漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

李白詩index-29 750年天寶九年50歳

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
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だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

35ー#2 《古風五十九首之三十五》Index-29Ⅳ-4 750年天寶九年50歳538古風,五十九首之三十五醜女來效顰, <35ー#2> Ⅰ李白詩1196 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4528

つまらない技巧は、出来上ったものが用途が無く、製作者が王に養われて美々しい衣服で身を飾ったに過ぎないということなのだ。かの詩経の大雅は文王の孝徳を賛じたもので、それはまことに結構なことだが、今日これを誦辭てみてもただ古を懐情するということだけだし、詩経、頌の一文は、立派なものではあるが、それ自体は崩れ淪んでから久しいのである。

 
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35ー#2 《古風五十九首之三十五》Index-29Ⅳ-4 750年天寶九年50歳538古風,五十九首之三十五醜女來效顰, <35ー#2> Ⅰ李白詩1196 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4528 
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ー#2 《古風五十九首之三十五》Index-29-4 750年天寶九年50538古風,五十九首之三十五醜女來效顰, <35ー#2> Ⅰ李白詩1196 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4528

 

 

製作年:  750  天寶九年  50

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十五 

及地點:  邯鄲 (河北道南部 邯鄲)     

 

 

古風,五十九首之三十五

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)

醜女來效顰,還家驚四鄰。

むかし、醜女が来て、西施の癪を煩い胸の苦しい時に胸をかかえて顔をしかめるのを見た、家に還って自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がって、隣近所を驚かした。

壽陵失本步,笑殺邯鄲人。

寿陵というところの二男が行儀作法を趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った、というので邯鄲の人を大笑ひさせた。

一曲斐然子,雕蟲喪天真。

かの斐然として文章ある子弟輩が詩歌を作るのはよいが、雕蟲の様な小技を弄し、つまらぬ修辞に凝って天真爛漫な妙趣をなくしてしまう。

 

棘刺造沐猴,三年費精神。

実際、三年の間精根を打込んで懸命に会得しようとしたが、何の役にも立たず、ただその人が、物事を計るのに、基準と為る度量が無いならば,此のイバラのとげを彫刻するというような(荒唐無稽な)を論じる言説の士が多くなることでしょうということなのだ

功成無所用,楚楚且華身。

つまらない技巧は、出来上ったものが用途が無く、製作者が王に養われて美々しい衣服で身を飾ったに過ぎないということなのだ。

大雅思文王,頌聲久崩淪。

かの詩経の大雅は文王の孝徳を賛じたもので、それはまことに結構なことだが、今日これを誦辭てみてもただ古を懐情するということだけだし、詩経、頌の一文は、立派なものではあるが、それ自体は崩れ淪んでから久しいのである。

安得郢中質,一揮成斧斤。 

何とかして郢中の目標に、風を起こす斧を揮って一遍に削り落して見たいものだ。

 

(古風,五十九首の三十五)

醜女 來って顰【ひん】に效【なら】い,家に還って四鄰を驚かす。

壽陵 本步を失い,邯鄲【かんたん】の人を笑殺す。

一曲 斐然の子,雕蟲【ちょうちゅう】天真を喪う。

 

棘刺【きょくし】沐猴【もくこう】を造り,三年 精神を費す。

功 成って用うる所無く,楚楚 且つ身を華にす。

大雅 文王を思い,頌聲【しょうせい】久しく崩淪【ほうりん】。

安んぞ得ん 郢中【えいちゅう】の質,一揮 斧斤【ふうきん】を成すを。 

 

太白山001 

『古風,五十九首之三十五』 現代語訳と訳註

(本文)

棘刺造沐猴,三年費精神。

功成無所用,楚楚且華身。

大雅思文王,頌聲久崩淪。

安得郢中質,一揮成斧斤。 

 

(下し文)

棘刺【きょくし】沐猴【もくこう】を造り,三年 精神を費す。

功 成って用うる所無く,楚楚 且つ身を華にす。

大雅 文王を思い,頌聲【しょうせい】久しく崩淪【ほうりん】。

安んぞ得ん 郢中【えいちゅう】の質,一揮 斧斤【ふうきん】を成すを。 

 

(現代語訳)

実際、三年の間精根を打込んで懸命に会得しようとしたが、何の役にも立たず、ただその人が、物事を計るのに、基準と為る度量が無いならば,此のイバラのとげを彫刻するというような(荒唐無稽な)を論じる言説の士が多くなることでしょうということなのだ

つまらない技巧は、出来上ったものが用途が無く、製作者が王に養われて美々しい衣服で身を飾ったに過ぎないということなのだ。

かの詩経の大雅は文王の孝徳を賛じたもので、それはまことに結構なことだが、今日これを誦辭てみてもただ古を懐情するということだけだし、詩経、頌の一文は、立派なものではあるが、それ自体は崩れ淪んでから久しいのである。

何とかして郢中の目標に、風を起こす斧を揮って一遍に削り落して見たいものだ。

 

(訳注)

古風,五十九首之三十五

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)

 

棘刺造沐猴,三年費精神。

実際、三年の間精根を打込んで懸命に会得しようとしたが、何の役にも立たず、ただその人が、物事を計るのに、基準と為る度量が無いならば,此のイバラのとげを彫刻するというような(荒唐無稽な)を論じる言説の士が多くなることでしょうということなのだ

・棘刺造沐猴 《韓非子、外儲説左上》宋人で燕王のために、イバラのとげの先端で猿を作ることを願った者がいた。必ず三ヶ月の間、潔斎をして、その後に始めて像を觀ることができるのだと言った。そこで燕王は兵車三台(を出せる格式)の俸給を出し宋人を養った。燕王のそばに仕える治工(かじや)は王にこう言った「私は、人の上に立つ君主が十日も宴会をせず潔斎することはないと聞いております。今、宋人は王が用もない器を観るために潔斎することなど不可能だと考えて,そこで三ヶ月を期限としたのでしょう。凡そ彫刻する者が,彫刻のために用いる道具は必ず削るものより小さい道具を使います。今、私は鍛冶屋ですが,(イバラのとげの先より小さい)そんな彫刻刀は作ることはできません。此れはありえない物であります。王よ、必ずこの事を御明察なさって下さい。」そこで王は、宋人を囚えて尋問したところ,果たして虚言だったので,この人を殺した。鍛冶屋は王にこう言った「物事を計るのに、基準と為る度量が無いならば,此のイバラのとげを彫刻するというような(荒唐無稽な)を論じる言説の士が多くなることでしょう。

・三年費精紳 是は上韓非子の故事と無関係だが、「荘子」列御寇篇に見える、朱泙が竜を屠るの術を学び、三年にして技成る、而して其の巧を用いる所無し、と云ふ寓話を結合したものらしい。

 

功成無所用,楚楚且華身。

つまらない技巧は、出来上ったものが用途が無く、製作者が王に養われて美々しい衣服で身を飾ったに過ぎないということなのだ。

・楚楚 鮮明の貌。

 

大雅思文王,頌聲久崩淪。

かの詩経の大雅は文王の孝徳を賛じたもので、それはまことに結構なことだが、今日これを誦辭てみてもただ古を懐情するということだけだし、詩経、頌の一文は、立派なものではあるが、それ自体は崩れ淪んでから久しいのである。

・思文王 「詩経」大雅の首十すだれ篇は主として周の文王に関することが詠じられてゐる。

・頌聾 「詩経」に周頌・裔頌・魯頌有り、主として其の先組を祭る歌。大雅と並んで荘重なる詩。

 

安得郢中質,一揮成斧斤。 

何とかして郢中の目標に、風を起こす斧を揮って一遍に削り落して見たいものだ。

・安得 あきらてのひら願望を表はす言葉。

・郢中質 郢の人が其の鼻の端に白土を蝿の翼ほど塗り付けて、匠石(石工)をして之を削らせてみると、斧を運らして風を成し、つちを削り取って鼻は傷かない。後に此の質になる男が死んでから、匠石の妙技も出来なくなった《荘子、徐無鬼》。

・質 もと弓の質的【まと】。ここでは運斤の目標である。

・成斧斤 宋本には「成斧斤」と有るが斤は斧である。
李白図102 

35ー#1 《古風五十九首之三十五》Index-29Ⅳ-4 750年天寶九年50歳538古風,五十九首之三十五醜女來效顰, <35ー#1> Ⅰ李白詩1195 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4523

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)むかし、醜女が来て、西施の癪を煩い胸の苦しい時に胸をかかえて顔をしかめるのを見た、家に還って自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がって、隣近所を驚かした。

 
 2014年7月19日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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35ー#1 《古風五十九首之三十五》Index-29Ⅳ-4 750年天寶九年50歳538古風,五十九首之三十五醜女來效顰, <35ー#1> Ⅰ李白詩1195 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4523 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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製作年:  750  天寶九年  50

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十五 

及地點:  邯鄲 (河北道南部 邯鄲)     

 

 

古風,五十九首之三十五

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)

醜女來效顰,還家驚四鄰。

むかし、醜女が来て、西施の癪を煩い胸の苦しい時に胸をかかえて顔をしかめるのを見た、家に還って自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がって、隣近所を驚かした。

壽陵失本步,笑殺邯鄲人。

寿陵というところの二男が行儀作法を趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った、というので邯鄲の人を大笑ひさせた。

一曲斐然子,雕蟲喪天真。

かの斐然として文章ある子弟輩が詩歌を作るのはよいが、雕蟲の様な小技を弄し、つまらぬ修辞に凝って天真爛漫な妙趣をなくしてしまう。

 

棘刺造沐猴,三年費精神。

功成無所用,楚楚且華身。

大雅思文王,頌聲久崩淪。

安得郢中質,一揮成斧斤。 

 

(古風,五十九首の三十五)

醜女 來って顰【ひん】に效【なら】い,家に還って四鄰を驚かす。

壽陵 本步を失い,邯鄲【かんたん】の人を笑殺す。

一曲 斐然の子,雕蟲【ちょうちゅう】天真を喪う。

 

棘刺【きょくし】沐猴【もくこう】を造り,三年 精神を費す。

功 成って用うる所無く,楚楚 且つ身を華にす。

大雅 文王を思い,頌聲【しょうせい】久しく崩淪【ほうりん】。

安んぞ得ん 郢中【えいちゅう】の質,一揮 斧斤【ふうきん】を成すを。 

 

安史の乱当時の勢力図 

『古風,五十九首之三十五』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十五

醜女來效顰,還家驚四鄰。

壽陵失本步,笑殺邯鄲人。

一曲斐然子,雕蟲喪天真。

 

(下し文)

(古風,五十九首の三十五)

醜女 來って顰【ひん】に效【なら】い,家に還って四鄰を驚かす。

壽陵 本步を失い,邯鄲【かんたん】の人を笑殺す。

一曲 斐然の子,雕蟲【ちょうちゅう】天真を喪う。

 

(現代語訳)

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)

むかし、醜女が来て、西施の癪を煩い胸の苦しい時に胸をかかえて顔をしかめるのを見た、家に還って自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がって、隣近所を驚かした。

寿陵というところの二男が行儀作法を趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った、というので邯鄲の人を大笑ひさせた。

かの斐然として文章ある子弟輩が詩歌を作るのはよいが、雕蟲の様な小技を弄し、つまらぬ修辞に凝って天真爛漫な妙趣をなくしてしまう。

安史期のアジアssH 

(訳注)

古風,五十九首之三十五

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)

 

醜女來效顰,還家驚四鄰。

むかし、醜女が来て、西施の癪を煩い胸の苦しい時に胸をかかえて顔をしかめるのを見た、家に還って自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がって、隣近所を驚かした。

○敦壕 《荘子、天運篇》〔西施が胸を病み,胸をかかえて顔をしかめるのを見た醜女が,自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がったという「荘子天運」の寓話から〕むやみに人の真似をして物笑いとなること。また,人の真似をしたものであることを謙遜していう場合に使う。西施捧心(ほうしん)。単に「顰みに倣う」とも。

 

壽陵失本步,笑殺邯鄲人。

寿陵というところの二男が行儀作法を趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った、というので邯鄲の人を大笑ひさせた。

矢本歩 壽陵の若者が趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った《荘子、秋水篇》。

(寿陵 中国の皇帝が生前にあらかじめ造営する陵墓。驪山(りざん)の始皇陵が最大だが,渭水北方の前漢の帝陵,洛陽付近の後漢の帝陵,醴泉(れいせん)の唐の太宗の昭陵も有名。)

 

一曲斐然子,雕蟲喪天真。

かの斐然として文章ある子弟輩が詩歌を作るのはよいが、雕蟲の様な小技を弄し、つまらぬ修辞に凝って天真爛漫な妙趣をなくしてしまう。

・一曲一隅である。一地方。

・斐然 文章を成すの貌。

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この「古風」篇は李白が自ら其の志をいうのである。結論は冒頭の二句にあり、最後の四句にある。前段の「給麗不足珍」以上は首の第一句の意、即ち大雅の衰微久しきを述べ、「我志在刪述,垂輝映千春わたしの志は、孔子が三千以上から選りすぐり、再編して三百余りの『詩経』とされた古代のおおらかな詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。

後段の「筆于獲麟」までは首の第二句の意、即ち「老衰せざる間に大雅復興の業の完成」との志望を述べたのである。

        
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Ⅳ漫遊時代 745年 ~756年至德元年;56歳                  

index-25 -1        746年天寶五年46歳 初春、姑蘇、後に、揚州・安宜・淮安をめぐり、秋に揚州で年越  

index-26 -2        747年天寶六年47歳 春、揚州金陵,5月当塗、丹陽横山に隠れる。後、溧陽、金陵、兗州に帰り年越             

index-27 -3        748年天寶七年48歳 袁州済南、梁苑に遊び、夏、蕹丘・鄭縣、穎陽陳州で元丹邱を尋ねる。梁苑で年越

index-28 -4        749年天寶八年49歳 春、兗州に帰り、金郷・単父に遊び、梁苑に帰って年越

index-29       -5    750年天寶九年50歳 春、梁苑から穎陽で元丹邱と嵩山に行く、襄陽で半年、秋、南陽で年越   

index-30 -6        751年天寶十年51歳 春、南陽穎陽の元丹邱と、河東・関内で遊ぶ。縈陽・鄴中・絳州・邠州、華州で年越   

index-31 -7        752年天寶十一年52歳 商州、南陽、洛陽で宗氏の娘を娶る、秋、河北道に遊び、幽州・薊門、滄州を経て梁苑で年越             

index-32 -8        753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越

index-33 -9        754年天寶十三年54歳 当塗から金陵、越中、広陵で魏万と遇す金陵、江南で遊ぶ秋浦で年越

index-34 -10      755年天寶十四年55歳 春、秋浦から宜城へ当塗、蘆江と宜城、当塗で年越

index-35 -11      756年至德元年年56歳 当塗から宜城、溧陽、剡中、金陵、盧山、永王鄰の幕僚で年越

index-36 -12      757年至德二年57歳 二月永王璘敗れ、彭澤に逃げるが宿松で捕まり、潯陽の獄に

 

 

李白の思想哲學を考察する上で、最も基礎的な文献として指摘・言及される作品は古風五十九首である。

修僻技法の側面とりわけ、隠喩やその延長線上にある諷喩においても、大きな成果をあげているものと考えられ、その表現手法そのものが、李白の発想上の特色なのである。

を明らかにする手掛りになるように思われるのである。

 

 

古風五十九首之一  #1

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)の一

大雅久不作,吾衰竟誰陳。

詩経の大雅のような堂々として荘重な詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活して陳べてくれるだろうか。

王風委蔓草,戰國多荊榛。

諸侯の国の民話である「王風」の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の世の詩、文学は、イバラとハシバミが代表するような雑草・雑木林ばかりになってしまった。

龍虎相啖食,兵戈逮狂秦。」

それは竜と虎とが食いあうように戦国諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、天下は統一されたものの、狂暴な秦国の「焚書坑儒」の思想弾圧事件に及んでしまった。

正聲何微茫,哀怨起騷人。

「詩経、大雅」の系統で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより「楚辞」を著し、騒人を生み出した。

揚馬激波,開流蕩無垠。」

揚雄と司馬相如は、屈原の流を汲む者として崩れゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。」
廢興雖萬變,憲章亦已淪。

その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化したのだけれど、正しい詩法はすっかり文学の世界から沈んでしまったのだ。

自從建安來,綺麗不足珍。』

それ以降、建安文学の時代に至ったのであるが、ただ綺麗な文、清談といわれる詩を作るだけで、新しく珍しく良いものは見ることはできない。

大雅久しく作【おこ】らず、吾れ衰えなば竟【つい】に誰か陳【の】べん。

王風 蔓草【まんそう】に委【い】し、戦国 荊榛【けいしん】多し。

龍虎 相い啖食【たんしょく】し、兵戈 狂秦【きょうしん】に逮【およ】ぶ。」

正声 何ぞ微茫たる、哀怨 騒人より起こる。

揚馬【ようば】頽波【たいは】を激し、流れを開き 蕩として垠【ぎん】無し。」

廃興 万変すと雖も、憲章 亦た已に淪【ほろ】ぶ。

建安より来【こ】のかたは、綺麗にして珍とするに足らず。』

 

#2

聖代復元古,垂衣貴清真。

唐歴代の皇帝は聖天子であり、太古の三皇五帝の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すがすがしい宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道を貴ぶようになった。

群才屬休明,乘運共躍鱗。

これまで多くの才能ある人びとは、やすらかであかるい御代にいることで活かされたのだ、そして、その時代の運気に乗って、才能ある者たちが相乗して魚がうろこをおどらせるように活躍し出したのである。』

文質相炳煥,眾星羅秋旻。」

その素材にはあや模様と良い生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやくようになったのである。

我志在刪述,垂輝映千春。

わたしの志は、孔子が三千以上から選りすぐり、再編して三百余りの『詩経』とされた古代のおおらかな詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。

希聖如有立,筆於獲麟。」

聖人孔子の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにしようと思うのだ。』

 

聖代 元古に復し、衣を垂れて清真を貴ぶ。

群才 休明に属し、運に乗じて共に鱗を躍【おど】らす。

文質 相い炳煥【へいかん】し、衆星 秋旻【しゅうびん】に羅【つら】なる。」

我が志は刪述【さんじゅつ】に在り、輝を垂れて千春を映【てら】さん。

聖を希【こいねが】いて如【も】し立つ有らば、筆を獲麟【かくりん】に絶たん。』

 

 

『古風五十九首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風五十九首之一  #1

大雅久不作,吾衰竟誰陳。王風委蔓草,戰國多荊榛。

龍虎相啖食,兵戈逮狂秦。」

正聲何微茫,哀怨起騷人。揚馬激波,開流蕩無垠。」

廢興雖萬變,憲章亦已淪。自從建安來,綺麗不足珍。』

#2

聖代復元古,垂衣貴清真。群才屬休明,乘運共躍鱗。

文質相炳煥,眾星羅秋旻。」

我志在刪述,垂輝映千春。希聖如有立,筆於獲麟。」

 

 

(下し文)

(古風五十九首 其の一)#2

聖代 元古に復し、衣を垂れて清真を貴ぶ。

群才 休明に属し、運に乗じて共に鱗を躍【おど】らす。

文質 相い炳煥【へいかん】し、衆星 秋旻【しゅうびん】に羅【つら】なる。」

我が志は刪述【さんじゅつ】に在り、輝を垂れて千春を映【てら】さん。

聖を希【こいねが】いて如【も】し立つ有らば、筆を獲麟【かくりん】に絶たん。』

 

(現代語訳)

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)の一 #2

唐歴代の皇帝は聖天子であり、太古の三皇五帝の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すがすがしい宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道を貴ぶようになった。

これまで多くの才能ある人びとは、やすらかであかるい御代にいることで活かされたのだ、そして、その時代の運気に乗って、才能ある者たちが相乗して魚がうろこをおどらせるように活躍し出したのである。』

その素材にはあや模様と良い生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやくようになったのである。

わたしの志は、孔子が三千以上から選りすぐり、再編して三百余りの『詩経』とされた古代のおおらかな詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。

聖人孔子の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにしようと思うのだ。』

 

 

(訳注)

古風五十九首之一  #1

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)の一 #2

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。宋本は通計五十九篇であり、おおむねこの本をテキストとして進める。

この「古風」篇は李白が自ら其の志をいうのである。結論は冒頭の二句にあり、最後の四句にある。

前段の「給麗不足珍」以上は首の第一句の意、即ち大雅の衰微久しきを述べ、後段の「筆于獲麟」までは首の第二句の意、即ち「我末だ老衰せざる間に大雅復興の業を完成したい」との志望を述べたのである。

 

聖代復元古。 垂衣貴清真。

唐歴代の皇帝は聖天子であり、太古の三皇五帝の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すがすがしい宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道を貴ぶようになった。

○聖代 聖は唐歴代の皇帝は聖天子であり、唐王朝、唐の時代をさす。

○元古 太古。

○垂衣 周易」の繋辭傳に「黄帝・堯・舜は衣裳を垂れて而して天下治まる」と有り、無為にして世の治まったこと。唐の治世を之に比す。三皇五帝の時代は仁徳という衣を地に垂れていただけで、天下がよく治まったことをいう。

○清真 すっきりとして、ありのままなことで、清は清浄であり、真は天真である。「清真を貴ぶ」とは、宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道(タオ)とする道教を貴んだことではある。いずれも道家の貴ぶ所。唐の王室の姓は李であり、老子は李耳と同姓であるとして、それを以て之を尊び、道教を盛んにした。

 

群才屬休明。 乘運共躍鱗。』

これまで多くの才能ある人びとは、やすらかであかるい御代にいることで活かされたのだ、そして、その時代の運気に乗って、才能ある者たちが相乗して魚がうろこをおどらせるように活躍し出したのである。』

○休明 休は善であり、慶である。芽出たく明らかなる御代に逢うたと云ふこと。

○鱗 龍鱗。優れたる才能を喩へる。

 

文質相炳煥、眾星羅秋旻。

その素材にはあや模様と良い生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやくようになったのである。

○文質 文はあやで模様と質は素材、生地。詩の雰囲気と詩の形式。

○炳煥 てりはえる。

○秋旻 秋の空。

 

我志在刪述、垂輝映千春。

わたしの志は、孔子が三千以上から選りすぐり、再編して三百余りの『詩経』とされた古代のおおらかな詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。

○刪述 けずって、のべる。良くない所はけずり、良い所をのべつたえる。西周時代、当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる。史記・孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成し直したということに倣うこと。 

○千春 千年

 

希聖如有立、筆于獲麟。』

聖人孔子の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにしようと思うのだ。』

○希聖 聖は孔子。希は之に倣ふことを希【こいねが】う。

○有立 成立すること。成就すること。

筆於獲麟 孔子が魯の歴史「春を編して、魯の哀公十四年に至り、魯人が麒麟を捕獲した事箕に遭遇し、此の霊験が乱世に出現して野人に獲られたことを嘆じ、比の一條を最後として「春秋」の筆を絶ったと云ふ。孔子を慕ふ意味で此の故事を用いたのである。

○獲麟 むかし孔子は歴史の本「春秋」を著わしたとき、「麒麟をつかまえた」という所で筆を絶った。麒麟は、空想の動物で、聖人のあらわれる瑞兆とされている。

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《古風五十九首之一》 巻一<index-29-1-537#1> Ⅰ李白詩1141 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4253

 

Ⅳ漫遊時代 745年 ~756年至德元年;56歳                  

index-25              -1       746年天寶五年46歳 初春、姑蘇、後に、揚州・安宜・淮安をめぐり、秋に揚州で年越 

index-26              -2       747年天寶六年47歳 春、揚州金陵,5月当塗、丹陽横山に隠れる。後、溧陽、金陵、兗州に帰り年越             

index-27              -3       748年天寶七年48歳 袁州済南、梁苑に遊び、夏、蕹丘・鄭縣、穎陽陳州で元丹邱を尋ねる。梁苑で年越

index-28              -4       749年天寶八年49歳 春、兗州に帰り、金郷・単父に遊び、梁苑に帰って年越

index-29              -5       750年天寶九年50歳 春、梁苑から穎陽で元丹邱と嵩山に行く、襄陽で半年、秋、南陽で年越            

index-30              -6       751年天寶十年51歳 春、南陽穎陽の元丹邱と、河東・関内で遊ぶ。縈陽・鄴中・絳州・邠州、華州で年越   

index-31              -7       752年天寶十一年52歳 商州、南陽、洛陽で宗氏の娘を娶る、秋、河北道に遊び、幽州・薊門、滄州を経て梁苑で年越             

index-32              -8       753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越

index-33              -9       754年天寶十三年54歳 当塗から金陵、越中、広陵で魏万と遇す金陵、江南で遊ぶ秋浦で年越

index-34              -10     755年天寶十四年55歳 春、秋浦から宜城へ当塗、蘆江と宜城、当塗で年越

index-35              -11      756年至德元年年56歳 当塗から宜城、溧陽、剡中、金陵、盧山、永王鄰の幕僚で年越

index-36              -12     757年至德二年57歳 二月永王璘敗れ、彭澤に逃げるが宿松で捕まり、潯陽の獄に

 

 

李白の思想哲學を考察する上で、最も基礎的な文献として指摘・言及される作品は古風五十九首である。

修僻技法の側面とりわけ、隠喩やその延長線上にある諷喩においても、大きな成果をあげているものと考えられ、その表現手法そのものが、李白の発想上の特色なのである。

を明らかにする手掛りになるように思われるのである。

この李白を理解するためには、彼の代表的な連作である古風五十九首を一首づつ丁寧に読んでいく必要がある。この作品群に対する彼の作詩態度を探っていって、その後に、時系列に他の作品を読んでいくことが大切なのである。李白を理解する、早道であり、基本的な学習法である。一千首前後有り、長詩もあるので、毎日8句~10句程度で進める。できる事なら、それを数回繰り返して読み、螺旋階段を上るように理解が高められるということなのである。

 

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。宋本は通計五十九篇であり、おおむねこの本をテキストとして進める。

 

 

古風五十九首之一  #1

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)の一

大雅久不作,吾衰竟誰陳。

詩経の大雅のような堂々として荘重な詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活して陳べてくれるだろうか。

王風委蔓草,戰國多荊榛。

諸侯の国の民話である「王風」の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の世の詩、文学は、イバラとハシバミが代表するような雑草・雑木林ばかりになってしまった。

龍虎相啖食,兵戈逮狂秦。」

それは竜と虎とが食いあうように戦国諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、天下は統一されたものの、狂暴な秦国の「焚書坑儒」の思想弾圧事件に及んでしまった。

正聲何微茫,哀怨起騷人。

「詩経、大雅」の系統で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより「楚辞」を著し、騒人を生み出した。

揚馬激波,開流蕩無垠。」

揚雄と司馬相如は、屈原の流を汲む者として崩れゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。」
廢興雖萬變,憲章亦已淪。

その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化したのだけれど、正しい詩法はすっかり文学の世界から沈んでしまったのだ。

自從建安來,綺麗不足珍。』

それ以降、建安文学の時代に至ったのであるが、ただ綺麗な文、清談といわれる詩を作るだけで、新しく珍しく良いものは見ることはできない。

大雅久しく作【おこ】らず、吾れ衰えなば竟【つい】に誰か陳【の】べん。

王風 蔓草【まんそう】に委【い】し、戦国 荊榛【けいしん】多し。

龍虎 相い啖食【たんしょく】し、兵戈 狂秦【きょうしん】に逮【およ】ぶ。」

正声 何ぞ微茫たる、哀怨 騒人より起こる。

揚馬【ようば】頽波【たいは】を激し、流れを開き 蕩として垠【ぎん】無し。」

廃興 万変すと雖も、憲章 亦た已に淪【ほろ】ぶ。

建安より来【こ】のかたは、綺麗にして珍とするに足らず。』

 

#2

聖代復元古,垂衣貴清真。群才屬休明,乘運共躍鱗。

文質相炳煥,眾星羅秋旻。」

我志在刪述,垂輝映千春。希聖如有立,筆於獲麟。」

 

聖代 元古に復し、衣を垂れて清真を貴ぶ。

群才 休明に属し、運に乗じて共に鱗を躍【おど】らす。

文質 相い炳煥【へいかん】し、衆星 秋旻【しゅうびん】に羅【つら】なる。」

我が志は刪述【さんじゅつ】に在り、輝を垂れて千春を映【てら】さん。

聖を希【こいねが】いて如【も】し立つ有らば、筆を獲麟【かくりん】に絶たん。』

 

 

『古風五十九首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風五十九首之一  #1

大雅久不作,吾衰竟誰陳。王風委蔓草,戰國多荊榛。

龍虎相啖食,兵戈逮狂秦。」

正聲何微茫,哀怨起騷人。揚馬激波,開流蕩無垠。」

廢興雖萬變,憲章亦已淪。自從建安來,綺麗不足珍。』

 

(下し文)

王風 蔓草【まんそう】に委【い】し、戦国 荊榛【けいしん】多し。

龍虎 相い啖食【たんしょく】し、兵戈 狂秦【きょうしん】に逮【およ】ぶ。」

正声 何ぞ微茫たる、哀怨 騒人より起こる。

揚馬【ようば】頽波【たいは】を激し、流れを開き 蕩として垠【ぎん】無し。」

廃興 万変すと雖も、憲章 亦た已に淪【ほろ】ぶ。

建安より来【こ】のかたは、綺麗にして珍とするに足らず。』

 

(現代語訳)

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)

詩経の大雅のような堂々として荘重な詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活して陳べてくれるだろうか。

諸侯の国の民話である「王風」の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の世の詩、文学は、イバラとハシバミが代表するような雑草・雑木林ばかりになってしまった。

それは竜と虎とが食いあうように戦国諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、天下は統一されたものの、狂暴な秦国の「焚書坑儒」の思想弾圧事件に及んでしまった。

「詩経、大雅」の系統で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより「楚辞」を著し、騒人を生み出した。

揚雄と司馬相如は、屈原の流を汲む者として崩れゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。」
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化したのだけれど、正しい詩法はすっかり文学の世界から沈んでしまったのだ。

それ以降、建安文学の時代に至ったのであるが、ただ綺麗な文、清談といわれる詩を作るだけで、新しく珍しく良いものは見ることはできない。

 

(訳注)

古風五十九首之一  #1

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)の一

 

大雅久不作。 吾衰竟誰陳。

詩経の大雅のような堂々として荘重な詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活して陳べてくれるだろうか。

○大雅 「詩経」の分類の一種で、周の王室に関することを詠じたものが多く、詩経中もっとも堂々として荘重な作が集められている。

○陳 「禮記」王制篇に、古は天子が大師(楽官の長)に命じ、詩を陳ねしめて以て民間の風俗を観た、と有る。陳は陳述である。 

 

王風委蔓草、戰國多荊榛。

諸侯の国の民話である「王風」の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の世の詩、文学は、イバラとハシバミが代表するような雑草・雑木林ばかりになってしまった。

○王風 詩経の国風篇巻の六。周の都が東方の洛邑(今の河南洛陽)に遷都により、王室の尊厳が衰えたので、王城畿内の歌話を諸侯の国の民話(即ち国風)と同等に取扱って之を王風と日った。

・委 棄置である。蔓草の叢生、はびこるにまかせる。・

○戦国 紀元前5~前3世紀までの秦・楚・燕・斉・韓・超・魏の七国が争った時代。周は洛邑(王城・成周)周辺を支配する小国となり、往時と比するべくもない程まで没落した。それでも権威だけは保持しており、諸侯たちはその権威を利用して諸侯の間の主導権を握ろうとした(春秋五覇)。そのわずかな権威も戦国時代に入ると完全に無くなり、各諸侯がそれぞれ「王」を称するようになった。その小さな王朝の中でも権力争いは続いており、東西に分裂したり、何度となく王が殺されることが起きた。

○荊榛 雑木雑草。イバラとハシバミ。また、それらが茂る雑木林のこと。「

 

龍虎相啖食、兵戈逮狂秦。

それは竜と虎とが食いあうように戦国諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、天下は統一されたものの、狂暴な秦国の「焚書坑儒」の思想弾圧事件に及んでしまった。

○兵戈 武器。戦争。 

○逮 及ぶ。とどく。 

○狂秦 狂暴な秦。秦王朝が統治していた時代に発生した「焚書坑儒」の思想弾圧事件。

 

正聲何微茫、哀怨起騷人。

「詩経、大雅」の系統で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより「楚辞」を著し、騒人を生み出した。

・正聲 詩経、特に大雅の系統を意味する。

○騒人 「離騒」の作者である屈原(前三世紀)をはじめ「楚辞」をあらわし、悲憤條慨の詩を作った一派の詩人たち、それ以来悲憤憤慨の人をたくさん作りだしたことをいう。

 

揚馬激波、開流蕩無垠。」

揚雄と司馬相如は、屈原の流を汲む者として崩れゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。」

○揚馬 前一、二世紀の漢の時代に出た文人で、漢の揚雄と司馬相如。漢代の賦の代表的作家。屈原の流を汲む者。 

揚雄 《甘泉賦 序》 全26文選  詩<107>Ⅱ李白に影響を与えた詩854 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2818

 

司馬相如 《子虚賦 》(1)#0-0 文選 賦<109-#0-0>9分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩880 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2948

司馬相如 《上林賦 》(1)#1-1 文選 賦<110-#1-1>9分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩906 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3078

・激 屈原の後、衰えかけた賦を盛んにした人である。

○垠 かぎり、はて。さかい。

 

廢興雖萬變、憲章亦已淪。

その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化したのだけれど、正しい詩法はすっかり文学の世界から沈んでしまったのだ。

○憲章 正しい法則。

・憲章 法度憲章。

・淪 沈没。

 

自從建安來。 綺麗不足珍。』

それ以降、建安文学の時代に至ったのであるが、ただ綺麗な文、清談といわれる詩を作るだけで、新しく珍しく良いものは見ることはできない。

○自徒 同義の字を重ねたものである。

○建安 後漢末期、建安年間、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。三曹七子。三曹 : 曹操・曹丕・曹植 建安七子: 孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀。

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