漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白集校注〔二〕 卷二十三 古近體詩四十七首

747-015對酒憶賀監二首并序(卷二三(二)一三六二)漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog10107

747-015對酒憶賀監二首并序(卷二三(二)一三六二)

 

 

2018216

の紀頌之"6"つの校注Blog

對酒憶賀監二首并序

嘲鼾睡,二首之二#2

獨坐二首其一

臨江仙三首其二

#2 雜詩五首其三

字解集】41.寄子安42.送別 外–A

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代史女性論

 

 

2018216

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10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

747-015對酒憶賀監二首并序(卷二三(二)一三六二)漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog10107

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746-【字解集】21.魯東門觀刈蒲 22.魯郡堯祠送五之琅琊 23.魯郡堯祠送張十四遊西北Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9884

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年-07元和二年40歳《嘲鼾睡,二首之二#2》〔〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10114

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807年-05元和二年40歳《【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10066

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-214 耳聾(卷二○(四)一七八四)注(1232)生年鶡冠子 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10074

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (373)回目顧巻七32臨江仙三首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10103 (02/15)

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

巻三-37-#2 雜詩五首其三代孟冬寒気至〔劉 鑠〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10076

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巻三-29 【字解集】雜詩三首其一~其三  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10077

●薛濤の全詩

●花間集(1

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●花間集(4

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●魚玄機全詩

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●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

九、集-09【字解集】 41.寄子安 42.送別 43.迎李近仁員外 44.送別 45.左名場自澤州至京,使人傳語 46.和人次韻 47.折楊柳   魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ10098 –A

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

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747-015對酒憶賀監二首并序(卷二三(二)一三六二)漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog10107

(賀知章は風流な人であった、その賀知章の死後、ある時、李白は、酒を傾けるにつけて賀知章と過ごした日々を思い浮かべ、その感慨をこの詩に詠った)

老子を祀る玄元廟(げんげんびょう)に宿をとっていただき、秘書監の賀知章とあう、長安紫極宮で私を一目見るや呼ばれたのが「謫仙人」と号された。
ここにかかる金子を金細工の亀によって賄われた、亡くなられた後酒に向かう、恨み嘆き、思い出すことがあり、このを作る、


 

 

 

李白 訳注解説 747年《淮南・廣陵・越方面》

 

 

對酒憶賀監二首并序

太子客賀公。於長安紫極一見余。呼余爲謫仙人。因解金龜酒爲樂。殁后酒,悵然有懐而作是詩。

本事詩李太白初自蜀至京師舍於逆旅賀知/章聞其名首訪之既竒其姿復請所爲文出蜀 道難以示之讀未竟稱嘆者数四號爲謫仙解金龜/酒與傾盡醉期不間日由是聲譽光赫金龜葢是 所佩雜玩之類非武后朝内外官所佩之金龜也楊/升菴因杜詩有金魚酒之句偶爾相似遂謂白弱 冠遇賀知章在中宗朝未改武后之制云云考武后/天授元年九月改内外官所佩魚爲龜中宗神龍元 年二月詔文武官五品以上依舊式佩魚袋當是時/太白年未滿十齡何能與知章相遇於長安又知章 自開元以前官不過太常博士品居從七/於例亦未得佩魚楊氏之説殆未之考也。

 

對酒憶賀監二首其一

四明有狂客,風流賀季真。長安一相見,呼我謫仙人。

昔好杯中物,翻為松下塵。金龜換酒處,卻憶淚沾巾。

 

對酒憶賀監二首其二

狂客歸四明,山陰道士迎。敕賜鏡湖水,為君台沼榮。

人亡餘故宅,空有荷花生。念此杳如夢,淒然傷我情。

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746-020卷一八二 魯中都東樓醉起作(卷二三(二)一三二九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9797

746-020卷一八二 魯中都東樓醉起作(卷二三(二)一三二九)

 

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魯中都東樓醉起作

元和聖德詩 #-16

郎司法

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Ⅰ李白詩

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746年【字解集】  14.答從弟幼成過西園見贈  15.酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈  16.張卿夜宿南陵見贈  17.經下邳圮橋懷張子房 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9728

孟浩然

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揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年元和二年40歳 - 巻一 01元和聖德詩 #-16 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9798

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806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9491

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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767年-195 郎司法(卷二○(四)一七六一)注(1206) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9559

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (332)回目顧巻六49玉樓春四首其二 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9793 (12/26)

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

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・玉臺新詠

巻三 【字解集】 19.合歡詩五首 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9738

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巻三 【字解集】 14.爲顧彦先贈婦往反四首  18.雜詩一首 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9641

●薛濤の全詩

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Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

九、017卷804_17 《和友人次韻》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9774

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746-020卷一八二 魯中都東樓醉起作(卷二三(二)一三二九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9797

(魯の中都縣にある東樓において、醉いを沽い、やがて、帰宅し、酔いが醒めてから作った詩である。)

昨日、東樓に上って酔いつぶれたが、その時は、山簡のごとく接羅の帽子を逆さまにかぶっていたことであろう。

それから誰かが介抱してくれ、馬に乗せてくれたかどうかわからないばかりか、東樓からどうやって下ったのか、その時のことは一切覚えていないというのも、山簡と同じようなことである。

 

746-019 

魯中都東樓醉起作(卷二三(二)一三二九)

全唐詩卷一八二 -04

李白集校注卷二三(二)一三二九

李太白集巻二二04

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9797

 

魯中送二從弟赴舉之西京

〈一作「送族弟鍠」〉

魯客向西笑,君門若夢中。霜凋逐臣髮,日憶明光宮。

復羨二龍去,才華冠世雄。平衢騁高足,逸翰凌長風。

舞袖拂秋月,歌筵聞蚤鴻。送君日千里,良會何由同。

 

卷一八二 魯中都東樓醉起作(卷二三(二)一三二九)            昨日東樓醉,還應     五言絶句

182-4 魯中都東樓醉起作

魯中都東樓醉起作

昨日東樓醉,還應倒接阿誰扶上馬,不省下樓時。 

卷一八三 魯東門觀刈蒲(卷二四(二)一四一七) 魯國寒事早,初霜     古詩十句

卷一七五 魯郡堯祠送五之琅琊(卷十六(二)九八五)        堯沒三千,青松     五言律詩

卷一七六   魯郡堯祠送張十四遊西北(卷十七(二)一○○一)猛虎伏尺草                   古詩十句

卷一七六   魯郡堯祠送竇明府薄華還西京(卷十六(二)九八五)朝策犁眉騧               雑言古詩8分割

卷一七九 攜妓登梁王棲霞山孟氏桃園中(卷二十(二)一一六一)碧草已滿地         雑言古詩2分割

卷一七一 贈從弟冽(卷十二(一)七九九)             楚人不識鳳,重價                        五言古詩 4分割


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744年-055卷182_50 2 憶東山二首其二(卷二三(二)頁一三六二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8201

182_50 2 憶東山二首其二(卷二三(二)頁一三六二)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-055卷182_50 2 憶東山二首其二(卷二三(二)頁一三六二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8201

 

 

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744年-集07字解集 a相逢行-b陌上贈美人-c古風其八-d秋夜獨坐懷-e怨歌行-f望終南山寄紫閣隱者Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8159

 

 

孟浩然

李白詩

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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

 

曹植詩65

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-30 全唐詩339_ 2 #1鄭群贈簟【案:群嘗以侍御史佐裴均江陵,愈陽山移江陵法曹,與群同僚。】-#1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8202

 

 

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806年-集06- 送許郢州序・寒食日出游 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8160

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

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index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-74#1 阻雨不得歸瀼西甘林#1 杜詩詳注(卷一九(四)一六五九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8215

 

 

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767年-集-4字解 【字解集】 a灩澦・ b七月一日題終明府水樓・c行官張望補稻畦水歸 字解集 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8173

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻二-42 (107)回目韋莊二十二首 -1542 應天長二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8204 (02/19)

 

 

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105)回目 浣溪沙五首 /菩薩鬘五首 /  歸國遥三首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8192 (02/17)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-040 定情詩一首-#3〈〔繁  欽〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8205

 

 

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玉集-08 室恩一首・情詩一首 【字解集】   Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8187

 

 

●薛濤の全詩

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●魚玄機全詩

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744-055182_50 2 憶東山二首其二(卷二三(二)頁一三六二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8201

(長安に居て、過ぎし日、會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔い、思って作ったものである。)その二

私は今謝安が東山で芸妓とともに過ごしことと同じように、妓女を携えて、この宅址を訪れた、長嘯して浮世の人たちをまったく藐視していたものであった。そこで、東山の客としていたひとびとに報じたいと思っているもので、時期が来れば門を開き、白雲を拂って、神仙の場として奇麗にし、其処に参ろうとするので待っていてもらいたいものである。

744-055 -

憶東山、二首其二(卷二三(二)頁一三六二) -

全唐詩卷182_50 2

李白集校注二(卷二三(二)頁一

李太白集巻二二39

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8201

 


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744年-054卷182_50 1 憶東山二首其一(卷二三(二)頁一三六一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8195

182_50 1 憶東山二首其一(卷二三(二)頁一三六一)

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017218

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-054卷182_50 1 憶東山二首其一(卷二三(二)頁一三六一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8195

 

 

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744年-集07字解集 a相逢行-b陌上贈美人-c古風其八-d秋夜獨坐懷-e怨歌行-f望終南山寄紫閣隱者Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8159

 

 

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-29 全唐詩338_26 #6憶昨行和張十一 -#6 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8196

 

 

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806年-集06- 送許郢州序・寒食日出游 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8160

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

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767年-74#5 秋行官張望督促東渚耗(一作刈)稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問#5 杜詩詳注(卷一九(四)一六五五)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8203

 

 

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767年-集-4字解 【字解集】 a灩澦・ b七月一日題終明府水樓・c行官張望補稻畦水歸 字解集 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8173

 

 

 

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花間集 訳注解説 巻二-41 (106)回目韋莊二十二首 -1441 應天長二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8198 (02/18)

 

 

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105)回目 浣溪沙五首 /菩薩鬘五首 /  歸國遥三首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8192 (02/17)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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玉-040 定情詩一首-#2〈〔繁欽〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8199

 

 

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玉集-08 室恩一首・情詩一首 【字解集】   Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8187

 

 

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744年-046-#1卷182_48 秋夜獨坐懷故山(卷二三(二)一三五七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8117

182_48 秋夜獨坐懷故山(卷二三(二)一三五七)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

201727

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-046-#1卷182_48 秋夜獨坐懷故山(卷二三(二)一三五七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8117

 

 

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744年-集06 【字解集】 送族弟綰・送程劉二侍御・前有樽酒行・春日行Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8099

 

 

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

 

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-28 全唐詩338_25 #2寒食日出游 -#2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8130

 

 

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806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹  【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-70 灩澦 杜詩詳注(卷一九(四)一六五○)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8137

 

 

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767年-集-4字解 【字解集】 a槐葉冷淘・ b上後園山・c季夏送弟韶字解 杜詩詳注Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8131

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集訳注解説 (95)回目韋莊二十二首-4《巻二31 浣溪沙五首其四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8132 (02/07)

 

 

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91)回目皇甫松十一首 《天仙子/浪濤沙/楊栁枝/摘得新/夢江南/採蓮子 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8108 (02/03)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉集-07 秦嘉妻答詩・飲馬長城窟行・飲馬長城窟行 【字解集】   Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8133

 

 

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玉集-06 同聾歌・贈婦詩三首 【字解集】   Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8085

 

 

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

 

 

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 

 

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744-046-#1182_48 秋夜獨坐懷故山(卷二三(二)一三五七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8117

(秋夜斎中に獨坐し、故郷を懐うで作った詩。)

われは林薮に隠れる小隠者の身ながら、古しえの謝安石を慕い、又平生、遠游を事として秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられなかった屈原【あるいは、高士である向子平】を学び、浮世と隔絶して、自ら打澄まして居た。然るに、天子より詔書を下して、江海の間を尋ね廻られたということで、今まで白雲に臥して居た此身を起して、長安に上京し、天子の寵遇を受くることになったのである。朝廷に入っては西王母の瑤池の宴である興慶宮の宴に侍坐し、出でては天子の玉輦の行くままに陪従し、晨夕、御側を離れなかったのである。また、胡である異民族の者たちに誇るため、新たに賦を作って昇平の盛を叙し、天子の狩猟に耽らせられるを諫めて、短書を草して、上疏したことがある。私はただ、至尊の眷顧に答えんとしたままででなにも、ことさらに、功名をたてて、歴史上不朽の名を迎えようというような考えはない。

 

 

744-046-#1 -#1

秋夜獨坐懷故山(卷二三(二)一三五七) -#1

全唐詩卷182_48#1

李白集校注山(卷二三(二)一三#1

李太白集巻24-046#1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8129

 

 
大明宮正面 003李白集校注タイトル太白山00 

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743年(87)李太白集886巻二十三61詠桂  406Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(87) Ⅰ李白詩1771 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7395

李白  詠桂(詠槿二首之一)

世人種桃李,皆在金張門。攀折爭捷徑,及此春風暄。

一朝天霜下,榮耀難久存。安知南山桂,綠葉垂芳根。

清陰亦可託,何惜樹君園。

(「桜梅桃李」というように、桃李だけが出世となるものではない、終南山の桂の花も緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い、このような人物に身を託したいものである。)

世人は桃李を愛好し、多くは、漢の金氏と張氏をならって、之を門に種えて、近のヨスガとするものである。その上、これを攀折せんがために、手っ取り早い方法、近みちを争い、春風の暖かなるころには、その伝手を頼り、その宴に赴き、ときに手もみして笑いどよめくのである。桃李は、かくの如く、世に持て囃されるが、実は小人仕進の道具に使われているので、一朝にして、天から霜が下れば、さしもの栄耀栄華も、久しく存することはできない。これに反して、南山の桂花は、緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い。この桂花の清陰にして、やはり、こうしたものに身を託してゆくべきで、決して、君の園に種うることを惜まない。つまり、託すべきは、何も桃李に限ったわけではなく、唯だその託し方が異なって居るのである。

李太白集 巻二三61

詠  桂(詠槿二首之二)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7395

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-87

406 <1000

 

 
  2016年2月26日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(87)李太白集886巻二十三61詠桂  406Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(87) Ⅰ李白詩1771 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7395  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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韓愈137-#1《 巻01-21秋懷詩,十一首之八 (卷卷落地葉,)》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(9)#1<1684> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7396  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-24 #1杜少陵集 《19-38 狄明府【寄狄明府博濟】-#1》 杜甫詩index-15-1150 <1600> 767年大暦2年56歲-24 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7397  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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年:743年天寶二年43歳 94-86) 

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    詠槿(詠槿二首之一)

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

詠槿(詠槿二首之一)

(後宮に春が訪れるとそれぞれの宮殿の剡中の花が咲き乱れる、しかしその嬋娟たる容貌も、散ゆく花も瞬時の間で、まことに痛ましいと述べる)

園花笑芳年,池草豔春色。

園中の花は、芳年に吹き掛で、地邊の草は、春.色を艶にしている。

猶不如槿花,嬋娟玉階側。

各おのその色を競ってはいるが、槿花が玉階の側に立っているけれども、そこに、嬋娟たる美しい妃嬪たちには及ぶものではない。

芬榮何夭促,零落在瞬息。

しかし、折角の芬芳栄華は、何が故に、かくの如く短命にして相促すのであろうか。それに、零落ということも、瞬息の間で、まことに傷ましきことの限りというべきことである。

豈若瓊樹枝,終長翕赩。

玉のようにきれいな瓊樹の枝が、終歳茂鬱せるのとは、到底くらべ物にも成らない。

 

(詠槿(詠槿二首之一))

園花 芳年に笑い,池草は春色を豔にす。

猶お槿花の如くなく,玉階の側に嬋娟たり。

芬榮 何ぞ夭促す,零落 瞬息に在り。

豈に若かんや 瓊樹の枝,終 長えに 翕赩たるに

 

年:743年天寶二年43歳 94-87

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    詠桂(詠槿二首之二)

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

詠桂(詠槿二首之二)

(「桜梅桃李」というように、桃李だけが出世となるものではない、終南山の桂の花も緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い、このような人物に身を託したいものである。)

世人種桃李,皆在金張門。

世人は桃李を愛好し、多くは、漢の金氏と張氏をならって、之を門に種えて、近のヨスガとするものである。

攀折爭捷徑,及此春風暄。

その上、これを攀折せんがために、手っ取り早い方法、近みちを争い、春風の暖かなるころには、その伝手を頼り、その宴に赴き、ときに手もみして笑いどよめくのである。

一朝天霜下,榮耀難久存。

桃李は、かくの如く、世に持て囃されるが、実は小人仕進の道具に使われているので、一朝にして、天から霜が下れば、さしもの栄耀栄華も、久しく存することはできない。

安知南山桂,綠葉垂芳根。

これに反して、南山の桂花は、緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い。

清陰亦可託,何惜樹君園。

この桂花の清陰にして、やはり、こうしたものに身を託してゆくべきで、決して、君の園に種うることを惜まない。つまり、託すべきは、何も桃李に限ったわけではなく、唯だその託し方が異なって居るのである。

詠桂(詠槿二首の二)

世人、桃李を種う、皆金張の門に在り。

攀折して捷径を爭ひ、この春風の喧なるに及ぶ。

一朝、天霜下れば、榮耀久しく存し難し。

安んぞ知らむ、南山の桂、綠葉、芳根を垂るるを。

清陰、亦た託すべし、何ぞ君の園に樹うるを惜まむや。

 

漢文委員会紀頌之タイトル 

『詠桂』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

詠桂(詠槿二首之二)

世人種桃李,皆在金張門。

攀折爭捷徑,及此春風暄。

一朝天霜下,榮耀難久存。

安知南山桂,綠葉垂芳根。

清陰亦可託,何惜樹君園。

(下し文)
詠桂(詠槿二首の二)

世人、桃李を種う、皆金張の門に在り。

攀折して捷径を爭ひ、この春風の喧なるに及ぶ。

一朝、天霜下れば、榮耀久しく存し難し。

安んぞ知らむ、南山の桂、綠葉、芳根を垂るるを。

清陰、亦た託すべし、何ぞ君の園に樹うるを惜まむや。


(現代語訳)
詠桂(詠槿二首之二)(「桜梅桃李」というように、桃李だけが出世となるものではない、終南山の桂の花も緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い、このような人物に身を託したいものである。)

世人は桃李を愛好し、多くは、漢の金氏と張氏をならって、之を門に種えて、近のヨスガとするものである。

その上、これを攀折せんがために、手っ取り早い方法、近みちを争い、春風の暖かなるころには、その伝手を頼り、その宴に赴き、ときに手もみして笑いどよめくのである。

桃李は、かくの如く、世に持て囃されるが、実は小人仕進の道具に使われているので、一朝にして、天から霜が下れば、さしもの栄耀栄華も、久しく存することはできない。

これに反して、南山の桂花は、緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い。

この桂花の清陰にして、やはり、こうしたものに身を託してゆくべきで、決して、君の園に種うることを惜まない。つまり、託すべきは、何も桃李に限ったわけではなく、唯だその託し方が異なって居るのである。


(訳注)

詠桂(詠槿二首之二)

(「桜梅桃李」というように、桃李だけが出世となるものではない、終南山の桂の花も緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い、このような人物に身を託したいものである。)

9 【解説】前六句に於て、桃李を一邊に排除し、後四句に於で、桂花を掲出したので、乾隆御批に「喩に託し、以て情を達す雖も、亦た私を植うるものをして、通身汗下らしむ、世道に関すること浅からず。」とある。

 

世人種桃李,皆在金張門。

世人は桃李を愛好し、多くは、漢の金氏と張氏をならって、之を門に種えて、近のヨスガとするものである。

10 桃李 司馬遷の『史記』に書かれた言葉「桃李不言下自成蹊」(桃や李は物を言わないが、その下にはおのずと小道が出来る。)及び、中国の故事「桜梅桃李」(桜は桜の、梅は梅の、桃は桃の、李は李の特徴を改めることなく、生かしていく。)とある。

11 金張門 後漢書蓋寛 「上無許史之属下 無金張之託職」とあり、顔師古の註に「許氏と史氏は外属の恩あり、金氏と張氏は自ら託して近狎にあるなり」とみえる。朝廷内に派閥、門閥を作り、出世の道を模索すること。

 

攀折爭捷徑,及此春風暄。

その上、これを攀折せんがために、手っ取り早い方法、近みちを争い、春風の暖かなるころには、その伝手を頼り、その宴に赴き、ときに手もみして笑いどよめくのである。

12 捷徑 ① 近道。早道。 「林中の-」 手っ取り早い方法。便宜的な方法。

 

一朝天霜下,榮耀難久存。

桃李は、かくの如く、世に持て囃されるが、実は小人仕進の道具に使われているので、一朝にして、天から霜が下れば、さしもの栄耀栄華も、久しく存することはできない。

13 榮耀 榮耀栄華。1 大いに栄えて、はぶりのよいこと。えよう。「栄耀におごる」「栄耀を図る」2 ぜいたくをすること。えよう。「栄耀の限りを尽くす」

14 難久存 いつまでも権勢は続くものではない。門下に入って、出世を託した、上司が、政的に貶められることで、一蓮托生とされる。

 

安知南山桂,綠葉垂芳根。

これに反して、南山の桂花は、緑葉鬱として芳根に垂れ、決して枯れることが無い。

15 南山桂 終南山の桂。

 

清陰亦可託,何惜樹君園。

この桂花の清陰にして、やはり、こうしたものに身を託してゆくべきで、決して、君の園に種うることを惜まない。つまり、託すべきは、何も桃李に限ったわけではなく、唯だその託し方が異なって居るのである。

 

 

 

 

詠槿(詠槿二首之一)

 

1 【解説】 前半は、槿花の婿娼たるを写し、後半は、その夭促を傷んだので、多少の諷意あるらしく見える。

2 槿 アオイ科の落葉低木。高さ約3メートル。葉はほぼ卵形で、縁に粗いぎざぎざがある。夏から秋にかけて、紅紫色の5弁花が朝開き、夕方にしぼみ、次々と咲き続ける。中国・インドの原産。庭木などにし、花が白色や八重咲きなどの品種もある。《詩經鄭風有女同車》「有女同車,顏如舜華,將將翔;佩玉瓊琚,彼美孟姜,洵美且都。 有女同行,顏如舜英,將將翔;佩玉將將,彼美孟姜,德音不忘。」 【詩義】. 鄭莊公葬其母武姜之祭悼詩。 【注釋】. 有:盛也,多也。 女:陪葬的俑人。 車:指墳墓。 舜:木槿。

3 笑 咲く。

4 池草豔春色 翰林院から直接は見えないが、大明宮には、神仙三山を泛べる大掖池がありその池の堤を言う。興慶宮には龍池があり、ほとりに、沈香亭、曲江には大池があった。謝靈運「初景革緒風,新陽改故陰。池塘生春草,園柳變鳴禽。」(初景【はつはる】は緒風を革【あらた】め、新陽は故き蔭【ふゆ】を改む。池の塘【つつみ】は春の草生じ、園の柳に鳴く禽【とり】も変りぬ。)初春の景色は去年の秋冬の名残の風を改めている、新しい日の光が照り、去年の冬の名残りの陰気はすっかり改まっている。池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。

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5 嬋娟 後宮に侍る妃嬪の美好の貌。《巻二10-飛龍引,二首之一》「古人傳道留其間,後宮嬋娟多花顏。」そして、また、古来伝うるところでは、どこかに行ったのではなく其処にとどまっていたのであり、だから、黃帝の後宮に居た嬋娟たる美人は、鸞に乗り、煙を飛ばし、やはり黃帝に従って上天し、これも二度とは還らないのである。

6 夭促yāo cù),1.夭折短命。夭折,短命。草木茂盛美:夭夭(a.茂盛而美,如“桃之夭夭”;b色和悦的子,如“夭夭如也”;c.灾)。 未成年的人死去:夭折。)

7 瓊樹枝 玉のようにきれいな樹木。仙境の樹木。王宮の宮殿の樹木。李白《江西送友人之羅浮》「如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。」それで江南の楚の国が好きで君と同じように道教の仙人になっているであろう。玉のようにきれいな樹木、仙境の樹木や王宮の宮殿の樹木、きれいな女性と一緒にいることだろう。

8 翕赩 充分に茂鬱せる樣子。《文選.嵇康.琴賦》:「珍怪琅玕,瑤瑾翕赩。」

 

 長安付近図00

 


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743年(86)李太白集885巻二十三61詠槿  405Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(86) Ⅰ李白詩1770 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7390

李白  詠槿(詠槿二首之一)

園花笑芳年,池草豔春色。猶不如槿花,嬋娟玉階側。

芬榮何夭促,零落在瞬息。豈若瓊樹枝,終長翕
(後宮に春が訪れるとそれぞれの宮殿の剡中の花が咲き乱れる、しかしその嬋娟たる容貌も、散ゆく花も瞬時の間で、まことに痛ましいと述べる)

園中の花は、芳年に吹き掛で、地邊の草は、春.色を艶にしている。各おのその色を競ってはいるが、槿花が玉階の側に立っているけれども、そこに、嬋娟たる美しい妃嬪たちには及ぶものではない。しかし、折角の芬芳栄華は、何が故に、かくの如く短命にして相促すのであろうか。それに、零落ということも、瞬息の間で、まことに傷ましきことの限りというべきことである。玉のようにきれいな瓊樹の枝が、終歳茂鬱せるのとは、到底くらべ物にも成らない。

李太白集 巻二三61

詠  槿(詠槿二首之一)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7390

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-86

406 <1000

 

 
  2016年2月25日 の紀頌之5つのBlog  
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年:743年天寶二年43歳 94-86) 

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    詠槿(詠槿二首之一)

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

詠槿(詠槿二首之一)

(後宮に春が訪れるとそれぞれの宮殿の剡中の花が咲き乱れる、しかしその嬋娟たる容貌も、散ゆく花も瞬時の間で、まことに痛ましいと述べる)

園花笑芳年,池草豔春色。

園中の花は、芳年に吹き掛で、地邊の草は、春.色を艶にしている。

猶不如槿花,嬋娟玉階側。

各おのその色を競ってはいるが、槿花が玉階の側に立っているけれども、そこに、嬋娟たる美しい妃嬪たちには及ぶものではない。

芬榮何夭促,零落在瞬息。

しかし、折角の芬芳栄華は、何が故に、かくの如く短命にして相促すのであろうか。それに、零落ということも、瞬息の間で、まことに傷ましきことの限りというべきことである。

豈若瓊樹枝,終長翕赩。

玉のようにきれいな瓊樹の枝が、終歳茂鬱せるのとは、到底くらべ物にも成らない。

 

(詠槿(詠槿二首之一))

園花 芳年に笑い,池草は春色を豔にす。

猶お槿花の如くなく,玉階の側に嬋娟たり。

芬榮 何ぞ夭促す,零落 瞬息に在り。

豈に若かんや 瓊樹の枝,終 長えに 翕赩たるに

 

『詠槿』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

詠槿(詠槿二首之一)

園花笑芳年,池草豔春色。

猶不如槿花,嬋娟玉階側。

芬榮何夭促,零落在瞬息。

豈若瓊樹枝,終長翕

(下し文)
(詠槿(詠槿二首之一))

園花 芳年に笑い,池草は春色を豔にす。

猶お槿花の如くなく,玉階の側に嬋娟たり。

芬榮 何ぞ夭促す,零落 瞬息に在り。

豈に若かんや 瓊樹の枝,終 長えに 翕赩たるに

(現代語訳)
詠槿(詠槿二首之一)(後宮に春が訪れるとそれぞれの宮殿の剡中の花が咲き乱れる、しかしその嬋娟たる容貌も、散ゆく花も瞬時の間で、まことに痛ましいと述べる)

園中の花は、芳年に吹き掛で、地邊の草は、春.色を艶にしている。

各おのその色を競ってはいるが、槿花が玉階の側に立っているけれども、そこに、嬋娟たる美しい妃嬪たちには及ぶものではない。

しかし、折角の芬芳栄華は、何が故に、かくの如く短命にして相促すのであろうか。それに、零落ということも、瞬息の間で、まことに傷ましきことの限りというべきことである。

玉のようにきれいな瓊樹の枝が、終歳茂鬱せるのとは、到底くらべ物にも成らない。


(訳注)

詠槿(詠槿二首之一)

(後宮に春が訪れるとそれぞれの宮殿の剡中の花が咲き乱れる、しかしその嬋娟たる容貌も、散ゆく花も瞬時の間で、まことに痛ましいと述べる)

1 【解説】 前半は、槿花の婿娼たるを写し、後半は、その夭促を傷んだので、多少の諷意あるらしく見える。

2 槿 アオイ科の落葉低木。高さ約3メートル。葉はほぼ卵形で、縁に粗いぎざぎざがある。夏から秋にかけて、紅紫色の5弁花が朝開き、夕方にしぼみ、次々と咲き続ける。中国・インドの原産。庭木などにし、花が白色や八重咲きなどの品種もある。《詩經鄭風有女同車》「有女同車,顏如舜華,將將翔;佩玉瓊琚,彼美孟姜,洵美且都。 有女同行,顏如舜英,將將翔;佩玉將將,彼美孟姜,德音不忘。」 【詩義】. 鄭莊公葬其母武姜之祭悼詩。 【注釋】. 有:盛也,多也。 女:陪葬的俑人。 車:指墳墓。 舜:木槿。

 

園花笑芳年,池草豔春色。

園中の花は、芳年に吹き掛で、地邊の草は、春.色を艶にしている。

3 笑 咲く。

4 池草豔春色 翰林院から直接は見えないが、大明宮には、神仙三山を泛べる大掖池がありその池の堤を言う。興慶宮には龍池があり、ほとりに、沈香亭、曲江には大池があった。謝靈運「初景革緒風,新陽改故陰。池塘生春草,園柳變鳴禽。」(初景【はつはる】は緒風を革【あらた】め、新陽は故き蔭【ふゆ】を改む。池の塘【つつみ】は春の草生じ、園の柳に鳴く禽【とり】も変りぬ。)初春の景色は去年の秋冬の名残の風を改めている、新しい日の光が照り、去年の冬の名残りの陰気はすっかり改まっている。池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。

登池上樓 #2 謝靈運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005

 

猶不如槿花,嬋娟玉階側。

各おのその色を競ってはいるが、槿花が玉階の側に立っているけれども、そこに、嬋娟たる美しい妃嬪たちには及ぶものではない。

5 嬋娟 後宮に侍る妃嬪の美好の貌。《巻二10-飛龍引,二首之一》「古人傳道留其間,後宮嬋娟多花顏。」そして、また、古来伝うるところでは、どこかに行ったのではなく其処にとどまっていたのであり、だから、黃帝の後宮に居た嬋娟たる美人は、鸞に乗り、煙を飛ばし、やはり黃帝に従って上天し、これも二度とは還らないのである。

 

芬榮何夭促,零落在瞬息。

しかし、折角の芬芳栄華は、何が故に、かくの如く短命にして相促すのであろうか。それに、零落ということも、瞬息の間で、まことに傷ましきことの限りというべきことである。

6 夭促yāo cù),1.夭折短命。夭折,短命。草木茂盛美:夭夭(a.茂盛而美,如“桃之夭夭”;b色和悦的子,如“夭夭如也”;c.灾)。 未成年的人死去:夭折。)

 

豈若瓊樹枝,終長翕赩。

玉のようにきれいな瓊樹の枝が、終歳茂鬱せるのとは、到底くらべ物にも成らない。

7 瓊樹枝 玉のようにきれいな樹木。仙境の樹木。王宮の宮殿の樹木。李白《江西送友人之羅浮》「如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。」それで江南の楚の国が好きで君と同じように道教の仙人になっているであろう。玉のようにきれいな樹木、仙境の樹木や王宮の宮殿の樹木、きれいな女性と一緒にいることだろう。

8 翕赩 充分に茂鬱せる樣子。《文選.嵇康.琴賦》:「珍怪琅玕,瑤瑾翕赩。」

 

 

翰林讀書言懷呈集賢諸學士【字解】  

 

翰林讀書言懷呈集賢諸學士 

晨趨紫禁中,夕待金門詔。觀書散遺帙,探古窮至妙。

片言苟會心,掩卷忽而笑。青蠅易相點,白雪難同調。本是疏散人,屢貽褊促誚。雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。

功成謝人間,從此一投釣。

(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

1【解説】 起首六句は、翰林に於て書を読みしこと、「青蠅易相點,白雪難同調。本是疏散人,屢貽褊促誚。」四句は、兎角に小人から譏られること、「雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。」の四句は、秋時の光景、「嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。功成謝人間,從此一投釣。」の四句は、功成りし後、この世を辞したいという希望を述べたのである。蕭士贇は「これ太白心を寫すの作、これを観れば、前の效古の二首は概ね見るべし」とある。

翰林讀書言懷呈集賢諸學士(1)2 翰林/集賢/學士 唐書百官志開元十三年改麗正修書院為集賢殿書院五品以上為學士六品以下為直學士宰相一人為學士知院事常侍一人為副知院事又置判院一人押院中使一人𤣥宗常選耆儒、日一人侍讀、以質史籍疑義。至是、置集賢院侍讀學士、侍講直學士、其後、又增置修撰官、校理官、待制官、留院官、知校討官。

文學直之員、又云學士之職、本以文學言語被顧問、出入侍從、因得參謀議、納諫諍、其禮、尤寵、而、翰林院者待詔之所也。唐制、乗輿所在、必有文詞經學之士、下、至卜醫伎術之流、皆直於院、以備宴見、而、文書詔令則中書舍人掌之。自太宗時、名儒學士、時時召以草制。然、猶未有名號、乾封以後、始號北門學士。

𤣥宗初置翰林待詔以張陸堅張九齡等為之掌四方表疏批答應和文章。既而、又以中書務劇、文書多壅滯、乃選文學之士、號翰林供奉、與集賢院學士分掌制詔書勅。

開元二十六年、又改翰林供奉為學士、置學士院、專掌内命。凢拜免將相、號令征伐、皆用白麻。其後、選用益重而禮遇益親、至號為内相。又以為天子私人、凡充其職者、無定員、自諸曹尚書、下、至校書郎、皆得預選。

(「開元十三年、麗正修書院を改めて集賢殿書院と為し、五品以上を學と為し、士六品以下を直學士と為し、宰相一人を、學士知院事と為し、常侍一人を副知院事と為し、又 判院一人、押院中使一人を置く。𤣥宗 常に耆儒を選び、日に一人侍讀とし、以て史籍の疑義を質す。是に至りて、集賢院侍讀學士、侍講直學士を置き、其の後、又 修撰官、校理官、待制官、留院官、知校討官を增置す。

文學直の員、又 學士の職と云う、本と文學言語を以て顧問せらる、出入侍從、因って謀議に參し、諫諍を納るるを得、其ぼ禮、尤も寵、而して、翰林院は待詔の所なり。唐制、乗輿在るところ、必ず文詞經學の士有り、下、卜醫伎術の流に至って、皆 院にし、以て宴見に備う、而して、文書詔令は則ち中書舍人之を掌る。太宗の時より、名儒學士、時時召して以て制を草す。然れども、猶お未だ名號有らず、乾封以後、始めて北門學士と號す。

𤣥宗の初め、翰林待詔を置き、張、陸堅、張九齡等をて之を為し、四方の表疏批答應和の文章を掌る。既にして、又 中書務劇にして、文書壅滯多きを以て、乃ち文學の士を選び、翰林供奉と號し、與集賢院學士と制詔書勅とを分ち掌る。

開元二十六年、又 翰林供奉を改めて學士と為し、學士院を置く、專ら内命を掌る。凢そ將相を拜免する、征伐を號令す、皆白麻を用う。其の後、選用益ます重くして禮遇益ます親み、號して内相と為すに至る。又 以て天子の私人と為し、凡そ其の職を充る者は、定員無く、諸曹尚書より、下、校書郎に至るまで、皆 選に預るを得たり。」
3 翰林 宮廷学芸機関で、「ふで(翰)のはやし(林)の官庁」の意。唐の玄宗の開元年間(713741)に宮中に創置され、文人を出仕させたのに始まる。玄宗は文学,経学,書画,医薬などの専門家を宮中に出仕せしめてこれを待詔といい,その館を翰林院と称した。安史の乱後、天子の詔勅の執筆に携わったところから政治的発言権が強まり、長官の学士承旨は内相とよばれ、中・晩唐にかけて権力の一中心となり、李肇の『翰林志』以下の記録もつくられた。また院には書、画、音楽から囲碁などに及ぶ諸芸に秀でた人材を抱える伎術院を付設し、ここは宮廷文化センターの観を呈した。

4 集賢 唐代の官署。中書省に属し、典籍の編集・発行、散逸した図書の探索などを任務とした。

5 學士  中国で,翰林院の官。主に詔書の起草に当たった。唐・宋代には,ここから宰相となる者も多かった。翰林博士。翰林。 文章博士(もんじようはかせ)の唐名。翰林主人。翰林。

翰林讀書言懷呈集賢諸學士(2)6 紫禁 謝荘の宋孝武宣貴妃の註に收華紫宮とあって、李善の註に「王者の宮、以て紫微に象る、故に宮中をいうて紫禁と爲す」とあり、李延濟の註に「紫禁は即ち紫宮、天子の居るところなり」とある。

7 金門 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」また、漢書東方朔傳に「金門に待詔して、稍や親近を得たり」とある。

8 散遺帙 遺れる帙を解いて、書冊を取り出すこと。書帙をうち開くこと。また讀書することをさす。 (ちつ)とは、和本を包んで保存する装具の一種。

謝靈運《酬従弟謝惠連 五首その(2)》「淩澗尋我室,散帙問所知。」(澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんちつ】知れる所を問える。) そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。

9 窮至妙 至妙の玄理を研究する。

10 青蠅 くそばえ、あおばえ。白い布を汚し黑にし、黒い布を白にする。以て讒言人に比す。《詩經小雅甫田之什青蠅》. 毛詩序に「《青蠅》,大夫刺幽王也。」(青蠅は大夫 幽王を刺るなり。)「 營營青蠅,止於樊。豈弟君子,無信讒言。 營營青蠅,止于棘。讒人罔極,交亂四國。 營營青蠅,止于榛。讒人罔極,構我二人。」(營營たる青蠅は,樊に止る。豈弟の君子,讒言を信ずること無れ。營營たる青蠅は,棘に止る。讒人は罔極,交ごも四國を亂る。營營たる青蠅は,榛に止る。讒人は罔極,我が二人を構う。

10 白雪 琵琶の名曲『陽春白雪』は十大古代名曲の一つとされ、琵琶大曲の代表作であり,其の特長は是れの綜合文化曲であり、武術曲の表現手法とが調和される演奏風格をもっているものである。十大古代名曲を列挙すると《高山流水》、《廣陵散》、《平沙落雁》、《梅花三弄》、《十面埋伏》、《夕陽簫鼓》、《漁樵問答》、《胡笳十八拍》、《漢宮秋月》和《陽春白雪》となるが、《陽春白雪》のように、他の楽器、歌と合奏されるものは少ない。

宋玉《對楚王問》「客有歌於郢中者、其為『陽春 白雪』是其曲彌高,其和彌寡。(客に郢中に歌う者有り、其れ『陽春白雪』を為す、是れ其の曲 彌よ高ければ,其の和 彌よ寡し。)とあるに基づく。

11 李白は求めがあれば詩を献ずると同時に、普段は翰林院に出仕して古い書類を調べ、政事妙理を学び、すこしでも心にかなうことがあれば、快心の笑みをもらす。勅命があれば出師表や外交文書の草案を起草し、国政の一部に参画した。しかし、夏が過ぎるころになると、次第に同僚との折り合いが悪くなってきた。

 李白は役所では新参者で、役所の仕来たりや狎れ合いの部分に通じていない。

 加えて李白は、そうした人間関係の細かい部分に気配りをするような性格の持ち主ではない。翰林院で小役人的仕事をする気はなかったのである。

 矜持、自信からくる傲慢不遜な態度も目立ち、秋口には李白の耳にも自分に対する悪口が聞こえ、いやになってくる様子がこの詩からも読み取れます。謝靈運の詩を、それも、謝靈運が官を辞して、国許に歸、前後の詩を引用しているからである。

743年(85)李太白集856卷23-32翰林讀書言懷呈集賢諸學士#2 404-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(85) Ⅰ李白詩1769 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7385

李白  翰林讀書言懷呈集賢諸學士 #2

本是疏散人,屢貽褊促誚。雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。

功成謝人間,從此一投釣。

われは、固より疏散の人であるにも拘わらず、君の眷顧を得たるに因って、偏屈な急性な厄介の人物だといふ譏を度度受けた。今しも、秋に入り、大空は晴れ渡ってのどかなものであり、南、終南山、林壑は、遠眺するに宜しくのぞむのである。あるいは、清風の吹ききたるとき、ひとり欄下に倚って嘯くと、心は物外に馳せて、この世の苦艱をも忘れる位である。後漢の、巌光は桐盧渓に隠れ釣り三昧であったし、謝靈運は臨海の山頂に登って眺望を恣にしたというので、その逸輿、憶うべしである。われも亦た功成りし後は、人間の事を辞し、これより去って、専心に釣を投じ、全く此世の事を忘れたいと思っているのである。

李太白集 巻二三18

翰林讀書言懷呈集賢諸學士

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7385

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-85

404#2 <1000

 

 
  2016年2月24日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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年:743年天寶二年43歳 94-85

卷別:  卷一八三         文體:        五言古詩

李太白集:巻二三18  

寫懐篇:寫とは、文字の通り、胸中の感懐を写し出したのである。

詩題:  翰林讀書言懷呈集賢諸學士【翰林讀書言懷呈集賢諸學士】

作地點:        目前尚無資料

及地點:        翰林院 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翰林   

桐廬江 (江南東道 睦州 桐廬) 別名:桐廬溪         

交遊人物/地點:

 

 

翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #1

(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

晨趨紫禁中,夕待金門詔。

われは、朝に天子の寝殿のある居に参趨し、夕に右銀臺門、金馬門、翰林院に待詔となった。

觀書散遺帙,探古窮至妙。

翰林院中に於て、すぐにやったことは散乱している書を整理し、遺れる帙を解いて、書冊を取り出し、いにしえの事實を探って、至妙の玄理を研究した。

片言苟會心,掩卷忽而笑。

その間、片言隻辭でも、苟も、心に會するものあれば、巻を掩い、忽然として、独り微笑んで居た。

青蠅易相點,白雪難同調。

おもえば、青蝿は、美事な玉にも糞をしかけて之を汚し、白雪の曲は、高くして、なかなか之と調を同じゅうすることは出来ない。

#2

本是疏散人,屢貽褊促誚。

われは、固より疏散の人であるにも拘わらず、君の眷顧を得たるに因って、偏屈な急性な厄介の人物だといふ譏を度度受けた。

雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

今しも、秋に入り、大空は晴れ渡ってのどかなものであり、南、終南山、林壑は、遠眺するに宜しくのぞむのである。

或時清風來,閒倚欄下嘯。

あるいは、清風の吹ききたるとき、ひとり欄下に倚って嘯くと、心は物外に馳せて、この世の苦艱をも忘れる位である。

嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。

後漢の、巌光は桐盧渓に隠れ釣り三昧であったし、謝靈運は臨海の山頂に登って眺望を恣にしたというので、その逸輿、憶うべしである。

功成謝人間,從此一投釣。

われも亦た功成りし後は、人間の事を辞し、これより去って、専心に釣を投じ、全く此世の事を忘れたいと思っているのである。

 

(翰林にて書を読みで懐を言い、集賢諸學士に呈す)

(翰林にて書を読みで懐を言ひ、集賢諸學士に呈す)#1

晨に紫禁の中を趨り,夕に金門の詔を待つ。

書を觀て遺帙を散じ,古を探って至妙を窮む。

片言 苟くも心に會すれば,卷を掩うて忽として笑う。

青蠅 相い點じ易く,白雪 同調し難し。

#2

本と是れ 疏散の人,屢ば 褊促の誚【そしり】を貽【のこ】す。

雲天 清朗に屬し,林壑 遊眺を憶う。

或時は 清風來り,閒には 欄下に倚りて嘯く。

嚴光は桐廬の溪に,謝客は臨海の嶠に。

功成りて 人間を謝し,此れ從り 一つに釣を投ぜん。

李白の足跡0000 

 

『翰林讀書言懷呈集賢諸學士』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

本是疏散人,屢貽褊促誚。

雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。

嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。

功成謝人間,從此一投釣。
詩文(含異文)

本是疏散人,屢貽褊促誚。雲天屬清朗,林壑憶遊眺。或時清風來,閒倚欄下嘯【閒倚簷下嘯】。嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。功成謝人間【功成謝人君】,從此一投釣
(下し文)
#2

本と是れ 疏散の人,屢ば 褊促の誚【そしり】を貽【のこ】す。

雲天 清朗に屬し,林壑 遊眺を憶う。

或時は 清風來り,閒には 欄下に倚りて嘯く。

嚴光は桐廬の溪に,謝客は臨海の嶠に。

功成りて 人間を謝し,此れ從り 一つに釣を投ぜん。

(現代語訳)
#2

われは、固より疏散の人であるにも拘わらず、君の眷顧を得たるに因って、偏屈な急性な厄介の人物だといふ譏を度度受けた。

今しも、秋に入り、大空は晴れ渡ってのどかなものであり、南、終南山、林壑は、遠眺するに宜しくのぞむのである。

あるいは、清風の吹ききたるとき、ひとり欄下に倚って嘯くと、心は物外に馳せて、この世の苦艱をも忘れる位である。

後漢の、巌光は桐盧渓に隠れ釣り三昧であったし、謝靈運は臨海の山頂に登って眺望を恣にしたというので、その逸輿、憶うべしである。

われも亦た功成りし後は、人間の事を辞し、これより去って、専心に釣を投じ、全く此世の事を忘れたいと思っているのである。


(訳注) #2

翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #2

(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

1【解説】 起首六句は、翰林に於て書を読みしこと、「青蠅易相點,白雪難同調。本是疏散人,屢貽褊促誚。」四句は、兎角に小人から譏られること、「雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。」の四句は、秋時の光景、「嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。功成謝人間,從此一投釣。」の四句は、功成りし後、この世を辞したいという希望を述べたのである。蕭士贇は「これ太白心を寫すの作、これを観れば、前の效古の二首は概ね見るべし」とある。

 

李白は求めがあれば詩を献ずると同時に、普段は翰林院に出仕して古い書類を調べ、政事妙理を学び、すこしでも心にかなうことがあれば、快心の笑みをもらす。勅命があれば出師表や外交文書の草案を起草し、国政の一部に参画した。しかし、夏が過ぎるころになると、次第に同僚との折り合いが悪くなってきた。

 李白は役所では新参者で、役所の仕来たりや狎れ合いの部分に通じていない。

 加えて李白は、そうした人間関係の細かい部分に気配りをするような性格の持ち主ではない。翰林院で小役人的仕事をする気はなかったのである。

 矜持、自信からくる傲慢不遜な態度も目立ち、秋口には李白の耳にも自分に対する悪口が聞こえ、いやになってくる様子がこの詩からも読み取れます。謝靈運の詩を、それも、謝靈運が官を辞して、国許に歸、前後の詩を引用しているからである。。

 

本是疏散人,屢貽褊促誚。

われは、固より疏散の人であるにも拘わらず、君の眷顧を得たるに因って、偏屈な急性な厄介の人物だといふ譏を度度受けた。

疏散 (集中している人・物資を)幾つかに分ける,分散させる,疎開させる.放縦である,だらしがない.挙止が放縦である.(文章が)型にとらわれない.

褊促誚 偏屈な急性な厄介の人物というそしり。《莊子齊物論》:大知閑閑, 小知閒閒” 成玄英疏:閒閒, 分別也……小知狹劣之人, 性靈褊促, 有取有捨, 故閒隔而分別。”

 

雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

今しも、秋に入り、大空は晴れ渡ってのどかなものであり、南、終南山、林壑は、遠眺するに宜しくのぞむのである。

晴朗 空が晴れ渡ってのどかなさま。

遊眺 謝靈運が思ったように、遠い故郷をおもって、ぼんやりとながめるということ。

謝靈運. 《七里瀬》「羈心積秋晨,晨積展遊眺。 孤客傷逝湍,徒旅苦奔峭」(羈心【きしん】は秋晨【しゅうしん】に積り、晨に積りて遊眺【ゆうちょう】を展ばさんとす。孤客は逝湍【せいたん】を傷み、徒旅は奔峭【ほんしょう】に苦しむ。)旅情は秋の朝目覚めると心に積もるものであり、朝に愁いが積もっているとそぞろに眺めを遠く故郷にはせる。

孤独な旅人の私は、論語の于罕篇に見える「逝く川の早瀬の過ぎて返らぬ」のを見てすぎゆく時を悲しみ、旅人達は峭しい路に苦しむのであった。

七里瀬 #1 謝霊運<16> 詩集 376

 

或時清風來,閒倚欄下嘯。

あるいは、清風の吹ききたるとき、ひとり欄下に倚って嘯くと、心は物外に馳せて、この世の苦艱をも忘れる位である。

清風來 清風の吹ききたるとき。陰湿な、朝廷内の人間関係に対して嫌気をなしていることで、その対語としての意味を持つ。

 

嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。

後漢の、巌光は桐盧渓に隠れ釣り三昧であったし、謝靈運は臨海の山頂に登って眺望を恣にしたというので、その逸輿、憶うべしである。

嚴光 嚴光は字を子陵といい,別名を遵という。会稽郡餘姚県(浙江省余姚市)の出身。若くして才名あり、のちの光武帝となる劉秀と同門に学ぶ。劉秀が皇帝となると、厳光は姓名を変えて身を隠した。光武帝はその才能を惜しみ行方を捜させたところ、後斉国で羊毛の皮衣を着て沢の中で釣りをしているところを見いだされて、長安に召し出された。宮中の作法に詳しい司徒の侯覇が厳光と親しかったが、厳光は細かい礼に従わず、光武帝はそれでも「狂奴故態を改めず」と笑っただけだった。それどころか自ら宿舎に足を運んで道を論じたという。ある夜、帝と光がともに就寝し、光が帝の腹の上に足を乗せて熟睡し、翌日大夫がその不敬を奏上して罰しようとしたが、帝は「故旧とともに臥したのみ」とこの件を取りあげなかった。諫議大夫に挙げられたがこれを断って富春山(浙江省富陽県)で農耕をして暮らし、その地で没する。光武帝はその死を悲しみ、厳光が亡くなった郡県に詔して銭百万と穀千斛を賜った。

厳光が釣りをしていた場所(桐盧県の南、富春江の湖畔)は「厳陵瀬」と名づけられた。釣臺は東西に一つずつあり、高さはそれぞれ数丈、その下には羊裘軒・客星館・招隠堂があった。北宋の政治家・范仲淹は厳光の祠堂を修復し、「厳先生祠堂記」を撰写しその中で「雲山蒼蒼、江水泱泱。先生之風、山高水長」と厳光の高尚な気風を賞賛した。

會稽餘姚人也。《後漢書》卷八十三〈逸民列傳·嚴光〉 嚴光字子陵,一名遵,會稽餘姚人也。少有高名,與光武同遊學。及光武即位,乃變名姓,隱身不見。帝思其賢,乃令以物色訪之。後齊國上言:「有一男子,披羊裘釣澤中。」帝疑其光,乃備安車玄纁,遣使聘之。

章懐太子 後漢書註 「嚴陵瀨相接有嚴山桐廬縣南有 嚴子陵漁釣處今山邊有石上平可坐十人臨水名/為嚴陵釣壇也」

桐廬溪 浙江省桐廬県の川で釣りをして過ごしたということ。謝靈運の《初往新安桐盧口》

初往新安桐盧口

絺綌雖凄其、授衣尚未至。感節自己深、懐古亦云思。

不有千里棹、孰申百代意。遠協尚子心、遙得許生計。

既及冷風善、又即秋水駛。江山共開曠、雲日相照媚。

景夕羣物清、封玩咸可憙。

(初めて新安の桐盧口に往く)

絺綌【ちげき】は凄其【せいき】と雄ども、衣を授けしに尚お未だ至らず。

節に感じて自から己に探し、古えを懐い 亦た思いを云う。

千里の棹 有らずんば、孰【たれ】か百代の意を申べん。

遠く尚子の心に協【かな】い、遙かに許生の計を得たり。

既に冷風の善なるに及び、又た秋水の駛するに即す。

江山 共に曠を開き、雲日は相い照らして媚ぶ。

景夕 群物 清し、玩に対し咸【み】な憙ぶ可し。

(初めて新安の桐盧口に往く。)

少し寒くなってきて、出発したときの服装が薄い葛の服であったので少し気になる。といっても冬用の着物にするというほどにはまだなっていない。

季節の変わりにはいろんなことが浮かんでくる。行く秋を思うことは昔の人が詩に歌っているし、自分も同じように思うことなのだ。

一気に千里進んでくれる舟棹などありはしないし、(この景色をみると)百の世代に受け継がれていく心を語ることもできはしない。

遠い昔の後漢の隠者、向長のことは私の助けになることだし、許詢のように隠遁してはかりごとをして過ごすということもあるかもしれない。

もうすっかり風が冷たくなってきて心地いいものだ。また同じように水の流れも秋を感じさせるものとなっている。

銭塘江の山々は色づき始めて広がってきている。雲や太陽の輝きはこれらのことに同調している。

夕方の景色はモノトーンになって万物を清らかなものにしてゆく、この自然の事象にもてあそばれることは誰も皆よろこぶべきことなのだ。

初往新安桐盧口 謝霊運<15>  詩集 378

 

謝客 南朝宋の山水詩人謝霊運

臨海嶠 臨海の高く鋭い山・嶠 高く鋭い山。

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。

杪秋臨遠山,山遠行不近。

與子別山阿,含酸赴脩畛。

中流袂就判,欲去情不忍。

顧望脰未悁,汀曲舟已隱。

(臨海嶠に登らんとて、初め彊中を寄せしとき作る。從弟惠連に与え 羊何に見して共に之に和せしむ。)

杪秋に遠山を尋ねんとす、山遠くして行くに近からず。

子と山阿に別れ、酸を含みて脩畛に赴く。

中流にて袂は判に就き、去らんと欲して情忍びず。

顧望して脰は未だ悁れざるに、汀曲に舟は己に隱る。

臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。

晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない

君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。

そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。

ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>1242

 

 

功成謝人間,從此一投釣。

われも亦た功成りし後は、人間の事を辞し、これより去って、専心に釣を投じ、全く此世の事を忘れたいと思っているのである。

 

長安付近図00 

 

翰林讀書言懷呈集賢諸學士【字解】  

(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

1【解説】 起首六句は、翰林に於て書を読みしこと、「青蠅易相點,白雪難同調。本是疏散人,屢貽褊促誚。」四句は、兎角に小人から譏られること、「雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。」の四句は、秋時の光景、「嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。功成謝人間,從此一投釣。」の四句は、功成りし後、この世を辞したいという希望を述べたのである。蕭士贇は「これ太白心を寫すの作、これを観れば、前の效古の二首は概ね見るべし」とある。

2 翰林/集賢/學士 唐書百官志開元十三年改麗正修書院為集賢殿書院五品以上為學士六品以下為直學士宰相一人為學士知院事常侍一人為副知院事又置判院一人押院中使一人𤣥宗常選耆儒、日一人侍讀、以質史籍疑義。至是、置集賢院侍讀學士、侍講直學士、其後、又增置修撰官、校理官、待制官、留院官、知校討官。

文學直之員、又云學士之職、本以文學言語被顧問、出入侍從、因得參謀議、納諫諍、其禮、尤寵、而、翰林院者待詔之所也。唐制、乗輿所在、必有文詞經學之士、下、至卜醫伎術之流、皆直於院、以備宴見、而、文書詔令則中書舍人掌之。自太宗時、名儒學士、時時召以草制。然、猶未有名號、乾封以後、始號北門學士。

𤣥宗初置翰林待詔以張陸堅張九齡等為之掌四方表疏批答應和文章。既而、又以中書務劇、文書多壅滯、乃選文學之士、號翰林供奉、與集賢院學士分掌制詔書勅。

開元二十六年、又改翰林供奉為學士、置學士院、專掌内命。凢拜免將相、號令征伐、皆用白麻。其後、選用益重而禮遇益親、至號為内相。又以為天子私人、凡充其職者、無定員、自諸曹尚書、下、至校書郎、皆得預選。

(「開元十三年、麗正修書院を改めて集賢殿書院と為し、五品以上を學と為し、士六品以下を直學士と為し、宰相一人を、學士知院事と為し、常侍一人を副知院事と為し、又 判院一人、押院中使一人を置く。𤣥宗 常に耆儒を選び、日に一人侍讀とし、以て史籍の疑義を質す。是に至りて、集賢院侍讀學士、侍講直學士を置き、其の後、又 修撰官、校理官、待制官、留院官、知校討官を增置す。

文學直の員、又 學士の職と云う、本と文學言語を以て顧問せらる、出入侍從、因って謀議に參し、諫諍を納るるを得、其ぼ禮、尤も寵、而して、翰林院は待詔の所なり。唐制、乗輿在るところ、必ず文詞經學の士有り、下、卜醫伎術の流に至って、皆 院にし、以て宴見に備う、而して、文書詔令は則ち中書舍人之を掌る。太宗の時より、名儒學士、時時召して以て制を草す。然れども、猶お未だ名號有らず、乾封以後、始めて北門學士と號す。

𤣥宗の初め、翰林待詔を置き、張、陸堅、張九齡等をて之を為し、四方の表疏批答應和の文章を掌る。既にして、又 中書務劇にして、文書壅滯多きを以て、乃ち文學の士を選び、翰林供奉と號し、與集賢院學士と制詔書勅とを分ち掌る。

開元二十六年、又 翰林供奉を改めて學士と為し、學士院を置く、專ら内命を掌る。凢そ將相を拜免する、征伐を號令す、皆白麻を用う。其の後、選用益ます重くして禮遇益ます親み、號して内相と為すに至る。又 以て天子の私人と為し、凡そ其の職を充る者は、定員無く、諸曹尚書より、下、校書郎に至るまで、皆 選に預るを得たり。」
3 翰林 宮廷学芸機関で、「ふで(翰)のはやし(林)の官庁」の意。唐の玄宗の開元年間(713741)に宮中に創置され、文人を出仕させたのに始まる。玄宗は文学,経学,書画,医薬などの専門家を宮中に出仕せしめてこれを待詔といい,その館を翰林院と称した。安史の乱後、天子の詔勅の執筆に携わったところから政治的発言権が強まり、長官の学士承旨は内相とよばれ、中・晩唐にかけて権力の一中心となり、李肇の『翰林志』以下の記録もつくられた。また院には書、画、音楽から囲碁などに及ぶ諸芸に秀でた人材を抱える伎術院を付設し、ここは宮廷文化センターの観を呈した。

4 集賢 唐代の官署。中書省に属し、典籍の編集・発行、散逸した図書の探索などを任務とした。

5 學士  中国で,翰林院の官。主に詔書の起草に当たった。唐・宋代には,ここから宰相となる者も多かった。翰林博士。翰林。 文章博士(もんじようはかせ)の唐名。翰林主人。翰林。

6 紫禁 謝荘の宋孝武宣貴妃の註に收華紫宮とあって、李善の註に「王者の宮、以て紫微に象る、故に宮中をいうて紫禁と爲す」とあり、李延濟の註に「紫禁は即ち紫宮、天子の居るところなり」とある。

7 金門 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」また、漢書東方朔傳に「金門に待詔して、稍や親近を得たり」とある。

8 散遺帙 遺れる帙を解いて、書冊を取り出すこと。書帙をうち開くこと。また讀書することをさす。 (ちつ)とは、和本を包んで保存する装具の一種。

謝靈運《酬従弟謝惠連 五首その(2)》「淩澗尋我室,散帙問所知。」(澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんちつ】知れる所を問える。) そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。

9 窮至妙 至妙の玄理を研究する。

10 青蠅 くそばえ、あおばえ。白い布を汚し黑にし、黒い布を白にする。以て讒言人に比す。《詩經小雅甫田之什青蠅》. 毛詩序に「《青蠅》,大夫刺幽王也。」(青蠅は大夫 幽王を刺るなり。)「 營營青蠅,止於樊。豈弟君子,無信讒言。 營營青蠅,止于棘。讒人罔極,交亂四國。 營營青蠅,止于榛。讒人罔極,構我二人。」(營營たる青蠅は,樊に止る。豈弟の君子,讒言を信ずること無れ。營營たる青蠅は,棘に止る。讒人は罔極,交ごも四國を亂る。營營たる青蠅は,榛に止る。讒人は罔極,我が二人を構う。

10 白雪 琵琶の名曲『陽春白雪』は十大古代名曲の一つとされ、琵琶大曲の代表作であり,其の特長は是れの綜合文化曲であり、武術曲の表現手法とが調和される演奏風格をもっているものである。十大古代名曲を列挙すると《高山流水》、《廣陵散》、《平沙落雁》、《梅花三弄》、《十面埋伏》、《夕陽簫鼓》、《漁樵問答》、《胡笳十八拍》、《漢宮秋月》和《陽春白雪》となるが、《陽春白雪》のように、他の楽器、歌と合奏されるものは少ない。

宋玉《對楚王問》「客有歌於郢中者、其為『陽春 白雪』是其曲彌高,其和彌寡。(客に郢中に歌う者有り、其れ『陽春白雪』を為す、是れ其の曲 彌よ高ければ,其の和 彌よ寡し。)とあるに基づく。

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李白  翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #1

晨趨紫禁中,夕待金門詔。觀書散遺帙,探古窮至妙。

片言苟會心,掩卷忽而笑。青蠅易相點,白雪難同調。
(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

われは、朝に天子の寝殿のある居に参趨し、夕に右銀臺門、金馬門、翰林院に待詔となった。翰林院中に於て、すぐにやったことは散乱している書を整理し、遺れる帙を解いて、書冊を取り出し、いにしえの事實を探って、至妙の玄理を研究した。その間、片言隻辭でも、苟も、心に會するものあれば、巻を掩い、忽然として、独り微笑んで居た。おもえば、青蝿は、美事な玉にも糞をしかけて之を汚し、白雪の曲は、高くして、なかなか之と調を同じゅうすることは出来ない。

 

李太白集 巻二三18

翰林讀書言懷呈集賢諸學士

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Index-23

743年天寶二年43歳 

94-85

404 <1000

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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年:743年天寶二年43歳 94-85

卷別:  卷一八三         文體:        五言古詩

李太白集:巻二三18  

寫懐篇:寫とは、文字の通り、胸中の感懐を写し出したのである。

詩題:  翰林讀書言懷呈集賢諸學士【翰林讀書言懷呈集賢諸學士】

作地點:        目前尚無資料

及地點:        翰林院 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翰林   

桐廬江 (江南東道 睦州 桐廬) 別名:桐廬溪         

交遊人物/地點:

 

 

翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #1

(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

晨趨紫禁中,夕待金門詔。

われは、朝に天子の寝殿のある居に参趨し、夕に右銀臺門、金馬門、翰林院に待詔となった。

觀書散遺帙,探古窮至妙。

翰林院中に於て、すぐにやったことは散乱している書を整理し、遺れる帙を解いて、書冊を取り出し、いにしえの事實を探って、至妙の玄理を研究した。

片言苟會心,掩卷忽而笑。

その間、片言隻辭でも、苟も、心に會するものあれば、巻を掩い、忽然として、独り微笑んで居た。

青蠅易相點,白雪難同調。

おもえば、青蝿は、美事な玉にも糞をしかけて之を汚し、白雪の曲は、高くして、なかなか之と調を同じゅうすることは出来ない。

#2

本是疏散人,屢貽褊促誚。

雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。

嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。

功成謝人間,從此一投釣。

 

(翰林にて書を読みで懐を言い、集賢諸學士に呈す)

(翰林にて書を読みで懐を言ひ、集賢諸學士に呈す)#1

晨に紫禁の中を趨り,夕に金門の詔を待つ。

書を觀て遺帙を散じ,古を探って至妙を窮む。

片言 苟くも心に會すれば,卷を掩うて忽として笑う。

青蠅 相い點じ易く,白雪 同調し難し。

#2

本と是れ 疏散の人,屢ば 褊促の誚【そしり】を貽【のこ】す。

雲天 清朗に屬し,林壑 遊眺を憶う。

或時は 清風來り,閒には 欄下に倚りて嘯く。

嚴光は桐廬の溪に,謝客は臨海の嶠に。

功成りて 人間を謝し,此れ從り 一つに釣を投ぜん。

 

大明宮の圖003 

『翰林讀書言懷呈集賢諸學士』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #1

晨趨紫禁中,夕待金門詔。

觀書散遺帙,探古窮至妙。

片言苟會心,掩卷忽而笑。

青蠅易相點,白雪難同調。

(下し文)
(翰林にて書を読みで懐を言ひ、集賢諸學士に呈す)#1

晨に紫禁の中を趨り,夕に金門の詔を待つ。

書を觀て遺帙を散じ,古を探って至妙を窮む。

片言 苟くも心に會すれば,卷を掩うて忽として笑う。

青蠅 相い點じ易く,白雪 同調し難し。

(現代語訳)
翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #1(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

われは、朝に天子の寝殿のある居に参趨し、夕に右銀臺門、金馬門、翰林院に待詔となった。

翰林院中に於て、すぐにやったことは散乱している書を整理し、遺れる帙を解いて、書冊を取り出し、いにしえの事實を探って、至妙の玄理を研究した。

その間、片言隻辭でも、苟も、心に會するものあれば、巻を掩い、忽然として、独り微笑んで居た。

おもえば、青蝿は、美事な玉にも糞をしかけて之を汚し、白雪の曲は、高くして、なかなか之と調を同じゅうすることは出来ない。

長安城図 作図00
(訳注)

翰林讀書言懷呈集賢諸學士  #1

(翰林院に待詔であったときに、院中において書を読み、因って、その感慨を抒べて、集賢院諸学士に呈上したもの)

1【解説】 起首六句は、翰林に於て書を読みしこと、「青蠅易相點,白雪難同調。本是疏散人,屢貽褊促誚。」四句は、兎角に小人から譏られること、「雲天屬清朗,林壑憶遊眺。

或時清風來,閒倚欄下嘯。」の四句は、秋時の光景、「嚴光桐廬溪,謝客臨海嶠。功成謝人間,從此一投釣。」の四句は、功成りし後、この世を辞したいという希望を述べたのである。蕭士贇は「これ太白心を寫すの作、これを観れば、前の效古の二首は概ね見るべし」とある。

2 翰林/集賢/學士 唐書百官志開元十三年改麗正修書院為集賢殿書院五品以上為學士六品以下為直學士宰相一人為學士知院事常侍一人為副知院事又置判院一人押院中使一人𤣥宗常選耆儒、日一人侍讀、以質史籍疑義。至是、置集賢院侍讀學士、侍講直學士、其後、又增置修撰官、校理官、待制官、留院官、知校討官。

文學直之員、又云學士之職、本以文學言語被顧問、出入侍從、因得參謀議、納諫諍、其禮、尤寵、而、翰林院者待詔之所也。唐制、乗輿所在、必有文詞經學之士、下、至卜醫伎術之流、皆直於院、以備宴見、而、文書詔令則中書舍人掌之。自太宗時、名儒學士、時時召以草制。然、猶未有名號、乾封以後、始號北門學士。

𤣥宗初置翰林待詔以張陸堅張九齡等為之掌四方表疏批答應和文章。既而、又以中書務劇、文書多壅滯、乃選文學之士、號翰林供奉、與集賢院學士分掌制詔書勅。

開元二十六年、又改翰林供奉為學士、置學士院、專掌内命。凢拜免將相、號令征伐、皆用白麻。其後、選用益重而禮遇益親、至號為内相。又以為天子私人、凡充其職者、無定員、自諸曹尚書、下、至校書郎、皆得預選。

(「開元十三年、麗正修書院を改めて集賢殿書院と為し、五品以上を學と為し、士六品以下を直學士と為し、宰相一人を、學士知院事と為し、常侍一人を副知院事と為し、又 判院一人、押院中使一人を置く。𤣥宗 常に耆儒を選び、日に一人侍讀とし、以て史籍の疑義を質す。是に至りて、集賢院侍讀學士、侍講直學士を置き、其の後、又 修撰官、校理官、待制官、留院官、知校討官を增置す。

文學直の員、又 學士の職と云う、本と文學言語を以て顧問せらる、出入侍從、因って謀議に參し、諫諍を納るるを得、其ぼ禮、尤も寵、而して、翰林院は待詔の所なり。唐制、乗輿在るところ、必ず文詞經學の士有り、下、卜醫伎術の流に至って、皆 院にし、以て宴見に備う、而して、文書詔令は則ち中書舍人之を掌る。太宗の時より、名儒學士、時時召して以て制を草す。然れども、猶お未だ名號有らず、乾封以後、始めて北門學士と號す。

𤣥宗の初め、翰林待詔を置き、張、陸堅、張九齡等をて之を為し、四方の表疏批答應和の文章を掌る。既にして、又 中書務劇にして、文書壅滯多きを以て、乃ち文學の士を選び、翰林供奉と號し、與集賢院學士と制詔書勅とを分ち掌る。

開元二十六年、又 翰林供奉を改めて學士と為し、學士院を置く、專ら内命を掌る。凢そ將相を拜免する、征伐を號令す、皆白麻を用う。其の後、選用益ます重くして禮遇益ます親み、號して内相と為すに至る。又 以て天子の私人と為し、凡そ其の職を充る者は、定員無く、諸曹尚書より、下、校書郎に至るまで、皆 選に預るを得たり。」
3 翰林 宮廷学芸機関で、「ふで(翰)のはやし(林)の官庁」の意。唐の玄宗の開元年間(713741)に宮中に創置され、文人を出仕させたのに始まる。玄宗は文学,経学,書画,医薬などの専門家を宮中に出仕せしめてこれを待詔といい,その館を翰林院と称した。安史の乱後、天子の詔勅の執筆に携わったところから政治的発言権が強まり、長官の学士承旨は内相とよばれ、中・晩唐にかけて権力の一中心となり、李肇の『翰林志』以下の記録もつくられた。また院には書、画、音楽から囲碁などに及ぶ諸芸に秀でた人材を抱える伎術院を付設し、ここは宮廷文化センターの観を呈した。

4 集賢 唐代の官署。中書省に属し、典籍の編集・発行、散逸した図書の探索などを任務とした。

5 學士  中国で,翰林院の官。主に詔書の起草に当たった。唐・宋代には,ここから宰相となる者も多かった。翰林博士。翰林。 文章博士(もんじようはかせ)の唐名。翰林主人。翰林。

 

晨趨紫禁中,夕待金門詔。

われは、朝に天子の寝殿のある居に参趨し、夕に右銀臺門、金馬門、翰林院に待詔となった。

6 紫禁 謝荘の宋孝武宣貴妃の註に收華紫宮とあって、李善の註に「王者の宮、以て紫微に象る、故に宮中をいうて紫禁と爲す」とあり、李延濟の註に「紫禁は即ち紫宮、天子の居るところなり」とある。

7 金門 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」また、漢書東方朔傳に「金門に待詔して、稍や親近を得たり」とある。

 

觀書散遺帙,探古窮至妙。

翰林院中に於て、すぐにやったことは散乱している書を整理し、遺れる帙を解いて、書冊を取り出し、いにしえの事實を探って、至妙の玄理を研究した。

8 散遺帙 遺れる帙を解いて、書冊を取り出すこと。書帙をうち開くこと。また讀書することをさす。 (ちつ)とは、和本を包んで保存する装具の一種。

謝靈運《酬従弟謝惠連 五首その(2)》「淩澗尋我室,散帙問所知。」(澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんちつ】知れる所を問える。) そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。

9 窮至妙 至妙の玄理を研究する。

 

片言苟會心,掩卷忽而笑。

その間、片言隻辭でも、苟も、心に會するものあれば、巻を掩い、忽然として、独り微笑んで居た。

 

青蠅易相點,白雪難同調。

おもえば、青蝿は、美事な玉にも糞をしかけて之を汚し、白雪の曲は、高くして、なかなか之と調を同じゅうすることは出来ない。

10 青蠅 くそばえ、あおばえ。白い布を汚し黑にし、黒い布を白にする。以て讒言人に比す。《詩經小雅甫田之什青蠅》. 毛詩序に「《青蠅》,大夫刺幽王也。」(青蠅は大夫 幽王を刺るなり。)「 營營青蠅,止於樊。豈弟君子,無信讒言。 營營青蠅,止于棘。讒人罔極,交亂四國。 營營青蠅,止于榛。讒人罔極,構我二人。」(營營たる青蠅は,樊に止る。豈弟の君子,讒言を信ずること無れ。營營たる青蠅は,棘に止る。讒人は罔極,交ごも四國を亂る。營營たる青蠅は,榛に止る。讒人は罔極,我が二人を構う。

10 白雪 琵琶の名曲『陽春白雪』は十大古代名曲の一つとされ、琵琶大曲の代表作であり,其の特長は是れの綜合文化曲であり、武術曲の表現手法とが調和される演奏風格をもっているものである。十大古代名曲を列挙すると《高山流水》、《廣陵散》、《平沙落雁》、《梅花三弄》、《十面埋伏》、《夕陽簫鼓》、《漁樵問答》、《胡笳十八拍》、《漢宮秋月》和《陽春白雪》となるが、《陽春白雪》のように、他の楽器、歌と合奏されるものは少ない。

宋玉《對楚王問》「客有歌於郢中者、其為『陽春 白雪』是其曲彌高,其和彌寡。(客に郢中に歌う者有り、其れ『陽春白雪』を為す、是れ其の曲 彌よ高ければ,其の和 彌よ寡し。)とあるに基づく。
楊貴妃清華池002 

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李白  感遇,四首之四

宋玉事楚王,立身本高潔。巫山賦綵雲,郢路歌白雪。

舉國莫能和,巴人皆卷舌。一感登徒言,恩情遂中

その時に感じ、思ったこと、その四(宋玉と楚王の問答、高唐賦、や登徒子好色賦などを例にとり、朝廷、後宮に讒言により天子の寵愛を断たれて浮ばれないものが多くいることを述べる。)

宋玉は、楚王に仕え、その身を立つること、極めて高潔にして、醜行などは、少しもなかった。ある時、王に従って、高唐に遊び、巫山神女の事に感じて、「朝雲暮雨」を言う高唐賦をつくり、又、都、郢中に於て白雪を歌ったが、曲いよいよ高ければ、これを解するものなく、楚國をあげて、これに和することができず、賤しい曲のみを唱へて居た巴人は、これがために、舌をまいたというのである。しかも、楚王は、一つに登徒子の言に惑はされ、宋玉を以て色を好むものとなし、さしもの寵遇も、俄に中絶して仕舞ったのは、まことに気の毒千萬な事である。

李太白集巻二三31

感遇,四首之四

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7375

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-84

403 <1000

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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年:*750年天寶九年50

卷別:  卷一八三        文體:  五言古詩

詩題:  感遇,四首之一

作地點:        目前尚無資料

及地點:       

交遊人物/地點:

詩文:

 

感遇,四首之一

吾愛王子晉,得道伊洛濱。金骨既不毀,玉顏長自春。

可憐浮丘公,猗靡與情親。舉首白日間,分明謝時人。

二仙去已遠,夢想空殷勤。

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感遇,四首之二

作地點:              目前尚無資料

寫及地點:無

交遊人物/地點:  

詩文:

 

感遇,四首之二

その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

可歎東籬菊,莖疏葉且微。

東籬に菊の花が咲き並んでいるが茎もまばらで、葉も少ししかなく、随分痩せ衰えている。

雖言異蘭蕙,亦自有芳菲。

蘭蕙とは異なっているとはいうものの、また、そんな花からでも芳香があってきわめて愛すべきものなのだ。

未泛盈樽酒,徒霑清露輝。

ただ今、樽一杯の酒などないのでその菊花を浮かべることなどできないし、いたずらに清らかに輝ける白露に沾うだけで、寂しい限りだ。

當榮君不採,飄落欲何依。

この花の盛りの時にとらなければ陶潜と同じ東籬なのに「飲酒」の詩も歌えず、このまま飄落してしまうので、どうしようもなく、何を頼りにしたらよいのだろうか。

 

(感遇,四首の二)

歎す可し 東籬の菊,莖は疏にして葉 且らく微なり。

蘭蕙に異なりと言うと雖も,亦た自ら芳菲有り。

未だ 盈樽の酒を泛べず,徒らに清露の輝に霑う。

榮に當って君は採らずと,飄落 何れにか依らんと欲す。

 

年:743年天寶二年43

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感遇,四首之三

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

感遇,四首之三

(後宮において、少しの老化が寵愛を失うこととなるため、必死で若さを保つ努力を行う、姮娥伝説を題材にして妃賓の心持を詠ったものである。)

昔余聞姮娥,竊藥駐雲髮。

聞けば、むかし、姮娥という女があって、不死の仙薬を竊んで、いつまでも雲なす髪を駐めんとしたのである。

不自嬌玉顏,方希鍊金骨。

そして、自ら玉顔を嬌なりとせず、骨を錬って、不老不死の金丹を作ることをこいねがったのである。

飛去身莫返,含笑坐明月。

かつて、ひとたび、この塵界を飛び去った後は、決して歸ることなく、笑を含んで明月の中に坐し、即ち月精と成って仕舞った。

紫宮誇蛾眉,隨手會凋歇。

美美しき宮闕に妃嬪宮女どもは、蛾眉の艶を誇るも、やがて老死を免れず、手に随って凋歇するばかりで、まことに傷むべきことである。

(感遇,四首の三)

昔 余 聞く 姮娥,竊藥をんで 雲髮を駐む。

自ら玉顏を嬌なりとせず,方に金骨を鍊らんことを希【こいねが】う。

飛び去って 身 返る莫く,笑を含んで明月に坐す。

紫宮 蛾眉に誇り,手に隨って會【たまた】ま凋歇す。

 

年:743年天寶二年43

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感遇,四首之四

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

交遊人物/地點:  

詩文:

 

感遇,四首之四

その時に感じ、思ったこと、その四(宋玉と楚王の問答、高唐賦、や登徒子好色賦などを例にとり、朝廷、後宮に讒言により天子の寵愛を断たれて浮ばれないものが多くいることを述べる。)

宋玉事楚王,立身本高潔。

宋玉は、楚王に仕え、その身を立つること、極めて高潔にして、醜行などは、少しもなかった。

巫山賦綵雲,郢路歌白雪。

ある時、王に従って、高唐に遊び、巫山神女の事に感じて、「朝雲暮雨」を言う高唐賦をつくり、又、都、郢中に於て白雪を歌ったが、

舉國莫能和,巴人皆卷舌。

曲いよいよ高ければ、これを解するものなく、楚國をあげて、これに和することができず、賤しい曲のみを唱へて居た巴人は、これがために、舌をまいたというのである。

一感登徒言,恩情遂中

しかも、楚王は、一つに登徒子の言に惑はされ、宋玉を以て色を好むものとなし、さしもの寵遇も、俄に中絶して仕舞ったのは、まことに気の毒千萬な事である。

 

(感遇,四首の四)

宋玉 楚王に事【つか】え,身を立つるは、本と 高潔なり。

巫山 綵雲を賦し,郢路 白雪を歌う。

國を舉ぐるは 能く和すること莫く,巴人 皆 舌を卷く。

一に登徒の言を感ずれば,恩情 遂に 中す。

 

 

『感遇,四首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

感遇,四首之四

宋玉事楚王,立身本高潔。

巫山賦綵雲,郢路歌白雪。

舉國莫能和,巴人皆卷舌。

一感登徒言,恩情遂中

(下し文)
(感遇,四首の四)

宋玉 楚王に事【つか】え,身を立つるは、本と 高潔なり。

巫山 綵雲を賦し,郢路 白雪を歌う。

國を舉ぐるは 能く和すること莫く,巴人 皆 舌を卷く。

一に登徒の言を感ずれば,恩情 遂に 中

(現代語訳)
感遇,四首之四 その時に感じ、思ったこと、その四(宋玉と楚王の問答、高唐賦、や登徒子好色賦などを例にとり、朝廷、後宮に讒言により天子の寵愛を断たれて浮ばれないものが多くいることを述べる。)

宋玉は、楚王に仕え、その身を立つること、極めて高潔にして、醜行などは、少しもなかった。

ある時、王に従って、高唐に遊び、巫山神女の事に感じて、「朝雲暮雨」を言う高唐賦をつくり、又、都、郢中に於て白雪を歌ったが、

曲いよいよ高ければ、これを解するものなく、楚國をあげて、これに和することができず、賤しい曲のみを唱へて居た巴人は、これがために、舌をまいたというのである。

しかも、楚王は、一つに登徒子の言に惑はされ、宋玉を以て色を好むものとなし、さしもの寵遇も、俄に中絶して仕舞ったのは、まことに気の毒千萬な事である。


(訳注)

感遇,四首之四

その時に感じ、思ったこと、その四(宋玉と楚王の問答、高唐賦、や登徒子好色賦などを例にとり、朝廷、後宮に讒言により天子の寵愛を断たれて浮ばれないものが多くいることを述べる。)

9 解説 蕭士贇は「太白の此篇、宋玉の事を借り、以て己の意を申ぶるなり」といい、即ち宋玉を以て自ら此し、楚王を以て玄宗に擬し、登徒を以て高力士一輩の徒にあてたのである。但し、郢中に白雪を歌ったのは、封楚王問に客とあって、宋玉自身ではなく、又楚王は登徒の言を聞いても、宋玉に対する恩情が全然中絶したわけでもない。これ等は事実に合はぬ嫌があるが、両者ともに寓言であるから、さばかり厳重に批判するにも及ばないと思われる。

 

宋玉事楚王,立身本高潔。

宋玉は、楚王に仕え、その身を立つること、極めて高潔にして、醜行などは、少しもなかった。

10 宋玉・・・・本高潔 戦国時代末期の文学者。屈原の弟子とされる。屈原にならって主として辞賦作品を作ったが,その批判精神は受け継げず,主君の好悪のままに作品を作る宮廷作家の最も早い例ともされる。宋玉の作品として,《文選》には〈風の賦〉〈高唐の賦〉〈神女の賦〉〈登徒子好色の賦〉など,《楚辞章句》には〈九弁〉〈招魂〉などが収められるほか,《古文苑》にも幾編かの宋玉作と称する作品が収められている。しかし彼の伝記に確実なよりどころのないこととあわせて,それぞれの作品の来歴にも多くの問題のあることが指摘されている。

 

巫山賦綵雲,郢路歌白雪。

ある時、王に従って、高唐に遊び、巫山神女の事に感じて、「朝雲暮雨」を言う高唐賦をつくり、又、都、郢中に於て白雪を歌ったが、

11 巫山賦綵雲 楚の嚢王が詩人の宋玉をつれて、雲夢の丘に遊び、高唐という物見台から景色を眺めた。すると、その上に雲気が立ちこめ、高くまっすぐ上ったかと思うと、たちまち形をかえた。しばらくの間に、千変万化する。襄王がたずねた、「これは何か」。宋玉がこたえた、「いわゆる朝雲です」。「朝雲とは何か」。宋玉が説明した。

「昔先代の王さまがやはりこの高唐に遊びにきて、昼寝をされた。夢の中に一人の女が現われて言った。『わたしは巫山の女です。高唐へ遊びにきましたが、殿様もまた高唐に遊びに来られたことを聞きました。どうか、おそばに侍らせて下さいませ。』 王はお可愛がりになった。去るとき女が言った。「わたしは巫山の南の高い山の峰に住んでいますが、朝には雲となり、碁には雨となり、毎朝毎晩、南の丘の下へ行きます」。翌朝、行ってみると、果して女の言うとおりだったので、そこに社を建てて朝雲と呼んだ。興味をおぼえた嚢王は、朝雲についてその様子をききただす。宋玉は委細をつくして朝雲暮雨を歌いあげる。その話は、宋玉の「高唐の賦」にくわしい。ただし、ふつうの伝説では、夢のなかで巫山の女神と交わったのは、嚢王その人となっている。 

12 郢路歌白雪 陽春白雪』の曲は高尚な歌である。巫山の巴人、楚の人は、高尚な歌の意味を解すものが少なく、下世話、卑猥なものを多く歌い、理解しなかったことを言う。白雪:琵琶の名曲『陽春白雪』は十大古代名曲の一つとされ、琵琶大曲の代表作であり,其の特長は是れの綜合文化曲であり、武術曲の表現手法とが調和される演奏風格をもっているものである。十大古代名曲を列挙すると《高山流水》、《廣陵散》、《平沙落雁》、《梅花三弄》、《十面埋伏》、《夕陽簫鼓》、《漁樵問答》、《胡笳十八拍》、《漢宮秋月》和《陽春白雪》となるが、《陽春白雪》のように、他の楽器、歌と合奏されるものは少ない。

宋玉《對楚王問》「客有歌於郢中者、其為『陽春 白雪』是其曲彌高,其和彌寡。(客に郢中に歌う者有り、其れ『陽春白雪』を為す、是れ其の曲 彌よ高ければ,其の和 彌よ寡し。)とあるに基づく。

 

舉國莫能和,巴人皆卷舌。

曲いよいよ高ければ、これを解するものなく、楚國をあげて、これに和することができず、賤しい曲のみを唱へて居た巴人は、これがために、舌をまいたというのである。

舉國莫能和 歌の内容と演奏がむつかしい曲、即ち、高尚な曲であれば、楚の國中探してもこれに唱和し、演奏するものが少ないという意。

 

一感登徒言,恩情遂中

しかも、楚王は、一つに登徒子の言に惑はされ、宋玉を以て色を好むものとなし、さしもの寵遇も、俄に中絶して仕舞ったのは、まことに気の毒千萬な事である。

13 登徒言 『文選』巻19に載る「登徒子好色賦」に記されているよく知られた逸話で、美男として有名な中国の文人・宋玉が「自分は決して好色ではない、隣に住んでいた国一番の美女が牆(かき)からその姿を見せ、3年間のぞき込まれ誘惑され続けたが心を動かした事は一度も無かった、私のことを好色と称する登徒子(とうとし)こそ好色である」と王の前で反論した故事(宋玉東牆)をいう。

李白 302 《卷23-43詠鄰女東窗海石榴》

魯女東窗下,海榴世所稀。珊瑚映綠水,未足比光輝。

清香隨風發,落日好鳥歸。願為東南枝,低舉拂羅衣。

無由共攀折,引領望金扉。

(鄰女東窗の海石榴を詠ず)

魯女 東窗の下,海榴 世の稀なる所。珊瑚 綠水に映じ,未だ光輝を比する足らず。

清香 風に隨って發し,落日 好鳥歸る。願わくば 東南の枝と為り,低く舉って 羅衣を拂わん。

共に攀折する由無く,領を引いて 金扉を望む。

(国一番の美女が隣に住んでいて、その窓下の椿の花を見て詠う。)

隣の家にいる魯女の住む部屋の東窓のもとに植えたツバキの花は世にもまれなものである。

サンゴが東海の緑水に映えるも、いまだその花の光輝ある姿に比しがたいというものである。

そして、この花の清香は、したがって発し、夕日が沈むころには、珍しい小鳥がその花に宿せんがために帰ってくる。

我、願わくば、その木の東南の枝となり、低く挙がって、魯女が木のほとりに来た時には、おもむろに羅衣を払いたいと思うのである。

何はともあれ、隣家ではあるものの、余人して、その枝を攀折することもできず、ただ首をのばして、その東隣の女の住んでいる部屋の金色の門扉を望むのみである。

302 《卷23-43詠鄰女東窗海石榴》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <302> Ⅰ李白詩1590 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6498

14 恩情遂中 恩情中道恩情 中道に絶えんことを帝王の寵愛が途中で絶えてしまう


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李白  感遇,四首之三

昔余聞姮娥,竊藥駐雲髮。不自嬌玉顏,方希鍊金骨。

飛去身莫返,含笑坐明月。紫宮誇蛾眉,隨手會凋歇。

(後宮において、少しの老化が寵愛を失うこととなるため、必死で若さを保つ努力を行う、姮娥伝説を題材にして妃賓の心持を詠ったものである。)

聞けば、むかし、姮娥という女があって、不死の仙薬を竊んで、いつまでも雲なす髪を駐めんとしたのである。そして、自ら玉顔を嬌なりとせず、骨を錬って、不老不死の金丹を作ることをこいねがったのである。かつて、ひとたび、この塵界を飛び去った後は、決して歸ることなく、笑を含んで明月の中に坐し、即ち月精と成って仕舞った。美美しき宮闕に妃嬪宮女どもは、蛾眉の艶を誇るも、やがて老死を免れず、手に随って凋歇するばかりで、まことに傷むべきことである。

李太白集巻二三30

感遇,四首之三

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7370

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-83

402 <1000

 

 
  2016年2月21日 の紀頌之5つのBlog  
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年:*750年天寶九年50

卷別:  卷一八三        文體:  五言古詩

詩題:  感遇,四首之一

作地點:        目前尚無資料

及地點:       

交遊人物/地點:

詩文:

 

 

感遇,四首之一

吾愛王子晉,得道伊洛濱。金骨既不毀,玉顏長自春。

可憐浮丘公,猗靡與情親。舉首白日間,分明謝時人。

二仙去已遠,夢想空殷勤。

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感遇,四首之二

作地點:              目前尚無資料

寫及地點:無

交遊人物/地點:  

詩文:

 

感遇,四首之二

その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

可歎東籬菊,莖疏葉且微。

東籬に菊の花が咲き並んでいるが茎もまばらで、葉も少ししかなく、随分痩せ衰えている。

雖言異蘭蕙,亦自有芳菲。

蘭蕙とは異なっているとはいうものの、また、そんな花からでも芳香があってきわめて愛すべきものなのだ。

未泛盈樽酒,徒霑清露輝。

ただ今、樽一杯の酒などないのでその菊花を浮かべることなどできないし、いたずらに清らかに輝ける白露に沾うだけで、寂しい限りだ。

當榮君不採,飄落欲何依。

この花の盛りの時にとらなければ陶潜と同じ東籬なのに「飲酒」の詩も歌えず、このまま飄落してしまうので、どうしようもなく、何を頼りにしたらよいのだろうか。

 

(感遇,四首之二)

歎す可し 東籬の菊,莖は疏にして葉 且らく微なり。

蘭蕙に異なりと言うと雖も,亦た自ら芳菲有り。

未だ 盈樽の酒を泛べず,徒らに清露の輝に霑う。

榮に當って君は採らずと,飄落 何れにか依らんと欲す。

 

年:743年天寶二年43

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感遇,四首之三

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

感遇,四首之三

(後宮において、少しの老化が寵愛を失うこととなるため、必死で若さを保つ努力を行う、姮娥伝説を題材にして妃賓の心持を詠ったものである。)

昔余聞姮娥,竊藥駐雲髮。

聞けば、むかし、姮娥という女があって、不死の仙薬を竊んで、いつまでも雲なす髪を駐めんとしたのである。

不自嬌玉顏,方希鍊金骨。

そして、自ら玉顔を嬌なりとせず、骨を錬って、不老不死の金丹を作ることをこいねがったのである。

飛去身莫返,含笑坐明月。

かつて、ひとたび、この塵界を飛び去った後は、決して歸ることなく、笑を含んで明月の中に坐し、即ち月精と成って仕舞った。

紫宮誇蛾眉,隨手會凋歇。

美美しき宮闕に妃嬪宮女どもは、蛾眉の艶を誇るも、やがて老死を免れず、手に随って凋歇するばかりで、まことに傷むべきことである。

 

(感遇,四首の三)

昔 余 聞く 姮娥,竊藥をんで 雲髮を駐む。

自ら玉顏を嬌なりとせず,方に金骨を鍊らんことを希【こいねが】う。

飛び去って 身 返る莫く,笑を含んで明月に坐す。

紫宮 蛾眉に誇り,手に隨って會【たまた】ま凋歇す。

 

年:*743年天寶二年43

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感遇,四首之四

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

交遊人物/地點:  

詩文:

 

感遇,四首之四

宋玉事楚王,立身本高潔。巫山賦綵雲,郢路歌白雪。

舉國莫能和,巴人皆卷舌。一感登徒言,恩情遂中

 

西嶽華山00 

『感遇,四首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

感遇,四首之三

昔余聞姮娥,竊藥駐雲髮。

不自嬌玉顏,方希鍊金骨。

飛去身莫返,含笑坐明月。

紫宮誇蛾眉,隨手會凋歇。

(下し文)
(感遇,四首の三)

昔 余 聞く 姮娥,竊藥をんで 雲髮を駐む。

自ら玉顏を嬌なりとせず,方に金骨を鍊らんことを希【こいねが】う。

飛び去って 身 返る莫く,笑を含んで明月に坐す。

紫宮 蛾眉に誇り,手に隨って會【たまた】ま凋歇す。

(現代語訳)
感遇,四首之三(後宮において、少しの老化が寵愛を失うこととなるため、必死で若さを保つ努力を行う、姮娥伝説を題材にして妃賓の心持を詠ったものである。)

 

聞けば、むかし、姮娥という女があって、不死の仙薬を竊んで、いつまでも雲なす髪を駐めんとしたのである。

そして、自ら玉顔を嬌なりとせず、骨を錬って、不老不死の金丹を作ることをこいねがったのである。

かつて、ひとたび、この塵界を飛び去った後は、決して歸ることなく、笑を含んで明月の中に坐し、即ち月精と成って仕舞った。

美美しき宮闕に妃嬪宮女どもは、蛾眉の艶を誇るも、やがて老死を免れず、手に随って凋歇するばかりで、まことに傷むべきことである。

霓裳羽衣舞001
(訳注)

感遇,四首之三

(後宮において、少しの老化が寵愛を失うこととなるため、必死で若さを保つ努力を行う、姮娥伝説を題材にして妃賓の心持を詠ったものである。)

5【解説】 この首は、長生不死を希望して、塵世の短壽を嘲ったものである。

 

昔余聞姮娥,竊藥駐雲髮。

聞けば、むかし、姮娥という女があって、不死の仙薬を竊んで、いつまでも雲なす髪を駐めんとしたのである。

6 姮娥 后羿の妻である嫦娥(嫦娥仙子)が、后羿が西王母から貰った不老不死の霊薬(または天上界へ行ける霊薬)を飲み1人月へ昇り月宮(広寒宮)で寂しく暮らすことになったという中秋節の故事である。嫦娥奔月とは「嫦娥、月に奔る」の意味。淮南子6巻の覧冥訓12節には嫦娥の物語として「譬若羿請不死之藥於西王母、姮娥竊以奔月、悵然有喪、無以續之。何則? 不知不死之藥所由生也。是故乞火不若取燧、寄汲不若鑿井」との記載がある。淮南子に「羿、不死の薬を西王母に請う、姮娥、竊んで以て月に奔る」姮娥は、羿の妻、「羿,不死の藥を西王母に請ふ、未だこれを服するに及ばず、姮娥、盗んで之を食うて仙を得、奔って月中に入り、月精となるなり」 これについては韓愈 長編の雜詩《月蝕詩效玉川子作》詩において、面白おかしく述べている。

月蝕詩效玉川子作 韓愈 韓退之(韓愈)詩<96-#1>Ⅱ中唐詩514 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1622

 

不自嬌玉顏,方希鍊金骨。

そして、自ら玉顔を嬌なりとせず、骨を錬って、不老不死の金丹を作ることをこいねがったのである。

7 鍊金骨 丹砂を主原料にしてカルシュウムを加え、不老不死の金丹を作ることを言う。道教「四輔」太清部は金丹の術関連の書が纏められている。古くは「黄治」や「黄白」とも呼ばれた金丹は、不老不死の効果を持つ薬の製造と服薬により仙人になることを目指すという点から、道教と密接に関連していた。金丹は古くから興っていたと考えられるが、西晋の頃に方法論の文献『抱朴子』が、「三洞」の霊宝経を伝えた一派とも密接に関係していた葛洪によって著された。彼によると、後漢時代に左慈という人物が神人から授かった「金丹仙経」をごく少数の集団を経て伝えられたという。葛洪は方法を知りながらも経済的理由で必要な金属や鉱物を入手できないため実践に至らないと言っていた。

丹砂(硫化水銀)を主原料とする「神丹」「金丹」「大丹」「還丹」などと称される丹薬や、金を液状にした「金液」が服用された。このようなものは実際のところ人体に有害であり、唐の皇帝が何人も丹薬の害によって命を落としたことが『旧唐書』『新唐書』に記されている。

 

飛去身莫返,含笑坐明月。

かつて、ひとたび、この塵界を飛び去った後は、決して歸ることなく、笑を含んで明月の中に坐し、即ち月精と成って仕舞った。

 

紫宮誇蛾眉,隨手會凋歇。

美美しき宮闕に妃嬪宮女どもは、蛾眉の艶を誇るも、やがて老死を免れず、手に随って凋歇するばかりで、まことに傷むべきことである。

6 柴宮 左思の詩に「列宅紫官裏」とあって、李周翰の註に「紫宮は、天子居るところ」とある。紫微垣、即ち紫微宮、天子の居るところ。古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の中垣。天の北極を中心とした広い天区。あるいはその主体となった星官(星座)のことを指す場合もある。「紫微」「紫微宮(しびきゅう)」「紫宮(しきゅう)」「紫垣(しえん)」ともいい、天帝の在所とされたため、転じて皇宮、朝廷の異称ともなった。「紫禁城」の「紫」もこれに基づく。紫宮女 天帝の後宮で天帝の住まう紫微宮(しびきゅう)を文字っている。宮女をいう。

《巻一49古風,五十九首之四十九》  

美人出南國,灼灼芙蓉姿。皓齒終不發,芳心空自持。

由來紫宮女,共妒青蛾眉。歸去瀟湘沚,沈吟何足悲。

(古風,五十九首之四十九)

美人 南國にず,灼灼たる芙蓉の姿。

皓齒 終に發かず,芳心 空しく自ら持す。

由來 紫宮の女,共に青蛾眉を妒む。

歸り去れ 瀟湘の沚【なぎさ】,沈吟 何んぞ悲むに足らん。

(宮女の生き方、寵愛を受けるために陰湿な戦いを行うが、朝廷内におけるのも同様な陰湿な陰謀、讒言により貶められるが、入ればもう帰ることはできないところであるという。)南国に生れた美人は、灼灼たる芙蓉の花が新たに水を得たようで極めて鮮やかに、且つ美しい。選りすぐられて後宮に入る。こんなにも美しい女が天子の愛寵を得ているのなら、どんなにか楽しいことかと思うのであるが、白い歯を出して笑ってはいけないというし、芙蓉に比べられても見劣りしない芳心を空しく持っているばかりで、「容色が衰えて寵愛が薄れる」という例えどおり、佳人、麗人が無数にいる宮廷で自分の地位を保持することはきわめて難しかったのでたえず、憂いている。昔から後宮の宮女たちは、特に優れたる美人が天下より選りすぐられ、集められていて、その運命は最高権力者の一時の寵愛にすべて係っているので、それだけを考えて競い合っている、したがって嫉妬、讒言、陰謀、政争に巻き込まれやすい地位にある。この妃嬪は、召されて後宮に入ったもののとても陰湿に競い合う嫉妬が過ぎるため、この生活に堪えきれぬと、最早きっぱりと断念して故郷の瀟湘の水のほとりに帰りたいと思っているけれど、いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。

李白325 《巻一49-《古風,五十九首之四十九 (美人出南國)》》325Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(6) <李白325> Ⅰ李白詩1638 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6738

 

《卷十六10送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》

安西幕府多材雄,喧喧惟道三數公。

繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。

朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。

天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。

胡塞清塵幾日歸,漢家草綠遙相待。

(程・劉二侍郎の獨孤判官と安西幕府に赴くを送る)

安西の幕府 材雄多し,喧喧 惟だ道う 三數公。

繡衣 貂裘 積雪よりも明かに,書を飛ばし 檄を走らすこと 飄風の如し。

朝 明主を辭して 紫宮を出で,銀鞍 別を送って 金城空し。

天外の飛霜 蔥海に下り,火旗雲馬 光彩を生ず。

胡塞 塵を清めて 幾日か歸る,漢家 草綠にして遙に相い待つ。

(侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するのを送る詩)

安西都護府は、西域一帯の地を牽制するから、その必要上、才気雄傑の人が多いが、その中でも、喧喧として、人口に上るのは、侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻の三数公といわれる人たちである。

三数公は、繍衣をつけ、貂裘を披き、それが満地の積雪より明かに、そして、書を飛ばしたり、檄を走らせたりする場合に、その疾いことは、さながら飄風の如く、まことに、あっぱれの人物で、それなればこそ、この重職も、やすやすと務まるわけである。

今次、三数公は、朝に聖明の君に辭して、紫微垣より出て、そして、その行を送る人人は、馬に銀鞍を置いて、美美しき打扮、しかも、その数の多いことは、長安城が空に成るかとおもうくらいである。

これより、行く手の路は、いとも遥かにして、天外の飛霜は、葱海に下り、まことに凄寒に堪へられぬが、一行は、火のやうな赤い旗を押し立て、相従う人馬の多きことは、雲の如く、まことに見事である。

かくて、何れの時かに胡塞の塵が収まって、目出たく歸京せらるるか、都に於では、春囘り、草再び緑にして、遥かに三数公の歸るのを待って居るのである。

743年(64)李太白集卷十六10-《送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》(安西幕府多材雄,) 383Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-64) Ⅰ李白詩1738 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7230

 

tsuki001

 

 

 

感遇,四首(之二) 【字解】

 

 

その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

1 東籬菊 陶潜《飲酒》其五「採菊東籬下,悠然見南山。」をおもいうかべる。

2 未泛 菊酒が出来ない。

3 當榮 菊の花の盛んになる時にあたってという意味。

4 君不採 陶潜《飲酒》其五「採菊東籬下,悠然見南山。」

《飲酒》其五

結廬在人境,而無車馬喧。

問君何能爾?心遠地自偏。 

採菊東籬下,悠然見南山。

山氣日夕佳,飛鳥相與還。 

此中有真意,欲辯已忘言。

廬を結ぶに 人境に在り,而して 車馬の喧【かまびす】しき無し。

君に問ふ 何ぞ能く爾ると,心 遠ければ 地 自ら偏る。

菊を采る 東籬の下,悠然として 南山を見る。

山氣 日夕に佳く,飛鳥 相ひ與に還る。

此の中に 眞意有り,辨んと欲して 已に言を忘る。

○采菊東籬下:東側のまがきのもとで菊を摘む。この句は次の「悠然見南山」と共に人口に膾炙された。

 

人里に廬(いおり)を構えているが、車馬の音がうるさいとは思わない。「どうしてそんなことができるのですか」と問われる。「心が俗世間から離れていれば、環境だって自然に辺鄙(へんぴ)になるのさ」とこたえる。東の垣根で菊を摘み、悠然と南の山を見る。山は夕暮れ時がよい。鳥が連れだってねぐらへ帰ってゆく。ここに、私の真意があるのだ。そのことを詳しく説明しようと思ったが、もう言うべき言葉を忘れてしまったよ。

743年(82)李太白集829巻二十三03效古二首其二  401Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(82) Ⅰ李白詩1765 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7365

李白  效古,二首之二

自古有秀色,西施與東鄰。蛾眉不可妒,況乃效其

所以尹婕妤,羞見邢夫人。低頭不出氣,塞默少精神。

寄語無鹽子,如君何足珍。

古詩の體に倣ったという詩)その二

大昔より、絶世の秀色と称せさられるは、越王が呉に進めた西施と宋玉の東鄰の女子とである。蛾眉の美なるは、いくら妬んだとても、仕方がないので、まして、其顰に倣えば、唯だ、自己の醜を増すばかりである。されば、尹妤は、武帝に乞うて、刑夫人を見るや、直に之を見分け、おのが容貌が到底相及ばないということを愧いった。そうして、首を垂れたまま、気を出さず、落胆して、一語も言葉をも出しかね、全く精神的に降伏して仕舞った。無は、聞こゆる醜婦であって、無論、才徳は偉いに相違ないが、単に美色の上から論ずれば、もとより珍として寵愛するに足らぬものとして、世俗一般から卑視されている。

李太白集巻二三03

效古,二首之二

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Index-23

743年天寶二年43歳 

94-82

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效古,二首之一 #1

古詩の體に倣ったという詩

朝入天苑中,謁帝蓬萊宮。

朝に禁苑の中に入り、蓬莱宮に於いて天子に謁見した。

青山映輦道,碧樹搖蒼空。

終南の山色は、御輦の通行する路に映じ、碧樹は煙れる空に揺き、まことに長閑かなものでめでたいものである有様で、さすがに、太平の気象である。

謬題金閨籍,得與銀臺通。

かくて、誤って、金馬門に籍を置くことになり、そこへ行く道は、右銀臺門と通じ、布衣の身を以て、九重の城闕に出入するを得たる有り難きものである。

#2

待詔奉明主,抽毫頌清風。

身は、翰林に待詔となって、聖明の主に供奉し、筆を抜いて、清風の風雅頌などを作るを事として居た。

歸時落日晚,躞蹀浮雲驄。

それから、退朝する時は、すっかり日が落ちて晩になってからであったし、静かに名馬を歩ませたのだ。

人馬本無意,飛馳自豪雄。

人馬ともに意なきものから、その飛び馳する様は、豪雄を極めて居たものである。

入門紫鴛鴦,金井雙梧桐。

金門から入ると、太液池中には紫鴛鴦が戯れて居るし、天子の寝殿の金井には、梧桐の木が二株植えてある。

#3

清歌弦古曲,美酒沽新豐。

そこで、清歌を斉唱し、古曲を弾じしめ、新豊の美酒を買い集められる。

快意且為樂,列筵坐群公。

心ゆくばかりに、楽しみを縦いまにし、宴の四座には羣公を坐せしめ、もろともに打興じているのである。

光景不可留,生世如轉蓬。

しかし、この楽しみのすべての光景は、決して久しく留まることができず、この世に在る間は、轉蓬の如く、行方定めぬものである。

早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

顧みれば、出世早達は大器晩成に勝り、人は、是非とも、年の若い内に出身せねばならぬもので、かの磻渓に釣を垂れた太公望に比せられるを羞ずるというので、これが世俗の見解である。

 

(古に效う,二首の一) #1

朝に天苑の中に入り,帝に謁す 蓬萊宮。

青山 輦道に映り,碧樹 蒼空に搖く。

謬って金閨の籍に題し,銀臺と通ずるを得たり。

#2

待詔 明主に奉じ,毫を抽て清風を頌す。

歸時 落日晚く,躞蹀 浮雲の驄。

人馬 本と意無く,飛馳 自ら豪雄。

門に入れば 紫鴛鴦,金井 雙梧桐。
#3

清歌 古曲を弦じ,美酒 新豐を沽う。

快意 且つ樂を為し,列筵 群公を坐せしむ。

光景 留むべからず,世に生きて轉蓬の如し。

早達は 晚遇に勝る,垂釣の翁に比するを羞ず。

 

年:743年天寶二年43歳 94-82) 

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    效古,二首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:無

交遊人物/地點:  

詩文:

 

效古,二首之二

古詩の體に倣ったという詩)その二

自古有秀色,西施與東鄰。

大昔より、絶世の秀色と称せさられるは、越王が呉に進めた西施と宋玉の東鄰の女子とである。

蛾眉不可妒,況乃效其矉。

蛾眉の美なるは、いくら妬んだとても、仕方がないので、まして、其顰に倣えば、唯だ、自己の醜を増すばかりである。

所以尹婕妤,羞見邢夫人。

されば、尹妤は、武帝に乞うて、刑夫人を見るや、直に之を見分け、おのが容貌が到底相及ばないということを愧いった。

低頭不出氣,塞默少精神。

そうして、首を垂れたまま、気を出さず、落胆して、一語も言葉をも出しかね、全く精神的に降伏して仕舞った。

寄語無鹽子,如君何足珍。

は、聞こゆる醜婦であって、無論、才徳は偉いに相違ないが、単に美色の上から論ずれば、もとより珍として寵愛するに足らぬものとして、世俗一般から卑視されている。

(古に效う,二首の二)

古自り秀色有り,西施と東鄰と。

蛾眉 妒むべからず,況や乃ち其の矉を效うをや

尹婕妤が,邢夫人を見るを羞じる所以。

低頭をれて 氣を出さず,塞默 精神少し。

寄語す 無鹽の子,君の如き 何ぞ珍とするに足らん。

霓裳羽衣舞002 

『效古,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

效古,二首之二

自古有秀色,西施與東鄰。

蛾眉不可妒,況乃效其

所以尹婕妤,羞見邢夫人。

低頭不出氣,塞默少精神。

寄語無鹽子,如君何足珍。

(下し文)
(古に效う,二首の二)

古自り秀色有り,西施と東鄰と。

蛾眉 妒むべからず,況や乃ち其の矉を效うをや

尹婕妤が,邢夫人を見るを羞じる所以。

低頭をれて 氣を出さず,塞默 精神少し。

寄語す 無鹽の子,君の如き 何ぞ珍とするに足らん。

(現代語訳)
效古,二首之二古詩の體に倣ったという詩)その二

大昔より、絶世の秀色と称せさられるは、越王が呉に進めた西施と宋玉の東鄰の女子とである。

蛾眉の美なるは、いくら妬んだとても、仕方がないので、まして、其顰に倣えば、唯だ、自己の醜を増すばかりである。

されば、尹妤は、武帝に乞うて、刑夫人を見るや、直に之を見分け、おのが容貌が到底相及ばないということを愧いった。

そうして、首を垂れたまま、気を出さず、落胆して、一語も言葉をも出しかね、全く精神的に降伏して仕舞った。

は、聞こゆる醜婦であって、無論、才徳は偉いに相違ないが、単に美色の上から論ずれば、もとより珍として寵愛するに足らぬものとして、世俗一般から卑視されている。

長安付近図00
(訳注)

效古,二首之二

古詩の體に倣ったという詩)その二

1 效古は、即ち古詩の體に倣ったというのであるが、その内容は、作者自身の閲歴を叙したので、わざと、此の如く題を命じたのである。

24 其二【解説】前の其一は、「早達勝晚遇」世俗、早達を貴んで、晩遇を賎しむを言い、此首は、一般に色を重んじ、毫程も、才徳を顧みざるをいい、これが、即ち自己の不遇の原因であるということに歸著する。巌滄浪は「妬むも得ず、矉に倣うも得ず、色あって徳なきは、敢て見ず、徳あって色なきは、珍とするに足らず。色を賛すること、至れり、而して、世を嘆ずるの意、言外に見わる、真に古人の情を得たり」といい、蕭士贇は「この詩、時の色を以て相尚んで、徳を好まざるものを刺る、故に末句、これを反言して、寄語無鹽子、如君何足珍といふなり。」といい、乾隆御批には「凡そ效古擬古の作、皆空言に非ず、必ず中に感ずるところあり、よって以て意を寄す、故に之を質言し得ざれば、寓言を以て之を明かにし、これを正言し得ざれば、その辭を反し、以て意を見わす。白の高曠、豈に点々として、早達を以て自ら喜び、蛾眉を誇って醜女を嗤うものならむや。これを刺ること深く、これを諷すること微なり、眞に古欒府の遺を得たるもの、読者意を以て之を迎え、その言外の旨を得れば可なり。」といい、いずれも、言外に中って居る。

 

自古有秀色,西施與東鄰。

大昔より、絶世の秀色と称せさられるは、越王が呉に進めた西施と宋玉の東鄰の女子とである。

秀色 秀色美人、絶世美人をいう。

25 西施 本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。

 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施>>>西施と呼ばれるようになった。

 紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。

 この時の越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。

 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。

 次は美女軍団が呉の国王を狂わせた。

 十八史略には、西施のきわめて美しかったこと、彼女にまつわるエピソードが記されている。西施は、呉王 夫差の寵姫となったが、あるとき胸の病となり、故郷の村に帰ってきた。西施は、痛む胸を手でおさえ、苦しみに眉をひそめて歩いた。それがかえって色香を引出し、村人の目を引いた。そのときに村に評判の醜女がいて、西施のまねた行動をした。それは、異様な姿に映り、かえって村人に嫌われた。これを「西施捧心」と表され、実もないのに真似をしても無駄なことだということだが、日本では、「これだけやっていますが、自分の力だけでなく、真似をしただけですよ」という謙遜の意味に使用されることが多い。

 このようにまれな美しさをそなえた西施は、呉王 夫差を虜(とりこ)にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景の中には、所々に、席がもうけられ、優雅な宴(うたげ)がもよおされた。夏には、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、呉王 夫差は、その美しい肢体に見入った。こうして、夫差は悦楽の世界にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまい、傾国が始まったのである。

 越の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。

 その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。

 2)西施ものがたり  李白がよく取り上げた題材

1111 《西施》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <1111> Ⅰ李白詩1290 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4998

1112 《西施》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <1112> Ⅰ李白詩1291 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5003

 

西施 李白が西施の詩句表。

6502-06楽府烏棲曲

王宮里醉西施。

195巻五 28子夜 ( 一作子夜四時歌 ) 夏歌

鏡湖三百里。 菡萏發荷花。 五月西施采。 人看隘若耶。 回舟不待月。 歸去越王家。

210卷六5玉壺吟

世人不識東方朔。 大隱金門是謫仙。 西施宜笑復宜顰。 丑女效之徒累身。 君王雖愛蛾眉好。

218卷六13鳴皋歌送岑徵君 時梁園三尺雪

鳳孤飛而無鄰。 ()蜓嘲龍。 魚目混珍。 母衣錦。 西施負薪。 若使巢由桎梏于軒冕兮。

546卷十六49送祝八之江東賦得浣紗石

西施越溪女。 明艷光云海。 未入王宮殿時。

747巻二十一25西施

西施越溪女。 出自苧蘿山。

829巻二十三03效古二首其二

自古有秀色。 西施與東鄰。 蛾眉不可妒。 況乃效其顰。 所以尹婕妤。

945巻二十四56口號王美人半醉

風動荷花水殿香。 姑蘇台上宴王。 西施醉舞嬌無力。 笑倚東窗白玉床。

 

26 東鄰 東鄰子 宋玉の賦の中に出てくる美人。宋玉《登徒子好色賦》〔「楚國之麗者,莫若臣里, 臣里之美者, 莫若臣東家之子。」後因以“東鄰”指美女。〕李白《白紵辞其一》「北方佳人東鄰子、且吟白紵停綠水。

80 《白紵辭其一》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州に遊ぶ。20 首 <80> Ⅰ李白詩1246 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4778

 

蛾眉不可妒,況乃效其矉。

蛾眉の美なるは、いくら妬んだとても、仕方がないので、まして、其顰に倣えば、唯だ、自己の醜を増すばかりである。

27 矉 しかめる。にらむ。恨んで見張る。《莊子.天運》「故西施病心而矉其里,其里之醜人,見而美之。」

 

所以尹婕妤,羞見邢夫人。

されば、尹妤は、武帝に乞うて、刑夫人を見るや、直に之を見分け、おのが容貌が到底相及ばないということを愧いった。

28 尹婕妤 前漢武帝の妃。李夫人の没後、尹婕妤(婕妤は女官名)は寵愛されたが、倡(楽人)の身分で帝にまみえたものである。

29 邢夫人 前漢王朝の妃。邢夫人は邢娥となり、衆人はこれを邢何と称した。邢夫人と尹婕妤は同じときに武帝から寵幸されたが、詔によってたがいに相まみえることが禁じられていた。尹夫人は自ら武帝に請い、 邢夫人の姿を見たいと願った。帝は別の人を着飾らせて邢夫人を装って会わせたが、尹夫人は「これは邢夫人ご自身ではありません」と言った。武帝は「どうしてそう言うのか」 と問うと尹夫人は「体つき顔つきを見ますに、人主の愛にあたる方ではありません」と言った。そこで武帝は邢夫人にくたびれた衣服を着させて、ひとりで御前に進ませた。 すると尹夫人は「これぞまことの邢夫人でしょう」と頭を垂れて泣き伏し、自ら及ばぬことの不幸を悲しんだという。

《史記》 武帝、時幸夫人 尹妤與邢夫人同時幸。有詔不得相見尹夫人、自請武帝、願望見邢夫人、帝許之。即令他夫人飾,從御者數十人,為邢夫人來前。尹夫人前見之,:「此非邢夫人身也。」帝曰:「何以言之?」對曰:「視其身貌形狀,不足以當人主矣。」於是帝乃詔使邢夫人衣故衣,獨身來前。尹夫人望見之,:「此真是也。」於是乃低頭俛而泣,自痛其不如也。

30 内職制度:《禮記》卷二〈昏義〉「古者,天子后立六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八. 十一御妻,以聽天下之治,以明章婦順;故天下和而家理。天子立六官、三公、九卿、二十七大夫、八十一元士,以聽天下之外治,以明章天下之男教;故外和而國治(古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く、以て明章婦順す;故に天下和して家理む。天子に六官、三公、九卿、二十七大夫、八十一元士を立て,以て天下之外治を聽く,以て天下之男教を明章す;故に外和して國治む。)とある。〔漢:皇帝之妻稱皇后。妾皆稱夫人,也可稱,後來又有美人、良人、八子等稱號。昭儀、婕妤、娥、容華、充衣、美人、良人、八子、七子、長使、少使、五官、順常、舞涓、(共和、靈、保林、良使、夜者)唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。

 

低頭不出氣,塞默少精神。

そうして、首を垂れたまま、気を出さず、落胆して、一語も言葉をも出しかね、全く精神的に降伏して仕舞った。

31 低頭 首を垂れたまま元気のない様子を言う。

32 塞默 落胆して、押し黙っている状態を言う。

 

寄語無鹽子,如君何足珍。

は、聞こゆる醜婦であって、無論、才徳は偉いに相違ないが、単に美色の上から論ずれば、もとより珍として寵愛するに足らぬものとして、世俗一般から卑視されている。

33 無鹽子 「貌似無鹽」醜女にたいする形容である,「無鹽」とは是れ戰國時代齊國の無鹽縣醜女が鐘離の春,今の山東東平縣東部に在る。書上她「四十にして未だ嫁せず」,「極めて醜く雙と無し」,「凹頭 深目,長肚大節,昂鼻結喉,肥頂少髮」,而して且つ「皮膚烤漆」とみにくいことをいう。

常用為醜女的代稱。 漢 劉向 《列女傳齊鍾離春》:鍾離春 者, 齊 無鹽 邑之女, 宣王 之正后也。 其為人極醜無雙, 臼頭深目, 長指大節, 卬鼻結喉, 肥項少髮。”

 

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743年(81)李太白集828卷23-02效古二首其一  400-#1Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(81) Ⅰ李白詩1762 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7350

李白  效古,二首之一 #1

朝入天苑中,謁帝蓬萊宮。青山映輦道,碧樹搖蒼空。謬題金閨籍,得與銀臺通。

古詩の體に倣ったという詩

朝に禁苑の中に入り、蓬莱宮に於いて天子に謁見した。終南の山色は、御輦の通行する路に映じ、碧樹は煙れる空に揺き、まことに長閑かなものでめでたいものである有様で、さすがに、太平の気象である。かくて、誤って、金馬門に籍を置くことになり、そこへ行く道は、右銀臺門と通じ、布衣の身を以て、九重の城闕に出入するを得たる有り難きものである。

李太白集巻二三02

效古,二首之一 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7350

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-81

400 <1000

 

 

年:天寶二年43歳 94-81

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    效古,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿  

銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

新豐 (京畿道 京兆府 新豐)              

交遊人物/地點:  

詩文:

 

效古,二首之一 #1

古詩の體に倣ったという詩

朝入天苑中,謁帝蓬萊宮。

朝に禁苑の中に入り、蓬莱宮に於いて天子に謁見した。

青山映輦道,碧樹搖蒼空。

終南の山色は、御輦の通行する路に映じ、碧樹は煙れる空に揺き、まことに長閑かなものでめでたいものである有様で、さすがに、太平の気象である。

謬題金閨籍,得與銀臺通。

かくて、誤って、金馬門に籍を置くことになり、そこへ行く道は、右銀臺門と通じ、布衣の身を以て、九重の城闕に出入するを得たる有り難きものである。

#2

待詔奉明主,抽毫頌清風。

歸時落日晚,躞蹀浮雲驄。

人馬本無意,飛馳自豪雄。

入門紫鴛鴦,金井雙梧桐。

#3

清歌弦古曲,美酒沽新豐。

快意且為樂,列筵坐群公。

光景不可留,生世如轉蓬。

早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

 

(古に效う,二首の一) #1

朝に天苑の中に入り,帝に謁す 蓬萊宮。

青山 輦道に映り,碧樹 蒼空に搖く。

謬って金閨の籍に題し,銀臺と通ずるを得たり。
#2

待詔奉明主,抽毫頌清風。

歸時落日晚,躞蹀浮雲驄。

人馬本無意,飛馳自豪雄。

入門紫鴛鴦,金井雙梧桐。

#3

清歌弦古曲,美酒沽新豐。

快意且為樂,列筵坐群公。

光景不可留,生世如轉蓬。

早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

長安付近図00 

 

『效古,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

效古,二首之一 #1

朝入天苑中,謁帝蓬萊宮。

青山映輦道,碧樹搖蒼空。

謬題金閨籍,得與銀臺通。

(下し文)

(古に效う,二首の一) #1

朝に天苑の中に入り,帝に謁す 蓬萊宮。

青山 輦道に映り,碧樹 蒼空に搖く。

謬って金閨の籍に題し,銀臺と通ずるを得たり。

(現代語訳)
效古,二首之一 #1古詩の體に倣ったという詩

朝に禁苑の中に入り、蓬莱宮に於いて天子に謁見した。

終南の山色は、御輦の通行する路に映じ、碧樹は煙れる空に揺き、まことに長閑かなものでめでたいものである有様で、さすがに、太平の気象である。

かくて、誤って、金馬門に籍を置くことになり、そこへ行く道は、右銀臺門と通じ、布衣の身を以て、九重の城闕に出入するを得たる有り難きものである。


(訳注)

效古,二首之一 #1

古詩の體に倣ったという詩

1 效古は、即ち古詩の體に倣ったというのであるが、その内容は、作者自身の閲歴を叙したので、わざと、此の如く題を命じたのである。

2 起首四句は、始めて天子に謁見せしこと、「謬題金閨籍」の四句は、翰林に待詔せしこと、歸時落日晩の四句は退食の模様、入門紫鴛鳶の六句は其宅に於ける逸樂の有様、光景不可留は感慨を述べたので、無論、後日の作であるが、その昔時の事として叙述を試みたのであろう。蕭士贇は「この詩、欒府富貴の體なり」といって居る。

大明宮の圖003 

朝入天苑中,謁帝蓬萊宮。

朝に禁苑の中に入り、蓬莱宮に於いて天子に謁見した。

3 天苑 禁苑に同じ。

4 蓬萊宮 唐書に「大明宮に、禁苑の東南に衣。、西・宮城の東北隅に壊す、長さ千八百歩、廉さ千八十歩、束内といふ、本と永安宮、貝翫八年に置く、九年、大明宮といひ、以て太上皇の渚薯に備ふ、百官資を献じ、以て役か助く、高宗、風痔を以て西内の漱汲む厭ひ、龍朔三年、はじめて大に興著して、蓬莱宮といひ、成亨元年、含元宮といひ、長安元年、復七大的宮といふしとある。

唐書 「大明宮,乃謂之西,神龍元年曰太極宮。大明宮在禁苑東南,西接宮城之東北隅,長千八百步,廣千八十步,曰東,本永安宮,貞觀八年置,九年曰大明宮,以備太上皇清暑,百官獻貲以助役。高宗以風痹,厭西湫濕,龍朔三年始大興葺,曰蓬萊宮,咸亨元年曰含元宮,長安元年复曰大明宮。」

長安志「東大明宮在禁苑之東南南接京城之北面西接宮城之東北隅南北五里東西三里貞觀八年置為永安宮明年改曰大明宮以備太上皇清暑百官獻貲財以助役龍朔三年大加興造號曰蓬萊宮咸亨元年改曰含元宮尋複大明宮」

 

青山映輦道,碧樹搖蒼空。

終南の山色は、御輦の通行する路に映じ、碧樹は煙れる空に揺き、まことに長閑かなものでめでたいものである有様で、さすがに、太平の気象である。

5 青山 長安大明宮から180度に秦嶺山脈山脈を見るが、此処では長安の右中間による都市計画から南へ子午線上の終南山とみる。

6 輦道 夾城、閣道、輦に乗じて行くべき専用の道。

 

謬題金閨籍,得與銀臺通。

かくて、誤って、金馬門に籍を置くことになり、そこへ行く道は、右銀臺門と通じ、布衣の身を以て、九重の城闕に出入するを得たる有り難きものである。

7 金閨籍 金は金門、應劭の漢書註に「籍は尺二の竹牒なり、これを宮門に懸け、案省相應じ、乃ち入るを得るなり」とある。

8 銀臺 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」

長安城図 作図00 

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李白  巫山枕障  

巫山枕障畫高丘,白帝城邊樹色秋。

朝雲夜入無行處,巴水橫天更不流。
(この詩は、巫山の景色を書いた枕屏風を詠じたのである。)

巫山の枕屏風には、高邱を画いてあって、白帝城のあたり、樹色蒼茫として、時しも秋景色である。

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年:736年開元二十四年36

卷別:    卷一八三                文體:七言

詩題:    巫山枕障

及地點:              巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城    

 

巫山枕障

(この詩は、巫山の景色を書いた枕屏風を詠じたのである。)

巫山枕障畫高丘,白帝城邊樹色秋。

巫山の枕屏風には、高邱を画いてあって、白帝城のあたり、樹色蒼茫として、時しも秋景色である。

朝雲夜入無行處,巴水橫天更不流。

「朝雲暮雨」のとおり、朝雲は、終日じっとして居て、夜になっても行く虞なく、巫山の下に在る巴水は、天に横たわって、更に流れもしない。無論、それは画であるからである。

 

(巫山の枕障)

巫山の枕障、高邱を画く、白帝城 邊、樹色 秋。

朝雲、夜入って行く處なし、巴水、天に横たわって東に流れず。

 

『巫山枕障』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

巫山枕障

巫山枕障畫高丘,白帝城邊樹色秋。

朝雲夜入無行處,巴水橫天更不流。

(下し文)
(
巫山の枕障)

巫山の枕障、高邱を画く、白帝城 邊、樹色 秋。

朝雲、夜入って行く處なし、巴水、天に横たわって東に流れず。

(現代語訳)
(この詩は、巫山の景色を書いた枕屏風を詠じたのである。)

巫山の枕屏風には、高邱を画いてあって、白帝城のあたり、樹色蒼茫として、時しも秋景色である。

「朝雲暮雨」のとおり、朝雲は、終日じっとして居て、夜になっても行く虞なく、巫山の下に在る巴水は、天に横たわって、更に流れもしない。無論、それは画であるからである。

巫山十二峰003
(訳注)

巫山枕障

(この詩は、巫山の景色を書いた枕屏風を詠じたのである。)

【解説】前半は、枕降を一寸見た時の物象で、後半は朝雲巴水を鼓し、更に之を細託して、これが画であることを云ったのである。

・三峽 長江三峡、は中国の長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。三峡を船で上り下りするクルーズは中国内外の多くの観光客を集めており、重慶から宜昌・武漢・上海までの間を運航している。三峡の下流部分には国家的事業である三峡ダムが建設され、三峡の景観や環境が大きく変化した。

○巫山 巫山(ふざん)は中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。長江が山中を貫流して、巫峡を形成。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。

巫山は四川盆地の東半部に多数平行して走る褶曲山脈の中でも最も大きく最も東にある山脈で、四川盆地の北東の境界に北西から南東へ走る褶曲山脈の大巴山脈へと合わさってゆく。長さは40km余り、主峰の烏雲頂は海抜2,400mに達する。

西から流れてきた長江は北西から南東方向へ向けて巫山山脈を貫き、高低差が高く幅の狭い巫峡になっている。また霧や雨が多く、長年の雨で浸食された石灰岩の峰が霧の中で奇怪な形でそそり立つ。

楚の懐王がみた夢を題材にした宋玉の「高唐賦」に登場する。その内容は巫山の神女が懐王と夢の中で出会い、親しく交わるというものである。なかでも、朝には雲に、夕方には雨になって会いたいという神女の言葉が有名となり、巫山雲雨や朝雲暮雨など男女のかなり親密な様子を表す熟語が生まれた。この故事を題材とした詩に劉禹錫の「巫山神女峰」がある。

 

巫山枕障畫高丘,白帝城邊樹色秋。

巫山の枕屏風には、高邱を画いてあって、白帝城のあたり、樹色蒼茫として、時しも秋景色である。

○高丘 (宋玉の『高唐賦』の「楚の懐王が昼寝をして一婦人を夢に見,その婦人が自分は巫山の南,高丘の頂におり,朝には朝雲となり夕べには雨となり,朝も夕も陽台の下にいますと告げた」という句から)男女の契り,巫山の雲雨.

○白帝城 白帝城は中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来。永安宮ともいう。 三国時代、蜀の建国者劉備が夷陵の戦いで呉に敗れ、逃れたのが白帝城。劉備は後事を諸葛亮に託し、この城で没した。

 

朝雲夜入無行處,巴水橫天更不流。

「朝雲暮雨」のとおり、朝雲は、終日じっとして居て、夜になっても行く虞なく、巫山の下に在る巴水は、天に横たわって、更に流れもしない。無論、それは画であるからである。

 

○朝雲 朝雲暮雨 巫山之女臨去時妾在巫山之陽, 高丘之阻, 旦為朝雲, 暮為行雨, 朝朝暮暮, 陽臺之下。”

○巴水 即ち巫山の下を流るる水。

 

(巫山の枕障)

巫山の枕障、高邱を画く、白帝城 邊、樹色 秋。

朝雲、夜入って行く處なし、巴水、天に横たわって東に流れず。

 夔州東川卜居図詳細 001

240 -#2 《巻23-59瑩禪師房觀山海圖 -#2》Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <240 -#2> Ⅰ李白詩1490 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5998

瑩禪師房觀山海圖#2  李白

征帆飄空中,瀑水灑天半。

崢嶸若可陟,想像徒盈嘆。

杳與真心冥,遂諧靜者玩。

如登赤城裡,揭步滄洲畔。

即事能人,從茲得消散。

されば、修行者の山洞のある赤城山の裏に登って、丹洞の奇を探り、又衣をかかげて、滄海の畔を徒渉するような想いをつよくする。

その事が能く人を娯ませることになり、これよって、心地蕭散となり、浮世を離れたような気がするのである。

 

240 -#2 《巻23-59瑩禪師房觀山海圖 -#2》Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <240 -#2> Ⅰ李白詩1490 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5998

 
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年:736年開元二十四年36

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    瑩禪師房觀山海圖

及地點:              丹崖 (江南西道 宣州 黃山)              

交遊人物:瑩上人              當地交遊

 

 

瑩禪師房觀山海圖  #1

(この詩は、瑩禅師の山房に於いて、山海の景を書ける衝立を観たるに因って作ったのである。)

真僧閉精宇,滅跡含達觀。

瑩禅師は世に有りふれた腥坊主とは違い、学徳ともに高く、天晴れな眞正の法師であって、寺に閉じ籠って、跡を人界に滅し、達観を含んで、物外に超然として居る。

列嶂圖雲山,攢峰入霄漢。

そこで、幾つとなく列ねた衝立には、雲山を画き、攢まれる峰尖は、霽漢に衝き入るが如く、

丹崖森在目,清晝疑卷幔。

赤色の断崖は、森然、目前に在って、清晝に帷幕を捲いて、外面を眺めわたした様な工合。

蓬壺來軒窗,瀛海入几案。

それから、蓬莱は、軒窓に逼って来たり、大海は、几案に入り、

煙濤爭噴薄,島嶼相凌亂。

煙れる波涛は、寄って噴薄するが如く、島嶼は、互に乱れ合って居る。

#2

征帆飄空中,瀑水灑天半。

そうかと思ふと、かけり行く帆影は、空中に飄り、瀑布は、天半より灌ぎ堕ちる様である。

崢嶸若可陟,想像徒盈嘆。

この図中の渓山は、険阻であっても、跋渉することが出来るようにも見えるが、もとより、そういうわけにも行かす、それと想像するだけで、徒に嘆息を増すばかりである。

杳與真心冥,遂諧靜者玩。

しかし、その風景の佳絶なるは、沓然としで、眞心と冥契し、遂に静者の玩賞にかなうのである。

如登赤城裡,揭步滄洲畔。

されば、修行者の山洞のある赤城山の裏に登って、丹洞の奇を探り、又衣をかかげて、滄海の畔を徒渉するような想いをつよくする。

即事能人,從茲得消散。

その事が能く人を娯ませることになり、これよって、心地蕭散となり、浮世を離れたような気がするのである。

 

(瑩禪師の房に山海圖を觀る) #1

眞僧、精宇を閉じ、跡を滅して、達観を含む。

列障に雲山を図し、攢峰、霄漢に入る。

丹崖、森として目に在り、清晝、幔を巻くかと疑ふ。

蓬壷、軒窓に來り、瀛海、几案に入る。

煙濤、爭って噴薄、島嶼、相い凌乱。

#2

征帆、空中に飄り、瀑水、天半に灌ぐ。

崢嶸、陟るべきが若く、想像、徒に盈嘆。

杳として、異心と冥し、遂に静者の翫に諧ふ。

赤城の裏に登るが如く、掲げて渉る滄洲の畔。

事に即いて能く人を娯ましむ、これより消散を得たり。


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240 -#1 《巻23-59瑩禪師房觀山海圖 -#1》Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <240 -#1> Ⅰ李白詩1489 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5993

李白  瑩禪師房觀山海圖  #1  

真僧閉精宇,滅跡含達觀。

列嶂圖雲山,攢峰入霄漢。

丹崖森在目,清晝疑卷幔。

蓬壺來軒窗,瀛海入几案。

煙濤爭噴薄,島嶼相凌亂。

(この詩は、瑩禅師の山房に於いて、山海の景を書ける衝立を観たるに因って作ったのである。)瑩禅師は世に有りふれた腥坊主とは違い、学徳ともに高く、天晴れな眞正の法師であって、寺に閉じ籠って、跡を人界に滅し、達観を含んで、物外に超然として居る。

 

240 -#1 《巻23-59瑩禪師房觀山海圖 -#1》Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <240 -#1> Ⅰ李白詩1489 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5993

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:736年開元二十四年36

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    瑩禪師房觀山海圖

及地點:              丹崖 (江南西道 宣州 黃山)              

交遊人物:瑩上人              當地交遊

 

 

瑩禪師房觀山海圖  #1

(この詩は、瑩禅師の山房に於いて、山海の景を書ける衝立を観たるに因って作ったのである。)

真僧閉精宇,滅跡含達觀。

瑩禅師は世に有りふれた腥坊主とは違い、学徳ともに高く、天晴れな眞正の法師であって、寺に閉じ籠って、跡を人界に滅し、達観を含んで、物外に超然として居る。

列嶂圖雲山,攢峰入霄漢。

そこで、幾つとなく列ねた衝立には、雲山を画き、攢まれる峰尖は、霽漢に衝き入るが如く、

丹崖森在目,清晝疑卷幔。

赤色の断崖は、森然、目前に在って、清晝に帷幕を捲いて、外面を眺めわたした様な工合。

蓬壺來軒窗,瀛海入几案。

それから、蓬莱は、軒窓に逼って来たり、大海は、几案に入り、

煙濤爭噴薄,島嶼相凌亂。

煙れる波涛は、寄って噴薄するが如く、島嶼は、互に乱れ合って居る。

#2

征帆飄空中,瀑水灑天半。

崢嶸若可陟,想像徒盈嘆。

杳與真心冥,遂諧靜者玩。

如登赤城裡,揭步滄洲畔。

即事能人,從茲得消散。

 

(瑩禪師の房に山海圖を觀る) #1

眞僧、精宇を閉じ、跡を滅して、達観を含む。

列障に雲山を図し、攢峰、霄漢に入る。

丹崖、森として目に在り、清晝、幔を巻くかと疑ふ。

蓬壷、軒窓に來り、瀛海、几案に入る。

煙濤、爭って噴薄、島嶼、相い凌乱。

#2

征帆、空中に飄り、瀑水、天半に灌ぐ。

崢嶸、陟るべきが若く、想像、徒に盈嘆。

杳として、異心と冥し、遂に静者の翫に諧ふ。

赤城の裏に登るが如く、掲げて渉る滄洲の畔。

事に即いて能く人を娯ましむ、これより消散を得たり。

 

 

『瑩禪師房觀山海圖』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

瑩禪師房觀山海圖  #1

真僧閉精宇,滅跡含達觀。

列嶂圖雲山,攢峰入霄漢。

丹崖森在目,清晝疑卷幔。

蓬壺來軒窗,瀛海入几案。

煙濤爭噴薄,島嶼相凌亂。


(下し文)
(
瑩禪師の房に山海圖を觀る) #1

眞僧、精宇を閉じ、跡を滅して、達観を含む。

列障に雲山を図し、攢峰、霄漢に入る。

丹崖、森として目に在り、清晝、幔を巻くかと疑ふ。

蓬壷、軒窓に來り、瀛海、几案に入る。

煙濤、爭って噴薄、島嶼、相い凌乱。

(現代語訳)
(この詩は、瑩禅師の山房に於いて、山海の景を書ける衝立を観たるに因って作ったのである。)

瑩禅師は世に有りふれた腥坊主とは違い、学徳ともに高く、天晴れな眞正の法師であって、寺に閉じ籠って、跡を人界に滅し、達観を含んで、物外に超然として居る。

そこで、幾つとなく列ねた衝立には、雲山を画き、攢まれる峰尖は、霽漢に衝き入るが如く、

赤色の断崖は、森然、目前に在って、清晝に帷幕を捲いて、外面を眺めわたした様な工合。

それから、蓬莱は、軒窓に逼って来たり、大海は、几案に入り、

煙れる波涛は、寄って噴薄するが如く、島嶼は、互に乱れ合って居る。



(訳注)

瑩禪師房觀山海圖  #1

(この詩は、瑩禅師の山房に於いて、山海の景を書ける衝立を観たるに因って作ったのである。)

 

真僧閉精宇,滅跡含達觀。

瑩禅師は世に有りふれた腥坊主とは違い、学徳ともに高く、天晴れな眞正の法師であって、寺に閉じ籠って、跡を人界に滅し、達観を含んで、物外に超然として居る。

精宇 寺のことをいう。

滅跡 隠居して外に出でざること、謝靈運《酬從弟惠連》「寢瘵謝人徒, 滅跡入雲峰。」瘵【やまい】に寢【い】ね 人徒【じんと】を謝し,滅跡【めつせき】して雲峯【うんほう】に入れり。

酬従弟謝惠連 五首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<45>Ⅱ李白に影響を与えた詩432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1113

 

 

列嶂圖雲山,攢峰入霄漢。

そこで、幾つとなく列ねた衝立には、雲山を画き、攢まれる峰尖は、霽漢に衝き入るが如く、

列嶂 何曲かに連なった歩障、衝立。

攢峰 衝立に峰が何重、何層にも集まるように描かれている。

霄漢 地上遥かに広がる広大無辺の空間上空 大空 天空 天穹 蒼穹 蒼天 碧空 虚空 太虚 渾天 霄漢 天宮 天上 青天井。

 

丹崖森在目,清晝疑卷幔。

赤色の断崖は、森然、目前に在って、清晝に帷幕を捲いて、外面を眺めわたした様な工合。

丹崖 赤色の断崖。

清晝 清々しい昼。

卷幔 まんまくを巻き上げる。

 

蓬壺來軒窗,瀛海入几案。

それから、蓬莱は、軒窓に逼って来たり、大海は、几案に入り、

蓬壺 神仙三山の蓬莱山。

瀛海 神仙三山の蓬莱山。神仙三山の瀛州山に到る大海。

几案 「几」も「案」も机(つくえ)の意で、机。

 

煙濤爭噴薄,島嶼相凌亂。

煙れる波涛は、寄って噴薄するが如く、島嶼は、互に乱れ合って居る。

煙濤 煙れる波涛。

爭噴薄 大波が寄せ合って争い波しぶきが雨の様に煙のように書かれている。

島嶼 大海の中の洲を嶼という。初學記「海中の山を島といい、海中の洲を嶼という。」とある。

相凌亂 互に乱れ合って居る

239-#1 《巻23-55 觀元丹丘坐巫山屏風 -#1》Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <239-#1> Ⅰ李白詩1487 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5983

觀元丹丘坐巫山屏風

昔遊三峽見巫山,見畫巫山宛相似。

疑是天邊十二峰,飛入君家彩屏裡。

寒松蕭瑟如有聲,陽臺微茫如有情。

錦衾瑤席何寂寂,楚王神女徒盈盈。

(元丹丘の屏風絵の中の巫山を見ていたら、屏風の中へ神仙の世界が突然飛んできて、それが李白の前に現前し、さながら本物の山に遊んでいる心地になり、ふと気づけば高い山に入り夢でも見ているようだったという。)

239-#1 《巻23-55 觀元丹丘坐巫山屏風 -#1Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <239-#1> Ⅰ李白詩1487 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5983

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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年:736年開元二十四年36

卷別:    卷一八三              文體:    雜言古詩

詩題:    觀元丹丘坐巫山屏風

及地點:巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

丹崖 (江南西道 宣州 黃山)             

交遊人物:元丹丘              詩文提及(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

觀元丹丘坐巫山屏風

(元丹丘の屏風絵の中の巫山を見ていたら、屏風の中へ神仙の世界が突然飛んできて、それが李白の前に現前し、さながら本物の山に遊んでいる心地になり、ふと気づけば高い山に入り夢でも見ているようだったという。)

昔遊三峽見巫山,見畫巫山宛相似。

われ、むかしに、三峡に遊んで、巫山を見たが、今、巫山の画を見れば、如何にも、よく似て居るの。

疑是天邊十二峰,飛入君家彩屏裡。

かの天邊の十二峰が、そのまま飛んで来て、君の家の彩屏の裏に入ったかと思うばかりである。

寒松蕭瑟如有聲,陽臺微茫如有情。

さて画中見るところは、寒松は簫瑟として、颯颯の聾あるが如く、陽臺は飲茫としで、愈よ情あるが如くである。

錦衾瑤席何寂寂,楚王神女徒盈盈。

錦の衾、瑶の牀、かの襄王の夢の名残は、もとより、其跡なく、唯だ盈盈たる紳女の姿を思うばかりである。

 

高咫尺,如千里,翠屏丹崖燦如綺。

蒼蒼遠樹圍荊門,歷歷行舟泛巴水。

水石潺湲萬壑分,煙光草色俱氛氳。

溪花笑日何年發,江客聽猿幾聞。

使人對此心緬邈。疑入嵩丘夢綵雲。

 

(元丹丘の巫山屏風に坐するを觀る)

むかし、三峡に遊んで巫山を見る、巫山を塞くを見る、宛として相似たり。

疑ふらくは是れ天連の十二峰、飛んで入る、君が家の彩屏の裏。

寒松 蕭瑟 聲あるが如く,陽臺 微茫 情あるが如し。

錦衾 瑤席 何ぞ寂寂たる、,楚王 神女 徒に盈盈。

 

高さ咫尺、千里の如く、翠屏 丹崖 燦として綺の如し。

蒼蒼 遠樹 荊門を圍み,歷歷 行舟 巴水に泛ぶ。

水石 潺湲 萬壑分れ,煙光 草色 俱に氛氳。

溪花 日に笑うて 何の年か發する,江客 猿を聽いて 幾歳か開く。

使人對此心。疑入嵩丘夢雲。

人をして、此に対して心緬邈らしむ、疑ふらくは嵩丘に入り、雲を夢むるかと。

 

 

『觀元丹丘坐巫山屏風』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

觀元丹丘坐巫山屏風

昔遊三峽見巫山,見畫巫山宛相似。

疑是天邊十二峰,飛入君家彩屏裡。

寒松蕭瑟如有聲,陽臺微茫如有情。

錦衾瑤席何寂寂,楚王神女徒盈盈。


(下し文)
(
元丹丘の巫山屏風に坐するを觀る)

むかし、三峡に遊んで巫山を見る、巫山を塞くを見る、宛として相似たり。

疑ふらくは是れ天連の十二峰、飛んで入る、君が家の彩屏の裏。

寒松 蕭瑟 聲あるが如く,陽臺 微茫 情あるが如し。

錦衾 瑤席 何ぞ寂寂たる、,楚王 神女 徒に盈盈。

(現代語訳)
(元丹丘の屏風絵の中の巫山を見ていたら、屏風の中へ神仙の世界が突然飛んできて、それが李白の前に現前し、さながら本物の山に遊んでいる心地になり、ふと気づけば高い山に入り夢でも見ているようだったという。)

われ、むかしに、三峡に遊んで、巫山を見たが、今、巫山の画を見れば、如何にも、よく似て居るの。

かの天邊の十二峰が、そのまま飛んで来て、君の家の彩屏の裏に入ったかと思うばかりである。

さて画中見るところは、寒松は簫瑟として、颯颯の聾あるが如く、陽臺は飲茫としで、愈よ情あるが如くである。

錦の衾、瑶の牀、かの襄王の夢の名残は、もとより、其跡なく、唯だ盈盈たる紳女の姿を思うばかりである。


(訳注)

觀元丹丘坐巫山屏風

(元丹丘の屏風絵の中の巫山を見ていたら、屏風の中へ神仙の世界が突然飛んできて、それが李白の前に現前し、さながら本物の山に遊んでいる心地になり、ふと気づけば高い山に入り夢でも見ているようだったという。)

開元二十四年(李白三十六歳)の作。李白の浪漫的で明朗な精神が端的に描かれているが、朝廷に出仕する頃までの彼の道教詩は、このような調子が基調となっている。

 

昔遊三峽見巫山,見畫巫山宛相似。

われ、むかしに、三峡に遊んで、巫山を見たが、今、巫山の画を見れば、如何にも、よく似て居るの。

○三峽 長江三峡、は中国の長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。三峡を船で上り下りするクルーズは中国内外の多くの観光客を集めており、重慶から宜昌・武漢・上海までの間を運航している。三峡の下流部分には国家的事業である三峡ダムが建設され、三峡の景観や環境が大きく変化した。

○巫山 巫山(ふざん)は中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。長江が山中を貫流して、巫峡を形成。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。

巫山は四川盆地の東半部に多数平行して走る褶曲山脈の中でも最も大きく最も東にある山脈で、四川盆地の北東の境界に北西から南東へ走る褶曲山脈の大巴山脈へと合わさってゆく。長さは40km余り、主峰の烏雲頂は海抜2,400mに達する。

西から流れてきた長江は北西から南東方向へ向けて巫山山脈を貫き、高低差が高く幅の狭い巫峡になっている。また霧や雨が多く、長年の雨で浸食された石灰岩の峰が霧の中で奇怪な形でそそり立つ。

楚の懐王がみた夢を題材にした宋玉の「高唐賦」に登場する。その内容は巫山の神女が懐王と夢の中で出会い、親しく交わるというものである。なかでも、朝には雲に、夕方には雨になって会いたいという神女の言葉が有名となり、巫山雲雨や朝雲暮雨など男女のかなり親密な様子を表す熟語が生まれた。この故事を題材とした詩に劉禹錫の「巫山神女峰」がある。

 

疑是天邊十二峰,飛入君家彩屏裡。

かの天邊の十二峰が、そのまま飛んで来て、君の家の彩屏の裏に入ったかと思うばかりである。

○巫山十二峰 夕暮れ時の巫山の十二の峯々。夕暮れ時の巫山の十二の峯峯。独秀、筆峰、集仙、起雲、登龍、望霞、聚鶴、棲鳳、翠屏、盤龍、松巒、仙人を指す。

皇甫松『天仙子二首(其一)

晴野鷺鷥飛一隻,水花發秋江碧。

劉郎此日別天仙,登綺席,淚珠滴,

十二晚峯高歷歷。

末句の十二峯は、坐山の著名な十二の峯のことで、坐山の神女が楚の懐王と夢の中で契りを交わして別れ去った故事に関わる山。ここでは、男女の別離を連想させる働きをしている。

 

寒松蕭瑟如有聲,陽臺微茫如有情。

さて画中見るところは、寒松は簫瑟として、颯颯の聾あるが如く、陽臺は飲茫としで、愈よ情あるが如くである。

○陽臺 宋玉の高唐賦の序に「むかし、先王(懐王)かつて高唐に遊び、怠って昼寝ぬ。夢に一婦人を見る、日く、妾は巫山の女なり、高唐の客となる、君が高唐に遊ぶと聞き、院にくは、枕席を薦めむと。王、因って之を幸す。去って辞して日く、妾は巫山の陽、高邱の岨に在り、旦に朝雲となり、暮れに行雨となり、朝朝暮暮、陽臺の下」とみる。

 

錦衾瑤席何寂寂,楚王神女徒盈盈。

錦の衾、瑶の牀、かの襄王の夢の名残は、もとより、其跡なく、唯だ盈盈たる紳女の姿を思うばかりである。

○楚王神女 宋玉の神女賦の序に「楚の襄王.宋玉と雪夢の浦に遊び、玉をして、高唐の事も賦せしむ。その夜、王寝ね、夢に神女に遇ふ、その状、甚だ麗」とある。《楚()の懐王が夢の中で契りを交わした神女が、朝には雲に、夕暮れには雨になると言ったという、宋玉「高唐賦」などにみえる故事から》男女の堅い契り。

 

 

元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6.潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

234 《巻23-51 觀放白鷹二首其二 (寒冬十二月) 》 <234> Ⅰ李白詩1477 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5933

觀放白鷹,二首之二

寒冬十二月,蒼鷹八九毛。

寄言燕雀莫相啅,自有雲霄萬里高。
そうであれば、この鷹に狙われる燕雀どもは、けっして多く集まってさえずりなどしてはならないが、この鷹にしても、一たび羽ばたきをすれば、雲霄萬里の高さに飛び上がり、その間にいる鳥どもをことごとく打ち落とすに違いない。

 

234 《巻23-51 觀放白鷹二首其二 (寒冬十二月)》 <234> Ⅰ李白詩1477 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5933

 
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年:734年開元二十二年35

卷別:  卷一八三        文體:  五言

詩題:  觀放白鷹,二首之一

 

 

(改訂版)《巻23-50 觀放白鷹二首其一(八月邊風)》

觀放白鷹二首其一

(秋の末、白鷹を放つ鷹狩りを見て作った詩)。
八月邊風高,胡鷹白錦毛。

秋の中ごろ八月は,国境付近の岩山の上、晴れた空高く秋風が吹きすさびねけてゆく。我われが鷹狩に使っているのは優秀な胡地産の鷹で、寒くなればなるほど錦毛はうるわしく銀白色にかがやき颯爽としてくる。
孤飛一片雪,百里見秋毫。

子の鷹を放てば、一片の雪が孤飛し、空中に舞ったかのようである。白鷹は、周囲百里にわたって、きわめで微細なものを秋毫までも目に見えるほど、決して獲物を逃すまい頭い意気ごみである。
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(白鷹を放つを観る)
八月 辺風高し、胡鷹 白錦毛。
孤飛す一片の雪、百里 秋毫を見る。

 

 

年:    未編年

卷別:  卷一八三        文體:  雜言古詩

詩題:  觀放白鷹,二首之二

 

 

觀放白鷹,二首之二

寒冬十二月,蒼鷹八九毛。

寄言燕雀莫相啅,自有雲霄萬里高。

 

(觀放白鷹,二首の二)

寒冬 十二月,蒼鷹 八九毛。

言を寄す 燕雀 相い啅する莫れ,自ら雲霄 萬里の高き有り。

 

 

『觀放白鷹,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

觀放白鷹,二首之二

寒冬十二月,蒼鷹八九毛。

寄言燕雀莫相啅,自有雲霄萬里高。

(下し文)
(觀放白鷹,二首の二)

寒冬 十二月,蒼鷹 八九毛。

言を寄す 燕雀 相い啅する莫れ,自ら雲霄 萬里の高き有り。

(現代語訳)
(寒冬の侯、新たに飼われた蒼鷹を見て、この鷹のために気を吐いて作った詩)。

寒い冬の(陰暦)十二月の侯、新たに飼われた蒼鷹は、その勁翮を剪りさられ、遠挙颺去できなくしたので、間もなく狩にもちいられるだろう。

そうであれば、この鷹に狙われる燕雀どもは、けっして多く集まってさえずりなどしてはならないが、この鷹にしても、一たび羽ばたきをすれば、雲霄萬里の高さに飛び上がり、その間にいる鳥どもをことごとく打ち落とすに違いない。



(訳注)

觀放白鷹,二首之二

(寒冬の侯、新たに飼われた蒼鷹を見て、この鷹のために気を吐いて作った詩)。

作時は不明であるが、太原旅行時、觀放白鷹二首之二が秋の終わりで、冬になってのものとした。

 

寒冬十二月,蒼鷹八九毛。

寒い冬の(陰暦)十二月の侯、新たに飼われた蒼鷹は、その勁翮を剪りさられ、遠挙颺去できなくしたので、間もなく狩にもちいられるだろう。

寒冬十二月 寒い冬の(陰暦)十二月に。前漢、蘇武《詩四首 其四》「寒冬十二月,晨起踐嚴霜。」(寒冬 十二月,晨に起きて 嚴霜を踐む。)寒い冬の(陰暦)十二月の侯、朝起きて、ひどい霜をふむ。

蒼鷹八九毛 王琦 鷹は一歳色黄、二歳色變じて次に赤、三歳にして色はじめて蒼、故にこれを蒼鷹という。 八九毛とは、是初めて獲たるの鷹、その勁翮を剪り、遠挙颺去せざらん。

 

寄言燕雀莫相啅,自有雲霄萬里高。

そうであれば、この鷹に狙われる燕雀どもは、けっして多く集まってさえずりなどしてはならないが、この鷹にしても、一たび羽ばたきをすれば、雲霄萬里の高さに飛び上がり、その間にいる鳥どもをことごとく打ち落とすに違いない。

啅 多く集まった鳥のさえずり。仕角切,音數。衆聲。又《集韻》《類篇》𠀤陟敎切,音罩。啅啅,鳥聲。

雲霄 雲を浮かべる大空。雲を浮かべるはるかな天。「霄漢・霄壌」

萬里高 天高く万里の先までつづく。

 

 

 

 

詩四首 其四   前漢、蘇武(蘇子卿)

燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。

芳馨良夜發,隨風聞我堂。

征夫懷遠路,遊子戀故鄕。

寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

俯觀江漢流,仰視浮雲翔。

良友遠別離,各在天一方。

山海隔中州,相去悠且長。

嘉會難再遇,歡樂殊未央。

願君崇令德,隨時愛景光。

 

四首  其の四

燭燭たり 晨の明月,馥馥として 秋蘭 芳し。

芳馨 良夜に發し,風に隨ひて 我が堂に聞こゆ。

征夫 遠路を懷ひ,遊子 故鄕を戀ふ。

寒冬 十二月,晨に起きて 嚴霜を踐む。

俯して 江漢の流るるを 觀,仰ぎて 浮雲の翔るを 視る。

良友 遠く別離し,各〻 天の一方に在り。

山海 中州を隔て,相ひ去ること 悠にして且つ長し。

嘉會 再び遇ふこと難ければ,歡樂 殊に未だ央きず。

願はくは 君 令德を崇くし,時に隨ひて 景光を愛せよ。

180 《巻23-10 擬古十二首其七》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <180> Ⅰ李白詩1401 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5553

李白《巻23-10  擬古十二首其七》世路は今しも、人を苦しめる太行山脈の嶮絶なみちを行く、車は進まず、これを廻らんとしているが、はてさて、どこに落ち着こうというのだろうか。

 

 
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180 《巻23-10  擬古十二首其七》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <180> Ⅰ李白詩1401 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5553

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    擬古,十二首之七

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣     

 

 

擬古,十二首之七

(古詩の体に擬したと称して、自己の感慨を寄せたものである。)

世路今太行,迴車竟何託。

世路は今しも、人を苦しめる太行山脈の嶮絶なみちを行く、車は進まず、これを廻らんとしているが、はてさて、どこに落ち着こうというのだろうか。

萬族皆凋枯,遂無少可樂。

万物万人どんな民族であっても、決して常住できるものがなく、凋み枯れるもので、見て此処に到れば、少しも楽しむことが無い

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

廣い野辺に進めば、白骨が多く散乱し、幽魂も、ともに銷鑠して、心霊の不滅というのもあてにはならない。

榮貴當及時,春華宜照灼。

そうはいっても、栄華富貴である時には時に及んで、行楽するものである、それも少年のころは、春の花が咲き誇るの中でよろしくやるのも良かろうというものだ。

人非崑山玉,安得長璀錯。

崑崙山に産する玉ならばその質は、貞固にしていつまでも璀璨としているのであるが、人生は、そういうわけにもいかないで、その盛んである時が何時までも続くということは無かろう。

身沒期不朽,榮名在麟閣。

もし、その身を没するも、不朽になろうと思っているのであれば、一廉の大功をたてて栄名をえて、そして、麒麟閣上にその形を描かれるようになればよいのでこのほかには名案もない。

 

(古に擬す,十二首の七)

世路 今は太行,車を迴して竟に何れにか託する。

萬族 皆 凋枯,遂に少しも樂しむ可き無し。

曠野 白骨多く,幽魂 共に銷鑠【しょうしゃく】。

榮貴 當に時に及ぶべし,春華 宜しく照灼すべし。

人は崑山の玉に非ず,安んぞ長く璀錯【さいさく】を得ん。

身 沒して 不朽を期す,榮名 麟閣に在り。

 

 李白の足跡003

『擬古,十二首之七』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

擬古,十二首之七

世路今太行,迴車竟何託。

萬族皆凋枯,遂無少可樂。

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

榮貴當及時,春華宜照灼。

人非崑山玉,安得長錯。

身沒期不朽,榮名在麟閣。


(下し文)
(古に擬す,十二首の七)

世路 今は太行,車を迴して竟に何れにか託する。

萬族 皆 凋枯,遂に少しも樂しむ可き無し。

曠野 白骨多く,幽魂 共に銷鑠【しょうしゃく】。

榮貴 當に時に及ぶべし,春華 宜しく照灼すべし。

人は崑山の玉に非ず,安んぞ長く錯【さいさく】を得ん。

身 沒して 不朽を期す,榮名 麟閣に在り。

(現代語訳)
(古詩の体に擬したと称して、自己の感慨を寄せたものである。)

世路は今しも、人を苦しめる太行山脈の嶮絶なみちを行く、車は進まず、これを廻らんとしているが、はてさて、どこに落ち着こうというのだろうか。

万物万人どんな民族であっても、決して常住できるものがなく、凋み枯れるもので、見て此処に到れば、少しも楽しむことが無い

廣い野辺に進めば、白骨が多く散乱し、幽魂も、ともに銷鑠して、心霊の不滅というのもあてにはならない。

そうはいっても、栄華富貴である時には時に及んで、行楽するものである、それも少年のころは、春の花が咲き誇るの中でよろしくやるのも良かろうというものだ。

崑崙山に産する玉ならばその質は、貞固にしていつまでも璀璨としているのであるが、人生は、そういうわけにもいかないで、その盛んである時が何時までも続くということは無かろう。

もし、その身を没するも、不朽になろうと思っているのであれば、一廉の大功をたてて栄名をえて、そして、麒麟閣上にその形を描かれるようになればよいのでこのほかには名案もない。


(訳注)

擬古,十二首之七

(古詩の体に擬したと称して、自己の感慨を寄せたものである。)

 

世路今太行,迴車竟何託。

世路は今しも、人を苦しめる太行山脈の嶮絶なみちを行く、車は進まず、これを廻らんとしているが、はてさて、どこに落ち着こうというのだろうか。

太行 太行山脈。

曹操『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍!」袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。 

苦寒行 漢詩<94-1>Ⅱ李白に影響を与えた詩814 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2618

李白『北上行』「北上何所苦,北上緣太行。」北への避難をすることは、どうして人を苦しめるのか、北へ向かっていくことは 太行山に沿って行かねばならないのだ。

北上行 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -303

竟何託・萬族 はてさて、どこに落ち着こうというのだろうか。陶淵明 《詠貧士》詩其一「萬族各有託、孤雲獨無依。」(萬族各おの託する有るに、孤雲獨り依る無し。)どんなものでも頼りとするものがいるのに、孤雲は一人ぼっちでよるべがない、ぼんやりと空中に消え、再び姿を見せることはない。

 

萬族皆凋枯,遂無少可樂。

万物万人どんな民族であっても、決して常住できるものがなく、凋み枯れるもので、見て此処に到れば、少しも楽しむことが無い

萬族 万物万人あらゆる民族。

 

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

廣い野辺に進めば、白骨が多く散乱し、幽魂も、ともに銷鑠して、心霊の不滅というのもあてにはならない。

白骨 越冬が出来ず、太行山の氷雪を冒して進む行役の苦難をいう。

銷鑠 銷鑠縮栗(しょうしゃくしゅくりつ)」.意気消沈してしまい、小さくなって恐れおののくこと。

 

榮貴當及時,春華宜照灼。

そうはいっても、栄華富貴である時には時に及んで、行楽するものである、それも少年のころは、春の花が咲き誇るの中でよろしくやるのも良かろうというものだ。

春華 少年期を喩えて云う。蘇武(蘇子卿)「努力愛春華, 莫忘歡樂時。」(努力して  春華を 愛し,歡樂の時を  忘るる莫(なか)れ。)つとめて人生の華やいだ時期を大切にして、生きていってほしい。楽しく過ごしたあの時期を忘れないでほしい。

照灼 花が咲く中で日に照らされる。ということで、少年は華やかに、派手に行楽をするもの後いうほどの意。

 

人非崑山玉,安得長璀錯。

崑崙山に産する玉ならばその質は、貞固にしていつまでも璀璨としているのであるが、人生は、そういうわけにもいかないで、その盛んである時が何時までも続くということは無かろう。

崑山玉 中国の西方,青海付近にあると考えられた伝説的霊山。昆侖山とも記す。黄河の水源で,玉を産するといわれる。天帝の下都,虎身九尾で人面虎爪の神陸吾が主宰。戦国時代以降神仙説と結合し,9階層からなり高さ1万1千里,上に登れば不死となる理想郷とされた。

璀錯 璀璨としていること。

 

身沒期不朽,榮名在麟閣。

もし、その身を没するも、不朽になろうと思っているのであれば、一廉の大功をたてて栄名をえて、そして、麒麟閣上にその形を描かれるようになればよいのでこのほかには名案もない。

麒麟閣 宣帝は戎狄が定まって皆、賓服し、股肱の臣の美を思い、功臣を人に図画させて麒麟閣に絵諸させた。 麒麟閣は未央宮にある。麒麟閣には十一臣が描かれた。 容貌に官爵、姓名を記した。
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李白《巻23-29 感遇,四首之二》その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

 

 
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年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感遇,四首之二

 

 

*750年天寶九年50

感遇,四首之一

吾愛王子晉,得道伊洛濱。

金骨既不毀,玉顏長自春。

可憐浮丘公,猗靡與情親。

舉首白日間,分明謝時人。

二仙去已遠,夢想空殷勤。

 

*730年開元十八年30

感遇,四首之二

その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

可歎東籬菊,莖疏葉且微。

東籬に菊の花が咲き並んでいるが茎もまばらで、葉も少ししかなく、随分痩せ衰えている。

雖言異蘭蕙,亦自有芳菲。

蘭蕙とは異なっているとはいうものの、また、そんな花からでも芳香があってきわめて愛すべきものなのだ。

未泛盈樽酒,徒霑清露輝。

ただ今、樽一杯の酒などないのでその菊花を浮かべることなどできないし、いたずらに清らかに輝ける白露に沾うだけで、寂しい限りだ。

當榮君不採,飄落欲何依。

この花の盛りの時にとらなければ陶潜と同じ東籬なのに「飲酒」の詩も歌えず、このまま飄落してしまうので、どうしようもなく、何を頼りにしたらよいのだろうか。

 

(感遇,四首之二)

歎す可し 東籬の菊,莖は疏にして葉 且らく微なり。

蘭蕙に異なりと言うと雖も,亦た自ら芳菲有り。

未だ 盈樽の酒を泛べず,徒らに清露の輝に霑う。

榮に當って君は採らずと,飄落 何れにか依らんと欲す。

 

*743年天寶二年43

感遇,四首之三

昔余聞姮娥,竊藥駐雲髮。

不自嬌玉顏,方希鍊金骨。

飛去身莫返,含笑坐明月。

紫宮誇蛾眉,隨手會凋歇。

 

*743年天寶二年43

感遇,四首之四

宋玉事楚王,立身本高潔。

巫山賦綵雲,郢路歌白雪。

舉國莫能和,巴人皆卷舌。

一感登徒言,恩情遂中

 

晩菊001 

『感遇,四首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文)

感遇,四首之二

可歎東籬菊,莖疏葉且微。

雖言異蘭蕙,亦自有芳菲。

未泛盈樽酒,徒霑清露輝。

當榮君不採,飄落欲何依。

 

(下し文)

(感遇,四首之二)

歎す可し 東籬の菊,莖は疏にして葉 且らく微なり。

蘭蕙に異なりと言うと雖も,亦た自ら芳菲有り。

未だ 盈樽の酒を泛べず,徒らに清露の輝に霑う。

榮に當って君は採らずと,飄落 何れにか依らんと欲す。
 

(現代語訳)

その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

東籬に菊の花が咲き並んでいるが茎もまばらで、葉も少ししかなく、随分痩せ衰えている。

蘭蕙とは異なっているとはいうものの、また、そんな花からでも芳香があってきわめて愛すべきものなのだ。

ただ今、樽一杯の酒などないのでその菊花を浮かべることなどできないし、いたずらに清らかに輝ける白露に沾うだけで、寂しい限りだ。

この花の盛りの時にとらなければ陶潜と同じ東籬なのに「飲酒」の詩も歌えず、このまま飄落してしまうので、どうしようもなく、何を頼りにしたらよいのだろうか。

李白図102 

 

(訳注)

感遇,四首之二

その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

 

可歎東籬菊,莖疏葉且微。

東籬に菊の花が咲き並んでいるが茎もまばらで、葉も少ししかなく、随分痩せ衰えている。

東籬菊 陶潜《飲酒》其五「採菊東籬下,悠然見南山。」をおもいうかべる。

 

雖言異蘭蕙,亦自有芳菲。

蘭蕙とは異なっているとはいうものの、また、そんな花からでも芳香があってきわめて愛すべきものなのだ。

 

未泛盈樽酒,徒霑清露輝。

ただ今、樽一杯の酒などないのでその菊花を浮かべることなどできないし、いたずらに清らかに輝ける白露に沾うだけで、寂しい限りだ。

未泛 菊酒が出来ない。

 

當榮君不採,飄落欲何依。

この花の盛りの時にとらなければ陶潜と同じ東籬なのに「飲酒」の詩も歌えず、このまま飄落してしまうので、どうしようもなく、何を頼りにしたらよいのだろうか。

當榮 菊の花の盛んになる時にあたってという意味。

君不採 陶潜《飲酒》其五「採菊東籬下,悠然見南山。」

《飲酒》

結廬在人境,而無車馬喧。

問君何能爾?心遠地自偏。

採菊東籬下,悠然見南山。

山氣日夕佳,飛鳥相與還。

此中有真意,欲辯已忘言。

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李白《卷23-05 擬古,十二首之二》感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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152 《卷23-05 擬古,十二首之二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <152> Ⅰ李白詩1348 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5288

 

 

Index-

10

Ⅱ― 5-730年開元十八年30

19

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

135

80

1

古風,五十九首之三十八

孤蘭生幽園,

巻一

136

81

2

長相思

長相思,

巻五

137

82

3

秦女卷衣

天子居未央,

巻四

138

83

4

鳳凰曲

嬴女吹玉簫,

巻五

139

84

5

鳳臺曲

嘗聞秦帝女,

巻五

140

85

6

邠歌行上新平長史兄粲

邠谷稍稍振庭柯,

巻六

141

86

7

玉真仙人詞

玉真之仙人,

巻七

142

87

8

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

秋坐金張館,

巻八

143

88

9

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二

苦雨思白日,

巻八

144

89

10

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

漢道昔云季,

巻八

145

90

11

贈裴十四

朝見裴叔則,

巻八

146

91

12

贈新平少年

韓信在淮陰,

巻八

147

92

13

秋山寄衛尉張卿及王徵君

何以折相贈,

巻十二

148

93

14

夜別張五

吾多張公子,

巻十四

149

94

15

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

河伯見海若,

巻十八

150

95

16

登太白峯 

西上太白峰,

巻二十

151

96

17

登新平樓

去國登茲樓,

巻二十

152

97

18

擬古,十二首之二

高樓入青天,

巻二十三

153

98

19

感遇,四首之二

可歎東籬菊,

巻二十三

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    擬古,十二首之二

 

 

 

擬古,十二首之二

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

高樓入青天,下有白玉堂。

ここの高楼は髙く、青空に届くほどである、その下には、白玉で表座敷を飾ってある。

明月看欲墮,當窗懸清光。

今日は中秋の明月であったがもう西のかたに落ちようとしているが、月は表座敷の窓にあたって、清光を懸けている。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

秋の夜長を華やかにしてくれた一人の美人は、うすい衣をつけていて、そのころもには夜露に濡れて素肌が透き通って見える。

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

 

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。

行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

(擬古,十二首之二)

高樓 青天に入り,下に白玉の堂に有り。

明月 看て墮ちんと欲す,窗に當って清光を懸く。

遙夜 一美人,羅衣 秋霜に霑う。

情を含んで柔瑟を弄し,彈じて陌上桑を作す。

 

弦聲 何ぞ激烈なる,風捲いて 飛梁を繞る。

行人 皆 躑躅,棲鳥 起きて迴翔す。

但だ妾が意の苦なるを寫し,此の曲の傷むを辭する莫れ。

願わくば同心の者に逢い,飛んで紫鴛鴦と作らん。

 

 

『擬古,十二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文) 23-05 -#1

擬古,十二首之二

高樓入青天,下有白玉堂。

明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

(下し文)

(擬古,十二首之二)

高樓 青天に入り,下に白玉の堂に有り。

明月 看て墮ちんと欲す,窗に當って清光を懸く。

遙夜 一美人,羅衣 秋霜に霑う。

情を含んで柔瑟を弄し,彈じて陌上桑を作す。

 

(現代語訳)

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

ここの高楼は髙く、青空に届くほどである、その下には、白玉で表座敷を飾ってある。

今日は中秋の明月であったがもう西のかたに落ちようとしているが、月は表座敷の窓にあたって、清光を懸けている。

秋の夜長を華やかにしてくれた一人の美人は、うすい衣をつけていて、そのころもには夜露に濡れて素肌が透き通って見える。

感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

 

 

(訳注)

(巻23-05擬古,十二首之二

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

 

高樓入青天,下有白玉堂。

ここの高楼は髙く、青空に届くほどである、その下には、白玉で表座敷を飾ってある。

白玉堂 貴族の豪華な邸宅、飲酒歌舞の華やかな生活をいう。《古樂府六首其二》「黄金爲君門,白玉爲君堂」君の家は黄金で門を作り、白玉で表座敷を飾ってある。

《古樂府六首其二,淸調曲.相逢行》。:「相逢狭路間,道隘不容車。不知何年少,挾轂問君家。君家誠易知,易知復難忘。黄金爲君門,白玉爲君堂;堂上置尊酒,使作邯鄲倡。中庭生桂樹,華燈何煌煌。兄弟兩三人,中子爲侍郞。五日一來歸,道上自生光。黃金絡馬頭,觀者盈道傍。入門時左顧,但見雙駑鴦。鴛鴦七十二,羅列自成行。音聲何,鶴鳴東西廂。大婦織綺羅,中婦織流黃。小婦無所為, 挾琴上高堂。 丈夫且徐徐, 調絃 未央。

 

明月看欲墮,當窗懸清光。

今日は中秋の明月であったがもう西のかたに落ちようとしているが、月は表座敷のの窓にあたって、清光を懸けている。

 

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

秋の夜長を華やかにしてくれた一人の美人は、うすい衣をつけていて、そのころもには夜露に濡れて素肌が透き通って見える。

 

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

陌上桑

漢の無名氏《陌上桑》 がある。

#1

日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。

羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。青絲為籠係,桂枝為籠鉤。

頭上倭墮髻,耳中明月珠。

#2

緗綺為下裙,紫綺為上襦。行者見羅敷,下擔捋髭須。

少年見羅敷,帽著頭。耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。

來歸相怨怒,但坐觀羅敷。

#3

使君從南來,五馬立踟躕。使君遣吏往,問是誰家姝。

“秦氏有好女,自名為羅敷。”

“羅敷年幾何?”

“二十尚不足,十五頗有餘。”

“使君謝羅敷,寧可共載不?”

#4

羅敷前置辭:“使君一何愚!使君自有婦,羅敷自有夫。”

“東方千餘騎,夫婿居上頭。何用識夫婿?白馬從驪駒;

青絲係馬尾,黃金絡馬頭;

#5

腰中鹿盧劍,可直千萬餘。十五府小吏,二十朝大夫,

三十侍中郎,四十專城居。為人潔白晰,鬑鬑頗有須。

盈盈公府步,冉冉府中趨。坐中數千人,皆言夫婿殊。”

陌上桑行 古詩・漢の無名氏 魏詩<55-#5> 女性詩706 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2078

 

為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩583 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1566

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李白《感興,六首之六農夫としては、嘉穀が雑草と異なっている点を見分けもしないで、嘉穀は、折角穂を出してもそのまま捨て置かれ、格別保護されない。


 
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135

《感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <135> Ⅰ李白詩1320 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5148

 

 

Index-

9

Ⅱ― 4-729年開元十七年29

4

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

131

76

1

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,

巻五

132

77

2

安州應城玉女湯作【《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】

神女歿幽境,

巻二十一

133

78

3

擬古,十二首之十一

涉江弄秋水,

巻二十三

134

79

4

感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八

嘉穀隱豐草,

巻二十三

 

 

年:729年開元十七年29

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八

 

 

感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八

嘉穀隱豐草,草深苗且稀。

農夫既不異,孤穗將安歸。

常恐委疇隴,忽與秋蓬飛。

烏得薦宗廟,為君生光輝。

 

(感興,六首の六〔集本八首,感興,八首の八〕)

嘉穀 豐草に隱れ,草深くして 苗 且【しば】らく稀なり。

農夫 既に異ならず,孤穗 將に安にか歸せん。

常に恐る 疇隴【ちゅうりょう】委し,忽ち 秋蓬と飛ぶを。

烏んぞ得ん 宗廟に薦め,君が為に光輝を生ずるを。

 

 

『感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八』 現代語訳と訳註解説

(本文)

感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕

嘉穀隱豐草,草深苗且稀。

農夫既不異,孤穗將安歸。

常恐委疇隴,忽與秋蓬飛。

烏得薦宗廟,為君生光輝。

 

(下し文)

(感興,六首の六〔集本八首,感興,八首の八〕)

嘉穀 豐草に隱れ,草深くして 苗 且【しば】らく稀なり。

農夫 既に異ならず,孤穗 將に安にか歸せん。

常に恐る 疇隴【ちゅうりょう】委し,忽ち 秋蓬と飛ぶを。

烏んぞ得ん 宗廟に薦め,君が為に光輝を生ずるを。

 

(現代語訳)

(古に託して自己の感慨をのべたもの。)

稲を植えたのち、折角の嘉穀は、勢いの良い雑草の中に隠れてしまい、草は深くして、苗は、しばらく稀になってしまった。

しかし、農夫としては、嘉穀が雑草と異なっている点を見分けもしないで、嘉穀は、折角穂を出してもそのまま捨て置かれ、格別保護されない。

そういうこともあって、心配することがあるのは、田畑にゆだねていることと、そして、それが枯れれば秋蓬と一緒になって飛び去るのではないかとことである。

これはどうにかして、この嘉穀を宗廟に薦め君王のために、光輝を生ずるように致したいものだ。

 

八女茶 畑 

(訳注)

感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕

(古に託して自己の感慨をのべたもの。)

 

嘉穀隱豐草,草深苗且稀。

稲を植えたのち、折角の嘉穀は、勢いの良い雑草の中に隠れてしまい、草は深くして、苗は、しばらく稀になってしまった。

嘉穀 よい穀物。特に、稲のこと。ここでは、実った稲を刈り取った稲から再び稲が出てきたものをいう。

豐草 勢いの良い雑草がいっぱい生えている。《詩経・大雅》生民之什「茀厥豐草、種之黃茂。」(厥の豊草を茀【おさ】め 之が黄茂【くわうも】を種ゆ)

 

農夫既不異,孤穗將安歸。

しかし、農夫としては、嘉穀が雑草と異なっている点を見分けもしないで、嘉穀は、折角穂を出してもそのまま捨て置かれ、格別保護されない。

 

常恐委疇隴,忽與秋蓬飛。

そういうこともあって、心配することがあるのは、田畑にゆだねていることと、そして、それが枯れれば秋蓬と一緒になって飛び去るのではないかとことである。

疇隴 ①畑のうね。「隴」は、小高い長い丘。「黍稷委疇隴、農夫安所獲黍稷疇隴に委てられ、農夫いづんぞ獲る所あらん」〔曹植・贈丁儀〕. ②田畑。

贈丁儀 曹植 魏詩<36>#1文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1901

 

烏得薦宗廟,為君生光輝。

これはどうにかして、この嘉穀を宗廟に薦め君王のために、光輝を生ずるように致したいものだ。
nat0022 

127 《南軒松》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 <127> Ⅰ李白詩1307 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5083

李白《南軒松》いよいよ、成長し、直立数千尺になれば、雲霽を凌ぐようである。(長寿はめでたいことである。)

 
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127 《南軒松》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27 6首 <127> Ⅰ李白詩1307 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5083

 

 

Index-

7

Ⅱ― 2-727年開元十五年27

6

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

122

63

1

靜夜思(静夜思)

床前看月光,

巻五

123

64

2

白毫子歌

淮南小山白毫子,

卷六

124

65

3

寄弄月溪山人

嘗聞龐德公,

巻十二

125

66

4

山中問答(山中答俗人)

問余何意棲碧山,

巻十八

126

67

5

峴山懷古

訪古登峴首,

巻二十一

127

68

6

南軒松

南軒有孤松,

巻二十三

 

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    南軒松

 

 

南軒松

(清廉で節操を変えない松を、この詩のお相手の長寿を祝って作ったもの)

南軒有孤松,柯葉自綿冪。

我家の南側の軒にちかくに一本松があって、その枝葉は稠密にして重なり合うくらいである。

清風無閒時,瀟灑終日夕。

清風は、絶えず吹きすさび、朝夕、きわめて瀟灑である。

陰生古苔綠,色染秋煙碧。

その木陰には、苔が次第に古くなって、緑の色は細やかに、その葉の色は、秋煙を深緑に染まっているばかりである。

何當凌雲霄,直上數千尺。

いよいよ、成長し、直立数千尺になれば、雲霽を凌ぐようである。(長寿はめでたいことである。)

 

(南軒の松)

南軒に孤松有り,柯葉 自ら綿冪【めんぺき】。

清風 閒なる時無く,瀟灑 日夕を終る。

陰は古苔の綠を生じ,色は秋煙の碧に染る。

何か當に雲霄を凌ぎ,直ちに上ること 數千尺ならん。

 

 

『南軒松』 現代語訳と訳註解説

(本文)

南軒松

南軒有孤松,柯葉自綿冪。

清風無閒時,瀟灑終日夕。

陰生古苔綠,色染秋煙碧。

何當凌雲霄,直上數千尺。

 

 

(下し文)

(南軒の松)

南軒に孤松有り,柯葉 自ら綿冪【めんぺき】。

清風 閒なる時無く,瀟灑 日夕を終る。

陰は古苔の綠を生じ,色は秋煙の碧に染る。

何か當に雲霄を凌ぎ,直ちに上ること 數千尺ならん。

 

(現代語訳)

(清廉で節操を変えない松を、この詩のお相手の長寿を祝って作ったもの)

我家の南側の軒にちかくに一本松があって、その枝葉は稠密にして重なり合うくらいである。

清風は、絶えず吹きすさび、朝夕、きわめて瀟灑である。

その木陰には、苔が次第に古くなって、緑の色は細やかに、その葉の色は、秋煙を深緑に染まっているばかりである。

いよいよ、成長し、直立数千尺になれば、雲霽を凌ぐようである。(長寿はめでたいことである。)

 

(訳注)

南軒松

(清廉で節操を変えない松を、この詩のお相手の長寿を祝って作ったもの)

 

南軒有孤松,柯葉自綿冪。

我家の南側の軒にちかくに一本松があって、その枝葉は稠密にして重なり合うくらいである。

柯葉 幹枝、葉。

綿冪 稠密にして重なり合うこと。

 

清風無閒時,瀟灑終日夕。

清風は、絶えず吹きすさび、朝夕、きわめて瀟灑である。

 

陰生古苔綠,色染秋煙碧。

その木陰には、苔が次第に古くなって、緑の色は細やかに、その葉の色は、秋煙を深緑に染まっているばかりである。

 

何當凌雲霄,直上數千尺。

いよいよ、成長し、直立数千尺になれば、雲霽を凌ぐようである。(長寿はめでたいことである。)

雲霄 おおぞら。

113 《秋夕旅懷》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <113> Ⅰ李白詩1293 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5013

涼風がさわやかに初秋の海を渡って來ると、我が故郷「蒪鱸」への思いが強くなるがそれを吹き拂って旅を進める。連山は、ここを去って、果てしなく続いているし、江の流れは、滔々として一たび行けば、復た帰ることはない。

 
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113 《秋夕旅懷》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <113> Ⅰ李白詩1293 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5013

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    秋夕旅懷

作地點:揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

 

 

秋夕旅懷

(揚州でに旅の空、秋に関して詠う)

涼風度秋海,吹我思飛。

涼風がさわやかに初秋の海を渡って來ると、我が故郷「蒪鱸」への思いが強くなるがそれを吹き拂って旅を進める。

連山去無際,流水何時歸。

連山は、ここを去って、果てしなく続いているし、江の流れは、滔々として一たび行けば、復た帰ることはない。

目極浮雲色,心斷明月暉。

見渡す限り、天は浮雲が広がってきて灰色一色に変わってゆく、ほの暗く、夕闇が迫ると空は晴れてきて、名月が光をあげてくると、こころにある断腸の思いが増す。

芳草歇柔豔,白露催寒衣。

菊や木犀、秋草の香りは秋が深まって、柔艶の色を失いはじめ、白露は天に満ちてくると人々は、冬用の着物を用意し、変わってゆく。

夢長銀漢落,覺罷天星稀。

秋は、夜が長くなってゆくと、夢も長く見るようになり、銀河は低く落ちる頃となり、眠りから覚める明方には星の数も稀になってゆく。

含悲想舊國,泣下誰能揮。

こうして悲しみを含んで、故郷を思うと、涙はとめどなく流れおちる、この涙をは誰が拭い去れるというのか。

 

(秋の夕べ旅で懷う)

涼風 秋海を度り,我が思に吹いて飛ぶ。

連山 去って際無く,流水 何れの時か歸らん。

目は極わむ 浮雲の色,心は斷ゆむ 明月の暉。

芳草 柔豔を歇め,白露 寒衣を催す。

夢は長くして 銀漢落ち,覺め罷んで 天星稀れなり。

悲しみを含んで 舊國を想う,泣下って 誰か能く揮わん。

 

a謝霊運永嘉ルート02 

秋夕旅懷』 現代語訳と訳註解説

(本文)

秋夕旅懷

涼風度秋海,吹我思飛。

連山去無際,流水何時歸。

目極浮雲色,心斷明月暉。

芳草歇柔豔,白露催寒衣。

夢長銀漢落,覺罷天星稀。

含悲想舊國,泣下誰能揮。

 

 

(下し文)

(秋の夕べ旅で懷う)

涼風 秋海を度り,我が思に吹いて飛ぶ。

連山 去って際無く,流水 何れの時か歸らん。

目は極わむ 浮雲の色,心は斷ゆむ 明月の暉。

芳草 柔豔を歇め,白露 寒衣を催す。

夢は長くして 銀漢落ち,覺め罷んで 天星稀れなり。

悲しみを含んで 舊國を想う,泣下って 誰か能く揮わん。

 

(現代語訳)

(揚州でに旅の空、秋に関して詠う)

涼風がさわやかに初秋の海を渡って來ると、我が故郷「蒪鱸」への思いが強くなるがそれを吹き拂って旅を進める。

連山は、ここを去って、果てしなく続いているし、江の流れは、滔々として一たび行けば、復た帰ることはない。

見渡す限り、天は浮雲が広がってきて灰色一色に変わってゆく、ほの暗く、夕闇が迫ると空は晴れてきて、名月が光をあげてくると、こころにある断腸の思いが増す。

菊や木犀、秋草の香りは秋が深まって、柔艶の色を失いはじめ、白露は天に満ちてくると人々は、冬用の着物を用意し、変わってゆく。

秋は、夜が長くなってゆくと、夢も長く見るようになり、銀河は低く落ちる頃となり、眠りから覚める明方には星の数も稀になってゆく。

こうして悲しみを含んで、故郷を思うと、涙はとめどなく流れおちる、この涙をは誰が拭い去れるというのか。

 

 

(訳注)

秋夕旅懷

(揚州でに旅の空、秋に関して詠う)

 

涼風度秋海,吹我思飛。

涼風がさわやかに初秋の海を渡って來ると、我が故郷「蒪鱸」への思いが強くなるがそれを吹き拂って旅を進める。

思 晋の張翰が、秋風が吹きはじめると、故郷の「蒪羹・鱸膾」「蒪鱸」の料理が食べたくて退官して郷里に帰った故事にもとづく言葉。晋書・文苑・張翰』「翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羹、鱸魚膾,曰:『人生貴得適志,何能羈宦數千里以要名爵乎!』遂命駕而歸。」とある。

 

連山去無際,流水何時歸。

連山は、ここを去って、果てしなく続いているし、江の流れは、滔々として一たび行けば、復た帰ることはない。

○去無際 長江に沿って連山ははてしなくつづく。

 

目極浮雲色,心斷明月暉。

見渡す限り、天は浮雲が広がってきて灰色一色に変わってゆく、ほの暗く、夕闇が迫ると空は晴れてきて、名月が光をあげてくると、こころにある断腸の思いが増す。

○明月 仲秋の明月。

 

芳草歇柔豔,白露催寒衣。

菊や木犀、秋草の香りは秋が深まって、柔艶の色を失いはじめ、白露は天に満ちてくると人々は、冬用の着物を用意し、変わってゆく。

○歇柔豔 秋が深まって、柔艶の色を失いはじめること。

○催寒衣 中國古代では、秋の風物詩、擣衣/搗衣【とうい】をはじめる。砧(きぬた)で衣を打つこと。

李白『子夜呉歌其三 秋』「長安一片月、万戸擣衣声。秋風吹不尽、総是玉関情。何日平胡虜、良人罷遠征。」(長安 一片の月、万戸衣を擣つの声。秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関【ぎょくかん】の情。何【いず】れの日か胡虜【こりょ】を平らげ、良人遠征を罷【や】めん。)

李白24 子夜呉歌其三 秋 25 冬

 謝惠連 『擣衣』 
衡紀無淹度,晷運倐如催。白露滋園菊,秋風落庭槐。
肅肅莎雞羽,烈烈寒螿啼。夕陰結空
,宵月皓中閨。
美人戒裳服,端飾相招攜。簪玉出北房,鳴金步南階。
高砧響發,楹長杵聲哀。微芳起兩袖,輕汗染雙題。
紈素既已成,君子行未歸。裁用笥中刀,縫為萬里衣。
盈篋自余手,幽緘候君開。腰帶準疇昔,不知今是非。

杜甫『擣衣』

亦知戍不返,秋至拭清砧。

已近苦寒月,況經長別心。

寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。

用盡閨中力,君聽空外音。

搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

 

夢長銀漢落,覺罷天星稀。

秋は、夜が長くなってゆくと、夢も長く見るようになり、銀河は低く落ちる頃となり、眠りから覚める明方には星の数も稀になってゆく。

○銀漢 【ぎんかん】天の川。銀河。天漢。《季 秋》あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

 

含悲想舊國,泣下誰能揮。

こうして悲しみを含んで、故郷を思うと、涙はとめどなく流れおちる、この涙をは誰が拭い去れるというのか。

○舊國 故郷。
李白図102 

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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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李白詩INDEX05李太白―(23) 《李白詩全集 卷二十三(古近體詩六十三首) 》李白詩 973詩<李太白―(23)> Ⅰ李白詩1138 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4238
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