漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Index-30Ⅳ-5 751年天寶十年51歳

34-#3 《古風五十九首之三十四》Index-30Ⅳ-5 751年天寶十年51歳554古風,五十九首之三十四羽檄如流星, <34-#3> Ⅰ李白詩1194 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4518

これほどの脆弱な兵卒だと、まるで草臥れはてた獣が猛虎に出あったようなものだ。おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなもので、ことごとくやられてしまうというものだ。千人出征して一人もかえってこない。身を投じたがさいご、いのちはないものと思えばよい。

 
 2014年7月18日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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34-#3 《古風五十九首之三十四》Index-30-5 751年天寶十年51554古風,五十九首之三十四羽檄如流星, <34-#3> Ⅰ李白詩1194 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4518

 

 

製作年:  751  天寶十年  51

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十四 

寫及地點:  紫微殿 (京畿道 京兆府 長安)     

 

古風,五十九首之三十四 #1

(この時期天宝十年前後の時事について詠う)

羽檄如流星,虎符合專城。

雲南征伐のための鳥の羽をつけた召集令状が流星のように飛ぶ。一城を独占している地方長官で、虎の絵の割符が各地の将軍の手もとで合わされた。

喧呼救邊急,群鳥皆夜鳴。

いずれの地方でも、国境の危急を救うのだと、やかましくわめき立てている。ねぐらに休んでいた鳥たちまで-、みんな、夜中に鳴きだした。

白日曜紫微,三公運權衡。

白日にひとしい聖天子は、紫微殿の御座所にちゃんとかがやいておられるし、三公にはりっぱな大臣が正しくよい政治をしている。

地皆得一,澹然四海清。

老子が天地各々「一:道」を得てみな純粋であるといわれた、おだやかに四海のはてまで澄みわたっているのに。

#2

借問此何為,答言楚徵兵。

こうした太平という時において、このように騒ぐというのはいったいどうしたことかと問うてみると、答えていうには、楚の地方で兵隊を徴集しているというのだ。

渡瀘及五月,將赴雲南征。

ただでさえ、亜熱帯の雲南地方であついのである、五月になれば濾水を渡ることができ、それまでに徴兵して雲南におもむき、いくさをしようというのだ。

怯卒非戰士,炎方難遠行。

これまで、中原は疲弊しつくし、勇敢な兵士は既に戦死しており、残っているのは役に立たない臆病な兵卒ばかりで、戦争の用に立つ勇士とはちがう。炎天の南方への遠い行軍はむつかしいのである。

長號別嚴親,日月慘光晶。

そうなると、徴兵されたものは、詩を覚悟して両親に別れを告げるのに、声のかぎり泣いて泣いて、泣きさけぴつつ、尊い両親に別れの声は、そのために日も月も光を失うとおもわれるほどであった。

#3

泣盡繼以血,心摧兩無聲。

そうして流す涙がつきはてて血が出るまで泣き、それでも哭き続けると心もくだけて、親も子も声が出なくなるという、その悲しさは、思いやられる。

困獸當猛虎,窮魚餌奔鯨。

これほどの脆弱な兵卒だと、まるで草臥れはてた獣が猛虎に出あったようなものだ。おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなもので、ことごとくやられてしまうというものだ。

千去不一回,投軀豈全生。

千人出征して一人もかえってこない。身を投じたがさいご、いのちはないものと思えばよい。

如何舞干戚,一使有苗平。  

ああ、どうにかしてタテとマサカリの舞いでもって、むかしの聖天子の舜が有苗族を服従させたように、一ぺんに辺境を平和にすることはできないものか。

 

(古風,五十九首之三十四)

羽檄は流星の如く,虎符は專城に合す。

喧呼 邊の急を救わんとす,群鳥 皆 夜鳴く。

白日 紫微に曜き,三公 權衡を運す。

天地 皆 一を得,澹然として四海清し。

#2

借問す 此れ何にをか為す,答えて言く 「楚 兵を徵す」と。

瀘を渡って五月に及び,將に雲南に赴いて征せんとす。

怯卒は 戰士に非らず,炎方は 遠行に難し。

長號して 嚴親に別れ,日月 光晶慘たり。

#3

泣盡きて 繼ぐを血を以ってし,心摧けて 兩ながら聲無し。

困獸 猛虎に當り,窮魚 奔鯨に餌す。

千去して 一も回えらず,軀を投じて豈に生を全うせんや。

如何か 干戚を舞わし,一たび 有苗をして平かならしめん。 

 

安史の乱当時の勢力図 

『古風,五十九首之三十四』 現代語訳と訳註

(本文)

泣盡繼以血,心摧兩無聲。

困獸當猛虎,窮魚餌奔鯨。

千去不一回,投軀豈全生。

如何舞干戚,一使有苗平。

 

(下し文) #3

泣盡きて 繼ぐを血を以ってし,心摧けて 兩ながら聲無し。

困獸 猛虎に當り,窮魚 奔鯨に餌す。

千去して 一も回えらず,軀を投じて豈に生を全うせんや。

如何か 干戚を舞わし,一たび 有苗をして平かならしめん。 

 

(現代語訳)

そうして流す涙がつきはてて血が出るまで泣き、それでも哭き続けると心もくだけて、親も子も声が出なくなるという、その悲しさは、思いやられる。

これほどの脆弱な兵卒だと、まるで草臥れはてた獣が猛虎に出あったようなものだ。おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなもので、ことごとくやられてしまうというものだ。

千人出征して一人もかえってこない。身を投じたがさいご、いのちはないものと思えばよい。

ああ、どうにかしてタテとマサカリの舞いでもって、むかしの聖天子の舜が有苗族を服従させたように、一ぺんに辺境を平和にすることはできないものか。

 

 

古風,五十九首之三十四 #3

(この時期天宝十年前後の時事について詠う)

7514月楊國忠の雲南戦線の戦いに敗れ、死者6万人をかぞえるも、なお徴兵し続けた。高仙芝、大食国を攻め、タラス河において大敗す。

長安と西域 地図01 

#3

泣盡繼以血,心摧兩無聲。

そうして流す涙がつきはてて血が出るまで泣き、それでも哭き続けると心もくだけて、親も子も声が出なくなるという、その悲しさは、思いやられる。

 

困獸當猛虎,窮魚餌奔鯨。

これほどの脆弱な兵卒だと、まるで草臥れはてた獣が猛虎に出あったようなものだ。おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなもので、ことごとくやられてしまうというものだ。

 

千去不一回,投軀豈全生。

千人出征して一人もかえってこない。身を投じたがさいご、いのちはないものと思えばよい。

 

如何舞干戚,一使有苗平。 

ああ、どうにかしてタテとマサカリの舞いでもって、むかしの聖天子の舜が有苗族を服従させたように、一ぺんに辺境を平和にすることはできないものか。

〇千戚 たてとまさかり、転じて武器の稔称。むかし三皇五帝の聖人舜帝は干戚を手にして舞っただけで有苗族がたちまち服従したという故事を引用。

○有苗 中国古代の少数民族の名。
呉越の地図 

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中原は疲弊しつくし、勇敢な兵士は既に戦死しており、残っているのは役に立たない臆病な兵卒ばかりで、戦争の用に立つ勇士とはちがう。炎天の南方への遠い行軍はむつかしいのである。そうなると、徴兵されたものは、詩を覚悟して両親に別れを告げるのに、声のかぎり泣きさけぴつつ、尊い両親に別れの声は、そのために日も月も光を失うとおもわれるほどであった。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-101-#2 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4515 杜甫詩1500-773-#2-1074/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor1-63-411《清平樂二首其二》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-594-1-63-(411) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4517 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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製作年:  751  天寶十年  51

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十四 

寫及地點:  紫微殿 (京畿道 京兆府 長安)     

 

古風,五十九首之三十四 #1

(この時期天宝十年前後の時事について詠う)

羽檄如流星,虎符合專城。

雲南征伐のための鳥の羽をつけた召集令状が流星のように飛ぶ。一城を独占している地方長官で、虎の絵の割符が各地の将軍の手もとで合わされた。

喧呼救邊急,群鳥皆夜鳴。

いずれの地方でも、国境の危急を救うのだと、やかましくわめき立てている。ねぐらに休んでいた鳥たちまで-、みんな、夜中に鳴きだした。

白日曜紫微,三公運權衡。

白日にひとしい聖天子は、紫微殿の御座所にちゃんとかがやいておられるし、三公にはりっぱな大臣が正しくよい政治をしている。

地皆得一,澹然四海清。

老子が天地各々「一:道」を得てみな純粋であるといわれた、おだやかに四海のはてまで澄みわたっているのに。

#2

借問此何為,答言楚徵兵。

こうした太平という時において、このように騒ぐというのはいったいどうしたことかと問うてみると、答えていうには、楚の地方で兵隊を徴集しているというのだ。

渡瀘及五月,將赴雲南征。

ただでさえ、亜熱帯の雲南地方であついのである、五月になれば濾水を渡ることができ、それまでに徴兵して雲南におもむき、いくさをしようというのだ。

怯卒非戰士,炎方難遠行。

これまで、中原は疲弊しつくし、勇敢な兵士は既に戦死しており、残っているのは役に立たない臆病な兵卒ばかりで、戦争の用に立つ勇士とはちがう。炎天の南方への遠い行軍はむつかしいのである。

長號別嚴親,日月慘光晶。

そうなると、徴兵されたものは、詩を覚悟して両親に別れを告げるのに、声のかぎり泣いて泣いて、泣きさけぴつつ、尊い両親に別れの声は、そのために日も月も光を失うとおもわれるほどであった。

#3

泣盡繼以血,心摧兩無聲。

困獸當猛虎,窮魚餌奔鯨。

千去不一回,投軀豈全生。

如何舞干戚,一使有苗平。 

 

(古風,五十九首之三十四)

羽檄は流星の如く,虎符は專城に合す。

喧呼 邊の急を救わんとす,群鳥 皆 夜鳴く。

白日 紫微に曜き,三公 權衡を運す。

天地 皆 一を得,澹然として四海清し。

#2

借問す 此れ何にをか為す,答えて言く 「楚 兵を徵す」と。

瀘を渡って五月に及び,將に雲南に赴いて征せんとす。

怯卒は 戰士に非らず,炎方は 遠行に難し。

長號して 嚴親に別れ,日月 光晶慘たり。

#3

泣盡きて 繼ぐを血を以ってし,心摧けて 兩ながら聲無し。

困獸 猛虎に當り,窮魚 奔鯨に餌す。

千去して 一も回えらず,軀を投じて豈に生を全うせんや。

如何か 干戚を舞わし,一たび 有苗をして平かならしめん。 

2蜀の山00 

 

『古風,五十九首之三十四』 現代語訳と訳註

(本文) #2

借問此何為,答言楚徵兵。

渡瀘及五月,將赴雲南征。

怯卒非戰士,炎方難遠行。

長號別嚴親,日月慘光晶。

 

(下し文)#2

借問す 此れ何にをか為す,答えて言く 「楚 兵を徵す」と。

瀘を渡って五月に及び,將に雲南に赴いて征せんとす。

怯卒は 戰士に非らず,炎方は 遠行に難し。

長號して 嚴親に別れ,日月 光晶慘たり。

 

(現代語訳)

こうした太平という時において、このように騒ぐというのはいったいどうしたことかと問うてみると、答えていうには、楚の地方で兵隊を徴集しているというのだ。

ただでさえ、亜熱帯の雲南地方であついのである、五月になれば濾水を渡ることができ、それまでに徴兵して雲南におもむき、いくさをしようというのだ。

これまで、中原は疲弊しつくし、勇敢な兵士は既に戦死しており、残っているのは役に立たない臆病な兵卒ばかりで、戦争の用に立つ勇士とはちがう。炎天の南方への遠い行軍はむつかしいのである。

そうなると、徴兵されたものは、詩を覚悟して両親に別れを告げるのに、声のかぎり泣いて泣いて、泣きさけぴつつ、尊い両親に別れの声は、そのために日も月も光を失うとおもわれるほどであった。

幻日環01 

(訳注) #2

古風,五十九首之三十四 #2

(この時期天宝十年前後の時事について詠う)

7514月楊國忠の雲南戦線の戦いに敗れ、死者6万人をかぞえるも、なお徴兵し続けた。高仙芝、大食国を攻め、タラス河において大敗す。

 

#2

借問此何為,答言楚徵兵。

こうした太平という時において、このように騒ぐというのはいったいどうしたことかと問うてみると、答えていうには、楚の地方で兵隊を徴集しているというのだ。

○借問 ちょっとたずねる。

○楚徴兵 天宝十載(751年)唐の玄宗は兵を発し、雲南地方の新興国、タイ族の商詔に遠征して大敗した。八万の大軍が渡水の南で全滅したにもかかわらず、宰相の楊国忠は勝利したと上奏し、それをごまかすために、ふたたび七万の軍で南詔を討とうとした。これがまた大敗したが、このとき人民は、十中八九まで倒れて死ぬという雲南のわるい毒気のうわさを聞いており、だれも募集に応じない。楊国忠は各地に使を派遣して徴兵の人数をわりあて、強制的に召集した。楚は、雲南地方に地を接する南方の地方。なお、中庸の詩人、白居易(楽天)の「新豊折臂翁」というすぐれた詩は、この雲南征伐の際、自分で自分の腕をへし折って徴兵をのがれたという厭戦詩である。

 

渡瀘及五月,將赴雲南征。

ただでさえ、亜熱帯の雲南地方であついのである、五月になれば濾水を渡ることができ、それまでに徴兵して雲南におもむき、いくさをしようというのだ。

○渡 楚から書簡に入るところに、瀘水という川がある。いまの雲南省の北境を流れる金沙江(長江の上流)のこと。この川がおそろしい川である。一種の毒ガスを発散して、毎年三月、四月にこの川をわたると必ず中毒で死ぬという。五月になると渡れるが、それでも吐気をもよおした。するという。

○五月 旧暦だから、真夏のさいちゅうである。

 

怯卒非戰士,炎方難遠行。

これまで、中原は疲弊しつくし、勇敢な兵士は既に戦死しており、残っているのは役に立たない臆病な兵卒ばかりで、戦争の用に立つ勇士とはちがう。炎天の南方への遠い行軍はむつかしいのである。

 

長號別嚴親,日月慘光晶。

そうなると、徴兵されたものは、詩を覚悟して両親に別れを告げるのに、声のかぎり泣いて泣いて、泣きさけぴつつ、尊い両親に別れの声は、そのために日も月も光を失うとおもわれるほどであった。
李白図102 

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《古風五十九首之三十四》雲南征伐のための鳥の羽をつけた召集令状が流星のように飛ぶ。一城を独占している地方長官で、虎の絵の割符が各地の将軍の手もとで合わされた。いずれの地方でも、国境の危急を救うのだと、やかましくわめき立てている。ねぐらに休んでいた鳥たちまで-、みんな、夜中に鳴きだした。

 
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34-#1 《古風五十九首之三十四》Index-30-5 751年天寶十年51554古風,五十九首之三十四羽檄如流星, <34-#1> Ⅰ李白詩1192 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4508

 

 

製作年:  751  天寶十年  51

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十四 

寫及地點:  紫微殿 (京畿道 京兆府 長安)     

 

古風,五十九首之三十四 #1

(この時期天宝十年前後の時事について詠う)

羽檄如流星,虎符合專城。

雲南征伐のための鳥の羽をつけた召集令状が流星のように飛ぶ。一城を独占している地方長官で、虎の絵の割符が各地の将軍の手もとで合わされた。

喧呼救邊急,群鳥皆夜鳴。

いずれの地方でも、国境の危急を救うのだと、やかましくわめき立てている。ねぐらに休んでいた鳥たちまで-、みんな、夜中に鳴きだした。

白日曜紫微,三公運權衡。

白日にひとしい聖天子は、紫微殿の御座所にちゃんとかがやいておられるし、三公にはりっぱな大臣が正しくよい政治をしている。

天地皆得一,澹然四海清

老子が天地各々「一:道」を得てみな純粋であるといわれた、おだやかに四海のはてまで澄みわたっているのに。

#2

借問此何為,答言楚徵兵。

渡瀘及五月,將赴雲南征。

怯卒非戰士,炎方難遠行。

長號別嚴親,日月慘光晶。

#3

泣盡繼以血,心摧兩無聲。

困獸當猛虎,窮魚餌奔鯨。

千去不一回,投軀豈全生。

如何舞干戚,一使有苗平。 

 

羽檄如流星,虎符合專城。喧呼救邊急,群鳥皆夜鳴。

白日曜紫微,三公運權衡。天地皆得一,澹然四海清。

借問此何為,答言楚徵兵。渡瀘及五月,將赴雲南征【將赴雲南行】。

怯卒非戰士,炎方難遠行【炎方難遠征】。長號別嚴親,日月慘光晶。

泣盡繼以血,心摧兩無聲。困獸當猛虎,窮魚餌奔鯨。

千去不一回,投軀豈全生。如何舞干戚,一使有苗平。 

 

(古風,五十九首之三十四)

羽檄は流星の如く,虎符は專城に合す。

喧呼 邊の急を救わんとす,群鳥 皆 夜鳴く。

白日 紫微に曜き,三公 權衡を運す。

天地 皆 一を得,澹然として四海清し。

#2

借問す 此れ何にをか為す,答えて言く 「楚 兵を徵す」と。

瀘を渡って五月に及び,將に雲南に赴いて征せんとす。

怯卒は 戰士に非らず,炎方は 遠行に難し。

長號して 嚴親に別れ,日月 光晶慘たり。

#3

泣盡きて 繼ぐを血を以ってし,心摧けて 兩ながら聲無し。

困獸 猛虎に當り,窮魚 奔鯨に餌す。

千去して 一も回えらず,軀を投じて豈に生を全うせんや。

如何か 干戚を舞わし,一たび 有苗をして平かならしめん。 

李白図102 

『古風,五十九首之三十四』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十四 #1

羽檄如流星,虎符合專城。

喧呼救邊急,群鳥皆夜鳴。

白日曜紫微,三公運權衡。

天地皆得一,澹然四海清。

 

 

(下し文)

古風 其の三十四

羽轍 流星の如く、虎符 専城に合す

喧しく呼んで 辺の急を救わんとし、群島は 皆 夜鳴く

白日 紫徴に曜き、天王三三

地ち公言、権衡を運らす

 

 

(現代語訳)

(この時期天宝十年前後の時事について詠う)

雲南征伐のための鳥の羽をつけた召集令状が流星のように飛ぶ。一城を独占している地方長官で、虎の絵の割符が各地の将軍の手もとで合わされた。

いずれの地方でも、国境の危急を救うのだと、やかましくわめき立てている。ねぐらに休んでいた鳥たちまで-、みんな、夜中に鳴きだした。

白日にひとしい聖天子は、紫微殿の御座所にちゃんとかがやいておられるし、三公にはりっぱな大臣が正しくよい政治をしている。

老子が天地各々「一:道」を得てみな純粋であるといわれた、おだやかに四海のはてまで澄みわたっているのに。

 

(訳注)

古風,五十九首之三十四 #1

(この時期天宝十年前後の時事について詠う)

7514月楊國忠の雲南戦線の戦いに敗れ、死者6万人をかぞえるも、なお徴兵し続けた。高仙芝、大食国を攻め、タラス河において大敗す。

太白山001 

羽檄如流星,虎符合專城。

雲南征伐のための鳥の羽をつけた召集令状が流星のように飛ぶ。一城を独占している地方長官で、虎の絵の割符が各地の将軍の手もとで合わされた。

○羽檄 檄は木札通知書。急用のはあいに鶏の羽を目印につけた。この詩では、速達の召集令状。

○虎符 兵士を徴発するときに用いる割符。銅片か竹片を用い、虎の絵が刻みこまれ、半分は京に留め、半分は将軍に賜わり、その命令の真実であることの証拠とした。

○専城 城を専らにする、蒜の主、すなわち一州一部の主で、地方の将軍のこと。

 

喧呼救邊急,群鳥皆夜鳴。

いずれの地方でも、国境の危急を救うのだと、やかましくわめき立てている。ねぐらに休んでいた鳥たちまで-、みんな、夜中に鳴きだした。

○辺急 国境の危急。

 

白日曜紫微,三公運權衡。

白日にひとしい聖天子は、紫微殿の御座所にちゃんとかがやいておられるし、三公にはりっぱな大臣が正しくよい政治をしている。

○紫徴天子の御座所。

〇三公 周代以来、時代によって内容が異なるが、地位の最も高い大臣である。唐の制度では、大尉・司徒・司空を三公とした。

○権衡 はかりのおもりと竿と。これを運用するというのは、政治を正しく行うこと。

 

天地皆得一,澹然四海清。

老子が天地各々「一:道」を得てみな純粋であるといわれた、おだやかに四海のはてまで澄みわたっているのに。

○天地皆得一 天下太平のこと。「天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧し」というのは「老子」の言葉であるが、「一」というのは「道」といいかえてもよい。

○澹然 ごたごたせず、さっぱりとしておだやかなさま。

〇四海 大地の四方のはてに海があると中国人は意識していた。
DCF00207 

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