大樓の山に登り、両手を広げ天に向い、仙人のいる方向にまっすぐと望むのである。そうしたら仙人は鸞鶴の羽と背に乗って自由に天海を飛びわるのだけれど、その影は見えるものではないのである。又、風に乗り、雲に乗るので、車の輪をめぐらせて帰って来ることなど絶対にない。
Index-33 《古風五十九首之四》Ⅳ-8 754年天寶十三年54歳 640<Index-33> Ⅰ李白詩1148 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4288
4巻一
古風五十九首之四#1
(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四
鳳飛九千仞,五章備綵珍。
鳳凰は鳥の中の王で、一度羽を広げて飛べば九千仭の高さにあがって行き、衆鳥を見下ろしているという。そしてその翅は五色の燦然として輝くめずらしい彩色をそなえているというのである。
銜書且虛歸,空入周與秦。
鳳凰は聖人である、徳のある帝王が位にいる時だけ、出現するというのであり、嘗て書を口に銜えて飛び下ってきたという、その書には、殷帝の無道な行為について、やがて聖人がこの無道を直し人民を救済すると書いてあり、この書を人間に伝えるだけして、ただちに帰ったという。周や秦が天下を統一したけれど、その徳が格別なものでないならば、再びまいもどってもそこに留まることはないのである。
橫絕歷四海,所居未得鄰。
天空を横絶して地の果ての四海をめぐって、徳が今はなくても必ずその隣にあるというような格好で落ち着いて居る場所を見つけられずに終わるのである。
吾營紫河車,千載落風塵。
鳳凰の聖でもってしても、人間のしかるべき時にであうということがないというのであるから、私が今日、この世において苦しんでいることなど当然のことである。そこで私は、王液を練り、これを服用して、この世の塵や汚れを永遠に払い落として、理想とする仙郷に逍遥したいと志したのである。
藥物祕海嶽,採鉛青溪濱。
元来、仙界の薬物は遙か東海の蒼海の中に泛ぶ三山の間に秘めてあるものであるから、わたしは天下に浪遊し、まず、清渓の砂浜に赴いて、鉛を採取しようとおもうのである。
古風五十九首の四
#1
鳳は九千仞を飛び,五は綵珍を備うを章す。
書を銜んで且つ虛しく歸り,周と秦とに空しく入る。
橫絕し四海を歷て,居ろ所 未だ鄰を得ず。
吾 紫河の車を營み,千載 風塵を落す。
藥物 海嶽に祕し,鉛を採る青溪の濱に。
#2
時登大樓山,舉手望仙真。
そうした時に、大樓の山に登り、両手を広げ天に向い、仙人のいる方向にまっすぐと望むのである。
羽駕滅去影,飆車絕迴輪。
そうしたら仙人は鸞鶴の羽と背に乗って自由に天海を飛びわるのだけれど、その影は見えるものではないのである。又、風に乗り、雲に乗るので、車の輪をめぐらせて帰って来ることなど絶対にない。
尚恐丹液遲,志願不及申。
こうして仙人にも遭えず、教えを乞うこともなく、当然、丹液を練ることも遅くなってしまうと心配するのである。空を飛ぶことに有頂天になり、仙郷に入る志も願いも達成することも及ばないということである。
徒霜鏡中髮,羞彼鶴上人。
そうして、やがて鏡の中の時分は頭に霜を置く、白髪頭になっていて、黄鶴に乗って現れる達成した人々に会うと恥ずかしいことであると思うのである。
桃李何處開,此花非我春。
賢人があつまるという桃李の咲くところは何処なのだろうか、元来、桃李は世俗の者たちが春を楽しむ花ではあるが、それが仙郷の春があるというわけではないのだから、私は、どうしても桃李をさがしもとめるものではないのである。
唯應清都境,長與韓眾親。
ただ、わたしはどうにかして、清都という天上、仙界の都に至って、韓眾というべき仙人と長く親しむことで道を学びたいと思うのである。
#2
時に大樓の山に登り,手を舉げて仙真を望む。
羽駕 去影を滅し,飆車 迴輪を絕つ。
尚お 丹液 遲くするを恐れ,志願 申ぶるに及ばず。
徒らに鏡中の髮を霜にして,彼の鶴上の人に羞ず。
桃李 何の處にか開き,此の花 我が春に非らず。
唯だ應に 清都の境なり,長く韓眾と親しむべし。
『古風五十九首之四』 現代語訳と訳註
(本文) 古風五十九首之四 #2
時登大樓山,舉手望仙真。
羽駕滅去影,飆車絕迴輪。
尚恐丹液遲,志願不及申。
徒霜鏡中髮,羞彼鶴上人。
桃李何處開,此花非我春。
唯應清都境,長與韓眾親。
(下し文) #2
時に大樓の山に登り,手を舉げて仙真を望む。
羽駕 去影を滅し,飆車 迴輪を絕つ。
尚お 丹液 遲くするを恐れ,志願 申ぶるに及ばず。
徒らに鏡中の髮を霜にして,彼の鶴上の人に羞ず。
桃李 何の處にか開き,此の花 我が春に非らず。
唯だ應に 清都の境なり,長く韓眾と親しむべし。
(現代語訳)
そうした時に、大樓の山に登り、両手を広げ天に向い、仙人のいる方向にまっすぐと望むのである。
そうしたら仙人は鸞鶴の羽と背に乗って自由に天海を飛びわるのだけれど、その影は見えるものではないのである。又、風に乗り、雲に乗るので、車の輪をめぐらせて帰って来ることなど絶対にない。
こうして仙人にも遭えず、教えを乞うこともなく、当然、丹液を練ることも遅くなってしまうと心配するのである。空を飛ぶことに有頂天になり、仙郷に入る志も願いも達成することも及ばないということである。
そうして、やがて鏡の中の時分は頭に霜を置く、白髪頭になっていて、黄鶴に乗って現れる達成した人々に会うと恥ずかしいことであると思うのである。
賢人があつまるという桃李の咲くところは何処なのだろうか、元来、桃李は世俗の者たちが春を楽しむ花ではあるが、それが仙郷の春があるというわけではないのだから、私は、どうしても桃李をさがしもとめるものではないのである。
ただ、わたしはどうにかして、清都という天上、仙界の都に至って、韓眾というべき仙人と長く親しむことで道を学びたいと思うのである。
(訳注) #2
(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四
時登 大樓山,舉手 望仙真。
そうした時に、大樓の山に登り、両手を広げ天に向い、仙人のいる方向にまっすぐと望むのである。
○大樓山 太白山のこと。長安の街に対して華山から秦嶺山脈の西の端の山として一番高く聳える秦嶺山脈を楼閣として上るべき山と考えている。『登太白峯』「挙手可近月、前行若無山。」李白16 登太白峯 希望に燃えて太白山に上る。
○仙真 仙人のいる方向にまっすぐと
羽駕 滅去影,飆車 絕迴輪。
そうしたら仙人は鸞鶴の羽と背に乗って自由に天海を飛びわるのだけれど、その影は見えるものではないのである。又、風に乗り、雲に乗るので、車の輪をめぐらせて帰って来ることなど絶対にない。
○羽駕 黄鶴伝説に基づく。
○飆車 風に乗り、雲に乗ること。
尚恐 丹液遲,志願 不及申。
こうして仙人にも遭えず、教えを乞うこともなく、当然、丹液を練ることも遅くなってしまうと心配するのである。空を飛ぶことに有頂天になり、仙郷に入る志も願いも達成することも及ばないということである。
○丹液 丹液、金丹の製造法は「丹砂」(硫化水銀)、「汞」(水銀)、「鉛」などの薬物を調合して鼎炉にて火にかけて焼煉するものである。煉丹術ないしその萌芽は漢代に登場し、『抱朴子』を著した西晋・東晋の葛洪らによって金丹道として確立し、他の神仙方術とともにいつしか道教の一部とみなされるようになった。
徒霜 鏡中髮,羞 彼鶴 上人。
そうして、やがて鏡の中の時分は頭に霜を置く、白髪頭になっていて、黄鶴に乗って現れる達成した人々に会うと恥ずかしいことであると思うのである。
○彼鶴 黄鶴伝説に基づく。
○上人 智徳を備えた僧への敬称。
桃李 何處開,此花 非我春。
賢人があつまるという桃李の咲くところは何処なのだろうか、元来、桃李は世俗の者たちが春を楽しむ花ではあるが、それが仙郷の春があるというわけではないのだから、私は、どうしても桃李をさがしもとめるものではないのである。
○桃李 桃李は世俗の者たちが春を愉しむ花。李白『』「會桃李之芳園,序天倫之樂事。」(桃李の芳園に 會し,天倫の樂事を 序す。)桃李の花の香しきかおりはこの庭園に集まってくる、親戚同士の楽しい宴席のことを申し述べる。
唯應 清都境,長與 韓眾親。
ただ、わたしはどうにかして、清都という天上、仙界の都に至って、韓眾というべき仙人と長く親しむことで道を学びたいと思うのである。
○清都 列子「王實以為清都、紫微、鈞天、廣樂,帝之所居。」(清都、紫微、鈞天、康楽殿は帝のいるところ)
○韓眾 仙人の名。《楚辭》卷五《遠遊》 「奇傅說之託辰星兮,羨韓眾之得一。」(傅說の辰星に託するを奇とし,韓眾の一を得たるを羨やむ。)いにしえの殷の伝説が星に身を寄せることを優れたことと思い、仙人韓眾が万物の本体である道を会得したことを羨むのである。
(異文):
鳳飛九千仞,五章備綵珍。
銜書且虛歸,空入周與秦。
橫絕歷四海,所居未得鄰。
吾營紫河車,千載落風塵。
藥物祕海嶽,採鉛青溪濱。
時登大樓山,舉手望仙真【舉首望仙真】。
羽駕滅去影,飆車絕迴輪。
尚恐丹液遲,志願不及申。
徒霜鏡中髮,羞彼鶴上人。
桃李何處開,此花非我春。
唯應清都境,長與韓眾親。