漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳

131 《感興,六首之五》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 西國有美女,<131> Ⅰ李白詩1314 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5118

李白《感興,六首之五(西施という美女が呉の国を傾国させたというが、それだけでなく高節の君主と忠誠心を保った下臣団ということも欠かせないことだ。良い君主を得て素晴らしい政治をしたいものだと詠う)

 2014年11月15日の紀頌之5つのブログ 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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131 《感興,六首之五Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 西國有美女,<131> Ⅰ李白詩1314 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5118

 

李太白集 巻二十三 感興,八首

 感興,六首

 

 

感興,六首(八首)

 

 

感興,六首之一

天帝女,

 

757年至德二年57

 

 

感興,六首之

洛浦有宓妃,

 

未編年

 

 

感興,六首之

裂素持作書,

 

未編年

 

 

感興,六首之

十五遊神仙

 

744年天寶三年 44

134

75

感興,六首之五〔集本八首〕

西國有美女

巻二十三

728年開元十六年28

 

79

感興,六首之六

嘉穀隱豐草

 

729年開元十七年29

 

李太白集 巻二十三 感興,八首

757年至德二年   57 感興,八首之一 (天帝女)

未編年       感興,八首之二 (洛浦有宓妃

未編年       感興,八首之三 (裂素持作書)

未編年       感興,八首之四 (芙蓉嬌綠波)

744年天寶三年 44 感興,八首之五 (十五遊神仙

728年開元十六年28 感興,八首之六 (西國有美女

未編年       感興,八首之七 (朅來荊山客

729年開元十七年29 感興,八首之八 (嘉穀隱豐草

 

 

年:728年 開元十六年 28 

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感興,六首之五

李太白集 巻二十三 感興,八首之六

 

感興,六首之五〔感興,八首之六〕

(西施という美女が呉の国を傾国させたというが、それだけでなく高節の君主と忠誠心を保った下臣団ということも欠かせないことだ。良い君主を得て素晴らしい政治をしたいものだと詠う)

西國有美女,結樓青雲端。

西施は国に於いて、一番の美女である、国の命運を荷って国を離れた敵国の世界の高楼で出会うのである。

蛾眉豔曉月,一笑傾城歡。

蛾眉のようなうつくしい眉で、名残の月の様な色気を振りまく。それは一度微笑みをすれば皇帝を虜にし国を傾けたことで、みんなを喜ばせた。

高節不可奪,炯心如凝丹。

その国の君主はゆるぎない気高い節操というものは奪い取ることなどできないものであったし、また諸の家臣にもかがやける忠誠心というものは丹紅が純粋に凝り固まったようなものがあったのである。

常恐彩色晚,不為人所觀。

常に心していることは、優雅な宴、悦楽の世界にひたることを遅くまで続けることである。そして、頽廃の生活を見せる事の無いようにすることである。

安得配君子,共乘雙飛鸞。

どうにかして良い天子に恵まれ家臣となることができるかということであり、それが満たされれば、鳳凰鸞が二つ並んで仙郷を飛ぶように素晴らしいよとなることだろう。

 

(感興,六首の五)

西國には 美女有あり,樓を結ぶ 青雲の端。

蛾眉は曉月を豔にし,一笑は城を傾けて歡ぶ。

高節 奪う可からず,炯心如凝丹。

常に恐る 彩色晚くして,人の觀る所と為らざるを。

安んぞ得ん 君子に配し,共に乘ず 雙飛の鸞。

a謝霊運永嘉ルート02 

 

『感興,六首之五』 現代語訳と訳註解説

(本文)

感興,六首之五〔感興,八首之六〕

西國有美女,結樓青雲端。

蛾眉豔曉月,一笑傾城歡。

高節不可奪,炯心如凝丹。

常恐彩色晚,不為人所觀。

安得配君子,共乘雙飛鸞。

 

(下し文)

(感興,六首の五)

西國には 美女有あり,樓を結ぶ 青雲の端。

蛾眉は曉月を豔にし,一笑は城を傾けて歡ぶ。

高節 奪う可からず,炯心如凝丹。

常に恐る 彩色晚くして,人の觀る所と為らざるを。

安んぞ得ん 君子に配し,共に乘ず 雙飛の鸞。

 

(現代語訳)

(西施という美女が呉の国を傾国させたというが、それだけでなく高節の君主と忠誠心を保った下臣団ということも欠かせないことだ。良い君主を得て素晴らしい政治をしたいものだと詠う)

西施は国に於いて、一番の美女である、国の命運を荷って国を離れた敵国の世界の高楼で出会うのである。

蛾眉のようなうつくしい眉で、名残の月の様な色気を振りまく。それは一度微笑みをすれば皇帝を虜にし国を傾けたことで、みんなを喜ばせた。

その国の君主はゆるぎない気高い節操というものは奪い取ることなどできないものであったし、また諸の家臣にもかがやける忠誠心というものは丹紅が純粋に凝り固まったようなものがあったのである。

常に心していることは、優雅な宴、悦楽の世界にひたることを遅くまで続けることである。そして、頽廃の生活を見せる事の無いようにすることである。

どうにかして良い天子に恵まれ家臣となることができるかということであり、それが満たされれば、鳳凰鸞が二つ並んで仙郷を飛ぶように素晴らしいよとなることだろう。

bijo01 

(訳注)

感興,六首之五〔感興,八首之六〕

(西施という美女が呉の国を傾国させたというが、それだけでなく高節の君主と忠誠心を保った下臣団ということも欠かせないことだ。良い君主を得て素晴らしい政治をしたいものだと詠う)

 

 

西國有美女,結樓青雲端。

西施は国に於いて、一番の美女である、国の命運を荷って国を離れた敵国の世界の高楼で出会うのである。

青雲端 晴天の端。俗世を離れた仙郷の世界。

樓 姑蘇台のことで五層の建造物であった。

 

蛾眉豔曉月,一笑傾城歡。

蛾眉のようなうつくしい眉で、名残の月の様な色気を振りまく。それは一度微笑みをすれば皇帝を虜にし国を傾けたことで、みんなを喜ばせた。

一顧傾人城再顧傾人國(一顧すれば人の城を傾け再顧すれば人の国を傾く)」『漢書』にある「北方に佳人あり、絶世にして独り立つ。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く。寧んぞ傾城と傾国とを知らざらんや。佳人再び得難し(北の地方に世にも稀な美女がいる。一度振り向けば城を滅ぼし、再び振り向けば国を滅ぼす。城や国を滅ぼすことが重大なことだとは知っているが、あれほどの美人は二度と得られないだろう)」とある。

 

高節不可奪,炯心如凝丹。

その国の君主はゆるぎない気高い節操というものは奪い取ることなどできないものであったし、また諸の家臣にもかがやける忠誠心というものは丹紅が純粋に凝り固まったようなものがあったのである。

高節 気高い節操。堅い信念。

炯心 忠的心;光明的心地。

 

常恐彩色晚,不為人所觀。

常に心していることは、優雅な宴、悦楽の世界にひたることを遅くまで続けることである。そして、頽廃の生活を見せる事の無いようにすることである。

 

安得配君子,共乘雙飛鸞。

どうにかして良い天子に恵まれ家臣となることができるかということであり、それが満たされれば、鳳凰鸞が二つ並んで仙郷を飛ぶように素晴らしいよとなることだろう。

 

 

本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。

 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施>>>西施と呼ばれるようになった。

 紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。

 

 この時の越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。

 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。

 次は美女軍団が呉の国王を狂わせた。

 十八史略には、西施のきわめて美しかったこと、彼女にまつわるエピソードが記されている。西施は、呉王 夫差の寵姫となったが、あるとき胸の病となり、故郷の村に帰ってきた。西施は、痛む胸を手でおさえ、苦しみに眉をひそめて歩いた。それがかえって色香を引出し、村人の目を引いた。そのときに村に評判の醜女がいて、西施のまねた行動をした。それは、異様な姿に映り、かえって村人に嫌われた。これを「西施捧心」と表され、実もないのに真似をしても無駄なことだということだが、日本では、「これだけやっていますが、自分の力だけでなく、真似をしただけですよ」という謙遜の意味に使用されることが多い。

 このようにまれな美しさをそなえた西施は、呉王 夫差を虜(とりこ)にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景の中には、所々に、席がもうけられ、優雅な宴(うたげ)がもよおされた。夏には、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、呉王 夫差は、その美しい肢体に見入った。こうして、夫差は悦楽の世界にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまい、傾国が始まったのである。

 

 越の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。

 

 その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。

130 《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 故人西辭黃鶴樓,<130> Ⅰ李白詩1313 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5113

李白《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 》いましも、わたしの親しき友、孟浩然が、ここ街の西方、武昌の黄鶴楼を立ち去って、春景色にがすんで、牡丹咲き誇る弥生三月、揚州へと下って行くということで、楼頭の別れの酒を傾けたのである。

 
 2014年11月14日の紀頌之5つのブログ 
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130 《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 故人西辭黃鶴樓,<130> Ⅰ李白詩1313 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5113 
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26-#2 《病中贈張十八 -2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1226> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5114 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-531《酒泉子四首,其二》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-714-20-(531) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5117 
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130

《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 故人西辭黃鶴樓,<130> Ⅰ李白詩1313 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5113

 

 

Index-

8

Ⅱ― 3-728年開元十六年28

7

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

128

69

1

古風,五十九首之二十六

碧荷生幽泉,

巻一

129

70

2

古風,五十九首之二十七

燕趙有秀色,

巻一

130

71

3

古風,五十九首之五十二

青春流驚湍,

巻一

131

72

4

秋思

春陽如昨日,

巻五

132

73

5

贈僧行融

梁有湯惠休,

巻十一

133

74

6

黃鶴送孟浩然之廣陵

故人西辭黃鶴樓,

巻十四

134

75

7

感興,六首之五〔集本八首〕

西國有美女,

巻二十三

 

 

年:728年開元十六年28

卷別:  卷一七四        文體:  七言

李太白集 巻十四

詩題:  黃鶴樓送孟浩然之廣陵

作地點:        江夏(江南西道 / 鄂州 / 江夏)

及地點:       

黃鶴樓 (江南西道 鄂州 江夏)      

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海   

交遊人物:孟浩然        當地交遊(淮南道 揚州揚州)

 

黃鶴樓送孟浩然之廣陵

(黄鶴楼で送別の筵を開き、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)

故人西辭黃鶴樓,煙花三月下揚州。

いましも、わたしの親しき友、孟浩然が、ここ街の西方、武昌の黄鶴楼を立ち去って、春景色にがすんで、牡丹咲き誇る弥生三月、揚州へと下って行くということで、楼頭の別れの酒を傾けたのである。

孤帆遠影碧山盡,唯見長江天際流。

孟浩然は一槽の帆かけ舟に乗ったが、東風、追い風に乗って遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れは漫漫、天を浸している。

(黄鶴樓にて、孟浩然の廣陵に之くを送る)
故人 西に辞す 黄鶴楼、烟花 三月 揚州に下る。
孤帆の遠影 碧空に尽き、唯見る 長江の天際に流るるを。

 

 

武漢01 

『黃鶴樓送孟浩然之廣陵』現代語訳と訳註解説

(本文)

黃鶴樓送孟浩然之廣陵

故人西辭黃鶴樓,煙花三月下揚州。

孤帆遠影碧山盡,唯見長江天際流。

 

 

(下し文)

(黄鶴樓にて、孟浩然の廣陵に之くを送る)
故人 西に辞す 黄鶴楼、烟花 三月 揚州に下る。
孤帆の遠影 碧空に尽き、唯見る 長江の天際に流るるを。

 

(現代語訳)

(黄鶴楼で送別の筵を開き、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)

いましも、わたしの親しき友、孟浩然が、ここ街の西方、武昌の黄鶴楼を立ち去って、春景色にがすんで、牡丹咲き誇る弥生三月、揚州へと下って行くということで、楼頭の別れの酒を傾けたのである。
孟浩然は一槽の帆かけ舟に乗ったが、東風、追い風に乗って遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れは漫漫、天を浸している。

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(訳注)

黄鶴樓送孟浩然之廣陵
(黄鶴楼で送別の筵を開き、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)

黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する黄鶴伝説 『列異伝』に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。
孟浩然 盛唐の詩人。689740。李白より11歳ほど年長の友人。襄陽(湖北省襄樊市)の出身。王維・韋応物・柳宗元と並んで、唐代の代表的な自然詩人とされる。
広陵 揚州(江蘇省揚州市)の古名。

この詩は、李白二十八歳の作、通説であるが、異説もある。

武漢02 

故人西辭黃鶴樓,煙花三月下揚州。

いましも、わたしの親しき友、孟浩然が、ここ街の西方、武昌の黄鶴楼を立ち去って、春景色にがすんで、牡丹咲き誇る弥生三月、揚州へと下って行くということで、楼頭の別れの酒を傾けたのである。
故人 以前からの、親しい友人。
辞 別れをつげる。辞去する。
烟花三月 烟は煙。春かすみにつつまれ燃えるような牡丹の花々の咲き誇る三月。
揚州 大運河が長江と交わる交通の要所。唐代では江南随一の繁華をきわめたところ。

 

孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。
孟浩然は一槽の帆かけ舟に乗ったが、東風、追い風に乗って遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れは漫漫、天を浸している。
弧帆 一つだけの帆影。
○碧空 碧玉のように青い空。
天際 天空の果て。
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李商隠『無 題』

萬里風波一葉舟、憶歸初罷更夷猶。

碧江地没元相引、黄鶴沙邊亦少留。

益徳冤魂終報主、阿童高義鎮横秋。

人生豈得長無謂、懐古思郷共白頭。

(無 題)

万里の風波 一葉の舟、帰る を 憶い 初めて罷むも更に夷猶(いゆう)

碧江 地に没して 元と相(あい)引き、黄鶴 沙辺 亦(また)少しく留(とどむ)。

益徳の冤魂(えんこん) 終(つい)に主に報い、阿童(あどう)の高義(こうぎ) 鎮(つね)に秋に横たわる。

人生 豈(あに) 長(とこしえ)に謂われ無き を 待んや、古(いにしえ)を懐い 郷を思いて共に白頭。

無題(萬里風波一葉舟)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 125
 
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年:728年開元十六年28

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    贈僧行融

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:             

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)    

旃檀閣 (都畿道 河南府 伊闕)           

鸚鵡洲 (淮南道 沔州 漢陽)              

白樓亭 (江南東道 越州 山陰)           

 

 

贈僧行融 #1

(昔の高僧と詩人のように行融上人にこの詩を贈る)

梁有湯惠休,常從鮑照遊。

六朝南朝梁に湯惠休という僧侶で詩人がいた。常々鮑照に從って遊び、鮑照の詩集の中に贈答の詩が残っている。

峨眉史懷一,獨映陳公出。

近頃の事では、峨眉山に懷一上人という高僧詩人あいて、その人も一人、初唐の陳子昂とともに世間に知られている。

二道人,結交鳳與麟。

湯惠休と史懷一という共に、卓絶している僧侶であり、この者たちとの交際をすることは鳳凰か麒麟と交わるといわれた鮑照や陳子昂と交際する事であり、詩人と高僧というものは少なからず縁が深いということである

融亦俊發,吾知有英骨。

ここには行融という高僧がいて才知のすぐれた人でしかも発信力があるひとである。私はこの人が英骨ある人であるということも知っている。

#2

海若不隱珠,驪龍吐明月。

その光彩燦然としていることは、海若が真珠を持っていて、それは自然に光を放つものであるということ、また、黒い龍がのど元から明月の珠を吐き出したようなものであるということなのだ。

大海乘虛舟,隨波任安流。

高僧との交流は、何も摘んでない軽すぎて不安定な舟で大海に漕ぎ出したとしても、安流にしたがって、浪のまにまに下って行けばいいということである。

賦詩旃檀閣,縱酒鸚鵡洲。

そうして多くの詩人と高僧たちは大江に出て、龍門石窟の香山寺旃檀閣において詩を賦しているのである。今の我々は、こうして、漢江が長江に合流する鸚鵡洲の歓楽街にいるわけで、いにしえの禰衡が酒をほしいままにしたということを偲んで酒をたらふく飲むということをするのである。

待我適東越,相攜上白樓。

それで、近々わたしは、東越、会稽の方に行こうと思っている、謝安と同じように芸妓を携えて白雲と明月の高樓に昇って詩を賦すから、それを待っていてほしい。

 

 (僧行融に贈る) #1

梁に 湯惠休 有り,常に鮑照に從って遊ぶ。

峨眉の史懷一,獨り陳公に映じて出づ。

 二道人,交りを結ぶ 鳳と麟と。

行融 亦た俊發,吾知る 英骨有るを。

#2

海若 珠を隱さず,驪龍 明月を吐く。

大海 虛舟に乘じ,波に隨って安流に任す。

詩を賦す 旃檀閣,酒を縱まにす 鸚鵡洲。

我を待て 東越に適き,相い攜えて白樓に上るを。

 

李白図102 

『贈僧行融』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

海若不隱珠,驪龍吐明月。

大海乘虛舟,隨波任安流。

賦詩旃檀閣,縱酒鸚鵡洲。

待我適東越,相攜上白樓。

 

(下し文)

海若 珠を隱さず,驪龍 明月を吐く。

大海 虛舟に乘じ,波に隨って安流に任す。

詩を賦す 旃檀閣,酒を縱まにす 鸚鵡洲。

我を待て 東越に適き,相い攜えて白樓に上るを。

 

(現代語訳)

その光彩燦然としていることは、海若が真珠を持っていて、それは自然に光を放つものであるということ、また、黒い龍がのど元から明月の珠を吐き出したようなものであるということなのだ。

高僧との交流は、何も摘んでない軽すぎて不安定な舟で大海に漕ぎ出したとしても、安流にしたがって、浪のまにまに下って行けばいいということである。

そうして多くの詩人と高僧たちは大江に出て、龍門石窟の香山寺旃檀閣において詩を賦しているのである。今の我々は、こうして、漢江が長江に合流する鸚鵡洲の歓楽街にいるわけで、いにしえの禰衡が酒をほしいままにしたということを偲んで酒をたらふく飲むということをするのである。

それで、近々わたしは、東越、会稽の方に行こうと思っている、謝安と同じように芸妓を携えて白雲と明月の高樓に昇って詩を賦すから、それを待っていてほしい。

武漢03 

(訳注)#2

贈僧行融 

(昔の高僧と詩人のように行融上人にこの詩を贈る)

六朝南朝梁の湯惠休と鮑照遊んだように、史懷一と陳子昂のように、詩人と高僧の交わりは鳳凰か麒麟と交わることで、俊發してよい詩を賦すことができそれ遺したものだ。禰衡がほおむられた鸚鵡洲でこれを弔うために同じようにまず酒を呑もう、その後自分は謝安のように東越に行って芸妓を携えて良い詩を作るからそれまで待っていてくれというものである。

 

 

海若不隱珠,驪龍吐明月。

その光彩燦然としていることは、海若が真珠を持っていて、それは自然に光を放つものであるということ、また、黒い龍がのど元から明月の珠を吐き出したようなものであるということなのだ。

海若 海の神。

驪龍 長崎の龍踊りの龍が玉を追いかける「玉追い」を思い浮かべれは理解できる。

 

大海乘虛舟,隨波任安流。

高僧との交流は、何も摘んでない軽すぎて不安定な舟で大海に漕ぎ出したとしても、安流にしたがって、浪のまにまに下って行けばいいということである。

虛舟 舟に何も摘んでない舟。軽すぎて不安定なことをいう。

 

賦詩旃檀閣,縱酒鸚鵡洲。

そうして多くの詩人と高僧たちは大江に出て、龍門石窟の香山寺旃檀閣において詩を賦しているのである。今の我々は、こうして、漢江が長江に合流する鸚鵡洲の歓楽街にいるわけで、いにしえの禰衡が酒をほしいままにしたということを偲んで酒をたらふく飲むということをするのである。

旃檀閣 龍門石窟の西山石窟の対岸にある、丘の上の寺香山寺の中にあるもの。沈佺期《寄題羅浮軒轅先生所居》「旃檀曉閣金輿度,鸚鵡晴林采眊分。」沈佺期が香山寺に遊んだ時に作ったものとされる。

鸚鵡洲 黄祖は禰衡をはじめ高く評価したが、次第に禰衡が傲慢な態度をとるようになったため、遂に堪忍袋の緒が切れた。そのため部下に禰衡の処刑を命じ、その部下も禰衡を恨んでいたので、早速殺してしまった。禰衡は死の直前まで黄祖を罵り続けた。黄祖は禰衡を殺したことを後に悔いたという。 彼の死後、黄射は彼の遺体を鸚鵡洲という地(現湖北省武漢市)に埋葬した。

魚玄機の詩に『江行 二首 其二』「煙花已入鸕鶿港,畫舸猶沿鸚鵡洲。」

春がすみのなかを、すでに鸕鶿の港へきているようだ。私の乗った奇麗なお船は、依然として鸚鵡洲に沿って航行している。

・煙花(えんか) 花がすみ。春の景色。

・鸕鶿 鵜のとり。中國古代より鵜飼が行われていた様でその港ではなかろうか。この二句は対句を意識しているため想像で描く風景であろう。

江行 二首 其二 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-93-29-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2012

李白『自漢陽病酒帰寄王明府』 (漢陽より酒に病んで帰り王明府に寄す)

願掃鸚鵡洲     願わくは鸚鵡洲を掃い。

与君酔百場     君と与に百場を酔わん。

嘯起白雲飛七沢   白雲を嘯起して七沢に飛ばし。

歌吟緑水動三湘   緑水に歌吟して三湘を動かさん。

莫惜連船沽美酒   惜む莫れ 船を連ねて美酒を沽い。

千金一擲買春芳   千金一擲して 春芳を買うことを。

 

待我適東越,相攜上白樓。

それで、近々わたしは、東越、会稽の方に行こうと思っている、謝安と同じように芸妓を携えて白雲と明月の高樓に昇って詩を賦すから、それを待っていてほしい。

白樓 会稽東山の山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。謝安の芸妓を携えて東山始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである
『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』
攜妓東山去。 春光半道催。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。
 
姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287
○漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。府城臥竜山南にあった白樓亭のこと。『会稽志卷第九』山府城の卧山府に其麓に治据されていた。山陰陽經雲种山、また別名として重山は越大夫の种所葬られた太平御种山の名としたである。山南道で旧と傳えられる白楼亭は今の址は関連性からいうと不確かであるが、山頂にある城隍祠ああって、其の西南の越王台の下にある。

李白『贈僧崖公』「手秉玉麈尾, 如登白樓亭。

会稽記 「浙江又東北、重山を径す、西山の上に白楼亭あり。」とある。
武漢005 

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李白《贈僧行融》#1六朝南朝梁に湯惠休という僧侶で詩人がいた。常々鮑照に從って遊び、鮑照の詩集の中に贈答の詩が残っている。

 

 
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129―#1 李白《贈僧行融》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 梁有湯惠休,<129> Ⅰ李白詩1311 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5103

 

 

年:728年開元十六年28

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    贈僧行融

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:             

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)    

旃檀閣 (都畿道 河南府 伊闕)           

鸚鵡洲 (淮南道 沔州 漢陽)              

白樓亭 (江南東道 越州 山陰)           

 

 

贈僧行融 #1

(昔の高僧と詩人のように行融上人にこの詩を贈る)
梁有湯惠休,常從鮑照遊。

六朝南朝梁に湯惠休という僧侶で詩人がいた。常々鮑照に從って遊び、鮑照の詩集の中に贈答の詩が残っている。
峨眉史懷一,獨映陳公出。

近頃の事では、峨眉山に懷一上人という高僧詩人あいて、その人も一人、初唐の陳子昂とともに世間に知られている。

二道人,結交鳳與麟。

湯惠休と史懷一という共に、卓絶している僧侶であり、この者たちとの交際をすることは鳳凰か麒麟と交わるといわれた鮑照や陳子昂と交際する事であり、詩人と高僧というものは少なからず縁が深いということである

行融亦俊發,吾知有英骨。

ここには行融という高僧がいて才知のすぐれた人でしかも発信力があるひとである。私はこの人が英骨ある人であるということも知っている。

#2

海若不隱珠,驪龍吐明月。

大海乘虛舟,隨波任安流。

賦詩旃檀閣,縱酒鸚鵡洲。

待我適東越,相攜上白樓。

 

(僧行融に贈る) #1

梁に 湯惠休 有り,常に鮑照に從って遊ぶ。

峨眉の史懷一,獨り陳公に映じて出づ。

 二道人,交りを結ぶ 鳳と麟と。

行融 亦た俊發,吾知る 英骨有るを。

#2

海若 珠を隱さず,驪龍 明月を吐く。

大海 虛舟に乘じ,波に隨って安流に任す。

詩を賦す 旃檀閣,酒を縱まにす 鸚鵡洲。

我を待て 東越に適き,相い攜えて白樓に上るを。

 

武漢02 

 

『贈僧行融』 現代語訳と訳註解説

(本文)

贈僧行融 #1

梁有湯惠休,常從鮑照遊。

峨眉史懷一,獨映陳公出。

二道人,結交鳳與麟。

行融亦俊發,吾知有英骨。

 

 

(下し文)

(僧行融に贈る) #1

梁に 湯惠休 有り,常に鮑照に從って遊ぶ。

峨眉の史懷一,獨り陳公に映じて出づ。

 二道人,交りを結ぶ 鳳と麟と。

行融 亦た俊發,吾知る 英骨有るを。

 

(現代語訳)

(昔の高僧と詩人のように行融上人にこの詩を贈る)

六朝南朝梁に湯惠休という僧侶で詩人がいた。常々鮑照に從って遊び、鮑照の詩集の中に贈答の詩が残っている。

近頃の事では、峨眉山に懷一上人という高僧詩人あいて、その人も一人、初唐の陳子昂とともに世間に知られている。

湯惠休と史懷一という共に、卓絶している僧侶であり、この者たちとの交際をすることは鳳凰か麒麟と交わるといわれた鮑照や陳子昂と交際する事であり、詩人と高僧というものは少なからず縁が深いということである

ここには行融という高僧がいて才知のすぐれた人でしかも発信力があるひとである。私はこの人が英骨ある人であるということも知っている。

 

 

(訳注)

贈僧行融 #1

(昔の高僧と詩人のように行融上人にこの詩を贈る)

六朝南朝梁の湯惠休と鮑照遊んだように、史懷一と陳子昂のように、詩人と高僧の交わりは鳳凰か麒麟と交わることで、俊發してよい詩を賦すことができそれ遺したものだ。禰衡がほおむられた鸚鵡洲でこれを弔うために同じようにまず酒を呑もう、その後自分は謝安のように東越に行って芸妓を携えて良い詩を作るからそれまで待っていてくれというものである。

 

梁有湯惠休,常從鮑照遊。

六朝南朝梁に湯惠休という僧侶で詩人がいた。常々鮑照に從って遊び、鮑照の詩集の中に贈答の詩が残っている。

湯惠休 南朝宋の詩人。生卒年不詳。若くして僧侶となる。“惠休上人”とよばれる。因善于寫詩被徐湛之賞識。孝武帝劉駿430919日-464712日),の命により其のとき還俗している,官位としては揚州從事史に至る。鐘嶸《詩品》作の中に“齊惠休上人”,などを作ったとされるが、 湯惠休の詩、今存するのは11首である,《怨詩行》が最も著名なものである,詩風は民歌てきな氣息に富んだものである。

南朝宋420 - 479年)は、中国南北朝時代の南朝の王朝。周代の諸侯国の宋や趙匡胤が建てた宋などと区別するために、帝室の姓を冠し劉宋(りゅうそう)とも呼ばれる。首都は建康(現在の南京)。

鮑照 鮑照は、中国南北朝時代、宋の詩人。字は明遠。本籍地はもと上党郡、後に東海郡に移る。最後の官職である「前軍参軍」にちなみ、後世「鮑参軍」と呼ばれる。宋の文帝の元嘉年間を代表する詩人として、同時期に活躍した山水詩人の謝霊運・顔延之と併称して「元嘉三大家」の1人に数えられる。妹の鮑令暉も詩人として知られる。

 

峨眉史懷一,獨映陳公出。

近頃の事では、峨眉山に懷一上人という高僧詩人あいて、その人も一人、初唐の陳子昂とともに世間に知られている。

史懷一 不詳の人物で道人とあるが、盧藏用の《陳氏別傳》には「友人趙貞固、鳳閣舍人陸餘慶、殿中侍禦史畢構、監察禦史王無競、亳州長史房融、右史崔泰之、處士太原郭襲徵、道人史懷一,皆寒の交を篤うす。」とある。また、崔顥『贈懷一上人』「法師東南秀,世實豪家子。削發十二年,誦經峨眉裏。」とあるから、峨嵋山の寺にいたことのある僧侶であろう。

陳公 陳子昂。[661702]中国、初唐の詩人。梓州射洪(しゃこう・四川省)の人。字(あざな)は伯玉。則天武后に認められ、右拾遺に任ぜられたが、官を辞してのち、誣告(ぶこく)にあって獄死。詩では漢魏への復古を唱えた。詩の代表作は「修竹篇」「感遇」。著「陳伯玉文集」。

 

二道人,結交鳳與麟。

湯惠休と史懷一という共に、卓絶している僧侶であり、この者たちとの交際をすることは鳳凰か麒麟と交わるといわれた鮑照や陳子昂と交際する事であり、詩人と高僧というものは少なからず縁が深いということである

 

行融亦俊發,吾知有英骨。

ここには行融という高僧がいて才知のすぐれた人でしかも発信力があるひとである。私はこの人が英骨ある人であるということも知っている。

行融 不明の高僧。

俊發 才知のすぐれた人でしかも発信力がある。

・俊:才知がとび抜けてすぐれている。才知のすぐれた人。「俊傑・俊才・俊秀・俊敏・俊髦(しゅんぼう)/英俊」

・発:1 矢や弾を放つ。2 出かける。たつ。3 外部や世間に向けて出す。「4 外に現れ出る。生ずる。生じさせる。5 物事を始める。行動を起こす。事が起こる。6 隠れていたものなどを明るみに出す。7 外に向かって伸び広がる。8 (「撥」の代用字)はねかえす。はね上げる。9 (「溌」の代用字)とびはねる。「活発」10 (「醗」の代用字)かもす。「発酵」
武漢005 

128 《秋思》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 春陽如昨日,<128> Ⅰ李白詩1310 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5098

李白《秋思》(秋の寂しげな思いを述べたもの)長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

 
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128 《秋思》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 春陽如昨日,<128> Ⅰ李白詩1310 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5098

 

 

Index-

8

Ⅱ― 3-728年開元十六年28

7

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

128

69

1

古風,五十九首之二十六

碧荷生幽泉,

巻一

129

70

2

古風,五十九首之二十七

燕趙有秀色,

巻一

130

71

3

古風,五十九首之五十二

青春流驚湍,

巻一

131

72

4

秋思

春陽如昨日,

巻五

132

73

5

贈僧行融

梁有湯惠休,

巻十一

133

74

6

黃鶴樓送孟浩然之廣陵

故人西辭黃鶴樓,

巻十四

134

75

7

感興,六首之五〔集本八首,二首與古風同,前已附註,不重錄。〕

西國有美女,

巻二十三

 

年:       728年開元十六年28

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    秋思

 

 

191        巻五                   

秋思

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

 

(秋思)

春陽 昨日の如く,碧樹に黃鸝を鳴かしむ。

蕪然たる蕙草は暮,颯爾として涼風は吹く。

天は秋にして木葉下り,月は冷やかにして 莎雞 悲しむ。

坐ろに愁う 群芳歇み,白露 華を凋まして滋きを。

 

192        巻五                    李白43743年天寶二年作

春思

燕草如碧絲。 秦桑低綠枝。

 當君懷歸日。 是妾斷腸時。

春風不相識。 何事入羅幃。

                                         

193        巻五                    李白43743年天寶二年作

秋思

燕支黃葉落。 ( 燕支一作閼氏 ) 妾望白登台。 ( 白一作自 )

海上碧云斷。 ( 海上一作月出 ) 單于秋色來。 ( 單于一作蟬聲 ) 胡兵沙塞合。 漢使玉關回。 征客無歸日。 空悲蕙草摧。

 

 

 

『秋思』 現代語訳と訳註解説

(本文)

秋思

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

 

(下し文)

(秋思)

春陽 昨日の如く,碧樹に黃鸝を鳴かしむ。

蕪然たる蕙草は暮,颯爾として涼風は吹く。

天は秋にして木葉下り,月は冷やかにして 莎雞 悲しむ。

坐ろに愁う 群芳歇み,白露 華を凋まして滋きを。

 

(現代語訳)

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

 

 

(訳注)

秋思

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

琴操商調 秋思 樂府

春陽如昨日  碧樹鳴黃
蕪然蕙草暮  颯爾涼風
天秋木葉下  月冷莎雞
坐愁群芳歇  白露凋華

○○△●●  ●●○○○

○○●●●  ●●△△△

○○●●●  ●△○○○

●○○○●  ●●○△○

 

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

黃鸝 高麗鶯。杜甫『大雲寺贊公房四首其一』「黃鸝度結構,紫鴿下罘

大雲寺贊公房四首其一#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 165#2

 

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

蕪然 草木が有れ茂れるさま。

 

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

木葉下 岸の木の葉が頻りに散っている。《楚辞·九歌·湘夫人》嫋嫋兮秋,洞庭波兮木葉下。

莎雞 キリギリス。

 

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

群芳歇 

白露凋華滋 白露は花を凋ませて、霜露の花は滋る。

127 《南軒松》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 <127> Ⅰ李白詩1307 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5083

李白《南軒松》いよいよ、成長し、直立数千尺になれば、雲霽を凌ぐようである。(長寿はめでたいことである。)

 
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24-8 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1222> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5094韓愈詩-24-8 
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127 《南軒松》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27 6首 <127> Ⅰ李白詩1307 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5083

 

 

Index-

7

Ⅱ― 2-727年開元十五年27

6

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

122

63

1

靜夜思(静夜思)

床前看月光,

巻五

123

64

2

白毫子歌

淮南小山白毫子,

卷六

124

65

3

寄弄月溪山人

嘗聞龐德公,

巻十二

125

66

4

山中問答(山中答俗人)

問余何意棲碧山,

巻十八

126

67

5

峴山懷古

訪古登峴首,

巻二十一

127

68

6

南軒松

南軒有孤松,

巻二十三

 

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    南軒松

 

 

南軒松

(清廉で節操を変えない松を、この詩のお相手の長寿を祝って作ったもの)

南軒有孤松,柯葉自綿冪。

我家の南側の軒にちかくに一本松があって、その枝葉は稠密にして重なり合うくらいである。

清風無閒時,瀟灑終日夕。

清風は、絶えず吹きすさび、朝夕、きわめて瀟灑である。

陰生古苔綠,色染秋煙碧。

その木陰には、苔が次第に古くなって、緑の色は細やかに、その葉の色は、秋煙を深緑に染まっているばかりである。

何當凌雲霄,直上數千尺。

いよいよ、成長し、直立数千尺になれば、雲霽を凌ぐようである。(長寿はめでたいことである。)

 

(南軒の松)

南軒に孤松有り,柯葉 自ら綿冪【めんぺき】。

清風 閒なる時無く,瀟灑 日夕を終る。

陰は古苔の綠を生じ,色は秋煙の碧に染る。

何か當に雲霄を凌ぎ,直ちに上ること 數千尺ならん。

 

 

『南軒松』 現代語訳と訳註解説

(本文)

南軒松

南軒有孤松,柯葉自綿冪。

清風無閒時,瀟灑終日夕。

陰生古苔綠,色染秋煙碧。

何當凌雲霄,直上數千尺。

 

 

(下し文)

(南軒の松)

南軒に孤松有り,柯葉 自ら綿冪【めんぺき】。

清風 閒なる時無く,瀟灑 日夕を終る。

陰は古苔の綠を生じ,色は秋煙の碧に染る。

何か當に雲霄を凌ぎ,直ちに上ること 數千尺ならん。

 

(現代語訳)

(清廉で節操を変えない松を、この詩のお相手の長寿を祝って作ったもの)

我家の南側の軒にちかくに一本松があって、その枝葉は稠密にして重なり合うくらいである。

清風は、絶えず吹きすさび、朝夕、きわめて瀟灑である。

その木陰には、苔が次第に古くなって、緑の色は細やかに、その葉の色は、秋煙を深緑に染まっているばかりである。

いよいよ、成長し、直立数千尺になれば、雲霽を凌ぐようである。(長寿はめでたいことである。)

 

(訳注)

南軒松

(清廉で節操を変えない松を、この詩のお相手の長寿を祝って作ったもの)

 

南軒有孤松,柯葉自綿冪。

我家の南側の軒にちかくに一本松があって、その枝葉は稠密にして重なり合うくらいである。

柯葉 幹枝、葉。

綿冪 稠密にして重なり合うこと。

 

清風無閒時,瀟灑終日夕。

清風は、絶えず吹きすさび、朝夕、きわめて瀟灑である。

 

陰生古苔綠,色染秋煙碧。

その木陰には、苔が次第に古くなって、緑の色は細やかに、その葉の色は、秋煙を深緑に染まっているばかりである。

 

何當凌雲霄,直上數千尺。

いよいよ、成長し、直立数千尺になれば、雲霽を凌ぐようである。(長寿はめでたいことである。)

雲霄 おおぞら。

52 《古風,五十九首之五十二》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳69古風,五十九首之二十六碧荷生幽泉, <52> Ⅰ李白詩1215 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4623

(この詩は、歳月人を待たず、折角優秀な芸才を持っていても、老いては、とかく、世に棄てられるもので、これを傷んだもの。人もまたこの通りであり、たとえ、才徳があるといっても、明君に出会わなければ、到底登用される機会はなく、草木の日々に零落すると同じに、やがて老いさらばえて、恨んで死んでいくことになるのである。容姿端麗であっても、芸に秀でても、才徳があっても登用という機会がなければどうしようもないのである。)

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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52 《古風,五十九首之五十二》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年2869古風,五十九首之二十六碧荷生幽泉, <52> Ⅰ李白詩1215 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4623

 

 

作年:    728年開元十六年28

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十二

 

 

古風,五十九首之五十二

(この詩は、歳月人を待たず、折角優秀な芸才を持っていても、老いては、とかく、世に棄てられるもので、これを傷んだもの)

青春流驚湍,朱明驟回薄。

青春は、早瀬の波にしたがって、用意に流れ去り、朱明の夏もがぜんめぐりさってしって、やがて秋となった。

不忍看秋蓬,飄揚竟何託。

秋になれば西風に吹きまかれる転蓬を観ては飄颻として、いずこともなく飛んで行って、竟に託する所がないというのと似ている。

光風滅蘭蕙,白露洗葵藿。

雨がやみ、日が出て、風が吹いて草木が生き生きとして光り輝くはずの蘭惠も風雨が強ければ砕かれて形も香りもなくなり、白露が冷ややかに注いで、葵や豆の葉など、何時しか枯れ、万物、すべて凋落してしまうのである。

美人不我期,草木日零落。

人もまたこの通りであり、たとえ、才徳があるといっても、明君に出会わなければ、到底登用される機会はなく、草木の日々に零落すると同じに、やがて老いさらばえて、恨んで死んでいくことになるのである。容姿端麗であっても、芸に秀でても、才徳があっても登用という機会がなければどうしようもないのである。

 

古風,五十九首之五十二

青春 驚湍に流れ,朱明 驟【にわ】かに回薄。

秋蓬を看る忍びず,飄揚 竟に何くにか託する。

光風 蘭蕙を滅し,白露 葵藿【きかく】を洗う。

美人 我と期せず,草木日に 零落。

pla010 

 

『古風,五十九首之五十二』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十二

青春流驚湍,朱明驟回薄。

不忍看秋蓬,飄揚竟何託。

光風滅蘭蕙,白露洗葵藿。

美人不我期,草木日零落。

(含異文)

青春流驚湍,朱明驟回薄【朱火驟回薄】。

不忍看秋蓬,飄揚竟何託。

光風滅蘭蕙,白露洗葵藿【白露委蕭藿】。

美人不我期,草木日零落。

 

(下し文)

古風,五十九首之五十二

青春 驚湍に流れ,朱明 驟【にわ】かに回薄。

秋蓬を看る忍びず,飄揚 竟に何くにか託する。

光風 蘭蕙を滅し,白露 葵藿【きかく】を洗う。

美人 我と期せず,草木日に 零落。

 

(現代語訳)

(この詩は、歳月人を待たず、折角優秀な芸才を持っていても、老いては、とかく、世に棄てられるもので、これを傷んだもの)

青春は、早瀬の波にしたがって、用意に流れ去り、朱明の夏もがぜんめぐりさってしって、やがて秋となった。

秋になれば西風に吹きまかれる転蓬を観ては飄颻として、いずこともなく飛んで行って、竟に託する所がないというのと似ている。

雨がやみ、日が出て、風が吹いて草木が生き生きとして光り輝くはずの蘭惠も風雨が強ければ砕かれて形も香りもなくなり、白露が冷ややかに注いで、葵や豆の葉など、何時しか枯れ、万物、すべて凋落してしまうのである。

人もまたこの通りであり、たとえ、才徳があるといっても、明君に出会わなければ、到底登用される機会はなく、草木の日々に零落すると同じに、やがて老いさらばえて、恨んで死んでいくことになるのである。容姿端麗であっても、芸に秀でても、才徳があっても登用という機会がなければどうしようもないのである。

太白山001 

 

(訳注)

古風,五十九首之五十二

(この詩は、歳月人を待たず、折角優秀な芸才を持っていても、老いては、とかく、世に棄てられるもので、これを傷んだもの)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

詠史詩

 

青春流驚湍,朱明驟回薄。

青春は、早瀬の波にしたがって、用意に流れ去り、朱明の夏もがぜんめぐりさってしって、やがて秋となった。

青春 五行思想で青は東、春の盛りをいう。

驚湍 早瀬。王維、輞川集・欒家瀨(13) 颯颯秋雨中、浅浅石溜瀉。波跳自相濺、白鷺驚復下。」 颯颯(さつさつ)たる秋雨(しゅうう)の中(うち)、浅浅(せんせん)として石溜(せきりゅう)に瀉ぐ。波は跳(おど)って自(おのずか)ら相い濺(そそ)ぎ、白鷺(はくろ)は驚きて復()た下(くだ)れり。
朱明 五行思想で、南、夏のこと。

川集 20首     もうせんしゅう




1孟城幼 もうじょうおう

2華子岡 かしこう

3文杏館ぶんきょうかん

4斤竹嶺 きんちくれい

5鹿柴   ろくさい 

6木蘭柴 もくらんさい

7茱萸拌 しゅゆはん

8宮塊陌 きゅうかいはく

9臨湖亭 りんこてい

10南 陀 なんだ

11欹 湖 いこ

12柳 浪 りゅうろう

13欒家瀬らんからい

14金屑泉 きんせつせん

15白石灘はくせきたん

16 陀 ほくだ

17竹里館 ちくりかん

18辛夷塢 しんいお

19漆 園 しつえん

20椒 園 しょうえん


回薄 めぐりせますこと。

 

不忍看秋蓬,飄揚竟何託。

秋になれば西風に吹きまかれる転蓬を観ては飄颻として、いずこともなく飛んで行って、竟に託する所がないというのと似ている。

秋蓬 秋になって蓬が枯れること。秋風が吹きつけることで根が切れぬけて轉蓬となる。

pla014 

光風滅蘭蕙,白露洗葵藿。

雨がやみ、日が出て、風が吹いて草木が生き生きとして光り輝くはずの蘭惠も風雨が強ければ砕かれて形も香りもなくなり、白露が冷ややかに注いで、葵や豆の葉など、何時しか枯れ、万物、すべて凋落してしまうのである。

光風 雨がやみ、日が出て、風が吹いて草木が生き生きとして光り輝くこと。

蘭蕙 ともに蘭の香草で、一茎一花を蕙といい、一茎多花を蘭という。

葵藿 薬用あおい、藿は豆の苗、葉っぱで食用にする。

 

美人不我期,草木日零落。

人もまたこの通りであり、たとえ、才徳があるといっても、明君に出会わなければ、到底登用される機会はなく、草木の日々に零落すると同じに、やがて老いさらばえて、恨んで死んでいくことになるのである。容姿端麗であっても、芸に秀でても、才徳があっても登用という機会がなければどうしようもないのである。

美人 ここでは、時の君、明君のこと。一般的には妓女をいう。
pla004 


 


 


27 《古風五十九首之二十七》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳70古風,五十九首之二十七燕趙有秀色, <27> Ⅰ李白詩1184 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4468

(后妃たちや王女には財産、生命、地位についての何の保障もなく、他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあった皇女のあるべき道を詠う)、君子の配偶者とし、やがて、弄玉と蕭史のように共に道を得て、鸞や竜にまたがり、双飛して昇天したいとすることが王女の道なのである。

 
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27 《古風五十九首之二十七》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳70古風,五十九首之二十七燕趙有秀色, <27> Ⅰ李白詩1184 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4468 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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410 《奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空【時穆宗長慶二年。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1097>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4469韓愈詩-410 
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27 《古風五十九首之二十七》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年2870古風,五十九首之二十七燕趙有秀色, <27> Ⅰ李白詩1184 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4468

 

 

製作年:  728  開元十六年  28

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十七 

 

 

古風,五十九首之二十七 

(后妃たちや王女には財産、生命、地位についての何の保障もなく、他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあった皇女のあるべき道を詠う)

燕趙有秀色,綺樓青雲端。

名だたる燕と趙の北地には佳人が多くその中でも秀でたものが青雲の上にそびゆる立派な二階の上に住んでいる。

眉目豔皎月,一笑傾城歡。

その眉目の美しいことは、皎月よりも艶やかであり、一度微笑めば満場の人を引き付け微笑ませて喜ばせるほどである。

常恐碧草晚,坐泣秋風寒。

ということであるが、この美人は独りで住んでいてその寂しさに堪えきれず、秋風ひと度訪れれば、寒気たちまち催し、今まで碧であった草木がたちまち枯れてしまうという。いかに美人でも夜と詩には勝てず、早く身の振り方を付けたいと思い悩んでいるものなのだ。

纖手怨玉琴,清晨起長歎。

朝早く夢が醒めた時など、思い悩んで長歎し、それを紛らすために、かぼそい手で宝玉の琴を奏でるのであるが、さすがに愁いを帯びた音色で奏でることになる。

焉得偶君子,共乘雙飛鸞。

そうであったとしても、君子の配偶者とし、やがて、弄玉と蕭史のように共に道を得て、鸞や竜にまたがり、双飛して昇天したいとすることが王女の道なのである。

 

古風,五十九首の二十七 

燕趙に 秀色有り,綺樓 青雲の端。

眉目 皎月よりも豔に,一笑すれば城を傾けて歡ぶ。

常に恐る 碧草の晚,坐ろに秋風の寒に泣くを。

纖手 玉琴を怨み,清晨 起って長歎す。

焉んぞ君子に偶し,共に雙飛鸞に乘ずるを得ん。

 

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『古風,五十九首之二十七』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之二十七 

燕趙有秀色,綺樓青雲端。

眉目豔皎月,一笑傾城歡。

常恐碧草晚,坐泣秋風寒。

纖手怨玉琴,清晨起長歎。

焉得偶君子,共乘雙飛鸞。

 

(下し文)

古風,五十九首の二十七 

燕趙に 秀色有り,綺樓 青雲の端。

眉目 皎月よりも豔に,一笑すれば城を傾けて歡ぶ。

常に恐る 碧草の晚,坐ろに秋風の寒に泣くを。

纖手 玉琴を怨み,清晨 起って長歎す。

焉んぞ君子に偶し,共に雙飛鸞に乘ずるを得ん。

 

(現代語訳)

(后妃たちや王女には財産、生命、地位についての何の保障もなく、他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあった皇女のあるべき道を詠う)

名だたる燕と趙の北地には佳人が多くその中でも秀でたものが青雲の上にそびゆる立派な二階の上に住んでいる。

その眉目の美しいことは、皎月よりも艶やかであり、一度微笑めば満場の人を引き付け微笑ませて喜ばせるほどである。

ということであるが、この美人は独りで住んでいてその寂しさに堪えきれず、秋風ひと度訪れれば、寒気たちまち催し、今まで碧であった草木がたちまち枯れてしまうという。いかに美人でも夜と詩には勝てず、早く身の振り方を付けたいと思い悩んでいるものなのだ。

朝早く夢が醒めた時など、思い悩んで長歎し、それを紛らすために、かぼそい手で宝玉の琴を奏でるのであるが、さすがに愁いを帯びた音色で奏でることになる。

そうであったとしても、君子の配偶者とし、やがて、弄玉と蕭史のように共に道を得て、鸞や竜にまたがり、双飛して昇天したいとすることが王女の道なのである。

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(訳注)

古風,五十九首之二十七 

(后妃たちや王女には財産、生命、地位についての何の保障もなく、他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあった皇女のあるべき道を詠う)

どんなに才能があっても用いられなければその力は発揮できないものである。最も高貴にして、最も権勢の高い人々であっても、その運命は逆にまた最も不安定であり、いつでも天国から地獄に堕ち、甚だしい場合には「女禍」(皇帝を色香によ惑わせた罪)の罪名を負わされ犠牲の羊にされることもある。皇帝がひとたび崩御すると、后妃たちの財産、生命、地位はたちまち何の保障もなく、天下の母の鏡と尊ばれながら、じつは常に他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあったのである。

 

燕趙有秀色,綺樓青雲端。

名だたる燕と趙の北地には佳人が多くその中でも秀でたものが青雲の上にそびゆる立派な二階の上に住んでいる。

○燕趙有秀色 燕や趙の北地には美人が多く「古詩十九首之十二」#2

燕趙多佳人,美者顏如玉。

被服羅裳衣,當理清曲。

音響一何悲!弦急知柱促。

馳情整巾帶,沈吟聊躑躅。

思為雙飛燕,銜泥巢君屋。

燕趙佳人多く、美なる者顏【かんばせ】玉の如し。

羅【うすもの】の裳衣を被服し、戸に当りて清曲を理【おさ】む。

音響一に何ぞ悲しき、絃急【げんきゅう】にして柱【ことじ】の促【せま】れるを知る。

情を馳せて巾帯を整へ、沈吟して聊【しばら】く躑躅【てきちょく】す。

思ふ雙飛燕【ひえん】と為りて、泥を銜んで君が屋に巢くはんことを。

古詩十九首之十二 漢の無名氏(12)-1 漢詩<99-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩531 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1410

燕や趙の北地には美人が多く、その美人の顔ははれやかな玉のようである。

そしてうす絹の衣裳を身にまとっているいて、戸口に立ってすんだ音色の曲をかなでているのだ。

そのひびきのひとつひとつのなんと悲しげなものであるのだろう。絃の音のテンポを急にし、琴柱を動かして絃の間をせばめ、絃声を高くしたりするのだ。

これを聴いてしまったら万感迫る思いを美人にはせ、まず自分の身なりをととのえるのであり、詩をうち沈みながら吟じてしばらく立ちどまるのである。

自分の思いはいっそつがいとなって飛ぶ燕ともなりたいものであり、泥を口に銜えてあなたの屋根の下に暮らしたいと思うのである。

 

 

眉目豔皎月,一笑傾城歡。

その眉目の美しいことは、皎月よりも艶やかであり、一度微笑めば満場の人を引き付け微笑ませて喜ばせるほどである。

○一笑傾城 佳人世傾人城傾人情傾北方傾國 傾國傾城 傾國風流傾城傾國 傾城國傾城目傾城色名花傾國國自傾延年妹思傾國世歌。劉方平, 烏棲曲二首之一, 蛾眉曼臉傾城國,鳴環動佩新相識

李延年『絶世傾国の歌』「北方有佳人、絶世而獨立。一顧傾人城、再顧傾人國。寧不知傾城與傾國、佳人難再得。」(北方に佳人有り、絶世にして獨立す。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。寧んぞ傾城と傾國とを知らざらんや、佳人は再びは得がたし。)連城の璧とは? 〔史記(藺相如伝)〕中国の戦国時代、秦の昭王が一五の城と交換しようといった、趙(ちよう)の恵文王所有の有名な宝玉のこと。転じて、無上の宝の意。

 

常恐碧草晚,坐泣秋風寒。

ということであるが、この美人は独りで住んでいてその寂しさに堪えきれず、秋風ひと度訪れれば、寒気たちまち催し、今まで碧であった草木がたちまち枯れてしまうという。いかに美人でも夜と詩には勝てず、早く身の振り方を付けたいと思い悩んでいるものなのだ。

○この時代の女性は、確定された生活というものはなかった。日本の家族制度とは異なっている。特にここでは、后妃、宮人に始まり、女性は一つの道具に過ぎなかった。

 

纖手怨玉琴,清晨起長歎。

朝早く夢が醒めた時など、思い悩んで長歎し、それを紛らすために、かぼそい手で宝玉の琴を奏でるのであるが、さすがに愁いを帯びた音色で奏でることになる。

○后妃(宮女)たちは皇帝の妻妾であり、錦衣を着て山海の珍味を食し、ひとたび呼ばわれば百人の下稗が答える、最も高貴にして最も権勢の高い人々であった。しかし、その運命は逆にまた最も不安定であり、いつでも天国から地獄に堕ち、甚だしい場合には「女禍」(皇帝を色香によ惑わせた罪)の罪名を負わされ犠牲の羊にされた。あるいは、皇帝がひとたび崩御すると、后妃たちの財産、生命、地位はたちまち何の保障もなく、天下の母の鏡と尊ばれながら、じつは常に他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあったのである。宮人は、身を九重(天子の宮殿)に置き、はなはだ高貴であるように見えるが、じつはただの皇帝家の家碑に過ぎず、衣食の心配がなくたいへん幸福のように見えるが、じつは人間性を最も残酷に破壊された人々であった。宮廷においては、少数の地位の高い后妃の他は、万単位で数えられる普通の宮人であり、唐代では「官女」「宮城」「宮脾」などとも呼ばれていた。彼女たちは長安にあった三大皇宮(太極宮、大明宮、興慶宮)と東都洛陽にあった大内(天子の宮殿)と上陽の両宮殿、及び各地の離宮、別館、諸親王府、皇帝陵にそれぞれ配属されていた。

 

焉得偶君子,共乘雙飛鸞。

そうであったとしても、君子の配偶者とし、やがて、弄玉と蕭史のように共に道を得て、鸞や竜にまたがり、双飛して昇天したいとすることが王女の道なのである。

○共乘雙飛鸞 秦の穆王の弄玉と蕭史は二人道を得、鳳凰に乗って飛び去った。

蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。江淹「畫作秦王女乘鸞向煙霧。」とある。

『玉臺観二首其一』にものべる。

弄玉之を喜ぶ:秦の穆公の女の弄玉を妻にした。鳳樓を作り,弄玉に吹簫を教えた,鳳と感ぜられ來集す,弄玉は鳳に乘り、蕭史は龍に乘って,夫婦同じく仙に去る。

 ... 秦穆王有一女,名弄玉,善吹,一日梦一英俊青年戴羽冠、披氅、,由天而降,自称为华山之主,要娶弄玉

26 《古風五十九首之二十六》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳69古風,五十九首之二十六碧荷生幽泉, <26> Ⅰ李白詩1183 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4463

根をおろすのに場所が良い所ではなかったからどうすることもできない。この碧荷の子頃では、崑崙山頂の華池のようなところに生えたいと思ったに違いない。そうであればその秀色を発揮し、馨香をも人が傳えて賞美されるに違いないのに。