李白《感興,六首之五》(西施という美女が呉の国を傾国させたというが、それだけでなく高節の君主と忠誠心を保った下臣団ということも欠かせないことだ。良い君主を得て素晴らしい政治をしたいものだと詠う)
131 《感興,六首之五》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 西國有美女,<131> Ⅰ李白詩1314 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5118
李太白集 巻二十三 感興,八首
感興,六首
感興,六首(八首)
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| 感興,六首之一 | 瑤姬天帝女, |
| 757年至德二年57歲 |
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| 感興,六首之二 | 洛浦有宓妃, |
| 未編年 |
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| 感興,六首之三 | 裂素持作書, |
| 未編年 |
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| 感興,六首之四 | 十五遊神仙 |
| 744年天寶三年 44歲 |
134 | 75 | 感興,六首之五〔集本八首〕 | 西國有美女 | 巻二十三 | 728年開元十六年28歲 |
| 79 | 感興,六首之六 | 嘉穀隱豐草 |
| 729年開元十七年29歲 |
李太白集 巻二十三 感興,八首
757年至德二年 57歲 感興,八首之一 (瑤姬天帝女)
未編年 感興,八首之二 (洛浦有宓妃)
未編年 感興,八首之三 (裂素持作書)
未編年 感興,八首之四 (芙蓉嬌綠波)
744年天寶三年 44歲 感興,八首之五 (十五遊神仙)
728年開元十六年28歲 感興,八首之六 (西國有美女)
未編年 感興,八首之七 (朅來荊山客)
729年開元十七年29歲 感興,八首之八 (嘉穀隱豐草)
年:728年 開元十六年 28歲
卷別: 卷一八三 文體: 五言古詩
詩題: 感興,六首之五
李太白集 巻二十三 感興,八首之六
感興,六首之五〔感興,八首之六〕
(西施という美女が呉の国を傾国させたというが、それだけでなく高節の君主と忠誠心を保った下臣団ということも欠かせないことだ。良い君主を得て素晴らしい政治をしたいものだと詠う)
西國有美女,結樓青雲端。
西施は国に於いて、一番の美女である、国の命運を荷って国を離れた敵国の世界の高楼で出会うのである。
蛾眉豔曉月,一笑傾城歡。
蛾眉のようなうつくしい眉で、名残の月の様な色気を振りまく。それは一度微笑みをすれば皇帝を虜にし国を傾けたことで、みんなを喜ばせた。
高節不可奪,炯心如凝丹。
その国の君主はゆるぎない気高い節操というものは奪い取ることなどできないものであったし、また諸の家臣にもかがやける忠誠心というものは丹紅が純粋に凝り固まったようなものがあったのである。
常恐彩色晚,不為人所觀。
常に心していることは、優雅な宴、悦楽の世界にひたることを遅くまで続けることである。そして、頽廃の生活を見せる事の無いようにすることである。
安得配君子,共乘雙飛鸞。
どうにかして良い天子に恵まれ家臣となることができるかということであり、それが満たされれば、鳳凰鸞が二つ並んで仙郷を飛ぶように素晴らしいよとなることだろう。
(感興,六首の五)
西國には 美女有あり,樓を結ぶ 青雲の端。
蛾眉は曉月を豔にし,一笑は城を傾けて歡ぶ。
高節 奪う可からず,炯心如凝丹。
常に恐る 彩色晚くして,人の觀る所と為らざるを。
安んぞ得ん 君子に配し,共に乘ず 雙飛の鸞。
『感興,六首之五』 現代語訳と訳註解説
(本文)
感興,六首之五〔感興,八首之六〕
西國有美女,結樓青雲端。
蛾眉豔曉月,一笑傾城歡。
高節不可奪,炯心如凝丹。
常恐彩色晚,不為人所觀。
安得配君子,共乘雙飛鸞。
(下し文)
(感興,六首の五)
西國には 美女有あり,樓を結ぶ 青雲の端。
蛾眉は曉月を豔にし,一笑は城を傾けて歡ぶ。
高節 奪う可からず,炯心如凝丹。
常に恐る 彩色晚くして,人の觀る所と為らざるを。
安んぞ得ん 君子に配し,共に乘ず 雙飛の鸞。
(現代語訳)
(西施という美女が呉の国を傾国させたというが、それだけでなく高節の君主と忠誠心を保った下臣団ということも欠かせないことだ。良い君主を得て素晴らしい政治をしたいものだと詠う)
西施は国に於いて、一番の美女である、国の命運を荷って国を離れた敵国の世界の高楼で出会うのである。
蛾眉のようなうつくしい眉で、名残の月の様な色気を振りまく。それは一度微笑みをすれば皇帝を虜にし国を傾けたことで、みんなを喜ばせた。
その国の君主はゆるぎない気高い節操というものは奪い取ることなどできないものであったし、また諸の家臣にもかがやける忠誠心というものは丹紅が純粋に凝り固まったようなものがあったのである。
常に心していることは、優雅な宴、悦楽の世界にひたることを遅くまで続けることである。そして、頽廃の生活を見せる事の無いようにすることである。
どうにかして良い天子に恵まれ家臣となることができるかということであり、それが満たされれば、鳳凰鸞が二つ並んで仙郷を飛ぶように素晴らしいよとなることだろう。
(訳注)
感興,六首之五〔感興,八首之六〕
(西施という美女が呉の国を傾国させたというが、それだけでなく高節の君主と忠誠心を保った下臣団ということも欠かせないことだ。良い君主を得て素晴らしい政治をしたいものだと詠う)
西國有美女,結樓青雲端。
西施は国に於いて、一番の美女である、国の命運を荷って国を離れた敵国の世界の高楼で出会うのである。
青雲端 晴天の端。俗世を離れた仙郷の世界。
樓 姑蘇台のことで五層の建造物であった。
蛾眉豔曉月,一笑傾城歡。
蛾眉のようなうつくしい眉で、名残の月の様な色気を振りまく。それは一度微笑みをすれば皇帝を虜にし国を傾けたことで、みんなを喜ばせた。
一顧傾人城再顧傾人國(一顧すれば人の城を傾け再顧すれば人の国を傾く)」『漢書』にある「北方に佳人あり、絶世にして独り立つ。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く。寧んぞ傾城と傾国とを知らざらんや。佳人再び得難し(北の地方に世にも稀な美女がいる。一度振り向けば城を滅ぼし、再び振り向けば国を滅ぼす。城や国を滅ぼすことが重大なことだとは知っているが、あれほどの美人は二度と得られないだろう)」とある。
高節不可奪,炯心如凝丹。
その国の君主はゆるぎない気高い節操というものは奪い取ることなどできないものであったし、また諸の家臣にもかがやける忠誠心というものは丹紅が純粋に凝り固まったようなものがあったのである。
高節 気高い節操。堅い信念。
炯心 忠诚的心;光明的心地。
常恐彩色晚,不為人所觀。
常に心していることは、優雅な宴、悦楽の世界にひたることを遅くまで続けることである。そして、頽廃の生活を見せる事の無いようにすることである。
安得配君子,共乘雙飛鸞。
どうにかして良い天子に恵まれ家臣となることができるかということであり、それが満たされれば、鳳凰鸞が二つ並んで仙郷を飛ぶように素晴らしいよとなることだろう。
本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。
現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施>>>西施と呼ばれるようになった。
紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。
この時の越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。
呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。
次は美女軍団が呉の国王を狂わせた。
十八史略には、西施のきわめて美しかったこと、彼女にまつわるエピソードが記されている。西施は、呉王 夫差の寵姫となったが、あるとき胸の病となり、故郷の村に帰ってきた。西施は、痛む胸を手でおさえ、苦しみに眉をひそめて歩いた。それがかえって色香を引出し、村人の目を引いた。そのときに村に評判の醜女がいて、西施のまねた行動をした。それは、異様な姿に映り、かえって村人に嫌われた。これを「西施捧心」と表され、実もないのに真似をしても無駄なことだということだが、日本では、「これだけやっていますが、自分の力だけでなく、真似をしただけですよ」という謙遜の意味に使用されることが多い。
このようにまれな美しさをそなえた西施は、呉王 夫差を虜(とりこ)にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景の中には、所々に、席がもうけられ、優雅な宴(うたげ)がもよおされた。夏には、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、呉王 夫差は、その美しい肢体に見入った。こうして、夫差は悦楽の世界にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまい、傾国が始まったのである。
越の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。
その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。