漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 卷二十(古近體詩三十六首)

745-003-#2巻176 27-#2 尋魯城北范居士失道落蒼耳中見范置酒摘蒼耳作(卷二十(二)一一五○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8501

745-003-#2巻176 27-#2 尋魯城北范居士失道落蒼耳中見范置酒摘蒼耳作(卷二十(二)一一五○)

 

 

2017410

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Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-003-#2巻176 27-#2 尋魯城北范居士失道落蒼耳中見范置酒摘蒼耳作(卷二十(二)一一五○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8501

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

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杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

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杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

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(13)763年蜀中転々 96

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だから、是非ここを尋ねたいと思い、そこでは、茫然として逸興を起し、なんでも早く行きたいというので、しきりに道を急いだ。すると、城の渠濠の空池のほとりにおいて、行く手の道を誤り荒れた坂路において、馬首をどちらに向けようかとまごついている間に滑り落ちたのである。滑り落ちて、せっかくの翠雲裘に蒼耳の草がからみついたが、そんなことには頓着しなかった。


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277-#1 《巻二十一12郢門秋懷#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <277-#1> Ⅰ李白詩1555 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6323

李白  郢門秋懷 #1 

郢門一為客,巴月三成弦。朔風正搖落,行子愁歸旋。

杳杳山外日,茫茫江上天。人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

清曠諧宿好,緇磷及此年。・・・・・
(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)#1一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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277-#1 《巻二十一12郢門秋懷#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <277-#1> Ⅰ李白詩1555 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6323 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-75杜甫 《1816不離西閣,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-75 <938> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6325 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    郢門秋懷

作地點:              荊州(江南東道 / 荊州 / 荊州)

及地點:              荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府             

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

 

 

郢門秋懷 #1

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

郢門一為客,巴月三成弦。

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

朔風正搖落,行子愁歸旋。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

杳杳山外日,茫茫江上天。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

清曠諧宿好,緇及此年。

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

#2

百齡何蕩漾,萬化相推遷。

空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。

倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

終當遊五湖,濯足滄浪泉。

 

(郢門秋懷) #1

郢門 一たび客と為り,巴月 三たび弦を成す。

朔風 正に搖落,行子 歸旋を愁う。

杳杳たる山外の日,茫茫たる江上の天。

人は迷う 洞庭の水,雁は度る 瀟湘の煙。

清曠 宿好に諧い,緇 此年に及ぶ。

#2

百齡 何ぞ蕩漾,萬化 相い推遷。

空しく 蒼梧の帝に謁し,徒らに溟海の仙を尋ぬ。

已に聞く 蓬海の淺きを,豈に三桃の圓なるを見んや。

劍に倚って 浩歎を增し,襟を捫でて 還た自ら憐む。

終に當に五湖に遊び,足を滄浪の泉に濯うべし。

 

 

『郢門秋懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

郢門秋懷 #1

郢門一為客,巴月三成弦。

朔風正搖落,行子愁歸旋。

杳杳山外日,茫茫江上天。

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

清曠諧宿好,緇磷及此年。

(下し文)
(郢門秋懷) #1

郢門 一たび客と為り,巴月 三たび弦を成す。

朔風 正に搖落,行子 歸旋を愁う。

杳杳たる山外の日,茫茫たる江上の天。

人は迷う 洞庭の水,雁は度る 瀟湘の煙。

清曠 宿好に諧い,緇磷 此年に及ぶ。

(現代語訳)
(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)#1

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。


(訳注)

郢門秋懷 #1

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

この詩は、秋、荊門に遊びしに因って、客中の情懐を叙したものである。

郢門 郢門は荊門。           荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府           

山名。湖北省宜都県の西北方、長江の南岸にある。河川に両岸が迫っているので呼ばれる。北岸の虎牙山と相対した江運の難所である。宜宗の大中二年(848年)、桂林刺史、桂管防禦観察使の鄭亜が循州(広東省恵陽県)に貶され、李商隠は幕を辞して都へ帰った。馮浩はその路中の作とする。偶成転韻と題する詩に「頃之職を失いて南風に辞す、破帆壊漿 荊江の中。」と歌われており、李商隠はこの荊門のあたりの難所で実際に危険な目にあったらしい。杜甫「詠懐古跡五首其三」李白「秋下荊門」「渡荊門送別」三峡をすこし下ってここに差し掛かることを詠う。李白は江陵で当時の道教教団、最高指導者の司馬承禎(しばしょうてい)と会っている。司馬承禎は玄宗皇帝から幾度も宮中に召され、法籙(ほうろく・道教の免許)を授けるほどに信頼された人物だ。司馬承禎は南岳衡山(こうざん)での祭儀に参加するため湖南に行く途中で、江陵にさしかかったのだった。すでに高齢に達していた司馬承禎に李白は詩を呈し、道教について教えを乞うた。司馬承禎が李白を「仙風道骨あり、神とともに八極の表に遊ぶべし」と褒めたという。

725年 開元十三年の春三月、二十五歳の李白と呉指南は江陵に別れを告げ、「楚国の遊」に旅立った。詩は江陵で遊んでを去るに当たって知友に残した作品で、留別の詩。

 李白は眼前に広がる楚地の広大な天地に意欲をみなぎらせ、同時に「仍()お憐れむ 故郷の水 万里 行舟を送るを」と感傷もにじませる。

 

郢門一為客,巴月三成弦。

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

三成弦 呉均の詩に「別離未幾日、高月三成弦とあるに本づく、上弦の月は7日前後の月ををいい、三たび上弦月を見たという義。。

 

朔風正搖落,行子愁歸旋。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

朔風 「朔」は北の方角の意》北から吹く風。北風。《季 冬》

 

杳杳山外日,茫茫江上天。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

 

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

洞庭 洞庭湖、洞庭湖は、中華人民共和国湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。湖北省と湖南省はこの湖の北と南にあることからその名が付いた。

瀟湘 瀟湘八景。瀟湘八景(しょうしょう はっけい)とは、中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。瀟湘は単に風光明媚というだけではなく、かつては楚の中心地として栄え、伝説や神話に彩られた土地である。 かの有名な桃源郷の伝説もこの一帯から生まれた。 屈原の『楚辞』「九歌」や「離騒」には、伝説上の皇帝堯の二人の娘湘君・湘妃の物語が幻想的に詠われている。二人の娘は次の皇帝舜帝の妃娥皇・女英となり、夫の舜が遠征の途中、湘江の畔で命を落とすと後を追って洞庭湖に身投げし、湘江の神となったという。後に二人は湘山に祀られた。戦国時代、この詩を詠んだ屈原自身もこの地を彷徨い、詩を詠み、ついには失意のうちに身を投じている。洞庭湖の畔に建つ岳陽楼には各地から文人が集い雅会を開いた。唐の張説、杜甫、宋代の范仲淹など多くの詩文がこの名勝の地で生まれた。

 

清曠諧宿好,緇磷及此年。

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

緇磷 すり減らされ黒ずむ。《論語·陽貨》「不曰堅乎?磨而不磷。不曰白乎?涅而不緇。」.李白《潁陽別元丹丘之淮陽》「悠悠市朝間,玉顏日緇磷。」かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。

 

 

百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 

そこで、蒼椿の帝に謁せむとするも、志逐げや、徒に海中に向つて、紳仙

を尋ねむとして居る。しかし、蓬莱の水でさへも、追追浅くnTり、三千年に一たび貰るといふ桃の三

たび熟するを見ることは、もとより六つかしい。そこで、剣に侍って浩款を増し、襟を撫でて、摘む

自ら憐むばかゎ。この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵薯か験し、泣く五湖に浮んで去り、

そして、足を愴渦の水に洗ふ外はない.

 

萬化 宇宙の現象の攣化して止まざること。

蒼梧帝 呉均の詩に「欲謁蒼梧帝、過間沅流湘姫」とあって、虞舜を指す。

 

溟海仙 十州記に「蓬莱山は、東海の東北岸に対し、周回五十里、外、別に圓海あって山をめぐる、圓海水甚だ黒く、而して、これを凕海という。風なくして、洪波百丈、得て往来すべからず。上に九老丈人、九天眞王宮あり、蓋し、太上眞人の居るところ、但だ飛仙能く其処に到るのみ」とある。溟海仙は、海中島上の神仙をいう。

蓬海淺 神仙傳に「麻姑云ふ、さきに-蓬莱に到りしに、水叉往日よりも浅し」とある。

三桃圓 漢武故事に「東海、一短人か送る、長五寸、衣冠具足、上、その精を疑い、東方朔を召して至る。朔、短人を呼んで日く、巨靈、阿母還り来るや否やと。短人対えず、因って、指して上に謂ふ、王母、桃も種うる三千年、―たび子を結ぶ。

この兒不良、すべて三たび過ぎて之を倫み、王母の意も失ひ、故に謫せられてここに来る、と。上大に驚き、はじめて朔の世中の人に非ざるを知るなり」とある。

五湖 今太湖の周辺にある。洞庭湖、鄱阳湖、太湖、巢湖、洪湖。

滄浪 あおあおとした波。蒼波(そうは)。(滄浪)川の名。中国湖北省を流れる漢水の一部の異称という。滄海桑田。《儲光羲「献八舅東帰」から》広い海原が桑畑に変わる。世の中の移り変わりの激しいことのたとえ。桑田変じて海となる。桑田変じて滄海となる。

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李白《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -4》 昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。

 

 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登廣武古戰場懷古

作地點:              廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)

及地點:              廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)       

戦国七雄001 

 

登廣武古戰場懷古#1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

兩龍不並躍,五緯與天同。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

楚滅無英圖,漢興有成功。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
按劍清八極,歸酣歌大風。

高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。

3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。

4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

翔りゆく雲は暁に陣形を連ね調えたかと怪しまれ、今残っている殺気は、廣武城にかかる長い虹よりもかがやいている。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

元来、撥亂反正の大業は、豪聖の君に限ることで、その心事は区々たる俗儒にはわからないことなのだ。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

私は、黄河のほとりに立ち、手を敲きながら、かの阮籍の狂愚を笑うのである。

 

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。

2

赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。

3

伊れ昔 廣武に臨み,兵を連ねて雌雄を決す。

我に分つ 一杯の羹【あつもの】を,太皇は乃ち汝の翁。

戰爭 古跡有り,壁壘【へきるい】 層穹【そうきゅう】に【くず】る

猛虎 洞壑に嘯き,飢鷹 秋空に鳴く。

4

翔雲 曉陣を列し,殺氣 長虹赫たり。

撥亂 豪聖に屬し,俗儒 安んぞ通す可けんや。

沈湎 豎子を呼び,狂言 至公にら非ず。

掌を撫す 黃河の曲,嗤嗤たり 阮嗣宗。

河南省中南部 陸渾00 

 

『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。


(下し文)4

翔雲 曉陣を列し,殺氣 長虹赫たり。

撥亂 豪聖に屬し,俗儒 安んぞ通す可けんや。

沈湎 豎子を呼び,狂言 至公にら非ず。

掌を撫す 黃河の曲,嗤嗤たり 阮嗣宗。

(現代語訳)
翔りゆく雲は暁に陣形を連ね調えたかと怪しまれ、今残っている殺気は、廣武城にかかる長い虹よりもかがやいている。

元来、撥亂反正の大業は、豪聖の君に限ることで、その心事は区々たる俗儒にはわからないことなのだ。

昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。

私は、黄河のほとりに立ち、手を敲きながら、かの阮籍の狂愚を笑うのである。


洛陽 函谷関 嵩山005
(訳注) 4

登廣武古戰場懷古 

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

廣武 (河南地図10)都畿道河南府滎陽縣に廣武城がある。城は山上にあり、漢が築いた。劉邦が絶澗に臨んで対語し、劉邦は項羽の十罪を責めた時、項羽の射たやがむねのささり重症をおった。西征記に「三皇山あり、或は三室山という、各々山上に城あり、東に東廣武城、西を西廣武城と云い、この間、絶澗をへだつ、漢祖、項籍と語る處。」とある。

 

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

翔りゆく雲は暁に陣形を連ね調えたかと怪しまれ、今残っている殺気は、廣武城にかかる長い虹よりもかがやいている。

 

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

元来、撥亂反正の大業は、豪聖の君に限ることで、その心事は区々たる俗儒にはわからないことなのだ。

 

沈湎呼豎子,狂言非至公。

昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。

沈湎 しずみおぼれること。特に、酒色にふけってすさんだ生活を送ること。魏の末期に、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、距離を置くため、大酒を飲み清談を行ない、礼教を無視した行動をした阮籍のことを言う。

呼豎子 「豎子」=「孺子」は、漢高祖の謀臣、張良(子房)のことを指す。張良は亡命中に、黄石公という老人が橋の下に落とした履を拾いに行かされて、「はいはい」と拾いに行った。その外柔らかにして内剛なる性質を知った黄老人は「孺子、可教。」(孺子、教うべし。)小僧、どうやら教えてやる甲斐がありそうじゃな。と言って、その後少し紆余曲折があった後に、張良に自らの用兵の術を教えた。

阮籍は竹林の七賢の筆頭扱いの阮籍である。白眼視や嗜酒、能嘯で名高いが、彼は時に自ら車を駆り、道窮まって泣いたといい、暢ばすことのできぬ志があったひとであったのである。廣武城に登り、劉邦と項羽の楚漢の戦いの跡を見渡したとき、「時無英雄、使豎子成名。」(時に英雄無く、豎子をして名を成さしむ。)そのときには英雄というべき者がいなかったのだ、だから小僧っ子に名声を成さしめてしまったのだ。と嘆じたという。(晋書巻49「阮籍等伝」)

 

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

私は、黄河のほとりに立ち、手を敲きながら、かの阮籍の狂愚を笑うのである。

阮嗣宗 阮籍(げん せき、210年(建安15年) - 263年(景元4年))は、中国三国時代の人物。字(あざな)を嗣宗、兗州陳留郡尉氏の人。竹林の七賢の指導者的人物である。父は建安七子の一人である阮瑀。甥の阮咸も竹林の七賢の一人である。子は阮渾。兄は阮煕。魏の末期に、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、距離を置くため、大酒を飲み清談を行ない、礼教を無視した行動をしたと言われている。俗物が来ると白眼で対し、気に入りの人物には青眼で対した。
李白31歳 

177-#3 《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -#3》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <177-#3> Ⅰ李白詩1396 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5528

李白《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -3項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

 

 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登廣武古戰場懷古

作地點:              廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)

及地點:              廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)       

 

 

登廣武古戰場懷古#1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

兩龍不並躍,五緯與天同。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

楚滅無英圖,漢興有成功。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
按劍清八極,歸酣歌大風。

高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。

3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。

4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

(含異文)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。項王氣蓋世,紫電明雙瞳。呼吸八千人,橫行起江東。

赤精斬白帝,叱吒入關中。兩龍不並躍,五緯與天同。楚滅無英圖,漢興有成功。按劍清八極,歸酣歌大風。

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。分我一杯羹,太皇乃汝翁。戰爭有古跡,壁壘層穹。猛虎嘯洞壑【猛虎吟洞壑】,飢鷹鳴秋空【飢鷹獵秋空】。

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。撥亂屬豪聖,俗儒安可通。沈湎呼豎子,狂言非至公。撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。

2

赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。

3

伊れ昔 廣武に臨み,兵を連ねて雌雄を決す。

我に分つ 一杯の羹【あつもの】を,太皇は乃ち汝の翁。

戰爭 古跡有り,壁壘【へきるい】 層穹【そうきゅう】に【くず】る

猛虎 洞壑に嘯き,飢鷹 秋空に鳴く。

4

翔雲 曉陣を列し,殺氣 長虹赫たり。

撥亂 豪聖に屬し,俗儒 安んぞ通す可けんや。

沈湎 豎子を呼び,狂言 至公にら非ず。

掌を撫す 黃河の曲,嗤嗤たり 阮嗣宗。

 河南省中南部 陸渾00

 

『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。


(下し文) 3

伊れ昔 廣武に臨み,兵を連ねて雌雄を決す。

我に分つ 一杯の羹【あつもの】を,太皇は乃ち汝の翁。

戰爭 古跡有り,壁壘【へきるい】 層穹【そうきゅう】に【くず】る。

猛虎 洞壑に嘯き,飢鷹 秋空に鳴く。

(現代語訳)
その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。

項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。

廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。


洛陽 函谷関 嵩山005
(訳注) 3

登廣武古戰場懷古 -3

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

廣武 (河南地図10)都畿道河南府滎陽縣に廣武城がある。城は山上にあり、漢が築いた。劉邦が絶澗に臨んで対語し、劉邦は項羽の十罪を責めた時、項羽の射たやがむねのささり重症をおった。西征記に「三皇山あり、或は三室山という、各々山上に城あり、東に東廣武城、西を西廣武城と云い、この間、絶澗をへだつ、漢祖、項籍と語る處。」とある。
 

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。

 

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

分我一杯羹 項羽本紀「項羽はすでに東海地方を平定して西にむかい、広武山に臨んで漢と相 対して陣をしいた。たがいに守備して対峙すること数ヵ月であった。 このときにあたって、彭越はしばしば梁の地で反抗し、楚の糧食を絶 った。項羽はこれを憂慮し、高い俎板をつくって太公をその上に磔にし、 漢王劉邦に告げた。「いま、早急に降服しなければ、太公を烹殺してしまうぞ」漢王劉邦は言った。「わしは項羽とともに北面して懐王の命を受けたが、そのとき『兄弟 となることを約束しよう』と言った。 してみれば、わが父はすなわち おまえの父だ。どうしてもおまえの父を烹殺すというのなら、ぜひ、 わしにも一杯の羹をくれ」項羽は怒って、本当に太公を殺そうとした。項伯が言った。「天下がどう定まるかは、まだわかりません。かつまた、天下を取ろうとするものは、家族のことなどかえりみません。太公を殺しても益 はなく、かえってむだに漢王を怒らせて、当方の禍を増すにすぎませ ん」項羽はこの意見にしたがった。楚と漢は相対峙してなかなか決戦しなかった。若者は兵役に苦しみ、老弱は陸上・水上の輸送に疲れはてた。項羽が漢王劉邦に言った。「天下は匈々としてさわぎ乱れること数年になるが、それは、ただわれら両人のためだ。ひとつ、挑戦して雌雄を決しようではないか。いたずらに天下の民の父子を苦しめるようなことはやめよう」漢王劉邦は笑ってことわって言った。「わしは、むしろ智でたたかうのであって、力ではたたかわ ない」劉邦は項羽を責めて言った。

 

戰爭有古跡,壁壘層穹。

その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。

 

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。

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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登廣武古戰場懷古

作地點:              廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)

及地點:              廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)       

 

 

登廣武古戰場懷古#1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

兩龍不並躍,五緯與天同。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

楚滅無英圖,漢興有成功。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
按劍清八極,歸酣歌大風。

高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。

3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

(含異文)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。項王氣蓋世,紫電明雙瞳。呼吸八千人,橫行起江東。赤精斬白帝,叱吒入關中。兩龍不並躍,五緯與天同。楚滅無英圖,漢興有成功。按劍清八極,歸酣歌大風。伊昔臨廣武,連兵決雌雄。分我一杯羹,太皇乃汝翁。戰爭有古跡,壁壘層穹。猛虎嘯洞壑【猛虎吟洞壑】,飢鷹鳴秋空【飢鷹獵秋空】。翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。撥亂屬豪聖,俗儒安可通。沈湎呼豎子,狂言非至公。撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。

2

赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。
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 洛陽 函谷関 嵩山005

『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

兩龍不並躍,五緯與天同。

楚滅無英圖,漢興有成功。

按劍清八極,歸酣歌大風。


(下し文)
赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う

(現代語訳)
ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。


(訳注) 2

登廣武古戰場懷古 -2

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

廣武 (河南地図10)都畿道河南府滎陽縣に廣武城がある。城は山上にあり、漢が築いた。劉邦が絶澗に臨んで対語し、劉邦は項羽の十罪を責めた時、項羽の射たやがむねのささり重症をおった。西征記に「三皇山あり、或は三室山という、各々山上に城あり、東に東廣武城、西を西廣武城と云い、この間、絶澗をへだつ、漢祖、項籍と語る處。」とある。 

河南省中南部 陸渾00 

赤精斬白帝,叱吒入關中。

ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

赤精 高祖劉邦は、赤龍に感じて生まれる。自ら赤精という。《漢書哀帝紀》:待詔夏賀良等言赤精子之讖。” 顏師古注引應劭して曰く:高祖感赤龍而生, 自謂赤帝之精。

斬白帝 白帝の子が赤帝の子に斬られて、乏しい人がその理由を高祖にはなすと、高祖が喜んだ。それより先に、劉邦が自分で大蛇を斬り殺している。「白帝の子が赤帝の子に斬られて」と言われた。劉邦は自分が赤帝の子だと思っているから、五行説から、赤が黒を征服し、黄が赤を征服する。劉邦が喜んだのは、「赤が黒を征服し」の方だ。秦の色は黒だから、秦の旗の色は黒。だから、劉邦はこの言葉を聞いて、秦を征服するのは自分だと確信して喜んだ。劉邦軍の旗の色は赤。漢の色は赤、火の徳を持つとされる。漢のから政権を奪った魏の色は黄、土の徳を持つとされる。

叱吒 【叱咤】 怒気をあらわして大声でしかること。しかりつけること。 しっ‐せき【叱責】 しかりせめること。

關中 函谷関の西側の地域を指す。現在の中国陝西省渭水盆地の西安を中心とした一帯である。春秋戦国時代の秦の領地であり、その後の前漢や唐もこの地に首都を置いた。

 

兩龍不並躍,五緯與天同。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

五緯 五星のこと。張平子(張衡)《西京賦》「自我高祖之始入也,五緯相汁以旅於東井。」(我が高祖の始めて入りし自り,五緯【ごい】相い汁【あ】いて以て于東井【とうせい】に旅【つらな】る。(帝都の計画) 我が高祖が始めて雍の地に入られると、この地を五つの星の配列に相い応じて東井の星座のようにならべる。

張平子(張衡)《西京賦》(8)(帝都の計画)#3-1 文選 賦<114―(8)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1045 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3773

 

楚滅無英圖,漢興有成功。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。

 

按劍清八極,歸酣歌大風。

高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。

八極 八方と同じ、ここでは天下。李白は江陵で当時の道教教団、最高指導者の司馬承禎(しばしょうてい)と会っている。司馬承禎は玄宗皇帝から幾度も宮中に召され、法籙(ほうろく・道教の免許)を授けるほどに信頼された人物だ。司馬承禎は南岳衡山(こうざん)での祭儀に参加するため湖南に行く途中で、江陵にさしかかったのだった。すでに高齢に達していた司馬承禎に李白は詩を呈し、道教について教えを乞うた。司馬承禎が李白を「仙風道骨あり、神とともに八極の表に遊ぶべし」と褒めた。

大風 高祖 大風歌「大風起兮雲飛揚云云」とある。

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李白《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -1(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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177-#1 《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -#1》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <177-#1> Ⅰ李白詩1394 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5518 
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177-1 《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -1Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <177-1> Ⅰ李白詩1394 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5518

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登廣武古戰場懷古

作地點:              廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)

及地點:              廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)       

 

 

登廣武古戰場懷古#1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

兩龍不並躍,五緯與天同。

楚滅無英圖,漢興有成功。

按劍清八極,歸酣歌大風。

3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

(含異文)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。項王氣蓋世,紫電明雙瞳。呼吸八千人,橫行起江東。赤精斬白帝,叱吒入關中。兩龍不並躍,五緯與天同。楚滅無英圖,漢興有成功。按劍清八極,歸酣歌大風。伊昔臨廣武,連兵決雌雄。分我一杯羹,太皇乃汝翁。戰爭有古跡,壁壘層穹。猛虎嘯洞壑【猛虎吟洞壑】,飢鷹鳴秋空【飢鷹獵秋空】。翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。撥亂屬豪聖,俗儒安可通。沈湎呼豎子,狂言非至公。撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。

2

赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->河南省中南部 陸渾00
<!--[endif]-->

『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

登廣武古戰場懷古#1

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

呼吸八千人,橫行起江東。


(下し文)

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。


(現代語訳)
(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

洛陽 函谷関 嵩山005
(訳注)

登廣武古戰場懷古 -1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

 

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

秦鹿 秦國の帝位をしめす。鹿を馬といわせた秦の支配が終わったこと。趙高が宮中に「珍しい馬がおります」と鹿を連れて来た。 胡亥は「丞相はどうかしたのか、これは鹿ではないか」と言ったが、「これは馬です」と趙高が答え、群臣にどう見えるか聞いた。趙高の権勢を恐れる者は馬と言い、屈しない者は鹿と言った。趙高はその場はちょっとした余興ということで納めたが、後日、鹿だと答えた官吏を、軒並み捕らえて処刑した。


 

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

氣蓋世 項羽の垓下歌「力拔山兮氣蓋世」とあり、項羽は自分がまだ意気盛んだと言っている。

雙瞳 重瞳、項羽本紀「羽もまた重瞳子」とある。重瞳(ちょうどう)とは、一つの眼玉に、瞳が二つある眼のこと。とくに、中国の貴人の身体的特徴として表現されることが多い。たとえば、伝説上の聖王である舜は重瞳だったという。また、資治通鑑などの史書によれば、項羽も重瞳だったという。

明らかな異相であるが、王の権威付けのためか、特に古代中国の王には重瞳にかぎらず、常人とは異なった身体的特徴をしていることが多い。たとえば、文王は四乳といって乳首が四つあったといわれ、禹は三漏といって耳の穴が三つあったという伝承が残っている。

 

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

八千人 項羽本紀「天之亡我。我何渡為。且籍与江東子弟八千人渡江而西。」(天の我を亡す、我何ぞ渡るを為さん。 且つ籍、与に江東の子弟八千人、江を渡りて西す。)

籍(こう せき、紀元前232 - 紀元前202年)は、秦末期の楚の武将。秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼし、一時“西楚の覇王”(在位紀元前206 - 紀元前202年)と号した。その後、天下を劉邦と争い(楚漢戦争)、当初は圧倒的に優勢であったが人心を得ず、次第に劣勢となって敗死した。

姓は項、名は籍、字が羽である。[1]以下、一般に知られている項羽(こうう)の名で記す。項羽は楚の将軍であった項燕の孫であり、項氏は代々楚の将軍を務めた家柄であった。項羽は両親を早くに亡くしたため叔父の項梁に養われていた。

秦末期、陳勝・呉広の乱が起きると、項羽は項梁に従って会稽郡役所に乗り込み、郡守である殷通をだまし討ちした後に襲いかかってきた殷通の部下数十名を一人で皆殺しにし、会稽の役人たちは項羽の強さに平伏、項梁は会稽郡守となって造反軍に参加した。
李白31歳 

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李白《卷20-11 登新平樓》見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。

 

 
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年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八○               文體:              五言律詩

詩題:    登新平樓

作地點:              新平(京畿道 / 邠州 / 新平)

 

 

登新平樓

(新平の城楼に登って詠う。)

去國登茲樓,懷歸傷暮秋。

故郷の国を去ってここの城郭の高楼に登ってみると、故郷に帰りたい気持ちが浮かんでくるが、悲愁の秋も暮れようとするときだから傷心にならざるをえないのだ。

天長落日遠,水淨寒波流。

天は長く晴れ渡り、夕日は遠く落ちてゆく、涇水の水は清くして、西風が寒波を運んでくる。

秦雲起嶺樹,胡雁飛沙洲。

秦地の雲は、山脈の樹木のあいだからおこってきて、胡の空から飛んできた雁が中州の砂浜の間を飛んでいる。

蒼蒼幾萬里,目極令人愁。

見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。

 

(新平の樓に登る)

國を去って茲の樓に登り,歸るを懷うて暮秋を傷む。

天は長くして落日遠く,水は淨くして寒波流る。

秦雲 嶺樹に起り,胡雁 沙洲に飛ぶ。

蒼蒼として 幾萬里あり,目 極まって 人をして愁えしむ。

扶風雍州長安003 

 

『登新平樓』 現代語訳と訳註解説

(本文)

登新平樓

去國登茲樓,懷歸傷暮秋。

天長落日遠,水淨寒波流。

秦雲起嶺樹,胡雁飛沙洲。

蒼蒼幾萬里,目極令人愁。

 

(下し文)

(新平の樓に登る)

國を去って茲の樓に登り,歸るを懷うて暮秋を傷む。

天は長くして落日遠く,水は淨くして寒波流る。

秦雲 嶺樹に起り,胡雁 沙洲に飛ぶ。

蒼蒼として 幾萬里あり,目 極まって 人をして愁えしむ。

 

(現代語訳)

(新平の城楼に登って詠う。)

故郷の国を去ってここの城郭の高楼に登ってみると、故郷に帰りたい気持ちが浮かんでくるが、悲愁の秋も暮れようとするときだから傷心にならざるをえないのだ。

天は長く晴れ渡り、夕日は遠く落ちてゆく、涇水の水は清くして、西風が寒波を運んでくる。

秦地の雲は、山脈の樹木のあいだからおこってきて、胡の空から飛んできた雁が中州の砂浜の間を飛んでいる。

見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。

 

杜甫乱前後の図003鳳翔 

(訳注)

登新平樓

(新平の城楼に登って詠う。)

新平(邠() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。

140-#1 《邠()歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#1> Ⅰ李白詩1325 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5173

 

去國登茲樓,懷歸傷暮秋。

故郷の国を去ってここの城郭の高楼に登ってみると、故郷に帰りたい気持ちが浮かんでくるが、悲愁の秋も暮れようとするときだから傷心にならざるをえないのだ。

 

天長落日遠,水淨寒波流。

天は長く晴れ渡り、夕日は遠く落ちてゆく、涇水の水は清くして、西風が寒波を運んでくる。

水淨 晴天続きで涇水の水が清い流れである。

寒波流 晩秋の西からの寒波が押し寄せる。

 

秦雲起嶺樹,胡雁飛沙洲。

秦地の雲は、山脈の樹木のあいだからおこってきて、胡の空から飛んできた雁が中州の砂浜の間を飛んでいる。

秦雲起嶺樹 南の長安の街を見守ってきた秦嶺山脈の木々の間から湧き立つ雲。古代、雲は木々の谷間の岩場の洞窟から湧き立つと考えられていた。

胡雁飛沙洲 涇水は北西から長安方向へ流れ渭水に合流する。したがって胡の会コツから雁が南下してくることをいう。涇水の沙汀の間から飛んでくる。

 

蒼蒼幾萬里,目極令人愁。

見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。
banri03 

150李白《巻20-09 登太白峯》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<150> Ⅰ李白詩1335 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5223

150李白《巻20-09 登太白峯》こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

 

 
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150李白《巻20-09 登太白峯》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<150> Ⅰ李白詩1335 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5223

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:  卷一八○        文體:  五言古詩

詩題:  登太白峰

作地點:        太白山(京畿道 / 岐州 / 太白山)

及地點:        太白山 (京畿道 岐州太白山) 別名:太白峰         

武功 (京畿道 京兆府 武功)        

 

 

登太白峰

(夜、太白山に登って作ったもの)

西上太白峰,夕陽窮登攀。

秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。

太白與我語,為我開天關。

空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。

願乘泠風去,直出浮雲間。

願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。

舉手可近月,前行若無山。

山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。

一別武功去,何時復見還。

こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

 

(太白峰に登る)

西のかた太白峰に上り、夕陽  登攀【とうはん】を窮む。

太白  我と語り、我が為に天関を開く。

願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。

手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。

一たび別れて武功に去り、何れの時か  復た更に還【かえ】らん。

太白山00 

 

『登太白峰』 現代語訳と訳註解説

(本文)

登太白峰

西上太白峰,夕陽窮登攀。

太白與我語,為我開天關。

願乘泠風去,直出浮雲間。

舉手可近月,前行若無山。

一別武功去,何時復見還。

 

(下し文)

(太白峰に登る)

西のかた太白峰に上り、夕陽  登攀【とうはん】を窮む。

太白  我と語り、我が為に天関を開く。

願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。

手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。

一たび別れて武功に去り、何れの時か  復た更に還【かえ】らん。

 

(現代語訳)

(夜、太白山に登って作ったもの)

秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。

空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。

願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。

山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。

こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

 

yoshu&choan736 

(訳注)

登太白峰

(太白峰に登る)

(夜、太白山に登って作ったもの)

・太白峰 太白山のこと。長安の西方80kmにある3767m、陝西省武功県、の南にある山の名。標高もあり、山頂には年中積雪がある。 五嶽より圧倒的に高い。古来、五嶽を基本として地方を9つに分けて考えられていた世界観からすれば太白山はその世界を外れた天に続く山とされていたのだろう。  陝西省関中道郿縣の南にあり、上に洞窟がある。道教でいう第十一洞天の霊場である。

古風,五十九首之五

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

Index-23 Ⅲ-1-364 《古風,五十九首之五》Ⅲ-1 744年天寶三年44歳 364Index-23> Ⅰ李白詩1149 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4293

・終南太一 終南山は南山、秦嶺ともいう。長安の正面、渭水の南にあり。太一は終南山から秦嶺山脈中の一番高峰の太白山とする。「終南山は泰嶺山脈の全体の名と見ると、太一山はその山脈中の一山、武功県の太白山なりといぅ(『読史方輿紀要』)。陝西省南部を東西によこぎる断層山脈。平均標高20003000m,最高峰の太白山(3767m)をはじめ,《詩経》にみえる終南山(2604m),玉泉山(1291m)などの山峰がある。渭河と漢水の分水嶺をなし,北側は急峻な断層崖のため,古来,渭水盆地では〈南山〉と称し〈九州の名阻,天下の険峻〉とよんだ。

 

西上太白峰,夕陽窮登攀。

西のかた太白峰に上り、夕陽  登攀【とうはん】を窮む。

秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。

 

太白與我語,為我開天關。

太白  我と語り、我が為に天関を開く。

空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。

 

願乘泠風去,直出浮雲間。

願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。

願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。

 

舉手可近月,前行若無山。

手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。

山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。

 

一別武功去,何時復見還。

一たび別れて武功に去り、何れの時か  復た更に還【かえ】らん。

こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

武功 陝西省咸陽市に位置する県。太白山の登山口の街。

 

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赤玉で飾った軒端をかすめて鳥は飛びかう、夕焼けの空は、斗栱の下、四方に張った幔幕の向こうに拡がっている。宝塔から見る目は旅路の見える限りをみつめるのである、そして心は、去りゆく船の帆影を高めていてそれを追いかける。

 
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襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    秋日登揚州西靈塔

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:              西靈塔 (淮南道 揚州 揚州)              

 

 

秋日登揚州西靈塔

(この詩は726年開元十四年の秋に揚州の西靈塔に登って眺めて思い衝くことをのべたもの。)

寶塔凌蒼蒼,登攀覽四荒。

揚州の西靈塔は蒼蒼たる大空を凌いでいるし、西靈塔に登って眺めて見ると、四方の遠い先の四荒仙人の仙郷まで見える。

頂高元氣合,標出海雲長。

この塔の頂が高いことで、人の元気と結合してくるし、雲海を下に見るほどの標高で飛びぬけている。

萬象分空界,三天接畫梁。

宇宙間の万象は、空界を分割して、天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住していて、塔頂の画梁に接している。

水搖金影,日動火珠光。

塔の日陰は水に映し、金に輝く日差しがなみにゆれていて、太陽は時の移ろいで塔を廻っているので、塔頂の火銖の環が光とともに動いているようだ。

 

鳥拂瓊簾度,霞連繡栱張。

目隨征路斷,心逐去帆揚。

露浴梧楸白,霜催橘柚黃。

玉毫如可見,於此照迷方。

 

(秋日登揚州西靈塔)

寶塔は蒼蒼を凌ぎ,登攀して四荒を覽る。

頂 高くして元氣合し,標 出でて海雲長くす。

萬象 空界を分ち,三天 畫梁に接す。

水は金影を搖かし日は火珠の光を動かす。

 

鳥は瓊簾【けいれん】を拂うて度り,霞は繡栱【しゅうきょう】に連って張る。

目は征路に隨って斷え,心は去帆を逐うて揚がる。

露に浴して梧楸白く,霜は催して橘柚黃なり。

玉毫 如【も】し見る可けんば,於此にいて迷方を照ぜん。

a謝霊運永嘉ルート02 

 

『秋日登揚州西靈塔』 現代語訳と訳註

(本文)

秋日登揚州西靈塔

寶塔凌蒼蒼,登攀覽四荒。

頂高元氣合,標出海雲長。

萬象分空界,三天接畫梁。

水搖金影,日動火珠光。

 

(下し文)

(秋日登揚州西靈塔)

寶塔は蒼蒼を凌ぎ,登攀して四荒を覽る。

頂 高くして元氣合し,標 出でて海雲長くす。

萬象 空界を分ち,三天 畫梁に接す。

水は金の影を搖かし,日は火珠の光を動かす。

 

(現代語訳)

(この詩は726年開元十四年の秋に揚州の西靈塔に登って眺めて思い衝くことをのべたもの。)

揚州の西靈塔は蒼蒼たる大空を凌いでいるし、西靈塔に登って眺めて見ると、四方の遠い先の四荒仙人の仙郷まで見える。

この塔の頂が高いことで、人の元気と結合してくるし、雲海を下に見るほどの標高で飛びぬけている。

宇宙間の万象は、空界を分割して、天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住していて、塔頂の画梁に接している。

塔の日陰は水に映し、金に輝く日差しがなみにゆれていて、太陽は時の移ろいで塔を廻っているので、塔頂の火銖の環が光とともに動いているようだ。

揚州西靈塔01

 

(訳注)

秋日登揚州西靈塔

(この詩は726年開元十四年の秋に揚州の西靈塔に登って眺めて思い衝くことをのべたもの。)

○揚州大明寺の栖霊塔は、揚州市街の北西部に位置する。栖霊塔と揚州市街との間に広がっているのが痩西湖風景区である。
 

寶塔凌蒼蒼,登攀覽四荒。

揚州の西靈塔は蒼蒼たる大空を凌いでいるし、西靈塔に登って眺めて見ると、四方の遠い先の四荒仙人の仙郷まで見える。

四荒 四方の胡の国。四裔:四方の遠い最果ての先(四荒八極)。ここでは北方の觚竹、南方の北戸、西方の西王母、東方の日下という仙人を指す。

 

頂高元氣合,標出海雲長。

この塔の頂が高いことで、人の元気と結合してくるし、雲海を下に見るほどの標高で飛びぬけている。

 

萬象分空界,三天接畫梁。

宇宙間の万象は、空界を分割して、天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住していて、塔頂の画梁に接している。

三天 道教では仙人の居るところ、天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住し、この三天のことも「三清」と呼ぶ。道観(道教寺院)にはしばしば「三清殿」と称する三清を祀る建物がある。

三天 仏教者の三界のこと。三界は、欲界・色界・無色界の三つの総称。三有ともいう。凡夫が生死を繰り返しながら輪廻する世界を3つに分けたもの。なお、仏陀はこの三界での輪廻から解脱している。

欲界 淫欲と食欲の2つの欲望にとらわれた有情の住む処。六欲天から人間界を含み、無間地獄までの世界をいう。

色界 欲界の2つの欲望は超越したが、物質的条件(色)にとらわれた有情が住む処。この色界は禅定の段階によって、4つ(四禅天)に分けられ、またそれを細かく18天に分ける。

無色界 欲望も物質的条件も超越し、ただ精神作用にのみ住む世界であり、禅定に住している世界。

『法華経』譬喩品に「三界は安きことなく、なお、火宅のごとし」というのは、迷いと苦しみのこの世界を、燃えさかる家にたとえたもの。

「三界に家なし」とは、この世界が安住の地でないことを意味し、後には女性の不安定な地位を表す諺になった。

 

水搖金影,日動火珠光。

塔の日陰は水に映し、金に輝く日差しがなみにゆれていて、太陽は時の移ろいで塔を廻っているので、塔頂の火銖の環が光とともに動いているようだ。

火珠 宝塔の頂に焔とリングの飾りをつける。

揚州西靈塔 

93 《望天門山  李白 6》index-5 1-5 725年開元十三年25歳<93> Ⅰ李白詩1262 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4858

(宣城から金陵に下るとき、長江に浮んでみたことを詠ったもので、舟中即吟である。)天門山は真ん中から裂けたように、屹然として両岸に対峙して、その間を東に流れて行く楚江の碧水は、ここにおいて北に蛇行してめぐっている。

 
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93 《望天門山  李白 6index-5 1-5 725年開元十三年25歳<93> Ⅰ李白詩1262 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4858

 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20 首 

 


 

Index-

5

- 5-725年開元十三年25

20

725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

19

20

宿巫山下

昨夜巫山下,

巻二十一

20

1

古風,五十九首之三十三

北溟有巨魚,

巻一

21

2

荊州歌【荊州樂】

白帝城邊足風波,

巻三

22

3

81白紵辭其一

揚清歌,

巻三

23

4

82白紵辭其二

月寒江清夜沈沈,

巻三

24

5

白紵辭,三首之三

刀剪綵縫舞衣,

巻三

25

6

江夏行

憶昔嬌小姿,

巻七

26

7

江上寄巴東故人

漢水波浪遠,

巻十三

27

8

渡荊門送別 李白 5

渡遠荊門外,

巻十四

28

9

送崔十二遊天竺寺

還聞天竺寺,

卷十五

29

10

登瓦官閣

晨登瓦官閣,

巻二十

30

11

望廬山瀑布水 二首其一#1

西登香爐峰,

巻二十

 

 

望廬山瀑布水二首其一#2

 

巻二十

31

12

望廬山瀑布二首其二(絶句) 

日照香爐生紫煙,

巻二十

32

13

望廬山五老峯 

廬山東南五老峰,

巻二十

33

14

金陵望漢江

漢江迴萬里,

巻二十

34

15

望天門山  李白 6

天門中斷楚江開,

巻二十

35

16

荊門浮舟望蜀江

春水月峽來,

巻二十一

36

17

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁

江行幾千里,

巻二十一

37

18

秋下荊門 李白 4

霜落荊門江樹空,

巻二十一

38

19

江行寄遠 李白 3

刳木出楚,

巻二十一

 

725年開元十三年25

卷別: 卷一八○  文體: 七言 

詩題: 望天門山 

作地點: 天門山(江南西道 / 宣州 / 當塗

及地點: 天門山 (江南西道 宣州 當塗)     

 

 

望天門山

天門中斷楚江開,碧水東流至北迴。 

兩岸青山相對出,孤帆一片日邊來。 

(宣城から金陵に下るとき、長江に浮んでみたことを詠ったもので、舟中即吟である。)

天門山は真ん中から裂けたように、屹然として両岸に対峙して、その間を東に流れて行く楚江の碧水は、ここにおいて北に蛇行してめぐっている。

やがて、両岸の青山を隔てて相対して狭まるところを過ぎれば、また、江流広がり、我が乗る一片の小舟は、日辺に比すべき、遠方より来たので、まことに風流な景色であると思うのである。

 

 (望天門山)

天門 中斷して 楚江開く,碧水 東流 北に至って迴る。 

兩岸 青山 相い對して出で,孤帆 一片 日邊より來る。 

 

 

『望天門山』 現代語訳と訳註

(本文)

望天門山

天門中斷楚江開,碧水東流至北迴。 

兩岸青山相對出,孤帆一片日邊來。 

 

望天門山

天門中斷楚江開,碧水東流至北迴【碧水東流直北迴】。

兩岸青山相對出,孤帆一片日邊來。 

 

 (下し文)

(望天門山)

天門 中斷して 楚江開く,碧水 東流 北に至って迴る。 

兩岸 青山 相い對して出で,孤帆 一片 日邊より來る。 

 

(現代語訳)

(宣城から金陵に下るとき、長江に浮んでみたことを詠ったもので、舟中即吟である。)

天門山は真ん中から裂けたように、屹然として両岸に対峙して、その間を東に流れて行く楚江の碧水は、ここにおいて北に蛇行してめぐっている。

やがて、両岸の青山を隔てて相対して狭まるところを過ぎれば、また、江流広がり、我が乗る一片の小舟は、日辺に比すべき、遠方より来たので、まことに風流な景色であると思うのである。

 

(訳注)

望天門山

(宣城から金陵に下るとき、長江に浮んでみたことを詠ったもので、舟中即吟である。)

天門山 江南西道、宣州、當塗縣の西南二十里にあり、別名峨眉山という。長江を挟んで東に博望、西を梁山という。天門山はむかし雲夢山と呼ばれ、又の名を玉屏山とも言う、張家界市内より南10km離れた所に位置している。

三国期の呉永安六年(紀元263年)に強い地震があった。地震のあと、山の頂上に大きな洞窟ができ、呉の景帝孫休はこれは吉祥の兆しだと思い、この洞窟を天門洞と名づけた。

天門山の標高は1517.9m、山の下の市内と1300m以上も高さの差があるため、天門山が空高く佇んでいて、唯我独尊のような勢いで誇っている。

長い歳月を流れてきた天門山は神妙独特な地形外観、類なき美しさを溢れる自然風景を持って人々の注目を集めている。

天門洞:標高1260mの絶壁の上にあり、その高さは131.5m、幅57m、奥行き60余mである。地質専門家の考察によると、天門洞は岩石の押し合いによって、岩石が崩壊してできたという。

遠くから眺めると大きな天門が空にかかっているようで、非常に壮観である。また、雲海の中に聳え立つ天門洞は変化に富んだ姿を見せてくれる。洞の中を光が通り抜け、幻想的な風景を目にすることができる。

 

天門中斷楚江開,碧水東流至北迴。 

天門山は真ん中から裂けたように、屹然として両岸に対峙して、その間を東に流れて行く楚江の碧水は、ここにおいて北に蛇行してめぐっている。

至北迴 東流から、一気に北に蛇行してめぐっている。

 

兩岸青山相對出,孤帆一片日邊來。 

やがて、両岸の青山を隔てて相対して狭まるところを過ぎれば、また、江流広がり、我が乗る一片の小舟は、日辺に比すべき、遠方より来たので、まことに風流な景色であると思うのである。

日邊 西の端という意味で、遠いことを意味する。太陽の運行からをいうもの。

92 《金陵望漢江》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 <92> Ⅰ李白詩1261 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4853

漢水の流れは、万里の遠きよりめぐり来たり、そして分かれては、九条の龍のようにわだかまって盤曲している。その水勢は、横ざまに両岸を衝潰して、中国を開き、早瀬は高まって、飛奔している。

 

 
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92 《金陵望漢江》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 <92> Ⅰ李白詩1261 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4853 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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92 《金陵望漢江》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 <92> Ⅰ李白詩1261 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4853

 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20

 

 

Index-

5

- 5-725年開元十三年25

20

725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

19

20

宿巫山下

昨夜巫山下,

巻二十一

20

1

古風,五十九首之三十三

北溟有巨魚,

巻一

21

2

荊州歌【荊州樂】

白帝城邊足風波,

巻三

22

3

81白紵辭其一

揚清歌,

巻三

23

4

82白紵辭其二

月寒江清夜沈沈,

巻三

24

5

白紵辭,三首之三

刀剪綵縫舞衣,

巻三

25

6

江夏行

憶昔嬌小姿,

巻七

26

7

江上寄巴東故人

漢水波浪遠,

巻十三

27

8

渡荊門送別 李白 5

渡遠荊門外,

巻十四

28

9

送崔十二遊天竺寺

還聞天竺寺,

卷十五

29

10

登瓦官閣

晨登瓦官閣,

巻二十

30

11

望廬山瀑布水 二首其一#1

西登香爐峰,

巻二十

 

 

望廬山瀑布水二首其一#2

 

巻二十

31

12

望廬山瀑布二首其二(絶句) 

日照香爐生紫煙,

巻二十

32

13

望廬山五老峯 

廬山東南五老峰,

巻二十

33

14

金陵望漢江

漢江迴萬里,

巻二十

34

15

望天門山  李白 6

天門中斷楚江開,

巻二十

35

16

荊門浮舟望蜀江

春水月峽來,

巻二十一

36

17

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁

江行幾千里,

巻二十一

37

18

秋下荊門 李白 4

霜落荊門江樹空,

巻二十一

38

19

江行寄遠 李白 3

刳木出楚,

巻二十一

 

作年:725年開元十三年25

卷別: 卷一八○  文體: 五言古詩 

詩題: 金陵望漢江 

作地點: 江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧

及地點:  江寧 (江南東道 潤州 江寧) 別名:金陵     

      長江 (江南東道 潤州 江寧) 別名:蜀江、漢江     

 

 

金陵望漢江

(金陵より、遙か漢水の険を望んで詠う)

漢江迴萬里,派作九龍盤。 

漢水の流れは、万里の遠きよりめぐり来たり、そして分かれては、九条の龍のようにわだかまって盤曲している。

橫潰豁中國,崔嵬飛迅湍。 

その水勢は、横ざまに両岸を衝潰して、中国を開き、早瀬は高まって、飛奔している。

六帝淪亡後,三不足觀。 

むかし、この地、江南に六代の皇帝が淪亡した後、三の王気、全く衰えて復た見るに堪えない。

我君混區宇,垂拱眾流安。 

いまや我が聖明の天子は、天下の施政を混同し、衣裳を垂れ、手をこまねいて、衆流きわめて穏やかな流れなのである。

今日任公子,滄浪罷釣竿。 

こんなことでは、今日に任公子が滄浪に臨んで釣竿を垂れるのを罷るほかないというものと同じで、長江、漢水が寧靜にして、地に巨寇なく、王者の征伐もそれを持ちうることもなく、まことにめでたい太平の時代であるということだ。

 

(金陵 漢江を望む)

漢江 萬里を迴り,派して九龍と作って盤す。

橫潰【おうかい】中國豁たり,崔嵬【さいかい】迅湍【じんたん】飛ばす。

六帝 淪亡【りんぼう】の後,三 觀るに足らず。

我が君 區宇を混じ,垂拱 眾流安し。

今日 任公子,滄浪 釣竿を罷む。 

韓愈の地図00 

 

『金陵望漢江』 現代語訳と訳註

(本文)

金陵望漢江

漢江迴萬里,派作九龍盤。 

橫潰豁中國,崔嵬飛迅湍。 

六帝淪亡後,三不足觀。 

我君混區宇,垂拱眾流安。 

今日任公子,滄浪罷釣竿。 

 

(下し文)

(金陵 漢江を望む)

漢江 萬里を迴り,派して九龍と作って盤す。

橫潰【おうかい】中國豁たり,崔嵬【さいかい】迅湍【じんたん】飛ばす。

六帝 淪亡【りんぼう】の後,三 觀るに足らず。

我が君 區宇を混じ,垂拱 眾流安し。

今日 任公子,滄浪 釣竿を罷む。 

 

(現代語訳)

(金陵より、遙か漢水の険を望んで詠う)

漢水の流れは、万里の遠きよりめぐり来たり、そして分かれては、九条の龍のようにわだかまって盤曲している。

その水勢は、横ざまに両岸を衝潰して、中国を開き、早瀬は高まって、飛奔している。

むかし、この地、江南に六代の皇帝が淪亡した後、三の王気、全く衰えて復た見るに堪えない。

いまや我が聖明の天子は、天下の施政を混同し、衣裳を垂れ、手をこまねいて、衆流きわめて穏やかな流れなのである。

こんなことでは、今日に任公子が滄浪に臨んで釣竿を垂れるのを罷るほかないというものと同じで、長江、漢水が寧靜にして、地に巨寇なく、王者の征伐もそれを持ちうることもなく、まことにめでたい太平の時代であるということだ。


李白の足跡55 

(訳注)

金陵望漢江

(金陵より、遙か漢水の険を望んで詠う)

金陵 天門から北へ流れていた長江が東へ向きを変えると、舟はやがて江寧(こうねい・江蘇省南京市)の渡津(としん)に着く。江寧郡城は六朝の古都建康(けんこう)の跡である。雅名を金陵(きんりょう)といい、李白はほとんどの詩に「金陵」の雅名を用いている。金陵の渡津は古都の南郊を流れる秦淮河(しんわいか)の河口にあり、長干里(ちょうかんり)と横塘(おうとう)の歓楽地がある。そして酒旗高楼が林立している。

漢江 漢水は陝西省漢中市寧強県の蟠冢山を水源とする。東に流れ湖北省に入り武漢市で長江に合流する。支流として胥水河(中文)、旬河(中文)、堵河(中文)(最大)、丹江(中文)、唐白河(中文)等を併せる。流域の主要な都市として漢中市、安康市、十堰市、襄陽市、武漢市などがある。

 

漢江迴萬里,派作九龍盤。 

漢水の流れは、万里の遠きよりめぐり来たり、そして分かれては、九条の龍のようにわだかまって盤曲している。

九龍盤 九条の龍のようにわだかまって盤曲している。

 

橫潰豁中國,崔嵬飛迅湍。 

その水勢は、横ざまに両岸を衝潰して、中国を開き、早瀬は高まって、飛奔している。

橫潰 横ざまに両岸を衝潰している。

崔嵬 端の方が高い様子をいう。

迅湍 早瀬は高まっている。

 

六帝淪亡後,三不足觀。 

むかし、この地、江南に六代の皇帝が淪亡した後、三の王気、全く衰えて復た見るに堪えない。

六帝 江南に三国六朝より、呉、晉、宋、齊、梁、陳の六代の皇帝。

 は呉興、呉郡、会稽をいう。

 

我君混區宇,垂拱眾流安。 

いまや我が聖明の天子は、天下の施政を混同し、衣裳を垂れ、手をこまねいて、衆流きわめて穏やかな流れなのである。

區宇 天下の施政。

垂拱 衣裳を垂れ、手をこまねいてしまうこと。

 

今日任公子,滄浪罷釣竿。 

こんなことでは、今日に任公子が滄浪に臨んで釣竿を垂れるのを罷るほかないというものと同じで、長江、漢水が寧靜にして、地に巨寇なく、王者の征伐もそれを持ちうることもなく、まことにめでたい太平の時代であるということだ。

任公子  『荘子』任公子「愿隨任公子。欲釣吞舟魚。」任公子の故事。子明は会稽山の山頂から沖に届くくらいの竿を作り、餌も去勢牛五十頭ほど用意し、一年かけて釣り上げた。それを村人に食べ物を配った。浙江以東、蒼梧以北の民はこの魚に飽いたという。
李白図102 

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そこに登ったならば、長江の支流、分流である九江のすばらしい景色が手に取るように見えるだろうから、わたしはこの地で浮き世を離れ、高い雲のかかった松に巣を作って隠棲しようと思う。

 
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 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20

 

 

年:725年開元十三年25

卷別: 卷一八○  文體: 七言 

詩題: 登廬山五老峰 

作地點: 五老峰(江南西道 / 江州 / 廬山

及地點:  廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山     

五老峰 (江南西道 江州 廬山)     

九江 (江南西道 岳州 岳州)     

 

登廬山五老峰  

廬山東南五老峰,青天削出金芙蓉。 

九江秀色可攬結,吾將此地巢雲松。 

(廬山の五老峰を望む)

廬山東南 五老峯,青天 削り出だす 金芙蓉。

九江の秀色を 攬結(らんけつ)す可(べ)き,

吾(われ) 此(こ)の地を將(も)って 雲松に巣(すく)はん。

 

廬山は断層の運動によって地塊が周囲からせりあがった断層地塊山地であり、その中に川や谷、湖沼、峰など多様な相貌をもつ。中国における第四紀の氷河が形成した地形の典型とも評され、この観点からジオパーク(世界地質公園)に指定されている。主峰の漢陽峰(大漢陽峰)は海抜が1,474メートルであるが、その周囲には多数の峰がそびえ、その間に渓谷、断崖絶壁、瀑布、洞窟など複雑な地形が生じている。


 五老峰: 海抜1,436メートルの奇岩の峰。形が、五人の老人が座っているように見えることからきている。
 漢陽峰: ピラミッド状の形をした廬山の主峰で江西省最高峰。海抜1,474メートル。
 香炉峰: 白居易の詩の一節(「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」)や『枕草子』への引用などで知られる。
 三畳泉: 落差155メートルの大きな滝。
 龍首崖: 空中に突き出した崖。明代の寺院・天池寺の跡地に近い。
 含鄱口: 五老峰と太乙峰の間の谷間。鄱陽湖に面しているため、湖からの水蒸気がここで霧となって峰々を覆い隠している。

望廬山五老峯
(奇岩の形が、五人の老人が座っているように見える盧山の峰を望む。)

廬山東南五老峯,青天削出金芙蓉。
廬山の東南に五老峰が突兀として側立ち、青天の上に金色かがやく芙蓉の花を削り出したかのようである。 
九江秀色可攬結,吾將此地巣雲松。
そこに登ったならば、長江の支流、分流である九江のすばらしい景色が手に取るように見えるだろうから、わたしはこの地で浮き世を離れ、高い雲のかかった松に巣を作って隠棲しようと思う。
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(廬山の五老峰を望む)

廬山東南 五老峯,青天 削り出だす 金芙蓉。

九江の秀色を 攬結(らんけつ)す可(べ)き,

吾(われ) 此(こ)の地を將(も)って 雲松に巣(すく)はん。

toho0824004 


《望廬山五老峯》 現代語訳と訳註
(
本文)

登廬山五老峰  

廬山東南五老峯,青天削出金芙蓉。
九江秀色可攬結,吾將此地巣雲松。

 

(下し文)

(廬山の五老峰を望む)
廬山 東南  五老峯,青天 削り出だす  金芙蓉。
九江の秀色を  攬結【らんけつ】す可き,吾 此の地を將【も】って  雲松に巣はん。


(現代語訳)
(奇岩の形が、五人の老人が座っているように見える盧山の峰を望む。)

廬山の東南に五老峰が突兀として側立ち、青天の上に金色かがやく芙蓉の花を削り出したかのようである。 
そこに登ったならば、長江の支流、分流である九江のすばらしい景色が手に取るように見えるだろうから、わたしはこの地で浮き世を離れ、高い雲のかかった松に巣を作って隠棲しようと思う。
李白図102
(
訳注)
望廬山五老峰

(奇岩の形が、五人の老人が座っているように見える盧山の峰を望む。)

廬山の東南部分の嶺。本来、山の麓側(陽湖側=東側)からの眺めによって呼ばれた嶺嶺。五つ六つの嶺の稜線が、恰も五人の老人が背を丸めて並んでいるようにも、肩を組んで並んでいるかのようにも見えることから呼ばれた。李白は五老峰の近くの山の中に太白書堂を建ててそこに隠棲しようとした。


廬山東南五老峰、青天削出金芙蓉。
廬山の東南に五老峰が突兀として側立ち、青天の上に金色かがやく芙蓉の花を削り出したかのようである。 
東南 廬山は山塊、山地といった山で、その山塊の東南部分が五老峰にあたる。

削出 彫り出す。 

金芙蓉 金色に輝くハスの花。また、金色に輝く芙蓉の花。五老峰が陽光で黄金色に輝く。


九江秀色可攬結、吾將此地巣雲松。
そこに登ったならば、長江の支流、分流である九江のすばらしい景色が手に取るように見えるだろうから、わたしはこの地で浮き世を離れ、高い雲のかかった松に巣を作って隠棲しようと思う。
九江 北側の眼下にある尋陽(いまの江西省九江市)のあたりには、長江の九つの支流があつまって、廬山の北を流れる。現・九江市がある。 ・秀色 ひいでた景色。すぐれた景色。 ○攬結 刈り取った稲束のようにとりまとめる。とりあつめる。○ すくう。巣を作る。ここでは、隠棲するの意。 ○雲松 浮き世を離れ、雲のかかった背の高い松。


○押韻 峯、蓉。松。

廬山東南五老  青天削出金芙
九江秀色可攬結  吾將此地巣雲

○○○○●●○  ○○●●○○○

△○●●●●●  ○△●●○○○
李白の足跡55 

90 《望廬山瀑布二首其二(絶句)》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 <91> Ⅰ李白詩1259 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4843

太陽が香炉峰を照らしはじめると その「香炉」名のとおり、光に映えて紫の煙がわきあがってくる、この嶺の上から遥か彼方に一筋の瀧がみえる まるで向こうの川まで掛けた川のようになって瀑布となっているのが見える。

 
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とびちる水玉はうすい霞にかわってゆく、水泡まじりのながれは大岩の中から沸騰して湧き出ているようだ。これほどの景色の中でわたしは名山をこころから楽しむことができる、山とむかいあっていると心が落ち着きのびのびするのである。

 
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(この詩は、盧山の白水の瀑布を望んで詠ったもの)その一 ここに、盧山に遊び、西の方に位置する香炉峰に登ると、南のほうにはなだたる瀑布の水が見える。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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89 《望廬山瀑布水 二首其一#1index-5 1-5 725年開元十三年25歳<89> Ⅰ李白詩1256 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4828

  蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20 首 

 

Index-

5

- 5-725年開元十三年25

20

725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

19

20

宿巫山下

昨夜巫山下,

巻二十一

20

1

古風,五十九首之三十三

北溟有巨魚,

巻一

21

2

荊州歌【荊州樂】

白帝城邊足風波,

巻三

22

3

81白紵辭其一

揚清歌,

巻三

23

4

82白紵辭其二

月寒江清夜沈沈,

巻三

24

5

白紵辭,三首之三

刀剪綵縫舞衣,

巻三

25

6

江夏行

憶昔嬌小姿,

巻七

26

7

江上寄巴東故人

漢水波浪遠,

巻十三

27

8

渡荊門送別 李白 5

渡遠荊門外,

巻十四

28

9

送崔十二遊天竺寺

還聞天竺寺,

卷十五

29

10

登瓦官閣

晨登瓦官閣,

巻二十

30

11

望廬山瀑布水 二首其一#1

西登香爐峰,

巻二十

 

 

望廬山瀑布水二首其一#2

 

巻二十

31

12

望廬山瀑布二首其二(絶句) 

日照香爐生紫煙,

巻二十

32

13

望廬山五老峯 

廬山東南五老峰,

巻二十

33

14

金陵望漢江

漢江迴萬里,

巻二十

34

15

望天門山  李白 6

天門中斷楚江開,

巻二十

35

16

荊門浮舟望蜀江

春水月峽來,

巻二十一

36

17

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁

江行幾千里,

巻二十一

37

18

秋下荊門 李白 4

霜落荊門江樹空,

巻二十一

38

19

江行寄遠 李白 3

刳木出楚,

巻二十一

 

年: 725年開元十三年25

卷別: 卷一八○  文體: 五言古詩 

詩題: 望廬山瀑布水,二首之一 

作地點: 廬山(江南西道 / 江州 / 廬山

及地點: 廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山     

    香爐峰 (江南西道 江州 廬山) 別名:鑪峰、爐峰     

 

 

望廬山瀑布水 二首其一

西登香爐峰,南見瀑布水。 

掛流三百丈,噴壑數十里。 

欻如飛電來,隱若白虹起。 

初驚河漢落,半灑雲天裡。 

(この詩は、盧山の白水の瀑布を望んで詠ったもの)その一

ここに、盧山に遊び、西の方に位置する香炉峰に登ると、南のほうにはなだたる瀑布の水が見える。
その瀑布は水の流れが落ちかかる長さは、三百丈になる。一気に落ちる勢いでもって谷間に噴出す、その距離は数十里にたっする。
時に稲光が走ったように見えるかと思えることがある、あるいは、暗いとこからばあっと真っ白な橋がかかり、虹が立ったように見えるのである。
これを見て初めて驚いた、まるで天の川が落ちてきたのかと思うほどなのだ、そしてそれが空の雲の中にそそぎこまれているような錯覚をしてしまうのだ。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

#2

仰觀勢轉雄,壯哉造化功。 

海風吹不斷,江月照還空。 

空中亂射,左右洗青壁。 

飛珠散輕霞,流沫沸穹石。 

而我樂名山,對之心益閒。 

無論漱瓊液,還得洗塵顏。 

且諧宿所好,永願辭人間。 

 

(望廬山瀑布水,二首之一 

西のかた香炉峰に登り、南のかた瀑布の水を見る。
流れを掛くこと三百丈、壑【たに】に噴くこと数十里。
歘【くつ】として飛電の来るが如く、隠として白虹の起つが若し。
初めは驚く 河漢の落ちて、半ば雲天の裏より灑ぐ。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

仰ぎ観れば 勢い転【うた】た雄なり、壮なる哉  造化の功。
海風 吹けども断たず、江月 照らすも還た空なり。』

空中に乱れて潨射【そうしゃ】し、左右 青壁を洗う。
飛珠【ひしゅ】軽霞【けいか】を散じ、流沫 穹石【きゅうせき】に沸【わ】く。
而して 我は名山を楽しみ、之に対して心益々閑なり。 

瓊液【けいえき】に漱【すす】ぐを論ずる無し、且つ 塵顔【じんがん】を洗う を得ん。
且つ宿【もと】の好む所に諧【かな】う、永く願う 人間【じんかん】を辞するを。

 

 

 (含異文)

西登香爐峰,南見瀑布水。

掛流三百丈【掛流三千丈】,噴壑數十里。

欻如飛電來【欻如飛練來】,隱若白虹起。

初驚河漢落【初驚銀河落】,半灑雲天裡【半瀉金潭裡】。

仰觀勢轉雄,壯哉造化功。

海風吹不斷,江月照還空【山月照還空】。

空中亂射,左右洗青壁。

飛珠散輕霞,流沫沸穹石。

而我樂名山,對之心益閒。

無論漱瓊液,還得洗塵顏。

且諧宿所好,永願辭人間。 

 

toho0824004 

『望廬山瀑布水 二首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

望廬山瀑布水 二首其一

西登香爐峰,南見瀑布水。 

掛流三百丈,噴壑數十里。 

欻如飛電來,隱若白虹起。 

初驚河漢落,半灑雲天裡。 

 

 

(下し文)

(望廬山瀑布水,二首之一 

西のかた香炉峰に登り、南のかた瀑布の水を見る。
流れを掛くこと三百丈、壑【たに】に噴くこと数十里。
歘【くつ】として飛電の来るが如く、隠として白虹の起つが若し。
初めは驚く 河漢の落ちて、半ば雲天の裏より灑ぐ。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

 (現代語訳)

(この詩は、盧山の白水の瀑布を望んで詠ったもの)その一

ここに、盧山に遊び、西の方に位置する香炉峰に登ると、南のほうにはなだたる瀑布の水が見える。
その瀑布は水の流れが落ちかかる長さは、三百丈になる。一気に落ちる勢いでもって谷間に噴出す、その距離は数十里にたっする。
時に稲光が走ったように見えるかと思えることがある、あるいは、暗いとこからばあっと真っ白な橋がかかり、虹が立ったように見えるのである。
これを見て初めて驚いた、まるで天の川が落ちてきたのかと思うほどなのだ、そしてそれが空の雲の中にそそぎこまれているような錯覚をしてしまうのだ。
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<!--[endif]-->

李白図102 

(訳注)
望廬山瀑布水 二首其一

(この詩は、盧山の白水の瀑布を望んで詠ったもの)その一

 

西登香爐峰。南見瀑布水。
ここに、盧山に遊び、西の方に位置する香炉峰に登ると、南のほうにはなだたる瀑布の水が見える。
廬山 主峰で江西省最高峰。海抜1,474メートル。九江の南にそびえる名山。北は長江、東から南にかけては鄱陽湖と、三方が水にのぞみ、西は陸地に臨む。奇峰が多く天下の璧号いわれる。

香炉峰 廬山の西北の峰で、細長くて尖が円く、ちょうど香炉(香を焚く糞)に似ている。
廬山は断層の運動によって地塊が周囲からせりあがった断層地塊山地であり、その中に川や谷、湖沼、峰など多様な相貌をもつ。中国における第四紀の氷河が形成した地形の典型とも評され、この観点からジオパーク(世界地質公園)に指定されている。主峰の漢陽峰(大漢陽峰)は海抜が1,474メートルであるが、その周囲には多数の峰がそびえ、その間に渓谷、断崖絶壁、瀑布、洞窟など複雑な地形が生じている。
五老峰: 海抜1,436メートルの奇岩の峰。形が、五人の老人が座っているように見えることからきている。
漢陽峰: ピラミッド状の形をした廬山の主峰で江西省最高峰。海抜1,474メートル。
香炉峰: 白居易の詩の一節(「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」)や『枕草子』への引用などで知られる。
三畳泉: 落差155メートルの大きな滝。
龍首崖: 空中に突き出した崖。明代の寺院・天池寺の跡地に近い。
含鄱口: 五老峰と太乙峰の間の谷間。鄱陽湖に面しているため、湖からの水蒸気がここで霧となって峰々を覆い隠している。


挂流三百丈。噴壑數十里。
その瀑布は水の流れが落ちかかる長さは、三百丈になる。一気に落ちる勢いでもって谷間に噴出す、その距離は数十里にたっする。
 掛と同じ。

 谷、谷間。


欻如飛電來。隱若白虹起。
時に稲光が走ったように見えるかと思えることがある、あるいは、暗いとこからばあっと真っ白な橋がかかり、虹が立ったように見えるのである。
忽と同じ。にわかに。

飛電 稲妻。

隠 不分明のさま。


初驚河漢落。半洒云天里。
これを見て初めて驚いた、まるで天の川が落ちてきたのかと思うほどなのだ、そしてそれが空の雲の中にそそぎこまれているような錯覚をしてしまうのだ。
河漢 天の川。

半洒 半分灌ぐかのように見えるという意味。

云天里 空の雲かたまりの中。

88-#2 《登瓦官閣》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 <88-#2> Ⅰ李白詩1256 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4828

城の南掖は、閶闔門と名称され、また、鳳凰樓というのが近い山上に聳えている。楚の楼閣の上において、一度音を発すれば、さながら雷のおこるがごとくして、百山がそのために、搖動すべく、しかし、神霊は、冥漠の中にあって、この楼閣を擁護し、萬栱の傾くを助けている。



88-#2 《登瓦官閣》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 <88-#2> Ⅰ李白詩1256 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4828

蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20

 

 

年:725年開元十三年25

卷別: 卷一八○  文體: 五言古詩 

詩題: 登瓦官閣 

作地點: 江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧

及地點:  瓦官閣 (江南東道 潤州 江寧) 別名:瓦棺閣     

     江寧 (江南東道 潤州 江寧) 別名:金陵     

鍾山 (江南東道 潤州 鍾山) 別名:鍾峰、蔣山、紫金山     

     鳳凰樓 (江南東道 潤州 江寧)     

     魯靈光殿 (河南道 兗州 曲阜) 別名:魯殿     

 

 

登瓦官閣 #1

(この詩は、金陵にいる時、瓦官閣に登って金陵の風光と故事について詠ったもの。)

晨登瓦官閣,極眺金陵城。 

朝早くから瓦官閣に登って、金陵の城郭中を眺められる範囲を全て見やった。

鍾山對北淮水入南榮。 

鍾山は、瓦官閣の北對し,秦淮の水は、南側の榮檐に入るように見える。

漫漫雨花落,嘈嘈天樂鳴。 

春の盛りで漫漫と咲き誇る花に雨がふりそそぐ、ここに聞こえる天上の仙楽は嘈嘈と鳴り響く。

兩廊振法鼓,四角吟風箏。 

両方の長廊では太鼓を鳴らし、瓦官閣の四隅の屋翼には風鈴が鳴り響いていた。

杳出霄漢上,仰攀日月行。 

この瓦官閣は高さが三百丈もあり、はるか霄漢の上に出ているし、仰げば、太陽と月との運行を攀じてみているのである。

 #2

山空霸氣滅,地古寒陰生。 

山は空しく覇気が既にすっかり消えてしまい、地は古くして寒く厚い雲で影を生じている。

寥廓雲海晚,蒼茫宮觀平。 

雲海寛廣にして、やがて暮れんとし、城中には、ほの暗い中、宮觀が平らかに舗いて見える。

門餘閶闔字,樓識鳳凰名。 

城の南掖は、閶闔門と名称され、また、鳳凰樓というのが近い山上に聳えている。

雷作百山動,神扶萬栱傾。 

楚の楼閣の上において、一度音を発すれば、さながら雷のおこるがごとくして、百山がそのために、搖動すべく、しかし、神霊は、冥漠の中にあって、この楼閣を擁護し、萬栱の傾くを助けている。
靈光何足貴,長此鎮京。 

何時までも厳然として、対峙して立っているので、名だたる魯国の靈光殿も、これに比較して、尊ぶに足らず、ここにあって長く金陵の地を鎮するのは、まことにありがたく、且つ貴きことである。

 

 (瓦官閣に登る)

晨に瓦官閣に登り,金陵城を極眺す。 

鍾山は北淮水は南榮に入る。 

漫漫として 雨花落ち,嘈嘈【そうそう】として 天樂鳴る。 

兩廊 法鼓を振り,四角 風箏を吟す。 

杳【はるか】に霄漢の上に出で,仰いで 日月を攀じて行く。

 #2

山 空しくして 霸氣滅し,地 古くして 寒陰生ず。 

寥廓【りょうかく】雲海の晚,蒼茫 宮觀の平。 

門には餘す 閶闔【しょうこう】の字,樓には識る 鳳凰の名。 

雷 作って百山動き,神 扶けて萬栱【ばんきょう】傾く。 

靈光 何ぞ貴ぶに足らん,長く此に 京を鎮す 

李白図102

 

『登瓦官閣』 現代語訳と訳註

(本文)

登瓦官閣 #2

山空霸氣滅,地古寒陰生。 

寥廓雲海晚,蒼茫宮觀平。 

門餘閶闔字,樓識鳳凰名。 

雷作百山動,神扶萬栱傾。 

靈光何足貴,長此鎮京。 

 

(下し文)

(瓦官閣に登る) #2

山 空しくして 霸氣滅し,地 古くして 寒陰生ず。 

寥廓【りょうかく】雲海の晚,蒼茫 宮觀の平。 

門には餘す 閶闔【しょうこう】の字,樓には識る 鳳凰の名。 

雷 作って百山動き,神 扶けて萬栱【ばんきょう】傾く。 

靈光 何ぞ貴ぶに足らん,長く此に 京を鎮す。 

 

(現代語訳)

山は空しく覇気が既にすっかり消えてしまい、地は古くして寒く厚い雲で影を生じている。

雲海寛廣にして、やがて暮れんとし、城中には、ほの暗い中、宮觀が平らかに舗いて見える。

城の南掖は、閶闔門と名称され、また、鳳凰樓というのが近い山上に聳えている。

楚の楼閣の上において、一度音を発すれば、さながら雷のおこるがごとくして、百山がそのために、搖動すべく、しかし、神霊は、冥漠の中にあって、この楼閣を擁護し、萬栱の傾くを助けている。

何時までも厳然として、対峙して立っているので、名だたる魯国の靈光殿も、これに比較して、尊ぶに足らず、ここにあって長く金陵の地を鎮するのは、まことにありがたく、且つ貴きことである。

 金陵城図00

 

(訳注)

登瓦官閣 2

(この詩は、金陵にいる時、瓦官閣に登って金陵の風光と故事について詠ったもの。)

瓦官閣 江南東道 潤州 江寧にあった。横江の渡津にあった寺の楼閣で、高さは三百丈(75)もあった。

 

山空霸氣滅,地古寒陰生。 

山は空しく覇気が既にすっかり消えてしまい、地は古くして寒く厚い雲で影を生じている。

 

寥廓雲海晚,蒼茫宮觀平。 

雲海寛廣にして、やがて暮れんとし、城中には、ほの暗い中、宮觀が平らかに舗いて見える。

寥廓 広々として大きいさま。寛廣。

蒼茫 1 見渡すかぎり青々として広いさま。「―たる大海」2 ほの暗いさま。「―

 

門餘閶闔字,樓識鳳凰名。 

城の南掖は、閶闔門と名称され、また、鳳凰樓というのが近い山上に聳えている。

閶闔 晋の金陵の南面に四門あり、最西を西掖門、正中を大司馬門、次の東側を南掖門、次を東掖門と称した。宋の時代に、南掖門を閶闔門と改めた。

鳳凰 鳳凰樓は鳳臺山上にあり、宋元嘉中に建てられた。

 

雷作百山動,神扶萬栱傾。 

楚の楼閣の上において、一度音を発すれば、さながら雷のおこるがごとくして、百山がそのために、搖動すべく、しかし、神霊は、冥漠の中にあって、この楼閣を擁護し、萬栱の傾くを助けている。

萬栱 組み立てた材木。

 

靈光何足貴,長此鎮京。 

何時までも厳然として、対峙して立っているので、名だたる魯国の靈光殿も、これに比較して、尊ぶに足らず、ここにあって長く金陵の地を鎮するのは、まことにありがたく、且つ貴きことである。

靈光 魯国の靈光殿は、はなはだ荘厳であった。

 呉の都、すなわち金陵。
三峡 巫山十二峰001 

 
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両方の長廊では太鼓を鳴らし、瓦官閣の四隅の屋翼には風鈴が鳴り響いていた。この瓦官閣は高さが三百丈もあり、はるか霄漢の上に出ているし、仰げば、太陽と月との運行を攀じてみているのである。

 
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蜀の国には仙郷の山が多くある。その中でも峨嵋山だけは邈然として、他にその類を見ないくらいのものである。仙山といわれる山を周遊して、一度登覧をこころみたが、その特に奇怪なる事物どもは、どうしても詳悉することができない。

 
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61 《登峨眉山》Index-2- 2-720年開元八年2013登峨眉山蜀國多仙山, <61> Ⅰ李白詩1225 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4673

 

 

Index-3

- 3-720年開元八年20

6

ID

No.

詩題

詩文初句

 

10

1

上李邕

大鵬一日同風起,

卷八

11

2

酬宇文少府見贈桃竹書筒

桃竹書筒綺繡文,

巻十八

12

3

登錦城散花樓

日照錦城頭,

巻二十

13

4

登峨眉山

蜀國多仙山,

巻二十

14

5

冬日歸舊山

未洗染塵纓,

巻二十五

15

6

春感詩

茫茫南與北,

巻二十五

 

制作年:              720年開元八年20

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登峨眉山

作地點:              峨眉山(劍南道北部 / 嘉州 / 峨眉山)

及地點:峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)    

 

 

登峨眉山

(峨嵋山に登って、概観したもので若い時の作)

蜀國多仙山,峨眉邈難匹。

蜀の国には仙郷の山が多くある。その中でも峨嵋山だけは邈然として、他にその類を見ないくらいのものである。

周流試登覽,怪安可息。

仙山といわれる山を周遊して、一度登覧をこころみたが、その特に奇怪なる事物どもは、どうしても詳悉することができない。

青冥倚天開,彩錯疑畫出。

眺めてみると、山色は青くして暗く、それが天に倚りかかって開いている。交錯している色彩は、描き出したものと見紛うほどなのである。

泠然紫霞賞,果得錦囊術。

ここにいたって、泠然軽挙、紫霞が漂い、棚引く景色を観賞しつつ、果然、錦囊に納めるべき仙家の秘術を習得した。

#2

雲間吟瓊簫,石上弄寶瑟。

平生有微尚,歡笑自此畢。

煙容如在顏,塵累忽相失。

儻逢騎羊子,攜手凌白日。

 

峨眉山に登る

蜀國 仙山多く,峨眉 邈として匹し難し。

周流 登覽を試む,怪 安んぞ息う可けんや。

青冥 天に倚って開き,彩錯 畫き出すかと疑う。

泠然たる紫霞の賞,果して錦囊の術を得たり。

#2

雲間 瓊簫を吟じ,石上 寶瑟を弄す。

平生 微尚有り,歡笑 此より畢る。

煙容 顏に在るが如く,塵累 忽ち相い失う。

儻し騎羊の子に逢わば,手を攜えて白日を凌がん。

2蜀の山00 

 

『登峨眉山』 現代語訳と訳註

(本文)

登峨眉山

蜀國多仙山,峨眉邈難匹。

周流試登覽,怪安可息。

青冥倚天開,彩錯疑畫出。

泠然紫霞賞,果得錦囊術。

 

登峨眉山

蜀國多仙山,峨眉邈難匹。

周流試登覽,怪安可息。

青冥倚天開【青冥倚天關】,彩錯疑畫出。

泠然紫霞賞,果得錦囊術。

 

(下し文)

峨眉山に登る

蜀國 仙山多く,峨眉 邈として匹し難し。

周流 登覽を試む,怪 安んぞ息う可けんや。

青冥 天に倚って開き,彩錯 畫き出すかと疑う。

泠然たる紫霞の賞,果して錦囊の術を得たり。

 

(現代語訳)

(峨嵋山に登って、概観したもので若い時の作)

蜀の国には仙郷の山が多くある。その中でも峨嵋山だけは邈然として、他にその類を見ないくらいのものである。

仙山といわれる山を周遊して、一度登覧をこころみたが、その特に奇怪なる事物どもは、どうしても詳悉することができない。

眺めてみると、山色は青くして暗く、それが天に倚りかかって開いている。交錯している色彩は、描き出したものと見紛うほどなのである。

ここにいたって、泠然軽挙、紫霞が漂い、棚引く景色を観賞しつつ、果然、錦囊に納めるべき仙家の秘術を習得した。

李白図102 

(訳注)

登峨眉山

(峨嵋山に登って、概観したもので若い時の作)#1

道教や中国の仏教で言うところの聖地で、中国三大霊山(五台山、天台山、峨眉山)や中国四大仏教名山(五台山、九華山、普陀山、峨眉山)の一つである。26の寺院を有し、普賢菩薩の霊場とされる。一帯は聖地となっていたために自然が護られ、約3,000種の植物と、絶滅危惧種を含む約2,000種の動物の宝庫でもある。一番高い峰が万仏頂(標高3,098メートル)で、頂まで32の名刹が続いている。後漢時代から仏教施設の建設が始まり、南宋時代に最盛期を迎えた。現代最大の寺院は、登山口にあたる報国寺で、明代1615年(万暦43年)に明光道人が創建したとされている。

 

蜀國多仙山,峨眉邈難匹。

蜀の国には仙郷の山が多くある。その中でも峨嵋山だけは邈然として、他にその類を見ないくらいのものである。

多仙山 青城山、載天山、鹤鸣山、峨嵋山など。

 

周流試登覽,怪安可息。

仙山といわれる山を周遊して、一度登覧をこころみたが、その特に奇怪なる事物どもは、どうしても詳悉することができない。

 

青冥倚天開,彩錯疑畫出。

眺めてみると、山色は青くして暗く、それが天に倚りかかって開いている。交錯している色彩は、描き出したものと見紛うほどなのである。

 

泠然紫霞賞,果得錦囊術。

ここにいたって、泠然軽挙、紫霞が漂い、棚引く景色を観賞しつつ、果然、錦囊に納めるべき仙家の秘術を習得した。

泠然 少しも心を動かさずひややかな態度でいるさま。

錦囊術 錦囊に納めるべき仙家の秘術。

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晴れた日蔭は、成都城や周りを照らし、朝の鮮やかな光は散花樓に充満している。その散花樓には黄金を鏤めた窓があって、綺麗に彩色したとびらをはめこみ、珠の簾は巻き上げて、銀鉤にかかっている。

 
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制作年:              720年開元八年20

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登錦城散花樓

作地點:              錦城(劍南道北部 / 益州 / 錦城)

及地點:              散花樓 (劍南道北部 益州 錦城)       

 

 

登錦城散花樓

(成都錦城の摩訶池のほとりにある散花樓にのぼって詠う。) 

日照錦城頭,朝光散花樓。

晴れた日蔭は、成都城や周りを照らし、朝の鮮やかな光は散花樓に充満している。

窗夾繡珠箔懸銀鉤。

その散花樓には黄金を鏤めた窓があって、綺麗に彩色したとびらをはめこみ、珠の簾は巻き上げて、銀鉤にかかっている。

飛梯綠雲中,極目散我憂。

自分はというと飛梯を踏み上ると、綠雲の中にいる。そして、両目でこの景色を眺めると心中にある不安や愁いというのがどこかに飛び散ったようだ。

雨向三峽,春江繞雙流。

終日ここにいると、夕方の雨は三峡に向って飛び去り、春の岷江は二筋に別れて城をめぐっている。

今來一登望,如上九天遊。

今、こうして登り来たって一たび、曠望すれば、九天に登って遊んでいるような気がして仙人の壮快の念にたえられないというものである。

 

錦城の散花樓に登る

日は照らす 錦城の頭,朝光す 散花の樓。

金窗 繡珠箔 銀鉤を懸く。

飛梯 綠雲の中,極目 我が憂いを散ず。

暮雨 三峽に向い,春江 雙流を繞る。

今 來って 一たび登望すれば,九天に上って遊ぶが如し。

 

成都関連地図 00 

『登錦城散花樓』 現代語訳と訳註

(本文)

登錦城散花樓

日照錦城頭,朝光散花樓。

金窗夾繡珠箔懸銀鉤。

飛梯綠雲中,極目散我憂。

暮雨向三峽,春江繞雙流。

今來一登望,如上九天遊。

 

(登錦城散花樓)

日照錦城頭,朝光散花樓。

金窗夾繡,珠箔懸銀鉤【珠箔懸瓊鉤】。

飛梯綠雲中,極目散我憂【極目散我愁】。

暮雨向三峽,春江繞雙流。

今來一登望,如上九天遊。

 

(下し文)

錦城の散花樓に登る

日は照らす 錦城の頭,朝光す 散花の樓。

金窗 繡を夾み,珠箔 銀鉤を懸く。

飛梯 綠雲の中,極目 我が憂いを散ず。

暮雨 三峽に向い,春江 雙流を繞る。

今 來って 一たび登望すれば,九天に上って遊ぶが如し。

 

(現代語訳)

(成都錦城の摩訶池のほとりにある散花樓にのぼって詠う。) 

晴れた日蔭は、成都城や周りを照らし、朝の鮮やかな光は散花樓に充満している。

その散花樓には黄金を鏤めた窓があって、綺麗に彩色したとびらをはめこみ、珠の簾は巻き上げて、銀鉤にかかっている。

自分はというと飛梯を踏み上ると、綠雲の中にいる。そして、両目でこの景色を眺めると心中にある不安や愁いというのがどこかに飛び散ったようだ。

終日ここにいると、夕方の雨は三峡に向って飛び去り、春の岷江は二筋に別れて城をめぐっている。

今、こうして登り来たって一たび、曠望すれば、九天に登って遊んでいるような気がして仙人の壮快の念にたえられないというものである。

李白図102 

(訳注)

登錦城散花樓

(成都錦城の摩訶池のほとりにある散花樓にのぼって詠う。) 

錦城 成都夷里橋南岸道西にあった。成都府城のことで、錦官とか錦里という。

散花樓 摩訶池のほとりにあった。

 

日照錦城頭,朝光散花樓。

晴れた日蔭は、成都城や周りを照らし、朝の鮮やかな光は散花樓に充満している。

 

金窗夾繡珠箔懸銀鉤。

その散花樓には黄金を鏤めた窓があって、綺麗に彩色したとびらをはめこみ、珠の簾は巻き上げて、銀鉤にかかっている。

 

飛梯綠雲中,極目散我憂。

自分はというと飛梯を踏み上ると、綠雲の中にいる。そして、両目でこの景色を眺めると心中にある不安や愁いというのがどこかに飛び散ったようだ。

 

暮雨向三峽,春江繞雙流。

終日ここにいると、夕方の雨は三峡に向って飛び去り、春の岷江は二筋に別れて城をめぐっている。

暮雨・三峽 朝雲となり暮に雨となる、宋玉《高唐賦》に基づく。三峽瞿塘峡、巫峡、西陵峡

 岷江。

雙流 岷江と錦江とは成都をめぐって合流す。

 

今來一登望,如上九天遊。

今、こうして登り来たって一たび、曠望すれば、九天に登って遊んでいるような気がして仙人の壮快の念にたえられないというものである。

九天遊 仙郷に比す。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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李白詩全集 卷二十 (古近體詩三十六首) 
ID登覧初句
687巻二十 登錦城散花樓  
688巻二十 登峨嵋山  
689巻二十 大庭庫  
690巻二十 登單父陶少府半月台  
691巻二十 天台曉望  
692巻二十 早望海霞邊  
693巻二十 焦山望松寥山  
694巻二十 50杜陵  
695巻二十 10登太白峰  
696巻二十 登邯鄲洪波台置酒觀發兵  
697巻二十 登新平樓  
698巻二十 謁老君廟  
699巻二十 秋日登揚州西靈塔  
700巻二十 登金陵冶城西北謝安墩  
701巻二十 登瓦官閣  
702巻二十 登梅岡望金陵贈族侄高座寺僧中孚  
703巻二十 登金陵鳳凰台  
704巻二十望廬山瀑布水二首其一  
705巻二十望廬山瀑布水二首其二  
706巻二十 登廬山五老峰  
707巻二十 江上望皖公山  
708巻二十 望黃鶴樓  
709巻二十 鸚鵡洲  
710巻二十 九日登巴陵置酒望洞庭水軍  
711巻二十 秋登巴陵望洞庭  
712巻二十 與夏十二登岳陽樓  
713巻二十 登巴陵開元寺西閣贈衡岳僧方外  
714巻二十 與賈至舍人于龍興寺剪落梧桐枝望(浥)湖  
715巻二十 挂席江上待月有懷  
716巻二十 金陵望漢江  
717巻二十 秋登宣城謝(朓)北樓  
718巻二十 10望天門山  
719巻二十 望木瓜山  
720巻二十 登敬亭北二小山余時送客逢崔侍御并登此地  
721巻二十 過崔八丈水亭  
722巻二十 登廣武古戰場懷古  
李白図102
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