漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 卷十六

744年歳-1李太白集230卷六25白云歌送劉十六歸山 415Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-1【56首】Ⅰ李白詩1781 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7445

李白  白云歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。 長隨君。 君入楚山里。

云亦隨君渡湘水。湘水上。 女蘿衣。   白云堪臥君早歸。
(仙郷に漂う白雲、白雲を題にして、劉十六というものの故郷に帰るを送った詩である。)

君が故国とする楚山も、長安を見守ってきた秦山も、そこには皆白雲を帯びている。 白雲は、所所に於いて、君に随って居るので、君が長安の秦山に居ても、白雲が随って居か、故郷の楚山に居ても、矢張り白雲が随って居る。かくの如く、どこでも白雲が君に随って居る上は、同じ境涯あるから、何も都を棄てて、故郷へ帰る必要は無いように思われるが、故郷の白雲は、又格別なのであろう、だから、君は此度、故郷に帰られるのである。さうして、君が故郷へ帰られると、泰山の雲は、君に随って湘水を渡り、やがて楚山の雲となるのである。湘水のほとりなる楚山には、女蘿が叢生して居るから、これをとって衣となすことができる。かくて、君は薜茘の衣、女蘿の帯となし、白雲に高臥し、優辞、餘生を送られようというのであるから、早く御歸りに成った方が宜しからうと思われる。 

李太白集巻十九18

白云歌送劉十六歸山

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7445

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-1

415 <1000

 

 
  2016年3月7日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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363-230卷六25白云歌送劉十六歸山 (楚山秦山多白雲,) 

744

天寶三年

44

56-1

卷別:

卷一八四

文體:

歌吟 樂府

李太白集230巻六25

詩題:

白云歌送劉十六歸山

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

楚山

湘水

交遊人物/地點:劉某

長安

詩文:


230卷六25

白云歌送劉十六歸山

(仙郷に漂う白雲、白雲を題にして、劉十六というものの故郷に帰るを送った詩である。)
楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。

君が故国とする楚山も、長安を見守ってきた秦山も、そこには皆白雲を帯びている。

長隨君。君入楚山里。云亦隨君渡湘水。

白雲は、所所に於いて、君に随って居るので、君が長安の秦山に居ても、白雲が随って居か、故郷の楚山に居ても、矢張り白雲が随って居る。かくの如く、どこでも白雲が君に随って居る上は、同じ境涯あるから、何も都を棄てて、故郷へ帰る必要は無いように思われるが、故郷の白雲は、又格別なのであろう、だから、君は此度、故郷に帰られるのである。

湘水上。女蘿衣。白云堪臥君早歸。
さうして、君が故郷へ帰られると、泰山の雲は、君に随って湘水を渡り、やがて楚山の雲となるのである。湘水のほとりなる楚山には、女蘿が叢生して居るから、これをとって衣となすことができる。かくて、君は薜茘の衣、女蘿の帯となし、白雲に高臥し、優辞、餘生を送られようというのであるから、早く御歸りに成った方が宜しからうと思われる。

 

(白云歌送劉十六歸山)

楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。

長隨君。 君入楚山里。 云亦隨君渡湘水。

湘水上。 女蘿衣。   白云堪臥君早歸。

巫山十二峰002 

『白雲歌送劉十六歸山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白云歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。

長隨君。 君入楚山里。 云亦隨君渡湘水。

湘水上。 女蘿衣。   白云堪臥君早歸。

(下し文)
(白云歌送劉十六歸山)

楚山 秦山 皆白云、白云 處處 長く君に隨う。

長く君に隨う。 君は入る 楚山の里。 云 亦た君に隨って 湘水を渡る。

湘水の上【ほと】り。 女蘿の衣。   白云 臥するに堪えたり 君 早く歸れ。

(現代語訳)
白云歌送劉十六歸山(仙郷に漂う白雲、白雲を題にして、劉十六というものの故郷に帰るを送った詩である。)

君が故国とする楚山も、長安を見守ってきた秦山も、そこには皆白雲を帯びている。

白雲は、所所に於いて、君に随って居るので、君が長安の秦山に居ても、白雲が随って居か、故郷の楚山に居ても、矢張り白雲が随って居る。かくの如く、どこでも白雲が君に随って居る上は、同じ境涯あるから、何も都を棄てて、故郷へ帰る必要は無いように思われるが、故郷の白雲は、又格別なのであろう、だから、君は此度、故郷に帰られるのである。

さうして、君が故郷へ帰られると、泰山の雲は、君に随って湘水を渡り、やがて楚山の雲となるのである。湘水のほとりなる楚山には、女蘿が叢生して居るから、これをとって衣となすことができる。かくて、君は薜茘の衣、女蘿の帯となし、白雲に高臥し、優辞、餘生を送られようというのであるから、早く御歸りに成った方が宜しからうと思われる。

漢文委員会紀頌之タイトル
(訳注)

白云歌送劉十六歸山

(仙郷に漂う白雲、白雲を題にして、劉十六というものの故郷に帰るを送った詩である。)1 劉十六は楚の人で、長安に遊びに来た。その彼が、山水に高臥隠遁していた故郷の山に帰るというのである。

2 白云 白雲について、

陶弘景 

 四十歳で山中に隠棲したが、梁の武帝から常に諮問をうけ、「山中宰相」と呼ばれた。斉の高帝からの詔にこたえる形で書かれた詩。

《詔問山中何所有賦詩以答》

山中何有所、嶺上多白雲

只可自怡悦、不堪持寄君。

(山中に何の有る所ぞと詔問せられ、詩を賦して以って答う)

山中 何の有る所ぞ、嶺上 白雲多し。只だ 自ら怡【たのし】み悦ぶべし、持して 君に寄するに堪えず。

「山の中に何が有るのだ」との御下問ですが、嶺の上には白雲が多くただよっています。しかし、これは私が見て楽しむだけで、残念ながら陛下にお届けする訳にはまいりません。

 

王維 

 唐代随一の田園詩人。仏教に深く帰依し、書画音楽にも優れていた。長く官僚として生活し、相当の地位にのぼりますが、元来、芸術家肌で役人生活は向いていなかったようで、藍田の麓に輞川商荘を営み、半官半隠の生活を送った。ここで「空山不見人」や「獨座幽篁裏」輞川二十首田園楽 七首などの有名な詩が詠んだ。脅迫されて安禄山にやむなく仕えたため、長安奪還後、処刑を命ぜられたが、これまでの功績により、特赦されたが、以降輞川荘にこもった。

 李白の詩と同様に、、故郷に隠棲する友人を送る詩。

「送別」

下馬飲君酒、問君何所之。

君言不得意、歸臥南山陲。

但去莫復問、白雲無盡時。 

馬より下りて君に酒を飲ましむ、君に問う 「何の之【ゆ】く所ぞ」と。

君は言う 「意を得ず、南山の陲【ほとり】に帰臥せん」と。

「但去れ。復た問うこと莫からん、白雲 尽きる時無し」と。

馬から下りて、まず一献。「これから、どうする?」「どうも世の中、思うようにはいかない。終南山の麓にでも引きこもるよ」「そうか、じゃ、行き給え。あの辺りでは、白雲が何時までも君の友達となってくれるだろう」

 

寒山

隠遁には、様々な形があった、自分の気配、存在そのものを消す、あるいは、自然と一体化するのが隠遁である。しかし、多くの詩人は半官半隱を理想とした。詩人は自己の詩を読んでもらいたいという願望があるからである。寒山は実在した証拠さえ消し去った、正真正銘の隠遁者といえるひとである。水墨画の「寒山拾得図」で知られる浙江省天台山(道教・仏教の霊地)に隠れ住んだ唐代末期ころの人だろうと云われる。

寒山の詩は他人に読ませようという意図が全くないため、三百首余り残存するが、すべて「無題」である。

登陟寒山道、寒山路不窮。

谿長石磊磊、澗濶草濛濛。

苔滑非関雨、松鳴不假風。

誰能超世累、共坐白雲中。

寒山の道を登陟れば、寒山 路 窮まらず。

谿は長くして石磊磊、澗は濶くして草濛濛。

苔の滑らかなるは雨に関わるに非ず、松の鳴るは風を仮らず。

誰か能く世累を超えて、共に白雲の中に坐せん。

寒山の路を登って行く。その道はどこまでも尽きることはない。渓谷は長く、石がごろごろと散らばっており、谷川は広く、草がぼうぼうと生えている。苔がしっとりと滑らかなのは、雨のせいではなく幽邃な山気のためであり、松が鳴っているのは、風のせいではなく、自ずからの天籟なのだ。誰か世の煩いから逃れて、私と一緒に白雲の中に坐してくれないだろうか。

 

川集 20首     もうせんしゅう

 もうせんしゅう解説

 

1孟城幼 もうじょうおう

2華子岡 かしこう

3文杏館ぶんきょうかん

4斤竹嶺 きんちくれい

5鹿柴   ろくさい 

6木蘭柴 もくらんさ

7茱萸拌 しゅゆはん

8宮塊陌 きゅうかいはく

9臨湖亭 りんこてい

10南 陀 なんだ

11欹 湖 いこ

12柳 浪 りゅうろう

13欒家瀬らんからい

14金屑泉 きんせつせん

15白石灘はくせきたん

16北 陀 ほくだ

17竹里館 ちくりかん

18辛夷塢 しんいお

19漆 園 しつえん

20椒 園 しょうえん

 

田園楽 七首

田園楽七首 1 千門

田園楽七首 2 再見

田園楽七首 3 採菱

田園楽七首 4 芳草

田園楽七首 5 山下

田園楽七首 6 桃紅

田園楽七首 7 酌酒


楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。

君が故国とする楚山も、長安を見守ってきた秦山も、そこには皆白雲を帯びている。

楚山 杜甫《昔遊》「景晏楚山深,水鶴去低回。」(景晏れて 楚山 深し,水鶴 去って 低回す。)「唯甫漂泊楚山,終當為龐公高隱耳。」(唯甫漂泊楚山,終當為龐公高隱耳。)

李白詩における楚山

16巻一16古風五十九首其十六

水深萬丈。 楚山邈千重。

230卷六25白云歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白云。 白云處處長隨君。

442巻十三07流夜郎至西塞驛寄裴隱

回巒引群峰。 橫蹙楚山斷。

841巻二十三15擬古十二首其十二

漢水既殊流。 楚山亦此分。

秦山 「楚」山に対して「秦」山といったのであり、長安をめぐる山々ということではあるが、通常は隠遁者が多く棲んだ終南山を意味するものである。

 

長隨君。 君入楚山里。 云亦隨君渡湘水。

白雲は、所所に於いて、君に随って居るので、君が長安の秦山に居ても、白雲が随って居か、故郷の楚山に居ても、矢張り白雲が随って居る。かくの如く、どこでも白雲が君に随って居る上は、同じ境涯あるから、何も都を棄てて、故郷へ帰る必要は無いように思われるが、故郷の白雲は、又格別なのであろう、だから、君は此度、故郷に帰られるのである。

湘水 湘江、あるいは湘水は、中華人民共和国を流れる大きな川の一つで、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省最大の川であり、湖南省の別名・「湘」(しょう)はこの川に由来する。長さは856km。桃源郷の伝説もこの一帯から生まれ、屈原の『楚辞』「九歌」や「離騒」には、伝説上の皇帝堯の二人の娘湘君・湘妃の物語が幻想的に詠われている。

渡湘水 

孟浩然《夜渡湘水》

(夜、湘水を渡る)

客行貪利捗、夜裏渡湘川。

客行 利捗を貪り、夜裏 湘川を渡る。

露氣聞香杜、歌聲識採蓮。

露気に 香杜を聞き、歌声に 採蓮を識る。

榜人投岸火、漁子宿潭煙。

榜人は 岸火に投じ、漁子は 潭煙に宿る。

行旅時相問、潯陽何處邊。

行旅 時に相い問う、潯陽は 何処の辺りかと。

 

湘水上。 女蘿衣。   白云堪臥君早歸。

さうして、君が故郷へ帰られると、泰山の雲は、君に随って湘水を渡り、やがて楚山の雲となるのである。湘水のほとりなる楚山には、女蘿が叢生して居るから、これをとって衣となすことができる。かくて、君は薜茘の衣、女蘿の帯となし、白雲に高臥し、優辞、餘生を送られようというのであるから、早く御歸りに成った方が宜しからうと思われる。

女蘿衣 薜茘の衣、女蘿の帯。山鬼の衣帯。《楚辞、九歌、山鬼篇》に「若有人兮山之阿,被薜荔兮。」(ここに人山の阿に有りし薜茘を被り女蘿を帯にす)とある。

 

杜審言 《渡湘江》

(湘江を渡る)

遲日園林悲昔遊、今春花鳥作邊愁。

遅日 園林 昔遊を悲かなしむ、今春 花鳥 辺愁を作なす。

獨憐京國人南竄、不似湘江水北流。

ひとり憐む 京国の人 南竄せられ、湘江の水の北流するに似ざるを。

743年(73)李太白集卷十六33-《送長沙陳太守,二首之二》(七郡長沙國,) 392Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(73) Ⅰ李白詩1749 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7285

李白  送長沙陳太守,二首之二

七郡長沙國,南連湘水濱。定王垂舞袖,地窄不迴身。

莫小二千石,當安遠俗人。洞庭路遠,遙羨錦衣春。

長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の二)

古のいわゆる長沙國は、今の湖南七郡を汎称したもので、洞庭湖に灑ぐ湘江を南に遡ってほとりに連接してあったものである。漢の長沙の定王は、紀元前142年、諸王が長安に入朝した際、父景帝の前に出て、手を小さく出す不恰好な舞いをした。周りの者が笑ったが、景帝が怪しんで聞くと、「私の国は狭いものですから、十分に旋回することも出来ないのです」と答えた。景帝はそこで武陵、零陵、桂陽を長沙国に加増してやったという故事がある。だから、君は、二千石の秩禄をもって「小」となさず、専心一意、施政に励み、僻遠の人民を安撫するが善い。都からは遠いけれど、君は、もともと、洞庭湖付近の出身で、今次、赴任するに就いては、故郷を通過されることであろうが、錦衣をきらびやかに、折からの春景色に輝いて、見えることであろうから、まことにうらやましい限りである。

李太白集卷十六23

送白利從金吾董將軍西征

 

389

743年天寶二年(43歳)

Index-23-2

 94-70首目)

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7245

 

 

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-72

卷別:    卷一七六              文體:    五言律詩

詩題:    送長沙陳太守,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州         

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳      

交遊人物/地點:陳太守      書信往來(江南西道 潭州 潭州)

 

 

送長沙陳太守,二首之一

(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の一)

長沙陳太守,逸氣凌青松。

今次、長沙太守に任命された陳君は、まことにあっぱれな人物で、逸気は、青松を凌がんばかりで、大いに俗離れしている。

英主賜五馬,本是天池龍。

それから、天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子よりたまわり、それに騎して、任地に向うことである。

湘水迴九曲,衡山望五峰。

やがて、長江を洩って二衡由二鞘の地へ往くと、湘水の流れは、うねったり、くねったりして、凡そ九曲と称せられ、衡山の五峰は、眼の前にはっきりと見える。

榮君按節去,不及遠相從。

君が手綱を緩めて、しづしづと練り行かれるのは、もことに栄誉の極で、早く任地に到着して、今後政績をあげられるのが善いので、いたずらに、別を惜んで、遠く相いしたがうような真似は、断じてすることはないのである。

(長沙の陳太守を送る,二首の一)

長沙の陳太守,逸氣 青松を凌ぐ。

英主 五馬を賜い,本と是れ天池の龍。

湘水 九曲を迴らし,衡山 五峰を望む。

君が節を按じて去るを榮とし,遠く相い從うに及ばず。

 

年:743年天寶二年43歳 94-73

卷別:    卷一七六              文體:    五言律詩

詩題:    送長沙陳太守,二首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州         

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

交遊人物/地點:陳太守      書信往來(江南西道 潭州 潭州)

 

 

送長沙陳太守,二首之二

長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の二)

七郡長沙國,南連湘水濱。

古のいわゆる長沙國は、今の湖南七郡を汎称したもので、洞庭湖に灑ぐ湘江を南に遡ってほとりに連接してあったものである。

定王垂舞袖,地窄不迴身。

漢の長沙の定王は、紀元前142年、諸王が長安に入朝した際、父景帝の前に出て、手を小さく出す不恰好な舞いをした。周りの者が笑ったが、景帝が怪しんで聞くと、「私の国は狭いものですから、十分に旋回することも出来ないのです」と答えた。景帝はそこで武陵、零陵、桂陽を長沙国に加増してやったという故事がある。

莫小二千石,當安遠俗人。

だから、君は、二千石の秩禄をもって「小」となさず、専心一意、施政に励み、僻遠の人民を安撫するが善い。

洞庭路遠,遙羨錦衣春。

都からは遠いけれど、君は、もともと、洞庭湖付近の出身で、今次、赴任するに就いては、故郷を通過されることであろうが、錦衣をきらびやかに、折からの春景色に輝いて、見えることであろうから、まことにうらやましい限りである。

韓愈 陽山00 

 

 

『送長沙陳太守,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送長沙陳太守,二首之二

七郡長沙國,南連湘水濱。

定王垂舞袖,地窄不迴身。

莫小二千石,當安遠俗人。

洞庭路遠,遙羨錦衣春
詩文(含異文)

七郡長沙國,南連湘水濱。定王垂舞袖【王垂舞袖】,地窄不迴身。

莫小二千石,當安遠俗人。洞庭路遠,遙羨錦衣春。


(下し文)
(
長沙の陳太守を送る,二首の二)

七郡 長沙國,南 連らる湘水の濱。

定王 舞袖を垂れ,地窄くして 身を迴らせず。

二千石を小とする莫れ,當に安んずべし 遠俗の人。

洞庭 路遠くあれど,遙かに 錦衣の春を羨やむ

(現代語訳)
送長沙陳太守,二首之二(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の二)

古のいわゆる長沙國は、今の湖南七郡を汎称したもので、洞庭湖に灑ぐ湘江を南に遡ってほとりに連接してあったものである。

漢の長沙の定王は、紀元前142年、諸王が長安に入朝した際、父景帝の前に出て、手を小さく出す不恰好な舞いをした。周りの者が笑ったが、景帝が怪しんで聞くと、「私の国は狭いものですから、十分に旋回することも出来ないのです」と答えた。景帝はそこで武陵、零陵、桂陽を長沙国に加増してやったという故事がある。

だから、君は、二千石の秩禄をもって「小」となさず、専心一意、施政に励み、僻遠の人民を安撫するが善い。

都からは遠いけれど、君は、もともと、洞庭湖付近の出身で、今次、赴任するに就いては、故郷を通過されることであろうが、錦衣をきらびやかに、折からの春景色に輝いて、見えることであろうから、まことにうらやましい限りである。


(訳注)

送長沙陳太守,二首之二

(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の二)

1長沙 長沙の名は早くも『逸周書』に見え、春秋戦国時代には楚国に属し、成王のとき黔中郡が置かれたことに始まる。秦代に秦36郡のひとつとして長沙郡が設置されている。漢代初には呉芮を封じて臨湘県を都とする長沙王国が設置され、546年間続いた。長沙王国の相である軑侯利蒼一族の墓所として有名な馬王堆漢墓を今に伝える。隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展した。唐の郡名、潭州で、江南西道に属していた。この詩は、陳某が新に長沙の太守に補せられて赴任するのを送って作ったのである。

この首は、施政に励んで、故郷に錦を飾ることであるからうらやましいと、其一とは異なった意象を詠出しで居る。まさしく、連作の最たるものである。

 

七郡長沙國,南連湘水濱。

古のいわゆる長沙國は、今の湖南七郡を汎称したもので、洞庭湖に灑ぐ湘江を南に遡ってほとりに連接してあったものである。

10 七郡 唐時、潭州長沙郡、衡州衡陽郡、永州零陵郡、連州連山郡、道州江華郡、郴州桂陽郡、卲州卲陽郡、の事。

11 長沙國 春秋戦国時代においては楚国の領土下属國にあり、長沙城が設置されていた。このように古代から長沙の市街区の位置は変わることなく同じ場所に存在し続けており、中国史上で最も古い歴史を有する街と言われている。後漢王朝初期、長沙国は廃止され、長沙郡へと改編され七郡となる。

12 南連湘水濱 この七郡は、湘水に連なって接する郡であることをいう。

 

定王垂舞袖,地窄不迴身。

漢の長沙の定王は、紀元前142年、諸王が長安に入朝した際、父景帝の前に出て、手を小さく出す不恰好な舞いをした。周りの者が笑ったが、景帝が怪しんで聞くと、「私の国は狭いものですから、十分に旋回することも出来ないのです」と答えた。景帝はそこで武陵、零陵、桂陽を長沙国に加増してやったという故事がある。

13 定王 長沙の定王、劉発、前漢の人。漢の景帝の子の一人。劉氏長沙国の初代王で、光武帝の先祖として知られる。

14 垂舞袖・地窄不迴身 定王は、景帝前2年(紀元前155年)に長沙王に立てられた。母が微賎で寵愛されていなかったため、貧しい国に封じられたのである。景帝後2年(紀元前142年)、諸王が長安に入朝した際、王が前に出て歌舞をするよう命じられた。長沙王劉発は手を小さく出す不恰好な舞いであったために周りの者が笑った。景帝が怪しんで聞くと、「私の国は狭いものですから、十分に旋回することも出来ないのです」と答えた。景帝はそこで武陵、零陵、桂陽を長沙国に加増してやったという「垂舞袖/地窄不迴身」の故事。

387巻十一醉後贈王歷陽

筆蹤起龍虎、舞袖拂云霄。

548卷十六51魯中送二從弟赴舉之西京 (一作送族弟()

舞袖拂秋月、歌筵聞早鴻。

553卷十六56送長沙陳太守二首其二

定王垂舞袖、地窄不回身。

646巻十九20邯鄲南亭觀妓

舞袖拂花枝、把酒顧美人。

677巻十九51銅官山醉後

要須回舞袖、拂盡五松山。

71220-26與夏十二登岳陽樓

醉後涼風起、吹人舞袖回。

784巻二十二5對酒醉題屈突明府廳

山翁今已醉、舞袖為君開。

 

莫小二千石,當安遠俗人。

だから、君は、二千石の秩禄をもって「小」となさず、専心一意、施政に励み、僻遠の人民を安撫するが善い。

15 二千石 漢代に郡太守の代名詞として使われたことから転じ、知事などの地方長官を「二千石」と表現する用法があった。二千石(にせんせき)は、中国古代、漢における官僚の等級と俸給(秩石)を表す語。漢の秩石には万石から百石まであり、その数字に応じて俸給が半分は穀物、半分は銭で支給された。二千石は主に郡太守などの高官が該当し、中二千石、真二千石、二千石、比二千石の4種類に分かれていた。

 

洞庭路遠,遙羨錦衣春。

都からは遠いけれど、君は、もともと、洞庭湖付近の出身で、今次、赴任するに就いては、故郷を通過されることであろうが、錦衣をきらびやかに、折からの春景色に輝いて、見えることであろうから、まことにうらやましい限りである。

16 洞庭路遠 長沙へ行く道中の最大の地点。

17 錦衣春 故郷に錦を飾り、折からの春景色がかがやいてみえる。

錦衣・衣錦

218 卷六13 鳴皋歌送岑徵君

魚目混珍,母衣錦。

361 10-08 贈劉都使

飲冰事戎幕, 衣錦華水

531 卷十六34 送張遙之壽陽幕府

勖爾效才略,功成衣錦還。

536 卷十六39 送外甥鄭灌從軍三首 其一

丈夫睹命報天子,當斬胡頭衣錦回。

 83 02-24 楽府・雉朝飛

麥隴青青三月時,白雉朝飛挾兩雌。

161 巻四36 東武吟

 錦衣入新丰,依岩望松雪。

553 卷十六56 送長沙陳太守二首其二

洞庭路遠,遙羨錦衣春。

751 巻二十一29 越中覽古

越王句踐破,義士還盡錦衣。

 

韓愈の地図01 

 

 

 

送長沙陳太守二首 【字解】

 

(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首)

1長沙 長沙の名は早くも『逸周書』に見え、春秋戦国時代には楚国に属し、成王のとき黔中郡が置かれたことに始まる。秦代に秦36郡のひとつとして長沙郡が設置されている。漢代初には呉芮を封じて臨湘県を都とする長沙王国が設置され、546年間続いた。長沙王国の相である軑侯利蒼一族の墓所として有名な馬王堆漢墓を今に伝える。隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展した。唐の郡名、潭州で、江南西道に属していた。この詩は、陳某が新に長沙の太守に補せられて赴任するのを送って作ったのである。

前年四句は一気呵成。湘水、衡山の二旬は、本地の風光を点醒して、人の眉目を清くする。

結二句は、翻って之を激励する意味である。

2 陳 陳の名字閲歴は、不詳。

3 太守 郡の長官のことで、単に守とも呼ばれた。古代から南北朝時代に置かれた。

4 逸氣 すぐれた気質。世俗を超越した気風。

5 賜五馬 五馬は太守の別称でその命をうけたことをいう。四頭馬車の外にさらに一頭の添え馬を付すことを許されたもの。《玉臺新詠‧古樂府・日出東南隅行》「使君從南來, 五馬立踟躕。」(使君、南より來り, 五馬 立って踟躕す。) 漢時に太守は乘坐する車用に五匹馬でもって駕轅することを許されたことを言う, 因って太守の車駕をいう。

6 湘水迴九曲 水經註 「衡山東南二面,臨映湘川,自長沙至此江湘六百里中,有九向九背,故漁者歌曰:帆隨湘轉,望衡九面。」(衡山東南二面,湘川に臨映す,長沙より此に至る 江湘六百里中,九向九背有り,故に漁者 歌うて曰く:帆 湘轉に隨い,衡に望めば九面なり。)とある

7 衡山 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

8 五峰 祝融、天柱、芙蓉、紫盖、石禀で、 祝融山が最高峰である。通鑑地理釋「衡嶽潭州衡山縣西三十里衡州衡陽 縣北七十里有五峰曰紫葢天柱芙蓉石廩祝融」(衡嶽は潭州衡山縣西三十里、衡州衡陽 縣北七十里に在り、五峰有り、曰く紫葢、天柱、芙蓉、石廩、祝融)とある。

9 按節 馬の手綱を緩めること。

10 七郡 唐時、潭州長沙郡、衡州衡陽郡、永州零陵郡、連州連山郡、道州江華郡、郴州桂陽郡、卲州卲陽郡、の事。

11 長沙國 春秋戦国時代においては楚国の領土下属國にあり、長沙城が設置されていた。このように古代から長沙の市街区の位置は変わることなく同じ場所に存在し続けており、中国史上で最も古い歴史を有する街と言われている。後漢王朝初期、長沙国は廃止され、長沙郡へと改編され七郡となる。

12 南連湘水濱 この七郡は、湘水に連なって接する郡であることをいう。

13 定王 長沙の定王、劉発、前漢の人。漢の景帝の子の一人。劉氏長沙国の初代王で、光武帝の先祖として知られる。

14 垂舞袖・地窄不迴身 定王は、景帝前2年(紀元前155年)に長沙王に立てられた。母が微賎で寵愛されていなかったため、貧しい国に封じられたのである。景帝後2年(紀元前142年)、諸王が長安に入朝した際、王が前に出て歌舞をするよう命じられた。長沙王劉発は手を小さく出す不恰好な舞いであったために周りの者が笑った。景帝が怪しんで聞くと、「私の国は狭いものですから、十分に旋回することも出来ないのです」と答えた。景帝はそこで武陵、零陵、桂陽を長沙国に加増してやったという「垂舞袖/地窄不迴身」の故事。

387巻十一醉後贈王歷陽

筆蹤起龍虎、舞袖拂云霄。

548卷十六51魯中送二從弟赴舉之西京 (一作送族弟()

舞袖拂秋月、歌筵聞早鴻。

553卷十六56送長沙陳太守二首其二

定王垂舞袖、地窄不回身。

646巻十九20邯鄲南亭觀妓

舞袖拂花枝、把酒顧美人。

677巻十九51銅官山醉後

要須回舞袖、拂盡五松山。

71220-26與夏十二登岳陽樓

醉後涼風起、吹人舞袖回。

784巻二十二5對酒醉題屈突明府廳

山翁今已醉、舞袖為君開。

 

15 二千石 漢代に郡太守の代名詞として使われたことから転じ、知事などの地方長官を「二千石」と表現する用法があった。二千石(にせんせき)は、中国古代、漢における官僚の等級と俸給(秩石)を表す語。漢の秩石には万石から百石まであり、その数字に応じて俸給が半分は穀物、半分は銭で支給された。二千石は主に郡太守などの高官が該当し、中二千石、真二千石、二千石、比二千石の4種類に分かれていた。

16 洞庭路遠 長沙へ行く道中の最大の地点。

17 錦衣春 故郷に錦を飾り、折からの春景色がかがやいてみえる。

錦衣・衣錦

218 卷六13 鳴皋歌送岑徵君

魚目混珍,母衣錦。

361 10-08 贈劉都使

飲冰事戎幕, 衣錦華水

531 卷十六34 送張遙之壽陽幕府

勖爾效才略,功成衣錦還。

536 卷十六39 送外甥鄭灌從軍三首 其一

丈夫睹命報天子,當斬胡頭衣錦回。

 83 02-24 楽府・雉朝飛

麥隴青青三月時,白雉朝飛挾兩雌。

161 巻四36 東武吟

 錦衣入新丰,依岩望松雪。

553 卷十六56 送長沙陳太守二首其二

洞庭路遠,遙羨錦衣春。

751 巻二十一29 越中覽古

越王句踐破,義士還盡錦衣。

 

743年(72)李太白集卷十六32-《送長沙陳太守,二首之一》(長沙陳太守,) 391Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(72) Ⅰ李白詩1748 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7280

李白  送長沙陳太守,二首之一

長沙陳太守,逸氣凌青松。英主賜五馬,本是天池龍。

湘水迴九曲,衡山望五峰。榮君按節去,不及遠相從。
(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の一)

今次、長沙太守に任命された陳君は、まことにあっぱれな人物で、逸気は、青松を凌がんばかりで、大いに俗離れしている。それから、天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子よりたまわり、それに騎して、任地に向うことである。やがて、長江を洩って二衡由二鞘の地へ往くと、湘水の流れは、うねったり、くねったりして、凡そ九曲と称せられ、衡山の五峰は、眼の前にはっきりと見える。君が手綱を緩めて、しづしづと練り行かれるのは、もことに栄誉の極で、早く任地に到着して、今後政績をあげられるのが善いので、いたずらに、別を惜んで、遠く相いしたがうような真似は、断じてすることはないのである。

743年(70

送白利從金吾董將軍西征

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7245

李太白集

389

Index-23

-2

743年天寶二年43歳 94-70

卷十六23

 

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-72

卷別:    卷一七六              文體:    五言律詩

詩題:    送長沙陳太守,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州         

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳      

交遊人物/地點:陳太守      書信往來(江南西道 潭州 潭州)

 

 

送長沙陳太守,二首之一

長沙陳太守,逸氣凌青松。

英主賜五馬,本是天池龍。

湘水迴九曲,衡山望五峰。

榮君按節去,不及遠相從。

(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の一)

今次、長沙太守に任命された陳君は、まことにあっぱれな人物で、逸気は、青松を凌がんばかりで、大いに俗離れしている。

それから、天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子よりたまわり、それに騎して、任地に向うことである。

やがて、長江を洩って二衡由二鞘の地へ往くと、湘水の流れは、うねったり、くねったりして、凡そ九曲と称せられ、衡山の五峰は、眼の前にはっきりと見える。

君が手綱を緩めて、しづしづと練り行かれるのは、もことに栄誉の極で、早く任地に到着して、今後政績をあげられるのが善いので、いたずらに、別を惜んで、遠く相いしたがうような真似は、断じてすることはないのである。

(長沙の陳太守を送る,二首の一)

長沙の陳太守,逸氣 青松を凌ぐ。

英主 五馬を賜い,本と是れ天池の龍。

湘水 九曲を迴らし,衡山 五峰を望む。

君が節を按じて去るを榮とし,遠く相い從うに及ばず。

 

 

『送長沙陳太守,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送長沙陳太守,二首之一

長沙陳太守,逸氣凌青松。

英主賜五馬,本是天池龍。

湘水迴九曲,衡山望五峰。

榮君按節去,不及遠相從。

(下し文)
(
長沙の陳太守を送る,二首の一)

長沙の陳太守,逸氣 青松を凌ぐ。

英主 五馬を賜い,本と是れ天池の龍。

湘水 九曲を迴らし,衡山 五峰を望む。

君が節を按じて去るを榮とし,遠く相い從うに及ばず。


(現代語訳)
送長沙陳太守,二首之一(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の一)

今次、長沙太守に任命された陳君は、まことにあっぱれな人物で、逸気は、青松を凌がんばかりで、大いに俗離れしている。

それから、天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子よりたまわり、それに騎して、任地に向うことである。

やがて、長江を洩って二衡由二鞘の地へ往くと、湘水の流れは、うねったり、くねったりして、凡そ九曲と称せられ、衡山の五峰は、眼の前にはっきりと見える。

君が手綱を緩めて、しづしづと練り行かれるのは、もことに栄誉の極で、早く任地に到着して、今後政績をあげられるのが善いので、いたずらに、別を惜んで、遠く相いしたがうような真似は、断じてすることはないのである。


(訳注)

送長沙陳太守,二首之一

(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の一)

1長沙 長沙の名は早くも『逸周書』に見え、春秋戦国時代には楚国に属し、成王のとき黔中郡が置かれたことに始まる。秦代に秦36郡のひとつとして長沙郡が設置されている。漢代初には呉芮を封じて臨湘県を都とする長沙王国が設置され、546年間続いた。長沙王国の相である軑侯利蒼一族の墓所として有名な馬王堆漢墓を今に伝える。隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展した。唐の郡名、潭州で、江南西道に属していた。この詩は、陳某が新に長沙の太守に補せられて赴任するのを送って作ったのである。

前年四句は一気呵成。湘水、衡山の二旬は、本地の風光を点醒して、人の眉目を清くする。

結二句は、翻って之を激励する意味である。

 

2 陳 陳の名字閲歴は、不詳。

3 太守 郡の長官のことで、単に守とも呼ばれた。古代から南北朝時代に置かれた。

 

長沙陳太守,逸氣凌青松。

今次、長沙太守に任命された陳君は、まことにあっぱれな人物で、逸気は、青松を凌がんばかりで、大いに俗離れしている。

4 逸氣 すぐれた気質。世俗を超越した気風。

 

英主賜五馬,本是天池龍。

それから、天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子よりたまわり、それに騎して、任地に向うことである。

5 賜五馬 五馬は太守の別称でその命をうけたことをいう。四頭馬車の外にさらに一頭の添え馬を付すことを許されたもの。《玉臺新詠‧古樂府・日出東南隅行》「使君從南來, 五馬立踟躕。」(使君、南より來り, 五馬 立って踟躕す。) 漢時に太守は乘坐する車用に五匹馬でもって駕轅することを許されたことを言う, 因って太守の車駕をいう。

 

湘水迴九曲,衡山望五峰。

やがて、長江を洩って二衡由二鞘の地へ往くと、湘水の流れは、うねったり、くねったりして、凡そ九曲と称せられ、衡山の五峰は、眼の前にはっきりと見える。

6 湘水迴九曲 水經註 「衡山東南二面,臨映湘川,自長沙至此江湘六百里中,有九向九背,故漁者歌曰:帆隨湘轉,望衡九面。」(衡山東南二面,湘川に臨映す,長沙より此に至る 江湘六百里中,九向九背有り,故に漁者 歌うて曰く:帆 湘轉に隨い,衡に望めば九面なり。)とある

7 衡山 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

8 五峰 祝融、天柱、芙蓉、紫盖、石禀で、 祝融山が最高峰である。通鑑地理釋「衡嶽潭州衡山縣西三十里衡州衡陽 縣北七十里有五峰曰紫葢天柱芙蓉石廩祝融」(衡嶽は潭州衡山縣西三十里、衡州衡陽 縣北七十里に在り、五峰有り、曰く紫葢、天柱、芙蓉、石廩、祝融)とある。

 

榮君按節去,不及遠相從。

君が手綱を緩めて、しづしづと練り行かれるのは、もことに栄誉の極で、早く任地に到着して、今後政績をあげられるのが善いので、いたずらに、別を惜んで、遠く相いしたがうような真似は、断じてすることはないのである。

9 按節 馬の手綱を緩めること。

743年(71)李太白集卷十六26-《送祝八之江東賦得浣紗石》(西施越溪女,) 390-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(71) Ⅰ李白詩1747 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7275

李白  送祝八之江東賦得浣紗石 #2

昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。

君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。

若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。
むかしは、その處に於て、紅粉の装い爲せる西施が、流れる水にその影を映したが、今では、石の上に生ずる青い苔は、散る花に覆われて、その人を思わせるものがないのである。

君は、今、ここ長安を去って、東越に行かれるので、その道中、碧山清江がずっとつらなる、きわめて遠い道のりである。

かくて、天涯に至って、故人即ち吾を思い出したならば、浣紗石のほとりに行って、石の上に登る明月を見ることである。われも亦た、ひとしく君を思う心をその月に寄せているから、それとなく、心に感じ得るものがあるに相違ないのである。

743年(71

送祝八之江東賦得浣紗石

kanbuniinkai紀頌之の

漢詩ブログ7275

李太白集

卷十六23

390#2

Index-23-2

743年天寶二年43歳 94-71-#2

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-71

卷別:    卷一七六              文體:    雜言古詩

詩題:    送祝八之江東賦得浣紗石

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              浣紗石 (江南東道 越州 會稽)           

交遊人物/地點:祝八          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送祝八之江東賦得浣紗石

(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)

西施越溪女,明豔光雲海。

西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。

未入王宮殿時,浣紗古石今猶在。

そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。

桃李新開映古菖蒲猶短出平沙。

その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。

(祝八の江東に之くを送り浣紗石を賦し得る)

西施は越溪の女,明豔 雲海に光る。

未だ王の宮殿に入らざる時,浣紗の古石 今 猶お在り。

桃李 新たに開いて 古,菖蒲 猶お短く 平沙を出づ

昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。

君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。

若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。

むかしは、その處に於て、紅粉の装い爲せる西施が、流れる水にその影を映したが、今では、石の上に生ずる青い苔は、散る花に覆われて、その人を思わせるものがないのである。

君は、今、ここ長安を去って、東越に行かれるので、その道中、碧山清江がずっとつらなる、きわめて遠い道のりである。

かくて、天涯に至って、故人即ち吾を思い出したならば、浣紗石のほとりに行って、石の上に登る明月を見ることである。われも亦た、ひとしく君を思う心をその月に寄せているから、それとなく、心に感じ得るものがあるに相違ないのである。

#2

昔時は紅粉 流水を照し,今日は青苔 落花の覆わる。

君は西秦を去って東越に適く,碧山 青江 幾んぞ超忽す。

若し天涯に到って故人を思わば,浣紗石の上 明月を窺え。

京兆地域図002 

 

『送祝八之江東賦得浣紗石』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。

君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。

若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。
詩文(含異文)    

昔時紅粉照流水【昔時紅顏照流水】,今日青苔覆落花。

君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。

若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。


(下し文)
#2

昔時は紅粉 流水を照し,今日は青苔 落花の覆わる。

君は西秦を去って東越に適く,碧山 青江 幾んぞ超忽す。

若し天涯に到って故人を思わば,浣紗石の上 明月を窺え。

(現代語訳)
#2

むかしは、その處に於て、紅粉の装い爲せる西施が、流れる水にその影を映したが、今では、石の上に生ずる青い苔は、散る花に覆われて、その人を思わせるものがないのである。

君は、今、ここ長安を去って、東越に行かれるので、その道中、碧山清江がずっとつらなる、きわめて遠い道のりである。

かくて、天涯に至って、故人即ち吾を思い出したならば、浣紗石のほとりに行って、石の上に登る明月を見ることである。われも亦た、ひとしく君を思う心をその月に寄せているから、それとなく、心に感じ得るものがあるに相違ないのである。

呉越の地図李白の足跡0000
(訳注)

送祝八之江東賦得浣紗石

(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)

1-   祝八 祝八の八は排行で、名字は分らない。江東は呉越の地。それから、浣紗石に就いては、太平御覧に引ける孔曄の會稽記に「勾践、美女を索め、以て呉王に献上せむとし、諸曁苧蘿山の売薪の女、西施 鄭且を得、先づ土城山に教習せしむ、山邊に石あり、云ふ是れ西施の浣紗石」とあり、太平寰宇記に「諸曁縣に苧蘿山あり、山下に石跡あり、云ふ足れ西施浣紗の所と。浣紗石、なお在り」と記してある。この詩は、祝八の江東に之くを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題とした處が、李白は浣紗石を取り中で、因って、この詩を作ったので、つまり、浣紗石を詠するその中に於て、送別の意を寓したわけである。

 

昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。

むかしは、その處に於て、紅粉の装い爲せる西施が、流れる水にその影を映したが、今では、石の上に生ずる青い苔は、散る花に覆われて、その人を思わせるものがないのである。

10 紅粉 白粉とほほ紅、口紅。西施を言う。

 

君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。

君は、今、ここ長安を去って、東越に行かれるので、その道中、碧山清江がずっとつらなる、きわめて遠い道のりである。

11 西秦 ここは、長安のこと。

12 東越 春秋時代に中国浙江省の辺りにあった国の東部海岸地方。首都は会稽(現在の浙江省紹興市)。後に漢民族形成の中核となった黄河流域の都市国家群の周辺民族とは別の、長江流域の百越に属する民族を主体に建設されたあたりをいう。

13 碧山青江 苔むし、常緑の山、青く清清しく広々とした、大江。

14 幾超忽 ずうっと遙かに遠句まで続いた様子を言う。文選.王巾.《頭陀寺碑文》「東望平皋,千里超忽。」(東に平皋を望み,千里超忽。)

 

若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。

かくて、天涯に至って、故人即ち吾を思い出したならば、浣紗石のほとりに行って、石の上に登る明月を見ることである。われも亦た、ひとしく君を思う心をその月に寄せているから、それとなく、心に感じ得るものがあるに相違ないのである。

窺明月 おなじ明月を望む

《巻四18 月夜 
今夜鄜州月、閨中只独看。
遥憐小児女、未解憶長安。
香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。
何時倚虚幌、双照涙痕乾。
今夜も月が出ている鄜州での月は、閏の中で我が妻がただひとりみているだろう。

私からはこんなはるかなところからいたいけない子供たちのことを思いを遣っている、しかしその子どもたちはこの私のいる長安を憶うことなどは知らないのである。

二人で過ごした室には香霧がこめ、雲の髪型もうるおいが生じる、清々しい月のひかり輝いて妻のうなじに、影を落としている、美しい姿もつめたく感じていることであろう。

いつになったらゆめまぼろしにある妻との閨ととばりの生活、二人そろって月光に照らされて涙のあとなど全くない暮らしができるのだろうか。

今夜  鄜州【ふしゅう】の月、閨中【けいちゅう】  只だ独り看【み】るらん。
遥かに憐【あわ】れむ小児女【しょうじじょ】の、未【いま】だ長安を憶【おも】うを解(かい)せざるを。
香霧【こうむ】に雲鬟【うんかん】湿【うるお】い、清輝【せいき】に玉臂【ぎょくひ】寒からん。
何【いず】れの時か虚幌【きょこう】に倚【よ】り、双【とも】に照らされて涙痕【るいこん】乾かん。

杜甫の「月夜」は、 白欒天のこの詩にもいうように、「三五夜中新月の色、二千里外故人の心」であって、月色は、山河を隔て、環境を異にしつつも、その色を同じくするものである。だから、それに誘発されて、杜甫は、はるかなる妻の身の上を思うのであり、おなじ月の光にさそわれて、はるかなる妻も、自分を思うであろうことを自分自身に思わせるのであるが、自分の見る月とはいわないで、妻の見る月の色を、はるかに思いやったというところは、この詩人の心が、常に常識を越えて別の次元につき入ろうとしていたこと、そうしてまたその結果、表現としては、緊迫した言葉を常に求めていたこと、つまりみずからもいうように「語の人を驚かさずんば死すとも休まず」とする傾向にあったことを、もとより最も顕著に示す例ではないけれども、なお何がしか示すものである。

月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150

 

送祝八之江東賦得浣紗石 【字解】

 

1)祝八 祝八の八は排行で、名字は分らない。江東は呉越の地。それから、浣紗石に就いては、太平御覧に引ける孔曄の會稽記に「勾践、美女を索め、以て呉王に献上せむとし、諸曁苧蘿山の売薪の女、西施 鄭且を得、先づ土城山に教習せしむ、山邊に石あり、云ふ是れ西施の浣紗石」とあり、太平寰宇記に「諸曁縣に苧蘿山あり、山下に石跡あり、云ふ足れ西施浣紗の所と。浣紗石、なお在り」と記してある。この詩は、祝八の江東に之くを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題とした處が、李白は浣紗石を取り中で、因って、この詩を作ったので、つまり、浣紗石を詠するその中に於て、送別の意を寓したわけである。

2)西施 李白が西施の語を使った詩句。

6502-06楽府烏棲曲

王宮里醉西施。

195巻五 28子夜 ( 一作子夜四時歌 ) 夏歌

鏡湖三百里。 菡萏發荷花。 五月西施采。 人看隘若耶。 回舟不待月。 歸去越王家。

210卷六5玉壺吟

世人不識東方朔。 大隱金門是謫仙。 西施宜笑復宜顰。 丑女效之徒累身。 君王雖愛蛾眉好。

218卷六13鳴皋歌送岑徵君 時梁園三尺雪

鳳孤飛而無鄰。 ()蜓嘲龍。 魚目混珍。 母衣錦。 西施負薪。 若使巢由桎梏于軒冕兮。

546卷十六49送祝八之江東賦得浣紗石

西施越溪女。 明艷光云海。 未入王宮殿時。

747巻二十一25西施

西施越溪女。 出自苧蘿山。

829巻二十三03效古二首其二

自古有秀色。 西施與東鄰。 蛾眉不可妒。 況乃效其顰。 所以尹婕妤。

945巻二十四56口號王美人半醉

風動荷花水殿香。 姑蘇台上宴王。 西施醉舞嬌無力。 笑倚東窗白玉床。

 

2)西施ものがたり  李白がよく取り上げた題材

111-1 《西施》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <111-1> Ⅰ李白詩1290 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4998

111-2 《西施》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <111-2> Ⅰ李白詩1291 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5003

3) 越溪女 呉越春秋「越王使相者於國中、得苧蘿山鬻薪之女。曰西施鄭旦。」中国四大美人と呼ばれるのは以下の女性たちである。1.西施(春秋時代)2.王昭君(漢)3.貂蝉(後漢)4.楊貴妃(唐)ただし、このほかに卓文君(漢)を加え、王昭君を除くこともある。また虞美人(秦末)を加え、貂蝉を除くこともある。・苧蘿山 苧蘿山は浙江諸縣の南五裡に在る。

4)明豔 妖艶であるにも、ちせいゆたかに美しい姿かたち、顔だち。

5)光雲海 遠く水平線に沸く雲を境にし、その上にぽっかりと浮かぶ雲のかがやく白さをいう。

 

未入王宮殿時,浣紗古石今猶在。

そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。

6) 王宮殿 越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。

7)浣紗 絹を織って染め付けた布地を川で晒す、水の冷たい時に色の定着がよくなることで、春先の年中行事であり、谷間の石の上に並べて干されること、春の風物詩であることを意味する。秋は採蓮、採菱も若い娘の素足が風物詩である。李白は春秋の風物詩をおおくうたっている。

 

桃李新開映古菖蒲猶短出平沙。

その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。

8)  古は水中の古木、浮木。

9)菖蒲猶短 菖蒲の芽の纔に出たばかりの状態のことを言う。いわゆる早春のころ、寒風と水が最も冷たく感じる頃を言う。

743年(71)-#1李太白集卷十六26-《送祝八之江東賦得浣紗石》(西施越溪女,) 390-#1Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(71) Ⅰ李白詩1746 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7270

李白  送祝八之江東賦得浣紗石

西施越溪女,明豔光雲海。

未入王宮殿時,浣紗古石今猶在。

桃李新開映古,菖蒲猶短出平沙
(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)

西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。

743年(71

送祝八之江東賦得浣紗石

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李太白集

卷十六23

390#1

Index-23-2

743年天寶二年43歳 94-71

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-71

卷別:    卷一七六              文體:    雜言古詩

詩題:    送祝八之江東賦得浣紗石

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              浣紗石 (江南東道 越州 會稽)           

交遊人物/地點:祝八          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送祝八之江東賦得浣紗石

西施越溪女,明豔光雲海。

未入王宮殿時,浣紗古石今猶在。

桃李新開映古菖蒲猶短出平沙。

(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)

西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。

そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。

その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。

(祝八の江東に之くを送り浣紗石を賦し得る)

西施は越溪の女,明豔 雲海に光る。

未だ王の宮殿に入らざる時,浣紗の古石 今 猶お在り。

桃李 新たに開いて 古,菖蒲 猶お短く 平沙を出づ

昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。

君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。

若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。

 

 

『送祝八之江東賦得浣紗石』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送祝八之江東賦得浣紗石

西施越溪女,明豔光雲海。

未入王宮殿時,浣紗古石今猶在。

桃李新開映古,菖蒲猶短出平沙
詩文(含異文)    

西施越溪女,明豔光雲海。

未入王宮殿時【來入王宮殿時】,浣紗古石今猶在【浣紗故石今猶在】。

桃李新開映古,菖蒲猶短出平沙。


(下し文)

(祝八の江東に之くを送り浣紗石を賦し得る)

西施は越溪の女,明豔 雲海に光る。

未だ王の宮殿に入らざる時,浣紗の古石 今 猶お在り。

桃李 新たに開いて 古,菖蒲 猶お短く 平沙を出づ

(現代語訳)
送祝八之江東賦得浣紗石(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)

西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。

そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。

その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。


(訳注)

送祝八之江東賦得浣紗石

(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)

1.   祝八 祝八の八は排行で、名字は分らない。江東は呉越の地。それから、浣紗石に就いては、太平御覧に引ける孔曄の會稽記に「勾践、美女を索め、以て呉王に献上せむとし、諸曁苧蘿山の売薪の女、西施 鄭且を得、先づ土城山に教習せしむ、山邊に石あり、云ふ是れ西施の浣紗石」とあり、太平寰宇記に「諸曁縣に苧蘿山あり、山下に石跡あり、云ふ足れ西施浣紗の所と。浣紗石、なお在り」と記してある。この詩は、祝八の江東に之くを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題とした處が、李白は浣紗石を取り中で、因って、この詩を作ったので、つまり、浣紗石を詠するその中に於て、送別の意を寓したわけである。

 

西施越溪女,明豔光雲海。

西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。

2.   西施 李白が西施の語を使った詩句。

6502-06楽府烏棲曲

王宮里醉西施。

195巻五 28子夜 ( 一作子夜四時歌 ) 夏歌

鏡湖三百里。 菡萏發荷花。 五月西施采。 人看隘若耶。 回舟不待月。 歸去越王家。

210卷六5玉壺吟

世人不識東方朔。 大隱金門是謫仙。 西施宜笑復宜顰。 丑女效之徒累身。 君王雖愛蛾眉好。

218卷六13鳴皋歌送岑徵君 時梁園三尺雪

鳳孤飛而無鄰。 ()蜓嘲龍。 魚目混珍。 母衣錦。 西施負薪。 若使巢由桎梏于軒冕兮。

546卷十六49送祝八之江東賦得浣紗石

西施越溪女。 明艷光云海。 未入王宮殿時。

747巻二十一25西施

西施越溪女。 出自苧蘿山。

829巻二十三03效古二首其二

自古有秀色。 西施與東鄰。 蛾眉不可妒。 況乃效其顰。 所以尹婕妤。

945巻二十四56口號王美人半醉

風動荷花水殿香。 姑蘇台上宴王。 西施醉舞嬌無力。 笑倚東窗白玉床。

 

2)西施ものがたり  李白がよく取り上げた題材

111-1 《西施》李白index- 6 《726元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <111-1> Ⅰ李白詩1290 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4998

111-2 《西施》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <111-2> Ⅰ李白詩1291 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5003

3.  越溪女 呉越春秋「越王使相者於國中、得苧蘿山鬻薪之女。曰西施鄭旦。」中国四大美人と呼ばれるのは以下の女性たちである。1.西施(春秋時代)2.王昭君(漢)3.貂蝉(後漢)4.楊貴妃(唐)ただし、このほかに卓文君(漢)を加え、王昭君を除くこともある。また虞美人(秦末)を加え、貂蝉を除くこともある。・苧蘿山 苧蘿山は浙江諸縣の南五裡に在る。

4.   明豔 妖艶であるにも、ちせいゆたかに美しい姿かたち、顔だち。

5.   光雲海 遠く水平線に沸く雲を境にし、その上にぽっかりと浮かぶ雲のかがやく白さをいう。

 

未入王宮殿時,浣紗古石今猶在。

そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。

6.  王宮殿 越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。

7.   浣紗 絹を織って染め付けた布地を川で晒す、水の冷たい時に色の定着がよくなることで、春先の年中行事であり、谷間の石の上に並べて干されること、春の風物詩であることを意味する。秋は採蓮、採菱も若い娘の素足が風物詩である。李白は春秋の風物詩をおおくうたっている。

 

桃李新開映古菖蒲猶短出平沙。

その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。

8.   古は水中の古木、浮木。

9.   菖蒲猶短 菖蒲の芽の纔に出たばかりの状態のことを言う。いわゆる早春のころ、寒風と水が最も冷たく感じる頃を言う。

743年(70)李太白集卷十六23-《送白利從金吾董將軍西征》(西羌延國討,) 389Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(70) Ⅰ李白詩1745 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7265

李白  送白利從金吾董將軍西征

西羌延國討,白起佐軍威。劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。抗手凜相顧,寒風生鐵衣。

(秦の白起ともいうべき白利君が、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送る詩)

西域の羌といわれる吐蕃は、国際的征伐として、数しば兵を動かしたが、のびのびに成って、まだ十分に片が付かない。そこで、今のたび、君は金吾將軍の幕府に参し、軍威を佐けて、愈いよ出兵することに成ったのである。かくて、莊子が剣について説いたように、剣を拂えば、浮雲の気を切るであろうし、弓を引けば、明月が輝いて居るというほど引き番えるのである。馬の行くところには、西辺の地の草、なお緑に茂り、旌旗を巻けば、暁天の霜を吹き飛ばす想いがする。何は兎もあれ、大沙漠の物凄じき景色は、おぼえず心を傷ましめるばかりであろうが、征軍の大将、士輩が、凛として身ぶるいをすることで、手をあげて相顧みつつある間に、寒風は颯として鐡衣に生ずる。この壮別に際し、願うは、苦寒に堪え、いち早く、栄誉、功勲を立てて天子にまみえて貰ひたいことである。

743年(70

送白利從金吾董將軍西征

kanbuniinkai紀頌之の

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李太白集

卷十六23

389

Index-23-2

743年天寶二年43歳 94-70

 

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-70

卷別:    卷一七六              文體:    五言律詩

詩題:    送白利從金吾董將軍西征

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:白利          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

董將軍    詩文提及

 

 

送白利從金吾董將軍西征

(秦の白起ともいうべき白利君が、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送る詩)

西羌延國討,白起佐軍威。

西域の羌といわれる吐蕃は、国際的征伐として、数しば兵を動かしたが、のびのびに成って、まだ十分に片が付かない。そこで、今のたび、君は金吾將軍の幕府に参し、軍威を佐けて、愈いよ出兵することに成ったのである。

劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

かくて、莊子が剣について説いたように、剣を拂えば、浮雲の気を切るであろうし、弓を引けば、明月が輝いて居るというほど引き番えるのである。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。

馬の行くところには、西辺の地の草、なお緑に茂り、旌旗を巻けば、暁天の霜を吹き飛ばす想いがする。

抗手凜相顧,寒風生鐵衣。

何は兎もあれ、大沙漠の物凄じき景色は、おぼえず心を傷ましめるばかりであろうが、征軍の大将、士輩が、凛として身ぶるいをすることで、手をあげて相顧みつつある間に、寒風は颯として鐡衣に生ずる。この壮別に際し、願うは、苦寒に堪え、いち早く、栄誉、功勲を立てて天子にまみえて貰ひたいことである。

白利の金吾董將軍に從って西征するを送る)

西羌 國討を延べ,白起 軍威を佐く。

劍は決す 浮雲の氣,弓は彎く 明月の輝。

馬 行いて 邊草綠なり,旌 卷いて 曙霜飛ぶ。

手を抗げて 凜として相い顧みれば,寒風 鐵衣に生ず。

 

『送白利從金吾董將軍西征』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送白利從金吾董將軍西征

西羌延國討,白起佐軍威。

劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。

抗手凜相顧,寒風生鐵衣。
詩文(含異文)

西羌延國討,白起佐軍威。劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛【旗卷曙霜飛】。抗手凜相顧,寒風生鐵衣。


(下し文)

白利の金吾董將軍に從って西征するを送る)

西羌 國討を延べ,白起 軍威を佐く。

劍は決す 浮雲の氣,弓は彎く 明月の輝。

馬 行いて 邊草綠なり,旌 卷いて 曙霜飛ぶ。

手を抗げて 凜として相い顧みれば,寒風 鐵衣に生ず。

(現代語訳)
送白利從金吾董將軍西征(秦の白起ともいうべき白利君が、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送る詩)

西域の羌といわれる吐蕃は、国際的征伐として、数しば兵を動かしたが、のびのびに成って、まだ十分に片が付かない。そこで、今のたび、君は金吾將軍の幕府に参し、軍威を佐けて、愈いよ出兵することに成ったのである。

かくて、莊子が剣について説いたように、剣を拂えば、浮雲の気を切るであろうし、弓を引けば、明月が輝いて居るというほど引き番えるのである。

馬の行くところには、西辺の地の草、なお緑に茂り、旌旗を巻けば、暁天の霜を吹き飛ばす想いがする。

何は兎もあれ、大沙漠の物凄じき景色は、おぼえず心を傷ましめるばかりであろうが、征軍の大将、士輩が、凛として身ぶるいをすることで、手をあげて相顧みつつある間に、寒風は颯として鐡衣に生ずる。この壮別に際し、願うは、苦寒に堪え、いち早く、栄誉、功勲を立てて天子にまみえて貰ひたいことである。

安史の乱期 勢力図 002長安皇城宮城00
(訳注)

送白利從金吾董將軍西征

(秦の白起ともいうべき白利君が、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送る詩)

唐書百官志に「左右金吾衞上将軍各々一人、将軍各々二人」とある。董将軍は、名字不詳。この詩は、白利というものが、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送って作ったものである。

これは五言律詩で、中間両聯が叙景、即ち実事であるところに、内容が充実したように見える。それから、白起は、同姓の故を以て点醒したので、例の慣用手段である。結句二句は、邊庭苦寒の状を述べて、従軍者を勗励したものである。

 

西羌延國討,白起佐軍威。

西域の羌といわれる吐蕃は、国際的征伐として、数しば兵を動かしたが、のびのびに成って、まだ十分に片が付かない。そこで、今のたび、君は金吾將軍の幕府に参し、軍威を佐けて、愈いよ出兵することに成ったのである。

西羌 青海省は漢族からはチベット系の〈羌(きよう)〉族の住む地とされた。漢代には西羌とよばれ,西寧西方には臨羌県もおかれた。後漢には西平郡がおかれ,西寧は西都県に属し郡の治所となった。

《後漢書西羌傳》「西羌之本,出自三苗,姜姓之別也。其國近南嶽。及舜流四凶,徙之三危,河關之西南羌地是也。濱于賜支,至乎河首,撓地千里。賜支者,禹貢所謂析支者也。南接蜀、漢徼外蠻夷,西北接鄯善、車師諸國。所居無常,依隨水草。地少五穀,以牧為業。

 遅延。

白起 白 起(はく き、? - 紀元前25711月)は、中国・戦国時代末期の秦の武将。公孫起とも表記される。秦国郿県(現在の陝西省眉県)の出身。昭襄王に仕え、各地を転戦して趙・魏・楚などの軍に数々の勝利を収め、秦の領土拡大に貢献した。戰國四大名將(白起、廉頗、王翦、李牧)のうち最も勇壮な将軍であった。白起は用兵を善くし,史書に “敵を料り合變す,奇に出し窮めること無し,天下に聲震す”と 記載されている。他に一生征戰37年,百戦百勝まけしらずであり,戦国六國に敵として比するものはなかった。

 

劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

かくて、莊子が剣について説いたように、剣を拂えば、浮雲の気を切るであろうし、弓を引けば、明月が輝いて居るというほど引き番えるのである。

劍決浮雲氣 莊子、雜篇劍》「運之无旁,上決浮雲,下地紀。(天子の剣は、上は浮雲を決り、下は地紀(大地の根本)を断つ。)とあるのにもとづくもの。

李白《古風,五十九首之三》「秦皇掃六合。虎視何雄哉。揮劍決浮云。諸侯盡西來。明斷自天。大略駕群才。收兵鑄金人。函谷正東開。」(秦皇 六合を掃いて、虎視 何ぞ 雄なる哉。 劍を揮って 浮云を決れば、諸侯 盡く西に來る。明斷 天よりき、大略 群才を駕す。 兵を收めて 金人を鑄【い】り、函谷 正に東に開く。)とある。

 

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。

馬の行くところには、西辺の地の草、なお緑に茂り、旌旗を巻けば、暁天の霜を吹き飛ばす想いがする。

 

抗手凜相顧,寒風生鐵衣。

何は兎もあれ、大沙漠の物凄じき景色は、おぼえず心を傷ましめるばかりであろうが、征軍の大将、士輩が、凛として身ぶるいをすることで、手をあげて相顧みつつある間に、寒風は颯として鐡衣に生ずる。この壮別に際し、願うは、苦寒に堪え、いち早く、栄誉、功勲を立てて天子にまみえて貰ひたいことである。

抗手凜相顧 凛として身ぶるいをすることで、手をあげて拝し、相顧みつつある間に~する。抗手とは手をあげて拝することをいう。《孔叢子》卷下〈儒服〉「子高游趙, 平原君客有鄒文、 季節者與子高相友善。 及將還魯, 故人訣既畢, 文節送行, 三宿臨別, 文節流涕交頤, 子高徒抗手而已, 分背就路。」(子高趙に游ぶ, 平原君の客に鄒文、 季節という者有り、子高と相い友善し。將に魯に還らんとするに及び, 故人訣れて既に畢る, 文節 送行, 三宿別に臨み, 文節 流涕頤に交り, 子高 徒らに抗手するのみ,背を分って路に就く。)とある。

鐵衣 将軍は寒風吹く中、鐵衣を輝かして百戦百勝し、帰ってきて朝堂に坐す天子にまみえるもであるという意味の語。《樂府詩集橫吹曲辭五木蘭詩》:朔氣傳金柝, 寒光照鐵衣。”とあり、「将軍百戰死,壯士十年歸。 歸來見天子,天子坐明堂。」(將軍は百戰して死し,壯士は十年して歸える。 歸り來れば天子に見ゆ,天子明堂に坐す。)ということに基づいている。
8世紀唐と周辺国00 

743年(69)李太白集卷十六21-《送族弟綰從軍安西》(漢家兵馬乘北風,) 388Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(69) Ⅰ李白詩1744 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7260

李白  送族弟綰從軍安西

漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。

君王按劍望邊色,旄頭已落胡天空。匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。
(安西都護府に従軍して赴く族弟綰を送る詩)

今や、中国の兵馬は、北風に乗じて、勢すさまじく、そして、鼓を打撃ちつつ、西に向って進行し、必ず西戎を破って見せるという手筈である。汝は、中国の大将軍に従う為に門を出でて従軍し、胡虜を斬ること草を薙ぐが如く、十分に奇功を収めることができるようである。今しも、天子は、剣に手をかけて、辺境の風色をのぞまれ、折しも旄頭の星、地に落ちて、胡天寥闊、物もないのである。やがて、匈奴は、球数繋ぎに首を縛られ、あらん限りの数を尽くし、明年、これをかりたてて葡萄宮に入朝するだろうといって、待って居られる。汝等も、そのつもりで、一身を投げ打って、奮闘し、天子の予期せらるるところに負かぬ様にして欲しい。

743年(69)李太白集卷十六21-《送族弟綰從軍安西》(漢家兵馬乘北風,) 388Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-69) Ⅰ李白詩1744 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7260


 
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年:743年天寶二年43歳 94-69

卷別:    卷一七六              文體:    七言律詩

詩題:    送族弟綰從軍安西

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              安西都護府 (隴右道西部 無第二級行政層級 安西都護府) 別名:安西幕府

葡萄宮 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:李綰          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送族弟綰從軍安西

(安西都護府に従軍して赴く族弟綰を送る詩)

漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。

今や、中国の兵馬は、北風に乗じて、勢すさまじく、そして、鼓を打撃ちつつ、西に向って進行し、必ず西戎を破って見せるという手筈である。

爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。

汝は、中国の大将軍に従う為に門を出でて従軍し、胡虜を斬ること草を薙ぐが如く、十分に奇功を収めることができるようである。

君王按劍望邊色,旄頭已落胡天空。

今しも、天子は、剣に手をかけて、辺境の風色をのぞまれ、折しも旄頭の星、地に落ちて、胡天寥闊、物もないのである。

匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。

やがて、匈奴は、球数繋ぎに首を縛られ、あらん限りの数を尽くし、明年、これをかりたてて葡萄宮に入朝するだろうといって、待って居られる。汝等も、そのつもりで、一身を投げ打って、奮闘し、天子の予期せらるるところに負かぬ様にして欲しい。

(族弟綰の安西に從軍するを送る)

漢家の兵馬 北風に乘じ,鼓行して西し 犬戎を破る。

爾 漢將に隨って門を出でて去り,虜を剪ること草の若く奇功を收む。

君王 劍を按じて邊色を望めば,旄頭 已に落ちて 胡天空し。

匈奴 頸を繫いで 數 應に盡すべし,明年 應に入るべし 葡萄宮に。

 

『送族弟綰從軍安西』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送族弟綰從軍安西

漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。

爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。

君王按劍望邊色,旄頭已落胡天空。

匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。
詩文(含異文)     漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。君王按劍望邊色【君王按劍望邊邑】,旄頭已落胡天空。匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。


(下し文)
(族弟綰の安西に從軍するを送る)

漢家の兵馬 北風に乘じ,鼓行して西し 犬戎を破る。

爾 漢將に隨って門を出でて去り,虜を剪ること草の若く奇功を收む。

君王 劍を按じて邊色を望めば,旄頭 已に落ちて 胡天空し。

匈奴 頸を繫いで 數 應に盡すべし,明年 應に入るべし 葡萄宮に。

(現代語訳)
送族弟綰從軍安西(安西都護府に従軍して赴く族弟綰を送る詩)

今や、中国の兵馬は、北風に乗じて、勢すさまじく、そして、鼓を打撃ちつつ、西に向って進行し、必ず西戎を破って見せるという手筈である。

汝は、中国の大将軍に従う為に門を出でて従軍し、胡虜を斬ること草を薙ぐが如く、十分に奇功を収めることができるようである。

今しも、天子は、剣に手をかけて、辺境の風色をのぞまれ、折しも旄頭の星、地に落ちて、胡天寥闊、物もないのである。

やがて、匈奴は、球数繋ぎに首を縛られ、あらん限りの数を尽くし、明年、これをかりたてて葡萄宮に入朝するだろうといって、待って居られる。汝等も、そのつもりで、一身を投げ打って、奮闘し、天子の予期せらるるところに負かぬ様にして欲しい。


(訳注)

送族弟綰從軍安西

(安西都護府に従軍して赴く族弟綰を送る詩)

族弟綰、一に琯に作る。安西は、通典に「安西都護府は、本と亀玆國なり、大唐明慶中に置く。東、焉耆に接し、西、疏勒に連なり、南、吐蕃に鄰り、北、突厥を拒ぐ」とある。すると、この詩は、族弟李綰といふものが、従軍して安西都護府に赴くを送って作ったのである。

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漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。

今や、中国の兵馬は、北風に乗じて、勢すさまじく、そして、鼓を打撃ちつつ、西に向って進行し、必ず西戎を破って見せるという手筈である。

漢家 唐王朝の義、中国という意。

鼓行 西域の戦いに進行する出征兵士の戦意を鼓舞する鼓。漢書 項籍傳 「我引兵鼓行而西,必舉秦矣。」(我 兵を引いて、鼓行して西せば,必ず秦を舉げん。)

犬戎 西戎のこと。西戎あるいは戎および犬戎は、四夷の一つ。中国西部に住んでいた遊牧民族で、たびたび中国の歴代王朝に侵入して略奪を行ったことから、西戎という言葉に蔑んだ意味合いを込めている。古代中国人がトルコ族・チベット族など西方の異民族を称した語。

 

爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。

汝は、中国の大将軍に従う為に門を出でて従軍し、胡虜を斬ること草を薙ぐが如く、十分に奇功を収めることができるようである。

 

君王按劍望邊色,旄頭已落胡天空。

今しも、天子は、剣に手をかけて、辺境の風色をのぞまれ、折しも旄頭の星、地に落ちて、胡天寥闊、物もないのである。

邊色 邊塞地の景色。

旄頭 星名。二十八星宿之一,白虎七宿の第四星と為す。昴星。すばるぼし(六連星:異称)おうし座17番星、戦に吉兆。(神仏詣で・祝い事・開店に吉)《漢書.卷二六.天文志》:「昴を旄頭と曰う,胡星なり,白衣の會を為す。」とある。

 

匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。

やがて、匈奴は、球数繋ぎに首を縛られ、あらん限りの数を尽くし、明年、これをかりたてて葡萄宮に入朝するだろうといって、待って居られる。汝等も、そのつもりで、一身を投げ打って、奮闘し、天子の予期せらるるところに負かぬ様にして欲しい。

匈奴繫頸 《漢書》卷四十八《賈誼傳》「陛下何不試以臣為屬國之官以主匈奴?行臣之計,請必系單于之頸而制其命,伏中行而笞其背,舉匈奴之眾唯上之令。」(陛下 何ぞ試みに臣を以て 屬國の官と為し以て匈奴を主らさん?臣の計を行はざる,請う必ず單于の頸を系ぎて其の命を制せん,中行の伏して其の背に笞ち,匈奴の眾を舉げ唯だ之の令を上る。)とある。

葡萄宮 葡萄宮 漢の上林苑にあった宮の名、唐の御苑内の宮をいうのに天子を指すことになるので、古い呼び名をかり用いる。事実は758年乾元元年八月、回紇が其の臣骨啜特勅及び帝徳をつかわし、驍騎三千をもって安慶緒を討つことを助けさせた。天子は、朔方左武鋒便僕国懐恩をして、これを領せしめたということがある。葡萄宮:漢元帝時,單于來朝,居上林苑葡萄宮。此指回紇長安住所。

《漢書》卷九十四下《匈奴傳下》

元壽二年,單于來朝,上以太厭勝所在,舍之上林苑蒲陶宮。告之以加敬於單于,單于知之。加賜衣三百七十襲,錦繡繒帛三萬匹,絮三萬斤,它如河平時。既罷,遣中郎將韓況送單于。單于出塞,到休屯井,北度車田盧水,道里回遠。況等乏食,單于乃給其糧,失期不還五十餘日。

杜甫       06-55 洗兵馬()》「京師皆騎汗血馬,回紇喂肉葡萄宮。」(京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。)長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。

743年(68)李太白集卷十六18-3-《送外甥鄭灌從軍,三首之三》(月蝕西方破敵時,) 387Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(68) Ⅰ李白詩1743 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7255

李白  送外甥鄭灌從軍,三首之三

月蝕西方破敵時,及瓜歸日未應遲。斬胡血變黃河水,梟首當懸白鵲旗。

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その三

もうすぐ月蝕になるという、それは西方の敵を討つ時期が来たということを意味する、瓜期に及んで帰るという故事ということを言うが、まさにそのこと言っている秋の期日、規定がせまってきたということである。されば、速かに兵を進めて胡虜を斬り、その血をして、黄河の水を紅に染めることであり、やがて、首を梟して、吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗を懸けたらば善かろうとおもっている。

743年(68

送外甥鄭灌從軍,三首之三

387

743年天寶二年43歳 94-68

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李太白集
卷十六18-3

Index-23-2

 

 
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送外甥鄭灌從軍,三首之一

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の一)

六博 雄を爭って 好彩 來れば,金盤一擲 萬人開く。

丈夫 命を賭して 天子に報ず,當に胡頭を斬り 錦を衣て回るべし。

送外甥鄭灌從軍,三首之二

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の二)

丈八の蛇矛 隴西を出づ,弧を彎き 箭を拂えば 白猿啼く。

胡を破る 必ず龍韜の策を用いよ,積甲 應に熊耳と齊しかるべし。

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-68

卷別:    卷一七六              文體:    七言

詩題:    送外甥鄭灌從軍,三首之三

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:鄭灌          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首之三

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その三

月蝕西方破敵時,及瓜歸日未應遲。

もうすぐ月蝕になるという、それは西方の敵を討つ時期が来たということを意味する、瓜期に及んで帰るという故事ということを言うが、まさにそのこと言っている秋の期日、規定がせまってきたということである。

斬胡血變黃河水,梟首當懸白鵲旗。

されば、速かに兵を進めて胡虜を斬り、その血をして、黄河の水を紅に染めることであり、やがて、首を梟して、吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗を懸けたらば善かろうとおもっている。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の三)

月蝕 西方 敵を破るの時,瓜に及んで歸る日 未だ應に遲かるべからず。

胡を斬れば 血は變ず黃河の水,首を梟す 當に懸くべし 白鵲の旗。
8世紀唐と周辺国00

 

『送外甥鄭灌從軍,三首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

送外甥鄭灌從軍,三首之三

月蝕西方破敵時,及瓜歸日未應遲。

斬胡血變黃河水,梟首當懸白鵲旗。

(下し文)
(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の三)

月蝕 西方 敵を破るの時,瓜に及んで歸る日 未だ應に遲かるべからず。

胡を斬れば 血は變ず黃河の水,首を梟す 當に懸くべし 白鵲の旗。

(現代語訳)
送外甥鄭灌從軍,三首之三(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その三

もうすぐ月蝕になるという、それは西方の敵を討つ時期が来たということを意味する、瓜期に及んで帰るという故事ということを言うが、まさにそのこと言っている秋の期日、規定がせまってきたということである。

されば、速かに兵を進めて胡虜を斬り、その血をして、黄河の水を紅に染めることであり、やがて、首を梟して、吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗を懸けたらば善かろうとおもっている。


(訳注)

送外甥鄭灌從軍,三首之三

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その三

 

月蝕西方破敵時,及瓜歸日未應遲。

もうすぐ月蝕になるという、それは西方の敵を討つ時期が来たということを意味する、瓜期に及んで帰るという故事ということを言うが、まさにそのこと言っている秋の期日、規定がせまってきたということである。

14 月蝕 月蝕、英語: lunar eclipse)とは地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月にかかることによって月が欠けて見える現象のことである。望(満月)の時に起こる。 日食と違い、月が見える場所であれば地球上のどこからでも同時に観測・観察できる。ここでは、西域の異民族を打ち破る絶好の時期である。

15 及瓜歸日 瓜期(カキ):任期が終わった時。更代の時。→ 瓜時(カジ)。瓜の熟する時、陰暦七月。春秋、斉の襄公が連称と管至父とをして葵丘を戍(まも)らせ、瓜の熟する頃に遣して明年の瓜の熟する頃に更代(こうたい)させようと約した故事。転じて任期の満ちるとき。更代の時期。 《左傳·荘公八年》齊侯使連稱、管至父戍葵丘,瓜時而往,曰:“及瓜而代。"

 

斬胡血變黃河水,梟首當懸白鵲旗。

されば、速かに兵を進めて胡虜を斬り、その血をして、黄河の水を紅に染めることであり、やがて、首を梟して、吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗を懸けたらば善かろうとおもっている。

16 梟首 斬首した人の首を木にかけてさらすこと。また、その首。

17 白鵲旗 吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗。白鵲白羽鵲。 古時以為瑞鳥。 《舊唐書五行志》「貞觀初, 白鵲巢於殿庭之槐樹, 其巢合歡如腰鼓, 左右稱賀。」

 

 安史の乱期 勢力図 002

 

 

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首 【字解】

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

1 外甥鄭灌 外甥といえば、母方の甥で、つまり、母の姉妹の子である。この詩は、外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作ったのであるが、鄭灌の名字閲歴等は、一切分らない。

前半は博戯を以て功名に此し、後半は、賭命の賭の字を以て之を受け、そして、縁起よく祝ったのである。

2 六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 340cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。李伯《猛虎行》「有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。」(有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。)そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。”と、この詩と同じように使っている語である。

3 好彩 彩は賽の目の文を指したもので、黒白の色も以て別ち、雉犢の物を以て別つは、皆彩である。何の色といって投げ出し、そしてうまく中れば勝つので、仍って、その出た目を彩と名づけた。

4 金盤 双六の賽を投げ入れる青銅の盤。

5 一擲 一回賽を投げろと連呼する。

6 衣錦回 故郷に錦を飾る。《卷十六34送張遙之壽陽幕府》「勗爾效才略,功成衣錦還。」(爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。)一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

7 丈八蛇矛 一種矛, 長一丈八尺, 形狀像長槍。 晉書·卷一○三·劉曜載記:安左手奮七尺大刀, 右手執丈八蛇矛。”十六國春秋に「隴上の人、壮士の歌か作って日く、丈八蛇矛左右盤、十十決無當前」とある。・十蕩十決拼音:shi2 dang4 shi2 jue2 多次衝擊, 每次皆能衝破敵陣。 形容作戰驍勇。 樂府詩集·卷八十五·雜歌謠辭三·隴上歌: “驄父馬鐵鍛鞍, 七尺大刀奮如湍, 丈八蛇矛左右盤, 十蕩十決無當前。

8 隴西 隴西郡は中華人民共和国甘粛省にかつて存在した郡。漢代から隋初にかけて現在の甘肅省東南部に設置された。607年に設置された同名の隴西郡があるが、これは渭州を改称したものであり別の行政区画である。 隴西郡が初めて設置されたのは秦初に三十六郡が設置された際である。

9 彎弧 (弯弧)木の弓のこと。 《太平廣記》卷三二五引南朝梁任昉《述异記薄紹之》「有一人, 披錦袍, 彎弧注鏃, 直向紹之。」

10 拂箭 木の弓を放つ

11 白猿啼 春秋時代の弓の名人。楚の荘王・共王に丈夫として仕え、射術の妙によって有名となる。その弓勢の強さは甲冑7枚を貫き、蜻蛉の羽根を射ることができ、また100歩離れて柳の葉を射て百発百中であったともいう。楚王はかつて白猿を飼い自分で射てみたが、白猿は飛んでくる矢を捕らえて戯れたので、養由基を召して射させることにした。養由基が弓をととのえて矢をつがえ、まだ発しないうちに白猿は泣き叫んで木にしがみついたという。また共王が戦に敗れたとき、養由基は殿(しんがり)をつとめ1本の矢で複数の兵を倒す妙技を発揮し、敵を近寄せなかったともいう。生没年未詳。養由。《淮南子》卷十六〈山訓〉「楚王有白蝯,王自射之,則搏矢而熙;使養由基射之,始調弓矯矢,未發而蝯擁柱號矣,有先中中者也。(楚王白蝯有り,王 自ら之を射れば,則ち矢を搏って熙ぶ;使養由基をして之を射らしむ,始め弓を調へ矢を矯む,未だ發せざるにして蝯 柱を擁して號ばん,先に中る有るは中る者なり。)

12 龍韜策 古代の兵法書。《六韜》と《三略》のこと。《六韜》は周の功臣太公望の著とされ,《三略》は漢の功臣張良が黄石公から授かったとされるが仮託である。兵法七書中の2を占める。六韜は周の文王・武王の問いに対し、呂尚が経世済民(けいせいさいみん)の術、富国強兵の策を説くもので、第1巻は文韜12編・武韜5編、第2巻は龍(りゅう)13編・虎韜12編・第3巻には豹(ひょう)8編・犬(けん)10編、計360編からなり、文・武では治国、龍韜は奇変、虎韜は勇猛果断、豹韜は奇計、犬韜は突進を主題としている。三略は上略・中略・下略の3巻からなり、戦略の機微を上・中・下の三つに分かち、礼賞を設けて奸雄(かんゆう)を分かち、賢者を用いて国の安危を察し、将を御(ぎょ)して衆を暢()ぶるの道を明らかにしている。わが国では、934年(承平4)大江維時(おおえのこれとき)が唐から帰朝の際に持ち帰ったと伝え、以後大江家の兵法となり、源家(げんけ)の古伝(こでん)兵法に受け継がれたという。

13 積甲應將熊耳齊 兵甲堆疊如山。極言其多。《後漢書·劉盆子傳》赤眉軍は中国の新朝末に発生した農民反乱軍の名称。眉を赤く染め政府軍と区別したことから赤眉軍と称される。この赤眉軍を平定した、後漢書に「積兵甲宜陽城西,與熊耳山齊。」とある故事をいう。劉秀は宜陽に行幸し、司馬を先鋒、中軍を次鋒とし、驍騎・元戎の陣列を左右に展開した。赤眉軍は恐怖におののき、劉恭を使者として降服を願い出て、劉盆子・徐宣らの二十人あまりは着物を脱いで更始帝の璽綬を献上し、宜陽の城西に積みあげられた武具は熊耳山と同じ高さになった。

《後漢書·劉盆子傳》「赤眉忽遇大軍,驚震不知所謂,乃遣劉恭乞降曰:“盆子將百萬衆降陛下,何以待之?”帝曰:“待汝以不死耳!”丙午,盆子及丞相徐宣以下三十餘人肉袒降,上所得傳國璽綬。積兵甲宜陽城西,與熊耳山齊。後漢書に「赤眉、忽ち大軍に遇ひ、驚震、為すところを知らず、乃ち劉恭を遣わして降を乞う。兵甲を宜陽城西に積んで、熊耳山と斉し」とある。

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李白  送外甥鄭灌從軍,三首之二

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。

743年(67

送外甥鄭灌從軍,三首之二

386

743年天寶二年43歳 94-67

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李太白集
卷十六18-2

Index-23-2

 

 
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送外甥鄭灌從軍,三首之一

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の一)

六博 雄を爭って 好彩 來れば,金盤一擲 萬人開く。

丈夫 命を賭して 天子に報ず,當に胡頭を斬り 錦を衣て回るべし。

 

年:743年天寶二年43歳 94-67) 

卷別:    卷一七六              文體:    七言

詩題:    送外甥鄭灌從軍,三首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              隴西 (隴右道東部 渭州 隴西)           

熊耳山 (都畿道 河南府 熊耳山)       

交遊人物/地點:鄭灌          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首之二

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の二)

丈八の蛇矛 隴西を出づ,弧を彎き 箭を拂えば 白猿啼く。

胡を破る 必ず龍韜の策を用いよ,積甲 應に熊耳と齊しかるべし。

 

『送外甥鄭灌從軍,三首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送外甥鄭灌從軍,三首之二

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

(下し文)
(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の二)

丈八の蛇矛 隴西を出づ,弧を彎き 箭を拂えば 白猿啼く。

胡を破る 必ず龍韜の策を用いよ,積甲 應に熊耳と齊しかるべし。


(現代語訳)
送外甥鄭灌從軍,三首之二(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。

汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。


(訳注)

送外甥鄭灌從軍,三首之二

送外甥鄭灌從軍,三首之二

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

1 外甥鄭灌 外甥といえば、母方の甥で、つまり、母の姉妹の子である。この詩は、外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作ったのであるが、鄭灌の名字閲歴等は、一切分らない。

【餘論】この首は、毎句に故事を用いて居るが、善く融化して、少しも、わざとらしい處のないのは、

 

 

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。

7 丈八蛇矛 一種矛, 長一丈八尺, 形狀像長槍。 晉書·卷一○三·劉曜載記:安左手奮七尺大刀, 右手執丈八蛇矛。”十六國春秋に「隴上の人、壮士の歌か作って日く、丈八蛇矛左右盤、十十決無當前」とある。・十蕩十決拼音:shi2 dang4 shi2 jue2 多次衝擊, 每次皆能衝破敵陣。 形容作戰驍勇。 樂府詩集·卷八十五·雜歌謠辭三·隴上歌: “驄父馬鐵鍛鞍, 七尺大刀奮如湍, 丈八蛇矛左右盤, 十蕩十決無當前。

8 隴西 隴西郡は中華人民共和国甘粛省にかつて存在した郡。漢代から隋初にかけて現在の甘肅省東南部に設置された。607年に設置された同名の隴西郡があるが、これは渭州を改称したものであり別の行政区画である。 隴西郡が初めて設置されたのは秦初に三十六郡が設置された際である。

9 彎弧 (弯弧)木の弓のこと。 《太平廣記》卷三二五引南朝梁任昉《述异記薄紹之》「有一人, 披錦袍, 彎弧注鏃, 直向紹之。」

10 拂箭 木の弓を放つ

11 白猿啼 春秋時代の弓の名人。楚の荘王・共王に丈夫として仕え、射術の妙によって有名となる。その弓勢の強さは甲冑7枚を貫き、蜻蛉の羽根を射ることができ、また100歩離れて柳の葉を射て百発百中であったともいう。楚王はかつて白猿を飼い自分で射てみたが、白猿は飛んでくる矢を捕らえて戯れたので、養由基を召して射させることにした。養由基が弓をととのえて矢をつがえ、まだ発しないうちに白猿は泣き叫んで木にしがみついたという。また共王が戦に敗れたとき、養由基は殿(しんがり)をつとめ1本の矢で複数の兵を倒す妙技を発揮し、敵を近寄せなかったともいう。生没年未詳。養由。《淮南子》卷十六〈山訓〉楚王有白蝯,王自射之,則搏矢而熙;使養由基射之,始調弓矯矢,未發而蝯擁柱號矣,有先中中者也。(楚王白蝯有り,王 自ら之を射れば,則ち矢を搏って熙ぶ;使養由基をして之を射らしむ,始め弓を調へ矢を矯む,未だ發せざるにして蝯 柱を擁して號ばん,先に中る有るは中る者なり。)

 

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。

12 龍韜策 古代の兵法書。《六韜》と《三略》のこと。《六韜》は周の功臣太公望の著とされ,《三略》は漢の功臣張良が黄石公から授かったとされるが仮託である。兵法七書中の2を占める。六韜は周の文王・武王の問いに対し、呂尚が経世済民(けいせいさいみん)の術、富国強兵の策を説くもので、第1巻は文韜12編・武韜5編、第2巻は龍(りゅう)13編・虎韜12編・第3巻には豹(ひょう)8編・犬(けん)10編、計360編からなり、文・武では治国、龍韜は奇変、虎韜は勇猛果断、豹韜は奇計、犬韜は突進を主題としている。三略は上略・中略・下略の3巻からなり、戦略の機微を上・中・下の三つに分かち、礼賞を設けて奸雄(かんゆう)を分かち、賢者を用いて国の安危を察し、将を御(ぎょ)して衆を暢()ぶるの道を明らかにしている。わが国では、934年(承平4)大江維時(おおえのこれとき)が唐から帰朝の際に持ち帰ったと伝え、以後大江家の兵法となり、源家(げんけ)の古伝(こでん)兵法に受け継がれたという。

13 積甲應將熊耳齊 兵甲堆疊如山。極言其多。《後漢書·劉盆子傳》赤眉軍は中国の新朝末に発生した農民反乱軍の名称。眉を赤く染め政府軍と区別したことから赤眉軍と称される。この赤眉軍を平定した、後漢書に「積兵甲宜陽城西,與熊耳山齊。」とある故事をいう。劉秀は宜陽に行幸し、司馬を先鋒、中軍を次鋒とし、驍騎・元戎の陣列を左右に展開した。赤眉軍は恐怖におののき、劉恭を使者として降服を願い出て、劉盆子・徐宣らの二十人あまりは着物を脱いで更始帝の璽綬を献上し、宜陽の城西に積みあげられた武具は熊耳山と同じ高さになった。

《後漢書·劉盆子傳》「赤眉忽遇大軍,驚震不知所謂,乃遣劉恭乞降曰:“盆子將百萬衆降陛下,何以待之?”帝曰:“待汝以不死耳!”丙午,盆子及丞相徐宣以下三十餘人肉袒降,上所得傳國璽綬。積兵甲宜陽城西,與熊耳山齊。後漢書に「赤眉、忽ち大軍に遇ひ、驚震、為すところを知らず、乃ち劉恭を遣わして降を乞う。兵甲を宜陽城西に積んで、熊耳山と斉し」とある。

 

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首 【字解】

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

1 外甥鄭灌 外甥といえば、母方の甥で、つまり、母の姉妹の子である。この詩は、外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作ったのであるが、鄭灌の名字閲歴等は、一切分らない。

前半は博戯を以て功名に此し、後半は、賭命の賭の字を以て之を受け、そして、縁起よく祝ったのである。

2 六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 340cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。李伯《猛虎行》「有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。」(有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。)そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。”と、この詩と同じように使っている語である。

3 好彩 彩は賽の目の文を指したもので、黒白の色も以て別ち、雉犢の物を以て別つは、皆彩である。何の色といって投げ出し、そしてうまく中れば勝つので、仍って、その出た目を彩と名づけた。

4 金盤 双六の賽を投げ入れる青銅の盤。

5 一擲 一回賽を投げろと連呼する。

6 衣錦回 故郷に錦を飾る。《卷十六34送張遙之壽陽幕府》「勗爾效才略,功成衣錦還。」(爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。)一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

743年(66)李太白集卷十六18-1-《送外甥鄭灌從軍,三首之一》(六博爭雄好彩來,) 385Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(66) Ⅰ李白詩1741 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7245

李白  送外甥鄭灌從軍,三首之一

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。
(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

743年(66

送外甥鄭灌從軍,三首之一

385

743年天寶二年43歳 94-66

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7245

李太白集
卷十六18-1

Index-23-2

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-66

卷別:    卷一七六              文體:    七言

詩題:    送外甥鄭灌從軍,三首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:鄭灌          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首之一

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の一)

六博 雄を爭って 好彩 來れば,金盤一擲 萬人開く。

丈夫 命を賭して 天子に報ず,當に胡頭を斬り 錦を衣て回るべし。

京兆地域図002 

『送外甥鄭灌從軍,三首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送外甥鄭灌從軍,三首之一

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

(下し文)

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の一)

六博 雄を爭って 好彩 來れば,金盤一擲 萬人開く。

丈夫 命を賭して 天子に報ず,當に胡頭を斬り 錦を衣て回るべし。

(現代語訳)
送外甥鄭灌從軍,三首之一(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

大明宮の圖003
(訳注)

送外甥鄭灌從軍,三首之一

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

1 外甥鄭灌 外甥といえば、母方の甥で、つまり、母の姉妹の子である。この詩は、外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作ったのであるが、鄭灌の名字閲歴等は、一切分らない。

前半は博戯を以て功名に此し、後半は、賭命の賭の字を以て之を受け、そして、縁起よく祝ったのである。

 

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

2 六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 340cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。李伯《猛虎行》「有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。」(有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。)そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。”と、この詩と同じように使っている語である。

3 好彩 彩は賽の目の文を指したもので、黒白の色も以て別ち、雉犢の物を以て別つは、皆彩である。何の色といって投げ出し、そしてうまく中れば勝つので、仍って、その出た目を彩と名づけた。

4 金盤 双六の賽を投げ入れる青銅の盤。

5 一擲 一回賽を投げろと連呼する。

 

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

6 衣錦回 故郷に錦を飾る。《卷十六34送張遙之壽陽幕府》「勗爾效才略,功成衣錦還。」(爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。)一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

743年(65)李太白集卷十六13-《送張遙之壽陽幕府》(壽陽信天險,) 384-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(65) Ⅰ李白詩1740 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7240

李白  送張遙之壽陽幕府 #2

戰夫若熊虎,破敵有餘閒。張子勇且英,少輕衛霍孱。

投軀紫髯將,千里望風顏。勗爾效才略,功成衣錦還。

麾下の戦士は、その勇悍なること、熊の如く、虎の如く、見事に敵を破り、しかも余裕綽々として居た。ここに、張遥は、勇鋭英俊であり、年少にして漢の武帝時代の衛青、霍去病の如き古しえの将軍をさえ、孱弱な者として之を軽んずる位であるという。かくて、今回、「碧眼紫髯」という孫権に比すべき名将の幕下に身を投じ、千里の遠きを馳せて、態態これに逢いに行くというので、汝に勧めるは他にいないというものである。一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

743年(65)李太白集卷十六13-《送張遙之壽陽幕府》(壽陽信天險,) 384-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-65) Ⅰ李白詩1740 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7240

 

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-65

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送張遙之壽陽幕府

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              壽州 (淮南道 壽州 壽州) 別名:壽陽             

八公山 (淮南道 壽州 八公山)           

交遊人物/地點:張遙          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

 

送張遙之壽陽幕府

(張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作った)

壽陽信天險,天險橫荊關。

壽春城は、まことに天険で、南方の楚地、荊門から関門として続く天然の要害の地によって、まもられている。横たわっている。

苻堅百萬眾,遙阻八公山。

むかし、苻堅は、百万の衆を率いて、江南を挙げむとし、遥かに八公山を隔てて、ここに陣取った。

不假築長城,大賢在其間。

その勢は、まことにに凄じい位であったが、東晋の方には、長城を築くまでもなく、幸にも、謝玄・謝石の如き大賢が其間に居たのである。

#2

戰夫若熊虎,破敵有餘閒。

麾下の戦士は、その勇悍なること、熊の如く、虎の如く、見事に敵を破り、しかも余裕綽々として居た。

張子勇且英,少輕衛霍孱。

ここに、張遥は、勇鋭英俊であり、年少にして漢の武帝時代の衛青、霍去病の如き古しえの将軍をさえ、孱弱な者として之を軽んずる位であるという。

投軀紫髯將,千里望風顏。

かくて、今回、「碧眼紫髯」という孫権に比すべき名将の幕下に身を投じ、千里の遠きを馳せて、態態これに逢いに行くというので、汝に勧めるは他にいないというものである。

勗爾效才略,功成衣錦還。

一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

 

(張遙の壽陽幕府に之くを送る)

壽陽は信に天險たり,天險 荊關に橫たう。

苻堅 百萬の,遙に 八公の山を阻【へだ】。つ

長城を築く假らず,大賢 其の間に在り。

#2

戰夫 熊虎の若く,敵を破って餘閒有り。

張子 勇にして且つ英,少にして 輕んず衛霍の孱なるを。

軀を投ず 紫髯の將,千里 風顏を望む。

爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。

 

『送張遙之壽陽幕府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

戰夫若熊虎,破敵有餘閒。

張子勇且英,少輕衛霍孱。

投軀紫髯將,千里望風顏。

勗爾效才略,功成衣錦還。

(下し文)
#2

戰夫 熊虎の若く,敵を破って餘閒有り。

張子 勇にして且つ英,少にして 輕んず衛霍の孱なるを。

軀を投ず 紫髯の將,千里 風顏を望む。

爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。

(現代語訳)
#2

麾下の戦士は、その勇悍なること、熊の如く、虎の如く、見事に敵を破り、しかも余裕綽々として居た。

ここに、張遥は、勇鋭英俊であり、年少にして漢の武帝時代の衛青、霍去病の如き古しえの将軍をさえ、孱弱な者として之を軽んずる位であるという。

かくて、今回、「碧眼紫髯」という孫権に比すべき名将の幕下に身を投じ、千里の遠きを馳せて、態態これに逢いに行くというので、汝に勧めるは他にいないというものである。

一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。


(訳注) #2

送張遙之壽陽幕府

(張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作った)

《新唐書·卷三十一·地理五》:「壽州壽春郡,中都督府。本淮南郡,天寶元年更名。」「淮南道に壽州あり、壽春羣・蓋寿都中都督府、本と淮南部、天寶元年、名を更む」とある。王琦の説に「按するに、壽春の名は、本と戦国よりす。史記楚世家、考烈王、都を壽春に徙す。正義に日く、壽春は南壽州縣に在りと。是れなり。壽陽の名は、東晉より起る。通典、東晋、鄭皇后の諱を以て、壽春を改めて壽陽といひ、宜春を宜陽といひ、富春を富陽といひ、凡そ春と名がつくるものは、悉く之を改む。唐時、壽春と名づけ、太白壽陽を用ふるは、蓋し旧名を襲用するのみ」といった。それから、幕府は、史記索隠に「凡そ将軍、これを幕府と謂うは、蓋し兵門合わせて帷帳を施す、故に幕府と称す。崔浩日く、古しへ出征して将帥たり、軍、還れば罷む、理、常處なし、幕奕を以て府署となす、故に幕府といふ」とある。すると、この詩は、張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作ったのである。

前八句は壽春が故事、後六句は迭別の正意で、両者の関係は、自然緊密である。

壽陽幕府 

壽陽、現在の寿県のこと。安徽省淮南市に位置する県である。安徽省の中央部、淮河の南岸に位置しており、国家歴史文化名城に指定される古い街である。旧称は郢(えい、Yǐng)、寿春(じゅしゅん、Shòu Chūn)といい、南北交通の要衝であり、古くから兵家必争の地であった。楚の首都であり淝水の戦いの古戦場ともなっている。楚は秦の圧力に対抗するため、春申君の提言で寿春へ遷都し、寿春を「郢」と改める。楚の都城の遺跡は現在の寿県県城内にある。楚の滅亡後、秦代には寿春に改名され、三十六郡のひとつ九江郡の治所となった。漢の初期のころは外姓王の英布が淮南王に封じられその王都となっている。淮南王であった劉安はこの地で『淮南子』を著した。後漢末期、袁術は寿春を都に皇帝を称した。三国時代の魏の後期には相次いで大きな兵変が発生した。

東晋の時代、華北を制した前秦が南征を行い、寿春の八公山に至り淝水で東晋軍と激突した。これが淝水の戦いであり、前秦軍が総崩れになり壊走した。「投鞭断流」、「風声鶴唳」、「草木皆兵」などの故事成語はこの戦いが起源である。

隋および唐は寿春を寿州と改名した。当時、この地で興った「壽州窯」は古代中国の著名な陶器の生産地で、その産品は南北の風格を兼ね備え、朝野に広く受け容れられた。

 

戰夫若熊虎,破敵有餘閒。

麾下の戦士は、その勇悍なること、熊の如く、虎の如く、見事に敵を破り、しかも余裕綽々として居た。

熊虎 戦う姿が熊虎の様で、軀命を惜しまずというもの。

 

張子勇且英,少輕衛霍孱。

ここに、張遥は、勇鋭英俊であり、年少にして漢の武帝時代の衛青、霍去病の如き古しへの将軍をさえ、孱弱な者として之を軽んずる位であるという。

張子 張遥のこと。

衛霍孱 衛青、霍去病のこと。孱は、孱弱ということ。弱々しいこと。かよわいこと。また、そのさま。

去病 紀元前140 - 紀元前117年、Huò Qù-bìng)は、前漢の武帝時代の武将である。 父は、霍仲孺。異母弟は、大司馬大将軍になり、武帝後の政治を取り仕切った霍光。

衛青は幼少時の苦労から、将軍になっても威張るようなことはなく、兵卒にも気軽に接していた。また、自殺に追い込んでしまった李広に負い目を感じてか、李広の息子の李敢に切りつけられても黙っていた(しかし霍去病はこれを聞きつけ怒り、李敢を殺害した)。

 

投軀紫髯將,千里望風顏。

かくて、今回、「碧眼紫髯」という孫権に比すべき名将の幕下に身を投じ、千里の遠きを馳せて、態態これに逢いに行くというので、汝に勧めるは他にいないというものである。

紫髯將 現在では孫権のことを「碧眼紫髯」と形容しているが、紫髯將というのがただしい。「献帝春秋」で張遼が孫権を「紫髯将軍」と述べている。

張遼 《献帝春秋》「張遼問降人、向有紫髯将軍、長上短下、便馬善射、是誰。降人答曰、是孫会稽。

 

勗爾效才略,功成衣錦還。

一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

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李白  送張遙之壽陽幕府

壽陽信天險,天險橫荊關。

苻堅百萬,遙阻八公山。

不假築長城,大賢在其間。
(張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作った)

壽春城は、まことに天険で、南方の楚地、荊門から関門として続く天然の要害の地によって、まもられている。横たわっている。むかし、苻堅は、百万の衆を率いて、江南を挙げむとし、遥かに八公山を隔てて、ここに陣取った。その勢は、まことにに凄じい位であったが、東晋の方には、長城を築くまでもなく、幸にも、謝玄・謝石の如き大賢が其間に居たのである。

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年:743年天寶二年43歳 94-65

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送張遙之壽陽幕府

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              壽州 (淮南道 壽州 壽州) 別名:壽陽             

八公山 (淮南道 壽州 八公山)           

交遊人物/地點:張遙          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

 

送張遙之壽陽幕府

(張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作った)

壽陽信天險,天險橫荊關。

壽春城は、まことに天険で、南方の楚地、荊門から関門として続く天然の要害の地によって、まもられている。横たわっている。

苻堅百萬眾,遙阻八公山。

むかし、苻堅は、百万の衆を率いて、江南を挙げむとし、遥かに八公山を隔てて、ここに陣取った。

不假築長城,大賢在其間。

その勢は、まことにに凄じい位であったが、東晋の方には、長城を築くまでもなく、幸にも、謝玄・謝石の如き大賢が其間に居たのである。

#2

戰夫若熊虎,破敵有餘閒。

張子勇且英,少輕衛霍孱。

投軀紫髯將,千里望風顏。

勗爾效才略,功成衣錦還。

 

(張遙の壽陽幕府に之くを送る)

壽陽は信に天險たり,天險 荊關に橫たう。

苻堅 百萬の,遙に 八公の山を阻【へだ】。つ

長城を築く假らず,大賢 其の間に在り。

#2

戰夫 熊虎の若く,敵を破って餘閒有り。

張子 勇にして且つ英,少にして 輕んず衛霍の孱なるを。

軀を投ず 紫髯の將,千里 風顏を望む。

爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。

 

『送張遙之壽陽幕府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送張遙之壽陽幕府

壽陽信天險,天險橫荊關。

苻堅百萬,遙阻八公山。

不假築長城,大賢在其間。

(下し文)

(張遙の壽陽幕府に之くを送る)

壽陽は信に天險たり,天險 荊關に橫たう。

苻堅 百萬の,遙に 八公の山を阻【へだ】。つ

長城を築く假らず,大賢 其の間に在り。

(現代語訳)
送張遙之壽陽幕府(張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作った)

壽春城は、まことに天険で、南方の楚地、荊門から関門として続く天然の要害の地によって、まもられている。横たわっている。

むかし、苻堅は、百万の衆を率いて、江南を挙げむとし、遥かに八公山を隔てて、ここに陣取った。

その勢は、まことにに凄じい位であったが、東晋の方には、長城を築くまでもなく、幸にも、謝玄・謝石の如き大賢が其間に居たのである。


(訳注)

送張遙之壽陽幕府

(張遥といふものが、壽春に駐在する将軍の幕下に身を投せるが為に、はるばる壽春に出かけるに就いて、これを送る為に作った)

前八句は壽春が故事、後六句は迭別の正意で、両者の関係は、自然緊密である。

壽陽幕府 

壽陽、現在の寿県のこと。安徽省淮南市に位置する県である。安徽省の中央部、淮河の南岸に位置しており、国家歴史文化名城に指定される古い街である。旧称は郢(えい、Yǐng)、寿春(じゅしゅん、Shòu Chūn)といい、南北交通の要衝であり、古くから兵家必争の地であった。楚の首都であり淝水の戦いの古戦場ともなっている。楚は秦の圧力に対抗するため、春申君の提言で寿春へ遷都し、寿春を「郢」と改める。楚の都城の遺跡は現在の寿県県城内にある。楚の滅亡後、秦代には寿春に改名され、三十六郡のひとつ九江郡の治所となった。漢の初期のころは外姓王の英布が淮南王に封じられその王都となっている。淮南王であった劉安はこの地で『淮南子』を著した。後漢末期、袁術は寿春を都に皇帝を称した。三国時代の魏の後期には相次いで大きな兵変が発生した。

東晋の時代、華北を制した前秦が南征を行い、寿春の八公山に至り淝水で東晋軍と激突した。これが淝水の戦いであり、前秦軍が総崩れになり壊走した。「投鞭断流」、「風声鶴唳」、「草木皆兵」などの故事成語はこの戦いが起源である。

隋および唐は寿春を寿州と改名した。当時、この地で興った「壽州窯」は古代中国の著名な陶器の生産地で、その産品は南北の風格を兼ね備え、朝野に広く受け容れられた。

 

壽陽信天險,天險橫荊關。

壽春城は、まことに天険で、南方の楚地、荊門から関門として続く天然の要害の地によって、まもられている。横たわっている。

壽陽 陽城。太平寰宇記「陽城臨淝水、北有八/公山、山北即淮水、自東晉至今、常為 要害之地。」陽城は淝水に臨み、北に八公山り、山北 即ち淮水 東晉より今に至るまで 常に要害の地為り。)とある。

信天險 まことに天に何もなく広がる青空の中でただ一つ鋭くたっている姿を言う。

天險橫荊關 その天険の地は、南方の楚地、荊門から続く天然の要害の地によって、まもられている。

 

苻堅百萬眾,遙阻八公山。

むかし、苻堅は、百万の衆を率いて、江南を挙げむとし、遥かに八公山を隔てて、ここに陣取った。

苻堅百萬眾 淝水の戦いをいう。3838月、苻堅は南北統一を目指して群臣の反対を押し切り、総勢100万と号する東晋討伐の軍を起こした。前秦軍は苻融の軍が寿春を落とすなど優勢だったが、漢族将軍でかつての東晋の梁州刺史朱序が「堅、敗れたり!」と叫んで苻堅を裏切り、さらに東晋軍の謝玄・謝石らに動揺した隙を突かれて大敗した。苻堅は流れ矢に当たって負傷しながらも弟の苻融と共に鮮卑族の慕容垂の軍勢によって守られて敗走したが、苻融は戦死した。《十六國春秋》 秦遣兵分道、寇晉  八月,以苻融為前鋒都督,指揮慕容垂等步騎二十五萬先行,苻堅隨後繼發,戎卒六十餘萬,騎二十七萬,旗鼓相望,前後千里。晉以以謝石為前線大都督,謝玄為先鋒,並謝琰、桓伊等人,領八萬兵馬,分三路迎擊前秦軍。」

八公山 《江南通志》「八公山,在壽陽城北五里、在淝北淮南,亦名北山。峽石山西北夾淮為險,在西岸為峽石,在東岸為壽陽山。」(八公山は,壽陽城北五里に在り,淝北淮南に在り,亦たの名を北山という。峽石山の西北は夾淮 險を為し,西岸は峽石を為す在り,東岸は壽陽山を為す在る。)

 

不假築長城,大賢在其間。

その勢は、まことにに凄じい位であったが、東晋の方には、長城を築くまでもなく、幸にも、謝玄・謝石の如き大賢が其間に居たのである。

大賢在其間 淝水の戦いにおける謝玄・謝石のことをいう。

743年(64)李太白集卷十六10-《送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》(安西幕府多材雄,) 383Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(64) Ⅰ李白詩1738 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7230

李白  送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府

安西幕府多材雄,喧喧惟道三數公。繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。

朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。

胡塞清塵幾日歸,漢家草綠遙相待。

(侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するのを送る詩)

安西都護府は、西域一帯の地を牽制するから、その必要上、才気雄傑の人が多いが、その中でも、喧喧として、人口に上るのは、侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻の三数公といわれる人たちである。三数公は、繍衣をつけ、貂裘を披き、それが満地の積雪より明かに、そして、書を飛ばしたり、檄を走らせたりする場合に、その疾いことは、さながら飄風の如く、まことに、あっぱれの人物で、それなればこそ、この重職も、やすやすと務まるわけである。今次、三数公は、朝に聖明の君に辭して、紫微垣より出て、そして、その行を送る人人は、馬に銀鞍を置いて、美美しき打扮、しかも、その数の多いことは、長安城が空に成るかとおもうくらいである。これより、行く手の路は、いとも遥かにして、天外の飛霜は、葱海に下り、まことに凄寒に堪へられぬが、一行は、火のやうな赤い旗を押し立て、相従う人馬の多きことは、雲の如く、まことに見事である。かくて、何れの時かに胡塞の塵が収まって、目出たく歸京せらるるか、都に於では、春囘り、草再び緑にして、遥かに三数公の歸るのを待って居るのである。

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年:743年天寶二年43歳 94-64

卷別:    卷一七六              文體:    七言古詩

詩題:    送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              安西都護府 (隴右道西部 無第二級行政層級 安西都護府) 別名:安西、安西幕府交遊人物/地點:程侍郎           當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

劉眺         當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

獨孤峻     當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府

(侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するのを送る詩)

安西幕府多材雄,喧喧惟道三數公。

安西都護府は、西域一帯の地を牽制するから、その必要上、才気雄傑の人が多いが、その中でも、喧喧として、人口に上るのは、侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻の三数公といわれる人たちである。

繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。

三数公は、繍衣をつけ、貂裘を披き、それが満地の積雪より明かに、そして、書を飛ばしたり、檄を走らせたりする場合に、その疾いことは、さながら飄風の如く、まことに、あっぱれの人物で、それなればこそ、この重職も、やすやすと務まるわけである。

朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。

今次、三数公は、朝に聖明の君に辭して、紫微垣より出て、そして、その行を送る人人は、馬に銀鞍を置いて、美美しき打扮、しかも、その数の多いことは、長安城が空に成るかとおもうくらいである。

天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。

これより、行く手の路は、いとも遥かにして、天外の飛霜は、葱海に下り、まことに凄寒に堪へられぬが、一行は、火のやうな赤い旗を押し立て、相従う人馬の多きことは、雲の如く、まことに見事である。

胡塞清塵幾日歸,漢家草綠遙相待。

かくて、何れの時かに胡塞の塵が収まって、目出たく歸京せらるるか、都に於では、春囘り、草再び緑にして、遥かに三数公の歸るのを待って居るのである。

(程・劉二侍郎の獨孤判官と安西幕府に赴くを送る)

安西の幕府 材雄多し,喧喧 惟だ道う 三數公。

繡衣 貂裘 積雪よりも明かに,書を飛ばし 檄を走らすこと 飄風の如し。

朝 明主を辭して 紫宮を出で,銀鞍 別を送って 金城空し。

天外の飛霜 蔥海に下り,火旗雲馬 光彩を生ず。

胡塞 塵を清めて 幾日か歸る,漢家 草綠にして遙に相い待つ。

 

大明宮の圖003 

『送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府

安西幕府多材雄,喧喧惟道三數公。

繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。

朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。

天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。

胡塞清塵幾日歸,漢家草綠遙相待。

(下し文)
(程・劉二侍郎の獨孤判官と安西幕府に赴くを送る)

安西の幕府 材雄多し,喧喧 惟だ道う 三數公。

繡衣 貂裘 積雪よりも明かに,書を飛ばし 檄を走らすこと 飄風の如し。

朝 明主を辭して 紫宮を出で,銀鞍 別を送って 金城空し。

天外の飛霜 蔥海に下り,火旗雲馬 光彩を生ず。

胡塞 塵を清めて 幾日か歸る,漢家 草綠にして遙に相い待つ。

(現代語訳)
送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府(侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するのを送る詩)

安西都護府は、西域一帯の地を牽制するから、その必要上、才気雄傑の人が多いが、その中でも、喧喧として、人口に上るのは、侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻の三数公といわれる人たちである。

三数公は、繍衣をつけ、貂裘を披き、それが満地の積雪より明かに、そして、書を飛ばしたり、檄を走らせたりする場合に、その疾いことは、さながら飄風の如く、まことに、あっぱれの人物で、それなればこそ、この重職も、やすやすと務まるわけである。

今次、三数公は、朝に聖明の君に辭して、紫微垣より出て、そして、その行を送る人人は、馬に銀鞍を置いて、美美しき打扮、しかも、その数の多いことは、長安城が空に成るかとおもうくらいである。

これより、行く手の路は、いとも遥かにして、天外の飛霜は、葱海に下り、まことに凄寒に堪へられぬが、一行は、火のやうな赤い旗を押し立て、相従う人馬の多きことは、雲の如く、まことに見事である。

かくて、何れの時かに胡塞の塵が収まって、目出たく歸京せらるるか、都に於では、春囘り、草再び緑にして、遥かに三数公の歸るのを待って居るのである。

安史の乱期 勢力図 002
(訳注)

送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府

(侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するのを送る詩)

舊唐書封常清傳に「開元の末、安西四鎭節度使夫蒙靈詧判官に劉眺・獨孤峻あり」と見えて居るから、劉侍御、獨孤判官は大方その人であらう。但し、程は何人だか、わからない。

通鑑唐紀に「安西節度は、西域を撫寧し、龜玆、焉耆、于、疎勒の四鎭を統べ、龜玆城に治す、兵二万四千」とある。

この詩は、侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するを送って作ったのである。

起首四句は、三人の人物を写し、朝辭の二句は、送別の有様、天外の二句は、途中の光景を想像し、胡塞の二句は、その帰京の早からむことを嘱望したのである。

 

安西幕府多材雄,喧喧惟道三數公。

安西都護府は、西域一帯の地を牽制するから、その必要上、才気雄傑の人が多いが、その中でも、喧喧として、人口に上るのは、侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻の三数公といわれる人たちである。

安西幕府 安西都護府の地方、安西は新疆省庫車、唐代におかれた六都護府の一つ。辺境警備・周辺諸民族統治などのために置かれた軍事機関。都護府の長官は都護と呼ばれていた。

三數公 侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻。

 

繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。

三数公は、繍衣をつけ、貂裘を披き、それが満地の積雪より明かに、そして、書を飛ばしたり、檄を走らせたりする場合に、その疾いことは、さながら飄風の如く、まことに、あっぱれの人物で、それなればこそ、この重職も、やすやすと務まるわけである。

繍衣 漢書に「侍御史に繍衣直指あり」と記し、顔師古の註に「衣するに繍を以てするは、これを尊重するなり」とある。

飛書走檄 西京雜記に「枚皐文章敏疾」とあり、揚子法言に「軍族の際、戎鳥の間、飛書馳檄には枚皐を用ふ」とある。

 

朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。

今次、三数公は、朝に聖明の君に辭して、紫微垣より出て、そして、その行を送る人人は、馬に銀鞍を置いて、美美しき打扮、しかも、その数の多いことは、長安城が空に成るかとおもうくらいである。

紫薇 紫微垣、即ち紫微宮、天子の居るところ。古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の中垣。天の北極を中心とした広い天区。あるいはその主体となった星官(星座)のことを指す場合もある。「紫微」「紫微宮(しびきゅう)」「紫宮(しきゅう)」「紫垣(しえん)」ともいい、天帝の在所とされたため、転じて皇宮、朝廷の異称ともなった。「紫禁城」の「紫」もこれに基づく。

金城 長安城、。

 

天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。

これより、行く手の路は、いとも遥かにして、天外の飛霜は、葱海に下り、まことに凄寒に堪へられぬが、一行は、火のやうな赤い旗を押し立て、相従う人馬の多きことは、雲の如く、まことに見事である。

葱海 諷典に「安西郡、西、凍勒乳讐軍に至る三千里、葱洩忘去る七百里」とあり、涼州異物志に「葱譲の水、東西lこ分流し、西に大海に入り、束は河浦となるJとある。

火旗 旗の赤くして火に似たるわいふ。 

雲馬 馬の多くして雷に似たるむいふ。

 

胡塞清塵幾日歸,漢家草綠遙相待。

かくて、何れの時かに胡塞の塵が収まって、目出たく歸京せらるるか、都に於では、春囘り、草再び緑にして、遥かに三数公の歸るのを待って居るのである。
8世紀唐と周辺国00 

743年(63)李太白集卷十六08-《送竇司馬貶宜春》(天馬白銀鞍,) 382Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(63) Ⅰ李白詩1737 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7225

李白  送竇司馬貶宜春

天馬白銀鞍,親承明主歡。鬥雞金宮裡,射雁碧雲端。

堂上羅中貴,歌鍾清夜闌。何言謫南國,拂劍坐長歎。

趙璧為誰點,隋珠枉被彈。聖朝多雨露,莫厭此行難。

(竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送った詩)

今まで、君は、天馬に白銀の鞍を置いて、得意に乗りまわし、しずしずと入朝して、親しく明主の歓心を承けていた。そして、鶏を金宮の庭裏に闘わしたり、雁を碧雲の端より射落したりして、天子の御側に奉仕してきた。それから、家に還れば、堂上に中貴人の輩を列坐せしめ、歌鐘に興を添へで.晴夜、すでに闌にならむとする頃に及び、まことに富貴栄華を極めて居た。しかも、どうして罪に問われたのかわからず、一朝罪を得て、遠く南方の宜春に貶謫せられるということであるが、覚悟のうえで、剣を彿って長嘆し、感慨に堪へぬ有様であるが、潔くいかれるであろう。君の才彼を以てして、今次の貶謫に遭遇したのは、たとえば、莊子が言う、趙に伝わる“和氏の璧”が何者かに汚され、“随侯の明珠を以て、雀か何かを弾ずる”ようなもので、まことに、不幸の至である。しかし、聖明の世には雨露多く、いづれ遠からぬ内に、一切の事がわかって、召し還されるに相違ないから、この貶謫の行の困難を厭わず、何事も運命と諦めて、兎に角、出かけたら善かろう。

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年:743年天寶二年43歳 94-63

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送竇司馬貶宜春

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:袁州 (江南西道 袁州 袁州) 別名:宜春         

交遊人物/地點:竇司馬      當地交遊 (京畿道 京兆府 長安)

 

 

送竇司馬貶宜春

(竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送った詩)

天馬白銀鞍,親承明主歡。

今まで、君は、天馬に白銀の鞍を置いて、得意に乗りまわし、しずしずと入朝して、親しく明主の歓心を承けていた。

鬥雞金宮裡,射雁碧雲端。

そして、鶏を金宮の庭裏に闘わしたり、雁を碧雲の端より射落したりして、天子の御側に奉仕してきた。

堂上羅中貴,歌鍾清夜闌。

それから、家に還れば、堂上に中貴人の輩を列坐せしめ、歌鐘に興を添へで.晴夜、すでに闌にならむとする頃に及び、まことに富貴栄華を極めて居た。

何言謫南國,拂劍坐長歎。

しかも、どうして罪に問われたのかわからず、一朝罪を得て、遠く南方の宜春に貶謫せられるということであるが、覚悟のうえで、剣を彿って長嘆し、感慨に堪へぬ有様であるが、潔くいかれるであろう。

趙璧為誰點,隋珠枉被彈。

君の才彼を以てして、今次の貶謫に遭遇したのは、たとえば、莊子が言う、趙に伝わる“和氏の璧”が何者かに汚され、“随侯の明珠を以て、雀か何かを弾ずる”ようなもので、まことに、不幸の至である。

聖朝多雨露,莫厭此行難。

しかし、聖明の世には雨露多く、いづれ遠からぬ内に、一切の事がわかって、召し還されるに相違ないから、この貶謫の行の困難を厭わず、何事も運命と諦めて、兎に角、出かけたら善かろう。

(竇司馬の宜春に貶せらるるを送る)

天馬 白銀の鞍,親ら明主の歡を承く。

鬥雞 金宮の裡,雁を射る 碧雲の端。

堂上には 中貴を羅ね,歌鍾 清夜闌【たけなわ】なり。

何ぞ言わん 南國に謫せられ,劍を拂いて坐して長歎す。

趙璧 誰が為に點ずる,隋珠 枉げて彈せらる。

聖朝 雨露多し,此の行 難きを厭う莫れ。
韓愈の地図01

 

『送竇司馬貶宜春』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送竇司馬貶宜春

天馬白銀鞍,親承明主歡。

鬥雞金宮裡,射雁碧雲端。

堂上羅中貴,歌鍾清夜闌。

何言謫南國,拂劍坐長歎。

趙璧為誰點,隋珠枉被彈。

聖朝多雨露,莫厭此行難。

(下し文)

(竇司馬の宜春に貶せらるるを送る)

天馬 白銀の鞍,親ら明主の歡を承く。

鬥雞 金宮の裡,雁を射る 碧雲の端。

堂上には 中貴を羅ね,歌鍾 清夜闌【たけなわ】なり。

何ぞ言わん 南國に謫せられ,劍を拂いて坐して長歎す。

趙璧 誰が為に點ずる,隋珠 枉げて彈せらる。

聖朝 雨露多し,此の行 難きを厭う莫れ。

(現代語訳)
(竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送った詩)

今まで、君は、天馬に白銀の鞍を置いて、得意に乗りまわし、しずしずと入朝して、親しく明主の歓心を承けていた。

そして、鶏を金宮の庭裏に闘わしたり、雁を碧雲の端より射落したりして、天子の御側に奉仕してきた。

それから、家に還れば、堂上に中貴人の輩を列坐せしめ、歌鐘に興を添へで.晴夜、すでに闌にならむとする頃に及び、まことに富貴栄華を極めて居た。

しかも、どうして罪に問われたのかわからず、一朝罪を得て、遠く南方の宜春に貶謫せられるということであるが、覚悟のうえで、剣を彿って長嘆し、感慨に堪へぬ有様であるが、潔くいかれるであろう。

君の才彼を以てして、今次の貶謫に遭遇したのは、たとえば、莊子が言う、趙に伝わる“和氏の璧”が何者かに汚され、“随侯の明珠を以て、雀か何かを弾ずる”ようなもので、まことに、不幸の至である。

しかし、聖明の世には雨露多く、いづれ遠からぬ内に、一切の事がわかって、召し還されるに相違ないから、この貶謫の行の困難を厭わず、何事も運命と諦めて、兎に角、出かけたら善かろう。

李白の足跡0000
(訳注)

送竇司馬貶宜春

(竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送った詩)

1 宜春 唐時の宜春郡は、即ち袁州で、江南西道に隷して、上州であった。袁州は中国にかつて存在した州。現在の江西省宜春市。前201年、漢朝により設置された宜春県である。前129年に宜春侯国とされたが、前112年に廃止となり宜春県が再び設置された。591年(開皇11年)、袁州を設置し、宜陽県(526年に宜春県と改称)に州治を置く。607年(大業3年)、袁州を宜春郡と改称した。

2 司馬 上州には、潮史長史の下に司馬一人あって、従五品である。春秋時代までは軍事の最高指揮官で,漢代には中央政府の最高官の一つとして大司馬が置かれたことがある。別に軍の最高指揮官が将軍になると,将軍や都督の属官としての司馬が生まれた。魏晋南北朝時代には公府や軍府の幕僚で長史に次ぐ位として司馬があった。隋,唐には州にも置かれ,宋以後にはなくなったが,後世に中央政府では兵部尚書を,地方官では府同治のことを司馬と雅称することがあった。

3【解説】この詩は、竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送ったのである。

前半六句は往日の豪貴、後年六句は今日の貶謫で、結句二句は慰藉の意を寓して居る。

 

天馬白銀鞍,親承明主歡。

今まで、君は、天馬に白銀の鞍を置いて、得意に乗りまわし、しずしずと入朝して、親しく明主の歓心を承けていた。

4 白銀鞍 優れた良い馬に着ける馬具を言う。陳の後主の樂府に「蹀躞紫騮馬,照耀白銀鞍。」(蹀躞す紫騮の馬,照耀す白銀の鞍。)とある。陳叔寶(553604),字元秀,南朝陳最後一位皇帝。公元582年—589年在位。

《樂府詩集》二十四。《詩紀》九十八。

嫖姚紫塞歸,蹀躞紅塵飛。玉珂鳴廣路,金絡耀晨輝。

蓋轉時移影,香動屢驚衣。禁門猶未閉,連騎恣相追。

蹀躞紫騮馬,照耀白銀鞍。直去黃龍外,斜趨玄菟端。

垂鞬還細柳,揚塵歸上蘭。

大明宮の圖003 

鬥雞金宮裡,射雁碧雲端。

そして、鶏を金宮の庭裏に闘わしたり、雁を碧雲の端より射落したりして、天子の御側に奉仕してきた。

5 鬥雞 《『荘子』達成篇 十九》紀省子爲王養闘鶏。十日而問、鷄已乎。曰、未也。方虚驕而恃氣。十日又問。曰、未也。猶應響景。十日又問。曰、未也。猶疾視而盛氣。十日又問。曰、幾矣。鷄雖有鳴者、已無変矣。望之似木鷄矣。其徳全矣。異鷄無敢應者、反走矣。(紀渻子、王の為に闘鶏を養ふ。 十日にして問ふ、 鶏は已にするや、と。 曰く、未だなり、方に虚憍にして気を恃む、と。 十日にして又た問ふ、曰く、 未だなり、猶ほ嚮景に応ず、と。十日にして又た問ふ、曰く、未だなり、猶ほ疾視して気を盛んにす、と。十日にして又た問ふ、曰く、 幾し。 鶏に鳴く者有りと雖も、已に変ずる無し。 之に望むに木鶏に似たり。

其の徳は全し。 異鶏に敢へて応ずる者無く、反りて走る、と)

二羽のニワトリを左右につがえて蹴り合わせる鶏合わせ=闘鶏は、もともとその勝敗により神意を判定する神占であった。中国古代の黄帝時代に、蒼頡(そうけつ)が鳥の足跡を見て漢字を作ったという故事を踏まえて詠まれたとされている。

 

堂上羅中貴,歌鍾清夜闌。

それから、家に還れば、堂上に中貴人の輩を列坐せしめ、歌鐘に興を添へで.晴夜、すでに闌にならむとする頃に及び、まことに富貴栄華を極めて居た。

6 中貴 宮中において幅をきかしていた宦官。李白《古風五十九首之二十四》「中貴多黃金,連雲開甲宅。」(中貴は 黄金多く、雲に連なって 甲宅を開く。)これは宮中の宦官が君寵を得て、さも得意げに振る舞って、いばっているやからが黄金を沢山ため込んでいる、その家の瓦は雲が連なっているような大邸宅を建てている。

24 《古風五十九首之二十四》Index-10Ⅱ― 6-731年開元十九年31100古風,五十九首之十六寶劍雙蛟龍, <24> Ⅰ李白詩1181 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4453

7 歌鍾 歌声に合わせて鐘を敲いて躍る。後宮の宴で妓優が演じる芸。

 

何言謫南國,拂劍坐長歎。

しかも、どうして罪に問われたのかわからず、一朝罪を得て、遠く南方の宜春に貶謫せられるということであるが、覚悟のうえで、剣を彿って長嘆し、感慨に堪へぬ有様であるが、潔くいかれるであろう。

 

趙璧為誰點,隋珠枉被彈。

君の才彼を以てして、今次の貶謫に遭遇したのは、たとえば、莊子が言う、趙に伝わる“和氏の璧”が何者かに汚され、“随侯の明珠を以て、雀か何かを弾ずる”ようなもので、まことに、不幸の至である。

8 趙璧 春秋時代の楚()の人。山中で得た宝玉の原石を楚の厲王(れいおう)に献じたが信じてもらえず左足を切られ、次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足を切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏(かし)の璧(たま)」と称した。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が15の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された。

9 為誰點 白璧に青がとまってよごしたこと。卑劣な讒言をするもののことを言う。陳子昂 《宴胡楚真禁所》詩:青蠅一相點, 白璧遂成冤。”青蠅玷白璧, 讒人陷害忠良

10 隋珠 「隋珠を以て雀を弾(う)つ」 得るところが少なくて、失うところが多いことの例え。《莊子讓王》「今且有人於此, 以隨侯之珠, 彈千仞之雀, 世必笑之。 是何也?則其所用者重, 而所要者輕也。」(今且つ此於に人有り,隨侯の珠を以て,千仞の雀を彈ぜば, 世必ず之を笑わん。 是れ何ぞや?則ち其の用うる所の者重くして,要する所の者輕ければ也。)《捜神記》 隋侯珠:隋県(湖北省)を流れる溠水のほとりに、断蛇邱という丘がある。昔、隋侯がこのあたりまで出かけて来たときに、大蛇が傷を負って、胴体のなかほどから断ち切られているのを見かけ、霊ある蛇ではないかと思ったので、家来に命じて薬を塗り包帯をしてやった。すると、蛇はやっと動けるようになったのであった。そこでこの場所を断蛇邱と呼ぶようになったのである。

それから一年あまりたって、蛇が明るく光る珠をお礼のしるしにくわえて来た。珠は直径一寸、純白で、夜になると光を放つ。それは月の光のように明るくて、部屋を照らすことができた。だからこの珠は、隋侯珠・霊蛇珠、あるいは明月珠と呼ばれる。その丘の南には隋の大夫、李良の池がある。

 

聖朝多雨露,莫厭此行難。

しかし、聖明の世には雨露多く、いづれ遠からぬ内に、一切の事がわかって、召し還されるに相違ないから、この貶謫の行の困難を厭わず、何事も運命と諦めて、兎に角、出かけたら善かろう。

11 聖朝 当代の朝廷や天子を敬っていう語。

12 多雨露 雨露をしのぐということが多いということもあるが、天子に慶弔もあり、恩赦、特赦ということが必ずあるということを言う。

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李白  魯郡堯祠送張十四遊河北   

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。有如張公子,骯髒在風塵。

豈無橫腰劍,屈彼淮陰人。擊筑向北燕,燕歌易水濱。

歸來泰山上,當與爾為鄰。

(魯郡の堯祠に於て、張某が河北に遊ぶというので送って作った)

猛虎が、髙さ一尺ほどの草叢に伏して居るとしたら、どんなにかくれて居る積りであつても、その身を蔽いかくすことは出来ない、というように、士の此世に在るも、正にこれと同じように、全然韜晦しようとしでも、やはり、人の目につき、毀誉褒貶、必ず之にともなうものである。成帝と張放の仲のようなわが張公子の如き交友は、天晴の才能あれども、兎角不遇で、風塵の中に躊躇している。もとより、腰下には宝刀を佩びて居るから、失敬にも人を軽侮する彼の淮陰の少年輩をつかまえて、目に物見せてくれることのできないはずもない。しかし、そんな事はせず、これより、筑を撃ちつつ、北燕地方に向うとのことで、易水の辺に於ては、古の荊軻を弔い、燕歌「易水歌」を唱へで、感慨に堪へぬことであろう。かくて、帰ってこられたなら泰山に登ろうではないか、そうして、この魯郡の地に再び歸ってきたならば、汝と隣同士、に住んで、成帝と張放のように日夕追随、たがいに慰め合うことにしよう。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    魯郡堯祠送張十四遊河北

作地點:              目前尚無資料

及地點:              堯祠 (河南道 兗州 瑕丘)    

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

河北道 (河北道 無第二級行政層級 無第三級行政層級) 別名:河北        

淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)   

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

交遊人物/地點:張謂          當地交遊(河南道 兗州 瑕丘)

 

 

魯郡堯祠送張十四遊河北

(魯郡の堯祠に於て、張某が河北に遊ぶというので送って作った)

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。

猛虎が、髙さ一尺ほどの草叢に伏して居るとしたら、どんなにかくれて居る積りであつても、その身を蔽いかくすことは出来ない、というように、士の此世に在るも、正にこれと同じように、全然韜晦しようとしでも、やはり、人の目につき、毀誉褒貶、必ず之にともなうものである。

有如張公子,骯髒在風塵。

成帝と張放の仲のようなわが張公子の如き交友は、天晴の才能あれども、兎角不遇で、風塵の中に躊躇している。

豈無橫腰劍,屈彼淮陰人。

もとより、腰下には宝刀を佩びて居るから、失敬にも人を軽侮する彼の淮陰の少年輩をつかまえて、目に物見せてくれることのできないはずもない。

擊筑向北燕,燕歌易水濱。

しかし、そんな事はせず、これより、筑を撃ちつつ、北燕地方に向うとのことで、易水の辺に於ては、古の荊軻を弔い、燕歌「易水歌」を唱へで、感慨に堪へぬことであろう。

歸來泰山上,當與爾為鄰。

かくて、帰ってこられたなら泰山に登ろうではないか、そうして、この魯郡の地に再び歸ってきたならば、汝と隣同士、に住んで、成帝と張放のように日夕追随、たがいに慰め合うことにしよう。

 

(魯郡 堯祠にて 張十四の河北に遊ぶを送る)

猛虎 尺草に伏し,藏れると雖も身を蔽い難し。

張公子の如く有り,骯髒 風塵に在り。

豈に橫腰の劍、彼の淮陰の人に屈する無らんや。

筑を擊って 北燕に向い,燕歌 易水の濱。

歸り來って 泰山の上,當に爾と與に鄰と為すべし。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->李白の足跡0000
<!--[endif]-->

 

『魯郡堯祠送張十四遊河北』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

魯郡堯祠送張十四遊河北

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。

有如張公子,骯髒在風塵。

豈無橫腰劍,屈彼淮陰人。

擊筑向北燕,燕歌易水濱。

歸來泰山上,當與爾為鄰。

(下し文)
(魯郡 堯祠にて 張十四の河北に遊ぶを送る)

猛虎 尺草に伏し,藏れると雖も身を蔽い難し。

張公子の如く有り,骯髒 風塵に在り。

豈に橫腰の劍、彼の淮陰の人に屈する無らんや。

筑を擊って 北燕に向い,燕歌 易水の濱。

歸り來って 泰山の上,當に爾と與に鄰と為すべし。

(現代語訳)
(魯郡の堯祠に於て、張某が河北に遊ぶというので送って作った)

猛虎が、髙さ一尺ほどの草叢に伏して居るとしたら、どんなにかくれて居る積りであつても、その身を蔽いかくすことは出来ない、というように、士の此世に在るも、正にこれと同じように、全然韜晦しようとしでも、やはり、人の目につき、毀誉褒貶、必ず之にともなうものである。

成帝と張放の仲のようなわが張公子の如き交友は、天晴の才能あれども、兎角不遇で、風塵の中に躊躇している。

もとより、腰下には宝刀を佩びて居るから、失敬にも人を軽侮する彼の淮陰の少年輩をつかまえて、目に物見せてくれることのできないはずもない。

しかし、そんな事はせず、これより、筑を撃ちつつ、北燕地方に向うとのことで、易水の辺に於ては、古の荊軻を弔い、燕歌「易水歌」を唱へで、感慨に堪へぬことであろう。

かくて、帰ってこられたなら泰山に登ろうではないか、そうして、この魯郡の地に再び歸ってきたならば、汝と隣同士、に住んで、成帝と張放のように日夕追随、たがいに慰め合うことにしよう。


(訳注)

魯郡堯祠送張十四遊河北

(魯郡の堯祠に於て、張某が河北に遊ぶというので送って作った)

この詩は、例の魯郡の堯祠に於て、張某の河北に遊ぶを送って作ったのである。

《卷十五18送薛九被讒去魯》、《卷十六01送魯郡劉長史遷弘農長史》と同時期の作品である。

唐書地理志、「河北道は、蓋し古の幽・冀の二州の境、孟・懐・魏・博・相・衛・貝・渲・刑・惠・鎮・冀・深・趙・滄・景・徳・定・易・幽・琢・瀛・莫・平・嬀・薊・營の二十九州あり」と見える。

河北道是唐朝的一个道,所州府包括:州、相州、魏州、博州、州、州、邢州、州、冀州、德州、棣州、州、瀛州、深州、莫州、定州、恒州、易州、幽州、嬀州、檀州、州、平州、州、安

張十四の名字は不詳。

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猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。

猛虎が、髙さ一尺ほどの草叢に伏して居るとしたら、どんなにかくれて居る積りであつても、その身を蔽いかくすことは出来ない、というように、士の此世に在るも、正にこれと同じように、全然韜晦しようとしでも、やはり、人の目につき、毀誉褒貶、必ず之にともなうものである。

尺草 髙さ一尺ほどの草叢。

 

有如張公子,骯髒在風塵。

成帝と張放の仲のようなわが張公子の如き交友は、天晴の才能あれども、兎角不遇で、風塵の中に躊躇している。

張公子 同姓であることで、漢の張放をもじっていう。

張放(ちょう ほう、? - 紀元前7年)は、中国の前漢時代の人物。宣帝の時の将軍張安世の玄孫にあたり、漢の成帝の従兄弟である。

張放は富平侯張臨と元帝の妹である敬武公主から生まれ、父の死により富平侯を受け継ぐ。

成帝に寵愛され、成帝の許皇后の妹を娶り、成帝から屋敷や莫大な下賜を賜る。侍中・中郎将となり、屯兵を監督し、将軍のように幕府を開くことを許された。成帝と寝起きを共にすることもあり、成帝が身分を隠してお忍びで城外へ出る際には「日夕追随」常に付き従った(なお、『漢書』趙皇后伝によると成帝はお忍びの際に富平侯家の人間「張公子」と称している)。

骯髒 ・()とは、(1) 汚い,汚れた.【反】干(2) (倫理的に)汚い,卑劣な.・髒の意味は、(衣服・身体・家屋・庭・食べ物などが)汚い,汚れている,垢じみている,不潔である.

・骯髒戰爭: 汚い戦争。社會不安、暴力或政治顛覆等行為,所做出的回應,是一場由國家所支持的戰爭,發動者以威脅、恐嚇的手段來要求國家安定。

 

豈無橫腰劍,屈彼淮陰人。

もとより、腰下には宝刀を佩びて居るから、失敬にも人を軽侮する彼の淮陰の少年輩をつかまえて、目に物見せてくれることのできないはずもない。

淮陰人 《漢書韓信傳》:「韓信,淮陰人也。」《史記.淮陰侯列傳》「淮陰侯韓信,是淮陰人。」で始まる淮陰出身の韓信がその淮陰で失敬、軽侮されたことをいう。淮陰(現:江蘇省淮安市)の出身。貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。こんな有様であったため、淮陰の者はみな韓信を見下していた。とある亭長の家に居候していたが、嫌気がした亭長とその妻は韓信に食事を出さなくなった。いよいよ当てのなくなった韓信は、数日間何も食べないで放浪し、見かねた老女に数十日間食事を恵まれる有様であった。韓信はその老女に「必ず厚く御礼をする」と言ったが、老女は「あんたが可哀想だからしてあげただけのこと。御礼なんて望んでいない」と語ったという。

ある日のこと、韓信は町の少年に「お前は背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。できないならば俺の股をくぐれ」と挑発された。韓信は黙って少年の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑ったという。その韓信は、「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ」と冷静に判断していたのである。この出来事は「韓信の股くぐり」として知られることになる。

 

擊筑向北燕,燕歌易水濱。

しかし、そんな事はせず、これより、筑を撃ちつつ、北燕地方に向うとのことで、易水の辺に於ては、古の荊軻を弔ひ、燕歌「易水歌」を唱へで、感慨に堪へぬことであろう。

易水 北京の南西を流れる川で、白河に合流する。詩経をはじめ、古代詩でよくみかける。燕 荊軻《易水歌》「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。」

 

歸來泰山上,當與爾為鄰。

かくて、帰ってこられたなら泰山に登ろうではないか、そうして、この魯郡の地に再び歸ってきたならば、汝と隣同士、に住んで、成帝と張放のように日夕追随、たがいに慰め合うことにしよう。

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

當與爾為鄰 陶潜 《示周續之祖企謝景夷三郎時三人共在城北講禮校書詩》「老夫有所愛,思與爾為鄰。願言謝諸子,從我潁水濱。
隋末群雄割拠図00 

298-#3 《卷十六03送魯郡劉長史遷弘農長史》#3 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298-#3> Ⅰ李白詩1599 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6543

李白  送魯郡劉長史遷弘農長史-#3  

魯縞如白煙,五縑不成束。臨行贈貧交,一尺重山嶽。

相國齊晏子,贈行不及言。託陰當樹李,忘憂當樹萱。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。
そのうえは、貴殿が窮迫を憐れみ、置き土産として、魯國に産する白絹を贈られたが、その絹は、いかにも精緻をきわめて、さながら白煙の如く、五匹では数こそ揃わぬが、ここにおいて壮行に当たって、貧交の中で贈るには、大したものでも、一尺ごとに、誠心が籠っていて、その徳は、山岳よりも重い。それは、むかし、昔の晏子の云つたとおり、人の行を贈るには、言葉を以てするのが第一であるから、私はここに、晏子に倣うべきで、君に餞するに「言を以てしよう」と思う。もし木陰に身を寄せようと欲せば、李樹を植うべく、もし憂いを忘れむと欲せば、萱草を植えたが善い。つまり、人の徳あるものにまじわれば、以て庇蔭すべく、人の才華あるものに変れば、以て欣賞することが出来るので、何につけても、交わりを選ぶのが第一である。私は、いつまでも貧賎に甘んじて居るものでないので、かの范睢が秦に入って張禄と称し、やがて相位に登ったと同じく、いつかは、相当に立身しないものでもないから、その時は、かの綈袍に比すべき君の旧恩を憶って必ずこれに報いるであろう。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送魯郡劉長史遷弘農長史

作地點:              目前尚無資料

及地點:兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

虢州 (河東道 虢州 虢州) 別名:弘農郡        

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)      

交遊人物/地點:劉長史      當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

仲尼且不敬,況乃尋常人。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

閉門木葉下,始覺秋非春。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

-#2

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。

軒后上天時,攀龍遺小臣。

しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。

及此留惠愛,庶幾風化淳。

依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。貴殿は、賢人の存在を認めない魯郡から、黄帝の遺跡たる弘農に転任されたることだから、まことにめでたい。

-#3

魯縞如白煙,五縑不成束。

そのうえは、貴殿が窮迫を憐れみ、置き土産として、魯國に産する白絹を贈られたが、その絹は、いかにも精緻をきわめて、さながら白煙の如く、五匹では数こそ揃わぬが、

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

ここにおいて壮行に当たって、貧交の中で贈るには、大したものでも、一尺ごとに、誠心が籠っていて、その徳は、山岳よりも重い。

相國齊晏子,贈行不及言。

それは、むかし、昔の晏子の云つたとおり、人の行を贈るには、言葉を以てするのが第一であるから、私はここに、晏子に倣うべきで、君に餞するに「言を以てしよう」と思う。

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

もし木陰に身を寄せようと欲せば、李樹を植うべく、もし憂いを忘れむと欲せば、萱草を植えたが善い。つまり、人の徳あるものにまじわれば、以て庇蔭すべく、人の才華あるものに変れば、以て欣賞することが出来るので、何につけても、交わりを選ぶのが第一である。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

私は、いつまでも貧賎に甘んじて居るものでないので、かの范睢が秦に入って張禄と称し、やがて相位に登ったと同じく、いつかは、相当に立身しないものでもないから、その時は、かの綈袍に比すべき君の旧恩を憶って必ずこれに報いるであろう。

(魯郡の劉長史、弘農長史に遷るを送る)-#1

魯國 一杯の水,橫海の鱗を容れ難し。

仲尼 且つ敬せられず,況や乃ち 尋常の人をや。

白玉 斗粟に換え,黃金 尺薪を買う。

門を閉じ 木葉下る,始めて覺ゆ 秋 春に非ざるを。
-#2

聞く 君が西に向って遷るを,地は即ち鼎湖の鄰。

寶鏡は蒼蘚を匣にし,丹經は素塵を埋む。

軒后 上天の時,攀龍、小臣を遺す。

此に及んで惠愛を留め,庶幾す風化の淳なるを。

-#3

魯縞は白煙の如く,五縑 束を成さず。

行に臨んで貧交に贈る,一尺 山嶽よりも重し。

相國 齊の晏子,行を贈って言に及ばず。

陰を託する當に李を樹うべく,憂を忘るる當に萱を樹うべし。

他日 張祿を見,綈袍【ていほう】舊恩を懷わん。

 

洛陽 函谷関 嵩山005 

『送魯郡劉長史遷弘農長史』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-
#3

魯縞如白煙,五縑不成束。

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

相國齊晏子,贈行不及言。

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

(下し文)
-
#3

魯縞は白煙の如く,五縑 束を成さず。

行に臨んで貧交に贈る,一尺 山嶽よりも重し。

相國 齊の晏子,行を贈って言に及ばず。

陰を託する當に李を樹うべく,憂を忘るる當に萱を樹うべし。

他日 張祿を見,綈袍【ていほう】舊恩を懷わん。

(現代語訳)
-#3

そのうえは、貴殿が窮迫を憐れみ、置き土産として、魯國に産する白絹を贈られたが、その絹は、いかにも精緻をきわめて、さながら白煙の如く、五匹では数こそ揃わぬが、

ここにおいて壮行に当たって、貧交の中で贈るには、大したものでも、一尺ごとに、誠心が籠っていて、その徳は、山岳よりも重い。

それは、むかし、昔の晏子の云つたとおり、人の行を贈るには、言葉を以てするのが第一であるから、私はここに、晏子に倣うべきで、君に餞するに「言を以てしよう」と思う。

もし木陰に身を寄せようと欲せば、李樹を植うべく、もし憂いを忘れむと欲せば、萱草を植えたが善い。つまり、人の徳あるものにまじわれば、以て庇蔭すべく、人の才華あるものに変れば、以て欣賞することが出来るので、何につけても、交わりを選ぶのが第一である。

私は、いつまでも貧賎に甘んじて居るものでないので、かの范睢が秦に入って張禄と称し、やがて相位に登ったと同じく、いつかは、相当に立身しないものでもないから、その時は、かの綈袍に比すべき君の旧恩を憶って必ずこれに報いるであろう。

汜水関などの地図
(訳注) -#3

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)

魯郡は、兗州弘農郡の虢州で、河南道に属し、もと上州である。元来、上州の刺史別駕の下には、長史一人あって、從五品である。長史といえば、今の縣参事官くらすということであろう。劉は、名字ともに不詳。この詩は、劉某が魯郡の長史から、弘農の長史に栄転したことに因って、その行を送るが爲に作ったのである。魯國において、この地方特有の考え方で正当な評価を受けていなかったが、弘農の長史に栄転であるから、評価も変わるであろう。

起首の八句は、劉某が魯郡に於で志を得ざることを写し、次の八句は、弘農に遷れば、大に得意なるべきを叙し、魯鎬の四句は、別に臨んで物を贈られたるを謝し、以下六句は、ここに言を贈るということに及び、以て牧結としたのである。

 

魯縞如白煙,五縑不成束。

そのうえは、貴殿が窮迫を憐れみ、置き土産として、魯國に産する白絹を贈られたが、その絹は、いかにも精緻をきわめて、さながら白煙の如く、五匹では数こそ揃わぬが、

魯縞 魯国に産する白絹。

五縑 良品質の固織の絹織物であっても、一束に満たない五匹であるから数がそろわないという意。

・縑 「かたお(固織)り」目を緻密(ちみつ)に固く織った平織りの絹布。かとりぎぬ。〉細緻的絲絹。淮南子.齊俗:「縑之性黃,染之以丹則赤。」

 

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

ここにおいて壮行に当たって、貧交の中で贈るには、大したものでも、一尺ごとに、誠心が籠っていて、その徳は、山岳よりも重い。

貧交 貧賤時交往的朋友。 《史記貨殖列傳》「 陶朱公十九年之中三致千金, 再分散與貧交、疏昆弟。」

 

相國齊晏子,贈行不及言。

それは、むかし、昔の晏子の云つたとおり、人の行を贈るには、言葉を以てするのが第一であるから、私はここに、晏子に倣うべきで、君に餞するに「言を以てしよう」と思う。

晏子 氏は晏、諱は嬰、字は仲、諡は平。莱の夷維の人。父は晏弱(晏桓子)。子は晏圉(あんぎょ)。妻の名及び生まれは史書に記載なし。霊公、荘公光、景公の3代に仕え、上を憚ることなく諫言を行った。名宰相として評価が高く、晏平仲、もしくは晏子と尊称される。『晏子春秋』(あんししゅんじゅう)は、中国春秋時代の斉において、霊公 、荘公、景公の3代に仕え宰相となった、晏嬰に関する言行録をまとめたものである。内篇6巻及び外篇2巻の計8巻からなり、全215章に分かれる[1]。中国山東省における銀雀山漢簡の発見により、『晏子春秋』の成書年代は、戦国時代から秦朝末期の間と見られている。

《晏子春秋》「曾子、将に行かんとす,晏子、之を送って曰く:“君子は人にるに以ってするも,言を以ってするに若かず。」(晏子春秋)

 

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

もし木陰に身を寄せようと欲せば、李樹を植うべく、もし憂いを忘れむと欲せば、萱草を植えたが善い。つまり、人の徳あるものにまじわれば、以て庇蔭すべく、人の才華あるものに変れば、以て欣賞することが出来るので、何につけても、交わりを選ぶのが第一である。

樹李 桃李を樹うるもの、夏は休息するを得、秋にその実を得る。

樹萱 《詩経「国風・衛風・伯兮」》「焉得諼草 言樹之背」(焉んぞ諼草を得て 言【ここ】に之を背に樹ゑん。)毛 傳「諼草, 令人忘憂。」(諼草は人をして、憂いをあわれしむ。)とある

 

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

私は、いつまでも貧賎に甘んじて居るものでないので、かの范睢が秦に入って張禄と称し、やがて相位に登ったと同じく、いつかは、相当に立身しないものでもないから、その時は、かの綈袍に比すべき君の旧恩を憶って必ずこれに報いるであろう。

張祿 史記 《史記》卷七十九〈范睢蔡澤列傳·范睢〉

(范睢蔡澤列傳·范睢)

范睢既相秦,秦號曰張祿,而魏不知,以為范睢已死久矣。

范睢がすでに秦を補佐し、秦は号して張禄といった。しこうして、魏は知らず、范睢はすでに死んで久しいと思った。

魏聞秦且東伐韓、魏,魏使須賈於秦。

魏は秦がまさに東に、韓、魏を討たんとしていると聞き、魏は須賈をして秦に行かせた。

范睢聞之,為微行,敝衣閒步之邸,見須賈。

范睢はこれを聞き、そまつな身なりをして行こうと思い、やぶれた衣服で人目をしのんで歩き邸に行き、須賈を見た。

須賈見之而驚曰:「范叔固無恙乎!」

須賈はこれを見て驚いて曰く、「范叔(范睢)はまことに無事だったのか」と。

范睢曰:「然。」須賈笑曰:「范叔有於秦邪?」曰:「不也。睢前日得過於魏相,故亡逃至此,安敢乎!」

范睢曰く、「然り」と。須賈は笑って曰く、「范叔(范睢)は秦で遊説しているのか?」と。(范睢)曰く、「していません。わたしは、以前の日、魏相魏斉に於いて過(あやま)ちを得て、故に逃亡してここに至ったので、どうして敢(あ)えて遊説しましょうか」と。

須賈見之而驚曰:「范叔固無恙乎!」

須賈はこれを見て驚いて曰く、「范叔(范睢)はまことに無事だったのか」と。

范睢曰:「然。」須賈笑曰:「范叔有於秦邪?」曰:「不也。睢前日得過於魏相,故亡逃至此,安敢乎!」

范睢曰く、「然り」と。須賈は笑って曰く、「范叔(范睢)は秦で遊説しているのか?」と。(范睢)曰く、「していません。わたしは、以前の日、魏相魏斉に於いて過(あやま)ちを得て、故に逃亡してここに至ったので、どうして敢(あ)えて遊説しましょうか」と。

 

298-#2 《卷十六01送魯郡劉長史遷弘農長史》#2 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298-#2> Ⅰ李白詩1598 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6538

李白  送魯郡劉長史遷弘農長史-#2  

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

軒后上天時,攀龍遺小臣。及此留惠愛,庶幾風化淳。
承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。

298-#2 《卷十六01送魯郡劉長史遷弘農長史》#2 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298-#2> Ⅰ李白詩1598 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6538

 

 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog9欧陽烱《巻六03南鄉子八首 其三》『花間集』254全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6542 
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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送魯郡劉長史遷弘農長史

作地點:              目前尚無資料

及地點:兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

虢州 (河東道 虢州 虢州) 別名:弘農郡        

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)      

交遊人物/地點:劉長史      當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

仲尼且不敬,況乃尋常人。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

閉門木葉下,始覺秋非春。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

-#2

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。

軒后上天時,攀龍遺小臣。

しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。

及此留惠愛,庶幾風化淳。

依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。

-#3

魯縞如白煙,五縑不成束。

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

相國齊晏子,贈行不及言。

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

 

(魯郡の劉長史、弘農長史に遷るを送る)-#1

魯國 一杯の水,橫海の鱗を容れ難し。

仲尼 且つ敬せられず,況や乃ち 尋常の人をや。

白玉 斗粟に換え,黃金 尺薪を買う。

門を閉じ 木葉下る,始めて覺ゆ 秋 春に非ざるを。
-#2

聞く 君が西に向って遷るを,地は即ち鼎湖の鄰。

寶鏡は蒼蘚を匣にし,丹經は素塵を埋む。

軒后 上天の時,攀龍、小臣を遺す。

此に及んで惠愛を留め,庶幾す風化の淳なるを。

-#3

魯縞は白煙の如く,五縑 束を成さず。

行に臨んで貧交に贈る,一尺 山嶽よりも重し。

相國 齊の晏子,行を贈って言に及ばず。

陰を託する當に李を樹うべく,憂を忘るる當に萱を樹うべし。

他日 張祿を見,綈袍【ていほう】舊恩を懷わん。

 

汜水関などの地図 

『送魯郡劉長史遷弘農長史』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-
#2

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

軒后上天時,攀龍遺小臣。

及此留惠愛,庶幾風化淳。

(下し文)
-
#2

聞く 君が西に向って遷るを,地は即ち鼎湖の鄰。

寶鏡は蒼蘚を匣にし,丹經は素塵を埋む。

軒后 上天の時,攀龍、小臣を遺す。

此に及んで惠愛を留め,庶幾す風化の淳なるを。


(現代語訳)
-#2

承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。

しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。

しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。

依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。


(訳注) -#2

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)

魯郡は、兗州弘農郡の虢州で、河南道に属し、もと上州である。元来、上州の刺史別駕の下には、長史一人あって、從五品である。長史といえば、今の縣参事官くらすということであろう。劉は、名字ともに不詳。この詩は、劉某が魯郡の長史から、弘農の長史に栄転したことに因って、その行を送るが爲に作ったのである。魯國において、この地方特有の考え方で正当な評価を受けていなかったが、弘農の長史に栄転であるから、評価も変わるであろう。

起首の八句は、劉某が魯郡に於で志を得ざることを写し、次の八句は、弘農に遷れば、大に得意なるべきを叙し、魯鎬の四句は、別に臨んで物を贈られたるを謝し、以下六句は、ここに言を贈るということに及び、以て牧結としたのである。

 

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。

鼎湖鄰 鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)    黄帝は、首山の胴を採掘して荊山の麓で鼎を鋳造した。鼎が完成すると、龍が出現した。あごひげをたらして下って、黄帝を天上に迎えに来た。黄帝は、こうして龍にまたがり昇ることになった。群臣や後宮の女官で従うことを許された者は、わずか七十人あまりだった。小臣はみな昇ることを許されなかった。彼らは天に昇りたくて龍のひげをにぎってはなさなかった。そのため龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた。小臣たちはその弓を抱いて泣いた。後世、その場所を鼎湖【ていこ】と名づけ、その弓を烏号【うごう】といった。李白《巻1809答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄》「鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。」

149-2 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-2> Ⅰ李白詩1343 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5263

 

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。

寶鏡匣蒼蘚 《太平廣記》卷四百六十三〈禽鳥四秦吉了〉「昔者吾聞黃帝鑄十五鏡。其第一橫徑一尺五寸,法滿月之數也。」とある。

丹經埋素塵 抱朴子 「黃帝陟王屋而受丹經,即此事也。」

 

軒后上天時,攀龍遺小臣。

しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。

軒后上天 黄帝の別称、公孫軒轅。姓は公孫、名は軒轅。姓は姫姓とも姒氏とも言われ、また帝鴻氏とも呼ばれる。黄帝の友人・無為子および臣下のもので従って昇天したもの七十二人、従えなかった他の小臣は、落ちた竜の髯と帝の弓を抱いて号泣したという(劉向『列仙伝』など)。 いずれにせよ、黄帝の身体は竜とともに天に昇ってしまい、今でも人民政府が祭っている黄帝の陵墓は、黄帝の衣や冠だけが収められた、いわゆる「衣冠塚」だということである。

 

及此留惠愛,庶幾風化淳。

依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。

 

洛陽 函谷関 嵩山005 

298 《卷十六01 送魯郡劉長史遷弘農長史》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298> Ⅰ李白詩1586 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6478

李白  送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。仲尼且不敬,況乃尋常人。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。閉門木葉下,始覺秋非春。
(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送魯郡劉長史遷弘農長史

作地點:              目前尚無資料

及地點:兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

虢州 (河東道 虢州 虢州) 別名:弘農郡        

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)      

交遊人物/地點:劉長史      當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

仲尼且不敬,況乃尋常人。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

閉門木葉下,始覺秋非春。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

-#2

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

軒后上天時,攀龍遺小臣。

及此留惠愛,庶幾風化淳。

-#3

魯縞如白煙,五縑不成束。

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

相國齊晏子,贈行不及言。

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

 

(魯郡の劉長史、弘農長史に遷るを送る)-#1

魯國 一杯の水,橫海の鱗を容れ難し。

仲尼 且つ敬せられず,況や乃ち 尋常の人をや。

白玉 斗粟に換え,黃金 尺薪を買う。

門を閉じ 木葉下る,始めて覺ゆ 秋 春に非ざるを。
-#2

聞く 君が西に向って遷るを,地は即ち鼎湖の鄰。

寶鏡は蒼蘚を匣にし,丹經は素塵を埋む。

軒后 上天の時,攀龍、小臣を遺す。

此に及んで惠愛を留め,庶幾す風化の淳なるを。

-#3

魯縞は白煙の如く,五縑 束を成さず。

行に臨んで貧交に贈る,一尺 山嶽よりも重し。

相國 齊の晏子,行を贈って言に及ばず。

陰を託する當に李を樹うべく,憂を忘るる當に萱を樹うべし。

他日 張祿を見,綈袍【ていほう】舊恩を懷わん。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00洛陽 函谷関 嵩山005 

 

『送魯郡劉長史遷弘農長史』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。

仲尼且不敬,況乃尋常人。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

閉門木葉下,始覺秋非春。

(下し文)
(魯郡の劉長史、弘農長史に遷るを送る)-#1

魯國 一杯の水,橫海の鱗を容れ難し。

仲尼 且つ敬せられず,況や乃ち 尋常の人をや。

白玉 斗粟に換え,黃金 尺薪を買う。

門を閉じ 木葉下る,始めて覺ゆ 秋 春に非ざるを。

(現代語訳)
(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。


(訳注)

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)

魯郡は、兗州弘農郡の虢州で、河南道に属し、もと上州である。元来、上州の刺史別駕の下には、長史一人あって、從五品である。長史といえば、今の縣参事官くらすということであろう。劉は、名字ともに不詳。この詩は、劉某が魯郡の長史から、弘農の長史に栄転したことに因って、その行を送るが爲に作ったのである。魯國において、この地方特有の考え方で正当な評価を受けていなかったが、弘農の長史に栄転であるから、評価も変わるであろう。

 

魯國一杯水,難容橫海鱗。

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

橫海鱗 大魚。「海いっぱいになるほど大きな魚。転じて大人物のこと。 《宋書謝晦傳》:偉哉橫海鱗, 壯矣垂天翼, 一旦失風水, 翻為螻蟻食。”

 

仲尼且不敬,況乃尋常人。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

○仲尼 氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である(子は先生という意味)。孔子は自らの思想を国政の場で実践することを望んだが、ほとんどその機会に恵まれなかった。孔子は優れた能力と魅力を持ちながら、世の乱れの原因を社会や国際関係における構造やシステムの変化ではなく個々の権力者の資質に求めたために、現実的な政治感覚や社会性の欠如を招いたとする見方がある。孔子の唱える、体制への批判を主とする意見は、支配者が交代する度に聞き入れられなくなり、晩年はその都度失望して支配者の元を去ることを繰り返した。それどころか、孔子の思想通り、最愛の弟子の顔回は赤貧を貫いて死に、理解者である弟子の子路は謀反の際に主君を守って惨殺され、すっかり失望した孔子は不遇の末路を迎えた。

 

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

 

閉門木葉下,始覺秋非春。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

閉門木葉下,始覺秋非春 『白氏文集』(白楽天)「燕子楼中霜月夜秋来只為一人長。 [燕子楼(えんしろう)中(ちゅう)の霜月(そうげつ)の夜秋来たって只一人のために長し。」

大江千里(23番) 『古今集』「月見ればちぢに物こそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど」

 

《白氏文集卷十五・燕子樓》「滿窗明月滿簾霜、被冷燈殘払臥床、燕子樓中霜月夜、秋來只爲一人長。」(満窓の明月、満簾の霜 被は冷やかに、燈は残【うす】れて臥床を払ふ 燕子楼の中の霜月の夜よ 秋来たって只一人の為に長し)
李白の足跡0000 

274 《卷十六11送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈(改訂)》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <274> Ⅰ李白詩1552 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6308

李白  送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈  

攜妓東山去,春光半道催。遙看若桃李,雙入鏡中開。

(おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、送別のために、たわむれにこの詩を作って贈ったものである。)おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、丁度、晉の大傳謝安の東山におけるがごとくである。そして会稽に赴く道中においては、春光次第に催し、まことに、良い時候で、その風興も謝安のように思われる。汝が携えている二人の妓女を遙かに看れば、さながら、赤い桃花と白い李花がさいて姸を競っているかのようだ、そして、鏡湖の中に入って、舟を浮かべての宴は、はなやかに開かれて、その風情はまたひとしおであろうけど、わたしは、はるかな長江流れにいる。
274 《卷十六11送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈(改訂)》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <274> Ⅰ李白詩1552 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6308

 
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274 《卷十六11送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈(改訂)》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <274> Ⅰ李白詩1552 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6308 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七六              文體:    五言

詩題:    送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈

作地點:              會稽(江南東道 / 越州 / 會稽)

及地點:              會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰         

東山 (江南東道 越州 上虞縣) 別名:謝安山               

交遊人物:李良  當地交遊(江南東道 越州 會稽)

 

 

送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈

(おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、送別のために、たわむれにこの詩を作って贈ったものである。)
攜妓東山去,春光半道催。

おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、丁度、晉の大傳謝安の東山におけるがごとくである。そして会稽に赴く道中においては、春光次第に催し、まことに、良い時候で、その風興も謝安のように思われる。
遙看若桃李,雙入鏡中開。

汝が携えている二人の妓女を遙かに看れば、さながら、赤い桃花と白い李花がさいて姸を競っているかのようだ、そして、鏡湖の中に入って、舟を浮かべての宴は、はなやかに開かれて、その風情はまたひとしおであろうけど、わたしは、はるかな長江流れにいる。
(姪良が二妓を携えて会稽に赴くを送り、戯れに「此の贈」有り)
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
遙【はるか】に看る 桃李の若く、双【ふたつ】ながら鏡中に入って開く。

 

 

『送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈

攜妓東山去,春光半道催。

遙看若桃李,雙入鏡中開。


(下し文)
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。

遙【はるか】に看る 桃李の若く、双【ふたつ】ながら鏡中に入って開く。


(現代語訳)

(おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、送別のために、たわむれにこの詩を作って贈ったものである。)
おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、丁度、晉の大傳謝安の東山におけるがごとくである。そして会稽に赴く道中においては、春光次第に催し、まことに、良い時候で、その風興も謝安のように思われる。

汝が携えている二人の妓女を遙かに看れば、さながら、赤い桃花と白い李花がさいて姸を競っているかのようだ、そして、鏡湖の中に入って、舟を浮かべての宴は、はなやかに開かれて、その風情はまたひとしおであろうけど、わたしは、はるかな長江流れにいる。
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(訳注)
送姪良携二妓赴会稽戯有此贈
(姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り)
(おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、送別のために、たわむれにこの詩を作って贈ったものである。)
姪良 李白の甥の李良。くわしい事蹄はわからない。

会稽 いまの浙江省紹興市附近。このあたりは水郷で、たいへん景色がよい。
李白
憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270  
我今攜謝妓。 長嘯人群。 
欲報東山客。 開關掃白云

我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を
つ。 
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。

 

攜妓東山去。 春光半道催。 
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
おいの良が妓を携えて会稽に遊びに出かけるについて、丁度、晉の大傳謝安の東山におけるがごとくである。そして会稽に赴く道中においては、春光次第に催し、まことに、良い時候で、その風興も謝安のように思われる。
東山 紹興市の東の上虞県の西南にあり、晉の大傳謝安(字は安石)がここに隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亨の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。

携妓 謝安の故事をふまえる。

遙看若桃李。 雙入鏡中開。遙【はるか】に看る 桃李の若く、双【ふたつ】ながら鏡中に入って開く。
汝が携えている二人の妓女を遙かに看れば、さながら、赤い桃花と白い李花がさいて姸を競っているかのようだ、そして、鏡湖の中に入って、舟を浮かべての宴は、はなやかに開かれて、その風情はまたひとしおであろうけど、わたしは、はるかな長江流れにいる。
○若桃李 魏の曹植の詩に「南国に佳人有り、容華は桃李の若し」とある。

○鏡中開 会稽は山陰ともいわれるが、このあたりは山水がぅるわしく、白くかがやく水と翠の巌とが互に映発して、鏡のごとく、絵のようである。だから王孝之が言った。「山陰の路をあるいて行くのは、鏡の中に入って遊ぶようなものだ」と。なお、山陰には、鏡湖という湖がある。鏡、月、湖、妓女を示す語で、「鏡中開」ということは、性行為を意味するものである。
李白
對酒憶賀監二首 其二 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白135
狂客歸四明。 山陰道士迎。 
敕賜鏡湖水。 為君台沼榮。 
人亡余故宅。 空有荷花生。
念此杳如夢。 淒然傷我情。

李白『送賀賓客帰越 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137
『送賀賓客帰越』       
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
○鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。○漾清波、○水漾 陝西省漢水の上流の嶓冢山から流れ出る川の名であるが、澄み切って綺麗な流れということで、きれいなものの比較対象として使われる。きれいな心の持ち主の賀知章が長安のひと山越えて、漢水のきれいな水に乗って鏡湖に帰ってきたいうこと。○ 

李白 93 春日酔起言志

李白 97 把酒問月

李白 112 游泰山六首(一作天寶元年四月從故御道上泰山)

裴十八図南歸嵩山 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164

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李白  送侯十一  

朱亥已擊晉,侯嬴尚隱身。時無魏公子,豈貴抱關人。

余亦不火食,遊梁同在陳。空餘湛盧劍,贈爾託交親。

かくの如く君が不遇であるばかりか、予もまた火食せず、今しも、梁に遊歴しているが、丁度、孔子が陳蔡の野に苦しんだと同じである。さはれ、湛盧に比すべき名剣だけが残っているから、ここに別れを為すに際し、この詩を君に贈って、二人の親交の表徴としようとおもうのである。

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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送侯十一

作地點:              陳州(河南道 / 陳州 / 陳州)

及地點:              陳州 (河南道 陳州 陳州) 別名:淮陽             

交遊人物/地點:侯十一      當地交遊(河南道 陳州 陳州)

 

 

送侯十一

朱亥已晉,侯尚隱身。

今や朱亥に比すべき君の門下は、すでに晉鄙の様な人を椎殺し、著著と場面が進行するに拘わらず、侯嬴に此すべき肝腎の大立物たる君が出できて活動すべき筈であるのに、なお身を隠して引っ込んでいるのは、どうしたことか。

時無魏公子,豈貴抱關人。

刻下の世、魏の公子信陵君の様な人が無く、従って、関門の番人の如き餞しき地位に居るものを貴ばないのは、尤も至極な事である。

余亦不火食,遊梁同在陳。

かくの如く君が不遇であるばかりか、予もまた火食せず、今しも、梁に遊歴しているが、丁度、孔子が陳蔡の野に苦しんだと同じである。

空餘湛盧劍,贈爾託交親。

さはれ、湛盧に比すべき名剣だけが残っているから、ここに別れを為すに際し、この詩を君に贈って、二人の親交の表徴としようとおもうのである。

 

(侯十一を送る)

朱亥 已に晉を擊ち,侯嬴 尚お身を隱す。

時に魏の公子無くんば,豈に抱關の人を貴ばんや。

余 亦た火食せず,梁に遊ぶは 陳に在るに同じ。

空しく湛盧の劍を餘し,爾に贈って交親を託す。

 

 

『送侯十一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送侯十一

朱亥已擊晉,侯嬴尚隱身。

時無魏公子,豈貴抱關人。

余亦不火食,遊梁同在陳。

空餘湛盧劍,贈爾託交親。

(下し文)
送侯十一

朱亥已擊晉,侯嬴尚隱身。

時無魏公子,豈貴抱關人。

余亦不火食,遊梁同在陳。

空餘湛盧劍,贈爾託交親。

(現代語訳)
(戦国、信陵君のもとにいた賢人侯嬴というべき老侠、賢人である侯某をおくる)

今や朱亥に比すべき君の門下は、すでに晉鄙の様な人を椎殺し、著著と場面が進行するに拘わらず、侯嬴に此すべき肝腎の大立物たる君が出できて活動すべき筈であるのに、なお身を隠して引っ込んでいるのは、どうしたことか。

刻下の世、魏の公子信陵君の様な人が無く、従って、関門の番人の如き餞しき地位に居るものを貴ばないのは、尤も至極な事である。

かくの如く君が不遇であるばかりか、予もまた火食せず、今しも、梁に遊歴しているが、丁度、孔子が陳蔡の野に苦しんだと同じである。

さはれ、湛盧に比すべき名剣だけが残っているから、ここに別れを為すに際し、この詩を君に贈って、二人の親交の表徴としようとおもうのである。


(訳注)

送侯十一

(戦国、信陵君のもとにいた賢人侯嬴というべき老侠、賢人である侯某をおくる)

同姓の故に、侯嬴を以て其の人に此したのは、例の慣用手段である。次の二句は、自分のことを述べ、結二句は、自他の交親に及んだのである。

 

朱亥已擊晉,侯嬴尚隱身。

今や朱亥に比すべき君の門下は、すでに晉鄙の様な人を椎殺し、著著と場面が進行するに拘わらず、侯嬴に此すべき肝腎の大立物たる君が出できて活動すべき筈であるのに、なお身を隠して引っ込んでいるのは、どうしたことか。

朱亥 侯嬴 朱亥:信陵君の評判を高めることになった肉屋の若者。

侯嬴 老人で門番であったが賢者であることで新陵君が度量が大きいとの評判を高めた。 逸話 魏の公子と食客(信陵君・侯嬴・朱亥)任侠の士を詠うもの、侠客行は侠遊二十五曲の一つである。

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時無魏公子,豈貴抱關人。

刻下の世、魏の公子信陵君の様な人が無く、従って、関門の番人の如き餞しき地位に居るものを貴ばないのは、尤も至極な事である。

 

余亦不火食,遊梁同在陳。

かくの如く君が不遇であるばかりか、予もまた火食せず、今しも、梁に遊歴しているが、丁度、孔子が陳蔡の野に苦しんだと同じである。

不火食 煮た物を食べないこと。陳蔡之厄といわれるもの。《莊子集釋》卷九下〈雜篇讓王〉「孔子窮於陳蔡之間,七日不火食,」に基づく。

 

空餘湛盧劍,贈爾託交親。

さはれ、湛盧に比すべき名剣だけが残っているから、ここに別れを為すに際し、この詩を君に贈って、二人の親交の表徴としようとおもうのである。

湛盧劍 越王允常が欧冶子に造らせた五振りの剣「純鈞」・「湛盧」・「豪曹」・「魚腸」・「巨闕」があり、「湛盧剣」は薛燭によれば、これを帯びる者は敵を討つことが出来、謀反を企む臣下がいれば、他国に去らせることが出来るという。允常はこれを呉に贈るが、呉王闔閭の暴虐無道ぶりを嫌った湛盧は自ら楚に飛んでいったので、楚の昭王はいながらにしてこの剣を手に入れた。

 

 

(侯十一を送る)

朱亥 已に晉を擊ち,侯嬴 尚お身を隱す。

時に魏の公子無くんば,豈に抱關の人を貴ばんや。

余 亦た火食せず,梁に遊ぶは 陳に在るに同じ。

空しく湛盧の劍を餘し,爾に贈って交親を託す。

201 《巻16-22送梁公昌從信安北征(入幕推英選)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <201> Ⅰ李白詩1427 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5683

《巻16-22送梁公昌從信安北征》(安陸で交遊した梁公昌が信安郡王の幕府軍に入って契丹征伐に向かうのを送る。)この日の餞別の筵は夕日が赤く染まり、暗くなるまでにも及び、やがて、きみは、征麾を揮って、さながら、彩虹を拂うがごとく、愈々乗り出すというので、勇ましいものと思うところである。

 

 
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201 《巻16-22送梁公昌從信安北征(入幕推英選)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <201> Ⅰ李白詩1427 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5683

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送梁公昌從信安北征

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

及地點:              麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣      

交遊人物:梁昌    當地交遊  (都畿道 河南府 洛陽)

 

 

送梁公昌從信安北征

(安陸で交遊した梁公昌が信安郡王の幕府軍に入って契丹征伐に向かうのを送る。)

入幕推英選,捐書事遠戎。

今回君は、信安郡王の幕府軍に入り、まことによく選ばれたものという評判となっている。ということで、書を擲って遠戎の契丹を征伐することとした。

高談百戰術,鬱作萬夫雄。

百戦百勝の錬磨術を高談していたし、鬱としているものの萬夫の雄と称されているのである。

起舞蓮花劍,行歌明月弓。

そのことに及んで、起って蓮花の名劍をもって舞い、明月の名弓をひいて「明月弓」をことで演奏し、歌ってゆくことになる。

將飛天地陣,兵出塞垣通。

まさに、今この時であり、将軍にしたがって、「天地の陣」「地の陣」「人の陣」をしき、兵を出して塞垣の道を通ぜしめ、終始その雋邁の気概をしめしている。

祖席留丹景,征麾拂彩虹。

この日の餞別の筵は夕日が赤く染まり、暗くなるまでにも及び、やがて、きみは、征麾を揮って、さながら、彩虹を拂うがごとく、愈々乗り出すというので、勇ましいものと思うところである。

旋應獻凱入,麟閣佇深功。

天子は諸侯が大功をたてるのをまって、麒麟閣にこれを図画して飾ろうと思し召しであるから、凱歌を奏して、早く帰京されるようにされたいものである。

 

(梁公昌の信安に從って北征するを送る)

幕に入って英選を推し,書を捐てて 遠戎を事とす。

高く百戰の術を談じ,鬱として 萬夫の雄と作る。

起って舞わす 蓮花の劍,行【ゆくゆ】く歌う 明月の弓。

將 飛んで 天地の陣,兵出でて 塞垣 通ず。

祖席 丹景を留め,征麾【せいき】彩虹を拂う。

旋【かえ】って 應に凱を獻じて入るべし,麟閣 深功を佇つ。

 

 

『送梁公昌從信安北征』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送梁公昌從信安北征

入幕推英選,捐書事遠戎。

高談百戰術,鬱作萬夫雄。

起舞蓮花劍,行歌明月弓。

將飛天地陣,兵出塞垣通。

祖席留丹景,征麾拂彩虹。

旋應獻凱入,麟閣佇深功。


(下し文)
(梁公昌の信安に從って北征するを送る)

幕に入って英選を推し,書を捐てて 遠戎を事とす。

高く百戰の術を談じ,鬱として 萬夫の雄と作る。

起って舞わす 蓮花の劍,行【ゆくゆ】く歌う 明月の弓。

將 飛んで 天地の陣,兵出でて 塞垣 通ず。

祖席 丹景を留め,征麾【せいき】彩虹を拂う。

旋【かえ】って 應に凱を獻じて入るべし,麟閣 深功を佇つ。

(現代語訳)
(安陸で交遊した梁公昌が信安郡王の幕府軍に入って契丹征伐に向かうのを送る。)

今回君は、信安郡王の幕府軍に入り、まことによく選ばれたものという評判となっている。ということで、書を擲って遠戎の契丹を征伐することとした。

そのことに及んで、起って蓮花の名劍をもって舞い、明月の名弓をひいて「明月弓」をことで演奏し、歌ってゆくことになる。

百戦百勝の錬磨術を高談していたし、鬱としているものの萬夫の雄と称されているのである。

まさに、今この時であり、将軍にしたがって、「天地の陣」「地の陣」「人の陣」をしき、兵を出して塞垣の道を通ぜしめ、終始その雋邁の気概をしめしている。

この日の餞別の筵は夕日が赤く染まり、暗くなるまでにも及び、やがて、きみは、征麾を揮って、さながら、彩虹を拂うがごとく、愈々乗り出すというので、勇ましいものと思うところである。

天子は諸侯が大功をたてるのをまって、麒麟閣にこれを図画して飾ろうと思し召しであるから、凱歌を奏して、早く帰京されるようにされたいものである。

安史期のアジアssH

(訳注)

送梁公昌從信安北征

(安陸で交遊した梁公昌が信安郡王の幕府軍に入って契丹征伐に向かうのを送る。)

梁公昌 安陸で交遊したもので、信安郡王の幕府軍に入って契丹征伐に向かうのを送る。

信安 朔方節度使、副大使禮部信安郡王褘のこと。

北征 732年、開元20年正月、契丹征伐にむかったこと。

 

入幕推英選,捐書事遠戎。

今回君は、信安郡王の幕府軍に入り、まことによく選ばれたものという評判となっている。ということで、書を擲って遠戎の契丹を征伐することとした。

遠戎 契丹征伐のこと。

 

高談百戰術,鬱作萬夫雄。

百戦百勝の錬磨術を高談していたし、鬱としているものの萬夫の雄と称されているのである。

百戰術 百戦百勝の錬磨術。

 

起舞蓮花劍,行歌明月弓。

そのことに及んで、起って蓮花の名劍をもって舞い、明月の名弓をひいて「明月弓」をことで演奏し、歌ってゆくことになる。

蓮花劍 南朝梁均《古意》詩之三: 「玉鞭蓮花劍, 金苣流星勒。」とある。

明月弓 古代琴曲、楽府の名

 

將飛天地陣,兵出塞垣通。

まさに、今この時であり、将軍にしたがって、「天地の陣」「地の陣」「人の陣」をしき、兵を出して塞垣の道を通ぜしめ、終始その雋邁の気概をしめしている。

天地陣 《六韜虎韜三陣》「武王問太公曰:『凡用兵為天陣、地陣、人陣,奈何?』太公曰:『日月星辰斗杓,一左一右,一迎一背,此謂天陣;丘陵水泉,亦有左右前後之利,此謂地陣;用馬用人,用文用武,此謂人陣。』

 

祖席留丹景,征麾拂彩虹。

この日の餞別の筵は夕日が赤く染まり、暗くなるまでにも及び、やがて、きみは、征麾を揮って、さながら、彩虹を拂うがごとく、愈々乗り出すというので、勇ましいものと思うところである。

丹景 夕日の日陰。太陽が昇り、夕日が赤く染まり、暗くなってゆくころまでにも及ぶということ。

祖席 この日の餞別の筵をいう。

征麾 麾は旌幡、指揮するため麾を揮うこと。

拂彩虹 虹を渡って行進するというほどの意。

 

旋應獻凱入,麟閣佇深功。

天子は諸侯が大功をたてるのをまって、麒麟閣にこれを図画して飾ろうと思し召しであるから、凱歌を奏して、早く帰京されるようにされたいものである。

麟閣 漢代、長安の未央宮中にあった高殿。武帝が麒麟を献上されたとき築いたといわれる。宣帝のとき、11人の功臣の肖像などが飾られた。「未央宮麒麟閣十一功臣」
安史の乱当時の勢力図長安と西域 地図01李白 32歳 

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李太白―(16) 《李白詩全集 卷十六(古近體詩四十四首) 》

        
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李白詩INDEX05李太白―(16) 《李白詩全集 卷十六(古近體詩四十四首) 》李白詩 973詩<李太白―(16)> Ⅰ李白詩1131 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4203

李白詩全集 卷十六 (古近體詩四十四首) 
ID初句
519卷十六 送魯郡劉長史遷弘農長史 魯國一杯水。 
520卷十六 送族弟單父主簿凝攝宋城主簿至郭南月橋 卻回棲霞山留飲
521卷十六 300魯郡東石門送杜二甫 醉別復几日。 
522卷十六 魯郡堯祠送張十四游河北 猛虎伏尺草。 
523卷十六 杭州送裴大澤赴廬州長史 西江天柱遠。 
524卷十六 灞陵行送別 送君灞陵亭。 
525卷十六 送賀監歸四明應制 久辭榮祿遂初衣
526卷十六 送竇司馬貶宜春 天馬白銀鞍。 
527卷十六 送羽林陶將軍 將軍出使擁樓船
528卷十六 送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府 安西幕府多才雄
529卷十六 送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈 攜妓東山去。 
530卷十六 送賀賓客歸越 鏡湖流水漾清波
531卷十六 送張遙之壽陽幕府 壽陽信天險。 
532卷十六送裴十八圖南歸嵩山二首其一 何處可為別。 
533卷十六送裴十八圖南歸嵩山二首其二 君思()水綠
534卷十六同王昌齡送族弟襄歸桂陽二首 其一 秦地見碧草。 
535卷十六同王昌齡送族弟襄歸桂陽二首 其二 爾家何在瀟湘川
536卷十六送外甥鄭灌從軍三首 其一 六博爭雄好彩來
537卷十六送外甥鄭灌從軍三首 其二 丈八蛇矛出隴西
538卷十六送外甥鄭灌從軍三首 其三 月蝕西方破敵時
539卷十六 送于十八應四子舉落第還嵩山 吾祖吹橐(籥)
540卷十六 送別 尋陽五溪水。 
541卷十六 110送族弟綰從軍安西 漢家兵馬乘北風
542卷十六 送梁公昌從信安北征 入幕推英選。 
543卷十六 送白利從金吾董將軍西征 西羌延國討。 
544卷十六 送張秀才從軍 六駁食猛虎。 
545卷十六 送崔度還 度故人禮部員外國輔之子 幽燕沙雪地。 
546卷十六 送祝八之江東賦得浣紗石 西施越溪女。 
547卷十六 送侯十一 朱亥已擊晉。 
548卷十六 魯中送二從弟赴舉之西京 (一作送族弟(鍠) ) 魯客向西笑。 
549卷十六 奉餞高尊師如貴道士傳道(籙)畢歸北海 道隱不可見。 
550卷十六 金陵送張十一再游東 張翰黃花句。 
551卷十六 送紀秀才游越 海水不滿眼。 
552卷十六送長沙陳太守二首其一 長沙陳太守。 
553卷十六送長沙陳太守二首其二 七郡長沙國。 
554卷十六 送楊燕之東魯 關西楊伯起。 
555卷十六 送蔡山人 我本不棄世。 
556卷十六 送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽 六月南風吹白沙
557卷十六 送楊山人歸嵩山 我有萬古宅。 
558卷十六送殷淑三首 其一 海水不可解。 
559卷十六送殷淑三首 其二 白鷺洲前月。 
560卷十六送殷淑三首 其三 痛飲龍筇下。 
561卷十六 送岑徵君歸鳴皋山 岑公相門子。 
562卷十六 送范山人歸泰山 魯客抱白鶴。 
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