漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳

126 《峴山懷古》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<126> Ⅰ李白詩1308 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5088

李白《峴山懷古》古き時代のことを尋ねてみるためこの峴山の頂に昇り、高い所によって、襄陽の街、その一帯を眺めまわした。天は晴れ渡って遠くの峰まで見通せ、漢水の水は、秋を経て酷く感じ、漁梁洲の砂浜は一望空濶である。

 

 
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126 《峴山懷古》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<126> Ⅰ李白詩1308 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5088 
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126 《峴山懷古》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<126> Ⅰ李白詩1308 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5088

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一八一              文體:    五言律詩

李太白集 巻二十一

詩題:    峴山懷古

作地點:              峴山(山南東道 / 襄州 / 峴山)

及地點:             

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山     

襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

 

 

峴山懷古

(峴山に昇り、羊祜の日を見てこれを弔った)

訪古登峴首,憑高眺襄中。

古き時代のことを尋ねてみるためこの峴山の頂に昇り、高い所によって、襄陽の街、その一帯を眺めまわした。

天清遠峰出,水落寒沙空。

天は晴れ渡って遠くの峰まで見通せ、漢水の水は、秋を経て酷く感じ、漁梁洲の砂浜は一望空濶である。

弄珠見遊女,醉酒懷山公。

大堤の街の珠を佩びたるものは、遊女であることを知ってはいるものの、酒に酔えば、この地においては高陽池における、尊敬する山簡をおもうのである。

感歎發秋興,長松鳴夜風。

こうして、感嘆して、秋興を発すれば、夜の風が颯颯として長松に鳴り響き、まことに、凄愴の思いに堪えられないのである。

 

(峴山懷古)

古えを訪うて 峴首に登り,高きに憑って 襄中を眺む。

天清くして 遠峰に出で,水落ちて 寒沙空し。

珠を弄して 遊女を見,酒の醉うて 山公を懷う。

感歎 秋興を發し,長松 夜風に鳴る。

嚢陽一帯00 

 

『峴山懷古』 現代語訳と訳註解説

(本文)

峴山懷古

訪古登峴首,憑高眺襄中。

天清遠峰出,水落寒沙空。

弄珠見遊女,醉酒懷山公。

感歎發秋興,長松鳴夜風。

 

(含異文)

訪古登峴首,憑高眺襄中。天清遠峰出,水落寒沙空。弄珠見遊女,醉酒懷山公【醉月懷山公】。感歎發秋興,長松鳴夜風。

 

(下し文)

(峴山懷古)

古えを訪うて 峴首に登り,高きに憑って 襄中を眺む。

天清くして 遠峰に出で,水落ちて 寒沙空し。

珠を弄して 遊女を見,酒の醉うて 山公を懷う。

感歎 秋興を發し,長松 夜風に鳴る。

 

(現代語訳)

(峴山に昇り、羊祜の日を見てこれを弔った)

古き時代のことを尋ねてみるためこの峴山の頂に昇り、高い所によって、襄陽の街、その一帯を眺めまわした。

天は晴れ渡って遠くの峰まで見通せ、漢水の水は、秋を経て酷く感じ、漁梁洲の砂浜は一望空濶である。

大堤の街の珠を佩びたるものは、遊女であることを知ってはいるものの、酒に酔えば、この地においては高陽池における、尊敬する山簡をおもうのである。

こうして、感嘆して、秋興を発すれば、夜の風が颯颯として長松に鳴り響き、まことに、凄愴の思いに堪えられないのである。

 

 

(訳注)

峴山懷古

(峴山に昇り、羊祜の日を見てこれを弔った)

○峴山 襄陽城の南十里にある。孫堅が襄陽を攻撃したとき、黄祖(あるいは呂公)はこの山に潜んで孫堅を射殺した。この山に羊祜碑、漢武壇があり、近くに、山間の高陽池、などがある。三国志の舞台。・関羽水淹七軍の地。・樊城。・魚梁洲。・襄陽城。・解佩渚。・沈碑潭。・諸葛亮故居。・万山。・望楚山。古檀渓。襄水。峴山。・墮淚碑。峴首亭。・羊杜祠。・習家池(高揚)。・鹿門山。鹿門寺。「襄陽」「襄中」「峴山」「峴首」「刑襄」「堕涙碑」「羊公石」「山公楼」「習家池」「高陽池」「大堤」「鹿門」「洞湖」などある。

雲夢の沢(うんぼうのたく)湖北省の湿地帯。関羽水淹七軍の地 湿原はひろがっている。諸葛亮、十六歳の時、叔父が殺されてからは、襄陽北西の隆中で晴耕雨読の日を送りながら、襄陽士人、後漢では一流の名門である崔州平、徐庶、遊学仲間の石韜、孟建、らと交わる。

・峴山から南に八百歩、西に坂道を下って百歩のところに習家の養魚池がある。漢の侍中であった習郁が范蠡の『養魚法』に倣ったもので、中には釣り用の台が一つ設けられている。(習郁は)臨終のとき「我を養魚池の近くに埋葬してくれ」と息子に遺言した。池の傍らに高い堤があり、ずらっと竹や長楸が植えられ、芙蓉が水面を覆っている。これこそ酒宴の名所であろう。山季倫(山簡)はこの地で遊ぶたび、泥酔せずに帰ることはなく、いつも「これは我にとっての高陽池なのだ」と言っていた。

 

訪古登峴首,憑高眺襄中。

古き時代のことを尋ねてみるためこの峴山の頂に昇り、高い所によって、襄陽の街、その一帯を眺めまわした。

峴首 峴山の頂。孟浩然『登峴山亭,寄晉陵張少府』「峴首風湍急,雲帆若鳥飛。憑軒試一問,張翰欲來歸。」(下し文) (峴山の亭に登る。晋陵の張少府に寄せる。)峴首 風湍 急にして,雲帆 鳥の飛ぶが若し。軒に憑()りて試みに一たび問わん,張翰 來り歸らんと欲するか。

峴山に登り峴首亭にいってみると、晋の張翰少府の気持ちがよくわかりこの詩を寄せる。

峴山の鼻先にある峴首亭にいるが、川の流れと急な風が吹いていて、舟の雲帆ままるで都営が飛んでいくように見える。

亭の欄干に寄りかかったところで、あなたにちょっと一言聞いてみるけど、晋の張翰少府が、秋風が吹いたら、鱠を食べないと自分の人生ではないといって官を辞して呉の郷里に帰ったけれどあなたも帰ろうと思っているのではないのか。

襄中 襄陽の街、その一帯。

 

天清遠峰出,水落寒沙空。

天は晴れ渡って遠くの峰まで見通せ、漢水の水は、秋を経て酷く感じ、漁梁洲の砂浜は一望空濶である。

水 漢水。

沙 漁梁洲の砂浜。

 

弄珠見遊女,醉酒懷山公。

大堤の街の珠を佩びたるものは、遊女であることを知ってはいるものの、酒に酔えば、この地においては高陽池における、尊敬する山簡をおもうのである。

遊女 襄陽には、大堤の歓楽街がある。

山公 荊の地方長官だった山簡が被っていたことで有名。

山簡は竹林の七賢人である山濤の息子だが、それよりなにより酔ってこの白接蘺を前後反対に被り

町なかで馬に乗ったほどの「酔っぱらい」ぶりで名高い。              

「山公」と言えば酔っぱらいの代名詞であり、李白はしばしば自分をこの山簡に例えている。 

 

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 

「山公」
李白と道教48襄陽歌 ⅰ

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阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

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感歎發秋興,長松鳴夜風。

こうして、感嘆して、秋興を発すれば、夜の風が颯颯として長松に鳴り響き、まことに、凄愴の思いに堪えられないのである。

 

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孟浩然 登鹿門山懐古 #1 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -319

孟浩然 登鹿門山懐古 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320

孟浩然 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 #1 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -319

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登安陽城樓 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -325

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夏日辮玉法師茅齋 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -327

 

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

 

125 《山中問答(山中答俗人)》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<125> Ⅰ李白詩1307 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5083

李白《山中問答》「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。

 
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125 《山中問答(山中答俗人)》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<125> Ⅰ李白詩1307 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5083

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:  卷一七八        文體:  七言句(古詩)

李太白集 巻十八

詩題:  山中問答(山中答俗人)

作地點:安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:壽山 (淮南道 安州 安陸)  

 

 

山中問答(山中答俗人)
問余何意棲碧山,笑而不答心自閒。
わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
桃花流水窅然去,別有天地非人間。

「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。 

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山中問答

問余何意棲碧山,笑而不答心自閒。

桃花流水窅然去,別有天地非人間。

(山中の問答)〔山中俗人に答う〕
余に問う 何の意ぞ 碧山に棲む,笑って 答えず 心 自ら なり。
桃花の流水 窅然として去る,別に天地の人間に 非ざる有り。

巫山十二峰002 

 

『山中問答』 現代語訳と訳註解説

(本文)

山中問答

問余何意棲碧山,笑而不答心自閒。

桃花流水窅然去,別有天地非人間。

 

(含異文)

問余何意棲碧山【問余何事棲碧山】,笑而不答心自閒。

桃花流水窅然去,別有天地非人間。

 

(下し文)

(山中の問答)

余に問う 何の意ぞ 碧山に棲む,笑って 答えず 心 自ら 閒なり。

桃花の流水 窅然として去る,別に天地の人間に 非ざる有り。

 

(現代語訳)

(青山の内に棲んでいる私と君との問答)

わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。 
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->李白の足跡003
<!--[endif]-->

(訳注)

山中問答(山中答俗人)
(青山の内に棲んでいる私と俗人の君との問答)

山に入って脱俗的な生活をするということに対する当時の文化人の姿勢が窺われる。陶淵明の生活などに対する憧れのようなものがあることを古来よりの問答形式をとっていること、具体的に転句結句の「桃花流水窅然去」である。厳密に言えば七言古詩である。

問余何意棲碧,笑而不答心自

桃花流水窅然去,別有天地非人

●○△●○●○  ●○△●○●○

○○○●△○●  ●●○●○○△

 

問余何意棲碧山,笑而不答心自閒。

わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
何意  どういう訳で。なぜ。 

・棲  すむ。本来は、鳥のすみか。 

碧山 :緑の色濃い山奥。白兆山、湖北省安陸県にあり、李白は嘗てここで過ごしたことがある実在の山をあげる解説も多いが、ここでは具体的な場所と見ない方がよい。 

棲碧山 隠遁生活をすること。この語もって、湖北の安陸にある白兆山に住むとするとされるが、「隠遁生活をする」ことにあこがれを持ち

李白 84 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰

の詩で見るように結婚をして住んだ形跡があるものの、間もなくこの地から旅立って、他の地で隠遁している。李白の神仙思想から言ってもここは一般的な場所と考えるべきである 

笑而 笑って…(する)。 

不答 返事をしない。返事の答えはしないものの、詩の後半が答の思いとなっている。 

自閑 自ずと落ち着いている。自閑は隠遁者の基本中の基本である。おのずと静かでのんびりすること、尋ねられても答えない、会いに行ってもあえないというのが基本である。
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桃花流水窅然去,別有天地非人間。

「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。 
桃花 モモの花。ここでは、モモの花びら。「桃花」は陶淵明の『桃花源記』や『桃花源詩』を聯想させるための語句である。 

流水 流れゆく川の流れ。 

杳然 ようぜん はるかなさま。 ・ さる。 

別有天地 別な所に世界がある。 

非人間 俗世間とは違う。この浮き世とは違う世の中。

 ・人間 じんかん 俗世間。


○韻 山、閑、間。   この詩は、陶淵明の詩のイメージを借りつつも陶淵明を李白自身が乗り越えたことを示す作品と解釈する。
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道教は老荘の学説と、神仙説と、天師道との三種の要素が混合して成立した宗致である。老荘の教は周知の如く、孔子孟子の儒教に対する反動思想として起ったものである。
これは仁義・礼節によって修身冶平天下を計る儒教への反動として、虚静、人為的な工作を避け天地の常道に則った生活によって、理想社会の出現を期待する。特に神仙説は、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州、方壷、蓬莱)ならびに西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。ここには神仙が居住し、耕さず努めず、気を吸ひ、霞を食べ、仙薬を服し、金丹を煉()って、身を養って不老長生である、闘争もなければ犯法者もない。かかる神仙との交通によって、同じく神仙と化し延寿を計り得るのであって、これ以外には施すべき手段はなく、これ以外の地上の営みはすべて徒為(むだ)であるとなすに至る。これらのことは、詩人の詩に多く取り上げられた。
徳に李白は若い時ほど、神仙思想にあこがれ、いんとんせいかつにあこがれてきた。

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李白《寄弄月溪山人》むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

 
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安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    寄弄月溪山人

及地點:             

鹿門山 (山南東道 襄州 襄陽) 別名:鹿門     

襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

交遊人物:山人             

 

 

寄弄月溪山人

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

終身棲鹿門,不入襄陽市。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

夫君弄明月,滅景清淮裡。

そうした意味で、君も清淮の里の中でその景色を滅っする明月を弄びつつ、決して塵間にでることはなかった。

高蹤邈難追,可與古人比。

その高潔な蹤跡は邈然として追尋することは難しいのであり、ただ、この詩でこれまで述べた龐德公に比較されるべき人であろう。

清揚杳莫睹,白雲空望美。

君の風貌は杳然として見る事が難しく、白雲を臨んで、空しくその美なることを想像してみるだけのことである。

待我辭人間,攜手訪松子。

我々はやがて神仙の道を学ぶため、世間一般の人間社会を辞して、手を携えて赤松子を尋ねることができる日まで待ってもらいたいとおもっているのである。

 

 (弄月溪の山人に)

嘗て聞く 龐德公,家は住す 洞湖の水。

終身 鹿門に棲み,襄陽の市に入らず。

夫君 明月を弄し,景を滅す 清淮の裡。

高蹤 邈【ばく】として追い難く,古人と比す可し。

清揚 杳として睹る莫く,白雲 空しく美を望む。

待て人間を辭すと我し,手を攜えて松子を訪うを。

嚢陽一帯00 

 

『寄弄月溪山人』 現代語訳と訳註解説

(本文)

寄弄月溪山人

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

終身棲鹿門,不入襄陽市。

夫君弄明月,滅景清淮裡。

高蹤邈難追,可與古人比。

清揚杳莫睹,白雲空望美。

待我辭人間,攜手訪松子。

 

 

(下し文)

(弄月溪の山人に寄す)

嘗て聞く 龐德公,家は住す 洞湖の水。

終身 鹿門に棲み,襄陽の市に入らず。

夫君 明月を弄し,景を滅す 清淮の裡。

高蹤 邈【ばく】として追い難く,古人と比す可し。

清揚 杳として睹る莫く,白雲 空しく美を望む。

待て人間を辭すと我し,手を攜えて松子を訪うを。

 

(現代語訳)

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

そうした意味で、君も清淮の里の中でその景色を滅っする明月を弄びつつ、決して塵間にでることはなかった。

その高潔な蹤跡は邈然として追尋することは難しいのであり、ただ、この詩でこれまで述べた龐德公に比較されるべき人であろう。

君の風貌は杳然として見る事が難しく、白雲を臨んで、空しくその美なることを想像してみるだけのことである。

我々はやがて神仙の道を学ぶため、世間一般の人間社会を辞して、手を携えて赤松子を尋ねることができる日まで待ってもらいたいとおもっているのである。

 

(訳注)

寄弄月溪山人

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

 

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

○龐德公 東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。

洞湖水 洞湖とは襄陽の鹿門山の居のことをいう。山簡とともに高陽池で飲み続け、戯れて云ったことが、襄陽の池は酔って飲む酒を「洞湖の水」である。

山簡公:山簡(さん かん、生没年未詳)は三国時代の魏および西晋の襄陽の刺史である。字は季倫。父親は竹林の七賢の一人、山濤。

 

終身棲鹿門,不入襄陽市。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

○鹿門山 鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(2556年)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられた。

襄陽市 孟浩然『登安陽城樓』「縣城南面漢江流,江漲開成南雍州。」(縣城の南面に 漢江流る,江を漲らせて成を開く 南雍の州。)襄陽城の南の城壁に向かって漢水の江が流れていく。川はその水を満々とたたえてこの南の襄陽の街を開いている。

○安陽城 西には太行山脈がそびえ、そこから流れる漳河(しょうが、海河水系衛河の支流)が河北省邯鄲市との境を流れる。中国七大古都(北京、南京、杭州、西安、洛陽、開封、安陽)の一つである。約三千三百年前の商代後期の都で中国古代王朝の一つである殷の時代の遺跡「殷墟」があり、ヒエログリフ、楔形文字と並び世界三大古代文字の一つに数えられる甲骨文字が大量に出土している。

○縣城 襄陽城。○江漲 春の雪解け水が満々と水を湛えていること。別には、嶂と造るものがある。その場合安陽城の北側を流れる漳河のことを指すのか。○開成 世の人知を開発し、事業を完成すること。○雍州 湖北省襄陽。九州の一つ。古代王朝の安陽ということ。

 

夫君弄明月,滅景清淮裡。

そうした意味で、君も清淮の里の中でその景色を滅っする明月を弄びつつ、決して塵間にでることはなかった。

 

高蹤邈難追,可與古人比。

その高潔な蹤跡は邈然として追尋することは難しいのであり、ただ、この詩でこれまで述べた龐德公に比較されるべき人であろう。

 

清揚杳莫睹,白雲空望美。

君の風貌は杳然として見る事が難しく、白雲を臨んで、空しくその美なることを想像してみるだけのことである。

清揚 眉目のあいだをいう風貌

 

待我辭人間,攜手訪松子。

我々はやがて神仙の道を学ぶため、世間一般の人間社会を辞して、手を携えて赤松子を尋ねることができる日まで待ってもらいたいとおもっているのである。

松子 赤松子のこと。赤松子とは、黄帝の八代前、神農の時代の雨師(雨の神、または雨乞い)。自分の体を焼いて仙人となった尸解仙とされ、後世では仙人の代名詞となり劉邦の家臣張良も彼について言及している。そこでは、赤松子と同一視され、黄色い石の化身と言われ、そのため黄石公と称される。張子房に太公望が記した兵法書を授けたとされるものだ。

 

 

 

孟浩然《登鹿門山懐古》

清曉因興來,乘流越江峴。

沙禽近方識,浦樹遙莫辨。

漸至鹿門山,山明翠微淺。

岩潭多屈曲,舟楫屢回轉。

昔聞龐德公,采藥遂不返。

#2

金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。

紛吾感耆舊,結攬事攀踐。

隱跡今尚存,高風邈已遠。

白雲何時去,丹桂空偃蹇。

探討意未窮,回艇夕陽晚。

(鹿門山に登り古えを懐かしむ)#1

清暁 興来るに因り、流れに乗りて江峴を越ゆ。

沙禽 近づきて方に識り、浦樹 遙かに辨ずる莫し

漸く鹿門山に至れば、山明らかにして翠微浅し。

岩潭 屈曲多く、舟楫 屡々回り転ず。

昔聞く 龐徳公、業を採りて遂に返らずと。

#2

金澗に芝朮(しじゅつ)を養ひ、石床 苔蘇に臥す。

紛として 吾 耆舊(ききゅう)に感じ、攬を結びて攀踐(はんせん)を事とす。

隠跡 今尚は存するも、高風 邈(ばく)として已に遠し。

白雲 何れの時にか去らん、丹桂 空しく偃蹇(えんけん)たり。

探討 意未だ窮まらず、艇を回らす 夕陽の晩。

 

鹿門山に登り古えを懐かしむ

初夏の清々しい明け方、風興の気分によってここに来ている。漢水の流れに乗って峴山が川を越えて見る。

砂浜にいる水鳥に近づくとこちらを向いて気が付いたようだ。入り江の奥の樹林は遙か遠くにあり、瓣別することができない。

しばらく山の道を進んでゆくと鹿門山にいたるのだけれど、山に日の光が射していて、山の中腹の浅いところが見える。

大岩と淵で、川は折れ曲がりが多い、舟の楫をしばしば使って舳先をめくらして進む。

ここには昔、後漢の龐徳公の有名な故事がある。薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかったというものだ。

 

黄金に輝く谷川の透きとった水際に貴重な薬草を育てている。その岩壁には緑の苔がびっしり生えている。

わたしの心の中では複雑なものがある。「襄陽耆舊記」の龐德公のように生きたいとは思っている。もう一方では、家族からも期待されている頭髪を束ねて結い直し、官位に付き上り詰めるということも考えるのである。

確かに、龐德公が隠棲された史蹟は今なお残っているのであるが、『高士』の風はぼんやりとして来て今や遠くなりつつあるのだ。

龐德公の隠棲という雰囲気を残した白雲がいつしかきえさって、その丹桂遺跡はその場所に空しく広がっているだけなのである。

鹿門山のあちこちを奥深く隅々までさぐり調べたのだがその気持ちはいまだ窮まってはいない。今すぐ隠棲するわけではないので夕日が落ちて暮れてきているなかで、船を廻して帰ろうと思う。

孟浩然 登鹿門山懐古 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320

盛唐詩 夜歸鹿門山歌 孟浩然<41> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -348

李白と道教48襄陽歌 ⅰ

 

寄天臺道士

海上求仙客,三山望幾時。

焚香宿華頂,裛露采靈芝。

屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。

倘因松子去,長與世人辭。

(天臺の道士に寄せる)

海上に仙客を求め、三山 望むこと幾時ぞ。

香を焚きて華頂に宿し、露に裛ひて靈芝を采る。

屢しば踐む莓苔の滑なるを、將に尋ねんとす汗漫の期。

儻し松子に因りて去らば、長く世人と辭せん。

始皇帝の命を受け徐福らが海上に神仙を求めて旅立った、その三神山を望んでから一体どれくらいの年月がたったのだろう。

しかし、海上に神薬を求める道などなく、天台山において香を焚いて華頂峰に宿泊し自然と同化している。そして、露に潤いながら霊芝を摘み取るのである。

しばしば、苔生した滑りやすい滝上の石橋を渡るのである。そして、広大無辺で計り知れないひろい神仙的世界で過ごす約束を果たしに行くのである。

もしもそれがかなうなら、赤松子に連れて行ってもらって、この人間世界から永遠にお別れをすることできるということなのだ。

盛唐詩 寄天台道士 孟浩然<27> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -334

 

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李白《寄弄月溪山人》むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

 
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安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    寄弄月溪山人

及地點:             

鹿門山 (山南東道 襄州 襄陽別名:鹿門     

襄州 (山南東道 襄州 襄州別名:襄陽         

交遊人物:山人             

 

 

寄弄月溪山人

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

終身棲鹿門,不入襄陽市。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

夫君弄明月,滅景清淮裡。

高蹤邈難追,可與古人比。

清揚杳莫睹,白雲空望美。

待我辭人間,攜手訪松子。

 

 (弄月溪の山人に)

嘗て聞く 龐德公,家は住す 洞湖の水。

終身 鹿門に棲み,襄陽の市に入らず。

夫君 明月を弄し,景を滅す 清淮の裡。

高蹤 邈【ばく】として追い難く,古人と比す可し。

清揚 杳として睹る莫く,白雲 空しく美を望む。

待て人間を辭すと我し,手を攜えて松子を訪うを。

嚢陽一帯00 

 

『寄弄月溪山人』 現代語訳と訳註解説

(本文)

寄弄月溪山人

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

終身棲鹿門,不入襄陽市。

夫君弄明月,滅景清淮裡。

高蹤邈難追,可與古人比。

清揚杳莫睹,白雲空望美。

待我辭人間,攜手訪松子。

 

 

(下し文)

(弄月溪の山人に寄す)

嘗て聞く 龐德公,家は住す 洞湖の水。

終身 鹿門に棲み,襄陽の市に入らず。

夫君 明月を弄し,景を滅す 清淮の裡。

高蹤 邈【ばく】として追い難く,古人と比す可し。

清揚 杳として睹る莫く,白雲 空しく美を望む。

待て人間を辭すと我し,手を攜えて松子を訪うを。

 

(現代語訳)

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

嚢陽一帯00

 

(訳注)

寄弄月溪山人

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

 

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

○龐德公 東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。

洞湖水 洞湖とは襄陽の鹿門山の居のことをいう。山簡とともに高陽池で飲み続け、戯れて云ったことが、襄陽の池は酔って飲む酒を「洞湖の水」である。

山簡公:山簡(さん かん、生没年未詳)は三国時代の魏および西晋の襄陽の刺史である。字は季倫。父親は竹林の七賢の一人、山濤。

 

終身棲鹿門,不入襄陽市。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

○鹿門山 鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(2556年)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられた。

襄陽市 孟浩然『登安陽城樓』「縣城南面漢江流,江漲開成南雍州。」(縣城の南面に 漢江流る,江を漲らせて成を開く 南雍の州。)襄陽城の南の城壁に向かって漢水の江が流れていく。川はその水を満々とたたえてこの南の襄陽の街を開いている。

○安陽城 西には太行山脈がそびえ、そこから流れる漳河(しょうが、海河水系衛河の支流)が河北省邯鄲市との境を流れる。中国七大古都(北京、南京、杭州、西安、洛陽、開封、安陽)の一つである。約三千三百年前の商代後期の都で中国古代王朝の一つである殷の時代の遺跡「殷墟」があり、ヒエログリフ、楔形文字と並び世界三大古代文字の一つに数えられる甲骨文字が大量に出土している。

○縣城 襄陽城。○江漲 春の雪解け水が満々と水を湛えていること。別には、嶂と造るものがある。その場合安陽城の北側を流れる漳河のことを指すのか。○開成 世の人知を開発し、事業を完成すること。○雍州 湖北省襄陽。九州の一つ。古代王朝の安陽ということ。

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

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123-

#2 《白毫子歌》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<123-#2> Ⅰ李白詩1304 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5068

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一六六              文體:    雜言古詩

李太白集 巻六

詩題:    白毫子歌

寫作地點:安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

白毫子歌

(神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、淮南王の君臣が仙去したことを思慕する意をのべたもの)#1

淮南小山白毫子,乃在淮南小山裡。

白毫子というのは、淮南王に昵近していた小山の仲間の一人で、その文藻を以て世に知られているが、後には淮南の小山の裡というところに、隠遁して仙道を学んでいた。

夜臥松下雲,朝餐石中髓。

夜には、松下にいて白雲に臥して、朝には石中の髓を食らって仙道を成就した。

小山連綿向江開,碧峰巉巖綠水迴。

その小山というのは、山勢が連綿として、淮水に面して開くように向っている。碧峰巉巖、突兀として聳え、その麓を奇麗に澄んだ水が廻っている。

余配白毫子,獨酌流霞杯。

私は、神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、その山に分け入って、一人、仙家の酒を酌注いだ流霞の杯を傾けるのである。

#2

拂花弄琴坐青苔,綠蘿樹下春風來。

こうして、花を拂って、琴を爪弾いて楽しみ、青苔の修行台の上に坐っていると、緑の葉をつけて樹木にまといついている蔦羅が茂る木の下でいて、春風が吹き抜ける。

南窗蕭颯松聲起,憑崖一聽清心耳。

南側に窓のまえには蕭颯とした松聲が起こっていて、それを崖に倚りかかってすずやかな声をきいていると、まるで浮世を離れているようである。

可得見,未得親。

白毫子、その人は見るべきところを得ようとするが、未だに親しむことができないのである。

八公攜手五雲去,空餘桂樹愁殺人。

そもそも八公の徒は、手を携えて淮南王とともに、五色の彩雲に乗じて羽化登仙し、そこには空しく桂樹が名残をとどめているだけであるが、こうしてここで修行しても無論、八公子に逢うことはできないということでは、私の仙道の修行も前途多難で非常に嘆き悲しむというものであるが、何時かは浮世の外に超脱したいと思うところである。

 

 (白毫子の歌)

淮南の小山 白毫子,乃ち淮南小山の裡に在り。

夜には松下の雲に臥し,朝には石中の髓を餐す。

小山は連綿とし 江に向って開き,碧峰は巉巖とし 綠水迴る。

余は白毫子に配し,獨り流霞の杯を酌む。

#2

花を拂い 琴を弄して 青苔に坐せば,綠蘿 樹下 春風來る。

南窗 蕭颯として松聲起り,崖に憑って 一たび聽けば 心耳を清す。

見るを得可し,未だ親しむを得ず。

八公 手を攜えて五雲に去り,空しく桂樹を餘して人を愁殺す。

 

keirin01 

『白毫子歌』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

拂花弄琴坐青苔,綠蘿樹下春風來。

南窗蕭颯松聲起,憑崖一聽清心耳。

可得見,未得親。

八公攜手五雲去,空餘桂樹愁殺人。

 

(下し文)  #2

花を拂い 琴を弄して 青苔に坐せば,綠蘿 樹下 春風來る。

南窗 蕭颯として松聲起り,崖に憑って 一たび聽けば 心耳を清す。

見るを得可し,未だ親しむを得ず。

八公 手を攜えて五雲に去り,空しく桂樹を餘して人を愁殺す。

 

(現代語訳)

こうして、花を拂って、琴を爪弾いて楽しみ、青苔の修行台の上に坐っていると、緑の葉をつけて樹木にまといついている蔦羅が茂る木の下でいて、春風が吹き抜ける。

南側に窓のまえには蕭颯とした松聲が起こっていて、それを崖に倚りかかってすずやかな声をきいていると、まるで浮世を離れているようである。

白毫子、その人は見るべきところを得ようとするが、未だに親しむことができないのである。

そもそも八公の徒は、手を携えて淮南王とともに、五色の彩雲に乗じて羽化登仙し、そこには空しく桂樹が名残をとどめているだけであるが、こうしてここで修行しても無論、八公子に逢うことはできないということでは、私の仙道の修行も前途多難で非常に嘆き悲しむというものであるが、何時かは浮世の外に超脱したいと思うところである。

 

 

(訳注) #2

拂花弄琴坐青苔,綠蘿樹下春風來。

こうして、花を拂って、琴を爪弾いて楽しみ、青苔の修行台の上に坐っていると、緑の葉をつけて樹木にまといついている蔦羅が茂る木の下でいて、春風が吹き抜ける。

 

南窗蕭颯松聲起,憑崖一聽清心耳。

南側に窓のまえには蕭颯とした松聲が起こっていて、それを崖に倚りかかってすずやかな声をきいていると、まるで浮世を離れているようである。

 

可得見,未得親。

白毫子、その人は見るべきところを得ようとするが、未だに親しむことができないのである。

 

八公攜手五雲去,空餘桂樹愁殺人。

そもそも八公の徒は、手を携えて淮南王とともに、五色の彩雲に乗じて羽化登仙し、そこには空しく桂樹が名残をとどめているだけであるが、こうしてここで修行しても無論、八公子に逢うことはできないということでは、私の仙道の修行も前途多難で非常に嘆き悲しむというものであるが、何時かは浮世の外に超脱したいと思うところである。

八公の徒 淮南王は謀反によって自死したのではなく、天に昇って仙人になったのだという感懐が淮南の世人のあいだあった。昇仙幻想なのである。

 後漢の王充の『論衡』にも綴られている。「淮南王は食客を好んだので、道士や方士が次々に集まり、奇方異術の蘊蓄をかたむけ、王またそれを会得して道(タオ)を悟り、家族もろともに昇仙していった」ということである。昇仙譚が後漢の時代に伝わるほどに、死後の淮南王については神仙めく噂が付きまとっていたということである。実際にも、干宝の『捜神記』にも葛洪の『神仙伝』にも、八公の手引きによって淮南王が羽化登仙した不思議な経緯が綴られている。

 これが何を意味しているかといえば、『淮南子』の執筆編集にもそうした神仙陰陽道を加味されたということなのだ。

愁殺【しゅうさつ】)非常に嘆き悲しむこと。また、非常に嘆き悲しませること。

春秋戦国勢力図 

123 《白毫子歌》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 <123> Ⅰ李白詩1303 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5063

李白《白毫子歌》#1 (神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、淮南王の君臣が仙去したことを思慕する意をのべたもの)#1

 
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123 《白毫子歌》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27 6首 <123> Ⅰ李白詩1303 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5063

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一六六              文體:    雜言古詩

李太白集 巻六

詩題:    白毫子歌

寫作地點:安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

白毫子歌

(神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、淮南王の君臣が仙去したことを思慕する意をのべたもの)#1

淮南小山白毫子,乃在淮南小山裡。

白毫子というのは、淮南王に昵近していた小山の仲間の一人で、その文藻を以て世に知られているが、後には淮南の小山の裡というところに、隠遁して仙道を学んでいた。

夜臥松下雲,朝餐石中髓。

夜には、松下にいて白雲に臥して、朝には石中の髓を食らって仙道を成就した。

小山連綿向江開,碧峰巉巖綠水迴。

その小山というのは、山勢が連綿として、淮水に面して開くように向っている。碧峰巉巖、突兀として聳え、その麓を奇麗に澄んだ水が廻っている。

余配白毫子,獨酌流霞杯。

私は、神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、その山に分け入って、一人、仙家の酒を酌注いだ流霞の杯を傾けるのである。

#2

拂花弄琴坐青苔,綠蘿樹下春風來。

南窗蕭颯松聲起,憑崖一聽清心耳。

可得見,未得親。

八公攜手五雲去,空餘桂樹愁殺人。

 

 (白毫子の歌)

淮南の小山 白毫子,乃ち淮南小山の裡に在り。

夜には松下の雲に臥し,朝には石中の髓を餐す。

小山は連綿とし 江に向って開き,碧峰は巉巖とし 綠水迴る。

余は白毫子に配し,獨り流霞の杯を酌む。

#2

拂花弄琴坐青苔,綠蘿樹下春風來。

南窗蕭颯松聲起,憑崖一聽清心耳。

可得見,未得親。

八公攜手五雲去,空餘桂樹愁殺人。

 

巫山十二峰002 

『白毫子歌』 現代語訳と訳註解説

(本文)

白毫子歌

淮南小山白毫子,乃在淮南小山裡。

夜臥松下雲,朝餐石中髓。

小山連綿向江開,碧峰巉巖綠水迴。

余配白毫子,獨酌流霞杯。

 

(下し文)

(白毫子の歌)

淮南の小山 白毫子,乃ち淮南小山の裡に在り。

夜には松下の雲に臥し,朝には石中の髓を餐す。

小山は連綿とし 江に向って開き,碧峰は巉巖とし 綠水迴る。

余は白毫子に配し,獨り流霞の杯を酌む。

 

(現代語訳)

(神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、淮南王の君臣が仙去したことを思慕する意をのべたもの)#1

白毫子というのは、淮南王に昵近していた小山の仲間の一人で、その文藻を以て世に知られているが、後には淮南の小山の裡というところに、隠遁して仙道を学んでいた。

夜には、松下にいて白雲に臥して、朝には石中の髓を食らって仙道を成就した。

その小山というのは、山勢が連綿として、淮水に面して開くように向っている。碧峰巉巖、突兀として聳え、その麓を奇麗に澄んだ水が廻っている。

私は、神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、その山に分け入って、一人、仙家の酒を酌注いだ流霞の杯を傾けるのである。

呉越の地図 

(訳注)#1

白毫子歌

(神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、淮南王の君臣が仙去したことを思慕する意をのべたもの)

 

淮南小山白毫子,乃在淮南小山裡。

白毫子というのは、淮南王に昵近していた小山の仲間の一人で、その文藻を以て世に知られているが、後には淮南の小山の裡というところに、隠遁して仙道を学んでいた。

 

夜臥松下雲,朝餐石中髓。

夜には、松下にいて白雲に臥して、朝には石中の髓を食らって仙道を成就した。

石中髓 《太平廣記》卷九《神仙傳》:王烈独之太行山中,忽崩圮,殷殷如雷声,烈不知何等,往之,乃山破石裂数百丈,两畔皆是青石,石中有一穴口,径,中有青泥流出如髓。烈取泥丸之,臾成石, 如投蜡之状,随手凝。

王烈独り太行山中を之く,忽ち山崩れ圮けるを聞く,殷殷として雷声の如し,烈 何等知らず,乃ち山破れ石裂け数百丈を観る,两畔 皆 是れ青石,石中 一穴口に有り,径,中に青泥流出して髓の如き有る。烈 取って泥丸を之う,臾 石と成る, 如投蜡之状,随手凝。)

 

 

小山連綿向江開,碧峰巉巖綠水迴。

その小山というのは、山勢が連綿として、淮水に面して開くように向っている。碧峰巉巖、突兀として聳え、その麓を奇麗に澄んだ水が廻っている。

連綿 途絶えずに長く続くさま。

 

余配白毫子,獨酌流霞杯。

私は、神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、その山に分け入って、一人、仙家の酒を酌注いだ流霞の杯を傾けるのである。

流霞杯 《論衡校釋》卷七〈道虛〉~325~「曼都曰:有仙人數人,將我上天,離月數里而止。口饑欲食,仙人輒飲我以流霞一杯。」(曼都曰く:仙人數人有り,我を將て天に上る,月を離れて數里して止る。口饑えて食んと欲す,仙人輒ち我に飲ましむるに流霞一杯をて以す。)
泰山の道観 

122 《靜夜思(静夜思)》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 <122> Ⅰ李白詩1302 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5058

李白《靜夜思》庭を見て、ゆっくりと頭をあげると月が山の端の上にあるのを眺めやる。こんな月を見ると故郷の峨嵋山にかかる月を思い出すと頭をうなだれてしまうのだ。

 
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122 《靜夜思(静夜思)》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 <122> Ⅰ李白詩1302 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5058 
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24-1 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1212> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5044 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-520《南鄉子十首,其三》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-703-20-(520) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5062 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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122 《靜夜思(静夜思)》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27 6首 <122> Ⅰ李白詩1302 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5058

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一六五              文體:    樂府
李太白集 巻五 

詩題:    靜夜思

 

 

靜夜思

床前看月光,疑是地上霜。

舉頭望山月,低頭思故

(明月が昇ると静かな物思いにふける夜が始まる)

月が昇ると寝牀にまで名月の光が射しこんでくる、庭を清く照らすのが、地上に霜を降らせたのかと見間違えてしまうほど素晴らしい月夜である。

庭を見て、ゆっくりと頭をあげると月が山の端の上にあるのを眺めやる。こんな月を見ると故郷の峨嵋山にかかる月を思い出すと頭をうなだれてしまうのだ。

 

(bijo04靜夜の思い)

床前に月光を看る,疑うらくは是れ 地上の霜。

頭を舉げて山月を望み,頭を低れて故思う

 

 

『靜夜思』 現代語訳と訳註解説

(本文)

靜夜思

床前看月光,疑是地上霜。

舉頭望山月,低頭思故

 

(下し文)

(靜夜の思い)

床前に月光を看る,疑うらくは是れ 地上の霜。

頭を舉げて山月を望み,頭を低れて故を思う。

 

(現代語訳)

(明月が昇ると静かな物思いにふける夜が始まる)

月が昇ると寝牀にまで名月の光が射しこんでくる、庭を清く照らすのが、地上に霜を降らせたのかと見間違えてしまうほど素晴らしい月夜である。

庭を見て、ゆっくりと頭をあげると月が山の端の上にあるのを眺めやる。こんな月を見ると故郷の峨嵋山にかかる月を思い出すと頭をうなだれてしまうのだ。

 

 

(訳注)

靜夜思

(明月が昇ると静かな物思いにふける夜が始まる)

六朝からは始まった楽府で、最も簡単なものである。

漢詩の古体の一。巷間から採集し、保存した歌謡、およびそれを模して作られた詩の一体。長句・短句の交錯する自由な詩形により、祭儀から日常生活に至る広範囲な題材を扱い、多くは楽器に合わせて歌った詩の題目・形式をまねて作った、伴奏を伴わない詩。唐代に流行。

 

床前看月光,疑是地上霜。

月が昇ると寝牀にまで名月の光が射しこんでくる、庭を清く照らすのが、地上に霜を降らせたのかと見間違えてしまうほど素晴らしい月夜である。

床前 ベッド先。ベッドの前。ベッドの上。 

疑是 疑うには。疑うことには。疑はしいことには。本来は、動詞、形容詞。 ・是:名詞(句)の後に附く。それ故、「疑是地上霜」は、「『疑』ふことには『地上霜』である」になり、「疑」の部分の読みは名詞化して、伝統的に「『疑ふ』らく」としている。漢語語法に合致した正確な読みである。 

地上霜 地上に降りた霜。月光に照らされているところの表現描写である。この二句は、清らかな名月であることをいう。

 

舉頭望山月,低頭思故

庭を見て、ゆっくりと頭をあげると月が山の端の上にあるのを眺めやる。こんな月を見ると故郷の峨嵋山にかかる月を思い出すと頭をうなだれてしまうのだ。

○山月 山の端に出た月。この月が故郷を思い出す月であった。山の端のシルエットは女性の寝姿といわれる。《峨眉山月歌》を思い浮かべ、故郷を思うのである。
李白の足跡003 

峨眉山月歌

峨眉山月半輪秋,影入平羌江水流。

夜發清溪向三峽,思君不見下渝州。

(峨眉山にかかる名残の月を見ての詩)

はじめ、夜になって舟に乗った時に、峨眉山にかかる秋の上半輪の名残の秋月は、月のひかりは平羌の江水に反対に映ってきらきらと流れゆく。
さらに夜中にも両岸の絶壁の高く天を遮り、清渓駅を出発、船をすすめ、三峡にむかうけれど、あの美しい君の眉の様な月をもっと見続けていたいと思うが、船が下ると山の端に隠れてる間に船は渝州にくだり到着した。

(峨眉山月の歌)

峨眉 山月  半輪の秋、影は平羌【へいきょう】の江水に入って流る。

夜  清渓【せいけい】を発して三峡に向かえば、君を思えども見えず  渝州【ゆしゅう】に下る。

76 《峨眉山月歌》ndex-4 1-4 724年開元十二年24歳から 岷山で小鳥と暮らし、峨嵋山で遊ぶ 24歳 3 首 <76> Ⅰ李白詩1241 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4753

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