漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳

251 《巻25- 庭前晚花開》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <251> Ⅰ李白詩1501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6053

李白  庭前花開  

西王母桃種我家,三千陽春始一花。

結實苦遲為人笑,攀折唧唧長咨嗟。

(折角桃を庭前に植えたものの、咲いたのは春の末になってからというので戯れにこの詩を作った。)西王母の大切にしたという仙桃を我が家に種えたが、そもそも、三千年を経て、はじめて一たび花を開くというもの、それでも、今、春も終ろうとする頃に成って、やつと花をひらいたというのも、まことに無理ならぬことである。

 

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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷八八二              文體:    七言古詩

詩題:    庭前晚花開

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

庭前花開

(折角桃を庭前に植えたものの、咲いたのは春の末になってからというので戯れにこの詩を作った。)

西王母桃種我家,三千陽春始一花。

西王母の大切にしたという仙桃を我が家に種えたが、そもそも、三千年を経て、はじめて一たび花を開くというもの、それでも、今、春も終ろうとする頃に成って、やつと花をひらいたというのも、まことに無理ならぬことである。

結實苦遲為人笑,攀折唧唧長咨嗟。

しかし、実がなるにも、又、三千年を経て一たび實を結ぶという位で、なかなか遅くて、待つ者にとっては、笑うだけである。そこで、木を攣ぢて、にぎやかに愚痴を言いあって、ぶつぶついいつつ、長しへに、嘆息していくだけである。

 

(庭前の 花は開)

西王母の桃 我が家に種う,三千の陽春 始めて 一たび花さく。

實を結ぶ 苦はだ遲く 人 笑うを為す,攀折 唧唧 長しえに咨嗟す。

 

 

『庭前晚花開』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

庭前晚花開

西王母桃種我家,三千陽春始一花。

結實苦遲為人笑,攀折唧唧長咨嗟

(下し文)
(
庭前の晚 花は開)

西王母の桃 我が家に種う,三千の陽春 始めて 一たび花さく。

實を結ぶ 苦はだ遲く 人 笑うを為す,攀折 唧唧 長しえに咨嗟す

(現代語訳)
(折角桃を庭前に植えたものの、咲いたのは春の末になってからというので戯れにこの詩を作った。)

西王母の大切にしたという仙桃を我が家に種えたが、そもそも、三千年を経て、はじめて一たび花を開くというもの、それでも、今、春も終ろうとする頃に成って、やつと花をひらいたというのも、まことに無理ならぬことである。

しかし、実がなるにも、又、三千年を経て一たび實を結ぶという位で、なかなか遅くて、待つ者にとっては、笑うだけである。そこで、木を攣ぢて、にぎやかに愚痴を言いあって、ぶつぶついいつつ、長しへに、嘆息していくだけである。


(訳注)

庭前晚花開

(折角桃を庭前に植えたものの、咲いたのは春の末になってからというので戯れにこの詩を作った。)

桃の木を植えて、通常日本だと、桃栗三年というから、その程度のことを面白おかしく表現したのであろう、李白の詩の中で、最駄作といわれているが、安陸の新婚の住まいの出来事として考えれば微笑ましいのではないだろうか。

 

西王母桃種我家,三千陽春始一花。

西王母の大切にしたという仙桃を我が家に種えたが、そもそも、三千年を経て、はじめて一たび花を開くというもの、それでも、今、春も終ろうとする頃に成って、やつと花をひらいたというのも、まことに無理ならぬことである。

○西王母桃・三千陽春始一花 《漢武内傳》 七月七日,西王母降,以仙桃四与帝。 又命侍女更索桃果 須臾以玉盤盛仙桃七顆 大如鴨卵 形圓靑色 以呈王母 母以四顆與帝 三顆自食 桃味甘美 口有盈味 帝食輒收其核,王母問帝,帝曰:「欲種之。」母曰:「此桃三千年一開花、三千年一生實,中夏地薄,種之不生。帝乃止。」に基づく。

七月七日、西王母降りる、侍女、玉盤を以て仙桃七鵜を盛る、大さ鴨卵の如く、形圓くして青色、以て王母に呈す。母、四顆を以て帝に与え、三顆は自ら食ふ。桃の味甘美、口に盈味あり、帝、食して輒ち其核を收む。王母、帝に問う。帝日く、これを植えむと欲す、と。王母日く、この桃、三千年に一たび花を開き、三千年に一たび實を結ぶ、中夏地薄く、これを種うるも生せずと。帝乃ち止む」とあるのを用いて構想したのである。

西王母(せいおうぼ、さいおうぼ)は、中国で古くから信仰された女仙、女神。姓は楊、名は回。九霊太妙亀山金母、太霊九光亀台金母、瑶池金母、王母娘娘などともいう。

王母は祖母の謂いであり、西王母とは、西方の崑崙山上に住いする女性の尊称である。すべての女仙たちを統率する聖母。東王父に対応する。

周の穆王が西に巡符して崑崙に遊び、彼女に会い、帰るのを忘れたという。また前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという。

 

結實苦遲為人笑,攀折唧唧長咨嗟。

しかし、実がなるにも、又、三千年を経て一たび實を結ぶという位で、なかなか遅くて、待つ者にとっては、笑うだけである。そこで、木を攣ぢて、にぎやかに愚痴を言いあって、ぶつぶついいつつ、長しへに、嘆息していくだけである。

○苦遲 甚だ遅いことをいう。

唧唧 (にぎやかに談笑する声など)がやがや、ぶつぶつ、わいわいと花が遅く咲いたことで戯れて談笑する。

250(改訂版Ver.2.1) 《巻24- 贈內》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <250> Ⅰ李白詩1507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6083

李白  贈  

三百六十日,日日醉如泥。

雖為李白婦,何異太常妻。

(詩を妻に贈る。)

われ李白は、酒が好きであって、一年三百六十日、日として酔わぬことはなく、酔えば泥のごとく如く、まことにたわいもない態である。汝は名こそ李白の妻といふものの、太常の妻と区別なく、なんといっても気の毒なことだということだとは思っている。

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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一八四              文體:    五言

詩題:   

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

(改訂版Ver.2.1)


(詩を妻に贈る。)

三百六十日,日日醉如泥。

われ李白は、酒が好きであって、一年三百六十日、日として酔わぬことはなく、酔えば泥のごとく如く、まことにたわいもない態である。

雖為李白婦,何異太常妻。

むかし、後漢の周澤は、太常となり、一年三百五十九日は齋で、冥府を近づけず、たった一日、齋【ものいみ】せぬことがあっても、其の時は酔って泥の如くであったというが、汝は名こそ李白の妻といふものの、太常の妻と区別なく、なんといっても気の毒なことだということだとは思っている。

 

(内に 贈る)

三百 六十日,日日  醉いて 泥の如し。

李白の婦 爲りと 雖も,何ぞ 太常の妻に 異ならん。

 

 

(改訂版Ver.2.1)

『贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)


三百六十日,日日醉如泥。

雖為李白婦,何異太常妻。

(下し文)
内に 贈る

三百 六十日,日日  醉いて 泥の如し。

李白の婦 爲りと 雖も,何ぞ 太常の妻に 異ならん。

(現代語訳)
(詩を妻に贈る。)

われ李白は、酒が好きであって、一年三百六十日、日として酔わぬことはなく、酔えば泥のごとく如く、まことにたわいもない態である。

むかし、後漢の周澤は、太常となり、一年三百五十九日は齋で、冥府を近づけず、たった一日、齋【ものいみ】せぬことがあっても、其の時は酔って泥の如くであったというが、汝は名こそ李白の妻といふものの、太常の妻と区別なく、なんといっても気の毒なことだということだとは思っている。


(訳注) (改訂版Ver.2.1)

贈内

(詩を妻に贈る。)

李白は妻に贈った詩をいくつか残している。これはそのなかでも特に有名なもの。ただ書かれた時期や、どの妻なのかは、正確にはわかっていない。また、酔っぱらって帰ってきて、奥さんに叱られた時の誤魔化しの雰囲気を漂わせた作品という解釈もあるが、実際そんなことをするだろうか。


三百六十日,日日醉如泥。

われ李白は、酒が好きであって、一年三百六十日、日として酔わぬことはなく、酔えば泥のごとく如く、まことにたわいもない態である。

日日 毎日。 

醉如泥 ひどく酒に酔う。泥のように酔う。

 

雖爲李白婦,何異太常妻。

むかし、後漢の周澤は、太常となり、一年三百五十九日は齋で、冥府を近づけず、たった一日、齋【ものいみ】せぬことがあっても、其の時は酔って泥の如くであったというが、汝は名こそ李白の妻といふものの、太常の妻と区別なく、なんといっても気の毒なことだということだとは思っている。

○この二句 李白の嫁とはいっても、一体どこが(漢の周澤)太常の妻と異なろうか。 ・雖:…とはいっても。…といえども。 ・爲:…である。 ・婦:嫁。妻。・何:なんぞ。反語。疑問。 

○太常 卿の一。礼儀、祭祀を掌る官(『後漢書・百官』)。大常は身を清め命令通りに誠心誠意祭祀を執り行っていた。周沢はしばしば病気になり、斎宮に病臥していたが、妻は周沢の持病を心配し、病状をうかがい尋ねて来た。しかし、夫の周沢は、妻が斎戒の禁を犯したと大いに怒り、妻を監獄に送って謝罪した。世間の人は、その行為をきわどいことだと考えて、次のように語りあっていた。「今の世に調和しないことがある,太常は妻をめとった。一三百六十日であるが,三百五十九日に齋しい、というのもその一日、泥酔したようなもので許さないというのだ。」

《後漢書.儒林傳》:後漢周澤太常,虔敬宗廟,常臥疾齋宮,其妻哀其老病,窺問疾苦。澤大怒,以妻干犯齋禁,收送詔獄,時人譏之曰「生世不諧,作太常妻。一三百六十日,三百五十九日齋、一日不齋酔如泥。」

「周澤、太常となり、清潔循行、敬を宗廟に盡す、かつて、病に齋官に臥す、その妻、澤の老病む哀んで、苦しむところ私闘い問う。澤、大に怒り、妻が齋禁を干犯ぜしを以て、遂に収めて詔獄に送って、罪を謝す、常世、その詭激を疑ふ。時人、これが語を為して日く、生世不、作大常妻、一歳三百六十日、二百五十九日、一日不齋酔如泥」とある。

・齋【ものいみ 神道で、ものいみ(潔斎)をして神に仕えること。また、その人 (神道); 斎: 断食と食物品目の制限。食事のみならず行動も律し、祈りを増やす事が求められる。ここでは、太常の周澤にたいする齋をいう。

 

(内に 贈る)

三百 六十日,日日  醉いて 泥の如し。

李白の婦 爲りと 雖も,何ぞ 太常の妻に 異ならん。

249(改訂版Ver.2.1) 《巻22-19 春日獨酌二首 其二》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <249> Ⅰ李白詩1506 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6078

李白  春日獨酌,二首之二  

我有紫霞想,緬懷滄洲間。思對一壺酒,澹然萬事閒。

橫琴倚高松,把酒望遠山。長空去鳥沒,落日孤雲還。

但恐光景晚,宿昔成秋顏。

春日獨酌,二首之二:(春の日に当たり、一人で酒を酌み詠ったもの。)私は老荘思想、神仙の思想を志し、仙人となって紫霞を餐したいとおもっている、常々はるかさきの隠者の棲む滄洲を思っている。ここに暫く、一壷の酒に対し、何もこだわらず、浮世の事に自然にふるまうほどの心静かなものである。

249(改訂版Ver.2.1) 《巻22-19 春日獨酌二首 其二》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <249> Ⅰ李白詩1506 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6078


 
 2015年5月31日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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71 《巻04-17 哭楊兵部凝陸歙州參》 (人皆期七十,) 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1419> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6079 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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年:737年開元二十五年37

卷別:  卷一八二        文體:  五言古詩

詩題:  春日獨酌,二首之二

作地點:        安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

(改訂版Ver.2.1)

春日獨酌,二首之二

春日獨酌,二首之二:(春の日に当たり、一人で酒を酌み詠ったもの。)

我有紫霞想,緬懷滄洲間。

私は老荘思想、神仙の思想を志し、仙人となって紫霞を餐したいとおもっている、常々はるかさきの隠者の棲む滄洲を思っている。
思對一壺酒,澹然萬事閒。

ここに暫く、一壷の酒に対し、何もこだわらず、浮世の事に自然にふるまうほどの心静かなものである。
橫琴倚高松,把酒望遠山。

そこで琴をたずさえて、高松の木に寄りかかり、 酒を把って遠山を眺めている。

長空去鳥沒,落日孤雲還。

大空に鳥が去って、姿も見えなくなった、夕日は沈み、孤雲が流れて帰って行った。

但恐光景晚,宿昔成秋顏。

ただ恐れるところは、光陰は移りやすく、景色は暮れていくものだし、 むかし紅顔であったものが、やがて衰容に変ずることである。
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(春日獨酌,二首之二)

我に 紫霞の想 有り、緬懐す 滄洲の間を。

思いは 一壷の酒に対し、澹然【たんぜん】として万事閑なり。 

琴を横えて高松に倚り、酒を把って遠山を望む。

長空 鳥去って没し、落日 孤雲 還る。

但だ恐る 光景 晩く、宿昔 秋顔を成すを。

 

 

(改訂版Ver.2.1)

『春日獨酌,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

春日獨酌,二首之二

我有紫霞想,緬懷滄洲間。

思對一壺酒,澹然萬事閒。

橫琴倚高松,把酒望遠山。

長空去鳥沒,落日孤雲還。

但恐光景晚,宿昔成秋顏。


(含異文)

我有紫霞想,緬懷滄洲間。思對一壺酒【且對一壺酒】,澹然萬事閒。橫琴倚高松,把酒望遠山。長空去鳥沒,落日孤雲還。但恐光景晚,宿昔成秋顏。


(下し文)
(春日獨酌,二首之二)

我に 紫霞の想 有り、緬懐す 滄洲の間を。

思いは 一壷の酒に対し、澹然【たんぜん】として万事閑なり。 

琴を横えて高松に倚り、酒を把って遠山を望む。

長空 鳥去って没し、落日 孤雲 還る。

但だ恐る 光景 晩く、宿昔 秋顔を成すを。

 

(現代語訳)
春日獨酌,二首之二:(春の日に当たり、一人で酒を酌み詠ったもの。)

私は老荘思想、神仙の思想を志し、仙人となって紫霞を餐したいとおもっている、常々はるかさきの隠者の棲む滄洲を思っている。
ここに暫く、一壷の酒に対し、何もこだわらず、浮世の事に自然にふるまうほどの心静かなものである。
そこで琴をたずさえて、高松の木に寄りかかり、 酒を把って遠山を眺めている。

大空に鳥が去って、姿も見えなくなった、夕日は沈み、孤雲が流れて帰って行った。

ただ恐れるところは、光陰は移りやすく、景色は暮れていくものだし、むかし紅顔であったものが、やがて衰容に変ずることである。


(訳注) (改訂版Ver.2.1)

春日獨酌,二首之二

春日獨酌,二首之二:(春の日に当たり、一人で酒を酌み詠ったもの。)

 

我有紫霞想、緬懷滄洲間。 
私は老荘思想、神仙の思想を志し、仙人となって紫霞を餐したいとおもっている、常々はるかさきの隠者の棲む滄洲を思っている。
紫霞想 紫霞をしたいということを思っている。老子をも示す。紫霞は仙人の宮殿を言う。この場合紫が老荘思想で、霞は神仙思想とする。また紫は天子を示す。ここでは仙人志願をしているということ。。

 遙かな。とおくに。

滄州 隠者の棲む場所。東海の神仙三山の海、滄海が臨めるあたり。


思對一壺酒、澹然萬事閑。 
ここに暫く、一壷の酒に対し、何もこだわらず、浮世の事に自然にふるまうほどの心静かなものである。
澹然 物事にこだわらない自然にふるまう道教の教えをきほんにする。


橫琴倚高松、把酒望遠山。 
そこで琴をたずさえて、高松の木に寄りかかり、 酒を把って遠山を眺めている。


長空去鳥沒、落日孤雲還。 
大空に鳥が去って、姿も見えなくなった、夕日は沈み、孤雲が流れて帰って行った。


但恐光景晚、宿昔成秋顏。 
ただ恐れるところは、光陰は移りやすく、景色は暮れていくものだし、 むかし紅顔であったものが、やがて衰容に変ずることである。
光景 景色。ひかり。ありさま。  

宿昔 以前。むかし。昔は紅顔であった。  

秋顔 老顔。衰容。

 

 

春日獨酌,二首之一

(春の日に当たり、一人で酒を酌み詠ったもの。)

東風扇淑氣,水木榮春暉。

東風はめでたい生気をあおり、天地山河いたるところに瑞祥の気が満ちて、水は根から吸収されて木が生まれ、万物を成長させる相生関係に在る水や木は 春の暖かい陽光につつまれる。

白日照綠草,落花散且飛。

曇りのない日中の輝く太陽は 萌黄色の成長する草草を照らしている、落ちる花びらは 静心無く散り、そして、ひるがえる。

孤雲還空山,鳥各已歸。

眺め遣れば、ポツンとした雲はゆるく引いて、人気ない山にかえっていく、あつまって鳴き騒いでいた鳥達も それぞれねぐらに帰った。 
彼物皆有託,吾生獨無依。

それら萬物は、おのおの皆、身を寄せるところがあって落ち着いて居る、吾のみ、生きるところ、そして、独り身を寄せるところはない。 
對此石上月,長醉歌芳菲。

この石の上にのぼる月に対し、杯を傾け、長醉すること、草花のかんばしい香りを歌うことよりほかにないのである。

(春日獨酌,二首之一)

東風 淑気【しゅくき】を扇【あお】ぎ、水木 春暉に栄ゆ。

白日 緑草を照らし、 落花 散じ且つ飛ぶ。

孤雲 空山に還り、衆鳥 各(おのおの)已に帰る。

彼の物 皆 托する有るも、 吾が生 独り依る無し。

此の石上の月に対し、 長酔して芳菲に歌う。


248 《巻22-18 春日獨酌二首 其一》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <248> Ⅰ李白詩1498 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6038

李白  春日獨酌,二首之一  

東風扇淑氣,水木榮春暉。白日照綠草,落花散且飛。

孤雲還空山,鳥各已歸。彼物皆有託,吾生獨無依。

對此石上月,長醉歌芳菲。

(春の日に当たり、一人で酒を酌み詠ったもの。)東風はめでたい生気をあおり、天地山河いたるところに瑞祥の気が満ちて、水は根から吸収されて木が生まれ、万物を成長させる相生関係に在る水や木は 春の暖かい陽光につつまれる。

 

248 《巻22-18 春日獨酌二首 其一》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <248> Ⅰ李白詩1498 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6038

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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248 《巻22-18 春日獨酌二首 其一》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <248> Ⅰ李白詩1498 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6038 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog元結 《舂陵行(并序)-#7》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6075 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四10望江怨》『花間集』161全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6077 
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年:737年開元二十五年37

卷別:  卷一八二        文體:  五言古詩

詩題:  春日獨酌,二首之一

作地點:        安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

春日獨酌,二首之一

(春の日に当たり、一人で酒を酌み詠ったもの。)

東風扇淑氣,水木榮春暉。

東風はめでたい生気をあおり、天地山河いたるところに瑞祥の気が満ちて、水は根から吸収されて木が生まれ、万物を成長させる相生関係に在る水や木は 春の暖かい陽光につつまれる。

白日照綠草,落花散且飛。

曇りのない日中の輝く太陽は 萌黄色の成長する草草を照らしている、落ちる花びらは 静心無く散り、そして、ひるがえる。

孤雲還空山,鳥各已歸。

眺め遣れば、ポツンとした雲はゆるく引いて、人気ない山にかえっていく、あつまって鳴き騒いでいた鳥達も それぞれねぐらに帰った。 
彼物皆有託,吾生獨無依。

それら萬物は、おのおの皆、身を寄せるところがあって落ち着いて居る、吾のみ、生きるところ、そして、独り身を寄せるところはない。 
對此石上月,長醉歌芳菲。

この石の上にのぼる月に対し、杯を傾け、長醉すること、草花のかんばしい香りを歌うことよりほかにないのである。

(春日獨酌,二首之一)

東風 淑気【しゅくき】を扇【あお】ぎ、水木 春暉に栄ゆ。

白日 緑草を照らし、 落花 散じ且つ飛ぶ。

孤雲 空山に還り、衆鳥 各(おのおの)已に帰る。

彼の物 皆 托する有るも、 吾が生 独り依る無し。

此の石上の月に対し、 長酔して芳菲に歌う。

 

 

『春日獨酌,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

春日獨酌,二首之一

東風扇淑氣,水木榮春暉。

白日照綠草,落花散且飛。

孤雲還空山,鳥各已歸。

彼物皆有託,吾生獨無依。

對此石上月,長醉歌芳菲。


(含異文)      東風扇淑氣,水木榮春暉。白日照綠草,落花散且飛。孤雲還空山,眾鳥各已歸。彼物皆有託,吾生獨無依。對此石上月,長醉歌芳菲【長歌醉芳菲】。


(下し文)
(春日獨酌,二首之一)

東風 淑気【しゅくき】を扇【あお】ぎ、水木 春暉に栄ゆ。

白日 緑草を照らし、 落花 散じ且つ飛ぶ。

孤雲 空山に還り、衆鳥 各(おのおの)已に帰る。

彼の物 皆 托する有るも、吾が生 独り依る無し。

此の石上の月に対し、 長酔して芳菲に歌う。

(現代語訳)
(春の日に当たり、一人で酒を酌み詠ったもの。)

東風はめでたい生気をあおり、天地山河いたるところに瑞祥の気が満ちて、水は根から吸収されて木が生まれ、万物を成長させる相生関係に在る水や木は 春の暖かい陽光につつまれる。

曇りのない日中の輝く太陽は 萌黄色の成長する草草を照らしている、落ちる花びらは 静心無く散り、そして、ひるがえる。

眺め遣れば、ポツンとした雲はゆるく引いて、人気ない山にかえっていく、あつまって鳴き騒いでいた鳥達も それぞれねぐらに帰った。 
それら萬物は、おのおの皆、身を寄せるところがあって落ち着いて居る、吾のみ、生きるところ、そして、独り身を寄せるところはない。
 
この石の上にのぼる月に対し、杯を傾け、長醉すること、草花のかんばしい香りを歌うことよりほかにないのである。

 

(訳注)

春日獨酌,二首之一

(春の日に当たり、一人で酒を酌み詠ったもの。)

 

東風扇淑氣、水木榮春暉。 
東風はめでたい生気をあおり、天地山河いたるところに瑞祥の気が満ちて、水は根から吸収されて木が生まれ、万物を成長させる相生関係に在る水や木は 春の暖かい陽光につつまれる。

○東風 ①ひがしかぜ、こちかぜ。(めでたい生気をあおる風)李白《巻22-19 春日独酌二首其一》「東風扇淑氣,水木榮春暉。」②春風、《禮記、月令》(孟春之月東風解凍, 蟄蟲始振, 魚上冰, 獺祭魚, 鴻雁來。」③草の名。一に冬風に作る。東風菜。

扇 あおぐ。あおる。そそのかす。

淑気 おごそかな気。新春,四辺に満ちている瑞祥(ずいしよう)の気。天地山河いたるところに瑞祥の気が満ちていること。

○水木 五行相生説でいう、万物を成長させる良い関係に在るもの、それぞれがそれぞれを生み出す関係のことを示しており、木→火→土→金→水→木の順番に循環しています。木は燃えて火が生まれ、火が燃えたあとには灰(土)が生まれ、土の中からは様々な鉱物(金)が生まれる、金属の表面が冷えて水滴(水)が生まれる、水は根から吸収されて木が生まれる。相性のよい関係、五行相生説である。どうじに、五行相克説があり、相性の悪い関係であり、木→土→水→火→金→木 の順番に循環する。木は土の栄養を搾取、土は水をせき止めて、流れをとめ、水は火を消し、火は金を溶かし、金は木を切り倒すという関係。つまり、春に最も変化するものが、水木である。

春暉 春の暖かい陽光。


白日照綠草、落花散且飛。 
曇りのない日中の輝く太陽は 萌黄色の成長する草草を照らしている、落ちる花びらは 静心無く散り、そして、ひるがえる。

白日 輝く太陽。曇りのない日。宋玉《神女賦序》 「其始來也,耀乎若白日初出照屋梁。」夕日:王之渙〈登鸛雀樓〉詩:「白日依山盡,黃河入海流。」

綠草 萌黄色の成長する草草。


孤雲還空山、眾鳥各已歸。 
眺め遣れば、ポツンとした雲はゆるく引いて、人気ない山にかえっていく、あつまって鳴き騒いでいた鳥達も それぞれねぐらに帰った。 
 雲は山奥の岩間、洞窟から生まれ帰っていく。

空山 隠者の住む山。人気のない山。 

 衆。


彼物皆有托、吾生獨無依。 
それら萬物は、おのおの皆、身を寄せるところがあって落ち着いて居る、吾のみ、生きるところ、そして、独り身を寄せるところはない。 
 身を寄せる。五行思想による相関をいう。


對此石上月、長醉歌芳菲。 
この石の上にのぼる月に対し、杯を傾け、長醉すること、草花のかんばしい香りを歌うことよりほかにないのである。

芳菲 草花のかんばしい香り。春のことをいう。
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友人會宿

滌蕩千古愁,留連百壺飲。

良宵宜清談,皓月未能寢。

醉來臥空山,天地即衾枕。

(友人が来訪して、泊まり込んだ。共に酒を飲み、酔ってこの詩を作る。)
良朋邂逅、酒を飲んで、興をほしいままにし、千古の昔からの愁い一切を洗除すれば、留連して、百壷もの酒を傾けつくすのである。
時折しも、上って来たすみきった月は、良宵の景、風流・興を得るものとして、とても寝る気にはなるわけはなく、酒を飲んで竹林の七賢の昔からの朋と清談するのがふさわしい。
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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一八二              文體:    五言古詩

詩題:    友人會宿

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

(改訂版Ver.2.1)

友人會宿

(友人が来訪して、泊まり込んだ。共に酒を飲み、酔ってこの詩を作る。)
滌蕩千古愁,留連百壺飲。

良朋邂逅、酒を飲んで、興をほしいままにし、千古の昔からの愁い一切を洗除すれば、留連して、百壷もの酒を傾けつくすのである。
良宵宜清談,皓月未能寢。

時折しも、上って来たすみきった月は、良宵の景、風流・興を得るものとして、とても寝る気にはなるわけはなく、酒を飲んで竹林の七賢の昔からの朋と清談するのがふさわしい。
醉來臥空山,天地即衾枕。

すっかり酔っ払った後に、人気のない山中に体を横にして見れば、天地は衾枕も同じて、広々とした感じで、喩えるものがない程である。
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 (友人會宿)

滌蕩【できとう】千古の愁,留連す 百壺の飲。

良宵 清談に宜しく,皓月 未だ寢ぬる能わず。

醉い來って 空山に臥さば,天地 即ち 衾枕。

 

 

(改訂版Ver.2.1)

『友人會宿』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

友人會宿

滌蕩千古愁,留連百壺飲。

良宵宜清談,皓月未能寢。

醉來臥空山,天地即衾枕。


(下し文)
(
友人會宿)

滌蕩【できとう】千古の愁,留連す 百壺の飲。

良宵 清談に宜しく,皓月 未だ寢ぬる能わず。

醉い來って 空山に臥さば,天地 即ち 衾枕。

(現代語訳)
(友人が来訪して、泊まり込んだ。共に酒を飲み、酔ってこの詩を作る。)
良朋邂逅、酒を飲んで、興をほしいままにし、千古の昔からの愁い一切を洗除すれば、留連して、百壷もの酒を傾けつくすのである。
時折しも、上って来たすみきった月は、良宵の景、風流・興を得るものとして、とても寝る気にはなるわけはなく、酒を飲んで竹林の七賢の昔からの朋と清談するのがふさわしい。
すっかり酔っ払った後に、人気のない山中に体を横にして見れば、天地は衾枕も同じて、広々とした感じで、喩えるものがない程である。


(訳注) (改訂版Ver.2.1)

友人會宿

(友人が来訪して、泊まり込んだ。共に酒を飲み、酔ってこの詩を作る。)
○会宿 一緒に宿泊する。

 

滌蕩千古愁、留連百壺飲。
良朋邂逅、酒を飲んで、興をほしいままにし、千古の昔からの愁い一切を洗除すれば、留連して、百壷もの酒を傾けつくすのである。
○滌蕩/「滌盪」 洗い流す、洗いつくす。「滌」も「蕩」も、「洗う」の意。

1.搖動。一播散。禮記·郊特牲:「殷人尚聲,臭味未成,滌蕩其聲,樂三闋,然後出迎牲。」2.洗除。南朝梁·陶弘景·授陸敬游十賚文:「滌蕩紛穢,表裡霜雪。」

唐·李白·友人會宿詩:「滌蕩千古愁,留連百壺飲。」

○千古 遠い昔からの。「万古」の類語。

○留連 立ち去りかねるさま、捨て去りがたいさま。

〇百壷飲 飲みほした酒壷の多いこと。

 

良宵宜清談、皓月未能寢。【皓月誰能寢】。
時折しも、上って来たすみきった月は、良宵の景、風流・興を得るものとして、とても寝る気にはなるわけはなく、酒を飲んで竹林の七賢の昔からの朋と清談するのがふさわしい。
 夜。 

清談 竹林の七賢は濁り酒を飲んで清談をした、聖は清酒、仙人は清酒を飲んだ。  

皓月  白く輝く月。すみきった月。

 

醉來臥空山、天地即衾枕。
すっかり酔っ払った後に、人気のない山中に体を横にして見れば、天地は衾枕も同じて、広々とした感じで、喩えるものがない程である。
衾枕  掛け布団と枕。寝具。

 

 

李白のこの詩は、蕭士贇は劉伶の《酒德頌》「暮天席地」の句に基づいたものと解説しているので、竹林の七賢の一人、劉伶の概略と、《酒德頌》を紹介する。

劉伶 酒德頌

劉 伶(りゅう れい、221? - 300?)は、竹林の七賢の一人。字は伯倫。三国時代の魏および西晋の文人。沛国の人。

世説新語によると、身長が約140cmと低く、手押し車に乗り、スコップを携えた下男を連れて、自分が死んだらそこに埋めろ、と言っていた。酒浸りで、素っ裸でいることもあった。ある人がそれをとがめたのに答えて言った。私は、天地を家、部屋をふんどしと思っている。君らはどうして私のふんどしの中に入り込むのだ。また酒浸りなので、妻が心配して意見したところ、自分では断酒できないので、神様にお願いすると言って、酒と肉を用意させた。そして祝詞をあげて、女の言うことなど聞かない、と言って肉を食って酒を飲んで酔っぱらった。
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『酒徳頌』:

酒徳は酒の功徳、頌は韻文の一種で褒め称える言葉すなわち賛歌である。大人先生という架空の人物に託した作者劉伶の自画像であり、老荘哲学の表白でもある。わが国の大伴旅人の「讃酒歌」などは、この作品の影響を受けたものといわれる。

 

《酒德頌》

有大人先生者,以天地為一朝,萬朝為須臾,日月為扃牖,八荒為庭衢。行無轍跡,居無室廬,暮天席地,縱意所如。止則操卮執觚,動則挈榼提壺,唯酒是務,焉知其餘?

 

有貴介公子,縉紳處士,聞吾風聲,議其所以。乃奮袂攮襟,怒目切齒,陳禮法,是非鋒起。先生於是方捧罌承槽,銜杯漱醪。奮髯箕踞[],枕麴藉糟,無思無慮,其樂陶陶。兀然而醉,豁爾而醒。靜聽不聞雷霆之聲,熟視不睹泰山之形,不覺寒暑之切肌,利慾之感情。俯觀萬物,擾擾焉如江漢三載浮萍;二豪侍側焉,如蜾蠃之與螟蛉。

 

酒の功徳をたたえる 劉伶

大人先生という人物がいた。天地の生成をも一日のごとくみなし、一万年も瞬時、日と月とは戸口と窓、世界の果ても我が庭か往来のごとく見做していた。何処へ行くにも決まった道を通らず、何処にも決まった住まいを持たず、大空を屋根とし、大地を敷き莚(むしろ)として行きたい所へ出掛けていった。坐っていれば大盃やぐい呑みを手にし、出掛けるとき酒樽や徳利をぶら下げ、酒だけがつとめと心得、他のことは気にも掛けなかった。ある貴公子と大物の浪士が、先生の評判を聞き、そのわけを論じ合った。そこで大いに奮い立ち、勇んで出掛け、目を怒らせ歯がみして、礼法について述べ立て、鋭く論難した。先生はそのとき、酒がめをかかえますにうけ、杯をふくんで濁酒(どぶろく)を口に流し込み、ひげを捻って両足を投げ出し、こうじを枕に酒樽を敷布団にして横たわり、何の頓着もなく、陶然と楽しげであった。傲然と酔うているかと思うと、突然はっと醒めるが、耳をすましているようでも、雷の音さえ耳に入らず、目を凝らしているようでも、泰山の姿さえ目に入らぬ様子、寒暑が肌を刺し、利欲が心を動かすのも気付かぬげである。万物が乱れ騒ぐのを見下ろして、まるで大河が浮き草を浮かべたほどにも気に掛けぬ。二人のおえらがたは傍に侍り、ミイラ取りがミイラになった」

246 《巻22-16 獨酌》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <246> Ⅰ李白詩1496 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6028

李白  獨酌  

春草如有意,羅生玉堂陰。東風吹愁來,白髮坐相侵。

獨酌勸孤影,閒歌面芳林。長松爾何知,蕭瑟為誰吟。

手舞石上月,膝橫花間琴。過此一壺外,悠悠非我心。

(春の日に、独酌をして、興に乗じて詠ったもの)春の草は、さながら、心あるが如く、《楚辞、九歌、少司命》にいう玉堂の陰に羅列して生じ、眼前の景色は、極めて長閑である。しかし、どうあれ、酒あればこそであり、この酒は自分の命であって、この一壺の外は、萬物は悠悠としてあるのは、我が心を解せぬものばかりである。

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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一八二              文體:    五言古詩

詩題:    獨酌

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

獨酌

(春の日に、独酌をして、興に乗じて詠ったもの)

春草如有意,羅生玉堂陰。

春の草は、さながら、心あるが如く、《楚辞、九歌、少司命》にいう玉堂の陰に羅列して生じ、眼前の景色は、極めて長閑である。

東風吹愁來,白髮坐相侵。

しかも、東風は、愁をともなって吹いてくる、白髪は、知らぬ間に我を侵すので、この時、この愁を消遣するには、酒が第一である。

獨酌勸孤影,閒歌面芳林。

そこで、語ろうとしても、わたしに応えてくれる人がいないから、わが影を顧みつつ獨酌し、聞歌して、花咲き匂う林に対して居る。その林の中には、一株の長松がある。

長松爾何知,蕭瑟為誰吟。

ああ長松よ、汝は、人の心も知らずに、蕭瑟として、誰がために吟ずるのであるか。

手舞石上月,膝橫花間琴。

幸にして、われ今ここに在ることによって、石上の月に向い、手を翳して舞い、花間に坐し、膝の上に琴を横たへて弾じ、颯颯たる汝の春風の音楽に和するのである。

過此一壺外,悠悠非我心。

しかし、どうあれ、酒あればこそであり、この酒は自分の命であって、この一壺の外は、萬物は悠悠としてあるのは、我が心を解せぬものばかりである。

 

(獨酌)

春草、意あるが如く、羅生す玉堂の陰。

東風、愁を吹いて来たり、白髪 坐に相い侵す。

獨酌、孤影に勧め、閒歌、芳林に面す。

長松、爾、何をか知らむ、簫瑟、誰が為に吟ずる。

手は舞う石上の月、膝には横たう花間の琴。

この一壺の外を過ぐれば、悠悠 我が心に非ず。

 

 

『獨酌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

獨酌

春草如有意,羅生玉堂陰。

東風吹愁來,白髮坐相侵。

獨酌勸孤影,閒歌面芳林。

長松爾何知,蕭瑟為誰吟。

手舞石上月,膝橫花間琴。

過此一壺外,悠悠非我心。


【春草遍綠野,新鶯有佳音。落日不盡歡,恐為愁所侵。獨酌勸孤影,閒歌面芳林。清風尋空來,巖松與共吟。手舞石上月,膝橫花下琴。過此一壺外,悠悠非我心。】


(下し文)
(
獨酌)

春草、意あるが如く、羅生す玉堂の陰。

東風、愁を吹いて来たり、白髪 坐に相い侵す。

獨酌、孤影に勧め、閒歌、芳林に面す。

長松、爾、何をか知らむ、簫瑟、誰が為に吟ずる。

手は舞う石上の月、膝には横たう花間の琴。

この一壺の外を過ぐれば、悠悠 我が心に非ず。

(現代語訳)
(春の日に、独酌をして、興に乗じて詠ったもの)

春の草は、さながら、心あるが如く、《楚辞、九歌、少司命》にいう玉堂の陰に羅列して生じ、眼前の景色は、極めて長閑である。

しかも、東風は、愁をともなって吹いてくる、白髪は、知らぬ間に我を侵すので、この時、この愁を消遣するには、酒が第一である。

そこで、語ろうとしても、わたしに応えてくれる人がいないから、わが影を顧みつつ獨酌し、聞歌して、花咲き匂う林に対して居る。その林の中には、一株の長松がある。

そこで、語ろうとしても、わたしに応えてくれる人がいないから、わが影を顧みつつ獨酌し、聞歌して、花咲き匂う林に対して居る。その林の中には、風に向かう一株の長松がある。

ああ長松よ、汝は、人の心も知らずに、蕭瑟として、誰がために吟ずるのであるか。

幸にして、われ今ここに在ることによって、石上の月に向い、手を翳して舞い、花間に坐し、膝の上に琴を横たへて弾じ、颯颯たる汝の春風の音楽に和するのである。

 

しかし、どうあれ、酒あればこそであり、この酒は自分の命であって、この一壺の外は、萬物は悠悠としてあるのは、我が心を解せぬものばかりである。


(訳注)

獨酌

(春の日に、独酌をして、興に乗じて詠ったもの)

 

春草如有意,羅生玉堂陰。

春の草は、さながら、心あるが如く、《楚辞、九歌、少司命》にいう玉堂の陰に羅列して生じ、眼前の景色は、極めて長閑である。

羅生 連って生する。《楚辞、九歌、少司命》に「秋蘭兮蘼蕪、羅生兮堂下」 とあって、王逸の註にその堂下をめぐり羅列して生す」とある。秋蘭はフジバカマ(藤袴)。キク科ヒヨドリバナ属の多年生植物。秋の七草の1つ。

 

東風吹愁來,白髮坐相侵。

しかも、東風は、愁をともなって吹いてくる、白髪は、知らぬ間に我を侵すので、この時、この愁を消遣するには、酒が第一である。

 

獨酌勸孤影,閒歌面芳林。

そこで、語ろうとしても、わたしに応えてくれる人がいないから、わが影を顧みつつ獨酌し、聞歌して、花咲き匂う林に対して居る。その林の中には、風に向かう一株の長松がある。

勸孤影 陶淵明 《雜詩.十二首其二》「欲言無予和、揮杯勸孤影」(言らんと欲せど予に和する無く、杯を揮(て孤影に勸む)語ろうとしても、わたしに応えてくれる人がいない。杯をもちあげて、独りぼっちの自分の影に、酒を勧める。”とある。

面芳林 芳林に封する。面は対する。

 

長松爾何知,蕭瑟為誰吟。

ああ長松よ、汝は、人の心も知らずに、蕭瑟として、誰がために吟ずるのであるか。

 

手舞石上月,膝橫花間琴。

幸にして、われ今ここに在ることによって、石上の月に向い、手を翳して舞い、花間に坐し、膝の上に琴を横たへて弾じ、颯颯たる汝の春風の音楽に和するのである。

 

過此一壺外,悠悠非我心。

しかし、どうあれ、酒あればこそであり、この酒は自分の命であって、この一壺の外は、萬物は悠悠としてあるのは、我が心を解せぬものばかりである。

 

 

春草、意あるが如く、羅生す玉堂の陰。

東風、愁を吹いて来たり、白髪 坐に相い侵す。

獨酌、孤影に勧め、閒歌、芳林に面す。

長松、爾、何をか知らむ、簫瑟、誰が為に吟ずる。

手は舞う石上の月、膝には横たう花間の琴。

この一壺の外を過ぐれば、悠悠 我が心に非ず。

245-#2 《巻18-17 答從弟幼成過西園見贈》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <245-#2> Ⅰ李白詩1502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6058

李白  答從弟幼成過西園見贈#2  

山童薦珍果,野老開芳樽。上陳樵漁事,下敘農圃言。

昨來荷花滿,今見蘭苕繁。一笑復一歌,不知夕景昏。

醉罷同所樂,此情難具論。

やがて、これを亭中に迎え入れると、山童は珍果を薦め、野老は、芳樽を開いて、これをもてなすのである。上は、樵漁の事を陳べ、農圃の言を敘したりして、それからそれへと、話は尽きる事は無い。

 

245-2 《巻18-17 答從弟幼成過西園見贈》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <245-2> Ⅰ李白詩1502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6058

 

 
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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答從弟幼成過西園見贈

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:              西園 (淮南道 安州 安陸)    

交遊人物:李幼成         當地交遊(淮南道 安州 安陸)

 

 

答從弟幼成過西園見贈  #1

(西園に歸臥している時、從弟の幼成というものが来訪して、詩を贈ってくれたのでこれに答えた詩である。)

一身自瀟灑,萬物何囂諠。

我が一身の瀟灑、けがれのないもの引きかえて、あらゆるものはいかにも騒々しくてたまらない。

拙薄謝明時,棲閒歸故園。

もとより才拙にして命薄きもので、この聖明の世に容れられぬところから、閒地に棲まんがために故園に歸臥したのである。

二季過舊壑,四鄰馳華軒。

すると、二人の従弟は、旧渓を過ぎて訪問し、立派な車を四鄰に馳せるのである。

衣劍照松宇,賓徒光石門。

そして、衣裳や剣佩は、松の翳せる大屋宇を照らし、賓從僕徒は石門にてりかがやくくらいである。

#2

山童薦珍果,野老開芳樽。

やがて、これを亭中に迎え入れると、山童は珍果を薦め、野老は、芳樽を開いて、これをもてなすのである。

上陳樵漁事,下敘農圃言。

上は、樵漁の事を陳べ、農圃の言を敘したりして、それからそれへと、話は尽きる事は無い。

昨來荷花滿,今見蘭苕繁。

昨夜、蓮の花が池中に咲き落ちたが、今、また蘭が一斉に階下にひらいて、草堂の景色も、さすがに見どころがある。

一笑復一歌,不知夕景昏。

こうして、一笑し、そして、また一歌しつつ,夕暮の日景がしだいに昏くなっていくのを知らないでいる。

醉罷同所樂,此情難具論。

すでに酔ってしまった後も、楽しむところを同じゅうし、その心も逆らうことなく、この情は、詳しく述べることはできない。

 

(從弟の幼成が西園を過ぎて贈らるるに答う)

一身 自ら瀟灑,萬物 何ぞ囂諠【ごうけん】なる。

拙薄 明時に謝し,棲閒 故園に歸る。

二季 舊壑を過ぎ,四鄰 華軒を馳す。

衣劍 松宇を照し,賓徒 石門を光かす。

 

山童 珍果を薦め,野老 芳樽を開く。

上には樵漁の事を陳べ,下には農圃の言を敘す。

昨來 荷花 滿つ,今は見る 蘭苕 繁れるを。

一笑 復た 一歌,知らず 夕景の昏きを。

醉うて罷み 樂しむ所を同じうす,此の情 具【つぶさ】に論じ難し。

 

 

『答從弟幼成過西園見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
 #2

山童薦珍果,野老開芳樽。

上陳樵漁事,下敘農圃言。

昨來荷花滿,今見蘭苕繁。

一笑復一歌,不知夕景昏。

醉罷同所樂,此情難具論。

(下し文)
山童 珍果を薦め,野老 芳樽を開く。

上には樵漁の事を陳べ,下には農圃の言を敘す。

昨來 荷花 滿つ,今は見る 蘭苕 繁れるを。

一笑 復た 一歌,知らず 夕景の昏きを。

醉うて罷み 樂しむ所を同じうす,此の情 具【つぶさ】に論じ難し。

 

 (現代語訳)
やがて、これを亭中に迎え入れると、山童は珍果を薦め、野老は、芳樽を開いて、これをもてなすのである。

上は、樵漁の事を陳べ、農圃の言を敘したりして、それからそれへと、話は尽きる事は無い。

昨夜、蓮の花が池中に咲き落ちたが、今、また蘭が一斉に階下にひらいて、草堂の景色も、さすがに見どころがある。

こうして、一笑し、そして、また一歌しつつ,夕暮の日景がしだいに昏くなっていくのを知らないでいる。

すでに酔ってしまった後も、楽しむところを同じゅうし、その心も逆らうことなく、この情は、詳しく述べることはできない。


(訳注) #2

答從弟幼成過西園見贈  #2

(西園に歸臥している時、從弟の幼成というものが来訪して、詩を贈ってくれたのでこれに答えた詩である。)

 

山童薦珍果,野老開芳樽。

やがて、これを亭中に迎え入れると、山童は珍果を薦め、野老は、芳樽を開いて、これをもてなすのである。

 

上陳樵漁事,下敘農圃言。

上は、樵漁の事を陳べ、農圃の言を敘したりして、それからそれへと、話は尽きる事は無い。

 

昨來荷花滿,今見蘭苕繁。

昨夜、蓮の花が池中に咲き落ちたが、今、また蘭が一斉に階下にひらいて、草堂の景色も、さすがに見どころがある。

蘭苕 らんのはなぶさ、此の句は作品の華麗なのにたとえる。六朝から続く、華麗華美、艶閨の詩を云う。《文選郭璞<游仙詩>》「翡翠戲蘭苕, 容色更相鮮。」 李善注に「蘭苕,蘭秀也。」(蘭苕は,蘭秀なり。) 南朝宋謝靈運《南樓中望所遲客》詩:瑤華未堪折, 蘭苕已屢摘。”(瑤華【あさのはな】は未だ折るに堪えざれど、蘭苕【らんしょう】 己に屢【しばし】ば摘【つ】む。) 南樓中望所遅客 謝霊運(康楽) 詩<38#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩419 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1074

 

杜甫《戲為六句,六首之四》「才力應難誇數公,凡今誰是出群雄。或看翡翠蘭苕上,未掣鯨魚碧海中。」(才力 応に数公を誇【まさ】り難かるべし、凡そ今誰か是れ出群の雄なる。或は看る翡翠【ひすい】蘭苕【らんちょう】の上、未だ鯨魚を掣せず碧海【そうかい】の中。)

戲為六句,六首之四 蜀中転々 杜甫 <516  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2775 杜甫詩1000-516-749/1500

 

一笑復一歌,不知夕景昏。

こうして、一笑し、そして、また一歌しつつ,夕暮の日景がしだいに昏くなっていくのを知らないでいる。

 

醉罷同所樂,此情難具論。

すでに酔ってしまった後も、楽しむところを同じゅうし、その心も逆らうことなく、この情は、詳しく述べることはできない。

245 《巻18-17 答從弟幼成過西園見贈》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <245> Ⅰ李白詩1501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6053

李白  答從弟幼成過西園見贈  #1  

一身自瀟灑,萬物何囂諠。

拙薄謝明時,棲閒歸故園。

二季過舊壑,四鄰馳華軒。

衣劍照松宇,賓徒光石門。
(西園に歸臥している時、從弟の幼成というものが来訪して、詩を贈ってくれたのでこれに答えた詩である。)我が一身の瀟灑、けがれのないもの引きかえて、あらゆるものはいかにも騒々しくてたまらない。もとより才拙にして命薄きもので、この聖明の世に容れられぬところから、閒地に棲まんがために故園に歸臥したのである。

 

245 《巻18-17 答從弟幼成過西園見贈》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <245> Ⅰ李白詩1501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6053

 
 2015年5月26日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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245 《巻18-17 答從弟幼成過西園見贈》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <245> Ⅰ李白詩1501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6053 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答從弟幼成過西園見贈

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:              西園 (淮南道 安州 安陸)    

交遊人物:李幼成         當地交遊(淮南道 安州 安陸)

 

 

答從弟幼成過西園見贈  #1

(西園に歸臥している時、從弟の幼成というものが来訪して、詩を贈ってくれたのでこれに答えた詩である。)

一身自瀟灑,萬物何囂諠。

我が一身の瀟灑、けがれのないもの引きかえて、あらゆるものはいかにも騒々しくてたまらない。

拙薄謝明時,棲閒歸故園。

もとより才拙にして命薄きもので、この聖明の世に容れられぬところから、閒地に棲まんがために故園に歸臥したのである。

二季過舊壑,四鄰馳華軒。

すると、二人の従弟は、旧渓を過ぎて訪問し、立派な車を四鄰に馳せるのである。

衣劍照松宇,賓徒光石門。

そして、衣裳や剣佩は、松の翳せる大屋宇を照らし、賓從僕徒は石門にてりかがやくくらいである。

#2

山童薦珍果,野老開芳樽。

上陳樵漁事,下敘農圃言。

昨來荷花滿,今見蘭苕繁。

一笑復一歌,不知夕景昏。

醉罷同所樂,此情難具論。

 

(從弟の幼成が西園を過ぎて贈らるるに答う)

一身 自ら瀟灑,萬物 何ぞ囂諠【ごうけん】なる。

拙薄 明時に謝し,棲閒 故園に歸る。

二季 舊壑を過ぎ,四鄰 華軒を馳す。

衣劍 松宇を照し,賓徒 石門を光かす。

 

山童 珍果を薦め,野老 芳樽を開く。

上には樵漁の事を陳べ,下には農圃の言を敘す。

昨來 荷花 滿つ,今は見る 蘭苕 繁れるを。

一笑 復た 一歌,知らず 夕景の昏きを。

醉うて罷み 樂しむ所を同じうす,此の情 具【つぶさ】に論じ難し。

 

 

『答從弟幼成過西園見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

答從弟幼成過西園見贈  #1

一身自瀟灑,萬物何囂諠。

拙薄謝明時,棲閒歸故園。

二季過舊壑,四鄰馳華軒。

衣劍照松宇,賓徒光石門。

(下し文)
(
從弟の幼成が西園を過ぎて贈らるるに答う)

一身 自ら瀟灑,萬物 何ぞ囂諠【ごうけん】なる。

拙薄 明時に謝し,棲閒 故園に歸る。

二季 舊壑を過ぎ,四鄰 華軒を馳す。

衣劍 松宇を照し,賓徒 石門を光かす。

(現代語訳)
(西園に歸臥している時、從弟の幼成というものが来訪して、詩を贈ってくれたのでこれに答えた詩である。)

我が一身の瀟灑、けがれのないもの引きかえて、あらゆるものはいかにも騒々しくてたまらない。

もとより才拙にして命薄きもので、この聖明の世に容れられぬところから、閒地に棲まんがために故園に歸臥したのである。

すると、二人の従弟は、旧渓を過ぎて訪問し、立派な車を四鄰に馳せるのである。

そして、衣裳や剣佩は、松の翳せる大屋宇を照らし、賓從僕徒は石門にてりかがやくくらいである。


(訳注)

答從弟幼成過西園見贈  #1

(西園に歸臥している時、從弟の幼成というものが来訪して、詩を贈ってくれたのでこれに答えた詩である。)

 

一身自瀟灑,萬物何囂諠。

我が一身の瀟灑、けがれのないもの引きかえて、あらゆるものはいかにも騒々しくてたまらない。

瀟灑 すっきりとあか抜けしているさま。俗っぽくなくしゃれているさま。

囂諠 聲音が大きくして嘈雜である。

白居易《中隠》「大隠住朝市、小隠入丘樊。丘樊太冷落、朝市太囂諠。」(大隠は朝市に住み、小隠は丘樊に入る。丘樊は太だ冷落、朝市は太だ囂諠【ごうけん】。)

 

拙薄謝明時,棲閒歸故園。

もとより才拙にして命薄きもので、この聖明の世に容れられぬところから、閒地に棲まんがために故園に歸臥したのである。

拙薄 才拙にして命薄きものをいう。

 

二季過舊壑,四鄰馳華軒。

すると、二人の従弟は、旧渓を過ぎて訪問し、立派な車を四鄰に馳せるのである。

二季 従弟の輩をいうが、幼成ともう一人、共に来ていたのであろう。

華軒 立派な車。

 

衣劍照松宇,賓徒光石門。

そして、衣裳や剣佩は、松の翳せる大屋宇を照らし、賓從僕徒は石門にてりかがやくくらいである。

松宇 松の翳せる大屋宇のこと。

賓徒 賓從僕徒

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李白  陳情贈友人 #5  

飄風吹雲霓,蔽目不得語。

投珠冀相報,按劍恐相距。

所思採芳蘭,欲贈隔荊渚。

沈憂心若醉,積恨淚如雨。

しかし、こうして深い愁いに閉ざされた心は、さながら酔ったような心地になる。そして、恨みは積もり積もって、涙は雨のように流れ落ちる。君は、今、しかるべき地位にいて、十分に手が回るから、むかし、斉国の貧女が、東壁の余光を借りて、仕事をしたいといったように、どうか力を貸してもらって、我が境涯を救ってもらいたい。

 

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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    陳情贈友人

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:              延陵 (江南東道 潤州 延陵)              

 

 

陳情贈友人#1

(自分の心の内を陳情し、旅立つ友人に贈る)

延陵有寶劍,價重千黃金。

むかし.延陵の季子(呉王の子)は、寶剣を蔵し、價は千金より重く、まことに、世上、稀に見るところであった。

觀風歷上國,暗許故人深。

季子は、諸国の風俗を視んが爲に、上国に赴き、徐君が欲しそうな顔をして居たのを見て取って、歸りには、きっと差し上げるつもりで、暗に心に許して居た。

歸來掛墳松,萬古知其心。

それから、使を終って徐国に歸って來ると、徐君は、既に死んで居たから、その剣を徐君の墓陵の塚の上なる松の木に懸けて立ち去ったというので、万世の後までも、季子の誠心を知って語り傳えられた。

懦夫感達節,壯士激青衿。

懦夫も、その達節に感じ、壮気は青い襟の下から起って、その心胸を激動するばかりである。

#2

鮑生薦夷吾,一舉置齊相。

次に飽叔牙は、管仲を斉の桓公に推薦し、一挙して、富国強兵を進める斉の宰相にまでなった。

斯人無良朋,豈有青雲望。

管仲にしても、鮑叔牙という良朋がいなかったならば、あれだけの才能があったとしても、とても、青雲に望みをかけて立身することは出来なかった。

臨財不苟取,推分固辭讓。

そして、鮑叔牙は、その前、管仲とともに商賈をしていた時、財を分かつに臨んで、かりそめにも取らず、おのが分限を管仲に推し遣って、固く辞譲した。

後世稱其賢,英風邈難尚。

かくて、後世に至るも、鮑叔牙の賢を称し、その英風は、邈然としで、加へ難きものといわれている。

#3

論交但若此,友道孰云喪。

人間の交際は、この管鮑の交わりの様にありたいもので、朋友の道を尽くすこと、かくの如き上は、まだまだ道徳はすたれたといふにも及ぶまいと思はれる。

多君騁逸藻,掩映當時人。

君は、すぐれたる詞の才藻を有し、現代の人に掩映して居るほどなのである。

舒文振波,秉德冠彝倫。

文章を作れば、頽波を振い回して、純古に復さんとし、徳を行えば、彝倫に冠として、世に類ない程である。

卜居乃此地,共井為比鄰。

君は、此地に居を卜し、同じ区割の中に居て、我と比鄰を結び、日夕追随する。

清琴弄雲月,美酒冬春。

雲月に対しては、清琴を弾じ、寒い冬から温い春にかけて、雪や花の眺めやる頃は、美酒を酌んで、ともに娯しんでいた。

#4

薄德中見捐,忽之如遺塵。

そういうこともあって、我が薄德であるがために、中道にして捐てられ、これを見棄てること、さながら塵の如く、一向おかまい下さらないのは、如何なる故か。

英豪未豹變,自古多艱辛。

われとても、英豪の本質を備へて居るが、未だ豹変せずして、愚図愚図して居るので、この世は、むかしから艱難辛苦多く、なかなか思う様にならぬから仕方がない。

他人縱以疏,君意宜獨親。

たとい、他心は、われを疎んじても、君だけは、ひとりしたしんでくれてもよいはずである。

奈何成離居,相去復幾許。

君だけは、ひとり親しんでくれても善いはずである。しかるに、以下なれば、離居を為し、「相去ることまた幾ばくぞ」といって問うてみたいくらいである。

#5

飄風吹雲霓,蔽目不得語。

今しも飄風は悪気の雲霓を吹き、邪悪の佞人が充満しているから、目をつぶったまま、語ることもできない。

投珠冀相報,按劍恐相距。

夜光の珠を投じて、いささか君の従前の好意に酬いるつもりであっても、うっかりしていると剣を按じてこばまれる。

所思採芳蘭,欲贈隔荊渚。

そこで、芳蘭の花を採り、わが心の潔白をあらわして、君に贈ろうとおものだけれど、ちょうこうのながれはひろく、はるかに荊渚を隔てて、ちょっと行くこともできない。

沈憂心若醉,積恨淚如雨。

しかし、こうして深い愁いに閉ざされた心は、さながら酔ったような心地になる。そして、恨みは積もり積もって、涙は雨のように流れ落ちる。

願假東壁輝,餘光照貧女。

君は、今、しかるべき地位にいて、十分に手が回るから、むかし、斉国の貧女が、東壁の余光を借りて、仕事をしたいといったように、どうか力を貸してもらって、我が境涯を救ってもらいたい。

 

 

(陳情 友人に贈る)

延陵に 寶劍有り,價 千黃金より重し。

風を觀て上國を歷て,暗に故人に許すこと深し。

歸り來って 墳松に掛け,萬古 其の心を知る。

懦夫 達節に感じ,壯士 青衿を激す。

#2

鮑生 夷吾を薦め,一舉して 齊相に置く。

斯の人 良朋無く,豈に青雲の望有らんや。

財に臨んで 苟くも取らず,分を推して固く辭讓す。

後世 其の賢を稱し,英風 邈として尚え難し。

#3

交を論ずる 但だ此の若し,友道 孰れか喪いたりと云う。

多とす 君が逸藻を騁せ,當時の人に掩映するを。

文を舒べて 波を振い德を秉って彝倫に冠たり。

卜居 乃ち此の地,井を共にして 比鄰となる。

清琴 雲月を弄し,美酒 冬春を

#4

薄德 中ごろ 捐てらる,之を忽にして 遺塵の如し。

英豪 未だ豹變せず,古えより 艱辛多し。

他人 縱い 以て疏なるも,君が意 宜しく獨り親しむべし。

奈何か 離居を成し,相い去ること復た 幾許ぞ。

#5

飄風 雲霓を吹き,目を蔽うて 語るを得ず。

珠を投じ 冀わくば報ゆる相らん,劍を按じて 恐らくは相い距がん。

思う所は芳蘭を採り,贈らんと欲すれば 荊渚を隔つ。

沈憂 心 醉うが若し,積恨 淚 雨の如し。

願わくば 東壁の輝を假り,餘光 貧女を照らさん。

 

 

『陳情贈友人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
 #5

飄風吹雲霓,蔽目不得語。

投珠冀相報,按劍恐相距。

所思採芳蘭,欲贈隔荊渚。

沈憂心若醉,積恨淚如雨。

願假東壁輝,餘光照貧女。

(下し文) #5

飄風 雲霓を吹き,目を蔽うて 語るを得ず。

珠を投じ 冀わくば報ゆる相らん,劍を按じて 恐らくは相い距がん。

思う所は芳蘭を採り,贈らんと欲すれば 荊渚を隔つ。

沈憂 心 醉うが若し,積恨 淚 雨の如し。

願わくば 東壁の輝を假り,餘光 貧女を照らさん。

(現代語訳)
今しも飄風は悪気の雲霓を吹き、邪悪の佞人が充満しているから、目をつぶったまま、語ることもできない。

夜光の珠を投じて、いささか君の従前の好意に酬いるつもりであっても、うっかりしていると剣を按じてこばまれる。

そこで、芳蘭の花を採り、わが心の潔白をあらわして、君に贈ろうとおものだけれど、ちょうこうのながれはひろく、はるかに荊渚を隔てて、ちょっと行くこともできない。

しかし、こうして深い愁いに閉ざされた心は、さながら酔ったような心地になる。そして、恨みは積もり積もって、涙は雨のように流れ落ちる。

君は、今、しかるべき地位にいて、十分に手が回るから、むかし、斉国の貧女が、東壁の余光を借りて、仕事をしたいといったように、どうか力を貸してもらって、我が境涯を救ってもらいたい。


(訳注)#5

陳情贈友人

(自分の心の内を陳情し、旅立つ友人に贈る)

【題義】この詩は、自己の情を陳べて友人に贈ったので、その何人なるかは分らぬ。そして、大体の趣旨は、例の如く引き立ててほしい旨を懇ろに嘱望したのである。

この詩は、はじめ、交際親密であった庭が、中ごろから疎略に成った、それは、先方が讒誣の言を信じたるに因るので、これを弁明して、自己の衷情を述べたのである。そこで、季札鮑叔に筆を起し、次に往日の親交を囘顧し、次に刻下暌の離の状況に及び、他人縦以疎以下、殊に語真に、情勢に、容易に人を感動せしめる。そして、結末には、又一の故事を援引して、援助を望んだのである。

 

飄風吹雲霓,蔽目不得語。

今しも飄風は悪気の雲霓を吹き、邪悪の佞人が充満しているから、目をつぶったまま、語ることもできない。

飄風 吹き廻る風をいう。『楚辞』九歌第二 (五)大司命「令飄風兮先驅 使涷雨兮灑塵. (飄風をして 先驅せしめ、 涷雨をして 塵に 灑がしむ。)とあり、王逸註に囘風を飄となす、飄風は無常の風、以て邪悪の象を起すなり、雲霓は悪気なり、以て佞人に喩える。

 

投珠冀相報,按劍恐相距。

夜光の珠を投じて、いささか君の従前の好意に酬いるつもりであっても、うっかりしていると剣を按じてこばまれる。

投珠 夜光の珠を投じる。

 

所思採芳蘭,欲贈隔荊渚。

そこで、芳蘭の花を採り、わが心の潔白をあらわして、君に贈ろうとおものだけれど、ちょうこうのながれはひろく、はるかに荊渚を隔てて、ちょっと行くこともできない。

荊渚 荊州の渚。楚地方の川辺。

 

沈憂心若醉,積恨淚如雨。

しかし、こうして深い愁いに閉ざされた心は、さながら酔ったような心地になる。そして、恨みは積もり積もって、涙は雨のように流れ落ちる。

沈憂心 深い愁いに閉ざされた心。

 

願假東壁輝,餘光照貧女。

君は、今、しかるべき地位にいて、十分に手が回るから、むかし、斉国の貧女が、東壁の余光を借りて、仕事をしたいといったように、どうか力を貸してもらって、我が境涯を救ってもらいたい。

餘光 貧女 漢·劉向《列女傳》卷六《辨通傳·齊女徐吾》

齊女徐吾者,齊東海上貧婦人也。與鄰婦李吾之屬會燭,相從夜績。徐吾最貧,而燭數不屬。李吾謂其屬曰:「徐吾燭數不屬,請無與夜也。」徐吾曰:「是何言與?妾以貧燭不屬之故,起常早,息常後,灑埽陳席,以待來者。自與蔽薄,坐常處下。凡為貧燭不屬故也。夫一室之中,益一人,燭不為暗,損一人,燭不為明,何愛東壁之餘光,不使貧妾得蒙見哀之?恩長為妾役之事,使諸君常有惠施於妾,不亦可乎!」李吾莫能應,遂復與夜,終無後言。

齊女徐吾は,齊の東海上の貧婦人なり。鄰婦と李吾の屬と會燭し,相い從って夜績す。徐吾最も貧にして,燭數は屬せず。李吾 其の屬に謂うて曰く:「徐吾 燭數 屬せず,請う 夜を與にする無からん。」徐吾 曰く:「是何言與?妾以貧燭不屬之故,起常早,息常後,灑埽陳席,以待來者。自與蔽薄,坐常處下。凡為貧燭不屬故也。夫 一室の中,一人を益すも,燭 為めに暗からず,一人を損するも,燭の為に明かならず,何ぞ東壁の餘光を愛しんで,貧妾をして恩を蒙むる之を哀しまん?長く妾役の事を為すをえさしめざる,諸君をして常に妾に惠施有らしむる,亦た可ならん乎!」と。李吾 能く應うるし,遂に復た夜を與にして,終に後言無し。

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李白  陳情贈友人-#4  

薄德中見捐,忽之如遺塵。

英豪未豹變,自古多艱辛。

他人縱以疏,君意宜獨親。

奈何成離居,相去復幾許。

たとい、他心は、われを疎んじても、君だけは、ひとりしたしんでくれてもよいはずである。君だけは、ひとり親しんでくれても善いはずである。しかるに、以下なれば、離居を為し、「相去ることまた幾ばくぞ」といって問うてみたいくらいである。

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