漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
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訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
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李白indexー32 753年 53歳

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あおあおとした雑草は、かさなった丘におおいかぶさり、うつくしい王に似た香草は、ふかい谷間にかくれている。鳳凰は西の海に鳴いているが、とまろうと思っても、とまるべき珍しい木がない。ところが、からすは、わがもの顔にのさばっており、よもぎの下に大勢のなかまがいっぱいいる。


 
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54 《古風五十九首之五十四》Index-32-7 753年天寶十二年53592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <54> Ⅰ李白詩1217 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4633

 

 

作年:    753年天寶十二年53

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十四

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之五十四

〔この詩は、朝廷から下って随分経つが、悪風頽俗、日に甚だしく、殊に小人の跋扈しているのを謗ったものである。〕

倚劍登高臺,悠悠送春目。

剣をぶらさげて高台にのぼり、はるかに、はるかに、春のながめに目をあそばせる。

蒼榛蔽層丘,瓊草隱深谷。

あおあおとした雑草は、かさなった丘におおいかぶさり、うつくしい王に似た香草は、ふかい谷間にかくれている。

鳳鳥鳴西海,欲集無珍木。

鳳凰は西の海に鳴いているが、とまろうと思っても、とまるべき珍しい木がない。

鸒斯得所居,蒿下盈萬族。

ところが、からすは、わがもの顔にのさばっており、よもぎの下に大勢のなかまがいっぱいいる。

晉風日已窮途方慟哭。

わたしは阮籍の悲しみを知ることができる。晋朝の風俗は、太陽がすでにくずれかたむいてゆくようであった。だからこそ、どんづまりの道で、大声をあげて泣いたのだ。

 

(古風,五十九首の五十四)

剣に劍って 高台に登り、悠悠として 春日を送る。

蒼榛は 層邸を蔽い、瓊草は 深谷に隠る。

鳳鳥は 西海に鳴き、集まらんと欲するも 珍木無し。

鸒斯は 居る所を得、蒿下に 万族を盈たす。

晋風 日は己にる、窮途 方に働突す。

 

安史の乱当時の勢力図

『古風,五十九首之五十四』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十四

倚劍登高臺,悠悠送春目。

蒼榛蔽層丘,瓊草隱深谷。

鳳鳥鳴西海,欲集無珍木。

鸒斯得所居,蒿下盈萬族。

晉風日已窮途方慟哭。

 

倚劍登高臺,悠悠送春目。

蒼榛蔽層丘,瓊草隱深谷。

鳳鳥鳴西海,欲集無珍木。

鸒斯得所居,蒿下盈萬族。

晉風日已,窮途方慟哭。

【翩翩眾鳥飛,翔在珍木。群花亦便娟,榮耀非一族。歸來愴途窮,日暮還慟哭】

 

(下し文)

(古風,五十九首の五十四)

剣に劍って 高台に登り、悠悠として 春日を送る。

蒼榛は 層邸を蔽い、瓊草は 深谷に隠る。

鳳鳥は 西海に鳴き、集まらんと欲するも 珍木無し。

鸒斯は 居る所を得、蒿下に 万族を盈たす。

晋風 日は己にる、窮途 方に働突す。

 

(現代語訳)

〔この詩は、朝廷から下って随分経つが、悪風頽俗、日に甚だしく、殊に小人の跋扈しているのを謗ったものである。〕

剣をぶらさげて高台にのぼり、はるかに、はるかに、春のながめに目をあそばせる。

あおあおとした雑草は、かさなった丘におおいかぶさり、うつくしい王に似た香草は、ふかい谷間にかくれている。

鳳凰は西の海に鳴いているが、とまろうと思っても、とまるべき珍しい木がない。

ところが、からすは、わがもの顔にのさばっており、よもぎの下に大勢のなかまがいっぱいいる。

わたしは阮籍のの悲しみを知ることができる。晋朝の風俗は、太陽がすでにくずれかたむいてゆくようであった。だからこそ、どんづまりの道で、大声をあげて泣いたのだ。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之五十四

〔この詩は、朝廷から下って随分経つが、悪風頽俗、日に甚だしく、殊に小人の跋扈しているのを謗ったものである。〕

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

倚劍登高臺,悠悠送春目。

剣をぶらさげて高台にのぼり、はるかに、はるかに、春のながめに目をあそばせる。

〇倚劍 六朝の江掩の詩に「倍剣臨八荒」とあり、李周翰の注によると、倍は佩、剣を腰にさげること。

○悠悠 遠くはるかなさま。

○送春目 謝朓の詩「遠近送春目」とあるのにもとづく。春の景色をながめわたす。

 

蒼榛蔽層丘,瓊草隱深谷。

あおあおとした雑草は、かさなった丘におおいかぶさり、うつくしい王に似た香草は、ふかい谷間にかくれている。

○蒼榛 あおあおと茂った雑草。

○瓊草 美しい玉のような香草。

 

鳳鳥鳴西海,欲集無珍木。

鳳凰は西の海に鳴いているが、とまろうと思っても、とまるべき珍しい木がない。

○鳳鳥 ほうおう。瑞鳥であり、掌にたとえる。

○珍木 珍しい木。鳳は、崑崙山上の珍木にとまるといわれている。

 

鸒斯得所居,蒿下盈萬族。

ところが、からすは、わがもの顔にのさばっており、よもぎの下に大勢のなかまがいっぱいいる。

○鸒斯 「爾雅」によると、鵯(ひよどり)ここでは小人にたとえる。

○蔦 よもぎ。

〇万族 たくさんのなかま。

 

晉風日已窮途方慟哭。

わたしは阮籍の悲しみを知ることができる。晋朝の風俗は、太陽がすでにくずれかたむいてゆくようであった。だからこそ、どんづまりの道で、大声をあげて泣いたのだ。

○晋風 晋朝の風俗。

〇日已 阮籍の詠懐詩に「灼灼西頽日、余光照我衣」とある。

○窮途 「晋書」の阮籍伝にみえる話。阮籍は、時に気が向くと、ひとりで馬軍にのって出かけたが、車が通れないところにぶっつかると、大声をあげて慟哭しながら引返したという。

○慟哭 悲しみのあまり、声をあげて泣くこと。

三国鼎立時代の勢力図


53 《古風五十九首之五十三》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <53> Ⅰ李白詩1216 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4628

実際に田成子は斉の田常が宰相となって徒党を組んで、斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とし、やがて、その君である簡公を弑し、曾孫の田和にいたって斉国をのっとり国王となった。これは、朝廷内の李林甫が朝廷を横暴化していることと同じで危ういことである。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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53 《古風五十九首之五十三》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <53> Ⅰ李白詩1216 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4628 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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53 《古風五十九首之五十三》Index-32-7 753年天寶十二年53592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <53> Ⅰ李白詩1216 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4628

 

 

作年:    753年天寶十二年53

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十三

 

 

古風,五十九首之五十三

(この詩は詠史詩である。権勢であったものが下に移れば、人君の位置も危うく、ついに国家も滅亡するという意を逗露して、唐朝の失政(李林甫の横暴・玄宗の頽廃)を謗ったものである。)

戰國何紛紛,兵戈亂浮雲。

戦国はまことに紛々たる乱世であって戦争は絶え間なく、その勝敗は変化し、定まらないのは浮雲が乱れるようなものである。

趙倚兩虎鬥,晉為六卿分。

かくてまた、諸侯の国内において、権臣どもが互いに争っていた。趙には廉頗と藺相如とは「刎頸の交わり」として固い信頼感家となったが初めは、互いに争っていたし、晋には事実上、范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の56家系(中行氏と智氏は、元々同じ荀氏。また、韓氏のみ公族)の当主によって動かされ、とうとう分割されてしまった。

姦臣欲竊位,樹黨自相群。

そうすると、元来、奸臣が王位を竊()もうとするときは、党を樹立して自然に軍団としてゆくのが常であるが、そうなると国王は、孤立してやがて造反され殺害されるということになる。

果然田成子,一旦殺齊君。

実際に田成子は斉の田常が宰相となって徒党を組んで、斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とし、やがて、その君である簡公を弑し、曾孫の田和にいたって斉国をのっとり国王となった。これは、朝廷内の李林甫が朝廷を横暴化していることと同じで危ういことである。

 

(古風,五十九首の五十三)

戰國 何ぞ紛紛たり,兵戈 浮雲亂る。

趙 兩虎の鬥に倚り,晉 六卿の分と為す。

姦臣 位を竊まんと欲し,黨を樹てて 自ら相い群る。

果然とす 田成子,一旦 齊君を殺す。

 春秋戦国勢力図

 

『古風,五十九首之五十三』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十三

戰國何紛紛,兵戈亂浮雲。

趙倚兩虎鬥,晉為六卿分。

姦臣欲竊位,樹黨自相群。

果然田成子,一旦殺齊君。

 

 

(下し文)

(古風,五十九首の五十三)

戰國 何ぞ紛紛たり,兵戈 浮雲亂る。

趙 兩虎の鬥に倚り,晉 六卿の分と為す。

姦臣 位を竊まんと欲し,黨を樹てて 自ら相い群る。

果然とす 田成子,一旦 齊君を殺す。

 

(現代語訳)

(この詩は詠史詩である。権勢であったものが下に移れば、人君の位置も危うく、ついに国家も滅亡するという意を逗露して、唐朝の失政(李林甫の横暴・玄宗の頽廃)を謗ったものである。)

戦国はまことに紛々たる乱世であって戦争は絶え間なく、その勝敗は変化し、定まらないのは浮雲が乱れるようなものである。

かくてまた、諸侯の国内において、権臣どもが互いに争っていた。趙には廉頗と藺相如とは「刎頸の交わり」として固い信頼感家となったが初めは、互いに争っていたし、晋には事実上、范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の56家系(中行氏と智氏は、元々同じ荀氏。また、韓氏のみ公族)の当主によって動かされ、とうとう分割されてしまった。

そうすると、元来、奸臣が王位を竊()もうとするときは、党を樹立して自然に軍団としてゆくのが常であるが、そうなると国王は、孤立してやがて造反され殺害されるということになる。

実際に田成子は斉の田常が宰相となって徒党を組んで、斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とし、やがて、その君である簡公を弑し、曾孫の田和にいたって斉国をのっとり国王となった。これは、朝廷内の李林甫が朝廷を横暴化していることと同じで危ういことである。

 

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(訳注)

古風,五十九首之五十三

(この詩は詠史詩である。権勢であったものが下に移れば、人君の位置も危うく、ついに国家も滅亡するという意を逗露して、唐朝の失政(李林甫の横暴・玄宗の頽廃)を謗ったものである。)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

戰國何紛紛,兵戈亂浮雲。

戦国はまことに紛々たる乱世であって戦争は絶え間なく、その勝敗は変化し、定まらないのは浮雲が乱れるようなものである。

 

趙倚兩虎鬥,晉為六卿分。

かくてまた、諸侯の国内において、権臣どもが互いに争っていた。趙には廉頗と藺相如とは「刎頸の交わり」として固い信頼感家となったが初めは、互いに争っていたし、晋には事実上、范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の56家系(中行氏と智氏は、元々同じ荀氏。また、韓氏のみ公族)の当主によって動かされ、とうとう分割されてしまった。

兩虎鬥 廉頗と藺相如とは「刎頸の交わり」として固い信頼感家となったが初めは、互いに争っていた。「刎頸の交わり」(ふんけい まじわり)は中国の戦国時代に趙で活躍した藺相如と廉頗が残した故事。「刎頸の友」ともいう。『史記』原文には「刎頸(之)交」とある。「お互いに首を斬られても後悔しないような仲」という成語として用いられる。

晉為六卿分 春秋末期、晋は事実上、范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の56家系(中行氏と智氏は、元々同じ荀氏。また、韓氏のみ公族)の当主によって動かされるようになった。この6家系は他の有力大夫を排除して、六卿を世襲するようになっていた。さらに出公のときに范氏、中行氏の領地を智、趙、韓、魏氏が分割しようとしたため、出公は怒り、斉や魯と同盟して四氏を討とうとしたが失敗し、斉へ亡命しようとしてその途中で亡くなったために(紀元前457年)、晋室は全く力を失った。

 

姦臣欲竊位,樹黨自相群。

そうすると、元来、奸臣が王位を竊()もうとするときは、党を樹立して自然に軍団としてゆくのが常であるが、そうなると国王は、孤立してやがて造反され殺害されるということになる。

 

果然田成子,一旦殺齊君。

実際に田成子は斉の田常が宰相となって徒党を組んで、斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とし、やがて、その君である簡公を弑し、曾孫の田和にいたって斉国をのっとり国王となった。これは、朝廷内の李林甫が朝廷を横暴化していることと同じで危ういことである。

田成子  〔田氏、斉をのっとる〕申午の日に、田常は、簡公を徐州で殺して、簡公の弟のゴウを立てた。これが平公である。平公が即位すると、田常が宰相となって斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とした。

  平公の八年に、越が呉を滅ぼした。二十五年に、平公が死んだ。その子の宣公積が立った。宣公は五十一年に死んだ。その子の康公貸が立った。田会がリン丘で反乱を起こした。康公の二年に、韓・魏・趙が、はじめて諸侯に列した。十九年に、田常の曾孫の田和がはじめて諸侯となり、康公を海浜に遷した。二十六年に、康公が死んだ。かくて、呂氏はついに宗廟の祭祀を絶った。田氏が斉国をのっとり、威王(田和の孫)にいたって、天下の強国となった。

齊君 齊の簡公。


史記・齊世家「鴟夷子皮事田成子。田成子去齊,走而之燕,鴟夷子皮負傳而從。至望邑,子皮曰:“子獨不聞涸澤之蛇乎?澤涸,蛇將徙。有小蛇謂大蛇曰:'子行而我隨之,人以為蛇之行者耳,必有殺子者。子不如相銜負我以行,人必以我為神君也。
李白図102 

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(この詩は、殷・楚の末運より、比干・屈原の事、および、忠貞の思いが、世に容れられず、空しく禍にかかったことを李白は自分の佳形に照らして時事に感じたことを詩に詠った。)殷の紂王は天の綱紀をみだしたし、楚の懐王もまた昏愚であったために、二君ともに、どの国をうしなうこととなった。

 
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作年:    753年天寶十二年53

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之五十一

(この詩は、殷・楚の末運より、比干・屈原の事、および、忠貞の思いが、世に容れられず、空しく禍にかかったことを李白は自分の佳形に照らして時事に感じたことを詩に詠った。)

殷后亂天紀,楚懷亦已昏。

殷の紂王は天の綱紀をみだしたし、楚の懐王もまた昏愚であったために、二君ともに、どの国をうしなうこととなった。

夷羊滿中野,菉葹盈高門。

殷の紂王の末年には、夷羊という神獣が牧野に現れ、殷の紂王が、後にここに敗軍する兆を示したし、海王の時は菉葹などの悪草に比すべき、小人が朝廷に満ちて、しきりに権力を振るっていた。

比干諫而死,屈平竄湘源。

こうして、比干は殷の紂王を諌め、あまりはげしくやったので、ついに胸を裂かれて死んでしまい、屈原は、折角の才芸が累をなし、同僚の上官太夫に讒言を以て、とうとう湘江のほとりに放逐されてしまったのである。

虎口何婉孌,女空嬋媛。

比干は虎口におちいるも顧みず、ひたすらその君を顧慕し、つかの間も忘れず、そのために、覚えず極諫したのであるし、屈原は、その姉の女嬃に引き留められ、あまり正直にするのは身のためにならないから、少しは、控えめにせよと、酷く叱られた。賢者の心は、世俗の人にわからず、かえって、その諸行を否定される位である。

彭咸久淪沒,此意與誰論。

顧みれば、彭咸のような賢人は、没して既に久しく、この忠義の心をだれと共に論ずればよいのか、今の世には、それができる人物が全くいないのだから仕方がないということだ。

 

(古風,五十九首の五十一)

殷后 天紀を亂し,楚懷 亦た已に昏し。

夷羊 中野に滿ち,菉葹【りょくし】高門に盈つ。

比干は 諫めて死し,屈平は湘源に竄す。

虎口 何ぞ婉孌【えんれん】たる,女【じょしゅ】空しく嬋媛【せんえん】

彭咸 久しく淪沒,此の意 誰れと論ぜん。

 

rihakustep足跡 

古風,五十九首之五十一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十一

殷后亂天紀,楚懷亦已昏。

夷羊滿中野,菉葹盈高門。

比干諫而死,屈平竄湘源。

虎口何婉孌,女空嬋媛。

彭咸久淪沒,此意與誰論。

 

(下し文)

(古風,五十九首の五十一)

殷后 天紀を亂し,楚懷 亦た已に昏し。

夷羊 中野に滿ち,菉葹【りょくし】高門に盈つ。

比干は 諫めて死し,屈平は湘源に竄す。

虎口 何ぞ婉孌【えんれん】たる,女【じょしゅ】空しく嬋媛【せんえん】。

彭咸 久しく淪沒,此の意 誰れと論ぜん。

 

(現代語訳)

(この詩は、殷・楚の末運より、比干・屈原の事、および、忠貞の思いが、世に容れられず、空しく禍にかかったことを李白は自分の佳形に照らして時事に感じたことを詩に詠った。)

殷の紂王は天の綱紀をみだしたし、楚の懐王もまた昏愚であったために、二君ともに、どの国をうしなうこととなった。

殷の紂王の末年には、夷羊という神獣が牧野に現れ、殷の紂王が、後にここに敗軍する兆を示したし、海王の時は菉葹などの悪草に比すべき、小人が朝廷に満ちて、しきりに権力を振るっていた。

こうして、比干は殷の紂王を諌め、あまりはげしくやったので、ついに胸を裂かれて死んでしまい、屈原は、折角の才芸が累をなし、同僚の上官太夫に讒言を以て、とうとう湘江のほとりに放逐されてしまったのである。

比干は虎口におちいるも顧みず、ひたすらその君を顧慕し、つかの間も忘れず、そのために、覚えず極諫したのであるし、屈原は、その姉の女嬃に引き留められ、あまり正直にするのは身のためにならないから、少しは、控えめにせよと、酷く叱られた。賢者の心は、世俗の人にわからず、かえって、その諸行を否定される位である。

顧みれば、彭咸のような賢人は、没して既に久しく、この忠義の心をだれと共に論ずればよいのか、今の世には、それができる人物が全くいないのだから仕方がないということだ。

 

李白図102 

(訳注)

古風,五十九首之五十一

(この詩は、殷・楚の末運より、比干・屈原の事、および、忠貞の思いが、世に容れられず、空しく禍にかかったことを李白は自分の佳形に照らして時事に感じたことを詩に詠った。)

 

殷后 亂天紀,楚懷 亦已昏。

殷の紂王は天の綱紀をみだしたし、楚の懐王もまた昏愚であったために、二君ともに、どの国をうしなうこととなった。

殷后 后は君、紂をしめす。

天紀 天の綱紀。

 

夷羊 滿中野,菉葹 盈高門。

殷の紂王の末年には、夷羊という神獣が牧野に現れ、殷の紂王が、後にここに敗軍する兆を示したし、海王の時は菉葹などの悪草に比すべき、小人が朝廷に満ちて、しきりに権力を振るっていた。

夷羊 「神獣の夷羊、商のまさに亡びんとするや、商郊牧野の地にあらわる。」とある。

菉葹 部屋の中に生えてきた草、菉(かりやす)・葹(おなもみ)のような雑草、人にとって悪い草ということ。屈原《楚辞・離騒》「薋菉葹以盈室兮,判獨離而不服。」(薋菉葹を以て室を盈たすに,判獨離而不服 判として獨り離れて服せず。)(はまびし)・菉(かりやす)・葹(おなもみ)のような雑草は部屋に満ちているのにただひとり離れてそれを身につけぬとは

薋菉葹以盈室兮,判獨離而不服衆不可戸説兮,孰云察余之中情世竝舉而好朋兮,夫何煢獨而不予聽。

 

比干 諫而死,屈平 竄湘源。

こうして、比干は殷の紂王を諌め、あまりはげしくやったので、ついに胸を裂かれて死んでしまい、屈原は、折角の才芸が累をなし、同僚の上官太夫に讒言を以て、とうとう湘江のほとりに放逐されてしまったのである。

比干 殷(いん)王朝の人。紂(ちゅう)の叔父。淫乱な紂王を諫(いさ)めたため、紂王に胸を裂かれて殺された。箕子(きし)・微子とともに殷の三仁と称される。

屈平 屈原のこと。(くつげん、紀元前343121日頃 - 紀元前27855日頃)は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。

湘源 湘江の上流を指す。

 

虎口 何婉孌,女 空嬋媛。

比干は虎口におちいるも顧みず、ひたすらその君を顧慕し、つかの間も忘れず、そのために、覚えず極諫したのであるし、屈原は、その姉の女嬃に引き留められ、あまり正直にするのは身のためにならないから、少しは、控えめにせよと、酷く叱られた。賢者の心は、世俗の人にわからず、かえって、その諸行を否定される位である。

虎口 ①《恐ろしい虎の口の意》非常に危険な所、また、危険な状態のたとえ。危機。虎穴。②城郭における出入り口のことで、「こぐち」には狭い道・狭い口という意味がある。「小口」とも書く。「虎口(ここう)」とよむ場合は、中世の戦場や陣地における危険な場所を意味する。

婉孌 顧慕。“慕う”、“従う”、美しいことの形容。

 母のことを姐(しゃ)といい、巫女(神に仕える女)の長を女(じょしゅ)という。 姉・姐・女というのは同じ系列の語で、それぞれの地位・身分をあらわすものであろう。ここでは、屈原に生き方の助言をした姉ということとされている。

嬋媛 【せんえん】あでやかで美しいさま。優美であるさま。「暮れんとする春の色の、―として、しばらくは冥邈(めいばく)の戸口をまぼろしに彩どる中に」〈漱石・草枕〉

 

彭咸 久淪沒,此意 與誰論。

顧みれば、彭咸のような賢人は、没して既に久しく、この忠義の心をだれと共に論ずればよいのか、今の世には、それができる人物が全くいないのだから仕方がないということだ。

彭咸 殷の賢明な臣下で、君主を諫めたが聞き入れられず、ために入水する。或いは、巫、みこの名。水に身を投げて入水し、水神となる。

 

《楚辭・離騷》 屈原

帝高陽之苗裔兮,  朕皇考曰伯庸。

攝提貞于孟陬兮,  惟庚寅吾以降。

 

皇覽揆余初度兮,  肇錫余以嘉名。

名余曰正則兮,    字余曰靈均 。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

           (中略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

亂曰:

已矣哉!

國無人莫我知兮,    又何懷乎故都?

既莫足與爲美政兮,  吾將從彭咸之所居!

 

(離騷)

 

帝 高陽の苗裔にて ,朕(わ)が皇考は 伯庸と 曰(い)ふ。

攝提孟陬に貞(あた)りて,惟れ 庚寅(かのえとら)に吾れ以って降(うま)る。

皇(ちち)覽ずるに余の初めて度すを揆(はか)りて,肇(はじ)めて余に錫(たま)ふに 嘉名を以てす。

余に 名づけて正則と曰(い)ひ,余に 字(あざな)して 靈均と 曰(い)ふ 。

・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・

 亂に曰く:

 已矣哉(やんぬるかな)!

 國に人 無く 我を 知るもの莫し, 又 何ぞ 故都を 懷しまんや?

 既に 與に 美政を爲すに 足るもの  莫し,吾れ將に彭咸に從ひて居す所に之(ゆ)かん!
 Nature1-011

46 《古風五十九首之四十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳590古風,五十九首之四十六一百四十年, <46> Ⅰ李白詩1209 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4593

(この詩は、唐朝が「開元の治」と隆盛であったが、ようやく衰運に向おうとし始めた、時尚の日に非なるを吡り、併せて、自分の操守び及んだものである。)唐建国140年になろうとしている、今しも、国力強勢の絶超に達し、国の光は赫然として、外夷にまで何と輝きわたっていることだろうか。

 
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46 《古風五十九首之四十六》Index-32-7 753年天寶十二年53590古風,五十九首之四十六一百四十年, <46> Ⅰ李白詩1209 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4593

 

 

製作年:753年 天寶十二年 53

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之四十六

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              五鳳樓 (都畿道 河南府 洛陽)           

 

 

古風,五十九首之四十六

(この詩は、唐朝が「開元の治」と隆盛であったが、ようやく衰運に向おうとし始めた、時尚の日に非なるを吡り、併せて、自分の操守び及んだものである。)

一百四十年,國容何赫然。

唐建国140年になろうとしている、今しも、国力強勢の絶超に達し、国の光は赫然として、外夷にまで何と輝きわたっていることだろうか。

隱隱五鳳樓,峨峨橫三川。

都長安の宮城には五鳳樓というところが隠々として簇がっており、しかも、峨峨として高く、涇水・渭水・洛水という三川の間に横たわっているのである。

王侯象星月,賓客如雲煙。

権勢の盛りを誇る王侯諸侯たちは、星月の天上に輝くにかたどり、その家に出入する賓客のおびただしい数は、まるで雲煙の様なものである。

 

鬥雞金宮裡,蹴瑤臺邊。

舉動搖白日,指揮回青天。

當塗何翕忽,失路長棄捐。

獨有揚執戟,閉關草太玄。

 

古風,五十九首之四十六

一百四十年,國容 何ぞ赫然たる。

隱隱たる五鳳樓,峨峨として三川に橫う。

王侯は星月に象り,賓客は雲煙の如し。

 

雞を鬥わす 金宮の裡,る 瑤臺の邊。

舉動 白日を搖す,指揮 青天を回す。

當塗 何ぞ翕忽【きゅうこつ】,失路 長く棄捐【きえん】。

獨り 揚執【ようしつ】戟有り,關を閉じて 太玄を草す。

 

長安城皇城図 

『古風,五十九首之四十六』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十六

一百四十年,國容何赫然。

隱隱五鳳樓,峨峨橫三川。

王侯象星月,賓客如雲煙。

 

(下し文)

古風,五十九首之四十六

一百四十年,國容 何ぞ赫然たる。

隱隱たる五鳳樓,峨峨として三川に橫う。

王侯は星月に象り,賓客は雲煙の如し。

 

(現代語訳)

(この詩は、唐朝が「開元の治」と隆盛であったが、ようやく衰運に向おうとし始めた、時尚の日に非なるを吡り、併せて、自分の操守び及んだものである。)

唐建国140年になろうとしている、今しも、国力強勢の絶超に達し、国の光は赫然として、外夷にまで何と輝きわたっていることだろうか。

都長安の宮城には五鳳樓というところが隠々として簇がっており、しかも、峨峨として高く、涇水・渭水・洛水という三川の間に横たわっているのである。

権勢の盛りを誇る王侯諸侯たちは、星月の天上に輝くにかたどり、その家に出入する賓客のおびただしい数は、まるで雲煙の様なものである。

 

 唐長安城図00

(訳注)

古風,五十九首之四十六

(この詩は、唐朝が「開元の治」と隆盛であったが、ようやく衰運に向おうとし始めた、時尚の日に非なるを吡り、併せて、自分の操守び及んだものである。)

 

一百四十年,國容何赫然。

唐建国140年になろうとしている、今しも、国力強勢の絶超に達し、国の光は赫然として、外夷にまで何と輝きわたっていることだろうか。

一百四十年 唐建国140年。

 

隱隱五鳳樓,峨峨橫三川。

都長安の宮城には五鳳樓というところが隠々として簇がっており、しかも、峨峨として高く、涇水・渭水・洛水という三川の間に横たわっているのである。

五鳳樓 開元二十三年、上、五鳳樓に御して酭宴す。

三川 涇水・渭水・洛水をいう。

 

王侯象星月,賓客如雲煙。

権勢の盛りを誇る王侯諸侯たちは、星月の天上に輝くにかたどり、その家に出入する賓客のおびただしい数は、まるで雲煙の様なものである。
大明宮-座標02 

長安付近図00 

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魯中連は東海を踏んで碧水に沈みそうになり、老子が西のかた、函谷関にいれば、紫氣がこれに随ってきたという。この魯中連と老子の二人は、まことに、沈冥隠晦の所を得たもので、我もまたこれらの人を学び、その精美芳芬の徳を受け継いでいきたいと思うのである。

 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十六 

 

 

古風,五十九首之三十六

士のもちられぬのは、もとより不幸、またもちいられても、まごまごすると、災いに遭う。そこで、魯中連や老子のように、高挙遠踏するのが第一だという意を述べたものである。

抱玉入楚國,見疑古所聞。

昔、聞く所によれば、卞和という人が、玉璞を携えて、楚国に入り、わざわざ、これを楚王に献じたところが、誰もこれを見分けることが出来なかった。

良寶終見棄,徒勞三獻君。

そんなことで、良寶も終に棄てられてしいまい、骨折り損の無駄なことをして、三度目にようやく玉だとわかって、君の手元におさまった。士が偶々もちいられたとしても、ややもすれば、その才が帰って累を為すことがあるということだ。

直木忌先伐,芳蘭哀自焚。

例えば、木が真っ直ぐであることで、かえって切り倒されてしまうとか、香木が臭いを含んでいるからと言って燃やされる様なものである。

盈滿天所損,沈冥道為群。

全て物事が十分であるのは、よろしくないので、盈滿になると、天からこれを損する。また、沈冥隠晦の域に至ったとすれば、とこしえに、道と群をなして、一緒にいることが出来るのである。

東海沈碧水,西關乘紫雲。

そういうことで、魯中連は東海を踏んで碧水に沈みそうになり、老子が西のかた、函谷関にいれば、紫氣がこれに随ってきたという。

魯連及柱史,可以躡清芳。

この魯中連と老子の二人は、まことに、沈冥隠晦の所を得たもので、我もまたこれらの人を学び、その精美芳芬の徳を受け継いでいきたいと思うのである。

 

(古風,五十九首の三十六)

玉をい抱て楚國に入り,見疑われしは 古しえ聞く所なり。

良寶 終に棄て見れ,徒勞 三たび君に獻ず。

直木は 先ず伐らるるを忌み,芳蘭は自ら焚くを哀む。

盈滿は 天 損する所,沈冥 道 群を為す。

東海 碧水に沈み,西關 紫雲に乘ず。

魯連及び柱史,以って清芳を躡む可し。

春秋戦国勢力図 

 『古風,五十九首之三十六』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十六

抱玉入楚國,見疑古所聞。

良寶終見棄,徒勞三獻君。

直木忌先伐,芳蘭哀自焚。

盈滿天所損,沈冥道為群。

東海沈碧水,西關乘紫雲。

魯連及柱史,可以躡清芳。

 

〔此詩一作〈感興〉云:朅來荊山客,誰為珉玉分。良寶見棄,虛持三獻君。直木忌先伐,芬蘭哀自焚。盈滿天所損,沈冥道所群。東海有碧水,西山多白雲。魯連及夷齊,可以躡清芬。

 

(下し文)

(古風,五十九首の三十六)

玉をい抱て楚國に入り,見疑われしは 古しえ聞く所なり。

良寶 終に棄て見れ,徒勞 三たび君に獻ず。

直木は 先ず伐らるるを忌み,芳蘭は自ら焚くを哀む。

盈滿は 天 損する所,沈冥 道 群を為す。

東海 碧水に沈み,西關 紫雲に乘ず。

魯連及び柱史,以って清芳を躡む可し。

 

(現代語訳)

士のもちられぬのは、もとより不幸、またもちいられても、まごまごすると、災いに遭う。そこで、魯中連や老子のように、高挙遠踏するのが第一だという意を述べたものである。

昔、聞く所によれば、卞和という人が、玉璞を携えて、楚国に入り、わざわざ、これを楚王に献じたところが、誰もこれを見分けることが出来なかった。

そんなことで、良寶も終に棄てられてしいまい、骨折り損の無駄なことをして、三度目にようやく玉だとわかって、君の手元におさまった。士が偶々もちいられたとしても、ややもすれば、その才が帰って累を為すことがあるということだ。

例えば、木が真っ直ぐであることで、かえって切り倒されてしまうとか、香木が臭いを含んでいるからと言って燃やされる様なものである。

全て物事が十分であるのは、よろしくないので、盈滿になると、天からこれを損する。また、沈冥隠晦の域に至ったとすれば、とこしえに、道と群をなして、一緒にいることが出来るのである。

そういうことで、魯中連は東海を踏んで碧水に沈みそうになり、老子が西のかた、函谷関にいれば、紫氣がこれに随ってきたという。

この魯中連と老子の二人は、まことに、沈冥隠晦の所を得たもので、我もまたこれらの人を学び、その精美芳芬の徳を受け継いでいきたいと思うのである。

呉越の地図 

(訳注)

古風,五十九首之三十六

この詩は、感嘆の詩で、士のもちられぬのは、もとより不幸、またもちいられても、まごまごすると、災いに遭う。そこで、魯中連や老子のように、高挙遠踏するのが第一だという意を述べたものである。

 

抱玉入楚國,見疑古所聞。

昔、聞く所によれば、卞和という人が、玉璞を携えて、楚国に入り、わざわざ、これを楚王に献じたところが、誰もこれを見分けることが出来なかった。

抱玉入楚國 韓非子卞和の故事。楚の卞和が美しい玉を含包した石を れい 王と武王に献じたが理解されず欺く者として両足を切られた。 やがて文王の代になり、その文王がその原石を磨かせたところ本当に宝玉であったという故事。 《韓非子、和氏篇》

 

良寶終見棄,徒勞三獻君。

そんなことで、良寶も終に棄てられてしいまい、骨折り損の無駄なことをして、三度目にようやく玉だとわかって、君の手元におさまった。士が偶々もちいられたとしても、ややもすれば、その才が帰って累を為すことがあるということだ。

 

直木忌先伐,芳蘭哀自焚。

例えば、木が真っ直ぐであることで、かえって切り倒されてしまうとか、香木が臭いを含んでいるからと言って燃やされる様なものである。

直木忌先伐 《荘子 山木》直木先伐、甘井先竭(直木は先ず伐られる、甘井は先ず竭く。)才能のすぐれた人は早く使い切って衰えてしまうことのたとえ。

 

盈滿天所損,沈冥道為群。

全て物事が十分であるのは、よろしくないので、盈滿になると、天からこれを損する。また、沈冥隠晦の域に至ったとすれば、とこしえに、道と群をなして、一緒にいることが出来るのである。

 

東海沈碧水,西關乘紫雲。

そういうことで、魯中連は東海を踏んで碧水に沈みそうになり、老子が西のかた、函谷関にいれば、紫氣がこれに随ってきたという。

東海沈碧水 戦国時代に魯中連という人は 『秦がもし天下の政権を握るようなことがあったら. すぐ私は東海に身をなげて死ぬ。 私はどう しても秦の民となることはできぬ。』 と激しい. 口調で言った。 世人は魯中連の精神に感動し、 その言葉を小気味よいと思った。

西關乘紫雲 城西の門の衛兵・尹喜は、東の空に紫雲がたなびくのに気づき、4人の供を連れた老子を出迎え、知恵を書き残して欲しいと願った。《史記》「老子西入函谷關。關令尹喜見紫雲西邁。」

 

魯連及柱史,可以躡清芳。

この魯中連と老子の二人は、まことに、沈冥隠晦の所を得たもので、我もまたこれらの人を学び、その精美芳芬の徳を受け継いでいきたいと思うのである。

魯中連【ろちゅうれん】(約前305年—前245年) 戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。魯連。

柱史 老子のこと周の柱下の史であることからこう呼ぶ。老子は、古代中国の哲学者であり、道教創案の中心人物。「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。書物『老子』を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について激しい議論が行われたりする。

清芳 精美芳芬の徳を受け継いでいきたいということ。
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32 《古風五十九首之三十二》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳588古風,五十九首之三十二蓐收肅金氣, <32> Ⅰ李白詩1190 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4498

秋の蝉は物寂しげに皆軒の先に留まって鳴いているものだが、そうした季節を示すものが私の感情を愁いにするものであってこの季節にはそれがおさまってしまうことなどないのだ。天運というもの尽きることはないし、良辰はいつともわからないものである。これは人にも言えることで、功名を立てるべき好機会に容易には出会うことなどなくて、やがては窮途に沈淪する。

 
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32 《古風五十九首之三十二》Index-32-7 753年天寶十二年53588古風,五十九首之三十二蓐收肅金氣, <32> Ⅰ李白詩1190 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4498

 

 

製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十二 

 

古風,五十九首之三十二

(李白が秋について詠ったものであるが、宋玉の九弁に影響を受けて作っている。)

蓐收肅金氣,西陸弦海月。

秋を司る蓐收という神は金気が肅然として、見にしむ季節であり、海から上がって來る上弦の月は西陸の軌道を通ってゆく。

秋蟬號階軒,感物憂不歇。

秋の蝉は物寂しげに皆軒の先に留まって鳴いているものだが、そうした季節を示すものが私の感情を愁いにするものであってこの季節にはそれがおさまってしまうことなどないのだ。

良辰竟何許,大運有淪忽。

天運というもの尽きることはないし、良辰はいつともわからないものである。これは人にも言えることで、功名を立てるべき好機会に容易には出会うことなどなくて、やがては窮途に沈淪する。

天寒悲風生,夜久眾星沒。

こうして、この秋も暮れてゆけば、悲風蕭颯として寒空を拂い、そして夜も長く、多くの星もいつしか消えてしまう

惻惻不忍言,哀歌逮明發。

かくして、惻惻の情、自ずから言うに忍びず、しいて哀歌を発して秋の夜もすがら眠りもしないで立待夜が明けたしまったという次第だ。

 

(古風,五十九首の三十二)

蓐收【じょくしゅう】金氣肅たり,西陸 海月に弦す。

秋蟬 階軒に號び,物に感じて憂 歇まず。

良辰 竟に何許【いづこ】ぞ,大運に淪忽【りんこつ】有り。

天寒くして 悲風生じ,夜久しくして 眾星沒す。

惻惻として 言うに忍びず,哀歌 明發に逮す。

 

nat0019 

『古風,五十九首之三十二』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十二

蓐收肅金氣,西陸弦海月。

秋蟬號階軒,感物憂不歇。

良辰竟何許,大運有淪忽。

天寒悲風生,夜久眾星沒。

惻惻不忍言,哀歌逮明發。

 

(下し文)

(古風,五十九首の三十二)

蓐收【じょくしゅう】金氣肅たり,西陸 海月に弦す。

秋蟬 階軒に號び,物に感じて憂 歇まず。

良辰 竟に何許【いづこ】ぞ,大運に淪忽【りんこつ】有り。

天寒くして 悲風生じ,夜久しくして 眾星沒す。

惻惻として 言うに忍びず,哀歌 明發に逮す。

 

(現代語訳)

(李白が秋について詠ったものであるが、宋玉の九弁に影響を受けて作っている。)

秋を司る蓐收という神は金気が肅然として、見にしむ季節であり、海から上がって來る上弦の月は西陸の軌道を通ってゆく。

秋の蝉は物寂しげに皆軒の先に留まって鳴いているものだが、そうした季節を示すものが私の感情を愁いにするものであってこの季節にはそれがおさまってしまうことなどないのだ。

天運というもの尽きることはないし、良辰はいつともわからないものである。これは人にも言えることで、功名を立てるべき好機会に容易には出会うことなどなくて、やがては窮途に沈淪する。

こうして、この秋も暮れてゆけば、悲風蕭颯として寒空を拂い、そして夜も長く、多くの星もいつしか消えてしまう

かくして、惻惻の情、自ずから言うに忍びず、しいて哀歌を発して秋の夜もすがら眠りもしないで立待夜が明けたしまったという次第だ。

 

(55moon訳注)

古風,五十九首之三十二

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(李白が秋について詠ったものであるが、以下に示す宋玉の九弁に影響を受けて作っている。)

宋玉『九辨』、
悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,
憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,
泬寥兮天高而氣清,寂寥兮收潦而水清,
悽增欷兮薄寒之中人,愴怳懭悢兮去故而就新,
坎廩兮貧士失職而志不平,廓落兮羇旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。
燕翩翩其辭歸兮,蟬寂漠而無聲。
鴈廱廱而南遊兮,鶤雞啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。
「秋を悲しむ」とよんでもよい。『九辯』については全文訳注を掲載していいる。
九辯 第二段-#1 宋玉  <00-#3>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 632 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2144

 

蓐收肅金氣,西陸弦海月。

秋を司る蓐收という神は金気が肅然として、見にしむ季節であり、海から上がって來る上弦の月は西陸の軌道を通ってゆく。

○蓐收【じょくしゅう】 秋の神。全身金色の片であり,左耳一条金蛇を穿つ,脚は两条金,面は人で身は虎である,肩には胛 羽翼を生ず. ①蓐收とは秋の神をいう,左耳有蛇,乘两条 ②白帝少昊神——秋神蓐收。③古代伝説中の西方の神名であり,秋を司る

○西陸 秋になって月の通過する軌道。立春立秋には月は東方青道を行く、東陸という。立夏夏至には月は南方黄道を行く南陸という。立秋秋分には月は西方白道を行く、西陸という。立冬冬至には月は北方黒道を行く、北陸という。

○弦 上弦の月、下弦の月。新月と満月の中間にある月をいう。

 

秋蟬號階軒,感物憂不歇。

秋の蝉は物寂しげに皆軒の先に留まって鳴いているものだが、そうした季節を示すものが私の感情を愁いにするものであってこの季節にはそれがおさまってしまうことなどないのだ。

 

良辰竟何許,大運有淪忽。

天運というもの尽きることはないし、良辰はいつともわからないものである。これは人にも言えることで、功名を立てるべき好機会に容易には出会うことなどなくて、やがては窮途に沈淪する。

○何許 何処。

○大運 天運。

○淪忽 秋がくれて行く様に人生も暮れてゆく。

 

天寒悲風生,夜久眾星沒。

こうして、この秋も暮れてゆけば、悲風蕭颯として寒空を拂い、そして夜も長く、多くの星もいつしか消えてしまう

 

惻惻不忍言,哀歌逮明發。

かくして、惻惻の情、自ずから言うに忍びず、しいて哀歌を発して秋の夜もすがら眠りもしないで立待夜が明けたしまったという次第だ。

 

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元来、鎬池の鎬は秦の都、咸陽を去ること遠からず、昔、周の武王のみやこしたところである。鎬池君は即ち、周の武王である。武王は生時に殷紂を打って、天下をとったのであるが、今や秦の始皇帝の荒淫は殷紂の如く、それも妤けれど、天命の巡り会わせで来年は死ぬというのである。

 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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31          巻一      

古風五十九首之三十一

鄭容西入關、行行未能已。

白馬華山君、相逢平原里。

璧遺鎬池君、明年祖龍死。

秦人相謂曰、吾屬可去矣。

一往桃花源、千春隔流水。

(この詩は、詠史詩と思われるが、秦人に機を知るの明あって、はやくせぞくをはなれて隠れたいと李白は理想を述べているのである。)

鄭容が西のかた、函谷関に入り、行き行きて止まらず、いよいよ咸陽に近づこうとして関中を歩いていた。

白馬に乗った華山の君が出てきて、平舒道に於いてであった。

その華山君が言うには、どうか、この玉を鎬池に住んでいる主の君に贈ってもらいたい。そうして来年には、祖龍が死ぬと伝言してくれといったのである。

元来、鎬池の鎬は秦の都、咸陽を去ること遠からず、昔、周の武王のみやこしたところである。鎬池君は即ち、周の武王である。武王は生時に殷紂を打って、天下をとったのであるが、今や秦の始皇帝の荒淫は殷紂の如く、それも妤けれど、天命の巡り会わせで来年は死ぬというのである。

祖龍の祖ははじまり、龍は人君ですなわち、始皇帝という隠語である。又一説には鎬池君は水神で、始皇帝が前年大江を渡るとき風雨に遭い、空を張れさすために珠を水中に投じたという。そこで大江の神が水の徳を持って王となったのであるから、その君、まさに亡ぼうとするに際し、水神に向かって、まずこれを告げて、そのつもりで居れといったものである。とにかく奇妙な話ではあったが、いずれにしても、始皇帝の世も命運が尽きたということとなったのである。

すると秦の人々は、これを聞いて、これは大変だ始皇帝が崩じられると、天下は再び乱れて、戦乱に乱れるようになるに違いないといった。我々は何時までも、安閑としてここにいるべきではないとここを去ったのである。

一度去って、桃花源に隠れたのちに、とこしえに一道の流水が、これを人間と隔てて、他人に成りすましたという。

 

(古風五十九首の三十一)

鄭容 西のかた關に入り、行行 未だ已む能わず。

白馬 華山君、相い逢う 平原の里。

璧は鎬池君に遺れ、明年 祖龍死せん。

秦人 相い謂って曰く、「吾が屬 去る可し」と。

一たび桃花源に往けば、千春 流水を隔つ。

 

函谷関長安地図座標005 

『古風五十九首之三十一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風五十九首之三十一

鄭容西入關、行行未能已。

白馬華山君、相逢平原里。

璧遺鎬池君、明年祖龍死。

秦人相謂曰、吾屬可去矣。

一往桃花源、千春隔流水。

 

 

(下し文)

(古風五十九首の三十一)

鄭容 西のかた關に入り、行行 未だ已む能わず。

白馬 華山君、相い逢う 平原の里。

璧は鎬池君に遺れ、明年 祖龍死せん。

秦人 相い謂って曰く、「吾が屬 去る可し」と。

一たび桃花源に往けば、千春 流水を隔つ。

 

(現代語訳)

(この詩は、詠史詩と思われるが、秦人に機を知るの明あって、はやくせぞくをはなれて隠れたいと李白は理想を述べているのである。)

鄭容が西のかた、函谷関に入り、行き行きて止まらず、いよいよ咸陽に近づこうとして関中を歩いていた。

白馬に乗った華山の君が出てきて、平舒道に於いてであった。

その華山君が言うには、どうか、この玉を鎬池に住んでいる主の君に贈ってもらいたい。そうして来年には、祖龍が死ぬと伝言してくれといったのである。

元来、鎬池の鎬は秦の都、咸陽を去ること遠からず、昔、周の武王のみやこしたところである。鎬池君は即ち、周の武王である。武王は生時に殷紂を打って、天下をとったのであるが、今や秦の始皇帝の荒淫は殷紂の如く、それも妤けれど、天命の巡り会わせで来年は死ぬというのである。

祖龍の祖ははじまり、龍は人君ですなわち、始皇帝という隠語である。又一説には鎬池君は水神で、始皇帝が前年大江を渡るとき風雨に遭い、空を張れさすために珠を水中に投じたという。そこで大江の神が水の徳を持って王となったのであるから、その君、まさに亡ぼうとするに際し、水神に向かって、まずこれを告げて、そのつもりで居れといったものである。とにかく奇妙な話ではあったが、いずれにしても、始皇帝の世も命運が尽きたということとなったのである。

すると秦の人々は、これを聞いて、これは大変だ始皇帝が崩じられると、天下は再び乱れて、戦乱に乱れるようになるに違いないといった。我々は何時までも、安閑としてここにいるべきではないとここを去ったのである。

一度去って、桃花源に隠れたのちに、とこしえに一道の流水が、これを人間と隔てて、他人に成りすましたという。

太白山001 

(訳注)

古風五十九首之三十一

(この詩は、詠史詩と思われるが、秦人に機を知るの明あって、はやくせぞくをはなれて隠れたいと李白は理想を述べているのである。)

 

鄭容西入關、行行未能已。

鄭容が西のかた、函谷関に入り、行き行きて止まらず、いよいよ咸陽に近づこうとして関中を歩いていた。

搜神記に以下のようになる。

秦始皇三十六年,(前211年)使者 鄭容 關東より來り,將に函關に入る,西 華陰に至り,素車白馬,華山より上より下る望み見る。其の人に非らざるを疑う。道住く,止りて之を待つ。遂に至り,鄭容に問うて曰く:「安くにか之く?」答えて曰く:「咸陽に之くなり。」車上人 曰く:「吾は華山の使なり。願わくば一腫書を託して,鎬池君の所に致さん。子咸陽に之く,道 鎬池を過ぎて,一大梓を見む,文石有り, 取って梓を款る,當に應うる者有るべし。」と。即ち書を以って之に與う。容 其の言の如くし,石を以って梓樹を款けば,果して人有り來って書を取る。明年,祖龍死せむ。

 

白馬華山君、相逢平原里。

白馬に乗った華山の君が出てきて、平舒道に於いてであった。

 

璧遺鎬池君、明年祖龍死。

その華山君が言うには、どうか、この玉を鎬池に住んでいる主の君に贈ってもらいたい。そうして来年には、祖龍が死ぬと伝言してくれといったのである。

元来、鎬池の鎬は秦の都、咸陽を去ること遠からず、昔、周の武王のみやこしたところである。鎬池君は即ち、周の武王である。武王は生時に殷紂を打って、天下をとったのであるが、今や秦の始皇帝の荒淫は殷紂の如く、それも妤けれど、天命の巡り会わせで来年は死ぬというのである。

祖龍の祖ははじまり、龍は人君ですなわち、始皇帝という隠語である。又一説には鎬池君は水神で、始皇帝が前年大江を渡るとき風雨に遭い、空を張れさすために珠を水中に投じたという。そこで大江の神が水の徳を持って王となったのであるから、その君、まさに亡ぼうとするに際し、水神に向かって、まずこれを告げて、そのつもりで居れといったものである。とにかく奇妙な話ではあったが、いずれにしても、始皇帝の世も命運が尽きたということとなったのである。

 

秦人相謂曰、吾屬可去矣。

すると秦の人々は、これを聞いて、これは大変だ始皇帝が崩じられると、天下は再び乱れて、戦乱に乱れるようになるに違いないといった。我々は何時までも、安閑としてここにいるべきではないとここを去ったのである。

 

一往桃花源、千春隔流水。

一度去って、桃花源に隠れたのちに、とこしえに一道の流水が、これを人間と隔てて、他人に成りすましたという。

桃花源 「桃花源記」のなかで、「泰時の乱を避けた」といっていることからすれば、西晋末年に江南へ移住できなかった漢民族が、北方異民族の圧迫を避けて、外界と隔絶した平野部を探しあて、そこに暮らしていたとみることもできる。劉裕に随行して閑中入りしたときの見聞である戴延之の『西征記』にこうした記事が伝えられている。もしそうだとすれば、陶淵明は関中に行った友人の羊松齢の帰国談から、こうした話を聞き、刺激を受けたのかもしれない。

さらにまた、晋代には、劉麟之という男が衡山(湖南の名山)に薬草を採りに入って道に迷った話が伝わっている。この劉鱗之は「桃花源記」のなかの劉子礫を思わせる。

 桃花源記

晉の太元中, 武陵の人 魚を捕ふるを 業【わざ】と爲せり,

溪に縁【そ】ひて行き, 路の遠近を忘る, 忽【たちま】ち 桃花の林に 逢ふ。

岸を夾みて 數百歩, 中に雜樹 無し。

芳草 鮮美として, 落英 繽紛たり。

漁人 甚だ之れを異とす, 復た前に行き, 其の林を窮めんと欲す。

林 水源に盡き, 便ち 一山を得。

山に 小口 有り。 髣髴として光 有るが若【ごと】し。

便ち船を舎【す】てて 口 從【よ】り 入る。

#2

初め極めて狹く, 纔かに人を通すのみ。

復た行くこと數十歩, 豁然として開朗。

土地 平曠として, 屋舍 儼然たり, 良田 美池 桑竹の屬【たぐひ】有り。

阡陌 交【こもご】も通じ, 鷄犬 相ひ聞ゆ。

其の中 往來し 種え作【たがや】す, 男女 衣著, 悉【ことごと】く外人の如く, 黄髮 髫を垂るも, 並【べつ】に 怡然として自ら樂しむ。

#3

漁人 見, 乃【すなは】ち大いに驚き, 從って來たる所を問ふ。 具【つぶさ】に之に答へ, 便ち 家に還へるを要す。

酒を設け 鷄を殺して 食を作る。 村中 此の人有るを聞き,咸【み】な來りて問ひ訊ぬ。

自ら云ふ:先の世 秦時に亂を避【のが】れ,妻子 邑【むら】人を率ゐて此の絶境に來たりて, 復たとは 焉【ここ】を出ず。

遂ひに 外人と間隔つ。 今は是れ何【いづ】れの世なるかを問ふ,乃【すなは】ち 漢 有るを知らず, 無論 魏晉をや。

此の人一一 爲に具【つぶさ】に聞かるる所を言へば, 皆 歎【たんわん】す。

餘人 各【おのお】の 復【ま)た延ゐて其の家に至り, 皆 出でて酒食す。

#4

停【とどま】ること數日にして, 辭去す。 此の中の人 語りて云【いは】く:外人の爲に道【い】ふに足【た】らざる也と。

既に出で, 其の船を得, 便ち 向【さき】の路に扶【よ】りて, 處處に之を誌【しる】す。

郡下に及び, 太守に詣【いた】り, 此【かく】の如く説く。

太守 即ち 人を遣りて其の往【ゆ】けるところに隨ひて, 向【さき】に誌【しる】せる所を尋ねんとすも, 遂に迷ひて 復【ま】たとは 路を得ず。 南陽の劉子驥【き】, 高尚の士也。 之を聞き欣【きん】然として往【ゆ】くを規【くはだ】つ。 未【いま】だ果たせずして, 尋【つい】で病に終る。 後【のち】 遂【つひ】に津を問ふ者 無し。

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李白図102 

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それもまだしも、儒者を名乗り、大先生と称されるものが鹿爪らしく詩を詠い、いかにも人間を磨くようなことをいいふらしているけれど、荘子が言うように、利益のためには鉄拳をふるって、墓をあばき、金槌を揮い屍の口の中の珠を取り出して磨くようなことするということなのだ。こんな調子で、「山海経」にいう、蒼々と茂った珠の生る三株樹は、目をつぶるまでないし、出世の道をとても攀じ登ることできないだろうから、こまったものである。

 
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30-#2

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古風五十九首之三十 #1

玄風變太古。 道喪無時還。

擾擾季葉人。 雞鳴趨四關。

但識金馬門。 誰知蓬萊山。

(この詩は、季世の薄俗、日にはなはだしく、儒者までがさまざまの悪いことをするといって憤激する考えを詠ったものである。)

道家思想である玄風の素朴に変化を生じたのは、太古からのことであるが、今、その大道が一旦喪われればとても太古のそれに還ることなどとても無い。

ここにおいて、栄枯得失などでもって、その身の損益とするし、ただ、名利にのみ走って、欲の為なら朝、鶏が鳴くと飛び起きて四つの関所に押しかけ欲に奔走するものである。

そういう彼等は、但だ、出世の入り口金馬門があり、そこでは、天子の恩賞を受けて富貴になれるということを知っているのだ。東海に仙郷があり、そこに、不老不死の仙郷蓬莱山があり、まことによろしきところであることを誰も知ろうとはしないのである。

#2

白首死羅綺。 笑歌無時閑。

綠酒哂丹液。 青娥凋素顏。

大儒揮金椎。 琢之詩禮間。

蒼蒼三株樹。 冥目焉能攀。

そうして、富貴になり、白髪頭になっても羅衣の綺麗ものを身に着け着飾った女を左右にずらっと侍らせ、淫楽ごとを好み、浮気は死ぬまで止まず、笑ったり歌ったり休む暇はないほど頽廃しているのである。

緑酒は、仙薬の丹液よりも良いものだと道教の考えを馬鹿にして飲もうとしないのである、若々しい美女も見る間に素顔が殻だらけのようになっていく、女たちは、若さだけを求められるから、少し年を取っただけで相手にされなくなるという風潮になるのである。

それもまだしも、儒者を名乗り、大先生と称されるものが鹿爪らしく詩を詠い、いかにも人間を磨くようなことをいいふらしているけれど、荘子が言うように、利益のためには鉄拳をふるって、墓をあばき、金槌を揮い屍の口の中の珠を取り出して磨くようなことするということなのだ。

こんな調子で、「山海経」にいう、蒼々と茂った珠の生る三株樹は、目をつぶるまでないし、出世の道をとても攀じ登ることできないだろうから、こまったものである。

(古風五十九首の三十)

玄風 太古に変ず、道喪 はれ時として還る無し。

擾擾たり季葉の人、難鳴 四関 に趨る。

但だ識る金馬門、誰か知らん蓬莱山。

 

白首 羅綺に死し、笑歌 休閑する無し。

緑酒 丹液を哂ひ、青蛾 素顏を凋ましむ。

大儒 金槌を揮ひ、之を琢く詩禮の間。

蒼蒼たる三株の樹、冥目 焉んぞ能く攀ぢんや。

 

 

『古風五十九首之三十』 現代語訳と訳註

(本文) #2

白首死羅綺。 笑歌無時閑。

綠酒哂丹液。 青娥凋素顏。

大儒揮金椎。 琢之詩禮間。

蒼蒼三株樹。 冥目焉能攀。

 

(下し文)

白首 羅綺に死し、笑歌 休閑する無し。

緑酒 丹液を哂ひ、青蛾 素顏を凋ましむ。

大儒 金槌を揮ひ、之を琢く詩禮の間。

蒼蒼たる三株の樹、冥目 焉んぞ能く攀ぢんや。

 

(現代語訳)

そうして、富貴になり、白髪頭になっても羅衣の綺麗ものを身に着け着飾った女を左右にずらっと侍らせ、淫楽ごとを好み、浮気は死ぬまで止まず、笑ったり歌ったり休む暇はないほど頽廃しているのである。

緑酒は、仙薬の丹液よりも良いものだと道教の考えを馬鹿にして飲もうとしないのである、若々しい美女も見る間に素顔が殻だらけのようになっていく、女たちは、若さだけを求められるから、少し年を取っただけで相手にされなくなるという風潮になるのである。

それもまだしも、儒者を名乗り、大先生と称されるものが鹿爪らしく詩を詠い、いかにも人間を磨くようなことをいいふらしているけれど、荘子が言うように、利益のためには鉄拳をふるって、墓をあばき、金槌を揮い屍の口の中の珠を取り出して磨くようなことするということなのだ。

こんな調子で、「山海経」にいう、蒼々と茂った珠の生る三株樹は、目をつぶるまでないし、出世の道をとても攀じ登ることできないだろうから、こまったものである。

 

(訳注) #2

古風五十九首之三十 #1

(この詩は、季世の薄俗、日にはなはだしく、儒者までがさまざまの悪いことをするといって憤激する考えを詠ったものである。)

○古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

白首死羅綺。 笑歌無時閑。

そうして、富貴になり、白髪頭になっても羅衣の綺麗ものを身に着け着飾った女を左右にずらっと侍らせ、淫楽ごとを好み、浮気は死ぬまで止まず、笑ったり歌ったり休む暇はないほど頽廃しているのである。

〇羅綺 羅も給も絹織物の名。其れを着飾った女。

○笑歌 後宮では宮女が数万人、家妓が数百人というのが常識的な数であった。微笑は美人をあらわし、歌える物楽器を引くもの笛太鼓、などができるものをすべてそろえていた。基本は奴婢である。

 

綠酒哂丹液。 青娥凋素顏。

緑酒は、仙薬の丹液よりも良いものだと道教の考えを馬鹿にして飲もうとしないのである、若々しい美女も見る間に素顔が殻だらけのようになっていく、女たちは、若さだけを求められるから、少し年を取っただけで相手にされなくなるという風潮になるのである。

〇緑酒 丹液の丹(朱色)字に対し、濁り酒ではない清酒を緑色の酒とした。

〇晒 微笑である。諷刺の意が有る。道家を小馬鹿にすること。

〇青蛾 わかい美女。

 

大儒揮金椎。 琢之詩禮間。

それもまだしも、儒者を名乗り、大先生と称されるものが鹿爪らしく詩を詠い、いかにも人間を磨くようなことをいいふらしているけれど、荘子が言うように、利益のためには鉄拳をふるって、墓をあばき、金槌を揮い屍の口の中の珠を取り出して磨くようなことするということなのだ。

〇大儒揮金椎。 琢之詩禮間 「荘子」外物篇に大儒と中信が家をあばき、屍の口を金槌でこぢ開け口中の珠をとる寓話が有る。儒家を謗ったものである。

 

蒼蒼三株樹。 冥目焉能攀。

こんな調子で、「山海経」にいう、蒼々と茂った珠の生る三株樹は、目をつぶるまでないし、出世の道をとても攀じ登ることできないだろうから、こまったものである。

〇三株樹 「山海経」に、三株樹は赤水の上に生じ、其の葉は皆珠と為ると。

〇冥目 冥は瞑と通ず。瞑目は閉目。死を喩へる。

 

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(この詩は、季世の薄俗、日にはなはだしく、儒者までがさまざまの悪いことをするといって憤激する考えを詠ったものである。)道家思想である玄風の素朴に変化を生じたのは、太古からのことであるが、今、その大道が一旦喪われればとても太古のそれに還ることなどとても無い。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-99-#1 《寄董卿嘉榮十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<771-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4485 杜甫詩1500-771-#1-1068/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
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30          巻一      

古風五十九首之三十 #1

玄風變太古。 道喪無時還。

擾擾季葉人。 雞鳴趨四關。

但識金馬門。 誰知蓬萊山。

(この詩は、季世の薄俗、日にはなはだしく、儒者までがさまざまの悪いことをするといって憤激する考えを詠ったものである。)

道家思想である玄風の素朴に変化を生じたのは、太古からのことであるが、今、その大道が一旦喪われればとても太古のそれに還ることなどとても無い。

ここにおいて、栄枯得失などでもって、その身の損益とするし、ただ、名利にのみ走って、欲の為なら朝、鶏が鳴くと飛び起きて四つの関所に押しかけ欲に奔走するものである。

そういう彼等は、但だ、出世の入り口金馬門があり、そこでは、天子の恩賞を受けて富貴になれるということを知っているのだ。東海に仙郷があり、そこに、不老不死の仙郷蓬莱山があり、まことによろしきところであることを誰も知ろうとはしないのである。

#2

白首死羅綺。 笑歌無時閑。

綠酒哂丹液。 青娥凋素顏。

大儒揮金椎。 琢之詩禮間。

蒼蒼三株樹。 冥目焉能攀。

 

(古風五十九首の三十)

玄風 太古に変ず、道喪 はれ時として還る無し。

擾擾たり季葉の人、難鳴 四関 に趨る。

但だ識る金馬門、誰か知らん蓬莱山。

 

白首 羅綺に死し、笑歌 休閑する無し。

緑酒 丹液を哂ひ、青蛾 素顏を凋ましむ。

大儒 金槌を揮ひ、之を琢く詩禮の間。

蒼蒼たる三株の樹、冥目 焉んぞ能く攀ぢんや。

 

 

『古風五十九首之三十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風五十九首之三十 #1

玄風變太古。 道喪無時還。

擾擾季葉人。 雞鳴趨四關。

但識金馬門。 誰知蓬萊山。

 

(下し文)

(古風五十九首の三十)

玄風 太古に変ず、道喪 はれ時として還る無し。

擾擾たり季葉の人、難鳴 四関 に趨る。

但だ識る金馬門、誰か知らん蓬莱山。

 

(現代語訳)

(この詩は、季世の薄俗、日にはなはだしく、儒者までがさまざまの悪いことをするといって憤激する考えを詠ったものである。)

道家思想である玄風の素朴に変化を生じたのは、太古からのことであるが、今、その大道が一旦喪われればとても太古のそれに還ることなどとても無い。

ここにおいて、栄枯得失などでもって、その身の損益とするし、ただ、名利にのみ走って、欲の為なら朝、鶏が鳴くと飛び起きて四つの関所に押しかけ欲に奔走するものである。

そういう彼等は、但だ、出世の入り口金馬門があり、そこでは、天子の恩賞を受けて富貴になれるということを知っているのだ。東海に仙郷があり、そこに、不老不死の仙郷蓬莱山があり、まことによろしきところであることを誰も知ろうとはしないのである。

 

(訳注)

古風五十九首之三十 #1

(この詩は、季世の薄俗、日にはなはだしく、儒者までがさまざまの悪いことをするといって憤激する考えを詠ったものである。)

○古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

玄風變太古。 道喪無時還。

道家思想である玄風の素朴に変化を生じたのは、太古からのことであるが、今、その大道が一旦喪われればとても太古のそれに還ることなどとても無い。

〇玄風 魏晋の頃、道家、即ち老子・荘子の思想に本づく清談が流行し、之を玄

風と謂った。ここでは道家思想を意味する。

〇欒太古 未詳。

 

擾擾季葉人。 雞鳴趨四關。

ここにおいて、栄枯得失などでもって、その身の損益とするし、ただ、名利にのみ走って、欲の為なら朝、鶏が鳴くと飛び起きて四つの関所に押しかけ欲に奔走するものである。

〇擾擾【じょうじょう】 乱れて落ち着かないさま。ごたごたするさま。

○季葉人 季世の人間たちのこと。

○四関 「洛陽記」に云ふ、洛陽に四脚有り、東は成皐、南は伊闕、北は孟津、西は函谷。

 

但識金馬門。 誰知蓬萊山。

そういう彼等は、但だ、出世の入り口金馬門があり、そこでは、天子の恩賞を受けて富貴になれるということを知っているのだ。東海に仙郷があり、そこに、不老不死の仙郷蓬莱山があり、まことによろしきところであることを誰も知ろうとはしないのである。

〇金馬門 漢の武帝が大宛の馬を得、銅を以て馬の像を鋳て之を宦者署の門に立て、因て以て名と為す。常時東方朔・主父偃・厳安・徐榮は皆金馬門に待詔(御用掛り)として出仕した。

〇蓬莱山 東海の中に在ると謂われる神仙三山の一つ。

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夏、殷、周の三代のあとは、春秋戰國の時代と分かれて国がたった。弱小国は大国に次々と併呑されていき、秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国に収斂し、この七国を戦国の七雄ともいうが、さながら乱麻のようであった。

 
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紀年:  753  天寶十二年  53 

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十九

 

29          巻一      

古風五十九首之二十九

(乱世には賢者聖人が出現するが、それも、孔子や労使でさえも、岐路では、世間から離れ思い迷って、嘆息したのであって何にもならないものだ。)

三季分戰國。 七雄成亂麻。

夏、殷、周の三代のあとは、春秋戰國の時代と分かれて国がたった。弱小国は大国に次々と併呑されていき、秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国に収斂し、この七国を戦国の七雄ともいうが、さながら乱麻のようであった。

王風何怨怒。 世道終紛

かくて大雅亡びて、王風がわずかに残ったものの、その詩は乱世の音であるから、恨んで且つ怒り、もとより、蕹和の気象に乏しく、当時の世道は掴み合いの大喧嘩をむねとしていた。

至人洞玄象。 高舉凌紫霞。

この間、聖人と称すべき人がいたが天象を見て、興亡の数を洞察し、とても、堯舜の道は行われないと見切りをつけたから、高くあがって風塵の表に出でて、仙を学んで紫霞凌ぐこととした。

仲尼欲浮海。 吾祖之流沙。

此れは、孔子が、世は愈々乱れて、道の到底行われないということを見ることにより、筏に乗って海に浮ばしむと謂い、我が祖、老子は周の衰えたるを見て、遙かに流砂の方へ行ってしまった。

聖賢共淪沒。 臨歧胡咄嗟。

このようにして、乱世には聖人賢者が皆、淪没して、世間から離れてしまうので、岐路に臨んで東へ行くか、西へ行こうかというように、さまざまに思い迷って、嘆息したところで何にもならないのだ。

 

古風五十九首の二十九

三季は戰國に分れ。 七雄は亂麻を成す。

王風 何ぞ怨怒【えんど】。 世道 終に紛拏【ふんど】。

至人じゃ玄象に洞【あき】らかに。 高舉して 紫霞を凌ぐ。

仲尼は海に浮ばんことを欲し。 吾が祖は流沙に之く。

聖賢 共に淪沒。歧に臨んで胡ぞ咄嗟せん。

 

 

『古風五十九首之二十九』 現代語訳と訳註

(本文)

古風五十九首之二十九

三季分戰國。 七雄成亂麻。

王風何怨怒。 世道終紛()

至人洞玄象。 高舉凌紫霞。

仲尼欲浮海。 吾祖之流沙。

聖賢共淪沒。 臨歧胡咄嗟。

 

(下し文)

古風五十九首       其二十九

三季は戰國に分れ。 七雄は亂麻を成す。

王風 何ぞ怨怒【えんど】。 世道 終に紛拏【ふんど】。

至人じゃ玄象に洞【あき】らかに。 高舉して 紫霞を凌ぐ。

仲尼は海に浮ばんことを欲し。 吾が祖は流沙に之く。

聖賢 共に淪沒。歧に臨んで胡ぞ咄嗟せん。

 

(現代語訳)

(乱世には賢者聖人が出現するが、それも、孔子や労使でさえも、岐路では、世間から離れ思い迷って、嘆息したのであって何にもならないものだ。)

夏、殷、周の三代のあとは、春秋戰國の時代と分かれて国がたった。弱小国は大国に次々と併呑されていき、秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国に収斂し、この七国を戦国の七雄ともいうが、さながら乱麻のようであった。

かくて大雅亡びて、王風がわずかに残ったものの、その詩は乱世の音であるから、恨んで且つ怒り、もとより、蕹和の気象に乏しく、当時の世道は掴み合いの大喧嘩をむねとしていた。

この間、聖人と称すべき人がいたが天象を見て、興亡の数を洞察し、とても、堯舜の道は行われないと見切りをつけたから、高くあがって風塵の表に出でて、仙を学んで紫霞凌ぐこととした。

此れは、孔子が、世は愈々乱れて、道の到底行われないということを見ることにより、筏に乗って海に浮ばしむと謂い、我が祖、老子は周の衰えたるを見て、遙かに流砂の方へ行ってしまった。

このようにして、乱世には聖人賢者が皆、淪没して、世間から離れてしまうので、岐路に臨んで東へ行くか、西へ行こうかというように、さまざまに思い迷って、嘆息したところで何にもならないのだ。

 春秋戦国勢力図

(訳注)

古風五十九首  其二十九

(乱世には賢者聖人が出現するが、それも、孔子や労使でさえも、岐路では、世間から離れ思い迷って、嘆息したのであって何にもならないものだ。)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

 

三季分戰國。 七雄成亂麻。

夏、殷、周の三代のあとは、春秋戰國の時代と分かれて国がたった。弱小国は大国に次々と併呑されていき、秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国に収斂し、この七国を戦国の七雄ともいうが、さながら乱麻のようであった

○三季 夏、殷、周の三代。

○戦国 紀元前5~前3世紀までの秦・楚・燕・斉・韓・超・魏の七国が争った時代。周は洛邑(王城・成周)周辺を支配する小国となり、往時と比するべくもない程まで没落した。それでも権威だけは保持しており、諸侯たちはその権威を利用して諸侯の間の主導権を握ろうとした(春秋五覇)。そのわずかな権威も戦国時代に入ると完全に無くなり、各諸侯がそれぞれ「王」を称するようになった。その小さな王朝の中でも権力争いは続いており、東西に分裂したり、何度となく王が殺されることが起きた。

○七雄 春秋時代の中国には数多くの国家が存在したが、弱小国は大国に次々と併呑されていき、秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国に収斂した。この七国を戦国の七雄ともいう。春秋時代には楚の君主だけが王を自称し、それ以外の国は天子である周王室の権威を尊重していたが、戦国時代に入ると他国の君主も次々と王を自称するようになった。秦と斉の君主に至っては、一時期であるが西帝・東帝を名乗っていた事もあった。

 

王風何怨怒。 世道終紛拏。

かくて大雅亡びて、王風がわずかに残ったものの、その詩は乱世の音であるから、恨んで且つ怒り、もとより、蕹和の気象に乏しく、当時の世道は掴み合いの大喧嘩をむねとしていた。

○王風 詩経の国風篇巻の六。周の都が東方の洛邑(今の河南洛陽)に遷都により、王室の尊厳が衰えたので、王城畿内の歌話を諸侯の国の民話(即ち国風)と同等に取扱って之を王風と日った。

○大雅 「詩経」の分類の一種で、周の王室に関することを詠じたものが多く、詩経中もっとも堂々として荘重な作が集められている。

○怨怒 恨んで且つ怒る。

○紛拏 掴み合いの大喧嘩。

 

至人洞玄象。 高舉凌紫霞。

この間、聖人と称すべき人がいたが天象を見て、興亡の数を洞察し、とても、堯舜の道は行われないと見切りをつけたから、高くあがって風塵の表に出でて、仙を学んで紫霞凌ぐこととした。

○至人 聖人に同じ。

○洞 洞察する。

○玄象 天象。

 

仲尼欲浮海。 吾祖之流沙。

此れは、孔子が、世は愈々乱れて、道の到底行われないということを見ることにより、筏に乗って海に浮ばしむと謂い、我が祖、老子は周の衰えたるを見て、遙かに流砂の方へ行ってしまった。

○仲尼 孔子。

○吾祖 老子。

 

聖賢共淪沒。 臨歧胡咄嗟。

このようにして、乱世には聖人賢者が皆、淪没して、世間から離れてしまうので、岐路に臨んで東へ行くか、西へ行こうかというように、さまざまに思い迷って、嘆息したところで何にもならないのだ。

○臨歧 分岐点。

咄嗟 嘆息。
李白図102 

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(この篇は、年華は頻りに移り、四時の節物は、常に推移し、現象界は変化極まらず、まことにつまらないから、そこで道を得て、宇宙の本体に参透したいということをのべる。)

 
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紀年:  753  天寶十二年  53 

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十八 

 

 

古風,五十九首之二十八 

(この篇は、年華は頻りに移り、四時の節物は、常に推移し、現象界は変化極まらず、まことにつまらないから、そこで道を得て、宇宙の本体に参透したいということをのべる。)

容顏若飛電,時景如飄風。 

人の容顔は電光の如く、つかの間に消えてゆくもので、昨日の紅顔も今日は血の気もなく青ざめてしまうし、四季折々の景色は、旋風の如く其移り変わることは極めて速やかなものである。

草綠霜已白,日西月復東。 

草木の緑もわずかな内で、忽ち霜を置いて白けてしまうし、日が西に沈めば、今度は月が又東の空に昇ってくる。それがこの世界の当たり前の景色というものである。

華鬢不耐秋,颯然成衰蓬。 

このように白髪になっているこの身はもとより秋には耐えず、一度、西風に遭えば颯然として枯れた蓬のようになるものである。人がこの世に存在するあいだは極めて短い年月である。

古來賢聖人,一一誰成功。 

古来より、賢者、聖人と称されるものすべて成功者というわけではないのである。賢者聖人と雖も、一人ひとり違った人生なのであり、せっかくの志を遂げずに死んだ者も少なくないのである。

君子變猿鶴,小人為沙蟲。 

周の穆王が南征して久しく帰らざる時に、三軍ことごとく覆没し、その中の君子は、猿鶴となり、小人はただの砂や虫けらになったというとおり、千変万化、極まりのないというものである。

不及廣成子,乘雲駕輕鴻。 

そうであれば、廣成子のように軽やかに飛んでいく鴻にまたがって、大空を自由に飛び回るのが一番で、自分のこの仙術をぜひ習得したいと思うところである。

 

古風,五十九首之二十八 

容顏は飛電の若く,時景は飄風の如し。 

草は綠にして霜は已に白く,日は西にして月は復た東なり。 

華鬢 秋に耐えず,颯然として 衰蓬を成す。 

古來 賢聖の人,一一 誰か功を成す。 

君子は猿鶴に變じ,小人は沙蟲と為る。 

及ばず 廣成子,雲に乘じて 輕鴻を駕するに。 

 

太白山001 

『古風,五十九首之二十八』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之二十八 

容顏若飛電,時景如飄風。 

草綠霜已白,日西月復東。 

華鬢不耐秋,颯然成衰蓬。 

古來賢聖人,一一誰成功。 

君子變猿鶴,小人為沙蟲。 

不及廣成子,乘雲駕輕鴻。 

 

(含異文)

容顏若飛電,時景如飄風。草綠霜已白,日西月復東。華鬢不耐秋【華髮不耐秋】,颯然成衰蓬。古來賢聖人,一一誰成功。君子變猿鶴,小人為沙蟲。不及廣成子,乘雲駕輕鴻。 

 

(下し文)

古風,五十九首之二十八 

容顏は飛電の若く,時景は飄風の如し。 

草は綠にして霜は已に白く,日は西にして月は復た東なり。 

華鬢 秋に耐えず,颯然として 衰蓬を成す。 

古來 賢聖の人,一一 誰か功を成す。 

君子は猿鶴に變じ,小人は沙蟲と為る。 

及ばず 廣成子,雲に乘じて 輕鴻を駕するに。 

 

(現代語訳)

(この篇は、年華は頻りに移り、四時の節物は、常に推移し、現象界は変化極まらず、まことにつまらないから、そこで道を得て、宇宙の本体に参透したいということをのべる。)

人の容顔は電光の如く、つかの間に消えてゆくもので、昨日の紅顔も今日は血の気もなく青ざめてしまうし、四季折々の景色は、旋風の如く其移り変わることは極めて速やかなものである。

草木の緑もわずかな内で、忽ち霜を置いて白けてしまうし、日が西に沈めば、今度は月が又東の空に昇ってくる。それがこの世界の当たり前の景色というものである。

このように白髪になっているこの身はもとより秋には耐えず、一度、西風に遭えば颯然として枯れた蓬のようになるものである。人がこの世に存在するあいだは極めて短い年月である。

古来より、賢者、聖人と称されるものすべて成功者というわけではないのである。賢者聖人と雖も、一人ひとり違った人生なのであり、せっかくの志を遂げずに死んだ者も少なくないのである。

周の穆王が南征して久しく帰らざる時に、三軍ことごとく覆没し、その中の君子は、猿鶴となり、小人はただの砂や虫けらになったというとおり、千変万化、極まりのないというものである。

そうであれば、廣成子のように軽やかに飛んでいく鴻にまたがって、大空を自由に飛び回るのが一番で、自分のこの仙術をぜひ習得したいと思うところである。

 李白図102

 

(訳注)

古風,五十九首之二十八 

この篇は、年華は頻りに移り、四時の節物は、常に推移し、現象界は変化極まらず、まことにつまらないから、そこで道を得て、宇宙の本体に参透したいということをのべる。

 

容顏若飛電,時景如飄風。 

人の容顔は電光の如く、つかの間に消えてゆくもので、昨日の紅顔も今日は血の気もなく青ざめてしまうし、四季折々の景色は、旋風の如く其移り変わることは極めて速やかなものである。

時景 時時の景色。

飄風 旋風。急に激しく吹く風。つむじかぜ。はやて。《「老子」23章》(飄風は朝を終えず驟雨は日を終えず)つむじ風が朝の間じゅう吹きつづけることはないし、にわか雨が一日じゅう降りつづけることもない。不自然な出来事は長くは続かないというたとえ。

 

草綠霜已白,日西月復東。 

草木の緑もわずかな内で、忽ち霜を置いて白けてしまうし、日が西に沈めば、今度は月が又東の空に昇ってくる。それがこの世界の当たり前の景色というものである。

 

華鬢不耐秋,颯然成衰蓬。 

このように白髪になっているこの身はもとより秋には耐えず、一度、西風に遭えば颯然として枯れた蓬のようになるものである。人がこの世に存在するあいだは極めて短い年月である。

華鬢 白髪。

衰蓬 枯れた蓬。

 

古來賢聖人,一一誰成功。 

古来より、賢者、聖人と称されるものすべて成功者というわけではないのである。賢者聖人と雖も、一人ひとり違った人生なのであり、せっかくの志を遂げずに死んだ者も少なくないのである。

 

君子變猿鶴,小人為沙蟲。 

周の穆王が南征して久しく帰らざる時に、三軍ことごとく覆没し、、その中の君子は、猿鶴となり、小人はただの砂や虫けらになったというとおり、千変万化、極まりのないというものである。

君子變猿鶴 藝文類聚に引用している抱朴子には「周の穆王、南征して、久しく帰らず、君子は猿となり、小人は蟲となって、沙となる。」

 

不及廣成子,乘雲駕輕鴻。 

そうであれば、廣成子のように軽やかに飛んでいく鴻にまたがって、大空を自由に飛び回るのが一番で、自分のこの仙術をぜひ習得したいと思うところである。

廣成子 広成子『神仙伝』巻一の『広成子』によると、広成子は古代の仙人で、崆峒山の石の部屋で暮らしていた。彼が千二百歳の時に黄帝が至上の道の要旨について尋ねてきたが、広成子は「お前が天下を治めるようになってから鳥類はその季節にもならないのに飛び立ち、草木は黄葉する前に散るようになった」と言って断った。黄帝が三ヶ月間閉居した後に再び教えを請うと、広成子はこれに答えたという。また同じく『神仙伝』巻一の『老子』では、老子は黄帝のときは広成子になったという記述がある。

李白の足跡300 

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そもそも大道には栄枯盛衰があるのに、世人がその中にいて、私欲をほしいままにするのは、あたかも昆虫鳥獣が何も思わずに飛奔するようなものである。そうであれば、廣成子よ、早く人間世界を立ち去って、無窮の門に入って修行するのが良いのである。

 
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《古風五十九首之二十五》Index-32-7 753年天寶十二年53583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <25> Ⅰ李白詩1182 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4458


 

 

製作年: 753年天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十五 

 

 

古風,五十九首之二十五

(この篇は、いよいよ世俗の諸事に憤激して、ここを去り、仙道を習得しようという決意を述べたものである。)

世道日交喪,澆風散淳源。

世道、日に日に衰えて、有道者を容認せず、有道者もまた世に用いられるを欲してはいない。互にその存在を失うような状況で、せっかく純朴であった原始的道徳は末俗の弊風のために全く悪化されてしまった。

不採芳桂枝,反棲惡木根。

世の有道者を用いず、かえって不道者を用いるのは、例えば、芳しき桂の花の枝をとらず、かえって、悪木の根に休んでいるようなものである。

所以桃李樹,吐花竟不言。

そうであれば、有道者が、世の道を重んぜざるを見て、ひとりその身をよくし、終身黙々として引っ込んでいるのは、ちょうど、桃李の樹が花を開いても、自らものを云わないのと同じである。

大運有興沒,群動爭飛奔。

そもそも大道には栄枯盛衰があるのに、世人がその中にいて、私欲をほしいままにするのは、あたかも昆虫鳥獣が何も思わずに飛奔するようなものである。

歸來廣成子,去入無窮門。

そうであれば、廣成子よ、早く人間世界を立ち去って、無窮の門に入って修行するのが良いのである。この世はとても有道者の棲むところではなく、たとえ住んでいたとしても、もちられなければ、それまでのことで、何の役にも立たない。早くこの世を棄て、仙人の業に専念すべきであろう。

 

(古風,五十九首の二十五)

世道 日に交も喪い,澆風 淳源を散ず。

芳桂の枝を採らずして,反って惡木の根に棲む。

桃李の樹,花を吐いて竟に言わざる所以なり。

大運び興沒有り,群動 爭って飛奔す。

歸り來れよ廣成子,去って無窮の門に入れ。 

 

 

『古風,五十九首之二十五』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之二十五

世道日交喪,澆風散淳源。

不採芳桂枝,反棲惡木根。

所以桃李樹,吐花竟不言。

大運有興沒,群動爭飛奔。

歸來廣成子,去入無窮門。

 

 

(下し文)

(古風,五十九首の二十五)

世道 日に交も喪い,澆風 淳源を散ず。

芳桂の枝を採らずして,反って惡木の根に棲む。

桃李の樹,花を吐いて竟に言わざる所以なり。

大運び興沒有り,群動 爭って飛奔す。

歸り來れよ廣成子,去って無窮の門に入れ。 

 

(現代語訳)

(この篇は、いよいよ世俗の諸事に憤激して、ここを去り、仙道を習得しようという決意を述べたものである。)

世道、日に日に衰えて、有道者を容認せず、有道者もまた世に用いられるを欲してはいない。互にその存在を失うような状況で、せっかく純朴であった原始的道徳は末俗の弊風のために全く悪化されてしまった。

世の有道者を用いず、かえって不道者を用いるのは、例えば、芳しき桂の花の枝をとらず、かえって、悪木の根に休んでいるようなものである。

そうであれば、有道者が、世の道を重んぜざるを見て、ひとりその身をよくし、終身黙々として引っ込んでいるのは、ちょうど、桃李の樹が花を開いても、自らものを云わないのと同じである。

そもそも大道には栄枯盛衰があるのに、世人がその中にいて、私欲をほしいままにするのは、あたかも昆虫鳥獣が何も思わずに飛奔するようなものである。

そうであれば、廣成子よ、早く人間世界を立ち去って、無窮の門に入って修行するのが良いのである。この世はとても有道者の棲むところではなく、たとえ住んでいたとしても、もちられなければ、それまでのことで、何の役にも立たない。早くこの世を棄て、仙人の業に専念すべきであろう。

2蜀の山00 

(訳注)

古風,五十九首之二十五

(この篇は、いよいよ世俗の諸事に憤激して、ここを去り、仙道を習得しようという決意を述べたものである。)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

世道日交喪,澆風散淳源。

世道、日に日に衰えて、有道者を容認せず、有道者もまた世に用いられるを欲してはいない。互にその存在を失うような状況で、せっかく純朴であった原始的道徳は末俗の弊風のために全く悪化されてしまった。

世道日交喪 荘子、繕性第十六「世喪道矣、道喪世矣 世與道交相喪也。」(世が下るにつれて道が失われ、、道が失われるにつれて、世が堕落し、互いに、分離していくのである。)に基づいている。

澆風 澆季の世風のこと。澆季【ぎょうき】:1 道徳が衰え、乱れた世。世の終わり。末世。「―溷濁(こんだく)の俗界」〈漱石・草枕〉2 後の世。後世。末代。「―

淳源 純朴な源流。

 

不採芳桂枝,反棲惡木根。

世の有道者を用いず、かえって不道者を用いるのは、例えば、芳しき桂の花の枝をとらず、かえって、悪木の根に休んでいるようなものである。

 

所以桃李樹,吐花竟不言。

そうであれば、有道者が、世の道を重んぜざるを見て、ひとりその身をよくし、終身黙々として引っ込んでいるのは、ちょうど、桃李の樹が花を開いても、自らものを云わないのと同じである。

 

大運有興沒,群動爭飛奔。

そもそも大道には栄枯盛衰があるのに、世人がその中にいて、私欲をほしいままにするのは、あたかも昆虫鳥獣が何も思わずに飛奔するようなものである。

大運 天運と同じ。1 天から与えられた運命。自然の理法。「―に任せる」2 天体の運行。

群動 飛禽走獣が群れをなして行動すること。

 

歸來廣成子,去入無窮門。

そうであれば、廣成子よ、早く人間世界を立ち去って、無窮の門に入って修行するのが良いのである。この世はとても有道者の棲むところではなく、たとえ住んでいたとしても、もちられなければ、それまでのことで、何の役にも立たない。早くこの世を棄て、仙人の業に専念すべきであろう。

歸來 仙道に専念すべくかえることをいう。

廣成子 広成子『神仙伝』巻一の『広成子』によると、広成子は古代の仙人で、崆峒山の石の部屋で暮らしていた。彼が千二百歳の時に黄帝が至上の道の要旨について尋ねてきたが、広成子は「お前が天下を治めるようになってから鳥類はその季節にもならないのに飛び立ち、草木は黄葉する前に散るようになった」と言って断った。黄帝が三ヶ月間閉居した後に再び教えを請うと、広成子はこれに答えたという。また同じく『神仙伝』巻一の『老子』では、老子は黄帝のときは広成子になったという記述がある。
李白図102 


25

18-#4 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582古風,五十九首之十八天津三月時, <18-#4> Ⅰ李白詩1171 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4403

成功してもその身を引退しないでいると、むかしからあやまちをすることが多いものだ。秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。
18-#4 《古風五十九首之十八》Index-32-7 753年天寶十二年53582古風,五十九首之十八天津三月時, <18-#4> Ⅰ李白詩1171 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4403

 


 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十八 

作地點: 洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽

及地點:  天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋     

上陽宮 (都畿道 河南府 洛陽)     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

 

 

古風,五十九首之十八 #1

天津三月時,千門桃與李。

朝為斷腸花,暮逐東流水。

前水復後水,古今相續流。

新人非舊人,年年橋上遊。

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。

月落西上陽,餘輝半城樓。

衣冠照雲日,朝下散皇州。

鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。

鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

#3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。

入門上高堂,列鼎錯珍饈。

香風引趙舞,清管隨齊謳。

七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえている。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。

七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。
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#4

行樂爭晝夜,自言度千秋。

功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。

何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

野外において昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 

成功してもその身を引退しないでいると、むかしからあやまちをすることが多いものだ。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。
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(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

#2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

#3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

#4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 

安史の乱当時の勢力図

『古風,五十九首之十八』 現代語訳と訳註

(本文) #4

行樂爭晝夜,自言度千秋。功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

 

(下し文) #4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 

 

(現代語訳)

野外において昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 

成功してもその身を引退しないでいると、むかしからあやまちをすることが多いものだ。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。

 

(訳注) #4

古風,五十九首之十八 #3

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基づくものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

太白山001

行樂爭晝夜、自言度千秋。
野外において昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 

○行楽爭晝夜 野外において昼夜わかたず性的行為をする光景を詠っている。


功成身不退、自古多愆尤。
成功してもその身を引退しないでいると、むかしからあやまちをすることが多いものだ。
退 引退。范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。そのあと引退し悠々自適の生活をした。

愆尤 けんゆう  あやまち。失敗。

黃犬空嘆息、綠珠成讎。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。
黃犬 このブログ 襄陽歌 李白49に示す。「咸陽市中歎黄犬、何如月下傾金罍。」咸陽の町のまん中で「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた秦の李斯のさいごを思うと、たとえ出世しなくとも、月の下で、黄金の杯を傾けているほうが、どれだけよいことか。 ・歎黄犬:李斯の故事をいう。

綠珠 晋の石崇は、富を集め豪奪な生活をした人だが、綠珠という女を愛していた。彼女は美しく、色っぽく、上手に笛を吹いた。孫秀という男が人を遣わして綠珠をしつこく求めた。石崇は立腹して言った。緑珠はわたしの愛人だ、と。恨んだ孫秀は、超王倫に告げ口をして石崇を殺そうとした。綠珠は樓から身を投げて自殺し、崇の親兄妻子はみな穀書された。「晋書」にある話。

 仲たがいのあだ、うらみ。

 讐と同じ。

 

何如鴟夷子、散發棹扁舟。』
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。
鴟夷子 越王勾践は呉王夫差と戦って会稽山で和を請うた。その後二十年、嘗胆の苦しみを経て、氾蠡の助けを得て軍隊を訓練し、呉と戦って会稽の恥をそそいだ。越が呉を滅ぼすと、汚轟は越を去った。小舟に乗り、江湖に浮かび、姓名を変じて斉の国におもむき、怨夷子皮と名のった。鴎夷とは馬の革でつくった袋である。呉の功臣伍子背が呉王夫差に死を命ぜられた上、死体は線夷につつまれて揚子江に投げこまれた。泡轟は賢いから、自分もぐずぐずしていたら、そんな目にあっただろうという意味で、こういう皮肉な名前をつけたのである。

散髪 役人のかむる冠で髪を拘束しないこと。

范蠡(はんれい 生没年不詳)は、中国春秋時代の越の政治家、軍人。氏は范、諱は蠡、字は少伯。越王勾践に仕え、勾践を春秋五覇に数えられるまでに押し上げた最大の立役者。
范蠡は夫差の軍に一旦敗れた時に、夫差を堕落させるために絶世の美女施夷光(西施(せいし))を密かに送り込んでいた。思惑通り夫差は施夷光に溺れて傲慢になった。夫差を滅ぼした後、范蠡は施夷光を伴って斉へ逃げた。
 
越を脱出した范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。范蠡の名を聞いた斉は范蠡を宰相にしたいと迎えに来るが、范蠡は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと財産を全て他人に分け与えて去った。斉を去った范蠡は、かつての曹の国都で、今は宋領となっている定陶(山東省陶県)に移り、陶朱公と名乗った。ここでも商売で大成功して、巨万の富を得た。老いてからは子供に店を譲って悠々自適の暮らしを送ったと言う。陶朱公の名前は後世、大商人の代名詞となった(陶朱の富の故事)。このことについては、史記の「貨殖列伝」に描かれている

李白図102

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かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。

 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十八 

作地點: 洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽

及地點:  天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋     

上陽宮 (都畿道 河南府 洛陽)     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

 

 

古風,五十九首之十八 #1

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

天津三月時,千門桃與李。

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
朝為斷腸花,暮逐東流水。

そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
前水復後水,古今相續流。

花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。
新人非舊人,年年橋上遊。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。

鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
月落西上陽,餘輝半城樓。

月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
衣冠照雲日,朝下散皇州。

やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。
鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

#3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。

道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

入門上高堂,列鼎錯珍饈。

門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえている。
香風引趙舞,清管隨齊謳。

かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。

七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。
#4

行樂爭晝夜,自言度千秋。功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

 

(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

#2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

#3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

#4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 李白図102

 

『古風,五十九首之十八』 現代語訳と訳註

(本文) #3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。入門上高堂,列鼎錯珍饈。

香風引趙舞,清管隨齊謳。七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

 

 

(下し文) #3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

 

 

(現代語訳)

道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえている。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。

七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。
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(訳注)

古風,五十九首之十八 #3

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基づくものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

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行人皆辟易、志氣橫嵩丘。
道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

嵩丘 洛陽の近くにある嵩山。道教の総寺観があった。嵩山(すうざん、ピンイン:song-shan)は、中国河南省登封市にある山岳群。五岳の1つ(中岳)に数えられる。最高峰は太室山の標高1,440m。古代から山岳信仰の場として有名で、北魏時代からは少林寺などの道教、仏教の道場が建立された。また、唐代には副都であった洛陽から近い事から、政府との結びつきが強く、ここを本拠地としていた潘師正、普寂、慧安などの道士、僧侶らが皇帝の崇敬を受け、道教、禅宗はそれぞれ自派を拡大した。

 

入門上高堂、列鼎錯珍羞。
門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえている。
 足が三本ある一種の鍋。

珍羞 珍しい御馳走 


香風引趙舞、清管隨齊謳。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。

○趙舞 。長安の繁栄のさまを詠じた『長安古意』、『唐詩選』にも収められている。盧照鄰「羅襦寶帶為君解、燕歌趙舞為君開。」(羅襦寶帶は、 君が為に解き、燕の歌 趙の舞 君が為に開く。)

○清管 清らかな笛の音。

○齊謳 斉の国の歌姫の歌。


七十紫鴛鴦、雙雙戲庭幽。』
七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。
七十紫鴛鴦 楽府古辞「鷄鳴曲」(漢時代の民謡)の中に、「鴛鴦七十二羽、羅列自成行」(鴛鴦が七十二羽、二羽ずつつがいになって、きれいにならんでいる)という意味の詩句が見える。鴛おしどりのオス。鴦おしどりの雌。




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鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。

 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十八 

作地點: 洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽

及地點:  天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋     

上陽宮 (都畿道 河南府 洛陽)     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

 

 

古風,五十九首之十八 #1

天津三月時,千門桃與李。

朝為斷腸花,暮逐東流水。

前水復後水,古今相續流。

新人非舊人,年年橋上遊。

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。

月落西上陽,餘輝半城樓。

衣冠照雲日,朝下散皇州。

鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。

鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

#3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。入門上高堂,列鼎錯珍饈。

香風引趙舞,清管隨齊謳。七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

#4

行樂爭晝夜,自言度千秋。功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

 

(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

#2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

#3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

#4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 

 

『古風,五十九首之十八』 現代語訳と訳註

(本文)#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。月落西上陽,餘輝半城樓。

衣冠照雲日,朝下散皇州。鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

 

(下し文) #2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

 

 

(現代語訳)

鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。

鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之十八 #2

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基づくものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

 

雞鳴海色動、謁帝羅公侯。
鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
海色 夜明け前のほのぐらい色。○謁帝 朝の朝礼。夜明けに集合。


月落西上陽、余輝半城樓。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
○西上陽 洛陽の宮城の西南隅に上陽宮があり、さらにその西側に上陽宮という宮殿があった。

touRAKUYOjou600
 唐時代 洛陽城図 参照
 
衣冠照云日、朝下散皇州。
やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。
衣冠 衣冠をつけた人。朝廷の吏官。○皇州 帝都のこと。


鞍馬如飛龍、黃金絡馬頭。』
鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

 


李白図102 

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そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十八 

作地點: 洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽

及地點:  天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋     

上陽宮 (都畿道 河南府 洛陽)     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

 

 

古風,五十九首之十八 #1

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

天津三月時,千門桃與李。

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。

朝為斷腸花,暮逐東流水。

そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。

前水復後水,古今相續流。

花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

新人非舊人,年年橋上遊。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。

#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。月落西上陽,餘輝半城樓。

衣冠照雲日,朝下散皇州。鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

#3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。入門上高堂,列鼎錯珍饈。

香風引趙舞,清管隨齊謳。七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

#4

行樂爭晝夜,自言度千秋。功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

紅梅0021 

(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

#2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

#3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

#4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 

 

『古風,五十九首之十八』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之十八 #1

天津三月時,千門桃與李。朝為斷腸花,暮逐東流水。

前水復後水,古今相續流。新人非舊人,年年橋上遊。

 

 

(下し文)

(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

 

(現代語訳)

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
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(訳注)

古風,五十九首之十八 #1

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基づくものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

 

天津三月時、千門桃與李。』
洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
天津 橋の名。唐の東のみやこ洛陽をめぐって洛水が流れ、その川にかかっている。初唐の詩人劉廷芝の「公子行」は、「天津橋下陽春の水、天津橋上兼葦の子」という詞句で始まっており、李白はその詩の出だしのイメージを借りている。参照。劉廷芝の詩は「怨詩」である。

〇千門 宮殿には多くの門があり、迷路のように門戸が連続している。千門万戸という表現は李白の得意とするところ。


朝為斷腸花、暮逐東流水。』
そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
断腸花 真っ赤な花の咲き誇っているさまをいう。李白が断腸という語を使用するとき、女心、嫉妬、焦燥の気持ちを表す際に多い。李白「春思」「清平調詞其三」にある。○東流 東が下流で流れ去る、消えていくことをします。

 

前水復后水、古今相續流。
花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。
前水復后水 水は次から次へと、上流から下流へと流れていくのが「道」理である。この聯と次の聯は道教の真理「道」についての表現である。


新人非舊人、年年橋上游。
橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
 往来すること。交流する。

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(嚴君平は社会教育的な才あるにもかかわらず、生活の為と占い業をしたが、世間の方も、賢人である君平をただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていた。その陰で、心静かに老子の注解を出筆していた。)

 
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製作年: Index-32-7 753年天寶十二年53581

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十三 

 

 

13巻一
古風,五十九首之十三

(嚴君平は社会教育的な才あるにもかかわらず、生活の為と占い業をしたが、世間の方も、賢人である君平をただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていた。その陰で、心静かに老子の注解を出筆していた。)

君平既棄世。世亦棄君平。

嚴君平は社会教育的な色彩をもつものとしての才あるにもかかわらず、占い業に隠れていたことで、君平のほうから世を捨てたというのであるが、ただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていたところをみると、世間の方からも、また賢人である「君平」を捨てたのである。

觀變窮太易。探元化群生。

君平は宇宙の変を観て、深奥なる易理を極めることであり、老子の精髄たる玄を探って、一般人民を調化しようという大抱負をもっていた。

寂寞綴道論。空帘閉幽情。

そこで、賣卜は生活費を得ればそれで事足りるとし、その余暇は簾を垂れて幽情を養い、心静かに老子の注解を出筆していたのである。

騶虞不虛來。鸑鷟有時鳴。

まことに君平は詩経に言う「騶虞」のごとき仁獣、鸑鷟のような瑞鳥に比すべきもので、ほとんど聖賢といってもよい人物なのである。そもそも、「騶虞」は無意味にこの世に出て來るものではなく、鸑鷟も、しかるべきときに限って鳴くので、天が君平を生じさせたのも、決して偶然ではないのに、このようにみずからをすて、また世に棄てられたというのは、なんと情けないことではなかろうか。

安知天漢上。白日懸高名。

この世間では君平を知らないが、銀河のある天上では、さながら白日が高くかかっているように、君平の名は知られていたのだ。

海客去已久。誰人測沈冥

しかし、海上の人が、銀河に行ったということで、君平がえらい人だということがようやくわかってしまったのであるが、今日、海客が去ってしって随分経過してしまうと、誰も、この沈深玄黙の中に潜める君平の真価を計り知ることが出来ないのだ。

 

(古風,五十九首の十三)

君平 既に世を棄て、世も亦た君平を棄つ。

變を觀て太易を窮め、元をって群生を化す。

寂寞 道論を綴り、空帘【くうれん】 幽情を閉ざす。

騶虞【しゅうぐ】は虛しく來らず、鸑鷟【がくぞく】は時有って鳴く。

安んぞ知らん 天漢の上。 白日 高名を懸くる。

海客 去って已に久し、誰人か 沈冥を測らむ。

 

 

『古風,五十九首之十三』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之十三

君平既棄世,世亦棄君平。

觀變窮太易,探元化群生。

寂寞綴道論,空帘閉幽情。

騶虞不虛來,鸑鷟有時鳴。

安知天漢上,白日懸高名。

海客去已久,誰人測沈冥。

 

(下し文)

(古風,五十九首の十三)

君平 既に世を棄て、世も亦た君平を棄つ。

變を觀て太易を窮め、元をって群生を化す。

寂寞 道論を綴り、空帘【くうれん】 幽情を閉ざす。

騶虞【しゅうぐ】は虛しく來らず、鸑鷟【がくぞく】は時有って鳴く。

安んぞ知らん 天漢の上。 白日 高名を懸くる。

海客 去って已に久し、誰人か 沈冥を測らむ。

 

(現代語訳)

(嚴君平は社会教育的な才あるにもかかわらず、生活の為と占い業をしたが、世間の方も、賢人である君平をただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていた。その陰で、心静かに老子の注解を出筆していた。)

嚴君平は社会教育的な色彩をもつものとしての才あるにもかかわらず、占い業に隠れていたことで、君平のほうから世を捨てたというのであるが、ただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていたところをみると、世間の方からも、また賢人である「君平」を捨てたのである。

君平は宇宙の変を観て、深奥なる易理を極めることであり、老子の精髄たる玄を探って、一般人民を調化しようという大抱負をもっていた。

そこで、賣卜は生活費を得ればそれで事足りるとし、その余暇は簾を垂れて幽情を養い、心静かに老子の注解を出筆していたのである。

まことに君平は詩経に言う「騶虞」のごとき仁獣、鸑鷟のような瑞鳥に比すべきもので、ほとんど聖賢といってもよい人物なのである。そもそも、「騶虞」は無意味にこの世に出て來るものではなく、鸑鷟も、しかるべきときに限って鳴くので、天が君平を生じさせたのも、決して偶然ではないのに、このようにみずからをすて、また世に棄てられたというのは、なんと情けないことではなかろうか。

この世間では君平を知らないが、銀河のある天上では、さながら白日が高くかかっているように、君平の名は知られていたのだ。

しかし、海上の人が、銀河に行ったということで、君平がえらい人だということがようやくわかってしまったのであるが、今日、海客が去ってしって随分経過してしまうと、誰も、この沈深玄黙の中に潜める君平の真価を計り知ることが出来ないのだ。

 

(訳注)

古風,五十九首之十三

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

詠史詩

十三(嚴君平は社会教育的な才あるにもかかわらず、生活の為と占い業をしたが、世間の方も、賢人である君平をただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていた。その陰で、心静かに老子の注解を出筆していた。)

十二(世間からはなれて隠棲していても強い個性をもって光っている厳子陵という人のように生きたい)

 

 

君平既棄世,世亦棄君平。

嚴君平は社会教育的な色彩をもつものとしての才あるにもかかわらず、占い業に隠れていたことで、君平のほうから世を捨てたというのであるが、ただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていたところをみると、世間の方からも、また賢人である「君平」を捨てたのである。

「君平」は漢の厳遵(げんじゅん、字は君平)のことで、蜀の成都の市場で卜筮をして暮らしていました。易断をして人に法を説き善に導きましたが、みずからを養うに足るときは店を閉じたといいます。

厳君平は一方で「ト筮は賤業」であると認めなから,他方では「ト筮」によって,子には「孝行」,弟には「梯順」。臣には「忠義」を説き,衆人を恵むことができると述べている。卜筮によって衆人を孝や順や忠に導いたといわれることは、いちじるしく民衆的または社会教育的な色彩をもつものとして注意される。それは、現実の政治に絶望した彼らに、たんに個人的に逃避するのではなく、みずからの理想によって民衆を教化しようという考えがあったのではなかろうか。

 

觀變窮太易,探元化群生。

君平は宇宙の変を観て、深奥なる易理を極めることであり、老子の精髄たる玄を探って、一般人民を調化しようという大抱負をもっていた。

太易 『列子』(天瑞篇第二章)列子言。 昔者。聖人因陰陽以統天地。夫有形者生於無形。則天地安従生。 故曰。「有太易。有太初。有太始。有太素」。太易者。未見氣也。 太初者。氣之始也。太始者。形之始也。太素者。質之始也。氣形質具。而未相離。故曰渾淪。渾淪者。言萬物相渾淪。(列子に言う。むかし、聖人は陰陽に因って天地を統【す】ぶ。 夫れ有形は無より生ずれば、 則ち天地は安くよりか生ずるや。 故に曰(いわ)く。 「太易有り。 太初有り。 太始有り。太素有と。 太易は、未だ氣を見ざるなり。 太初は、氣の始めなり。 太始は、形の始めなり。 太素は、質の始めなり。 氣形質具わるも、未だ相い離れず。 故に渾淪という。 渾淪とは、萬物が相い渾淪として、 未だ相い離れざるを言うなり。)

 

寂寞綴道論,空帘閉幽情。

そこで、賣卜は生活費を得ればそれで事足りるとし、その余暇は簾を垂れて幽情を養い、心静かに老子の注解を出筆していたのである。

道論 老子の注解。

 

騶虞不虛來,鸑鷟有時鳴。

まことに君平は詩経に言う「騶虞」のごとき仁獣、鸑鷟のような瑞鳥に比すべきもので、ほとんど聖賢といってもよい人物なのである。そもそも、「騶虞」は無意味にこの世に出て來るものではなく、鸑鷟も、しかるべきときに限って鳴くので、天が君平を生じさせたのも、決して偶然ではないのに、このようにみずからをすて、また世に棄てられたというのは、なんと情けないことではなかろうか。

騶虞 騶とは馬車に乗る人です。虞とは葬儀の仕上げのことで、親族が死者の埋葬を終えて家に帰り、死者の霊を安んずるために行う儀式です。即ち騶虞とは馬車に乗った死者が埋葬のために家に帰るという意味になり、斉の襄公に殺された桓公の悲しい帰国であることが分かります。『詩経、召南、騶虞』「彼茁者葭 壹發五豝,于嗟乎騶虞。」(そこらに生えた葦の草、取るに足らない大豚が従う(荘公)ああ馬車に乗った物言わぬご帰還)

鸑鷟 鳳凰。『国·周語上』:“ 周之也,鸑鷟於岐山。” 昭注:“三君云:鸑鷟,鳳凰名也。『詩経』に云う:鳳凰鳴くなり,于彼高其れは岐山の脊に在らん?

 

安知天漢上,白日懸高名。

この世間では君平を知らないが、銀河のある天上では、さながら白日が高くかかっているように、君平の名は知られていたのだ。

○天漢/河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。

 

海客去已久,誰人測沈冥。

しかし、海上の人が、銀河に行ったということで、君平がえらい人だということがようやくわかってしまったのであるが、今日、海客が去ってしって随分経過してしまうと、誰も、この沈深玄黙の中に潜める君平の真価を計り知ることが出来ないのだ。

○海客 海上の人。東に位置する国には海客が流れ着き、西に位置する国には山客が流れ着くといわれる。

○沈冥 静かで奥深いこと。人目につかずひっそりとしていること。また,そのさま。沈深玄黙の中に潜めること。

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多くの賦は絶賛され、天子に献上するまでになったが、その時には自身の身体はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていたうろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、世間知らず、状況の判断もできないというのでは本当にためいきが出る。そのことだけでみれば、あの軽薄な貴公子たちの仲間からも物笑いの種になってしまうというものだ。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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Index-

32

-7 753年天寶十二年53

60

ID

No.

詩題

詩文初句

579

1

古風,五十九首之二

蟾蜍薄太清,

580

2

古風,五十九首之八

咸陽二三月,

581

3

古風,五十九首之十三

君平既棄世,

582

4

古風,五十九首之十八

天津三月時,

583

5

古風,五十九首之二十五

世道日交喪,

584

6

古風,五十九首之二十八

容顏若飛電,

585

7

古風,五十九首之二十九

三季分戰國,

586

8

古風,五十九首之三十

玄風變太古,

587

9

古風,五十九首之三十一

鄭客西入關,

588

10

古風,五十九首之三十二

蓐收肅金氣,

589

11

古風,五十九首之三十六

抱玉入楚國,

590

12

古風,五十九首之四十六

一百四十年,

591

13

古風,五十九首之五十一

殷后亂天紀,

592

14

古風,五十九首之五十三

戰國何紛紛,

593

15

古風,五十九首之五十四

倚劍登高臺,

594

16

遠別離

遠別離,

595

17

古朗月行

小時不識月,

 

 

製作年: 753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之八 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點:  咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

 

 

古風,五十九首之八

咸陽二三月,宮柳黃金枝。

綠幘誰家子,賣珠輕薄兒。

日暮醉酒歸,白馬驕且馳。

(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)

長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。

古風五十九首の八

咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。

綠幘【りょくさく】誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。

日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。

 

意氣人所仰,冶遊方及時。

子雲不曉事,晚獻長楊辭。

賦達身已老,草玄鬢若絲。

投閣良可歎,但為此輩嗤。 

貴公子のさかんな意気は、街の人びとがみな見上げ、ふりかえる。この時期、行楽や芸者遊びも無礼法だし、時節もいいのだ。
それにつけても揚子雲先生の場合は世間の事に通じなさすぎたようだ。勉学に励んで晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
多くの賦は絶賛され、天子に献上するまでになったが、その時には自身の身体はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた

うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、世間知らず、状況の判断もできないというのでは本当にためいきが出る。そのことだけでみれば、あの軽薄な貴公子たちの仲間からも物笑いの種になってしまうというものだ。
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意氣 人の仰ぐ所、冶游【やゆう】方【まさ】 に時に及ぶ。

子云 事を曉【さと】らず、晚に獻ず 長楊の辭。

賦 達して 身已に老い、玄を草して 鬢 絲の若し。

閣より投ずること 良に嘆ず可し、但だ此の輩に嗤 【わら】わる。

 

 

『古風,五十九首之八』 現代語訳と訳註

(本文)

意氣人所仰。 冶游方及時。

子云不曉事。 晚獻長楊辭。

賦達身已老。 草玄鬢若絲。

投閣良可嘆。 但為此輩嗤。

 

 

(下し文)

意氣 人の仰ぐ所、冶游【やゆう】方【まさ】 に時に及ぶ。

子云 事を曉【さと】らず、晚に獻ず 長楊の辭。

賦 達して 身已に老い、玄を草して 鬢 絲の若し。

閣より投ずること 良に嘆ず可し、但だ此の輩に嗤 【わら】わる。

 

(現代語訳)

貴公子のさかんな意気は、街の人びとがみな見上げ、ふりかえる。この時期、行楽や芸者遊びも無礼法だし、時節もいいのだ。
それにつけても揚子雲先生の場合は世間の事に通じなさすぎたようだ。勉学に励んで晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
多くの賦は絶賛され、天子に献上するまでになったが、その時には自身の身体はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた

うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、世間知らず、状況の判断もできないというのでは本当にためいきが出る。そのことだけでみれば、あの軽薄な貴公子たちの仲間からも物笑いの種になってしまうというものだ。
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(訳注)

古風,五十九首之八

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。

(長安をにあった時にこの山に遊んだ744年天寶三年44歳の時の詩である。)

李白index- 32 《753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越》1103 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4063

I

意氣人所仰、冶游方及時。
貴公子のさかんな意気は、街の人びとがみな見上げ、ふりかえる。この時期、行楽や芸者遊びも無礼法だし、時節もいいのだ。
冶遊 行楽や芸者遊び。心がとろけるような楽しい遊び。

○方及時 方は無礼講というほどの意味で時は時節、この時期だけだというほどの意味。 


子云不曉事、晚獻長楊辭。
それにつけても揚子雲先生の場合は世間の事に通じなさすぎたようだ。勉学に励んで晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
子雲 漢の文人。揚雄、あざなは子雲。前漢の末期、紀元前一世紀、蜀(四川)の成都の人。学問だけが好きで、それ以外の欲望は全くなく、財産もあまりなかったが満足していた。ドモリで議論ができなかったので、よく読書し、沈思黙考した。成帝の時、承明宮に召されて、甘泉、河東、長楊、羽猟の四つの賦を奏上した。かれの著書はすべて古典の模倣で、「易」に似せて「太玄経」を作り、「論語に似せて「法言」を作った。かれは晩年、ある事件の巻き添えで、疑われて逮捕されようとしたとき、天禄閣という建物の中で書物調べに没頭していたので、驚きあわてて閣上から飛び降りて、あやうく死にかけた。
不暁事 世間の事に通じない。

 晩年。

楊辭 天子に献上する「長楊の辞」のこと。


賦達身已老、草玄鬢若絲。
多くの賦は絶賛され、天子に献上するまでになったが、その時には自身の身体はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた
 韻文の一体。漢の時代の流行。

玄楊 子雲、雄の著書「太玄経」。


投閣良可嘆、但為此輩嗤。
うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、世間知らず、状況の判断もできないというのでは本当にためいきが出る。そのことだけでみれば、あの軽薄な貴公子たちの仲間からも物笑いの種になってしまうというものだ。
投閣 天禄閣上から身を投げた。○此輩 緑幘さくの軽薄児をさす。 

儒教の貫いて痩せ細ったと同じこと、死んでしまっては何にもならない。世間のことぉ知らなくて、芸者遊びのひとつも知らないで、年を取ってしまった。李白はここでも儒教批判を述べている。

 

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(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。

 
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Index-32 #1 《古風五十九首之八》Index-32-7 753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越580古風,五十九首之八咸陽二三月, <Index-32 #1> Ⅰ李白詩1155 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4323

 

 

Index-

32

-7 753年天寶十二年53

60

ID

No.

詩題

詩文初句

579

1

古風,五十九首之二

蟾蜍薄太清,

580

2

古風,五十九首之八

咸陽二三月,

581

3

古風,五十九首之十三

君平既棄世,

582

4

古風,五十九首之十八

天津三月時,

583

5

古風,五十九首之二十五

世道日交喪,

584

6

古風,五十九首之二十八

容顏若飛電,

585

7

古風,五十九首之二十九

三季分戰國,

586

8

古風,五十九首之三十

玄風變太古,

587

9

古風,五十九首之三十一

鄭客西入關,

588

10

古風,五十九首之三十二

蓐收肅金氣,

589

11

古風,五十九首之三十六

抱玉入楚國,

590

12

古風,五十九首之四十六

一百四十年,

591

13

古風,五十九首之五十一

殷后亂天紀,

592

14

古風,五十九首之五十三

戰國何紛紛,

593

15

古風,五十九首之五十四

倚劍登高臺,

594

16

遠別離

遠別離,

595

17

古朗月行

小時不識月,

 

 

年: 753  天寶十二年  53

寫作時間:

寫作年紀: 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之八 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點:  咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

 

古風,五十九首之八

咸陽二三月,宮柳黃金枝。

綠幘誰家子,賣珠輕薄兒。

日暮醉酒歸,白馬驕且馳。

(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)

長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。

古風五十九首の八

咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。

綠幘【りょくさく】誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。

日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。

 

意氣人所仰,冶遊方及時。

子雲不曉事,晚獻長楊辭。

賦達身已老,草玄鬢若絲。

投閣良可歎,但為此輩嗤。 

意氣 人の仰ぐ所、冶游【やゆう】方【まさ】 に時に及ぶ。

子云 事を曉【さと】らず、晚に獻ず 長楊の辭。

賦 達して 身已に老い、玄を草して 鬢 絲の若し。

閣より投ずること 良に嘆ず可し、但だ此の輩に嗤 【わら】わる。

 

『古風,五十九首之八』 現代語訳と訳註

(本文)

古風五十九首之八

咸陽二三月。 宮柳黃金枝。

綠幘誰家子。 賣珠輕薄兒。

日暮醉酒歸。 白馬驕且馳。

 

 

(下し文)

古風五十九首の八

咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。

綠幘【りょくさく】誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。

日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。

 

(現代語訳)

(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)

長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。

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(訳注)

咸陽二三月、宮柳黃金枝。
長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、二月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
咸陽 秦の都。長安の対岸にある。この詩は、実際には唐の都、長安の風俗をうたっている。詩人は唐を秦、長安を咸陽とよく詠う。李白31歳の作品『少年行』が基礎にある。ここでいう秦は、貴族が棲む山の手にあたる五陵があったあたりを指す。

五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。

五陵の若者は 金市の東、繁華街、銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く。一面に舞い散る花を踏み散らし  どこへ遊びに出かけるのか。にぎやかに笑いながら、碧眼の胡姫の酒場へ行こうというのか
貴公子たちは、悪ふざけをして歩く二月、三月は科挙の合格発表があると無礼講で各屋敷は解放される。貴公子の天下になることをいっている。

王維『少年行四首』 其一   

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。 
〇二三月 春たけなわな頃である。この表現は野山に万幕を張って行楽を楽しむ季節であることをいう。

○宮柳 宮殿のそばの柳。

黃金枝 新芽の明るい緑に日がさすと黄金に見える。この時期だけのものである。柳は女性の柳腰を連想させ、春心が浮き立つことをいう。「柳腰」「細腰」は美人のこと。
 
 

綠幘誰家子、賣珠輕薄兒。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
綠幘 幘;幅は頭巾。みどりのずきん。漢の董偃の故事。「漢書」に見える話。董偃は母とともに真珠を売って歩いていたが、年十三のとき、漢の武帝の姨であり、竇太主、陳皇后の母でもある館陶公主の邸に出入し、美貌な少年であったので公主の寵愛を得て董君と呼ばれた。そののち公主に従って帝に御目見えしたとき、かれは、綠の頭巾をかむり、腕ぬきをつけて罷り出た。公主は「館陶公主の料理番、臣偃」と紹介し、かれは平伏した。帝はかれに衣冠をたまわった。やがて無礼講がはじまったが、以後かれは武帝の寵愛をも受けるようになり、噂は天下にひろまった。のちに東方朔がその僭越な態度を弾劾した(『漢書』東方朔伝)。


日暮醉酒歸、白馬驕且馳
昼は昼で大騒ぎ、夜になれば酒に酔って帰ってくる、白馬に乗って、驕り高ぶって、そして街中を疾走してゆく。
李白 17少年行  杜甫「少年行」とイメージが似ている。

「少年行」というのは楽府(がふ)の雑曲の題で、当時はやっていた。盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っている。王維21歳、李白31歳、二人は長安で杜甫51歳は成都であった。
  
李白は太白山に登り、夢地希望を胸に都生活をする。そこで、遊侠の若者を楽府詩で詠う。

年少は少年と同じ、日本でいう少年は童。金位置の東寄りに居酒屋があってイラン人の女性がお相手をしていた。長安は、このころ世界一の大都市であった、シルクロードの起点でもあるが、唐王朝はペルシャの一部まで領土を拡大していた。五陵の若者というのは、五つの陵墓を中心に陵園都市が形成され、繁華を誇った。このころは少し荒廃していたようであるが、李白は漢代のイメージで歌っている。それと、貴族の住居地区という意味も兼ねている。
金市というのは下の関係図に示す、西の金光門をさし、次の句の銀の鞍との対比を意図している。

長安五陵と五行思想のの位置関係図
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 唐の時代「胡姫」はペルシャ(イラン系)の紅毛金髪、碧眼、白皙の女性を示していた。
 ○韻 東、風、中。

少年行      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。

五陵の年少(ねんしょう)金市(きんし)の東
銀鞍(ぎんあん)白馬春風(しゅんぷう)を度(わた)
落花(らっか)踏み尽くして  何処(いずこ)にか遊ぶ
笑って入る胡姫(こき)酒肆(しゅし)の中

唐は西に伸びきった領土を有していた。建国当初は、富を得ていたが次第に負担が勝るようになる。
<!--[if !vml]-->安史期のアジア5s<!--[endif]-->

 

 

少 年 行
貴族の子弟が酒屋において倣慢ちきに酒をのむさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は詩言絶句である。


馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

馬にうちのったどこの家のわかものかしらぬが、きざはしのそばで馬からおりてどっかと椅子に腰かけた。それから大ざっぱな様子でどこのだれとも名のらず、「あれをくれ」というて銀のさかがめを指ざしして酒をもとめてのんでいる。

○少年行 少年のことをよんだうた。  ○白面郎 かおのしろいわかもの。  ○階 さかやのきざはし。  〇人牀 他人の家のいす。○不通姓氏 だれそれと姓名をなのらぬ。  ○麤豪 細慎ならぬことをいう。人も無げな大ざっぱなふるまい。  ○指点 あれと指ざしする。○銀瓶 銀でこしらえたさかがめ。

王維の「少年行四首」は四場面の劇のような構成になっています。時代は漢を借りている。

少年行四首 其一   

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。 
 
新豊の美酒は 一斗で一万銭、咸陽、都の遊侠気どりは多い若者。
出逢と意気盛んで大いに飲もうと、馬を繋いだ高楼の しだれ柳の陰のあたりで


新豊美酒斗十千:新豊の美酒は 一斗で一万銭 
 ・「新豊」の街は長安の東にあり、美酒の産地。「咸陽」は秦の都だったところで、漢代には都長安の貴族の住む住宅都市。

咸陽遊侠多少年:都に多い若者は 遊侠気どりで闊歩する
相逢意気為君飲:出逢っては  大いに飲もうと意気が合い

繋馬高楼垂柳辺:馬を繋いだ高楼の しだれ柳の陰のあたりで  
 ・王維は都の若者が意気揚々と馬に乗って酒楼に乗り込むようすを描く。繋いではいけない場所、高楼のほとりの柳の木に馬をつないだという言葉足らずという余韻を残している。

○韻 千、年、辺

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。

少年の行(うた)四首 其の一
新豊(しんぽう)の美酒は斗に十千(じゅっせん)
咸陽(かんよう)の遊侠(ゆうきょう)は少年多し
相逢(あいあ)える意気よ 君が為に飲まん
馬を繋げり 高楼の垂柳(すいりゅう)の辺(ほとり)
-----------------------------------

2場面 出陣の心意気を詠う。

少年行四首 其二    
出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。
孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。 


官職に就き 漢に仕えて羽林郎
驃騎将軍に従い 漁陽に出陣する
辺境の戦に出たいが 行けぬ苦しみは誰にもわかるまい
たとえ死んでも  勇者の誉れだけは顕わすのだ


出身仕漢羽林郎:官職に就き 漢に仕えて羽林郎
 ・「出身」というのは世に出ることですが、唐代では官吏になること。「羽林郎」(うりんろう)は漢の武官名で関中(都のある地域)の六郡の良家の子弟から選ばれる名誉の職のこと。

初随驃騎戦漁陽:驃騎将軍に従い 漁陽に出陣する
  ・ 驃騎将軍霍去病(かくきょへい)に従って漁陽(ぎょよう・北京の近所)に出陣してきましたが、最前線に出してもらえない。

孰知不向辺庭苦:辺境の戦に出たいが 行けぬ苦しみは誰にもわかるまい

縦死猶聞侠骨香:たとえ死んでも  勇者の誉れだけは顕わすのだ
・この苦しみは誰にもわかるまい。死んでもいいから勇者の誉れを顕わしたいのだと元気一杯。
○韻 郎、陽、香

出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。
孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。

少年行四首 其の二
出身(しゅっしん)して漢に仕える羽林郎
初めて驃騎(ひょうき)に随って漁陽に戦う
(たれ)か知らん 辺庭に向かわざるの苦しみを
(たと)い死すとも猶お侠骨の香を聞かしめん

-------------------------------


第三場面は、最前線の戦を詠う。「単于」は匈奴(きょうど)の王ですが、漢の宣帝のころ、匈奴は五つの集団に分裂して、五人の単于が立って互いに攻め合っていた。これらの「五単于」をつぎつぎにやっつけたという勇壮な場面。場面は劇的に集約され、音楽に合わせて詠いながら、演舞をした。


年行四首 其三 
少年行四首 其三    
一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。
偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。

二人張りの強弓を   立てつづけに引き絞る
千万の夷狄の騎馬も いないに等しい
鞍の上で身をよじり  白羽の矢を繰り出して
つぎつぎと  五人の単于を射殺(いころ)した

 

少年行四首 其三: 
一身能擘両彫弧:二人張りの強弓を   立てつづけに引き絞る
虜騎千重只似無:千万の夷狄の騎馬も いないに等しい
偏坐金鞍調白羽:鞍の上で身をよじり  白羽の矢を繰り出して
紛紛射殺五単于:つぎつぎと  五人の単于を射殺(いころ)した

○韻 弧、無、于

一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。
偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。

少年行四首 其の三
一身能()く擘()ける両彫弧(りょうちょうこ)
虜騎(りょき)の千重(せんじゅう) 只無きに似る
金鞍(きんあん)に偏坐して白羽(はくう)を調し
紛紛として射殺せり五単于(ごぜんう)

----------------------------

 最終場面は都に凱旋して戦勝の祝宴があり、戦功が論ぜられる。

少年行四首 其四   
漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。
天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮。


漢の君臣は 戦勝の祝宴を終え、雲台宮で議して 戦功を論ずる
天子は出御して 諸侯の印を賜わり、将軍は印綬を帯びて 明光宮を退出する


漢家君臣歓宴終:漢の君臣は 戦勝の祝宴を終え

高議雲台論戦功:雲台宮で議して 戦功を論ずる

天子臨軒賜侯印:天子は出御して 諸侯の印を賜わり
 ・最後に天子がお出ましになって封爵の褒美が与えられます。

将軍佩出明光宮:将軍は印綬を帯びて 明光宮を退出する
 ・将軍たちは封侯の印綬を帯びて明光宮を出ていく。最終場面は宴席で詠れるのにふさわしい。

○韻 終、功、宮
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そもそも、後宮に生い茂る桂の実はひりひりとしてからいものであるから蟲などが喰うはずがないのである。梧桐の住まいに棲むといわれる天子と皇后とは讒言などに惑わされるものであってはならないのであるが、桂には蟲が付き、花は咲くけど実はならない、そこに天から、冰霜が降ってくるという厳しい寒気がおそったというのではたまらない。


        
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製作年:753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二 

及地點:  紫微殿 (京畿道 京兆府 長安)     

長門宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:長門殿     

 

 

古風五十九首之二

(仲睦まじく、一手に寵愛された王妃でさえ、度重なる讒言によって罪を得ると詠う)

蟾蜍薄太清。 蝕此瑤台月。

月の中にすむヒキガエルがのさばって大空に逼っている。ついに、天上の仙郷宮殿の上に輝く月を食べ始めて仕舞うという。

圓光虧中天。 金魄遂淪沒。

そういうことで月が天空の中天にあるというのに、その黄金の光は欠けてなくなっていき、仕舞には天空の中にしみ込んで消えたのである。いま、武惠妃が寵愛をほしいままにし、王皇后がこれを厭がって、その皇位から落されてしまったのが、この月の様子と同じである。

螮蝀入紫微。 大明夷朝暉。

そもそも、「螮蝀(虹:武惠妃)」が天空にかかって来るとその綺麗さに朝日(玄宗)も滅ぼされて仕舞う、武惠妃が後宮に入ってから、淫奔の行いをするようになり、開元の治といわれた玄宗の聡明さも全く消されてしまったのである。

(古風五十九首之二)

蟾蜍は薄太清に【せま】り。此の瑤台の月を蝕す。

圓光 中天に虧【か】け。 金魄 遂に淪沒す。

螮蝀【ていとう】紫微に入り。 大明 朝暉を夷【やぶ】らる。

 

浮云隔兩曜。 萬象昏陰霏。

こうして浮雲(浮気心)が日月を隔てて、すべての事柄・事象も陰晦の中に暗く霞んでしまった。玄宗と武惠妃との間は月日と共に隔離され、陰険なものにかわっていった。そこで、王皇后は廃され冷宮に幽閉されたのである。

蕭蕭長門宮。 昔是今已非。

それは漢の武帝が陳皇后をひっそりとした長門宮の一角に幽閉されたこととおなじことであるのだが、前後の関係からそれぞれを比較すると全く話にならないようなものなのである。

桂蠹花不實。 天霜下嚴威。

そもそも、後宮に生い茂る桂の実はひりひりとしてからいものであるから蟲などが喰うはずがないのである。梧桐の住まいに棲むといわれる天子と皇后とは讒言などに惑わされるものであってはならないのであるが、桂には蟲が付き、花は咲くけど実はならない、そこに天から、冰霜が降ってくるという厳しい寒気がおそったというのではたまらない。

沈嘆終永夕。 感我涕沾衣。

こうして、王皇后も讒言によって隔離された上に天子から厳しく詰問され、厳罰を科せられた身の上は、長い夜深い嘆息、心は沈んでしまわれたことであろう、私もこの讒言により貶められるということを考えると涙があふれ衣をすっかり濡らしてしまうのである。

 

浮云 兩曜を隔てて。 萬象 陰霏【いんび】昏し。

蕭蕭たる長門の宮。 昔は是にして今は已に非なり。

桂は蠹【むしば】んで花は實らず。 天霜 嚴威を下す。

沈嘆 永夕を終り。我を感ぜしめて涕 衣を沾す。

 

漢宮 未央宮 

『古風五十九首之二』 現代語訳と訳註

(本文)#2

浮云隔兩曜。 萬象昏陰霏。

蕭蕭長門宮。 昔是今已非。

桂蠹花不實。 天霜下嚴威。

沈嘆終永夕。 感我涕沾衣。

 

 

(下し文)

(古風五十九首之二)

蟾蜍は薄太清に【せま】り。此の瑤台の月を蝕す。

圓光 中天に虧【か】け。 金魄 遂に淪沒す。

螮蝀【ていとう】紫微に入り。 大明 朝暉を夷【やぶ】らる。

浮云 兩曜を隔てて。 萬象 陰霏【いんび】昏し。

蕭蕭たる長門の宮。 昔は是にして今は已に非なり。

桂は蠹【むしば】んで花は實らず。 天霜 嚴威を下す。

沈嘆 永夕を終り。我を感ぜしめて涕 衣を沾す。

 

(現代語訳)

(仲睦まじく、一手に寵愛された王妃でさえ、度重なる讒言によって罪を得ると詠う)#2

こうして浮雲(浮気心)が日月を隔てて、すべての事柄・事象も陰晦の中に暗く霞んでしまった。玄宗と武惠妃との間は月日と共に隔離され、陰険なものにかわっていった。そこで、王皇后は廃され冷宮に幽閉されたのである。

それは漢の武帝が陳皇后をひっそりとした長門宮の一角に幽閉されたこととおなじことであるのだが、前後の関係からそれぞれを比較すると全く話にならないようなものなのである。

そもそも、後宮に生い茂る桂の実はひりひりとしてからいものであるから蟲などが喰うはずがないのである。梧桐の住まいに棲むといわれる天子と皇后とは讒言などに惑わされるものであってはならないのであるが、桂には蟲が付き、花は咲くけど実はならない、そこに天から、冰霜が降ってくるという厳しい寒気がおそったというのではたまらない。

こうして、王皇后も讒言によって隔離された上に天子から厳しく詰問され、厳罰を科せられた身の上は、長い夜深い嘆息、心は沈んでしまわれたことであろう、私もこの讒言により貶められるということを考えると涙があふれ衣をすっかり濡らしてしまうのである。

唐長安城図00 

(訳注)

古風五十九首之二

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。「詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか。王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。」「大雅」は、文王・生民・蕩の3什編によって構成される。「わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。」

之二

(仲睦まじく、一手に寵愛された王妃でさえ、度重なる讒言によって罪を得ると詠う)

古風の第二篇 玄宗が王皇后を廃したことを諷刺したものである。詩の内容としても古朗月行 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白

と、同じような詩である。

(仲睦まじく、一手に寵愛された王妃でさえ、度重なる讒言によって罪を得ると詠う)#2

 

浮云隔兩曜。 萬象昏陰霏。

こうして浮雲(浮気心)が日月を隔てて、すべての事柄・事象も陰晦の中に暗く霞んでしまった。玄宗と武惠妃との間は月日と共に隔離され、陰険なものにかわっていった。そこで、王皇后は廃され冷宮に幽閉されたのである。

隔兩曜 日月を隔てて。表向きは、仲睦まじい日が過ぎてゆく、その一方で、讒言が繰り返し行われていくにしたがって一方では「寵愛」、その裏では「讒言」により、天子の心が離れていくことをいう。

陰霏 陰険なことが絶えず行われること。霏:1 雪や雨が絶え間なく降るさま。2 物事が絶え間なく続くさま。「

 

蕭蕭長門宮。 昔是今已非。

それは漢の武帝が陳皇后をひっそりとした長門宮の一角に幽閉されたこととおなじことであるのだが、前後の関係からそれぞれを比較すると全く話にならないようなものなのである。

長門宮 陳皇后(ちん こうごう、生没年不詳)は、前漢の武帝の最初の皇后。武帝の従姉妹に当たる。武帝が即位すると彼女は皇后となり、寵愛をほしいままにしたが、10年以上子が出来なかった。一方で衛子夫が武帝に寵愛されたと聞くと、皇后は彼女の死を願い、一族も弟の衛青を連れ去り監禁するほどだった。皇后は呪術を用いて呪い、それが発覚して元光5年(紀元前130年)に廃位された。

 

桂蠹花不實。 天霜下嚴威。

そもそも、後宮に生い茂る桂の実はひりひりとしてからいものであるから蟲などが喰うはずがないのである。梧桐の住まいに棲むといわれる天子と皇后とは讒言などに惑わされるものであってはならないのであるが、桂には蟲が付き、花は咲くけど実はならない、そこに天から、冰霜が降ってくるという厳しい寒気がおそったというのではたまらない。

桂蠹 月の宮殿に生い茂る嫦娥の宮殿のある梧桐。桂の実はひりひりとしてからいものであるから蟲などが喰うはずがないという常識。月には桂の樹木がうっそうと茂っていた。梧桐の葉に棲むとされるつがいの鳳凰は玄宗皇帝と楊貴妃に喩えられて詩に登場する。宮殿は一般のものが見られないものであり、贅の限りを尽くしたものはこのようのものでないということで、神格化につなげたものである。身分社会における神格化と、叛乱のできないほとのギリギリの貧困で留めることは、王朝の維持存続に不可欠のものであったのだ。

これらの伝説は王朝の宮廷の神格化のために作られたものといって過言ではない。それが、道教の神仙思想、陰陽道、などと結びつき伝説だけが、一人歩きした。科学力のない時代において、超常現象と伝説は神格化に必要不可欠のものであった。

 

沈嘆終永夕。 感我涕沾衣。

こうして、王皇后も讒言によって隔離された上に天子から厳しく詰問され、厳罰を科せられた身の上は、長い夜深い嘆息、心は沈んでしまわれたことであろう、私もこの讒言により貶められるということを考えると涙があふれ衣をすっかり濡らしてしまうのである。

感我 ここに言う「感我」は李白は高力氏の讒言により、長安追放となったことに重ねている。玄宗以前より宮廷内での宦官の暗躍は、天子の加護により陰湿なものであった。宦官は讒言と同時に、道士と結託し秘薬を駆使し、暗殺も行っていたので、表立って敵対視はできなかった。
茶苑 

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(仲睦まじく、一手に寵愛された王妃でさえ、度重なる讒言によって罪を得ると詠う)月の中にすむヒキガエルがのさばって大空に逼っている。ついに、天上の仙郷宮殿の上に輝く月を食べ始めて仕舞うという。そもそも、「螮蝀(虹:武惠妃)」が天空にかかって来るとその綺麗さに朝日(玄宗)も滅ぼされて仕舞う、武惠妃が後宮に入ってから、淫奔の行いをするようになり、開元の治といわれた玄宗の聡明さも全く消されてしまったのである。

 

index-32-1-#1 《古風五十九首之二》 579<index-32-1-#1> Ⅰ李白詩1143 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4263

 

 

 

745年(天寶五年)46歳 ~756(至德元年年)57歳 漫遊時代

337

index-25

-1

李白index- 25 《746年天寶五年46歳 初春、姑蘇、後に、揚州・安宜・淮安をめぐり、秋に揚州で年を越す。》

45

28

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-2

李白index- 26 《747年天寶六年47歳 春、揚州金陵,5月当塗、丹陽横山に隠れる。後、溧陽、金陵、兗州に帰り年を越》

46

17

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-3

李白index- 27 《748年天寶七年48歳 袁州済南、梁苑に遊び、夏、蕹丘・鄭縣、穎陽陳州で元丹邱を尋ねる。梁苑で年越》

47

39

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-4

李白index- 28 《749年天寶八年49歳 春、兗州に帰り、金郷・単父に遊び、梁苑に帰って年越し》

48

22

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-5

李白index- 29 《750年天寶九年50歳 春、梁苑から穎陽で元丹邱と嵩山に行く、襄陽で半年、秋、南陽で年越》

49

12

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-6

李白index- 30 《751年天寶十年51歳 春、南陽穎陽の元丹邱と、河東・関内で遊ぶ。縈陽・鄴中・絳州・邠州、華州で年越》

50

17

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-7

李白index- 31 《752年天寶十一年52歳 商州、南陽、洛陽で宗氏の娘を娶る、秋、河北道に遊び、幽州・薊門、滄州を経て梁苑で年越》

51

10

index-32

-8

李白index- 32 753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越》

52

15

index-33

-9

李白index- 33 《754年天寶十三年54歳 当塗から金陵、越中、広陵で魏万と遇す金陵、江南で遊ぶ秋浦で年越》李白詩 全詩

53

60

index-34

-10

李白index- 34 《755年天寶十四年55歳 春、秋浦から宜城へ当塗、蘆江と宜城、当塗で年越》李白詩 全詩4073

54

56

index-35

-11

李白index- 35 《756年至德元年年56歳 当塗から宜城、溧陽、剡中、金陵、盧山、永王鄰の幕僚で年越》李白詩 全詩4078

55

35

index-36

-12

李白index- 36 《757年至德二年57歳 二月永王璘敗れ、彭澤に逃げるが宿松で捕まり、潯陽の獄に》李白詩 全詩4083

56

26

 

 

 

 

 

 

 

Index-32753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越579《古風,五十九首之二(蟾蜍薄太清)》

製作年:753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二 

及地點:  紫微殿 (京畿道 京兆府 長安)     

長門宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:長門殿     

 

 

古風五十九首之二

蟾蜍薄太清。 蝕此瑤台月。

圓光虧中天。 金魄遂淪沒。

螮蝀入紫微。 大明夷朝暉。

(仲睦まじく、一手に寵愛された王妃でさえ、度重なる讒言によって罪を得ると詠う)

月の中にすむヒキガエルがのさばって大空に逼っている。ついに、天上の仙郷宮殿の上に輝く月を食べ始めて仕舞うという。

そういうことで月が天空の中天にあるというのに、その黄金の光は欠けてなくなっていき、仕舞には天空の中にしみ込んで消えたのである。いま、武惠妃が寵愛をほしいままにし、王皇后がこれを厭がって、その皇位から落されてしまったのが、この月の様子と同じである。

そもそも、「螮蝀(虹:武惠妃)」が天空にかかって来るとその綺麗さに朝日(玄宗)も滅ぼされて仕舞う、武惠妃が後宮に入ってから、淫奔の行いをするようになり、開元の治といわれた玄宗の聡明さも全く消されてしまったのである。

 

浮云隔兩曜。 萬象昏陰霏。

蕭蕭長門宮。 昔是今已非。

桂蠹花不實。 天霜下嚴威。

沈嘆終永夕。 感我涕沾衣。

 

(古風五十九首之二)

蟾蜍は薄太清に【せま】り。此の瑤台の月を蝕す。

圓光 中天に虧【か】け。 金魄 遂に淪沒す。

螮蝀【ていとう】紫微に入り。 大明 朝暉を夷【やぶ】らる。

浮云 兩曜を隔てて。 萬象 陰霏【いんび】昏し。

蕭蕭たる長門の宮。 昔は是にして今は已に非なり。

桂は蠹【むしば】んで花は實らず。 天霜 嚴威を下す。

沈嘆 永夕を終り。我を感ぜしめて涕 衣を沾す。

 

魚玄機が宮島に 

『古風五十九首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

古風五十九首之二

蟾蜍薄太清。 蝕此瑤台月。

圓光虧中天。 金魄遂淪沒。

螮蝀入紫微。 大明夷朝暉。

 

(下し文)

(古風五十九首之二)

蟾蜍は薄太清に【せま】り。此の瑤台の月を蝕す。

圓光 中天に虧【か】け。 金魄 遂に淪沒す。

螮蝀【ていとう】紫微に入り。 大明 朝暉を夷【やぶ】らる。

浮云 兩曜を隔てて。 萬象 陰霏【いんび】昏し。

蕭蕭たる長門の宮。 昔は是にして今は已に非なり。

桂は蠹【むしば】んで花は實らず。 天霜 嚴威を下す。

沈嘆 永夕を終り。我を感ぜしめて涕 衣を沾す。

 

(現代語訳)

(仲睦まじく、一手に寵愛された王妃でさえ、度重なる讒言によって罪を得ると詠う)

月の中にすむヒキガエルがのさばって大空に逼っている。ついに、天上の仙郷宮殿の上に輝く月を食べ始めて仕舞うという。

そういうことで月が天空の中天にあるというのに、その黄金の光は欠けてなくなっていき、仕舞には天空の中にしみ込んで消えたのである。いま、武惠妃が寵愛をほしいままにし、王皇后がこれを厭がって、その皇位から落されてしまったのが、この月の様子と同じである。

そもそも、「螮蝀(虹:武惠妃)」が天空にかかって来るとその綺麗さに朝日(玄宗)も滅ぼされて仕舞う、武惠妃が後宮に入ってから、淫奔の行いをするようになり、開元の治といわれた玄宗の聡明さも全く消されてしまったのである。

李白図102 

(訳注)

古風五十九首之二

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。「詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか。王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。」「大雅」は、文王・生民・蕩の3什編によって構成される。「わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。」

之二

(仲睦まじく、一手に寵愛された王妃でさえ、度重なる讒言によって罪を得ると詠う)

古風の第二篇 玄宗が王皇后を廃したことを諷刺したものである。詩の内容としても古朗月行 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白

と、同じような詩である。

(仲睦まじく、一手に寵愛された王妃でさえ、度重なる讒言によって罪を得ると詠う)

 

蟾蜍薄太清。 蝕此瑤台月。

月の中にすむヒキガエルがのさばって大空に逼っている。ついに、天上の仙郷宮殿の上に輝く月を食べ始めて仕舞うという。

蟾蜍 月の中にすむヒキガエル。これに食われて月が欠けるという。

『古朗月行』

小時不識月、呼作白玉盤。

又疑瑤台鏡、飛在青云端。

仙人垂兩足、桂樹何團團。

白兔搗藥成、問言與誰餐。

蟾蜍蝕圓影、大明夜已殘。

羿昔落九烏、天人清且安。

陰精此淪惑、去去不足觀。

憂來其如何、淒愴摧心肝。

古朗月行 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白

薄 迫る。侵す。

太清 おおぞら。

瑤台 天上の仙郷宮殿。

月のウサギは道教の神・西王母(せいおうぼ)の神話に属しているが、西方の仙界・崑崙山(こんろんさん)に棲むその西王母に従うものにウサギがいる。ウサギは、上下対称で中央部を持って搗(つ)く杵(きね)でもって、餅ではなく不死の薬草を練って作る。

 

圓光虧中天。 金魄遂淪沒。

そういうことで月が天空の中天にあるというのに、その黄金の光は欠けてなくなっていき、仕舞には天空の中にしみ込んで消えたのである。いま、武惠妃が寵愛をほしいままにし、王皇后がこれを厭がって、その皇位から落されてしまったのが、この月の様子と同じである。

圓光 月と月の光

金魄 金は満月が昇る際、黄金色である。五行思想で、真ん中を意味する金。魄はかたまり、満月の陰の部分。

武恵妃(ぶけいひ、? - 開元25年(737年))は、唐代玄宗朝に仕えた皇妃。姓は武、名は 伝わっていない。恵妃は皇妃としての順位を表す称号である。玄宗の寵愛を得、皇子の 寿王・李瑁を皇太子にしようと運動したが、失敗した。「旧唐書」では『貞順皇后武氏』。

淪沒 淪も沒も沈んでゆくこと。

 

螮蝀入紫微。 大明夷朝暉。

そもそも、「螮蝀(虹:武惠妃)」が天空にかかって来るとその綺麗さに朝日(玄宗)も滅ぼされて仕舞う、武惠妃が後宮に入ってから、淫奔の行いをするようになり、開元の治といわれた玄宗の聡明さも全く消されてしまったのである。

螮蝀 虹のこと。虹は、古代中国では虹蜺、蝃蝀、螮蝀などと呼ばれていた。

紫微 「紫微垣(しびえん)」の略。中国古代の天文学で、天を三垣(えん)二八宿に分けた、その一。北極星を中心とした、小熊座・大熊座・竜座・カシオペヤ座などの星座群にあたり、天帝の住む場所とされた。転じて、天子・天位・宮廷を示す。紫微宮。

大明 太陽のこと。太陽がかつて十個あったという神話は、殷王朝も共有していた(干支の「十干」や暦の「旬」に今も残る。この前後・相互関係は極めて複雑かつ微妙で、要するに不明である)。三本足のカラスは「八咫烏」(やたがらす)として有名である。 

朝暉 【ちょうき】朝日。朝陽。あさひ。また,その光。

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紀 頌之

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