漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
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李白詩index-29 750年天寶九年50歳

李白集校注 訳注解説Blog 750年-6 《留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】》-#3 漢文委員会 紀 頌之 Blog11168

李白集校注 訳注解説Blog 750-6 《留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】》-#3  漢文委員会 紀 頌之 Blog11168

 

750

天寶九年 750

 

6. 留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】 #3

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 11168

 

 

 

 

留別金陵諸公  #1
海水昔飛動。 三龍紛戰爭。 
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。 
黃旗一掃蕩。 割壤開
京。 
-

六代更霸王。 遺跡見都城。 
至今秦淮間。 禮樂秀群英。

地扇鄒魯學。 詩騰顏謝名。 
-#3

五月金陵西。 祖余白下亭。 
欲尋廬峰頂。 先繞漢水行。 
香爐紫煙滅。 瀑布落太清。 
若攀星辰去。 揮手緬含情。 
(
跡一作都 ) ( 都一作空 )

1
海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 

六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。 
今に至る秦淮の間、禮樂 群英 秀し。 
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。 

五月 金陵の西。 祖余 白下亭。 
盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。
香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。
もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。


-1
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

海水昔飛動、三龍紛戦争。
むかし、春秋戦国の時代から呉越戦争に代表される戰があったが、その後も事あるごとに金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。その後は魏後蜀の三國がいりまじって三匹の龍が激しく争う戦があり、また、その後小国乱立した時代にも小さな戦争が続いていたのがこの地域である。

鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。

黄旗一掃蕩、割尽開呉京。
孫氏が黄色い旗をおし建てて帝王が現われると、江南一帯を掃蕩し、混乱を収拾したのである、壊され傾いた部分を打ち壊し、土壌をきりひらいて呉の都、金陵を経営したのである。

2

六代更霸王、遺跡見都城。 
孫氏はそれに引き続いて、六代のあいだ、ここに覇王としてつづいた、その後遺跡はすべて都城にのこっており、帝都では無くなっても東南の都の城郭をみることができるのである。
至今秦淮間、禮樂秀群英。 
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかな文化をたたえており、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地とするところなのである。
地扇鄒魯學。詩騰顏謝名。 

そうして、この地の湧き上がる風は、鄒魯とする老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせているのが流行し誰でも学んだし、顔延之、謝靈運がでてきて、詩歌はここで盛んになり、謝朓など多くの詩人が生まれ、江南文化は中国を席巻したのである。
-#3

五月金陵西。祖余白下亭。 

いまは五月、真夏に向かう季節である、「将に行かんとそして酒を飲む」祖道ということで、恒例として、旅立つ私を金陵城の西側にある白下亭に招いてくれたということでまことにありがたいものである。

欲尋盧峰頂、先繞漢水行。

わたしがしたいのは、江西の盧山の絶頂に登ろうと思っているのだけれど、それにはまずこのやまの麓をぐるりとめぐり、漢水をさかのぼっていこうとしているのである。

 

香炉紫煙滅、瀑布落太清。

盧峰の嶤嶤嵺嵺とした香炉峰の紫の霞も消えつくし、名高い落差三百丈の瀑布が、「玄気は大赤天の太清境と化す」ととてもはっきりと見えることだろう。

若攀星辰去、揮手緬含情。( 跡一作都 ) ( 都一作空 )

そこまで行けば手を延ばすだけで星辰に届くだろうから、いよいよ絶頂に達したら、手を振って、情を含み、緬然として諸公のこの地にあるのを思い起こすに違いないのである。

 

 

清・王琦 李白集校注(卷十五 〔一〕九二六

金陵諸
海水昔飛動、三龍紛戰爭。 鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。 黃旗一掃蕩、割壤開京。 

六代更霸王、遺跡見都城。 一作遺都見空城  至今秦淮間、禮樂秀群英。

地扇鄒魯學、詩騰顏謝名。 

五月金陵西、祖余白下亭。 欲尋廬峰頂、先繞漢水行。 香爐紫煙滅、瀑布落太清。 

若攀星辰去、揮手緬含情。 

海水〕王云: 劇秦美新、海水羣飛。 李善註: 海水萬民、羣飛言亂。

三龍〕  三龍蜀魏也。

 鐘山〕 太平寰宇記:蔣山在昇州上元縣東北十五里、周迴六十里面南顧東東逹青龍門等山西臨青溪。絶山南面有鍾浦水流下入秦淮、北連雉亭山。 按輿地志云: 蔣山古曰金陵山、縣之名因此而立。 漢輿地圖名鍾山、大帝時有蔣子文發神騐於此、封子文為蔣侯、改曰蔣山。  参考:巻七金陵歌送別范宜註。

〕謝朓詩:奔鯨自此曝。 顔延年詩:襟衛徙京金陵也。以人所都。 故曰 

都城〕 王云: 景定建康志: 古都城。  按官苑記:呉大帝所築、周迴二十里一十九步、在淮水北五里。 晉元帝過江、不改其舊。宋、齊、梁、陳皆都之。 輿地志曰: 晉琅邪王渡江、鎮建業、因舊都、修而居之。宋、齊而下、室有因革、而都城不改。 東南利便書曰: 孫權雖據石頭、以扼江險、然其都邑、則在建業、歴代所謂都城也。 東晉、宋、齊、梁因之、雖時有改築、而其經畫皆之舊。

秦淮〕初學記 孫盛晉陽秋曰:秦始皇東望氣者云五百年後金陵有天子氣、於是始皇、於方山掘流西入江亦曰:淮今在潤州江寧縣土俗號曰:秦淮太平寰宇記、丹陽記云:始皇鑿金陵方山其斷處為瀆、即今淮水經城中入大江是曰秦淮。 

鄒魯〕史記鄒魯濱邾泗猶有周公遺風俗好儒備於禮 漢書 鄒魯守經學。

 

顏謝〕 宋書顔延之與謝靈運俱以詞采齊名自。 潘岳陸機之後文士莫及也江左稱顔謝焉所著並傳於世

〕鄭𤣥儀禮註將行而飲酒曰祖

白下〕 蕭士曰圖經白下亭在上元縣西北

廬峰〕 廬峰即廬山也。 

 香爐〕江西通志:廬山在南康府治北二十里、九江府城南二十五里、脈接衡陽由武功來古南障山也髙三千三百六十丈或云七千三百六十丈。凡有七重、周迴五百里、山無主峰横潰四出、嶤嶤嵺嵺、各為尊髙。不相拱揖異於武當太岳、諸名山出風降雨抱異懷靈道書稱為第八洞天香爐峰在開先文殊寺後其形圓聳如爐山南山北皆見峰上常出雲氣、有似香烟故名。

瀑布〕太平寰宇記:廬山瀑布在山東、亦名白水源出、髙峰挂流三百許丈望如匹布故名瀑布。

揮手劉琨詩揮手長相

 

 

李白集校注(卷十五 〔一〕九二六

《留別金陵諸公》 現代語訳と訳註
(
本文)

-
3
五月金陵西。祖余白下亭。 
欲尋盧峰頂、先繞漢水行。
香炉紫煙滅、瀑布落太清。
若攀星辰去、揮手緬含情。

 

 (下し文)
#3

五月 金陵の西。 祖余 白下亭。

盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。

香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。

もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。

 

 (現代語訳)

(留別金陵諸公)
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

いまは五月、真夏に向かう季節である、「将に行かんとそして酒を飲む」祖道ということで、恒例として、旅立つ私を金陵城の西側にある白下亭に招いてくれたということでまことにありがたいものである。
わたしがしたいのは、江西の盧山の絶頂に登ろうと思っているのだけれど、それにはまずこのやまの麓をぐるりとめぐり、漢水をさかのぼっていこうとしているのである。

盧峰の嶤嶤嵺嵺とした香炉峰の紫の霞も消えつくし、名高い落差三百丈の瀑布が、「玄気は大赤天の太清境と化す」ととてもはっきりと見えることだろう。

そこまで行けば手を延ばすだけで星辰に届くだろうから、いよいよ絶頂に達したら、手を振って、情を含み、緬然として諸公のこの地にあるのを思い起こすに違いないのである。

 

(訳注)
留別金陵諸公

(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

金陵に来た李白は、旧知の友人たちとの再会を喜びつつ酒を飲み、一時を楽しんで、やがて廬山を目指して旅立ってゆく。「金陵の諸公に留別す」では、その送別の宴で、廬山に隠棲したい胸の中を明らかにしている詩である。

 

五月金陵西。祖余白下亭。 
いまは五月、真夏に向かう季節である、「将に行かんとそして酒を飲む」祖道ということで、恒例として、旅立つ私を金陵城の西側にある白下亭に招いてくれたということでまことにありがたいものである。
祖余 旅に出るわたし。〕 鄭𤣥儀禮の註に、「將に行かんとして、酒を飲むを祖と曰う。

白下〕 蕭士贅曰く「圖經に白下亭は上元縣の西北に在る」とある。


欲尋盧峰頂、先繞漢水行。
わたしがしたいのは、江西の盧山の絶頂に登ろうと思っているのだけれど、それにはまずこのやまの麓をぐるりとめぐり、漢水をさかのぼっていこうとしているのである。

廬峰〕 廬峰は即ち廬山なり。 

漢水 漢水は陝西省漢中市寧強県の嶓冢山を水源とする。東に流れ湖北省に入り武漢市で長江に合流する。支流として胥水河(中文)、旬河(中文)、堵河(中文)(最大)、丹江(中文)、唐白河(中文)等を併せる。流域の主要な都市として漢中市、安康市、十堰市、襄陽市、武漢市などがある。漢水の上流に丹江口ダム(中文)があり、南水北調工程(南方の水を北方へ引く国家プロジェクト、English、中文)の水源となっている。『書経・禹貢』に「嶓冢導漾東流為漢。」とあり、清代の『嘉慶一統志』漢中府・山川に「漢水,在寧羌州北,源出嶓冢山。東流経沔県南,又東経褒城県南,又東経府治南鄭県南......東南流入興安府石泉県界。」とある。地形の変化のため、安康より上流は航行することができない。また支流は冬季には断流することがある。漢水の中・下流の流域では都市は川床よりも低い位置にあり、漢水の氾濫は大きな災難をもたらす。


香炉紫煙滅、瀑布落太清
盧峰の嶤嶤嵺嵺とした香炉峰の紫の霞も消えつくし、名高い落差三百丈の瀑布が、「玄気は大赤天の太清境と化す」ととてもはっきりと見えることだろう。

 香爐〕江西通志に「廬山は南康府治北二十里に在り、九江府城の南二十五里の脈は衡陽に接す。由に武功は古に來るは南障山なり。 髙さは三千三百六十丈であり或は七千三百六十丈と云う、凡そ、七重有り、周迴五百里、山無主峰横潰四出、嶤嶤嵺嵺【ギョウギョウコウコウ】各の尊髙を為し、相拱さず、於武當太岳に揖異し、諸名山風降雨出し抱き、異懷靈道書に第八洞天と稱すを為す。香爐峰は開先文殊寺の後に在り、其の形は圓聳爐の如く、山南山北、皆峰上常に雲氣を出すを見る。 香烟に似たる有り、故に名づく。」とある。

瀑布〕太平寰宇記に「廬山瀑布は山東に在り、亦た白水と名づく源は、髙峰に出て、挂流三百許丈、望すれば匹布の如し、故に瀑布と名づく。

太清  道教の創世紀は、三十六天の天界が派生したことも説いている。その中には欲界・色界・無色界の「三界二十八天」が含まれているほか、三界の外の八天(四梵天・三清境と最高の大羅天)も含まれる。欲界には六天があり、人々が性交によって胎生し、姿形を備え情欲を持つ現実世界である。色界には十八天があり、人々は変化によって生まれ、姿形はあるが情欲はなく、およそ道士たちが修練する世界である。無色界の四天では、人々に色欲はなく、その姿を知覚することはできないが、真人だけはその姿を見ることができる。実際にはここは修練の精神の境界である。三界を越えた所に四梵天があり、ここが人々の言う天である。ここでは生死や災禍はなく、修道の完成した人が帰属する場所である。それを越えて行くと、三清境がある。その最も高いところが玉清境の清微天、その次が上清境の禹餘天、その次が太清境の大赤天である。三清境は道教が理想とする仙人の境界であり、道教の三清の尊神が住む場所でもある。最高の大羅天は、「道」の象徴である。大羅天で生み出された玄・元・始の三が、三清天に変化する。始気は清微天の玉清界と化し、元気は禹餘天の上清境と化し、玄気は大赤天の太清境と化す


若攀星辰去、揮手緬含情。
そこまで行けば手を延ばすだけで星辰に届くだろうから、いよいよ絶頂に達したら、手を振って、情を含み、緬然として諸公のこの地にあるのを思い起こすに違いないのである。

星辰 1.夜空で光っているように見える天体。星。 2.天球上の恒星を動物やものに見立てて区分したもの。星座。

揮手〕 劉琨詩に手長に揮って相い謝す。

------- 参考 --------------

謝霊運  385433 南朝の宋の詩人。陽夏(河南省)の人。永嘉太守・侍中などを歴任。のち、反逆を疑われ、広州で処刑された。江南の自然美を精緻(せいち)な表現によって山水詩にうたった。 

謝霊運詩の一覧表

顔 延之(がん えんし) 384 - 456 、)は中国南北朝時代、宋の文学者。字は延年。本籍地は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市)。宋の文帝や孝武帝の宮廷文人として活躍し、謝霊運・鮑照らと「元嘉三大家」に総称される。また謝霊運と併称され「顔謝」とも呼ばれる。

謝朓(しゃちょう) 464 - 499 南北朝時代、南斉の詩人。現存する詩は200首余り、その内容は代表作とされる山水詩のほか、花鳥風月や器物を詠じた詠物詩、友人・同僚との唱和・離別の詩、楽府詩などが大半を占める。竟陵八友のひとり

巻三-32-#2 雜詩三首其一七月七日夜詠牛女〔謝恵連〕漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ

李白集校注 訳注解説ブログ 750年-6 《留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】》-#2 漢文委員会 紀 頌之 Blog11160

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750

天寶九年 750

 

6. 留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】 #2

 

李白集校注 訳注解説

 

 

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留別金陵諸公  #1
海水昔飛動。 三龍紛戰爭。 
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。 
黃旗一掃蕩。 割壤開
京。 
-

六代更霸王。 遺跡見都城。 
至今秦淮間。 禮樂秀群英。

地扇鄒魯學。 詩騰顏謝名。 
-#3

五月金陵西。 祖余白下亭。 
欲尋廬峰頂。 先繞漢水行。 
香爐紫煙滅。 瀑布落太清。 
若攀星辰去。 揮手緬含情。 
(
跡一作都 ) ( 都一作空 )

1
海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 

六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。 
今に至る秦淮の間、禮樂 群英 秀し。 
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。 

五月 金陵の西。 祖余 白下亭。 
盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。
香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。
もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。


-1
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

海水昔飛動、三龍紛戦争。
むかし、春秋戦国の時代から呉越戦争に代表される戰があったが、その後も事あるごとに金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。その後は魏後蜀の三國がいりまじって三匹の龍が激しく争う戦があり、また、その後小国乱立した時代にも小さな戦争が続いていたのがこの地域である。鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。

黄旗一掃蕩、割尽開呉京。
孫氏が黄色い旗をおし建てて帝王が現われると、江南一帯を掃蕩し、混乱を収拾したのである、壊され傾いた部分を打ち壊し、土壌をきりひらいて呉の都、金陵を経営したのである。

2

六代更霸王、遺跡見都城。 
孫氏はそれに引き続いて、六代のあいだ、ここに覇王としてつづいた、その後遺跡はすべて都城にのこっており、帝都では無くなっても東南の都の城郭をみることができるのである。
至今秦淮間、禮樂秀群英。 
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかな文化をたたえており、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地とするところなのである。
地扇鄒魯學。詩騰顏謝名。 

そうして、この地の湧き上がる風は、鄒魯とする老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせているのが流行し誰でも学んだし、顔延之、謝靈運がでてきて、詩歌はここで盛んになり、謝朓など多くの詩人が生まれ、江南文化は中国を席巻したのである。

 

李白集校注 関係個所 抜粋

都城〕 王云: 景定建康志: 古都城。  按官苑記:呉大帝所築、周迴二十里一十九步、在淮水北五里。 晉元帝過江、不改其舊。宋、齊、梁、陳皆都之。 輿地志曰: 晉琅邪王渡江、鎮建業、因舊都、修而居之。宋、齊而下、室有因革、而都城不改。 東南利便書曰: 孫權雖據石頭、以扼江險、然其都邑、則在建業、歴代所謂都城也。 東晉、宋、齊、梁因之、雖時有改築、而其經畫皆之舊。

秦淮〕初學記 孫盛晉陽秋曰:秦始皇東望氣者云五百年後金陵有天子氣、於是始皇、於方山掘流西入江亦曰:淮今在潤州江寧縣土俗號曰:秦淮太平寰宇記、丹陽記云:始皇鑿金陵方山其斷處為瀆、即今淮水經城中入大江是曰秦淮。 

鄒魯〕史記鄒魯濱邾泗猶有周公遺風俗好儒備於禮 漢書 鄒魯守經學。

 

顏謝〕 宋書顔延之與謝靈運俱以詞采齊名自。 潘岳陸機之後文士莫及也江左稱顔謝焉所著並傳於世

 

李白集校注(卷十五 〔一〕九二六

《留別金陵諸公》 現代語訳と訳註
(
本文)

-

六代更霸王。 遺跡見都城。 
至今秦淮間。 禮樂秀群英。

地扇鄒魯學。 詩騰顏謝名。

 

 (下し文)
六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。 
今に至る秦淮の間、禮樂 群英 秀し。 
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。 

 

 (現代語訳)

(留別金陵諸公)
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

孫氏はそれに引き続いて、六代のあいだ、ここに覇王としてつづいた、その後遺跡はすべて都城にのこっており、帝都では無くなっても東南の都の城郭をみることができるのである。
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかな文化をたたえており、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地とするところなのである。

そうして、この地の湧き上がる風は、鄒魯とする老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせているのが流行し誰でも学んだし、顔延之、謝靈運がでてきて、詩歌はここで盛んになり、謝朓など多くの詩人が生まれ、江南文化は中国を席巻したのである。

(訳注)
留別金陵諸公

(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

金陵に来た李白は、旧知の友人たちとの再会を喜びつつ酒を飲み、一時を楽しんで、やがて廬山を目指して旅立ってゆく。「金陵の諸公に留別す」では、その送別の宴で、廬山に隠棲したい胸の中を明らかにしている詩である。

#2

六代更霸王、 遺跡見都城。 
孫氏はそれに引き続いて、六代のあいだ、ここに覇王としてつづいた、その後遺跡はすべて都城にのこっており、帝都では無くなっても東南の都の城郭をみることができるのである。
六代 かつては呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、王朝の都であった。

都城〕  王云: 景定建康志に古都城とある。  按ずるに官苑記に呉大帝の築く所なり、周迴二十里一十九步、淮水の北五里に在る。 晉の元帝 江を過ぎ、其の舊を改めず。宋、齊、梁、陳は皆 之を都す。 輿地志に曰う: 晉の琅邪王江を渡る、建業を鎮め、因て舊都とし、之を居にして修す。宋、齊は下って、室は因を有すれば革有り、而して都城 改めず。 東南利便書に曰く: 孫權は石頭に據すと雖も、以て江險を扼し、然し其れ都邑とし、則ち建業を在す、歴代 所謂る都城とするなり。 東晉、宋、齊、梁之に因って、時に改築有ると雖も、而して其の經畫は皆  之れ舊なり。


至今秦淮間、 禮樂秀群英。 
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかな文化をたたえており、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地とするところなのである。
禮樂礼儀と音楽、礼記と楽記、周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物を、戴聖が編纂したものである。全49篇。これは唐代以降、五経の1つとして尊重された。楽記‐一説に前漢の武帝のときに河間献王が編纂させたといわれている。その他、公孫尼子、荀子などの説もある。

長江と秦淮河の辺には歓楽街があった。

秦淮〕 初學記に 孫盛え、晉陽秋に曰う:秦始皇が東氣を望む者、五百年後金陵とい、天子の氣有り、是に於て始皇、於方山西入江に掘流し、亦た曰う:淮は今、潤州の江寧縣に在る。土俗號に曰う:秦淮は太平寰宇記と、丹陽記に云う:始皇、金陵の方山を鑿つ、其の斷ずる為瀆と處す、即ち今、淮水經城の中、大江に入り、是て秦淮と曰う。 

 

地扇鄒魯學。詩騰顏謝名。 
そうして、この地の湧き上がる風は、鄒魯とする老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせているのが流行し誰でも学んだし、顔延之、謝靈運がでてきて、詩歌はここで盛んになり、謝朓など多くの詩人が生まれ、江南文化は中国を席巻したのである。
地扇 その地の湧き上がる風 

鄒魯學 鄒と魯の国の学問、鄒は孟子、魯は孔子。老荘思想、儒教。
詩騰 詩の高ぶり。

顏謝 顔 延之と謝霊運の山水詩人。文末に参考として掲載。

鄒魯〕 孔子、孟子の生地、儒学を指す。史記に鄒とは邾泗に濱し、猶お周公の遺風有り。 俗、儒を好み、禮に備る。 漢書に鄒魯は、經學を守る。とある。

李白集校注 訳注解説ブログ 750年-6 《留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】》 漢文委員会 紀 頌之 Blog11152

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750

天寶九年 750

 

6. 留別金陵諸公 【巻一五(一)九二六】 #1

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 11152

 

 

 

留別金陵諸公  #1
海水昔飛動。 三龍紛戰爭。 
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。 
黃旗一掃蕩。 割壤開
京。 
-

六代更霸王。 遺跡見都城。 
至今秦淮間。 禮樂秀群英。

地扇鄒魯學。 詩騰顏謝名。 
-#3

五月金陵西。 祖余白下亭。 
欲尋廬峰頂。 先繞漢水行。 
香爐紫煙滅。 瀑布落太清。 
若攀星辰去。 揮手緬含情。 
(
跡一作都 ) ( 都一作空 )

1
海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 

六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。 
今に至る秦淮の間、禮樂 群英 秀し。 
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。 

五月 金陵の西。 祖余 白下亭。 
盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。
香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。
もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。


-1
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

海水昔飛動、三龍紛戦争。
むかし、春秋戦国の時代から呉越戦争に代表される戰があったが、その後も事あるごとに金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。その後は魏後蜀の三國がいりまじって三匹の龍が激しく争う戦があり、また、その後小国乱立した時代にも小さな戦争が続いていたのがこの地域である。鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。

黄旗一掃蕩、割尽開呉京。
孫氏が黄色い旗をおし建てて帝王が現われると、江南一帯を掃蕩し、混乱を収拾したのである、壊され傾いた部分を打ち壊し、土壌をきりひらいて呉の都、金陵を経営したのである。

 

清・王琦 李白集校注(卷十五 〔一〕九二六

金陵諸
海水昔飛動、三龍紛戰爭。 鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。 黃旗一掃蕩、割壤開京。 

六代更霸王、遺跡見都城。 一作遺都見空城  至今秦淮間、禮樂秀群英。

地扇鄒魯學、詩騰顏謝名。 

五月金陵西、祖余白下亭。 欲尋廬峰頂、先繞漢水行。 香爐紫煙滅、瀑布落太清。 

若攀星辰去、揮手緬含情。 

海水〕王云: 劇秦美新、海水羣飛。 李善註: 海水萬民、羣飛言亂。

三龍〕  三龍蜀魏也。

 鐘山〕 太平寰宇記:蔣山在昇州上元縣東北十五里、周迴六十里面南顧東東逹青龍門等山西臨青溪。絶山南面有鍾浦水流下入秦淮、北連雉亭山。 按輿地志云: 蔣山古曰金陵山、縣之名因此而立。 漢輿地圖名鍾山、大帝時有蔣子文發神騐於此、封子文為蔣侯、改曰蔣山。  参考:巻七金陵歌送別范宜註。

都城〕 謝朓詩:奔鯨自此曝。 顔延年詩:襟衛徙京金陵也。以人所都。 故曰 

王云: 景定建康志: 古都城。  按官苑記:呉大帝所築、周迴二十里一十九步、在淮水北五里。 晉元帝過江、不改其舊。宋、齊、梁、陳皆都之。 輿地志曰: 晉琅邪王渡江、鎮建業、因舊都、修而居之。宋、齊而下、室有因革、而都城不改。 東南利便書曰: 孫權雖據石頭、以扼江險、然其都邑、則在建業、歴代所謂都城也。 東晉、宋、齊、梁因之、雖時有改築、而其經畫皆之舊。

秦淮〕初學記 孫盛晉陽秋曰:秦始皇東望氣者云五百年後金陵有天子氣、於是始皇、於方山掘流西入江亦曰:淮今在潤州江寧縣土俗號曰:秦淮太平寰宇記、丹陽記云:始皇鑿金陵方山其斷處為瀆、即今淮水經城中入大江是曰秦淮。 

鄒魯〕史記鄒魯濱邾泗猶有周公遺風俗好儒備於禮 漢書 鄒魯守經學。

 

顏謝〕 宋書顔延之與謝靈運俱以詞采齊名自。 潘岳陸機之後文士莫及也江左稱顔謝焉所著並傳於世

〕鄭𤣥儀禮註將行而飲酒曰祖

白下〕 蕭士曰圖經白下亭在上元縣西北

廬峰〕 廬峰即廬山也。 

 香爐〕江西通志:廬山在南康府治北二十里、九江府城南二十五里脈接衡陽由武功來古南障山也髙三千三百六十丈或云七千三百六十丈凡有七重周迴五百里山無主峰横潰四出嶤嶤嵺嵺各為尊髙不相拱揖異於武當太岳諸名山出風降雨抱異懷靈道書稱為第八洞天香爐峰在開先文殊寺後其形圓聳如爐山南山北皆見峰上常出雲氣有似香烟故名

瀑布〕太平寰宇記:廬山瀑布在山東、亦名白水源出、髙峰挂流三百許丈望如匹布故名瀑布。

劉琨詩揮手長相

 

 

 

《留別金陵諸公》 現代語訳と訳註
(
本文)

留別金陵諸公

海水昔飛動。 三龍紛戰爭。 
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。 
黃旗一掃蕩。 割壤開
京。 

 

(下し文)
(別金陵の諸公に留す)

海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 

(現代語訳)
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

むかし、春秋戦国の時代から呉越戦争に代表される戰があったが、その後も事あるごとに金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。その後は魏後蜀の三國がいりまじって三匹の龍が激しく争う戦があり、また、その後小国乱立した時代にも小さな戦争が続いていたのがこの地域である。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。
孫氏が黄色い旗をおし建てて帝王が現われると、江南一帯を掃蕩し、混乱を収拾したのである、壊され傾いた部分を打ち壊し、土壌をきりひらいて呉の都、金陵を経営したのである。

(訳注)

留別金陵諸公
(李白が廬山に行くので、お世話になった金陵の諸公、友人にに際して詩を贈ったもの)

 

 

海水昔飛動、三龍紛戦争
むかし、春秋戦国の時代から呉越戦争に代表される戰があったが、その後も事あるごとに金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。その後は魏後蜀の三國がいりまじって三匹の龍が激しく争う戦があり、また、その後小国乱立した時代にも小さな戦争が続いていたのがこの地域である。
海水昔飛動、戦国時代に呉と楚と秦の三国がここ金陵の地で戦いがあった。 海水〕王琦云う: 揚雄の劇秦美新に、海水羣飛とあって、李善の註に: 海水は萬民にえ、羣飛は亂を言う。とある。

三龍 魏後蜀の三國がいりまじって戦争を行った。三龍〕  三龍は蜀魏なり。とある。

紛戦争 南北朝、五胡十六国時代には、局地戦争のようにあちこちで戦が起こった。


鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。
いかに金陵山は「王気がある」と金陵は守られているといっても、みだされ渦に呑みこまれそうになったのである、そして、傾き崩れていったが自在な巨鯨のような始皇帝によって天下統一さえたのには驚かされたものだ。
この二句の根拠 春秋時代に呉がこの地に城を築いたことに始まる。戦国時代に呉を征服した楚は金陵邑を設置。その後秦朝による統一事業が達成され、始皇帝がこの地に巡幸してきた際に、「この地に王者の気がある」と言われ、それに怒って地形を無理やり変えてこの地の気を絶とうとした。また名前も金から秣(まぐさ)の秣陵県と改称している。このことを示している。

鐘山 金陵の東の郊外にある紫金山(鍾山)を金陵山と呼ぶところから生まれた。-現在の南京市の雅名。李白は特にこの名を愛用している。金陵 現在の南京市。六朝の古都。南朝の各朝の首都。金陵、建業、建、建康、南京。戦国時代の楚の威王が金を埋めて王気を鎮めたことによる。

 鐘山、別名の紫金山、南京市の東の北の郊外に位置して、中山陵を中心にして、紫金山、玄武湖の2の大きい地区を含む。自然が優美な地域で、古跡の文化財の豊かにすること、“金陵毓ショー”の称賛がある。鐘山は寧月城鎮山脈の西端で、南京の中で山門の外で横たわって、古くて有名な金陵山、聖人は山に泳いで、三国の時に東呉はそれを蒋山と呼んでことがあるものの長い7.4キロメートル、南北の幅の3キロメートル、周囲は約20数キロメートル。くねくねと起伏して、投げてもし竜に泳ぐならば、だから古人は“時計の多い竜蟠”を語っている。金陵毓ショーの鐘山、中国の第1陣の国家級の名勝の中の一つです。山の上に紫色の岩石層があって、日光が照らすもとに、はるかに紫金の生耀を見て、故人達はまたそれを紫金山と呼んだのである。山に3匹の龍がいるが、詩中にある三龍は戦の子というための比喩であるからこの山のことを言うのではない。

それは、主峰の北のピーク、海抜の468メートル、金陵最高峰で、第二峰の偏る東南、名小茅山、海抜の360メートル、中山陵のあるその南の麓、第三峰の偏る南西、太平天国の曾在山の上で築天トーチカ城のため、だから1日のトーチカの山を語って、海抜の250メートル、有名な紫金山天文台はすぐこの山頂の上にある。 玄武湖は鐘山の西で、南京城北、古名桑は停泊して、またトップに立つ湖である。鏡のような湖と青々した山が相映っている景色である。湖水は青く波打って、島の上で緑の木は青々と茂って、周囲の青い山は青黒色である。

 鐘山〕 太平寰宇記:即ち蔣山は昇州上元縣東北十五里に在り、周迴六十里、南に面し東を顧る、東に青龍・雁門等山に逹り、西に青溪を臨む。絶山の南面には鍾浦が有り水流下って秦淮に入り、北に雉亭山に連る。 按ずるに輿地志に云う: 蔣山は古曰金陵山といい、縣の名は此れに立つことに因る。 漢の輿地圖には鍾山と名す、大帝の時、蔣子に文に此に神騐を發すと有る、封子の文に 蔣侯と為す、改めて蔣山と曰う。  参考:巻七に 《金陵歌送別》范宜の註。

奔鯨 秦の始皇帝の南巡により、この地が平定されたことを指す。謝朓詩に「奔鯨は自ら此に曝れる。」 


黄旗一掃蕩、割尽開呉京。
孫氏が黄色い旗をおし建てて帝王が現われると、江南一帯を掃蕩し、混乱を収拾したのである、壊され傾いた部分を打ち壊し、土壌をきりひらいて呉の都、金陵を経営したのである。
黄旗 孫権による呉の建国。孫権の中央の船隊はすべて 黄旗をひるがえしたとある。

呉京 呉の都、建業(金陵)とした。顔延年詩に「襟衛は京をす。京は金陵なり。以て人都とする所なり。 故に京と曰う。


李白集校注 訳注解説ブログ 750年-5 《雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】》 #8 漢文委員会 紀 頌之 Blog11120

 

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李白集校注 訳注解説ブログ 750-5 《雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】》 #8 漢文委員会 紀 頌之 Blog11120

 

750

天寶九年 750

 

3. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】   #8

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 11120

 

 

 

 

168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

蒼波蕩日,起于微涓。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

坦蕩君子,無悅簧言。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

このように讒言するような輩の罪というのは実に非常なもので、大切な髪の毛を抜いて贖うとしてもその罪の多いことは贖いきれるものではない。

傾海流惡,惡無以過。

海水を傾けてその悪を洗い流すとしても、その悪が悪として広がり大きくしているのでこれも贖いきれるものではないのである。

人生實難,逢此織羅。

かかる小人の織羅するところとなり、ありもしない罪を構成されてはどうにもならないのであるから、人生ここに至ればどのように対処したらよいのか実にむつかしいのである。

積毀銷金,沈憂作歌。

そんな悪口でも積もり積もれば、やがて金をも熔かすというとおりに、ここに讒に遭ったことで身も心も深く沈んでしまったのである。

#7

天未喪文,其如余何。

しかし、天の未だこの文を滅ぼさざるや、区区の小人よ、それで予をどうしようというのか。予はすでに天の使命を担ってこの世に生まれてきたのであるから、どうしようもないはずである。

妲己滅紂,褒女惑周。

むかし、妲己は紂を迷わし、そのために、紂は淫虐を事としたから、対に周の武王に滅ぼされてしまったし、褒姒は幽王を惑わし、幽王は烽火を持って戯れとし、

天維蕩覆,職此之由。

後に申侯が犬戎を率いて攻め入った時、烽火をあげたが、諸侯の救援部隊が来ず、やがて殺されてしまったので、帝室の綱紀の破れ覆るのは、主としてこのような女子の仕業である。

漢祖呂氏,食其在傍。

それから漢の先祖の呂后が政治に携わった時は、審食其というものが、その傍にいて、嬖幸せられ、秦の始皇帝の母皇には、嫪莓というものがついていて淫交したのである。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

秦の始皇帝の母の皇太后にはいわゆる“ツバメ”である嫪毐というものがいて、淫行をしていた。性倫理が儒教的に確立されていない時代であるため、淫行して風紀が乱れ、綱紀も緩んだ。(とされるが、この句、これ以降は、あくまでのちの時代からの見方である。)

螮蝀作昏,遂掩太陽。

こうした、陰陽交會が蔓延することで、虹が出て、対に太陽まで覆い隠すほどであった。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

こういう婦女子や小人にかかっては盤上の国といえども、争乱や滅亡は免れない、ので、匹夫においてはなおさらのこと言うものである。だから、今更これを憂い傷んても致し方がないのである。

辭殫意窮,心切理直。

わが胸の思いを述べ、詩を賦してここに至れば、言葉も尽き、思意も極まっているし、心いよいよ切になり、なおさら理を直とし、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋 #7

秦皇) 苑秦始皇帝太后不謹幸郎嫪封以為長信侯為生兩子専國亊寖益驕與侍中左右貴臣俱博

飲酒醉爭言而瞋目大叱曰吾乃皇帝之假父也。 窶人子何敢乃與我亢所與者走行白皇帝皇

帝大怒懼誅因作亂戰咸陽宫毐敗始皇乃取四肢車裂之取其兩弟囊撲殺之取皇太后遷之於

萯陽𤣥

螮蝀) 禮/記註螮蝀謂之虹孔穎達正義虹是陰陽交會之氣純陰純陽則虹不見若雲薄漏日日照雨滴則虹

生毛萇詩傳元氣廣大則稱昊天

 

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

8

秦の始皇帝の母の皇太后にはいわゆる“ツバメ”である嫪毐というものがいて、淫行をしていた。性倫理が儒教的に確立されていない時代であるため、淫行して風紀が乱れ、綱紀も緩んだ。(とされるが、この句、これ以降は、あくまでのちの時代からの見方である。)

こうした、陰陽交會が蔓延することで、虹が出て、対に太陽まで覆い隠すほどであった。

こういう婦女子や小人にかかっては盤上の国といえども、争乱や滅亡は免れない、ので、匹夫においてはなおさらのこと言うものである。だから、今更これを憂い傷んても致し方がないのである。

わが胸の思いを述べ、詩を賦してここに至れば、言葉も尽き、思意も極まっているし、心いよいよ切になり、なおさら理を直とし、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

秦の始皇帝の母の皇太后にはいわゆる“ツバメ”である嫪毐というものがいて、淫行をしていた。性倫理が儒教的に確立されていない時代であるため、淫行して風紀が乱れ、綱紀も緩んだ。(とされるが、この句、これ以降は、あくまでのちの時代からの見方である。)

秦皇) 苑に「秦始皇帝の太后、謹まず、郎嫪幸し、封じて以て長信侯と為す。 兩子を生を為す。 國亊を専し、寖く益す驕り、侍中左右貴臣と俱にし、博として酒を飲み、醉うて爭言して瞋目して大いに叱って曰く、吾乃ち皇帝の假父なり。 窶人の子、何ぞ敢て乃ち我と亢すると。與所の者、走行して皇帝に白す。皇帝 大いに怒る。 誅を懼れ、因って、亂を作し、咸陽う。敗。始皇、乃ち四肢を取って車裂之取其兩弟囊撲殺之取皇太后遷之於萯陽𤣥

宣太后(せんたいごう、? - 紀元前265年)は、中国戦国時代末期の楚の女公子で秦の王太后。本名と両親は不明。姓は羋、別号を羋八子。恵文王の側室で昭襄王・涇陽君(公子巿)・高陵君(公子悝)の生母で義渠の戎王との間にも二子を成したと言われる。始皇帝嬴政の高祖母に当たる。昭襄王の治世において権勢を奮った相国の魏冄は異父同母弟で、左丞相の華陽君(羋戎)は弟である。昭襄王の治世前期に権勢を振るった宣太后・魏冄・羋戎を指して三貴とも称される。

 

 

螮蝀作昏,遂掩太陽。

こうした、陰陽交會が蔓延することで、虹が出て、対に太陽まで覆い隠すほどであった。

螮蝀) 虹の別名。禮記註螮蝀謂之虹孔穎達正義虹是陰陽交會之氣純陰純陽則虹不見若雲薄漏日日照雨滴則虹生毛萇詩傳元氣廣大則稱昊天

 

萬乘尚爾,匹夫何傷。

こういう婦女子や小人にかかっては盤上の国といえども、争乱や滅亡は免れない、ので、匹夫においてはなおさらのこと言うものである。だから、今更これを憂い傷んても致し方がないのである。

 

 

辭殫意窮,心切理直。

わが胸の思いを述べ、詩を賦してここに至れば、言葉も尽き、思意も極まっているし、心いよいよ切になり、なおさら理を直とし、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

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3. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】   #9

 

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168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

蒼波蕩日,起于微涓。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

坦蕩君子,無悅簧言。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

このように讒言するような輩の罪というのは実に非常なもので、大切な髪の毛を抜いて贖うとしてもその罪の多いことは贖いきれるものではない。

傾海流惡,惡無以過。

海水を傾けてその悪を洗い流すとしても、その悪が悪として広がり大きくしているのでこれも贖いきれるものではないのである。

人生實難,逢此織羅。

かかる小人の織羅するところとなり、ありもしない罪を構成されてはどうにもならないのであるから、人生ここに至ればどのように対処したらよいのか実にむつかしいのである。

積毀銷金,沈憂作歌。

そんな悪口でも積もり積もれば、やがて金をも熔かすというとおりに、ここに讒に遭ったことで身も心も深く沈んでしまったのである。

#7

天未喪文,其如余何。

しかし、天の未だこの文を滅ぼさざるや、区区の小人よ、それで予をどうしようというのか。予はすでに天の使命を担ってこの世に生まれてきたのであるから、どうしようもないはずである。

妲己滅紂,褒女惑周。

むかし、妲己は紂を迷わし、そのために、紂は淫虐を事としたから、対に周の武王に滅ぼされてしまったし、褒姒は幽王を惑わし、幽王は烽火を持って戯れとし、

天維蕩覆,職此之由。

後に申侯が犬戎を率いて攻め入った時、烽火をあげたが、諸侯の救援部隊が来ず、やがて殺されてしまったので、帝室の綱紀の破れ覆るのは、主としてこのような女子の仕業である。

漢祖呂氏,食其在傍。

それから漢の先祖の呂后が政治に携わった時は、審食其というものが、その傍にいて、嬖幸せられ、秦の始皇帝の母皇には、嫪莓というものがついていて淫交したのである。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

秦の始皇帝の母の皇太后にはいわゆる“ツバメ”である嫪というものがいて、淫行をしていた。性倫理が儒教的に確立されていない時代であるため、淫行して風紀が乱れ、綱紀も緩んだ。(とされるが、この句、これ以降は、あくまでのちの時代からの見方である。)

螮蝀作昏,遂掩太陽。

こうした、陰陽交會が蔓延することで、虹が出て、対に太陽まで覆い隠すほどであった。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

こういう婦女子や小人にかかっては盤上の国といえども、争乱や滅亡は免れない、ので、匹夫においてはなおさらのこと言うものである。だから、今更これを憂い傷んても致し方がないのである。

辭殫意窮,心切理直。

わが胸の思いを述べ、詩を賦してここに至れば、言葉も尽き、思意も極まっているし、心いよいよ切になり、なおさら理を直とすることである。

#9

如或妄談,昊天是殛。

そうすると、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

子野善聽,離婁至明。

かの師曠は、耳がよく聞こえ、音声を聞き分けたという、離婁は、きわめて目のよい人で、秋毫の末を百歩先の外に察したというくらいであったという。君はこれらのことをそれ以上の能力を持っているし、とても聡明な人であるとわかっているから、きっと私の衷情を識別してくれることと思っている。

神靡遁響,鬼無逃形。

まして鬼神の前には、遁響なく、逃げだすこともなく、もっとも、形があり、声を出すものであれば、鬼神の耳目を遮ることなどできはしないのである。

不我遐棄,庶昭忠誠。

したがって、鬼神は、昭昭として、人間を監ておられるので見捨てられることなどない、こいねがわくば、一片の忠誠の心をどうぞご照覧いただきたいものである。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋 #

子野) 李善文選註子野師曠字曉音曲者 纒子董無心

離婁) 孟子離婁篇: 孟子曰:離婁之目、察秋毫之末於百歩之外可謂明矣。 

遐棄) 詩國風見君子不我遐棄。 毛傳遐也讀褒愽毛切音包作薄侯切抔/ 者非食其音異基

 

 

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

9

そうすると、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

かの師曠は、耳がよく聞こえ、音声を聞き分けたという、離婁は、きわめて目のよい人で、秋毫の末を百歩先の外に察したというくらいであったという。君はこれらのことをそれ以上の能力を持っているし、とても聡明な人であるとわかっているから、きっと私の衷情を識別してくれることと思っている。

まして鬼神の前には、遁響なく、逃げだすこともなく、もっとも、形があり、声を出すものであれば、鬼神の耳目を遮ることなどできはしないのである。

したがって、鬼神は、昭昭として、人間を監ておられるので見捨てられることなどない、こいねがわくば、一片の忠誠の心をどうぞご照覧いただきたいものである。

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

#9

如或妄談,昊天是殛。

そうすると、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

昊天 1 夏の空。2 広い空。大空。

 

子野善聽,離婁至明。

かの師曠は、耳がよく聞こえ、音声を聞き分けたという、離婁は、きわめて目のよい人で、秋毫の末を百歩先の外に察したというくらいであったという。君はこれらのことをそれ以上の能力を持っているし、とても聡明な人であるとわかっているから、きっと私の衷情を識別してくれることと思っている。

子野) 李善文選の註に「子野は師曠の字である。 曉音の曲する者で 纒子董 無心なり。

離婁) 孟子離婁篇: 孟子曰く:「離婁の目は、秋毫の末を察し、百歩の外、明らかと謂う可し。」とあるに基づく。

 

神靡遁響,鬼無逃形。

まして鬼神の前には、遁響なく、逃げだすこともなく、もっとも、形があり、声を出すものであれば、鬼神の耳目を遮ることなどできはしないのである。

 

 

不我遐棄,庶昭忠誠。

したがって、鬼神は、昭昭として、人間を監ておられるので見捨てられることなどない、こいねがわくば、一片の忠誠の心をどうぞご照覧いただきたいものである。

遐棄) 詩國風見君子不我遐棄。毛傳遐也讀褒愽毛切音包作薄侯切抔/ 者非食其音異基

 

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(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

蒼波蕩日,起于微涓。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

坦蕩君子,無悅簧言。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

このように讒言するような輩の罪というのは実に非常なもので、大切な髪の毛を抜いて贖うとしてもその罪の多いことは贖いきれるものではない。

傾海流惡,惡無以過。

海水を傾けてその悪を洗い流すとしても、その悪が悪として広がり大きくしているのでこれも贖いきれるものではないのである。

人生實難,逢此織羅。

かかる小人の織羅するところとなり、ありもしない罪を構成されてはどうにもならないのであるから、人生ここに至ればどのように対処したらよいのか実にむつかしいのである。

積毀銷金,沈憂作歌。

そんな悪口でも積もり積もれば、やがて金をも熔かすというとおりに、ここに讒に遭ったことで身も心も深く沈んでしまったのである。

#7

天未喪文,其如余何。

しかし、天の未だこの文を滅ぼさざるや、区区の小人よ、それで予をどうしようというのか。予はすでに天の使命を担ってこの世に生まれてきたのであるから、どうしようもないはずである。

妲己滅紂,褒女惑周。

むかし、妲己は紂を迷わし、そのために、紂は淫虐を事としたから、対に周の武王に滅ぼされてしまったし、褒姒は幽王を惑わし、幽王は烽火を持って戯れとし、

天維蕩覆,職此之由。

後に申侯が犬戎を率いて攻め入った時、烽火をあげたが、諸侯の救援部隊が来ず、やがて殺されてしまったので、帝室の綱紀の破れ覆るのは、主としてこのような女子の仕業である。

漢祖呂氏,食其在傍。

それから漢の先祖の呂后が政治に携わった時は、審食其というものが、その傍にいて、嬖幸せられ、秦の始皇帝の母皇には、嫪莓というものがついていて淫交したのである。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋 #7

喪文) 論語孔子曰天之未斯文也匡人其如于何!  

何晏註如予何者猶言奈我何也天之未斯文則/我當傳之匡人欲奈我何 

妲己)史記殷本/紀紂好酒樂嬖於婦人愛妲己妲己之言是從 。

周武王率諸侯伐紂紂兵敗走入登鹿臺衣其寳玊衣赴火而死。

周武王遂斬紂頭、懸之白旗殺妲己。

褒女)周本紀幽王嬖愛褒姒/褒姒生子伯服幽王竟廢申后及太子以褒姒為后伯服為太子褒姒不好笑

幽王欲其笑萬方故不笑幽王為熢燧大鼓有冦至則舉烽火諸侯悉至而無褒姒乃大笑幽王

為數舉烽火其後不信諸侯亦不至申侯與繒西夷犬戎攻幽王幽王舉烽火徵兵兵莫至遂殺幽王驪

山下虜褒姒盡取周賂而去

天維)後漢書天維/陵弛民鬼慘愴。  西京賦振天維薛綜註維綱也

職此) 左傳葢言語漏洩則職汝之由杜預註職主也。 

食其) 史記后紀/太后稱制以辟陽侯審食其為左丞相不治事令監中如郎中令食其故得幸太后常

用事公卿皆因而决事

秦皇) 苑秦始皇帝太后不謹幸郎嫪封以為長信侯為生兩子専國亊寖益驕與侍中左右貴臣俱博

飲酒醉爭言而瞋目大叱曰吾乃皇帝之假父也。 窶人子何敢乃與我亢所與者走行白皇帝皇

帝大怒懼誅因作亂戰咸陽宫毐敗始皇乃取四肢車裂之取其兩弟囊撲殺之取皇太后遷之於

萯陽𤣥

螮蝀) 禮/記註螮蝀謂之虹孔穎達正義虹是陰陽交會之氣純陰純陽則虹不見若雲薄漏日日照雨滴則虹

生毛萇詩傳元氣廣大則稱昊天

 

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#7

天未喪文,其如余何。

妲己滅紂,褒女惑周。

天維蕩覆,職此之由。

漢祖呂氏,食其在傍。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

#7

しかし、天の未だこの文を滅ぼさざるや、区区の小人よ、それで予をどうしようというのか。予はすでに天の使命を担ってこの世に生まれてきたのであるから、どうしようもないはずである。

むかし、妲己は紂を迷わし、そのために、紂は淫虐を事としたから、対に周の武王に滅ぼされてしまったし、褒姒は幽王を惑わし、幽王は烽火を持って戯れとし、

後に申侯が犬戎を率いて攻め入った時、烽火をあげたが、諸侯の救援部隊が来ず、やがて殺されてしまったので、帝室の綱紀の破れ覆るのは、主としてこのような女子の仕業である。

それから漢の先祖の呂后が政治に携わった時は、審食其というものが、その傍にいて、嬖幸せられ、秦の始皇帝の母皇には、嫪莓というものがついていて淫交したのである。

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

 

7

天未喪文,其如余何。

しかし、天の未だこの文を滅ぼさざるや、区区の小人よ、それで予をどうしようというのか。予はすでに天の使命を担ってこの世に生まれてきたのであるから、どうしようもないはずである。

天未喪文,其如余何。 論語子罕第九 5 子畏於匡章「子畏於匡。曰。文王既没。文不在茲乎。天之將喪斯文也。後死者。不得與於斯文也。天之未喪斯文也。匡人其如予何。」(子、匡に畏す。曰く、文王既に没し、文茲に在ずや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者、斯の文に与るを得ざるなり。天の未だ斯この文を喪ぼさざるや、匡人 其れ予を如何んせん。)とあるに基づく。

「文王がなくなられた後、文という言葉の内容をなす古聖の道は、天意によってこの私に継承されているではないか。もしその文をほろぼそうとするのが天意であるならば、なんで、後の世に生れたこの私に、文に親しむ機会が与えられよう。文をほろぼすまいというのが天意であるかぎり、匡の人たちが、いったい私に対して何ができるというのだ」

何晏註に:予は如何とする者、猶お我 奈何なりと言う。「天之未斯文」とは則ち我 之を匡人の傳えるに當って我 奈何しようと欲す。

 

妲己滅紂,褒女惑周。

むかし、妲己は紂を迷わし、そのために、紂は淫虐を事としたから、対に周の武王に滅ぼされてしまったし、褒姒は幽王を惑わし、幽王は烽火を持って戯れとし、

妲己) 《史記殷本紀》: 「紂 酒を好んで、樂、婦人を嬖し、妲己を愛し、妲己の言、是れ從う。周の武王、諸侯を率いて、紂を伐つ。  紂の兵 敗走す。 入って鹿臺に登り、其の寳玊の衣を衣て、火に赴いて死す。 周の武王は遂に紂の頭を斬り、之を白旗に懸け、妲己を殺す。

妲己は帝辛に寵愛され、帝辛は彼女のいうことなら何でも聞いたという。師涓に新淫の声・北鄙の舞・靡靡の楽を作らせた。賦税を厚くして鹿台に銭をたくわえ、鉅橋に粟を満たし、狗馬・奇物を収めて宮室いっぱいにした。沙丘の苑台を拡張して、野獣蜚鳥をその中に置いた。鬼神をあなどり、沙丘に大勢の者を集めて楽しみ戯れた。酒をそそいで池とし、肉を掛けて林とし(酒池肉林)、男女を裸にして互いに追いかけさせ、長夜の飲をなした。

その後、妲己は周によって攻められた際に武王により殺されたとされる。

『列女伝』巻7孽嬖伝 殷紂妲己[2]では、炮烙の法を見て妲己が笑ったとされている。比干が「先王の典法をおさめずに、婦人の言を用いていれば、禍のいたる日も近いでしょう」と諫めた。すると、妲己は「聖人の心臓に七つの穴があると私は聞いております」と答え、比干の心臓を取り出させて観賞した。紂王が自殺すると、妲己は武王によって首を斬られ、小白旗に掛けられた。「紂を亡ぼす者はこの女なり」と評論された。

『漢書』外戚列伝の顔師古注には、「弁辞をよく好み、姦を究めること盛んにした。その言を帝辛が用いて民を苦しめた」とある。

褒女) 《史記・周本紀》に「幽王、嬖 褒姒を愛す。 褒姒、子伯服を生む。 幽王 竟に申后を廢し、及び、太子 以て褒姒 后と為す。伯服は太子と為し、褒姒は笑うを好まず。幽王は其の笑を欲し、萬方すれども、故に幽王笑わず。熢燧大鼓を為し、冦の至るを有し、則ち烽火を悉ば舉げ、諸侯 至りてく、姒 乃ち大いに笑う。幽王 之為數しば烽火を舉げ、其の後、諸侯を信じず亦た申侯と繒とを至らず、西夷犬戎は幽王を攻め、幽王 烽火を舉げ、徵の兵 兵 至ること莫し。遂に幽王を驪山に殺し、虜に下る。褒姒 盡く周賂を取りて去る。

ある日、幽王は(緊急事態の知らせの)烽火を上げさせ、太鼓を打ち鳴らした。諸将はさっそく駆けつけたが、来てみると何ごとも無い。右往左往する諸将を見た褒姒は、そのときはじめて晴れやかに笑った。喜んだ幽王は、そののちたびたび烽火を上げさせたので、次第に諸将は烽火の合図を信用しなくなった。また王は佞臣の虢石父を登用して政治をまかせたので、人民は悪政に苦しみ、王を怨むようになった。

王はとうとう当時の太后だった申氏と太子を廃し、褒姒を太后にして伯服を太子にした。怒った申氏の父の申侯は反乱して、蛮族の犬戎の軍勢と連合して幽王を攻めた。王は烽火を上げさせたが、応じて集まる兵はなかった。反乱軍は驪山で幽王を殺し、褒姒を捕え、周の財宝をことごとく略奪して去った。この乱で、西周は滅びたのである。

 

天維蕩覆,職此之由。

後に申侯が犬戎を率いて攻め入った時、烽火をあげたが、諸侯の救援部隊が来ず、やがて殺されてしまったので、帝室の綱紀の破れ覆るのは、主としてこのような女子の仕業である。

天維) 「維」は綱紀。帝室の綱紀とする。《後漢書》:「天維とは陵弛民鬼慘愴。  文選・張衡、西京賦 天を振う維。 薛綜の註に維は綱なり。

職此) 「職」は主としての意。左傳襄十四年:、葢して言語漏洩、則ち、職汝の由、杜預の註に職主なり。

 

漢祖呂氏,食其在傍。

それから漢の先祖の呂后が政治に携わった時は、審食其というものが、その傍にいて、嬖幸せられ、秦の始皇帝の母皇には、嫪莓というものがついていて淫交したのである。

漢祖・呂氏 「漢祖」は劉 邦は、前漢の初代皇帝。 沛県の亭長であったが、反秦連合に参加した後に秦の都咸陽を陥落させ、一時は関中を支配下に入れた。その後項羽によって西方の漢中へ左遷され漢王となるも、東進して垓下に項羽を討ち、前漢を興した。正式には廟号が太祖、諡号が高皇帝であるが、通常は高祖と呼ばれることが多い。「呂氏」劉邦が没して劉盈(恵帝)が即位すると、呂后は皇太后としてその後見にあたる。また、自らの地位をより強固なものにするため、張耳の息子張敖と魯元公主の娘(恵帝の姪に当たる)を恵帝の皇后(張皇后)に立てた。だが、高祖の後継を巡る争いは根深く尾を引いており、恵帝即位後間もなく呂后は、恵帝の有力なライバルであった高祖の庶子の斉王劉肥、趙王劉如意の殺害を企て、斉王暗殺は恵帝によって失敗するが、趙王とその生母戚夫人を殺害した。この時、呂后は戚夫人を奴隷とし、趙王如意殺害後には、戚夫人の両手両足を切り落とし、目玉をくりぬき、薬で耳・声を潰し、その後便所に置いて人彘(人豚)と呼ばせ、そのさまを笑い転げながら見ていたと史書にはある(なお、古代中国の厠は、広く穴を掘った上に張り出して作り、穴の中には豚を飼育して上から落ちてくる糞尿を「餌」にする「豚便所」であった。戚氏を厠に入れたことから、豚に喩えたと思われる)。

これに激しく落胆した恵帝は政務を放棄し、酒に溺れ間もなく死去する。死去後の葬儀で呂后が激しく嘆くも涙が出ていないことを張良の息子張辟彊から聞きつけた陳平は、呂后が今後に不安を抱いていることを見抜き、呂后に実家の呂氏一族を重役に立てることを進言、呂后はその遺児・(前)少帝を立て、呂氏一族や陳平、周勃ら建国の元勲たちの協力を得て、政治の安定を図る。しかしこの頃から、各地に諸侯王として配された劉邦の庶子を次々と暗殺し、その後釜に自分の甥たちなど呂氏一族を配して外戚政治を執り、自分に反抗的な少帝を殺害して劉弘(後少帝)を立てるなどの行動をとり、劉邦恩顧の元勲たちからの反発を買うようになる。また、元勲たちも自らの暗殺を不安視したために、ろくに仕事をしなくなった。呂后自身このことには気が付いていたようで、日食が起きた時には周囲の者に「私のせいだ」と言っていたといい、死ぬ数か月前には青い犬に脇の下を引っ張られる幻を見たため占い師に占わせ、少帝の祟りだと告げられた。さらには脇の病気にかかり、甥の呂産らに元勲たちの動向に気をつけるようにさんざん言い聞かせ、さらに呂氏一族を中央の兵権を握る重職などに就けて万全を期した後、死去した。

しかし間もなく、陳平や周勃らの元勲は、斉王の遺児などの皇族や諸国に残る劉氏の王と協力してクーデターを起こし、呂氏一族を皆殺しにした上で、恵帝の異母弟・代王劉恒を新たに皇帝に擁立した。これが文帝である。文帝擁立の前後には少帝弘も、恵帝の実子ではなく呂后がどこからか連れてきた素性の知れぬ者という理由で、恵帝の子とされていた常山王劉朝(軹侯)、淮陽王劉武(壷関侯)らと共に暗殺された。また、呂后の妹の呂は鞭打ちの刑で殺害され、呂の息子の樊伉も殺害された。呂氏の血を引く者のうち、この粛清で殺害されなかったのは、魯元公主が生んだ張敖の子である張皇后と張偃のみであった(公主は母の呂后に先だって死去している)。

食其) 《史記后紀》: 太后 制を稱す。辟陽侯審食其以て左丞相と為し、事を治めず。中を監せしむること郎中令の如し、食其、故に太后に幸せられるを得て、常に事を用う、公卿 皆 因って事を决す。

審 食其(しんいき、? - 紀元前177年)は、前漢の人。沛の人で、劉邦が沛公となり自立すると、父劉太公を世話する者として兄の劉喜と審食其を太公に付けた。高祖2年(紀元前205年)、漢王劉邦は楚の項籍(項羽)に敗れ、妻子を置いて逃走した。劉邦の妻呂雉(呂后)と劉太公は項羽の捕虜となったが、審食其は呂后らに従い世話をした。その後、呂后らは漢王の元へ戻り、審食其も漢王に従った。

高祖6年(紀元前201年)、辟陽侯に封じられた。

高祖8年(紀元前199年)、趙王張敖の高祖暗殺未遂事件が起こると、趙王の元の側室で高祖の寵愛を受けた劉長の母の趙夫人も、連座して獄に繋がれた。彼女の弟が審食其を通して呂后に助命を願ったが、呂后は嫉妬して取り上げず、審食其もこの件を強くは言わなかった。劉長の母は劉長を産むと自殺した。

高祖12年(紀元前195年)、燕王盧綰が反乱を企んでいるという情報を得た高祖は、審食其と御史大夫趙堯を向かわせて盧綰を迎えさせたが、盧綰は疑い、病気を称して出てこなかった。

その年、高祖が死ぬと、呂后は審食其と「諸将はかつて高祖と同じ民であったのに部下になっているため、内心穏やかではない。そこで若い主に交代するのは、諸将を皆殺しにしない限り天下は不安定であろう」と謀り、敢えて高祖の喪を発表せずにいた。しかしそれを聞いた酈商は審食其を「諸将を皆殺しにしようとすれば天下は危うい。各地に居て兵を率いている諸将が黙ってはいないだろう」と説得したため、呂后は喪を発表した。

恵帝7年(紀元前188年)に典客となり、翌年呂后元年に左丞相となった。しかし、彼は丞相ではあったが郎中令のように宮殿内を監視し、官僚はみな彼を通して決裁を得た。

呂后8年(紀元前180年)、呂后が死ぬと、太傅となった。呂氏一党が滅ぼされた後、再度丞相となったが、文帝が即位する頃にまた罷免された。

文帝前3年(紀元前177年)、淮南王となっていた劉長は、母を真剣に助けようとしなかった審食其を恨んでおり、審食其の元を訪ねると殺害した。

審食其は幽侯と諡された。侯国は審平が継いだが、景帝2年(紀元前155年)に謀反の罪で自殺した。

李白集校注 訳注解説ブログ 750年-5 《雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】》 #6 漢文委員会 紀 頌之 Blog11104

 

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750

天寶九年 750

 

3. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】 #6

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 11104

 

 

 

168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

蒼波蕩日,起于微涓。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

坦蕩君子,無悅簧言。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

このように讒言するような輩の罪というのは実に非常なもので、大切な髪の毛を抜いて贖うとしてもその罪の多いことは贖いきれるものではない。

傾海流惡,惡無以過。

海水を傾けてその悪を洗い流すとしても、その悪が悪として広がり大きくしているのでこれも贖いきれるものではないのである。

人生實難,逢此織羅。

かかる小人の織羅するところとなり、ありもしない罪を構成されてはどうにもならないのであるから、人生ここに至ればどのように対処したらよいのか実にむつかしいのである。

積毀銷金,沈憂作歌。

そんな悪口でも積もり積もれば、やがて金をも熔かすというとおりに、ここに讒に遭ったことで身も心も深く沈んでしまったのである。

#7

天未喪文,其如余何。

妲己滅紂,褒女惑周。

天維蕩覆,職此之由。

漢祖呂氏,食其在傍。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋 #6

人生)  左傳人生實難/其有不獲死乎  

銷金) 漢書衆口鑠金積銷骨  顔師古註美金見衆共疑之數被燒煉以至銷鑠江淹上建平王書:積銷金積讒磨骨 

向註言讒之深能銷磨金石之堅   劉鑠詩沉憂懷明發  張銑註沉深也。 

 

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

傾海流惡,惡無以過。

人生實難,逢此織羅。

積毀銷金,沈憂作歌。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

#6

このように讒言するような輩の罪というのは実に非常なもので、大切な髪の毛を抜いて贖うとしてもその罪の多いことは贖いきれるものではない。

海水を傾けてその悪を洗い流すとしても、その悪が悪として広がり大きくしているのでこれも贖いきれるものではないのである。

かかる小人の織羅するところとなり、ありもしない罪を構成されてはどうにもならないのであるから、人生ここに至ればどのように対処したらよいのか実にむつかしいのである。

そんな悪口でも積もり積もれば、やがて金をも熔かすというとおりに、ここに讒に遭ったことで身も心も深く沈んでしまったのである。

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

 

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

このように讒言するような輩の罪というのは実に非常なもので、大切な髪の毛を抜いて贖うとしてもその罪の多いことは贖いきれるものではない。

擢髮續罪 《史記.卷七九.范雎蔡澤列傳.范雎》:「須賈曰:擢賈之髮,以續賈之罪,尚未足」(須らく賈曰く:賈の髮を擢き,以て賈の罪を續うも,、尚お未だ足らず).にもとづく。

孔多 はなはだ多いこと

 

傾海流惡,惡無以過。

海水を傾けてその悪を洗い流すとしても、その悪が悪として広がり大きくしているのでこれも贖いきれるものではないのである。

 

人生實難,逢此織羅

かかる小人の織羅するところとなり、ありもしない罪を構成されてはどうにもならないのであるから、人生ここに至ればどのように対処したらよいのか実にむつかしいのである。

人生  左傳成公二年に 「人生、實に難し,其れ 死を獲わらずこと有るや。」.に基づく。

織羅:羅織 羅織虚構. 読み方, らしききょこう(らしょくきょこう). 意味, 事実でない罪を捏造すること。 「羅織」は無罪の人を捕まえて、罪を作り上げること。 「虚構」は事実のように捏造すること。

 

積毀銷金,沈憂作歌。

そんな悪口でも積もり積もれば、やがて金をも熔かすというとおりに、ここに讒に遭ったことで身も心も深く沈んでしまったのである。

積毀銷金 (銷金) 漢書衆口鑠金積銷骨(漢書 衆口 金を鑠かし、を積めば骨を銷す。)とあり、顔師古註美金見衆共疑之數被燒煉以至銷鑠 (顔師の古註に、美金 衆を見る共に之を疑い、數しば燒煉を被る以て銷鑠に至る。)  江淹上建平王書:積銷金積讒磨骨江淹 (建平王に上るの書:が積れば金を銷かし、讒が積れば骨を磨る。) 向註言讒之深能銷磨金石之堅向の註に言う、讒 之れ深く能くすれば、金石の堅きを銷磨す。)

沈憂 劉鑠詩沉憂懷明發(劉鑠詩に、沉憂は明發を懷す。  張銑註沉深也。張銑の註に沉は深なり。) 

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代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

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5. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】   #5

 

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168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

蒼波蕩日,起于微涓。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

坦蕩君子,無悅簧言。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

傾海流惡,惡無以過。

人生實難,逢此織羅。

積毀銷金,沈憂作歌。

#7

天未喪文,其如余何。

妲己滅紂,褒女惑周。

天維蕩覆,職此之由。

漢祖呂氏,食其在傍。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋 #5

奔奔) 詩國風鶉之奔奔:鵲之彊彊。鄭箋曰:奔奔彊彊、言其居有常匹、飛則相隨之貎。 孔頴達正義曰言鶉則鶉自相隨奔奔然鵲則鵲自相隨彊彊然各有常匹不亂其類何晏

坦盪) 論語註坦蕩蕩寛廣貌

簧言) 詩小雅巧言如簧、孔頴達。  正義:巧為言語、結搆虛辭、速相待合、如笙中之簧、聲相應和。

 

 河南道、兗州、瑕邱、俎來山、山東半島 02

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

坦蕩君子,無悅簧言。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

#5

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

 

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

 

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

哀哉悲夫 継母の計略と言われる故事であるが、魏の尹伯奇は、母の襟に留っていた毒蜂を打ち取ったが、義母を殺そうと毒蜂をつけたと義父に疑われ、母には泣かれ、大いに窮地に追い込まれ自殺したと“悲夫”いうことで、李白は、讒言というものをあらわした。

貞堅 節操を堅く守ること。

 

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

猖狂 激しくふるまう、思うが儘にふるまえばそれで満足でき、無心と同じようになるしそれ以外のことを求めようとしない、行くところを決めないで懸命にするという意。 《莊子·在宥第十一》「浮游不知所求、猖狂不知所往。」(浮游は求むる所を知らず、猖狂は往く所を知らず。)”成玄英疏:“無心妄行,無的當也。”南朝宋鮑照《侍郎報滿辭閣疏》:「幼性猖狂,因頑慕勇,釋擔受書,廢耕學文。」とある。

 

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

淫昏 度をすごして物事に熱中するのこと。

 

坦蕩君子,無悅言。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

 楽器に用いられる薄片をいい、振動して音源となる。
李白の足跡図 01李白の足跡

李白集校注 訳注解説ブログ 750年-5 《雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】》 #4 漢文委員会 紀 頌之 Blog11088

 

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柳司馬至-#2

 

王融_ 雜詩五首其一古意

 

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雪讒詩贈友人 #2

張中丞傳後敘 -#18

 別李義 - #1

 

王融_雜詩五首〔2

 

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雪讒詩贈友人 #3

張中丞傳後敘 -#19

 別李義 - #2

 

王融_雜詩五首〔3

 

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雪讒詩贈友人 #4

張中丞傳後敘 -#20

 別李義 - #3

 

王融_雜詩五首〔4

 

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杜甫研究、詩と生涯

 

 

 

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雪讒詩贈友人 #5

張中丞傳後敘 -#21

 別李義 - #4

 

王融_雜詩五首〔5

 

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雪讒詩贈友人 #6

張中丞傳後敘 -#22

 別李義 - #5

 

謝朓_雜詩十二〔1

 

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雪讒詩贈友人 #7

張中丞傳後敘 -#23

 別李義 - #6

 

謝朓雜詩十二〔2

 

李白集校注 訳注解説ブログ 750-5 《雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】》 #4 漢文委員会 紀 頌之 Blog11088

 

750

天寶九年 750

 

3. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】 #4

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 11088

 

 

 

168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

蒼波蕩日,起于微涓。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

坦蕩君子,無悅簧言。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

傾海流惡,惡無以過。

人生實難,逢此織羅。

積毀銷金,沈憂作歌。

#7

天未喪文,其如余何。

妲己滅紂,褒女惑周。

天維蕩覆,職此之由。

漢祖呂氏,食其在傍。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋 #4

)   音式灼切。鑠埃音哀爍式灼切音

四國) 詩小雅青蠅: 讒人罔極交亂四國。

八埏) 文選司馬相如封禪/書: 下泝八埏。 注: 孟康註:八埏地之八際也。 張銧註:八埏八方也。

拾塵) 家語巻五: 孔子厄於陳蔡、從者七日不食、子貢以所齎/貨竊犯圍而出、告糴於野人、得米一石焉。

顔回、仲由炊之於壊屋之下、有埃墨墮甑中、顔回取而食之。子貢自升/望見之不悅、以為竊食也、

以告孔子。子曰:『吾信回之為仁久矣、雖汝有云、弗以疑也、其或者必有故乎!吾將問之』

     召顔回曰:『疇昔予夢見先人、豈或佑我哉!子炊而進飯吾將進焉。』 對曰:『向有埃墨墮飯中、

欲置之則不潔、欲/棄之則可惜、回即食之、不可祭也。』 孔子曰:『然乎!吾亦食之。』 顔回出、

孔子顧二三子曰:『吾之信回也、非特今日也。』 二三子由此乃服之。

 (掇蜂) 王倚云:琴操:尹吉甫、周上卿也。有子伯竒、伯竒母死、更娶後妻、生伯邦。

乃譖伯竒於吉甫曰:『見妾有美色、然有欲心。』 吉甫曰:『伯竒為人慈仁、豈有此也?』 

後妻曰:『試置妾空、居中君登樓而察之。』 後妻知竒仁孝、乃取毒蜂緣衣領、伯竒前掇之。

於是吉甫大怒、 放伯竒於野。宣王出遊、吉甫從、伯竒乃作歌、感之於宣王。 宣王曰:此放子詞。

吉甫乃收伯竒、射殺後妻。陸機詩、『掇蜂滅天道、恰塵惑孔顔。』 

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#3

羣輕折軸,下沈黃泉。

衆毛飛骨,上凌青天。

萋斐暗成,貝錦粲然。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

4

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼