漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白集校注〔二〕 卷二十四 古近體詩八十八首

746-021卷一八三 魯東門觀刈蒲(卷二四(二)一四一七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9804

746-021卷一八三 魯東門觀刈蒲(卷二四(二)一四一七)

 

20171228

の紀頌之"6"つの校注Blog

魯東門觀刈蒲

§5-1元和聖德詩 #18

晚晴郎見過北舍

玉樓春四首其四

七夕觀織女一首 #2

和新及第悼亡詩二首 其二

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

中国古代史女性論

 

 

20171228

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

746-021卷一八三 魯東門觀刈蒲(卷二四(二)一四一七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9804

LiveDoo

rBlog

【字解集】 18. 夢遊天姥吟留別 19.魯中送二從弟赴舉之西京 20.魯中都東樓醉起作 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9805

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年元和二年40歳- 巻一-01#18  §5-1元和聖德詩 #18 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9812

LiveDoo

rBlog

806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9491

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-192 晚晴郎見過北舍(卷二○(四)一七六三)注(1208) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9806

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (334)回目顧巻六51玉樓春四首其四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9807 (12/28)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

巻三-24 #2 《七夕觀織女一首》#2[王 鑒〕  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9752

LiveDoo

rBlog

三 【字解集】 19.合歡詩五首 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9739

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

九、018卷804_18-1 《和新及第悼亡詩二首 其一》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9781

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

746-021卷一八三 魯東門觀刈蒲(卷二四(二)一四一七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9804

(この詩は、魯の東門に玉牀に敷くむしろを織る蒲を刈る様子を詠う。)

魯国は北寄りの地方であり、江南よりずっと早く冬の支度を始める、初霜が降るとすぐに、渚岸辺に生えた蒲を刈りはじめなければ間に合わないというのと同じである。

その時だけは作業がしやすく、鎌を揮えば月を轉ずるがごとく、渚では水を拂う事があるが、連珠のごとく飛沫は飛び散る。

この蒲という草は、もっとも珍とすべきものであり、何も必ずしも龍鬚草をもっとも貴ぶものとするには及ばぬ良き調度品を作ることができるのである。

この草を織り込み、玉牀の上に敷く席筵を作ったものの上に横になれば、夏の暑い時でも清夜の歓娯をうけることができるのである。

この蒲の刈り取りに、羅衣姿の美人が舞踊しながら作業をしてくれるならば、その作業の素塵に蕪で、汚されても恐れることはないというものである。

 

746-019 

魯東門觀刈蒲(卷二四(二)一四一七)

全唐詩卷一八に三 -20

李白集校注卷二四(二)一四一七

李太白集巻二二20

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9804

 

魯中送二從弟赴舉之西京

〈一作「送族弟鍠」〉

魯客向西笑,君門若夢中。霜凋逐臣髮,日憶明光宮。

復羨二龍去,才華冠世雄。平衢騁高足,逸翰凌長風。

舞袖拂秋月,歌筵聞蚤鴻。送君日千里,良會何由同。

 

卷一八二 魯中都東樓醉起作(卷二三(二)一三二九)            昨日東樓醉,還應     五言絶句

182-4 魯中都東樓醉起作

魯中都東樓醉起作

昨日東樓醉,還應倒接

阿誰扶上馬,不省下樓時。

 

卷一八三 魯東門觀刈蒲(卷二四(二)一四一七) 魯國寒事早,初霜   古詩十句

183-20 魯東門觀刈蒲 

魯國寒事早,初霜刈渚蒲。揮鐮若轉月,拂水生連珠。此草最可珍,何必貴龍鬚。

織作玉牀席,欣承清夜羅衣能再拂,不畏素塵蕪。             

 

卷一七五 魯郡堯祠送五之琅琊(卷十六(二)九八五)    堯沒三千,青松   五言律詩

卷一七六 魯郡堯祠送張十四遊西北(卷十七(二)一○○一)猛虎伏尺草         古詩十句

卷一七六 魯郡堯祠送竇明府薄華還西京(卷十六(二)九八五)朝策犁眉騧       雑言古詩8分割

卷一七九 攜妓登梁王棲霞山孟氏桃園中(卷二十(二)一一六一)碧草已滿地     雑言古詩2分割

卷一七一 贈從弟冽(卷十二(一)七九九)       楚人不識鳳,重價            五言古詩 4分割


続きを読む

753年 s-76擬古,十二首之十二(巻二四(二)一三八五) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9468

753年 s-76擬古,十二首之十二(巻二四()一三八五) -#2

 

20171115

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

753年 s-76擬古,十二首之十二(巻二四(二)一三八五) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9468

LiveDoo

rBlog

未編年 s-69擬古,十二首之四(巻二四(二)一三七六) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9420

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-178 先生-巻15-08上襄陽於相公書 -# 6 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9469

LiveDoo

rBlog

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-151 秋野五首 其五卷二〇(四)(頁一七三五)注(1168) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9428

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

八、2.87 薛濤 《贈蘇十三中丞 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9480 (11/15)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-09 為顧先贈婦二首其二  #2(東南有思婦) 〔陸  雲〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9465

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.88 薛濤 《酬楊供奉法師見招 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9487

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

753年 s-76擬古,十二首之十二(巻二四()一三八五) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9468

越の国の燕は海天の日のあたたかきを喜び、燕地の雁は、寒気の朔雲を恋しく思うもの。禽鳥摸かくのごとく、まして日父なればその故郷を思わぬものはない。

別れていること、すでに久しく、せっかくの容華も、いつしか衰え、琅玕に比すべき美味があっても、食べることはできない。

日が落ちてからは、貂の暮れるを知り、夜夜の夢は長くして、道のとおきを覚え、認識するのである。

昔、貞女が戦争に出かける夫をこの高い山上で見送り、長恨のあまり、そのまま岩

 

 

 

擬古,十二首之十二《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9461 

 

 

 


続きを読む

729年 s-75擬古,十二首之十二(巻二四(二)一三八五) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9461

729年 s-75擬古,十二首之十二(巻二四()一三八五) -#1

 

 

 

729年 s-75擬古,十二首之十二(巻二四()一三八五) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9461

 

20171114

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

729年 s-75擬古,十二首之十二(巻二四(二)一三八五) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9461

LiveDoo

rBlog

未編年 s-69擬古,十二首之四(巻二四(二)一三七六) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9420

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-178 先生-巻15-08上襄陽於相公書 -# 6 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9469

LiveDoo

rBlog

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-150 秋野五首其四(卷二〇(四)頁一七三四)注(1167) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9421

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (294)回目和凝巻六18菩薩蠻一首 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9478 (11/14)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-09 為顧先贈婦二首其二  #2(東南有思婦) 〔陸  雲〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9465

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.87 薛濤 《贈蘇十三中丞 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9480

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

(古詩の体に擬したと称して、自己の感慨を寄せたものである。夫を望んで石になったという望夫石のある高い山から、同じように越南をみて、つのる思いが石となるかもしれないと詠う)

去り去って行き、また、去りそして去る、君に辞して旅路に登り、ただ一人でさびしい思いのままに、翻ってはまた君を思う。

漢水の流れは承知のようにたくさんの支流をもっている、楚の山々はこの山によって南北を分断している。見る景色もこの山脈によって頗る異なっている。

人生、世にあるけれど、意にかなう事は、きわめて少なく、どうして、長く群れを成して、一緒にいることができようか。

 

 

 

擬古,十二首之十二《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9461 

 

 

 

擬古十二首

其一

青天何歷歷,明星如白石。黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。閨人理紈素,遊子悲行役。

 

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。乘月託宵夢,因之寄金徽。

 

其二

高樓入青天,下有白玉堂。明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

弦聲何激烈,風捲遶飛梁。行人皆躑躅,栖鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

其三

長繩難繫日,自古共悲辛。黃金高北斗,不惜買陽春。

石火無留光,還如世中人。

 

即事已如夢,後來我誰身。提壺莫辭貧,取酒會四鄰。

仙人殊恍惚,未若醉中真。

 

其四

清都綠玉樹,灼爍瑤臺春。攀花弄秀色,遠贈天仙人。

香風送紫蘂,直到扶桑津。取掇世上豔,所貴心之珍。

相思傳一笑,聊欲示情親。

 

其五

今日風日好,明日恐不如。春風笑於人,何乃愁自居。

吹簫舞彩鳳,酌醴鱠神魚。

 

千金買一醉,取樂不求餘。達士遺天地,東門有二疏。

愚夫同瓦石,有才知卷舒。無事作悲苦,塊然涸轍魚。

 

其六

運速天地閉,胡風結飛霜。百草死冬月,六龍西荒。

太白出東方,彗星揚精光。

 

鴛鴦非越鳥,何爲眷南翔。惟昔鷹將犬,今爲侯與王。

得水成蛟龍,爭池奪鳳凰。北斗不酌酒,南箕空簸揚。

 

其七

世路今太行,迴車竟何託。萬族皆凋枯,遂無少可樂。

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

 

榮貴當及時,春華宜照灼。人非崑山玉,安得長璀錯。

身沒期不朽,榮名在麟閣。

 

其八

月色不可掃,客愁不可道。玉露生秋衣,流螢飛百草。

日月終銷毀,天地同枯槁。

 

蟪蛄啼青松,安見此樹老。金丹寧誤俗,昧者難精討。

爾非千翁,多恨去世早。飲酒入玉壺,藏身以爲寶。

 

其九

生者爲過客,死者爲歸人。天地一逆旅,同悲萬古塵。

月兔空搗藥,扶桑已成薪。白骨寂無言,青松豈知春。

前後更嘆息,浮榮安足珍。

 

擬古,十二首其十

仙人騎彩鳳,昨下閬風岑。海水三清淺,桃源一見尋。

遺我綠玉桮,兼之紫瓊琴。

 

杯以傾美酒,琴以閑素心。二物非世有,何論珠與金。

琴彈松裏風,桮勸天上月。風月長相知,世人何倏忽。

 

擬古,十二首其十一

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳人綵雲裏,欲贈隔遠天。相思無由見,悵望涼風前。

〈又《折荷有贈》云:

「涉江翫秋水,愛此紅蕖鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳期彩雲重,欲贈隔遠天。相思無由見,惆悵涼風前」。〉

 

擬古,十二首其十二

去去復去去,辭君還憶君。漢水既殊流,楚山亦此分。

人生難稱意,豈得長爲羣。

 

越燕喜海日,燕鴻思朔雲。別久容華晚,琅玕不能飯。

日落知天昏,夢長覺道遠。望夫登高山,化石竟不返。


続きを読む

731年 s-74擬古,十二首之十一(巻二四(二)一三八四)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9454

731年 s-74擬古,十二首之十一(巻二四()一三八四) 

 

20171113

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

731年 s-74擬古,十二首之十一(巻二四(二)一三八四)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9454

LiveDoo

rBlog

未編年 s-69擬古,十二首之四(巻二四(二)一三七六) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9420

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-177 先生-巻15-08上襄陽於相公書 -# 5 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9462

LiveDoo

rBlog

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-149 秋野五首其三(卷二〇(四)頁一七三二)注(1166) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9414

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (293)回目和凝巻六17臨江仙二首其二 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9471 (11/13)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-09 為顧先贈婦二首其二 #1(東南有思婦) 〔陸  雲〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9465

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.86 薛濤 《酬雍秀才貽巴峽圖 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9473

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

731年 s-74擬古,十二首之十一(巻二四()一三八四)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9454

(古詩をまねて自分の思いをのべたもの)十二首の十一

長江を渉る秋水がゆったりと流れてゆくだけ、水辺の蓮の花が今を盛りと咲いていて、まことに愛すべきものである。

蓮の柄を引き上げると葉の上にできた水珠をもてあそぶ、コロコロとしきりに動いていると、どうも丸い玉にはならないようだ。

美人の芸妓と約束をしていたので、仙郷の彩雲の里にきてみたが、天の事だけにはたしてうまくいくかどうかはわからない。

自分の一方的な恋する気持ちかもしれないが会いたいということに理由なんかないのだ、だけど、涼風の前に立って、悵望仰望するばかりなのである。

 

 

 

擬古,十二首之十一《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9454

 

 

 


続きを読む

731年 s-73擬古,十二首之七(巻二四(二)一三七八) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9447

731年 s-73擬古,十二首之七(巻二四()一三七八) -#2

 

 

20171112

の紀頌之"6"つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

Ⅰ李白詩(李白集校注)      LiveDoor

731年 s-73擬古,十二首之七(巻二四(二)一三七八) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9447

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注      LiveDoor

806年-176 先生-巻15-08上襄陽於相公書 -# 4 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9455

Ⅲ 杜詩詳注                  LiveDoor

767年-148 秋野五首其二(卷二〇(四)頁一七三二)注(1165) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9407

杜甫詩 全詩 総合案内 

Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞  fc2Blog

花間集 訳注解説 (292)回目和凝巻六16臨江仙二首其一 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9464 (11/12)

.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠     Livedoor

玉-巻三-08 為顧先贈婦二首其一  #2(辭家遠行遊) 〔陸 機〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9451

Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論

八、2.85 薛濤 《酬李校書 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9466

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

731年 s-73擬古,十二首之七(巻二四()一三七八) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9447

そうはいっても、栄華富貴である時には時に及んで、行楽するものである、それも少年のころは、春の花が咲き誇るの中でよろしくやるのも良かろうというものだ。

崑崙山に産する玉ならばその質は、貞固にしていつまでも璀璨としているのであるが、人生は、そういうわけにもいかないで、その盛んである時が何時までも続くということは無かろう。

もし、その身を没するも、不朽になろうと思っているのであれば、一廉の大功をたてて栄名をえて、そして、麒麟閣上にその形を描かれるようになればよいのでこのほかには名案もない。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9447

 

 

 

擬古十二首

其一

青天何歷歷,明星如白石。黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。閨人理紈素,遊子悲行役。

 

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。乘月託宵夢,因之寄金徽。

 

其二

高樓入青天,下有白玉堂。明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

弦聲何激烈,風捲遶飛梁。行人皆躑躅,栖鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

其三

長繩難繫日,自古共悲辛。黃金高北斗,不惜買陽春。

石火無留光,還如世中人。

 

即事已如夢,後來我誰身。提壺莫辭貧,取酒會四鄰。

仙人殊恍惚,未若醉中真。

 

其四

清都綠玉樹,灼爍瑤臺春。攀花弄秀色,遠贈天仙人。

香風送紫蘂,直到扶桑津。取掇世上豔,所貴心之珍。

相思傳一笑,聊欲示情親。

 

其五

今日風日好,明日恐不如。春風笑於人,何乃愁自居。

吹簫舞彩鳳,酌醴鱠神魚。

 

千金買一醉,取樂不求餘。達士遺天地,東門有二疏。

愚夫同瓦石,有才知卷舒。無事作悲苦,塊然涸轍魚。

 

其六

運速天地閉,胡風結飛霜。百草死冬月,六龍西荒。

太白出東方,彗星揚精光。

 

鴛鴦非越鳥,何爲眷南翔。惟昔鷹將犬,今爲侯與王。

得水成蛟龍,爭池奪鳳凰。北斗不酌酒,南箕空簸揚。

 

其七

世路今太行,迴車竟何託。萬族皆凋枯,遂無少可樂。

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

 

榮貴當及時,春華宜照灼。人非崑山玉,安得長璀錯。

身沒期不朽,榮名在麟閣。

 

其八

月色不可掃,客愁不可道。玉露生秋衣,流螢飛百草。

日月終銷毀,天地同枯槁。

 

蟪蛄啼青松,安見此樹老。金丹寧誤俗,昧者難精討。

爾非千翁,多恨去世早。飲酒入玉壺,藏身以爲寶。

 

其九

生者爲過客,死者爲歸人。天地一逆旅,同悲萬古塵。

月兔空搗藥,扶桑已成薪。白骨寂無言,青松豈知春。

前後更嘆息,浮榮安足珍。

 

擬古,十二首其十

仙人騎彩鳳,昨下閬風岑。海水三清淺,桃源一見尋。

遺我綠玉桮,兼之紫瓊琴。

 

杯以傾美酒,琴以閑素心。二物非世有,何論珠與金。

琴彈松裏風,桮勸天上月。風月長相知,世人何倏忽。

 

擬古,十二首其十一

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳人綵雲裏,欲贈隔遠天。相思無由見,悵望涼風前。

〈又《折荷有贈》云:

「涉江翫秋水,愛此紅蕖鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳期彩雲重,欲贈隔遠天。相思無由見,惆悵涼風前」。〉

 

擬古,十二首其十二

去去復去去,辭君還憶君。漢水既殊流,楚山亦此分。

人生難稱意,豈得長爲羣。

 

越燕喜海日,燕鴻思朔雲。別久容華晚,琅玕不能飯。

日落知天昏,夢長覺道遠。望夫登高山,化石竟不返。


続きを読む

757年 s-72擬古,十二首之七(巻二四(二)一三七八) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9440

757年 s-72擬古,十二首之七(巻二四()一三七八)-#1

 

20171110

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

757年 s-72擬古,十二首之七(巻二四(二)一三七八) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9440

LiveDoo

rBlog

未編年 s-69擬古,十二首之四(巻二四(二)一三七六) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9420

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-174 先生-巻15-08上襄陽於相公書 -# 2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9378

LiveDoo

rBlog

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-147 秋野五首其一(卷二〇(四)頁一七三二)注(1164) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9400

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年-集-20-3 【字解集】  秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (290)回目和凝巻六14小重山二首其一 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9450 (11/10)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-08 為顧先贈婦二首其一  #1(辭家遠行遊) 〔陸  機〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9444

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.84 薛濤 《酬文使君》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9452

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

757年 s-72擬古,十二首之七(巻二四()一三七八) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9440

(古詩の体に擬したと称して、自己の感慨を寄せたものである。不朽に伝えられる功名を立てて麒麟閣の栄誉を得たいと思っている事を詠う)

世路は今しも、人を苦しめる太行山脈の嶮絶なみちを行く、車は進まず、これを廻らんとしているが、はてさて、どこに落ち着こうというのだろうか。

万物万人どんな民族であっても、決して常住できるものがなく、凋み枯れるもので、見て此処に到れば、少しも楽しむことが無い

廣い野辺に進めば、白骨が多く散乱し、幽魂も、ともに銷鑠して、心霊の不滅というのもあてにはならない。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9405

 

 

 

擬古十二首

其一

青天何歷歷,明星如白石。黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。閨人理紈素,遊子悲行役。

 

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。乘月託宵夢,因之寄金徽。

 

其二

高樓入青天,下有白玉堂。明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

弦聲何激烈,風捲遶飛梁。行人皆躑躅,栖鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

其三

長繩難繫日,自古共悲辛。黃金高北斗,不惜買陽春。

石火無留光,還如世中人。

 

即事已如夢,後來我誰身。提壺莫辭貧,取酒會四鄰。

仙人殊恍惚,未若醉中真。

 

其四

清都綠玉樹,灼爍瑤臺春。攀花弄秀色,遠贈天仙人。

香風送紫蘂,直到扶桑津。取掇世上豔,所貴心之珍。

相思傳一笑,聊欲示情親。

 

其五

今日風日好,明日恐不如。春風笑於人,何乃愁自居。

吹簫舞彩鳳,酌醴鱠神魚。

 

千金買一醉,取樂不求餘。達士遺天地,東門有二疏。

愚夫同瓦石,有才知卷舒。無事作悲苦,塊然涸轍魚。

 

其六

運速天地閉,胡風結飛霜。百草死冬月,六龍西荒。

太白出東方,彗星揚精光。

 

鴛鴦非越鳥,何爲眷南翔。惟昔鷹將犬,今爲侯與王。

得水成蛟龍,爭池奪鳳凰。北斗不酌酒,南箕空簸揚。

 

其七

世路今太行,迴車竟何託。萬族皆凋枯,遂無少可樂。

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

 

榮貴當及時,春華宜照灼。人非崑山玉,安得長璀錯。

身沒期不朽,榮名在麟閣。

 

其八

月色不可掃,客愁不可道。玉露生秋衣,流螢飛百草。

日月終銷毀,天地同枯槁。

 

蟪蛄啼青松,安見此樹老。金丹寧誤俗,昧者難精討。

爾非千翁,多恨去世早。飲酒入玉壺,藏身以爲寶。

 

其九

生者爲過客,死者爲歸人。天地一逆旅,同悲萬古塵。

月兔空搗藥,扶桑已成薪。白骨寂無言,青松豈知春。

前後更嘆息,浮榮安足珍。

 

擬古,十二首其十

仙人騎彩鳳,昨下閬風岑。海水三清淺,桃源一見尋。

遺我綠玉桮,兼之紫瓊琴。

 

杯以傾美酒,琴以閑素心。二物非世有,何論珠與金。

琴彈松裏風,桮勸天上月。風月長相知,世人何倏忽。

 

擬古,十二首其十一

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳人綵雲裏,欲贈隔遠天。相思無由見,悵望涼風前。

〈又《折荷有贈》云:

「涉江翫秋水,愛此紅蕖鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳期彩雲重,欲贈隔遠天。相思無由見,惆悵涼風前」。〉

 

擬古,十二首其十二

去去復去去,辭君還憶君。漢水既殊流,楚山亦此分。

人生難稱意,豈得長爲羣。

 

越燕喜海日,燕鴻思朔雲。別久容華晚,琅玕不能飯。

日落知天昏,夢長覺道遠。望夫登高山,化石竟不返。


続きを読む

757年 s-71擬古,十二首之六(巻二四(二)一三七七) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9433

757年 s-71擬古,十二首之六(巻二四()一三七七) -#2

 

 

2017119

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

757年 s-71擬古,十二首之六(巻二四(二)一三七七) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9433

LiveDoo

rBlog

未編年 s-69擬古,十二首之四(巻二四(二)一三七六) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9420

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-173 先生-巻15-08上襄陽於相公書 -# 1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9371

LiveDoo

rBlog

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-146 峽隘(卷一九(四)一七二六)注(1160) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9265

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (289)回目 歐陽烱 巻六 《鳳樓春鳳》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9443 (11/09)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

臺新詠 巻三  目次  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9437

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.83 薛濤 《送扶煉師 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9452

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

757年 s-71擬古,十二首之六(巻二四()一三七七) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9433 

鴛鴦は、越地の鳥ではないけれど、どうすれば南の地にこの鳥たちを飛び回ることができるのだろうか。

自分たちも、もともと南の人間ではないのに、今しも、南方の地において奔走して居るし、世は刈菰のはびこるように乱れていて、それに就け行って、ちょっとした功名を立てて、ただ鷹犬の用をなして諸侯から王になった。

彼の名将の輩が封土を得たるは、水深の深いところに棲む蛟龍の水を得たるに比すべく、幾多の宰相が十分に用いられずして、官を辭したのは、即ちわが鳳凰池を失ったといえると同じ遺憾であろう。

北斗七星は、斗の名の通りに、酒を酌み交わすことはできないし、南箕は箕の名はあれど、米穀を簸揚せしむることができない、これと同様、自分は詩文学では聊か名が通っているけれど、何もできないでいるのである。しかし、このままで終わりたくないと思っている。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9405

 

 

 

擬古十二首

其一

青天何歷歷,明星如白石。黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。閨人理紈素,遊子悲行役。

 

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。乘月託宵夢,因之寄金徽。

 

其二

高樓入青天,下有白玉堂。明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

弦聲何激烈,風捲遶飛梁。行人皆躑躅,栖鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

其三

長繩難繫日,自古共悲辛。黃金高北斗,不惜買陽春。

石火無留光,還如世中人。

 

即事已如夢,後來我誰身。提壺莫辭貧,取酒會四鄰。

仙人殊恍惚,未若醉中真。

 

其四

清都綠玉樹,灼爍瑤臺春。攀花弄秀色,遠贈天仙人。

香風送紫蘂,直到扶桑津。取掇世上豔,所貴心之珍。

相思傳一笑,聊欲示情親。

 

其五

今日風日好,明日恐不如。春風笑於人,何乃愁自居。

吹簫舞彩鳳,酌醴鱠神魚。

 

千金買一醉,取樂不求餘。達士遺天地,東門有二疏。

愚夫同瓦石,有才知卷舒。無事作悲苦,塊然涸轍魚。

 

其六

運速天地閉,胡風結飛霜。百草死冬月,六龍西荒。

太白出東方,彗星揚精光。

 

鴛鴦非越鳥,何爲眷南翔。惟昔鷹將犬,今爲侯與王。

得水成蛟龍,爭池奪鳳凰。北斗不酌酒,南箕空簸揚。

 

其七

世路今太行,迴車竟何託。萬族皆凋枯,遂無少可樂。

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

 

榮貴當及時,春華宜照灼。人非崑山玉,安得長璀錯。

身沒期不朽,榮名在麟閣。

 

其八

月色不可掃,客愁不可道。玉露生秋衣,流螢飛百草。

日月終銷毀,天地同枯槁。

 

蟪蛄啼青松,安見此樹老。金丹寧誤俗,昧者難精討。

爾非千翁,多恨去世早。飲酒入玉壺,藏身以爲寶。

 

其九

生者爲過客,死者爲歸人。天地一逆旅,同悲萬古塵。

月兔空搗藥,扶桑已成薪。白骨寂無言,青松豈知春。

前後更嘆息,浮榮安足珍。

 

擬古,十二首其十

仙人騎彩鳳,昨下閬風岑。海水三清淺,桃源一見尋。

遺我綠玉桮,兼之紫瓊琴。

 

杯以傾美酒,琴以閑素心。二物非世有,何論珠與金。

琴彈松裏風,桮勸天上月。風月長相知,世人何倏忽。

 

擬古,十二首其十一

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳人綵雲裏,欲贈隔遠天。相思無由見,悵望涼風前。

〈又《折荷有贈》云:

「涉江翫秋水,愛此紅蕖鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳期彩雲重,欲贈隔遠天。相思無由見,惆悵涼風前」。〉

 

擬古,十二首其十二

去去復去去,辭君還憶君。漢水既殊流,楚山亦此分。

人生難稱意,豈得長爲羣。

 

越燕喜海日,燕鴻思朔雲。別久容華晚,琅玕不能飯。

日落知天昏,夢長覺道遠。望夫登高山,化石竟不返。

 

続きを読む

757年 s-70擬古,十二首之六(巻二四(二)一三七七) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9426

757年 s-70擬古,十二首之六(巻二四()一三七七) -#1

 

 

2017118

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

757年 s-70擬古,十二首之六(巻二四(二)一三七七) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9426

LiveDoo

rBlog

未編年 s-69擬古,十二首之四(巻二四(二)一三七六) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9420

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-173 先生-巻15-08上襄陽於相公書 -# 1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9371

LiveDoo

rBlog

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-145 搖落(卷一九(四)一七二五)注(1159) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9386

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (287) 回目 歐陽烱 巻六 《賀明朝二首其二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9429 (11/07)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二其七 擬古七首其七( 擬涉江采芙) 陸機 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9430

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.82 薛濤 《和李書記席上見贈 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9445

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

757年 s-70擬古,十二首之六(巻二四()一三七七) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9426 

(天文学や五行思想からも示された乱がおこり、安史軍の勢いは止まらず世は乱れた、徐々に一角を崩してゆく、そのもどかしさを詠う)

節序推移の運は極めて速やかに天地通ぜずして閉塞し、世は、冬になっていて、北から吹く風は、飛霜を結び、とてもじゃなく寂しさにかられる。というのも、安禄山が乱をおこし、幽州、河北、中原、關中を異民族の風紀でこの地を荒らしてしまった。その荒れた状態は復帰していない。

百草は冬月の厳しい寒さに、地上の日常を枯らし、死滅させたようになったし、人民も多くの人々が死に、また逃散して皇帝は、西の果て、遙か蜀中に行幸された。

太白星は、東方に出でて、王朝が敗亡の兆候がありありと見え、そして、彗星は、精光を帯びして流れ、今後の禍殃がきっと激しいものになりそうだと感じたものであった。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9405

 

 

 

擬古十二首

其一

青天何歷歷,明星如白石。黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。閨人理紈素,遊子悲行役。

 

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。乘月託宵夢,因之寄金徽。

 

其二

高樓入青天,下有白玉堂。明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

弦聲何激烈,風捲遶飛梁。行人皆躑躅,栖鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

其三

長繩難繫日,自古共悲辛。黃金高北斗,不惜買陽春。

石火無留光,還如世中人。

 

即事已如夢,後來我誰身。提壺莫辭貧,取酒會四鄰。

仙人殊恍惚,未若醉中真。

 

其四

清都綠玉樹,灼爍瑤臺春。攀花弄秀色,遠贈天仙人。

香風送紫蘂,直到扶桑津。取掇世上豔,所貴心之珍。

相思傳一笑,聊欲示情親。

 

其五

今日風日好,明日恐不如。春風笑於人,何乃愁自居。

吹簫舞彩鳳,酌醴鱠神魚。

 

千金買一醉,取樂不求餘。達士遺天地,東門有二疏。

愚夫同瓦石,有才知卷舒。無事作悲苦,塊然涸轍魚。

 

其六

運速天地閉,胡風結飛霜。百草死冬月,六龍西荒。

太白出東方,彗星揚精光。

 

鴛鴦非越鳥,何爲眷南翔。惟昔鷹將犬,今爲侯與王。

得水成蛟龍,爭池奪鳳凰。北斗不酌酒,南箕空簸揚。

 

其七

世路今太行,迴車竟何託。萬族皆凋枯,遂無少可樂。

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

 

榮貴當及時,春華宜照灼。人非崑山玉,安得長璀錯。

身沒期不朽,榮名在麟閣。

 

其八

月色不可掃,客愁不可道。玉露生秋衣,流螢飛百草。

日月終銷毀,天地同枯槁。

 

蟪蛄啼青松,安見此樹老。金丹寧誤俗,昧者難精討。

爾非千翁,多恨去世早。飲酒入玉壺,藏身以爲寶。

 

其九

生者爲過客,死者爲歸人。天地一逆旅,同悲萬古塵。

月兔空搗藥,扶桑已成薪。白骨寂無言,青松豈知春。

前後更嘆息,浮榮安足珍。

 

擬古,十二首其十

仙人騎彩鳳,昨下閬風岑。海水三清淺,桃源一見尋。

遺我綠玉桮,兼之紫瓊琴。

 

杯以傾美酒,琴以閑素心。二物非世有,何論珠與金。

琴彈松裏風,桮勸天上月。風月長相知,世人何倏忽。

 

擬古,十二首其十一

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳人綵雲裏,欲贈隔遠天。相思無由見,悵望涼風前。

〈又《折荷有贈》云:

「涉江翫秋水,愛此紅蕖鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳期彩雲重,欲贈隔遠天。相思無由見,惆悵涼風前」。〉

 

擬古,十二首其十二

去去復去去,辭君還憶君。漢水既殊流,楚山亦此分。

人生難稱意,豈得長爲羣。

 

越燕喜海日,燕鴻思朔雲。別久容華晚,琅玕不能飯。

日落知天昏,夢長覺道遠。望夫登高山,化石竟不返。


続きを読む

739年 s-66擬古,十二首之一(巻二四(二)一三七三) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9398

739年 s-66擬古,十二首之一(巻二四()一三七三) -#2

 

2017114

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

739年 s-66擬古,十二首之一(巻二四(二)一三七三) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9398

LiveDoo

rBlog

745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-170 補遺-22贈劍客李園聯句【案:韓愈、孟郊】 -#1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9343

LiveDoo

rBlog

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9365

LiveDoo

rBlog

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

767年-集-20-2 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(2)

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (284)回目歐陽烱巻六南子八首其八》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9408 (11/04)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-04 擬古七首其四 #1( 擬苕苕牽牛) 陸機 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9402

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.78 薛濤 《別李郎中 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9417

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

739年 s-66擬古,十二首之一(巻二四()一三七三) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9398

一心に繕いをしていると気が付かなかったが、瓶水の氷れるを見て、冬の寒きを知ったほどで、霜露は遠い旅先で夫を圧倒しているとおもうと、その心を傷ましめるのである。

ひとたび、家を離れた孤客は、秋葉の飛ぶが如く、飄颻として、その風の行くに任せ、決して歸ろうと云わない。

されば、空閏を守れる征婦は、夫に別れし後、愁いのあまり羅帯の腰にあまるを覚え、夫の去る時に着ていた衣も、今では身にゆるすぎるくらいになる。

つまり、孤居の物憂さにたえずして、日に日に痩せてゆくので、月に乗じて魂は遙夜の夢に入り、この別後の苦を金微の彼方に居る兵に知らせたいと思うばかりである。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9391

 

 

 


続きを読む

739年 s-65擬古,十二首之一(巻二四(二)一三七三) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9391

739年 s-65擬古,十二首之一(巻二四()一三七三) -#1

 

2017113

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

739年 s-65擬古,十二首之一(巻二四(二)一三七三) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9391

LiveDoo

rBlog

745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

767年-142#12 寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)#12注(1156) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9365

LiveDoo

rBlog

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-142#12 寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)#12注(1156) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9365

LiveDoo

rBlog

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

767年-集-20-2 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(2)

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (281)回目歐陽烱巻六南子八首其五》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9387 (11/02)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-03 擬古七首其三( 擬蘭若生春) 陸機 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9395

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.77 薛濤 《寄張元夫》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9410

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

739年 s-65擬古,十二首之一(巻二四()一三七三) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9391

(古詩に擬し、自己の感慨をのべたもの:征婦は夫を送り出して、音沙汰のない夫を心配してやせ細ってしまうが、その心配は消えることが無い。)青天の上に星がなんと歴歴と列をなしている、やがて、明星は、さながら白石のようである。そして、牽牛・織女の二星は、相い距つること尺にも盈たず、極めて接近しているように見える。しかし、銀河の上にカササギの渡せる橋もなく、七月七日という、きまった時でも無ければ、行こうと思っても、決して行かれない。閏中の少婦は、旅立つ夫のために絹の衣を縫い、その夫は、又はるばる行役に出かけることを悲しんでいる。 

 

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9391

 

 

 


続きを読む

745年 n-64-#2 擬古,十二首之十(巻二四(二)一三八三)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9384

745年 n-64-#2 擬古,十二首之十(巻二四()一三八三)

 

 

2017112

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745 n-64-#2 擬古,十二首之十(巻二四(二)一三八三)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9384

LiveDoo

rBlog

745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-168 補遺-巻21遣興聯句【案:韓愈、孟郊】-#3 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9329

LiveDoo

rBlog

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-142#11 寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)#11注(1156) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9358

LiveDoo

rBlog

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

767年-集-20-2 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(2)

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (281)回目歐陽烱巻六南子八首其五》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9387 (11/02)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-02 擬古七首其二 #3( 擬東城一何) 陸機 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9388

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.76 薛濤 《贈遠二首 其二》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9403

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

745年 n-64-#2 擬古,十二首之十(巻二四()一三八三)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9384

そんな時、杯は美酒を傾けることであり、琴を以て元もとの素の心を和やかに落ち着かせることが出来るのである。

この二物こそは ともに世間にはめったにないもので、その価は、無限というべく、決して、明珠や黄金などと比較して論ずることなどできるのであろうか。

かくて、松林の間を抜けて吹いてきて、琴をつま弾いいた音が風に乗って響き渡る、天上に輝く月に向かって杯を勧め、皆、聊か楽しんでいる。

こうしたことは、風月は古き時代より長くよく相知している、世人は朝生暮死、誠にはかないもので、決して長い交わりを結ぶことができない。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9370

 

 

 


続きを読む

745年 n-64-#1 擬古,十二首之十(巻二四(二)一三八三)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9377

745年 n-64-#1 擬古,十二首之十(巻二四()一三八三)

 

 

 

2017111

の紀頌之"6"つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

Ⅰ李白詩(李白集校注)      LiveDoor

745年 n-64-#1 擬古,十二首之十(巻二四(二)一三八三)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9377

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注      LiveDoor

806年-167 補遺-巻21遣興聯句【案:韓愈、孟郊】-#2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9322

Ⅲ 杜詩詳注                  LiveDoor

767年-142#10 寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)#10注(1156) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9351

杜甫詩 全詩 総合案内 

Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞  fc2Blog

花間集 訳注解説 (280)回目歐陽烱巻六南子八首其四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9380 (11/01)

.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠     Livedoor

玉-巻三-02 擬古七首其二 #2( 擬東城一何) 陸機 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9381

Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論

八、2.75 薛濤 《贈遠二首 其一》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9396

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

745年 n-64-#1 擬古,十二首之十(巻二四()一三八三)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9377

(仙人が桃源郷に来たので相逢う事を述べ、仙郷の松林で、琴を弾じ、杯を傾け、風月を詠う)

仙人は、五色の美しい鳳凰の背にまたがり、昨日、崑崙山の閬風の峰の天辺に降り立った。

それから、東を遠く見渡せば、東海の三たび浅くなり、桑田となって仙界も決して昔のままではない。そこでちょっと、桃源を尋ねてみたのである。

そこで、私に、緑玉の盃と紫瓊の琴とを遺られたのである。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9370

 

 

 


続きを読む

745年 n-63 擬古,十二首之九(巻二四(二)一三八〇)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9370

745年 n-63 擬古,十二首之九(巻二四()一三八〇)

 

 

20171031

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745年 n-63 擬古,十二首之九(巻二四(二)一三八〇)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9370

LiveDoo

rBlog

745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-167 補遺-巻21遣興聯句【案:韓愈、孟郊】-#2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9322

LiveDoo

rBlog

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-142#9 寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)#9注(1156) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9344

LiveDoo

rBlog

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

767年-集-20-2 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(2)

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (279)回目歐陽烱巻六南子八首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9373 (10/31)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-02 擬古七首其二 #1( 擬東城一何) 陸機 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9374

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.74 薛濤 《送友人 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9389

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

ttp://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

745年 n-63 擬古,十二首之九(巻二四()一三八〇)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9370

(古詩の体に擬したと称して、自己の感慨を寄せたものである。その九:莊子の言葉を李白なりに人生観を述べたものである。)

列子に言う、生きている者は閭人であり、死者は、必ず生まれ故郷に帰り葬られる「歸人」であり、やっと落ち着けるというものである。

天地は実に大いなるものではあるが、一つたとえれば、旅籠屋みたいなものである、人が終古の塵になるのは誠に悲しむべきことの極みである。

月に住む兎は、薬を搗いていっるが、何の役にも立たたない扶桑の大木でも、せめて薪にはなるのである。

人も白骨になってしまえば、寂寞としたもので言葉もないし、青松は、千年を経るものもあるというが決して花咲くことはないのである。

こうして、我が一生の前後を顧みれば、更に嘆息をますばかりで、泛べる栄華は、決して、珍しいものではないのである。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9370

 

 

 酒宴 02


続きを読む

745年 n-62-#2 擬古,十二首之八(巻二四(二)一三七九)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9363

745年 n-62-#2 擬古,十二首之八(巻二四()一三七九)

 

 

20171030

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745年 n-62-#2 擬古,十二首之八(巻二四(二)一三七九)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9363

LiveDoo

rBlog

745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-166 補遺-巻21遣興聯句【案:韓愈、孟郊】-#1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9315

LiveDoo

rBlog

806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-142#8 寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)#8注(1156) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9337

LiveDoo

rBlog

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

767年-集-20-2 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(2)

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (278)回目歐陽烱巻六南子八首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366 (10/30)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-01擬古七首其一 #2( 擬西北有高) 陸機〔Ⅴ〕漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ9367

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.73 薛濤 《寄詞 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9382

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

745年 n-62-#2 擬古,十二首之八(巻二四()一三七九)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9363

寒蝉の蟪蛄は、青松に留まって啼いているが、春秋を知らぬ短い命では、とても松の木が長い歳月がけて老樹になるのをどうして見ることができるだろうか。しかし、その松も、何れは枯れ木となるのは免れず、不死というものはないのである。

不死の薬である金丹は、どういう訳か世俗では誤謬されている、ただ心の暗いものは、玄妙の理を精詳した討究することができないから仕方がないことである。

だから、世に学ぶべきは、仙道のことばかり、汝らは、千歳の翁ではない、ともすれば、世を去ることの早さを恨むであろう。

彼の仙人は、酒を飲んでしまうと自らの身を踊らして輝く壺の中に隠れ、そこに身を隠せば、それを以て寶壽ということであり、また別世界が厳然として存在するというものであり、仙道のありがたさという事なのである。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9349

 

 

 


続きを読む

745年 n-62-#1 擬古,十二首之八(巻二四(二)一三七九)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9356

745年 n-62-#1 擬古,十二首之八(巻二四()一三七九)

 

 

 

745年 n-

 

20171027

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745年 n-61-#2 擬古,十二首之五(巻二四(二)一三七七)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9349

LiveDoo

rBlog

745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-164 昌黎先生 巻八-02會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】-#10 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9294

LiveDoo

rBlog

806年-集17-133 韓昌黎集字解集秋雨聯句【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9064

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-142#6 寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)#6注(1156) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9323

LiveDoo

rBlog

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

767年-集-20-2 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(2)

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (276)回目歐陽烱巻五三字令》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9352 (10/27)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉集-020【字解集】   ・王昭君辭一首并序  ・嬌女詩一首 【字解集】    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9353

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.70 薛濤 《思 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9361

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

62-#1 擬古,十二首之八(巻二四()一三七九)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9356

(古詩の体に擬したと称して、自己の感慨を寄せたものである。その八:光陰は矢の如し、いま、千歳の仙人ではない、仙道のありがたさを思う。)

月の色は、払って退けることなどできはしない、月を仰いで、客愁は喩える言葉も口には出せない。

秋の夜露の珠玉は、秋衣の上に生じ、乱れ飛ぶ蛍は、百草の上に光る。

日月でさえも 終には、銷えてなくなるし、天地にあるものすべて枯れ果ててしまう。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9356

 

 


続きを読む

745年 n-61-#2 擬古,十二首之五(巻二四(二)一三七七)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9349

745年 n-61-#2 擬古,十二首之五(巻二四()一三七七)

 

 

 

20171027

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745年 n-61-#2 擬古,十二首之五(巻二四(二)一三七七)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9349

LiveDoo

rBlog

745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-164 昌黎先生 巻八-02會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】-#10 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9294

LiveDoo

rBlog

806年-集17-133 韓昌黎集字解集秋雨聯句【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9064

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-142#6 寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)#6注(1156) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9323

LiveDoo

rBlog

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

767年-集-20-2 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(2)

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (276)回目歐陽烱巻五三字令》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9352 (10/27)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉集-020【字解集】   ・王昭君辭一首并序  ・嬌女詩一首 【字解集】    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9353

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.70 薛濤 《思 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9361

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

745年 n-61-#2 擬古,十二首之五(巻二四()一三七七)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9349

達士は、天地のこととはいえ世俗に関したことは忘れ、その意に任せて悠々自適するもので、紀元前一世紀ころ、かの東都門外から帰国した疏廣と疏受の二疏のようなもの、即ち、凡俗に背を向けて純粋な生活を求めるという態度は古人にもそのためしがあるその人である。

これに反して、愚夫は、瓦石に同じく、誠につまらぬものであるし、ただ才あるもの良識あるものそれのみが卷舒を知るつまり蓆が必要に応じてひろげられ巻かれるように時世時世に応じてそれぞれにおおしい生活態度を取ることを知っている。

これに反して、愚夫は、瓦石に同じく、誠につまらぬものであるし、ただ才あるもの良識あるものそれのみが卷舒を知るつまり蓆が必要に応じてひろげられ巻かれるように時世時世に応じてそれぞれにおおしい生活態度を取ることを知っている。

車の轍の跡にできた小さな水たまりそこでフナがアップアップやっている水はやがて枯れ

魚は死ぬであろうという話が荘子に見えている。涸れんとする轍の水の中の魚のような状態それを自分の仕事とする必要はないのである。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9349

 

 

 

擬古十二首

其一

青天何歷歷,明星如白石。

黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。

閨人理紈素,遊子悲行役。

 

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。

客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。

乘月託宵夢,因之寄金徽。

 

其二

高樓入青天,下有白玉堂。

明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

弦聲何激烈,風捲遶飛梁。

行人皆躑躅,栖鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

其三

長繩難繫日,自古共悲辛。

黃金高北斗,不惜買陽春。

石火無留光,還如世中人。

 

即事已如夢,後來我誰身。

提壺莫辭貧,取酒會四鄰。

仙人殊恍惚,未若醉中真。

 

其四

清都綠玉樹,灼爍瑤臺春。

攀花弄秀色,遠贈天仙人。

香風送紫蘂,直到扶桑津。

取掇世上豔,所貴心之珍。

相思傳一笑,聊欲示情親。

 

其五

今日風日好,明日恐不如。

春風笑於人,何乃愁自居。

吹簫舞彩鳳,酌醴鱠神魚。

 

千金買一醉,取樂不求餘。

達士遺天地,東門有二疏。

愚夫同瓦石,有才知卷舒。

無事作悲苦,塊然涸轍魚。

 

其六

運速天地閉,胡風結飛霜。

百草死冬月,六龍西荒。

太白出東方,彗星揚精光。

 

鴛鴦非越鳥,何爲眷南翔。

惟昔鷹將犬,今爲侯與王。

得水成蛟龍,爭池奪鳳凰。

北斗不酌酒,南箕空簸揚。

 

其七

世路今太行,迴車竟何託。

萬族皆凋枯,遂無少可樂。

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

 

榮貴當及時,春華宜照灼。

人非崑山玉,安得長璀錯。

身沒期不朽,榮名在麟閣。

 

其八

月色不可掃,客愁不可道。

玉露生秋衣,流螢飛百草。

日月終銷毀,天地同枯槁。

 

蟪蛄啼青松,安見此樹老。

金丹寧誤俗,昧者難精討。

爾非千翁,多恨去世早。

飲酒入玉壺,藏身以爲寶。

 

其九

生者爲過客,死者爲歸人。

天地一逆旅,同悲萬古塵。

月兔空搗藥,扶桑已成薪。

白骨寂無言,青松豈知春。

前後更嘆息,浮榮安足珍。

 

其十

仙人騎彩鳳,昨下閬風岑。

海水三清淺,桃源一見尋。

遺我綠玉桮,兼之紫瓊琴。

 

杯以傾美酒,琴以閑素心。

二物非世有,何論珠與金。

琴彈松裏風,桮勸天上月。

風月長相知,世人何倏忽。

 

其十一

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。

攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳人綵雲裏,欲贈隔遠天。

相思無由見,悵望涼風前。

〈又《折荷有贈》云:「涉江翫秋水,愛此紅蕖鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳期彩雲重,欲贈隔遠天。相思無由見,惆悵涼風前」。〉

 

其十二

去去復去去,辭君還憶君。

漢水既殊流,楚山亦此分。

人生難稱意,豈得長爲羣。

 

越燕喜海日,燕鴻思朔雲。

別久容華晚,琅玕不能飯。

日落知天昏,夢長覺道遠。

望夫登高山,化石竟不返。


続きを読む

745年 n-61-#1 擬古,十二首之五(巻二四(二)一三七七)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9342

745年 n-61-#1 擬古,十二首之五(巻二四()一三七七)

20171026

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745年 n-61-#1 擬古,十二首之五(巻二四(二)一三七七)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9342

LiveDoo

rBlog

745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

767年-142#5 寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)#5注(1156) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9316

LiveDoo

rBlog

806年-集17-133 韓昌黎集字解集秋雨聯句【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9064

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-142#4 寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)#4注(1156) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9309

LiveDoo

rBlog

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

767年-集-20-2 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(2)

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (275)回目歐陽烱巻五浣溪沙三首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9345 (10/26)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二41 嬌女詩一首 §2-3 -#7 左思 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9346

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.69 薛濤 《摩訶池贈蕭中丞》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9354

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

745年 n-61-#1 擬古,十二首之五(巻二四()一三七七)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9342

(古詩の体に擬したと称して、自己の感慨を寄せたものである。その五:道を達生死し、能く時と卷舒するものという )

今日は風も穏やかお天気は誠によろしい、でも明日はおそらく、こんな天気ではなく、或は風雨の日となるかもしれない。

春の風は人々をして、楽しく笑みをもたらすものであり、良い天気の行楽では十分に楽しむことである。こんな時にどうして、自ら愁いに沈んで、居られようか。

そこで、簫の笛を吹いて五色の翼をもつ鳳と凰との一双が、天下泰平・万民和楽の聖代を祝って出現し、雲一つない天空に悠々と舞い遊んでいるし、それを歓び、甘酒を酌み、神魚をなますにしていわっている。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9342

 

 

 

擬古十二首

其一

青天何歷歷,明星如白石。

黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。

閨人理紈素,遊子悲行役。

 

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。

客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。

乘月託宵夢,因之寄金徽。

 

其二

高樓入青天,下有白玉堂。

明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

弦聲何激烈,風捲遶飛梁。

行人皆躑躅,栖鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

其三

長繩難繫日,自古共悲辛。

黃金高北斗,不惜買陽春。

石火無留光,還如世中人。

 

即事已如夢,後來我誰身。

提壺莫辭貧,取酒會四鄰。

仙人殊恍惚,未若醉中真。

 

其四

清都綠玉樹,灼爍瑤臺春。

攀花弄秀色,遠贈天仙人。

香風送紫蘂,直到扶桑津。

取掇世上豔,所貴心之珍。

相思傳一笑,聊欲示情親。

 

其五

今日風日好,明日恐不如。

春風笑於人,何乃愁自居。

吹簫舞彩鳳,酌醴鱠神魚。

 

千金買一醉,取樂不求餘。

達士遺天地,東門有二疏。

愚夫同瓦石,有才知卷舒。

無事作悲苦,塊然涸轍魚。

 

其六

運速天地閉,胡風結飛霜。

百草死冬月,六龍西荒。

太白出東方,彗星揚精光。

 

鴛鴦非越鳥,何爲眷南翔。

惟昔鷹將犬,今爲侯與王。

得水成蛟龍,爭池奪鳳凰。

北斗不酌酒,南箕空簸揚。

 

其七

世路今太行,迴車竟何託。

萬族皆凋枯,遂無少可樂。

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

 

榮貴當及時,春華宜照灼。

人非崑山玉,安得長璀錯。

身沒期不朽,榮名在麟閣。

 

其八

月色不可掃,客愁不可道。

玉露生秋衣,流螢飛百草。

日月終銷毀,天地同枯槁。

 

蟪蛄啼青松,安見此樹老。

金丹寧誤俗,昧者難精討。

爾非千翁,多恨去世早。

飲酒入玉壺,藏身以爲寶。

 

其九

生者爲過客,死者爲歸人。

天地一逆旅,同悲萬古塵。

月兔空搗藥,扶桑已成薪。

白骨寂無言,青松豈知春。

前後更嘆息,浮榮安足珍。

 

其十

仙人騎彩鳳,昨下閬風岑。

海水三清淺,桃源一見尋。

遺我綠玉桮,兼之紫瓊琴。

 

杯以傾美酒,琴以閑素心。

二物非世有,何論珠與金。

琴彈松裏風,桮勸天上月。

風月長相知,世人何倏忽。

 

其十一

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。

攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳人綵雲裏,欲贈隔遠天。

相思無由見,悵望涼風前。

〈又《折荷有贈》云:「涉江翫秋水,愛此紅蕖鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳期彩雲重,欲贈隔遠天。相思無由見,惆悵涼風前」。〉

 

其十二

去去復去去,辭君還憶君。

漢水既殊流,楚山亦此分。

人生難稱意,豈得長爲羣。

 

越燕喜海日,燕鴻思朔雲。

別久容華晚,琅玕不能飯。

日落知天昏,夢長覺道遠。

望夫登高山,化石竟不返。


続きを読む

745年 n-60-#2 擬古,十二首之三(巻二四(二)一三七五)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9335

745年 n-60-#2 擬古,十二首之三(巻二四()一三七五)

 

 

20171025

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745年 n-60-#2 擬古,十二首之三(巻二四(二)一三七五)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9335

LiveDoo

rBlog

745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-163 昌黎先生 巻八-02會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】-#9 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9287

LiveDoo

rBlog

806年-集17-133 韓昌黎集字解集秋雨聯句【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9064

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-142#4 寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)#4注(1156) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9309

LiveDoo

rBlog

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

767年-集-20-2 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(2)

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (274)回目歐陽烱巻五浣溪沙三首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9338 (10/25)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二41 嬌女詩一首 §2-2 -#6 左思 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9339

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.68 薛濤 《摩訶池宴》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9347

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

745年 n-60-#2 擬古,十二首之三(巻二四()一三七五)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9335

一切の事は、すべて夢のような出来事であり、後來、我は、誰の身となるのであろうか。

酒のはいった壺を引っ提げているなら、貧乏をいやがることなどはないし、どしどし酒を買ってきて、四鄰を會し、大いに楽しみをほしいままにするのが一番良いことなのである。

仙人といったところで、心恍惚として、特に取り留めることもなく、人は酔中において、心意、はじめて眞なるもので、道を修業するものにとって、その方がはるかに良いことであると思っている。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9328

 

 

酒宴 01 

擬古十二首

其一

青天何歷歷,明星如白石。

黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。

閨人理紈素,遊子悲行役。

 

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。

客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。

乘月託宵夢,因之寄金徽。

 

其二

高樓入青天,下有白玉堂。

明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

弦聲何激烈,風捲遶飛梁。

行人皆躑躅,栖鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

其三

長繩難繫日,自古共悲辛。

黃金高北斗,不惜買陽春。

石火無留光,還如世中人。

 

即事已如夢,後來我誰身。

提壺莫辭貧,取酒會四鄰。

仙人殊恍惚,未若醉中真。

 


続きを読む

745年 n-60-#1 擬古,十二首之三(巻二四(二)一三七五)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9328

745年 n-60-#1 擬古,十二首之三(巻二四()一三七五)

 

 

20171024

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745年 n-60-#1 擬古,十二首之三(巻二四(二)一三七五)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9328

LiveDoo

rBlog

745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-162 昌黎先生 巻八-02會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】-#8 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9280

LiveDoo

rBlog

806年-集17-133 韓昌黎集字解集秋雨聯句【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9064

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-142#3 寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)#3注(1156) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9302

LiveDoo

rBlog

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

767年-集-20-2 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(2)

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (273)回目歐陽烱巻五浣溪沙三首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9324 (10/24)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二41 嬌女詩一首 §2-1 -#5 左思 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9332

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、67.1 武元衝 薛濤 《武元衝 贈歌人 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9340

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

745年 n-60-#1 擬古,十二首之三(巻二四()一三七五)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9328

(古詩の体に擬したと称して、自己の感慨を寄せたものである。その三:仙人の境地を初めて覚り、仙郷にいるが、今は、ここに酒を大いに飲み、大いに楽しめば、眞なるものを感じることができる。)

長い縄を以て、大空を渡る日をつなぎとめることはできない、日が行くとともに、歳は同じように移りゆくもので、いにしえより、これを悲しまない者はいない。

もし黄金を積んで北斗より、崇高なものとなしたなら、これを惜しまずして、青春を買断して他所にやらねばよい。

石火は、その瞬間だけ輝くもので、それは、さながら、世間の人の命と一様にはかないものである。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9328

 

 

 

擬古十二首

其一

青天何歷歷,明星如白石。

黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。

閨人理紈素,遊子悲行役。

 

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。

客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。

乘月託宵夢,因之寄金徽。

 

其二

高樓入青天,下有白玉堂。

明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

弦聲何激烈,風捲遶飛梁。

行人皆躑躅,栖鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

其三

長繩難繫日,自古共悲辛。

黃金高北斗,不惜買陽春。

石火無留光,還如世中人。

 

即事已如夢,後來我誰身。

提壺莫辭貧,取酒會四鄰。

仙人殊恍惚,未若醉中真。

 


続きを読む

745-033 題雍丘崔明府丹灶(卷二四(二)一四二四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8987

745-033 題雍丘崔明府丹灶(卷二四(二)一四二四)

 

 

2017830

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-033 題雍丘崔明府丹灶(卷二四(二)一四二四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8987

LiveDoo

rBlog

745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-126 先生-巻八-05秋雨聯句【案:韓愈、孟郊】-#4 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8982

LiveDoo

rBlog

806年-集15- 韓昌黎集字解集城南聯句 【字解集】【上】

806年-集16- 韓昌黎集字解集城南聯句 【字解集】【下】

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-141#1 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九)#1§1-1注(1155)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8995

LiveDoo

rBlog

767年-集-19 【字解集】 ・H提封 I鸚鵡 J孤雁 K鷗 L猿 M麂 N雞 O黃魚 P白小  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8998

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (235)回目毛文錫巻五12更漏子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9016 (08/30)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (219)回目張泌 《張泌【字解集】 ―2 a. 臨江仙 b. 女冠子 c.河傳二首 D.酒泉子二首 E.子 F.思越人 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8882 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二29 情詩五首 其三清風動帷簾〔張華〕 Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9017

LiveDoo

rBlog

玉集-015【字解集】  雜詩五首 【字解集】    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8932

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.25 薛濤 《江邊 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9018

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

745-033 題雍丘崔明府丹灶(卷二四(二)一四二四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8987

(雍丘令の崔某が金丹を錬るというので、その竈に題したものである。)

わが友である崔明府は、政をなして其の地方を治めているが、その煩劇にもかかわらず、世俗の機を忘れて、超然脱出し、薬を服して仙を求めるものとし、しかも着々その效を奏して、予期に違いはしない。

明府は葉縣において、既に金丹を錬る竈をを準備し、それに封印をつけてしまい、金丹も生成され、いよいよ仙を得たならば、瀛州に向かって彼の赤松子と一緒に出掛けることであろう。

この道の先師達の秘訣として、名山に入って薬を錬る時には、これを神が助けるというもので、大聖の域に到達したものは、もとより無心であって、灰は自ずから飛ぶに任せ、金丹が出来上がるのです。

こうして、九轉の丹を服すれば、羽翼を生ずることもできるであろうし、むかしの王喬のように、雙鳧とともに往来し、倏忽変化、何に依ることもなく、自在に飛行できることになるのであろう。

 

 745-033

對雪奉餞任城六父秩滿歸京

全唐詩卷一八三04

(卷十六(二)九八四) -#1

李白集校注:卷二四(二)一四二四

李太白集卷二三04

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8957

 

題雍丘崔明府丹灶

美人為政本忘機,服藥求仙事不違。

葉縣已泥丹灶畢,瀛洲當伴赤松歸。

先師有訣神將助,大聖無心火自飛。

九轉但能生羽翼,雙鳧忽去定何依。

  題雍丘崔明府丹竈

唐河南道汴州陳/留郡有雍丘縣

美人為政本忘機服藥求仙事不違葉縣已泥丹竈畢

瀛洲當伴赤松歸先師有訣神將助大聖無心火自飛

九轉但能生羽翼雙鳬忽去定何依

瀛洲海中仙山見/十五巻注赤松子古仙人見二巻注

抱朴子古之道士合作神藥必入名山山神必助之為福藥必成

一轉之丹服之三年得仙二轉之丹服之二年得仙三轉之丹服之一年得仙四轉之

丹服之半年得仙五轉之丹服之百日得仙六轉之丹服之四十日得仙七轉之丹服之二十日

得仙八轉之丹服之十日得仙九轉之丹服之三日得仙

魏文帝詩服藥四五日身輕生羽翼。

風俗通俗孝明帝時尚書郎河東王喬遷為葉令喬有神術每月朔嘗

詣臺朝帝怪其來數而無車騎令太史候望言其臨至時常有雙鳬從南飛來因伏伺見鳬舉羅但得一雙

舄耳使尚方識視四年/中所賜尚書官屬履也

 李白集校注タイトル

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

卷二四(二)一四二四

卷一八三04

卷二三04

詩題

對雪奉餞任城六父秩滿歸京(卷十六(二)九八四)

文體

七言律詩

 

詩序

0

     初句

美人為政本忘機

天寶四年  745  45

作地點

雍丘(河南道 / 汴州 / 雍丘)

及地點

雍丘 (河南道 汴州 雍丘)

 

葉縣 (都畿道 汝州 葉縣)

 

 

 

 

 

交遊人物/交遊地點

崔明府

書信往來(河南道 汴州 雍丘)

 

題雍丘崔明府丹灶

(雍丘令の崔某が金丹を錬るというので、その竈に題したものである。)

美人為政本忘機,服藥求仙事不違。

わが友である崔明府は、政をなして其の地方を治めているが、その煩劇にもかかわらず、世俗の機を忘れて、超然脱出し、薬を服して仙を求めるものとし、しかも着々その效を奏して、予期に違いはしない。

葉縣已泥丹灶畢,瀛洲當伴赤松歸。

明府は葉縣において、既に金丹を錬る竈をを準備し、それに封印をつけてしまい、金丹も生成され、いよいよ仙を得たならば、瀛州に向かって彼の赤松子と一緒に出掛けることであろう。

先師有訣神將助,大聖無心火自飛。

この道の先師達の秘訣として、名山に入って薬を錬る時には、これを神が助けるというもので、大聖の域に到達したものは、もとより無心であって、灰は自ずから飛ぶに任せ、金丹が出来上がるのです。

九轉但能生羽翼,雙鳧忽去定何依。

こうして、九轉の丹を服すれば、羽翼を生ずることもできるであろうし、むかしの王喬のように、雙鳧とともに往来し、倏忽変化、何に依ることもなく、自在に飛行できることになるのであろう。

(雍丘の崔明府の丹に題す)

美人 政を為して 本と機を忘る,藥を服し 仙を求めて 事 違わず。

葉縣 已に丹を泥して畢り,瀛洲 當に赤松を伴うて歸る。

先師 訣有り 神 將に助けんとす,大聖 心無く 火 自ら飛ぶ。

九轉 但だ能く羽翼を生ずれば,雙鳧 忽ち去って 定めてく何くにか依らん。

 

巫山十二峰002 

《題雍丘崔明府丹灶》現代語訳と訳註解説
(
本文)

題雍丘崔明府丹灶

美人為政本忘機,服藥求仙事不違。

葉縣已泥丹灶畢,瀛洲當伴赤松歸。

先師有訣神將助,大聖無心火自飛。

九轉但能生羽翼,雙鳧忽去定何依。

 

(下し文)
(雍丘の崔明府の丹に題す)

美人 政を為して 本と機を忘る,藥を服し 仙を求めて 事 違わず。

葉縣 已に丹を泥して畢り,瀛洲 當に赤松を伴うて歸る。

先師 訣有り 神 將に助けんとす,大聖 心無く 火 自ら飛ぶ。

九轉 但だ能く羽翼を生ずれば,雙鳧 忽ち去って 定めてく何くにか依らん。

 

(現代語訳)

(雍丘令の崔某が金丹を錬るというので、その竈に題したものである。)

わが友である崔明府は、政をなして其の地方を治めているが、その煩劇にもかかわらず、世俗の機を忘れて、超然脱出し、薬を服して仙を求めるものとし、しかも着々その效を奏して、予期に違いはしない。

明府は葉縣において、既に金丹を錬る竈をを準備し、それに封印をつけてしまい、金丹も生成され、いよいよ仙を得たならば、瀛州に向かって彼の赤松子と一緒に出掛けることであろう。

この道の先師達の秘訣として、名山に入って薬を錬る時には、これを神が助けるというもので、大聖の域に到達したものは、もとより無心であって、灰は自ずから飛ぶに任せ、金丹が出来上がるのです。

こうして、九轉の丹を服すれば、羽翼を生ずることもできるであろうし、むかしの王喬のように、雙鳧とともに往来し、倏忽変化、何に依ることもなく、自在に飛行できることになるのであろう。

 

太白山001(訳注)

題雍丘崔明府丹灶

(雍丘令の崔某が金丹を錬るというので、その竈に題したものである。)

河南道汴州、陳留郡に雍丘縣がある。

 

美人為政本忘機,服藥求仙事不違。

わが友である崔明府は、政をなして其の地方を治めているが、その煩劇にもかかわらず、世俗の機を忘れて、超然脱出し、薬を服して仙を求めるものとし、しかも着々その效を奏して、予期に違いはしない。

美人 ここでは、明府を指す。官僚として能力を発揮している人物を指すが、古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬢、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618 - 626年)に、唐は隋の制度を参照して完璧で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬢(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

為政 

 

葉縣已泥丹灶畢,瀛洲當伴赤松歸。

明府は葉縣において、既に金丹を錬る竈をを準備し、それに封印をつけてしまい、金丹も生成され、いよいよ仙を得たならば、瀛州に向かって彼の赤松子と一緒に出掛けることであろう。

瀛洲 中国古代において,海上にあると信じられた伝説上の3つの山。『史記』封禅書などによれば,蓬莱 (蓬莱山 ) ,方丈,瀛州 (えいしゅう) の三山をさし,山東省東北沿岸から渤海にかけて浮ぶ島と伝えられていたが,前2世紀頃になると,南に下って,現在の黄海の中にも想定されていたらしい。三神山には仙人と不死の薬があり,宮殿は金銀造だといわれた。2世紀以降では三神山は五山に発展し,上帝がつかわした 15匹のカメが浮動する神山を支えているという話までつけ加わった。

赤松  中国神話、道教で、炎帝神農(えんていしんのう)の時代に雨師(うし)(雨の神)だったとされている最古の神仙の一人。帝嚳高辛(ていこくこうしん)の時代にも雨師となり、後には南岳衡山(こうざん)を治めたという伝承もある。

 『列仙伝』によれば、水玉(水晶)を薬として服用しており、その方法を神農に教え、火の中に入って体を焼く神通力を持ち、しばしば風雨に乗って崑崙山(こんろんさん)に上り、西王母(せいおうぼ)の石室で泊った。また、神農の娘の炎帝女は 赤松子に学んで仙人になり天に昇ったという。

 ここで、火の中に入ったとされていることから、赤松子は火解(かかい)して仙人になたっともいわれるが、『淮南子(えなんじ)』では特別な呼吸法によって仙人になったとされている。金華山(浙江省)には赤松子の石室があり、ここで彼は赤石脂という金丹の材料を服したという伝説もある。

 漢は火徳によって天下を治めたとされ、赤色が尊ばれたことから、赤松子は漢の守護者のようにも考えられた。

 

先師有訣神將助,大聖無心火自飛。

この道の先師達の秘訣として、名山に入って薬を錬る時には、これを神が助けるというもので、大聖の域に到達したものは、もとより無心であって、灰は自ずから飛ぶに任せ、金丹が出来上がるのです。

 人には知られていない最も効果的な方法。とっておきの手段。「成功の秘訣」。

神將助 抱朴子に「古しえの道士、神藥を合作する。必ず名山に入り、山神 必ず之を助けて、福を為し、藥 必ず成る。」とある。

 

九轉但能生羽翼,雙鳧忽去定何依。
こうして、九轉の丹を服すれば、羽翼を生ずることもできるであろうし、むかしの王喬のように、雙鳧とともに往来し、倏忽変化、何に依ることもなく、自在に飛行できることになるのであろう。

九轉 抱朴子に「一轉之丹、服之三年得仙二轉之丹、服之二年得仙、三轉之丹服之一年得仙、四轉之丹、服之半年得仙、五轉之丹、服之百日得仙、六轉之丹、服之四十日得仙、七轉之丹、服之二十日得仙、八轉之丹、服之十日得仙、九轉之丹、服之三日得仙。」とある。

生羽翼 魏文帝詩服藥四五日身輕生羽翼。

雙鳧 風俗通に、「俗孝明帝の時、尚書郎河東の王喬、遷って葉令と為る。喬、神術有り、每月朔、嘗て臺朝に詣る、帝、其の來る數ばにして、車騎なきを怪み、太史をして候望せしむ。言う、其の至る時に臨み、常に雙鳬有り、南より飛び來る。因って伏して鳬を伺い見る、羅を舉るに、但だ一雙の舄を得たるのみ、使尚方をして識視せしむるに、四年中、賜う所の尚書官屬の履也。」とある。

745-024巻183-05 寓言三首其三(卷二四(二)一三九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8789

745-024183-05 寓言三首其三(卷二四(二)一三九三)

 

 

2017528

の紀頌之5つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-024巻183-05 寓言三首其三(卷二四(二)一三九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8789

LiveDoo

rBlog

745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8771

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-95 先生-巻八-01#15城南聯句 §3 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8784

LiveDoo

rBlog

745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8772

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-集-16 【字解集】  ・i.-別崔因寄薛據孟雲卿  ・j-寄韓諫議 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8803

LiveDoo

rBlog

767年-集-13 【字解集】・a.-第五弟豐獨在江左近二首 ・b.-秋風二首 ・c.-送李功曹之荊州 ・d.-送王十六判官 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8660

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (204)回目張泌 《巻四31 浣渓沙十首 其五》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8792 (05/28)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (199)回目巻四 牛嶠-3 【字解集】 a.菩薩蠻七首  b.酒泉子 c.定西番 d.玉樓春 e.西溪子 f.江城子二首 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8762 (05/24)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二19 詠懷詩二首 其二昔日繁華子 -#1〔阮籍〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8793

LiveDoo

rBlog

玉集-013【字解集】  樂府三首 ・樂府 棄婦篇の【字解集】   〔曹植〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8746

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

七、商家の女性 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8794

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイ

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

745-024183-05 寓言三首其三(卷二四(二)一三九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8789

(何か託する思いを自分の身世の感を述べた三首の二:遼東方面の守りに出たまま帰らない夫を、物に触れに就け思い起こし、心は苦しくなる。)

また今年も長安に春の景色が帰ってくる、それは、まず、ひがしの城壁、春明門から這入ってくる。みどりに煙る楊柳は、じっと自ら指示することができず、風の吹くままに傾き倒れ込むとしている。これに似て操を守る心が確かでない女は靡くものだろうか、そんなことは断じてない。北海の辺にいるツバメは、春を追うて長安の故宮にかえり、雌雄雙飛して簾や窓の間から飛び込んでくる。それに睦まじくて司馬氏も離れないところは誠にうらやましくて、妾が孤栖、歳を渡るを思えば、この身は鳥には及ばず、遼東の先遙かな地に行っている夫には、夢を託すしかないのである。

 

 745-024 -3

寓言三首其三(卷二四(二)一三九三) -3

全唐詩巻183-053

李白集校注(卷二四(二)一三九三#3

李太白集巻二三-243

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8789


続きを読む

745-023巻183-05 寓言三首其二(卷二四(二)一三九二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8783

745-023183-05 寓言三首其二(卷二四(二)一三九二)

 

 

2017527

の紀頌之5つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-023巻183-05 寓言三首其二(卷二四(二)一三九二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8783

LiveDoo

rBlog

745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8771

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-95 先生-巻八-01#14城南聯句 §3 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8784

LiveDoo

rBlog

745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8772

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-112#4 寄韓諫議#4 杜詩詳注((卷一七(四)一五○八) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8797

LiveDoo

rBlog

767年-集-13 【字解集】・a.-第五弟豐獨在江左近二首 ・b.-秋風二首 ・c.-送李功曹之荊州 ・d.-送王十六判官 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8660

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (203)回目張泌 《巻四30 浣渓沙十首 其四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8786 (05/27)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (199)回目巻四 牛嶠-3 【字解集】 a.菩薩蠻七首  b.酒泉子 c.定西番 d.玉樓春 e.西溪子 f.江城子二首 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8762 (05/24)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二18 詠懷詩二首 其一二妃遊江濱 -#2〔阮籍〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8787

LiveDoo

rBlog

玉集-013【字解集】  樂府三首 ・樂府 棄婦篇の【字解集】   〔曹植〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8746

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

六―二 その他の労働婦人 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8788

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

745-023183-05 寓言三首其二(卷二四(二)一三九二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8783

何か託する思いを自分の身世の感を述べた三首の二:当時後宮に入り、后妃、公主、妃嬪に媚びをとり、爵位、をもとめるものが多かった、それを、比喩を以て謗った。)

二人、二人と相伴い歩く彩鳳は、遙かに気高きことであろう、三靑禽はまことに婉孌として美しい。この彩鳳,青禽はとても得意満面で、瑤臺のうちに行ったり来たり、後宮の玉山の岑峰において鳴き、歌い、そして舞を踊ったりした。こうして、秦王の女である弄玉の意を喜ばしめている、また、王母の心もお気に入りになるのである。しかし、精衛の鳥は区区として相変わらず、木石を銜んで東海の滄海をうずめるものとし、いつまでたっても、休むこともなく、せっせと働いて愛吟しているのは、誠に気の毒で、両者の比較は一入顕著である。

 

 745-023 -2

寓言三首其二(卷二四(二) 一三九二) -2

全唐詩巻183-052

李白集校注(卷二四(二)一三九二

李太白集巻二三-242

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8783

 


続きを読む

745-022 寓言三首(卷二四(二)一三九一) 其一(頁一三九一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8765

745-022 寓言三首(卷二四(二)一三九一)  其一(頁一三九一)

 

 

2017526

の紀頌之5つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-022 寓言三首(卷二四(二)一三九一) 其一(頁一三九一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8765

LiveDoo

rBlog

745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8771

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-94 先生-巻八-01#13城南聯句 §3 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8778

LiveDoo

rBlog

745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8772

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-112#3 寄韓諫議#3 杜詩詳注((卷一七(四)一五○八) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8791

LiveDoo

rBlog

767年-集-13 【字解集】・a.-第五弟豐獨在江左近二首 ・b.-秋風二首 ・c.-送李功曹之荊州 ・d.-送王十六判官 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8660

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (202)回目張泌 《巻四29 浣渓沙十首 其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8780 (05/26)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (199)回目巻四 牛嶠-3 【字解集】 a.菩薩蠻七首  b.酒泉子 c.定西番 d.玉樓春 e.西溪子 f.江城子二首 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8762 (05/24)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二18 詠懷詩二首 其一二妃遊江濱 -#1〔阮籍〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8781

LiveDoo

rBlog

玉集-013【字解集】  樂府三首 ・樂府 棄婦篇の【字解集】   〔曹植〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8746

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

六-1、平民労働階級の女性一農家の女性 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8776

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

745-022 寓言三首(卷二四(二)一三九一)  其一(頁一三九一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8765

(何か託する思いを自分の身世の感を述べた三首の一)

むかし、周公が政を摂した時、成王はなお幼弱であったから、自ら斧扆を背にして立ち、天下の諸公を明堂に朝せしめ、成王は悚懼していたにすぎなかった。之より先、武王が不豫であった時、その平癒を祈るがために、自ら爪を切って河岸に投じたという事もあったくらいで、一身を以て国家の難に変わろうとした。周公はかくのごとく賢者であり、聖人であるにかかわらず、羣小からそねまれて、讒慝に遭い、おまけに、成王は、人君としてなお癡騃たるを免れることはない。一時、周公を疎外したものだから、天風にわかに起こって、大木を抜き、せっかく熟しかかった稲も、みな臥してしぼんでしまった。それは、管叔蔡叔のふたりが、蒼蠅のような小人を扇動したからで、周公が鴟鴞の詩を作って、感遇の思いを寄せられたのももっとも至極なことである。それから、成王は金滕の筐を開いて、周公の書いたものを発見しその忠信を感ぜられたからよかったが、もし金滕をかなければ、周公は、いつまでも、寃をおうて、せっかくの忠信を誰も明らかにしてくれず、終古の怨みを残したに相違ない。

 

 745-022 -#1

寓言三首(卷二四(二)一三九一)  其一-#1

全唐詩巻183-05#1

李白集校注(卷二四(二)一三九#1

李太白集巻二三-24#1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8765

 


続きを読む

744年-028卷183_24 初出金門尋王侍御不遇詠壁上鸚鵡(卷二四(二)一四二一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7925

744-028183_24 初出金門尋王侍御不遇詠壁上鸚鵡(卷二四(二)一四二一)

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

201715

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-028卷183_24 初出金門尋王侍御不遇詠壁上鸚鵡(卷二四(二)一四二一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7925

 

 

LiveDoo

rBlog

少年行・白馬篇・白雲歌など【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7799

 

 

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

 

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

  総合案内

 

 

 

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-018-#3 全唐文551-11-#3喜侯喜至贈張籍、張徹 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7926

 

 

LiveDoo

rBlog

806年-017-#11 巻二 18-#11巻02-19薦士 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7908

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-61 杜詩詳注(卷一九(四)一六三四)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7927

 

 

LiveDoo

rBlog

757年-54 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六二九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7885

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

杜甫詩 全詩 総合案内 

 

 

 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

61)回目 温庭筠 《河瀆神・女冠子・玉蝴蝶 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7928 (01/04)

 

 

  fc2

Blog

54)回目温庭筠 《南歌子七首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7886 (12/24)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-025 歌詩一首井序 -#1〈〔李 延年〕〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7929

 

 

LiveDoo

rBlog

玉集-02 古樂府詩六首【字解集】 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7839(12/17

 

 

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

 

 

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 

 

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

 

 

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

文選

古詩源

花間集案内

 

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

744-028183_24 初出金門尋王侍御不遇詠壁上鸚鵡(卷二四(二)一四二一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7925

(この詩は、李白が翰林院供奉を放免されて、初めて金馬門を出て、王侍御に面会しようとしたが会えず、その役所の壁に描かれていた鸚鵡を見てその横にこの詩を書きつけた。自分の境涯を述べたものである。)

われは、いま、鸚鵡が羽を撃ち落とされたようにして、金鑾殿を辞し、そして、弧鳴して、とにかく、繍衣御史の王侍御を尋ねたのであるが、残念にもご不在で、この身の振り方を相談したいところであったがどうしようもない。鸚鵡は良くものを言えるものではあるが、鳥を離れられないがために、遂に捨てられたのであるが、我も、不才で不器用者であり、この結果を甘んじて受けている。そうも言っておれず、鸚鵡が隴西に向かって飛ぶがごとく、我も、ひとまず故郷に帰ろうと思っている。

 

 

744-028

初出金門尋王侍御不遇詠壁上鸚鵡

(卷二四(二)一四二一)

全唐詩 卷一八三  -

李白集校注巻二十四49

李太白集巻二十三49

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7925

 

 

続きを読む

743年(96)李太白集944巻二十四56思邊  414-2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 96首-(96) Ⅰ李白詩1780 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7440

李白  思邊

去年何時君別妾,南園綠草飛蝴蝶。

何時妾憶君,西山白雪暗晴雲。

玉關去此三千里,欲寄音書那可聞。

(夫を送り出したころは、春草に蝶々が飛び交っていた、音信がなく寂しい思いの寡婦が、春が来て西の方を見ると雪山がみえ、空が暗い。この思いをどうしたらよいのかわからないと詠う)

去年、何時、君は、妾に別れて出征されたか、それは、南園の草緑にして、蝴蝶の飛びくるときであった。今歳、何時、妾は君を懐うか、それは、西山の白雪、素地の雲を帯びて、ぼんやり暗く見えるときであった。玉門関はここを去ること三千里、なかなか遠いから、手紙を寄せようと思ってもとどくかどうかわからないのにはまいってしまう。

李太白集巻二十四56

思  邊

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7440

Index-23

743年天寶二年43歳 

96-96

414 <1000

 

 

 
  2016年3月6日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(96)李太白集944巻二十四56思邊  414-2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 96首-(96) Ⅰ李白詩1780 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7440  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈141-#3《 巻02-08醉贈張祕書 #3》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#3<1693> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7441  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(3)杜少陵集 《庭草》18-43 杜甫詩index-15-1159 <1609> 767年大暦2年56歲-(3)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7442   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九34浣溪沙七首其一》『花間集』436全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7444  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

743

天寶二年

43

96-96

卷別:

卷一八四

文體:

七言古詩

李太白集944巻二十四56

詩題:

思邊

【春怨】

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關) 別名:玉關、玉門

交遊人物/地點:

詩文:

 

 

 

 

思邊

(夫を送り出したころは、春草に蝶々が飛び交っていた、音信がなく寂しい思いの寡婦が、春が来て西の方を見ると雪山がみえ、空が暗い。この思いをどうしたらよいのかわからないと詠う)

去年何時君別妾,南園綠草飛蝴蝶。

去年、何時、君は、妾に別れて出征されたか、それは、南園の草緑にして、蝴蝶の飛びくるときであった。

何時妾憶君,西山白雪暗晴雲。

今歳、何時、妾は君を懐うか、それは、西山の白雪、素地の雲を帯びて、ぼんやり暗く見えるときであった。

玉關去此三千里,欲寄音書那可聞。

玉門関はここを去ること三千里、なかなか遠いから、手紙を寄せようと思ってもとどくかどうかわからないのにはまいってしまう。

 

(邊を思う)

去年 何れの時か 君 妾と別れ,南園の綠草に 蝴蝶飛ぶならん。

 何れの時か 妾 君を憶う,西山の白雪に 晴雲暗しならん。

玉關 此れを去ること三千里,音書を寄さんと欲すれど 那んぞ聞く可けんや。

 

 

『思邊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

思邊

去年何時君別妾,南園綠草飛蝴蝶。

何時妾憶君,西山白雪暗晴雲。

玉關去此三千里,欲寄音書那可聞。

(下し文)
(邊を思う)

去年 何れの時か 君 妾と別れ,南園の綠草に 蝴蝶飛ぶならん。

 何れの時か 妾 君を憶う,西山の白雪に 晴雲暗しならん。

玉關 此れを去ること三千里,音書を寄さんと欲すれど 那んぞ聞く可けんや。


(現代語訳)
思邊(夫を送り出したころは、春草に蝶々が飛び交っていた、音信がなく寂しい思いの寡婦が、春が来て西の方を見ると雪山がみえ、空が暗い。この思いをどうしたらよいのかわからないと詠う)

去年、何時、君は、妾に別れて出征されたか、それは、南園の草緑にして、蝴蝶の飛びくるときであった。

今歳、何時、妾は君を懐うか、それは、西山の白雪、素地の雲を帯びて、ぼんやり暗く見えるときであった。

玉門関はここを去ること三千里、なかなか遠いから、手紙を寄せようと思ってもとどくかどうかわからないのにはまいってしまう。


(訳注)

思邊

(夫を送り出したころは、春草に蝶々が飛び交っていた、音信がなく寂しい思いの寡婦が、春が来て西の方を見ると雪山がみえ、空が暗い。この思いをどうしたらよいのかわからないと詠う)

1 解説 去年のことと今年のことを対比して、筆をおこしたのは、初唐、盛唐詩の常套である。

張協詩、謝朓詩の古詞に倣って作ったものである。玉関の二句が足されたところは、対比から共通の事項で總収したのである。一作には【春怨】とする。743年天寶二年43歳 96-96)この詩を含めこの前後の詩は昨時年度は間違っていないが、特定しにくいので同年の最後に掲載したものである。

 

去年何時君別妾,南園綠草飛蝴蝶。

去年、何時、君は、妾に別れて出征されたか、それは、南園の草緑にして、蝴蝶の飛びくるときであった。

2 去年何時君別妾,南園綠草飛蝴蝶 この二句は、古詩二首を習ったもの、遠地に在って帰郷を思う詩《文選張協〈雜詩〉之八》「借問此何時,胡蝶飛南園。」(借問す 此れ何なる時ぞ,胡蝶は南園に飛ぶならん。 2.夫に見放された女の恨みを述べる詩、南朝齊謝朓の文選《和王主簿季哲怨情》:「花叢亂數蝶,風簾入雙燕。」(花叢には數蝶亂れ,風簾に雙燕入る。

雜詩十首其八

述職投邊城, 羈束戎旅間. 下車如昨日, 望舒四五圓。

借問此何時? 胡蝶飛南園. 流波戀舊浦, 行雲思故山。

閩越衣文蛇, 胡馬願度燕. 風土安所習, 由來有固然。

 

和王主簿季哲怨情

掖庭聘國,長門失歡宴。相逢詠蘼蕪,辭寵悲團扇。

花叢亂數蝶,風簾入雙燕。徒使春帶,坐惜紅粧變。

平生一顧重,宿昔千金賤。故人心尚爾,故心人不見。

 

何時妾憶君,西山白雪暗晴雲。

今歳、何時、妾は君を懐うか、それは、西山の白雪、素地の雲を帯びて、ぼんやり暗く見えるときであった。

西山白雪暗晴雲 長安からの西に向かって遠望すると、太白山、隴山が渭水を挟んで並び立ち、その山々に雪が残っている。その山々にまだ冬の厚い雲が垂れこめていて、其処から続く西域に不安なものを感じさせる。

 

玉關去此三千里,欲寄音書那可聞。

玉門関はここを去ること三千里、なかなか遠いから、手紙を寄せようと思ってもとどくかどうかわからないのにはまいってしまう。

玉關 玉門関のことで、敦煌市の北西約90kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で、長城をこの地域に建設し紀元前108年から107年にその最西端に建造されたとされる。その後、六朝時代には交通の要綱として栄え、唐代に再建された際は安西の東側に建設された。同じく南西に設置された陽関とともに、西域交通で北ルートを通ると玉門関、南ルートでは陽関を通過していた。玉門関は、中国で古代より文化人が辺境の地での戦いや孤独な生活を思い詠嘆する地で、唐代の詩人王之渙は「羌笛何須怨楊柳、春風不度玉門関」(羌笛何ぞ須(もち)いん楊柳を怨むを、春風渡らず玉門関)と詠んでいる。俗称は小方盤城。

 

 

 

李白<春怨・思邊・怨情・學古思邊>【字解】

 

1 白馬 若い貴族の出征。「白馬将軍」の名でも知られる公孫瓚がおり、中国の東漢(後漢)〜三国時代初期の人物であり、群雄の一人として北平を中心に勢威を振るった。白馬に乗せた選りすぐりの精兵を率い、自身も武勇に優れていたことから「白馬長史」と呼ばれ、異民族からは恐怖の対象だった。

『優秀な人間は、取り立ててやっても当然と思うだけで恩義を感じない』という理由で、凡庸な人物を重用した。その一方で、当時としては卑しい身分とされていた商人を重用し、交易などで莫大な利益を得ていたという。また、龐徳が白馬に乗るのを常としていたため、関羽の軍勢は龐徳を白馬将軍と呼んで畏れた。 

2 金羈 金をよりこんだ白い手綱。

3 遼海 現在の遼寧省。南満州。

4 羅帷 うすぎぬのとばり。

5 繡被 刺繍で飾ったかけ布団。

6 落月 沈みかけた月。沈みかけた月は性を連想させる。 

7 燭 ともしび。 

8 飛花入 春満開の花びらが舞い散って、戸口から中に入ってくる。梁、簡文帝《序愁賦》「玩飛花之入,看斜暉之度寮。」とあるに基づく。飛花 春満開の花びらが舞い散っている。

9 笑床空 空牀に人無きをあざけり笑う。この笑うという意味は、咲くという意味があり、それが空しいのである。梁、蕭子範、《春望古意》詩「光景斜漢宮,橫梁照采虹,春情寄柳色,鳥語出梅中,氛氳閨裏思,逶迤水上風,落花徒入,何解妾床空。」、の雰囲気其のままである。

 

 

學古思邊 #1

(この詩は、古詩の体に倣うて、邊地に在る夫を思うという意を叙したのである。)

1      學古 楽府、横吹曲辞に、遠征の苦しみと哀しみをうたったものがあり、隴頭歌辭三首に倣って李白は作ったものである。 一、二は原文を示し、之三は詳しく説明した。

之一

隴頭流水,流離山下。

念吾一身,飄然曠野。

 

之二

朝發欣城,暮宿隴頭。

寒不能語,舌捲入喉。

之三

隴頭流水,鳴聲嗚咽。

遙望秦川,心肝斷

《隴頭歌辭》之三 六朝 梁詩 

作者不詳

隴頭流水,鳴聲幽咽。

隴頭の流水,鳴聲  幽咽す。

遙望秦川,心腸斷絶。

遙かに 秦川を 望み,心腸 斷絶す。

 ・隴頭:隴山のほとり。南朝・梁時代の詩。

隴山のほとりの河の流れは立てる音は、かすかににむせぶかのようである。遥かに(郷里の)秦(関中の盆地の平原)を眺めれば、心肝斷絶:腸(はらわた)が断ち切られるほどの悲しさである。 

・隴頭流水:楽府題。意は、甘肅省南部天水附近を流れる川の流れ。(民族戦争の)最前線の地の川の流れ。。南朝・梁の『隴頭歌辭』に「朝發欣城,暮宿隴頭。寒不能語,舌卷入喉。」とある。なお、この山は六盤山のこと。

・鳴聲:立てる音。 

・幽咽 ひそかにむせぶ。一義的には、川の流れの音。

・遙望:遥かに眺める。隴山から東南方向を望むことになる。 

・秦川 陝西省(・甘肅省)地方。この詩で謂えば東南方向の郷里の長安などのある秦(関中)の盆地状の平原。

・心腸:心臓と腸。 

・斷絶:絶える。截断する。人と人の間などで今まであった結びつきが切れること。

 

2【解説】 起首八句は、隴頭()に至って遠望した景色、「白雁從中來」の四句は、雁の書を帯びて来たことを述べ、「離群心斷」から最後まで六句は、歳月すでに移り、相思愈よ切なることを述べたものである。

韻は以下の構成である。

銜悲上隴首  腸斷不見君 

流水若有情  幽哀從此
蒼茫愁邊色  惆悵落日曛 

山外接遠天  天際復有

白雁從中來  飛鳴苦難聞 

足系一書札  寄言難離
離群心斷  十見花成 

胡地無春  征人行不歸 

相思杳如夢  珠淚濕羅衣 

  
  
  
  
  
  
  
  
  

 


3 隴首 隴山のすそ野の小高いところ。隴頭;隴山のほとり、隴山、隴坻・隴坂は山名。陝西省と甘粛省との境にある。昔から、異民族との境界をなす山として、歴代王朝は隴関(ロウカン)などの関を設けた。


4 邊色 邊地の物色、国境周辺の景色。

5 曛 日没後もなお照り残る夕日の光。残照。

 

 

 


続きを読む

743年(95)李太白集943巻二十四54學古思邊  414Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(95) Ⅰ李白詩1779 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7435

李白  學古思邊 #1

銜悲上隴首、腸斷不見君。 流水若有情、幽哀從此分。

蒼茫愁邊色、惆悵落日曛。 山外接遠天、天際復有云。
(この詩は、古詩の体に倣うて、邊地に在る夫を思うという意を叙したのである。)

別後の悲に堪えかねて、はるばる隴頭の阪路まできて、西の方を望めば、見わたすかぎり、茫漠として君を見ることはできないのは心と腸が断絶せんばかりである。隴頭の流水は、さながら惰あるが如く、その流れの音は、幽哀の意を帯びて咽びつつ、これより東に向って分れてながれゆく。邊地の物色は、蒼茫として、愁うるが如く、殊に夕日影たゆたう頃は、惆悵として、威慨の至に堪へない。山外は遠天に接し、天の邊際には、復た、雲があって、その先は、さえぎられて見えない。

李太白集巻二十四54#1

學 古 思 邊 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7435

Index-23

743年天寶二年43歳 

96-95#1

414 <1000

 

 

 
  2016年3月5日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(95)李太白集943巻二十四54學古思邊  414Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(95) Ⅰ李白詩1779 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7435  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈141-#2《 巻02-08醉贈張祕書 #2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#2<1692> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7436韓愈詩-韓愈141-#2  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(1)杜少陵集 《立春》18-41 杜甫詩index-15-1157 <1607> 767年大暦2年56歲-(1)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7432  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 16尹鶚《巻九33菩薩蠻》『花間集』435全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7439  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

743

天寶二年

43

96-95

卷別:

卷一八四

文體:

七言

李太白集944巻二十四56

詩題:

學古思邊

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

隴頭

隴西

邊塞地

交遊人物/地點:

詩文:

 

 

學古思邊 #1

(この詩は、古詩の体に倣うて、邊地に在る夫を思うという意を叙したのである。)

銜悲上隴首、腸斷不見君。

別後の悲に堪えかねて、はるばる隴頭の阪路まできて、西の方を望めば、見わたすかぎり、茫漠として君を見ることはできないのは心と腸が断絶せんばかりである。

流水若有情、幽哀從此分。

隴頭の流水は、さながら惰あるが如く、その流れの音は、幽哀の意を帯びて咽びつつ、これより東に向って分れてながれゆく。

蒼茫愁邊色、惆悵落日曛。

邊地の物色は、蒼茫として、愁うるが如く、殊に夕日影たゆたう頃は、惆悵として、威慨の至に堪へない。

山外接遠天、天際復有云。

山外は遠天に接し、天の邊際には、復た、雲があって、その先は、さえぎられて見えない。

#2

白雁從中來、飛鳴苦難聞。

足系一書札、寄言難離群。

離群心斷、十見花成雪。

胡地無春暉、征人行不歸。

相思杳如夢、珠淚濕羅衣。

 

(古の邊を思うを學ぶ) #1

悲を銜んで隴首に上り、腸斷 君を見ず。

流水 情有るが若く、幽哀 此れ從り分る。

蒼茫として邊色愁いしめ、惆悵として 落日曛す。

山外は 遠天に接し、天際は 復た云有り。
#2

白雁 中より來り、飛鳴 苦にして聞き難し。

足には一書札を系ぎ、言を寄すは 群を離て難しと。

離群 心 斷、十たび見るは 花の雪と成るを。

胡地に春暉 無く、征人 行いて 歸らず。

相思 杳として夢の如く、珠淚 羅衣を濕す。

 

yoshu&choan736 

『學古思邊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

學古思邊 #1

銜悲上隴首、腸斷不見君。

流水若有情、幽哀從此分。

蒼茫愁邊色、惆悵落日曛。

山外接遠天、天際復有云。

(下し文)
(古の邊を思うを學ぶ) #1

悲を銜んで隴首に上り、腸斷 君を見ず。

流水 情有るが若く、幽哀 此れ從り分る。

蒼茫として邊色愁いしめ、惆悵として 落日曛す。

山外は 遠天に接し、天際は 復た云有り。

(現代語訳)
學古思邊 #1(この詩は、古詩の体に倣うて、邊地に在る夫を思うという意を叙したのである。)

別後の悲に堪えかねて、はるばる隴頭の阪路まできて、西の方を望めば、見わたすかぎり、茫漠として君を見ることはできないのは心と腸が断絶せんばかりである。

隴頭の流水は、さながら惰あるが如く、その流れの音は、幽哀の意を帯びて咽びつつ、これより東に向って分れてながれゆく。

邊地の物色は、蒼茫として、愁うるが如く、殊に夕日影たゆたう頃は、惆悵として、威慨の至に堪へない。

山外は遠天に接し、天の邊際には、復た、雲があって、その先は、さえぎられて見えない。


(訳注)

學古思邊 #1

(この詩は、古詩の体に倣うて、邊地に在る夫を思うという意を叙したのである。)

1      學古 楽府、横吹曲辞に、遠征の苦しみと哀しみをうたったものがあり、隴頭歌辭三首に倣って李白は作ったものである。 一、二は原文を示し、之三は詳しく説明した。

之一

隴頭流水,流離山下。

念吾一身,飄然曠野。

之二

朝發欣城,暮宿隴頭。

寒不能語,舌捲入喉。

之三

隴頭流水,鳴聲嗚咽。

遙望秦川,心肝斷

《隴頭歌辭》之三 六朝 梁詩 

作者不詳

隴頭流水,鳴聲幽咽。

隴頭の流水,鳴聲  幽咽す。

遙望秦川,心腸斷絶。

遙かに 秦川を 望み,心腸 斷絶す。

 ・隴頭:隴山のほとり。南朝・梁時代の詩。

隴山のほとりの河の流れは立てる音は、かすかににむせぶかのようである。遥かに(郷里の)秦(関中の盆地の平原)を眺めれば、心肝斷絶:腸(はらわた)が断ち切られるほどの悲しさである。 

・隴頭流水:楽府題。意は、甘肅省南部天水附近を流れる川の流れ。(民族戦争の)最前線の地の川の流れ。。南朝・梁の『隴頭歌辭』に「朝發欣城,暮宿隴頭。寒不能語,舌卷入喉。」とある。なお、この山は六盤山のこと。

・鳴聲:立てる音。 

・幽咽 ひそかにむせぶ。一義的には、川の流れの音。

・遙望:遥かに眺める。隴山から東南方向を望むことになる。 

・秦川 陝西省(・甘肅省)地方。この詩で謂えば東南方向の郷里の長安などのある秦(関中)の盆地状の平原。

・心腸:心臓と腸。 

・斷絶:絶える。截断する。人と人の間などで今まであった結びつきが切れること。

 

2【解説】 起首八句は、隴頭()に至って遠望した景色、「白雁從中來」の四句は、雁の書を帯びて来たことを述べ、「離群心斷」から最後まで六句は、歳月すでに移り、相思愈よ切なることを述べたものである。

韻は以下の構成である。

銜悲上隴首  腸斷不見君 

流水若有情  幽哀從此
蒼茫愁邊色  惆悵落日曛 

山外接遠天  天際復有

白雁從中來  飛鳴苦難聞 

足系一書札  寄言難離
離群心斷  十見花成 

胡地無春  征人行不歸 

相思杳如夢  珠淚濕羅衣 

  
  
  
  
  
  
  
  
  

 

銜悲上隴首、腸斷不見君。

別後の悲に堪えかねて、はるばる隴頭の阪路まできて、西の方を望めば、見わたすかぎり、茫漠として君を見ることはできないのは心と腸が断絶せんばかりである。

3 隴首 隴山のすそ野の小高いところ。隴頭;隴山のほとり、隴山、隴坻・隴坂は山名。陝西省と甘粛省との境にある。昔から、異民族との境界をなす山として、歴代王朝は隴関(ロウカン)などの関を設けた。

 

流水若有情、幽哀從此分。

隴頭の流水は、さながら惰あるが如く、その流れの音は、幽哀の意を帯びて咽びつつ、これより東に向って分れてながれゆく。

 

蒼茫愁邊色、惆悵落日曛。

邊地の物色は、蒼茫として、愁うるが如く、殊に夕日影たゆたう頃は、惆悵として、威慨の至に堪へない。

4 邊色 邊地の物色、国境周辺の景色。

5 曛 日没後もなお照り残る夕日の光。残照。

 

山外接遠天、天際復有云。

山外は遠天に接し、天の邊際には、復た、雲があって、その先は、さえぎられて見えない。
李白の足跡0000 

743年(94)李太白集941巻二十四53怨情  413Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(94) Ⅰ李白詩1778 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7430

李白  怨情

美人卷珠簾,深坐顰蛾眉。

但見淚痕,不知心恨誰。

(恨むことさえなくなった心持を詠う)

寵愛を失った妃賓は、今日も最後に珠簾を巻き上げて準備を整えおわる、それから、なにをするわけもなく、独り、坐して身動きもしないでいて、きれいな眉をひそめている。

じっと見ていると 涙がほほが濡れたまま、心に誰をか恨んでいるのだろうが、傍人にはわからない。たくさんの妃賓がいて、ほとんどのものは寵愛を受けていない者たちなのであるから。

李太白集巻二十四53

怨  情

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7430

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-94

413 <1000

 

 
  2016年3月4日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(94)李太白集941巻二十四53怨情  413Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(94) Ⅰ李白詩1778 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7430  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈141-#1《 巻02-08醉贈張祕書 (人皆勸我酒,)#1》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#1(5分割)<1691> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7431  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-26杜少陵集 《17-24 秋風,二首之二》 杜甫詩index-15-1156 <1606> 767年大暦2年56歲-26 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7427  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 16尹鶚《巻九32醉公子》『花間集』434全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7434  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

果てのない長い夜、あばらやに住む貧しい女は、織機の前で夜もすがら機を動かし手を休めず働くが、官府の税の催促に悲しみで腸がちぎれそうだ。後宮の美人は珊瑚の枕の上でたえず寝返りをうち、天子の寵愛の衰えたことに悲しみの涙を流す。 - 同じ女でも身分、地位が異なり、彼女たちの生活、境遇、感情、心理もそれぞれ異なる。唐代の女性を理解しょうとすれば、まず各階層の女性たちの生活状況をそれぞれ観察しなければならない。

唐代三百年間の女性の人数を正確に測る方法はない。しかしある時期の人数はだいたい計算できる。記録によると、唐代の最大の人口は天宝十三載(七五四年)の五二八八万四八八人であり、この数字で計算すれば、半分が女性と仮定した場合、女性が最も多かった時、二千六百余万人に達したことになる。

二千数百万人の女性は、それぞれ異なった階層に属していた。彼女たちはおよそ次の十種に分けることができる。①后妃、②宮人、③公主(附郡主・県主)、④貴族・宦門婦人、⑤平民労働婦人、⑥商家の婦人、⑦妓優、⑧姫妾・家妓、⑨奴碑、⑩女尼・女冠(女道士)・女巫 - 以上である。

 

杜甫はかつて《観公孫大娘弟子舞剣器行井序》「先帝の侍女八千人」(「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」)767年-23 #1杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #1 杜甫詩index-15-1141 <1591> 767年大暦2年56-23 #1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7352(序-3分割、本文3分割)と詠い、白居易もまた《長恨歌》」「後宮の佳麗三千人」と言った。これらは決して詩人の誇張ではなく、唐代の宮廷女性は、実際はこの数字をはるかに越えていた。唐の太宗の時、李百薬は上奏して「無用の宮人は、ややもすれば数万に達する」(『全唐文』巻一四二、李百薬「宮人を放つを請うの封事」)といった。『新唐書』の「官者伝」上に、「開元、天宝中、宮嬪はおおよそ四万に至る」と記されている。後者は唐代の宮廷女性の人数に関する最高の具体的な数字であり、まさに盛唐の風流天子玄宗皇帝時代のものである。宋代の人洪邁は、この時期は漢代以来、帝王の妃妾の数が最も多かった時代であるといっている(『容斎五筆』巻三「開元宮嬪」)。うまい具合に、この時期の女性の総人口は先に紹介した数字 - およそ二千六百余万であるから、四万余人とすれば、じつに全女性人口の六百分の一を占める。つまり、女性六百人ごとに一人が宮廷に入ったことになる。唐末になり、国土は荒れ、国勢は衰えたが、いぜんとして「六宮(後宮)の貴・賤の女性は一万人を減らない」(『資治通鑑』巻二七三、後唐の荘宗同光三年)という状態だった。この驚くべき数字の陰で、どのくらい多くの「曠夫怨女」(男やもめと未婚の老女)を造り出したことか計り知れない。唐末の詩人曹鄴が慨嘆して「天子 美女を好み、夫婦 双を成さず」(「捕漁謡」)と詠ったのも怪しむに足りない。

 

 

 

年:743           天寶二年43

卷別:    卷一八四              文體:    五言

詩題:    怨情

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

 

 

怨情

(恨むことさえなくなった心持を詠う)

美人卷珠簾,深坐顰蛾眉。

寵愛を失った妃賓は、今日も最後に珠簾を巻き上げて準備を整えおわる、それから、なにをするわけもなく、独り、坐して身動きもしないでいて、きれいな眉をひそめている。

但見淚痕不知心恨誰。

じっと見ていると 涙がほほが濡れたまま、心に誰をか恨んでいるのだろうが、傍人にはわからない。たくさんの妃賓がいて、ほとんどのものは寵愛を受けていない者たちなのであるから。

(怨情)

美人 珠簾を捲き、深く坐して蛾眉を顰【ひそ】む。

但だ見る 涙痕の湿【うるお】えるを、知らず 心に誰をか恨む を。

李白  怨情 

『怨情』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

怨情

美人卷珠簾,深坐顰蛾眉。

但見淚痕,不知心恨誰

(下し文)
(怨情)

美人 珠簾を捲き、深く坐して蛾眉を顰【ひそ】む。

但だ見る 涙痕の湿【うるお】えるを、知らず 心に誰をか恨む を。

(現代語訳)
(恨むことさえなくなった心持を詠う)

寵愛を失った妃賓は、今日も最後に珠簾を巻き上げて準備を整えおわる、それから、なにをするわけもなく、独り、坐して身動きもしないでいて、きれいな眉をひそめている。

じっと見ていると 涙がほほが濡れたまま、心に誰をか恨んでいるのだろうが、傍人にはわからない。たくさんの妃賓がいて、ほとんどのものは寵愛を受けていない者たちなのであるから。


(訳注)

怨情 

(恨むことさえなくなった心持を詠う)

『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々とあるが、閨の簾の上げ下ろしが日課となった妃嬪は、うらむことさえあきらめたおんなたちである。

 

美人捲珠簾、深坐嚬蛾眉。
寵愛を失った妃賓は、今日も最後に珠簾を巻き上げて準備を整えおわる、それから、なにをするわけもなく、独り、坐して身動きもしないでいて、きれいな眉をひそめている。

美人 古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。《禮記》「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。
珠簾  玉を飾ったすだれ。「捲珠簾」というこういは、閨の準備が整ったことを言う。

深坐 身動きもしないで座ること。

  眉間にしわをよせて愁いの表情をする。
蛾眉  蛾の触角のような三日月がたの女性の美しい眉。

但見涙痕濕、不知心恨誰。

じっと見ていると 涙がほほが濡れたまま、心に誰をか恨んでいるのだろうが、傍人にはわからない。たくさんの妃賓がいて、ほとんどのものは寵愛を受けていない者たちなのであるから。

涙痕  涙の流れた跡。

不知心恨誰 李白が朝廷にいる頃の玄宗には100人以上の妃賓がいたし、それに近い妓優たちもたくさんいたので、寵愛を失えば人知れず死んでゆくものである。

后妃たちの生活は富貴であり、また賛沢でもあった。彼女たちは衣食の心配の必要はなく、内庫(宮中の資材課)が必要なもの一切を支給した。「唐の法は北周、隋の法を踏襲し、妃嬪、女官には地位に尊卑があったから、その品階によって衣服、化粧の費用を支給した」(『旧唐書』王鉷伝)。唐初以来、国庫が日に日に豊かになると、后妃たちの生活もそれに応じて贅沢になった。玄宗の代になると宮中の生活が贅沢になりすぎたので、皇帝は宮中にあった珠玉宝石、錦柄を焼き捨て、また宮中の衣服を専門に供する織錦坊を閉鎖したことがあった。しかし、いくばくもなく開元の盛世が到来すると、玄宗も初志を全く翻したので、宮中生活はまた華美に復した。玄宗は寵愛した妃嬪に大量の褒美を与えた。王鉷は、毎年百億にものぼる銭、宝貨を皇室に寄進し、専ら玄宗が妃嬪に賜る恩賞の費用とした。そして「三千の寵愛、一身に在り」と称された楊貴妃は、さらに一層贅沢の限りを尽したので、宮中にいた七百人の織物職人が専門に彼女のために刺繍をし、また他に数百人の工芸職人が彼女の調度品を専門に制作していた。また、楊貴妃は荔枝が好きだったので、玄宗は万金を費やすのを惜しまず、昼夜駅伝の馬を走らせ、荔枝を蜀(四川)より長安に運ばせた。詩人杜牧はそれを風刺し、「一騎 紅塵 妃子笑う、人の是れ荔枝来るを知る無し」(「華清宮に過る絶句」)と詠じた。

 

后妃たちの生活は優閑かつ安逸なもので、終日飽食し何もしないで遊びくらした。もちろん、時には彼女たちも形ばかりの仕事をしなければならなかった。たとえば恒例となっている皇后の養蚕の儀式や六宮(皇后の宮殿)での繭を献ずる儀式を主催し参加すること〔-これは天下の婦女に率先して養蚕事業の範を示すことを意味していた〕。玄宗の時代、帝は彼女たちに自ら養蚕をするよう命じ、「女が専門にすべき仕事を知らしめようとした」 ことがあった(『資治通鑑』巻二一三、玄宗開元十五年)。しかし、この仕事も当然ながら身分の賎しい宮女たちに押し付けられたはずであり、本当に彼女たちを働かせることにはならなかったに相違ない。この他にも、また祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式にも参加しなければならなかった。

 

『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。
大明宮の圖003 

743年(93)李太白集939巻二十四50怨情  412Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(93) Ⅰ李白詩1777 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7425

李白  怨情

新人如花雖可寵,故人似玉由來重。花性飄揚不自持,玉心皎潔終不移。

故人昔新今尚故,還見新人有故時。請看陳后黃金屋,寂寂珠簾生網絲。

(心変わりしてゆく夫に対して隋の江總の詩を変化させて、その情思をうたう)

新たに迎えられた若き人は、容貌絶麗、さながら花の如くにして、まことに寵愛をうけることであろうが、これまでいた夫人は、温潤玉の如く、従来、重んぜられて居たのである。元來、花はその素性諷揚であり、浮気で自ら支持することができないが、玉は其の心は秀麗皎潔であり、決して移ることはない。以前からいる夫人も、むかしは新しく若く美しかったが、今は次第に老けてゆくもので、やがて、新人もこの循環に乗って、どうように老けたことを実感する時を見るであろう。この典型は、漢の武帝の陳皇后、玄宗の王皇后であり、その初は、黄金の屋に蔵して、君寵を受けて居たが、兎角する内に長門宮に移され、旧屋には、珠簾寂寂として、蜘蛛が鋼を張るように成って仕舞った。つまり、男の心は秋の空、新故逓降、その思いは決して長く続かず、今の新人も亦た故妾の如く、棄てられる時がかならずあるのである。

李太白集巻二十四50

怨  情

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7425

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-93

412 <1000

 

 
  2016年3月3日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(93)李太白集939巻二十四50怨情  412Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(93) Ⅰ李白詩1777 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7425  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈140《 巻01-24秋懷詩,十一首之十一 (鮮鮮霜中菊,)》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(12)<1690> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7426  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-26杜少陵集 《17-24 秋風,二首之二》 杜甫詩index-15-1156 <1606> 767年大暦2年56歲-26 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7427  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 16尹鶚《巻九31杏園芳》『花間集』433全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7429  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

紀年:743年天寶二年43歳 94-93

卷別:    卷一八四              文體:    七言古詩

詩題:    怨情

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

寫及地點:無

交遊人物/地點:  

詩文:

 

怨情

(心変わりしてゆく夫に対して隋の江總の詩を変化させて、その情思をうたう)

新人如花雖可寵,故人似玉由來重。

新たに迎えられた若き人は、容貌絶麗、さながら花の如くにして、まことに寵愛をうけることであろうが、これまでいた夫人は、温潤玉の如く、従来、重んぜられて居たのである。

花性飄揚不自持,玉心皎潔終不移。

元來、花はその素性諷揚であり、浮気で自ら支持することができないが、玉は其の心は秀麗皎潔であり、決して移ることはない。

故人昔新今尚故,還見新人有故時。

以前からいる夫人も、むかしは新しく若く美しかったが、今は次第に老けてゆくもので、やがて、新人もこの循環に乗って、どうように老けたことを実感する時を見るであろう。

請看陳后黃金屋,寂寂珠簾生網絲。

この典型は、漢の武帝の陳皇后、玄宗の王皇后であり、その初は、黄金の屋に蔵して、君寵を受けて居たが、兎角する内に長門宮に移され、旧屋には、珠簾寂寂として、蜘蛛が鋼を張るように成って仕舞った。つまり、男の心は秋の空、新故逓降、その思いは決して長く続かず、今の新人も亦た故妾の如く、棄てられる時がかならずあるのである。

 

(怨情)

新人 花の如く寵ず可し雖ども,故人 玉に似て 由來重し。

花性 飄揚 自ら持せず,玉心 皎潔 終に移らず。

故人 昔 新たに 今 尚お故なり,還た見る 新人の故き時有るを。

請う看よ 陳后の黃金の屋を,寂寂 珠簾 網絲を生ず。

 

漢長安城 00 

『怨情』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

怨情

新人如花雖可寵,故人似玉由來重。

花性飄揚不自持,玉心皎潔終不移。

故人昔新今尚故,還見新人有故時。

請看陳后黃金屋,寂寂珠簾生網絲。

(下し文)
(
怨情)

新人 花の如く寵ず可し雖ども,故人 玉に似て 由來重し。

花性 飄揚 自ら持せず,玉心 皎潔 終に移らず。

故人 昔 新たに 今 尚お故なり,還た見る 新人の故き時有るを。

請う看よ 陳后の黃金の屋を,寂寂 珠簾 網絲を生ず。


(現代語訳)
怨情(心変わりしてゆく夫に対して隋の江總の詩を変化させて、その情思をうたう)

新たに迎えられた若き人は、容貌絶麗、さながら花の如くにして、まことに寵愛をうけることであろうが、これまでいた夫人は、温潤玉の如く、従来、重んぜられて居たのである。

元來、花はその素性諷揚であり、浮気で自ら支持することができないが、玉は其の心は秀麗皎潔であり、決して移ることはない。

以前からいる夫人も、むかしは新しく若く美しかったが、今は次第に老けてゆくもので、やがて、新人もこの循環に乗って、どうように老けたことを実感する時を見るであろう。

この典型は、漢の武帝の陳皇后、玄宗の王皇后であり、その初は、黄金の屋に蔵して、君寵を受けて居たが、兎角する内に長門宮に移され、旧屋には、珠簾寂寂として、蜘蛛が鋼を張るように成って仕舞った。つまり、男の心は秋の空、新故逓降、その思いは決して長く続かず、今の新人も亦た故妾の如く、棄てられる時がかならずあるのである。

大明宮の圖003
(訳注)

怨情

(心変わりしてゆく夫に対して隋の江總の詩を変化させて、その情思をうたう)

1 怨情とは、女の夫を怨む情思である。この詩は、夫が新に女を引き入れて、故妻を追ひ出したに因り、その故妻に代って作ったのである。

【解説】乾隆御批には「偶ま古辭を引いて、別に新意を出す、怨意言わずして顕わる」とある。それは故人昔新今尚故の二句が、江總の詩に本づいて、いささか変化したことを言ったのである。

《閨怨篇》隋、江總.

蜘蛛作絲滿帳中。 芳草結葉當行路。

紅臉脈脈一生啼。 黃鳥飛飛有時度。

故人雖故昔經新。 新人雖新複應故。

蜘蛛 絲を滿帳の中に作り。 芳草 葉を結んで行路に當る。

紅臉 脈脈として一生啼き。 黃鳥 飛飛として時に度る有り。

故人 故なりと雖も 昔 新らたなるを經たり。 新人 新なりと雖も 複た故に應う。

江總(519 - 594年)は、中国南北朝時代、梁・陳の政治家・文学者。字は総持。済陽郡考城(現河南省)の人。南朝の名門貴族の家に生まれ、梁・陳の高官を歴任し、陳の後主の時代には尚書令(宰相)となるが、後主の宴席にはべり詩文を作るのみで政務に励まず、陳が北朝の隋に滅ぼされる原因を作った一人とされる。

 

新人如花雖可寵,故人似玉由來重。

新たに迎えられた若き人は、容貌絶麗、さながら花の如くにして、まことに寵愛をうけることであろうが、これまでいた夫人は、温潤玉の如く、従来、重んぜられて居たのである。

新人 新たに迎えられた夫人。

可寵 寵愛を受けるべく若くて美しい。

故人 従来からいる夫人。

唐代とはどのような時代 であったのか。人口の半分を占める女性たちは、未来永劫にわたって回復不可能な二等人となり、二度と再び他の半分である男性と平等になることはなかった。かくして、男を生めば「弄璋」(璋をつかむ)といい、女を生めば「弄瓦」(瓦【いとまき】をつかむ。古代、女子が生れると糸巻を与える習慣があった)といった。そこで、「婦は服するなり」「婦人は人に伏すなり」ということになり、「女子と小人(奴僕)は養い難し」とか、「三従四徳」を守れとか、「餓死しても小事であり、貞節を失うことの方が大事だ……」といった価値観が生れた。後宮に入る、ふじんとしてむかえられるということは、選ばれる幸運を与えることができたということである。その理由は二つの方面から説明することができる。まずは、三百年間も続いた大唐帝国は、まさに輝ける封建時代の盛世にへり、封建道徳も後世のように厳格で過酷な段階にまでは発展していなかったからである。封建支配者が人々の肉体と精神を禁縛する手段としての封建道徳は、もともと支配者の必要に従って一歩一歩発展してきたものである。支配者というものは、いつだって世も末になればなるほど、人々の頭脳、身体、七情六欲を、女性の足とともに取り締まる必要があると感じるようになり、封建道徳もまた彼らのこうした感覚が日ましに強まるにつれ、いよいよ厳格に、かつ周到になっていった。

種々の原因によって、唐朝はこの王朝特有の「家庭の風紀の乱れ」、「封建道徳の不振」という状況を生みだした。こうした状況は後世の道学者たちの忌み嫌うところとなったが、しかし逆にこの時代に生きた女性たちにはきわめて大きな幸運をもたらし、彼女たちが受ける抑圧、束縛をいささか少なくしたので、彼女たちは心身共に比較的健康であった。こうして、明朗、奔放、勇敢、活発といった精神的特長、および独特の行動や風格、思想や精神などが形成されたのである。

七情六欲

『礼記』 の記載にある喜、怒、哀、催、愛、悪、欲の七情と、生、死、耳、目、口、鼻の六つから発する欲。

 

花性飄揚不自持,玉心皎潔終不移。

元來、花はその素性諷揚であり、浮気で自ら支持することができないが、玉は其の心は秀麗皎潔であり、決して移ることはない。

飄揚 花びらや、布などがひるがえり舞い上がること。

皎潔 秀麗皎潔: たいへん立派で、清らかでうつくしいこと。「秀麗」は、他のものより一段とりっぱで美しいこと。「皎潔」は、白く清らかで汚れのないさま。

 

故人昔新今尚故,還見新人有故時。

以前からいる夫人も、むかしは新しく若く美しかったが、今は次第に老けてゆくもので、やがて、新人もこの循環に乗って、どうように老けたことを実感する時を見るであろう。

故人昔新今尚故 昔新悲故,今故悲新

還見 唐代の適齢期は、15~18歳で、23歳から25歳までを盛りとする。この5年から10年のサイクルを言う。

 

請看陳后黃金屋,寂寂珠簾生網絲。

この典型は、漢の武帝の陳皇后、玄宗の王皇后であり、その初は、黄金の屋に蔵して、君寵を受けて居たが、兎角する内に長門宮に移され、旧屋には、珠簾寂寂として、蜘蛛が鋼を張るように成って仕舞った。つまり、男の心は秋の空、新故逓降、その思いは決して長く続かず、今の新人も亦た故妾の如く、棄てられる時がかならずあるのである。

 


続きを読む

743年(92)李太白集932巻二十四44 春怨  411Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(92) Ⅰ李白詩1776 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7420

李白  春怨

白馬金羈遼海東,羅帷繡被臥春風。

落月低軒窺燭盡,飛花入笑床空。

飛びちる花びらが家の中へ入ってきて、寝床がからっぽなのをあざわらう。宴も開かれて世間は賑やかにしている。貴族の妻妾について詠っている。)

白馬にまたがり、金の手綱を握りしめた選りすぐりの軍団は、遼海の東へ出征し異民族に恐怖をあたえているという。うすぎぬの帳のなかで、刺繍で飾った布団をかけて横になっているところに、春風が吹いてくる。夜が更けてくれば、しずみかけた月が軒端より低い空から、燈火の燃えつきた部屋の中をのぞきこんでいる。昼静かなるとき、飛びちる花びらが戸口から乱れ入って、寝床がからっぽなのをあざわらうかのように、この様子を見ると、愈々感慨に堪えぬのである。

李太白集巻二十四44

春  怨

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7420

Index-23

743年天寶二年43 

94-92

411 <1000

 

 

 
  2016年3月2日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(92)李太白集932巻二十四44 春怨  411Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(92) Ⅰ李白詩1776 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7420  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈140-#《 巻01-23秋懷詩,十一首之十 #2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(11) #2<1689> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7421  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-25 杜少陵集 《17-23 秋風,二首之一》 杜甫詩index-15-1155 <1605> 767年大暦2年56歲-25 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7422  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 16尹鶚《巻九30滿宮花》『花間集』432全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7424  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-92

卷別:    卷一八四              文體:    七言

詩題:    春怨

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

春怨

飛びちる花びらが家の中へ入ってきて、寝床がからっぽなのをあざわらう。宴も開かれて世間は賑やかにしている。貴族の妻妾について詠っている。)

白馬金羈遼海東,羅帷繡被臥春風。

白馬にまたがり、金の手綱を握りしめた選りすぐりの軍団は、遼海の東へ出征し異民族に恐怖をあたえているという。うすぎぬの帳のなかで、刺繍で飾った布団をかけて横になっているところに、春風が吹いてくる。
落月低軒窺燭盡,飛花入笑床空。

夜が更けてくれば、しずみかけた月が軒端より低い空から、燈火の燃えつきた部屋の中をのぞきこんでいる。昼静かなるとき、飛びちる花びらが戸口から乱れ入って、寝床がからっぽなのをあざわらうかのように、この様子を見ると、愈々感慨に堪えぬのである。

 

(春怨)

白馬 金羈【きんき】遼海の東、 羅帷【らい】繡被【しゅうひ】春風に臥す。

落月 軒に低【たれ】て 燭の盡くるを窺い。 飛花 に入って 牀の空しきを笑う

 

楊貴妃清華池002 

『春怨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

春怨

白馬金羈遼海東,羅帷繡被臥春風。

落月低軒窺燭盡,飛花入笑床空

(下し文)
(春怨)

白馬 金羈【きんき】遼海の東、 羅帷【らい】繡被【しゅうひ】春風に臥す。

落月 軒に低【たれ】て 燭の盡くるを窺い。 飛花 に入って 牀の空しきを笑う

(現代語訳)
春怨飛びちる花びらが家の中へ入ってきて、寝床がからっぽなのをあざわらう。宴も開かれて世間は賑やかにしている。貴族の妻妾について詠っている。)

白馬にまたがり、金の手綱を握りしめた選りすぐりの軍団は、遼海の東へ出征し異民族に恐怖をあたえているという。うすぎぬの帳のなかで、刺繍で飾った布団をかけて横になっているところに、春風が吹いてくる。
夜が更けてくれば、しずみかけた月が軒端より低い空から、燈火の燃えつきた部屋の中をのぞきこんでいる。昼静かなるとき、飛びちる花びらが戸口から乱れ入って、寝床がからっぽなのをあざわらうかのように、この様子を見ると、愈々感慨に堪えぬのである。

簷間樹
(訳注)

春怨

飛びちる花びらが家の中へ入ってきて、寝床がからっぽなのをあざわらう。宴も開かれて世間は賑やかにしている。貴族の妻妾について詠っている。)


白馬金羈遼海東、羅帷繡被臥春風。
白馬にまたがり、金の手綱を握りしめた選りすぐりの軍団は、遼海の東へ出征し異民族に恐怖をあたえているという。うすぎぬの帳のなかで、刺繍で飾った布団をかけて横になっているところに、春風が吹いてくる。
1 白馬 若い貴族の出征。「白馬将軍」の名でも知られる公孫瓚がおり、中国の東漢(後漢)〜三国時代初期の人物であり、群雄の一人として北平を中心に勢威を振るった。白馬に乗せた選りすぐりの精兵を率い、自身も武勇に優れていたことから「白馬長史」と呼ばれ、異民族からは恐怖の対象だった。

『優秀な人間は、取り立ててやっても当然と思うだけで恩義を感じない』という理由で、凡庸な人物を重用した。その一方で、当時としては卑しい身分とされていた商人を重用し、交易などで莫大な利益を得ていたという。また、龐徳が白馬に乗るのを常としていたため、関羽の軍勢は龐徳を白馬将軍と呼んで畏れた。 

2 金羈 金をよりこんだ白い手綱。

3 遼海 現在の遼寧省。南満州。

4 羅帷 うすぎぬのとばり。

5 繡被 刺繍で飾ったかけ布団。


落月低軒窺燭盡、飛花入笑床空。
夜が更けてくれば、しずみかけた月が軒端より低い空から、燈火の燃えつきた部屋の中をのぞきこんでいる。昼静かなるとき、飛びちる花びらが戸口から乱れ入って、寝床がからっぽなのをあざわらうかのように、この様子を見ると、愈々感慨に堪えぬのである。

6 落月 沈みかけた月。沈みかけた月は性を連想させる。 

7 燭 ともしび。 

8 飛花入 春満開の花びらが舞い散って、戸口から中に入ってくる。梁、簡文帝《序愁賦》「玩飛花之入,看斜暉之度寮。」とあるに基づく。飛花 春満開の花びらが舞い散っている。

9 笑床空 空牀に人無きをあざけり笑う。この笑うという意味は、咲くという意味があり、それが空しいのである。梁、蕭子範、《春望古意》詩「光景斜漢宮,橫梁照采虹,春情寄柳色,鳥語出梅中,氛氳閨裏思,逶迤水上風,落花徒入,何解妾床空。」、の雰囲気其のままである。

743年(91)李太白集931巻二十四42長門怨二首 其二  410Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(91) Ⅰ李白詩1775 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7415

李白  長門怨,二首之

桂殿長愁不記春,黃金四屋起秋塵。

夜懸明鏡青天上,獨照長門宮裡人。

(漢武帝の陳皇后のことを檃括して玄宗の王皇后を詠う)

その身は、柱の香木の御殿に閉じこもっていて、あまりに悲しく、長い愁に、春が来たのも気づかない、あの「金屋」の黄金を張りつけた四方の壁も、衰えゆく季節とともに、秋塵を散じ立てる。夜になれば、月皎皎として高くさしのぼり、さながら、明鏡を青天の上にかけてくれたようで、心ありげに、長門宮の中にすむあの陳皇后を、さびしく照らすかのようにみえる。

李太白集  巻二十四42

長門怨二首 其二

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7415

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-91

410 <1000

 

 
  2016年3月1日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(91)李太白集931巻二十四42長門怨二首 其二  410Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(91) Ⅰ李白詩1775 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7415  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈139-#1《 巻01-23秋懷詩,十一首之十 #1》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(11) #1<1688> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7416  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-24 #5杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#5》 杜甫詩index-15-1154 <1604> 767年大暦2年56歲-24 #5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7417   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 16尹鶚《巻九29臨江仙二首其二》『花間集』431全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7419  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-90

卷別:    卷一八四              文體:    七言

詩題:    長門怨,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              長門宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:長門殿  

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

長門怨,二首之一 
(秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。
月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。

やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

長門怨,二首の一
天は北斗を囘らして西樓に挂かり、金屋 人無く 螢火流る。 
月光 到らんと欲す 長門殿、別に作す 深宮一段の愁。

 

年:743年天寶二年43歳 94-91) 

卷別:    卷一八四              文體:    七言

詩題:    長門怨,二首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              長門宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:長門殿  

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

長門怨,二首之二

(漢武帝の陳皇后のことを檃括して玄宗の王皇后を詠う)

桂殿長愁不記春,黃金四屋起秋塵。

その身は、柱の香木の御殿に閉じこもっていて、あまりに悲しく、長い愁に、春が来たのも気づかない、あの「金屋」の黄金を張りつけた四方の壁も、衰えゆく季節とともに、秋塵を散じ立てる。
夜懸明鏡青天上,獨照長門宮裡人。

夜になれば、月皎皎として高くさしのぼり、さながら、明鏡を青天の上にかけてくれたようで、心ありげに、長門宮の中にすむあの陳皇后を、さびしく照らすかのようにみえる。

(長門怨,二首の二)

桂殿 長く愁て 春を記せず。 黃金四屋 秋塵起る。

夜 明鏡を懸け青天の上。 獨照らす長門宮里の人。
大明宮の圖003

 

『長門怨,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

長門怨,二首之二

桂殿長愁不記春,黃金四屋起秋塵。

夜懸明鏡青天上,獨照長門宮裡人。

(下し文)
(長門怨,二首の二)

桂殿 長く愁て 春を記せず。 黃金四屋 秋塵起る。

夜 明鏡を懸け青天の上。 獨照らす長門宮里の人。

(現代語訳)
(漢武帝の陳皇后のことを檃括して玄宗の王皇后を詠う)

その身は、柱の香木の御殿に閉じこもっていて、あまりに悲しく、長い愁に、春が来たのも気づかない、あの「金屋」の黄金を張りつけた四方の壁も、衰えゆく季節とともに、秋塵を散じ立てる。
夜になれば、月皎皎として高くさしのぼり、さながら、明鏡を青天の上にかけてくれたようで、心ありげに、長門宮の中にすむあの陳皇后を、さびしく照らすかのようにみえる。

(訳注)

長門怨,二首之二

(漢武帝の陳皇后のことを檃括して玄宗の王皇后を詠う)

 

桂殿長愁不記春。 黃金四屋起秋塵。
その身は、柱の香木の御殿に閉じこもっていて、あまりに悲しく、長い愁に、春が来たのも気づかない、あの「金屋」の黄金を張りつけた四方の壁も、衰えゆく季節とともに、秋塵を散じ立てる。
8 桂殿 香のよい桂の木でつくった宮殿。

9 記 記憶する。心にとめる。気付く。

10 起秋塵 六朝の鮑照の詩に「高墉宿寒霧、平野起秋塵」とある。(高い城壁につめたい霧が立ちこめ、平野に秋の塵がおこる) 


夜懸明鏡青天上。 獨照長門宮里人。
夜になれば、月皎皎として高くさしのぼり、さながら、明鏡を青天の上にかけてくれたようで、心ありげに、長門宮の中にすむあの陳皇后を、さびしく照らすかのようにみえる。
11 夜懸明鏡 司馬相如の「長門の賦」に「懸明月以自照兮、徂清夜於洞房」とある。(明月を空にかけて自分を照らし、清らかな夜を奥深い部屋でくらす)

12 長門宮裏人 陳皇后を言うことで、玄宗の王皇后(廃)をいう。

 

漢長安城 00 


続きを読む

743年(90)李太白集930巻二十四41長門怨二首 其一  409Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(90) Ⅰ李白詩1774 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7410

李白  長門怨,二首之一

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。
(秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

李太白集  巻二十四41

長門怨二首 其一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7410

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-(90)

409 <1000

 

 

 
  2016年2月29日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(90)李太白集930巻二十四41長門怨二首 其一  409Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(90) Ⅰ李白詩1774 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7410  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈138 #2《 巻01-22秋懷詩,十一首之九 #2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(10)#2<1687> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7411  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-24 #4杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#4》 杜甫詩index-15-1153 <1603> 767年大暦2年56歲-24 #4漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7412  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 尹鶚《巻九28臨江仙二首其一》『花間集』430全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7414  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-90

卷別:    卷一八四              文體:    七言

詩題:    長門怨,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              長門宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:長門殿  

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

長門怨,二首之一 
(秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。
月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。

やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

長門怨,二首の一
天は北斗を囘らして西樓に挂かり、金屋 人無く 螢火流る。 
月光 到らんと欲す 長門殿、別に作す 深宮一段の愁。

 

 

『長門怨,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

長門怨,二首之一

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。

(下し文)
(長門怨,二首の一)

天は北斗を囘らして西樓に挂かり、金屋 人無く 螢火流る。

月光 到らんと欲す 長門殿、別に作す 深宮一段の愁。
(現代語訳)
長門怨,二首之一 (秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。
やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

漢長安城 00
(訳注)

長門怨
(秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

1 長門怨 《樂府古題要解》「長門怨、為漢武帝陳皇后作也。後長公主嫖女字阿嬌。及衛子夫得幸、後退居長門宮、愁悶悲思、聞司馬相如工文章、奉黃金百斤令為解愁之詞。相如作長門賦。帝見而傷之複得親幸者數年。後人因其賦為長門怨焉。」(長門怨は、漢の武帝の陳皇后の為に作る也。後は長公主嫖の女、字は阿嬌。衛子夫幸を得るに及び、後、退いて長門宮に居り、愁悶悲思し、司馬相如の文章に工なるを聞き、黃金百斤を奉じて、解愁の詞を為らしむ。相如長門賦を作る。帝見て、之を傷み複た親幸を得るもの數年。後人、其の賦に因って長門怨を為る。

古くからある歌謡の題。漢の武帝の陳皇后のために作られたものである。陳皇后は、幼い頃は阿嬌とよばれ、いとこに当る武帝のお気にいりであったが、帝の寵愛が衛子夫(のちに皇后)に移ると、ひどいヤキモチをやいたので、ついに長門宮に幽閉された。長門宮は、長安の東南の郊外にある離宮である。悶悶と苦しんだ彼女は、当時の文豪、司馬相如にたのみ、黄金百斤を与えて、帝の気持をこちらへ向けなおすような長い韻文を作ってもらった。これが「長門の賦」である。後世の人は、その話にもとづき「長門怨」という歌をつくった。

《三輔黄圖、巻三、甘泉宮》「長門宮,離宮,在長安城。孝武陳皇后得幸,頗妬,居長門宮。」

長安志、巻四「長門宮武帝陳皇后退居長門宮沅按宮在長安故城之東


天囘北斗挂西樓。 金屋無人螢火流。
天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。
2 北斗 北斗七屋。

3 西楼 長安の宮中の西楼。長門宮が長安東に上林苑の中に離宮としてあるので、天子のいる宮殿は西にある。
4
 金屋 金づくりの家。武帝は少年の日、いとこの阿嬌が気に入って言った。「もし阿嬌をお嫁さんにもらえたら、黄金づくりの家(金屋)に入れてあげるといい、建設された宮殿。

124巻三35妾薄命

「漢帝寵阿嬌。 貯之黃金屋。」

147巻四22宮中行樂詞八首 其一

「小小生金屋。 盈盈在紫微。 」

931巻二十四42長門怨二首 其二

「天回北斗挂西樓、金屋無人螢火流。」

939巻二十四50怨情

「請看陳后黃金屋。 寂寂珠帘生網絲。」

宮中行樂詞八首其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141

5 螢火流 句の上にある“金屋”が“北斗”と関連して金星が流れるということで、春夏と過ぎ秋になることを言う。「火」とか「大火」と呼ばれる。陰暦七月末から西に流れる。李白《黄葛篇》「蒼梧大火落、暑服莫輕擲。 
越何の地方、蒼梧県だといっても大火の星が西に流れると秋が来るのだ、軽はずみに夏服だと思って投げ出すことがあってはならない。

黄葛篇 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -237

 

月光欲到長門殿。 別作深宮一段愁。
やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

長門殿にはやきもちの憂いが漂っている、後宮において皇帝の寵愛を受けている時分、悶々とした怨が最高潮に達する。

 

長門怨,二首の一
天は北斗を囘らして西樓に挂かり、金屋 人無く 螢火流る。 
月光 到らんと欲す 長門殿、別に作す 深宮一段の愁。

長門怨,二首之一

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。

6 【阿嬌/陳皇后】

6 【阿嬌/陳皇后】

108巻三19白頭吟

「此時阿嬌正嬌妒、獨坐長門愁日暮。」

108巻三19白頭吟

「聞道阿嬌失恩寵、千金買賦要君王。」

124巻三35妾薄命

「漢帝寵阿嬌。 貯之黃金屋。」

939巻二十四50怨情

「請看陳后黃金屋。 寂寂珠帘生網絲。」

 

李白《妾薄命》

漢帝寵阿嬌,貯之黃金屋。咳唾落九天,隨風生珠玉。

寵極愛還歇,妒深情卻疏。長門一步地,不肯暫迴車。

雨落不上天,水覆難再收。君情與妾意,各自東西流。

昔日芙蓉花,今成斷根草。以色事他人,能得幾時好。

漢帝 阿嬌 寵【いつく】 しむ、之を黃金の屋に貯【おさ】む。 
咳唾【がいだ】 九天に落つ、風隨う 珠玉 生ず。 
寵極 愛 還た歇【つきる】、妒み深く 情 卻く疏【うと】んず。 
長門 一たび 地を步む、肯って 暫く 回車されず。
雨落 天に上らず、水覆 再び收り難し。 
君情 與 妾意、各々自ら 東西に流る。 
昔日  芙蓉の花,今 成る  斷根の草。
色を以て  他人に事【つか】へ,能【よ】く  幾時【いくとき】の 好【よろし】きを  得たりや。

(漢武帝最初の皇后、幼い時から絶頂期の皇后の時を経て、長門宮に幽閉、何時とはわからず寂しく死んでいった、産んだ子が皇帝にならなければ、皇后でさえもその運命はわからない、寵愛という不確かなものにすがって生きることを詠っている)

漢の武帝は幼少のときともに遊んだ阿嬌を見初め、いつくしんだ、そして、「好!若得阿嬌作婦,當作金屋貯之也。」といい、皇太子妃となって黄金の御殿に迎えて、ついに皇后となされた。
そこで阿嬌は、君寵をえて、その権力と勢力の盛んなことは、九天の上で吐く唾が風に乗って人に落ちると、それがやがて珠玉に化するという有様であった。
子の寵愛、貴盛が極限まで行ったが、ひとたびその寵愛を失うと実にあさましいものである、もともと、我儘で、嫉妬深い気性は、その情が密で、深いことが度が過ぎて仇になり、嫉妬心が陰謀策力に変わり、深く人の心も疎んじていった。
誰も振り返らず、司馬相如の賦を買い、一時は寵愛が戻るも、ついに、長門宮に幽閉され、一切の接触をたたれ、君の御所とはわずかに一歩を隔てるも、その後、君の輦車を回して立ち寄られることはなくなった。

雨は落ちてくるものであり、天にむかって上がることはい、こぼされた水は再び元の碗に収まることはないのだ。天子の愛情と后妃の思いとが合致していたけれど、ちょうど流れる水が、それぞれ自然に西と東に別れて流れさったようなものだ。昔は確かに、芙蓉の花のように 華麗に咲く花のような后妃であったが、それも廃位となった今はただ、根無し草となり、飛蓬のように、零落して各地を流浪するしかなくなったのだ。子孫繁栄のため、色香だけを求められ、それをもって、人につかえることしかできないものが、一体どれほどの期間、すばらしい時間を得ることができるというのだろうか。(皇位継承のめどが立てば、後は気ままに寵愛を行うのは習わしであるから、すぐに捨てられるのである。)

743年(25)李白344 巻三35-《妾薄命》(漢帝寵阿嬌,)#1 344Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-25) <李白344> Ⅰ李白詩1678 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6938

李白  《巻三19白頭吟》

「此時阿嬌正嬌妒,獨坐長門愁日暮。」(此の時 阿嬌 正に嬌妒,獨り長門に坐して 日暮を愁う。)

「聞道阿嬌失恩寵,千金買賦要君王。相如不憶貧賤日,位高金多聘私室。茂陵姝子皆見求,文君歡愛從此畢。」(聞くならく 阿嬌 恩寵を失い,千金 賦を買うて 君王を要す と。相如 貧賤日を憶わず,位 高く 金 多くして 私室を聘す。茂陵の姝子 皆 求めらる,文君の歡愛 此に從って畢る。)

743年(22)李白341 巻三19-《白頭吟》(錦水東北流,) 341Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-22) <李白341> Ⅰ李白詩1664 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6868

743年(27)李白341-#6 巻三19-《白頭吟》 341-#6Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-27)Ⅰ李白詩1672 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6908

 

 長門怨二首
天迴北斗挂西樓金屋無人螢火流月光欲到長門殿作深一段愁

士贇曰詩箋云螢火家無人則然令/人感思室中無人故有此物是
足畏乃可/以為憂
  其二
桂殿長愁不記春黄金四屋起秋塵夜懸明鏡青天上獨照長門裏人

士贇曰此詩皆櫽括漢武陳皇后事/以比元宗皇后其意而婉矣事
前巻/

 

7 司馬相如《長門賦

なぜでしょう、一人の美人がさまよい歩いて物憂げにしています。魂は消え失せて元に返らぬように見え、肉体は枯れ果てた様子で一人ぽつねんと立っています。(かつて皇帝陛下は)「朕は朝に出座して暮には帰るだろう」と言ったのに、今は(新しい女と)飲食の楽しみを共にされ、私のことをお忘れになりました。御心は移り変わり、昔なじみ(の私)を省みず、気に入りの人と交わって親しくされています。(嫉妬深い)私の心の愚かさよ、私はまじめな素直さを胸に抱いていますのに。ただ御下問を賜って参上し、陛下のお言葉をいただきたいとのみ願っています。

陛下の虚しいお言葉をいただいて、まことのことかと待ち望み、城の南の離宮に(陛下を)お待ちしました。粗末な料理をつくろって用意していましたのに、陛下は一向におでまし下さろうとなさいません。むなしく一人隠れて心を鎮めておりますと、天にはひゅうひゅうと疾風が吹いています。蘭台に登ってはるかに見渡せば、心はうつろになって外界に脱け出ます。浮雲は重なりながら辺りに塞がり、天は深々として昼もなお暗く、雷は殷々と響き渡って、その音は陛下の車の響きに似ています。飄風は吹きめぐって部屋に舞い立ち、カーテンをひらひらと吹き上げます。桂の樹は枝茂く重なり合って、ぷんぷんと香りを漂わせます。孔雀たちは集まって(私を)憐れんでくれて、猿たちは鳴いて声長く歌います。翡翠(かわせみ)は翼を収めて集まって来て、鸞鳥と鳳凰は北に南に飛び交います。

心は結ぼれて晴れません。不満な気持ちが沸いて来て胸の内を責めつけます。蘭台より下りて辺りを見渡し、奥御殿へと静かに歩みます。正殿は高々と天まで届き、大きな柱が並び建てられて、彎形の御殿となっています。しばらく東の渡殿をさまよっていますと、こまごまと美しく限りなく続く建物が見えます。

 

夫何一佳人兮,步逍遙以自虞。魂逾佚而不反兮,形枯槁而獨居。言我朝往而暮來兮,飲食樂而忘人。心慊移而不省故兮,交得意而相親。 

伊予志之慢愚兮,怀貞愨之歡心。愿賜問而自進兮,得尚君之玉音。奉虛言而望誠兮,期城南之离宮。修薄具而自設兮,君曾不肯乎幸臨。廓獨潛而專精兮,天漂漂而疾風。登蘭台而遙望兮,神(心兄心兄,音晃)而外淫。浮云郁而四塞兮,天窈窈而晝陰。雷殷殷而響起兮,聲象君之車音。飄風回而起閨兮,舉帷幄之(示詹示詹,音摻)。桂樹交而相紛兮,芳酷烈之(門加言,重疊,音吟)。孔雀集而相存兮,玄猿嘯而長吟。翡翠協翼而來萃兮,鸞鳳翔而北南。 

心憑噫而不舒兮,邪气壯而攻中。下蘭台而周覽兮,步從容于深宮。正殿塊以造天兮,郁并起而穹崇。間徙倚于東廂兮,觀夫靡靡而無窮。擠玉以撼金舖兮,聲噌(口+宏去□,音宏)而似鐘音。 

刻木蘭以為榱兮,飾文杏以為梁。羅丰茸之游樹兮,离樓梧而相撐。施瑰木之(木薄,音博)櫨兮,委參差以(木康,音康)梁。時仿佛以物類兮,象積石之將將。五色炫以相曜兮,爛耀耀而成光。致錯石之瓴甓兮,象玳瑁之文章。張羅綺之幔帷兮,垂楚組之連綱。 

撫柱楣以從容兮,覽曲台之央央。白鶴嗷以哀號兮,孤雌(足寺)于枯腸。日黃昏而望兮,悵獨托于空堂。懸明月以自照兮,徂清夜于洞房。援雅琴以變調兮,奏愁思之不可長。案流徵以卻轉兮,聲幼眇而复揚。貫歷覽其中操兮,意慷慨而自(昂去日,音昂)。左右悲而垂淚兮,涕流离而從橫。舒息悒而增欷兮,(足徙,音徙)履起而彷徨。揄長袂以自翳兮,數昔日之(侃下加言,音謙)殃。無面目之可顯兮,遂思而就床。摶芬若以為枕兮,席荃蘭而(艸+臣,音chai3)香。 

忽寢寐而夢想兮,魄若君之在旁。惕寤覺而無見兮,魂(□+王,重疊,音狂)若有亡。眾雞鳴而愁予兮,起視月之精光。觀眾星之行列兮,畢昴出于東方。望中庭之藹藹兮,若季秋之降霜。夜曼曼其若兮,怀郁郁其不可再更。澹偃蹇而待曙兮,荒亭亭而复明。妾人竊自悲兮,究年而不敢忘。 

 注:《長門賦序》云,“孝武皇帝陳皇后時得幸,頗。別在長門宮,愁悶悲思。聞蜀郡成都司馬相如天下工為文,奉金百斤為相如、文君取酒,因于解悲愁之辭。而相如為文以悟上,陳皇后得親幸。”

 


続きを読む

743年(89)李太白集929巻二十四41長信宮  408Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(89) Ⅰ李白詩1773 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7405

李白  長信宮【長信怨】

月皎昭陽殿,霜清長信宮。天行乘玉輦,飛燕與君同。

別有歡處,承恩樂未窮。誰憐團扇妾,獨坐怨秋風。
(この詩は、後宮において、一時華麗繁栄であっても、黃帝の崩御、政争、讒言、寵愛を失うことによって寂しく余生を暮らすことになる。また、直臣を遠ざけ、佞臣を近づけるは、古今の通患であり、寄託自然でふかいというものである。)

昭陽殿角、月は皎皎として照り渡り、長信宮の邊り、霜気は清く涼しく、且つ、寒く感じる頃となる。天子の行幸に際しては、玉輦に乗ぜられ、そして、趙飛燕は、班とは違い、君と輦を同じうして、禮制にそむいた、まことに僭越極まることである。下臣たるもの、同輦を辞するということをわきまえることである、それが歓娯のところであったとしても、恩を承くること、未だ十分ならず、決して、楽を窮めないものである。かくて、この身は、秋の扇と棄てられたとしてだれが憐れんでくれるというのか、濁坐して、静心なき西風の凄涼たるを怨む外はないのである。

李太白集  巻二十四41

朝下過盧郎中敘舊游

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7405

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-89

408 <1000

 

 
  2016年2月28日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(89)李太白集929巻二十四41長信宮  408Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(89) Ⅰ李白詩1773 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7405  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈138 #1《 巻01-22秋懷詩,十一首之九 #1》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(10)#1<1686> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7406  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-24 #3杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#3》 杜甫詩index-15-1152 <1602> 767年大暦2年56歲-24 #3漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7407  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 15閻選《巻九27河傳 一首》 》『花間集』429全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7409  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-89

卷別:    卷一八四              文體:    五言律詩

詩題:    長信宮【長信怨】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              長信宮 (京畿道 京兆府 長安)           

昭陽殿 (京畿道 京兆府 長安)          

交遊人物/地點:  

詩文:

 

長信宮【長信怨】

(この詩は、後宮において、一時華麗繁栄であっても、黃帝の崩御、政争、讒言、寵愛を失うことによって寂しく余生を暮らすことになる。また、直臣を遠ざけ、佞臣を近づけるは、古今の通患であり、寄託自然でふかいというものである。)

月皎昭陽殿,霜清長信宮。

昭陽殿角、月は皎皎として照り渡り、長信宮の邊り、霜気は清く涼しく、且つ、寒く感じる頃となる。

天行乘玉輦,飛燕與君同。

天子の行幸に際しては、玉輦に乗ぜられ、そして、趙飛燕は、班とは違い、君と輦を同じうして、禮制にそむいた、まことに僭越極まることである。

別有歡處,承恩樂未窮。

下臣たるもの、同輦を辞するということをわきまえることである、それが歓娯のところであったとしても、恩を承くること、未だ十分ならず、決して、楽を窮めないものである。

誰憐團扇妾,獨坐怨秋風。

かくて、この身は、秋の扇と棄てられたとしてだれが憐れんでくれるというのか、濁坐して、静心なき西風の凄涼たるを怨む外はないのである。

(長信宮)【長信怨】

月は皎たり 昭陽殿,霜は清たり 長信宮。

天行 玉輦に乘ずるは,飛燕 君と同じゅうするを。

別に歡處に有るも,恩を承けて 樂しみ 未だ窮まらず。

誰か憐まん 團扇の妾,獨坐して 秋風を怨むなり。
漢長安城 00 

長安城図 作図00 

『長信宮【長信怨】』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

長信宮【長信怨】

月皎昭陽殿,霜清長信宮。

天行乘玉輦,飛燕與君同。

別有歡處,承恩樂未窮。

誰憐團扇妾,獨坐怨秋風。
詩文(含異文)

月皎昭陽殿,霜清長信宮。天行乘玉輦,飛燕與君同。別有歡處【更有留情處】,承恩樂未窮。誰憐團扇妾,獨坐怨秋風。


(下し文)
(長信宮)【長信怨】

月は皎たり 昭陽殿,霜は清たり 長信宮。

天行 玉輦に乘ずるは,飛燕 君と同じゅうするを。

別に歡處に有るも,恩を承けて 樂しみ 未だ窮まらず。

誰か憐まん 團扇の妾,獨坐して 秋風を怨むなり。

(現代語訳)
長信宮【長信怨】(この詩は、後宮において、一時華麗繁栄であっても、黃帝の崩御、政争、讒言、寵愛を失うことによって寂しく余生を暮らすことになる。また、直臣を遠ざけ、佞臣を近づけるは、古今の通患であり、寄託自然でふかいというものである。)

昭陽殿角、月は皎皎として照り渡り、長信宮の邊り、霜気は清く涼しく、且つ、寒く感じる頃となる。

天子の行幸に際しては、玉輦に乗ぜられ、そして、趙飛燕は、班とは違い、君と輦を同じうして、禮制にそむいた、まことに僭越極まることである。

下臣たるもの、同輦を辞するということをわきまえることである、それが歓娯のところであったとしても、恩を承くること、未だ十分ならず、決して、楽を窮めないものである。

かくて、この身は、秋の扇と棄てられたとしてだれが憐れんでくれるというのか、濁坐して、静心なき西風の凄涼たるを怨む外はないのである。

大明宮の圖003
(訳注)

長信宮【長信怨】

(この詩は、後宮において、一時華麗繁栄であっても、黃帝の崩御、政争、讒言、寵愛を失うことによって寂しく余生を暮らすことになる。また、直臣を遠ざけ、佞臣を近づけるは、古今の通患であり、寄託自然でふかいというものである。)

1 長信宮 紀元前7年、成帝が急死し、元帝が愛妾・傅氏に産ませた、劉康(定陶恭王)の子・劉欣(哀帝)が即位すると、哀帝の外戚の傅氏(祖母の実家)と、丁氏(母の実家)が政治に関与するようになり、王氏一族は権力を削られ、太皇太后(孝元太皇太后)となった王政君もその影響力を弱めることとなる。“長信には、漢の太后(成帝母、王政君)が常時之に居る。”となったということで、この詩に取り上げたものである。

この皇太后を趙飛燕の姉妹が供養するということで長信宮と結びつくのである。このことは、《漢書•外戚傳》にみえる「其後,趙飛燕姊弟亦從自微賤興,逾越禮制,浸盛於前。班婕妤及許皇后皆失寵,稀復進見。趙氏姊弟驕妒,婕妤恐久見危,求供養太后長信宮,帝許焉。」とある。また、長信宮について、《三輔黄圖巻之三、長樂宮》に「長信漢太后常居之。按《通靈記》大后、成帝母也。后在西、秋之象也。秋主信、故殿皆以長信、長秋爲名。又永壽、永寧殿、皆后所處也。、成帝母王太/后居長信右長樂。」とあり、漢の数々の宮殿、後宮のことは、班孟堅(班固)《西都賦》に詳細に描かれている。

班孟堅(班固) 《西都賦》(18)#7(宮室の美)-1 文選 賦<112―18>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩972 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3408

班孟堅(班固) 《西都賦》(19)#7-2 文選 賦<112―19>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩973 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3413

班孟堅(班固) 《西都賦》(20)#8(數々の宮殿)-1 文選 賦<112―20>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩974 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3418

班孟堅(班固) 《西都賦》(21)#8(數々の宮殿)-2 文選 賦<112―21>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩975 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3423

2 班媫妤 成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、大后を長信宮に供養することを理由に退いた。長信宮に世を避けた班捷伃(倢伃)は、悲しんで「怨歌行」を作る。その詩は『文選』『玉台新詠』『楽府詩集』『古詩源』などに載せられる。失寵した女性の象徴として、詩の主題にあつかわれることが多い。晋の陸機や唐の王維、王昌齢「西宮春怨・長信秋詞」などがそれである[1]。『漢書』外戚伝・顔師古注に、彼女の伝がある。

 

月皎昭陽殿,霜清長信宮。

昭陽殿角、月は皎皎として照り渡り、長信宮の邊り、霜気は清く涼しく、且つ、寒く感じる頃となる。

3 昭陽殿 西京雜記 「趙飛燕姉弟、昭陽殿に居る。」とあり、班固《西都賦》には後宮の中での昭陽殿の様子を次のように述べている。

(22)#9(後宮の華麗)―1

後宮則有掖庭椒房,后妃之室。合歡增城,安處常寧。

茞若椒風,披香發越。蘭林蕙草,鴛鸞飛翔之列。

(23)#9―2

昭陽特盛,隆乎孝成。屋不呈材,牆不露形。

裛以藻繡,絡以綸連。隨侯明月。錯落其間。

金釭銜璧,是為列錢。

(24)#9―3

翡翠火齊,流耀含英。懸黎垂棘,夜光在焉。

於是玄墀釦砌,玉階彤庭。

礝磩綵緻,琳蒞青熒。珊瑚碧樹,周阿而生。

(25)#9―4

紅羅颯纚,綺組繽紛。精曜華燭,俯仰如神。

後宮之號,十有四位。窈窕繁華,更盛迭貴。

處乎斯列者,蓋以百數。

後宮には則ち掖庭【えきてい】椒房【しょうぼう】が有り,后妃の室なり。

合歡【ごうかん】增城【ぞうじょう】,安處【あんしょ】常寧【じょうねい】あり。

茞若【しじゃく】椒風【しょうふう】,披香【ひこう】發越【はつえつ】と。

蘭林【らんりん】蕙草【けいそう】,鴛鸞【えんおう】飛翔【ひしょう】と之れ列らる。昭陽 特に盛んにして,孝成に隆にす。

屋は材を呈【あらわ】にせず,牆【かきね】は形を露【あらわ】さず。

裛【つつ】むに藻繡【そうしゅう】以ってし,絡【まと】うに綸連【りんれん】を以ってす。

隨侯の明月あり。其の間に錯落す。

金釭璧【たま】を銜み,是れ列錢【れっせん】と為す。翡翠【ひすい】の火齊【かせい】,耀【かがやき】を流し英【ひかり】を含む。

懸黎【けんれい】垂棘【すいきょく】,夜光在り。

是に於いて玄墀【げんち】釦砌【こうぜい】,玉階彤庭【とうてい】あり。

礝磩【ぜんせき】は綵緻【さいち】にして,琳蒞【りんぴん】は青熒【せいけい】なり。

珊瑚【さんご】碧樹【へきじゅ】,阿を周りて生ず。紅羅 颯纚として,綺組 繽紛たり。

精曜 華燭,俯仰すること神の如し。

後宮の號,十有四位あり。

窈窕 繁華,更に盛んい迭【たが】いに貴し。

斯の列に處【お】る者,蓋し百を以て數う。

班孟堅(班固)《西都賦》(22)#9(後宮の華麗)―1 文選 賦<112―22>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩976 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3428

班孟堅(班固) 《西都賦》(23)#9―2 文選 賦<112―23>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩977 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3433

班孟堅(班固)《西都賦》(24)#9―3 文選 賦<112―24>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩978 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3438

班孟堅(班固) 《西都賦》(25)#9―4 文選 賦<112―25>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩979 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3443

また、李白も《宮中行樂詞,八首之二》で次のように述べている。

柳色黃金嫩,梨花白雪香。玉樓巢翡翠,金殿鎖鴛鴦。

選妓隨雕輦,徵歌出洞房。宮中誰第一,飛燕在昭陽。

柳色黄金にして嫩【やわら】か、梨花白雪にして香し。

玉楼には翡翠巣くい、珠殿には鴛鴦を鎖す。

妓を選んで雕輦に随わしめ、歌を徴して洞房を出でしむ。

宮中 誰か第一なる、飛燕  昭陽に在り。

(君主が言葉を発して、行楽について述べたもの)

柳が嫩い芽をふき出したばかり、柳の色は、黄金のようにかがやき、(しかも見るからにやわらかく玄宗皇帝のようである。)梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっていて(楊太真)、春の盛りで、行楽にはこの上もない季節となる。
絶色の妓優は翡翠や鴛鴦の文彩あるものたちが、玉楼に、それから、珠殿に、居となして、妃嬪となって居並ぶ。
そこで、天子はすぐれた妓優の者をえらばれ、行楽に出遊の際、雕輦のあとについて歩くよう命じられ、また、酒宴に歌手をよびよせて、歌わせるため、洞房にいたものに出て来るよう命じられ、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演する。

しかし、宮中において寵幸第一をほこるものは、昭陽殿にいる趙飛燕こそは、色藝雙絶のお方であり、宮中は、はなやぎ、盛んである。

743年(37)李白355 巻四23-《宮中行樂詞,八首之二》(柳色黃金嫩,) 355Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-37) <李白355> Ⅰ李白詩1695 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7023

 

天行乘玉輦,飛燕與君同。

天子の行幸に際しては、玉輦に乗ぜられ、そして、趙飛燕は、班とは違い、君と輦を同じうして、禮制にそむいた、まことに僭越極まることである。

4 天行乘玉輦 天子の御幸、宮中の御殿への往来に使われる、漢では、閣道、唐では夾城という天子専用道路が設けられていたことをいう。

李白の詩には以下のように使っている。

209卷六4侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌

仗出金宮隨日轉、天回玉輦繞花行。

271巻七上皇西巡南京歌十首 其九

萬國煙花隨玉輦、西來添作錦江春。

816巻二十二37秋夜獨坐懷故山

出陪玉輦行、夸胡新賦作。

929巻二十四40長信宮

天行乘玉輦、飛燕與君同。

 

別有歡處,承恩樂未窮。

下臣たるもの、同輦を辞するということをわきまえることである、それが歓娯のところであったとしても、恩を承くること、未だ十分ならず、決して、楽を窮めないものである。

 

誰憐團扇妾,獨坐怨秋風。

かくて、この身は、秋の扇と棄てられたとしてだれが憐れんでくれるというのか、濁坐して、静心なき西風の凄涼たるを怨む外はないのである。

誰憐團扇妾 秋になって団扇が棄てられるように、用無しになることを班妤は怨歌行》に詠っている。  

怨歌行
新裂齊紈素,皎潔如霜雪。 裁爲合歡扇,團團似明月。
出入君懷袖,動搖微風發。常恐秋節至,涼風奪炎熱。
棄捐篋笥中,恩情中道絶。
(怨歌行)
新たに齊の紈素を裂けば,皎潔にして霜雪の如し。 裁ちて合歡の扇と爲せば,團團として明月に 似たり。
君が懷袖に出入し,動搖すれば微風發す。常に恐らくは秋節の至りて,涼風炎熱を奪ひ。
篋笥の中に棄捐せられ,恩情中道に絶えんことを。

新たらしい斉の国産の白練り絹を裂いている、それは純白、潔白で穢れない清い白さは、霜や雪のようだ。裁断して、両面から張り合わせの扇を作っている。丸くしてまるで満月のようです。
この扇はわが君の胸ふところや袖に出たり入ったりして、搖動かすたびに、そよ風を起していくでしょう。でもいつもこころに恐れていることがあるのは秋の季節が来ることなのです。秋の清々しい風は、わが君の情熱を奪って涼しくしてしまうのです。そうすると、屑籠の中に投げ捨てられてしまうことになります。わが君、帝王の寵愛が途中で絶えてしまうことになるのです。

怨歌行 班婕妤(倢伃) 漢詩<111>玉台新詠集 女性詩547 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1458

同様の趣に
謝玄暉 (謝朓) 『玉階怨』  「夕殿下珠簾,流螢飛復息。長夜縫羅衣,思君此何極。」(夕殿 珠簾を下し,流螢 飛び 復(また) (とま)る。長夜 羅衣を 縫ひ,君を思うこと 此に なんぞ 極(きわ)まらん。)
『金谷聚』 「渠碗送佳人,玉杯邀上客。車馬一東西,別後思今夕。」(渠碗(きょわん) 佳人を 送り,玉杯 上客を 邀(むか)ふ。車馬 一(ひとたび) 東西にせられ,別後 今夕を 思はん。)
李白   『怨情』    「美人捲珠簾,深坐嚬蛾眉。但見涙痕濕,不知心恨誰。」美人 珠簾(しゅれん)を捲き、深く坐して蛾眉を顰(ひそ)む。但(ただ)見る 涙痕の湿(うるおえる)を、知らず 心に誰をか恨む。  
班婕妤 王維
怪來妝閣閉,朝下不相迎。總向春園裏,花間笑語聲。怪しむらくは妝閣【さうかく】の 閉づることを,朝より下りて  相ひ迎へず。總て春園の裏に 向いて,花間 笑語の聲。

李白  紫藤樹
紫藤掛雲木、花蔓宜陽春。
密葉隠歌島、香風留美人。
李白  客中行 
蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。
但使主人能醉客,不知何處是他鄕。

とある。
漢長安城 00 

743年(88)李太白集903巻二十四14懼讒  407Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(88) Ⅰ李白詩1772 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7400

李白  懼讒

二桃殺三士,詎假劍如霜。眾女妒蛾眉,雙花競春芳。

魏姝信鄭袖,掩袂對懷王。一惑巧言子,朱顏成死傷。

行將泣團扇,戚戚愁人腸。

(出る杭は打たれる、両雄並び立たず、など朝廷において、不穏な空気を察知して、作ったもの)

むかし、齊の晏平仲は、計を廻らし、二つの桃の実を以て、三士を殺し、必ずしも、明晃晃として霜に似たる剣を假るにも及ばなかった。屈原は離騒を作り、多くの女どもは、予が蛾眉を妬むといったが、二つの花が春に乗じて、芽を競うときは、ともに両立せず、その間に讒言が行われるのは、必然的の事である。現に、魏國から来た美人は、鄭袖の言を信じ袂を掩うて懐王に対して居たところが、鄭袖は、これを懐王に讒言し、王の臭を聞くを悪むからだといったのである。楚の懐王は、一たび、その巧言に惑わされために、紅顔美しき魏の美人は死傷の憂き目に遇った。こんな話はまだまだあって、君寵を衰うれば、秋の扇の棄てられたと同じき運命に泣く外は無いので、これを聞く人をして、戚然腸を断たしめる。

李太白集巻二十四14

懼  讒

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7400

Index-23-2

743年天寶二年43歳 

94-88

407 <1000

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-88

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    懼讒

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

懼讒

(出る杭は打たれる、両雄並び立たず、など朝廷において、不穏な空気を察知して、作ったもの)

二桃殺三士,詎假劍如霜。

むかし、齊の晏平仲は、計を廻らし、二つの桃の実を以て、三士を殺し、必ずしも、明晃晃として霜に似たる剣を假るにも及ばなかった。

眾女妒蛾眉,雙花競春芳。

屈原は離騒を作り、多くの女どもは、予が蛾眉を妬むといったが、二つの花が春に乗じて、芽を競うときは、ともに両立せず、その間に讒言が行われるのは、必然的の事である。

魏姝信鄭袖,掩袂對懷王。

現に、魏國から来た美人は、鄭袖の言を信じ袂を掩うて懐王に対して居たところが、鄭袖は、これを懐王に讒言し、王の臭を聞くを悪むからだといったのである。

一惑巧言子,朱顏成死傷。

楚の懐王は、一たび、その巧言に惑わされために、紅顔美しき魏の美人は死傷の憂き目に遇った。

行將泣團扇,戚戚愁人腸。

こんな話はまだまだあって、君寵を衰うれば、秋の扇の棄てられたと同じき運命に泣く外は無いので、これを聞く人をして、戚然腸を断たしめる。

 

(讒を懼る)

二桃、三士を殺す、詎ぞ、剣、霜の如きを假らむや。

衆女、蛾眉を妬み、隻花、春芳を競ふ。

魏妹、鄭褒を信じ、袂を掩うて懐王に対す。

一び巧言の子に惑わされ,朱顏 死傷を成す。

行くゆく將に團扇泣かんとす,戚戚として人の腸を愁えしむ。

大明宮の圖003 

 

『懼讒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

懼讒

二桃殺三士,詎假劍如霜。

女妒蛾眉,雙花競春芳。

魏姝信鄭袖,掩袂對懷王。

一惑巧言子,朱顏成死傷。

行將泣團扇,戚戚愁人腸。
詩文(含異文)

二桃殺三士,詎假劍如霜。眾女妒蛾眉,雙花競春芳。魏姝信鄭袖,掩袂對懷王。一惑巧言子,朱顏成死傷【朱顏成損傷】。行將泣團扇,戚戚愁人腸。


(下し文)
(讒を懼る)

二桃、三士を殺す、詎ぞ、剣、霜の如きを假らむや。

衆女、蛾眉を妬み、隻花、春芳を競ふ。

魏妹、鄭褒を信じ、袂を掩うて懐王に対す。

一び巧言の子に惑わされ,朱顏 死傷を成す。

行くゆく將に團扇泣かんとす,戚戚として人の腸を愁えしむ。

(現代語訳)
懼讒(出る杭は打たれる、両雄並び立たず、など朝廷において、不穏な空気を察知して、作ったもの)

むかし、齊の晏平仲は、計を廻らし、二つの桃の実を以て、三士を殺し、必ずしも、明晃晃として霜に似たる剣を假るにも及ばなかった。

屈原は離騒を作り、多くの女どもは、予が蛾眉を妬むといったが、二つの花が春に乗じて、芽を競うときは、ともに両立せず、その間に讒言が行われるのは、必然的の事である。

現に、魏國から来た美人は、鄭袖の言を信じ袂を掩うて懐王に対して居たところが、鄭袖は、これを懐王に讒言し、王の臭を聞くを悪むからだといったのである。

楚の懐王は、一たび、その巧言に惑わされために、紅顔美しき魏の美人は死傷の憂き目に遇った。

こんな話はまだまだあって、君寵を衰うれば、秋の扇の棄てられたと同じき運命に泣く外は無いので、これを聞く人をして、戚然腸を断たしめる。


(訳注)

懼讒

(出る杭は打たれる、両雄並び立たず、など朝廷において、不穏な空気を察知して、作ったもの)

1 懼讒 この詩は、二三の故事を運用し、しかも、融合して、詞意明白なるところが面白い。但し、 極めて簡短で、決して、十分その才思を抒べたものではない。朝廷において李林甫の権勢が増している時期、高力氏の宦官勢力と鍔迫り合いをする中で、李白は苦しい立場にあった。

 

二桃殺三士,詎假劍如霜。

むかし、齊の晏平仲は、計を廻らし、二つの桃の実を以て、三士を殺し、必ずしも、明晃晃として霜に似たる剣を假るにも及ばなかった。

2 二桃殺三士 「二桃もて三士を殺す」「妟子春秋」に見える故事。諸葛亮《梁甫吟》「一朝被讒言、二桃殺三士 それほどの者でも、いったん讒言というものにあうと、妟子の故事「三士に二桃」でいうように、この三士は殺されてしまったではないか。

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

李白《梁甫吟》「世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。齊相殺之費二桃。楚弄兵無劇孟。」(世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。)

・二桃殺三士 春秋時代の斉の景公の部下に、公孫接・田開疆・古冶子という三人の勇士がいた。力が非常に強く、虎をなぐり殺した。ある日、斉の国の大臣である量子(曇嬰)が彼らの前を通りすぎたが、三人は起ち上ろうともしない。妟子は景公にお目通りして言った。「かれらは勇気とカの持主ですが、礼節を知りません。君臣上下の分別がありません。これを放っておくと危険ですから、殺してしまうべきです。」国王は同意したが、三人の勇士を刺殺することのできる者はいない。妟子は一計を案じた。かれは国王の名によって、二つの桃を三人に送りとどけ、各自の能力をくらべあって、能力の大きい者が桃を食わないかと言った。まず公孫接が言うには「按は、第一にいのししを打ち殺し、第二に虎の子をも打ち殺した。この接の能力などは、十分に桃を食うねうちがある。人と同じには見てもろうまい。」桃をつかんで起ち上った。次に田閉彊が言った。「わたしは、武器をとって敵の大軍をしりぞけること二度。この開彊の能力などは、十分に桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。」やはり、桃をつかんで起ち上った。さいごに古冶子が言った。「わたしは、かつて主君に従って黄河をわたったとき、大きなスッポンが三頭立の馬車の左の副馬にくらいつき、黄河の中流に柱のように突立っている砥柱山の流れに引きずりこんだ。この冶は、流れに逆らうこと百歩、流れに順うこと九里、大スッポンをつかまえて殺し、左手で副馬の尾をあやつり、右手にスッポンの頭をひっさげ、おどりあがって岸に出た。人びとがみな、河伯(黄河の神様)だと言うので、この冶がよく見ると、それは大スッポンの首だった。この冶の能力などは、やはり桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。お二方、どうして桃をかさえないのか。」公孫接と田開彊が言った。「われわれの勇はあなたに及ばない。能力もあなたに及ばない。桃を取ってゆずらないのは欲が深い。そして又、死なないのは勇気がない。」二人とも、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。古冶子は言った。「二人が死んだのに、冶がひとり生きているのは不仁である。人に恥をかかせながら、自分だけが誇っているのは、不義である。そうした自分の行為を遺憾に思いながら死なないのは勇気がない。」これまた、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。景公は、三人を鄭重に葬った。

155-#4 《巻02-04 梁甫吟 -#4(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <155-#4> Ⅰ李白詩1358 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5338

3 劍如霜 魏文帝《歌辭》「歐氏寶劍、何為低昂。白如積雪、利若秋霜。」(歐氏寶劍、何ぞ低昂を為さん。白きこと積雪の如く、利たること秋霜の若くなり。)とある

 

眾女妒蛾眉,雙花競春芳。

屈原は離騒を作り、多くの女どもは、予が蛾眉を妬むといったが、二つの花が春に乗じて、芽を競うときは、ともに両立せず、その間に讒言が行われるのは、必然的の事である。

4 眾女妒蛾眉 屈原《離騒》《衆女嫉余之蛾眉兮、謡諑謂余以善淫。」(衆女余の蛾眉を嫉みて、謡諑して余を謂うに善く淫するを以てす。)“衆女は私の美貌を妬んで、私を淫らな者と言いふらした。” に基づく。

 

魏姝信鄭袖,掩袂對懷王。

現に、魏國から来た美人は、鄭袖の言を信じ袂を掩うて懐王に対して居たところが、鄭袖は、これを懐王に讒言し、王の臭を聞くを悪むからだといったのである。

5 魏姝信鄭袖 戦国策にみえる魏王が楚王に美人を送り、楚王はこれを喜んで、寵愛したが、妻の鄭袖は嫉妬して讒言した古辞。

《戰國策: 楚策: 楚四: 魏王遺楚王美人》

魏王遺楚王美人、楚王説之。 夫人鄭袖知王之説新人也、甚愛新人。 衣服玩好、擇其所喜而為之、宮室臥具、擇其所善而為之。 愛之甚於王。 王曰、婦人所以事夫者、色也、而妒者、其情也。 今鄭袖知寡人之説新人也、其愛之甚於寡人、此孝子之所㠯事親、忠臣之所㠯事君也。 鄭袖知王㠯己為不妒也、因謂新人曰、王愛子美矣。 雖然、惡子之鼻。 子為見王、則必揜子鼻。 新人見王、因揜其鼻。 王謂鄭袖曰、夫新人見寡人、則揜其鼻、何也。鄭袖曰、妾知也。 王曰、雖惡必言之。 鄭袖曰、其似惡聞君王之臭也。王曰、悍哉。 令劓之、無使逆命。」(魏王 楚王に美人を遺る。 楚王 之を説ぶ。夫人鄭袖 王の新人を説ぶを知るや、甚だ新人を愛す。 衣服玩好、其の喜ぶ所を擇びて之を為り、宮室臥具、其の善しとする所を擇びて之を為る。 之を愛すること王より甚だし。 曰く、「婦人の夫に事うる所以の者は、色なり、而して妒む者は、其の情なり。 鄭袖は寡人の新人を説ぶを知るや、其の之を愛すること寡人より甚し、此れ孝子の親に事うる所㠯(=以)、忠臣の君に事うる所㠯なり」と。  鄭袖 王の己を㠯て妒まずと為すを知るや、因りて新人に謂いて曰く、「王 子の美を愛す。 然りと雖も、子の鼻を惡む。 王に見ゆるを為さば、則ち必ず子の鼻を揜(=掩)え。」と。 新人 王に見え、因りて其の鼻を揜う。王 鄭袖に謂いて曰く、「夫の新人 寡人を見れば、則ち其の鼻を揜う、何ぞや。」と。鄭袖 曰く、「妾 知れり。」と。王 曰く、「惡と雖も、必ず之を言え。」と。 鄭袖 曰く、「其れ君 王の臭を聞くを惡むに似たり。」と。王 曰く、「悍なる哉。 之を劓(はなき)らしめん、命に逆わ使むる無かれ。」と。

魏王が楚王に美人を遺(おく)った。楚王はこれを説(よろこ)んだ。夫人の鄭袖(ていしゅう)は王が新人の美人を説ぶことを知ると、その新人の美人をたいそう可愛がり、衣服や愛玩の品も、美人の喜ぶものを選んで作ってやり、宮室の寝具も彼女の善しとするものを選んで作った。彼女を可愛がることは王以上であった。王は言った、「婦人が夫に事(つか)える手段は容姿である、とすれば、妒(ねた)むのは常情である。 今、鄭袖は私が新人の美人を説んでいることを知ると、これを可愛がることわたし以上である。 これは孝子が親に事える手段であり、忠臣が君主に事える方法なのだ。」と。鄭袖は、王が己(おのれ=鄭袖)が嫉妬していないと思っている、ということを知ると、さっそく新人の美人に言った、「王はそなたの美貌を愛しているが、そなたの鼻を嫌っている。 そなたがこれから王に会う時は必ず鼻を隠しなさい」と。そこで新人の美人が王に会うとその鼻を隠した。王は鄭袖に言った、「あの新人美人はわたしに会うと鼻を隠すが、なぜであろうか」。鄭袖は言った、「私は知っております」。王は、「都合が悪いことでも必ず言え」と。鄭袖は、「王様の臭いを嗅ぐのを嫌っているようでございます」と言った。王は言った「強情な女だ、鼻切の刑にしてやろう。 命令に逆らわせては(有無を言わせては)いけないぞ」と。

 

一惑巧言子,朱顏成死傷。

楚の懐王は、一たび、その巧言に惑わされために、紅顔美しき魏の美人は死傷の憂き目に遇った。

 

行將泣團扇,戚戚愁人腸。

こんな話はまだまだあって、君寵を衰うれば、秋の扇の棄てられたと同じき運命に泣く外は無いので、これを聞く人をして、戚然腸を断たしめる。

6 行將泣團扇 君寵を衰うれば、秋の扇の棄てられたと同じき運命に泣く外は無いということ。

妤《怨歌行  

新裂齊紈素,皎潔如霜雪。

裁爲合歡扇,團團似明月。

出入君懷袖,動搖微風發。

常恐秋節至,涼風奪炎熱。

棄捐篋笥中,恩情中道絶。

新たに 齊の 紈素を 裂けば,皎潔にして  霜雪の 如し。

裁ちて 合歡の扇と 爲せば,團團として  明月に 似たり。

君が懷袖に  出入し,動搖すれば  微風 發す。

常に恐らくは  秋節の至りて,涼風  炎熱を 奪ひ。

篋笥の中に  棄捐せられ,恩情  中道に 絶えんことを。

新たらしい斉の国産の白練り絹を裂いている、それは純白、潔白で穢れない清い白さは、霜や雪のようだ。

裁断して、両面から張り合わせの扇を作っている。丸くしてまるで満月のようです。

この扇はわが君の胸ふところや袖に出たり入ったりして、搖動かすたびに、そよ風を起していくでしょう。

でもいつもこころに恐れていることがあるのは秋の季節が来ることなのです。秋の清々しい風は、わが君の情熱を奪って涼しくしてしまうのです。

そうすると、屑籠の中に投げ捨てられてしまうことになります。わが君、帝王の寵愛が途中で絶えてしまうことになるのです。

怨歌行 班婕妤(倢伃) 漢詩<111>玉台新詠集 女性詩547 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1458

 

 

 


続きを読む

290-#2 《巻二十四13嘲魯儒》-#2Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳<290-#2> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443

李白   嘲魯儒#2  

緩步從直道,未行先起塵。秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。時事且未達,歸耕汶水濱。
おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

290-#2 《巻二十四13嘲魯儒》-#2Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <290-#2> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443

 

 
 2015年8月12日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
290-#2 《巻二十四13嘲魯儒》-#2Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳<290-#2> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
79-#8 (改訂)《巻0211送靈師》-#8 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1492> Ⅱ【11分割】-#8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6444 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-96杜甫 《2112白帝樓》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-96 <959> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6430 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog8牛希濟《巻0537 生查子一首》『花間集』235全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6447 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    嘲魯儒

作地點:              目前尚無資料

及地點:              汶水 (河南道 兗州 兗州)    

 

 

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯叟談五經,白髮死章句。

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。

足著遠遊履,首戴方山巾。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

#2

緩步從直道,未行先起塵。

おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。

秦家丞相府,不重褒衣人。

秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

君非叔孫通,與我本殊倫。

また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。

時事且未達,歸耕汶水濱。

だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

(嘲魯儒)

#2

緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

 

『嘲魯儒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

緩步從直道,未行先起塵。

秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。

時事且未達,歸耕汶水濱。

(下し文)
緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

(現代語訳)
おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。

秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。

だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

李白の足跡0000
(訳注) #2

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

前の分類中に入らぬ様な者を悉皆集めて、一まとめとし、便宜上、難詠といったのである。

魯儒のものの実務に疎いことをいい、「足著遠遊履、」

 

緩步從直道,未行先起塵。

おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。

 

秦家丞相府,不重褒衣人。

秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

秦家丞相府 李斯をいう、周の制度である封建制を採り入れ、始皇帝の公子達を各地の王として封じるようにと進言した。だが、李斯はそれに猛反対して、周が何故滅んだかの理由を具体的に述べた上、一層強い集権統治である郡県制への移行を説いた。また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

褒衣人 褒衣博帯のひと。大きな裾の服と広い帯のことで儒者の服のこと。また、儒者や学者、文人のこと。「褒衣」は裾の大きい服のこと。

 

君非叔孫通,與我本殊倫。

また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。

叔孫通 (生没年不詳)秦末から前漢初めにかけての儒者。薛(現山東省滕州市)の人。

史記に「漢の高祖、既に天下を并(あは)せ、叔孫通に朝儀を起こさしめ、ここに於て通をして魯諸生三十余人を徴せしむ。」とある。

劉邦は叔孫通を博士とし、稷嗣君の称号を与えた。劉邦が天下を統一し、諸侯が彼を皇帝に奉ると、叔孫通がその儀礼や制度を整えた。

高祖劉邦は秦の法律を廃止して簡易にしたため、大臣たちは朝廷での宴会の際に自分の功績を誇り、酔って叫びだしたり柱に斬りつけるなどという有様で、高祖はこれに悩んでいた。叔孫通は「儒者は進取には役立ちませんが守成には役立ちます。魯の儒者と私の弟子たちに朝廷での儀礼を制定させましょう」と申し出た。高祖が「(礼は自分のような者にとって)難しくないか?」と聞くと、「礼は王朝と共に変わるものです。古の礼と秦の礼を抜粋したいと思います」と答え、高祖は「俺にもできるようにして、難しくするなよ」と言った。

叔孫通は魯の儒者を召しだした。その中に「貴方はこれまで何人もの主に仕え、その都度阿諛追従して地位を得ている。今は天下が統一されたばかりで死者も葬られていないというのに、礼を興そうとしているが、礼というのは百年も徳を積み重ねて初めて出来るものだ。貴方の行いは古には合致しない。私を汚そうとしないでくれ」と拒否する者がいたが、叔孫通は「時勢を知らぬ田舎儒者だ」と笑った。

新たな儀礼を制定し、高祖に見せたところ、「これなら俺にも出来る」と言ったため、臣下にその儀礼を習わせた。高祖7年(紀元前200年)に長楽宮が完成し、諸侯、群臣と朝廷で祝賀会を執り行うと、この儀礼に従って儀式が行われた。諸侯王以下皆高祖を恐れ敬い、儀礼の通りにしない者は御史が強制退去させたため、宴会の際にも礼を失する者はいなかった。高祖は「俺は初めて皇帝の尊さを知ったぞ」と言い、叔孫通を奉常とし金500斤を与えた。叔孫通は「私に従ってきた弟子や儒者たちがこの制度を共に作りましたので、彼らに官位をお与えください」と願ったので、高祖は皆を郎とした。叔孫通は賜った金を儒者たちに分け与え、儒者は「叔孫先生は聖人である。時勢に合ったなすべきことを分かっている」と喜んだ。

 

時事且未達,歸耕汶水濱。

だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

290 《嘲魯儒》-#1Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <290> Ⅰ李白詩1569 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6393

李白  嘲魯儒    魯叟談五經,白髮死章句。問以經濟策,茫如墜煙霧。足著遠遊履,首戴方山巾。
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで捉えていないのである。そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

290 《嘲魯儒》-#1Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <290> Ⅰ李白詩1569 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6393


 
 2015年8月11日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
290 《嘲魯儒》-#1Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <290> Ⅰ李白詩1569 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6393 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
79-#7 (改訂)《巻0211送靈師》-#7 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1491> Ⅱ【11分割】-#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6439 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-95杜甫 《1512白帝城最高樓》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-95 <958> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6425 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog7毛文錫《巻五33巫山一段雲一首》『花間集』234全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6442 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

740年 李白40歳 


 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    嘲魯儒

作地點:              目前尚無資料

及地點:              汶水 (河南道 兗州 兗州)    

 

 

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯叟談五經,白髮死章句。

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。

足著遠遊履,首戴方山巾。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

 

緩步從直道,未行先起塵。

秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。

時事且未達,歸耕汶水濱。

 

(嘲魯儒)

(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

#2

緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

 

『嘲魯儒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

嘲魯儒

魯叟談五經,白髮死章句。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

足著遠遊履,首戴方山巾。

(下し文)
(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

(現代語訳)
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで捉えていないのである。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。



(訳注)

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

前の分類中に入らぬ様な者を悉皆集めて、一まとめとし、便宜上、難詠といったのである。

魯儒のものの実務に疎いことをいい、「足著遠遊履、」

 

魯叟談五經,白髮死章句。

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

○五經 《詩經》、《尚書》、《禮記》、《周易》、《春秋》。四書は《論語》、《孟子》、《大學》、《中庸》を指す。

 

問以經濟策,茫如墜煙霧。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。

 

足著遠遊履,首戴方山巾。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

○遠遊履 曹植《洛神賦》「踐遠遊之文履,曳霧銷之輕裾。」(遠遊の文履を踐み,霧銷の輕裾を曳く。)に基づく。

○方山巾 古儒者所戴的軟帽。一種には方形帽といい,又、方山冠と称す。

 

嘲魯儒

魯叟談五經,白髮死章句。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

足著遠遊履,首戴方山巾。

(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

緩步從直道,未行先起塵。

秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。

時事且未達,歸耕汶水濱。

緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

 

280 《巻二十四26白田馬上聞鶯》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <280> Ⅰ李白詩1558 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6338

李白  白田馬上聞鶯  

黃鸝啄紫椹,五月鳴桑枝。我行不記日,誤作陽春時。

蠶老客未歸,白田已繅絲。驅馬又前去,捫心空自悲。
(馬に乗って楚州寶應縣南門外に在る白田渡を通過するとき、高麗鶯の啼き声が聞えてきて、馬上で作った詩)五月の頃、高麗鶯は桑の枝に上って鳴きつつ、紫に熟した桑の賓を啄んで居る。われは、こうして旅行をしていて、何日とも記憶せず、この高麗鶯の聲に因り、陽春三月の頃と間違って思ってしまった。今しも、蚕は既に老いて、繭を作るに際し、われは、客中に在って、未だ歸らず、白田の村里に於いては、早くも、繭を煮て、糸を繰って居る。そこで、馬を駆って、又、進んで行こうとするのであるが、安陸に残した妻を思い胸を撫でて、空しく自ら悲しむばかりである。

280 《巻二十四26白田馬上聞鶯》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <280> Ⅰ李白詩1558 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6338

 
 2015年7月23日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
280 《巻二十四26白田馬上聞鶯》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <280> Ⅰ李白詩1558 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6338 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
76-#21 《八讀巻六11 祭十二郎文》-#21-§6-3 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1472> Ⅱ【21分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6344 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-79杜甫 《1716西閣,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-79 <942> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6345 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog7毛文錫《巻五14贊浦子一首》『花間集』215全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6347 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

 

年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    白田馬上聞鶯

作地點:              白田(淮南道楚州安宜)

及地點:              白田(淮南道楚州安宜)

 

 

白田馬上聞鶯

(馬に乗って楚州寶應縣南門外に在る白田渡を通過するとき、高麗鶯の啼き声が聞えてきて、馬上で作った詩)

黃鸝啄紫椹,五月鳴桑枝。

五月の頃、高麗鶯は桑の枝に上って鳴きつつ、紫に熟した桑の賓を啄んで居る。

我行不記日,誤作陽春時。

われは、こうして旅行をしていて、何日とも記憶せず、この高麗鶯の聲に因り、陽春三月の頃と間違って思ってしまった。

蠶老客未歸,白田已絲。

今しも、蚕は既に老いて、繭を作るに際し、われは、客中に在って、未だ歸らず、白田の村里に於いては、早くも、繭を煮て、糸を繰って居る。

驅馬又前去,捫心空自悲。

そこで、馬を駆って、又、進んで行こうとするのであるが、安陸に残した妻を思い胸を撫でて、空しく自ら悲しむばかりである。

(白田、馬上、鶯を聞く)

黃鶴、紫椹を啄み、五月、桑枝に鳴く。

我が行、日を記せす、誤って、陽春の時と作す。

蠶老いて、客、未だ歸らず、白田すでに絲を繅る。

馬を駆って又前み去る、心を椚でて、空しく自ら悲む。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

唐時代 地図615 長江下流域 

『白田馬上聞鶯』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白田馬上聞鶯

黃鸝啄紫椹,五月鳴桑枝。

我行不記日,誤作陽春時。

蠶老客未歸,白田已繅絲。

驅馬又前去,捫心空自悲。

(下し文)
(白田、馬上、鶯を聞く)

黃鶴、紫椹を啄み、五月、桑枝に鳴く。

我が行、日を記せす、誤って、陽春の時と作す。

蠶老いて、客、未だ歸らず、白田すでに絲を繅る。

馬を駆って又前み去る、心を椚でて、空しく自ら悲む。

(現代語訳)
(馬に乗って楚州寶應縣南門外に在る白田渡を通過するとき、高麗鶯の啼き声が聞えてきて、馬上で作った詩)

五月の頃、高麗鶯は桑の枝に上って鳴きつつ、紫に熟した桑の賓を啄んで居る。

われは、こうして旅行をしていて、何日とも記憶せず、この高麗鶯の聲に因り、陽春三月の頃と間違って思ってしまった。

今しも、蚕は既に老いて、繭を作るに際し、われは、客中に在って、未だ歸らず、白田の村里に於いては、早くも、繭を煮て、糸を繰って居る。

そこで、馬を駆って、又、進んで行こうとするのであるが、安陸に残した妻を思い胸を撫でて、空しく自ら悲しむばかりである。

楚州0015
(訳注)

白田馬上聞鶯

(馬に乗って楚州寶應縣南門外に在る白田渡を通過するとき、高麗鶯の啼き声が聞えてきて、馬上で作った詩)

白田 淮南道楚州寶應縣の白田渡のこと。白田渡は寶應縣南門外に在った。

李白 《0804贈徐安宜》「白田見楚老,歌詠徐安宜。製錦不擇地,操刀良在茲。」(白田に 楚老を見る,歌詠す 徐安宜。錦を製して 地を擇ばず,刀を操って 良に茲に在り。)“楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

【解説】前半は、題意の正面。後半は、蚕が老いたら、或は糸を繰ったりして居ることを言い、因って、旅愁に入ったのである。嚴滄浪は「情事能く達す、必ずしも深く求めず」といい、乾隆御批には「曲にして直あるの体、深く楽府の意を得たり」とある。

 

黃鸝啄紫椹,五月鳴桑枝。

五月の頃、高麗鶯は桑の枝に上って鳴きつつ、紫に熟した桑の賓を啄んで居る。

○黃鸝 高麗鶯、黄鳥。スズメ目コウライウグイス科の鳥。全長約25センチメートル。全体が黄色で,目から後頭部にかけて黒色帯があり美しい。シベリア・中国・朝鮮などに生息し,日本へはまれに渡来する。鳴き声がよいのでこの名があるが,ウグイスとは別種。朝鮮ウグイス。(おうちよう)。

○紫椹 クワの実。春に開花する。雄花は茎の先端から房状に垂れ下がり、雌花は枝の基部の方につく。果実は初夏に熟す。キイチゴのような、柔らかい粒が集まった形で、やや長くなる。熟すと赤黒くなり、甘くて美味しい。落葉性の高木で、大きいものは15mに達するが、普段見かけるのは数m程度のものが多い。桑は、樹皮は灰色を帯びる。葉は薄く、つやのある黄緑色で、縁にはあらい鋸歯がある。大きい木では、葉の形はハート形に近い楕円形だが、若い木では、葉にあらい切れ込みが入る場合がある。

 

我行不記日,誤作陽春時。

われは、こうして旅行をしていて、何日とも記憶せず、この高麗鶯の聲に因り、陽春三月の頃と間違って思ってしまった。

 

蠶老客未歸,白田已繅絲。

今しも、蚕は既に老いて、繭を作るに際し、われは、客中に在って、未だ歸らず、白田の村里に於いては、早くも、繭を煮て、糸を繰って居る。

○蠶老 《埤雅》「蠶足於葉三俯三起,二十七日而蠶已老」(蠶 葉に足れば、三俯三起,二十七日にして、蠶 已に老ゆ。)とある。カイコはチョウ目・カイコガ科に属する昆虫の一種。正式和名はカイコガで、カイコは本来この幼虫の名称だが、一般的にはこの種全般をも指す。クワを食餌とし、絹を産生して蛹の繭を作る。桑の葉、クワのみ、蚕は古代女性がしなければいけない職業で、折った反物が租税となっていた。律令制の唐代の均田法下の税法があり、給田を受けた丁男(2159歳)に課したもので、租は粟(あわ)2石、庸は年20日(閏年は22日)の労役、または代納として1日当たり絹3尺、調は絹2丈と綿3両、または布2.5丈と麻3斤。

古代女性の労働の中で、機織りは最も生産性の高い蜀主であった、その他、田植えとか脱穀、食料採取、調理はもちろん、酒づくり、土器づくり、も女の仕事であった。

 

 

驅馬又前去,捫心空自悲。

そこで、馬を駆って、又、進んで行こうとするのであるが、安陸に残した妻を思い胸を撫でて、空しく自ら悲しむばかりである。

○捫心 むねをなでる。高麗鶯のなきごえ、紫椹,桑枝、これらは妻を思い起こす語であり、安陸に残した妻を思い胸を撫でたという意味。

 

 

一農家の女性

 

「男耕女織」、これは中国古代の標準的な農家の生活風景である。唐代の農民は官府に租税を納める外に、なお調として絹、綾、布、綿などを納めねはならず、これらの任務はみな女性たちが担わされていた。少数の豪紳地主の家の女性を除いて、大多数の農家の女性は、その生涯のすべてを養蚕や紡織の仕事に投じた。社会全体の「衣と食」という二つの大仕事は、彼女たちがその半分を担ったのであるが、それと同時に彼女たちは精美な織物を大量に作って古代文明に貢献したのである。

「夫は田中の郎、妾は田中の女。当年君に嫁し得て、君の為に機杼を秉る。筋力は日に巳に疲るるも、窓下の機を息めず。如何せん紈素を織るに、自らは襤褸の衣を著くるを」(孟郊「織婦辞」)。これが一般の農家の女性たちの労働と生活の状況であった。

春が来るとすぐに彼女たちは明ければ桑の葉を摘み、蚕を飼うことに暮れるまでするようになる。

「暁夕桑を採んで苦辛多く、好花の時節も不閑身」(来鵠「蚕婦」)。

「桑林植黒く蚕は再び眠り、婦姑は桑を採んで田に向かわず」(張籍「江村行」)。彼女たちは天の神様に御加護を祈る、どうか繭がたくさん取れますようにと。

「但だ青天を得て雨下らず、上に蒼蝿無く下に鼠無からんことを。新婦は族を拝して繭巌がるを願い…。三日配か開けば割く酢邸先ず新たな繭を群で県官に送る。田に聞く郷里にては織作を催すと、去きて誰人の身上に著けられん」(王建「族蚕辞」)。

 

女たちは養蚕の収穫が悪いと悲しんで涙を流す。

「春風は蚕を吹き細きこと蟻の如く、桑の芽は挽く青鵜の嘆を努す。侵農に探り来るは誰が家の女、手に長き条を挽きつつ涙は雨の如し。……愁い聴く門外に里背の催すを、官家は二月に新しき糸を収む」(唐彦謙「桑を採る女」)。

桑摘みと養蚕で多忙を極めているのに、官府は納税を迫るので、女たちは夜を日に継いで手足を休めず横を織らねばならない。

「妾が家は豪門に非ざるに、官賦は日に相い追う。槙を鳴らして夜より暁に達するも、猶お時に及ぼざらんことを恐る」(司馬札「蚕女」)。

「貧家の女は富家の為に織り、……水は寒く手は渋み糸は脆くも断つ、続来続去 心腸は欄る。芋虫は促促と横の下にて噂き、両日 催して一匹半を成す。官に輸むれば上頭に零落有りと、姑は未だ衣を得ず 身も著けざるに」(王建「当窓の織」)。

蚕桑、紡織の他に、さらに彼女たちは山菜や野の果実を採ったり、薪を集めたり、米を掩いたりする重労働にも従事した。夜が更けても、村の女はまだ仕事を続けている。

「田家 秋作に苦しみ、鄭女 夜 番くに寒し」(李白「五松山下の苛姐の家に宿す」)。

白髪の老婆は、朝早くから夜遅くまで橡の実を拾って家人の食糧にする。

「侭侮った黄髪の姐 之(橡の実)を拾って農霜を踏む。時を移して(しばらくして)始めて掬に盈ち、日を尽して方て筐に満てり。幾びか曝し復た幾びか蒸し、用て三冬糧(冬三カ月の食糧)と作す」(皮目休「橡姐の嘆」)。

租税を納めると生活できない貧家の女たちは、ただ麦の落穂を拾って飢えをしのぐしかなかった。

「復た貧しき婦人有り、子を抱きて共の傍らに在り。右の手にて遺ちた穂を乗り、左の常には徹れたる筐を懸く……。家も田も税を輸めて尽き、此を拾いて飢えたる腸を充たす」(自居易「麦を刈るを観る」)。

また、ある貧苦の農婦は日傭いに出ねはならなかった。

「貧窮せる田舎の漠、……妻は即ち春梅に客わる」

「黄昏 家裏に到れば、米無く復た柴無し」(楊公磯『唐代民歌考釈及変文考論』第八簾、書林人民出版社、完六二年)。

山村の女の多くは柴を軟り、それを売って生活した。彼女たちは、

「乱蓬を贅となし布を巾と為し、暁に寒山を踏んで自ら薪を負う」(白居易「薪を売る女に代って諸妓に贈る」)。

大部分の女はすでに四、五十歳、頭髪は半ば白くなっているが、なお

「十に猶お八九は薪を負うて帰り、薪を売り銭を得て供給に当つ」。

彼女たちの生活はきわめで幸いものであり、心は悲しみと苦しみに満ちていた。

「面を救い首を飾るも噂の痕を雑じえ、地は編く衣は寒く石根に苦しむ」(杜甫「負薪行」)。

苛酷な労働、困難な生活は、彼女たちの青春の血と汗を消耗し尽くし、衣服はぼろぼろ、顔はやつれはてた。

「粉色は全く無く飢色加わる、山豆に人世に栄華有るを知らんや。年年 我に這う 蚕は辛苦なりと、底事ぞ 浮身に苧麻を着くるは」(杜荀鶴「蚕婦」)。

猛暑と風霜の苦しみをいやというほど味わったので、彼女たちの顔は黒く髪は赤茶けた。一年中あくせく働いたので、化粧を顧みることもできなかった。詩人によって描写された、ある里帰りの農婦の姿は次のように粗末なものであった。

「二升の酸館をば瓦瓶に盛り、姑婦に請い得たり十日の程。赤黒く眉を画き水に臨んで(水に顔を映して)笑い、草鞋もて脚を竜み風を逐って行く。黄ばめる糸のごとき髪は乱れて琉棟は繁く、青き符の裾は高く種掠は軽し」(種掠は意味不詳。張砧「戯れに村婦に贈る」)。

彼女たちは決して生れつき粗野で醜かったわけではない。ほかならぬ辛く苦労多い生活が早々と彼女たちの青春の輝きを奪い去ったのである。
 

250(改訂版Ver.2.1) 《巻24- 贈內》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <250> Ⅰ李白詩1507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6083

李白  贈  

三百六十日,日日醉如泥。

雖為李白婦,何異太常妻。

(詩を妻に贈る。)

われ李白は、酒が好きであって、一年三百六十日、日として酔わぬことはなく、酔えば泥のごとく如く、まことにたわいもない態である。汝は名こそ李白の妻といふものの、太常の妻と区別なく、なんといっても気の毒なことだということだとは思っている。

250(改訂版Ver.2.1) 《巻24- 贈Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <250> Ⅰ李白詩1507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6083

 

 
 2015年6月1日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
250(改訂版Ver.2.1) 《巻24- 贈內》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <250> Ⅰ李白詩1507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6083 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
72-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-19 苦寒 #1》 (四時各平分,) 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1420> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6084 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6085 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四12菩薩蠻七首 其二》『花間集』163全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6087 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一八四              文體:    五言

詩題:   

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

(改訂版Ver.2.1)


(詩を妻に贈る。)

三百六十日,日日醉如泥。

われ李白は、酒が好きであって、一年三百六十日、日として酔わぬことはなく、酔えば泥のごとく如く、まことにたわいもない態である。

雖為李白婦,何異太常妻。

むかし、後漢の周澤は、太常となり、一年三百五十九日は齋で、冥府を近づけず、たった一日、齋【ものいみ】せぬことがあっても、其の時は酔って泥の如くであったというが、汝は名こそ李白の妻といふものの、太常の妻と区別なく、なんといっても気の毒なことだということだとは思っている。

 

(内に 贈る)

三百 六十日,日日  醉いて 泥の如し。

李白の婦 爲りと 雖も,何ぞ 太常の妻に 異ならん。

 

 

(改訂版Ver.2.1)

『贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)


三百六十日,日日醉如泥。

雖為李白婦,何異太常妻。

(下し文)
内に 贈る

三百 六十日,日日  醉いて 泥の如し。

李白の婦 爲りと 雖も,何ぞ 太常の妻に 異ならん。

(現代語訳)
(詩を妻に贈る。)

われ李白は、酒が好きであって、一年三百六十日、日として酔わぬことはなく、酔えば泥のごとく如く、まことにたわいもない態である。

むかし、後漢の周澤は、太常となり、一年三百五十九日は齋で、冥府を近づけず、たった一日、齋【ものいみ】せぬことがあっても、其の時は酔って泥の如くであったというが、汝は名こそ李白の妻といふものの、太常の妻と区別なく、なんといっても気の毒なことだということだとは思っている。


(訳注) (改訂版Ver.2.1)

贈内

(詩を妻に贈る。)

李白は妻に贈った詩をいくつか残している。これはそのなかでも特に有名なもの。ただ書かれた時期や、どの妻なのかは、正確にはわかっていない。また、酔っぱらって帰ってきて、奥さんに叱られた時の誤魔化しの雰囲気を漂わせた作品という解釈もあるが、実際そんなことをするだろうか。


三百六十日,日日醉如泥。

われ李白は、酒が好きであって、一年三百六十日、日として酔わぬことはなく、酔えば泥のごとく如く、まことにたわいもない態である。

日日 毎日。 

醉如泥 ひどく酒に酔う。泥のように酔う。

 

雖爲李白婦,何異太常妻。

むかし、後漢の周澤は、太常となり、一年三百五十九日は齋で、冥府を近づけず、たった一日、齋【ものいみ】せぬことがあっても、其の時は酔って泥の如くであったというが、汝は名こそ李白の妻といふものの、太常の妻と区別なく、なんといっても気の毒なことだということだとは思っている。

○この二句 李白の嫁とはいっても、一体どこが(漢の周澤)太常の妻と異なろうか。 ・雖:…とはいっても。…といえども。 ・爲:…である。 ・婦:嫁。妻。・何:なんぞ。反語。疑問。 

○太常 卿の一。礼儀、祭祀を掌る官(『後漢書・百官』)。大常は身を清め命令通りに誠心誠意祭祀を執り行っていた。周沢はしばしば病気になり、斎宮に病臥していたが、妻は周沢の持病を心配し、病状をうかがい尋ねて来た。しかし、夫の周沢は、妻が斎戒の禁を犯したと大いに怒り、妻を監獄に送って謝罪した。世間の人は、その行為をきわどいことだと考えて、次のように語りあっていた。「今の世に調和しないことがある,太常は妻をめとった。一三百六十日であるが,三百五十九日に齋しい、というのもその一日、泥酔したようなもので許さないというのだ。」

《後漢書.儒林傳》:後漢周澤太常,虔敬宗廟,常臥疾齋宮,其妻哀其老病,窺問疾苦。澤大怒,以妻干犯齋禁,收送詔獄,時人譏之曰「生世不諧,作太常妻。一三百六十日,三百五十九日齋、一日不齋酔如泥。」

「周澤、太常となり、清潔循行、敬を宗廟に盡す、かつて、病に齋官に臥す、その妻、澤の老病む哀んで、苦しむところ私闘い問う。澤、大に怒り、妻が齋禁を干犯ぜしを以て、遂に収めて詔獄に送って、罪を謝す、常世、その詭激を疑ふ。時人、これが語を為して日く、生世不、作大常妻、一歳三百六十日、二百五十九日、一日不齋酔如泥」とある。

・齋【ものいみ 神道で、ものいみ(潔斎)をして神に仕えること。また、その人 (神道); 斎: 断食と食物品目の制限。食事のみならず行動も律し、祈りを増やす事が求められる。ここでは、太常の周澤にたいする齋をいう。

 

(内に 贈る)

三百 六十日,日日  醉いて 泥の如し。

李白の婦 爲りと 雖も,何ぞ 太常の妻に 異ならん。

206 《(改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <206> Ⅰ李白詩1437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5733

李白《(改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)(春の夜に洛陽の街で「折楊柳」の笛曲を奏でるのをきく。)この夜、流れてくる数曲中に、別れの曲「折楊柳」の曲が聞こえてきたけれど、誰が故郷を思う気持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまうのは自分一人だけではないだろう。

 

 
 2015年3月23日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
206 《(改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <206> Ⅰ李白詩1437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5733 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
50-#3 〔《上張僕射書》-#3〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1350> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5734韓愈詩-50-#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#6奉節-35-#6 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -6》 杜甫index-15 杜甫<907-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5735 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-29韋荘107《巻3-07 河傳三首 其三》三巻7-〈107〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5737 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩花間集(6)花間集(7)花間集(8)花間集(9)花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

206 (改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <206> Ⅰ李白詩1437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5733

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一八四              文體:    七言

詩題:    春夜洛城聞笛

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

及地點:             

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下      

 

 

春夜洛城聞笛

(春の夜に洛陽の街で「折楊柳」の笛曲を奏でるのをきく。)
誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。

誰が家で笛を吹いているのかしらないが、宵闇に玉笛の聲だけが聞こえてくるが、嚠喨の音は、飄散して春風に乗って洛陽城中にひびきわたった。
此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。

この夜、流れてくる数曲中に、別れの曲「折楊柳」の曲が聞こえてきたけれど、誰が故郷を思う気持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまうのは自分一人だけではないだろう。

 

(春夜 洛城に 笛を聞く) 
誰が家の玉笛か  暗に 聲を飛ばす,散じて 春風に 入って 洛城に 滿つ。
此の夜 曲中  「折柳」を聞く,何人か 故園の情を 起こさざらん

touRAKUYOjou1000 

 

『春夜洛城聞笛』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

春夜洛城聞笛

誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。

此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。


(下し文)
(春夜 洛城に 笛を聞く) 

誰が家の玉笛か  暗に 聲を飛ばす,散じて 春風に入って 洛城に 滿つ。

此の夜 曲中  「折柳」を聞く,何人か 故園の情を 起こさざらん。

(現代語訳)

(春の夜に洛陽の街で「折楊柳」の笛曲を奏でるのをきく。)
誰が家で笛を吹いているのかしらないが、宵闇に玉笛の聲だけが聞こえてくるが、嚠喨の音は、飄散して春風に乗って洛陽城中にひびきわたった。
この夜、流れてくる数曲中に、別れの曲「折楊柳」の曲が聞こえてきたけれど、誰が故郷を思う気持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまうのは自分一人だけではないだろう。


(訳注)

七言絶句 春夜洛城聞笛

(春の夜に洛陽の街で「折楊柳」の笛曲を奏でるのをきく。)
同様のモチーフのものに、王翰の『涼州詞』「秦中花鳥已應闌,塞外風沙猶自寒。夜聽胡笳折楊柳,敎人意氣憶長安。」や、王昌齢 『出塞』「秦時明月漢時關、萬里長征人未還。但使龍城飛將在、不敎胡馬渡陰山。」がある。漢文委員会総合サイト漢文委員会 漢詩総合サイト 辺塞/塞下/塞上/涼州にある。

洛陽 函谷関 嵩山005漢魏隋唐の洛陽城 

誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。
誰が家で笛を吹いているのかしらないが、宵闇に玉笛の聲だけが聞こえてくるが、嚠喨の音は、飄散して春風に乗って洛陽城中にひびきわたった。
・誰家:どこ。だれ。 *かならずしも「だれの家」と、住処を尋ねていない。 

・玉笛:宝玉でできた笛。立派な笛。 ・暗:暗闇に。宵闇に。或いは、密やかに。 

・飛聲:笛の音を飛ばす。笛の音を流す。 ・聲:ひびき。おと。ふし。

・散入:散らばって(春風に)乗って。 

・洛城:洛陽城。東都洛陽の都。洛陽の街。 

・城:都市。城市。都会。街。

 

此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。

この夜、流れてくる数曲中に、別れの曲「折楊柳」の曲が聞こえてきたけれど、誰が故郷を思う気持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまうのは自分一人だけではないだろう。

・曲中:玉笛の聲裏ということ。 

・折柳:折楊柳のこと。横吹曲の一。別れの情をうたった曲名。別離の折り、水の畔まで見送り、柳の枝を折って贈った故事に基づくもの。前出、『涼州詞』「夜聽胡笳折楊柳,敎人意氣憶長安。」の影響を受けていよう。

・何人不起:誰が起こさないだろうか。いや、起こす。(反語反問の気勢の語形。) ・何人:〔なんびと〕誰。 ・不起:起こさない。 

・故園情:故郷を思う気持ち。郷愁。・故園:故郷。 ・情:想い。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

 


春夜洛城聞笛

誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。
此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。

(春夜 洛城に 笛を聞く) 
誰が家の玉笛か  暗に 聲を飛ばす,散じて 春風に 入って 洛城に 滿つ。
此の夜 曲中  「折柳」を聞く,何人か 故園の情を 起こさざらん

 

 

李白 32歳 

 

杜甫 《秋笛》

清商欲盡奏,奏苦血沾衣。

他日傷心極,徵人白骨歸。

相逢恐恨過,故作發聲微。

不見秋雲動,悲風稍稍飛。

(秋笛)

清商 奏を盡さんと欲す,奏苦して血 衣を沾す。

他日 傷心 極り,徵人 白骨 歸る。

相逢いて恨過を恐れ,故に聲微を發するを作す。

秋雲の動きを見えず,悲風 稍稍として飛ぶ。

秦州抒情詩(19) 秋笛 杜甫 <304> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1379 杜甫詩 700- 424

 

 

杜甫 《1712 吹笛》

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

 

(吹笛)

笛を吹く秋山の風月の清きに,誰が家か 巧に斷腸の聲を作す。

風は律呂を飄して相い和すること切に,月は關山に傍うて幾處か 明なる。

胡騎 中宵に北走するに堪へたり,武陵 一曲 南征を想う。

故園の楊柳は 今 搖落す,何ぞ 愁中に 曲 盡く生ずることを得んや。

205 -#2 《巻24-1題隨州紫陽先生壁 -#2》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <205 -#2> Ⅰ李白詩1436 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5728

李白《巻24-1題隨州紫陽先生壁 -#2》 我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。

 

 
 2015年3月22日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
205 -#2 《巻24-1題隨州紫陽先生壁 -#2》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <205 -#2> Ⅰ李白詩1436 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5728 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
50-#2 〔《上張僕射書》-#2〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1349> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5729韓愈詩-50-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#5奉節-35-#5 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -5》 杜甫index-15 杜甫<907-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5730 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-28韋荘106《巻3-06 河傳三首 其二》三巻6-〈106〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5732 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩花間集(6)花間集(7)花間集(8)花間集(9)花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 


205 -#2 《巻24-1題隨州紫陽先生壁 -#2Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <205 -#2> Ⅰ李白詩1436 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5728

 

 

李白は少年時代、四川省にいた頃、処士東巌子といい者と岷山(ビンザン)に隠棲していたことがある。東巌子の素姓は不明だが、彼等の生活が十二分に道教的な色彩を帯びたものであったことは否めない。李白は20代後半から30代にかけ、しばしば隋州(湖北省)の胡紫陽の許に赴いた。胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。

 「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に飡霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝籙をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」

 と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

 

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

 

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:  卷一八四  李太白集 巻24 1首目     文體:  五言古詩

詩題:  題隨州紫陽先生壁

作地點:        隨州(山南東道 / 隨州 / 隨州)

及地點:隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東     

交遊人物:胡紫陽 →當地交遊(山南東道隨州 隨州)

 

 

題隨州紫陽先生壁

(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

神農好長生,風俗久已成。

三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。

復聞紫陽客,早署丹臺名。

ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。

喘息餐妙氣,步虛吟真聲。

そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。

道與古仙合,心將元化并。

その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。

 

樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。

先生の住まいの楼は、滄海の蓬莱山から出現したかのように疑われる様なものであり、そこにいる鶴は天上の白玉京へ飛んでゆくかのようである。

松雪窗外曉,池水階下明。

窓の外に夜が開けてくれば、松に雪を載せる景色になり、階下が明るくなっても池水は緑を湛えている。

忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。

我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。

終願惠金液,提攜凌太清。

ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。

 

(隨州紫陽先生の壁に題す)

神農 長生を好み,風俗 久しく已に成る。

復た聞く紫陽の客,早くす 丹臺の名をする署を。

喘息 妙氣を餐し,步虛 真聲を吟ず。

道は古仙と合し,心は將って元化と并【あわ】す。

 

樓は蓬海を出づるかと疑い,鶴は玉京に飛ぶに似たり。

松雪 窗外に曉け,池水 階下に明かなり。

忽ち笙歌の樂に耽り,頗る軒冕の情を失う。

終に願う 金液に惠まれ,提攜して 太清を凌がんことを。

 

李白の足跡0000 

『題隨州紫陽先生壁』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。

松雪窗外曉,池水階下明。

忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。

終願惠金液,提攜凌太清。


(下し文)
樓は蓬海を出づるかと疑い,鶴は玉京に飛ぶに似たり。

松雪 窗外に曉け,池水 階下に明かなり。

忽ち笙歌の樂に耽り,頗る軒冕の情を失う。

終に願う 金液に惠まれ,提攜して 太清を凌がんことを。


(現代語訳)
先生の住まいの楼は、滄海の蓬莱山から出現したかのように疑われる様なものであり、そこにいる鶴は天上の白玉京へ飛んでゆくかのようである。

窓の外に夜が開けてくれば、松に雪を載せる景色になり、階下が明るくなっても池水は緑を湛えている。

我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。

ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。

 


(訳注)

題隨州紫陽先生壁

(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

 

樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。

先生の住まいの楼は、滄海の蓬莱山から出現したかのように疑われる様なものであり、そこにいる鶴は天上の白玉京へ飛んでゆくかのようである。

蓬海 滄海の蓬莱山。神仙三山の一つ。

玉京 天上の仙郷、白玉京のこと。一統志「玉京洞在赤城山、道書十大洞天之第六、晉許邁嘗居此、與王羲之書雲、自山陰至臨海、多有金庭玉堂仙人芝草。謂此、庾信詩玉京傳相鶴、太乙授飛龜.(玉京洞は赤城山に在り、道書十大洞天の第六、晉の許邁 嘗て此に居る、王羲に與うるの書に雲う、山陰より臨海に至り、多く金庭玉堂仙人芝草有り。此を謂う、庾信の詩「玉京 相鶴を傳え、太乙 飛龜を授く.

 

松雪窗外曉,池水階下明。

窓の外に夜が開けてくれば、松に雪を載せる景色になり、階下が明るくなっても池水は緑を湛えている。

 

忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。

我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。

笙歌樂 天上の音楽。鶴に乗って昇天する。笙に合わせて歌うこと。また、その歌。周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。

軒冕 1 古代中国で、大夫(たいふ)以上の人の乗る車と、かぶる冠。2 高位高官。また、その人。

 

終願惠金液,提攜凌太清。

ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。

金液 中国古代の神仙思想より発展した道教の長生術の一部をなす。広義の煉丹術は外丹と内丹に分かれるが、学術的文脈においては煉丹術といえば一般に「外丹」のほうを指す。外丹においては丹砂(硫化水銀)を主原料とする「神丹」「金丹」「大丹」「還丹」などと称される丹薬や、金を液状にした「金液」が服用された。このようなものは実際のところ人体に有害であり[1][2]、唐の皇帝が何人も丹薬の害によって命を落としたことが『旧唐書』『新唐書』に記されている[3]。事実として実際に煉丹に成功したことがあったか否かは定かではないが、外丹術は不老不死の薬を作るという本来の目的では完全な失敗に終わった。このため、不老長生のために外的な物質を求める外丹術の代わりに、不老不死の素となるものを体内に求める思想が興り、これが内丹の考えにつながっていく[4]。その一方で外丹術は中国の医薬学・本草学の発展に寄与し、間接的には中国の化学技術の発展にも貢献した(たとえば火薬の発明は煉丹術の副産物とされる)[5]

太清 道教における天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住し、この三天のことも「三清」と呼ぶ。道観(道教寺院)にはしばしば「三清殿」と称する三清を祀る建物がある。

 

 

 

 

漢東紫陽先生碑銘

 

  嗚呼紫陽,竟夭其志以默化,不昭然白日而升九天乎!或將潛賓皇王,非世所測,□□□□□□□□□□□挺列仙明拔之英姿,明堂平白,長耳廣顙,揮手振骨,百關有聲,殊毛秀采,居然逸異,□□□□□□□□□□而直達。何龜鶴早世,蟪蛄延秋,元命乎,遭命乎!予長息三日,懵于變化之理。

 

  先生姓胡氏□□□□□□族也。代業黃老,門清儒素,皆龍世網,鴻冥高云。但貴天爵,何征閥始八經仙城山,□□□□□□□□□□□有清都紫微之遐想。出家,十二休糧,二十游衡山,云游洞府,水涉冥壑。神王□□□□□□□□如為威儀及天下采經使,因遇諸真人受赤丹陽精,石景水母,故常吸飛根,吞日魂,密而修之,□□□□□□所居苦竹院,置餐霞之樓,手植雙桂,棲遲其下。聞金陵之墟,道始盛于三茅,波乎四許,華陽□□□□□□□陶隱居傳升元子,升元子傳體元,體元傳貞一先生,貞一先生傳天師李含光,李含光合契乎紫陽。□□□□□于神家之里,南抵朱陵,北越白水,稟訓門下者三千余人。鄰近牧守,移風門道,忽遇先生之宴坐,□□□□□隱機雁行而前。為時見重,多此類也。

 

  天寶初,威儀元丹丘道門龍鳳,厚禮致屈,傳于嵩山。東京大唐□□宮,三請固辭偃臥未幾而詔書下現,不得已而行。入宮一革軌儀,大變都邑,然海鳥愁臧文之享,猿狙裂周公之衣,志往跡留,稱疾辭帝。克期離闕,臨別自祭。其文曰:神將厭予,予非厭世。乃顧命侄道士胡齊物具平輿,歸骨舊土。王公卿士,送及龍門,入葉縣,次王喬之祠,目若有睹,泊然而化,天香引道,尸輕空衣。及本郡太守裴公以幡花郊迎,舉郭雷動,□□□□開顏如生,觀者日萬,群議駭俗。至其年十月二十三日,葬于郭東之新松山,春秋六十有二。

 

  先生含弘光大,不修小節,書不盡妙。郁有崩云之勢;文非夙工,時動雕龍之作。存也宇宙而無光,歿也浪化而蟬蛻,豈□□□□□□□□乎!有僧貞倩雅仗才氣,請予為銘。予與紫陽神交,餐素論,十得其九。弟子元丹丘等咸思鸞鳳之羽儀,想珠玉之云氣。灑掃松月,載揚仙風。篆石頌德,與茲山不朽。其詞曰:

 

  賢哉仙士,六十而化。光光紫陽,善與時而為龍蛇,固亦以生死為晝夜。有力者挈之而趨。劫運落,終歸于無。惟元神不滅,湛然清都。延陵既沒,仲尼嗚呼。青青松柏,離離山隅。篆石頌德,名揚八區。

李白 32歳 

205 -#1 《巻24-1題隨州紫陽先生壁 -#1 (神農好長生)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <205 -#1> Ⅰ李白詩1435 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5723

李白《巻24-1題隨州紫陽先生壁 -#1 (神農好長生)(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。

 

 
 2015年3月21日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
205 -#1 《巻24-1題隨州紫陽先生壁 -#1 (神農好長生)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <205 -#1> Ⅰ李白詩1435 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5723 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
50-#1 〔《上張僕射書》-#1〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1348> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5724 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#4奉節-35-#4 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -4》 杜甫index-15 杜甫<907-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5725 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-27韋荘105《巻3-05 河傳三首 其一》三巻5-〈105〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5727 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩花間集(6)花間集(7)花間集(8)花間集(9)花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 


205 -#1 《巻24-1題隨州紫陽先生壁 -#1 (神農好長生)Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <205 -#1> Ⅰ李白詩1435 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5723

 

 

李白は少年時代、四川省にいた頃、処士東巌子といい者と岷山(ビンザン)に隠棲していたことがある。東巌子の素姓は不明だが、彼等の生活が十二分に道教的な色彩を帯びたものであったことは否めない。李白は20代後半から30代にかけ、しばしば隋州(湖北省)の胡紫陽の許に赴いた。胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。

 「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に飡霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝籙をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」

 と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

 

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

 

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:  卷一八四  李太白集 巻24 1首目     文體:  五言古詩

詩題:  題隨州紫陽先生壁

作地點:        隨州(山南東道 / 隨州 / 隨州)

及地點:隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東     

交遊人物:胡紫陽 →當地交遊(山南東道隨州 隨州)

 

 

題隨州紫陽先生壁

(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

神農好長生,風俗久已成。

三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。

復聞紫陽客,早署丹臺名。

ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。

喘息餐妙氣,步虛吟真聲。

そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。

道與古仙合,心將元化并。

その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。 

樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。

松雪窗外曉,池水階下明。

忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。

終願惠金液,提攜凌太清。

 

(隨州紫陽先生の壁に題す)

神農 長生を好み,風俗 久しく已に成る。

復た聞く紫陽の客,早くす 丹臺の名をする署を。

喘息 妙氣を餐し,步虛 真聲を吟ず。

道は古仙と合し,心は將って元化と并【あわ】す。

 

樓は蓬海を出づるかと疑い,鶴は玉京に飛ぶに似たり。

松雪 窗外に曉け,池水 階下に明かなり。

忽ち笙歌の樂に耽り,頗る軒冕の情を失う。

終に願う 金液に惠まれ,提攜して 太清を凌がんことを。

巫山十二峰002 

 

『題隨州紫陽先生壁』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

題隨州紫陽先生壁

神農好長生,風俗久已成。

復聞紫陽客,早署丹臺名。

喘息餐妙氣,步虛吟真聲。

道與古仙合,心將元化并。



(下し文)
(隨州紫陽先生の壁に題す)

神農 長生を好み,風俗 久しく已に成る。

復た聞く紫陽の客,早くす 丹臺の名をする署を。

喘息 妙氣を餐し,步虛 真聲を吟ず。

道は古仙と合し,心は將って元化と并【あわ】す。

(現代語訳)
(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。

ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。

そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。

その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。

李白の足跡0000
(訳注)

題隨州紫陽先生壁

(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

 

神農好長生,風俗久已成。

三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。

神農 古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。諸人に医療と農耕の術を教えたという。中国では“神農大帝”と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。

 

復聞紫陽客,早署丹臺名。

ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。

紫陽客・丹臺 《藝文類聚》卷七十八《真人周君傳》:紫陽真人周義山,字委通,汝陰人也。聞有欒先生,得道在蒙山,能讀龍嶠經,乃追尋之。入蒙山,遇羨門子,乘白鹿,執羽蓋,佩青毛之節,侍從十餘玉女。君乃再拜叩頭,乞長生要訣。羨門子曰:「子名在丹臺玉室之中,何憂不仙?遠越江河來,登此何索?」とある。

 

喘息餐妙氣,步虛吟真聲。

そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。

喘息 粗気は喘息、息喘。その気息。「喘息之閒」喘息の短い一回の呼吸をする間位の短い間。わずかの間。須臾。瞬間。《詩経、小雅、四牡、嘽嘽駱馬、傳》「嘽嘽、喘息之貌、馬勞則喘息。」

妙氣 霊妙なる気。

步虛吟真聲 虚空を歩しては真聲を以て吟詠する。

 

道與古仙合,心將元化并。

その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。

194-#2 《巻24-39 寄遠,十一首之十一 -#2》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <194-#2> Ⅰ李白詩1419 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5643

李白《巻24-39 寄遠,十一首之十一 -#2みずみずしくうつくしい漢水の流は、越えて行けるようであるが、波を凌いで、羅襪のまま、水の上を歩ませるは、萬一の事があってはというので、いかにも可惜しき心地がする。

 
 2015年3月5日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
194-#2 《巻24-39 寄遠,十一首之十一 -#2》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <194-#2> Ⅰ李白詩1419 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5643 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
41-#1 《0229 齪齪 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1332> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5644 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-42-#2奉節-33-#2 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#2》 杜甫index-15 杜甫<905-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5645 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-11韋荘89《巻2-39 歸國遙三首 其一》二巻39-〈89〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5647 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

194-#2 《巻24-39 寄遠,十一首之十一 -#2Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <194-#2> Ⅰ李白詩1419 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5643

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    雜言古詩

詩題:    寄遠,十一首之十一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

寄遠,十一首之十一

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の十一)

愛君芙蓉嬋娟之豔色,色可餐兮難再得。

君が目の際のほんのりとした芙蓉の如く、あでやかなる艶色を愛し、さながら、餐し得べきが如く、再び他には得られぬものと信じて居る。

憐君冰玉清迥之明心,情不極兮意已深。

君の氷玉の如く清く迥けき明心を憐れむので、その情は、極まるなく、意の深きは、言うにも及ばないのである。

朝共琅玕之綺食,夜同鴛鴦之錦衾。

朝には、琅玕に此すべき綺食をわかって食し、夜は鴛鴦の繍ある錦の衾を同じゅうして寝るのである。

恩情婉孌忽為別,使人莫錯亂愁心。

かくの如く温情は極めて麗しくあったのに、忽然として、別をなさねばならぬことになり、人をして、過って愁心を乱すに至らねばよいがと思わせる位である。

#2

亂愁心,涕如雪。

このように、愁心を錯亂させたことに因って、涙は雪がふるが如く降りそそぐのである。

寒燈厭夢魂欲覺來相思生白髮。

寒々とした旅館の燈は夢を圧して、魂も絶えるのではなかろうかとおもうばかりであり、やがて夢が醒めてくると、相思の極みであり、あたまに白髪が生えてきた。

盈盈漢水若可越,可惜凌波步羅襪。

みずみずしくうつくしい漢水の流は、越えて行けるようであるが、波を凌いで、羅襪のまま、水の上を歩ませるは、萬一の事があってはというので、いかにも可惜しき心地がする。

美人美人兮歸去來,莫作朝雲暮雨兮飛陽臺。

美しい人、美しい人よ、私は「かえりなんいざ」と桃源郷に隠遁して立ち去るも善かろうと思うところで、朝雲となり、暮雨となり、巫山の陽臺の下に飛んで、楚王と、あらぬ浮名を流すようなことがあつては成らないのだ。

 

(寄遠,十一首の十一)

君芙蓉嬋娟の豔色を愛す,色 餐すべく、再び得難し。

君が冰玉 清迥の明心を憐む,情 極らず  意 已に深し。

朝には 琅玕の綺食を共にし,夜には 鴛鴦の錦衾を同じゅうす。

恩情 婉孌【えんらん】忽ち別を為す,人をして錯って愁心を亂すを莫らしめよ。

#2

愁心を亂し,涕 雪の如し。

寒燈 夢を厭して魂 んと欲し覺め來って 相思 白髮を生ず。

盈盈 漢水 越ゆ可くが若し,惜しむ可し 凌波 羅襪を步するを。

美人 美人よ 歸り去らん來【いざ】,「朝雲暮雨」さ作して陽臺に飛ぶこと莫れ。

 

 巫山十二峰002

『寄遠,十一首之十一)』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

亂愁心,涕如雪。

寒燈厭夢魂欲覺來相思生白髮。

盈盈漢水若可越,可惜凌波步羅襪。

美人美人兮歸去來,莫作朝雲暮雨兮飛陽臺。


(下し文) #2

愁心を亂し,涕 雪の如し。

寒燈 夢を厭して魂 んと欲し,覺め來って 相思 白髮を生ず。

盈盈 漢水 越ゆ可くが若し,惜しむ可し 凌波 羅襪を步するを。

美人 美人よ 歸り去らん來【いざ】,「朝雲暮雨」さ作して陽臺に飛ぶこと莫れ。

(現代語訳)
このように、愁心を錯亂させたことに因って、涙は雪がふるが如く降りそそぐのである。

寒々とした旅館の燈は夢を圧して、魂も絶えるのではなかろうかとおもうばかりであり、やがて夢が醒めてくると、相思の極みであり、あたまに白髪が生えてきた。

みずみずしくうつくしい漢水の流は、越えて行けるようであるが、波を凌いで、羅襪のまま、水の上を歩ませるは、萬一の事があってはというので、いかにも可惜しき心地がする。

美しい人、美しい人よ、私は「かえりなんいざ」と桃源郷に隠遁して立ち去るも善かろうと思うところで、朝雲となり、暮雨となり、巫山の陽臺の下に飛んで、楚王と、あらぬ浮名を流すようなことがあつては成らないのだ。


(訳注)

寄遠,十一首之十一

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の十一)

李白の足跡0000 

亂愁心,涕如雪。

このように、愁心を錯亂させたことに因って、涙は雪がふるが如く降りそそぐのである。

 

寒燈厭夢魂欲覺來相思生白髮。

寒々とした旅館の燈は夢を圧して、魂も絶えるのではなかろうかとおもうばかりであり、やがて夢が醒めてくると、相思の極みであり、あたまに白髪が生えてきた。

寒燈 寒々とした旅館のともしびのもと。李白、杜甫、高適の三詩人が共に旅をしている。

高適 『除夜作』

旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。

故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。

 

盈盈漢水若可越,可惜凌波步羅襪。

みずみずしくうつくしい漢水の流は、越えて行けるようであるが、波を凌いで、羅襪のまま、水の上を歩ませるは、萬一の事があってはというので、いかにも可惜しき心地がする。

盈盈 みずみずしくうつくしいさま。古詩十九首の第二首に「盈盈たり楼上の女」という句がある。

羅襪 うすぎぬのくつした。

 

美人美人兮歸去來,莫作朝雲暮雨兮飛陽臺。

美しい人、美しい人よ、私は「かえりなんいざ」と桃源郷に隠遁して立ち去るも善かろうと思うところで、朝雲となり、暮雨となり、巫山の陽臺の下に飛んで、楚王と、あらぬ浮名を流すようなことがあつては成らないのだ。

歸去來 陶淵明のように「歸去來」を唱えて、隠遁して桃源郷に帰ろう。〔陶淵明(とうえんめい)「帰去来辞」に基づく。「来」は助辞〕故郷に帰るために,官職をやめてその地を去ること。「かえりなんいざ」と訓読されてきた。

朝雲暮雨 襄王雲雨 むかし楚の嚢王が詩人の宋玉をつれて、雲夢の丘に遊び、高唐という物見台から景色を眺めた。すると、その上に雲気が立ちこめ、高くまっすぐ上ったかと思うと、たちまち形をかえた。しばらくの間に、千変万化する。襄王がたずねた、「これは何か」。宋玉がこたえた、「いわゆる朝雲です」。「朝雲とは何か」。宋玉が説明した。

「昔先代の王さまがやはりこの高唐に遊びにきて、昼寝をされた。夢の中に一人の女が現われて言った。『わたしは巫山の女です。高唐へ遊びにきましたが、殿様もまた高唐に遊びに来られたことを聞きました。どうか、おそばに侍らせて下さいませ。』 王はお可愛がりになった。去るとき女が言った。「わたしは巫山の南の高い山の峰に住んでいますが、朝には雲となり、碁には雨となり、毎朝毎晩、南の丘の下へ行きます」。翌朝、行ってみると、果して女の言うとおりだったので、そこに社を建てて朝雲と呼んだ。興味をおぼえた嚢王は、朝雲についてその様子をききただす。宋玉は委細をつくして朝雲暮雨を歌いあげる。その話は、宋玉の「高唐の賦」にくわしい。ただし、ふつうの伝説では、夢のなかで巫山の女神と交わったのは、嚢王その人となっている。 

陽臺 巫山・陽臺 宋玉《高唐賦》「昔者楚襄王與宋玉遊於雲夢之台,望高之觀,其上獨有雲氣,兮直上,忽兮改容,須臾之間,變化無窮。王問玉曰:“此何氣也?”玉對曰:“所謂朝雲者也。”王曰:“何謂朝雲?”玉曰:“昔者先王嘗遊高唐,怠而晝寢,夢見一婦人曰:'妾,巫山之女也。為高唐之客。閘君遊 4 。回唐,願荐枕席。」王因幸之。去而辭曰:「妾在巫山之陽,高丘之阻。曰一為行雲,暮為行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。」旦朝視之,如言。故為立廟,號曰朝雲。」王日:「朝雲始出,狀若何也?

昔、楚の襄王と宋玉 雲夢之台に遊び,高の觀に望む,其の上、獨り雲氣有り,兮直上,忽兮改容,須臾之間,變化無窮。王問うて玉曰く:“此れ何の氣ぞや?”玉 對えて曰く:“所謂 朝雲なる者なり。”王曰く:“何謂朝雲?”玉曰く:“昔、先王 嘗て高唐に遊び,怠って晝寢し,夢に一婦人を見る 曰く:'妾,巫山の女也。高唐の客と為り。君が遊 ぶを閘く。回唐,願わくば枕席を荐めん。」王 因って之を幸す。去って辭して曰く:「妾は巫山の陽,高丘の阻に在り。曰く一たび行雲と為り,暮には行雨と為る。朝朝暮暮,陽臺之下。」と。旦朝、之を視て,言の如し。故に為に廟を立てて,號して朝雲と曰う。」王日く:「朝雲 始めて出づ,狀 若何也?

楚雲 雲が男で女が雨で絡み合うというほどの意味だが、宋玉の「高唐の賦」宋玉『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの(か))があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。「巫山之夢」。婉約の詩詞によく使われるが、千載不磨の契りといった感じのものではなく、もっと、気楽な契りをいう。

杜甫『水檻遣心二首』其の「蜀天常夜雨,江檻已朝晴。葉潤林塘密,衣幹枕席清。不堪支老病,何得尚浮名?淺把涓涓酒,深憑送此生。」楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させるが蜀では夜雨が降る。

水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 13)  杜甫 <418  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500

 李商隠『細 雨』「帷飄白玉堂、簟巻碧牙牀。楚女昔時意、蕭蕭髪彩涼。」(やわらかに風に翻るとばりは、白い玉の輝く堂を包んでいる。あるいは竹の敷物は、冷やかに碧く光る象牙の牀に拡げられている。巫山の神女はその身をささげたあの時の気持ちを秘めて今もいる、粛々と黒髪を一層色濃くし涼やかにしている。 

李商隠 7 無題(颯颯東風細雨來)

細雨(帷飄白玉堂)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-76

細雨(瀟洒傍廻汀)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-78

 

194-#1 《巻24-39 寄遠,十一首之十一 -#1》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <194-#1> Ⅰ李白詩1418 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5638

李白《巻24-39 寄遠,十一首之十一 -#1かくの如く温情は極めて麗しくあったのに、忽然として、別をなさねばならぬことになり、人をして、過って愁心を乱すに至らねばよいがと思わせる位である。


 
 2015年3月4日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
194-#1 《巻24-39 寄遠,十一首之十一 -#1》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <194-#1> Ⅰ李白詩1418 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5638 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
40 《0227(改訂)汴州亂二首其二》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1331> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5639 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-42-#1奉節-33-#1 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#1》 杜甫index-15 杜甫<905-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5640 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-10韋荘88《巻2-38 菩薩蠻五首其五》二巻38-〈88〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5642 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

194-#1 《巻24-39 寄遠,十一首之十一 -#1Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <194-#1> Ⅰ李白詩1418 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5638

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    雜言古詩

詩題:    寄遠,十一首之十一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

寄遠,十一首之十一

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の十一)

愛君芙蓉嬋娟之豔色,色可餐兮難再得。

君が目の際のほんのりとした芙蓉の如く、あでやかなる艶色を愛し、さながら、餐し得べきが如く、再び他には得られぬものと信じて居る。

憐君冰玉清迥之明心,情不極兮意已深。

君の氷玉の如く清く迥けき明心を憐れむので、その情は、極まるなく、意の深きは、言うにも及ばないのである。

朝共琅玕之綺食,夜同鴛鴦之錦衾。

朝には、琅玕に此すべき綺食をわかって食し、夜は鴛鴦の繍ある錦の衾を同じゅうして寝るのである。

恩情婉孌忽為別,使人莫錯亂愁心。

かくの如く温情は極めて麗しくあったのに、忽然として、別をなさねばならぬことになり、人をして、過って愁心を乱すに至らねばよいがと思わせる位である。

#2

亂愁心,涕如雪。

寒燈厭夢魂欲覺來相思生白髮。

盈盈漢水若可越,可惜凌波步羅襪。

美人美人兮歸去來,莫作朝雲暮雨兮飛陽臺。

 

(寄遠,十一首の十一)

君芙蓉嬋娟の豔色を愛す,色 餐すべく、再び得難し。

君が冰玉 清迥の明心を憐む,情 極らず  意 已に深し。

朝には 琅玕の綺食を共にし,夜には 鴛鴦の錦衾を同じゅうす。

恩情 婉孌【えんらん】忽ち別を為す,人をして錯って愁心を亂すを莫らしめよ。

#2

愁心を亂し,涕 雪の如し。

寒燈 夢を厭して魂 んと欲し覺め來って 相思 白髮を生ず。

盈盈 漢水 越ゆ可くが若し,惜しむ可し 凌波 羅襪を步するを。

美人 美人よ 歸り去らん來【いざ】,「朝雲暮雨」さ作して陽臺に飛ぶこと莫れ。

 

 

『寄遠,十一首之十一)』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄遠,十一首之十一

愛君芙蓉嬋娟之豔色,色可餐兮難再得。

憐君冰玉清迥之明心,情不極兮意已深。

朝共琅玕之綺食,夜同鴛鴦之錦衾。

恩情婉孌忽為別,使人莫錯亂愁心。


(下し文)
(寄遠,十一首の十一)

君芙蓉嬋娟の豔色を愛す,色 餐すべく、再び得難し。

君が冰玉 清迥の明心を憐む,情 極らず  意 已に深し。

朝には 琅玕の綺食を共にし,夜には 鴛鴦の錦衾を同じゅうす。

恩情 婉孌【えんらん】忽ち別を為す,人をして錯って愁心を亂すを莫らしめよ。

(現代語訳)
(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の十一)

君が目の際のほんのりとした芙蓉の如く、あでやかなる艶色を愛し、さながら、餐し得べきが如く、再び他には得られぬものと信じて居る。

君の氷玉の如く清く迥けき明心を憐れむので、その情は、極まるなく、意の深きは、言うにも及ばないのである。

朝には、琅玕に此すべき綺食をわかって食し、夜は鴛鴦の繍ある錦の衾を同じゅうして寝るのである。

かくの如く温情は極めて麗しくあったのに、忽然として、別をなさねばならぬことになり、人をして、過って愁心を乱すに至らねばよいがと思わせる位である。



(訳注)

寄遠,十一首之十一

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の十一)

 

 

愛君芙蓉嬋娟之豔色,色可餐兮難再得。

君が目の際のほんのりとした芙蓉の如く、あでやかなる艶色を愛し、さながら、餐し得べきが如く、再び他には得られぬものと信じて居る。

芙蓉 芙蓉は美人。・芙蓉(蓮)を詠った「古詩十九首」第六首「涉江采芙蓉,蘭澤多芳草。采之欲遺誰,所思在遠道。還顧望舊,長路漫浩浩。同心而離居,憂傷以終老。」 (江を捗【わた】りて芙蓉【ふよう】を采る、蘭澤【らんたく】芳草【ほうそう】多し。之を采りて誰にか遺【おく】らんと欲する、思ふ所は遠道【えんどう】に在り。還【めぐ】り顧【かえりみ】て 旧郷を望めば、長路漫として浩浩たらん。同心にして離屈【りきょ】せば、憂傷【ゆうしょう】して以て終に老いなん。)

嬋娟 容姿のあでやかで美しいさま。

豔色 姿色美麗,冠當代。

可餐 餐し得べきが如くということ。

 

憐君冰玉清迥之明心,情不極兮意已深。

君の氷玉の如く清く迥けき明心を憐れむので、その情は、極まるなく、意の深きは、言うにも及ばないのである。

清迥 清く遙かなものであること。

 

朝共琅玕之綺食,夜同鴛鴦之錦衾。

朝には、琅玕に此すべき綺食をわかって食し、夜は鴛鴦の繍ある錦の衾を同じゅうして寝るのである。

琅玕 1 暗緑色または青碧(せいへき)色の半透明の硬玉。また、美しいもののたとえ。2 《色が1に似るところから》青々とした美しい竹。

綺食 美盛された食品。

鴛鴦之錦衾 趙飛燕に贈られた寝具。

 

恩情婉孌忽為別,使人莫錯亂愁心。

かくの如く温情は極めて麗しくあったのに、忽然として、別をなさねばならぬことになり、人をして、過って愁心を乱すに至らねばよいがと思わせる位である。

婉孌 ①年若く美しいさま。②親しみ愛する。《詩経、斉風、甫田》「婉兮孌、總角丱兮。」

193 《巻24-38 寄遠,十一首之十》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <193> Ⅰ李白詩1417 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5633

李白《巻24-38 寄遠,十一首之十》(この詩は漢の張騫の妻の気持ちで、西域の天末にいる張騫に寄せる意をつづる十一の十)魯国で産した繒は、その色、純白にして、玉を欺く霜の如くである。その白繒に「月氏書」と題して墨で書いた。

 
 2015年3月3日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
193 《巻24-38 寄遠,十一首之十》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <193> Ⅰ李白詩1417 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5633 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
39 《0226(改訂)汴州亂二首其一》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1330> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5634韓愈詩-39 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-41-#5奉節-32-#5 《巻16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼 -5》 杜甫index-15 杜甫<904-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5635 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-9韋荘87《巻2-37 菩薩蠻五首其四》二巻37-〈87〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5637 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

193 《巻24-38 寄遠,十一首之十》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <193> Ⅰ李白詩1417 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5633

 

 

年:-731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    寄遠,十一首之十

 

 

寄遠,十一首之十

(この詩は漢の張騫の妻の気持ちで、西域の天末にいる張騫に寄せる意をつづる十一の十)

魯縞如玉霜,筆題月氏書。

魯国で産した繒は、その色、純白にして、玉を欺く霜の如くである。その白繒に「月氏書」と題して墨で書いた。

寄書白鸚鵡,西海慰離居。

その繒に、「月氏書」と寄せる書を物し、白鸚鵡に託して、西海の涯に贈って、離居の淋しさを慰めようと思ったのだ。

行數雖不多,字字有委曲。

その手紙は、行数としては多くはないけれど、字字委曲をつくし、随分考へ抜いて書いたのであるから、語簡にして意深い積りである。

天末如見之,開緘淚相續。

西の果て、天末に在って、もし之を見たならば、封を開くや否や、涙相い続いて之を讀むであらう。

淚盡恨轉深,千里同此心。

やがて、涙が尽きて、恨みは愈々深いに相違なく、それは千里の遠きを隔つとも、この心が同じであるからと思っているからである。

相思千萬里,一書千金。

千万里の遠きに在っても相いに思う心を表すには、一片の手紙も、千金を値すというもので、天涯の彼方にいるとしても、決して、おろそかにはしないであらう。

 

(寄遠,十一首の十)

魯縞は玉霜の如く,筆題す 月氏の書。

書を寄す 白鸚鵡,西海 離居を慰む。

行數 多からずと雖も,字字 委曲有り。

天末 如し之を見れば,緘を開いて淚 相い續かん。

淚 盡きて 恨み 轉た深く,千里 此の心を同じゅうす。

相思 千 萬里,一書  千金。

 

安史の乱当時の勢力図 

『寄遠,十一首之十』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄遠,十一首之十

魯縞如玉霜,筆題月氏書。

寄書白鸚鵡,西海慰離居。

行數雖不多,字字有委曲。

天末如見之,開緘淚相續。

淚盡恨轉深,千里同此心。

相思千萬里,一書千金。


詩文(含異文)

魯縞如玉霜,筆題月氏書【剪題月氏書】。

寄書白鸚鵡,西海慰離居。

行數雖不多,字字有委曲。

天末如見之,開緘淚相續。

淚盡恨轉深,千里同此心【千里若在眼】【萬里若在心】。

相思千萬里,一書千金。


(下し文)
(寄遠,十一首の十)

魯縞は玉霜の如く,筆題す 月氏の書。

書を寄す 白鸚鵡,西海 離居を慰む。

行數 多からずと雖も,字字 委曲有り。

天末 如し之を見れば,緘を開いて淚 相い續かん。

淚 盡きて 恨み 轉た深く,千里 此の心を同じゅうす。

相思 千 萬里,一書  千金

(現代語訳)
(この詩は漢の張騫の妻の気持ちで、西域の天末にいる張騫に寄せる意をつづる十一の十)

魯国で産した繒は、その色、純白にして、玉を欺く霜の如くである。その白繒に「月氏書」と題して墨で書いた。

その繒に、「月氏書」と寄せる書を物し、白鸚鵡に託して、西海の涯に贈って、離居の淋しさを慰めようと思ったのだ。

その手紙は、行数としては多くはないけれど、字字委曲をつくし、随分考へ抜いて書いたのであるから、語簡にして意深い積りである。

西の果て、天末に在って、もし之を見たならば、封を開くや否や、涙相い続いて之を讀むであらう。

やがて、涙が尽きて、恨みは愈々深いに相違なく、それは千里の遠きを隔つとも、この心が同じであるからと思っているからである。

千万里の遠きに在っても相いに思う心を表すには、一片の手紙も、千金を値すというもので、天涯の彼方にいるとしても、決して、おろそかにはしないであらう。


長安と西域 地図01
(訳注)

寄遠,十一首之十

(この詩は漢の張騫の妻の気持ちで、西域の天末にいる張騫に寄せる意をつづる十一の十)

起首四句は、手書を草すること。「行數雖不多,字字有委曲。天末如見之,開緘淚相續。」の四句は、彼方に於で手紙を見たときの感情を憶想し、「淚盡恨轉深,千里同此心。相思千萬里,一書千金。」の四句は、これに因って、手紙の価値を論断したのである。

 

魯縞如玉霜,筆題月氏書。

魯国で産した繒は、その色、純白にして、玉を欺く霜の如くである。その白繒に「月氏書」と題して墨で書いた。

魯縞 《漢書》卷五十二《韓安國傳》 「力不能入魯縞。」唐·顏師古注:「縞,素也,曲阜之地,俗善作之,尤為輕細,故以取也。」漢書の顔師古注「縞は繒の精白なるものなり」とある。魯縞に、魯地において作るところの繒である。李白《1601 送魯郡劉長史遷弘農長史》「魯縞如白煙、五縑不成束。」その魯地産の絹は白煙のごとく白く、わずか五匹では一束にはなりはしないのだ。

送魯郡劉長史遷弘農長史  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白187

魯(ろ)は、中国の王朝名・地名。地名としての魯は現在の中国山東省南部を指す。山東省全体の略称(雅名)としても用いられる。

王朝としての魯(紀元前1055 - 紀元前249年)は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に亘って存在した国である。代々の魯公(魯の君主)の爵位は侯爵であり、姓は姫(き)である。首府は曲阜。

月氏 漢時西域の国名。月氏は、紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて東アジア、中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。紀元前2世紀に匈奴に敗れてからは中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになる。大月氏時代は東西交易で栄えた。

 

寄書白鸚鵡,西海慰離居。

その繒に、「月氏書」と寄せる書を物し、白鸚鵡に託して、西海の涯に贈って、離居の淋しさを慰めようと思ったのだ。

白鸚鵡 《初學記、三十》「南方異物志に日く、鸚鵡に三種あり、青さものは大鳥の如し。一種白、鵝鷔の如し。-種五色、青なる者より大なり、交州巴南皆之あり」とあり、白鸚鵡を用いて、大事な書を寄せるということ。張騫の故事に基づいている。張騫は13年ぶりに漢に帰国すると、太中大夫にとりたてられ、西域のことを武帝に伝えた。そこで張騫は大月氏ではなく、烏孫という遊牧国家と同盟を組んで匈奴を挟撃すべきと上奏した。

 

行數雖不多,字字有委曲。

その手紙は、行数としては多くはないけれど、字字委曲をつくし、随分考へ抜いて書いたのであるから、語簡にして意深い積りである。

委曲 ① くわしいさま。詳細なさま。② ものごとの事情や形状がいりくんでいるさま。

 

天末如見之,開緘淚相續。

西の果て、天末に在って、もし之を見たならば、封を開くや否や、涙相い続いて之を讀むであらう。

天末 天のはて天涯。

杜甫《天末懷李白》

涼風起天末,君子意如何?

鴻雁幾時到,江湖秋水多。

文章憎命達,魑魅喜人過。

應共冤魂語,投詩贈汨羅。

天末懷李白 杜甫 <233> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1142 杜甫特集700- 345

 

淚盡恨轉深,千里同此心。

やがて、涙が尽きて、恨みは愈々深いに相違なく、それは千里の遠きを隔つとも、この心が同じであるからと思っているからである。

 

相思千萬里,一書千金。

千万里の遠きに在っても相いに思う心を表すには、一片の手紙も、千金を値すというもので、天涯の彼方にいるとしても、決して、おろそかにはしないであらう。
banri03 

192 《巻24-37 寄遠,十一首之九》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <192> Ⅰ李白詩1416 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5628

李白《巻24-37 寄遠,十一首之九》その草の中には、冬を越してきた卷施草のように、その心、極めて苦く、それから、一たび心を抜くと、死に掛るとみせても、また、再び生きてくるという節操を持ったものもある。此のものを見れば、妾の心がお分かりになろうかと思い、どうかあなたの庭の片隅に植えていただきたいのだ。

 

 
 2015年3月2日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
192 《巻24-37 寄遠,十一首之九》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <192> Ⅰ李白詩1416 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5628 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
38-(4) 《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#4》韓愈(韓退之)I 799年貞元15年 32歳<1329> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5629 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-41-#4奉節-32-#4 《巻16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼 -4》 杜甫index-15 杜甫<904-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5630 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-8韋荘86《巻2-36 菩薩蠻五首其三》二巻36-〈86〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5632 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

192 《巻24-37 寄遠,十一首之九》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <192> Ⅰ李白詩1416 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5628

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    寄遠,十一首之九

 

 

寄遠,十一首之九

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の九)

長短春草綠,緣階如有情。

春の草は、長短参差有り、緑色濃やかにきざはしに沿って萌え出て、とりどりの情思あるように見えるというものだ。

卷施心獨苦,抽卻死還生。

その草の中には、冬を越してきた卷施草のように、その心、極めて苦く、それから、一たび心を抜くと、死に掛るとみせても、また、再び生きてくるという節操を持ったものもある。

睹物知妾意,希君種後庭。

此のものを見れば、妾の心がお分かりになろうかと思い、どうかあなたの庭の片隅に植えていただきたいのだ。

閒時當採掇,念此莫相輕。

かくして、暇を持て余したら、その草を摘み取って、心を抜いたとしてても、死にはしないとその草の意地というものを思い出して、決して軽んじる事の無いように取り扱ってもらい地のである。

 

(寄遠,十一首之九)

長短 春草の綠,階に緣って 情有るが如し。

卷施 心 獨り苦しみ,抽卻するも 死して 還た生く。

物を睹て 妾の意を知り,君に希【こいねが】う 後庭に種ることを。

閒時 當に採掇すべし,此を念う 「相い輕んずること莫れ」 と。

 太白山001

 

『寄遠,十一首之九』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄遠,十一首之九

長短春草綠,緣階如有情。

卷施心獨苦,抽卻死還生。

睹物知妾意,希君種後庭。

閒時當採掇,念此莫相輕。



(下し文)
(寄遠,十一首之九)

長短 春草の綠,階に緣って 情有るが如し。

卷施 心 獨り苦しみ,抽卻するも 死して 還た生く。

物を睹て 妾の意を知り,君に希【こいねが】う 後庭に種ることを。

閒時 當に採すべし,此を念う 「相い輕んずること莫れ」 と

(現代語訳)
(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の九)

春の草は、長短参差有り、緑色濃やかにきざはしに沿って萌え出て、とりどりの情思あるように見えるというものだ。

その草の中には、冬を越してきた卷施草のように、その心、極めて苦く、それから、一たび心を抜くと、死に掛るとみせても、また、再び生きてくるという節操を持ったものもある。

此のものを見れば、妾の心がお分かりになろうかと思い、どうかあなたの庭の片隅に植えていただきたいのだ。

かくして、暇を持て余したら、その草を摘み取って、心を抜いたとしてても、死にはしないとその草の意地というものを思い出して、決して軽んじる事の無いように取り扱ってもらい地のである。

終南山06

(訳注)

寄遠,十一首之九

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の九)

この詩は卷施を以て、自分の節操ある思いを相手に訴えたものである。三、四句に屈原の思いをいうことで、ただ越冬することだけをいうことではない。李白は節操をあらわすのに、青松をもちいているが、卷施、宿奔は珍しい。

 

長短春草綠,緣階如有情。

春の草は、長短参差有り、緑色濃やかにきざはしに沿って萌え出て、とりどりの情思あるように見えるというものだ。

 

卷施心獨苦,抽卻死還生。

その草の中には、冬を越してきた卷施草のように、その心、極めて苦く、それから、一たび心を抜くと、死に掛るとみせても、また、再び生きてくるという節操を持ったものもある。

卷施 冬でも枯れないヨモギの一種の草の名。藥香草の名、卷施。 爾雅に曰く「卷施草。拔心死なず。」別名、宿莽草という也。屈原 《離騷》「夕攬華洲之宿莽。」(夕べには、華洲の宿莽を攬る。)《九章》「攬大薄之芳茞兮,搴長洲之宿莽。」冬越しの奔草。香草、紫蘇のこと。木蘭や宿奔、卷施を執るとは、身を清く修めることをいう。木蘭は皮を去っても枯れず、宿奔は冬でも枯れないことから、節操の変わらないことをいう。

 

睹物知妾意,希君種後庭。

此のものを見れば、妾の心がお分かりになろうかと思い、どうかあなたの庭の片隅に植えていただきたいのだ。

 

閒時當採掇,念此莫相輕。

かくして、暇を持て余したら、その草を摘み取って、心を抜いたとしてても、死にはしないとその草の意地というものを思い出して、決して軽んじる事の無いように取り扱ってもらい地のである。

191 《巻24-36 寄遠,十一首之八》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <191> Ⅰ李白詩1415 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5623

李白《巻24-36 寄遠,十一首之八》おもへば、昨日、東園の桃李は、葉綠に、花紅に、見事に吹き出るかのように咲き誇っていたが、この春、君と初めで別れたのである。しかし、金瓶が一たび井戸に落ちし後は、打絶えて、消息なきが如く、君も出て行きし後は、何の音沙汰もなく、人をして行いては嘆じ、坐しては思わしめ、断えず惆悵の想いに堪へざらしめる。

 


191 《巻24-36 寄遠,十一首之八》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <191> Ⅰ李白詩1415 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5623

 

 

年:-731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    雜言古詩

詩題:    寄遠,十一首之八

 

 

寄遠,十一首之八

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の八)

憶昨東園桃李紅碧枝,與君此時初別離。

おもへば、昨日、東園の桃李は、葉綠に、花紅に、見事に吹き出るかのように咲き誇っていたが、この春、君と初めで別れたのである。

金瓶落井無消息,令人行歎復坐思。

しかし、金瓶が一たび井戸に落ちし後は、打絶えて、消息なきが如く、君も出て行きし後は、何の音沙汰もなく、人をして行いては嘆じ、坐しては思わしめ、断えず惆悵の想いに堪へざらしめる。

坐思行歎成楚越,春風玉顏畏銷歇。

そこで、坐しては思い、行いでは歎じ、しかも楚越の絶えて相い関せざる如くなれば、春風のどかなる玉顔も、いつしか綃歇してしまうおそれがある。

碧窗紛紛下落花,青樓寂寂空明月。

今しも、碧窓の前には、落花紛々としてくだり、靑楼の上には、名月寂々として照らし、花も、月も、翻って思いの種となって仕舞った。

兩不見,但相思。

花も、月も、見たくないから見ず、独り垂れこめて、物思いに沈んで居る。

空留錦字表心素,至今緘愁不忍窺。

折角、錦字を留めて、心の誠を書きあらわしたのが、今に至るまで、愁を併せて封緘したまま、それを覗い見る気にも成らず、なお残されてある。

 

(寄遠,十一首の八

憶ふ昨、東園の桃李紅碧の枝、君と此時、初めて別離。

金瓶落井にちて消息無く,令人をして行いて歎じ復た坐して思わしむ。

坐して思い 行いて歎じ 楚越を成す,春風 玉顏 銷歇を畏る。

碧窗【へきそう】紛紛として落花を下し,青樓 寂寂として空しく明月。

兩つながら見ず,但だ 相い思う。

空しく錦字を留めて心素を表す,今に至って愁いを緘して窺うに忍びず。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02

 

『寄遠,十一首之八』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

憶昨東園桃李紅碧枝,與君此時初別離。

金瓶落井無消息,令人行歎復坐思。

坐思行歎成楚越,春風玉顏畏銷歇。

碧窗紛紛下落花,青樓寂寂空明月。

兩不見,但相思。

空留錦字表心素,至今緘愁不忍窺。


(下し文)
(寄遠,十一首の八)

憶ふ昨、東園の桃李紅碧の枝、君と此時、初めて別離。

金瓶落井にちて消息無く,令人をして行いて歎じ復た坐して思わしむ。

坐して思い 行いて歎じ 楚越を成す,春風 玉顏 銷歇を畏る。

碧窗【へきそう】紛紛として落花を下し,青樓 寂寂として空しく明月。

兩つながら見ず,但だ 相い思う。

空しく錦字を留めて心素を表す,今に至って愁いを緘して窺うに忍びず。

(現代語訳)
(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の八)

おもへば、昨日、東園の桃李は、葉綠に、花紅に、見事に吹き出るかのように咲き誇っていたが、この春、君と初めで別れたのである。

しかし、金瓶が一たび井戸に落ちし後は、打絶えて、消息なきが如く、君も出て行きし後は、何の音沙汰もなく、人をして行いては嘆じ、坐しては思わしめ、断えず惆悵の想いに堪へざらしめる。

そこで、坐しては思い、行いでは歎じ、しかも楚越の絶えて相い関せざる如くなれば、春風のどかなる玉顔も、いつしか綃歇してしまうおそれがある。

今しも、碧窓の前には、落花紛々としてくだり、靑楼の上には、名月寂々として照らし、花も、月も、翻って思いの種となって仕舞った。

花も、月も、見たくないから見ず、独り垂れこめて、物思いに沈んで居る。

折角、錦字を留めて、心の誠を書きあらわしたのが、今に至るまで、愁を併せて封緘したまま、それを覗い見る気にも成らず、なお残されてある。


00長安城の図
(訳注)

寄遠,十一首之八

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の八)

この詩は、男から女妓に寄せた詩というスタンスで、その内容は、詩経風に、六朝からの詩風のものであり、隠語を含んだものであって、誰が読んでも、わかり易いから、決して、陳套と思われないものである。憂愁幽思、筆端に繚繞し、惰致とこしえに尽きない。後世高靑邱は、この種の格調を尊び、明媚にして人に近き旨としている。

 

憶昨東園桃李紅碧枝,與君此時初別離。

おもへば、昨日、東園の桃李は、葉綠に、花紅に、見事に吹き出るかのように咲き誇っていたが、この春、君と初めで別れたのである。

東園桃李 東園の桃李。

《古風,五十九首之四十七》

桃花開東園,含笑誇白日。桃花は東園に開き,含笑をんで白日に誇る。

偶蒙東風榮,生此豔陽質。偶ま東風の榮を蒙って,此の豔陽の質を生ず。

豈無佳人色,但恐花不實。豈に佳人の色無からんや,但だ恐る 花の實らざるを。

宛轉龍火飛,零落早相失。宛轉として 龍火飛び,零落すれば 早に相い失う。

詎知南山松,獨立自蕭飋。詎んぞ知らん 南山の松,獨立 自ら蕭飋たるを。

47 《古風五十九首之四十七》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43273古風,五十九首之四十七桃花開東園, <47> Ⅰ李白詩1210 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4598

 

金瓶落井無消息,令人行歎復坐思。

しかし、金瓶が一たび井戸に落ちし後は、打絶えて、消息なきが如く、君も出て行きし後は、何の音沙汰もなく、人をして行いては嘆じ、坐してはまた思わしめ、断えず惆悵の想いに堪へざらしめる。

金瓶 《先秦漢魏晉南北朝詩·齊詩》卷六〈釋寶月·估客樂〉~480~「有信數寄書,無信心相憶。莫作瓶落井,一去無消息。」(信 數寄書に有り,無信くば心 相い憶う。瓶井に落す作す莫れ,一たび去れば消息無し。)

復坐思 坐してはまた思うこと。

 

坐思行歎成楚越,春風玉顏畏銷歇。

そこで、坐しては思い、行いでは歎じ、しかも楚越の絶えて相い関せざる如くなれば、春風のどかなる玉顔も、いつしか綃歇してしまうおそれがある。

楚越 戦国時代の楚国と越国。敵国どうしであったことから、仲の悪いもののたとえにいう。そえつどうしゅう【楚越同舟】仲の悪い者どうしが同じ場所・境遇にあること。呉越同舟。

銷歇 散らし、溶かすし消し去る。

 

碧窗紛紛下落花,青樓寂寂空明月。

今しも、碧窓の前には、落花紛々としてくだり、靑楼の上には、名月寂々として照らし、花も、月も、翻って思いの種となって仕舞った。

青樓 ① 〔曹植「美女編」〕 高貴な美人のいる楼。