漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 卷十五

311 《巻十五21魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <311> Ⅰ李白詩1615 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6623

李白  魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽     

送別枯桑下,凋葉落半空。我行懵道遠,爾獨知天風。

誰念張仲蔚,還依蒿與蓬。何時一杯酒,更與李膺同。

(この詩は、魯城の北郭である曲腰といふ処の桑下に於いて、張某の嵩山の南に還るを送って作ったものである。)

君の嵩山の南に行くのを送って、枯桑の下に佇めば、黄ばんだ葉が、はらはらと半空より落ちて来る。われは、道の遠きをも知らず、茫然として居るが、桑は、時の風を知って、かくは落ちて来るので、ひとしお淒涼の趣を添える。隠棲をしていて誰に知られることもない高士であった張仲蔚に此すべき君は、ここを去って、蓬蒿の中に隠れ住む。また、何時、この生まれつき礼法にこだわらず、亢然としていて人と交際しなかったという李膺と共に一杯の酒を酌むであらうか。あわれ、再会期すべからず、この恨、愈よ堪へ難きを覚える。

311 《巻十五21魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <311> Ⅰ李白詩1615 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6623

 

 
  2015年9月17日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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311 《巻十五21魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <311> Ⅰ李白詩1615 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6623  
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  孟郊 張籍          
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年:742年天寶元年42 18首 

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽

作地點:              瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:              瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

交遊人物/地點:張謂          當地交遊(河南道 兗州 瑕丘)

 

 

魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽

(この詩は、魯城の北郭である曲腰といふ処の桑下に於いて、張某の嵩山の南に還るを送って作ったものである。)

送別枯桑下,凋葉落半空。

君の嵩山の南に行くのを送って、枯桑の下に佇めば、黄ばんだ葉が、はらはらと半空より落ちて来る。

我行懵道遠,爾獨知天風。

われは、道の遠きをも知らず、茫然として居るが、桑は、時の風を知って、かくは落ちて来るので、ひとしお淒涼の趣を添える。

誰念張仲蔚,還依蒿與蓬。

隠棲をしていて誰に知られることもない高士であった張仲蔚に此すべき君は、ここを去って、蓬蒿の中に隠れ住む。

何時一杯酒,更與李膺同。

また、何時、この生まれつき礼法にこだわらず、亢然としていて人と交際しなかったという李膺と共に一杯の酒を酌むであらうか。あわれ、再会期すべからず、この恨、愈よ堪へ難きを覚える。

 

(魯城 北郭 曲腰の桑下に 張子の嵩陽に還るを送る)

別を送る 枯桑の下,葉を凋る 半空に落つ。

我が行 道の遠きに懵し,爾 獨り天風を知る。

誰か念わん 張仲蔚,還た依る 蒿と蓬と。

何れの時か 一杯の酒,更に 李膺と同じゅうせん。

 

 

『魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽

送別枯桑下,凋葉落半空。

我行懵道遠,爾獨知天風。

誰念張仲蔚,還依蒿與蓬。

何時一杯酒,更與李膺同。


(下し文)
(
魯城 北郭 曲腰の桑下に 張子の嵩陽に還るを送る)

別を送る 枯桑の下,葉を凋る 半空に落つ。

我が行 道の遠きに懵し,爾 獨り天風を知る。

誰か念わん 張仲蔚,還た依る 蒿と蓬と。

何れの時か 一杯の酒,更に 李膺と同じゅうせん。


(現代語訳)
(この詩は、魯城の北郭である曲腰といふ処の桑下に於いて、張某の嵩山の南に還るを送って作ったものである。)

君の嵩山の南に行くのを送って、枯桑の下に佇めば、黄ばんだ葉が、はらはらと半空より落ちて来る。

われは、道の遠きをも知らず、茫然として居るが、桑は、時の風を知って、かくは落ちて来るので、ひとしお淒涼の趣を添える。

隠棲をしていて誰に知られることもない高士であった張仲蔚に此すべき君は、ここを去って、蓬蒿の中に隠れ住む。

また、何時、この生まれつき礼法にこだわらず、亢然としていて人と交際しなかったという李膺と共に一杯の酒を酌むであらうか。あわれ、再会期すべからず、この恨、愈よ堪へ難きを覚える。


(訳注)

魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽

(この詩は、魯城の北郭である曲腰といふ処の桑下に於て、張某の嵩山の南に還るを送って作ったものである。)

 

送別枯桑下,凋葉落半空。

君の嵩山の南に行くのを送って、枯桑の下に佇めば、黄ばんだ葉が、はらはらと半空より落ちて来る。

○枯桑 古楽府に《飲馬長城窟行》「枯桑知天風、海水知天寒。」とある。

 

我行懵道遠,爾獨知天風。

われは、道の遠きをも知らず、茫然として居るが、桑は、時の風を知って、かくは落ちて来るので、ひとしお淒涼の趣を添える。

○懵 暗いこと。

 

誰念張仲蔚,還依蒿與蓬。

隠棲をしていて誰に知られることもない高士であった張仲蔚に此すべき君は、ここを去って、蓬蒿の中に隠れ住む。

張仲蔚 張仲蔚という人物は高士であったが、隠棲をしていて誰に知られることもなく世を送っていた。その力を見出したのが、後漢の劉孟公であった。陶潛は“《飮酒 其十六》「孟公不在茲,終以翳吾情。」(孟公 茲には在らず,終に以て吾が情を翳らす。)孟公のような、世に隠れている有能な隠士である張仲蔚のような者を見出せる人物は、今の時代には、いない。そのようなことが結局、わたしの心を暗くさせている。”と李白と同じ使い方をしている。

晉皇甫謐《高士傳 張仲蔚》「「張仲蔚者,平陵人也,與同郡魏景卿俱修道德,隱身不仕。明天官博物,善屬文,好賦詩,常居窮素,所處蓬蒿沒人,閉門養性,不治榮名,時人莫識,惟劉、龔知之。」(張仲蔚は,平陵の人なり,與同郡の魏景卿と俱に道德を修め,身を隱して仕えず。天官博物に明かに,善く文を屬し,賦詩を好み,常に窮素に居り,處る所 蓬蒿 人を沒し,門を閉じ 性を養い,榮名を治めず,時人 識る莫れ,惟だ劉、龔 之を知る。)

 

何時一杯酒,更與李膺同。

また、何時、この生まれつき礼法にこだわらず、亢然としていて人と交際しなかったという李膺と共に一杯の酒を酌むであらうか。あわれ、再会期すべからず、この恨、愈よ堪へ難きを覚える。

李膺 後漢時代の官僚。字は元礼。潁川郡襄城県の人。祖父の李脩は、安帝の治世、太尉。父の李益は趙国の相であった。子は李瓚。生まれつき礼法にこだわらず、亢然としていて人と交際しなかったという。ただ同郡の荀淑、陳寔らを師友とした。

297-#2 《卷十五18送薛九被讒去魯》#2 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#2> Ⅰ李白詩1594 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6518

李白  送薛九被讒去魯#2   

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。田家養老馬,窮士歸其門。

蛾眉笑躄者,賓客去平原。卻斬美人首,三千還駿奔。
鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。

297-#2 《卷十五18送薛九被讒去魯》#2 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#2> Ⅰ李白詩1594 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6518

 

 
 2015年8月27日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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297-#2 《卷十五18送薛九被讒去魯》#2 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#2> Ⅰ李白詩1594 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6518 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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86-#5-§2-3 送區册序 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1507> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6519 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog8毛文錫《巻五35臨江仙一首》『花間集』250全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6522 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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年:41年開元二十九年41

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送薛九被讒去魯

作地點:              目前尚無資料

及地點:瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

交遊人物/地點:薛九          當地交遊

 

 

送薛九被讒去魯 #1

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

宋人不辨玉,魯賤東家丘。

昔、宋の人はその性格ははなはだ愚にして、玉の何たるかを知らず、燕石を珍として、大事にしていたというし、魯の国の人は、孔子の聖人たるを知らず、これを呼び捨てにし、東家の邱と言っていたくらいである。

我笑薛夫子,胡為兩地遊。

世の中には、眼にしても見えない奴が多いものだ、せっかく才があっても、容易に認められるものではない。今、薛君は、何が故に、この地より他国に出かけるのか、ちょっと聞いただけでは笑べきことではあるが、よくよく考えれば、まことに無理もないことである。

黃金消眾口,白璧竟難投。

黄金は衆口によって消鑠され、美事な玉も、暗中に投ずれば、剣を按じてみるというくらいで、うっかり、投げ出すわけにはいかず、才があったところで、やたらに見せつけると、必ず禍を受けるものである。

梧桐生蒺藜,綠竹乏佳實。

梧桐の樹は、蒺蔾が寄生し、竹も実を結ばないから、折角、鳳凰が出てきたところで、棲むべきところもなく、食らうものもなく、やむを得ず、羣鶏と一緒になっているよりほかないので、才あるものも、その処を得ざれば、羣小のものと肩を並べることになる。

#2

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。

鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。

田家養老馬,窮士歸其門。

田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。

蛾眉笑躄者,賓客去平原。

つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、

卻斬美人首,三千還駿奔。

結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。

#3

毛公一挺劍,楚趙兩相存。

孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

信陵奪兵符,為用侯生言。

春申一何愚,刎首為李園。

#4

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。

借問笑何人,笑人不好士。

爾去且勿諠,桃李竟何言。

沙丘無漂母,誰肯飯王孫。

 

(薛九の讒せられて魯を去るを送る)#1

宋人 玉を辨ぜず,魯は東家の丘を賤しむ。

我は笑う 薛夫子,胡為れぞ兩地に遊ぶ。

黃金 眾口に消し,白璧 竟に投じ難し。

梧桐 蒺藜を生じ,綠竹 佳實に乏し。

#2

鳳凰 誰が家に宿し,遂に 群雞と匹す。

田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。

蛾眉 躄者を笑い,賓客 平原を去る。

卻って美人の首を斬り,三千 還た駿奔。

#3

毛公 一たび劍を挺し,楚趙 兩つながら相い存す。

孟嘗 狡兔に習い,三窟 馮諼に賴る。

信陵 兵符を奪い,為に 侯生の言を用う。

春申 一に何ぞ愚なる,刎首【ふんしゅ】李園の為なり。

#4

賢なる哉 四公子,掌を撫す 黃泉の裡。

借問す 何人を笑うか,人の 士を好まざるを笑う。

爾 去って 且つ諠しゅう勿れ,桃李 竟に何をか言う。

沙丘に漂母無く,誰か肯えて 王孫に飯せん。

 

 

『送薛九被讒去魯』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。

田家養老馬,窮士歸其門。

蛾眉笑躄者,賓客去平原。

卻斬美人首,三千還駿奔。

(下し文)
#2

鳳凰 誰が家に宿し,遂に 群雞と匹す。

田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。

蛾眉 躄者を笑い,賓客 平原を去る。

卻って美人の首を斬り,三千 還た駿奔。

(現代語訳)
鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。

田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。

つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、

結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。


(訳注) #2

送薛九被讒去魯

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

 

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。

鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。

 

田家養老馬,窮士歸其門。

田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。

○田家養老馬 田子方の老馬を贖うという故事に基づく。《淮南子人間訓》 田子方見老馬於道, 喟然有志焉, 以問其御曰: '此何馬也?'其御曰: '此故公家畜也。 老罷而不為用, 出而鬻之。”田子方曰:“少而貪其力,老而棄其身,仁者弗為也。”束帛以贖之。疲武聞之,知所以歸心矣。

 

蛾眉笑躄者,賓客去平原。

つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、

○蛾眉笑躄者 《史記》卷七十六〈平原君虞卿列傳平原君〉

平原君趙勝者趙之諸公子也

平原君趙勝という者は、趙の諸(もろもろ)の公子である。

諸子中勝最賢喜賓客賓客蓋至者數千人

諸(もろもろ)の子の中で趙勝が最も賢(かしこ)く、賓客(ひんきゃく)を喜び、賓客(ひんきゃく)のおおむね至った者は数千人。

平原君相趙惠文王及孝成王

平原君趙勝は趙恵文王及び趙孝成王を補佐し、

三去相三復位封於東武城

三たび宰相をやめて、三たび宰相に復位(ふくい)し、東武城に封ぜられた。

平原君家樓臨民家

平原君趙勝の家の高楼(こうろう)は民家に臨(のぞ)んでいた。

民家有躄者槃散行汲

民家にはいざりの者がおり、よろめきながら水を汲(く)みに行った。

平原君美人居樓上臨見大笑之

平原君の美人が高楼の上に居(お)り臨(のぞ)み見て、これを大いに笑った。

明日躄者至平原君門請曰

明くる日、いざりの者が平原君趙勝の門に至り、請(こ)うた、曰く、

臣聞君之喜士士不遠千里而至者

「わたしは君(平原君趙勝)の士を喜ぶことを聞きました。士の千里(せんり)を遠(とお)くとせずして至るのは、

以君能貴士而賤妾也

君を以って士を貴(たっと)び、妾(そばめ)を賤(いや)しむことができるからです。

臣不幸有罷癃之病而君之后宮臨而笑臣

わたしは不幸にも不治の病が有り、しこうして、君(平原君趙勝)の後宮が臨(のぞ)み見て、わたしを笑いました。

臣願得笑臣者頭平原君笑應曰諾

わたしは願わくはわたしを笑った者の頭(あたま)を得たい」と。平原君趙勝は笑って応(こた)えて曰く、「承知した」と。

躄者去平原君笑曰

いざりの者が去(さ)り、平原君趙勝は笑って曰く、

觀此豎子乃欲以一笑之故殺吾美人不亦甚乎

このような小僧(こぞう)をかんがみよ。すなわち一度笑った故(ゆえ)を以って吾(わ)が美人を殺そうと欲するは、なんと甚(はなは)だしいことではないか」と。

終不殺居餘賓客門下舍人稍稍引去者過半

とうとう殺さなかった。一年余りがたって、賓客、門下の舎人が稍稍(しょうしょう)と次第に引き去(さ)る者が半数を越えた。

平原君怪之曰勝所以待諸君者未嘗敢失禮

平原君趙勝はこれを不思議に思い、曰く、「わたしの諸君(しょくん)をもてなす方法は未(いま)だ嘗(かつ)て敢(あ)えて礼(れい)を失(うしな)ったことはない。

而去者何多也門下一人前對曰

しかし去(さ)った者がどうして多いのだろうか」と。門下(もんか)の一人が前に出て応(こた)えて曰く、

以君之不殺笑躄者以君為愛色而賤士士即去耳

「君(平原君趙勝)のいざりを笑った者を殺さなかったことを以って、君(平原君趙勝)を以って色(いろ)を愛(め)でて士を賤(いや)しむと為し、士はすなわち去(さ)っただけであります」と。

於是平原君乃斬笑躄者美人頭

ここに於いて平原君趙勝はすなわちいざりの者を笑った美人の頭を斬った。

自造門進躄者因謝焉其后門下乃復稍稍來

自(みずか)ら門にいたりいざりの者に進(すす)め、因(よ)りて謝(しゃ)した。その後、門下はすなわちふたたび稍稍(しょうしょう)と次第に来るようになった。

是時齊有孟嘗魏有信陵

この時、斉には孟嘗君田文がおり、魏には信陵君魏無忌がおり、

楚有春申故爭相傾以待士 

楚には春申君黄歇がおり、故(ゆえ)に互いに耳をそばだてて士をもてなすことを争(あらそ)った。

 

卻斬美人首,三千還駿奔。

結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。

○駿奔 駿は大急ぎという意。奔は駆け込むさまをいう。大急ぎでその門に駆け込んできた。

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李白 巻15-13 送楊少府赴選  ―♯3  我々はもとより、功名富貴に意があるわけではなく、知人が栄遷したからといって、冠を弾じて相い慶するというようなことはないが、ここに感動して別れするにあたって、胸襟を開いて心に思うことを十分の述べるのである。そして、この野に遺賢なく、したがって白駒で空谷に乗り込むような人を見る事は無く、賢人も悲吟する必要もない。

 

 
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209-#3 《巻15-13 送楊少府赴選  -#3Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <209-#3> Ⅰ李白詩1445 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5773

 

 

年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七五               李太白集巻十五 13  文體:   五言古詩

詩題:    送楊少府赴選

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

交遊人物/地點:楊少府      當地交遊(淮南道 安州 安陸)

 

 

送楊少府赴選

(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

大國置衡鏡,準平天地心。

大国には詮衡の職が設置されており、その職の者は天地の心に準平せしむることに勤めて、その官に適うものはどしどし登庸するのである。

群賢無邪人,朗鑒窮情深。

こうして群賢の中には奸佞の小人はいないので、その鑑別も明鏡の如く、情深を極め、決して濁乱浅薄のものではない。

吾君詠南風,袞冕彈鳴琴。

今、吾らの天子は、古の虞舜のように、孝行を教える「南風」詩を吟詠して天下自ずから治まり、画衣冠冕を召して、鳴琴をきいていられる。

時泰多美士,京國會纓簪。【時泰多英士、京國富纓簪】

この時代、安泰して、美才の士も多く、京國には公卿を會して、さすがに衣冠の府たるにそむかない。

 

山苗落澗底,幽松出高岑。

もとより、山苗は落ちて澗底にあるのであって、幽松は高岑の上に植えられ伸び出るべきもので、才器に随って高下し、その場に適応する能力を持っている。

夫子有盛才,主司得球琳。

楊君は、それほどに盛才あるがゆえに、上司の者はこれを選挙し、見事な崑崙の美玉のように扱ってくれるはずである。

流水非鄭曲,前行遇知音。

かの伯牙の琴を鼓いた「流水の曲」は鄭衛の曲」が動けば心は淫するではいけないもので、鍾子期にあらざれば、これを賞する人も少なくないが、君は幸いにも知音と呼べる人がと出遭って、今次、選に赴くので、まことにめでたいことである。

衣工剪綺繡,一誤傷千金。

かの着物の仕立屋が、錦繍綺羅を裁断するときに一度誤って裁断すると、千金を台無しにするというものだ。

 

何惜刀尺餘,不裁寒女衾。

刀尺の餘りの裁断ミスの残り屑では、いくら物が良くても寒女の衾に裁縫する事さえできない。こうして、人才を選赴するのに推薦されるというのも容易なことではなく、選赴で上京する以上、頑張ってもらいたいものである。

我非彈冠者,感別但開襟。

我々はもとより、功名富貴に意があるわけではなく、知人が栄遷したからといって、冠を弾じて相い慶するというようなことはないが、ここに感動して別れするにあたって、胸襟を開いて心に思うことを十分の述べるのである

空谷無白駒,賢人豈悲吟。

そして、この野に遺賢なく、したがって白駒で空谷に乗り込むような人を見る事は無く、賢人も悲吟する必要もない。

大道安棄物,時來或招尋。

世間に棄てられた不遇の者も、大道に安んじて、やがて、時が来れば招尋されるということである。

爾見山吏部,當應無陸沈。

君を選赴した主司は、昔の山濤の様な人で、こういう人がおれば、水なくして沈むように、無理に隠遁する者もいないはずであり、今後にも期待が持てるということである。

 

(楊少府の赴選さるを送る)

大國 衡鏡を置き,天地の心を準平す。

群賢 邪人無く,朗鑒【ろうかん】 情深を窮む。

吾が君 南風を詠じ,袞冕【こんべん】鳴琴を彈ず。

時 泰にして 美士多く,京國 纓簪【えいしん】を會す。

 

山苗 澗底に落ち,幽松 高岑に出づ。

夫子 盛才有り,主司 球琳を得る。

流水 鄭曲に非ず,前行 知音に遇う。

衣工 綺繡を剪り,一誤 千金を傷む。

 

何ぞ惜まん 刀尺の餘,寒女の衾を裁せず。

我 彈冠の者に非ず,別に感じて 但だ襟を開く。

空谷に 白駒無し,賢人 豈に悲吟せんや。

大道 棄物を安じて,時來って或は招尋せる。

爾見よ 山吏部,當に應に陸沈無かるべし。

Ta唐 長安近郊圖  新02洛陽 函谷関 嵩山005 

 

『送楊少府赴選』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

何惜刀尺餘,不裁寒女衾。

我非彈冠者,感別但開襟。

空谷無白駒,賢人豈悲吟。

大道安棄物,時來或招尋。

爾見山吏部,當應無陸沈。


(下し文)
何ぞ惜まん 刀尺の餘,寒女の衾を裁せず。

我 彈冠の者に非ず,別に感じて 但だ襟を開く。

空谷に 白駒無し,賢人 豈に悲吟せんや。

大道 棄物を安じて,時來って或は招尋せる。

爾見よ 山吏部,當に應に陸沈無かるべし。

(現代語訳)
刀尺の餘りの裁断ミスの残り屑では、いくら物が良くても寒女の衾に裁縫する事さえできない。こうして、人才を選赴するのに推薦されるというのも容易なことではなく、選赴で上京する以上、頑張ってもらいたいものである。

我々はもとより、功名富貴に意があるわけではなく、知人が栄遷したからといって、冠を弾じて相い慶するというようなことはないが、ここに感動して別れするにあたって、胸襟を開いて心に思うことを十分の述べるのである

そして、この野に遺賢なく、したがって白駒で空谷に乗り込むような人を見る事は無く、賢人も悲吟する必要もない。

世間に棄てられた不遇の者も、大道に安んじて、やがて、時が来れば招尋されるということである。



(訳注)

送楊少府赴選

(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

楊少府 縣尉であった楊某。地方職官名。與縣丞同為古時縣令(或縣)的首要佐官吏

赴選 縣尉の職によく任えて、政績彰、顕著であることで、これを選んで、都に上らせ、他の職に栄遷させることをいう。・撰/選:人を選んで役職に就ける。

 

何惜刀尺餘,不裁寒女衾。

刀尺の餘りの裁断ミスの残り屑では、いくら物が良くても寒女の衾に裁縫する事さえできない。こうして、人才を選赴するのに推薦されるというのも容易なことではなく、選赴で上京する以上、頑張ってもらいたいものである。

 

我非彈冠者,感別但開襟。

我々はもとより、功名富貴に意があるわけではなく、知人が栄遷したからといって、冠を弾じて相い慶するというようなことはないが、ここに感動して別れするにあたって、胸襟を開いて心に思うことを十分の述べるのである

彈冠 「貢禹彈冠」のことで冠を弾じて相い慶すること、《漢書·王吉傳》:“吉與貢禹為友,世稱'王陽在位,貢公彈冠'。言其取捨同也。”にもとづくもの。

 

空谷無白駒,賢人豈悲吟。

そして、この野に遺賢なく、したがって白駒で空谷に乗り込むような人を見る事は無く、賢人も悲吟する必要もない。

白駒 “賢を用うる能わず、賢人 白駒に乗じて去者有り。”に基づく。《毛萇、詩傳》「白駒、大夫、刺宣王也。宣王之末、不能用賢、賢人有乗白駒而去者。」其末章云「皎皎白駒在彼空谷生芻楚俱切一束其人如玉毋音無金玉爾音而有遐心。」

 

大道安棄物,時來或招尋。

世間に棄てられた不遇の者も、大道に安んじて、やがて、時が来れば招尋されるということである。

 

爾見山吏部,當應無陸沈。

君を選赴した主司は、昔の山濤の様な人で、こういう人がおれば、水なくして沈むように、無理に隠遁する者もいないはずであり、今後にも期待が持てるということである。

山吏部 山濤 吏部尚書のこと。晉書 「其以濤爲吏部尚書。”濤辭以喪病,章表懇切。會元皇后崩,遂扶興還洛。逼迫詔命,自力就職。前後選擧,周遍内外,而並得其才。濤所奏甄拔人物,各爲題目,時稱《山公事》。」とある。

陸沈 “大隠は市に隠る”の意である成語。 俗人と共に暮らし、表面は俗人と同様の生活を営みながら隠者として暮らすあり方を形容した言葉である。けだし妙であるという言葉であり、荘子・雑篇の則陽に、『陸沈者』として出てくる。
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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209-#2 《巻15-13 送楊少府赴選  -#2Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <209-#2> Ⅰ李白詩1444 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5768

 

 

年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七五               李太白集巻十五 13  文體:   五言古詩

詩題:    送楊少府赴選

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

交遊人物/地點:楊少府      當地交遊(淮南道 安州 安陸)

 

 

送楊少府赴選

(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

大國置衡鏡,準平天地心。

大国には詮衡の職が設置されており、その職の者は天地の心に準平せしむることに勤めて、その官に適うものはどしどし登庸するのである。

群賢無邪人,朗鑒窮情深。

こうして群賢の中には奸佞の小人はいないので、その鑑別も明鏡の如く、情深を極め、決して濁乱浅薄のものではない。

吾君詠南風,袞冕彈鳴琴。

今、吾らの天子は、古の虞舜のように、孝行を教える「南風」詩を吟詠して天下自ずから治まり、画衣冠冕を召して、鳴琴をきいていられる。

時泰多美士,京國會纓簪。【時泰多英士、京國富纓簪】

この時代、安泰して、美才の士も多く、京國には公卿を會して、さすがに衣冠の府たるにそむかない。

 

山苗落澗底,幽松出高岑。

もとより、山苗は落ちて澗底にあるのであって、幽松は高岑の上に植えられ伸び出るべきもので、才器に随って高下し、その場に適応する能力を持っている。

夫子有盛才,主司得球琳。

楊君は、それほどに盛才あるがゆえに、上司の者はこれを選挙し、見事な崑崙の美玉のように扱ってくれるはずである。

流水非鄭曲,前行遇知音。

かの伯牙の琴を鼓いた「流水の曲」は鄭衛の曲」が動けば心は淫するではいけないもので、鍾子期にあらざれば、これを賞する人も少なくないが、君は幸いにも知音と呼べる人がと出遭って、今次、選に赴くので、まことにめでたいことである。

衣工剪綺繡,一誤傷千金。

かの着物の仕立屋が、錦繍綺羅を裁断するときに一度誤って裁断すると、千金を台無しにするというものだ。

 

何惜刀尺餘,不裁寒女衾。

我非彈冠者,感別但開襟。

空谷無白駒,賢人豈悲吟。

大道安棄物,時來或招尋。

爾見山吏部,當應無陸沈。

 

(楊少府の赴選さるを送る)

大國 衡鏡を置き,天地の心を準平す。

群賢 邪人無く,朗鑒【ろうかん】 情深を窮む。

吾が君 南風を詠じ,袞冕【こんべん】鳴琴を彈ず。

時 泰にして 美士多く,京國 纓簪【えいしん】を會す。

 

山苗 澗底に落ち,幽松 高岑に出づ。

夫子 盛才有り,主司 球琳を得る。

流水 鄭曲に非ず,前行 知音に遇う。

衣工 綺繡を剪り,一誤 千金を傷む。

 

何ぞ惜まん 刀尺の餘,寒女の衾を裁せず。

我 彈冠の者に非ず,別に感じて 但だ襟を開く。

空谷に 白駒無し,賢人 豈に悲吟せんや。

大道 棄物を安じて,時來って或は招尋せる。

爾見よ 山吏部,當に應に陸沈無かるべし。

 

 

『送楊少府赴選』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《巻15-13 送楊少府赴選  -#2
山苗落澗底,幽松出高岑。

夫子有盛才,主司得球琳。

流水非鄭曲,前行遇知音。

衣工剪綺繡,一誤傷千金。


(下し文)
山苗 澗底に落ち,幽松 高岑に出づ。

夫子 盛才有り,主司 球琳を得る。

流水 鄭曲に非ず,前行 知音に遇う。

衣工 綺繡を剪り,一誤 千金を傷む。

(現代語訳)
もとより、山苗は落ちて澗底にあるのであって、幽松は高岑の上に植えられ伸び出るべきもので、才器に随って高下し、その場に適応する能力を持っている。

楊君は、それほどに盛才あるがゆえに、上司の者はこれを選挙し、見事な崑崙の美玉のように扱ってくれるはずである。

かの伯牙の琴を鼓いた「流水の曲」は鄭衛の曲」が動けば心は淫するではいけないもので、鍾子期にあらざれば、これを賞する人も少なくないが、君は幸いにも知音と呼べる人がと出遭って、今次、選に赴くので、まことにめでたいことである。

かの着物の仕立屋が、錦繍綺羅を裁断するときに一度誤って裁断すると、千金を台無しにするというものだ。


(訳注) 《巻15-13 送楊少府赴選  -#2

送楊少府赴選

(楊少府が縣尉の職によく任えて栄遷のため都に上京するのをおくる)

楊少府 縣尉であった楊某。地方職官名。與縣丞同為古時縣令(或縣)的首要佐官吏

赴選 縣尉の職によく任えて、政績彰、顕著であることで、これを選んで、都に上らせ、他の職に栄遷させることをいう。・撰/選:人を選んで役職に就ける。

 

山苗落澗底,幽松出高岑。

もとより、山苗は落ちて澗底にあるのであって、幽松は高岑の上に植えられ伸び出るべきもので、才器に随って高下し、その場に適応する能力を持っている。

山苗落澗底 左思〈詠史〉詩「鬱鬱澗底松,離離山上苗。」(鬱鬱たり 澗底の松、離離たり 山上の苗。)谷底に松が鬱蒼と繁っている。山上では苗木がのびのびと枝を伸ばしている。

 

夫子有盛才,主司得球琳。

楊君は、それほどに盛才あるがゆえに、上司の者はこれを選挙し、見事な崑崙の美玉のように扱ってくれるはずである。

球琳 球琳琅玕の美玉。 《淮南子·形訓》:「西北方之美者,有昆崙之球琳琅玕焉。」 高誘注:「球琳琅玕,皆美玉也。とある。

 

流水非鄭曲,前行遇知音。

かの伯牙の琴を鼓いた「流水の曲」は鄭衛の曲」が動けば心は淫するではいけないもので、鍾子期にあらざれば、これを賞する人も少なくないが、君は幸いにも知音と呼べる人がと出遭って、今次、選に赴くので、まことにめでたいことである。

流水 呂氏春秋「伯牙鼓琴。鍾子期聽之。方鼓琴而志在太山。鍾子期曰。善哉乎鼓琴。巍巍乎若太山。少選之間。而志在流水。鍾子期又曰。善哉乎鼓琴。湯湯乎若流水。」

鄭曲 史記「鄭衛之曲動而心淫。」(鄭衛の曲が動けば心は淫するもの。)とみえる。

知音 知音は、『列子(湯問)』などの故事に由来する。 中国春秋時代、伯牙(はくが)という琴の名手がいた。 友人の鐘子期(しょうしき)が死に、伯牙は自分の琴の音をよく理解してくれる者がいなくなったと嘆き、琴の弦を切って二度と弾かなかった。 そこから、自分を知ってくれる人や親友を「知音」というようになった。

 

衣工剪綺繡,一誤傷千金。

かの着物の仕立屋が、錦繍綺羅を裁断するときに一度誤って裁断すると、千金を台無しにするというものだ。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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87 《送崔十二遊天竺寺》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌と遊ぶ。87> Ⅰ李白詩1255 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4823

 

 

Index-

5

- 5-725年開元十三年25

20

725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

19

20

宿巫山下

昨夜巫山下,

巻二十一

20

1

古風,五十九首之三十三

北溟有巨魚,

巻一

21

2

荊州歌【荊州樂】

白帝城邊足風波,

巻三

22

3

81白紵辭其一

揚清歌,

巻三

23

4

82白紵辭其二

月寒江清夜沈沈,

巻三

24

5

白紵辭,三首之三

刀剪綵縫舞衣,

巻三

25

6

江夏行

憶昔嬌小姿,

巻七

26

7

江上寄巴東故人

漢水波浪遠,

巻十三

27

8

渡荊門送別 李白 5

渡遠荊門外,

巻十四

28

9

送崔十二遊天竺寺

還聞天竺寺,

卷十五

29

10

登瓦官閣

晨登瓦官閣,

巻二十

30

11

望廬山瀑布水二首其一

西登香爐峰,

巻二十

31

12

望廬山瀑布二首其二(絶句) 

日照香爐生紫煙,

巻二十

32

13

望廬山五老峯 

廬山東南五老峰,

巻二十

33

14

金陵望漢江

漢江迴萬里,

巻二十

34

15

望天門山  李白 6

天門中斷楚江開,

巻二十

35

16

荊門浮舟望蜀江

春水月峽來,

巻二十一

36

17

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁

江行幾千里,

巻二十一

37

18

秋下荊門 李白 4

霜落荊門江樹空,

巻二十一

38

19

江行寄遠 李白 3

刳木出楚,

巻二十一

 

 

年:725年開元十三年25

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送崔十二遊天竺寺

作地點:              江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧)

寫及地點:天竺寺 (江南東道 杭州 杭州)       

遊人物:              崔十二    當地交遊(江南東道 潤州 江寧)

 

 

送崔十二遊天竺寺

還聞天竺寺,夢想懷東越。

每年海樹霜,桂子落秋月。

送君遊此地,已屬流芳歇。

待我來行,相隨浮溟渤。

(この詩は、崔十二が杭州の天竺寺に遊ぶを送ってつくったもの。)

またしても、天竺寺という名を聞けば、夢うつつにも東越の地を思い浮かべるが、その地は、幽邃を極めて、まことに仏寺たるにふさわしい。

その寺においては、毎年、海辺の木に霜の降るころ、桂の実が秋の明月の中から降るということなのである。

ただ、君がこの地で遊ぶというのは、どちらかというと時節が悪く、流芳もすでに凋んでしま秋も終わりころであって、格別風流な景色もないのである。

しかし私としても、来年には、その地に行こうと、それも、君とともに、大海に乗り出す予定であるから、君も、そのつもりで、暫くここで逗留して待っていてもらいたいものである。

 

(崔十二の天竺寺に遊ぶを送る)

還た聞く天竺寺,夢想 東越を懷う。

每年 海樹の霜,桂子 秋月に落つ。

君 此の地に遊ぶを送る,已に流芳の歇むに屬す。

待て 我が來行き,相い隨って 溟渤に浮ぶ。

 

李白図102 

『送崔十二遊天竺寺』 現代語訳と訳註

(本文)

送崔十二遊天竺寺

還聞天竺寺,夢想懷東越。

每年海樹霜,桂子落秋月。

送君遊此地,已屬流芳歇。

待我來行,相隨浮溟渤。

 

(下し文)

(崔十二の天竺寺に遊ぶを送る)

還た聞く天竺寺,夢想 東越を懷う。

每年 海樹の霜,桂子 秋月に落つ。

君 此の地に遊ぶを送る,已に流芳の歇むに屬す。

待て 我が來行き,相い隨って 溟渤に浮ぶ。

 

(現代語訳)

(この詩は、崔十二が杭州の天竺寺に遊ぶを送ってつくったもの。)

またしても、天竺寺という名を聞けば、夢うつつにも東越の地を思い浮かべるが、その地は、幽邃を極めて、まことに仏寺たるにふさわしい。

その寺においては、毎年、海辺の木に霜の降るころ、桂の実が秋の明月の中から降るということなのである。

ただ、君がこの地で遊ぶというのは、どちらかというと時節が悪く、流芳もすでに凋んでしま秋も終わりころであって、格別風流な景色もないのである。

ただ、君がこの地で遊ぶというのは、どちらかというと時節が悪く、流芳もすでに凋んでしま秋も終わりころであって、格別風流な景色もないのである。

呉越の地図 

(訳注)

送崔十二遊天竺寺

(この詩は、崔十二が杭州の天竺寺に遊ぶを送ってつくったもの。)

天竺寺 杭州市の天竺山には著名三寺が有る, “天竺三寺”(通称上天竺寺、中天竺寺、下天竺寺)としょうしている。天竺寺(下天竺寺)寺は東晋・咸和5年(330)の建立にさかのぼるが、天竺寺の名は隋の開皇15年(595)、僧真観が道安禅師とともに拡張して、霊隠寺から独立して以降のものである。かくして霊隠寺と天竺寺は、山門を同じくし、霊隠天竺門と呼ばれた。

 

還聞天竺寺,夢想懷東越。

またしても、天竺寺という名を聞けば、夢うつつにも東越の地を思い浮かべるが、その地は、幽邃を極めて、まことに仏寺たるにふさわしい。

東越 杭州は春秋の時は、越に属し、東部にあるので東越といったもの。

 

每年海樹霜,桂子落秋月。

その寺においては、毎年、海辺の木に霜の降るころ、桂の実が秋の明月の中から降るということなのである。

桂子落秋月 桂の実が秋の明月の中から降る

唐の宋之問の『霊隠寺』「桂子月中落,天香雲外飄」(桂子月中より落ち 天香雲外に飄る)..

霊隠寺は杭州にある寺院で、初めの解説参考.

 

送君遊此地,已屬流芳歇。

ただ、君がこの地で遊ぶというのは、どちらかというと時節が悪く、流芳もすでに凋んでしま秋も終わりころであって、格別風流な景色もないのである。

 

待我來行,相隨浮溟渤。

しかし私としても、来年には、その地に行こうと、それも、君とともに、大海に乗り出す予定であるから、君も、そのつもりで、暫くここで逗留して待っていてもらいたいものである。

溟渤 溟海と渤海というべき大海。

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