漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳

231 《巻17-27 送二季之江東》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <231> Ⅰ李白詩1473 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5913

送二季之江東 李白

初發強中作,題詩與惠連。多慚一日長,不及二龍賢。

西塞當中路,南風欲進船。雲峰出遠海,帆影掛清川。

禹穴藏書地,匡山種杏田。此行俱有適,遲爾早歸旋。

(季某という二人兄弟の高唐に行くのを送った詩。)その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

 

 

231 《巻17-27 送二季之江東》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <231> Ⅰ李白詩1473 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5913

 
 2015年4月28日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一七七              文體:    五言古詩

詩題:    送二季之江東

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:禹穴 (江南東道 越州 會稽)              

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

西塞 (江南西道 鄂州 鄂州)             

 

 

送二季之江東

(季某という二人兄弟の高唐に行くのを送った詩。)

初發強中作,題詩與惠連。

六朝期、謝靈運は、はじめて強中を出発するときに、一族の甥弟謝惠連に、詩を作って与えたというが、自分も、今、丁度、その心境にある。

多慚一日長,不及二龍賢。

自分は、君らに対して、一日の長を以て、上に立って居るが、生来才拙にして、平衡淵の二龍に比すべき君らの賢に及ばないのは、まことに慚愧に堪えないことだと思っている。

西塞當中路,南風欲進船。

これから君たちは、江東にむかって船でゆくのだが、西塞山は、その中路に当たり、南風の吹く季節であるから、船を進めるには少し骨が折れる事であろう。

雲峰出遠海,帆影掛清川。

峰勢を為す雲は遠海の上に湧き出て、帆影は清川に罹って、四顧ただ空濶、さだめて旅愁の凄惨であることは免れないであろう。

禹穴藏書地,匡山種杏田。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

此行俱有適,遲爾早歸旋。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

 

(二季の江東に之くを送る)

初めて強中を發して作り,詩を題して惠連に與う。

多く慚づ 一日の長,二龍の賢に及ばざる。

西塞 中路に當り,南風 船を進んと欲す。

 

雲峰 遠海を出で,帆影 清川に掛る。

禹穴 藏書の地,匡山 種杏の田。

此の行 俱に適有り,遲つ 爾じが早く歸旋するを。

 

李白の足跡0000 

『送二季之江東』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送二季之江東

初發強中作,題詩與惠連。

多慚一日長,不及二龍賢。

西塞當中路,南風欲進船。

雲峰出遠海,帆影掛清川。

禹穴藏書地,匡山種杏田。

此行俱有適,遲爾早歸旋。

(下し文)
(
二季の江東に之くを送る)

初めて強中を發して作り,詩を題して惠連に與う。

多く慚づ 一日の長,二龍の賢に及ばざる。

西塞 中路に當り,南風 船を進んと欲す。

 

雲峰 遠海を出で,帆影 清川に掛る。

禹穴 藏書の地,匡山 種杏の田。

此の行 俱に適有り,遲つ 爾じが早く歸旋するを。


(現代語訳)
(季某という二人兄弟の高唐に行くのを送った詩。)

六朝期、謝靈運は、はじめて強中を出発するときに、一族の甥弟謝惠連に、詩を作って与えたというが、自分も、今、丁度、その心境にある。

自分は、君らに対して、一日の長を以て、上に立って居るが、生来才拙にして、平衡淵の二龍に比すべき君らの賢に及ばないのは、まことに慚愧に堪えないことだと思っている。

これから君たちは、江東にむかって船でゆくのだが、西塞山は、その中路に当たり、南風の吹く季節であるから、船を進めるには少し骨が折れる事であろう。

峰勢を為す雲は遠海の上に湧き出て、帆影は清川に罹って、四顧ただ空濶、さだめて旅愁の凄惨であることは免れないであろう。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

武漢005

(訳注)

送二季之江東

(季某という二人兄弟の高唐に行くのを送った詩。)

同時期の江東に送るシリーズ。

(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白350- 201

15-2 送張舍人之江東

17-23 江夏送友人【江夏祖友人】

17-25 江夏送張丞

 

初發強中作,題詩與惠連。

六朝期、謝靈運は、はじめて強中を出発するときに、一族の甥弟謝惠連に、詩を作って与えたというが、自分も、今、丁度、その心境にある。

初發強中作 強中は地名。謝靈運《登臨海嶠、發疆中作、與從弟惠連、可見羊何共和之。》臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。

登臨海嶠發疆中作,與從惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1242

謝靈運 東晋・南朝宋の詩人・文学者。本籍は陳郡陽夏。魏晋南北朝時代を代表する詩人で、山水を詠じた詩が名高く、「山水詩」の祖とされる。 六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。

惠連 謝惠連397年もしくは407 - 433年)は、南朝宋の文学者。本貫は陳郡陽夏県。詩人としては、族兄の謝霊運の「大謝」に対し、「小謝」と併称され、後世では南斉の謝朓とあわせて「三謝」とも呼ばれる。

 

多慚一日長,不及二龍賢。

自分は、君らに対して、一日の長を以て、上に立って居るが、生来才拙にして、平衡淵の二龍に比すべき君らの賢に及ばないのは、まことに慚愧に堪えないことだと思っている。

二龍 世説新語』「謝子徹と許子將の兄弟を見て、平衡淵に二龍あり。」とあるのに基づく。

 

西塞當中路,南風欲進船。

これから君たちは、江東にむかって船でゆくのだが、西塞山は、その中路に当たり、南風の吹く季節であるから、船を進めるには少し骨が折れる事であろう。

西塞 西塞山のことで、湖北省武昌の東にあり長江に臨むところだが、航行の難所といわれていた。

 

雲峰出遠海,帆影掛清川。

峰勢を為す雲は遠海の上に湧き出て、帆影は清川に罹って、四顧ただ空濶、さだめて旅愁の凄惨であることは免れないであろう。

雲峰 入道雲が湧き出で、天工が変わりやすいことをいう。

 

禹穴藏書地,匡山種杏田。

その地、会稽には、禹穴といって、太古、三皇五帝が書を蔵した洞窟があるし、盧山には、董奉の遺跡として、杏を植えさせた山田があるから、その地を見るだけでも価値がある。

禹穴 禹は中国の第一王朝の創建者であり、古代中国の歴史上の1世代の“聖王”である。4000年程前、中国大陸での洪水が多く、大禹は命令を受けて治水に取り組む。:“八年外にあって、家門の前を三度過ぎても門をくぐらず。”庶民の辛い経験などもあり、ついに治平工事を行なった。それから、このことを《史書》に記載し、大禹は“不安な大越(紹興)市民を水害から救った。この計画は、爵へ恩恵であり、彼の功績である”会議の場所が茅山だったため、“会稽山”(“稽“が“計”と発音が同じ為使われた)と改名する。禹が皇帝になった後、“巡守大越(見守り続けた大越)”ここで病死してしまったため、会稽山の麓に埋葬した。禹陵は古くは、禹穴と呼ばれ、大禹の埋葬地となった。大禹陵は会稽山とは背中合わせにあり、前には、禹池がある。

匡山 匡山は盧山の事で、長江中流域の要衝である九江,湖口を山下にひかえ,軍事上の拠点としてもしばしば歴史に登場する。周代に匡(きよう)氏の7兄弟がここに廬を結んで隠棲して登仙したという伝説により,匡山・匡廬とも呼ばれる。その後も陶潜(淵明)が隠棲するなど,隠士・道士のすみかともなった。

種杏田 は神仙伝にある董奉の隠遁の地で地域の住民の病気を治すために、重病は杏5株、軽病は1株を続けて数年で、鬱蒼とした森になったという故事に基づくもの。

《神仙傳》卷六〈董奉〉~

董奉者,字君異,候官人也。……奉居山不種田,日為人治病,亦不取錢,重病愈者,使栽杏五株,輕者一株,如此數年計得十萬餘株。郁然成林,……後杏子大熟,於林中作一草倉,示時人曰:「欲買杏者,不須報奉,但將穀一器置倉中,即自往取一器杏去。」常有人置穀來少,而取杏去多者,林中群虎出吼逐之,……奉每年貨杏得穀,旋以賑救貧乏,供給行旅不逮者,二萬餘斛。……奉在人間三百餘年乃去,顏狀如三十時人也。

 

此行俱有適,遲爾早歸旋。

そこで、君たちの遠行、定めて適意の事であるのであるが、自分は、少しでも早く帰ってきてほしいと思うので、適当なところで切り上げて帰ってきてもらいたいと思う次第である。

歸旋 歸も旋も共に帰るということで、どうしても帰ってほしいことを表す語である。謝靈運<過始寧墅>詩》「揮手告曲, 三載期歸旋, 且為樹枌檟, 無令孤愿言。」しかし今は赴任の途中であるため、まもなく近所の里人に手をあげて別れを告げ、三年たてば帰って来ると約束したのである。とりあえず私のために、枌(にれ)と檟(ひさぎ)の木を墳墓に樹えて、私のやがてこの地に帰って生涯を終えたいという願いにそむかないで、必ずかなえさせてほしいのである。とある。

過始寧墅 謝霊運<13> #2 詩集 375

230 《巻17-25 江夏送張丞》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <230> Ⅰ李白詩1472 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5908

江夏送張丞 李白

欲別心不忍,臨行情更親。

酒傾無限月,客醉幾重春。

藉草依流水,攀花贈遠人。

送君從此去,迴首泣迷津。
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(江夏において、友人の張丞の遠行を送って作ったもの)だから、無辺にあまねく照らす月明かりに酒を傾けると、君はこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあったのにもっと酔っている。そして、草の上に坐臥して、流水に寄り添い、花を織って遠く旅立つ人に贈ると更に去りがたくなる。

 

 

230 《巻17-25 江夏送張丞》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <230> Ⅰ李白詩1472 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5908

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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65-#2 §1 《讀巻02-07 禘祫議》- §1 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1385> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5909 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
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年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    江夏送張丞

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

交遊人物:張祖    當地交遊(江南西道 鄂州 鄂州)

 

 

江夏送張丞

(江夏において、友人の張丞の遠行を送って作ったもの)

欲別心不忍,臨行情更親。

今別れようとして見ると、心に忍びず、君がいよいよ出かけるという場合に、情はさらに親しみを覚える。

酒傾無限月,客醉幾重春。

だから、無辺にあまねく照らす月明かりに酒を傾けると、君はこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあったのにもっと酔っている。

藉草依流水,攀花贈遠人。

そして、草の上に坐臥して、流水に寄り添い、花を織って遠く旅立つ人に贈ると更に去りがたくなる。

送君從此去,迴首泣迷津。

かくて君の此処より去るを送ってその後は、首を回らせて、我がいま生きる事の意味を、さながら船が港を迷うように、流離っていることを歎き詫びるのである。

 

(江夏に張丞)を送る)

別んと欲して 心に忍びず,行くに臨んで 情 更に親しむ。

酒は傾く 無限の月,客は醉う 幾重の春。

草を藉いて 流水に依り,花を攀じて 遠人に贈る。

君を此れ從り去るを送り,首を迴らして迷津に泣く。

 武漢005

 

『江夏送張丞』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

江夏送張丞

欲別心不忍,臨行情更親。

酒傾無限月,客醉幾重春。

藉草依流水,攀花贈遠人。

送君從此去,迴首泣迷津。

(下し文)
(
江夏に張丞)を送る)

別んと欲して 心に忍びず,行くに臨んで 情 更に親しむ。

酒は傾く 無限の月,客は醉う 幾重の春。

草を藉いて 流水に依り,花を攀じて 遠人に贈る。

君を此れ從り去るを送り,首を迴らして迷津に泣く。

(現代語訳)
(江夏において、友人の張丞の遠行を送って作ったもの)

今別れようとして見ると、心に忍びず、君がいよいよ出かけるという場合に、情はさらに親しみを覚える。

だから、無辺にあまねく照らす月明かりに酒を傾けると、君はこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあったのにもっと酔っている。

そして、草の上に坐臥して、流水に寄り添い、花を織って遠く旅立つ人に贈ると更に去りがたくなる。

かくて君の此処より去るを送ってその後は、首を回らせて、我がいま生きる事の意味を、さながら船が港を迷うように、流離っていることを歎き詫びるのである。


武漢03
(訳注)

江夏送張丞

(江夏において、友人の張丞の遠行を送って作ったもの)

 

欲別心不忍,臨行情更親。

今別れようとして見ると、心に忍びず、君がいよいよ出かけるという場合に、情はさらに親しみを覚える。

 

酒傾無限月,客醉幾重春。

だから、無辺にあまねく照らす月明かりに酒を傾けると、君はこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあったのにもっと酔っている。

無限月 無辺にあまねく照らす月明かり。無限:①限りがないこと。どこまでも続くこと。また,そのさま。無辺。 ②ものが一定の関係や規定を受けないこと。

幾重春 何年も度も春を過した。ここではこうして盃を繰り返し傾けた春が幾度もあった。

 

藉草依流水,攀花贈遠人。

そして、草の上に坐臥して、流水に寄り添い、花を織って遠く旅立つ人に贈ると更に去りがたくなる。

藉草 草をしく。草の上に坐臥する。孫綽《游天台山賦》「藉萋萋之纖草,蔭落落之長松。」(藉すは 萋萋、之れ纖草、蔭すは 落落、之れ長松。)

 

送君從此去,迴首泣迷津。

かくて君の此処より去るを送ってその後は、首を回らせて、我がいま生きる事の意味を、さながら船が港を迷うように、流離っていることを歎き詫びるのである。

 

 

李白の足跡0000 

 

229 《巻17-23 江夏送友人【江夏祖友人】》

江夏送友人

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

徘徊相顧影,淚下漢江流。


(江夏送友人)

雪は點ず 翠雲裘,君を送る黃鶴樓。

黃鶴 玉羽を振い,西に飛ぶ 帝王の州。

鳳に琅玕の實無し,何を以て遠遊に贈らん。

徘徊 影を相い顧み,淚は下る 漢江の流。

(江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)

北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

君は黄鶴が見事なその翅を奮って西に飛ぶがごとく、これから天長の玉清境の住める長安に赴くのである。

鳳凰に比すべき我は、食らうべき琅玕竹の実さえもなく、平生、上に苦しんでいるくらいであるから、ここに君の遠游を送るにあたっても贈呈すべきものが何もないのである。

それだけにこうして徘徊していても、たがいに影を顧みて、覚えず、ただ別れに対して涙を流して、漢江の流れに灌ぐばかりである。

 

 

(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白

江夏別宋之悌

楚水清若空,遙將碧海通。

人分千里外,興在一杯中。

谷鳥吟晴日,江猿嘯晚風。

平生不下淚,於此泣無窮。


(江夏で宋之悌に別れる)

楚水 清きこと空しきが若く、遥かに碧海と通ず。

人は千里の外に分れ、興は一盃の中に在り。

谷鳥 晴日に吟じ、江猿 晩風に嘯く。

平生は涙を下さざるに、此に於て泣くこと窮りなし。

(江夏で宋之悌に別れる。)
漢水は澄み切っていて、その色は、青天と一般、しかも楚の国を流れる大江に入って遙かに碧海、東海さんざんにいたる碧の大海原へと通じている。
今や、われら両人、人と人とは、千里のかなたにの外にあって、いまたがいに分かれようとしているのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るのだ。
先には、渓谷をでた鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴き、うたってひびきわたっている、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。

われわれは、日頃は剛健を以て性となし、涙を流したことのない私だが、ああ、きょうは、この地において、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのを禁じ得ない。

 

 

《巻7-43 赤壁歌送別》

赤壁歌送別

二龍爭戰決雌雄,赤壁樓船掃地空。

烈火張天照雲海,周瑜於此破曹公。

君去滄江望澄碧,鯨鯢唐突留餘跡。

一一書來報故人,我欲因之壯心魄。


(赤壁の歌 送別)

二龍爭戰 雌雄を決し,赤壁の樓船 地を掃うて空し。

烈火 天に張って 雲海を照し,周瑜 此に於て曹公を破る。

君は去って 滄江 澄碧を望めば,鯨鯢 唐突にし 餘跡を留む。

一一 書 來って故人に報ぜよ,我 之に因って 心魄を壯にせんと欲す。

(友人が江夏付近で遊ぶというので、その血とそんなに離れていない赤壁があるというのでこの詩を作って送別の詩とした。)

呉魏戦争はさながら二龍の雌雄を決するがごとく赤壁に集まった魏の樓船は、無残にも焼打ちにあって全滅に近いまでやれてしまった。

その時の烈火は天にみなぎり、焦がして、雲のまがう大海までも照らしたぐらいである。呉の都堵府、周瑜はこの地において、ものの見事に魏の丞相を打ち破ったのである。

君、今、ここを去って大江のほとりに到り、緑に澄みきった流水を望む時は、当日鯨鯢が互いに觸犯したその遺跡を認めるであろう。

こうして、その史実からの感慨を一一手紙に書いて、旧交ある我がもとに報じてもらいたい。そうすれば、それを読んで、心魄を盛んにして、胸中の鬱懐を払い除けることができるであろう。

229 《巻17-23 江夏送友人【江夏祖友人】》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <229> Ⅰ李白詩1471 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5903

江夏送友人

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

徘徊相顧影,淚下漢江流。
江夏送友人》李白 (江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

 

229 《巻17-23 江夏送友人【江夏祖友人】》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <229> Ⅰ李白詩1471 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5903


 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    江夏送友人【江夏祖友人】

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

黃鶴樓 (江南西道 鄂州 江夏)         

 

 

江夏送友人

(江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

君は黄鶴が見事なその翅を奮って西に飛ぶがごとく、これから天長の玉清境の住める長安に赴くのである。

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

鳳凰に比すべき我は、食らうべき琅玕竹の実さえもなく、平生、上に苦しんでいるくらいであるから、ここに君の遠游を送るにあたっても贈呈すべきものが何もないのである。

徘徊相顧影,淚下漢江流。

それだけにこうして徘徊していても、たがいに影を顧みて、覚えず、ただ別れに対して涙を流して、漢江の流れに灌ぐばかりである。

 

(江夏送友人)

雪は點ず 翠雲裘,君を送る黃鶴樓。

黃鶴 玉羽を振い,西に飛ぶ 帝王の州。

鳳に琅玕の實無し,何を以て遠遊に贈らん。

徘徊 影を相い顧み,淚は下る 漢江の流。

李白の足跡0000 

 

『江夏送友人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

江夏送友人

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

徘徊相顧影,淚下漢江流。


(下し文)
(
江夏送友人)

雪は點ず 翠雲裘,君を送る黃鶴樓。

黃鶴 玉羽を振い,西に飛ぶ 帝王の州。

鳳に琅玕の實無し,何を以て遠遊に贈らん。

徘徊 影を相い顧み,淚は下る 漢江の流。

(現代語訳)
(江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)

北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

君は黄鶴が見事なその翅を奮って西に飛ぶがごとく、これから天長の玉清境の住める長安に赴くのである。

鳳凰に比すべき我は、食らうべき琅玕竹の実さえもなく、平生、上に苦しんでいるくらいであるから、ここに君の遠游を送るにあたっても贈呈すべきものが何もないのである。

それだけにこうして徘徊していても、たがいに影を顧みて、覚えず、ただ別れに対して涙を流して、漢江の流れに灌ぐばかりである。


武漢01
(訳注)

江夏送友人

(江夏において、友人の遠行を送って作ったもの)

江夏 江南西道 鄂州 鄂州)の別名。

 

雪點翠雲裘,送君黃鶴樓。

北風寒く、雪がちらちら舞って翠雲の裘にも雪が点じてくるとき、黄鶴楼にのぼって君の遠遊行を送った。

翠雲裘 翡翠の飾りで緑色の皮衣。深みどりの輝く御衣。【裘】かわごろも. 毛皮で作った防寒用の衣。かわぎぬ。 僧衣。また、僧。 修行中の釈迦が鹿の皮をまとったという故事から. 【裘葛】きゅうかつ. 皮衣と ( くず ) 帷子 ( かたびら ) 。冬の衣服と夏の衣服。 転じて、冬から夏まで。一年。《古文苑宋玉<諷賦>》「主人之女, 翳承日之華, 披翠雲之裘。」 章樵注:輯翠羽為裘。” 唐王維《和賈舍人早朝大明宮》:絳幘雞人報曉籌, 尚衣方進翠雲裘。”

和賈舎人早朝大明宮之作 王維 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 234

黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する黄鶴伝説 『列異伝』に出る故事。子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。李白《黃鶴樓送孟浩然之廣陵》「故人西辭黃鶴樓,煙花三月下揚州。孤帆遠影碧山盡,唯見長江天際流。」

130 《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 故人西辭黃鶴樓,<130> Ⅰ李白詩1313 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5113

 

黃鶴振玉羽,西飛帝王州。

君は黄鶴が見事なその翅を奮って西に飛ぶがごとく、これから天長の玉清境の住める長安に赴くのである。

黃鶴 周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。

帝王州 天長の玉清境の住める地方。京都。

 

鳳無琅玕實,何以贈遠遊。

鳳凰に比すべき我は、食らうべき琅玕竹の実さえもなく、平生、上に苦しんでいるくらいであるから、ここに君の遠游を送るにあたっても贈呈すべきものが何もないのである。

琅玕實 玉に似た一種の石の名。「山海経」には「崑崙山に琅玕の樹あり」とある。鳳がそれを食うといわれる。天子から受ける正当な俸禄。李白《古風五十九首之四十》「鳳飢不啄粟,所食唯琅玕。」鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。

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徘徊相顧影,淚下漢江流。

それだけにこうして徘徊していても、たがいに影を顧みて、覚えず、ただ別れに対して涙を流して、漢江の流れに灌ぐばかりである。
武漢02 

 
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228 《巻15-2 送張舍人之江東》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <228> Ⅰ李白詩1470 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5898

送張舍人之江東
洲の月を見るだろう、そうすれば千里を隔ててわれを思い、幸いに互いに思いやる情を寄せてもらいたい。

張翰江東去,正秋風時。

天清一雁遠,海闊孤帆遲。

白日行欲暮,滄波杳難期。

洲如見月,千里幸相思。

送張舍人之江東》李白(張舍人というものが江東に行くのでそれを送るのに、西晋の張翰の故事を以て互いの情を詠う。)愈々、その地に到着したら、きっと

 

 

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江夏別宋之悌
楚水清若空,遙將碧海通。人分千里外,興在一杯中。
谷鳥吟晴日,江猿嘯晚風。平生不下淚,於此泣無窮。

(改訂版)江夏別宋之悌 李白 先には、渓谷をでた鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴き、うたってひびきわたっている、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。われわれは、日頃は剛健を以て性となし、涙を流したことのない私だが、ああ、きょうは、この地において、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのを禁じ得ない。

  

 

227 -1 《(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白350- 201Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <227 -1> Ⅰ李白詩1469 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5893

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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226-#2 《巻8-43 贈張公洲革處士 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <226-#2> Ⅰ李白詩1468 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5888

贈張公洲革處士 -#2》李白 その平生、機心を生じせしめるというので、井戸には、はね釣瓶を用いず、また、模様を刺繍し、金もうけをしようというので、市門に倚というようなことは、決してやらない。

 

 
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226-2 《巻8-43 贈張公洲革處士 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <226-2> Ⅰ李白詩1468 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5888

 

 

年:34年開元二十二年34

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈張公洲革處士

作地點:              江夏(江南西道 / 鄂州 / 江夏)

及地點:              張公洲 (江南西道 鄂州 武昌)           

鄭圃 (都畿道 鄭州 中牟)  

交遊人物:革處士              當地交遊(江南西道 鄂州 武昌)

 

 

贈張公洲革處士

(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

列子居鄭圃,不將庶分。

むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

革侯遁南浦,常恐楚人聞。

今、革君は南浦に隠遁し、楚人の聞きおよばないことを懼れている。

抱甕灌秋蔬,心閒遊天雲。

そこで甕を抱いて、秋になって、菜畑に水を灌ぎ、心静かにして天上を遊び回る雲のようにしている。

每將瓜田叟,耕種漢水濆。

そこで、常々瓜を売る老人と一緒になって漢水の濱に耕し、植えたのである。

#2

時登張公洲,入獸不亂群。

それから時々、張公洲に上り、獣中に入るも、獣までが、能く狎れて、群れをみださない。

井無桔事,刺繡文。

その平生、機心を生じせしめるというので、井戸には、はね釣瓶を用いず、また、模様を刺繍し、金もうけをしようというので、市門に倚というようなことは、決してやらない。

長揖二千石,遠辭百里君。

かくて、二千石の太守にも、長揖し、百里君の県令にも告別して、独り洲上に住んでいる。

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

此れこそ真の隠遁者というべきで、我々が、その芳しき名誉を慕う所以である。

 

(張公洲の革處士に贈る)

列子は 鄭圃に居り,將って庶と分たず。

革侯は南浦に遁れ,常に楚人の聞かんことを恐る。

甕を抱いて 秋蔬に灌し,心は閒なり 天に遊ぶ雲。

每に 將て瓜田の叟と,耕種す 漢水の濆。

#2

時に張公洲に登り,獸に入るも 群を亂さず。

井に 桔く,門には 刺繡の文を

二千石に長揖【ちょうゆう】し,遠く 百里の君に辭す。

斯れを真の隱者と為す,吾が黨 清芬を慕う。

 

 

『贈張公洲革處士』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

時登張公洲,入獸不亂群。

井無桔事,門刺繡文。

長揖二千石,遠辭百里君。

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

(下し文)
時に張公洲に登り,獸に入るも 群を亂さず。

井に 桔【きっこう】の事無く,門には 刺繡の文をつ。

二千石に長揖【ちょうゆう】し,遠く 百里の君に辭す。

斯れを真の隱者と為す,吾が黨 清芬を慕う。

(現代語訳)
それから時々、張公洲に上り、獣中に入るも、獣までが、能く狎れて、群れをみださない。

その平生、機心を生じせしめるというので、井戸には、はね釣瓶を用いず、また、模様を刺繍し、金もうけをしようというので、市門に倚というようなことは、決してやらない。

かくて、二千石の太守にも、長揖し、百里君の県令にも告別して、独り洲上に住んでいる。

此れこそ真の隠遁者というべきで、我々が、その芳しき名誉を慕う所以である。


(訳注) #2

贈張公洲革處士

(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

張公洲 江南西道 鄂州 武昌の武昌城の南二十里に在り、晉の隠士張公、園に灌するところであるからこれによって名付けられた。

處士 仕官しない人。在野の人。処子。

 

時登張公洲,入獸不亂群。

それから時々、張公洲に上り、獣中に入るも、獣までが、能く狎れて、群れをみださない。

 

井無桔事,刺繡文。

その平生、機心を生じせしめるというので、井戸には、はね釣瓶を用いず、また、模様を刺繍し、金もうけをしようというので、市門に倚というようなことは、決してやらない。

 はね釣瓶。

刺繡文 《史記貨殖列傳》:夫用貧求富, 農不如工, 工不如商, 刺繡文不如倚市門。

 

長揖二千石,遠辭百里君。

かくて、二千石の太守にも、長揖し、百里君の県令にも告別して、独り洲上に住んでいる。

二千石 太守

百里君 県令

 

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

此れこそ真の隠遁者というべきで、我々が、その芳しき名誉を慕う所以である。

清芬 隠遁者の雰囲気をいう、清廉でよい香り芬:よいかおりのするさま。匂いただようさま。

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贈張公洲革處士 -#1》 李白(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

 

 
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64 《巻01-18 夜歌》  韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1377> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869 
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年:34年開元二十二年34

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈張公洲革處士

作地點:              江夏(江南西道 / 鄂州 / 江夏)

及地點:              張公洲 (江南西道 鄂州 武昌)           

鄭圃 (都畿道 鄭州 中牟)  

交遊人物:革處士              當地交遊(江南西道 鄂州 武昌)

 

 

贈張公洲革處士

(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

列子居鄭圃,不將庶分。

むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

革侯遁南浦,常恐楚人聞。

今、革君は南浦に隠遁し、楚人の聞きおよばないことを懼れている。

抱甕灌秋蔬,心閒遊天雲。

そこで甕を抱いて、秋になって、菜畑に水を灌ぎ、心静かにして天上を遊び回る雲のようにしている。

每將瓜田叟,耕種漢水濆。

そこで、常々瓜を売る老人と一緒になって漢水の濱に耕し、植えたのである。

#2

時登張公洲,入獸不亂群。

井無桔事,刺繡文。

長揖二千石,遠辭百里君。

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

 

(張公洲の革處士に贈る)

列子は 鄭圃に居り,將って庶と分たず。

革侯は南浦に遁れ,常に楚人の聞かんことを恐る。

甕を抱いて 秋蔬に灌し,心は閒なり 天に遊ぶ雲。

每に 將て瓜田の叟と,耕種す 漢水の濆。

#2

時登張公洲,入獸不亂群。

井無桔事,刺繡文。

長揖二千石,遠辭百里君。

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

 

武漢03

『贈張公洲革處士』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈張公洲革處士

列子居鄭圃,不將眾庶分。

革侯遁南浦,常恐楚人聞。

抱甕灌秋蔬,心閒遊天雲。

每將瓜田叟,耕種漢水濆。


(下し文)
(
張公洲の革處士に贈る)

列子は 鄭圃に居り,將って庶と分たず。

革侯は南浦に遁れ,常に楚人の聞かんことを恐る。

甕を抱いて 秋蔬に灌し,心は閒なり 天に遊ぶ雲。

每に 將て瓜田の叟と,耕種す 漢水の濆。

(現代語訳)
(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

今、革君は南浦に隠遁し、楚人の聞きおよばないことを懼れている。

そこで甕を抱いて、秋になって、菜畑に水を灌ぎ、心静かにして天上を遊び回る雲のようにしている。

そこで、常々瓜を売る老人と一緒になって漢水の濱に耕し、植えたのである。


武漢005
(訳注)

贈張公洲革處士

(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

張公洲 江南西道 鄂州 武昌の武昌城の南二十里に在り、晉の隠士張公、園に灌するところであるからこれによって名付けられた。

處士 仕官しない人。在野の人。処子。

 

列子居鄭圃,不將眾庶分。

むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

列子 列子に「子列子居鄭圃,四十年人無識者。國君卿大夫視之,猶眾庶也。」(子列子、鄭圃に居ること,四十年 人 識る者無し。國君卿大夫 之を視る,猶お眾庶のごときなり。)とある。

眾庶 もろもろの人々。庶民。漢司馬相如《上林賦》「務在獨樂, 不顧眾庶。」(務め獨樂に在りて,衆庶【しゅうしょ】を顧みず。)もっぱら自分だけ楽しむことにつとめ、民衆のことなど頚になく

司馬相如 《上林賦 (40)#13-4  文選 賦<110-13413分割41回 Ⅱ李白に影響を与えた詩945 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3273

 

革侯遁南浦,常恐楚人聞。

今、革君は南浦に隠遁し、楚人の聞きおよばないことを懼れている。

南浦 張公洲が武昌城の南二十里に在るということで南浦という。

楚人 楚(そ)は、中国の王朝名、地名。地名としての楚は、現在の湖南省・湖北省を指す。楚 (春秋) ? - 紀元前223年) - 春秋時代の強国で、戦国七雄の1つでもある。秦末に陳勝が建てた国(紀元前209年)。張楚ともいう。

 

抱甕灌秋蔬,心閒遊天雲。

そこで甕を抱いて、秋になって、菜畑に水を灌ぎ、心静かにして天上を遊び回る雲のようにしている。

 野菜,()菜布衣蔬食木綿の衣服に野菜の食物(質素な暮らし).蔬菜 shūcài[]野菜,青物蔬菜市青物市場.嫩的蔬菜みずみずしい野

 

每將瓜田叟,耕種漢水濆。

そこで、常々瓜を売る老人と一緒になって漢水の濱に耕し、植えたのである。

 

青門の瓜売りは五色の瓜を杜陵につくっていたこと、官を辞して瓜をたくさん栽培したことをいう。泰の東陵侯に封じられていた卲平は秦が滅びると布衣(庶民)の身となり、長安の門の東で瓜を栽培し、それが美味だったので「東陵の瓜」と称された。

卲平 東陵の瓜は五色であったことは次に示す。

「曰:邵平故秦東陵侯,秦滅後,為布衣,種瓜長安城東。種瓜有五色,甚美,故世謂之東陵瓜,又云青門瓜」。魏・阮籍も卲平の東陵の瓜は五色をふまえて「詠懐詩」(『文選』巻二三)其六に「昔聞く東陵の瓜、近く青門の外に在りと。……五色 朝日に輝き、嘉賓 四面に会す」とする。李白『古風五十九首 其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」(青門に瓜を種うるの人は、旧日の東陵侯なり。)

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孟浩然《南山下與老圃期種瓜》

不種千株橘,惟資五色瓜。

邵平能就我,開徑剪蓬麻。

 (南の山の下で老圃に瓜を種える期)

樵牧 南山に近く、林閭 北郭に(とお)し。

先人 富農を留め、老圃 鄰家と作()る。

千株の橘を種えず、惟だ 五色の瓜を資()る。

邵平 能く我に就きて、径を開き 蓬麻を剪るか。

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年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈從兄襄陽少府皓

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵        

交遊人物:李皓    當地交遊(山南東道 襄州 襄州)

 

 

贈從兄襄陽少府皓

(李白の従兄で襄陽県の小府である李皓におくる)

結髮未識事,所交盡豪雄。

自分が初めて髪を結び冠を付け、人並みに男と認められはじめたころの事、まだ世間の事を知らず、豪雄の士とばかり交際していた。

卻秦不受賞,擊晉寧為功。【救趙寧為功】。

一本此下有以下四句:「身白刃裡,殺人紅塵中。當朝揖高義,舉世稱英雄。」】

かくして、魯仲連が、一言して、秦を帝とせず、そのために、秦将が群をしりぞけたというようなしても、謙虚に冷静に、褒美をもらおうとはせず、朱亥が四十斤の鉄鎚をもって、将軍晋鄙を椎殺し、信陵君は、その軍を奪って、邯鄲を囲みを説いて趙を存しさしもの難局を抜けたというような葬列のことをやっても決して手柄としなかった

小節豈足言,退耕舂陵東。

区々たる小節は、もとより論ずるに足らず、そこでとかく、この世に容れられぬところから、舂陵の東に退居して自ら野に耕そうとした。

歸來無業,生事如轉蓬。

そうして其処に帰ってみると何分、産業を修める事も出来ず、生活状態は、さながら蓬の穂が風に吹かれて飛ぶようなまことに哀れな有様である。

#2

一朝烏裘敝,百鎰黃金空。

かくて、黒い色をした裘も、いつしかやぶれてしまい、百鎰の黃金も使い尽くして、手元にはなにものこらず空っぽである。

彈劍徒激昂,出門悲路窮。

剣を弾じて高歌しつつ、心気はいたずらに激昂するばかりでいる。門を出ても、路がどんづまりになって、先に行かれぬと同じような境涯でいる。

吾兄青雲士,然諾聞諸公。

吾兄上は、青雲の士で、今や官途にたって羽振りもよくその上、平生侠を負い、然諾を重んじて一言、良しといえば、かならずひきうけてくれるというひょうばんが諸公の間に聞こえている。

所以陳片言,片言貴情通。

そこで今、片言を陳べさせてもらうと、手短ながら、情の通ずるを尊いこととしているところで、この詩を作って、窮状を訴えるところであって、どうか一肌脱いでもらいたい。

棣華儻不接,甘與秋草同。

詩経に云う「棣華兄弟」に比すべき兄弟の情誼に接するを得ざれば、それはそれで仕方のないことであるが、もしそうなるなら、秋草と同じように枯れて果てることに甘んじることになるだろう。

 

(從兄 襄陽少府皓に贈る)

結髮 未だ事を識らず,交ろ所は 盡く豪雄。

秦を卻【しりぞ】けて賞を受けず,晉を擊って寧ろ功と為さんや。

小節 豈に言うに足らんや,退いて耕す 舂陵【しょうりょう】の東。

歸り來って 業無く,生事 轉蓬の如し。

#2

一朝 烏裘 敝れ,百鎰 黃金 空し。

劍を彈じて徒らに激昂,門を出でて路窮まるを悲しむ。

吾が兄 青雲の士,然諾 諸公に聞こゆ。

片言を陳ずる所以,片言 情の通ずるを貴ぶ。

棣華【ていか】儻し 接せざれば,甘んじて 秋草と同じからん。

 

 

『贈從兄襄陽少府皓』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

一朝烏裘敝,百鎰黃金空。

彈劍徒激昂,出門悲路窮。

吾兄青雲士,然諾聞諸公。

所以陳片言,片言貴情通。

棣華儻不接,甘與秋草同。

(下し文)
一朝 烏裘 敝れ,百鎰 黃金 空し。

劍を彈じて徒らに激昂,門を出でて路窮まるを悲しむ。

吾が兄 青雲の士,然諾 諸公に聞こゆ。

片言を陳ずる所以,片言 情の通ずるを貴ぶ。

棣華【ていか】儻し 接せざれば,甘んじて 秋草と同じからん。

(現代語訳)
かくて、黒い色をした裘も、いつしかやぶれてしまい、百鎰の黃金も使い尽くして、手元にはなにものこらず空っぽである。

剣を弾じて高歌しつつ、心気はいたずらに激昂するばかりでいる。門を出ても、路がどんづまりになって、先に行かれぬと同じような境涯でいる。

吾兄上は、青雲の士で、今や官途にたって羽振りもよくその上、平生侠を負い、然諾を重んじて一言、良しといえば、かならずひきうけてくれるというひょうばんが諸公の間に聞こえている。

そこで今、片言を陳べさせてもらうと、手短ながら、情の通ずるを尊いこととしているところで、この詩を作って、窮状を訴えるところであって、どうか一肌脱いでもらいたい。
詩経に云う「棣華兄弟」に比すべき兄弟の情誼に接するを得ざれば、それはそれで仕方のないことであるが、もしそうなるなら、秋草と同じように枯れて果てることに甘んじることになるだろう。


(訳注) #2

贈從兄襄陽少府皓

(李白の従兄で襄陽県の小府である李皓におくる)

李白自身の窮状を訴えて、救済してほしいと懇願するもの

 

一朝烏裘敝,百鎰黃金空。

かくて、黒い色をした裘も、いつしかやぶれてしまい、百鎰の黃金も使い尽くして、手元にはなにものこらず空っぽである。

百鎰 二千両。鎰は二十両。蜀を出る際に持って出たお金。

 

彈劍徒激昂,出門悲路窮。

剣を弾じて高歌しつつ、心気はいたずらに激昂するばかりでいる。門を出ても、路がどんづまりになって、先に行かれぬと同じような境涯でいる。

 

吾兄青雲士,然諾聞諸公。

吾兄上は、青雲の士で、今や官途にたって羽振りもよくその上、平生侠を負い、然諾を重んじて一言、良しといえば、かならずひきうけてくれるというひょうばんが諸公の間に聞こえている。

青雲士 ① 学徳の高い人。また、高位・高官にのぼった人。② 俗世間から超越した、高尚な志の人。隠逸の士。

 

所以陳片言,片言貴情通。

そこで今、片言を陳べさせてもらうと、手短ながら、情の通ずるを尊いこととしているところで、この詩を作って、窮状を訴えるところであって、どうか一肌脱いでもらいたい。。

陳片言,片言 片言を陳べさせてもらうと、手短ながら、と、「片言」を云い直すことで、窮状を訴えることをいう。

 

棣華儻不接,甘與秋草同。

詩経に云う「棣華兄弟」に比すべき兄弟の情誼に接するを得ざれば、それはそれで仕方のないことであるが、もしそうなるなら、秋草と同じように枯れて果てることに甘んじることになるだろう。

棣華 兄弟和睦を詠っている《詩小雅鹿鳴之什常棣》「常棣之華, 鄂不韡韡。 凡今之人, 莫如兄弟。」後因以“棣華”兄弟常棣【にわざくら】の華【はな】、鄂不【がくふ】 韡韡【ゐゐ】たり。凡そ今の人、兄弟に如くは莫し。庭桜の花びらが、鄂を同じくして美しく群がり咲いている(ように、兄弟は同じ親からでて苦楽を共にして栄える)。今の世上の人々よ、兄弟ほど頼りになる者はないのである。

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贈從兄襄陽少府皓 -#1》(李白の従兄で襄陽県の小府である李皓におくる)自分が初めて髪を結び冠を付け、人並みに男と認められはじめたころの事、まだ世間の事を知らず、豪雄の士とばかり交際していた。

 

 
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228-#1 《巻8-2 贈從兄襄陽少府皓 -#1》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <228-#1> Ⅰ李白詩1465 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5873

 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈從兄襄陽少府皓

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵        

交遊人物:李皓    當地交遊(山南東道 襄州 襄州)

 

 

贈從兄襄陽少府皓

(李白の従兄で襄陽県の小府である李皓におくる)

結髮未識事,所交盡豪雄。

自分が初めて髪を結び冠を付け、人並みに男と認められはじめたころの事、まだ世間の事を知らず、豪雄の士とばかり交際していた。

卻秦不受賞,擊晉寧為功。【救趙寧為功】。

一本此下有以下四句:「身白刃裡,殺人紅塵中。當朝揖高義,舉世稱英雄。」】

かくして、魯仲連が、一言して、秦を帝とせず、そのために、秦将が群をしりぞけたというようなしても、謙虚に冷静に、褒美をもらおうとはせず、朱亥が四十斤の鉄鎚をもって、将軍晋鄙を椎殺し、信陵君は、その軍を奪って、邯鄲を囲みを説いて趙を存しさしもの難局を抜けたというような葬列のことをやっても決して手柄としなかった

小節豈足言,退耕舂陵東。

区々たる小節は、もとより論ずるに足らず、そこでとかく、この世に容れられぬところから、舂陵の東に退居して自ら野に耕そうとした。

歸來無業,生事如轉蓬。

そうして其処に帰ってみると何分、産業を修める事も出来ず、生活状態は、さながら蓬の穂が風に吹かれて飛ぶようなまことに哀れな有様である。

#2

一朝烏裘敝,百鎰黃金空。

彈劍徒激昂,出門悲路窮。

吾兄青雲士,然諾聞諸公。

所以陳片言,片言貴情通。

棣華儻不接,甘與秋草同。

 

(從兄 襄陽少府皓に贈る)

結髮 未だ事を識らず,交ろ所は 盡く豪雄。

秦を卻【しりぞ】けて賞を受けず,晉を擊って寧ろ功と為さんや。

小節 豈に言うに足らんや,退いて耕す 舂陵【しょうりょう】の東。

歸り來って 業無く,生事 轉蓬の如し。

#2

一朝 烏裘 敝れ,百鎰 黃金 空し。

劍を彈じて徒らに激昂,門を出でて路窮まるを悲しむ。

吾が兄 青雲の士,然諾 諸公に聞こゆ。

片言を陳ずる所以,片言 情の通ずるを貴ぶ。

棣華【ていか】儻し 接せざれば,甘んじて 秋草と同じからん。

 

 

『贈從兄襄陽少府皓』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈從兄襄陽少府皓

結髮未識事,所交盡豪雄。

卻秦不受賞,擊晉寧為功。【救趙寧為功】。

一本此下有以下四句:「身白刃裡,殺人紅塵中。當朝揖高義,舉世稱英雄。」】

小節豈足言,退耕舂陵東。

歸來無業,生事如轉蓬。


(下し文)
(
從兄 襄陽少府皓に贈る)

結髮 未だ事を識らず,交ろ所は 盡く豪雄。

秦を卻【しりぞ】けて賞を受けず,晉を擊って寧ろ功と為さんや。

小節 豈に言うに足らんや,退いて耕す 舂陵【しょうりょう】の東。

歸り來って 業無く,生事 轉蓬の如し

(現代語訳)
(李白の従兄で襄陽県の小府である李皓におくる)

自分が初めて髪を結び冠を付け、人並みに男と認められはじめたころの事、まだ世間の事を知らず、豪雄の士とばかり交際していた。

かくして、魯仲連が、一言して、秦を帝とせず、そのために、秦将が群をしりぞけたというようなしても、謙虚に冷静に、褒美をもらおうとはせず、朱亥が四十斤の鉄鎚をもって、将軍晋鄙を椎殺し、信陵君は、その軍を奪って、邯鄲を囲みを説いて趙を存しさしもの難局を抜けたというような葬列のことをやっても決して手柄としなかった

区々たる小節は、もとより論ずるに足らず、そこでとかく、この世に容れられぬところから、舂陵の東に退居して自ら野に耕そうとした。

そうして其処に帰ってみると何分、産業を修める事も出来ず、生活状態は、さながら蓬の穂が風に吹かれて飛ぶようなまことに哀れな有様である。


(訳注)

贈從兄襄陽少府皓

(李白の従兄で襄陽県の小府である李皓におくる)

李白自身の窮状を訴えて、救済してほしいと懇願するもの

 

結髮未識事,所交盡豪雄。

自分が初めて髪を結び冠を付け、人並みに男と認められはじめたころの事、まだ世間の事を知らず、豪雄の士とばかり交際していた。

結髮 ・結髮:成人となること。髪を結う。男子は二十、女子は十五になれば髪を結び、男子は冠をつけ、女子は簪をさす。束發,意即年輕時。年輕時結成的夫妻。指原配夫妻。漢·蘇武《詩四首其三》「結髮為夫妻,恩愛兩不疑。」

蘇武 《詩四首 其三》#1 古詩源  詩<102-1>Ⅱ李白に影響を与えた詩846 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2778

豪雄 なみはずれて強いこと。また、そのさまや、そういう人。

 

卻秦不受賞,擊晉寧為功。【救趙寧為功】。

かくして、魯仲連が、一言して、秦を帝とせず、そのために、秦将が群をしりぞけたというようなしても、謙虚に冷静に、褒美をもらおうとはせず、朱亥が四十斤の鉄鎚をもって、将軍晋鄙を椎殺し、信陵君は、その軍を奪って、邯鄲を囲みを説いて趙を存しさしもの難局を抜けたというような葬列のことをやっても決して手柄としなかった

一本此下有以下四句:「身白刃裡,殺人紅塵中。當朝揖高義,舉世稱英雄。」】

擊晉寧為功 「朱亥袖四十斤鐵椎,椎殺晉鄙,公子遂將晉鄙軍。」

趙への援軍

紀元前258年、長平の戦いにて趙軍を大破した秦軍が、趙の首都邯鄲を包囲した。安釐王は趙の救援要請に対して、晋鄙を将軍に任じ援軍を出すことは出したが、そこで秦から「趙の滅亡は時間の問題であり、援軍を送れば次は魏を攻める」と脅されたため、援軍を国境に留めおいて実際に戦わせようとはしなかった。信陵君の姉は平原君の妻になっていたので、信陵君に対して姉を見殺しにするのかとの詰問が何度も来た。信陵君はこれと、趙が敗れれば魏も遠からず敗れることを察していたため、安釐王に対して趙を救援するように言ったが受け入れられず、しかし見捨てることも出来ぬと信陵君は自分の食客数百名を率いて自ら救援に行こうとした。

この時、侯嬴は見送りの群衆の中に居たが、素っ気なかった。信陵君は自分が死地に向かうのに何だろうか、と態度が気になり、一人引返した。侯嬴は信陵君に手勢だけでは少数すぎて犬死となるだけであり、国軍を動かすべきだと説いた。国軍を動かすために、王の手元から軍に命令を下すための割符を魏王の寵愛する姫に盗ませ[1]、将軍の晋鄙がこれを疑ったならば、朱亥に将軍を殺させ軍の指揮権を奪うようを説いた。

信陵君は国境の城に出向き、割符を見せ、軍を率いていた晋鄙将軍に交代するよう言ったが、晋鄙はやはり確認のための伝令を出すと言ったため、やむなく朱亥が40斤の金槌で晋鄙を命令違反として撲殺し、丁重に埋葬した。なお、これに前後して侯嬴は信陵君がいる方向へ、自らの命を手向けとするべく自刎した。

信陵君はまず、兵が魏に戻れないことも考え、親子で従軍している兵は親を、兄弟で従軍している兵は兄を帰し、また一人っ子の兵も孝行させるために帰した。そうして残った兵を率いて戦った。秦軍を退けることはできたものの、勝手に軍を動かしたことで安釐王の大きな怒りを買うと解っていたので、兵は自分の命令に従っただけで罪はないとして魏に帰し、自分と食客は趙に留まった。趙は救国の士として信陵君を歓待し、5城を献上しようとした。最初は信陵君もそれに応じようとしたが、食客に諭され以後固辞した。

趙に滞在中、信陵君は博徒の間に隠れていた毛公と味噌屋に身を隠していた薛公に、会って話がしたいと使者を出したが断られた。すると自ら徒歩で彼らのもとへ趣き、両者と語り合って大いに満足した。しかし平原君はこの事を聞いて信陵君を馬鹿にした。信陵君は、毛公と薛公には以前から話をしたかっただけであるが、平原君は外面だけを気にすると考え、平原君との付き合いを止め国外へ去ろうとした。これを聞いた平原君は、信陵君が居るからこそ趙は秦に攻められていないこともあり、去られては大変と冠を脱いで謝罪した。これを聞いた平原君の食客達の半数が、身分に関係なく才を処遇する信陵君下に集まったと言う。

 

小節豈足言,退耕舂陵東。

区々たる小節は、もとより論ずるに足らず、そこでとかく、この世に容れられぬところから、舂陵の東に退居して自ら野に耕そうとした。

小節 晉書「阮渾、少にして、通達を慕い、小節を修めず」とある。

舂陵 元和郡志「舂陵の故城は、随州棘陽縣の東南三十五里にあり。」とある。この地は、、中国の新代に活動した民間武装勢力。緑林兵とも言う。後世では、「緑林」は盗賊や山賊と同意の語として用いられている。緑林軍は、新代に荊州を主要な活動地域とし、王莽が建てた新に反抗した武装勢力である。

新の統治の末期に、荊州江夏郡新市県で顔役を務めていた王匡と王鳳は、衆に推されて数百人の民衆の頭領となった。そこへ、馬武、王常、成丹などの浪人たちも加わり、離郷聚を攻撃した後、緑林山(荊州江夏郡当陽県)に立て篭もった。その軍勢は、数ヶ月の間に78千人に膨らんだという。地皇2年(21年)、荊州牧が2万の軍勢を率いて緑林軍を討伐しにきたが、王匡は雲杜(江夏郡)でこれを迎撃し、殲滅した。これをきっかけに、軍は5万人を超えたと称し、官軍も手を出せなくなった。

 

歸來無業,生事如轉蓬。

そうして其処に帰ってみると何分、産業を修める事も出来ず、生活状態は、さながら蓬の穂が風に吹かれて飛ぶようなまことに哀れな有様である。

生事 生活状態のこと。

轉蓬 風に吹かれて飛ぶよもぎ。飄蓬は転蓬と同じ。枝が四方に広がり、表面で絡み合い毬状になったころ秋風が吹いてくると根こそぎちぎれて、すさまじい勢いで転がっていく植物。人が当てもなく流浪の旅を行うことを比喩に用いられる。

 

 

李白《巻14-07 留別王司馬嵩 -1》「魯連賣談笑,豈是顧千金。」

魯仲連は談笑を売り物にして、秦から趙を救い名声を博し、平原君から領地をあたえられるというのを辞退し、笑って千金を顧みる事は無かった。

魯連賣談笑 魯仲連は、趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、談笑して秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助け秦軍をしりぞけた。

魯仲連(約西元前305年~西元前245年)戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。・延州 季札(きさつ、生没年不詳)は、中国春秋時代の呉で活躍した政治家。姓は姫。呉の初代王寿夢の少子。清廉賢哲を以って知られ、延陵の季子として知られる。

戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。秦が趙を囲んだ時、魏の使いが秦の昭王を尊んで帝と称するように趙に説いた。仲連時に趙にいて、使いを責めて帰し、秦軍をして恐れて十五里退かせた。田単が斉の王に申し上げて爵を賜わろうとしたが、仲連は海辺の地に逃がれた。戦国時代の斉の国の人で、義侠の士として有名である。伝記は「史記」の列伝に見える。つね日ごろ、人とはちがった大志を抱き、仕官せず職にもつかなかった。たまたま趙の国に遊んでいた時、紀元前二四七年、秦の軍隊が趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助けた。同時に、魏の国の王子信陵君もまた、兵を率いて秦を攻撃したので、秦は退却し、趙は救われた。郡部の包囲が解かれたのち、平原君は魯仲連に領地を与えようとした。魯仲連は辞退した。平原君はそこで千金をおくろうとした。魯仲連は笑って言った。「天下に貴ばれる士たる者は、人のために患を排し、難をとき、紛乱を解して、しかも何も受取らないものです。もしも報酬を受取るなら、それは商人です。」何も受け取らないで立去り、生涯ふたたび現われなかった。李白『古風五十九首 其十』

173-#1 《巻14-07 留別王司馬嵩 -1Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <173-#1> Ⅰ李白詩1388 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5488

入東道路詩 謝霊運(康楽) 詩<44#2>「魯連謝千金.延州權去朝.」(魯連【ろれん】は千金を謝し、延州は権【かり】に朝を去る。)
魯中連は千金をもってしても高節を守って誰にも仕えず、春秋時代の呉の季札は清廉賢哲を以って知られ朝、固辞して朝立ち去った。
魯連 魯仲連(約西元前305年~西元前245年)戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。・延州 季札(きさつ、生没年不詳)は、中国春秋時代の呉で活躍した政治家。姓は姫。呉の初代王寿夢の少子。清廉賢哲を以って知られ、延陵の季子として知られる。

入東道路詩 謝霊運(康楽) 詩<44#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩431 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1110

 

謝靈運《述祖徳詩 二首 其一》「弦高犒晋師、仲連却秦軍。
弦高は晉国へ行くと称する秦の軍に出会い、牛12頭差出し、慰労するといってこれを留めて、泰の来襲を鄭に知らせた。秦が趙を囲んだ時に、魏の使いが秦の昭王を尊んで帝と称するように趙に説いたが、魯仲連は責めてその使いを帰らせ、これを聞いた秦の車を十五里も退かせた。
弦高 春秋の鄭の商人。道で来襲する秦兵に遭遇、詐りねぎらって、急を鄭に知らせて備えさせた(左伝逍公三十三年)。 春秋鄭國商人弦高。 秦師將侵鄭, 適高入周經商, 遇秦師於滑。 高以牛十二, 謂奉鄭君之命犒師。 秦師以為鄭國有備, 滅滑而還。 事見《左傳‧僖公三十三年。○仲連 魯仲連。戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。秦が趙を囲んだ時、魏の使いが秦の昭王を尊んで帝と称するように趙に説いた。仲連時に趙にいて、使いを責めて帰し、秦軍をして恐れて十五里退かせた。田単が斉の王に申し上げて爵を賜わろうとしたが、仲連は海辺の地に逃がれた。戦国時代の斉の国の人で、義侠の士として有名である。伝記は「史記」の列伝に見える。つね日ごろ、人とはちがった大志を抱き、仕官せず職にもつかなかった。たまたま趙の国に遊んでいた時、紀元前二四七年、秦の軍隊が趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助けた。同時に、魏の国の王子信陵君もまた、兵を率いて秦を攻撃したので、秦は退却し、趙は救われた。郡部の包囲が解かれたのち、平原君は魯仲連に領地を与えようとした。魯仲連は辞退した。平原君はそこで千金をおくろうとした。魯仲連は笑って言った。「天下に貴ばれる士たる者は、人のために患を排し、難をとき、紛乱を解して、しかも何も受取らないものです。もしも報酬を受取るなら、それは商人です。」何も受け取らないで立去り、生涯ふたたび現われなかった。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<8> 述祖徳詩 二首(2)其一 詩集 365

 

224 《巻7-43 赤壁歌送別》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <224> Ⅰ李白詩1464 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5868

赤壁歌送別》李白(友人が江夏付近で遊ぶというので、その血とそんなに離れていない赤壁があるというのでこの詩を作って送別の詩とした。)こうして、その史実からの感慨を一一手紙に書いて、旧交ある我がもとに報じてもらいたい。そうすれば、それを読んで、心魄を盛んにして、胸中の鬱懐を払い除けることができるであろう。

 

 
 2015年4月19日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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224 《巻7-43 赤壁歌送別》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <224> Ⅰ李白詩1464 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5868 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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61-#4 《巻03-15 贈侯喜》-#4   (吾黨侯生字叔巳,)-#4 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1377> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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224 《巻7-43 赤壁歌送別》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <224> Ⅰ李白詩1464 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5868

 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六七              文體:    七言律詩

詩題:    赤壁歌送別

作地點:              蒲圻(江南西道 / 鄂州 / 蒲圻)

及地點:              赤壁 (江南西道 鄂州 蒲圻)              

 

 

赤壁歌送別

二龍爭戰決雌雄,赤壁樓船掃地空。

呉魏戦争はさながら二龍の雌雄を決するがごとく赤壁に集まった魏の樓船は、無残にも焼打ちにあって全滅に近いまでやれてしまった。

烈火張天照雲海,周瑜於此破曹公。

その時の烈火は天にみなぎり、焦がして、雲のまがう大海までも照らしたぐらいである。呉の都堵府、周瑜はこの地において、ものの見事に魏の丞相を打ち破ったのである。

君去滄江望澄碧,鯨鯢唐突留餘跡。【君去滄江弄澄碧】

君、今、ここを去って大江のほとりに到り、緑に澄みきった流水を望む時は、当日鯨鯢が互いに觸犯したその遺跡を認めるであろう。

一一書來報故人,我欲因之壯心魄。

こうして、その史実からの感慨を一一手紙に書いて、旧交ある我がもとに報じてもらいたい。そうすれば、それを読んで、心魄を盛んにして、胸中の鬱懐を払い除けることができるであろう。

 

(赤壁の歌 送別)

二龍爭戰 雌雄を決し,赤壁の樓船 地を掃うて空し。

烈火 天に張って 雲海を照し,周瑜 此に於て曹公を破る。

君は去って 滄江 澄碧を望めば,鯨鯢 唐突にし 餘跡を留む。

一一 書 來って故人に報ぜよ,我 之に因って 心魄を壯にせんと欲す。

 

toho0824004 

『赤壁歌送別』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

赤壁歌送別

二龍爭戰決雌雄,赤壁樓船掃地空。

烈火張天照雲海,周瑜於此破曹公。

君去滄江望澄碧,鯨鯢唐突留餘跡。【君去滄江弄澄碧】

一一書來報故人,我欲因之壯心魄。


(下し文)
(
赤壁の歌 送別)

二龍爭戰 雌雄を決し,赤壁の樓船 地を掃うて空し。

烈火 天に張って 雲海を照し,周瑜 此に於て曹公を破る。

君は去って 滄江 澄碧を望めば,鯨鯢 唐突にし 餘跡を留む。

一一 書 來って故人に報ぜよ,我 之に因って 心魄を壯にせんと欲す。

(現代語訳)
(友人が江夏付近で遊ぶというので、その血とそんなに離れていない赤壁があるというのでこの詩を作って送別の詩とした。)

呉魏戦争はさながら二龍の雌雄を決するがごとく赤壁に集まった魏の樓船は、無残にも焼打ちにあって全滅に近いまでやれてしまった。

その時の烈火は天にみなぎり、焦がして、雲のまがう大海までも照らしたぐらいである。呉の都堵府、周瑜はこの地において、ものの見事に魏の丞相を打ち破ったのである。

君、今、ここを去って大江のほとりに到り、緑に澄みきった流水を望む時は、当日鯨鯢が互いに觸犯したその遺跡を認めるであろう。

こうして、その史実からの感慨を一一手紙に書いて、旧交ある我がもとに報じてもらいたい。そうすれば、それを読んで、心魄を盛んにして、胸中の鬱懐を払い除けることができるであろう。



(訳注)

赤壁歌送別

(友人が江夏付近で遊ぶというので、その血とそんなに離れていない赤壁があるというのでこの詩を作って送別の詩とした。)

赤壁の古戦場と伝えられる場所は、長江・漢水沿いに数カ所存在し、その是非については現在も議論があるが、有名なものは二箇所ある。

現在の湖北省蒲圻市(現:赤壁市)西南の長江南岸に位置する赤壁山である。ここは実際の古戦場として現在最も有力視され、「三国赤壁(別名、武赤壁)」と呼ばれている。

北宋の文人の蘇軾(蘇東坡)が名作「赤壁の賦」を書いたことで有名な偽の赤壁である。こちらは湖北省黄岡市黄州区西北の長江北岸の赤鼻山を指し、「東坡赤壁(別名、文赤壁)」と呼ばれる。この地は実際の戦場ではなかったのだが、晩唐の詩人杜牧が詩に詠んだことから赤壁の古戦場と見なされるようになり、蘇軾の作品によって、実際の古戦場以上に有名になってしまった[6]。なお、東坡赤壁は長江の流れが変遷したため、現在は長江に面していない。

 

二龍爭戰決雌雄,赤壁樓船掃地空。

呉魏戦争はさながら二龍の雌雄を決するがごとく赤壁に集まった魏の樓船は、無残にも焼打ちにあって全滅に近いまでやれてしまった。

二龍爭戰 赤壁の戦いのこと。赤壁之戰は、中国後漢末期の208年、長江の赤壁において起こった曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦いである。

 

烈火張天照雲海,周瑜於此破曹公。

その時の烈火は天にみなぎり、焦がして、雲のまがう大海までも照らしたぐらいである。呉の都堵府、周瑜はこの地において、ものの見事に魏の丞相を打ち破ったのである。

 漲る。

 

君去滄江望澄碧,鯨鯢唐突留餘跡。【君去滄江弄澄碧】

君、今、ここを去って大江のほとりに到り、緑に澄みきった流水を望む時は、当日鯨鯢が互いに觸犯したその遺跡を認めるであろう。

鯨鯢 オスとメスの鯨、不義の人の小国を呑食するということを喩える。

唐突 犯觸。犯触する。侵犯する,人の感情を害する.

 

一一書來報故人,我欲因之壯心魄。

こうして、その史実からの感慨を一一手紙に書いて、旧交ある我がもとに報じてもらいたい。そうすれば、それを読んで、心魄を盛んにして、胸中の鬱懐を払い除けることができるであろう。
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226 《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#4》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <226> Ⅰ李白詩1463 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5863

襄陽歌 -#4李白  むかし、楚の襄王が巫山の神女に遭い、「朝雲暮雨」と、たのしんだという、しかし、それも昔人今は何処にありや、どこにもいない、けっきよく、はかない夢ではなかったか。現に巫山には、そんなものは跡かたもないし、長江の水は絶えず東流し、巫峡の猿声、夜夜悲しんで啼くばかり、功名富貴、飽食、美色、すべて世俗の儚きもの照り、人生、ただ酒を飲み酔い潰れることが楽しみであり、たとえ、それで襄陽の子供たちに囃されても、一向に構わないのである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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226 (改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#4》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <226> Ⅰ李白詩1463 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5863

 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六六              文體:    雜言古詩

詩題:    襄陽歌

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山    

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸    

舒州 (淮南道 舒州 舒州)  

 

(改訂版) 巻6-1 襄陽歌》

襄陽歌  #1

(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)

落日欲沒峴山西,倒著接離花下迷。

まっ赤な夕日が幌山の西に今日も沈もうとしている。我独り、ここに来れば、山間のように白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりと彷徨う。
襄陽小兒齊拍手,攔街爭唱白銅鞮。

すると、その態度がなんだかおかしいと見えて、襄陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにさえぎって、「白銅鞮」の舊歌を口々にうたって囃したてる。
傍人借問笑何事,笑殺山翁醉似泥。【笑殺山公醉似泥】

そこで、通りかかった人がこれをあやしみ、いったい何でそんなに笑っているのかと、たずねれば、子供はこたえて、昔、ここで酩酊して有名であった山簡のようにあのおじさんがベロベロに酔っぱらった恰好がおかしくてたまらないのだという。
#2

鸕鶿杓,鸚鵡杯,百年三萬六千日,一日須傾三百杯。

鸕鶿の桮杓に、そして、鸚鵡の盃の道具はちゃんとそろっているし、どちらもすばらしく立派なうつわだ。人生、百年、一日に三百杯を傾け、それでもしょせん三万六千日、飲みつくすことが必要だ。こうして人生を満足できるものとなるのだ。  
遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醱醅。【恰似葡萄初撥醅】

こうして眺め遣ると、はるかに漢水が見え、春まさに至り、碧波漫漫として。水はあおあおとして、ちょうど鴨の頭のような緑色、染物屋の藍染のような水を流したようであり、葡萄が醗酵しはじめる時の色によく似ている。 
此江若變作春酒,壘麴便築糟丘臺。

この漢水の大江の水が、もしも春の新酒に変るものなら、うずたかく麹をかさねていって、殷の帝紂が築いたような酒の粕の高台を築いてやろうとおもう。 
#3

千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。【千金駿馬換少妾】

そうなると、自分に侍している愛妾などもこれをするには必要ないのであり、千金の値うちのある駿馬に換えて、すぐにこれにまたがって、見事な彫り物をほどこした鞍に坐して、悠然として、「落梅花」の古曲を歌を口ずさんだらこれ以上の事は無いというものだ。

車傍側掛一壺酒,鳳笙龍管行相催。

お供の車などで数輌の随行があり、その車傍には一壺の酒がぶらさげてあり、醒めればまた飲み、鳳の笙笛やら龍管楽器の音楽を演奏していて、我が興を助けて、囃しながら道をゆく。
咸陽市中歎黃犬,何如月下傾金罍。【醉坐雕鞍歌落梅】

秦の李斯は小吏より立身して、宰相までなったのだが、後には、讒言に咸陽の町のまん中で腰斬される時に、おなじように処刑される息子に「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた李斯の最期を思うと、富貴栄華の末は、たいがいこうなるものであるから、むしろはじめから、世俗をはなれ、月の下で、黄金の杯を傾けて、快く酔って歌った方が、悠に面白いことではないか。
君不見晉朝羊公一片石,龜頭剝落生莓苔。【龜龍剝落生莓苔】

さらに、人生死後爽涼たる有様を見るのは、晉の羊祜がこの地に鎮して、人々に悦服せられ、襄陽の街を見下ろす峴山に堕涙碑を建てられたが、その一片の石だけは今も残っているが、その碑を背負っている亀の頭は既に剥落し、莓苔がこれらを埋め、淒寥の極みであって、誰も涙するというもので、心も悲しくなり、ただ茫然自失するばかりである。

 

淚亦不能為之墮,心亦不能為之哀。

羊祜の徳望をもってしても死後久しくするとこの有様で、「堕涙碑」とよばれるここにきても、あまりのことに涙さえおとすことも出来ないけれど、壮であれば生きているうちに充分楽しんでおくのがよく、心は羊祜のために、かなしむことが出来ないのである。
清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。

だからここの清風朗月は、いくらこれを取ったとしても禁ずるものはなく、これが一銭も出すにおよばない。天地の佳景に対して、杯を傾け、かの山公が嵆康に云った、「玉山之將崩」というほどにのみ潰れることが良いのである。
舒州杓,力士鐺,李白與爾同死生。

ああ、舒州の杓は、これを以て酒を汲め、力士の鐺は、これを以て酒を承るべく、われ李白は杓と鐺というものを、たとえ死んでも、まして生きてるうちは、おまえをぜったい離さない。

襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。

むかし、楚の襄王が巫山の神女に遭い、「朝雲暮雨」と、たのしんだという、しかし、それも昔人今は何処にありや、どこにもいない、けっきよく、はかない夢ではなかったか。現に巫山には、そんなものは跡かたもないし、長江の水は絶えず東流し、巫峡の猿声、夜夜悲しんで啼くばかり、功名富貴、飽食、美色、すべて世俗の儚きもの照り、人生、ただ酒を飲み酔い潰れることが楽しみであり、たとえ、それで襄陽の子供たちに囃されても、一向に構わないのである。
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(襄陽の歌)
落日 沒せむと欲す  峴山【けんざん】の西,倒【さかし】まに 接籬を著けて 花下に迷う。

襄陽の小兒 齊しく手を拍ち,街を攔【さえぎ】って 爭い唱う「白銅鞮」。 

傍人借問す 何事をか笑ふと,笑殺す 山の醉いて泥の似たるを。』

 

鸕鶿【ろじ】の杓【しゃく】、鸚鵡の杯、百年 三萬 六千日,一日 須【すべか】らく傾くべし  三百杯。

遙かに看る 漢水 鴨頭の綠,恰【あた】かも似たり 葡萄の初めて醱醅【はつばい】するに。

此の江 若し 變じて 春酒と作【な】らば,壘麹 便ち 築かん 糟丘臺。』

 

千金の駿馬 小妾と換へ,笑ひて 雕鞍に坐して 「落梅」を歌う。

車旁 側に挂【か】く 一壺の酒,鳳笙 龍管 行【ゆくゆ】く 相い催【うなが】す。

咸陽の市中に 黄犬を歎くは,なんぞ 如【し】かん 月下に金罍【きんらい】を傾(かたむ)くるに。

 見ずや 晉朝の羊公 一片の石,龜頭 剥落して 莓苔【ばいたい】生ず。


涙も亦た 之れが爲に墮つる能わず,心も亦た 之れが爲に哀しむ能はず。

清風 朗月 一錢の買うを 用いず,玉山 自ら倒る 人の推すに非ず。

舒州の杓,力士の鐺【そう】。李白 爾と 死生を 同じくせん。

襄王の雲雨  今 安にか在る,江水は 東流して 猿は夜に聲く。』

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李白 襄陽歌 -#3 人生死後爽涼たる有様を見るのは、晉の羊祜がこの地に鎮して、人々に悦服せられ、襄陽の街を見下ろす峴山に堕涙碑を建てられたが、その一片の石だけは今も残っているが、その碑を背負っている亀の頭は既に剥落し、莓苔がこれらを埋め、淒寥の極みであって、誰も涙するというもので、心も悲しくなり、ただ茫然自失するばかりである。

 

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年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六六              文體:    雜言古詩

詩題:    襄陽歌

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山    

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸    

舒州 (淮南道 舒州 舒州)  

 

(改訂版) 巻6-1 襄陽歌》

襄陽歌  #1

(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)

落日欲沒峴山西,倒著接離花下迷。

まっ赤な夕日が幌山の西に今日も沈もうとしている。我独り、ここに来れば、山間のように白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりと彷徨う。
襄陽小兒齊拍手,攔街爭唱白銅鞮。

すると、その態度がなんだかおかしいと見えて、襄陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにさえぎって、「白銅鞮」の舊歌を口々にうたって囃したてる。
傍人借問笑何事,笑殺山翁醉似泥。【笑殺山公醉似泥】

そこで、通りかかった人がこれをあやしみ、いったい何でそんなに笑っているのかと、たずねれば、子供はこたえて、昔、ここで酩酊して有名であった山簡のようにあのおじさんがベロベロに酔っぱらった恰好がおかしくてたまらないのだという。
#2

鸕鶿杓,鸚鵡杯,百年三萬六千日,一日須傾三百杯。

鸕鶿の桮杓に、そして、鸚鵡の盃の道具はちゃんとそろっているし、どちらもすばらしく立派なうつわだ。人生、百年、一日に三百杯を傾け、それでもしょせん三万六千日、飲みつくすことが必要だ。こうして人生を満足できるものとなるのだ。  
遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醱醅。【恰似葡萄初撥醅】

こうして眺め遣ると、はるかに漢水が見え、春まさに至り、碧波漫漫として。水はあおあおとして、ちょうど鴨の頭のような緑色、染物屋の藍染のような水を流したようであり、葡萄が醗酵しはじめる時の色によく似ている。 
此江若變作春酒,壘麴便築糟丘臺。

この漢水の大江の水が、もしも春の新酒に変るものなら、うずたかく麹をかさねていって、殷の帝紂が築いたような酒の粕の高台を築いてやろうとおもう。 
#3

千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。【千金駿馬換少妾】

そうなると、自分に侍している愛妾などもこれをするには必要ないのであり、千金の値うちのある駿馬に換えて、すぐにこれにまたがって、見事な彫り物をほどこした鞍に坐して、悠然として、「落梅花」の古曲を歌を口ずさんだらこれ以上の事は無いというものだ。

車傍側掛一壺酒,鳳笙龍管行相催。

お供の車などで数輌の随行があり、その車傍には一壺の酒がぶらさげてあり、醒めればまた飲み、鳳の笙笛やら龍管楽器の音楽を演奏していて、我が興を助けて、囃しながら道をゆく。
咸陽市中歎黃犬,何如月下傾金罍。【醉坐雕鞍歌落梅】

秦の李斯は小吏より立身して、宰相までなったのだが、後には、讒言に咸陽の町のまん中で腰斬される時に、おなじように処刑される息子に「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた李斯の最期を思うと、富貴栄華の末は、たいがいこうなるものであるから、むしろはじめから、世俗をはなれ、月の下で、黄金の杯を傾けて、快く酔って歌った方が、悠に面白いことではないか。
君不見晉朝羊公一片石,龜頭剝落生莓苔。【龜龍剝落生莓苔】

さらに、人生死後爽涼たる有様を見るのは、晉の羊祜がこの地に鎮して、人々に悦服せられ、襄陽の街を見下ろす峴山に堕涙碑を建てられたが、その一片の石だけは今も残っているが、その碑を背負っている亀の頭は既に剥落し、莓苔がこれらを埋め、淒寥の極みであって、誰も涙するというもので、心も悲しくなり、ただ茫然自失するばかりである。

 

淚亦不能為之墮,心亦不能為之哀。【案:一本此下有以下二句:誰能憂彼身後事,金鳧銀鴨葬死灰。】

清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。

舒州杓,力士鐺,李白與爾同死生。

襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。

 

(襄陽の歌)
落日 沒せむと欲す  峴山【けんざん】の西,倒【さかし】まに 接籬を著けて 花下に迷う。

襄陽の小兒 齊しく手を拍ち,街を攔【さえぎ】って 爭い唱う「白銅鞮」。 

傍人借問す 何事をか笑ふと,笑殺す 山の醉いて泥の似たるを。』

 

鸕鶿【ろじ】の杓【しゃく】、鸚鵡の杯、百年 三萬 六千日,一日 須【すべか】らく傾くべし  三百杯。

遙かに看る 漢水 鴨頭の綠,恰【あた】かも似たり 葡萄の初めて醱醅【はつばい】するに。

此の江 若し 變じて 春酒と作【な】らば,壘麹 便ち 築かん 糟丘臺。』

 

千金の駿馬 小妾と換へ,笑ひて 雕鞍に坐して 「落梅」を歌う。

車旁 側に挂【か】く 一壺の酒,鳳笙 龍管 行【ゆくゆ】く 相い催【うなが】す。

咸陽の市中に 黄犬を歎くは,なんぞ 如【し】かん 月下に金罍【きんらい】を傾(かたむ)くるに。

 見ずや 晉朝の羊公 一片の石,龜頭 剥落して 莓苔【ばいたい】生ず。』


涙も亦た 之れが爲に墮つる能わず,心も亦た 之れが爲に哀しむ能はず。

清風 朗月 一錢の買うを 用いず,玉山 自ら倒る 人の推すに非ず。

舒州の杓,力士の鐺【そう】。李白 爾と 死生を 同じくせん。

襄王の雲雨  今 安にか在る,江水は 東流して 猿は夜に聲く。』

襄陽一帯地図000

 

『襄陽歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文) (改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#3》

千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。【千金駿馬換少妾】

車傍側掛一壺酒,鳳笙龍管行相催。

咸陽市中歎黃犬,何如月下傾金罍。【醉坐雕鞍歌落梅】

君不見晉朝羊公一片石,龜頭剝落生莓苔。【龜龍剝落生莓苔】

(下し文)
千金の駿馬 小妾と換へ,笑ひて 雕鞍に坐して 「落梅」を歌う。

車旁 側に挂【か】く 一壺の酒,鳳笙 龍管 行【ゆくゆ】く 相い催【うなが】す。

咸陽の市中に 黄犬を歎くは,なんぞ 如【し】かん 月下に金罍【きんらい】を傾(かたむ)くるに。

君 見ずや 晉朝の羊公 一片の石,龜頭 剥落して 莓苔【ばいたい】生ず。』

(現代語訳)
そうなると、自分に侍している愛妾などもこれをするには必要ないのであり、千金の値うちのある駿馬に換えて、すぐにこれにまたがって、見事な彫り物をほどこした鞍に坐して、悠然として、「落梅花」の古曲を歌を口ずさんだらこれ以上の事は無いというものだ。

お供の車などで数輌の随行があり、その車傍には一壺の酒がぶらさげてあり、醒めればまた飲み、鳳の笙笛やら龍管楽器の音楽を演奏していて、我が興を助けて、囃しながら道をゆく。
秦の李斯は小吏より立身して、宰相までなったのだが、後には、讒言に咸陽の町のまん中で腰斬される時に、おなじように処刑される息子に「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた李斯の最期を思うと、富貴栄華の末は、たいがいこうなるものであるから、むしろはじめから、世俗をはなれ、月の下で、黄金の杯を傾けて、快く酔って歌った方が、悠に面白いことではないか。
さらに、人生死後爽涼たる有様を見るのは、晉の羊祜がこの地に鎮して、人々に悦服せられ、襄陽の街を見下ろす峴山に堕涙碑を建てられたが、その一片の石だけは今も残っているが、その碑を背負っている亀の頭は既に剥落し、莓苔がこれらを埋め、淒寥の極みであって、誰も涙するというもので、心も悲しくなり、ただ茫然自失するばかりである。

李白の足跡0000
(訳注) (改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#3》

襄陽歌 #3

(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)

一年三百六十日,一生百年,毎日酒を飲んで暮らせたらという李白の目には,河川は酒に見え,丘陵は麹糟に映った。時空を超越させてくれるのは酒だけであり、李白はこの時“仙”になったのであり,「杓」と「鐺」が生涯の友であるという。「杓」は酒を酌む器,「錯」は酒を温める鼎。この作は酒を一生の友とすることを宣言した作としてたしかに劉伶の「酒徳頌」に匹敵する。

李白はまず山簡の飲酒を範として掲げた上で高らかに唱い出し,その上で以下には自分がいかに山簡のように酒を愛するかを詠んでいる。この詩は南宋・祝穆『方興勝覧』三二「襄州府」名官の「山簡」の条に唯一引用され, しかも全文が引用されているように,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもあるといえる。では,山簡はといえば,夕暮れまで酒を飲み,花間に迷い,街の子供たちに通せん坊されて歌い囃されるという,滑稽な泥酔者として捉えられている。

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千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。【千金駿馬換少妾】

そうなると、自分に侍している愛妾などもこれをするには必要ないのであり、千金の値うちのある駿馬に換えて、すぐにこれにまたがって、見事な彫り物をほどこした鞍に坐して、悠然として、「落梅花」の古曲を歌を口ずさんだらこれ以上の事は無いというものだ。

・千金:千枚の黄金。多額の金銭。 ・駿馬換小妾:後魏の曹彰が駿馬を見つけ、それを何とか手に入れたいと思って、馬主に対して「自分には好い妾(つま)たちがいるので、あなたがすきな妾を選び、それと馬とを交換しよう」と持ちかけたという故事。『獨異志』。 

・駿馬:〔しゅんめ〕すぐれた馬。良馬。足の速く強い馬。 

・換:交換する。 

・小妾:〔しょうしょう〕若いめかけ。 

・雕鞍:立派な彫り物を施した鞍(くら)。 

・歌:うたう。動詞。 

・落梅:笛の演奏用の『落梅花』という曲名のこと。

 

車傍側掛一壺酒,鳳笙龍管行相催。

お供の車などで数輌の随行があり、その車傍には一壺の酒がぶらさげてあり、醒めればまた飲み、鳳の笙笛やら龍管楽器の音楽を演奏していて、我が興を助けて、囃しながら道をゆく。
・車旁:車の側壁。 

・側挂:ぶら下げている。つり下げている。 

・鳳笙龍管:鳳の鳴き声のような(鳳の姿のような)笙に、龍のなき声のような笛の音。」 

・行:行きながら。ゆくゆく。 

・相催:促してくる。 ・相-:動詞の前に附き、動作の及ぶ趨勢を表す。…てくる。…ていく。

 

咸陽市中歎黃犬,何如月下傾金罍。【醉坐雕鞍歌落梅】

秦の李斯は小吏より立身して、宰相までなったのだが、後には、讒言に咸陽の町のまん中で腰斬される時に、おなじように処刑される息子に「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた李斯の最期を思うと、富貴栄華の末は、たいがいこうなるものであるから、むしろはじめから、世俗をはなれ、月の下で、黄金の杯を傾けて、快く酔って歌った方が、悠に面白いことではないか。
・咸陽:秦の首都。秦・始皇帝がここに都を置く渭城。秦朝の首都として大いに栄えた。風水においては山・丘・阜などの南側、河・江・川・湖などの水辺の北側を陽と言う。この都市は九嵕山の南、渭水の北に当たり「咸陽」なためにこの名前がついた。 

・歎黄犬:李斯の故事をいう。李斯は諫言を重ねたが、かえって皇帝の不興を買い、さらに趙高の讒言で疎まれ、追い詰められていった。紀元前208年、ついに李斯は捕らえる。凄惨な拷問に耐えられず趙高が捏造した容疑(楚の項梁の軍勢に討ち取られた李斯の長男で三川郡の太守の李由が生前楚軍と内通していたという罪)を認め、市中で腰斬(胴斬り。受刑者を腹部で両断し、即死させず苦しんで死なせる重刑)に処され、生涯を終えた。その時に李斯は並んで刑場に引っ立てられた次男に対して「わしは故郷の上蔡で、猟犬を連れ、お前と兎狩りによく出かけた。また狩に出かける夢は、もう適わないのだな」と無念そうに述べたという。李斯の息子は始皇帝の皇女を娶り、彼の娘は始皇帝の公子に嫁いでいたと伝わるが、一族は全て殺され、根絶やしとなった。

・何如:どうして及ぼうか。なんぞしかん。また、いかん。ここは、前者の意。 

・傾:(酒器を)傾ける。酒を飲むこと。かたぶく。下二、四段活用。 

・金罍:〔きんらい〕雷雲の模様を画いた黄金製の酒かめ。黄金製の酒器。

 

君不見晉朝羊公一片石,龜頭剝落生莓苔。【龜龍剝落生莓苔】
さらに、人生死後爽涼たる有様を見るのは、晉の羊祜がこの地に鎮して、人々に悦服せられ、襄陽の街を見下ろす峴山に堕涙碑を建てられたが、その一片の石だけは今も残っているが、その碑を背負っている亀の頭は既に剥落し、莓苔がこれらを埋め、淒寥の極みであって、誰も涙するというもので、心も悲しくなり、ただ茫然自失するばかりである。

・君不見:諸君、見たことがありませんか。詩をみている人に対する呼びかけ。樂府体に使われる。「君不聞」もある。そこで詩のリズムが大きく変化させる。 

・晉朝羊公一片石: 晉朝 (西)晋の羊祜。265年~419年。三国の魏に代わり、265年権臣司馬炎が建てた国。280年、呉を併せて天下を統一したが、八王の乱で、匈奴の劉曜らによって316年に滅ぼされた。 ・羊公 呉と闘った西晋の名将・羊のこと。山を愛し、善政をしたため、羊の没後、民衆は羊が愛した山を望むところに石碑を築いた。 ・一片石 羊の石碑。前出の堕涙碑(紫字部分)のこと。
・龜頭:石碑の土台の亀の頭。石碑の土台部分は亀のような形をして、甲羅に碑を背負っている形になっている。あの亀のような動物は想像上のもので贔屓〔ひき;bi4xi4〕という。 

・剥落:剥げ落ちる。 

・莓苔:〔ばい〕こけ。
安陸・南陽・嚢陽 李白00 

224 《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <224> Ⅰ李白詩1461 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5853

李白《(改訂版)襄陽歌 -#2鸕鶿の桮杓に、そして、鸚鵡の盃の道具はちゃんとそろっているし、どちらもすばらしく立派なうつわだ。人生、百年、一日に三百杯を傾け、それでもしょせん三万六千日、飲みつくすことが必要だ。こうして人生を満足できるものとなるのだ。 

 
 2015年4月16日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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61 《巻03-15 贈侯喜》   (吾黨侯生字叔巳,) 韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》   ()<1374> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5854 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-47-#5奉節-38-#5 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -5》 杜甫index-15 杜甫<910-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5855 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊131《巻三34浣溪紗八首 其五》巻三3431-〈131〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5857 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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224 (改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <224> Ⅰ李白詩1461 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5853

 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六六              文體:    雜言古詩

詩題:    襄陽歌

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山    

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸    

舒州 (淮南道 舒州 舒州)  

 

 

襄陽歌  #1

(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)

落日欲沒峴山西,倒著接離花下迷。

まっ赤な夕日が幌山の西に今日も沈もうとしている。我独り、ここに来れば、山間のように白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりと彷徨う。
襄陽小兒齊拍手,攔街爭唱白銅鞮。

すると、その態度がなんだかおかしいと見えて、襄陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにさえぎって、「白銅鞮」の舊歌を口々にうたって囃したてる。
傍人借問笑何事,笑殺山翁醉似泥。【笑殺山公醉似泥】

そこで、通りかかった人がこれをあやしみ、いったい何でそんなに笑っているのかと、たずねれば、子供はこたえて、昔、ここで酩酊して有名であった山簡のようにあのおじさんがベロベロに酔っぱらった恰好がおかしくてたまらないのだという。
#2

鸕鶿杓,鸚鵡杯,百年三萬六千日,一日須傾三百杯。

鸕鶿の桮杓に、そして、鸚鵡の盃の道具はちゃんとそろっているし、どちらもすばらしく立派なうつわだ。人生、百年、一日に三百杯を傾け、それでもしょせん三万六千日、飲みつくすことが必要だ。こうして人生を満足できるものとなるのだ。  
遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醱醅。【恰似葡萄初撥醅】

こうして眺め遣ると、はるかに漢水が見え、春まさに至り、碧波漫漫として。水はあおあおとして、ちょうど鴨の頭のような緑色、染物屋の藍染のような水を流したようであり、葡萄が醗酵しはじめる時の色によく似ている。 
此江若變作春酒,壘麴便築糟丘臺。

この漢水の大江の水が、もしも春の新酒に変るものなら、うずたかく麹をかさねていって、殷の帝紂が築いたような酒の粕の高台を築いてやろうとおもう。 
#3

千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。【千金駿馬換少妾】

車傍側掛一壺酒,鳳笙龍管行相催。

咸陽市中歎黃犬,何如月下傾金罍。【醉坐雕鞍歌落梅】

君不見晉朝羊公一片石,龜頭剝落生莓苔。【龜龍剝落生莓苔】

 

淚亦不能為之墮,心亦不能為之哀。【案:一本此下有以下二句:誰能憂彼身後事,金鳧銀鴨葬死灰。】

清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。

舒州杓,力士鐺,李白與爾同死生。

襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。

 

(襄陽の歌)
落日 沒せむと欲す  峴山【けんざん】の西,倒【さかし】まに 接籬を著けて 花下に迷う。

襄陽の小兒 齊しく手を拍ち,街を攔【さえぎ】って 爭い唱う「白銅鞮」。 

傍人借問す 何事をか笑ふと,笑殺す 山の醉いて泥の似たるを。』

 

鸕鶿【ろじ】の杓【しゃく】、鸚鵡の杯、百年 三萬 六千日,一日 須【すべか】らく傾くべし  三百杯。

遙かに看る 漢水 鴨頭の綠,恰【あた】かも似たり 葡萄の初めて醱醅【はつばい】するに。

此の江 若し 變じて 春酒と作【な】らば,壘麹 便ち 築かん 糟丘臺。』

 

千金の駿馬 小妾と換へ,笑ひて 雕鞍に坐して 「落梅」を歌う。

車旁 側に挂【か】く 一壺の酒,鳳笙 龍管 行【ゆくゆ】く 相い催【うなが】す。

咸陽の市中に 黄犬を歎くは,なんぞ 如【し】かん 月下に金罍【きんらい】を傾(かたむ)くるに。

 見ずや 晉朝の羊公 一片の石,龜頭 剥落して 莓苔【ばいたい】生ず。』


涙も亦た 之れが爲に墮つる能わず,心も亦た 之れが爲に哀しむ能はず。

清風 朗月 一錢の買うを 用いず,玉山 自ら倒る 人の推すに非ず。

舒州の杓,力士の鐺【そう】。李白 爾と 死生を 同じくせん。

襄王の雲雨  今 安にか在る,江水は 東流して 猿は夜に聲く。』

 嚢陽一帯00

『襄陽歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

 鸕鶿杓,鸚鵡杯,百年三萬六千日,一日須傾三百杯。

遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醱醅。【恰似葡萄初撥醅】

此江若變作春酒,壘麴便築糟丘臺。


(下し文)
鸕鶿【ろじ】の杓【しゃく】、鸚鵡の杯、百年 三萬 六千日,一日 須【すべか】らく傾くべし  三百杯。

遙かに看る 漢水 鴨頭の綠,恰【あた】かも似たり 葡萄の初めて醱醅【はつばい】するに。

此の江 若し 變じて 春酒と作【な】らば,壘麹 便ち 築かん 糟丘臺。

(現代語訳)
鸕鶿の桮杓に、そして、鸚鵡の盃の道具はちゃんとそろっているし、どちらもすばらしく立派なうつわだ。人生、百年、一日に三百杯を傾け、それでもしょせん三万六千日、飲みつくすことが必要だ。こうして人生を満足できるものとなるのだ。  
こうして眺め遣ると、はるかに漢水が見え、春まさに至り、碧波漫漫として。水はあおあおとして、ちょうど鴨の頭のような緑色、染物屋の藍染のような水を流したようであり、葡萄が醗酵しはじめる時の色によく似ている。 
この漢水の大江の水が、もしも春の新酒に変るものなら、うずたかく麹をかさねていって、殷の帝紂が築いたような酒の粕の高台を築いてやろうとおもう。 
李白の足跡0000
(訳注)

襄陽歌  #2

(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)

一年三百六十日,一生百年,毎日酒を飲んで暮らせたらという李白の目には,河川は酒に見え,丘陵は麹糟に映った。時空を超越させてくれるのは酒だけであり、李白はこの時“仙”になったのであり,「杓」と「鐺」が生涯の友であるという。「杓」は酒を酌む器,「錯」は酒を温める鼎。この作は酒を一生の友とすることを宣言した作としてたしかに劉伶の「酒徳頌」に匹敵する。

李白はまず山簡の飲酒を範として掲げた上で高らかに唱い出し,その上で以下には自分がいかに山簡のように酒を愛するかを詠んでいる。この詩は南宋・祝穆『方興勝覧』三二「襄州府」名官の「山簡」の条に唯一引用され, しかも全文が引用されているように,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもあるといえる。では,山簡はといえば,夕暮れまで酒を飲み,花間に迷い,街の子供たちに通せん坊されて歌い囃されるという,滑稽な泥酔者として捉えられている。

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鸕鶿杓,鸚鵡杯,百年三萬六千日,一日須傾三百杯。

鸕鶿の桮杓に、そして、鸚鵡の盃の道具はちゃんとそろっているし、どちらもすばらしく立派なうつわだ。人生、百年、一日に三百杯を傾け、それでもしょせん三万六千日、飲みつくすことが必要だ。こうして人生を満足できるものとなるのだ。  
・鸕鶿〔ろじ〕カワウ。鵜(う)。首の長い水鳥。「杓」とは首の長い酒を注ぐ酒器。 

・杓 〔しゃく〕しゃく。ひしゃく。桮杓。 

・鸚鵡〔おうむ〕ここでは、オウムガイのことになる。

・百年:人の一生。
・須 …する必要がある。すべからく…べし。 

・傾 (盃を)傾ける。酒を飲む。 

・三百杯 後漢の大学者鄭玄が別れの席で、一日300人以上から酒を注がれて、すべて飲み干しても酔わなかったという。

 

遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醱醅。【恰似葡萄初撥醅】

こうして眺め遣ると、はるかに漢水が見え、春まさに至り、碧波漫漫として。水はあおあおとして、ちょうど鴨の頭のような緑色、染物屋の藍染のような水を流したようであり、葡萄が醗酵しはじめる時の色によく似ている。 
・遙看:遥かに眺める。 

・漢水:襄陽を流れる川。現在の武漢(漢口、漢陽)で長江に合流する川の名。陝西省に発して、湖北省襄陽、襄樊を経て漢口に至る大河。 

・鴨頭:カモの頭。 染物屋の藍染のような水の色。

・恰似:まるで…にそっくりだ。まるで…のようだ。 

初醱醅:〔はつばい〕醗酵する。

 

 

此江若變作春酒,壘麴便築糟丘臺。

この漢水の大江の水が、もしも春の新酒に変るものなら、うずたかく麹をかさねていって、殷の帝紂が築いたような酒の粕の高台を築いてやろうとおもう。 
・若:もし。 

・變作:…と変わる。変わって(いって)…となる。 

・作:…となる。 

・春酒:去年仕込んだできたての新酒。『詩經・國風・風』に「六月食鬱及,七月亨葵及菽,八月剥棗,十月穫稻。爲此春酒,以介眉壽。」とある。 

・壘麹:積み重ねた麹(こうじ)。 

・麹:〔きく〕米、麦などを蒸して暖室に置き、麹黴(こうじかび)を繁殖させたもので、酒の醸造の原料となる。 

・便:するとすぐに。すぐに。すなわち。 

・糟丘臺:殷の帝紂が築いた酒の糟(かす)で造った小山。《韓詩外傳》卷四:「酒池,可以運舟,糟丘足以望千里,而牛飲者三千人。」(桀 酒池と爲し,以って舟を運す可く,糟丘以って千里を望むに足り,而して牛飲者 三千人。」とある。

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年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六六              文體:    雜言古詩

詩題:    襄陽歌

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山    

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸    

舒州 (淮南道 舒州 舒州)  

 

 

襄陽歌  #1

(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)

落日欲沒峴山西,倒著接離花下迷。

まっ赤な夕日が幌山の西に今日も沈もうとしている。我独り、ここに来れば、山間のように白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりと彷徨う。
襄陽小兒齊拍手,攔街爭唱白銅鞮。

すると、その態度がなんだかおかしいと見えて、襄陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにさえぎって、「白銅鞮」の舊歌を口々にうたって囃したてる。
傍人借問笑何事,笑殺山翁醉似泥。【笑殺山公醉似泥】

そこで、通りかかった人がこれをあやしみ、いったい何でそんなに笑っているのかと、たずねれば、子供はこたえて、昔、ここで酩酊して有名であった山簡のようにあのおじさんがベロベロに酔っぱらった恰好がおかしくてたまらないのだという。
#2

鸕鶿杓,鸚鵡杯,百年三萬六千日,一日須傾三百杯。

遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醱醅。【恰似葡萄初撥醅】

此江若變作春酒,壘麴便築糟丘臺。

#3

千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。【千金駿馬換少妾】

車傍側掛一壺酒,鳳笙龍管行相催。

咸陽市中歎黃犬,何如月下傾金罍。【醉坐雕鞍歌落梅】

君不見晉朝羊公一片石,龜頭剝落生莓苔。【龜龍剝落生莓苔】

 

淚亦不能為之墮,心亦不能為之哀。【案:一本此下有以下二句:誰能憂彼身後事,金鳧銀鴨葬死灰。】

清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。

舒州杓,力士鐺,李白與爾同死生。

襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。

 

(襄陽の歌)
落日 沒せむと欲す  峴山【けんざん】の西,倒【さかし】まに 接籬を著けて 花下に迷う。

襄陽の小兒 齊しく手を拍ち,街を攔【さえぎ】って 爭い唱う「白銅鞮」。 

傍人借問す 何事をか笑ふと,笑殺す 山の醉いて泥の似たるを。

鸕鶿【ろじ】の杓【しゃく】、鸚鵡の杯。

百年 三萬 六千日,一日 須【すべか】らく傾くべし  三百杯。

遙かに看る 漢水 鴨頭の綠,恰【あた】かも似たり 葡萄の初めて醱醅【はつばい】するに。

此の江 若し 變じて 春酒と作【な】らば,壘麹 便ち 築かん 糟丘臺。』

千金の駿馬 小妾と換へ,笑ひて 雕鞍に坐して 「落梅」を歌う。

車旁 側に挂【か】く 一壺の酒,鳳笙 龍管 行【ゆくゆ】く 相い催【うなが】す。

咸陽の市中に 黄犬を歎くは,なんぞ 如【し】かん 月下に金罍【きんらい】を傾(かたむ)くるに。

 見ずや 晉朝の羊公 一片の石,龜頭 剥落して 莓苔【ばいたい】生ず。』


涙も亦た 之れが爲に墮つる能わず,心も亦た 之れが爲に哀しむ能はず。

清風 朗月 一錢の買うを 用いず,玉山 自ら倒る 人の推すに非ず。

舒州の杓,力士の鐺【そう】。李白 爾と 死生を 同じくせん。

襄王の雲雨  今 安にか在る,江水は 東流して 猿は夜に聲く。』

嚢陽一帯00 

『襄陽歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

襄陽歌  #1

落日欲沒峴山西,倒著接離花下迷。

襄陽小兒齊拍手,攔街爭唱白銅鞮。

傍人借問笑何事,笑殺山翁醉似泥。【笑殺山公醉似泥】


(下し文)
(襄陽の歌)

落日 沒せむと欲す  峴山【けんざん】の西,倒【さかし】まに 接籬を著けて 花下に迷う。

襄陽の小兒 齊しく手を拍ち,街を攔【さえぎ】って 爭い唱う「白銅鞮」。

傍人借問す 何事をか笑ふと,笑殺す 山翁の醉いて泥の似たるを。』

(現代語訳)
(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)

まっ赤な夕日が幌山の西に今日も沈もうとしている。我独り、ここに来れば、山間のように白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりと彷徨う。
すると、その態度がなんだかおかしいと見えて、襄陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにさえぎって、「白銅鞮」の舊歌を口々にうたって囃したてる。
そこで、通りかかった人がこれをあやしみ、いったい何でそんなに笑っているのかと、たずねれば、子供はこたえて、昔、ここで酩酊して有名であった山簡のようにあのおじさんがベロベロに酔っぱらった恰好がおかしくてたまらないのだという。
李白の足跡0000
(訳注)

襄陽歌  #1

(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)

一年三百六十日,一生百年,毎日酒を飲んで暮らせたらという李白の目には,河川は酒に見え,丘陵は麹糟に映った。時空を超越させてくれるのは酒だけであり、李白はこの時“仙”になったのであり,「杓」と「鐺」が生涯の友であるという。「杓」は酒を酌む器,「錯」は酒を温める鼎。この作は酒を一生の友とすることを宣言した作としてたしかに劉伶の「酒徳頌」に匹敵する。

李白はまず山簡の飲酒を範として掲げた上で高らかに唱い出し,その上で以下には自分がいかに山簡のように酒を愛するかを詠んでいる。この詩は南宋・祝穆『方興勝覧』三二「襄州府」名官の「山簡」の条に唯一引用され, しかも全文が引用されているように,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもあるといえる。では,山簡はといえば,夕暮れまで酒を飲み,花間に迷い,街の子供たちに通せん坊されて歌い囃されるという,滑稽な泥酔者として捉えられている。

「峴山の詩」張九齢 登襄陽峴山 李白「峴山懐古」関連   Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -306

峴山の詩] 陳子昂 峴山懷古 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -307

輿黄侍御北津泛舟 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -309

峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大) 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -310

峴山送蕭員外之荊州 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -312

登峴山亭,寄晉陵張少府 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -313

孟浩然 登鹿門山懐古 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320

孟浩然 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320

孟浩然 暮歸故園(歳暮帰南山)  李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -323

 

落日欲沒峴山西,倒著接離花下迷。

まっ赤な夕日が幌山の西に今日も沈もうとしている。我独り、ここに来れば、山間のように白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりと彷徨う。 

・落日:夕陽。 

・欲沒 沈もうとしている。 

・峴山 〔けんざん〕襄州の東南すぐに接してある山。その東を漢水が囲むように流れる。三者の位置関係は、西から東へ、襄州・山・漢水と並ぶ。 ・倒著:逆さまにつける。 

・接籬:〔せつ〕頭巾の総称。白い頭巾。白帽。本来は後出・晋の山簡の酒に酔ったときの様をいう。酔っては、頭巾を逆さまに被った 

・迷:さまよう。

 

 

襄陽小兒齊拍手,攔街爭唱白銅鞮。

すると、その態度がなんだかおかしいと見えて、襄陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにさえぎって、「白銅鞮」の舊歌を口々にうたって囃したてる。
小兒 子ども。 ・齊 一斉に。 ・拍手 手を拍(う)っている。 

攔街 通せんぼ をする。 ・攔〔らん〕さえぎる。 ・爭唱 きそって歌う。 

・白銅提 六朝時代に襄陽で流行した童謡。ここでは童謡の『襄陽白銅』のこと。白銅の馬蹄の意。

 

 

傍人借問笑何事,笑殺山翁醉似泥。【笑殺山公醉似泥】

そこで、通りかかった人がこれをあやしみ、いったい何でそんなに笑っているのかと、たずねれば、子供はこたえて、昔、ここで酩酊して有名であった山簡のようにあのおじさんがベロベロに酔っぱらった恰好がおかしくてたまらないのだという。
・傍人 傍らの人。 

・借問 お訊ねする。質問の内容は後出の「笑何事」になる。 

・笑何事 何をそんなに笑っているのか。 

・笑殺 笑って問題としない。大いに笑う。笑いとばす。山公のことでありまた李白のことでもある。 ・-殺 用言に附き、程度の甚だしさを表す。 

・山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一の山濤の子。 

・醉似泥 泥のように酔いつぶれる。 

 

『襄陽』『山陽記』

   〔習郁池:〕〔裏判〕峴山南八百歩、西下道百歩、有大魚池、漢侍中習郁依萢叢養魚法、池邊有高陂、〔陂長六十歩、廣四十歩〕、當中築一釣臺。郁將亡、勅其長子煥日“葬我必近魚池”、煥爲起家於之北、去池四十歩。〔列植松篁于池側、郁所居也。又作石洑宅北、作小魚池。池長七十歩、廣二十歩。西枕大道、東北二邊限以高隄〕、皆種竹及長愀、芙蓉菱芡覆水、是遊宴名處也。

   〔習郁池:〕〔嚢陽の〕肩山の南のかた八百歩、西に道を下ること百歩に大魚池有り。漢の侍中の習郁は萢姦の養魚法に依る。池辺に高破有り、〔破は長さ六十歩、広さ四十歩〕、中に当たりて一釣壼を築く。郁の将に亡せんとするや、其の長子・換に勅して曰く“我を葬るに必らず魚池に近くせよ”と。喚は為に家を池の北、池を去ること四十歩に起つ。〔松篁を池側に列べ論う。郁の居りし所なり。又た石猷逗を作り、大池の水を痛風に引き、小魚池を作る。池は長さ七十歩、広さ二十歩。西は大道を枕にし、東北の二辺は限るに高論を以てし〕、皆な竹及び長椴を種え、芙蓉・菱茨は水を覆う。是れ遊宴の悪処なり。

 

   〔山簡〕山季倫鎮襄陽、毎臨此池、未嘗不大酔而還、恒日“此是我高陽池也”。襄陽城中小児歌之日“山公何所詣、往至高陽池’。日夕倒載歸。茗芋無所知。時時能騎馬、倒著白接離。擧鞭問葛彊、何如幷州児”。〔彊家在幷州、簡愛將也〕。

 

   山季倫はめんてい襄陽に鎮たりしとき、此の池に臨む毎に、未だ嘗て大いに酔いて還らざるなし。恒に曰く“此れ由れ我が高批の池なり”と。嚢陽の城中の小児は之を歌いて曰く“山公は何れの所にか詣る、往いて高峯池に至る。日夕に倒載せられて帰り、茗棄して知る所無し。時時に能く馬に騎るも、倒しまし白接離を著く。鞭を挙げて葛彊に問うらく、幷州の児に愛將”と。

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李白 (改訂版) 大堤曲  春風は和らぎ暖かであるから、恩恵の深い風も、わたしにとってはまことにつれなくなさけないもので、慕情の夢を冷ましてしまう。恋しいあの人の面影ばかりが目の中に残っているが、それがなかなか見えない。

 
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年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    大堤曲

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:大堤 (山南東道 襄州 襄州)              

襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽        

 

(改訂版) 巻4-16  大堤曲》

大堤曲

(大堤の街の妓女の目線、心持になって構想したもの)

漢水臨襄陽,花開大堤暖。【漢水橫襄陽】

漢江の水は、襄陽城が臨み、城外を圍繞する大隄のまちの上には、花が満開、時候も暖かである。
佳期大堤下,淚向南雲滿。

春になったらと誰もが逢瀬の約束をして南の方に出かけていった、この大堤の下で逢うことを約束したのに来てくれない、南雲をみあげると、涙が満ちてあふれだす。

春風無復情,吹我夢魂散。【春風復無情】

春風は和らぎ暖かであるから、恩恵の深い風も、わたしにとってはまことにつれなくなさけないもので、慕情の夢を冷ましてしまう。

不見眼中人,天長音信斷。

恋しいあの人の面影ばかりが目の中に残っているが、それがなかなか見えない。天は、遠くして、空のかなた、音信は断絶、さていよいよわが心は傷ましく増すばかり。

 

(大堤曲)

漢水は 嚢陽に臨み、花開いて 大堤暖かなり。
佳期 大堤の下【もと】、涙は南雲に向って満つ。
春風 復た 情 無く、我が 夢魂を吹いて散ず
眼中の人を見えず、天 長くして 音信 断ゆ。

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(改訂版) 巻4-16  大堤曲》

『大堤曲』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

大堤曲

漢水臨襄陽,花開大堤暖。【漢水橫襄陽】

佳期大堤下,淚向南雲滿。

春風無復情,吹我夢魂散。【春風復無情】

不見眼中人,天長音信斷。

(下し文)
(大堤曲)

漢水は 嚢陽に臨み、花開いて 大堤暖かなり。
佳期 大堤の下【もと】、涙は南雲に向って満つ。
春風 復た 情 無く、我が 夢魂を吹いて散ず
眼中の人を見えず、天 長くして 音信 断ゆ。

(現代語訳)
(大堤の街の妓女の目線、心持になって構想したもの)

漢江の水は、襄陽城が臨み、城外を圍繞する大隄のまちの上には、花が満開、時候も暖かである。
春になったらと誰もが逢瀬の約束をして南の方に出かけていった、この大堤の下で逢うことを約束したのに来てくれない、南雲をみあげると、涙が満ちてあふれだす。

春風は和らぎ暖かであるから、恩恵の深い風も、わたしにとってはまことにつれなくなさけないもので、慕情の夢を冷ましてしまう。

恋しいあの人の面影ばかりが目の中に残っているが、それがなかなか見えない。天は、遠くして、空のかなた、音信は断絶、さていよいよわが心は傷ましく増すばかり。

嚢陽一帯00
(訳注) (改訂版) 巻4-16  大堤曲》

大堤曲(大隄曲)

(大堤の街の妓女の目線、心持になって構想したもの)

○大堤曲 『楽府詩集』#48「清商曲辞、西曲歌」。襄陽歌から派生したものとされる。 舊唐書《襄陽樂》「宋隨王誕之所作也。誕始為襄陽郡,元嘉二十六年,仍為雍州,夜聞諸女歌謠,因作之。故歌和云「襄陽來夜樂。」其歌曰:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」隨王誕は大隄曲を作ったといわれている。

○大堤/大隄《大清一統志》「隄堰襄陽城隄在府城外」、《湖廣志》「大堤東臨漢江,西自萬山經檀溪、十門、白龍池、東津渡繞城北老龍堤,復至萬山之麓,周圍四十餘里。」

 

漢水臨襄陽,花開大堤暖。【漢水橫襄陽】

漢江の水は、襄陽城が臨み、城外を圍繞する大隄のまちの上には、花が満開、時候も暖かである。
○襄陽 湖北省、漢江にのぞむ町。 

○大堤 襄陽の南郊外にあり、行楽の土地。遊女が住んでいた。

○漢水 襄陽の街を北西から、南東に廻るように流れている。大堤からすると南は下流の方角になり、江南からの人ということになる。あるいは、李白が色町の女性と別れた時に作ったのかもしれない。 

 

佳期大堤下,淚向南雲滿。

春になったらと誰もが逢瀬の約束をして南の方に出かけていった、この大堤の下で逢うことを約束したのに来てくれない、南雲をみあげると、涙が満ちてあふれだす。
○佳期 男女の逢う約束。あいびきの時。

○南雲 晋の陸機の「親(肉親)を憶う賦」に「南雲を指して、まごころを寄せ、帰風を望みて誠をいたす」とあり、故郷の肉親を思うと解釈されることが多いが、恋人を思う気持ちを詠っている。

 

春風無復情,吹我夢魂散。【春風復無情】

春風は和らぎ暖かであるから、恩恵の深い風も、わたしにとってはまことにつれなくなさけないもので、慕情の夢を冷ましてしまう。

○春風 春の風。宋玉 《登徒子好色賦》「寤春風兮發鮮榮。」春風は和らぎ暖かであるから、恩恵の深い喩え。春風は万物を発生するから、人を教育する。


不見眼中人,天長音信斷。

恋しいあの人の面影ばかりが目の中に残っているが、それがなかなか見えない。天は、遠くして、空のかなた、音信は断絶、さていよいよわが心は傷ましく増すばかり。

221 《(改訂版) 巻4-15 襄陽曲,四首之四》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-15 李白と道教(7)襄陽曲四首之四<221> Ⅰ李白詩1457 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5833

李白《(改訂版)  襄陽曲,四首之四  習家の池上は花木の勝があって、まことに宜しい所であるから、そこを散策し酔うのが善い。峴山の上に建つ墮淚碑は羊祜の遺跡であり、これを見ると懐古の念を催すから、まず、見ることである。そして、墮淚碑をみてからは習家池で酔いつぶれよう。

 

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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221 (改訂版) 巻4-15  襄陽曲,四首之四》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-15 李白と道教(7)襄陽曲四首之四<221> Ⅰ李白詩1457 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5833

 

 

734年開元二十二年34

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    襄陽曲,四首之四

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

習家池 (山南東道 襄州 峴山) 別名:習池    

 

 

襄陽曲,四首之四

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第四首は第二首に続いて襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

且醉習家池,莫看墮淚碑。

習家の池上は花木の勝があって、まことに宜しい所であるから、そこを散策し酔うのが善い。峴山の上に建つ墮淚碑は羊祜の遺跡であり、これを見ると懐古の念を催すから、まず、見ることである。そして、墮淚碑をみてからは習家池で酔いつぶれよう。

山公欲上馬,笑殺襄陽兒。

むかし、山公先生は習家の池上に酔うて、また酔うて、それでも馬に乗ろうとするときに、よほどおかしい所作をするというので、襄陽の子供たちは、これを嘲り笑い転げて歌い囃したというが、そんな真似をして飲んで酔うのが善かろう。

 

(襄陽曲,四首之四)

且醉習家池,莫看墮淚碑。山公欲上馬,笑殺襄陽兒。

 

 

 

『襄陽曲,四首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

襄陽曲,四首之四

且醉習家池,莫看墮淚碑。

山公欲上馬,笑殺襄陽兒。

(下し文)
(
襄陽曲,四首之四)

且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。

山公 馬に上らんと欲すれば、笑殺す 嚢陽の児。

(現代語訳)
(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第四首は第二首に続いて襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

習家の池上は花木の勝があって、まことに宜しい所であるから、そこを散策し酔うのが善い。峴山の上に建つ墮淚碑は羊祜の遺跡であり、これを見ると懐古の念を催すから、まず、見ることである。そして、墮淚碑をみてからは習家池で酔いつぶれよう。

むかし、山公先生は習家の池上に酔うて、また酔うて、それでも馬に乗ろうとするときに、よほどおかしい所作をするというので、襄陽の子供たちは、これを嘲り笑い転げて歌い囃したというが、そんな真似をして飲んで酔うのが善かろう。


嚢陽一帯00
(訳注)

襄陽曲,四首之四

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第四首は第二首に続いて襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

 

且醉習家池,莫看墮淚碑。

習家の池上は花木の勝があって、まことに宜しい所であるから、そこを散策し酔うのが善い。峴山の上に建つ墮淚碑は羊祜の遺跡であり、これを見ると懐古の念を催すから、まず、見ることである。そして、墮淚碑をみてからは習家池で酔いつぶれよう。

○習家池 山簡がいつも酔っぱらった高陽池のこと。漢の習郁という人が、養魚のためにこの池をつくり、池のまわりの高い堤に竹などを植え、ハスやヒシで水面をおおい、以来、遊宴の名所となったと「世説」の注に見える。襄陽にある池の名で高陽池(習家池)のこと、刑州にある、晋の山簡は永嘉三年に襄陽に鎮したが、常に習氏の池上に飲み、これを名づけて高陽池といった。杜甫は習池を以て草堂に比している。 杜甫《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》「習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。」

index14廣徳2764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》<762 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395

○堕涙碑 晋の羊祜は、荊州の都督(軍事長官)として襄陽のまちを治めて人望があった。かれは生前、峴に登って酒を飲み、詩を作つたが、かれが死ぬと、襄陽の人びとはその人となりを偲んで、山上に石碑を立てた。その碑をみる人は、かれを思い出して涙を堕さないではいられなかったので、堕涙碑と名づけられた。名づけ親は、羊祜の後任で荊州の都督となった杜預、(杜甫の遠い先祖にあたる)である。

 

山公欲上馬,笑殺襄陽兒。

むかし、山公先生は習家の池上に酔うて、また酔うて、それでも馬に乗ろうとするときに、よほどおかしい所作をするというので、襄陽の子供たちは、これを嘲り笑い転げて歌い囃したというが、そんな真似をして飲んで酔うのが善かろう。

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は『世説新語・任誕第二十三』「山季倫爲荊州,時出酣暢。人爲之歌曰:「山公時一醉,逕造高陽池,日莫倒載歸,酩酊無所知。復能乘駿馬,倒著白接,舉手問葛強,何如并州兒?」高陽池在襄陽。」とある。 

杜甫《章梓州水亭》「城晚通雲霧,亭深到芰荷。吏人橋外少,秋水席邊多。近屬淮王至,高門薊子過。」

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500

○笑殺 穀は調子を強める字。

襄陽兒 襄陽の街の子供たち。

李白の足跡0000 

『襄陽』『山陽記』

   〔習郁池:〕〔裏判〕峴山南八百歩、西下道百歩、有大魚池、漢侍中習郁依萢叢養魚法、池邊有高陂、〔陂長六十歩、廣四十歩〕、當中築一釣臺。郁將亡、勅其長子煥日“葬我必近魚池”、煥爲起家於之北、去池四十歩。〔列植松篁于池側、郁所居也。又作石洑宅北、作小魚池。池長七十歩、廣二十歩。西枕大道、東北二邊限以高隄〕、皆種竹及長愀、芙蓉菱芡覆水、是遊宴名處也。

   〔習郁池:〕〔嚢陽の〕肩山の南のかた八百歩、西に道を下ること百歩に大魚池有り。漢の侍中の習郁は萢姦の養魚法に依る。池辺に高破有り、〔破は長さ六十歩、広さ四十歩〕、中に当たりて一釣壼を築く。郁の将に亡せんとするや、其の長子・換に勅して曰く“我を葬るに必らず魚池に近くせよ”と。喚は為に家を池の北、池を去ること四十歩に起つ。〔松篁を池側に列べ論う。郁の居りし所なり。又た石猷逗を作り、大池の水を痛風に引き、小魚池を作る。池は長さ七十歩、広さ二十歩。西は大道を枕にし、東北の二辺は限るに高論を以てし〕、皆な竹及び長椴を種え、芙蓉・菱茨は水を覆う。是れ遊宴の悪処なり。

 

   〔山簡〕山季倫鎮襄陽、毎臨此池、未嘗不大酔而還、恒日“此是我高陽池也”。襄陽城中小児歌之日“山公何所詣、往至高陽池’。日夕倒載歸。茗芋無所知。時時能騎馬、倒著白接離。擧鞭問葛彊、何如幷州児”。〔彊家在幷州、簡愛將也〕。

 

   山季倫はめんてい襄陽に鎮たりしとき、此の池に臨む毎に、未だ嘗て大いに酔いて還らざるなし。恒に曰く“此れ由れ我が高批の池なり”と。嚢陽の城中の小児は之を歌いて曰く“山公は何れの所にか詣る、往いて高峯池に至る。日夕に倒載せられて帰り、茗棄して知る所無し。時時に能く馬に騎るも、倒しまし白接離を著く。鞭を挙げて葛彊に問うらく、幷州の児に愛將”と。


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李白 襄陽曲,四首之三(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第三首は襄陽の峴山の上に立てられた晋のこの地の太守であった羊祜の記念碑「墮淚碑」について詠う)峴山は漢江に臨んでそびえたつ、漢江のながれる水はいつも清く澄み、両川辺の砂は雪のような白さだ。

 

 

 
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襄陽曲,四首之一

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)

襄陽行樂處,歌舞白銅鞮。

襄陽は、風土もよく、山水も明媚であってもっともたのしい行楽の場所である。士女、庶民は、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったり伝誦している。

江城回淥水,花月使人迷。

漢水の緑に澄んだ大江のながれは江城をめぐるのを峴山はのぞむ、この街のなまめかしい花と月とは、人の心をまよわせるばかりである。

襄陽曲四首其の一

襄陽 行楽の処、歌舞 白銅蹄。

江城 を回し、花月 人をして迷わせる。

 

 

襄陽曲四首 其二

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第二首は襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

山公醉酒時、酩酊高陽下。

むかし、山簡先生はいつもお酒に酔っている、野酒酩酊して、かならず高陽池のほとりでおりていた。

頭上白接籬、倒著還騎馬。

その揚げ句には、あたまの上には、白い帽子。それを前後逆さに取り違えてかぶりながら、それも知らずに馬に跨り、平気で乗り回していた。

 

(襄陽曲四首 其の二)

山公 酒に酔うの時、酩酊す 高陽の下。

頭上の 白接籬、倒しまに着けて還た馬に騎す。

 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    襄陽曲,四首之三

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山    

 

 

襄陽曲,四首之三

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第三首は襄陽の峴山の上に立てられた晋のこの地の太守であった羊祜の記念碑「墮淚碑」について詠う)

峴山臨漢江,水綠沙如雪。【水色如霜雪】

峴山は漢江に臨んでそびえたつ、漢江のながれる水はいつも清く澄み、両川辺の砂は雪のような白さだ。

上有墮淚碑,青苔久磨滅。

むかし、晋の羊祜は、この地の太守になって、民の恩恵を施したことにより、その薧後、民はその遺徳を思い、その記念として峴山山上には「墮淚碑」を建てた、しかし、歳月はしきりに過ぎ、その碑はいまや磨滅し、 青苔におおわれたままうもれて見えない。

 

(襄陽曲,四首の三)

峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し。

上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す。

 

嚢陽一帯00 

『襄陽曲,四首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

襄陽曲,四首之三

峴山臨漢江,水綠沙如雪。【水色如霜雪】

上有墮淚碑,青苔久磨滅。


(下し文)
(襄陽曲,四首の三)

峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し。

上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す。


(現代語訳)
(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第三首は襄陽の峴山の上に立てられた晋のこの地の太守であった羊祜の記念碑「墮淚碑」について詠う)

峴山は漢江に臨んでそびえたつ、漢江のながれる水はいつも清く澄み、両川辺の砂は雪のような白さだ。

むかし、晋の羊祜は、この地の太守になって、民の恩恵を施したことにより、その薧後、民はその遺徳を思い、その記念として峴山山上には「墮淚碑」を建てた、しかし、歳月はしきりに過ぎ、その碑はいまや磨滅し、 青苔におおわれたままうもれて見えない。



(訳注)

襄陽曲,四首之三

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第三首は襄陽の峴山の上に立てられた晋のこの地の太守であった羊祜の記念碑「墮淚碑」について詠う)

襄陽曲 六朝の宋の隋王誕が作ったといわれる「襄陽楽」という歌謡に、「朝に襄陽城を発し、暮に大隄の宿に至る。大隄の諸女児、花顛郡の目を驚かす」とある。襄陽曲は、すなわち襄陽楽であり、李白のこの第一首の結句は、隋王誕の歌の結句と似ている。舊唐書に次のように見える。舊唐書《襄陽樂》「宋隨王誕之所作也。誕始為襄陽郡,元嘉二十六年,仍為雍州,夜聞諸女歌謠,因作之。故歌和云「襄陽來夜樂。」其歌曰:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」裴子野《宋略》稱:「晉安侯劉道為雍州刺史,有惠化,百姓歌之,號《襄陽楽》。」(襄陽楽は宋の隨王誕の作る所なり。誕 始めて襄陽郡と為る,元嘉二十六年,仍って雍州と為る,夜 諸女の歌謠を聞き,因って之を作る。故に歌和して云う「襄陽來夜樂。」其の歌に曰う:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」裴子野の《宋略》に稱す:「晉安侯 劉道 雍州刺史と為って,惠化有り,百姓之を歌い,《襄陽楽》と號す。)

なお、李白の、次にあげた「大隄の曲」、および 前の「嚢陽の歌」を参照されたい。○襄陽 いまの湖北省襄陽県。漢水にのぞむ町。李白はこの地から遠からぬ安陸に、三十歳前後の頃、定住していた。また、李白の敬愛する先輩の詩人、孟浩然は、裏陽の旧家の出身であり、一度は杜甫に連れられ玄宗にお目通りしたが仕えず、この地の隠者として終った。

 

峴山臨漢江,水綠沙如雪。【水色如霜雪】

峴山は漢江に臨んでそびえたつ、漢江のながれる水はいつも清く澄み、両川辺の砂は雪のような白さだ。

○峴山 襄陽県の東南にある山で、漢水にのぞむ。唐代の名勝の地。

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○漢江 漢水とおなじ。長江の一番大きな支流。 

 

上有墮淚碑,青苔久磨滅。

むかし、晋の羊祜は、この地の太守になって、民の恩恵を施したことにより、その薧後、民はその遺徳を思い、その記念として峴山山上には「墮淚碑」を建てた、しかし、歳月はしきりに過ぎ、その碑はいまや磨滅し、 青苔におおわれたままうもれて見えない。

○堕涙碑 晋の羊祜は、荊州の都督(軍事長官)として襄陽のまちを治めて人望があった。かれは生前、峴に登って酒を飲み、詩を作つたが、かれが死ぬと、襄陽の人びとはその人となりを偲んで、山上に石碑を立てた。その碑をみる人は、かれを思い出して涙を堕さないではいられなかったので、堕涙碑と名づけられた。名づけ親は、羊祜の後任で荊州の都督となった杜預、(杜甫の遠い先祖にあたる)である。

 

襄陽曲,四首其三 

峴山臨漢江、水淥沙如雪。

上有墮淚碑、青苔久磨滅。
李白の足跡0000 

219 《(改訂版) 巻4-13 襄陽曲,四首之二》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-13 李白と道教(7)襄陽曲四首之二<219> Ⅰ李白詩1455 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5823

李白 《(改訂版) 襄陽曲,四首之二  (襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第二首は襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)むかし、山簡先生はいつもお酒に酔っている、野酒酩酊して、かならず高陽池のほとりでおりていた。

 
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219 (改訂版) 巻4-13  襄陽曲,四首之二》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-13 李白と道教(7)襄陽曲四首之二<219> Ⅰ李白詩1455 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5823

 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    襄陽曲,四首之二

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

高陽池 (山南東道 襄州 襄州)         

 

 

襄陽曲,四首之一

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)

襄陽行樂處,歌舞白銅鞮。

襄陽は、風土もよく、山水も明媚であってもっともたのしい行楽の場所である。士女、庶民は、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったり伝誦している。

江城回淥水,花月使人迷。

漢水の緑に澄んだ大江のながれは江城をめぐるのを峴山はのぞむ、この街のなまめかしい花と月とは、人の心をまよわせるばかりである。

襄陽曲四首其の一

襄陽 行楽の処、歌舞 白銅蹄。

江城 を回し、花月 人をして迷わせる。

 

 

襄陽曲四首 其二

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第二首は襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

山公醉酒時、酩酊高陽下。

むかし、山簡先生はいつもお酒に酔っている、野酒酩酊して、かならず高陽池のほとりでおりていた。

頭上白接籬、倒著還騎馬。

その揚げ句には、あたまの上には、白い帽子。それを前後逆さに取り違えてかぶりながら、それも知らずに馬に跨り、平気で乗り回していた。

 

(襄陽曲四首 其の二)

山公 酒に酔うの時、酩酊す 高陽の下。

頭上の 白接籬、倒しまに着けて還た馬に騎す。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->嚢陽一帯00
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『襄陽曲四首 其二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

襄陽曲四首 其二

山公醉酒時、酩酊高陽下。

頭上白接籬、倒著還騎馬。

(下し文)
(襄陽曲四首 其の二)

山公 酒に酔うの時、酩酊す 高陽の下。

頭上の 白接籬、倒しまに着けて還た馬に騎す。

(現代語訳)
(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第二首は襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

むかし、山簡先生はいつもお酒に酔っている、野酒酩酊して、かならず高陽池のほとりでおりていた。

その揚げ句には、あたまの上には、白い帽子。それを前後逆さに取り違えてかぶりながら、それも知らずに馬に跨り、平気で乗り回していた。



(訳注)

襄陽曲四首 其二

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第二首は襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

襄陽曲 六朝の宋の隋王誕が作ったといわれる「襄陽楽」という歌謡に、「朝に襄陽城を発し、暮に大隄の宿に至る。大隄の諸女児、花顛郡の目を驚かす」とある。襄陽曲は、すなわち襄陽楽であり、李白のこの第一首の結句は、隋王誕の歌の結句と似ている。舊唐書に次のように見える。舊唐書《襄陽樂》「宋隨王誕之所作也。誕始為襄陽郡,元嘉二十六年,仍為雍州,夜聞諸女歌謠,因作之。故歌和云「襄陽來夜樂。」其歌曰:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」裴子野《宋略》稱:「晉安侯劉道為雍州刺史,有惠化,百姓歌之,號《襄陽楽》。」(襄陽楽は宋の隨王誕の作る所なり。誕 始めて襄陽郡と為る,元嘉二十六年,仍って雍州と為る,夜 諸女の歌謠を聞き,因って之を作る。故に歌和して云う「襄陽來夜樂。」其の歌に曰う:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」裴子野の《宋略》に稱す:「晉安侯 劉道 雍州刺史と為って,惠化有り,百姓之を歌い,《襄陽楽》と號す。)

 

山公醉酒時、酩酊高陽下。

むかし、山簡先生はいつもお酒に酔っている、野酒酩酊して、かならず高陽池のほとりでおりていた。

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は『世説新語・任誕第二十三』「山季倫爲荊州,時出酣暢。人爲之歌曰:「山公時一醉,逕造高陽池,日莫倒載歸,酩酊無所知。復能乘駿馬,倒著白接,舉手問葛強,何如并州兒?」高陽池在襄陽。」とある。 

杜甫《章梓州水亭》「城晚通雲霧,亭深到芰荷。吏人橋外少,秋水席邊多。近屬淮王至,高門薊子過。」

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500

荊州愛山簡,吾醉亦長歌。

○高陽 嚢陽にある池の名で高陽池(習家池)のこと、刑州にある、晋の山簡は永嘉三年に襄陽に鎮したが、常に習氏の池上に飲み、これを名づけて高陽池といった。杜甫は習池を以て草堂に比している。 杜甫《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》「習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。」

index14廣徳2764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》<762 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395

 

頭上白接籬、倒著還騎馬。

その揚げ句には、あたまの上には、白い帽子。それを前後逆さに取り違えてかぶりながら、それも知らずに馬に跨り、平気で乗り回していた。

○白接離  (はくせつり、りの草冠はあみ頭) 罷膏の山簡がかぶった白巾の帽子。接離は帽子。 杜甫《陪鄭広文遊何将軍山林十首 其八》「醉把青荷葉,狂遺白接蘺。」

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其八 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 62
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李白 襄陽曲,四首之一(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)襄陽は、風土もよく、山水も明媚であってもっともたのしい行楽の場所である。士女、庶民は、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったり伝誦している。

 

 
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年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    襄陽曲,四首之一

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

襄陽曲,四首之一:(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)

襄陽曲,四首之二

襄陽曲,四首之三

襄陽曲,四首之四

大堤曲

襄陽歌

 

 

襄陽曲,四首之一

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)

襄陽行樂處,歌舞白銅鞮。

襄陽は、風土もよく、山水も明媚であってもっともたのしい行楽の場所である。士女、庶民は、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったり伝誦している。

江城回淥水,花月使人迷。

漢水の緑に澄んだ大江のながれは江城をめぐるのを峴山はのぞむ、この街のなまめかしい花と月とは、人の心をまよわせるばかりである。

 

襄陽曲四首其の一

襄陽 行楽の処、歌舞 白銅蹄。

江城 を回し、花月 人をして迷わせる。

 

嚢陽一帯00 

『襄陽曲,四首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

襄陽曲四首其一

其一

襄陽行樂處。 歌舞白銅蹄。

江城回水。 花月使人迷。

(下し文)
襄陽曲四首其の一

襄陽 行楽の処、歌舞 白銅蹄。

江城 を回し、花月 人をして迷わせる。


(現代語訳)
(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)

襄陽は、風土もよく、山水も明媚であってもっともたのしい行楽の場所である。士女、庶民は、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったり伝誦している。

漢水の緑に澄んだ大江のながれは江城をめぐるのを峴山はのぞむ、この街のなまめかしい花と月とは、人の心をまよわせるばかりである。


(訳注)

襄陽曲四首其一

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)

襄陽曲 六朝の宋の隋王誕が作ったといわれる「襄陽楽」という歌謡に、「朝に襄陽城を発し、暮に大隄の宿に至る。大隄の諸女児、花顛郡の目を驚かす」とある。襄陽曲は、すなわち襄陽楽であり、李白のこの第一首の結句は、隋王誕の歌の結句と似ている。舊唐書に次のように見える。舊唐書《襄陽樂》「宋隨王誕之所作也。誕始為襄陽郡,元嘉二十六年,仍為雍州,夜聞諸女歌謠,因作之。故歌和云「襄陽來夜樂。」其歌曰:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」裴子野《宋略》稱:「晉安侯劉道為雍州刺史,有惠化,百姓歌之,號《襄陽楽》。」(襄陽楽は宋の隨王誕の作る所なり。誕 始めて襄陽郡と為る,元嘉二十六年,仍って雍州と為る,夜 諸女の歌謠を聞き,因って之を作る。故に歌和して云う「襄陽來夜樂。」其の歌に曰う:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」裴子野の《宋略》に稱す:「晉安侯 劉道 雍州刺史と為って,惠化有り,百姓之を歌い,《襄陽楽》と號す。)

なお、李白の、次にあげた「大隄の曲」、および 前の「嚢陽の歌」を参照されたい。○襄陽 いまの湖北省襄陽県。漢水にのぞむ町。李白はこの地から遠からぬ安陸に、三十歳前後の頃、定住していた。また、李白の敬愛する先輩の詩人、孟浩然は、裏陽の旧家の出身であり、一度は杜甫に連れられ玄宗にお目通りしたが仕えず、この地の隠者として終った。

 

襄陽行樂處。 歌舞白銅蹄。

襄陽は、風土もよく、山水も明媚であってもっともたのしい行楽の場所である。士女、庶民は、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったり伝誦している。

白銅蹄 六朝時代に襄陽に流行した童謡の題。別に参考としては、『楽府詩集』に収められる「襄陽楽九首」、張鈷「襄陽楽」、崔国輔「襄陽曲二首」、施肩吾「襄陽曲」、李端「襄陽曲」、梁・武帝「襄陽躇銅蹄三首」、沈約「襄陽固銅蹄三首」〔以上巻四八〕、「襄陽童児歌」〔巻八五〕) 

白銅蹄は随所に以下のように見える。 《隋書》卷十三《音樂志上》「初武帝之在雍鎮,有童謠云:「襄陽白銅蹄,反縛揚州兒。」識者言,白銅蹄謂馬也。白, 金色也。 及義師之興, 實以鐵騎, 揚州之士, 皆面縛, 果如謠言。 故即位之後, 更造新聲, 帝自為之詞三曲, 又令沈約為三曲, 以被絃管。」(初め武帝の雍鎮に在るや,童謠有り 云う:「襄陽 白銅蹄は,反縛揚州兒と。」識者は言う,白銅蹄は馬を謂うなり。白は, 金色なり。義師の興るに及び, 實に鐵騎を以てす, 揚州の士, 皆 面縛すること, 果して謠言の如し。 故に即位の後, 更めて新聲を造る, 帝 自ら之が詞三曲を為り, 又 沈約をして三曲を為ら令め, 以て絃管に被らしむ。)

 

江城回淥水。 花月使人迷。

漢水の緑に澄んだ大江のながれは江城をめぐるのを峴山はのぞむ、この街のなまめかしい花と月とは、人の心をまよわせるばかりである。

淥水 清らかな水。漢水の事。 

花月 花と月と。風流なあそびをさそうもの。
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