漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Index-20-740年開元二十八年40歳

290-#2 《巻二十四13嘲魯儒》-#2Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳<290-#2> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443

李白   嘲魯儒#2  

緩步從直道,未行先起塵。秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。時事且未達,歸耕汶水濱。
おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

290-#2 《巻二十四13嘲魯儒》-#2Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <290-#2> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443

 

 
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    嘲魯儒

作地點:              目前尚無資料

及地點:              汶水 (河南道 兗州 兗州)    

 

 

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯叟談五經,白髮死章句。

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。

足著遠遊履,首戴方山巾。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

#2

緩步從直道,未行先起塵。

おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。

秦家丞相府,不重褒衣人。

秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

君非叔孫通,與我本殊倫。

また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。

時事且未達,歸耕汶水濱。

だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

(嘲魯儒)

#2

緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

 

『嘲魯儒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

緩步從直道,未行先起塵。

秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。

時事且未達,歸耕汶水濱。

(下し文)
緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

(現代語訳)
おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。

秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。

だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

李白の足跡0000
(訳注) #2

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

前の分類中に入らぬ様な者を悉皆集めて、一まとめとし、便宜上、難詠といったのである。

魯儒のものの実務に疎いことをいい、「足著遠遊履、」

 

緩步從直道,未行先起塵。

おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。

 

秦家丞相府,不重褒衣人。

秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

秦家丞相府 李斯をいう、周の制度である封建制を採り入れ、始皇帝の公子達を各地の王として封じるようにと進言した。だが、李斯はそれに猛反対して、周が何故滅んだかの理由を具体的に述べた上、一層強い集権統治である郡県制への移行を説いた。また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

褒衣人 褒衣博帯のひと。大きな裾の服と広い帯のことで儒者の服のこと。また、儒者や学者、文人のこと。「褒衣」は裾の大きい服のこと。

 

君非叔孫通,與我本殊倫。

また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。

叔孫通 (生没年不詳)秦末から前漢初めにかけての儒者。薛(現山東省滕州市)の人。

史記に「漢の高祖、既に天下を并(あは)せ、叔孫通に朝儀を起こさしめ、ここに於て通をして魯諸生三十余人を徴せしむ。」とある。

劉邦は叔孫通を博士とし、稷嗣君の称号を与えた。劉邦が天下を統一し、諸侯が彼を皇帝に奉ると、叔孫通がその儀礼や制度を整えた。

高祖劉邦は秦の法律を廃止して簡易にしたため、大臣たちは朝廷での宴会の際に自分の功績を誇り、酔って叫びだしたり柱に斬りつけるなどという有様で、高祖はこれに悩んでいた。叔孫通は「儒者は進取には役立ちませんが守成には役立ちます。魯の儒者と私の弟子たちに朝廷での儀礼を制定させましょう」と申し出た。高祖が「(礼は自分のような者にとって)難しくないか?」と聞くと、「礼は王朝と共に変わるものです。古の礼と秦の礼を抜粋したいと思います」と答え、高祖は「俺にもできるようにして、難しくするなよ」と言った。

叔孫通は魯の儒者を召しだした。その中に「貴方はこれまで何人もの主に仕え、その都度阿諛追従して地位を得ている。今は天下が統一されたばかりで死者も葬られていないというのに、礼を興そうとしているが、礼というのは百年も徳を積み重ねて初めて出来るものだ。貴方の行いは古には合致しない。私を汚そうとしないでくれ」と拒否する者がいたが、叔孫通は「時勢を知らぬ田舎儒者だ」と笑った。

新たな儀礼を制定し、高祖に見せたところ、「これなら俺にも出来る」と言ったため、臣下にその儀礼を習わせた。高祖7年(紀元前200年)に長楽宮が完成し、諸侯、群臣と朝廷で祝賀会を執り行うと、この儀礼に従って儀式が行われた。諸侯王以下皆高祖を恐れ敬い、儀礼の通りにしない者は御史が強制退去させたため、宴会の際にも礼を失する者はいなかった。高祖は「俺は初めて皇帝の尊さを知ったぞ」と言い、叔孫通を奉常とし金500斤を与えた。叔孫通は「私に従ってきた弟子や儒者たちがこの制度を共に作りましたので、彼らに官位をお与えください」と願ったので、高祖は皆を郎とした。叔孫通は賜った金を儒者たちに分け与え、儒者は「叔孫先生は聖人である。時勢に合ったなすべきことを分かっている」と喜んだ。

 

時事且未達,歸耕汶水濱。

だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

290 《嘲魯儒》-#1Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <290> Ⅰ李白詩1569 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6393

李白  嘲魯儒    魯叟談五經,白髮死章句。問以經濟策,茫如墜煙霧。足著遠遊履,首戴方山巾。
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで捉えていないのである。そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

290 《嘲魯儒》-#1Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <290> Ⅰ李白詩1569 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6393


 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-95杜甫 《1512白帝城最高樓》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-95 <958> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6425 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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740年 李白40歳 


 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    嘲魯儒

作地點:              目前尚無資料

及地點:              汶水 (河南道 兗州 兗州)    

 

 

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯叟談五經,白髮死章句。

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。

足著遠遊履,首戴方山巾。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

 

緩步從直道,未行先起塵。

秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。

時事且未達,歸耕汶水濱。

 

(嘲魯儒)

(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

#2

緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

 

『嘲魯儒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

嘲魯儒

魯叟談五經,白髮死章句。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

足著遠遊履,首戴方山巾。

(下し文)
(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

(現代語訳)
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで捉えていないのである。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。



(訳注)

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

前の分類中に入らぬ様な者を悉皆集めて、一まとめとし、便宜上、難詠といったのである。

魯儒のものの実務に疎いことをいい、「足著遠遊履、」

 

魯叟談五經,白髮死章句。

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

○五經 《詩經》、《尚書》、《禮記》、《周易》、《春秋》。四書は《論語》、《孟子》、《大學》、《中庸》を指す。

 

問以經濟策,茫如墜煙霧。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。

 

足著遠遊履,首戴方山巾。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

○遠遊履 曹植《洛神賦》「踐遠遊之文履,曳霧銷之輕裾。」(遠遊の文履を踐み,霧銷の輕裾を曳く。)に基づく。

○方山巾 古儒者所戴的軟帽。一種には方形帽といい,又、方山冠と称す。

 

嘲魯儒

魯叟談五經,白髮死章句。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

足著遠遊履,首戴方山巾。

(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

緩步從直道,未行先起塵。

秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。

時事且未達,歸耕汶水濱。

緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

 

289(改訂) 《2105 客中行》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <289> Ⅰ李白詩1568 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6388

李白  客中行  

蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。

但使主人能醉客,不知何處是他鄕。
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。
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740年 李白40歳 


 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一八一              文體:    七言

詩題:    客中行

作地點:              目前尚無資料

及地點:              氶縣 (河南道 沂州 氶縣) 別名:蘭陵             

 

客中行 
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。
蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 
但使主人能醉客,不知何處是他鄕。

既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。
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<!--[endif]-->

(客中行)
蘭陵の美酒 鬱金香,玉碗 盛り來る 琥珀の光。
但だ 主人をして 能く客を醉はしむれば,知らず 何れの處か 是れ他鄕なるを。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
『客中行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

客中行 

蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。

但使主人能醉客,不知何處是他鄕。

(下し文)
(客中行)

蘭陵の美酒  鬱金香,玉碗 盛り來る 琥珀の光。

但だ 主人をして 能く客を醉はしめば,知らず 何れの處か 是れ他鄕なるを。

(現代語訳)
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 
既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。

(訳注)

客中行
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

●「客中作」ともする。 

・客 よその地を旅すること。異客となること。 

・中 …をしている時、中。 

・行 歌行。詩歌。「…行」は楽府に付く「詩・歌」の意。


蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。
蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 
●蘭、金、玉、琥珀、。美、香、来、光。それぞれの語が絡み合って句と聯を計成する。美しい響きを持つ聯に仕上げ、五感でよませる聯にしている。 

・蘭陵 地名。山東省嶧県のお酒の産地。荀子の墓もある。 

・鬱金香 ミョウガ科の多年草(鬱金の香)香草の名。酒に浸して、色や香を附けるために使う。

・玉碗 玉(ぎょく)で出来たさかづき。玉杯。「玉杯」としないのは、容器の大小、深浅の差異もある。また、発音上のリズム感にも因る。

・盛 (器に)もる、盛り上げたから光り輝きが増すことになる。 

・~來 …てきた。 

・琥珀 天然樹脂の化石であり、宝石である。 半化石の琥珀は、コーパル(英: Copal)という。 バルト海沿岸で多く産出するため、ヨーロッパでは古くから知られ、宝飾品として珍重されてきた。 鉱物ではないが、硬度は鉱物に匹敵する。透き通った黄色みを帯びた茶色系の宝石。女性のブローチ・ブレスレットなどの材料にも使われている。 

・琥珀光 コハク色に輝く酒。鬱金香を酒に浸したためついた色。


但使主人能醉客、不知何處是他鄕。
既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。
・但使 ただ…しさえすれば。ただ…のようにさせれば。「ただ…しさえすれば」という或る条件を満たすようにさえすれば、次のような結果が出る、という表現の語。 

・主人 もてなす側の人。「客」に対する語。

・能:よく。あたう。できる。可能を表す。 

・醉客 客(李白)を酔わせる。 

・不知 分からない。 

・何處 どこ。  ・他鄕 異郷。よその地。「故郷」に対する語。

「但使主人能醉客,不知何處是他鄕。」主人側が充分に酔っぱらわせてくれたならば、(酔っぱらった結果、)一体どこが異郷であるのか、忘れて分からなくなることだろう。
旅の空、こんなにおいしいお酒、琥珀色をした酒は身も心潤してくれる。旅の恥はかき捨てベロベロになるまで酔わせくれ・・・・・・と。


(客中行)
蘭陵の美酒  鬱金香,玉碗 盛り來る 琥珀の光。
但だ 主人をして 能く客を醉はしめば,知らず 何れの處か 是れ他鄕なるを。
李白の足跡0000 

288 《1814酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <288> Ⅰ李白詩1567 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6383

李白  酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈  

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。
(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。

288 《1814酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <288> Ⅰ李白詩1567 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6383

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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288 《1814酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <288> Ⅰ李白詩1567 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6383 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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79-#5 (改訂)《巻0211送靈師》-#5 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1489> Ⅱ【11分割】-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6429 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七八              文體:    雜言古詩

詩題:    酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

作地點:              目前尚無資料

及地點:              中都縣 (河南道 兗州 中都縣)           

 

 

酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。

かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。

為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。

かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。

 

中都 小吏 斗酒雙魚を 逆旅に攜え贈らるるに酬ゆ)

魯酒は琥珀の若し,汶魚は紫錦の鱗。

山東の豪吏 俊氣有り,手に此物を攜えて遠人に贈る。

意氣 相い 傾けて 兩つながら相い顧る,斗酒 雙魚 情素を表す。

雙鰓 呀呷 鰭鬣張る,刺 銀盤 飛び去らんと欲す。

兒を呼び 几を拂うて 霜刃揮い,紅肌は 花落ちて白雪は霏たり。

君の為に箸を下し一餐して飽き,醉うて金鞍を著け 馬に上って歸る。
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『酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。
(含異文)

魯酒若琥珀【魯酒琥珀色】,汶魚紫錦鱗。

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人【手持此物贈遠人】。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。【案:一本此下有以下二句:酒來我飲之,鱠作別離處。】

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

為君下箸一餐飽【為君下箸一餐罷】,醉著金鞍上馬歸。


(下し文)

中都 小吏 斗酒雙魚を 逆旅に攜え贈らるるに酬ゆ)

魯酒は琥珀の若し,汶魚は紫錦の鱗。

山東の豪吏 俊氣有り,手に此物を攜えて遠人に贈る。

意氣 相い 傾けて 兩つながら相い顧る,斗酒 雙魚 情素を表す。

雙鰓 呀呷 鰭鬣張る,刺 銀盤 飛び去らんと欲す。

兒を呼び 几を拂うて 霜刃揮い,紅肌は 花落ちて白雪は霏たり。

君の為に箸を下し一餐して飽き,醉うて金鞍を著け 馬に上って歸る。
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(現代語訳)
(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。

山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。

かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。

その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。

そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。

かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00楚州0015
江南東道 婺州 東陽00(訳注)

酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

唐時の河南道鄆州東中郡の中郡縣は、もと平陸縣で、兗州に隷し、天寶元年に名を更めたが、貞元十四年に、改めて鄆州に隷したので、今の山東汶上縣である。

中都縣 (河南道 兗州 中都縣)

 

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。

汶魚 汶は汶水、元和郡縣志に「汶水、北、中都縣を去ること二十四里」とあり、行水金鑑に「尚書説に云う、汶水五源、皆襲慶奉符の縣界に出で、東北、中都縣に至り、鉅澤を貫いて、濟に入る」とある。

 

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。

豪吏 史記に「少年蒙吏、蕭曹樊噲等の如き」とある。

 

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。

かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。

意氣相傾 鮑照の詩に「意氣相傾死何有」

情素 素心と同じ。

 

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。

雙鰓 魚のふたつのえら

呀呷 吸い込んだり吐いたりすること。

鰭鬣張 魚の翅、背上に在るを鰭、エラ下にある鬣を張って元気の良いことをいう。

刺 生き生きとして元気のよいさま。「―とした声」「生気―たる若者」2 魚が飛び跳ねるさま。

 

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。

紅肌花落 紅になる肌は花の落るがごとく、白きもの雪のごときをいう。

 1(雨・雪が)しきりに降る.・雪其霏=雪がしきりに降る.2(煙・雲が)漂う.

 

為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。

かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。
李白の足跡0000 

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李白  五月東魯行答汶上君 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。我以一箭書,能取聊城功。

終然不受賞,羞與時人同。西歸去直道,落日昏陰虹。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。

たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。

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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

及地點:              兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

汶水 (河南道 兗州 兗州)   

聊城 (河北道南部 博州 聊城)          

 

 

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

五月梅始黃,蠶凋桑柘空。

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
顧余不及仕,學劍來山東。

顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。

たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。

我以一箭書,能取聊城功。

しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。

終然不受賞,羞與時人同。

かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。

西歸去直道,落日昏陰虹。

かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。

われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。

 

(五月、東魯行 汶上の君に答える)#1

五月  梅始めて黄ばみ、蚕は凋み  桑柘【そうしゃ】空し。

魯人  織作を重んじ、機杼【きじょ】  簾櫳【れんろう】に鳴る。

顧るに 余  仕うるに及ばず、剣を学んで山東に来る。

鞭を挙げて前塗【ぜんと】を訪【と】い、笑を汶上【ぶんじょう】の翁に獲たり。

#2

下愚  壮士を忽ち、未だ窮通を論ずるに足らず。

我は一箭の書を以て、能く聊城【りょうじょう】を取るの功たり。

終に賞を受けず然り、時人と同じきを羞ず。

西帰して  直道を去らば、落日  陰虹【いんこう】昏し。

此に去る  爾言うこと勿れ、甘心す  転蓬の如きに。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00江南東道 婺州 東陽00 

『五月東魯行答汶上君』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
【五月東魯行答汶上翁】
 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。

我以一箭書,能取聊城功。

終然不受賞,羞與時人同。

西歸去直道,落日昏陰虹。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。


(下し文)
下愚  壮士を忽ち、未だ窮通を論ずるに足らず。

我は一箭の書を以て、能く聊城【りょうじょう】を取るの功たり。

終に賞を受けず然り、時人と同じきを羞ず。

西帰して  直道を去らば、落日 陰虹【いんこう】昏し。

此に去る  爾言うこと勿れ、甘心す 転蓬の如きに。

(現代語訳)
たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。

しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。

かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。

かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。

われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。


(訳注) #2

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

老人は、如何なる人物か分らないが、定めて識見ある高棲の老翁であるらしい。

 

下愚忽壯士、未足論窮通。
たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。

○壯士 理想を求めている武士というような意味。壮士となる。  

○窮通 道理を追及していること。窮通は『易』に「窮するものは変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」に基づく。

 

我以一箭書、能取聊城功。
しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。

わたしは、魯仲連の一本の箭文(やぶみ)だけでもって
聊城を陥落させ、手柄を立てた故事を知っている。
○一箭書  ○聊城功 「聊城」は、今、山東省に聊城県がある。それにちなんだ故事を用いる。『史記』魯仲連伝に、「戦国の時、斉の田単が、燕軍が占領している聊城を攻めたが退かない。よって魯仲連が箭書を城中に射ると、燕将が感泣して自殺し、聊城が降った。田単は魯仲連に爵位を与えようとしたが、受けないで海上に隠れた」 という。

 

終然不受賞、羞與時人同。 
かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。

○終然 ついに・・・・・・してしかり。 

○時人同 世間並の人間。
李白《古風五十九首之九》「青門種瓜人、舊日東陵侯。富貴故如此,營營何所求。」(青門に瓜を種うるの人は旧日の東陵侯なり。富貴はもとよりかくのごとし、営々なんの求むるところぞ。)

Index-24 《古風五十九首之九》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳419古風,五十九首之九莊周夢蝴蝶, <Index-24> Ⅰ李白詩1157 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4333

 

西歸去直道、落日昏陰虹。 
かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。

西方の仙人の住むところ帰り、「道」を求めてゆく、夕方には、 陰りのある虹が架かっているであろう。
○西歸 西方の仙人の住むところ帰 

○去直道 「道」を求めてゆく。 

○昏陰虹 陰りのある虹が架かっているであろう。実際には、長安、朝廷は西に位置する、友人の呉筠、玉真公主らによって何らかの連絡を期待していたのであろう。

 

此去爾勿言。甘心為轉蓬。
われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。

・甘心 おもいのままにする。心に満足する。 

・転蓬 ヤナギヨモギが(根が大地から離れて)風に吹かれて、ひとつだけで、風に飛ばされてさすらうさま。日本のヨモギとは大きく異なり、風に吹かれて転がるように風に飛ばされる。(風に飛ばされて)転がってゆく蓬。飛蓬。「蓬」は、日本のヨモギとは異なる。蓬が枯れて、根元の土も風に飛ばされてしまい、根が大地から離れて、枯れた茎が輪のようになり、乾いた黄土高原を風に吹かれて、恰も紙くずが風に飛ばされるが如く回りながら、黄砂とともに流れ去ってゆく。飛蓬。孤蓬。
曹植「雑詩六首其二」
轉蓬離本根、飄颻隨長風。
何意迴飆舉、吹我入雲中。
高高上無極、天路安可窮。
類此遊客子、捐躯遠從戎。
毛褐不掩形、薇藿常不充。
去去莫復道、沈憂令人老。
また、曹植「吁嗟篇」に初句に使う。

杜甫「野人送朱桜」
西蜀桜桃他自紅、野人相贈満筠籠。
数迴細写愁仍破、万顆匀円訝許同。
憶昨賜霑門下省、退朝擎出大明宮。
金盤玉筯無消息、此日嘗新任転蓬

また、杜甫「客亭」最終句に使う。

紀頌之のブログ「李商隠8無題」最終語 参照

希望を持ってさすらうことを示すもので、詩の最初か最後に使われ、希望に向かう意思を示すものである。
李白の足跡0000 

287-#1 《巻十八03五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】》-#1(改訂版) Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <287-#1> Ⅰ李白詩1574 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6418

李白  五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

五月梅始黃【五月梅子黃】,蠶凋桑柘空。魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

顧余不及仕,學劍來山東。舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。
(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)  #1 時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

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740年 李白40歳


年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

及地點:              兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

汶水 (河南道 兗州 兗州)   

聊城 (河北道南部 博州 聊城)          

 

 

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

五月梅始黃,蠶凋桑柘空。

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
顧余不及仕,學劍來山東。

顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。

我以一箭書,能取聊城功。

終然不受賞,羞與時人同。

西歸去直道,落日昏陰虹。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。

 

(五月、東魯行 汶上の君に答える)#1

五月  梅始めて黄ばみ、蚕は凋み  桑柘【そうしゃ】空し。

魯人  織作を重んじ、機杼【きじょ】  簾櫳【れんろう】に鳴る。

顧るに 余  仕うるに及ばず、剣を学んで山東に来る。

鞭を挙げて前塗【ぜんと】を訪【と】い、笑を汶上【ぶんじょう】の翁に獲たり。

#2

下愚  壮士を忽ち、未だ窮通を論ずるに足らず。

我は一箭の書を以て、能く聊城【りょうじょう】を取るの功たり。

終に賞を受けず然り、時人と同じきを羞ず。

西帰して  直道を去らば、落日  陰虹【いんこう】昏し。

此に去る  爾言うこと勿れ、甘心す  転蓬の如きに。

 

 

『五月東魯行答汶上君』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
【五月東魯行答汶上翁】
五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

五月梅始黃【五月梅子黃】,蠶凋桑柘空。

魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

顧余不及仕,學劍來山東。

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

(下し文)
(五月、東魯行 汶上の君に答える)#1

五月  梅始めて黄ばみ、蚕は凋み 桑柘【そうしゃ】空し。

魯人  織作を重んじ、機杼【きじょ】 簾櫳【れんろう】に鳴る。

顧るに 余  仕うるに及ばず、剣を学んで山東に来る。

鞭を挙げて前塗【ぜんと】を訪【と】い、笑を汶上【ぶんじょう】の翁に獲たり。

(現代語訳)
(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)  #1

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
(訳注)

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

老人は、如何なる人物か分らないが、定めて識見ある高棲の老翁であるらしい。

 

五月梅始黃,蠶凋桑柘空。

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
○蠶凋 蚕しぼむ。生気がなくなる。 

○桑柘空 桑や山ぐわのなにもかも全てなく。

 

魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
○魯人 山東地方の人。

○機杼 はたを織るオサ。  

○帘櫳 換気するための格子のある小窓。帘:酒屋の看板の旗。櫳:格子のある窓。

顧余不及仕、學劍來山東。 
ところでわたしは いま官途に就くまでに至っていない、剣だけを学んでおり、そうしてこの 山東にやってきたのだ。

 

顧余不及仕,學劍來山東。

顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

 

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

舉鞭訪前途、獲笑汶上翁。 剣にたよっていくことでこれからの行くすえが開けてくると力んでみせたら、汶水のほとりの翁に笑われた。
○汶上 山東省聊城県の北西地域。汶水のことで泰山の南を西に流れ黄河に合流する。

 

286-#3 《卷十五12送韓準裴政孔巢父還山》-#3 Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <286-#3> Ⅰ李白詩1573 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6413

李白  送韓準裴政孔巢父還山#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。相思若煙草,歷亂無冬春。

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送韓準裴政孔巢父還山

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)  -3

及地點:              東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3

竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -34に近い)

交遊人物:韓準    ・裴政    ・孔巢父  當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

時時或乘興,往往雲無心。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。

今晨魯東門,帳飲與君別。

聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

今しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。

相思若煙草,歷亂無冬春。

別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

 

(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔罝を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖在る所以なり

韓生 信に英裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

#3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

 

 

『送韓準裴政孔巢父還山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

相思若煙草,歷亂無冬春。


(下し文) #3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

(現代語訳) #3

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。

聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。

今しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。

別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
(訳注) #3

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。)

韓準・裴政・孔巢父 竹渓の六逸

舊唐書卷一百五十八 列傳第一百四○「孔巢父從子戡戣戢許孟容中元膺劉棲楚張宿熊望柏耆 孔巢父,冀州人,字弱翁。父如珪,海州司參軍,以巢父贈工部郎中。巢父早勤文史,少時與韓准、裴政、李白、張叔明、陶沔隱於徂來山,時號『竹溪六逸』。永王璘起兵江淮,聞其賢,以從事辟之。巢父知其必敗,側身潛遁,由是知名。從德宗幸奉天,遷給事中、河中陝華等州招討使。尋兼御史大夫,充魏博宣慰使。遭害。

還山 徂徠山

 

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。

竹溪 徂徠山の隠棲の竹渓。竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -34に近い)

 

今晨魯東門,帳飲與君別。

聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。

 東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3   魯は、中国の王朝名・地名。地名としての魯は現在の中国山東省南部を指す。山東省全体の略称としても用いられる。 王朝としての魯は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に亘って存在した国である。代々の魯公の爵位は侯爵であり、姓は姫である。首府は曲阜。 周公旦の子伯禽が成王によって封ぜられて成立した。

帳飲 曠地に幔幕を張って酒を飲む。

 

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

今しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。

雪崖 積雪が崩れることによってできた崖壁、崖に氷雪によりかたまった状況の道路。

 

相思若煙草,歷亂無冬春。

別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

歷亂 1.乱,乱。 南朝 鮑照 行路》之九:“剉檗染黃絲, 黃絲歷亂不可治。

2. ① 花の咲き乱れるさま。② ありのままに輝き現れるさま。ひかり輝くさま。 南朝 文帝 《采桑》:““細萍重疊長, 新花歷亂開。

相思 李白はこの語を自身の詩の約1000首の内、62首に使っている。

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李白  送韓準裴政孔巢父還山  #2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

時時或乘興,往往雲無心。出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送韓準裴政孔巢父還山

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)  -3

及地點:              東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3

竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -34に近い)

交遊人物:韓準    ・裴政    ・孔巢父  當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

時時或乘興,往往雲無心。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

相思若煙草,歷亂無冬春。

 

 

(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔罝を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖在る所以なり

韓生 信に英裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

#3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

 

 河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00

『送韓準裴政孔巢父還山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

時時或乘興,往往雲無心。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

(下し文)
#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

(現代語訳) #2

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。


(訳注) #2

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。)

韓準・裴政・孔巢父 竹渓の六逸

舊唐書卷一百五十八 列傳第一百四○「孔巢父從子戡戣戢許孟容中元膺劉棲楚張宿熊望柏耆 孔巢父,冀州人,字弱翁。父如珪,海州司參軍,以巢父贈工部郎中。巢父早勤文史,少時與韓准、裴政、李白、張叔明、陶沔隱於徂來山,時號『竹溪六逸』。永王璘起兵江淮,聞其賢,以從事辟之。巢父知其必敗,側身潛遁,由是知名。從德宗幸奉天,遷給事中、河中陝華等州招討使。尋兼御史大夫,充魏博宣慰使。遭害。

還山 徂徠山

 

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

盤石 大岩をいう。文選李善註、「聲類に云う、盤は大石なり。」とある。

 

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

斧冰 氷を斧で打ち破ること。魏曹操《苦寒行》「擔囊行取薪, 斧冰持作糜。」

 

時時或乘興,往往雲無心。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

 

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

牧伯 尚書正義「曲禮に日く、九州の長か牧といふ。王制に日く、千里の外、方伯を設く、八州八伯と。然らば、牧伯は一で、伯は一州の長ということ、牧は下民か牧養するという義。

鄭玄は「殷の州牧を伯といい、處夏及び周には牧という」とあって、後人が太守を称して牧伯というは、これに本づく。
江南東道 婺州 東陽00 

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李白  送韓準裴政孔巢父還山 #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。所以青雲人,高歌在巖

韓生信英裴子含清真。孔侯復秀出,俱與雲霞親。

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

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740年 李白40歳 

 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送韓準裴政孔巢父還山

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)  -3

及地點:              東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3

竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -3    
4に近い)

交遊人物:韓準    ・裴政    ・孔巢父  當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

時時或乘興,往往雲無心。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

相思若煙草,歷亂無冬春。

 

 

詩文(含異文)

獵客張兔罝,不能掛龍虎。所以青雲人,高歌在巖【浩歌在巖】。韓生信英,裴子含清真。孔侯復秀出,俱與雲霞親。峻節凌遠松,同衾臥盤石。斧冰嗽寒泉,三子同二屐。時時或乘興,往往雲無心。出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。今晨魯東門,帳飲與君別。雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。相思若煙草,歷亂無冬春。

 

(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔罝を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖在る所以なり

韓生 信に英裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

#3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

李白の足跡003 

 

『送韓準裴政孔巢父還山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送韓準裴政孔巢父還山 #1

獵客張兔,不能掛龍虎。

所以青雲人,高歌在巖

韓生信英,裴子含清真。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

(下し文)
(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖に在る所以なり。

韓生 信に英,裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

(現代語訳)
(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。


(訳注)

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。)

韓準・裴政・孔巢父 竹渓の六逸

舊唐書卷一百五十八 列傳第一百四○「孔巢父從子戡戣戢許孟容中元膺劉棲楚張宿熊望柏耆 孔巢父,冀州人,字弱翁。父如珪,海州司參軍,以巢父贈工部郎中。巢父早勤文史,少時與韓准、裴政、李白、張叔明、陶沔隱於徂來山,時號『竹溪六逸』。永王璘起兵江淮,聞其賢,以從事辟之。巢父知其必敗,側身潛遁,由是知名。從德宗幸奉天,遷給事中、河中陝華等州招討使。尋兼御史大夫,充魏博宣慰使。遭害。

還山 徂徠山

 

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

兔罝 うさぎあみ。『詩経』《国風 周南》、兔罝 

肅肅兔罝、椓之丁丁。赳赳武夫、公侯干城。

肅肅兔罝、施于中逵。赳赳武夫、公侯好仇。

肅肅兔罝、施于中林。赳赳武夫、公侯腹心。

(読み下し文)

肅肅たる兔罝【としゃ】、之を椓【たく】すること丁丁たり。赳赳【きゅうきゅう】たる武夫は、公侯の干城。

肅肅たる兔罝、中逵【ちゅうき】に施【いた】る。赳赳たる武夫は、公侯の好仇。

肅肅たる兔罝、中林に施る。赳赳たる武夫は、公侯の腹心。

 

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

 

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

 非常にすぐれていること。また、そのような人。英雋。英俊。

清真 1 人間の性質と心情が清眞である。こころ清眞。2 生まれつきの性質が清眞である。性情清眞 明鏡止水『荘子』 内篇 徳充符篇. 仲尼曰:「人莫鑒於流水而鑒於止水。唯止能止衆止。」(人は流水に鑑みる莫くして、止水に鑑みる。 唯だ止のみ能く衆止を止む。)”

 

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

 秀逸 秀麗であること。
 

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李白  憶襄陽舊遊贈馬少府巨#2  

朱顏君未老,白髮我先秋。壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

歸心結遠夢,落日懸春愁。空思羊叔子,墮淚峴山頭。
別後、すでに数年、君はなお若君しく、朱顔で未だ老いざるに拘わらずというのに、われは、白髪すでに秋に入り、見られるとおり老人と成り果てて仕舞ったのである。かくて、折角の壮心も、次第に蹉跎して、衰えるように成り、功名富貴は、浮雲の如く、容易に手に取ることができないということも分ったのである。徒に故郷に帰りたいと思うにつけて、遠夢を結び、又落日に対して、春愁を懸けるような次第である。むかし、晋の羊砧は、客と共に、峴山に登って、歳月の人を相またざることを嘆息したが、自分も、今その通りで、頭をめぐらして、はるかに、彼の堕涙碑の事を思うばかりである。

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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六九              文體:    五言古詩

詩題:    憶襄陽舊遊贈馬少府巨

作地點:              曹州(河南道 / 曹州 / 曹州)

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

大堤 (山南東道 襄州 襄州)             

山公樓 (山南東道 襄州 襄州)          

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山     

交遊人物:馬巨    當地交遊(河南道 曹州 濟陰)

韓朝宗              詩文提及(江南西道 洪州 洪州)

 

憶襄陽舊遊贈馬少府巨

(この詩は、某処で馬巨という人にあった故に、彼が襄尉たる縁故により、其地における舊遊を懐うて、この詩を贈ったものである。)

昔為大堤客,曾上山公樓。

むかし、襄陽東城外の歓楽街、大堤の客となって、君と共に、峴山の山公の楼に登ったことがある。

開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。

窓を開けば、碧山相い連って眼中に入り、その前には、漢江の水が流れて居て、その澄み渡って居ることは、さながら鏡を拭うたようである。

高冠佩雄劍,長揖韓荊州。

この時にあたり、われは、高冠を戴き、雄剣を佩び、かの一代の賢豪である刺史の韓荊州に長揖し、その幕下で、君と遊んだものである。

此地別夫子,今來思舊遊。

その後、君と別れ、そして、はからずもここに再会したことに因って、琶遊を思い出したわけである。

#2

朱顏君未老,白髮我先秋。

別後、すでに数年、君はなお若君しく、朱顔で未だ老いざるに拘わらずというのに、われは、白髪すでに秋に入り、見られるとおり老人と成り果てて仕舞ったのである。

壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

かくて、折角の壮心も、次第に蹉跎して、衰えるように成り、功名富貴は、浮雲の如く、容易に手に取ることができないということも分ったのである。

歸心結遠夢,落日懸春愁。

徒に故郷に帰りたいと思うにつけて、遠夢を結び、又落日に対して、春愁を懸けるような次第である。

空思羊叔子,墮淚峴山頭。

むかし、晋の羊砧は、客と共に、峴山に登って、歳月の人を相またざることを嘆息したが、自分も、今その通りで、頭をめぐらして、はるかに、彼の堕涙碑の事を思うばかりである。

 

 

(襄陽の舊遊を憶い 馬少府巨に贈る)

昔 大堤の客と為り,曾て上る 山公の樓。

窗を開けば 碧嶂滿ち,鏡を拂うて滄江流る。

高冠 雄劍を佩び,長揖す 韓荊州。

此の地 夫子に別れ,今來 舊遊を思う。

 

朱顏 君 未だ老いず,白髮 我れ先づ秋。

壯志 蹉跎を恐る,功名 雲の浮ぶが若し。

歸心 遠夢を結び,落日 春愁を懸く。

空しく思う 羊叔子,淚を墮す峴山頭。

 

東都南都襄陽武昌山南東道舂陵03 

『憶襄陽舊遊贈馬少府巨』 現代語訳と訳註解説
(
本文) #2

朱顏君未老,白髮我先秋。

壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

歸心結遠夢,落日懸春愁。

空思羊叔子,墮淚峴山頭。
(含異文)

朱顏君未老,白髮我先秋。壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

歸心結遠夢,落日懸春愁。空思羊叔子,墮淚峴山頭【何時共攜手,更醉峴山頭】。


(下し文)
朱顏 君 未だ老いず,白髮 我れ先づ秋。

壯志 蹉跎を恐る,功名 雲の浮ぶが若し。

歸心 遠夢を結び,落日 春愁を懸く。

空しく思う 羊叔子,淚を墮す峴山頭。

(現代語訳) #2

別後、すでに数年、君はなお若君しく、朱顔で未だ老いざるに拘わらずというのに、われは、白髪すでに秋に入り、見られるとおり老人と成り果てて仕舞ったのである。

かくて、折角の壮心も、次第に蹉跎して、衰えるように成り、功名富貴は、浮雲の如く、容易に手に取ることができないということも分ったのである。

徒に故郷に帰りたいと思うにつけて、遠夢を結び、又落日に対して、春愁を懸けるような次第である。

むかし、晋の羊砧は、客と共に、峴山に登って、歳月の人を相またざることを嘆息したが、自分も、今その通りで、頭をめぐらして、はるかに、彼の堕涙碑の事を思うばかりである。


(訳注) #2

憶襄陽舊遊贈馬少府巨

(この詩は、某処で馬巨という人にあった故に、彼が襄尉たる縁故により、其地における舊遊を懐うて、この詩を贈ったものである。)

馬巨、その人は、例の如く、よくは分らない。

 

朱顏君未老,白髮我先秋。

別後、すでに数年、君はなお若君しく、朱顔で未だ老いざるに拘わらずというのに、われは、白髪すでに秋に入り、見られるとおり老人と成り果てて仕舞ったのである。

朱顏 年若くして美しい容顏の形容,年わかい女子をさす。

 

壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

かくて、折角の壮心も、次第に蹉跎して、衰えるように成り、功名富貴は、浮雲の如く、容易に手に取ることができないということも分ったのである。

蹉跎 つまずく。思うようにいかない。時期を逸する。

 

歸心結遠夢,落日懸春愁。

徒に故郷に帰りたいと思うにつけて、遠夢を結び、又落日に対して、春愁を懸けるような次第である。

 

空思羊叔子,墮淚峴山頭。

むかし、晋の羊砧は、客と共に、峴山に登って、歳月の人を相またざることを嘆息したが、自分も、今その通りで、頭をめぐらして、はるかに、彼の堕涙碑の事を思うばかりである。

空思羊叔子,墮淚峴山頭 叔子は.羊祜の字。《荊州圖記》曰:羊叔子與鄒潤甫嘗登峴山,泣曰:「自有宇宙,便有此山,由來賢達登此望如我與卿者多矣,皆湮滅無聞,念此使人悲傷。」潤甫曰:「公德冠四海,道嗣前哲,令問令望,當與此山俱傳。若潤甫輩,乃當如公語耳。」后參佐為立碑,著故望處,百姓毎行望碑、莫不悲感、因名爲堕涙碑。」荊州圖記に「羊叔子、鄒潤甫と嘗て峴山に登り、嘆じて日く、宇宙あってより、便ち此山あり。由来、賢達、ここに登って遠望す、我と卿との如きもの多し。皆、湮滅して聞こゆるなし。これを念へば、人をして悲傷せしむ。潤甫日く、公の徳、四海に冠たり、道、前哲に嗣ぐ、令問令望、必ず此山と倶に傳へむ。潤甫輩の若きは、當に公の語の如くなべきのみ、と。後、參佐、爲に碑を立てて、道、故の望處に着く。百姓行いて碑か望む毎に、悲感せざるなし。杜預、名づけて、墮淚の碑となり」とある。

 襄陽一帯地図000

 

143巻四18襄陽曲四首其二

山公醉酒時。 酩酊高陽下。頭上白接籬。 倒著還騎馬。

 

144巻四19襄陽曲四首其三

峴山臨漢江。 水綠沙如雪。上有墮淚碑。 苔久磨滅。

 

145巻四20襄陽曲四首其四

且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。

 

206卷六01襄陽歌 「落日欲沒峴山西。 倒著接籬花下迷。襄陽小兒齊拍手。」

 

315巻八29卷八贈參寥子「白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。」

 

754巻二十一32 峴山懷古「訪古登峴首、憑高眺襄中。天清遠峰出、水落寒沙空。」

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李白  憶襄陽舊遊贈馬少府巨 #1  

昔為大堤客,曾上山公樓。開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。

高冠佩雄劍,長揖韓荊州。此地別夫子,今來思舊遊。
(この詩は、某処で馬巨という人にあった故に、彼が襄尉たる縁故により、其地における舊遊を懐うて、この詩を贈ったものである。)むかし、襄陽東城外の歓楽街、大堤の客となって、君と共に、峴山の山公の楼に登ったことがある。窓を開けば、碧山相い連って眼中に入り、その前には、漢江の水が流れて居て、その澄み渡って居ることは、さながら鏡を拭うたようである。この時にあたり、われは、高冠を戴き、雄剣を佩び、かの一代の賢豪である刺史の韓荊州に長揖し、その幕下で、君と遊んだものである。その後、君と別れ、そして、はからずもここに再会したことに因って、琶遊を思い出したわけである。

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740年 李白40歳 

 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六九              文體:    五言古詩

詩題:    憶襄陽舊遊贈馬少府巨

作地點:              曹州(河南道 / 曹州 / 曹州)

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

大堤 (山南東道 襄州 襄州)             

山公樓 (山南東道 襄州 襄州)          

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山     

交遊人物:馬巨    當地交遊(河南道 曹州 濟陰)

韓朝宗              詩文提及(江南西道 洪州 洪州)

 

憶襄陽舊遊贈馬少府巨

(この詩は、某処で馬巨という人にあった故に、彼が襄尉たる縁故により、其地における舊遊を懐うて、この詩を贈ったものである。)

昔為大堤客,曾上山公樓。

むかし、襄陽東城外の歓楽街、大堤の客となって、君と共に、峴山の山公の楼に登ったことがある。

開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。

窓を開けば、碧山相い連って眼中に入り、その前には、漢江の水が流れて居て、その澄み渡って居ることは、さながら鏡を拭うたようである。

高冠佩雄劍,長揖韓荊州。

この時にあたり、われは、高冠を戴き、雄剣を佩び、かの一代の賢豪である刺史の韓荊州に長揖し、その幕下で、君と遊んだものである。

此地別夫子,今來思舊遊。

その後、君と別れ、そして、はからずもここに再会したことに因って、琶遊を思い出したわけである。

#2

朱顏君未老,白髮我先秋。

壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

歸心結遠夢,落日懸春愁。

空思羊叔子,墮淚峴山頭。

 

詩文(含異文)     昔為大堤客,曾上山公樓。開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。高冠佩雄劍,長揖韓荊州。此地別夫子,今來思舊遊。朱顏君未老,白髮我先秋。壯志恐蹉跎,功名若雲浮。歸心結遠夢,落日懸春愁。空思羊叔子,墮淚峴山頭【何時共攜手,更醉峴山頭】。

 

 

(襄陽の舊遊を憶い 馬少府巨に贈る)

昔 大堤の客と為り,曾て上る 山公の樓。

窗を開けば 碧嶂滿ち,鏡を拂うて滄江流る。

高冠 雄劍を佩び,長揖す 韓荊州。

此の地 夫子に別れ,今來 舊遊を思う。

 

朱顏 君 未だ老いず,白髮 我れ先づ秋。

壯志 蹉跎を恐る,功名 雲の浮ぶが若し。

歸心 遠夢を結び,落日 春愁を懸く。

空しく思う 羊叔子,淚を墮す峴山頭。

 

 

『憶襄陽舊遊贈馬少府巨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

憶襄陽舊遊贈馬少府巨 #1

昔為大堤客,曾上山公樓。

開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。

高冠佩雄劍,長揖韓荊州。

此地別夫子,今來思舊遊。

(下し文)
(襄陽の舊遊を憶い 馬少府巨に贈る)

昔 大堤の客と為り,曾て上る 山公の樓。

窗を開けば 碧嶂滿ち,鏡を拂うて滄江流る。

高冠 雄劍を佩び,長揖す 韓荊州。

此の地 夫子に別れ,今來 舊遊を思う。

(現代語訳)
(この詩は、某処で馬巨という人にあった故に、彼が襄尉たる縁故により、其地における舊遊を懐うて、この詩を贈ったものである。)

むかし、襄陽東城外の歓楽街、大堤の客となって、君と共に、峴山の山公の楼に登ったことがある。

窓を開けば、碧山相い連って眼中に入り、その前には、漢江の水が流れて居て、その澄み渡って居ることは、さながら鏡を拭うたようである。

この時にあたり、われは、高冠を戴き、雄剣を佩び、かの一代の賢豪である刺史の韓荊州に長揖し、その幕下で、君と遊んだものである。

その後、君と別れ、そして、はからずもここに再会したことに因って、琶遊を思い出したわけである。

襄陽一帯地図000 

(訳注)

憶襄陽舊遊贈馬少府巨

(この詩は、某処で馬巨という人にあった故に、彼が襄尉たる縁故により、其地における舊遊を懐うて、この詩を贈ったものである。)

馬巨、その人は、例の如く、よくは分らない。

 

昔為大堤客,曾上山公樓。

むかし、襄陽東城外の歓楽街、大堤の客となって、君と共に、峴山の山公の楼に登ったことがある。

大堤 襄陽東城外の歓楽街。

山公 山簡(さん かん、生没年未詳)は三国時代の魏および西晋の襄陽の刺史である。字は季倫。父親は竹林の七賢の一人、山濤。○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。ここに言う、楼は峴山に在る峴首亭から見える景色を思い出すということ。

 

開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。

窓を開けば、碧山相い連って眼中に入り、その前には、漢江の水が流れて居て、その澄み渡って居ることは、さながら鏡を拭うたようである。

碧嶂 嶂は山の高峻なるもの、ついたてのように切り立った峰。襄陽東の鹿門山の連山。

 

高冠佩雄劍,長揖韓荊州。

この時にあたり、われは、高冠を戴き、雄剣を佩び、かの一代の賢豪である刺史の韓荊州に長揖し、その幕下で、君と遊んだものである。

韓荊州 韓朝宗(686750),中國唐朝政治人物,韓朝宗最早擔任左拾遺。唐睿宗想要下令推廣乞寒胡戲,韓朝宗跟皇帝勸阻。名に朝宗、開元中・刑州の刺史となって居た。李白は、之に謁見した時、長揖して拝を爲さなかった。

 

此地別夫子,今來思舊遊。

その後、君と別れ、そして、はからずもここに再会したことに因って、琶遊を思い出したわけである。
李白の足跡003 

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李白  贈瑕丘王少府  #2
一見過所聞,操持難與群。毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

我隱屠釣下,爾當玉石分。無由接高論,空此仰清芬。
実際、この地に来て見てみると、これまで聞いていたところを過ぎているようだし、その操守を維持することは難しくそして、超然として群をぬいている。かくて、筆を揮えば魯邑の訴訟を判決するし、そして、閑暇なるときは、瀛州の雲を望んで、出世間的の遠志を託している。われは今、屠釣の下にして世に隠れて居るが、君の慧眼を以て、容易に玉石を判別されるであろう。しかし、縁薄くして、未だ面晤の上、高論を拝聴することができてはいないが、ただ、君の美名の高きを仰いで、敬慕の念を寄せるのみである。

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740年 李白40歳 


年:-740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈瑕丘王少府

作地點:              目前尚無資料

及地點:              瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

南昌 (嶺南道 白州 南昌)   

交遊人物:王少府              書信往來(河南道 兗州 瑕丘)

 

 

贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

梅生亦何事,來作南昌尉。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。

#2

一見過所聞,操持難與群。

実際、この地に来て見てみると、これまで聞いていたところを過ぎているようだし、その操守を維持することは難しくそして、超然として群をぬいている。

毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

かくて、筆を揮えば魯邑の訴訟を判決するし、そして、閑暇なるときは、瀛州の雲を望んで、出世間的の遠志を託している。

我隱屠釣下,爾當玉石分。

われは今、屠釣の下にして世に隠れて居るが、君の慧眼を以て、容易に玉石を判別されるであろう。

無由接高論,空此仰清芬。

しかし、縁薄くして、未だ面晤の上、高論を拝聴することができてはいないが、ただ、君の美名の高きを仰いで、敬慕の念を寄せるのみである。

(瑕丘の王少府に贈る) #1

皎皎たる鸞鳳の姿,飄飄たる神仙の氣。

梅生亦た何事ぞ,來って作南昌の尉となる。

清風 鳴琴を佐け、寂寞として、道を貴しと為す。

#2

一見 所聞くところに過ぐ,操持ともに群し難し。

毫は魯邑の訟を揮い,目は瀛洲の雲を送る。

我は屠釣の下に隱るるも,爾は當に玉石を分つべし。

高論に接するに由なく、空しく此に清芬を仰ぐ。
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李白の足跡0000 

『贈瑕丘王少府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2
一見過所聞,操持難與群。

毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

我隱屠釣下,爾當玉石分。

無由接高論,空此仰清芬。

(下し文)
#2

一見 所聞くところに過ぐ,操持ともに群し難し。

毫は魯邑の訟を揮い,目は瀛洲の雲を送る。

我は屠釣の下に隱るるも,爾は當に玉石を分つべし。

高論に接するに由なく、空しく此に清芬を仰ぐ。

(現代語訳)
実際、この地に来て見てみると、これまで聞いていたところを過ぎているようだし、その操守を維持することは難しくそして、超然として群をぬいている。

かくて、筆を揮えば魯邑の訴訟を判決するし、そして、閑暇なるときは、瀛州の雲を望んで、出世間的の遠志を託している。

われは今、屠釣の下にして世に隠れて居るが、君の慧眼を以て、容易に玉石を判別されるであろう。

しかし、縁薄くして、未だ面晤の上、高論を拝聴することができてはいないが、ただ、君の美名の高きを仰いで、敬慕の念を寄せるのみである。


(訳注)

贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

・瑕丘は、唐書地理志に「河南道兗州に瑕丘縣あり」と記してある。この詩は、瑕丘の縣令王某に贈ったものである。

秦のときの郡名で、兗州はその郡に属していた。兗州市(えんしゅうし)は、中華人民共和国山東省西南部の済寧市に位置する県級市。京滬線および新兗線、兗石線が交わる交通の要衝である。 兗州の名は古代の天下九州のひとつ・兗州(えんしゅう)に由来し、悠久の歴史を誇る。

 

一見過所聞,操持難與群。

実際、この地に来て見てみると、これまで聞いていたところを過ぎているようだし、その操守を維持することは難しくそして、超然として群をぬいている。

 

毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

かくて、筆を揮えば魯邑の訴訟を判決するし、そして、閑暇なるときは、瀛州の雲を望んで、出世間的の遠志を託している。

・瀛州 中国で,蓬萊・方丈とともに三神山の一。東海中にあって神仙がすむという島。東瀛。

 

我隱屠釣下,爾當玉石分。

われは今、屠釣の下にして世に隠れて居るが、君の慧眼を以て、容易に玉石を判別されるであろう。

・屠釣下 太公望が三顧の礼に迎えられるまで釣り糸を垂れて、周の文王に「我が太公(周の祖)が望んでいた賢人だ」と見いだされた故事に言うように、招聘を待っていることをいう。

 

無由接高論,空此仰清芬。

しかし、縁薄くして、未だ面晤の上、高論を拝聴することができてはいないが、ただ、君の美名の高きを仰いで、敬慕の念を寄せるのみである。

清芬 盛んににおうさま。本来はよい香りにいうが、悪臭にもいう。「花の香りがと漂う」「酒気をとさせる」 

李白  《卷8-01贈孟浩然》

吾愛孟夫子,風流天下聞。紅顏棄軒冕,白首臥松雲。

醉月頻中聖,迷花不事君。高山安可仰,徒此揖清芬。

(孟浩然に贈る)

吾は愛す 孟夫子【もうふうし】、風流は 天下に聞こゆ。

紅顔  軒冕を棄て、白首  松雲に臥す。

月に酔いて頻りに聖に中【あた】り、に迷いて君に事【つか】えず。

高山  安【いずく】んぞ仰ぐ可けんや、徒らに此に清芬【せいふん】を揖【ゆう】す。

(この詩は、世にもちいられず隠者としてその心を清廉に、且つ高尚にしたその処から、孟浩然に贈ったものである。)

孟夫子の風流の盛名は、天下に聞こえ、その人は、わが最も愛するところである。

孟夫子は、紅顔の年若き頃より、軒冕を著ける役人などは、すべて棄てて仕舞って、白首に至るまで、山中に住み、青松白雲を友として、隠者の生活を送って居た。

そこで、ある時は、月に酔うて、頻りに聖人の称ある極上の酒に中てられたと称し、ある時は、花に心を楽ましめて、君に事へることなどは、全く念頭にも無い。

かくの如き高尚の心は、さながら高山の如くで、容易に人に仰がしめないから、その人を見ようと思っても、滅多に遇われず、唯だ芳わしき其名を聞いて、これを慕うのみである。

253 《卷8-01贈孟浩然》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <253>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6103

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李白  贈瑕丘王少府 #1

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。梅生亦何事,來作南昌尉。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。
(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)#1

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。

284 《卷8-09贈瑕丘王少府》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <284> Ⅰ李白詩1563 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6363


 
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740年 李白40歳李白の足跡003 


年:-740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈瑕丘王少府

作地點:              目前尚無資料

及地點:              瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

南昌 (嶺南道 白州 南昌)   

交遊人物:王少府              書信往來(河南道 兗州 瑕丘)

 

 

贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

梅生亦何事,來作南昌尉。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

#2

一見過所聞,操持難與群。

毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

我隱屠釣下,爾當玉石分。

無由接高論,空此仰清芬。

(瑕丘の王少府に贈る) #1

皎皎たる鸞鳳の姿,飄飄たる神仙の氣。

梅生亦た何事ぞ,來って作南昌の尉となる。

清風 鳴琴を佐け、寂寞として、道を貴しと為す。

#2

一見 所聞くところに過ぐ,操持ともに群し難し。

毫は魯邑の訟を揮い,目は瀛洲の雲を送る。

我は屠釣の下に隱るるも,爾は當に玉石を分つべし。

高論に接するに由なく、空しく此に清芬を仰ぐ。
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『贈瑕丘王少府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈瑕丘王少府 #1

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

梅生亦何事,來作南昌尉。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

(下し文)
(瑕丘の王少府に贈る) #1

皎皎たる鸞鳳の姿,飄飄たる神仙の氣。

梅生亦た何事ぞ,來って作南昌の尉となる。

清風 鳴琴を佐け、寂寞として、道を貴しと為す。


(現代語訳)
(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)#1

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。


(訳注)

贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

瑕丘は、唐書地理志に「河南道兗州に瑕丘縣あり」と記してある。この詩は、瑕丘の縣令王某に贈ったものである。

秦のときの郡名で、兗州はその郡に属していた。兗州市(えんしゅうし)は、中華人民共和国山東省西南部の済寧市に位置する県級市。京滬線および新兗線、兗石線が交わる交通の要衝である。 兗州の名は古代の天下九州のひとつ・兗州(えんしゅう)に由来し、悠久の歴史を誇る。

 

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

 

梅生亦何事,來作南昌尉。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

・梅生 梅福(生没年不詳)は、前漢後期の人物。字は子真。九江郡寿春の人。若くして長安で学び、書経、春秋穀梁伝に通じた。郡の文学となり、南昌県の尉となった。その後辞職して寿春に帰っていたが、そこから緊急の件を上書した。当時、成帝は政治を大将軍王鳳に任せており、王鳳は権力を独占していた。京兆尹王章は王鳳を排除しようとしたが反対に王鳳に殺された。梅福は漢の社稷を危うくしたのはいずれも外戚の家であるから、外戚に良い学問の師を付け、忠孝の道を教えてやるべきであると上書したが、成帝はその言を採用しなかった。先に匡衡が「孔子は殷の湯王の子孫であり、いまや嫡統が分からなくなっている宋の子孫よりも、孔子の子孫を殷の末裔として立てるべきである」と建言していた。その当時は経書に典拠が無いことを理由に取り上げられなかったが、梅福の上書の後、綏和元年(紀元前7年)になり、孔子の子孫である孔何斉が殷の末裔として殷紹嘉侯(後に侯から公となる)に封じられた。

梅福は王莽が政治を壟断するようになると妻子を捨て、九江を離れて仙人になったとされる。

・南昌 江西省の省都である。江西省の省人民政府が設置される江西省の政治・経済の中心。二千年の歴史を有し、国家歴史文化名城に指定されている。南昌市は江西省中部のやや北、贛江、撫河下流に位置し、中国最大の淡水湖である鄱陽湖に臨む。全境、平原を主とし、西北には丘陵が起伏する。全市の平均海抜は25メートルである。西部は西山山脈となり、最高点は梅嶺主峰の洗薬峰で海抜841.4メートルである。

 

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。

283 《卷8-08贈范金卿,二首之二》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <283> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358

李白  贈范金卿,二首之二  

范宰不買名,弦歌對前楹。為邦默自化,日覺冰壺清。

百里犬靜,千廬機杼鳴。浮人少蕩析,愛客多逢迎。

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈范金卿,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:              (河南道 兗州 )    

交遊人物:范金              書信往來(河南道 兗州 )

 

 

贈范金卿,二首之二

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

范宰不買名,弦歌對前楹。

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。

為邦默自化,日覺冰壺清。

かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。

百里犬靜,千廬機杼鳴。

かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。

浮人少蕩析,愛客多逢迎。

浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。

われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。

范宰 名を買わず,弦歌して前楹に對す。

邦を為【おさ】むる默して自ら化し,日に 冰壺の清きを覺ゆ。

百里 犬靜に,千廬 機杼鳴る。

浮人 蕩析少く,客を愛して逢迎多し。

遊子 嘉政を睹,之に因って 頌聲を聽く。

 

 

『贈范金卿,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈范金卿,二首之二

范宰不買名,弦歌對前楹。

為邦默自化,日覺冰壺清。

百里犬靜,千廬機杼鳴。

浮人少蕩析,愛客多逢迎。

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。



(下し文)
贈范金卿,二首之二

范宰 名を買わず,弦歌して前楹に對す。

邦を為【おさ】むる默して自ら化し,日に 冰壺の清きを覺ゆ。

百里 犬靜に,千廬 機杼鳴る。

浮人 蕩析少く,客を愛して逢迎多し。

遊子 嘉政を睹,之に因って 頌聲を聽く。


(現代語訳)
(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。

かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。

かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。

浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。

われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。


(訳注)

贈范金卿,二首之二

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

范金卿 兗州金縣の縣令の范某。

金卿 河南道兗州金縣。

 

范宰不買名,弦歌對前楹。

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。

不買名 淮南子 「絃歌鼓舞、以買名譽于天下。」

 

為邦默自化,日覺冰壺清。

かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。

自化 老子 「我無為而民自化,」

冰壺清 南朝宋鮑照《代白頭吟》「直如朱絲繩,清如玉壺冰。」とある。

 

百里犬靜,千廬機杼鳴。

かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。

機杼鳴 機織る響が絶間ない位、機は軸を転じ、杼をもって緯を持して織機である。

 

浮人少蕩析,愛客多逢迎。

浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。

蕩析 離散。《書經.盤庚下》:「今我民用蕩析離居,罔有定極。」

 

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。

われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。

頌聲 太平の頌歌を歌う声。

282-#2 《卷8-07贈范金卿,二首之一》-#2Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <282-#2> Ⅰ李白詩1565 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6373

李白  贈范金卿,二首之一》-#2時人棄此物,乃與燕珉齊。摭拭欲贈之,申眉路無梯。遼東慚白豕,楚客羞山雞。徒有獻芹心,終流泣玉啼。祗應自索漠,留舌示山妻。
だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

282-#2 《卷8-07贈范金卿,二首之一》-#2Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <282-#2> Ⅰ李白詩1565 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6373


 
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78-#5 《巻0210送惠師》-#5 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 39歳<1478> Ⅱ【11分割】-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6374 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-85杜甫 《1508上白帝城,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-85 <948> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6375 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog7毛文錫《巻五20柳含煙四首其三》『花間集』221全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6377 
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 740年 李白40歳

 


 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈范金卿,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              (河南道 兗州 )    

交遊人物:范金              書信往來(河南道 兗州 )

 

 

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

桃李君不言,攀花願成蹊。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

那能吐芳信,惠好相招攜。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

我有結綠珍,久藏濁水泥。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、その寶たることを知らないのである。

#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

 

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

祗應自索漠,留舌示山妻。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

 

范金卿に贈る,二首の一) #1

君子 清盼を枉げ,知らず 東に走って迷うを。

家を離れて 幾月來り,絡緯 中閨に鳴く。

桃李 君 言わず,花を攀じて 蹊を成さんと願う。

那ぞ能く芳信を吐き,惠好 相い 招攜せん。

我に結綠の珍有り,久しく 濁水の泥に藏す。
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<!--[endif]-->

時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山羞ず

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

 

 

『贈范金卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

祗應自索漠,留舌示山妻。

(下し文)
時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

摭拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山雞に羞ず。

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

(現代語訳) #2

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。


(訳注) #2

贈范金卿,二首之一 #1

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一)

范金卿 兗州金縣の縣令の范某。

金卿 河南道兗州金縣。

 

時人棄此物,乃與燕珉齊。

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

燕珉齊 ・燕石《燕山から出る、玉(ぎょく)に似るが玉でない石の意》まがいもの。また、価値のないものを珍重し、誇ること。小才の者が慢心するたとえ。1.燕山所的一种似玉的石。后以“燕珉”不足珍之物。2.凡庸之3.指燕然石。

・珉 白珉:玉の名《山海経・中山経》「岐山、其の陽赤金多し、其の陰、白珉多し」

李白《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。誇作天下珍,卻哂趙王璧。趙璧無緇磷,燕石非貞真。流俗多錯誤,豈知玉與珉。宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことをいたんだもの)

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通のつまらぬ燕石を拾ったという。

一途に趙王の秘蔵する卞和の璧玉にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だから、これを大切にしたいという話がある。

かの趙の碧玉は少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるがこの燕石はその質、すでに、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

50 《古風五十九首之五十》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43275古風,五十九首之五十宋國梧臺東, <50> Ⅰ李白詩1213 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4613

 

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

摭拭 ひろいはらう。

 

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

遼東・白豕 《後漢書朱浮傳》「漁陽大守彭寵發突騎、轉糧不絶。自負其功、意望甚高。不能滿。幽州牧朱浮與書曰、遼東有豕。生子、白頭。將献之。道遇羣豕。皆白。以子之功、論於朝廷、遼東豕也。」(漁陽の大守彭寵突騎を発し、糧を転じて絶たず。自らその功を負みて、意望甚だ高し。満つる能はず。幽州の牧朱浮 書を与へて曰く、「遼東に豕あり。子を生む。白頭なり。将に之を献ぜんとす。道に羣豕に遇ふ。皆白し。子の功を以て、朝廷に論ぜば、遼東の豕ならん」と。

漁陽の大守彭寵は、精鋭な騎兵を出して、兵糧を次から次へと送り届けて絶やさなかった。自分でその功績を鼻にかけ、恩賞の望みも甚だ高く、少しのことでは満足させることができなかった。それで幽州の長官、朱浮は手紙を送って次のように言った。「遼東地方のとある豚が子供を生んだが頭が白かった。それで非常に珍しいものと思い、これを朝廷に献上しようとした。ところが道すがら、途中ある地方で、豚の群れに出あうと、どの豚も皆白かった。あなたの功績を朝廷で品定めするならば、「あたかもこの遼東の“いのこ”のようなものでしょう。」そのように自負するには当たない。

楚客羞山雞 楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。《太平御覽》三國·邯鄲淳《笑林》「楚人有擔山雞者,路人問曰:『何鳥也?』擔者欺之曰:『鳳皇也!』路人曰:『我聞有鳳皇久矣,今真見之,汝賣之乎?』曰:『然!』乃酬千金,弗與;請加倍,乃與之。方將獻楚王,經宿而鳥死。路人不遑惜其金,惟恨不得以獻耳。國人傳之,咸以為真鳳而貴,宜欲獻之,遂聞于楚王。王感其欲獻己也,召而厚賜之,過買鳳之十倍矣。」に基づく。

 

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

獻芹心 献芹【けんきん】1 《「列子」楊朱から。つまらない野草のセリを差し上げる意》物を贈ることをへりくだっていう語。「この賄 (まひな) ひ―少しとどめられよかし」〈愚管抄・七〉2 君主に忠義を尽くすこと。また、それをへりくだっていう語。

泣玉啼 春秋時代の楚()の人卞和の故事。山中で得た宝玉の原石を楚の厲王(れいおう)に献じたが信じてもらえず左足を切られ、次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足を切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏(かし)の璧(たま)」と称した。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が15の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された。

 

祗應自索漠,留舌示山妻。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

索漠 心を満たすものがなく、もの寂しく感じるさま。荒涼として気のめいるさま。

留舌示山妻 史記 張儀が妻との故事。蘇秦は自分は張儀にかなわないと思っていた。張儀が楚の宰相の食客の時、宰相自慢の器が無くなった。嫌疑は張儀に集中。一同は張儀を捕らえ拷問した。張儀はあくまで身に覚えがないとがんばり通しやっと解放された。故郷に帰った張儀に妻は、「遊説なんか勉強するからそんな目にあうんですよ。やめたらどう」張儀は口をあけて、「どうだ舌はまだついているか」妻は「もちろんです」張儀は力強く「まだやれる」といった。

282-#1 《卷8-07贈范金卿,二首之一》-#1Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <282-#1> Ⅰ李白詩1564 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6368

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。離家來幾月,絡緯鳴中閨。

桃李君不言,攀花願成蹊。那能吐芳信,惠好相招攜。

我有結綠珍,久藏濁水泥。
(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一) #1

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

282-#1 《卷8-07贈范金卿,二首之一》-#1Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <282-#1> Ⅰ李白詩1564 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6368

 

 
 2015年7月28日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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282-#1 《卷8-07贈范金卿,二首之一》-#1Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <282-#1> Ⅰ李白詩1564 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6368 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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78-#4 《巻0210送惠師》-#4 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 39歳<1477> Ⅱ【11分割】-#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6369韓愈詩-78-#4 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-84杜甫 《1507上白帝城【案:公孫述僭位於此,自稱白帝。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-84 <947> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6370 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈范金卿,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              (河南道 兗州 )    

交遊人物:范金              書信往來(河南道 兗州 )

 

 

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

桃李君不言,攀花願成蹊。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

那能吐芳信,惠好相招攜。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

我有結綠珍,久藏濁水泥。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

祗應自索漠,留舌示山妻。

 

范金卿に贈る,二首の一) #1

君子 清盼を枉げ,知らず 東に走って迷うを。

家を離れて 幾月來り,絡緯 中閨に鳴く。

桃李 君 言わず,花を攀じて 蹊を成さんと願う。

那ぞ能く芳信を吐き,惠好 相い 招攜せん。

我に結綠の珍有り,久しく 濁水の泥に藏す。
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<!--[endif]-->

時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山雞に羞ず

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

 

 

『贈范金卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

桃李君不言,攀花願成蹊。

那能吐芳信,惠好相招攜。

我有結綠珍,久藏濁水泥。

(下し文)

范金卿に贈る,二首の一) #1

君子 清盼を枉げ,知らず 東に走って迷うを。

家を離れて 幾月來り,絡緯 中閨に鳴く。

桃李 君 言わず,花を攀じて 蹊を成さんと願う。

那ぞ能く芳信を吐き,惠好 相い 招攜せん。

我に結綠の珍有り,久しく 濁水の泥に藏す。

(現代語訳)
(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一) #1

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。


(訳注)

贈范金卿,二首之一 #1

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一)

范金卿 兗州金縣の縣令の范某。

金卿 河南道兗州金縣。

 

君子枉清盼,不知東走迷。

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

清盼 眼の白と黒がはっきりとしていて、奇麗に見え、涼しい目ということ。

東走 淮南子「狂者東走、逐者亦東走、其東走則同、其所以東走之為則異。」に基づく。

 

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

絡緯 秋の虫 こおろぎ きりぎりす、くつわむしの総称。「絡緯」は促織ともいい、鳴き声が冬着を織れと促しているように聞こえることから名づけられた。

 

桃李君不言,攀花願成蹊。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

桃李 《史記-李広伝賛》「桃李不言、下自成蹊。」に基づく。「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」の部分を指す。意味は「桃や李(すもも)は物を言わなけれど、花は美しく実(み)はおいしいため、その木の下へは人が集まり自然と蹊(こみち[=小道])ができる」。世の中の人は、この言葉の通り徳のある人の元に集まる。

 

那能吐芳信,惠好相招攜。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

芳信 1 他人を敬って、その手紙をいう語。2 花の咲いたという便り。花信。3. 芳言とおなじ。

惠好 《詩経北風》「北風其涼 雨雪其雱。惠而好我 攜手同行。」(北風其れ涼なり 雪雨ふること其れ雱たり 惠して我を好せば 手を攜へて同行せん。)

惠而好我、攜手同行。(手を攜へて同じく歸せん手を攜へて同行せん。)

惠而好我、攜手同歸。(手を攜へて同じく歸せん、手を攜へて同じく歸せん。)

惠而好我、攜手同車。(手を攜へて同じく歸せん、手を攜へて車を同じうせん。)

 

我有結綠珍,久藏濁水泥。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

結綠 美玉名。 《戰國策秦策三》「臣聞周有砥厄, 宋有結綠, 梁有懸黎, 楚有和璞。」

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李白  早秋贈裴十七仲堪 -#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非時命若不會,歸應鍊丹砂。

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。

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740年 李白40歳

 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    早秋贈裴十七仲堪

交遊人物:裴仲堪              書信往來

 

 

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

裴生信英邁,屈起多才華。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。

明主儻見收,煙霞路非

されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。

時命若不會,歸應鍊丹砂。

やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。

 

(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

#2

功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。

#3

雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

 

 

『早秋贈裴十七仲堪』 現代語訳と訳註解説
(
本文) #3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非

時命若不會,歸應鍊丹砂。


雙歌入青雲,但惜白日斜。窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非。時命若不會,歸應鍊丹砂【知飛萬里道,勿使寒嗟】。


(下し文)
雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず。

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

(現代語訳) #3

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。

昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。

されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。

やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。


(訳注) #3

早秋贈裴十七仲堪 

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである)

 

雙歌入青雲,但惜白日斜。

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。

青雲 高い志の比喩。道家によく使う。

 

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。

大澤 沛県の大沢郷。現在の安徽あんき省宿州市。漢の劉邦の出身地。母の劉媼が劉邦を出産する前、澤の側でうたた寝をしていると、夢の中で神に逢い、劉太公は劉媼の上に龍が乗っている姿を見た。その夢の後に劉邦が生まれたという。

 

明主儻見收,煙霞路非

されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。

明主 上に聖明の天子があるということ。収用してくれるひとであること。

 

時命若不會,歸應鍊丹砂。

やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。

丹砂 1 鉱物の一。辰砂 (しんしゃ) 。「丹砂 (たんさ・たんしゃ) 2 赤色の顔料。赤い色。に。「丹朱・丹青・丹頂」3 丹砂を配合した不老不死の仙薬。「丹薬/仙丹・練丹術」4 練り上げた薬。

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李白  早秋贈裴十七仲堪#2  

功業若夢裡,撫琴發長嗟。裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。復攜兩少女,豔色驚荷葩。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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740年 李白40歳 

 


 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    早秋贈裴十七仲堪

交遊人物:裴仲堪              書信往來

 

 

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

裴生信英邁,屈起多才華。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非

時命若不會,歸應鍊丹砂。

 

(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

#2

功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。

#3

雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

 

 

『早秋贈裴十七仲堪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。


功業若夢裡,撫琴發長嗟。裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。復攜兩少女,豔色驚荷葩【豔色驚荷花】。


(下し文)
功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。


(現代語訳)
功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。


(訳注)

#2

早秋贈裴十七仲堪 

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである)

 

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

功業 功績の著しい事業。また、功績。てがら。

 

裴生信英邁,屈起多才華。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

英邁 天資英邁 生まれつき、才知が非常に優れていること。

屈起 勃起。

 

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

海岱豪 東海泰山の間に在る古の齊魯の治を巡り歩いて豪士の輩を訪問するというほどの意。海:東海、齊魯の地。岱:泰山。

結交 腹を割った付き合いをする交際。 唐宋詩196 Ⅶ郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(3)「結交」

朱家 朱 家(しゅ か、生没年不詳)は、秦から前漢にかけての人物。魯国の人。游侠として知られ、その行状は司馬遷の『史記』に記されている。朱家は名が通り、普段は腰が低く貧しい身なりや1日の食事は一汁一菜という貧しい生活をしていた。人を匿い助けること数百を超え、また貧しき者から助けていたために人気が高く、朱家のためなら命を惜しまぬ者も多数いたという。だが朱家自身、人を助けたからと言って礼を言われることを嫌っていたため、逆に礼をする者はいなかったという。

游侠とは任侠を貫くことを生き甲斐にしていた人のことで、器量を鼻にかけたり、恩着せがましいことをせず、人を匿って命を助けるもののことであった。

 

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

荷葩 蓮花。

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李白  早秋贈裴十七仲堪  #1  

遠海動風色,吹愁落天涯。南星變大火,熱氣餘丹霞。

光景不可迴,六龍轉天車。荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。
(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

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年:740年開元二十八年40

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詩題:    早秋贈裴十七仲堪

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早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非

時命若不會,歸應鍊丹砂。

 

(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

#2

功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。

#3

雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

 

 

『早秋贈裴十七仲堪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

早秋贈裴十七仲堪  #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

光景不可迴,六龍轉天車。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

(下し文)
(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

(現代語訳)
(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。


(訳注)

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである)

 

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

 

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

大火 さそり座α星 (固有名アンタレス ) の中国名。和名では赤星と呼び,いずれも真紅に輝くことにちなむ。

 

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

六龍 義和神話の中に出てくる神の名で、太陽が乗る車の馭者を意味する。『淮南子』に「日は車駕に乗るに、六龍を以てし、義和これが馭となる」とある。

天車 日車

 

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

○荊人泣美玉 楚の卞和は、美玉を献じたことの故事。卞和(生没年不詳)は、春秋時代前期の楚に住んでいたとされる男。和氏(かし)とも呼ばれる。韓非の著した『韓非子』の和氏篇において、法術の士の孤独を説明する為の説話で登場する。

卞和は山中で玉の原石を見つけ楚の厲王(蚡冒)に献上した。しかし厲王が職人に石を鑑定させると、ただの石ころだと言った為、卞和を足斬りの刑にして左足を切り落とした。

厲王が死に、弟の武王が即位すると、卞和は再び原石を献上した。しかし結果は同じで、武王も卞和を嘘つきとして右足を切り落とした。

武王も死に、子の文王が即位した。卞和は原石を抱きかかえて三日三晩血の涙を流し泣き悲しんだ。文王は人を遣わして、足斬りの刑を受けた者は沢山いると言うのに何故そのように悲しむのか、その訳を問い質した。卞和は、足斬りにあった事が哀しいのではなく、宝石なのに石ころと言われた事、正しい事を言ったのに嘘つきと言われた事が悲しいと答えた。

文王が原石を磨かせてみると、それは見事な宝石となった。そこで文王は、自分達の非を認めた上で卞和を賞し、この宝石を「和氏の璧」と名付け、楚の国宝とした。この和氏の璧ははるか後に、戦国時代の趙へと渡り、「完璧」の故事の由来となる。

魯叟悲匏瓜 魯叟は孔子のこと。論語に「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん)に在るに基づく。ただぶら下がっていて、誰にも食べられない苦瓜のように、誰にも用いられないでおれようか。断固、用いられなければならないのだ。匏瓜:苦瓜。人に用いられないことのたとえ。

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