漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

李白詩全集 卷十六

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

744年歳-1李太白集230卷六25白云歌送劉十六歸山 415Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-1【56首】Ⅰ李白詩1781 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7445

李白  白云歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。 長隨君。 君入楚山里。

云亦隨君渡湘水。湘水上。 女蘿衣。   白云堪臥君早歸。
(仙郷に漂う白雲、白雲を題にして、劉十六というものの故郷に帰るを送った詩である。)

君が故国とする楚山も、長安を見守ってきた秦山も、そこには皆白雲を帯びている。 白雲は、所所に於いて、君に随って居るので、君が長安の秦山に居ても、白雲が随って居か、故郷の楚山に居ても、矢張り白雲が随って居る。かくの如く、どこでも白雲が君に随って居る上は、同じ境涯あるから、何も都を棄てて、故郷へ帰る必要は無いように思われるが、故郷の白雲は、又格別なのであろう、だから、君は此度、故郷に帰られるのである。さうして、君が故郷へ帰られると、泰山の雲は、君に随って湘水を渡り、やがて楚山の雲となるのである。湘水のほとりなる楚山には、女蘿が叢生して居るから、これをとって衣となすことができる。かくて、君は薜茘の衣、女蘿の帯となし、白雲に高臥し、優辞、餘生を送られようというのであるから、早く御歸りに成った方が宜しからうと思われる。 

李太白集巻十九18

白云歌送劉十六歸山

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7445

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-1

415 <1000

 

 
  2016年3月7日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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363-230卷六25白云歌送劉十六歸山 (楚山秦山多白雲,) 

744

天寶三年

44

56-1

卷別:

卷一八四

文體:

歌吟 樂府

李太白集230巻六25

詩題:

白云歌送劉十六歸山

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

楚山

湘水

交遊人物/地點:劉某

長安

詩文:


230卷六25

白云歌送劉十六歸山

(仙郷に漂う白雲、白雲を題にして、劉十六というものの故郷に帰るを送った詩である。)
楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。

君が故国とする楚山も、長安を見守ってきた秦山も、そこには皆白雲を帯びている。

長隨君。君入楚山里。云亦隨君渡湘水。

白雲は、所所に於いて、君に随って居るので、君が長安の秦山に居ても、白雲が随って居か、故郷の楚山に居ても、矢張り白雲が随って居る。かくの如く、どこでも白雲が君に随って居る上は、同じ境涯あるから、何も都を棄てて、故郷へ帰る必要は無いように思われるが、故郷の白雲は、又格別なのであろう、だから、君は此度、故郷に帰られるのである。

湘水上。女蘿衣。白云堪臥君早歸。
さうして、君が故郷へ帰られると、泰山の雲は、君に随って湘水を渡り、やがて楚山の雲となるのである。湘水のほとりなる楚山には、女蘿が叢生して居るから、これをとって衣となすことができる。かくて、君は薜茘の衣、女蘿の帯となし、白雲に高臥し、優辞、餘生を送られようというのであるから、早く御歸りに成った方が宜しからうと思われる。

 

(白云歌送劉十六歸山)

楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。

長隨君。 君入楚山里。 云亦隨君渡湘水。

湘水上。 女蘿衣。   白云堪臥君早歸。

巫山十二峰002 

『白雲歌送劉十六歸山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白云歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。

長隨君。 君入楚山里。 云亦隨君渡湘水。

湘水上。 女蘿衣。   白云堪臥君早歸。

(下し文)
(白云歌送劉十六歸山)

楚山 秦山 皆白云、白云 處處 長く君に隨う。

長く君に隨う。 君は入る 楚山の里。 云 亦た君に隨って 湘水を渡る。

湘水の上【ほと】り。 女蘿の衣。   白云 臥するに堪えたり 君 早く歸れ。

(現代語訳)
白云歌送劉十六歸山(仙郷に漂う白雲、白雲を題にして、劉十六というものの故郷に帰るを送った詩である。)

君が故国とする楚山も、長安を見守ってきた秦山も、そこには皆白雲を帯びている。

白雲は、所所に於いて、君に随って居るので、君が長安の秦山に居ても、白雲が随って居か、故郷の楚山に居ても、矢張り白雲が随って居る。かくの如く、どこでも白雲が君に随って居る上は、同じ境涯あるから、何も都を棄てて、故郷へ帰る必要は無いように思われるが、故郷の白雲は、又格別なのであろう、だから、君は此度、故郷に帰られるのである。

さうして、君が故郷へ帰られると、泰山の雲は、君に随って湘水を渡り、やがて楚山の雲となるのである。湘水のほとりなる楚山には、女蘿が叢生して居るから、これをとって衣となすことができる。かくて、君は薜茘の衣、女蘿の帯となし、白雲に高臥し、優辞、餘生を送られようというのであるから、早く御歸りに成った方が宜しからうと思われる。

漢文委員会紀頌之タイトル
(訳注)

白云歌送劉十六歸山

(仙郷に漂う白雲、白雲を題にして、劉十六というものの故郷に帰るを送った詩である。)1 劉十六は楚の人で、長安に遊びに来た。その彼が、山水に高臥隠遁していた故郷の山に帰るというのである。

2 白云 白雲について、

陶弘景 

 四十歳で山中に隠棲したが、梁の武帝から常に諮問をうけ、「山中宰相」と呼ばれた。斉の高帝からの詔にこたえる形で書かれた詩。

《詔問山中何所有賦詩以答》

山中何有所、嶺上多白雲

只可自怡悦、不堪持寄君。

(山中に何の有る所ぞと詔問せられ、詩を賦して以って答う)

山中 何の有る所ぞ、嶺上 白雲多し。只だ 自ら怡【たのし】み悦ぶべし、持して 君に寄するに堪えず。

「山の中に何が有るのだ」との御下問ですが、嶺の上には白雲が多くただよっています。しかし、これは私が見て楽しむだけで、残念ながら陛下にお届けする訳にはまいりません。

 

王維 

 唐代随一の田園詩人。仏教に深く帰依し、書画音楽にも優れていた。長く官僚として生活し、相当の地位にのぼりますが、元来、芸術家肌で役人生活は向いていなかったようで、藍田の麓に輞川商荘を営み、半官半隠の生活を送った。ここで「空山不見人」や「獨座幽篁裏」輞川二十首田園楽 七首などの有名な詩が詠んだ。脅迫されて安禄山にやむなく仕えたため、長安奪還後、処刑を命ぜられたが、これまでの功績により、特赦されたが、以降輞川荘にこもった。

 李白の詩と同様に、、故郷に隠棲する友人を送る詩。

「送別」

下馬飲君酒、問君何所之。

君言不得意、歸臥南山陲。

但去莫復問、白雲無盡時。 

馬より下りて君に酒を飲ましむ、君に問う 「何の之【ゆ】く所ぞ」と。

君は言う 「意を得ず、南山の陲【ほとり】に帰臥せん」と。

「但去れ。復た問うこと莫からん、白雲 尽きる時無し」と。

馬から下りて、まず一献。「これから、どうする?」「どうも世の中、思うようにはいかない。終南山の麓にでも引きこもるよ」「そうか、じゃ、行き給え。あの辺りでは、白雲が何時までも君の友達となってくれるだろう」

 

寒山

隠遁には、様々な形があった、自分の気配、存在そのものを消す、あるいは、自然と一体化するのが隠遁である。しかし、多くの詩人は半官半隱を理想とした。詩人は自己の詩を読んでもらいたいという願望があるからである。寒山は実在した証拠さえ消し去った、正真正銘の隠遁者といえるひとである。水墨画の「寒山拾得図」で知られる浙江省天台山(道教・仏教の霊地)に隠れ住んだ唐代末期ころの人だろうと云われる。

寒山の詩は他人に読ませようという意図が全くないため、三百首余り残存するが、すべて「無題」である。

登陟寒山道、寒山路不窮。

谿長石磊磊、澗濶草濛濛。

苔滑非関雨、松鳴不假風。

誰能超世累、共坐白雲中。

寒山の道を登陟れば、寒山 路 窮まらず。

谿は長くして石磊磊、澗は濶くして草濛濛。

苔の滑らかなるは雨に関わるに非ず、松の鳴るは風を仮らず。

誰か能く世累を超えて、共に白雲の中に坐せん。

寒山の路を登って行く。その道はどこまでも尽きることはない。渓谷は長く、石がごろごろと散らばっており、谷川は広く、草がぼうぼうと生えている。苔がしっとりと滑らかなのは、雨のせいではなく幽邃な山気のためであり、松が鳴っているのは、風のせいではなく、自ずからの天籟なのだ。誰か世の煩いから逃れて、私と一緒に白雲の中に坐してくれないだろうか。

 

川集 20首     もうせんしゅう

 もうせんしゅう解説

 

1孟城幼 もうじょうおう

2華子岡 かしこう

3文杏館ぶんきょうかん

4斤竹嶺 きんちくれい

5鹿柴   ろくさい 

6木蘭柴 もくらんさ

7茱萸拌 しゅゆはん

8宮塊陌 きゅうかいはく

9臨湖亭 りんこてい

10南 陀 なんだ

11欹 湖 いこ

12柳 浪 りゅうろう

13欒家瀬らんからい

14金屑泉 きんせつせん

15白石灘はくせきたん

16北 陀 ほくだ

17竹里館 ちくりかん

18辛夷塢 しんいお

19漆 園 しつえん

20椒 園 しょうえん

 

田園楽 七首

田園楽七首 1 千門

田園楽七首 2 再見

田園楽七首 3 採菱

田園楽七首 4 芳草

田園楽七首 5 山下

田園楽七首 6 桃紅

田園楽七首 7 酌酒


楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。

君が故国とする楚山も、長安を見守ってきた秦山も、そこには皆白雲を帯びている。

楚山 杜甫《昔遊》「景晏楚山深,水鶴去低回。」(景晏れて 楚山 深し,水鶴 去って 低回す。)「唯甫漂泊楚山,終當為龐公高隱耳。」(唯甫漂泊楚山,終當為龐公高隱耳。)

李白詩における楚山

16巻一16古風五十九首其十六

水深萬丈。 楚山邈千重。

230卷六25白云歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白云。 白云處處長隨君。

442巻十三07流夜郎至西塞驛寄裴隱

回巒引群峰。 橫蹙楚山斷。

841巻二十三15擬古十二首其十二

漢水既殊流。 楚山亦此分。

秦山 「楚」山に対して「秦」山といったのであり、長安をめぐる山々ということではあるが、通常は隠遁者が多く棲んだ終南山を意味するものである。

 

長隨君。 君入楚山里。 云亦隨君渡湘水。

白雲は、所所に於いて、君に随って居るので、君が長安の秦山に居ても、白雲が随って居か、故郷の楚山に居ても、矢張り白雲が随って居る。かくの如く、どこでも白雲が君に随って居る上は、同じ境涯あるから、何も都を棄てて、故郷へ帰る必要は無いように思われるが、故郷の白雲は、又格別なのであろう、だから、君は此度、故郷に帰られるのである。

湘水 湘江、あるいは湘水は、中華人民共和国を流れる大きな川の一つで、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省最大の川であり、湖南省の別名・「湘」(しょう)はこの川に由来する。長さは856km。桃源郷の伝説もこの一帯から生まれ、屈原の『楚辞』「九歌」や「離騒」には、伝説上の皇帝堯の二人の娘湘君・湘妃の物語が幻想的に詠われている。

渡湘水 

孟浩然《夜渡湘水》

(夜、湘水を渡る)

客行貪利捗、夜裏渡湘川。

客行 利捗を貪り、夜裏 湘川を渡る。

露氣聞香杜、歌聲識採蓮。

露気に 香杜を聞き、歌声に 採蓮を識る。

榜人投岸火、漁子宿潭煙。

榜人は 岸火に投じ、漁子は 潭煙に宿る。

行旅時相問、潯陽何處邊。

行旅 時に相い問う、潯陽は 何処の辺りかと。

 

湘水上。 女蘿衣。   白云堪臥君早歸。

さうして、君が故郷へ帰られると、泰山の雲は、君に随って湘水を渡り、やがて楚山の雲となるのである。湘水のほとりなる楚山には、女蘿が叢生して居るから、これをとって衣となすことができる。かくて、君は薜茘の衣、女蘿の帯となし、白雲に高臥し、優辞、餘生を送られようというのであるから、早く御歸りに成った方が宜しからうと思われる。

女蘿衣 薜茘の衣、女蘿の帯。山鬼の衣帯。《楚辞、九歌、山鬼篇》に「若有人兮山之阿,被薜荔兮。」(ここに人山の阿に有りし薜茘を被り女蘿を帯にす)とある。

 

杜審言 《渡湘江》

(湘江を渡る)

遲日園林悲昔遊、今春花鳥作邊愁。

遅日 園林 昔遊を悲かなしむ、今春 花鳥 辺愁を作なす。

獨憐京國人南竄、不似湘江水北流。

ひとり憐む 京国の人 南竄せられ、湘江の水の北流するに似ざるを。

743年(73)李太白集卷十六33-《送長沙陳太守,二首之二》(七郡長沙國,) 392Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(73) Ⅰ李白詩1749 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7285

李白  送長沙陳太守,二首之二

七郡長沙國,南連湘水濱。定王垂舞袖,地窄不迴身。

莫小二千石,當安遠俗人。洞庭路遠,遙羨錦衣春。

長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の二)

古のいわゆる長沙國は、今の湖南七郡を汎称したもので、洞庭湖に灑ぐ湘江を南に遡ってほとりに連接してあったものである。漢の長沙の定王は、紀元前142年、諸王が長安に入朝した際、父景帝の前に出て、手を小さく出す不恰好な舞いをした。周りの者が笑ったが、景帝が怪しんで聞くと、「私の国は狭いものですから、十分に旋回することも出来ないのです」と答えた。景帝はそこで武陵、零陵、桂陽を長沙国に加増してやったという故事がある。だから、君は、二千石の秩禄をもって「小」となさず、専心一意、施政に励み、僻遠の人民を安撫するが善い。都からは遠いけれど、君は、もともと、洞庭湖付近の出身で、今次、赴任するに就いては、故郷を通過されることであろうが、錦衣をきらびやかに、折からの春景色に輝いて、見えることであろうから、まことにうらやましい限りである。

李太白集卷十六23

送白利從金吾董將軍西征

 

389

743年天寶二年(43歳)

Index-23-2

 94-70首目)

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7245

 

 

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-72

卷別:    卷一七六              文體:    五言律詩

詩題:    送長沙陳太守,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州         

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳      

交遊人物/地點:陳太守      書信往來(江南西道 潭州 潭州)

 

 

送長沙陳太守,二首之一

(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の一)

長沙陳太守,逸氣凌青松。

今次、長沙太守に任命された陳君は、まことにあっぱれな人物で、逸気は、青松を凌がんばかりで、大いに俗離れしている。

英主賜五馬,本是天池龍。

それから、天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子よりたまわり、それに騎して、任地に向うことである。

湘水迴九曲,衡山望五峰。

やがて、長江を洩って二衡由二鞘の地へ往くと、湘水の流れは、うねったり、くねったりして、凡そ九曲と称せられ、衡山の五峰は、眼の前にはっきりと見える。

榮君按節去,不及遠相從。

君が手綱を緩めて、しづしづと練り行かれるのは、もことに栄誉の極で、早く任地に到着して、今後政績をあげられるのが善いので、いたずらに、別を惜んで、遠く相いしたがうような真似は、断じてすることはないのである。

(長沙の陳太守を送る,二首の一)

長沙の陳太守,逸氣 青松を凌ぐ。

英主 五馬を賜い,本と是れ天池の龍。

湘水 九曲を迴らし,衡山 五峰を望む。

君が節を按じて去るを榮とし,遠く相い從うに及ばず。

 

年:743年天寶二年43歳 94-73

卷別:    卷一七六              文體:    五言律詩

詩題:    送長沙陳太守,二首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州         

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

交遊人物/地點:陳太守      書信往來(江南西道 潭州 潭州)

 

 

送長沙陳太守,二首之二

長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の二)

七郡長沙國,南連湘水濱。

古のいわゆる長沙國は、今の湖南七郡を汎称したもので、洞庭湖に灑ぐ湘江を南に遡ってほとりに連接してあったものである。

定王垂舞袖,地窄不迴身。

漢の長沙の定王は、紀元前142年、諸王が長安に入朝した際、父景帝の前に出て、手を小さく出す不恰好な舞いをした。周りの者が笑ったが、景帝が怪しんで聞くと、「私の国は狭いものですから、十分に旋回することも出来ないのです」と答えた。景帝はそこで武陵、零陵、桂陽を長沙国に加増してやったという故事がある。

莫小二千石,當安遠俗人。

だから、君は、二千石の秩禄をもって「小」となさず、専心一意、施政に励み、僻遠の人民を安撫するが善い。

洞庭路遠,遙羨錦衣春。

都からは遠いけれど、君は、もともと、洞庭湖付近の出身で、今次、赴任するに就いては、故郷を通過されることであろうが、錦衣をきらびやかに、折からの春景色に輝いて、見えることであろうから、まことにうらやましい限りである。

韓愈 陽山00 

 

 

『送長沙陳太守,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送長沙陳太守,二首之二

七郡長沙國,南連湘水濱。

定王垂舞袖,地窄不迴身。

莫小二千石,當安遠俗人。

洞庭路遠,遙羨錦衣春
詩文(含異文)

七郡長沙國,南連湘水濱。定王垂舞袖【王垂舞袖】,地窄不迴身。

莫小二千石,當安遠俗人。洞庭路遠,遙羨錦衣春。


(下し文)
(
長沙の陳太守を送る,二首の二)

七郡 長沙國,南 連らる湘水の濱。

定王 舞袖を垂れ,地窄くして 身を迴らせず。

二千石を小とする莫れ,當に安んずべし 遠俗の人。

洞庭 路遠くあれど,遙かに 錦衣の春を羨やむ

(現代語訳)
送長沙陳太守,二首之二(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の二)

古のいわゆる長沙國は、今の湖南七郡を汎称したもので、洞庭湖に灑ぐ湘江を南に遡ってほとりに連接してあったものである。

漢の長沙の定王は、紀元前142年、諸王が長安に入朝した際、父景帝の前に出て、手を小さく出す不恰好な舞いをした。周りの者が笑ったが、景帝が怪しんで聞くと、「私の国は狭いものですから、十分に旋回することも出来ないのです」と答えた。景帝はそこで武陵、零陵、桂陽を長沙国に加増してやったという故事がある。

だから、君は、二千石の秩禄をもって「小」となさず、専心一意、施政に励み、僻遠の人民を安撫するが善い。

都からは遠いけれど、君は、もともと、洞庭湖付近の出身で、今次、赴任するに就いては、故郷を通過されることであろうが、錦衣をきらびやかに、折からの春景色に輝いて、見えることであろうから、まことにうらやましい限りである。


(訳注)

送長沙陳太守,二首之二

(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の二)

1長沙 長沙の名は早くも『逸周書』に見え、春秋戦国時代には楚国に属し、成王のとき黔中郡が置かれたことに始まる。秦代に秦36郡のひとつとして長沙郡が設置されている。漢代初には呉芮を封じて臨湘県を都とする長沙王国が設置され、546年間続いた。長沙王国の相である軑侯利蒼一族の墓所として有名な馬王堆漢墓を今に伝える。隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展した。唐の郡名、潭州で、江南西道に属していた。この詩は、陳某が新に長沙の太守に補せられて赴任するのを送って作ったのである。

この首は、施政に励んで、故郷に錦を飾ることであるからうらやましいと、其一とは異なった意象を詠出しで居る。まさしく、連作の最たるものである。

 

七郡長沙國,南連湘水濱。

古のいわゆる長沙國は、今の湖南七郡を汎称したもので、洞庭湖に灑ぐ湘江を南に遡ってほとりに連接してあったものである。

10 七郡 唐時、潭州長沙郡、衡州衡陽郡、永州零陵郡、連州連山郡、道州江華郡、郴州桂陽郡、卲州卲陽郡、の事。

11 長沙國 春秋戦国時代においては楚国の領土下属國にあり、長沙城が設置されていた。このように古代から長沙の市街区の位置は変わることなく同じ場所に存在し続けており、中国史上で最も古い歴史を有する街と言われている。後漢王朝初期、長沙国は廃止され、長沙郡へと改編され七郡となる。

12 南連湘水濱 この七郡は、湘水に連なって接する郡であることをいう。

 

定王垂舞袖,地窄不迴身。

漢の長沙の定王は、紀元前142年、諸王が長安に入朝した際、父景帝の前に出て、手を小さく出す不恰好な舞いをした。周りの者が笑ったが、景帝が怪しんで聞くと、「私の国は狭いものですから、十分に旋回することも出来ないのです」と答えた。景帝はそこで武陵、零陵、桂陽を長沙国に加増してやったという故事がある。

13 定王 長沙の定王、劉発、前漢の人。漢の景帝の子の一人。劉氏長沙国の初代王で、光武帝の先祖として知られる。

14 垂舞袖・地窄不迴身 定王は、景帝前2年(紀元前155年)に長沙王に立てられた。母が微賎で寵愛されていなかったため、貧しい国に封じられたのである。景帝後2年(紀元前142年)、諸王が長安に入朝した際、王が前に出て歌舞をするよう命じられた。長沙王劉発は手を小さく出す不恰好な舞いであったために周りの者が笑った。景帝が怪しんで聞くと、「私の国は狭いものですから、十分に旋回することも出来ないのです」と答えた。景帝はそこで武陵、零陵、桂陽を長沙国に加増してやったという「垂舞袖/地窄不迴身」の故事。

387巻十一醉後贈王歷陽

筆蹤起龍虎、舞袖拂云霄。

548卷十六51魯中送二從弟赴舉之西京 (一作送族弟()

舞袖拂秋月、歌筵聞早鴻。

553卷十六56送長沙陳太守二首其二

定王垂舞袖、地窄不回身。

646巻十九20邯鄲南亭觀妓

舞袖拂花枝、把酒顧美人。

677巻十九51銅官山醉後

要須回舞袖、拂盡五松山。

71220-26與夏十二登岳陽樓

醉後涼風起、吹人舞袖回。

784巻二十二5對酒醉題屈突明府廳

山翁今已醉、舞袖為君開。

 

莫小二千石,當安遠俗人。

だから、君は、二千石の秩禄をもって「小」となさず、専心一意、施政に励み、僻遠の人民を安撫するが善い。

15 二千石 漢代に郡太守の代名詞として使われたことから転じ、知事などの地方長官を「二千石」と表現する用法があった。二千石(にせんせき)は、中国古代、漢における官僚の等級と俸給(秩石)を表す語。漢の秩石には万石から百石まであり、その数字に応じて俸給が半分は穀物、半分は銭で支給された。二千石は主に郡太守などの高官が該当し、中二千石、真二千石、二千石、比二千石の4種類に分かれていた。

 

洞庭路遠,遙羨錦衣春。

都からは遠いけれど、君は、もともと、洞庭湖付近の出身で、今次、赴任するに就いては、故郷を通過されることであろうが、錦衣をきらびやかに、折からの春景色に輝いて、見えることであろうから、まことにうらやましい限りである。

16 洞庭路遠 長沙へ行く道中の最大の地点。

17 錦衣春 故郷に錦を飾り、折からの春景色がかがやいてみえる。

錦衣・衣錦

218 卷六13 鳴皋歌送岑徵君

魚目混珍,母衣錦。

361 10-08 贈劉都使

飲冰事戎幕, 衣錦華水

531 卷十六34 送張遙之壽陽幕府

勖爾效才略,功成衣錦還。

536 卷十六39 送外甥鄭灌從軍三首 其一

丈夫睹命報天子,當斬胡頭衣錦回。

 83 02-24 楽府・雉朝飛

麥隴青青三月時,白雉朝飛挾兩雌。

161 巻四36 東武吟

 錦衣入新丰,依岩望松雪。

553 卷十六56 送長沙陳太守二首其二

洞庭路遠,遙羨錦衣春。

751 巻二十一29 越中覽古

越王句踐破,義士還盡錦衣。

 

韓愈の地図01 

 

 

 

送長沙陳太守二首 【字解】

 

(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首)

1長沙 長沙の名は早くも『逸周書』に見え、春秋戦国時代には楚国に属し、成王のとき黔中郡が置かれたことに始まる。秦代に秦36郡のひとつとして長沙郡が設置されている。漢代初には呉芮を封じて臨湘県を都とする長沙王国が設置され、546年間続いた。長沙王国の相である軑侯利蒼一族の墓所として有名な馬王堆漢墓を今に伝える。隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展した。唐の郡名、潭州で、江南西道に属していた。この詩は、陳某が新に長沙の太守に補せられて赴任するのを送って作ったのである。

前年四句は一気呵成。湘水、衡山の二旬は、本地の風光を点醒して、人の眉目を清くする。

結二句は、翻って之を激励する意味である。

2 陳 陳の名字閲歴は、不詳。

3 太守 郡の長官のことで、単に守とも呼ばれた。古代から南北朝時代に置かれた。

4 逸氣 すぐれた気質。世俗を超越した気風。

5 賜五馬 五馬は太守の別称でその命をうけたことをいう。四頭馬車の外にさらに一頭の添え馬を付すことを許されたもの。《玉臺新詠‧古樂府・日出東南隅行》「使君從南來, 五馬立踟躕。」(使君、南より來り, 五馬 立って踟躕す。) 漢時に太守は乘坐する車用に五匹馬でもって駕轅することを許されたことを言う, 因って太守の車駕をいう。

6 湘水迴九曲 水經註 「衡山東南二面,臨映湘川,自長沙至此江湘六百里中,有九向九背,故漁者歌曰:帆隨湘轉,望衡九面。」(衡山東南二面,湘川に臨映す,長沙より此に至る 江湘六百里中,九向九背有り,故に漁者 歌うて曰く:帆 湘轉に隨い,衡に望めば九面なり。)とある

7 衡山 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

8 五峰 祝融、天柱、芙蓉、紫盖、石禀で、 祝融山が最高峰である。通鑑地理釋「衡嶽潭州衡山縣西三十里衡州衡陽 縣北七十里有五峰曰紫葢天柱芙蓉石廩祝融」(衡嶽は潭州衡山縣西三十里、衡州衡陽 縣北七十里に在り、五峰有り、曰く紫葢、天柱、芙蓉、石廩、祝融)とある。

9 按節 馬の手綱を緩めること。

10 七郡 唐時、潭州長沙郡、衡州衡陽郡、永州零陵郡、連州連山郡、道州江華郡、郴州桂陽郡、卲州卲陽郡、の事。

11 長沙國 春秋戦国時代においては楚国の領土下属國にあり、長沙城が設置されていた。このように古代から長沙の市街区の位置は変わることなく同じ場所に存在し続けており、中国史上で最も古い歴史を有する街と言われている。後漢王朝初期、長沙国は廃止され、長沙郡へと改編され七郡となる。

12 南連湘水濱 この七郡は、湘水に連なって接する郡であることをいう。

13 定王 長沙の定王、劉発、前漢の人。漢の景帝の子の一人。劉氏長沙国の初代王で、光武帝の先祖として知られる。

14 垂舞袖・地窄不迴身 定王は、景帝前2年(紀元前155年)に長沙王に立てられた。母が微賎で寵愛されていなかったため、貧しい国に封じられたのである。景帝後2年(紀元前142年)、諸王が長安に入朝した際、王が前に出て歌舞をするよう命じられた。長沙王劉発は手を小さく出す不恰好な舞いであったために周りの者が笑った。景帝が怪しんで聞くと、「私の国は狭いものですから、十分に旋回することも出来ないのです」と答えた。景帝はそこで武陵、零陵、桂陽を長沙国に加増してやったという「垂舞袖/地窄不迴身」の故事。

387巻十一醉後贈王歷陽

筆蹤起龍虎、舞袖拂云霄。

548卷十六51魯中送二從弟赴舉之西京 (一作送族弟()

舞袖拂秋月、歌筵聞早鴻。

553卷十六56送長沙陳太守二首其二

定王垂舞袖、地窄不回身。

646巻十九20邯鄲南亭觀妓

舞袖拂花枝、把酒顧美人。

677巻十九51銅官山醉後

要須回舞袖、拂盡五松山。

71220-26與夏十二登岳陽樓

醉後涼風起、吹人舞袖回。

784巻二十二5對酒醉題屈突明府廳

山翁今已醉、舞袖為君開。

 

15 二千石 漢代に郡太守の代名詞として使われたことから転じ、知事などの地方長官を「二千石」と表現する用法があった。二千石(にせんせき)は、中国古代、漢における官僚の等級と俸給(秩石)を表す語。漢の秩石には万石から百石まであり、その数字に応じて俸給が半分は穀物、半分は銭で支給された。二千石は主に郡太守などの高官が該当し、中二千石、真二千石、二千石、比二千石の4種類に分かれていた。

16 洞庭路遠 長沙へ行く道中の最大の地点。

17 錦衣春 故郷に錦を飾り、折からの春景色がかがやいてみえる。

錦衣・衣錦

218 卷六13 鳴皋歌送岑徵君

魚目混珍,母衣錦。

361 10-08 贈劉都使

飲冰事戎幕, 衣錦華水

531 卷十六34 送張遙之壽陽幕府

勖爾效才略,功成衣錦還。

536 卷十六39 送外甥鄭灌從軍三首 其一

丈夫睹命報天子,當斬胡頭衣錦回。

 83 02-24 楽府・雉朝飛

麥隴青青三月時,白雉朝飛挾兩雌。

161 巻四36 東武吟

 錦衣入新丰,依岩望松雪。

553 卷十六56 送長沙陳太守二首其二

洞庭路遠,遙羨錦衣春。

751 巻二十一29 越中覽古

越王句踐破,義士還盡錦衣。

 

743年(72)李太白集卷十六32-《送長沙陳太守,二首之一》(長沙陳太守,) 391Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(72) Ⅰ李白詩1748 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7280

李白  送長沙陳太守,二首之一

長沙陳太守,逸氣凌青松。英主賜五馬,本是天池龍。

湘水迴九曲,衡山望五峰。榮君按節去,不及遠相從。
(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の一)

今次、長沙太守に任命された陳君は、まことにあっぱれな人物で、逸気は、青松を凌がんばかりで、大いに俗離れしている。それから、天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子よりたまわり、それに騎して、任地に向うことである。やがて、長江を洩って二衡由二鞘の地へ往くと、湘水の流れは、うねったり、くねったりして、凡そ九曲と称せられ、衡山の五峰は、眼の前にはっきりと見える。君が手綱を緩めて、しづしづと練り行かれるのは、もことに栄誉の極で、早く任地に到着して、今後政績をあげられるのが善いので、いたずらに、別を惜んで、遠く相いしたがうような真似は、断じてすることはないのである。

743年(70

送白利從金吾董將軍西征

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7245

李太白集

389

Index-23

-2

743年天寶二年43歳 94-70

卷十六23

 

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-72

卷別:    卷一七六              文體:    五言律詩

詩題:    送長沙陳太守,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州         

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳      

交遊人物/地點:陳太守      書信往來(江南西道 潭州 潭州)

 

 

送長沙陳太守,二首之一

長沙陳太守,逸氣凌青松。

英主賜五馬,本是天池龍。

湘水迴九曲,衡山望五峰。

榮君按節去,不及遠相從。

(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の一)

今次、長沙太守に任命された陳君は、まことにあっぱれな人物で、逸気は、青松を凌がんばかりで、大いに俗離れしている。

それから、天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子よりたまわり、それに騎して、任地に向うことである。

やがて、長江を洩って二衡由二鞘の地へ往くと、湘水の流れは、うねったり、くねったりして、凡そ九曲と称せられ、衡山の五峰は、眼の前にはっきりと見える。

君が手綱を緩めて、しづしづと練り行かれるのは、もことに栄誉の極で、早く任地に到着して、今後政績をあげられるのが善いので、いたずらに、別を惜んで、遠く相いしたがうような真似は、断じてすることはないのである。

(長沙の陳太守を送る,二首の一)

長沙の陳太守,逸氣 青松を凌ぐ。

英主 五馬を賜い,本と是れ天池の龍。

湘水 九曲を迴らし,衡山 五峰を望む。

君が節を按じて去るを榮とし,遠く相い從うに及ばず。

 

 

『送長沙陳太守,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送長沙陳太守,二首之一

長沙陳太守,逸氣凌青松。

英主賜五馬,本是天池龍。

湘水迴九曲,衡山望五峰。

榮君按節去,不及遠相從。

(下し文)
(
長沙の陳太守を送る,二首の一)

長沙の陳太守,逸氣 青松を凌ぐ。

英主 五馬を賜い,本と是れ天池の龍。

湘水 九曲を迴らし,衡山 五峰を望む。

君が節を按じて去るを榮とし,遠く相い從うに及ばず。


(現代語訳)
送長沙陳太守,二首之一(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の一)

今次、長沙太守に任命された陳君は、まことにあっぱれな人物で、逸気は、青松を凌がんばかりで、大いに俗離れしている。

それから、天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子よりたまわり、それに騎して、任地に向うことである。

やがて、長江を洩って二衡由二鞘の地へ往くと、湘水の流れは、うねったり、くねったりして、凡そ九曲と称せられ、衡山の五峰は、眼の前にはっきりと見える。

君が手綱を緩めて、しづしづと練り行かれるのは、もことに栄誉の極で、早く任地に到着して、今後政績をあげられるのが善いので、いたずらに、別を惜んで、遠く相いしたがうような真似は、断じてすることはないのである。


(訳注)

送長沙陳太守,二首之一

(長沙郡の陳太守が潭州に赴くを送る詩、二首の一)

1長沙 長沙の名は早くも『逸周書』に見え、春秋戦国時代には楚国に属し、成王のとき黔中郡が置かれたことに始まる。秦代に秦36郡のひとつとして長沙郡が設置されている。漢代初には呉芮を封じて臨湘県を都とする長沙王国が設置され、546年間続いた。長沙王国の相である軑侯利蒼一族の墓所として有名な馬王堆漢墓を今に伝える。隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展した。唐の郡名、潭州で、江南西道に属していた。この詩は、陳某が新に長沙の太守に補せられて赴任するのを送って作ったのである。

前年四句は一気呵成。湘水、衡山の二旬は、本地の風光を点醒して、人の眉目を清くする。

結二句は、翻って之を激励する意味である。

 

2 陳 陳の名字閲歴は、不詳。

3 太守 郡の長官のことで、単に守とも呼ばれた。古代から南北朝時代に置かれた。

 

長沙陳太守,逸氣凌青松。

今次、長沙太守に任命された陳君は、まことにあっぱれな人物で、逸気は、青松を凌がんばかりで、大いに俗離れしている。

4 逸氣 すぐれた気質。世俗を超越した気風。

 

英主賜五馬,本是天池龍。

それから、天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子よりたまわり、それに騎して、任地に向うことである。

5 賜五馬 五馬は太守の別称でその命をうけたことをいう。四頭馬車の外にさらに一頭の添え馬を付すことを許されたもの。《玉臺新詠‧古樂府・日出東南隅行》「使君從南來, 五馬立踟躕。」(使君、南より來り, 五馬 立って踟躕す。) 漢時に太守は乘坐する車用に五匹馬でもって駕轅することを許されたことを言う, 因って太守の車駕をいう。

 

湘水迴九曲,衡山望五峰。

やがて、長江を洩って二衡由二鞘の地へ往くと、湘水の流れは、うねったり、くねったりして、凡そ九曲と称せられ、衡山の五峰は、眼の前にはっきりと見える。

6 湘水迴九曲 水經註 「衡山東南二面,臨映湘川,自長沙至此江湘六百里中,有九向九背,故漁者歌曰:帆隨湘轉,望衡九面。」(衡山東南二面,湘川に臨映す,長沙より此に至る 江湘六百里中,九向九背有り,故に漁者 歌うて曰く:帆 湘轉に隨い,衡に望めば九面なり。)とある

7 衡山 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

8 五峰 祝融、天柱、芙蓉、紫盖、石禀で、 祝融山が最高峰である。通鑑地理釋「衡嶽潭州衡山縣西三十里衡州衡陽 縣北七十里有五峰曰紫葢天柱芙蓉石廩祝融」(衡嶽は潭州衡山縣西三十里、衡州衡陽 縣北七十里に在り、五峰有り、曰く紫葢、天柱、芙蓉、石廩、祝融)とある。

 

榮君按節去,不及遠相從。

君が手綱を緩めて、しづしづと練り行かれるのは、もことに栄誉の極で、早く任地に到着して、今後政績をあげられるのが善いので、いたずらに、別を惜んで、遠く相いしたがうような真似は、断じてすることはないのである。

9 按節 馬の手綱を緩めること。

743年(71)李太白集卷十六26-《送祝八之江東賦得浣紗石》(西施越溪女,) 390-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(71) Ⅰ李白詩1747 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7275

李白  送祝八之江東賦得浣紗石 #2

昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。

君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。

若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。
むかしは、その處に於て、紅粉の装い爲せる西施が、流れる水にその影を映したが、今では、石の上に生ずる青い苔は、散る花に覆われて、その人を思わせるものがないのである。

君は、今、ここ長安を去って、東越に行かれるので、その道中、碧山清江がずっとつらなる、きわめて遠い道のりである。

かくて、天涯に至って、故人即ち吾を思い出したならば、浣紗石のほとりに行って、石の上に登る明月を見ることである。われも亦た、ひとしく君を思う心をその月に寄せているから、それとなく、心に感じ得るものがあるに相違ないのである。

743年(71

送祝八之江東賦得浣紗石

kanbuniinkai紀頌之の

漢詩ブログ7275

李太白集

卷十六23

390#2

Index-23-2

743年天寶二年43歳 94-71-#2

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-71

卷別:    卷一七六              文體:    雜言古詩

詩題:    送祝八之江東賦得浣紗石

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              浣紗石 (江南東道 越州 會稽)           

交遊人物/地點:祝八          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送祝八之江東賦得浣紗石

(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)

西施越溪女,明豔光雲海。

西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。

未入王宮殿時,浣紗古石今猶在。

そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。

桃李新開映古菖蒲猶短出平沙。

その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。

(祝八の江東に之くを送り浣紗石を賦し得る)

西施は越溪の女,明豔 雲海に光る。

未だ王の宮殿に入らざる時,浣紗の古石 今 猶お在り。

桃李 新たに開いて 古,菖蒲 猶お短く 平沙を出づ

昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。

君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。

若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。

むかしは、その處に於て、紅粉の装い爲せる西施が、流れる水にその影を映したが、今では、石の上に生ずる青い苔は、散る花に覆われて、その人を思わせるものがないのである。

君は、今、ここ長安を去って、東越に行かれるので、その道中、碧山清江がずっとつらなる、きわめて遠い道のりである。

かくて、天涯に至って、故人即ち吾を思い出したならば、浣紗石のほとりに行って、石の上に登る明月を見ることである。われも亦た、ひとしく君を思う心をその月に寄せているから、それとなく、心に感じ得るものがあるに相違ないのである。

#2

昔時は紅粉 流水を照し,今日は青苔 落花の覆わる。

君は西秦を去って東越に適く,碧山 青江 幾んぞ超忽す。

若し天涯に到って故人を思わば,浣紗石の上 明月を窺え。

京兆地域図002 

 

『送祝八之江東賦得浣紗石』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。

君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。

若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。
詩文(含異文)    

昔時紅粉照流水【昔時紅顏照流水】,今日青苔覆落花。

君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。

若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。


(下し文)
#2

昔時は紅粉 流水を照し,今日は青苔 落花の覆わる。

君は西秦を去って東越に適く,碧山 青江 幾んぞ超忽す。

若し天涯に到って故人を思わば,浣紗石の上 明月を窺え。

(現代語訳)
#2

むかしは、その處に於て、紅粉の装い爲せる西施が、流れる水にその影を映したが、今では、石の上に生ずる青い苔は、散る花に覆われて、その人を思わせるものがないのである。

君は、今、ここ長安を去って、東越に行かれるので、その道中、碧山清江がずっとつらなる、きわめて遠い道のりである。

かくて、天涯に至って、故人即ち吾を思い出したならば、浣紗石のほとりに行って、石の上に登る明月を見ることである。われも亦た、ひとしく君を思う心をその月に寄せているから、それとなく、心に感じ得るものがあるに相違ないのである。

呉越の地図李白の足跡0000
(訳注)

送祝八之江東賦得浣紗石

(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)

1-   祝八 祝八の八は排行で、名字は分らない。江東は呉越の地。それから、浣紗石に就いては、太平御覧に引ける孔曄の會稽記に「勾践、美女を索め、以て呉王に献上せむとし、諸曁苧蘿山の売薪の女、西施 鄭且を得、先づ土城山に教習せしむ、山邊に石あり、云ふ是れ西施の浣紗石」とあり、太平寰宇記に「諸曁縣に苧蘿山あり、山下に石跡あり、云ふ足れ西施浣紗の所と。浣紗石、なお在り」と記してある。この詩は、祝八の江東に之くを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題とした處が、李白は浣紗石を取り中で、因って、この詩を作ったので、つまり、浣紗石を詠するその中に於て、送別の意を寓したわけである。

 

昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。

むかしは、その處に於て、紅粉の装い爲せる西施が、流れる水にその影を映したが、今では、石の上に生ずる青い苔は、散る花に覆われて、その人を思わせるものがないのである。

10 紅粉 白粉とほほ紅、口紅。西施を言う。

 

君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。

君は、今、ここ長安を去って、東越に行かれるので、その道中、碧山清江がずっとつらなる、きわめて遠い道のりである。

11 西秦 ここは、長安のこと。

12 東越 春秋時代に中国浙江省の辺りにあった国の東部海岸地方。首都は会稽(現在の浙江省紹興市)。後に漢民族形成の中核となった黄河流域の都市国家群の周辺民族とは別の、長江流域の百越に属する民族を主体に建設されたあたりをいう。

13 碧山青江 苔むし、常緑の山、青く清清しく広々とした、大江。

14 幾超忽 ずうっと遙かに遠句まで続いた様子を言う。文選.王巾.《頭陀寺碑文》「東望平皋,千里超忽。」(東に平皋を望み,千里超忽。)

 

若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。

かくて、天涯に至って、故人即ち吾を思い出したならば、浣紗石のほとりに行って、石の上に登る明月を見ることである。われも亦た、ひとしく君を思う心をその月に寄せているから、それとなく、心に感じ得るものがあるに相違ないのである。

窺明月 おなじ明月を望む

《巻四18 月夜 
今夜鄜州月、閨中只独看。
遥憐小児女、未解憶長安。
香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。
何時倚虚幌、双照涙痕乾。
今夜も月が出ている鄜州での月は、閏の中で我が妻がただひとりみているだろう。

私からはこんなはるかなところからいたいけない子供たちのことを思いを遣っている、しかしその子どもたちはこの私のいる長安を憶うことなどは知らないのである。

二人で過ごした室には香霧がこめ、雲の髪型もうるおいが生じる、清々しい月のひかり輝いて妻のうなじに、影を落としている、美しい姿もつめたく感じていることであろう。

いつになったらゆめまぼろしにある妻との閨ととばりの生活、二人そろって月光に照らされて涙のあとなど全くない暮らしができるのだろうか。

今夜  鄜州【ふしゅう】の月、閨中【けいちゅう】  只だ独り看【み】るらん。
遥かに憐【あわ】れむ小児女【しょうじじょ】の、未【いま】だ長安を憶【おも】うを解(かい)せざるを。
香霧【こうむ】に雲鬟【うんかん】湿【うるお】い、清輝【せいき】に玉臂【ぎょくひ】寒からん。
何【いず】れの時か虚幌【きょこう】に倚【よ】り、双【とも】に照らされて涙痕【るいこん】乾かん。

杜甫の「月夜」は、 白欒天のこの詩にもいうように、「三五夜中新月の色、二千里外故人の心」であって、月色は、山河を隔て、環境を異にしつつも、その色を同じくするものである。だから、それに誘発されて、杜甫は、はるかなる妻の身の上を思うのであり、おなじ月の光にさそわれて、はるかなる妻も、自分を思うであろうことを自分自身に思わせるのであるが、自分の見る月とはいわないで、妻の見る月の色を、はるかに思いやったというところは、この詩人の心が、常に常識を越えて別の次元につき入ろうとしていたこと、そうしてまたその結果、表現としては、緊迫した言葉を常に求めていたこと、つまりみずからもいうように「語の人を驚かさずんば死すとも休まず」とする傾向にあったことを、もとより最も顕著に示す例ではないけれども、なお何がしか示すものである。

月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150

 

送祝八之江東賦得浣紗石 【字解】

 

1)祝八 祝八の八は排行で、名字は分らない。江東は呉越の地。それから、浣紗石に就いては、太平御覧に引ける孔曄の會稽記に「勾践、美女を索め、以て呉王に献上せむとし、諸曁苧蘿山の売薪の女、西施 鄭且を得、先づ土城山に教習せしむ、山邊に石あり、云ふ是れ西施の浣紗石」とあり、太平寰宇記に「諸曁縣に苧蘿山あり、山下に石跡あり、云ふ足れ西施浣紗の所と。浣紗石、なお在り」と記してある。この詩は、祝八の江東に之くを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題とした處が、李白は浣紗石を取り中で、因って、この詩を作ったので、つまり、浣紗石を詠するその中に於て、送別の意を寓したわけである。

2)西施 李白が西施の語を使った詩句。

6502-06楽府烏棲曲

王宮里醉西施。

195巻五 28子夜 ( 一作子夜四時歌 ) 夏歌

鏡湖三百里。 菡萏發荷花。 五月西施采。 人看隘若耶。 回舟不待月。 歸去越王家。

210卷六5玉壺吟

世人不識東方朔。 大隱金門是謫仙。 西施宜笑復宜顰。 丑女效之徒累身。 君王雖愛蛾眉好。

218卷六13鳴皋歌送岑徵君 時梁園三尺雪

鳳孤飛而無鄰。 ()蜓嘲龍。 魚目混珍。 母衣錦。 西施負薪。 若使巢由桎梏于軒冕兮。

546卷十六49送祝八之江東賦得浣紗石

西施越溪女。 明艷光云海。 未入王宮殿時。

747巻二十一25西施

西施越溪女。 出自苧蘿山。

829巻二十三03效古二首其二

自古有秀色。 西施與東鄰。 蛾眉不可妒。 況乃效其顰。 所以尹婕妤。

945巻二十四56口號王美人半醉

風動荷花水殿香。 姑蘇台上宴王。 西施醉舞嬌無力。 笑倚東窗白玉床。

 

2)西施ものがたり  李白がよく取り上げた題材

111-1 《西施》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <111-1> Ⅰ李白詩1290 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4998

111-2 《西施》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <111-2> Ⅰ李白詩1291 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5003

3) 越溪女 呉越春秋「越王使相者於國中、得苧蘿山鬻薪之女。曰西施鄭旦。」中国四大美人と呼ばれるのは以下の女性たちである。1.西施(春秋時代)2.王昭君(漢)3.貂蝉(後漢)4.楊貴妃(唐)ただし、このほかに卓文君(漢)を加え、王昭君を除くこともある。また虞美人(秦末)を加え、貂蝉を除くこともある。・苧蘿山 苧蘿山は浙江諸縣の南五裡に在る。

4)明豔 妖艶であるにも、ちせいゆたかに美しい姿かたち、顔だち。

5)光雲海 遠く水平線に沸く雲を境にし、その上にぽっかりと浮かぶ雲のかがやく白さをいう。

 

未入王宮殿時,浣紗古石今猶在。

そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。

6) 王宮殿 越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。

7)浣紗 絹を織って染め付けた布地を川で晒す、水の冷たい時に色の定着がよくなることで、春先の年中行事であり、谷間の石の上に並べて干されること、春の風物詩であることを意味する。秋は採蓮、採菱も若い娘の素足が風物詩である。李白は春秋の風物詩をおおくうたっている。

 

桃李新開映古菖蒲猶短出平沙。

その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。

8)  古は水中の古木、浮木。

9)菖蒲猶短 菖蒲の芽の纔に出たばかりの状態のことを言う。いわゆる早春のころ、寒風と水が最も冷たく感じる頃を言う。

743年(71)-#1李太白集卷十六26-《送祝八之江東賦得浣紗石》(西施越溪女,) 390-#1Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(71) Ⅰ李白詩1746 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7270

李白  送祝八之江東賦得浣紗石

西施越溪女,明豔光雲海。

未入王宮殿時,浣紗古石今猶在。

桃李新開映古,菖蒲猶短出平沙
(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)

西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。

743年(71

送祝八之江東賦得浣紗石

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李太白集

卷十六23

390#1

Index-23-2

743年天寶二年43歳 94-71

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-71

卷別:    卷一七六              文體:    雜言古詩

詩題:    送祝八之江東賦得浣紗石

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              浣紗石 (江南東道 越州 會稽)           

交遊人物/地點:祝八          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送祝八之江東賦得浣紗石

西施越溪女,明豔光雲海。

未入王宮殿時,浣紗古石今猶在。

桃李新開映古菖蒲猶短出平沙。

(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)

西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。

そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。

その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。

(祝八の江東に之くを送り浣紗石を賦し得る)

西施は越溪の女,明豔 雲海に光る。

未だ王の宮殿に入らざる時,浣紗の古石 今 猶お在り。

桃李 新たに開いて 古,菖蒲 猶お短く 平沙を出づ

昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。

君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。

若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。

 

 

『送祝八之江東賦得浣紗石』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送祝八之江東賦得浣紗石

西施越溪女,明豔光雲海。

未入王宮殿時,浣紗古石今猶在。

桃李新開映古,菖蒲猶短出平沙
詩文(含異文)    

西施越溪女,明豔光雲海。

未入王宮殿時【來入王宮殿時】,浣紗古石今猶在【浣紗故石今猶在】。

桃李新開映古,菖蒲猶短出平沙。


(下し文)

(祝八の江東に之くを送り浣紗石を賦し得る)

西施は越溪の女,明豔 雲海に光る。

未だ王の宮殿に入らざる時,浣紗の古石 今 猶お在り。

桃李 新たに開いて 古,菖蒲 猶お短く 平沙を出づ

(現代語訳)
送祝八之江東賦得浣紗石(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)

西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。

そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。

その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。


(訳注)

送祝八之江東賦得浣紗石

(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)

1.   祝八 祝八の八は排行で、名字は分らない。江東は呉越の地。それから、浣紗石に就いては、太平御覧に引ける孔曄の會稽記に「勾践、美女を索め、以て呉王に献上せむとし、諸曁苧蘿山の売薪の女、西施 鄭且を得、先づ土城山に教習せしむ、山邊に石あり、云ふ是れ西施の浣紗石」とあり、太平寰宇記に「諸曁縣に苧蘿山あり、山下に石跡あり、云ふ足れ西施浣紗の所と。浣紗石、なお在り」と記してある。この詩は、祝八の江東に之くを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題とした處が、李白は浣紗石を取り中で、因って、この詩を作ったので、つまり、浣紗石を詠するその中に於て、送別の意を寓したわけである。

 

西施越溪女,明豔光雲海。

西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。

2.   西施 李白が西施の語を使った詩句。

6502-06楽府烏棲曲

王宮里醉西施。

195巻五 28子夜 ( 一作子夜四時歌 ) 夏歌

鏡湖三百里。 菡萏發荷花。 五月西施采。 人看隘若耶。 回舟不待月。 歸去越王家。

210卷六5玉壺吟

世人不識東方朔。 大隱金門是謫仙。 西施宜笑復宜顰。 丑女效之徒累身。 君王雖愛蛾眉好。

218卷六13鳴皋歌送岑徵君 時梁園三尺雪

鳳孤飛而無鄰。 ()蜓嘲龍。 魚目混珍。 母衣錦。 西施負薪。 若使巢由桎梏于軒冕兮。

546卷十六49送祝八之江東賦得浣紗石

西施越溪女。 明艷光云海。 未入王宮殿時。

747巻二十一25西施

西施越溪女。 出自苧蘿山。

829巻二十三03效古二首其二

自古有秀色。 西施與東鄰。 蛾眉不可妒。 況乃效其顰。 所以尹婕妤。

945巻二十四56口號王美人半醉

風動荷花水殿香。 姑蘇台上宴王。 西施醉舞嬌無力。 笑倚東窗白玉床。

 

2)西施ものがたり  李白がよく取り上げた題材

111-1 《西施》李白index- 6 《726元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <111-1> Ⅰ李白詩1290 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4998

111-2 《西施》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <111-2> Ⅰ李白詩1291 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5003

3.  越溪女 呉越春秋「越王使相者於國中、得苧蘿山鬻薪之女。曰西施鄭旦。」中国四大美人と呼ばれるのは以下の女性たちである。1.西施(春秋時代)2.王昭君(漢)3.貂蝉(後漢)4.楊貴妃(唐)ただし、このほかに卓文君(漢)を加え、王昭君を除くこともある。また虞美人(秦末)を加え、貂蝉を除くこともある。・苧蘿山 苧蘿山は浙江諸縣の南五裡に在る。

4.   明豔 妖艶であるにも、ちせいゆたかに美しい姿かたち、顔だち。

5.   光雲海 遠く水平線に沸く雲を境にし、その上にぽっかりと浮かぶ雲のかがやく白さをいう。

 

未入王宮殿時,浣紗古石今猶在。

そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。

6.  王宮殿 越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。

7.   浣紗 絹を織って染め付けた布地を川で晒す、水の冷たい時に色の定着がよくなることで、春先の年中行事であり、谷間の石の上に並べて干されること、春の風物詩であることを意味する。秋は採蓮、採菱も若い娘の素足が風物詩である。李白は春秋の風物詩をおおくうたっている。

 

桃李新開映古菖蒲猶短出平沙。

その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。

8.   古は水中の古木、浮木。

9.   菖蒲猶短 菖蒲の芽の纔に出たばかりの状態のことを言う。いわゆる早春のころ、寒風と水が最も冷たく感じる頃を言う。

743年(70)李太白集卷十六23-《送白利從金吾董將軍西征》(西羌延國討,) 389Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(70) Ⅰ李白詩1745 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7265

李白  送白利從金吾董將軍西征

西羌延國討,白起佐軍威。劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。抗手凜相顧,寒風生鐵衣。

(秦の白起ともいうべき白利君が、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送る詩)

西域の羌といわれる吐蕃は、国際的征伐として、数しば兵を動かしたが、のびのびに成って、まだ十分に片が付かない。そこで、今のたび、君は金吾將軍の幕府に参し、軍威を佐けて、愈いよ出兵することに成ったのである。かくて、莊子が剣について説いたように、剣を拂えば、浮雲の気を切るであろうし、弓を引けば、明月が輝いて居るというほど引き番えるのである。馬の行くところには、西辺の地の草、なお緑に茂り、旌旗を巻けば、暁天の霜を吹き飛ばす想いがする。何は兎もあれ、大沙漠の物凄じき景色は、おぼえず心を傷ましめるばかりであろうが、征軍の大将、士輩が、凛として身ぶるいをすることで、手をあげて相顧みつつある間に、寒風は颯として鐡衣に生ずる。この壮別に際し、願うは、苦寒に堪え、いち早く、栄誉、功勲を立てて天子にまみえて貰ひたいことである。

743年(70

送白利從金吾董將軍西征

kanbuniinkai紀頌之の

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李太白集

卷十六23

389

Index-23-2

743年天寶二年43歳 94-70

 

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-70

卷別:    卷一七六              文體:    五言律詩

詩題:    送白利從金吾董將軍西征

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:白利          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

董將軍    詩文提及

 

 

送白利從金吾董將軍西征

(秦の白起ともいうべき白利君が、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送る詩)

西羌延國討,白起佐軍威。

西域の羌といわれる吐蕃は、国際的征伐として、数しば兵を動かしたが、のびのびに成って、まだ十分に片が付かない。そこで、今のたび、君は金吾將軍の幕府に参し、軍威を佐けて、愈いよ出兵することに成ったのである。

劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

かくて、莊子が剣について説いたように、剣を拂えば、浮雲の気を切るであろうし、弓を引けば、明月が輝いて居るというほど引き番えるのである。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。

馬の行くところには、西辺の地の草、なお緑に茂り、旌旗を巻けば、暁天の霜を吹き飛ばす想いがする。

抗手凜相顧,寒風生鐵衣。

何は兎もあれ、大沙漠の物凄じき景色は、おぼえず心を傷ましめるばかりであろうが、征軍の大将、士輩が、凛として身ぶるいをすることで、手をあげて相顧みつつある間に、寒風は颯として鐡衣に生ずる。この壮別に際し、願うは、苦寒に堪え、いち早く、栄誉、功勲を立てて天子にまみえて貰ひたいことである。

白利の金吾董將軍に從って西征するを送る)

西羌 國討を延べ,白起 軍威を佐く。

劍は決す 浮雲の氣,弓は彎く 明月の輝。

馬 行いて 邊草綠なり,旌 卷いて 曙霜飛ぶ。

手を抗げて 凜として相い顧みれば,寒風 鐵衣に生ず。

 

『送白利從金吾董將軍西征』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送白利從金吾董將軍西征

西羌延國討,白起佐軍威。

劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。

抗手凜相顧,寒風生鐵衣。
詩文(含異文)

西羌延國討,白起佐軍威。劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛【旗卷曙霜飛】。抗手凜相顧,寒風生鐵衣。


(下し文)

白利の金吾董將軍に從って西征するを送る)

西羌 國討を延べ,白起 軍威を佐く。

劍は決す 浮雲の氣,弓は彎く 明月の輝。

馬 行いて 邊草綠なり,旌 卷いて 曙霜飛ぶ。

手を抗げて 凜として相い顧みれば,寒風 鐵衣に生ず。

(現代語訳)
送白利從金吾董將軍西征(秦の白起ともいうべき白利君が、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送る詩)

西域の羌といわれる吐蕃は、国際的征伐として、数しば兵を動かしたが、のびのびに成って、まだ十分に片が付かない。そこで、今のたび、君は金吾將軍の幕府に参し、軍威を佐けて、愈いよ出兵することに成ったのである。

かくて、莊子が剣について説いたように、剣を拂えば、浮雲の気を切るであろうし、弓を引けば、明月が輝いて居るというほど引き番えるのである。

馬の行くところには、西辺の地の草、なお緑に茂り、旌旗を巻けば、暁天の霜を吹き飛ばす想いがする。

何は兎もあれ、大沙漠の物凄じき景色は、おぼえず心を傷ましめるばかりであろうが、征軍の大将、士輩が、凛として身ぶるいをすることで、手をあげて相顧みつつある間に、寒風は颯として鐡衣に生ずる。この壮別に際し、願うは、苦寒に堪え、いち早く、栄誉、功勲を立てて天子にまみえて貰ひたいことである。

安史の乱期 勢力図 002長安皇城宮城00
(訳注)

送白利從金吾董將軍西征

(秦の白起ともいうべき白利君が、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送る詩)

唐書百官志に「左右金吾衞上将軍各々一人、将軍各々二人」とある。董将軍は、名字不詳。この詩は、白利というものが、金吾将軍董某に従って、西羌征討に出かけるのを送って作ったものである。

これは五言律詩で、中間両聯が叙景、即ち実事であるところに、内容が充実したように見える。それから、白起は、同姓の故を以て点醒したので、例の慣用手段である。結句二句は、邊庭苦寒の状を述べて、従軍者を勗励したものである。

 

西羌延國討,白起佐軍威。

西域の羌といわれる吐蕃は、国際的征伐として、数しば兵を動かしたが、のびのびに成って、まだ十分に片が付かない。そこで、今のたび、君は金吾將軍の幕府に参し、軍威を佐けて、愈いよ出兵することに成ったのである。

西羌 青海省は漢族からはチベット系の〈羌(きよう)〉族の住む地とされた。漢代には西羌とよばれ,西寧西方には臨羌県もおかれた。後漢には西平郡がおかれ,西寧は西都県に属し郡の治所となった。

《後漢書西羌傳》「西羌之本,出自三苗,姜姓之別也。其國近南嶽。及舜流四凶,徙之三危,河關之西南羌地是也。濱于賜支,至乎河首,撓地千里。賜支者,禹貢所謂析支者也。南接蜀、漢徼外蠻夷,西北接鄯善、車師諸國。所居無常,依隨水草。地少五穀,以牧為業。

 遅延。

白起 白 起(はく き、? - 紀元前25711月)は、中国・戦国時代末期の秦の武将。公孫起とも表記される。秦国郿県(現在の陝西省眉県)の出身。昭襄王に仕え、各地を転戦して趙・魏・楚などの軍に数々の勝利を収め、秦の領土拡大に貢献した。戰國四大名將(白起、廉頗、王翦、李牧)のうち最も勇壮な将軍であった。白起は用兵を善くし,史書に “敵を料り合變す,奇に出し窮めること無し,天下に聲震す”と 記載されている。他に一生征戰37年,百戦百勝まけしらずであり,戦国六國に敵として比するものはなかった。

 

劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

かくて、莊子が剣について説いたように、剣を拂えば、浮雲の気を切るであろうし、弓を引けば、明月が輝いて居るというほど引き番えるのである。

劍決浮雲氣 莊子、雜篇劍》「運之无旁,上決浮雲,下地紀。(天子の剣は、上は浮雲を決り、下は地紀(大地の根本)を断つ。)とあるのにもとづくもの。

李白《古風,五十九首之三》「秦皇掃六合。虎視何雄哉。揮劍決浮云。諸侯盡西來。明斷自天。大略駕群才。收兵鑄金人。函谷正東開。」(秦皇 六合を掃いて、虎視 何ぞ 雄なる哉。 劍を揮って 浮云を決れば、諸侯 盡く西に來る。明斷 天よりき、大略 群才を駕す。 兵を收めて 金人を鑄【い】り、函谷 正に東に開く。)とある。

 

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。

馬の行くところには、西辺の地の草、なお緑に茂り、旌旗を巻けば、暁天の霜を吹き飛ばす想いがする。

 

抗手凜相顧,寒風生鐵衣。

何は兎もあれ、大沙漠の物凄じき景色は、おぼえず心を傷ましめるばかりであろうが、征軍の大将、士輩が、凛として身ぶるいをすることで、手をあげて相顧みつつある間に、寒風は颯として鐡衣に生ずる。この壮別に際し、願うは、苦寒に堪え、いち早く、栄誉、功勲を立てて天子にまみえて貰ひたいことである。

抗手凜相顧 凛として身ぶるいをすることで、手をあげて拝し、相顧みつつある間に~する。抗手とは手をあげて拝することをいう。《孔叢子》卷下〈儒服〉「子高游趙, 平原君客有鄒文、 季節者與子高相友善。 及將還魯, 故人訣既畢, 文節送行, 三宿臨別, 文節流涕交頤, 子高徒抗手而已, 分背就路。」(子高趙に游ぶ, 平原君の客に鄒文、 季節という者有り、子高と相い友善し。將に魯に還らんとするに及び, 故人訣れて既に畢る, 文節 送行, 三宿別に臨み, 文節 流涕頤に交り, 子高 徒らに抗手するのみ,背を分って路に就く。)とある。

鐵衣 将軍は寒風吹く中、鐵衣を輝かして百戦百勝し、帰ってきて朝堂に坐す天子にまみえるもであるという意味の語。《樂府詩集橫吹曲辭五木蘭詩》:朔氣傳金柝, 寒光照鐵衣。”とあり、「将軍百戰死,壯士十年歸。 歸來見天子,天子坐明堂。」(將軍は百戰して死し,壯士は十年して歸える。 歸り來れば天子に見ゆ,天子明堂に坐す。)ということに基づいている。
8世紀唐と周辺国00 

743年(69)李太白集卷十六21-《送族弟綰從軍安西》(漢家兵馬乘北風,) 388Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(69) Ⅰ李白詩1744 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7260

李白  送族弟綰從軍安西

漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。

君王按劍望邊色,旄頭已落胡天空。匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。
(安西都護府に従軍して赴く族弟綰を送る詩)

今や、中国の兵馬は、北風に乗じて、勢すさまじく、そして、鼓を打撃ちつつ、西に向って進行し、必ず西戎を破って見せるという手筈である。汝は、中国の大将軍に従う為に門を出でて従軍し、胡虜を斬ること草を薙ぐが如く、十分に奇功を収めることができるようである。今しも、天子は、剣に手をかけて、辺境の風色をのぞまれ、折しも旄頭の星、地に落ちて、胡天寥闊、物もないのである。やがて、匈奴は、球数繋ぎに首を縛られ、あらん限りの数を尽くし、明年、これをかりたてて葡萄宮に入朝するだろうといって、待って居られる。汝等も、そのつもりで、一身を投げ打って、奮闘し、天子の予期せらるるところに負かぬ様にして欲しい。

743年(69)李太白集卷十六21-《送族弟綰從軍安西》(漢家兵馬乘北風,) 388Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-69) Ⅰ李白詩1744 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7260


 
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年:743年天寶二年43歳 94-69

卷別:    卷一七六              文體:    七言律詩

詩題:    送族弟綰從軍安西

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              安西都護府 (隴右道西部 無第二級行政層級 安西都護府) 別名:安西幕府

葡萄宮 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:李綰          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送族弟綰從軍安西

(安西都護府に従軍して赴く族弟綰を送る詩)

漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。

今や、中国の兵馬は、北風に乗じて、勢すさまじく、そして、鼓を打撃ちつつ、西に向って進行し、必ず西戎を破って見せるという手筈である。

爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。

汝は、中国の大将軍に従う為に門を出でて従軍し、胡虜を斬ること草を薙ぐが如く、十分に奇功を収めることができるようである。

君王按劍望邊色,旄頭已落胡天空。

今しも、天子は、剣に手をかけて、辺境の風色をのぞまれ、折しも旄頭の星、地に落ちて、胡天寥闊、物もないのである。

匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。

やがて、匈奴は、球数繋ぎに首を縛られ、あらん限りの数を尽くし、明年、これをかりたてて葡萄宮に入朝するだろうといって、待って居られる。汝等も、そのつもりで、一身を投げ打って、奮闘し、天子の予期せらるるところに負かぬ様にして欲しい。

(族弟綰の安西に從軍するを送る)

漢家の兵馬 北風に乘じ,鼓行して西し 犬戎を破る。

爾 漢將に隨って門を出でて去り,虜を剪ること草の若く奇功を收む。

君王 劍を按じて邊色を望めば,旄頭 已に落ちて 胡天空し。

匈奴 頸を繫いで 數 應に盡すべし,明年 應に入るべし 葡萄宮に。

 

『送族弟綰從軍安西』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送族弟綰從軍安西

漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。

爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。

君王按劍望邊色,旄頭已落胡天空。

匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。
詩文(含異文)     漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。君王按劍望邊色【君王按劍望邊邑】,旄頭已落胡天空。匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。


(下し文)
(族弟綰の安西に從軍するを送る)

漢家の兵馬 北風に乘じ,鼓行して西し 犬戎を破る。

爾 漢將に隨って門を出でて去り,虜を剪ること草の若く奇功を收む。

君王 劍を按じて邊色を望めば,旄頭 已に落ちて 胡天空し。

匈奴 頸を繫いで 數 應に盡すべし,明年 應に入るべし 葡萄宮に。

(現代語訳)
送族弟綰從軍安西(安西都護府に従軍して赴く族弟綰を送る詩)

今や、中国の兵馬は、北風に乗じて、勢すさまじく、そして、鼓を打撃ちつつ、西に向って進行し、必ず西戎を破って見せるという手筈である。

汝は、中国の大将軍に従う為に門を出でて従軍し、胡虜を斬ること草を薙ぐが如く、十分に奇功を収めることができるようである。

今しも、天子は、剣に手をかけて、辺境の風色をのぞまれ、折しも旄頭の星、地に落ちて、胡天寥闊、物もないのである。

やがて、匈奴は、球数繋ぎに首を縛られ、あらん限りの数を尽くし、明年、これをかりたてて葡萄宮に入朝するだろうといって、待って居られる。汝等も、そのつもりで、一身を投げ打って、奮闘し、天子の予期せらるるところに負かぬ様にして欲しい。


(訳注)

送族弟綰從軍安西

(安西都護府に従軍して赴く族弟綰を送る詩)

族弟綰、一に琯に作る。安西は、通典に「安西都護府は、本と亀玆國なり、大唐明慶中に置く。東、焉耆に接し、西、疏勒に連なり、南、吐蕃に鄰り、北、突厥を拒ぐ」とある。すると、この詩は、族弟李綰といふものが、従軍して安西都護府に赴くを送って作ったのである。

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漢家兵馬乘北風,鼓行而西破犬戎。

今や、中国の兵馬は、北風に乗じて、勢すさまじく、そして、鼓を打撃ちつつ、西に向って進行し、必ず西戎を破って見せるという手筈である。

漢家 唐王朝の義、中国という意。

鼓行 西域の戦いに進行する出征兵士の戦意を鼓舞する鼓。漢書 項籍傳 「我引兵鼓行而西,必舉秦矣。」(我 兵を引いて、鼓行して西せば,必ず秦を舉げん。)

犬戎 西戎のこと。西戎あるいは戎および犬戎は、四夷の一つ。中国西部に住んでいた遊牧民族で、たびたび中国の歴代王朝に侵入して略奪を行ったことから、西戎という言葉に蔑んだ意味合いを込めている。古代中国人がトルコ族・チベット族など西方の異民族を称した語。

 

爾隨漢將出門去,剪虜若草收奇功。

汝は、中国の大将軍に従う為に門を出でて従軍し、胡虜を斬ること草を薙ぐが如く、十分に奇功を収めることができるようである。

 

君王按劍望邊色,旄頭已落胡天空。

今しも、天子は、剣に手をかけて、辺境の風色をのぞまれ、折しも旄頭の星、地に落ちて、胡天寥闊、物もないのである。

邊色 邊塞地の景色。

旄頭 星名。二十八星宿之一,白虎七宿の第四星と為す。昴星。すばるぼし(六連星:異称)おうし座17番星、戦に吉兆。(神仏詣で・祝い事・開店に吉)《漢書.卷二六.天文志》:「昴を旄頭と曰う,胡星なり,白衣の會を為す。」とある。

 

匈奴繫頸數應盡,明年應入葡萄宮。

やがて、匈奴は、球数繋ぎに首を縛られ、あらん限りの数を尽くし、明年、これをかりたてて葡萄宮に入朝するだろうといって、待って居られる。汝等も、そのつもりで、一身を投げ打って、奮闘し、天子の予期せらるるところに負かぬ様にして欲しい。

匈奴繫頸 《漢書》卷四十八《賈誼傳》「陛下何不試以臣為屬國之官以主匈奴?行臣之計,請必系單于之頸而制其命,伏中行而笞其背,舉匈奴之眾唯上之令。」(陛下 何ぞ試みに臣を以て 屬國の官と為し以て匈奴を主らさん?臣の計を行はざる,請う必ず單于の頸を系ぎて其の命を制せん,中行の伏して其の背に笞ち,匈奴の眾を舉げ唯だ之の令を上る。)とある。

葡萄宮 葡萄宮 漢の上林苑にあった宮の名、唐の御苑内の宮をいうのに天子を指すことになるので、古い呼び名をかり用いる。事実は758年乾元元年八月、回紇が其の臣骨啜特勅及び帝徳をつかわし、驍騎三千をもって安慶緒を討つことを助けさせた。天子は、朔方左武鋒便僕国懐恩をして、これを領せしめたということがある。葡萄宮:漢元帝時,單于來朝,居上林苑葡萄宮。此指回紇長安住所。

《漢書》卷九十四下《匈奴傳下》

元壽二年,單于來朝,上以太厭勝所在,舍之上林苑蒲陶宮。告之以加敬於單于,單于知之。加賜衣三百七十襲,錦繡繒帛三萬匹,絮三萬斤,它如河平時。既罷,遣中郎將韓況送單于。單于出塞,到休屯井,北度車田盧水,道里回遠。況等乏食,單于乃給其糧,失期不還五十餘日。

杜甫       06-55 洗兵馬()》「京師皆騎汗血馬,回紇喂肉葡萄宮。」(京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。)長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。

743年(68)李太白集卷十六18-3-《送外甥鄭灌從軍,三首之三》(月蝕西方破敵時,) 387Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(68) Ⅰ李白詩1743 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7255

李白  送外甥鄭灌從軍,三首之三

月蝕西方破敵時,及瓜歸日未應遲。斬胡血變黃河水,梟首當懸白鵲旗。

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その三

もうすぐ月蝕になるという、それは西方の敵を討つ時期が来たということを意味する、瓜期に及んで帰るという故事ということを言うが、まさにそのこと言っている秋の期日、規定がせまってきたということである。されば、速かに兵を進めて胡虜を斬り、その血をして、黄河の水を紅に染めることであり、やがて、首を梟して、吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗を懸けたらば善かろうとおもっている。

743年(68

送外甥鄭灌從軍,三首之三

387

743年天寶二年43歳 94-68

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李太白集
卷十六18-3

Index-23-2

 

 
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送外甥鄭灌從軍,三首之一

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の一)

六博 雄を爭って 好彩 來れば,金盤一擲 萬人開く。

丈夫 命を賭して 天子に報ず,當に胡頭を斬り 錦を衣て回るべし。

送外甥鄭灌從軍,三首之二

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の二)

丈八の蛇矛 隴西を出づ,弧を彎き 箭を拂えば 白猿啼く。

胡を破る 必ず龍韜の策を用いよ,積甲 應に熊耳と齊しかるべし。

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-68

卷別:    卷一七六              文體:    七言

詩題:    送外甥鄭灌從軍,三首之三

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:鄭灌          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首之三

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その三

月蝕西方破敵時,及瓜歸日未應遲。

もうすぐ月蝕になるという、それは西方の敵を討つ時期が来たということを意味する、瓜期に及んで帰るという故事ということを言うが、まさにそのこと言っている秋の期日、規定がせまってきたということである。

斬胡血變黃河水,梟首當懸白鵲旗。

されば、速かに兵を進めて胡虜を斬り、その血をして、黄河の水を紅に染めることであり、やがて、首を梟して、吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗を懸けたらば善かろうとおもっている。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の三)

月蝕 西方 敵を破るの時,瓜に及んで歸る日 未だ應に遲かるべからず。

胡を斬れば 血は變ず黃河の水,首を梟す 當に懸くべし 白鵲の旗。
8世紀唐と周辺国00

 

『送外甥鄭灌從軍,三首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

送外甥鄭灌從軍,三首之三

月蝕西方破敵時,及瓜歸日未應遲。

斬胡血變黃河水,梟首當懸白鵲旗。

(下し文)
(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の三)

月蝕 西方 敵を破るの時,瓜に及んで歸る日 未だ應に遲かるべからず。

胡を斬れば 血は變ず黃河の水,首を梟す 當に懸くべし 白鵲の旗。

(現代語訳)
送外甥鄭灌從軍,三首之三(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その三

もうすぐ月蝕になるという、それは西方の敵を討つ時期が来たということを意味する、瓜期に及んで帰るという故事ということを言うが、まさにそのこと言っている秋の期日、規定がせまってきたということである。

されば、速かに兵を進めて胡虜を斬り、その血をして、黄河の水を紅に染めることであり、やがて、首を梟して、吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗を懸けたらば善かろうとおもっている。


(訳注)

送外甥鄭灌從軍,三首之三

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その三

 

月蝕西方破敵時,及瓜歸日未應遲。

もうすぐ月蝕になるという、それは西方の敵を討つ時期が来たということを意味する、瓜期に及んで帰るという故事ということを言うが、まさにそのこと言っている秋の期日、規定がせまってきたということである。

14 月蝕 月蝕、英語: lunar eclipse)とは地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月にかかることによって月が欠けて見える現象のことである。望(満月)の時に起こる。 日食と違い、月が見える場所であれば地球上のどこからでも同時に観測・観察できる。ここでは、西域の異民族を打ち破る絶好の時期である。

15 及瓜歸日 瓜期(カキ):任期が終わった時。更代の時。→ 瓜時(カジ)。瓜の熟する時、陰暦七月。春秋、斉の襄公が連称と管至父とをして葵丘を戍(まも)らせ、瓜の熟する頃に遣して明年の瓜の熟する頃に更代(こうたい)させようと約した故事。転じて任期の満ちるとき。更代の時期。 《左傳·荘公八年》齊侯使連稱、管至父戍葵丘,瓜時而往,曰:“及瓜而代。"

 

斬胡血變黃河水,梟首當懸白鵲旗。

されば、速かに兵を進めて胡虜を斬り、その血をして、黄河の水を紅に染めることであり、やがて、首を梟して、吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗を懸けたらば善かろうとおもっている。

16 梟首 斬首した人の首を木にかけてさらすこと。また、その首。

17 白鵲旗 吉兆のしるしの白鵲の翅で飾った勝利の旗。白鵲白羽鵲。 古時以為瑞鳥。 《舊唐書五行志》「貞觀初, 白鵲巢於殿庭之槐樹, 其巢合歡如腰鼓, 左右稱賀。」

 

 安史の乱期 勢力図 002

 

 

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首 【字解】

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

1 外甥鄭灌 外甥といえば、母方の甥で、つまり、母の姉妹の子である。この詩は、外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作ったのであるが、鄭灌の名字閲歴等は、一切分らない。

前半は博戯を以て功名に此し、後半は、賭命の賭の字を以て之を受け、そして、縁起よく祝ったのである。

2 六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 340cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。李伯《猛虎行》「有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。」(有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。)そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。”と、この詩と同じように使っている語である。

3 好彩 彩は賽の目の文を指したもので、黒白の色も以て別ち、雉犢の物を以て別つは、皆彩である。何の色といって投げ出し、そしてうまく中れば勝つので、仍って、その出た目を彩と名づけた。

4 金盤 双六の賽を投げ入れる青銅の盤。

5 一擲 一回賽を投げろと連呼する。

6 衣錦回 故郷に錦を飾る。《卷十六34送張遙之壽陽幕府》「勗爾效才略,功成衣錦還。」(爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。)一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

7 丈八蛇矛 一種矛, 長一丈八尺, 形狀像長槍。 晉書·卷一○三·劉曜載記:安左手奮七尺大刀, 右手執丈八蛇矛。”十六國春秋に「隴上の人、壮士の歌か作って日く、丈八蛇矛左右盤、十十決無當前」とある。・十蕩十決拼音:shi2 dang4 shi2 jue2 多次衝擊, 每次皆能衝破敵陣。 形容作戰驍勇。 樂府詩集·卷八十五·雜歌謠辭三·隴上歌: “驄父馬鐵鍛鞍, 七尺大刀奮如湍, 丈八蛇矛左右盤, 十蕩十決無當前。

8 隴西 隴西郡は中華人民共和国甘粛省にかつて存在した郡。漢代から隋初にかけて現在の甘肅省東南部に設置された。607年に設置された同名の隴西郡があるが、これは渭州を改称したものであり別の行政区画である。 隴西郡が初めて設置されたのは秦初に三十六郡が設置された際である。

9 彎弧 (弯弧)木の弓のこと。 《太平廣記》卷三二五引南朝梁任昉《述异記薄紹之》「有一人, 披錦袍, 彎弧注鏃, 直向紹之。」

10 拂箭 木の弓を放つ

11 白猿啼 春秋時代の弓の名人。楚の荘王・共王に丈夫として仕え、射術の妙によって有名となる。その弓勢の強さは甲冑7枚を貫き、蜻蛉の羽根を射ることができ、また100歩離れて柳の葉を射て百発百中であったともいう。楚王はかつて白猿を飼い自分で射てみたが、白猿は飛んでくる矢を捕らえて戯れたので、養由基を召して射させることにした。養由基が弓をととのえて矢をつがえ、まだ発しないうちに白猿は泣き叫んで木にしがみついたという。また共王が戦に敗れたとき、養由基は殿(しんがり)をつとめ1本の矢で複数の兵を倒す妙技を発揮し、敵を近寄せなかったともいう。生没年未詳。養由。《淮南子》卷十六〈山訓〉「楚王有白蝯,王自射之,則搏矢而熙;使養由基射之,始調弓矯矢,未發而蝯擁柱號矣,有先中中者也。(楚王白蝯有り,王 自ら之を射れば,則ち矢を搏って熙ぶ;使養由基をして之を射らしむ,始め弓を調へ矢を矯む,未だ發せざるにして蝯 柱を擁して號ばん,先に中る有るは中る者なり。)

12 龍韜策 古代の兵法書。《六韜》と《三略》のこと。《六韜》は周の功臣太公望の著とされ,《三略》は漢の功臣張良が黄石公から授かったとされるが仮託である。兵法七書中の2を占める。六韜は周の文王・武王の問いに対し、呂尚が経世済民(けいせいさいみん)の術、富国強兵の策を説くもので、第1巻は文韜12編・武韜5編、第2巻は龍(りゅう)13編・虎韜12編・第3巻には豹(ひょう)8編・犬(けん)10編、計360編からなり、文・武では治国、龍韜は奇変、虎韜は勇猛果断、豹韜は奇計、犬韜は突進を主題としている。三略は上略・中略・下略の3巻からなり、戦略の機微を上・中・下の三つに分かち、礼賞を設けて奸雄(かんゆう)を分かち、賢者を用いて国の安危を察し、将を御(ぎょ)して衆を暢()ぶるの道を明らかにしている。わが国では、934年(承平4)大江維時(おおえのこれとき)が唐から帰朝の際に持ち帰ったと伝え、以後大江家の兵法となり、源家(げんけ)の古伝(こでん)兵法に受け継がれたという。

13 積甲應將熊耳齊 兵甲堆疊如山。極言其多。《後漢書·劉盆子傳》赤眉軍は中国の新朝末に発生した農民反乱軍の名称。眉を赤く染め政府軍と区別したことから赤眉軍と称される。この赤眉軍を平定した、後漢書に「積兵甲宜陽城西,與熊耳山齊。」とある故事をいう。劉秀は宜陽に行幸し、司馬を先鋒、中軍を次鋒とし、驍騎・元戎の陣列を左右に展開した。赤眉軍は恐怖におののき、劉恭を使者として降服を願い出て、劉盆子・徐宣らの二十人あまりは着物を脱いで更始帝の璽綬を献上し、宜陽の城西に積みあげられた武具は熊耳山と同じ高さになった。

《後漢書·劉盆子傳》「赤眉忽遇大軍,驚震不知所謂,乃遣劉恭乞降曰:“盆子將百萬衆降陛下,何以待之?”帝曰:“待汝以不死耳!”丙午,盆子及丞相徐宣以下三十餘人肉袒降,上所得傳國璽綬。積兵甲宜陽城西,與熊耳山齊。後漢書に「赤眉、忽ち大軍に遇ひ、驚震、為すところを知らず、乃ち劉恭を遣わして降を乞う。兵甲を宜陽城西に積んで、熊耳山と斉し」とある。

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李白  送外甥鄭灌從軍,三首之二

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。

743年(67

送外甥鄭灌從軍,三首之二

386

743年天寶二年43歳 94-67

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李太白集
卷十六18-2

Index-23-2

 

 
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送外甥鄭灌從軍,三首之一

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の一)

六博 雄を爭って 好彩 來れば,金盤一擲 萬人開く。

丈夫 命を賭して 天子に報ず,當に胡頭を斬り 錦を衣て回るべし。

 

年:743年天寶二年43歳 94-67) 

卷別:    卷一七六              文體:    七言

詩題:    送外甥鄭灌從軍,三首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              隴西 (隴右道東部 渭州 隴西)           

熊耳山 (都畿道 河南府 熊耳山)       

交遊人物/地點:鄭灌          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首之二

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の二)

丈八の蛇矛 隴西を出づ,弧を彎き 箭を拂えば 白猿啼く。

胡を破る 必ず龍韜の策を用いよ,積甲 應に熊耳と齊しかるべし。

 

『送外甥鄭灌從軍,三首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送外甥鄭灌從軍,三首之二

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

(下し文)
(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の二)

丈八の蛇矛 隴西を出づ,弧を彎き 箭を拂えば 白猿啼く。

胡を破る 必ず龍韜の策を用いよ,積甲 應に熊耳と齊しかるべし。


(現代語訳)
送外甥鄭灌從軍,三首之二(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。

汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。


(訳注)

送外甥鄭灌從軍,三首之二

送外甥鄭灌從軍,三首之二

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)その二

1 外甥鄭灌 外甥といえば、母方の甥で、つまり、母の姉妹の子である。この詩は、外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作ったのであるが、鄭灌の名字閲歴等は、一切分らない。

【餘論】この首は、毎句に故事を用いて居るが、善く融化して、少しも、わざとらしい處のないのは、

 

 

丈八蛇矛出隴西,彎弧拂箭白猿啼。

汝は、一丈八尺もある大きな蛇矛をたずさえて、しづしづと隴西から出てきたので、さながら、音に聞く古しえの壮士の通りであり、そして、弓を引き搾り、箭をはなって番うと、むかしの養由基を其の儘に、白猿は驚いて泣き叫ぶのである。

7 丈八蛇矛 一種矛, 長一丈八尺, 形狀像長槍。 晉書·卷一○三·劉曜載記:安左手奮七尺大刀, 右手執丈八蛇矛。”十六國春秋に「隴上の人、壮士の歌か作って日く、丈八蛇矛左右盤、十十決無當前」とある。・十蕩十決拼音:shi2 dang4 shi2 jue2 多次衝擊, 每次皆能衝破敵陣。 形容作戰驍勇。 樂府詩集·卷八十五·雜歌謠辭三·隴上歌: “驄父馬鐵鍛鞍, 七尺大刀奮如湍, 丈八蛇矛左右盤, 十蕩十決無當前。

8 隴西 隴西郡は中華人民共和国甘粛省にかつて存在した郡。漢代から隋初にかけて現在の甘肅省東南部に設置された。607年に設置された同名の隴西郡があるが、これは渭州を改称したものであり別の行政区画である。 隴西郡が初めて設置されたのは秦初に三十六郡が設置された際である。

9 彎弧 (弯弧)木の弓のこと。 《太平廣記》卷三二五引南朝梁任昉《述异記薄紹之》「有一人, 披錦袍, 彎弧注鏃, 直向紹之。」

10 拂箭 木の弓を放つ

11 白猿啼 春秋時代の弓の名人。楚の荘王・共王に丈夫として仕え、射術の妙によって有名となる。その弓勢の強さは甲冑7枚を貫き、蜻蛉の羽根を射ることができ、また100歩離れて柳の葉を射て百発百中であったともいう。楚王はかつて白猿を飼い自分で射てみたが、白猿は飛んでくる矢を捕らえて戯れたので、養由基を召して射させることにした。養由基が弓をととのえて矢をつがえ、まだ発しないうちに白猿は泣き叫んで木にしがみついたという。また共王が戦に敗れたとき、養由基は殿(しんがり)をつとめ1本の矢で複数の兵を倒す妙技を発揮し、敵を近寄せなかったともいう。生没年未詳。養由。《淮南子》卷十六〈山訓〉楚王有白蝯,王自射之,則搏矢而熙;使養由基射之,始調弓矯矢,未發而蝯擁柱號矣,有先中中者也。(楚王白蝯有り,王 自ら之を射れば,則ち矢を搏って熙ぶ;使養由基をして之を射らしむ,始め弓を調へ矢を矯む,未だ發せざるにして蝯 柱を擁して號ばん,先に中る有るは中る者なり。)

 

破胡必用龍韜策,積甲應將熊耳齊。

汝の材武、かくの如く、今次従軍をすれば、必ず大功を立てるに相違ない。但し、胡虜を破るには、太公が龍轁に論じた《六韜》と《三略》を用いて、正正堂堂の陣を張るべく、かくて、胡虜が降服する時は、丁度、赤眉軍が兵甲を釋き、これを積み上げたら、熊耳山とひとしかったというように定めて目ざましい働きをすることであろう。

12 龍韜策 古代の兵法書。《六韜》と《三略》のこと。《六韜》は周の功臣太公望の著とされ,《三略》は漢の功臣張良が黄石公から授かったとされるが仮託である。兵法七書中の2を占める。六韜は周の文王・武王の問いに対し、呂尚が経世済民(けいせいさいみん)の術、富国強兵の策を説くもので、第1巻は文韜12編・武韜5編、第2巻は龍(りゅう)13編・虎韜12編・第3巻には豹(ひょう)8編・犬(けん)10編、計360編からなり、文・武では治国、龍韜は奇変、虎韜は勇猛果断、豹韜は奇計、犬韜は突進を主題としている。三略は上略・中略・下略の3巻からなり、戦略の機微を上・中・下の三つに分かち、礼賞を設けて奸雄(かんゆう)を分かち、賢者を用いて国の安危を察し、将を御(ぎょ)して衆を暢()ぶるの道を明らかにしている。わが国では、934年(承平4)大江維時(おおえのこれとき)が唐から帰朝の際に持ち帰ったと伝え、以後大江家の兵法となり、源家(げんけ)の古伝(こでん)兵法に受け継がれたという。

13 積甲應將熊耳齊 兵甲堆疊如山。極言其多。《後漢書·劉盆子傳》赤眉軍は中国の新朝末に発生した農民反乱軍の名称。眉を赤く染め政府軍と区別したことから赤眉軍と称される。この赤眉軍を平定した、後漢書に「積兵甲宜陽城西,與熊耳山齊。」とある故事をいう。劉秀は宜陽に行幸し、司馬を先鋒、中軍を次鋒とし、驍騎・元戎の陣列を左右に展開した。赤眉軍は恐怖におののき、劉恭を使者として降服を願い出て、劉盆子・徐宣らの二十人あまりは着物を脱いで更始帝の璽綬を献上し、宜陽の城西に積みあげられた武具は熊耳山と同じ高さになった。

《後漢書·劉盆子傳》「赤眉忽遇大軍,驚震不知所謂,乃遣劉恭乞降曰:“盆子將百萬衆降陛下,何以待之?”帝曰:“待汝以不死耳!”丙午,盆子及丞相徐宣以下三十餘人肉袒降,上所得傳國璽綬。積兵甲宜陽城西,與熊耳山齊。後漢書に「赤眉、忽ち大軍に遇ひ、驚震、為すところを知らず、乃ち劉恭を遣わして降を乞う。兵甲を宜陽城西に積んで、熊耳山と斉し」とある。

 

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首 【字解】

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

1 外甥鄭灌 外甥といえば、母方の甥で、つまり、母の姉妹の子である。この詩は、外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作ったのであるが、鄭灌の名字閲歴等は、一切分らない。

前半は博戯を以て功名に此し、後半は、賭命の賭の字を以て之を受け、そして、縁起よく祝ったのである。

2 六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 340cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。李伯《猛虎行》「有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。」(有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。)そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。”と、この詩と同じように使っている語である。

3 好彩 彩は賽の目の文を指したもので、黒白の色も以て別ち、雉犢の物を以て別つは、皆彩である。何の色といって投げ出し、そしてうまく中れば勝つので、仍って、その出た目を彩と名づけた。

4 金盤 双六の賽を投げ入れる青銅の盤。

5 一擲 一回賽を投げろと連呼する。

6 衣錦回 故郷に錦を飾る。《卷十六34送張遙之壽陽幕府》「勗爾效才略,功成衣錦還。」(爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。)一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。

743年(66)李太白集卷十六18-1-《送外甥鄭灌從軍,三首之一》(六博爭雄好彩來,) 385Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(66) Ⅰ李白詩1741 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7245

李白  送外甥鄭灌從軍,三首之一

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。
(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

743年(66

送外甥鄭灌從軍,三首之一

385

743年天寶二年43歳 94-66

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7245

李太白集
卷十六18-1

Index-23-2

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-66

卷別:    卷一七六              文體:    七言

詩題:    送外甥鄭灌從軍,三首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:鄭灌          當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送外甥鄭灌從軍,三首之一

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の一)

六博 雄を爭って 好彩 來れば,金盤一擲 萬人開く。

丈夫 命を賭して 天子に報ず,當に胡頭を斬り 錦を衣て回るべし。

京兆地域図002 

『送外甥鄭灌從軍,三首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送外甥鄭灌從軍,三首之一

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

(下し文)

(外甥の鄭灌の從軍するを送る,三首の一)

六博 雄を爭って 好彩 來れば,金盤一擲 萬人開く。

丈夫 命を賭して 天子に報ず,當に胡頭を斬り 錦を衣て回るべし。

(現代語訳)
送外甥鄭灌從軍,三首之一(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

大明宮の圖003
(訳注)

送外甥鄭灌從軍,三首之一

(外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作った詩)

1 外甥鄭灌 外甥といえば、母方の甥で、つまり、母の姉妹の子である。この詩は、外甥の一人鄭灌というものの従軍を送って作ったのであるが、鄭灌の名字閲歴等は、一切分らない。

前半は博戯を以て功名に此し、後半は、賭命の賭の字を以て之を受け、そして、縁起よく祝ったのである。

 

六博爭雄好彩來,金盤一擲萬人開。

たとへば、六博の戯をなして雄をあらそうように、よい賽の目が出てくれれば、「金盤一擲」と声をあげて大きな賭けをして、たちまち大もうけをなして、萬人を驚かすことも出来る。

2 六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 340cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。李伯《猛虎行》「有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。」(有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。)そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。”と、この詩と同じように使っている語である。

3 好彩 彩は賽の目の文を指したもので、黒白の色も以て別ち、雉犢の物を以て別つは、皆彩である。何の色といって投げ出し、そしてうまく中れば勝つので、仍って、その出た目を彩と名づけた。

4 金盤 双六の賽を投げ入れる青銅の盤。

5 一擲 一回賽を投げろと連呼する。

 

丈夫賭命報天子,當斬胡頭衣錦回。

今、汝は従軍するとのことであるが、天晴、丈夫たるもの、その身命を賭して、天子に報いることを心がけるべく、そうすれば、うまい場合にめぐり合い、胡人の頭を斬って、大功を立て、やがて、錦衣を着て凱旋することもできるので、必ずかくあれかしと𧄍望する次第である。

6 衣錦回 故郷に錦を飾る。《卷十六34送張遙之壽陽幕府》「勗爾效才略,功成衣錦還。」(爾を勗【つと】む 才略を效【いた】し,功 成らば錦を衣て還れ。)一たび、幕客となりし後は、十分に才略を致し、やがて、功成りし後は、錦を衣で故郷に帰れということである。