漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

Index- 22 Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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(この詩は、世人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風その五十》の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだものと同様のものである。)南の南越の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、南隅のその国を出て都の上った。

 
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制作年:              743年天寶二年43

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十六

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之五十六

(この詩は、世人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風その五十》の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだものと同様のものである。)

越客採明珠,提攜出南隅。

南の南越の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、南隅のその国を出て都の上った。

清輝照海月,美價傾皇都。

その真珠はもとより特別なもので、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの価値である。

獻君君按劍,懷寶空長吁。

そこで、この南越の人は、君王に献上したのであるが、あまりに光り輝くのが不思議で、唯のものではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出した。
魚目復相哂,寸心增煩紆。

魚の目は珠の形をしているが、なんの価値もないものである。しかるに、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって小人共の侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるのである。

 

(古風,五十九首之五十六)

越の客 明珠を採り,提げ攜えて 南隅を出づ。

清輝 海月を照らし,美價 皇都を傾く。

君に獻ずれば 君 劍を按じ,寶を懷いて 空しく長吁す。

魚目して 復た相い哂い,寸心 煩紆を增す。

 

pla0112 

『古風,五十九首之五十六』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十六

越客採明珠,提攜出南隅。

清輝照海月,美價傾皇都。

獻君君按劍,懷寶空長吁。

魚目復相哂,寸心增煩紆。

 

(下し文)

(古風,五十九首之五十六)

越の客 明珠を採り,提げ攜えて 南隅を出づ。

清輝 海月を照らし,美價 皇都を傾く。

君に獻ずれば 君 劍を按じ,寶を懷いて 空しく長吁す。

魚目して 復た相い哂い,寸心 煩紆を增す。

 

(現代語訳)

(この詩は、世人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風その五十》の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだものと同様のものである。)

南の南越の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、南隅のその国を出て都の上った。

その真珠はもとより特別なもので、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの価値である。

そこで、この南越の人は、君王に献上したのであるが、あまりに光り輝くのが不思議で、唯のものではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出した。
魚の目は珠の形をしているが、なんの価値もないものである。しかるに、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって小人共の侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるのである。

 

安史期のアジアssH 

(訳注)

(この詩は、世人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、古風五十の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだものと同様のものである。)

 

古風,五十九首之五十六

(この詩は、世人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、古風五十の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだものと同様のものである。)

古風,五十九首之五十(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだもの)

宋國梧臺東,野人得燕石。

誇作天下珍,卻哂趙王璧。

趙璧無緇磷,燕石非貞真。

流俗多錯誤,豈知玉與珉。

宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。

誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。

趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。

流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

50 《古風五十九首之五十》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳275古風,五十九首之五十宋國梧臺東, <50> Ⅰ李白詩1213 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4613

 

越客採明珠,提攜出南隅。

南の南越の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、南隅のその国を出て都の上った。

越客 南越、今のヴェトナム。

南隅 南方のイメージをいう。

 

清輝照海月,美價傾皇都。

その真珠はもとより特別なもので、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの価値である。

 

獻君君按劍,懷寶空長吁。

そこで、この南越の人は、君王に献上したのであるが、あまりに光り輝くのが不思議で、唯のものではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出した。

獻君 君王に献上すること。

君按劍 あまりに光り輝くのが不思議で、唯のものではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付ける。

 

魚目復相哂,寸心增煩紆。

魚の目は珠の形をしているが、なんの価値もないものである。しかるに、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって小人共の侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるのである。

魚目 魚の目

寸心 方寸の心の中。

煩紆 頻りに思いは乱れる。

 安史の乱当時の勢力図

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この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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 孟郊張籍     
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50 《古風五十九首之五十》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43275古風,五十九首之五十宋國梧臺東, <50> Ⅰ李白詩1213 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4613

 

 

制作年:743年天寶二年43

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              梧臺 (河南道 青州 臨淄)    

李白図102 

 

古風,五十九首之五十

宋國梧臺東,野人得燕石。

誇作天下珍,卻哂趙王璧。

趙璧無緇磷,燕石非貞真。

流俗多錯誤,豈知玉與珉。

(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことをいたんだもの)

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通のつまらぬ燕石を拾ったという。

一途に趙王の秘蔵する卞和の璧玉にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だから、これを大切にしたいという話がある。

かの趙の碧玉は少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるがこの燕石はその質、すでに、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

 

古風,五十九首之五十

宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。

誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。

趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。

流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

rika03

 

『古風,五十九首之五十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十

宋國梧臺東,野人得燕石。

誇作天下珍,卻哂趙王璧。

趙璧無緇磷,燕石非貞真。

流俗多錯誤,豈知玉與珉。

 

(含異文)           

宋國梧臺東,野人得燕石【宋人枉千金,去國買燕石】。

 

(下し文)

古風,五十九首之五十

宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。

誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。

趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。

流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

 

(現代語訳)

(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことをいたんだもの)

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通のつまらぬ燕石を拾ったという。

一途に趙王の秘蔵する卞和の璧玉にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だから、これを大切にしたいという話がある。

かの趙の碧玉は少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるがこの燕石はその質、すでに、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

 

太白山001 

(訳注)

古風,五十九首之五十

(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだもの)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

宋國梧臺東,野人得燕石。

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通のつまらぬ燕石を拾ったという。

宋國梧臺東,野人得燕石 宋の愚人、燕石を梧臺の東()に得て、西に帰ってこれを蔵し、以て大寶となす。周の客聞いてみる。主人斉すること七日、 端冕玄服、以て大寶となす。十重,巾十。客これを見て、首を傾げ、口を覆い、盧胡して笑って曰く「これ、燕石なり、瓦甓と异ならず。主人大いに怒って曰く「商買の言、醫匠のこころなり。」と。これを蔵すること、愈々固し。」とある。

燕石は 燕山所的一种似玉的石亦称"燕珉"不足珍之物とされる。

この二句は、《太平御》卷五十一子》曰:宋之愚人得燕石于梧台之西藏之以大宝。周客焉。主人端冕玄服以宝,华匮十重,巾十。客之,胡而笑曰:「此燕石也,与瓦甓不异。」主人大怒,藏之愈固。

 

誇作天下珍,卻哂趙王璧。

一途に趙王の秘蔵する卞和の璧玉にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だから、これを大切にしたいという話がある。

趙王璧 楚の卞和の璧で、後に趙王の手に還したとされる。

 

趙璧無緇磷,燕石非貞真。

かの趙の碧玉は少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるがこの燕石はその質、すでに、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

緇磷 少しの傷もなく、その上光明であること。

 

流俗多錯誤,豈知玉與珉。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

玉與珉 礼記に「君子、玉を貴んで、珉を賤む。珉は石、玉に似て非なり。」とある。

 春秋戦国勢力図

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唐の宮女この宮女は、召されて後宮に入ったもののとても陰湿に競い合う嫉妬が過ぎるため、この生活に堪えきれぬと、最早きっぱりと断念して故郷の瀟湘の水のほとりに帰りたいと思っているけれど、いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。


 
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製作年:743年天寶二年43

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之四十九

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之四十九

(宮女の生き方、寵愛を受けるために陰湿な戦いを行うが、朝廷内におけるのも同様な陰湿な陰謀、讒言により貶められることをいう。)

美人出南國,灼灼芙蓉姿。

南国に生れた美人は、灼灼たる芙蓉の花が新たに水を得たようで極めて鮮やかに、且つ美しいのだ。

皓齒終不發,芳心空自持。

こんなにも美しい女が天子の愛寵を得ているのなら、どんなにか楽しいことかと思うのであるが、白い歯を出して笑ったことがないというし、芙蓉に比べられても見劣りしない芳心を空しく持っているばかりで、たえず、何かを悩んでいるのだ。

由來紫宮女,共妒青蛾眉。

昔から後宮の宮女たちは、特に優れたる美人が集められていて、天子の寵愛を受けることだけを考えて競い合っている、嫉妬、讒言、陰謀によって寵愛を維持しようと排斥し合っている。

歸去瀟湘沚,沈吟何足悲。

この宮女は、召されて後宮に入ったもののとても陰湿に競い合う嫉妬が過ぎるため、この生活に堪えきれぬと、最早きっぱりと断念して故郷の瀟湘の水のほとりに帰りたいと思っているけれど、いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。

 

(古風,五十九首之四十九)

美人 南國にず,灼灼たる芙蓉の姿。

皓齒 終に發かず,芳心 空しく自ら持す。

由來 紫宮の女,共に青蛾眉を妒む。

歸り去れ 瀟湘の沚【なぎさ】,沈吟 何んぞ悲むに足らん。

 

閶闔門001 

『古風,五十九首之四十九』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十九

美人出南國,灼灼芙蓉姿。

皓齒終不發,芳心空自持。

由來紫宮女,共妒青蛾眉。

歸去瀟湘沚,沈吟何足悲。

 

(下し文)

(古風,五十九首之四十九)

美人 南國にず,灼灼たる芙蓉の姿。

皓齒 終に發かず,芳心 空しく自ら持す。

由來 紫宮の女,共に青蛾眉を妒む。

歸り去れ 瀟湘の沚【なぎさ】,沈吟 何んぞ悲むに足らん。

 

(現代語訳)

(宮女の生き方、寵愛を受けるために陰湿な戦いを行うが、朝廷内におけるのも同様な陰湿な陰謀、讒言により貶められることをいう。)

南国に生れた美人は、灼灼たる芙蓉の花が新たに水を得たようで極めて鮮やかに、且つ美しいのだ。

こんなにも美しい女が天子の愛寵を得ているのなら、どんなにか楽しいことかと思うのであるが、白い歯を出して笑ったことがないというし、芙蓉に比べられても見劣りしない芳心を空しく持っているばかりで、たえず、何かを悩んでいるのだ。

昔から後宮の宮女たちは、特に優れたる美人が集められていて、天子の寵愛を受けることだけを考えて競い合っている、嫉妬、讒言、陰謀によって寵愛を維持しようと排斥し合っている。

この宮女は、召されて後宮に入ったもののとても陰湿に競い合う嫉妬が過ぎるため、この生活に堪えきれぬと、最早きっぱりと断念して故郷の瀟湘の水のほとりに帰りたいと思っているけれど、いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。

大明宮-座標02 

(訳注)

古風,五十九首之四十九

宮女の生き方、寵愛を受けるために陰湿な戦いを行うが、朝廷内におけるのも同様な陰湿な陰謀、讒言により貶められることをいう。)

詩経の語句を巧みに、点綴しそれによって離隔の思いを述べ、女盛りを過ぎた女性が棄てられるのを自己に比した《古風,五十九首之四十四》と同じように、美人、草木を借りて、美人ゆえの妬み、能力あるが故の讒言、を詠ったものである。

綠蘿紛葳蕤,繚繞松柏枝。

草木有所託,寒尚不移。

奈何夭桃色,坐歎葑菲詩。

玉顏豔紅彩,雲髮非素絲。

君子恩已畢,賤妾將何為。

44 《古風五十九首之四十四》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43272古風,五十九首之四十四綠蘿紛葳蕤, <44> Ⅰ李白詩1207 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4583

 

美人出南國,灼灼芙蓉姿。

南国に生れた美人は、灼灼たる芙蓉の花が新たに水を得たようで極めて鮮やかに、且つ美しいのだ。

美人 宮女、宮妓、あるいは、妓女をいうが、ここでは、唐の「内官」制度の規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬢(昭儀、昭容、昭嬢、修儀、修容、修嬢、充儀、充容、充媛各一人)、姪好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した宮女達の総称としていったものである。

南國 江南、瀟湘、越の国に美人が多いとされる。李白は西施、はじめ越多く取り上げている

李白10  採蓮曲

淥水曲  李白 11

越女詞 五首 其一 李白12

越女詞 五首 其の二 李白13

越女詞 五首 其三 李白14-3

越女詞 五首 其四

越女詞五首 其五

2)西施ものがたり  李白がよく取り上げた題材

李白18 相逢行 19  階怨

李白20 辺塞詩 (春思、秋思)

李白22 子夜呉歌 春と夏

李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

 

皓齒終不發,芳心空自持。

こんなにも美しい女が天子の愛寵を得ているのなら、どんなにか楽しいことかと思うのであるが、白い歯を出して笑ったことがないというし、芙蓉に比べられても見劣りしない芳心を空しく持っているばかりで、たえず、何かを悩んでいるのだ。

皓齒 笑った時の白い歯。

不發 花が開かないこと、ここでは笑わないので口が開かないことをいう。

 

由來紫宮女,共妒青蛾眉。

昔から後宮の宮女たちは、特に優れたる美人が集められていて、天子の寵愛を受けることだけを考えて競い合っている、嫉妬、讒言、陰謀によって寵愛を維持しようと排斥し合っている。

由來 昔から後宮の宮女たちは、中国全土から、特に優れたる美人が集められていて、死ぬまで、天子の寵愛を受けることだけのために生活をさせられる。

紫宮女 天帝の後宮で天帝の住まう紫微宮(しびきゅう)を文字っている。宮女をいう。

共妒 嫉妬の競争、天子の寵愛を受けることだけを考えて競い合っている、嫉妬、讒言、陰謀によって寵愛を維持しようと排斥し合っていることをいう。

青蛾眉 特に若くて優れたる美人、若くない年を重ねた美人は競争には勝てないからあきらめて生活する。

 

歸去瀟湘沚,沈吟何足悲。

この宮女は、召されて後宮に入ったもののとても陰湿に競い合う嫉妬が過ぎるため、この生活に堪えきれぬと、最早きっぱりと断念して故郷の瀟湘の水のほとりに帰りたいと思っているけれど、いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。

 

 

唐の宮女

 

1.  唐の宮女の規定『内職』について

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬢、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完璧で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬢(昭儀、昭容、昭嬢、修儀、修容、修嬢、充儀、充容、充媛各一人)、姪好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で一二二人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬢」 - 皇帝の妾とされ

た。

 

2.   皇太子の東宮にも「内官」

また、皇太子の東宮にも「内官」 があり、太子妃一人、その下に良妹、良嬢、承徴、昭訓、奉儀などの晶級があった。諸親王の王妃の下にも清人等の腱妾の身分があった。

唐代三百年間に封ぜられた后妃のうち、皇后と地位が比較的高いか、あるいは男子を生んだ妃嬢だけが史書にいささかの痕跡を残した。その他の女性は消え去って名も知れない。『新・旧唐書』「后妃伝」 には、全部で二十六人の皇后、十人の妃嬢が記載されている。その他で史書に名を留めているものはおよそ五、六十人である。その内、高祖、玄宗両時代の人が最も多い。高祖には睾皇后の他に、万貴妃、ヂ徳妃、宇文昭儀、実績、孫嬢、雀嬢、楊嬢、小楊嬢、張捷好、郭捷好、劉捷好、楊美人、張美人、王才人、魯才人、張宝林、柳宝林などがいた。玄宗には王皇后、楊皇后、武恵妃、楊貴妃、過度妃、劉華妃、銭妃、皇甫徳儀、郭順儀、武賢儀、董芳儀、高捷好、柳捷好、鍾美人、慮美人、王美人、杜美人、劉才人、陳才人、鄭才人、闇才人、常才人などがいた。もちろん史書に名を残せなかった人はさらに多い。史書の記載から見ると、高祖、玄宗両時代の妃嬢がたしかに最も多かったようである。

 

3.   後宮の宮女たちの選抜と出身

唐代の皇帝たちは、後宮の女性を選抜したり寵愛したりするのに、あまり尊卑貴職を気にかけなかったが、彼女たちに地位・晶級を賜る時には家柄をたいへん重視した。とりわけ皇后に立てる時には絶対に家柄が高貴でなければならず、「天下の名族を厳選」しなければならなかった(『資治通鑑』巻一九九、高宗永徴六年)。漢代に歌妓の衛子夫(武帝の皇后。もと武帝の姉の歌妓)や舞妓の超飛燕(成帝の皇后。もと身なし児で歌妓)が皇后になったようなことは、唐代には完全に跡を絶った。后妃に封ずる時は、まず「地肖清華」(家柄の高貴)、「軒冤之族」(貴顕なる名族)等々の出身であることが強調され、その次にやっと徳行が問われた。

 

唐代の記録にある二十六人の皇后の内、死後追贈された人、あるいは息子の即位によって尊ばれて太后に封ぜられた人、こうした若干の例外を除く他の大多数の皇后は、その時代の高官か名門の家柄の出であり、そのうちの八人はやはり皇族の出身であった。時に皇帝が家柄などにそう拘泥しないこともあったが、しかし大臣たちが家柄を最も有力な理由にして反対したので、皇帝でさえどうすることもできなかった。武則天の父は若い頃商人であったが、建国後に高い地位に上り、格の低い名もなき家柄とはいえなかったけれども、武則天を皇后に立てることに反対した大臣たちはやはり、彼女の「門地は、実に微賎である」と攻撃した(『資治通鑑』巻二〇三、則天后光宅元年)。一方、高宗が努めて衆議を排して彼女を皇后にしようと議した時にも、また懸命になって「家門は勲庸(勲功)著しい」とか、「地位は櫻献(冠帯と印綬)ともに華である」(『資治通鑑』巻二〇〇、永徴六年)などと強調した。武宗の王賢妃はたいへんな寵愛を受け、また武宗が即位する際に大きな功績もあったので、武宗は彼女を皇后にしようとした。しかし、大臣たちは「子が無く、また家柄も高貴ではない。恐らく天下の議を話すことになろう」といって反対したので、ついに出身が下賎ということで皇后にできなかった。皇帝でさえ名門の女性を皇后に立てるという原則に逆らえなかったことが分かる。

名門出身という、この資本がなかったならば、たとえ皇帝の寵愛をほしいままにしたり、皇子を早く生んだとしても、ただ死後に称号を追贈されるか、子が即位して始めて正式に太后になることが許されたのである。

 

唐代の皇后の内、四、五人は低い家柄の出身であった。たとえば、粛宗の呉后は、罪人の家族として宮中の下婦にされた人であり、憲宗の鄭后、珍宗の斎后はともに侍女の出であり、両者とも生んだ子が即位して始めて尊ばれて太后になることができた。

  皇后を立てることに比べて、妃嬢を立てることはわりあい簡単であり、家柄はそれほど厳格に問題にされることはなかった。彼女たちの大半は皇子を生むか、あるいは寵愛を受けたために妃嬢の晶階を賜った者であったから、その中には身分の低い者もいくらか含まれていた。たとえば、玄宗の超麗妃は歌妓の出身であった。そうした例もあるが、しかし妃嬢でも出身、家柄はやはり大切であった。太宗の楊妃は隋の場帝の娘であったから、「地位と名望が高く、内外の人々が皆注目した」(『新唐書』太宗諸子伝)。玄宗の柳捷好は名門大族の娘であり、玄宗は「その名家を重んじて」(『新唐書』十一宗諸子伝)特別な礼遇を与えた。

   美人が雲のごとく集まっている後宮において、家柄は一頭地を抜くために必要な第一の跳躍台であった。

 

 

4.   政治闘争に巻き込まれる

富貴、栄達、優閑、快適 - 彼女たちは、こうした人の世のすべての栄耀栄華を味わい尽したのであるから、唐代に生きた多くの女性たちの中では幸運な人々といわざるをえない。しかしながら、彼女たちにもまた彼女たちなりの不幸があった。彼女たちの運命は極めて不安定であり、一般の民間の女性に比べると、より自分の運命を自分で決める力がなかった。なぜなら、彼女たちの運命はきわめて政治情勢の衝撃を受けやすかったからであり、またその運命は最高権力者の一時の寵愛にすべて係っていたからである。

『新・旧唐書』の「后妃伝」に記載されている三十六人の后妃のうち、意外なことに十五人は非命の最期をとげている。二人は後宮で皇帝の寵愛を争って死に、二人は動乱のなかで行方不明となり、一人は皇帝の死に殉じて自殺し、一人は皇太后として皇帝から罪を問われて死んだ。その他の九人はすべて政治闘争、宮廷政変で死に、そのうちの三人は朝廷の政治に関与して政敵に殺され、残りの六人は罪もないのに政争の犠牲となった。

 

5.   天子の寵愛を失う

彼女たちの第二の脅威は、皇帝の寵愛を失うことに外ならない。大多数の后妃と皇帝との結婚は、事実上政略結婚であり、もともと皇帝の愛情を得たのではなかった。何人かの后妃は容姿と技芸の才能によって、あるいは皇帝と難難を共にしたことによっ々寵愛を受けた。しかし、いったん時が移り状況が変化したり、また年をとってくると、容色が衰えて寵愛が薄れるという例えどおり、佳人、麗人が無数にいる宮廷で自分の地位を保持することはきわめて難しかった。

 

王皇后と玄宗は難難を共にした夫婦であり、彼女は玄宗が行った韋后打倒の政変に参与した。しかし武恵妃が寵愛を一身に集めた後には、しだいに冷遇されるようになった。彼女は皇帝に泣いて訴え、昔難難を共にした時の情愛を想い出してほしいと願った。玄宗は一時はそれに感動したが、結局やはり彼女を廃して庶民の身分に落してしまった。境遇がちょっとマシな者だと、后妃の名が残される場合もあったが、それ以後愛情は失われ、後半生を孤独と寂実の中に耐え忍ばねばならなかった。また、彼女たちの運命は、ひどい場合は完全に皇帝の一時的な喜怒哀楽によって決められた。武宗はかつて一人の妃嬢に非常に腹を立てたことがあった。その場に学士の柳公権がいたので、皇帝は彼に「もし学士が詩を一篇作ってくれるなら、彼女を許してやろう」といった。柳公権が絶句を一首つくると、武宗はたいそう喜び、彼女はこの災難を逃れることができた(王走保『唐掟言』巻一三)。しかし、皇帝から廃されたり、冷遇されただけの者は、まだ不幸中の幸いであったように思う。最悪の場合は生命の危険さえあった。高宗の王皇后と斎淑妃の二人は、武則天と寵愛を争って一敗地に塗れた。

この二人の敗北者は新皇后の階下の囚人となり、それぞれ二百回も杖で打たれてから手足を切断され、酒瓶の中に閉じ込められた後、無惨に殺された。

 

6.   皇帝の死去

后妃にとって、最後の脅威は皇帝の死去である。これは皇帝の付属品である后妃たちが、いっさいの地位と栄誉の拠り所を失うことを意味した。一つだけ例外がある。つまり子が皇帝に即位した場合で、「やんごとなき夫の妻」から、「やんごとなき子の母」 へと転じることができた。少なくとも子のある妃嬢はちょっとした地位を保つことができたが、子のない妃嬢たちは武則天のように仏寺に送られて尼にされるか、あるいは寂しく落ちぶれて後宮の中で生涯を終えた。たとえ太后といぅ至尊の地位に登っても、新皇帝の顔色を窺わねばならなかった。憲宗の郭皇后は郭子儀の孫娘にあたり、公主を母に持ち、また穆宗の母となり、敬宗、文宗、武宗の三皇帝の祖母にあたる女性であったから、人々は唐朝の后妃のなかで「最も高貴」な方と呼んだ。しかし、宣宗が即位(八四七年)すると、生母の鄭太后はもともと郭太后の侍女であり、かねてから怨みをもっていたため、郭太后を礼遇しなかった。それで郭太后は鬱々として楽しまず、楼に登って自殺しょうとした。宣宗はそれを聞くと非常に怒った。郭太后はその夜急に死んでしまったが、死因はいうまでもなく明らかであろう。

47 《古風五十九首之四十七》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳273古風,五十九首之四十七桃花開東園, <47> Ⅰ李白詩1210 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4598

東園にある桃李は、爛漫の花を開いて、白日に向って笑いを含んでいる。桃李は、春風のおかげによって、この艶陽の質を生じたのである。もとより、佳人に比すべき嬌麗なる色はあるが、ただ、花を咲かせるばかりで、実を結ばないのはいかにも物足らないことである。

 
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47 《古風五十九首之四十七》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43273古風,五十九首之四十七桃花開東園, <47> Ⅰ李白詩1210 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4598

 

 

製作年:              743年 天寶二年 43

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之四十七

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之四十七

(この詩は、士の実行の無いものが、偶然に得た栄達を嘲ったものである。)

桃花開東園,含笑誇白日。

東園にある桃李は、爛漫の花を開いて、白日に向って笑いを含んでいる。

偶蒙東風榮,生此豔陽質。

桃李は、春風のおかげによって、この艶陽の質を生じたのである。

豈無佳人色,但恐花不實。

もとより、佳人に比すべき嬌麗なる色はあるが、ただ、花を咲かせるばかりで、実を結ばないのはいかにも物足らないことである。

宛轉龍火飛,零落早相失。

かくてひとたび龍火が宛転として西にくずれ、夜が秋になれば、零落して、何も残っていない。

詎知南山松,獨立自蕭飋。

これに比すれば南山の松はさすがに偉いもので、独立して、さわさわと長風に鳴り響いているのである。

 

古風,五十九首の四十七

桃花は東園に開き,含笑をんで白日に誇る。

偶ま東風の榮を蒙って,此の豔陽の質を生ず。

豈に佳人の色無からんや,但だ恐る 花の實らざるを。

宛轉として 龍火飛び,零落すれば 早に相い失う。

詎んぞ知らん 南山の松,獨立 自ら蕭飋たるを。

 

 

『古風,五十九首之四十七』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十七

桃花開東園,含笑誇白日。

偶蒙東風榮,生此豔陽質。

豈無佳人色,但恐花不實。

宛轉龍火飛,零落早相失。

詎知南山松,獨立自蕭飋。

 

(含異文)

桃花開東園,含笑誇白日。

偶蒙東風榮,生此豔陽質【矜此豔陽質】。

豈無佳人色,但恐花不實。

宛轉龍火飛,零落早相失。

詎知南山松,獨立自蕭飋。

【案:此詩一作〈感興〉云:芙蓉嬌綠波,桃李誇白日。偶蒙春風榮,生此豔陽質。豈無佳人色,但恐花不實。宛轉龍火飛,零落互相失。詎知凌寒松,千載長守一。】

 

(下し文)

古風,五十九首の四十七

桃花は東園に開き,含笑をんで白日に誇る。

偶ま東風の榮を蒙って,此の豔陽の質を生ず。

豈に佳人の色無からんや,但だ恐る 花の實らざるを。

宛轉として 龍火飛び,零落すれば 早に相い失う。

詎んぞ知らん 南山の松,獨立 自ら蕭飋たるを。

 

(現代語訳)

(この詩は、士の実行の無いものが、偶然に得た栄達を嘲ったものである。)

東園にある桃李は、爛漫の花を開いて、白日に向って笑いを含んでいる。

桃李は、春風のおかげによって、この艶陽の質を生じたのである。

もとより、佳人に比すべき嬌麗なる色はあるが、ただ、花を咲かせるばかりで、実を結ばないのはいかにも物足らないことである。

かくてひとたび龍火が宛転として西にくずれ、夜が秋になれば、零落して、何も残っていない。

これに比すれば南山の松はさすがに偉いもので、独立して、さわさわと長風に鳴り響いているのである。

太白山001 

(訳注)

古風,五十九首之四十七

(この詩は、士の実行の無いものが、偶然に得た栄達を嘲ったものである。)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

 

桃花開東園,含笑誇白日。

東園にある桃李は、爛漫の花を開いて、白日に向って笑いを含んでいる。

 

偶蒙東風榮,生此豔陽質。

桃李は、春風のおかげによって、この艶陽の質を生じたのである。

豔陽質 春のことの別表現。万物が覚醒し、成長を始める。艶の心も蘇ることなどをいう。

 

豈無佳人色,但恐花不實。

もとより、佳人に比すべき嬌麗なる色はあるが、ただ、花を咲かせるばかりで、実を結ばないのはいかにも物足らないことである。

 

宛轉龍火飛,零落早相失。

かくてひとたび龍火が宛転として西にくずれ、夜が秋になれば、零落して、何も残っていない。

龍火飛 張協の七命に秋になることをいう。龍火西頽。《文選·張協<七命>之一》:“若乃火西頽,暄気初收。飛霜迎,高送秋。

 

詎知南山松,獨立自蕭飋。

これに比すれば南山の松はさすがに偉いもので、独立して、さわさわと長風に鳴り響いているのである。

index-22

-16

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42

18

南山松 終南山の松。この詩を作る時期は長安に仕えていた時である。

蕭飋 寂しげに突風が吹く。蕭瑟:風の吹く音がさびしげであること。
nat0022 

44 《古風五十九首之四十四》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳272古風,五十九首之四十四綠蘿紛葳蕤, <44> Ⅰ李白詩1207 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4583

(この詩は、詩経の語句を巧みに、点綴しそれによって離隔の思いを述べ、女盛りを過ぎた女性が棄てられるのを自己に比したものである。)姫葛は、生き生きとして、緑鮮やかに、紛然としてふさふさと垂れ、それがジョブそうな松柏の枝に巻き付いている。

 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-425《中興樂一首》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-608-9-(425) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4587 
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44 《古風五十九首之四十四》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43272古風,五十九首之四十四綠蘿紛葳蕤, <44> Ⅰ李白詩1207 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4583

 

 

製作年:743  天寶二年  43

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十四 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

古風,五十九首之四十四

綠蘿紛葳蕤,繚繞松柏枝。

草木有所託,寒尚不移。

奈何夭桃色,坐歎葑菲詩。

玉顏豔紅彩,雲髮非素絲。

君子恩已畢,賤妾將何為。

(この詩は、詩経の語句を巧みに、点綴しそれによって離隔の思いを述べ、女盛りを過ぎた女性が棄てられるのを自己に比したものである。)

姫葛は、生き生きとして、緑鮮やかに、紛然としてふさふさと垂れ、それがジョブそうな松柏の枝に巻き付いている。

姫葛は、もとより非常の草木であるが、託する所を知り、そして、松柏は、歳寒くして猶お、その色を改めぬという勁節を有しているから、姫葛は、やはり己が色も、また,何時までも変わらぬようにとこいねがっている。女が男に嫁するのも、やはり、この通りで、心を一つにして、何時までも変わらぬようにと願うのである。かくのごとく長しえに変わらぬようにと希うて身を託したのである。

その顔色は、さながら夭桃の綽々たるがごとく、きわめて美しきにかかわらず、わずかの間に、かの詩経谷風の詩にあるように、夫に棄てられてしまった。

もとより、色の衰えたために、愛がゆるむのならば仕方ないとして、その人はいまだに衰えず、その玉郎は、花の如く紅のつやがあるし、その髪は雲の如く長く美しく、白い糸の変じたいというわけでもない。

もとより、色の衰えたために、愛がゆるむのならば仕方ないとして、その人はいまだに衰えず、その玉郎は、花の如く紅のつやがあるし、その髪は雲の如く長く美しく、白い糸の変じたいというわけでもない。

 

古風,五十九首之四十四

綠蘿は葳蕤【いすい】紛たり,繚繞【りょうじょう】す松柏の枝。

草木 託する所有り,寒 尚【こいねが】わくば移らざらん。

夭桃の色を奈何せん,坐して歎ず 葑菲の詩。

玉顏 紅彩豔なり,雲髮 素絲に非ず。

君子 恩 已に畢る,賤妾 將に何をか為さんとす。 

 

太白山001 

『古風,五十九首之四十四』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十四

綠蘿紛葳蕤,繚繞松柏枝。

草木有所託,寒尚不移。

奈何夭桃色,坐歎葑菲詩。

玉顏豔紅彩,雲髮非素絲。

君子恩已畢,賤妾將何為。

 

 

(下し文)

古風,五十九首之四十四

綠蘿は葳蕤【いすい】紛たり,繚繞【りょうじょう】す松柏の枝。

草木 託する所有り,寒 尚【こいねが】わくば移らざらん。

夭桃の色を奈何せん,坐して歎ず 葑菲の詩。

玉顏 紅彩豔なり,雲髮 素絲に非ず。

君子 恩 已に畢る,賤妾 將に何をか為さんとす。 

 

(現代語訳)

(この詩は、詩経の語句を巧みに、点綴しそれによって離隔の思いを述べ、女盛りを過ぎた女性が棄てられるのを自己に比したものである。)

姫葛は、生き生きとして、緑鮮やかに、紛然としてふさふさと垂れ、それがジョブそうな松柏の枝に巻き付いている。

姫葛は、もとより非常の草木であるが、託する所を知り、そして、松柏は、歳寒くして猶お、その色を改めぬという勁節を有しているから、姫葛は、やはり己が色も、また,何時までも変わらぬようにとこいねがっている。女が男に嫁するのも、やはり、この通りで、心を一つにして、何時までも変わらぬようにと願うのである。かくのごとく長しえに変わらぬようにと希うて身を託したのである。

その顔色は、さながら夭桃の綽々たるがごとく、きわめて美しきにかかわらず、わずかの間に、かの詩経谷風の詩にあるように、夫に棄てられてしまった。

もとより、色の衰えたために、愛がゆるむのならば仕方ないとして、その人はいまだに衰えず、その玉郎は、花の如く紅のつやがあるし、その髪は雲の如く長く美しく、白い糸の変じたいというわけでもない。

もとより、色の衰えたために、愛がゆるむのならば仕方ないとして、その人はいまだに衰えず、その玉郎は、花の如く紅のつやがあるし、その髪は雲の如く長く美しく、白い糸の変じたいというわけでもない。

 

(訳注)

古風,五十九首之四十四

(この詩は、詩経の語句を巧みに、点綴しそれによって離隔の思いを述べ、女盛りを過ぎた女性が棄てられるのを自己に比したものである。)

 

綠蘿紛葳蕤,繚繞松柏枝。

姫葛は、生き生きとして、緑鮮やかに、紛然としてふさふさと垂れ、それがジョブそうな松柏の枝に巻き付いている。

綠蘿 姫葛

葳蕤 ふさふさと垂れているさま。

 

草木有所託,寒尚不移。

姫葛は、もとより非常の草木であるが、託する所を知り、そして、松柏は、歳寒くして猶お、その色を改めぬという勁節を有しているから、姫葛は、やはり己が色も、また,何時までも変わらぬようにとこいねがっている。女が男に嫁するのも、やはり、この通りで、心を一つにして、何時までも変わらぬようにと願うのである。かくのごとく長しえに変わらぬようにと希うて身を託したのである。

 

奈何夭桃色,坐歎葑菲詩。

その顔色は、さながら夭桃の綽々たるがごとく、きわめて美しきにかかわらず、わずかの間に、かの詩経谷風の詩にあるように、夫に棄てられてしまった。

夭桃色 《詩経、国風・周南》「桃之夭夭、灼灼其華。」(桃の夭夭たる、灼灼たり其の華)

葑菲詩 《詩経、邶風》「習習谷風,以陰以雨。黽勉同心,不宜有怒。」習習たる谷風、以て陰(くも)り以て雨ふる。黽勉(びんべん)として心を同じくして、怒ること有る宜からず。

 

玉顏豔紅彩,雲髮非素絲。

もとより、色の衰えたために、愛がゆるむのならば仕方ないとして、その人はいまだに衰えず、その玉郎は、花の如く紅のつやがあるし、その髪は雲の如く長く美しく、白い糸の変じたいというわけでもない。

 

君子恩已畢,賤妾將何為。

しかるに、君子の恩は、既に終わって、全く棄てられたのである。もとより棄てられる覚えがないから、更に訳が分からぬが、もはや、何とも致し方のないしだいである。
李白図102 

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過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、栄枯盛衰は世の習いなのだ。又東流した水は再びその地に帰ることはなくこの朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っているのだ。

 
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年:  743  天寶二年  43

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十九 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

古風,五十九首之三十九 

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

登高望四海,天地何漫漫。 

重陽の日には高い山に登り、四方、天下を見わたすものであり、天も地もはるかであり、ひろびろとして人の世の出来事の小さいことかを認識する。

霜被群物秋,風飄大荒寒。 

凛凛たる霜が降り被い尽くすと、あらゆる草木は、黄ばんで枯れ、すべて穀物、木この実がうれ、秋になる。颯颯たる西風が吹いて、ひろびろとした荒野には寒々として誰もいなくなる。

榮華東流水,萬事皆波瀾。 

過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、栄枯盛衰は世の習いなのだ。又東流した水は再びその地に帰ることはなくこの朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っているのだ。

白日掩徂輝,浮雲無定端。 

日中の太陽、天子の威光であり、あるいは、正論というものが、李林甫、宦官共のようにつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような姦臣の宦官たちは常識の端がないように思うがままにしているのだ。

梧桐巢燕雀,枳棘棲鴛鸞。 

今では、燕と雀の小人物が本来鳳凰が棲むはずの青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、ただ睦まじいだけのおしどりと鸞鳳が棲んでおり、その権勢を借りて、カラタチと棘の様に人の邪魔をしている。

且復歸去來,劍歌行路難。 

ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。

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<!--[endif]-->

 

(古風,五十九首の三十九) 

高きに登って四海を望めば,天地 何ぞ漫漫たる。

霜は被って 群物 秋なり,風は飄って 大荒 寒し。

榮華は 東流の水,萬事は 皆 波瀾なり。

白日 徂輝を掩い,浮雲 定端 無し。

梧桐に 燕雀を巢はしめ,枳棘【ききょく】鴛鸞を棲ましむ。

且つ 復た 歸り去り來らん,劍歌す「行路難」。 

 

2蜀の山00 

『古風,五十九首之三十九』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十九 

登高望四海,天地何漫漫。 

霜被群物秋,風飄大荒寒。 

榮華東流水,萬事皆波瀾。 

白日掩徂輝,浮雲無定端。 

梧桐巢燕雀,枳棘棲鴛鸞。 

且復歸去來,劍歌行路難。 

 

(含異文)

登高望四海,天地何漫漫。 

霜被群物秋,風飄大荒寒。 

殺氣落喬木,浮雲蔽層巒。 

孤鳳鳴天倪,遺聲何辛酸。 

遊人悲舊國,撫心亦盤桓。 

倚劍歌所思,曲終涕泗瀾。 

 

登高望四海,天地何漫漫。

霜被群物秋,風飄大荒寒。

榮華東流水,萬事皆波瀾。

白日掩徂輝,浮雲無定端。

梧桐巢燕雀,枳棘棲鴛鸞。

且復歸去來,劍歌行路難【劍歌悲路難】。

 

【登高望四海,天地何漫漫。

霜被群物秋,風飄大荒寒。

殺氣落喬木,浮雲蔽層巒。

孤鳳鳴天倪,遺聲何辛酸。

遊人悲舊國,撫心亦盤桓。

倚劍歌所思,曲終涕泗瀾】。 

 

(下し文)

(古風,五十九首の三十九) 

高きに登って四海を望めば,天地 何ぞ漫漫たる。

霜は被って 群物 秋なり,風は飄って 大荒 寒し。

榮華は 東流の水,萬事は 皆 波瀾なり。

白日 徂輝を掩い,浮雲 定端 無し。

梧桐に 燕雀を巢はしめ,枳棘【ききょく】鴛鸞を棲ましむ。

且つ 復た 歸り去り來らん,劍歌す「行路難」。 

 

(現代語訳)

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

重陽の日には高い山に登り、四方、天下を見わたすものであり、天も地もはるかであり、ひろびろとして人の世の出来事の小さいことかを認識する。
凛凛たる霜が降り被い尽くすと、あらゆる草木は、黄ばんで枯れ、すべて穀物、木この実がうれ、秋になる。颯颯たる西風が吹いて、ひろびろとした荒野には寒々として誰もいなくなる。
過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、栄枯盛衰は世の習いなのだ。又東流した水は再びその地に帰ることはなくこの朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っているのだ。
日中の太陽、天子の威光であり、あるいは、正論というものが、李林甫、宦官共のようにつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような姦臣の宦官たちは常識の端がないように思うがままにしているのだ。
今では、燕と雀の小人物が本来鳳凰が棲むはずの青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、ただ睦まじいだけのおしどりと鸞鳳が棲んでおり、その権勢を借りて、カラタチと棘の様に人の邪魔をしている。

ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->太白山001
<!--[endif]-->

(訳注)

古風,五十九首之三十九

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

高力士は、李白によって、脱靴の恥を懐き、清平楽の詞の語を摘まんで楊貴妃に譖し、法遂せられたのである。

 

登高望四海,天地何漫漫。
重陽の日には高い山に登り、四方、天下を見わたすものであり、天も地もはるかであり、ひろびろとして人の世の出来事の小さいことかを認識する。
登高 九月九日の重陽の日の風習で、高い山に登り、家族を思い、菊酒を飲んで厄災を払う習わし。後漢の桓景の故事に基づいた重陽の風習の一。魏・曹植の「茱萸自有芳,不若桂與蘭」や魏・阮籍の『詠懷詩』其十「昔年十四五,志尚好書詩。被褐懷珠玉,顏閔相與期。開軒臨四野,登高望所思。丘墓蔽山岡,萬代同一時。千秋萬歳後,榮名安所之。乃悟羨門子,今自嗤。」 

四海 古来から四方の地の果ては海となっているからそれの内の意》国内。世の中。天下。また、世界。『孟子』尽心上に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるをイメージしている。


霜被群物秋,風飄大荒寒。
凛凛たる霜が降り被い尽くすと、あらゆる草木は、黄ばんで枯れ、すべて穀物、木この実がうれ、秋になる。颯颯たる西風が吹いて、ひろびろとした荒野には寒々として誰もいなくなる。
○霜被 霜が降り被い 

○群物秋 霜が降り被い 

○風飄 ヒューと風が吹く 

○大荒 ひろびろとした荒野 

○寒 寒々として誰もいない。
 

榮華東流水,萬事皆波瀾。
過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、栄枯盛衰は世の習いなのだ。又東流した水は再びその地に帰ることはなくこの朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っているのだ。
東流 中國の大河は東流している。水は東に流れるもの。其の位置にはとどまらない。いつかは消えていくもの。 

○萬 すべてのことがら。


白日掩徂輝,浮云無定端。
日中の太陽、天子の威光であり、あるいは、正論というものが、李林甫、宦官共のようにつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような姦臣の宦官たちは常識の端がないように思うがままにしているのだ。
白日 日中の太陽。天子の威光。正論。

浮云 うきぐも。李白は朝廷内の宦官のことを暗天の比喩としていうことが多い。 

無定端 定めの端がない。好き勝手なことをする。


梧桐巢燕雀,枳棘棲鴛鸞。
今では、燕と雀の小人物が本来鳳凰が棲むはずの青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、ただ睦まじいだけのおしどりと鸞鳳が棲んでおり、その権勢を借りて、カラタチと棘の様に人の邪魔をしている。
梧桐 あおぎり。玄宗と楊貴妃の生活を示したもの。元代の戯曲「梧桐雨」がある。また、『荘子』秋水篇の故事を用いる。荘子が梁の国の宰相恵子を訪れようとすると、それは宰相の地位を奪い取ろうとしているのだという重言があった。恐れる恵子に向かって荘子はたとえ話を持ち出す。南方に「鴛雛」という鳥がいて、梧桐にしか止まらず、練実(竹の実)しか食べず、清浄な水しか飲まない。鶴が「腐鼠」を食べていたところに鴛雛が通りかかると、鶴はにらみつけて「嚇」と叫んだ。今あなたは梁の国を取られはしないか恐れて威嚇するのか、と恵子に言った。猜疑心を抱きつつの後宮生活を示す。

燕雀 小人物のこと。趙飛燕。楊貴妃の事。

枳棘 からたちととげ。人の邪魔をすること。 

棲鴛鸞 おしどりと鸞鳳。楊貴妃とその兄弟の事。
この聯は『史記』・陳渉世家に「燕雀安知鴻鵠之志哉」(燕雀いずくんぞ鴻鵠之志を知るや。:小人物は大人物、鴻鵠の志を知ることができようか)の一節に基づくもの。


且復歸去來。 劍歌行路難。
ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。
歸去來 陶淵明が仕官80日あまりで官を辞して故郷に帰った時の辞。

劍歌 孟嘗君(もうしょうくん)に苦言を呈した馮驩(ふうかん)は剣の柄をたたき詩を吟じた。

行路難 古楽府の名。 

 

李白図102 

 

 

 

其三十九

登高望四海。 天地何漫漫。 霜被群物秋。 風飄大荒寒。 榮華東流水。 萬事皆波瀾。

白日掩徂輝。 浮云無定端。 梧桐巢燕雀。 枳棘棲鴛鸞。 且復歸去來。 劍歌行路難。

 

( 行一作悲 ) ( 此詩一作 登高望四海。天地何漫漫。 霜被群物秋。 風飄大荒寒。

殺氣落喬木。 浮云蔽層巒。 孤鳳鳴天倪。 遺聲何辛酸。 游人悲舊國。 撫心亦盤桓。

倚劍歌所思。 曲終涕泗瀾。)

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(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせないというのである。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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Index-22

製作年:  743  天寶二年  43

卷別: 巻一  卷一六一 

文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十一 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

古風,五十九首之二十一 

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)

郢客吟白雪,遺響飛青天。 

楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせないというのである。

徒勞歌此曲,舉世誰為傳。 

しかし、その曲が高尚なだけに、世にこれを解する者はいないのである、だからいくら骨を折って、これを歌ったところで、誰に伝わるわけでなく、到底、無駄なことである。

試為巴人唱,和者乃數千。 

これに反して、試みに巴の人の曲を詠えば、その曲が卑しいだけに大勢にもてはやされ、和する者は数千の多きに及んだのである。

吞聲何足道,歎息空淒然。 

此れは昔から流伝している故事であるが、人間のことは、すべてこの通り、なんでも卑しいものでなければ、通らないので、声を呑んで泣いたところで、仕方がないから、ただ凄然として、嘆息するのみである。

 

(古風,五十九首の二十一

郢客【えいかく】白雪を吟ずれば,遺響 青天に飛ぶ。

徒勞 此の曲を歌う,舉世 誰が為に傳えん。

試みに巴人の唱を為せば,和する者 乃ち數千。

聲を吞む 何ぞ道うに足らん,歎息 空しく淒然。 

太白山00 

 

『古風,五十九首之二十一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之二十一 

郢客吟白雪,遺響飛青天。 

徒勞歌此曲,舉世誰為傳。 

試為巴人唱,和者乃數千。 

吞聲何足道,歎息空淒然。 

 

(下し文)

(古風,五十九首の二十一

郢客【えいかく】白雪を吟ずれば,遺響 青天に飛ぶ。

徒勞 此の曲を歌う,舉世 誰が為に傳えん。

試みに巴人の唱を為せば,和する者 乃ち數千。

聲を吞む 何ぞ道うに足らん,歎息 空しく淒然。 

 

(現代語訳)

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)

楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせないというのである。

しかし、その曲が高尚なだけに、世にこれを解する者はいないのである、だからいくら骨を折って、これを歌ったところで、誰に伝わるわけでなく、到底、無駄なことである。

これに反して、試みに巴の人の曲を詠えば、その曲が卑しいだけに大勢にもてはやされ、和する者は数千の多きに及んだのである。

此れは昔から流伝している故事であるが、人間のことは、すべてこの通り、なんでも卑しいものでなければ、通らないので、声を呑んで泣いたところで、仕方がないから、ただ凄然として、嘆息するのみである。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之二十一 

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)

 

郢客吟白雪,遺響飛青天。 

楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせないというのである。

○郢客 宋玉の對楚王間に「客に郢に歌うもの有り。その始めを下里巴人という。その陽阿薤蕗を爲や、国中属して和する者数十人。引商刻羽、泛してもって流徴すれば国中属して和する者数人にすぎざるのみ。これその曲彌よ高くして共和彌よ寡し」とある。郢は楚の都。・對郢客(?-前174年),朝宗室,西楚王,《史》作劉郢。其父楚元王劉交是漢高祖劉邦的弟弟。前178年,其父劉交死后,劉郢継位。一共在位四年。前174年,劉郢去世,謚號夷,他儿子戊嗣位,即七国之乱的楚王

吟白雪 古琴曲吟『白雪』曲。中國十大琵琶曲文曲中代表作品之一中国著名十大古曲之一。

○遺響 余韻。

 

徒勞歌此曲,舉世誰為傳。 

しかし、その曲が高尚なだけに、世にこれを解する者はいないのである、だからいくら骨を折って、これを歌ったところで、誰に伝わるわけでなく、到底、無駄なことである。

 

試為巴人唱,和者乃數千。 

これに反して、試みに巴の人の曲を詠えば、その曲が卑しいだけに大勢にもてはやされ、和する者は数千の多きに及んだのである。

 

吞聲何足道,歎息空淒然。 

此れは昔から流伝している故事であるが、人間のことは、すべてこの通り、なんでも卑しいものでなければ、通らないので、声を呑んで泣いたところで、仕方がないから、ただ凄然として、嘆息するのみである。
李白図102 

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強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。

 
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Index-22 《古風五十九首之十二》Ⅲ―2-741年269天寶二年43269Ⅰ李白詩1160 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4348

 

 

Index-

22

Ⅲ― 2-743年天寶二年43

94

ID

No.

詩題

詩文初句

269

1

古風,五十九首之十二

松柏本孤直,

270

2

古風,五十九首之二十一

郢客吟白雪,

271

3

古風,五十九首之三十九

登高望四海,

272

4

古風,五十九首之四十四

綠蘿紛葳蕤,

273

5

古風,五十九首之四十七

桃花開東園,

274

6

古風,五十九首之四十九

美人出南國,

275

7

古風,五十九首之五十

宋國梧臺東,

276

8

古風,五十九首之五十六

越客採明珠,

 

 李白図102

 

製作年:  743  天寶二年  43

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十二 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點: 富春山 (江南東道 睦州 桐廬) 別名:嚴陵山     

 

 

古風,五十九首之十二  

松柏本孤直,難為桃李顏。

昭昭嚴子陵,垂釣滄波間。

身將客星隱,心與浮雲閒。

長揖萬乘君,還歸富春山。

清風灑六合,邈然不可攀。

使我長歎息,冥棲巖石間。 

(世間からはなれて隠棲していても強い個性をもって光っている厳子陵という人のように生きたい)

松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 
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古風五十九首 の十二
松柏 本 孤直、桃李の顔を為し難し。
昭昭たり 厳子陵、釣を垂る 滄波の間。
身は客星と将に隠れ、心は浮雲と与に閑なり。
万乗の君に長揖して、還帰す 富春山。
清風 六合に灑ぎ、邈然(ばくぜん)として 攀()ずべからず
我をして 長く嘆息し、巌石の間に冥棲せしむ

 

 

『古風,五十九首之十二  』 現代語訳と訳註

(本文)

松柏本孤直,難為桃李顏。

昭昭嚴子陵,垂釣滄波間。

身將客星隱,心與浮雲閒。

長揖萬乘君,還歸富春山。

清風灑六合,邈然不可攀。

使我長歎息,冥棲巖石間。 

 

(下し文)

古風五十九首 其の十二

松柏 本 孤直、桃李の顔を為し難し。

昭昭たり 厳子陵、釣を垂る 滄波の間。

身は客星と将に隠れ、心は浮雲と与に閑なり。

万乗の君に長揖して、還帰す 富春山。

清風 六合に灑ぎ、邈然(ばくぜん)として 攀()ずべからず

我をして 長く嘆息し、巌石の間に冥棲せしむ

 

(現代語訳)

(世間からはなれて隠棲していても強い個性をもって光っている厳子陵という人のように生きたい)

松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 
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(訳注)

古風,五十九首之十二

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(世間からはなれて隠棲していても強い個性をもって光っている厳子陵という人のように生きたい)

 

松柏本孤直、難為桃李顏。
松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
 かお。かおいろ。かおだち。体面。いろどり、色彩。額。


昭昭嚴子陵、垂釣滄波間。
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
昭昭 きわめてあきらか。強い個性をもって光っている。

厳子陵 漢の厳光(紀元前39 - 41年)。「後漢書」の伝記によると次のとおりである。厳光、字は子陵、会稽の飴桃、すなわち今の漸江省紹興市の東方にある飴桃県の人である。年少のころから名高く、のちの光武帝とは同学で机をならべた仲だった。光武帝が即位すると、かれは姓名をかえ、身をかくした。光武帝点かれのすぐれた能力を思い、その居所をさがさせた。のち斉の国で、一人の男が羊の皮衣をきて沼で釣をしているという報告があった。帝はそれが厳光にちがいないと思った。上等の安楽車を用意させ、使を派遣してかれをまねく。かれは三べん辞退してからやっと来る。宿舎にベッドがあてがわれ、御馳走が出る。帝はすぐに会いにゆく。厳光は横になったまま起きあがらない。帝はいった、「子陵よ、わたしもついに、きみだけは家来にできないよ。」そこでかれをつれてかえり、書生時代のように議論して数日に及んだが、一緒にねそべっていると、厳光は足を帝の腹の上にのせる。翌日、天文をつかさどる役人が上奏した。「客星、御座を犯すこと甚だ急なり。」帝は笑っていった、「朕が旧友の厳子陵といっしょにねそべっていただけのことだ。」諌議大夫という位を授けたが、かれは身を屈めて受けることをしなかった。やがて富春山にこもり、田を耕した。後世の人はかれが釣をしていた場所を厳陵瀬と名づけたという。厳光が釣りをしていた場所(桐盧県の南、富春江の湖畔)は「厳陵瀬」と名づけられた。釣臺は東西に一つずつあり、高さはそれぞれ数丈、その下には羊裘軒・客星館・招隠堂があった。北宋の政治家・范仲淹は厳光の祠堂を修復し、「厳先生祠堂記」を撰写しその中で「雲山蒼蒼、江水泱泱。先生之風、山高水長」と厳光の高尚な気風を賞賛した。

○滄波  東海神仙三山の浮ぶ海のあおあおとした波のこと。
 

身將客星隱、心與浮云閑。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
客星 一定の所に常には見えず、一時的に現われる星。彗星・新星など。

 のどか、おおきい。静か。のんびり。さく。しきり。
 

長揖萬乘君、還歸富春山。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
長揖 ちょうゆう、敬礼の一種。組みあわせた両手を上からずっと下の方までさげる。

万乗 一万の兵事。転じて、それを統帥する天子のこと。天下。君といっしょで万乗の光武帝。

富春山 浙江省桐盧県銭塘江中流域にあり、一名を厳陵山という。「一統志」に「清麗奇絶にして、錦峰繍嶺と号す。乃ち漢の厳子陵隠釣の処。前は大江に臨み、上に東西二釣台あり」と記されている。謝霊運『富春渚詩』 「宵濟漁浦潭。旦及富春郭。定山緬雲霧。赤亭無淹薄。溯流觸驚急。臨圻阻參錯。亮乏伯昏分。險過呂梁壑。」(宵に漁浦の潭【ふち】を濟【わた】り、旦に富春の郭に及【いた】る。定山は雲霧に緬【はる】かに、赤亭には淹薄【とま】ること無く。流れを遡りて驚急に触れ、圻に臨み參錯【でいり】に阻【はば】まる。亮に伯昏の分に乏しく、険は呂梁の壑に過ぎぬ。)わたしは夕方、漁浦の渡し場から船出した。夜どおし船旅をして、明け方、富春の街に着いた。分水嶺の定山はまだまだ雲霧の向こうで遙かに遠い、富陽の花街の赤亭に泊まることはしない。流れは急でそれをさかのぼる巌にせっそく接触したり、驚くような目に何度もあう、船を接岸できそうな岸へ寄せようとするのだが水流の出入りによってなかなか寄せられない。私はあきらかに物に動じないことという心構えにはとぼしいものである、嶮しいといっても黄河随一の難関、呂梁幕府のある谷ほどのものではないので経過していく。
富春渚 #1 謝霊運<14> 詩集 376

 

清風灑六合、邈然不可攀。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ
六合 上下四方、すなわち、世界、宇宙。

邈然 はるかなさま。


使我長嘆息、冥棲巌石間。
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 
冥棲 ひっそりしたところに黙然と修業してくらす。
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