漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳

746-002 別中都明府兄(卷十五(一)八九七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9503

746-002 別中都明府兄(卷十五(一)八九七)

 

 

20171119

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

746-002 別中都明府兄(卷十五(一)八九七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9503

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-153 課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首(一云〈秋日閒居三首〉)其二(卷二○(四 )頁一七三六)注(1170) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9491

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767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

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杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

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746-002 別中都明府兄(卷十五(一)八九七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9503

(中都縣の明府である李白の兄某に寄せたもの)

吾兄詩酒の風流な趣は、東晋の陶淵明に繼ぐべくものであり、その試みとして、中都の県令に任ぜられ、その名は天下に聞こえている。

われは、東樓において、君と會し、兄弟の情誼を尽くされたことを喜んだのだが、今はというと、南陌において、別れたために、愁いをおこしていて、それは、連枝の兄弟が落葉のごとくちりぢりになっているようである。

城隅をめぐる流水は、きれいな淥水で、秋の日をうかべ、輝き明らかである、いつもは海上に映す青山は、暮雲にへだてられ見ることはできないので心を傷ませることになる。

だから、ここにとどまって、秋の夜の月のもとに、とことん飲んで酔うことは、この地を辞することにならないのである。雁行が中断し、群れをはなれて飛び回り、迷っている者が居り、それは、自分と重なる所があると思えば気の毒でならない。

 

746-002 -2

別中都明府兄(卷十五(一)八九七)

全唐詩卷一七四

李白集校注卷十五(一)八九七

李太白集巻十四03

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李白  擬古,十二首之一#2

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。乘月託宵夢,因之寄金徽。

一心に繕いをしていると気が付かなかったが、瓶水の氷れるを見て、冬の寒きを知ったほどで、霜露は遠い旅先で夫を圧倒しているとおもうと、その心を傷ましめるのである。

ひとたび、家を離れた孤客は、秋葉の飛ぶが如く、飄颻として、その風の行くに任せ、決して歸ろうと云わない。

されば、空閏を守れる征婦は、夫に別れし後、愁いのあまり羅帯の腰にあまるを覚え、夫の去る時に着ていた衣も、今では身にゆるすぎるくらいになる。

つまり、孤居の物憂さにたえずして、日に日に痩せてゆくので、月に乗じて魂は遙夜の夢に入り、この別後の苦を金微の彼方に居る兵に知らせたいと思うばかりである。

李白279-#2  《卷23-04擬古,十二首之一》 279-#2 Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <李白279-#2 > Ⅰ李白詩1688 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6988

 

 
  2015年11月29日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白279-#2 《卷23-04擬古,十二首之一》 279-#2 Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <李白279-#2 > Ⅰ李白詩1688 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6988  
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韓愈108-#1《 巻七21譴瘧鬼》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1601> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6989  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻七42浣溪沙九首其五》『花間集』344全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6992  
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年:739年開元二十七年39歳 

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    擬古,十二首之一

279 #1《卷23-04擬古,十二首之一》#1Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <279> Ⅰ李白詩1557 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6333

 

 

擬古,十二首之一 #1

(古詩に擬し、自己の感慨をのべたもの:征婦は夫を送り出して、音沙汰のない夫を心配してやせ細ってしまうが、その心配は消えることが無い。)

青天何歷歷,明星如白石。

青天の上に星がなんと歴歴と列をなしている、やがて、明星は、さながら白石のようである。

姑與織女,相去不盈尺。

そして、牽牛・織女の二星は、相い距つること尺にも盈たず、極めて接近しているように見える。

銀河無鵲橋,非時將安適。

しかし、銀河の上にカササギの渡せる橋もなく、七月七日という、きまった時でも無ければ、行こうと思っても、決して行かれない。

閨人理素,遊子悲行役。

閏中の少婦は、旅立つ夫のために絹の衣を縫い、その夫は、又はるばる行役に出かけることを悲しんでいる。 

#2

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。

一心に繕いをしていると気が付かなかったが、瓶水の氷れるを見て、冬の寒きを知ったほどで、霜露は遠い旅先で夫を圧倒しているとおもうと、その心を傷ましめるのである。

客似秋葉飛,飄颻不言歸。

ひとたび、家を離れた孤客は、秋葉の飛ぶが如く、飄颻として、その風の行くに任せ、決して歸ろうと云わない。

別後羅帶長,愁寬去時衣。

されば、空閏を守れる征婦は、夫に別れし後、愁いのあまり羅帯の腰にあまるを覚え、夫の去る時に着ていた衣も、今では身にゆるすぎるくらいになる。

乘月託宵夢,因之寄金徽。

つまり、孤居の物憂さにたえずして、日に日に痩せてゆくので、月に乗じて魂は遙夜の夢に入り、この別後の苦を金微の彼方に居る兵に知らせたいと思うばかりである。

(古に擬す,十二首の一) #1

青天 何ぞ歷歷たる,明星 白きこと石の如し。

黃姑と織女と,相い去ること 尺にた盈ず。

銀河に 鵲橋無く,時に非ずして 將に安くにか適かんとする。

閨人 紈素を理め,遊子 行役を悲しむ。

#2

瓶冰 冬寒を知り,霜露 遠客を欺く。

客は秋葉の飛ぶに似て,飄颻として歸るを言わず。

別後 羅帶長し,去時の衣を寬にせしむことを愁う。

月に乘じて 宵夢に託し,之に因って金徽に寄す。

 

『擬古,十二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

擬古,十二首之一 #2

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。

客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。

乘月託宵夢,因之寄金徽。

詩文(含異文)

青天何歷歷,明星如白石【明星白如石】。黃姑與織女,相去不盈尺。銀河無鵲橋,非時將安適。閨人理紈素,遊子悲行役。瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。客似秋葉飛,飄颻不言歸。別後羅帶長,愁寬去時衣。乘月託宵夢,因之寄金徽。


(下し文)

#2

瓶冰 冬寒を知り,霜露 遠客を欺く。

客は秋葉の飛ぶに似て,飄颻として歸るを言わず。

別後 羅帶長し,去時の衣を寬にせしむことを愁う。

月に乘じて 宵夢に託し,之に因って金徽に寄す。


(現代語訳)
#2

一心に繕いをしていると気が付かなかったが、瓶水の氷れるを見て、冬の寒きを知ったほどで、霜露は遠い旅先で夫を圧倒しているとおもうと、その心を傷ましめるのである。

ひとたび、家を離れた孤客は、秋葉の飛ぶが如く、飄颻として、その風の行くに任せ、決して歸ろうと云わない。

されば、空閏を守れる征婦は、夫に別れし後、愁いのあまり羅帯の腰にあまるを覚え、夫の去る時に着ていた衣も、今では身にゆるすぎるくらいになる。

つまり、孤居の物憂さにたえずして、日に日に痩せてゆくので、月に乗じて魂は遙夜の夢に入り、この別後の苦を金微の彼方に居る兵に知らせたいと思うばかりである。


(訳注) #2

擬古,十二首之一 #2

(古詩に擬し、自己の感慨をのべたもの:征婦は夫を送り出して、音沙汰のない夫を心配してやせ細ってしまうが、その心配は消えることが無い。)

 

擬古も、矢張、前の效古と同じく、古詩に擬したといっており、その実、亦た自己の感懐を寄せたのである。

これは、主として、思婦の懐を叙したので、その実は、武を黷し、兵を弄するを謗ったのである。嚴滄浪は「音情甚だ長し」といひ、蕭士贇は「この篇、時に兵を窮め、武を黷し、行役期度なく、男女怨曠、その室家の情を逐ぐるを得ざるを傷み、時に感じて悲む、哀んで傷らす、怨んで誹らず、眞に國風の体あり、これ晦庵の謂わゆる詩に聖なるものか」といい、梅鼎祚は「古詩、相去日以遠、衣帯日以緩、太白、その語を約して日く、別彼羅帯長、と。謂わゆる延年善く減ず」といって居る。

 

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。

一心に繕いをしていると気が付かなかったが、瓶水の氷れるを見て、冬の寒きを知ったほどで、霜露は遠い旅先で夫を圧倒しているとおもうと、その心を傷ましめるのである。

【1】    瓶冰知冬寒 呂氏春秋に「瓶水の氷るを見て、天下の寒を知る」とある。

 

客似秋葉飛,飄颻不言歸。

ひとたび、家を離れた孤客は、秋葉の飛ぶが如く、飄颻として、その風の行くに任せ、決して歸ろうと云わない。

【2】    飄颻 ひらひらと動いて定まらない様子。曹植《洛神賦》「彷彿兮若輕雲之蔽月,飄颻兮若流風之囘雪。」(彷彿として軽雲の蔽月の若く、飄颻として流風の回雪の若し。)隨風飄動。《文選.曹植.雜詩六首之二》:「轉蓬離本根,飄颻隨長風。」亦作「飄搖」。凌風飛翔。

 

別後羅帶長,愁寬去時衣。

されば、空閏を守れる征婦は、夫に別れし後、愁いのあまり羅帯の腰にあまるを覚え、夫の去る時に着ていた衣も、今では身にゆるすぎるくらいになる。

 

乘月託宵夢,因之寄金徽。

つまり、孤居の物憂さにたえずして、日に日に痩せてゆくので、月に乗じて魂は遙夜の夢に入り、この別後の苦を金微の彼方に居る兵に知らせたいと思うばかりである。

【3】    金徽 舊唐書に「貞觀二十二年、契苾回紇等、十餘部落相継いで歸國す。太宗各その地土に因り、その部落を擇び、置いて州府と爲し、回紇を以て澣海都督府となし、僕骨を金薇都督府となす」とあり、新唐書「金徽都督府は、僕固部を以て置き、安北都護府に属す」とある。

 

 

擬古,十二首之一【字解】

     歷歷 星が列をなせることをいう。

     黃姑 黃姑 — (黃姑, 黄姑) .牽牛星。 《玉臺新詠歌辭之一》:東飛伯勞西飛燕, 黃姑織女時相見。”

     織女 神話伝説の中にみえる男女一対の神。おそらく元来は牽牛が男の仕事である農耕を,織女が女の仕事である養蚕紡織を象徴し,神話的宇宙観の中で二元構造をなす一対の神格であったものが,星座にも反映されたものであろう。星名は,牽牛がアルタイルAltair,織女がベガVega。この2神は,後には七夕(たなばた)の行事と結びついた恋愛譚の主人公となる。牽牛星と織女星とが並んで歌われる例はすでに《詩経》小雅・大東篇にみえるが,その背後にいかなる伝承があったのかはうかがいがたい。

     銀河 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。

     鵲橋 七夕の夜、牽牛(けんぎゅう)・織女の二星が会うとき、カササギが翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋。男女の契りの橋渡しのたとえにも用いる。烏鵲橋(うじゃくきょう)。《季 秋》2 宮中を天上になぞらえて、その殿舎の階段。

     紈素 絹の衣を縫うことをいう。白い練り絹。班捷伃《怨詩(怨歌行)》「新裂齊紈素,皎潔如霜雪。裁爲合歡扇,團團似明月。」や、《古詩十九首之十三》に「驅車上東門,遙望郭北墓。白楊何蕭蕭,松柏夾廣路。下有陳死人,杳杳即長暮。潛寐黄泉下,千載永不寤。浩浩陰陽移,年命如朝露。人生忽如寄,壽無金石固。萬歳更相送,賢聖莫能度。服食求神仙,多爲藥所誤。不如飮美酒,被服紈與素。」とある。 

     瓶冰知冬寒 呂氏春秋に「瓶水の氷るを見て、天下の寒を知る」とある。

     飄颻 ひらひらと動いて定まらない様子。曹植《洛神賦》「彷彿兮若輕雲之蔽月,飄颻兮若流風之囘雪。」(彷彿として軽雲の蔽月の若く、飄颻として流風の回雪の若し。)隨風飄動。《文選.曹植.雜詩六首之二》:「轉蓬離本根,飄颻隨長風。」亦作「飄搖」。凌風飛翔。

     金徽 舊唐書に「貞觀二十二年、契苾回紇等、十餘部落相継いで歸國す。太宗各その地土に因り、その部落を擇び、置いて州府と爲し、回紇を以て澣海都督府となし、僕骨を金薇都督府となす」とあり、新唐書「金徽都督府は、僕固部を以て置き、安北都護府に属す」とある。

280 《巻二十四26白田馬上聞鶯》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <280> Ⅰ李白詩1558 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6338

李白  白田馬上聞鶯  

黃鸝啄紫椹,五月鳴桑枝。我行不記日,誤作陽春時。

蠶老客未歸,白田已繅絲。驅馬又前去,捫心空自悲。
(馬に乗って楚州寶應縣南門外に在る白田渡を通過するとき、高麗鶯の啼き声が聞えてきて、馬上で作った詩)五月の頃、高麗鶯は桑の枝に上って鳴きつつ、紫に熟した桑の賓を啄んで居る。われは、こうして旅行をしていて、何日とも記憶せず、この高麗鶯の聲に因り、陽春三月の頃と間違って思ってしまった。今しも、蚕は既に老いて、繭を作るに際し、われは、客中に在って、未だ歸らず、白田の村里に於いては、早くも、繭を煮て、糸を繰って居る。そこで、馬を駆って、又、進んで行こうとするのであるが、安陸に残した妻を思い胸を撫でて、空しく自ら悲しむばかりである。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    白田馬上聞鶯

作地點:              白田(淮南道楚州安宜)

及地點:              白田(淮南道楚州安宜)

 

 

白田馬上聞鶯

(馬に乗って楚州寶應縣南門外に在る白田渡を通過するとき、高麗鶯の啼き声が聞えてきて、馬上で作った詩)

黃鸝啄紫椹,五月鳴桑枝。

五月の頃、高麗鶯は桑の枝に上って鳴きつつ、紫に熟した桑の賓を啄んで居る。

我行不記日,誤作陽春時。

われは、こうして旅行をしていて、何日とも記憶せず、この高麗鶯の聲に因り、陽春三月の頃と間違って思ってしまった。

蠶老客未歸,白田已絲。

今しも、蚕は既に老いて、繭を作るに際し、われは、客中に在って、未だ歸らず、白田の村里に於いては、早くも、繭を煮て、糸を繰って居る。

驅馬又前去,捫心空自悲。

そこで、馬を駆って、又、進んで行こうとするのであるが、安陸に残した妻を思い胸を撫でて、空しく自ら悲しむばかりである。

(白田、馬上、鶯を聞く)

黃鶴、紫椹を啄み、五月、桑枝に鳴く。

我が行、日を記せす、誤って、陽春の時と作す。

蠶老いて、客、未だ歸らず、白田すでに絲を繅る。

馬を駆って又前み去る、心を椚でて、空しく自ら悲む。
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唐時代 地図615 長江下流域 

『白田馬上聞鶯』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白田馬上聞鶯

黃鸝啄紫椹,五月鳴桑枝。

我行不記日,誤作陽春時。

蠶老客未歸,白田已繅絲。

驅馬又前去,捫心空自悲。

(下し文)
(白田、馬上、鶯を聞く)

黃鶴、紫椹を啄み、五月、桑枝に鳴く。

我が行、日を記せす、誤って、陽春の時と作す。

蠶老いて、客、未だ歸らず、白田すでに絲を繅る。

馬を駆って又前み去る、心を椚でて、空しく自ら悲む。

(現代語訳)
(馬に乗って楚州寶應縣南門外に在る白田渡を通過するとき、高麗鶯の啼き声が聞えてきて、馬上で作った詩)

五月の頃、高麗鶯は桑の枝に上って鳴きつつ、紫に熟した桑の賓を啄んで居る。

われは、こうして旅行をしていて、何日とも記憶せず、この高麗鶯の聲に因り、陽春三月の頃と間違って思ってしまった。

今しも、蚕は既に老いて、繭を作るに際し、われは、客中に在って、未だ歸らず、白田の村里に於いては、早くも、繭を煮て、糸を繰って居る。

そこで、馬を駆って、又、進んで行こうとするのであるが、安陸に残した妻を思い胸を撫でて、空しく自ら悲しむばかりである。

楚州0015
(訳注)

白田馬上聞鶯

(馬に乗って楚州寶應縣南門外に在る白田渡を通過するとき、高麗鶯の啼き声が聞えてきて、馬上で作った詩)

白田 淮南道楚州寶應縣の白田渡のこと。白田渡は寶應縣南門外に在った。

李白 《0804贈徐安宜》「白田見楚老,歌詠徐安宜。製錦不擇地,操刀良在茲。」(白田に 楚老を見る,歌詠す 徐安宜。錦を製して 地を擇ばず,刀を操って 良に茲に在り。)“楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

【解説】前半は、題意の正面。後半は、蚕が老いたら、或は糸を繰ったりして居ることを言い、因って、旅愁に入ったのである。嚴滄浪は「情事能く達す、必ずしも深く求めず」といい、乾隆御批には「曲にして直あるの体、深く楽府の意を得たり」とある。

 

黃鸝啄紫椹,五月鳴桑枝。

五月の頃、高麗鶯は桑の枝に上って鳴きつつ、紫に熟した桑の賓を啄んで居る。

○黃鸝 高麗鶯、黄鳥。スズメ目コウライウグイス科の鳥。全長約25センチメートル。全体が黄色で,目から後頭部にかけて黒色帯があり美しい。シベリア・中国・朝鮮などに生息し,日本へはまれに渡来する。鳴き声がよいのでこの名があるが,ウグイスとは別種。朝鮮ウグイス。(おうちよう)。

○紫椹 クワの実。春に開花する。雄花は茎の先端から房状に垂れ下がり、雌花は枝の基部の方につく。果実は初夏に熟す。キイチゴのような、柔らかい粒が集まった形で、やや長くなる。熟すと赤黒くなり、甘くて美味しい。落葉性の高木で、大きいものは15mに達するが、普段見かけるのは数m程度のものが多い。桑は、樹皮は灰色を帯びる。葉は薄く、つやのある黄緑色で、縁にはあらい鋸歯がある。大きい木では、葉の形はハート形に近い楕円形だが、若い木では、葉にあらい切れ込みが入る場合がある。

 

我行不記日,誤作陽春時。

われは、こうして旅行をしていて、何日とも記憶せず、この高麗鶯の聲に因り、陽春三月の頃と間違って思ってしまった。

 

蠶老客未歸,白田已繅絲。

今しも、蚕は既に老いて、繭を作るに際し、われは、客中に在って、未だ歸らず、白田の村里に於いては、早くも、繭を煮て、糸を繰って居る。

○蠶老 《埤雅》「蠶足於葉三俯三起,二十七日而蠶已老」(蠶 葉に足れば、三俯三起,二十七日にして、蠶 已に老ゆ。)とある。カイコはチョウ目・カイコガ科に属する昆虫の一種。正式和名はカイコガで、カイコは本来この幼虫の名称だが、一般的にはこの種全般をも指す。クワを食餌とし、絹を産生して蛹の繭を作る。桑の葉、クワのみ、蚕は古代女性がしなければいけない職業で、折った反物が租税となっていた。律令制の唐代の均田法下の税法があり、給田を受けた丁男(2159歳)に課したもので、租は粟(あわ)2石、庸は年20日(閏年は22日)の労役、または代納として1日当たり絹3尺、調は絹2丈と綿3両、または布2.5丈と麻3斤。

古代女性の労働の中で、機織りは最も生産性の高い蜀主であった、その他、田植えとか脱穀、食料採取、調理はもちろん、酒づくり、土器づくり、も女の仕事であった。

 

 

驅馬又前去,捫心空自悲。

そこで、馬を駆って、又、進んで行こうとするのであるが、安陸に残した妻を思い胸を撫でて、空しく自ら悲しむばかりである。

○捫心 むねをなでる。高麗鶯のなきごえ、紫椹,桑枝、これらは妻を思い起こす語であり、安陸に残した妻を思い胸を撫でたという意味。

 

 

一農家の女性

 

「男耕女織」、これは中国古代の標準的な農家の生活風景である。唐代の農民は官府に租税を納める外に、なお調として絹、綾、布、綿などを納めねはならず、これらの任務はみな女性たちが担わされていた。少数の豪紳地主の家の女性を除いて、大多数の農家の女性は、その生涯のすべてを養蚕や紡織の仕事に投じた。社会全体の「衣と食」という二つの大仕事は、彼女たちがその半分を担ったのであるが、それと同時に彼女たちは精美な織物を大量に作って古代文明に貢献したのである。

「夫は田中の郎、妾は田中の女。当年君に嫁し得て、君の為に機杼を秉る。筋力は日に巳に疲るるも、窓下の機を息めず。如何せん紈素を織るに、自らは襤褸の衣を著くるを」(孟郊「織婦辞」)。これが一般の農家の女性たちの労働と生活の状況であった。

春が来るとすぐに彼女たちは明ければ桑の葉を摘み、蚕を飼うことに暮れるまでするようになる。

「暁夕桑を採んで苦辛多く、好花の時節も不閑身」(来鵠「蚕婦」)。

「桑林植黒く蚕は再び眠り、婦姑は桑を採んで田に向かわず」(張籍「江村行」)。彼女たちは天の神様に御加護を祈る、どうか繭がたくさん取れますようにと。

「但だ青天を得て雨下らず、上に蒼蝿無く下に鼠無からんことを。新婦は族を拝して繭巌がるを願い…。三日配か開けば割く酢邸先ず新たな繭を群で県官に送る。田に聞く郷里にては織作を催すと、去きて誰人の身上に著けられん」(王建「族蚕辞」)。

 

女たちは養蚕の収穫が悪いと悲しんで涙を流す。

「春風は蚕を吹き細きこと蟻の如く、桑の芽は挽く青鵜の嘆を努す。侵農に探り来るは誰が家の女、手に長き条を挽きつつ涙は雨の如し。……愁い聴く門外に里背の催すを、官家は二月に新しき糸を収む」(唐彦謙「桑を採る女」)。

桑摘みと養蚕で多忙を極めているのに、官府は納税を迫るので、女たちは夜を日に継いで手足を休めず横を織らねばならない。

「妾が家は豪門に非ざるに、官賦は日に相い追う。槙を鳴らして夜より暁に達するも、猶お時に及ぼざらんことを恐る」(司馬札「蚕女」)。

「貧家の女は富家の為に織り、……水は寒く手は渋み糸は脆くも断つ、続来続去 心腸は欄る。芋虫は促促と横の下にて噂き、両日 催して一匹半を成す。官に輸むれば上頭に零落有りと、姑は未だ衣を得ず 身も著けざるに」(王建「当窓の織」)。

蚕桑、紡織の他に、さらに彼女たちは山菜や野の果実を採ったり、薪を集めたり、米を掩いたりする重労働にも従事した。夜が更けても、村の女はまだ仕事を続けている。

「田家 秋作に苦しみ、鄭女 夜 番くに寒し」(李白「五松山下の苛姐の家に宿す」)。

白髪の老婆は、朝早くから夜遅くまで橡の実を拾って家人の食糧にする。

「侭侮った黄髪の姐 之(橡の実)を拾って農霜を踏む。時を移して(しばらくして)始めて掬に盈ち、日を尽して方て筐に満てり。幾びか曝し復た幾びか蒸し、用て三冬糧(冬三カ月の食糧)と作す」(皮目休「橡姐の嘆」)。

租税を納めると生活できない貧家の女たちは、ただ麦の落穂を拾って飢えをしのぐしかなかった。

「復た貧しき婦人有り、子を抱きて共の傍らに在り。右の手にて遺ちた穂を乗り、左の常には徹れたる筐を懸く……。家も田も税を輸めて尽き、此を拾いて飢えたる腸を充たす」(自居易「麦を刈るを観る」)。

また、ある貧苦の農婦は日傭いに出ねはならなかった。

「貧窮せる田舎の漠、……妻は即ち春梅に客わる」

「黄昏 家裏に到れば、米無く復た柴無し」(楊公磯『唐代民歌考釈及変文考論』第八簾、書林人民出版社、完六二年)。

山村の女の多くは柴を軟り、それを売って生活した。彼女たちは、

「乱蓬を贅となし布を巾と為し、暁に寒山を踏んで自ら薪を負う」(白居易「薪を売る女に代って諸妓に贈る」)。

大部分の女はすでに四、五十歳、頭髪は半ば白くなっているが、なお

「十に猶お八九は薪を負うて帰り、薪を売り銭を得て供給に当つ」。

彼女たちの生活はきわめで幸いものであり、心は悲しみと苦しみに満ちていた。

「面を救い首を飾るも噂の痕を雑じえ、地は編く衣は寒く石根に苦しむ」(杜甫「負薪行」)。

苛酷な労働、困難な生活は、彼女たちの青春の血と汗を消耗し尽くし、衣服はぼろぼろ、顔はやつれはてた。

「粉色は全く無く飢色加わる、山豆に人世に栄華有るを知らんや。年年 我に這う 蚕は辛苦なりと、底事ぞ 浮身に苧麻を着くるは」(杜荀鶴「蚕婦」)。

猛暑と風霜の苦しみをいやというほど味わったので、彼女たちの顔は黒く髪は赤茶けた。一年中あくせく働いたので、化粧を顧みることもできなかった。詩人によって描写された、ある里帰りの農婦の姿は次のように粗末なものであった。

「二升の酸館をば瓦瓶に盛り、姑婦に請い得たり十日の程。赤黒く眉を画き水に臨んで(水に顔を映して)笑い、草鞋もて脚を竜み風を逐って行く。黄ばめる糸のごとき髪は乱れて琉棟は繁く、青き符の裾は高く種掠は軽し」(種掠は意味不詳。張砧「戯れに村婦に贈る」)。

彼女たちは決して生れつき粗野で醜かったわけではない。ほかならぬ辛く苦労多い生活が早々と彼女たちの青春の輝きを奪い去ったのである。
 

279 《卷23-04擬古,十二首之一》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <279> Ⅰ李白詩1557 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6333

李白  擬古,十二首之一 #1

青天何歷歷,明星如白石。黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。閨人理紈素,遊子悲行役。
(古詩に擬し、自己の感慨をのべたもの:征婦は夫を送り出して、音沙汰のない夫を心配してやせ細ってしまうが、その心配は消えることが無い。)青天の上に星がなんと歴歴と列をなしている、やがて、明星は、さながら白石のようである。そして、牽牛・織女の二星は、相い距つること尺にも盈たず、極めて接近しているように見える。しかし、銀河の上にカササギの渡せる橋もなく、七月七日という、きまった時でも無ければ、行こうと思っても、決して行かれない。閏中の少婦は、旅立つ夫のために絹の衣を縫い、その夫は、又はるばる行役に出かけることを悲しんでいる。 

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 これは、主として、思婦の懐を叙したので、その実は、武を黷し、兵を弄するを謗ったのである。嚴滄浪は「音情甚だ長し」といひ、蕭士贇は「この篇、時に兵を窮め、武を黷し、行役期度なく、男女怨曠、その室家の情を逐ぐるを得ざるを傷み、時に感じて悲む、哀んで傷らす、怨んで誹らず、眞に國風の体あり、これ晦庵の謂わゆる詩に聖なるものか」といい、梅鼎祚は「古詩、相去日以遠、衣帯日以緩、太白、その語を約して日く、別彼羅帯長、と。謂わゆる延年善く減ず」といって居る。

 

年:       開元二十七年

寫作時間:           739

寫作年紀:           39

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    擬古,十二首之一

 

 

擬古,十二首之一 #1

(古詩に擬し、自己の感慨をのべたもの:征婦は夫を送り出して、音沙汰のない夫を心配してやせ細ってしまうが、その心配は消えることが無い。)

青天何歷歷,明星如白石。

青天の上に星がなんと歴歴と列をなしている、やがて、明星は、さながら白石のようである。

姑與織女,相去不盈尺。

そして、牽牛・織女の二星は、相い距つること尺にも盈たず、極めて接近しているように見える。

銀河無鵲橋,非時將安適。

しかし、銀河の上にカササギの渡せる橋もなく、七月七日という、きまった時でも無ければ、行こうと思っても、決して行かれない。

閨人理素,遊子悲行役。

閏中の少婦は、旅立つ夫のために絹の衣を縫い、その夫は、又はるばる行役に出かけることを悲しんでいる。 

#2

瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。

客似秋葉飛,飄颻不言歸。

別後羅帶長,愁寬去時衣。

乘月託宵夢,因之寄金徽。

 

(古に擬す,十二首の一) #1

青天 何ぞ歷歷たる,明星 白きこと石の如し。

黃姑と織女と,相い去ること 尺にた盈ず。

銀河に 鵲橋無く,時に非ずして 將に安くにか適かんとする。

閨人 紈素を理め,遊子 行役を悲しむ。

#2

瓶冰 冬寒を知り,霜露 遠客を欺く。

客は秋葉の飛ぶに似て,飄颻として歸るを言わず。

別後 羅帶長し,去時の衣を寬にせしむことを愁う。

月に乘じて 宵夢に託し,之に因って金徽に寄す。
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『擬古,十二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

擬古,十二首之一 #1

青天何歷歷,明星如白石。

黃姑與織女,相去不盈尺。

銀河無鵲橋,非時將安適。

閨人理紈素,遊子悲行役。
詩文(含異文)

青天何歷歷,明星如白石【明星白如石】。黃姑與織女,相去不盈尺。銀河無鵲橋,非時將安適。閨人理紈素,遊子悲行役。瓶冰知冬寒,霜露欺遠客。客似秋葉飛,飄颻不言歸。別後羅帶長,愁寬去時衣。乘月託宵夢,因之寄金徽。


(下し文)
(古に擬す,十二首の一) #1

青天 何ぞ歷歷たる,明星 白きこと石の如し。

黃姑と織女と,相い去ること 尺にた盈ず。

銀河に 鵲橋無く,時に非ずして 將に安くにか適かんとする。

閨人 紈素を理め,遊子 行役を悲しむ。


(現代語訳)
(古詩に擬し、自己の感慨をのべたもの:征婦は夫を送り出して、音沙汰のない夫を心配してやせ細ってしまうが、その心配は消えることが無い。)

青天の上に星がなんと歴歴と列をなしている、やがて、明星は、さながら白石のようである。

そして、牽牛・織女の二星は、相い距つること尺にも盈たず、極めて接近しているように見える。

しかし、銀河の上にカササギの渡せる橋もなく、七月七日という、きまった時でも無ければ、行こうと思っても、決して行かれない。

閏中の少婦は、旅立つ夫のために絹の衣を縫い、その夫は、又はるばる行役に出かけることを悲しんでいる。 


(訳注)

擬古,十二首之一 #1

(古詩に擬し、自己の感慨をのべたもの:征婦は夫を送り出して、音沙汰のない夫を心配してやせ細ってしまうが、その心配は消えることが無い。)

 

青天何歷歷,明星如白石。

青天の上に星がなんと歴歴と列をなしている、やがて、明星は、さながら白石のようである。

歷歷 星が列をなせることをいう。

 

黃姑與織女,相去不盈尺。

そして、牽牛・織女の二星は、相い距つること尺にも盈たず、極めて接近しているように見える。

黃姑 黃姑 — (黃姑, 黄姑) .牽牛星。 《玉臺新詠歌辭之一》:東飛伯勞西飛燕, 黃姑織女時相見。”

織女 神話伝説の中にみえる男女一対の神。おそらく元来は牽牛が男の仕事である農耕を,織女が女の仕事である養蚕紡織を象徴し,神話的宇宙観の中で二元構造をなす一対の神格であったものが,星座にも反映されたものであろう。星名は,牽牛がアルタイルAltair,織女がベガVega。この2神は,後には七夕(たなばた)の行事と結びついた恋愛譚の主人公となる。牽牛星と織女星とが並んで歌われる例はすでに《詩経》小雅・大東篇にみえるが,その背後にいかなる伝承があったのかはうかがいがたい。

 

銀河無鵲橋,非時將安適。

しかし、銀河の上にカササギの渡せる橋もなく、七月七日という、きまった時でも無ければ、行こうと思っても、決して行かれない。

銀河 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。

鵲橋 七夕の夜、牽牛(けんぎゅう)・織女の二星が会うとき、カササギが翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋。男女の契りの橋渡しのたとえにも用いる。烏鵲橋(うじゃくきょう)。《季 秋》2 宮中を天上になぞらえて、その殿舎の階段。

 

閨人理紈素,遊子悲行役。

閏中の少婦は、旅立つ夫のために絹の衣を縫い、その夫は、又はるばる行役に出かけることを悲しんでいる。 

紈素 絹の衣を縫うことをいう。

278 《巻二十一48夜泊牛渚懷古【案:此地即謝尚聞袁宏詠史處。】》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <278> Ⅰ李白詩1557 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6333

李白  夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】  

牛渚西江夜,青天無片雲。登舟望秋月,空憶謝將軍。

余亦能高詠,斯人不可聞。明朝掛帆席,楓葉落紛紛。
(この詩は、夜、舟を牛渚に泊し、因って、古を思って作った詩。)【この地は晋の鎮西將軍謝尚であり、袁宏のかいた詠史でいう所である】大江の西岸にある牛渚の夜は晴れて、青天には一片の雲だにない。この時、私は舟に居て、秋月の玲瓏たるを望み、古の晋の鎮西將軍の謝尚をむなしく思い出す。わたしもまた生来高詠をよくするが、いくら謝尚に聞いて貰おうと思っても、今古時を異にして居るから、仕方がない。そこで、明朝、帆を桂けて、江を下れば、時しも秋の末、楓葉紛々として、落ちるばかり、やはり、謝尚の様な人にあうことはできないだろう。 

 

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一八一              文體:    五言律詩

詩題:    夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】

作地點:              牛渚山(江南西道 / 宣州 / 當塗)

及地點:              牛渚山 (江南西道 宣州 當塗)           

 

 

夜泊牛渚懷古

(この詩は、夜、舟を牛渚に泊し、因って、古を思って作った詩。)

【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】

(この地は晋の鎮西將軍謝尚であり、袁宏のかいた詠史でいう所である)

牛渚西江夜,青天無片雲。

大江の西岸にある牛渚の夜は晴れて、青天には一片の雲だにない。

登舟望秋月,空憶謝將軍。

この時、私は舟に居て、秋月の玲瓏たるを望み、古の晋の鎮西將軍の謝尚をむなしく思い出す。

余亦能高詠,斯人不可聞。

わたしもまた生来高詠をよくするが、いくら謝尚に聞いて貰おうと思っても、今古時を異にして居るから、仕方がない。

明朝掛帆席,楓葉落紛紛。

そこで、明朝、帆を桂けて、江を下れば、時しも秋の末、楓葉紛々として、落ちるばかり、やはり、謝尚の様な人にあうことはできないだろう。 

 

(夜牛渚に泊して懐古す)【此の地 即ち謝尚 袁宏詠史に聞く處なり。】
牛渚に西江の夜、青天、片雲なし。

舟に登って秋月を望み、空しく懐ふ謝将軍。

余、亦た高詠を能くす、斯人聞くべからす。

明朝、帆席をくれば、楓葉落ちて紛紛。

 

 

『夜泊牛渚懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】

牛渚西江夜,青天無片雲。

登舟望秋月,空憶謝將軍。

余亦能高詠,斯人不可聞。

明朝掛帆席,楓葉落紛紛。
夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】(含異文)

牛渚西江夜,青天無片雲。

登舟望秋月,空憶謝將軍。

余亦能高詠,斯人不可聞。

明朝掛帆席【明朝洞庭去】,楓葉落紛紛【楓葉正紛紛】。


(下し文)
(夜牛渚に泊して懐古す)
牛渚に西江の夜、青天、片雲なし。

舟に登って秋月を望み、空しく懐ふ謝将軍。

余、亦た高詠を能くす、斯人聞くべからす。

明朝、帆席をくれば、楓葉落ちて紛紛。

 

(現代語訳)
(この詩は、夜、舟を牛渚に泊し、因って、古を思って作った詩。)

【この地は晋の鎮西將軍謝尚であり、袁宏のかいた詠史でいう所である】

大江の西岸にある牛渚の夜は晴れて、青天には一片の雲だにない。

この時、私は舟に居て、秋月の玲瓏たるを望み、古の晋の鎮西將軍の謝尚をむなしく思い出す。

わたしもまた生来高詠をよくするが、いくら謝尚に聞いて貰おうと思っても、今古時を異にして居るから、仕方がない。

そこで、明朝、帆を桂けて、江を下れば、時しも秋の末、楓葉紛々として、落ちるばかり、やはり、謝尚の様な人にあうことはできないだろう。 


(訳注)

夜泊牛渚懷古【此地即謝尚聞袁宏詠史處。】

(この詩は、夜、舟を牛渚に泊し、因って、古を思って作った詩。)

【この地 即ち謝尚 袁宏詠史に聞く處なり。】(この地は晋の鎮西將軍謝尚であり、袁宏のかいた詠史でいう所である)

牛渚山 安徽當塗縣西北二十里。一名采石。

謝尚 晋の鎮西將軍謝尚

袁虎:袁宏(西元328376),字伯,東晉陽夏(今河南省太康)人。有逸才,為桓溫記室,太元初,官東陽太守。有《後漢紀》、《竹林名士傳》等。袁宏詠史 《太平寰宇記》「牛渚山在太平州當塗縣北三十五里。突出江中、謂為牛渚磯。古津渡處也。」《輿地志》云「牛渚山、昔有人、潛行云:此處通洞庭、旁達無底。見有金牛狀異、乃驚怪而出。牛渚山北、謂之采石。按今對采石渡口、上有謝將軍祠。」

上有謝將軍祠、《淮南記》云:「呉初以周瑜屯牛渚晋鎮西將軍謝尚亦鎮此城袁宏時寄運船泊牛渚尚乗月泛江聞運船中諷詠遣問之卽宏誦其自作咏史詩於是大相嘆賞。」

 

牛渚西江夜,青天無片雲。

大江の西岸にある牛渚の夜は晴れて、青天には一片の雲だにない。

片雲 一片の雲だにという意。

 

登舟望秋月,空憶謝將軍。

この時、私は舟に居て、秋月の玲瓏たるを望み、古の晋の鎮西將軍の謝尚をむなしく思い出す。

 

余亦能高詠,斯人不可聞。

わたしもまた生来高詠をよくするが、いくら謝尚に聞いて貰おうと思っても、今古時を異にして居るから、仕方がない。

 

明朝掛帆席,楓葉落紛紛。

そこで、明朝、帆を桂けて、江を下れば、時しも秋の末、楓葉紛々として、落ちるばかり、やはり、謝尚の様な人にあうことはできないだろう。 

掛帆席 筵の帆を柱かける。 

277-#2 《巻二十一12郢門秋懷#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <277-#2> Ⅰ李白詩1556 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6328

李白  郢門秋懷#2

百齡何蕩漾,萬化相推遷。空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

終當遊五湖,濯足滄浪泉。
百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 そこで、蒼梧の帝に謁見しようとするも、志し逐げられず、いたずらに海中に向つて、神仙を尋ねんとして居る。しかし、蓬莱山の水でさえも、追追浅くなってゆき、三千年に一たび實るという桃の三たび熟するを見ることは、もとよりむつかしい。そこで、剣に侍って浩歎を増し、襟を撫でて、摘む自ら憐れむばかり。この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵囂を脱し、遠く五湖に浮んで去り、そして、足を滄浪の水に洗って隠遁する外はない.

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    郢門秋懷

作地點:              荊州(江南東道 / 荊州 / 荊州)

及地點:              荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府             

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

 

 

郢門秋懷 #1

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

郢門一為客,巴月三成弦。

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

朔風正搖落,行子愁歸旋。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

杳杳山外日,茫茫江上天。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

清曠諧宿好,緇及此年。

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

#2

百齡何蕩漾,萬化相推遷。

空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。

倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

終當遊五湖,濯足滄浪泉。

百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 

そこで、蒼梧の帝に謁見しようとするも、志し逐げられず、いたずらに海中に向つて、神仙を尋ねんとして居る。

しかし、蓬莱山の水でさえも、追追浅くなってゆき、三千年に一たび實るという桃の三たび熟するを見ることは、もとよりむつかしい。

そこで、剣に侍って浩歎を増し、襟を撫でて、摘む自ら憐れむばかり。

この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵囂を脱し、遠く五湖に浮んで去り、そして、足を滄浪の水に洗って隠遁する外はない.

 

(郢門秋懷) #1

郢門 一たび客と為り,巴月 三たび弦を成す。

朔風 正に搖落,行子 歸旋を愁う。

杳杳たる山外の日,茫茫たる江上の天。

人は迷う 洞庭の水,雁は度る 瀟湘の煙。

清曠 宿好に諧い,緇 此年に及ぶ。

#2

百齡 何ぞ蕩漾,萬化 相い推遷。

空しく 蒼梧の帝に謁し,徒らに溟海の仙を尋ぬ。

已に聞く 蓬海の淺きを,豈に三桃の圓なるを見んや。

劍に倚って 浩歎を增し,襟を捫でて 還た自ら憐む。

終に當に五湖に遊び,足を滄浪の泉に濯うべし。

 

 

『郢門秋懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

百齡何蕩漾,萬化相推遷。

空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。

倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

終當遊五湖,濯足滄浪泉。

(下し文)
百齡 何ぞ蕩漾,萬化 相い推遷。

空しく 蒼梧の帝に謁し,徒らに溟海の仙を尋ぬ。

已に聞く 蓬海の淺きを,豈に三桃の圓なるを見んや。

劍に倚って 浩歎を增し,襟を捫でて 還た自ら憐む。

終に當に五湖に遊び,足を滄浪の泉に濯うべし。

(現代語訳)
百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 

そこで、蒼梧の帝に謁見しようとするも、志し逐げられず、いたずらに海中に向つて、神仙を尋ねんとして居る。

しかし、蓬莱山の水でさえも、追追浅くなってゆき、三千年に一たび實るという桃の三たび熟するを見ることは、もとよりむつかしい。

そこで、剣に侍って浩歎を増し、襟を撫でて、摘む自ら憐れむばかり。

この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵囂を脱し、遠く五湖に浮んで去り、そして、足を滄浪の水に洗って隠遁する外はない.


(訳注)

郢門秋懷 #2

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

この詩は、秋、荊門に遊びしに因って、客中の情懐を叙したものである。

郢門 郢門は荊門。           荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府           

 

百齡何蕩漾,萬化相推遷。

百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 

萬化 宇宙の現象の攣化して止まざること。

 

空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

そこで、蒼梧の帝に謁見しようとするも、志し逐げられず、いたずらに海中に向つて、神仙を尋ねんとして居る。

蒼梧帝 呉均の詩に「欲謁蒼梧帝、過間沅流湘姫」とあって、虞舜を指す。

溟海仙 十州記に「蓬莱山は、東海の東北岸に対し、周回五十里、外、別に圓海あって山をめぐる、圓海水甚だ黒く、而して、これを凕海という。風なくして、洪波百丈、得て往来すべからず。上に九老丈人、九天眞王宮あり、蓋し、太上眞人の居るところ、但だ飛仙能く其処に到るのみ」とある。溟海仙は、海中島上の神仙をいう。

 

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。

しかし、蓬莱山の水でさえも、追追浅くなってゆき、三千年に一たび實るという桃の三たび熟するを見ることは、もとよりむつかしい。

蓬海淺 神仙傳に「麻姑云ふ、さきに-蓬莱に到りしに、水叉往日よりも浅し」とある。

三桃圓 漢武故事に「東海、一短人か送る、長五寸、衣冠具足、上、その精を疑い、東方朔を召して至る。朔、短人を呼んで日く、巨靈、阿母還り来るや否やと。短人対えず、因って、指して上に謂ふ、王母、桃も種うる三千年、―たび子を結ぶ。

この兒不良、すべて三たび過ぎて之を倫み、王母の意も失ひ、故に謫せられてここに来る、と。上大に驚き、はじめて朔の世中の人に非ざるを知るなり」とある。

 

倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

そこで、剣に侍って浩歎を増し、襟を撫でて、摘む自ら憐れむばかり。

 

終當遊五湖,濯足滄浪泉。

この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵囂を脱し、遠く五湖に浮んで去り、そして、足を滄浪の水に洗って隠遁する外はない.

五湖 今太湖の周辺にある。洞庭湖、鄱阳湖、太湖、巢湖、洪湖。

滄浪 あおあおとした波。蒼波(そうは)。(滄浪)川の名。中国湖北省を流れる漢水の一部の異称という。滄海桑田。《儲光羲「献八舅東帰」から》広い海原が桑畑に変わる。世の中の移り変わりの激しいことのたとえ。桑田変じて海となる。桑田変じて滄海となる。

濯足滄浪泉 《古風,五十九首之二十四》「世無洗耳翁。 誰知堯與跖。」(この手合いのものは格別の才能もないのに、ちょっと天子に気にいられて、富貴になったのであり、今の世には、穎水で耳を洗って隠居したような清廉潔白な人はいない、聖人の堯帝と大泥棒の跖とを、誰が見分けられるというのか。
洗耳翁 太古堯帝の時の高士、許由のこと。責帝から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられた時、受けつけず、穎水の北にゆき隠居した。堯帝が又、かれを招いて九州の長にしようとしたら、かれは、こういう話は耳がけがれるといって、すぐさま川の水で耳を洗った。李白「迭裴十八図南歸山其二」紀頌之の漢詩 164  参照

 

 許由が箕山の下に隠遁し、世俗、下世話な事を聞いたから潁水で耳を洗った高士の人ということ。高士傳 『史記』「伯夷列伝第一」 に「甫謐高士傳云・・「許由字武仲。堯聞致天下而譲焉、乃退而遁於中嶽潁水陽、箕山之下隠。堯又召爲九州長、由不欲聞之、洗耳於穎水濱。」(皇甫謐『高士伝』に云ふ、許由、字は武仲。尭、天下を致して譲らんとするを聞き、乃ち退いて中嶽潁水の陽、箕山の下に遁れ隠る。尭、又た召して九州の長と為さんとす。由、之を聞くを欲せず、耳を潁水の浜に洗ふ。)
堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういう話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。

 

巢父・許由 許由と巣父の故事による。許由は、中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

《題元丹丘山居》

故人棲東山,自愛丘壑美。青春臥空林,白日猶不起。

松風清襟袖,石潭洗心耳。羨君無紛喧,高枕碧霞裡。

181 《巻24-02 題元丹丘山居》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <181> Ⅰ李白詩1402 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5558

277-#1 《巻二十一12郢門秋懷#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <277-#1> Ⅰ李白詩1555 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6323

李白  郢門秋懷 #1 

郢門一為客,巴月三成弦。朔風正搖落,行子愁歸旋。

杳杳山外日,茫茫江上天。人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

清曠諧宿好,緇磷及此年。・・・・・
(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)#1一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    郢門秋懷

作地點:              荊州(江南東道 / 荊州 / 荊州)

及地點:              荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府             

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

 

 

郢門秋懷 #1

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

郢門一為客,巴月三成弦。

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

朔風正搖落,行子愁歸旋。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

杳杳山外日,茫茫江上天。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

清曠諧宿好,緇及此年。

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

#2

百齡何蕩漾,萬化相推遷。

空謁蒼梧帝,徒尋溟海仙。

已聞蓬海淺,豈見三桃圓。

倚劍增浩歎,捫襟還自憐。

終當遊五湖,濯足滄浪泉。

 

(郢門秋懷) #1

郢門 一たび客と為り,巴月 三たび弦を成す。

朔風 正に搖落,行子 歸旋を愁う。

杳杳たる山外の日,茫茫たる江上の天。

人は迷う 洞庭の水,雁は度る 瀟湘の煙。

清曠 宿好に諧い,緇 此年に及ぶ。

#2

百齡 何ぞ蕩漾,萬化 相い推遷。

空しく 蒼梧の帝に謁し,徒らに溟海の仙を尋ぬ。

已に聞く 蓬海の淺きを,豈に三桃の圓なるを見んや。

劍に倚って 浩歎を增し,襟を捫でて 還た自ら憐む。

終に當に五湖に遊び,足を滄浪の泉に濯うべし。

 

 

『郢門秋懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

郢門秋懷 #1

郢門一為客,巴月三成弦。

朔風正搖落,行子愁歸旋。

杳杳山外日,茫茫江上天。

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

清曠諧宿好,緇磷及此年。

(下し文)
(郢門秋懷) #1

郢門 一たび客と為り,巴月 三たび弦を成す。

朔風 正に搖落,行子 歸旋を愁う。

杳杳たる山外の日,茫茫たる江上の天。

人は迷う 洞庭の水,雁は度る 瀟湘の煙。

清曠 宿好に諧い,緇磷 此年に及ぶ。

(現代語訳)
(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)#1

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。


(訳注)

郢門秋懷 #1

(荊州に遊んで荊門、五湖、の秋の風情をうたい、眼前の希望として、滄浪に足を洗いたいと詠うもの)

この詩は、秋、荊門に遊びしに因って、客中の情懐を叙したものである。

郢門 郢門は荊門。           荊州 (江南東道 荊州 荊州) 別名:郢門、荊府           

山名。湖北省宜都県の西北方、長江の南岸にある。河川に両岸が迫っているので呼ばれる。北岸の虎牙山と相対した江運の難所である。宜宗の大中二年(848年)、桂林刺史、桂管防禦観察使の鄭亜が循州(広東省恵陽県)に貶され、李商隠は幕を辞して都へ帰った。馮浩はその路中の作とする。偶成転韻と題する詩に「頃之職を失いて南風に辞す、破帆壊漿 荊江の中。」と歌われており、李商隠はこの荊門のあたりの難所で実際に危険な目にあったらしい。杜甫「詠懐古跡五首其三」李白「秋下荊門」「渡荊門送別」三峡をすこし下ってここに差し掛かることを詠う。李白は江陵で当時の道教教団、最高指導者の司馬承禎(しばしょうてい)と会っている。司馬承禎は玄宗皇帝から幾度も宮中に召され、法籙(ほうろく・道教の免許)を授けるほどに信頼された人物だ。司馬承禎は南岳衡山(こうざん)での祭儀に参加するため湖南に行く途中で、江陵にさしかかったのだった。すでに高齢に達していた司馬承禎に李白は詩を呈し、道教について教えを乞うた。司馬承禎が李白を「仙風道骨あり、神とともに八極の表に遊ぶべし」と褒めたという。

725年 開元十三年の春三月、二十五歳の李白と呉指南は江陵に別れを告げ、「楚国の遊」に旅立った。詩は江陵で遊んでを去るに当たって知友に残した作品で、留別の詩。

 李白は眼前に広がる楚地の広大な天地に意欲をみなぎらせ、同時に「仍()お憐れむ 故郷の水 万里 行舟を送るを」と感傷もにじませる。

 

郢門一為客,巴月三成弦。

一たび、郢門に客となってより、巴地での月は、三たび上弦の形を成し、三個月を経過した。

三成弦 呉均の詩に「別離未幾日、高月三成弦とあるに本づく、上弦の月は7日前後の月ををいい、三たび上弦月を見たという義。。

 

朔風正搖落,行子愁歸旋。

朔風は、頻りに木の葉をふるい落し、まことに淋しい季節と成ったので、旅人は、早く帰郷したいと思っている。

朔風 「朔」は北の方角の意》北から吹く風。北風。《季 冬》

 

杳杳山外日,茫茫江上天。

山外の日は、杳杳として遠く、江上の天は、茫茫として闊くある。

 

人迷洞庭水,雁度瀟湘煙。

人は洞庭の水に迷い、雁は瀟湘の煙を渡って飛ぶ。 

洞庭 洞庭湖、洞庭湖は、中華人民共和国湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。湖北省と湖南省はこの湖の北と南にあることからその名が付いた。

瀟湘 瀟湘八景。瀟湘八景(しょうしょう はっけい)とは、中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。瀟湘は単に風光明媚というだけではなく、かつては楚の中心地として栄え、伝説や神話に彩られた土地である。 かの有名な桃源郷の伝説もこの一帯から生まれた。 屈原の『楚辞』「九歌」や「離騒」には、伝説上の皇帝堯の二人の娘湘君・湘妃の物語が幻想的に詠われている。二人の娘は次の皇帝舜帝の妃娥皇・女英となり、夫の舜が遠征の途中、湘江の畔で命を落とすと後を追って洞庭湖に身投げし、湘江の神となったという。後に二人は湘山に祀られた。戦国時代、この詩を詠んだ屈原自身もこの地を彷徨い、詩を詠み、ついには失意のうちに身を投じている。洞庭湖の畔に建つ岳陽楼には各地から文人が集い雅会を開いた。唐の張説、杜甫、宋代の范仲淹など多くの詩文がこの名勝の地で生まれた。

 

清曠諧宿好,緇磷及此年。

その風景の清曠なるは、平生の嗜好に叶ったが、おもへば、浮世に混じて、かくまで老年に成って仕舞った。

緇磷 すり減らされ黒ずむ。《論語·陽貨》「不曰堅乎?磨而不磷。不曰白乎?涅而不緇。」.李白《潁陽別元丹丘之淮陽》「悠悠市朝間,玉顏日緇磷。」かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。

 

 

百年の齢は、蕩漾して、安定したものではなく、萬物は互に変化して遷りゆく。 

そこで、蒼椿の帝に謁せむとするも、志逐げや、徒に海中に向つて、紳仙

を尋ねむとして居る。しかし、蓬莱の水でさへも、追追浅くnTり、三千年に一たび貰るといふ桃の三

たび熟するを見ることは、もとより六つかしい。そこで、剣に侍って浩款を増し、襟を撫でて、摘む

自ら憐むばかゎ。この上は、仕方がないから、せめては、人世の塵薯か験し、泣く五湖に浮んで去り、

そして、足を愴渦の水に洗ふ外はない.

 

萬化 宇宙の現象の攣化して止まざること。

蒼梧帝 呉均の詩に「欲謁蒼梧帝、過間沅流湘姫」とあって、虞舜を指す。

 

溟海仙 十州記に「蓬莱山は、東海の東北岸に対し、周回五十里、外、別に圓海あって山をめぐる、圓海水甚だ黒く、而して、これを凕海という。風なくして、洪波百丈、得て往来すべからず。上に九老丈人、九天眞王宮あり、蓋し、太上眞人の居るところ、但だ飛仙能く其処に到るのみ」とある。溟海仙は、海中島上の神仙をいう。

蓬海淺 神仙傳に「麻姑云ふ、さきに-蓬莱に到りしに、水叉往日よりも浅し」とある。

三桃圓 漢武故事に「東海、一短人か送る、長五寸、衣冠具足、上、その精を疑い、東方朔を召して至る。朔、短人を呼んで日く、巨靈、阿母還り来るや否やと。短人対えず、因って、指して上に謂ふ、王母、桃も種うる三千年、―たび子を結ぶ。

この兒不良、すべて三たび過ぎて之を倫み、王母の意も失ひ、故に謫せられてここに来る、と。上大に驚き、はじめて朔の世中の人に非ざるを知るなり」とある。

五湖 今太湖の周辺にある。洞庭湖、鄱阳湖、太湖、巢湖、洪湖。

滄浪 あおあおとした波。蒼波(そうは)。(滄浪)川の名。中国湖北省を流れる漢水の一部の異称という。滄海桑田。《儲光羲「献八舅東帰」から》広い海原が桑畑に変わる。世の中の移り変わりの激しいことのたとえ。桑田変じて海となる。桑田変じて滄海となる。

276 《巻十九15與從姪杭州刺史良遊天竺寺》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <276>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1554 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6318

李白  與從姪杭州刺史良遊天竺寺  

掛席凌蓬丘,觀濤憩樟樓。三山動逸興,五馬同遨遊。

天竺森在眼,松風颯驚秋。覽雲測變化,弄水窮清幽。

疊嶂隔遙海,當軒寫歸流。詩成傲雲月,佳趣滿
(從姪であった杭州刺史李良と共に、天竺寺に遊んだ時に作ったもの)席の帆を掛けて、海上に浮び、遠く蓬莱を凌がんとして、観涛の豪を縦にし、やがて、樟亭に風流に休憩した。そうすれば、東海の三山には、逸輿を動かすことになり、ここに又、五馬を連ねて敖遊し、杭州を歴て、充分めぐったのである。すると、西湖から天竺寺の路の両側は、“九里松”が森然として眼中に在り、松風は、颯然として秋を感じて驚くばかり。そこで、寺へ往くと、雲水の景勝があって、雲に対しては変化を観るべく、水を弄しては、その上源にさかのぼって清幽を窮めた。重畳せる峰嶂は、遙かなる海を隔てて、翠黛を抱き、軒端に近く紆曲せる長流は、滾々としてそそいでいる。ここを楽しんでめぐる内に、詩成って、雪月に嘯傲すれば、佳趣、呉洲に満ちて、さすがに、棄て難き景致がある。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    與從姪杭州刺史良遊天竺寺

作地點: 杭州(江南東道 / 杭州 / 杭州)

及地點: 杭州 (江南東道 杭州 杭州)              

天竺寺 (江南東道 杭州 杭州)          

樟亭驛 (江南東道 杭州 錢塘(錢唐)) 別名:樟樓     

交遊人物:李良    當地交遊(江南東道 杭州 杭州)

 

 

與從姪杭州刺史良遊天竺寺

(從姪であった杭州刺史李良と共に、天竺寺に遊んだ時に作ったもの)

掛席凌蓬丘,觀濤憩樟樓。

席の帆を掛けて、海上に浮び、遠く蓬莱を凌がんとして、観涛の豪を縦にし、やがて、樟亭に風流に休憩した。

三山動逸興,五馬同遨遊。

そうすれば、東海の三山には、逸輿を動かすことになり、ここに又、五馬を連ねて敖遊し、杭州を歴て、充分めぐったのである。

天竺森在眼,松風颯驚秋。

すると、西湖から天竺寺の路の両側は、“九里松”が森然として眼中に在り、松風は、颯然として秋を感じて驚くばかり。

覽雲測變化,弄水窮清幽。

そこで、寺へ往くと、雲水の景勝があって、雲に対しては変化を観るべく、水を弄しては、その上源にさかのぼって清幽を窮めた。

疊嶂隔遙海,當軒寫歸流。

重畳せる峰嶂は、遙かなる海を隔てて、翠黛を抱き、軒端に近く紆曲せる長流は、滾々としてそそいでいる。

詩成傲雲月,佳趣滿洲。

ここを楽しんでめぐる内に、詩成って、雪月に嘯傲すれば、佳趣、呉洲に満ちて、さすがに、棄て難き景致がある。

 

從姪の杭州の刺史良と天竺寺に遊ぶ。

席を掛けて蓬丘を凌ぎ,濤を觀て樟樓に憩う。

三山 逸興を動かし,五馬 同じく遨遊。

天竺 森として 眼に在り,松風 颯として秋に驚く。

雲を覽て變化を測り,水を弄して清幽を窮む。

疊嶂 遙海を隔て,當軒 歸流を寫ぐ。

詩成って雲月に傲り,佳趣 洲に滿つ

 

江南東道 婺州 東陽00 

『與從姪杭州刺史良遊天竺寺』 現代語訳と訳註解説
(本文)
與從姪杭州刺史良遊天竺寺

掛席凌蓬丘,觀濤憩樟樓。

三山動逸興,五馬同遨遊。

天竺森在眼,松風颯驚秋。

覽雲測變化,弄水窮清幽。

疊嶂隔遙海,當軒寫歸流。

詩成傲雲月,佳趣滿

(下し文)
從姪の杭州の刺史良と天竺寺に遊ぶ。

席を掛けて蓬丘を凌ぎ,濤を觀て樟樓に憩う。

三山 逸興を動かし,五馬 同じく遨遊。

天竺 森として 眼に在り,松風 颯として秋に驚く。

雲を覽て變化を測り,水を弄して清幽を窮む。

疊嶂 遙海を隔て,當軒 歸流を寫ぐ。

詩成って雲月に傲り,佳趣 洲に滿つ


(現代語訳)
(從姪であった杭州刺史李良と共に、天竺寺に遊んだ時に作ったもの)

席の帆を掛けて、海上に浮び、遠く蓬莱を凌がんとして、観涛の豪を縦にし、やがて、樟亭に風流に休憩した。

そうすれば、東海の三山には、逸輿を動かすことになり、ここに又、五馬を連ねて敖遊し、杭州を歴て、充分めぐったのである。

すると、西湖から天竺寺の路の両側は、“九里松”が森然として眼中に在り、松風は、颯然として秋を感じて驚くばかり。

そこで、寺へ往くと、雲水の景勝があって、雲に対しては変化を観るべく、水を弄しては、その上源にさかのぼって清幽を窮めた。

重畳せる峰嶂は、遙かなる海を隔てて、翠黛を抱き、軒端に近く紆曲せる長流は、滾々としてそそいでいる。

ここを楽しんでめぐる内に、詩成って、雪月に嘯傲すれば、佳趣、呉洲に満ちて、さすがに、棄て難き景致がある。



(訳注)

與從姪杭州刺史良遊天竺寺

(從姪であった杭州刺史李良と共に、天竺寺に遊んだ時に作ったもの)

天竺寺 下天竺霊山寺

 この詩は、開元十七年(739)、李白が杭州剌史であった従姪の李良と天竺寺に遊んだ時の作とされる。先ず第二句て杭州の名勝として看潮の名所である樟樓(樟亭)が、第九・十句では天竺から眺望される海が描かれる一方、隣接する西醐への言及は見られない。李白は、行く先々の名称古跡を訪ねては「詩跡」を生み出していったという。その李白が、杭州を訪れながら西湖への言及を残していないということは、この時期に於ける西湖の景勝としての存在感を考える上で重要である。

 

掛席凌蓬丘,觀濤憩樟樓。

席の帆を掛けて、海上に浮び、遠く蓬莱を凌がんとして、観涛の豪を縦にし、やがて、樟亭に風流に休憩した。

蓬丘 神仙三山の蓬莱山。(方丈、瀛州)

樟樓 樟亭駅の駅樓、浙江亭のことである。錢唐江跨浦橋たもと南側にあった。

 

三山動逸興,五馬同遨遊。

そうすれば、東海の三山には、逸輿を動かすことになり、ここに又、五馬を連ねて敖遊し、杭州を歴て、充分めぐったのである。

三山 神仙三山の蓬莱、方丈、瀛州山。

五馬 太守は五頭立ての馬車が許されたので、太守のことをいう。

 

天竺森在眼,松風颯驚秋。

すると、西湖から天竺寺の路の両側は、“九里松”が森然として眼中に在り、松風は、颯然として秋を感じて驚くばかり。

天竺森在眼 西湖より、天竺寺の路の両側が古松林で、“九里松”という。

 

覽雲測變化,弄水窮清幽。

そこで、寺へ往くと、雲水の景勝があって、雲に対しては変化を観るべく、水を弄しては、その上源にさかのぼって清幽を窮めた。

 

疊嶂隔遙海,當軒寫歸流。

重畳せる峰嶂は、遙かなる海を隔てて、翠黛を抱き、軒端に近く紆曲せる長流は、滾々としてそそいでいる。

 

詩成傲雲月,佳趣滿洲。

ここを楽しんでめぐる内に、詩成って、雪月に嘯傲すれば、佳趣、呉洲に満ちて、さすがに、棄て難き景致がある。
a謝霊運永嘉ルート02 

275 《巻十七10送麴十少府》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <275> Ⅰ李白詩1553 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6313

李白  送麴十少府  

試發清秋興,因為會吟。碧雲斂海色,流水折江心。

我有延陵劍,君無陸賈金。艱難此為別,惆悵一何深。

(某縣の尉たる麴某を送って作ったもの)時はいま清秋の頃であり、詩興自ら勃如たるにより、呉の会稽に因める詩を作って、君のこの旅を送ろうと思う。 おりから、碧雲はのび広がって、海色をおさめており、流水は、秋漲の餘勢、すさまじく、江心から曲折して奔注している。この間を旅すると、さすがに、悽愴の想を為すであろう。われには、心中君に贈ることを許した延陵の剣あれども、君は、なお奔走に衣食して、子息等に分配する「陸賈の金」というものはもっていない。されば、ここに別を為すに際して、浮世の艱難辛苦、自ら除き難く、惆悵の念、愈よ深きに堪えぬ。

275 《巻十七10送麴十少府》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <275> Ⅰ李白詩1553 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6313

 
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 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集