漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳

217 《(改訂版) 巻22-34 自遣》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <217> Ⅰ李白詩1453 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5813

李白 自遣(みずからの鬱屈の思いを晴らす。)酒に向かっていたら、日の暮れるのさえ気づかない、おりしも春の終わり、紛々として散ってくる花の花びらが、わたしの衣服にみちている。 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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217 (改訂版) 巻22-34 自遣》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <217> Ⅰ李白詩1453 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5813

 

 

年:733年開元二十一年33

卷別:  卷一八二          李太白集巻22  文體:五言

詩題:  自遣

作地點:        安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

自遣

(みずからの鬱屈の思いを晴らす。)

對酒不覺暝,落花盈我衣。

酒に向かっていたら、日の暮れるのさえ気づかない、おりしも春の終わり、紛々として散ってくる花の花びらが、わたしの衣服にみちている。 
醉起步溪月,鳥還人亦稀。

酔いつぶれて眠っていたが、酔いから醒めて、起き上がり、月明かりの谷川を散策すれば。鳥は、皆ねぐらに帰り、遊人もまた、稀で、さすがに寂しい景色になっている。

 

(自ら遣る) 

酒に對して、暝【めい】を 覺えず,落花  我が衣に 盈【み】つ。
醉起 溪月に 歩し,鳥 還【かへ】って 人も亦た 稀なり。

 

 

『自遣』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

自遣

對酒不覺暝,落花盈我衣。

醉起步溪月,鳥還人亦稀。


(下し文)
(自ら遣る) 

酒に對して、暝【めい】を 覺えず,落花  我が衣に 盈【み】つ。
醉起 溪月に 歩し,鳥 還【かへ】って 人も亦た 稀なり。


(現代語訳)
(みずからの鬱屈の思いを晴らす。)

酒に向かっていたら、日の暮れるのさえ気づかない、おりしも春の終わり、紛々として散ってくる花の花びらが、わたしの衣服にみちている。 
酔いつぶれて眠っていたが、酔いから醒めて、起き上がり、月明かりの谷川を散策すれば。鳥は、皆ねぐらに帰り、遊人もまた、稀で、さすがに寂しい景色になっている。


(訳注)

自遣
(みずからの鬱屈の思いを晴らす。)

みずからを慰める。みずからやる。のどかな詩である。しかし、詩題から考えれば、以下のようにもとれる:情況は「不覺」であり、「暝」であり、作者に向かってくるものは「落(花)」で、それのみが作者に「盈」ちてくる。周りは「鳥還」であり、作者を訪ねてくる「人」も、鳥が還ってしまったのと同様に人も亦、「稀」になっている、という心象風景である。
・遣 うさをはらす。はらす。

 

對酒不覺暝,落花盈我衣。
酒に向かっていたら、日の暮れるのさえ気づかない、おりしも春の終わり、紛々として散ってくる花の花びらが、わたしの衣服にみちている。 
・對酒 酒に向かう。 

・不覺 悟らない。気づかなかい。思わなかった。分からなかった。いつの間にか。 

・暝 暮れる。日が暮れる。

・落花 散ってくる花。花びらの意になる。 

・盈 次第に多くなってみちる。だんだんみちてくる。みたす。 

・我衣 わたしの衣服。李白の衣服になる。88「下終南山過斛斯山人宿置酒」綠竹入幽徑。 青蘿拂行衣。同じように使う。

 

醉起歩溪月,鳥還人亦稀。
酔いつぶれて眠っていたが、酔いから醒めて、起き上がり、月明かりの谷川を散策すれば。鳥は、皆ねぐらに帰り、遊人もまた、稀で、さすがに寂しい景色になっている。

・醉起 酔いから醒める。

・歩 散歩をする。あゆむ。「踏月」の「踏」でもある。月影を踏む。月明かりの中を散歩する。 

・溪月 けいげつ 谷川に出た月。月明かりの谷川。 

・還 かえる。でかけていったところからもどる。 

・亦 …もまた。「鳥がねぐらに帰って、あたりが静かになる」ということに「人がだれも往来しなくなって静かである」を付け加えて言う。「鳥還」と「人稀」を繋ぐ時にリズムを整えるためにも「亦」を使う。 

・稀 まれ。まれである。
李白93「春日酔起言志」覺來盼庭前,一鳥花間鳴。
同じように使う。

鳥還人亦稀:鳥は、ねぐらに帰り、人影も、稀(まれ)になっている。 

216 (改訂版)《巻22-26 春日醉起言志》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <216> Ⅰ李白詩1452 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5808

李白 春日醉起言志 この情景に感動して歎息が出そうになっている。だから、酒器に向かって、また、杯を重ねてしまう。大きな声で歌って、明るく澄みわたった月を待っていたが。音曲が終われば、とっくに気持ちを忘れてしまって、荘子のいう「大夢」中にいるのである。 

 
 2015年4月8日の紀頌之5つのBlog 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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216 (改訂版)《巻22-26 春日醉起言志》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <216> Ⅰ李白詩1452 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5808 
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53 《(改訂版)《巻03-01-2 河之水二首寄子侄老成 其二》》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1354> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5754 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-45韋荘123《巻3-23 更漏子一首》三巻23-〈123〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5817 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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216 (改訂版)《巻22-26 春日醉起言志》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <216> Ⅰ李白詩1452 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5808

 

 

年:733年開元二十一年33

卷別:  卷一八二        文體:  五言古詩

詩題:  春日醉起言志

作地點:        安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

(改訂版)《巻22-26 春日醉起言志

(春の日に、酔いより起きて思いのたけを言う。)

處世若大夢,胡為勞其生。

人のこの世にあるのはあたかも長い夢をみているようなものであるから、生をうけることは、荘子のいう「大夢」のようである。 どうして、生きていくことにあくせく気苦労するのはばかげている。
所以終日醉,然臥前楹。

だから終日酒に酔い、そして潰れて、楹前によこになる、ふと目が覚めて庭先を眺めてみた。一羽の鳥が花の咲く中で鳴いている。
覺來盼庭前,一鳥花間鳴。

だから終日酒に酔い、そして潰れて、楹前によこになる、ふと目が覚めて庭先を眺めてみた。一羽の鳥が花の咲く中で鳴いている。
借問此何時,春風語流鶯。

今は一体どのような時節なのか、まさに春にして東風がぬるく吹いて、乗せて鶯は囀ってこたえてくれた。
感之欲歎息,對酒還自傾。

この情景に感動して歎息が出そうになっている。だから、酒器に向かって、また、杯を重ねてしまう。
浩歌待明月,曲盡已忘情。

大きな声で歌って、明るく澄みわたった月を待っていたが。音曲が終われば、とっくに気持ちを忘れてしまって、荘子のいう「大夢」中にいるのである。 
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(春日 醉起して 志を言う)

處世、大夢の若く,胡爲【なんすれ】ぞ、其の生を勞するを。

終日醉ひ,頽然として前楹に臥す所以【ゆえん】。
覺め來って、庭前を 盼【なが】むれば,一鳥花間に鳴く。
借問す、此れ 何【いづ】れの時,春風、流鶯語る。
之【これ】に感じて、歎息せんと 欲し,酒に對して、還た 自ら傾く。
浩歌、明月を待ち,曲 盡きて、已に 情を忘る。

 

『春日醉起言志』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

春日醉起言志

處世若大夢,胡為勞其生。

所以終日醉,然臥前楹。

覺來盼庭前,一鳥花間鳴。

借問此何時,春風語流鶯。

感之欲歎息,對酒還自傾。

浩歌待明月,曲盡已忘情。


(下し文)
(
春日 醉起して 志を言う)

處世、大夢の若く,胡爲【なんすれ】ぞ、其の生を勞するを。

終日醉ひ,頽然として前楹に臥す所以【ゆえん】。

覺め來って、庭前を 盼【なが】むれば,一鳥花間に鳴く。

借問す、此れ 何【いづ】れの時,春風、流鶯語る。

之【これ】に感じて、歎息せんと 欲し,酒に對して、還た 自ら傾く。

浩歌、明月を待ち,曲 盡きて、已に 情を忘る。

(現代語訳)
(春の日に、酔いより起きて思いのたけを言う。)

人のこの世にあるのはあたかも長い夢をみているようなものであるから、生をうけることは、荘子のいう「大夢」のようである。 どうして、生きていくことにあくせく気苦労するのはばかげている。
だから終日酒に酔い、そして潰れて、楹前によこになる、ふと目が覚めて庭先を眺めてみた。一羽の鳥が花の咲く中で鳴いている。
今は一体どのような時節なのか、まさに春にして東風がぬるく吹いて、乗せて鶯は囀ってこたえてくれた。
この情景に感動して歎息が出そうになっている。だから、酒器に向かって、また、杯を重ねてしまう。
大きな声で歌って、明るく澄みわたった月を待っていたが。音曲が終われば、とっくに気持ちを忘れてしまって、荘子のいう「大夢」中にいるのである。 


(訳注)

春日醉起言志
(春の日に、酔いより起きて思いのたけを言う。) 
春日 春。春の日。春の昼。 

醉起 酔いより起きる。酔っぱらって。 

言志 思いを言う。

*酒をほしいままにし、陶淵明の様に春の花を、鳥を愛して、また呑んで世俗のことを忘れるというもの

 李白は酔いから覚めると芸妓と一緒に過ごしたことに気が付いた。芸妓は唄ってくれていた。美しい声で唄ってくれ、また夢心地にしてくれる。ああ、素晴らしいと感嘆してしまう。歌を聴きながら思わず知らず酒樽を独りで傾けていた。歌を唄いきってしまうと・・・・・。

 これは李白の神仙思想の表れで、現実世界にいかにたのしく生きてゆくか、海のかなたにある仙人の住む山に行かなくても、仙人の不老長寿の薬よりも回春薬の金丹よりも酒があれば最高なのだ。と解釈するが、このことが、道教の神仙思想を李白が否定したということではなく、ただ、手近な酒に求めることが賢人であると述べているのである。

處世若大夢,胡爲勞其生。
人のこの世にあるのはあたかも長い夢をみているようなものであるから、生をうけることは、荘子のいう「大夢」のようである。 どうして、生きていくことにあくせく気苦労するのはばかげている。
處世 しょせい 世の中を生きてゆくこと。世間で暮らしを立てること。世の中で生活をしてゆくこと。「處」は動詞。上声。 

 …のようである。ごとし。如。 

大夢 大いなる夢。夢のまた夢。紀元前三世紀の思想家の荘子は、あるとき夢のなかで胡蝶になり、ひらひらと飛んでたのしかった。目がさめると掌にかえったが、かれは考えた。胡蝶が夢をみて掌になっているのではなかろうかと。《荘子、斉物論第二》「夢之中又占其夢焉,覺而後知其夢也。且有大覺而後知此其大夢也,而愚者自以為覺,竊竊然知之。」(夢の中に又た其の夢を占い,覺めて後に其の夢なるを知る也。且つ大覺有りて而る後に此其大夢なるを知る也,而るに愚者は自ら以て覺めたりと為し,竊竊【せつせつ】然として之を知るとす。) 夢が夢であることに気づくためには、大いなる覚醒がなければならない。大いなる覚醒、すなわち絶対の真理に刮目(カツモク)した者のみが、大いなる夢から解放されるのである。しかるに、愚かなる世俗の惑溺者たちは、自己の夢を覚めたりとし、こざかしげに知者をもって自ら任じ、己れの好む者を君として尊び、己れの憎む者を奴隷のごとく賤しむ愛憎好悪の偏見に得々としている。彼らの救いがたい頑迷さよ。

胡爲 こい どうして…なのか。なんすれぞ…(や)。 

 気苦労をする。骨を折る。苦労する。労する。 

其生 その人生。

 

所以終日醉,頽然臥前楹。
だから、朝から晩まで、酔っているのだ。酔いつぶれて、入り口の丸い柱のところで横になってしまった。 
所以 しょい そうだから。それゆえ。だから。 

終日 朝から晩まで。昼間ずっと。一日中。

頽然 たいぜん 酔いつぶれるさま。くずれるさま。 

前楹 ぜんえい 入り口の丸い柱。 ・ えい 棟の正面の東西にある丸柱。

 

覺來盼庭前,一鳥花間鳴。
だから終日酒に酔い、そして潰れて、楹前によこになる、ふと目が覚めて庭先を眺めてみた。一羽の鳥が花の咲く中で鳴いている。
覺來 目覚めてきて。 ・覺:目覚める。 

-來 …てくる。 

 はん 望む。眺める。希望する。美人が目を動かす。めづかいする。目許が美しい。 

庭前 庭先。 

一鳥 一羽の鳥。とある鳥。 

花間 花の咲いている中に。

 

借問此何時,春風語流鶯。
今は一体どのような時節なのか、まさに春にして東風がぬるく吹いて、乗せて鶯は囀ってこたえてくれた。
・借問 お訊ねする。 

・此 これ。 

・語 かたる。さえずる。ここでは、(小鳥が)さえずる意で、使われている。 

・流鶯 ウグイスの鳴き声が流麗である。春風と共に芸妓、官妓、という意味もある。

 

感之欲歎息,對酒還自傾。
この情景に感動して歎息が出そうになっている。だから、酒器に向かって、また、杯を重ねてしまう。
 春の日の情景。軽くリズムをとる言葉。 

・欲:…しようとする。 

・歎息 たんそくたいへん感心する。讃える。褒める。次の酒を誘導するための語句。・歎:歌声に合わせて唱える。讃える。褒める。たいへん感心する。歎く。

・對酒 酒に向かって。酒を前にして。酒に対して。 

 なお。なおもまた。 

自傾 酒壷を自分で傾ける。

 

浩歌待明月,曲盡已忘情。
大きな声で歌って、明るく澄みわたった月を待っていたが。音曲が終われば、とっくに気持ちを忘れてしまって、荘子のいう「大夢」中にいるのである。 
・浩歌 こうか 大きな声でのびやかに歌う。 
明月 澄みわたった月。 

・曲盡 音曲が終わる。 

・已 とっくに。すでに。 

・忘情 気持ちを忘れてしまう。  

 おもむき。あじわい。心。感情。なさけ。

 

 

 

 「曲尽きて」というのは、情けを交わし合ったことの終わりを示すもの。

 

 

 

 

荘子「斉物論篇第二」

 「夢飲酒者,旦而哭泣;夢哭泣者,旦而田獵。方其夢也,不知其夢也。夢之中又占其夢焉,覺而後知其夢也。且有大覺而後知此其大夢也,而愚者自以為覺,竊竊然知之。君乎,牧乎,固哉!丘也與女,皆夢也;予謂女夢,亦夢也。是其言也,其名為弔詭。萬世之後而一遇大聖,知其解者,是旦暮遇之也」

 

 

夢に酒を飲む者は、旦(あした)にして哭泣(コッキュウ)し、夢に哭泣(コッキュウ)する者は、旦(あした)にして田猟(デンリョウ)す。其の夢みるに方(あた)りては、其の夢なるを知らざるなり。夢の中に又(ま)た其の夢を占い、覚(めざ)めて後に其の夢なるを知る。且(か)つ大覺(ダイカク)有りて、而(しか)る後に、此れ其の大夢(タイム)なるを知るなり。而(しか)るに愚者は自ずから以て覚(めざ)めたりと為し、竊竊然(セツセツゼン)として之を知れりとし、君(きみ)とし、牧(ボク)とす。固(コ・かたくな)なるかな。丘と女(なんじ)と皆夢なり。予(わ)れの女(なんじ)を夢と謂うも亦夢なり。是(こ)れ其の言や、其の名を弔詭(チョウキ)と為す。万世の後にして、一(ひと)たび大聖の、其の解(カイ)を知れる者に遇(あ)うも、是(こ)れ旦暮(タンボ)に之に遇うなり。

 

 「夢の中で酒を飲み歓楽を尽くした者は、一夜あくれば、悲しい現実に声をあげて泣き、逆にまた悲しい夢を見て哭(な)き声を立てた者も、朝になればけろりとして楽しい狩猟にでかけてゆくこともある。夢みている最中には、夢が夢であることも分からず、夢の中でさらに夢占いをする場合さえあるが、目がさめて始めて、それが夢であったことに気がつくのだ。

 

 

 夢が夢であることに気づくためには、大いなる覚醒がなければならない。大いなる覚醒、すなわち絶対の真理に刮目(カツモク)した者のみが、大いなる夢から解放されるのである。しかるに、愚かなる世俗の惑溺者たちは、自己の夢を覚めたりとし、こざかしげに知者をもって自ら任じ、己れの好む者を君として尊び、己れの憎む者を奴隷のごとく賤しむ愛憎好悪の偏見に得々としている。彼らの救いがたい頑迷さよ。孔子もお前も、みんな夢を見ているのだ。そして、「お前は夢を見ている」といっているこの私も、ともに夢を見ているのだ。

 

  ところで、このように一切を夢なりと説く私の言葉を”弔詭”(チョウキ)すなわち、この上なく世俗と詭(ことな)った奇妙きわまる話というのである。しかし、この話の意味が分かる絶対者は、恐らく何十万年に一人出会えるか出会えないかぐらいであろう。何十万年に一人出会えたとしても、その遭遇は日常明け暮れに遭遇しているといってもいいほど、極めて稀なのだ」と。

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215 (改訂版) 巻22-25 山中與幽人對酌》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <215> Ⅰ李白詩1451 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5803

 

 

年:    開元二十一年

寫作時間:      733

寫作年紀:      33

卷別:  卷一八二  李太白集 巻二十二         文體:  七言

詩題:  山中與幽人對酌

作地點:        安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

山中與幽人對酌

(山中で隠者と差し向かいで酒をくみかわす)

兩人對酌山花開,一杯一杯復一杯。

会心の友は我と君と、ただふたりのみ、山中で差し向かいで酒を飲む。そのまわりには山の花が微笑んでくれていて、我らの興をたすけるようである。だから一杯一杯、また一杯となんかいも繰り返した。 

我醉欲眠卿且去,明朝有意抱琴來。

わたしは酔ってしまって眠むたくなってしまった。陶淵明が酔って眠くなったら「我醉欲眠,卿可去。」といっていたように、君は適当なところで勝手に帰っていいよ。明日の朝に、そのきがあったら、琴を持ってまた来てくれると、別の面白さがあるというものだ。
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(山中 幽人と對酌)

兩人 對酌すれば  山花 開く,一杯一杯  復【ま】た 一杯。

我 醉って眠らんと欲す  卿【きょう】 且つ 去れ,明朝 意有らば  琴を 抱いて來たれ。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->李白の足跡003
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『山中與幽人對酌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

山中與幽人對酌

兩人對酌山花開,一杯一杯復一杯。

我醉欲眠卿且去,明朝有意抱琴來。


(下し文)
(山中 幽人と對酌)

兩人 對酌すれば  山花 開く,一杯一杯  復【ま】た 一杯。

我 醉って眠らんと欲す  卿【きょう】 且つ 去れ,明朝 意有らば  琴を 抱いて來たれ。

(現代語訳)
(山中で隠者と差し向かいで酒をくみかわす)

会心の友は我と君と、ただふたりのみ、山中で差し向かいで酒を飲む。そのまわりには山の花が微笑んでくれていて、我らの興をたすけるようである。だから一杯一杯、また一杯となんかいも繰り返した。 

(訳注)

山中與幽人對酌
(山中で隠者と差し向かいで酒をくみかわす)

山中 山奥に。 

幽人 世を遁れた人。隠者。隠棲している人。 

對酌 差し向かいで酒を飲む。『山中對酌』ともする。

*絶句の変体。この詩は、山中にあって、ある隠遁者と對酌した時に作ったのである。

 

兩人對酌山花開。一杯一杯復一杯。
会心の友は我と君と、ただふたりのみ、山中で差し向かいで酒を飲む。そのまわりには山の花が微笑んでくれていて、我らの興をたすけるようである。だから一杯一杯、また一杯となんかいも繰り返した。 

 咲く。擬人的に微笑むという感じ。 

兩人 二人。 

山花 山中に咲く花。 

一杯一杯 酒を飲む動作が繰り返される表現。 

 くりかえす。ふたたびする。また。ふたたび。

 

我醉欲眠卿且去、明朝有意抱琴來。
わたしは酔ってしまって眠むたくなってしまった。陶淵明が酔って眠くなったら「我醉欲眠,卿可去。」といっていたように、君は適当なところで勝手に帰っていいよ。明日の朝に、そのきがあったら、琴を持ってまた来てくれると、別の面白さがあるというものだ。
我醉欲眠卿且去 宋書 陶潜嗜酒、貴賤造之者,有酒輒設,潛若先醉,便語客:「我醉欲眠,卿可去。」其真率如此。(陶潜酒を嗜む,貴賤の之に造る者,酒あらば輒ち設く,潛若し先に醉へば,便ち客に語る:「我醉ひて眠らんと欲す,卿去るべし。」其真率たること此の如し。)我醉 わたしは酔った。・ …たい。…としようとする。・ ねむる。 ・ きみ。人の尊称。・ 短時間をいう。てきとうなところで、かってなときに、 ・去:さる。 私をほったらかしにしといていいよ。 

明朝 明日の朝。 

有意 意志がある。 

抱琴 琴をかかえる。琴は古代より隠者を象徴するものでもある。隠者は弦のない琴を肴に酒を飲んだ。酒を抱えてきてくれと解釈する。 

 来る。

214 《(改訂版) 巻22-24 夏日山中》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <214> Ⅰ李白詩1450 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5798

李白 夏日山中 (隠遁してすごす真夏のある日、山中の茅齋の庵の中にいる。暑くてたまらず裸になってみる。松囃子を抜ける風は吹いて涼しい。)白い羽の団扇で扇ぐのもおっくうでたまらないが、何分暑いので、たまらず、ころもをぬぎすてて、青々と木の茂った森林の中で、裸体になる。

 

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一八二              文體:    五言

詩題:    夏日山中

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

夏日山中

懶搖白羽扇,裸體青林中。

白い羽の団扇で扇ぐのもおっくうでたまらないが、何分暑いので、たまらず、ころもをぬぎすてて、青々と木の茂った森林の中で、裸体になる。

巾掛石壁,露頂灑松風。

そこで、頭巾までもかなぐり捨てて、岩の壁面にひっかけて。かんむりをつけないで頭を丸出しにして、松の木を吹き抜ける風にさらしたら、なんとそうかいなこころもちになったのである。

 

(夏日山中)

白羽扇を 搖かすに懶【ものう】し,裸體  靑林の中【うち】。

巾を脱して石壁に挂【か】け,頂【いただき】を露【あら】わして松風を灑【そそ】ぐ。

nat0014 

 

『夏日山中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夏日山中

懶搖白羽扇,裸體青林中。

巾掛石壁,露頂灑松風。


(下し文)
(
夏日山中)

白羽扇を 搖かすに懶【ものう】し,裸體  靑林の中【うち】。

巾を脱して石壁に挂【か】け,頂【いただき】を露【あら】わして松風を灑【そそ】ぐ。

(現代語訳)
(隠遁してすごす真夏のある日、山中の茅齋の庵の中にいる。暑くてたまらず裸になってみる。松囃子を抜ける風は吹いて涼しい。)

白い羽の団扇で扇ぐのもおっくうでたまらないが、何分暑いので、たまらず、ころもをぬぎすてて、青々と木の茂った森林の中で、裸体になる。

そこで、頭巾までもかなぐり捨てて、岩の壁面にひっかけて。かんむりをつけないで頭を丸出しにして、松の木を吹き抜ける風にさらしたら、なんとそうかいなこころもちになったのである。



(訳注)

夏日山中

(隠遁してすごす真夏のある日、山中の茅齋の庵の中にいる。暑くてたまらず裸になってみる。松囃子を抜ける風は吹いて涼しい。)

 

懶搖白羽扇,裸體青林中。

白い羽の団扇で扇ぐのもおっくうでたまらないが、何分暑いので、たまらず、ころもをぬぎすてて、青々と木の茂った森林の中で、裸体になる。

白羽扇 白い羽をあつめてつくった団扇。

裸體 衣をつけていないこと。

青林 鬱蒼とした森林。

 

巾掛石壁,露頂灑松風。

そこで、頭巾までもかなぐり捨てて、岩の壁面にひっかけて。かんむりをつけないで頭を丸出しにして、松の木を吹き抜ける風にさらしたら、なんとそうかいなこころもちになったのである。

 冠の下に髷を束ねる頭巾。

 むきだしになった頭。

nat0024 

 

 

孟浩然《夏日辮玉法師茅齋》

夏日茅齋裏,無風坐亦涼。

竹林深筍,籐架引梢長。

燕覓巢窠處,蜂來造蜜房。

物華皆可玩,花蕊四時芳。

 (夏日 辮玉法師の茅齋にて)

夏日 茅齋の裏、風無けれども坐すれば亦た涼し。

竹林深筍おお)く、籐架 梢を引きて長し。

燕は巢窠の處を覓め、蜂は蜜を造る房に來たる。

物華 皆翫ぶべし、花蕊  四時 芳し。

真夏のある日、茅齋の庵の中にいる。風は吹いていないに座禅をするとそれでまた涼しい。

竹林の奥の方に行くとたけのこが密集して生えている、そして籐の編み込みが木の梢の長いものを引っ張るように掛かっている。

つばめは巣作りの場所を探し求めている、ミツバチは蜜房造りに花の蜜を求めて飛んでくる。

万物、花はすべて注目していくべきである、花の芯が一日中4回の座禅のときにほのかな香りを出してくれている。

夏日辮玉法師茅齋 孟浩然  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 350 -327

213 《巻22-21 月夜聽盧子順彈琴》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <213> Ⅰ李白詩1444 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5768

李白 月夜聽盧子順彈琴 月夜に盧子順という人の琴を彈ずるを聽いてつくったもの。しずかなる夜、明月の底に坐して、幽人の盧子順は素琴を彈じはじめた。たちまちにして、《悲風操》の調べを一曲聞いたが、その響きは、清越なるは、琴曲の《寒松操》にあわせて吟ずるようである。

 

 
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213 《巻22-21 月夜聽盧子順彈琴》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <213> Ⅰ李白詩1444 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5768

 

 

年:-733年開元二十一年33歳 

卷別:    卷一八二              文體:    五言律詩

詩題:    月夜聽盧子順彈琴

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

交遊人物:盧子順              當地交遊(淮南道 安州 安陸)

 

 

月夜聽盧子順彈琴

(月夜に盧子順という人の琴を彈ずるを聽いてつくったもの)

閒坐夜明月,幽人彈素琴。

しずかなる夜、明月の底に坐して、幽人の盧子順は素琴を彈じはじめた。

忽聞悲風調,宛若寒松吟。

たちまちにして、《悲風操》の調べを一曲聞いたが、その響きは、清越なるは、琴曲の《寒松操》にあわせて吟ずるようである。

白雪亂纖手,綠水清虛心。

はじめに《白雪》の曲を弾ずるにあたって、盛んに纖手を動かし、次には、《綠水》の曲を弾じると、人の虚心を清廉にするものである。

鍾期久已沒,世上無知音。

そうとはいえ、鍾子期は既に没していこの世にはいなくなってもう久しい、世上また音を知らず、折角の琴の音をききわけてくれるひとが無いから、これほどの弾き手の盧子順のためにはまことに気の毒な事である。

 

(月夜 盧子順の琴を彈ずるを聽く)

閒坐すれば 夜 明月,幽人 素琴を彈ず。

忽ち聞く 悲風の調,宛として 寒松の吟ずるが若し。

白雪 纖手に亂れ,綠水 虛心を清くする。

鍾期 久しく已に沒す,世上 知音無し。

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『月夜聽盧子順彈琴』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

月夜聽盧子順彈琴

閒坐夜明月,幽人彈素琴。

忽聞悲風調,宛若寒松吟。

白雪亂纖手,綠水清虛心。

鍾期久已沒,世上無知音。


(下し文)
(月夜 盧子順の琴を彈ずるを聽く)

閒坐すれば 夜 明月,幽人 素琴を彈ず。

忽ち聞く 悲風の調,宛として 寒松の吟ずるが若し。

白雪 纖手に亂れ,綠水 虛心を清くする。

鍾期 久しく已に沒す,世上 知音無し。

(現代語訳)
(月夜に盧子順という人の琴を彈ずるを聽いてつくったもの)

しずかなる夜、明月の底に坐して、幽人の盧子順は素琴を彈じはじめた。

たちまちにして、《悲風操》の調べを一曲聞いたが、その響きは、清越なるは、琴曲の《寒松操》にあわせて吟ずるようである。

はじめに《白雪》の曲を弾ずるにあたって、盛んに纖手を動かし、次には、《綠水》の曲を弾じると、人の虚心を清廉にするものである。

そうとはいえ、鍾子期は既に没していこの世にはいなくなってもう久しい、世上また音を知らず、折角の琴の音をききわけてくれるひとが無いから、これほどの弾き手の盧子順のためにはまことに気の毒な事である。

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(訳注)

月夜聽盧子順彈琴

(月夜に盧子順という人の琴を彈ずるを聽いてつくったもの)

盧子順 この人物について詳細もなにも分からない。

 

閒坐夜明月,幽人彈素琴。【閒夜坐明月】

しずかなる夜、明月の底に坐して、幽人の盧子順は素琴を彈じはじめた。

 

忽聞悲風調,宛若寒松吟。

たちまちにして、《悲風操》の調べを一曲聞いたが、その響きは、清越なるは、琴曲の《寒松操》にあわせて吟ずるようである。

悲風調・寒松吟 琴曲:《悲風操》、《寒松操》、《白雪》及《綠水》

 

白雪亂纖手,綠水清虛心。

はじめに《白雪》の曲を弾ずるにあたって、盛んに纖手を動かし、次には、《綠水》の曲を弾じると、人の虚心を清廉にするものである。

 

鍾期久已沒,世上無知音。

そうとはいえ、鍾子期は既に没していこの世にはいなくなってもう久しい、世上また音を知らず、折角の琴の音をききわけてくれるひとが無いから、これほどの弾き手の盧子順のためにはまことに気の毒な事である。

鍾期 鍾子期:、春秋時代の楚()の人。琴の名人伯牙の音楽の理解者として知られ、その死後、伯牙は琴の糸を切って生涯演奏しなかったといわれる。生没年未詳。

知音 互いに心をよく知り合い、許し合った友達、親友のこと。のち転じて、広く知人や恋人などをもいうようになった。中国、春秋時代の琴の名手伯牙(はくが)に鐘子期という親友がおり、伯牙が高山を思いつつ琴を弾ずれば、子期の心にも高山の姿が映じ、流水を思いつつ弾ずれば、洋々たる江河が子期の心に写ったというほど、伯牙の琴の音をよく知り、聞き分けた。その子期が没すると、伯牙は「もはや琴を聞かせる人はいない」といって、琴を破り、弦を断ってふたたび琴を弾くことがなかった、と伝える『列子』「湯問篇」や『呂氏春秋』「本味篇」などの故事による。「断琴」

「伯牙瑟を鼓すれば淵魚出でて聴き、弧巴琴を鼓すれば六馬仰いで秣う。」という、漢の韓嬰の「韓詩外伝」の言葉をひいている。瓠巴は上古の楚の琴の名手。伯牙は春秋時代の琴の名手。

212 《巻22-15 待酒不至》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <212> Ⅰ李白詩1443 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5763

 

李白 待酒不至  客をもてなすために、酒を買いにやったところが、その使いの者がなかなか帰ってこないものだからこの詩を作ってお客に対応したもの。奇麗な酒壺に油紙に靑糸を持たせて酒を買いに遣らせたが、使いのまぬけものがなかなか帰って来るのが遅い。

 

 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》 韋荘  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5797 
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212 《巻22-15 待酒不至》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <212> Ⅰ李白詩1443 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5763

 

 

年:-733年開元二十一年33歳 

卷別:    卷一八二              文體:    五言古詩

詩題:    待酒不至

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

待酒不至

(客をもてなすために、酒を買いにやったところが、その使いの者がなかなか帰ってこないものだからこの詩を作ってお客に対応したもの)

玉壺繫青絲,沽酒來何遲。

奇麗な酒壺に油紙に靑糸を持たせて酒を買いに遣らせたが、使いのまぬけものがなかなか帰って来るのが遅い。

山花向我笑,正好銜杯時。

イライラしてふと見ると、山花が丁度開いていて、こちらを見て笑っているようであり、まさに盃を口にするときのようであるから、まことに良いので益々早く飲みたくなるというものだ。

晚酌東窗下,流鶯復在茲。【晚酌東軒下】

晩方から飲むのは、月がのぼるのを待つ東の窓のもとが良いのでそこに席を設ける、鶯が場所を変えるように次第に高士になってゆくその客人がおり、また、ここに官妓がいて酒を待っているのである。

春風與醉客,今日乃相宜。

酒がすすみ、そこに官妓と春風が席を払い風流なものになってゆき、そこにお客も酔ってきて、楽しい気分が相俟って、今日は、きわめていい気分、良い眺めとなっている。嬉しい限りだ。

 

(酒を待てども至らず)

玉壺 青絲に繫ぎ,沽酒 來る何ぞ遲きか。

山花 我に向って笑い,正に好し 杯を銜むの時。

晚 東窗の下に酌めば,流鶯 復た茲に在り。

春風と醉客と,今日 乃ち相い宜し。

 

カンナ113 





『待酒不至』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

待酒不至

玉壺繫青絲,沽酒來何遲。

山花向我笑,正好銜杯時。

晚酌東窗下,流鶯復在茲。

春風與醉客,今日乃相宜。



(下し文)
(酒を待てども至らず)

玉壺 青絲に繫ぎ,沽酒 來る何ぞ遲きか。

山花 我に向って笑い,正に好し 杯を銜むの時。

晚 東窗の下に酌めば,流鶯 復た茲に在り。

春風と醉客と,今日 乃ち相い宜し。

(現代語訳)
(客をもてなすために、酒を買いにやったところが、その使いの者がなかなか帰ってこないものだからこの詩を作ってお客に対応したもの)

奇麗な酒壺に油紙に靑糸を持たせて酒を買いに遣らせたが、使いのまぬけものがなかなか帰って来るのが遅い。

イライラしてふと見ると、山花が丁度開いていて、こちらを見て笑っているようであり、まさに盃を口にするときのようであるから、まことに良いので益々早く飲みたくなるというものだ。

晩方から飲むのは、月がのぼるのを待つ東の窓のもとが良いのでそこに席を設ける、鶯が場所を変えるように次第に高士になってゆくその客人がおり、また、ここに官妓がいて酒を待っているのである。

酒がすすみ、そこに官妓と春風が席を払い風流なものになってゆき、そこにお客も酔ってきて、楽しい気分が相俟って、今日は、きわめていい気分、良い眺めとなっている。嬉しい限りだ。


(訳注)

待酒不至

(客をもてなすために、酒を買いにやったところが、その使いの者がなかなか帰ってこないものだからこの詩を作ってお客に対応したもの)

 

玉壺繫青絲,沽酒來何遲。

奇麗な酒壺に油紙に靑糸を持たせて酒を買いに遣らせたが、使いのまぬけものがなかなか帰って来るのが遅い。

玉壺繫青絲 ふたに油紙をして首に靑ひもで縛る。壺ごと酒造所から出る場合、名産地で異なるが、おおよそ赤茶(黄色)のひもで縛ったようだ。

沽酒 酒を買う。亀壺を持参してそれに一杯入れてもらって買ってくる。

 

山花向我笑,正好銜杯時。

イライラしてふと見ると、山花が丁度開いていて、こちらを見て笑っているようであり、まさに盃を口にするときのようであるから、まことに良いので益々早く飲みたくなるというものだ。

銜杯 花は開いているのが、盃を口に銜えるように見えることをいう。花が笑うようにみえることで、冗談を言う。

 

晚酌東窗下,流鶯復在茲。【晚酌東軒下】

晩方から飲むのは、月がのぼるのを待つ東の窓のもとが良いのでそこに席を設ける、鶯が場所を変えるように次第に高士になってゆくその客人がおり、また、ここに官妓がいて酒を待っているのである。

東窗下 月がのぼるのを待つ東の窓のもとが良い客室を意味する。

流鶯 鶯が場所を変えるのは、その客が次第に高士になってゆくこと。中国古代官妓をいう場合がある、その場合、芸妓をここに呼んで侍らせたという意味になる。

 

春風與醉客,今日乃相宜。

酒がすすみ、そこに官妓と春風が席を払い風流なものになってゆき、そこにお客も酔ってきて、楽しい気分が相俟って、今日は、きわめていい気分、良い眺めとなっている。嬉しい限りだ。
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211-#2 《巻22-3 安州般若寺水閣納涼,喜遇薛員外父 -#2》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <211-#2> Ⅰ李白詩1448 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5788

李白 安州般若寺水閣納涼,喜遇薛員外父 -#2  われは、世間のあらゆる有漏の法はすべてすててしまい、君と共に無法を行い、物に随って転化するのである。そこで心上の垢はすべて滅し尽くし、ここに言を永くして歌を唱え、すなわち禅房に題した次第である。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:-733年開元二十一年33歳 

卷別:    卷一八二                李太白集 巻22  文體:五言古詩

詩題:    安州般若寺水閣納涼,喜遇薛員外父

及地點:              般若寺 (淮南道 安州 安州)              

交遊人物/地點:   薛員外    當地交遊(淮南道 安州 安州)

 

 

安州般若寺水閣納涼,喜遇薛員外父

(安州の般若寺の水閣において納涼をした時に,員外郎の薛父というものと遇って喜んで作ったもの)

翛然金園賞,遠近含晴光。

悠然として、この寺の園中に勝賞をほしいままにしており、それに加え、おりしも空はよく晴れて、遠近とも日に光がふりそそいでいる。

樓臺成海氣,草木皆天香。

樓臺は海気が蒸してくるような暖かさになる、草木はこの世とは思えない天上の香気をすべて帯びたような感じに見える。

忽逢青雲士,共解丹霞裳。

こうしていて出会った員外郎の薛父という人は、俗世間から超越した、高尚な志の人であり、もとより仙道に心を寄せ、甚だ高潔な人である、そこでふたりとも丹霞の裳をといてうちとけたのである。

(安州 般若寺の水閣に納涼し,薛員外父に遇うを喜ぶ)

翛然たり 金園の賞,遠近 晴光を含む。

樓臺 海氣を成し,草木 皆 天香。

忽ち 青雲士に逢い,共に丹霞の裳を解く。

 

水退池上熱,風生松下涼。

水は、漫漫と湛えて、池上、既に熱をなくし、風は、颯颯と響いて、丘の上の松下、自ずから涼を生じるものだ。

吞討破萬象,搴窺臨眾芳。

やがて、万象を一つに合わせて、飲み下しつつ、その真相を尋ね、簾をかかげて、多くの香り高い花を眺め下ろした。

而我遺有漏,與君用無方。

われは、世間のあらゆる有漏の法はすべてすててしまい、君と共に無法を行い、物に随って転化するのである。

心垢都已滅,永言題禪房。

そこで心上の垢はすべて滅し尽くし、ここに言を永くして歌を唱え、すなわち禅房に題した次第である。

 

水は 池上の熱を退け,風は 松下の涼を生ず。

吞討 萬象を破り,搴窺 眾芳に臨む。

而も 我 有漏を遺れ,君と 無方を用う。

心垢 都て已に滅し,永言 禪房に題す。

 

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

『安州般若寺水閣納涼,喜遇薛員外父』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

水退池上熱,風生松下涼。

吞討破萬象,搴窺臨眾芳。

而我遺有漏,與君用無方。

心垢都已滅,永言題禪房。


(下し文)
水は 池上の熱を退け,風は 松下の涼を生ず。

吞討 萬象を破り,搴窺 芳に臨む。

而も 我 有漏を遺れ,君と 無方を用う。

心垢 都て已に滅し,永言 禪房に題す。

(現代語訳)
水は、漫漫と湛えて、池上、既に熱をなくし、風は、颯颯と響いて、丘の上の松下、自ずから涼を生じるものだ。

やがて、万象を一つに合わせて、飲み下しつつ、その真相を尋ね、簾をかかげて、多くの香り高い花を眺め下ろした。

われは、世間のあらゆる有漏の法はすべてすててしまい、君と共に無法を行い、物に随って転化するのである。

そこで心上の垢はすべて滅し尽くし、ここに言を永くして歌を唱え、すなわち禅房に題した次第である。



(訳注)

安州般若寺水閣納涼,喜遇薛員外父

(安州の般若寺の水閣において納涼をした時に,員外郎の薛父というものと遇って喜んで作ったもの)

安州 淮南道 安州。中華人民共和国湖北省にかつて存在した州。

 

水退池上熱,風生松下涼。

水は、漫漫と湛えて、池上、既に熱をなくし、風は、颯颯と響いて、丘の上の松下、自ずから涼を生じるものだ。

 

吞討破萬象,搴窺臨眾芳。

やがて、万象を一つに合わせて、飲み下しつつ、その真相を尋ね、簾をかかげて、多くの香り高い花を眺め下ろした。

 

而我遺有漏,與君用無方。

われは、世間のあらゆる有漏の法はすべてすててしまい、君と共に無法を行い、物に随って転化するのである。

有漏 大般若経に云う一切の現象のこと。 「有漏法、佛、善現に告ぐ、世間の五蘿、十二歳、十八界、四静慮、四無量、四無色定、所有一切三界、に堕ちる法、これを有漏法という。」とある。

無方 荘子に「無方に行う」物に随って転化することをいう。《荘子 秋水第十七》 「兼懐萬物 其孰承翼 是謂無方 萬物一齊 孰短孰長?道無終始,物有死生,不恃其功。」萬物を兼ね懐く。其れ孰れをか承翼せん。是を無方と謂う。萬物一齊 孰れを短とし孰れを長とせん?道は終始無く,物は死生有り,其の功を恃しまず。

天地の萬物を等しく包容して、取りたてて特にどれかを愛し助けるということが無い。これを無方という。

 

心垢都已滅,永言題禪房。

そこで心上の垢はすべて滅し尽くし、ここに言を永くして歌を唱え、すなわち禅房に題した次第である。

心垢 四十二章經に「心垢滅盡,淨無瑕穢,是為最明。」(心垢滅盡,淨として 瑕穢無し,是れ最明と為す。)とある。
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李白  安州般若寺水閣納涼,喜遇薛員外父(安州の般若寺の水閣において納涼をした時に,員外郎の薛父というものと遇って喜んで作ったもの)出会った員外郎の薛父という人は、俗世間から超越した、高尚な志の人であり、もとより仙道に心を寄せ、甚だ高潔な人である、そこでふたりとも丹霞の裳をといてうちとけたのである。

 
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51-#1 (改訂版)《巻02-06 歸彭城》-#1韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1349> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5729 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:-733年開元二十一年33歳 

卷別:    卷一八二                李太白集 巻22  文體:五言古詩

詩題:    安州般若寺水閣納涼,喜遇薛員外父

作地點:資料      

及地點:              般若寺 (淮南道 安州 安州)              

交遊人物/地點:   薛員外    當地交遊(淮南道 安州 安州)

 

 

安州般若寺水閣納涼,喜遇薛員外父

(安州の般若寺の水閣において納涼をした時に,員外郎の薛父というものと遇って喜んで作ったもの)

翛然金園賞,遠近含晴光。

悠然として、この寺の園中に勝賞をほしいままにしており、それに加え、おりしも空はよく晴れて、遠近とも日に光がふりそそいでいる。

樓臺成海氣,草木皆天香。

樓臺は海気が蒸してくるような暖かさになる、草木はこの世とは思えない天上の香気をすべて帯びたような感じに見える。

忽逢青雲士,共解丹霞裳。

こうしていて出会った員外郎の薛父という人は、俗世間から超越した、高尚な志の人であり、もとより仙道に心を寄せ、甚だ高潔な人である、そこでふたりとも丹霞の裳をといてうちとけたのである。

 

水退池上熱,風生松下涼。

吞討破萬象,搴窺臨眾芳。

而我遺有漏,與君用無方。

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(安州 般若寺の水閣に納涼し,薛員外父に遇うを喜ぶ)

翛然たり 金園の賞,遠近 晴光を含む。

樓臺 海氣を成し,草木 皆 天香。

忽ち 青雲士に逢い,共に丹霞の裳を解く。

 

水は 池上の熱を退け,風は 松下の涼を生ず。

吞討 萬象を破り,搴窺 眾芳に臨む。

而も 我 有漏を遺れ,君と 無方を用う。

心垢 都て已に滅し,永言 禪房に題す。

 

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『安州般若寺水閣納涼,喜遇薛員外父』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

安州般若寺水閣納涼,喜遇薛員外父

翛然金園賞,遠近含晴光。

樓臺成海氣,草木皆天香。

忽逢青雲士,共解丹霞裳。


(下し文)
(安州 般若寺の水閣に納涼し,薛員外父に遇うを喜ぶ)

翛然たり 金園の賞,遠近 晴光を含む。

樓臺 海氣を成し,草木 皆 天香。

忽ち 青雲士に逢い,共に丹霞の裳を解く。

(現代語訳)
(安州の般若寺の水閣において納涼をした時に,員外郎の薛父というものと遇って喜んで作ったもの)

悠然として、この寺の園中に勝賞をほしいままにしており、それに加え、おりしも空はよく晴れて、遠近とも日に光がふりそそいでいる。

樓臺は海気が蒸してくるような暖かさになる、草木はこの世とは思えない天上の香気をすべて帯びたような感じに見える。

こうしていて出会った員外郎の薛父という人は、俗世間から超越した、高尚な志の人であり、もとより仙道に心を寄せ、甚だ高潔な人である、そこでふたりとも丹霞の裳をといてうちとけたのである。



(訳注)

安州般若寺水閣納涼,喜遇薛員外父

(安州の般若寺の水閣において納涼をした時に,員外郎の薛父というものと遇って喜んで作ったもの)

安州 淮南道 安州。中華人民共和国湖北省にかつて存在した州。

般若寺 斑若、鉢若、般羅若、鉢羅枳嬢など)は、一般には智慧(ちえ)といい、仏教におけるいろいろの修行の結果として得られた「さとり」の智慧をいう。ことに、大乗仏教が起こってからは、般若は大乗仏教の特質を示す意味で用いられ、分別的な「智」としての「若那」(jñāna, ジュニャーナ)と対照される形で、諸法の実相である空と相応する無分別の「慧」として強調されてきた。

同じ悟りの智慧をあらわす遍智(へんち、 परिज्ञा parijñā)と区別される。遍智とは文字通り「あまねく知る」ことで、四諦の道理を無漏(むろ)の智によって知ることである。この遍智を小乗のさとりを表すものとして、大乗の般若と区別するのも、般若を存在の当相をそのままに自覚する実践智と考えるからである。

薛員外父 員外郎の薛父というもの。

李白の足跡0000 

翛然金園賞,遠近含晴光。

悠然として、この寺の園中に勝賞をほしいままにしており、それに加え、おりしも空はよく晴れて、遠近とも日に光がふりそそいでいる。

翛然 物事に動ぜず、ゆったりと落ち着いているさま。

金園 般若寺のなかの園圃、精舎に金を用いているのでこういう。

 

樓臺成海氣,草木皆天香。

樓臺は海気が蒸してくるような暖かさになる、草木はこの世とは思えない天上の香気をすべて帯びたような感じに見える。

 

忽逢青雲士,共解丹霞裳。

こうしていて出会った員外郎の薛父という人は、俗世間から超越した、高尚な志の人であり、もとより仙道に心を寄せ、甚だ高潔な人である、そこでふたりとも丹霞の裳をといてうちとけたのである。

青雲士 〔史記 伯夷伝〕 高位高官に昇った人。学徳の高い人。 隠逸の士。俗世間から超越した、高尚な志の人。

丹霞 日が映って紅くたなびく雲気。仙郷をいう。丹霞裳:ここでは隠遁した道教の人の衣裳ということ。

210 《巻17-22 送梁四歸東平》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <210> Ⅰ李白詩1441 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5753

李白 送梁四歸東平(梁某が郷里の河南道鄆州の東平に帰るのを送って作った)謝安が東山に芸妓を携えたのを学ぶだけでで、ぐずぐずして臥し、世俗の欲望を離れて隠棲しているうちに、時と志を齟齬してむなしく朽ち老いさらばえてしまうようなことがあってはならないと思うところである。

 

 
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210 《巻17-22 送梁四歸東平》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <210> Ⅰ李白詩1441 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5753 
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50-#2 《《巻02-03 幽懷》-#2   (幽懷不能寫,)》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1348> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5724 
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210 《巻17-22 送梁四歸東平》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <210> Ⅰ李白詩1441 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5753

 

 

年:733年開元二十一年33

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    送梁四歸東平

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:鄆州 (河南道 鄆州 鄆州) 別名:東平             

東山 (江南東道 越州 上虞縣) 別名:謝安山               

交遊人物:梁四    當地交遊( 淮南道 安州 安陸)

 

 

送梁四歸東平

(梁某が郷里の河南道鄆州の東平に帰るのを送って作った)

玉壺挈美酒,送別強為歡。

玉壺に美酒を一杯に積めて挈えて出て、,君との別れの行を送るために盃を勧め、強いて、歓談して別れよう。

大火南星月,長郊北路難。

今しも大火の星が、南方正午の方向に位置する月で、夏の最中であるとわかり、彼から北に向かって、一帯の平原を横切って、旅をするのはとても困難な事だろう。

殷王期負鼎,汶水起垂竿。

むかし、伊尹が殷湯が遊説するため、鼎を背に背負って料理人という触れ込みで殷に入って殷王湯を助けて天下をとったのであり、君は、故郷でくすぶらず太公望よろしく、汶水に釣り糸を垂れて、身を起し、功名を立てることを祈るものである。

莫學東山臥,參差老謝安。

謝安が東山に芸妓を携えたのを学ぶだけでで、ぐずぐずして臥し、世俗の欲望を離れて隠棲しているうちに、時と志を齟齬してむなしく朽ち老いさらばえてしまうようなことがあってはならないと思うところである。

 

(梁四 東平に歸るを送る)

玉壺 美酒を挈へ,送別 強いて歡を為す。

大火 南星の月,長郊 北路難し。

殷王 負鼎を期し,汶水 垂竿を起す。

東山に臥すを學んで,參差 謝安を老いしむる莫れ。

李白の足跡0000 

 

『送梁四歸東平』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送梁四歸東平

玉壺挈美酒,送別強為歡。

大火南星月,長郊北路難。

殷王期負鼎,汶水起垂竿。

莫學東山臥,參差老謝安。


(下し文)
(梁四 東平に歸るを送る)

玉壺 美酒を挈へ,送別 強いて歡を為す。

大火 南星の月,長郊 北路難し。

殷王 負鼎を期し,汶水 垂竿を起す。

東山に臥すを學んで,參差 謝安を老いしむる莫れ。

(現代語訳)
(梁某が郷里の河南道鄆州の東平に帰るのを送って作った)

玉壺に美酒を一杯に積めて挈えて出て、,君との別れの行を送るために盃を勧め、強いて、歓談して別れよう。

今しも大火の星が、南方正午の方向に位置する月で、夏の最中であるとわかり、彼から北に向かって、一帯の平原を横切って、旅をするのはとても困難な事だろう。

むかし、伊尹が殷湯が遊説するため、鼎を背に背負って料理人という触れ込みで殷に入って殷王湯を助けて天下をとったのであり、君は、故郷でくすぶらず太公望よろしく、汶水に釣り糸を垂れて、身を起し、功名を立てることを祈るものである。

謝安が東山に芸妓を携えたのを学ぶだけでで、ぐずぐずして臥し、世俗の欲望を離れて隠棲しているうちに、時と志を齟齬してむなしく朽ち老いさらばえてしまうようなことがあってはならないと思うところである。


(訳注)

送梁四歸東平

(梁某が郷里の河南道鄆州の東平に帰るのを送って作った)

梁四 梁某。四は排行。

東平 東平は郡名。即ち、鄆州のことで、河南道に属していた。          

 

玉壺挈美酒,送別強為歡。

玉壺に美酒を一杯に積めて挈えて出て、,君との別れの行を送るために盃を勧め、強いて、歓談して別れよう。

 

大火南星月,長郊北路難。

今しも大火の星が、南方正午の方向に位置する月で、夏の最中であるとわかり、彼から北に向かって、一帯の平原を横切って、旅をするのはとても困難な事だろう。

大火 蠍(さそり)座のアルファ星アンタレスの漢名。真夏の月の位置をいう。

南星月 月が掩牽牛、南星を蓋って見えない頃をいう。

 

殷王期負鼎,汶水起垂竿。

むかし、伊尹が殷湯が遊説するため、鼎を背に背負って料理人という触れ込みで殷に入って殷王湯を助けて天下をとったのであり、君は、故郷でくすぶらず太公望よろしく、汶水に釣り糸を垂れて、身を起し、功名を立てることを祈るものである。

殷王 《史記》 「伊尹名阿衡。阿衡欲干湯而無由,乃為有莘氏媵臣,負鼎俎,以滋味湯,致於王道。」

伊尹(いいん)は、夏末期から商(殷)初期にかけての政治家。商王朝成立に大きな役割を果たした。名は摯(し)。

伊尹は鼎を背負って殷に入り、ついに湯王を助けて天下を取った。智能の士は、遠近を基準に採用するものではなく、これを言いますに、帝王の完備を要求する者は滅びる。易に『高く世俗を超越している人材には、必ず何かにつけて悪く言われる患いがある。この上なく智慧がある者の明察は、必ず大衆の議論を破る』という。大功を成す者は世の習わしにこだわらず、大道を論じる者は大衆に迎合しません。ただ大王はこれをお察し下さい」とある。

《越絶書》「伊尹負鼎入殷? 遂佐湯取天下。」(伊尹 鼎を負うて殷に入り、遂に湯に佐けて天下を取る。)とある。

昔、范蠡はその始め楚にいて、范伯といった。自ら衰えて賤しく、いままで代々の俸禄を得たことがないといい、故に自ら粗末な生活をしていた。飲食すれば天下の無味でもうまいとし、居れば天下の賤しい場所に安んじていた。また髪を振り乱して狂人をよそおい、世にしたしまなかった。大夫種に言った

「夏禹、殷湯、周文王は三皇の苗裔であり、五覇は五帝の子孫です。天の運行は代を経て、千年に一度至ります。黄帝の年間に、辰が執となり巳が破となり、霸王の気は、地の門に現れました。 子胥はこのために弓をさしはさんで呉王におして見えたのです」

そこで大夫種と約束して呉に入った。このとき馮同は相共にこれに誡め、伍子胥がいるので、自らともにその言葉を申し述べることができない。越王は常に一日中ともに語っていた。大夫石買は、国にいて権力があり、口がうまく、進み出て言った

「器量自慢の女は不貞で、自らの才を誇る男は信用できません。客で諸侯を歴訪し、河津を渡り、縁もないのに自ら至ったものは、ほとんど真に賢人ではありません。和氏の璧であれば、求める者は値段を争わず、すぐれた馬の能力は、険しい道を難としません。〔欠落〕の邦、諸侯を歴訪して売り込むところがなく、知ったふりをする輩は、ただ大王はこれをお察し下さい」

そこで范蠡は退いて語らず、楚越の間に遊んだ。大夫種は進み出て言った

「昔、市中の盜賊が自ら晋に売り込み、晋はこれを用いて楚に勝ちました。伊尹は鼎を背負って殷に入り、ついに湯王を助けて天下を取りました。智能の士は、遠近を基準に採用するものではなく、これを言いますに、帝王の完備を要求する者は滅びるのです。易に『高く世俗を超越している人材には、必ず何かにつけて悪く言われる患いがある。この上なく智慧がある者の明察は、必ず大衆の議論を破る』といいます。大功を成す者は世の習わしにこだわらず、大道を論じる者は大衆に迎合しません。ただ大王はこれをお察し下さい」

これより石買はますます疎んじられた。その後兵を遠地に率いさせ、ついに軍士に殺された。この時句踐は兵士を失い、會稽山に立てこもり、あらためて種・蠡の策を用い、存続することができた。むかし虞舜は言った

「思うに先のことに学んで行う、これは良薬のようなものである」

王は言った

「石買は昔のことは知ってもこれからのことは知らない。私に賢人を棄てさせようとした」

後についに二人を師とし、ついに呉王を擒にした。

子貢は言った

「一言を薦めれあげれば、身に及ぼすことができる。一人の賢人を任じれば、名を顕すことができる。賢人を傷つければ国を失い、能力を覆い隠せば災いがある。徳に背けいて恩を忘れれば、かえって傷つくことになる。人の善を壊せば子孫の繁栄はなく、人の成功をそこなえば天誅が行われる。むかし子胥を冤罪とし死刑にしたとき、由重が子胥を呉に讒言した。呉はうわべではこれを重んじたが、罪なくして誅した。伝に「千金を失っても、一人の心を失うなかれ」というのは、このことを言うのである。

莫學東山臥,參差老謝安。

謝安が東山に芸妓を携えたのを学ぶだけでで、ぐずぐずして臥し、世俗の欲望を離れて隠棲しているうちに、時と志を齟齬してむなしく朽ち老いさらばえてしまうようなことがあってはならないと思うところである。

東山臥・謝安 東山に隠棲した晋の謝安の故事。李白《梁園吟》『東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晚。」に詳しい。

169 -4(改訂版) 《巻06-12 梁園吟 -4Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <169 -4> Ⅰ李白詩1381 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5453

東晋の謝安(字は安石)が、朝廷からしばしば出仕を催されながら、東山に隠棲したま基易に承知しなかったこと。人々は、「安石出づる喜んぜずんは、将た蒼生(人民)を如何んせん」と言って心配した。(『世説新語』「排調、第二十五」の二六)。「高臥」は、世俗の欲望を離れて隠棲すること。

会稽東山の山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。謝安の芸妓を携えて東山始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである
『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』
攜妓東山去。 春光半道催。 
遙看若桃李。 雙入鏡中開。
 
姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287
○漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。府城臥竜山南にあった白樓亭のこと。『会稽志卷第九』山府城の卧龍山府に其東麓に治据されていた。山陰陽經雲种山、また別名として重山は越大夫の种所葬られた太平御覧种山の名としたである。山南道で旧と傳えられる白楼亭は今の遺址は関連性からいうと不確かであるが、山頂にある城隍祠ああって、其の西南の越王台の下にある。

李白『贈僧崖公』「手秉玉麈尾, 如登白樓亭。」

会稽記 「浙江又東北、重山を径す、西山の上に白楼亭あり。」とある。

209-#3 《巻15-13 送楊少府赴選 -#3》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <209-#3> Ⅰ李白詩1445 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5773

李白 巻15-13 送楊少府赴選  ―♯3  我々はもとより、功名富貴に意があるわけではなく、知人が栄遷したからといって、冠を弾じて相い慶するというようなことはないが、ここに感動して別れするにあたって、胸襟を開いて心に思うことを十分の述べるのである。そして、この野に遺賢なく、したがって白駒で空谷に乗り込むような人を見る事は無く、賢人も悲吟する必要もない。

 

 
 2015年3月31日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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