(長江を下るとき、先に別れをした同僚か後輩、女妓に当てて叙したもの)長江の流れに乗って、呉楚方面に向おうとし、危なっかしいけど、筏のように大きな30m余りの大船である。
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蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 25歳 20 首
年:725年開元十三年25歳
卷別: 卷一八一 文體: 五言古詩
詩題: 江行寄遠
江行寄遠
(長江を下るとき、先に別れをした同僚か後輩、女妓に当てて叙したもの)
刳木出吳楚,危槎百餘尺。
長江の流れに乗って、呉楚方面に向おうとし、危なっかしいけど、筏のように大きな30m余りの大船である。
疾風吹片帆,日暮千里隔。
こうして、疾風が、片帆を吹けば、舟の進みは早く、日暮には朝から千里隔てたところまで行くことだろう。
別時酒猶在,已為異鄉客。
別れの酒を酌み交わした時の名残は依然としてあるけれど、この身は既に異郷の地に、旅客となっているのだ。
思君不可得,愁見江水碧。
しかしどんなに君のことを思ってみても、互いが逢うことはできないのである。ただ愁いて、この長江の水と蜀の川の水は同じ緑に澄んだ水を互いに見るということなのだ。
(江行して遠くに寄す)
刳木【こぼく】して呉楚に出づ、危槎【きさ】 百余尺。
疾風 片帆を吹き、日暮 千里を隔つ。
別時の酒 猶お在り、已に異郷の客と為る。
君を思えども得可からず、愁えて見る 江水の碧。
『江行寄遠』 現代語訳と訳註
(本文)
江行寄遠
刳木出吳楚,危槎百餘尺。
疾風吹片帆,日暮千里隔。
別時酒猶在,已為異鄉客。
思君不可得,愁見江水碧。
(下し文)
(江行して遠くに寄す)
刳木【こぼく】して呉楚に出づ、危槎【きさ】 百余尺。
疾風 片帆を吹き、日暮 千里を隔つ。
別時の酒 猶お在り、已に異郷の客と為る。
君を思えども得可からず、愁えて見る 江水の碧。
(現代語訳)
(長江を下るとき、先に別れをした同僚か後輩、女妓に当てて叙したもの)
長江の流れに乗って、呉楚方面に向おうとし、危なっかしいけど、筏のように大きな30m余りの大船である。
こうして、疾風が、片帆を吹けば、舟の進みは早く、日暮には朝から千里隔てたところまで行くことだろう。
別れの酒を酌み交わした時の名残は依然としてあるけれど、この身は既に異郷の地に、旅客となっているのだ。
しかしどんなに君のことを思ってみても、互いが逢うことはできないのである。ただ愁いて、この長江の水と蜀の川の水は同じ緑に澄んだ水を互いに見るということなのだ。
(訳注)
江行寄遠
(長江を下るとき、先に別れをした同僚か後輩、女妓に当てて叙したもの)
刳木出吳楚,危槎百餘尺。
長江の流れに乗って、呉楚方面に向おうとし、危なっかしいけど、筏のように大きな30m余りの大船である。
刳木 刳り舟を造ること。唐代では船旅の準備をする意味である。
危槎 筏のように大きなもの。おそらく泛ぶ面の高さが少し低い形の船とおもわれる。
百餘尺 30m余。李白は父親から長さ30mの小舟を用意してもらったのだ。
疾風吹片帆,日暮千里隔。
こうして、疾風が、片帆を吹けば、舟の進みは早く、日暮には朝から千里隔てたところまで行くことだろう。
千里 三百里を過ぎれば千里という表現方法。どんなに順調でも150km程度の移動しかできないはずで、それでも時速20㎞である。
別時酒猶在,已為異鄉客。
別れの酒を酌み交わした時の名残は依然としてあるけれど、この身は既に異郷の地に、旅客となっているのだ。
思君不可得,愁見江水碧。
しかしどんなに君のことを思ってみても、互いが逢うことはできないのである。ただ愁いて、この長江の水と蜀の川の水は同じ緑に澄んだ水を互いに見るということなのだ。
見江水碧 今、まさに、ここの水は緑で澄み切っていて、依然として蜀の錦江の色と同じである。君が見ている蜀江の水とここの水は繋がっていて同じ水を見ている。
李白《荊門浮舟望蜀江》
春水月峽來,浮舟望安極。
正是桃花流,依然錦江色。
江色綠且明,茫茫與天平。
逶迤巴山盡,搖曳楚雲行。
雪照聚沙雁,花飛出谷鶯。
芳洲卻已轉,碧樹森森迎。
流目浦煙夕,揚帆海月生。
江陵識遙火,應到渚宮城。
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