漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

Index-21Ⅲ―1-742年天寶元年42歳

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Index-21 #2 《古風五十九首之七》Index-21Ⅲ― 1-742年天寶元年42歳 <Index-21 #2> Ⅰ李白詩1154 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4318

安期生さがして首をのばして遠くを望んでみたが、それまで聞こえてきた天上の調が、流れ星が消えていくように聞こえてこなくなった。わたしの願いは、安期生から神仙草をいただいて食べることであり、共に不老長寿となって生命は天とならび帰服することにあるのである。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 #2 《古風五十九首之七》Index-21Ⅲ― 1-742年天寶元年42歳 <Index-21 #2> Ⅰ李白詩1154 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4318

 

李白図102 

古風,五十九首之七 a-#1

客有鶴上仙,飛飛凌太清。

揚言碧雲裡,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

(不老長寿の仙人の安期生にいただいた神仙草を食べ、不老長寿となって生命は天とならび帰服したという思いを詠う。)

五種の鶴の背にのった各仙人がそろって、大空を飛びまわって老子を神とする太清境までおりこえて行こうとしている。
東のあおい空に湧き立つように浮かぶ雲の中から名のりをあげて、わたしは安期生と呼ばれているものであると言われる。
左右の両脇にに、白玉のように美しいお顔の童子をお伴にして、ともに紫檀で鸞のかたちの笙を合奏している。

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<!--[endif]-->

去影忽不見,回風送天聲。

舉首遠望之,飄然若流星。

願餐金光草,壽與天齊傾。

ところが安期生はで傳説の通りたちまち、姿は見えなくなり、向かい風が吹いてくると今度は手紙ではなく、天上の音楽を送ってきた。
安期生さがして首をのばして遠くを望んでみたが、それまで聞こえてきた天上の調が、流れ星が消えていくように聞こえてこなくなった。
わたしの願いは、安期生から神仙草をいただいて食べることであり、共に不老長寿となって生命は天とならび帰服することにあるのである。
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<!--[endif]-->

古風,五十九首の七 a-#1

客に鶴上の仙有り、飛飛として 太清を凌ぐ。

揚言す 碧雲の裏、自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

 a-#2

去影 忽ち見えず、回風 天声を送る。

首を挙げて 遠く之を望めば、諷然として 流星の若し。

願わくは金光 草を餐し、寿 天と斉しく傾かん。

 

(異文)b-#1

五鶴西北來,飛飛凌太清。

仙人綠雲上,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

B-#2

去影忽不見,回風送天聲。

我欲一問之,飄然若流星。

願餐金光草,壽與天齊傾。

 

b-#1

五鶴 西北より來り,飛飛として 太清を凌ぐ。

仙人 綠雲に上り,自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

b-#2

去影 忽ち見えず、回風 天声を送る。

我 一たび之を問わんと欲し,諷然として 流星の若し。

願わくは金光 草を餐し、寿 天と斉しく傾かん。

 

 

(異文)c-#1

客有鶴上仙,飛飛凌太清。

揚言碧雲裡,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

c-#2

飄然下倒影,倏忽無留形。

遺我金光草,服之四體輕。

將隨赤松去,對博坐蓬瀛。

c-#1

客に鶴上の仙有り、飛飛として 太清を凌ぐ。

揚言す 碧雲の裏、自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

c-#2

飄然として 倒影下り、倏 忽ち留まる形無く。

我 金光 草を遺し、之を服して 四體輕し。

將て 赤松去るに隨わん,博に對し 蓬瀛に坐す。

 

五行関係図

『古風,五十九首之七』 現代語訳と訳註

(本文)

去影忽不見,回風送天聲。

舉首遠望之,飄然若流星。

願餐金光草,壽與天齊傾。

 

(下し文)  a-#2

去影 忽ち見えず、回風 天声を送る。

首を挙げて 遠く之を望めば、諷然として 流星の若し。

願わくは金光 草を餐し、寿 天と斉しく傾かん。

 

(現代語訳)

(不老長寿の仙人の安期生にいただいた神仙草を食べ、不老長寿となって生命は天とならび帰服したという思いを詠う。)

ところが安期生はで傳説の通りたちまち、姿は見えなくなり、向かい風が吹いてくると今度は手紙ではなく、天上の音楽を送ってきた。
安期生さがして首をのばして遠くを望んでみたが、それまで聞こえてきた天上の調が、流れ星が消えていくように聞こえてこなくなった。
わたしの願いは、安期生から神仙草をいただいて食べることであり、共に不老長寿となって生命は天とならび帰服することにあるのである。
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<!--[endif]-->

太白山001 

(訳注)

古風,五十九首之七 a-#2

(不老長寿の仙人の安期生にいただいた神仙草を食べ、不老長寿となって生命は天とならび帰服したという思いを詠う。)

 

去影忽不見、囘風迭天聾。
ところが安期生はで傳説の通りたちまち、姿は見えなくなり、向かい風が吹いてくると今度は手紙ではなく、天上の音楽を送ってきた。
囘風 向かい風。上句の「去」の対語としての「囘」は帰ることで天からこちらへ送ってくれた調べとなる。回風はつむじ風。『楚辞、九章、囘風』「悲囘風之揺蕙兮,心冤結而内傷。 物有微而隕性兮、声有隠而先倡。 終長夜之曼曼兮、掩此哀而不去。 寧溘死而流亡兮、不忍此心之常愁。」の 「囘風」「聾有」に基づくものである。

天声 天上の音楽。道教音楽・舞踏・建築・彫塑・文学芸術が全面的に発展した。南北朝の時代には、道観の建設に伴って、道像を彫塑して奉じるようになった。隋・唐の時代には、宮観建築芸術の発展に伴って、道教の彫塑・絵画芸術も盛んになった。唐の玄宗は全国の道観に老子像を造ることを命じ、敦煌の道教の壁画は今に至るまで伝わっている。唐の玄宗の作った道教音楽《霓裳羽衣曲》などは非常に高い芸術性を備えていた。唐代には道士や仙人を題材にした伝奇小説が書かれ、詩人は仙を求め、道を慕って詩を編み、道教文学というジャンルが成立した。道教の文学芸術が盛んになったことは道教の宗教性を少なからず向上させ、中国伝統の思想文化を道教の精神と融合させた。
 
拳首遠望之、諷然若流星。
安期生さがして首をのばして遠くを望んでみたが、それまで聞こえてきた天上の調が、流れ星が消えていくように聞こえてこなくなった。
 そらんじる。天上の音楽のこと。  

然若 しかり・・・・ごとく

 

願餐金光草、壽興天斉傾。
わたしの願いは、安期生から神仙草をいただいて食べることであり、共に不老長寿となって生命は天とならび帰服することにあるのである。
金光草 金明草ともいい、葉は芭蕉のようであり、花は正黄色、光を放っているという。神仙草。これを食べると長寿になるとされる。《廣異記》謝元卿東岳夫人の棲んでいた所にあったという。叶如芭蕉,花光可以曰:此金光草也。食之化形靈,元寿与天。」
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日本ではよく見かける。
 せい齊 ととのえる。ならべる。 ・さい齋つつしむ。神仏へのそなえもの。学問をするところ。(1) (程度や形が)よくそろった,ばらつきのない.(2) (あるべきものが)そろった,漏れのない
 心を傾ける。帰服する。

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 孟郊張籍     
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:742  天寶元年  42

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之七 

 

 

古風,五十九首之七 a-#1

客有鶴上仙,飛飛凌太清。

揚言碧雲裡,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

(不老長寿の仙人の安期生に導かれて一緒に天で過ごしたいという思いを詠う。)

五種の鶴の背にのった各仙人がそろって、大空を飛びまわって老子を神とする太清境までおりこえて行こうとしている。
東のあおい空に湧き立つように浮かぶ雲の中から名のりをあげて、わたしは安期生と呼ばれているものであると言われる。
左右の両脇にに、白玉のように美しいお顔の童子をお伴にして、ともに紫檀で鸞のかたちの笙を合奏している。

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去影忽不見,回風送天聲。

舉首遠望之,飄然若流星。

願餐金光草,壽與天齊傾。

古風,五十九首の七 a-#1

客に鶴上の仙有り、飛飛として 太清を凌ぐ。

揚言す 碧雲の裏、自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

 a-#2

去影 忽ち見えず、回風 天声を送る。

首を挙げて 遠く之を望めば、諷然として 流星の若し。

願わくは金光 草を餐し、寿 天と斉しく傾かん。

 

(異文)b-#1

五鶴西北來,飛飛凌太清。

仙人綠雲上,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

B-#2

去影忽不見,回風送天聲。

我欲一問之,飄然若流星。

願餐金光草,壽與天齊傾。

 

b-#1

五鶴 西北より來り,飛飛として 太清を凌ぐ。

仙人 綠雲に上り,自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

b-#2

去影 忽ち見えず、回風 天声を送る。

我 一たび之を問わんと欲し,諷然として 流星の若し。

願わくは金光 草を餐し、寿 天と斉しく傾かん。

 

 

(異文)c-#1

客有鶴上仙,飛飛凌太清。

揚言碧雲裡,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

c-#2

飄然下倒影,倏忽無留形。

遺我金光草,服之四體輕。

將隨赤松去,對博坐蓬瀛。

c-#1

客に鶴上の仙有り、飛飛として 太清を凌ぐ。

揚言す 碧雲の裏、自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

c-#2

飄然として 倒影下り、倏 忽ち留まる形無く。

我 金光 草を遺し、之を服して 四體輕し。

將て 赤松去るに隨わん,博に對し 蓬瀛に坐す。

 

李白図102 

『古風,五十九首之七』 現代語訳と訳註

(本文) 古風,五十九首之七 a-#1

客有鶴上仙,飛飛凌太清。

揚言碧雲裡,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

 

(下し文)

古風,五十九首の七 a-#1

客に鶴上の仙有り、飛飛として 太清を凌ぐ。

揚言す 碧雲の裏、自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

 

(現代語訳)

(不老長寿の仙人の安期生に導かれて一緒に天で過ごしたいという思いを詠う。)

五種の鶴の背にのった各仙人がそろって、大空を飛びまわって老子を神とする太清境までおりこえて行こうとしている。
東のあおい空に湧き立つように浮かぶ雲の中から名のりをあげて、わたしは安期生と呼ばれているものであると言われる。
左右の両脇にに、白玉のように美しいお顔の童子をお伴にして、ともに紫檀で鸞のかたちの笙を合奏している。

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(訳注)

古風,五十九首之七 a-#1

 

客有鶴上仙、飛飛凌太清。
五種の鶴の背にのった各仙人がそろって、大空を飛びまわって老子を神とする太清境までおりこえて行こうとしている。
鶴上仙 鶴と仙人は道教における神仙郷に向かう交通手段であり、仙藥服用による効果としている。宣訳は道教の修行を積んだものが仙人と出会って教授されるものである。異文では「五鶴西北來,飛飛凌太清。」となっていて五種の鶴によって導かれるとする。五行思想による各色について以下に示す。

1.:白鶴 王子喬が白鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。

  伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。

  それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。

  その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。

  そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

2.:黄鶴伝説 『列異伝』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。

3.:青鶴がたわむれていたといわれることから青鶴洞とも呼ばれていた。青鶴洞は神仙が住むところといわれるほど景観が美しく、漢陽と呼ばれていた

4.:赤松子 セキショウシ  中国神話、道教で、炎帝神農(えんていしんのう)の時代に雨師(うし)(雨の神)だったとされている最古の神仙の一人。帝嚳高辛(ていこくこうしん)の時代にも雨師となり、後には南岳衡山(こうざん)を治めたという伝承もある。   『列仙伝』によれば、水玉(水晶)を薬として服用しており、その方法を神農に教え、火の中に入って体を焼く神通力を持ち、しばしば風雨に乗って崑崙山(こんろんさん)に上り、西王母(せいおうぼ)の石室で泊った。また、神農の娘の炎帝女は 赤松子に学んで仙人になり鶴に乗って天に昇ったという。

  ここで、火の中に入ったとされていることから、赤松子は火解(かかい)して仙人になたっともいわれるが、『淮南子(えなんじ)』では特別な呼吸法によって仙人になったとされている。金華山(浙江省)には赤松子の石室があり、ここで彼は赤石脂という金丹の材料を服したという伝説もある。

  漢は火徳によって天下を治めたとされ、赤色が尊ばれたことから、赤松子は漢の守護者のようにも考えられた。

○赤松子 黄帝の八代前、神農の時代の雨師(雨の神、または雨乞い)。自分の体を焼いて仙人となった尸解仙とされ、後世では仙人の代名詞となり劉邦の家臣張良も彼について言及している。そこでは、赤松子と同一視され、黄色い石の化身と言われ、そのため黄石公と称される。張子房に太公望が記した兵法書を授けたとされるものだ

孟浩然『寄天臺道士』

海上求仙客,三山望幾時。

焚香宿華頂,裛露采靈芝。

屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。

倘因松子去,長與世人辭。

5.:玄宗は道教を重んじこの時代に国教とした。蓬莱山にすむ鶴は玄宗をもじって黒鶴によりゆきつくとされた。。

凌 のりこえる。

太清 天上にある世界「太清境」をいう。道家でいわゆる三清境の一つ。聖人は玉清境に登り、真人は上清境に登り、仙人は太清境に登る。三清(さんちん・さんせい)とは最高神である上合虚道君応号元始天尊、右に霊宝天尊、左に道徳天尊(太上老君)を配した3神のことである。三清境に住み、玉清には元始天尊が、上清には霊宝天尊が、太清には太上老君がそれぞれ宮殿を構えていると言われている。6世紀以降、それまで最高神として扱われていた道家の創始者・太上老君を三身一体の一部として組み入れ、元始天尊をリーダーとして道教の最高神として祭られるようになった。
元始天尊 三清の中央に位置する神。三清界の玉京(玉清)という場所に住むという。上合虚道君応号元始天尊 玉清元始天尊、玉清とも呼ぶ。道と万物の創造神であると言われ、道士の信仰が熱い。
霊宝天尊 別名太上道君。三清界の上清境に住むので上清、上清天尊とも呼ばれる。
太上老君 別名道徳天尊。三清の1人で道家の創始者(老子を神格化)。三清境の太清に宮殿を構えることから太清とも呼ばれる。

この三天のことも「三清」と呼ぶ。道観(道教寺院)にはしばしば「三清殿」と称する三清を祀る建物がある。

  ⇒清真 すっきりとして、ありのままなことで、清は清浄であり、真は天真である。「清真を貴ぶ」とは、宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道(タオ)とする道教を貴んだことではある。いずれも道家の貴ぶ所。唐の王室の姓は李であり、老子は李耳と同姓であるとして、それを以て之を尊び、道教を盛んにした。
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揚言碧雲裏、自道安期名。
東のあおい空に湧き立つように浮かぶ雲の中から名のりをあげて、わたしは安期生と呼ばれているものであると言った。
揚言 名乗りを上げる。

碧雲 東のあおい空に湧き立つように浮かぶ雲。青雲。道教に傾倒した李白は青い色にこの文字を多用する。儒教は五行思想の「青」「赤」「黄」「白」「黒(玄)」道教では(靑を)紅、緑、紫、紺をくわえた九色を尊ぶ考え方が魏・南北朝の頃から、隋・唐に確定された。李白は道教思想に基づき貴い色として使用している。

安期 仙人の名。安期生。「列仙伝」秦の瑯琊の人。秦が天下を統一したころ、山東の琅琊(ロウヤ)の阜郷の地に、安期生が、あらゆる病に効くという粉薬を鬻いで、東海のほとりの各地を行商していた。その村に現れるのは数年に一度、時には十年に一度ほどであった。村の老人は八度か九度しか見たことがないというが、不思議なことにその間、安期生は少しも年をとっていないのであった。さらにその老人も、幼いころ、その当時の老人たちが若いころにも安期生が行商に来ていたことを聞いたという。何百年も活動していたことになる。その噂を聞いて、秦の始皇帝が巡遊の途次に、阜郷の村で会見を求めた。始皇帝と安期生は三日三晩語り合い、皇帝、そのひととなりを大変慕って、黄金の錦帛を賜うこと数万枚に及んだのであった。「これによって郷里の地に落ち着いて「タオ」のことを究められよ」、というのが始皇帝の思いであったが、しかしながら安期生は、しばらくするとその黄金の璧を郷里のひとびとに遺贈すると、また何処とも知れぬ地へ行商に出かけてしまった。始皇帝に対しては、書状と赤玉の舃(セキ。履きもの)をひ左足用と右足用を贈り、その意に謝したといい、その書状に曰く、

「後千歳来求我于蓬莱山下。(後千歳、来たりて我を蓬莱山下に求めよ。)年後に、またやってきて、東の海のかなたにある仙界――蓬莱山のふもとで、わしを探してみなされい。

「千年後か。それはまた何と遙かな・・・」始皇帝は、使者数人を東シナの海に遣わしたが、

「未至蓬莱山、輙風波而還。(いまだ蓬莱山に至らざるに、すなわち風波にあいて還りくる。)蓬莱山まで行き着けずに、そのまま風と波に追い返されて、帰ってきたのであった。

そこでいたしかたなく始皇帝は、阜郷の村に安期生を祀る祠を建てさせ、村人たちに千年の後を忘れないようにさせたという。

 

兩兩白玉童。雙吹紫鸞笙。
左右の両脇にに、白玉のように美しいお顔の童子をお伴にして、ともに紫檀で鸞のかたちの笙を合奏している。
白玉童 白玉のような清らかな顔の童子。

紫鸞笙 王子喬という仙人は笙の名手であったが、かれの笙は紫檀で鳳翼にかたどって製ってあった。鸞は、鳳凰の一種。李白は黄色と紫色の語を最もよく使った。どちらも道教を理解するうえで重要な意味を持つものである。
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