漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 卷十四

743年(62)李太白集巻十四34-《贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 381-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(62) Ⅰ李白詩1736 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7220

李白  贈別王山人歸布山#2

我心亦懷歸,屢夢松上月。傲然遂獨往,長嘯開巖扉。

林壑久已蕪,石道生薔薇。願言弄笙鶴,晚來相依
われも、客土に飄零すること既に久しく、って、歸るを懐うて、夢に故山の松に懸れる月の景色見るほどである。君は、傲然 一人行きて長嘯し、旧居の巌扉を開いて、その中に住まわれるであろう。しかし、久しい間、誰も居なかったところであるから、林壑も荒れはてているだろうし、石のかどが出た細い道に、野ばらが生い茂っていて、往来するにも難しい状態であろう。だから、君はここに在って、笙の笛を吹いて白鶴を伴って、心長閑に浮世の事を忘れて居れば善いのではないか、われも、晩年に成ったらば、世事を謝して、そこへいって、君と一所に住むことにいたそうと思っているところなのである。

743年(62)李太白集巻十四34-贈別王山人歸布山(王子析道論,) 381-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-62) Ⅰ李白詩1736 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7220

 

 
  2016年1月22日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(62)李太白集巻十四34-《贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 381-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(62) Ⅰ李白詩1736 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7220  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈128 巻01-13 南山詩  #2(4~6) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7221  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-16 #1杜甫 《19-18 又上後園山腳》#1 杜甫詩index-15-1115 <1565> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7222   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 李太白集  331《太白巻二25 上雲樂》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7228 (01/22)  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻八40 思越人二首 其一 12孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》392巻八40 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7224  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-62

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    贈別王山人歸布山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              桂平 (嶺南道東部 潯州 桂平) 別名:布山      

交遊人物/地點:王山人      當地交遊

 

 

贈別王山人歸布山 #1

(王山人が奥山に帰る時、別に際して贈った)

王子析道論,微言破秋毫。

王山人が宇宙の本体たる道を解析して論ずるを聞けば、いかにも微妙で、極めて細かいところまで行き亙り、さすがに、その修養の深いことが分かる。

還歸布山隱,興入天雲高。

君は、今、ここより還って、山奥に隠遁することとし、歸興は、高く天上の雲に入るばかりである。

爾去安可遲,瑤草恐衰歇。

汝、去ること、決して遅かる、べからす、今しも秋で、瑤草は衰歇せんとして居る。

#2

我心亦懷歸,屢夢松上月。

われも、客土に飄零すること既に久しく、って、歸るを懐うて、夢に故山の松に懸れる月の景色見るほどである。

傲然遂獨往,長嘯開巖扉。

君は、傲然 一人行きて長嘯し、旧居の巌扉を開いて、その中に住まわれるであろう。

林壑久已蕪,石道生薔薇。

しかし、久しい間、誰も居なかったところであるから、林壑も荒れはてているだろうし、石のかどが出た細い道に、野ばらが生い茂っていて、往来するにも難しい状態であろう。

願言弄笙鶴,晚來相依。

だから、君はここに在って、笙の笛を吹いて白鶴を伴って、心長閑に浮世の事を忘れて居れば善いのではないか、われも、晩年に成ったらば、世事を謝して、そこへいって、君と一所に住むことにいたそうと思っているところなのである。

(王山人の布山に歸るに贈別す) #1

王子 道論を析し,微言 秋毫を破る。

還た歸って 布山に隱れ,興は天雲に入って高し。

爾 去る 安んぞ遲かる可けんや,瑤草 衰歇を恐る。

#2

我が心 亦た歸るを懷い,屢ば松上の月を夢む。

傲然として遂に獨往,長嘯して 開巖扉をく。

林壑 久しく已に蕪し,石道 薔薇を生ず。

願わくば言【ここ】に笙鶴を弄せよ,晚 來って相い依らん。

 

西嶽華山00 

『贈別王山人歸布山』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

我心亦懷歸,屢夢松上月。

傲然遂獨往,長嘯開巖扉。

林壑久已蕪,石道生薔薇。

願言弄笙鶴,晚來相依

(下し文)
#2

我が心 亦た歸るを懷い,屢ば松上の月を夢む。

傲然として遂に獨往,長嘯して 開巖扉をく。

林壑 久しく已に蕪し,石道 薔薇を生ず。

願わくば言【ここ】に笙鶴を弄せよ,晚 來って相い依らん

(現代語訳)
#2

われも、客土に飄零すること既に久しく、って、歸るを懐うて、夢に故山の松に懸れる月の景色見るほどである。

君は、傲然 一人行きて長嘯し、旧居の巌扉を開いて、その中に住まわれるであろう。

しかし、久しい間、誰も居なかったところであるから、林壑も荒れはてているだろうし、石のかどが出た細い道に、野ばらが生い茂っていて、往来するにも難しい状態であろう。

だから、君はここに在って、笙の笛を吹いて白鶴を伴って、心長閑に浮世の事を忘れて居れば善いのではないか、われも、晩年に成ったらば、世事を謝して、そこへいって、君と一所に住むことにいたそうと思っているところなのである。


(訳注) #2

贈別王山人歸布山 #2

(王山人が奥山に帰る時、別に際して贈った)

この詩は、王山人が奥山に帰る時、別に際して贈ったのである。しかし、気配を消す道士であるため王山人の閲歴等はわからない。

 

我心亦懷歸,屢夢松上月。

われも、客土に飄零すること既に久しく、って、歸るを懐うて、夢に故山の松に懸れる月の景色見るほどである。

6 松上月 岩場に生える松の上にかかる月。心静かな夜の表現。

 

傲然遂獨往,長嘯開巖扉。

君は、傲然 一人行きて長嘯し、旧居の巌扉を開いて、その中に住まわれるであろう。

7 傲然 おごり高ぶって尊大に振る舞うさま。

 

林壑久已蕪,石道生薔薇。

しかし、久しい間、誰も居なかったところであるから、林壑も荒れはてているだろうし、石のかどが出た細い道に、野ばらが生い茂っていて、往来するにも難しい状態であろう。

8 林壑 山林幽深の地方。

文選.謝靈運《石壁精舍還湖中作詩》(石壁精舎より湖中に還りて作る)

昏旦變氣候。山水含清暉。清暉能人。遊子憺忘歸。

出谷日尚早。入舟陽已微。林壑斂暝色。雲霞收夕霏。

昏旦【こんたん】に気候【きこう】変じ、山水 清暉【せいき】を。清暉 能く人を娯【たのし】ませ、游子【ゆうし】憺【やす】みて帰るを忘れる。

谷を出でて日尚はやく、舟に入りて陽已に微なり。林壑【りんがく】瞑色【めいしょく】を斂【おさ】め、雲霞 夕霏【せきひ】を収む。」

南の山の石壁精舍から北山の住まいへ帰る巫湖の中に船から見ての作詩。

午前中とくらべ夕がたになると気候が変わりってきた、(わたしの勉学修行に満足感があり)山も水も清々しい光を含んでいるようだ。

その清らかな光彩は人をこころから楽しませることができ、旅ゆく人の心を和ませてたのしむため帰ることをわすれるのである。

石壁精舎のある谷を出るときは日はまだ高かったが、船に乗るころには太陽はもう暗く微かになっていた。

林や谷、山影に夕暮れの色が深くこめてきている、空は雲や夕霞に夕映えがはえていて、やまかげには夕靄がすっかり治まってしまっている。

石壁精舎還湖中作 謝霊運(康楽) 詩<42#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1083

 

願言弄笙鶴,晚來相依。

だから、君はここに在って、笙の笛を吹いて白鶴を伴って、心長閑に浮世の事を忘れて居れば善いのではないか、われも、晩年に成ったらば、世事を謝して、そこへいって、君と一所に住むことにいたそうと思っているところなのである。

9 笙鶴 白鶴に乗って昇天した王子喬のことをいう。王山人を王子喬に比している。漢劉向《列仙傳》載「周靈王太子晉( 王子喬),好吹笙,作鳳鳴,游伊洛間,道士浮丘公接上嵩山, 三十餘年後乘白鶴駐緱氏山頂,舉手謝時人仙去。後以“笙鶴”指仙人乘騎之仙鶴。」(周靈王の太子晉を 王子喬という, 好く笙を吹き,鳳鳴を作す,伊洛の間に游び, 道士 浮丘公 接して嵩山に上る, 三十餘年後 白鶴に乘って緱氏山【こうしざん】頂に駐る,手を舉げて謝し時に人 仙去す。 後 以て“笙鶴”は仙人 乘騎の仙鶴を指す。)

鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。

 伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙の笛を吹いては鳳凰が鳴くような音を出すことができた。伊水と洛水あたり(河南省洛陽南部)を巡り歩いていたとき、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山【こうしざん】の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。

 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。

 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。
華山蓮花峰00 

743年(62)李太白集巻十四34-《贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 381Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(62) Ⅰ李白詩1734 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7210

李白  贈別王山人歸布山 #1

王子析道論,微言破秋毫。還歸布山隱,興入天雲高。

爾去安可遲,瑤草恐衰歇。
(王山人が奥山に帰る時、別に際して贈った)

王山人が宇宙の本体たる道を解析して論ずるを聞けば、いかにも微妙で、極めて細かいところまで行き亙り、さすがに、その修養の深いことが分かる。君は、今、ここより還って、山奥に隠遁することとし、歸興は、高く天上の雲に入るばかりである。汝、去ること、決して遅かる、べからす、今しも秋で、瑤草は衰歇せんとして居る。

743年(62)李太白集巻十四34-贈別王山人歸布山(王子析道論,) 381Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-62) Ⅰ李白詩1734 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7210

 

 
  2016年1月21日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(62)李太白集巻十四34-《贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 381Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(62) Ⅰ李白詩1734 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7210  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈128 巻01-13 南山詩  #1(1~3) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ7216  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-15 #3杜甫 《18-69 晚登瀼上堂》#3 杜甫詩index-15-1114 <1564> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7217   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻八39 謁金門一首 12孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》391巻八39 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7219  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-62

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    贈別王山人歸布山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              桂平 (嶺南道東部 潯州 桂平) 別名:布山      

交遊人物/地點:王山人      當地交遊

 

 

贈別王山人歸布山 #1

(王山人が奥山に帰る時、別に際して贈った)

王子析道論,微言破秋毫。

王山人が宇宙の本体たる道を解析して論ずるを聞けば、いかにも微妙で、極めて細かいところまで行き亙り、さすがに、その修養の深いことが分かる。

還歸布山隱,興入天雲高。

君は、今、ここより還って、山奥に隠遁することとし、歸興は、高く天上の雲に入るばかりである。

爾去安可遲,瑤草恐衰歇。

汝、去ること、決して遅かる、べからす、今しも秋で、瑤草は衰歇せんとして居る。

 

我心亦懷歸,屢夢松上月。

傲然遂獨往,長嘯開巖扉。

林壑久已蕪,石道生薔薇。

願言弄笙鶴,晚來相依。

 

 

(王山人の布山に歸るに贈別す) #1

王子 道論を析し,微言 秋毫を破る。

還た歸って 布山に隱れ,興は天雲に入って高し。

爾 去る 安んぞ遲かる可けんや,瑤草 衰歇を恐る。

#2

我が心 亦た歸るを懷い,屢ば松上の月を夢む。

傲然として遂に獨往,長嘯して 開巖扉をく。

林壑 久しく已に蕪し,石道 薔薇を生ず。

願わくば言【ここ】に笙鶴を弄せよ,晚 來って相い依らん。

 

京兆地域図002洛陽 函谷関 嵩山005 

『贈別王山人歸布山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈別王山人歸布山 #1

王子析道論,微言破秋毫。

還歸布山隱,興入天雲高。

爾去安可遲,瑤草恐衰歇。

(下し文)
(王山人の山に布し歸るに贈別す) #1

王子 道論を析し,微言 秋毫を破る。

還た歸って 布山に隱れ,興は天雲に入って高し。

爾 去る 安んぞ遲かる可けんや,瑤草 衰歇を恐る。


(現代語訳)
贈別王山人歸布山 #1(王山人が奥山に帰る時、別に際して贈った)

王山人が宇宙の本体たる道を解析して論ずるを聞けば、いかにも微妙で、極めて細かいところまで行き亙り、さすがに、その修養の深いことが分かる。

君は、今、ここより還って、山奥に隠遁することとし、歸興は、高く天上の雲に入るばかりである。

汝、去ること、決して遅かる、べからす、今しも秋で、瑤草は衰歇せんとして居る。


(訳注)

贈別王山人歸布山 #1

(王山人が奥山に帰る時、別に際して贈った)

この詩は、王山人が奥山に帰る時、別に際して贈ったのである。しかし、気配を消す道士であるため王山人の閲歴等はわからない。

1 布山 山奥に隠遁する。布はゆきわたることをいう。《漢書地理志下》「鬱林郡、縣十二、布山。」廣西省布山縣。というのがあるが、嵩山、王屋山をめぐる隠遁する山奥の場所と考えることが良いであろう。

 

王子析道論,微言破秋毫。

王山人が宇宙の本体たる道を解析して論ずるを聞けば、いかにも微妙で、極めて細かいところまで行き亙り、さすがに、その修養の深いことが分かる。

2 析:析,分也,解也。,即ち道家の經論を解析する。

3 微言(1) 凝縮された言葉,深い意味を込めた短い言葉.(2) 内緒話,はっきり口にせぬ言葉.精妙の。劉歆《移太常博士》夫子没而微言」(夫子没して微言。)

4 秋毫 :精微の理を謂う。微妙な言辞がきわめてこまかいところまでいきわたることをいう。《三国志·魏·管輅》裴松注:“《》曰:何尚書神明精微,言皆巧妙,巧妙之至,殆破秋毫。”(何尚書、神明精微,言皆巧妙,巧妙の至,殆んど秋毫を破る。)とあり、孫綽の太尉庚亮碑「微言散秋毫玄風暢徳音」(微言、秋毫に散じ、玄風、徳音に暢ぶ)

 

還歸布山隱,興入天雲高。

君は、今、ここより還って、山奥に隠遁することとし、歸興は、高く天上の雲に入るばかりである。

 

爾去安可遲,瑤草恐衰歇。

汝、去ること、決して遅かる、べからす、今しも秋で、瑤草は衰歇せんとして居る。

5 瑤草 :伝説中の仙草,靈芝等のこと。能く百病を治し或いは生をする食にする。漢東方朔《与友人書》:“相期拾瑶草,吞日月之光,共輕耳。”亦泛指珍之草。(相期には瑶草を拾い,日月の光華を,共に輕く擧ぐるのみ”亦異の泛指

李白309-#2 《巻十四31南陵別兒童入京》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白309-#2> Ⅰ李白詩1613 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6613

李白  南陵別兒童入京#2   

萬乘苦不早,著鞭跨馬涉遠道。會稽愚婦輕買臣,余亦辭家西入秦。

仰天大笑出門去,我輩豈是蓬蒿人。

そもそも、万乗の天子に「遊説」として自分の意見を申しあげ、三寸の舌をもって卿相の位をとるは、早いのが良いので、それがためには、鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅路をこえてゆかねばならない。漢のむかし、「会稽の愚婦」といわれる嫁は朱買臣をばかにして、離婚を求めたが、朱買臣は、そののち、大層出世したという故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に向かおうとし、将来の成功を予期している。だから、此処から、胸を張って大笑して門を出てゆこうとしているし、元来、吾輩は天縦の才略を抱いているもので、とてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物ではないし、今次の都へ向う旅については、栄達の日を指折り数えて待っておいてほしいと思っておるのである。
李白309-#2 《巻十四31南陵別兒童入京》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白309-#2> Ⅰ李白詩1613 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6613

 

 
  2015年9月15日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
李白309-#2 《巻十四31南陵別兒童入京》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白309-#2> Ⅰ李白詩1613 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6613  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈88-#12 §3-1 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1526> Ⅱ#12 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6614  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-124杜甫 《巻1736詠懷古跡,五首之三【案:吳若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-124 <987> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6615  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 10和凝 (改)《巻六18菩薩蠻一首》『花間集』269全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6617  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

***********************************************************

 「児童に別れて」とある、「児童」は詩中に「児女」とあり、李白と道教(3 李白47 寄東魯二稚子」詩に、嬌女は平陽と字し、花を折って桃辺に侍り小児は伯禽と名づけ、姉と亦た肩を同じくすとある平陽と伯禽のことであろう。この二人と別れて都に入るときの詩であるが、むろん道士呉筠の推薦と、玉真公主の希望によってである。時は天宝元年八七讐)、李白四十二歳である。

 旅に出ていて、入京の吉報を得て、「ちょうど濁酒が熟するころ、わが山中の住みかに帰ってきた」。酒好きの李白にとってはまずは酒である。「黍を十分ついばんでいた黄鶏は、この秋に今や肥えて食べごろ。下男を呼んで鶏を煮させて肴にしつつ濁酒を飲んで、「一杯機嫌で都入。」の自慢話をすると、子供たちは歌って大喜び、お父さんよかったねと、父の着物を引っ張る」。「人がわ衣を牽く」は、子供心の嬉しさと、多少父をからかうような気持ちでもある。その様子が目に浮かぶような表現でうまい。

 高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。元来、落日の光は、どちらかというと、喜びを予想しない、不安を予期することが多い題材であるが、巧みな表現力で寂勢と希望をよく連なって詠っている。また、道教思想の西の仙女の国と西方の長安を意識させるものであって、喜びと対比させることは珍しい使い方である。


 読書が好きで、柴を負いながら書物を読む。妻はその姿のみすぼらしいのを見て、離縁を申し出る。朱買臣は、五十歳になると、地位も高く金持ちになる。今は四十歳であるから、しばらく待てという。妻は、あなたみたいな人は、どぶで餓死するであろうといって、家を出てゆく。数年後、朱買臣は、長安に行って富貴の身となった」とある。この故事をふまえて、「自分も先買臣と同じように家を出て長安の都に入ることになった。おそらく朱買臣と同じように出世するであろう」。

 「会稽の愚婦」は、ここでは、自分の妻に戯れて、「おまえも自分をいつも出世しないと馬鹿にしていたが、今度はいよいよ長安に出て出世するぞ」といった椰稔の意があるであろう。郭沫若は、『李白と杜甫』において、これは妻を愚かなる婦とののしったものであり、この「愚婦」とは、魂頴の『李翰林集』序にいう劉氏のことであるとする。李白は三度妻を要るが、二番めが劉氏である。郭氏の説には従いがたいが、参考までに挙げておく。さて、李白は「誇らしげに天を仰いで、大笑して、わが家の門を出てゆく」。「仰天大笑」は、このときの李白の喜びにあふれる気持ちを平易な表現でよく表現している。そして、最後に、李白の自信に満ちた気持ちを、「わが輩は野に埋もれる人ではない」と強くいっている。「蓬蒿」は、ともによもぎといわれ、雑草の類。野原に生えることから、田舎の意味に使われる。「蓬嵩人」という使い方は李白がはじめてであろう。


寄東魯二稚子 在金陵作
地桑葉綠。 蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』

呉地桑葉緑に、呉蚕すでに三眠。
わが家 東魯に寄す、誰か種()うる亀陰の田。
春事すでに及ばん、江行また茫然。』
南風 帰心を吹き、飛び 墮()つ 酒楼の前。
楼東 一株の桃、枝葉 青煙を払う。
この樹はわが種うるところ、別れてこのかた三年ならん。
桃はいま楼と斉(ひと)しきに、わが行ないまだ旋(かへ)らず。』
嬌女 字 (あざな)は平陽、花を折り 桃辺に倚() る。
花 折りつつ 我を見ず、涙下ること流泉のごとし。』
小児名は伯禽、姐(あね)とまた肩を斉ひとしく。
ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』
これを念うて 次第を失し、肝腸 日(ひび) 憂いに煎る。
(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを汶陽川にたくす。』 

 

***********************************************************

 

 

年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七四              文體:    七言古詩

詩題:    南陵別兒童入京

作地點:              瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:              南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村         

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都    

會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰       

 

 

南陵別兒童入京

(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
白酒新熟山中歸,黃雞啄黍秋正肥。

山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
呼童烹雞酌白酒,兒女嬉笑牽人衣。

そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。高歌取醉欲自慰,起舞落日爭光輝。

こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。
#2

萬乘苦不早,著鞭跨馬涉遠道。

そもそも、万乗の天子に「遊説」として自分の意見を申しあげ、三寸の舌をもって卿相の位をとるは、早いのが良いので、それがためには、鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅路をこえてゆかねばならない。
會稽愚婦輕買臣,余亦辭家西入秦。

漢のむかし、「会稽の愚婦」といわれる嫁は朱買臣をばかにして、離婚を求めたが、朱買臣は、そののち、大層出世したという故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に向かおうとし、将来の成功を予期している。
仰天大笑出門去,我輩豈是蓬蒿人。

だから、此処から、胸を張って大笑して門を出てゆこうとしているし、元来、吾輩は天縦の才略を抱いているもので、とてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物ではないし、今次の都へ向う旅については、栄達の日を指折り数えて待っておいてほしいと思っておるのである。

 

(南陵にて兒童に別れ京に入る。)
白酒 新たに熟して山中に帰り、黄鶏 黍(を啄んで 秋 正に肥ゆ。
童を呼び鶏を烹て白酒を酌み、児女歌笑して人の衣を牽く。

高歌 酔を取って自ら慰めんと欲し、起って舞えば 落日光輝を争う。
#2

万乗に遊説す 早からざりしに苦しみ、鞭を著け馬に跨って遠道を渉る。

会稽の愚婦 買臣を軽んじ、余も亦 家を辞して西のかた秦に入る。
天を仰ぎ大笑して門を出で去り、我輩 豈に是れ蓬蒿の人。

 

唐時代 地図615 長江下流域 

『南陵別兒童入京』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

萬乘苦不早,著鞭跨馬涉遠道。

會稽愚婦輕買臣,余亦辭家西入秦。

仰天大笑出門去,我輩豈是蓬蒿人。

(下し文)
#2

万乗に遊説す 早からざりしに苦しみ、鞭を著け馬に跨って遠道を渉る。

会稽の愚婦 買臣を軽んじ、余も亦 家を辞して西のかた秦に入る。

天を仰ぎ大笑して門を出で去り、我輩 豈に是れ蓬蒿の人。

(現代語訳)
#2

そもそも、万乗の天子に「遊説」として自分の意見を申しあげ、三寸の舌をもって卿相の位をとるは、早いのが良いので、それがためには、鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅路をこえてゆかねばならない。
漢のむかし、「会稽の愚婦」といわれる嫁は朱買臣をばかにして、離婚を求めたが、朱買臣は、そののち、大層出世したという故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に向かおうとし、将来の成功を予期している。

だから、此処から、胸を張って大笑して門を出てゆこうとしているし、元来、吾輩は天縦の才略を抱いているもので、とてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物ではないし、今次の都へ向う旅については、栄達の日を指折り数えて待っておいてほしいと思っておるのである。
李白の足跡003
(訳注) #2

南陵別兒童入京
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
南陵 安徽省宜城県の西にあり、李白は玄宗に召されて長安へ上京した際、ここで妻子と別れたらしい。この詩の児童というのは、李白47「東魯の二稚子」と同じであるかどうか、わからない。

 

萬乘苦不早。 著鞭跨馬涉遠道。
そもそも、万乗の天子に「遊説」として自分の意見を申しあげ、三寸の舌をもって卿相の位をとるは、早いのが良いので、それがためには、鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅路をこえてゆかねばならない。
遊説 春秋戦国時代に、ある種の人びとは各国を奔走して、国王や貴族の面前で自己の政治主張をのべ、採用されることを求めた。これを遊説といった。

万乗 皇帝のこと。古代の制度によると、皇帝は、一万の兵車を有していた。


會稽愚婦輕買臣。 余亦辭家西入秦。
漢のむかし、「会稽の愚婦」といわれる嫁は朱買臣をばかにして、離婚を求めたが、朱買臣は、そののち、大層出世したという故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に向かおうとし、将来の成功を予期している。
会稽愚婦軽買臣 《漢書、朱買臣傳》「朱買臣字翁子,人也。家貧,好讀書,不治業,常艾薪樵,賣以給食,擔束薪,行且誦書。其妻亦負戴相隨,數止買臣毋歌嘔道中。買臣愈益疾歌,妻羞之,求去。買臣笑曰:「我年五十當富貴,今已四十餘矣。女苦日久,待我富貴報女功。」妻恚怒曰:「如公等,終餓死溝中耳,何能富貴!」買臣不能留,即聽去。其後,買臣獨行歌道中,負薪墓間。故妻與夫傢俱上塚,見買臣饑寒,呼飯飲之。」朱買臣は漢の会稽郡呉(いまの江蘇省呉県)の人。豪が貧乏で、柴を売って生活をしのいでいたが、読書好きで、柴を背負って歩きながら道道、書物を朗読した。同じく柴を背負っていっしょに歩いていた妻が、かっこうが悪いのでそれを止めると、買臣はますます大声をはりあげてやる。妻はそれを恥じ離縁を申し出た。買臣は笑って言った。「わたしは五十歳になれば必ず金持になり身分も高くなるだろう。今すでに四十余り、おまえにも長い間苦労さしたが、わたしがいい身分になっておまえの功にむくいるまで待ちなさい」妻は怒って言った。「あなたみたいな人は、しまいにドブの中で餓死するだけですよ。何でいい御身分になんかなれるものですか」買臣の留めるのもきかず、妻は去って行
った。数年後、買臣は長安に行き富貴の身になったという。吉川幸次郎「漢の武帝」岩波新書参照。しかし、朱買臣はのちのち何度も官をやめさされ、最後には武帝の命で殺された(「漢書」巻64)し、蘇秦も六国の宰相を兼ねた得意の時は実に短かいものだったのである。李白はなぜこの故事を使ったのか、まさかの都故事通り、みにふりかかるとは思っていないから、愚妻といって冗談を言ったと思われる。

 長安のこと。


大笑出門去。 我輩豈是蓬蒿人。
だから、此処から、胸を張って大笑して門を出てゆこうとしているし、元来、吾輩は天縦の才略を抱いているもので、とてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物ではないし、今次の都へ向う旅については、栄達の日を指折り数えて待っておいてほしいと思っておるのである。
蓬嵩 よもぎ。雑草のこと。蓬嵩の人とは、野に埋もれて一生を終る人のこと。

李白309-#1 《巻十四32南陵別兒童入京》-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白309> Ⅰ李白詩1612 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6608

李白  南陵別兒童入京 -#1

白酒新熟山中歸,黃雞啄黍秋正肥。

呼童烹雞酌白酒,兒女嬉笑牽人衣。

高歌取醉欲自慰,起舞落日爭光輝。
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。

李白309-#1 《巻十四32南陵別兒童入京》-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白309> Ⅰ李白詩1612 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6608

 

 
  2015年9月14日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
李白309-#1 《巻十四32南陵別兒童入京》-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白309> Ⅰ李白詩1612 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6608  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈88-#11 §2-4 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1525> Ⅱ#11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6609  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-123杜甫 《巻1735詠懷古跡,五首之二【案:吳若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-123 <986> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6610  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 10和凝 (改)《巻六17臨江仙二首其二》『花間集』268全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6612  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七四              文體:    七言古詩

詩題:    南陵別兒童入京

作地點:              瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:              南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村         

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都    

會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰       

 

 

南陵別兒童入京

(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
白酒新熟山中歸,黃雞啄黍秋正肥。

山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
呼童烹雞酌白酒,兒女嬉笑牽人衣。

そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。高歌取醉欲自慰,起舞落日爭光輝。

こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。
#2

萬乘苦不早,著鞭跨馬涉遠道。

會稽愚婦輕買臣,余亦辭家西入秦。

仰天大笑出門去,我輩豈是蓬蒿人。

 

 

(南陵にて兒童に別れ京に入る。)
白酒 新たに熟して山中に帰り、黄鶏 黍(を啄んで 秋 正に肥ゆ。
童を呼び鶏を烹て白酒を酌み、児女歌笑して人の衣を牽く。

高歌 酔を取って自ら慰めんと欲し、起って舞えば 落日光輝を争う。
#2

万乗に遊説す 早からざりしに苦しみ、鞭を著け馬に跨って遠道を渉る。

会稽の愚婦 買臣を軽んじ、余も亦 家を辞して西のかた秦に入る。
天を仰ぎ大笑して門を出で去り、我輩 豈に是れ蓬蒿の人。

 

 

『南陵別兒童入京』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

南陵別兒童入京

白酒新熟山中歸,黃雞啄黍秋正肥。

呼童烹雞酌白酒,兒女嬉笑牽人衣。

高歌取醉欲自慰,起舞落日爭光輝。

(下し文)
(南陵にて兒童に別れ京に入る。)

白酒 新たに熟して山中に帰り、黄鶏 黍(を啄んで 秋 正に肥ゆ。

童を呼び鶏を烹て白酒を酌み、児女歌笑して人の衣を牽く。

高歌 酔を取って自ら慰めんと欲し、起って舞えば 落日光輝を争う。

(現代語訳)
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。


(訳注)

南陵別兒童入京
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
南陵 安徽省宜城県の西にあり、李白は玄宗に召されて長安へ上京した際、ここで妻子と別れたらしい。この詩の児童というのは、李白47「東魯の二稚子」と同じであるかどうか、わからない。


白酒新熟山中歸。 黃雞啄黍秋正肥。
山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
白酒 どぶろく。


呼童烹雞酌白酒。 兒女嬉笑牽人衣。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。
児女 男の子と女の子


高歌取醉欲自慰。 起舞落日爭光輝。
こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。
高歌 高らかに歌を歌う 

自慰 酒を飲み酔うことにより自分で自分を慰める。

落日 沈む夕日の方向 

爭光輝 光と未来の輝きがを争う

 

 

 

 「児童に別れて」とある、「児童」は詩中に「児女」とあり、李白と道教(3 李白47 寄東魯二稚子」詩に、嬌女は平陽と字し、花を折って桃辺に侍り小児は伯禽と名づけ、姉と亦た肩を同じくすとある平陽と伯禽のことであろう。この二人と別れて都に入るときの詩であるが、むろん道士呉筠の推薦と、玉真公主の希望によってである。時は天宝元年八七讐)、李白四十二歳である。

 旅に出ていて、入京の吉報を得て、「ちょうど濁酒が熟するころ、わが山中の住みかに帰ってきた」。酒好きの李白にとってはまずは酒である。「黍を十分ついばんでいた黄鶏は、この秋に今や肥えて食べごろ。下男を呼んで鶏を煮させて肴にしつつ濁酒を飲んで、「一杯機嫌で都入。」の自慢話をすると、子供たちは歌って大喜び、お父さんよかったねと、父の着物を引っ張る」。「人がわ衣を牽く」は、子供心の嬉しさと、多少父をからかうような気持ちでもある。その様子が目に浮かぶような表現でうまい。

 高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。元来、落日の光は、どちらかというと、喜びを予想しない、不安を予期することが多い題材であるが、巧みな表現力で寂勢と希望をよく連なって詠っている。また、道教思想の西の仙女の国と西方の長安を意識させるものであって、喜びと対比させることは珍しい使い方である。


 読書が好きで、柴を負いながら書物を読む。妻はその姿のみすぼらしいのを見て、離縁を申し出る。朱買臣は、五十歳になると、地位も高く金持ちになる。今は四十歳であるから、しばらく待てという。妻は、あなたみたいな人は、どぶで餓死するであろうといって、家を出てゆく。数年後、朱買臣は、長安に行って富貴の身となった」とある。この故事をふまえて、「自分も先買臣と同じように家を出て長安の都に入ることになった。おそらく朱買臣と同じように出世するであろう」。

 「会稽の愚婦」は、ここでは、自分の妻に戯れて、「おまえも自分をいつも出世しないと馬鹿にしていたが、今度はいよいよ長安に出て出世するぞ」といった椰稔の意があるであろう。郭沫若は、『李白と杜甫』において、これは妻を愚かなる婦とののしったものであり、この「愚婦」とは、魂頴の『李翰林集』序にいう劉氏のことであるとする。李白は三度妻を要るが、二番めが劉氏である。郭氏の説には従いがたいが、参考までに挙げておく。さて、李白は「誇らしげに天を仰いで、大笑して、わが家の門を出てゆく」。「仰天大笑」は、このときの李白の喜びにあふれる気持ちを平易な表現でよく表現している。そして、最後に、李白の自信に満ちた気持ちを、「わが輩は野に埋もれる人ではない」と強くいっている。「蓬蒿」は、ともによもぎといわれ、雑草の類。野原に生えることから、田舎の意味に使われる。「蓬嵩人」という使い方は李白がはじめてであろう。


寄東魯二稚子 在金陵作
地桑葉綠。 蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』

呉地桑葉緑に、呉蚕すでに三眠。
わが家 東魯に寄す、誰か種()うる亀陰の田。
春事すでに及ばん、江行また茫然。』
南風 帰心を吹き、飛び 墮()つ 酒楼の前。
楼東 一株の桃、枝葉 青煙を払う。
この樹はわが種うるところ、別れてこのかた三年ならん。
桃はいま楼と斉(ひと)しきに、わが行ないまだ旋(かへ)らず。』
嬌女 字 (あざな)は平陽、花を折り 桃辺に倚() る。
花 折りつつ 我を見ず、涙下ること流泉のごとし。』
小児名は伯禽、姐(あね)とまた肩を斉ひとしく。
ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』
これを念うて 次第を失し、肝腸 日(ひび) 憂いに煎る。
(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを汶陽川にたくす。』 

296 《巻十四02別魯頌》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <296> Ⅰ李白詩1584 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6468

李白  別魯頌  

誰道泰山高,下卻魯連節。誰云秦軍眾,摧卻魯連舌。

獨立天地間,清風灑蘭雪。夫子還倜儻,攻文繼前烈。

錯落石上松,無為秋霜折。贈言鏤寶刀,千庶不滅。

(魯頌に別れるにあたって、魯という姓の故を以て、古の魯仲連を引合に出して、その想を構へたのである。)

誰か泰山を高いといふか、魯仲連の高節に比すれば、もとより圧し下れて仕舞うというものだ。誰か秦軍を多勢だというか、魯伸連の舌の先で、散散に打砕かれて仕舞ったという。かの魯伸連は、天地の間に獨立し、その人物の高潔なることは、清風が蘭の葉の上の雪に吹き灑ぐようである。わが魯頌も、魯仲連と同姓の縁故があるというのみならず、その人物も倜儻不羈で、はるかに、羣俗に抜き、そしで、文學を攻究して、前人の功烈を継がんとしている。彼は、錯落たる石上の松に比すべきもので、どうか、秋霜に折られぬようにして欲しい。そこで、言を贈らんとして、よって、これを賓刀にほり付けることにしたから、こいねがわくば、千歳の後までも、決して泯滅することがないように、幸に我が嘱望に負かざらんことを希望する。

296 《巻十四02別魯頌》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <296> Ⅰ李白詩1584 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6468

 

 
 2015年8月25日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
296 《巻十四02別魯頌》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <296> Ⅰ李白詩1584 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6468 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
86-#3§2-1 送區册序 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1505> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6509 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-108杜甫 《巻1536夔州歌十絕句,十首之六》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-108 <971> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6510 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog9欧陽烱《巻五49浣渓沙 三首 其三》『花間集』248全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6512 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    別魯頌

作地點:              目前尚無資料

及地點:泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

 

 

別魯頌

(魯頌に別れるにあたって、魯という姓の故を以て、古の魯仲連を引合に出して、その想を構へたのである。)

誰道泰山高,下卻魯連節。

誰か泰山を高いといふか、魯仲連の高節に比すれば、もとより圧し下れて仕舞うというものだ。

誰云秦軍眾,摧卻魯連舌。

誰か秦軍を多勢だというか、魯伸連の舌の先で、散散に打砕かれて仕舞ったという。

獨立天地間,清風灑蘭雪。

かの魯伸連は、天地の間に獨立し、その人物の高潔なることは、清風が蘭の葉の上の雪に吹き灑ぐようである。

夫子還倜儻,攻文繼前烈。

わが魯頌も、魯仲連と同姓の縁故があるというのみならず、その人物も倜儻不羈で、はるかに、羣俗に抜き、そしで、文學を攻究して、前人の功烈を継がんとしている。

錯落石上松,無為秋霜折。

彼は、錯落たる石上の松に比すべきもので、どうか、秋霜に折られぬようにして欲しい。

贈言鏤寶刀,千庶不滅。

そこで、言を贈らんとして、よって、これを賓刀にほり付けることにしたから、こいねがわくば、千歳の後までも、決して泯滅することがないように、幸に我が嘱望に負かざらんことを希望する。

 

(魯頌に別る)

誰か泰山を高しと道ふ、下却す魯蓮の節。

誰か秦軍を衆しと云ふ、摧卻す魯連の舌。

獨立す天地の間、清風、蘭雪に灑ぐ。

夫子、還た倜儻、文を攻めて、前烈に繼ぐ。

錯落たり石上の松、秋ほう霜に折らるるなし。

贈言 寶刀に鏤むれば、千歳 庶はくば滅せざらむ。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

 

『別魯頌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

別魯頌

誰道泰山高,下卻魯連節。

誰云秦軍,摧卻魯連舌。

獨立天地間,清風灑蘭雪。

夫子還倜儻,攻文繼前烈。

錯落石上松,無為秋霜折。

贈言鏤寶刀,千庶不滅

(下し文)
(魯頌に別る)

誰か泰山を高しと道ふ、下却す魯蓮の節。

誰か秦軍を衆しと云ふ、摧卻す魯連の舌。

獨立す天地の間、清風、蘭雪に灑ぐ。

夫子、還た倜儻、文を攻めて、前烈に繼ぐ。

錯落たり石上の松、秋ほう霜に折らるるなし。

贈言 寶刀に鏤むれば、千歳 庶はくば滅せざらむ。


(現代語訳)
(魯頌に別れるにあたって、魯という姓の故を以て、古の魯仲連を引合に出して、その想を構へたのである。)

誰か泰山を高いといふか、魯仲連の高節に比すれば、もとより圧し下れて仕舞うというものだ。

誰か秦軍を多勢だというか、魯伸連の舌の先で、散散に打砕かれて仕舞ったという。

かの魯伸連は、天地の間に獨立し、その人物の高潔なることは、清風が蘭の葉の上の雪に吹き灑ぐようである。

わが魯頌も、魯仲連と同姓の縁故があるというのみならず、その人物も倜儻不羈で、はるかに、羣俗に抜き、そしで、文學を攻究して、前人の功烈を継がんとしている。

彼は、錯落たる石上の松に比すべきもので、どうか、秋霜に折られぬようにして欲しい。

そこで、言を贈らんとして、よって、これを賓刀にほり付けることにしたから、こいねがわくば、千歳の後までも、決して泯滅することがないように、幸に我が嘱望に負かざらんことを希望する。

李白の足跡0000
(訳注)

別魯頌

(魯頌に別れるにあたって、魯という姓の故を以て、古の魯仲連を引合に出して、その想を構へたのである。)

魯頌は人名。この詩は魯頌に別るるに際し、同姓の故を以て、古しへの魯仲連を引合に出して、その想を構へたのである。

魯仲連 (約前305年—前245年),有時簡稱魯連。戰國時代齊國茌平人(今山東省茌平縣王老望魯店村),為遊名士。曾就學於稷下學宮,不願出任官職。由於他的遊技巧卓越,有著名的「義不帝秦」辯論。成為現代「和事佬」的代名詞。《漢書》藝文志有《仲連子》14篇。

斉の人。特異卓抜な計画が好きで、宮仕えを厭い、好んで高節を堅持した。B.C.258秦軍が趙の邯鄲を包囲し、趙は魏に救援を求めた。魏安釐王は客将の新垣衍を邯鄲に潜入させ、 平原君を通じて趙孝成王に「使者を秦に遣わし尊んで帝と称するなら、 秦は喜んで兵を引き揚げるだろう」と言わせようとした。魯仲連はたまたま趙に遊説しており、平原君に新垣衍と合わせてくれるよう請うた。

魯仲連は説いて自説を取りやめるよう新垣衍を説得し、結局新垣衍は再拝して取りやめた。

秦軍が去った後、平原君は魯仲連を封じようとしたが「天下の士が貴いのは、人のために禍を除き災難を払い、紛争を解いて身に受けるところがないからである。 金を受けるのは商人のすることで連のできるところではない」と言って去り、生涯再び会わなかった。

斉の将軍田単が長狄を討とうとして、魯仲連に会いに出かけた。魯仲連は「将軍が狄をお攻めになっても、降すことはできますまい」 と言った。田単は挨拶もせずに憤然と立ち去った。しかし田単は狄を3ヶ月攻めたが降すことができなかった。

田単は再び魯仲連に見えた。魯仲連は「将軍が即墨におられたときは、決死の覚悟があり、士卒には生き延びる未練はありませんでした。たから強い燕を破ることができたのです。 ところが、いまや将軍には掖邑の領地があり、生きる楽しみがあって、死ぬ覚悟がありません。これが勝てない原因です」と言った。

田単はそこで気を奮い起こして、ついに狄を討ち破った。

燕の将軍が斉を攻め、聊城を取った。聊城の人が燕王に将軍のことを讒言したため、将軍は誅殺されることを恐れて、国に帰らなかった。 田単は聊城を討ったが、一年経っても落ちなかった。

魯仲連は燕将に書簡をもって 「孫臏や管夷吾や曹沫は小恥を知り、 小節をおこなうことができなかったのではなく、わが身を殺し、家系を断ち、子孫を絶やして功名の立たないのを智者の振舞いとしなかったのである。

願わくば公にも、その一を選んで実行されますように」と言った。

燕将は書簡を見て泣くこと3日、帰国することも降ることもできないので自殺した。田単はついに聊城をおとしいれた。

田単は王にこのことを言上し、爵位を与えようとしたが、魯仲連は逃げて海浜に隠れ「わたしは富貴の身となって人主に屈するより、むしろ貧賤のまま世を軽んじ、 思いのままに振舞いたい」と言った。

 

誰道泰山高,下卻魯連節。

誰か泰山を高いといふか、魯仲連の高節に比すれば、もとより圧し下れて仕舞うというものだ。

下卻 ~より劣っているという意。

泰山 山東省中部にある名山。高さは1,545m(最高峰は玉皇頂と呼ばれる)。中国五岳の一。古来信仰の対象となり、秦・漢時代から皇帝が封禅 (ほうぜん) の儀式を行った所。玉皇廟など古跡が多い。

 

 

誰云秦軍眾,摧卻魯連舌。

誰か秦軍を多勢だというか、魯伸連の舌の先で、散散に打砕かれて仕舞ったという。

摧卻魯連舌 魯仲連の舌先で摧かれる。

嘲魯連子 韓愈(韓退之) <165>Ⅱ中唐詩771 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2839

 

獨立天地間,清風灑蘭雪。

かの魯伸連は、天地の間に獨立し、その人物の高潔なることは、清風が蘭の葉の上の雪に吹き灑ぐようである。

 

夫子還倜儻,攻文繼前烈。

わが魯頌も、魯仲連と同姓の縁故があるというのみならず、その人物も倜儻不羈で、はるかに、羣俗に抜き、そしで、文學を攻究して、前人の功烈を継がんとしている。

倜儻 才気があって優れていること。 「倜儻不羈(てきとうふき)」は、「信念と独立心を持ち、安易に人に左右されない」

前烈 前人のすぐれた功績。《文選.司馬相如.巴蜀檄》:「名聲施於無窮,功烈著而不滅。」 功業。

 

錯落石上松,無為秋霜折。

彼は、錯落たる石上の松に比すべきもので、どうか、秋霜に折られぬようにして欲しい。

錯落 。いろいろと、ふぞろいの物が入り混じっているさま。▽「参差」は長短・高低入り混じり、ふぞろいなさま。「錯落」はたくさんの物がごたごた入り混じるさま。

 

贈言鏤寶刀,千庶不滅。

そこで、言を贈らんとして、よって、これを賓刀にほり付けることにしたから、こいねがわくば、千歳の後までも、決して泯滅することがないように、幸に我が嘱望に負かざらんことを希望する。

鏤寶刀 南朝梁·江淹·古意報袁功曹詩「故人贈寶劍, 鏤以瑤華文。」に基づく。

256 -#3 《巻十四11潁陽別元丹丘之淮陽 -#3》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <256 -#3> Ⅰ李白詩1519 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6143

李白  潁陽別元丹丘之淮陽#3

當餐黃金藥,去為紫陽賓。萬事難並立,百年猶崇晨。

別爾東南去,悠悠多悲辛。前志庶不易,遠途期所遵。

已矣歸去來,白雲飛天津。

庶わくは、前志を変えることなく、あくまで修養をなし、たとえ途遠くして、容易に到り難きにせよ、その遵由するところを期して、次第に工夫を積むが善い。己んぬるかな、「いざ帰りいざ。」白雲一片、天津橋上に飛び、さながら心ありげに、君を送るが如く、君の此行、必ずしも不成功に終ることも無かろうと思う。

 

256 -#3 《巻十四11潁陽別元丹丘之淮陽 -#3》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <256 -#3> Ⅰ李白詩1519 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6143

 
 2015年6月13日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
256 -#3 《巻十四11潁陽別元丹丘之淮陽 -#3》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <256 -#3> Ⅰ李白詩1519 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6143 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
73-#5 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》-#5 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1432> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6144 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1805李潮八分小篆歌 -#4》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-53 <918 -#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6145 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog張泌《巻四24浣渓沙 十首 其一 》『花間集』175全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6147 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

 

 

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

 

 

年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    潁陽別元丹丘之淮陽

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              潁陽 (都畿道 河南府 潁陽)              

陳州 (河南道 陳州 陳州) 別名:淮陽           

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁               

交遊人物:元丹丘                當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

潁陽別元丹丘之淮陽 #1

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)

吾將元夫子,異姓為天倫。

われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。

本無軒裳契,素以煙霞親。

軒車冠裳、即ち在官上の交契とては無いが、本来、煙霞の癖を同じうして、あい親んで居た。

嘗恨迫世網,銘意未伸。

恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることが出凍す、つまり、この世を脱出しかねる。

松柏雖寒苦,羞逐桃李春。

松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。

#2

悠悠市朝間,玉顏日緇磷。

かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。

所失重山岳,所得輕埃塵。

われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。

精魄漸蕪穢,衰老相憑因。

こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。

我有錦囊訣,可以持君身。

われに錦嚢の仙方があって、これを以て、君の身を支持して行くことが出来るが、

#3

當餐金藥,去為紫陽賓。

それは、外でもない、餐するにあたっては黄金の薬を食し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。

萬事難並立,百年猶崇晨。

すべて、世間の万事は、並び立たず、百年の久しきも、ほんの朝飯前の短い間である。

別爾東南去,悠悠多悲辛。

かくて、汝が東南に去ろうとするのを送れば、わが心、悠悠として、悲辛の情多く、殆んど堪えられない。

前志庶不易,遠途期所遵。

庶わくは、前志を変えることなく、あくまで修養をなし、たとえ途遠くして、容易に到り難きにせよ、その遵由するところを期して、次第に工夫を積むが善い。

已矣歸去來,白雲飛天津。

己んぬるかな、「いざ帰りいざ。」白雲一片、天津橋上に飛び、さながら心ありげに、君を送るが如く、君の此行、必ずしも不成功に終ることも無かろうと思う。

 

(潁陽にて、元丹丘の淮陽に之くに別る)
吾、元夫子と、異姓にして天倫たり。

本と軒裳の契なく、素より煙霞を以て親む。

かつて恨む、世網に迫られ、銘意 倶に未だ伸びざるを。

松柏は寒苦と雖も、桃李の春を逐ふを羞づ。

#2

悠悠たる市朝の間,玉顏 日に緇磷。

失う所ろは山岳よりも重く,得る所は埃塵よりも輕し。

精魄 漸く蕪穢,衰老 相い 憑因す。

我に 錦囊の訣有り,可以て君が身を持つべし。

#3

當に の藥を餐し,去って 紫陽の賓と為るべし。

萬事 並び立ち難く,百年 猶お 崇晨。

爾が 東南に去るに別る,悠悠として 悲辛多し。

前志 庶わくば 易らず,遠途 遵う所を期す。

已んぬるかな 歸るなん去來【いざ】,白雲 天津に飛ぶ。

 

都畿道河南道01 

『潁陽別元丹丘之淮陽』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#3

當餐黃金藥,去為紫陽賓。

萬事難並立,百年猶崇晨。

別爾東南去,悠悠多悲辛。

前志庶不易,遠途期所遵。

已矣歸去來,白雲飛天津。

(下し文) #3

當に 黃金の藥を餐し,去って 紫陽の賓と為るべし。

萬事 並び立ち難く,百年 猶お 崇晨。

爾が 東南に去るに別る,悠悠として 悲辛多し。

前志 庶わくば 易らず,遠途 遵う所を期す。

已んぬるかな 歸るなん去來【いざ】,白雲 天津に飛ぶ。


(現代語訳)
それは、外でもない、餐するにあたっては黄金の薬を食し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。

すべて、世間の万事は、並び立たず、百年の久しきも、ほんの朝飯前の短い間である。

かくて、汝が東南に去ろうとするのを送れば、わが心、悠悠として、悲辛の情多く、殆んど堪えられない。

庶わくは、前志を変えることなく、あくまで修養をなし、たとえ途遠くして、容易に到り難きにせよ、その遵由するところを期して、次第に工夫を積むが善い。

己んぬるかな、「いざ帰りいざ。」白雲一片、天津橋上に飛び、さながら心ありげに、君を送るが如く、君の此行、必ずしも不成功に終ることも無かろうと思う。


(訳注) #3

潁陽別元丹丘之淮陽 

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)

舊唐書「潁陽載初元年,析河南、伊闕、嵩陽三縣置武臨縣。開元十五年,改為潁陽。」(載初元年、河南、伊闕、崇陽の三堰を研いて、武臨縣を置く。開元十五年改めて穎陽となし、河南府に隷す。准陽郡は即ち陳州なり、河南道に属す)とある。都畿道 河南府 潁陽。

李白の足跡0000 

當餐黃金藥,去為紫陽賓。

それは、外でもない、餐するにあたっては黄金の薬を食し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。

黃金藥 《抱朴子仙藥》「 仙藥之上者為丹砂,次者為黃金。」

紫陽賓 《周氏冥通記》「第一紫陽左眞人,治葛衍山,周君;第二紫陽古()真人,治嶓冢山,王君」とある。

 

萬事難並立,百年猶崇晨。

すべて、世間の万事は、並び立たず、百年の久しきも、ほんの朝飯前の短い間である。

崇晨 崇朝に同じ、旦より食事に至るまでをいう。

 

別爾東南去,悠悠多悲辛。

かくて、汝が東南に去ろうとするのを送れば、わが心、悠悠として、悲辛の情多く、殆んど堪えられない。

 

前志庶不易,遠途期所遵。

庶わくは、前志を変えることなく、あくまで修養をなし、たとえ途遠くして、容易に到り難きにせよ、その遵由するところを期して、次第に工夫を積むが善い。

 

已矣歸去來,白雲飛天津。

己んぬるかな、「いざ帰りいざ。」白雲一片、天津橋上に飛び、さながら心ありげに、君を送るが如く、君の此行、必ずしも不成功に終ることも無かろうと思う。

歸去來 陶淵明(とうえんめい)「帰去来辞」より。「来」は助辞〕 故郷に帰るために,官職をやめてその地を去ること。「かえりなんいざ」と訓読されてきた。

天津 洛陽の天神橋。李白《巻4-34 洛陽陌》「白玉誰家郎,回車渡天津。看花東陌上,驚動洛陽人。」誰の家だろうかこんなにも白玉に飾られた豪奢なかざったいえの貴族のむすこいる家は?その貴公子は車を回らして、天神橋を渡って歓楽街を過ぎる。洛陽の城門から入って東の大路へ行って悠然と花を見る。その豪華華美の姿は洛陽の人々を驚かすばかりである。

256 -#2 《巻十四11潁陽別元丹丘之淮陽 -#2》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <256 -#2> Ⅰ李白詩1518 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6138

李白  潁陽別元丹丘之淮陽#2

悠悠市朝間,玉顏日緇磷。所失重山岳,所得輕埃塵。

精魄漸蕪穢,衰老相憑因。我有錦囊訣,可以持君身。

われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。

 

256 -#2 《巻十四11潁陽別元丹丘之淮陽 -#2》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <256 -#2> Ⅰ李白詩1518 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6138

 
 2015年6月12日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
256 -#2 《巻十四11潁陽別元丹丘之淮陽 -#2》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <256 -#2> Ⅰ李白詩1518 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6138 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
73-#4 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》-#4 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1431> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6139 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1805李潮八分小篆歌 -#3》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-53 <918 -#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6140 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四23江城子二首 其二》『花間集』174全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6142 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

 

年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    潁陽別元丹丘之淮陽

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              潁陽 (都畿道 河南府 潁陽)              

陳州 (河南道 陳州 陳州) 別名:淮陽           

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁               

交遊人物:元丹丘                當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

潁陽別元丹丘之淮陽 #1

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)

吾將元夫子,異姓為天倫。

われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。

本無軒裳契,素以煙霞親。

軒車冠裳、即ち在官上の交契とては無いが、本来、煙霞の癖を同じうして、あい親んで居た。

嘗恨迫世網,銘意未伸。

恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることが出凍す、つまり、この世を脱出しかねる。

松柏雖寒苦,羞逐桃李春。

松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。

#2

悠悠市朝間,玉顏日緇磷。

かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。

所失重山岳,所得輕埃塵。

われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。

精魄漸蕪穢,衰老相憑因。

こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。

我有錦囊訣,可以持君身。

われに錦嚢の仙方があって、これを以て、君の身を支持して行くことが出来るが、それは、外でもない、黄金の薬を餐し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。

#3

當餐黃金藥,去為紫陽賓。

萬事難並立,百年猶崇晨。

別爾東南去,悠悠多悲辛。

前志庶不易,遠途期所遵。

已矣歸去來,白雲飛天津。

 

(潁陽にて、元丹丘の淮陽に之くに別る)
吾、元夫子と、異姓にして天倫たり。

本と軒裳の契なく、素より煙霞を以て親む。

かつて恨む、世網に迫られ、銘意 倶に未だ伸びざるを。

松柏は寒苦と雖も、桃李の春を逐ふを羞づ。

#2

悠悠たる市朝の間,玉顏 日に緇磷。

失う所ろは山岳よりも重く,得る所は埃塵よりも輕し。

精魄 漸く蕪穢,衰老 相い 憑因す。

我に 錦囊の訣有り,可以て君が身を持つべし。

#3

當に 黃金の藥を餐し,去って 紫陽の賓と為るべし。

萬事 並び立ち難く,百年 猶お 崇晨。

爾が 東南に去るに別る,悠悠として 悲辛多し。

前志 庶わくば 易らず,遠途 遵う所を期す。

已んぬるかな 歸るなん去來【いざ】,白雲 天津に飛ぶ。

 

 

『潁陽別元丹丘之淮陽』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

悠悠市朝間,玉顏日緇磷。

所失重山岳,所得輕埃塵。

精魄漸蕪穢,衰老相憑因。

我有錦囊訣,可以持君身。

(下し文)
悠悠たる市朝の間,玉顏 日に緇磷。

失う所ろは山岳よりも重く,得る所は埃塵よりも輕し。

精魄 漸く蕪穢,衰老 相い 憑因す。

我に 錦囊の訣有り,可以て君が身を持つべし。

(現代語訳)
かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。

われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。

こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。

われに錦嚢の仙方があって、これを以て、君の身を支持して行くことが出来るが、それは、外でもない、黄金の薬を餐し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。


(訳注) #2

潁陽別元丹丘之淮陽 #1

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)

舊唐書「潁陽載初元年,析河南、伊闕、嵩陽三縣置武臨縣。開元十五年,改為潁陽。」(載初元年、河南、伊闕、崇陽の三堰を研いて、武臨縣を置く。開元十五年改めて穎陽となし、河南府に隷す。准陽郡は即ち陳州なり、河南道に属す)とある。都畿道 河南府 潁陽。

 

悠悠市朝間,玉顏日緇磷。

かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。

緇磷 すり減らされ黒ずむ。《論語·陽貨》「不曰堅乎?磨而不磷。不曰白乎?涅而不緇。」.

 

所失重山岳,所得輕埃塵。

われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。

塵埃 1 ちりとほこり。2 世の中の、もろもろの汚れたもの。俗世間の事柄。

 

精魄漸蕪穢,衰老相憑因。

こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。

蕪穢 土地などが、荒れはてること。また、そのさま。ぶわい。

 

我有錦囊訣,可以持君身。

われに錦嚢の仙方があって、これを以て、君の身を支持して行くことが出来るが、それは、外でもない、黄金の薬を餐し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。

錦囊訣 錦嚢の仙方、金丹。道教の道士が金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬。

 

 

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

56 -#1 《巻十四11潁陽別元丹丘之淮陽 -#1》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <256 -#1> Ⅰ李白詩1517 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6133

李白  潁陽別元丹丘之淮陽 #1

吾將元夫子,異姓為天倫。

本無軒裳契,素以煙霞親。

嘗恨迫世網,銘意俱未伸。

松柏雖寒苦,羞逐桃李春。

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。) #1

われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。

軒車冠裳、即ち在官上の交契とては無いが、本来、煙霞の癖を同じうして、あい親んで居た。

 

256 -#1 《巻十四11潁陽別元丹丘之淮陽 -#1》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <256 -#1> Ⅰ李白詩1517 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6133

 

 
 2015年6月11日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
56 -#1 《巻十四11潁陽別元丹丘之淮陽 -#1》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <256 -#1> Ⅰ李白詩1517 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6133 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
73-#3 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》-#3 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1430> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6134 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1805李潮八分小篆歌 -#2》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-53 <918 -#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6135 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四22江城子二首 其一》『花間集』173全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6137 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

 

年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    潁陽別元丹丘之淮陽

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              潁陽 (都畿道 河南府 潁陽)              

陳州 (河南道 陳州 陳州) 別名:淮陽           

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁               

交遊人物:元丹丘                當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

潁陽別元丹丘之淮陽 #1

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)

吾將元夫子,異姓為天倫。

われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。

本無軒裳契,素以煙霞親。

軒車冠裳、即ち在官上の交契とては無いが、本来、煙霞の癖を同じうして、あい親んで居た。

嘗恨迫世網,銘意未伸。

恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることが出凍す、つまり、この世を脱出しかねる。

松柏雖寒苦,羞逐桃李春。

松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。

#2

悠悠市朝間,玉顏日緇磷。

所失重山岳,所得輕埃塵。

精魄漸蕪穢,衰老相憑因。

我有錦囊訣,可以持君身。

#3

當餐黃金藥,去為紫陽賓。

萬事難並立,百年猶崇晨。

別爾東南去,悠悠多悲辛。

前志庶不易,遠途期所遵。

已矣歸去來,白雲飛天津。

 

(潁陽にて、元丹丘の淮陽に之くに別る)
吾、元夫子と、異姓にして天倫たり。

本と軒裳の契なく、素より煙霞を以て親む。

かつて恨む、世網に迫られ、銘意 倶に未だ伸びざるを。

松柏は寒苦と雖も、桃李の春を逐ふを羞づ。

#2

悠悠たる市朝の間,玉顏 日に緇磷。

失う所ろは山岳よりも重く,得る所は埃塵よりも輕し。

精魄 漸く蕪穢,衰老 相い 憑因す。

我に 錦囊の訣有り,可以て君が身を持つべし。

#3

當に 黃金の藥を餐し,去って 紫陽の賓と為るべし。

萬事 並び立ち難く,百年 猶お 崇晨。

爾が 東南に去るに別る,悠悠として 悲辛多し。

前志 庶わくば 易らず,遠途 遵う所を期す。

已んぬるかな 歸るなん去來【いざ】,白雲 天津に飛ぶ。

 

 

『潁陽別元丹丘之淮陽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

潁陽別元丹丘之淮陽 #1

吾將元夫子,異姓為天倫。

本無軒裳契,素以煙霞親。

嘗恨迫世網,銘意俱未伸。

松柏雖寒苦,羞逐桃李春。


(下し文)
(潁陽にて、元丹丘の淮陽に之くに別る)
吾、元夫子と、異姓にして天倫たり。

本と軒裳の契なく、素より煙霞を以て親む。

かつて恨む、世網に迫られ、銘意 倶に未だ伸びざるを。

松柏は寒苦と雖も、桃李の春を逐ふを羞づ。


(現代語訳)
(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。) #1

われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。

軒車冠裳、即ち在官上の交契とては無いが、本来、煙霞の癖を同じうして、あい親んで居た。

恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることが出凍す、つまり、この世を脱出しかねる。

松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。


(訳注)

潁陽別元丹丘之淮陽 #1

(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)

舊唐書「潁陽載初元年,析河南、伊闕、嵩陽三縣置武臨縣。開元十五年,改為潁陽。」(載初元年、河南、伊闕、崇陽の三堰を研いて、武臨縣を置く。開元十五年改めて穎陽となし、河南府に隷す。准陽郡は即ち陳州なり、河南道に属す)とある。都畿道 河南府 潁陽。

 

吾將元夫子,異姓為天倫。

われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。

天倫 《穀梁傳隱公元年》:兄弟, 天倫也。” 范寧注:兄先弟後, 天之倫次。”とある。

 

本無軒裳契,素以煙霞親。

軒車冠裳、即ち在官上の交契とては無いが、本来、煙霞の癖を同じうして、あい親んで居た。

軒車 大夫以上所乘有帷幕的馬車。《莊子.讓王》:「子貢乘大馬,中紺而表素,軒車不容巷,往見原憲。」《文選.古詩十九首.冉冉孤生竹》:「思君令人老,軒車來何遲。」攻城的車子。

冠裳 官吏的全套禮服。中原漢人服飾。道士日常所戴帽子和所衣服。

 

嘗恨迫世網,銘意俱未伸。

恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることが出凍す、つまり、この世を脱出しかねる。

銘意 心上に銘記したる本意をいう。・銘1 金石・器物などに事物の来歴や人の功績を記したもの。「碑に―を刻む」2 特にすぐれた物品につける特定の名。「―を付ける」3 製作物に入れる製作者の名。4 心に刻み込んでいる戒めなどの言葉。

 

松柏雖寒苦,羞逐桃李春。

松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。

松柏 《論語子罕》「歲寒, 然後知松柏之後凋也。

桃李 《史記·李將軍列傳》「桃李不言,下自成蹊.

227 -#1 《(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白350- 201》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <227 -#1> Ⅰ李白詩1469 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5893



江夏別宋之悌
楚水清若空,遙將碧海通。人分千里外,興在一杯中。
谷鳥吟晴日,江猿嘯晚風。平生不下淚,於此泣無窮。

(改訂版)江夏別宋之悌 李白 先には、渓谷をでた鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴き、うたってひびきわたっている、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。われわれは、日頃は剛健を以て性となし、涙を流したことのない私だが、ああ、きょうは、この地において、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのを禁じ得ない。

  

 

227 -1 《(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白350- 201Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <227 -1> Ⅰ李白詩1469 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5893

 
 2015年4月24日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
227 -#1 《(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白350- 201》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <227 -#1> Ⅰ李白詩1469 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5893 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
64-#2 《補遺-25 送陸歙州參幷序》 韓愈(韓退之) 802年貞元18年 36歳<1382> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ589 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -7》 杜甫index-15 杜甫<911-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5895 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊139《巻三39小重山二首 其二》巻三3939-〈139〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5897 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

続きを読む

173-#2 《巻14-07 留別王司馬嵩 -#2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <173-#2> Ⅰ李白詩1389 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5493

李白《巻14-07 留別王司馬嵩 -#2》かの李斯を学び、鷹を呼んで上蔡東門を過ぎ、心のどかに平郊に狩をしたいと思うし、また、王孟に擬して畚を売り、仙人に賺されて嵩山の天辺に登ろうとするのである。それで、君には、他日、私を訪れてくれるならば、琴の音を導として丘中を尋ねられたらよかろうと思う。

 

 
 2015年2月3日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
173-#2 《巻14-07 留別王司馬嵩 -#2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <173-#2> Ⅰ李白詩1389 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5493 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
34-03§2 《讀巻03-09 與孟東野書 -3》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1302> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5494 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-31-#2奉節-22 -#2 《巻15-47 雨 -#2》 杜甫index-15 杜甫<895 -#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5495 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠60《巻2-10 河傳三首其二》溫庭筠66首巻二10-〈60〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5497 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

173-#2 《巻14-07 留別王司馬嵩 -#2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <173-#2> Ⅰ李白詩1389 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5493

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    留別王司馬嵩

作地點:              坊州( / 坊州 / 坊州)

及地點:              上蔡 (河南道 豫州 上蔡)    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

交遊人物:王嵩    當地交遊( 坊州 坊州)

 

 

《巻14-07 留別王司馬嵩 -1

留別王司馬嵩 -#1

(李白が長安を去るにあたって、王嵩に留別したもの。)

魯連賣談笑,豈是顧千金。

魯仲連は談笑を売り物にして、秦から趙を救い名声を博し、平原君から領地をあたえられるというのを辞退し、千金を顧みる事は無かった。
陶朱雖相越,本有五湖心。

陶朱公は、はじめ、范蠡と称して、越王句踐のもとに宰相であったが、本来、五湖に泛ぶ心あって、やがて謁を去ってしまった。達人というもの功を為しても、富貴に眷恋するものではない。

余亦南陽子,時為梁甫吟。

自分は、南陽躬耕の人であった諸葛孔明を学び、龍畝の間にあって梁甫吟を為している。

蒼山容偃蹇,白日惜侵。

青山の間にこの驕傲の身を容れ、そして時を待って、白日のくずれゆくを惜しんでいたのである。

《巻14-07 留別王司馬嵩 -#2》

願一佐明主,功成還舊林。

願うところは、一たび起って、聖明の君主を補佐して、一角の功名を立て、それから旧山に帰るというその一事にある。

西來何所為,孤劍託知音。

しかし西の長安の方から来たけれど此れと言ったことなど何もできていない、孤剣をもって信頼のおける友人に託して心事を明らかにするという所である。

鳥愛碧山遠,魚遊滄海深。

鳥は碧山の遠きを愛し、魚は蒼海の深きに遊ぶという、今自分の住むべきところを探しているのだ。

呼鷹過上蔡,賣畚向嵩岑。

こうして、かの李斯を学び、鷹を呼んで上蔡東門を過ぎ、心のどかに平郊に狩をしたいと思うし、また、王孟に擬して畚を売り、仙人に賺されて嵩山の天辺に登ろうとするのである。

他日閒相訪,丘中有素琴。

それで、君には、他日、私を訪れてくれるならば、琴の音を導として丘中を尋ねられたらよかろうと思う。

 

(王司馬嵩に留別す)

魯連は談笑を賣り,豈に是れ千金を顧。みんや

陶朱は越に相たりと雖も,本と五湖の心有り。

余も亦た南陽の子,時に梁甫吟を為す。

蒼山 偃蹇を容れ,白日 侵を惜む

 

願わくば一たび明主を佐【たす】け,功 成って舊林に還らん。

西來 何の為す所,孤劍 知音に託す。

鳥は碧山の遠きを愛し,魚は滄海の深きに遊ぶ。

鷹を呼んで上蔡を過ぎ,畚【ふご】を賣って嵩岑に向う。

他日 閒に相い訪わば,丘中に素琴有り。

 

 

(含異文)

魯連賣談笑,豈是顧千金。陶朱雖相越,本有五湖心。余亦南陽子,時為梁甫吟。蒼山容偃蹇,白日惜侵。願一佐明主,功成還舊林。西來何所為,孤劍託知音。鳥愛碧山遠,魚遊滄海深【魚遊江海深】。呼鷹過上蔡,賣畚向嵩岑。他日閒相訪,丘中有素琴。

 

 

《巻14-07 留別王司馬嵩 -#2》

『留別王司馬嵩』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

願一佐明主,功成還舊林。

西來何所為,孤劍託知音。

鳥愛碧山遠,魚遊滄海深。

呼鷹過上蔡,賣畚向嵩岑。

他日閒相訪,丘中有素琴。


(下し文)
願わくば一たび明主を佐【たす】け,功 成って舊林に還らん。

西來 何の為す所,孤劍 知音に託す。

鳥は碧山の遠きを愛し,魚は滄海の深きに遊ぶ。

鷹を呼んで上蔡を過ぎ,畚【ふご】を賣って嵩岑に向う。

他日 閒に相い訪わば,丘中に素琴有り。

(現代語訳)
願うところは、一たび起って、聖明の君主を補佐して、一角の功名を立て、それから旧山に帰るというその一事にある。

しかし西の長安の方から来たけれど此れと言ったことなど何もできていない、孤剣をもって信頼のおける友人に託して心事を明らかにするという所である。

鳥は碧山の遠きを愛し、魚は蒼海の深きに遊ぶという、今自分の住むべきところを探しているのだ。

こうして、かの李斯を学び、鷹を呼んで上蔡東門を過ぎ、心のどかに平郊に狩をしたいと思うし、また、王孟に擬して畚を売り、仙人に賺されて嵩山の天辺に登ろうとするのである。

それで、君には、他日、私を訪れてくれるならば、琴の音を導として丘中を尋ねられたらよかろうと思う。


(訳注) 《巻14-07 留別王司馬嵩 -#2》

 

願一佐明主,功成還舊林。

願うところは、一たび起って、聖明の君主を補佐して、一角の功名を立て、それから旧山に帰るというその一事にある。

 

西來何所為,孤劍託知音。

しかし西の長安の方から来たけれど此れと言ったことなど何もできていない、孤剣をもって信頼のおける友人に託して心事を明らかにするという所である。

 

鳥愛碧山遠,魚遊滄海深。

鳥は碧山の遠きを愛し、魚は蒼海の深きに遊ぶという、今自分の住むべきところを探しているのだ。

 

呼鷹過上蔡,賣畚向嵩岑。

こうして、かの李斯を学び、鷹を呼んで上蔡東門を過ぎ、心のどかに平郊に狩をしたいと思うし、また、王孟に擬して畚を売り、仙人に賺されて嵩山の天辺に登ろうとするのである。

上蔡 李斯のこと。 李 斯(り し、? - 紀元前208年)は、中国秦代の宰相。字は通古[1]。子は李由ら。法家にその思想的基盤を置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。

楚の北部にある上蔡(現在の河南省駐馬店市上蔡県)の人。

若い頃は小役人として楚に仕えていた。李斯は厠で人の糞尿を食らい人の姿を見て逃げ出すネズミと、兵糧庫の中で人の姿におびえずのうのうと兵糧を食うネズミを見て、「人が居る環境だけで人の賢さなど価値が決まってしまうのか」と嘆き、儒家の荀子の門を叩いた。同門に韓の公子・韓非がおり、共に荀子から学び、秦に入って呂不韋の食客となり、呂不韋からその才能を絶賛され推薦を受けて、秦王政(後の始皇帝)に仕えて、その近侍になった。

李斯は政の命令で他国に潜入し、各国の王族と将軍の間の離間を行い功績を立てて、客卿(他国出身の大臣)となった。

紀元前237年、順調に出世していた李斯だが、この頃に嫪(ろうあい)という他国出身者が反乱を起こしたために、国内で他国出身者の評判が悪くなり、やがて他国人の追放令(逐客令)が出た。このままでは困る李斯は、手紙を政に出して追放令の撤回を求めた。この「諫逐客書」は実に理路整然とした名文で、後に文選にも収録されているほどである。政もこの名文に説得されて追放令の撤回を決めた。

実力者の呂不韋が自決した後に、ますます政の信頼が厚くなった李斯だが、その地位を脅かす者がやって来た。かつての同門であった韓非である。政はその前に韓非の著作である『韓非子』を読んで、「この作者と親しく出来るのなら、死んでも悔いは無い。」と言う程に傾倒していたので、もしこのまま韓非が登用されてしまえば自分の地位は非常に危うくなる、と考えた李斯は政に韓非の讒言を吹き込んで投獄させて、獄中にいる韓非に毒を渡して有無を言わせずに逸早く死に追い詰めてしまった。

こうして、ライバルを蹴落とした李斯は、秦の富国強兵の政策を積極的に献策を行い、紀元前221年に遂に秦は中国を統一し、政は始皇帝となった。

秦の統一後に始皇帝は丞相の王綰、御史大夫の馮劫ら重臣から、周の制度である封建制を採り入れ、始皇帝の公子達を各地の王として封じるようにとの進言があった。だが、李斯はそれに猛反対して、周が何故滅んだかの理由を具体的に述べて、なお一層強い郡県制への移行を説いた。また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

紀元前210年の秋7月に、始皇帝が巡幸途中で死去し、李斯は趙高と共に偽詔を作って、胡亥を即位させ二世皇帝として、元の太子扶蘇を自決させた(一説では李斯は趙高に恫喝されて、止むなく胡亥の帝位をしぶしぶ認めたといわれる)。

偉大な始皇帝が死んだ事で基盤が揺れてしまった秦帝国に対して、翌年についに陳勝・呉広の乱を初めとして反乱が続発し、国内は大混乱になった。この時になっても二世皇帝は遊び呆けて、宮廷の外の状況を知らない有様だった。李斯はこれを何とか諌めようとしたが、これを逆手に取った趙高の策略で二世皇帝の不興を買い、李斯は追い詰められてゆくことになった。

紀元前208年、李斯は右丞相馮去疾と将軍馮劫と共に阿房宮の造営などの圧迫政策を止めるように二世皇帝に告げたが断られ、馮去疾と馮劫は自害した。それからも再三二世皇帝に申し入れをしたが、かえって二世皇帝の怒りを買い趙高に讒言され捕らえれ、趙高に執拗な拷問を受けた。拷問に耐えられず趙高が捏(で)っち上げた罪(楚の項梁の軍勢に討ち取られた李斯の長男で三川郡の太守の李由が生前楚軍と内通していたという罪)を認めてしまい、市で腰斬に処された。その時に李斯は共に曳き立てられた次男(名は不詳)に対して「わしは以前にお前と故郷の上蔡で黄色い猟犬を連れて来て、兎狩りをよくやっておったが、またやりたい夢はもう適わんのう…」と無念そうに述べたという。やがて李斯の一族は全て殺された。なお李斯の息子は始皇帝の皇女を娶り、彼の娘は始皇帝の公子に嫁いでいたと伝わる。

李斯は法家理論の完成者韓非に対して、法家の実務の完成者とされる。李斯は韓非を謀殺した事や偽詔で扶蘇を殺した事、他にも儒者を徹底的に弾圧した焚書坑儒に深く関わったため、後世の評判は非常に悪いが、秦の中国統一において最も大きな役割を果たしていた。司馬遷も、史記において李斯が道を誤らなければその功績は周公、召公に比肩したであろうとしている。

賣畚向嵩岑 王孟の故事。王莽が幼い時は貧賤であった。魚を畚で売って歩いた。仙人に賺されて嵩山の天辺に登り、その身を渓山の間に分け入り、幽居を卜したという。

 

他日閒相訪,丘中有素琴。

それで、君には、他日、私を訪れてくれるならば、琴の音を導として丘中を尋ねられたらよかろうと思う。

173-#1 《巻14-07 留別王司馬嵩 -#1》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <173-#1> Ⅰ李白詩1388 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5488

李白《巻14-07 留別王司馬嵩 -1(李白が長安を去るにあたって、王嵩に留別したもの。)魯仲連は談笑を売り物にして、秦から趙を救い名声を博し、平原君から領地をあたえられるというのを辞退し、千金を顧みる事は無かった。

 
 2015年2月2日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
173-#1 《巻14-07 留別王司馬嵩 -#1》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <173-#1> Ⅰ李白詩1388 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5488 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
34-02§1-2 《讀巻03-09 與孟東野書 -2》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1301> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5489 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-31-#1奉節-21 《巻15-47 雨 -#1》 杜甫index-15 杜甫<893-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5470 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠59《巻2-09 河傳三首其一》溫庭筠66首巻二9-〈59〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5492 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

 

173-#1 《巻14-07 留別王司馬嵩 -1Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <173-#1> Ⅰ李白詩1388 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5488

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    留別王司馬嵩

作地點:              坊州( / 坊州 / 坊州)

及地點:              上蔡 (河南道 豫州 上蔡)    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

交遊人物:王嵩    當地交遊( 坊州 坊州)

 

 

《巻14-07 留別王司馬嵩 -1

留別王司馬嵩 -#1

(李白が長安を去るにあたって、王嵩に留別したもの。)

魯連賣談笑,豈是顧千金。

魯仲連は談笑を売り物にして、秦から趙を救い名声を博し、平原君から領地をあたえられるというのを辞退し、千金を顧みる事は無かった。
陶朱雖相越,本有五湖心。

陶朱公は、はじめ、范蠡と称して、越王句踐のもとに宰相であったが、本来、五湖に泛ぶ心あって、やがて謁を去ってしまった。達人というもの功を為しても、富貴に眷恋するものではない。

余亦南陽子,時為梁甫吟。

自分は、南陽躬耕の人であった諸葛孔明を学び、龍畝の間にあって梁甫吟を為している。

蒼山容偃蹇,白日惜侵。

青山の間にこの驕傲の身を容れ、そして時を待って、白日のくずれゆくを惜しんでいたのである。

 -#2

願一佐明主,功成還舊林。

西來何所為,孤劍託知音。

鳥愛碧山遠,魚遊滄海深。

呼鷹過上蔡,賣畚向嵩岑。

他日閒相訪,丘中有素琴。

 

(王司馬嵩に留別す)

魯連は談笑を賣り,豈に是れ千金を顧。みんや

陶朱は越に相たりと雖も,本と五湖の心有り。

余も亦た南陽の子,時に梁甫吟を為す。

蒼山 偃蹇を容れ,白日 侵を惜む

 

願わくば一たび明主を佐【たす】け,功 成って舊林に還らん。

西來 何の為す所,孤劍 知音に託す。

鳥は碧山の遠きを愛し,魚は滄海の深きに遊ぶ。

鷹を呼んで上蔡を過ぎ,畚【ふご】を賣って嵩岑に向う。

他日 閒に相い訪わば,丘中に素琴有り。

 

 

詩文(含異文)     魯連賣談笑,豈是顧千金。陶朱雖相越,本有五湖心。余亦南陽子,時為梁甫吟。蒼山容偃蹇,白日惜侵。願一佐明主,功成還舊林。西來何所為,孤劍託知音。鳥愛碧山遠,魚遊滄海深【魚遊江海深】。呼鷹過上蔡,賣畚向嵩岑。他日閒相訪,丘中有素琴。

 

 

《巻14-07 留別王司馬嵩 -1

『留別王司馬嵩』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

留別王司馬嵩 -#1

魯連賣談笑,豈是顧千金。

陶朱雖相越,本有五湖心。

余亦南陽子,時為梁甫吟。

蒼山容偃蹇,白日惜侵。


(下し文)
(王司馬嵩に留別す)

魯連は談笑を賣り,豈に是れ千金を顧。みんや

陶朱は越に相たりと雖も,本と五湖の心有り。

余も亦た南陽の子,時に梁甫吟を為す。

蒼山 偃蹇を容れ,白日 侵を惜む

(現代語訳)
(李白が長安を去るにあたって、王嵩に留別したもの。)

魯仲連は談笑を売り物にして、秦から趙を救い名声を博し、平原君から領地をあたえられるというのを辞退し、千金を顧みる事は無かった。
陶朱公は、はじめ、范蠡と称して、越王句踐のもとに宰相であったが、本来、五湖に泛ぶ心あって、やがて謁を去ってしまった。達人というもの功を為しても、富貴に眷恋するものではない。

自分は、南陽躬耕の人であった諸葛孔明を学び、龍畝の間にあって梁甫吟を為している。

青山の間にこの驕傲の身を容れ、そして時を待って、白日のくずれゆくを惜しんでいたのである。


(訳注) 《巻14-07 留別王司馬嵩 -1

留別王司馬嵩 -#1

(李白が長安を去るにあたって、王嵩に留別したもの。)

王司馬嵩 王嵩が司馬というだけで、何の司馬かわかっていない。漢の時代には軍事を統括する名誉役職名でもあった。時代によっては太尉とも。((大)司馬、御史大夫、丞相もしくは太尉、司空、司徒をもって三公と称する。

 

魯連賣談笑,豈是顧千金。

魯仲連は談笑を売り物にして、秦から趙を救い名声を博し、平原君から領地をあたえられるというのを辞退し、笑って千金を顧みる事は無かった。

魯連賣談笑 魯仲連は、趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、談笑して秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助け秦軍をしりぞけた。

魯仲連(約西元前305年~西元前245年)戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。・延州 季札(きさつ、生没年不詳)は、中国春秋時代の呉で活躍した政治家。姓は姫。呉の初代王寿夢の少子。清廉賢哲を以って知られ、延陵の季子として知られる。

戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。秦が趙を囲んだ時、魏の使いが秦の昭王を尊んで帝と称するように趙に説いた。仲連時に趙にいて、使いを責めて帰し、秦軍をして恐れて十五里退かせた。田単が斉の王に申し上げて爵を賜わろうとしたが、仲連は海辺の地に逃がれた。戦国時代の斉の国の人で、義侠の士として有名である。伝記は「史記」の列伝に見える。つね日ごろ、人とはちがった大志を抱き、仕官せず職にもつかなかった。たまたま趙の国に遊んでいた時、紀元前二四七年、秦の軍隊が趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助けた。同時に、魏の国の王子信陵君もまた、兵を率いて秦を攻撃したので、秦は退却し、趙は救われた。郡部の包囲が解かれたのち、平原君は魯仲連に領地を与えようとした。魯仲連は辞退した。平原君はそこで千金をおくろうとした。魯仲連は笑って言った。「天下に貴ばれる士たる者は、人のために患を排し、難をとき、紛乱を解して、しかも何も受取らないものです。もしも報酬を受取るなら、それは商人です。」何も受け取らないで立去り、生涯ふたたび現われなかった李白『古風五十九首 其十』

孟浩然《述祖徳詩 二首 其一》#1

達人貴自我、高情蜀天雲。

兼抱済物性、而不纓垢氛。

段生藩魏國、展季救魯人。

弦高犒晉師、仲連却秦軍。

臨組乍不緤、對珪寧肯分。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<8> 述祖徳詩 二首(2)其一 詩集 365

 

陶朱雖相越,本有五湖心。

陶朱公は、はじめ、范蠡と称して、越王句踐のもとに宰相であったが、本来、五湖に泛ぶ心あって、やがて謁を去ってしまった。達人というもの功を為しても、富貴に眷恋するものではない。

陶朱 越玉句践を助げて呉を滅した(前473年)。後范蟸は五湖(太湖)に浮かんで越を去り野に隠れ、名を鴟夷子皮と変えて産を成し、自ら陶の朱公と号した。

 

余亦南陽子,時為梁甫吟。

自分は、南陽躬耕の人であった諸葛孔明を学び、龍畝の間にあって梁甫吟を為している。

南陽子 南陽躬耕の人であった諸葛孔明。

梁甫吟 梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

嚢陽一帯 

蒼山容偃蹇,白日惜侵。

青山の間にこの驕傲の身を容れ、そして時を待って、白日のくずれゆくを惜しんでいたのである。

偃蹇 驕傲おごりたかぶること。また、そのさま。
a謝霊運永嘉ルート02 

147 《夜別張五》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<148> Ⅰ李白詩1333 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5213

李白《夜別張五》錦帯をほどいて、腰に佩びたる寶剣の一振りである龍泉剣を君に贈って、留別のきねんとして、千觴を傾けて存分に酔った。

 
 2014年12月12日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
147 《夜別張五》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<148> Ⅰ李白詩1333 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5213 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
28-§4-2 《與衞中行書 -(8)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1254> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5254 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ66年大暦元年55歲-15-4奉節-7 《貽華陽柳少府 -#4》 杜甫index-15 杜甫<878-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5255 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(再)-1溫庭筠12《菩薩蠻十四首 其十二》溫庭筠66首巻一12-〈12〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5257 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

147 《夜別張五》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<148> Ⅰ李白詩1333 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5213

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一七四              文體:    五言律詩

詩題:    夜別張五

交遊人物:張    當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

夜別張五

(酒を呑みかわし、夜、張五に留別するために作った)

吾多張公子,別酌酣高堂。

わたしは張公子という人物を尊重する。ここで別れを為すにおいて高堂において、酒を酌み交わした

聽歌舞銀燭,把酒輕羅裳。

歌を謡い始めると、起ちあがって、銀燭の前で踊り出し、酒樽を手に取れば、白色の羅裳を軽く翻した。

橫笛弄秋月,琵琶彈陌桑。

並んでいる妓女たちが横笛を秋月の前で吹いてくれ、琵琶で陌上桑の古曲を弾じてくれるのを聞くほどに興が昂って行く。

龍泉解錦帶,為爾傾千觴。

そうなると、錦帯をほどいて、腰に佩びたる寶剣の一振りである龍泉剣を君に贈って、留別のきねんとして、千觴を傾けて存分に酔った。

 

(夜 張五に別る)

吾は多とす張公子,別酌 高堂に酣【たけなわ】なり。

歌を聽いて銀燭を舞わしめ,酒を把って羅裳を輕んず。

橫笛 秋月を弄し,琵琶 陌桑を彈ず。

龍泉 錦帶を解き,爾の為に千觴を傾く。

 

終南山06 

『夜別張五』 現代語訳と訳註解説

(本文)

夜別張五

吾多張公子,別酌酣高堂。

聽歌舞銀燭,把酒輕羅裳。

橫笛弄秋月,琵琶彈陌桑。

龍泉解錦帶,為爾傾千觴。

 

(下し文)

(夜 張五に別る)

吾は多とす張公子,別酌 高堂に酣【たけなわ】なり。

歌を聽いて銀燭を舞わしめ,酒を把って羅裳を輕んず。

橫笛 秋月を弄し,琵琶 陌桑を彈ず。

龍泉 錦帶を解き,爾の為に千觴を傾く。

 

(現代語訳)

(酒を呑みかわし、夜、張五に留別するために作った)

わたしは張公子という人物を尊重する。ここで別れを為すにおいて高堂において、酒を酌み交わした

歌を謡い始めると、起ちあがって、銀燭の前で踊り出し、酒樽を手に取れば、白色の羅裳を軽く翻した。

並んでいる妓女たちが横笛を秋月の前で吹いてくれ、琵琶で陌上桑の古曲を弾じてくれるのを聞くほどに興が昂って行く。

そうなると、錦帯をほどいて、腰に佩びたる寶剣の一振りである龍泉剣を君に贈って、留別のきねんとして、千觴を傾けて存分に酔った。

杜甫乱前後の図003鳳翔 

(訳注)

夜別張五

(酒を呑みかわし、夜、張五に留別するために作った)

 

吾多張公子,別酌酣高堂。

わたしは張公子という人物を尊重する。ここで別れを為すにおいて高堂において、酒を酌み交わした

 尊重すること。

 

聽歌舞銀燭,把酒輕羅裳。

歌を謡い始めると、起ちあがって、銀燭の前で踊り出し、酒樽を手に取れば、白色の羅裳を軽く翻した。

 

橫笛弄秋月,琵琶彈陌桑。

並んでいる妓女たちが横笛を秋月の前で吹いてくれ、琵琶で陌上桑の古曲を弾じてくれるのを聞くほどに興が昂って行く。

琵琶 中国に伝播したのは前漢の頃で、当初は「西方の琴(弦楽器)」を意味する「胡琴」の名称で呼ばれた(宋代以降現在までに胡琴と呼称される楽器はまったく別のもの)。やがてウイグル語のバルバットが漢語に音訳された「琵琶」が呼称として定着した。唐時代の琵琶は現在の日本の楽琵琶とほぼ同じ形をしており、音楽理論が整備される中で、調弦法も多数定められ、様々な合奏にも用いられ、記譜法も確立し、宮廷音楽から民間音楽まで、合奏、独奏、歌唱の伴奏と広く愛好された。

陌桑 陌上桑、琵琶の曲名。

 

龍泉解錦帶,為爾傾千觴。

そうなると、錦帯をほどいて、腰に佩びたる寶剣の一振りである龍泉剣を君に贈って、留別のきねんとして、千觴を傾けて存分に酔った。

龍泉 龍泉と太阿、二振りの寶剣のことで、。龍泉(りょうせん) ◇『晋書』「張華伝」 雷煥と張華が手に入れた二振りの宝剣のうちの一つ。斗牛の間が毎夜紫色に光るので、張華が尋ねると、占星術に長けた雷煥は宝剣の精だと言う。張華は雷煥に宝剣の捜索を依頼。雷煥は二本の宝剣を見つけ、一方を自分で持ち、他方を張華に贈った。

太阿(たいあ) ◇『晋書』「張華伝」 雷煥と張華が手に入れた二振りの宝剣のうちの一つ。張華が没するとその剣は行方不明になるが、雷煥の剣は息子雷華が受け継ぐ。しかし、その剣もある時、 腰からひとりでに飛び出して川に沈む。見ると水底に剣はなく、二匹の龍が見えたという。
李白図102 

130 《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 故人西辭黃鶴樓,<130> Ⅰ李白詩1313 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5113

李白《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 》いましも、わたしの親しき友、孟浩然が、ここ街の西方、武昌の黄鶴楼を立ち去って、春景色にがすんで、牡丹咲き誇る弥生三月、揚州へと下って行くということで、楼頭の別れの酒を傾けたのである。

 
 2014年11月14日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
130 《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 故人西辭黃鶴樓,<130> Ⅰ李白詩1313 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5113 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
26-#2 《病中贈張十八 -2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1226> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5114 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-3-3 《客居 -#3》 杜甫index-15 杜甫<866ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5115 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-531《酒泉子四首,其二》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-714-20-(531) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5117 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

130

《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 故人西辭黃鶴樓,<130> Ⅰ李白詩1313 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5113

 

 

Index-

8

Ⅱ― 3-728年開元十六年28

7

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

128

69

1

古風,五十九首之二十六

碧荷生幽泉,

巻一

129

70

2

古風,五十九首之二十七

燕趙有秀色,

巻一

130

71

3

古風,五十九首之五十二

青春流驚湍,

巻一

131

72

4

秋思

春陽如昨日,

巻五

132

73

5

贈僧行融

梁有湯惠休,

巻十一

133

74

6

黃鶴送孟浩然之廣陵

故人西辭黃鶴樓,

巻十四

134

75

7

感興,六首之五〔集本八首〕

西國有美女,

巻二十三

 

 

年:728年開元十六年28

卷別:  卷一七四        文體:  七言

李太白集 巻十四

詩題:  黃鶴樓送孟浩然之廣陵

作地點:        江夏(江南西道 / 鄂州 / 江夏)

及地點:       

黃鶴樓 (江南西道 鄂州 江夏)      

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海   

交遊人物:孟浩然        當地交遊(淮南道 揚州揚州)

 

黃鶴樓送孟浩然之廣陵

(黄鶴楼で送別の筵を開き、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)

故人西辭黃鶴樓,煙花三月下揚州。

いましも、わたしの親しき友、孟浩然が、ここ街の西方、武昌の黄鶴楼を立ち去って、春景色にがすんで、牡丹咲き誇る弥生三月、揚州へと下って行くということで、楼頭の別れの酒を傾けたのである。

孤帆遠影碧山盡,唯見長江天際流。

孟浩然は一槽の帆かけ舟に乗ったが、東風、追い風に乗って遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れは漫漫、天を浸している。

(黄鶴樓にて、孟浩然の廣陵に之くを送る)
故人 西に辞す 黄鶴楼、烟花 三月 揚州に下る。
孤帆の遠影 碧空に尽き、唯見る 長江の天際に流るるを。

 

 

武漢01 

『黃鶴樓送孟浩然之廣陵』現代語訳と訳註解説

(本文)

黃鶴樓送孟浩然之廣陵

故人西辭黃鶴樓,煙花三月下揚州。

孤帆遠影碧山盡,唯見長江天際流。

 

 

(下し文)

(黄鶴樓にて、孟浩然の廣陵に之くを送る)
故人 西に辞す 黄鶴楼、烟花 三月 揚州に下る。
孤帆の遠影 碧空に尽き、唯見る 長江の天際に流るるを。

 

(現代語訳)

(黄鶴楼で送別の筵を開き、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)

いましも、わたしの親しき友、孟浩然が、ここ街の西方、武昌の黄鶴楼を立ち去って、春景色にがすんで、牡丹咲き誇る弥生三月、揚州へと下って行くということで、楼頭の別れの酒を傾けたのである。
孟浩然は一槽の帆かけ舟に乗ったが、東風、追い風に乗って遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れは漫漫、天を浸している。

<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

(訳注)

黄鶴樓送孟浩然之廣陵
(黄鶴楼で送別の筵を開き、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)

黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する黄鶴伝説 『列異伝』に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。
孟浩然 盛唐の詩人。689740。李白より11歳ほど年長の友人。襄陽(湖北省襄樊市)の出身。王維・韋応物・柳宗元と並んで、唐代の代表的な自然詩人とされる。
広陵 揚州(江蘇省揚州市)の古名。

この詩は、李白二十八歳の作、通説であるが、異説もある。

武漢02 

故人西辭黃鶴樓,煙花三月下揚州。

いましも、わたしの親しき友、孟浩然が、ここ街の西方、武昌の黄鶴楼を立ち去って、春景色にがすんで、牡丹咲き誇る弥生三月、揚州へと下って行くということで、楼頭の別れの酒を傾けたのである。
故人 以前からの、親しい友人。
辞 別れをつげる。辞去する。
烟花三月 烟は煙。春かすみにつつまれ燃えるような牡丹の花々の咲き誇る三月。
揚州 大運河が長江と交わる交通の要所。唐代では江南随一の繁華をきわめたところ。

 

孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。
孟浩然は一槽の帆かけ舟に乗ったが、東風、追い風に乗って遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れは漫漫、天を浸している。
弧帆 一つだけの帆影。
○碧空 碧玉のように青い空。
天際 天空の果て。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

李商隠『無 題』

萬里風波一葉舟、憶歸初罷更夷猶。

碧江地没元相引、黄鶴沙邊亦少留。

益徳冤魂終報主、阿童高義鎮横秋。

人生豈得長無謂、懐古思郷共白頭。

(無 題)

万里の風波 一葉の舟、帰る を 憶い 初めて罷むも更に夷猶(いゆう)

碧江 地に没して 元と相(あい)引き、黄鶴 沙辺 亦(また)少しく留(とどむ)。

益徳の冤魂(えんこん) 終(つい)に主に報い、阿童(あどう)の高義(こうぎ) 鎮(つね)に秋に横たわる。

人生 豈(あに) 長(とこしえ)に謂われ無き を 待んや、古(いにしえ)を懐い 郷を思いて共に白頭。

無題(萬里風波一葉舟)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 125
 
武漢005李白の足跡003

108 《金陵酒肆留別》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <108> Ⅰ李白詩1280 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4948

(詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。)

 
 2014年10月18日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
108 《金陵酒肆留別》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <108> Ⅰ李白詩1280 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4948 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
20-(21)§11-1 《上宰相書 -(21)》韓愈(韓退之)ID 793年貞元9年 26歳<1199> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4979 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-49 《承聞故房相公靈櫬,自閬州啟殯歸葬東都有作,二首之一(遠聞房太守) 》 杜甫index-15 杜甫<849> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4980 杜甫詩1500-849-1167/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor19-504《菩薩蠻三首,其二》十巻 毛熙震Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-687-19-(504) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4982 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

108 《金陵酒肆留別》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <108> Ⅰ李白詩1280 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4948

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:  卷一七四        文體:  七言古詩

詩題:  金陵酒肆留別

作地點:        江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧)

及地點:        江寧 (江南東道 潤州江寧) 別名:金陵     

 

 

金陵酒肆留別

(詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。)

風吹柳花滿店香,吳姬壓酒喚客嘗。

風は柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし、酒場は香ばしい匂いで満ちる。呉の美女が酒をしぼって客を呼び 味見をさせてくれる。

金陵子弟來相送,欲行不行各盡觴。

金陵の若者たちが集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯をくみかわす。

請君試問東流水,別意與之誰短長。

どうか諸君、東に流れる長江の水に尋ねてくれ、別れのつらさとこの水は、どちらが深く長いかと。

<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

(金陵の酒肆にて留別す)

風は柳花を吹きて  満店香ばし、呉姫【ごき】は酒を圧して  客を喚びて嘗【な】めしむ。

金陵の子弟  来りて相い送り、行かんと欲して行かず  各々觴【さかずき】を尽くす。

請う君  試みに問え  東流の水に、別意と之と  誰か長短なるやと。

 

a謝霊運永嘉ルート02李白の足跡003 

『金陵酒肆留別』 現代語訳と訳註

(本文)

金陵酒肆留別

風吹柳花滿店香,吳姬壓酒喚客嘗。

金陵子弟來相送,欲行不行各盡觴。

請君試問東流水,別意與之誰短長。

 

(含異文)

風吹柳花滿店香【白門柳花滿店香】,吳姬壓酒喚客嘗【吳姬壓酒勸客嘗】【吳姬壓酒使客嘗】。

金陵子弟來相送,欲行不行各盡觴。

請君試問東流水【請君問取東流水】,別意與之誰短長。

 

(下し文)

(金陵の酒肆にて留別す)

風は柳花を吹きて  満店香ばし、呉姫【ごき】は酒を圧して  客を喚びて嘗【な】めしむ。

金陵の子弟  来りて相い送り、行かんと欲して行かず  各々觴【さかずき】を尽くす。

請う君  試みに問え  東流の水に、別意と之と  誰か長短なるやと。

 

(現代語訳)

(詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。)

風は柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし、酒場は香ばしい匂いで満ちる。呉の美女が酒をしぼって客を呼び 味見をさせてくれる。
金陵の若者たちが集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯をくみかわす。
どうか諸君、東に流れる長江の水に尋ねてくれ、別れのつらさとこの水は、どちらが深く長いかと。

<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

(訳注)

金陵酒肆留別

(詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。

李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、726年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。

天門から北へ流れていた長江が東へ向きを変えると、舟はやがて江寧(こうねい・江蘇省南京市)の渡津(としん)に着く。江寧郡城は六朝の古都建康(けんこう)の跡である。雅名を金陵(きんりょう)といい、李白はほとんどの詩に「金陵」の雅名を用いている。金陵の渡津は古都の南郊を流れる秦淮河(しんわいか)の河口にあり、長干里(ちょうかんり)と横塘(おうとう)の歓楽地がある。そして酒旗高楼が林立している。

金陵 古くから長江流域・華南の中心地で、かつては三国・呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、十国の南唐や明といった王朝や南京国民政府の首都であった。中国四大古都の一つ。14世紀から15世紀にかけて、世界最大の都市であった。2010年の都市的地域の人口は355万人であり、世界第92位である。

金陵は南京の別名である。また清朝のころには江寧と呼ばれたことから略称は「寧」である。夏はとても暑く、重慶、武漢と並ぶ中国三大ボイラー(三大火炉)の一つと言われている

酒肆 居酒屋。

 

風吹柳花滿店香,吳姬壓酒喚客嘗。

風は柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし、酒場は香ばしい匂いで満ちる。呉の美女が酒をしぼって客を呼び 味見をさせてくれる。
柳花 柳絮のわた花。

吳姬 呉の女妓。蘇州、揚州の妓女、ここでは酒屋の女。

壓酒 新しく作った熟したての酒をしぼってつくったもの。

 

金陵子弟來相送,欲行不行各盡觴。

金陵の若者たちが集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯をくみかわす。
子弟 わかもの。

盡觴 盃を飲み干す。

 

請君試問東流水,別意與之誰短長。

どうか諸君、東に流れる長江の水に尋ねてくれ、別れのつらさとこの水は、どちらが深く長いかと。
東流 東西南北からの支流から合流した流れはすべてを集めて東流する、長江をいう。〔朝宗 【ちょうそう】1 《「朝」は春に、「宗」は夏に天子に謁見する意》古代中国で、諸侯が天子に拝謁すること。2 多くの河川がみな海に流れ入ること。3 権威あるものに寄り従うこと。中國の河川は東流して海に入るということで、常識という意味になり、西南北の三方から支流が長江に合流して、東流するのである。「「詩経」(沔水)に、「沔たる彼の流水は、海に朝宗す」とあり、その鄭箋に、諸侯が春に天子にまみえることを朝といい、夏まみえることを宗という、とみえる。ここは諸侯が天子に帰する如く衆水が海に帰することをいう。」
三峡 巫山十二峰001 

107 《口號〔口號留別金陵諸公〕》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》<107> Ⅰ李白詩1279 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4943

東西南北からの支流から合流した流れはすべてを集めて東流する長江のながれは尽きることなく朝宗している、まさに、別離の情もはてしないものである。

 
 2014年10月17日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
107 《口號〔口號留別金陵諸公〕》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》<107> Ⅰ李白詩1279 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4943 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
20-(20) §10《上宰相書 -(20)》韓愈(韓退之)ID 793年貞元9年 26歳<1198> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4974韓愈詩-20-(20) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-48 《長江,二首之二》 杜甫index-15 杜甫<848> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4975 杜甫詩1500-848-1166/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor19-503《菩薩蠻三首,其一》十巻 毛熙震Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-686-19-(503) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4977 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

107 《口號〔口號留別金陵諸公〕》李白index- 6 726年開元十四年26歳》<107> Ⅰ李白詩1279 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4943

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

年:       開元十四年

寫作時間:           726

寫作年紀:           26

卷別:    卷一七四              文體:    五言

李太白集 巻十四

詩題:    口號〔口號留別金陵諸公〕

作地點:              江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧)

及地點:              江寧 (江南東道 潤州 江寧) 別名:金陵   

天門から北へ流れていた長江が東へ向きを変えると、舟はやがて江寧(こうねい・江蘇省南京市)の渡津(としん)に着く。江寧郡城は六朝の古都建康(けんこう)の跡である。雅名を金陵(きんりょう)といい、李白はほとんどの詩に「金陵」の雅名を用いている。金陵の渡津は古都の南郊を流れる秦淮河(しんわいか)の河口にあり、長干里(ちょうかんり)と横塘(おうとう)の歓楽地がある。そして酒旗高楼が林立している。

      

 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、726年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。 

 

口號〔口號留別金陵諸公〕

食出野田美,酒臨遠水傾。

東流若未盡,應見別離情。

(剡中に赴くにあたって金陵の諸公に留別するに、本心を推察できるような話しぶりをする)

この筵宴、肴核とするところはすべて野田から出た菜蔬のものであり、その味わいは、きわめて淡泊で、美味である。そして、遠水に臨んで、酒を傾けているのである。

東西南北からの支流から合流した流れはすべてを集めて東流する長江のながれは尽きることなく朝宗している、まさに、別離の情もはてしないものである。

 

(口號) 〔口號 金陵の諸公に留別す〕

食は野田を出でて美なり,酒は遠水に臨んで傾く。

東流 若し未だ盡きざらば,應に見るべし 別離の情。

a謝霊運永嘉ルート02 

『口號』 現代語訳と訳註

(本文)

口號〔口號留別金陵諸公〕

食出野田美,酒臨遠水傾。

東流若未盡,應見別離情。

 

(下し文)

(口號) 〔口號 金陵の諸公に留別す〕

食は野田を出でて美なり,酒は遠水に臨んで傾く。

東流 若し未だ盡きざらば,應に見るべし 別離の情。

 

(現代語訳)

(剡中に赴くにあたって金陵の諸公に留別するに、本心を推察できるような話しぶりをする)

この筵宴、肴核とするところはすべて野田から出た菜蔬のものであり、その味わいは、きわめて淡泊で、美味である。そして、遠水に臨んで、酒を傾けているのである。

東西南北からの支流から合流した流れはすべてを集めて東流する長江のながれは尽きることなく朝宗している、まさに、別離の情もはてしないものである。

 

 李白の足跡003

(訳注)

口號〔口號留別金陵諸公〕

(剡中に赴くにあたって金陵の諸公に留別するに、本心を推察できるような話しぶりをする)

口號 口占 ① 言い方から察せられる本心。相手が本心を推察できるような話しぶり。 《口裏》 「相手の-から大体のことは察せられる」 人の言葉を聞いて,それで吉凶を占うこと。

金陵 古くから長江流域・華南の中心地で、かつては三国・呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、十国の南唐や明といった王朝や南京国民政府の首都であった。中国四大古都の一つ。14世紀から15世紀にかけて、世界最大の都市であった。2010年の都市的地域の人口は355万人であり、世界第92位である。

金陵は南京の別名である。また清朝のころには江寧と呼ばれたことから略称は「寧」である。夏はとても暑く、重慶、武漢と並ぶ中国三大ボイラー(三大火炉)の一つと言われている

 

食出野田美,酒臨遠水傾。

この筵宴、肴核とするところはすべて野田から出た菜蔬のものであり、その味わいは、きわめて淡泊で、美味である。そして、遠水に臨んで、酒を傾けているのである。

遠水 長江のはるか遠く見えるところまでをいう。

 

東流若未盡,應見別離情。

東西南北からの支流から合流した流れはすべてを集めて東流する長江のながれは尽きることなく朝宗している、まさに、別離の情もはてしないものである。

東流 東西南北からの支流から合流した流れはすべてを集めて東流する、長江をいう。〔朝宗 【ちょうそう】1 《「朝」は春に、「宗」は夏に天子に謁見する意》古代中国で、諸侯が天子に拝謁すること。2 多くの河川がみな海に流れ入ること。3 権威あるものに寄り従うこと。中國の河川は東流して海に入るということで、常識という意味になり、西南北の三方から支流が長江に合流して、東流するのである。「「詩経」(沔水)に、「沔たる彼の流水は、海に朝宗す」とあり、その鄭箋に、諸侯が春に天子にまみえることを朝といい、夏まみえることを宗という、とみえる。ここは諸侯が天子に帰する如く衆水が海に帰することをいう。」
南池江 採蓮002 

106 《別儲邕之剡中》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <106> Ⅰ李白詩1278 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4938

剡中への通路は、何処なのかと尋ねたら、東南にむかって越を指し、その方向に進めばよいと教えてくれた。舟は、ここ広陵より出発し、運河、水路を遠く行けば、会稽に入るのである。

 
 2014年10月16日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
106 《別儲邕之剡中》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <106> Ⅰ李白詩1278 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4938 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
20-(18)§9―2 《上宰相書 -(19)》韓愈(韓退之)ID 793年貞元9年 26歳<1197> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4969 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-47 《長江,二首之一》 杜甫index-15 杜甫<847> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4970 杜甫詩1500-847-1165/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor19-502《酒泉子二首,其二》十巻 毛熙震Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-685-19-(502) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4972 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

106 《別儲邕之剡中》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <106> Ⅰ李白詩1278 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4938

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:    卷一七四              文體:    五言律詩

詩題:    別儲邕之剡中

李太白集 巻十四             

作地點:              剡縣(江南東道 / 越州 / 剡縣)

及地點:             

剡縣 (江南東道 越州 剡縣) 別名:剡中       

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海    

會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰       

天姥山 (江南東道 越州 剡縣)         

交遊人物:儲邕

 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、726年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。 

 

別儲邕之剡中

(李白が剡中に赴く際、儲邕に留別したもの。)

借問剡中道,東南指越

剡中への通路は、何処なのかと尋ねたら、東南にむかって越を指し、その方向に進めばよいと教えてくれた。

舟從廣陵去,水入會稽長。

舟は、ここ広陵より出発し、運河、水路を遠く行けば、会稽に入るのである。

竹色溪下綠,荷花鏡裡香。

その間の景色には、溪下に竹林が茂り、綠の色に染まる中をすすみ、鏡のような水面に蓮の花が、今を盛りに咲いていて、そこを抜けてくる風は香りを運んでくる。

辭君向天姥,拂石臥秋霜。

そういうことで、私は、君に辞し、これより剡中に向かうとしよう、やがて、天姥山に分け入って、石を拂い、秋霜の冷たい所に偃臥し、道観に仙術を学ぶつもりである。

 

(儲邕に別れて剡中に之く)

借問す 剡中の道,東南 越

舟は 廣陵より去り,水は會稽に入って長し。

竹色 溪下に綠に,荷花 鏡裡に香し。

君に辭して向天姥にい,石を拂って秋霜に臥せん。

 

李白の足跡003

『別儲邕之剡中』 現代語訳と訳註

(本文)

別儲邕之剡中

借問剡中道,東南指越

舟從廣陵去,水入會稽長。

竹色溪下綠,荷花鏡裡香。

辭君向天姥,拂石臥秋霜。

 

 

(下し文)

(儲邕に別れて剡中に之く)

借問す 剡中の道,東南 越を指す。

舟は 廣陵より去り,水は會稽に入って長し。

竹色 溪下に綠に,荷花 鏡裡に香し。

君に辭して向天姥にい,石を拂って秋霜に臥せん。

 

(現代語訳)

(李白が剡中に赴く際、儲邕に留別したもの。)

剡中への通路は、何処なのかと尋ねたら、東南にむかって越を指し、その方向に進めばよいと教えてくれた。

舟は、ここ広陵より出発し、運河、水路を遠く行けば、会稽に入るのである。

その間の景色には、溪下に竹林が茂り、綠の色に染まる中をすすみ、鏡のような水面に蓮の花が、今を盛りに咲いていて、そこを抜けてくる風は香りを運んでくる。

そういうことで、私は、君に辞し、これより剡中に向かうとしよう、やがて、天姥山に分け入って、石を拂い、秋霜の冷たい所に偃臥し、道観に仙術を学ぶつもりである。

南池江 採蓮002 

 

(訳注)

別儲邕之剡中

(李白が剡中に赴く際、儲邕に留別したもの。)

剡中 越州会稽郡剡縣浙江省嵊県。

○儲邕 李白の友人。伝記不詳

送儲邕之武昌
黄鶴西樓月、長江萬里情。
春風三十度、空憶武昌城。
送爾難為別、銜杯惜未傾。
湖連張欒地、山逐汎舟行。
諾謂楚人重、詩傳謝朓清。
滄浪吾有曲、寄入悼歌聾。
友と別れた黄鶴がいる西の方の高楼に月がかかる、長江のながれははるか万里のわが思い。あれから、春風は三十度めぐってきた、それにしても武昌城をむなしくも遠く憶いだす。私の思いで多き地へ旅立つ君を送ること、この別れのひとときはことさらに辛い、杯をロにもっていくが、名残り惜しさになかなか杯を傾けられない。船路に広がる江湖は、演奏させたという黄帝の徳をしめす咸池の楽洞庭湖の平野がひろびろと連なっている、長江に沿った山々は、君の船旅を逐うかのように、どこまでもその姿を見せてくれる。楚の人は古くから「黄金百斤より一諾を得る」といわれ、信義を重んじ、詩歌について、謝朓の「清廉」が伝統になっている。仙境をおもわせる清らかな水、青々とした波、私には歌う曲がある、いまこれを送りとどけて、去りゆく君の船歌の聲に加えてください。

 

借問剡中道,東南指越

剡中への通路は、何処なのかと尋ねたら、東南にむかって越を指し、その方向に進めばよいと教えてくれた。

 

舟從廣陵去,水入會稽長。

舟は、ここ広陵より出発し、運河、水路を遠く行けば、会稽に入るのである。

 

竹色溪下綠,荷花鏡裡香。

その間の景色には、溪下に竹林が茂り、綠の色に染まる中をすすみ、鏡のような水面に蓮の花が、今を盛りに咲いていて、そこを抜けてくる風は香りを運んでくる。

 

辭君向天姥,拂石臥秋霜。

そういうことで、私は、君に辞し、これより剡中に向かうとしよう、やがて、天姥山に分け入って、石を拂い、秋霜の冷たい所に偃臥し、道観に仙術を学ぶつもりである。

○天姥 天姥山が道教の七十二福地の十六福地にあたる山だった. 浙江省嵊県。・天姥 山の名。浙江省新昌県の南部にある、主峰「撥雲尖」は標高817m。『太平寰宇記』(江南道八「越州、剡県」所引)の『後呉録』によれば、この山に登ると天姥(天上の老女)の歌う声が聞こえる、と伝えられる。

a謝霊運永嘉ルート02 

86 《渡荊門送別 李白 5》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌と遊ぶ。 <86> Ⅰ李白詩1254 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4818

(江陵にいた時、荊門から宜都にいたる人を送ったもので、送別の詩。)荊門山外、船津は遠くて、長江を渡るのは、容易の事ではない。遠く荊門に外までやってきて、はるばると楚の国から旅をしてきた。

 
 2014年9月15日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
86 《渡荊門送別 李白 5》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌と遊ぶ。 <86> Ⅰ李白詩1254 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4818 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
443-#1 《送汴州監軍俱文珍》韓愈(韓退之)ID 797年貞元13年 30歳<1166> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4814韓愈詩-443 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-16 《春日江村,五首之二》 杜甫index-15 杜甫<816> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4815 杜甫詩1500-816-1134/2500765年永泰元年54歲-16 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor18-471《臨江仙二首,其一》巻九 尹鶚Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-654-18-(471) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4817 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

86 《渡荊門送別 李白 5index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌と遊ぶ。  86> Ⅰ李白詩1254 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4818

 

 

 

Index-

5

- 5-725年開元十三年25

20

725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

19

20

宿巫山下

昨夜巫山下,

巻二十一

20

1

古風,五十九首之三十三

北溟有巨魚,

巻一

21

2

荊州歌【荊州樂】

白帝城邊足風波,

巻三

22

3

81白紵辭其一

揚清歌,

巻三

23

4

82白紵辭其二

月寒江清夜沈沈,

巻三

24

5

白紵辭,三首之三

刀剪綵縫舞衣,

巻三

25

6

江夏行

憶昔嬌小姿,

巻七

26

7

江上寄巴東故人

漢水波浪遠,

巻十三

27

8

渡荊門送別 李白 5

渡遠荊門外,

巻十四

 

 

年:725年開元十三年25

卷別:    卷一七四              文體:    五言律詩

詩題:    渡荊門送別

作地點:              荊門山(山南東道 / 峽州 / 宜都)

及地點:              荊門山 (山南東道 峽州 宜都)           

 

 

 湖北地方に出た李白らが、足をとどめたのは江陵(湖北省沙市市)だ。江陵は荊州(けいしゅう)の州治のある県で、唐代には中隔城壁が設けられ、南北両城に区分された大城である。大都督府の使府も置かれ、軍事的にも重要な都市であった。李白と呉指南は江陵で冬を越し、地元の知識人と交流して翌年の春までを過ごす。

 

渡荊門送別

(江陵にいた時、荊門から宜都にいたる人を送ったもので、送別の詩。)

渡遠荊門外,來從楚國遊。

山隨平野盡,江入大荒流。

荊門山外、船津は遠くて、長江を渡るのは、容易の事ではない。遠く荊門に外までやってきて、はるばると楚の国から旅をしてきた。

月下飛天鏡,雲生結海樓。

顧みて、眺めれば、蜀の山はすでにつきて平野が東南に広がるにつれ、山は消え去り、広大な天地と接して長江江は流れてゆく。

仍連故水,萬里送行舟。

月はかたむいてゆけば、さながら天の鏡を飛ばすようであり、雲が出現すれば、長江の上には、にわかに暗くして、蜃気楼が湧いて起る。

此れより君は、東行されるが、しみじみと故郷の水につながるこの長江に、行舟を送られて万里のかなたへゆかれるのだ。

 

(荊門を渡りて別を送る)    

渡ること遠し荊門【けいもん】の外、来りて従う  楚国の遊。

山は平野に随いて尽き、江(かわ)は大荒に入りて流る。

月は下りて  天鏡 飛び、雲は生じて  海楼を結ぶ。

仍お憐れむ  故郷の水、万里  行舟を送るを。

巫山十二峰002 

『渡荊門送別』 現代語訳と訳註

(本文)

渡荊門送別

渡遠荊門外,來從楚國遊。

山隨平野盡,江入大荒流。

月下飛天鏡,雲生結海樓。

仍連故水,萬里送行舟。

 

(下し文)

(荊門を渡りて別を送る)    

渡ること遠し荊門【けいもん】の外、来りて従う  楚国の遊。

山は平野に随いて尽き、江(かわ)は大荒に入りて流る。

月は下りて  天鏡 飛び、雲は生じて  海楼を結ぶ。

仍お憐れむ  故郷の水、万里  行舟を送るを。

 

(現代語訳)

(江陵にいた時、荊門から宜都にいたる人を送ったもので、送別の詩。)

荊門山外、船津は遠くて、長江を渡るのは、容易の事ではない。遠く荊門に外までやってきて、はるばると楚の国から旅をしてきた。

顧みて、眺めれば、蜀の山はすでにつきて平野が東南に広がるにつれ、山は消え去り、広大な天地と接して長江江は流れてゆく。

月はかたむいてゆけば、さながら天の鏡を飛ばすようであり、雲が出現すれば、長江の上には、にわかに暗くして、蜃気楼が湧いて起る。

此れより君は、東行されるが、しみじみと故郷の水につながるこの長江に、行舟を送られて万里のかなたへゆかれるのだ。

 

(訳注)

渡荊門送別       

(江陵にいた時、荊門から宜都にいたる人を送ったもので、送別の詩。)

この詩は、李白が江陵にいた時、荊門から宜都にいたる人を送ったもの

○荊門 山名。湖北省宜都県の西北方、長江の南岸にある。河川に両岸が迫っているので呼ばれる。北岸の虎牙山と相対した江運の難所である。宜宗の大中二年(848年)、桂林刺史、桂管防禦観察使の鄭亜が循州(広東省恵陽県)に貶され、李商隠は幕を辞して都へ帰った。馮浩はその路中の作とする。偶成転韻と題する詩に「頃之職を失いて南風に辞す、破帆壊漿 荊江の中。」と歌われており、李商隠はこの荊門のあたりの難所で実際に危険な目にあったらしい。杜甫「詠懐古跡五首其三」李白「秋下荊門」「渡荊門送別」三峡をすこし下ってここに差し掛かることを詠う。

李白は江陵で当時の道教教団、最高指導者の司馬承禎(しばしょうてい)と会っている。司馬承禎は玄宗皇帝から幾度も宮中に召され、法籙(ほうろく・道教の免許)を授けるほどに信頼された人物だ。司馬承禎は南岳衡山(こうざん)での祭儀に参加するため湖南に行く途中で、江陵にさしかかったのだった。すでに高齢に達していた司馬承禎に李白は詩を呈し、道教について教えを乞うた。司馬承禎が李白を「仙風道骨あり、神とともに八極の表に遊ぶべし」と褒めたという。
725
年 開元十三年の春三月、二十五歳の李白と呉指南は江陵に別れを告げ、「楚国の遊」に旅立った。詩は江陵を去るに当たって知友に残した作品で、留別の詩。
 李白は眼前に広がる楚地の広大な天地に意欲をみなぎらせ、同時に「仍()お憐れむ 故郷の水 万里 行舟を送るを」と感傷もにじませる。



韻は、遊、流、楼、舟。
渡遠荊門外  來從楚國
山隨平野盡  江入大荒
月下飛天鏡  雲生結海
仍連故  萬里送行
●●○○●  △△●●○

○○○●●  ○●●△○

●●○○●  ○△●●○

○○●○●  ●●●△○

 

渡遠荊門外、来従楚国遊。
荊門山外、船津は遠くて、長江を渡るのは、容易の事ではない。遠く荊門に外までやってきて、はるばると楚の国から旅をしてきた。
楚国 楚は、中国に周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した王国。現在の湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とした。首都は丹陽。

 

山随平野尽、江入大荒流。
顧みて、眺めれば、蜀の山はすでにつきて平野が東南に広がるにつれ、山は消え去り、広大な天地と接して長江江は流れてゆく。

山随 蜀の山々の間を逗留して下り

平野尽 長江は山々の間を下り、薊門をすぎた後に平野が広がる。

月下飛天鏡、雲生結海楼。
月はかたむいてゆけば、さながら天の鏡を飛ばすようであり、雲が出現すれば、長江の上には、にわかに暗くして、蜃気楼が湧いて起る。


仍憐故郷水、万里送行舟。
此れより君は、東行されるが、しみじみと故郷の水につながるこの長江に、行舟を送られて万里のかなたへゆかれるのだ。

 

三峡 巫山十二峰001 


 


渡荊門送別       
渡遠荊門外、来従楚国遊。
山随平野尽、江入大荒流。
月下飛天鏡、雲生結海楼。
仍憐故郷水、万里送行舟。


荊門を渡りて別を送る

渡ること遠し荊門【けいもん】の外、来りて従う  楚国の遊。
山は平野に随いて尽き、江(かわ)は大荒に入りて流る。
月は下りて  天鏡 飛び、雲は生じて  海楼を結ぶ。
仍お憐れむ  故郷の水、万里  行舟を送るを。


--------------------------------


 

李太白―(14) 《李白詩全集 卷十四(古近體詩三十四首) 》李白詩 973詩<李太白―(14)> Ⅰ李白詩1129 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4193

李太白―(14) 《李白詩全集 卷十四(古近體詩三十四首) 》李白詩 973詩
        
 2014年5月14日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
李太白―(14) 《李白詩全集 卷十四(古近體詩三十四首) 》李白詩 973詩<李太白―(14)> Ⅰ李白詩1129 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4193 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
396-2 《猛虎行〔猛虎行贈李宗閔〕》韓愈(韓退之) Ⅱ韓昌黎集 巻五 <1042>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4194韓愈詩-396-2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(9)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4195 杜甫詩1500-1501-9-1010/250064 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
        

李白詩INDEX05李太白―(14) 《李白詩全集 卷十四(古近體詩三十四首) 》李白詩 973詩<李太白―(14)> Ⅰ李白詩1129 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4193

李白詩全集 卷十四 (古近體詩三十四首) 
ID留別初句
464巻十四 秋日魯郡堯祠亭上宴別杜補闕范侍御 我覺秋興逸。 
465巻十四 別魯頌 誰道泰山高。 
466巻十四 別中都明府兄 吾兄詩酒繼陶君
467巻十四 夢游天姥吟留別 (一作別東魯諸公) 海客談瀛洲。 
468巻十四 留別曹南群官之江南 我昔釣白龍。 
469巻十四 留別于十一兄逖裴十三游塞垣 太公渭川水。 
470巻十四 留別王司馬嵩 魯連賣談笑。 
471巻十四 夜別張五 吾多張公子。 
472巻十四 魏郡別蘇明府因北游 魏都接燕趙。 
473巻十四 留別西河劉少府 秋發已種種。 
474巻十四 3. 潁陽別元丹丘之淮陽 吾將元夫子。 
475巻十四 留別廣陵諸公 (一作留別邯鄲故人) 憶昔作少年。 
476巻十四 廣陵贈別 玉瓶沽美酒。 
477巻十四 感時留別從兄徐王延年從弟延陵 天籟何參差。 
478巻十四 別儲邕之剡中 借問剡中道。 
479巻十四 留別金陵諸公 海水昔飛動。 
480巻十四 口號 (一作口號留別金陵諸公 ) 食出野田美。 
481巻十四 金陵酒肆留別 風吹柳花滿店香
482巻十四 金陵白下亭留別 驛亭三楊樹。 
483巻十四 別東林寺僧 東林送客處。 
484巻十四 竄夜郎于烏江留別宗十六(璟) 君家全盛日。 
485巻十四 留別龔處士 龔子棲閑地。 
486巻十四 贈別鄭判官 竄逐勿復哀。 
487巻十四 黃鶴樓送孟浩然之廣陵 故人西辭黃鶴樓
488巻十四 將游衡岳過漢陽雙松亭留別族弟浮屠談皓 秦欺趙氏璧。 
489巻十四留別賈舍人至二首 其一 大梁白云起。 
490巻十四留別賈舍人至二首 其二 秋風吹胡霜。 
491巻十四 10渡荊門送別 渡遠荊門外。 
492巻十四 聞李太尉大舉秦兵百萬出征東南懦夫請纓冀申一割之用  半道病還留別金陵崔侍御十九韻 秦出天下兵。 
493巻十四 別韋少府 西出蒼龍門。 
494巻十四 60南陵別兒童入京 白酒新熟山中歸
495巻十四 別山僧 何處名僧到水西
496巻十四 贈別王山人歸布山 王子析道論。 
497巻十四 江夏別宋之悌 楚水清若空。 

李白図102続きを読む
プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
最新記事(画像付)
メッセージ

名前
メール
本文
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
最新記事(画像付)
記事検索
  • ライブドアブログ