漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
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どうぞよろしくお願いします。

206 《(改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <206> Ⅰ李白詩1437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5733

李白《(改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)(春の夜に洛陽の街で「折楊柳」の笛曲を奏でるのをきく。)この夜、流れてくる数曲中に、別れの曲「折楊柳」の曲が聞こえてきたけれど、誰が故郷を思う気持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまうのは自分一人だけではないだろう。

 

 
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206 《(改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <206> Ⅰ李白詩1437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5733 
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206 (改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <206> Ⅰ李白詩1437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5733

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一八四              文體:    七言

詩題:    春夜洛城聞笛

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

及地點:             

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下      

 

 

春夜洛城聞笛

(春の夜に洛陽の街で「折楊柳」の笛曲を奏でるのをきく。)
誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。

誰が家で笛を吹いているのかしらないが、宵闇に玉笛の聲だけが聞こえてくるが、嚠喨の音は、飄散して春風に乗って洛陽城中にひびきわたった。
此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。

この夜、流れてくる数曲中に、別れの曲「折楊柳」の曲が聞こえてきたけれど、誰が故郷を思う気持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまうのは自分一人だけではないだろう。

 

(春夜 洛城に 笛を聞く) 
誰が家の玉笛か  暗に 聲を飛ばす,散じて 春風に 入って 洛城に 滿つ。
此の夜 曲中  「折柳」を聞く,何人か 故園の情を 起こさざらん

touRAKUYOjou1000 

 

『春夜洛城聞笛』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

春夜洛城聞笛

誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。

此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。


(下し文)
(春夜 洛城に 笛を聞く) 

誰が家の玉笛か  暗に 聲を飛ばす,散じて 春風に入って 洛城に 滿つ。

此の夜 曲中  「折柳」を聞く,何人か 故園の情を 起こさざらん。

(現代語訳)

(春の夜に洛陽の街で「折楊柳」の笛曲を奏でるのをきく。)
誰が家で笛を吹いているのかしらないが、宵闇に玉笛の聲だけが聞こえてくるが、嚠喨の音は、飄散して春風に乗って洛陽城中にひびきわたった。
この夜、流れてくる数曲中に、別れの曲「折楊柳」の曲が聞こえてきたけれど、誰が故郷を思う気持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまうのは自分一人だけではないだろう。


(訳注)

七言絶句 春夜洛城聞笛

(春の夜に洛陽の街で「折楊柳」の笛曲を奏でるのをきく。)
同様のモチーフのものに、王翰の『涼州詞』「秦中花鳥已應闌,塞外風沙猶自寒。夜聽胡笳折楊柳,敎人意氣憶長安。」や、王昌齢 『出塞』「秦時明月漢時關、萬里長征人未還。但使龍城飛將在、不敎胡馬渡陰山。」がある。漢文委員会総合サイト漢文委員会 漢詩総合サイト 辺塞/塞下/塞上/涼州にある。

洛陽 函谷関 嵩山005漢魏隋唐の洛陽城 

誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。
誰が家で笛を吹いているのかしらないが、宵闇に玉笛の聲だけが聞こえてくるが、嚠喨の音は、飄散して春風に乗って洛陽城中にひびきわたった。
・誰家:どこ。だれ。 *かならずしも「だれの家」と、住処を尋ねていない。 

・玉笛:宝玉でできた笛。立派な笛。 ・暗:暗闇に。宵闇に。或いは、密やかに。 

・飛聲:笛の音を飛ばす。笛の音を流す。 ・聲:ひびき。おと。ふし。

・散入:散らばって(春風に)乗って。 

・洛城:洛陽城。東都洛陽の都。洛陽の街。 

・城:都市。城市。都会。街。

 

此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。

この夜、流れてくる数曲中に、別れの曲「折楊柳」の曲が聞こえてきたけれど、誰が故郷を思う気持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまうのは自分一人だけではないだろう。

・曲中:玉笛の聲裏ということ。 

・折柳:折楊柳のこと。横吹曲の一。別れの情をうたった曲名。別離の折り、水の畔まで見送り、柳の枝を折って贈った故事に基づくもの。前出、『涼州詞』「夜聽胡笳折楊柳,敎人意氣憶長安。」の影響を受けていよう。

・何人不起:誰が起こさないだろうか。いや、起こす。(反語反問の気勢の語形。) ・何人:〔なんびと〕誰。 ・不起:起こさない。 

・故園情:故郷を思う気持ち。郷愁。・故園:故郷。 ・情:想い。
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春夜洛城聞笛

誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。
此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。

(春夜 洛城に 笛を聞く) 
誰が家の玉笛か  暗に 聲を飛ばす,散じて 春風に 入って 洛城に 滿つ。
此の夜 曲中  「折柳」を聞く,何人か 故園の情を 起こさざらん

 

 

李白 32歳 

 

杜甫 《秋笛》

清商欲盡奏,奏苦血沾衣。

他日傷心極,徵人白骨歸。

相逢恐恨過,故作發聲微。

不見秋雲動,悲風稍稍飛。

(秋笛)

清商 奏を盡さんと欲す,奏苦して血 衣を沾す。

他日 傷心 極り,徵人 白骨 歸る。

相逢いて恨過を恐れ,故に聲微を發するを作す。

秋雲の動きを見えず,悲風 稍稍として飛ぶ。

秦州抒情詩(19) 秋笛 杜甫 <304> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1379 杜甫詩 700- 424

 

 

杜甫 《1712 吹笛》

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

 

(吹笛)

笛を吹く秋山の風月の清きに,誰が家か 巧に斷腸の聲を作す。

風は律呂を飄して相い和すること切に,月は關山に傍うて幾處か 明なる。

胡騎 中宵に北走するに堪へたり,武陵 一曲 南征を想う。

故園の楊柳は 今 搖落す,何ぞ 愁中に 曲 盡く生ずることを得んや。

205 -#2 《巻24-1題隨州紫陽先生壁 -#2》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <205 -#2> Ⅰ李白詩1436 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5728

李白《巻24-1題隨州紫陽先生壁 -#2》 我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。

 

 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 孟郊張籍     
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-28韋荘106《巻3-06 河傳三首 其二》三巻6-〈106〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5732 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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李白は少年時代、四川省にいた頃、処士東巌子といい者と岷山(ビンザン)に隠棲していたことがある。東巌子の素姓は不明だが、彼等の生活が十二分に道教的な色彩を帯びたものであったことは否めない。李白は20代後半から30代にかけ、しばしば隋州(湖北省)の胡紫陽の許に赴いた。胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。

 「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に飡霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝籙をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」

 と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。
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李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

 

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:  卷一八四  李太白集 巻24 1首目     文體:  五言古詩

詩題:  題隨州紫陽先生壁

作地點:        隨州(山南東道 / 隨州 / 隨州)

及地點:隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東     

交遊人物:胡紫陽 →當地交遊(山南東道隨州 隨州)

 

 

題隨州紫陽先生壁

(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

神農好長生,風俗久已成。

三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。

復聞紫陽客,早署丹臺名。

ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。

喘息餐妙氣,步虛吟真聲。

そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。

道與古仙合,心將元化并。

その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。

 

樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。

先生の住まいの楼は、滄海の蓬莱山から出現したかのように疑われる様なものであり、そこにいる鶴は天上の白玉京へ飛んでゆくかのようである。

松雪窗外曉,池水階下明。

窓の外に夜が開けてくれば、松に雪を載せる景色になり、階下が明るくなっても池水は緑を湛えている。

忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。

我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。

終願惠金液,提攜凌太清。

ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。

 

(隨州紫陽先生の壁に題す)

神農 長生を好み,風俗 久しく已に成る。

復た聞く紫陽の客,早くす 丹臺の名をする署を。

喘息 妙氣を餐し,步虛 真聲を吟ず。

道は古仙と合し,心は將って元化と并【あわ】す。

 

樓は蓬海を出づるかと疑い,鶴は玉京に飛ぶに似たり。

松雪 窗外に曉け,池水 階下に明かなり。

忽ち笙歌の樂に耽り,頗る軒冕の情を失う。

終に願う 金液に惠まれ,提攜して 太清を凌がんことを。

 

李白の足跡0000 

『題隨州紫陽先生壁』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。

松雪窗外曉,池水階下明。

忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。

終願惠金液,提攜凌太清。


(下し文)
樓は蓬海を出づるかと疑い,鶴は玉京に飛ぶに似たり。

松雪 窗外に曉け,池水 階下に明かなり。

忽ち笙歌の樂に耽り,頗る軒冕の情を失う。

終に願う 金液に惠まれ,提攜して 太清を凌がんことを。


(現代語訳)
先生の住まいの楼は、滄海の蓬莱山から出現したかのように疑われる様なものであり、そこにいる鶴は天上の白玉京へ飛んでゆくかのようである。

窓の外に夜が開けてくれば、松に雪を載せる景色になり、階下が明るくなっても池水は緑を湛えている。

我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。

ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。

 


(訳注)

題隨州紫陽先生壁

(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

 

樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。

先生の住まいの楼は、滄海の蓬莱山から出現したかのように疑われる様なものであり、そこにいる鶴は天上の白玉京へ飛んでゆくかのようである。

蓬海 滄海の蓬莱山。神仙三山の一つ。

玉京 天上の仙郷、白玉京のこと。一統志「玉京洞在赤城山、道書十大洞天之第六、晉許邁嘗居此、與王羲之書雲、自山陰至臨海、多有金庭玉堂仙人芝草。謂此、庾信詩玉京傳相鶴、太乙授飛龜.(玉京洞は赤城山に在り、道書十大洞天の第六、晉の許邁 嘗て此に居る、王羲に與うるの書に雲う、山陰より臨海に至り、多く金庭玉堂仙人芝草有り。此を謂う、庾信の詩「玉京 相鶴を傳え、太乙 飛龜を授く.

 

松雪窗外曉,池水階下明。

窓の外に夜が開けてくれば、松に雪を載せる景色になり、階下が明るくなっても池水は緑を湛えている。

 

忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。

我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。

笙歌樂 天上の音楽。鶴に乗って昇天する。笙に合わせて歌うこと。また、その歌。周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。

軒冕 1 古代中国で、大夫(たいふ)以上の人の乗る車と、かぶる冠。2 高位高官。また、その人。

 

終願惠金液,提攜凌太清。

ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。

金液 中国古代の神仙思想より発展した道教の長生術の一部をなす。広義の煉丹術は外丹と内丹に分かれるが、学術的文脈においては煉丹術といえば一般に「外丹」のほうを指す。外丹においては丹砂(硫化水銀)を主原料とする「神丹」「金丹」「大丹」「還丹」などと称される丹薬や、金を液状にした「金液」が服用された。このようなものは実際のところ人体に有害であり[1][2]、唐の皇帝が何人も丹薬の害によって命を落としたことが『旧唐書』『新唐書』に記されている[3]。事実として実際に煉丹に成功したことがあったか否かは定かではないが、外丹術は不老不死の薬を作るという本来の目的では完全な失敗に終わった。このため、不老長生のために外的な物質を求める外丹術の代わりに、不老不死の素となるものを体内に求める思想が興り、これが内丹の考えにつながっていく[4]。その一方で外丹術は中国の医薬学・本草学の発展に寄与し、間接的には中国の化学技術の発展にも貢献した(たとえば火薬の発明は煉丹術の副産物とされる)[5]

太清 道教における天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住し、この三天のことも「三清」と呼ぶ。道観(道教寺院)にはしばしば「三清殿」と称する三清を祀る建物がある。

 

 

 

 

漢東紫陽先生碑銘

 

  嗚呼紫陽,竟夭其志以默化,不昭然白日而升九天乎!或將潛賓皇王,非世所測,□□□□□□□□□□□挺列仙明拔之英姿,明堂平白,長耳廣顙,揮手振骨,百關有聲,殊毛秀采,居然逸異,□□□□□□□□□□而直達。何龜鶴早世,蟪蛄延秋,元命乎,遭命乎!予長息三日,懵于變化之理。

 

  先生姓胡氏□□□□□□族也。代業黃老,門清儒素,皆龍世網,鴻冥高云。但貴天爵,何征閥始八經仙城山,□□□□□□□□□□□有清都紫微之遐想。出家,十二休糧,二十游衡山,云游洞府,水涉冥壑。神王□□□□□□□□如為威儀及天下采經使,因遇諸真人受赤丹陽精,石景水母,故常吸飛根,吞日魂,密而修之,□□□□□□所居苦竹院,置餐霞之樓,手植雙桂,棲遲其下。聞金陵之墟,道始盛于三茅,波乎四許,華陽□□□□□□□陶隱居傳升元子,升元子傳體元,體元傳貞一先生,貞一先生傳天師李含光,李含光合契乎紫陽。□□□□□于神家之里,南抵朱陵,北越白水,稟訓門下者三千余人。鄰近牧守,移風門道,忽遇先生之宴坐,□□□□□隱機雁行而前。為時見重,多此類也。

 

  天寶初,威儀元丹丘道門龍鳳,厚禮致屈,傳于嵩山。東京大唐□□宮,三請固辭偃臥未幾而詔書下現,不得已而行。入宮一革軌儀,大變都邑,然海鳥愁臧文之享,猿狙裂周公之衣,志往跡留,稱疾辭帝。克期離闕,臨別自祭。其文曰:神將厭予,予非厭世。乃顧命侄道士胡齊物具平輿,歸骨舊土。王公卿士,送及龍門,入葉縣,次王喬之祠,目若有睹,泊然而化,天香引道,尸輕空衣。及本郡太守裴公以幡花郊迎,舉郭雷動,□□□□開顏如生,觀者日萬,群議駭俗。至其年十月二十三日,葬于郭東之新松山,春秋六十有二。

 

  先生含弘光大,不修小節,書不盡妙。郁有崩云之勢;文非夙工,時動雕龍之作。存也宇宙而無光,歿也浪化而蟬蛻,豈□□□□□□□□乎!有僧貞倩雅仗才氣,請予為銘。予與紫陽神交,餐素論,十得其九。弟子元丹丘等咸思鸞鳳之羽儀,想珠玉之云氣。灑掃松月,載揚仙風。篆石頌德,與茲山不朽。其詞曰:

 

  賢哉仙士,六十而化。光光紫陽,善與時而為龍蛇,固亦以生死為晝夜。有力者挈之而趨。劫運落,終歸于無。惟元神不滅,湛然清都。延陵既沒,仲尼嗚呼。青青松柏,離離山隅。篆石頌德,名揚八區。

李白 32歳 

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 2015年3月21日の紀頌之5つのBlog 
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李白は少年時代、四川省にいた頃、処士東巌子といい者と岷山(ビンザン)に隠棲していたことがある。東巌子の素姓は不明だが、彼等の生活が十二分に道教的な色彩を帯びたものであったことは否めない。李白は20代後半から30代にかけ、しばしば隋州(湖北省)の胡紫陽の許に赴いた。胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。

 「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に飡霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝籙をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」

 と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。
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李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

 

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:  卷一八四  李太白集 巻24 1首目     文體:  五言古詩

詩題:  題隨州紫陽先生壁

作地點:        隨州(山南東道 / 隨州 / 隨州)

及地點:隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東     

交遊人物:胡紫陽 →當地交遊(山南東道隨州 隨州)

 

 

題隨州紫陽先生壁

(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

神農好長生,風俗久已成。

三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。

復聞紫陽客,早署丹臺名。

ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。

喘息餐妙氣,步虛吟真聲。

そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。

道與古仙合,心將元化并。

その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。 

樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。

松雪窗外曉,池水階下明。

忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。

終願惠金液,提攜凌太清。

 

(隨州紫陽先生の壁に題す)

神農 長生を好み,風俗 久しく已に成る。

復た聞く紫陽の客,早くす 丹臺の名をする署を。

喘息 妙氣を餐し,步虛 真聲を吟ず。

道は古仙と合し,心は將って元化と并【あわ】す。

 

樓は蓬海を出づるかと疑い,鶴は玉京に飛ぶに似たり。

松雪 窗外に曉け,池水 階下に明かなり。

忽ち笙歌の樂に耽り,頗る軒冕の情を失う。

終に願う 金液に惠まれ,提攜して 太清を凌がんことを。

巫山十二峰002 

 

『題隨州紫陽先生壁』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

題隨州紫陽先生壁

神農好長生,風俗久已成。

復聞紫陽客,早署丹臺名。

喘息餐妙氣,步虛吟真聲。

道與古仙合,心將元化并。



(下し文)
(隨州紫陽先生の壁に題す)

神農 長生を好み,風俗 久しく已に成る。

復た聞く紫陽の客,早くす 丹臺の名をする署を。

喘息 妙氣を餐し,步虛 真聲を吟ず。

道は古仙と合し,心は將って元化と并【あわ】す。

(現代語訳)
(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。

ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。

そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。

その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。

李白の足跡0000
(訳注)

題隨州紫陽先生壁

(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)

 

神農好長生,風俗久已成。

三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。

神農 古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。諸人に医療と農耕の術を教えたという。中国では“神農大帝”と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。

 

復聞紫陽客,早署丹臺名。

ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。

紫陽客・丹臺 《藝文類聚》卷七十八《真人周君傳》:紫陽真人周義山,字委通,汝陰人也。聞有欒先生,得道在蒙山,能讀龍嶠經,乃追尋之。入蒙山,遇羨門子,乘白鹿,執羽蓋,佩青毛之節,侍從十餘玉女。君乃再拜叩頭,乞長生要訣。羨門子曰:「子名在丹臺玉室之中,何憂不仙?遠越江河來,登此何索?」とある。

 

喘息餐妙氣,步虛吟真聲。

そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。

喘息 粗気は喘息、息喘。その気息。「喘息之閒」喘息の短い一回の呼吸をする間位の短い間。わずかの間。須臾。瞬間。《詩経、小雅、四牡、嘽嘽駱馬、傳》「嘽嘽、喘息之貌、馬勞則喘息。」

妙氣 霊妙なる気。

步虛吟真聲 虚空を歩しては真聲を以て吟詠する。

 

道與古仙合,心將元化并。

その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。

204 《(改訂版) 巻19-2遊南陽清泠泉 (惜彼落日暮)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <204> Ⅰ李白詩1434 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5718

李白《(改訂版) 巻19-2遊南陽清泠泉 (惜彼落日暮)(南陽の東北30里に豊山があり、その下に泉があって、清泠泉で遊んだ時に作った詩)あの故郷と同じ沈みかけた夕日を惜しんでいる、ここの南陽の寒々とした澄み切った泉を愛でて、去りがたいままでいる。


 
 2015年3月20日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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204 《(改訂版) 巻19-2遊南陽清泠泉 (惜彼落日暮)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <204> Ⅰ李白詩1434 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5718 
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50-#0 〔《上張僕射書》-#0〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1347> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5719 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#3奉節-35-#3 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -3》 杜甫index-15 杜甫<907-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5720 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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204 (改訂版) 巻19-2遊南陽清泠泉 (惜彼落日暮)Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <204> Ⅰ李白詩1434 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5718

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:卷一七九   李太白集 巻19 2首目  文體:      五言古詩

詩題:遊南陽清泠泉

作地點:        豐山(山南東道 / 鄧州 / 豐山)

及地點:清冷泉 (山南東道 鄧州 豐山)      

 

 

遊南陽白水登石激作

朝涉白水源,暫與人俗疏。

島嶼佳境色,江天涵清虛。

目送去海雲,心閒遊川魚。

長歌盡落日,乘月歸田廬。

(南陽の白河に遊んだ時、石激という名のついた岩山に登って作った詩)

その朝白水の上流の源を渡り歩いて、しばらく進んでゆけば、そこは浮世を離れたような心地の所であった。

川中の島嶼は景色が特別に良いのである、そして、そこには、水天一色、廣く澄みわたっているのである

その海上に向かって飛んでゆく雲を目で追って行くと、その時の心は、川水中の遊魚のような感じで、清閒である。

こうして、長歌して、その日の夕日が沈み尽くすまでそこに留まり、やがて月に乗じて、田間の庵に帰ってきた。

 (遊南陽の白水にび 石激に登って作る)

朝に白水の源を涉り,暫く人俗と疏なり。

島嶼 境色佳なり,江天 清虛を涵【ひた】す。

目は送る 海に去る雲を,心は閒なる 川に遊ぶ魚に。

長歌 落日まで盡くし,月に乘じて 田廬に歸る。

 

(改訂版) 巻19-2遊南陽清泠泉 (惜彼落日暮)

遊南陽清泠泉
(南陽の東北30里に豊山があり、その下に泉があって、清泠泉で遊んだ時に作った詩)

惜彼落日暮、愛此寒泉清。
あの故郷と同じ沈みかけた夕日を惜しんでいる、ここの南陽の寒々とした澄み切った泉を愛でて、去りがたいままでいる。
西耀逐流水、蕩漾遊子情。
西の空だけが耀いて、その日陰は水流れをおいかけて輝かせる、旅人の心というものは、蕩漾してかがやいているそのみずとおなじように定まらない気持ちである。
空歌望雲月、曲尽長松声。

こうして、空しく歌いあげて、雲間の月を眺めていたのであるが、やがて一曲が終わろうとする頃、夜の気配がしんしんとひろがって高い松を抜ける風の音が颯然として響き渡る。


(南陽の清泠泉に遊ぶ)
彼の落日の暮るるを惜しみ、 此の寒泉の清きを愛す。
西耀【せいよう】は流水を逐【お】い、蕩漾【とうよう】す  遊子の情。
空しく歌って 雲月を望む、曲尽く 長松の声。

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

 

(改訂版) 巻19-2遊南陽清泠泉 (惜彼落日暮)
『遊南陽清泠泉』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊南陽清泠泉

惜彼落日暮、愛此寒泉清。

西耀逐流水、蕩漾遊子情。

空歌望雲月、曲尽長松声。

(下し文)
(南陽の清泠泉に遊ぶ)

彼の落日の暮るるを惜しみ、此の寒泉の清きを愛す。

西耀【せいよう】は流水を逐【お】い、蕩漾【とうよう】す 遊子の情。

空しく歌って 雲月を望む、曲尽く 長松の声。

(現代語訳)
(南陽の東北30里に豊山があり、その下に泉があって、清泠泉で遊んだ時に作った詩)

あの故郷と同じ沈みかけた夕日を惜しんでいる、ここの南陽の寒々とした澄み切った泉を愛でて、去りがたいままでいる。
西の空だけが耀いて、その日陰は水流れをおいかけて輝かせる、旅人の心というものは、蕩漾してかがやいているそのみずとおなじように定まらない気持ちである。
こうして、空しく歌いあげて、雲間の月を眺めていたのであるが、やがて一曲が終わろうとする頃、夜の気配がしんしんとひろがって高い松を抜ける風の音が颯然として響き渡る。

李白の足跡0000
(訳注)

遊南陽清泠泉
(南陽の東北30里に豊山があり、その下に泉があって、清泠泉で遊んだ時に作った詩)

732年開元二十年32 洛陽・長安・太原・南陽・安陸に遊ぶ

南陽 山南東道鄧州南陽

南陽 河南、南陽の東北30里に豊山があり、その下に泉があって、清泠泉というものであった。この詩はその清泠泉に遊んで作ったもので、前作「遊南陽白水登石激作」と同じ時期のものである。 

 

惜彼落日暮、愛此寒泉清。
あの故郷と同じ沈みかけた夕日を惜しんでいる、ここの南陽の寒々とした澄み切った泉を愛でて、去りがたいままでいる。
 地中から湧き出る水。源。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

西耀逐流水、蕩漾遊子情。
西の空だけが耀いて、その日陰は水流れをおいかけて輝かせる、旅人の心というものは、蕩漾してかがやいているそのみずとおなじように定まらない気持ちである。
○蕩漾 とうよう ・蕩 ふわふわと揺れる。水が流れる。心惑わす。・漾 水が漂う。水が揺れる。

遊子 よその国にいる旅人。

 

空歌望雲月、曲尽長松声。

こうして、空しく歌いあげて、雲間の月を眺めていたのであるが、やがて一曲が終わろうとする頃、夜の気配がしんしんとひろがって高い松を抜ける風の音が颯然として響き渡る。

長松 高くそびえる松。高い志を持った壮士の比喩。
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<!--[endif]-->

 

203 《巻19-1 遊南陽白水登石激作 (朝涉白水源)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <203> Ⅰ李白詩1432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5708

《巻19-1 遊南陽白水登石激作 (朝涉白水源)》李白(南陽の白河に遊んだ時、石激という名のついた岩山に登って作った詩)その朝白水の上流の源を渡り歩いて、しばらく進んでゆけば、そこは浮世を離れたような心地の所であった。

 

 
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203 《巻19-1 遊南陽白水登石激作 (朝涉白水源)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <203> Ⅰ李白詩1432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5708 
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49 《遺13 贈張徐州莫辭酒》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1346> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5714 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#2奉節-35-#2 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -2》 杜甫index-15 杜甫<907-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5715 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-25韋荘103《巻3-03 江城子二首 其一》三巻3-〈103〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5717 
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203 《巻19-1 遊南陽白水登石激作 (朝涉白水源)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <203> Ⅰ李白詩1432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5708

 

 

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一七九               李太白集巻19 1首目 文體:五言古詩

詩題:    遊南陽白水登石激作

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:              白水 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:淯水、白河             

石激 (山南東道 鄧州 南陽)             

 

 

遊南陽白水登石激作

(南陽の白河に遊んだ時、石激という名のついた岩山に登って作った詩)

朝涉白水源,暫與人俗疏。

その朝白水の上流の源を渡り歩いて、しばらく進んでゆけば、そこは浮世を離れたような心地の所であった。

島嶼佳境色,江天涵清虛。

川中の島嶼は景色が特別に良いのである、そして、そこには、水天一色、廣く澄みわたっているのである

目送去海雲,心閒遊川魚。

その海上に向かって飛んでゆく雲を目で追って行くと、その時の心は、川水中の遊魚のような感じで、清閒である。

長歌盡落日,乘月歸田廬。

こうして、長歌して、その日の夕日が沈み尽くすまでそこに留まり、やがて月に乗じて、田間の庵に帰ってきた。

 

(遊南陽の白水にび 石激に登って作る)

朝に白水の源を涉り,暫く人俗と疏なり。

島嶼 境色佳なり,江天 清虛を涵【ひた】す。

目は送る 海に去る雲を,心は閒なる 川に遊ぶ魚に。

長歌 落日まで盡くし,月に乘じて 田廬に歸る。

李白の足跡003 

 

『遊南陽白水登石激作』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊南陽白水登石激作

朝涉白水源,暫與人俗疏。

島嶼佳境色,江天涵清虛。

目送去海雲,心閒遊川魚。

長歌盡落日,乘月歸田廬。

(下し文)
(遊南陽の白水にび 石激に登って作る)

朝に白水の源を涉り,暫く人俗と疏なり。

島嶼 境色佳なり,江天 清虛を涵【ひた】す。

目は送る 海に去る雲を,心は閒なる 川に遊ぶ魚に。

長歌 落日まで盡くし,月に乘じて 田廬に歸る。

(現代語訳)
(南陽の白河に遊んだ時、石激という名のついた岩山に登って作った詩)

その朝白水の上流の源を渡り歩いて、しばらく進んでゆけば、そこは浮世を離れたような心地の所であった。

川中の島嶼は景色が特別に良いのである、そして、そこには、水天一色、廣く澄みわたっているのである

その海上に向かって飛んでゆく雲を目で追って行くと、その時の心は、川水中の遊魚のような感じで、清閒である。

こうして、長歌して、その日の夕日が沈み尽くすまでそこに留まり、やがて月に乗じて、田間の庵に帰ってきた。


安陸・南陽・嚢陽 李白00
(訳注)

遊南陽白水登石激作

(南陽の白河に遊んだ時、石激という名のついた岩山に登って作った詩)

732年開元二十年32 洛陽・長安・太原・南陽・安陸に遊ぶ

南陽 山南東道鄧州南陽

白水 山南東道 鄧州 南陽を流れる川のことで、別名を淯水、白河という。

石激 山南東道 鄧州 南陽城の東3里にある清水還流があり、そこの巌山。

 

朝涉白水源,暫與人俗疏。

その朝白水の上流の源を渡り歩いて、しばらく進んでゆけば、そこは浮世を離れたような心地の所であった。

人俗 浮世を離れたような心地の所。

 

島嶼佳境色,江天涵清虛。

川中の島嶼は景色が特別に良いのである、そして、そこには、水天一色、廣く澄みわたっているのである

清虛 天水の澄みわたっているのを形容する。この句が次の「川魚」につながる。

 

目送去海雲,心閒遊川魚。

その海上に向かって飛んでゆく雲を目で追って行くと、その時の心は、川水中の遊魚のような感じで、清閒である。

 

長歌盡落日,乘月歸田廬。

こうして、長歌して、その日の夕日が沈み尽くすまでそこに留まり、やがて月に乗じて、田間の庵に帰ってきた。

盡落日 夕日が沈み尽くすまでそこに留まるようすをいう。

田廬 田間の庵。

202 -#4 《巻18-10 酬崔五郎中 -#4》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <202 -#4> Ⅰ李白詩1432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5708

李白《巻18-10 酬崔五郎中 -#4かくのごとくなれば、その楽しみは無窮であるというものであるが、但し、それも自分だけでは面白くないから、ぜひとも君のたもとをとって、一緒に行きたいので、そうすれば、われわれの遊ぶところは、君の嵩山の別業だけではない広がった人生となるのではないだろうか。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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202 -#4 《巻18-10 酬崔五郎中 -#4》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <202 -#4> Ⅰ李白詩1432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5708 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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48-#3 《外09 贈徐州族姪 -#3》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1345> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5709 韓愈詩-48-#3 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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202 -#4 《巻18-10 酬崔五郎中 -#4Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <202 -#4> Ⅰ李白詩1432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5708

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬崔五郎中

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

交遊人物/地點:崔成輔      當地交遊 (山南東道 鄧州 南陽)

 

 

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。

 

#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

杖策尋英豪,立談乃知我。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

制作參造化,託諷含神祇。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

 

#2

奈何せん 良圖を懷いて,鬱悒 獨り愁坐する。

策に杖いて 英豪を尋ね,立談 乃ち我を知る。

崔公 生民の秀,緬邈【めんぼく】青雲の姿。

制作 造化に參し,託諷 神祇を含む。

 

#3

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。

是時霜飆寒,逸興臨華池。

このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

その席上、逸興をほしいままにし、酔った挙句に、長いのを振り回して剣舞すると、並んで座っていて面々も、眉をあげて、慷慨激昂した。

因得窮歡情,贈我以新詩。

ここに充分歡情を極めつくすことを得たといって、君は新しい詩を賦して、私に贈られたのである。

 

#3

海嶽 尚お傾く可し,吐諾【とだく】終に移らず。

是の時 霜飆【そうひょう】寒く,逸興 華池に臨む。

起舞して 長劍を拂えば,四座 皆 眉を揚ぐ。

因って歡情を窮むるを得,我に贈る 新詩を以てす。

#4

又結汗漫期,九垓遠相待。

また、我が欲する所は、物外に優遊する佳期を約し、そして九垓の外において、遠くあい待っている。つまり、この世を排脱したいというのである。

舉身憩蓬壺,濯足弄滄海。

酔って、身を踊らし蓬莱山まで出かけてゆく、そこでゆっくり休憩し、足を洗いつつ滄海の流れを弄ぶのである。

從此凌倒景,一去無時還。

更にここより去ってさかしまに照り返す中天の光景を凌ぎつつ、一度去れば、またこの人生には帰る事は無い。

朝遊明光宮,暮入閶闔關。

だから、朝には、丹邱の称ある明光宮に遊び、暮れには、天文を敲いて天帝に拝謁する。

但得長把袂,何必嵩丘山。

かくのごとくなれば、その楽しみは無窮であるというものであるが、但し、それも自分だけでは面白くないから、ぜひとも君のたもとをとって、一緒に行きたいので、そうすれば、われわれの遊ぶところは、君の嵩山の別業だけではない広がった人生となるのではないだろうか。

 

 

#4

又 汗漫の期を結び,九垓 遠く相い待つ。

身を舉げて蓬壺に憩い,足を濯い 滄海を弄す。

此より 倒景を凌ぎ,一去 時として還る無し。

朝には明光宮に遊び,暮には閶闔の關に入る。

但だ 長く袂を把るを得れば,何ぞ必ずしも 嵩丘の山のみならんや。

漢宮 作成002 

 

『酬崔五郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#4

又結汗漫期,九垓遠相待。

舉身憩蓬壺,濯足弄滄海。

從此凌倒景,一去無時還。

朝遊明光宮,暮入閶闔關。

但得長把袂,何必嵩丘山。


(下し文)#4

又 汗漫の期を結び,九垓 遠く相い待つ。

身を舉げて蓬壺に憩い,足を濯い 滄海を弄す。

此より 倒景を凌ぎ,一去 時として還る無し。

朝には明光宮に遊び,暮には閶闔の關に入る。

但だ 長く袂を把るを得れば,何ぞ必ずしも 嵩丘の山のみならんや。
 

(現代語訳)
また、我が欲する所は、物外に優遊する佳期を約し、そして九垓の外において、遠くあい待っている。つまり、この世を排脱したいというのである。

酔って、身を踊らし蓬莱山まで出かけてゆく、そこでゆっくり休憩し、足を洗いつつ滄海の流れを弄ぶのである。

更にここより去ってさかしまに照り返す中天の光景を凌ぎつつ、一度去れば、またこの人生には帰る事は無い。

だから、朝には、丹邱の称ある明光宮に遊び、暮れには、天文を敲いて天帝に拝謁する。

かくのごとくなれば、その楽しみは無窮であるというものであるが、但し、それも自分だけでは面白くないから、ぜひとも君のたもとをとって、一緒に行きたいので、そうすれば、われわれの遊ぶところは、君の嵩山の別業だけではない広がった人生となるのではないだろうか。


長安城漢唐
(訳注) #4

酬崔五郎中

崔五郎中の詩に答えて作った詩)

この詩は、李白の来訪を喜び、「自分の別荘が嵩山にあるからそこに一緒に出掛けようではないか」というのに答えて作ったものである。

崔五郎 崔宗之の事で、李白の酒友である。杜甫《飲中八仙歌》「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』とあり、この詩は李白が崔宗之の《贈李十二》にこたえてつくったもの。

 

又結汗漫期,九垓遠相待。

また、我が欲する所は、物外に優遊する佳期を約し、そして九垓の外において、遠くあい待っている。つまり、この世を排脱したいというのである。

九垓 ①天の果て。 ②地の果て。大地。「先期汗漫九垓上=先づ期す汗漫九垓の上」〔李白・廬山謡〕 ③「九州②」と同じ

 

舉身憩蓬壺,濯足弄滄海。

酔って、身を踊らし蓬莱山まで出かけてゆく、そこでゆっくり休憩し、足を洗いつつ滄海の流れを弄ぶのである。

蓬壺 《形が壺(つぼ)に似ているところから》蓬莱山(ほうらいさん)の異称。内裏や上皇の御所のたとえ。

滄海 東海三山に至る広大な海原。あおあおとした広い海。あおうなばら。滄海変じて桑田となる《儲光羲「献八舅東帰」から》広い海原が桑畑に変わる。世の中の移り変わりの激しいことのたとえ。桑田変じて海となる。桑田変じて滄海となる。

 

從此凌倒景,一去無時還。

更にここより去ってさかしまに照り返す中天の光景を凌ぎつつ、一度去れば、またこの人生には帰る事は無い。

倒景 逆さに映った影。

 

朝遊明光宮,暮入閶闔關。

だから、朝には、丹邱の称ある明光宮に遊び、暮れには、天文を敲いて天帝に拝謁する。

明光宮 丹邱の称ある明光宮であるが、ここは仙郷をいう。漢の武帝の時代に未央宮を造営し(BC200)、その十年後に、はじめて長安城の城壁を築いた。城壁は版築で築き、北宮や明光宮、建章宮が営され、さらに西部の上林苑を拡張し、昆明池を開削した。

 

閶闔關 天門をいう。紫微宮の門のこと。《楚辭離騷》: 「吾令帝閽開關兮, 倚閶闔而望予。」(吾 帝閽をして關を開らかしめんとすれば,閶闔に倚りて予を望む。) 王逸の注に「閶闔, 天門也。」

 

但得長把袂,何必嵩丘山。

かくのごとくなれば、その楽しみは無窮であるというものであるが、但し、それも自分だけでは面白くないから、ぜひとも君のたもとをとって、一緒に行きたいので、そうすれば、われわれの遊ぶところは、君の嵩山の別業だけではない広がった人生となるのではないだろうか。

202 -#3 《巻18-10 酬崔五郎中 -#3》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <202 -#3> Ⅰ李白詩1431 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5703

《巻18-10 酬崔五郎中 -#3》李白  加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。


 
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年:732年開元二十年32

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬崔五郎中

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

交遊人物/地點:崔成輔      當地交遊 (山南東道 鄧州 南陽)

 

 

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。

 

#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

杖策尋英豪,立談乃知我。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

制作參造化,託諷含神祇。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

 

#2

奈何せん 良圖を懷いて,鬱悒 獨り愁坐する。

策に杖いて 英豪を尋ね,立談 乃ち我を知る。

崔公 生民の秀,緬邈【めんぼく】青雲の姿。

制作 造化に參し,託諷 神祇を含む。

 

#3

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。

是時霜飆寒,逸興臨華池。

このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

その席上、逸興をほしいままにし、酔った挙句に、長いのを振り回して剣舞すると、並んで座っていて面々も、眉をあげて、慷慨激昂した。

因得窮歡情,贈我以新詩。

ここに充分歡情を極めつくすことを得たといって、君は新しい詩を賦して、私に贈られたのである。

 

#3

海嶽 尚お傾く可し,吐諾【とだく】終に移らず。

是の時 霜飆【そうひょう】寒く,逸興 華池に臨む。

起舞して 長劍を拂えば,四座 皆 眉を揚ぐ。

因って歡情を窮むるを得,我に贈る 新詩を以てす。

 

 

『酬崔五郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#3

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

是時霜飆寒,逸興臨華池。

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

因得窮歡情,贈我以新詩。


(下し文) #3

海嶽 尚お傾く可し,吐諾【とだく】終に移らず。

是の時 霜飆【そうひょう】寒く,逸興 華池に臨む。

起舞して 長劍を拂えば,四座 皆 眉を揚ぐ。

因って歡情を窮むるを得,我に贈る 新詩を以てす。

(現代語訳)
加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。

このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。

その席上、逸興をほしいままにし、酔った挙句に、長いのを振り回して剣舞すると、並んで座っていて面々も、眉をあげて、慷慨激昂した。

ここに充分歡情を極めつくすことを得たといって、君は新しい詩を賦して、私に贈られたのである。



(訳注) #3

酬崔五郎中

崔五郎中の詩に答えて作った詩)

この詩は、李白の来訪を喜び、「自分の別荘が嵩山にあるからそこに一緒に出掛けようではないか」というのに答えて作ったものである。

崔五郎 崔宗之の事で、李白の酒友である。杜甫《飲中八仙歌》「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』とあり、この詩は李白が崔宗之の《贈李十二》にこたえてつくったもの。

 

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

加えるに、その意気の盛んなることは、海嶽をも傾けて動かそう賭すべく、一たび承諾したと云う言葉を吐けば、決して移動する事は無い。

 

是時霜飆寒,逸興臨華池。

このように頼もしい大人物であって、我と常に交わりを続けている。この時、霜を帯びている旋風の吹きめくるをも意とせず、華池に臨んでいる。

華池 西王母の住む崑崙山上にある池の名。(瑤地)

 

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

その席上、逸興をほしいままにし、酔った挙句に、長いのを振り回して剣舞すると、並んで座っていて面々も、眉をあげて、慷慨激昂した。

 

因得窮歡情,贈我以新詩。

ここに充分歡情を極めつくすことを得たといって、君は新しい詩を賦して、私に贈られたのである。

 

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李白《巻18-10 酬崔五郎中 -#2折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

 

 
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年:732年開元二十年32

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬崔五郎中

作地點:(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

交遊人物/地點:崔成輔      當地交遊 (山南東道 鄧州 南陽)

 

 

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。

 

#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

杖策尋英豪,立談乃知我。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

制作參造化,託諷含神祇。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

 

#2

奈何せん 良圖を懷いて,鬱悒 獨り愁坐する。

策に杖いて 英豪を尋ね,立談 乃ち我を知る。

崔公 生民の秀,緬邈【めんぼく】青雲の姿。

制作 造化に參し,託諷 神祇を含む。

李白の足跡0000 

 

『酬崔五郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

杖策尋英豪,立談乃知我。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

制作參造化,託諷含神祇。


(下し文) #2

奈何せん 良圖を懷いて,鬱悒 獨り愁坐する。

策に杖いて 英豪を尋ね,立談 乃ち我を知る。

崔公 生民の秀,緬邈【めんぼく】青雲の姿。

制作 造化に參し,託諷 神祇を含む。

(現代語訳)
折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

大明宮-座標02
(訳注) #2

酬崔五郎中

崔五郎中の詩に答えて作った詩)

この詩は、李白の来訪を喜び、「自分の別荘が嵩山にあるからそこに一緒に出掛けようではないか」というのに答えて作ったものである。

崔五郎 崔宗之の事で、李白の酒友である。杜甫《飲中八仙歌》「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』とあり、この詩は李白が崔宗之の《贈李十二》にこたえてつくったもの。

 

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

折角の良図を胸中に抱きつつ、鬱々として、ひとり愁坐しているのはいかなる故であろうか。

愁坐 何もできず愁うこと。738 《愁坐〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <645  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3535 杜甫詩1000-645-901/1500〔草堂逸詩拾遺-(14)

 

杖策尋英豪,立談乃知我。

そこで、鞭を杖として諸方を旅し尋ね歩き、英豪の士にたどり着いた、そして、立談の間に吾人物を鍳識してくれた人であった。

杖策 馬の鞭を杖とする。鞭を手にして立つ。《後漢書、鄧禹傳》「禹杖策軍門、説上延攪英雄。」杜甫《別常徵君》詩「兒扶猶杖策, 臥病一秋強。」

765年永泰元年54-39 《別常徵君》 杜甫index-15 杜甫<839 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4930 杜甫詩1500-839-1157/2500

立談 立ったままで話すこと。

知我 吾人物を鍳識してくれた人である。

 

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

それは、崔宗之 公であり、崔公は生民の中で、特に秀でた者であって、その高遠の姿は、挺然群をぬいている。

生民秀 生民の中で、特に秀でた者である。

緬邈 はるかに遠いこと。挺然群をぬいていること。

青雲姿 その高遠の姿。高い志を持った士のすがた。

 

制作參造化,託諷含神祇。

その遣りあげた仕事は、造化に参し、たしかに人力以上であるし、その託諷する言語は神の発するような予言を含んでいる。

造化 1 天地万物を創造し育てること。また、それをなす者。造物主。「―の神」2 造物主によってつくられたもの。

託諷 事にかこつけて己の意を寄せる。

李白 32歳 

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李白《巻18-10 酬崔五郎中 -#1崔五郎中の詩に答えて作った詩)北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

 

 
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47 《外04 贈河陽李大夫》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1342> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5694 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-43-#4奉節-34-#4 《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡 -4》 杜甫index-15 杜甫<906-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5695 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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202 -#1 《巻18-10 酬崔五郎中 -#1(朔雲橫高天,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <202 -#1> Ⅰ李白詩1428 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5688

 

 

年:       開元二十年

寫作時間:           732

寫作年紀:           32

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬崔五郎中

作地點:              南陽(山南東道 / 鄧州 / 南陽)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

交遊人物/地點:崔成輔      當地交遊 (山南東道 鄧州 南陽)

 

 

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。

 

#2

奈何懷良圖,鬱悒獨愁坐。

杖策尋英豪,立談乃知我。

崔公生民秀,緬邈青雲姿。

制作參造化,託諷含神祇。

#3

海嶽尚可傾,吐諾終不移。

是時霜飆寒,逸興臨華池。

起舞拂長劍,四座皆揚眉。

因得窮歡情,贈我以新詩。

#4

又結汗漫期,九垓遠相待。

舉身憩蓬壺,濯足弄滄海。

從此凌倒景,一去無時還。

朝遊明光宮,暮入閶闔關。

但得長把袂,何必嵩丘山。

 

 

 

『酬崔五郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文) #1

酬崔五郎中

朔雲橫高天,萬里起秋色。

壯士心飛揚,落日空歎息。

長嘯出原野,凜然寒風生。

幸遭聖明時,功業猶未成。


(下し文)

崔五郎中に酬ゆ)

朔雲 高天に橫わり,萬里 秋色を起す。

壯士 心 飛揚,落日 空しく歎息。

長嘯 原野に出づれば,凜然として寒風生ず。

幸いに 聖明の時に遭い,功業 猶お未だ成らず。


(現代語訳)
崔五郎中の詩に答えて作った詩)

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。


(訳注)

酬崔五郎中

崔五郎中の詩に答えて作った詩)

この詩は、李白の来訪を喜び、「自分の別荘が嵩山にあるからそこに一緒に出掛けようではないか」というのに答えて作ったものである。

崔五郎 崔宗之の事で、李白の酒友である。杜甫《飲中八仙歌》「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』とあり、この詩は李白が崔宗之の《贈李十二》にこたえてつくったもの。

崔宗之 贈李十二

涼風八九月,白露滿空庭。耿耿意不暢,捎捎風葉聲。

思見雄俊士,共話今古情。李侯忽來儀,把袂苦不早。

清論既抵掌,玄談又倒。分明楚漢事,歷歷王霸道。

擔囊無俗物,訪古千里餘。袖有匕首劒,懷中茂陵書。

雙眸光照人,詞賦凌子虛。酌酒弦素秦,霜氣正凝潔。

平生心中事,今日爲君。我家有別業,寄在嵩之陽。

明月出高岑,清谿澄素光。雲散窗靜,風吹松桂香。

子若同斯遊,千載不相忘。

 

朔雲橫高天,萬里起秋色。

北方の朔地の寒雲は、高天のうえに横たわり、万里杳渺の間に秋色が生じてきた。

朔雲 北方の朔地の寒雲。

萬里 万里杳渺の間。

 

壯士心飛揚,落日空歎息。

この時、壮士の心は、飛揚するばかり、そして西に堕ちてゆく夕日に対しては、空しく嘆息するばかりだ。

 

長嘯出原野,凜然寒風生。

こうして、長嘯したのち、平原広野に出てみると、寒風凛然として吹き起こる。きわめてさびしい景色で、今年も、やがて暮れてしまう。

原野 平原広野の地。

 

幸遭聖明時,功業猶未成。

顧みれば、幸いにして、聖明の治世に生まれ合わせたが、心行くばかりの功業は未だなお成らないでいる。

 

201 《巻16-22送梁公昌從信安北征(入幕推英選)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <201> Ⅰ李白詩1427 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5683

《巻16-22送梁公昌從信安北征》(安陸で交遊した梁公昌が信安郡王の幕府軍に入って契丹征伐に向かうのを送る。)この日の餞別の筵は夕日が赤く染まり、暗くなるまでにも及び、やがて、きみは、征麾を揮って、さながら、彩虹を拂うがごとく、愈々乗り出すというので、勇ましいものと思うところである。

 

 
 2015年3月14日の紀頌之5つのBlog 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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