李白 金門答蘇秀才 #5
緣溪見綠篠,隔岫窺紅蕖。採薇行笑歌,眷我情何已。
月出石鏡間,松鳴風琴裡。得心自虛妙,外物空頹靡。
身世如兩忘,從君老煙水。
渓流に沿うて行けば、緑の色濃き小笹が茂り合い、高い谷間を隔てて、水の潭をなす庭には、紅の蓮の花の吹き出でたのがうかがわれる。かくて、一人野に出て薇を采りつつ、「笑矣乎。」と行歌して、吾を思う情は決して己む時はない。それから、月は石鏡山の谷間より出で、松聲は風琴の峡中に鳴りひびきわたる。心は自然に虚妙の霊域に至り、外物は、すべて頽壊靡散して、少しも累を人に及ぼすことはない。かくの如くして、この身も、この世も、両つながら忘れ、唯だ心霊のみが依存して、宇宙と契合する様に、吾も修業が積んだならば、その折こそ、君に従って、煙水の間に老いて、いつまでも其處に住んで居たいと思うのである。
李太白集 卷十八12#5 |
金門答蘇秀才 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7310 |
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Index-23 Ⅲ-2 |
743年天寶二年43歳 |
94首-(74)#5 |
393 <1000>#5 |
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年:天寶二年43歳 94首-(74) #3
卷別: 卷一七八 文體: 五言古詩
詩題: 金門答蘇秀才
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點:麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣
交遊人物/地點:蘇秀才 書信往來(京畿道 京兆府 長安)
詩文:
金門答蘇秀才#1
(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)
君還石門日,朱火始改木。
君が以前に隠遁していた石門に還える日、火を取る燧の木を改めるくらいの時間であった。
春草如有情,山中尚含綠。
つまり、時候が換ったが、春草は依然として、情あるが如く、山中においては、なお緑の色を含み、ここだけは、永久に時節が換わらないようである。
折芳愧遙憶,永路當日勗。
そした中、君はわざわざ花を折って、はるかにたがいに憶い合わねば愧じという意を致され、人生の長路を行くには、常日頃、随分勉めて仕事をしなければならないといって、懇懇と我を諭された。
遠見故人心,平生以此足。
それにつけても、二人離れていれば、故人の誠意を見るだけであり、平生これを以て自ら足れりとしているのである。
(金門 蘇秀才に答う)#1
君 石門に還えるの日,朱火 始めて木を改む。
春草 有情あるが如し,山中 尚お綠を含む。
芳を折って遙憶を愧じ,永路 當に日びに勗むべし。
遠く故人の心を見る,平生 此れを以て足る。
#2
巨海納百川,麟閣多才賢。
東海の巨海が全土の百川を納るると同じく、麟閣に於ては、ひろく才賢を集めて、まことに、濟濟たる多士である。
獻書入金闕,酌醴奉瓊筵。
その時、君は、上書せんとして金闕に入り、やがて、天子が羣臣を瓊筵で宴せられる其席に列って、甘ざけを頂戴されたのである。
屢忝白雲唱,恭聞黃竹篇。
そして、妃嬪たちは、西王母が穆王のために詠ったように白雲の歌を唱へ、又天子が作られた《霓裳羽衣曲》は穆王が黄竹の篇を歌われる多様に素晴らしい歌を拝聴した。
恩光照拙薄,雲漢希騰遷。
かくて、目出たく試験に及第して進士と成り、この才拙く命薄き身にも恩光を被り、はては、青雲の上に登って、天河の邊にも行きたいと思うところである。
#2
巨海 百川を納【い】れ,麟閣 才賢多し。
書を獻じて金闕に入れ,醴を酌んで 瓊筵に奉ず。
屢しば 白雲の唱を忝うし,恭【うやうや】しく 黃竹篇を聞く。
恩光 拙薄を照らし,雲漢 騰遷を希【こいねが】う。
#3
銘鼎倘云遂,扁舟方渺然。
鼎に銘じて、神に捧げ、祖先の美を称揚して、これを後世に伝えてゆくのは、その極であり、功なって身退く時は、扁舟を浮べ、渺然として、この世を去りたいと常に心に念じていたのである。
我留在金門,君去臥丹壑。
しかし、事、志と違い、そうは行かぬところから、吾は猶は金馬門に待詔として留まって居るに拘はらず、君は長安を去って、丹壑の幽境に高臥し、
未果三山期,遙欣一丘樂。
三山に藥を採るという佳き時期は、いまだに果してはいないけれども、一丘の楽については、ひとりで占断してよろこんでいたのである。
玄珠寄象罔,赤水非寥廓。
そこで“うすぼんやりものの象罔”が赤水のほとりに於て玄珠を拾ひ上げたと同じく、ことほとさようにこれが高遠なものではないということ、この人の世に於でも、見事に宇宙の大道を体得することができたのである。
#3
鼎に銘して 倘し遂げたりと云わば,扁舟 方に渺然たり。
我 留りて 金門に在り,君 去りて 丹壑に臥す。
未だ三山の期を果さず,遙に 一丘の樂みを欣ぶ。
玄珠 象罔に寄せ,赤水 寥廓に非らず。
#4
願狎東海鷗,共營西山藥。
吾が願うことは、無心にして東海の鴎を狎らし、君と共に西山の薬を採ろうと思うものである。
棲巖君寂滅,處世余龍蠖。
君が巌谷に棲んで寂滅の域に達しでいるにも拘わらず、吾は猶お塵世に在って、或は龍の如く伸び、或は尺蠖の如く屈して、一進一退、兎角、思い通らに成らない。
良辰不同賞,永日應閒居。
であれば、折角の吉日に遇うも、同じく賞することを得ず、永日を消すためには、物外に於て閒居するのが第一である。
鳥吟簷間樹,花落窗下書。
試みに君の幽棲の有様を想像すると、鳥は簷間に翳せる樹の上に歌い、花は窓下に廣げたる古書の上に落ちるのである。
#4
願わくば東海の鷗に狎れ,共に西山の藥を營まむ。
巖に棲みて 君は寂滅【せきめつ】,世に處して 余は龍蠖【りょうわく】。
良辰 同じく賞せず,永日 應に閒居すべし。
鳥は吟ず 簷間の樹,花は落つ 窗下の書。
#5
緣溪見綠篠,隔岫窺紅蕖。
採薇行笑歌,眷我情何已。
月出石鏡間,松鳴風琴裡。
得心自虛妙,外物空頹靡。
身世如兩忘,從君老煙水。
渓流に沿うて行けば、緑の色濃き小笹が茂り合い、高い谷間を隔てて、水の潭をなす庭には、紅の蓮の花の吹き出でたのがうかがわれる。
かくて、一人野に出て薇を采りつつ、「笑矣乎。」と行歌して、吾を思う情は決して己む時はない。
それから、月は石鏡山の谷間より出で、松聲は風琴の峡中に鳴りひびきわたる。
心は自然に虚妙の霊域に至り、外物は、すべて頽壊靡散して、少しも累を人に及ぼすことはない。
かくの如くして、この身も、この世も、両つながら忘れ、唯だ心霊のみが依存して、宇宙と契合する様に、吾も修業が積んだならば、その折こそ、君に従って、煙水の間に老いて、いつまでも其處に住んで居たいと思うのである。
#5
溪に緣って綠篠を見,岫を隔てて紅蕖を窺う。
薇を採って行くゆく笑歌し,我を眷し、情 何ぞ已まん。
月は出づ 石鏡の間,松は鳴る 風琴の裡。
心を得て 自ら虛妙,外物 空しく頹靡。
身世 兩つながら忘るるが如し,君に從って煙水に老いむ。

『金門答蘇秀才』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#5
緣溪見綠篠,隔岫窺紅蕖。
採薇行笑歌,眷我情何已。
月出石鏡間,松鳴風琴裡。
得心自虛妙,外物空頹靡。
身世如兩忘,從君老煙水。
(下し文)
#5
溪に緣って綠篠を見,岫を隔てて紅蕖を窺う。
薇を採って行くゆく笑歌し,我を眷し、情 何ぞ已まん。
月は出づ 石鏡の間,松は鳴る 風琴の裡。
心を得て 自ら虛妙,外物 空しく頹靡。
身世 兩つながら忘るるが如し,君に從って煙水に老いむ。
(現代語訳)
#5
渓流に沿うて行けば、緑の色濃き小笹が茂り合い、高い谷間を隔てて、水の潭をなす庭には、紅の蓮の花の吹き出でたのがうかがわれる。
かくて、一人野に出て薇を采りつつ、「笑矣乎。」と行歌して、吾を思う情は決して己む時はない。
それから、月は石鏡山の谷間より出で、松聲は風琴の峡中に鳴りひびきわたる。
心は自然に虚妙の霊域に至り、外物は、すべて頽壊靡散して、少しも累を人に及ぼすことはない。
かくの如くして、この身も、この世も、両つながら忘れ、唯だ心霊のみが依存して、宇宙と契合する様に、吾も修業が積んだならば、その折こそ、君に従って、煙水の間に老いて、いつまでも其處に住んで居たいと思うのである。
(訳注) #5
金門答蘇秀才#5
(この詩は、李白が翰林に供奉し、宮禁に出入して居た頃、蘇秀才が詩を寄せたのに答へて作ったのである。)743年天寶二年43歳に 94首あり、この詩はその年の74首目になる。
緣溪見綠篠,隔岫窺紅蕖。
渓流に沿うて行けば、緑の色濃き小笹が茂り合い、高い谷間を隔てて、水の潭をなす庭には、紅の蓮の花の吹き出でたのがうかがわれる。
30 緣溪 渓流に沿うて行くこと。
31 綠篠 緑の色濃き小笹が茂り合い。 謝霊運《過始寧墅》「白雲抱幽石、緑篠媚清漣。」(白き雲は幽石【ゆうせき】を抱き、縁篠【りょくじょう】清漣【せいれん】に媚【こび】びたり。)白雲は物さびて静かな石を抱いているようであり、緑の篠竹が清らかな漣に媚びるように揺れなびいている。まことに美しい景色である。
32 隔岫 岫は穴のあるやま。 《1921_甘林》「晨光映遠岫,夕露見日晞。」(晨光 遠岫に映ず,夕露 日を見て晞【かわ】く。)朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。
33 紅蕖 紅色の蓮の花。
採薇行笑歌,眷我情何已。
かくて、一人野に出て薇を采りつつ、「笑矣乎。」と行歌して、吾を思う情は決して己む時はない。
34 採薇 蕨をとる。詩經、國風 「陟彼南山、言采其薇。 未見君子、我心傷悲。」(彼の南山に陟り、言に其の薇を采る。未だ君子を見ず、我が心傷悲す。)あの南の山に登り、蕨を摘んでいます、でもわたしはまだ夫と会うことができずに、心は傷んで憂いに閉ざされています
35 笑歌 笑い歌いまた悲しみ哭することで强烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。李白《卷六27笑歌行二首》「笑矣乎。」(笑わんかな)がある。
月出石鏡間,松鳴風琴裡。
それから、月は石鏡山の谷間より出で、松聲は風琴の峡中に鳴りひびきわたる。
36 石鏡 ①高僧慧遠は廬山に東林寺を建てた。慧遠は太元9年(384年)の来住以来、一生、山外に出ないと誓いを立てたとされ、そのことにちなんだ「虎渓三笑」の説話の舞台もこの山である。また慧遠は蓮池を造り、その池に生える白蓮にちなんだ「白蓮社」と呼ばれる念仏結社を結成したとされ、中国の浄土教の祖とされている。慧遠は中国化された仏教の開創者であり、仏教の中国化と、中国の仏教化という潮流を作りだした。
謝霊運《入彭蠡湖口》「攀崖照石鏡,牽葉入松門。」(崖に攀【よ】じて石鏡に照らし、葉を牽きつつ松門に入る。)崖を攀じ登ったら廬山の石壁・石鏡に日が照り輝いている。木葉をかき分けて白蓮社の松門を入っていく。太平天国の乱で破壊される前、廬山は中国第一の仏教の聖地であり、全盛期には全山に寺廟は三百以上を数えた。
②石鏡 太平寰宇記「石鏡在東山懸崖之上、其狀團圓、近之、則照見形影」(石鏡は東山懸崖の上に在り、其の狀團圓、之に近づけば、則ち形影を照し見る)一統志「石鏡峰、在南康府西二十六里、有一員石、懸崖明淨照」(石鏡峰は、南康府西二十六里に在り、一員石有り、懸崖明らか淨く照す。)
李白《卷13-01 廬山謠寄盧侍御虛舟》
我本楚狂人、狂歌笑孔丘。手持綠玉杖、朝別黃鶴樓。
五嶽尋仙不辭遠、一生好入名山遊。
廬山秀出南斗傍、屏風九疊雲錦張、影落明湖青黛光。
金闕前開二峰長、銀河倒掛三石梁 。
香爐瀑布遙相望、迴崖沓嶂凌蒼蒼。
翠影紅霞映朝日、鳥飛不到吳天長。
登高壯觀天地間、大江茫茫去不還 。
黃雲萬里動風色、白波九道流雪山 。
好為廬山謠、興因廬山發 。
閑窺石鏡清我心、謝公行處蒼苔沒 。
早服還丹無世情、琴心三疊道初成。
遙見仙人彩雲裡、手把芙蓉朝玉京。
先期汗漫九垓上、願接盧敖遊太清。
(廬山の廬侍御虚舟に謡い寄す)
我は本と楚の狂人、鳳歌して孔丘を笑う。手に緑の玉杖を持ち、朝に別る黄鶴楼。
五嶽に仙を尋ぬるに遠きを辞さず、一生 名山に入りて遊ぶを好む
廬山は秀で出ず 南斗の傍ら、屛風九畳 雲錦張る、影は明湖に落ちて青黛光る。
金闕 前に開いて 二峰長し、銀河は倒に挂かる 三石梁。
香炉の瀑布 遥かに相望む、 迥崖沓嶂 凌として蒼蒼たり。
翠影紅霞 朝日に映じ、鳥は飛びて到らず 呉天の長きを。
高きに登りて壮観す 天地の間、大江は茫茫として去りて還らず。
黄雲 万里 風色を動かし、白波 九道 雪山に流る。
好みて廬山の謡を為し、興じて廬山に因りて発す。
閑に石鏡を窺えば我が心清らかなり、謝公の行処は蒼苔に没す。
早に還丹を服して世情無く、琴心 三畳 道初めて成る。
遥かに仙人を見る綵雲の裏、手に芙蓉を把って玉京に朝す。
先は期さん 汗漫と九垓の上に、 願わくは廬敖に接して太清に遊ばん。
③ 成都の北角に武担という塚があるが、その塚の上に鏡の幅は1メートル、高さは120cm程の石である、すきとおることは鏡のごとくであるという。蜀の古王開明の妃の塚だと伝える。蜀王が好色であることから様々な物語が伝えられている。杜甫は昨年760年の夏にも『石犀行』、『石筍行』、『杜鵑行』という蜀の故事をもとに詩を作っている。この詩はその続編というところである。成都の街に出てこの場所に来て作った。《巻14-36・3春日江村,五首之三》「經心石鏡月,到面雪山風。」(心に經る 石鏡の月,面に到る 雪山の風。)成都の北角に武担にある石鏡の要におおきな満月を眺めた日も過ぎた詩、雪嶺山脈から吹き下ろす冷たい風に顔面が切れそうであったこともある。
杜甫《巻14-36・3春日江村,五首之三》
種竹交加翠,栽桃爛熳紅。
經心石鏡月,到面雪山風。
赤管隨王命,銀章付老翁。
豈知牙齒落,名玷薦賢中。
765年永泰元年54歲-17 《春日江村,五首之三》 杜甫index-15 杜甫<817> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4820 杜甫詩1500-817-1135/2500
杜甫《巻10-12石鏡》
蜀王將此鏡,送死置空山。
冥寞憐香骨,提攜近玉顏。
眾妃無複歡,千騎亦虛還。
獨有傷心石,埋輪月宇間。
石鏡 杜甫 <431> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2100 杜甫詩1000-431-614/1500
贈王二十四侍御契四十韻#8~#10
#8
石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。
送終惟糞土,結愛獨荊榛。
置酒高林下,觀棋積水濱。
區區甘累趼,稍稍息勞筋。』
得心自虛妙,外物空頹靡。
心は自然に虚妙の霊域に至り、外物は、すべて頽壊靡散して、少しも累を人に及ぼすことはない。
37 虛妙 虚:物理的実体のない純粋に情報的な存在であり、1.中身がない。からっぽ。からにする。2.実が伴わない。妙:①
不思議なほどにすぐれているさま。霊妙なさま。②
上手であるさま。巧みであるさま。
38 頹靡 頹壊靡散すること。
身世如兩忘,從君老煙水。
かくの如くして、この身も、この世も、両つながら忘れ、唯だ心霊のみが依存して、宇宙と契合する様に、吾も修業が積んだならば、その折こそ、君に従って、煙水の間に老いて、いつまでも其處に住んで居たいと思うのである。
39 老煙水 煙水の間に老いるという意。煙ははかなく消えゆき、水も東海に流れ去る。光陰矢の如し。劉長卿《尋盛禪師蘭若》「秋草黄花覆古阡,隔林何處起人煙。山僧獨在山中老,唯有寒松見少年。」(盛禪師の蘭若を 尋ぬ。秋草黄花古阡を覆ひ,林を隔何處にか人煙起こる。山僧獨り山中に 老いる在りて,唯寒松の少年を見る有り。)