漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳

135 《感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <135> Ⅰ李白詩1320 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5148

李白《感興,六首之六農夫としては、嘉穀が雑草と異なっている点を見分けもしないで、嘉穀は、折角穂を出してもそのまま捨て置かれ、格別保護されない。


 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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135 《感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <135> Ⅰ李白詩1320 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5148 
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135

《感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <135> Ⅰ李白詩1320 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5148

 

 

Index-

9

Ⅱ― 4-729年開元十七年29

4

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

131

76

1

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,

巻五

132

77

2

安州應城玉女湯作【《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】

神女歿幽境,

巻二十一

133

78

3

擬古,十二首之十一

涉江弄秋水,

巻二十三

134

79

4

感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八

嘉穀隱豐草,

巻二十三

 

 

年:729年開元十七年29

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八

 

 

感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八

嘉穀隱豐草,草深苗且稀。

農夫既不異,孤穗將安歸。

常恐委疇隴,忽與秋蓬飛。

烏得薦宗廟,為君生光輝。

 

(感興,六首の六〔集本八首,感興,八首の八〕)

嘉穀 豐草に隱れ,草深くして 苗 且【しば】らく稀なり。

農夫 既に異ならず,孤穗 將に安にか歸せん。

常に恐る 疇隴【ちゅうりょう】委し,忽ち 秋蓬と飛ぶを。

烏んぞ得ん 宗廟に薦め,君が為に光輝を生ずるを。

 

 

『感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八』 現代語訳と訳註解説

(本文)

感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕

嘉穀隱豐草,草深苗且稀。

農夫既不異,孤穗將安歸。

常恐委疇隴,忽與秋蓬飛。

烏得薦宗廟,為君生光輝。

 

(下し文)

(感興,六首の六〔集本八首,感興,八首の八〕)

嘉穀 豐草に隱れ,草深くして 苗 且【しば】らく稀なり。

農夫 既に異ならず,孤穗 將に安にか歸せん。

常に恐る 疇隴【ちゅうりょう】委し,忽ち 秋蓬と飛ぶを。

烏んぞ得ん 宗廟に薦め,君が為に光輝を生ずるを。

 

(現代語訳)

(古に託して自己の感慨をのべたもの。)

稲を植えたのち、折角の嘉穀は、勢いの良い雑草の中に隠れてしまい、草は深くして、苗は、しばらく稀になってしまった。

しかし、農夫としては、嘉穀が雑草と異なっている点を見分けもしないで、嘉穀は、折角穂を出してもそのまま捨て置かれ、格別保護されない。

そういうこともあって、心配することがあるのは、田畑にゆだねていることと、そして、それが枯れれば秋蓬と一緒になって飛び去るのではないかとことである。

これはどうにかして、この嘉穀を宗廟に薦め君王のために、光輝を生ずるように致したいものだ。

 

八女茶 畑 

(訳注)

感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕

(古に託して自己の感慨をのべたもの。)

 

嘉穀隱豐草,草深苗且稀。

稲を植えたのち、折角の嘉穀は、勢いの良い雑草の中に隠れてしまい、草は深くして、苗は、しばらく稀になってしまった。

嘉穀 よい穀物。特に、稲のこと。ここでは、実った稲を刈り取った稲から再び稲が出てきたものをいう。

豐草 勢いの良い雑草がいっぱい生えている。《詩経・大雅》生民之什「茀厥豐草、種之黃茂。」(厥の豊草を茀【おさ】め 之が黄茂【くわうも】を種ゆ)

 

農夫既不異,孤穗將安歸。

しかし、農夫としては、嘉穀が雑草と異なっている点を見分けもしないで、嘉穀は、折角穂を出してもそのまま捨て置かれ、格別保護されない。

 

常恐委疇隴,忽與秋蓬飛。

そういうこともあって、心配することがあるのは、田畑にゆだねていることと、そして、それが枯れれば秋蓬と一緒になって飛び去るのではないかとことである。

疇隴 ①畑のうね。「隴」は、小高い長い丘。「黍稷委疇隴、農夫安所獲黍稷疇隴に委てられ、農夫いづんぞ獲る所あらん」〔曹植・贈丁儀〕. ②田畑。

贈丁儀 曹植 魏詩<36>#1文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1901

 

烏得薦宗廟,為君生光輝。

これはどうにかして、この嘉穀を宗廟に薦め君王のために、光輝を生ずるように致したいものだ。
nat0022 

134 《擬古,十二首之十一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <134> Ⅰ李白詩1317 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5133

(古詩をまねて自分の思いをのべたもの)十二首の十一  自分の一方的な恋する気持ちかもしれないが会いたいということに理由なんかないのだ、だけど、涼風の前に立って、悵望仰望するばかりなのである。

 

 
 2014年11月20日の紀頌之5つのブログ 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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134 《擬古,十二首之十一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <134> Ⅰ李白詩1317 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5133 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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27-#3 《此日足可惜贈張籍-3》韓愈(韓退之)ID <1232> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5144 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-6-1 《贈鄭十八賁 -#1》 杜甫index-15 杜甫<869-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5145 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-537《菩薩蠻三首,其二》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-720-20-(537) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5147 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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134 《擬古,十二首之十一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <134> Ⅰ李白詩1317 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5133

 

 

 

Index-

9

Ⅱ― 4-729年開元十七年29

4

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

131

76

1

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙

巻五

132

77

2

安州應城玉女湯作【案:《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】

神女歿幽境,

巻二十一

133

78

3

擬古,十二首之十一

涉江弄秋水,

巻二十三

134

79

4

感興,六首之六

嘉穀隱豐草,

巻二十三

 

 

年:729年開元十七年29

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    擬古,十二首之十一

 

 

擬古,十二首之十一

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。

攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳人綵雲裡,欲贈隔遠天。

相思無由見,悵望涼風前。

(古詩をまねて自分の思いをのべたもの)十二首の十一

長江を渉る秋水がゆったりと流れてゆくだけ、水辺の蓮の花が今を盛りと咲いていて、まことに愛すべきものである。

蓮の柄を引き上げると葉の上にできた水珠をもてあそぶ、コロコロとしきりに動いていると、どうも丸い玉にはならないようだ。

美人の芸妓と約束をしていたので、仙郷の彩雲の里にきてみたが、天の事だけにはたしてうまくいくかどうかはわからない。

自分の一方的な恋する気持ちかもしれないが会いたいということに理由なんかないのだ、だけど、涼風の前に立って、悵望仰望するばかりなのである。

(古に擬す,十二首の十一)

江を涉って 秋水を弄し,此の荷花の鮮なるを愛す。

荷を攀じて其の珠を弄し,蕩漾 圓を成さず。

佳人 綵雲の裡,贈らんと欲するも 遠天を隔つ。

相思 見るに由し無し,悵望す 涼風の前に。

bijo05 

 

『擬古,十二首之十一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

擬古,十二首之十一

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。

攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳人綵雲裡,欲贈隔遠天。

相思無由見,悵望涼風前。

 

(含異文)

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。佳人綵雲裡,欲贈隔遠天。相思無由見,悵望涼風前。【案:案:又〈折荷有贈〉云:涉江玩秋水,愛此紅蕖鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。佳期彩雲重,欲贈隔遠天。相思無由見,惆悵涼風前。】

 

 (下し文)

(古に擬す,十二首の十一)

江を涉って 秋水を弄し,此の荷花の鮮なるを愛す。

荷を攀じて其の珠を弄し,蕩漾 圓を成さず。

佳人 綵雲の裡,贈らんと欲するも 遠天を隔つ。

相思 見るに由し無し,悵望す 涼風の前に。

 

(現代語訳)

(古詩をまねて自分の思いをのべたもの)十二首の十一

長江を渉る秋水がゆったりと流れてゆくだけ、水辺の蓮の花が今を盛りと咲いていて、まことに愛すべきものである。

蓮の柄を引き上げると葉の上にできた水珠をもてあそぶ、コロコロとしきりに動いていると、どうも丸い玉にはならないようだ。

美人の芸妓と約束をしていたので、仙郷の彩雲の里にきてみたが、天の事だけにはたしてうまくいくかどうかはわからない。

自分の一方的な恋する気持ちかもしれないが会いたいということに理由なんかないのだ、だけど、涼風の前に立って、悵望仰望するばかりなのである。

 

(訳注)

擬古,十二首之十一

(古詩をまねて自分の思いをのべたもの)十二首の十一

 

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。

長江を渉る秋水がゆったりと流れてゆくだけ、水辺の蓮の花が今を盛りと咲いていて、まことに愛すべきものである。

○荷花鮮 長江下流域の港には大きな歓楽街があり、蓮の花は妓女を思わせるものである。その歓楽街は仙郷に見立てて詠われることが多かった。

 

攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

蓮の柄を引き上げると葉の上にできた水珠をもてあそぶ、コロコロとしきりに動いていると、どうも丸い玉にはならないようだ。

○其珠 蓮の葉の上にできた水珠。

○蕩漾 水の動くさま。

 

佳人綵雲裡,欲贈隔遠天。

美人の芸妓と約束をしていたので、仙郷の彩雲の里にきてみたが、天の事だけにはたしてうまくいくかどうかはわからない。

○佳人 美人の芸妓

 

相思無由見,悵望涼風前。

自分の一方的な恋する気持ちかもしれないが会いたいということに理由なんかないのだ、だけど、涼風の前に立って、悵望仰望するばかりなのである。

○相思 恋する気持ちを抱くこと。

漢の無名氏《古詩十九首之十八首》

客從遠方來,遺我一端綺。

相去萬餘里,故人心尚爾。

文彩雙鴛鴦,裁為合歡被。

著以長相思,緣以結不解。

以膠投漆中,誰能別離此?

客遠方より乗り、我に一端の綺を遣る。

相去ること萬餘里なるも、故人の心 尚ほ爾り。

文彩は雙鴛鴦、裁ちて合歓の被と為す。

著するに長相思を以てし、縁とるに結不解を以てす。

膠を以て漆中に投ぜば、誰か能く此を別離せん。

 

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。【昔時橫波目】。

今成流淚泉。

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

日色 已に盡きて 花は煙を含む,月明 素ならんと欲して愁て眠らず。

趙瑟 初めて停む鳳凰の柱,蜀琴 奏せんと欲す 鴛鴦の弦。

此曲 意有れども人の傳うる無し,願くば 春風に隨って燕然に寄せん。

君を憶えば迢迢として青天を隔ち,昔日 橫波の目。

今は流淚の泉と成る。

妾の腸斷つを信ぜざれば,歸り來って明鏡の前へ看取せよ。

 白紵舞001

133-3 《安州應城玉女湯作-3》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <133-3> Ⅰ李白詩1318 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5138

李白《安州應城玉女湯作-3長江の流れは、多くの支流を集めて朝宗して東流するけれど、仙郷のある東海の大海に赴けば微涓の水を運んでいるということなのだ。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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Index-

9

Ⅱ― 4-729年開元十七年29

4

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

131

76

1

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙

巻五

132

77

2

安州應城玉女湯作【案:《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】

神女歿幽境,

巻二十一

133

78

3

擬古,十二首之十一

涉江弄秋水,

巻二十三

134

79

4

感興,六首之六

嘉穀隱豐草,

巻二十三

 

年:729年開元十七年29

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:             

應城 (淮南道 安州 應城)    

玉女湯 (淮南道 安州 應城) 別名:玉女泉     

宋玉田 (江南西道 岳州 巴陵)           

 

 

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕-1

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

神女歿幽境,湯池流大川。

昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

陰陽結炎炭,造化開靈泉。

この地の玉女は、陰と陽の二気でもって炭焔が万物を溶解させ、造と化はここに霊泉を開いたのである。

地底爍朱火,沙傍歊素煙。

地底には赤い炎が燃え盛り、沙傍には白い煙が熱して湧き上がる。

安州應城玉女湯の作〔《荊州記》に云う:「常に玉女有り車に乘じて此の泉に投ず。」〕

神女 幽境に歿し,湯池 大川に流る。

陰陽 炎炭を結び,造化 靈泉を開く。

地底 朱火爍し,沙傍 素煙歊【あぶ】る。

-2

沸珠躍明月,皎鏡函空天。

湧いてきて珠玉となれば、仲秋の名月を躍らせるほどであり、清明鏡というべく平らかにして清く、大空を涵すのである。

氣浮蘭芳滿,色漲桃花然。

温泉の蒸気が浮き上がって来れば、蘭の香りが自然に辺りに充満して、その漲った景色は桃の花が燃え出たようである。

精覽萬殊入,潛行七澤連。

それを詳細に観覧すれば、この温泉は、深く万物の根底に侵入し、また、潜行して、伏流するのは七澤に連なっているのである。

愈疾功莫尚,變盈道乃全。

利用する人の万病を治癒するという効能は、他に比較するものがないし、病気が満足できるほどに好転するのは、この地の「道」というものがすべての事に備わっているのである。

-3

濯濯氣清泚,晞髮弄潺湲。

この地は綺麗洗われており禿山状態であるものの清らかな水がわき出る、髪を心行くまで洗い流し、乾かせばいいのだ。

散下楚王國,分澆宋玉田。

そしてこの水は、瀰漫して楚王の国に流れ出て、宋玉がもらった雲夢の田圃に灌いでいる。

可以奉巡幸,奈何隔窮偏。

そしてこの地は、聖天子の行幸を迎えても充分良い所であるわけだが、そうならないのは、いかんせん、国の中心から偏った遠隔の地にあるということである。

獨隨朝宗水,赴海輸微涓。

長江の流れは、多くの支流を集めて朝宗して東流するけれど、仙郷のある東海の大海に赴けば微涓の水を運んでいるということなのだ。

 

濯濯として 清泚【せいせい】を氣し,髮を晞【かわ】かして 潺湲【せんえん】を弄す。

楚王の國に散下し,宋玉の田に分澆す。

以て巡幸に奉ず可く,奈何せん 窮偏を隔つるを。

獨り朝宗の水に隨い,海に赴いて微涓を輸【いた】す。

 

 

『安州應城玉女湯作』 現代語訳と訳註解説

(本文)-3

-3

濯濯氣清泚,晞髮弄潺湲。

散下楚王國,分澆宋玉田。

可以奉巡幸,奈何隔窮偏。

獨隨朝宗水,赴海輸微涓。

 

(下し文) -3

濯濯として 清泚【せいせい】を氣し,髮を晞【かわ】かして 潺湲【せんえん】を弄す。

楚王の國に散下し,宋玉の田に分澆す。

以て巡幸に奉ず可く,奈何せん 窮偏を隔つるを。

獨り朝宗の水に隨い,海に赴いて微涓を輸【いた】す。

 

(現代語訳)

この地は綺麗洗われており禿山状態であるものの清らかな水がわき出る、髪を心行くまで洗い流し、乾かせばいいのだ。

そしてこの水は、瀰漫して楚王の国に流れ出て、宋玉がもらった雲夢の田圃に灌いでいる。

そしてこの地は、聖天子の行幸を迎えても充分良い所であるわけだが、そうならないのは、いかんせん、国の中心から偏った遠隔の地にあるということである。

長江の流れは、多くの支流を集めて朝宗して東流するけれど、仙郷のある東海の大海に赴けば微涓の水を運んでいるということなのだ。

李白図102 

(訳注) -3

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

安州 淮南道 安州に應城縣あり、荊州記に「玉女泉は湖廣徳安府應城縣西五十五里にあり、その泉熱沸、野老相伝う、玉女、丹を練る。」とある。

 

濯濯氣清泚,晞髮弄潺湲。

この地は綺麗洗われており禿山状態であるものの清らかな水がわき出る、髪を心行くまで洗い流し、乾かせばいいのだ。

濯濯 洗う濯足足を洗う.濯濯禿げ山のさま.(山が)草木がなくはげている.

清泚 ここは淸なり。清らかな水がわき出る。

晞髮 かみをかわかす。

潺湲【せんえん】 1 さらさらと水の流れるさま。2 涙がしきりに流れるさま。

 

散下楚王國,分澆宋玉田。

そしてこの水は、瀰漫して楚王の国に流れ出て、宋玉がもらった雲夢の田圃に灌いでいる。

楚 中国の王朝名、地名。地名としての楚は、現在の湖南省・湖北省を指す。•楚 (春秋) ? - 紀元前223年) - 春秋時代の強国で、戦国七雄の1つでもある。

宋玉 戦国時代,楚(そ)の文人。楚王に仕え,のち落魄の生涯を送ったといわれるが,生没年・伝記ともに未詳。屈原の弟子で,「九弁」(「楚辞章句」所収)「高唐賦」「神女賦」「対楚王問」などの作者とされる。

 

可以奉巡幸,奈何隔窮偏。

そしてこの地は、聖天子の行幸を迎えても充分良い所であるわけだが、そうならないのは、いかんせん、国の中心から偏った遠隔の地にあるということである。

 

獨隨朝宗水,赴海輸微涓。

長江の流れは、多くの支流を集めて朝宗して東流するけれど、仙郷のある東海の大海に赴けば微涓の水を運んでいるということなのだ。

朝宗 1 《「朝」は春に、「宗」は夏に天子に謁見する意》古代中国で、諸侯が天子に拝謁すること。2 多くの河川がみな海に流れ入ること。3 権威あるものに寄り従うこと。

微涓 小さな水流,ちょろちょろ流れる水。涓涓水がちょろちょろ流れるさま.涓埃。ささやかな,僅かばかりの。
巫山十二峰003 

133-2 《安州應城玉女湯作-2》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <133-2> Ⅰ李白詩1317 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5133

李白《安州應城玉女湯作-2温泉の蒸気が浮き上がって来れば、蘭の香りが自然に辺りに充満して、その漲った景色は桃の花が燃え出たようである。それを詳細に観覧すれば、この温泉は、深く万物の根底に侵入し、また、潜行して、伏流するのは七澤に連なっているのである。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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9

Ⅱ― 4-729年開元十七年29

4

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詩題

詩文初句

李太白集

131

76

1

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙

巻五

132

77

2

安州應城玉女湯作【案:《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】

神女歿幽境,

巻二十一

133

78

3

擬古,十二首之十一

涉江弄秋水,

巻二十三

134

79

4

感興,六首之六

嘉穀隱豐草,

巻二十三

 

年:729年開元十七年29

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:             

應城 (淮南道 安州 應城)    

玉女湯 (淮南道 安州 應城) 別名:玉女泉     

宋玉田 (江南西道 岳州 巴陵)           

 

 

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕-1

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

神女歿幽境,湯池流大川。

昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

陰陽結炎炭,造化開靈泉。

この地の玉女は、陰と陽の二気でもって炭焔が万物を溶解させ、造と化はここに霊泉を開いたのである。

地底爍朱火,沙傍歊素煙。

地底には赤い炎が燃え盛り、沙傍には白い煙が熱して湧き上がる。

安州應城玉女湯の作〔《荊州記》に云う:「常に玉女有り車に乘じて此の泉に投ず。」〕

神女 幽境に歿し,湯池 大川に流る。

陰陽 炎炭を結び,造化 靈泉を開く。

地底 朱火爍し,沙傍 素煙歊【あぶ】る。

-2

沸珠躍明月,皎鏡函空天。

湧いてきて珠玉となれば、仲秋の名月を躍らせるほどであり、清明鏡というべく平らかにして清く、大空を涵すのである。

氣浮蘭芳滿,色漲桃花然。

温泉の蒸気が浮き上がって来れば、蘭の香りが自然に辺りに充満して、その漲った景色は桃の花が燃え出たようである。

精覽萬殊入,潛行七澤連。

それを詳細に観覧すれば、この温泉は、深く万物の根底に侵入し、また、潜行して、伏流するのは七澤に連なっているのである。

愈疾功莫尚,變盈道乃全。

利用する人の万病を治癒するという効能は、他に比較するものがないし、病気が満足できるほどに好転するのは、この地の「道」というものがすべての事に備わっているのである。

-3

濯濯氣清泚,晞髮弄潺湲。

散下楚王國,分澆宋玉田。

可以奉巡幸,奈何隔窮偏。

獨隨朝宗水,赴海輸微涓。

bijo02

 

『安州應城玉女湯作』 現代語訳と訳註解説

(本文)-2

沸珠躍明月,皎鏡函空天。

氣浮蘭芳滿,色漲桃花然。

精覽萬殊入,潛行七澤連。

愈疾功莫尚,變盈道乃全。

 

(下し文)

沸珠 明月に躍り,皎鏡 空天を函【ひた】す。

氣浮んで蘭芳に滿ち,色漲って桃花 然【も】ゆ。

精覽 萬殊入り,潛行 七澤 連なる。

疾を愈やして 功 尚【たかく】する莫し,變盈して 道 乃ち 全うす。

 

 

(現代語訳)

湧いてきて珠玉となれば、仲秋の名月を躍らせるほどであり、清明鏡というべく平らかにして清く、大空を涵すのである。

温泉の蒸気が浮き上がって来れば、蘭の香りが自然に辺りに充満して、その漲った景色は桃の花が燃え出たようである。

それを詳細に観覧すれば、この温泉は、深く万物の根底に侵入し、また、潜行して、伏流するのは七澤に連なっているのである。

利用する人の万病を治癒するという効能は、他に比較するものがないし、病気が満足できるほどに好転するのは、この地の「道」というものがすべての事に備わっているのである。

 


(訳注) -2

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

安州 淮南道 安州に應城縣あり、荊州記に「玉女泉は湖廣徳安府應城縣西五十五里にあり、その泉熱沸、野老相伝う、玉女、丹を練る。」とある。

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

沸珠躍明月,皎鏡函空天。

湧いてきて珠玉となれば、仲秋の名月を躍らせるほどであり、清明鏡というべく平らかにして清く、大空を涵すのである。

皎鏡 月の光が白く見える鏡の様なさま。また、白くて清らかな鏡。清明鏡。

 

氣浮蘭芳滿,色漲桃花然。

温泉の蒸気が浮き上がって来れば、蘭の香りが自然に辺りに充満して、その漲った景色は桃の花が燃え出たようである。

 

精覽萬殊入,潛行七澤連。

それを詳細に観覧すれば、この温泉は、深く万物の根底に侵入し、また、潜行して、伏流するのは七澤に連なっているのである。

萬殊 深く万物の根底、根源。

七澤 楚に七澤有り。雲夢澤など、古代中国で湖北省の武漢一帯にあったとされる大湿地。のち,長江と漢水が沖積して平原となった。武漢付近に散在する湖沼はその跡。

 

愈疾功莫尚,變盈道乃全。

利用する人の万病を治癒するという効能は、他に比較するものがないし、病気が満足できるほどに好転するのは、この地の「道」というものがすべての事に備わっているのである。

愈疾 利用する人の万病を治癒する。

變盈 病気が満足できるほどに好転する。道教の思想と温泉によってもたらせるものが満たされるというほどの意味。

道乃全 「道」、仙人となることを究極の理想、それがすべての事である。

道(タオ)とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。道の字は辶(しんにょう)が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を表している。この道(タオ)と一体となる修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする。それは1つの道に成ろうとしている。
武漢005 

133-1 《安州應城玉女湯作【《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】-1》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <133-1> Ⅰ李白詩1316 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5128

李白《安州應城玉女湯作【《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】-1昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

 

 
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年:729年開元十七年29

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:             

應城 (淮南道 安州 應城)    

玉女湯 (淮南道 安州 應城) 別名:玉女泉     

宋玉田 (江南西道 岳州 巴陵)           

 

 

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕-1

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

神女歿幽境,湯池流大川。

昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

陰陽結炎炭,造化開靈泉。

この地の玉女は、陰と陽の二気でもって炭焔が万物を溶解させ、造と化はここに霊泉を開いたのである。

地底爍朱火,沙傍歊素煙。

地底には赤い炎が燃え盛り、沙傍には白い煙が熱して湧き上がる。

安州應城玉女湯の作〔《荊州記》に云う:「常に玉女有り車に乘じて此の泉に投ず。」〕

神女 幽境に歿し,湯池 大川に流る。

陰陽 炎炭を結び,造化 靈泉を開く。

地底 朱火爍し,沙傍 素煙歊【あぶ】る。

-2

沸珠躍明月,皎鏡函空天。

氣浮蘭芳滿,色漲桃花然。

精覽萬殊入,潛行七澤連。

愈疾功莫尚,變盈道乃全。

-3

濯濯氣清泚,晞髮弄潺湲。

散下楚王國,分澆宋玉田。

可以奉巡幸,奈何隔窮偏。

獨隨朝宗水,赴海輸微涓。

 

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

『安州應城玉女湯作』 現代語訳と訳註解説

(本文)

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

神女歿幽境,湯池流大川。

陰陽結炎炭,造化開靈泉。

地底爍朱火,沙傍歊素煙。

 

(下し文)

安州應城玉女湯の作〔《荊州記》に云う:「常に玉女有り車に乘じて此の泉に投ず。」〕

神女 幽境に歿し,湯池 大川に流る。

陰陽 炎炭を結び,造化 靈泉を開く。

地底 朱火爍し,沙傍 素煙歊【あぶ】る。

 

(現代語訳)

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

この地の玉女は、陰と陽の二気でもって炭焔が万物を溶解させ、造と化はここに霊泉を開いたのである。

地底には赤い炎が燃え盛り、沙傍には白い煙が熱して湧き上がる。

 

(訳注)

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

安州 淮南道 安州に應城縣あり、荊州記に「玉女泉は湖廣徳安府應城縣西五十五里にあり、その泉熱沸、野老相伝う、玉女、丹を練る。」とある。

 

神女歿幽境,湯池流大川。

昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

幽境 世俗を離れた静かな所。

この二句は神女は西王母、湯池は崑崙山をいう。西王母は、中国で古くから信仰された女仙、女神。姓は楊、名は回。 九霊太妙亀山金母、太霊九光亀台金母、瑶池金母、王母娘娘などともいう。 王母は祖母の謂いであり、西王母とは、西方の崑崙山上に住する女性の尊称である。崑崙とは、中国古代の伝説上の山岳。崑崙山・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる。

 

陰陽結炎炭,造化開靈泉。

この地の玉女は、陰と陽の二気でもって炭焔が万物を溶解させ、造と化はここに霊泉を開いたのである。

陰陽 中国の思想に端を発し、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つのカテゴリに分類する思想。陰と陽とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされる

造化 1 天地万物を創造し育てること。また、それをなす者。造物主。2 造物主によってつくられたもの。自然。

 

地底爍朱火,沙傍歊素煙。

地底には赤い炎が燃え盛り、沙傍には白い煙が熱して湧き上がる。

爍朱火 赤い炎が燃え盛る。

歊素煙 白い煙を吹きだす。白い煙が熱して湧き上がる。

132 《長相思【寄遠】,二首之一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <132> Ⅰ李白詩1315 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5123

李白《長相思二首之一》(久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。)

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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132 《長相思【寄遠】,二首之一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <132> Ⅰ李白詩1315 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5123

 

 

729年 開元十七年 29

76

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,

730年 開元十八年 30

81

長相思

長相思,

731年 開元十九年 31

115

長相思【寄遠】,二首之二

美人在時花滿堂,

 

 

 

年:729年開元十七年29

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    長相思【寄遠】,二首之一

 

 

長相思【寄遠】,二首之一

(久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。)

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

夕日の影は、既に薄らぎ、花は薄靄を含んでほの暗く、一日中重い尽くしても、猶お足らないままに、夜になって、月が白くさえわたるころになってもまだ眠りにつかないのです。

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

この愁いを除くため、まず、趙の瑟琴を爪弾くが柱には、鳳凰の累鈿模様があり、次に蜀の琴には鴛鴦の絃でもって演奏したいと思っているのです。

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

この瑟の曲の意味はあなたにはわかるだけで、ほかのだれにも伝わらないのです。だから、東南風の春風にしたがって、北の守りに行っている夫のいる燕然山のほうにむかって、鳳凰の比翼となり、鴛鴦の双棲となりたいと願う気持ちを送りたいのです。

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。

それなのに、あなたは、迢迢としてそこまで広がる晴天を隔てていていつ帰るかわからない。昔と、同じように瑟琴をひいて、鳳凰のように寄り添い、鴛鴦のように契を交わし、演奏しながらあなたに、流し目を送ったのが昨日のようです。

今成流淚泉。

その目に今は、涙がいずみのように流れ落ちてしまっています。

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

妾が常に断腸の思いでいること信じてもらえないならば、ここに帰って来たときに明鏡の前の涙の痕を確認できるから、その時は妾の気持ちを理解して可愛がってください。

 

(長相思,二首之一)

日色 已に盡きて 花は煙を含む,月明 素ならんと欲して愁て眠らず。

趙瑟 初めて停む鳳凰の柱,蜀琴 奏せんと欲す 鴛鴦の弦。

此曲 意有れども人の傳うる無し,願くば 春風に隨って燕然に寄せん。

君を憶えば迢迢として青天を隔ち,昔日 橫波の目。

今は流淚の泉と成る。

妾の腸斷つを信ぜざれば,歸り來って明鏡の前へ看取せよ。

花蕊原画00 

 

『長相思,二首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。【昔時橫波目】。

今成流淚泉。

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

 

(下し文)

(長相思,二首之一)

日色 已に盡きて 花は煙を含む,月明 素ならんと欲して愁て眠らず。

趙瑟 初めて停む鳳凰の柱,蜀琴 奏せんと欲す 鴛鴦の弦。

此曲 意有れども人の傳うる無し,願くば 春風に隨って燕然に寄せん。

君を憶えば迢迢として青天を隔ち,昔日 橫波の目。

今は流淚の泉と成る。

妾の腸斷つを信ぜざれば,歸り來って明鏡の前へ看取せよ。

 

(現代語訳)

(久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。)

夕日の影は、既に薄らぎ、花は薄靄を含んでほの暗く、一日中重い尽くしても、猶お足らないままに、夜になって、月が白くさえわたるころになってもまだ眠りにつかないのです。

この愁いを除くため、まず、趙の瑟琴を爪弾くが柱には、鳳凰の累鈿模様があり、次に蜀の琴には鴛鴦の絃でもって演奏したいと思っているのです。

この瑟の曲の意味はあなたにはわかるだけで、ほかのだれにも伝わらないのです。だから、東南風の春風にしたがって、北の守りに行っている夫のいる燕然山のほうにむかって、鳳凰の比翼となり、鴛鴦の双棲となりたいと願う気持ちを送りたいのです。

それなのに、あなたは、迢迢としてそこまで広がる晴天を隔てていていつ帰るかわからない。昔と、同じように瑟琴をひいて、鳳凰のように寄り添い、鴛鴦のように契を交わし、演奏しながらあなたに、流し目を送ったのが昨日のようです。

その目に今は、涙がいずみのように流れ落ちてしまっています。

妾が常に断腸の思いでいること信じてもらえないならば、ここに帰って来たときに明鏡の前の涙の痕を確認できるから、その時は妾の気持ちを理解して可愛がってください。

oushokun01 

 

(訳注)

長相思【寄遠】,二首之一

(久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。)

漢の無名氏《古詩十九首之十八首》

客從遠方來,遺我一端綺。

相去萬餘里,故人心尚爾。

文彩雙鴛鴦,裁為合歡被。

著以長相思,緣以結不解。

以膠投漆中,誰能別離此?

客遠方より乗り、我に一端の綺を遣る。

相去ること萬餘里なるも、故人の心 尚ほ爾り。

文彩は雙鴛鴦、裁ちて合歓の被と為す。

著するに長相思を以てし、縁とるに結不解を以てす。

膠を以て漆中に投ぜば、誰か能く此を別離せん。、

 

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

夕日の影は、既に薄らぎ、花は薄靄を含んでほの暗く、一日中重い尽くしても、猶お足らないままに、夜になって、月が白くさえわたるころになってもまだ眠りにつかないのです。

月明欲素愁不眠 明月は昇りはじめは赤みを帯び、真上に来るころには城に変わり西に降りる頃は城の平坦なものに変化する。ここは月がそうして変化するのを眠らないで見ているということをいう。

 

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

この愁いを除くため、まず、趙の瑟琴を爪弾くが柱には、鳳凰の累鈿模様があり、次に蜀の琴には鴛鴦の絃でもって演奏したいと思っているのです。

趙瑟 趙の指瑟で絃の数が五十四本と多い。戰國時趙國に流行した楽器である。鳳凰柱 鳳凰の累鈿模様。あるいは、鳳凰の曲かもしれない。

蜀琴 漢 蜀郡漢 蜀郡 相如がつくった琴。卓文君のの逸話にあるように鴛鴦の様な夫婦であることを意味する。

鴛鴦弦 雌雄をあらわす絃と張り方と配色でこの名称となる。あるいは、鴛鴦の曲かもしれないが、夫唱婦随ということを北の国境に行っている夫に伝えたいということ。

 

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

この瑟の曲の意味はあなたにはわかるだけで、ほかのだれにも伝わらないのです。だから、東南風の春風にしたがって、北の守りに行っている夫のいる燕然山のほうにむかって、鳳凰の比翼となり、鴛鴦の双棲となりたいと願う気持ちを送りたいのです。

燕然 李広利弐師将軍率いる漢軍が 燕然山で塹壕を掘り、塁壁を築いて野営していたある夜、匈奴の軍は突然おし寄せたという北の匈奴と戦う最前線をいう。

 

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。

それなのに、あなたは、迢迢としてそこまで広がる晴天を隔てていていつ帰るかわからない。昔と、同じように瑟琴をひいて、鳳凰のように寄り添い、鴛鴦のように契を交わし、演奏しながらあなたに、流し目を送ったのが昨日のようです。

橫波目 色目を使うこと。ながしめ。

 

今成流淚泉。

その目に今は、涙がいずみのように流れ落ちてしまっています。

 

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

妾が常に断腸の思いでいること信じてもらえないならば、ここに帰って来たときに明鏡の前の涙の痕を確認できるから、その時は妾の気持ちを理解して可愛がってください。

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紀 頌之

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