漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

李白詩全集 卷二十(古近體詩三十六首)

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

745-003-#2巻176 27-#2 尋魯城北范居士失道落蒼耳中見范置酒摘蒼耳作(卷二十(二)一一五○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8501

745-003-#2巻176 27-#2 尋魯城北范居士失道落蒼耳中見范置酒摘蒼耳作(卷二十(二)一一五○)

 

 

2017410

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Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-003-#2巻176 27-#2 尋魯城北范居士失道落蒼耳中見范置酒摘蒼耳作(卷二十(二)一一五○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8501

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杜甫詩(1)736~751年  53

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だから、是非ここを尋ねたいと思い、そこでは、茫然として逸興を起し、なんでも早く行きたいというので、しきりに道を急いだ。すると、城の渠濠の空池のほとりにおいて、行く手の道を誤り荒れた坂路において、馬首をどちらに向けようかとまごついている間に滑り落ちたのである。滑り落ちて、せっかくの翠雲裘に蒼耳の草がからみついたが、そんなことには頓着しなかった。


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277-#1 《巻二十一12郢門秋懷#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <277-#1> Ⅰ李白詩1555 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6323

李白  郢門秋懷 #1 

郢門一為客,巴月三成弦。朔風正搖落,行子愁歸旋。

杳杳山外日,茫茫江上天。人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

清曠諧宿好,緇磷及此年。・・・・・
(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)#1一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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277-#1 《巻二十一12郢門秋懷#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <277-#1> Ⅰ李白詩1555 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6323 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-75杜甫 《1816不離西閣,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-75 <938> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6325 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    郢門秋懷

作地點:              荊州(江南東道 / 荊州 / 荊州)

及地點:              荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府             

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

 

 

郢門秋懷 #1

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

郢門一為客,巴月三成弦。

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

朔風正搖落,行子愁歸旋。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

杳杳山外日,茫茫江上天。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

清曠諧宿好,緇及此年。

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

#2

百齡何蕩漾,萬化相推遷。

空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。

倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

終當遊五湖,濯足滄浪泉。

 

(郢門秋懷) #1

郢門 一たび客と為り,巴月 三たび弦を成す。

朔風 正に搖落,行子 歸旋を愁う。

杳杳たる山外の日,茫茫たる江上の天。

人は迷う 洞庭の水,雁は度る 瀟湘の煙。

清曠 宿好に諧い,緇 此年に及ぶ。

#2

百齡 何ぞ蕩漾,萬化 相い推遷。

空しく 蒼梧の帝に謁し,徒らに溟海の仙を尋ぬ。

已に聞く 蓬海の淺きを,豈に三桃の圓なるを見んや。

劍に倚って 浩歎を增し,襟を捫でて 還た自ら憐む。

終に當に五湖に遊び,足を滄浪の泉に濯うべし。

 

 

『郢門秋懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

郢門秋懷 #1

郢門一為客,巴月三成弦。

朔風正搖落,行子愁歸旋。

杳杳山外日,茫茫江上天。

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

清曠諧宿好,緇磷及此年。

(下し文)
(郢門秋懷) #1

郢門 一たび客と為り,巴月 三たび弦を成す。

朔風 正に搖落,行子 歸旋を愁う。

杳杳たる山外の日,茫茫たる江上の天。

人は迷う 洞庭の水,雁は度る 瀟湘の煙。

清曠 宿好に諧い,緇磷 此年に及ぶ。

(現代語訳)
(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)#1

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。


(訳注)

郢門秋懷 #1

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

この詩は、秋、荊門に遊びしに因って、客中の情懐を叙したものである。

郢門 郢門は荊門。           荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府           

山名。湖北省宜都県の西北方、長江の南岸にある。河川に両岸が迫っているので呼ばれる。北岸の虎牙山と相対した江運の難所である。宜宗の大中二年(848年)、桂林刺史、桂管防禦観察使の鄭亜が循州(広東省恵陽県)に貶され、李商隠は幕を辞して都へ帰った。馮浩はその路中の作とする。偶成転韻と題する詩に「頃之職を失いて南風に辞す、破帆壊漿 荊江の中。」と歌われており、李商隠はこの荊門のあたりの難所で実際に危険な目にあったらしい。杜甫「詠懐古跡五首其三」李白「秋下荊門」「渡荊門送別」三峡をすこし下ってここに差し掛かることを詠う。李白は江陵で当時の道教教団、最高指導者の司馬承禎(しばしょうてい)と会っている。司馬承禎は玄宗皇帝から幾度も宮中に召され、法籙(ほうろく・道教の免許)を授けるほどに信頼された人物だ。司馬承禎は南岳衡山(こうざん)での祭儀に参加するため湖南に行く途中で、江陵にさしかかったのだった。すでに高齢に達していた司馬承禎に李白は詩を呈し、道教について教えを乞うた。司馬承禎が李白を「仙風道骨あり、神とともに八極の表に遊ぶべし」と褒めたという。

725年 開元十三年の春三月、二十五歳の李白と呉指南は江陵に別れを告げ、「楚国の遊」に旅立った。詩は江陵で遊んでを去るに当たって知友に残した作品で、留別の詩。

 李白は眼前に広がる楚地の広大な天地に意欲をみなぎらせ、同時に「仍()お憐れむ 故郷の水 万里 行舟を送るを」と感傷もにじませる。

 

郢門一為客,巴月三成弦。

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

三成弦 呉均の詩に「別離未幾日、高月三成弦とあるに本づく、上弦の月は7日前後の月ををいい、三たび上弦月を見たという義。。

 

朔風正搖落,行子愁歸旋。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

朔風 「朔」は北の方角の意》北から吹く風。北風。《季 冬》

 

杳杳山外日,茫茫江上天。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

 

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

洞庭 洞庭湖、洞庭湖は、中華人民共和国湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。湖北省と湖南省はこの湖の北と南にあることからその名が付いた。

瀟湘 瀟湘八景。瀟湘八景(しょうしょう はっけい)とは、中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。瀟湘は単に風光明媚というだけではなく、かつては楚の中心地として栄え、伝説や神話に彩られた土地である。 かの有名な桃源郷の伝説もこの一帯から生まれた。 屈原の『楚辞』「九歌」や「離騒」には、伝説上の皇帝堯の二人の娘湘君・湘妃の物語が幻想的に詠われている。二人の娘は次の皇帝舜帝の妃娥皇・女英となり、夫の舜が遠征の途中、湘江の畔で命を落とすと後を追って洞庭湖に身投げし、湘江の神となったという。後に二人は湘山に祀られた。戦国時代、この詩を詠んだ屈原自身もこの地を彷徨い、詩を詠み、ついには失意のうちに身を投じている。洞庭湖の畔に建つ岳陽楼には各地から文人が集い雅会を開いた。唐の張説、杜甫、宋代の范仲淹など多くの詩文がこの名勝の地で生まれた。

 

清曠諧宿好,緇磷及此年。

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

緇磷 すり減らされ黒ずむ。《論語·陽貨》「不曰堅乎?磨而不磷。不曰白乎?涅而不緇。」.李白《潁陽別元丹丘之淮陽》「悠悠市朝間,玉顏日緇磷。」かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。

 

 

百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 

そこで、蒼椿の帝に謁せむとするも、志逐げや、徒に海中に向つて、紳仙

を尋ねむとして居る。しかし、蓬莱の水でさへも、追追浅くnTり、三千年に一たび貰るといふ桃の三

たび熟するを見ることは、もとより六つかしい。そこで、剣に侍って浩款を増し、襟を撫でて、摘む

自ら憐むばかゎ。この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵薯か験し、泣く五湖に浮んで去り、

そして、足を愴渦の水に洗ふ外はない.

 

萬化 宇宙の現象の攣化して止まざること。

蒼梧帝 呉均の詩に「欲謁蒼梧帝、過間沅流湘姫」とあって、虞舜を指す。

 

溟海仙 十州記に「蓬莱山は、東海の東北岸に対し、周回五十里、外、別に圓海あって山をめぐる、圓海水甚だ黒く、而して、これを凕海という。風なくして、洪波百丈、得て往来すべからず。上に九老丈人、九天眞王宮あり、蓋し、太上眞人の居るところ、但だ飛仙能く其処に到るのみ」とある。溟海仙は、海中島上の神仙をいう。

蓬海淺 神仙傳に「麻姑云ふ、さきに-蓬莱に到りしに、水叉往日よりも浅し」とある。

三桃圓 漢武故事に「東海、一短人か送る、長五寸、衣冠具足、上、その精を疑い、東方朔を召して至る。朔、短人を呼んで日く、巨靈、阿母還り来るや否やと。短人対えず、因って、指して上に謂ふ、王母、桃も種うる三千年、―たび子を結ぶ。

この兒不良、すべて三たび過ぎて之を倫み、王母の意も失ひ、故に謫せられてここに来る、と。上大に驚き、はじめて朔の世中の人に非ざるを知るなり」とある。

五湖 今太湖の周辺にある。洞庭湖、鄱阳湖、太湖、巢湖、洪湖。

滄浪 あおあおとした波。蒼波(そうは)。(滄浪)川の名。中国湖北省を流れる漢水の一部の異称という。滄海桑田。《儲光羲「献八舅東帰」から》広い海原が桑畑に変わる。世の中の移り変わりの激しいことのたとえ。桑田変じて海となる。桑田変じて滄海となる。

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李白《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -4》 昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。

 

 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登廣武古戰場懷古

作地點:              廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)

及地點:              廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)       

戦国七雄001 

 

登廣武古戰場懷古#1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

兩龍不並躍,五緯與天同。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

楚滅無英圖,漢興有成功。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
按劍清八極,歸酣歌大風。

高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。

3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。

4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

翔りゆく雲は暁に陣形を連ね調えたかと怪しまれ、今残っている殺気は、廣武城にかかる長い虹よりもかがやいている。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

元来、撥亂反正の大業は、豪聖の君に限ることで、その心事は区々たる俗儒にはわからないことなのだ。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

私は、黄河のほとりに立ち、手を敲きながら、かの阮籍の狂愚を笑うのである。

 

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。

2

赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。

3

伊れ昔 廣武に臨み,兵を連ねて雌雄を決す。

我に分つ 一杯の羹【あつもの】を,太皇は乃ち汝の翁。

戰爭 古跡有り,壁壘【へきるい】 層穹【そうきゅう】に【くず】る

猛虎 洞壑に嘯き,飢鷹 秋空に鳴く。

4

翔雲 曉陣を列し,殺氣 長虹赫たり。

撥亂 豪聖に屬し,俗儒 安んぞ通す可けんや。

沈湎 豎子を呼び,狂言 至公にら非ず。

掌を撫す 黃河の曲,嗤嗤たり 阮嗣宗。

河南省中南部 陸渾00 

 

『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。


(下し文)4

翔雲 曉陣を列し,殺氣 長虹赫たり。

撥亂 豪聖に屬し,俗儒 安んぞ通す可けんや。

沈湎 豎子を呼び,狂言 至公にら非ず。

掌を撫す 黃河の曲,嗤嗤たり 阮嗣宗。

(現代語訳)
翔りゆく雲は暁に陣形を連ね調えたかと怪しまれ、今残っている殺気は、廣武城にかかる長い虹よりもかがやいている。

元来、撥亂反正の大業は、豪聖の君に限ることで、その心事は区々たる俗儒にはわからないことなのだ。

昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。

私は、黄河のほとりに立ち、手を敲きながら、かの阮籍の狂愚を笑うのである。


洛陽 函谷関 嵩山005
(訳注) 4

登廣武古戰場懷古 

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

廣武 (河南地図10)都畿道河南府滎陽縣に廣武城がある。城は山上にあり、漢が築いた。劉邦が絶澗に臨んで対語し、劉邦は項羽の十罪を責めた時、項羽の射たやがむねのささり重症をおった。西征記に「三皇山あり、或は三室山という、各々山上に城あり、東に東廣武城、西を西廣武城と云い、この間、絶澗をへだつ、漢祖、項籍と語る處。」とある。

 

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

翔りゆく雲は暁に陣形を連ね調えたかと怪しまれ、今残っている殺気は、廣武城にかかる長い虹よりもかがやいている。

 

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

元来、撥亂反正の大業は、豪聖の君に限ることで、その心事は区々たる俗儒にはわからないことなのだ。

 

沈湎呼豎子,狂言非至公。

昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。

沈湎 しずみおぼれること。特に、酒色にふけってすさんだ生活を送ること。魏の末期に、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、距離を置くため、大酒を飲み清談を行ない、礼教を無視した行動をした阮籍のことを言う。

呼豎子 「豎子」=「孺子」は、漢高祖の謀臣、張良(子房)のことを指す。張良は亡命中に、黄石公という老人が橋の下に落とした履を拾いに行かされて、「はいはい」と拾いに行った。その外柔らかにして内剛なる性質を知った黄老人は「孺子、可教。」(孺子、教うべし。)小僧、どうやら教えてやる甲斐がありそうじゃな。と言って、その後少し紆余曲折があった後に、張良に自らの用兵の術を教えた。

阮籍は竹林の七賢の筆頭扱いの阮籍である。白眼視や嗜酒、能嘯で名高いが、彼は時に自ら車を駆り、道窮まって泣いたといい、暢ばすことのできぬ志があったひとであったのである。廣武城に登り、劉邦と項羽の楚漢の戦いの跡を見渡したとき、「時無英雄、使豎子成名。」(時に英雄無く、豎子をして名を成さしむ。)そのときには英雄というべき者がいなかったのだ、だから小僧っ子に名声を成さしめてしまったのだ。と嘆じたという。(晋書巻49「阮籍等伝」)

 

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

私は、黄河のほとりに立ち、手を敲きながら、かの阮籍の狂愚を笑うのである。

阮嗣宗 阮籍(げん せき、210年(建安15年) - 263年(景元4年))は、中国三国時代の人物。字(あざな)を嗣宗、兗州陳留郡尉氏の人。竹林の七賢の指導者的人物である。父は建安七子の一人である阮瑀。甥の阮咸も竹林の七賢の一人である。子は阮渾。兄は阮煕。魏の末期に、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、距離を置くため、大酒を飲み清談を行ない、礼教を無視した行動をしたと言われている。俗物が来ると白眼で対し、気に入りの人物には青眼で対した。
李白31歳 

177-#3 《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -#3》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <177-#3> Ⅰ李白詩1396 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5528

李白《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -3項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

 

 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登廣武古戰場懷古

作地點:              廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)

及地點:              廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)       

 

 

登廣武古戰場懷古#1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

兩龍不並躍,五緯與天同。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

楚滅無英圖,漢興有成功。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
按劍清八極,歸酣歌大風。

高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。

3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。

4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

(含異文)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。項王氣蓋世,紫電明雙瞳。呼吸八千人,橫行起江東。

赤精斬白帝,叱吒入關中。兩龍不並躍,五緯與天同。楚滅無英圖,漢興有成功。按劍清八極,歸酣歌大風。

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。分我一杯羹,太皇乃汝翁。戰爭有古跡,壁壘層穹。猛虎嘯洞壑【猛虎吟洞壑】,飢鷹鳴秋空【飢鷹獵秋空】。

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。撥亂屬豪聖,俗儒安可通。沈湎呼豎子,狂言非至公。撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。

2

赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。

3

伊れ昔 廣武に臨み,兵を連ねて雌雄を決す。

我に分つ 一杯の羹【あつもの】を,太皇は乃ち汝の翁。

戰爭 古跡有り,壁壘【へきるい】 層穹【そうきゅう】に【くず】る

猛虎 洞壑に嘯き,飢鷹 秋空に鳴く。

4

翔雲 曉陣を列し,殺氣 長虹赫たり。

撥亂 豪聖に屬し,俗儒 安んぞ通す可けんや。

沈湎 豎子を呼び,狂言 至公にら非ず。

掌を撫す 黃河の曲,嗤嗤たり 阮嗣宗。

 河南省中南部 陸渾00

 

『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。


(下し文) 3

伊れ昔 廣武に臨み,兵を連ねて雌雄を決す。

我に分つ 一杯の羹【あつもの】を,太皇は乃ち汝の翁。

戰爭 古跡有り,壁壘【へきるい】 層穹【そうきゅう】に【くず】る。

猛虎 洞壑に嘯き,飢鷹 秋空に鳴く。

(現代語訳)
その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。

項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。

廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。


洛陽 函谷関 嵩山005
(訳注) 3

登廣武古戰場懷古 -3

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

廣武 (河南地図10)都畿道河南府滎陽縣に廣武城がある。城は山上にあり、漢が築いた。劉邦が絶澗に臨んで対語し、劉邦は項羽の十罪を責めた時、項羽の射たやがむねのささり重症をおった。西征記に「三皇山あり、或は三室山という、各々山上に城あり、東に東廣武城、西を西廣武城と云い、この間、絶澗をへだつ、漢祖、項籍と語る處。」とある。
 

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。

 

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

分我一杯羹 項羽本紀「項羽はすでに東海地方を平定して西にむかい、広武山に臨んで漢と相 対して陣をしいた。たがいに守備して対峙すること数ヵ月であった。 このときにあたって、彭越はしばしば梁の地で反抗し、楚の糧食を絶 った。項羽はこれを憂慮し、高い俎板をつくって太公をその上に磔にし、 漢王劉邦に告げた。「いま、早急に降服しなければ、太公を烹殺してしまうぞ」漢王劉邦は言った。「わしは項羽とともに北面して懐王の命を受けたが、そのとき『兄弟 となることを約束しよう』と言った。 してみれば、わが父はすなわち おまえの父だ。どうしてもおまえの父を烹殺すというのなら、ぜひ、 わしにも一杯の羹をくれ」項羽は怒って、本当に太公を殺そうとした。項伯が言った。「天下がどう定まるかは、まだわかりません。かつまた、天下を取ろうとするものは、家族のことなどかえりみません。太公を殺しても益 はなく、かえってむだに漢王を怒らせて、当方の禍を増すにすぎませ ん」項羽はこの意見にしたがった。楚と漢は相対峙してなかなか決戦しなかった。若者は兵役に苦しみ、老弱は陸上・水上の輸送に疲れはてた。項羽が漢王劉邦に言った。「天下は匈々としてさわぎ乱れること数年になるが、それは、ただわれら両人のためだ。ひとつ、挑戦して雌雄を決しようではないか。いたずらに天下の民の父子を苦しめるようなことはやめよう」漢王劉邦は笑ってことわって言った。「わしは、むしろ智でたたかうのであって、力ではたたかわ ない」劉邦は項羽を責めて言った。

 

戰爭有古跡,壁壘層穹。

その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。

 

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。

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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登廣武古戰場懷古

作地點:              廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)

及地點:              廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)       

 

 

登廣武古戰場懷古#1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

兩龍不並躍,五緯與天同。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

楚滅無英圖,漢興有成功。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
按劍清八極,歸酣歌大風。

高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。

3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

(含異文)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。項王氣蓋世,紫電明雙瞳。呼吸八千人,橫行起江東。赤精斬白帝,叱吒入關中。兩龍不並躍,五緯與天同。楚滅無英圖,漢興有成功。按劍清八極,歸酣歌大風。伊昔臨廣武,連兵決雌雄。分我一杯羹,太皇乃汝翁。戰爭有古跡,壁壘層穹。猛虎嘯洞壑【猛虎吟洞壑】,飢鷹鳴秋空【飢鷹獵秋空】。翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。撥亂屬豪聖,俗儒安可通。沈湎呼豎子,狂言非至公。撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。

2

赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。
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 洛陽 函谷関 嵩山005

『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

兩龍不並躍,五緯與天同。

楚滅無英圖,漢興有成功。

按劍清八極,歸酣歌大風。


(下し文)
赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う

(現代語訳)
ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。


(訳注) 2

登廣武古戰場懷古 -2

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

廣武 (河南地図10)都畿道河南府滎陽縣に廣武城がある。城は山上にあり、漢が築いた。劉邦が絶澗に臨んで対語し、劉邦は項羽の十罪を責めた時、項羽の射たやがむねのささり重症をおった。西征記に「三皇山あり、或は三室山という、各々山上に城あり、東に東廣武城、西を西廣武城と云い、この間、絶澗をへだつ、漢祖、項籍と語る處。」とある。 

河南省中南部 陸渾00 

赤精斬白帝,叱吒入關中。

ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

赤精 高祖劉邦は、赤龍に感じて生まれる。自ら赤精という。《漢書哀帝紀》:待詔夏賀良等言赤精子之讖。” 顏師古注引應劭して曰く:高祖感赤龍而生, 自謂赤帝之精。

斬白帝 白帝の子が赤帝の子に斬られて、乏しい人がその理由を高祖にはなすと、高祖が喜んだ。それより先に、劉邦が自分で大蛇を斬り殺している。「白帝の子が赤帝の子に斬られて」と言われた。劉邦は自分が赤帝の子だと思っているから、五行説から、赤が黒を征服し、黄が赤を征服する。劉邦が喜んだのは、「赤が黒を征服し」の方だ。秦の色は黒だから、秦の旗の色は黒。だから、劉邦はこの言葉を聞いて、秦を征服するのは自分だと確信して喜んだ。劉邦軍の旗の色は赤。漢の色は赤、火の徳を持つとされる。漢のから政権を奪った魏の色は黄、土の徳を持つとされる。

叱吒 【叱咤】 怒気をあらわして大声でしかること。しかりつけること。 しっ‐せき【叱責】 しかりせめること。

關中 函谷関の西側の地域を指す。現在の中国陝西省渭水盆地の西安を中心とした一帯である。春秋戦国時代の秦の領地であり、その後の前漢や唐もこの地に首都を置いた。

 

兩龍不並躍,五緯與天同。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

五緯 五星のこと。張平子(張衡)《西京賦》「自我高祖之始入也,五緯相汁以旅於東井。」(我が高祖の始めて入りし自り,五緯【ごい】相い汁【あ】いて以て于東井【とうせい】に旅【つらな】る。(帝都の計画) 我が高祖が始めて雍の地に入られると、この地を五つの星の配列に相い応じて東井の星座のようにならべる。

張平子(張衡)《西京賦》(8)(帝都の計画)#3-1 文選 賦<114―(8)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1045 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3773

 

楚滅無英圖,漢興有成功。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。

 

按劍清八極,歸酣歌大風。

高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。

八極 八方と同じ、ここでは天下。李白は江陵で当時の道教教団、最高指導者の司馬承禎(しばしょうてい)と会っている。司馬承禎は玄宗皇帝から幾度も宮中に召され、法籙(ほうろく・道教の免許)を授けるほどに信頼された人物だ。司馬承禎は南岳衡山(こうざん)での祭儀に参加するため湖南に行く途中で、江陵にさしかかったのだった。すでに高齢に達していた司馬承禎に李白は詩を呈し、道教について教えを乞うた。司馬承禎が李白を「仙風道骨あり、神とともに八極の表に遊ぶべし」と褒めた。

大風 高祖 大風歌「大風起兮雲飛揚云云」とある。

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李白《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -1(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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177-#1 《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -#1》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <177-#1> Ⅰ李白詩1394 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5518 
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177-1 《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -1Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <177-1> Ⅰ李白詩1394 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5518

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登廣武古戰場懷古

作地點:              廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)

及地點:              廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)       

 

 

登廣武古戰場懷古#1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

兩龍不並躍,五緯與天同。

楚滅無英圖,漢興有成功。

按劍清八極,歸酣歌大風。

3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

(含異文)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。項王氣蓋世,紫電明雙瞳。呼吸八千人,橫行起江東。赤精斬白帝,叱吒入關中。兩龍不並躍,五緯與天同。楚滅無英圖,漢興有成功。按劍清八極,歸酣歌大風。伊昔臨廣武,連兵決雌雄。分我一杯羹,太皇乃汝翁。戰爭有古跡,壁壘層穹。猛虎嘯洞壑【猛虎吟洞壑】,飢鷹鳴秋空【飢鷹獵秋空】。翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。撥亂屬豪聖,俗儒安可通。沈湎呼豎子,狂言非至公。撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。

2

赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->河南省中南部 陸渾00
<!--[endif]-->

『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

登廣武古戰場懷古#1

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

呼吸八千人,橫行起江東。


(下し文)

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。


(現代語訳)
(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

洛陽 函谷関 嵩山005
(訳注)

登廣武古戰場懷古 -1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

 

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

秦鹿 秦國の帝位をしめす。鹿を馬といわせた秦の支配が終わったこと。趙高が宮中に「珍しい馬がおります」と鹿を連れて来た。 胡亥は「丞相はどうかしたのか、これは鹿ではないか」と言ったが、「これは馬です」と趙高が答え、群臣にどう見えるか聞いた。趙高の権勢を恐れる者は馬と言い、屈しない者は鹿と言った。趙高はその場はちょっとした余興ということで納めたが、後日、鹿だと答えた官吏を、軒並み捕らえて処刑した。


 

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

氣蓋世 項羽の垓下歌「力拔山兮氣蓋世」とあり、項羽は自分がまだ意気盛んだと言っている。

雙瞳 重瞳、項羽本紀「羽もまた重瞳子」とある。重瞳(ちょうどう)とは、一つの眼玉に、瞳が二つある眼のこと。とくに、中国の貴人の身体的特徴として表現されることが多い。たとえば、伝説上の聖王である舜は重瞳だったという。また、資治通鑑などの史書によれば、項羽も重瞳だったという。

明らかな異相であるが、王の権威付けのためか、特に古代中国の王には重瞳にかぎらず、常人とは異なった身体的特徴をしていることが多い。たとえば、文王は四乳といって乳首が四つあったといわれ、禹は三漏といって耳の穴が三つあったという伝承が残っている。

 

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

八千人 項羽本紀「天之亡我。我何渡為。且籍与江東子弟八千人渡江而西。」(天の我を亡す、我何ぞ渡るを為さん。 且つ籍、与に江東の子弟八千人、江を渡りて西す。)

籍(こう せき、紀元前232 - 紀元前202年)は、秦末期の楚の武将。秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼし、一時“西楚の覇王”(在位紀元前206 - 紀元前202年)と号した。その後、天下を劉邦と争い(楚漢戦争)、当初は圧倒的に優勢であったが人心を得ず、次第に劣勢となって敗死した。

姓は項、名は籍、字が羽である。[1]以下、一般に知られている項羽(こうう)の名で記す。項羽は楚の将軍であった項燕の孫であり、項氏は代々楚の将軍を務めた家柄であった。項羽は両親を早くに亡くしたため叔父の項梁に養われていた。

秦末期、陳勝・呉広の乱が起きると、項羽は項梁に従って会稽郡役所に乗り込み、郡守である殷通をだまし討ちした後に襲いかかってきた殷通の部下数十名を一人で皆殺しにし、会稽の役人たちは項羽の強さに平伏、項梁は会稽郡守となって造反軍に参加した。
李白31歳 

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李白《卷20-11 登新平樓》見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。

 

 
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年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八○               文體:              五言律詩

詩題:    登新平樓

作地點:              新平(京畿道 / 邠州 / 新平)

 

 

登新平樓

(新平の城楼に登って詠う。)

去國登茲樓,懷歸傷暮秋。

故郷の国を去ってここの城郭の高楼に登ってみると、故郷に帰りたい気持ちが浮かんでくるが、悲愁の秋も暮れようとするときだから傷心にならざるをえないのだ。

天長落日遠,水淨寒波流。

天は長く晴れ渡り、夕日は遠く落ちてゆく、涇水の水は清くして、西風が寒波を運んでくる。

秦雲起嶺樹,胡雁飛沙洲。

秦地の雲は、山脈の樹木のあいだからおこってきて、胡の空から飛んできた雁が中州の砂浜の間を飛んでいる。

蒼蒼幾萬里,目極令人愁。

見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。

 

(新平の樓に登る)

國を去って茲の樓に登り,歸るを懷うて暮秋を傷む。

天は長くして落日遠く,水は淨くして寒波流る。

秦雲 嶺樹に起り,胡雁 沙洲に飛ぶ。

蒼蒼として 幾萬里あり,目 極まって 人をして愁えしむ。

扶風雍州長安003 

 

『登新平樓』 現代語訳と訳註解説

(本文)

登新平樓

去國登茲樓,懷歸傷暮秋。

天長落日遠,水淨寒波流。

秦雲起嶺樹,胡雁飛沙洲。

蒼蒼幾萬里,目極令人愁。

 

(下し文)

(新平の樓に登る)

國を去って茲の樓に登り,歸るを懷うて暮秋を傷む。

天は長くして落日遠く,水は淨くして寒波流る。

秦雲 嶺樹に起り,胡雁 沙洲に飛ぶ。

蒼蒼として 幾萬里あり,目 極まって 人をして愁えしむ。

 

(現代語訳)

(新平の城楼に登って詠う。)

故郷の国を去ってここの城郭の高楼に登ってみると、故郷に帰りたい気持ちが浮かんでくるが、悲愁の秋も暮れようとするときだから傷心にならざるをえないのだ。

天は長く晴れ渡り、夕日は遠く落ちてゆく、涇水の水は清くして、西風が寒波を運んでくる。

秦地の雲は、山脈の樹木のあいだからおこってきて、胡の空から飛んできた雁が中州の砂浜の間を飛んでいる。

見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。

 

杜甫乱前後の図003鳳翔 

(訳注)

登新平樓

(新平の城楼に登って詠う。)

新平(邠() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。

140-#1 《邠()歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#1> Ⅰ李白詩1325 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5173

 

去國登茲樓,懷歸傷暮秋。

故郷の国を去ってここの城郭の高楼に登ってみると、故郷に帰りたい気持ちが浮かんでくるが、悲愁の秋も暮れようとするときだから傷心にならざるをえないのだ。

 

天長落日遠,水淨寒波流。

天は長く晴れ渡り、夕日は遠く落ちてゆく、涇水の水は清くして、西風が寒波を運んでくる。

水淨 晴天続きで涇水の水が清い流れである。

寒波流 晩秋の西からの寒波が押し寄せる。

 

秦雲起嶺樹,胡雁飛沙洲。

秦地の雲は、山脈の樹木のあいだからおこってきて、胡の空から飛んできた雁が中州の砂浜の間を飛んでいる。

秦雲起嶺樹 南の長安の街を見守ってきた秦嶺山脈の木々の間から湧き立つ雲。古代、雲は木々の谷間の岩場の洞窟から湧き立つと考えられていた。

胡雁飛沙洲 涇水は北西から長安方向へ流れ渭水に合流する。したがって胡の会コツから雁が南下してくることをいう。涇水の沙汀の間から飛んでくる。

 

蒼蒼幾萬里,目極令人愁。

見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。
banri03 

150李白《巻20-09 登太白峯》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<150> Ⅰ李白詩1335 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5223

150李白《巻20-09 登太白峯》こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

 

 
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150李白《巻20-09 登太白峯》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<150> Ⅰ李白詩1335 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5223

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:  卷一八○        文體:  五言古詩

詩題:  登太白峰

作地點:        太白山(京畿道 / 岐州 / 太白山)

及地點:        太白山 (京畿道 岐州太白山) 別名:太白峰         

武功 (京畿道 京兆府 武功)        

 

 

登太白峰

(夜、太白山に登って作ったもの)

西上太白峰,夕陽窮登攀。

秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。

太白與我語,為我開天關。

空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。

願乘泠風去,直出浮雲間。

願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。

舉手可近月,前行若無山。

山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。

一別武功去,何時復見還。

こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

 

(太白峰に登る)

西のかた太白峰に上り、夕陽  登攀【とうはん】を窮む。

太白  我と語り、我が為に天関を開く。

願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。

手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。

一たび別れて武功に去り、何れの時か  復た更に還【かえ】らん。

太白山00 

 

『登太白峰』 現代語訳と訳註解説

(本文)

登太白峰

西上太白峰,夕陽窮登攀。

太白與我語,為我開天關。

願乘泠風去,直出浮雲間。

舉手可近月,前行若無山。

一別武功去,何時復見還。

 

(下し文)

(太白峰に登る)

西のかた太白峰に上り、夕陽  登攀【とうはん】を窮む。

太白  我と語り、我が為に天関を開く。

願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。

手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。

一たび別れて武功に去り、何れの時か  復た更に還【かえ】らん。

 

(現代語訳)

(夜、太白山に登って作ったもの)

秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。

空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。

願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。

山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。

こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

 

yoshu&choan736 

(訳注)

登太白峰

(太白峰に登る)

(夜、太白山に登って作ったもの)

・太白峰 太白山のこと。長安の西方80kmにある3767m、陝西省武功県、の南にある山の名。標高もあり、山頂には年中積雪がある。 五嶽より圧倒的に高い。古来、五嶽を基本として地方を9つに分けて考えられていた世界観からすれば太白山はその世界を外れた天に続く山とされていたのだろう。  陝西省関中道郿縣の南にあり、上に洞窟がある。道教でいう第十一洞天の霊場である。

古風,五十九首之五

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

Index-23 Ⅲ-1-364 《古風,五十九首之五》Ⅲ-1 744年天寶三年44歳 364Index-23> Ⅰ李白詩1149 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4293

・終南太一 終南山は南山、秦嶺ともいう。長安の正面、渭水の南にあり。太一は終南山から秦嶺山脈中の一番高峰の太白山とする。「終南山は泰嶺山脈の全体の名と見ると、太一山はその山脈中の一山、武功県の太白山なりといぅ(『読史方輿紀要』)。陝西省南部を東西によこぎる断層山脈。平均標高20003000m,最高峰の太白山(3767m)をはじめ,《詩経》にみえる終南山(2604m),玉泉山(1291m)などの山峰がある。渭河と漢水の分水嶺をなし,北側は急峻な断層崖のため,古来,渭水盆地では〈南山〉と称し〈九州の名阻,天下の険峻〉とよんだ。

 

西上太白峰,夕陽窮登攀。

西のかた太白峰に上り、夕陽  登攀【とうはん】を窮む。

秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。

 

太白與我語,為我開天關。

太白  我と語り、我が為に天関を開く。

空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。

 

願乘泠風去,直出浮雲間。

願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。

願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。

 

舉手可近月,前行若無山。

手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。

山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。

 

一別武功去,何時復見還。

一たび別れて武功に去り、何れの時か  復た更に還【かえ】らん。

こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

武功 陝西省咸陽市に位置する県。太白山の登山口の街。

 

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赤玉で飾った軒端をかすめて鳥は飛びかう、夕焼けの空は、斗栱の下、四方に張った幔幕の向こうに拡がっている。宝塔から見る目は旅路の見える限りをみつめるのである、そして心は、去りゆく船の帆影を高めていてそれを追いかける。

 
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襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    秋日登揚州西靈塔

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:              西靈塔 (淮南道 揚州 揚州)              

 

 

秋日登揚州西靈塔

(この詩は726年開元十四年の秋に揚州の西靈塔に登って眺めて思い衝くことをのべたもの。)

寶塔凌蒼蒼,登攀覽四荒。

揚州の西靈塔は蒼蒼たる大空を凌いでいるし、西靈塔に登って眺めて見ると、四方の遠い先の四荒仙人の仙郷まで見える。

頂高元氣合,標出海雲長。

この塔の頂が高いことで、人の元気と結合してくるし、雲海を下に見るほどの標高で飛びぬけている。

萬象分空界,三天接畫梁。

宇宙間の万象は、空界を分割して、天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住していて、塔頂の画梁に接している。

水搖金影,日動火珠光。

塔の日陰は水に映し、金に輝く日差しがなみにゆれていて、太陽は時の移ろいで塔を廻っているので、塔頂の火銖の環が光とともに動いているようだ。

 

鳥拂瓊簾度,霞連繡栱張。

目隨征路斷,心逐去帆揚。

露浴梧楸白,霜催橘柚黃。

玉毫如可見,於此照迷方。

 

(秋日登揚州西靈塔)

寶塔は蒼蒼を凌ぎ,登攀して四荒を覽る。

頂 高くして元氣合し,標 出でて海雲長くす。

萬象 空界を分ち,三天 畫梁に接す。

水は金影を搖かし日は火珠の光を動かす。

 

鳥は瓊簾【けいれん】を拂うて度り,霞は繡栱【しゅうきょう】に連って張る。

目は征路に隨って斷え,心は去帆を逐うて揚がる。

露に浴して梧楸白く,霜は催して橘柚黃なり。

玉毫 如【も】し見る可けんば,於此にいて迷方を照ぜん。

a謝霊運永嘉ルート02 

 

『秋日登揚州西靈塔』 現代語訳と訳註

(本文)

秋日登揚州西靈塔

寶塔凌蒼蒼,登攀覽四荒。

頂高元氣合,標出海雲長。

萬象分空界,三天接畫梁。

水搖金影,日動火珠光。

 

(下し文)

(秋日登揚州西靈塔)

寶塔は蒼蒼を凌ぎ,登攀して四荒を覽る。

頂 高くして元氣合し,標 出でて海雲長くす。

萬象 空界を分ち,三天 畫梁に接す。

水は金の影を搖かし,日は火珠の光を動かす。

 

(現代語訳)

(この詩は726年開元十四年の秋に揚州の西靈塔に登って眺めて思い衝くことをのべたもの。)

揚州の西靈塔は蒼蒼たる大空を凌いでいるし、西靈塔に登って眺めて見ると、四方の遠い先の四荒仙人の仙郷まで見える。

この塔の頂が高いことで、人の元気と結合してくるし、雲海を下に見るほどの標高で飛びぬけている。

宇宙間の万象は、空界を分割して、天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住していて、塔頂の画梁に接している。

塔の日陰は水に映し、金に輝く日差しがなみにゆれていて、太陽は時の移ろいで塔を廻っているので、塔頂の火銖の環が光とともに動いているようだ。

揚州西靈塔01

 

(訳注)

秋日登揚州西靈塔

(この詩は726年開元十四年の秋に揚州の西靈塔に登って眺めて思い衝くことをのべたもの。)

○揚州大明寺の栖霊塔は、揚州市街の北西部に位置する。栖霊塔と揚州市街との間に広がっているのが痩西湖風景区である。
 

寶塔凌蒼蒼,登攀覽四荒。

揚州の西靈塔は蒼蒼たる大空を凌いでいるし、西靈塔に登って眺めて見ると、四方の遠い先の四荒仙人の仙郷まで見える。

四荒 四方の胡の国。四裔:四方の遠い最果ての先(四荒八極)。ここでは北方の觚竹、南方の北戸、西方の西王母、東方の日下という仙人を指す。

 

頂高元氣合,標出海雲長。

この塔の頂が高いことで、人の元気と結合してくるし、雲海を下に見るほどの標高で飛びぬけている。

 

萬象分空界,三天接畫梁。

宇宙間の万象は、空界を分割して、天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住していて、塔頂の画梁に接している。

三天 道教では仙人の居るところ、天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住し、この三天のことも「三清」と呼ぶ。道観(道教寺院)にはしばしば「三清殿」と称する三清を祀る建物がある。

三天 仏教者の三界のこと。三界は、欲界・色界・無色界の三つの総称。三有ともいう。凡夫が生死を繰り返しながら輪廻する世界を3つに分けたもの。なお、仏陀はこの三界での輪廻から解脱している。

欲界 淫欲と食欲の2つの欲望にとらわれた有情の住む処。六欲天から人間界を含み、無間地獄までの世界をいう。

色界 欲界の2つの欲望は超越したが、物質的条件(色)にとらわれた有情が住む処。この色界は禅定の段階によって、4つ(四禅天)に分けられ、またそれを細かく18天に分ける。

無色界 欲望も物質的条件も超越し、ただ精神作用にのみ住む世界であり、禅定に住している世界。

『法華経』譬喩品に「三界は安きことなく、なお、火宅のごとし」というのは、迷いと苦しみのこの世界を、燃えさかる家にたとえたもの。

「三界に家なし」とは、この世界が安住の地でないことを意味し、後には女性の不安定な地位を表す諺になった。

 

水搖金影,日動火珠光。

塔の日陰は水に映し、金に輝く日差しがなみにゆれていて、太陽は時の移ろいで塔を廻っているので、塔頂の火銖の環が光とともに動いているようだ。

火珠 宝塔の頂に焔とリングの飾りをつける。

揚州西靈塔 

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(宣城から金陵に下るとき、長江に浮んでみたことを詠ったもので、舟中即吟である。)天門山は真ん中から裂けたように、屹然として両岸に対峙して、その間を東に流れて行く楚江の碧水は、ここにおいて北に蛇行してめぐっている。

 
 2014年9月24日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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