漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Index-4Ⅰ- 4-725年開元十三年25歳

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(長江を下るとき、先に別れをした同僚か後輩、女妓に当てて叙したもの)長江の流れに乗って、呉楚方面に向おうとし、危なっかしいけど、筏のように大きな30m余りの大船である。

 
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 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20 首 

 

 

年:725年開元十三年25

卷別: 卷一八一  文體: 五言古詩 

詩題: 江行寄遠 

 

 

江行寄遠

(長江を下るとき、先に別れをした同僚か後輩、女妓に当てて叙したもの)

刳木出楚,危槎百餘尺。 

長江の流れに乗って、呉楚方面に向おうとし、危なっかしいけど、筏のように大きな30m余りの大船である。

疾風吹片帆,日暮千里隔。 

こうして、疾風が、片帆を吹けば、舟の進みは早く、日暮には朝から千里隔てたところまで行くことだろう。

別時酒猶在,已為異客。 

別れの酒を酌み交わした時の名残は依然としてあるけれど、この身は既に異郷の地に、旅客となっているのだ。

思君不可得,愁見江水碧。 

しかしどんなに君のことを思ってみても、互いが逢うことはできないのである。ただ愁いて、この長江の水と蜀の川の水は同じ緑に澄んだ水を互いに見るということなのだ。

 

(江行して遠くに寄す)

刳木【こぼく】して呉楚に出づ、危槎【きさ】  百余尺。

疾風  片帆を吹き、日暮  千里を隔つ。

別時の酒  猶お在り、已に異郷の客と為る。

君を思えども得可からず、愁えて見る  江水の碧。

 

『江行寄遠』 現代語訳と訳註

(本文)

江行寄遠

刳木出楚,危槎百餘尺。 

疾風吹片帆,日暮千里隔。 

別時酒猶在,已為異客。 

思君不可得,愁見江水碧。 

 

 

(下し文)

(江行して遠くに寄す)

刳木【こぼく】して呉楚に出づ、危槎【きさ】  百余尺。

疾風  片帆を吹き、日暮  千里を隔つ。

別時の酒  猶お在り、已に異郷の客と為る。

君を思えども得可からず、愁えて見る  江水の碧。

 

(現代語訳)

(長江を下るとき、先に別れをした同僚か後輩、女妓に当てて叙したもの)

長江の流れに乗って、呉楚方面に向おうとし、危なっかしいけど、筏のように大きな30m余りの大船である。

こうして、疾風が、片帆を吹けば、舟の進みは早く、日暮には朝から千里隔てたところまで行くことだろう。

別れの酒を酌み交わした時の名残は依然としてあるけれど、この身は既に異郷の地に、旅客となっているのだ。

しかしどんなに君のことを思ってみても、互いが逢うことはできないのである。ただ愁いて、この長江の水と蜀の川の水は同じ緑に澄んだ水を互いに見るということなのだ。

三峡 巫山十二峰001 

(訳注)

江行寄遠

(長江を下るとき、先に別れをした同僚か後輩、女妓に当てて叙したもの)

 

刳木出楚,危槎百餘尺。 

長江の流れに乗って、呉楚方面に向おうとし、危なっかしいけど、筏のように大きな30m余りの大船である。

刳木 刳り舟を造ること。唐代では船旅の準備をする意味である。

危槎 筏のように大きなもの。おそらく泛ぶ面の高さが少し低い形の船とおもわれる。

百餘尺 30m余。李白は父親から長さ30mの小舟を用意してもらったのだ。

 

疾風吹片帆,日暮千里隔。 

こうして、疾風が、片帆を吹けば、舟の進みは早く、日暮には朝から千里隔てたところまで行くことだろう。

千里 三百里を過ぎれば千里という表現方法。どんなに順調でも150km程度の移動しかできないはずで、それでも時速20㎞である。

 

別時酒猶在,已為異客。 

別れの酒を酌み交わした時の名残は依然としてあるけれど、この身は既に異郷の地に、旅客となっているのだ。

 

思君不可得,愁見江水碧。 

しかしどんなに君のことを思ってみても、互いが逢うことはできないのである。ただ愁いて、この長江の水と蜀の川の水は同じ緑に澄んだ水を互いに見るということなのだ。

見江水碧 今、まさに、ここの水は緑で澄み切っていて、依然として蜀の錦江の色と同じである。君が見ている蜀江の水とここの水は繋がっていて同じ水を見ている。

李白《荊門浮舟望蜀江》

春水月峽來,浮舟望安極。 

正是桃花流,依然錦江色。 

江色綠且明,茫茫與天平。 

逶迤巴山盡,搖曳楚雲行。

雪照聚沙雁,花飛出谷鶯。 

芳洲卻已轉,碧樹森森迎。 

流目浦煙夕,揚帆海月生。 

江陵識遙火,應到渚宮城。

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96 《秋下荊門 李白 4》index-5 1-5 725年開元十三年25歳<96> Ⅰ李白詩1265 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4873

霜は荊門に降り、両岸辺の樹々もすでに葉が落ちる暮秋の頃、旅は、「行人安穩、布帆無恙」でつつがなく、秋風をはらんで挂けて、これから呉に向かう。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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96

《秋下荊門 李白 4index-5 1-5 725年開元十三年25歳<96> Ⅰ李白詩1265 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4873

 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20 首 

Index-

5

- 5-725年開元十三年25

20

725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

19

20

宿巫山下

昨夜巫山下,

巻二十一

20

1

古風,五十九首之三十三

北溟有巨魚,

巻一

21

2

荊州歌【荊州樂】

白帝城邊足風波,

巻三

22

3

81白紵辭其一

揚清歌,

巻三

23

4

82白紵辭其二

月寒江清夜沈沈,

巻三

24

5

白紵辭,三首之三

刀剪綵縫舞衣,

巻三

25

6

江夏行

憶昔嬌小姿,

巻七

26

7

江上寄巴東故人

漢水波浪遠,

巻十三

27

8

渡荊門送別 李白 5

渡遠荊門外,

巻十四

28

9

送崔十二遊天竺寺

還聞天竺寺,

卷十五

29

10

登瓦官閣

晨登瓦官閣,

巻二十

30

11

望廬山瀑布水 二首其一#1

西登香爐峰,

巻二十

 

望廬山瀑布水二首其一#2

 

巻二十

31

12

望廬山瀑布二首其二(絶句) 

日照香爐生紫煙,

巻二十

32

13

望廬山五老峯 

廬山東南五老峰,

巻二十

33

14

金陵望漢江

漢江迴萬里,

巻二十

34

15

望天門山  李白 6

天門中斷楚江開,

巻二十

35

16

荊門浮舟望蜀江

春水月峽來,

巻二十一

36

17

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁

江行幾千里,

巻二十一

37

18

秋下荊門 李白 4

霜落荊門江樹空,

巻二十一

38

19

江行寄遠 李白 3

刳木出楚,

巻二十一

 

 

年: 725年開元十三年25

卷別: 卷一八一  文體: 七言 

詩題: 秋下荊門 

作地點: 荊門山(山南東道 / 峽州 / 宜都

及地點:  荊門山 (山南東道 峽州 宜都)     

剡縣 (江南東道 越州 剡縣) 別名:剡中     

 

秋下荊門

霜落荊門江樹空,布帆無恙掛秋風。 

此行不為鱸魚鱠,自愛名山入剡中。 

(暮秋に舟に乗り、荊門から呉に赴くときに作ったもの)

霜は荊門に降り、両岸辺の樹々もすでに葉が落ちる暮秋の頃、旅は、「行人安穩、布帆無恙」でつつがなく、秋風をはらんで挂けて、これから呉に向かう。
呉・剡中は「蓴羹鱸膾」の地であるが、我が故郷ではないから、こんどの旅は 鱸魚のなますのためではない、ただ、名山を愛し  剡渓の奥へ分け入ろうとするものである。

 

(秋 荊門を下る)

霜は荊門に落ちて江樹空し、布帆【ふはん】 恙【つつが】無く  秋風に挂く。

此の行  鱸魚【ろぎょ】の鱠【なます】の為ならず、自ら名山を愛して剡中【せんちゅう】に入る。 

toho0824004 

 

『秋下荊門』 現代語訳と訳註

(本文)

秋下荊門

霜落荊門江樹空,布帆無恙掛秋風。 

此行不為鱸魚鱠,自愛名山入剡中。 

 

(下し文)

(秋 荊門を下る)

霜は荊門に落ちて江樹空し、布帆【ふはん】 恙【つつが】無く  秋風に挂く。

此の行  鱸魚【ろぎょ】の鱠【なます】の為ならず、自ら名山を愛して剡中【せんちゅう】に入る。

 

(現代語訳)

(暮秋に舟に乗り、荊門から呉に赴くときに作ったもの)

霜は荊門に降り、両岸辺の樹々もすでに葉が落ちる暮秋の頃、旅は、「行人安穩、布帆無恙」でつつがなく、秋風をはらんで挂けて、これから呉に向かう。
呉・剡中は「蓴羹鱸膾」の地であるが、我が故郷ではないから、こんどの旅は 鱸魚のなますのためではない、ただ、名山を愛し  剡渓の奥へ分け入ろうとするものである。

荊州001

(訳注)

秋下荊門

(暮秋に舟に乗り、荊門から呉に赴くときに作ったもの)

○荊門 山名。湖北省宜都県の西北方、長江の南岸にある。河川に両岸が迫っているので呼ばれる。北岸の虎牙山と相対した江運の難所である。宜宗の大中二年(848年)、桂林刺史、桂管防禦観察使の鄭亜が循州(広東省恵陽県)に貶され、李商隠は幕を辞して都へ帰った。馮浩はその路中の作とする。偶成転韻と題する詩に「頃之職を失いて南風に辞す、破帆壊漿 荊江の中。」と歌われており、李商隠はこの荊門のあたりの難所で実際に危険な目にあったらしい。杜甫「詠懐古跡五首其三」李白「秋下荊門」「渡荊門送別」三峡をすこし下ってここに差し掛かることを詠う。

李白は江陵で当時の道教教団、最高指導者の司馬承禎(しばしょうてい)と会っている。司馬承禎は玄宗皇帝から幾度も宮中に召され、法籙(ほうろく・道教の免許)を授けるほどに信頼された人物だ。司馬承禎は南岳衡山(こうざん)での祭儀に参加するため湖南に行く途中で、江陵にさしかかったのだった。すでに高齢に達していた司馬承禎に李白は詩を呈し、道教について教えを乞うた。司馬承禎が李白を「仙風道骨あり、神とともに八極の表に遊ぶべし」と褒めたという。
725
年 開元十三年の春三月、二十五歳の李白と呉指南は江陵に別れを告げ、「楚国の遊」に旅立った。詩は江陵を去るに当たって知友に残した作品で、留別の詩。
 李白は眼前に広がる楚地の広大な天地に意欲をみなぎらせ、同時に「仍()お憐れむ 故郷の水 万里 行舟を送るを」と感傷もにじませる。

86 《渡荊門送別 李白 5》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌と遊ぶ。 <86> Ⅰ李白詩1254 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4818


霜落荊門江樹空、布帆無恙挂秋風。
霜は荊門に降り、両岸辺の樹々もすでに葉が落ちる暮秋の頃、旅は、「行人安穩、布帆無恙」でつつがなく、秋風をはらんで挂けて、これから呉に向かう。
布帆無恙 「行人安穩、布帆無恙」(旅人にとって平穏無事な船旅で、布帆に柔らかな追い風が吹いて何の問題もなく進む。)ということ。

 

此行不為鱸魚鱠、自愛名山入剡中。

呉・剡中は「蓴羹鱸膾」の地であるが、我が故郷ではないから、こんどの旅は 鱸魚のなますのためではない、ただ、名山を愛し  剡渓の奥へ分け入ろうとするものである。

鱸魚鱠 張翰の故事、故郷を懐かしく思い慕う情のこと。▽「蓴羹」は蓴菜じゅんさいの吸い物。「羹」はあつもの・吸い物。「鱸膾」は鱸すずきのなますの意。

『晋書・張翰伝』「蓴羹鱸膾」晋の張翰が、故郷の料理である蓴菜の吸い物と鱸のなますのおいしさにひかれるあまり、官を辞して帰郷した故事。

剡中 剡縣、会稽に隷して、名山水が多い。隠遁者が多く住んでいたということで、王之猷が会稽の山陰で、雪夜舟に棹して載安道を訪問した故事を引いたものである。

95-#3 《自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁 -3》index-5 1-5 725年開元十三年25歳<95-#3> Ⅰ李白詩1267 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4883

その月の色は悠悠としたもので、清猿は啾啾と鳴き、ここに見るもの、聞くものの景物は、幽遂である。こうして巫山と分かれようとすれば、猿の鳴き声は聞くに忍びず、かくて、杖を振るって草をかき分け孤舟に帰ろうとするのである。

 
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  蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20 首 

 

725年開元十三年25

卷別: 卷一八一  文體: 五言古詩 

詩題: 自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁 

作地點: 巫山(山南東道 / 夔州 / 巫山

及地點:  巴東 (山南東道 歸州 巴東)     

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘     

巫山 (山南東道 夔州 巫山)     

九疑山 (江南西道 無第二級行政層級 九疑山) 別名:蒼梧山     

 

 

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁 #1

(巴東より船で長江を経て、瞿塘峡を過ぎる。巫山に登るため上陸し、巫山の最高峰に登り、晩には帰ろうとするということを神女廟の壁に題したものである。)

江行幾千里,海月十五圓。

扁舟一葉、長江を遡ること幾千里、既に幾日過ぎただろう、江上に泛ぶ月もいつしか十五夜になり、団円になっている。

始經瞿塘峽,遂步巫山

はじめて、瞿塘峡を遡ったのである、そして遂に、巫山の最高峰を登ろうとしている。

巫山高不窮,巴國盡所歷。

巫山は、高さが窮まらず、下に見えるこの一帯の巴国は、既に経過したところである。

日邊攀垂蘿,霞外倚穹石。

日辺には、垂れたつたを攀じ、霞外には、大石に倚りかかるのである。

#2

飛步凌頂,極目無纖煙。

やがて勢いよく飛歩して絶頂を極めると、おりしも、天は、綺麗に晴れて、眺め遣る限り少しの煙も出てはいない。

卻顧失丹壑,仰觀臨青天。

しかし、山が重なり合っているから、顧みれば丹壑を見失い、仰ぎ見れば晴天に臨むようである。

青天若可捫,銀漢去安在。

晴天は、手を以て撫摩し得べきが如く、銀河は何処に流れているのだろう。

望雲知蒼梧,記水辨瀛海。

雲を望んで蒼梧を認知し、水を観ては、明らかに瀛海を弁ずる。

周遊孤光晚,歷覽幽意多。

かくてあちこち遊び回っているうちに夕日が次第に暗くなり、幽懐胸に満ちて、その清寂にたえられない。

#3

積雪照空谷,悲風鳴森柯。

積雪はなお残っていて、空虚な谷間を照らしていて、悲風は、颯颯として森の枝枝を鳴らしている。

歸途行欲曛,佳趣尚未歇。

帰途においては行き行きする間に日暮れになって來る、風流な趣向は依然として見るべきものがある。

江寒早啼猿,松暝已吐月。

長江は寒気に覆われ、猿が突然泣いている。松の木に覆われたあたりは、既に暗くなっていて、そこから月が吐き出されてくる。

月色何色悠,清猿響啾啾。

その月の色は悠悠としたもので、清猿は啾啾と鳴き、ここに見るもの、聞くものの景物は、幽遂である。

辭山不忍聽,揮策還孤舟。 

こうして巫山と分かれようとすれば、猿の鳴き声は聞くに忍びず、かくて、杖を振るって草をかき分け孤舟に帰ろうとするのである。 

 (巴東より舟行 經瞿唐峽をて,巫山の最高峰に登り,晚に還りて壁に題す) #1

江行 幾千里,海月 十五圓なり。

始めて瞿塘峽を經て,遂に巫山の步む

巫山 高くして 窮まらず,巴國 歷る所を盡す。

日邊に 垂蘿を攀じ,霞外に穹石に倚る。

#2

飛步 頂を凌ぎ,極目 纖煙無し。

卻って顧にて 丹壑を失い,仰ぎ觀て 青天に臨む。

青天 捫づ可きが若し,銀漢 去って 安くにか在る。

雲を望んで蒼梧を知り,水を記して瀛海を辨ず。

周遊 孤光晚く,歷覽 幽意多し。

#3

積雪 空谷を照し,悲風 森柯を鳴らす。

歸途 行くゆく曛せんと欲す,佳趣 尚お未だ歇まず。

江寒くして早く猿啼き,松暝して 已に月を吐く。

月色 何ぞ色悠たる,清猿 響いて啾啾たり。

山を辭して 聽くに忍びず,策を揮って 孤舟に還る。 

 

巫山十二峰002 

『自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁』 現代語訳と訳註

(本文) #3

積雪照空谷,悲風鳴森柯。

歸途行欲曛,佳趣尚未歇。

江寒早啼猿,松暝已吐月。

月色何色悠,清猿響啾啾。

辭山不忍聽,揮策還孤舟。 

 

(下し文)

積雪 空谷を照し,悲風 森柯を鳴らす。

歸途 行くゆく曛せんと欲す,佳趣 尚お未だ歇まず。

江寒くして早く猿啼き,松暝して 已に月を吐く。

月色 何ぞ色悠たる,清猿 響いて啾啾たり。

山を辭して 聽くに忍びず,策を揮って 孤舟に還る。 

 

(現代語訳)

積雪はなお残っていて、空虚な谷間を照らしていて、悲風は、颯颯として森の枝枝を鳴らしている。

帰途においては行き行きする間に日暮れになって來る、風流な趣向は依然として見るべきものがある。

長江は寒気に覆われ、猿が突然泣いている。松の木に覆われたあたりは、既に暗くなっていて、そこから月が吐き出されてくる。

その月の色は悠悠としたもので、清猿は啾啾と鳴き、ここに見るもの、聞くものの景物は、幽遂である。

こうして巫山と分かれようとすれば、猿の鳴き声は聞くに忍びず、かくて、杖を振るって草をかき分け孤舟に帰ろうとするのである。

 

三峡 巫山十二峰001 

(訳注) #3

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁 #3

(巴東より船で長江を経て、瞿塘峡を過ぎる。巫山に登るため上陸し、巫山の最高峰に登り、晩には帰ろうとするということを神女廟の壁に題したものである。)

 

積雪照空谷,悲風鳴森柯。

積雪はなお残っていて、空虚な谷間を照らしていて、悲風は、颯颯として森の枝枝を鳴らしている。

 

歸途行欲曛,佳趣尚未歇。

帰途においては行き行きする間に日暮れになって來る、風流な趣向は依然として見るべきものがある。

佳趣 よきおもむき。風流な趣向。

 

江寒早啼猿,松暝已吐月。

長江は寒気に覆われ、猿が突然泣いている。松の木に覆われたあたりは、既に暗くなっていて、そこから月が吐き出されてくる。

 

月色何色悠,清猿響啾啾。

その月の色は悠悠としたもので、清猿は啾啾と鳴き、ここに見るもの、聞くものの景物は、幽遂である。

清猿 猿の鳴き声が清らかであること。手長猿。

幽遂 景色などが奥深く静かなこと。また、そのさま。

 

辭山不忍聽,揮策還孤舟。 

こうして巫山と分かれようとすれば、猿の鳴き声は聞くに忍びず、かくて、杖を振るって草をかき分け孤舟に帰ろうとするのである。

辭山 巫山の最高峰から降りてきてこの詩を書き、この地と別れようとする。

揮策 杖を振るって草をかき分ける。

 

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やがて勢いよく飛歩して絶頂を極めると、おりしも、天は、綺麗に晴れて、眺め遣る限り少しの煙も出てはいない。しかし、山が重なり合っているから、顧みれば丹壑を見失い、仰ぎ見れば晴天に臨むようである。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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725年開元十三年25

卷別: 卷一八一  文體: 五言古詩 

詩題: 自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁 

作地點: 巫山(山南東道 / 夔州 / 巫山

及地點:  巴東 (山南東道 歸州 巴東)     

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘     

巫山 (山南東道 夔州 巫山)     

九疑山 (江南西道 無第二級行政層級 九疑山) 別名:蒼梧山     

 

 

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁 #1

(巴東より船で長江を経て、瞿塘峡を過ぎる。巫山に登るため上陸し、巫山の最高峰に登り、晩には帰ろうとするということを神女廟の壁に題したものである。)

江行幾千里,海月十五圓。

扁舟一葉、長江を遡ること幾千里、既に幾日過ぎただろう、江上に泛ぶ月もいつしか十五夜になり、団円になっている。

始經瞿塘峽,遂步巫山

はじめて、瞿塘峡を遡ったのである、そして遂に、巫山の最高峰を登ろうとしている。

巫山高不窮,巴國盡所歷。

巫山は、高さが窮まらず、下に見えるこの一帯の巴国は、既に経過したところである。

日邊攀垂蘿,霞外倚穹石。

日辺には、垂れたつたを攀じ、霞外には、大石に倚りかかるのである。

#2

飛步凌頂,極目無纖煙。

やがて勢いよく飛歩して絶頂を極めると、おりしも、天は、綺麗に晴れて、眺め遣る限り少しの煙も出てはいない。

卻顧失丹壑,仰觀臨青天。

しかし、山が重なり合っているから、顧みれば丹壑を見失い、仰ぎ見れば晴天に臨むようである。

青天若可捫,銀漢去安在。

晴天は、手を以て撫摩し得べきが如く、銀河は何処に流れているのだろう。

望雲知蒼梧,記水辨瀛海。

雲を望んで蒼梧を認知し、水を観ては、明らかに瀛海を弁ずる。

周遊孤光晚,歷覽幽意多。

かくてあちこち遊び回っているうちに夕日が次第に暗くなり、幽懐胸に満ちて、その清寂にたえられない。

#3

積雪照空谷,悲風鳴森柯。

歸途行欲曛,佳趣尚未歇。

江寒早啼猿,松暝已吐月。

月色何色悠,清猿響啾啾。

辭山不忍聽,揮策還孤舟。 

 

 (巴東より舟行 經瞿唐峽をて,巫山の最高峰に登り,晚に還りて壁に題す) #1

江行 幾千里,海月 十五圓なり。

始めて瞿塘峽を經て,遂に巫山の步む

巫山 高くして 窮まらず,巴國 歷る所を盡す。

日邊に 垂蘿を攀じ,霞外に穹石に倚る。

#2

飛步 頂を凌ぎ,極目 纖煙無し。

卻って顧にて 丹壑を失い,仰ぎ觀て 青天に臨む。

青天 捫づ可きが若し,銀漢 去って 安くにか在る。

雲を望んで蒼梧を知り,水を記して瀛海を辨ず。

周遊 孤光晚く,歷覽 幽意多し。

#3

積雪 空谷を照し,悲風 森柯を鳴らす。

歸途 行くゆく曛せんと欲す,佳趣 尚お未だ歇まず。

江寒くして早く猿啼き,松暝して 已に月を吐く。

月色 何ぞ色悠たる,清猿 響いて啾啾たり。

山を辭して 聽くに忍びず,策を揮って 孤舟に還る。 

 

三峡 巫山十二峰001 

『自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁』 現代語訳と訳註

(本文) #2

飛步凌頂,極目無纖煙。

卻顧失丹壑,仰觀臨青天。

青天若可捫,銀漢去安在。

望雲知蒼梧,記水辨瀛海。

周遊孤光晚,歷覽幽意多。

 

(下し文) #2

飛步 頂を凌ぎ,極目 纖煙無し。

卻って顧にて 丹壑を失い,仰ぎ觀て 青天に臨む。

青天 捫づ可きが若し,銀漢 去って 安くにか在る。

雲を望んで蒼梧を知り,水を記して瀛海を辨ず。

周遊 孤光晚く,歷覽 幽意多し。

 

(現代語訳)#2

やがて勢いよく飛歩して絶頂を極めると、おりしも、天は、綺麗に晴れて、眺め遣る限り少しの煙も出てはいない。

しかし、山が重なり合っているから、顧みれば丹壑を見失い、仰ぎ見れば晴天に臨むようである。

晴天は、手を以て撫摩し得べきが如く、銀河は何処に流れているのだろう。

雲を望んで蒼梧を認知し、水を観ては、明らかに瀛海を弁ずる。

かくてあちこち遊び回っているうちに夕日が次第に暗くなり、幽懐胸に満ちて、その清寂にたえられない。

 

巫山十二峰002 

(訳注) #2

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁 #2

(巴東より船で長江を経て、瞿塘峡を過ぎる。巫山に登るため上陸し、巫山の最高峰に登り、晩には帰ろうとするということを神女廟の壁に題したものである。)

 

飛步凌頂,極目無纖煙。

やがて勢いよく飛歩して絶頂を極めると、おりしも、天は、綺麗に晴れて、眺め遣る限り少しの煙も出てはいない。

 

卻顧失丹壑,仰觀臨青天。

しかし、山が重なり合っているから、顧みれば丹壑を見失い、仰ぎ見れば晴天に臨むようである。

丹壑 あかい色をした谷。

 

青天若可捫,銀漢去安在。

晴天は、手を以て撫摩し得べきが如く、銀河は何処に流れているのだろう。

捫 なでる。

銀漢 天の川。銀河。天漢。

 

望雲知蒼梧,記水辨瀛海。

雲を望んで蒼梧を認知し、水を観ては、明らかに瀛海を弁ずる。

蒼梧 中国湖南省寧遠県にある山。中国古代の舜帝の墓があるとされる所。

瀛海 大海

 

周遊孤光晚,歷覽幽意多。

かくてあちこち遊び回っているうちに夕日が次第に暗くなり、幽懐胸に満ちて、その清寂にたえられない。

周遊 あちこち遊び回る。

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(巴東より船で長江を経て、瞿塘峡を過ぎる。巫山に登るため上陸し、巫山の最高峰に登り、晩には帰ろうとするということを神女廟の壁に題したものである。)扁舟一葉、長江を遡ること幾千里、既に幾日過ぎただろう、江上に泛ぶ月もいつしか十五夜になり、団円になっている。

 
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蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20 首 

 

 

725年開元十三年25

卷別: 卷一八一  文體: 五言古詩 

詩題: 自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁 

作地點: 巫山(山南東道 / 夔州 / 巫山

及地點:  巴東 (山南東道 歸州 巴東)     

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘     

巫山 (山南東道 夔州 巫山)     

九疑山 (江南西道 無第二級行政層級 九疑山) 別名:蒼梧山     

 

 

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁 #1

(巴東より船で長江を経て、瞿塘峡を過ぎる。巫山に登るため上陸し、巫山の最高峰に登り、晩には帰ろうとするということを神女廟の壁に題したものである。)

江行幾千里,海月十五圓。

扁舟一葉、長江を遡ること幾千里、既に幾日過ぎただろう、江上に泛ぶ月もいつしか十五夜になり、団円になっている。

始經瞿塘峽,遂步巫山

はじめて、瞿塘峡を遡ったのである、そして遂に、巫山の最高峰を登ろうとしている。

巫山高不窮,巴國盡所歷。

巫山は、高さが窮まらず、下に見えるこの一帯の巴国は、既に経過したところである。

日邊攀垂蘿,霞外倚穹石。

日辺には、垂れたつたを攀じ、霞外には、大石に倚りかかるのである。

#2

飛步凌頂,極目無纖煙。

卻顧失丹壑,仰觀臨青天。

青天若可捫,銀漢去安在。

望雲知蒼梧,記水辨瀛海。

周遊孤光晚,歷覽幽意多。

#3

積雪照空谷,悲風鳴森柯。

歸途行欲曛,佳趣尚未歇。

江寒早啼猿,松暝已吐月。

月色何色悠,清猿響啾啾。

辭山不忍聽,揮策還孤舟。 

 

 (巴東より舟行 經瞿唐峽をて,巫山の最高峰に登り,晚に還りて壁に題す) #1

江行 幾千里,海月 十五圓なり。

始めて瞿塘峽を經て,遂に巫山の步む

巫山 高くして 窮まらず,巴國 歷る所を盡す。

日邊に 垂蘿を攀じ,霞外に穹石に倚る。

#2

飛步 頂を凌ぎ,極目 纖煙無し。

卻って顧にて 丹壑を失い,仰ぎ觀て 青天に臨む。

青天 捫づ可きが若し,銀漢 去って 安くにか在る。

雲を望んで蒼梧を知り,水を記して瀛海を辨ず。

周遊 孤光晚く,歷覽 幽意多し。

#3

積雪 空谷を照し,悲風 森柯を鳴らす。

歸途 行くゆく曛せんと欲す,佳趣 尚お未だ歇まず。

江寒くして早く猿啼き,松暝して 已に月を吐く。

月色 何ぞ色悠たる,清猿 響いて啾啾たり。

山を辭して 聽くに忍びず,策を揮って 孤舟に還る。 

巫山十二峰002 

 

『自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁』 現代語訳と訳註

(本文)

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁 #1

江行幾千里,海月十五圓。

始經瞿塘峽,遂步巫山

巫山高不窮,巴國盡所歷。

日邊攀垂蘿,霞外倚穹石。

 

 

(下し文)

(巴東より舟行 經瞿唐峽をて,巫山の最高峰に登り,晚に還りて壁に題す) #1

江行 幾千里,海月 十五圓なり。

始めて瞿塘峽を經て,遂に巫山のに步む。

巫山 高くして 窮まらず,巴國 歷る所を盡す。

日邊に 垂蘿を攀じ,霞外に穹石に倚る。

 

(現代語訳)

(巴東より船で長江を経て、瞿塘峡を過ぎる。巫山に登るため上陸し、巫山の最高峰に登り、晩には帰ろうとするということを神女廟の壁に題したものである。)

扁舟一葉、長江を遡ること幾千里、既に幾日過ぎただろう、江上に泛ぶ月もいつしか十五夜になり、団円になっている。

はじめて、瞿塘峡を遡ったのである、そして遂に、巫山の最高峰を登ろうとしている。

巫山は、高さが窮まらず、下に見えるこの一帯の巴国は、既に経過したところである。

日辺には、垂れたつたを攀じ、霞外には、大石に倚りかかるのである。

 

三峡 巫山十二峰001 

(訳注)

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁 #1

(巴東より船で長江を経て、瞿塘峡を過ぎる。巫山に登るため上陸し、巫山の最高峰に登り、晩には帰ろうとするということを神女廟の壁に題したものである。)

瞿塘峽 長江本流に位置する峡谷。巫峡(ふきょう)、西陵峡(せいりょうきょう)と並び、三峡を構成する。別名は夔峡(ききょう)。瞿塘峡は三峡のもっとも上流にあり、西は重慶市奉節県の白帝城から、東は重慶市巫山県の大溪鎮までの区間である。四川盆地の東部では、東西方向に伸びる細長い褶曲山脈が多数平行に走っているが、その山脈のうち高さ1,000mを超える一本を長江本流が北西から東南へ貫通するところが瞿塘峡である。全長は8kmと三峡の他の峡谷に比べると際立って短いが、その川幅は三峡の中で最も狭く、風景の雄大さは三峡の中でも際立っている。瞿塘峡では長江の幅は広い所で150mを超えず、狭いところでは100mにもならない。この狭い川の北側には赤甲山、南側には白塩山があり、その高さは川面から1,200mに達し、間を通る船を圧迫するような急傾斜が聳え立っている。赤甲・白塩の両山に囲まれた門のような部分を夔門(きもん)と呼ぶが、「夔門天下雄」としてその雄大さは称えられている。

巫山 長江が山中を貫流して、巫峡を形成。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。巫山は四川盆地の東半部に多数平行して走る褶曲山脈の中でも最も大きく最も東にある山脈で、四川盆地の北東の境界に北西から南東へ走る褶曲山脈の大巴山脈へと合わさってゆく。長さは40km余り、主峰の烏雲頂は海抜2,400mに達する。西から流れてきた長江は北西から南東方向へ向けて巫山山脈を貫き、高低差が高く幅の狭い巫峡になっている。また霧や雨が多く、長年の雨で浸食された石灰岩の峰が霧の中で奇怪な形でそそり立つ。楚の懐王がみた夢を題材にした宋玉の「高唐賦」に登場する。その内容は巫山の神女が懐王と夢の中で出会い、親しく交わるというものである。なかでも、朝には雲に、夕方には雨になって会いたいという神女の言葉が有名となり、巫山雲雨や朝雲暮雨など男女のかなり親密な様子を表す熟語が生まれた。この故事を題材とした詩に劉禹錫の「巫山神女峰」がある。

 

江行幾千里,海月十五圓。

扁舟一葉、長江を遡ること幾千里、既に幾日過ぎただろう、江上に泛ぶ月もいつしか十五夜になり、団円になっている。

十五圓 十五夜で月が圓くなる。

 

始經瞿塘峽,遂步巫山

はじめて、瞿塘峡を遡ったのである、そして遂に、巫山の最高峰を登ろうとしている。

 

巫山高不窮,巴國盡所歷。

巫山は、高さが窮まらず、下に見えるこの一帯の巴国は、既に経過したところである。

巴國 古くは大蛇国といい,四川盆地の東部に国となし、西を蜀国とした。国都を江州,即ち現在の重慶、渝州である。

 

日邊攀垂蘿,霞外倚穹石。

日辺には、垂れたつたを攀じ、霞外には、大石に倚りかかるのである。

日邊 太陽のあたり。天上。また,遠い所。

穹石 大岩石。大石。

94-#2 《荊門浮舟望蜀江 -#2》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 <94-#2> Ⅰ李白詩1264 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4868

かくて、江浦には煙がたなびくのを眼で老いかけ流す。帆をあげてにしき長江を下ってゆくと、その向こうの水面に月が昇りはじめる。その方はるか先の灯火の向うには、江陵があるとわかるのであるし、それは、ほどなくするとここを発って、江陵の渚宮城に到着することにしているからである。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20 首 

 

725年開元十三年25

卷別: 卷一八一  文體: 五言古詩 

詩題: 荊門浮舟望蜀江 

作地點: 荊門山(山南東道 / 峽州 / 宜都

及地點: 荊門山 (山南東道 峽州 宜都)     

長江 (山南東道 峽州 宜都) 別名:蜀江、漢江     

明月峽 (山南西道 渝州 巴縣) 別名:月峽     

錦江 (劍南道北部 益州 成都)     

巴山 (山南東道 峽州 巴山)     

 

 

荊門浮舟望蜀江 #1

(長江、荊門に舟を泛べ、はるか上流の蜀の江の方を望んで作った。)#1

春水月峽來,浮舟望安極。 

春の雪解け水の増水は明月峡の彼方より流れてくるのであり、舟を江中に泛べて望むのであるがそう簡単に見えるものではない。

正是桃花流,依然錦江色。 

今、まさに、桃花の春水に漲るころであって、ここの水はは、依然として蜀の錦江の色と同じである。

江色綠且明,茫茫與天平。 

この江の色は、緑にして且つ明らかに澄んでいるし、広々としてはるかな景色は、天と接していて目に及ぶ限り平らかである。

逶迤巴山盡,搖曳楚雲行。

巴山の山々は曲がりうねってここに至って尽きるのであり、遙かに、楚天の雲を曳いてから動いているのである。

#2

雪照聚沙雁,花飛出谷鶯。 

芳洲卻已轉,碧樹森森迎。 

流目浦煙夕,揚帆海月生。 

江陵識遙火,應到渚宮城。 

日が中州の砂を照らして、雪のように白い沙上に雁が集まる、咲き誇る花が散り始め、乱れ飛び、谷で啼いていた鶯を驚かす。

花の香り一杯の中洲は、流れに従って何時しか転じ、碧樹は、森森として繁って人を門前で迎えるようである。

かくて、江浦には煙がたなびくのを眼で老いかけ流す。帆をあげてにしき長江を下ってゆくと、その向こうの水面に月が昇りはじめる。

その方はるか先の灯火の向うには、江陵があるとわかるのであるし、それは、ほどなくするとここを発って、江陵の渚宮城に到着することにしているからである。

 

(荊門浮舟望蜀江)#1

春水 月峽に來り,浮舟 望んで安んぞ極まらん。

正に是れ桃花の流,依然たる錦江の色。

江色 綠 且つ 明かなり,茫茫 天と平らかなり。

逶迤【いい】巴山 盡き,搖曳【ようえい】して楚雲行く。

#2

雪は照らす 沙に聚まるの雁,花は飛ぶ 谷を出づるの鶯。

芳洲 卻って已に轉じ,碧樹 森森として迎う。

流目 浦煙の夕,揚帆 海月に生ず。

江陵 遙火を識る,應に渚宮城に到る。 

 

 

『荊門浮舟望蜀江』 現代語訳と訳註

(本文) #2

雪照聚沙雁,花飛出谷鶯。 

芳洲卻已轉,碧樹森森迎。 

流目浦煙夕,揚帆海月生。 

江陵識遙火,應到渚宮城。 

 

(下し文) #2

雪は照らす 沙に聚まるの雁,花は飛ぶ 谷を出づるの鶯。

芳洲 卻って已に轉じ,碧樹 森森として迎う。

流目 浦煙の夕,揚帆 海月に生ず。

江陵 遙火を識る,應に渚宮城に到る。 

 

(現代語訳)

日が中州の砂を照らして、雪のように白い沙上に雁が集まる、咲き誇る花が散り始め、乱れ飛び、谷で啼いていた鶯を驚かす。

花の香り一杯の中洲は、流れに従って何時しか転じ、碧樹は、森森として繁って人を門前で迎えるようである。

かくて、江浦には煙がたなびくのを眼で老いかけ流す。帆をあげてにしき長江を下ってゆくと、その向こうの水面に月が昇りはじめる。

その方はるか先の灯火の向うには、江陵があるとわかるのであるし、それは、ほどなくするとここを発って、江陵の渚宮城に到着することにしているからである。

 

(訳注) #2

荊門浮舟望蜀江 

(長江、荊門に舟を泛べ、はるか上流の蜀の江の方を望んで作った。)

○荊門 荊門山、長江の南岸、宜都(湖北省枝城市)の西北にある。対岸の虎牙山と対しており、昔は楚の西の関門といった趣き。そこは、蜀の東方、湖北・湖南地方への出口にあたるところである。

○蜀江 中国(四川省)蜀の成都付近を流れる川。ようすこう長江上流の一部。ここでは、蜀の明月峽 (山南西道 渝州 巴縣) 別名:月峽  、錦江 (劍南道北部 益州 成都、巴山 (山南東道 峽州 巴山などをいう。

 

雪照聚沙雁,花飛出谷鶯。 

日が中州の砂を照らして、雪のように白い沙上に雁が集まる、咲き誇る花が散り始め、乱れ飛び、谷で啼いていた鶯を驚かす。

 

芳洲卻已轉,碧樹森森迎。 

花の香り一杯の中洲は、流れに従って何時しか転じ、碧樹は、森森として繁って人を門前で迎えるようである。

森森 木が多くあることであるが、門前に整列して人を迎えるようであることをいう。

 

流目浦煙夕,揚帆海月生。 

かくて、江浦には煙がたなびくのを眼で老いかけ流す。帆をあげてにしき長江を下ってゆくと、その向こうの水面に月が昇りはじめる。

 

江陵識遙火,應到渚宮城。 

その方はるか先の灯火の向うには、江陵があるとわかるのであるし、それは、ほどなくするとここを発って、江陵の渚宮城に到着することにしているからである。

江陵 長江の中流に位置する港湾都市である。 かつて荊州と呼ばれた地方の一部で、当時の中心都市・江陵は現在荊州市内に「荊州古城」として残っている。

渚宮城 荊州江陵縣にある楚の別宮であったものを、梁の元帝が渚宮と名付けた。

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春の雪解け水の増水は明月峡の彼方より流れてくるのであり、舟を江中に泛べて望むのであるがそう簡単に見えるものではない。今、まさに、桃花の春水に漲るころであって、ここの水はは、依然として蜀の錦江の色と同じである。

 
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94 《荊門浮舟望蜀江》index-5 1-5 725年開元十三年25歳  <94> Ⅰ李白詩1263 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4863

蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20

 

 

 

Index-

5

- 5-725年開元十三年25

20

725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

19

20

宿巫山下

昨夜巫山下,

巻二十一

20

1

古風,五十九首之三十三

北溟有巨魚,

巻一

21

2

荊州歌【荊州樂】

白帝城邊足風波,

巻三

22

3

81白紵辭其一

揚清歌,

巻三

23

4

82白紵辭其二

月寒江清夜沈沈,

巻三

24

5

白紵辭,三首之三

刀剪綵縫舞衣,

巻三

25

6

江夏行

憶昔嬌小姿,

巻七

26

7

江上寄巴東故人

漢水波浪遠,

巻十三

27

8

渡荊門送別 李白 5

渡遠荊門外,

巻十四

28

9

送崔十二遊天竺寺

還聞天竺寺,

卷十五

29

10

登瓦官閣

晨登瓦官閣,

巻二十

30

11

望廬山瀑布水 二首其一#1

西登香爐峰,

巻二十

 

 

望廬山瀑布水二首其一#2

 

巻二十

31

12

望廬山瀑布二首其二(絶句) 

日照香爐生紫煙,

巻二十

32

13

望廬山五老峯 

廬山東南五老峰,

巻二十

33

14

金陵望漢江

漢江迴萬里,

巻二十

34

15

望天門山  李白 6

天門中斷楚江開,

巻二十

35

16

荊門浮舟望蜀江

春水月峽來,

巻二十一

36

17

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁

江行幾千里,

巻二十一

37

18

秋下荊門 李白 4

霜落荊門江樹空,

巻二十一

38

19

江行寄遠 李白 3

刳木出楚,

巻二十一

 

725年開元十三年25

卷別: 卷一八一  文體: 五言古詩 

詩題: 荊門浮舟望蜀江 

作地點: 荊門山(山南東道 / 峽州 / 宜都

及地點: 荊門山 (山南東道 峽州 宜都)     

長江 (山南東道 峽州 宜都) 別名:蜀江、漢江     

明月峽 (山南西道 渝州 巴縣) 別名:月峽     

錦江 (劍南道北部 益州 成都)     

巴山 (山南東道 峽州 巴山)     

 

 

荊門浮舟望蜀江 #1

(長江、荊門に舟を泛べ、はるか上流の蜀の江の方を望んで作った。)#1

春水月峽來,浮舟望安極。 

春の雪解け水の増水は明月峡の彼方より流れてくるのであり、舟を江中に泛べて望むのであるがそう簡単に見えるものではない。

正是桃花流,依然錦江色。 

今、まさに、桃花の春水に漲るころであって、ここの水はは、依然として蜀の錦江の色と同じである。

江色綠且明,茫茫與天平。 

この江の色は、緑にして且つ明らかに澄んでいるし、広々としてはるかな景色は、天と接していて目に及ぶ限り平らかである。

逶迤巴山盡,搖曳楚雲行。

巴山の山々は曲がりうねってここに至って尽きるのであり、遙かに、楚天の雲を曳いてから動いているのである。

#2

雪照聚沙雁,花飛出谷鶯。 

芳洲卻已轉,碧樹森森迎。 

流目浦煙夕,揚帆海月生。 

江陵識遙火,應到渚宮城。 

 

(荊門浮舟望蜀江)#1

春水 月峽に來り,浮舟 望んで安んぞ極まらん。

正に是れ桃花の流,依然たる錦江の色。

江色 綠 且つ 明かなり,茫茫 天と平らかなり。

逶迤【いい】巴山 盡き,搖曳【ようえい】して楚雲行く。

#2

雪は照らす 沙に聚まるの雁,花は飛ぶ 谷を出づるの鶯。

芳洲 卻って已に轉じ,碧樹 森森として迎う。

流目 浦煙の夕,揚帆 海月に生ず。

江陵 遙火を識る,應に渚宮城に到る。 

 

三峡 巫山十二峰001 

『荊門浮舟望蜀江』 現代語訳と訳註

(本文)

荊門浮舟望蜀江 #1

春水月峽來,浮舟望安極。 

正是桃花流,依然錦江色。 

江色綠且明,茫茫與天平。 

逶迤巴山盡,搖曳楚雲行。

 

(下し文)

(荊門浮舟望蜀江)#1

春水 月峽に來り,浮舟 望んで安んぞ極まらん。

正に是れ桃花の流,依然たる錦江の色。

江色 綠 且つ 明かなり,茫茫 天と平らかなり。

逶迤【いい】巴山 盡き,搖曳【ようえい】して楚雲行く。

 

(現代語訳)

(長江、荊門に舟を泛べ、はるか上流の蜀の江の方を望んで作った。)#1

春の雪解け水の増水は明月峡の彼方より流れてくるのであり、舟を江中に泛べて望むのであるがそう簡単に見えるものではない。

今、まさに、桃花の春水に漲るころであって、ここの水はは、依然として蜀の錦江の色と同じである。

この江の色は、緑にして且つ明らかに澄んでいるし、広々としてはるかな景色は、天と接していて目に及ぶ限り平らかである。

巴山の山々は曲がりうねってここに至って尽きるのであり、遙かに、楚天の雲を曳いてから動いているのである。

李白図102 

 

(訳注)

荊門浮舟望蜀江 #1

(長江、荊門に舟を泛べ、はるか上流の蜀の江の方を望んで作った。)

荊門 荊門山、長江の南岸、宜都(湖北省枝城市)の西北にある。対岸の虎牙山と対しており、昔は楚の西の関門といった趣き。そこは、蜀の東方、湖北・湖南地方への出口にあたるところである。

蜀江 中国(四川省)蜀の成都付近を流れる川。ようすこう長江上流の一部。ここでは、蜀の明月峽 (山南西道 渝州 巴縣) 別名:月峽  、錦江 (劍南道北部 益州 成都、巴山 (山南東道 峽州 巴山などをいう。

 

春水月峽來,浮舟望安極。 

春の雪解け水の増水は明月峡の彼方より流れてくるのであり、舟を江中に泛べて望むのであるがそう簡単に見えるものではない。

春水 冬の間に力をため込んでいたものを春になって万物が、育ち成長する。山に溜めこんだ冬の力が流れ出ることで、希望に向かう意味で杜甫はよく使う。

杜甫《春水》

三月桃花浪,江流複舊痕。

朝來沒沙尾,碧色動柴門。

接縷垂芳餌,連筒灌小園。

已添無數鳥,爭浴故相喧。

月峽 明月峽。明月峡古桟道は別名朝天峡、古蜀桟道の一部で、広元北23キロの嘉陵江東岸の絶壁に掘られた古蜀から中原に入る唯一の交通要道であった。戦国時代から宋時代まで歴代の蜀人が絶えずに修復し、新しく掘り続け、この蜀の桟道は数百キロも続く。

 

正是桃花流,依然錦江色。 

今、まさに、桃花の春水に漲るころであって、ここの水はは、依然として蜀の錦江の色と同じである。

桃花流 桃花の春水に漲るながれ。

錦江 錦江 (劍南道北部 益州 成都)

 

江色綠且明,茫茫與天平。 

この江の色は、緑にして且つ明らかに澄んでいるし、広々としてはるかな景色は、天と接していて目に及ぶ限り平らかである。

茫茫 1 広々としてはるかなさま。「―とした大海原」「―たる砂漠」2 ぼんやりかすんではっきりしないさま。「―たる記憶」「―と暗路(やみじ)に物を探るごとく」〈露伴・五重塔〉3 草・髪などが伸びて乱れているさま

 

逶迤巴山盡,搖曳楚雲行。

巴山の山々は曲がりうねってここに至って尽きるのであり、遙かに、楚天の雲を曳いてから動いているのである。

逶迤  (道路,山脈,河川が)うねうねと続く,曲がりくねった。

巴山 巴山 (山南東道 峽州 巴山) 閬州の山。
55moon

93 《望天門山  李白 6》index-5 1-5 725年開元十三年25歳<93> Ⅰ李白詩1262 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4858

(宣城から金陵に下るとき、長江に浮んでみたことを詠ったもので、舟中即吟である。)天門山は真ん中から裂けたように、屹然として両岸に対峙して、その間を東に流れて行く楚江の碧水は、ここにおいて北に蛇行してめぐっている。

 
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93 《望天門山  李白 6index-5 1-5 725年開元十三年25歳<93> Ⅰ李白詩1262 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4858

 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20 首 

 


 

Index-

5

- 5-725年開元十三年25

20

725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

19

20

宿巫山下

昨夜巫山下,

巻二十一

20

1

古風,五十九首之三十三

北溟有巨魚,

巻一

21

2

荊州歌【荊州樂】

白帝城邊足風波,

巻三

22

3

81白紵辭其一

揚清歌,

巻三

23

4

82白紵辭其二

月寒江清夜沈沈,

巻三

24

5

白紵辭,三首之三

刀剪綵縫舞衣,

巻三

25

6

江夏行

憶昔嬌小姿,

巻七

26

7

江上寄巴東故人

漢水波浪遠,

巻十三

27

8

渡荊門送別 李白 5

渡遠荊門外,

巻十四

28

9

送崔十二遊天竺寺

還聞天竺寺,

卷十五

29

10

登瓦官閣

晨登瓦官閣,

巻二十

30

11

望廬山瀑布水 二首其一#1

西登香爐峰,

巻二十

 

 

望廬山瀑布水二首其一#2

 

巻二十

31

12

望廬山瀑布二首其二(絶句) 

日照香爐生紫煙,

巻二十

32

13

望廬山五老峯 

廬山東南五老峰,

巻二十

33

14

金陵望漢江

漢江迴萬里,

巻二十

34

15

望天門山  李白 6

天門中斷楚江開,

巻二十

35

16

荊門浮舟望蜀江

春水月峽來,

巻二十一

36

17

自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁

江行幾千里,

巻二十一

37

18

秋下荊門 李白 4

霜落荊門江樹空,

巻二十一

38

19

江行寄遠 李白 3

刳木出楚,

巻二十一

 

725年開元十三年25

卷別: 卷一八○  文體: 七言 

詩題: 望天門山 

作地點: 天門山(江南西道 / 宣州 / 當塗

及地點: 天門山 (江南西道 宣州 當塗)     

 

 

望天門山

天門中斷楚江開,碧水東流至北迴。 

兩岸青山相對出,孤帆一片日邊來。 

(宣城から金陵に下るとき、長江に浮んでみたことを詠ったもので、舟中即吟である。)

天門山は真ん中から裂けたように、屹然として両岸に対峙して、その間を東に流れて行く楚江の碧水は、ここにおいて北に蛇行してめぐっている。

やがて、両岸の青山を隔てて相対して狭まるところを過ぎれば、また、江流広がり、我が乗る一片の小舟は、日辺に比すべき、遠方より来たので、まことに風流な景色であると思うのである。

 

 (望天門山)

天門 中斷して 楚江開く,碧水 東流 北に至って迴る。 

兩岸 青山 相い對して出で,孤帆 一片 日邊より來る。 

 

 

『望天門山』 現代語訳と訳註

(本文)

望天門山

天門中斷楚江開,碧水東流至北迴。 

兩岸青山相對出,孤帆一片日邊來。 

 

望天門山

天門中斷楚江開,碧水東流至北迴【碧水東流直北迴】。

兩岸青山相對出,孤帆一片日邊來。 

 

 (下し文)

(望天門山)

天門 中斷して 楚江開く,碧水 東流 北に至って迴る。 

兩岸 青山 相い對して出で,孤帆 一片 日邊より來る。 

 

(現代語訳)

(宣城から金陵に下るとき、長江に浮んでみたことを詠ったもので、舟中即吟である。)

天門山は真ん中から裂けたように、屹然として両岸に対峙して、その間を東に流れて行く楚江の碧水は、ここにおいて北に蛇行してめぐっている。

やがて、両岸の青山を隔てて相対して狭まるところを過ぎれば、また、江流広がり、我が乗る一片の小舟は、日辺に比すべき、遠方より来たので、まことに風流な景色であると思うのである。

 

(訳注)

望天門山

(宣城から金陵に下るとき、長江に浮んでみたことを詠ったもので、舟中即吟である。)

天門山 江南西道、宣州、當塗縣の西南二十里にあり、別名峨眉山という。長江を挟んで東に博望、西を梁山という。天門山はむかし雲夢山と呼ばれ、又の名を玉屏山とも言う、張家界市内より南10km離れた所に位置している。

三国期の呉永安六年(紀元263年)に強い地震があった。地震のあと、山の頂上に大きな洞窟ができ、呉の景帝孫休はこれは吉祥の兆しだと思い、この洞窟を天門洞と名づけた。

天門山の標高は1517.9m、山の下の市内と1300m以上も高さの差があるため、天門山が空高く佇んでいて、唯我独尊のような勢いで誇っている。

長い歳月を流れてきた天門山は神妙独特な地形外観、類なき美しさを溢れる自然風景を持って人々の注目を集めている。

天門洞:標高1260mの絶壁の上にあり、その高さは131.5m、幅57m、奥行き60余mである。地質専門家の考察によると、天門洞は岩石の押し合いによって、岩石が崩壊してできたという。

遠くから眺めると大きな天門が空にかかっているようで、非常に壮観である。また、雲海の中に聳え立つ天門洞は変化に富んだ姿を見せてくれる。洞の中を光が通り抜け、幻想的な風景を目にすることができる。

 

天門中斷楚江開,碧水東流至北迴。 

天門山は真ん中から裂けたように、屹然として両岸に対峙して、その間を東に流れて行く楚江の碧水は、ここにおいて北に蛇行してめぐっている。

至北迴 東流から、一気に北に蛇行してめぐっている。

 

兩岸青山相對出,孤帆一片日邊來。 

やがて、両岸の青山を隔てて相対して狭まるところを過ぎれば、また、江流広がり、我が乗る一片の小舟は、日辺に比すべき、遠方より来たので、まことに風流な景色であると思うのである。

日邊 西の端という意味で、遠いことを意味する。太陽の運行からをいうもの。

91 《望廬山五老峯》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 <92> Ⅰ李白詩1260 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4848

そこに登ったならば、長江の支流、分流である九江のすばらしい景色が手に取るように見えるだろうから、わたしはこの地で浮き世を離れ、高い雲のかかった松に巣を作って隠棲しようと思う。

 
 2014年9月22日の紀頌之5つのブログ 
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