漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

李白詩全集 卷二十一(古近體詩五十八首)

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

289(改訂) 《2105 客中行》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <289> Ⅰ李白詩1568 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6388

李白  客中行  

蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。

但使主人能醉客,不知何處是他鄕。
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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740年 李白40歳 


 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一八一              文體:    七言

詩題:    客中行

作地點:              目前尚無資料

及地點:              氶縣 (河南道 沂州 氶縣) 別名:蘭陵             

 

客中行 
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。
蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 
但使主人能醉客,不知何處是他鄕。

既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。
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(客中行)
蘭陵の美酒 鬱金香,玉碗 盛り來る 琥珀の光。
但だ 主人をして 能く客を醉はしむれば,知らず 何れの處か 是れ他鄕なるを。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
『客中行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

客中行 

蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。

但使主人能醉客,不知何處是他鄕。

(下し文)
(客中行)

蘭陵の美酒  鬱金香,玉碗 盛り來る 琥珀の光。

但だ 主人をして 能く客を醉はしめば,知らず 何れの處か 是れ他鄕なるを。

(現代語訳)
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 
既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。

(訳注)

客中行
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

●「客中作」ともする。 

・客 よその地を旅すること。異客となること。 

・中 …をしている時、中。 

・行 歌行。詩歌。「…行」は楽府に付く「詩・歌」の意。


蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。
蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 
●蘭、金、玉、琥珀、。美、香、来、光。それぞれの語が絡み合って句と聯を計成する。美しい響きを持つ聯に仕上げ、五感でよませる聯にしている。 

・蘭陵 地名。山東省嶧県のお酒の産地。荀子の墓もある。 

・鬱金香 ミョウガ科の多年草(鬱金の香)香草の名。酒に浸して、色や香を附けるために使う。

・玉碗 玉(ぎょく)で出来たさかづき。玉杯。「玉杯」としないのは、容器の大小、深浅の差異もある。また、発音上のリズム感にも因る。

・盛 (器に)もる、盛り上げたから光り輝きが増すことになる。 

・~來 …てきた。 

・琥珀 天然樹脂の化石であり、宝石である。 半化石の琥珀は、コーパル(英: Copal)という。 バルト海沿岸で多く産出するため、ヨーロッパでは古くから知られ、宝飾品として珍重されてきた。 鉱物ではないが、硬度は鉱物に匹敵する。透き通った黄色みを帯びた茶色系の宝石。女性のブローチ・ブレスレットなどの材料にも使われている。 

・琥珀光 コハク色に輝く酒。鬱金香を酒に浸したためついた色。


但使主人能醉客、不知何處是他鄕。
既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。
・但使 ただ…しさえすれば。ただ…のようにさせれば。「ただ…しさえすれば」という或る条件を満たすようにさえすれば、次のような結果が出る、という表現の語。 

・主人 もてなす側の人。「客」に対する語。

・能:よく。あたう。できる。可能を表す。 

・醉客 客(李白)を酔わせる。 

・不知 分からない。 

・何處 どこ。  ・他鄕 異郷。よその地。「故郷」に対する語。

「但使主人能醉客,不知何處是他鄕。」主人側が充分に酔っぱらわせてくれたならば、(酔っぱらった結果、)一体どこが異郷であるのか、忘れて分からなくなることだろう。
旅の空、こんなにおいしいお酒、琥珀色をした酒は身も心潤してくれる。旅の恥はかき捨てベロベロになるまで酔わせくれ・・・・・・と。


(客中行)
蘭陵の美酒  鬱金香,玉碗 盛り來る 琥珀の光。
但だ 主人をして 能く客を醉はしめば,知らず 何れの處か 是れ他鄕なるを。
李白の足跡0000 

278 《巻二十一48夜泊牛渚懷古【案:此地即謝尚聞袁宏詠史處。】》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <278> Ⅰ李白詩1557 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6333

李白  夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】  

牛渚西江夜,青天無片雲。登舟望秋月,空憶謝將軍。

余亦能高詠,斯人不可聞。明朝掛帆席,楓葉落紛紛。
(この詩は、夜、舟を牛渚に泊し、因って、古を思って作った詩。)【この地は晋の鎮西將軍謝尚であり、袁宏のかいた詠史でいう所である】大江の西岸にある牛渚の夜は晴れて、青天には一片の雲だにない。この時、私は舟に居て、秋月の玲瓏たるを望み、古の晋の鎮西將軍の謝尚をむなしく思い出す。わたしもまた生来高詠をよくするが、いくら謝尚に聞いて貰おうと思っても、今古時を異にして居るから、仕方がない。そこで、明朝、帆を桂けて、江を下れば、時しも秋の末、楓葉紛々として、落ちるばかり、やはり、謝尚の様な人にあうことはできないだろう。 

 

278 《巻二十一48夜泊牛渚懷古【案:此地即謝尚聞袁宏詠史處。】》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <278> Ⅰ李白詩1557 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6333

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一八一              文體:    五言律詩

詩題:    夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】

作地點:              牛渚山(江南西道 / 宣州 / 當塗)

及地點:              牛渚山 (江南西道 宣州 當塗)           

 

 

夜泊牛渚懷古

(この詩は、夜、舟を牛渚に泊し、因って、古を思って作った詩。)

【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】

(この地は晋の鎮西將軍謝尚であり、袁宏のかいた詠史でいう所である)

牛渚西江夜,青天無片雲。

大江の西岸にある牛渚の夜は晴れて、青天には一片の雲だにない。

登舟望秋月,空憶謝將軍。

この時、私は舟に居て、秋月の玲瓏たるを望み、古の晋の鎮西將軍の謝尚をむなしく思い出す。

余亦能高詠,斯人不可聞。

わたしもまた生来高詠をよくするが、いくら謝尚に聞いて貰おうと思っても、今古時を異にして居るから、仕方がない。

明朝掛帆席,楓葉落紛紛。

そこで、明朝、帆を桂けて、江を下れば、時しも秋の末、楓葉紛々として、落ちるばかり、やはり、謝尚の様な人にあうことはできないだろう。 

 

(夜牛渚に泊して懐古す)【此の地 即ち謝尚 袁宏詠史に聞く處なり。】
牛渚に西江の夜、青天、片雲なし。

舟に登って秋月を望み、空しく懐ふ謝将軍。

余、亦た高詠を能くす、斯人聞くべからす。

明朝、帆席をくれば、楓葉落ちて紛紛。

 

 

『夜泊牛渚懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】

牛渚西江夜,青天無片雲。

登舟望秋月,空憶謝將軍。

余亦能高詠,斯人不可聞。

明朝掛帆席,楓葉落紛紛。
夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】(含異文)

牛渚西江夜,青天無片雲。

登舟望秋月,空憶謝將軍。

余亦能高詠,斯人不可聞。

明朝掛帆席【明朝洞庭去】,楓葉落紛紛【楓葉正紛紛】。


(下し文)
(夜牛渚に泊して懐古す)
牛渚に西江の夜、青天、片雲なし。

舟に登って秋月を望み、空しく懐ふ謝将軍。

余、亦た高詠を能くす、斯人聞くべからす。

明朝、帆席をくれば、楓葉落ちて紛紛。

 

(現代語訳)
(この詩は、夜、舟を牛渚に泊し、因って、古を思って作った詩。)

【この地は晋の鎮西將軍謝尚であり、袁宏のかいた詠史でいう所である】

大江の西岸にある牛渚の夜は晴れて、青天には一片の雲だにない。

この時、私は舟に居て、秋月の玲瓏たるを望み、古の晋の鎮西將軍の謝尚をむなしく思い出す。

わたしもまた生来高詠をよくするが、いくら謝尚に聞いて貰おうと思っても、今古時を異にして居るから、仕方がない。

そこで、明朝、帆を桂けて、江を下れば、時しも秋の末、楓葉紛々として、落ちるばかり、やはり、謝尚の様な人にあうことはできないだろう。 


(訳注)

夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】

(この詩は、夜、舟を牛渚に泊し、因って、古を思って作った詩。)

【この地 即ち謝尚 袁宏詠史に聞く處なり。】(この地は晋の鎮西將軍謝尚であり、袁宏のかいた詠史でいう所である)

牛渚山 安徽當塗縣西北二十里。一名采石。

謝尚 晋の鎮西將軍謝尚

袁虎:袁宏(西元328376),字伯,東晉陽夏(今河南省太康)人。有逸才,為桓溫記室,太元初,官東陽太守。有《後漢紀》、《竹林名士傳》等。袁宏詠史 《太平寰宇記》「牛渚山在太平州當塗縣北三十五里。突出江中、謂為牛渚磯。古津渡處也。」《輿地志》云「牛渚山、昔有人、潛行云:此處通洞庭、旁達無底。見有金牛狀異、乃驚怪而出。牛渚山北、謂之采石。按今對采石渡口、上有謝將軍祠。」

上有謝將軍祠、《淮南記》云:「呉初以周瑜屯牛渚晋鎮西將軍謝尚亦鎮此城袁宏時寄運船泊牛渚尚乗月泛江聞運船中諷詠遣問之卽宏誦其自作咏史詩於是大相嘆賞。」

 

牛渚西江夜,青天無片雲。

大江の西岸にある牛渚の夜は晴れて、青天には一片の雲だにない。

片雲 一片の雲だにという意。

 

登舟望秋月,空憶謝將軍。

この時、私は舟に居て、秋月の玲瓏たるを望み、古の晋の鎮西將軍の謝尚をむなしく思い出す。

 

余亦能高詠,斯人不可聞。

わたしもまた生来高詠をよくするが、いくら謝尚に聞いて貰おうと思っても、今古時を異にして居るから、仕方がない。

 

明朝掛帆席,楓葉落紛紛。

そこで、明朝、帆を桂けて、江を下れば、時しも秋の末、楓葉紛々として、落ちるばかり、やはり、謝尚の様な人にあうことはできないだろう。 

掛帆席 筵の帆を柱かける。 

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李白  郢門秋懷#2

百齡何蕩漾,萬化相推遷。空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

終當遊五湖,濯足滄浪泉。
百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 そこで、蒼梧の帝に謁見しようとするも、志し逐げられず、いたずらに海中に向つて、神仙を尋ねんとして居る。しかし、蓬莱山の水でさえも、追追浅くなってゆき、三千年に一たび實るという桃の三たび熟するを見ることは、もとよりむつかしい。そこで、剣に侍って浩歎を増し、襟を撫でて、摘む自ら憐れむばかり。この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵囂を脱し、遠く五湖に浮んで去り、そして、足を滄浪の水に洗って隠遁する外はない.

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    郢門秋懷

作地點:              荊州(江南東道 / 荊州 / 荊州)

及地點:              荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府             

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

 

 

郢門秋懷 #1

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

郢門一為客,巴月三成弦。

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

朔風正搖落,行子愁歸旋。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

杳杳山外日,茫茫江上天。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

清曠諧宿好,緇及此年。

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

#2

百齡何蕩漾,萬化相推遷。

空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。

倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

終當遊五湖,濯足滄浪泉。

百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 

そこで、蒼梧の帝に謁見しようとするも、志し逐げられず、いたずらに海中に向つて、神仙を尋ねんとして居る。

しかし、蓬莱山の水でさえも、追追浅くなってゆき、三千年に一たび實るという桃の三たび熟するを見ることは、もとよりむつかしい。

そこで、剣に侍って浩歎を増し、襟を撫でて、摘む自ら憐れむばかり。

この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵囂を脱し、遠く五湖に浮んで去り、そして、足を滄浪の水に洗って隠遁する外はない.

 

(郢門秋懷) #1

郢門 一たび客と為り,巴月 三たび弦を成す。

朔風 正に搖落,行子 歸旋を愁う。

杳杳たる山外の日,茫茫たる江上の天。

人は迷う 洞庭の水,雁は度る 瀟湘の煙。

清曠 宿好に諧い,緇 此年に及ぶ。

#2

百齡 何ぞ蕩漾,萬化 相い推遷。

空しく 蒼梧の帝に謁し,徒らに溟海の仙を尋ぬ。

已に聞く 蓬海の淺きを,豈に三桃の圓なるを見んや。

劍に倚って 浩歎を增し,襟を捫でて 還た自ら憐む。

終に當に五湖に遊び,足を滄浪の泉に濯うべし。

 

 

『郢門秋懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

百齡何蕩漾,萬化相推遷。

空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。

倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

終當遊五湖,濯足滄浪泉。

(下し文)
百齡 何ぞ蕩漾,萬化 相い推遷。

空しく 蒼梧の帝に謁し,徒らに溟海の仙を尋ぬ。

已に聞く 蓬海の淺きを,豈に三桃の圓なるを見んや。

劍に倚って 浩歎を增し,襟を捫でて 還た自ら憐む。

終に當に五湖に遊び,足を滄浪の泉に濯うべし。

(現代語訳)
百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 

そこで、蒼梧の帝に謁見しようとするも、志し逐げられず、いたずらに海中に向つて、神仙を尋ねんとして居る。

しかし、蓬莱山の水でさえも、追追浅くなってゆき、三千年に一たび實るという桃の三たび熟するを見ることは、もとよりむつかしい。

そこで、剣に侍って浩歎を増し、襟を撫でて、摘む自ら憐れむばかり。

この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵囂を脱し、遠く五湖に浮んで去り、そして、足を滄浪の水に洗って隠遁する外はない.


(訳注)

郢門秋懷 #2

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

この詩は、秋、荊門に遊びしに因って、客中の情懐を叙したものである。

郢門 郢門は荊門。           荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府           

 

百齡何蕩漾,萬化相推遷。

百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 

萬化 宇宙の現象の攣化して止まざること。

 

空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

そこで、蒼梧の帝に謁見しようとするも、志し逐げられず、いたずらに海中に向つて、神仙を尋ねんとして居る。

蒼梧帝 呉均の詩に「欲謁蒼梧帝、過間沅流湘姫」とあって、虞舜を指す。

溟海仙 十州記に「蓬莱山は、東海の東北岸に対し、周回五十里、外、別に圓海あって山をめぐる、圓海水甚だ黒く、而して、これを凕海という。風なくして、洪波百丈、得て往来すべからず。上に九老丈人、九天眞王宮あり、蓋し、太上眞人の居るところ、但だ飛仙能く其処に到るのみ」とある。溟海仙は、海中島上の神仙をいう。

 

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。

しかし、蓬莱山の水でさえも、追追浅くなってゆき、三千年に一たび實るという桃の三たび熟するを見ることは、もとよりむつかしい。

蓬海淺 神仙傳に「麻姑云ふ、さきに-蓬莱に到りしに、水叉往日よりも浅し」とある。

三桃圓 漢武故事に「東海、一短人か送る、長五寸、衣冠具足、上、その精を疑い、東方朔を召して至る。朔、短人を呼んで日く、巨靈、阿母還り来るや否やと。短人対えず、因って、指して上に謂ふ、王母、桃も種うる三千年、―たび子を結ぶ。

この兒不良、すべて三たび過ぎて之を倫み、王母の意も失ひ、故に謫せられてここに来る、と。上大に驚き、はじめて朔の世中の人に非ざるを知るなり」とある。

 

倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

そこで、剣に侍って浩歎を増し、襟を撫でて、摘む自ら憐れむばかり。

 

終當遊五湖,濯足滄浪泉。

この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵囂を脱し、遠く五湖に浮んで去り、そして、足を滄浪の水に洗って隠遁する外はない.

五湖 今太湖の周辺にある。洞庭湖、鄱阳湖、太湖、巢湖、洪湖。

滄浪 あおあおとした波。蒼波(そうは)。(滄浪)川の名。中国湖北省を流れる漢水の一部の異称という。滄海桑田。《儲光羲「献八舅東帰」から》広い海原が桑畑に変わる。世の中の移り変わりの激しいことのたとえ。桑田変じて海となる。桑田変じて滄海となる。

濯足滄浪泉 《古風,五十九首之二十四》「世無洗耳翁。 誰知堯與跖。」(この手合いのものは格別の才能もないのに、ちょっと天子に気にいられて、富貴になったのであり、今の世には、穎水で耳を洗って隠居したような清廉潔白な人はいない、聖人の堯帝と大泥棒の跖とを、誰が見分けられるというのか。
洗耳翁 太古堯帝の時の高士、許由のこと。責帝から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられた時、受けつけず、穎水の北にゆき隠居した。堯帝が又、かれを招いて九州の長にしようとしたら、かれは、こういう話は耳がけがれるといって、すぐさま川の水で耳を洗った。李白「迭裴十八図南歸山其二」紀頌之の漢詩 164  参照

 

 許由が箕山の下に隠遁し、世俗、下世話な事を聞いたから潁水で耳を洗った高士の人ということ。高士傳 『史記』「伯夷列伝第一」 に「甫謐高士傳云・・「許由字武仲。堯聞致天下而譲焉、乃退而遁於中嶽潁水陽、箕山之下隠。堯又召爲九州長、由不欲聞之、洗耳於穎水濱。」(皇甫謐『高士伝』に云ふ、許由、字は武仲。尭、天下を致して譲らんとするを聞き、乃ち退いて中嶽潁水の陽、箕山の下に遁れ隠る。尭、又た召して九州の長と為さんとす。由、之を聞くを欲せず、耳を潁水の浜に洗ふ。)
堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういう話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。

 

巢父・許由 許由と巣父の故事による。許由は、中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

《題元丹丘山居》

故人棲東山,自愛丘壑美。青春臥空林,白日猶不起。

松風清襟袖,石潭洗心耳。羨君無紛喧,高枕碧霞裡。

181 《巻24-02 題元丹丘山居》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <181> Ⅰ李白詩1402 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5558

260-#2 《巻二十一34經下邳圯橋懷張子房 -#2》(改訂版Ver..2.1)Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <260-#2> Ⅰ李白詩1524 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6168

李白  經下邳圯橋懷張子房#2

潛匿遊下,豈曰非智勇。我來橋上,懷古欽英風。

惟見碧流水,曾無石公。歎息此人去,蕭條徐泗空。

今、我、子房が黄石公にであった下邳の圯橋の上に来ており、古の事を思い出すと、張良の英雄の風姿が慕わしくてたまらない。おもえば、張良一度この世から去ってより、この徐泗一帯の地は、蕭条として、人物を出さず、まことに、それに今この乱れた世に誰も出ないのかと思うと、嘆息に堪えぬことである。


260-#2 《巻二十一34經下邳圯橋懷張子房 -#2》(改訂版Ver..2.1Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <260-#2> Ⅰ李白詩1524 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6168

 
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年:738年開元二十六年38

卷別:  卷一八一        文體:  五言古詩

詩題:  經下邳圯橋懷張子房

作地點:        下邳(河南道 / 泗州 / 下邳)

及地點:圯橋 (河南道 泗州 下邳)  

博浪沙 (都畿道 鄭州 陽武)       

下邳 (河南道 泗州 下邳)         

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方        

泗州 (河南道 泗州 泗州)         

 

(改訂版Ver..2.1

經下邳圯橋懷張子房  #1

(齊魯に遊んだ時、河南道 泗州下邳の圯橋を通りかかって、そこがこの地の出身である張子房の故跡であることを懷いおこしてつくったのである。

子房未虎嘯,破不為家。

むかし張子房が未だ漢の高祖にはまだ遭遇していない頃、すなわち、獲物を決めかねた虎がほえているだけという時で、何でも韓のために仇を取ろうとして財産を売り払ってでも家のことなどこころにとめることをしなかった。
滄海得壯士,椎秦博浪沙。

かくて、蒼海公のところで力士を得て、百二十斤の鉄鎚を作り、それでもって秦の始皇帝を博浪沙中で狙撃したが、副車に当たっただけで、目的を達する事は無かった。

報韓雖不成,天地皆振動。

こうして、五世韓に仕えた恩に報いるために企てた復讐は不成功におわったが、そのことによって天も地も皆、なりひびくほどの喝采を受けた。
#2

潛匿遊下,豈曰非智勇。

そのため、始皇帝は犯人を捕まえるため、大捜査を繰り広げたので、張子房はひそかに下邳の村に潜伏し、その間に勉強したのだ、そしてこれを智略と勇気を備えることといわずにおれようか。
我來橋上,懷古欽英風。

今、我、子房が黄石公にであった下邳の圯橋の上に来ており、古の事を思い出すと、張良の英雄の風姿が慕わしくてたまらない。 

惟見碧流水,曾無石公。

しかし、この遺跡とても、別に見るべきものはなく、碧流の水が、むかしのままに、橋下を走るだけで、子房に兵書を授けた黄石公は、神仙だというが、賓際あった人かどうかわからぬ。 

歎息此人去,蕭條徐泗空。

おもえば、張良一度この世から去ってより、この徐泗一帯の地は、蕭条として、人物を出さず、まことに、それに今この乱れた世に誰も出ないのかと思うと、嘆息に堪えぬことである。

 

(下【かひ】の【いきょう】を經て張子房を懷う)
子房 未だ虎嘯せざり、
を破って 家を為さず。 
滄海に 壯士を得、秦を椎【つい】す 博浪沙。 
韓に報じて 成らずと雖も、天地 皆 振動。

#2
潜匿【せんとく】して 下
に遊ぶ、豈 智勇に 非ずと 曰わんや。
我來る 
の上り、古を懐うて、英風を欽す。
唯だ見る 碧流の水、曾て 黄石公  無し。
嘆息す 此の人去りて、蕭條として 徐泗【じょし】の空しきを。

rihakustep足跡 

 

(改訂版Ver..2.1

『經下邳圯橋懷張子房』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

潛匿遊下邳,豈曰非智勇。

我來圯橋上,懷古欽英風。

惟見碧流水,曾無黃石公。

歎息此人去,蕭條徐泗空。

(下し文) #2

潜匿【せんとく】して 下邳に遊ぶ、豈 智勇に 非ずと 曰わんや。

我來る 圯橋の上り、古を懐うて、英風を欽す。

唯だ見る 碧流の水、曾て 黄石公  無し。

嘆息す 此の人去りて、蕭條として 徐泗【じょし】の空しきを。

(現代語訳) #2

そのため、始皇帝は犯人を捕まえるため、大捜査を繰り広げたので、張子房はひそかに下邳の村に潜伏し、その間に勉強したのだ、そしてこれを智略と勇気を備えることといわずにおれようか。
今、我、子房が黄石公にであった下邳の圯橋の上に来ており、古の事を思い出すと、張良の英雄の風姿が慕わしくてたまらない。 

しかし、この遺跡とても、別に見るべきものはなく、碧流の水が、むかしのままに、橋下を走るだけで、子房に兵書を授けた黄石公は、神仙だというが、賓際あった人かどうかわからぬ。 

おもえば、張良一度この世から去ってより、この徐泗一帯の地は、蕭条として、人物を出さず、まことに、それに今この乱れた世に誰も出ないのかと思うと、嘆息に堪えぬことである。

李白の足跡0000
(訳注) (改訂版Ver..2.1

經下邳圯橋懷張子房  #2

(齊魯に遊んだ時、河南道 泗州下邳の圯橋を通りかかって、そこがこの地の出身である張子房の故跡であることを懷いおこしてつくったのである。

下邳:かひ いまの江蘇省北端の邳県の東にある。

圯橋:いきょう 土橋。

張子房 張良(ちょうりょう、生年未詳― 紀元前186年)は、秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。諡は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何・韓信と共に漢の三傑とされる。劉邦より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので留侯とも呼ばれる。子には嗣子の張不疑と少子の張辟彊がいる。漢の高祖(鋸鰯の参謀として漢の帝国樹立に功績があり、斎何、韓信とともに、創業の表といわれている。のち、大名に封ぜられ、留侯と呼ばれた。張良の先祖は韓の人で、祖父も父も韓国の宰相をつとめた。
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<!--[endif]-->

潛匿游下邳、豈曰非智勇。』
そのため、始皇帝は犯人を捕まえるため、大捜査を繰り広げたので、張子房はひそかに下邳の村に潜伏し、その間に勉強したのだ、そしてこれを智略と勇気を備えることといわずにおれようか。
潛匿 ひそかに潜伏しかくれる。

○游 勉強する。

○智勇 智略と勇気を備えること。
張良が下邳に潜伏していることと、李白、張旭らが逃避しているのを重ねている。

 

我來圯橋上、懷古欽英風。 
今、我、子房が黄石公にであった下邳の圯橋の上に来ており、古の事を思い出すと、張良の英雄の風姿が慕わしくてたまらない。 

圯橋:いきょう 土橋。

 うやまう。つつしむ。


惟見碧流水、曾無黃石公。 
しかし、この遺跡とても、別に見るべきものはなく、碧流の水が、むかしのままに、橋下を走るだけで、子房に兵書を授けた黄石公は、神仙だというが、賓際あった人かどうかわからぬ。 

そこにはただ目の前には苔むした青々とした水の流れがあるだけで、かの黃石公はもとより姿を現わすはずがないのだ。
曾無 「曾」は「無」を強調する字。

○英風 英雄の風貌。


嘆息此人去、蕭條徐泗空。』2
おもえば、張良一度この世から去ってより、この徐泗一帯の地は、蕭条として、人物を出さず、まことに、それに今この乱れた世に誰も出ないのかと思うと、嘆息に堪えぬことである。

徐泗 徐州と泗州。いまの江薪省徐州から安徽省池原にいたる一帯の地方。下邸はこの地方にある。

260-#1 《巻二十一34經下邳圯橋懷張子房 -#1》(改訂版Ver..2.1)Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <260-#1>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1523 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6163

李白  經下邳圯橋懷張子房  #1

子房未虎嘯,破不為家。滄海得壯士,椎秦博浪沙。報韓雖不成,天地皆振動。
(齊魯に遊んだ時、河南道 泗州下邳の圯橋を通りかかって、そこがこの地の出身である張子房の故跡であることを懷いおこしてつくったのである。

むかし張子房が未だ漢の高祖にはまだ遭遇していない頃、すなわち、獲物を決めかねた虎がほえているだけという時で、何でも韓のために仇を取ろうとして財産を売り払ってでも家のことなどこころにとめることをしなかった。
260-#1 《巻二十一34經下邳圯橋懷張子房 -#1》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <260-#1>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1523 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6163

 
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年:738年開元二十六年38

卷別:  卷一八一        文體:  五言古詩

詩題:  經下邳圯橋懷張子房

作地點:        下邳(河南道 / 泗州 / 下邳)

及地點:圯橋 (河南道 泗州 下邳)  

博浪沙 (都畿道 鄭州 陽武)       

下邳 (河南道 泗州 下邳)         

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方        

泗州 (河南道 泗州 泗州)         

 

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經下邳圯橋懷張子房  #1

(齊魯に遊んだ時、河南道 泗州下邳の圯橋を通りかかって、そこがこの地の出身である張子房の故跡であることを懷いおこしてつくったのである。

子房未虎嘯,破不為家。

むかし張子房が未だ漢の高祖にはまだ遭遇していない頃、すなわち、獲物を決めかねた虎がほえているだけという時で、何でも韓のために仇を取ろうとして財産を売り払ってでも家のことなどこころにとめることをしなかった。
滄海得壯士,椎秦博浪沙。

かくて、蒼海公のところで力士を得て、百二十斤の鉄鎚を作り、それでもって秦の始皇帝を博浪沙中で狙撃したが、副車に当たっただけで、目的を達する事は無かった。

報韓雖不成,天地皆振動。

こうして、五世韓に仕えた恩に報いるために企てた復讐は不成功におわったが、そのことによって天も地も皆、なりひびくほどの喝采を受けた。
#2

潛匿遊下邳,豈曰非智勇。

我來圯橋上,懷古欽英風。

惟見碧流水,曾無黃石公。

歎息此人去,蕭條徐泗空。

 

(下【かひ】の【いきょう】を經て張子房を懷う)
子房 未だ虎嘯せざり、
を破って 家を為さず。 
滄海に 壯士を得、秦を椎【つい】す 博浪沙。 
韓に報じて 成らずと雖も、天地 皆 振動。
潜匿【せんとく】して 下
に遊ぶ、豈 智勇に 非ずと 曰わんや。
我來る 
の上り、古を懐うて、英風を欽す。
唯だ見る 碧流の水、曾て 黄石公  無し。
嘆息す 此の人去りて、蕭條として 徐泗【じょし】の空しきを。

李白の足跡0000 

 (改訂版Ver..2.1

『經下邳圯橋懷張子房』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

經下邳圯橋懷張子房  #1

子房未虎嘯,破不為家。

滄海得壯士,椎秦博浪沙。

報韓雖不成,天地皆振動。

(下し文)
(下邳【かひ】の圯橋【いきょう】を經て張子房を懷う)

子房 未だ虎嘯せざり、を破って 家を為さず。

滄海に 壯士を得、秦を椎【つい】す 博浪沙。

韓に報じて 成らずと雖も、天地 皆 振動。

潜匿【せんとく】して 下邳に遊ぶ、豈 智勇に 非ずと 曰わんや。

(現代語訳)
(齊魯に遊んだ時、河南道 泗州下邳の圯橋を通りかかって、そこがこの地の出身である張子房の故跡であることを懷いおこしてつくったのである。

むかし張子房が未だ漢の高祖にはまだ遭遇していない頃、すなわち、獲物を決めかねた虎がほえているだけという時で、何でも韓のために仇を取ろうとして財産を売り払ってでも家のことなどこころにとめることをしなかった。
かくて、蒼海公のところで力士を得て、百二十斤の鉄鎚を作り、それでもって秦の始皇帝を博浪沙中で狙撃したが、副車に当たっただけで、目的を達する事は無かった。

こうして、五世韓に仕えた恩に報いるために企てた復讐は不成功におわったが、そのことによって天も地も皆、なりひびくほどの喝采を受けた。

(訳注)
(改訂版Ver..2.1

經下邳圯橋懷張子房  #1

(齊魯に遊んだ時、河南道 泗州下邳の圯橋を通りかかって、そこがこの地の出身である張子房の故跡であることを懷いおこしてつくったのである。

下邳:かひ いまの江蘇省北端の邳県の東にある。

圯橋:いきょう 土橋。

張子房 張良(ちょうりょう、生年未詳― 紀元前186年)は、秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。諡は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何・韓信と共に漢の三傑とされる。劉邦より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので留侯とも呼ばれる。子には嗣子の張不疑と少子の張辟彊がいる。漢の高祖(鋸鰯の参謀として漢の帝国樹立に功績があり、斎何、韓信とともに、創業の表といわれている。のち、大名に封ぜられ、留侯と呼ばれた。張良の先祖は韓の人で、祖父も父も韓国の宰相をつとめた。
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子房未虎嘯、破不為家。 
むかし張子房が未だ漢の高祖にはまだ遭遇していない頃、すなわち、獲物を決めかねた虎がほえているだけという時で、何でも韓のために仇を取ろうとして財産を売り払ってでも家のことなどこころにとめることをしなかった。
子房 張良。

虎嘯 虎がうそぶく、仕留める獲物を特定しないで空吼えをしていること。義臣が聖主にあって出世し天下に羽振をきかせること。別に秦の始皇帝が天下に横暴を繰り返した。ここでは、賢臣が聖王と遭遇するという意味に用いた。

 資産を売り払うこと。

滄海得壯士、椎秦博浪沙。』 
かくて、蒼海公のところで力士を得て、百二十斤の鉄鎚を作り、それでもって秦の始皇帝を博浪沙中で狙撃したが、副車に当たっただけで、目的を達する事は無かった。

滄海 滄海君。異民族の酋長。

○椎 椎(ハンマー)を投げつける。史記留侯世家に、財産を売り払って、蒼海公のところで力士を得て、百二十斤の鉄鎚を作り、それでもって秦の始皇帝を博浪沙中で狙撃した。

 秦の始皇帝。

博浪沙 いまの河南省原陽県(陽武)。開封の近くにある。

 

報韓雖不成、天地皆振動。
こうして、五世韓に仕えた恩に報いるために企てた復讐は不成功におわったが、そのことによって天も地も皆、なりひびくほどの喝采を受けた。
○報韓 秦に敗れた韓の敵討ち。

天地皆振動 秦の始皇帝の徹底した統治に嫌気を持っていた人々、天下に離散した韓の関係者たちの喝采を浴びたこと。

 

(下【かひ】の【いきょう】を經て張子房を懷う)
子房 未だ虎嘯せざり、
を破って 家を為さず。 
滄海に 壯士を得、秦を椎【つい】す 博浪沙。 
韓に報じて 成らずと雖も、天地 皆 振動。
潜匿【せんとく】して 下
に遊ぶ、豈 智勇に 非ずと 曰わんや。
我來る 
の上り、古を懐うて、英風を欽す。
唯だ見る 碧流の水、曾て 黄石公  無し。
嘆息す 此の人去りて、蕭條として 徐泗【じょし】の空しきを。


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<!--[endif]-->

・秦が韓を滅ぼした時、張良はまだ少年であったが、家財を投げ出して暗殺者を求め、秦の始皇帝を襲うと決意した。
・家柄からして、韓のために仇を報いざるを得なかったのである。
・かれは滄海君という異民族の酋長に力強い男を世話してもらう。
・大きなハンマーを作り、秦の始皇帝を博浪沙というところに行幸していたのを狙撃させた。
・狙いは外れて予備の車にあたった。
・始皇帝は大いに怒った。天下に犯人をもとめ、捜索は非常にきびしかった。

・張良は変名して下邳に身をかくしていた。ある日のこと、張良がぶらぶら散歩して下邸の土橋にさしかかると、一人のじいさんがそまつな着物をきて張良のそばに寄ってきた。
・いきなり、自分の靴を橋の下におとし、張良の顔をみて言った。「小僧、靴をとってきてくれ!」張良はびっくりした。
・殴ってやろうかと思ったが、年よりだから、がまんして降りていき靴を拾った。
・じいさんは言った。「わしにはかせろ」張良は是や靴を拾った以上仕方がない。膝まずいて、はかせてやった。
・じいさんは足で受け、笑って立ち去った。張良があっけにとられて後姿を見送っていると、しばらくして引きかえしてきたじいさんが言った。「小僧、教えがいのある奴だ。五日のち、明け方にわしと此所で会おう」
・張良は怪しみながらも「はい」と答えた。五日たって夜明けに張良が行くと、じいさんは先に来ている。
・そして怒って言う。「老人と約束してで遅れるとは何事だ!#!」去りながら言った。
・「五日のち、朝早く会おう」こんどは番鶏がなくころ張良は行った。じいさんはやっぱ。先に来ていた。・また怒って言う。「おくれるとは何事だ!」「五日のち、もっと早く来い」と。
・張良、こんどこそはと、夜中にもならないうちに行った。しばらくするとじいさんがやってきて、はじめてニコニコした。「こうこなくちゃいかん」
・一篇の書をとり出して言った。「これを読めば、王者の師となれる。十年のち、出世る。十三年のち、小僧はわしを済北の穀城山のふもとに見つけるであろう、黄石がつまりわしなんだ」言いおわると、さっと姿をけした。
・夜が明けてその書をよく見ると、太公望の兵書であった。張良はふしぎに思ったが、毎日これを通読した。やがて高祖が兵をあげると手柄を立てたのだ。
・十三年のち、高祖に従って済北を過ぎたとき、張良ははたして黄色の石を見つけたので、とってきてそれをまつったということである。

232 《(改訂版)巻21-6 太原早秋 (歲落眾芳歇)》Index-15 Ⅱ― 10- 735年開元二十三年35歳 <232> Ⅰ李白詩1475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5923

太原早秋

芳歇,時當大火流。

霜威出塞早,雲色渡河秋。

夢繞邊城月,心飛故國樓。

思歸若汾水,無日不悠悠。

 

洛陽で知り合った元演が帰省するのに誘われて太原までの長途の旅をし、その地で客中の情を詠った詩)今年もすでに、半ばを過ぎて下り坂であり、いろんな花が散り去って無くなってしまい、時今しも大火が西流して、秋景色に変わっていく。
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232 《(改訂版)巻21-6 太原早秋 (落眾芳歇)》Index-15 Ⅱ― 10- 735年開元二十三年35歳 <232> Ⅰ李白詩1475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5923

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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232 《(改訂版)巻21-6 太原早秋 (歲落眾芳歇)》Index-15 Ⅱ― 10- 735年開元二十三年35歳 <232> Ⅰ李白詩1475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5923 
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年:734年開元二十二年35

卷別:    卷一八一              文體:    五言律詩

詩題:    太原早秋

作地點:              太原府(河東道 / 太原府 / 太原府)

及地點:              太原府 (河東道 太原府 太原府) 別名:太原、并州      

 

 

太原早秋

洛陽で知り合った元演が帰省するのに誘われて太原までの長途の旅をし、その地で客中の情を詠った詩

芳歇,時當大火流。

今年もすでに、半ばを過ぎて下り坂であり、いろんな花が散り去って無くなってしまい、時今しも大火が西流して、秋景色に変わっていく。
霜威出塞早,雲色渡河秋。

霜が降りる寒さは、塞の城壁の外では一段と猛威を振るい、雲の色は汾水をわたって黄河色の秋がひろがっている。
夢繞邊城月,心飛故國樓。

ここに滞留すれば、我が夢はこの辺城地の月を巡り、こころは故郷の高殿のほうへと飛んでいく。
思歸若汾水,無日不悠悠。

こうして、帰えりたいと思う気持ちは、汾水の流れの先に向かうのと同じように、悠々として、一日として憂いが尽きる日などない
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(太原の早秋)
歳落ちて衆芳歇【や】み、時は大火の流るるに當る。
霜威 塞を出でて早く、雲色河を渡って秋なり。
夢は繞る 邊城の月、心は飛ぶ 故國の樓。
歸らんと思うて 汾水の若し、日として悠悠たらざるは無し。
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『太原早秋』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

太原早秋

芳歇,時當大火流。

霜威出塞早,雲色渡河秋。

夢繞邊城月,心飛故國樓。

思歸若汾水,無日不悠悠。

(下し文)
(太原の早秋)

歳落ちて衆芳歇【や】み、時は大火の流るるに當る。

霜威 塞を出でて早く、雲色河を渡って秋なり。

夢は繞る 邊城の月、心は飛ぶ 故國の樓。

歸らんと思うて 汾水の若し、日として悠悠たらざるは無し。


(現代語訳)
洛陽で知り合った元演が帰省するのに誘われて太原までの長途の旅をし、その地で客中の情を詠った詩

今年もすでに、半ばを過ぎて下り坂であり、いろんな花が散り去って無くなってしまい、時今しも大火が西流して、秋景色に変わっていく。
霜が降りる寒さは、塞の城壁の外では一段と猛威を振るい、雲の色は汾水をわたって黄河色の秋がひろがっている。
ここに滞留すれば、我が夢はこの辺城地の月を巡り、こころは故郷の高殿のほうへと飛んでいく。
こうして、帰えりたいと思う気持ちは、汾水の流れの先に向かうのと同じように、悠々として、一日として憂いが尽きる日などない


(訳注)

太原早秋 

洛陽で知り合った元演が帰省するのに誘われて太原までの長途の旅をし、その地で客中の情を詠った詩

この年の盛りも過ぎて多くの花が散り去った、時はまさに火星が西に流れる秋だ。城壁の外では霜が猛威を振るい、雲の色が黄河に反映するさまは秋の気配を感じさせる
我が夢はこの辺地の城を巡っている月のようにさまよい、心は故郷の高殿のほうへと飛んでいく。帰ろうと思えばその思いは汾水の流れのように、一日としてはるかな憂いにとらわれぬ日はない

735年李白は35歳のとき、安陸を離れて洛陽に旅し、続けて太原を訪れた。洛陽で知り合った帰省する元演に誘われて太原までの長途の旅をした。この詩はその太源に滞在中かかれた詩で、唯一残っているものである。


落眾芳歇、時當大火流。 
今年もすでに、半ばを過ぎて下り坂であり、いろんな花が散り去って無くなってしまい、時今しも大火が西流して、秋景色に変わっていく。
落 年の盛りも過ぎて下り坂になる。

眾芳 眾は衆。たくさんの花。

大火流 火星。さそり座の首星アンタレスの中国名。真夏の星の代名詞。


霜威出塞早、云色渡河秋。 
霜が降りる寒さは、塞の城壁の外では一段と猛威を振るい、雲の色は汾水をわたって黄河色の秋がひろがっている。
出塞 異民族から守る塞を示すが、ここでは太原のまちの城壁を示す。南から来た李白にとって、北の果ての街の早霜に驚いたのだろう。

云色 雲の色 

河秋 秋模様の黄河。このあたりの黄河は文字通り、黄色に濁った大河であり、秋の枯葉の黄色とあわせたもので河まで秋になった。


夢繞邊城月、心飛故國樓。 
ここに滞留すれば、我が夢はこの辺城地の月を巡り、こころは故郷の高殿のほうへと飛んでいく。
故國樓 故国とあるが故郷とする。故郷の高殿。この時、李白は故郷とはどこか、どこの高殿を指すのか。生活様式の違いに驚いたのだろう。蜀と江南の違いとは全く違ったものだったのだろう。


思歸若汾水、無日不悠悠。 
こうして、帰えりたいと思う気持ちは、汾水の流れの先に向かうのと同じように、悠々として、一日として憂いが尽きる日などない
汾水 汾水は黄河から太原に別れた支流であり、見るものすべて故郷につながったのか。


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李白 (太原の早秋)
歳落ちて衆芳歇【や】み、時は大火の流るるに當る。
霜威 塞を出でて早く、雲色河を渡って秋なり。
夢は繞る 邊城の月、心は飛ぶ 故國の樓。
歸らんと思うて 汾水の若し、日として悠悠たらざるは無し。

133-1 《安州應城玉女湯作【《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】-1》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <133-1> Ⅰ李白詩1316 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5128

李白《安州應城玉女湯作【《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】-1昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

 

 
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年:729年開元十七年29

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:             

應城 (淮南道 安州 應城)    

玉女湯 (淮南道 安州 應城) 別名:玉女泉     

宋玉田 (江南西道 岳州 巴陵)           

 

 

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕-1

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

神女歿幽境,湯池流大川。

昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

陰陽結炎炭,造化開靈泉。

この地の玉女は、陰と陽の二気でもって炭焔が万物を溶解させ、造と化はここに霊泉を開いたのである。

地底爍朱火,沙傍歊素煙。

地底には赤い炎が燃え盛り、沙傍には白い煙が熱して湧き上がる。

安州應城玉女湯の作〔《荊州記》に云う:「常に玉女有り車に乘じて此の泉に投ず。」〕

神女 幽境に歿し,湯池 大川に流る。

陰陽 炎炭を結び,造化 靈泉を開く。

地底 朱火爍し,沙傍 素煙歊【あぶ】る。

-2

沸珠躍明月,皎鏡函空天。

氣浮蘭芳滿,色漲桃花然。

精覽萬殊入,潛行七澤連。

愈疾功莫尚,變盈道乃全。

-3

濯濯氣清泚,晞髮弄潺湲。

散下楚王國,分澆宋玉田。

可以奉巡幸,奈何隔窮偏。

獨隨朝宗水,赴海輸微涓。

 

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

『安州應城玉女湯作』 現代語訳と訳註解説

(本文)

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

神女歿幽境,湯池流大川。

陰陽結炎炭,造化開靈泉。

地底爍朱火,沙傍歊素煙。

 

(下し文)

安州應城玉女湯の作〔《荊州記》に云う:「常に玉女有り車に乘じて此の泉に投ず。」〕

神女 幽境に歿し,湯池 大川に流る。

陰陽 炎炭を結び,造化 靈泉を開く。

地底 朱火爍し,沙傍 素煙歊【あぶ】る。

 

(現代語訳)

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

この地の玉女は、陰と陽の二気でもって炭焔が万物を溶解させ、造と化はここに霊泉を開いたのである。

地底には赤い炎が燃え盛り、沙傍には白い煙が熱して湧き上がる。

 

(訳注)

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

安州 淮南道 安州に應城縣あり、荊州記に「玉女泉は湖廣徳安府應城縣西五十五里にあり、その泉熱沸、野老相伝う、玉女、丹を練る。」とある。

 

神女歿幽境,湯池流大川。

昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

幽境 世俗を離れた静かな所。

この二句は神女は西王母、湯池は崑崙山をいう。西王母は、中国で古くから信仰された女仙、女神。姓は楊、名は回。 九霊太妙亀山金母、太霊九光亀台金母、瑶池金母、王母娘娘などともいう。 王母は祖母の謂いであり、西王母とは、西方の崑崙山上に住する女性の尊称である。崑崙とは、中国古代の伝説上の山岳。崑崙山・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる。

 

陰陽結炎炭,造化開靈泉。

この地の玉女は、陰と陽の二気でもって炭焔が万物を溶解させ、造と化はここに霊泉を開いたのである。

陰陽 中国の思想に端を発し、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つのカテゴリに分類する思想。陰と陽とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされる

造化 1 天地万物を創造し育てること。また、それをなす者。造物主。2 造物主によってつくられたもの。自然。

 

地底爍朱火,沙傍歊素煙。

地底には赤い炎が燃え盛り、沙傍には白い煙が熱して湧き上がる。

爍朱火 赤い炎が燃え盛る。

歊素煙 白い煙を吹きだす。白い煙が熱して湧き上がる。

126 《峴山懷古》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<126> Ⅰ李白詩1308 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5088

李白《峴山懷古》古き時代のことを尋ねてみるためこの峴山の頂に昇り、高い所によって、襄陽の街、その一帯を眺めまわした。天は晴れ渡って遠くの峰まで見通せ、漢水の水は、秋を経て酷く感じ、漁梁洲の砂浜は一望空濶である。

 

 
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126 《峴山懷古》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<126> Ⅰ李白詩1308 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5088

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一八一              文體:    五言律詩

李太白集 巻二十一

詩題:    峴山懷古

作地點:              峴山(山南東道 / 襄州 / 峴山)

及地點:             

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山     

襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

 

 

峴山懷古

(峴山に昇り、羊祜の日を見てこれを弔った)

訪古登峴首,憑高眺襄中。

古き時代のことを尋ねてみるためこの峴山の頂に昇り、高い所によって、襄陽の街、その一帯を眺めまわした。

天清遠峰出,水落寒沙空。

天は晴れ渡って遠くの峰まで見通せ、漢水の水は、秋を経て酷く感じ、漁梁洲の砂浜は一望空濶である。

弄珠見遊女,醉酒懷山公。

大堤の街の珠を佩びたるものは、遊女であることを知ってはいるものの、酒に酔えば、この地においては高陽池における、尊敬する山簡をおもうのである。

感歎發秋興,長松鳴夜風。

こうして、感嘆して、秋興を発すれば、夜の風が颯颯として長松に鳴り響き、まことに、凄愴の思いに堪えられないのである。

 

(峴山懷古)

古えを訪うて 峴首に登り,高きに憑って 襄中を眺む。

天清くして 遠峰に出で,水落ちて 寒沙空し。

珠を弄して 遊女を見,酒の醉うて 山公を懷う。

感歎 秋興を發し,長松 夜風に鳴る。

嚢陽一帯00 

 

『峴山懷古』 現代語訳と訳註解説

(本文)

峴山懷古

訪古登峴首,憑高眺襄中。

天清遠峰出,水落寒沙空。

弄珠見遊女,醉酒懷山公。

感歎發秋興,長松鳴夜風。

 

(含異文)

訪古登峴首,憑高眺襄中。天清遠峰出,水落寒沙空。弄珠見遊女,醉酒懷山公【醉月懷山公】。感歎發秋興,長松鳴夜風。

 

(下し文)

(峴山懷古)

古えを訪うて 峴首に登り,高きに憑って 襄中を眺む。

天清くして 遠峰に出で,水落ちて 寒沙空し。

珠を弄して 遊女を見,酒の醉うて 山公を懷う。

感歎 秋興を發し,長松 夜風に鳴る。

 

(現代語訳)

(峴山に昇り、羊祜の日を見てこれを弔った)

古き時代のことを尋ねてみるためこの峴山の頂に昇り、高い所によって、襄陽の街、その一帯を眺めまわした。

天は晴れ渡って遠くの峰まで見通せ、漢水の水は、秋を経て酷く感じ、漁梁洲の砂浜は一望空濶である。

大堤の街の珠を佩びたるものは、遊女であることを知ってはいるものの、酒に酔えば、この地においては高陽池における、尊敬する山簡をおもうのである。

こうして、感嘆して、秋興を発すれば、夜の風が颯颯として長松に鳴り響き、まことに、凄愴の思いに堪えられないのである。

 

 

(訳注)

峴山懷古

(峴山に昇り、羊祜の日を見てこれを弔った)

○峴山 襄陽城の南十里にある。孫堅が襄陽を攻撃したとき、黄祖(あるいは呂公)はこの山に潜んで孫堅を射殺した。この山に羊祜碑、漢武壇があり、近くに、山間の高陽池、などがある。三国志の舞台。・関羽水淹七軍の地。・樊城。・魚梁洲。・襄陽城。・解佩渚。・沈碑潭。・諸葛亮故居。・万山。・望楚山。古檀渓。襄水。峴山。・墮淚碑。峴首亭。・羊杜祠。・習家池(高揚)。・鹿門山。鹿門寺。「襄陽」「襄中」「峴山」「峴首」「刑襄」「堕涙碑」「羊公石」「山公楼」「習家池」「高陽池」「大堤」「鹿門」「洞湖」などある。

雲夢の沢(うんぼうのたく)湖北省の湿地帯。関羽水淹七軍の地 湿原はひろがっている。諸葛亮、十六歳の時、叔父が殺されてからは、襄陽北西の隆中で晴耕雨読の日を送りながら、襄陽士人、後漢では一流の名門である崔州平、徐庶、遊学仲間の石韜、孟建、らと交わる。

・峴山から南に八百歩、西に坂道を下って百歩のところに習家の養魚池がある。漢の侍中であった習郁が范蠡の『養魚法』に倣ったもので、中には釣り用の台が一つ設けられている。(習郁は)臨終のとき「我を養魚池の近くに埋葬してくれ」と息子に遺言した。池の傍らに高い堤があり、ずらっと竹や長楸が植えられ、芙蓉が水面を覆っている。これこそ酒宴の名所であろう。山季倫(山簡)はこの地で遊ぶたび、泥酔せずに帰ることはなく、いつも「これは我にとっての高陽池なのだ」と言っていた。

 

訪古登峴首,憑高眺襄中。

古き時代のことを尋ねてみるためこの峴山の頂に昇り、高い所によって、襄陽の街、その一帯を眺めまわした。

峴首 峴山の頂。孟浩然『登峴山亭,寄晉陵張少府』「峴首風湍急,雲帆若鳥飛。憑軒試一問,張翰欲來歸。」(下し文) (峴山の亭に登る。晋陵の張少府に寄せる。)峴首 風湍 急にして,雲帆 鳥の飛ぶが若し。軒に憑()りて試みに一たび問わん,張翰 來り歸らんと欲するか。

峴山に登り峴首亭にいってみると、晋の張翰少府の気持ちがよくわかりこの詩を寄せる。

峴山の鼻先にある峴首亭にいるが、川の流れと急な風が吹いていて、舟の雲帆ままるで都営が飛んでいくように見える。

亭の欄干に寄りかかったところで、あなたにちょっと一言聞いてみるけど、晋の張翰少府が、秋風が吹いたら、鱠を食べないと自分の人生ではないといって官を辞して呉の郷里に帰ったけれどあなたも帰ろうと思っているのではないのか。

襄中 襄陽の街、その一帯。

 

天清遠峰出,水落寒沙空。

天は晴れ渡って遠くの峰まで見通せ、漢水の水は、秋を経て酷く感じ、漁梁洲の砂浜は一望空濶である。

水 漢水。

沙 漁梁洲の砂浜。

 

弄珠見遊女,醉酒懷山公。

大堤の街の珠を佩びたるものは、遊女であることを知ってはいるものの、酒に酔えば、この地においては高陽池における、尊敬する山簡をおもうのである。

遊女 襄陽には、大堤の歓楽街がある。

山公 荊の地方長官だった山簡が被っていたことで有名。

山簡は竹林の七賢人である山濤の息子だが、それよりなにより酔ってこの白接蘺を前後反対に被り

町なかで馬に乗ったほどの「酔っぱらい」ぶりで名高い。              

「山公」と言えば酔っぱらいの代名詞であり、李白はしばしば自分をこの山簡に例えている。 

 

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 

「山公」
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感歎發秋興,長松鳴夜風。

こうして、感嘆して、秋興を発すれば、夜の風が颯颯として長松に鳴り響き、まことに、凄愴の思いに堪えられないのである。

 

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澗南園即時貽皎上入  孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -314

 

田園作 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -315

田家元日 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -315

南山下與老圃期種瓜 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -316

夏日南亭懷辛大 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -318

 

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安陸・南陽・嚢陽 李白00 

 

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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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112 《王右軍》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <112> Ⅰ李白詩1291 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5003

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

李太白集 巻二十一

詩題:    王右軍

及地點:山陰 (江南東道 越州 山陰)              

 

 

王右軍

(王右軍を務められた王羲之の書が高値が付けられているにもかかわらず、たった数羽の鵝を手に入れるため、注文された老子道経「黄庭経」を写した。俗塵が考えればもったいない話で、会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたと詠う)

右軍本清真,瀟灑出風塵。

王右軍の人となり、清白・潔白  真率  清廉であり、すっきりとあか抜けしていて、洒落ている風貌でいて隠遁者として、この塵埃から出たのだ。

山陰過羽客,愛此好鵝賓。

会稽の北あたりの山陰地方において、道士に遭遇し、その鵝を欲しいと言うと、道士は、これに「黄庭経」を書にしてくれればと要請したのである。

掃素寫道經,筆精妙入神。

王羲之は注文通り、白い帛を拂って、老子道経「黄庭経」を写したが、この書は、古今稀なる能書であるから、その出来栄えは神妙で神がかり的なものであったという。

書罷籠鵝去,何曾別主人。

王羲之は書き終ると、さっさと鵝を籠に入れて、それを携えて帰り、主人の道士に挨拶すること忘れたという、王羲之の書には高い値がついていたのに、鵝を手にすることしか考えないという、何とこれほど清白真率の極みというべきものがあるであろうか。

(王右軍)

右軍 本と清真なり,瀟灑にして風塵を出づ。

山陰 羽客を過ぐれば,此の鵝を好むの賓を愛す。

素を掃うて 道經を寫し,筆精 妙 神に入る。

書し 罷んで 鵝を籠にして去る,何んぞ曾て 主人と別れんや。

 

李白の足跡003 

『王右軍』 現代語訳と訳註解説

(本文)

王右軍

右軍本清真,瀟灑出風塵。

山陰過羽客,愛此好鵝賓。

掃素寫道經,筆精妙入神。

書罷籠鵝去,何曾別主人。

 

(含異文)

右軍本清真,瀟灑出風塵【瀟灑在風塵】。

山陰過羽客,愛此好鵝賓。

掃素寫道經,筆精妙入神。

書罷籠鵝去,何曾別主人。

 

(下し文)

(王右軍)

右軍 本と清真なり,瀟灑にして風塵を出づ。

山陰 羽客を過ぐれば,此の鵝を好むの賓を愛す。

素を掃うて 道經を寫し,筆精 妙 神に入る。

書し 罷んで 鵝を籠にして去る,何んぞ曾て 主人と別れんや。

 

(現代語訳)

(王右軍を務められた王羲之の書が高値が付けられているにもかかわらず、たった数羽の鵝を手に入れるため、注文された老子道経「黄庭経」を写した。俗塵が考えればもったいない話で、会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたと詠う)

王右軍の人となり、清白・潔白 真率 清廉であり、すっきりとあか抜けしていて、洒落ている風貌でいて隠遁者として、この塵埃から出たのだ。

会稽の北あたりの山陰地方において、道士に遭遇し、その鵝を欲しいと言うと、道士は、これに「黄庭経」を書にしてくれればと要請したのである。

王羲之は注文通り、白い帛を拂って、老子道経「黄庭経」を写したが、この書は、古今稀なる能書であるから、その出来栄えは神妙で神がかり的なものであったという。

王羲之は書き終ると、さっさと鵝を籠に入れて、それを携えて帰り、主人の道士に挨拶すること忘れたという、王羲之の書には高い値がついていたのに、鵝を手にすることしか考えないという、何とこれほど清白真率の極みというべきものがあるであろうか。

 

呉越の地図

(訳注)

王右軍

(王右軍を務められた王羲之の書が高値が付けられているにもかかわらず、たった数羽の鵝を手に入れるため、注文された老子道経「黄庭経」を写した。俗塵が考えればもったいない話で、会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたと詠う)

王右軍 王羲之の王右軍王 羲之(おう ぎし、303 - 361年)のこと。中国東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれる。本籍は琅邪郡臨沂(現在の山東省臨沂市)。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の出身である。

王羲之は魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の家に生まれ、東晋建国の元勲であった同族の王導や王敦らから一族期待の若者として将来を嘱望されていた[8]。東晋の有力者である郗鑒の目にとまりその女婿となり、またもう一人の有力者であった征西将軍・庾亮からは、彼の幕僚に請われて就任し、その人格と識見を称えられた。その後も羲之は朝廷の高官から高く評価され、たびたび中央の要職に任命されたが、羲之はそのたびに就任を固辞した。友人の揚州刺史・殷浩による懇願を受け、ようやく護軍将軍に就任するも、しばらくして地方転出を請い、右軍将軍・会稽内史(会稽郡の長官、現在の浙江省紹興市付近)となった。

羲之は会稽に赴任すると、山水に恵まれた土地柄を気に入り、次第に詩、酒、音楽にふける清談の風に染まっていき、ここを終焉の地と定め、当地に隠棲中の謝安や孫綽・許詢・支遁ら名士たちとの交遊を楽しんだ。一方で会稽一帯が飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、地方行政にも力を注いでいる。

354年、かねてより羲之と不仲であった王述(琅邪王氏と遠縁筋の太原王氏出身)が会稽内史を管轄する揚州刺史となる。王羲之は王述の下になることを恥じ、会稽郡を揚州の行政機構からはずすよう要請したが却下された。王述が会稽郡にさまざまな圧力をかけてくると、これに嫌気が差した王羲之は、翌355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。官を辞した王羲之はその後も会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたという。

 

右軍本清真,瀟灑出風塵。

王右軍の人となり、清白・潔白 真率 清廉であり、すっきりとあか抜けしていて、洒落ている風貌でいて隠遁者として、この塵埃から出たのだ。

清真 清白・潔白 真率 清廉・堅気 利口の意。

瀟灑/瀟洒 【しょうしゃ】すっきりとあか抜けしているさま。俗っぽくなくしゃれているさま。

 

山陰過羽客,愛此好鵝賓。

会稽の北あたりの山陰地方において、道士に遭遇し、その鵝を欲しいと言うと、道士は、これに「黄庭経」を書にしてくれればと要請したのである。

《晉書·王羲之傳》會稽有一個孤老太太養了一隻好鵝,・・・・・山陰有一道士,養好鵝,羲之往觀焉,意甚悅,固求市之。道士雲:'為寫道德經,當舉群相贈耳。'羲之欣然寫畢,籠鵝而歸,甚以為樂。(會稽に一個の孤老太太有り一隻の鵝を好んで養了す,・・・・・山陰に一道士有り,好鵝を養う,羲之往いて觀る,意 甚だ悅び,固く之を市わむことを求む。道士云う:'為に道德經を寫さば,當に群を舉げて相い贈るべしと。'羲之 欣然として寫し畢り,鵝を籠にして歸り,甚だ以って樂しみと為す。)

 

掃素寫道經,筆精妙入神。

王羲之は注文通り、白い帛を拂って、老子道経「黄庭経」を写したが、この書は、古今稀なる能書であるから、その出来栄えは神妙で神がかり的なものであったという。

◍この二句について 晋の書家。王羲之(最高峰の書家)は当時から非常に有名だったので、その書はなかなか手に入れるのが困難であった。山陰(いまの浙江省紹興県)にいた一人の道士は、王羲之が白い鵞鳥を好んで飼うことを知り、一群の鵞をおくって「黄庭経」を書かせた。

王羲之の書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名である。他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などが見られるが、そのうちの『黄庭経』を書いてもらうためにこの地の道士たちが、王羲之が大変好きであった、白鵝(あひる)をたくさん送って書いてもらったことに基づく。

道經 老子道経「黄庭経」のこと。

筆精 筆使いが巧妙なこと。江淹『別賦』「雖淵雲之墨妙,嚴樂之筆精。 金閨之諸,蘭臺之群英。賦有凌雲之稱,辯有雕龍之聲。誰能摹暫離之狀,寫永訣之情者乎?」とあるに基づいている。

妙入神 神妙で神がかり的なものである。

 

書罷籠鵝去,何曾別主人。

王羲之は書き終ると、さっさと鵝を籠に入れて、それを携えて帰り、主人の道士に挨拶すること忘れたという、王羲之の書には高い値がついていたのに、鵝を手にすることしか考えないという、何とこれほど清白真率の極みというべきものがあるであろうか。
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