漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 卷十七

275 《巻十七10送麴十少府》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <275> Ⅰ李白詩1553 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6313

李白  送麴十少府  

試發清秋興,因為會吟。碧雲斂海色,流水折江心。

我有延陵劍,君無陸賈金。艱難此為別,惆悵一何深。

(某縣の尉たる麴某を送って作ったもの)時はいま清秋の頃であり、詩興自ら勃如たるにより、呉の会稽に因める詩を作って、君のこの旅を送ろうと思う。 おりから、碧雲はのび広がって、海色をおさめており、流水は、秋漲の餘勢、すさまじく、江心から曲折して奔注している。この間を旅すると、さすがに、悽愴の想を為すであろう。われには、心中君に贈ることを許した延陵の剣あれども、君は、なお奔走に衣食して、子息等に分配する「陸賈の金」というものはもっていない。されば、ここに別を為すに際して、浮世の艱難辛苦、自ら除き難く、惆悵の念、愈よ深きに堪えぬ。

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 2015年7月17日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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76-#15 《八讀巻六11 祭十二郎文》-15 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1466> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6314 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    送麴十少府

及地點:              延陵 (江南東道 潤州 延陵)              

交遊人物:麴十

 

 

十少府

(某縣の尉たる麴某を送って作ったもの)

試發清秋興,因為會吟。

時はいま清秋の頃であり、詩興自ら勃如たるにより、呉の会稽に因める詩を作って、君のこの旅を送ろうと思う。 

碧雲斂海色,流水折江心。

おりから、碧雲はのび広がって、海色をおさめており、流水は、秋漲の餘勢、すさまじく、江心から曲折して奔注している。

我有延陵劍,君無陸賈金。

この間を旅すると、さすがに、悽愴の想を為すであろう。われには、心中君に贈ることを許した延陵の剣あれども、君は、なお奔走に衣食して、子息等に分配する「陸賈の金」というものはもっていない。

艱難此為別,惆悵一何深。

されば、ここに別を為すに際して、浮世の艱難辛苦、自ら除き難く、惆悵の念、愈よ深きに堪えぬ。

 

(十少府を送る)

試に清秋の輿を発し、因って、具会の吟を爲す。

碧雲、海色を飲め、流水、江心を折く。

我に延陵の劍有り,君に陸賈の金無し。

艱難 此に別を為す,惆悵 一に何ぞ深き。

安史の乱当時の勢力図 

 

『送麴十少府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送麴十少府

試發清秋興,因為會吟。

碧雲斂海色,流水折江心。

我有延陵劍,君無陸賈金。

艱難此為別,惆悵一何深。

(下し文)
(
麴十少府を送る)

試に清秋の輿を発し、因って、具会の吟を爲す。

碧雲、海色を飲め、流水、江心を折く。

我に延陵の劍有り,君に陸賈の金無し。

艱難 此に別を為す,惆悵 一に何ぞ深き。

(現代語訳)
(某縣の尉たる麴某を送って作ったもの)

時はいま清秋の頃であり、詩興自ら勃如たるにより、呉の会稽に因める詩を作って、君のこの旅を送ろうと思う。 

おりから、碧雲はのび広がって、海色をおさめており、流水は、秋漲の餘勢、すさまじく、江心から曲折して奔注している。

この間を旅すると、さすがに、悽愴の想を為すであろう。われには、心中君に贈ることを許した延陵の剣あれども、君は、なお奔走に衣食して、子息等に分配する「陸賈の金」というものはもっていない。

されば、ここに別を為すに際して、浮世の艱難辛苦、自ら除き難く、惆悵の念、愈よ深きに堪えぬ。


(訳注)

送麴十少府

(某縣の尉たる麴某を送って作ったもの)

 

試發清秋興,因為會吟。

時はいま清秋の頃であり、詩興自ら勃如たるにより、呉の会稽に因める詩を作って、君のこの旅を送ろうと思う。 

會 呉の国。いまの浙江省紹興。会稽山脈の北端にある。「史記」の始皇本紀、三十七年に「会稽山(浙江省紹興)に登って大禹(夏の商王)を祭り、南海を望んで石を立て、文字を刻んで秦の徳をたたえた」とある。杭州が中国南部統治の要衝地であった。その象徴ともいえる山が会稽山である。地図上での南は海南方面であるが李白の時代唐時は交通手段が川・運河であったためこの地を南としていた。李白《越女詞,五首之四》「東陽素足女,會稽素舸郎。相看月未墮,白地斷肝腸。」

120 《越女詞,五首之四》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <120> Ⅰ李白詩1300 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5048

李白《古風,五十九首之三》「銘功會稽嶺、騁望琅琊台。」

index-26-1-1 《古風五十九首之三》Ⅳ-1 747年天寶六年47歳 464index-26-1-1> Ⅰ李白詩1145 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4273

 

碧雲斂海色,流水折江心。

おりから、碧雲はのび広がって、海色をおさめており、流水は、秋漲の餘勢、すさまじく、江心から曲折して奔注している。

 

我有延陵劍,君無陸賈金。

この間を旅すると、さすがに、悽愴の想を為すであろう。われには、心中君に贈ることを許した延陵の剣あれども、君は、なお奔走に衣食して、子息等に分配する「陸賈の金」というものはもっていない。

延陵劍 李白 《陳情贈友人》「延陵有寶劍,價重千黃金。」延陵有寶劍 (呉王の子)季札が始めて、使者として(晋へ)赴く途中、北の徐の国を通った。徐君(徐の君主)は季札の剣を好ましく思ったが、口に出して敢えて欲しいとは言わなかった。また李札もその意を汲みながらも、使いする上国は礼儀の国で使者としての公務に(威儀を正すために)佩刀は必須、剣を差し上げることはできなかった。公務からの帰路に(徐君に譲ろうとして)、徐の国に至った。

ところが訪ねた時、徐君は既に死んでいた。季札は其の宝剣を解いて徐君の冢(墓)の樹に懸けて去ろうとした。従者は、「徐君は已に死んでいます、いったい誰(たれ)に予(あた)えるのですか?」季子は「そうではない。始めに来たとき私は、心中ですでに差し上げようと決めていたのだ。どうして死なれたからと言って自分の信の心に背くことができるだろうか。いやできない」と返答した。その後季札は延(えん)(りよう)に封ぜられ、延陵の季子とよばれた。

(延陵劍, 延陵) 劉向 《新序節士》載, 春秋 延陵季子 ( 公子 季札 )將出訪 晉國 帶寶劍經過 徐國 徐君 觀劍不言而色欲之。 延陵季子 為有 晉國 之使, 未即獻劍, 然心已許之。 及使 返, 徐君 已死。 於是乃以劍掛 徐君 墓樹而去。 後用為不忘故舊的典實。

(延陵劍) 漢の劉向 《新序節士》載す,「春秋の時、延陵の季子 (の公子 季札)將に出て晉國に訪ず ,寶劍を帶びて徐國を經過す, 徐君劍を觀て言わずしてその色之を欲す。 延陵 季子晉國に 之を使す有る為す, 未だ即ち劍を獻ぜず, 然り 心 已に之を許す。使いに及びに 晉に 返し, 而して 徐君 已に死す。是に於て 乃ち以て徐君 墓樹に劍を掛け 而して去る。徐人これを歌って日く、「延陵季子兮不忘故、脱千金之剣兮挂墳墓。」とある。

244-#1 《巻11-13 陳情贈友人 -#1》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-#1> Ⅰ李白詩1496 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6028

陸賈金 天下が平定された後の高祖十一年(紀元前196年)、陸賈は南越への使者に選ばれた。天下は疲弊しており、兵を動かさず説得によって南越王趙佗を従わせようとしていた。陸賈が南越へ到着すると、趙佗はもとどりを才槌型に結い両足を投げ出したまま陸賈を引見した。陸賈は趙佗に説いた。陸賈は趙佗の心をつかんだ。趙佗は陸賈を大いに気に入り、数ヶ月も陸賈を引き止めて酒宴を張った。趙佗は、「いままで越では共に語る者もいなかったが、陸先生が来られてからは毎日聞いたこともない話を聞かせていただいた。」と喜んだ。趙佗は陸賈に千金の財宝を与え、さらに千金を贈った。陸賈はついに趙佗を漢の南越王に任ずる儀式を行い、漢の臣として命に従う誓いを立てさせた

五人の息子が有り、そこで、越をして得たところの袋の中の装飾品を出して、一千金で売り、その子たちに二百金づつ分け、生産を為さしめた。

 

艱難此為別,惆悵一何深。

されば、ここに別を為すに際して、浮世の艱難辛苦、自ら除き難く、惆悵の念、愈よ深きに堪えぬ。

安史期のアジアssH 

 

(麴十少府を送る)

試に清秋の輿を発し、因って、具会の吟を爲す。

碧雲、海色を飲め、流水、江心を折く。

我に延陵の劍有り,君に陸賈の金無し。

艱難 此に別を為す,惆悵 一に何ぞ深き。

262 《巻三17久別離》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <262> Ⅰ李白詩1525 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6173

李白  久別離  

別來幾春未還家,玉窗五見櫻桃花。況有錦字書,開緘使人嗟。

至此腸斷彼心,雲鬟綠鬢罷梳結,愁如回飆亂白雪
(閨中思婦の情思:別れて久しい、帰りを待つ女の情を詠う)お別れしてから幾度目かの春なのに、あのひとはまだ家に帰ってこない。宝玉で飾った窓辺に、桜桃梅の花の咲くのを、もう五回も見た。そのうえ、わびしい思いを織りこんだ錦の手紙がここにある。封をひらいてよみかえすと、ためいきが出る。

262 《巻三17久別離》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <262> Ⅰ李白詩1525 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6173

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六三              文體:    樂府

詩題:    久別離

 

 

久別離

(閨中思婦の情思:別れて久しい、帰りを待つ女の情を詠う

別來幾春未還家,玉窗五見櫻桃花。

お別れしてから幾度目かの春なのに、あのひとはまだ家に帰ってこない。宝玉で飾った窓辺に、桜桃梅の花の咲くのを、もう五回も見た。

況有錦字書,開緘使人嗟。

そのうえ、わびしい思いを織りこんだ錦の手紙がここにある。封をひらいてよみかえすと、ためいきが出る。

至此腸斷彼心雲鬟綠鬢罷梳結,愁如回飆亂白雪。

そこまで考えて来ると、わたしはハラワタがちぎれる。あのひとの心はつめたくなってしまった。雲のような髪も、みどりの鬢も、櫛けずって結う気もしない。かなしい心の中は、つむじ風が白雪をかきみだすかのようだ。

 

去年寄書報陽臺,今年寄書重相催。

東風兮東風,為我吹行雲使西來。

待來竟不來,落花寂寂委青苔。

 

(久別離)

別来幾春か 未だ家に還らず、玉窓 五【いつ】たび見る 櫻桃の花

況んや 錦字の書有り、鍼を開けば 人をして嗟せしむ。

此に至り 腸断え、彼の心は絶え、雲鬟綠鬢 梳結を罷み、愁は回飆の白雪を乱れるがごとし。

 

去年 書を寄せて 陽台に報じ、今年 書を寄せて 重ねて相催す。

東風や東風、我が為に行雲を吹いて西に来らしむ。

来るを 待てどもついに来らず、落花寂寂として 青苔に委す。

 

 

『久別離』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

久別離

別來幾春未還家,玉窗五見櫻桃花。

況有錦字書,開緘使人嗟。

至此腸斷彼心,雲鬟綠鬢罷梳結,愁如回飆亂白雪

(下し文)
(
久別離)

別来幾春か 未だ家に還らず、玉窓 五【いつ】たび見る 櫻桃の花

況んや 錦字の書有り、鍼を開けば 人をして嗟せしむ。

此に至り 腸断え、彼の心は絶え、雲鬟綠鬢 梳結を罷み、愁は回飆の白雪を乱れるがごとし。

(現代語訳)
(閨中思婦の情思:別れて久しい、帰りを待つ女の情を詠う

お別れしてから幾度目かの春なのに、あのひとはまだ家に帰ってこない。宝玉で飾った窓辺に、桜桃梅の花の咲くのを、もう五回も見た。

そのうえ、わびしい思いを織りこんだ錦の手紙がここにある。封をひらいてよみかえすと、ためいきが出る。

そこまで考えて来ると、わたしはハラワタがちぎれる。あのひとの心はつめたくなってしまった。雲のような髪も、みどりの鬢も、櫛けずって結う気もしない。かなしい心の中は、つむじ風が白雪をかきみだすかのようだ。



(訳注)

久別離

(閨中思婦の情思:別れて久しい、帰りを待つ女の情を詠う

古別離、長別離、生別離、遠別離の楽府「別離」シリーズの一首である。これらは古い別離の曲にもとづいて作られたものである。

 

別來幾春未還家,玉窗五見櫻桃花。

お別れしてから幾度目かの春なのに、あのひとはまだ家に帰ってこない。宝玉で飾った窓辺に、桜桃梅の花の咲くのを、もう五回も見た。

○別来 別れてからこのかた。

○桜桃 ゆすらうめ。ばら科の落葉潅木。春の初、白い花をひらく。

 

況有錦字書,開緘使人嗟。

そのうえ、わびしい思いを織りこんだ錦の手紙がここにある。封をひらいてよみかえすと、ためいきが出る。

○錦字書 六朝の竇滔(とうとう)の妻が、遠い任地にいる夫を思う詩を織りこんで、錦の手紙をつくった。「烏夜啼」の詩の注に見える故事をふまえる。

○鍼 手紙の封。

 

至此腸斷彼心雲鬟綠鬢罷梳結,愁如回飆亂白雪。

そこまで考えて来ると、わたしはハラワタがちぎれる。あのひとの心はつめたくなってしまった。雲のような髪も、みどりの鬢も、櫛けずって結う気もしない。かなしい心の中は、つむじ風が白雪をかきみだすかのようだ。

○雲鬟綠鬢 女のうつくしい髪の毛を、みどりの雲にたとえ

〇梳結 髪をくしけずり、結う。

〇回飆 つむじ風。

259 《巻十七03送友人》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <259>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1522 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6158

李白  送友人  

青山橫北郭,白水繞東城。此地一為別,孤蓬萬里征。

浮雲遊子意,落日故人情。揮手自茲去,蕭蕭班馬鳴。

(友人が遠くに往くのを見送るために作った詩。)草木が青々と茂っている山が、城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をめぐっている。今、この地において、ひとたび別れることになれば、さながら、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の遠きに征遊するのである。 浮雲は、もとより定まる事は無く、旅人の心であり、「遊子の意」、また、かくのごとく落日は、まさに今、沈もうとしており、「故人恋恋の情」いかにべきであろうか。

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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    送友人

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:白水 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:淯水、白河             

 

(改訂版Ver..2.1

送友人

(友人が遠くに往くのを見送るために作った詩。)

青山橫北郭,白水繞東城。

草木が青々と茂っている山が、城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をめぐっている。

此地一為別,孤蓬萬里征。

今、この地において、ひとたび別れることになれば、さながら、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の遠きに征遊するのである。 
浮雲遊子意,落日故人情。

浮雲は、もとより定まる事は無く、旅人の心であり、「遊子の意」、また、かくのごとく落日は、まさに今、沈もうとしており、「故人恋恋の情」いかにべきであろうか。
揮手自茲去,蕭蕭班馬鳴。

しかるに、君は意を決して、ここより去りろうとしている、蕭蕭、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶くが、君は即ちその馬に乗って行くのである。
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(友人を送る)

青山 北郭に橫たわり,白水 東城を遶【めぐ】る。

此地 一たび別れを爲し,孤蓬 萬里に 征【ゆ】く。

浮雲 遊子の意,落日 故人の情。

手を揮【ふる】ひて 茲より去れば,蕭蕭として 班馬 鳴く。

 

安陸・南陽・嚢陽 李白00

(改訂版Ver..2.1

『送友人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

青山橫北郭,白水繞東城。

此地一為別,孤蓬萬里征。

浮雲遊子意,落日故人情。

揮手自茲去,蕭蕭班馬鳴。

(下し文)
(
友人を送る)

青山 北郭に橫たわり,白水 東城を遶【めぐ】る。

此地 一たび 別れを爲し,孤蓬 萬里に 征【ゆ】く。

浮雲 遊子の意,落日 故人の情。

手を揮【ふる】ひて 茲より去れば,蕭蕭として 班馬 鳴く。

(現代語訳)
(友人が遠くに往くのを見送るために作った詩。)

草木が青々と茂っている山が、城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をめぐっている。
今、この地において、ひとたび別れることになれば、さながら、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の遠きに征遊するのである。 
浮雲は、もとより定まる事は無く、旅人の心であり、「遊子の意」、また、かくのごとく落日は、まさに今、沈もうとしており、「故人恋恋の情」いかにべきであろうか。
しかるに、君は意を決して、ここより去りろうとしている、蕭蕭、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶くが、君は即ちその馬に乗って行くのである。

(訳注) (改訂版Ver..2.1

送友人

(友人が遠くに往くのを見送るために作った詩。)

人を送るために、しばし同行してゆく。澄んだ水が、都市(城市)の東側をめぐっている。

 

青山橫北郭,白水繞東城。

草木が青々と茂っている山が、城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をめぐっている。
・青山 草木が青々と茂っているはる山。また、墓所とすべき山。ここでは、前者の意。 孟浩然《過故人莊》「故人具雞黍,邀我至田家。綠樹村邊合,青山郭外斜。開筵面場圃,把酒話桑麻。待到重陽日,還來就菊花。」

311  孟浩然   過故人莊 

・橫 よこたわる。動詞。

・北郭 都市の城郭の北側。南陽の城郭の北側にある市、庶民にとって市場を意味するものである。

・白水 澄んだ水。 

・遶 じょう めぐる。めぐらす。とりまく。 

・東城 城郭の東側。城東と同じ。

 

此地一為別,孤蓬萬里征。

今、この地において、ひとたび別れることになれば、さながら、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の遠きに征遊するのである。 
・此地 この地(で)。この場所(で)。 

・一爲 ひとたび…をなす(やいなや)。ひとたび…をす(れば)。 

・別 別れること。離別。名詞。

・孤蓬 こほう ヤナギヨモギが(根が大地から離れて)風に吹かれて、ひとつだけで、風に飛ばされてさすらうさま。日本のヨモギとは大きく異なり、風に吹かれて転がるように風に飛ばされる。(風に飛ばされて)転がってゆく蓬。飛蓬。「蓬」は、日本のヨモギとは異なる。蓬が枯れて、根元の土も風に飛ばされてしまい、根が大地から離れて、枯れた茎が輪のようになり、乾いた黄土高原を風に吹かれて、恰も紙くずが風に飛ばされるが如く回りながら、黄砂とともに流れ去ってゆく。曹植《雜詩六首 其二》「轉蓬離本根, 飄飄隨長風。」轉蓬は本根より離れ,飄颻として長く風に隨う。転びゆく蓬は、もとの根より離れ、ひらひらと、遠く風の吹くまにまにひるがえってとばされる。

・萬里 遙かな行程をいう。 

・征 旅に出る。行く。

 

浮雲遊子意,落日故人情。

浮雲は、もとより定まる事は無く、旅人の心であり、「遊子の意」、また、かくのごとく落日は、まさに今、沈もうとしており、「故人恋恋の情」いかにべきであろうか。
・浮雲 浮かび漂う雲。漂う雲のように行方定まらないこと。

・遊子 旅人。家を離れて他郷に旅立つ人。ここでは、李白の友人を指す。 

・意 心。・落日 夕陽。 

・故人 旧知の友人。 

・情 思い。

 

揮手自茲去,蕭蕭班馬鳴。

しかるに、君は意を決して、ここより去りろうとしている、蕭蕭、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶くが、君は即ちその馬に乗って行くのである。
・揮手 手を振る。 

・自茲去 …より ここ。 去る。行く。

・蕭蕭 馬の嘶く声。また、もの寂しいさま。 

・班馬 離れ馬。 

李白の足跡003

,蕭蕭として 班馬 鳴く。

231 《巻17-27 送二季之江東》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <231> Ⅰ李白詩1473 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5913

送二季之江東 李白

初發強中作,題詩與惠連。多慚一日長,不及二龍賢。

西塞當中路,南風欲進船。雲峰出遠海,帆影掛清川。

禹穴藏書地,匡山種杏田。此行俱有適,遲爾早歸旋。

(季某という二人兄弟の高唐に行くのを送った詩。)その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

 

 

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 2015年4月28日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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231 《巻17-27 送二季之江東》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <231> Ⅰ李白詩1473 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5913 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一七七              文體:    五言古詩

詩題:    送二季之江東

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:禹穴 (江南東道 越州 會稽)              

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

西塞 (江南西道 鄂州 鄂州)             

 

 

送二季之江東

(季某という二人兄弟の高唐に行くのを送った詩。)

初發強中作,題詩與惠連。

六朝期、謝靈運は、はじめて強中を出発するときに、一族の甥弟謝惠連に、詩を作って与えたというが、自分も、今、丁度、その心境にある。

多慚一日長,不及二龍賢。

自分は、君らに対して、一日の長を以て、上に立って居るが、生来才拙にして、平衡淵の二龍に比すべき君らの賢に及ばないのは、まことに慚愧に堪えないことだと思っている。

西塞當中路,南風欲進船。

これから君たちは、江東にむかって船でゆくのだが、西塞山は、その中路に当たり、南風の吹く季節であるから、船を進めるには少し骨が折れる事であろう。

雲峰出遠海,帆影掛清川。

峰勢を為す雲は遠海の上に湧き出て、帆影は清川に罹って、四顧ただ空濶、さだめて旅愁の凄惨であることは免れないであろう。

禹穴藏書地,匡山種杏田。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

此行俱有適,遲爾早歸旋。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

 

(二季の江東に之くを送る)

初めて強中を發して作り,詩を題して惠連に與う。

多く慚づ 一日の長,二龍の賢に及ばざる。

西塞 中路に當り,南風 船を進んと欲す。

 

雲峰 遠海を出で,帆影 清川に掛る。

禹穴 藏書の地,匡山 種杏の田。

此の行 俱に適有り,遲つ 爾じが早く歸旋するを。

 

李白の足跡0000 

『送二季之江東』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送二季之江東

初發強中作,題詩與惠連。

多慚一日長,不及二龍賢。

西塞當中路,南風欲進船。

雲峰出遠海,帆影掛清川。

禹穴藏書地,匡山種杏田。

此行俱有適,遲爾早歸旋。

(下し文)
(
二季の江東に之くを送る)

初めて強中を發して作り,詩を題して惠連に與う。

多く慚づ 一日の長,二龍の賢に及ばざる。

西塞 中路に當り,南風 船を進んと欲す。

 

雲峰 遠海を出で,帆影 清川に掛る。

禹穴 藏書の地,匡山 種杏の田。

此の行 俱に適有り,遲つ 爾じが早く歸旋するを。


(現代語訳)
(季某という二人兄弟の高唐に行くのを送った詩。)

六朝期、謝靈運は、はじめて強中を出発するときに、一族の甥弟謝惠連に、詩を作って与えたというが、自分も、今、丁度、その心境にある。

自分は、君らに対して、一日の長を以て、上に立って居るが、生来才拙にして、平衡淵の二龍に比すべき君らの賢に及ばないのは、まことに慚愧に堪えないことだと思っている。

これから君たちは、江東にむかって船でゆくのだが、西塞山は、その中路に当たり、南風の吹く季節であるから、船を進めるには少し骨が折れる事であろう。

峰勢を為す雲は遠海の上に湧き出て、帆影は清川に罹って、四顧ただ空濶、さだめて旅愁の凄惨であることは免れないであろう。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

武漢005

(訳注)

送二季之江東

(季某という二人兄弟の高唐に行くのを送った詩。)

同時期の江東に送るシリーズ。

(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白350- 201

15-2 送張舍人之江東

17-23 江夏送友人【江夏祖友人】

17-25 江夏送張丞

 

初發強中作,題詩與惠連。

六朝期、謝靈運は、はじめて強中を出発するときに、一族の甥弟謝惠連に、詩を作って与えたというが、自分も、今、丁度、その心境にある。

初發強中作 強中は地名。謝靈運《登臨海嶠、發疆中作、與從弟惠連、可見羊何共和之。》臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。

登臨海嶠發疆中作,與從惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1242

謝靈運 東晋・南朝宋の詩人・文学者。本籍は陳郡陽夏。魏晋南北朝時代を代表する詩人で、山水を詠じた詩が名高く、「山水詩」の祖とされる。 六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。

惠連 謝惠連397年もしくは407 - 433年)は、南朝宋の文学者。本貫は陳郡陽夏県。詩人としては、族兄の謝霊運の「大謝」に対し、「小謝」と併称され、後世では南斉の謝朓とあわせて「三謝」とも呼ばれる。

 

多慚一日長,不及二龍賢。

自分は、君らに対して、一日の長を以て、上に立って居るが、生来才拙にして、平衡淵の二龍に比すべき君らの賢に及ばないのは、まことに慚愧に堪えないことだと思っている。

二龍 世説新語』「謝子徹と許子將の兄弟を見て、平衡淵に二龍あり。」とあるのに基づく。

 

西塞當中路,南風欲進船。

これから君たちは、江東にむかって船でゆくのだが、西塞山は、その中路に当たり、南風の吹く季節であるから、船を進めるには少し骨が折れる事であろう。

西塞 西塞山のことで、湖北省武昌の東にあり長江に臨むところだが、航行の難所といわれていた。

 

雲峰出遠海,帆影掛清川。

峰勢を為す雲は遠海の上に湧き出て、帆影は清川に罹って、四顧ただ空濶、さだめて旅愁の凄惨であることは免れないであろう。

雲峰 入道雲が湧き出で、天工が変わりやすいことをいう。

 

禹穴藏書地,匡山種杏田。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

禹穴 禹は中国の第一王朝の創建者であり、古代中国の歴史上の1世代の“聖王”である。4000年程前、中国大陸での洪水が多く、大禹は命令を受けて治水に取り組む。:“八年外にあって、家門の前を三度過ぎても門をくぐらず。”庶民の辛い経験などもあり、ついに治平工事を行なった。それから、このことを《史書》に記載し、大禹は“不安な大越(紹興)市民を水害から救った。この計画は、爵へ恩恵であり、彼の功績である”会議の場所が茅山だったため、“会稽山”(“稽“が“計”と発音が同じ為使われた)と改名する。禹が皇帝になった後、“巡守大越(見守り続けた大越)”ここで病死してしまったため、会稽山の麓に埋葬した。禹陵は古くは、禹穴と呼ばれ、大禹の埋葬地となった。大禹陵は会稽山とは背中合わせにあり、前には、禹池がある。

匡山 匡山は盧山の事で、長江中流域の要衝である九江,湖口を山下にひかえ,軍事上の拠点としてもしばしば歴史に登場する。周代に匡(きよう)氏の7兄弟がここに廬を結んで隠棲して登仙したという伝説により,匡山・匡廬とも呼ばれる。その後も陶潜(淵明)が隠棲するなど,隠士・道士のすみかともなった。

種杏田 は神仙伝にある董奉の隠遁の地で地域の住民の病気を治すために、重病は杏5株、軽病は1株を続けて数年で、鬱蒼とした森になったという故事に基づくもの。

《神仙傳》卷六〈董奉〉~

董奉者,字君異,候官人也。……奉居山不種田,日為人治病,亦不取錢,重病愈者,使栽杏五株,輕者一株,如此數年計得十萬餘株。郁然成林,……後杏子大熟,於林中作一草倉,示時人曰:「欲買杏者,不須報奉,但將穀一器置倉中,即自往取一器杏去。」常有人置穀來少,而取杏去多者,林中群虎出吼逐之,……奉每年貨杏得穀,旋以賑救貧乏,供給行旅不逮者,二萬餘斛。……奉在人間三百餘年乃去,顏狀如三十時人也。

 

此行俱有適,遲爾早歸旋。

そこで、君たちの遠行、定めて適意の事であるのであるが、自分は、少しでも早く帰ってきてほしいと思うので、適当なところで切り上げて帰ってきてもらいたいと思う次第である。

歸旋 歸も旋も共に帰るということで、どうしても帰ってほしいことを表す語である。謝靈運<過始寧墅>詩》「揮手告曲, 三載期歸旋, 且為樹枌檟, 無令孤愿言。」しかし今は赴任の途中であるため、まもなく近所の里人に手をあげて別れを告げ、三年たてば帰って来ると約束したのである。とりあえず私のために、枌(にれ)と檟(ひさぎ)の木を墳墓に樹えて、私のやがてこの地に帰って生涯を終えたいという願いにそむかないで、必ずかなえさせてほしいのである。とある。

過始寧墅 謝霊運<13> #2 詩集 375

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江夏送張丞 李白

欲別心不忍,臨行情更親。

酒傾無限月,客醉幾重春。

藉草依流水,攀花贈遠人。

送君從此去,迴首泣迷津。
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(江夏において、友人の張丞の遠行を送って作ったもの)だから、無辺にあまねく照らす月明かりに酒を傾けると、君はこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあったのにもっと酔っている。そして、草の上に坐臥して、流水に寄り添い、花を織って遠く旅立つ人に贈ると更に去りがたくなる。

 

 

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年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    江夏送張丞

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

交遊人物:張祖    當地交遊(江南西道 鄂州 鄂州)

 

 

江夏送張丞

(江夏において、友人の張丞の遠行を送って作ったもの)

欲別心不忍,臨行情更親。

今別れようとして見ると、心に忍びず、君がいよいよ出かけるという場合に、情はさらに親しみを覚える。

酒傾無限月,客醉幾重春。

だから、無辺にあまねく照らす月明かりに酒を傾けると、君はこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあったのにもっと酔っている。

藉草依流水,攀花贈遠人。

そして、草の上に坐臥して、流水に寄り添い、花を織って遠く旅立つ人に贈ると更に去りがたくなる。

送君從此去,迴首泣迷津。

かくて君の此処より去るを送ってその後は、首を回らせて、我がいま生きる事の意味を、さながら船が港を迷うように、流離っていることを歎き詫びるのである。

 

(江夏に張丞)を送る)

別んと欲して 心に忍びず,行くに臨んで 情 更に親しむ。

酒は傾く 無限の月,客は醉う 幾重の春。

草を藉いて 流水に依り,花を攀じて 遠人に贈る。

君を此れ從り去るを送り,首を迴らして迷津に泣く。

 武漢005

 

『江夏送張丞』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

江夏送張丞

欲別心不忍,臨行情更親。

酒傾無限月,客醉幾重春。

藉草依流水,攀花贈遠人。

送君從此去,迴首泣迷津。

(下し文)
(
江夏に張丞)を送る)

別んと欲して 心に忍びず,行くに臨んで 情 更に親しむ。

酒は傾く 無限の月,客は醉う 幾重の春。

草を藉いて 流水に依り,花を攀じて 遠人に贈る。

君を此れ從り去るを送り,首を迴らして迷津に泣く。

(現代語訳)
(江夏において、友人の張丞の遠行を送って作ったもの)

今別れようとして見ると、心に忍びず、君がいよいよ出かけるという場合に、情はさらに親しみを覚える。

だから、無辺にあまねく照らす月明かりに酒を傾けると、君はこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあったのにもっと酔っている。

そして、草の上に坐臥して、流水に寄り添い、花を織って遠く旅立つ人に贈ると更に去りがたくなる。

かくて君の此処より去るを送ってその後は、首を回らせて、我がいま生きる事の意味を、さながら船が港を迷うように、流離っていることを歎き詫びるのである。


武漢03
(訳注)

江夏送張丞

(江夏において、友人の張丞の遠行を送って作ったもの)

 

欲別心不忍,臨行情更親。

今別れようとして見ると、心に忍びず、君がいよいよ出かけるという場合に、情はさらに親しみを覚える。

 

酒傾無限月,客醉幾重春。

だから、無辺にあまねく照らす月明かりに酒を傾けると、君はこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあったのにもっと酔っている。

無限月 無辺にあまねく照らす月明かり。無限:①限りがないこと。どこまでも続くこと。また,そのさま。無辺。 ②ものが一定の関係や規定を受けないこと。

幾重春 何年も度も春を過した。ここではこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあった。

 

藉草依流水,攀花贈遠人。

そして、草の上に坐臥して、流水に寄り添い、花を織って遠く旅立つ人に贈ると更に去りがたくなる。

藉草 草をしく。草の上に坐臥する。孫綽《游天台山賦》「藉萋萋之纖草,蔭落落之長松。」(藉すは 萋萋、之れ纖草、蔭すは 落落、之れ長松。)

 

送君從此去,迴首泣迷津。

かくて君の此処より去るを送ってその後は、首を回らせて、我がいま生きる事の意味を、さながら船が港を迷うように、流離っていることを歎き詫びるのである。

 

 

李白の足跡0000 

 

229 《巻17-23 江夏送友人【江夏祖友人】》

江夏送友人

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

徘徊相顧影,淚下漢江流。


(江夏送友人)

雪は點ず 翠雲裘,君を送る黃鶴樓。

黃鶴 玉羽を振い,西に飛ぶ 帝王の州。

鳳に琅玕の實無し,何を以て遠遊に贈らん。

徘徊 影を相い顧み,淚は下る 漢江の流。

(江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)

北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

君は黄鶴が見事なその翅を奮って西に飛ぶがごとく、これから天長の玉清境の住める長安に赴くのである。

鳳凰に比すべき我は、食らうべき琅玕竹の実さえもなく、平生、上に苦しんでいるくらいであるから、ここに君の遠游を送るにあたっても贈呈すべきものが何もないのである。

それだけにこうして徘徊していても、たがいに影を顧みて、覚えず、ただ別れに対して涙を流して、漢江の流れに灌ぐばかりである。

 

 

(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白

江夏別宋之悌

楚水清若空,遙將碧海通。

人分千里外,興在一杯中。

谷鳥吟晴日,江猿嘯晚風。

平生不下淚,於此泣無窮。


(江夏で宋之悌に別れる)

楚水 清きこと空しきが若く、遥かに碧海と通ず。

人は千里の外に分れ、興は一盃の中に在り。

谷鳥 晴日に吟じ、江猿 晩風に嘯く。

平生は涙を下さざるに、此に於て泣くこと窮りなし。

(江夏で宋之悌に別れる。)
漢水は澄み切っていて、その色は、青天と一般、しかも楚の国を流れる大江に入って遙かに碧海、東海さんざんにいたる碧の大海原へと通じている。
今や、われら両人、人と人とは、千里のかなたにの外にあって、いまたがいに分かれようとしているのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るのだ。
先には、渓谷をでた鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴き、うたってひびきわたっている、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。

われわれは、日頃は剛健を以て性となし、涙を流したことのない私だが、ああ、きょうは、この地において、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのを禁じ得ない。

 

 

《巻7-43 赤壁歌送別》

赤壁歌送別

二龍爭戰決雌雄,赤壁樓船掃地空。

烈火張天照雲海,周瑜於此破曹公。

君去滄江望澄碧,鯨鯢唐突留餘跡。

一一書來報故人,我欲因之壯心魄。


(赤壁の歌 送別)

二龍爭戰 雌雄を決し,赤壁の樓船 地を掃うて空し。

烈火 天に張って 雲海を照し,周瑜 此に於て曹公を破る。

君は去って 滄江 澄碧を望めば,鯨鯢 唐突にし 餘跡を留む。

一一 書 來って故人に報ぜよ,我 之に因って 心魄を壯にせんと欲す。

(友人が江夏付近で遊ぶというので、その血とそんなに離れていない赤壁があるというのでこの詩を作って送別の詩とした。)

呉魏戦争はさながら二龍の雌雄を決するがごとく赤壁に集まった魏の樓船は、無残にも焼打ちにあって全滅に近いまでやれてしまった。

その時の烈火は天にみなぎり、焦がして、雲のまがう大海までも照らしたぐらいである。呉の都堵府、周瑜はこの地において、ものの見事に魏の丞相を打ち破ったのである。

君、今、ここを去って大江のほとりに到り、緑に澄みきった流水を望む時は、当日鯨鯢が互いに觸犯したその遺跡を認めるであろう。

こうして、その史実からの感慨を一一手紙に書いて、旧交ある我がもとに報じてもらいたい。そうすれば、それを読んで、心魄を盛んにして、胸中の鬱懐を払い除けることができるであろう。

229 《巻17-23 江夏送友人【江夏祖友人】》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <229> Ⅰ李白詩1471 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5903

江夏送友人

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

徘徊相顧影,淚下漢江流。
江夏送友人》李白 (江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

 

229 《巻17-23 江夏送友人【江夏祖友人】》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <229> Ⅰ李白詩1471 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5903


 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    江夏送友人【江夏祖友人】

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

黃鶴樓 (江南西道 鄂州 江夏)         

 

 

江夏送友人

(江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

君は黄鶴が見事なその翅を奮って西に飛ぶがごとく、これから天長の玉清境の住める長安に赴くのである。

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

鳳凰に比すべき我は、食らうべき琅玕竹の実さえもなく、平生、上に苦しんでいるくらいであるから、ここに君の遠游を送るにあたっても贈呈すべきものが何もないのである。

徘徊相顧影,淚下漢江流。

それだけにこうして徘徊していても、たがいに影を顧みて、覚えず、ただ別れに対して涙を流して、漢江の流れに灌ぐばかりである。

 

(江夏送友人)

雪は點ず 翠雲裘,君を送る黃鶴樓。

黃鶴 玉羽を振い,西に飛ぶ 帝王の州。

鳳に琅玕の實無し,何を以て遠遊に贈らん。

徘徊 影を相い顧み,淚は下る 漢江の流。

李白の足跡0000 

 

『江夏送友人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

江夏送友人

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

徘徊相顧影,淚下漢江流。


(下し文)
(
江夏送友人)

雪は點ず 翠雲裘,君を送る黃鶴樓。

黃鶴 玉羽を振い,西に飛ぶ 帝王の州。

鳳に琅玕の實無し,何を以て遠遊に贈らん。

徘徊 影を相い顧み,淚は下る 漢江の流。

(現代語訳)
(江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)

北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

君は黄鶴が見事なその翅を奮って西に飛ぶがごとく、これから天長の玉清境の住める長安に赴くのである。

鳳凰に比すべき我は、食らうべき琅玕竹の実さえもなく、平生、上に苦しんでいるくらいであるから、ここに君の遠游を送るにあたっても贈呈すべきものが何もないのである。

それだけにこうして徘徊していても、たがいに影を顧みて、覚えず、ただ別れに対して涙を流して、漢江の流れに灌ぐばかりである。


武漢01
(訳注)

江夏送友人

(江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)

江夏 江南西道 鄂州 鄂州)の別名。

 

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

翠雲裘 翡翠の飾りで緑色の皮衣。深みどりの輝く御衣。【裘】かわごろも. 毛皮で作った防寒用の衣。かわぎぬ。 僧衣。また、僧。 修行中の釈迦が鹿の皮をまとったという故事から. 【裘葛】きゅうかつ. 皮衣と ( くず ) 帷子 ( かたびら ) 。冬の衣服と夏の衣服。 転じて、冬から夏まで。一年。《古文苑宋玉<諷賦>》「主人之女, 翳承日之華, 披翠雲之裘。」 章樵注:輯翠羽為裘。” 唐王維《和賈舍人早朝大明宮》:絳幘雞人報曉籌, 尚衣方進翠雲裘。”

和賈舎人早朝大明宮之作 王維 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 234

黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する黄鶴伝説 『列異伝』に出る故事。子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。李白《黃鶴樓送孟浩然之廣陵》「故人西辭黃鶴樓,煙花三月下揚州。孤帆遠影碧山盡,唯見長江天際流。」

130 《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 故人西辭黃鶴樓,<130> Ⅰ李白詩1313 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5113

 

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

君は黄鶴が見事なその翅を奮って西に飛ぶがごとく、これから天長の玉清境の住める長安に赴くのである。

黃鶴 周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。

帝王州 天長の玉清境の住める地方。京都。

 

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

鳳凰に比すべき我は、食らうべき琅玕竹の実さえもなく、平生、上に苦しんでいるくらいであるから、ここに君の遠游を送るにあたっても贈呈すべきものが何もないのである。

琅玕實 玉に似た一種の石の名。「山海経」には「崑崙山に琅玕の樹あり」とある。鳳がそれを食うといわれる。天子から受ける正当な俸禄。李白《古風五十九首之四十》「鳳飢不啄粟,所食唯琅玕。」鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。

40 《古風五十九首之四十》Index-23-1 744年天寶三年44367古風,五十九首之四十 鳳飢不啄粟, <40> Ⅰ李白詩1200 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4548

 

徘徊相顧影,淚下漢江流。

それだけにこうして徘徊していても、たがいに影を顧みて、覚えず、ただ別れに対して涙を流して、漢江の流れに灌ぐばかりである。
武漢02 

 
 2015年4月26日の紀頌之5つのBlog 
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年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    送梁四歸東平

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:鄆州 (河南道 鄆州 鄆州) 別名:東平             

東山 (江南東道 越州 上虞縣) 別名:謝安山               

交遊人物:梁四    當地交遊( 淮南道 安州 安陸)

 

 

送梁四歸東平

(梁某が郷里の河南道鄆州の東平に帰るのを送って作った)

玉壺挈美酒,送別強為歡。

玉壺に美酒を一杯に積めて挈えて出て、,君との別れの行を送るために盃を勧め、強いて、歓談して別れよう。

大火南星月,長郊北路難。

今しも大火の星が、南方正午の方向に位置する月で、夏の最中であるとわかり、彼から北に向かって、一帯の平原を横切って、旅をするのはとても困難な事だろう。

殷王期負鼎,汶水起垂竿。

むかし、伊尹が殷湯が遊説するため、鼎を背に背負って料理人という触れ込みで殷に入って殷王湯を助けて天下をとったのであり、君は、故郷でくすぶらず太公望よろしく、汶水に釣り糸を垂れて、身を起し、功名を立てることを祈るものである。

莫學東山臥,參差老謝安。

謝安が東山に芸妓を携えたのを学ぶだけでで、ぐずぐずして臥し、世俗の欲望を離れて隠棲しているうちに、時と志を齟齬してむなしく朽ち老いさらばえてしまうようなことがあってはならないと思うところである。

 

(梁四 東平に歸るを送る)

玉壺 美酒を挈へ,送別 強いて歡を為す。

大火 南星の月,長郊 北路難し。

殷王 負鼎を期し,汶水 垂竿を起す。

東山に臥すを學んで,參差 謝安を老いしむる莫れ。

李白の足跡0000 

 

『送梁四歸東平』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送梁四歸東平

玉壺挈美酒,送別強為歡。

大火南星月,長郊北路難。

殷王期負鼎,汶水起垂竿。

莫學東山臥,參差老謝安。


(下し文)
(梁四 東平に歸るを送る)

玉壺 美酒を挈へ,送別 強いて歡を為す。

大火 南星の月,長郊 北路難し。

殷王 負鼎を期し,汶水 垂竿を起す。

東山に臥すを學んで,參差 謝安を老いしむる莫れ。

(現代語訳)
(梁某が郷里の河南道鄆州の東平に帰るのを送って作った)

玉壺に美酒を一杯に積めて挈えて出て、,君との別れの行を送るために盃を勧め、強いて、歓談して別れよう。

今しも大火の星が、南方正午の方向に位置する月で、夏の最中であるとわかり、彼から北に向かって、一帯の平原を横切って、旅をするのはとても困難な事だろう。

むかし、伊尹が殷湯が遊説するため、鼎を背に背負って料理人という触れ込みで殷に入って殷王湯を助けて天下をとったのであり、君は、故郷でくすぶらず太公望よろしく、汶水に釣り糸を垂れて、身を起し、功名を立てることを祈るものである。

謝安が東山に芸妓を携えたのを学ぶだけでで、ぐずぐずして臥し、世俗の欲望を離れて隠棲しているうちに、時と志を齟齬してむなしく朽ち老いさらばえてしまうようなことがあってはならないと思うところである。


(訳注)

送梁四歸東平

(梁某が郷里の河南道鄆州の東平に帰るのを送って作った)

梁四 梁某。四は排行。

東平 東平は郡名。即ち、鄆州のことで、河南道に属していた。          

 

玉壺挈美酒,送別強為歡。

玉壺に美酒を一杯に積めて挈えて出て、,君との別れの行を送るために盃を勧め、強いて、歓談して別れよう。

 

大火南星月,長郊北路難。

今しも大火の星が、南方正午の方向に位置する月で、夏の最中であるとわかり、彼から北に向かって、一帯の平原を横切って、旅をするのはとても困難な事だろう。

大火 蠍(さそり)座のアルファ星アンタレスの漢名。真夏の月の位置をいう。

南星月 月が掩牽牛、南星を蓋って見えない頃をいう。

 

殷王期負鼎,汶水起垂竿。

むかし、伊尹が殷湯が遊説するため、鼎を背に背負って料理人という触れ込みで殷に入って殷王湯を助けて天下をとったのであり、君は、故郷でくすぶらず太公望よろしく、汶水に釣り糸を垂れて、身を起し、功名を立てることを祈るものである。

殷王 《史記》 「伊尹名阿衡。阿衡欲干湯而無由,乃為有莘氏媵臣,負鼎俎,以滋味湯,致於王道。」

伊尹(いいん)は、夏末期から商(殷)初期にかけての政治家。商王朝成立に大きな役割を果たした。名は摯(し)。

伊尹は鼎を背負って殷に入り、ついに湯王を助けて天下を取った。智能の士は、遠近を基準に採用するものではなく、これを言いますに、帝王の完備を要求する者は滅びる。易に『高く世俗を超越している人材には、必ず何かにつけて悪く言われる患いがある。この上なく智慧がある者の明察は、必ず大衆の議論を破る』という。大功を成す者は世の習わしにこだわらず、大道を論じる者は大衆に迎合しません。ただ大王はこれをお察し下さい」とある。

《越絶書》「伊尹負鼎入殷? 遂佐湯取天下。」(伊尹 鼎を負うて殷に入り、遂に湯に佐けて天下を取る。)とある。

昔、范蠡はその始め楚にいて、范伯といった。自ら衰えて賤しく、いままで代々の俸禄を得たことがないといい、故に自ら粗末な生活をしていた。飲食すれば天下の無味でもうまいとし、居れば天下の賤しい場所に安んじていた。また髪を振り乱して狂人をよそおい、世にしたしまなかった。大夫種に言った

「夏禹、殷湯、周文王は三皇の苗裔であり、五覇は五帝の子孫です。天の運行は代を経て、千年に一度至ります。黄帝の年間に、辰が執となり巳が破となり、霸王の気は、地の門に現れました。 子胥はこのために弓をさしはさんで呉王におして見えたのです」

そこで大夫種と約束して呉に入った。このとき馮同は相共にこれに誡め、伍子胥がいるので、自らともにその言葉を申し述べることができない。越王は常に一日中ともに語っていた。大夫石買は、国にいて権力があり、口がうまく、進み出て言った

「器量自慢の女は不貞で、自らの才を誇る男は信用できません。客で諸侯を歴訪し、河津を渡り、縁もないのに自ら至ったものは、ほとんど真に賢人ではありません。和氏の璧であれば、求める者は値段を争わず、すぐれた馬の能力は、険しい道を難としません。〔欠落〕の邦、諸侯を歴訪して売り込むところがなく、知ったふりをする輩は、ただ大王はこれをお察し下さい」

そこで范蠡は退いて語らず、楚越の間に遊んだ。大夫種は進み出て言った

「昔、市中の盜賊が自ら晋に売り込み、晋はこれを用いて楚に勝ちました。伊尹は鼎を背負って殷に入り、ついに湯王を助けて天下を取りました。智能の士は、遠近を基準に採用するものではなく、これを言いますに、帝王の完備を要求する者は滅びるのです。易に『高く世俗を超越している人材には、必ず何かにつけて悪く言われる患いがある。この上なく智慧がある者の明察は、必ず大衆の議論を破る』といいます。大功を成す者は世の習わしにこだわらず、大道を論じる者は大衆に迎合しません。ただ大王はこれをお察し下さい」

これより石買はますます疎んじられた。その後兵を遠地に率いさせ、ついに軍士に殺された。この時句踐は兵士を失い、會稽山に立てこもり、あらためて種・蠡の策を用い、存続することができた。むかし虞舜は言った

「思うに先のことに学んで行う、これは良薬のようなものである」

王は言った

「石買は昔のことは知ってもこれからのことは知らない。私に賢人を棄てさせようとした」

後についに二人を師とし、ついに呉王を擒にした。

子貢は言った

「一言を薦めれあげれば、身に及ぼすことができる。一人の賢人を任じれば、名を顕すことができる。賢人を傷つければ国を失い、能力を覆い隠せば災いがある。徳に背けいて恩を忘れれば、かえって傷つくことになる。人の善を壊せば子孫の繁栄はなく、人の成功をそこなえば天誅が行われる。むかし子胥を冤罪とし死刑にしたとき、由重が子胥を呉に讒言した。呉はうわべではこれを重んじたが、罪なくして誅した。伝に「千金を失っても、一人の心を失うなかれ」というのは、このことを言うのである。

莫學東山臥,參差老謝安。

謝安が東山に芸妓を携えたのを学ぶだけでで、ぐずぐずして臥し、世俗の欲望を離れて隠棲しているうちに、時と志を齟齬してむなしく朽ち老いさらばえてしまうようなことがあってはならないと思うところである。

東山臥・謝安 東山に隠棲した晋の謝安の故事。李白《梁園吟》『東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晚。」に詳しい。

169 -4(改訂版) 《巻06-12 梁園吟 -4Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <169 -4> Ⅰ李白詩1381 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5453

東晋の謝安(字は安石)が、朝廷からしばしば出仕を催されながら、東山に隠棲したま基易に承知しなかったこと。人々は、「安石出づる喜んぜずんは、将た蒼生(人民)を如何んせん」と言って心配した。(『世説新語』「排調、第二十五」の二六)。「高臥」は、世俗の欲望を離れて隠棲すること。

会稽東山の山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。謝安の芸妓を携えて東山始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである
『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』
攜妓東山去。 春光半道催。 
遙看若桃李。 雙入鏡中開。
 
姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287
○漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。府城臥竜山南にあった白樓亭のこと。『会稽志卷第九』山府城の卧龍山府に其東麓に治据されていた。山陰陽經雲种山、また別名として重山は越大夫の种所葬られた太平御覧种山の名としたである。山南道で旧と傳えられる白楼亭は今の遺址は関連性からいうと不確かであるが、山頂にある城隍祠ああって、其の西南の越王台の下にある。

李白『贈僧崖公』「手秉玉麈尾, 如登白樓亭。」

会稽記 「浙江又東北、重山を径す、西山の上に白楼亭あり。」とある。

174 《巻17-07 送友人入蜀》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <174> Ⅰ李白詩1386 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5478

李白《巻17-07 送友人入蜀》(友人が左遷されて蜀の地に往くのを送って詠う) 君は今、左遷されて遠く蜀の地に赴くということで、人の語るのを聞くと、下の初句に通ずる道は、崎嶇高低があってなかなか行きにくいという。

 

 
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174 《巻17-07 送友人入蜀》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <174> Ⅰ李白詩1386 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5478

 

 

年:開元十九年31

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    送友人入蜀

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              成都 (劍南道北部 益州 成都) 別名:蜀         

 

 

送友人入蜀

(友人が左遷されて蜀の地に往くのを送って詠う)

蠶叢路,崎嶇不易行。

君は今、左遷されて遠く蜀の地に赴くということで、人の語るのを聞くと、下の初句に通ずる道は、崎嶇高低があってなかなか行きにくいという。

山從人面起,雲傍馬頭生。

顔をあげてみれば高い山突兀として、ただちに行人の面前に聳え、伏して見ると白雲もうもうとして乗っている馬の頭の辺りに生ずるくらいであるという。

芳樹籠秦棧,春流繞蜀城。

顔をあげてみれば高い山突兀として、ただちに行人の面前に聳え、伏して見ると白雲もうもうとして乗っている馬の頭の辺りに生ずるくらいであるという。

升沈應已定,不必問君平。

しかし、人生というものは、昇沈栄辱に至っては前もって、天の数が決められているから、あの有名な易者の嚴君平に問うて進路を決めることなどないのである。

 

(友人の蜀に入るを送る)

見るならく 蠶叢の路,崎嶇として行き易からず。

山は人面從り起り,雲は馬頭に傍うて生ず。

芳樹 秦棧を籠め,春流 蜀城を繞る。

升沈 應に已に定まるべし,必ずしも君平に問わず。

李白図102 

『送友人入蜀』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送友人入蜀

蠶叢路,崎嶇不易行。

山從人面起,雲傍馬頭生。

芳樹籠秦棧,春流繞蜀城。

升沈應已定,不必問君平。


(下し文)
(友人の蜀に入るを送る)

見るならく 蠶叢の路,崎嶇として行き易からず。

山は人面從り起り,雲は馬頭に傍うて生ず。

芳樹 秦棧を籠め,春流 蜀城を繞る。

升沈 應に已に定まるべし,必ずしも君平に問わず。

(現代語訳)
(友人が左遷されて蜀の地に往くのを送って詠う)

君は今、左遷されて遠く蜀の地に赴くということで、人の語るのを聞くと、下の初句に通ずる道は、崎嶇高低があってなかなか行きにくいという。

顔をあげてみれば高い山突兀として、ただちに行人の面前に聳え、伏して見ると白雲もうもうとして乗っている馬の頭の辺りに生ずるくらいであるという。

顔をあげてみれば高い山突兀として、ただちに行人の面前に聳え、伏して見ると白雲もうもうとして乗っている馬の頭の辺りに生ずるくらいであるという。

しかし、人生というものは、昇沈栄辱に至っては前もって、天の数が決められているから、あの有名な易者の嚴君平に問うて進路を決めることなどないのである。

古桟道0001
(訳注) 《巻17-07 送友人入蜀》

送友人入蜀

(友人が左遷されて蜀の地に往くのを送って詠う)

 

蠶叢路,崎嶇不易行。

君は今、左遷されて遠く蜀の地に赴くということで、人の語るのを聞くと、下の初句に通ずる道は、崎嶇高低があってなかなか行きにくいという。

 見聞するということ。ここでは聞くところによるとと同様に使われている。

蠶叢路 紀元前2100年頃、中国四川地方に縦目王・蠶叢が支配する幻の国・華陽国があった。そこは一年中花が咲き乱れ、国民は皆健康で不老不死の桃源郷と思われていた。

崎嶇 凸凹と蛇行。

 

山從人面起,雲傍馬頭生。

顔をあげてみれば高い山突兀として、ただちに行人の面前に聳え、伏して見ると白雲もうもうとして乗っている馬の頭の辺りに生ずるくらいであるという。

 

芳樹籠秦棧,春流繞蜀城。

その道には芳樹が鬱蒼としていて、秦時代以来、籠掛けた桟道があり、成都盆地は春の豊かな水が錦官城をめぐっている豊かなところである。

芳樹 籠秦棧,春流繞蜀城 

 

升沈應已定,不必問君平。

しかし、人生というものは、昇沈栄辱に至っては前もって、天の数が決められているから、あの有名な易者の嚴君平に問うて進路を決めることなどないのである。

升沈 人生の浮き沈み。人生の昇沈栄辱。

君平 君平」は漢の厳遵(げんじゅん、字は君平)のことで、蜀の成都の市場で卜筮をして暮らしていた。易断をして人に法を説き善に導きましたが、みずからを養うに足るときは店を閉じたという。

 

厳君平は一方で「ト筮は賤業」であると認めなから,他方では「ト筮」によって,子には「孝行」,弟には「梯順」。臣には「忠義」を説き,衆人を恵むことができると述べている。卜筮によって衆人を孝や順や忠に導いたといわれることは、いちじるしく民衆的または社会教育的な色彩をもつものとして注意される。それは、現実の政治に絶望した彼らに、たんに個人的に逃避するのではなく、みずからの理想によって民衆を教化しようという考えがあったのではなかろうか。

(嚴君平は社会教育的な才あるにもかかわらず、生活の為と占い業をしたが、世間の方も、賢人である君平をただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていた。その陰で、心静かに老子の注解を出筆していた。)

李白『古風,五十九首之十三』

君平既棄世,世亦棄君平。

觀變窮太易,探元化群生。

寂寞綴道論,空帘閉幽情。

騶虞不虛來,鸑鷟有時鳴。

安知天漢上,白日懸高名。

海客去已久,誰人測沈冥。

(古風,五十九首の十三)

君平 既に世を棄て、世も亦た君平を棄つ。

變を觀て太易を窮め、元をって群生を化す。

寂寞 道論を綴り、空帘【くうれん】 幽情を閉ざす。

騶虞【しゅうぐ】は虛しく來らず、鸑鷟【がくぞく】は時有って鳴く。

安んぞ知らん 天漢の上。 白日 高名を懸くる。

海客 去って已に久し、誰人か 沈冥を測らむ。

13Index-32 《古風五十九首之十三》Ⅳ-7 753年天寶十二年53581Index-32> Ⅰ李白詩1161 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4353

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