漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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李白詩全集 卷十九(古近體詩六十首

743年(76)李太白集644巻十九18朝下過盧郎中敘舊游  395Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(76) Ⅰ李白詩1757 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7325

李白  朝下過盧郎中敘舊遊

君登金華省,我入銀臺門。幸遇聖明主,俱承雲雨恩。復此休浣時,閒為疇昔言。

卻話山海事,宛然林壑存。明湖思曉月,疊嶂憶清猿。何由返初服,田野醉芳樽。

(朝廷を退潮し盧郎中を訪ねて飲み始め、翌日まで飲み続けて酔いつくして、むかし、嵩山や、鏡湖などで遊んだことを思い出して作った詩である)

君は中朝の左に位置するところ門下省に参朝出仕し、吾は右銀臺門より翰林に供奉する。幸にして、徳にすぐれて聡明・賢明な主に遇うて、そしてともに、雲のように包まれ、雨のように降り注ぎ潤す仁徳、恩徳を被っているのである。今日、また、幸に休沐の期に際し、おもむろに前日の事に就いて述べたのである。かくて、海山において、その遊を語り出せば、そこに、幽山、林壑は、宛然として眼前に存するかのように表現される。静かなる夜、明月に、波明かなる湖水に就いてかたり、暁の空に沈める残月の清らかなことを思い、あらわす。隠棲のところの嵯峨たる畳嶂に就いていい、清猿の聾悲しきを思い出して、幽興、更に尽きることはない。しかし、どうすれば、朝衣を脱いで、当初の布衣に著換へ、そして田野に於いて、芳樽に酔うことができようか。

李太白集巻十九18

朝下過盧郎中敘舊游

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ325

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-76

395 <1000

 

 
  2016年2月12日 の紀頌之5つのBlog  
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年:743年天寶二年43歳 94-76

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    朝下過盧郎中敘舊遊

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:盧郎中      當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

 

朝下過盧郎中敘舊遊

(朝廷を退潮し盧郎中を訪ねて飲み始め、翌日まで飲み続けて酔いつくして、むかし、嵩山や、鏡湖などで遊んだことを思い出して作った詩である)

君登金華省,我入銀臺門。

君は中朝の左に位置するところ門下省に参朝出仕し、吾は右銀臺門より翰林に供奉する。

幸遇聖明主,俱承雲雨恩。

にして、徳にすぐれて聡明・賢明な主に遇うて、そしてともに、雲のように包まれ、雨のように降り注ぎ潤す仁徳、恩徳を被っているのである。

復此休浣時,閒為疇昔言。

今日、また、幸に休沐の期に際し、おもむろに前日の事に就いて述べたのである。

卻話山海事,宛然林壑存。

かくて、海山において、その遊を語り出せば、そこに、幽山、林壑は、宛然として眼前に存するかのように表現される。

明湖思曉月,疊嶂憶清猿。

静かなる夜、明月に、波明かなる湖水に就いてかたり、暁の空に沈める残月の清らかなことを思い、あらわす。隠棲のところの嵯峨たる畳嶂に就いていい、清猿の聾悲しきを思い出して、幽興、更に尽きることはない。

何由返初服,田野醉芳樽。

しかし、どうすれば、朝衣を脱いで、当初の布衣に著換へ、そして田野に於いて、芳樽に酔うことができようか。

(朝より下り盧郎中を過ぎて舊遊を敘す)

君は金華省に登り,我は銀臺門に入る。

幸いに聖明の主に遇うて,俱に雲雨の恩を承く。

復た此の休浣の時,閒に疇昔の言を為す。

卻って山海の事を話せば,宛然として 林壑存す。

明湖に 曉月を思い,疊嶂に 清猿を憶う。

何に由ってか 初服に返り,田野 芳樽に醉わんや。
大明宮の圖003

 

『朝下過盧郎中敘舊遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

朝下過盧郎中敘舊遊

君登金華省,我入銀臺門。

幸遇聖明主,俱承雲雨恩。

復此休浣時,閒為疇昔言。

卻話山海事,宛然林壑存。

明湖思曉月,疊嶂憶清猿。

何由返初服,田野醉芳樽。
詩文(含異文)    

君登金華省,我入銀臺門。幸遇聖明主【幸逢聖明主】,俱承雲雨恩。

復此休浣時,閒為疇昔言。卻話山海事,宛然林壑存。

明湖思曉月,疊嶂憶清猿。何由返初服,田野醉芳樽。


(下し文)
(朝より下り盧郎中を過ぎて舊遊を敘す)

君は金華省に登り,我は銀臺門に入る。

幸いに聖明の主に遇うて,俱に雲雨の恩を承く。

復た此の休浣の時,閒に疇昔の言を為す。

卻って山海の事を話せば,宛然として 林壑存す。

明湖に 曉月を思い,疊嶂に 清猿を憶う。

何に由ってか 初服に返り,田野 芳樽に醉わんや。

(現代語訳)
朝下過盧郎中敘舊遊(朝廷を退潮し盧郎中を訪ねて飲み始め、翌日まで飲み続けて酔いつくして、むかし、嵩山や、鏡湖などで遊んだことを思い出して作った詩である)

君は中朝の左に位置するところ門下省に参朝出仕し、吾は右銀臺門より翰林に供奉する。

にして、徳にすぐれて聡明・賢明な主に遇うて、そしてともに、雲のように包まれ、雨のように降り注ぎ潤す仁徳、恩徳を被っているのである。

今日、また、幸に休沐の期に際し、おもむろに前日の事に就いて述べたのである。

かくて、海山において、その遊を語り出せば、そこに、幽山、林壑は、宛然として眼前に存するかのように表現される。

静かなる夜、明月に、波明かなる湖水に就いてかたり、暁の空に沈める残月の清らかなことを思い、あらわす。隠棲のところの嵯峨たる畳嶂に就いていい、清猿の聾悲しきを思い出して、幽興、更に尽きることはない。

しかし、どうすれば、朝衣を脱いで、当初の布衣に著換へ、そして田野に於いて、芳樽に酔うことができようか。


(訳注)

朝下過盧郎中敘舊遊

(朝廷を退潮し盧郎中を訪ねて飲み始め、翌日まで飲み続けて酔いつくして、むかし、嵩山や、鏡湖などで遊んだことを思い出して作った詩である)

この詩は、退朝の後、盧郎中を訪ひ、因って、自己の舊遊を敘したのである。盧郎中は、詩の破題に君登金華省とあるより見れば、門下侍郎であるが、その名字等は分からない。

起四句は自他今日の境遇、以下舊遊を叙したが、結二句に於ては、舊山に帰りたいといふ遺世の念を逗出して居る。

 

君登金華省,我入銀臺門。

君は中朝の左に位置するところ門下省に参朝出仕し、吾は右銀臺門より翰林に供奉する。

金華省 御漢以降、門下省をもって金華省という。中朝の左に位置するところであり、登るという表現に遭うものである。劉孝綽《贈任中丞》詩 「步出金華省,遙望承明廬,壯哉宛洛地,佳麗實皇居」三輔黄圖「金華殿,未央宮有金華殿。《漢書》曰,「成帝初方向學,召鄭寬中,張禹,沈《尚書》《論語》於金華殿中。」」

銀臺門 右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。

 

幸遇聖明主,俱承雲雨恩。

にして、徳にすぐれて聡明・賢明な主に遇うて、そしてともに、雲のように包まれ、雨のように降り注ぎ潤す仁徳、恩徳を被っているのである。

聖明主 ・聖明:天子が徳にすぐれて聡明なこと。また、そのさま。・明主: 賢明な君主。明君。

雲雨恩 雲のように包まれ、雨のように降り注ぎ潤す仁徳、恩徳。

 

復此休浣時,閒為疇昔言。

今日、また、幸に休沐の期に際し、おもむろに前日の事に就いて述べたのである。

休浣時 休沐におなじ。王琦の解に「漢律、吏、五日に一休沐を得る。休息して洗沐することをいう。」と。また、楊升菴がいう「唐制、十日に一休沐、故に韋應物の詩に、九日駆馳一日閒、白居易の詩にいう、公假日三旬、と。これなり」とある。

疇昔 「疇」は以前,先に,の意〕 過去のある日。昔。また,昨日、前日ということ。

 

卻話山海事,宛然林壑存。

かくて、海山において、その遊を語り出せば、そこに、幽山、林壑は、宛然として眼前に存するかのように表現される。

宛然 そっくりそのままであるさま。

 

明湖思曉月,疊嶂憶清猿。

静かなる夜、明月に、波明かなる湖水に就いてかたり、暁の空に沈める残月の清らかなことを思い、あらわす。隠棲のところの嵯峨たる畳嶂に就いていい、清猿の聾悲しきを思い出して、幽興、更に尽きることはない。

 

何由返初服,田野醉芳樽。

しかし、どうすれば、朝衣を脱いで、当初の布衣に著換へ、そして田野に於いて、芳樽に酔うことができようか。
李白の足跡0000 

743年(75)李太白集643巻十九17 下終南山過斛斯山人宿置酒  394-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(75) Ⅰ李白詩1756 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7320

李白  下終南山過斛斯山人宿置酒 #2

綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。歡言得所憩,美酒聊共揮。

長歌吟松風,曲盡河星稀。我醉君復樂,陶然共忘機。

緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつくという、まことに幽遂なありさまである。しばらくして、主人に遭い楽しみながら話をし、今夜の休むところもできたので、まず安堵し、勧められるままに、うまい酒をともに酌み交わしたのである。かくて、長歌して松風を聞いてあわせて吟じる、一曲歌いきってしまうと夜も更けて、銀河の邊に星影もまばらになってくる。やがて、我私は酔ってしまい、君もまた楽しみ、陶然としてきたので、神仙の淡泊自然の心境になったのである。

李太白集巻十九17

下終南山過斛斯山人宿置酒#2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7320

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-75

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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
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年:743年天寶二年43歳 94-75

卷別:    卷一七九               李太白集643巻十九17 文體:  五言古詩

詩題:    下終南山過斛斯山人宿置酒

作地點:              目前尚無資料

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物/地點:斛斯融      當地交遊(京畿道 無第二級行政層級 終南山)

詩文:

 

 

下終南山過斛斯山人宿置酒#1

(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)
暮從碧山下,山月隨人歸。

日が暮れてきて、周南の碧山の頂より下ってくれば、山上の月も、人に随って歸ってくるようである。

卻顧所來徑,蒼蒼橫翠微。

振り返って過ぎ来し方の路をみると、蒼蒼とした中に、ぼんやりと中腹に横たわって見える。
相攜及田家,童稚開荊扉。

同行の者どもと相携えて、隠者の田家に到着してみれば、童稚が荊の門を啓いて迎へて呉れた。

#2

綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。

緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつくという、まことに幽遂なありさまである。
歡言得所憩,美酒聊共揮。

しばらくして、主人に遭い楽しみながら話をし、今夜の休むところもできたので、まず安堵し、勧められるままに、うまい酒をともに酌み交わしたのである。
長歌吟松風,曲盡河星稀。

かくて、長歌して松風を聞いてあわせて吟じる、一曲歌いきってしまうと夜も更けて、銀河の邊に星影もまばらになってくる。
我醉君復樂,陶然共忘機。

やがて、我私は酔ってしまい、君もまた楽しみ、陶然としてきたので、神仙の淡泊自然の心境になったのである。
(終南山を下り 斛斯山人を過ぎて宿し 置酒す)

暮に碧山從り下れば、 山月 人隨って歸る。

卻って來る所の徑を顧みれば、蒼蒼として翠微に橫たう。

相い攜えて田家に及べば、童稚 荊扉を開く。

#2

綠竹 幽徑に入り、青蘿 行衣を拂う。

歡言 憩う所を得、美酒 聊か共に揮う。

長歌 松風に吟じ、曲盡きて河星 稀なり。

我 醉うて 君も復た 樂しむ、陶然して 共に機を忘る。

 

京兆地域図002 

『下終南山過斛斯山人宿置酒』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#2

綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。

歡言得所憩,美酒聊共揮。

長歌吟松風,曲盡河星稀。

我醉君復樂,陶然共忘機。

(下し文)
#2

綠竹 幽徑に入り、青蘿 行衣を拂う。

歡言 憩う所を得、美酒 聊か共に揮う。

長歌 松風に吟じ、曲盡きて河星 稀なり。

我 醉うて 君も復た 樂しむ、陶然して 共に機を忘る。

(現代語訳)
#2

緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつくという、まことに幽遂なありさまである。
しばらくして、主人に遭い楽しみながら話をし、今夜の休むところもできたので、まず安堵し、勧められるままに、うまい酒をともに酌み交わしたのである。
かくて、長歌して松風を聞いてあわせて吟じる、一曲歌いきってしまうと夜も更けて、銀河の邊に星影もまばらになってくる。
やがて、我私は酔ってしまい、君もまた楽しみ、陶然としてきたので、神仙の淡泊自然の心境になったのである。

(訳注)

終南山過斛斯山人宿置酒 #1
(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)

綠竹入幽徑。 青蘿拂行衣。 
緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつくという、まことに幽遂なありさまである。
13 幽徑 暗い寂しい小道。  

14 青蘿 青いツタ。

15 行衣 旅衣。


歡言得所憩。 美酒聊共揮。 
しばらくして、主人に遭い楽しみながら話をし、今夜の休むところもできたので、まず安堵し、勧められるままに、うまい酒をともに酌み交わしたのである。
16 歡言 よろこんで話をする。

17  休息。

18  ちょっと。 

19  ふるう、振り回す。さしずする。


長歌吟松風。 曲盡河星稀。 
かくて、長歌して松風を聞いてあわせて吟じる、一曲歌いきってしまうと夜も更けて、銀河の邊に星影もまばらになってくる。
20 河星 星屑の天の河。


我醉君復樂。 陶然共忘機。
やがて、我私は酔ってしまい、君もまた楽しみ、陶然としてきたので、神仙の淡泊自然の心境になったのである。
21 陶然 心持よく酒に酔う。 

22 忘機 世のからくりや人間のたくらみを忘れる。道教の主張する淡泊自然の心境を言う。


李白の足跡0000

 

 

終南山過斛斯山人宿置酒 【字解】


(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)
この詩は、李白が終南山に遊び、その帰途、斛斯氏を訪うて留宿し、御馳走に成ったから、

その席上に於で作ったのである。

1 終南山 唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

1-2-⑴《元和郡縣圖志、卷一·關道一》「終南山,在縣南五十里。按經傳所,終南山一名太一,亦名中南。據張衡《西京賦》雲“終南、太一,隆崛崔崒”。潘嶽《西征賦》雲“九嶻嶭,太一巃,麵終南而背雲陽,跨平原而連嶓塚”。然則終南、太一,非一山也。

⑵《太平寰宇記卷二十六》「終南山,在郿縣南三十里。

⑶《雍録》「終南山、横亘關中南面、西起秦隴、東徹藍田、凡雍岐郿鄠長安萬年相去、且八百里、而連綿峙據其南者、皆此之一山也」

 

1-3 紫閣連終南 紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。その下に渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある。紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

    杜甫 《巻1733秋興,八首之八》「昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。」(昆吾 御宿 自ら逶迤【いい】たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。)長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

    紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崒增光輝,乘陵惜俄頃。」とみえる。

🉁李白  《君子有所思行》(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)「紫閣連終南,青冥天倪色。憑崖望咸陽,宮闕羅北極。萬井驚畫出,九衢如絃直。」(紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。

1-4 終南山の道教 陝西省長安の南にある山。唐時代道教の本山があった。 

2斛斯山人 斛斯は姓、融。山人は山中に隠遁している人。 斛斯(こくし)山人とは李白の道士仲間である。その人と共に山中で道教を学び、その帰りに田家に立ち寄って、酒を飲み、泊まらせてもらった。

①《通志卷二十五(氏族略第一》「代北復姓有斛斯氏、其先居廣牧,世襲莫弗大人,號斛斯部,因氏焉。

②杜甫《》「」斛斯融 杜甫草堂の南隣の隠遁者のこと、ふたりでよく酒を呑んでいる。この酒好きの友について三首ある。襄陽の山濤のような隠遁者であった。この時の様子は杜甫456『聞斛斯六官未歸』に別に述べている。ある解釈にはこの南の隣人が二人いるような解釈をしているもの有るが南の隣人は独りである。錦裡先生という表現は、「山濤」をもじっており、朱山人は隠遁者であることを云い、斛斯六官の斛斯融が本人をあらわす名前であろうと思う。三者、同一人物である。

南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。 

南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。

過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500

聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。
聞斛斯六官未歸 成都5-(3) 杜甫 <456  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500

江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。

江畔獨步尋花七句 杜甫 <437 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

過故斛斯校書莊,二首之一

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。竟無宣室召,徒有茂陵求。

妻子寄他食,園林非昔遊。空餘繐帷在,淅淅野風秋。

過故斛斯校書莊,二首之二

燕入非旁舍,鷗歸只故池。斷橋無複板,臥柳自生枝。

遂有山陽作,多慚鮑叔知。素交零落盡,白首淚雙垂。

《過故斛斯校書莊,二首之一〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<776 漢文委員会kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ4535 杜甫詩1500-776-1078/2500

廣徳2764-105 《過故斛斯校書莊,二首之二》 杜甫index-14 764年 杜甫<777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4540 杜甫詩1500-777-1079/2500

3 山人 ①山里に住む人。山中で働く人。特に樵など。②仙人・世捨て人。③号(筆名)につける接尾辞。楊山人、王山人、(魯山人)など。④山男・山女・山姥・山童などの山に住む人型妖怪の総称。

元代の雑劇に登場する山人は例外なくみな占い師であり、かつ自称ではなく他称である。また陸遊の〈新裁道帽示帽工〉(《劍南詩稿》卷39)では、「山人手段雖難及」と帽子作りの職人を山人と呼んでおり、《東京夢華録》巻 5 〈京瓦技芸〉等にみえる張山人は都会の寄席芸人であるなど、総じて山人とは「技術之士」(《太平廣記》巻72「張山人」)であったといえる。同じ現象は唐代にも見られる。宋初の《文苑英華》巻231「隠逸二・山人」に収める唐代の山人の詩の多くには売薬についての記述が見える。そもそも山人という語の出典は、南斉の孔稚圭「北山移文」(《文選》巻43)の「山人去兮曉猿驚」にあり、本来山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。いわゆる「終南の捷径」によって官途を求めた李泌のような人物もまた山人であったし、李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。

4 置酒 酒を用意してもてなしてもらうこと。

5【解説】起首の四句は、山を下ること。「相攜及田家,童稚開荊扉。綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。」の四句は、斛斯氏に投宿して、置酒したこと。「歡言得所憩,美酒聊共揮。長歌吟松風,曲盡河星稀【曲盡星河稀】。我醉君復樂,陶然共忘機。」の六句は、酔中の感慨であるが、詩勢の逓減逓下などすこしも手落ちがない。鍾伯敬は「起、右丞に似たち、曲益河星稀、寂然景あり」といい、乾隆御批には「この篇及び春日獨酌、春日酔起言志等の作、真の陶明の遺韻に逼る」といい、いづれも、肯綮に中って居る。

6 山月 山の月。登ってきた月。登ってきた月はまだ山に近い。

7 蒼蒼 こんもりとした青い色。1 あおあおとしているさま。また、あおみを帯びているさま。「蒼蒼たる大空」2 草木があおあおと茂っているさま。 

8 翠微 1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。

9 相攜 友と連れだって。 

10 田家 百姓家。隠者の農村での住まい。 孟浩然《卷160_104 「田家元日」》「田家占氣候,共此年豐。」(田家 気候を占い、共に説く 此の年の豊を。農家というものは気候を占う、一緒になって今年の豊作を願って主張し合うものだ。

田家元日 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -316

 

ⅱ 田子方の老馬を贖うという故事に基づく。《淮南子人間訓》 田子方見老馬於道, 喟然有志焉, 以問其御曰: '此何馬也?'其御曰: '此故公家畜也。 老罷而不為用, 出而鬻之。”田子方曰:“少而貪其力,老而棄其身,仁者弗為也。”束帛以贖之。疲武聞之,知所以歸心矣。《卷十五18送薛九被讒去魯》「田家養老馬,窮士歸其門。」(田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。)

297-#2 《卷十五18送薛九被讒去魯》#2 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#2> Ⅰ李白詩1594 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6518

11 童稚 こども。 

12 荊扉 柴で作った粗末な開き戸。隠者の門戸をいう。杜甫《》「遲暮少寢食,清曠喜荊扉。」(遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。)自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。

767-18 # 1 《杜少陵集 19-21 甘林 》#1 杜甫詩index-15-1124 <1574 767年大暦256-18 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7267

743年(75)李太白集643巻十九17下終南山過斛斯山人宿置酒  394Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(75) Ⅰ李白詩1755 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7315

下終南山過斛斯山人宿置酒#1

暮從碧山下,山月隨人歸。卻顧所來徑,蒼蒼橫翠微。

相攜及田家,童稚開荊扉。

(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)日が暮れてきて、周南の碧山の頂より下ってくれば、山上の月も、人に随って歸ってくるようである。振り返って過ぎ来し方の路をみると、蒼蒼とした中に、ぼんやりと中腹に横たわって見える。同行の者どもと相携えて、隠者の田家に到着してみれば、童稚が荊の門を啓いて迎へて呉れた。

李太白集巻十九17

下終南山過斛斯山人宿置酒

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7315 

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-75

394-#1 <1000

 

 
  2016年2月10日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
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  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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年:743年天寶二年43歳 94-75

卷別:    卷一七九               李太白集643巻十九17 文體:  五言古詩

詩題:    下終南山過斛斯山人宿置酒

作地點:              目前尚無資料

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物/地點:斛斯融      當地交遊(京畿道 無第二級行政層級 終南山)

詩文:

 

 

下終南山過斛斯山人宿置酒#1

(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)
暮從碧山下,山月隨人歸。

日が暮れてきて、周南の碧山の頂より下ってくれば、山上の月も、人に随って歸ってくるようである。

卻顧所來徑,蒼蒼橫翠微。

振り返って過ぎ来し方の路をみると、蒼蒼とした中に、ぼんやりと中腹に横たわって見える。
相攜及田家,童稚開荊扉。

同行の者どもと相携えて、隠者の田家に到着してみれば、童稚が荊の門を啓いて迎へて呉れた。

#2

綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。

歡言得所憩,美酒聊共揮。

長歌吟松風,曲盡河星稀。

我醉君復樂,陶然共忘機。

(終南山を下り 斛斯山人を過ぎて宿し 置酒す)

暮に碧山從り下れば、 山月 人隨って歸る。

卻って來る所の徑を顧みれば、蒼蒼として翠微に橫たう。

相い攜えて田家に及べば、童稚 荊扉を開く。

#2

綠竹 幽徑に入り、青蘿 行衣を拂う。

歡言 憩う所を得、美酒 聊か共に揮う。

長歌 松風に吟じ、曲盡きて河星 稀なり。

我 醉うて 君も復た 樂しむ、陶然して 共に機を忘る。

 

『下終南山過斛斯山人宿置酒』 現代語訳と訳註解説
(本文)
下終南山過斛斯山人宿置酒#1

暮從碧山下,山月隨人歸。

卻顧所來徑,蒼蒼橫翠微。

相攜及田家,童稚開荊扉。

(下し文)
(終南山を下り 斛斯山人を過ぎて宿し 置酒す)

暮に碧山從り下れば、 山月 人隨って歸る。

卻って來る所の徑を顧みれば、蒼蒼として翠微に橫たう。

相い攜えて田家に及べば、童稚 荊扉を開く。


(現代語訳)
下終南山過斛斯山人宿置酒#1(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)
日が暮れてきて、周南の碧山の頂より下ってくれば、山上の月も、人に随って歸ってくるようである。

振り返って過ぎ来し方の路をみると、蒼蒼とした中に、ぼんやりと中腹に横たわって見える。
同行の者どもと相携えて、隠者の田家に到着してみれば、童稚が荊の門を啓いて迎へて呉れた。


(訳注)

終南山過斛斯山人宿置酒 #1
(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)

この詩は、李白が終南山に遊び、その帰途、斛斯氏を訪うて留宿し、御馳走に成ったから、

その席上に於で作ったのである。

1 終南山 唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

1-2-⑴《元和郡縣圖志、卷一·關道一》「終南山,在縣南五十里。按經傳所,終南山一名太一,亦名中南。據張衡《西京賦》雲“終南、太一,隆崛崔崒”。潘嶽《西征賦》雲“九嶻嶭,太一巃,麵終南而背雲陽,跨平原而連嶓塚”。然則終南、太一,非一山也。

⑵《太平寰宇記卷二十六》「終南山,在郿縣南三十里。」

⑶《雍録》「終南山、横亘關中南面、西起秦隴、東徹藍田、凡雍岐郿鄠長安萬年相去、且八百里、而連綿峙據其南者、皆此之一山也」

 

1-3 紫閣連終南 紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。その下に渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある。紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

    杜甫 《巻1733秋興,八首之八》「昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。」(昆吾 御宿 自ら逶迤【いい】たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。)長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

    紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崒增光輝,乘陵惜俄頃。」とみえる。

🉁李白  《君子有所思行》(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)「紫閣連終南,青冥天倪色。憑崖望咸陽,宮闕羅北極。萬井驚畫出,九衢如絃直。」(紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。

1-4 終南山の道教 陝西省長安の南にある山。唐時代道教の本山があった。 

2斛斯山人 斛斯は姓。山人は山中に隠遁している人。 斛斯(こくし)山人とは李白の道士仲間である。その人と共に山中で道教を学び、その帰りに田家に立ち寄って、酒を飲み、泊まらせてもらった。

①《通志卷二十五(氏族略第一》「代北復姓有斛斯氏、其先居廣牧,世襲莫弗大人,號斛斯部,因氏焉。

②杜甫《》「」斛斯融 杜甫草堂の南隣の隠遁者のこと、ふたりでよく酒を呑んでいる。この酒好きの友について三首ある。襄陽の山濤のような隠遁者であった。この時の様子は杜甫456『聞斛斯六官未歸』に別に述べている。ある解釈にはこの南の隣人が二人いるような解釈をしているもの有るが南の隣人は独りである。錦裡先生という表現は、「山濤」をもじっており、朱山人は隠遁者であることを云い、斛斯六官の斛斯融が本人をあらわす名前であろうと思う。三者、同一人物である。

南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。 

南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。

過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500

聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。
聞斛斯六官未歸 成都5-(3) 杜甫 <456  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500

江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。

江畔獨步尋花七句 杜甫 <437 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

過故斛斯校書莊,二首之一

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。竟無宣室召,徒有茂陵求。

妻子寄他食,園林非昔遊。空餘繐帷在,淅淅野風秋。

過故斛斯校書莊,二首之二

燕入非旁舍,鷗歸只故池。斷橋無複板,臥柳自生枝。

遂有山陽作,多慚鮑叔知。素交零落盡,白首淚雙垂。

《過故斛斯校書莊,二首之一〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<776 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4535 杜甫詩1500-776-1078/2500

廣徳2764-105 《過故斛斯校書莊,二首之二》 杜甫index-14 764年 杜甫<777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4540 杜甫詩1500-777-1079/2500 

3 山人 ①山里に住む人。山中で働く人。特に樵など。②仙人・世捨て人。③号(筆名)につける接尾辞。楊山人、王山人、(魯山人)など。④山男・山女・山姥・山童などの山に住む人型妖怪の総称。

元代の雑劇に登場する山人は例外なくみな占い師であり、かつ自称ではなく他称である。また陸遊の〈新裁道帽示帽工〉(《劍南詩稿》卷39)では、「山人手段雖難及」と帽子作りの職人を山人と呼んでおり、《東京夢華録》巻 5 〈京瓦技芸〉等にみえる張山人は都会の寄席芸人であるなど、総じて山人とは「技術之士」(《太平廣記》巻72「張山人」)であったといえる。同じ現象は唐代にも見られる。宋初の《文苑英華》巻231「隠逸二・山人」に収める唐代の山人の詩の多くには売薬についての記述が見える。そもそも山人という語の出典は、南斉の孔稚圭「北山移文」(《文選》巻43)の「山人去兮曉猿驚」にあり、本来山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。いわゆる「終南の捷径」によって官途を求めた李泌のような人物もまた山人であったし、李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。

4 置酒 酒を用意してもてなしてもらうこと。

5【解説】起首の四句は、山を下ること。「相攜及田家,童稚開荊扉。綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。」の四句は、斛斯氏に投宿して、置酒したこと。「歡言得所憩,美酒聊共揮。長歌吟松風,曲盡河星稀【曲盡星河稀】。我醉君復樂,陶然共忘機。」の六句は、酔中の感慨であるが、詩勢の逓減逓下などすこしも手落ちがない。鍾伯敬は「起、右丞に似たち、曲益河星稀、寂然景あり」といい、乾隆御批には「この篇及び春日獨酌、春日酔起言志等の作、真の陶明の遺韻に逼る」といい、いづれも、肯綮に中って居る。


暮從碧山下。 山月隨人歸。 
日が暮れてきて、周南の碧山の頂より下ってくれば、山上の月も、人に随って歸ってくるようである。

6 山月 山の月。登ってきた月。登ってきた月はまだ山に近い。


卻顧所來徑。 蒼蒼橫翠微。
振り返って過ぎ来し方の路をみると、蒼蒼とした中に、ぼんやりと中腹に横たわって見える。
7 蒼蒼 こんもりとした青い色。1 あおあおとしているさま。また、あおみを帯びているさま。「蒼蒼たる大空」2 草木があおあおと茂っているさま。 

8 翠微 1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。


相攜及田家。 童稚開荊扉。 
同行の者どもと相携えて、隠者の田家に到着してみれば、童稚が荊の門を啓いて迎へて呉れた。

9 相攜 友と連れだって。 

10 田家 百姓家。隠者の農村での住まい。 孟浩然《卷160_104 「田家元日」》「田家占氣候,共此年豐。」(田家 気候を占い、共に説く 此の年の豊を。農家というものは気候を占う、一緒になって今年の豊作を願って主張し合うものだ。

田家元日 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -316

 

ⅱ 田子方の老馬を贖うという故事に基づく。《淮南子人間訓》 田子方見老馬於道, 喟然有志焉, 以問其御曰: '此何馬也?'其御曰: '此故公家畜也。 老罷而不為用, 出而鬻之。”田子方曰:“少而貪其力,老而棄其身,仁者弗為也。”束帛以贖之。疲武聞之,知所以歸心矣。《卷十五18送薛九被讒去魯》「田家養老馬,窮士歸其門。」(田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。)

297-#2 《卷十五18送薛九被讒去魯》#2 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#2> Ⅰ李白詩1594 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6518

11 童稚 こども。 

12 荊扉 柴で作った粗末な開き戸。隠者の門戸をいう。杜甫《》「遲暮少寢食,清曠喜荊扉。」(遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。)自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。

767-18 # 1 《杜少陵集 19-21 甘林 》#1 杜甫詩index-15-1124 <1574 767年大暦256-18 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7267

李白319 《巻十九19侍從遊宿溫泉宮作》319 Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白319-#1> Ⅰ李白詩1632 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6708

李白  侍從遊宿溫泉宮作  

羽林十二將,羅列應星文。霜仗懸秋月,霓旌卷夜雲。

嚴更千肅,清樂九天聞。日出瞻佳氣,蔥蔥繞聖君。
(温泉宮は京畿道、京兆府驪山宮で、天子に供奉して、驪山宮に宿した時に作ったもの。)

天子の禁軍の将軍は羽林十二将で、天上星宿の各御門に応じて順序良く羅列して配置についている。磨き上げて霜の色をした兵仗の刃は白秋の月光に冴える、紅霓の天子の旗は、夜空の雲を巻いてひらめく。夜、刻を告げる太鼓の音、鞺鞺と響き渡り、千戸の家は粛然と静まりかえり、優雅な楽の調べが長く余韻を引いて、九天の上に聞こえているばかり。やがて、夜が明け、朝日が昇ると佳気怱々として、朝礼に叢叢と集まって聖天子を圍繞するように見える。
李白319 《巻十九19侍從遊宿溫泉宮作》319 Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白319-#1> Ⅰ李白詩1632 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6708

 

 
  2015年10月4日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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侍従遊宿温泉宮作 李白128  都長安(翰林院供奉)  

年:742年天寶元年42 18

卷別: 卷一七九      文體: 五言律詩

詩題: 侍從遊宿溫泉宮作

作地點:      驪山(京畿道 / 京兆府 / 驪山)

及地點:      溫泉宮 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:溫泉     

 

 

侍從遊宿溫泉宮作

(温泉宮は京畿道、京兆府驪山宮で、天子に供奉して、驪山宮に宿した時に作ったもの。)

羽林十二將,羅列應星文。

天子の禁軍の将軍は羽林十二将で、天上星宿の各御門に応じて順序良く羅列して配置についている。
霜仗懸秋月,霓旌卷夜雲。

磨き上げて霜の色をした兵仗の刃は白秋の月光に冴える、紅霓の天子の旗は、夜空の雲を巻いてひらめく。

嚴更千肅,清樂九天聞。

夜、刻を告げる太鼓の音、鞺鞺と響き渡り、千戸の家は粛然と静まりかえり、優雅な楽の調べが長く余韻を引いて、九天の上に聞こえているばかり。
日出瞻佳氣,蔥蔥繞聖君。

やがて、夜が明け、朝日が昇ると佳気怱々として、朝礼に叢叢と集まって聖天子を圍繞するように見える。

(侍従して温泉宮に遊宿して作る)

羽林の十二将、羅列して星文に應ず。
霜仗 秋月を懸け、霓旌  夜雲を巻く。
厳更 千戸 蕭たり、清楽 九天に聞こゆ。
日出でて佳気を瞻る、叢叢として聖君を繞る。

 

長安付近図00函谷関長安地図座標005 

『侍從遊宿溫泉宮作』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

侍從遊宿溫泉宮作

羽林十二將,羅列應星文。

霜仗懸秋月,霓旌卷夜雲。

嚴更千肅,清樂九天聞。

日出瞻佳氣,蔥蔥繞聖君。

(下し文)
(侍従して温泉宮に遊宿して作る)

羽林の十二将、羅列して星文に應ず。

霜仗 秋月を懸け、霓旌  夜雲を巻く。

厳更 千戸 蕭たり、清楽 九天に聞こゆ。

日出でて佳気を瞻る、叢叢として聖君を繞る。

(現代語訳)
(温泉宮は京畿道、京兆府驪山宮で、天子に供奉して、驪山宮に宿した時に作ったもの。)

天子の禁軍の将軍は羽林十二将で、天上星宿の各御門に応じて順序良く羅列して配置についている。
磨き上げて霜の色をした兵仗の刃は白秋の月光に冴える、紅霓の天子の旗は、夜空の雲を巻いてひらめく。

夜、刻を告げる太鼓の音、鞺鞺と響き渡り、千戸の家は粛然と静まりかえり、優雅な楽の調べが長く余韻を引いて、九天の上に聞こえているばかり。
やがて、夜が明け、朝日が昇ると佳気怱々として、朝礼に叢叢と集まって聖天子を圍繞するように見える。

(訳注)

侍從遊宿溫泉宮作

(温泉宮は京畿道、京兆府驪山宮で、天子に供奉して、驪山宮に宿した時に作ったもの。


羽林十二将、羅列応星文。 
天子の禁軍の将軍は羽林十二将で、天上星宿の各御門に応じて順序良く羅列して配置についている。
羽林 羽林は、漢称であり、唐では、禁兵という。天子の親衛で十二衛に分かれ、星座に基づいたものである。羽林大将軍、親衛大将軍、虎牙大将軍といった唐名で呼ぶこともあり、左近衛大将・右近衛大将をそれぞれ「左大将」・「右大将」と省略した呼び方もある

十二将 大将左右1名、中将:左右14名親衛中郎将、親衛将軍、羽林将軍、少将:左右24名羽林郎将、親衛郎将、羽林中郎将 

羅列 連なり並ぶこと。 

応星文 12の星座でよんだ門のこと。宮廷の門を守備する軍隊の配置。
 
霜仗懸秋月 霓旌巻夜雲。
磨き上げて霜の色をした兵仗の刃は白秋の月光に冴える、紅霓の天子の旗は、夜空の雲を巻いてひらめく。

霜仗 守備兵の儀仗の刃が霜のように白く鋭く  

霓旌 天子の旗、虹と雲の旗。《文選司馬相如<上林賦>》「乘鏤象,六玉虯,拖蜺旌,靡雲旗,前皮軒,後道游。」鏤象【ろうしょう】に乘り,玉虯【ぎょくきゅう】を六にし,蜺旌【げいせい】拖【ひ】き,雲旗を靡【なび】かせ、皮軒を前にし,道游を後【しりえ】にす。孫叔【そんしゅく】轡を奉じ,衛公【えいこう】參乘【さんじょう】す。天子の乗る、彫刻のある象車は、六頭の玉で飾られた虯に引かれて、虹の旗や雲の旗をなびかせている。行列の先頭には、虎の皮で飾った車が進み、その後に、五台の道草、九台の潜幸が続き、天子の前駆けを務める。天子の車では、公孫賀が中央で手綱をとり、衛青が右に陪乗している。

司馬相如 《上林賦 (23)―#91  文選 賦<110-9113分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩928 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3188


厳更千戸蕭 清楽九天聞。
夜、刻を告げる太鼓の音、鞺鞺と響き渡り、千戸の家は粛然と静まりかえり、優雅な楽の調べが長く余韻を引いて、九天の上に聞こえているばかり。
厳更 五更:日没から日の出までを五に分けた時間の単位。 

千戸 千戸の家。すべての家。

 太鼓の音。

清楽 優雅な楽のしらべ。 

九天 天を九に分け、その真ん中に天子、皇帝がいる。宮廷のこと。九重も宮廷。天文学、地理、山、九であらわした。縁起のいい数字とされた。


日出瞻佳気 叢叢繞聖君。
やがて、夜が明け、朝日が昇ると佳気怱々として、朝礼に叢叢と集まって聖天子を圍繞するように見える。
日出 朝日が昇る 

 あおぎみる。日が昇ると朝礼がある。 

佳気 めでたい香気。めでたい運気. 無我,心が公平無私なこと. 温恭, おだやかで慎み深い. 抱一,ひとつの道を守る. 心如水,心が水のの如く清らかである. 金石交, 決して変わらない交わり。

叢叢 役人がたくさん集まっている様子。 

 朝礼で整列。

聖君 天子。

李白318-#2 《巻十九12遊泰山,六首之六》318-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白318-#2> Ⅰ李白詩1631 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6703

李白  遊泰山,六首之六 #2

寂靜清暉,玉真連翠微。想象鸞鳳舞,飄颻龍虎衣。捫天摘匏瓜,恍惚不憶歸。舉手弄清淺,誤攀織女機。明晨坐相失,但見五雲飛。

それは、寂静の中に在って、月の清光を眺めあかしているものと見て楽しんでいて、それは玉真觀の仙女が 翠微の山の間に大勢群がり、連並んでいるのである。龍虎の模様を書いた衣裳を翻して、鸞鳳の舞をおどっているものと思われる。そこで、自分は天を撫でて、匏瓜の星を摘まもうとし、興、愈々たけなわにして、ますます歸ろうとも思わなくなってゆく。やがて、手をかかげで、清く且つ浅い銀河の流を弄すると、誤って、織女の織機に触れた。そうして、夜があけたのであるが、いずれも、消えて無くなっていて、そこには但だ五色の慶雲の飛んでゆくのを見るだけである。

李白318-#2 《巻十九12遊泰山,六首之六》318-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白318-#2> Ⅰ李白詩1631 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6703

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

天門關 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

遊泰山,六首之六

(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

朝飲王母池,暝投天門關。

朝に泰山の東南麓なる王母池にて清泉の水を飲み、それから、山に登り、終日難行して、夕方には南天門に投宿した。

獨抱綠綺琴,夜行青山間。

ここまで、「綠綺」の琴をむねで抱き来たり、どこかでこの琴を弾じようというので、夜、青山の間をすすんでゆくとたどりついた。

山明月露白,夜靜松風歇。

そこに、月が山の端から上がって出ていて、露を白くかがやかせ、山山は、 はっきりと見える、やがてしずかに更け行くままに、あたりは、いよいよ静にして、松風さへも吹き罷んで仕舞った。

仙人遊碧峰,處處笙歌發。

そうした寂靜の中で、感覺がしだいに清暉となって、よく見れば、仙人どもが碧峰に遊んで居るのであろう、あちこちで笠歌の聾が聞こえてきた。

#2

寂靜清暉,玉真連翠微。

それは、寂静の中に在って、月の清光を眺めあかしているものと見て楽しんでいて、それは玉真觀の仙女が 翠微の山の間に大勢群がり、連並んでいるのである。

想象鸞鳳舞,飄颻龍虎衣。

龍虎の模様を書いた衣裳を翻して、鸞鳳の舞をおどっているものと思われる。

捫天摘匏瓜,恍惚不憶歸。

そこで、自分は天を撫でて、匏瓜の星を摘まもうとし、興、愈々たけなわにして、ますます歸ろうとも思わなくなってゆく。

舉手弄清淺,誤攀織女機。

やがて、手をかかげで、清く且つ浅い銀河の流を弄すると、誤って、織女の織機に触れた。

明晨坐相失,但見五雲飛。

そうして、夜があけたのであるが、いずれも、消えて無くなっていて、そこには但だ五色の慶雲の飛んでゆくのを見るだけである。

 

遊泰山,六首之六

朝に 王母の池に飲み,暝に 天門の關に投ず。

獨り綠綺の琴を抱き,夜 青山の間を行く。

山 明かにして 月 露白く,夜 靜かにして 松風 歇む。

仙人 碧峰に遊び,處處に 笙歌發す。
#2

寂靜 清暉をみ,玉真 翠微に連る。

想象す 鸞鳳の舞,飄颻たり 龍虎の衣。

天を捫して 匏瓜を摘み,恍惚として 歸えるを憶わず。

手を舉げて 清淺を弄し,誤ちて攀ず 織女の機。

明晨 坐ろに相い失し,但見る 五雲の飛ぶを。

 

『遊泰山,六首之六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

寂靜清暉,玉真連翠微。

想象鸞鳳舞,飄颻龍虎衣。

捫天摘匏瓜,恍惚不憶歸。

舉手弄清淺,誤攀織女機。

明晨坐相失,但見五雲飛。

(下し文)
#2

寂靜 清暉をみ,玉真 翠微に連る。

想象す 鸞鳳の舞,飄颻たり 龍虎の衣。

天を捫して 匏瓜を摘み,恍惚として 歸えるを憶わず。

手を舉げて 清淺を弄し,誤ちて攀ず 織女の機。

明晨 坐ろに相い失し,但見る 五雲の飛ぶを。

(現代語訳)
#2

それは、寂静の中に在って、月の清光を眺めあかしているものと見て楽しんでいて、それは玉真觀の仙女が 翠微の山の間に大勢群がり、連並んでいるのである。

龍虎の模様を書いた衣裳を翻して、鸞鳳の舞をおどっているものと思われる。

そこで、自分は天を撫でて、匏瓜の星を摘まもうとし、興、愈々たけなわにして、ますます歸ろうとも思わなくなってゆく。

やがて、手をかかげで、清く且つ浅い銀河の流を弄すると、誤って、織女の織機に触れた。

そうして、夜があけたのであるが、いずれも、消えて無くなっていて、そこには但だ五色の慶雲の飛んでゆくのを見るだけである。



(訳注)

#2

寂靜清暉,玉真連翠微。

寂靜中愈感覺清暉可弄,玉真仙女下降到翠微峯。

それは、寂静の中に在って、月の清光を眺めあかしているものと見て楽しんでいて、それは玉真觀の仙女が 翠微の山の間に大勢群がり、連並んでいるのである。

(7):樂。清輝:月光。

(8) 玉真 道觀名。這裏泛指泰山上的道觀。仙女

(9) 翠微 山の中腹のうっそうとしたあたり。1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。翠微:指山氣青白色。

兩句意爲:靜夜望月使人心情愉快,遠看道觀與青縹的山氣連成一片。

 

想象鸞鳳舞,飄颻龍虎衣。

彷彿看到鸞鳳與龍虎一起翩翩起舞,衣袂飄舉。

龍虎の模様を書いた衣裳を翻して、鸞鳳の舞をおどっているものと思われる。

(10)鸞鳳:傳中的仙鳥。

(11)龍虎衣:繡有龍虎紋彩的衣服。

 

捫天摘匏瓜,恍惚不憶歸。

舉手就可以攀折到天上的匏瓜,味美甘甜,樂不思蜀,真的不想回家了。

そこで、自分は天を撫でて、匏瓜の星を摘まもうとし、興、愈々たけなわにして、ますます歸ろうとも思わなくなってゆく。

(12)(mén):摸。椚托さする、撫でる。

(13)匏瓜 星の名、匏(páo)瓜:星名。兩句意爲:撫摸天體想摘下匏瓜星,面對似有似無的幻境忘記了歸去。隋書天文志:『匏瓜旁五星曰敗瓜,主種。』正義:『匏瓜五星在離珠北天子果園。』「匏瓜五星は、離珠の北に在り」史記天官書:『匏瓜有青黑星守之,魚鹽貴。』といい、史記索隱:『匏瓜一名天雞,在河鼓東。 』索陰に「荊州占に云ふ、匏瓜、一名は天鶏、河鼓の東に在り、匏瓜明かなれば歳天に熟す」とある。ˇ匏瓜:□劍魚座Dorado 包含中國星座:(金魚)夾白。 □天龍座。

(14) 恍惚 恍惚。仙郷のスン依稀に浸ってとけこむ状況を言う。

 

舉手弄清淺,誤攀織女機。

再舉手,撫弄着銀河的浪濤,清淺可愛,卻不小心摸到了織女的紡織機。

やがて、手をかかげで、清く且つ浅い銀河の流を弄すると、誤って、織女の織機に触れた。

 (15)清淺:指銀河。《古詩十九首·迢迢牽牛星》有“河漢清且淺”之句。

古詩十九首 第十首

 

迢迢牽牛星,皎皎河漢女。

迢迢【ちょうちょう】たる牽牛星、皎皎【こうこう】たる河漢の女。

纖纖擢素手,札札弄機杼。

纖纖【せんせん】として素手【そしゅ】を擢【ぬき】んで、札札【さつさつ】として機抒【きちょ】を弄【ろう】す。

終日不成章,泣涕零如雨。

終日【しゅうじつ】章を成さず、泣涕【きゅうてい】零【お】ちて雨の如し。

河漢清且淺,相去復幾許。

河漢清くして且つ浅し、相去る復た幾許【いくばく】ぞ。

盈盈一水間,脈脈不得語。

盈盈【えいえい】たる一水の間、脈脈として語るを得ず。

古詩十九首之十 (10) 漢詩<97>Ⅱ李白に影響を与えた詩529 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1404

(16)織女 織女,星名,傳織女是天帝之女,住銀河之東,從事織作,嫁給河西的牛郎爲妻。兩句意爲:舉手戲弄銀河的流水,無意中攀住了織女的布機。

 

明晨坐相失,但見五雲飛。

唉,到明天天亮,美夢就會消失,只見五色雲彩飛舞!

そうして、夜があけたのであるが、いずれも、消えて無くなっていて、そこには但だ五色の慶雲の飛んでゆくのを見るだけである。

(17)坐相失:頓時都消失。

(18)但見:只看到。

(19) 五雲:五色彩雲。

李白318-#1 《巻十九12遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》318-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白318-#1> Ⅰ李白詩1630 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6698

李白  遊泰山,六首之六  

朝飲王母池,暝投天門關。獨抱綠綺琴,夜行青山間。

山明月露白,夜靜松風歇。仙人遊碧峰,處處笙歌發。
(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

朝に泰山の東南麓なる王母池にて清泉の水を飲み、それから、山に登り、終日難行して、夕方には南天門に投宿した。ここまで、「綠綺」の琴をむねで抱き来たり、どこかでこの琴を弾じようというので、夜、青山の間をすすんでゆくとたどりついた。そこに、月が山の端から上がって出ていて、露を白くかがやかせ、山山は、 はっきりと見える、やがてしずかに更け行くままに、あたりは、いよいよ静にして、松風さへも吹き罷んで仕舞った。そうした寂靜の中で、感覺がしだいに清暉となって、よく見れば、仙人どもが碧峰に遊んで居るのであろう、あちこちで笠歌の聾が聞こえてきた。

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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

天門關 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

遊泰山,六首之六

(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

朝飲王母池,暝投天門關。

朝に泰山の東南麓なる王母池にて清泉の水を飲み、それから、山に登り、終日難行して、夕方には南天門に投宿した。

獨抱綠綺琴,夜行青山間。

ここまで、「綠綺」の琴をむねで抱き来たり、どこかでこの琴を弾じようというので、夜、青山の間をすすんでゆくとたどりついた。

山明月露白,夜靜松風歇。

そこに、月が山の端から上がって出ていて、露を白くかがやかせ、山山は、 はっきりと見える、やがてしずかに更け行くままに、あたりは、いよいよ静にして、松風さへも吹き罷んで仕舞った。

仙人遊碧峰,處處笙歌發。

そうした寂靜の中で、感覺がしだいに清暉となって、よく見れば、仙人どもが碧峰に遊んで居るのであろう、あちこちで笠歌の聾が聞こえてきた。

#2

寂靜清暉,玉真連翠微。

想象鸞鳳舞,飄颻龍虎衣。

捫天摘匏瓜,恍惚不憶歸。

舉手弄清淺,誤攀織女機。

明晨坐相失,但見五雲飛。

 

遊泰山,六首之六

朝に 王母の池に飲み,暝に 天門の關に投ず。

獨り綠綺の琴を抱き,夜 青山の間を行く。

山 明かにして 月 露白く,夜 靜かにして 松風 歇む。

仙人 碧峰に遊び,處處に 笙歌發す。
#2

寂靜 清暉をみ,玉真 翠微に連る。

想象す 鸞鳳の舞,飄颻たり 龍虎の衣。

天を捫して 匏瓜を摘み,恍惚として 歸えるを憶わず。

手を舉げて 清淺を弄し,誤ちて攀ず 織女の機。

明晨 坐ろに相い失し,但見る 五雲の飛ぶを。

泰山案内図01 

『遊泰山,六首之六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之六

朝飲王母池,暝投天門關。

獨抱綠綺琴,夜行青山間。

山明月露白,夜靜松風歇。

仙人遊碧峰,處處笙歌發。

(下し文)
遊泰山,六首之六

朝に 王母の池に飲み,暝に 天門の關に投ず。

獨り綠綺の琴を抱き,夜 青山の間を行く。

山 明かにして 月 露白く,夜 靜かにして 松風 歇む。

仙人 碧峰に遊び,處處に 笙歌發す。

(現代語訳)
(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

朝に泰山の東南麓なる王母池にて清泉の水を飲み、それから、山に登り、終日難行して、夕方には南天門に投宿した。

ここまで、「綠綺」の琴をむねで抱き来たり、どこかでこの琴を弾じようというので、夜、青山の間をすすんでゆくとたどりついた。

そこに、月が山の端から上がって出ていて、露を白くかがやかせ、山山は、 はっきりと見える、やがてしずかに更け行くままに、あたりは、いよいよ静にして、松風さへも吹き罷んで仕舞った。

そうした寂靜の中で、感覺がしだいに清暉となって、よく見れば、仙人どもが碧峰に遊んで居るのであろう、あちこちで笠歌の聾が聞こえてきた。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00
(訳注)

遊泰山,六首之六

(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

 

朝飲王母池,暝投天門關。

清晨飲過泰山瑤池的清泉,夜晚準備在南天門投宿。

朝に泰山の東南麓なる王母池にて清泉の水を飲み、それから、山に登り、終日難行して、夕方には南天門に投宿した。

(1)王母池:又名瑤池,在泰山東南麓。山東通志に「王母池は、泰山の下の束南麓に在り、一名瑤池といい、水、きわめて甘冽、濆沸潾瀞、竭きす、盈たず、郷入、水を取って雨を祈願する、頗る騐あり」とある。

(2):傍晚。

(3)天門關 天門關は,泰山上に在る。泰山の道路を登ると盤旋曲折し,要は中天門、南天門等の處を經過するに,然る後に山頂に到達す。《山東通志》「泰山,周迴一百六十里,屈曲盤道百餘,逕南天門、東、西三天門,至頂,高四十餘里。」(泰山に上る、周迴一百六十里,屈曲盤道百餘、南天門、東、西三大門を経て、絶頂に至る、高さ四十餘里)とある。案内図参照。

 

獨抱綠綺琴,夜行青山間。

懷中抱着綠綺琴,天黑了還行走在青山之間。

ここまで、「綠綺」の琴をむねで抱き来たり、どこかでこの琴を弾じようというので、夜、青山の間をすすんでゆくとたどりついた。

(4)綠綺琴:古代名琴のひとつで,相い傳わるのは、司馬相如 綠綺の琴有り。這裏 名貴の琴として泛指される。司馬相は如鼓琴を善くし,其の「綠綺」の琴を用うる所,是れ傳中の最優秀の琴の一であるとした。司馬相如が原と本と家境貧寒,徒らに四壁有り,但し他の詩賦極めて名氣有り,梁王 盛んに其の才情を高華して讚し,他の一は「綠綺」の琴を把えて名叫し賜給いて,上面には「桐梓合精」の銘文を刻有し,是れ當時 多く得る可らざる名貴樂器とされた。

 [中國四大名琴]は地方によって異なるが、以下が統一的に言われるものである。

號鐘:齊桓公收藏的周代的名琴。號鐘的琴音之宏亮,所奏出的悲涼旋律,能使人感動流淚。

繞梁:楚莊王所有,據由華元所獻[2]。繞梁之名正指其音色特點,乃餘音不斷,纏繞回蕩。

綠綺:原為梁王所藏,後贈予司馬相如。綠綺的音色妙,更成了古琴的別稱。

焦尾:蔡邕所製,因其琴尾留有焦痕而取名[3]。後為齊明帝所有,明朝再由王逢年所藏。

 

山明月露白,夜靜松風歇。

月亮出山了,羣山一片皎潔如玉,夜靜了,連古鬆也停止了嘯吟。

そこに、月が山の端から上がって出ていて、露を白くかがやかせ、山山は、 はっきりと見える、やがてしずかに更け行くままに、あたりは、いよいよ静にして、松風さへも吹き罷んで仕舞った。

(5)松風:風撼松林發出的響聲。

*兩句意爲:月光下山色明亮,露水晶瑩;風停了,松林無聲,夜更寂靜。

 

仙人遊碧峰,處處笙歌發。

寂靜中愈感覺清暉可弄,玉真仙女下降到翠微峯。

そうした寂靜の中で、感覺がしだいに清暉となって、よく見れば、仙人どもが碧峰に遊んで居るのであろう、あちこちで笠歌の聾が聞こえてきた。

(6)笙歌:吹笙伴歌。「綵雲蕭史駐,文字魯恭留。」蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。『玉臺観二首其一』にものべる。

「人傳有笙鶴,時過此山頭。」 このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙を吹いては鳳凰が鳴くような音を出すことができた。伊水、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

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李白  遊泰山,六首之五-#2  

緬彼鶴上仙,去無雲中跡。長松入雲漢,遠望不盈尺。

山花異人間,五月雪中白。終當遇安期,於此鍊玉液。

どんなに高いところでも、彼の鶴に跨れる仙人を思えばいいのであり、そして、ここから一去して雲中に向ったのであろうが、その跡を見つけることはできない。それから、丈の高い松は、雲漢に衝き入る程で、何百丈という位であろうが、ここより去って遠望すれば、一尺にも盈たないのである。この山の登って高いところの花は、人間界に見るものとは異にしている、即ち、琪花瑤草ともいうべきであろう、それに、五月というのに消え残る雪の中に白く吹き出で咲いている。いつまでも、此に居たならば、はては、かの「安期生」に遇い、その教えを受けて玉膏を錬り、仙道を修行することも出来るだろうというので、しばらくは、去ることなくこの地にいることになる。

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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)             

 

遊泰山,六首之一:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

遊泰山,六首之二:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

遊泰山,六首之三: (道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

遊泰山,六首之四:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

遊泰山,六首之五:(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

遊泰山,六首之六:

 

 

遊泰山,六首之五 #1

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

海水落眼前,天光遙空碧。

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

#2

緬彼鶴上仙,去無雲中跡。

長松入雲漢,遠望不盈尺。

山花異人間,五月雪中白。

終當遇安期,於此鍊玉液。

(遊泰山,六首の五)

日観、東北に傾き、兩崖、雙石を夾む。

海水、眼前に落ち、天光、遙空 碧なり。

千峰、爭って攢聚、萬壑、だ凌歷

 

泰山案内図01 

『遊泰山,六首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

緬彼鶴上仙,去無雲中跡。

長松入雲漢,遠望不盈尺。【長松入霄漢】

山花異人間,五月雪中白。

終當遇安期,於此鍊玉液。

(下し文)
#2

緬たる彼の鶴上の仙、去って雲中の跡なし。

長松、雲漢に入り、遠望すれば、尺に盈たす。

山花、人間に異なり、五月、雪中に白し。

終に當に安期に遇ひ、此に於て玉液を錬るべし。

(現代語訳)
#2

どんなに高いところでも、彼の鶴に跨れる仙人を思えばいいのであり、そして、ここから一去して雲中に向ったのであろうが、その跡を見つけることはできない。

それから、丈の高い松は、雲漢に衝き入る程で、何百丈という位であろうが、ここより去って遠望すれば、一尺にも盈たないのである。

この山の登って高いところの花は、人間界に見るものとは異にしている、即ち、琪花瑤草ともいうべきであろう、それに、五月というのに消え残る雪の中に白く吹き出で咲いている。

いつまでも、此に居たならば、はては、かの「安期生」に遇い、その教えを受けて玉膏を錬り、仙道を修行することも出来るだろうというので、しばらくは、去ることなくこの地にいることになる。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00
(訳注) #2

遊泰山,六首之五 

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

 

緬彼鶴上仙,去無雲中跡。

どんなに高いところでも、彼の鶴に跨れる仙人を思えばいいのであり、そして、ここから一去して雲中に向ったのであろうが、その跡を見つけることはできない。

3 思ふ貌。

4鶴上仙 王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。 それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

 

長松入雲漢,遠望不盈尺。【長松入霄漢】

それから、丈の高い松は、雲漢に衝き入る程で、何百丈という位であろうが、ここより去って遠望すれば、一尺にも盈たないのである。

5雲漢 1 (あま) の川。銀河。2 大空。

 

山花異人間,五月雪中白。

この山の登って高いところの花は、人間界に見るものとは異にしている、即ち、琪花瑤草ともいうべきであろう、それに、五月というのに消え残る雪の中に白く吹き出で咲いている。

6山花異人間 高山植物が花を咲かせること、下界の花と違うことを言う。「琪花瑤草」.琪、瑤:美玉。古代からの想像中の仙境に咲く花草。後になると晶瑩、美麗な花草についての形容となる。王轂《夢仙謠》「前程漸覺風光好,琪花片片粘瑤草。」にみえる。

7五月雪 歳華紀麗「泰山冬夏雪あり」と見える。

 

終當遇安期,於此鍊玉液。

いつまでも、此に居たならば、はては、かの「安期生」に遇い、その教えを受けて玉膏を錬り、仙道を修行することも出来るだろうというので、しばらくは、去ることなくこの地にいることになる。

8安期 古代の仙人、蓬莱山の仙人. 秦の始皇帝が山東地方で出会い、共に語り合ったという神仙。当時、千歳をこえる老人で、始皇帝と別れた後に東海中にあるといわれた蓬莱山(神仙の山)に住んだといわれる。秦 から漢の間の齊人, には琅琊、阜人ともいう。 では他に曾從 河上丈人 黃帝に習う、 老子の 東海の邊に藥を賣る。

秦始皇 東游, 與語三日夜, 賜金璧數千萬, 皆置之 亭而去, 留書及赤玉舄一雙為報。 始皇 遣使入海求之, 未至 蓬萊山 遇風波而返。 生平與 蒯通 友善, 嘗以策幹 項羽 未能用。 後之方士、道家因謂其為居海上之神仙。 事見《史記樂毅列傳》、 劉向 《列仙傳》等。

《史記封禪書》「安期生 僊者, 蓬萊 中, 合則見人, 不合則隱。」とある。

9玉液 江掩の詩「道人讀丹經、方士錬玉液」とあり、玉液に即ち玉膏。

李白317-#1 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#1> Ⅰ李白詩1628 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6688

李白  遊泰山,六首之五 #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。海水落眼前,天光遙空碧。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)             

 

遊泰山,六首之一:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

遊泰山,六首之二:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

遊泰山,六首之三: (道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

遊泰山,六首之四:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

遊泰山,六首之五:(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

遊泰山,六首之六:

泰山002 

 

遊泰山,六首之五 #1

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

海水落眼前,天光遙空碧。

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

#2

緬彼鶴上仙,去無雲中跡。

長松入雲漢,遠望不盈尺。

山花異人間,五月雪中白。

終當遇安期,於此鍊玉液。

 泰山案内図01

 

『遊泰山,六首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之五 #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

海水落眼前,天光遙空碧。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷

(下し文)
(遊泰山,六首の五)

日観、東北に傾き、兩崖、雙石を夾む。

海水、眼前に落ち、天光、遙空 碧なり。

千峰、爭って攢聚、萬壑、だ凌歷

(現代語訳)
(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。



(訳注)

遊泰山,六首之五 #1

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

 

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

日觀 日觀峰 (河南道 兗州 泰山)。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” 《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。

 

海水落眼前,天光遙空碧。【天光搖空碧】

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

 

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

1】攢聚 栄二字ともに集まるという意味。

2凌歷 非常に深邃であるすがた。

 

 

(遊泰山,六首の五)

日観、東北に傾き、兩崖、雙石を夾む。

海水、眼前に落ち、天光、遙空 碧なり。

千峰、爭って攢聚、萬壑、凌歷

 

#2

緬たる彼の鶴上の仙、去って雲中の跡なし。

長松、雲漢に入り、遠望すれば、尺に盈たす。

山花、人間に異なり、五月、雪中に白し。

終に當に安期に遇ひ、此に於て玉液を錬るべし。