漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 卷十五

297-#4 《卷十五18送薛九被讒去魯》#4 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#4> Ⅰ李白詩1596 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6528

李白  送薛九被讒去魯#4

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。借問笑何人,笑人不好士。

爾去且勿諠,桃李竟何言。沙丘無漂母,誰肯飯王孫。
ここにあげた、平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は、戦国時代にあって、共に、賓客を好み、四公子と名をはせた賢者たちで、その死後、黄泉の国において、互いに尊重したがいに慰め合っているであろう。そこで、何人を笑うのかと問うてみると、世の中の権勢のある人が兎角好まず、したがって大事業を起こせないようなものこそつまらぬもので笑うべき人というのである。君は今、高士を好まざる世の中において、ついにもちいられず、讒言を被って追い出されてしまったからと言って格別恥にはならない。素直にここを発ち去って、くどくどしく騒ぎ立てない方が宜しいし、物言わずして、自然にその下に小路を為すという桃李のように、奥ゆかしく有ってほしいのである。顧みれば、この砂丘を中心とする、魯國を訪ね回ってみても、韓信の漂母のようなものはいないのであるから、王孫の窮を憐れんで、これに飯を与えるというようなこともないから、この地は、決して、九恋の地ではない。從ってさっさとここを立ち去って他の地に往く方が良いのである。

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年:41年開元二十九年41

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送薛九被讒去魯

作地點:              目前尚無資料

及地點:瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

交遊人物/地點:薛九          當地交遊

 

 

送薛九被讒去魯 #1

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

宋人不辨玉,魯賤東家丘。

昔、宋の人はその性格ははなはだ愚にして、玉の何たるかを知らず、燕石を珍として、大事にしていたというし、魯の国の人は、孔子の聖人たるを知らず、これを呼び捨てにし、東家の邱と言っていたくらいである。

我笑薛夫子,胡為兩地遊。

世の中には、眼にしても見えない奴が多いものだ、せっかく才があっても、容易に認められるものではない。今、薛君は、何が故に、この地より他国に出かけるのか、ちょっと聞いただけでは笑べきことではあるが、よくよく考えれば、まことに無理もないことである。

黃金消眾口,白璧竟難投。

黄金は衆口によって消鑠され、美事な玉も、暗中に投ずれば、剣を按じてみるというくらいで、うっかり、投げ出すわけにはいかず、才があったところで、やたらに見せつけると、必ず禍を受けるものである。

梧桐生蒺藜,綠竹乏佳實。

梧桐の樹は、蒺蔾が寄生し、竹も実を結ばないから、折角、鳳凰が出てきたところで、棲むべきところもなく、食らうものもなく、やむを得ず、羣鶏と一緒になっているよりほかないので、才あるものも、その処を得ざれば、羣小のものと肩を並べることになる。

#2

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。

鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。

田家養老馬,窮士歸其門。

田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。

蛾眉笑躄者,賓客去平原。

つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、

卻斬美人首,三千還駿奔。

結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。

#3

#3(戦国の毛遂、馮諼、侯嬴、李園の四人の讒言)

毛公一挺劍,楚趙兩相存。

そうした中で、平原君の上客である“毛遂”は秦に趙の首都・邯鄲を包囲された時剣を按じて楚王の前に出て自薦して楚趙の合従を説き、遂に軍事同盟を成立させたことにより、両国はなお、存立することができた。

孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

それから、“馮諼”は、孟嘗君にずるいウサギは巣を3つ持っているということで、逃げ道をいくつもつくり用意周到であることが重要であると説き、尽力して数十年間、災いもなく国が存立した。

信陵奪兵符,為用侯生言。

信陵君は、“侯嬴”の謀により王の臥内の兵符を盗んで、晉鄙の軍の指揮権を奪い、自ら将軍として趙を救い、ついに大成功をおさめた。このように、讒言を聞いて上手くいったこともあるのである。

春申一何愚,刎首為李園。

ただ、春申君の場合は、まことに愚の骨頂で、その行為も純粋ではないことに倚る。つまり、“李園”は考烈王に子が無いことに付け込んで、春申君の子を身ごもったに李園の妹を考烈王に献上し、腹の中の子を考烈王の子として、次代の楚王にすれば、楚を手に入れることができるとし、献上して、李園の妹は王后となり、李園は高位に登ったことで、春申君は口封じのため、李園に首をはねられてしまった。

#4

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。

ここにあげた、平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は、戦国時代にあって、共に、賓客を好み、四公子と名をはせた賢者たちで、その死後、黄泉の国において、互いに尊重したがいに慰め合っているであろう。

借問笑何人,笑人不好士。

そこで、何人を笑うのかと問うてみると、世の中の権勢のある人が兎角好まず、したがって大事業を起こせないようなものこそつまらぬもので笑うべき人というのである。

爾去且勿諠,桃李竟何言。

君は今、高士を好まざる世の中において、ついにもちいられず、讒言を被って追い出されてしまったからと言って格別恥にはならない。素直にここを発ち去って、くどくどしく騒ぎ立てない方が宜しいし、物言わずして、自然にその下に小路を為すという桃李のように、奥ゆかしく有ってほしいのである。

沙丘無漂母,誰肯飯王孫。

顧みれば、この砂丘を中心とする、魯國を訪ね回ってみても、韓信の漂母のようなものはいないのであるから、王孫の窮を憐れんで、これに飯を与えるというようなこともないから、この地は、決して、九恋の地ではない。從ってさっさとここを立ち去って他の地に往く方が良いのである。

 

(薛九の讒せられて魯を去るを送る)#1

宋人 玉を辨ぜず,魯は東家の丘を賤しむ。

我は笑う 薛夫子,胡為れぞ兩地に遊ぶ。

黃金 眾口に消し,白璧 竟に投じ難し。

梧桐 蒺藜を生じ,綠竹 佳實に乏し。

#2

鳳凰 誰が家に宿し,遂に 群雞と匹す。

田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。

蛾眉 躄者を笑い,賓客 平原を去る。

卻って美人の首を斬り,三千 還た駿奔。

#3

毛公 一たび劍を挺し,楚趙 兩つながら相い存す。

孟嘗 狡兔に習い,三窟 馮諼に賴る。

信陵 兵符を奪い,為に 侯生の言を用う。

春申 一に何ぞ愚なる,刎首【ふんしゅ】李園の為なり。
#4

賢なる哉 四公子,掌を撫す 黃泉の裡。

借問す 何人を笑うか,人の 士を好まざるを笑う。

爾 去って 且つ諠しゅう勿れ,桃李 竟に何をか言う。

沙丘に漂母無く,誰か肯えて 王孫に飯せん。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

『送薛九被讒去魯』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。

借問笑何人,笑人不好士。

爾去且勿諠,桃李竟何言。

沙丘無漂母,誰肯飯王孫。

(下し文)
#4

賢なる哉 四公子,掌を撫す 黃泉の裡。

借問す 何人を笑うか,人の 士を好まざるを笑う。

爾 去って 且つ諠しゅう勿れ,桃李 竟に何をか言う。

沙丘に漂母無く,誰か肯えて 王孫に飯せん。

(現代語訳)
#4

ここにあげた、平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は、戦国時代にあって、共に、賓客を好み、四公子と名をはせた賢者たちで、その死後、黄泉の国において、互いに尊重したがいに慰め合っているであろう。

そこで、何人を笑うのかと問うてみると、世の中の権勢のある人が兎角好まず、したがって大事業を起こせないようなものこそつまらぬもので笑うべき人というのである。

君は今、高士を好まざる世の中において、ついにもちいられず、讒言を被って追い出されてしまったからと言って格別恥にはならない。素直にここを発ち去って、くどくどしく騒ぎ立てない方が宜しいし、物言わずして、自然にその下に小路を為すという桃李のように、奥ゆかしく有ってほしいのである。

顧みれば、この砂丘を中心とする、魯國を訪ね回ってみても、韓信の漂母のようなものはいないのであるから、王孫の窮を憐れんで、これに飯を与えるというようなこともないから、この地は、決して、九恋の地ではない。從ってさっさとここを立ち去って他の地に往く方が良いのである。


(訳注) #4

送薛九被讒去魯

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

李白の足跡0000 

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。

ここにあげた、平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は、戦国時代にあって、共に、賓客を好み、四公子と名をはせた賢者たちで、その死後、黄泉の国において、互いに尊重したがいに慰め合っているであろう。

四公子 平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は賓客を好み、それにより成果を上げた、という点において賢者であるとされる。

黃泉 春秋左氏傳「不及黃泉,無相見也。」とあり史記鄭世家集解引服虔注に「天玄地黃,泉在地中,故曰黃泉。」とし、「黃泉死所葬。」とみえる。

 

借問笑何人,笑人不好士。

そこで、何人を笑うのかと問うてみると、世の中の権勢のある人が兎角好まず、したがって大事業を起こせないようなものこそつまらぬもので笑うべき人というのである。

 

爾去且勿諠,桃李竟何言。

君は今、高士を好まざる世の中において、ついにもちいられず、讒言を被って追い出されてしまったからと言って格別恥にはならない。素直にここを発ち去って、くどくどしく騒ぎ立てない方が宜しいし、物言わずして、自然にその下に小路を為すという桃李のように、奥ゆかしく有ってほしいのである。

桃李 徳のある人は、自分からは何も言わなくても、その徳を慕って人々が自然に集まってくることのたとえ。《「史記・李将軍列伝》「桃李成蹊」(「桃李不言、下自成蹊。」桃李もの言わざれど下自ら蹊を成す)

 

沙丘無漂母,誰肯飯王孫。

顧みれば、この砂丘を中心とする、魯國を訪ね回ってみても、韓信の漂母のようなものはいないのであるから、王孫の窮を憐れんで、これに飯を与えるというようなこともないから、この地は、決して、九恋の地ではない。從ってさっさとここを立ち去って他の地に往く方が良いのである。

沙邱 瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門

沙邱城下寄杜甫 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白190

故郷の淮陰に凱旋した韓信は、飯を恵んでくれた老女、自分を侮辱した少年、居候させていた亭長を探して呼び出した。まず、老女には使い切れないほどの大金を与えた。次いで、かつての少年には「あの時、殺すのは容易かったが、それで名が挙がるわけでもない。我慢して股くぐりをしたから今の地位にまで登ることができたのだ」と言い、中尉(治安維持の役)の位につけた。亭長には「世話をするなら、最後までちゃんと面倒を見よ」と戒め、百銭を与えた。

 

宿五松山下荀媼家

令人慚漂母,三謝不能餐。

淮陰書懷寄王宗成

暝投淮陰宿,欣得漂母迎。斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

猛虎行

張良未遇韓信貧,劉項存亡在兩臣。暫到下邳受兵略,來投漂母作主人。

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首之二

飢從漂母食,閑綴羽陵簡。

送薛九被讒去魯

沙丘無漂母,誰肯飯王孫。

 
 2015年8月29日の紀頌之5つのBlog 
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李白  送薛九被讒去魯》#3

毛公一挺劍,楚趙兩相存。孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

信陵奪兵符,為用侯生言。春申一何愚,刎首為李園。
#3(戦国の毛遂、馮諼、侯嬴、李園の四人の讒言)

そうした中で、平原君の上客である“毛遂”は秦に趙の首都・邯鄲を包囲された時剣を按じて楚王の前に出て自薦して楚趙の合従を説き、遂に軍事同盟を成立させたことにより、両国はなお、存立することができた。それから、“馮諼”は、孟嘗君にずるいウサギは巣を3つ持っているということで、逃げ道をいくつもつくり用意周到であることが重要であると説き、尽力して数十年間、災いもなく国が存立した。信陵君は、“侯嬴”の謀により王の臥内の兵符を盗んで、晉鄙の軍の指揮権を奪い、自ら将軍として趙を救い、ついに大成功をおさめた。このように、讒言を聞いて上手くいったこともあるのである。ただ、春申君の場合は、まことに愚の骨頂で、その行為も純粋ではないことに倚る。つまり、“李園”は考烈王に子が無いことに付け込んで、春申君の子を身ごもったに李園の妹を考烈王に献上し、腹の中の子を考烈王の子として、次代の楚王にすれば、楚を手に入れることができるとし、献上して、李園の妹は王后となり、李園は高位に登ったことで、春申君は口封じのため、李園に首をはねられてしまった。

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年:41年開元二十九年41

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送薛九被讒去魯

作地點:              目前尚無資料

及地點:瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

交遊人物/地點:薛九          當地交遊

 

 

送薛九被讒去魯 #1

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

宋人不辨玉,魯賤東家丘。

昔、宋の人はその性格ははなはだ愚にして、玉の何たるかを知らず、燕石を珍として、大事にしていたというし、魯の国の人は、孔子の聖人たるを知らず、これを呼び捨てにし、東家の邱と言っていたくらいである。

我笑薛夫子,胡為兩地遊。

世の中には、眼にしても見えない奴が多いものだ、せっかく才があっても、容易に認められるものではない。今、薛君は、何が故に、この地より他国に出かけるのか、ちょっと聞いただけでは笑べきことではあるが、よくよく考えれば、まことに無理もないことである。

黃金消眾口,白璧竟難投。

黄金は衆口によって消鑠され、美事な玉も、暗中に投ずれば、剣を按じてみるというくらいで、うっかり、投げ出すわけにはいかず、才があったところで、やたらに見せつけると、必ず禍を受けるものである。

梧桐生蒺藜,綠竹乏佳實。

梧桐の樹は、蒺蔾が寄生し、竹も実を結ばないから、折角、鳳凰が出てきたところで、棲むべきところもなく、食らうものもなく、やむを得ず、羣鶏と一緒になっているよりほかないので、才あるものも、その処を得ざれば、羣小のものと肩を並べることになる。

#2

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。

鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。

田家養老馬,窮士歸其門。

田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。

蛾眉笑躄者,賓客去平原。

つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、

卻斬美人首,三千還駿奔。

結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。

#3

#3(戦国の毛遂、馮諼、侯嬴、李園の四人の讒言)

毛公一挺劍,楚趙兩相存。

そうした中で、平原君の上客である“毛遂”は秦に趙の首都・邯鄲を包囲された時剣を按じて楚王の前に出て自薦して楚趙の合従を説き、遂に軍事同盟を成立させたことにより、両国はなお、存立することができた。

孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

それから、“馮諼”は、孟嘗君にずるいウサギは巣を3つ持っているということで、逃げ道をいくつもつくり用意周到であることが重要であると説き、尽力して数十年間、災いもなく国が存立した。

信陵奪兵符,為用侯生言。

信陵君は、“侯嬴”の謀により王の臥内の兵符を盗んで、晉鄙の軍の指揮権を奪い、自ら将軍として趙を救い、ついに大成功をおさめた。このように、讒言を聞いて上手くいったこともあるのである。

春申一何愚,刎首為李園。

ただ、春申君の場合は、まことに愚の骨頂で、その行為も純粋ではないことに倚る。つまり、“李園”は考烈王に子が無いことに付け込んで、春申君の子を身ごもったに李園の妹を考烈王に献上し、腹の中の子を考烈王の子として、次代の楚王にすれば、楚を手に入れることができるとし、献上して、李園の妹は王后となり、李園は高位に登ったことで、春申君は口封じのため、李園に首をはねられてしまった。

#4

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。

借問笑何人,笑人不好士。

爾去且勿諠,桃李竟何言。

沙丘無漂母,誰肯飯王孫。

 

(薛九の讒せられて魯を去るを送る)#1

宋人 玉を辨ぜず,魯は東家の丘を賤しむ。

我は笑う 薛夫子,胡為れぞ兩地に遊ぶ。

黃金 眾口に消し,白璧 竟に投じ難し。

梧桐 蒺藜を生じ,綠竹 佳實に乏し。

#2

鳳凰 誰が家に宿し,遂に 群雞と匹す。

田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。

蛾眉 躄者を笑い,賓客 平原を去る。

卻って美人の首を斬り,三千 還た駿奔。

#3

毛公 一たび劍を挺し,楚趙 兩つながら相い存す。

孟嘗 狡兔に習い,三窟 馮諼に賴る。

信陵 兵符を奪い,為に 侯生の言を用う。

春申 一に何ぞ愚なる,刎首【ふんしゅ】李園の為なり。
#4

賢なる哉 四公子,掌を撫す 黃泉の裡。

借問す 何人を笑うか,人の 士を好まざるを笑う。

爾 去って 且つ諠しゅう勿れ,桃李 竟に何をか言う。

沙丘に漂母無く,誰か肯えて 王孫に飯せん。

 

 

『送薛九被讒去魯』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

毛公一挺劍,楚趙兩相存。

孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

信陵奪兵符,為用侯生言。

春申一何愚,刎首為李園。

(下し文)
#3

毛公 一たび劍を挺し,楚趙 兩つながら相い存す。

孟嘗 狡兔に習い,三窟 馮諼に賴る。

信陵 兵符を奪い,為に 侯生の言を用う。

春申 一に何ぞ愚なる,刎首【ふんしゅ】李園の為なり。

(現代語訳)
#3(戦国の毛遂、馮諼、侯嬴、李園の四人の讒言)

そうした中で、平原君の上客である“毛遂”は秦に趙の首都・邯鄲を包囲された時剣を按じて楚王の前に出て自薦して楚趙の合従を説き、遂に軍事同盟を成立させたことにより、両国はなお、存立することができた。

それから、“馮諼”は、孟嘗君にずるいウサギは巣を3つ持っているということで、逃げ道をいくつもつくり用意周到であることが重要であると説き、尽力して数十年間、災いもなく国が存立した。

信陵君は、“侯嬴”の謀により王の臥内の兵符を盗んで、晉鄙の軍の指揮権を奪い、自ら将軍として趙を救い、ついに大成功をおさめた。このように、讒言を聞いて上手くいったこともあるのである。

ただ、春申君の場合は、まことに愚の骨頂で、その行為も純粋ではないことに倚る。つまり、“李園”は考烈王に子が無いことに付け込んで、春申君の子を身ごもったに李園の妹を考烈王に献上し、腹の中の子を考烈王の子として、次代の楚王にすれば、楚を手に入れることができるとし、献上して、李園の妹は王后となり、李園は高位に登ったことで、春申君は口封じのため、李園に首をはねられてしまった。



(訳注)

送薛九被讒去魯

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

 

毛公一挺劍,楚趙兩相存。

そうした中で、平原君の上客である“毛遂”は秦に趙の首都・邯鄲を包囲された時剣を按じて楚王の前に出て自薦して楚趙の合従を説き、遂に軍事同盟を成立させたことにより、両国はなお、存立することができた。

毛公 紀元前259年、秦軍は更に趙の首都・邯鄲を包囲した。平原君は救援を求めるために楚へと赴いた。この時に客の一人の毛遂と言う者が同行したいと名乗り出てきた(毛遂自薦)。平原君は「賢人と言うものは錐を嚢中(袋の中)に入れておくようなもので、すぐに袋を破って先を出してくるものです。先生が私の所へ着てから3年になるが、評判を聞いていません。お留まり下さい。」と断った。毛遂はこれに「私は今日こそ嚢中に入りたいと思います。私を早くから嚢中に入れておけば、先どころか柄まで出ていましたよ。」と答え、この返答が気に入った平原君は毛遂を連れて行くことにした。これが「嚢中の錐」の原典である。

平原君は楚に入り、楚の考烈王に合従(同盟)を説いたが、楚は前に秦に侵攻されたこともあって脅威に思い中々まとまらない。毛遂は剣を握って考烈王の前に立ち、「白起は楚の首都を焼いて楚の祖先を辱めました。合従は趙のためではない、楚のためである」と説いて考烈王はこれを受け入れた。これに喜んだ平原君は帰国後に毛遂を上客とした。

毛遂自薦の故事は、戦国七雄時代(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓)に、秦に攻め込まれ

た趙の王平原君が、楚に救いを求めに行った折り、趙の食客(特別な技術・才能をもち、

客として召し抱えられた人)の毛遂が自ら名乗り出て、楚王との交渉を成功させ、秦と

の戦いに勝利をおさめたという話です。(『史記』平原君虞卿列伝)

 

孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

それから、“馮諼”は、孟嘗君にずるいウサギは巣を3つ持っているということで、逃げ道をいくつもつくり用意周到であることが重要であると説き、尽力して数十年間、災いもなく国が存立した。

孟嘗習狡兔 ずるいウサギは巣を3つ持っているということで、)逃げ道をいくつもつくり用意周到である.

《戰國策》卷十一〈齊四·齊人有馮諼者〉“孟嘗君就國於薛,未至百里,民扶老攜幼,迎君道中。孟嘗君顧謂馮諼:「先生所為文市義者,乃今日見之。」馮諼曰;「狡兔有三窟,僅得免其死耳。今君有一窟,未得高枕而臥也。請為君復鑿二窟。」孟嘗君予車五十乘,金五百斤,西遊於梁,謂惠王曰:「齊放其大臣孟嘗君於諸侯,諸侯先迎之者,富而兵強。」於是,梁王虛上位,以故相為上將軍,遣使者,黃金千斤,車百乘,往聘孟嘗君。馮諼先驅誡孟嘗君曰:「千金,重幣也;百乘,顯使也。齊其聞之矣。」梁使三反,孟嘗君固辭不往也。齊王聞之,君臣恐懼,遣太傅黃金千斤,文車二駟,服劍一,封書謝孟嘗君曰:「寡人不祥,被於宗廟之祟,沉於諂諛之臣,開罪於君,寡人不足為也。願君顧先王之宗廟,姑反國統萬人乎?」馮諼誡孟嘗君曰:「願請先王之祭器,立宗廟於薛。」廟成,還報孟嘗君曰:「三窟已就,君姑高枕為樂矣。」”

 

信陵奪兵符,為用侯生言。

信陵君は、“侯嬴”の謀により王の臥内の兵符を盗んで、晉鄙の軍の指揮権を奪い、自ら将軍として趙を救い、ついに大成功をおさめた。このように、讒言を聞いて上手くいったこともあるのである。

奪兵符 王の臥内の兵符を盗む 侯嬴は信陵君に手勢だけでは少数すぎて犬死となるだけであり、国軍を動かすべきだと説いた。国軍を動かすために、王の手元から軍に命令を下すための割符を魏王の寵愛する姫に盗ませ、将軍の晋鄙がこれを疑ったならば、朱亥に将軍を殺させ軍の指揮権を奪うようを説いた。

信陵君は国境の城に出向き、割符を見せ、軍を率いていた晋鄙将軍に交代するよう言ったが、晋鄙はやはり確認のための伝令を出すと言ったため、やむなく朱亥が40斤の金槌で晋鄙を命令違反として撲殺し、丁重に埋葬した。なお、これに前後して侯嬴は信陵君がいる方向へ、自らの命を手向けとするべく自刎した。

信陵君は、中国戦国時代の魏の公子であり、政治家・軍人。三代昭王の末子。姓は姫、氏は魏、諱は無忌。戦国四君の一人。大国秦によって圧迫を受けた魏を支え、諸国をまとめ上げ秦を攻めるも、兄王に疑われて憂死した。

侯生言 侯嬴の謀。信陵君は門番をしている侯嬴が賢人と聞き、食客になって貰おうと自ら出向き贈り物をした。しかし侯嬴は老齢を理由に断った。信陵君は後日予定の宴席に招待し、それは侯嬴も承諾した。その通り、信陵君は宴席を設けたが侯嬴が居なかったため、自ら招くべく馬車に乗って街へと出向いた。侯嬴は自分が行っても信陵君の恥になると一度断った後、信陵君に勧められ馬車に乗ったが、上席に断りもなく座った。そして途中で止めて欲しいと言って馬車を降り、肉屋である朱亥と世間話を始めた。その間、信陵君は嫌な顔もせず待っていた。そして宴席で信陵君は侯嬴を上席へと座らせた。他の大臣などの客は、汚らしい老人を信陵君自ら招きいれ、しかも上席にしたことに驚いた。そして侯嬴に朱亥と世間話をしていた理由を聞いた。侯嬴は「信陵君への恩返しである」と答えた。全く訳が解らなかった客が再び問うと、皆が信陵君をどうでもいい用事で待たせる失礼な爺だと侯嬴を蔑す一方で待った信陵君の器量を賞賛する。これは噂となり、国中どころか他国にも伝わり、信陵君の名声が大いに高まるであろうと答えた。客らは納得し、宴席も大いに盛り上がった。

 

春申一何愚,刎首為李園。

ただ、春申君の場合は、まことに愚の骨頂で、その行為も純粋ではないことに倚る。つまり、“李園”は考烈王に子が無いことに付け込んで、春申君の子を身ごもったに李園の妹を考烈王に献上し、腹の中の子を考烈王の子として、次代の楚王にすれば、楚を手に入れることができるとし、献上して、李園の妹は王后となり、李園は高位に登ったことで、春申君は口封じのため、李園に首をはねられてしまった。

春申一何愚,刎首為李園 春申君の食客のひとりに李園がいた。李園の妹は美人でいずれ楚の考烈王に差し出して出世しようと企んでいた。春申君はその妹を寵愛していた。その後、李園の妹は春申君の子を身篭る。これに対して李園は考烈王に子が無いことに付け込んで、春申君に李園の妹を考烈王に献上し、腹の中の子を考烈王の子として、次代の楚王にすれば、楚を手に入れることができると唆した。春申君はこの策を真に受けてしまい、考烈王に進言し李園の妹を献上した。李園の妹は王后となり、李園は高位に登った。

その後、李園は事の露見を恐れて春申君の命を狙うようになった。春申君の食客の朱英は危機感を覚え、李園の殺害を命じるよう春申君に言ったが、春申君は李園を軽く見ていたのでこれを相手にしなかった。身の危険を感じた朱英は間もなくそのまま逃亡した。

286-#3 《卷十五12送韓準裴政孔巢父還山》-#3 Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <286-#3> Ⅰ李白詩1573 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6413

李白  送韓準裴政孔巢父還山#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。相思若煙草,歷亂無冬春。

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

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河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送韓準裴政孔巢父還山

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)  -3

及地點:              東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3

竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -34に近い)

交遊人物:韓準    ・裴政    ・孔巢父  當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

時時或乘興,往往雲無心。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。

今晨魯東門,帳飲與君別。

聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

今しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。

相思若煙草,歷亂無冬春。

別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

 

(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔罝を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖在る所以なり

韓生 信に英裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

#3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

 

 

『送韓準裴政孔巢父還山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

相思若煙草,歷亂無冬春。


(下し文) #3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

(現代語訳) #3

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。

聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。

今しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。

別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
(訳注) #3

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。)

韓準・裴政・孔巢父 竹渓の六逸

舊唐書卷一百五十八 列傳第一百四○「孔巢父從子戡戣戢許孟容中元膺劉棲楚張宿熊望柏耆 孔巢父,冀州人,字弱翁。父如珪,海州司參軍,以巢父贈工部郎中。巢父早勤文史,少時與韓准、裴政、李白、張叔明、陶沔隱於徂來山,時號『竹溪六逸』。永王璘起兵江淮,聞其賢,以從事辟之。巢父知其必敗,側身潛遁,由是知名。從德宗幸奉天,遷給事中、河中陝華等州招討使。尋兼御史大夫,充魏博宣慰使。遭害。

還山 徂徠山

 

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。

竹溪 徂徠山の隠棲の竹渓。竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -34に近い)

 

今晨魯東門,帳飲與君別。

聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。

 東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3   魯は、中国の王朝名・地名。地名としての魯は現在の中国山東省南部を指す。山東省全体の略称としても用いられる。 王朝としての魯は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に亘って存在した国である。代々の魯公の爵位は侯爵であり、姓は姫である。首府は曲阜。 周公旦の子伯禽が成王によって封ぜられて成立した。

帳飲 曠地に幔幕を張って酒を飲む。

 

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

今しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。

雪崖 積雪が崩れることによってできた崖壁、崖に氷雪によりかたまった状況の道路。

 

相思若煙草,歷亂無冬春。

別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

歷亂 1.乱,乱。 南朝 鮑照 行路》之九:“剉檗染黃絲, 黃絲歷亂不可治。

2. ① 花の咲き乱れるさま。② ありのままに輝き現れるさま。ひかり輝くさま。 南朝 文帝 《采桑》:““細萍重疊長, 新花歷亂開。

相思 李白はこの語を自身の詩の約1000首の内、62首に使っている。

286-#2 《卷十五12送韓準裴政孔巢父還山》-#2 Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <286-#2> Ⅰ李白詩1572 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6408

李白  送韓準裴政孔巢父還山  #2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

時時或乘興,往往雲無心。出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送韓準裴政孔巢父還山

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)  -3

及地點:              東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3

竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -34に近い)

交遊人物:韓準    ・裴政    ・孔巢父  當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

時時或乘興,往往雲無心。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

相思若煙草,歷亂無冬春。

 

 

(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔罝を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖在る所以なり

韓生 信に英裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

#3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

 

 河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00

『送韓準裴政孔巢父還山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

時時或乘興,往往雲無心。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

(下し文)
#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

(現代語訳) #2

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。


(訳注) #2

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。)

韓準・裴政・孔巢父 竹渓の六逸

舊唐書卷一百五十八 列傳第一百四○「孔巢父從子戡戣戢許孟容中元膺劉棲楚張宿熊望柏耆 孔巢父,冀州人,字弱翁。父如珪,海州司參軍,以巢父贈工部郎中。巢父早勤文史,少時與韓准、裴政、李白、張叔明、陶沔隱於徂來山,時號『竹溪六逸』。永王璘起兵江淮,聞其賢,以從事辟之。巢父知其必敗,側身潛遁,由是知名。從德宗幸奉天,遷給事中、河中陝華等州招討使。尋兼御史大夫,充魏博宣慰使。遭害。

還山 徂徠山

 

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

盤石 大岩をいう。文選李善註、「聲類に云う、盤は大石なり。」とある。

 

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

斧冰 氷を斧で打ち破ること。魏曹操《苦寒行》「擔囊行取薪, 斧冰持作糜。」

 

時時或乘興,往往雲無心。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

 

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

牧伯 尚書正義「曲禮に日く、九州の長か牧といふ。王制に日く、千里の外、方伯を設く、八州八伯と。然らば、牧伯は一で、伯は一州の長ということ、牧は下民か牧養するという義。

鄭玄は「殷の州牧を伯といい、處夏及び周には牧という」とあって、後人が太守を称して牧伯というは、これに本づく。
江南東道 婺州 東陽00 

286-#1 《卷十五12送韓準裴政孔巢父還山》-#1 Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <286-#1> Ⅰ李白詩1571 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6403

李白  送韓準裴政孔巢父還山 #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。所以青雲人,高歌在巖

韓生信英裴子含清真。孔侯復秀出,俱與雲霞親。

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

286-#1 《卷十五12送韓準裴政孔巢父還山》-#1 Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <286-#1> Ⅰ李白詩1571 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6403

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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78-#11 《巻0210送惠師》【案:愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】-#11 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 39歳<1484> Ⅱ【11分割】-#11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6404 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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740年 李白40歳 

 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送韓準裴政孔巢父還山

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)  -3

及地點:              東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3

竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -3    
4に近い)

交遊人物:韓準    ・裴政    ・孔巢父  當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

時時或乘興,往往雲無心。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

相思若煙草,歷亂無冬春。

 

 

詩文(含異文)

獵客張兔罝,不能掛龍虎。所以青雲人,高歌在巖【浩歌在巖】。韓生信英,裴子含清真。孔侯復秀出,俱與雲霞親。峻節凌遠松,同衾臥盤石。斧冰嗽寒泉,三子同二屐。時時或乘興,往往雲無心。出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。今晨魯東門,帳飲與君別。雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。相思若煙草,歷亂無冬春。

 

(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔罝を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖在る所以なり

韓生 信に英裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

#3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

李白の足跡003 

 

『送韓準裴政孔巢父還山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送韓準裴政孔巢父還山 #1

獵客張兔,不能掛龍虎。

所以青雲人,高歌在巖

韓生信英,裴子含清真。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

(下し文)
(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖に在る所以なり。

韓生 信に英,裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

(現代語訳)
(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。


(訳注)

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。)

韓準・裴政・孔巢父 竹渓の六逸

舊唐書卷一百五十八 列傳第一百四○「孔巢父從子戡戣戢許孟容中元膺劉棲楚張宿熊望柏耆 孔巢父,冀州人,字弱翁。父如珪,海州司參軍,以巢父贈工部郎中。巢父早勤文史,少時與韓准、裴政、李白、張叔明、陶沔隱於徂來山,時號『竹溪六逸』。永王璘起兵江淮,聞其賢,以從事辟之。巢父知其必敗,側身潛遁,由是知名。從德宗幸奉天,遷給事中、河中陝華等州招討使。尋兼御史大夫,充魏博宣慰使。遭害。

還山 徂徠山

 

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

兔罝 うさぎあみ。『詩経』《国風 周南》、兔罝 

肅肅兔罝、椓之丁丁。赳赳武夫、公侯干城。

肅肅兔罝、施于中逵。赳赳武夫、公侯好仇。

肅肅兔罝、施于中林。赳赳武夫、公侯腹心。

(読み下し文)

肅肅たる兔罝【としゃ】、之を椓【たく】すること丁丁たり。赳赳【きゅうきゅう】たる武夫は、公侯の干城。

肅肅たる兔罝、中逵【ちゅうき】に施【いた】る。赳赳たる武夫は、公侯の好仇。

肅肅たる兔罝、中林に施る。赳赳たる武夫は、公侯の腹心。

 

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

 

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

 非常にすぐれていること。また、そのような人。英雋。英俊。

清真 1 人間の性質と心情が清眞である。こころ清眞。2 生まれつきの性質が清眞である。性情清眞 明鏡止水『荘子』 内篇 徳充符篇. 仲尼曰:「人莫鑒於流水而鑒於止水。唯止能止衆止。」(人は流水に鑑みる莫くして、止水に鑑みる。 唯だ止のみ能く衆止を止む。)”

 

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

 秀逸 秀麗であること。
 

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李白  送楊山人歸天台#2

我家小阮賢,剖竹赤城邊。詩人多見重,官燭未曾然。

興引登山屐,情催泛海船。石橋如可度,攜手弄雲煙。

竹林の七賢の一人で「小阮」とすれば、わが家系の李嘉裕種であるが、恰もその地に太守となって、天台山・赤城山のほとりに居るのである。性来、詩を能くするを以て、人に重んぜられ、叉、清廉以て性と為し、決して、官物を濫費することなどは無く、まことに、天晴の人物である。その上、風流の心がけもあって、興 至れば、古しえの謝靈運を学んで、登山の屐を著け、逸情に催されては、海上に舟を泛べて、波などは、少しも恐れない。かういふ人物であるから、君も交際されたらよいので、世に言われる天台の石橋が、若し渡れるならば、手を携えて、これを渡り、心静かに、渓山の雲煙を弄して、物外の楽しみをほしいままにしたら良かろう。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送楊山人歸天台

及地點:              天台山 (江南東道 台州 天台山)       

浦陽縣 (江南東道 婺州 浦陽縣)      

赤城山 (江南東道 台州 台州)          

交遊人物:楊山人              當地での交遊。

 

 

送楊山人歸天台

(送楊山人という高節な隠遁者が、天台山に帰るのをおくったものである。)

客有思天台,東行路超忽。

楊山人は、今や故郷の天台を思出で、一刻も猶予せず。東行して遠路をたどり、愈々その地にかえるとのことである。

濤落浙江秋,沙明浦陽月。

その途すがら、浙江、秋、正に.闌にして、観濤の壮観もあろうし、又浦陽浦口、沙白き処に月が映じて、清絶なる眺めもあろう。

今遊方厭楚,昨夢先歸越。

君は、今まで、この楚國に遊んでいたが、あまり久しきに亙ったために、自然あきがきて、前夜の夢には、その故国なる越にかえり、さめて.後に、俄に思い定めて、今次、帰国の旅を爲すものと見えた。

且盡秉燭歡,無辭凌晨發。

しかし、今夜だけは、せめて燭を秉って、十分に歓を尽くし、あしたの朝は、すこし眠いかも知れないが、凌晨の頃に早く出立するが善からう。 

#2

我家小阮賢,剖竹赤城邊。

竹林の七賢の一人で「小阮」とすれば、わが家系の李嘉裕種であるが、恰もその地に太守となって、天台山・赤城山のほとりに居るのである。

詩人多見重,官燭未曾然。

性来、詩を能くするを以て、人に重んぜられ、叉、清廉以て性と為し、決して、官物を濫費することなどは無く、まことに、天晴の人物である。

興引登山屐,情催泛海船。

その上、風流の心がけもあって、興 至れば、古しえの謝靈運を学んで、登山の屐を著け、逸情に催されては、海上に舟を泛べて、波などは、少しも恐れない。

石橋如可度,攜手弄雲煙。

かういふ人物であるから、君も交際されたらよいので、世に言われる天台の石橋が、若し渡れるならば、手を携えて、これを渡り、心静かに、渓山の雲煙を弄して、物外の楽しみをほしいままにしたら良かろう。

 

(楊山人の天台に歸るを送る)

客に天台を思うあり、東行、路超忽。

涛は落つ浙江の秋、沙は明かに浦陽の月。

今遊、方に楚を厭い、昨夢、先ず越に歸る。

且つ秉燭の歓を盡す、辞する無かれ凌晨に発するを。

#2

我が家、小阮の賢、竹を剖く、赤城の邊。

詩人多く重んぜらる。官燭未だ曾て然やさず。

興は登山の屐を引き、情は泛海の船を催す。

石橋もし度るべくんば、手を携えて、雲煙を弄せよ。

江南東道 婺州 東陽00 

 

『送楊山人歸天台』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

我家小阮賢,剖竹赤城邊。

詩人多見重,官燭未曾然。

興引登山屐,情催泛海船。

石橋如可度,攜手弄雲煙。

(下し文) #2

我が家、小阮の賢、竹を剖く、赤城の邊。

詩人多く重んぜらる。官燭未だ曾て然やさず。

興は登山の屐を引き、情は泛海の船を催す。

石橋もし度るべくんば、手を携えて、雲煙を弄せよ。

(現代語訳) #2

竹林の七賢の一人で「小阮」とすれば、わが家系の李嘉裕種であるが、恰もその地に太守となって、天台山・赤城山のほとりに居るのである。

性来、詩を能くするを以て、人に重んぜられ、叉、清廉以て性と為し、決して、官物を濫費することなどは無く、まことに、天晴の人物である。

その上、風流の心がけもあって、興 至れば、古しえの謝靈運を学んで、登山の屐を著け、逸情に催されては、海上に舟を泛べて、波などは、少しも恐れない。

かういふ人物であるから、君も交際されたらよいので、世に言われる天台の石橋が、若し渡れるならば、手を携えて、これを渡り、心静かに、渓山の雲煙を弄して、物外の楽しみをほしいままにしたら良かろう。


(訳注) #2

送楊山人歸天台

 (送楊山人という高節な隠遁者が、天台山に帰るのをおくったものである。)

天台 天台山は、中国浙江省東部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。天台山の奇岩、洞窟などは、歴代の文人墨客や僧侶を引きつけてきた。唐代の詩人、僧の寒山はここに隠遁し、修業していたという。山肌が火のように赤く、形が城のように見える赤城山には、18の洞窟があり、仏教と道教の神がまつられ、なかでも玉京洞は、道教の神仙が住む景勝地の一つとされている。山上の済公院は、天台の人々が地元の賢人で、後世によく知られた済公和尚・李心遠をまつるために建てた寺である。

a謝霊運永嘉ルート02 

我家小阮賢,剖竹赤城邊。

竹林の七賢の一人で「小阮」とすれば、わが家系の李嘉裕種であるが、恰もその地に太守となって、天台山・赤城山のほとりに居るのである。

小阮賢 阮籍の姪阮咸、阮籍の兄の子、阮 咸(げん かん、生卒年不詳)は、竹林の七賢の一人。字は仲容。三国時代の魏および西晋の文人。陳留郡尉氏県(河南省開封市)の人。

また、伝説によりこの人が伝えたとされる4弦のリュート属撥弦楽器もその名を冠して「阮咸」と呼ばれる。

赤城邊 赤城は孫綽賦にある、天台山を代表する赤城山。赤城山は赤土の砂礫が層をなしており、あたかも城壁のようであるのでこの名がついた。また、その石が赤く輝いていて朝焼けのようであるということで、朝靄夕霞が漂い纏うこの山にまつわる慣

天台山(てんだいさん)は、中国浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。洞栢峰・仏隴峰・赤城峰・瀑布峰などの峰々が存在する。中国三大霊山の一つ。仏教との関係では、呉の赤烏中(238 - 251年)に仏教寺院が建立された、という伝承がある。支遁や曇光、竺曇猷らの僧が、この山中に住した。また、後漢のころから道教の聖地ともされていた。石橋の下から流れ落ちる滝がある。

盛唐詩 越中逢天臺太乙子#2 孟浩然<30> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -337 

盛唐詩 尋天台山 孟浩然<31> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -338

 

詩人多見重,官燭未曾然。

性来、詩を能くするを以て、人に重んぜられ、叉、清廉以て性と為し、決して、官物を濫費することなどは無く、まことに、天晴の人物である。

官燭 官より支給される燭蠟をいう、公私混同をしないことをいう。

 

興引登山屐,情催泛海船。

その上、風流の心がけもあって、興 至れば、古しえの謝靈運を学んで、登山の屐を著け、逸情に催されては、海上に舟を泛べて、波などは、少しも恐れない。

登山屐 ゲタのような木製の履き物。謝霊運は山歩きが好きで、登る時には木履の前歯をはずし、下る時には後の歯をはずして使ったという。(『南史』巻十九「謝霊運伝」)。

李白《夢遊天姥吟留別》「著謝公屐。 身登青云梯。」

夢遊天姥吟留別 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166

泛海 晉書 「嘗與孫綽等泛海,風起浪湧,諸人並懼,安吟嘯自若。舟人以安為悅,猶去不止。風轉急,安徐曰:「如此將何歸邪?」舟人承言即回。眾咸服其雅量。」(嘗て孫綽等と海に泛び,風起り浪湧き,諸人並びに懼る,安 吟嘯し自若たり。舟人 安を以て悅ぶと為し,猶お去って止まず。風 轉た急なり,安 徐に曰く:「此の如きは將に何にか歸らんとす?」と。舟人 言を承けて即ち回る。眾 咸 其の雅量に服す。)

 

石橋如可度,攜手弄雲煙。

かういふ人物であるから、君も交際されたらよいので、世に言われる天台の石橋が、若し渡れるならば、手を携えて、これを渡り、心静かに、渓山の雲煙を弄して、物外の楽しみをほしいままにしたら良かろう。

孟浩然《舟中曉望》

掛席東南望,青山水國遙。

舳艫爭利涉,來往接風潮。

問我今何去,天臺訪石橋。

坐看霞色曉,疑是赤城標。

(舟中にて曉に望む)

席を掛けて東南に望めば、青山 水國 遙かなり。

舳艫 利渉を爭ひ、來往 風潮に接す。

我に問ふ 今何くに去ると、天台に石橋を訪ねんとす。

坐く看る霞色の曉、疑ふらくは是れ赤城の標か。

盛唐詩 舟中曉望 孟浩然 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -332

李白の足跡003 

 

(楊山人の天台に歸るを送る)

客に天台を思うあり、東行、路超忽。

涛は落つ浙江の秋、沙は明かに浦陽の月。

今遊、方に楚を厭い、昨夢、先ず越に歸る。

且つ秉燭の歓を盡す、辞する無かれ凌晨に発するを。

 

我が家、小阮の賢、竹を剖く、赤城の邊。

詩人多く重んぜらる。官燭未だ曾て然やさず。

興は登山の屐を引き、情は泛海の船を催す。

石橋もし度るべくんば、手を携えて、雲煙を弄せよ。

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李白  送楊山人歸天台  

客有思天台,東行路超忽。濤落浙江秋,沙明浦陽月。

今遊方厭楚,昨夢先歸越。且盡秉燭歡,無辭凌晨發。
 (送楊山人という高節な隠遁者が、天台山に帰るのをおくったものである。)楊山人は、今や故郷の天台を思出で、一刻も猶予せず。東行して遠路をたどり、愈々その地にかえるとのことである。その途すがら、浙江、秋、正に.闌にして、観濤の壮観もあろうし、又浦陽浦口、沙白き処に月が映じて、清絶なる眺めもあろう。君は、今まで、この楚國に遊んでいたが、あまり久しきに亙ったために、自然あきがきて、前夜の夢には、その故国なる越にかえり、さめて.後に、俄に思い定めて、今次、帰国の旅を爲すものと見えた。しかし、今夜だけは、せめて燭を秉って、十分に歓を尽くし、あしたの朝は、すこし眠いかも知れないが、凌晨の頃に早く出立するが善からう。 

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送楊山人歸天台

及地點:              天台山 (江南東道 台州 天台山)       

浦陽縣 (江南東道 婺州 浦陽縣)      

赤城山 (江南東道 台州 台州)          

交遊人物:楊山人              當地での交遊。

 

 

送楊山人歸天台

(送楊山人という高節な隠遁者が、天台山に帰るのをおくったものである。)

客有思天台,東行路超忽。

楊山人は、今や故郷の天台を思出で、一刻も猶予せず。東行して遠路をたどり、愈々その地にかえるとのことである。

濤落浙江秋,沙明浦陽月。

その途すがら、浙江、秋、正に.闌にして、観濤の壮観もあろうし、又浦陽浦口、沙白き処に月が映じて、清絶なる眺めもあろう。

今遊方厭楚,昨夢先歸越。

君は、今まで、この楚國に遊んでいたが、あまり久しきに亙ったために、自然あきがきて、前夜の夢には、その故国なる越にかえり、さめて.後に、俄に思い定めて、今次、帰国の旅を爲すものと見えた。

且盡秉燭歡,無辭凌晨發。

しかし、今夜だけは、せめて燭を秉って、十分に歓を尽くし、あしたの朝は、すこし眠いかも知れないが、凌晨の頃に早く出立するが善からう。 

#2

我家小阮賢,剖竹赤城邊。

詩人多見重,官燭未曾然。

興引登山屐,情催泛海船。

石橋如可度,攜手弄雲煙。

 

(楊山人の天台に歸るを送る)

客に天台を思うあり、東行、路超忽。

涛は落つ浙江の秋、沙は明かに浦陽の月。

今遊、方に楚を厭い、昨夢、先ず越に歸る。

且つ秉燭の歓を盡す、辞する無かれ凌晨に発するを。

 

我が家、小阮の賢、竹を剖く、赤城の邊。

詩人多く重んぜらる。官燭未だ曾て然やさず。

興は登山の屐を引き、情は泛海の船を催す。

石橋もし度るべくんば、手を携えて、雲煙を弄せよ。

 

 

『送楊山人歸天台』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送楊山人歸天台

客有思天台,東行路超忽。

濤落浙江秋,沙明浦陽月。

今遊方厭楚,昨夢先歸越。

且盡秉燭歡,無辭凌晨發。

(下し文)
(楊山人の天台に歸るを送る)

客に天台を思うあり、東行、路超忽。

涛は落つ浙江の秋、沙は明かに浦陽の月。

今遊、方に楚を厭い、昨夢、先ず越に歸る。

且つ秉燭の歓を盡す、辞する無かれ凌晨に発するを。

(現代語訳)
(送楊山人という高節な隠遁者が、天台山に帰るのをおくったものである。)

楊山人は、今や故郷の天台を思出で、一刻も猶予せず。東行して遠路をたどり、愈々その地にかえるとのことである。

その途すがら、浙江、秋、正に.闌にして、観濤の壮観もあろうし、又浦陽浦口、沙白き処に月が映じて、清絶なる眺めもあろう。

君は、今まで、この楚國に遊んでいたが、あまり久しきに亙ったために、自然あきがきて、前夜の夢には、その故国なる越にかえり、さめて.後に、俄に思い定めて、今次、帰国の旅を爲すものと見えた。

しかし、今夜だけは、せめて燭を秉って、十分に歓を尽くし、あしたの朝は、すこし眠いかも知れないが、凌晨の頃に早く出立するが善からう。 


(訳注)

送楊山人歸天台

 (送楊山人という高節な隠遁者が、天台山に帰るのをおくったものである。)

天台 天台山は、中国浙江省東部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。天台山の奇岩、洞窟などは、歴代の文人墨客や僧侶を引きつけてきた。唐代の詩人、僧の寒山はここに隠遁し、修業していたという。山肌が火のように赤く、形が城のように見える赤城山には、18の洞窟があり、仏教と道教の神がまつられ、なかでも玉京洞は、道教の神仙が住む景勝地の一つとされている。山上の済公院は、天台の人々が地元の賢人で、後世によく知られた済公和尚・李心遠をまつるために建てた寺である。

 

客有思天台,東行路超忽。

楊山人は、今や故郷の天台を思出で、一刻も猶予せず。東行して遠路をたどり、愈々その地にかえるとのことである。

超忽 遠くの姿、遠景。

 

濤落浙江秋,沙明浦陽月。

その途すがら、浙江、秋、正に.闌にして、観濤の壮観もあろうし、又浦陽浦口、沙白き処に月が映じて、清絶なる眺めもあろう。

浙江 浙江は杭州錢唐縣の南十二里にある。

浦陽 西施の生まれ故郷は現在の諸曁市、浦陽江の岸辺である。その浦陽江を下ると銭塘江にぶっかりその

西施の生まれ故郷は現在の諸曁市、浦陽江の岸辺である。その浦陽江を下ると銭塘江にぶっかりその直後に西湖かあり、杭州湾にそそがれている。越の都会稽(現在の紹興市)から呉の都姑蘇(現在の蘇州市)を往来するには杭州湾か邪魔をして必ず西湖のあたりを通らなければならない。呉王夫差の寵妃になった後、里帰りする場合、陸路で苧羅村(現在の諸曁市)へ行くには西湖を通るし、水路を使う場合でも銭塘江から浦陽江を上ったはずである。そのように考えると西施は西湖を知っていると考えるのか極めて自然である。

 

今遊方厭楚,昨夢先歸越。

君は、今まで、この楚國に遊んでいたが、あまり久しきに亙ったために、自然あきがきて、前夜の夢には、その故国なる越にかえり、さめて.後に、俄に思い定めて、今次、帰国の旅を爲すものと見えた。

 

且盡秉燭歡,無辭凌晨發。

しかし、今夜だけは、せめて燭を秉って、十分に歓を尽くし、あしたの朝は、すこし眠いかも知れないが、凌晨の頃に早く出立するが善からう。 

秉燭歡 漢の無名氏 西門行「晝短而夜長、何不秉燭游。」秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)

西門行 漢の無名氏 詩<81-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350

李白《古風五十九首 其二十三》「三萬六千日、夜夜當秉燭。」限りない欲望をもってこの難しい浮世にいたとして、果たして何の楽しみがあろうか、それよりも、この世間のことは、良い加減にしておいて、三万六千日、乃ち、生きている百年の間、夜ごと夜ごとに、燈火をかかげて酒盛りをし、楽しくすごすことが第一である。

23-#2 《古風五十九首之二十三》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳420古風,五十九首之二十三秋露白如玉, <23-#2> Ⅰ李白詩1180 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4448

257 《卷十五01南陽送客》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <257> Ⅰ李白詩1520 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6148

斗酒勿為薄,寸心貴不忘。坐惜故人去,偏令遊子傷。

離顏怨芳草,春思結垂楊。揮手再三別,臨岐空斷腸。

別れの顔は、至福の芳草の時を得たことを棄ててゆくのを怨めしと眺めるようであり、春の情思は、しだれかかる柳を折楊柳に結び、それで君の旅行を送るのである。かくて、手をあげて、再三、離別の言葉を述べ、路の別れる処に佇んで、空しく断腸するばかりである。

257 《卷十五01南陽送客》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <257> Ⅰ李白詩1520 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6148


 

年:38年開元二十六年38

卷別:    卷一七五              文體:    五言律詩

詩題:    南陽送客

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都         

 

 

南陽送客

(南陽において、客の遠行を贈ったもの。)

斗酒勿為薄,寸心貴不忘。

この一斗の酒だからと言って、我が心が薄いと思うことしてほしくない、わが寸心を汲み取り、どうぞ忘れるなどしてくれるな。

坐惜故人去,偏令遊子傷。

今や客中に客を送り、故人のここを去ることを惜しんで、偏に遊子のこの心を傷めることになるのである。

離顏怨芳草,春思結垂楊。

別れの顔は、至福の芳草の時を得たことを棄ててゆくのを怨めしと眺めるようであり、春の情思は、しだれかかる柳を折楊柳に結び、それで君の旅行を送るのである。

揮手再三別,臨岐空斷腸。

 

(南陽に客を送る)

斗酒、薄しと爲す勿れ、寸心、忘れざるを貴ぶ。

坐に故人の去るを憎み、偏に遊子をして傷ましむ。

離顔、芳草を怨み、春思、垂楊を結ぶ。

てを揮って再三別る、岐に臨んで、空しく断腸。

 

 

『南陽送客』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

南陽送客

斗酒勿為薄,寸心貴不忘。

坐惜故人去,偏令遊子傷。

離顏怨芳草,春思結垂楊。

揮手再三別,臨岐空斷腸。

(下し文)
南陽に客を迭る

斗酒、薄しと爲す勿れ、寸心、忘れざるを貴ぶ。

坐に故人の去るを憎み、偏に遊子をして傷ましむ。

離顔、芳草を怨み、春思、垂楊を結ぶ。

てを揮って再三別る、岐に臨んで、空しく断腸。


(現代語訳)
(南陽において、客の遠行を贈ったもの。)

この一斗の酒だからと言って、我が心が薄いと思うことしてほしくない、わが寸心を汲み取り、どうぞ忘れるなどしてくれるな。

今や客中に客を送り、故人のここを去ることを惜しんで、偏に遊子のこの心を傷めることになるのである。

別れの顔は、至福の芳草の時を得たことを棄ててゆくのを怨めしと眺めるようであり、春の情思は、しだれかかる柳を折楊柳に結び、それで君の旅行を送るのである。

かくて、手をあげて、再三、離別の言葉を述べ、路の別れる処に佇んで、空しく断腸するばかりである。


(訳注)

南陽送客

(南陽において、客の遠行を贈ったもの。)

 

斗酒勿為薄,寸心貴不忘。

この一斗の酒だからと言って、我が心が薄いと思うことしてほしくない、わが寸心を汲み取り、どうぞ忘れるなどしてくれるな。

斗酒 一斗の酒。今の一升ばかりの量である。古詩に斗酒相娯楽、聊厚不爲薄とあるに本づく。古詩十九首之三「斗酒相娯楽、聊厚不為薄。」せめては一斗の酒を酌みかわしてともに楽しむことであり、そうすれば結構これで十分であるし、不足などとは考えない。

・聊厚不為薄 酒を飲んで楽しみ,多少厚くても厭わず,又,薄しともしない,転じて,しばらく,之は結構なご馳走だと思い,つまらぬものと思うまい.

古詩十九首之三 (3) 漢詩<90>Ⅱ李白に影響を与えた詩522 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1383

 

坐惜故人去,偏令遊子傷。

今や客中に客を送り、故人のここを去ることを惜しんで、偏に遊子のこの心を傷めることになるのである。

 

離顏怨芳草,春思結垂楊。

別れの顔は、至福の芳草の時を得たことを棄ててゆくのを怨めしと眺めるようであり、春の情思は、しだれかかる柳を折楊柳に結び、それで君の旅行を送るのである。

結垂楊 思いを込めて、その証しとして、結同心する。

 

揮手再三別,臨岐空斷腸。

かくて、手をあげて、再三、離別の言葉を述べ、路の別れる処に佇んで、空しく断腸するばかりである。

揮手 手を挙げて辞別することをいう。

 

 

 

 

南陽に客を迭る

斗酒、薄しと爲す勿れ、寸心、忘れざるを貴ぶ。

坐に故人の去るを憎み、偏に遊子をして傷ましむ。

離顔、芳草を怨み、春思、垂楊を結ぶ。

てを揮って再三別る、岐に臨んで、空しく断腸。

 

 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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228 《巻15-2 送張舍人之江東》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <228> Ⅰ李白詩1470 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5898

送張舍人之江東
洲の月を見るだろう、そうすれば千里を隔ててわれを思い、幸いに互いに思いやる情を寄せてもらいたい。

張翰江東去,正秋風時。

天清一雁遠,海闊孤帆遲。

白日行欲暮,滄波杳難期。

洲如見月,千里幸相思。

送張舍人之江東》李白(張舍人というものが江東に行くのでそれを送るのに、西晋の張翰の故事を以て互いの情を詠う。)愈々、その地に到着したら、きっと

 

 

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李白 巻15―13 送楊少府赴選 ―#1 楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる。大国には詮衡の職が設置されており、その職の者は天地の心に準平せしむることに勤めて、その官に適うものはどしどし登庸するのである。

 

 
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年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七五               李太白集巻十五 13  文體:   五言古詩

詩題:    送楊少府赴選

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

交遊人物/地點:楊少府      當地交遊(淮南道 安州 安陸)

 

 

送楊少府赴選

(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

大國置衡鏡,準平天地心。

大国には詮衡の職が設置されており、その職の者は天地の心に準平せしむることに勤めて、その官に適うものはどしどし登庸するのである。

群賢無邪人,朗鑒窮情深。

こうして群賢の中には奸佞の小人はいないので、その鑑別も明鏡の如く、情深を極め、決して濁乱浅薄のものではない。

吾君詠南風,袞冕彈鳴琴。

今、吾らの天子は、古の虞舜のように、孝行を教える「南風」詩を吟詠して天下自ずから治まり、画衣冠冕を召して、鳴琴をきいていられる。

時泰多美士,京國會纓簪。【時泰多英士、京國富纓簪】

この時代、安泰して、美才の士も多く、京國には公卿を會して、さすがに衣冠の府たるにそむかない。

 

山苗落澗底,幽松出高岑。

夫子有盛才,主司得球琳。

流水非鄭曲,前行遇知音。

衣工剪綺繡,一誤傷千金。

 

何惜刀尺餘,不裁寒女衾。

我非彈冠者,感別但開襟。

空谷無白駒,賢人豈悲吟。

大道安棄物,時來或招尋。

爾見山吏部,當應無陸沈。

 

(楊少府の赴選さるを送る)

大國 衡鏡を置き,天地の心を準平す。

群賢 邪人無く,朗鑒【ろうかん】 情深を窮む。

吾が君 南風を詠じ,袞冕【こんべん】鳴琴を彈ず。

時 泰にして 美士多く,京國 纓簪【えいしん】を會す。

 

山苗 澗底に落ち,幽松 高岑に出づ。

夫子 盛才有り,主司 球琳を得る。

流水 鄭曲に非ず,前行 知音に遇う。

衣工 綺繡を剪り,一誤 千金を傷む。

 

何ぞ惜まん 刀尺の餘,寒女の衾を裁せず。

我 彈冠の者に非ず,別に感じて 但だ襟を開く。

空谷に 白駒無し,賢人 豈に悲吟せんや。

大道 棄物を安じて,時來って或は招尋せる。

爾見よ 山吏部,當に應に陸沈無かるべし。

洛陽 函谷関 嵩山005 

 

『送楊少府赴選』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送楊少府赴選

大國置衡鏡,準平天地心。

群賢無邪人,朗鑒窮情深。

吾君詠南風,袞冕彈鳴琴。

時泰多美士,京國會纓簪。

(下し文)
(
楊少府の選に赴くを送る)

大國 衡鏡を置き,天地の心を準平す。

群賢 邪人無く,朗鑒【ろうかん】 情深を窮む。

吾が君 南風を詠じ,袞冕【こんべん】鳴琴を彈ず。

時 泰にして 美士多く,京國 纓簪【えいしん】を會す。

(現代語訳)
(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

大国には詮衡の職が設置されており、その職の者は天地の心に準平せしむることに勤めて、その官に適うものはどしどし登庸するのである。

こうして群賢の中には奸佞の小人はいないので、その鑑別も明鏡の如く、情深を極め、決して濁乱浅薄のものではない。

今、吾らの天子は、古の虞舜のように、孝行を教える「南風」詩を吟詠して天下自ずから治まり、画衣冠冕を召して、鳴琴をきいていられる。

この時代、安泰して、美才の士も多く、京國には公卿を會して、さすがに衣冠の府たるにそむかない。


(訳注)

送楊少府赴選

(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

楊少府 縣尉であった楊某。地方職官名。與縣丞同為古時縣令(或縣)的首要佐官吏

赴選 縣尉の職によく任えて、政績彰、顕著であることで、これを選んで、都に上らせ、他の職に栄遷させることをいう。・撰/選:人を選んで役職に就ける。

李白の足跡0000 

大國置衡鏡,準平天地心。

大国には詮衡の職が設置されており、その職の者は天地の心に準平せしむることに勤めて、その官に適うものはどしどし登庸するのである。

衡鏡 詮衡の職によって、その官に適うものはどしどし登庸する。北周庾信《代人乞致仕表》「出擁干旄, 入參衡鏡。」とある。鏡は「準平天地心」のことをいう。

 

群賢無邪人,朗鑒窮情深。

こうして群賢の中には奸佞の小人はいないので、その鑑別も明鏡の如く、情深を極め、決して濁乱浅薄のものではない。

朗鑒 明鏡。朗は明朗、鑒は鏡。晉の陸機《君子行》「朗鑒豈遠假, 取之在傾冠。」とあり、 晉の葛洪に《抱樸子嘉遯》「使夫承蘭風以傾柯, 擢清波以遣穢者, 若沈景之應朗鑒, 方圓之赴規矩。」

 

吾君詠南風,袞冕彈鳴琴。

今、吾らの天子は、古の虞舜のように、孝行を教える「南風」詩を吟詠して天下自ずから治まり、画衣冠冕を召して、鳴琴をきいていられる。

詠南風 《禮記,樂記》:「昔者舜作五弦之琴,以歌《南風》。」鄭玄注:「〈南風〉,長養之風。」孔穎達疏:「舜有孝行,故以此五弦之琴歌〈南風〉之詩而敎天下之孝也。」(昔者、舜五弦の琴を作し、以て《南風》を歌う。)鄭玄の注に(〈南風〉,“長養の風”。)孔穎達疏に(舜に孝行有り,故に以て此れ五弦の琴歌〈南風〉之の詩で天下の孝を敎う也。)

袞冕 袞衣(こんえ) 斧依と冕冠(べんかん)とからなる天子の礼服。天子の衣冠。袞冕十二章:古代から中国の皇帝(天子)が着用していた12種類の刺繍が記された礼服。

 

時泰多美士,京國會纓簪。

この時代、安泰して、美才の士も多く、京國には公卿を會して、さすがに衣冠の府たるにそむかない。

纓簪 公卿に同じ。

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李白詩INDEX05
李太白―(15) 《李白詩全集 卷十五(古近體詩二十一首) 》李白詩 973詩<李太白―(15)> Ⅰ李白詩1130 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4198
李白詩全集 卷十五 (古近體詩二十一首) 
ID初句
498卷十五 南陽送客 斗酒勿為薄。 
499卷十五 送張舍人之江東 張翰江東去。 
500卷十五 送王屋山人魏萬還王屋 并序 王屋山人魏萬。
501卷十五 送當涂趙少府赴長蘆 我來揚都市。 
502卷十五 送友人尋越中山水 聞道稽山去。 
503卷十五 送族弟凝之滁求婚崔氏 與爾情不淺。 
504卷十五 送友人游梅湖 送君游梅湖。 
505卷十五 送崔十二游天竺寺 還聞天竺寺。 
506卷十五 送楊山人歸天台 客有思天台。 
507卷十五 送溫處士歸黃山白鵝峰舊居 黃山四千仞。 
508卷十五 送方士趙叟之東平 長桑曉洞視。 
509卷十五 35歳送韓准裴政孔巢父還山 獵客張兔(罝)
510卷十五 送楊少府赴選 大國置衡鏡。 
511卷十五 對雪奉餞任城六父秩滿歸京 龍虎謝鞭策。 
512卷十五 魯郡堯祠送五之琅琊 堯沒三千歲。 
513卷十五 55魯郡堯祠送竇明府薄華還西京 時久病初起作 朝策犁眉(騧)
514卷十五 送韋八之西京 客自長安來。 
515卷十五 送薛九被讒去魯 宋人不辨玉。 
516卷十五 單父東樓秋夜送族弟沈之秦 時凝弟在席 爾從咸陽來。 
517卷十五 送族弟凝至晏(堌) 單父三十里 雪滿原野白。 
518巻十五 魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽 送別枯桑下。 
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