漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

Index-20-740年開元二十八年40歳

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

290-#2 《巻二十四13嘲魯儒》-#2Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳<290-#2> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443

李白   嘲魯儒#2  

緩步從直道,未行先起塵。秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。時事且未達,歸耕汶水濱。
おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

290-#2 《巻二十四13嘲魯儒》-#2Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <290-#2> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443

 

 
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    嘲魯儒

作地點:              目前尚無資料

及地點:              汶水 (河南道 兗州 兗州)    

 

 

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯叟談五經,白髮死章句。

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。

足著遠遊履,首戴方山巾。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

#2

緩步從直道,未行先起塵。

おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。

秦家丞相府,不重褒衣人。

秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

君非叔孫通,與我本殊倫。

また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。

時事且未達,歸耕汶水濱。

だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

(嘲魯儒)

#2

緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

 

『嘲魯儒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

緩步從直道,未行先起塵。

秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。

時事且未達,歸耕汶水濱。

(下し文)
緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

(現代語訳)
おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。

秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。

だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

李白の足跡0000
(訳注) #2

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

前の分類中に入らぬ様な者を悉皆集めて、一まとめとし、便宜上、難詠といったのである。

魯儒のものの実務に疎いことをいい、「足著遠遊履、」

 

緩步從直道,未行先起塵。

おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。

 

秦家丞相府,不重褒衣人。

秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

秦家丞相府 李斯をいう、周の制度である封建制を採り入れ、始皇帝の公子達を各地の王として封じるようにと進言した。だが、李斯はそれに猛反対して、周が何故滅んだかの理由を具体的に述べた上、一層強い集権統治である郡県制への移行を説いた。また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

褒衣人 褒衣博帯のひと。大きな裾の服と広い帯のことで儒者の服のこと。また、儒者や学者、文人のこと。「褒衣」は裾の大きい服のこと。

 

君非叔孫通,與我本殊倫。

また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。

叔孫通 (生没年不詳)秦末から前漢初めにかけての儒者。薛(現山東省滕州市)の人。

史記に「漢の高祖、既に天下を并(あは)せ、叔孫通に朝儀を起こさしめ、ここに於て通をして魯諸生三十余人を徴せしむ。」とある。

劉邦は叔孫通を博士とし、稷嗣君の称号を与えた。劉邦が天下を統一し、諸侯が彼を皇帝に奉ると、叔孫通がその儀礼や制度を整えた。

高祖劉邦は秦の法律を廃止して簡易にしたため、大臣たちは朝廷での宴会の際に自分の功績を誇り、酔って叫びだしたり柱に斬りつけるなどという有様で、高祖はこれに悩んでいた。叔孫通は「儒者は進取には役立ちませんが守成には役立ちます。魯の儒者と私の弟子たちに朝廷での儀礼を制定させましょう」と申し出た。高祖が「(礼は自分のような者にとって)難しくないか?」と聞くと、「礼は王朝と共に変わるものです。古の礼と秦の礼を抜粋したいと思います」と答え、高祖は「俺にもできるようにして、難しくするなよ」と言った。

叔孫通は魯の儒者を召しだした。その中に「貴方はこれまで何人もの主に仕え、その都度阿諛追従して地位を得ている。今は天下が統一されたばかりで死者も葬られていないというのに、礼を興そうとしているが、礼というのは百年も徳を積み重ねて初めて出来るものだ。貴方の行いは古には合致しない。私を汚そうとしないでくれ」と拒否する者がいたが、叔孫通は「時勢を知らぬ田舎儒者だ」と笑った。

新たな儀礼を制定し、高祖に見せたところ、「これなら俺にも出来る」と言ったため、臣下にその儀礼を習わせた。高祖7年(紀元前200年)に長楽宮が完成し、諸侯、群臣と朝廷で祝賀会を執り行うと、この儀礼に従って儀式が行われた。諸侯王以下皆高祖を恐れ敬い、儀礼の通りにしない者は御史が強制退去させたため、宴会の際にも礼を失する者はいなかった。高祖は「俺は初めて皇帝の尊さを知ったぞ」と言い、叔孫通を奉常とし金500斤を与えた。叔孫通は「私に従ってきた弟子や儒者たちがこの制度を共に作りましたので、彼らに官位をお与えください」と願ったので、高祖は皆を郎とした。叔孫通は賜った金を儒者たちに分け与え、儒者は「叔孫先生は聖人である。時勢に合ったなすべきことを分かっている」と喜んだ。

 

時事且未達,歸耕汶水濱。

だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。

290 《嘲魯儒》-#1Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <290> Ⅰ李白詩1569 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6393

李白  嘲魯儒    魯叟談五經,白髮死章句。問以經濟策,茫如墜煙霧。足著遠遊履,首戴方山巾。
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで捉えていないのである。そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

290 《嘲魯儒》-#1Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <290> Ⅰ李白詩1569 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6393


 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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290 《嘲魯儒》-#1Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <290> Ⅰ李白詩1569 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6393 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-95杜甫 《1512白帝城最高樓》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-95 <958> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6425 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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740年 李白40歳 


 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    嘲魯儒

作地點:              目前尚無資料

及地點:              汶水 (河南道 兗州 兗州)    

 

 

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯叟談五經,白髮死章句。

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。

足著遠遊履,首戴方山巾。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

 

緩步從直道,未行先起塵。

秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。

時事且未達,歸耕汶水濱。

 

(嘲魯儒)

(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

#2

緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

 

『嘲魯儒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

嘲魯儒

魯叟談五經,白髮死章句。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

足著遠遊履,首戴方山巾。

(下し文)
(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

(現代語訳)
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで捉えていないのである。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。



(訳注)

嘲魯儒

(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)

前の分類中に入らぬ様な者を悉皆集めて、一まとめとし、便宜上、難詠といったのである。

魯儒のものの実務に疎いことをいい、「足著遠遊履、」

 

魯叟談五經,白髮死章句。

魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。

○五經 《詩經》、《尚書》、《禮記》、《周易》、《春秋》。四書は《論語》、《孟子》、《大學》、《中庸》を指す。

 

問以經濟策,茫如墜煙霧。

ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。

 

足著遠遊履,首戴方山巾。

そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。

○遠遊履 曹植《洛神賦》「踐遠遊之文履,曳霧銷之輕裾。」(遠遊の文履を踐み,霧銷の輕裾を曳く。)に基づく。

○方山巾 古儒者所戴的軟帽。一種には方形帽といい,又、方山冠と称す。

 

嘲魯儒

魯叟談五經,白髮死章句。

問以經濟策,茫如墜煙霧。

足著遠遊履,首戴方山巾。

(魯儒を嘲る)

魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。

問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。

足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。

緩步從直道,未行先起塵。

秦家丞相府,不重褒衣人。

君非叔孫通,與我本殊倫。

時事且未達,歸耕汶水濱。

緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。

秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。

君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。

時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。

 

289(改訂) 《2105 客中行》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <289> Ⅰ李白詩1568 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6388

李白  客中行  

蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。

但使主人能醉客,不知何處是他鄕。
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。
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740年 李白40歳 


 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一八一              文體:    七言

詩題:    客中行

作地點:              目前尚無資料

及地點:              氶縣 (河南道 沂州 氶縣) 別名:蘭陵             

 

客中行 
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。
蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 
但使主人能醉客,不知何處是他鄕。

既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。
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<!--[endif]-->

(客中行)
蘭陵の美酒 鬱金香,玉碗 盛り來る 琥珀の光。
但だ 主人をして 能く客を醉はしむれば,知らず 何れの處か 是れ他鄕なるを。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
『客中行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

客中行 

蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。

但使主人能醉客,不知何處是他鄕。

(下し文)
(客中行)

蘭陵の美酒  鬱金香,玉碗 盛り來る 琥珀の光。

但だ 主人をして 能く客を醉はしめば,知らず 何れの處か 是れ他鄕なるを。

(現代語訳)
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 
既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。

(訳注)

客中行
(異客となって、よその地を旅していて「旅先での歌」)

●「客中作」ともする。 

・客 よその地を旅すること。異客となること。 

・中 …をしている時、中。 

・行 歌行。詩歌。「…行」は楽府に付く「詩・歌」の意。


蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。
蘭陵産の美酒は、天下の佳醸で、鬱金の香を浸して、その味、最も芳美、況や、玉碗をもって、これを盛れば、黄流透徹、さながら琥珀の様な色をしている。これをもって、私に勧めるのだから飲まないわけにはいかない。 
●蘭、金、玉、琥珀、。美、香、来、光。それぞれの語が絡み合って句と聯を計成する。美しい響きを持つ聯に仕上げ、五感でよませる聯にしている。 

・蘭陵 地名。山東省嶧県のお酒の産地。荀子の墓もある。 

・鬱金香 ミョウガ科の多年草(鬱金の香)香草の名。酒に浸して、色や香を附けるために使う。

・玉碗 玉(ぎょく)で出来たさかづき。玉杯。「玉杯」としないのは、容器の大小、深浅の差異もある。また、発音上のリズム感にも因る。

・盛 (器に)もる、盛り上げたから光り輝きが増すことになる。 

・~來 …てきた。 

・琥珀 天然樹脂の化石であり、宝石である。 半化石の琥珀は、コーパル(英: Copal)という。 バルト海沿岸で多く産出するため、ヨーロッパでは古くから知られ、宝飾品として珍重されてきた。 鉱物ではないが、硬度は鉱物に匹敵する。透き通った黄色みを帯びた茶色系の宝石。女性のブローチ・ブレスレットなどの材料にも使われている。 

・琥珀光 コハク色に輝く酒。鬱金香を酒に浸したためついた色。


但使主人能醉客、不知何處是他鄕。
既に十分飲んで酔ってしまえば、客であったことを忘れ、故郷も、他郷も、何処であれ区別なく,酒あるところ、即ち、我が家で、主人の好意、まことに感謝すべきである。
・但使 ただ…しさえすれば。ただ…のようにさせれば。「ただ…しさえすれば」という或る条件を満たすようにさえすれば、次のような結果が出る、という表現の語。 

・主人 もてなす側の人。「客」に対する語。

・能:よく。あたう。できる。可能を表す。 

・醉客 客(李白)を酔わせる。 

・不知 分からない。 

・何處 どこ。  ・他鄕 異郷。よその地。「故郷」に対する語。

「但使主人能醉客,不知何處是他鄕。」主人側が充分に酔っぱらわせてくれたならば、(酔っぱらった結果、)一体どこが異郷であるのか、忘れて分からなくなることだろう。
旅の空、こんなにおいしいお酒、琥珀色をした酒は身も心潤してくれる。旅の恥はかき捨てベロベロになるまで酔わせくれ・・・・・・と。


(客中行)
蘭陵の美酒  鬱金香,玉碗 盛り來る 琥珀の光。
但だ 主人をして 能く客を醉はしめば,知らず 何れの處か 是れ他鄕なるを。
李白の足跡0000 

288 《1814酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <288> Ⅰ李白詩1567 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6383

李白  酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈  

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。
(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。

288 《1814酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <288> Ⅰ李白詩1567 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6383

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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288 《1814酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <288> Ⅰ李白詩1567 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6383 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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79-#5 (改訂)《巻0211送靈師》-#5 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1489> Ⅱ【11分割】-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6429 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七八              文體:    雜言古詩

詩題:    酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

作地點:              目前尚無資料

及地點:              中都縣 (河南道 兗州 中都縣)           

 

 

酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。

かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。

為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。

かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。

 

中都 小吏 斗酒雙魚を 逆旅に攜え贈らるるに酬ゆ)

魯酒は琥珀の若し,汶魚は紫錦の鱗。

山東の豪吏 俊氣有り,手に此物を攜えて遠人に贈る。

意氣 相い 傾けて 兩つながら相い顧る,斗酒 雙魚 情素を表す。

雙鰓 呀呷 鰭鬣張る,刺 銀盤 飛び去らんと欲す。

兒を呼び 几を拂うて 霜刃揮い,紅肌は 花落ちて白雪は霏たり。

君の為に箸を下し一餐して飽き,醉うて金鞍を著け 馬に上って歸る。
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『酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。
(含異文)

魯酒若琥珀【魯酒琥珀色】,汶魚紫錦鱗。

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人【手持此物贈遠人】。

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。【案:一本此下有以下二句:酒來我飲之,鱠作別離處。】

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

為君下箸一餐飽【為君下箸一餐罷】,醉著金鞍上馬歸。


(下し文)

中都 小吏 斗酒雙魚を 逆旅に攜え贈らるるに酬ゆ)

魯酒は琥珀の若し,汶魚は紫錦の鱗。

山東の豪吏 俊氣有り,手に此物を攜えて遠人に贈る。

意氣 相い 傾けて 兩つながら相い顧る,斗酒 雙魚 情素を表す。

雙鰓 呀呷 鰭鬣張る,刺 銀盤 飛び去らんと欲す。

兒を呼び 几を拂うて 霜刃揮い,紅肌は 花落ちて白雪は霏たり。

君の為に箸を下し一餐して飽き,醉うて金鞍を著け 馬に上って歸る。
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(現代語訳)
(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。

山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。

かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。

その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。

そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。

かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00楚州0015
江南東道 婺州 東陽00(訳注)

酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈

(この詩は、李白の旅行中、中都縣に行った時、縣の小吏が斗酒雙魚を旅館に持参して、歓迎の意を表したのに酬いて作ったのである。)

唐時の河南道鄆州東中郡の中郡縣は、もと平陸縣で、兗州に隷し、天寶元年に名を更めたが、貞元十四年に、改めて鄆州に隷したので、今の山東汶上縣である。

中都縣 (河南道 兗州 中都縣)

 

魯酒若琥珀,汶魚紫錦鱗。

各国の酒は、その色黄に澄んで、さながら、琥珀のようであり、汶水の魚は、鱗が紫錦の如く鮮やかで、いかにも、うまそうに見える。

汶魚 汶は汶水、元和郡縣志に「汶水、北、中都縣を去ること二十四里」とあり、行水金鑑に「尚書説に云う、汶水五源、皆襲慶奉符の縣界に出で、東北、中都縣に至り、鉅澤を貫いて、濟に入る」とある。

 

山東豪吏有俊氣,手攜此物贈遠人。

山東の豪吏は、俊束を帯び、従って、客を愛するところから、手ずから、この物を持って誓、わざわざ達人に贈り、その旅情を慰めでくれた。

豪吏 史記に「少年蒙吏、蕭曹樊噲等の如き」とある。

 

意氣相傾兩相顧,斗酒雙魚表情素。

かくて、意気 相い傾けて、互に相い顧み、斗酒雙魚を以て、その中心の誠意を表された。

意氣相傾 鮑照の詩に「意氣相傾死何有」

情素 素心と同じ。

 

雙鰓呀呷鰭鬣張,刺銀盤欲飛去。

その魚は、ふたつのエラを動かして呼吸をしているし、魚の翅、背上に在る鰭、エラ下にある鬣を張って、生生として居るので、一たび銀盤のうえに盛り上せても、忽ち飛び去らうとするほど生きが良い。

雙鰓 魚のふたつのえら

呀呷 吸い込んだり吐いたりすること。

鰭鬣張 魚の翅、背上に在るを鰭、エラ下にある鬣を張って元気の良いことをいう。

刺 生き生きとして元気のよいさま。「―とした声」「生気―たる若者」2 魚が飛び跳ねるさま。

 

呼兒拂几霜刃揮,紅肌花落白雪霏。

そこで、兒を呼んで、まないたを拂い、霜刀を揮って、これを料理させると、紅くして肥えたのは、花の如く、白きものは、雪の霏霏としてとして飛ぶようである。

紅肌花落 紅になる肌は花の落るがごとく、白きもの雪のごときをいう。

 1(雨・雪が)しきりに降る.・雪其霏=雪がしきりに降る.2(煙・雲が)漂う.

 

為君下箸一餐飽,醉著金鞍上馬歸。

かくて、料理もできたから、君の御厚意を感じ、箸をつけて十分に頂戴し、その魚を肴にして、その酒を飲み、やがて酔いを尽くした後、金鞍を置いて馬に跨り、しづしづと出かけた。
李白の足跡0000 

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李白  五月東魯行答汶上君 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。我以一箭書,能取聊城功。

終然不受賞,羞與時人同。西歸去直道,落日昏陰虹。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。

たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。

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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

及地點:              兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

汶水 (河南道 兗州 兗州)   

聊城 (河北道南部 博州 聊城)          

 

 

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

五月梅始黃,蠶凋桑柘空。

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
顧余不及仕,學劍來山東。

顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。

たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。

我以一箭書,能取聊城功。

しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。

終然不受賞,羞與時人同。

かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。

西歸去直道,落日昏陰虹。

かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。

われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。

 

(五月、東魯行 汶上の君に答える)#1

五月  梅始めて黄ばみ、蚕は凋み  桑柘【そうしゃ】空し。

魯人  織作を重んじ、機杼【きじょ】  簾櫳【れんろう】に鳴る。

顧るに 余  仕うるに及ばず、剣を学んで山東に来る。

鞭を挙げて前塗【ぜんと】を訪【と】い、笑を汶上【ぶんじょう】の翁に獲たり。

#2

下愚  壮士を忽ち、未だ窮通を論ずるに足らず。

我は一箭の書を以て、能く聊城【りょうじょう】を取るの功たり。

終に賞を受けず然り、時人と同じきを羞ず。

西帰して  直道を去らば、落日  陰虹【いんこう】昏し。

此に去る  爾言うこと勿れ、甘心す  転蓬の如きに。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00江南東道 婺州 東陽00 

『五月東魯行答汶上君』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
【五月東魯行答汶上翁】
 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。

我以一箭書,能取聊城功。

終然不受賞,羞與時人同。

西歸去直道,落日昏陰虹。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。


(下し文)
下愚  壮士を忽ち、未だ窮通を論ずるに足らず。

我は一箭の書を以て、能く聊城【りょうじょう】を取るの功たり。

終に賞を受けず然り、時人と同じきを羞ず。

西帰して  直道を去らば、落日 陰虹【いんこう】昏し。

此に去る  爾言うこと勿れ、甘心す 転蓬の如きに。

(現代語訳)
たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。

しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。

かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。

かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。

われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。


(訳注) #2

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

老人は、如何なる人物か分らないが、定めて識見ある高棲の老翁であるらしい。

 

下愚忽壯士、未足論窮通。
たしかに、下愚なればこそ、壮士となったのであるが、そういう者に対しては、世上の窮通を諭ずるに足らぬから、修行窮めて出直せとさえ言われた。

○壯士 理想を求めている武士というような意味。壮士となる。  

○窮通 道理を追及していること。窮通は『易』に「窮するものは変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」に基づく。

 

我以一箭書、能取聊城功。
しかし、我としても、いささか自ら信ずるところがあるので、そう見くびったものでもなく、かの魯仲連が、一箭を以て、書を聊城に射止み、そして、燕将をして、感極まって自殺せしめ、手を濡らさず、その城を取ったという故事を知っている。

わたしは、魯仲連の一本の箭文(やぶみ)だけでもって
聊城を陥落させ、手柄を立てた故事を知っている。
○一箭書  ○聊城功 「聊城」は、今、山東省に聊城県がある。それにちなんだ故事を用いる。『史記』魯仲連伝に、「戦国の時、斉の田単が、燕軍が占領している聊城を攻めたが退かない。よって魯仲連が箭書を城中に射ると、燕将が感泣して自殺し、聊城が降った。田単は魯仲連に爵位を与えようとしたが、受けないで海上に隠れた」 という。

 

終然不受賞、羞與時人同。 
かれは、すこしも、功に矜ることなく、仍て、賞を受けなかったという、その心意気が、わが理想であって、我は、魯仲連と同じで、功をひけらかす時人と同じようにみられることを恥としている。

○終然 ついに・・・・・・してしかり。 

○時人同 世間並の人間。
李白《古風五十九首之九》「青門種瓜人、舊日東陵侯。富貴故如此,營營何所求。」(青門に瓜を種うるの人は旧日の東陵侯なり。富貴はもとよりかくのごとし、営々なんの求むるところぞ。)

Index-24 《古風五十九首之九》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳419古風,五十九首之九莊周夢蝴蝶, <Index-24> Ⅰ李白詩1157 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4333

 

西歸去直道、落日昏陰虹。 
かくて、西、長安に帰らんとして、眞直なる駅路をたどり行けば、折しも虹が出でて居て、その為に夕日の影もほの暗く見える。虹は、もとより陰晦なるもので、これが、太陽の精を昏ますといえば、奸佞の臣下が君の聡明を蔽ふと云ったようなもので、時勢知るべしである。

西方の仙人の住むところ帰り、「道」を求めてゆく、夕方には、 陰りのある虹が架かっているであろう。
○西歸 西方の仙人の住むところ帰 

○去直道 「道」を求めてゆく。 

○昏陰虹 陰りのある虹が架かっているであろう。実際には、長安、朝廷は西に位置する、友人の呉筠、玉真公主らによって何らかの連絡を期待していたのであろう。

 

此去爾勿言。甘心為轉蓬。
われ、今、この東魯を去ろうとするに就いて、汶上の老人、かれこれいってくれるな、われは、平生の宿志を行わんがために、辛苦しているので、その蹤跡、さながら轉蓬の如きは、もとより甘心して、別に何とも思わぬところである。

・甘心 おもいのままにする。心に満足する。 

・転蓬 ヤナギヨモギが(根が大地から離れて)風に吹かれて、ひとつだけで、風に飛ばされてさすらうさま。日本のヨモギとは大きく異なり、風に吹かれて転がるように風に飛ばされる。(風に飛ばされて)転がってゆく蓬。飛蓬。「蓬」は、日本のヨモギとは異なる。蓬が枯れて、根元の土も風に飛ばされてしまい、根が大地から離れて、枯れた茎が輪のようになり、乾いた黄土高原を風に吹かれて、恰も紙くずが風に飛ばされるが如く回りながら、黄砂とともに流れ去ってゆく。飛蓬。孤蓬。
曹植「雑詩六首其二」
轉蓬離本根、飄颻隨長風。
何意迴飆舉、吹我入雲中。
高高上無極、天路安可窮。
類此遊客子、捐躯遠從戎。
毛褐不掩形、薇藿常不充。
去去莫復道、沈憂令人老。
また、曹植「吁嗟篇」に初句に使う。

杜甫「野人送朱桜」
西蜀桜桃他自紅、野人相贈満筠籠。
数迴細写愁仍破、万顆匀円訝許同。
憶昨賜霑門下省、退朝擎出大明宮。
金盤玉筯無消息、此日嘗新任転蓬

また、杜甫「客亭」最終句に使う。

紀頌之のブログ「李商隠8無題」最終語 参照

希望を持ってさすらうことを示すもので、詩の最初か最後に使われ、希望に向かう意思を示すものである。
李白の足跡0000 

287-#1 《巻十八03五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】》-#1(改訂版) Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <287-#1> Ⅰ李白詩1574 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6418

李白  五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

五月梅始黃【五月梅子黃】,蠶凋桑柘空。魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

顧余不及仕,學劍來山東。舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。
(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)  #1 時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

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740年 李白40歳


年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

及地點:              兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

汶水 (河南道 兗州 兗州)   

聊城 (河北道南部 博州 聊城)          

 

 

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

五月梅始黃,蠶凋桑柘空。

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
顧余不及仕,學劍來山東。

顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

 #2

下愚忽壯士,未足論窮通。

我以一箭書,能取聊城功。

終然不受賞,羞與時人同。

西歸去直道,落日昏陰虹。

此去爾勿言,甘心為轉蓬。

 

(五月、東魯行 汶上の君に答える)#1

五月  梅始めて黄ばみ、蚕は凋み  桑柘【そうしゃ】空し。

魯人  織作を重んじ、機杼【きじょ】  簾櫳【れんろう】に鳴る。

顧るに 余  仕うるに及ばず、剣を学んで山東に来る。

鞭を挙げて前塗【ぜんと】を訪【と】い、笑を汶上【ぶんじょう】の翁に獲たり。

#2

下愚  壮士を忽ち、未だ窮通を論ずるに足らず。

我は一箭の書を以て、能く聊城【りょうじょう】を取るの功たり。

終に賞を受けず然り、時人と同じきを羞ず。

西帰して  直道を去らば、落日  陰虹【いんこう】昏し。

此に去る  爾言うこと勿れ、甘心す  転蓬の如きに。

 

 

『五月東魯行答汶上君』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
【五月東魯行答汶上翁】
五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

五月梅始黃【五月梅子黃】,蠶凋桑柘空。

魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

顧余不及仕,學劍來山東。

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

(下し文)
(五月、東魯行 汶上の君に答える)#1

五月  梅始めて黄ばみ、蚕は凋み 桑柘【そうしゃ】空し。

魯人  織作を重んじ、機杼【きじょ】 簾櫳【れんろう】に鳴る。

顧るに 余  仕うるに及ばず、剣を学んで山東に来る。

鞭を挙げて前塗【ぜんと】を訪【と】い、笑を汶上【ぶんじょう】の翁に獲たり。

(現代語訳)
(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)  #1

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
(訳注)

五月東魯行答汶上君【五月東魯行答汶上翁】 #1

(この詩は、五月頃、東魯に旅行した時、汶上に住む一老人から詩を寄せられた。これに答えたのである。)

老人は、如何なる人物か分らないが、定めて識見ある高棲の老翁であるらしい。

 

五月梅始黃,蠶凋桑柘空。

時しも五月、梅の実は、はじめて熟しかかって、黄色になら、蠶は皆繭に成って仕舞って、摘まれた跡の桑には、稜線菜も残って居らぬ。
○蠶凋 蚕しぼむ。生気がなくなる。 

○桑柘空 桑や山ぐわのなにもかも全てなく。

 

魯人重織作,機杼鳴簾櫳。

魯の地方の人は、その風俗、勤勉にして、織作を重んじ、戸戸の簾櫳に於ては、機杼の饗が聞こえるというものである。
○魯人 山東地方の人。

○機杼 はたを織るオサ。  

○帘櫳 換気するための格子のある小窓。帘:酒屋の看板の旗。櫳:格子のある窓。

顧余不及仕、學劍來山東。 
ところでわたしは いま官途に就くまでに至っていない、剣だけを学んでおり、そうしてこの 山東にやってきたのだ。

 

顧余不及仕,學劍來山東。

顧みると、余は、これまで出仕することなく、剣を学ばんとして、この山東にきたのである。

 

舉鞭訪前途,獲笑汶上翁。

それに、鞭をあげて前途を尋ねんとすれば、笑を汶上の老人に得て、ひどく、馬鹿にされたものである。

舉鞭訪前途、獲笑汶上翁。 剣にたよっていくことでこれからの行くすえが開けてくると力んでみせたら、汶水のほとりの翁に笑われた。
○汶上 山東省聊城県の北西地域。汶水のことで泰山の南を西に流れ黄河に合流する。

 

286-#3 《卷十五12送韓準裴政孔巢父還山》-#3 Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <286-#3> Ⅰ李白詩1573 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6413

李白  送韓準裴政孔巢父還山#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。相思若煙草,歷亂無冬春。

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送韓準裴政孔巢父還山

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)  -3

及地點:              東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3

竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -34に近い)

交遊人物:韓準    ・裴政    ・孔巢父  當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

時時或乘興,往往雲無心。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。

今晨魯東門,帳飲與君別。

聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

今しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。

相思若煙草,歷亂無冬春。

別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

 

(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔罝を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖在る所以なり

韓生 信に英裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

#3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

 

 

『送韓準裴政孔巢父還山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

相思若煙草,歷亂無冬春。


(下し文) #3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

(現代語訳) #3

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。

聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。

今しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。

別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
(訳注) #3

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。)

韓準・裴政・孔巢父 竹渓の六逸

舊唐書卷一百五十八 列傳第一百四○「孔巢父從子戡戣戢許孟容中元膺劉棲楚張宿熊望柏耆 孔巢父,冀州人,字弱翁。父如珪,海州司參軍,以巢父贈工部郎中。巢父早勤文史,少時與韓准、裴政、李白、張叔明、陶沔隱於徂來山,時號『竹溪六逸』。永王璘起兵江淮,聞其賢,以從事辟之。巢父知其必敗,側身潛遁,由是知名。從德宗幸奉天,遷給事中、河中陝華等州招討使。尋兼御史大夫,充魏博宣慰使。遭害。

還山 徂徠山

 

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

我は、昨夜、夢中になってしまい、彼等の舊居に帰るのに遇ったが、ともに竹渓の月を弄んだとのことであった。

竹溪 徂徠山の隠棲の竹渓。竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -34に近い)

 

今晨魯東門,帳飲與君別。

聞けば、各々その故郷の徂徠山に歸山するとのことで、今朝、魯の東門外に於いて、万幕を張り祖道の宴を設け、いよいよ君とわかれることに成った。

 東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3   魯は、中国の王朝名・地名。地名としての魯は現在の中国山東省南部を指す。山東省全体の略称としても用いられる。 王朝としての魯は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に亘って存在した国である。代々の魯公の爵位は侯爵であり、姓は姫である。首府は曲阜。 周公旦の子伯禽が成王によって封ぜられて成立した。

帳飲 曠地に幔幕を張って酒を飲む。

 

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

今しも、寒い盛りで、雪を帯びたる崖路は、馬も滑り易く、甚だ危険であるから、よくよく注意してゆかねばならない、舊山の道も、茂って、久しく荒葉に任せであったから、定めて、徑路には蔦蘿が生い茂って歸人を迷わすことであろう。

雪崖 積雪が崩れることによってできた崖壁、崖に氷雪によりかたまった状況の道路。

 

相思若煙草,歷亂無冬春。

別後、諸君に対する相思の情は、さながら煙れる草の如く、冬といわず、春といわず、四時ともに、離離としで雜乱して居る。

歷亂 1.乱,乱。 南朝 鮑照 行路》之九:“剉檗染黃絲, 黃絲歷亂不可治。

2. ① 花の咲き乱れるさま。② ありのままに輝き現れるさま。ひかり輝くさま。 南朝 文帝 《采桑》:““細萍重疊長, 新花歷亂開。

相思 李白はこの語を自身の詩の約1000首の内、62首に使っている。

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李白  送韓準裴政孔巢父還山  #2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

時時或乘興,往往雲無心。出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送韓準裴政孔巢父還山

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)  -3

及地點:              東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3

竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -34に近い)

交遊人物:韓準    ・裴政    ・孔巢父  當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

時時或乘興,往往雲無心。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

相思若煙草,歷亂無冬春。

 

 

(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔罝を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖在る所以なり

韓生 信に英裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

#3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

 

 河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00

『送韓準裴政孔巢父還山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

時時或乘興,往往雲無心。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

(下し文)
#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

(現代語訳) #2

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。


(訳注) #2

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。)

韓準・裴政・孔巢父 竹渓の六逸

舊唐書卷一百五十八 列傳第一百四○「孔巢父從子戡戣戢許孟容中元膺劉棲楚張宿熊望柏耆 孔巢父,冀州人,字弱翁。父如珪,海州司參軍,以巢父贈工部郎中。巢父早勤文史,少時與韓准、裴政、李白、張叔明、陶沔隱於徂來山,時號『竹溪六逸』。永王璘起兵江淮,聞其賢,以從事辟之。巢父知其必敗,側身潛遁,由是知名。從德宗幸奉天,遷給事中、河中陝華等州招討使。尋兼御史大夫,充魏博宣慰使。遭害。

還山 徂徠山

 

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

三人の峻節は、遠山の松をも凌ぐべく、そして、交際は、極めて親密であって、衾褥を同じゅうして大石の上に臥した。

盤石 大岩をいう。文選李善註、「聲類に云う、盤は大石なり。」とある。

 

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

そして、斧で氷を敲き破って、寒泉に嗽すぎ、又三人で二人分の木屐を共用して居る位である。

斧冰 氷を斧で打ち破ること。魏曹操《苦寒行》「擔囊行取薪, 斧冰持作糜。」

 

時時或乘興,往往雲無心。

時としては、興に乗じてその住居から出てくることもあるが、さながら、雲の岫を出づると同じく、もとより、無心である。

 

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

それで、山を出ると、州牧に長揖し、しかも、浩嘯して、衣簪を軽んじ、人間の爵禄などは、何とも思はない。

牧伯 尚書正義「曲禮に日く、九州の長か牧といふ。王制に日く、千里の外、方伯を設く、八州八伯と。然らば、牧伯は一で、伯は一州の長ということ、牧は下民か牧養するという義。

鄭玄は「殷の州牧を伯といい、處夏及び周には牧という」とあって、後人が太守を称して牧伯というは、これに本づく。
江南東道 婺州 東陽00 

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李白  送韓準裴政孔巢父還山 #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。所以青雲人,高歌在巖

韓生信英裴子含清真。孔侯復秀出,俱與雲霞親。

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

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740年 李白40歳 

 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送韓準裴政孔巢父還山

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)  -3

及地點:              東門 (河南道 兗州 瑕丘)   -3

竹溪 (河南道 兗州 徂徠山)  -3    
4に近い)

交遊人物:韓準    ・裴政    ・孔巢父  當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00 

送韓準裴政孔巢父還山 #1

(韓準・裴政・孔巢父の竹渓の友人たちが、徂徠山に帰るというのでこの詩を作って送った。) #1

獵客張兔罝,不能掛龍虎。

猟人が兎綱を張ると、無論、兎は取れるが、龍虎を其の網にからめ取ることはできない。龍虎はもとより、兎などの居る様な処には住んで居らぬもので、それにつけでも、住む処をえらぶということは、第一に肝要である。

所以青雲人,高歌在巖

されば、青雲の志があって、神仙の道を学ばんと欲するものは、高歌して巌戸の間に隱れ棲むのを例として居る。

韓生信英裴子含清真。

ここにいる、我が友の韓準は、信に英雋の才士であるし、裴政は性情、清眞なのである。

孔侯復秀出,俱與雲霞親。

そして、孔巣父に至っては、更に傑出しているのであり、ともに、徂徠山で雲霞と親しんで居たのである。

#2

峻節凌遠松,同衾臥盤石。

斧冰嗽寒泉,三子同二屐。

時時或乘興,往往雲無心。

出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。

#3

昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。

今晨魯東門,帳飲與君別。

雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。

相思若煙草,歷亂無冬春。

 

 

詩文(含異文)

獵客張兔罝,不能掛龍虎。所以青雲人,高歌在巖【浩歌在巖】。韓生信英,裴子含清真。孔侯復秀出,俱與雲霞親。峻節凌遠松,同衾臥盤石。斧冰嗽寒泉,三子同二屐。時時或乘興,往往雲無心。出山揖牧伯,長嘯輕衣簪。昨宵夢裡還,雲弄竹溪月。今晨魯東門,帳飲與君別。雪崖滑去馬,蘿徑迷歸人。相思若煙草,歷亂無冬春。

 

(韓準・裴政・孔巢父の還山にるを送る) #1

獵客 兔罝を張るも,龍虎を掛くるを能わず。

青雲の人,高歌して巖在る所以なり

韓生 信に英裴子 清真を含む。

孔侯 復た秀出,俱に雲霞に親む。

#2

峻節、遠松を凌ぎ、同衾 盤石に臥す

氷に斧して寒泉に嗽ぎ、三子、二屐を同じくす。

時時或は興に乗じ、往往、雲に心なし。

山を出でて、牧伯に揖し、長嘯、衣簪を軽んず。

#3

昨宵 夢裡に還り,雲う 竹溪の月を弄すと。

今晨 魯の東門,帳飲 君と別る。

雪崖 去馬に滑かに,蘿徑 歸人を迷わしむ。

相思 、煙草の若く、歴乱、冬春なし。

李白の足跡003 

 

『送韓準裴政孔巢父還山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送韓準裴政孔巢父還山 #1

獵客張兔,不能掛龍虎。