漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

Index-21Ⅱ―16-741年開元二十九年41歳

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
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302 《卷23-43詠鄰女東窗海石榴》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <302> Ⅰ李白詩1590 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6498

李白  詠鄰女東窗海石榴   

魯女東窗下,海榴世所稀。珊瑚映綠水,未足比光輝。

清香隨風發,落日好鳥歸。願為東南枝,低舉拂羅衣。

無由共攀折,引領望金扉。
(国一番の美女が隣に住んでいて、その窓下の椿の花を見て詠う。)

隣の家にいる魯女の住む部屋の東窓のもとに植えたツバキの花は世にもまれなものである。サンゴが東海の緑水に映えるも、いまだその花の光輝ある姿に比しがたいというものである。そして、この花の清香は、したがって発し、夕日が沈むころには、珍しい小鳥がその花に宿せんがために帰ってくる。我、願わくば、その木の東南の枝となり、低く挙がって、魯女が木のほとりに来た時には、おもむろに羅衣を払いたいと思うのである。何はともあれ、隣家ではあるものの、余人して、その枝を攀折することもできず、ただ首をのばして、その東隣の女の住んでいる部屋の金色の門扉を望むのみである。

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年:       開元二十九年

寫作時間:           741

寫作年紀:           41

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    詠鄰女東窗海石榴

 

 

詠鄰女東窗海石榴

魯女東窗下,海榴世所稀。

珊瑚映綠水,未足比光輝。

清香隨風發,落日好鳥歸。

願為東南枝,低舉拂羅衣。

無由共攀折,引領望金扉。

(国一番の美女が隣に住んでいて、その窓下の椿の花を見て詠う。)

隣の家にいる魯女の住む部屋の東窓のもとに植えたツバキの花は世にもまれなものである。

サンゴが東海の緑水に映えるも、いまだその花の光輝ある姿に比しがたいというものである。

そして、この花の清香は、したがって発し、夕日が沈むころには、珍しい小鳥がその花に宿せんがために帰ってくる。

我、願わくば、その木の東南の枝となり、低く挙がって、魯女が木のほとりに来た時には、おもむろに羅衣を払いたいと思うのである。

何はともあれ、隣家ではあるものの、余人して、その枝を攀折することもできず、ただ首をのばして、その東隣の女の住んでいる部屋の金色の門扉を望むのみである。

 

(鄰女東窗の海石榴を詠ず)

魯女 東窗の下,海榴 世の稀なる所。

珊瑚 綠水に映じ,未だ光輝を比する足らず。

清香 風に隨って發し,落日 好鳥歸る。

願わくば 東南の枝と為り,低く舉って 羅衣を拂わん。

共に攀折する由無く,領を引いて 金扉を望む。

 

 

『詠鄰女東窗海石榴』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

詠鄰女東窗海石榴

魯女東窗下,海榴世所稀。

珊瑚映綠水,未足比光輝。

清香隨風發,落日好鳥歸。

願為東南枝,低舉拂羅衣。

無由共攀折,引領望金扉。

(下し文)

(鄰女東窗の海石榴を詠ず)

魯女 東窗の下,海榴 世の稀なる所。

珊瑚 綠水に映じ,未だ光輝を比する足らず。

清香 風に隨って發し,落日 好鳥歸る。

願わくば 東南の枝と為り,低く舉って 羅衣を拂わん。

共に攀折する由無く,領を引いて 金扉を望む。

(現代語訳)
(国一番の美女が隣に住んでいて、その窓下の椿の花を見て詠う。)

隣の家にいる魯女の住む部屋の東窓のもとに植えたツバキの花は世にもまれなものである。

サンゴが東海の緑水に映えるも、いまだその花の光輝ある姿に比しがたいというものである。

そして、この花の清香は、したがって発し、夕日が沈むころには、珍しい小鳥がその花に宿せんがために帰ってくる。

我、願わくば、その木の東南の枝となり、低く挙がって、魯女が木のほとりに来た時には、おもむろに羅衣を払いたいと思うのである。

何はともあれ、隣家ではあるものの、余人して、その枝を攀折することもできず、ただ首をのばして、その東隣の女の住んでいる部屋の金色の門扉を望むのみである。


(訳注)

詠鄰女東窗海石榴

(国一番の美女が隣に住んでいて、その窓下の椿の花を見て詠う。)

○鄰女東窗 『文選』巻19に載る「登徒子好色賦」に記されているよく知られた逸話で、美男として有名な中国の文人・宋玉が「自分は決して好色ではない、隣に住んでいた国一番の美女が牆(かき)からその姿を見せ、3年間のぞき込まれ誘惑され続けたが心を動かした事は一度も無かった、私のことを好色と称する登徒子(とうとし)こそ好色である」と王の前で反論した故事(宋玉東牆)を引いているもので、塀(墻・牆)からのぞき込んでいる姿をその故事中の美女に比しており、石燕はこれをもって「倩兮女」を多くの人を弄んだ淫婦の霊ではなかろうかと述べている。

○海石榴 ツバキ科ツバキ属の常緑樹の総称。 園芸品種が多く、庭木として重用される。 花は赤・白の他、桃色の品種もある。 果実は球形で、黒い種子からは椿油(つばきあぶら)をとる。

 

魯女東窗下,海榴世所稀。

隣の家にいる魯女の住む部屋の東窓のもとに植えたツバキの花は世にもまれなものである。

 

珊瑚映綠水,未足比光輝。

サンゴが東海の緑水に映えるも、いまだその花の光輝ある姿に比しがたいというものである。

○珊瑚映綠水 潘岳 《河陽庭前安石榴賦序》「似琉璃之棲鄧林,若珊瑚之映綠。」とある。

 

清香隨風發,落日好鳥歸。

そして、この花の清香は、したがって発し、夕日が沈むころには、珍しい小鳥がその花に宿せんがために帰ってくる。

○清香隨風發 《古詩十九首之五》「清商隨風發,中曲正徘徊。」(琴と笛の和調で澄んだ音調で秋のもの悲しい声調の曲が風にのってひびいてくるが、曲の中ほどで、正規の引きであったり、ためらいかけた音階であったりする。)に基づいている。

古詩十九首 (5) 漢詩<92>Ⅱ李白に影響を与えた詩524 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1389

 

願為東南枝,低舉拂羅衣。

我、願わくば、その木の東南の枝となり、低く挙がって、魯女が木のほとりに来た時には、おもむろに羅衣を払いたいと思うのである。

 

無由共攀折,引領望金扉。

何はともあれ、隣家ではあるものの、余人して、その枝を攀折することもできず、ただ首をのばして、その東隣の女の住んでいる部屋の金色の門扉を望むのみである。

○引領望金扉 《文選王延壽<魯靈光殿賦>》「遂排金扉而北入, 宵藹藹而晻曖。」 張銑注:扉門扉也。

李白301 《巻十八06答友人贈烏紗帽》(改訂版)Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <301> Ⅰ李白詩1589 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6493

李白  答友人贈烏紗帽   

領得烏紗帽,全勝白接山人不照鏡,稚子道相宜。
(友人が上下通じたる禮帽である烏紗帽を贈ってくれたことにより、この詩を以て答礼の意を表した。)

君はから烏紗帽を頂戴したが、なるほど、白接羅の帽子よりすべてに勝って、なかなか立派である。山人たる我は、あいにく、鏡を持ち合わせていない、隠遁すべき人間が街にいるのであるが、この私が鏡を見るまでのことはないのだ、山簡ではないけれど子供たちはこの帽子がよく似合ってるといっているくらいであるから、此処に御礼を申し上げる。
李白301 《巻十八06答友人贈烏紗帽》(改訂版)Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <301> Ⅰ李白詩1589 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6493

 

 
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  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
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  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七八              文體:    五言

詩題:    答友人贈烏紗帽

 

 

答友人贈烏紗帽

(友人が上下通じたる禮帽である烏紗帽を贈ってくれたことにより、この詩を以て答礼の意を表した。)

領得烏紗帽,全勝白接離。

君はから烏紗帽を頂戴したが、なるほど、白接羅の帽子よりすべてに勝って、なかなか立派である。

山人不照鏡,稚子道相宜。

山人たる我は、あいにく、鏡を持ち合わせていない、隠遁すべき人間が街にいるのであるが、この私が鏡を見るまでのことはないのだ、山簡ではないけれど子供たちはこの帽子がよく似合ってるといっているくらいであるから、此処に御礼を申し上げる。

(友人の烏紗帽を贈れるに答う)

烏紗帽を領し得て、全く白接に勝る。

山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜【よろ】しと道【い】う。

 

『答友人贈烏紗帽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

答友人贈烏紗帽

領得烏紗帽,全勝白接

山人不照鏡,稚子道相宜。

(下し文)
(友人の烏紗帽を贈れるに答う)

烏紗帽を領し得て、全く白接に勝る。

山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜【よろ】しと道【い】う。

(現代語訳)
(友人が上下通じたる禮帽である烏紗帽を贈ってくれたことにより、この詩を以て答礼の意を表した。)

君はから烏紗帽を頂戴したが、なるほど、白接羅の帽子よりすべてに勝って、なかなか立派である。

山人たる我は、あいにく、鏡を持ち合わせていない、隠遁すべき人間が街にいるのであるが、この私が鏡を見るまでのことはないのだ、山簡ではないけれど子供たちはこの帽子がよく似合ってるといっているくらいであるから、此処に御礼を申し上げる。

(訳注)

答友人贈烏紗帽

(友人が上下通じたる禮帽である烏紗帽を贈ってくれたことにより、この詩を以て答礼の意を表した。)

烏紗帽 絹で出来た礼装用の黒い帽子。中華古今注 「武德九年十一月,太宗詔曰:『自今以後,天子服烏紗帽,百官士庶皆同服之。』」とあって烏紗帽は、上下通じたる禮帽である。


領得烏紗帽,全勝白接蘺。

君はから烏紗帽を頂戴したが、なるほど、白接羅の帽子よりすべてに勝って、なかなか立派である。

白接羅:白い接羅(せつり)。接羅は帽子の一種。昔、荊の地方長官だった山簡が被っていたことで有名。

烏紗帽を領得して、全く白接蘺()に勝(まさ)る。山簡は竹林の七賢人である山濤の息子だが、それよりなにより酔ってこの白接蘺を前後反対に被り町なかで馬に乗ったほどの「酔っぱらい」ぶりで名高い。              
「山公」と言えば酔っぱらいの代名詞であり、李白はしばしば自分をこの山簡に例えている。 

山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。

李白が山簡をうたっている詩

巻○ID 詩題

詩句

6302-04楽府梁甫吟

「君不見高陽酒徒起草中。 」

143巻四18襄陽曲四首其二

「山公醉酒時。 酩酊高陽下。頭上白接()。 倒著還騎馬。 」

145巻四20襄陽曲四首其四

「且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。 」

240巻七秋浦歌十七首 其七

「醉上山公馬。 寒歌寧戚牛。 空吟白石爛。 淚滿黑貂裘。 」

3329-03憶襄陽舊游贈馬少府巨

「昔為大堤客。 曾上山公樓。 開窗碧嶂滿。 拂鏡滄江流。 高冠佩雄劍。 長揖韓荊州。 」

37110-17江夏贈韋南陵冰

「人悶還心悶。 苦辛長苦辛。 愁來飲酒二千石。 寒灰重暖生陽春。 山公醉後能騎馬。 」

475巻十四12留別廣陵諸公 (一作留別邯鄲故人)

「臥海不關人。 租遼東田。 乘興忽復起。 棹歌溪中船。 臨醉謝葛強。 山公欲倒鞭。 」

500卷十五3送王屋山人魏萬還王屋 并序

「不致百金。吾友揚子云。 弦歌播清芬。 雖為江寧宰。 好與山公群。 」

513卷十五16魯郡堯祠送竇明府薄華還西京 時久病初起作

「何不令皋繇擁彗橫八極。 直上青天掃浮云。高陽小飲真瑣瑣。 山公酩酊何如我。 」

754巻二十一32 峴山懷古

「訪古登峴首。 憑高眺襄中。天清遠峰出。 水落寒沙空。 弄珠見游女。 醉酒懷山公。感嘆發秋興。 長松鳴夜風。 」

 


山人不照鏡,稚子道相宜。

山人たる我は、あいにく、鏡を持ち合わせていない、隠遁すべき人間が街にいるのであるが、この私が鏡を見るまでのことはないのだ、山簡ではないけれど子供たちはこの帽子がよく似合ってるといっているくらいであるから、此処に御礼を申し上げる。
○山人 山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。ここでは李白自身のことを指す。



 

 

 

 

 

 

 

帽子01


帽子02

帽子03

 

 

 唐太宗戴幞頭

 禮官戴幞頭

 兩文人戴幞頭

 

 

帽子04

帽子05

帽子06

 

 

 羅幞

 

 

 

 

 

 

 


  
 時代を遡ると、元代の雑劇に登場する山人は例外なくみな占い師であり、かつ自称ではなく他称である。また陸遊の〈新裁道帽示帽工〉(《劍南詩稿》卷39)では、「山人手段雖難及」と帽子作りの職人を山人と呼んでおり、《東京夢華録》巻 5 〈京瓦技芸〉等にみえる張山人は都会の寄席芸人であるなど、総じて山人とは「技術之士」(《太平廣記》巻72「張山人」)であったといえる。同じ現象は唐代にも見られる。宋初の《文苑英華》巻231「隠逸二・山人」に収める唐代の山人の詩の多くには売薬についての記述が見える。そもそも山人という語の出典は、南斉の孔稚圭「北山移文」(《文選》巻43)の「山人去兮曉猿驚」にあり、本来山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。いわゆる「終南の捷径」によって官途を求めた李泌のような人物もまた山人であったし、李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。現に李白は「答友人贈烏紗帽」(《李白集校注》巻19)で「山人不照鏡、稚子道相宜」と自ら山人を称している 

  
「山公」
李白と道教48襄陽歌 ⅰ

李白と道教(7)襄陽曲49から52

阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

秋浦歌十七首 其七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集251/350

秋浦歌十七首 其九 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -253/350

秋浦歌十七首 其十一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-255/350

 

烏紗帽00烏紗帽平巾幘(さく)帽00平巾幘(さく)

 

 

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李白  《巻十八04早秋單父南樓酬竇公衡》#2  

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。
その雲が散じて、飛雨となって川上に降りそそいでくれば、誠に心地良いことになり、そうすれば俗界から離れた寝牀の周りのとばりを巻き上げて、空地に浮んでいる塵埃をも清めてしまうことになる。そのとき、貴殿は、さだめて青軒の下に獨坐したことであろうが、たがいの胸の内は同心結であって、思うところは互いに同じことを考えているのである。我は、今しも、この早秋の清々しさに乗じて、南楼の窓扉を閉じて、道教の書籍を読みふけって、簾影静かに垂れて、四隣清寂であり、これこそ、仙居となるのである。ただ、それでは、好事者の來訪することもないということであり、寂しくてたまらないから、貴殿が名文を寄せてくれれば、予の詩興を呼び起こしてくれるのでよろしく頼む。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七八              文體:    雜言古詩

詩題:    早秋單父南樓酬竇公衡

作地點:              目前尚無資料

及地點:單父 (河南道 宋州 單父)    

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

交遊人物/地點:竇公衡      當地交遊(河南道 宋州 單父)

 

 

早秋單父南樓酬竇公衡

(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)

白露見日滅,紅顏隨霜凋。

白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。

別君若俯仰,春芳辭秋條。

貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。

その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。

その雲が散じて、飛雨となって川上に降りそそいでくれば、誠に心地良いことになり、そうすれば俗界から離れた寝牀の周りのとばりを巻き上げて、空地に浮んでいる塵埃をも清めてしまうことになる。

知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。

そのとき、貴殿は、さだめて青軒の下に獨坐したことであろうが、たがいの胸の内は同心結であって、思うところは互いに同じことを考えているのである。

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。

我は、今しも、この早秋の清々しさに乗じて、南楼の窓扉を閉じて、道教の書籍を読みふけって、簾影静かに垂れて、四隣清寂であり、これこそ、仙居となるのである。

曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。

ただ、それでは、好事者の來訪することもないということであり、寂しくてたまらないから、貴殿が名文を寄せてくれれば、予の詩興を呼び起こしてくれるのでよろしく頼む。

 

(早秋 單父南樓にて竇公衡に酬ゆ)

白露 日を見て滅し,紅顏 霜に隨って凋む。

君に別れて 俯仰するが若く,春芳 秋條を辭す。

泰山 嵯峨として 夏雲在り,疑うらくは是れ白波の東海に漲るかと。

 

散じて 飛雨と為って川上に來り,遙帷 卻って卷いて 浮埃を清む。

知る君が 獨坐す 青軒の下,此の時 結念 懷う所を同じゅうす。

我 南樓を閉じて道書を看る,幽簾 清寂 仙居に在り。

曾て好事の來って相い訪う無し,爾の高文に賴って 一び予を起せ。

 

 

『早秋單父南樓酬竇公衡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。

知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。【此時結念同懷者】。

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。

曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。

(下し文)
散じて 飛雨と為って川上に來り,遙帷 卻って卷いて 浮埃を清む。

知る君が 獨坐す 青軒の下,此の時 結念 懷う所を同じゅうす。

我 南樓を閉じて道書を看る,幽簾 清寂 仙居に在り。

曾て好事の來って相い訪う無し,爾の高文に賴って 一び予を起せ。

(現代語訳)
その雲が散じて、飛雨となって川上に降りそそいでくれば、誠に心地良いことになり、そうすれば俗界から離れた寝牀の周りのとばりを巻き上げて、空地に浮んでいる塵埃をも清めてしまうことになる。

そのとき、貴殿は、さだめて青軒の下に獨坐したことであろうが、たがいの胸の内は同心結であって、思うところは互いに同じことを考えているのである。

我は、今しも、この早秋の清々しさに乗じて、南楼の窓扉を閉じて、道教の書籍を読みふけって、簾影静かに垂れて、四隣清寂であり、これこそ、仙居となるのである。

ただ、それでは、好事者の來訪することもないということであり、寂しくてたまらないから、貴殿が名文を寄せてくれれば、予の詩興を呼び起こしてくれるのでよろしく頼む。


(訳注)

早秋單父南樓酬竇公衡

(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)741年開元二十九年41歳の作。

單父 (河南道 宋州 單父) 単県(ぜんけん)は中華人民共和国山東省菏沢市に位置する県。古名を単父(ぜんほ)という。

竇公衡 

《太平廣記》「崔圓,開元二十三年應將帥舉科,又於河南府充貢進士。其日正於福唐觀試,遇敕下,便於試場中喚將拜執戟參謀河西軍事。應制時,與越州剡縣尉竇公衡同場並坐,親見其事。公衡之名位,略見於此。」

【解説】

初句四句は歳月の匇匇たることをいい、泰山嵯峨の六句は、彼方の夏の景色、我閉南樓ノ四句は、此処の早秋の景色を言い、結句二句において、酬答の意を寓したものである。

 

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。

その雲が散じて、飛雨となって川上に降りそそいでくれば、誠に心地良いことになり、そうすれば俗界から離れた寝牀の周りのとばりを巻き上げて、空地に浮んでいる塵埃をも清めてしまうことになる。

遙帷卻卷 文選.江淹.《雜體詩.王徵君》「鍊藥矚虛幌,汎瑟臥遙帷。」(藥を鍊りて虛幌を矚【み】,瑟を汎して遙帷に臥す。)“我は窓のほとりで薬を練ったり、俗界から離れた寝牀の周りのとばりの中に横たわって瑟琴を掻き鳴らす”

江淹《王徵君〈養疾〉微》《昭明文選·卷三十一》

窈藹瀟湘空、翠澹無滋。

寂歷百草晦、欻吸鵾雞悲。

清陰往來遠、月華散前墀。

鍊藥矚虛幌、汎瑟臥遙帷。

水碧驗未黷、金膏靈詎緇。

北渚有帝子、蕩瀁不可期。

悵然山中暮、懷痾屬此詩。

 

知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。

そのとき、貴殿は、さだめて青軒の下に獨坐したことであろうが、たがいの胸の内は同心結であって、思うところは互いに同じことを考えているのである。

青軒 仙界の様子をいう。南齊虞炎《詠簾詩》「青軒明月時,紫殿秋風日。」とある。

結念  南朝宋謝靈運《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》詩:結念屬霄漢, 孤景莫與諼。(念いを結び霽漢【しょうかん】に属【つ】け、弧景【こけい】与【とも】に 諼【わす】るる莫し。)

思いを胸に結ぶ、すると空が晴れ渡ってきて、この気に入っている風景は忘れることはないようにしたい。

*故郷始寧への思い、隠棲したいと思うこと。半官半隠の生活。○霽漢 (天空)漢の国の空が晴れ渡る ○諼 うつわる、 わすれる、 かまびすしい、 いつわる。

《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》門在永嘉 謝霊運<30>#2 詩集 405  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1032

 

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。

我は、今しも、この早秋の清々しさに乗じて、南楼の窓扉を閉じて、道教の書籍を読みふけって、簾影静かに垂れて、四隣清寂であり、これこそ、仙居となるのである。

 

曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。

ただ、それでは、好事者の來訪することもないということであり、寂しくてたまらないから、貴殿が名文を寄せてくれれば、予の詩興を呼び起こしてくれるのでよろしく頼む。

好事來相訪 《漢書》:揚雄家素貧,嗜酒,人希至其門,時有好事者載酒餚從遊學。

高文 江淹詩:文選·江淹·雜體詩三十首之四「高文一何綺、小儒安足為。」(高文は一に何ず綺しき、小儒は安ぞ為るに足らん。)“諸士の作る高尚な文章は本当にまあ美しく立派で、小儒の輩などはどうしてそういうものを為すことができようか”

雜體詩三十首之四《魏文帝〈遊宴〉曹丕》

置酒坐飛閣、逍遙臨華池。

神飆自遠至、左右芙蓉披。

綠竹夾清水、秋蘭被幽涯。

月出照園中、冠珮相追隨。

客從南楚來、為我吹參差。

淵魚猶伏浦、聽者未云疲。

高文一何綺、小儒安足為。

肅肅廣殿陰、雀聲愁北林。

眾賓還城邑、何以慰吾心。

300-#1 《巻十八04早秋單父南樓酬竇公衡》#1Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <300-#1> Ⅰ李白詩1601 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6553

李白  早秋單父南樓酬竇公衡   

白露見日滅,紅顏隨霜凋。別君若俯仰,春芳辭秋條。

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。
(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七八              文體:    雜言古詩

詩題:    早秋單父南樓酬竇公衡

作地點:              目前尚無資料

及地點:單父 (河南道 宋州 單父)    

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

交遊人物/地點:竇公衡      當地交遊(河南道 宋州 單父)

 

 

早秋單父南樓酬竇公衡

(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)

白露見日滅,紅顏隨霜凋。

白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。

別君若俯仰,春芳辭秋條。

貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。

その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

散為飛雨川上來,遙帷卻卷清浮埃。

知君獨坐青軒下,此時結念同所懷。

我閉南樓看道書,幽簾清寂在仙居。

曾無好事來相訪,賴爾高文一起予。

 

(早秋 單父南樓にて竇公衡に酬ゆ)

白露 日を見て滅し,紅顏 霜に隨って凋む。

君に別れて 俯仰するが若く,春芳 秋條を辭す。

泰山 嵯峨として 夏雲在り,疑うらくは是れ白波の東海に漲るかと。

 

散じて 飛雨と為って川上に來り,遙帷 卻って卷いて 浮埃を清む。

知る君が 獨坐す 青軒の下,此の時 結念 懷う所を同じゅうす。

我 南樓を閉じて道書を看る,幽簾 清寂 仙居に在り。

曾て好事の來って相い訪う無し,爾の高文に賴って 一び予を起せ。

 

 

『早秋單父南樓酬竇公衡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

早秋單父南樓酬竇公衡

白露見日滅,紅顏隨霜凋。

別君若俯仰,春芳辭秋條。

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。

(下し文)
(早秋 單父南樓にて竇公衡に酬ゆ)

白露 日を見て滅し,紅顏 霜に隨って凋む。

君に別れて 俯仰するが若く,春芳 秋條を辭す。

泰山 嵯峨として 夏雲在り,疑うらくは是れ白波の東海に漲るかと。

(現代語訳)
(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)

白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。

貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。

その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00
(訳注)

早秋單父南樓酬竇公衡

(早秋七月のころ、單父の南樓のおいて、竇公衡に酬い答えて作ったもの)741年開元二十九年41歳の作。

單父 (河南道 宋州 單父) 単県(ぜんけん)は中華人民共和国山東省菏沢市に位置する県。古名を単父(ぜんほ)という。

竇公衡 

《太平廣記》「崔圓,開元二十三年應將帥舉科,又於河南府充貢進士。其日正於福唐觀試,遇敕下,便於試場中喚將拜執戟參謀河西軍事。應制時,與越州剡縣尉竇公衡同場並坐,親見其事。公衡之名位,略見於此。」

【解説】

初句四句は歳月の匇匇たることをいい、泰山嵯峨の六句は、彼方の夏の景色、我閉南樓ノ四句は、此処の早秋の景色を言い、結句二句において、酬答の意を寓したものである。

卷十五    19          單父東樓秋夜送族弟沈之秦 時凝弟在席

卷十五    20          送族弟凝至晏() 單父三十里

卷十六    23          送族弟單父主簿凝攝宋城主簿至郭南月橋

巻十八    4            早秋單父南樓酬竇公衡

巻十九    6            秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓

巻二十    4            登單父陶少府半月台

登單父陶少府半月台 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白191

單父東樓秋夜送族弟沈之秦  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白192

 

白露見日滅,紅顏隨霜凋。

白露は日が登ればやがて消えていくものだし、紅顔は霜に随って凋みゆくものである。

白露見日滅 春の日は長くなってゆくさまを表現した句。

紅顏隨霜凋 顏にしわが増えてゆき、髪に白髪が増えてゆく。

 

別君若俯仰,春芳辭秋條。

貴殿と別れてから、歳月頻りに過ぎ去り、試みに俯仰するうち、春の花も香りも散り去り、秋の枝となり、時序匇匇とうつりかわっていったのである。

春芳辭秋條 梁簡文帝《長沙宣武王碑》:“秋條下葉,春卉含芳。”(秋條 葉を下し,春卉芳を含む。)に基づく。

 

泰山嵯峨夏雲在,疑是白波漲東海。

その間、夏のころには、泰山嵯峨として、奇峰を為せる夏雲がとどまって動かずにあった、さながら白波が東海に漲っているのかと思われるようであった。

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。ユネスコの世界遺産に登録されている。

嵯峨 山などの高く険しいさま。
汜水関などの地図 

299 《卷十六04魯郡堯祠送張十四遊河北》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <299> Ⅰ李白詩1587 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6483

李白  魯郡堯祠送張十四遊河北   

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。有如張公子,骯髒在風塵。

豈無橫腰劍,屈彼淮陰人。擊筑向北燕,燕歌易水濱。

歸來泰山上,當與爾為鄰。

(魯郡の堯祠に於て、張某が河北に遊ぶというので送って作った)

猛虎が、髙さ一尺ほどの草叢に伏して居るとしたら、どんなにかくれて居る積りであつても、その身を蔽いかくすことは出来ない、というように、士の此世に在るも、正にこれと同じように、全然韜晦しようとしでも、やはり、人の目につき、毀誉褒貶、必ず之にともなうものである。成帝と張放の仲のようなわが張公子の如き交友は、天晴の才能あれども、兎角不遇で、風塵の中に躊躇している。もとより、腰下には宝刀を佩びて居るから、失敬にも人を軽侮する彼の淮陰の少年輩をつかまえて、目に物見せてくれることのできないはずもない。しかし、そんな事はせず、これより、筑を撃ちつつ、北燕地方に向うとのことで、易水の辺に於ては、古の荊軻を弔い、燕歌「易水歌」を唱へで、感慨に堪へぬことであろう。かくて、帰ってこられたなら泰山に登ろうではないか、そうして、この魯郡の地に再び歸ってきたならば、汝と隣同士、に住んで、成帝と張放のように日夕追随、たがいに慰め合うことにしよう。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    魯郡堯祠送張十四遊河北

作地點:              目前尚無資料

及地點:              堯祠 (河南道 兗州 瑕丘)    

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

河北道 (河北道 無第二級行政層級 無第三級行政層級) 別名:河北        

淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)   

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

交遊人物/地點:張謂          當地交遊(河南道 兗州 瑕丘)

 

 

魯郡堯祠送張十四遊河北

(魯郡の堯祠に於て、張某が河北に遊ぶというので送って作った)

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。

猛虎が、髙さ一尺ほどの草叢に伏して居るとしたら、どんなにかくれて居る積りであつても、その身を蔽いかくすことは出来ない、というように、士の此世に在るも、正にこれと同じように、全然韜晦しようとしでも、やはり、人の目につき、毀誉褒貶、必ず之にともなうものである。

有如張公子,骯髒在風塵。

成帝と張放の仲のようなわが張公子の如き交友は、天晴の才能あれども、兎角不遇で、風塵の中に躊躇している。

豈無橫腰劍,屈彼淮陰人。

もとより、腰下には宝刀を佩びて居るから、失敬にも人を軽侮する彼の淮陰の少年輩をつかまえて、目に物見せてくれることのできないはずもない。

擊筑向北燕,燕歌易水濱。

しかし、そんな事はせず、これより、筑を撃ちつつ、北燕地方に向うとのことで、易水の辺に於ては、古の荊軻を弔い、燕歌「易水歌」を唱へで、感慨に堪へぬことであろう。

歸來泰山上,當與爾為鄰。

かくて、帰ってこられたなら泰山に登ろうではないか、そうして、この魯郡の地に再び歸ってきたならば、汝と隣同士、に住んで、成帝と張放のように日夕追随、たがいに慰め合うことにしよう。

 

(魯郡 堯祠にて 張十四の河北に遊ぶを送る)

猛虎 尺草に伏し,藏れると雖も身を蔽い難し。

張公子の如く有り,骯髒 風塵に在り。

豈に橫腰の劍、彼の淮陰の人に屈する無らんや。

筑を擊って 北燕に向い,燕歌 易水の濱。

歸り來って 泰山の上,當に爾と與に鄰と為すべし。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->李白の足跡0000
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『魯郡堯祠送張十四遊河北』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

魯郡堯祠送張十四遊河北

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。

有如張公子,骯髒在風塵。

豈無橫腰劍,屈彼淮陰人。

擊筑向北燕,燕歌易水濱。

歸來泰山上,當與爾為鄰。

(下し文)
(魯郡 堯祠にて 張十四の河北に遊ぶを送る)

猛虎 尺草に伏し,藏れると雖も身を蔽い難し。

張公子の如く有り,骯髒 風塵に在り。

豈に橫腰の劍、彼の淮陰の人に屈する無らんや。

筑を擊って 北燕に向い,燕歌 易水の濱。

歸り來って 泰山の上,當に爾と與に鄰と為すべし。

(現代語訳)
(魯郡の堯祠に於て、張某が河北に遊ぶというので送って作った)

猛虎が、髙さ一尺ほどの草叢に伏して居るとしたら、どんなにかくれて居る積りであつても、その身を蔽いかくすことは出来ない、というように、士の此世に在るも、正にこれと同じように、全然韜晦しようとしでも、やはり、人の目につき、毀誉褒貶、必ず之にともなうものである。

成帝と張放の仲のようなわが張公子の如き交友は、天晴の才能あれども、兎角不遇で、風塵の中に躊躇している。

もとより、腰下には宝刀を佩びて居るから、失敬にも人を軽侮する彼の淮陰の少年輩をつかまえて、目に物見せてくれることのできないはずもない。

しかし、そんな事はせず、これより、筑を撃ちつつ、北燕地方に向うとのことで、易水の辺に於ては、古の荊軻を弔い、燕歌「易水歌」を唱へで、感慨に堪へぬことであろう。

かくて、帰ってこられたなら泰山に登ろうではないか、そうして、この魯郡の地に再び歸ってきたならば、汝と隣同士、に住んで、成帝と張放のように日夕追随、たがいに慰め合うことにしよう。


(訳注)

魯郡堯祠送張十四遊河北

(魯郡の堯祠に於て、張某が河北に遊ぶというので送って作った)

この詩は、例の魯郡の堯祠に於て、張某の河北に遊ぶを送って作ったのである。

《卷十五18送薛九被讒去魯》、《卷十六01送魯郡劉長史遷弘農長史》と同時期の作品である。

唐書地理志、「河北道は、蓋し古の幽・冀の二州の境、孟・懐・魏・博・相・衛・貝・渲・刑・惠・鎮・冀・深・趙・滄・景・徳・定・易・幽・琢・瀛・莫・平・嬀・薊・營の二十九州あり」と見える。

河北道是唐朝的一个道,所州府包括:州、相州、魏州、博州、州、州、邢州、州、冀州、德州、棣州、州、瀛州、深州、莫州、定州、恒州、易州、幽州、嬀州、檀州、州、平州、州、安

張十四の名字は不詳。

297-#1 《卷十五18送薛九被讒去魯》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297> Ⅰ李白詩1585 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6473

298 《卷十六01 送魯郡劉長史遷弘農長史》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298> Ⅰ李白詩1586 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6478

 

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。

猛虎が、髙さ一尺ほどの草叢に伏して居るとしたら、どんなにかくれて居る積りであつても、その身を蔽いかくすことは出来ない、というように、士の此世に在るも、正にこれと同じように、全然韜晦しようとしでも、やはり、人の目につき、毀誉褒貶、必ず之にともなうものである。

尺草 髙さ一尺ほどの草叢。

 

有如張公子,骯髒在風塵。

成帝と張放の仲のようなわが張公子の如き交友は、天晴の才能あれども、兎角不遇で、風塵の中に躊躇している。

張公子 同姓であることで、漢の張放をもじっていう。

張放(ちょう ほう、? - 紀元前7年)は、中国の前漢時代の人物。宣帝の時の将軍張安世の玄孫にあたり、漢の成帝の従兄弟である。

張放は富平侯張臨と元帝の妹である敬武公主から生まれ、父の死により富平侯を受け継ぐ。

成帝に寵愛され、成帝の許皇后の妹を娶り、成帝から屋敷や莫大な下賜を賜る。侍中・中郎将となり、屯兵を監督し、将軍のように幕府を開くことを許された。成帝と寝起きを共にすることもあり、成帝が身分を隠してお忍びで城外へ出る際には「日夕追随」常に付き従った(なお、『漢書』趙皇后伝によると成帝はお忍びの際に富平侯家の人間「張公子」と称している)。

骯髒 ・()とは、(1) 汚い,汚れた.【反】干(2) (倫理的に)汚い,卑劣な.・髒の意味は、(衣服・身体・家屋・庭・食べ物などが)汚い,汚れている,垢じみている,不潔である.

・骯髒戰爭: 汚い戦争。社會不安、暴力或政治顛覆等行為,所做出的回應,是一場由國家所支持的戰爭,發動者以威脅、恐嚇的手段來要求國家安定。

 

豈無橫腰劍,屈彼淮陰人。

もとより、腰下には宝刀を佩びて居るから、失敬にも人を軽侮する彼の淮陰の少年輩をつかまえて、目に物見せてくれることのできないはずもない。

淮陰人 《漢書韓信傳》:「韓信,淮陰人也。」《史記.淮陰侯列傳》「淮陰侯韓信,是淮陰人。」で始まる淮陰出身の韓信がその淮陰で失敬、軽侮されたことをいう。淮陰(現:江蘇省淮安市)の出身。貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。こんな有様であったため、淮陰の者はみな韓信を見下していた。とある亭長の家に居候していたが、嫌気がした亭長とその妻は韓信に食事を出さなくなった。いよいよ当てのなくなった韓信は、数日間何も食べないで放浪し、見かねた老女に数十日間食事を恵まれる有様であった。韓信はその老女に「必ず厚く御礼をする」と言ったが、老女は「あんたが可哀想だからしてあげただけのこと。御礼なんて望んでいない」と語ったという。

ある日のこと、韓信は町の少年に「お前は背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。できないならば俺の股をくぐれ」と挑発された。韓信は黙って少年の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑ったという。その韓信は、「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ」と冷静に判断していたのである。この出来事は「韓信の股くぐり」として知られることになる。

 

擊筑向北燕,燕歌易水濱。

しかし、そんな事はせず、これより、筑を撃ちつつ、北燕地方に向うとのことで、易水の辺に於ては、古の荊軻を弔ひ、燕歌「易水歌」を唱へで、感慨に堪へぬことであろう。

易水 北京の南西を流れる川で、白河に合流する。詩経をはじめ、古代詩でよくみかける。燕 荊軻《易水歌》「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。」

 

歸來泰山上,當與爾為鄰。

かくて、帰ってこられたなら泰山に登ろうではないか、そうして、この魯郡の地に再び歸ってきたならば、汝と隣同士、に住んで、成帝と張放のように日夕追随、たがいに慰め合うことにしよう。

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

當與爾為鄰 陶潜 《示周續之祖企謝景夷三郎時三人共在城北講禮校書詩》「老夫有所愛,思與爾為鄰。願言謝諸子,從我潁水濱。
隋末群雄割拠図00 

298-#3 《卷十六03送魯郡劉長史遷弘農長史》#3 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298-#3> Ⅰ李白詩1599 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6543

李白  送魯郡劉長史遷弘農長史-#3  

魯縞如白煙,五縑不成束。臨行贈貧交,一尺重山嶽。

相國齊晏子,贈行不及言。託陰當樹李,忘憂當樹萱。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。
そのうえは、貴殿が窮迫を憐れみ、置き土産として、魯國に産する白絹を贈られたが、その絹は、いかにも精緻をきわめて、さながら白煙の如く、五匹では数こそ揃わぬが、ここにおいて壮行に当たって、貧交の中で贈るには、大したものでも、一尺ごとに、誠心が籠っていて、その徳は、山岳よりも重い。それは、むかし、昔の晏子の云つたとおり、人の行を贈るには、言葉を以てするのが第一であるから、私はここに、晏子に倣うべきで、君に餞するに「言を以てしよう」と思う。もし木陰に身を寄せようと欲せば、李樹を植うべく、もし憂いを忘れむと欲せば、萱草を植えたが善い。つまり、人の徳あるものにまじわれば、以て庇蔭すべく、人の才華あるものに変れば、以て欣賞することが出来るので、何につけても、交わりを選ぶのが第一である。私は、いつまでも貧賎に甘んじて居るものでないので、かの范睢が秦に入って張禄と称し、やがて相位に登ったと同じく、いつかは、相当に立身しないものでもないから、その時は、かの綈袍に比すべき君の旧恩を憶って必ずこれに報いるであろう。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送魯郡劉長史遷弘農長史

作地點:              目前尚無資料

及地點:兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

虢州 (河東道 虢州 虢州) 別名:弘農郡        

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)      

交遊人物/地點:劉長史      當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

仲尼且不敬,況乃尋常人。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

閉門木葉下,始覺秋非春。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

-#2

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。

軒后上天時,攀龍遺小臣。

しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。

及此留惠愛,庶幾風化淳。

依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。貴殿は、賢人の存在を認めない魯郡から、黄帝の遺跡たる弘農に転任されたることだから、まことにめでたい。

-#3

魯縞如白煙,五縑不成束。

そのうえは、貴殿が窮迫を憐れみ、置き土産として、魯國に産する白絹を贈られたが、その絹は、いかにも精緻をきわめて、さながら白煙の如く、五匹では数こそ揃わぬが、

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

ここにおいて壮行に当たって、貧交の中で贈るには、大したものでも、一尺ごとに、誠心が籠っていて、その徳は、山岳よりも重い。

相國齊晏子,贈行不及言。

それは、むかし、昔の晏子の云つたとおり、人の行を贈るには、言葉を以てするのが第一であるから、私はここに、晏子に倣うべきで、君に餞するに「言を以てしよう」と思う。

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

もし木陰に身を寄せようと欲せば、李樹を植うべく、もし憂いを忘れむと欲せば、萱草を植えたが善い。つまり、人の徳あるものにまじわれば、以て庇蔭すべく、人の才華あるものに変れば、以て欣賞することが出来るので、何につけても、交わりを選ぶのが第一である。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

私は、いつまでも貧賎に甘んじて居るものでないので、かの范睢が秦に入って張禄と称し、やがて相位に登ったと同じく、いつかは、相当に立身しないものでもないから、その時は、かの綈袍に比すべき君の旧恩を憶って必ずこれに報いるであろう。

(魯郡の劉長史、弘農長史に遷るを送る)-#1

魯國 一杯の水,橫海の鱗を容れ難し。

仲尼 且つ敬せられず,況や乃ち 尋常の人をや。

白玉 斗粟に換え,黃金 尺薪を買う。

門を閉じ 木葉下る,始めて覺ゆ 秋 春に非ざるを。
-#2

聞く 君が西に向って遷るを,地は即ち鼎湖の鄰。

寶鏡は蒼蘚を匣にし,丹經は素塵を埋む。

軒后 上天の時,攀龍、小臣を遺す。

此に及んで惠愛を留め,庶幾す風化の淳なるを。

-#3

魯縞は白煙の如く,五縑 束を成さず。

行に臨んで貧交に贈る,一尺 山嶽よりも重し。

相國 齊の晏子,行を贈って言に及ばず。

陰を託する當に李を樹うべく,憂を忘るる當に萱を樹うべし。

他日 張祿を見,綈袍【ていほう】舊恩を懷わん。

 

洛陽 函谷関 嵩山005 

『送魯郡劉長史遷弘農長史』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-
#3

魯縞如白煙,五縑不成束。

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

相國齊晏子,贈行不及言。

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

(下し文)
-
#3

魯縞は白煙の如く,五縑 束を成さず。

行に臨んで貧交に贈る,一尺 山嶽よりも重し。

相國 齊の晏子,行を贈って言に及ばず。

陰を託する當に李を樹うべく,憂を忘るる當に萱を樹うべし。

他日 張祿を見,綈袍【ていほう】舊恩を懷わん。

(現代語訳)
-#3

そのうえは、貴殿が窮迫を憐れみ、置き土産として、魯國に産する白絹を贈られたが、その絹は、いかにも精緻をきわめて、さながら白煙の如く、五匹では数こそ揃わぬが、

ここにおいて壮行に当たって、貧交の中で贈るには、大したものでも、一尺ごとに、誠心が籠っていて、その徳は、山岳よりも重い。

それは、むかし、昔の晏子の云つたとおり、人の行を贈るには、言葉を以てするのが第一であるから、私はここに、晏子に倣うべきで、君に餞するに「言を以てしよう」と思う。

もし木陰に身を寄せようと欲せば、李樹を植うべく、もし憂いを忘れむと欲せば、萱草を植えたが善い。つまり、人の徳あるものにまじわれば、以て庇蔭すべく、人の才華あるものに変れば、以て欣賞することが出来るので、何につけても、交わりを選ぶのが第一である。

私は、いつまでも貧賎に甘んじて居るものでないので、かの范睢が秦に入って張禄と称し、やがて相位に登ったと同じく、いつかは、相当に立身しないものでもないから、その時は、かの綈袍に比すべき君の旧恩を憶って必ずこれに報いるであろう。

汜水関などの地図
(訳注) -#3

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)

魯郡は、兗州弘農郡の虢州で、河南道に属し、もと上州である。元来、上州の刺史別駕の下には、長史一人あって、從五品である。長史といえば、今の縣参事官くらすということであろう。劉は、名字ともに不詳。この詩は、劉某が魯郡の長史から、弘農の長史に栄転したことに因って、その行を送るが爲に作ったのである。魯國において、この地方特有の考え方で正当な評価を受けていなかったが、弘農の長史に栄転であるから、評価も変わるであろう。

起首の八句は、劉某が魯郡に於で志を得ざることを写し、次の八句は、弘農に遷れば、大に得意なるべきを叙し、魯鎬の四句は、別に臨んで物を贈られたるを謝し、以下六句は、ここに言を贈るということに及び、以て牧結としたのである。

 

魯縞如白煙,五縑不成束。

そのうえは、貴殿が窮迫を憐れみ、置き土産として、魯國に産する白絹を贈られたが、その絹は、いかにも精緻をきわめて、さながら白煙の如く、五匹では数こそ揃わぬが、

魯縞 魯国に産する白絹。

五縑 良品質の固織の絹織物であっても、一束に満たない五匹であるから数がそろわないという意。

・縑 「かたお(固織)り」目を緻密(ちみつ)に固く織った平織りの絹布。かとりぎぬ。〉細緻的絲絹。淮南子.齊俗:「縑之性黃,染之以丹則赤。」

 

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

ここにおいて壮行に当たって、貧交の中で贈るには、大したものでも、一尺ごとに、誠心が籠っていて、その徳は、山岳よりも重い。

貧交 貧賤時交往的朋友。 《史記貨殖列傳》「 陶朱公十九年之中三致千金, 再分散與貧交、疏昆弟。」

 

相國齊晏子,贈行不及言。

それは、むかし、昔の晏子の云つたとおり、人の行を贈るには、言葉を以てするのが第一であるから、私はここに、晏子に倣うべきで、君に餞するに「言を以てしよう」と思う。

晏子 氏は晏、諱は嬰、字は仲、諡は平。莱の夷維の人。父は晏弱(晏桓子)。子は晏圉(あんぎょ)。妻の名及び生まれは史書に記載なし。霊公、荘公光、景公の3代に仕え、上を憚ることなく諫言を行った。名宰相として評価が高く、晏平仲、もしくは晏子と尊称される。『晏子春秋』(あんししゅんじゅう)は、中国春秋時代の斉において、霊公 、荘公、景公の3代に仕え宰相となった、晏嬰に関する言行録をまとめたものである。内篇6巻及び外篇2巻の計8巻からなり、全215章に分かれる[1]。中国山東省における銀雀山漢簡の発見により、『晏子春秋』の成書年代は、戦国時代から秦朝末期の間と見られている。

《晏子春秋》「曾子、将に行かんとす,晏子、之を送って曰く:“君子は人にるに以ってするも,言を以ってするに若かず。」(晏子春秋)

 

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

もし木陰に身を寄せようと欲せば、李樹を植うべく、もし憂いを忘れむと欲せば、萱草を植えたが善い。つまり、人の徳あるものにまじわれば、以て庇蔭すべく、人の才華あるものに変れば、以て欣賞することが出来るので、何につけても、交わりを選ぶのが第一である。

樹李 桃李を樹うるもの、夏は休息するを得、秋にその実を得る。

樹萱 《詩経「国風・衛風・伯兮」》「焉得諼草 言樹之背」(焉んぞ諼草を得て 言【ここ】に之を背に樹ゑん。)毛 傳「諼草, 令人忘憂。」(諼草は人をして、憂いをあわれしむ。)とある

 

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

私は、いつまでも貧賎に甘んじて居るものでないので、かの范睢が秦に入って張禄と称し、やがて相位に登ったと同じく、いつかは、相当に立身しないものでもないから、その時は、かの綈袍に比すべき君の旧恩を憶って必ずこれに報いるであろう。

張祿 史記 《史記》卷七十九〈范睢蔡澤列傳·范睢〉

(范睢蔡澤列傳·范睢)

范睢既相秦,秦號曰張祿,而魏不知,以為范睢已死久矣。

范睢がすでに秦を補佐し、秦は号して張禄といった。しこうして、魏は知らず、范睢はすでに死んで久しいと思った。

魏聞秦且東伐韓、魏,魏使須賈於秦。

魏は秦がまさに東に、韓、魏を討たんとしていると聞き、魏は須賈をして秦に行かせた。

范睢聞之,為微行,敝衣閒步之邸,見須賈。

范睢はこれを聞き、そまつな身なりをして行こうと思い、やぶれた衣服で人目をしのんで歩き邸に行き、須賈を見た。

須賈見之而驚曰:「范叔固無恙乎!」

須賈はこれを見て驚いて曰く、「范叔(范睢)はまことに無事だったのか」と。

范睢曰:「然。」須賈笑曰:「范叔有於秦邪?」曰:「不也。睢前日得過於魏相,故亡逃至此,安敢乎!」

范睢曰く、「然り」と。須賈は笑って曰く、「范叔(范睢)は秦で遊説しているのか?」と。(范睢)曰く、「していません。わたしは、以前の日、魏相魏斉に於いて過(あやま)ちを得て、故に逃亡してここに至ったので、どうして敢(あ)えて遊説しましょうか」と。

須賈見之而驚曰:「范叔固無恙乎!」

須賈はこれを見て驚いて曰く、「范叔(范睢)はまことに無事だったのか」と。

范睢曰:「然。」須賈笑曰:「范叔有於秦邪?」曰:「不也。睢前日得過於魏相,故亡逃至此,安敢乎!」

范睢曰く、「然り」と。須賈は笑って曰く、「范叔(范睢)は秦で遊説しているのか?」と。(范睢)曰く、「していません。わたしは、以前の日、魏相魏斉に於いて過(あやま)ちを得て、故に逃亡してここに至ったので、どうして敢(あ)えて遊説しましょうか」と。

 

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李白  送魯郡劉長史遷弘農長史-#2  

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

軒后上天時,攀龍遺小臣。及此留惠愛,庶幾風化淳。
承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送魯郡劉長史遷弘農長史

作地點:              目前尚無資料

及地點:兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

虢州 (河東道 虢州 虢州) 別名:弘農郡        

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)      

交遊人物/地點:劉長史      當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

仲尼且不敬,況乃尋常人。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

閉門木葉下,始覺秋非春。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

-#2

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。

軒后上天時,攀龍遺小臣。

しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。

及此留惠愛,庶幾風化淳。

依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。

-#3

魯縞如白煙,五縑不成束。

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

相國齊晏子,贈行不及言。

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

 

(魯郡の劉長史、弘農長史に遷るを送る)-#1

魯國 一杯の水,橫海の鱗を容れ難し。

仲尼 且つ敬せられず,況や乃ち 尋常の人をや。

白玉 斗粟に換え,黃金 尺薪を買う。

門を閉じ 木葉下る,始めて覺ゆ 秋 春に非ざるを。
-#2

聞く 君が西に向って遷るを,地は即ち鼎湖の鄰。

寶鏡は蒼蘚を匣にし,丹經は素塵を埋む。

軒后 上天の時,攀龍、小臣を遺す。

此に及んで惠愛を留め,庶幾す風化の淳なるを。

-#3

魯縞は白煙の如く,五縑 束を成さず。

行に臨んで貧交に贈る,一尺 山嶽よりも重し。

相國 齊の晏子,行を贈って言に及ばず。

陰を託する當に李を樹うべく,憂を忘るる當に萱を樹うべし。

他日 張祿を見,綈袍【ていほう】舊恩を懷わん。

 

汜水関などの地図 

『送魯郡劉長史遷弘農長史』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-
#2

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

軒后上天時,攀龍遺小臣。

及此留惠愛,庶幾風化淳。

(下し文)
-
#2

聞く 君が西に向って遷るを,地は即ち鼎湖の鄰。

寶鏡は蒼蘚を匣にし,丹經は素塵を埋む。

軒后 上天の時,攀龍、小臣を遺す。

此に及んで惠愛を留め,庶幾す風化の淳なるを。


(現代語訳)
-#2

承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。

しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。

しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。

依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。


(訳注) -#2

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)

魯郡は、兗州弘農郡の虢州で、河南道に属し、もと上州である。元来、上州の刺史別駕の下には、長史一人あって、從五品である。長史といえば、今の縣参事官くらすということであろう。劉は、名字ともに不詳。この詩は、劉某が魯郡の長史から、弘農の長史に栄転したことに因って、その行を送るが爲に作ったのである。魯國において、この地方特有の考え方で正当な評価を受けていなかったが、弘農の長史に栄転であるから、評価も変わるであろう。

起首の八句は、劉某が魯郡に於で志を得ざることを写し、次の八句は、弘農に遷れば、大に得意なるべきを叙し、魯鎬の四句は、別に臨んで物を贈られたるを謝し、以下六句は、ここに言を贈るということに及び、以て牧結としたのである。

 

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

承れば、貴殿は、今回、西に向かって、栄転されるということで、その地は、龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた古への鼎湖が隣合わせである。

鼎湖鄰 鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)    黄帝は、首山の胴を採掘して荊山の麓で鼎を鋳造した。鼎が完成すると、龍が出現した。あごひげをたらして下って、黄帝を天上に迎えに来た。黄帝は、こうして龍にまたがり昇ることになった。群臣や後宮の女官で従うことを許された者は、わずか七十人あまりだった。小臣はみな昇ることを許されなかった。彼らは天に昇りたくて龍のひげをにぎってはなさなかった。そのため龍のひげが抜け、黄帝の弓が落ちた。小臣たちはその弓を抱いて泣いた。後世、その場所を鼎湖【ていこ】と名づけ、その弓を烏号【うごう】といった。李白《巻1809答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄》「鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。」

149-2 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-2> Ⅰ李白詩1343 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5263

 

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

しかし、おもへば、黄帝の鋳造した寶鏡は、青苔に包まれ、天から授けられた丹經は、塵埃に埋没して仕舞ったという。

寶鏡匣蒼蘚 《太平廣記》卷四百六十三〈禽鳥四秦吉了〉「昔者吾聞黃帝鑄十五鏡。其第一橫徑一尺五寸,法滿月之數也。」とある。

丹經埋素塵 抱朴子 「黃帝陟王屋而受丹經,即此事也。」

 

軒后上天時,攀龍遺小臣。

しかし、黄帝が天に登る時、小臣輩は、龍の髯を攀じ、やがて、髯が抜けて、地に落されたという。

軒后上天 黄帝の別称、公孫軒轅。姓は公孫、名は軒轅。姓は姫姓とも姒氏とも言われ、また帝鴻氏とも呼ばれる。黄帝の友人・無為子および臣下のもので従って昇天したもの七十二人、従えなかった他の小臣は、落ちた竜の髯と帝の弓を抱いて号泣したという(劉向『列仙伝』など)。 いずれにせよ、黄帝の身体は竜とともに天に昇ってしまい、今でも人民政府が祭っている黄帝の陵墓は、黄帝の衣や冠だけが収められた、いわゆる「衣冠塚」だということである。

 

及此留惠愛,庶幾風化淳。

依然として、恵愛をとどめ、そして、千歳の後においても、どうやら、風俗は純良である。

 

洛陽 函谷関 嵩山005 

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李白  送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。仲尼且不敬,況乃尋常人。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七六              文體:    五言古詩

詩題:    送魯郡劉長史遷弘農長史

作地點:              目前尚無資料

及地點:兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

虢州 (河東道 虢州 虢州) 別名:弘農郡        

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)      

交遊人物/地點:劉長史      當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

仲尼且不敬,況乃尋常人。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

閉門木葉下,始覺秋非春。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

-#2

聞君向西遷,地即鼎湖鄰。

寶鏡匣蒼蘚,丹經埋素塵。

軒后上天時,攀龍遺小臣。

及此留惠愛,庶幾風化淳。

-#3

魯縞如白煙,五縑不成束。

臨行贈貧交,一尺重山嶽。

相國齊晏子,贈行不及言。

託陰當樹李,忘憂當樹萱。

他日見張祿,綈袍懷舊恩。

 

(魯郡の劉長史、弘農長史に遷るを送る)-#1

魯國 一杯の水,橫海の鱗を容れ難し。

仲尼 且つ敬せられず,況や乃ち 尋常の人をや。

白玉 斗粟に換え,黃金 尺薪を買う。

門を閉じ 木葉下る,始めて覺ゆ 秋 春に非ざるを。
-#2

聞く 君が西に向って遷るを,地は即ち鼎湖の鄰。

寶鏡は蒼蘚を匣にし,丹經は素塵を埋む。

軒后 上天の時,攀龍、小臣を遺す。

此に及んで惠愛を留め,庶幾す風化の淳なるを。

-#3

魯縞は白煙の如く,五縑 束を成さず。

行に臨んで貧交に贈る,一尺 山嶽よりも重し。

相國 齊の晏子,行を贈って言に及ばず。

陰を託する當に李を樹うべく,憂を忘るる當に萱を樹うべし。

他日 張祿を見,綈袍【ていほう】舊恩を懷わん。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00洛陽 函谷関 嵩山005 

 

『送魯郡劉長史遷弘農長史』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

魯國一杯水,難容橫海鱗。

仲尼且不敬,況乃尋常人。

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

閉門木葉下,始覺秋非春。

(下し文)
(魯郡の劉長史、弘農長史に遷るを送る)-#1

魯國 一杯の水,橫海の鱗を容れ難し。

仲尼 且つ敬せられず,況や乃ち 尋常の人をや。

白玉 斗粟に換え,黃金 尺薪を買う。

門を閉じ 木葉下る,始めて覺ゆ 秋 春に非ざるを。

(現代語訳)
(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)-#1

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。


(訳注)

送魯郡劉長史遷弘農長史-#1

(魯郡の長史から弘農の長史に栄転する劉殿に、壮行の詩を贈る)

魯郡は、兗州弘農郡の虢州で、河南道に属し、もと上州である。元来、上州の刺史別駕の下には、長史一人あって、從五品である。長史といえば、今の縣参事官くらすということであろう。劉は、名字ともに不詳。この詩は、劉某が魯郡の長史から、弘農の長史に栄転したことに因って、その行を送るが爲に作ったのである。魯國において、この地方特有の考え方で正当な評価を受けていなかったが、弘農の長史に栄転であるから、評価も変わるであろう。

 

魯國一杯水,難容橫海鱗。

むかしから、魯国においては、ただの一杯の水湛えるのと同じように、海を横絶するような大魚を入れることはできないとされた。

橫海鱗 大魚。「海いっぱいになるほど大きな魚。転じて大人物のこと。 《宋書謝晦傳》:偉哉橫海鱗, 壯矣垂天翼, 一旦失風水, 翻為螻蟻食。”

 

仲尼且不敬,況乃尋常人。

折角、孔子のような大聖人が出てきても、これを用いる事は無かった、高士でさえ魯国の人に尊敬されなかったのであるから、まして、常人が大切にされたり、扱いの良いことなどないので遣り切れない。

○仲尼 氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である(子は先生という意味)。孔子は自らの思想を国政の場で実践することを望んだが、ほとんどその機会に恵まれなかった。孔子は優れた能力と魅力を持ちながら、世の乱れの原因を社会や国際関係における構造やシステムの変化ではなく個々の権力者の資質に求めたために、現実的な政治感覚や社会性の欠如を招いたとする見方がある。孔子の唱える、体制への批判を主とする意見は、支配者が交代する度に聞き入れられなくなり、晩年はその都度失望して支配者の元を去ることを繰り返した。それどころか、孔子の思想通り、最愛の弟子の顔回は赤貧を貫いて死に、理解者である弟子の子路は謀反の際に主君を守って惨殺され、すっかり失望した孔子は不遇の末路を迎えた。

 

白玉換斗粟,黃金買尺薪。

そんなことであったから、貴殿もこの地に在ったこれまで、多くの人から粗末な扱いを受け、白玉を以て、一斗の粟に換え、黄金を持って一束の薪を買うという、安い価値の物を高く買わされ、ほとほと困っていたことである。

 

閉門木葉下,始覺秋非春。

かくて、門をとずれば、木の葉はらはらと落ちて、「わが身ひとつの秋ぞ悲しき」ということがわかって、この地において春は来ることはないと悟った事であろう。

閉門木葉下,始覺秋非春 『白氏文集』(白楽天)「燕子楼中霜月夜秋来只為一人長。 [燕子楼(えんしろう)中(ちゅう)の霜月(そうげつ)の夜秋来たって只一人のために長し。」

大江千里(23番) 『古今集』「月見ればちぢに物こそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど」

 

《白氏文集卷十五・燕子樓》「滿窗明月滿簾霜、被冷燈殘払臥床、燕子樓中霜月夜、秋來只爲一人長。」(満窓の明月、満簾の霜 被は冷やかに、燈は残【うす】れて臥床を払ふ 燕子楼の中の霜月の夜よ 秋来たって只一人の為に長し)
李白の足跡0000 

297-#4 《卷十五18送薛九被讒去魯》#4 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#4> Ⅰ李白詩1596 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6528

李白  送薛九被讒去魯#4

賢哉四公子,撫掌黃泉裡。借問笑何人,笑人不好士。

爾去且勿諠,桃李竟何言。沙丘無漂母,誰肯飯王孫。
ここにあげた、平原公君、孟嘗君、信陵君、春申君の四人は、戦国時代にあって、共に、賓客を好み、四公子と名をはせた賢者たちで、その死後、黄泉の国において、互いに尊重したがいに慰め合っているであろう。そこで、何人を笑うのかと問うてみると、世の中の権勢のある人が兎角好まず、したがって大事業を起こせないようなものこそつまらぬもので笑うべき人というのである。君は今、高士を好まざる世の中において、ついにもちいられず、讒言を被って追い出されてしまったからと言って格別恥にはならない。素直にここを発ち去って、くどくどしく騒ぎ立てない方が宜しいし、物言わずして、自然にその下に小路を為すという桃李のように、奥ゆかしく有ってほしいのである。顧みれば、この砂丘を中心とする、魯國を訪ね回ってみても、韓信の漂母のようなものはいないのであるから、王孫の窮を憐れんで、これに飯を与えるというようなこともないから、この地は、決して、九恋の地ではない。從ってさっさとここを立ち去って他の地に往く方が良いのである。

297-#4 《卷十五18送薛九被讒去魯》#4 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#4> Ⅰ李白詩1596 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6528

 


年:41年開元二十九年41

卷別:    卷一七五              文體:    五言古詩

詩題:    送薛九被讒去魯

作地點:              目前尚無資料

及地點:瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

交遊人物/地點:薛九          當地交遊

 

 

送薛九被讒去魯 #1

(薛九というものが、讒言によって、貶められ、魯国を立ち去るについて、賦して贈ったもの)

宋人不辨玉,魯賤東家丘。

昔、宋の人はその性格ははなはだ愚にして、玉の何たるかを知らず、燕石を珍として、大事にしていたというし、魯の国の人は、孔子の聖人たるを知らず、これを呼び捨てにし、東家の邱と言っていたくらいである。

我笑薛夫子,胡為兩地遊。

世の中には、眼にしても見えない奴が多いものだ、せっかく才があっても、容易に認められるものではない。今、薛君は、何が故に、この地より他国に出かけるのか、ちょっと聞いただけでは笑べきことではあるが、よくよく考えれば、まことに無理もないことである。

黃金消眾口,白璧竟難投。

黄金は衆口によって消鑠され、美事な玉も、暗中に投ずれば、剣を按じてみるというくらいで、うっかり、投げ出すわけにはいかず、才があったところで、やたらに見せつけると、必ず禍を受けるものである。

梧桐生蒺藜,綠竹乏佳實。

梧桐の樹は、蒺蔾が寄生し、竹も実を結ばないから、折角、鳳凰が出てきたところで、棲むべきところもなく、食らうものもなく、やむを得ず、羣鶏と一緒になっているよりほかないので、才あるものも、その処を得ざれば、羣小のものと肩を並べることになる。

#2

鳳凰宿誰家,遂與群雞匹。

鳳凰ができ来たと言ってだれの家に宿泊させるのか、食うべきものがなくやむを得ず、羣雞と一緒になっているよりほかない。才あるものも其のところを得なければ、羣小の者といっしょくたにされてしまう。

田家養老馬,窮士歸其門。

田子の方は、払下げの老馬を買いとって、大事に飼育したために、窮士はその門に来たりあつまったのである。

蛾眉笑躄者,賓客去平原。

つぎに、平原君の美人は、躄者の水をくむのがおかしいと言って笑ったが、平原君は、これを問題にしなかった。というのも、平原君は、躄者との約束にそむいて、この美人の首を斬ることをしなかったために、集まっていた賓客は、辞してその門を去っていったのである、

卻斬美人首,三千還駿奔。

結果、それに気が付いた平原君は、美人を切って、躄者に詫び、暑く礼をしたために、三千人の賓客はまたぞろ大急ぎでその門に駆け込んできた。

#3

#3(戦国の毛遂、馮諼、侯嬴、李園の四人の讒言)

毛公一挺劍,楚趙兩相存。

そうした中で、平原君の上客である“毛遂”は秦に趙の首都・邯鄲を包囲された時剣を按じて楚王の前に出て自薦して楚趙の合従を説き、遂に軍事同盟を成立させたことにより、両国はなお、存立することができた。

孟嘗習狡兔,三窟賴馮諼。

それから、“馮諼”は、孟嘗君にずるいウサギは巣を3つ持っているということで、逃げ道をいくつもつくり用意周到であることが重要であると説き、尽力して数十年間、災いもなく国が存立した。

信陵奪兵符,為用侯生言。