漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Index-9Ⅱ― 5-730年開元十八年30歳

730年 s-68擬古,十二首之二(巻二四(二)一三七四) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9412

730年 s-68擬古,十二首之二(巻二四()一三七四) -#2


 

2017116

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

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745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-172 補遺-22贈劍客李園聯句【案:韓愈、孟郊】 -#3 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9357

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806年-集20- 韓昌黎集字解集會合聯句【案:韓愈、張籍、孟郊、張徹】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9310

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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767年-143 秋清(卷一九(四)一七二四)注(1157) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9372

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

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花間集 訳注解説 (286)回目 歐陽烱 巻六 賀明朝二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9422 (11/06)

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

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玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

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730
年 s-68擬古,十二首之二(巻二四()一三七四) -#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9412 

 弾く弦声はいかにも激烈であって、風にまかれて高い梁をめぐり、余韻嫋嫋としてつきることはない。路行く人も歩みを止め、ねぐらに棲む鳥たちも、再び去って後に飛んだ。そもそも弦声の悲しいのは、妾の心の苦痛を写したからで、この傷ましげであることは、どうか許してほしい。願わくば、同心の人に逢い、共にふかして、紫鴛鴦となり、そして、つばさをならべてとびたいものである。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

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擬古十二首

其一

青天何歷歷,明星如白石。黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。閨人理紈素,遊子悲行役。

 

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。乘月託宵夢,因之寄金徽。

 

其二

高樓入青天,下有白玉堂。明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

弦聲何激烈,風捲遶飛梁。行人皆躑躅,栖鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

其三

長繩難繫日,自古共悲辛。黃金高北斗,不惜買陽春。

石火無留光,還如世中人。

 

即事已如夢,後來我誰身。提壺莫辭貧,取酒會四鄰。

仙人殊恍惚,未若醉中真。

 

其四

清都綠玉樹,灼爍瑤臺春。攀花弄秀色,遠贈天仙人。

香風送紫蘂,直到扶桑津。取掇世上豔,所貴心之珍。

相思傳一笑,聊欲示情親。

 

其五

今日風日好,明日恐不如。春風笑於人,何乃愁自居。

吹簫舞彩鳳,酌醴鱠神魚。

 

千金買一醉,取樂不求餘。達士遺天地,東門有二疏。

愚夫同瓦石,有才知卷舒。無事作悲苦,塊然涸轍魚。

 

其六

運速天地閉,胡風結飛霜。百草死冬月,六龍西荒。

太白出東方,彗星揚精光。

 

鴛鴦非越鳥,何爲眷南翔。惟昔鷹將犬,今爲侯與王。

得水成蛟龍,爭池奪鳳凰。北斗不酌酒,南箕空簸揚。

 

其七

世路今太行,迴車竟何託。萬族皆凋枯,遂無少可樂。

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

 

榮貴當及時,春華宜照灼。人非崑山玉,安得長璀錯。

身沒期不朽,榮名在麟閣。

 

其八

月色不可掃,客愁不可道。玉露生秋衣,流螢飛百草。

日月終銷毀,天地同枯槁。

 

蟪蛄啼青松,安見此樹老。金丹寧誤俗,昧者難精討。

爾非千翁,多恨去世早。飲酒入玉壺,藏身以爲寶。

 

其九

生者爲過客,死者爲歸人。天地一逆旅,同悲萬古塵。

月兔空搗藥,扶桑已成薪。白骨寂無言,青松豈知春。

前後更嘆息,浮榮安足珍。

 

其十

仙人騎彩鳳,昨下閬風岑。海水三清淺,桃源一見尋。

遺我綠玉桮,兼之紫瓊琴。

 

杯以傾美酒,琴以閑素心。二物非世有,何論珠與金。

琴彈松裏風,桮勸天上月。風月長相知,世人何倏忽。

 

其十一

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳人綵雲裏,欲贈隔遠天。相思無由見,悵望涼風前。

〈又《折荷有贈》云:

「涉江翫秋水,愛此紅蕖鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳期彩雲重,欲贈隔遠天。相思無由見,惆悵涼風前」。〉

 

其十二

去去復去去,辭君還憶君。漢水既殊流,楚山亦此分。

人生難稱意,豈得長爲羣。

 

越燕喜海日,燕鴻思朔雲。別久容華晚,琅玕不能飯。

日落知天昏,夢長覺道遠。望夫登高山,化石竟不返。

 

730年 n-34 文體:    五言古詩

擬古,十二首之二  -#2

全唐詩卷一八三

李白集校注:巻二四()一三七四

李太白集巻二十三04

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730年 s-67擬古,十二首之二(巻二四()一三七四) -#2

 

 

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Ⅰ李白詩

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孟浩然

李白詩

謝霊運

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

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・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

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index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

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index-13 821年~822年 22

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韓愈 哲学・儒学「五原」

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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花間集 訳注解説 (285)回目 歐陽烱 巻六《獻衷心》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9415 (11/05)

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花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

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・玉臺新詠

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玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

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八、2.79 薛濤 《上王尚書 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9424

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(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

ここの高楼は髙く、青空に届くほどである、その下には、白玉で表座敷を飾ってある。

今日は中秋の明月であったがもう西のかたに落ちようとしているが、月は表座敷の窓にあたって、清光を懸けている。

秋の夜長を華やかにしてくれた一人の美人は、うすい衣をつけていて、そのころもには夜露に濡れて素肌が透き通って見える。

感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

 

 

 

擬古,十二首 《李白》

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

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擬古十二首

其一

青天何歷歷,明星如白石。黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。閨人理紈素,遊子悲行役。

 

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。乘月託宵夢,因之寄金徽。

 

其二

高樓入青天,下有白玉堂。明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

弦聲何激烈,風捲遶飛梁。行人皆躑躅,栖鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

其三

長繩難繫日,自古共悲辛。黃金高北斗,不惜買陽春。

石火無留光,還如世中人。

 

即事已如夢,後來我誰身。提壺莫辭貧,取酒會四鄰。

仙人殊恍惚,未若醉中真。

 

其四

清都綠玉樹,灼爍瑤臺春。攀花弄秀色,遠贈天仙人。

香風送紫蘂,直到扶桑津。取掇世上豔,所貴心之珍。

相思傳一笑,聊欲示情親。

 

其五

今日風日好,明日恐不如。春風笑於人,何乃愁自居。

吹簫舞彩鳳,酌醴鱠神魚。

 

千金買一醉,取樂不求餘。達士遺天地,東門有二疏。

愚夫同瓦石,有才知卷舒。無事作悲苦,塊然涸轍魚。

 

其六

運速天地閉,胡風結飛霜。百草死冬月,六龍西荒。

太白出東方,彗星揚精光。

 

鴛鴦非越鳥,何爲眷南翔。惟昔鷹將犬,今爲侯與王。

得水成蛟龍,爭池奪鳳凰。北斗不酌酒,南箕空簸揚。

 

其七

世路今太行,迴車竟何託。萬族皆凋枯,遂無少可樂。

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

 

榮貴當及時,春華宜照灼。人非崑山玉,安得長璀錯。

身沒期不朽,榮名在麟閣。

 

其八

月色不可掃,客愁不可道。玉露生秋衣,流螢飛百草。

日月終銷毀,天地同枯槁。

 

蟪蛄啼青松,安見此樹老。金丹寧誤俗,昧者難精討。

爾非千翁,多恨去世早。飲酒入玉壺,藏身以爲寶。

 

其九

生者爲過客,死者爲歸人。天地一逆旅,同悲萬古塵。

月兔空搗藥,扶桑已成薪。白骨寂無言,青松豈知春。

前後更嘆息,浮榮安足珍。

 

其十

仙人騎彩鳳,昨下閬風岑。海水三清淺,桃源一見尋。

遺我綠玉桮,兼之紫瓊琴。

 

杯以傾美酒,琴以閑素心。二物非世有,何論珠與金。

琴彈松裏風,桮勸天上月。風月長相知,世人何倏忽。

 

其十一

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳人綵雲裏,欲贈隔遠天。相思無由見,悵望涼風前。

〈又《折荷有贈》云:

「涉江翫秋水,愛此紅蕖鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳期彩雲重,欲贈隔遠天。相思無由見,惆悵涼風前」。〉

 

其十二

去去復去去,辭君還憶君。漢水既殊流,楚山亦此分。

人生難稱意,豈得長爲羣。

 

越燕喜海日,燕鴻思朔雲。別久容華晚,琅玕不能飯。

日落知天昏,夢長覺道遠。望夫登高山,化石竟不返。

18居待月 18日頃鵲山湖 01

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李白  巻23-05 -#2擬古,十二首之二  

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。願逢同心者,飛作紫鴛鴦。
弾く弦声はいかにも激烈であって、風にまかれて高い梁をめぐり、余韻嫋嫋としてつきることはない。路行く人も歩みを止め、ねぐらに棲む鳥たちも、再び去って後に飛んだ。そもそも弦声の悲しいのは、妾の心の苦痛を写したからで、この傷ましげであることは、どうか許してほしい。願わくば、同心の人に逢い、共にふかして、紫鴛鴦となり、そして、つばさをならべてとびたいものである。

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Index-

10

Ⅱ― 5-730年開元十八年30

19

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

135

80

1

古風,五十九首之三十八

孤蘭生幽園,

巻一

136

81

2

長相思

長相思,

巻五

137

82

3

秦女卷衣

天子居未央,

巻四

138

83

4

鳳凰曲

嬴女吹玉簫,

巻五

139

84

5

鳳臺曲

嘗聞秦帝女,

巻五

140

85

6

邠歌行上新平長史兄粲

邠谷稍稍振庭柯,

巻六

141

86

7

玉真仙人詞

玉真之仙人,

巻七

142

87

8

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

秋坐金張館,

巻八

143

88

9

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二

苦雨思白日,

巻八

144

89

10

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

漢道昔云季,

巻八

145

90

11

贈裴十四

朝見裴叔則,

巻八

146

91

12

贈新平少年

韓信在淮陰,

巻八

147

92

13

秋山寄衛尉張卿及王徵君

何以折相贈,

巻十二

148

93

14

夜別張五

吾多張公子,

巻十四

149

94

15

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

河伯見海若,

巻十八

150

95

16

登太白峯 

西上太白峰,

巻二十

151

96

17

登新平樓

去國登茲樓,

巻二十

152

97

18

擬古,十二首之二

高樓入青天,

巻二十三

153

98

19

感遇,四首之二

可歎東籬菊,

巻二十三

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

    李太白集 巻二十三-05

詩題:    擬古,十二首之二

 

 

 

擬古,十二首之二 #1

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

高樓入青天,下有白玉堂。

ここの高楼は髙く、青空に届くほどである、その下には、白玉で表座敷を飾ってある。

明月看欲墮,當窗懸清光。

今日は中秋の明月であったがもう西のかたに落ちようとしているが、月は表座敷の窓にあたって、清光を懸けている。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

秋の夜長を華やかにしてくれた一人の美人は、うすい衣をつけていて、そのころもには夜露に濡れて素肌が透き通って見える。

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

152 《卷23-05 擬古,十二首之二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <152> Ⅰ李白詩1348 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5288

 

#2

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。

弾く弦声はいかにも激烈であって、風にまかれて高い梁をめぐり、余韻嫋嫋としてつきることはない。

行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

路行く人も歩みを止め、ねぐらに棲む鳥たちも、再び去って後に飛んだ。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

そもそも弦声の悲しいのは、妾の心の苦痛を写したからで、この傷ましげであることは、どうか許してほしい。

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

願わくば、同心の人に逢い、共にふかして、紫鴛鴦となり、そして、つばさをならべてとびたいものである。

 

(擬古,十二首之二)

高樓 青天に入り,下に白玉の堂に有り。

明月 看て墮ちんと欲す,窗に當って清光を懸く。

遙夜 一美人,羅衣 秋霜に霑う。

情を含んで柔瑟を弄し,彈じて陌上桑を作す。

#2

弦聲 何ぞ激烈なる,風捲いて 飛梁を繞る。

行人 皆 躑躅,棲鳥 起きて迴翔す。

但だ妾が意の苦なるを寫し,此の曲の傷むを辭する莫れ。

願わくば同心の者に逢い,飛んで紫鴛鴦と作らん。

 

 

『擬古,十二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文) 23-05 -#2

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。

行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

(下し文)
弦聲 何ぞ激烈なる,風捲いて 飛梁を繞る。

行人 皆 躑躅,棲鳥 起きて迴翔す。

但だ妾が意の苦なるを寫し,此の曲の傷むを辭する莫れ。

願わくば同心の者に逢い,飛んで紫鴛鴦と作らん。

(現代語訳)#2
弾く弦声はいかにも激烈であって、風にまかれて高い梁をめぐり、余韻嫋嫋としてつきることはない。

路行く人も歩みを止め、ねぐらに棲む鳥たちも、再び去って後に飛んだ。

そもそも弦声の悲しいのは、妾の心の苦痛を写したからで、この傷ましげであることは、どうか許してほしい。

願わくば、同心の人に逢い、共にふかして、紫鴛鴦となり、そして、つばさをならべてとびたいものである。


(訳注)#2

(巻23-05擬古,十二首之二

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

 

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。

弾く弦声はいかにも激烈であって、風にまかれて高い梁をめぐり、余韻嫋嫋としてつきることはない。

繞飛梁 《文選王延壽<魯靈光殿賦>》:飛梁偃蹇以虹指, 揭蘧蘧而騰湊。”

 

行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

路行く人も歩みを止め、ねぐらに棲む鳥たちも、再び去って後に飛んだ。

躑躅 「行っては止まる」「躊躇」という意味があり、見る人の足を引き止める美しさから、この漢字が使われたといわれる。 本来は「羊躑躅」で、葉を食べたヒツジが躑躅して死ぬことからという説から、ツツジという意味になる。

 

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

そもそも弦声の悲しいのは、妾の心の苦痛を写したからで、この傷ましげであることは、どうか許してほしい。

 

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

願わくば、同心の人に逢い、共にふかして、紫鴛鴦となり、そして、つばさをならべてとびたいものである。

153 《巻23-29 感遇,四首之二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <153> Ⅰ李白詩1338 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5238

李白《巻23-29 感遇,四首之二》その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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153 《巻23-29 感遇,四首之二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <153> Ⅰ李白詩1338 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5238

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感遇,四首之二

 

 

*750年天寶九年50

感遇,四首之一

吾愛王子晉,得道伊洛濱。

金骨既不毀,玉顏長自春。

可憐浮丘公,猗靡與情親。

舉首白日間,分明謝時人。

二仙去已遠,夢想空殷勤。

 

*730年開元十八年30

感遇,四首之二

その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

可歎東籬菊,莖疏葉且微。

東籬に菊の花が咲き並んでいるが茎もまばらで、葉も少ししかなく、随分痩せ衰えている。

雖言異蘭蕙,亦自有芳菲。

蘭蕙とは異なっているとはいうものの、また、そんな花からでも芳香があってきわめて愛すべきものなのだ。

未泛盈樽酒,徒霑清露輝。

ただ今、樽一杯の酒などないのでその菊花を浮かべることなどできないし、いたずらに清らかに輝ける白露に沾うだけで、寂しい限りだ。

當榮君不採,飄落欲何依。

この花の盛りの時にとらなければ陶潜と同じ東籬なのに「飲酒」の詩も歌えず、このまま飄落してしまうので、どうしようもなく、何を頼りにしたらよいのだろうか。

 

(感遇,四首之二)

歎す可し 東籬の菊,莖は疏にして葉 且らく微なり。

蘭蕙に異なりと言うと雖も,亦た自ら芳菲有り。

未だ 盈樽の酒を泛べず,徒らに清露の輝に霑う。

榮に當って君は採らずと,飄落 何れにか依らんと欲す。

 

*743年天寶二年43

感遇,四首之三

昔余聞姮娥,竊藥駐雲髮。

不自嬌玉顏,方希鍊金骨。

飛去身莫返,含笑坐明月。

紫宮誇蛾眉,隨手會凋歇。

 

*743年天寶二年43

感遇,四首之四

宋玉事楚王,立身本高潔。

巫山賦綵雲,郢路歌白雪。

舉國莫能和,巴人皆卷舌。

一感登徒言,恩情遂中

 

晩菊001 

『感遇,四首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文)

感遇,四首之二

可歎東籬菊,莖疏葉且微。

雖言異蘭蕙,亦自有芳菲。

未泛盈樽酒,徒霑清露輝。

當榮君不採,飄落欲何依。

 

(下し文)

(感遇,四首之二)

歎す可し 東籬の菊,莖は疏にして葉 且らく微なり。

蘭蕙に異なりと言うと雖も,亦た自ら芳菲有り。

未だ 盈樽の酒を泛べず,徒らに清露の輝に霑う。

榮に當って君は採らずと,飄落 何れにか依らんと欲す。
 

(現代語訳)

その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

東籬に菊の花が咲き並んでいるが茎もまばらで、葉も少ししかなく、随分痩せ衰えている。

蘭蕙とは異なっているとはいうものの、また、そんな花からでも芳香があってきわめて愛すべきものなのだ。

ただ今、樽一杯の酒などないのでその菊花を浮かべることなどできないし、いたずらに清らかに輝ける白露に沾うだけで、寂しい限りだ。

この花の盛りの時にとらなければ陶潜と同じ東籬なのに「飲酒」の詩も歌えず、このまま飄落してしまうので、どうしようもなく、何を頼りにしたらよいのだろうか。

李白図102 

 

(訳注)

感遇,四首之二

その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

 

可歎東籬菊,莖疏葉且微。

東籬に菊の花が咲き並んでいるが茎もまばらで、葉も少ししかなく、随分痩せ衰えている。

東籬菊 陶潜《飲酒》其五「採菊東籬下,悠然見南山。」をおもいうかべる。

 

雖言異蘭蕙,亦自有芳菲。

蘭蕙とは異なっているとはいうものの、また、そんな花からでも芳香があってきわめて愛すべきものなのだ。

 

未泛盈樽酒,徒霑清露輝。

ただ今、樽一杯の酒などないのでその菊花を浮かべることなどできないし、いたずらに清らかに輝ける白露に沾うだけで、寂しい限りだ。

未泛 菊酒が出来ない。

 

當榮君不採,飄落欲何依。

この花の盛りの時にとらなければ陶潜と同じ東籬なのに「飲酒」の詩も歌えず、このまま飄落してしまうので、どうしようもなく、何を頼りにしたらよいのだろうか。

當榮 菊の花の盛んになる時にあたってという意味。

君不採 陶潜《飲酒》其五「採菊東籬下,悠然見南山。」

《飲酒》

結廬在人境,而無車馬喧。

問君何能爾?心遠地自偏。

採菊東籬下,悠然見南山。

山氣日夕佳,飛鳥相與還。

此中有真意,欲辯已忘言。

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152 《卷23-05 擬古,十二首之二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <152> Ⅰ李白詩1348 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5288

 

 

Index-

10

Ⅱ― 5-730年開元十八年30

19

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

135

80

1

古風,五十九首之三十八

孤蘭生幽園,

巻一

136

81

2

長相思

長相思,

巻五

137

82

3

秦女卷衣

天子居未央,

巻四

138

83

4

鳳凰曲

嬴女吹玉簫,

巻五

139

84

5

鳳臺曲

嘗聞秦帝女,

巻五

140

85

6

邠歌行上新平長史兄粲

邠谷稍稍振庭柯,

巻六

141

86

7

玉真仙人詞

玉真之仙人,

巻七

142

87

8

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

秋坐金張館,

巻八

143

88

9

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二

苦雨思白日,

巻八

144

89

10

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

漢道昔云季,

巻八

145

90

11

贈裴十四

朝見裴叔則,

巻八

146

91

12

贈新平少年

韓信在淮陰,

巻八

147

92

13

秋山寄衛尉張卿及王徵君

何以折相贈,

巻十二

148

93

14

夜別張五

吾多張公子,

巻十四

149

94

15

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

河伯見海若,

巻十八

150

95

16

登太白峯 

西上太白峰,

巻二十

151

96

17

登新平樓

去國登茲樓,

巻二十

152

97

18

擬古,十二首之二

高樓入青天,

巻二十三

153

98

19

感遇,四首之二

可歎東籬菊,

巻二十三

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    擬古,十二首之二

 

 

 

擬古,十二首之二

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

高樓入青天,下有白玉堂。

ここの高楼は髙く、青空に届くほどである、その下には、白玉で表座敷を飾ってある。

明月看欲墮,當窗懸清光。

今日は中秋の明月であったがもう西のかたに落ちようとしているが、月は表座敷の窓にあたって、清光を懸けている。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

秋の夜長を華やかにしてくれた一人の美人は、うすい衣をつけていて、そのころもには夜露に濡れて素肌が透き通って見える。

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

 

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。

行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

(擬古,十二首之二)

高樓 青天に入り,下に白玉の堂に有り。

明月 看て墮ちんと欲す,窗に當って清光を懸く。

遙夜 一美人,羅衣 秋霜に霑う。

情を含んで柔瑟を弄し,彈じて陌上桑を作す。

 

弦聲 何ぞ激烈なる,風捲いて 飛梁を繞る。

行人 皆 躑躅,棲鳥 起きて迴翔す。

但だ妾が意の苦なるを寫し,此の曲の傷むを辭する莫れ。

願わくば同心の者に逢い,飛んで紫鴛鴦と作らん。

 

 

『擬古,十二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文) 23-05 -#1

擬古,十二首之二

高樓入青天,下有白玉堂。

明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

(下し文)

(擬古,十二首之二)

高樓 青天に入り,下に白玉の堂に有り。

明月 看て墮ちんと欲す,窗に當って清光を懸く。

遙夜 一美人,羅衣 秋霜に霑う。

情を含んで柔瑟を弄し,彈じて陌上桑を作す。

 

(現代語訳)

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

ここの高楼は髙く、青空に届くほどである、その下には、白玉で表座敷を飾ってある。

今日は中秋の明月であったがもう西のかたに落ちようとしているが、月は表座敷の窓にあたって、清光を懸けている。

秋の夜長を華やかにしてくれた一人の美人は、うすい衣をつけていて、そのころもには夜露に濡れて素肌が透き通って見える。

感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

 

 

(訳注)

(巻23-05擬古,十二首之二

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

 

高樓入青天,下有白玉堂。

ここの高楼は髙く、青空に届くほどである、その下には、白玉で表座敷を飾ってある。

白玉堂 貴族の豪華な邸宅、飲酒歌舞の華やかな生活をいう。《古樂府六首其二》「黄金爲君門,白玉爲君堂」君の家は黄金で門を作り、白玉で表座敷を飾ってある。

《古樂府六首其二,淸調曲.相逢行》。:「相逢狭路間,道隘不容車。不知何年少,挾轂問君家。君家誠易知,易知復難忘。黄金爲君門,白玉爲君堂;堂上置尊酒,使作邯鄲倡。中庭生桂樹,華燈何煌煌。兄弟兩三人,中子爲侍郞。五日一來歸,道上自生光。黃金絡馬頭,觀者盈道傍。入門時左顧,但見雙駑鴦。鴛鴦七十二,羅列自成行。音聲何,鶴鳴東西廂。大婦織綺羅,中婦織流黃。小婦無所為, 挾琴上高堂。 丈夫且徐徐, 調絃 未央。

 

明月看欲墮,當窗懸清光。

今日は中秋の明月であったがもう西のかたに落ちようとしているが、月は表座敷のの窓にあたって、清光を懸けている。

 

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

秋の夜長を華やかにしてくれた一人の美人は、うすい衣をつけていて、そのころもには夜露に濡れて素肌が透き通って見える。

 

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

陌上桑

漢の無名氏《陌上桑》 がある。

#1

日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。

羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。青絲為籠係,桂枝為籠鉤。

頭上倭墮髻,耳中明月珠。

#2

緗綺為下裙,紫綺為上襦。行者見羅敷,下擔捋髭須。

少年見羅敷,帽著頭。耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。

來歸相怨怒,但坐觀羅敷。

#3

使君從南來,五馬立踟躕。使君遣吏往,問是誰家姝。

“秦氏有好女,自名為羅敷。”

“羅敷年幾何?”

“二十尚不足,十五頗有餘。”

“使君謝羅敷,寧可共載不?”

#4

羅敷前置辭:“使君一何愚!使君自有婦,羅敷自有夫。”

“東方千餘騎,夫婿居上頭。何用識夫婿?白馬從驪駒;

青絲係馬尾,黃金絡馬頭;

#5

腰中鹿盧劍,可直千萬餘。十五府小吏,二十朝大夫,

三十侍中郎,四十專城居。為人潔白晰,鬑鬑頗有須。

盈盈公府步,冉冉府中趨。坐中數千人,皆言夫婿殊。”

陌上桑行 古詩・漢の無名氏 魏詩<55-#5> 女性詩706 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2078

 

為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩583 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1566

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李白《卷20-11 登新平樓》見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。

 

 
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151 《卷20-11 登新平樓》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <151> Ⅰ李白詩1347 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5283

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八○               文體:              五言律詩

詩題:    登新平樓

作地點:              新平(京畿道 / 邠州 / 新平)

 

 

登新平樓

(新平の城楼に登って詠う。)

去國登茲樓,懷歸傷暮秋。

故郷の国を去ってここの城郭の高楼に登ってみると、故郷に帰りたい気持ちが浮かんでくるが、悲愁の秋も暮れようとするときだから傷心にならざるをえないのだ。

天長落日遠,水淨寒波流。

天は長く晴れ渡り、夕日は遠く落ちてゆく、涇水の水は清くして、西風が寒波を運んでくる。

秦雲起嶺樹,胡雁飛沙洲。

秦地の雲は、山脈の樹木のあいだからおこってきて、胡の空から飛んできた雁が中州の砂浜の間を飛んでいる。

蒼蒼幾萬里,目極令人愁。

見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。

 

(新平の樓に登る)

國を去って茲の樓に登り,歸るを懷うて暮秋を傷む。

天は長くして落日遠く,水は淨くして寒波流る。

秦雲 嶺樹に起り,胡雁 沙洲に飛ぶ。

蒼蒼として 幾萬里あり,目 極まって 人をして愁えしむ。

扶風雍州長安003 

 

『登新平樓』 現代語訳と訳註解説

(本文)

登新平樓

去國登茲樓,懷歸傷暮秋。

天長落日遠,水淨寒波流。

秦雲起嶺樹,胡雁飛沙洲。

蒼蒼幾萬里,目極令人愁。

 

(下し文)

(新平の樓に登る)

國を去って茲の樓に登り,歸るを懷うて暮秋を傷む。

天は長くして落日遠く,水は淨くして寒波流る。

秦雲 嶺樹に起り,胡雁 沙洲に飛ぶ。

蒼蒼として 幾萬里あり,目 極まって 人をして愁えしむ。

 

(現代語訳)

(新平の城楼に登って詠う。)

故郷の国を去ってここの城郭の高楼に登ってみると、故郷に帰りたい気持ちが浮かんでくるが、悲愁の秋も暮れようとするときだから傷心にならざるをえないのだ。

天は長く晴れ渡り、夕日は遠く落ちてゆく、涇水の水は清くして、西風が寒波を運んでくる。

秦地の雲は、山脈の樹木のあいだからおこってきて、胡の空から飛んできた雁が中州の砂浜の間を飛んでいる。

見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。

 

杜甫乱前後の図003鳳翔 

(訳注)

登新平樓

(新平の城楼に登って詠う。)

新平(邠() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。

140-#1 《邠()歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#1> Ⅰ李白詩1325 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5173

 

去國登茲樓,懷歸傷暮秋。

故郷の国を去ってここの城郭の高楼に登ってみると、故郷に帰りたい気持ちが浮かんでくるが、悲愁の秋も暮れようとするときだから傷心にならざるをえないのだ。

 

天長落日遠,水淨寒波流。

天は長く晴れ渡り、夕日は遠く落ちてゆく、涇水の水は清くして、西風が寒波を運んでくる。

水淨 晴天続きで涇水の水が清い流れである。

寒波流 晩秋の西からの寒波が押し寄せる。

 

秦雲起嶺樹,胡雁飛沙洲。

秦地の雲は、山脈の樹木のあいだからおこってきて、胡の空から飛んできた雁が中州の砂浜の間を飛んでいる。

秦雲起嶺樹 南の長安の街を見守ってきた秦嶺山脈の木々の間から湧き立つ雲。古代、雲は木々の谷間の岩場の洞窟から湧き立つと考えられていた。

胡雁飛沙洲 涇水は北西から長安方向へ流れ渭水に合流する。したがって胡の会コツから雁が南下してくることをいう。涇水の沙汀の間から飛んでくる。

 

蒼蒼幾萬里,目極令人愁。

見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。
banri03 

150李白《巻20-09 登太白峯》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<150> Ⅰ李白詩1335 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5223

150李白《巻20-09 登太白峯》こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

 

 
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150李白《巻20-09 登太白峯》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<150> Ⅰ李白詩1335 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5223

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:  卷一八○        文體:  五言古詩

詩題:  登太白峰

作地點:        太白山(京畿道 / 岐州 / 太白山)

及地點:        太白山 (京畿道 岐州太白山) 別名:太白峰         

武功 (京畿道 京兆府 武功)        

 

 

登太白峰

(夜、太白山に登って作ったもの)

西上太白峰,夕陽窮登攀。

秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。

太白與我語,為我開天關。

空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。

願乘泠風去,直出浮雲間。

願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。

舉手可近月,前行若無山。

山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。

一別武功去,何時復見還。

こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

 

(太白峰に登る)

西のかた太白峰に上り、夕陽  登攀【とうはん】を窮む。

太白  我と語り、我が為に天関を開く。

願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。

手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。

一たび別れて武功に去り、何れの時か  復た更に還【かえ】らん。

太白山00 

 

『登太白峰』 現代語訳と訳註解説

(本文)

登太白峰

西上太白峰,夕陽窮登攀。

太白與我語,為我開天關。

願乘泠風去,直出浮雲間。

舉手可近月,前行若無山。

一別武功去,何時復見還。

 

(下し文)

(太白峰に登る)

西のかた太白峰に上り、夕陽  登攀【とうはん】を窮む。

太白  我と語り、我が為に天関を開く。

願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。

手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。

一たび別れて武功に去り、何れの時か  復た更に還【かえ】らん。

 

(現代語訳)

(夜、太白山に登って作ったもの)

秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。

空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。

願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。

山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。

こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

 

yoshu&choan736 

(訳注)

登太白峰

(太白峰に登る)

(夜、太白山に登って作ったもの)

・太白峰 太白山のこと。長安の西方80kmにある3767m、陝西省武功県、の南にある山の名。標高もあり、山頂には年中積雪がある。 五嶽より圧倒的に高い。古来、五嶽を基本として地方を9つに分けて考えられていた世界観からすれば太白山はその世界を外れた天に続く山とされていたのだろう。  陝西省関中道郿縣の南にあり、上に洞窟がある。道教でいう第十一洞天の霊場である。

古風,五十九首之五

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

Index-23 Ⅲ-1-364 《古風,五十九首之五》Ⅲ-1 744年天寶三年44歳 364Index-23> Ⅰ李白詩1149 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4293

・終南太一 終南山は南山、秦嶺ともいう。長安の正面、渭水の南にあり。太一は終南山から秦嶺山脈中の一番高峰の太白山とする。「終南山は泰嶺山脈の全体の名と見ると、太一山はその山脈中の一山、武功県の太白山なりといぅ(『読史方輿紀要』)。陝西省南部を東西によこぎる断層山脈。平均標高20003000m,最高峰の太白山(3767m)をはじめ,《詩経》にみえる終南山(2604m),玉泉山(1291m)などの山峰がある。渭河と漢水の分水嶺をなし,北側は急峻な断層崖のため,古来,渭水盆地では〈南山〉と称し〈九州の名阻,天下の険峻〉とよんだ。

 

西上太白峰,夕陽窮登攀。

西のかた太白峰に上り、夕陽  登攀【とうはん】を窮む。

秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。

 

太白與我語,為我開天關。

太白  我と語り、我が為に天関を開く。

空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。

 

願乘泠風去,直出浮雲間。

願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。

願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。

 

舉手可近月,前行若無山。

手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。

山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。

 

一別武功去,何時復見還。

一たび別れて武功に去り、何れの時か  復た更に還【かえ】らん。

こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

武功 陝西省咸陽市に位置する県。太白山の登山口の街。

 

149-4 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (4)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <149-4> Ⅰ李白詩1345 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5273

李白《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (4)しかし、古の紫芝を採った商山の四皓であるとか、纓を洗ったという滄浪の歌を聞いて感心した屈原という人は、今日見る事が出来ないけれど、この地において君一人で、一人さびしく過ぎてゆかれたのである。

 

 
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年:30年開元十八年30

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

翠微寺 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翠微宮  

子午谷 (京畿道、山南西道 無第二級行政層級 子午谷)              

石門 (山南西道 梁州 褒城)              

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

交遊人物:崔叔封              書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,

太宗皇帝金沙泉見寄 -#1

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

小物昧遠圖,寧知通方士。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

地古寒雲深,巖高長風起。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。

#2

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

#3

早行子午關,卻登山路遠。

翌朝はやく、子午道の關所に赴こうとし、遠い山道をとぼとぼと歩いていくことになる。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

そして、旅籠についてから、琴を掻き鳴らし、朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声を聴き、また燈火を吹き消して、夜が明けぬ前に起きて飯を食らうのである。

人煙無明異,鳥道往返。

この辺は寂しい所であるから、人煙は朝夕の区別なく、何処にも見えないし、獣地にも満たない鳥の道には人が通ることはない。

攀崖倒青天,下視白日晚。

そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

#4

既過石門隱,還唱石潭歌。

既に石門の隠者を訪ねたが、そこではまた、石潭歌を繰り返し唱えた。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

雪が積もっている間を渉って、紫芝などの仙草を摘み、冠の纓をあらって清波を懐かしく思うのである。

此人不可見,此地君自過。

しかし、古の紫芝を採った商山の四皓であるとか、纓を洗ったという滄浪の歌を聞いて感心した屈原という人は、今日見る事が出来ないけれど、この地において君一人で、一人さびしく過ぎてゆかれたのである。

為余謝風泉,其如幽意何。

そうであれば、終南山の山中のこの幽意をだれが賛賞するというのか、そんな人はいないはずだが、やがて、私が行くことになるから、君が先に行って、その風流な金沙泉に挨拶をしておいてほしい。

 

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

 

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

 

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

 

既に石門の隱を過ぎ,還た石潭の歌を唱う。

雪を涉って紫芳を搴り,纓を濯って清波を想う。

此人 見る可からず,此の地 君 自ら過ぐ。

余が為に風泉を謝せよ,其れ幽意を如何【いか】ん。

yoshu&choan736 

 

『答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄』 現代語訳と訳註解説

(本文) #4

既過石門隱,還唱石潭歌。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

此人不可見,此地君自過。

為余謝風泉,其如幽意何。

 

(含異文)

既過石門隱【既遇石門隱】,還唱石潭歌【還聞石潭歌】。涉雪搴紫芳【涉雪採紫莖】,濯纓想清波【濯纓掬清波】。

此人不可見,此地君自過。為余謝風泉,其如幽意何。

 

(下し文)

既に石門の隱を過ぎ,還た石潭の歌を唱う。

雪を涉って紫芳を搴り,纓を濯って清波を想う。

此人 見る可からず,此の地 君 自ら過ぐ。

余が為に風泉を謝せよ,其れ幽意を如何【いか】ん。

 

(現代語訳)

既に石門の隠者を訪ねたが、そこではまた、石潭歌を繰り返し唱えた。

雪が積もっている間を渉って、紫芝などの仙草を摘み、冠の纓をあらって清波を懐かしく思うのである。

しかし、古の紫芝を採った商山の四皓であるとか、纓を洗ったという滄浪の歌を聞いて感心した屈原という人は、今日見る事が出来ないけれど、この地において君一人で、一人さびしく過ぎてゆかれたのである。

そうであれば、終南山の山中のこの幽意をだれが賛賞するというのか、そんな人はいないはずだが、やがて、私が行くことになるから、君が先に行って、その風流な金沙泉に挨拶をしておいてほしい。

終南山06 

(訳注) #4

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

崔叔封 不明の人物であるが、時期的に考えて、道教つながりの人であろう。

 

既過石門隱,還唱石潭歌。

既に石門の隠者を訪ねたが、そこではまた、石潭歌を繰り返し唱えた。

石門 いまの山東省曲阜県の東北、泗水の岸にあった。

夜宿石門詩 謝霊運(康楽) 詩<39#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩421 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1080

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涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

雪が積もっている間を渉って、紫芝などの仙草を摘み、冠の纓をあらって清波を懐かしく思うのである。

紫芳 紫芝 []【植】マンネンタケ.紫芳草。靈芝などの仙草。・商山四皓。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。画題とされる。また、・龐德公 東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。

清波 陝西省漢水の上流の嶓冢山から流れ出る川をおもい、澄み切って綺麗な流れということで、きれいなものの比較対象として使われる。隠遁者がきれいな心の持ち主であること、長安のひと山越えて終南山、漢水のきれいな水に入っていきたいうこと。『孟子・離婁上』「孟子曰:…有孺子歌曰:『滄浪之水淸兮,可以濯我纓。滄浪之水濁兮,可以濯我足。』孔子曰:『小子聽之。淸斯濯纓,濁斯濯足矣,自取之也。』…。」この部分に基づいて、屈原が『楚辭』「漁父」で取り込んで歌い上げている。「漁父莞爾而笑,鼓枻而去。 乃歌曰: 『滄浪之水淸兮,可以濯我纓,滄浪之水濁兮,可以濯我足。』 遂去,不復與言。」

滄浪の水が澄めば、わたしの(一番大切で尊貴な)冠のヒモ(纓)を洗ったらいいのであって、滄浪の水が濁れば、わたしの(体の部分で一番穢れている)足を洗ったらいい。

 

此人不可見,此地君自過。

しかし、古の紫芝を採った商山の四皓であるとか、纓を洗ったという滄浪の歌を聞いて感心した屈原という人は、今日見る事が出来ないけれど、この地において君一人で、一人さびしく過ぎてゆかれたのである。

 

為余謝風泉,其如幽意何。

そうであれば、終南山の山中のこの幽意をだれが賛賞するというのか、そんな人はいないはずだが、やがて、私が行くことになるから、君が先に行って、その風流な金沙泉に挨拶をしておいてほしい。
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149-3 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (3)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <149-3> Ⅰ李白詩1344 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5268

李白《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (3)そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

 

 
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149-3 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (3)Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <149-3> Ⅰ李白詩1344 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5268

 

 

年:30年開元十八年30

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

翠微寺 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翠微宮  

子午谷 (京畿道、山南西道 無第二級行政層級 子午谷)              

石門 (山南西道 梁州 褒城)              

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

交遊人物:崔叔封              書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,

太宗皇帝金沙泉見寄 -#1

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

小物昧遠圖,寧知通方士。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

地古寒雲深,巖高長風起。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。

#2

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

#3

早行子午關,卻登山路遠。

翌朝はやく、子午道の關所に赴こうとし、遠い山道をとぼとぼと歩いていくことになる。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

そして、旅籠についてから、琴を掻き鳴らし、朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声を聴き、また燈火を吹き消して、夜が明けぬ前に起きて飯を食らうのである。

人煙無明異,鳥道往返。

この辺は寂しい所であるから、人煙は朝夕の区別なく、何処にも見えないし、獣地にも満たない鳥の道には人が通ることはない。

攀崖倒青天,下視白日晚。

そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

#4

既過石門隱,還唱石潭歌。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

此人不可見,此地君自過。

為余謝風泉,其如幽意何。

 

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

 

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

 

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

 

既に石門の隱を過ぎ,還た石潭の歌を唱う。

雪を涉って紫芳を搴り,纓を濯って清波を想う。

此人 見る可からず,此の地 君 自ら過ぐ。

余が為に風泉を謝せよ,其れ幽意を如何【いか】ん。

 

 yoshu&choan736

『答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄』 現代語訳と訳註解説

(本文) #3

早行子午關,卻登山路遠。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

人煙無明異,鳥道往返。

攀崖倒青天,下視白日晚。

 

(含異文)

早行子午關【早行子午間】【早行子午峰】,卻登山路遠【卻歎山路遠】【頗識關路遠】。拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

人煙無明異【人煙無同異】,鳥道往返。攀崖倒青天,下視白日晚。

 

(下し文)

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

 

(現代語訳)

翌朝はやく、子午道の關所に赴こうとし、遠い山道をとぼとぼと歩いていくことになる。

そして、旅籠についてから、琴を掻き鳴らし、朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声を聴き、また燈火を吹き消して、夜が明けぬ前に起きて飯を食らうのである。

この辺は寂しい所であるから、人煙は朝夕の区別なく、何処にも見えないし、獣地にも満たない鳥の道には人が通ることはない。

そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

 

 秦州同谷成都紀行地図

(訳注) #3

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

崔叔封 不明の人物であるが、時期的に考えて、道教つながりの人であろう。

 

早行子午關,卻登山路遠。

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

翌朝はやく、子午道の關所に赴こうとし、遠い山道をとぼとぼと歩いていくことになる。

子午關 古代中国人は北を子と呼ぶ、南を午という。子午谷は秦嶺山脈の南北を貫く桟道で子午谷と呼ばれた。子午谷の北入り口は今の西安市長安区にあり、南入り口は洋県町から約30キロ離れた龍亭鎮にあり、全長約420キロ。三国末期、魏延が出した「子午谷の計」が利用する桟道がこの道路である。

 

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

そして、旅籠についてから、琴を掻き鳴らし、朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声を聴き、また燈火を吹き消して、夜が明けぬ前に起きて飯を食らうのである。

霜猿 朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声

星飯 朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声

 

人煙無明異,鳥道往返。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

この辺は寂しい所であるから、人煙は朝夕の区別なく、何処にも見えないし、獣地にも満たない鳥の道には人が通ることはない。

 

攀崖倒青天,下視白日晚。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

149-2 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-2> Ⅰ李白詩1343 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5263

李白《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

 

 
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149-2 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-2> Ⅰ李白詩1343 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5263 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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149-2 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-2> Ⅰ李白詩1343 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5263

 

 

年:30年開元十八年30

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

翠微寺 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翠微宮  

子午谷 (京畿道、山南西道 無第二級行政層級 子午谷)              

石門 (山南西道 梁州 褒城)              

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

交遊人物:崔叔封              書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,

太宗皇帝金沙泉見寄 -#1

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

小物昧遠圖,寧知通方士。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

地古寒雲深,巖高長風起。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。

#2

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

#3

早行子午關,卻登山路遠。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

人煙無明異,鳥道往返。

攀崖倒青天,下視白日晚。

#4

既過石門隱,還唱石潭歌。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

此人不可見,此地君自過。

為余謝風泉,其如幽意何。

 

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

 

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

 

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

 

既に石門の隱を過ぎ,還た石潭の歌を唱う。

雪を涉って紫芳を搴り,纓を濯って清波を想う。

此人 見る可からず,此の地 君 自ら過ぐ。

余が為に風泉を謝せよ,其れ幽意を如何【いか】ん。

 

華山道教 

『答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄』 現代語訳と訳註解説

(本文)

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

 

(含異文)

初登翠微嶺,復憩金沙泉。踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。鼎湖夢淥水,龍駕空茫然【龍駕何茫然】。

 

(下し文)

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

 

(現代語訳)

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

 yoshu&choan736

(訳注)

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

崔叔封 不明の人物であるが、時期的に考えて、道教つながりの人であろう。

 

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

翠微嶺 翠微寺のある峰

金沙泉。水が澄み金沙のように見える泉。仙郷を言いあらわす。

 

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

夕月圓 日と上る月の影は団円なのである。

 

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

 

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

龍駕空茫然 黄帝昇天のこと。黄帝は首山の銅を採って、荊山の麓で鼎を鋳造した。鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天した。臣下たちは悉く竜の髯をつかまえ、帝の弓にぶら下がって、帝について昇天しようとしたところ、竜の髯が抜け、弓も落ちてしまったので、臣下たちはついてゆくことができず、帝を仰いで泣き叫んだ。

伝説によれば薨去の際に衣服と冠だけを残して昇天したといわれ、「衣冠塚」と呼ばれる。 陵は黄陵県の城北に位置している。

函谷関長安地図座標005李白図102 

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李白《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (1)何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

 

 
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年:30年開元十八年30

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

翠微寺 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翠微宮  

子午谷 (京畿道、山南西道 無第二級行政層級 子午谷)              

石門 (山南西道 梁州 褒城)              

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

交遊人物:崔叔封              書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

小物昧遠圖,寧知通方士。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

地古寒雲深,巖高長風起。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。 

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

 

早行子午關,卻登山路遠。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

人煙無明異,鳥道往返。

攀崖倒青天,下視白日晚。

 

既過石門隱,還唱石潭歌。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

此人不可見,此地君自過。

為余謝風泉,其如幽意何。

 

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

終南山06 

 

『答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄』 現代語訳と訳註解説

(本文)

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

河伯見海若,傲然誇秋水。

小物昧遠圖,寧知通方士。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

地古寒雲深,巖高長風起。

 

(下し文)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

 

(現代語訳)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。

yoshu&choan736 

(訳注)

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

崔叔封 不明の人物であるが、時期的に考えて、道教つながりの人であろう。

少府 後漢での少府は、宮中の御物、衣服、珍宝、御膳を担当すると注釈されている。秩禄は中二千石。丞は1人である。属官には以下のものがあり、中常侍等の宦官の各職官に加え、侍中、尚書令、御史中丞等のような政務の中枢をつかさどる職官が係属されている。以下、括弧内は秩禄で、人数の書いていないものは定員無しである。

終南 終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

翠微寺 終南翠微宮。《元和郡縣誌》「元和郡縣誌·關道·京兆府:太和宮在(長安)縣南五十五里終南山太和谷武德八年造貞觀十年廢二十一年以時熱公卿重請修築於是使將作大匠閻立德繕理焉改為翠微宮今廢為寺。」(關道、京兆府太和宮は長安縣の南五十五里の終南山の太和谷に在り、武德八年造られ、貞觀十年に廢す。二十一年、時熱するを以って、公卿重ねて修築を請う。是に於て將作大匠閻立德を使て、繕理せしめ、改めて翠微宮と為す。今、廢して寺と為す。)

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河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

《莊子外篇秋水第十七》「秋水時至,百川灌河。涇流之大,兩涘渚崖之間,不辯牛馬。於是焉河伯欣然自喜, 以天下之美為盡在己。順流而東行,至於北海,東面而視,不見水端。於是焉河伯始旋其面目,望洋向若而嘆曰:「野語有之曰:『聞道百,以為莫己若者。』我之謂也。且夫我嘗聞少仲尼之聞而輕伯夷之義者,始吾弗信。今我睹子之難窮也,吾非至於子之門則殆矣,吾長見笑於大方之家。」

北海若曰:「井蛙不可以語於海者,拘於虛也夏蟲不可以語於冰者,篤於時也曲士不可以語於道者,束於教也。今爾出於崖涘,觀於大海,乃知爾丑,爾將可與語大理矣。

 

小物昧遠圖,寧知通方士。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

遠圖 遠大なはかりごと。百年先・二百年先の将来を見据えたはかりごと。

通方士 その道に通じた人士。

 

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

 ほめる。おもんずる。ありがたいとする。いさお。軍功。ただ。まさに。

 

地古寒雲深,巖高長風起。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。
函谷関長安地図座標005 

147 《夜別張五》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<148> Ⅰ李白詩1333 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5213

李白《夜別張五》錦帯をほどいて、腰に佩びたる寶剣の一振りである龍泉剣を君に贈って、留別のきねんとして、千觴を傾けて存分に酔った。

 
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147 《夜別張五》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<148> Ⅰ李白詩1333 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5213

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一七四              文體:    五言律詩

詩題:    夜別張五

交遊人物:張    當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

夜別張五

(酒を呑みかわし、夜、張五に留別するために作った)

吾多張公子,別酌酣高堂。

わたしは張公子という人物を尊重する。ここで別れを為すにおいて高堂において、酒を酌み交わした

聽歌舞銀燭,把酒輕羅裳。

歌を謡い始めると、起ちあがって、銀燭の前で踊り出し、酒樽を手に取れば、白色の羅裳を軽く翻した。

橫笛弄秋月,琵琶彈陌桑。

並んでいる妓女たちが横笛を秋月の前で吹いてくれ、琵琶で陌上桑の古曲を弾じてくれるのを聞くほどに興が昂って行く。

龍泉解錦帶,為爾傾千觴。

そうなると、錦帯をほどいて、腰に佩びたる寶剣の一振りである龍泉剣を君に贈って、留別のきねんとして、千觴を傾けて存分に酔った。

 

(夜 張五に別る)

吾は多とす張公子,別酌 高堂に酣【たけなわ】なり。

歌を聽いて銀燭を舞わしめ,酒を把って羅裳を輕んず。

橫笛 秋月を弄し,琵琶 陌桑を彈ず。

龍泉 錦帶を解き,爾の為に千觴を傾く。

 

終南山06 

『夜別張五』 現代語訳と訳註解説

(本文)

夜別張五

吾多張公子,別酌酣高堂。

聽歌舞銀燭,把酒輕羅裳。

橫笛弄秋月,琵琶彈陌桑。

龍泉解錦帶,為爾傾千觴。

 

(下し文)

(夜 張五に別る)

吾は多とす張公子,別酌 高堂に酣【たけなわ】なり。

歌を聽いて銀燭を舞わしめ,酒を把って羅裳を輕んず。

橫笛 秋月を弄し,琵琶 陌桑を彈ず。

龍泉 錦帶を解き,爾の為に千觴を傾く。

 

(現代語訳)

(酒を呑みかわし、夜、張五に留別するために作った)

わたしは張公子という人物を尊重する。ここで別れを為すにおいて高堂において、酒を酌み交わした

歌を謡い始めると、起ちあがって、銀燭の前で踊り出し、酒樽を手に取れば、白色の羅裳を軽く翻した。

並んでいる妓女たちが横笛を秋月の前で吹いてくれ、琵琶で陌上桑の古曲を弾じてくれるのを聞くほどに興が昂って行く。

そうなると、錦帯をほどいて、腰に佩びたる寶剣の一振りである龍泉剣を君に贈って、留別のきねんとして、千觴を傾けて存分に酔った。

杜甫乱前後の図003鳳翔 

(訳注)

夜別張五

(酒を呑みかわし、夜、張五に留別するために作った)

 

吾多張公子,別酌酣高堂。

わたしは張公子という人物を尊重する。ここで別れを為すにおいて高堂において、酒を酌み交わした

 尊重すること。

 

聽歌舞銀燭,把酒輕羅裳。

歌を謡い始めると、起ちあがって、銀燭の前で踊り出し、酒樽を手に取れば、白色の羅裳を軽く翻した。

 

橫笛弄秋月,琵琶彈陌桑。

並んでいる妓女たちが横笛を秋月の前で吹いてくれ、琵琶で陌上桑の古曲を弾じてくれるのを聞くほどに興が昂って行く。

琵琶 中国に伝播したのは前漢の頃で、当初は「西方の琴(弦楽器)」を意味する「胡琴」の名称で呼ばれた(宋代以降現在までに胡琴と呼称される楽器はまったく別のもの)。やがてウイグル語のバルバットが漢語に音訳された「琵琶」が呼称として定着した。唐時代の琵琶は現在の日本の楽琵琶とほぼ同じ形をしており、音楽理論が整備される中で、調弦法も多数定められ、様々な合奏にも用いられ、記譜法も確立し、宮廷音楽から民間音楽まで、合奏、独奏、歌唱の伴奏と広く愛好された。

陌桑 陌上桑、琵琶の曲名。

 

龍泉解錦帶,為爾傾千觴。

そうなると、錦帯をほどいて、腰に佩びたる寶剣の一振りである龍泉剣を君に贈って、留別のきねんとして、千觴を傾けて存分に酔った。

龍泉 龍泉と太阿、二振りの寶剣のことで、。龍泉(りょうせん) ◇『晋書』「張華伝」 雷煥と張華が手に入れた二振りの宝剣のうちの一つ。斗牛の間が毎夜紫色に光るので、張華が尋ねると、占星術に長けた雷煥は宝剣の精だと言う。張華は雷煥に宝剣の捜索を依頼。雷煥は二本の宝剣を見つけ、一方を自分で持ち、他方を張華に贈った。

太阿(たいあ) ◇『晋書』「張華伝」 雷煥と張華が手に入れた二振りの宝剣のうちの一つ。張華が没するとその剣は行方不明になるが、雷煥の剣は息子雷華が受け継ぐ。しかし、その剣もある時、 腰からひとりでに飛び出して川に沈む。見ると水底に剣はなく、二匹の龍が見えたという。
李白図102 

146 《秋山寄衛尉張卿及王徵君》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<146> Ⅰ李白詩1340 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5248

李白《秋山寄衛尉張卿及王徵君》ここでお二人の所へ行こうと思っても翌朝出発することしかできない。だから、二人を思う時には、陸機・左思の「招隱詩」でも吟ずるしかないのである。

 

 
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28-§4-1 《與衞中行書 -(7)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1253> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5249 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:-730年開元十八年30

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    秋山寄衛尉張卿及王徵君

及地點:剡溪 (江南東道 越州 剡縣)              

山陰 (江南東道 越州 山陰)              

 

 

秋山寄衛尉張卿及王徵君

(李白が、長安近郊の隠遁者を訪ね、秋、そのどこかわからぬ山中にこもったときのことをうたったものを衛尉である張卿、及び王徵君に寄せた。)

何以折相贈,白花青桂枝。

山中には白い花の咲く青桂樹があるから、これを折って遙か先の君に贈りたいと思う。

月華若夜雪,見此令人思。

今宵の月は花のように明るく、万地にまるで雪が降り積もっているかのようであり、これを見ればわが友を思うのである。

雖然剡溪興,不異山陰時。

昔、王徽之は山陰に在って、雪夜の月に、その友を思い出し、わざわざ、剡渓を遡ったというが、自分もこの雪夜を見て同じように風流の興をもったのである。

明發懷二子,空吟招隱詩。

ところが、ここでお二人の所へ行こうと思っても翌朝出発することしかできない。だから、二人を思う時には、陸機・左思の「招隱詩」でも吟ずるしかないのである。

 

(秋山 衛尉張卿及び王徵君に寄す)

何を以て折って相い贈らん,白花 青桂の枝。

月華 夜雪の若く,此を見れば人をして思わしむ。

然かく剡溪の興と雖も,山陰の時に異ならず。

明發 二子を懷わば,空しく吟ぜん 招隱の詩。

 

 終南山06

『秋山寄衛尉張卿及王徵君』 現代語訳と訳註解説

(本文)

秋山寄衛尉張卿及王徵君

何以折相贈,白花青桂枝。

月華若夜雪,見此令人思。

雖然剡溪興,不異山陰時。

明發懷二子,空吟招隱詩。

 

(下し文)

 (秋山 衛尉張卿及び王徵君に寄す)

何を以て折って相い贈らん,白花 青桂の枝。

月華 夜雪の若く,此を見れば人をして思わしむ。

然かく剡溪の興と雖も,山陰の時に異ならず。

明發 二子を懷わば,空しく吟ぜん 招隱の詩。

 

(現代語訳)

(李白が、長安近郊の隠遁者を訪ね、秋、そのどこかわからぬ山中にこもったときのことをうたったものを衛尉である張卿、及び王徵君に寄せた。)

山中には白い花の咲く青桂樹があるから、これを折って遙か先の君に贈りたいと思う。

今宵の月は花のように明るく、万地にまるで雪が降り積もっているかのようであり、これを見ればわが友を思うのである。

昔、王徽之は山陰に在って、雪夜の月に、その友を思い出し、わざわざ、剡渓を遡ったというが、自分もこの雪夜を見て同じように風流の興をもったのである。

ところが、ここでお二人の所へ行こうと思っても翌朝出発することしかできない。だから、二人を思う時には、陸機・左思の「招隱詩」でも吟ずるしかないのである。

 

華山道教 

(訳注)

秋山寄衛尉張卿及王徵君

(李白が、長安近郊の隠遁者を訪ね、秋、そのどこかわからぬ山中にこもったときのことをうたったものを衛尉である張卿、及び王徵君に寄せた。)

衛尉 宮殿の門内に役所あり衛士と屯兵とを掌る。丞(輔佐)一人。属官には、国事、散召を掌る公車司馬(官車で召された人を送迎また宮中を夜間巡視する宮殿の司馬門の役所を掌る武官)、衛士(宿衛の士)、旅蕡三令丞(戎と盾とをもち王車を護衛する三人の令、長と丞、衛士三人の丞)、また諸屯の衛候(見張役)、司馬二十二人(宮殿の外門を総称して司馬門といいまた単に司馬ともいう。その近衛兵)。

張卿 張? - 至徳2載(757年))は、唐代玄宗朝に仕えた政治家。名宰相とされる張説の次子であり、玄宗の娘婿であったが、安史の乱の際、安禄山に仕えたため、処刑された。兄に張均、弟に張がいる。

王徵 王徽之 王徽之とは? (?~388 中国,東晋(しん)の人。字(あざな)は子猷。王羲之(おうぎし)の第五子。官は黄門侍郎に至る。会稽の山陰に隠居し,風流を好み,特に竹を愛した。

 

何以折相贈,白花青桂枝。

山中には白い花の咲く青桂樹があるから、これを折って遙か先の君に贈りたいと思う。

青桂 仙郷に植えてある青桂樹のこと。

 

月華若夜雪,見此令人思。

今宵の月は花のように明るく、万地にまるで雪が降り積もっているかのようであり、これを見ればわが友を思うのである。

月華 月色、月光。月の光が明るく照らされるている様子。

 

雖然剡溪興,不異山陰時。

昔、王徽之は山陰に在って、雪夜の月に、その友を思い出し、わざわざ、剡渓を遡ったというが、自分もこの雪夜を見て同じように風流の興をもったのである。

剡溪 浙江省剡県。町の南に剡渓があり、両岸の景色がうつくしく、六朝時代にはことに人びとに愛貸された。謝霊運、王羲之に李白自身を映したのであろう。

李白《秋浦歌十七首 其六》

李白の詩の中でまともに解釈されていない詩のひとつである。さらっと読んで行ってもすぐ解釈できるが、何か引っかかる詩なのである。裏の裏の意味があるのか、暗号なのか、不思議な詩なのである。

秋浦歌十七首 其六

愁作秋浦客。 強看秋浦花。

山川如剡縣。 風日似長沙。

愁えて秋浦の客と作り、強いて秋浦の花を看()る。

山川は 剡県の如く、風日は 長沙に似るに。

秋浦歌十七首 其六  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集250/350

 

明發懷二子,空吟招隱詩。

ところが、ここでお二人の所へ行こうと思っても翌朝出発することしかできない。だから、二人を思う時には、陸機・左思の「招隱詩」でも吟ずるしかないのである。

招隱詩 隠遁者を尋ねもとめて、隠棲したい旨を詠うもので、文選に左思の招隱詩二首、陸機の一首、期待できぬ富貴を望まず、隠者を尋ね行き隠遁したいことをいう詩である。

 

陸機:陸 機は、中国三国時代から西晋の文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓の一つである陸氏の出身。祖父は陸遜。父は陸抗。子は陸蔚、陸夏。 本籍は呉郡呉県。ただし家は呉の都建業の南や、祖父の封地であった華亭等にあったようである。 七尺もの身の丈を持ち、その声は鐘のように響きわたったという。

陸機 招隱詩

明發心不夷,振衣聊躑欲安之,幽人在浚谷。

朝採南澗藻,夕息西山足。輕條象雲構,密葉成翠幄。

激楚佇蘭林,回芳薄秀木。山溜何泠泠,飛泉漱鳴玉。

哀音附靈波,響赴曾曲。至樂非有假,安事澆醇樸?

富貴難圖,駕從所欲。

左思:西晋の文学者。字は太沖。斉国臨淄の人。門閥の後ろ盾のない寒門の出身であり、官途は不遇だったが、文才に優れ、代表作「三都賦」は「洛陽の紙価を高からしむ」の故事の由来となった。妹の左芬も詩文の才能があり、司馬炎の後宮の女官となった。

左思 招隱詩其一.

杖策招隱士,荒塗橫古今。巖穴無結構,丘中有鳴琴。

白雪停陰岡,丹葩曜陽林。石泉漱瓊瑤,纖鱗亦浮沈。

非必絲與竹,山水有清音。何事待嘯歌,灌木自悲吟。

秋菊兼糇糧,幽蘭閒重襟。躊躇足力煩,聊欲投吾簪。

招隱詩 其二.

經始東山廬。果下自成榛。 前有寒泉井。聊可瑩心神。

峭蒨青蔥間。竹柏得其真。 弱葉棲霜雪。飛榮流餘津。

爵服無常玩。好惡有屈伸。 結綬生纏牽。彈冠去埃塵。

惠連非吾屈。首陽非吾仁。 相與觀所尚。逍遙撰良辰。

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李白《贈新平少年》-#2いつの日か、韓信のようによき出会いがあって、風雲を嘯吒できる日が来るのだろうか、けだものを捕獲したり、強禽を撃てるだけの本閭を発揮できることになるだろうか。

 

 
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年:730年開元十八年30

卷別:  卷一六八            文體:  五言古詩

詩題:  贈新平少年

作地點:            邠州(京畿道 / 邠州 / 邠州)

及地點:            邠州 (京畿道 邠州 邠州) 別名:桂陽、新平、豳             

淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)            

 

 

贈新平少年

(新平の才能ある青年に贈る。)

韓信在淮陰,少年相欺凌。

韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

屈體若無骨,壯心有所憑。

自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

一遭龍顏君,嘯吒從此興。

はたせるかな、ひとたび龍顏の君である漢の高祖劉邦に出会うや、風雲を嘯吒して、これより劉邦の覇権を決定づける働きをした。

千金答漂母,萬古共嗟稱。

そこで、千金を以て一般の恩義のある「漂母」に報いたのであるが、それはまことに美事として、その時より、万世に嗟称されることとなった。

 

而我竟何為,寒苦坐相仍。

韓信はそういう風で、我らもいずれそうなるであろうが、自分はそんなわけにはいかなくて、ただ寒苦のために攻められるのである。

長風入短袂,兩手如懷冰。

それで、短い袖の着物を着ているだけだから、吹きさらしの長風は袖口からも自由に入り、両手を突っ込んで我慢しても氷を抱き込んでいるかのようである。

故友不相恤,新交寧見矜。

旧交のある友人たちもそれを見ても一向にかまってくれず、手を出さず、付き合いが新しいものはなお更、あはれと思うこともないのである。

摧殘檻中虎,羈紲韝上鷹。

虎が檻に捕えられて、元気が衰えていることや、鷹が弓に掛けに縛られ、体の自由がきかないということである。

何時騰風雲,搏擊申所能。

いつの日か、韓信のようによき出会いがあって、風雲を嘯吒できる日が来るのだろうか、けだものを捕獲したり、強禽を撃てるだけの本閭を発揮できることになるだろうか。

 

(新平の少年に贈る)

韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。

體を屈して骨無きが若し,壯心 憑る所有り。

一たび、龍顏の君に遭い,嘯吒 此れ從り興る。

千金 漂母に答え,萬古 共に嗟稱す。

 

而かも 我れ竟に何ん為れぞ,寒苦 坐ろに相い仍る。

長風 短袂に入り,兩手 冰を懷くが如し。

故友 相い恤【あわれ】まず,新交 寧ろ矜【あわ】れ見【ま】れむや。

摧殘す 檻中の虎,羈紲【はせつ】す 韝上の鷹。

何れの時か 風雲を騰げ,搏擊【はぐげき】能くする所を申べん。

 

華州から秦州同谷成都00

『贈新平少年』 現代語訳と訳註解説

(本文)

而我竟何為,寒苦坐相仍。

長風入短袂,兩手如懷冰。

故友不相恤,新交寧見矜。

摧殘檻中虎,羈紲韝上鷹。

何時騰風雲,搏擊申所能。

 

(下し文)

而かも 我れ竟に何ん為れぞ,寒苦 坐ろに相い仍る。

長風 短袂に入り,兩手 冰を懷くが如し。

故友 相い恤【あわれ】まず,新交 寧ろ矜【あわ】れ見【ま】れむや。

摧殘す 檻中の虎,羈紲【はせつ】す 韝上の鷹。

何れの時か 風雲を騰げ,搏擊【はぐげき】能くする所を申べん。

 

(現代語訳)

韓信はそういう風で、我らもいずれそうなるであろうが、自分はそんなわけにはいかなくて、ただ寒苦のために攻められるのである。

それで、短い袖の着物を着ているだけだから、吹きさらしの長風は袖口からも自由に入り、両手を突っ込んで我慢しても氷を抱き込んでいるかのようである。

旧交のある友人たちもそれを見ても一向にかまってくれず、手を出さず、付き合いが新しいものはなお更、あはれと思うこともないのである。

虎が檻に捕えられて、元気が衰えていることや、鷹が弓に掛けに縛られ、体の自由がきかないということである。

いつの日か、韓信のようによき出会いがあって、風雲を嘯吒できる日が来るのだろうか、けだものを捕獲したり、強禽を撃てるだけの本閭を発揮できることになるだろうか。

 

扶風雍州長安003

(訳注)

贈新平少年

(新平の少年に贈る)

(新平の才能ある青年に贈る。)

新平 京畿道邠州、別名としては桂陽、新平、豳である。邠() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。
(k-20

 

而我竟何為,寒苦坐相仍。

而かも 我れ竟に何ん為れぞ,寒苦 坐ろに相い仍る。

韓信はそういう風で、我らもいずれそうなるであろうが、自分はそんなわけにはいかなくて、ただ寒苦のために攻められるのである。

 

長風入短袂,兩手如懷冰。

長風 短袂に入り,兩手 冰を懷くが如し。

それで、短い袖の着物を着ているだけだから、吹きさらしの長風は袖口からも自由に入り、両手を突っ込んで我慢しても氷を抱き込んでいるかのようである。

 

故友不相恤,新交寧見矜。

故友 相い恤【あわれ】まず,新交 寧ろ矜【あわ】れ見【ま】れむや。

旧交のある友人たちもそれを見ても一向にかまってくれず、手を出さず、付き合いが新しいものはなお更、あはれと思うこともないのである。

 

摧殘檻中虎,羈紲韝上鷹。

摧殘す 檻中の虎,羈紲【はせつ】す 韝上の鷹。

虎が檻に捕えられて、元気が衰えていることや、鷹が弓に掛けに縛られ、体の自由がきかないということである。

 

何時騰風雲,搏擊申所能。

何れの時か 風雲を騰げ,搏擊【はぐげき】能くする所を申べん。

いつの日か、韓信のようによき出会いがあって、風雲を嘯吒できる日が来るのだろうか、けだものを捕獲したり、強禽を撃てるだけの本閭を発揮できることになるだろうか。

騰風雲 この詩の三聯目の韓信が劉邦に出会って「一遭龍顏君,嘯吒從此興」と能力を発揮できたことを受けて、李白も良い君主にめぐり会えて能力を発揮したいということである。

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李白《贈新平少年》韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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145-#1 《贈新平少年》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145-#1> Ⅰ李白詩1338 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5238 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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28-§3-1 《與衞中行書 -(5)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1251> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5239 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(再)-1溫庭筠9《菩薩蠻十四首 其九》溫庭筠66首巻一9-〈9〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5242 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
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年:730年開元十八年30

卷別:  卷一六八            文體:  五言古詩

詩題:  贈新平少年

作地點:            邠州(京畿道 / 邠州 / 邠州)

及地點:            邠州 (京畿道 邠州 邠州) 別名:桂陽、新平、豳             

淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)            

 

 

贈新平少年

(新平の才能ある青年に贈る。)

韓信在淮陰,少年相欺凌。

韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

屈體若無骨,壯心有所憑。

自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

一遭龍顏君,嘯吒從此興。

はたせるかな、ひとたび龍顏の君である漢の高祖劉邦に出会うや、風雲を嘯吒して、これより劉邦の覇権を決定づける働きをした。

千金答漂母,萬古共嗟稱。

そこで、千金を以て一般の恩義のある「漂母」に報いたのであるが、それはまことに美事として、その時より、万世に嗟称されることとなった。

 

而我竟何為,寒苦坐相仍。

長風入短袂,兩手如懷冰。

故友不相恤,新交寧見矜。

摧殘檻中虎,羈紲韝上鷹。

何時騰風雲,搏擊申所能。

 

(新平の少年に贈る)

韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。

體を屈して骨無きが若し,壯心 憑る所有り。

一たび、龍顏の君に遭い,嘯吒 此れ從り興る。

千金 漂母に答え,萬古 共に嗟稱す。

 

而かも 我れ竟に何ん為れぞ,寒苦 坐ろに相い仍る。

長風 短袂に入り,兩手 冰を懷くが如し。

故友 相い恤【あわれ】まず,新交 寧ろ矜【あわ】れ見【ま】れむや。

摧殘す 檻中の虎,羈紲【はせつ】す 韝上の鷹。

何れの時か 風雲を騰げ,搏擊【はぐげき】能くする所を申べん。

 

李白の足跡003 

『贈新平少年』 現代語訳と訳註解説

(本文)

贈新平少年

韓信在淮陰,少年相欺凌。

屈體若無骨,壯心有所憑。

一遭龍顏君,嘯吒從此興。

千金答漂母,萬古共嗟稱。

 

(下し文)

(新平の少年に贈る)

韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。

體を屈して骨無きが若し,壯心 憑る所有り。

一たび、龍顏の君に遭い,嘯吒 此れ從り興る。

千金 漂母に答え,萬古 共に嗟稱す。

 

(現代語訳)

(新平の才能ある青年に贈る。)

韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

はたせるかな、ひとたび龍顏の君である漢の高祖劉邦に出会うや、風雲を嘯吒して、これより劉邦の覇権を決定づける働きをした。

そこで、千金を以て一般の恩義のある「漂母」に報いたのであるが、それはまことに美事として、その時より、万世に嗟称されることとなった。

三峡 巫山十二峰001 

(訳注)

贈新平少年

(新平の少年に贈る)

(新平の才能ある青年に贈る。)

新平 京畿道邠州、別名としては桂陽、新平、豳である。邠() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。

()歌行上新平長史兄粲

邠谷稍稍振庭柯,涇水浩浩揚湍波。哀鴻酸嘶暮聲急,愁雲蒼慘寒氣多。

憶昨去家此為客,荷花初紅柳條碧。中宵出飲三百杯,明朝歸揖二千石。

寧知流寓變光輝,胡霜蕭颯繞客衣。寒灰寂寞憑誰暖,落葉飄揚何處歸。

吾兄行樂窮曛旭,滿堂有美顏如玉。趙女長歌入綵雲,燕醉舞嬌紅燭。

狐裘獸炭酌流霞,壯士悲吟寧見嗟。前榮後枯相翻覆,何惜餘光及棣華。

(邠【ひん】歌行、新平の長史 兄粲【けいさん】に上【たてまつ】る)

邠谷 稍稍として 庭柯を振い,涇水 浩浩として 湍波を揚ぐ。

哀鴻【あいこう】酸嘶【さんせい】暮聲 急なり,愁雲 蒼慘 寒氣多し。

憶う 昨 去家をって此に客と為り,荷花 初めて紅にして 柳條 碧なり。

中宵【ちゅうしょう】出でて 飲む 三百杯,明朝歸って 揖【ゆう】す 二千石。

寧ろ知らん 流寓 光輝を變じ,胡霜 蕭颯 客衣を繞るを。

寒灰 寂寞として 誰に憑ってか暖めん,落葉 飄揚として 何處にか歸る。

吾が兄 行樂 曛旭を窮めよ,滿堂 美有り 顏 玉の如し。

趙の女 長歌して 綵雲に入り,燕の 醉舞して 紅燭嬌なり。

狐裘 獸炭 流霞を酌み,壯士 悲吟 寧ろ 嗟せらる。

前榮後枯 相い翻覆し,何ぞ惜まん 餘光の棣華に及ぶを。

 

140-#3 《邠()歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#3> Ⅰ李白詩1327 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5183

少年 青年のこと。

「少年行」というのは楽府(がふ)の雑曲の題で、盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っていますが、王維の四首は21歳、科挙に及第し、張九齢の部下として仕事についた頃、琴の名手で、絵をかき、詩もうまい、その上美男子であった。得意満面で、詠われたものであろう。

四首は四場面の劇構成になっている。

王維「少年行四首」は四場面の劇のような構成になっている。時代は漢。

少年行四首 其一   

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  

相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。 

少年行四首 其二    

出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。

孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。 

少年行四首 其三    

一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。

偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。

少年行四首 其四   

漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。

天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮。

 

杜甫《少年行》

貴族の子弟が酒屋において倣慢ちきに酒をのむさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は七言絶句である。

少年行

馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。

不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

少年行二首  杜甫51歳の成都での作品

1

莫笑田家老瓦盆、自從盛酒長兇孫。

傾銀注玉驚人眼、共酔終同臥竹根。

(2)

災燕養雛渾欲去、江花結子也無多。

黄衫年少來宜敷、不見堂前東慙波。

 

李白31歳の作品

 少年行      

五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。

落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。

五陵の若者は 金市の東、繁華街、銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く。

一面に舞い散る花を踏み散らし  どこへ遊びに出かけるのか

にぎやかに笑いながら、碧眼の胡姫の酒場へ行こうというのか

 

年少は少年と同じ、日本でいう少年は童。金位置の東寄りに居酒屋があってイラン人の女性がお相手をしていた。長安は、このころ世界一の大都市であった、シルクロードの起点でもあるが、唐王朝はペルシャの一部まで領土を拡大していた。五陵の若者というのは、五つの陵墓を中心に陵園都市が形成され、繁華を誇った。このころは少し荒廃していたようであるが、李白は漢代のイメージで歌っている。それと、貴族の住居地区という意味も兼ねている。

李白 17少年行

 

韓信在淮陰,少年相欺凌。

韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。

韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

韓信 秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。 なお、同時代に戦国時代の韓の王族出身の、同じく韓信という名の人物がおり、劉邦によって韓王に封じられているが、こちらは韓王信と呼んで区別される。

 

屈體若無骨,壯心有所憑。

體を屈して骨無きが若し,壯心 憑る所有り。

自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

屈體若無骨,壯心有所憑 「韓信の股くぐり」韓信の股くぐりとは、将来に大志を抱く者は、屈辱にもよく耐えるというたとえ。

淮陰 淮陰(現:江蘇省淮安市)の出身。貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。

欺凌 貧乏で品行も悪く、遊侠無頼の生活に終始していたことをいう。

 

 

一遭龍顏君,嘯吒從此興。

一たび、龍顏の君に遭い,嘯吒 此れ從り興る。

はたせるかな、ひとたび龍顏の君である漢の高祖劉邦に出会うや、風雲を嘯吒して、これより劉邦の覇権を決定づける働きをした。

龍顏君 劉邦の容姿は鼻が高く、立派な髭をしており、いわゆる龍顔、顔が長くて鼻が突き出ている顔をしていたという。また太股に72の黒子があった、72とは1360日を五行思想の5で割った数で、当時ではかなりの吉数である。・劉邦:前漢の初代皇帝。沛県の亭長(亭とは当時一定距離ごとに置かれていた宿舎のこと)であったが、反秦連合に参加した後に秦の都咸陽を陥落させ、一時は関中を支配下に入れた。その後項羽によって西方の漢中へ左遷され漢王となる。その後に東進して垓下に項羽を討ち、前漢を興した。正式には廟号が太祖、諡号が高皇帝であるが、通常は高祖と呼ばれることが多い。

 

千金答漂母,萬古共嗟稱。

千金 漂母に答え,萬古 共に嗟稱す。

そこで、千金を以て一般の恩義のある「漂母」に報いたのであるが、それはまことに美事として、その時より、万世に嗟称されることとなった。

漂母 史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。

李白《淮陰書懷寄王宗成》「暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。」淮陰書懷寄王宗成 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-199

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首其二》「飢從漂母食。閑綴羽陵簡。」李白32 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二

145 《贈裴十四》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145> Ⅰ李白詩1330 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5198

李白《贈裴十四》それでも、かれは山に登るかと云えば、翠微の六合目あたりを徘徊し、仙界に向かうわけでもないし、誰一人として心の内を知る者はいないし、何処へ行くのかわからないから仕方がないと思っていたら、浮雲の如く、飄として、西の方へ行こうとしている。こんな男は吾輩の気にいった人であると思っているところだ。

 

 
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145 《贈裴十四》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145> Ⅰ李白詩1330 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5198

 

 

年:730年開元十八年30

卷別: 卷一六八      文體: 雜言古詩

詩題: 贈裴十四

作地點:      目前尚無資料

交遊人物:裴光庭     書信往來(京畿道 京兆府長安)

 

 

贈裴十四

(裴十四にこの詩を贈る)

朝見裴叔則,朗如行玉山。

魏の「玉人」と称された裴楷という清談の人がいたが、ある朝時にその人に対すれば、仙山の玉山の上を行くようで、その日一日が、何処となく朗らかで、輝かしい光に照らされるといわれたものである。

黃河落天走東海,萬里寫入胸懷間。

裴十四という人は極めて豪放磊落のひとで、それはちょうど、黄河が西の天から東に向かって落ちてくるような勢いで、そのまま万里の長きにわたって東海に走って行くのをその胸の中の間に入れたようなものである。

身騎白黿不敢度,金高南山買君顧。

そして、その身は、黄河の主というべき白黿にまたがって、川を渡るのかというって渡らず、何処に行くのか、それほどの地元に影響力のあるものであるから、金を終南山の高さまで積み上げて、地方の節度使など自分の幕府に引き入れようとするのである。

徘徊六合無相知,飄若浮雲且西去。

それでも、かれは山に登るかと云えば、翠微の六合目あたりを徘徊し、仙界に向かうわけでもないし、誰一人として心の内を知る者はいないし、何処へ行くのかわからないから仕方がないと思っていたら、浮雲の如く、飄として、西の方へ行こうとしている。こんな男は吾輩の気にいった人であると思っているところだ。

 

(裴十四に贈る)

朝に裴叔則を見て,朗として玉山を行くが如し。

黃河 天より落ちて東海に走り,萬里 寫【そそ】いで胸懷の間に入る。

身は白黿【はくげん】に騎して敢えて度らず,金は南山より高く 君の顧るを買う。

六合に徘徊して相知無し,飄として浮雲の且く西に去るが若し。

終南山06

 

『贈裴十四』 現代語訳と訳註解説

(本文)

贈裴十四

朝見裴叔則,朗如行玉山。

黃河落天走東海,萬里寫入胸懷間。

身騎白黿不敢度,金高南山買君顧。

徘徊六合無相知,飄若浮雲且西去。

 

(下し文)

(裴十四に贈る)

朝に裴叔則を見て,朗として玉山を行くが如し。

黃河 天より落ちて東海に走り,萬里 寫【そそ】いで胸懷の間に入る。

身は白黿【はくげん】に騎して敢えて度らず,金は南山より高く 君の顧るを買う。

六合に徘徊して相知無し,飄として浮雲の且く西に去るが若し。

 

(現代語訳)

(裴十四にこの詩を贈る)

魏の「玉人」と称された裴楷という清談の人がいたが、ある朝時にその人に対すれば、仙山の玉山の上を行くようで、その日一日が、何処となく朗らかで、輝かしい光に照らされるといわれたものである。

裴十四という人は極めて豪放磊落のひとで、それはちょうど、黄河が西の天から東に向かって落ちてくるような勢いで、そのまま万里の長きにわたって東海に走って行くのをその胸の中の間に入れたようなものである。

そして、その身は、黄河の主というべき白黿にまたがって、川を渡るのかというって渡らず、何処に行くのか、それほどの地元に影響力のあるものであるから、金を終南山の高さまで積み上げて、地方の節度使など自分の幕府に引き入れようとするのである。

それでも、かれは山に登るかと云えば、翠微の六合目あたりを徘徊し、仙界に向かうわけでもないし、誰一人として心の内を知る者はいないし、何処へ行くのかわからないから仕方がないと思っていたら、浮雲の如く、飄として、西の方へ行こうとしている。こんな男は吾輩の気にいった人であると思っているところだ。

李白の足跡003 

(訳注)

贈裴十四

(裴十四にこの詩を贈る)

【解説】道教の友人の一人であろう。李白が師としていた司馬承禎が白雲を称していたので、白黿に乗ると表現し、隠遁するかと云えば、そうでもないとする自由人である。こうして送った詩は、道士の間で広がり、やがて、「一芸に秀でる」ものとなって朝廷に上ることにつながってゆく。

 

朝見裴叔則,朗如行玉山。

魏の「玉人」と称された裴楷という清談の人がいたが、ある朝時にその人に対すれば、仙山の玉山の上を行くようで、その日一日が、何処となく朗らかで、輝かしい光に照らされるといわれたものである。

裴叔則 裴楷(237291)河東聞喜の著姓。字は叔則。魏の尚書令裴潜の甥。冀州刺史裴徽の子。 博識で、特に『老子』・『周易』に通じ、清談では王戎と並称され、容姿と人品から“玉人”と称された。武帝のとき中書令・侍中に至り、子は楊駿の婿とされたが、畢に楊駿を認めず不和なままで、恵帝即位のとき太子少師とされた。 俸給すべてを一族に施し、梁王・趙王から毎年数百万銭を借りたという。

玉山 群玉山のこと。不老不死の仙女、西王母の住むという伝説上の仙山。

清平調詞三首 其一 「云想衣裳花想容、春風拂檻露華濃。若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。」(雲には衣裳を想い、春風 檻を払って花には容を想う、露華濃やかなり。若し 群玉山頭に見るに非ずんは、会ず 環台の月下に向いて逢わん。)

雲は艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。

ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。

 

黃河落天走東海,萬里寫入胸懷間。

裴十四という人は極めて豪放磊落のひとで、それはちょうど、黄河が西の天から東に向かって落ちてくるような勢いで、そのまま万里の長きにわたって東海に走って行くのをその胸の中の間に入れたようなものである。

 

身騎白黿不敢度,金高南山買君顧。

そして、その身は、黄河の主というべき白黿にまたがって、川を渡るのかというって渡らず、何処に行くのか、それほどの地元に影響力のあるものであるから、金を終南山の高さまで積み上げて、地方の節度使など自分の幕府に引き入れようとするのである。

白黿 白い大きなスッポン亀。《楚辭九歌河伯》「乘白黿逐文魚, 與女游兮河之渚; 流澌紛兮將來下。」(白黿に乘りて文,女と兮河の渚に游べば、流澌は紛として將に來り下らんとす。)

【解説】節度使の幕僚は公式に任命されたものであるが、任命は私的な人選によるので、身分の保証はなかった。節度使が死んだ場合(転任のときも同じことであるが)、後任の節度使は、前任者の幕僚を引き継ぐ義務はない。むしろ自分の人選によって新たに幕僚を任じ、幕府を構成しようとする。もとの幕僚は失業するわけだが、文句は言えないのであって、この点が科挙を経て正式に任命された役人と違うところである。ここでいうのは、その地元に影響力のあるものを雇用するということ。

 

徘徊六合無相知,飄若浮雲且西去。

それでも、かれは山に登るかと云えば、翠微の六合目あたりを徘徊し、仙界に向かうわけでもないし、誰一人として心の内を知る者はいないし、何処へ行くのかわからないから仕方がないと思っていたら、浮雲の如く、飄として、西の方へ行こうとしている。こんな男は吾輩の気にいった人であると思っているところだ。

華山道教 

 

 

司馬承禎が白雲を称していた。司馬承禎は、天台山に住んでいた。721年に玄宗皇帝から宮中に迎え入れられ、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるという。737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにしたなど、政治に道教が深く関わるようになったのは、玄宗に対する承禎の影響力を物語る。山肌が火のように赤く、形が城のように見える赤城山には、18の洞窟があり、仏教と道教の神がまつられ、なかでも玉京洞は、道教の神仙が住むとされている李白『送賀賓客帰越』:

 

李白と玉真公主との関係をひらいたのは、恐らく司馬承禎である。承禎は、字を子微といった。開元10年代の後半ぐらいであろうが、道教を以て玄宗に召されたひとである。その時、王屋山(山西省陽城県)にいたが、玄宗の妹、玉真公は玄宗の命によってここへ王屋山に使したことがある。この承禎(貞一先生)と李白とが江陵(荊州)で会ったことは、その「大鵬賦」の序にのべている。

 

 ただし周知の如く、秘書監であり、道士の資格者賀知章が彼の「蜀道難」に感嘆して、これを「謫仙人」と呼び、玄宗に推薦したといふのも重要なファクターである。

要するに承禎、玉真公主や呉筠等の道教関係の側と、賀知章との推薦が同時期に行われて、李白は翰林に入ることを得たのである。そして、玄宗が道教に傾倒していたこと、宮廷詩人はいないような状態であった。王維がいたが、張説、張九齢の派閥で、10年くらい涼州などに飛ばされ長安に帰ってきていたが、李林保などとの折り合いが悪く、半官半隠で、輞川荘の経営を本格化し始めたころである。

143-3 《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#3》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<143-3> Ⅰ李白詩1336 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5228

李白《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#3こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

 

 
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143-3 《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#3Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<143-3> Ⅰ李白詩1336 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5228

 

 

年:730年開元十八年30

卷別: 卷一六八      文體: 五言古詩

詩題: 讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

作地點:      長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:      長安 (京畿道 京兆府長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

臥龍岡 (山南東道 鄧州 南陽)  

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都       

交遊人物:崔叔封     書信往來(京畿道 京兆府長安)

 

------------------------------------------- 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

漢道昔云季,群雄方戰爭。

霸圖各未立,割據資豪英。

赤伏起運,臥龍得孔明。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

魚水三顧合,風雲四海生。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

何人先見許,但有崔州平。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

-------------------------------------------  

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

漢道昔云季,群雄方戰爭。

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

霸圖各未立,割據資豪英。

群雄それぞれ霸図を建てようと画策していたが、どれもうまくいかなかった、諸方に割拠して、もっぱら豪英の士によって、その勢いを張っていた。

赤伏起運,臥龍得孔明。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。

魚水三顧合,風雲四海生。

劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

こうして、諸葛亮は、岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体を平定し、はじめて漢の帝基を定めて、やがて咸陽、長安を克服しようという壮志を抱いていたのである。

何人先見許,但有崔州平。

諸葛亮は、大人物であるが、その初めは、誰も彼の才能を許すものはなかった。ただ、崔州平だけが大人物になるだろうと思っていたのである。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

では、私李白はといえば、草莽の志士である。羣物を救済しようとする志望を抱いているにもかかわらず、それを許して取り上げられることが無いままでいる。

晚途子玉,華髮同衰榮。

ごく最近になって、はじめて崔子玉といわれる貴殿に出会いその思い一致したのであるが、それは、共に白髪頭になるまで、栄枯盛衰を共にしようということであった。

託意在經濟,結交為弟兄。

ともに、国家の経済に託すことで意見が一致したところで、兄弟となる契りを結んだ。

毋令管與鮑,千載獨知名。

こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

 

(諸葛武侯傳を讀み,懷を書して長安の崔少府叔封・昆季に贈)-1

漢道 昔 云【ここ】に季【すえ】,群雄 方に戰爭。

霸圖 各の未だ立たず,割據 豪英に資す。

赤伏 運をし,臥龍 孔明を得たり。

-2

其の南陽の時に當って,隴畝【りょうほ】躬 自ら耕す。

魚水 三顧して合し,風雲 四海に生ず。

武侯 岷蜀に立ち,壯志 咸京を吞む。

何人を先づ許る見【さ】る,但し崔州平有るのみ。

-3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉に華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

華州から秦州同谷成都00 

 

『讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季』 現代語訳と訳註解説

(本文) -3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

 

(下し文) -3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉にい,華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

 

(現代語訳)

では、私李白はといえば、草莽の志士である。羣物を救済しようとする志望を抱いているにもかかわらず、それを許して取り上げられることが無いままでいる。

ごく最近になって、はじめて崔子玉といわれる貴殿に出会いその思い一致したのであるが、それは、共に白髪頭になるまで、栄枯盛衰を共にしようということであった。

ともに、国家の経済に託すことで意見が一致したところで、兄弟となる契りを結んだ。

こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

武漢03 

(訳注) -3

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

 

余亦草間人,頗懷拯物情。

では、私李白はといえば、草莽の志士である。羣物を救済しようとする志望を抱いているにもかかわらず、それを許して取り上げられることが無いままでいる。

草間人 草莽の志士。草莽:① くさむら。田舎。②民間。在野。世間。

 

晚途子玉,華髮同衰榮。

ごく最近になって、はじめて崔子玉といわれる貴殿に出会いその思い一致したのであるが、それは、共に白髪頭になるまで、栄枯盛衰を共にしようということであった。

子玉 崔子玉のこと、崔瑗,字を子玉という。東漢の書法家である,涿郡安平(今屬河北省)の人。「四殺」という座右の銘としていた。それは、人は欲を持つことで自分を殺し、財産を残すことで子孫を殺す。 政治を間違うと民を殺し、 学問教育を間違うと天下を殺す。と同じ姓であったのでこう呼んだが、書が上手かったのであろう。

 

託意在經濟,結交為弟兄。

ともに、国家の経済に託すことで意見が一致したところで、兄弟となる契りを結んだ。

 

毋令管與鮑,千載獨知名。

こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

管與鮑 管鮑の交わりのこと。管鮑の管は管仲、鮑は鮑叔を指し、この言葉は管仲と鮑叔の間の友情をうたったもの。それをよく物語っているのが、「史記」管晏列伝に記されている、宰相となった管仲が語っった言葉である。
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諸葛亮は荊州で弟と共に晴耕雨読の生活に入り、好んで「梁父吟」を歌っていたという。この時期には自らを管仲・楽毅に比していたが、当時の人間でこれを認める者はいなかった。ただ親友の(崔州平 太尉・崔烈の子、崔均の弟)や徐庶だけがそれを認めていたという。また、この時期に地元の名士・黄承彦の娘を娶ったようである。これは裴松之注に引く『襄陽記』に見える話で、黄承彦は「私の娘は色が黒くて醜いが、才能は君に娶わせるに足る」と言い、諸葛亮はこれを受け入れた。周囲ではこれを笑って「孔明の嫁選びを真似てはいけない」と囃し立てたという。これ以降、不器量の娘を進んで選ぶことを「孔明の嫁選び」と呼ぶようになった。

 

舅の黄承彦の妻は襄陽の豪族蔡瑁の長姉であり、蔡瑁の次姉は劉表の妻であるため、蔡瑁・劉表は義理の叔父に当たる。また、諸葛亮の長姉は蒯祺の妻、次姉は龐徳公の息子の妻であり、龐徳公の甥の龐統も親戚である。

 

三顧の礼

この頃華北では、建安5年(200年)に曹操が袁紹を打ち破って覇権を手中にし、南進の機会を窺っていた。劉備は袁紹の陣営を離れて劉表を頼り、荊州北部・新野(河南省南陽市新野県)に居城を貰っていた。

諸葛亮は晴耕雨読の毎日を送っていたが、友人の徐庶が劉備の下に出入りして、諸葛亮のことを劉備に話した。人材を求める劉備は徐庶に諸葛亮を連れてきてくれるように頼んだが、徐庶は「諸葛亮は私が呼んだくらいで来るような人物ではない」と言ったため、劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、やっと幕下に迎えることができた。これが有名な「三顧の礼」である。裴松之の注によると、『襄陽記』には、劉備が人物鑑定家として有名な司馬徽を訪ね、司馬徽は「時勢を識るは俊傑にあり」として「伏竜」と「鳳雛」、すなわち諸葛亮と龐統とを薦めたという話が載る。また『魏略』には、諸葛亮の方から劉備を訪ねたという話が載っていたという。その後に裴松之自身の案語として、「「出師表」には明らかに劉備が諸葛亮を訪ねたと書いてある。それなのにこんな異説を立てるとは、実にわけの分らぬ話である」とある。

 

この時、諸葛亮は劉備に対していわゆる「天下三分の計」を披露し、曹操・孫権と当たることを避けてまず荊州・益州を領有し、その後に天下を争うべきだと勧めた。これを聞いた劉備は諸葛亮の見識に惚れ込み、諸葛亮は劉備に仕えることを承諾した。これを孔明の出廬と呼ぶ。

 

 

年:730年開元十八年30

卷別: 卷一六八      文體: 五言古詩

詩題: 讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

作地點:      長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:      長安 (京畿道 京兆府長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

臥龍岡 (山南東道 鄧州 南陽)  

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都       

交遊人物:崔叔封     書信往來(京畿道 京兆府長安)

 

 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

漢道昔云季,群雄方戰爭。

霸圖各未立,割據資豪英。

赤伏起運,臥龍得孔明。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

魚水三顧合,風雲四海生。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

何人先見許,但有崔州平。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

漢道昔云季,群雄方戰爭。

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

霸圖各未立,割據資豪英。

群雄それぞれ霸図を建てようと画策していたが、どれもうまくいかなかった、諸方に割拠して、もっぱら豪英の士によって、その勢いを張っていた。

赤伏起運,臥龍得孔明。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。

魚水三顧合,風雲四海生。

劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

こうして、諸葛亮は、岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体を平定し、はじめて漢の帝基を定めて、やがて咸陽、長安を克服しようという壮志を抱いていたのである。

何人先見許,但有崔州平。

諸葛亮は、大人物であるが、その初めは、誰も彼の才能を許すものはなかった。ただ、崔州平だけが大人物になるだろうと思っていたのである。

 

(諸葛武侯傳を讀み,懷を書して長安の崔少府叔封・昆季に贈)-1

漢道 昔 云【ここ】に季【すえ】,群雄 方に戰爭。

霸圖 各の未だ立たず,割據 豪英に資す。

赤伏 運をし,臥龍 孔明を得たり。

-2

其の南陽の時に當って,隴畝【りょうほ】躬 自ら耕す。

魚水 三顧して合し,風雲 四海に生ず。

武侯 岷蜀に立ち,壯志 咸京を吞む。

何人を先づ許る見【さ】る,但し崔州平有るのみ。

-3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉に華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

嚢陽一帯00 

 

『讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季』 現代語訳と訳註解説

(本文)-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

魚水三顧合,風雲四海生。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

何人先見許,但有崔州平。

 

(下し文)-2

其の南陽の時に當って,隴畝【りょうほ】躬 自ら耕す。

魚水 三顧して合し,風雲 四海に生ず。

武侯 岷蜀に立ち,壯志 咸京を吞む。

何人を先づ許る見【さ】る,但し崔州平有るのみ。

 

(現代語訳)

その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。

劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。

こうして、諸葛亮は、岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体を平定し、はじめて漢の帝基を定めて、やがて咸陽、長安を克服しようという壮志を抱いていたのである。

諸葛亮は、大人物であるが、その初めは、誰も彼の才能を許すものはなかった。ただ、崔州平だけが大人物になるだろうと思っていたのである。

 

 

(訳注) -2

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

 

當其南陽時,隴畝躬自耕。

その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。

南陽・隴畝・躬自耕 これらは、以下の詩と解説に詳しく述べている。

諸葛亮《梁甫吟》梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

李白《梁甫吟》梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

 

魚水三顧合,風雲四海生。

劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。

魚水 魚水之契:魚と水がきりはなせない関係にあるように親密な交際。

三顧 劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、やっと幕下に迎えることができた。これが有名な「三顧の礼」である。この時、諸葛亮は劉備に対していわゆる「天下三分の計」を披露し、曹操・孫権と当たることを避けてまず荊州・益州を領有し、その後に天下を争うべきだと勧めた。

 

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

こうして、諸葛亮は、岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体を平定し、はじめて漢の帝基を定めて、やがて咸陽、長安を克服しようという壮志を抱いていたのである。

岷蜀 岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体。

壯志 雄大な志を立てる.勇壮な感情と偉大な志で胸をいっぱいにする.

咸京 咸陽、長安。

 

何人先見許,但有崔州平。

諸葛亮は、大人物であるが、その初めは、誰も彼の才能を許すものはなかった。ただ、崔州平だけが大人物になるだろうと思っていたのである。

崔州平 博陵の人。大尉崔烈の子、崔鈞の弟《諸葛亮伝》。諸葛亮・徐庶らとともに荊州に遊学した。諸葛亮はみずからを管仲・楽毅になぞらえていたが、崔州平はその通りだと思っていた《諸葛亮伝》。

李白図102 

この頃華北では、建安5年(200年)に曹操が袁紹を打ち破って覇権を手中にし、南進の機会を窺っていた。劉備は袁紹の陣営を離れて劉表を頼り、荊州北部・新野(河南省南陽市新野県)に居城を貰っていた。

諸葛亮は晴耕雨読の毎日を送っていたが、友人の徐庶が劉備の下に出入りして、諸葛亮のことを劉備に話した。人材を求める劉備は徐庶に諸葛亮を連れてきてくれるように頼んだが、徐庶は「諸葛亮は私が呼んだくらいで来るような人物ではない」と言ったため、劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、やっと幕下に迎えることができた。これが有名な「三顧の礼」である。裴松之の注によると、『襄陽記』には、劉備が人物鑑定家として有名な司馬徽を訪ね、司馬徽は「時勢を識るは俊傑にあり」として「伏竜」と「鳳雛」、すなわち諸葛亮と龐統とを薦めたという話が載る。また『魏略』には、諸葛亮の方から劉備を訪ねたという話が載っていたという。その後に裴松之自身の案語として、「「出師表」には明らかに劉備が諸葛亮を訪ねたと書いてある。それなのにこんな異説を立てるとは、実にわけの分らぬ話である」とある。

この時、諸葛亮は劉備に対していわゆる「天下三分の計」を披露し、曹操・孫権と当たることを避けてまず荊州・益州を領有し、その後に天下を争うべきだと勧めた。これを聞いた劉備は諸葛亮の見識に惚れ込み、諸葛亮は劉備に仕えることを承諾した。これを孔明の出廬と呼ぶ。

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李白143-1 《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#1諸葛亮は荊州で弟と共に晴耕雨読の生活に入り、好んで「梁父吟」を歌っていたという。この時期には自らを管仲・楽毅に比していたが、当時の人間でこれを認める者はいなかった。

 
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後漢は2世紀以後、幼い皇帝がつづいた。覇気のない皇帝が多かった。これは前漢の末期と同じで、外戚や宦官が権力を握るようなったのも同じであった。とくに後漢は宦官が力をもって宮廷を牛耳った。官僚と宦官化共に権勢を爭った。宦官におもねって出世しようとする官僚もいたが、かれらの専権に抵抗して後漢の政治をまっとうな姿にしようとする理想家肌の官僚たちもかなりいた。こういう官僚のことを「清流」といい、清流官僚たちは宦官を批判し、世論もかれらの味方をした。

 

 

年:730年開元十八年30

卷別: 卷一六八      文體: 五言古詩

詩題: 讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

作地點:      長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:      長安 (京畿道 京兆府長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

臥龍岡 (山南東道 鄧州 南陽)  

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都       

交遊人物:崔叔封     書信往來(京畿道 京兆府長安)

 

 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

漢道昔云季,群雄方戰爭。

霸圖各未立,割據資豪英。

赤伏起運,臥龍得孔明。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

魚水三顧合,風雲四海生。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

何人先見許,但有崔州平。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

漢道昔云季,群雄方戰爭。

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

霸圖各未立,割據資豪英。

群雄それぞれ霸図を建てようと画策していたが、どれもうまくいかなかった、諸方に割拠して、もっぱら豪英の士によって、その勢いを張っていた。

赤伏起運,臥龍得孔明。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

 

(諸葛武侯傳を讀み,懷を書して長安の崔少府叔封・昆季に贈)-1

漢道 昔 云【ここ】に季【すえ】,群雄 方に戰爭。

霸圖 各の未だ立たず,割據 豪英に資す。

赤伏 運をし,臥龍 孔明を得たり。

-2

其の南陽の時に當って,隴畝【りょうほ】躬 自ら耕す。

魚水 三顧して合し,風雲 四海に生ず。

武侯 岷蜀に立ち,壯志 咸京を吞む。

何人を先づ許る見【さ】る,但し崔州平有るのみ。

-3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉に華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

 

 

『讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季』 現代語訳と訳註解説

(本文)-1

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

漢道昔云季,群雄方戰爭。

霸圖各未立,割據資豪英。

赤伏起運,臥龍得孔明。

 

(下し文)

(諸葛武侯傳を讀み,懷を書して長安の崔少府叔封・昆季に贈)-1

漢道 昔 云【ここ】に季【すえ】,群雄 方に戰爭。

霸圖 各の未だ立たず,割據 豪英に資す。

赤伏 運を起し,臥龍 孔明を得たり。

 

(現代語訳)

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

 

嚢陽一帯00 

(訳注)

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

 

漢道昔云季,群雄方戰爭。

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

漢道昔云季 漢道は衰える。皇帝の権威はゆるみ。政治は徳からはずれた。衆には不満がくすぶり。民は暗き黄巾に集まった。武烈あかるく。龍の飛翔を越え。 天衡を渡り。霊威を輝かせ。

 

霸圖各未立,割據資豪英。

群雄それぞれ霸図を建てようと画策していたが、どれもうまくいかなかった、諸方に割拠して、もっぱら豪英の士によって、その勢いを張っていた。

 

赤伏起運,臥龍得孔明。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

赤伏 (『後漢書』列伝12)。“その根拠は『赤伏符』中の「王梁、衛を主【つかさど】って玄武と作る」という讖文であり、劉秀はこれを「野王は衛のうつる所、玄武は水神の名、司空は水土の官」と解釈した。”とある。
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142-3 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#3》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142-3> Ⅰ李白詩1333 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5213

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#3こうして、この世において思う存分功業を成し遂げ、衣を払って去り、かの滄州のほとりに逍遥して仙郷を味わいたいと思っておるところで、その辺りをお含み頂、ご登用の御助力をいただきたいものである。

 
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27-#17 《此日足可惜贈張籍-17》韓愈(韓退之)ID <1246> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5214韓愈詩-27-#17 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(再)-1溫庭筠4《菩薩蠻十四首 其四》溫庭筠66首巻一4-〈4〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5217 
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142-3 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#3Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142-3> Ⅰ李白詩1333 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5213

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

丹徒 (江南東道 潤州 丹徒)              

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

苦雨思白日,浮雲何由卷。

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

欲往咫尺塗,遂成山川限。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

-#2

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

雨水は道路にあふれ、ごうごうとため池から水があふれ、潀潀と水音を高くする、そして、一面水面となり、風が吹き、浩々と大波が寄せてくる。

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

私は、玉真公主の別館に逗留しているので、丁度、韓信の故事の漂泊する老婆に数十日食事をさせてくれたことと同様にお世話になっている、外がこんな様子であるから、格別用があるわけではないので、暇に任せてかの羽陵の蠧書虫に食われた本を綴りなおす

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

いまは農家では秋野菜の収穫期であるのに、此処での食膳にでてくるものとして藜と豆の葉の類位で、それさえも充分ではないのだ。

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

室中には足高蜘蛛がでてきて網をかけた上で静かにしていて、愁いをひくコオロギの声も門庭の狭さを際立たせるようなもので心が痛む。

-#3

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

何にせよ、公主の別館は人の出入りがなく、食物さえ碌に調理できないから、調理場の釜戸には青煙が上ることなく、包丁もまな板も用いずしてそのまま放置したままで、その上に苔を生じているほどだ。

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

此れではどうにも仕方がない、端をなげうって食をやめ、身に着けている鷫鷞裘を解き、これを司馬相如のように売って酒を買い、北堂に坐して痛飲し、憂さを晴らした。

丹徒布衣者,慷慨未可量。

昔、南朝宋の劉穆之は丹徒の布衣であって、初めは貧困で怒り嘆くこともあったが、自分たちも今、この通りで、胸も張り裂けんばかりの気持ちでいる。

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

何時になったら劉穆之のようにふきになって一斛の檳榔を黄金の大盤に盛り付けて、恥をかかされた者たちを見返すことができるだろうか。

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

こうして、この世において思う存分功業を成し遂げ、衣を払って去り、かの滄州のほとりに逍遥して仙郷を味わいたいと思っておるところで、その辺りをお含み頂、ご登用の御助力をいただきたいものである。

 

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の二)

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

稷【しょく】 契【せつ】 天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

-#2

潨潨【そうそう】として奔溜【ほんりゅう】瀉【そそ】ぎ、浩浩として驚波転ず。

泥沙【でいさ】 中途を塞ぎ、牛馬  (べん)ず可からず。

飢えて漂母に従って食し、閑【かん】に  羽林【うりん】の簡【かん】を 綴る。

園家【えんか】 秋蔬【しゅうそ】に逢うに、藜藿【れいかく】 眼に満たず。

蠨蛸【しょうしょう】 思幽【しゆう】を結び、蟋蟀【しつしゅつ】 褊浅【へんせん】を傷(いた)む。

 

-#3

厨竃【ちゅうそう】青烟【せいえん】無く、刀机【とうき】 緑蘚を生ず。

筯【はし】投じて鷫霜【しゅくそう】を解き、酒に換えて北堂に酔う。

丹徒【たんと】布衣の者、慷慨  未だ量【はか】る可からず。

何【いずれ】の時か 黄金の盤、一斛【いっこく】の檳榔【びんろう】を薦めん。

功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。

 

李白の足跡003 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文) -#3

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

丹徒布衣者,慷慨未可量。

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

 

(下し文) -#3

厨竃【ちゅうそう】青烟【せいえん】無く、刀机【とうき】 緑蘚を生ず。

筯【はし】投じて鷫霜【しゅくそう】を解き、酒に換えて北堂に酔う。

丹徒【たんと】布衣の者、慷慨  未だ量【はか】る可からず。

何【いずれ】の時か 黄金の盤、一斛【いっこく】の檳榔【びんろう】を薦めん。

功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。

 

(現代語訳)

何にせよ、公主の別館は人の出入りがなく、食物さえ碌に調理できないから、調理場の釜戸には青煙が上ることなく、包丁もまな板も用いずしてそのまま放置したままで、その上に苔を生じているほどだ。

此れではどうにも仕方がない、端をなげうって食をやめ、身に着けている鷫鷞裘を解き、これを司馬相如のように売って酒を買い、北堂に坐して痛飲し、憂さを晴らした。

昔、南朝宋の劉穆之は丹徒の布衣であって、初めは貧困で怒り嘆くこともあったが、自分たちも今、この通りで、胸も張り裂けんばかりの気持ちでいる。

何時になったら劉穆之のようにふきになって一斛の檳榔を黄金の大盤に盛り付けて、恥をかかされた者たちを見返すことができるだろうか。

こうして、この世において思う存分功業を成し遂げ、衣を払って去り、かの滄州のほとりに逍遥して仙郷を味わいたいと思っておるところで、その辺りをお含み頂、ご登用の御助力をいただきたいものである。

 

(訳注) -#3

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

 

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

何にせよ、公主の別館は人の出入りがなく、食物さえ碌に調理できないから、調理場の釜戸には青煙が上ることなく、包丁もまな板も用いずしてそのまま放置したままで、その上に苔を生じているほどだ。

 

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

此れではどうにも仕方がない、端をなげうって食をやめ、身に着けている鷫鷞裘を解き、これを司馬相如のように売って酒を買い、北堂に坐して痛飲し、憂さを晴らした。

投箸 《行路難 三首 其一》「金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。」(金樽の清酒 斗十千,玉盤の珍羞【ちんしゅう】 直【あたい】 萬錢【ばんぜん】。杯を停め箸を投じて 食う能わず,劒を拔いて四顧し心 茫然。)
金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。

行路難 三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

鷫鷞 西方の神鳥。「五方の神鳥なり。東方發明、南方焦明、西方鷫鷞、北方幽昌、中央鳳皇なり」とある。鷫鷞はまた雁に似た鳥や、飛鼠のこともいう。司馬相如が鷫鷞裘を作り、それを売り酒を買った。

 

丹徒布衣者,慷慨未可量。

昔、南朝宋の劉穆之は丹徒の布衣であって、初めは貧困で怒り嘆くこともあったが、自分たちも今、この通りで、胸も張り裂けんばかりの気持ちでいる。

丹徒布衣 南朝宋の劉穆之の故事で、劉穆之が丹徒(たんと・江蘇省鎮江市)に住んで無冠であった。妻の兄の家に行って飲食をし侮辱を受る。のちに宋の武帝に仕えて丹陽(江蘇省丹陽県)の長官になったとき、妻の兄弟を招いてご馳走し、最後に檳榔一斛を金の皿に盛って供し、かつての屈辱を晴らした。

慷慨 1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。2 意気が盛んなこと。

 

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

何時になったら劉穆之のようにふきになって一斛の檳榔を黄金の大盤に盛り付けて、恥をかかされた者たちを見返すことができるだろうか。

檳榔 檳榔酒のことで、檳榔の実を搾った汁液を発酵させた酒。仙郷の酒を表すことで、美味のものをそろえることをいう。

《南史.劉穆之傳》記載:「穆之少時,家貧誕節,不修拘檢。好往妻兄家乞食,多見辱, 不以為恥。其妻江嗣女,甚明識,每禁不令往江氏。後有慶會,屬令勿來。穆之猶往,食畢求檳榔。

 

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

こうして、この世において思う存分功業を成し遂げ、衣を払って去り、かの滄州のほとりに逍遥して仙郷を味わいたいと思っておるところで、その辺りをお含み頂、ご登用の御助力をいただきたいものである。

滄洲 実際の地名というよりは、水辺の土地をいい、隠者の住むところを象徴する。前聯の「海行」がかかる。謝眺『之宣城、出新林浦、向版橋』『文選』巻二七に「既懽懐禄情、復協滄州趣」(禄を得たいという心情にもかない、また隠遁したいという心にもかなうのだ)とある。李白『夜泊黄山聞殷十四呉吟』「朝来果是滄州逸、酤酒提盤飯霜栗。」『春日獨酌 二首 其二』「我有紫霞想、緬懷滄洲間。
巫山十二峰002 

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李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#2それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

 
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142-2 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#2Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142-2> Ⅰ李白詩1332 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5208

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

丹徒 (江南東道 潤州 丹徒)              

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

苦雨思白日,浮雲何由卷。

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

欲往咫尺塗,遂成山川限。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

-#2

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

雨水は道路にあふれ、ごうごうとため池から水があふれ、潀潀と水音を高くする、そして、一面水面となり、風が吹き、浩々と大波が寄せてくる。

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

私は、玉真公主の別館に逗留しているので、丁度、韓信の故事の漂泊する老婆に数十日食事をさせてくれたことと同様にお世話になっている、外がこんな様子であるから、格別用があるわけではないので、暇に任せてかの羽陵の蠧書虫に食われた本を綴りなおす

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

いまは農家では秋野菜の収穫期であるのに、此処での食膳にでてくるものとして藜と豆の葉の類位で、それさえも充分ではないのだ。

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

室中には足高蜘蛛がでてきて網をかけた上で静かにしていて、愁いをひくコオロギの声も門庭の狭さを際立たせるようなもので心が痛む。

-#3

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

丹徒布衣者,慷慨未可量。

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

 

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の二)

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

稷【しょく】 契【せつ】 天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

-#2

潨潨【そうそう】として奔溜【ほんりゅう】瀉【そそ】ぎ、浩浩として驚波転ず。

泥沙【でいさ】 中途を塞ぎ、牛馬  (べん)ず可からず。

飢えて漂母に従って食し、閑【かん】に  羽林【うりん】の簡【かん】を 綴る。

園家【えんか】 秋蔬【しゅうそ】に逢うに、藜藿【れいかく】 眼に満たず。

蠨蛸【しょうしょう】 思幽【しゆう】を結び、蟋蟀【しつしゅつ】 褊浅【へんせん】を傷(いた)む。

 

-#3

厨竃【ちゅうそう】青烟【せいえん】無く、刀机【とうき】 緑蘚を生ず。

筯【はし】投じて鷫霜【しゅくそう】を解き、酒に換えて北堂に酔う。

丹徒【たんと】布衣の者、慷慨  未だ量【はか】る可からず。

何【いずれ】の時か 黄金の盤、一斛【いっこく】の檳榔【びんろう】を薦めん。

功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。

 

函谷関長安地図座標005

 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文)

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

 

(下し文) #2

潨潨【そうそう】として奔溜【ほんりゅう】瀉【そそ】ぎ、浩浩として驚波転ず。

泥沙【でいさ】 中途を塞ぎ、牛馬  (べん)ず可からず。

飢えて漂母に従って食し、閑【かん】に  羽林【うりん】の簡【かん】を 綴る。

園家【えんか】 秋蔬【しゅうそ】に逢うに、藜藿【れいかく】 眼に満たず。

蠨蛸【しょうしょう】 思幽【しゆう】を結び、蟋蟀【しつしゅつ】 褊浅【へんせん】を傷(いた)む。

 

 (現代語訳)

雨水は道路にあふれ、ごうごうとため池から水があふれ、潀潀と水音を高くする、そして、一面水面となり、風が吹き、浩々と大波が寄せてくる。

それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

私は、玉真公主の別館に逗留しているので、丁度、韓信の故事の漂泊する老婆に数十日食事をさせてくれたことと同様にお世話になっている、外がこんな様子であるから、格別用があるわけではないので、暇に任せてかの羽陵の蠧書虫に食われた本を綴りなおす

いまは農家では秋野菜の収穫期であるのに、此処での食膳にでてくるものとして藜と豆の葉の類位で、それさえも充分ではないのだ。

室中には足高蜘蛛がでてきて網をかけた上で静かにしていて、愁いをひくコオロギの声も門庭の狭さを際立たせるようなもので心が痛む。

長安付近図00 

(訳注) -#2

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

 

 

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

雨水は道路にあふれ、ごうごうとため池から水があふれ、潀潀と水音を高くする、そして、一面水面となり、風が吹き、浩々と大波が寄せてくる。

潀潀 水があつまる、ぶつかって音が出るさま。

奔溜 ため池から水があふれでる。

 

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

牛馬不可辨 荘子「秋水時至、百川灌河。渓流之大、両涘渚崖之間、不弁牛馬。於是、河伯欣然自喜、以天下之美為尽在己、順流而東、行至於北海。東面而視、不見水端。」

秋の季節が来て、多くの川が(黄)河に流れ込み、水かさが増えた河幅は広がって、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位である。そこで、黄河の神である河伯(かはく)は喜びを抑えきれず、自分は天下の美観全てを集め尽していると考え、流れに従って東へ、北海までやってきた。そこで東方に視線を向けると、海はその果てが見えない程である。

 

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

私は、玉真公主の別館に逗留しているので、丁度、韓信の故事の漂泊する老婆に数十日食事をさせてくれたことと同様にお世話になっている、外がこんな様子であるから、格別用があるわけではないので、暇に任せてかの羽陵の蠧書虫に食われた本を綴りなおす

漂母 《洗濯をする老女が、貧窮の若い韓信に食事を恵み与えたという「史記」淮陰侯伝の故事から》食を恵む老女。史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。

羽陵 《穆天子傳》「天子東遊,次雀梁,蠹書于暴羽陵。」(天子東遊して,雀梁に次し,蠹書を羽陵に暴す。)ほんをむしが喰ってばらけている。竹簡を綴る糸を蟲が喰う。

 

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

いまは農家では秋野菜の収穫期であるのに、此処での食膳にでてくるものとして藜と豆の葉の類位で、それさえも充分ではないのだ。

藜藿 藜と豆の葉。

 

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

室中には足高蜘蛛がでてきて網をかけた上で静かにしていて、愁いをひくコオロギの声も門庭の狭さを際立たせるようなもので心が痛む。

蠨蛸 足高蜘蛛。

結思幽 網をかけた上で静かにしている。

蟋蟀 愁いをひくコオロギの声。

傷褊淺 門庭の狭さを際立たせるようなもので心を痛める。
李白図102 

143 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<143> Ⅰ李白詩1328 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5188

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二》連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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143 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<143> Ⅰ李白詩1328 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5188

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

丹徒 (江南東道 潤州 丹徒)              

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

苦雨思白日,浮雲何由卷。

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

欲往咫尺塗,遂成山川限。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

-#2

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

-#3

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

丹徒布衣者,慷慨未可量。

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

 

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の二)

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

稷【しょく】 契【せつ】 天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

-#2

潨潨【そうそう】として奔溜【ほんりゅう】瀉【そそ】ぎ、浩浩として驚波転ず。

泥沙【でいさ】 中途を塞ぎ、牛馬  (べん)ず可からず。

飢えて漂母に従って食し、閑【かん】に  羽林【うりん】の簡【かん】を 綴る。

園家【えんか】 秋蔬【しゅうそ】に逢うに、藜藿【れいかく】 眼に満たず。

蠨蛸【しょうしょう】 思幽【しゆう】を結び、蟋蟀【しつしゅつ】 褊浅【へんせん】を傷(いた)む。

 

-#3

厨竃【ちゅうそう】青烟【せいえん】無く、刀机【とうき】 緑蘚を生ず。

筯【はし】投じて鷫霜【しゅくそう】を解き、酒に換えて北堂に酔う。

丹徒【たんと】布衣の者、慷慨  未だ量【はか】る可からず。

何【いずれ】の時か 黄金の盤、一斛【いっこく】の檳榔【びんろう】を薦めん。

功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。

華山道教 

 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文)

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

苦雨思白日,浮雲何由卷。

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

欲往咫尺塗,遂成山川限。

 

(下し文)

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の二)

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

稷【しょく】 契【せつ】 天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

 

(現代語訳)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

杜甫乱前後の図003鳳翔 

(訳注)

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

 

苦雨思白日,浮雲何由卷。

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

 

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

稷【しょく】 契【せつ】天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

稷契 后稷と契の伝説。

・后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。姓は姫、諱は弃、または稷。不窋の父。『史記』周本紀によれば、帝嚳の元妃(正妃)であった姜原が、野に出て巨人の足跡を踏んで妊娠し、1年して子を産んだ。姜原はその赤子を道に捨てたが牛馬が踏もうとせず、林に捨てようとしたがたまたま山林に人出が多かったため捨てられず、氷の上に捨てたが飛鳥が赤子を暖めたので、不思議に思って子を育てる事にした。弃と名づけられた。弃は棄と同じ意味の字である。『山海経』大荒西経によると、帝俊(帝嚳の異名とみなす説が有力)の子とされる。弃は成長すると、農耕を好み、麻や菽を植えて喜んだ。帝の舜に仕え、農師をつとめた。また后稷の官をつとめ、邰に封ぜられて、后稷と号した。

・契(せつ、生没年不詳)は、殷王朝の始祖といわれる伝説上の人物。子契ともいう。有娀氏の娘で、帝嚳の次妃であった簡狄が水浴びをしている時、ツバメの卵を食べたために生まれた。また、帝堯の時代に生まれたともいう。契は、帝尭・帝舜・帝禹に仕えた。契は、大きくなった後に禹の黄河治水を援けた。帝舜は契の業績を評価し、契を司徒にした上、商の地に封じて、子という姓を与えた。ただし、詩経では、帝堯が商の地に封じたとも書かれている。

 

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

秋霖 しとしとと何時までも降り続く雨を霖雨といい、秋の長雨(秋雨)のことを「秋霖」という。秋の季語。 「霖」は三日以上降り続く雨で四日目からをいう。

 

欲往咫尺塗,遂成山川限。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

141-#2 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<141-#2> Ⅰ李白詩1330 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5198

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》-#2酔いが増すほどに、昂然として、古の管仲楽毅を思い出して、教えを乞いながら、吟詠したいと思うけれど、これらの人はみんな死後既に久しく、既に灰となっていないのである。

 

 
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27-#14 《此日足可惜贈張籍-14》韓愈(韓退之)ID <1243> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5199韓愈詩-27-#14 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
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李白詩index- 9 730年開元十八年30歳 安陸から長安に遊ぶ。》

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:              金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

秋坐金張館,繁陰晝不開。

公主の別館は、古の金氏と張氏、二氏の邸宅に比すべきこの公主別館に逗留しているところへ、折からの秋の空が搔き曇り、昼になっても鬱陶しく、長雨となった。

空煙迷雨色,蕭颯望中來。

空には中天に煙雲がかかり、雨色を迷わしていたのであるが、果然、蕭颯として雨が降り注ぐのを眺めるのであった。

翳翳昏墊苦,沈沈憂恨催。

そこで、もやもやして、暗くて、湿気が多くなるのに閉口し、沈々とした気分は続き、憂恨の念が催してきたのである。

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

秋 金張の館に坐し,繁陰 晝 開かず。

空煙 雨色を迷い,蕭颯として 望中より來る。

翳翳【えいえい】として昏墊【こんてん】苦,沈沈として憂恨 催す。

 

清秋何以慰,白酒盈吾杯。

ただでさえ清秋というのは、悲愁であり、さびしい折である、そこへこの雨であるからやりきれない、何を以って、わがこころを慰められるのであろうか、それには白酒を酌むよりほかにはない。

吟詠思管樂,此人已成灰。

酔いが増すほどに、昂然として、古の管仲楽毅を思い出して、教えを乞いながら、吟詠したいと思うけれど、これらの人はみんな死後既に久しく、既に灰となっていないのである。

獨酌聊自勉,誰貴經綸才。

だから、一人で酌をして飲むしかなく、いささかでも自分で自分に勤めて気を取り直すのであり、今の世では、経綸の才を貴ぶものはなく、誰も自分の真価を認めてくれるものがいないのである。

彈劍謝公子,無魚良可哀。

そうして、仕方がないので、古の馮驩を学び、劍を彈じて、張卿に謝し、食なき魚なき今の境涯、まことにつまらないから、どうか幾重にもお引き立てを賜ることをよろしく願いたいと思っている。

 

清秋 何を以て慰めん,白酒 吾が杯に盈つ。

吟詠 管樂を思い,此の人 已に灰に成る。

獨酌 聊【いささ】か 自ら勉む,誰か貴ばん 經綸の才。

劍を彈じて 公子に謝す,魚無きは 良【まこと】に哀しむ可し。

 

華山道教 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)-#2

清秋何以慰,白酒盈吾杯。

吟詠思管樂,此人已成灰。

獨酌聊自勉,誰貴經綸才。

彈劍謝公子,無魚良可哀。

 

(下し文)

清秋 何を以て慰めん,白酒 吾が杯に盈つ。

吟詠 管樂を思い,此の人 已に灰に成る。

獨酌 聊【いささ】か 自ら勉む,誰か貴ばん 經綸の才。

劍を彈じて 公子に謝す,魚無きは 良【まこと】に哀しむ可し。

 

(現代語訳)

ただでさえ清秋というのは、悲愁であり、さびしい折である、そこへこの雨であるからやりきれない、何を以って、わがこころを慰められるのであろうか、それには白酒を酌むよりほかにはない。

酔いが増すほどに、昂然として、古の管仲楽毅を思い出して、教えを乞いながら、吟詠したいと思うけれど、これらの人はみんな死後既に久しく、既に灰となっていないのである。

だから、一人で酌をして飲むしかなく、いささかでも自分で自分に勤めて気を取り直すのであり、今の世では、経綸の才を貴ぶものはなく、誰も自分の真価を認めてくれるものがいないのである。

そうして、仕方がないので、古の馮驩を学び、劍を彈じて、張卿に謝し、食なき魚なき今の境涯、まことにつまらないから、どうか幾重にもお引き立てを賜ることをよろしく願いたいと思っている。

泰山の道観 

(訳注)#2

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

衛尉 宮殿の門内に役所あり衛士と屯兵とを掌る。丞(輔佐)一人。属官には、国事、散召を掌る公車司馬(官車で召された人を送迎また宮中を夜間巡視する宮殿の司馬門の役所を掌る武官)、衛士(宿衛の士)、旅蕡三令丞(戎と盾とをもち王車を護衛する三人の令、長と丞、衛士三人の丞)、また諸屯の衛候(見張役)、司馬二十二人(宮殿の外門を総称して司馬門といいまた単に司馬ともいう。その近衛兵)。

張卿 張? - 至徳2載(757年))は、唐代玄宗朝に仕えた政治家。名宰相とされる張説の次子であり、玄宗の娘婿であったが、安史の乱の際、安禄山に仕えたため、処刑された。兄に張均、弟に張がいる

 

清秋何以慰,白酒盈吾杯。

清秋 何を以て慰めん,白酒 吾が杯に盈つ。

ただでさえ清秋というのは、悲愁であり、さびしい折である、そこへこの雨であるからやりきれない、何を以って、わがこころを慰められるのであろうか、それには白酒を酌むよりほかにはない。

○清秋 悲愁:宋玉『九辨』「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰」、魏 武帝『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍! 羊腸阪詰屈,車輪為之摧。 樹木何蕭瑟,北風聲正悲!」とある。これ以降、蕭瑟、悲愁、惆悵がセットのように使われる。特に宋玉『九辨』は「悲秋」感情のバイブルのようなものである。

九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304

白酒 儒者は清酒、道家は濁り酒を飲む。白眼視。阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

 

吟詠思管樂,此人已成灰。

吟詠 管樂を思い,此の人 已に灰に成る。

酔いが増すほどに、昂然として、古の管仲楽毅を思い出して、教えを乞いながら、吟詠したいと思うけれど、これらの人はみんな死後既に久しく、既に灰となっていないのである。

吟詠管樂 梁甫吟を吟詠すること。諸葛亮が自らを管仲と楽毅に比して、いた。「梁甫吟」を嘯いていた。管仲は管夷吾(かん いご)で、中国の春秋時代における斉の政治家である。桓公に仕え、覇者に押し上げた。楽毅の先祖は魏の文侯に仕えた楽羊であり、楽羊は文侯の命令により中山国(燕と斉と趙が接する所にあった小国。現在の河北省保定市の周辺。)を滅ぼし、その功により中山の首都霊寿に封じられた。

梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

 

獨酌聊自勉,誰貴經綸才。

獨酌 聊【いささ】か 自ら勉む,誰か貴ばん 經綸の才。

だから、一人で酌をして飲むしかなく、いささかでも自分で自分に勤めて気を取り直すのであり、今の世では、経綸の才を貴ぶものはなく、誰も自分の真価を認めてくれるものがいないのである。

○經綸 国家を治めととのえること。また,その方策。

 

彈劍謝公子,無魚良可哀。

劍を彈じて 公子に謝す,魚無きは 良【まこと】に哀しむ可し。

そうして、仕方がないので、古の馮驩を学び、劍を彈じて、張卿に謝し、食なき魚なき今の境涯、まことにつまらないから、どうか幾重にもお引き立てを賜ることをよろしく願いたいと思っている。

○彈劍 劍を彈じて馮驩を学ぶ。李白《行路難 三首 其二》「彈劍作歌奏苦聲,曳裾王門不稱情。」(剣を弾じ歌を作()して苦声(くせい)を奏(そう)し、裾(すそ)を王門に曳きて  情に称(かな)わず。)馮驩は剣を弾いて作詩した歌を唄い宰相の孟嘗君に聞かせて聞き入れられた、いくら弁舌が上手くても漢の鄒陽は王に仕えて話す真意がすぐには思うように伝わらなかった。

・馮驩 すうかん斉の宰相孟嘗君に仕えた政治家。孟嘗君の食客として迎えられ、下級宿舎に泊まらせられた。馮驩は剣を叩きながら「我が長剣よ、帰ろうか、食う魚なし」という歌を歌い出した。それを聞いた孟嘗君は中級宿舎に泊まらせた。すると馮驩はまた剣を叩きながら「我が長剣よ、帰ろうか、外にも出ようも御輿がない」という歌を歌い出した。詳しくはウィキペディア「馮驩」「斉の宰相と馮驩」参照。

行路難 三首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白184
urushi01 

141-#1 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142> Ⅰ李白詩1327 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5183

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》-#1(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

 

 
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141-#1 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142> Ⅰ李白詩1327 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5183

 

李白詩index- 9 730年開元十八年30歳 安陸から長安に遊ぶ。》

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:              金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

秋坐金張館,繁陰晝不開。

公主の別館は、古の金氏と張氏、二氏の邸宅に比すべきこの公主別館に逗留しているところへ、折からの秋の空が搔き曇り、昼になっても鬱陶しく、長雨となった。

空煙迷雨色,蕭颯望中來。

空には中天に煙雲がかかり、雨色を迷わしていたのであるが、果然、蕭颯として雨が降り注ぐのを眺めるのであった。

翳翳昏墊苦,沈沈憂恨催。

そこで、もやもやして、暗くて、湿気が多くなるのに閉口し、沈々とした気分は続き、憂恨の念が催してきたのである。

 

清秋何以慰,白酒盈吾杯。

吟詠思管樂,此人已成灰。

獨酌聊自勉,誰貴經綸才。

彈劍謝公子,無魚良可哀。

 

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

秋 金張の館に坐し,繁陰 晝 開かず。

空煙 雨色を迷い,蕭颯として 望中より來る。

翳翳【えいえい】として昏墊【こんてん】苦,沈沈として憂恨 催す。

 

清秋 何を以て慰めん,白酒 吾が杯に盈つ。

吟詠 管樂を思い,此の人 已に灰に成る。

獨酌 聊【いささ】か 自ら勉む,誰か貴ばん 經綸の才。

劍を彈じて 公子に謝す,魚無きは 良【まこと】に哀しむ可し。

 

華山道教 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

秋坐金張館,繁陰晝不開。

空煙迷雨色,蕭颯望中來。

翳翳昏墊苦,沈沈憂恨催。

 

(下し文)

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

秋 金張の館に坐し,繁陰 晝 開かず。

空煙 雨色を迷い,蕭颯として 望中より來る。

翳翳【えいえい】として昏墊【こんてん】苦,沈沈として憂恨 催す。

 

(現代語訳)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

公主の別館は、古の金氏と張氏、二氏の邸宅に比すべきこの公主別館に逗留しているところへ、折からの秋の空が搔き曇り、昼になっても鬱陶しく、長雨となった。

空には中天に煙雲がかかり、雨色を迷わしていたのであるが、果然、蕭颯として雨が降り注ぐのを眺めるのであった。

そこで、もやもやして、暗くて、湿気が多くなるのに閉口し、沈々とした気分は続き、憂恨の念が催してきたのである。

楊貴妃清華池002 

(訳注)

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

衛尉 宮殿の門内に役所あり衛士と屯兵とを掌る。丞(輔佐)一人。属官には、国事、散召を掌る公車司馬(官車で召された人を送迎また宮中を夜間巡視する宮殿の司馬門の役所を掌る武官)、衛士(宿衛の士)、旅蕡三令丞(戎と盾とをもち王車を護衛する三人の令、長と丞、衛士三人の丞)、また諸屯の衛候(見張役)、司馬二十二人(宮殿の外門を総称して司馬門といいまた単に司馬ともいう。その近衛兵)。

張卿 張? - 至徳2載(757年))は、唐代玄宗朝に仕えた政治家。名宰相とされる張説の次子であり、玄宗の娘婿であったが、安史の乱の際、安禄山に仕えたため、処刑された。兄に張均、弟に張がいる

 

秋坐金張館,繁陰晝不開。

公主の別館は、古の金氏と張氏、二氏の邸宅に比すべきこの公主別館に逗留しているところへ、折からの秋の空が搔き曇り、昼になっても鬱陶しく、長雨となった。

金張館 古の金氏と張氏、二氏の邸宅に比すべき玉真公主の別館。

晝不開 空が晴れることが無くなる。昼になっても鬱陶しくて心がひらかない。

 

空煙迷雨色,蕭颯望中來。

空には中天に煙雲がかかり、雨色を迷わしていたのであるが、果然、蕭颯として雨が降り注ぐのを眺めるのであった。

 

翳翳昏墊苦,沈沈憂恨催。

そこで、もやもやして、暗くて、湿気が多くなるのに閉口し、沈々とした気分は続き、憂恨の念が催してきたのである。

昏墊 暗くて、湿気が多くなる。

憂恨 () 1.猶愎恨。 固執, 乖戾。 2.憂愁怨恨。 南朝梁沈約《從軍行》「惜哉征夫子, 憂恨良獨多。」

141 《玉真仙人詞》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<141> Ⅰ李白詩1326 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5178

李白《玉真仙人詞》 中嶽である嵩山の中にある少室石闕銘の山に行かれたのであれば、仙女の女王である西王母が大歓迎で応対してくれ、早いうちに仙道を修得されることでしょう。

 
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27-#12 《此日足可惜贈張籍-12》韓愈(韓退之)ID <1241> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5189 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-10-4奉節-2《客堂 -#4》 杜甫index-15 杜甫<876> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5190 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor《花間集序 (4)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-729--() 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5192 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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141 《玉真仙人詞》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<141> Ⅰ李白詩1326 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5178

 

 

李白詩index- 9 730年開元十八年30歳 安陸から長安に遊ぶ。》李白

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六七              文體:    五言古詩

詩題:    玉真仙人詞

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳             

少室山 (都畿道 河南府 少室山)       

交遊人物:玉真公主           書信往來

 

 

玉真仙人詞

(玉真公主であった仙人にこの詞を献ずる)

玉真之仙人,時往太華峰。

玉真の仙人は、公主であられたお方であるのに道士になられた、時々、長安を発って華山の絶頂に赴かれるという。

清晨鳴天鼓,飆欻騰雙龍。

晴れ渡った清々しい夜明け時に道教の歯を鳴らして行う「天鼓の法」が行われ、やがて身を躍らして雙竜にまたがり、飄忽として天空を飛行された。

弄電不輟手,行雲本無蹤。

手に電光を弄してしばらく止まれず、そうしてその行方は、雲が流れるまま行かれ、後を残すことはなかった。

幾時入少室,王母應相逢。

それが、中嶽である嵩山の中にある少室石闕銘の山に行かれたのであれば、仙女の女王である西王母が大歓迎で応対してくれ、早いうちに仙道を修得されることでしょう。

 

(玉真仙人の詞)

玉真の仙人,時に太華峰に往く。

清晨 天鼓を鳴らし,飆欻【ひょうこつ】雙龍を騰【のぼ】らしむ。

電を弄して手を輟【や】めず,行雲 本と蹤無し。

幾時か少室に入って,王母 應に相い逢うべきか。

 華山道教

 

『玉真仙人詞』 現代語訳と訳註解説

(本文)

玉真仙人詞

玉真之仙人,時往太華峰。

清晨鳴天鼓,飆欻騰雙龍。

弄電不輟手,行雲本無蹤。

幾時入少室,王母應相逢。

 

 

(下し文)

(玉真仙人の詞)

玉真の仙人,時に太華峰に往く。

清晨 天鼓を鳴らし,飆欻【ひょうこつ】雙龍を騰【のぼ】らしむ。

電を弄して手を輟【や】めず,行雲 本と蹤無し。

幾時か少室に入って,王母 應に相い逢うべきか。

 

(現代語訳)

(玉真公主であった仙人にこの詞を献ずる)

玉真の仙人は、公主であられたお方であるのに道士になられた、時々、長安を発って華山の絶頂に赴かれるという。

晴れ渡った清々しい夜明け時に道教の歯を鳴らして行う「天鼓の法」が行われ、やがて身を躍らして雙竜にまたがり、飄忽として天空を飛行された。

手に電光を弄してしばらく止まれず、そうしてその行方は、雲が流れるまま行かれ、後を残すことはなかった。

それが、中嶽である嵩山の中にある少室石闕銘の山に行かれたのであれば、仙女の女王である西王母が大歓迎で応対してくれ、早いうちに仙道を修得されることでしょう。

花蕊夫人002 

(訳注)

玉真仙人詞

(玉真公主であった仙人にこの詞を献ずる)

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

 

玉真之仙人,時往太華峰。

玉真の仙人は、公主であられたお方であるのに道士になられた、時々、長安を発って華山の絶頂に赴かれるという。

○太華峰 五岳の一つ華山のこと。華山は、中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。韓愈《晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和》「南伐旋師太華東,天書夜到冊元功。」《晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <847  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3219韓愈詩-219

韓愈《華山女》(現在の陝西省華陰県にある山)に住む少女が、女道士となって、大変人気があったが、彼の女を取りまく信者たちの熱狂ぶりや、彼の女に妙な興味をいだく好き者たちの行動をえがいて、その愚かさを諷刺した。

華山女 韓退之(韓愈)詩<113-1>Ⅱ中唐詩553 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1778

 

清晨鳴天鼓,飆欻騰雙龍。

晴れ渡った清々しい夜明け時に道教の歯を鳴らして行う「天鼓の法」が行われ、やがて身を躍らして雙竜にまたがり、飄忽として天空を飛行された。

○天鼓 夜明け時に道教の経典を唱え、歯を鳴らして行う「天鼓の法」というもの。

 

弄電不輟手,行雲本無蹤。

手に電光を弄してしばらく止まれず、そうしてその行方は、雲が流れるまま行かれ、後を残すことはなかった。

 

幾時入少室,王母應相逢。

それが、中嶽である嵩山の中にある少室石闕銘の山に行かれたのであれば、仙女の女王である西王母が大歓迎で応対してくれ、早いうちに仙道を修得されることでしょう。

○少室 嵩山三闕銘(すうざんさんけつめい)の少室石闕銘のこと。中国の後漢代、元初5118)年から延光2123)年にかけて建てられた嵩山太室石闕銘・嵩山少室石闕銘・嵩山開母廟石闕銘の総称。隷書が公式書体であった漢代にあって、極めて珍しい篆書による金石文である。

○王母 中国で古くから信仰された女仙、女神。姓は楊、名は回。 九霊太妙亀山金母、太霊九光亀台金母、瑶池金母、王母娘娘などともいう。 王母は祖母の謂いであり、西王母とは、西方の崑崙山上に住する女性の尊称である。
函谷関002 

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李白《邠()歌行上新平長史兄粲》-#3これは人生のことであり、前に栄華を極めたものが、後には枯落するというもので、翻覆というものは常ならんもので、自分も今不遇の境遇にあるから、貴兄との義兄弟のよしみで、餘光を借りるを許して、どうか引き立ててもらいたいと思っている。

 
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年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    ()歌行上新平長史兄粲

作地點:              邠州(京畿道 / 邠州 / 邠州)

及地點:             

邠州 (京畿道 邠州 邠州) 別名:桂陽、新平、豳         

邠谷 (京畿道 邠州 邠州)    

交遊人物:李粲    當地交遊(京畿道 邠州 邠州)

 

 

()歌行上新平長史兄粲

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

邠谷稍稍振庭柯,涇水浩浩揚湍波。

秋の季節もいい時季に、身は依然として、邠州の谷間に寓居しているが、庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。涇水は漲って早瀬の波をうって流れている。

哀鴻酸嘶暮聲急,愁雲蒼慘寒氣多。

その時、大雁は夕暮れにあたって悲しい声を残して飛んでゆく、雲は愁いを重ねる様に深く立ち込めて、そぞろに寒さを覚える。

憶昨去家此為客,荷花初紅柳條碧。

前日、家を去って、この地に来たので、その時は蓮の花が初めて紅の花を咲かせ、柳の枝葉が青く繁っていた。

(邠【ひん】歌行、新平の長史 兄粲【けいさん】に上【たてまつ】る)

邠谷 稍稍として 庭柯を振い,涇水 浩浩として 湍波を揚ぐ。

哀鴻【あいこう】酸嘶【さんせい】暮聲 急なり,愁雲 蒼慘 寒氣多し。

憶う 昨 去家をって此に客と為り,荷花 初めて紅にして 柳條 碧なり。

 

-#2

中宵出飲三百杯,明朝歸揖二千石。

ここに滞在している間、夜ごと,市中に出て宵の間に三百杯の酒を呑み、翌朝になれば、この州の長史である貴兄に会釈し、普通に仕事をこなしたのである。

寧知流寓變光輝,胡霜蕭颯繞客衣。

而も、この地に流寓している間に、太陽と月の輝きが変動し、北の国境の先の異民族地に霜が降り雪が降り、寒風が吹きつけるようになって、旅人の衣を廻るようになった。

寒灰寂寞憑誰暖,落葉飄揚何處歸。

火桶もすぐに灰になり、部屋は悲惨な状態になってしまう、誰も火を継ぎ足したり、暖かくしてくれる人があろうか、落ち葉は突風に吹かれて、飄颻として何処へ飛んでゆくのだろうか、帰って来ることはない。

-#2

中宵【ちゅうしょう】出でて 飲む 三百杯,明朝歸って 揖【ゆう】す 二千石。

寧ろ知らん 流寓 光輝を變じ,胡霜 蕭颯 客衣を繞るを。

寒灰 寂寞として 誰に憑ってか暖めん,落葉 飄揚として 何處にか歸る。
 

-#3

吾兄行樂窮曛旭,滿堂有美顏如玉。

このように、時節の移り変わりは、どうしようもないことで、我々は貴兄に薦めるのは、だからこそ、朝に、夕に行楽を極めることがよろしいと思うし、珠のように麗しい妓女たちがこの奥座敷にはいっぱいいるのだからなおさらであろう。

趙女長歌入綵雲,燕醉舞嬌紅燭。

趙の女は歌が上手で、その歌声は仙郷の彩雲まで届くし、燕の姫妓が酔うて踊るさまは紅燭に映じてとても艶めかしく見える。

狐裘獸炭酌流霞,壯士悲吟寧見嗟。

そこで秋の終わりになったので、狐裘の暖かい着物を着こんで、獸炭で酒を温めて流霞の盃を浮かべて痛飲すべく、壯士の悲吟をまねて、長嗟するにも及ばない。

前榮後枯相翻覆,何惜餘光及棣華。

これは人生のことであり、前に栄華を極めたものが、後には枯落するというもので、翻覆というものは常ならんもので、自分も今不遇の境遇にあるから、貴兄との義兄弟のよしみで、餘光を借りるを許して、どうか引き立ててもらいたいと思っている。

-#3

吾が兄 行樂 曛旭を窮めよ,滿堂 美有り 顏 玉の如し。

趙の女 長歌して 綵雲に入り,燕の 醉舞して 紅燭嬌なり。

狐裘 獸炭 流霞を酌み,壯士 悲吟 寧ろ 嗟せらる。

前榮後枯 相い翻覆し,何ぞ惜まん 餘光の棣華に及ぶを。

邠州亰兆府00 

 

『邠()歌行上新平長史兄粲』 現代語訳と訳註解説

(本文) -3

吾兄行樂窮曛旭,滿堂有美顏如玉。

趙女長歌入綵雲,燕醉舞嬌紅燭。

狐裘獸炭酌流霞,壯士悲吟寧見嗟。

前榮後枯相翻覆,何惜餘光及棣華。

 

(下し文) -3

吾が兄 行樂 曛旭を窮めよ,滿堂 美有り 顏 玉の如し。

趙の女 長歌して 綵雲に入り,燕の 醉舞して 紅燭嬌なり。

狐裘 獸炭 流霞を酌み,壯士 悲吟 寧ろ 嗟せらる。

前榮後枯 相い翻覆し,何ぞ惜まん 餘光の棣華に及ぶを。

 

(現代語訳)

このように、時節の移り変わりは、どうしようもないことで、我々は貴兄に薦めるのは、だからこそ、朝に、夕に行楽を極めることがよろしいと思うし、珠のように麗しい妓女たちがこの奥座敷にはいっぱいいるのだからなおさらであろう。

趙の女は歌が上手で、その歌声は仙郷の彩雲まで届くし、燕の姫妓が酔うて踊るさまは紅燭に映じてとても艶めかしく見える。

そこで秋の終わりになったので、狐裘の暖かい着物を着こんで、獸炭で酒を温めて流霞の盃を浮かべて痛飲すべく、壯士の悲吟をまねて、長嗟するにも及ばない。

これは人生のことであり、前に栄華を極めたものが、後には枯落するというもので、翻覆というものは常ならんもので、自分も今不遇の境遇にあるから、貴兄との義兄弟のよしみで、餘光を借りるを許して、どうか引き立ててもらいたいと思っている。

 

華州から秦州同谷成都00 (訳注) -#2

()歌行上新平長史兄粲

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

○邠() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。

○長史 州の佐職で、今でいえば県の理事官程度のものである。

 

吾兄行樂窮曛旭,滿堂有美顏如玉。

このように、時節の移り変わりは、どうしようもないことで、我々は貴兄に薦めるのは、だからこそ、朝に、夕に行楽を極めることがよろしいと思うし、珠のように麗しい妓女たちがこの奥座敷にはいっぱいいるのだからなおさらであろう。

○曛旭 朝に、夕に。

 

趙女長歌入綵雲,燕醉舞嬌紅燭。

趙の女は歌が上手で、その歌声は仙郷の彩雲まで届くし、燕の姫妓が酔うて踊るさまは紅燭に映じてとても艶めかしく見える。

○趙 現在の山西省と河北省の一部を指す。 戦国七雄の1つの趙国。

○燕 戦国七雄の一つ。河北省北部、現在の北京を中心とする土地を支配した。首都は薊(けい)で、現在の北京にあたる。

 

狐裘獸炭酌流霞,壯士悲吟寧見嗟。

そこで秋の終わりになったので、狐裘の暖かい着物を着こんで、獸炭で酒を温めて流霞の盃を浮かべて痛飲すべく、壯士の悲吟をまねて、長嗟するにも及ばない。

○獸炭 ① 粉炭をねって獣の形に作ったたどん。 活性炭の一種。獣の血・肉・骨などを乾留して作った黒色の炭素質の物質の総称。吸着剤として,薬用または脱臭・脱色用に用いる。骨炭・血炭など。

○流霞 李白『遊泰山.六首其一』「遺我流霞盃」(我に流霞【りゅうか】の盃を遺る。)

 

前榮後枯相翻覆,何惜餘光及棣華。

これは人生のことであり、前に栄華を極めたものが、後には枯落するというもので、翻覆というものは常ならんもので、自分も今不遇の境遇にあるから、貴兄との義兄弟のよしみで、餘光を借りるを許して、どうか引き立ててもらいたいと思っている。

○餘光 ① あとまで残る光。 先人の名声が,のちにまで影響を与えること。余徳。おかげ。

○棣華 兄弟愛の美しさを詠うもの、「常棣」じょうていの冒頭にある「常棣の華」のことです。『詩経』小雅・鹿鳴之什「常棣之華、鄂不、凡今之人、莫如兄弟」
李白図102 

140-#2 《邠(豳)歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#2> Ⅰ李白詩1326 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5178

李白《邠()歌行上新平長史兄粲》-#2 ここに滞在している間、夜ごと,市中に出て宵の間に三百杯の酒を呑み、翌朝になれば、この州の長史である貴兄に会釈し、普通に仕事をこなしたのである。

 
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年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    ()歌行上新平長史兄粲

作地點:              邠州(京畿道 / 邠州 / 邠州)

及地點:             

邠州 (京畿道 邠州 邠州) 別名:桂陽、新平、豳         

邠谷 (京畿道 邠州 邠州)    

交遊人物:李粲    當地交遊(京畿道 邠州 邠州)

 

 

()歌行上新平長史兄粲

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

邠谷稍稍振庭柯,涇水浩浩揚湍波。

秋の季節もいい時季に、身は依然として、邠州の谷間に寓居しているが、庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。涇水は漲って早瀬の波をうって流れている。

哀鴻酸嘶暮聲急,愁雲蒼慘寒氣多。

その時、大雁は夕暮れにあたって悲しい声を残して飛んでゆく、雲は愁いを重ねる様に深く立ち込めて、そぞろに寒さを覚える。

憶昨去家此為客,荷花初紅柳條碧。

前日、家を去って、この地に来たので、その時は蓮の花が初めて紅の花を咲かせ、柳の枝葉が青く繁っていた。

(邠【ひん】歌行、新平の長史 兄粲【けいさん】に上【たてまつ】る)

邠谷 稍稍として 庭柯を振い,涇水 浩浩として 湍波を揚ぐ。

哀鴻【あいこう】酸嘶【さんせい】暮聲 急なり,愁雲 蒼慘 寒氣多し。

憶う 昨 去家をって此に客と為り,荷花 初めて紅にして 柳條 碧なり。

 

-#2

中宵出飲三百杯,明朝歸揖二千石。

ここに滞在している間、夜ごと,市中に出て宵の間に三百杯の酒を呑み、翌朝になれば、この州の長史である貴兄に会釈し、普通に仕事をこなしたのである。

寧知流寓變光輝,胡霜蕭颯繞客衣。

而も、この地に流寓している間に、太陽と月の輝きが変動し、北の国境の先の異民族地に霜が降り雪が降り、寒風が吹きつけるようになって、旅人の衣を廻るようになった。

寒灰寂寞憑誰暖,落葉飄揚何處歸。

火桶もすぐに灰になり、部屋は悲惨な状態になってしまう、誰も火を継ぎ足したり、暖かくしてくれる人があろうか、落ち葉は突風に吹かれて、飄颻として何処へ飛んでゆくのだろうか、帰って来ることはない。

-#2

中宵【ちゅうしょう】出でて 飲む 三百杯,明朝歸って 揖【ゆう】す 二千石。

寧ろ知らん 流寓 光輝を變じ,胡霜 蕭颯 客衣を繞るを。

寒灰 寂寞として 誰に憑ってか暖めん,落葉 飄揚として 何處にか歸る。

 

-#3

吾兄行樂窮曛旭,滿堂有美顏如玉。

趙女長歌入綵雲,燕醉舞嬌紅燭。

狐裘獸炭酌流霞,壯士悲吟寧見嗟。

前榮後枯相翻覆,何惜餘光及棣華。

 

 

-#3

吾が兄 行樂 曛旭を窮めよ,滿堂 美有り 顏 玉の如し。

趙の女 長歌して 綵雲に入り,燕の 醉舞して 紅燭嬌なり。

狐裘 獸炭 流霞を酌み,壯士 悲吟 寧ろ 嗟せらる。

前榮後枯 相い翻覆し,何ぞ惜まん 餘光の棣華に及ぶを。

 

華州から秦州同谷成都00

『邠()歌行上新平長史兄粲』 現代語訳と訳註解説

(本文) -#2

中宵出飲三百杯,明朝歸揖二千石。

寧知流寓變光輝,胡霜蕭颯繞客衣。

寒灰寂寞憑誰暖,落葉飄揚何處歸。

 

(下し文) -#2

中宵【ちゅうしょう】出でて 飲む 三百杯,明朝歸って 揖【ゆう】す 二千石。

寧ろ知らん 流寓 光輝を變じ,胡霜 蕭颯 客衣を繞るを。

寒灰 寂寞として 誰に憑ってか暖めん,落葉 飄揚として 何處にか歸る。

 

(現代語訳)

ここに滞在している間、夜ごと,市中に出て宵の間に三百杯の酒を呑み、翌朝になれば、この州の長史である貴兄に会釈し、普通に仕事をこなしたのである。

而も、この地に流寓している間に、太陽と月の輝きが変動し、北の国境の先の異民族地に霜が降り雪が降り、寒風が吹きつけるようになって、旅人の衣を廻るようになった。

火桶もすぐに灰になり、部屋は悲惨な状態になってしまう、誰も火を継ぎ足したり、暖かくしてくれる人があろうか、落ち葉は突風に吹かれて、飄颻として何処へ飛んでゆくのだろうか、帰って来ることはない。

邠州亰兆府00 

 (訳注) -#2

()歌行上新平長史兄粲

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。

長史 州の佐職で、今でいえば県の理事官程度のものである。

 

 

中宵出飲三百杯,明朝歸揖二千石。

ここに滞在している間、夜ごと,市中に出て宵の間に三百杯の酒を呑み、翌朝になれば、この州の長史である貴兄に会釈し、普通に仕事をこなしたのである。

○三百杯、二千石 一回の飲酒の席では、三百杯飲む。李白將進酒會須一飮三百杯後漢・経学家の鄭玄は、袁紹が催した送別の宴席で、三百杯を飲んで酔わなかったという。

李白月下獨酌四首 其四《月下獨酌四首 其四》「窮愁千萬端,美酒三百杯。」李白と道教48襄陽歌「百年三萬六千日,一日須傾三百杯」

李延年は協律都尉に任命されて二千石の印綬を帯び、武帝と寝起きを共にするほど寵愛された。

 

寧知流寓變光輝,胡霜蕭颯繞客衣。

而も、この地に流寓している間に、太陽と月の輝きが変動し、北の国境の先の異民族地に霜が降り雪が降り、寒風が吹きつけるようになって、旅人の衣を廻るようになった。

 

寒灰寂寞憑誰暖,落葉飄揚何處歸。

火桶もすぐに灰になり、部屋は悲惨な状態になってしまう、誰も火を継ぎ足したり、暖かくしてくれる人があろうか、落ち葉は突風に吹かれて、飄颻として何処へ飛んでゆくのだろうか、帰って来ることはない。
芍薬001 

140-#1 《邠(豳)歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#1> Ⅰ李白詩1325 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5173

李白《邠()歌行上新平長史兄粲》-#1 秋の季節もいい時季に、身は依然として、邠州の谷間に寓居しているが、庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。涇水は漲って早瀬の波をうって流れている。

 
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140-#1 《邠()歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#1> Ⅰ李白詩1325 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5173

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    ()歌行上新平長史兄粲

作地點:              邠州(京畿道 / 邠州 / 邠州)

及地點:             

邠州 (京畿道 邠州 邠州) 別名:桂陽、新平、豳         

邠谷 (京畿道 邠州 邠州)    

交遊人物:李粲    當地交遊(京畿道 邠州 邠州)

 

 

()歌行上新平長史兄粲

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

邠谷稍稍振庭柯,涇水浩浩揚湍波。

秋の季節もいい時季に、身は依然として、邠州の谷間に寓居しているが、庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。涇水は漲って早瀬の波をうって流れている。

哀鴻酸嘶暮聲急,愁雲蒼慘寒氣多。

その時、大雁は夕暮れにあたって悲しい声を残して飛んでゆく、雲は愁いを重ねる様に深く立ち込めて、そぞろに寒さを覚える。

憶昨去家此為客,荷花初紅柳條碧。

前日、家を去って、この地に来たので、その時は蓮の花が初めて紅の花を咲かせ、柳の枝葉が青く繁っていた。

(邠【ひん】歌行、新平の長史 兄粲【けいさん】に上【たてまつ】る)

邠谷 稍稍として 庭柯を振い,涇水 浩浩として 湍波を揚ぐ。

哀鴻【あいこう】酸嘶【さんせい】暮聲 急なり,愁雲 蒼慘 寒氣多し。

憶う 昨 去家をって此に客と為り,荷花 初めて紅にして 柳條 碧なり。

 

-#2

中宵出飲三百杯,明朝歸揖二千石。

寧知流寓變光輝,胡霜蕭颯繞客衣。

寒灰寂寞憑誰暖,落葉飄揚何處歸。

 

-#3

吾兄行樂窮曛旭,滿堂有美顏如玉。

趙女長歌入綵雲,燕醉舞嬌紅燭。

狐裘獸炭酌流霞,壯士悲吟寧見嗟。

前榮後枯相翻覆,何惜餘光及棣華。

 

 

-#2

中宵【ちゅうしょう】出でて 飲む 三百杯,明朝歸って 揖【ゆう】す 二千石。

寧ろ知らん 流寓 光輝を變じ,胡霜 蕭颯 客衣を繞るを。

寒灰 寂寞として 誰に憑ってか暖めん,落葉 飄揚として 何處にか歸る。

吾が兄 行樂 曛旭を窮めよ,滿堂 美有り 顏 玉の如し。

趙の女 長歌して 綵雲に入り,燕の 醉舞して 紅燭嬌なり。

狐裘 獸炭 流霞を酌み,壯士 悲吟 寧ろ 嗟せらる。

前榮後枯 相い翻覆し,何ぞ惜まん 餘光の棣華に及ぶを。

 

 

『邠()歌行上新平長史兄粲』 現代語訳と訳註解説

(本文)

()歌行上新平長史兄粲

邠谷稍稍振庭柯,涇水浩浩揚湍波。

哀鴻酸嘶暮聲急,愁雲蒼慘寒氣多。

憶昨去家此為客,荷花初紅柳條碧。

 

 

(下し文)

(邠【ひん】歌行、新平の長史 兄粲【けいさん】に上【たてまつ】る)

邠谷 稍稍として 庭柯を振い,涇水 浩浩として 湍波を揚ぐ。

哀鴻【あいこう】酸嘶【さんせい】暮聲 急なり,愁雲 蒼慘 寒氣多し。

憶う 昨 去家をって此に客と為り,荷花 初めて紅にして 柳條 碧なり。

 

(現代語訳)

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

秋の季節もいい時季に、身は依然として、邠州の谷間に寓居しているが、庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。涇水は漲って早瀬の波をうって流れている。

その時、大雁は夕暮れにあたって悲しい声を残して飛んでゆく、雲は愁いを重ねる様に深く立ち込めて、そぞろに寒さを覚える。

前日、家を去って、この地に来たので、その時は蓮の花が初めて紅の花を咲かせ、柳の枝葉が青く繁っていた。

 

華州から秦州同谷成都00

(訳注)

()歌行上新平長史兄粲

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。

長史 州の佐職で、今でいえば県の理事官程度のものである。

 

邠谷稍稍振庭柯,涇水浩浩揚湍波。

秋の季節もいい時季に、身は依然として、邠州の谷間に寓居しているが、庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。涇水は漲って早瀬の波をうって流れている。

邠谷 邠州の谷間。

稍稍振庭柯 庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。

涇水 陝西省中部の渭河(渭水)の支流,涇河ともいう。寧夏回族自治区と甘粛省の境界,六盤(りくばん)山系に発し,南東へ流れ,渭河盆地の中央付近で渭河と合流する。全長約450km。黄土高原をへるため土砂が多く水はにごり,〈涇渭〉として本流の澄んだ渭河と対比される。秦代に東方の洛河とを結ぶ鄭国渠(ていこくきよ)が開かれ,また,漢の武帝時代には渭河に直結する白渠も開削されるなど,早くから灌漑に利用されてきた。

揚湍波 早瀬の波をうって流れている。

 

哀鴻酸嘶暮聲急,愁雲蒼慘寒氣多。

その時、大雁は夕暮れにあたって悲しい声を残して飛んでゆく、雲は愁いを重ねる様に深く立ち込めて、そぞろに寒さを覚える。

鴻 大雁。

酸嘶 悲しい声を残して飛んでゆく。


 

憶昨去家此為客,荷花初紅柳條碧。

前日、家を去って、この地に来たので、その時は蓮の花が初めて紅の花を咲かせ、柳の枝葉が青く繁っていた。

荷花初紅 蓮の花が初めて紅の花を咲かせる。

柳條碧 柳の枝葉が青く繁っていた。
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139 《鳳臺曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <139> Ⅰ李白詩1324 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5168

李白《鳳臺曲》 聞くところによれば、かつて秦の穆公の娘の弄玉はたくみに玉簫を吹いて、鳳凰のまねたという。それより前のころに、仙子である蕭史に出会ったのであるが、その時に一目ぼれしたという。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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139 《鳳臺曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <139> Ⅰ李白詩1324 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5168 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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27-#8 《此日足可惜贈張籍-8》韓愈(韓退之)ID <1237> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5169韓愈詩-27-#8 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55歲-9 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-542《河傳二首,其二》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-725-20-(542) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5172 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
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139 《鳳臺曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <139> Ⅰ李白詩1324 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5168

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    鳳臺曲

作地點:              岐山(縣)(京畿道 / 岐州 / 岐山)

及地點:鳳女臺 (京畿道 岐州 岐山) 別名:鳳臺         

 

 

鳳臺曲

(弄玉のことを詠う。)

嘗聞秦帝女,傳得鳳凰聲。

聞くところによれば、かつて秦の穆公の娘の弄玉はたくみに玉簫を吹いて、鳳凰のまねたという。

是日逢仙子,當時別有情。

それより前のころに、仙子である蕭史に出会ったのであるが、その時に一目ぼれしたという。

人吹綵簫去,天借綠雲迎。

こうして二人は飾って綺麗な簫玉を吹いて、仙界に上った。天は綠雲をお迎えに出してきて、これを借りて昇ったのだ。

曲在身不返,空餘弄玉名。

かくて、玉簫の曲は、今に至って伝わっているが、人は再び帰ることはなく、ただ、弄玉という名前だけを余しているのだ。

 

鳳臺曲

嘗て聞く秦帝の女,鳳凰の聲を傳え得たり。

是の日 仙子に逢う,當時 別に情有り。

人は綵簫を吹いて去り,天は綠雲を借して迎う。

曲在れども 身返らず,空しく餘す弄玉の名。

 

 

鳳凰曲

嬴女吹玉簫,吟弄天上春。

青鸞不獨去,更有攜手人。

影滅彩雲斷,遺聲落西秦。

(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)

秦の穆公の娘の弄玉は玉簫を吹くことを学び、だんだん上手になって、此れを吹くことによって天上に春が満ちたような思いがする。

こうして、仕舞に鳳凰に乗じて仙界に昇ったが、ひとりで去ったのではなく、その夫、蕭史と手を携えていったのである。

それから、その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

 

 (鳳凰曲)

嬴女【えいじょ】玉簫を吹き,吟弄す 天上の春。

青鸞 獨り去らず,更に手を攜える人有り。

影は滅して 彩雲斷え,遺聲 西秦に落つ。

 

李白の足跡003 

『鳳臺曲』 現代語訳と訳註解説

(本文)

鳳臺曲

嘗聞秦帝女,傳得鳳凰聲。

是日逢仙子,當時別有情。

人吹綵簫去,天借綠雲迎。

曲在身不返,空餘弄玉名。

 

(含異文)

嘗聞秦帝女,傳得鳳凰聲。

是日逢仙子,當時別有情。

人吹綵簫去,天借綠雲迎。

曲在身不返【心在身不返】,空餘弄玉名。

 

(下し文)

鳳臺曲

嘗て聞く秦帝の女,鳳凰の聲を傳え得たり。

是の日 仙子に逢う,當時 別に情有り。

人は綵簫を吹いて去り,天は綠雲を借して迎う。

曲在れども 身返らず,空しく餘す弄玉の名。

 

(現代語訳)

(弄玉のことを詠う。)

聞くところによれば、かつて秦の穆公の娘の弄玉はたくみに玉簫を吹いて、鳳凰のまねたという。

それより前のころに、仙子である蕭史に出会ったのであるが、その時に一目ぼれしたという。

こうして二人は飾って綺麗な簫玉を吹いて、仙界に上った。天は綠雲をお迎えに出してきて、これを借りて昇ったのだ。

かくて、玉簫の曲は、今に至って伝わっているが、人は再び帰ることはなく、ただ、弄玉という名前だけを余しているのだ。

 

巫山十二峰002 

(訳注)

鳳臺曲

(弄玉のことを詠う。)

秦の穆王の弄玉と蕭史は二人道を得、鳳凰に乗って飛び去った。

蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。江淹「畫作秦王女乘鸞向煙霧。」とある。

漢の劉向《列仙傳・卷上・蕭史》「蕭史善吹簫,作鳳鳴。秦穆公以女弄玉妻之,作鳳樓,教弄玉吹簫,感鳳來集,弄玉乘鳳、蕭史乘龍,夫婦同仙去。 「弄玉」是秦穆公的女兒,她長得非常漂亮,而且很喜歡音樂,是一個吹簫高手。」(蕭史 善く簫を吹き,鳳鳴く作る。秦の穆公は以て女【むすめ】弄玉を之の妻とす,鳳樓を作り,弄玉に簫を吹くを教え,感じて鳳 來り集り,弄玉 鳳に乘り、蕭史 龍に乘る,夫婦 同に仙に去る。 「弄玉」是れ秦の穆公の女兒なり,她長 非常漂亮を得て,而して且つ音樂を喜歡する很【あらそ】う,是れ一個 簫を吹く高手なり。)

○鳳臺曲 楽府詩集に梁の武帝、上雲楽七曲を製していて其一を鳳臺曲としている。李白はこれに擬した。

 

嘗聞秦帝女,傳得鳳凰聲。

聞くところによれば、かつて秦の穆公の娘の弄玉はたくみに玉簫を吹いて、鳳凰のまねたという。

秦帝女 秦帝は、秦の穆公のこと。秦帝女 穆公の娘、弄玉。

 

是日逢仙子,當時別有情。

それより前のころに、仙子である蕭史に出会ったのであるが、その時に一目ぼれしたという。

仙子 蕭史のこと。

別有情 情思纏綿たるものがあったこと。たがいに一目ぼれをした。

 

人吹綵簫去,天借綠雲迎。

こうして二人は飾って綺麗な簫玉を吹いて、仙界に上った。天は綠雲をお迎えに出してきて、これを借りて昇ったのだ。

綠雲迎 途中まで蕭史は龍に乗り、弄玉は鳳凰に乗っていき、途中から綠雲を借りて二人で乗り換えて行った。

 

曲在身不返,空餘弄玉名。

かくて、玉簫の曲は、今に至って伝わっているが、人は再び帰ることはなく、ただ、弄玉という名前だけを余しているのだ。
岳陽樓詩人0051 

138 《鳳凰曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <138> Ⅰ李白詩1323 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5163

李白《鳳凰曲》(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

 

 
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138 《鳳凰曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <138> Ⅰ李白詩1323 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5163

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    鳳凰曲

作地點:              岐山(縣)(京畿道 / 岐州 / 岐山)

及地點:              鳳女臺 (京畿道 岐州 岐山) 別名:鳳臺         

 

 

鳳凰曲

(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)

嬴女吹玉簫,吟弄天上春。

秦の穆公の娘の弄玉は玉簫を吹くことを学び、だんだん上手になって、此れを吹くことによって天上に春が満ちたような思いがする。

青鸞不獨去,更有攜手人。

こうして、仕舞に鳳凰に乗じて仙界に昇ったが、ひとりで去ったのではなく、その夫、蕭史と手を携えていったのである。

影滅彩雲斷,遺聲落西秦。

それから、その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

 

 (鳳凰曲)

嬴女【えいじょ】玉簫を吹き,吟弄す 天上の春。

青鸞 獨り去らず,更に手を攜える人有り。

影は滅して 彩雲斷え,遺聲 西秦に落つ。

bijo01 

 

『鳳凰曲』 現代語訳と訳註解説

(本文)

鳳凰曲

嬴女吹玉簫,吟弄天上春。

青鸞不獨去,更有攜手人。

影滅彩雲斷,遺聲落西秦。

 

(下し文)

(鳳凰曲)

嬴女【えいじょ】玉簫を吹き,吟弄す 天上の春。

青鸞 獨り去らず,更に手を攜える人有り。

影は滅して 彩雲斷え,遺聲 西秦に落つ。

 

(現代語訳)

(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)

秦の穆公の娘の弄玉は玉簫を吹くことを学び、だんだん上手になって、此れを吹くことによって天上に春が満ちたような思いがする。

こうして、仕舞に鳳凰に乗じて仙界に昇ったが、ひとりで去ったのではなく、その夫、蕭史と手を携えていったのである。

それから、その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

 

(訳注)

鳳凰曲

(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)

教坊曲の基本になったもの。漢の劉向《列仙傳・卷上・蕭史》「蕭史善吹簫,作鳳鳴。秦穆公以女弄玉妻之,作鳳樓,教弄玉吹簫,感鳳來集,弄玉乘鳳、蕭史乘龍,夫婦同仙去。 「弄玉」是秦穆公的女兒,她長得非常漂亮,而且很喜歡音樂,是一個吹簫高手。」(蕭史 善く簫を吹き,鳳鳴く作る。秦の穆公は以て女【むすめ】弄玉を之の妻とす,鳳樓を作り,弄玉に簫を吹くを教え,感じて鳳 來り集り,弄玉 鳳に乘り、蕭史 龍に乘る,夫婦 同に仙に去る。 「弄玉」是れ秦の穆公の女兒なり,她長 非常漂亮を得て,而して且つ音樂を喜歡する很【あらそ】う,是れ一個 簫を吹く高手なり。)

 

嬴女吹玉簫,吟弄天上春。

秦の穆公の娘の弄玉は玉簫を吹くことを学び、だんだん上手になって、此れを吹くことによって天上に春が満ちたような思いがする。

○嬴女 嬴は秦の姓、善吹とは秦の穆公の娘の弄玉をいう。蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。

杜甫『鄭駙馬宅宴洞中』

主家陰洞細煙霧,留客夏簟青瑯玕。

春酒杯濃琥珀薄,冰漿碗碧瑪瑙寒。

悞疑茅屋過江麓,已入風磴霾雲端。

自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

秦の穆公に女があり弄玉といったが、弄玉は簫の名人の蕭史を愛した。穆公は之を妻わしたところ、二人は日々楼上に於て簫を吹き鳳の鳴くが如くであったが、ある日鳳がやって来てその屋に止まり、夫妻はともにその鳳に随って飛び去った。秦楼とは弄玉のすむ楼をいい、臨晋公主の居楼に比する。

 

青鸞不獨去,更有攜手人。

こうして、仕舞に鳳凰に乗じて仙界に昇ったが、ひとりで去ったのではなく、その夫、蕭史と手を携えていったのである。

○青鸞 希望を持った鳳凰。

 

影滅彩雲斷,遺聲落西秦。

それから、その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

○西秦 岐山、鳳女臺、別名を鳳臺という地点のこと。

 

 太白山00

 

 

 

 

 

 

 

 

○共乘雙飛鸞 秦の穆王の弄玉と蕭史は二人道を得、鳳凰に乗って飛び去った。

蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。江淹「畫作秦王女乘鸞向煙霧。」とある。

『玉臺観二首其一』にものべる。

弄玉之を喜ぶ:秦の穆公の女の弄玉を妻にした。鳳樓を作り,弄玉に吹簫を教えた,鳳と感ぜられ來集す,弄玉は鳳に乘り、蕭史は龍に乘って,夫婦同じく仙に去る。

 ... 秦穆王有一女,名弄玉,善吹,一日梦一英俊青年戴羽冠、披氅、,由天而降,自称为华山之主,要娶弄玉。

 

 李白図102

 

 

玉台觀 二首 之一

中天積翠玉台遙,上帝高居絳節朝。

遂有馮夷來擊鼓,始知嬴女善吹簫。

江光隱見黿鼉窟,石勢參差烏鵲橋。

更肯紅顏生羽翼,便應黃發老漁樵。

(玉台観 二首其の一)

中天 積翠 玉台逢かなり、上帝の高居 経節朝す。

遂に馮夷【ひょうい】の来たって鼓を撃つ有り、始めて知る嬴女【えいじょ】の善く寮を吹くを。

江光 隠見す黿鼉【げんだ】の窟、石勢 参差たり烏鵲橋【うじゃくきょう】。

更に肯て 紅顔羽翼を生ぜんや、便ち 応に黄髪 漁樵に老ゆべし。

(滕王のたてた玉台観の佇まいを述べる。)

山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

いろいろなやつがくるが遂には「洛神賦」にいう馮夷という河伯が来て太鼓をうつし、また弄玉のような仙女が上手に簫を吹くというのもここ玉臺観なればこそとはじめて知られるのである。

この山に立つ観の上からみわたすと江の水のてるところ黿鼉の窟が見えがくれしたりしている、石が互い違いにならんで七夕の日に烏鵲が造ったという橋にもみまがうようにみえる。

自分はすこし慾張ったことをいうが、更にもし自分が紅顔であって羽翼がからだに生えるようになることができぬものだろうか。できるというのなら、甘んじてこの黄髪の老体をもってこの山間の漁礁とまじって隠遁してゆくであろう。

137 《秦女卷衣》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <137> Ⅰ李白詩1322 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5158

李白《秦女卷衣》天子のためにはこの身を惜しまぬ覚悟をしており、楚の昭王の夫人が、使者が命符を持参していなかったことによって、大水にも動かず水死したというような信義をもっており、また、馮婕妤が、熊が檻から飛び出した時、身を以て聖躬をかばったというように、天子の恩為ばかり思っているのです。

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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136 《長相思》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <136> Ⅰ李白詩1321 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5153

李白《長相思》そして、とばりを巻き上げて、月を見上げて、空しく長嘆の声を発してみる。なぜなら、寵愛を失った妃嬪であっても牡丹の花のように美しさをたもっているけれど、月とおなじように、遠く雲端を隔てて天涯におかれているからである。

 
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136 《長相思》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <136> Ⅰ李白詩1321 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5153

 

729年・開元十七年・29

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。【昔時橫波目】。

今成流淚泉。

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

 

731年・開元十九年・31

長相思【寄遠】,二首之二

美人在時花滿堂,美人去後空餘床。

床中繡被卷不寢,至今三載猶聞香。

香亦竟不滅,人亦竟不來。

相思黃葉落,白露點青苔。

芍薬001

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六二              文體:    樂府

詩題:    長相思

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

 

 

長相思

(寵愛を失っても、あの方のことを思い続けるしかないと詠う。)

長相思,在長安,絡緯秋啼金井闌。

あの人のことを長く思い続けている妃嬪は、長安に在る。秋も深く金の飾りを鏤めた井戸端のあたりでは蟋蟀がしきりに機織りの様な声を立てて啼いている。

微霜淒淒簟色寒,孤燈不明思欲

夜間、薄霜が降りて冷え冷えとし、“もしか”と思い寝牀に敷いていた簟の色さえ寒々としている。この時に当たり、半分消えかかったような孤燈をとってかかげて、絶えぬ愁いの意を抱き続けている。

卷帷望月空長歎,美人如花隔雲端。

そして、とばりを巻き上げて、月を見上げて、空しく長嘆の声を発してみる。なぜなら、寵愛を失った妃嬪であっても牡丹の花のように美しさをたもっているけれど、月とおなじように、遠く雲端を隔てて天涯におかれているからである。

上有青冥之長天,下有淥水之波瀾。

上には、蒼蒼とした仙郷のごとく天は何処までも続き、下には、澄み切った水の上に波瀾を生じて広げる。

天長路遠魂飛苦,夢魂不到關山難。

このように天は長く、道は遠いために、魂が飛んでゆくことは苦しく、夢中の魂すら飛んでゆくことは難しい。

長相思,摧心肝。

そこで、ずっと長く思い続けるしかなく、それが心も体も砕くことになっても思い続けるのだ。

 

(長相思)

長相思,長安に在り,絡緯 秋啼く 金井闌。

微霜 淒淒 簟色寒し,孤燈 明らかならず 思いえんと欲す

帷を卷き 月を望んで空しく長歎し,美人 花の如く雲端を隔つ。

上には青冥の長天有り,下には淥水の波瀾有り。

天長く 路遠くして 魂 飛ぶこと苦なり,夢魂 到らず 關山難し。

長相思,心肝を摧く。

 

皇城001 

『長相思』 現代語訳と訳註解説

(本文)

長相思

長相思,在長安,絡緯秋啼金井闌。

微霜淒淒簟色寒,孤燈不明思欲

卷帷望月空長歎,美人如花隔雲端。

上有青冥之長天,下有淥水之波瀾。

天長路遠魂飛苦,夢魂不到關山難。

長相思,摧心肝。

 

(下し文)

(長相思)

長相思,長安に在り,絡緯 秋啼く 金井闌。

微霜 淒淒 簟色寒し,孤燈 明らかならず 思いえんと欲す。

帷を卷き 月を望んで空しく長歎し,美人 花の如く雲端を隔つ。

上には青冥の長天有り,下には淥水の波瀾有り。

天長く 路遠くして 魂 飛ぶこと苦なり,夢魂 到らず 關山難し。

長相思,心肝を摧く。

 

(現代語訳)

(寵愛を失っても、あの方のことを思い続けるしかないと詠う。)

あの人のことを長く思い続けている妃嬪は、長安に在る。秋も深く金の飾りを鏤めた井戸端のあたりでは蟋蟀がしきりに機織りの様な声を立てて啼いている。

夜間、薄霜が降りて冷え冷えとし、“もしか”と思い寝牀に敷いていた簟の色さえ寒々としている。この時に当たり、半分消えかかったような孤燈をとってかかげて、絶えぬ愁いの意を抱き続けている。

そして、とばりを巻き上げて、月を見上げて、空しく長嘆の声を発してみる。なぜなら、寵愛を失った妃嬪であっても牡丹の花のように美しさをたもっているけれど、月とおなじように、遠く雲端を隔てて天涯におかれているからである。

上には、蒼蒼とした仙郷のごとく天は何処までも続き、下には、澄み切った水の上に波瀾を生じて広げる。

このように天は長く、道は遠いために、魂が飛んでゆくことは苦しく、夢中の魂すら飛んでゆくことは難しい。

そこで、ずっと長く思い続けるしかなく、それが心も体も砕くことになっても思い続けるのだ。

 

 

(訳注)

長相思

(寵愛を失っても、あの方のことを思い続けるしかないと詠う。)

〔久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。〕

漢の無名氏《古詩十九首之十八首》

客從遠方來,遺我一端綺。

相去萬餘里,故人心尚爾。

文彩雙鴛鴦,裁為合歡被。

著以長相思,緣以結不解。

以膠投漆中,誰能別離此?

客遠方より乗り、我に一端の綺を遣る。

相去ること萬餘里なるも、故人の心 尚ほ爾り。

文彩は雙鴛鴦、裁ちて合歓の被と為す。

著するに長相思を以てし、縁とるに結不解を以てす。

膠を以て漆中に投ぜば、誰か能く此を別離せん。

 

長相思,在長安,絡緯秋啼金井闌。

あの人のことを長く思い続けている妃嬪は、長安に在る。秋も深く金の飾りを鏤めた井戸端のあたりでは蟋蟀がしきりに機織りの様な声を立てて啼いている。

絡緯 虫の名で別に、莎雞、促織、蟋蟀、がある。絡緯はの鳴き声が機織りの様な声を立てて啼くことからの用語。

金井闌 後宮であろうか、高貴なところにある井戸端。擣衣、砧も意識させる。

 

微霜淒淒簟色寒,孤燈不明思欲

夜間、薄霜が降りて冷え冷えとし、“もしか”と思い寝牀に敷いていた簟の色さえ寒々としている。この時に当たり、半分消えかかったような孤燈をとってかかげて、絶えぬ愁いの意を抱き続けている。

 細く割った竹や籐(とう)で編んだむしろ寝牀のシーツ。水紋の模様で編みこむものが高級品。夏の敷物。《季 夏》

和凝『山花子二首 其二』

銀字笙寒調正長,水紋簟冷畫屏涼。

玉腕重金扼臂,澹梳粧。

幾度試香纖手暖,一迴嘗酒絳脣光。

佯弄紅絲蠅拂子,打檀郎。

 

卷帷望月空長歎,美人如花隔雲端。

そして、とばりを巻き上げて、月を見上げて、空しく長嘆の声を発してみる。なぜなら、寵愛を失った妃嬪であっても牡丹の花のように美しさをたもっているけれど、月とおなじように、遠く雲端を隔てて天涯におかれているからである。

美人 皇后以外の126人の妃嬪(四妃、九嬪、婕妤9人、美人9人、才人9人、宝林9人、御女27人、采女27人)が「礼記」、「内職」にみえる。芸妓をいう場合もある。

 

上有青冥之長天,下有淥水之波瀾。

上には、蒼蒼とした仙郷のごとく天は何処までも続き、下には、澄み切った水の上に波瀾を生じて広げる。

 

天長路遠魂飛苦,夢魂不到關山難。

このように天は長く、道は遠いために、魂が飛んでゆくことは苦しく、夢中の魂すら飛んでゆくことは難しい。

 

長相思,摧心肝。

そこで、ずっと長く思い続けるしかなく、それが心も体も砕くことになっても思い続けるのだ。
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38 《古風,五十九首之三十八》Index-9Ⅱ― 5-730年開元十八年30歳80古風,五十九首之三十八(孤蘭生幽園) <38> Ⅰ李白詩1198 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4538

一時は天子の知遇をえて、君側に咫尺したが、宦官の讒言を受けて放遂されたのだ。ただ一つ頼みとするのは、知己の人の吸引である。そういう人がいなければ、自分の持っている才能も何の役にも立たないで終ってしまうということだ。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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38 《古風,五十九首之三十八》Index-9Ⅱ― 5-730年開元十八年3080古風,五十九首之三十八(孤蘭生幽園) <38> Ⅰ李白詩1198 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4538

 

 

製作年:730  開元十八年  30

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十八 

 

38巻一古風,五十九首之三十八 (孤蘭生幽園)

 

古風,五十九首之三十八

(李白は一時、玄宗の知遇を得て、君側に咫尺したが、宦官、高力士の讒言を受けて放遂されたので、この詩を作ったものだ。)

孤蘭生幽園、眾草共蕪沒。

蘭は国香とさえ称するほどの薫り高い草であるが、その生じた場所はよろしくないもので、むなしく幽園の中にあるから、誰にも賞賛されることがなくてつまらない集草と共に蕪没して枯れてしまう。

雖照陽春暉、復悲高秋月。

無論、陽春の日には、これを照らして花を咲かせるのであるが、九月の歓喜のために凋まされるのがかわいそうで仕方がないのだ。

飛霜早淅瀝、綠艷恐休歇。

既に秋となったと思う間に、霜が降ってきてせっかくもって生まれた緑艶の色は全く賞美されることなくして、休歇してしまう。

若無清風吹、香氣為誰發。

もし、そこに清風が吹いて来て、蘭の香気を四方に伝播してくれればよいのだが、吹かなかったとすれば、折角の香気も何ら効果をなさないで終るというもの、それは自分が、一時は天子の知遇をえて、君側に咫尺したが、宦官の讒言を受けて放遂されたのだ。ただ一つ頼みとするのは、知己の人の吸引である。そういう人がいなければ、自分の持っている才能も何の役にも立たないで終ってしまうということだ。

 

古風,五十九首之三十八

孤蘭は幽園に生じ、眾草 共に蕪沒す。

陽春の暉を照らすと雖も、復た高秋の月を悲む。

飛霜 早く淅瀝【せきれき】、綠艷 恐らくは休歇せん。

若し 清風の吹く無くんば、香氣 誰が為にか發する。

 

太白山001 

『古風,五十九首之三十八』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十八

孤蘭生幽園、眾草共蕪沒。

雖照陽春暉、復悲高秋月。

飛霜早淅瀝、綠艷恐休歇。

若無清風吹、香氣為誰發。

 

(下し文)

古風,五十九首之三十八

孤蘭は幽園に生じ、眾草 共に蕪沒す。

陽春の暉を照らすと雖も、復た高秋の月を悲む。

飛霜 早く淅瀝【せきれき】、綠艷 恐らくは休歇せん。

若し 清風の吹く無くんば、香氣 誰が為にか發する。

 

(現代語訳)

(李白は一時、玄宗の知遇を得て、君側に咫尺したが、宦官、高力士の讒言を受けて放遂されたので、この詩を作ったものだ。)

蘭は国香とさえ称するほどの薫り高い草であるが、その生じた場所はよろしくないもので、むなしく幽園の中にあるから、誰にも賞賛されることがなくてつまらない集草と共に蕪没して枯れてしまう。

無論、陽春の日には、これを照らして花を咲かせるのであるが、九月の歓喜のために凋まされるのがかわいそうで仕方がないのだ。

既に秋となったと思う間に、霜が降ってきてせっかくもって生まれた緑艶の色は全く賞美されることなくして、休歇してしまう。

もし、そこに清風が吹いて来て、蘭の香気を四方に伝播してくれればよいのだが、吹かなかったとすれば、折角の香気も何ら効果をなさないで終るというもの、それは自分が、一時は天子の知遇をえて、君側に咫尺したが、宦官の讒言を受けて放遂されたのだ。ただ一つ頼みとするのは、知己の人の吸引である。そういう人がいなければ、自分の持っている才能も何の役にも立たないで終ってしまうということだ。

rihakustep足跡 

 

(訳注)

古風,五十九首之三十八

(李白は一時、玄宗の知遇を得て、君側に咫尺したが、宦官、高力士の讒言を受けて放遂されたので、この詩を作ったものだ。)

 

孤蘭生幽園、眾草共蕪沒。

蘭は国香とさえ称するほどの薫り高い草であるが、その生じた場所はよろしくないもので、むなしく幽園の中にあるから、誰にも賞賛されることがなくてつまらない集草と共に蕪没して枯れてしまう。

 

雖照陽春暉、復悲高秋月。

無論、陽春の日には、これを照らして花を咲かせるのであるが、九月の歓喜のために凋まされるのがかわいそうで仕方がないのだ。

高秋月 九月。

 

飛霜早淅瀝、綠艷恐休歇。

既に秋となったと思う間に、霜が降ってきてせっかくもって生まれた緑艶の色は全く賞美されることなくして、休歇してしまう。

淅瀝【せきれき】哀れで寂しいさま。また、風雨や葉の落ちる音のもの寂しいさま。

 

若無清風吹、香氣為誰發。

もし、そこに清風が吹いて来て、蘭の香気を四方に伝播してくれればよいのだが、吹かなかったとすれば、折角の香気も何ら効果をなさないで終るというもの、それは自分が、一時は天子の知遇をえて、君側に咫尺したが、宦官の讒言を受けて放遂されたのだ。ただ一つ頼みとするのは、知己の人の吸引である。そういう人がいなければ、自分の持っている才能も何の役にも立たないで終ってしまうということだ。

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