漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

李白indexー32 753年 53歳

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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あおあおとした雑草は、かさなった丘におおいかぶさり、うつくしい王に似た香草は、ふかい谷間にかくれている。鳳凰は西の海に鳴いているが、とまろうと思っても、とまるべき珍しい木がない。ところが、からすは、わがもの顔にのさばっており、よもぎの下に大勢のなかまがいっぱいいる。


 
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54 《古風五十九首之五十四》Index-32-7 753年天寶十二年53592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <54> Ⅰ李白詩1217 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4633

 

 

作年:    753年天寶十二年53

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十四

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之五十四

〔この詩は、朝廷から下って随分経つが、悪風頽俗、日に甚だしく、殊に小人の跋扈しているのを謗ったものである。〕

倚劍登高臺,悠悠送春目。

剣をぶらさげて高台にのぼり、はるかに、はるかに、春のながめに目をあそばせる。

蒼榛蔽層丘,瓊草隱深谷。

あおあおとした雑草は、かさなった丘におおいかぶさり、うつくしい王に似た香草は、ふかい谷間にかくれている。

鳳鳥鳴西海,欲集無珍木。

鳳凰は西の海に鳴いているが、とまろうと思っても、とまるべき珍しい木がない。

鸒斯得所居,蒿下盈萬族。

ところが、からすは、わがもの顔にのさばっており、よもぎの下に大勢のなかまがいっぱいいる。

晉風日已窮途方慟哭。

わたしは阮籍の悲しみを知ることができる。晋朝の風俗は、太陽がすでにくずれかたむいてゆくようであった。だからこそ、どんづまりの道で、大声をあげて泣いたのだ。

 

(古風,五十九首の五十四)

剣に劍って 高台に登り、悠悠として 春日を送る。

蒼榛は 層邸を蔽い、瓊草は 深谷に隠る。

鳳鳥は 西海に鳴き、集まらんと欲するも 珍木無し。

鸒斯は 居る所を得、蒿下に 万族を盈たす。

晋風 日は己にる、窮途 方に働突す。

 

安史の乱当時の勢力図

『古風,五十九首之五十四』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十四

倚劍登高臺,悠悠送春目。

蒼榛蔽層丘,瓊草隱深谷。

鳳鳥鳴西海,欲集無珍木。

鸒斯得所居,蒿下盈萬族。

晉風日已窮途方慟哭。

 

倚劍登高臺,悠悠送春目。

蒼榛蔽層丘,瓊草隱深谷。

鳳鳥鳴西海,欲集無珍木。

鸒斯得所居,蒿下盈萬族。

晉風日已,窮途方慟哭。

【翩翩眾鳥飛,翔在珍木。群花亦便娟,榮耀非一族。歸來愴途窮,日暮還慟哭】

 

(下し文)

(古風,五十九首の五十四)

剣に劍って 高台に登り、悠悠として 春日を送る。

蒼榛は 層邸を蔽い、瓊草は 深谷に隠る。

鳳鳥は 西海に鳴き、集まらんと欲するも 珍木無し。

鸒斯は 居る所を得、蒿下に 万族を盈たす。

晋風 日は己にる、窮途 方に働突す。

 

(現代語訳)

〔この詩は、朝廷から下って随分経つが、悪風頽俗、日に甚だしく、殊に小人の跋扈しているのを謗ったものである。〕

剣をぶらさげて高台にのぼり、はるかに、はるかに、春のながめに目をあそばせる。

あおあおとした雑草は、かさなった丘におおいかぶさり、うつくしい王に似た香草は、ふかい谷間にかくれている。

鳳凰は西の海に鳴いているが、とまろうと思っても、とまるべき珍しい木がない。

ところが、からすは、わがもの顔にのさばっており、よもぎの下に大勢のなかまがいっぱいいる。

わたしは阮籍のの悲しみを知ることができる。晋朝の風俗は、太陽がすでにくずれかたむいてゆくようであった。だからこそ、どんづまりの道で、大声をあげて泣いたのだ。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之五十四

〔この詩は、朝廷から下って随分経つが、悪風頽俗、日に甚だしく、殊に小人の跋扈しているのを謗ったものである。〕

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

倚劍登高臺,悠悠送春目。

剣をぶらさげて高台にのぼり、はるかに、はるかに、春のながめに目をあそばせる。

〇倚劍 六朝の江掩の詩に「倍剣臨八荒」とあり、李周翰の注によると、倍は佩、剣を腰にさげること。

○悠悠 遠くはるかなさま。

○送春目 謝朓の詩「遠近送春目」とあるのにもとづく。春の景色をながめわたす。

 

蒼榛蔽層丘,瓊草隱深谷。

あおあおとした雑草は、かさなった丘におおいかぶさり、うつくしい王に似た香草は、ふかい谷間にかくれている。

○蒼榛 あおあおと茂った雑草。

○瓊草 美しい玉のような香草。

 

鳳鳥鳴西海,欲集無珍木。

鳳凰は西の海に鳴いているが、とまろうと思っても、とまるべき珍しい木がない。

○鳳鳥 ほうおう。瑞鳥であり、掌にたとえる。

○珍木 珍しい木。鳳は、崑崙山上の珍木にとまるといわれている。

 

鸒斯得所居,蒿下盈萬族。

ところが、からすは、わがもの顔にのさばっており、よもぎの下に大勢のなかまがいっぱいいる。

○鸒斯 「爾雅」によると、鵯(ひよどり)ここでは小人にたとえる。

○蔦 よもぎ。

〇万族 たくさんのなかま。

 

晉風日已窮途方慟哭。

わたしは阮籍の悲しみを知ることができる。晋朝の風俗は、太陽がすでにくずれかたむいてゆくようであった。だからこそ、どんづまりの道で、大声をあげて泣いたのだ。

○晋風 晋朝の風俗。

〇日已 阮籍の詠懐詩に「灼灼西頽日、余光照我衣」とある。

○窮途 「晋書」の阮籍伝にみえる話。阮籍は、時に気が向くと、ひとりで馬軍にのって出かけたが、車が通れないところにぶっつかると、大声をあげて慟哭しながら引返したという。

○慟哭 悲しみのあまり、声をあげて泣くこと。

三国鼎立時代の勢力図


53 《古風五十九首之五十三》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <53> Ⅰ李白詩1216 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4628

実際に田成子は斉の田常が宰相となって徒党を組んで、斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とし、やがて、その君である簡公を弑し、曾孫の田和にいたって斉国をのっとり国王となった。これは、朝廷内の李林甫が朝廷を横暴化していることと同じで危ういことである。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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53 《古風五十九首之五十三》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <53> Ⅰ李白詩1216 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4628 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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53 《古風五十九首之五十三》Index-32-7 753年天寶十二年53592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <53> Ⅰ李白詩1216 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4628

 

 

作年:    753年天寶十二年53

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十三

 

 

古風,五十九首之五十三

(この詩は詠史詩である。権勢であったものが下に移れば、人君の位置も危うく、ついに国家も滅亡するという意を逗露して、唐朝の失政(李林甫の横暴・玄宗の頽廃)を謗ったものである。)

戰國何紛紛,兵戈亂浮雲。

戦国はまことに紛々たる乱世であって戦争は絶え間なく、その勝敗は変化し、定まらないのは浮雲が乱れるようなものである。

趙倚兩虎鬥,晉為六卿分。

かくてまた、諸侯の国内において、権臣どもが互いに争っていた。趙には廉頗と藺相如とは「刎頸の交わり」として固い信頼感家となったが初めは、互いに争っていたし、晋には事実上、范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の56家系(中行氏と智氏は、元々同じ荀氏。また、韓氏のみ公族)の当主によって動かされ、とうとう分割されてしまった。

姦臣欲竊位,樹黨自相群。

そうすると、元来、奸臣が王位を竊()もうとするときは、党を樹立して自然に軍団としてゆくのが常であるが、そうなると国王は、孤立してやがて造反され殺害されるということになる。

果然田成子,一旦殺齊君。

実際に田成子は斉の田常が宰相となって徒党を組んで、斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とし、やがて、その君である簡公を弑し、曾孫の田和にいたって斉国をのっとり国王となった。これは、朝廷内の李林甫が朝廷を横暴化していることと同じで危ういことである。

 

(古風,五十九首の五十三)

戰國 何ぞ紛紛たり,兵戈 浮雲亂る。

趙 兩虎の鬥に倚り,晉 六卿の分と為す。

姦臣 位を竊まんと欲し,黨を樹てて 自ら相い群る。

果然とす 田成子,一旦 齊君を殺す。

 春秋戦国勢力図

 

『古風,五十九首之五十三』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十三

戰國何紛紛,兵戈亂浮雲。

趙倚兩虎鬥,晉為六卿分。

姦臣欲竊位,樹黨自相群。

果然田成子,一旦殺齊君。

 

 

(下し文)

(古風,五十九首の五十三)

戰國 何ぞ紛紛たり,兵戈 浮雲亂る。

趙 兩虎の鬥に倚り,晉 六卿の分と為す。

姦臣 位を竊まんと欲し,黨を樹てて 自ら相い群る。

果然とす 田成子,一旦 齊君を殺す。

 

(現代語訳)

(この詩は詠史詩である。権勢であったものが下に移れば、人君の位置も危うく、ついに国家も滅亡するという意を逗露して、唐朝の失政(李林甫の横暴・玄宗の頽廃)を謗ったものである。)

戦国はまことに紛々たる乱世であって戦争は絶え間なく、その勝敗は変化し、定まらないのは浮雲が乱れるようなものである。

かくてまた、諸侯の国内において、権臣どもが互いに争っていた。趙には廉頗と藺相如とは「刎頸の交わり」として固い信頼感家となったが初めは、互いに争っていたし、晋には事実上、范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の56家系(中行氏と智氏は、元々同じ荀氏。また、韓氏のみ公族)の当主によって動かされ、とうとう分割されてしまった。

そうすると、元来、奸臣が王位を竊()もうとするときは、党を樹立して自然に軍団としてゆくのが常であるが、そうなると国王は、孤立してやがて造反され殺害されるということになる。

実際に田成子は斉の田常が宰相となって徒党を組んで、斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とし、やがて、その君である簡公を弑し、曾孫の田和にいたって斉国をのっとり国王となった。これは、朝廷内の李林甫が朝廷を横暴化していることと同じで危ういことである。

 

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(訳注)

古風,五十九首之五十三

(この詩は詠史詩である。権勢であったものが下に移れば、人君の位置も危うく、ついに国家も滅亡するという意を逗露して、唐朝の失政(李林甫の横暴・玄宗の頽廃)を謗ったものである。)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

戰國何紛紛,兵戈亂浮雲。

戦国はまことに紛々たる乱世であって戦争は絶え間なく、その勝敗は変化し、定まらないのは浮雲が乱れるようなものである。

 

趙倚兩虎鬥,晉為六卿分。

かくてまた、諸侯の国内において、権臣どもが互いに争っていた。趙には廉頗と藺相如とは「刎頸の交わり」として固い信頼感家となったが初めは、互いに争っていたし、晋には事実上、范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の56家系(中行氏と智氏は、元々同じ荀氏。また、韓氏のみ公族)の当主によって動かされ、とうとう分割されてしまった。

兩虎鬥 廉頗と藺相如とは「刎頸の交わり」として固い信頼感家となったが初めは、互いに争っていた。「刎頸の交わり」(ふんけい まじわり)は中国の戦国時代に趙で活躍した藺相如と廉頗が残した故事。「刎頸の友」ともいう。『史記』原文には「刎頸(之)交」とある。「お互いに首を斬られても後悔しないような仲」という成語として用いられる。

晉為六卿分 春秋末期、晋は事実上、范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の56家系(中行氏と智氏は、元々同じ荀氏。また、韓氏のみ公族)の当主によって動かされるようになった。この6家系は他の有力大夫を排除して、六卿を世襲するようになっていた。さらに出公のときに范氏、中行氏の領地を智、趙、韓、魏氏が分割しようとしたため、出公は怒り、斉や魯と同盟して四氏を討とうとしたが失敗し、斉へ亡命しようとしてその途中で亡くなったために(紀元前457年)、晋室は全く力を失った。

 

姦臣欲竊位,樹黨自相群。

そうすると、元来、奸臣が王位を竊()もうとするときは、党を樹立して自然に軍団としてゆくのが常であるが、そうなると国王は、孤立してやがて造反され殺害されるということになる。

 

果然田成子,一旦殺齊君。

実際に田成子は斉の田常が宰相となって徒党を組んで、斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とし、やがて、その君である簡公を弑し、曾孫の田和にいたって斉国をのっとり国王となった。これは、朝廷内の李林甫が朝廷を横暴化していることと同じで危ういことである。

田成子  〔田氏、斉をのっとる〕申午の日に、田常は、簡公を徐州で殺して、簡公の弟のゴウを立てた。これが平公である。平公が即位すると、田常が宰相となって斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とした。

  平公の八年に、越が呉を滅ぼした。二十五年に、平公が死んだ。その子の宣公積が立った。宣公は五十一年に死んだ。その子の康公貸が立った。田会がリン丘で反乱を起こした。康公の二年に、韓・魏・趙が、はじめて諸侯に列した。十九年に、田常の曾孫の田和がはじめて諸侯となり、康公を海浜に遷した。二十六年に、康公が死んだ。かくて、呂氏はついに宗廟の祭祀を絶った。田氏が斉国をのっとり、威王(田和の孫)にいたって、天下の強国となった。

齊君 齊の簡公。


史記・齊世家「鴟夷子皮事田成子。田成子去齊,走而之燕,鴟夷子皮負傳而從。至望邑,子皮曰:“子獨不聞涸澤之蛇乎?澤涸,蛇將徙。有小蛇謂大蛇曰:'子行而我隨之,人以為蛇之行者耳,必有殺子者。子不如相銜負我以行,人必以我為神君也。
李白図102 

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(この詩は、殷・楚の末運より、比干・屈原の事、および、忠貞の思いが、世に容れられず、空しく禍にかかったことを李白は自分の佳形に照らして時事に感じたことを詩に詠った。)殷の紂王は天の綱紀をみだしたし、楚の懐王もまた昏愚であったために、二君ともに、どの国をうしなうこととなった。

 
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作年:    753年天寶十二年53

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之五十一

(この詩は、殷・楚の末運より、比干・屈原の事、および、忠貞の思いが、世に容れられず、空しく禍にかかったことを李白は自分の佳形に照らして時事に感じたことを詩に詠った。)

殷后亂天紀,楚懷亦已昏。

殷の紂王は天の綱紀をみだしたし、楚の懐王もまた昏愚であったために、二君ともに、どの国をうしなうこととなった。

夷羊滿中野,菉葹盈高門。

殷の紂王の末年には、夷羊という神獣が牧野に現れ、殷の紂王が、後にここに敗軍する兆を示したし、海王の時は菉葹などの悪草に比すべき、小人が朝廷に満ちて、しきりに権力を振るっていた。

比干諫而死,屈平竄湘源。

こうして、比干は殷の紂王を諌め、あまりはげしくやったので、ついに胸を裂かれて死んでしまい、屈原は、折角の才芸が累をなし、同僚の上官太夫に讒言を以て、とうとう湘江のほとりに放逐されてしまったのである。

虎口何婉孌,女空嬋媛。

比干は虎口におちいるも顧みず、ひたすらその君を顧慕し、つかの間も忘れず、そのために、覚えず極諫したのであるし、屈原は、その姉の女嬃に引き留められ、あまり正直にするのは身のためにならないから、少しは、控えめにせよと、酷く叱られた。賢者の心は、世俗の人にわからず、かえって、その諸行を否定される位である。

彭咸久淪沒,此意與誰論。

顧みれば、彭咸のような賢人は、没して既に久しく、この忠義の心をだれと共に論ずればよいのか、今の世には、それができる人物が全くいないのだから仕方がないということだ。

 

(古風,五十九首の五十一)

殷后 天紀を亂し,楚懷 亦た已に昏し。

夷羊 中野に滿ち,菉葹【りょくし】高門に盈つ。

比干は 諫めて死し,屈平は湘源に竄す。

虎口 何ぞ婉孌【えんれん】たる,女【じょしゅ】空しく嬋媛【せんえん】

彭咸 久しく淪沒,此の意 誰れと論ぜん。

 

rihakustep足跡 

古風,五十九首之五十一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十一

殷后亂天紀,楚懷亦已昏。

夷羊滿中野,菉葹盈高門。

比干諫而死,屈平竄湘源。

虎口何婉孌,女空嬋媛。

彭咸久淪沒,此意與誰論。

 

(下し文)

(古風,五十九首の五十一)

殷后 天紀を亂し,楚懷 亦た已に昏し。

夷羊 中野に滿ち,菉葹【りょくし】高門に盈つ。

比干は 諫めて死し,屈平は湘源に竄す。

虎口 何ぞ婉孌【えんれん】たる,女【じょしゅ】空しく嬋媛【せんえん】。

彭咸 久しく淪沒,此の意 誰れと論ぜん。

 

(現代語訳)

(この詩は、殷・楚の末運より、比干・屈原の事、および、忠貞の思いが、世に容れられず、空しく禍にかかったことを李白は自分の佳形に照らして時事に感じたことを詩に詠った。)

殷の紂王は天の綱紀をみだしたし、楚の懐王もまた昏愚であったために、二君ともに、どの国をうしなうこととなった。

殷の紂王の末年には、夷羊という神獣が牧野に現れ、殷の紂王が、後にここに敗軍する兆を示したし、海王の時は菉葹などの悪草に比すべき、小人が朝廷に満ちて、しきりに権力を振るっていた。

こうして、比干は殷の紂王を諌め、あまりはげしくやったので、ついに胸を裂かれて死んでしまい、屈原は、折角の才芸が累をなし、同僚の上官太夫に讒言を以て、とうとう湘江のほとりに放逐されてしまったのである。

比干は虎口におちいるも顧みず、ひたすらその君を顧慕し、つかの間も忘れず、そのために、覚えず極諫したのであるし、屈原は、その姉の女嬃に引き留められ、あまり正直にするのは身のためにならないから、少しは、控えめにせよと、酷く叱られた。賢者の心は、世俗の人にわからず、かえって、その諸行を否定される位である。

顧みれば、彭咸のような賢人は、没して既に久しく、この忠義の心をだれと共に論ずればよいのか、今の世には、それができる人物が全くいないのだから仕方がないということだ。

 

李白図102 

(訳注)

古風,五十九首之五十一

(この詩は、殷・楚の末運より、比干・屈原の事、および、忠貞の思いが、世に容れられず、空しく禍にかかったことを李白は自分の佳形に照らして時事に感じたことを詩に詠った。)

 

殷后 亂天紀,楚懷 亦已昏。

殷の紂王は天の綱紀をみだしたし、楚の懐王もまた昏愚であったために、二君ともに、どの国をうしなうこととなった。

殷后 后は君、紂をしめす。

天紀 天の綱紀。

 

夷羊 滿中野,菉葹 盈高門。

殷の紂王の末年には、夷羊という神獣が牧野に現れ、殷の紂王が、後にここに敗軍する兆を示したし、海王の時は菉葹などの悪草に比すべき、小人が朝廷に満ちて、しきりに権力を振るっていた。

夷羊 「神獣の夷羊、商のまさに亡びんとするや、商郊牧野の地にあらわる。」とある。

菉葹 部屋の中に生えてきた草、菉(かりやす)・葹(おなもみ)のような雑草、人にとって悪い草ということ。屈原《楚辞・離騒》「薋菉葹以盈室兮,判獨離而不服。」(薋菉葹を以て室を盈たすに,判獨離而不服 判として獨り離れて服せず。)(はまびし)・菉(かりやす)・葹(おなもみ)のような雑草は部屋に満ちているのにただひとり離れてそれを身につけぬとは

薋菉葹以盈室兮,判獨離而不服衆不可戸説兮,孰云察余之中情世竝舉而好朋兮,夫何煢獨而不予聽。

 

比干 諫而死,屈平 竄湘源。

こうして、比干は殷の紂王を諌め、あまりはげしくやったので、ついに胸を裂かれて死んでしまい、屈原は、折角の才芸が累をなし、同僚の上官太夫に讒言を以て、とうとう湘江のほとりに放逐されてしまったのである。

比干 殷(いん)王朝の人。紂(ちゅう)の叔父。淫乱な紂王を諫(いさ)めたため、紂王に胸を裂かれて殺された。箕子(きし)・微子とともに殷の三仁と称される。

屈平 屈原のこと。(くつげん、紀元前343121日頃 - 紀元前27855日頃)は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。

湘源 湘江の上流を指す。

 

虎口 何婉孌,女 空嬋媛。

比干は虎口におちいるも顧みず、ひたすらその君を顧慕し、つかの間も忘れず、そのために、覚えず極諫したのであるし、屈原は、その姉の女嬃に引き留められ、あまり正直にするのは身のためにならないから、少しは、控えめにせよと、酷く叱られた。賢者の心は、世俗の人にわからず、かえって、その諸行を否定される位である。

虎口 ①《恐ろしい虎の口の意》非常に危険な所、また、危険な状態のたとえ。危機。虎穴。②城郭における出入り口のことで、「こぐち」には狭い道・狭い口という意味がある。「小口」とも書く。「虎口(ここう)」とよむ場合は、中世の戦場や陣地における危険な場所を意味する。

婉孌 顧慕。“慕う”、“従う”、美しいことの形容。

 母のことを姐(しゃ)といい、巫女(神に仕える女)の長を女(じょしゅ)という。 姉・姐・女というのは同じ系列の語で、それぞれの地位・身分をあらわすものであろう。ここでは、屈原に生き方の助言をした姉ということとされている。

嬋媛 【せんえん】あでやかで美しいさま。優美であるさま。「暮れんとする春の色の、―として、しばらくは冥邈(めいばく)の戸口をまぼろしに彩どる中に」〈漱石・草枕〉

 

彭咸 久淪沒,此意 與誰論。

顧みれば、彭咸のような賢人は、没して既に久しく、この忠義の心をだれと共に論ずればよいのか、今の世には、それができる人物が全くいないのだから仕方がないということだ。

彭咸 殷の賢明な臣下で、君主を諫めたが聞き入れられず、ために入水する。或いは、巫、みこの名。水に身を投げて入水し、水神となる。

 

《楚辭・離騷》 屈原

帝高陽之苗裔兮,  朕皇考曰伯庸。

攝提貞于孟陬兮,  惟庚寅吾以降。

 

皇覽揆余初度兮,  肇錫余以嘉名。

名余曰正則兮,    字余曰靈均 。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

           (中略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

亂曰:

已矣哉!

國無人莫我知兮,    又何懷乎故都?

既莫足與爲美政兮,  吾將從彭咸之所居!

 

(離騷)

 

帝 高陽の苗裔にて ,朕(わ)が皇考は 伯庸と 曰(い)ふ。

攝提孟陬に貞(あた)りて,惟れ 庚寅(かのえとら)に吾れ以って降(うま)る。

皇(ちち)覽ずるに余の初めて度すを揆(はか)りて,肇(はじ)めて余に錫(たま)ふに 嘉名を以てす。

余に 名づけて正則と曰(い)ひ,余に 字(あざな)して 靈均と 曰(い)ふ 。

・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・

 亂に曰く:

 已矣哉(やんぬるかな)!

 國に人 無く 我を 知るもの莫し, 又 何ぞ 故都を 懷しまんや?

 既に 與に 美政を爲すに 足るもの  莫し,吾れ將に彭咸に從ひて居す所に之(ゆ)かん!
 Nature1-011

46 《古風五十九首之四十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳590古風,五十九首之四十六一百四十年, <46> Ⅰ李白詩1209 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4593

(この詩は、唐朝が「開元の治」と隆盛であったが、ようやく衰運に向おうとし始めた、時尚の日に非なるを吡り、併せて、自分の操守び及んだものである。)唐建国140年になろうとしている、今しも、国力強勢の絶超に達し、国の光は赫然として、外夷にまで何と輝きわたっていることだろうか。

 
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46 《古風五十九首之四十六》Index-32-7 753年天寶十二年53590古風,五十九首之四十六一百四十年, <46> Ⅰ李白詩1209 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4593

 

 

製作年:753年 天寶十二年 53

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之四十六

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              五鳳樓 (都畿道 河南府 洛陽)           

 

 

古風,五十九首之四十六

(この詩は、唐朝が「開元の治」と隆盛であったが、ようやく衰運に向おうとし始めた、時尚の日に非なるを吡り、併せて、自分の操守び及んだものである。)

一百四十年,國容何赫然。

唐建国140年になろうとしている、今しも、国力強勢の絶超に達し、国の光は赫然として、外夷にまで何と輝きわたっていることだろうか。

隱隱五鳳樓,峨峨橫三川。

都長安の宮城には五鳳樓というところが隠々として簇がっており、しかも、峨峨として高く、涇水・渭水・洛水という三川の間に横たわっているのである。

王侯象星月,賓客如雲煙。

権勢の盛りを誇る王侯諸侯たちは、星月の天上に輝くにかたどり、その家に出入する賓客のおびただしい数は、まるで雲煙の様なものである。

 

鬥雞金宮裡,蹴瑤臺邊。

舉動搖白日,指揮回青天。

當塗何翕忽,失路長棄捐。

獨有揚執戟,閉關草太玄。

 

古風,五十九首之四十六

一百四十年,國容 何ぞ赫然たる。

隱隱たる五鳳樓,峨峨として三川に橫う。

王侯は星月に象り,賓客は雲煙の如し。

 

雞を鬥わす 金宮の裡,る 瑤臺の邊。

舉動 白日を搖す,指揮 青天を回す。

當塗 何ぞ翕忽【きゅうこつ】,失路 長く棄捐【きえん】。

獨り 揚執【ようしつ】戟有り,關を閉じて 太玄を草す。

 

長安城皇城図 

『古風,五十九首之四十六』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十六

一百四十年,國容何赫然。

隱隱五鳳樓,峨峨橫三川。

王侯象星月,賓客如雲煙。

 

(下し文)

古風,五十九首之四十六

一百四十年,國容 何ぞ赫然たる。

隱隱たる五鳳樓,峨峨として三川に橫う。

王侯は星月に象り,賓客は雲煙の如し。

 

(現代語訳)

(この詩は、唐朝が「開元の治」と隆盛であったが、ようやく衰運に向おうとし始めた、時尚の日に非なるを吡り、併せて、自分の操守び及んだものである。)

唐建国140年になろうとしている、今しも、国力強勢の絶超に達し、国の光は赫然として、外夷にまで何と輝きわたっていることだろうか。

都長安の宮城には五鳳樓というところが隠々として簇がっており、しかも、峨峨として高く、涇水・渭水・洛水という三川の間に横たわっているのである。

権勢の盛りを誇る王侯諸侯たちは、星月の天上に輝くにかたどり、その家に出入する賓客のおびただしい数は、まるで雲煙の様なものである。

 

 唐長安城図00

(訳注)

古風,五十九首之四十六

(この詩は、唐朝が「開元の治」と隆盛であったが、ようやく衰運に向おうとし始めた、時尚の日に非なるを吡り、併せて、自分の操守び及んだものである。)

 

一百四十年,國容何赫然。

唐建国140年になろうとしている、今しも、国力強勢の絶超に達し、国の光は赫然として、外夷にまで何と輝きわたっていることだろうか。

一百四十年 唐建国140年。

 

隱隱五鳳樓,峨峨橫三川。

都長安の宮城には五鳳樓というところが隠々として簇がっており、しかも、峨峨として高く、涇水・渭水・洛水という三川の間に横たわっているのである。

五鳳樓 開元二十三年、上、五鳳樓に御して酭宴す。

三川 涇水・渭水・洛水をいう。

 

王侯象星月,賓客如雲煙。

権勢の盛りを誇る王侯諸侯たちは、星月の天上に輝くにかたどり、その家に出入する賓客のおびただしい数は、まるで雲煙の様なものである。
大明宮-座標02 

長安付近図00 

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魯中連は東海を踏んで碧水に沈みそうになり、老子が西のかた、函谷関にいれば、紫氣がこれに随ってきたという。この魯中連と老子の二人は、まことに、沈冥隠晦の所を得たもので、我もまたこれらの人を学び、その精美芳芬の徳を受け継いでいきたいと思うのである。

 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十六 

 

 

古風,五十九首之三十六

士のもちられぬのは、もとより不幸、またもちいられても、まごまごすると、災いに遭う。そこで、魯中連や老子のように、高挙遠踏するのが第一だという意を述べたものである。

抱玉入楚國,見疑古所聞。

昔、聞く所によれば、卞和という人が、玉璞を携えて、楚国に入り、わざわざ、これを楚王に献じたところが、誰もこれを見分けることが出来なかった。

良寶終見棄,徒勞三獻君。

そんなことで、良寶も終に棄てられてしいまい、骨折り損の無駄なことをして、三度目にようやく玉だとわかって、君の手元におさまった。士が偶々もちいられたとしても、ややもすれば、その才が帰って累を為すことがあるということだ。

直木忌先伐,芳蘭哀自焚。

例えば、木が真っ直ぐであることで、かえって切り倒されてしまうとか、香木が臭いを含んでいるからと言って燃やされる様なものである。

盈滿天所損,沈冥道為群。

全て物事が十分であるのは、よろしくないので、盈滿になると、天からこれを損する。また、沈冥隠晦の域に至ったとすれば、とこしえに、道と群をなして、一緒にいることが出来るのである。

東海沈碧水,西關乘紫雲。

そういうことで、魯中連は東海を踏んで碧水に沈みそうになり、老子が西のかた、函谷関にいれば、紫氣がこれに随ってきたという。

魯連及柱史,可以躡清芳。

この魯中連と老子の二人は、まことに、沈冥隠晦の所を得たもので、我もまたこれらの人を学び、その精美芳芬の徳を受け継いでいきたいと思うのである。

 

(古風,五十九首の三十六)

玉をい抱て楚國に入り,見疑われしは 古しえ聞く所なり。

良寶 終に棄て見れ,徒勞 三たび君に獻ず。

直木は 先ず伐らるるを忌み,芳蘭は自ら焚くを哀む。

盈滿は 天 損する所,沈冥 道 群を為す。

東海 碧水に沈み,西關 紫雲に乘ず。

魯連及び柱史,以って清芳を躡む可し。

春秋戦国勢力図 

 『古風,五十九首之三十六』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十六

抱玉入楚國,見疑古所聞。

良寶終見棄,徒勞三獻君。

直木忌先伐,芳蘭哀自焚。

盈滿天所損,沈冥道為群。

東海沈碧水,西關乘紫雲。

魯連及柱史,可以躡清芳。

 

〔此詩一作〈感興〉云:朅來荊山客,誰為珉玉分。良寶見棄,虛持三獻君。直木忌先伐,芬蘭哀自焚。盈滿天所損,沈冥道所群。東海有碧水,西山多白雲。魯連及夷齊,可以躡清芬。

 

(下し文)

(古風,五十九首の三十六)

玉をい抱て楚國に入り,見疑われしは 古しえ聞く所なり。

良寶 終に棄て見れ,徒勞 三たび君に獻ず。

直木は 先ず伐らるるを忌み,芳蘭は自ら焚くを哀む。

盈滿は 天 損する所,沈冥 道 群を為す。

東海 碧水に沈み,西關 紫雲に乘ず。

魯連及び柱史,以って清芳を躡む可し。

 

(現代語訳)

士のもちられぬのは、もとより不幸、またもちいられても、まごまごすると、災いに遭う。そこで、魯中連や老子のように、高挙遠踏するのが第一だという意を述べたものである。

昔、聞く所によれば、卞和という人が、玉璞を携えて、楚国に入り、わざわざ、これを楚王に献じたところが、誰もこれを見分けることが出来なかった。

そんなことで、良寶も終に棄てられてしいまい、骨折り損の無駄なことをして、三度目にようやく玉だとわかって、君の手元におさまった。士が偶々もちいられたとしても、ややもすれば、その才が帰って累を為すことがあるということだ。

例えば、木が真っ直ぐであることで、かえって切り倒されてしまうとか、香木が臭いを含んでいるからと言って燃やされる様なものである。

全て物事が十分であるのは、よろしくないので、盈滿になると、天からこれを損する。また、沈冥隠晦の域に至ったとすれば、とこしえに、道と群をなして、一緒にいることが出来るのである。

そういうことで、魯中連は東海を踏んで碧水に沈みそうになり、老子が西のかた、函谷関にいれば、紫氣がこれに随ってきたという。

この魯中連と老子の二人は、まことに、沈冥隠晦の所を得たもので、我もまたこれらの人を学び、その精美芳芬の徳を受け継いでいきたいと思うのである。

呉越の地図 

(訳注)

古風,五十九首之三十六

この詩は、感嘆の詩で、士のもちられぬのは、もとより不幸、またもちいられても、まごまごすると、災いに遭う。そこで、魯中連や老子のように、高挙遠踏するのが第一だという意を述べたものである。

 

抱玉入楚國,見疑古所聞。

昔、聞く所によれば、卞和という人が、玉璞を携えて、楚国に入り、わざわざ、これを楚王に献じたところが、誰もこれを見分けることが出来なかった。

抱玉入楚國 韓非子卞和の故事。楚の卞和が美しい玉を含包した石を れい 王と武王に献じたが理解されず欺く者として両足を切られた。 やがて文王の代になり、その文王がその原石を磨かせたところ本当に宝玉であったという故事。 《韓非子、和氏篇》

 

良寶終見棄,徒勞三獻君。

そんなことで、良寶も終に棄てられてしいまい、骨折り損の無駄なことをして、三度目にようやく玉だとわかって、君の手元におさまった。士が偶々もちいられたとしても、ややもすれば、その才が帰って累を為すことがあるということだ。

 

直木忌先伐,芳蘭哀自焚。

例えば、木が真っ直ぐであることで、かえって切り倒されてしまうとか、香木が臭いを含んでいるからと言って燃やされる様なものである。

直木忌先伐 《荘子 山木》直木先伐、甘井先竭(直木は先ず伐られる、甘井は先ず竭く。)才能のすぐれた人は早く使い切って衰えてしまうことのたとえ。

 

盈滿天所損,沈冥道為群。

全て物事が十分であるのは、よろしくないので、盈滿になると、天からこれを損する。また、沈冥隠晦の域に至ったとすれば、とこしえに、道と群をなして、一緒にいることが出来るのである。

 

東海沈碧水,西關乘紫雲。

そういうことで、魯中連は東海を踏んで碧水に沈みそうになり、老子が西のかた、函谷関にいれば、紫氣がこれに随ってきたという。

東海沈碧水 戦国時代に魯中連という人は 『秦がもし天下の政権を握るようなことがあったら. すぐ私は東海に身をなげて死ぬ。 私はどう しても秦の民となることはできぬ。』 と激しい. 口調で言った。 世人は魯中連の精神に感動し、 その言葉を小気味よいと思った。

西關乘紫雲 城西の門の衛兵・尹喜は、東の空に紫雲がたなびくのに気づき、4人の供を連れた老子を出迎え、知恵を書き残して欲しいと願った。《史記》「老子西入函谷關。關令尹喜見紫雲西邁。」

 

魯連及柱史,可以躡清芳。

この魯中連と老子の二人は、まことに、沈冥隠晦の所を得たもので、我もまたこれらの人を学び、その精美芳芬の徳を受け継いでいきたいと思うのである。

魯中連【ろちゅうれん】(約前305年—前245年) 戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。魯連。

柱史 老子のこと周の柱下の史であることからこう呼ぶ。老子は、古代中国の哲学者であり、道教創案の中心人物。「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。書物『老子』を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について激しい議論が行われたりする。

清芳 精美芳芬の徳を受け継いでいきたいということ。
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32 《古風五十九首之三十二》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳588古風,五十九首之三十二蓐收肅金氣, <32> Ⅰ李白詩1190 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4498

秋の蝉は物寂しげに皆軒の先に留まって鳴いているものだが、そうした季節を示すものが私の感情を愁いにするものであってこの季節にはそれがおさまってしまうことなどないのだ。天運というもの尽きることはないし、良辰はいつともわからないものである。これは人にも言えることで、功名を立てるべき好機会に容易には出会うことなどなくて、やがては窮途に沈淪する。

 
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32 《古風五十九首之三十二》Index-32-7 753年天寶十二年53588古風,五十九首之三十二蓐收肅金氣, <32> Ⅰ李白詩1190 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4498

 

 

製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十二 

 

古風,五十九首之三十二

(李白が秋について詠ったものであるが、宋玉の九弁に影響を受けて作っている。)

蓐收肅金氣,西陸弦海月。

秋を司る蓐收という神は金気が肅然として、見にしむ季節であり、海から上がって來る上弦の月は西陸の軌道を通ってゆく。

秋蟬號階軒,感物憂不歇。

秋の蝉は物寂しげに皆軒の先に留まって鳴いているものだが、そうした季節を示すものが私の感情を愁いにするものであってこの季節にはそれがおさまってしまうことなどないのだ。

良辰竟何許,大運有淪忽。

天運というもの尽きることはないし、良辰はいつともわからないものである。これは人にも言えることで、功名を立てるべき好機会に容易には出会うことなどなくて、やがては窮途に沈淪する。

天寒悲風生,夜久眾星沒。

こうして、この秋も暮れてゆけば、悲風蕭颯として寒空を拂い、そして夜も長く、多くの星もいつしか消えてしまう

惻惻不忍言,哀歌逮明發。

かくして、惻惻の情、自ずから言うに忍びず、しいて哀歌を発して秋の夜もすがら眠りもしないで立待夜が明けたしまったという次第だ。

 

(古風,五十九首の三十二)

蓐收【じょくしゅう】金氣肅たり,西陸 海月に弦す。

秋蟬 階軒に號び,物に感じて憂 歇まず。

良辰 竟に何許【いづこ】ぞ,大運に淪忽【りんこつ】有り。

天寒くして 悲風生じ,夜久しくして 眾星沒す。

惻惻として 言うに忍びず,哀歌 明發に逮す。

 

nat0019 

『古風,五十九首之三十二』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十二

蓐收肅金氣,西陸弦海月。

秋蟬號階軒,感物憂不歇。

良辰竟何許,大運有淪忽。

天寒悲風生,夜久眾星沒。

惻惻不忍言,哀歌逮明發。

 

(下し文)

(古風,五十九首の三十二)

蓐收【じょくしゅう】金氣肅たり,西陸 海月に弦す。

秋蟬 階軒に號び,物に感じて憂 歇まず。

良辰 竟に何許【いづこ】ぞ,大運に淪忽【りんこつ】有り。

天寒くして 悲風生じ,夜久しくして 眾星沒す。

惻惻として 言うに忍びず,哀歌 明發に逮す。

 

(現代語訳)

(李白が秋について詠ったものであるが、宋玉の九弁に影響を受けて作っている。)

秋を司る蓐收という神は金気が肅然として、見にしむ季節であり、海から上がって來る上弦の月は西陸の軌道を通ってゆく。

秋の蝉は物寂しげに皆軒の先に留まって鳴いているものだが、そうした季節を示すものが私の感情を愁いにするものであってこの季節にはそれがおさまってしまうことなどないのだ。

天運というもの尽きることはないし、良辰はいつともわからないものである。これは人にも言えることで、功名を立てるべき好機会に容易には出会うことなどなくて、やがては窮途に沈淪する。

こうして、この秋も暮れてゆけば、悲風蕭颯として寒空を拂い、そして夜も長く、多くの星もいつしか消えてしまう

かくして、惻惻の情、自ずから言うに忍びず、しいて哀歌を発して秋の夜もすがら眠りもしないで立待夜が明けたしまったという次第だ。

 

(55moon訳注)

古風,五十九首之三十二

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(李白が秋について詠ったものであるが、以下に示す宋玉の九弁に影響を受けて作っている。)

宋玉『九辨』、
悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,
憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,
泬寥兮天高而氣清,寂寥兮收潦而水清,
悽增欷兮薄寒之中人,愴怳懭悢兮去故而就新,
坎廩兮貧士失職而志不平,廓落兮羇旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。
燕翩翩其辭歸兮,蟬寂漠而無聲。
鴈廱廱而南遊兮,鶤雞啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。
「秋を悲しむ」とよんでもよい。『九辯』については全文訳注を掲載していいる。
九辯 第二段-#1 宋玉  <00-#3>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 632 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2144

 

蓐收肅金氣,西陸弦海月。

秋を司る蓐收という神は金気が肅然として、見にしむ季節であり、海から上がって來る上弦の月は西陸の軌道を通ってゆく。

○蓐收【じょくしゅう】 秋の神。全身金色の片であり,左耳一条金蛇を穿つ,脚は两条金,面は人で身は虎である,肩には胛 羽翼を生ず. ①蓐收とは秋の神をいう,左耳有蛇,乘两条 ②白帝少昊神——秋神蓐收。③古代伝説中の西方の神名であり,秋を司る

○西陸 秋になって月の通過する軌道。立春立秋には月は東方青道を行く、東陸という。立夏夏至には月は南方黄道を行く南陸という。立秋秋分には月は西方白道を行く、西陸という。立冬冬至には月は北方黒道を行く、北陸という。

○弦 上弦の月、下弦の月。新月と満月の中間にある月をいう。

 

秋蟬號階軒,感物憂不歇。

秋の蝉は物寂しげに皆軒の先に留まって鳴いているものだが、そうした季節を示すものが私の感情を愁いにするものであってこの季節にはそれがおさまってしまうことなどないのだ。

 

良辰竟何許,大運有淪忽。

天運というもの尽きることはないし、良辰はいつともわからないものである。これは人にも言えることで、功名を立てるべき好機会に容易には出会うことなどなくて、やがては窮途に沈淪する。

○何許 何処。

○大運 天運。

○淪忽 秋がくれて行く様に人生も暮れてゆく。

 

天寒悲風生,夜久眾星沒。

こうして、この秋も暮れてゆけば、悲風蕭颯として寒空を拂い、そして夜も長く、多くの星もいつしか消えてしまう

 

惻惻不忍言,哀歌逮明發。

かくして、惻惻の情、自ずから言うに忍びず、しいて哀歌を発して秋の夜もすがら眠りもしないで立待夜が明けたしまったという次第だ。

 

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元来、鎬池の鎬は秦の都、咸陽を去ること遠からず、昔、周の武王のみやこしたところである。鎬池君は即ち、周の武王である。武王は生時に殷紂を打って、天下をとったのであるが、今や秦の始皇帝の荒淫は殷紂の如く、それも妤けれど、天命の巡り会わせで来年は死ぬというのである。

 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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31          巻一      

古風五十九首之三十一

鄭容西入關、行行未能已。

白馬華山君、相逢平原里。

璧遺鎬池君、明年祖龍死。

秦人相謂曰、吾屬可去矣。

一往桃花源、千春隔流水。

(この詩は、詠史詩と思われるが、秦人に機を知るの明あって、はやくせぞくをはなれて隠れたいと李白は理想を述べているのである。)

鄭容が西のかた、函谷関に入り、行き行きて止まらず、いよいよ咸陽に近づこうとして関中を歩いていた。

白馬に乗った華山の君が出てきて、平舒道に於いてであった。

その華山君が言うには、どうか、この玉を鎬池に住んでいる主の君に贈ってもらいたい。そうして来年には、祖龍が死ぬと伝言してくれといったのである。

元来、鎬池の鎬は秦の都、咸陽を去ること遠からず、昔、周の武王のみやこしたところである。鎬池君は即ち、周の武王である。武王は生時に殷紂を打って、天下をとったのであるが、今や秦の始皇帝の荒淫は殷紂の如く、それも妤けれど、天命の巡り会わせで来年は死ぬというのである。

祖龍の祖ははじまり、龍は人君ですなわち、始皇帝という隠語である。又一説には鎬池君は水神で、始皇帝が前年大江を渡るとき風雨に遭い、空を張れさすために珠を水中に投じたという。そこで大江の神が水の徳を持って王となったのであるから、その君、まさに亡ぼうとするに際し、水神に向かって、まずこれを告げて、そのつもりで居れといったものである。とにかく奇妙な話ではあったが、いずれにしても、始皇帝の世も命運が尽きたということとなったのである。

すると秦の人々は、これを聞いて、これは大変だ始皇帝が崩じられると、天下は再び乱れて、戦乱に乱れるようになるに違いないといった。我々は何時までも、安閑としてここにいるべきではないとここを去ったのである。

一度去って、桃花源に隠れたのちに、とこしえに一道の流水が、これを人間と隔てて、他人に成りすましたという。

 

(古風五十九首の三十一)

鄭容 西のかた關に入り、行行 未だ已む能わず。

白馬 華山君、相い逢う 平原の里。

璧は鎬池君に遺れ、明年 祖龍死せん。

秦人 相い謂って曰く、「吾が屬 去る可し」と。

一たび桃花源に往けば、千春 流水を隔つ。

 

函谷関長安地図座標005 

『古風五十九首之三十一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風五十九首之三十一

鄭容西入關、行行未能已。

白馬華山君、相逢平原里。

璧遺鎬池君、明年祖龍死。

秦人相謂曰、吾屬可去矣。

一往桃花源、千春隔流水。

 

 

(下し文)

(古風五十九首の三十一)

鄭容 西のかた關に入り、行行 未だ已む能わず。

白馬 華山君、相い逢う 平原の里。

璧は鎬池君に遺れ、明年 祖龍死せん。

秦人 相い謂って曰く、「吾が屬 去る可し」と。

一たび桃花源に往けば、千春 流水を隔つ。

 

(現代語訳)

(この詩は、詠史詩と思われるが、秦人に機を知るの明あって、はやくせぞくをはなれて隠れたいと李白は理想を述べているのである。)

鄭容が西のかた、函谷関に入り、行き行きて止まらず、いよいよ咸陽に近づこうとして関中を歩いていた。

白馬に乗った華山の君が出てきて、平舒道に於いてであった。

その華山君が言うには、どうか、この玉を鎬池に住んでいる主の君に贈ってもらいたい。そうして来年には、祖龍が死ぬと伝言してくれといったのである。

元来、鎬池の鎬は秦の都、咸陽を去ること遠からず、昔、周の武王のみやこしたところである。鎬池君は即ち、周の武王である。武王は生時に殷紂を打って、天下をとったのであるが、今や秦の始皇帝の荒淫は殷紂の如く、それも妤けれど、天命の巡り会わせで来年は死ぬというのである。

祖龍の祖ははじまり、龍は人君ですなわち、始皇帝という隠語である。又一説には鎬池君は水神で、始皇帝が前年大江を渡るとき風雨に遭い、空を張れさすために珠を水中に投じたという。そこで大江の神が水の徳を持って王となったのであるから、その君、まさに亡ぼうとするに際し、水神に向かって、まずこれを告げて、そのつもりで居れといったものである。とにかく奇妙な話ではあったが、いずれにしても、始皇帝の世も命運が尽きたということとなったのである。

すると秦の人々は、これを聞いて、これは大変だ始皇帝が崩じられると、天下は再び乱れて、戦乱に乱れるようになるに違いないといった。我々は何時までも、安閑としてここにいるべきではないとここを去ったのである。

一度去って、桃花源に隠れたのちに、とこしえに一道の流水が、これを人間と隔てて、他人に成りすましたという。

太白山001 

(訳注)

古風五十九首之三十一

(この詩は、詠史詩と思われるが、秦人に機を知るの明あって、はやくせぞくをはなれて隠れたいと李白は理想を述べているのである。)

 

鄭容西入關、行行未能已。

鄭容が西のかた、函谷関に入り、行き行きて止まらず、いよいよ咸陽に近づこうとして関中を歩いていた。

搜神記に以下のようになる。

秦始皇三十六年,(前211年)使者 鄭容 關東より來り,將に函關に入る,西 華陰に至り,素車白馬,華山より上より下る望み見る。其の人に非らざるを疑う。道住く,止りて之を待つ。遂に至り,鄭容に問うて曰く:「安くにか之く?」答えて曰く:「咸陽に之くなり。」車上人 曰く:「吾は華山の使なり。願わくば一腫書を託して,鎬池君の所に致さん。子咸陽に之く,道 鎬池を過ぎて,一大梓を見む,文石有り, 取って梓を款る,當に應うる者有るべし。」と。即ち書を以って之に與う。容 其の言の如くし,石を以って梓樹を款けば,果して人有り來って書を取る。明年,祖龍死せむ。

 

白馬華山君、相逢平原里。

白馬に乗った華山の君が出てきて、平舒道に於いてであった。

 

璧遺鎬池君、明年祖龍死。

その華山君が言うには、どうか、この玉を鎬池に住んでいる主の君に贈ってもらいたい。そうして来年には、祖龍が死ぬと伝言してくれといったのである。

元来、鎬池の鎬は秦の都、咸陽を去ること遠からず、昔、周の武王のみやこしたところである。鎬池君は即ち、周の武王である。武王は生時に殷紂を打って、天下をとったのであるが、今や秦の始皇帝の荒淫は殷紂の如く、それも妤けれど、天命の巡り会わせで来年は死ぬというのである。

祖龍の祖ははじまり、龍は人君ですなわち、始皇帝という隠語である。又一説には鎬池君は水神で、始皇帝が前年大江を渡るとき風雨に遭い、空を張れさすために珠を水中に投じたという。そこで大江の神が水の徳を持って王となったのであるから、その君、まさに亡ぼうとするに際し、水神に向かって、まずこれを告げて、そのつもりで居れといったものである。とにかく奇妙な話ではあったが、いずれにしても、始皇帝の世も命運が尽きたということとなったのである。

 

秦人相謂曰、吾屬可去矣。

すると秦の人々は、これを聞いて、これは大変だ始皇帝が崩じられると、天下は再び乱れて、戦乱に乱れるようになるに違いないといった。我々は何時までも、安閑としてここにいるべきではないとここを去ったのである。

 

一往桃花源、千春隔流水。

一度去って、桃花源に隠れたのちに、とこしえに一道の流水が、これを人間と隔てて、他人に成りすましたという。

桃花源 「桃花源記」のなかで、「泰時の乱を避けた」といっていることからすれば、西晋末年に江南へ移住できなかった漢民族が、北方異民族の圧迫を避けて、外界と隔絶した平野部を探しあて、そこに暮らしていたとみることもできる。劉裕に随行して閑中入りしたときの見聞である戴延之の『西征記』にこうした記事が伝えられている。もしそうだとすれば、陶淵明は関中に行った友人の羊松齢の帰国談から、こうした話を聞き、刺激を受けたのかもしれない。

さらにまた、晋代には、劉麟之という男が衡山(湖南の名山)に薬草を採りに入って道に迷った話が伝わっている。この劉鱗之は「桃花源記」のなかの劉子礫を思わせる。

 桃花源記

晉の太元中, 武陵の人 魚を捕ふるを 業【わざ】と爲せり,

溪に縁【そ】ひて行き, 路の遠近を忘る, 忽【たちま】ち 桃花の林に 逢ふ。

岸を夾みて 數百歩, 中に雜樹 無し。

芳草 鮮美として, 落英 繽紛たり。

漁人 甚だ之れを異とす, 復た前に行き, 其の林を窮めんと欲す。

林 水源に盡き, 便ち 一山を得。

山に 小口 有り。 髣髴として光 有るが若【ごと】し。

便ち船を舎【す】てて 口 從【よ】り 入る。

#2

初め極めて狹く, 纔かに人を通すのみ。

復た行くこと數十歩, 豁然として開朗。

土地 平曠として, 屋舍 儼然たり, 良田 美池 桑竹の屬【たぐひ】有り。

阡陌 交【こもご】も通じ, 鷄犬 相ひ聞ゆ。

其の中 往來し 種え作【たがや】す, 男女 衣著, 悉【ことごと】く外人の如く, 黄髮 髫を垂るも, 並【べつ】に 怡然として自ら樂しむ。

#3

漁人 見, 乃【すなは】ち大いに驚き, 從って來たる所を問ふ。 具【つぶさ】に之に答へ, 便ち 家に還へるを要す。

酒を設け 鷄を殺して 食を作る。 村中 此の人有るを聞き,咸【み】な來りて問ひ訊ぬ。

自ら云ふ:先の世 秦時に亂を避【のが】れ,妻子 邑【むら】人を率ゐて此の絶境に來たりて, 復たとは 焉【ここ】を出ず。

遂ひに 外人と間隔つ。 今は是れ何【いづ】れの世なるかを問ふ,乃【すなは】ち 漢 有るを知らず, 無論 魏晉をや。

此の人一一 爲に具【つぶさ】に聞かるる所を言へば, 皆 歎【たんわん】す。

餘人 各【おのお】の 復【ま)た延ゐて其の家に至り, 皆 出でて酒食す。

#4

停【とどま】ること數日にして, 辭去す。 此の中の人 語りて云【いは】く:外人の爲に道【い】ふに足【た】らざる也と。

既に出で, 其の船を得, 便ち 向【さき】の路に扶【よ】りて, 處處に之を誌【しる】す。

郡下に及び, 太守に詣【いた】り, 此【かく】の如く説く。

太守 即ち 人を遣りて其の往【ゆ】けるところに隨ひて, 向【さき】に誌【しる】せる所を尋ねんとすも, 遂に迷ひて 復【ま】たとは 路を得ず。 南陽の劉子驥【き】, 高尚の士也。 之を聞き欣【きん】然として往【ゆ】くを規【くはだ】つ。 未【いま】だ果たせずして, 尋【つい】で病に終る。 後【のち】 遂【つひ】に津を問ふ者 無し。

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李白図102 

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それもまだしも、儒者を名乗り、大先生と称されるものが鹿爪らしく詩を詠い、いかにも人間を磨くようなことをいいふらしているけれど、荘子が言うように、利益のためには鉄拳をふるって、墓をあばき、金槌を揮い屍の口の中の珠を取り出して磨くようなことするということなのだ。こんな調子で、「山海経」にいう、蒼々と茂った珠の生る三株樹は、目をつぶるまでないし、出世の道をとても攀じ登ることできないだろうから、こまったものである。

 
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30-#2

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古風五十九首之三十 #1

玄風變太古。 道喪無時還。

擾擾季葉人。 雞鳴趨四關。

但識金馬門。 誰知蓬萊山。

(この詩は、季世の薄俗、日にはなはだしく、儒者までがさまざまの悪いことをするといって憤激する考えを詠ったものである。)

道家思想である玄風の素朴に変化を生じたのは、太古からのことであるが、今、その大道が一旦喪われればとても太古のそれに還ることなどとても無い。

ここにおいて、栄枯得失などでもって、その身の損益とするし、ただ、名利にのみ走って、欲の為なら朝、鶏が鳴くと飛び起きて四つの関所に押しかけ欲に奔走するものである。

そういう彼等は、但だ、出世の入り口金馬門があり、そこでは、天子の恩賞を受けて富貴になれるということを知っているのだ。東海に仙郷があり、そこに、不老不死の仙郷蓬莱山があり、まことによろしきところであることを誰も知ろうとはしないのである。

#2

白首死羅綺。 笑歌無時閑。

綠酒哂丹液。 青娥凋素顏。

大儒揮金椎。 琢之詩禮間。

蒼蒼三株樹。 冥目焉能攀。

そうして、富貴になり、白髪頭になっても羅衣の綺麗ものを身に着け着飾った女を左右にずらっと侍らせ、淫楽ごとを好み、浮気は死ぬまで止まず、笑ったり歌ったり休む暇はないほど頽廃しているのである。

緑酒は、仙薬の丹液よりも良いものだと道教の考えを馬鹿にして飲もうとしないのである、若々しい美女も見る間に素顔が殻だらけのようになっていく、女たちは、若さだけを求められるから、少し年を取っただけで相手にされなくなるという風潮になるのである。

それもまだしも、儒者を名乗り、大先生と称されるものが鹿爪らしく詩を詠い、いかにも人間を磨くようなことをいいふらしているけれど、荘子が言うように、利益のためには鉄拳をふるって、墓をあばき、金槌を揮い屍の口の中の珠を取り出して磨くようなことするということなのだ。

こんな調子で、「山海経」にいう、蒼々と茂った珠の生る三株樹は、目をつぶるまでないし、出世の道をとても攀じ登ることできないだろうから、こまったものである。

(古風五十九首の三十)

玄風 太古に変ず、道喪 はれ時として還る無し。

擾擾たり季葉の人、難鳴 四関 に趨る。

但だ識る金馬門、誰か知らん蓬莱山。

 

白首 羅綺に死し、笑歌 休閑する無し。

緑酒 丹液を哂ひ、青蛾 素顏を凋ましむ。

大儒 金槌を揮ひ、之を琢く詩禮の間。

蒼蒼たる三株の樹、冥目 焉んぞ能く攀ぢんや。

 

 

『古風五十九首之三十』 現代語訳と訳註

(本文) #2

白首死羅綺。 笑歌無時閑。

綠酒哂丹液。 青娥凋素顏。

大儒揮金椎。 琢之詩禮間。

蒼蒼三株樹。 冥目焉能攀。

 

(下し文)

白首 羅綺に死し、笑歌 休閑する無し。

緑酒 丹液を哂ひ、青蛾 素顏を凋ましむ。

大儒 金槌を揮ひ、之を琢く詩禮の間。

蒼蒼たる三株の樹、冥目 焉んぞ能く攀ぢんや。

 

(現代語訳)

そうして、富貴になり、白髪頭になっても羅衣の綺麗ものを身に着け着飾った女を左右にずらっと侍らせ、淫楽ごとを好み、浮気は死ぬまで止まず、笑ったり歌ったり休む暇はないほど頽廃しているのである。

緑酒は、仙薬の丹液よりも良いものだと道教の考えを馬鹿にして飲もうとしないのである、若々しい美女も見る間に素顔が殻だらけのようになっていく、女たちは、若さだけを求められるから、少し年を取っただけで相手にされなくなるという風潮になるのである。

それもまだしも、儒者を名乗り、大先生と称されるものが鹿爪らしく詩を詠い、いかにも人間を磨くようなことをいいふらしているけれど、荘子が言うように、利益のためには鉄拳をふるって、墓をあばき、金槌を揮い屍の口の中の珠を取り出して磨くようなことするということなのだ。

こんな調子で、「山海経」にいう、蒼々と茂った珠の生る三株樹は、目をつぶるまでないし、出世の道をとても攀じ登ることできないだろうから、こまったものである。

 

(訳注) #2

古風五十九首之三十 #1

(この詩は、季世の薄俗、日にはなはだしく、儒者までがさまざまの悪いことをするといって憤激する考えを詠ったものである。)

○古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

白首死羅綺。 笑歌無時閑。

そうして、富貴になり、白髪頭になっても羅衣の綺麗ものを身に着け着飾った女を左右にずらっと侍らせ、淫楽ごとを好み、浮気は死ぬまで止まず、笑ったり歌ったり休む暇はないほど頽廃しているのである。

〇羅綺 羅も給も絹織物の名。其れを着飾った女。

○笑歌 後宮では宮女が数万人、家妓が数百人というのが常識的な数であった。微笑は美人をあらわし、歌える物楽器を引くもの笛太鼓、などができるものをすべてそろえていた。基本は奴婢である。

 

綠酒哂丹液。 青娥凋素顏。

緑酒は、仙薬の丹液よりも良いものだと道教の考えを馬鹿にして飲もうとしないのである、若々しい美女も見る間に素顔が殻だらけのようになっていく、女たちは、若さだけを求められるから、少し年を取っただけで相手にされなくなるという風潮になるのである。

〇緑酒 丹液の丹(朱色)字に対し、濁り酒ではない清酒を緑色の酒とした。

〇晒 微笑である。諷刺の意が有る。道家を小馬鹿にすること。

〇青蛾 わかい美女。

 

大儒揮金椎。 琢之詩禮間。

それもまだしも、儒者を名乗り、大先生と称されるものが鹿爪らしく詩を詠い、いかにも人間を磨くようなことをいいふらしているけれど、荘子が言うように、利益のためには鉄拳をふるって、墓をあばき、金槌を揮い屍の口の中の珠を取り出して磨くようなことするということなのだ。

〇大儒揮金椎。 琢之詩禮間 「荘子」外物篇に大儒と中信が家をあばき、屍の口を金槌でこぢ開け口中の珠をとる寓話が有る。儒家を謗ったものである。

 

蒼蒼三株樹。 冥目焉能攀。

こんな調子で、「山海経」にいう、蒼々と茂った珠の生る三株樹は、目をつぶるまでないし、出世の道をとても攀じ登ることできないだろうから、こまったものである。

〇三株樹 「山海経」に、三株樹は赤水の上に生じ、其の葉は皆珠と為ると。

〇冥目 冥は瞑と通ず。瞑目は閉目。死を喩へる。

 

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(この詩は、季世の薄俗、日にはなはだしく、儒者までがさまざまの悪いことをするといって憤激する考えを詠ったものである。)道家思想である玄風の素朴に変化を生じたのは、太古からのことであるが、今、その大道が一旦喪われればとても太古のそれに還ることなどとても無い。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-99-#1 《寄董卿嘉榮十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<771-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4485 杜甫詩1500-771-#1-1068/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
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30          巻一      

古風五十九首之三十 #1

玄風變太古。 道喪無時還。

擾擾季葉人。 雞鳴趨四關。

但識金馬門。 誰知蓬萊山。

(この詩は、季世の薄俗、日にはなはだしく、儒者までがさまざまの悪いことをするといって憤激する考えを詠ったものである。)

道家思想である玄風の素朴に変化を生じたのは、太古からのことであるが、今、その大道が一旦喪われればとても太古のそれに還ることなどとても無い。

ここにおいて、栄枯得失などでもって、その身の損益とするし、ただ、名利にのみ走って、欲の為なら朝、鶏が鳴くと飛び起きて四つの関所に押しかけ欲に奔走するものである。

そういう彼等は、但だ、出世の入り口金馬門があり、そこでは、天子の恩賞を受けて富貴になれるということを知っているのだ。東海に仙郷があり、そこに、不老不死の仙郷蓬莱山があり、まことによろしきところであることを誰も知ろうとはしないのである。

#2

白首死羅綺。 笑歌無時閑。

綠酒哂丹液。 青娥凋素顏。

大儒揮金椎。 琢之詩禮間。

蒼蒼三株樹。 冥目焉能攀。

 

(古風五十九首の三十)

玄風 太古に変ず、道喪 はれ時として還る無し。

擾擾たり季葉の人、難鳴 四関 に趨る。

但だ識る金馬門、誰か知らん蓬莱山。

 

白首 羅綺に死し、笑歌 休閑する無し。

緑酒 丹液を哂ひ、青蛾 素顏を凋ましむ。

大儒 金槌を揮ひ、之を琢く詩禮の間。

蒼蒼たる三株の樹、冥目 焉んぞ能く攀ぢんや。

 

 

『古風五十九首之三十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風五十九首之三十 #1

玄風變太古。 道喪無時還。

擾擾季葉人。 雞鳴趨四關。

但識金馬門。 誰知蓬萊山。

 

(下し文)

(古風五十九首の三十)

玄風 太古に変ず、道喪 はれ時として還る無し。

擾擾たり季葉の人、難鳴 四関 に趨る。

但だ識る金馬門、誰か知らん蓬莱山。

 

(現代語訳)

(この詩は、季世の薄俗、日にはなはだしく、儒者までがさまざまの悪いことをするといって憤激する考えを詠ったものである。)

道家思想である玄風の素朴に変化を生じたのは、太古からのことであるが、今、その大道が一旦喪われればとても太古のそれに還ることなどとても無い。

ここにおいて、栄枯得失などでもって、その身の損益とするし、ただ、名利にのみ走って、欲の為なら朝、鶏が鳴くと飛び起きて四つの関所に押しかけ欲に奔走するものである。

そういう彼等は、但だ、出世の入り口金馬門があり、そこでは、天子の恩賞を受けて富貴になれるということを知っているのだ。東海に仙郷があり、そこに、不老不死の仙郷蓬莱山があり、まことによろしきところであることを誰も知ろうとはしないのである。

 

(訳注)

古風五十九首之三十 #1

(この詩は、季世の薄俗、日にはなはだしく、儒者までがさまざまの悪いことをするといって憤激する考えを詠ったものである。)

○古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

玄風變太古。 道喪無時還。

道家思想である玄風の素朴に変化を生じたのは、太古からのことであるが、今、その大道が一旦喪われればとても太古のそれに還ることなどとても無い。

〇玄風 魏晋の頃、道家、即ち老子・荘子の思想に本づく清談が流行し、之を玄

風と謂った。ここでは道家思想を意味する。

〇欒太古 未詳。

 

擾擾季葉人。 雞鳴趨四關。

ここにおいて、栄枯得失などでもって、その身の損益とするし、ただ、名利にのみ走って、欲の為なら朝、鶏が鳴くと飛び起きて四つの関所に押しかけ欲に奔走するものである。

〇擾擾【じょうじょう】 乱れて落ち着かないさま。ごたごたするさま。

○季葉人 季世の人間たちのこと。

○四関 「洛陽記」に云ふ、洛陽に四脚有り、東は成皐、南は伊闕、北は孟津、西は函谷。

 

但識金馬門。 誰知蓬萊山。

そういう彼等は、但だ、出世の入り口金馬門があり、そこでは、天子の恩賞を受けて富貴になれるということを知っているのだ。東海に仙郷があり、そこに、不老不死の仙郷蓬莱山があり、まことによろしきところであることを誰も知ろうとはしないのである。

〇金馬門 漢の武帝が大宛の馬を得、銅を以て馬の像を鋳て之を宦者署の門に立て、因て以て名と為す。常時東方朔・主父偃・厳安・徐榮は皆金馬門に待詔(御用掛り)として出仕した。

〇蓬莱山 東海の中に在ると謂われる神仙三山の一つ。

29 《古風五十九首之二十九》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <29> Ⅰ李白詩1186 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4478

夏、殷、周の三代のあとは、春秋戰國の時代と分かれて国がたった。弱小国は大国に次々と併呑されていき、秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国に収斂し、この七国を戦国の七雄ともいうが、さながら乱麻のようであった。

 
 2014年7月10日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-98-#9 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4475 杜甫詩1500-770-#9-1066/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor7-404《柳枝五首其一》牛給事嶠(牛嶠)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-587-7-(404) 巻三漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4482 
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