

 

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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#8漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10548

近いところでは、李北海の如き、一代の文名を負うで、衆望を博し得たるに拘わらず、遂に杖殺されて、折角の英風豪気も、今は求むるに由なし。

裴尚書も、それと一輩の人物で、その死後に於ては、三尺の土墳が、蓬嵩荊棘のあいだに残っているばかりである。

自分らは、青年時のころより、かの范蠡を学んだし、五湖に浮んで、この浮世を離れたいと思って居たのであるが、この二人の跡を見ると、愈よ鐘鼎の盛をほこる彼の卿相の位などには、目もくれず、決然として高踏しようと思うのである。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 3

 

 

12. 荅王十二寒夜獨酌有懷

〈此詩,蕭士贇云是僞作〉

昨夜中雪,子猷佳興發。

萬里浮雲卷碧山,青天中道流孤月。

孤月滄浪河漢清,北斗錯落長庚明。

#2

懷余對酒夜霜白,玉牀金井冰崢嶸。

人生飄忽百年,且須酣暢萬古情。

君不能狸膏金距學雞,坐令鼻息吹虹霓。

#3

君不能學哥舒,橫行青海夜帶刀,西屠石堡取紫袍。

吟詩作賦北牕裏,萬言不直一杯水。

世人聞此皆掉頭,有如東風射馬耳。

#4

魚目亦笑我,請與明月同。

驊騮拳跼不能食,蹇驢得志鳴春風。

折楊皇華合流俗,晉君聽琴枉清角。

巴人誰肯和陽春,楚地由來賤奇璞。

#5

黃金散盡交不成,白首爲儒身被輕。

一談一笑失顏色,蒼蠅貝錦喧謗聲。

曾參豈是殺人者,讒言三及慈母驚。

#6

與君論心握君手,榮辱於余亦何有。

孔聖猶聞傷鳳麟,董龍更是何雞狗。

一生傲岸苦不諧,恩疏媒勞志多乖。

#7

嚴陵高揖漢天子,何必長劍拄頤事玉階?

達亦不足貴,窮亦不足悲。

韓信羞將絳灌比,禰衡恥逐屠沽兒。

#8

君不見李北海,英風豪氣今何在?

君不見裴尚書,土墳三尺蒿棘居。

少年早欲五湖去,見此彌將鐘鼎疎。

 

 

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常聞玉泉山,山洞多乳窟。

仙鼠如白鴉,倒懸清溪月。

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#2

根柯灑芳津,採服潤肌骨。

叢老卷綠葉,枝枝相接連。

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#3

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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#7

 

 

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答王十二寒夜獨酌#7

張中丞傳後敘#11

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7.武帝の匈奴経略と張騫の西域行

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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#7漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10541

巌子陵は、漢の光武帝に向って、高く拝礼し、あくまで處士の節を屈しはしなかったが、これこそ、我が平生欽慕するところであって、こう成れば、何も必ずしも、長剣で頤を支へ、そして、玉階の前に立って、傲然と偉そうに構えるにも及ばない。

つまりは、平生の修養が大切で、自分に確固たる根柢がありさえすれば、格別威張って見るといふ様な了見も起らず、従って、安泰である。ここに至れば、達も貴ぶに足らず、窮も悲むに足らず、この身は、窮達の外に超然独立して居るわけである。

むかし、韓信は、絳侯周勃、灌嬰の手合と一緒に並べられることを愧じ、禰衡も亦た、陳長文・司馬伯達を以て屠沽の兒と見做し、これと遊ばなかったというが、これ等は、まだまだ修養が足らず、兎角自分で偉がるという風があったから、その末路は、ついに悲惨を免れなかった。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 3

 

 

12. 荅王十二寒夜獨酌有懷

〈此詩,蕭士贇云是僞作〉

昨夜中雪,子猷佳興發。

萬里浮雲卷碧山,青天中道流孤月。

孤月滄浪河漢清,北斗錯落長庚明。

#2

懷余對酒夜霜白,玉牀金井冰崢嶸。

人生飄忽百年,且須酣暢萬古情。

君不能狸膏金距學雞,坐令鼻息吹虹霓。

#3

君不能學哥舒,橫行青海夜帶刀,西屠石堡取紫袍。

吟詩作賦北牕裏,萬言不直一杯水。

世人聞此皆掉頭,有如東風射馬耳。

#4

魚目亦笑我,請與明月同。

驊騮拳跼不能食,蹇驢得志鳴春風。

折楊皇華合流俗,晉君聽琴枉清角。

巴人誰肯和陽春,楚地由來賤奇璞。

#5

黃金散盡交不成,白首爲儒身被輕。

一談一笑失顏色,蒼蠅貝錦喧謗聲。

曾參豈是殺人者,讒言三及慈母驚。

#6

與君論心握君手,榮辱於余亦何有。

孔聖猶聞傷鳳麟,董龍更是何雞狗。

一生傲岸苦不諧,恩疏媒勞志多乖。

#7

嚴陵高揖漢天子,何必長劍拄頤事玉階?

達亦不足貴,窮亦不足悲。

韓信羞將絳灌比,禰衡恥逐屠沽兒。

#8

君不見李北海,英風豪氣今何在?

君不見裴尚書,土墳三尺蒿棘居。

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仙鼠如白鴉,倒懸清溪月。

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叢老卷綠葉,枝枝相接連。

曝成仙人掌,似拍洪崖肩。

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#3

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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#6漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10534

749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#6

 

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答王十二寒夜獨酌#6

張中丞傳後敘#10

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【字解集】定西番・河滿子

【字解集】・學阮步兵・擬

6. その後の漢帝国と匈奴との

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2018年5月18 の紀頌之"6"つの校注Blog (05/18)

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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#6漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10534

かくの如く考えてくると、この世の中は、まことに危険極まるもので、冠履顛倒などは、まだしもの事、どうかすると、何も知らないのに、飛んでもない 禍を受けることさえある。かつて、君と心を論じ、君の手を握り、しんみりと話し込んだことがあるが、榮辱は、余に於ては、何でも無いことで、全然意に介するに足らぬ。

孔子の聖を以てして、鳳凰翔らず、麒麟郊に至らざるは、人君の失徳に本づいたもので、そんな庭へは往くことが出できないといわれたが、王堕は、却って董龍を嘲って、何の鶏狗ぞ、そんな者は、とても国士の相手には成らぬといった。それで、孔子は無難であったが、王堕は、その秀に、一命を喪うようなことに成った。

されば、一生、傲岸に構えで居ると、世人と和合することが出来ず、従って、恩を受くる機会は少く、中間の媒者は、徒に骨を折るばかりで、平生の夙志も、多くは相違うで、決して、成功せぬものである。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 3

 

 

12. 荅王十二寒夜獨酌有懷

〈此詩,蕭士贇云是僞作〉

昨夜中雪,子猷佳興發。

萬里浮雲卷碧山,青天中道流孤月。

孤月滄浪河漢清,北斗錯落長庚明。

#2

懷余對酒夜霜白,玉牀金井冰崢嶸。

人生飄忽百年,且須酣暢萬古情。

君不能狸膏金距學雞,坐令鼻息吹虹霓。

#3

君不能學哥舒,橫行青海夜帶刀,西屠石堡取紫袍。

吟詩作賦北牕裏,萬言不直一杯水。

世人聞此皆掉頭,有如東風射馬耳。

#4

魚目亦笑我,請與明月同。

驊騮拳跼不能食,蹇驢得志鳴春風。

折楊皇華合流俗,晉君聽琴枉清角。

巴人誰肯和陽春,楚地由來賤奇璞。

#5

黃金散盡交不成,白首爲儒身被輕。

一談一笑失顏色,蒼蠅貝錦喧謗聲。

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#6

與君論心握君手,榮辱於余亦何有。

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一生傲岸苦不諧,恩疏媒勞志多乖。

#7

嚴陵高揖漢天子,何必長劍拄頤事玉階?

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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#5漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10527

749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#5

 

  

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5月17日校注Blog

【字解集】 ・寄裴施・鄭典設

【字解集】定西・河滿・玉蝴

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6. その後の漢帝国と匈奴との関係

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花間集 訳注解説 (432)回目《孫光憲【字解集】-13・定西番二首 ・河滿子 ・玉蝴蝶 ・八拍蠻 ・竹枝二首 ・思帝》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10621 (05/17)

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 749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#5漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10527

されば、黄金を散じ盡すも.まじわりを結ぶこともできず.白髪頭になるまで、一経を窮めて儒者であるといっているような生まじめな者は、兎角軽んぜられて、誰も相手にしてくれない。

されば、談笑の間に於いて、よく慎まなければ、飛んでもない禍の種を蒔いて、顔色を失うこともあるので、かの小人の讒言をなすは、蒼蝿の営々たるが如く貝錦の燦爛たるが如くで、謗聲は喧しく四辺に起るものである。

讒言などは、もと根拠の無いものであるといふことが分っていても、何度も繰り返せば、いつしか信じられることになり、恐るべき結果を生ずる。早い話が、曾參は、孔子の門人、決して、人を殺すものでもないが、それが人を殺したといつて告げて凍ると、一二度までは善いが、三人目には、その母も、どうやら之を信じ、連累を恐れて、自分が逃げ出すといふ射撃、親身の母でさへ、そのとおりで、あかの他人なる君臣の間に於いては、なおさらの事である。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 3

 

 

12. 荅王十二寒夜獨酌有懷

〈此詩,蕭士贇云是僞作〉

昨夜中雪,子猷佳興發。

萬里浮雲卷碧山,青天中道流孤月。

孤月滄浪河漢清,北斗錯落長庚明。

#2

懷余對酒夜霜白,玉牀金井冰崢嶸。

人生飄忽百年,且須酣暢萬古情。

君不能狸膏金距學雞,坐令鼻息吹虹霓。

#3

君不能學哥舒,橫行青海夜帶刀,西屠石堡取紫袍。

吟詩作賦北牕裏,萬言不直一杯水。

世人聞此皆掉頭,有如東風射馬耳。

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魚目亦笑我,請與明月同。

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折楊皇華合流俗,晉君聽琴枉清角。

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#5

黃金散盡交不成,白首爲儒身被輕。

一談一笑失顏色,蒼蠅貝錦喧謗聲。

曾參豈是殺人者,讒言三及慈母驚。

#6

與君論心握君手,榮辱於余亦何有。

孔聖猶聞傷鳳麟,董龍更是何雞狗。

一生傲岸苦不諧,恩疏媒勞志多乖。

#7

嚴陵高揖漢天子,何必長劍拄頤事玉階?

達亦不足貴,窮亦不足悲。

韓信羞將絳灌比,禰衡恥逐屠沽兒。

#8

君不見李北海,英風豪氣今何在?

君不見裴尚書,土墳三尺蒿棘居。

少年早欲五湖去,見此彌將鐘鼎疎。

 

 

13. 答族侄僧中孚贈玉泉仙人掌茶

常聞玉泉山,山洞多乳窟。

仙鼠如白鴉,倒懸清溪月。

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根柯灑芳津,採服潤肌骨。

叢老卷綠葉,枝枝相接連。

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鄭典設自施州歸-#8

竹枝二首其二

擬樂府四首其四#2

4. 匈奴遊牧王国の出現

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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#4漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10520

方今の世は、玉石混淆、賢愚別なしというようなものであって、魚目は、我が孤僻を笑って、明月の珠と同じうせんことを請う。

あの穆王の驊騮の如き名馬が、行きあぐねて、秣さへ食いかねて居るに反して、足不自由なの驢馬は、得意気に春風に嘶いて居る。

それから、折楊皇華のような極めて浅薄な曲は、流俗の好みに合い、晋の平公のようなものは、琴を聴くに際して、おのが身の徳の薄きを忘れて、無理に清角の調べを所望したというほどのものである。

巴人の陽春曲は、極めて低劣なものでが、それが流行して、陽春の如き音調は、誰も和するものなくなっているし、卞和が初めて玉璧を献じた時は、誰も見分けるものが無くて、卞和は君主を欺く罪に坐して、足を斬られたといふが、今でもその通りである。このように、世上の常態は、極めて下賎なものを貴んで、立派なものは、却って卑められて、誰も顧るものが無い。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 3

 

 

12. 荅王十二寒夜獨酌有懷

〈此詩,蕭士贇云是僞作〉

昨夜中雪,子猷佳興發。

萬里浮雲卷碧山,青天中道流孤月。

孤月滄浪河漢清,北斗錯落長庚明。

#2

懷余對酒夜霜白,玉牀金井冰崢嶸。

人生飄忽百年,且須酣暢萬古情。

君不能狸膏金距學雞,坐令鼻息吹虹霓。

#3

君不能學哥舒,橫行青海夜帶刀,西屠石堡取紫袍。

吟詩作賦北牕裏,萬言不直一杯水。

世人聞此皆掉頭,有如東風射馬耳。

#4

魚目亦笑我,請與明月同。

驊騮拳跼不能食,蹇驢得志鳴春風。

折楊皇華合流俗,晉君聽琴枉清角。

巴人誰肯和陽春,楚地由來賤奇璞。

#5

黃金散盡交不成,白首爲儒身被輕。

一談一笑失顏色,蒼蠅貝錦喧謗聲。

曾參豈是殺人者,讒言三及慈母驚。

#6

與君論心握君手,榮辱於余亦何有。

孔聖猶聞傷鳳麟,董龍更是何雞狗。

一生傲岸苦不諧,恩疏媒勞志多乖。

#7

嚴陵高揖漢天子,何必長劍拄頤事玉階?

達亦不足貴,窮亦不足悲。

韓信羞將絳灌比,禰衡恥逐屠沽兒。

#8

君不見李北海,英風豪氣今何在?

君不見裴尚書,土墳三尺蒿棘居。

少年早欲五湖去,見此彌將鐘鼎疎。

 

 

13. 答族侄僧中孚贈玉泉仙人掌茶

常聞玉泉山,山洞多乳窟。

仙鼠如白鴉,倒懸清溪月。

茗生此中石,玉泉流不歇。

#2

根柯灑芳津,採服潤肌骨。

叢老卷綠葉,枝枝相接連。

曝成仙人掌,似拍洪崖肩。

舉世未見之,其名定誰傳。

#3

宗英乃禪伯,投贈有佳篇。

清鏡燭無鹽,顧慚西子妍。

朝坐有餘興,長吟播諸天。

 

馬 001

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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#3漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10513

749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#3

 

 

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答王十二寒夜獨酌#3...

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竹枝二首其一

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3. 建国の英雄冒頓単于

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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#3漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10513

次に哥舒翰は、専ら吐蕃征伐の任にあたり、青海地方に横行し、刀を帯びて、西の方、石堡城を攻めおとし、その入寇を根絶したというので、やがて紫砲を賜わり、非常な恩賞に興って、大した羽振りであるが、君は又それを尊ぶことはできない。

かくの如く、闘鶏の兒も、破虜の將も、共に君の學を欲しないところであって、北窓の裏に兀坐し、詩を吟じたり、賦を作ったりする、これが即ち君の今日の境涯である。しかし、折角の名作をだしたにしても、萬言は一杯の水にも値せず、

世人は、その詩賦を聞いても、皆頭を振り、碌々わかりもせず、たとへば、馬の耳に風といつたような按排である。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 3

 

 

12. 荅王十二寒夜獨酌有懷

〈此詩,蕭士贇云是僞作〉

昨夜中雪,子猷佳興發。

萬里浮雲卷碧山,青天中道流孤月。

孤月滄浪河漢清,北斗錯落長庚明。

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懷余對酒夜霜白,玉牀金井冰崢嶸。

人生飄忽百年,且須酣暢萬古情。

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#3

君不能學哥舒,橫行青海夜帶刀,西屠石堡取紫袍。

吟詩作賦北牕裏,萬言不直一杯水。

世人聞此皆掉頭,有如東風射馬耳。

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魚目亦笑我,請與明月同。

驊騮拳跼不能食,蹇驢得志鳴春風。

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黃金散盡交不成,白首爲儒身被輕。

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#6

與君論心握君手,榮辱於余亦何有。

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根柯灑芳津,採服潤肌骨。

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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#2

 

 

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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)》#2漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10506

君は、余を思い出でられ、今頃は酒に対して、夜の霜白く極めて寒いのをこらえているだろうといいつつ、井欄の氷が崢嶸として高く積み上げた様なのを見て、ひとり淋しく、打澄ましていた。

それがやがて豁然として大悟し、人生の飄忽としで、果敢なきは、百年の命の内に限られて居るから、生きて居る間に、酒でも飲んで、のびのびと心気を養ひ、萬古の愁情を消遣するのが第一だというので、獨酌して吟輿を縦ままにされた。

彼の闘鶏の兒輩は、鶏の頭に狸膏を塗ったり、鶏の蹴爪に金を嵌めたり、さまざまの事をして、勝を争い、その技に長けて居るところから、天子の眷顧を得、鼻息で虹を吹くという様な素張らしい勢であるが、君は、到底、そんな眞似をすることはできない。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 3

 

 

12. 荅王十二寒夜獨酌有懷

〈此詩,蕭士贇云是僞作〉

昨夜中雪,子猷佳興發。

萬里浮雲卷碧山,青天中道流孤月。

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#2

懷余對酒夜霜白,玉牀金井冰崢嶸。

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君不能學哥舒,橫行青海夜帶刀,西屠石堡取紫袍。

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#4

魚目亦笑我,請與明月同。

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#5

黃金散盡交不成,白首爲儒身被輕。

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#6

與君論心握君手,榮辱於余亦何有。

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#7

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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)(從郁賢皓《謫仙》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10590

749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)

 

 

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749年 12《答王十二寒夜獨酌有懷(卷十九(二)一一四三)(從郁賢皓《謫仙》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10590

(友人の王十二が詩を寄せたので、その人に答えた詩であるが、李白の人生観を述べ、王十二についてもその不遇を思い戒めたものである)

昨夜、呉地に於ては、大雪が降ったとかで、子猷に比すべき王君は、佳興勃発し、舟に乗り出しかねないほどの勢いである。

その時、萬里の遠きに亙れる雪げの雲は、碧山を捲き去り、青天の中間に、ずっと道を開いて、そこから、弧月が流れ出した。

月の色は、滄涼寒冷、天の河は、いとも清く、澄みわたり、北斗は錯落、宵の明星は爛然として照り輝き、無論、その時は、雪が晴れて、乾坤一色、白銀の世界を現出した。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 3

 

 

12. 荅王十二寒夜獨酌有懷

〈此詩,蕭士贇云是僞作〉

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懷余對酒夜霜白,玉牀金井冰崢嶸。

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749年 11-#2《蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽#2(卷十七(二)一○四○)(從郁賢皓》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10583

749年 11-#2《蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽#2(卷十七(二)一○四○)

 

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擬樂府四首其三#1

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749年 11-#2《蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽#2(卷十七(二)一○四○)(從郁賢皓》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10583

われは、日夕門に倚って、わが長子の居る方を望んで居るが、その趨庭の處は、君が今度行かれる魯中である。

今でも、我が家は、沙丘城の近傍に寓居して居るが、われは、三年も歸省せず、従って、その近況も分らぬから、これを思えば、もなしく断腸するばかり。

君は、魯中に行くついでに、どうか、わが子の伯禽を見知って下さい。彼は、さながら、古しえの衞玠の如く、小事を白羊に牽かせて、市中を得意に乗りまわして居ることであらう。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條青。

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

我乘素舸同康樂,朗詠清川飛夜霜。

昔聞牛渚吟五章,今來何謝袁家郎。

苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄              172-13

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

裂素寫遠意,因之汶陽川。             

〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

 

11 蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽  卷十七(二)一○四○

送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽       全唐詩 巻176-33

六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。             

水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。             

夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。             

 

高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。             

我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。             

君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。             

 


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749年 11《蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽(卷十七(二)一○四○)(從郁賢皓》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10513

749年 11《蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽(卷十七(二)一○四○)

 

 

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定西番二首 其二

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749年 11《蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽(卷十七(二)一○四○)(從郁賢皓》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10513

(道教つながりの友人の蕭三十一が魯中に行くというので、これを送り、ついでに、その地に住んでいる李白女子供、長男伯禽の近況を尋ねてほしいというもの)

夏の李の六月、ただでさえ暑いのに、南風は白抄を吹き上げて、いよいよ堪まらない。そこで、呉地の牛は、夜になっても、月に喘いで、その気は霞を成すを疑うばかり。

このあたりは、水國で、涼しかるべき筈であるのに、もやもやと蒸し暑く、とても留まって居ることも出来ない位。かくの如く暑さも厳しい上に、路が遠いから、さしもの駅路にも、旅行く車も見えない。

然るに、君は、如何なれば、江路を渉り、雲井に迷う帆影嫋嫋として。金陵から立ち去るのであるか。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條青。

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

我乘素舸同康樂,朗詠清川飛夜霜。

昔聞牛渚吟五章,今來何謝袁家郎。

苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄              172-13

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

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〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

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だから、姉弟ならんで歩いて行って、父の植えた桃樹の下にたっても、良い子だと二人の背中をいったい誰が撫で慈しんでくれるのだろう。誰もいないのである。

こんなことを思いやると気持ちが萎えてきて、物事の順序がわからなくなり、肝臓も腸も毎日毎日、憂いに煮られるように感じられるほどである。

白絹を裁剪して遠く離れている父の気持ちを詩文に書きしるし、故郷の汶水の流れに手紙を託して、その地に贈り届けたいと思うのである。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條青。

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

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地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

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折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

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雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

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749年 10-#3《寄東魯二稚子-#3(卷十三(一)八五八)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10562

東魯の家には、二人の子供が留守をしている、やんちゃな娘の名前は平陽といい、物心つき始めた年頃で、花の枝を折りとったものの、父がいないから桃の木によりそっていることだろう。
花を折りとったとしても、そこに私を見つけることができないから、きっと、涙を流れ落とすのは、流泉のようであろう。

そして、男の子名は伯禽といい、背丈は、姐(ともう肩を並べる高さになっている。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條青。

 

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註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

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寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

裂素寫遠意,因之汶陽川。             

 

11 蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽  卷十七

送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽       全唐詩 巻176-33

六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。             

水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。             

夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。             

高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。             

我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。             

君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。             


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749年 10-#2《寄東魯二稚子-#2(卷十三(一)八五八)

 

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寄東魯二稚子-#2

【字解集(1)】

寄裴施州#2

風流子三首其一

擬樂府四首其一#2

漢と匈奴と西域諸

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749年 10-#2《寄東魯二稚子-#2(卷十三(一)八五八)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10555

家族がいる東魯へ追い風となる南から風が吹くと、故郷に帰りたい心をかきたたせて吹くのであるが、私の心は、東魯の家の前の居酒屋の前に飛んで行くのである。
その酒楼の東には 一株の桃の木があり、初夏であるから、枝葉はすでに伸びて鬱蒼と茂って、青煙を拂うばかりである。 
そして、この桃樹は以前、私が種えたもので、この木に別れて、もう、三年になろうとしている。

桃樹はいま楼の高さと同じようになっているだろう、しかし、私の旅は今なお 東魯には帰らないでいる。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條青。

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

我乘素舸同康樂,朗詠清川飛夜霜。

昔聞牛渚吟五章,今來何謝袁家郎。

苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄              172-13

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

裂素寫遠意,因之汶陽川。             

 

11 蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽  卷十七

送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽       全唐詩 巻176-33

六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。             

水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。             

夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。             

高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。             

我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。             

君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。             

 

 

 

 

10.《寄東魯二稚子》     

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10492

 

 

 

 紫陽の弟子では、元丹邱の血縁だろうと思われる元演がいる。李白が元演とも交ったことは「冬夜隋州の紫陽先生の霞楼に於いて烟子元演の仙城山に隠れるに送る 序」に見られる。
この詩の中で元丹邱は霞子と呼ばれている。これによっても丹邱は金丹にからんでいると考えられる。
道教は老荘思想に基づいている。李白は「竹林の七賢」を模して、これらの道士以外、あるいは道士を目指していたかもしれないが、山東での交友を「竹渓の六逸」と称して遊んでいる。ちなみに李白・孔巣父・韓準・裴政・張叔明・白陶
の六名である。しかし、この交友関係は後に、呉、玉真公主等を通じて宮廷への推薦となっていくのである。

 山東は、四川の彰明とともに、李白の故郷となっている処である。四川は生まれ育った故郷であるが、山東、趙郡には李氏の一族が多く、李白にとって居心地のいいところで、永く住むことになったのだ。

後に孔巣父らに杜甫も加わって遊んでいる。杜甫も李白を山東の人と思っていただろう。李白は、ここで一婦人を娶って、一男を授かっている。彼は許圉師の孫女を娶って離縁し、劉氏を娶り、ここに於いて三度娶っている。


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749年 10-#1《寄東魯二稚子-#1(卷十三(一)八五八)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10548

749年 10-#1《寄東魯二稚子-#1(卷十三(一)八五八)

 

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寄東魯二稚子-#1

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749年 10-#1《寄東魯二稚子-#1(卷十三(一)八五八)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10548

(この詩は、李白が江南に行った時に、書に留めて置いた兒女二人に寄せたもの)

我がいるこの呉の地では今、桑の葉が緑あざやかであり、呉の蚕も、すでに三眠の時期に入り、蚕も繭を造りそうになっている。

わが家族は、東魯に寄寓していて、自分がいないので、誰か亀陰の田に植え付けをするのであろうか、とてもそのようなこともできず、きっと、荒蕪に任せるしかないであろう。

春の時期にすべき農事の世話をすることもできず、もう手おくれのことであろう、呉の江中を航行していて、この家族のことを考えると、茫然として為すところを知らない。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條青。

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

我乘素舸同康樂,朗詠清川飛夜霜。

昔聞牛渚吟五章,今來何謝袁家郎。

苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄              172-13

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

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11 蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽  卷十七

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六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。             

水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。             

夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。             

高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。             

我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。             

君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。             

 


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749年 9《聞王昌齡左遷龍標遙有此寄(卷十三(一)八四一)》

 

 

201853

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聞王昌齡左遷龍標遙有此寄

答馮宿書》〔#08(§2-4

【字解集】4首・久雨期王

女冠子二首其二

學阮步兵體

武人、班超の夢

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749年 9《聞王昌齡左遷龍標遙有此寄(卷十三(一)八四一)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10499

(豪放磊落であった王昌齡は、その素行の悪さによって748,749年に左遷されている。そのことを李白は伝聞し、この詩を作った)

河柳の花が落ち盡し、杜鵑 血に啼く晩春のころ、王昌齢が俄に罪を獲て、龍標尉に左遷せられ、五渓を過ぎて、はるばる其地に向うと聞いて、うたた我が懐を傷ましめる。

そこで、明月に困って、我が愁心を寄するが、ともに風に随って、夜郎の西なる君の謫処に至る様にしたいものである。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條青。

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

我乘素舸同康樂,朗詠清川飛夜霜。

昔聞牛渚吟五章,今來何謝袁家郎。

苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

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楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

裂素寫遠意,因之汶陽川。             

〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

 

11 蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽  卷十七

送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽       全唐詩 巻176-33

六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。             

水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。             

夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。             

高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。             

我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。             

君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。             

 


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749年 8-#2《勞勞亭歌-#2(卷七(一)五一三)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10527

749年 8-#2《勞勞亭歌-#2(卷七(一)五一三)》

 

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-5 806年39歳(2)25

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index-7[810年~811年 44歳] 34

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韓愈 哲学・儒学「五原」

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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花間集 訳注解説 (420)回目《孫光憲巻八27女冠子二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10530 (05/02)

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

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3.鮑照 雜詩九首【字解集】A  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻四ブログ10545

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●薛濤の全詩

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Ⅲ 女性文学者班昭とその家系(班家の人びと)) 《§-3 班固と『漢書』》Ⅲ-§-3-4.史記・漢書両書の社会的背景の相違 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10511

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749年 8-#2《勞勞亭歌-#2(卷七(一)五一三)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10527

わたしは、康楽公の謝霊運を気どって、素木のままの大船に乗り、「清らかな川面に夜霜が飛ぶ」と、高らかに朗詠する。
昔はこの牛渚で、袁家の息子、袁宏の「詠史の詩」五章を吟ずるのが聞かれたものだ。いまここで詠う我が歌が、袁家の息子、袁宏に及ばぬはずはない。
しかし、ここにはそれを賞める謝尚のような人はいないばかりか、苦竹がわびしい音を立てて、秋の月光の中に揺れるだけである。そして、ただ独り、相手のいない簾の中に宿って、帰郷の夢を見つづけるだけである。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條青。

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

我乘素舸同康樂,朗詠清川飛夜霜。

昔聞牛渚吟五章,今來何謝袁家郎。

苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄              172-13

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

裂素寫遠意,因之汶陽川。             

〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

 

11 蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽  卷十七

送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽       全唐詩 巻176-33

六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。             

水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。             

夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。             

高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。             

我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。             

君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。             

 

 

 

 

8.《勞勞亭歌》   -#1  

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10520

 

 

 

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749年 8-#1《勞勞亭歌-#1(卷七(一)五一三)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10520

749年 8-#1《勞勞亭歌-#1(卷七(一)五一三)》

 

201851

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《勞勞亭歌-#1

答馮宿書〔#06(§2-2)〕

錦樹行#3

女冠子二首其一

雜詩九首【字解集】A

.史記・漢書両書の社会的背景の相違

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代史女性論

 

 

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Ⅰ李白詩

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揚雄 《甘泉賦》

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兩都賦序・西都賦・東都賦

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楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

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・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-246#3 錦樹行(卷二○(四)一八○八)#3卷二○(四)一八○八注(1258) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10466

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

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花間集 訳注解説 (419)回目《孫光憲巻八26女冠子二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10530 (05/01)

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

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●薛濤の全詩

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●花間集(3

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●花間集(8

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Ⅲ 女性文学者班昭とその家系(班家の人びと)) 《§-3 班固と『漢書』》Ⅲ-§-3-4.史記・漢書両書の社会的背景の相違 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10511

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749年 8-#1《勞勞亭歌-#1(卷七(一)五一三)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10520

(要衝の地、建康の近郊に風流な地に歴史上、天下第一の心を傷ましめる処にとまり、自らを謝靈運の比し、また、詩文の才を袁彦伯に引けを取らぬといい、それでいて自分の名声は、謝尚にも劣っていると、その情を夢の中でのこととして、詠い、勞勞亭においてこの歌を作った

〔建康から出て初めての駅、寧縣南十五里に置かれた勞勞亭であるが、古来ここは送別の場所であったし、別の名を臨滄觀といった。〕

勞勞亭は金陵の郊外にあって、昔より、旅人を送別する場所として有名であるが、今茲には雑草が生えて、道端に蔓草が離離として生い茂り、その亭も荒廃している。

懐古の情は次々と思われ、大江を東流する水に似て枯れることなく、尽きることなく、しかも、悲風颯々として、河岸に並ぶ、白楊の枝葉を吹き靡かせている。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條青。

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

我乘素舸同康樂,朗詠清川飛夜霜。

昔聞牛渚吟五章,今來何謝袁家郎。

苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄              172-13

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

裂素寫遠意,因之汶陽川。             

〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

 

11 蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽  卷十七

送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽       全唐詩 巻176-33

六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。             

水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。             

夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。             

高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。             

我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。             

君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。             

 

 

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749年 7《勞勞亭(卷二五(二)一四四三)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10485

749年 7《勞勞亭(卷二五(二)一四四三)》

 

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勞勞亭

答馮宿書〔#05§2-1

錦樹行#2

更漏子二首其一

雜詩九首其九 贈故人二首其二

-§-3-3.『漢書』と『史記』

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

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謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

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兩都賦序・西都賦・東都賦

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・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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花間集 訳注解説 (418)回目《孫光憲巻八25更漏子二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10516 (04/30)

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

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玉臺 巻四巻4•3-2-9-2雜詩九首其九 贈故人二首其二 3.鮑照   Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻四ブログ1053110496

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●薛濤の全詩

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749年 7《勞勞亭(卷二五(二)一四四三)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10485

(要衝の地、建康の近郊に風流な地に歴史上、天下第一の心をいたましめる処、勞勞亭がある

労労として客を送るこの亭は、歴史上、天下第一の心をいたましめる処である。建康の街から、別れがたくこの地まで、旅をする人を見送り、あるいは、迎えてきた亭宿である。

春風は、数多くの別離の苦しみ、それは、晉が胡に滅ぼされた後、故地中原を後にして江南に渡り流れてきた苦難などを記憶しているし、春風は、別れの哀しみがあまりにも深いので、送別の儀礼・折楊柳に必要な柳を青くさせないでいるのか、あるいは、折楊柳をさせないで、この地に留まるようにさせているということなのであろうか。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條青。

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

我乘素舸同康樂,朗詠清川飛夜霜。

昔聞牛渚吟五章,今來何謝袁家郎。

苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄              172-13

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

裂素寫遠意,因之汶陽川。             

〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

 

11 蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽  卷十七

送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽       全唐詩 巻176-33

六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。             

水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。             

夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。             

高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。             

我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。             

君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。             

 

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749年 6-3《「胡關饒風沙」詩(古風五十九首之十四 -#3)(卷二(一)一一八)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10506

749年 6-3《「胡關饒風沙」詩(古風五十九首之十四 -#3)(卷二(一)一一八)》

 

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古風五十九首之十四 -#3

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749年 6-3《「胡關饒風沙」詩(古風五十九首之十四 -#3)(卷二(一)一一八)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10506

両軍合わせて三十六万人もの兵士が死に、百万を超える人びとが流すかなしみのなみだは雨のようだ。

家族のかなしみをすべて背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑を営んでいけるというのだろうか。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。

李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。             

春風知別苦,不遣柳條青。             

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

我乘素舸同康樂,朗詠清川飛夜霜。

昔聞牛渚吟五章,今來何謝袁家郎。

苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄              172-13

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

裂素寫遠意,因之汶陽川。             

〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

 

11 蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽  卷十七

送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽       全唐詩 巻176-33

六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。             

水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。             

夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。             

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雁門関 38 

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どうして、毎年のように戦争が絶えないというのはなぜなのか、この辺境に侵略して陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、「天驕子」とうぬぼれる匈奴は武力を悪用し、毒毒しくするからである。
こうした事実を踏まえてわれわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。

こうして西域は麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。             

春風知別苦,不遣柳條青。             

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

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苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄              172-13

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

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〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

 

11 蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽  卷十七

送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽       全唐詩 巻176-33

六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。             

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749年 6-1《「胡關饒風沙」詩(古風五十九首之十四 -#1)(卷二(一)一一八)》

 

 

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古風五十九首之十四 -#1.

答馮宿書》〔#02(§1-2)〕

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西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたこと、749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事を詠う。

辺境にある関所塞は砂漠で風と砂塵が常に多く蕭索として寂しげな景色が広がって未開の地で殺風景である。それは大昔から今も同じ状態なのだ。
木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。
荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。
白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

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古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

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昔聞牛渚吟五章,今來何謝袁家郎。

苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄              172-13

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

裂素寫遠意,因之汶陽川。             

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749年 5《送紀秀才遊越(卷十七(二)一○三四)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10471

749年 5《送紀秀才遊越(卷十七(二)一○三四)》

 

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送紀秀才遊越-#2

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749年 5《送紀秀才遊越(卷十七(二)一○三四)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10471

越の地たるや、勝境極めて多く、射的山には仙人が住んで居るし、山陰は例の鵞鳥を飼っ道士の住んで居た地であるし、

禹穴は渓流に沿うて尋ね入るべく、雲門寺は嶺を隔てて山のきわめて深い処に在る。

君が此等の勝地を尋ねる間において、緑羅に月の照る秋夜遭わば、必ず琴を弾じて、私を思い出すことであろう。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 1

 

 

 

1. 古風,五十九首之六 #1

代馬不思越,越禽不戀燕。情性有所習,土風固其然。

昔別雁門關,今戍龍庭前。

#2

驚沙亂海日,飛雪迷胡天。蟣蝨生虎鶴,心魂逐旌旃。

苦戰功不賞,忠誠難可宣。誰憐李飛將,白首沒三邊。

 

 

2. 江上送女道士褚三清遊南嶽

江女道士,頭戴蓮花巾。霓衣不濕雨,特異陽臺雲。             

足下遠遊履,凌波生素塵。尋仙向南嶽,應見魏夫人。             

 

 

3. 金陵送張十一再遊東 176-28

張翰黃花句,風流五百年。誰人今繼作,夫子世稱賢。

再動游櫂,還浮入海船。

#2

春光白門柳,霞色赤城天。去國難爲別,思歸各未旋。

空餘賈生淚,相顧共悽然。

 

 

4. 送友人遊梅湖 175-07

送君游梅湖,應見梅花發。有使寄我來,無令紅芳歇。

暫行新林浦,定醉金陵月。莫惜一鴈書,音塵坐胡越。

 

 

5. 送紀秀才遊越 176-29

海水不滿眼,觀濤難稱心。             

即知蓬萊石,却是巨鼇簪。             

送爾遊華頂,令余發舃吟。             

仙人居射的,道士住山陰。             

禹穴尋溪入,雲門隔嶺深。             

綠蘿秋月夜,相憶在鳴琴。             

 

 

 

 

5.《送紀秀才遊越》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

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749年 5《送紀秀才遊越(卷十七(二)一○三四)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10471

749年 5《送紀秀才遊越(卷十七(二)一○三四)》

 

 

749年 5《送紀秀才遊越(卷十七(二)一○三四)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10471

(進士紀某が越の地に修学の旅に出るというので、壮行して作った詩である)

海を観るには、涛を観るべしというが、海は海でも、狭くては不可なので、もし眼に満たぬほどであれば、折角濤を観ても、到底心にかなうて快哉を叫ばしめるようにはならぬ。蓬莱山というも、畢竟するに、大亀の頭に、一寸載って居る、いはば簪の様なものに過ぎないのである。されば、観るところが廣くなければ、心胸を開拓することが出来ないので、それにつけても、旅行遊覧・修学は、まことに必要なものである。ここに汝が越中に向い、天台の華頂山に遊ぶというのを送れば、予をして、覚えず、荘舃の越吟を発せしめるのである。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 1

 

 

 

1. 古風,五十九首之六 #1

代馬不思越,越禽不戀燕。情性有所習,土風固其然。

昔別雁門關,今戍龍庭前。

#2

驚沙亂海日,飛雪迷胡天。蟣蝨生虎鶴,心魂逐旌旃。

苦戰功不賞,忠誠難可宣。誰憐李飛將,白首沒三邊。

 

 

2. 江上送女道士褚三清遊南嶽

江女道士,頭戴蓮花巾。霓衣不濕雨,特異陽臺雲。             

足下遠遊履,凌波生素塵。尋仙向南嶽,應見魏夫人。             

 

 

3. 金陵送張十一再遊東 176-28

張翰黃花句,風流五百年。誰人今繼作,夫子世稱賢。

再動游櫂,還浮入海船。

#2

春光白門柳,霞色赤城天。去國難爲別,思歸各未旋。

空餘賈生淚,相顧共悽然。

 

 

4. 送友人遊梅湖 175-07

送君游梅湖,應見梅花發。有使寄我來,無令紅芳歇。

暫行新林浦,定醉金陵月。莫惜一鴈書,音塵坐胡越。

 

 

5. 送紀秀才遊越 176-29

海水不滿眼,觀濤難稱心。             

即知蓬萊石,却是巨鼇簪。             

送爾遊華頂,令余發舃吟。             

仙人居射的,道士住山陰。             

禹穴尋溪入,雲門隔嶺深。             

綠蘿秋月夜,相憶在鳴琴。             

 

 

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749年 4《送友人遊梅湖(卷十六(二)九七四)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10464

749年 4《送友人遊梅湖(卷十六(二)九七四)》

 

  

201849

の紀頌之"6"つの校注Blog

送友人遊梅湖

釋言§8-2〔#20

4月9日の校注Blog

酒泉子三首其二

#2雜詩九首其六

Ⅲ-§-1-1 才媛、班昭

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

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Ⅰ李白詩

(李白集校注)

749年 4《送友人遊梅湖(卷十六(二)九七四)》漢文委員会kanb...

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746-【字解集】21.魯東門觀刈蒲 22.魯郡堯祠送五之琅琊 23.魯郡堯祠送張十四遊西北Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9884

孟浩然

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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

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兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年-09元和二年40歳《釋言§8-2》〔#20〕Ⅱ漢文委員会kanbuni...

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807年-05元和二年40歳《【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10066

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (413)回目《孫光憲巻八20酒泉子三首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10474 (04/09)

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

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玉臺 巻四巻4•3-1-6-#2雜詩九首其六 擬古 3.鮑照   Ⅴ漢文...

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巻三-29 【字解集】雜詩三首其一~其三  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10077

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

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●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

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(Ⅲ 女性文学者班昭とその家系(班家の人びと)) 《§-1 女性文学者班昭》Ⅲ-§-1-1 才媛、班昭 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10455

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749年 4《送友人遊梅湖(卷十六(二)九七四)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10464

(友人の誰かが梅湖に遊ぶというので送って詠う)

君はこれから梅湖へ遊びに行くそうで、そこでここで送行するのであるが、彼の地に到着したならば、所の名にあるように、梅花の開くのを見るであろう。

その時こそ、使いに託して、私にその一枝を贈らるべく、ぐずぐずしていて、せっかくの紅芳を散らして、しまっては元も子もない。

かくて、しばらく中州の新林浦に行き、散策すれば、定めて酒が進み、そして金陵の月の照らされればよい酔い心地となるであろう。

どんなに北にあるここと、君のいる五湖、越とはなれて座しているといっても、こうした風流なことを雁に託した一通の書を惜しんだり、音信が絶えたりなどしてはならない、という事胆に銘じてもらいたい。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 1

 

 

 

古風,五十九首之六 #1

代馬不思越,越禽不戀燕。情性有所習,土風固其然。

昔別雁門關,今戍龍庭前。

#2

驚沙亂海日,飛雪迷胡天。蟣蝨生虎鶴,心魂逐旌旃。

苦戰功不賞,忠誠難可宣。誰憐李飛將,白首沒三邊。

 

 

江上送女道士褚三清遊南嶽

江女道士,頭戴蓮花巾。霓衣不濕雨,特異陽臺雲。             

足下遠遊履,凌波生素塵。尋仙向南嶽,應見魏夫人。             

 

 

金陵送張十一再遊東       176-28

張翰黃花句,風流五百年。誰人今繼作,夫子世稱賢。

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#2

春光白門柳,霞色赤城天。去國難爲別,思歸各未旋。

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送友人遊梅湖       175-07

送君游梅湖,應見梅花發。有使寄我來,無令紅芳歇。             

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送紀秀才遊越       176-29

海水不滿眼,觀濤難稱心。             

即知蓬萊石,却是巨鼇簪。             

送爾遊華頂,令余發舃吟。             

仙人居射的,道士住山陰。             

禹穴尋溪入,雲門隔嶺深。             

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 呉、江南地方図 六朝期

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749年 3-#2《金陵送張十一再遊東吳(卷十七(二)一○三三)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10457

749年 3-#2《金陵送張十一再遊東(卷十七(二)一○三三)》

 

  

201848

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#2金陵送張十一再遊東

釋言§8-1〔#19

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Ⅰ李白詩

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・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

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index-8 [812年~814年47歳]46

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index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

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●薛濤の全詩

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(Ⅱ-14)中国史・女性論 《§-3 項羽と劉邦の人物評価》6.)死に望んで 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10448

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749年 3-#2《金陵送張十一再遊東(卷十七(二)一○三三)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10457

この時、春光は金陵の西門である白門の柳を輝かせ、霞色は赤城の天に映じてみえるであろうし、いい時期の旅行である。

私は、国を去って、諸国を回り、ここに居る客中身であるから、別離の情はくるしいものである、また、帰りたいと思っていても、各々帰ることができないでいる。

今の施政、時世に慷慨していて、痛哭太息すること、さながら、漢の賈誼のように相顧みて、ともに悽然たるばかりである。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 1

 

 

 

古風,五十九首之六 #1

代馬不思越,越禽不戀燕。情性有所習,土風固其然。

昔別雁門關,今戍龍庭前。

#2

驚沙亂海日,飛雪迷胡天。蟣蝨生虎鶴,心魂逐旌旃。

苦戰功不賞,忠誠難可宣。誰憐李飛將,白首沒三邊。

 

 

江上送女道士褚三清遊南嶽

江女道士,頭戴蓮花巾。霓衣不濕雨,特異陽臺雲。             

足下遠遊履,凌波生素塵。尋仙向南嶽,應見魏夫人。             

 

 

金陵送張十一再遊東       176-28

張翰黃花句,風流五百年。誰人今繼作,夫子世稱賢。

再動游櫂,還浮入海船。

#2

春光白門柳,霞色赤城天。去國難爲別,思歸各未旋。

空餘賈生淚,相顧共悽然。

 

 

送友人遊梅湖       175-07

送君游梅湖,應見梅花發。             

有使寄我來,無令紅芳歇。             

暫行新林浦,定醉金陵月。             

莫惜一鴈書,音塵坐胡越。             

 

 

送紀秀才遊越       176-29

海水不滿眼,觀濤難稱心。             

即知蓬萊石,却是巨鼇簪。             

送爾遊華頂,令余發舃吟。             

仙人居射的,道士住山陰。             

禹穴尋溪入,雲門隔嶺深。             

綠蘿秋月夜,相憶在鳴琴。             

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749年 3-#1《金陵送張十一再遊東吳(卷十七(二)一○三三)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10450

749年 3-#1《金陵送張十一再遊東(卷十七(二)一○三三)》

 

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#1《金陵送張十一再遊東

釋言§7-2〔#18

#4 久雨期王將軍不至

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雜詩九首其六#1

5.)劉氏政権の強化と保持

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Ⅰ李白詩

(李白集校注)

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746-【字解集】21.魯東門觀刈蒲 22.魯郡堯祠送五之琅琊 23.魯郡堯祠送張十四遊西北Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9884

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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

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兩都賦序・西都賦・東都賦

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漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

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・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

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10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

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749年 3-#1《金陵送張十一再遊東(卷十七(二)一○三三)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10450

(金陵において、排行十一である張某が再び、呉に遊ぶというのを送別して詠ったもの)

張翰は、「黄花如散金」の一句を以て世に知られ、その風流は後世に朗映し、その頃から今まで、すでに500年を経た。

この風流を誰が継承しているかといえば、夫子は代々賢と称せられた人である。

今君は、再び呉に遊び、はては、大海に浮かび出帆しようというで、この送別となったのである。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 1

 

 

 

古風,五十九首之六 #1

代馬不思越,越禽不戀燕。情性有所習,土風固其然。

昔別雁門關,今戍龍庭前。

#2

驚沙亂海日,飛雪迷胡天。蟣蝨生虎鶴,心魂逐旌旃。

苦戰功不賞,忠誠難可宣。誰憐李飛將,白首沒三邊。

 

 

江上送女道士褚三清遊南嶽

江女道士,頭戴蓮花巾。霓衣不濕雨,特異陽臺雲。             

足下遠遊履,凌波生素塵。尋仙向南嶽,應見魏夫人。             

 

 

金陵送張十一再遊東       176-28

張翰黃花句,風流五百年。誰人今繼作,夫子世稱賢。

再動游櫂,還浮入海船。

#2

春光白門柳,霞色赤城天。去國難爲別,思歸各未旋。

空餘賈生淚,相顧共悽然。

 

 

送友人遊梅湖       175-07

送君游梅湖,應見梅花發。             

有使寄我來,無令紅芳歇。             

暫行新林浦,定醉金陵月。             

莫惜一鴈書,音塵坐胡越。             

 

 

送紀秀才遊越       176-29

海水不滿眼,觀濤難稱心。             

即知蓬萊石,却是巨鼇簪。             

送爾遊華頂,令余發舃吟。             

仙人居射的,道士住山陰。             

禹穴尋溪入,雲門隔嶺深。             

綠蘿秋月夜,相憶在鳴琴。             


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