李白 送薛九被讒去魯#4
賢哉四公子,撫掌黃泉裡。借問笑何人,笑人不好士。
爾去且勿諠,桃李竟何言。沙丘無漂母,誰肯飯王孫。
ここにあげた、平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は、戦国時代にあって、共に、賓客を好み、四公子と名をはせた賢者たちで、その死後、黄泉の国において、互いに尊重したがいに慰め合っているであろう。そこで、何人を笑うのかと問うてみると、世の中の権勢のある人が兎角好まず、したがって大事業を起こせないようなものこそつまらぬもので笑うべき人というのである。君は今、高士を好まざる世の中において、ついにもちいられず、讒言を被って追い出されてしまったからと言って格別恥にはならない。素直にここを発ち去って、くどくどしく騒ぎ立てない方が宜しいし、物言わずして、自然にその下に小路を為すという桃李のように、奥ゆかしく有ってほしいのである。顧みれば、この砂丘を中心とする、魯國を訪ね回ってみても、韓信の漂母のようなものはいないのであるから、王孫の窮を憐れんで、これに飯を与えるというようなこともないから、この地は、決して、九恋の地ではない。從ってさっさとここを立ち去って他の地に往く方が良いのである。
297-#4 《卷十五18送薛九被讒去魯》#4 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#4> Ⅰ李白詩1596 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6528
年:41年開元二十九年41歳 卷別: 卷一七五 文體: 五言古詩 詩題: 送薛九被讒去魯 作地點: 目前尚無資料 及地點:瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門 交遊人物/地點:薛九 當地交遊 送薛九被讒去魯 #1 (薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの) 宋人不辨玉,魯賤東家丘。 昔、宋の人はその性格ははなはだ愚にして、玉の何たるかを知らず、燕石を珍として、大事にしていたというし、魯の国の人は、孔子の聖人たるを知らず、これを呼び捨てにし、東家の邱と言っていたくらいである。 我笑薛夫子,胡為兩地遊。 世の中には、眼にしても見えない奴が多いものだ、せっかく才があっても、容易に認められるものではない。今、薛君は、何が故に、この地より他国に出かけるのか、ちょっと聞いただけでは笑べきことではあるが、よくよく考えれば、まことに無理もないことである。 黃金消眾口,白璧竟難投。 黄金は衆口によって消鑠され、美事な玉も、暗中に投ずれば、剣を按じてみるというくらいで、うっかり、投げ出すわけにはいかず、才があったところで、やたらに見せつけると、必ず禍を受けるものである。 梧桐生蒺藜,綠竹乏佳實。 梧桐の樹は、蒺蔾が寄生し、竹も実を結ばないから、折角、鳳凰が出てきたところで、棲むべきところもなく、食らうものもなく、やむを得ず、羣鶏と一緒になっているよりほかないので、才あるものも、その処を得ざれば、羣小のものと肩を並べることになる。 #2 鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。 鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。 田家養老馬,窮士歸其門。 田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。 蛾眉笑躄者,賓客去平原。 つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、 卻斬美人首,三千還駿奔。 結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。 #3 #3(戦国の毛遂、馮諼、侯嬴、李園の四人の讒言) 毛公一挺劍,楚趙兩相存。 そうした中で、平原君の上客である“毛遂”は秦に趙の首都・邯鄲を包囲された時剣を按じて楚王の前に出て自薦して楚趙の合従を説き、遂に軍事同盟を成立させたことにより、両国はなお、存立することができた。 孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。 それから、“馮諼”は、孟嘗君にずるいウサギは巣を3つ持っているということで、逃げ道をいくつもつくり用意周到であることが重要であると説き、尽力して数十年間、災いもなく国が存立した。 信陵奪兵符,為用侯生言。 信陵君は、“侯嬴”の謀により王の臥内の兵符を盗んで、晉鄙の軍の指揮権を奪い、自ら将軍として趙を救い、ついに大成功をおさめた。このように、讒言を聞いて上手くいったこともあるのである。 春申一何愚,刎首為李園。 ただ、春申君の場合は、まことに愚の骨頂で、その行為も純粋ではないことに倚る。つまり、“李園”は考烈王に子が無いことに付け込んで、春申君の子を身ごもったに李園の妹を考烈王に献上し、腹の中の子を考烈王の子として、次代の楚王にすれば、楚を手に入れることができるとし、献上して、李園の妹は王后となり、李園は高位に登ったことで、春申君は口封じのため、李園に首をはねられてしまった。 #4 賢哉四公子,撫掌黃泉裡。 ここにあげた、平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は、戦国時代にあって、共に、賓客を好み、四公子と名をはせた賢者たちで、その死後、黄泉の国において、互いに尊重したがいに慰め合っているであろう。 借問笑何人,笑人不好士。 そこで、何人を笑うのかと問うてみると、世の中の権勢のある人が兎角好まず、したがって大事業を起こせないようなものこそつまらぬもので笑うべき人というのである。 爾去且勿諠,桃李竟何言。 君は今、高士を好まざる世の中において、ついにもちいられず、讒言を被って追い出されてしまったからと言って格別恥にはならない。素直にここを発ち去って、くどくどしく騒ぎ立てない方が宜しいし、物言わずして、自然にその下に小路を為すという桃李のように、奥ゆかしく有ってほしいのである。 沙丘無漂母,誰肯飯王孫。 顧みれば、この砂丘を中心とする、魯國を訪ね回ってみても、韓信の漂母のようなものはいないのであるから、王孫の窮を憐れんで、これに飯を与えるというようなこともないから、この地は、決して、九恋の地ではない。從ってさっさとここを立ち去って他の地に往く方が良いのである。 (薛九の讒せられて魯を去るを送る)#1 宋人 玉を辨ぜず,魯は東家の丘を賤しむ。 我は笑う 薛夫子,胡為れぞ兩地に遊ぶ。 黃金 眾口に消し,白璧 竟に投じ難し。 梧桐 蒺藜を生じ,綠竹 佳實に乏し。 #2 鳳凰 誰が家に宿し,遂に 群雞と匹す。 田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。 蛾眉 躄者を笑い,賓客 平原を去る。 卻って美人の首を斬り,三千 還た駿奔。 #3 毛公 一たび劍を挺し,楚趙 兩つながら相い存す。 孟嘗 狡兔に習い,三窟 馮諼に賴る。 信陵 兵符を奪い,為に 侯生の言を用う。 春申 一に何ぞ愚なる,刎首【ふんしゅ】李園の為なり。 賢なる哉 四公子,掌を撫す 黃泉の裡。 借問す 何人を笑うか,人の 士を好まざるを笑う。 爾 去って 且つ諠しゅう勿れ,桃李 竟に何をか言う。 沙丘に漂母無く,誰か肯えて 王孫に飯せん。 『送薛九被讒去魯』 現代語訳と訳註解説 賢哉四公子,撫掌黃泉裡。 借問笑何人,笑人不好士。 爾去且勿諠,桃李竟何言。 沙丘無漂母,誰肯飯王孫。 賢なる哉 四公子,掌を撫す 黃泉の裡。 借問す 何人を笑うか,人の 士を好まざるを笑う。 爾 去って 且つ諠しゅう勿れ,桃李 竟に何をか言う。 沙丘に漂母無く,誰か肯えて 王孫に飯せん。 ここにあげた、平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は、戦国時代にあって、共に、賓客を好み、四公子と名をはせた賢者たちで、その死後、黄泉の国において、互いに尊重したがいに慰め合っているであろう。 そこで、何人を笑うのかと問うてみると、世の中の権勢のある人が兎角好まず、したがって大事業を起こせないようなものこそつまらぬもので笑うべき人というのである。 君は今、高士を好まざる世の中において、ついにもちいられず、讒言を被って追い出されてしまったからと言って格別恥にはならない。素直にここを発ち去って、くどくどしく騒ぎ立てない方が宜しいし、物言わずして、自然にその下に小路を為すという桃李のように、奥ゆかしく有ってほしいのである。 顧みれば、この砂丘を中心とする、魯國を訪ね回ってみても、韓信の漂母のようなものはいないのであるから、王孫の窮を憐れんで、これに飯を与えるというようなこともないから、この地は、決して、九恋の地ではない。從ってさっさとここを立ち去って他の地に往く方が良いのである。 送薛九被讒去魯 (薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの) 賢哉四公子,撫掌黃泉裡。 ここにあげた、平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は、戦国時代にあって、共に、賓客を好み、四公子と名をはせた賢者たちで、その死後、黄泉の国において、互いに尊重したがいに慰め合っているであろう。 ○四公子 平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は賓客を好み、それにより成果を上げた、という点において賢者であるとされる。 ○黃泉 春秋左氏傳「不及黃泉,無相見也。」とあり史記鄭世家集解引服虔注に「天玄地黃,泉在地中,故曰黃泉。」とし、「黃泉死所葬。」とみえる。 借問笑何人,笑人不好士。 そこで、何人を笑うのかと問うてみると、世の中の権勢のある人が兎角好まず、したがって大事業を起こせないようなものこそつまらぬもので笑うべき人というのである。 爾去且勿諠,桃李竟何言。 君は今、高士を好まざる世の中において、ついにもちいられず、讒言を被って追い出されてしまったからと言って格別恥にはならない。素直にここを発ち去って、くどくどしく騒ぎ立てない方が宜しいし、物言わずして、自然にその下に小路を為すという桃李のように、奥ゆかしく有ってほしいのである。 桃李 徳のある人は、自分からは何も言わなくても、その徳を慕って人々が自然に集まってくることのたとえ。《「史記・李将軍列伝》「桃李成蹊」(「桃李不言、下自成蹊。」桃李もの言わざれど下自ら蹊を成す) 沙丘無漂母,誰肯飯王孫。 顧みれば、この砂丘を中心とする、魯國を訪ね回ってみても、韓信の漂母のようなものはいないのであるから、王孫の窮を憐れんで、これに飯を与えるというようなこともないから、この地は、決して、九恋の地ではない。從ってさっさとここを立ち去って他の地に往く方が良いのである。 ○沙邱 瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門 ○故郷の淮陰に凱旋した韓信は、飯を恵んでくれた老女、自分を侮辱した少年、居候させていた亭長を探して呼び出した。まず、老女には使い切れないほどの大金を与えた。次いで、かつての少年には「あの時、殺すのは容易かったが、それで名が挙がるわけでもない。我慢して股くぐりをしたから今の地位にまで登ることができたのだ」と言い、中尉(治安維持の役)の位につけた。亭長には「世話をするなら、最後までちゃんと面倒を見よ」と戒め、百銭を与えた。 宿五松山下荀媼家 令人慚漂母,三謝不能餐。 淮陰書懷寄王宗成 暝投淮陰宿,欣得漂母迎。斗酒烹黃雞,一餐感素誠。 猛虎行 張良未遇韓信貧,劉項存亡在兩臣。暫到下邳受兵略,來投漂母作主人。 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首之二 飢從漂母食,閑綴羽陵簡。 送薛九被讒去魯 沙丘無漂母,誰肯飯王孫。
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(本文)
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(下し文)
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(現代語訳)
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(訳注) #4沙邱城下寄杜甫 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白190