漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 卷十八 (古近體詩三十二首)

743年(74)李太白集605巻十八12金門答蘇秀才  393-#5Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(74) Ⅰ李白詩1754 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7310

李白  金門答蘇秀才 #5

緣溪見綠篠,隔岫窺紅採薇行笑歌,眷我情何已。

月出石鏡間,松鳴風琴裡。得心自虛妙,外物空靡。

身世如兩忘,從君老煙水。
渓流に沿うて行けば、緑の色濃き小笹が茂り合い、高い谷間を隔てて、水の潭をなす庭には、紅の蓮の花の吹き出でたのがうかがわれる。かくて、一人野に出て薇を采りつつ、「笑矣乎。」と行歌して、吾を思う情は決して己む時はない。それから、月は石鏡山の谷間より出で、松聲は風琴の峡中に鳴りひびきわたる。心は自然に虚妙の霊域に至り、外物は、すべて頽壊靡散して、少しも累を人に及ぼすことはない。かくの如くして、この身も、この世も、両つながら忘れ、唯だ心霊のみが依存して、宇宙と契合する様に、吾も修業が積んだならば、その折こそ、君に従って、煙水の間に老いて、いつまでも其處に住んで居たいと思うのである。

李太白集

卷十八12#5

金門答蘇秀才

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7310 

Index-23

-2

743年天寶二年43歳 

94-74)#5

393 <1000>#5

 

 
  2016年2月9日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(74)李太白集605巻十八12金門答蘇秀才  393-#5Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(74) Ⅰ李白詩1754 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7310  
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年:天寶二年43歳 94-74) #3

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    金門答蘇秀才

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣      

交遊人物/地點:蘇秀才      書信往來(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

 

金門答蘇秀才#1

(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)

君還石門日,朱火始改木。

君が以前に隠遁していた石門に還える日、火を取る燧の木を改めるくらいの時間であった。

春草如有情,山中尚含綠。

つまり、時候が換ったが、春草は依然として、情あるが如く、山中においては、なお緑の色を含み、ここだけは、永久に時節が換わらないようである。

折芳愧遙憶,永路當日勗。

そした中、君はわざわざ花を折って、はるかにたがいに憶い合わねば愧じという意を致され、人生の長路を行くには、常日頃、随分勉めて仕事をしなければならないといって、懇懇と我を諭された。

遠見故人心,平生以此足。

それにつけても、二人離れていれば、故人の誠意を見るだけであり、平生これを以て自ら足れりとしているのである。

(金門 蘇秀才に答う)#1

君 石門に還えるの日,朱火 始めて木を改む。

春草 有情あるが如し,山中 尚お綠を含む。

芳を折って遙憶を愧じ,永路 當に日びに勗むべし。

遠く故人の心を見る,平生 此れを以て足る。

#2

巨海納百川,麟閣多才賢。

東海の巨海が全土の百川を納るると同じく、麟閣に於ては、ひろく才賢を集めて、まことに、濟濟たる多士である。

獻書入金闕,酌醴奉瓊筵。

その時、君は、上書せんとして金闕に入り、やがて、天子が羣臣を瓊筵で宴せられる其席に列って、甘ざけを頂戴されたのである。

屢忝白雲唱,恭聞黃竹篇。

そして、妃嬪たちは、西王母が穆王のために詠ったように白雲の歌を唱へ、又天子が作られた《霓裳羽衣曲》は穆王が黄竹の篇を歌われる多様に素晴らしい歌を拝聴した。

恩光照拙薄,雲漢希騰遷。

かくて、目出たく試験に及第して進士と成り、この才拙く命薄き身にも恩光を被り、はては、青雲の上に登って、天河の邊にも行きたいと思うところである。

#2

巨海 百川を納【い】れ,麟閣 才賢多し。

書を獻じて金闕に入れ,醴を酌んで 瓊筵に奉ず。

屢しば 白雲の唱を忝うし,恭【うやうや】しく 黃竹篇を聞く。

恩光 拙薄を照らし,雲漢 騰遷を希【こいねが】う。
#3

銘鼎倘云遂,扁舟方渺然。

鼎に銘じて、神に捧げ、祖先の美を称揚して、これを後世に伝えてゆくのは、その極であり、功なって身退く時は、扁舟を浮べ、渺然として、この世を去りたいと常に心に念じていたのである。

我留在金門,君去臥丹壑。

しかし、事、志と違い、そうは行かぬところから、吾は猶は金馬門に待詔として留まって居るに拘はらず、君は長安を去って、丹壑の幽境に高臥し、

未果三山期,遙欣一丘樂。

三山に藥を採るという佳き時期は、いまだに果してはいないけれども、一丘の楽については、ひとりで占断してよろこんでいたのである。

玄珠寄象罔,赤水非寥廓。

そこで“うすぼんやりものの象罔”が赤水のほとりに於て玄珠を拾ひ上げたと同じく、ことほとさようにこれが高遠なものではないということ、この人の世に於でも、見事に宇宙の大道を体得することができたのである。

#3

鼎に銘して 倘し遂げたりと云わば,扁舟 方に渺然たり。

我 留りて 金門に在り,君 去りて 丹壑に臥す。

未だ三山の期を果さず,遙に 一丘の樂みを欣ぶ。

玄珠 象罔に寄せ,赤水 寥廓に非らず。

#4

願狎東海鷗,共營西山藥。

吾が願うことは、無心にして東海の鴎をらし、君と共に西山の薬を採ろうと思うものである。

棲巖君寂滅,處世余龍蠖。

君が巌谷に棲んで寂滅の域に達しでいるにも拘わらず、吾は猶お塵世に在って、或は龍の如く伸び、或は尺蠖の如く屈して、一進一退、兎角、思い通らに成らない。

良辰不同賞,永日應閒居。

であれば、折角の吉日に遇うも、同じく賞することを得ず、永日を消すためには、物外に於て閒居するのが第一である。

鳥吟簷間樹,花落窗下書。

試みに君の幽棲の有様を想像すると、鳥は簷間に翳せる樹の上に歌い、花は窓下に廣げたる古書の上に落ちるのである。

#4

願わくば東海の鷗に狎れ,共に西山の藥を營まむ。

巖に棲みて 君は寂滅【せきめつ】,世に處して 余は龍蠖【りょうわく】。

良辰 同じく賞せず,永日 應に閒居すべし。

鳥は吟ず 簷間の樹,花は落つ 窗下の書。

#5

緣溪見綠篠,隔岫窺紅蕖。

採薇行笑歌,眷我情何已。

月出石鏡間,松鳴風琴裡。

得心自虛妙,外物空靡。

身世如兩忘,從君老煙水。

渓流に沿うて行けば、緑の色濃き小笹が茂り合い、高い谷間を隔てて、水の潭をなす庭には、紅の蓮の花の吹き出でたのがうかがわれる。

かくて、一人野に出て薇を采りつつ、「笑矣乎。」と行歌して、吾を思う情は決して己む時はない。

それから、月は石鏡山の谷間より出で、松聲は風琴の峡中に鳴りひびきわたる。

心は自然に虚妙の霊域に至り、外物は、すべて頽壊靡散して、少しも累を人に及ぼすことはない。

かくの如くして、この身も、この世も、両つながら忘れ、唯だ心霊のみが依存して、宇宙と契合する様に、吾も修業が積んだならば、その折こそ、君に従って、煙水の間に老いて、いつまでも其處に住んで居たいと思うのである。

#5

溪に緣って綠篠を見,岫を隔てて紅を窺う。

薇を採って行くゆく笑歌し,我を眷し、情 何ぞ已まん。

月は出づ 石鏡の間,松は鳴る 風琴の裡。

心を得て 自ら虛妙,外物 空しく靡。

身世 兩つながら忘るるが如し,君に從って煙水に老いむ。

楊貴妃清華池002

 

『金門答蘇秀才』  現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

緣溪見綠篠,隔岫窺紅

採薇行笑歌,眷我情何已。

月出石鏡間,松鳴風琴裡。

得心自虛妙,外物空靡。

身世如兩忘,從君老煙水。

(下し文)
#5

溪に緣って綠篠を見,岫を隔てて紅蕖を

薇を採って行くゆく笑歌し,我を眷し、情 何ぞ已まん。

月は出づ 石鏡の間,松は鳴る 風琴の裡。

心を得て 自ら虛妙,外物 空しく靡。

身世 兩つながら忘るるが如し,君に從って煙水に老いむ。

(現代語訳)
#5

渓流に沿うて行けば、緑の色濃き小笹が茂り合い、高い谷間を隔てて、水の潭をなす庭には、紅の蓮の花の吹き出でたのがうかがわれる。

かくて、一人野に出て薇を采りつつ、「笑矣乎。」と行歌して、吾を思う情は決して己む時はない。

それから、月は石鏡山の谷間より出で、松聲は風琴の峡中に鳴りひびきわたる。

心は自然に虚妙の霊域に至り、外物は、すべて頽壊靡散して、少しも累を人に及ぼすことはない。

かくの如くして、この身も、この世も、両つながら忘れ、唯だ心霊のみが依存して、宇宙と契合する様に、吾も修業が積んだならば、その折こそ、君に従って、煙水の間に老いて、いつまでも其處に住んで居たいと思うのである。


(訳注) #5

金門答蘇秀才5

(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)743天寶二年43歳に 94首あり、この詩はその年の74首目になる。

 

緣溪見綠篠,隔岫窺紅蕖。

渓流に沿うて行けば、緑の色濃き小笹が茂り合い、高い谷間を隔てて、水の潭をなす庭には、紅の蓮の花の吹き出でたのがうかがわれる。

30 緣溪 渓流に沿うて行くこと。

31 綠篠 緑の色濃き小笹が茂り合い。 謝霊運《過始寧墅》「白雲抱幽石、緑篠媚清漣。」(白き雲は幽石【ゆうせき】を抱き、縁篠【りょくじょう】清漣【せいれん】に媚【こび】びたり。)白雲は物さびて静かな石を抱いているようであり、緑の篠竹が清らかな漣に媚びるように揺れなびいている。まことに美しい景色である。

過始寧墅 謝霊運<13> 2 詩集 375

32 隔岫 岫は穴のあるやま。  《1921_甘林》「晨光映遠岫,夕露見日晞。」(晨光 遠岫に映ず,夕露 日を見て晞【かわ】く。朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。

33 紅蕖 紅色の蓮の花。

 

採薇行笑歌,眷我情何已。

かくて、一人野に出て薇を采りつつ、「笑矣乎。」と行歌して、吾を思う情は決して己む時はない。

34 採薇 蕨をとる。詩經、國風 「陟彼南山、言采其薇。 未見君子、我心傷悲。」(彼の南山に陟り、言に其の薇を采る。未だ君子を見ず、我が心傷悲す。)あの南の山に登り、蕨を摘んでいます、でもわたしはまだ夫と会うことができずに、心は傷んで憂いに閉ざされています

35 笑歌 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。李白《卷六27笑歌行二首》「笑矣乎。」(笑わんかな)がある。

 

月出石鏡間,松鳴風琴裡。

それから、月は石鏡山の谷間より出で、松聲は風琴の峡中に鳴りひびきわたる。

36 石鏡 高僧慧遠は廬山に東林寺を建てた。慧遠は太元9年(384年)の来住以来、一生、山外に出ないと誓いを立てたとされ、そのことにちなんだ「虎渓三笑」の説話の舞台もこの山である。また慧遠は蓮池を造り、その池に生える白蓮にちなんだ「白蓮社」と呼ばれる念仏結社を結成したとされ、中国の浄土教の祖とされている。慧遠は中国化された仏教の開創者であり、仏教の中国化と、中国の仏教化という潮流を作りだした。
謝霊運《入彭蠡湖口》「攀崖照石鏡,牽葉入松門。」崖に攀【よ】じて石鏡に照らし、葉を牽きつつ松門に入る。崖を攀じ登ったら廬山の石壁・石鏡に日が照り輝いている。木葉をかき分けて白蓮社の松門を入っていく。太平天国の乱で破壊される前、廬山は中国第一の仏教の聖地であり、全盛期には全山に寺廟は三百以上を数えた。

石鏡 太平寰宇記「石鏡在東山懸崖之上、其狀團圓、近之、則照見形影」(石鏡は東山懸崖の上に在り、其の狀團圓、之に近づけば、則ち形影を照し見る)一統志「石鏡峰、在南康府西二十六里、有一員石、懸崖明淨照」(石鏡峰は、南康府西二十六里に在り、一員石有り、懸崖明らか淨く照す。)

李白《13-01 廬山謠寄盧侍御虛舟》
我本楚狂人、狂歌笑孔丘。手持綠玉杖、朝別黃鶴樓。
五嶽尋仙不辭遠、一生好入名山遊。
廬山秀出南斗傍、屏風九疊雲錦張、影落明湖青黛光。
金闕前開二峰長、銀河倒掛三石梁
香爐瀑布遙相望、迴崖沓嶂凌蒼蒼。
翠影紅霞映朝日、鳥飛不到天長。
登高壯觀天地間、大江茫茫去不還
黃雲萬里動風色、白波九道流雪山
好為廬山謠、興因廬山發
閑窺石鏡清我心、謝公行處蒼苔沒
早服還丹無世情、琴心三疊道初成。
遙見仙人彩雲裡、手把芙蓉朝玉京。
先期汗漫九垓上、願接盧敖遊太清。
(廬山の廬侍御虚舟に謡い寄す)
我は本と楚の狂人、鳳歌して孔丘を笑う。手に緑の玉杖を持ち、朝に別る黄鶴楼。
五嶽に仙を尋ぬるに遠きを辞さず、一生 名山に入りて遊ぶを好む
廬山は秀で出ず 南斗の傍ら、屛風九畳 雲錦張る、影は明湖に落ちて青黛光る。
金闕 前に開いて 二峰長し、銀河は倒に挂かる 三石梁。
香炉の瀑布 遥かに相望む、 迥崖沓嶂 凌として蒼蒼たり。
翠影紅霞 朝日に映じ、鳥は飛びて到らず 呉天の長きを。
高きに登りて壮観す 天地の間、大江は茫茫として去りて還らず。
黄雲 万里 風色を動かし、白波 九道 雪山に流る。
好みて廬山の謡を為し、興じて廬山に因りて発す。
閑に石鏡を窺えば我が心清らかなり、謝公の行処は蒼苔に没す。
早に還丹を服して世情無く、琴心 三畳 道初めて成る。
遥かに仙人を見る綵雲の裏、手に芙蓉を把って玉京に朝す。
先は期さん 汗漫と九垓の上に、 願わくは廬敖に接して太清に遊ばん。 

③ 成都の北角に武担という塚があるが、その塚の上に鏡の幅は1メートル、高さは120cm程の石である、すきとおることは鏡のごとくであるという。蜀の古王開明の妃の塚だと伝える。蜀王が好色であることから様々な物語が伝えられている。杜甫は昨年760年の夏にも『石犀行』、『石筍行』、『杜鵑行』という蜀の故事をもとに詩を作っている。この詩はその続編というところである。成都の街に出てこの場所に来て作った。《巻14-363春日江村,五首之三》「經心石鏡月,到面雪山風。」(心に經る 石鏡の月,面に到る 雪山の風。成都の北角に武担にある石鏡の要におおきな満月を眺めた日も過ぎた詩、雪嶺山脈から吹き下ろす冷たい風に顔面が切れそうであったこともある。

杜甫《巻14-363春日江村,五首之三》

種竹交加翠,栽桃爛熳紅。

經心石鏡月,到面雪山風。

赤管隨王命,銀章付老翁。

豈知牙齒落,名玷薦賢中。

765年永泰元年54-17 《春日江村,五首之三》 杜甫index-15 杜甫<817 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4820 杜甫詩1500-817-1135/2500

杜甫《巻10-12石鏡》

蜀王將此鏡,送死置空山。
冥寞憐香骨,提攜近玉顏。
眾妃無複歡,千騎亦虛還。
獨有傷心石,埋輪月宇間。

石鏡 杜甫 <431  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2100 杜甫詩1000-431-614/1500

贈王二十四侍御契四十韻#8~#10

#8

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。

送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。

區區甘累趼,稍稍息勞筋。』

廣徳2764-98-#8 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4470 杜甫詩1500-770-#8-1065/2500

 

得心自虛妙,外物空靡。

心は自然に虚妙の霊域に至り、外物は、すべて頽壊靡散して、少しも累を人に及ぼすことはない。

37 虛妙 虚:物理的実体のない純粋に情報的な存在であり、1.中身がない。からっぽ。からにする。2.実が伴わない。妙:① 不思議なほどにすぐれているさま。霊妙なさま。② 上手であるさま。巧みであるさま。

38  靡散すること。

楊貴妃清華池002 

身世如兩忘,從君老煙水。

かくの如くして、この身も、この世も、両つながら忘れ、唯だ心霊のみが依存して、宇宙と契合する様に、吾も修業が積んだならば、その折こそ、君に従って、煙水の間に老いて、いつまでも其處に住んで居たいと思うのである。

39 老煙水 煙水の間に老いるという意。煙ははかなく消えゆき、水も東海に流れ去る。光陰矢の如し。劉長卿《尋盛禪師蘭若》「秋草黄花覆古阡,隔林何處起人煙。山僧獨在山中老,唯有寒松見少年。」(盛禪師の蘭若を 尋ぬ秋草黄花古阡を覆ひ,林を隔何處にか人煙起こる。山僧獨り山中に 老いる在りて,唯寒松の少年を見る有り。

 

 


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743年(74)李太白集605巻十八12金門答蘇秀才  393-#4Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(74) Ⅰ李白詩1753 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7305

李白  金門答蘇秀才 #4

願狎東海鷗,共營西山藥。棲巖君寂滅,處世余龍蠖。

良辰不同賞,永日應閒居。鳥吟簷間樹,花落窗下書。
吾が願うことは、無心にして東海の鴎をらし、君と共に西山の薬を採ろうと思うものである。君が巌谷に棲んで寂滅の域に達しでいるにも拘わらず、吾は猶お塵世に在って、或は龍の如く伸び、或は尺蠖の如く屈して、一進一退、兎角、思い通らに成らない。であれば、折角の吉日に遇うも、同じく賞することを得ず、永日を消すためには、物外に於て閒居するのが第一である。試みに君の幽棲の有様を想像すると、鳥は簷間に翳せる樹の上に歌い、花は窓下に廣げたる古書の上に落ちるのである。

李太白集

卷十八12#4

金門答蘇秀才

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7305 

Index-23

-2

743年天寶二年43歳 

94-74)#4

393 <1000>#4

 

 

 
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年:天寶二年43歳 94-74) #4

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    金門答蘇秀才

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣      

交遊人物/地點:蘇秀才      書信往來(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

 

金門答蘇秀才#1

(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)

君還石門日,朱火始改木。

君が以前に隠遁していた石門に還える日、火を取る燧の木を改めるくらいの時間であった。

春草如有情,山中尚含綠。

つまり、時候が換ったが、春草は依然として、情あるが如く、山中においては、なお緑の色を含み、ここだけは、永久に時節が換わらないようである。

折芳愧遙憶,永路當日勗。

そした中、君はわざわざ花を折って、はるかにたがいに憶い合わねば愧じという意を致され、人生の長路を行くには、常日頃、随分勉めて仕事をしなければならないといって、懇懇と我を諭された。

遠見故人心,平生以此足。

それにつけても、二人離れていれば、故人の誠意を見るだけであり、平生これを以て自ら足れりとしているのである。

(金門 蘇秀才に答う)#1

君 石門に還えるの日,朱火 始めて木を改む。

春草 有情あるが如し,山中 尚お綠を含む。

芳を折って遙憶を愧じ,永路 當に日びに勗むべし。

遠く故人の心を見る,平生 此れを以て足る。

#2

巨海納百川,麟閣多才賢。

東海の巨海が全土の百川を納るると同じく、麟閣に於ては、ひろく才賢を集めて、まことに、濟濟たる多士である。

獻書入金闕,酌醴奉瓊筵。

その時、君は、上書せんとして金闕に入り、やがて、天子が羣臣を瓊筵で宴せられる其席に列って、甘ざけを頂戴されたのである。

屢忝白雲唱,恭聞黃竹篇。

そして、妃嬪たちは、西王母が穆王のために詠ったように白雲の歌を唱へ、又天子が作られた《霓裳羽衣曲》は穆王が黄竹の篇を歌われる多様に素晴らしい歌を拝聴した。

恩光照拙薄,雲漢希騰遷。

かくて、目出たく試験に及第して進士と成り、この才拙く命薄き身にも恩光を被り、はては、青雲の上に登って、天河の邊にも行きたいと思うところである。

#2

巨海 百川を納【い】れ,麟閣 才賢多し。

書を獻じて金闕に入れ,醴を酌んで 瓊筵に奉ず。

屢しば 白雲の唱を忝うし,恭【うやうや】しく 黃竹篇を聞く。

恩光 拙薄を照らし,雲漢 騰遷を希【こいねが】う。
#3

銘鼎倘云遂,扁舟方渺然。

鼎に銘じて、神に捧げ、祖先の美を称揚して、これを後世に伝えてゆくのは、その極であり、功なって身退く時は、扁舟を浮べ、渺然として、この世を去りたいと常に心に念じていたのである。

我留在金門,君去臥丹壑。

しかし、事、志と違い、そうは行かぬところから、吾は猶は金馬門に待詔として留まって居るに拘はらず、君は長安を去って、丹壑の幽境に高臥し、

未果三山期,遙欣一丘樂。

三山に藥を採るという佳き時期は、いまだに果してはいないけれども、一丘の楽については、ひとりで占断してよろこんでいたのである。

玄珠寄象罔,赤水非寥廓。

そこで“うすぼんやりものの象罔”が赤水のほとりに於て玄珠を拾ひ上げたと同じく、ことほとさようにこれが高遠なものではないということ、この人の世に於でも、見事に宇宙の大道を体得することができたのである。

#3

鼎に銘して 倘し遂げたりと云わば,扁舟 方に渺然たり。

我 留りて 金門に在り,君 去りて 丹壑に臥す。

未だ三山の期を果さず,遙に 一丘の樂みを欣ぶ。

玄珠 象罔に寄せ,赤水 寥廓に非らず。

#4

願狎東海鷗,共營西山藥。

吾が願うことは、無心にして東海の鴎をらし、君と共に西山の薬を採ろうと思うものである。

棲巖君寂滅,處世余龍蠖。

君が巌谷に棲んで寂滅の域に達しでいるにも拘わらず、吾は猶お塵世に在って、或は龍の如く伸び、或は尺蠖の如く屈して、一進一退、兎角、思い通らに成らない。

良辰不同賞,永日應閒居。

であれば、折角の吉日に遇うも、同じく賞することを得ず、永日を消すためには、物外に於て閒居するのが第一である。

鳥吟簷間樹,花落窗下書。

試みに君の幽棲の有様を想像すると、鳥は簷間に翳せる樹の上に歌い、花は窓下に廣げたる古書の上に落ちるのである。

#4

願わくば東海の鷗に狎れ,共に西山の藥を營まむ。

巖に棲みて 君は寂滅【せきめつ】,世に處して 余は龍蠖【りょうわく】。

良辰 同じく賞せず,永日 應に閒居すべし。

鳥は吟ず 簷間の樹,花は落つ 窗下の書。
#5

緣溪見綠篠,隔岫窺紅蕖。

採薇行笑歌,眷我情何已。

月出石鏡間,松鳴風琴裡。

得心自虛妙,外物空靡。

身世如兩忘,從君老煙水。

 

簷間樹

『金門答蘇秀才』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

願狎東海鷗,共營西山藥。

棲巖君寂滅,處世余龍蠖。

良辰不同賞,永日應閒居。

鳥吟簷間樹,花落窗下書。

(下し文)
#4

願わくば東海の鷗に狎れ,共に西山の藥を營まむ。

巖に棲みて 君は寂滅【せきめつ】,世に處して 余は龍蠖【りょうわく】。

良辰 同じく賞せず,永日 應に閒居すべし。

鳥は吟ず 簷間の樹,花は落つ 窗下の書。

(現代語訳)
#4

吾が願うことは、無心にして東海の鴎をらし、君と共に西山の薬を採ろうと思うものである。

君が巌谷に棲んで寂滅の域に達しでいるにも拘わらず、吾は猶お塵世に在って、或は龍の如く伸び、或は尺蠖の如く屈して、一進一退、兎角、思い通らに成らない。

であれば、折角の吉日に遇うも、同じく賞することを得ず、永日を消すためには、物外に於て閒居するのが第一である。

試みに君の幽棲の有様を想像すると、鳥は簷間に翳せる樹の上に歌い、花は窓下に廣げたる古書の上に落ちるのである。


(訳注) #4

金門答蘇秀才4

(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)743天寶二年43歳に 94首あり、この詩はその年の74首目になる。

 

願狎東海鷗,共營西山藥。

吾が願うことは、無心にして東海の鴎をらし、君と共に西山の薬を採ろうと思うものである。

24 東海鷗 《列子.黃帝篇》:「海上之人有好漚鳥者,每旦之海上,從漚鳥游,漚鳥之至者百住而不止。」(海上の人漚鳥を好む者有り,每旦 海上に之き,漚鳥に從って游ぶ,漚鳥の至る者 百住して止まらず。)“無心にカモメと遊んでいた人が、カモメを捕えてやろうという邪心を持ったとたんに、カモメは素早くそれを見破って、彼に近づかなくなった”というもの。

25 西山藥 仙藥のことを“西山藥”という。魏の文帝、曹丕 《折楊柳行》「西山一何高,高高殊無極,上有兩仙童,不飲亦不食。與我一丸藥,光耀有五色。」(西山一に何ぞ高し,高高して殊に極る無し,上に兩仙童有り,飲まず亦た食わず。我に一丸藥を與う,光耀 五色有り。)ということに基づく。

曹丕 《折楊柳行》

西山一何高,高高殊無極,

上有兩仙童,不飲亦不食。

與我一丸藥,光耀有五色。

服藥四五日,身體生羽翼。

輕舉乘浮雲,倏忽行萬億。

流覽觀四海,茫茫非所識。

彭祖稱七百,悠悠安可原?

老聃適西戎,於今竟不還。

王喬假虛辭,赤松垂空言。

達人識真偽,愚夫好妄傳。

追念往古事,憒憒千萬端。

百家多迂怪。聖道我所觀。

 

棲巖君寂滅,處世余龍蠖。

君が巌谷に棲んで寂滅の域に達しでいるにも拘わらず、吾は猶お塵世に在って、或は龍の如く伸び、或は尺蠖の如く屈して、一進一退、兎角、思い通らに成らない。

26 寂滅 1. 煩悩 (ぼんのう) の境地を離れ、悟りの境地に入ること。涅槃。2 消滅すること。死ぬこと。

27 蠖 尺蠖、しゃくとりむし。

 

良辰不同賞,永日應閒居。

であれば、折角の吉日に遇うも、同じく賞することを得ず、永日を消すためには、物外に於て閒居するのが第一である。

28 良辰 よい日。吉日。吉辰。 良晨 

29 閒居 人目に立たず一人でいること。

 

鳥吟簷間樹,花落窗下書。

試みに君の幽棲の有様を想像すると、鳥は簷間に翳せる樹の上に歌い、花は窓下に廣げたる古書の上に落ちるのである。


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李白  金門答蘇秀才 #3

銘鼎倘云遂,扁舟方渺然。我留在金門,君去臥丹壑。

未果三山期,遙欣一丘樂。玄珠寄象罔,赤水非寥廓。
鼎に銘じて、神に捧げ、祖先の美を称揚して、これを後世に伝えてゆくのは、その極であり、功なって身退く時は、扁舟を浮べ、渺然として、この世を去りたいと常に心に念じていたのである。しかし、事、志と違い、そうは行かぬところから、吾は猶は金馬門に待詔として留まって居るに拘はらず、君は長安を去って、丹壑の幽境に高臥し、三山に藥を採るという佳き時期は、いまだに果してはいないけれども、一丘の楽については、ひとりで占断してよろこんでいたのである。そこで“うすぼんやりものの象罔”が赤水のほとりに於て玄珠を拾ひ上げたと同じく、ことほとさようにこれが高遠なものではないということ、この人の世に於でも、見事に宇宙の大道を体得することができたのである。

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年:天寶二年43歳 94-74) #3

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    金門答蘇秀才

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣      

交遊人物/地點:蘇秀才      書信往來(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

 

金門答蘇秀才#1

(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)

君還石門日,朱火始改木。

君が以前に隠遁していた石門に還える日、火を取る燧の木を改めるくらいの時間であった。

春草如有情,山中尚含綠。

つまり、時候が換ったが、春草は依然として、情あるが如く、山中においては、なお緑の色を含み、ここだけは、永久に時節が換わらないようである。

折芳愧遙憶,永路當日勗。

そした中、君はわざわざ花を折って、はるかにたがいに憶い合わねば愧じという意を致され、人生の長路を行くには、常日頃、随分勉めて仕事をしなければならないといって、懇懇と我を諭された。

遠見故人心,平生以此足。

それにつけても、二人離れていれば、故人の誠意を見るだけであり、平生これを以て自ら足れりとしているのである。

(金門 蘇秀才に答う)#1

君 石門に還えるの日,朱火 始めて木を改む。

春草 有情あるが如し,山中 尚お綠を含む。

芳を折って遙憶を愧じ,永路 當に日びに勗むべし。

遠く故人の心を見る,平生 此れを以て足る。

#2

巨海納百川,麟閣多才賢。

東海の巨海が全土の百川を納るると同じく、麟閣に於ては、ひろく才賢を集めて、まことに、濟濟たる多士である。

獻書入金闕,酌醴奉瓊筵。

その時、君は、上書せんとして金闕に入り、やがて、天子が羣臣を瓊筵で宴せられる其席に列って、甘ざけを頂戴されたのである。

屢忝白雲唱,恭聞黃竹篇。

そして、妃嬪たちは、西王母が穆王のために詠ったように白雲の歌を唱へ、又天子が作られた《霓裳羽衣曲》は穆王が黄竹の篇を歌われる多様に素晴らしい歌を拝聴した。

恩光照拙薄,雲漢希騰遷。

かくて、目出たく試験に及第して進士と成り、この才拙く命薄き身にも恩光を被り、はては、青雲の上に登って、天河の邊にも行きたいと思うところである。

#2

巨海 百川を納【い】れ,麟閣 才賢多し。

書を獻じて金闕に入れ,醴を酌んで 瓊筵に奉ず。

屢しば 白雲の唱を忝うし,恭【うやうや】しく 黃竹篇を聞く。

恩光 拙薄を照らし,雲漢 騰遷を希【こいねが】う。
#3

銘鼎倘云遂,扁舟方渺然。

鼎に銘じて、神に捧げ、祖先の美を称揚して、これを後世に伝えてゆくのは、その極であり、功なって身退く時は、扁舟を浮べ、渺然として、この世を去りたいと常に心に念じていたのである。

我留在金門,君去臥丹壑。

しかし、事、志と違い、そうは行かぬところから、吾は猶は金馬門に待詔として留まって居るに拘はらず、君は長安を去って、丹壑の幽境に高臥し、

未果三山期,遙欣一丘樂。

三山に藥を採るという佳き時期は、いまだに果してはいないけれども、一丘の楽については、ひとりで占断してよろこんでいたのである。

玄珠寄象罔,赤水非寥廓。

そこで“うすぼんやりものの象罔”が赤水のほとりに於て玄珠を拾ひ上げたと同じく、ことほとさようにこれが高遠なものではないということ、この人の世に於でも、見事に宇宙の大道を体得することができたのである。

#3

鼎に銘して 倘し遂げたりと云わば,扁舟 方に渺然たり。

我 留りて 金門に在り,君 去りて 丹壑に臥す。

未だ三山の期を果さず,遙に 一丘の樂みを欣ぶ。

玄珠 象罔に寄せ,赤水 寥廓に非らず。
#4

願狎東海鷗,共營西山藥。

棲巖君寂滅,處世余龍蠖。

良辰不同賞,永日應閒居。

鳥吟簷間樹,花落窗下書。

#5

緣溪見綠篠,隔岫窺紅蕖。

採薇行笑歌,眷我情何已。

月出石鏡間,松鳴風琴裡。

得心自虛妙,外物空靡。

身世如兩忘,從君老煙水。

 

李白の足跡0000 

『金門答蘇秀才』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

銘鼎倘云遂,扁舟方渺然。

我留在金門,君去臥丹壑。

未果三山期,遙欣一丘樂。

玄珠寄象罔,赤水非寥廓。

(下し文)
#3

鼎に銘して 倘し遂げたりと云わば,扁舟 方に渺然たり。

我 留りて 金門に在り,君 去りて 丹壑に臥す。

未だ三山の期を果さず,遙に 一丘の樂みを欣ぶ。

玄珠 象罔に寄せ,赤水 寥廓に非らず。


(現代語訳)
#3

鼎に銘じて、神に捧げ、祖先の美を称揚して、これを後世に伝えてゆくのは、その極であり、功なって身退く時は、扁舟を浮べ、渺然として、この世を去りたいと常に心に念じていたのである。

しかし、事、志と違い、そうは行かぬところから、吾は猶は金馬門に待詔として留まって居るに拘はらず、君は長安を去って、丹壑の幽境に高臥し、

三山に藥を採るという佳き時期は、いまだに果してはいないけれども、一丘の楽については、ひとりで占断してよろこんでいたのである。

そこで“うすぼんやりものの象罔”が赤水のほとりに於て玄珠を拾ひ上げたと同じく、ことほとさようにこれが高遠なものではないということ、この人の世に於でも、見事に宇宙の大道を体得することができたのである。


(訳注) #3

金門答蘇秀才2

(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)743天寶二年43歳に 94首あり、この詩はその年の74首目になる。

 

銘鼎倘云遂,扁舟方渺然。

鼎に銘じて、神に捧げ、祖先の美を称揚して、これを後世に伝えてゆくのは、その極であり、功なって身退く時は、扁舟を浮べ、渺然として、この世を去りたいと常に心に念じていたのである。

16 銘鼎 《文選史岑、出師頌》「澤霑遐荒, 功銘鼎鉉。」とあり、 李善の注に《禮記》を引いて「夫鼎者有銘, 銘者, 論譔其先祖之德美功烈勳勞而酌之祭器,自成其名焉,以祀其先祖者也。」(夫れ鼎者に銘有り, 銘者は,譔を論じ其の先祖の德美、功烈、勳勞をして之の祭器を酌し, 自ら其の名を成さんや,以て其の先祖者を祀るなり。)とあるに基づく。・鼎:煮食器。肉類を煮るためのもので、鍋形の身に三足を有し、上部には一対の持ち手を有する。蓋を有するものもある。脚は太くがっしりしたもの、獣脚を象ったものなどさまざまである。新石器時代の陶器に祖形がみられ、青銅器としては殷前期から戦国時代まで製作された。煤が付着し、実際に煮炊きに使われたことのわかる個体がある一方で、火にかけた跡がなく、純粋に儀式用のものもある[32]。古代中国の青銅器のなかでもっとも重視されたもので、単なる鍋ではなく、権威の象徴とされた。西周時代には身分に応じて所持できる鼎の数が決められており、同形・同文様で大きさの異なる鼎をセットで揃える「列鼎」が作られた[33]。周王室に伝わった「禹の九鼎」は特に有名であった。「鼎の軽重を問う」という故事もここに由来する。

・方鼎:煮食器。殷前期から西周後期まで製作された。牛、羊等の犠牲獣を神に捧げるための器で、もっぱら宗廟で用いられた。上記のような用途から巨大なものが多い。

17 扁舟 小さな舟。小舟。李白《》「何如鴟夷子、散發棹扁舟。」何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。18-#4 《古風五十九首之十八》Index-32-7 753年天寶十二年53582古風,五十九首之十八天津三月時, <18-#4> Ⅰ李白詩1171 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4403

李伯《自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁》「辭山不忍聽,揮策還孤舟。」(山を辭して 聽くに忍びず,策を揮って 孤舟に還る。 

18 渺然 広々として果てしのないさま。遥かに限りないさま。

 

我留在金門,君去臥丹壑。

しかし、事、志と違い、そうは行かぬところから、吾は猶は金馬門に待詔として留まって居るに拘はらず、君は長安を去って、丹壑の幽境に高臥し、

丹壑 石門の舊居ということで、隠遁するであろう所縁のある所を邈然というもの。

 

未果三山期,遙欣一丘樂。

三山に藥を採るという佳き時期は、いまだに果してはいないけれども、一丘の楽については、ひとりで占断してよろこんでいたのである。

19 三山期 東海の神仙三山、蓬莱、瀛州、方丈を言い、其処に往きつく佳き時期の事。

20 遙欣一丘樂 《漢書·敘傳上》「漁釣於一壑,則萬物不奸其志;棲遲於一丘,則天下不易其樂。」(一壑に於いて漁釣すれば,則ち萬物 其の志を奸さず;一丘に於いて棲遲すれば,則ち天下 其の樂を易えず。)とあるに基づく。

 

玄珠寄象罔,赤水非寥廓。

そこで“うすぼんやりものの象罔”が赤水のほとりに於て玄珠を拾ひ上げたと同じく、ことほとさようにこれが高遠なものではないということ、この人の世に於でも、見事に宇宙の大道を体得することができたのである。

21 玄珠・象罔 玄珠と呼ばれる価値のある石「玄珠石」ここでは、価値のある生き方の事。玄珠石のような道、ということ。うすぼんやりものの象罔ということ。《莊子·外篇・天地》「黃帝遊乎赤水之北,登乎崑崙之丘而南望,還歸,遺其玄珠,使知索之而不得,使離朱索之而不得,使喫詬索之而不得也。乃使象罔,象罔得之。」(黃帝 赤水の北に遊び,崑崙の丘に登り而して南望す,還た歸り,其の玄珠を遺す,使ち之を索めて得ざるを知り,使ち朱 之をめ離れて得ず,使ち 詬 之を索めて得ざるを喫るなり。乃ち象罔を使す,象罔 之を得たり。)“黄帝が赤水の北方に遊び、崑崙の丘に登って南方を望み見てから帰ってきたが、その玄珠を忘れたことに気がついた。もの知りの知をやって探させたが探しだせず、目のよくきく離朱をやって探させたが探しだせず、弁のたつ喫逅(かいこう)をやって探させたが探しだせなかった。そこで、うすぼんやりものの象罔をやったところ、象罔は玄珠を見つけてきた。”とあるに基づく。

22 赤水 赤水河。長江の右岸の支流、雲南省の北東端、昭通市鎮雄県安家壩の源流から東に向かい、貴州省と四川省を経て、四川省瀘州市合江県で長江に流入する。全長は436.5km、流域面積は20,440平方km。赤水河という名は、夏になると泥で赤茶色に濁ることから付けられている。

23 寥廓 空虚に広いさま。広々として大きいさま。高遠なもの。文選·曹植·贈白馬王彪七首其二詩:「太谷何寥廓,山樹鬱蒼蒼。」

 

曹植《贈白馬王彪 七首其二》

大谷何寥廓,山樹郁蒼蒼。霖雨泥我途,流潦浩從橫。

中逵無軌,改轍登高崗。修阪造雲日,我馬玄以黃。

この大谷関所のあたりは、何んとも空虚なものである。鬱蒼と生いしげる山の樹木が、どこまでもつづいている。

秋の長雨がふりつづく、私の旅の道は泥まみれですすむのがはかどらせない。道のたまり水がずうっとむこうまで地面をおおっている。

暫く行くと辻にきていた、そこには、前に通ったわだちのあとなど全く見当らない。やっと見つけた轍のほうに道をかえて高い山の背に登って行くのである。

長くけわしい山坂は、雲に、太陽にとどかんばかりなのだ。私の馬は黄色になっている。馬も私も疲れはててしまった。

太谷何んぞ寥廓【りょうかく】たる、山樹【さんじゅ】鬱として蒼蒼たり。
霖雨【りんう】我が途を泥【とど】こおらせ、流潦【りゅうりょう】浩として縦横たり。
中逵【ちゅうき】絶えて軌【あと】無く、轍【てつ】を改めて高岡【こうこう】に登る。
修阪【しゅうばん】雲日に造【いた】り、我が馬 玄【げん】以って黄す。

泰山002 

 

 

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李白  金門答蘇秀才#2

巨海納百川,麟閣多才賢。獻書入金闕,酌醴奉瓊筵。

屢忝白雲唱,恭聞黃竹篇。恩光照拙薄,雲漢希騰遷。

東海の巨海が全土の百川を納るると同じく、麟閣に於ては、ひろく才賢を集めて、まことに、濟濟たる多士である。その時、君は、上書せんとして金闕に入り、やがて、天子が羣臣を瓊筵で宴せられる其席に列って、甘ざけを頂戴されたのである。そして、妃嬪たちは、西王母が穆王のために詠ったように白雲の歌を唱へ、又天子が作られた《霓裳羽衣曲》は穆王が黄竹の篇を歌われる多様に素晴らしい歌を拝聴した。かくて、目出たく試験に及第して進士と成り、この才拙く命薄き身にも恩光を被り、はては、青雲の上に登って、天河の邊にも行きたいと思うところである。

李太白集

卷十八12#2

金門答蘇秀才

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7295 

Index-23

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743年天寶二年43歳 

94-74)#2

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年:天寶二年43歳 94-74) #2

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    金門答蘇秀才

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣      

交遊人物/地點:蘇秀才      書信往來(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

 

金門答蘇秀才#1

(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)

君還石門日,朱火始改木。

君が以前に隠遁していた石門に還える日、火を取る燧の木を改めるくらいの時間であった。

春草如有情,山中尚含綠。

つまり、時候が換ったが、春草は依然として、情あるが如く、山中においては、なお緑の色を含み、ここだけは、永久に時節が換わらないようである。

折芳愧遙憶,永路當日勗。

そした中、君はわざわざ花を折って、はるかにたがいに憶い合わねば愧じという意を致され、人生の長路を行くには、常日頃、随分勉めて仕事をしなければならないといって、懇懇と我を諭された。

遠見故人心,平生以此足。

それにつけても、二人離れていれば、故人の誠意を見るだけであり、平生これを以て自ら足れりとしているのである。

(金門 蘇秀才に答う)#1

君 石門に還えるの日,朱火 始めて木を改む。

春草 有情あるが如し,山中 尚お綠を含む。

芳を折って遙憶を愧じ,永路 當に日びに勗むべし。

遠く故人の心を見る,平生 此れを以て足る。
#2

巨海納百川,麟閣多才賢。

東海の巨海が全土の百川を納るると同じく、麟閣に於ては、ひろく才賢を集めて、まことに、濟濟たる多士である。

獻書入金闕,酌醴奉瓊筵。

その時、君は、上書せんとして金闕に入り、やがて、天子が羣臣を瓊筵で宴せられる其席に列って、甘ざけを頂戴されたのである。

屢忝白雲唱,恭聞黃竹篇。

そして、妃嬪たちは、西王母が穆王のために詠ったように白雲の歌を唱へ、又天子が作られた《霓裳羽衣曲》は穆王が黄竹の篇を歌われる多様に素晴らしい歌を拝聴した。

恩光照拙薄,雲漢希騰遷。

かくて、目出たく試験に及第して進士と成り、この才拙く命薄き身にも恩光を被り、はては、青雲の上に登って、天河の邊にも行きたいと思うところである。

#2

巨海 百川を納【い】れ,麟閣 才賢多し。

書を獻じて金闕に入れ,醴を酌んで 瓊筵に奉ず。

屢しば 白雲の唱を忝うし,恭【うやうや】しく 黃竹篇を聞く。

恩光 拙薄を照らし,雲漢 騰遷を希【こいねが】う。
#3

銘鼎倘云遂,扁舟方渺然。

我留在金門,君去臥丹壑。

未果三山期,遙欣一丘樂。

玄珠寄象罔,赤水非寥廓。

#4

願狎東海鷗,共營西山藥。

棲巖君寂滅,處世余龍蠖。

良辰不同賞,永日應閒居。

鳥吟簷間樹,花落窗下書。

#5

緣溪見綠篠,隔岫窺紅蕖。

採薇行笑歌,眷我情何已。

月出石鏡間,松鳴風琴裡。

得心自虛妙,外物空靡。

身世如兩忘,從君老煙水。

 

大明宮の圖003 

『金門答蘇秀才』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

巨海納百川,麟閣多才賢。

獻書入金闕,酌醴奉瓊筵。

屢忝白雲唱,恭聞黃竹篇。

恩光照拙薄,雲漢希騰遷。

(下し文)
#2

巨海 百川を納【い】れ,麟閣 才賢多し。

書を獻じて金闕に入れ,醴を酌んで 瓊筵に奉ず。

屢しば 白雲の唱を忝うし,恭【うやうや】しく 黃竹篇を聞く。

恩光 拙薄を照らし,雲漢 騰遷を希【こいねが】う。

(現代語訳)
#2

東海の巨海が全土の百川を納るると同じく、麟閣に於ては、ひろく才賢を集めて、まことに、濟濟たる多士である。

その時、君は、上書せんとして金闕に入り、やがて、天子が羣臣を瓊筵で宴せられる其席に列って、甘ざけを頂戴されたのである。

そして、妃嬪たちは、西王母が穆王のために詠ったように白雲の歌を唱へ、又天子が作られた《霓裳羽衣曲》は穆王が黄竹の篇を歌われる多様に素晴らしい歌を拝聴した。

かくて、目出たく試験に及第して進士と成り、この才拙く命薄き身にも恩光を被り、はては、青雲の上に登って、天河の邊にも行きたいと思うところである。


(訳注) #2

金門答蘇秀才2

(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)743天寶二年43歳に 94首あり、この詩はその年の74首目になる。

霓裳羽衣舞002 

巨海納百川,麟閣多才賢。

東海の巨海が全土の百川を納るると同じく、麟閣に於ては、ひろく才賢を集めて、まことに、濟濟たる多士である。

8 麟閣多才賢 麒麟閣の略。別に畫麟閣.雲嫖姚というもとは漢の高祖の時、蒲何が建てて、図書を蔵していたが、のち漢の宜帝は功臣を紀念して表彰するため、霍光等十一人の像を閣上に画かした。宣帝は戎狄が定まって皆、賓服 し、股肱の臣の美を思い、功臣を人に図画させて麒麟閣に絵諸させた。 麒麟閣は未央宮にある。麒麟閣には十一臣が描かれた。 容貌に官爵、姓名を記した。麒麟閣十一臣は以下の通り。・大司馬大将軍博陸侯 姓霍氏、・衛将軍富平侯 張安世、・車騎将軍龍額侯 韓増、・後将軍営平侯 趙充国、・丞相高平侯 魏相、・丞相博陽侯 邴吉、・御史大夫建平侯 杜延年、・ 宗正陽城侯 劉徳、・少府 梁邱賀、・太子太傅 蕭望之、・典属国 蘇武

李白 《塞下曲,六首之三》「駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。彎弓辭漢月,插羽破天驕。陣解星芒盡,營空海霧消。功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。」

唐の玄宗皇帝の故事に由来する。 玄宗皇帝は音楽や舞踏の愛好家で、自ら舞楽を教えていた。 その場所に梨が多く植えられていたことから、音楽や舞踏を学ぶ者を「梨園の弟子」といい、転じて、その世界をさすようになった。

 

獻書入金闕,酌醴奉瓊筵。

その時、君は、上書せんとして金闕に入り、やがて、天子が羣臣を瓊筵で宴せられる其席に列って、甘ざけを頂戴されたのである。

9 獻書 燕は当時桁外れの力を有していた斉とは国力でも軍事力でも比べ物にならなかった。しかしそれでもなお恨みを晴らしたいと言う昭王の意向に対し、楽毅は他国と連合して斉に当たるべしと説いた“奉上書札;上書。 多指向有地位者陳述意見。獻書 樂毅 《報燕惠書》”をいう。あるいは、詩文を献上すること。

10 金闕 漢の未央宮(びおうきゅう)にあった金馬門の異称。「禁闕(きんけつ)」に同じ。

11 酌醴 天子から賜る甘酒。

12 奉瓊筵 興慶宮勤政楼の前庭につくられた野外舞台の宴席。

 

屢忝白雲唱,恭聞黃竹篇。

そして、妃嬪たちは、西王母が穆王のために詠ったように白雲の歌を唱へ、又天子が作られた《霓裳羽衣曲》は穆王が黄竹の篇を歌われる多様に素晴らしい歌を拝聴した。

13 白雲唱 興慶宮勤政楼に永新の歌声を、西王母の穆王との故事に倣ってたとえたもの。永信は美貌と聡い性質を持ち、歌に長じ、作曲を行い、韓娥・李延年の千年来の再来と称せられた。玄宗から寵愛を受け、演奏中もその歌声は枯れることがなく、玄宗から「その歌声は千金の価値がある」と評せられる。玄宗が勤政楼から顔を出した時、群衆が騒ぎだしたので、高力士の推薦で永新に歌わせたところ、皆、静まりかえったという説話が伝わっている。天子觴西王母於瑤池之上,西王母為天子謠曰:『白雲在天,山陵自出,道里悠遠,山川間之,將子無死,尚能復來。』《穆天子傳、卷三》

14 黃竹篇 玄宗が夢のなかで天上の月宮に遊び、仙女が舞っていた調べをもとに作った《霓裳羽衣曲》を、穆王の《黃竹篇》になぞらえていう。穆王が大寒の時、凍える中詩を三首詠んだところ、それを上手に歌にして寒さをしのいで楽しく過ごせたことから、玄宗の妃賓、念奴のことを例えたのであろう。念奴は、『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。玄宗の近くを離れたことがなく、いつも周りの人々を見つめていて、玄宗に「この女は妖麗で、眼で人を魅了する」と評された。その歌声は、あらゆる楽器の音よりもよく響き渡ったと伝えられる。唐代詩人の元稹の「連昌宮詞」に、玄宗時代の盛時をあらわす表現として、玄宗に命じられた高力士が、彼女を呼び、その歌声を披露する場面がある。清代の戯曲『長生殿』にも、永新とともに、楊貴妃に仕える侍女として登場する。《穆天子傳》卷五「日中大寒,北風雨雪,有凍人,天子作詩三章以哀民曰:「我徂黃竹,○員閟寒,帝收九行。嗟我公侯,百辟冢卿,皇我萬民,旦夕勿忘。」・・・天子曰:余一人淫、不皇万民口登,方宿于黄竹。

『霓裳羽衣舞』は唐代舞踊を代表する演目で、「霓裳」とは虹のように美しいもすそ(スカート)、「羽衣」は鳥の羽のように軽い衣のこと。唐の玄宗皇帝が夢のなかで天上の月宮に遊び、仙女が舞っていた調べをもとに作った。

 

恩光照拙薄,雲漢希騰遷。

かくて、目出たく試験に及第して進士と成り、この才拙く命薄き身にも恩光を被り、はては、青雲の上に登って、天河の邊にも行きたいと思うところである。

15 雲漢 河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。

天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

秦州抒情詩(8)  初月 杜甫 <293> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 - 413

 

 

 

 

金門答蘇秀才》 【字解】

 

1 金門 漢代の未央宮にあった門で、金門・金閨門の名であり、文学の士(学問をもって天子に仕える人)がここから出仕した。本来この門は、「魯般門」という名であるが、門の外に銅製の馬があることからこうよばれた。揚雄 解嘲 「與羣賢同行,歷金門,上玉堂」(羣賢と同行し,金門を歷,玉堂に上る)とある。唐における金門は、右銀臺門をいい、宣政殿の北には紫宸門があり、その内側には紫宸殿がある。紫宸殿の南にある紫寢門の左側には崇明門があり、右側には光順門がある。紫宸殿の東の方角には左銀台門があり、西の方角には右銀台門がある。この門の北沿いに九仙門がある。唐時代では、右銀台門より学士がことから金馬門といい、翰林學士院に出仕するものの代名詞とされた。銀臺 雍録載するところの大典大明宮の圖に「紫宸殿側に右銀臺門、左銀臺門あり」と記してある。學士は院門を出でてより、右銀臺門に至るまで、皆歩行して直に至り、すでに宮城の銀臺門外に出でて、それから馬に乗ることに成って居る。唐.李肇の《翰林志》:「今在右銀臺門之北,第一門向牓曰翰林之門,其制高大重複,號為胡門,入門直西為學士院,即開元十六年所置也。」(今右銀臺門の北にり,第一門牓に向う翰林の門を曰う,其れ高大重複を制し,胡門を為すを號し,門に入り直西は學士院を為し,即ち開元十六年(728)に所置されるなり。)唐.李白.相逢行:「朝騎五花馬,謁帝出銀臺。」(朝に五花の馬に騎し,帝に謁して 銀臺を出ず。)朝に五花の文ある名馬に跨って参内し、天子に拝謁したる後、銀臺門を出でて歸途に就いた人がある。

2 答蘇 蘇が誰であるか、天寶中(742756)の進士とした蘇源明であればこの時期、科挙試験の地方推薦の秀才であったのでる。

3 秀才 秀才(しゅうさい)は、中国の科挙(官吏登用試験)の科目の一つである。郷挙里選で秀才が設けられたのは、漢代のことである。後漢の時期は、光武帝の諱を避けて「茂才」と呼ばれた。初唐の科挙では、明経・進士・明法などの科目の中で、科挙の筆頭科に位置づけられていた。一時中断されたが714年以降復活し、この詩の段階では、存在している。

4 石門 石門の舊居ということで、隠遁するであろう所縁のある所を邈然というものである。石門舊居と 《太平府志》「横望山在當塗 東六十里、春秋楚子重伐呉至於横山、卽此山也。實為金陵/朝對之山。真誥稱、其石形瓌竒、洞穴盤紆、陶居、嘗棲遲此地、煉丹。故有陶公讀書堂、石門、古祠、灰/井、丹爐諸遺跡。書堂今為澄心寺。石門、山水尤竒、盤道屈曲、沿道而入、峭壁二里、夾石參天、左擁右/抱、羅列拱揖、髙者抗層霄、下者入衍奥。中有玉泉、嵌空、淵淵而來、春夏霖潦奔馳、秋冬澄流一碧、縈/繞如練。觀詩中所稱、隠居山寺、陶公鍊液、石門流水之諸句、知在石門之旧居其處。」とあるに基づく。

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

高鳳石門山 石門山 (都畿道 汝州 葉縣)  高鳳石門山幽居は後漢書、高鳳傳にみえる遺跡であり、汝州 葉縣に隠遁するのでこういったのである。       

李白が石門を詠ったものは以下に示す。

286巻七53和盧侍御通塘曲

石門中斷平湖出。 百丈金潭照云日。

320巻八卷八34鄴中贈王大 (一作鄴中王大勸入高鳳石門山幽居 )

高鳳石門山幽居遺跡

421巻十二11聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

高鳳石門山幽居遺跡

42112-11聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡 仆離群遠懷亦有棲遁之志因敘舊以寄之

聞君臥石門。 宿昔契彌敦。

500卷十五3送王屋山人魏萬還王屋 并序

經永嘉。觀謝公石門。

500卷十五3送王屋山人魏萬還王屋 并序

縉云川谷難。 石門最可觀。

513卷十五16魯郡堯祠送竇明府薄華還西京 時久病初起作

長楊掃地不見日。 石門噴作金沙潭。

521卷十六24300魯郡東石門送杜二甫

何時石門路。 重有金樽開。

726巻二十一4 下途歸石門舊居 (高鳳石門山幽居遺跡)

下視白日晚。 既過石門隱。

605巻十八12金門答蘇秀才

高鳳石門山幽居遺跡

610巻十八17答從弟幼成過西園見贈

衣劍照松宇。 賓徒光石門。

660巻十九34與周剛清溪玉鏡潭宴別 潭在秋浦桃胡陂下高鳳石門山幽居遺跡

高鳳石門山幽居遺跡

726巻二十一4 下途歸石門舊居

高鳳石門山幽居遺跡

726巻二十一4 下途歸石門舊居

懸知樂客遙相待。 石門流水遍桃花。

781巻二十二26.尋高鳳石門山中元丹丘

高鳳石門山幽居遺跡

5 朱火始改木 時間経過により変わることを言う。  

張華《文選、雑詩》(雑詩三首、玉台新詠二首) 「晷度隨天運,四時互相承。東壁正昏中,涸陰寒節升。繁霜降當夕,悲風中夜興。朱火青無光,蘭膏坐自凝。」(晷度【きど】は天に隨って運り 四時は互いに相承く。東壁は正に昏に中し 固陰の寒節は升る。繁霜、当夕に降り 悲風 中夜に興る。朱火青くして光無く 蘭膏坐ろに自ら凝る。)

張茂先(張華)雜詩三首(1

晷度隨天運,四時互相承。東壁正昏中,涸陰寒節升。

繁霜降當夕,悲風中夜興。朱火青無光,蘭膏坐自凝。

重衾無暖氣,挾纊如懷冰。伏枕終遙昔,寤言莫予應。

永思慮崇替,慨然獨拊膺。

2

逍遙遊春宮,容與緣池阿。白蘋齊素葉,朱草茂丹華。

微風搖芳若,層波動芰荷。榮彩曜中林,流馨入綺羅。

王孫遊不歸,修路邈以遐。誰與翫遺芳,佇立獨咨嗟。

3

荏苒日月運,寒暑忽流易。同好逝不存,迢迢遠離析。

房櫳自來風,庭無行跡。蒹葭生床下,蛛蝥網四壁。

懷思豈不隆,感物重鬱積。遊雁比翼翔,歸鴻知接翮。

來哉彼君子,無然徒自隔。

晉.張協 文選《雜詩十首之一》「離居幾何時?鑽燧忽改木。」(離居すること幾何の時ぞ?燧を鑽るに忽ち木を改む。)とあるに基づく。

6 愧 涅槃経には、「慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。

7 勗 励ます.相勖。=努力して学ぶということで互いに励まし合う.勖其向上=向上するように励ます.

 

------ 参考 ------

蘇源明,京兆武功人。初名預,字弱夫。天寶中進士,更試集賢院,累遷太子諭德。出為東平太守,召拜國子司業。安祿山陷京師,以病不受偽署。肅宗複兩京,擢考功郎中、知制誥,終秘書少監。

(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭州の滎陽の出身。地理や地形、地方の物産、各地の兵の数について詳しかった。高官であった蘇挺と年齢を越えた交わりを結び、その推薦を受けた。天宝元年 742年、協律郎に就任し、80以上の著書を書き上げたが、その著書に国史を私撰した部分があるという上書が出されたことで、10年間地方に流された。長安に戻ってからも、玄宗からその才能を愛され、広文館の博士に任命され、国子司業の蘇源明と交流があった。山水画、書道、詩作に長じ、玄宗にそれを献上し、「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞され、著作郎に移った。

天宝14載(755年)、安史の乱が勃発すると、燕の軍に捕らえられて洛陽に移され、安禄山側の水部郎中に任命された。密かに粛宗の唐側に通じたが、至徳2載(757年)、安慶緒の洛陽逃亡の際に、張通と王維とともに、燕に降伏した罪で宣陽里に閉じこめられた。3人とも画に長じていたため、崔圓によって、壁画を描かせられ、死罪を免れ、台州の司戸参軍事に落とされた。その数年後に死去している。

官職に就いた時でも貧困のままで、紙に不足することもあった。そのため、杜甫の詩に、「才名四十年、坐客寒にして氈(敷物)無し」と詠まれている。杜甫、李白ともに詩酒の友であったと伝えられる。

その画について、王維、畢宏とともに三絶と呼ばれた。晩唐の朱景玄も『唐朝名画録』において、第七位「能品上」に評価している。

木と石の画に長けており、松石図を門下省の壁に描き、杜甫など多くの詩人に詩で称えられた。当代において、その画の名声は高く、樹木の画法に変革を行ったと伝えられる。

大歴2年(767年)、給事中となり、その後、京兆少尹に移り、太子左庶子となった。

その画は、「唐朝名画録」において、第七位「能品上」に評価されている。

秀才(しゅうさい)は、中国の科挙(官吏登用試験)の科目の一つである。郷挙里選で秀才が設けられたのは、漢代のことである。後漢の時期は、光武帝の諱を避けて「茂才」と呼ばれた。隋代に科挙が始められると、科挙の科目になった秀才は科挙中でも重視され、及第者は10名にしか過ぎなかった。

初唐の科挙では、明経・進士・明法などの科目の中で、科挙の筆頭科に位置づけられていた。その試験科目としては、方略策を5道課し、その文理の精粗によって判定された。貞観年間(627 - 649年)に、地方から推薦された学生が不合格になった際には、推挙した州県官に罰則が下される規定が新設された。これによって、推薦者・受験者が無くなってしまった。開元年間(714 - 741年)に一時的に復活したが、及第者が現われず、遂に廃止された。

以後、科挙に応募した者を秀才と称するようになった。

743年(74)李太白集605巻十八12金門答蘇秀才  393Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(74) Ⅰ李白詩1750 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7290

李白  金門答蘇秀才#1

君還石門日,朱火始改木。春草如有情,山中尚含綠。

折芳愧遙憶,永路當日勗。遠見故人心,平生以此足。

(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)

君が以前に隠遁していた石門に還える日、火を取る燧の木を改めるくらいの時間であった。つまり、時候が換ったが、春草は依然として、情あるが如く、山中においては、なお緑の色を含み、ここだけは、永久に時節が換わらないようである。そした中、君はわざわざ花を折って、はるかにたがいに憶い合わねば愧じという意を致され、人生の長路を行くには、常日頃、随分勉めて仕事をしなければならないといって、懇懇と我を諭されたそれにつけても、二人離れていれば、故人の誠意を見るだけであり、平生これを以て自ら足れりとしているのである。

李太白集

卷十八12

金門答蘇秀才

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7290 

Index-23

-2

743年天寶二年43歳 

94-74

393 <1000


 
  2016年2月5日 の紀頌之5つのBlog  
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年:天寶二年43歳 94-74) 

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    金門答蘇秀才

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣      

交遊人物/地點:蘇秀才      書信往來(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

 

金門答蘇秀才#1

君還石門日,朱火始改木。

春草如有情,山中尚含綠。

折芳愧遙憶,永路當日勗。

遠見故人心,平生以此足。

(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)

君が以前に隠遁していた石門に還える日、火を取る燧の木を改めるくらいの時間であった。

つまり、時候が換ったが、春草は依然として、情あるが如く、山中においては、なお緑の色を含み、ここだけは、永久に時節が換わらないようである。

そした中、君はわざわざ花を折って、はるかにたがいに憶い合わねば愧じという意を致され、人生の長路を行くには、常日頃、随分勉めて仕事をしなければならないといって、懇懇と我を諭された

それにつけても、二人離れていれば、故人の誠意を見るだけであり、平生これを以て自ら足れりとしているのである。

(金門 蘇秀才に答う)#1

君 石門に還えるの日,朱火 始めて木を改む。

春草 有情あるが如し,山中 尚お綠を含む。

芳を折って遙憶を愧じ,永路 當に日びに勗むべし。

遠く故人の心を見る,平生 此れを以て足る。
#2

巨海納百川,麟閣多才賢。

獻書入金闕,酌醴奉瓊筵。

屢忝白雲唱,恭聞黃竹篇。

恩光照拙薄,雲漢希騰遷。

#3

銘鼎倘云遂,扁舟方渺然。

我留在金門,君去臥丹壑。

未果三山期,遙欣一丘樂。

玄珠寄象罔,赤水非寥廓。

#4

願狎東海鷗,共營西山藥。

棲巖君寂滅,處世余龍蠖。

良辰不同賞,永日應閒居。

鳥吟簷間樹,花落窗下書。

#5

緣溪見綠篠,隔岫窺紅蕖。

採薇行笑歌,眷我情何已。

月出石鏡間,松鳴風琴裡。

得心自虛妙,外物空靡。

身世如兩忘,從君老煙水。

 

 

『金門答蘇秀才』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

金門答蘇秀才#1

君還石門日,朱火始改木。

春草如有情,山中尚含綠。

折芳愧遙憶,永路當日勗。

遠見故人心,平生以此足。

(下し文)
(金門 蘇秀才に答う)#1

君 石門に還えるの日,朱火 始めて木を改む。

春草 有情あるが如し,山中 尚お綠を含む。

芳を折って遙憶を愧じ,永路 當に日びに勗むべし。

遠く故人の心を見る,平生 此れを以て足る。

(現代語訳)
金門答蘇秀才#1(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)

君が以前に隠遁していた石門に還える日、火を取る燧の木を改めるくらいの時間であった。

つまり、時候が換ったが、春草は依然として、情あるが如く、山中においては、なお緑の色を含み、ここだけは、永久に時節が換わらないようである。

そした中、君はわざわざ花を折って、はるかにたがいに憶い合わねば愧じという意を致され、人生の長路を行くには、常日頃、随分勉めて仕事をしなければならないといって、懇懇と我を諭された

それにつけても、二人離れていれば、故人の誠意を見るだけであり、平生これを以て自ら足れりとしているのである。


(訳注)

金門答蘇秀才#1

(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)743天寶二年43歳に 94首あり、この詩はその年の74首目になる。

金門 漢代の未央宮にあった門で、金門・金閨門の名であり、文学の士(学問をもって天子に仕える人)がここから出仕した。本来この門は、「魯般門」という名であるが、門の外に銅製の馬があることからこうよばれた。揚雄 解嘲 「與羣賢同行,歷金門,上玉堂」(羣賢と同行し,金門を歷,玉堂に上る)とある。唐における金門は、右銀臺門をいい、宣政殿の北には紫宸門があり、その内側には紫宸殿がある。紫宸殿の南にある紫寢門の左側には崇明門があり、右側には光順門がある。紫宸殿の東の方角には左銀台門があり、西の方角には右銀台門がある。この門の北沿いに九仙門がある。唐時代では、右銀台門より学士がことから金馬門といい、翰林學士院に出仕するものの代名詞とされた。銀臺 雍録載するところの大典大明宮の圖に「紫宸殿側に右銀臺門、左銀臺門あり」と記してある。學士は院門を出でてより、右銀臺門に至るまで、皆歩行して直に至り、すでに宮城の銀臺門外に出でて、それから馬に乗ることに成って居る。唐.李肇の《翰林志》:「今在右銀臺門之北,第一門向牓曰翰林之門,其制高大重複,號為胡門,入門直西為學士院,即開元十六年所置也。」(今右銀臺門の北にり,第一門牓に向う翰林の門を曰う,其れ高大重複を制し,胡門を為すを號し,門に入り直西は學士院を為し,即ち開元十六年(728)に所置されるなり。)唐.李白.相逢行:「朝騎五花馬,謁帝出銀臺。」(朝に五花の馬に騎し,帝に謁して 銀臺を出ず。)朝に五花の文ある名馬に跨って参内し、天子に拝謁したる後、銀臺門を出でて歸途に就いた人がある。

答蘇 蘇が誰であるか、天寶中(742756)の進士とした蘇源明であればこの時期、科挙試験の地方推薦の秀才であったのでる。

秀才 秀才(しゅうさい)は、中国の科挙(官吏登用試験)の科目の一つである。郷挙里選で秀才が設けられたのは、漢代のことである。後漢の時期は、光武帝の諱を避けて「茂才」と呼ばれた。初唐の科挙では、明経・進士・明法などの科目の中で、科挙の筆頭科に位置づけられていた。一時中断されたが714年以降復活し、この詩の段階では、存在している。

 

君還石門日,朱火始改木。

君が以前に隠遁していた石門に還える日、火を取る燧の木を改めるくらいの時間であった。

石門 石門の舊居ということで、隠遁するであろう所縁のある所を邈然というものである。石門舊居と 《太平府志》「横望山在當塗 東六十里、春秋楚子重伐呉至於横山、卽此山也。實為金陵/朝對之山。真誥稱、其石形瓌竒、洞穴盤紆、陶居、嘗棲遲此地、煉丹。故有陶公讀書堂、石門、古祠、灰/井、丹爐諸遺跡書堂今為澄心寺石門、山水尤竒、盤道屈曲、沿道而入、峭壁二里、夾石參天、左擁右/抱、羅列拱揖、髙者抗層霄、下者入衍奥。中有玉泉、嵌空、淵淵而來、春夏霖潦奔馳、秋冬澄流一碧、縈/繞如練。觀詩中所稱、隠居山寺、陶公鍊液、石門流水之諸句、知在石門之旧居其處。」とあるに基づく。

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

高鳳石門山 石門山 (都畿道 汝州 葉縣)  高鳳石門山幽居は後漢書、高鳳傳にみえる遺跡であり、汝州 葉縣に隠遁するのでこういったのである。       

李白が石門を詠ったものは以下に示す。

286巻七53和盧侍御通塘曲

石門中斷平湖出。 百丈金潭照云日。

320巻八卷八34鄴中贈王大 (一作鄴中王大勸入高鳳石門山幽居 )

高鳳石門山幽居遺跡

421巻十二11聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

高鳳石門山幽居遺跡

42112-11聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡 仆離群遠懷亦有棲遁之志因敘舊以寄之

聞君臥石門。 宿昔契彌敦。

500卷十五3送王屋山人魏萬還王屋 并序

經永嘉。觀謝公石門。

500卷十五3送王屋山人魏萬還王屋 并序

縉云川谷難。 石門最可觀。

513卷十五16魯郡堯祠送竇明府薄華還西京 時久病初起作

長楊掃地不見日。 石門噴作金沙潭。

521卷十六24300魯郡東石門送杜二甫

何時石門路。 重有金樽開。

726巻二十一4 下途歸石門舊居 (高鳳石門山幽居遺跡)

下視白日晚。 既過石門隱。

605巻十八12金門答蘇秀才

高鳳石門山幽居遺跡

610巻十八17答從弟幼成過西園見贈

衣劍照松宇。 賓徒光石門。

660巻十九34與周剛清溪玉鏡潭宴別 潭在秋浦桃胡陂下高鳳石門山幽居遺跡

高鳳石門山幽居遺跡

726巻二十一4 下途歸石門舊居

高鳳石門山幽居遺跡

726巻二十一4 下途歸石門舊居

懸知樂客遙相待。 石門流水遍桃花。

781巻二十二26.尋高鳳石門山中元丹丘

高鳳石門山幽居遺跡

朱火始改木 時間経過により変わることを言う。  

張華《文選、雑詩》(雑詩三首、玉台新詠二首) 「晷度隨天運,四時互相承。東壁正昏中,涸陰寒節升。繁霜降當夕,悲風中夜興。朱火青無光,蘭膏坐自凝。」(晷度【きど】は天に隨って運り 四時は互いに相承く。東壁は正に昏に中し 固陰の寒節は升る。繁霜、当夕に降り 悲風 中夜に興る。朱火青くして光無く 蘭膏坐ろに自ら凝る。)

張茂先(張華)雜詩三首(1

晷度隨天運,四時互相承。東壁正昏中,涸陰寒節升。

繁霜降當夕,悲風中夜興。朱火青無光,蘭膏坐自凝。

重衾無暖氣,挾纊如懷冰。伏枕終遙昔,寤言莫予應。

永思慮崇替,慨然獨拊膺。

2

逍遙遊春宮,容與緣池阿。白蘋齊素葉,朱草茂丹華。

微風搖芳若,層波動芰荷。榮彩曜中林,流馨入綺羅。

王孫遊不歸,修路邈以遐。誰與翫遺芳,佇立獨咨嗟。

3

荏苒日月運,寒暑忽流易。同好逝不存,迢迢遠離析。

房櫳自來風,庭無行跡。蒹葭生床下,蛛蝥網四壁。

懷思豈不隆,感物重鬱積。遊雁比翼翔,歸鴻知接翮。

來哉彼君子,無然徒自隔。

晉.張協 文選《雜詩十首之一》「離居幾何時?鑽燧忽改木。」(離居すること幾何の時ぞ?燧を鑽るに忽ち木を改む。)とあるに基づく。

 

春草如有情,山中尚含綠。

つまり、時候が換ったが、春草は依然として、情あるが如く、山中においては、なお緑の色を含み、ここだけは、永久に時節が換わらないようである。

 

折芳愧遙憶,永路當日勗。

そした中、君はわざわざ花を折って、はるかにたがいに憶い合わねば愧じという意を致され、人生の長路を行くには、常日頃、随分勉めて仕事をしなければならないといって、懇懇と我を諭された

 涅槃経には、「慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。

 励ます.相勖。=努力して学ぶということで互いに励まし合う.勖其向上=向上するように励ます.

 

遠見故人心,平生以此足。

それにつけても、二人離れていれば、故人の誠意を見るだけであり、平生これを以て自ら足れりとしているのである。

 

 

 

蘇源明,京兆武功人。初名預,字弱夫。天寶中進士,更試集賢院,累遷太子諭德。出為東平太守,召拜國子司業。安祿山陷京師,以病不受偽署。肅宗複兩京,擢考功郎中、知制誥,終秘書少監。

(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭州の滎陽の出身。地理や地形、地方の物産、各地の兵の数について詳しかった。高官であった蘇挺と年齢を越えた交わりを結び、その推薦を受けた。天宝元年 742年、協律郎に就任し、80以上の著書を書き上げたが、その著書に国史を私撰した部分があるという上書が出されたことで、10年間地方に流された。長安に戻ってからも、玄宗からその才能を愛され、広文館の博士に任命され、国子司業の蘇源明と交流があった。山水画、書道、詩作に長じ、玄宗にそれを献上し、「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞され、著作郎に移った。

天宝14載(755年)、安史の乱が勃発すると、燕の軍に捕らえられて洛陽に移され、安禄山側の水部郎中に任命された。密かに粛宗の唐側に通じたが、至徳2載(757年)、安慶緒の洛陽逃亡の際に、張通と王維とともに、燕に降伏した罪で宣陽里に閉じこめられた。3人とも画に長じていたため、崔圓によって、壁画を描かせられ、死罪を免れ、台州の司戸参軍事に落とされた。その数年後に死去している。

官職に就いた時でも貧困のままで、紙に不足することもあった。そのため、杜甫の詩に、「才名四十年、坐客寒にして氈(敷物)無し」と詠まれている。杜甫、李白ともに詩酒の友であったと伝えられる。

その画について、王維、畢宏とともに三絶と呼ばれた。晩唐の朱景玄も『唐朝名画録』において、第七位「能品上」に評価している。

木と石の画に長けており、松石図を門下省の壁に描き、杜甫など多くの詩人に詩で称えられた。当代において、その画の名声は高く、樹木の画法に変革を行ったと伝えられる。

大歴2年(767年)、給事中となり、その後、京兆少尹に移り、太子左庶子となった。

その画は、「唐朝名画録」において、第七位「能品上」に評価されている。

秀才(しゅうさい)は、中国の科挙(官吏登用試験)の科目の一つである。郷挙里選で秀才が設けられたのは、漢代のことである。後漢の時期は、光武帝の諱を避けて「茂才」と呼ばれた。隋代に科挙が始められると、科挙の科目になった秀才は科挙中でも重視され、及第者は10名にしか過ぎなかった。

初唐の科挙では、明経・進士・明法などの科目の中で、科挙の筆頭科に位置づけられていた。その試験科目としては、方略策を5道課し、その文理の精粗によって判定された。貞観年間(627 - 649年)に、地方から推薦された学生が不合格になった際には、推挙した州県官に罰則が下される規定が新設された。これによって、推薦者・受験者が無くなってしまった。開元年間(714 - 741年)に一時的に復活したが、及第者が現われず、遂に廃止された。

以後、科挙に応募した者を秀才と称するようになった。

李白312-#4 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》#4Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白312-#4> Ⅰ李白詩1619 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6643

李白《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》#4

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。遂令世上愚,輕我土與灰。

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。故山定有酒,與爾傾金罍。

ついに、用いられることはなく、たとへば、宝刀が玉匣に隠れ、終に錆びて仕舞って、苔の上に拗り出されたようなものである。そのうえ、世人の愚なるものをしてさえ、われを軽んじて、土と灰のようにあつかわれていることは、まことに、心外の沙汰である。しかし、一朝、龍鱗にさえすがり攀じて、今一度天子の御引立を蒙ったならば、かの蛙に比すべき手合などは、物の数でもないので、唯だ、時を待って居る外はない。故山には、定めて美酒があるだろうから、君と相い遇うたなら ば、金罍を傾けて、しばらく不平の念を洗浄しようというものだ。

李白312-#4 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》#4Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白312-#4> 李白詩1619 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6643

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:     卷一七八              文體:     五言古詩

詩題:     酬張卿夜宿南陵見贈

作地點:  瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:  南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村           

瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門  

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下              

下邳 (河南道 泗州 下邳)   

圯橋 (河南道 泗州 下邳)   

交遊人物/地點:張謂           書信往來(河南道 兗州 曲阜)

 

 

酬張卿夜宿南陵見贈  #1

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩) 

月出魯城東,明如天上雪。

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

魯女驚莎雞,鳴機應秋節。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

當君相思夜,火落金風高。

今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高くした。

(張卿 夜 南陵に宿して 贈らるるにゆ)  #1

月は魯城の東に出で,明は天上の雪の如し。

魯女 莎雞に驚き,鳴機 秋節に應ず。

君が相思の夜に當って,火 落ちて金風高し。
#2

河漢掛牖,欲濟無輕

天の河はこの家の戸に懸って居るが、この川を渡ろうとしても、小舟もない。

我昔辭林丘,雲龍忽相見。

われは、さきごろに故国の林邱を辞し、これはたとえば、龍の雲を得たるが如く一朝、明主の知遇を得たのである。

客星動太微,朝去洛陽殿。

やがて、客星である嚴子陵は帝座を動かし、その為に疎外されて、遂に洛陽の太極を辞することに成った。

爾來得茂七葉仕漢餘。

その後、李茂に比すべき君に遇って、交際したのであるが、君は、漢室に仕へること、すでに七世、代代清貴の家であるということである。

河漢 牖に掛り,濟らんと欲し輕

我 昔 林丘を辭し,雲龍 忽ち相い見る。

客星 太微を動かし,朝に去る 洛陽の殿。

爾來 茂得,七葉 漢に仕うるの餘。

#3

身為下邳客,家有圯橋書。

そのうえ、君は、かつて下邳の客となり、妃橋に於て、黄石公から兵書を授かったといふ彼の張良の如く、才略縦横、もとより後來望があるというものだ。

未夢時,終當起巖野。

は、未だ武丁の夢に入らなかったというのに、やがて、巌野において道の補修をしていて見出され、起って、宰相となり殷の中興に寄与したというから、そういう時もあるということだ。

萬古騎辰星,光輝照天下。

かくて、君という人物は、生きては、蒼生を救い、死しては、万古の昔より輝く辰星に騎し、光輝爛然として、天下後世を照らすべきはずである。

與君各未遇,長策委蒿萊。

ただ、吾と君とは未だ各く不遇であって、折角の長策も、蒿萊に委しておるだけでのことある。

身は下邳の客と為り,家には圯橋の書有り。

 未だ夢みざるの時,終に當に 巖野より起つなるべし。

萬古 辰星にし騎,光輝 天下を照らす。

君と各の未だ遇わず,長策 蒿萊に委す。

#4

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。

ついに、用いられることはなく、たとへば、宝刀が玉匣に隠れ、終に錆びて仕舞って、苔の上に拗り出されたようなものである。

遂令世上愚,輕我土與灰。

そのうえ、世人の愚なるものをしてさえ、われを軽んじて、土と灰のようにあつかわれていることは、まことに、心外の沙汰である。

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。

しかし、一朝、龍鱗にさえすがり攀じて、今一度天子の御引立を蒙ったならば、かの蛙に比すべき手合などは、物の数でもないので、唯だ、時を待って居る外はない。

故山定有酒,與爾傾金罍。

故山には、定めて美酒があるだろうから、君と相い遇うたなら ば、金罍を傾けて、しばらく不平の念を洗浄しようというものだ。

寶刀 玉匣に隱れ,鏽澀 空しく莓苔。

遂に世上の愚をせしめて,我を輕んじ土と灰とならしむ。

一朝 龍を攀じて去り,蛙黽 安くにか在る。

故山 定めて酒有らむ,爾と金罍を傾けむ。

 

『酬張卿夜宿南陵見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。

遂令世上愚,輕我土與灰。

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。

故山定有酒,與爾傾金罍。

 

 (下し文)
#4

寶刀 玉匣に隱れ,鏽澀 空しく莓苔。

遂に世上の愚をせしめて,我を輕んじ土と灰とならしむ。

一朝 龍を攀じて去り,蛙黽 安くにか在る。

故山 定めて酒有らむ,爾と金罍を傾けむ。

(現代語訳) #4

ついに、用いられることはなく、たとへば、宝刀が玉匣に隠れ、終に錆びて仕舞って、苔の上に拗り出されたようなものである。

そのうえ、世人の愚なるものをしてさえ、われを軽んじて、土と灰のようにあつかわれていることは、まことに、心外の沙汰である。

しかし、一朝、龍鱗にさえすがり攀じて、今一度天子の御引立を蒙ったならば、かの蛙に比すべき手合などは、物の数でもないので、唯だ、時を待って居る外はない。

故山には、定めて美酒があるだろうから、君と相い遇うたなら ば、金罍を傾けて、しばらく不平の念を洗浄しようというものだ。

(訳注) #4

酬張卿夜宿南陵見贈  

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩)     

○南陵 南陵は河南道兗州 曲阜にある。別名は陵城村という。

 

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。

ついに、用いられることはなく、たとへば、宝刀が玉匣に隠れ、終に錆びて仕舞って、苔の上に拗り出されたようなものである。

 

遂令世上愚,輕我土與灰。

そのうえ、世人の愚なるものをしてさえ、われを軽んじて、土と灰のようにあつかわれていることは、まことに、心外の沙汰である。

 

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。

しかし、一朝、龍鱗にさえすがり攀じて、今一度天子の御引立を蒙ったならば、かの蛙に比すべき手合などは、物の数でもないので、唯だ、時を待って居る外はない。

攀龍 竜のうろこにすがる。君主の知遇を得ること。明主に引き立てられること。「我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。」(我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。)わたしは、竜鱗を攀じて、賢明な君主に謁見し、その知遇を得ようと企てたが、雷公が、妨害を試み、恐ろしく凄まじい響きを発し、ガラゴロゴロと天鼓を頻りにうちならしたのだ。

155-#2 《巻02-04 梁甫吟 -#2》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#2> Ⅰ李白詩1356 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5328

蛙黽 かえる。蝦蟇。

 

故山定有酒,與爾傾金罍。

故山には、定めて美酒があるだろうから、君と相い遇うたなら ば、金罍を傾けて、しばらく不平の念を洗浄しようというものだ。
金罍 食卓 酒器。

 

李白312-#3 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》#3Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白312-#3> Ⅰ李白詩1618 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6638

李白  酬張卿夜宿南陵見贈#3

身為下邳客,家有圯橋書。傅未夢時,終當起巖野。

萬古騎辰星,光輝照天下。與君各未遇,長策委蒿萊。

そのうえ、君は、かつて下邳の客となり、妃橋に於て、黄石公から兵書を授かったといふ彼の張良の如く、才略縦横、もとより後來望があるというものだ。は、未だ武丁の夢に入らなかったというのに、やがて、巌野において道の補修をしていて見出され、起って、宰相となり殷の中興に寄与したというから、そういう時もあるということだ。かくて、君という人物は、生きては、蒼生を救い、死しては、万古の昔より輝く辰星に騎し、光輝爛然として、天下後世を照らすべきはずである。ただ、吾と君とは未だ各く不遇であって、折角の長策も、蒿萊に委しておるだけでのことある。

李白312-#3 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》#3Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白312-#3> 李白詩1618 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6638


 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:     卷一七八              文體:     五言古詩

詩題:     酬張卿夜宿南陵見贈

作地點:  瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:  南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村           

瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門  

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下              

下邳 (河南道 泗州 下邳)   

圯橋 (河南道 泗州 下邳)   

交遊人物/地點:張謂           書信往來(河南道 兗州 曲阜)

 

 

酬張卿夜宿南陵見贈  #1

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩) 

月出魯城東,明如天上雪。

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

魯女驚莎雞,鳴機應秋節。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

當君相思夜,火落金風高。

今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高くした。

(張卿 夜 南陵に宿して 贈らるるにゆ)  #1

月は魯城の東に出で,明は天上の雪の如し。

魯女 莎雞に驚き,鳴機 秋節に應ず。

君が相思の夜に當って,火 落ちて金風高し。
#2

河漢掛牖,欲濟無輕

天の河はこの家の戸に懸って居るが、この川を渡ろうとしても、小舟もない。

我昔辭林丘,雲龍忽相見。

われは、さきごろに故国の林邱を辞し、これはたとえば、龍の雲を得たるが如く一朝、明主の知遇を得たのである。

客星動太微,朝去洛陽殿。

やがて、客星である嚴子陵は帝座を動かし、その為に疎外されて、遂に洛陽の太極を辞することに成った。

爾來得茂七葉仕漢餘。

その後、李茂に比すべき君に遇って、交際したのであるが、君は、漢室に仕へること、すでに七世、代代清貴の家であるということである。

河漢 牖に掛り,濟らんと欲し輕

我 昔 林丘を辭し,雲龍 忽ち相い見る。

客星 太微を動かし,朝に去る 洛陽の殿。

爾來 茂得,七葉 漢に仕うるの餘。

#3

身為下邳客,家有圯橋書。

そのうえ、君は、かつて下邳の客となり、妃橋に於て、黄石公から兵書を授かったといふ彼の張良の如く、才略縦横、もとより後來望があるというものだ。

未夢時,終當起巖野。

は、未だ武丁の夢に入らなかったというのに、やがて、巌野において道の補修をしていて見出され、起って、宰相となり殷の中興に寄与したというから、そういう時もあるということだ。

萬古騎辰星,光輝照天下。

かくて、君という人物は、生きては、蒼生を救い、死しては、万古の昔より輝く辰星に騎し、光輝爛然として、天下後世を照らすべきはずである。

與君各未遇,長策委蒿萊。

ただ、吾と君とは未だ各く不遇であって、折角の長策も、蒿萊に委しておるだけでのことある。

#3

身は下邳の客と為り,家には圯橋の書有り。

 未だ夢みざるの時,終に當に 巖野より起つなるべし。

萬古 辰星にし騎,光輝 天下を照らす。

君と各の未だ遇わず,長策 蒿萊に委す。

#4

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。

遂令世上愚,輕我土與灰。

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。

故山定有酒,與爾傾金罍。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00 

『酬張卿夜宿南陵見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

身為下邳客,家有圯橋書。

未夢時,終當起巖野。

萬古騎辰星,光輝照天下。

與君各未遇,長策委蒿萊。

(下し文)
#3

身は下邳の客と為り,家には圯橋の書有り。

 未だ夢みざるの時,終に當に 巖野より起つなるべし。

萬古 辰星にし騎,光輝 天下を照らす。

君と各の未だ遇わず,長策 蒿萊に委す。

(現代語訳) #3

そのうえ、君は、かつて下邳の客となり、妃橋に於て、黄石公から兵書を授かったといふ彼の張良の如く、才略縦横、もとより後來望があるというものだ。

は、未だ武丁の夢に入らなかったというのに、やがて、巌野において道の補修をしていて見出され、起って、宰相となり殷の中興に寄与したというから、そういう時もあるということだ。

かくて、君という人物は、生きては、蒼生を救い、死しては、万古の昔より輝く辰星に騎し、光輝爛然として、天下後世を照らすべきはずである。

ただ、吾と君とは未だ各く不遇であって、折角の長策も、蒿萊に委しておるだけでのことある。

汜水関などの地図
(訳注) #3

酬張卿夜宿南陵見贈  

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩)     

○南陵 南陵は河南道兗州 曲阜にある。別名は陵城村という。

 

身為下邳客,家有圯橋書。

そのうえ、君は、かつて下邳の客となり、妃橋に於て、黄石公から兵書を授かったといふ彼の張良の如く、才略縦横、もとより後來望があるというものだ。

○下邳客 河南道泗州下邳に張良がいた時、圯橋の袂を通りかかると、汚い服を着た老人が自分の靴を橋の下に放り投げ、張良に向かって「小僧、取って来い」と言いつけた。張良は頭に来て殴りつけようかと思ったが、相手が老人なので我慢して靴を取って来た。すると老人は足を突き出して「履かせろ」と言う。張良は「この爺さんに最後まで付き合おう」と考え、跪いて老人に靴を履かせた。老人は笑って去って行ったが、その後で戻ってきて「お前に教えることがある。5日後の朝にここに来い」と言った。

5日後の朝、日が出てから張良が約束の場所に行くと、既に老人が来ていた。老人は「目上の人間と約束して遅れてくるとは何事だ」と言い「また5日後に来い」と言い残して去った。5日後、張良は日の出の前に家を出たが、既に老人は来ていた。老人は再び「5日後に来い」と言い残して去って行った。次の5日後、張良は夜中から約束の場所で待った。しばらくして老人がやって来た。老人は満足気に「おう、わしより先に来たのう。こうでなくてはならん。その謙虚さこそが大切なのだ」と言い、張良に太公望の兵法書を渡して「これを読めば王者の師となれる。13年後にお前は山の麓で黄色い石を見るだろう。それがわしである」と言い残して消え去ったという。

後年、張良はこの予言通り黄石に出会い、これを持ち帰って家宝とし、張良の死後には一緒に墓に入れられたという。

○家有 予言通り黄石に出会い、これを持ち帰って家宝とした。

○圯橋書 圯橋で渡された太公望の兵法書をいう。

 

未夢時,終當起巖野。

のように、未だ武丁の夢にでてこないというだけであって、やがて、傅說のように巌野において道の補修をしていて見出され、起って、宰相となり殷の中興に寄与したというから、そういう時もあるということだ。

○傅 (約公元前13351246年),殷(いん)の商王、武丁高宗の大臣。刑人とともに道を補修していたところを高宗の夢に基づく手配書で発見され、見いだされて宰相となり殷の中興に寄与したという。次の騎辰星の説文参照。

 

萬古騎辰星,光輝照天下。

かくて、君という人物は、生きては、蒼生を救い、死しては、万古の昔より輝く辰星に騎し、光輝爛然として、天下後世を照らすべきはずである。

○騎辰星 《淮南子》高誘註に言う「殷王武丁、夢得賢人、使工寫其象、旁求之、得傅於傅巖、遂以為相。為高宗。成八十一符、致中興、死託精於辰尾之星。」殷王の武丁、夢に賢人を得、工をして其の象を寫して、旁ねく之を求めしめ、傅傅巖に於てる。遂に以て相と為す。高宗と為したり。八十一符を成し、中興を致し、死して精を辰尾の星に託す。)とあるに基づく。

 

與君各未遇,長策委蒿萊。

ただ、吾と君とは未だ各く不遇であって、折角の長策も、蒿萊に委しておるだけでのことある。

李白312-#2 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白312-#2> Ⅰ李白詩1617 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6633

李白 酬張卿夜宿南陵見贈 #2

河漢掛牖,欲濟無輕我昔辭林丘,雲龍忽相見。

客星動太微,朝去洛陽殿。爾來得茂七葉仕漢餘。

天の河はこの家の戸に懸って居るが、この川を渡ろうとしても、小舟もない。われは、さきごろに故国の林邱を辞し、これはたとえば、龍の雲を得たるが如く一朝、明主の知遇を得たのである。やがて、客星である嚴子陵は帝座を動かし、その為に疎外されて、遂に洛陽の太極を辞することに成った。その後、李茂に比すべき君に遇って、交際したのであるが、君は、漢室に仕へること、すでに七世、代代清貴の家であるということである。

李白312-#2 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白312-#2> 李白詩1617 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6633

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:     卷一七八              文體:     五言古詩

詩題:     酬張卿夜宿南陵見贈

作地點:  瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:  南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村           

瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門  

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下              

下邳 (河南道 泗州 下邳)   

圯橋 (河南道 泗州 下邳)   

交遊人物/地點:張謂           書信往來(河南道 兗州 曲阜)

 

 

酬張卿夜宿南陵見贈  #1

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩) 

月出魯城東,明如天上雪。

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

魯女驚莎雞,鳴機應秋節。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

當君相思夜,火落金風高。

今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高くした。

(張卿 夜 南陵に宿して 贈らるるにゆ)  #1

月は魯城の東に出で,明は天上の雪の如し。

魯女 莎雞に驚き,鳴機 秋節に應ず。

君が相思の夜に當って,火 落ちて金風高し。
#2

河漢掛牖,欲濟無輕

我昔辭林丘,雲龍忽相見。

客星動太微,朝去洛陽殿。

爾來得茂七葉仕漢餘。

天の河はこの家の戸に懸って居るが、この川を渡ろうとしても、小舟もない。

われは、さきごろに故国の林邱を辞し、これはたとえば、龍の雲を得たるが如く一朝、明主の知遇を得たのである。

やがて、客星である嚴子陵は帝座を動かし、その為に疎外されて、遂に洛陽の太極を辞することに成った。

その後、李茂に比すべき君に遇って、交際したのであるが、君は、漢室に仕へること、すでに七世、代代清貴の家であるということである。

河漢 牖に掛り,濟らんと欲し輕

我 昔 林丘を辭し,雲龍 忽ち相い見る。

客星 太微を動かし,朝に去る 洛陽の殿。

爾來 茂得,七葉 漢に仕うるの餘。

#3

身為下邳客,家有圯橋書。

未夢時,終當起巖野。

萬古騎辰星,光輝照天下。

與君各未遇,長策委蒿萊。

#4

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。

遂令世上愚,輕我土與灰。

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。

故山定有酒,與爾傾金罍。

李白の足跡0000 

 

『酬張卿夜宿南陵見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

河漢掛牖,欲濟無輕

我昔辭林丘,雲龍忽相見。

客星動太微,朝去洛陽殿。

爾來得茂,七葉仕漢餘。

(下し文)
河漢 牖に掛り,濟らんと欲し輕

我 昔 林丘を辭し,雲龍 忽ち相い見る。

客星 太微を動かし,朝に去る 洛陽の殿。

爾來 茂得,七葉 漢に仕うるの餘。

(現代語訳)
#2

天の河はこの家の戸に懸って居るが、この川を渡ろうとしても、小舟もない。

われは、さきごろに故国の林邱を辞し、これはたとえば、龍の雲を得たるが如く一朝、明主の知遇を得たのである。

やがて、客星である嚴子陵は帝座を動かし、その為に疎外されて、遂に洛陽の太極を辞することに成った。

その後、李茂に比すべき君に遇って、交際したのであるが、君は、漢室に仕へること、すでに七世、代代清貴の家であるということである。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00
(訳注) #2

酬張卿夜宿南陵見贈  

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩)     

南陵 南陵は河南道兗州 曲阜にある。別名は陵城村という。

 

河漢掛牖,欲濟無輕

天の河はこの家の戸に懸って居るが、この川を渡ろうとしても、小舟もない。

○河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫《巻七68天河》《巻七69初月》。

天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

秦州抒情詩(8)  初月 杜甫 <293> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413

牖 門窗;門。《淮南子氾論訓》「夫牖者, 風氣之所從往來。」

 は小舟。

 

我昔辭林丘,雲龍忽相見。

われは、さきごろに故国の林邱を辞し、これはたとえば、龍の雲を得たるが如く一朝、明主の知遇を得たのである。

 

客星動太微,朝去洛陽殿。

やがて、客星である嚴子陵は帝座を動かし、その為に疎外されて、遂に洛陽の太極を辞することに成った。

客星 後漢時代初期の隠者・逸民である嚴子陵、字は子陵、別名は遵。 

太微 天使の庭。五帝の座、十二諸侯の府となる。太微垣(たいびえん)とは、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の上垣。北斗七星より南、星宿・張宿・翼宿・軫宿より北の区画。あるいはその主体となる星官(星座)を指す。春秋時代の主要な十二強国のこと。 魯・斉・秦・晋・楚・栄・衛・陳・蔡・曹・鄭・燕をさす。 十二列国という名は,『戦国策』に見ることができる。

洛陽殿 洛陽城太極殿。

 

爾來得茂七葉仕漢餘。

その後、李茂に比すべき君に遇って、交際したのであるが、君は、漢室に仕へること、すでに七世、代代清貴の家であるということである。

 任昉の詩に「濬冲得茂夫子狂生」(濬冲 茂を得て夫子 狂生に)とあり、、向の註に「王戎字濬冲、為吏部尚書、得李茂為吏部郎、戎以禮待之」(王戎、字は濬冲といい、吏部尚書と為り、李茂て 吏部郎と為り、戎 禮を以て 之を待つ)とある。

七葉 葉は、世代、時代をいう。ここでは七世代。

312 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <312> Ⅰ李白詩1616 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6628

李白  酬張卿夜宿南陵見贈  #1

月出魯城東,明如天上雪。魯女驚莎雞,鳴機應秋節。當君相思夜,火落金風高。
(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩) #1

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高く、天の河は戸に懸って居るが、これを渡ろうとしても、小舟もない。その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

312 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <312> Ⅰ李白詩1616 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6628

 

 
  2015年9月18日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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312 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <312> Ⅰ李白詩1616 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6628  
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年:742年天寶元年42 18

卷別:     卷一七八              文體:     五言古詩

詩題:     酬張卿夜宿南陵見贈

作地點:  瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)

及地點:  南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村           

瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門  

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下              

下邳 (河南道 泗州 下邳)   

圯橋 (河南道 泗州 下邳)   

交遊人物/地點:張謂           書信往來(河南道 兗州 曲阜)

 

 

酬張卿夜宿南陵見贈  #1

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩) 

月出魯城東,明如天上雪。

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

魯女驚莎雞,鳴機應秋節。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

當君相思夜,火落金風高。

今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高く、天の河は戸に懸って居るが、これを渡ろうとしても、小舟もない。

#2

河漢掛牖,欲濟無輕

我昔辭林丘,雲龍忽相見。

客星動太微,朝去洛陽殿。

爾來得茂七葉仕漢餘。

#3

身為下邳客,家有圯橋書。

未夢時,終當起巖野。

萬古騎辰星,光輝照天下。

與君各未遇,長策委蒿萊。

#4

寶刀隱玉匣,鏽澀空莓苔。

遂令世上愚,輕我土與灰。

一朝攀龍去,蛙黽安在哉。

故山定有酒,與爾傾金罍。

 

 河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00

『酬張卿夜宿南陵見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

酬張卿夜宿南陵見贈  #1

月出魯城東,明如天上雪。

魯女驚莎雞,鳴機應秋節。

當君相思夜,火落金風高。

(下し文)
(張卿 夜 南陵に宿して 贈らるるにゆ)  #1

月は魯城の東に出で,明は天上の雪の如し。

魯女 莎雞に驚き,鳴機 秋節に應ず。

君が相思の夜に當って,火 落ちて金風高し。

(現代語訳)
(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩) #1

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高く、天の河は戸に懸って居るが、これを渡ろうとしても、小舟もない。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。


(訳注)

酬張卿夜宿南陵見贈  #1

(友人の張謂が夜南陵に宿泊して詩を寄せてくれたので、これに報いて作った詩)     

南陵 南陵は河南道兗州 曲阜にある。別名は陵城村という。

 

月出魯城東,明如天上雪。

月は魯城の東にさし上り、その明かなることは、天上の雪の如くである。

○魯城東 魯城の東門。別名、魯城、沙丘城、という。河南道兗州瑕丘にある。

 

魯女驚莎雞,鳴機應秋節。

その時、魯国の女どもは、きりぎりすの鳴く聾に驚いて、せっせと機を織り、秋の期節に應じて働いて居る。

○莎雞 きりぎりす。

○鳴機 虫の声を機織りに似ていることを言う。

 

當君相思夜,火落金風高。

今宵、君は相思のあまり、一詩を寄せられたが、折しも、大火の星は、西に流れ、金風颯々として高く、天の河は戸に懸って居るが、これを渡ろうとしても、小舟もない。

○火落 火は大火、すなわち、心星、秋に至って落ちて西に流れる。大火 さそり座α星 (固有名アンタレス ) の中国名。和名では赤星と呼び,いずれも真紅に輝くことにちなむ。

李白《早秋贈裴十七仲堪》「南星變大火,熱氣餘丹霞。」南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

○金風 秋風のこと。
李白の足跡0000 

李白301 《巻十八06答友人贈烏紗帽》(改訂版)Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <301> Ⅰ李白詩1589 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6493

李白  答友人贈烏紗帽   

領得烏紗帽,全勝白接山人不照鏡,稚子道相宜。
(友人が上下通じたる禮帽である烏紗帽を贈ってくれたことにより、この詩を以て答礼の意を表した。)

君はから烏紗帽を頂戴したが、なるほど、白接羅の帽子よりすべてに勝って、なかなか立派である。山人たる我は、あいにく、鏡を持ち合わせていない、隠遁すべき人間が街にいるのであるが、この私が鏡を見るまでのことはないのだ、山簡ではないけれど子供たちはこの帽子がよく似合ってるといっているくらいであるから、此処に御礼を申し上げる。
李白301 《巻十八06答友人贈烏紗帽》(改訂版)Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <301> Ⅰ李白詩1589 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6493

 

 
  2015年9月5日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白301 《巻十八06答友人贈烏紗帽》(改訂版)Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <301> Ⅰ李白詩1589 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6493  
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈88 (改訂)巻一26-#2§1-2 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈 805年貞元21年 38歳<1516>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6564  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-114杜甫 《巻1726秋興,八首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-114 <977> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6565  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 9欧陽烱《巻六08南郷(鄉)子八首 其八》『花間集』259全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6567  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七八              文體:    五言

詩題:    答友人贈烏紗帽

 

 

答友人贈烏紗帽

(友人が上下通じたる禮帽である烏紗帽を贈ってくれたことにより、この詩を以て答礼の意を表した。)

領得烏紗帽,全勝白接離。

君はから烏紗帽を頂戴したが、なるほど、白接羅の帽子よりすべてに勝って、なかなか立派である。

山人不照鏡,稚子道相宜。

山人たる我は、あいにく、鏡を持ち合わせていない、隠遁すべき人間が街にいるのであるが、この私が鏡を見るまでのことはないのだ、山簡ではないけれど子供たちはこの帽子がよく似合ってるといっているくらいであるから、此処に御礼を申し上げる。

(友人の烏紗帽を贈れるに答う)

烏紗帽を領し得て、全く白接に勝る。

山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜【よろ】しと道【い】う。

 

『答友人贈烏紗帽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

答友人贈烏紗帽

領得烏紗帽,全勝白接

山人不照鏡,稚子道相宜。

(下し文)
(友人の烏紗帽を贈れるに答う)

烏紗帽を領し得て、全く白接に勝る。

山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜【よろ】しと道【い】う。

(現代語訳)
(友人が上下通じたる禮帽である烏紗帽を贈ってくれたことにより、この詩を以て答礼の意を表した。)

君はから烏紗帽を頂戴したが、なるほど、白接羅の帽子よりすべてに勝って、なかなか立派である。

山人たる我は、あいにく、鏡を持ち合わせていない、隠遁すべき人間が街にいるのであるが、この私が鏡を見るまでのことはないのだ、山簡ではないけれど子供たちはこの帽子がよく似合ってるといっているくらいであるから、此処に御礼を申し上げる。

(訳注)

答友人贈烏紗帽

(友人が上下通じたる禮帽である烏紗帽を贈ってくれたことにより、この詩を以て答礼の意を表した。)

烏紗帽 絹で出来た礼装用の黒い帽子。中華古今注 「武德九年十一月,太宗詔曰:『自今以後,天子服烏紗帽,百官士庶皆同服之。』」とあって烏紗帽は、上下通じたる禮帽である。


領得烏紗帽,全勝白接蘺。

君はから烏紗帽を頂戴したが、なるほど、白接羅の帽子よりすべてに勝って、なかなか立派である。

白接羅:白い接羅(せつり)。接羅は帽子の一種。昔、荊の地方長官だった山簡が被っていたことで有名。

烏紗帽を領得して、全く白接蘺()に勝(まさ)る。山簡は竹林の七賢人である山濤の息子だが、それよりなにより酔ってこの白接蘺を前後反対に被り町なかで馬に乗ったほどの「酔っぱらい」ぶりで名高い。              
「山公」と言えば酔っぱらいの代名詞であり、李白はしばしば自分をこの山簡に例えている。 

山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。

李白が山簡をうたっている詩

巻○ID 詩題

詩句

6302-04楽府梁甫吟

「君不見高陽酒徒起草中。 」

143巻四18襄陽曲四首其二

「山公醉酒時。 酩酊高陽下。頭上白接()。 倒著還騎馬。 」

145巻四20襄陽曲四首其四

「且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。 」

240巻七秋浦歌十七首 其七

「醉上山公馬。 寒歌寧戚牛。 空吟白石爛。 淚滿黑貂裘。 」

3329-03憶襄陽舊游贈馬少府巨

「昔為大堤客。 曾上山公樓。 開窗碧嶂滿。 拂鏡滄江流。 高冠佩雄劍。 長揖韓荊州。 」

37110-17江夏贈韋南陵冰

「人悶還心悶。 苦辛長苦辛。 愁來飲酒二千石。 寒灰重暖生陽春。 山公醉後能騎馬。 」

475巻十四12留別廣陵諸公 (一作留別邯鄲故人)

「臥海不關人。 租遼東田。 乘興忽復起。 棹歌溪中船。 臨醉謝葛強。 山公欲倒鞭。 」

500卷十五3送王屋山人魏萬還王屋 并序

「不致百金。吾友揚子云。 弦歌播清芬。 雖為江寧宰。 好與山公群。 」

513卷十五16魯郡堯祠送竇明府薄華還西京 時久病初起作

「何不令皋繇擁彗橫八極。 直上青天掃浮云。高陽小飲真瑣瑣。 山公酩酊何如我。 」

754巻二十一32 峴山懷古

「訪古登峴首。 憑高眺襄中。天清遠峰出。 水落寒沙空。 弄珠見游女。 醉酒懷山公。感嘆發秋興。 長松鳴夜風。 」

 


山人不照鏡,稚子道相宜。

山人たる我は、あいにく、鏡を持ち合わせていない、隠遁すべき人間が街にいるのであるが、この私が鏡を見るまでのことはないのだ、山簡ではないけれど子供たちはこの帽子がよく似合ってるといっているくらいであるから、此処に御礼を申し上げる。
○山人 山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。ここでは李白自身のことを指す。



 

 

 

 

 

 

 

帽子01


帽子02

帽子03

 

 

 唐太宗戴幞頭

 禮官戴幞頭

 兩文人戴幞頭

 

 

帽子04

帽子05

帽子06

 

 

 羅幞

 

 

 

 

 

 

 


  
 時代を遡ると、元代の雑劇に登場する山人は例外なくみな占い師であり、かつ自称ではなく他称である。また陸遊の〈新裁道帽示帽工〉(《劍南詩稿》卷39)では、「山人手段雖難及」と帽子作りの職人を山人と呼んでおり、《東京夢華録》巻 5 〈京瓦技芸〉等にみえる張山人は都会の寄席芸人であるなど、総じて山人とは「技術之士」(《太平廣記》巻72「張山人」)であったといえる。同じ現象は唐代にも見られる。宋初の《文苑英華》巻231「隠逸二・山人」に収める唐代の山人の詩の多くには売薬についての記述が見える。そもそも山人という語の出典は、南斉の孔稚圭「北山移文」(《文選》巻43)の「山人去兮曉猿驚」にあり、本来山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。いわゆる「終南の捷径」によって官途を求めた李泌のような人物もまた山人であったし、李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。現に李白は「答友人贈烏紗帽」(《李白集校注》巻19)で「山人不照鏡、稚子道相宜」と自ら山人を称している 

  
「山公」
李白と道教48襄陽歌 ⅰ

李白と道教(7)襄陽曲49から52

阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

秋浦歌十七首 其七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集251/350

秋浦歌十七首 其九 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -253/350

秋浦歌十七首 其十一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-255/350

 

烏紗帽00烏紗帽平巾幘(さく)帽00平巾幘(さく)

 

 

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李白  《巻十八04早秋單父南樓酬竇公衡》#2  

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。
その雲が散じて、飛雨となって川上に降りそそいでくれば、誠に心地良いことになり、そうすれば俗界から離れた寝牀の周りのとばりを巻き上げて、空地に浮んでいる塵埃をも清めてしまうことになる。そのとき、貴殿は、さだめて青軒の下に獨坐したことであろうが、たがいの胸の内は同心結であって、思うところは互いに同じことを考えているのである。我は、今しも、この早秋の清々しさに乗じて、南楼の窓扉を閉じて、道教の書籍を読みふけって、簾影静かに垂れて、四隣清寂であり、これこそ、仙居となるのである。ただ、それでは、好事者の來訪することもないということであり、寂しくてたまらないから、貴殿が名文を寄せてくれれば、予の詩興を呼び起こしてくれるのでよろしく頼む。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七八              文體:    雜言古詩

詩題:    早秋單父南樓酬竇公衡

作地點:              目前尚無資料

及地點:單父 (河南道 宋州 單父)    

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

交遊人物/地點:竇公衡      當地交遊(河南道 宋州 單父)

 

 

早秋單父南樓酬竇公衡

(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)

白露見日滅,紅顏隨霜凋。

白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。

別君若俯仰,春芳辭秋條。

貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。

その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。

その雲が散じて、飛雨となって川上に降りそそいでくれば、誠に心地良いことになり、そうすれば俗界から離れた寝牀の周りのとばりを巻き上げて、空地に浮んでいる塵埃をも清めてしまうことになる。

知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。

そのとき、貴殿は、さだめて青軒の下に獨坐したことであろうが、たがいの胸の内は同心結であって、思うところは互いに同じことを考えているのである。

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。

我は、今しも、この早秋の清々しさに乗じて、南楼の窓扉を閉じて、道教の書籍を読みふけって、簾影静かに垂れて、四隣清寂であり、これこそ、仙居となるのである。

曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。

ただ、それでは、好事者の來訪することもないということであり、寂しくてたまらないから、貴殿が名文を寄せてくれれば、予の詩興を呼び起こしてくれるのでよろしく頼む。

 

(早秋 單父南樓にて竇公衡に酬ゆ)

白露 日を見て滅し,紅顏 霜に隨って凋む。

君に別れて 俯仰するが若く,春芳 秋條を辭す。

泰山 嵯峨として 夏雲在り,疑うらくは是れ白波の東海に漲るかと。

 

散じて 飛雨と為って川上に來り,遙帷 卻って卷いて 浮埃を清む。

知る君が 獨坐す 青軒の下,此の時 結念 懷う所を同じゅうす。

我 南樓を閉じて道書を看る,幽簾 清寂 仙居に在り。

曾て好事の來って相い訪う無し,爾の高文に賴って 一び予を起せ。

 

 

『早秋單父南樓酬竇公衡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。

知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。【此時結念同懷者】。

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。

曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。

(下し文)
散じて 飛雨と為って川上に來り,遙帷 卻って卷いて 浮埃を清む。

知る君が 獨坐す 青軒の下,此の時 結念 懷う所を同じゅうす。

我 南樓を閉じて道書を看る,幽簾 清寂 仙居に在り。

曾て好事の來って相い訪う無し,爾の高文に賴って 一び予を起せ。

(現代語訳)
その雲が散じて、飛雨となって川上に降りそそいでくれば、誠に心地良いことになり、そうすれば俗界から離れた寝牀の周りのとばりを巻き上げて、空地に浮んでいる塵埃をも清めてしまうことになる。

そのとき、貴殿は、さだめて青軒の下に獨坐したことであろうが、たがいの胸の内は同心結であって、思うところは互いに同じことを考えているのである。

我は、今しも、この早秋の清々しさに乗じて、南楼の窓扉を閉じて、道教の書籍を読みふけって、簾影静かに垂れて、四隣清寂であり、これこそ、仙居となるのである。

ただ、それでは、好事者の來訪することもないということであり、寂しくてたまらないから、貴殿が名文を寄せてくれれば、予の詩興を呼び起こしてくれるのでよろしく頼む。


(訳注)

早秋單父南樓酬竇公衡

(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)741年開元二十九年41歳の作。

單父 (河南道 宋州 單父) 単県(ぜんけん)は中華人民共和国山東省菏沢市に位置する県。古名を単父(ぜんほ)という。

竇公衡 

《太平廣記》「崔圓,開元二十三年應將帥舉科,又於河南府充貢進士。其日正於福唐觀試,遇敕下,便於試場中喚將拜執戟參謀河西軍事。應制時,與越州剡縣尉竇公衡同場並坐,親見其事。公衡之名位,略見於此。」

【解説】

初句四句は歳月の匇匇たることをいい、泰山嵯峨の六句は、彼方の夏の景色、我閉南樓ノ四句は、此処の早秋の景色を言い、結句二句において、酬答の意を寓したものである。

 

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。

その雲が散じて、飛雨となって川上に降りそそいでくれば、誠に心地良いことになり、そうすれば俗界から離れた寝牀の周りのとばりを巻き上げて、空地に浮んでいる塵埃をも清めてしまうことになる。

遙帷卻卷 文選.江淹.《雜體詩.王徵君》「鍊藥矚虛幌,汎瑟臥遙帷。」(藥を鍊りて虛幌を矚【み】,瑟を汎して遙帷に臥す。)“我は窓のほとりで薬を練ったり、俗界から離れた寝牀の周りのとばりの中に横たわって瑟琴を掻き鳴らす”

江淹《王徵君〈養疾〉微》《昭明文選·卷三十一》

窈藹瀟湘空、翠澹無滋。

寂歷百草晦、欻吸鵾雞悲。

清陰往來遠、月華散前墀。

鍊藥矚虛幌、汎瑟臥遙帷。

水碧驗未黷、金膏靈詎緇。

北渚有帝子、蕩瀁不可期。

悵然山中暮、懷痾屬此詩。

 

知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。

そのとき、貴殿は、さだめて青軒の下に獨坐したことであろうが、たがいの胸の内は同心結であって、思うところは互いに同じことを考えているのである。

青軒 仙界の様子をいう。南齊虞炎《詠簾詩》「青軒明月時,紫殿秋風日。」とある。

結念  南朝宋謝靈運《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》詩:結念屬霄漢, 孤景莫與諼。(念いを結び霽漢【しょうかん】に属【つ】け、弧景【こけい】与【とも】に 諼【わす】るる莫し。)

思いを胸に結ぶ、すると空が晴れ渡ってきて、この気に入っている風景は忘れることはないようにしたい。

*故郷始寧への思い、隠棲したいと思うこと。半官半隠の生活。○霽漢 (天空)漢の国の空が晴れ渡る ○諼 うつわる、 わすれる、 かまびすしい、 いつわる。

《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》門在永嘉 謝霊運<30>#2 詩集 405  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1032

 

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。

我は、今しも、この早秋の清々しさに乗じて、南楼の窓扉を閉じて、道教の書籍を読みふけって、簾影静かに垂れて、四隣清寂であり、これこそ、仙居となるのである。

 

曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。

ただ、それでは、好事者の來訪することもないということであり、寂しくてたまらないから、貴殿が名文を寄せてくれれば、予の詩興を呼び起こしてくれるのでよろしく頼む。

好事來相訪 《漢書》:揚雄家素貧,嗜酒,人希至其門,時有好事者載酒餚從遊學。

高文 江淹詩:文選·江淹·雜體詩三十首之四「高文一何綺、小儒安足為。」(高文は一に何ず綺しき、小儒は安ぞ為るに足らん。)“諸士の作る高尚な文章は本当にまあ美しく立派で、小儒の輩などはどうしてそういうものを為すことができようか”

雜體詩三十首之四《魏文帝〈遊宴〉曹丕》

置酒坐飛閣、逍遙臨華池。

神飆自遠至、左右芙蓉披。

綠竹夾清水、秋蘭被幽涯。

月出照園中、冠珮相追隨。

客從南楚來、為我吹參差。

淵魚猶伏浦、聽者未云疲。

高文一何綺、小儒安足為。

肅肅廣殿陰、雀聲愁北林。

眾賓還城邑、何以慰吾心。

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李白  早秋單父南樓酬竇公衡   

白露見日滅,紅顏隨霜凋。別君若俯仰,春芳辭秋條。

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。
(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七八              文體:    雜言古詩

詩題:    早秋單父南樓酬竇公衡

作地點:              目前尚無資料

及地點:單父 (河南道 宋州 單父)    

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

交遊人物/地點:竇公衡      當地交遊(河南道 宋州 單父)

 

 

早秋單父南樓酬竇公衡

(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)

白露見日滅,紅顏隨霜凋。

白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。

別君若俯仰,春芳辭秋條。

貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。

その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。

知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。

曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。

 

(早秋 單父南樓にて竇公衡に酬ゆ)

白露 日を見て滅し,紅顏 霜に隨って凋む。

君に別れて 俯仰するが若く,春芳 秋條を辭す。

泰山 嵯峨として 夏雲在り,疑うらくは是れ白波の東海に漲るかと。

 

散じて 飛雨と為って川上に來り,遙帷 卻って卷いて 浮埃を清む。

知る君が 獨坐す 青軒の下,此の時 結念 懷う所を同じゅうす。

我 南樓を閉じて道書を看る,幽簾 清寂 仙居に在り。

曾て好事の來って相い訪う無し,爾の高文に賴って 一び予を起せ。

 

 

『早秋單父南樓酬竇公衡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

早秋單父南樓酬竇公衡

白露見日滅,紅顏隨霜凋。

別君若俯仰,春芳辭秋條。

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。

(下し文)
(早秋 單父南樓にて竇公衡に酬ゆ)

白露 日を見て滅し,紅顏 霜に隨って凋む。

君に別れて 俯仰するが若く,春芳 秋條を辭す。

泰山 嵯峨として 夏雲在り,疑うらくは是れ白波の東海に漲るかと。

(現代語訳)
(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)

白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。

貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。

その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
(訳注)

早秋單父南樓酬竇公衡

(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)741年開元二十九年41歳の作。

單父 (河南道 宋州 單父) 単県(ぜんけん)は中華人民共和国山東省菏沢市に位置する県。古名を単父(ぜんほ)という。

竇公衡 

《太平廣記》「崔圓,開元二十三年應將帥舉科,又於河南府充貢進士。其日正於福唐觀試,遇敕下,便於試場中喚將拜執戟參謀河西軍事。應制時,與越州剡縣尉竇公衡同場並坐,親見其事。公衡之名位,略見於此。」

【解説】

初句四句は歳月の匇匇たることをいい、泰山嵯峨の六句は、彼方の夏の景色、我閉南樓ノ四句は、此処の早秋の景色を言い、結句二句において、酬答の意を寓したものである。

卷十五    19          單父東樓秋夜送族弟沈之秦 時凝弟在席

卷十五    20          送族弟凝至晏() 單父三十里

卷十六    23          送族弟單父主簿凝攝宋城主簿至郭南月橋

巻十八    4            早秋單父南樓酬竇公衡

巻十九    6            秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓

巻二十    4            登單父陶少府半月台

登單父陶少府半月台 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白191

單父東樓秋夜送族弟沈之秦  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白192

 

白露見日滅,紅顏隨霜凋。

白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。

白露見日滅 春の日は長くなってゆくさまを表現した句。

紅顏隨霜凋 顏にしわが増えてゆき、髪に白髪が増えてゆく。

 

別君若俯仰,春芳辭秋條。

貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。

春芳辭秋條 梁簡文帝《長沙宣武王碑》:“秋條下葉,春卉含芳。”(秋條 葉を下し,春卉芳を含む。)に基づく。

 

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。

その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。ユネスコの世界遺産に登録されている。

嵯峨 山などの高く険しいさま。
汜水関などの地図 

288 《1814酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <288> Ⅰ李白詩1567 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6383

李白  酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈  

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。
(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。

288 《1814酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <288> Ⅰ李白詩1567 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6383

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七八              文體:    雜言古詩

詩題:    酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

作地點:              目前尚無資料

及地點:              中都縣 (河南道 兗州 中都縣)           

 

 

酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。

かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。

為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。

かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。

 

中都 小吏 斗酒雙魚を 逆旅に攜え贈らるるに酬ゆ)

魯酒は琥珀の若し,汶魚は紫錦の鱗。

山東の豪吏 俊氣有り,手に此物を攜えて遠人に贈る。

意氣 相い 傾けて 兩つながら相い顧る,斗酒 雙魚 情素を表す。

雙鰓 呀呷 鰭鬣張る,刺 銀盤 飛び去らんと欲す。

兒を呼び 几を拂うて 霜刃揮い,紅肌は 花落ちて白雪は霏たり。

君の為に箸を下し一餐して飽き,醉うて金鞍を著け 馬に上って歸る。
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『酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。
(含異文)

魯酒若琥珀【魯酒琥珀色】,汶魚紫錦鱗。

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人【手持此物贈遠人】。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。【案:一本此下有以下二句:酒來我飲之,鱠作別離處。】

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

為君下箸一餐飽【為君下箸一餐罷】,醉著金鞍上馬歸。


(下し文)

中都 小吏 斗酒雙魚を 逆旅に攜え贈らるるに酬ゆ)

魯酒は琥珀の若し,汶魚は紫錦の鱗。

山東の豪吏 俊氣有り,手に此物を攜えて遠人に贈る。

意氣 相い 傾けて 兩つながら相い顧る,斗酒 雙魚 情素を表す。

雙鰓 呀呷 鰭鬣張る,刺 銀盤 飛び去らんと欲す。

兒を呼び 几を拂うて 霜刃揮い,紅肌は 花落ちて白雪は霏たり。

君の為に箸を下し一餐して飽き,醉うて金鞍を著け 馬に上って歸る。
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(現代語訳)
(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。

山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。

かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。

その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。

そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。

かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00楚州0015
江南東道 婺州 東陽00(訳注)

酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

唐時の河南道鄆州東中郡の中郡縣は、もと平陸縣で、兗州に隷し、天寶元年に名を更めたが、貞元十四年に、改めて鄆州に隷したので、今の山東汶上縣である。

中都縣 (河南道 兗州 中都縣)

 

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。

汶魚 汶は汶水、元和郡縣志に「汶水、北、中都縣を去ること二十四里」とあり、行水金鑑に「尚書説に云う、汶水五源、皆襲慶奉符の縣界に出で、東北、中都縣に至り、鉅澤を貫いて、濟に入る」とある。

 

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。

豪吏 史記に「少年蒙吏、蕭曹樊噲等の如き」とある。

 

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。

かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。

意氣相傾 鮑照の詩に「意氣相傾死何有」

情素 素心と同じ。

 

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。

雙鰓 魚のふたつのえら

呀呷 吸い込んだり吐いたりすること。

鰭鬣張 魚の翅、背上に在るを鰭、エラ下にある鬣を張って元気の良いことをいう。

刺 生き生きとして元気のよいさま。「―とした声」「生気―たる若者」2 魚が飛び跳ねるさま。

 

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。

紅肌花落 紅になる肌は花の落るがごとく、白きもの雪のごときをいう。

 1(雨・雪が)しきりに降る.・雪其霏=雪がしきりに降る.2(煙・雲が)漂う.

 

為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。

かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。
李白の足跡0000 

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李白  五月東魯行答汶上君 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。我以一箭書,能取聊城功。

終然不受賞,羞與時人同。西歸去直道,落日昏陰虹。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。

たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。

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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

及地點:              兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

汶水 (河南道 兗州 兗州)   

聊城 (河北道南部 博州 聊城)          

 

 

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

五月梅始黃,蠶凋桑柘空。

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
顧余不及仕,學劍來山東。

顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。

たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。

我以一箭書,能取聊城功。

しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。

終然不受賞,羞與時人同。

かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。

西歸去直道,落日昏陰虹。

かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。

われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。

 

(五月、東魯行 汶上の君に答える)#1

五月  梅始めて黄ばみ、蚕は凋み  桑柘【そうしゃ】空し。

魯人  織作を重んじ、機杼【きじょ】  簾櫳【れんろう】に鳴る。

顧るに 余  仕うるに及ばず、剣を学んで山東に来る。

鞭を挙げて前塗【ぜんと】を訪【と】い、笑を汶上【ぶんじょう】の翁に獲たり。

#2

下愚  壮士を忽ち、未だ窮通を論ずるに足らず。

我は一箭の書を以て、能く聊城【りょうじょう】を取るの功たり。

終に賞を受けず然り、時人と同じきを羞ず。

西帰して  直道を去らば、落日  陰虹【いんこう】昏し。

此に去る  爾言うこと勿れ、甘心す  転蓬の如きに。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00江南東道 婺州 東陽00 

『五月東魯行答汶上君』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
【五月東魯行答汶上翁】
 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。

我以一箭書,能取聊城功。

終然不受賞,羞與時人同。

西歸去直道,落日昏陰虹。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。


(下し文)
下愚  壮士を忽ち、未だ窮通を論ずるに足らず。

我は一箭の書を以て、能く聊城【りょうじょう】を取るの功たり。

終に賞を受けず然り、時人と同じきを羞ず。

西帰して  直道を去らば、落日 陰虹【いんこう】昏し。

此に去る  爾言うこと勿れ、甘心す 転蓬の如きに。

(現代語訳)
たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。

しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。

かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。

かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。

われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。


(訳注) #2

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

老人は、如何なる人物か分らないが、定めて識見ある高棲の老翁であるらしい。

 

下愚忽壯士、未足論窮通。
たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。

○壯士 理想を求めている武士というような意味。壮士となる。  

○窮通 道理を追及していること。窮通は『易』に「窮するものは変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」に基づく。

 

我以一箭書、能取聊城功。
しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。

わたしは、魯仲連の一本の箭文(やぶみ)だけでもって
聊城を陥落させ、手柄を立てた故事を知っている。
○一箭書  ○聊城功 「聊城」は、今、山東省に聊城県がある。それにちなんだ故事を用いる。『史記』魯仲連伝に、「戦国の時、斉の田単が、燕軍が占領している聊城を攻めたが退かない。よって魯仲連が箭書を城中に射ると、燕将が感泣して自殺し、聊城が降った。田単は魯仲連に爵位を与えようとしたが、受けないで海上に隠れた」 という。

 

終然不受賞、羞與時人同。 
かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。

○終然 ついに・・・・・・してしかり。 

○時人同 世間並の人間。
李白《古風五十九首之九》「青門種瓜人、舊日東陵侯。富貴故如此,營營何所求。」(青門に瓜を種うるの人は旧日の東陵侯なり。富貴はもとよりかくのごとし、営々なんの求むるところぞ。)

Index-24 《古風五十九首之九》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳419古風,五十九首之九莊周夢蝴蝶, <Index-24> Ⅰ李白詩1157 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4333

 

西歸去直道、落日昏陰虹。 
かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。

西方の仙人の住むところ帰り、「道」を求めてゆく、夕方には、 陰りのある虹が架かっているであろう。
○西歸 西方の仙人の住むところ帰 

○去直道 「道」を求めてゆく。 

○昏陰虹 陰りのある虹が架かっているであろう。実際には、長安、朝廷は西に位置する、友人の呉筠、玉真公主らによって何らかの連絡を期待していたのであろう。

 

此去爾勿言。甘心為轉蓬。
われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。

・甘心 おもいのままにする。心に満足する。 

・転蓬 ヤナギヨモギが(根が大地から離れて)風に吹かれて、ひとつだけで、風に飛ばされてさすらうさま。日本のヨモギとは大きく異なり、風に吹かれて転がるように風に飛ばされる。(風に飛ばされて)転がってゆく蓬。飛蓬。「蓬」は、日本のヨモギとは異なる。蓬が枯れて、根元の土も風に飛ばされてしまい、根が大地から離れて、枯れた茎が輪のようになり、乾いた黄土高原を風に吹かれて、恰も紙くずが風に飛ばされるが如く回りながら、黄砂とともに流れ去ってゆく。飛蓬。孤蓬。
曹植「雑詩六首其二」
轉蓬離本根、飄颻隨長風。
何意迴飆舉、吹我入雲中。
高高上無極、天路安可窮。
類此遊客子、捐躯遠從戎。
毛褐不掩形、薇藿常不充。
去去莫復道、沈憂令人老。
また、曹植「吁嗟篇」に初句に使う。

杜甫「野人送朱桜」
西蜀桜桃他自紅、野人相贈満筠籠。
数迴細写愁仍破、万顆匀円訝許同。
憶昨賜霑門下省、退朝擎出大明宮。
金盤玉筯無消息、此日嘗新任転蓬

また、杜甫「客亭」最終句に使う。

紀頌之のブログ「李商隠8無題」最終語 参照

希望を持ってさすらうことを示すもので、詩の最初か最後に使われ、希望に向かう意思を示すものである。
李白の足跡0000 

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李白  五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

五月梅始黃【五月梅子黃】,蠶凋桑柘空。魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

顧余不及仕,學劍來山東。舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。
(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)  #1 時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

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740年 李白40歳


年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

及地點:              兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

汶水 (河南道 兗州 兗州)   

聊城 (河北道南部 博州 聊城)          

 

 

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

五月梅始黃,蠶凋桑柘空。

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
顧余不及仕,學劍來山東。

顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。

我以一箭書,能取聊城功。

終然不受賞,羞與時人同。

西歸去直道,落日昏陰虹。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。

 

(五月、東魯行 汶上の君に答える)#1

五月  梅始めて黄ばみ、蚕は凋み  桑柘【そうしゃ】空し。

魯人  織作を重んじ、機杼【きじょ】  簾櫳【れんろう】に鳴る。

顧るに 余  仕うるに及ばず、剣を学んで山東に来る。

鞭を挙げて前塗【ぜんと】を訪【と】い、笑を汶上【ぶんじょう】の翁に獲たり。

#2

下愚  壮士を忽ち、未だ窮通を論ずるに足らず。

我は一箭の書を以て、能く聊城【りょうじょう】を取るの功たり。

終に賞を受けず然り、時人と同じきを羞ず。

西帰して  直道を去らば、落日  陰虹【いんこう】昏し。

此に去る  爾言うこと勿れ、甘心す  転蓬の如きに。

 

 

『五月東魯行答汶上君』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
【五月東魯行答汶上翁】
五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

五月梅始黃【五月梅子黃】,蠶凋桑柘空。

魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

顧余不及仕,學劍來山東。

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

(下し文)
(五月、東魯行 汶上の君に答える)#1

五月  梅始めて黄ばみ、蚕は凋み 桑柘【そうしゃ】空し。

魯人  織作を重んじ、機杼【きじょ】 簾櫳【れんろう】に鳴る。

顧るに 余  仕うるに及ばず、剣を学んで山東に来る。

鞭を挙げて前塗【ぜんと】を訪【と】い、笑を汶上【ぶんじょう】の翁に獲たり。

(現代語訳)
(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)  #1

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
(訳注)

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

老人は、如何なる人物か分らないが、定めて識見ある高棲の老翁であるらしい。

 

五月梅始黃,蠶凋桑柘空。

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
○蠶凋 蚕しぼむ。生気がなくなる。 

○桑柘空 桑や山ぐわのなにもかも全てなく。

 

魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
○魯人 山東地方の人。

○機杼 はたを織るオサ。  

○帘櫳 換気するための格子のある小窓。帘:酒屋の看板の旗。櫳:格子のある窓。

顧余不及仕、學劍來山東。 
ところでわたしは いま官途に就くまでに至っていない、剣だけを学んでおり、そうしてこの 山東にやってきたのだ。

 

顧余不及仕,學劍來山東。

顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

 

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

舉鞭訪前途、獲笑汶上翁。 剣にたよっていくことでこれからの行くすえが開けてくると力んでみせたら、汶水のほとりの翁に笑われた。
○汶上 山東省聊城県の北西地域。汶水のことで泰山の南を西に流れ黄河に合流する。

 

245-#2 《巻18-17 答從弟幼成過西園見贈》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <245-#2> Ⅰ李白詩1502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6058

李白  答從弟幼成過西園見贈#2  

山童薦珍果,野老開芳樽。上陳樵漁事,下敘農圃言。

昨來荷花滿,今見蘭苕繁。一笑復一歌,不知夕景昏。

醉罷同所樂,此情難具論。

やがて、これを亭中に迎え入れると、山童は珍果を薦め、野老は、芳樽を開いて、これをもてなすのである。上は、樵漁の事を陳べ、農圃の言を敘したりして、それからそれへと、話は尽きる事は無い。

 

245-2 《巻18-17 答從弟幼成過西園見贈》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <245-2> Ⅰ李白詩1502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6058

 

 
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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答從弟幼成過西園見贈

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:              西園 (淮南道 安州 安陸)    

交遊人物:李幼成         當地交遊(淮南道 安州 安陸)

 

 

答從弟幼成過西園見贈  #1

(西園に歸臥している時、從弟の幼成というものが来訪して、詩を贈ってくれたのでこれに答えた詩である。)

一身自瀟灑,萬物何囂諠。

我が一身の瀟灑、けがれのないもの引きかえて、あらゆるものはいかにも騒々しくてたまらない。

拙薄謝明時,棲閒歸故園。

もとより才拙にして命薄きもので、この聖明の世に容れられぬところから、閒地に棲まんがために故園に歸臥したのである。

二季過舊壑,四鄰馳華軒。

すると、二人の従弟は、旧渓を過ぎて訪問し、立派な車を四鄰に馳せるのである。

衣劍照松宇,賓徒光石門。

そして、衣裳や剣佩は、松の翳せる大屋宇を照らし、賓從僕徒は石門にてりかがやくくらいである。

#2

山童薦珍果,野老開芳樽。

やがて、これを亭中に迎え入れると、山童は珍果を薦め、野老は、芳樽を開いて、これをもてなすのである。

上陳樵漁事,下敘農圃言。

上は、樵漁の事を陳べ、農圃の言を敘したりして、それからそれへと、話は尽きる事は無い。

昨來荷花滿,今見蘭苕繁。

昨夜、蓮の花が池中に咲き落ちたが、今、また蘭が一斉に階下にひらいて、草堂の景色も、さすがに見どころがある。

一笑復一歌,不知夕景昏。

こうして、一笑し、そして、また一歌しつつ,夕暮の日景がしだいに昏くなっていくのを知らないでいる。

醉罷同所樂,此情難具論。

すでに酔ってしまった後も、楽しむところを同じゅうし、その心も逆らうことなく、この情は、詳しく述べることはできない。

 

(從弟の幼成が西園を過ぎて贈らるるに答う)

一身 自ら瀟灑,萬物 何ぞ囂諠【ごうけん】なる。

拙薄 明時に謝し,棲閒 故園に歸る。

二季 舊壑を過ぎ,四鄰 華軒を馳す。

衣劍 松宇を照し,賓徒 石門を光かす。

 

山童 珍果を薦め,野老 芳樽を開く。

上には樵漁の事を陳べ,下には農圃の言を敘す。

昨來 荷花 滿つ,今は見る 蘭苕 繁れるを。

一笑 復た 一歌,知らず 夕景の昏きを。

醉うて罷み 樂しむ所を同じうす,此の情 具【つぶさ】に論じ難し。

 

 

『答從弟幼成過西園見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
 #2

山童薦珍果,野老開芳樽。

上陳樵漁事,下敘農圃言。

昨來荷花滿,今見蘭苕繁。

一笑復一歌,不知夕景昏。

醉罷同所樂,此情難具論。

(下し文)
山童 珍果を薦め,野老 芳樽を開く。

上には樵漁の事を陳べ,下には農圃の言を敘す。

昨來 荷花 滿つ,今は見る 蘭苕 繁れるを。

一笑 復た 一歌,知らず 夕景の昏きを。

醉うて罷み 樂しむ所を同じうす,此の情 具【つぶさ】に論じ難し。

 

 (現代語訳)
やがて、これを亭中に迎え入れると、山童は珍果を薦め、野老は、芳樽を開いて、これをもてなすのである。

上は、樵漁の事を陳べ、農圃の言を敘したりして、それからそれへと、話は尽きる事は無い。

昨夜、蓮の花が池中に咲き落ちたが、今、また蘭が一斉に階下にひらいて、草堂の景色も、さすがに見どころがある。

こうして、一笑し、そして、また一歌しつつ,夕暮の日景がしだいに昏くなっていくのを知らないでいる。

すでに酔ってしまった後も、楽しむところを同じゅうし、その心も逆らうことなく、この情は、詳しく述べることはできない。


(訳注) #2

答從弟幼成過西園見贈  #2

(西園に歸臥している時、從弟の幼成というものが来訪して、詩を贈ってくれたのでこれに答えた詩である。)

 

山童薦珍果,野老開芳樽。

やがて、これを亭中に迎え入れると、山童は珍果を薦め、野老は、芳樽を開いて、これをもてなすのである。

 

上陳樵漁事,下敘農圃言。

上は、樵漁の事を陳べ、農圃の言を敘したりして、それからそれへと、話は尽きる事は無い。

 

昨來荷花滿,今見蘭苕繁。

昨夜、蓮の花が池中に咲き落ちたが、今、また蘭が一斉に階下にひらいて、草堂の景色も、さすがに見どころがある。

蘭苕 らんのはなぶさ、此の句は作品の華麗なのにたとえる。六朝から続く、華麗華美、艶閨の詩を云う。《文選郭璞<游仙詩>》「翡翠戲蘭苕, 容色更相鮮。」 李善注に「蘭苕,蘭秀也。」(蘭苕は,蘭秀なり。) 南朝宋謝靈運《南樓中望所遲客》詩:瑤華未堪折, 蘭苕已屢摘。”(瑤華【あさのはな】は未だ折るに堪えざれど、蘭苕【らんしょう】 己に屢【しばし】ば摘【つ】む。) 南樓中望所遅客 謝霊運(康楽) 詩<38#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩419 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1074

 

杜甫《戲為六句,六首之四》「才力應難誇數公,凡今誰是出群雄。或看翡翠蘭苕上,未掣鯨魚碧海中。」(才力 応に数公を誇【まさ】り難かるべし、凡そ今誰か是れ出群の雄なる。或は看る翡翠【ひすい】蘭苕【らんちょう】の上、未だ鯨魚を掣せず碧海【そうかい】の中。)

戲為六句,六首之四 蜀中転々 杜甫 <516  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2775 杜甫詩1000-516-749/1500

 

一笑復一歌,不知夕景昏。

こうして、一笑し、そして、また一歌しつつ,夕暮の日景がしだいに昏くなっていくのを知らないでいる。

 

醉罷同所樂,此情難具論。

すでに酔ってしまった後も、楽しむところを同じゅうし、その心も逆らうことなく、この情は、詳しく述べることはできない。

245 《巻18-17 答從弟幼成過西園見贈》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <245> Ⅰ李白詩1501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6053

李白  答從弟幼成過西園見贈  #1  

一身自瀟灑,萬物何囂諠。

拙薄謝明時,棲閒歸故園。

二季過舊壑,四鄰馳華軒。

衣劍照松宇,賓徒光石門。
(西園に歸臥している時、從弟の幼成というものが来訪して、詩を贈ってくれたのでこれに答えた詩である。)我が一身の瀟灑、けがれのないもの引きかえて、あらゆるものはいかにも騒々しくてたまらない。もとより才拙にして命薄きもので、この聖明の世に容れられぬところから、閒地に棲まんがために故園に歸臥したのである。

 

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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答從弟幼成過西園見贈

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:              西園 (淮南道 安州 安陸)    

交遊人物:李幼成         當地交遊(淮南道 安州 安陸)

 

 

答從弟幼成過西園見贈  #1

(西園に歸臥している時、從弟の幼成というものが来訪して、詩を贈ってくれたのでこれに答えた詩である。)

一身自瀟灑,萬物何囂諠。

我が一身の瀟灑、けがれのないもの引きかえて、あらゆるものはいかにも騒々しくてたまらない。

拙薄謝明時,棲閒歸故園。

もとより才拙にして命薄きもので、この聖明の世に容れられぬところから、閒地に棲まんがために故園に歸臥したのである。

二季過舊壑,四鄰馳華軒。

すると、二人の従弟は、旧渓を過ぎて訪問し、立派な車を四鄰に馳せるのである。

衣劍照松宇,賓徒光石門。

そして、衣裳や剣佩は、松の翳せる大屋宇を照らし、賓從僕徒は石門にてりかがやくくらいである。

#2

山童薦珍果,野老開芳樽。

上陳樵漁事,下敘農圃言。

昨來荷花滿,今見蘭苕繁。

一笑復一歌,不知夕景昏。

醉罷同所樂,此情難具論。

 

(從弟の幼成が西園を過ぎて贈らるるに答う)

一身 自ら瀟灑,萬物 何ぞ囂諠【ごうけん】なる。

拙薄 明時に謝し,棲閒 故園に歸る。

二季 舊壑を過ぎ,四鄰 華軒を馳す。

衣劍 松宇を照し,賓徒 石門を光かす。

 

山童 珍果を薦め,野老 芳樽を開く。

上には樵漁の事を陳べ,下には農圃の言を敘す。

昨來 荷花 滿つ,今は見る 蘭苕 繁れるを。

一笑 復た 一歌,知らず 夕景の昏きを。

醉うて罷み 樂しむ所を同じうす,此の情 具【つぶさ】に論じ難し。

 

 

『答從弟幼成過西園見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

答從弟幼成過西園見贈  #1

一身自瀟灑,萬物何囂諠。

拙薄謝明時,棲閒歸故園。

二季過舊壑,四鄰馳華軒。

衣劍照松宇,賓徒光石門。

(下し文)
(
從弟の幼成が西園を過ぎて贈らるるに答う)

一身 自ら瀟灑,萬物 何ぞ囂諠【ごうけん】なる。

拙薄 明時に謝し,棲閒 故園に歸る。

二季 舊壑を過ぎ,四鄰 華軒を馳す。

衣劍 松宇を照し,賓徒 石門を光かす。

(現代語訳)
(西園に歸臥している時、從弟の幼成というものが来訪して、詩を贈ってくれたのでこれに答えた詩である。)

我が一身の瀟灑、けがれのないもの引きかえて、あらゆるものはいかにも騒々しくてたまらない。

もとより才拙にして命薄きもので、この聖明の世に容れられぬところから、閒地に棲まんがために故園に歸臥したのである。

すると、二人の従弟は、旧渓を過ぎて訪問し、立派な車を四鄰に馳せるのである。

そして、衣裳や剣佩は、松の翳せる大屋宇を照らし、賓從僕徒は石門にてりかがやくくらいである。


(訳注)

答從弟幼成過西園見贈  #1

(西園に歸臥している時、從弟の幼成というものが来訪して、詩を贈ってくれたのでこれに答えた詩である。)

 

一身自瀟灑,萬物何囂諠。

我が一身の瀟灑、けがれのないもの引きかえて、あらゆるものはいかにも騒々しくてたまらない。

瀟灑 すっきりとあか抜けしているさま。俗っぽくなくしゃれているさま。

囂諠 聲音が大きくして嘈雜である。

白居易《中隠》「大隠住朝市、小隠入丘樊。丘樊太冷落、朝市太囂諠。」(大隠は朝市に住み、小隠は丘樊に入る。丘樊は太だ冷落、朝市は太だ囂諠【ごうけん】。)

 

拙薄謝明時,棲閒歸故園。

もとより才拙にして命薄きもので、この聖明の世に容れられぬところから、閒地に棲まんがために故園に歸臥したのである。

拙薄 才拙にして命薄きものをいう。

 

二季過舊壑,四鄰馳華軒。

すると、二人の従弟は、旧渓を過ぎて訪問し、立派な車を四鄰に馳せるのである。

二季 従弟の輩をいうが、幼成ともう一人、共に来ていたのであろう。

華軒 立派な車。

 

衣劍照松宇,賓徒光石門。

そして、衣裳や剣佩は、松の翳せる大屋宇を照らし、賓從僕徒は石門にてりかがやくくらいである。

松宇 松の翳せる大屋宇のこと。

賓徒 賓從僕徒

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酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招-#3

憶君我遠來,我歡方速至。

開顏酌美酒,樂極忽成醉。

我情既不淺,君意方亦深。

相知兩相得,一顧輕千金。

且向山客笑,與君論素心。
かくて、一酔のあとで、山人たる元丹邱に向って内笑いつつ、君とともに、胸襟を開き、本心を打ち明けて、思う存分談笑したいものである。

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年:736年開元二十四年36

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

交遊人物:岑勛    當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

元丹丘             當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招-#1

(岑勛という人が、使いを持って起居を候せしめ、そして元丹邱のところで酒宴をして待っているから、ぜひ来いという意味を詩に言い表して特に招請したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。)

黃鶴東南來,寄書寫心曲。

黃鶴が一羽、東南より飛び來り、君からの書面を届けて、細々とした御心使いのほどを写してあった。

倚松開其緘,憶我腸斷續。

そこで、松の木樹に倚りかかり、その封を開いて読んでみると、私の様なものをわざわざお心にかけて、心腸が断続されるような趣も明らかに見える。

不以千里遙,命駕來相招。

殊に千里の遠きにかかわらず、駕を命じ、特に使いを以て招かれたのは官舎の言葉もない程である。

中逢元丹丘,登嶺宴碧霄。

中にも、元丹邱におあいになったとかで、山の嶺に登って、さながら碧霄の上のようなところで宴をひらいたのだ。

#2

對酒忽思我,長嘯臨清飆。

そして折から、酒に対して、我を思い出で、長嘯して清風に向い、やがてこちらに向って音信を寄せられたものと推察する。

蹇予未相知,茫茫綠雲垂。

ああ、自分は、このような事は、一向知らず、青天のもと、茫茫として綠雲の垂るるところにたっている。

俄然素書及,解此長渴飢。

俄然、お手紙をを拝見するに及んで飢渴に等しい平生相思の情を慰めるものであった。

策馬望山月,途窮造階墀。

さてこれから、いよいよ出発するのである、馬に鞭うって、山月を望みつつ、馳せてゆくとやがて途が付きて、元丹邱の庵の階墀に到着する

喜茲一會面,若睹瓊樹枝。

そこで、一たび会面すれば、さながら、仙界の瓊樹の枝を見たような感じがするに違いない。

#3

憶君我遠來,我歡方速至。

開顏酌美酒,樂極忽成醉。

君を憶って、そして慕って遠路であることもいとわず出かけてきたけれど思ったより早く行き着いたのは誠に嬉しい。

我情既不淺,君意方亦深。

それを、顔の相好を崩して、笑いつつ美酒を酌み、楽しみ極まれば、忽ち酔ってしまう。

相知兩相得,一顧輕千金。

我が情、既に浅からず、したがって、君の纊衣も、もとより深く、

平生相知の間柄であって、ここに相会ったのであるから、一顧すれば、千金も軽いとするばかりで、こういう会合はめったに見られぬことである。

且向山客笑,與君論素心。

かくて、一酔のあとで、山人たる元丹邱に向って内笑いつつ、君とともに、胸襟を開き、本心を打ち明けて、思う存分談笑したいものである。

 

岑勛 尋ねられ 元丹丘に就き 酒に對して相い待ち 以詩をって招かるるに酬ゆ)-#1

黃鶴 東南より來り,書を寄せて 心曲を寫す。

松に倚って 開其の緘をけば,我を憶うて 腸 斷續するを。

以千里の遙なるを,駕を命じて 來って相い招く。

中に元丹丘に逢い,嶺に登って 碧霄に宴す。
#2

酒に對して忽ち我を思い,長嘯 清飆に臨む。

蹇たる予が未だ相い知らず,茫茫として 綠雲垂る。

俄然とした 素書及び,此の長渴 飢解く。

馬に策って 山月を望み,途 窮って階墀に造【いた】る

茲の一會面を喜び,瓊樹の枝を睹るが若し。

#3

君を憶うて我遠く來り,我 歡んで方に 速かに至る。

顏を開いて 美酒を酌み,樂 極って 忽ち醉いを成す。

我が情 既に淺からず,君が意 方に亦た深し。

相知 兩つながら相う得,一顧 千金を輕んず。

且つ 山客に向って笑い,君と素心を論ぜん。

 

 

 

『酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

憶君我遠來,我歡方速至。

開顏酌美酒,樂極忽成醉。

我情既不淺,君意方亦深。

相知兩相得,一顧輕千金。

且向山客笑,與君論素心。

(下し文)
君を憶うて我遠く來り,我 歡んで方に 速かに至る。

顏を開いて 美酒を酌み,樂 極って 忽ち醉いを成す。

我が情 既に淺からず,君が意 方に亦た深し。

相知 兩つながら相う得,一顧 千金を輕んず。

且つ 山客に向って笑い,君と素心を論ぜん。

(現代語訳)
君を憶って、そして慕って遠路であることもいとわず出かけてきたけれど思ったより早く行き着いたのは誠に嬉しい。

それを、顔の相好を崩して、笑いつつ美酒を酌み、楽しみ極まれば、忽ち酔ってしまう。

我が情、既に浅からず、したがって、君の纊衣も、もとより深く、

平生相知の間柄であって、ここに相会ったのであるから、一顧すれば、千金も軽いとするばかりで、こういう会合はめったに見られぬことである。

かくて、一酔のあとで、山人たる元丹邱に向って内笑いつつ、君とともに、胸襟を開き、本心を打ち明けて、思う存分談笑したいものである。


(訳注) #3

酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招-3

(岑勛という人が、使いを持って起居を候せしめ、そして元丹邱のところで酒宴をして待っているから、ぜひ来いという意味を詩に言い表して特に招請したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。)

 

憶君我遠來,我歡方速至。

君を憶って、そして慕って遠路であることもいとわず出かけてきたけれど思ったより早く行き着いたのは誠に嬉しい。

君 元丹邱。

 

開顏酌美酒,樂極忽成醉。

それを、顔の相好を崩して、笑いつつ美酒を酌み、楽しみ極まれば、忽ち酔ってしまう。

 

我情既不淺,君意方亦深。

我が情、既に浅からず、したがって、君の纊衣も、もとより深く、

 

相知兩相得,一顧輕千金。

平生相知の間柄であって、ここに相会ったのであるから、一顧すれば、千金も軽いとするばかりで、こういう会合はめったに見られぬことである。

 

且向山客笑,與君論素心。

かくて、一酔のあとで、山人たる元丹邱に向って内笑いつつ、君とともに、胸襟を開き、本心を打ち明けて、思う存分談笑したいものである。

 

 

 

《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

 

237-#2 《巻18-16 酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招 -#2》Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <237-#2> Ⅰ李白詩1484 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5968

酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招#2

對酒忽思我,長嘯臨清飆。

蹇予未相知,茫茫綠雲垂。

俄然素書及,解此長渴飢。

策馬望山月,途窮造階

喜茲一會面,若睹瓊樹枝。

さてこれから、いよいよ出発するのである、馬に鞭うって、山月を望みつつ、馳せてゆくとやがて途が付きて、元丹邱の庵の階墀に到着する

そこで、一たび会面すれば、さながら、仙界の瓊樹の枝を見たような感じがするに違いない。

237-#2 《巻18-16 酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招 -#2Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <237-#2> Ⅰ李白詩1484 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5968

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:736年開元二十四年36

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

交遊人物:岑勛    當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

元丹丘             當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招-#1

(岑勛という人が、使いを持って起居を候せしめ、そして元丹邱のところで酒宴をして待っているから、ぜひ来いという意味を詩に言い表して特に招請したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。)

黃鶴東南來,寄書寫心曲。

黃鶴が一羽、東南より飛び來り、君からの書面を届けて、細々とした御心使いのほどを写してあった。

倚松開其緘,憶我腸斷續。

そこで、松の木樹に倚りかかり、その封を開いて読んでみると、私の様なものをわざわざお心にかけて、心腸が断続されるような趣も明らかに見える。

不以千里遙,命駕來相招。

殊に千里の遠きにかかわらず、駕を命じ、特に使いを以て招かれたのは官舎の言葉もない程である。

中逢元丹丘,登嶺宴碧霄。

中にも、元丹邱におあいになったとかで、山の嶺に登って、さながら碧霄の上のようなところで宴をひらいたのだ。

#2

對酒忽思我,長嘯臨清飆。

そして折から、酒に対して、我を思い出で、長嘯して清風に向い、やがてこちらに向って音信を寄せられたものと推察する。

蹇予未相知,茫茫綠雲垂。

ああ、自分は、このような事は、一向知らず、青天のもと、茫茫として綠雲の垂るるところにたっている。

俄然素書及,解此長渴飢。

俄然、お手紙をを拝見するに及んで飢渴に等しい平生相思の情を慰めるものであった。

策馬望山月,途窮造階墀。

さてこれから、いよいよ出発するのである、馬に鞭うって、山月を望みつつ、馳せてゆくとやがて途が付きて、元丹邱の庵の階墀に到着する

喜茲一會面,若睹瓊樹枝。

そこで、一たび会面すれば、さながら、仙界の瓊樹の枝を見たような感じがするに違いない。

#3

憶君我遠來,我歡方速至。

開顏酌美酒,樂極忽成醉。

我情既不淺,君意方亦深。

相知兩相得,一顧輕千金。

且向山客笑,與君論素心。

 

岑勛 尋ねられ 元丹丘に就き 酒に對して相い待ち 以詩をって招かるるに酬ゆ)-#1

黃鶴 東南より來り,書を寄せて 心曲を寫す。

松に倚って 開其の緘をけば,我を憶うて 腸 斷續するを。

以千里の遙なるを,駕を命じて 來って相い招く。

中に元丹丘に逢い,嶺に登って 碧霄に宴す。
#2

酒に對して忽ち我を思い,長嘯 清飆に臨む。

蹇たる予が未だ相い知らず,茫茫として 綠雲垂る。

俄然とした 素書及び,此の長渴 飢解く。

馬に策って 山月を望み,途 窮って階墀に造【いた】る

茲の一會面を喜び,瓊樹の枝を睹るが若し。

#3

君を憶うて我遠く來り,我 歡んで方に 速かに至る。

顏を開いて 美酒を酌み,樂 極って 忽ち醉いを成す。

我が情 既に淺からず,君が意 方に亦た深し。

相知 兩つながら相う得,一顧 千金を輕んず。

且つ 山客に向って笑い,君と素心を論ぜん。

 

 

『酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

對酒忽思我,長嘯臨清飆。

蹇予未相知,茫茫綠雲垂。

俄然素書及,解此長渴飢。

策馬望山月,途窮造階墀。

喜茲一會面,若睹瓊樹枝。


(下し文)
#2

酒に對して忽ち我を思い,長嘯 清飆に臨む。

蹇たる予が未だ相い知らず,茫茫として 綠雲垂る。

俄然とした 素書及び,此の長渴 飢解く。

馬に策って 山月を望み,途 窮って階に造【いた】る。

茲の一會面を喜び,瓊樹の枝を睹るが若し。

(現代語訳)
そして折から、酒に対して、我を思い出で、長嘯して清風に向い、やがてこちらに向って音信を寄せられたものと推察する。

ああ、自分は、このような事は、一向知らず、青天のもと、茫茫として綠雲の垂るるところにたっている。

俄然、お手紙をを拝見するに及んで飢渴に等しい平生相思の情を慰めるものであった。

さてこれから、いよいよ出発するのである、馬に鞭うって、山月を望みつつ、馳せてゆくとやがて途が付きて、元丹邱の庵の階墀に到着する

そこで、一たび会面すれば、さながら、仙界の瓊樹の枝を見たような感じがするに違いない。


(訳注) #2

酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招-#1

(岑勛という人が、使いを持って起居を候せしめ、そして元丹邱のところで酒宴をして待っているから、ぜひ来いという意味を詩に言い表して特に招請したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。)

 

對酒忽思我,長嘯臨清飆。

そして折から、酒に対して、我を思い出で、長嘯して清風に向い、やがてこちらに向って音信を寄せられたものと推察する。

 

蹇予未相知,茫茫綠雲垂。

ああ、自分は、このような事は、一向知らず、青天のもと、茫茫として綠雲の垂るるところにたっている。

蹇予 発語の助詞。《楚辞 九歌第二 雲中君》「蹇將憺兮壽宮、與日月兮齊光。」(蹇、まさに寿宮に憺んぜんとして、日月と光を斉しくす。)

 

俄然素書及,解此長渴飢。

俄然、お手紙をを拝見するに及んで飢渴に等しい平生相思の情を慰めるものであった。

 

策馬望山月,途窮造階墀。

さてこれから、いよいよ出発するのである、馬に鞭うって、山月を望みつつ、馳せてゆくとやがて途が付きて、元丹邱の庵の階墀に到着する

 

喜茲一會面,若睹瓊樹枝。

そこで、一たび会面すれば、さながら、仙界の瓊樹の枝を見たような感じがするに違いない。

瓊樹枝 ①像上の木の名。玉を生ずるという珍しい木。崑崙山の西にあるという。《李商隠・南朝》「誰言瓊樹朝朝見、不及金蓮歩歩来」(誰か言ふ瓊樹朝朝に見はると、及ばず金蓮の歩歩来たりしに」②玉のように美しい木。③人格がすぐれていることのたとえ。

南 朝 
玄武湖中玉漏催、鶏鳴埭口繍襦廻。
誰言瓊樹朝朝見、不及金蓮歩歩來。
敵国軍營漂木柹、前朝神廟鎖煙煤。
満宮学土皆顔色、江令當年只費才。
楽遊園に造った玄武湖で宋の文帝は、行楽し、玉の水時計に急かされ時を惜しんで遊び耽った。楽遊園の堤は鶏鳴埭と名づけられるほど南斉の武帝は行幸し、お付の官女たちの短いうす絹の襦袢が旋舞するのに興じた。誰が言うのか、陳後主の張貴妃や孔貴嬪、光り輝く宝玉のように美しい樹が朝な朝な立ち現われる美しさと荒淫。それが一足歩む度に美しき黄金の蓮が咲かせた南斉東昏侯の潘妃にしたことが劣るなどというのか。敵国である隋の陣営は、木くずを流して戦艦建造中と警告したのに、対する陳朝では、先帝の祭祀の日も後宮から出ず荒淫に耽り、霊廟もすすけたままだった。千人以上の宮女たちをあつめ、宮廷に女学士を選定し、いずれ劣らぬ美貌揃いであふれた。尚書令の江総は、当時、後主の荒淫の賛辞にひたすら詩文の才能を費したのである。

南 朝 (南斉の武帝と陳の後主)李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 46

 

南 朝 
地險悠悠天險長、金陵王気應瑤光。
休誇此地分天下、只得徐妃半面粧。

地勢の恵み自然の要害によるはるかかなたまでの領土、天から気候、風土の恵みにより、長い距離移動、穀物生産による豊かな国。金陵という名は、昔から王気漂う運気の強いところ、天界の斗宿とも合致応じている。
これだけの国力があって、自分の国を誇れるまではない、漢民族が南を制しているだけで天下を二分されたままだ。ご自分の王妃、徐妃でさえ顔の半分だけに化粧をして馬鹿にされたと同様、たかだか全土の半分しか領土にし得なかったということだ。

南朝(梁・元帝) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 47

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酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招-#1

黃鶴東南來,寄書寫心曲。

倚松開其緘,憶我腸斷續。

不以千里遙,命駕來相招。

中逢元丹丘,登嶺宴碧霄。
(岑勛という人が、使いを持って起居を候せしめ、そして元丹邱のところで酒宴をして待っているから、ぜひ来いという意味を詩に言い表して特に招請したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。)

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 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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年:736年開元二十四年36

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

交遊人物:岑勛    當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

元丹丘             當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招-#1

(岑勛という人が、使いを持って起居を候せしめ、そして元丹邱のところで酒宴をして待っているから、ぜひ来いという意味を詩に言い表して特に招請したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。)

黃鶴東南來,寄書寫心曲。

黃鶴が一羽、東南より飛び來り、君からの書面を届けて、細々とした御心使いのほどを写してあった。

倚松開其緘,憶我腸斷續。

そこで、松の木樹に倚りかかり、その封を開いて読んでみると、私の様なものをわざわざお心にかけて、心腸が断続されるような趣も明らかに見える。

不以千里遙,命駕來相招。

殊に千里の遠きにかかわらず、駕を命じ、特に使いを以て招かれたのは官舎の言葉もない程である。

中逢元丹丘,登嶺宴碧霄。

中にも、元丹邱におあいになったとかで、山の嶺に登って、さながら碧霄の上のようなところで宴をひらいたのだ。

#2

對酒忽思我,長嘯臨清飆。

蹇予未相知,茫茫綠雲垂。

俄然素書及,解此長渴飢。

策馬望山月,途窮造階墀。

喜茲一會面,若睹瓊樹枝。

#3

憶君我遠來,我歡方速至。

開顏酌美酒,樂極忽成醉。

我情既不淺,君意方亦深。

相知兩相得,一顧輕千金。

且向山客笑,與君論素心。

 

岑勛 尋ねられ 元丹丘に就き 酒に對して相い待ち 以詩をって招かるるに酬ゆ)-#1

黃鶴 東南より來り,書を寄せて 心曲を寫す。

松に倚って 開其の緘をけば,我を憶うて 腸 斷續するを。

以千里の遙なるを,駕を命じて 來って相い招く。

中に元丹丘に逢い,嶺に登って 碧霄に宴す。
#2

酒に對して忽ち我を思い,長嘯 清飆に臨む。

蹇たる予が未だ相い知らず,茫茫として 綠雲垂る。

俄然とした 素書及び,此の長渴 飢解く。

馬に策って 山月を望み,途 窮って階墀に造【いた】る

茲の一會面を喜び,瓊樹の枝を睹るが若し。

#3

君を憶うて我遠く來り,我 歡んで方に 速かに至る。

顏を開いて 美酒を酌み,樂 極って 忽ち醉いを成す。

我が情 既に淺からず,君が意 方に亦た深し。

相知 兩つながら相う得,一顧 千金を輕んず。

且つ 山客に向って笑い,君と素心を論ぜん。

 

 

『酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招-#1

黃鶴東南來,寄書寫心曲。

倚松開其緘,憶我腸斷續。

不以千里遙,命駕來相招。

中逢元丹丘,登嶺宴碧霄。

(下し文)

岑勛 尋ねられ 元丹丘に就き 酒に對して相い待ち 以詩をって招かるるに酬ゆ)-#1

黃鶴 東南より來り,書を寄せて 心曲を寫す。

松に倚って 開其の緘をけば,我を憶うて 腸 斷續するを。

以千里の遙なるを,駕を命じて 來って相い招く。

中に元丹丘に逢い,嶺に登って 碧霄に宴す。

(現代語訳)
(岑勛という人が、使いを持って起居を候せしめ、そして元丹邱のところで酒宴をして待っているから、ぜひ来いという意味を詩に言い表して特に招請したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。)

黃鶴が一羽、東南より飛び來り、君からの書面を届けて、細々とした御心使いのほどを写してあった。

そこで、松の木樹に倚りかかり、その封を開いて読んでみると、私の様なものをわざわざお心にかけて、心腸が断続されるような趣も明らかに見える。

殊に千里の遠きにかかわらず、駕を命じ、特に使いを以て招かれたのは官舎の言葉もない程である。

中にも、元丹邱におあいになったとかで、山の嶺に登って、さながら碧霄の上のようなところで宴をひらいたのだ。


(訳注)

酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招-#1

(岑勛という人が、使いを持って起居を候せしめ、そして元丹邱のところで酒宴をして待っているから、ぜひ来いという意味を詩に言い表して特に招請したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。)

 

黃鶴東南來,寄書寫心曲。

黃鶴が一羽、東南より飛び來り、君からの書面を届けて、細々とした御心使いのほどを写してあった。

心曲 細々とした心の思い。  《詩経、秦風、小戎》「在其板屋、亂我心曲.」(その板屋に在りて 我が心曲を亂る)西域の板屋に寝起きされてさぞかし不自由な生活をされていることだろう、それを思えばわが心も千々に乱れるのである。

 

倚松開其緘,憶我腸斷續。

そこで、松の木樹に倚りかかり、その封を開いて読んでみると、私の様なものをわざわざお心にかけて、心腸が断続されるような趣も明らかに見える。

 

不以千里遙,命駕來相招。

殊に千里の遠きにかかわらず、駕を命じ、特に使いを以て招かれたのは官舎の言葉もない程である。

命駕 世説「嵆康、呂安と善し、一たび相思禹ごとに、千里駕をめいず。」とあり、李白《贈崔侍御》「不取回舟興。 而來命駕尋。」(回舟の興を取らず、爾来、駕を命じて尋ぬ。)とつかう

 

中逢元丹丘,登嶺宴碧霄。

中にも、元丹邱におあいになったとかで、山の嶺に登って、さながら碧霄の上のようなところで宴をひらいたのだ。

元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

202 -#4 《巻18-10 酬崔五郎中 -#4》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <202 -#4> Ⅰ李白詩1432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5708

李白《巻18-10 酬崔五郎中 -#4かくのごとくなれば、その楽しみは無窮であるというものであるが、但し、それも自分だけでは面白くないから、ぜひとも君のたもとをとって、一緒に行きたいので、そうすれば、われわれの遊ぶところは、君の嵩山の別業だけではない広がった人生となるのではないだろうか。

 
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年:732年開元二十年32

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬崔五郎中

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

交遊人物/地點:崔成輔      當地交遊 (山南東道 鄧州 南陽)

 

 

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。

 

#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

杖策尋英豪,立談乃知我。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

制作參造化,託諷含神祇。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

 

#2

奈何せん 良圖を懷いて,鬱悒 獨り愁坐する。

策に杖いて 英豪を尋ね,立談 乃ち我を知る。

崔公 生民の秀,緬邈【めんぼく】青雲の姿。

制作 造化に參し,託諷 神祇を含む。

 

#3

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。

是時霜飆寒,逸興臨華池。

このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

その席上、逸興をほしいままにし、酔った挙句に、長いのを振り回して剣舞すると、並んで座っていて面々も、眉をあげて、慷慨激昂した。

因得窮歡情,贈我以新詩。

ここに充分歡情を極めつくすことを得たといって、君は新しい詩を賦して、私に贈られたのである。

 

#3

海嶽 尚お傾く可し,吐諾【とだく】終に移らず。

是の時 霜飆【そうひょう】寒く,逸興 華池に臨む。

起舞して 長劍を拂えば,四座 皆 眉を揚ぐ。

因って歡情を窮むるを得,我に贈る 新詩を以てす。

#4

又結汗漫期,九垓遠相待。

また、我が欲する所は、物外に優遊する佳期を約し、そして九垓の外において、遠くあい待っている。つまり、この世を排脱したいというのである。

舉身憩蓬壺,濯足弄滄海。

酔って、身を踊らし蓬莱山まで出かけてゆく、そこでゆっくり休憩し、足を洗いつつ滄海の流れを弄ぶのである。

從此凌倒景,一去無時還。

更にここより去ってさかしまに照り返す中天の光景を凌ぎつつ、一度去れば、またこの人生には帰る事は無い。

朝遊明光宮,暮入閶闔關。

だから、朝には、丹邱の称ある明光宮に遊び、暮れには、天文を敲いて天帝に拝謁する。

但得長把袂,何必嵩丘山。

かくのごとくなれば、その楽しみは無窮であるというものであるが、但し、それも自分だけでは面白くないから、ぜひとも君のたもとをとって、一緒に行きたいので、そうすれば、われわれの遊ぶところは、君の嵩山の別業だけではない広がった人生となるのではないだろうか。

 

 

#4

又 汗漫の期を結び,九垓 遠く相い待つ。

身を舉げて蓬壺に憩い,足を濯い 滄海を弄す。

此より 倒景を凌ぎ,一去 時として還る無し。

朝には明光宮に遊び,暮には閶闔の關に入る。

但だ 長く袂を把るを得れば,何ぞ必ずしも 嵩丘の山のみならんや。

漢宮 作成002 

 

『酬崔五郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#4

又結汗漫期,九垓遠相待。

舉身憩蓬壺,濯足弄滄海。

從此凌倒景,一去無時還。

朝遊明光宮,暮入閶闔關。

但得長把袂,何必嵩丘山。


(下し文)#4

又 汗漫の期を結び,九垓 遠く相い待つ。

身を舉げて蓬壺に憩い,足を濯い 滄海を弄す。

此より 倒景を凌ぎ,一去 時として還る無し。

朝には明光宮に遊び,暮には閶闔の關に入る。

但だ 長く袂を把るを得れば,何ぞ必ずしも 嵩丘の山のみならんや。
 

(現代語訳)
また、我が欲する所は、物外に優遊する佳期を約し、そして九垓の外において、遠くあい待っている。つまり、この世を排脱したいというのである。

酔って、身を踊らし蓬莱山まで出かけてゆく、そこでゆっくり休憩し、足を洗いつつ滄海の流れを弄ぶのである。

更にここより去ってさかしまに照り返す中天の光景を凌ぎつつ、一度去れば、またこの人生には帰る事は無い。

だから、朝には、丹邱の称ある明光宮に遊び、暮れには、天文を敲いて天帝に拝謁する。

かくのごとくなれば、その楽しみは無窮であるというものであるが、但し、それも自分だけでは面白くないから、ぜひとも君のたもとをとって、一緒に行きたいので、そうすれば、われわれの遊ぶところは、君の嵩山の別業だけではない広がった人生となるのではないだろうか。


長安城漢唐
(訳注) #4

酬崔五郎中

崔五郎中の詩に答えて作った詩)

この詩は、李白の来訪を喜び、「自分の別荘が嵩山にあるからそこに一緒に出掛けようではないか」というのに答えて作ったものである。

崔五郎 崔宗之の事で、李白の酒友である。杜甫《飲中八仙歌》「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』とあり、この詩は李白が崔宗之の《贈李十二》にこたえてつくったもの。

 

又結汗漫期,九垓遠相待。

また、我が欲する所は、物外に優遊する佳期を約し、そして九垓の外において、遠くあい待っている。つまり、この世を排脱したいというのである。

九垓 ①天の果て。 ②地の果て。大地。「先期汗漫九垓上=先づ期す汗漫九垓の上」〔李白・廬山謡〕 ③「九州②」と同じ

 

舉身憩蓬壺,濯足弄滄海。

酔って、身を踊らし蓬莱山まで出かけてゆく、そこでゆっくり休憩し、足を洗いつつ滄海の流れを弄ぶのである。

蓬壺 《形が壺(つぼ)に似ているところから》蓬莱山(ほうらいさん)の異称。内裏や上皇の御所のたとえ。

滄海 東海三山に至る広大な海原。あおあおとした広い海。あおうなばら。滄海変じて桑田となる《儲光羲「献八舅東帰」から》広い海原が桑畑に変わる。世の中の移り変わりの激しいことのたとえ。桑田変じて海となる。桑田変じて滄海となる。

 

從此凌倒景,一去無時還。

更にここより去ってさかしまに照り返す中天の光景を凌ぎつつ、一度去れば、またこの人生には帰る事は無い。

倒景 逆さに映った影。

 

朝遊明光宮,暮入閶闔關。

だから、朝には、丹邱の称ある明光宮に遊び、暮れには、天文を敲いて天帝に拝謁する。

明光宮 丹邱の称ある明光宮であるが、ここは仙郷をいう。漢の武帝の時代に未央宮を造営し(BC200)、その十年後に、はじめて長安城の城壁を築いた。城壁は版築で築き、北宮や明光宮、建章宮が営され、さらに西部の上林苑を拡張し、昆明池を開削した。

 

閶闔關 天門をいう。紫微宮の門のこと。《楚辭離騷》: 「吾令帝閽開關兮, 倚閶闔而望予。」(吾 帝閽をして關を開らかしめんとすれば,閶闔に倚りて予を望む。) 王逸の注に「閶闔, 天門也。」

 

但得長把袂,何必嵩丘山。

かくのごとくなれば、その楽しみは無窮であるというものであるが、但し、それも自分だけでは面白くないから、ぜひとも君のたもとをとって、一緒に行きたいので、そうすれば、われわれの遊ぶところは、君の嵩山の別業だけではない広がった人生となるのではないだろうか。

202 -#3 《巻18-10 酬崔五郎中 -#3》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <202 -#3> Ⅰ李白詩1431 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5703

《巻18-10 酬崔五郎中 -#3》李白  加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。


 
 2015年3月17日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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202 -#3 《巻18-10 酬崔五郎中 -#3》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <202 -#3> Ⅰ李白詩1431 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5703 
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48-#2 《外09 贈徐州族姪 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1344> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5704 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:732年開元二十年32

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬崔五郎中

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

交遊人物/地點:崔成輔      當地交遊 (山南東道 鄧州 南陽)

 

 

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。

 

#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

杖策尋英豪,立談乃知我。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

制作參造化,託諷含神祇。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

 

#2

奈何せん 良圖を懷いて,鬱悒 獨り愁坐する。

策に杖いて 英豪を尋ね,立談 乃ち我を知る。

崔公 生民の秀,緬邈【めんぼく】青雲の姿。

制作 造化に參し,託諷 神祇を含む。

 

#3

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。

是時霜飆寒,逸興臨華池。

このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

その席上、逸興をほしいままにし、酔った挙句に、長いのを振り回して剣舞すると、並んで座っていて面々も、眉をあげて、慷慨激昂した。

因得窮歡情,贈我以新詩。

ここに充分歡情を極めつくすことを得たといって、君は新しい詩を賦して、私に贈られたのである。

 

#3

海嶽 尚お傾く可し,吐諾【とだく】終に移らず。

是の時 霜飆【そうひょう】寒く,逸興 華池に臨む。

起舞して 長劍を拂えば,四座 皆 眉を揚ぐ。

因って歡情を窮むるを得,我に贈る 新詩を以てす。

 

 

『酬崔五郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#3

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

是時霜飆寒,逸興臨華池。

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

因得窮歡情,贈我以新詩。


(下し文) #3

海嶽 尚お傾く可し,吐諾【とだく】終に移らず。

是の時 霜飆【そうひょう】寒く,逸興 華池に臨む。

起舞して 長劍を拂えば,四座 皆 眉を揚ぐ。

因って歡情を窮むるを得,我に贈る 新詩を以てす。

(現代語訳)
加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。

このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。

その席上、逸興をほしいままにし、酔った挙句に、長いのを振り回して剣舞すると、並んで座っていて面々も、眉をあげて、慷慨激昂した。

ここに充分歡情を極めつくすことを得たといって、君は新しい詩を賦して、私に贈られたのである。



(訳注) #3

酬崔五郎中

崔五郎中の詩に答えて作った詩)

この詩は、李白の来訪を喜び、「自分の別荘が嵩山にあるからそこに一緒に出掛けようではないか」というのに答えて作ったものである。

崔五郎 崔宗之の事で、李白の酒友である。杜甫《飲中八仙歌》「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』とあり、この詩は李白が崔宗之の《贈李十二》にこたえてつくったもの。

 

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。

 

是時霜飆寒,逸興臨華池。

このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。

華池 西王母の住む崑崙山上にある池の名。(瑤地)

 

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

その席上、逸興をほしいままにし、酔った挙句に、長いのを振り回して剣舞すると、並んで座っていて面々も、眉をあげて、慷慨激昂した。

 

因得窮歡情,贈我以新詩。

ここに充分歡情を極めつくすことを得たといって、君は新しい詩を賦して、私に贈られたのである。

 

202 -#2 《巻18-10 酬崔五郎中 -#2》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <202 -#2> Ⅰ李白詩1430 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5698

李白《巻18-10 酬崔五郎中 -#2折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

 

 
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202 -#2 《巻18-10 酬崔五郎中 -#2Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <202 -#2> Ⅰ李白詩1430 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5698

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬崔五郎中

作地點:(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

交遊人物/地點:崔成輔      當地交遊 (山南東道 鄧州 南陽)

 

 

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。

 

#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

杖策尋英豪,立談乃知我。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

制作參造化,託諷含神祇。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

 

#2

奈何せん 良圖を懷いて,鬱悒 獨り愁坐する。

策に杖いて 英豪を尋ね,立談 乃ち我を知る。

崔公 生民の秀,緬邈【めんぼく】青雲の姿。

制作 造化に參し,託諷 神祇を含む。

李白の足跡0000 

 

『酬崔五郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

杖策尋英豪,立談乃知我。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

制作參造化,託諷含神祇。


(下し文) #2

奈何せん 良圖を懷いて,鬱悒 獨り愁坐する。

策に杖いて 英豪を尋ね,立談 乃ち我を知る。

崔公 生民の秀,緬邈【めんぼく】青雲の姿。

制作 造化に參し,託諷 神祇を含む。

(現代語訳)
折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

大明宮-座標02
(訳注) #2

酬崔五郎中

崔五郎中の詩に答えて作った詩)

この詩は、李白の来訪を喜び、「自分の別荘が嵩山にあるからそこに一緒に出掛けようではないか」というのに答えて作ったものである。

崔五郎 崔宗之の事で、李白の酒友である。杜甫《飲中八仙歌》「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』とあり、この詩は李白が崔宗之の《贈李十二》にこたえてつくったもの。

 

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

愁坐 何もできず愁うこと。738 《愁坐〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <645  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3535 杜甫詩1000-645-901/1500〔草堂逸詩拾遺-(14)

 

杖策尋英豪,立談乃知我。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

杖策 馬の鞭を杖とする。鞭を手にして立つ。《後漢書、鄧禹傳》「禹杖策軍門、説上延攪英雄。」杜甫《別常徵君》詩「兒扶猶杖策, 臥病一秋強。」

765年永泰元年54-39 《別常徵君》 杜甫index-15 杜甫<839 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4930 杜甫詩1500-839-1157/2500

立談 立ったままで話すこと。

知我 吾人物を鍳識してくれた人である。

 

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

生民秀 生民の中で、特に秀でた者である。

緬邈 はるかに遠いこと。挺然群をぬいていること。

青雲姿 その高遠の姿。高い志を持った士のすがた。

 

制作參造化,託諷含神祇。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

造化 1 天地万物を創造し育てること。また、それをなす者。造物主。「―の神」2 造物主によってつくられたもの。

託諷 事にかこつけて己の意を寄せる。

李白 32歳 

202 -#1 《巻18-10 酬崔五郎中 -#1(朔雲橫高天,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <202 -#1> Ⅰ李白詩1428 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5688

李白《巻18-10 酬崔五郎中 -#1崔五郎中の詩に答えて作った詩)北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

 

 
 2015年3月15日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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202 -#1 《巻18-10 酬崔五郎中 -#1(朔雲橫高天,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <202 -#1> Ⅰ李白詩1428 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5688 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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47 《外04 贈河陽李大夫》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1342> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5694 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-43-#4奉節-34-#4 《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡 -4》 杜甫index-15 杜甫<906-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5695 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-21韋荘99《巻2-49 淸平樂四首 其四》二巻49-〈99〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5697 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩花間集(6)花間集(7)花間集(8)花間集(9)花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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202 -#1 《巻18-10 酬崔五郎中 -#1(朔雲橫高天,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <202 -#1> Ⅰ李白詩1428 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5688

 

 

年:       開元二十年

寫作時間:           732

寫作年紀:           32

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬崔五郎中

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

交遊人物/地點:崔成輔      當地交遊 (山南東道 鄧州 南陽)

 

 

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。

 

#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

杖策尋英豪,立談乃知我。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

制作參造化,託諷含神祇。

#3

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

是時霜飆寒,逸興臨華池。

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

因得窮歡情,贈我以新詩。

#4

又結汗漫期,九垓遠相待。

舉身憩蓬壺,濯足弄滄海。

從此凌倒景,一去無時還。

朝遊明光宮,暮入閶闔關。

但得長把袂,何必嵩丘山。

 

 

 

『酬崔五郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文) #1

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

壯士心飛揚,落日空歎息。

長嘯出原野,凜然寒風生。

幸遭聖明時,功業猶未成。


(下し文)

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。


(現代語訳)
崔五郎中の詩に答えて作った詩)

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。


(訳注)

酬崔五郎中

崔五郎中の詩に答えて作った詩)

この詩は、李白の来訪を喜び、「自分の別荘が嵩山にあるからそこに一緒に出掛けようではないか」というのに答えて作ったものである。

崔五郎 崔宗之の事で、李白の酒友である。杜甫《飲中八仙歌》「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』とあり、この詩は李白が崔宗之の《贈李十二》にこたえてつくったもの。

崔宗之 贈李十二

涼風八九月,白露滿空庭。耿耿意不暢,捎捎風葉聲。

思見雄俊士,共話今古情。李侯忽來儀,把袂苦不早。

清論既抵掌,玄談又倒。分明楚漢事,歷歷王霸道。

擔囊無俗物,訪古千里餘。袖有匕首劒,懷中茂陵書。

雙眸光照人,詞賦凌子虛。酌酒弦素秦,霜氣正凝潔。

平生心中事,今日爲君。我家有別業,寄在嵩之陽。

明月出高岑,清谿澄素光。雲散窗靜,風吹松桂香。

子若同斯遊,千載不相忘。

 

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

朔雲 北方の朔地の寒雲。

萬里 万里杳渺の間。

 

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

 

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

原野 平原広野の地。

 

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

 

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李白《巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈 -2風水の便を得て、愈々世間に乗り出すなら、私としても、隠者のまねなどせずに、これまで手にしていた釣竿を投げ捨て、かの大中の道を助け、見事に功績をあげてみせるというものである。

 

 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈

作地點:              坊州( / 坊州 / 坊州)

及地點:              坊州 ( 坊州 坊州)    

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都         

交遊人物:王嵩    書信往來( 坊州 坊州)

閻正字   書信往來

 

 

酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈

(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)

遊子東南來,自宛適京國。

自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。

飄然無心雲,倏忽復西北。

例えば、無心の雲一片、飄然として、倏忽の間に西北に向って飛び去ったようなものだ。

訪戴昔未偶,尋嵇此相得。

ここに王君と知り合ったが、例えば、昔の王子猷が戴安道を訪れて、その時には逢わなかったように柔然はたがいにまみえることは稀であったが、この頃は、嵆康が石安と親しく、逢いたいと思えば、いつでも出かけるように、頻りに親炙することが出来て、まことに喜ばしい。

愁顏發新歡,終宴敘前識。

そこで、愁顔にも新歡を発してどうやら愉快のなったように見え、宴席の間に於いては、つねに、従前のことを述べて、たがいに打ち興じていた。

閻公漢庭舊,沈鬱富才力。

閻公は漢庭の旧臣であって、豊富なる才力は、その人物を自然沈鬱にしてしまうのであった。

175-2 《巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈 -2

價重銅龍樓,聲高重門側。

太子正字として銅龍門樓をでて聲価は愈々重く、やがて、その名は九重の門を入って帝宮にまで響き渡っているのである。

寧期此相遇,華館陪遊息。

その閻公がはからずも王司馬に遭い、華館において宴をひらいたとのことである。

積雪明遠峰,寒城鎖春色。

おりしも、積雪は遠峰に明らかに見えているし、寒城は春の盛りかと見まごう花が咲き誇るかと思えるような雪景色で春が来るのを閉ざしている。

主人蒼生望,假我青雲翼。

その景色を見てこの詩を作って私に贈られたが、王司馬は民衆の望みを負うておられる人で願わくば、私に青雲の翼を借りて仕官の手助けをしてほしいとおもっている。

風水如見資,投竿佐皇極。

こうして、風水の便を得て、愈々世間に乗り出すなら、私としても、隠者のまねなどせずに、これまで手にしていた釣竿を投げ捨て、かの大中の道を助け、見事に功績をあげてみせるというものである。

 

(坊州の王司馬と閻正字と雪に對して贈らるるに酬ゆ)

遊子 東南より來り,宛自り京國に適く。

飄然たる無心の雲,倏忽 復た西北。

戴を訪うて昔 未だ偶せず,嵇を尋ねて此に相い得たり。

愁顏 新歡を發し,終宴 前識を敘す。

閻公 漢庭の舊,沈鬱 才力に富む。

 

價は重し銅龍の樓,聲は高し重門の側。

寧ろ期せんや此に相い遇い,華館 遊息に陪するを。

積雪 遠峰明らかに,寒城 春色を鎖す。

主人 蒼生の望,我に青雲の翼を假す。

風水如し資せられるれば,竿を投じて皇極を佐けん。

李白の足跡003 

 

『酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

價重銅龍樓,聲高重門側。

寧期此相遇,華館陪遊息。

積雪明遠峰,寒城鎖春色。

主人蒼生望,假我青雲翼。

風水如見資,投竿佐皇極。


(下し文)
價は重し銅龍の樓,聲は高し重門の側。

寧ろ期せんや此に相い遇い,華館 遊息に陪するを。

積雪 遠峰明らかに,寒城 春色を鎖す。

主人 蒼生の望,我に青雲の翼を假す。

風水如し資せられるれば,竿を投じて皇極を佐けん。

(現代語訳)
太子正字として銅龍門樓をでて聲価は愈々重く、やがて、その名は九重の門を入って帝宮にまで響き渡っているのである。

その閻公がはからずも王司馬に遭い、華館において宴をひらいたとのことである。

おりしも、積雪は遠峰に明らかに見えているし、寒城は春の盛りかと見まごう花が咲き誇るかと思えるような雪景色で春が来るのを閉ざしている。

その景色を見てこの詩を作って私に贈られたが、王司馬は民衆の望みを負うておられる人で願わくば、私に青雲の翼を借りて仕官の手助けをしてほしいとおもっている。

こうして、風水の便を得て、愈々世間に乗り出すなら、私としても、隠者のまねなどせずに、これまで手にしていた釣竿を投げ捨て、かの大中の道を助け、見事に功績をあげてみせるというものである。

終南山06
(訳注)

酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈

(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)

 

價重銅龍樓,聲高重門側。

太子正字として銅龍門樓をでて聲価は愈々重く、やがて、その名は九重の門を入って帝宮にまで響き渡っているのである。

價重 名声の価は愈々重いということ。

銅龍樓 漢太子宮門の名。 門樓の上に銅龍を飾って有る。 亦た帝王の宮闕とされた時もある。

聲高重門 九重の門を入って帝宮にまで響き渡っている。重門は九重の門、帝宮の門。

 

寧期此相遇,華館陪遊息。

その閻公がはからずも王司馬に遭い、華館において宴をひらいたとのことである。

閻行(エンカウ)(生没年未詳)漢犍為太守・列侯、字は彦明。金城の人。韓遂の女婿。後に「閻豔」と改名する《張既伝》。

 

積雪明遠峰,寒城鎖春色。

おりしも、積雪は遠峰に明らかに見えているし、寒城は春の盛りかと見まごう花が咲き誇るかと思えるような雪景色で春が来るのを閉ざしている。

 

主人蒼生望,假我青雲翼。

その景色を見てこの詩を作って私に贈られたが、王司馬は民衆の望みを負うておられる人で願わくば、私に青雲の翼を借りて仕官の手助けをしてほしいとおもっている。

 

風水如見資,投竿佐皇極。

こうして、風水の便を得て、愈々世間に乗り出すなら、私としても、隠者のまねなどせずに、これまで手にしていた釣竿を投げ捨て、かの大中の道を助け、見事に功績をあげてみせるというものである。

皇極 尚書の洪範に建用皇極とあって、孔安國の伝に「皇は大なり、極は中なり、おおよそ事を立つるには当に大中の道を用うべし。」とある。

《尚書·洪范》:“次五曰建用皇極。 ”孔安國傳:“皇,大;極,中也。凡立事當用大中之道。”.

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李白《巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈》(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)

自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。

 
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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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交遊人物:王嵩    書信往來( 坊州 坊州)

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酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈

(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)

遊子東南來,自宛適京國。

自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。

飄然無心雲,倏忽復西北。

例えば、無心の雲一片、飄然として、倏忽の間に西北に向って飛び去ったようなものだ。

訪戴昔未偶,尋嵇此相得。

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愁顏發新歡,終宴敘前識。

そこで、愁顔にも新歡を発してどうやら愉快のなったように見え、宴席の間に於いては、つねに、従前のことを述べて、たがいに打ち興じていた。

閻公漢庭舊,沈鬱富才力。

閻公は漢庭の旧臣であって、豊富なる才力は、その人物を自然沈鬱にしてしまうのであった。

 

價重銅龍樓,聲高重門側。

寧期此相遇,華館陪遊息。

積雪明遠峰,寒城鎖春色。

主人蒼生望,假我青雲翼。

風水如見資,投竿佐皇極。

 

(坊州の王司馬と閻正字と雪に對して贈らるるに酬ゆ)

遊子 東南より來り,宛自り京國に適く。

飄然たる無心の雲,倏忽 復た西北。

戴を訪うて昔 未だ偶せず,嵇を尋ねて此に相い得たり。

愁顏 新歡を發し,終宴 前識を敘す。

閻公 漢庭の舊,沈鬱 才力に富む。

 

價は重し銅龍の樓,聲は高し重門の側。

寧ろ期せんや此に相い遇い,華館 遊息に陪するを。

積雪 遠峰明らかに,寒城 春色を鎖す。

主人 蒼生の望,我に青雲の翼を假す。

風水如し資せられるれば,竿を投じて皇極を佐けん。

 

李白の足跡003 

『酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈

遊子東南來,自宛適京國。

飄然無心雲,倏忽復西北。

訪戴昔未偶,尋嵇此相得。

愁顏發新歡,終宴敘前識。

閻公漢庭舊,沈鬱富才力。



(下し文)
(坊州の王司馬と閻正字と雪に對して贈らるるに酬ゆ)

遊子 東南より來り,宛自り京國に適く。

飄然たる無心の雲,倏忽 復た西北。

戴を訪うて昔 未だ偶せず,嵇を尋ねて此に相い得たり。

愁顏 新歡を發し,終宴 前識を敘す。

閻公 漢庭の舊,沈鬱 才力に富む。

(現代語訳)
(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)

自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。

例えば、無心の雲一片、飄然として、倏忽の間に西北に向って飛び去ったようなものだ。

ここに王君と知り合ったが、例えば、昔の王子猷が戴安道を訪れて、その時には逢わなかったように柔然はたがいにまみえることは稀であったが、この頃は、嵆康が石安と親しく、逢いたいと思えば、いつでも出かけるように、頻りに親炙することが出来て、まことに喜ばしい。

そこで、愁顔にも新歡を発してどうやら愉快のなったように見え、宴席の間に於いては、つねに、従前のことを述べて、たがいに打ち興じていた。

閻公は漢庭の旧臣であって、豊富なる才力は、その人物を自然沈鬱にしてしまうのであった。


戦国七雄001
(訳注)

酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈

(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)

 

遊子東南來,自宛適京國。

自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。

 秦のとき、宛縣とし、隋以降南陽縣とした。

適京國 長安にたどり着いた。

 

飄然無心雲,倏忽復西北。

例えば、無心の雲一片、飄然として、倏忽の間に西北に向って飛び去ったようなものだ。

 

訪戴昔未偶,尋嵇此相得。

ここに王君と知り合ったが、例えば、昔の王子猷が戴安道を訪れて、その時には逢わなかったように柔然はたがいにまみえることは稀であったが、この頃は、嵆康が石安と親しく、逢いたいと思えば、いつでも出かけるように、頻りに親炙することが出来て、まことに喜ばしい。

訪戴 王子猷が雪の夜、小舟に乗じて戴安道を訪ねた。

王子猷居山陰,夜大雪,眠覺,開室,命杓酒。 四望皎然,因起徬徨,詠左思招隱詩。忽憶戴安道。時戴在剡, 即便夜乘小舟就之。 經宿方至,造門不前而返。人問其故, 王曰:「 無本乘興而行,興盡而返,何必見戴?」

むかし、王子猷は山陰というところに住んでいた。生活のための日々の仕事に縛られることなく、ただ花鳥風月に心を寄せて多くの年月を暮らしていた。何かのことを思い立ったら(すぐ動かないと)いらいらするたちで、情趣を大事にする人なので、ある大雪が降った日に,雪が止んで、素晴らしく美しい月光が煌々と照らす夜、一人でこの光景を起きて見ているうちに、その趣を一人で味わうだけでは我慢できなくなったのであろうか、心の欲求のまま高瀬舟に乗って(おそらく家臣に棹を操らせ)友人の戴安道を訪れていった。家までの道は遠いので、夜も明け月も傾いてしまったのを、残念に思ったのであろう、このような理由でやって来たとも言わずに、そのまま門のところから引き歸していった。なぜ、そんなことをしたのかと聞く人があったので、「一緒に月を見ようとやってきたのだけれど、友人に逢う必要があるだろうか(いや月も風景も変わってしまい、趣がなくなっていた)」風流を大事にする心の深さは、このことでよくわかることであろう。戴安道は剡縣という所に住んでいた。王子猷の年来の友である。同じように風流を理解する人であったそうだ。

尋嵇 嵆康の親友であった呂安は、兄の呂巽が自分の妻と私通した事が原因で諍いを起こし、兄を告発しようとしたところ、身の危険を感じた呂巽によって先に親不孝の罪で訴えられた。この時嵆康は呂安を弁護しようとしたが、鍾会は以前から嵆康に怨恨があり、この機会に嵆康と呂安の言動を風俗を乱す行いだと司馬昭に讒言した。このため、先に仕官を拒否したことと共に罪状に挙げられ、嵆康と呂安は死罪となった。

 

愁顏發新歡,終宴敘前識。

そこで、愁顔にも新歡を発してどうやら愉快のなったように見え、宴席の間に於いては、つねに、従前のことを述べて、たがいに打ち興じていた。

 

閻公漢庭舊,沈鬱富才力。

閻公は漢庭の旧臣であって、豊富なる才力は、その人物を自然沈鬱にしてしまうのであった。

閻行(エンカウ)(生没年未詳)漢犍為太守・列侯、字は彦明。金城の人。韓遂の女婿。後に「閻豔」と改名する《張既伝》。若いころから勇名を馳せ、初めは小将として韓遂に付き従った。建安年間(一九六~二二〇)の初め、韓遂と馬騰が攻撃しあったとき、馬騰の子馬超にも勇名があったが、閻行は馬超を突き刺し、矛が折れてしまうと、その柄で馬超のうなじを殴り、殺す寸前だった《張既伝》。

 

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李白《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(0)》 予は、神仙の道を少室山中に尋ねようとし、ことごとく三十六峰に登った。その時、焦鍊師の道士修業の徳高く思精であることを伝聞していることにより、これに詩を寄せんとし、紙に書きつけて、遙かに贈った。

 

 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈嵩山焦鍊師

 

作地點:              嵩山(都畿道 / 河南府 / 嵩山)

及地點:              嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高      

少室山 (都畿道 河南府 少室山)       

交遊人物:焦鍊師              書信往來(都畿道 河南府 嵩山)

 

 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(0)

(0)贈嵩山焦鍊師 并序

(嵩山に隠遁している焦という徳の高いにこの詩 并びに序文を贈る)

嵩丘有神人焦鍊師者,不知何許婦人也,又云生於齊梁時。

嵩山に神仙のひとである焦鍊師がいる、何処で生まれたのか生母が誰なのかのもわからないのであり、また、齊梁の時代に生れたともいう。

其年貌可稱五六十,常胎息穀,居少室廬,遊行若飛,倏忽萬里。

その年貌を見ると五六十歳と称すべく、平生、胎息を為し、また穀物を絶ち、少室山中の草盧におり、遊行すればその速くゆくのは飛び様であり、忽ちの間に、万里を行ってしまうという。

世或傳其入東海,登蓬萊,竟莫能測其往也。

世間では、あるいは傳えて、東海に入って、蓬莱山に登ったこともあるといい、ついにその行くところを測ることができない。

余訪道少室,盡登三十六峰,聞風有寄,灑翰遙贈。

予は、神仙の道を少室山中に尋ねようとし、ことごとく三十六峰に登った。その時、焦鍊師の道士修業の徳高く思精であることを伝聞していることにより、これに詩を寄せんとし、紙に書きつけて、遙かに贈った。

 

(1)贈嵩山焦鍊師

二室凌青天,三花含紫煙。

中有蓬海客,宛疑麻姑仙。

道在喧莫染,跡高想已綿。

時餐金鵝蕊,屢讀青苔篇。

(2)

八極恣遊憩,九垓長周旋。

下瓢酌潁水,舞鶴來伊川。

還歸空山上,獨拂秋霞眠。

蘿月掛朝鏡,松風鳴夜弦。

(3)

潛光隱嵩嶽,鍊魄棲雲幄。

霓裳何飄颻,鳳吹轉綿邈。

願同西王母,下顧東方朔。

紫書儻可傳,銘骨誓相學。

 

(贈嵩山焦鍊師)

(0)(嵩山の焦鍊師に贈る 并びに序)

嵩丘に神人焦鍊師という者有り,何許【いずこ】の婦人なるを知らざるなり,又た云う齊梁の時に生る、と。

其の年貌 五六十と稱すべく,常に胎息して穀をち,少室の廬に居り,遊行飛ぶが若く,倏忽【しゅくこつ】萬里。

世 或いは其の東海に入り,蓬萊に登るを傳う,竟に能く測其の往くを莫きなり。

余 道を少室に訪い,盡く三十六峰に登り,風を聞いて寄する有り,翰を灑いで遙かに贈る。

 

(1)贈嵩山焦鍊師

二室凌青天,三花含紫煙。

中有蓬海客,宛疑麻姑仙。

道在喧莫染,跡高想已綿。

時餐金鵝蕊,屢讀青苔篇。

(2)

八極恣遊憩,九垓長周旋。

下瓢酌潁水,舞鶴來伊川。

還歸空山上,獨拂秋霞眠。

蘿月掛朝鏡,松風鳴夜弦。

(3)

潛光隱嵩嶽,鍊魄棲雲幄。

霓裳何飄颻,鳳吹轉綿邈。

願同西王母,下顧東方朔。

紫書儻可傳,銘骨誓相學。

 

(含異文)

二室凌青天,三花含紫煙。中有蓬海客,宛疑麻姑仙。道在喧莫染,跡高想已綿。時餐金鵝蕊【時餐金蛾藥】,屢讀青苔篇【屢讀古苔篇】。八極恣遊憩,九垓長周旋。下瓢酌潁水,舞鶴來伊川。還歸空山上,獨拂秋霞眠。蘿月掛朝鏡,松風鳴夜弦。潛光隱嵩嶽,鍊魄棲雲幄。霓裳何飄颻【霓衣何飄颻】【霓裳何萎蕤】【霓衣何萎蕤】,鳳吹轉綿邈。願同西王母,下顧東方朔。紫書儻可傳,銘骨誓相學。

 

魚玄機2長安洛陽中原地図 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(0)

『贈嵩山焦煉師 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

(0)贈嵩山焦鍊師 并序

嵩丘有神人焦鍊師者,不知何許婦人也,又云生於齊梁時。

其年貌可稱五六十,常胎息穀,居少室廬,遊行若飛,倏忽萬里。

世或傳其入東海,登蓬萊,竟莫能測其往也。

余訪道少室,盡登三十六峰,聞風有寄,灑翰遙贈。


(下し文)
(0)(嵩山の焦鍊師に贈る 并びに序)

嵩丘に神人焦鍊師という者有り,何許【いずこ】の婦人なるを知らざるなり,又た云う齊梁の時に生る、と。

其の年貌 五六十と稱すべく,常に胎息して穀をち,少室の廬に居り,遊行飛ぶが若く,倏忽【しゅくこつ】萬里。

世 或いは其の東海に入り,蓬萊に登るを傳う,竟に能く測其の往くを莫きなり。

余 道を少室に訪い,盡く三十六峰に登り,風を聞いて寄する有り,翰を灑いで遙かに贈る。

(現代語訳)
(嵩山に隠遁している焦という徳の高いにこの詩 并びに序文を贈る)

嵩山に神仙のひとである焦鍊師がいる、何処で生まれたのか生母が誰なのかのもわからないのであり、また、齊梁の時代に生れたともいう。

その年貌を見ると五六十歳と称すべく、平生、胎息を為し、また穀物を絶ち、少室山中の草盧におり、遊行すればその速くゆくのは飛び様であり、忽ちの間に、万里を行ってしまうという。

世間では、あるいは傳えて、東海に入って、蓬莱山に登ったこともあるといい、ついにその行くところを測ることができない。

予は、神仙の道を少室山中に尋ねようとし、ことごとく三十六峰に登った。その時、焦鍊師の道士修業の徳高く思精であることを伝聞していることにより、これに詩を寄せんとし、紙に書きつけて、遙かに贈った。


(訳注)

(0)贈嵩山焦煉師 并序

(0)(嵩山の焦鍊師に贈る 并びに序)

(嵩山に隠遁している焦という徳の高いにこの詩 并びに序文を贈る)

嵩山は、五岳の中にあるので中岳という。中国河南省登封市にある山岳群である。

李白の足跡003 

嵩丘有神人焦鍊師者,不知何許婦人也,又云生於齊梁時。

嵩丘に神人焦鍊師という者有り,何許【いずこ】の婦人なるを知らざるなり,又た云う齊梁の時に生る、と。

嵩山に神仙のひとである焦鍊師がいる、何処で生まれたのか生母が誰なのかのもわからないのであり、また、齊梁の時代に生れたともいう。

神人 神仙のひと。

鍊師 道士修業の徳高く思精であるものをいう。

 

其年貌可稱五六十,常胎息穀,居少室廬,遊行若飛,倏忽萬里。

其の年貌 五六十と稱すべく,常に胎息して穀をち,少室の廬に居り,遊行飛ぶが若く,倏忽【しゅくこつ】萬里。

その年貌を見ると五六十歳と称すべく、平生、胎息を為し、また穀物を絶ち、少室山中の草盧におり、遊行すればその速くゆくのは飛び様であり、忽ちの間に、万里を行ってしまうという。

胎息 道教の修行法の一つ。晋の葛洪(かつこう)の《抱朴子》によれば,仙人になるためには,呼吸法,房中術,服薬法の三つを心得る必要がある。このうち,呼吸法(行気)には疾病を治癒し,蛇虎を調伏し,飢渇を止め,寿命を延ばすなどの効用がある。胎息とは,この呼吸法の極致で,鼻や口を使わず,子供が胎内にいるときと同じように呼吸することであるという。また《後漢書》では,道士王真がこの胎息の実践により不老長生を得たと説く。

 修行の中で穀物を食べないこと。

少室廬 少室山中の草盧。

倏忽 時間がきわめて短いさま。たちまち。

 

世或傳其入東海,登蓬萊,竟莫能測其往也。

世 或いは其の東海に入り,蓬萊に登るを傳う,竟に能く測其の往くを莫きなり。

世間では、あるいは傳えて、東海に入って、蓬莱山に登ったこともあるといい、ついにその行くところを測ることができない。

 

余訪道少室,盡登三十六峰,聞風有寄,灑翰遙贈。

余 道を少室に訪い,盡く三十六峰に登り,風を聞いて寄する有り,翰を灑いで遙かに贈る。

予は、神仙の道を少室山中に尋ねようとし、ことごとく三十六峰に登った。その時、焦鍊師の道士修業の徳高く思精であることを伝聞していることにより、これに詩を寄せんとし、紙に書きつけて、遙かに贈った。

嵩山は、五岳の中にあるので中岳という。中国河南省登封市にある山岳群である。その山の二峰、東を太室と云い、西を少室という。南は登封に跨り、北は鞏邑に跨り、西は洛陽に跨り、東は密縣に跨る。その峰を千丈にすると一百五十余里。小室山は穎水の源。。最高峰は標高1440mの太室山である。古代から山岳信仰の場として有名で、北魏時代からは少林寺などの道教、仏教の道場が建立された。また、唐代には副都であった洛陽に近い事から、政府との結びつきが強く、ここを本拠地としていた潘師正、普寂、慧安などの道士、僧侶らが皇帝の崇敬を受け、道教、禅宗はそれぞれ自派を拡大した。

道士、嵩山についておなじように詠ったものに、《巻06-08 元丹丘歌》がある。

元丹邱歌

元丹邱,愛神仙。

朝飲頴川之清流,暮還嵩岑之紫煙。

三十六峰長周旋,長周旋。

躡星虹,身騎飛龍耳生風。

横河跨海与天通,我知爾遊心無窮。

(元丹邱の歌)

元丹邱【げんたんきゅう】  神仙を愛す。

朝【あした】には頴川【えいせん】の清流を飲み、暮【くれ】には嵩岑【すうしん】の紫煙に還る。

三十六峰  長く周旋【しゅうせん】す、長く周旋す。

 星虹【せいこう】を躡【ふ】み、身は飛龍に騎って耳は風を生ず。

河を横ぎり海を跨【また】げて天と通じ、我れ知る  爾(なんじ)の遊心窮り無きを。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->李白31歳
<!--[endif]-->

149-4 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (4)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <149-4> Ⅰ李白詩1345 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5273

李白《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (4)しかし、古の紫芝を採った商山の四皓であるとか、纓を洗ったという滄浪の歌を聞いて感心した屈原という人は、今日見る事が出来ないけれど、この地において君一人で、一人さびしく過ぎてゆかれたのである。

 

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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149-4 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (4)Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <149-4> Ⅰ李白詩1345 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5273

 

 

年:30年開元十八年30

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

翠微寺 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翠微宮  

子午谷 (京畿道、山南西道 無第二級行政層級 子午谷)              

石門 (山南西道 梁州 褒城)              

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

交遊人物:崔叔封              書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,

太宗皇帝金沙泉見寄 -#1

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

小物昧遠圖,寧知通方士。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

地古寒雲深,巖高長風起。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。

#2

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

#3

早行子午關,卻登山路遠。

翌朝はやく、子午道の關所に赴こうとし、遠い山道をとぼとぼと歩いていくことになる。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

そして、旅籠についてから、琴を掻き鳴らし、朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声を聴き、また燈火を吹き消して、夜が明けぬ前に起きて飯を食らうのである。

人煙無明異,鳥道往返。

この辺は寂しい所であるから、人煙は朝夕の区別なく、何処にも見えないし、獣地にも満たない鳥の道には人が通ることはない。

攀崖倒青天,下視白日晚。

そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

#4

既過石門隱,還唱石潭歌。

既に石門の隠者を訪ねたが、そこではまた、石潭歌を繰り返し唱えた。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

雪が積もっている間を渉って、紫芝などの仙草を摘み、冠の纓をあらって清波を懐かしく思うのである。

此人不可見,此地君自過。

しかし、古の紫芝を採った商山の四皓であるとか、纓を洗ったという滄浪の歌を聞いて感心した屈原という人は、今日見る事が出来ないけれど、この地において君一人で、一人さびしく過ぎてゆかれたのである。

為余謝風泉,其如幽意何。

そうであれば、終南山の山中のこの幽意をだれが賛賞するというのか、そんな人はいないはずだが、やがて、私が行くことになるから、君が先に行って、その風流な金沙泉に挨拶をしておいてほしい。

 

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

 

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

 

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

 

既に石門の隱を過ぎ,還た石潭の歌を唱う。

雪を涉って紫芳を搴り,纓を濯って清波を想う。

此人 見る可からず,此の地 君 自ら過ぐ。

余が為に風泉を謝せよ,其れ幽意を如何【いか】ん。

yoshu&choan736 

 

『答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄』 現代語訳と訳註解説

(本文) #4

既過石門隱,還唱石潭歌。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

此人不可見,此地君自過。

為余謝風泉,其如幽意何。

 

(含異文)

既過石門隱【既遇石門隱】,還唱石潭歌【還聞石潭歌】。涉雪搴紫芳【涉雪採紫莖】,濯纓想清波【濯纓掬清波】。

此人不可見,此地君自過。為余謝風泉,其如幽意何。

 

(下し文)

既に石門の隱を過ぎ,還た石潭の歌を唱う。

雪を涉って紫芳を搴り,纓を濯って清波を想う。

此人 見る可からず,此の地 君 自ら過ぐ。

余が為に風泉を謝せよ,其れ幽意を如何【いか】ん。

 

(現代語訳)

既に石門の隠者を訪ねたが、そこではまた、石潭歌を繰り返し唱えた。

雪が積もっている間を渉って、紫芝などの仙草を摘み、冠の纓をあらって清波を懐かしく思うのである。

しかし、古の紫芝を採った商山の四皓であるとか、纓を洗ったという滄浪の歌を聞いて感心した屈原という人は、今日見る事が出来ないけれど、この地において君一人で、一人さびしく過ぎてゆかれたのである。

そうであれば、終南山の山中のこの幽意をだれが賛賞するというのか、そんな人はいないはずだが、やがて、私が行くことになるから、君が先に行って、その風流な金沙泉に挨拶をしておいてほしい。

終南山06 

(訳注) #4

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

崔叔封 不明の人物であるが、時期的に考えて、道教つながりの人であろう。

 

既過石門隱,還唱石潭歌。

既に石門の隠者を訪ねたが、そこではまた、石潭歌を繰り返し唱えた。

石門 いまの山東省曲阜県の東北、泗水の岸にあった。

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涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

雪が積もっている間を渉って、紫芝などの仙草を摘み、冠の纓をあらって清波を懐かしく思うのである。

紫芳 紫芝 []【植】マンネンタケ.紫芳草。靈芝などの仙草。・商山四皓。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。画題とされる。また、・龐德公 東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。

清波 陝西省漢水の上流の嶓冢山から流れ出る川をおもい、澄み切って綺麗な流れということで、きれいなものの比較対象として使われる。隠遁者がきれいな心の持ち主であること、長安のひと山越えて終南山、漢水のきれいな水に入っていきたいうこと。『孟子・離婁上』「孟子曰:…有孺子歌曰:『滄浪之水淸兮,可以濯我纓。滄浪之水濁兮,可以濯我足。』孔子曰:『小子聽之。淸斯濯纓,濁斯濯足矣,自取之也。』…。」この部分に基づいて、屈原が『楚辭』「漁父」で取り込んで歌い上げている。「漁父莞爾而笑,鼓枻而去。 乃歌曰: 『滄浪之水淸兮,可以濯我纓,滄浪之水濁兮,可以濯我足。』 遂去,不復與言。」

滄浪の水が澄めば、わたしの(一番大切で尊貴な)冠のヒモ(纓)を洗ったらいいのであって、滄浪の水が濁れば、わたしの(体の部分で一番穢れている)足を洗ったらいい。

 

此人不可見,此地君自過。

しかし、古の紫芝を採った商山の四皓であるとか、纓を洗ったという滄浪の歌を聞いて感心した屈原という人は、今日見る事が出来ないけれど、この地において君一人で、一人さびしく過ぎてゆかれたのである。

 

為余謝風泉,其如幽意何。

そうであれば、終南山の山中のこの幽意をだれが賛賞するというのか、そんな人はいないはずだが、やがて、私が行くことになるから、君が先に行って、その風流な金沙泉に挨拶をしておいてほしい。
華山道教 

149-3 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (3)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <149-3> Ⅰ李白詩1344 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5268

李白《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (3)そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

 

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(再)-1溫庭筠15《更漏子六首其一》溫庭筠66首巻一15-〈15〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5272 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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149-3 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (3)Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <149-3> Ⅰ李白詩1344 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5268

 

 

年:30年開元十八年30

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

翠微寺 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翠微宮  

子午谷 (京畿道、山南西道 無第二級行政層級 子午谷)              

石門 (山南西道 梁州 褒城)              

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

交遊人物:崔叔封              書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,

太宗皇帝金沙泉見寄 -#1

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

小物昧遠圖,寧知通方士。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

地古寒雲深,巖高長風起。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。

#2

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

#3

早行子午關,卻登山路遠。

翌朝はやく、子午道の關所に赴こうとし、遠い山道をとぼとぼと歩いていくことになる。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

そして、旅籠についてから、琴を掻き鳴らし、朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声を聴き、また燈火を吹き消して、夜が明けぬ前に起きて飯を食らうのである。

人煙無明異,鳥道往返。

この辺は寂しい所であるから、人煙は朝夕の区別なく、何処にも見えないし、獣地にも満たない鳥の道には人が通ることはない。

攀崖倒青天,下視白日晚。

そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

#4

既過石門隱,還唱石潭歌。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

此人不可見,此地君自過。

為余謝風泉,其如幽意何。

 

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

 

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

 

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

 

既に石門の隱を過ぎ,還た石潭の歌を唱う。

雪を涉って紫芳を搴り,纓を濯って清波を想う。

此人 見る可からず,此の地 君 自ら過ぐ。

余が為に風泉を謝せよ,其れ幽意を如何【いか】ん。

 

 yoshu&choan736

『答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄』 現代語訳と訳註解説

(本文) #3

早行子午關,卻登山路遠。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

人煙無明異,鳥道往返。

攀崖倒青天,下視白日晚。

 

(含異文)

早行子午關【早行子午間】【早行子午峰】,卻登山路遠【卻歎山路遠】【頗識關路遠】。拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

人煙無明異【人煙無同異】,鳥道往返。攀崖倒青天,下視白日晚。

 

(下し文)

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

 

(現代語訳)

翌朝はやく、子午道の關所に赴こうとし、遠い山道をとぼとぼと歩いていくことになる。

そして、旅籠についてから、琴を掻き鳴らし、朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声を聴き、また燈火を吹き消して、夜が明けぬ前に起きて飯を食らうのである。

この辺は寂しい所であるから、人煙は朝夕の区別なく、何処にも見えないし、獣地にも満たない鳥の道には人が通ることはない。

そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

 

 秦州同谷成都紀行地図

(訳注) #3

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

崔叔封 不明の人物であるが、時期的に考えて、道教つながりの人であろう。

 

早行子午關,卻登山路遠。

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

翌朝はやく、子午道の關所に赴こうとし、遠い山道をとぼとぼと歩いていくことになる。

子午關 古代中国人は北を子と呼ぶ、南を午という。子午谷は秦嶺山脈の南北を貫く桟道で子午谷と呼ばれた。子午谷の北入り口は今の西安市長安区にあり、南入り口は洋県町から約30キロ離れた龍亭鎮にあり、全長約420キロ。三国末期、魏延が出した「子午谷の計」が利用する桟道がこの道路である。

 

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

そして、旅籠についてから、琴を掻き鳴らし、朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声を聴き、また燈火を吹き消して、夜が明けぬ前に起きて飯を食らうのである。

霜猿 朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声

星飯 朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声

 

人煙無明異,鳥道往返。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

この辺は寂しい所であるから、人煙は朝夕の区別なく、何処にも見えないし、獣地にも満たない鳥の道には人が通ることはない。

 

攀崖倒青天,下視白日晚。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

149-2 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-2> Ⅰ李白詩1343 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5263

李白《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

 

 
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149-2 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-2> Ⅰ李白詩1343 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5263

 

 

年:30年開元十八年30

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

翠微寺 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翠微宮  

子午谷 (京畿道、山南西道 無第二級行政層級 子午谷)              

石門 (山南西道 梁州 褒城)              

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

交遊人物:崔叔封              書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,

太宗皇帝金沙泉見寄 -#1

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

小物昧遠圖,寧知通方士。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

地古寒雲深,巖高長風起。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。

#2

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

#3

早行子午關,卻登山路遠。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

人煙無明異,鳥道往返。

攀崖倒青天,下視白日晚。

#4

既過石門隱,還唱石潭歌。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

此人不可見,此地君自過。

為余謝風泉,其如幽意何。

 

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

 

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

 

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

 

既に石門の隱を過ぎ,還た石潭の歌を唱う。

雪を涉って紫芳を搴り,纓を濯って清波を想う。

此人 見る可からず,此の地 君 自ら過ぐ。

余が為に風泉を謝せよ,其れ幽意を如何【いか】ん。

 

華山道教 

『答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄』 現代語訳と訳註解説

(本文)

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

 

(含異文)

初登翠微嶺,復憩金沙泉。踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。鼎湖夢淥水,龍駕空茫然【龍駕何茫然】。

 

(下し文)

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

 

(現代語訳)

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

 yoshu&choan736

(訳注)

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

崔叔封 不明の人物であるが、時期的に考えて、道教つながりの人であろう。

 

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

翠微嶺 翠微寺のある峰

金沙泉。水が澄み金沙のように見える泉。仙郷を言いあらわす。

 

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

夕月圓 日と上る月の影は団円なのである。

 

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

 

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

龍駕空茫然 黄帝昇天のこと。黄帝は首山の銅を採って、荊山の麓で鼎を鋳造した。鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天した。臣下たちは悉く竜の髯をつかまえ、帝の弓にぶら下がって、帝について昇天しようとしたところ、竜の髯が抜け、弓も落ちてしまったので、臣下たちはついてゆくことができず、帝を仰いで泣き叫んだ。

伝説によれば薨去の際に衣服と冠だけを残して昇天したといわれ、「衣冠塚」と呼ばれる。 陵は黄陵県の城北に位置している。

函谷関長安地図座標005李白図102 

149-1 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (1)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-1> Ⅰ李白詩1342 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5258

李白《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (1)何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

 

 
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149-1 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (1)Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-1> Ⅰ李白詩1342 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5258

 

年:30年開元十八年30

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

翠微寺 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翠微宮  

子午谷 (京畿道、山南西道 無第二級行政層級 子午谷)              

石門 (山南西道 梁州 褒城)              

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

交遊人物:崔叔封              書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

小物昧遠圖,寧知通方士。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

地古寒雲深,巖高長風起。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。 

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

 

早行子午關,卻登山路遠。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

人煙無明異,鳥道往返。

攀崖倒青天,下視白日晚。

 

既過石門隱,還唱石潭歌。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

此人不可見,此地君自過。

為余謝風泉,其如幽意何。

 

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

終南山06 

 

『答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄』 現代語訳と訳註解説

(本文)

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

河伯見海若,傲然誇秋水。

小物昧遠圖,寧知通方士。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

地古寒雲深,巖高長風起。

 

(下し文)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

 

(現代語訳)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。

yoshu&choan736 

(訳注)

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

崔叔封 不明の人物であるが、時期的に考えて、道教つながりの人であろう。

少府 後漢での少府は、宮中の御物、衣服、珍宝、御膳を担当すると注釈されている。秩禄は中二千石。丞は1人である。属官には以下のものがあり、中常侍等の宦官の各職官に加え、侍中、尚書令、御史中丞等のような政務の中枢をつかさどる職官が係属されている。以下、括弧内は秩禄で、人数の書いていないものは定員無しである。

終南 終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

翠微寺 終南翠微宮。《元和郡縣誌》「元和郡縣誌·關道·京兆府:太和宮在(長安)縣南五十五里終南山太和谷武德八年造貞觀十年廢二十一年以時熱公卿重請修築於是使將作大匠閻立德繕理焉改為翠微宮今廢為寺。」(關道、京兆府太和宮は長安縣の南五十五里の終南山の太和谷に在り、武德八年造られ、貞觀十年に廢す。二十一年、時熱するを以って、公卿重ねて修築を請う。是に於て將作大匠閻立德を使て、繕理せしめ、改めて翠微宮と為す。今、廢して寺と為す。)

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南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#1>Ⅱ中唐詩377 紀頌之の漢詩ブログ1210

 

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

《莊子外篇秋水第十七》「秋水時至,百川灌河。涇流之大,兩涘渚崖之間,不辯牛馬。於是焉河伯欣然自喜, 以天下之美為盡在己。順流而東行,至於北海,東面而視,不見水端。於是焉河伯始旋其面目,望洋向若而嘆曰:「野語有之曰:『聞道百,以為莫己若者。』我之謂也。且夫我嘗聞少仲尼之聞而輕伯夷之義者,始吾弗信。今我睹子之難窮也,吾非至於子之門則殆矣,吾長見笑於大方之家。」

北海若曰:「井蛙不可以語於海者,拘於虛也夏蟲不可以語於冰者,篤於時也曲士不可以語於道者,束於教也。今爾出於崖涘,觀於大海,乃知爾丑,爾將可與語大理矣。

 

小物昧遠圖,寧知通方士。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

遠圖 遠大なはかりごと。百年先・二百年先の将来を見据えたはかりごと。

通方士 その道に通じた人士。

 

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

 ほめる。おもんずる。ありがたいとする。いさお。軍功。ただ。まさに。

 

地古寒雲深,巖高長風起。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。
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李白《山中問答》「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。

 
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安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:  卷一七八        文體:  七言句(古詩)

李太白集 巻十八

詩題:  山中問答(山中答俗人)

作地點:安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:壽山 (淮南道 安州 安陸)  

 

 

山中問答(山中答俗人)
問余何意棲碧山,笑而不答心自閒。
わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
桃花流水窅然去,別有天地非人間。

「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。 

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山中問答

問余何意棲碧山,笑而不答心自閒。

桃花流水窅然去,別有天地非人間。

(山中の問答)〔山中俗人に答う〕
余に問う 何の意ぞ 碧山に棲む,笑って 答えず 心 自ら なり。
桃花の流水 窅然として去る,別に天地の人間に 非ざる有り。

巫山十二峰002 

 

『山中問答』 現代語訳と訳註解説

(本文)

山中問答

問余何意棲碧山,笑而不答心自閒。

桃花流水窅然去,別有天地非人間。

 

(含異文)

問余何意棲碧山【問余何事棲碧山】,笑而不答心自閒。

桃花流水窅然去,別有天地非人間。

 

(下し文)

(山中の問答)

余に問う 何の意ぞ 碧山に棲む,笑って 答えず 心 自ら 閒なり。

桃花の流水 窅然として去る,別に天地の人間に 非ざる有り。

 

(現代語訳)

(青山の内に棲んでいる私と君との問答)

わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。 
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->李白の足跡003
<!--[endif]-->

(訳注)

山中問答(山中答俗人)
(青山の内に棲んでいる私と俗人の君との問答)

山に入って脱俗的な生活をするということに対する当時の文化人の姿勢が窺われる。陶淵明の生活などに対する憧れのようなものがあることを古来よりの問答形式をとっていること、具体的に転句結句の「桃花流水窅然去」である。厳密に言えば七言古詩である。

問余何意棲碧,笑而不答心自

桃花流水窅然去,別有天地非人

●○△●○●○  ●○△●○●○

○○○●△○●  ●●○●○○△

 

問余何意棲碧山,笑而不答心自閒。

わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
何意  どういう訳で。なぜ。 

・棲  すむ。本来は、鳥のすみか。 

碧山 :緑の色濃い山奥。白兆山、湖北省安陸県にあり、李白は嘗てここで過ごしたことがある実在の山をあげる解説も多いが、ここでは具体的な場所と見ない方がよい。 

棲碧山 隠遁生活をすること。この語もって、湖北の安陸にある白兆山に住むとするとされるが、「隠遁生活をする」ことにあこがれを持ち

李白 84 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰

の詩で見るように結婚をして住んだ形跡があるものの、間もなくこの地から旅立って、他の地で隠遁している。李白の神仙思想から言ってもここは一般的な場所と考えるべきである 

笑而 笑って…(する)。 

不答 返事をしない。返事の答えはしないものの、詩の後半が答の思いとなっている。 

自閑 自ずと落ち着いている。自閑は隠遁者の基本中の基本である。おのずと静かでのんびりすること、尋ねられても答えない、会いに行ってもあえないというのが基本である。
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桃花流水窅然去,別有天地非人間。

「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。 
桃花 モモの花。ここでは、モモの花びら。「桃花」は陶淵明の『桃花源記』や『桃花源詩』を聯想させるための語句である。 

流水 流れゆく川の流れ。 

杳然 ようぜん はるかなさま。 ・ さる。 

別有天地 別な所に世界がある。 

非人間 俗世間とは違う。この浮き世とは違う世の中。

 ・人間 じんかん 俗世間。


○韻 山、閑、間。   この詩は、陶淵明の詩のイメージを借りつつも陶淵明を李白自身が乗り越えたことを示す作品と解釈する。
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道教は老荘の学説と、神仙説と、天師道との三種の要素が混合して成立した宗致である。老荘の教は周知の如く、孔子孟子の儒教に対する反動思想として起ったものである。
これは仁義・礼節によって修身冶平天下を計る儒教への反動として、虚静、人為的な工作を避け天地の常道に則った生活によって、理想社会の出現を期待する。特に神仙説は、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州、方壷、蓬莱)ならびに西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。ここには神仙が居住し、耕さず努めず、気を吸ひ、霞を食べ、仙薬を服し、金丹を煉()って、身を養って不老長生である、闘争もなければ犯法者もない。かかる神仙との交通によって、同じく神仙と化し延寿を計り得るのであって、これ以外には施すべき手段はなく、これ以外の地上の営みはすべて徒為(むだ)であるとなすに至る。これらのことは、詩人の詩に多く取り上げられた。
徳に李白は若い時ほど、神仙思想にあこがれ、いんとんせいかつにあこがれてきた。

70 《酬宇文少府見贈桃竹書筒》Index-3Ⅰ- 2-720年開元八年20歳から23歳 成都・峨嵋山に遊ぶ <70> Ⅰ李白詩1234 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4718

その書筒の中に仙書を入れ、これを携帯して、峨嵋山に分け入るためにここを去ったとしても、千里の先まで携えれば長しえに君を思って忘れることはできないだろう。

 
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70 《酬宇文少府見贈桃竹書筒》Index-3- 2-720年開元八年20歳から23歳 成都・峨嵋山に遊ぶ <70> Ⅰ李白詩1234 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4718

 

 

index-3*-3- 720年開元八年20

6

No.

詩題

詩文初句

 

1

上李邕

大鵬一日同風起,

卷八

2

酬宇文少府見贈桃竹書筒

桃竹書筒綺繡文,

巻十八

3

登錦城散花樓

日照錦城頭,

巻二十

4

登峨眉山

蜀國多仙山,

巻二十

5

冬日歸舊山

未洗染塵纓,

巻二十五

6

春感詩

茫茫南與北,

巻二十五

 

 

作年:    720年開元八年20

卷別:    卷一七八              文體:    七言古詩

詩題:    酬宇文少府見贈桃竹書筒

作地點:              渝州(山南西道 / 渝州 / 渝州)

及地點:              峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)    

交遊人物:宇文少府           書信往來

 

 

酬宇文少府見贈桃竹書筒

(この詩は某縣の尉である宇文某が、桃竹で作った書筒を送ったから、これに謝して歌ったものである。)

桃竹書筒綺繡文,良工巧妙稱群。

桃竹でつづられた書筒は、その面に綺繡の様な斑文があって、まことに綺麗である。そのうえ、上手な作り手が巧妙に細工をしているから世に群のものと称される。

靈心圓映三江月,彩質疊成五色雲。

その霊心は円かにして、三江の月に映じて、彩質は重なり合って、五色の雲を為すかと思われる。

中藏寶訣峨眉去,千里提攜長憶君。

その書筒の中に仙書を入れ、これを携帯して、峨嵋山に分け入るためにここを去ったとしても、千里の先まで携えれば長しえに君を思って忘れることはできないだろう。

(宇文少府の桃竹書筒を贈らる見に酬ゆ)

桃竹の書筒 綺繡の文,良工 巧妙 群とす。

靈心 圓映ず 三江の月,彩質 疊成す 五色の雲。

中に寶訣を藏して峨眉に去り,千里 提攜 長く君を憶う。

 

李白図102 

酬宇文少府見贈桃竹書筒』 現代語訳と訳註

(本文)

酬宇文少府見贈桃竹書筒

桃竹書筒綺繡文,良工巧妙稱群。

靈心圓映三江月,彩質疊成五色雲。

中藏寶訣峨眉去,千里提攜長憶君。

 

(下し文)

(宇文少府の桃竹書筒を贈らる見に酬ゆ)

桃竹の書筒 綺繡の文,良工 巧妙 群と稱す。

靈心 圓映ず 三江の月,彩質 疊成す 五色の雲。

中に寶訣を藏して峨眉に去り,千里 提攜 長く君を憶う。

 

(現代語訳)

(この詩は某縣の尉である宇文某が、桃竹で作った書筒を送ったから、これに謝して歌ったものである。)

桃竹でつづられた書筒は、その面に綺繡の様な斑文があって、まことに綺麗である。そのうえ、上手な作り手が巧妙に細工をしているから世に群のものと称される。

その霊心は円かにして、三江の月に映じて、彩質は重なり合って、五色の雲を為すかと思われる。

その書筒の中に仙書を入れ、これを携帯して、峨嵋山に分け入るためにここを去ったとしても、千里の先まで携えれば長しえに君を思って忘れることはできないだろう。

 

(訳注)

酬宇文少府見贈桃竹書筒

(この詩は某縣の尉である宇文某が、桃竹で作った書筒を送ったから、これに謝して歌ったものである。)

桃竹 桃枝竹で江南に産する。葉は椶のようであり、身は竹のようで、密節で書筒に向くものであるという。

 

桃竹書筒綺繡文,良工巧妙稱群。

桃竹でつづられた書筒は、その面に綺繡の様な斑文があって、まことに綺麗である。そのうえ、上手な作り手が巧妙に細工をしているから世に群のものと称される。

 

靈心圓映三江月,彩質疊成五色雲。

その霊心は円かにして、三江の月に映じて、彩質は重なり合って、五色の雲を為すかと思われる。

 

中藏寶訣峨眉去,千里提攜長憶君。

その書筒の中に仙書を入れ、これを携帯して、峨嵋山に分け入るためにここを去ったとしても、千里の先まで携えれば長しえに君を思って忘れることはできないだろう。

寶訣 仙書。

峨眉 道教や中国の仏教で言うところの聖地で、中国三大霊山(五台山、天台山、峨眉山)や中国四大仏教名山(五台山、九華山、普陀山、峨眉山)の一つである。26の寺院を有し、普賢菩薩の霊場とされる。一帯は聖地となっていたために自然が護られ、約3,000種の植物と、絶滅危惧種を含む約2,000種の動物の宝庫でもある。
55moon 

李太白―(18) 《李白詩全集 卷十八(古近體詩三十二首) 》李白詩 973詩<李太白―(18)> Ⅰ李白詩1133 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4213

李太白―(18) 《李白詩全集 卷十八(古近體詩三十二首) 》

        
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
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李白詩INDEX05李太白―(18) 《李白詩全集 卷十八(古近體詩三十二首) 》李白詩 973詩<李太白―(18)> Ⅰ李白詩1133 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4213

李白詩全集 卷十八 (古近體詩三十二首) 
ID酬答初句
594巻十八 酬談少府 一尉居倏忽。 
595巻十八 酬宇文少府見贈桃竹書筒 桃竹書筒綺繡文
596巻十八 五月東魯行答汶上君 (君一作翁) 五月梅始黃。 
597巻十八 早秋單父南樓酬竇公衡 白露見日滅。 
598巻十八 100山中問答 問余何意棲碧山
599巻十八 答友人贈烏紗帽 領得烏紗帽。 
600巻十八 酬張司馬贈墨 上黨碧松煙。 
601巻十八 答湖州迦葉司馬問白是何人 青蓮居士謫仙人
602巻十八 答長安崔少府叔封 游終南翠微寺太宗皇帝金沙泉見寄 河伯見海若。 
603巻十八 酬崔五郎中 朔云橫高天。 
604巻十八 ○4.以詩代書答元丹丘 青鳥海上來。 
605巻十八 金門答蘇秀才 君還石門日。 
606巻十八 30酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈 游子東南來。 
607巻十八 酬中都小吏攜斗酒雙魚于逆旅見贈 魯酒若琥珀。 
608巻十八 15酬張卿夜宿南陵見贈 月出魯城東。 
609巻十八 ○5.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招 黃鶴東南來。 
610巻十八 答從弟幼成過西園見贈 一身自瀟洒。 
611巻十八 酬王補闕惠翼庄廟宋丞(泚)贈別 學道三千春。 
612巻十八 酬裴侍御對雨感時見贈 雨色秋來寒。 
613巻十八 酬崔侍御 嚴陵不從萬乘游
614巻十八 玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚 乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌 秦淮往石頭訪崔四侍御 昨玩西城月。 
615巻十八 江上答崔宣城 太華三芙蓉。 
616巻十八 答族侄僧中孚贈玉泉仙人掌茶 并序 余聞荊州玉泉寺
617巻十八 知仙人掌茶發乎中孚禪子及青蓮居士李白也。 常聞玉泉山。 
618巻十八 酬裴侍御留岫師彈琴見寄 君同鮑明遠。 
619巻十八 張相公出鎮荊州尋除太子詹事余時 流夜郎行至江夏與張公去千里公 因太府丞王昔使
620巻十八 醉后答丁十八以詩譏余槌碎黃鶴樓 黃鶴高樓已槌碎
621巻十八 答裴侍御先行至石頭驛 以書見招期月滿泛洞庭 君至石頭驛。 
622巻十八 答高山人兼呈權顧二侯 虹霓掩天光。 
623巻十八 答杜秀才五松見贈 昔獻長楊賦。 
624巻十八 至陵陽山登天柱石酬韓侍御見招隱黃山 韓眾騎白鹿。 
625巻十八 酬崔十五見招 爾有鳥跡書。 
626巻十八 答王十二寒夜獨酌有懷 昨夜吳中雪。 
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