漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳

743年(41)李白359 巻四27-《宮中行樂詞,八首之六》(今日明光裡,) 359Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(41) <李白359> Ⅰ李白詩1699 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7043

李白  宮中行樂詞,八首之六

今日明光裡,還須結伴遊。春風開紫殿,天樂下朱樓。

豔舞全知巧,嬌歌半欲羞。更憐花月夜,宮女笑藏鉤。

(玄宗に寵愛されている、妃嬪、宮女、妓優たちの日常生活について)

明光宮に集められた妃嬪は日常これといった仕事がないので、日の明るいうちに、また、いろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまぎらわすかということに尽きるのである。春風が暖かに吹き渡るころ、紫殿に「内人」とか、「前頭人」とかいわれる宮女たちのかぐわしさが充満している、天上の音楽が珠楼のうえからおりてくる。なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくした誇り顔で踊るし、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにはにかんでいる。それから、月の百花を照らす秋には、北斎の憐花のような琴や踊りの上手い宮女や月のような妃嬪たちの夜が楽しい、妃嬪たちが蔵鉤の遊戯をして笑いころげているのである。
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  2015年12月10日 の紀頌之5つのBlog  
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年:743年天寶二年43歳 94-41

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    宮中行樂詞,八首之六

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:  

 

 

宮中行樂詞,八首之六

(玄宗に寵愛されている、妃嬪、宮女、妓優たちの日常生活について)

今日明光裡,還須結伴遊。

明光宮に集められた妃嬪は日常これといった仕事がないので、日の明るいうちに、また、いろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまぎらわすかということに尽きるのである。
春風開紫殿,天樂下朱樓。

春風が暖かに吹き渡るころ、紫殿に「内人」とか、「前頭人」とかいわれる宮女たちのかぐわしさが充満している、天上の音楽が珠楼のうえからおりてくる。
豔舞全知巧,嬌歌半欲羞。

なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくした誇り顔で踊るし、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにはにかんでいる。

更憐花月夜,宮女笑藏鉤。

それから、月の百花を照らす秋には、北斎の憐花のような琴や踊りの上手い宮女や月のような妃嬪たちの夜が楽しい、妃嬪たちが蔵鉤の遊戯をして笑いころげているのである。
(宮中行楽詞 其の六)
今日 明光の裏、還た須らく伴を結んで遊ぶべし。
春風 紫殿を開き、天樂 珠樓に下る。
豔舞 全く巧を知る。 嬌歌 半ば羞じんと欲す。
更に憐れむ 花月の夜、 宮女 笑って鉤を藏するを。

 

『宮中行樂詞,八首之六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

宮中行樂詞,八首之六

今日明光裡,還須結伴遊。

春風開紫殿,天樂下朱樓。

豔舞全知巧,嬌歌半欲羞。

更憐花月夜,宮女笑藏鉤。

(下し文)
(宮中行楽詞 其の六)

今日 明光の裏、還た須らく伴を結んで遊ぶべし。

春風 紫殿を開き、天樂 珠樓に下る。

豔舞 全く巧を知る。 嬌歌 半ば羞じんと欲す。

更に憐れむ 花月の夜、 宮女 笑って鉤を藏するを。


(現代語訳)
(玄宗に寵愛されている、妃嬪、宮女、妓優たちの日常生活について)

明光宮に集められた妃嬪は日常これといった仕事がないので、日の明るいうちに、また、いろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまぎらわすかということに尽きるのである。
春風が暖かに吹き渡るころ、紫殿に「内人」とか、「前頭人」とかいわれる宮女たちのかぐわしさが充満している、天上の音楽が珠楼のうえからおりてくる。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくした誇り顔で踊るし、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにはにかんでいる。

それから、月の百花を照らす秋には、北斎の憐花のような琴や踊りの上手い宮女や月のような妃嬪たちの夜が楽しい、妃嬪たちが蔵鉤の遊戯をして笑いころげているのである。

(訳注)

宮中行樂詞,八首之六

(玄宗に寵愛されている、妃嬪、宮女、妓優たちの日常生活について)

宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

長く宮中に住む宮妓の他に、玄宗の時代から長安と洛陽の宮殿にほど近い街区に、左右二つの芸妓養成のための外教坊が設けられた。ここでも多数の芸妓が養成されたが、この芸妓は宮廷の専用に充てられ、宦官によって管理された。彼女たちが宮妓と異なるのは、宮中には住まず、必要な時に呼び出され宮中の御用に供された点にある。記録によれば、右教坊の芸妓の多くは歌がうまく、左教坊のものは舞いが上手だった。彼女たちは宮妓と同じょうに民間から選抜された技芸練達の人々であった。玄宗は彼女たちをたいへん愛したが、しかし「侠遊(民間の遊里)の盛んなるを奪うを欲せず、未だ嘗て置きて宮禁(宮中)に在らしめず」)と詩人に詠まれた名歌妓の念奴、「凌波曲」(玄宗が夢の中で龍宮の女に頼まれて作ったといわれる詩曲)をよく舞った新豊の女芸人謝阿蛮(『明皇雑録』補遺)、『教坊記』に記載されている歌舞妓の顔大娘、鹿三娘、張四娘、裳大娘、それに竿木妓の王大娘、および、杜甫の「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」という詩に出てくる、剣舞の名手公孫大娘などは、みな長安の外教坊に所属する芸妓であったらしい。

 

今日明光裡,還須結伴遊。

明光宮に集められた妃嬪は日常これといった仕事がないので、日の明るいうちに、また、いろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまぎらわすかということに尽きるのである。
51. 明光 漢代の宮殿の名。「三輔黄図」という宮苑のことを書いた本に「武帝、仙を求め、明光宮を起し、燕趙の美女二千人を発して之に充たす」とある。

52. 還須結伴遊 『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。①形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。②彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまぎらわすかということに尽きる。③「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、④「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。

 

春風開紫殿,天樂下朱樓。

春風が暖かに吹き渡るころ、紫殿に「内人」とか、「前頭人」とかいわれる宮女たちのかぐわしさが充満している、天上の音楽が珠楼のうえからおりてくる。
53. 紫殿 唐の大明宮にもある。「三輔黄図」にはまた「漢の武帝、紫殿を起す」とある。漢の武帝が神仙の道を信じ、道士たちにすすめられて、大規模な建造物をたくさん建てたことは、吉川幸次郎「漢の武帝」(岩波新書)にくわしい。玄宗も同じように道教のために寄進している。

54. 天樂 玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。○霓裳羽衣 【げいしょううい】開元、天宝時代に盛んに行われた大人数の舞い踊りの楽曲。

 

豔舞全知巧,嬌歌半欲羞。

なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくした誇り顔で踊るし、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにはにかんでいる。

55. 豔舞全知巧 張雲容がその代表であろう。全唐詩の楊貴妃の詩「阿那曲」で詠われる。楊貴妃の侍女。非常に寵愛を受け、華清宮で楊貴妃に命じられ、一人で霓裳羽衣の曲を舞い、金の腕輪を贈られたと伝えられる。また、『伝奇』にも説話が残っている。内容は以下の通りである。張雲容は生前に、高名な道士であった申天師に仙人になる薬を乞い、もらい受け、楊貴妃に頼んで、空気孔を開けた棺桶にいれてもらった。その百年後に生き返り、薛昭という男を夫にすることにより、地仙になったという。

56. 嬌歌半欲羞 許和子(永新)のこと。『楽府雑録』『開元天宝遺事』に見える。吉州永新県の楽家の生まれの女性で本名を許和子と言った。開元の末年ごろに後宮に入り、教坊の宜春院に属した。その本籍によって、永新と呼ばれた。美貌と聡い性質を持ち、歌に長じ、作曲を行い、韓娥・李延年の千年来の再来と称せられた。玄宗から寵愛を受け、演奏中もその歌声は枯れることがなく、玄宗から「その歌声は千金の価値がある」と評せられる。玄宗が勤政楼から顔を出した時、群衆が騒ぎだしたので、高力士の推薦で永新に歌わせたところ、皆、静まりかえったという説話が伝わっている

 

更憐花月夜,宮女笑藏鉤。

それから、月の百花を照らす秋には、北斎の憐花のような琴や踊りの上手い宮女や月のような妃嬪たちの夜が楽しい、妃嬪たちが蔵鉤の遊戯をして笑いころげているのである。
57. 憐花 北斉の後主高給が寵愛した馮淑妃の名。燐は同音の蓮とも書かれる。もとは穆皇后の侍女であったが、聡明で琵琶、歌舞に巧みなのが気に入られて穆皇后への寵愛がおとろえ、後宮に入った。開元年間の後期の、念奴のことであろう。『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。

58. 蔵鉤 遊戯の一種。魏の邯鄲淳の「芸経」によると、じいさん、ばあさん、こどもたちがこの遊戯をしていたという三組にわかれ、一つの鈎を手の中ににぎってかくしているのを、他の組のものが当て、たがいに当てあって勝敗をきそう。漢の武帝の鈎弋夫人は、幼少のころ、手をにぎったまま開かなかった。武帝がその拳にさわると、ふしぎと閲いたが、手の中に玉の釣をにぎっていた。蔵鈎の遊戯は鈎弋夫人の話から起ったといわれている。
これをもとに宮妓たちの間では送鉤という遊びをしていた。二組の遊びで、艶めかしい遊びに変化したようだ。

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李白  君子有所思行#2

渭水銀河清,橫天流不息。朝野盛文物,衣冠何翕赩。

馬散連山,軍容威域。伊皋運元化,衛霍輸筋力。

長安の配置は宇宙観に基づき、北を西から東へ貫く渭水は、銀河が澄み渡って天上に横わるが如く、日夜流れて止まない。今しも朝廷は、朝野を通じて、服章は、すっかり整い、衣冠は、まことに美美しい。それから、一方では武強・強兵に力を注ぎ、皇帝牧場、「閑厩」の名馬は、到るところの連山に牧養せられ、又北衙が騎馬軍団であったことから、その軍事力を支えた皇帝牧場を強化し、玄宗の政権掌握を実現させ、親衛兵系統の「龍武軍」の発展は、北衙禁軍の行き着き、遠く絶域を成服したのである。玄宗皇帝の宰臣は、さながら商代名相伊尹であり、堯帝の法官である皐陶の如くであり、造化と同じように至治を布いている、武将は、これもまた、漢武帝の衛青と霍去病に此すべく、筋力を致して、国力、領土を有史以来、最大のものにしたのである。

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年:743年天寶二年43歳 94-25

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    君子有所思行

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              紫閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)    

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸    

牛山 (河南道 青州 牛山)   

 

 

君子有所思行

(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

紫閣連終南,青冥天倪色。

紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。

憑崖望咸陽,宮闕羅北極。

長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。

萬井驚畫出,九衢如絃直。

その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

#2

渭水銀河清,橫天流不息。

長安の配置は宇宙観に基づき、北を西から東へ貫く渭水は、銀河が澄み渡って天上に横わるが如く、日夜流れて止まない。

朝野盛文物,衣冠何翕赩。

今しも朝廷は、朝野を通じて、服章は、すっかり整い、衣冠は、まことに美美しい。

馬散連山,軍容威域。

それから、一方では武強・強兵に力を注ぎ、皇帝牧場、「閑厩」の名馬は、到るところの連山に牧養せられ、又北衙が騎馬軍団であったことから、その軍事力を支えた皇帝牧場を強化し、玄宗の政権掌握を実現させ、親衛兵系統の「龍武軍」の発展は、北衙禁軍の行き着き、遠く絶域を成服したのである。

伊皋運元化,衛霍輸筋力。

玄宗皇帝の宰臣は、さながら商代名相伊尹であり、堯帝の法官である皐陶の如くであり、造化と同じように至治を布いている、武将は、これもまた、漢武帝の衛青と霍去病に此すべく、筋力を致して、国力、領土を有史以来、最大のものにしたのである。

#3

歌鐘樂未休,榮去老還逼。

圓光過滿缺,太陽移中昃。

不散東海金,何爭西飛匿。

無作牛山悲,惻愴淚沾臆。

 

(君子有所思行)#1

紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。

崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。

萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。
#2

渭水 銀河清く,天に橫って流れ息まず。

朝野 文物 盛なり,衣冠 何ず翕赩。

馬 連山に散じ,軍容 域をす。

伊皋は 元化を運し,衛 霍 筋力を輸す。

#3

歌鐘 樂 未だ休まず,榮 去って 老 還た逼る。

圓光 滿を過ぐれば缺け,太陽 中を移れば昃す。

東海の金を散ぜざれば,何ぞ西飛の匿るるを爭わん。

牛山の悲しみを作,惻愴 淚 臆を沾すこと無れ。

 

 

 

『君子有所思行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

渭水銀河清,橫天流不息。

朝野盛文物,衣冠何翕

馬散連山,軍容威域。

伊皋運元化,衛霍輸筋力。
詩文(含異文):#2

渭水銀河清【渭水清銀河】,橫天流不息。朝野盛文物,衣冠何翕赩。

馬散連山,軍容威域。伊皋運元化,衛霍輸筋力。


(下し文)
#2

渭水 銀河清く,天に橫って流れ息まず。

朝野 文物 盛なり,衣冠 何ず翕

馬 連山に散じ,軍容 域を威す。

伊皋は 元化を運し,衛 霍 筋力を輸す。

(現代語訳)
#2

長安の配置は宇宙観に基づき、北を西から東へ貫く渭水は、銀河が澄み渡って天上に横わるが如く、日夜流れて止まない。

今しも朝廷は、朝野を通じて、服章は、すっかり整い、衣冠は、まことに美美しい。

それから、一方では武強・強兵に力を注ぎ、皇帝牧場、「閑厩」の名馬は、到るところの連山に牧養せられ、又北衙が騎馬軍団であったことから、その軍事力を支えた皇帝牧場を強化し、玄宗の政権掌握を実現させ、親衛兵系統の「龍武軍」の発展は、北衙禁軍の行き着き、遠く絶域を成服したのである。

玄宗皇帝の宰臣は、さながら商代名相伊尹であり、堯帝の法官である皐陶の如くであり、造化と同じように至治を布いている、武将は、これもまた、漢武帝の衛青と霍去病に此すべく、筋力を致して、国力、領土を有史以来、最大のものにしたのである。


(訳注)

#2

渭水銀河清,橫天流不息。

長安の配置は宇宙観に基づき、北を西から東へ貫く渭水は、銀河が澄み渡って天上に横わるが如く、日夜流れて止まない。

渭水 《三輔黃圖》「渭水貫都以象天漢,橫橋南度以法牽牛。」とある。 現在は渭河(ウェイホウ)といい、黄河が南流から東流するあたりで合流するその支流。渭水流域は現在の陝西省の中心部にあたり、新石器時代から開け、周(西周)はこの地に起こり、東方の殷を滅ぼして全土を支配し、この地に都として鎬京を造営した。その後、秦の 咸陽、漢と隋・唐の都長安(現在の西安)が築かれ、長く中国の権力の中心地であり、その時代には関中と言われた。

○銀河 あまのがわ。銀河・経河・河漢・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。《季 秋》詩経の大雅•棫樸、「倬彼雲漢、爲章于天。」小雅大東などに雲漢,銀河,天河がみえる。古詩十九首之十「迢迢牽牛星、皎皎河漢女。」、謝霊運(康楽) 『燕歌行』「誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。」、李商隠『燕臺詩四首 其二』 「直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」七夕伝説では、織女星と牽牛星を隔てて会えなくしている川が天の川である。二人は互いに恋しあっていたが、天帝に見咎められ、年に一度、七月七日の日のみ、天の川を渡って会うことになった。秦州抒情詩(7)  天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

 

朝野盛文物,衣冠何翕赩。

今しも朝廷は、朝野を通じて、服章は、すっかり整い、衣冠は、まことに美美しい。

赩 光色盛貌。文選·嵇康·琴賦:「珍怪琅玕,瑤瑾翕赩。」

 

馬散連山,軍容威域。

それから、一方では武強・強兵に力を注ぎ、皇帝牧場、「閑厩」の名馬は、到るところの連山に牧養せられ、又北衙が騎馬軍団であったことから、その軍事力を支えた皇帝牧場を強化し、玄宗の政権掌握を実現させ、親衛兵系統の「龍武軍」の発展は、北衙禁軍の行き着き、遠く絶域を成服したのである。

馬 玄宗の時、殊に馬を愛養し、天寶十三載には、隴右だけでも三十二萬五千七百頭に上った。

軍容威 開元中、朔方隴右を征したことをいう。馬は、騎馬民族の交易によって購入され、回鶻とは特に大量の絹や茶と引き替えに、馬を交易で手にいれた。唐政府は馬政に力をいれ、辺境の牧場で馬を養育し、そのための機関がつくられていた。北衙が騎馬軍団であったことから、その軍事力を支えた皇帝牧場を強化した。唐の皇帝牧場は「閑厩」といい、親衛兵の拡大と歩調をあわせて発展した。閑厩運営の実権は閑厩使が掌握し、閑厩馬の迅速な出動を指揮したので、政変の成否はこの閑厩使の取り込みにかかっていたという。その閑厩への軍馬供給システム、閑厩馬の基本的な供給源は地方の官営牧場「監牧」にあり、そこから良馬が選抜されて京師に上納されたことを確認し、その選抜システムを馬印の行政方法でおこなった。特に、玄宗の政権掌握を実現させた親衛兵系統の「龍武軍」の発展は、北衙禁軍の行き着いた先が龍武軍であり、この段階での北衙は親衛兵系統が完全に勢力を逆転させて優位に立っていた。龍武軍中心の北衙の安定性こそが、玄宗の長期政権を支えたとする。ただし、辺境地域には節度使という専門兵を配備したので、龍武軍は徐々に戦闘能力を低下させ、結局は安史の乱に対抗できなかったという。唐王朝の馬政の運営を、良馬の中央上納システムの低下は、軍事力低下となったのである。それは、杜甫の馬について、閑厩のシステムの低下を詠った詩はたくさんある。

初唐では、外国と接する辺境には、都護府が統括する「鎮」や「戍」という拠点が置かれた。鎮に配置された兵は500人以下、戍には50人以下であり、鎮戍は太宗時代は千ほど置かれ、総兵力は10万人程度であった。また、「兵募」と呼ばれた臨時の徴兵が行われ、高句麗・新羅・百済との戦いに駆り出されていた。羈縻政策が破綻するにつれ、鎮戍制では対応が不可能となり、異民族の攻撃によって境界線は後退した。そのため、高宗時代頃から、軍鎮という大規模な部隊が置かれるようになり、玄宗時代には、鎮戍は半分程度に減ったが、兵募は国境に常駐し、辺境軍は一時期には60万人以上存在した。これは全て徴兵から成り、「背軍」という逃亡兵が増加した。唐政府は軍鎮を統括するために、都護府制から藩鎮制に710年から切り替え、737年には、軍鎮兵は募兵に変えることとなった。唐政府の軍では、騎馬民族など少数民族の胡人が身につけた騎射技術は威力を発揮し、少数民族出身の「蕃将」たちが太宗時代から武功を立てることが多かった。団錬兵は、団結兵とも呼ばれ、徴兵によるもので、武則天の時代にはじまり、地方の治安維持にあたった。元は騎馬民族から農村を防衛する役目であったが、在地の治安維持のために置かれ、団錬使という武官や州刺史によって率いられた。また、都市には城謗という徴兵による治安維持の兵が置かれた。

 

伊皋運元化,衛霍輸筋力。

玄宗皇帝の宰臣は、さながら商代名相伊尹であり、堯帝の法官である皐陶の如くであり、造化と同じように至治を布いている、武将は、これもまた、漢武帝の衛青と霍去病に此すべく、筋力を致して、国力、領土を有史以来、最大のものにしたのである。

伊皋 ・伊尹,商代名相,中国殷(いん)王朝初期の伝説的宰相。湯王(とうおう)を助け、夏の桀(けつ)王を討って天下を平定した。  皋陶, 舜之大臣,掌刑獄之事。皋陶(皐陶). コウヨウ. 中国神話. 堯帝の法官. 堯(ぎょう)の時代に五刑を定めたとされる神で、裁判で判決を下すのに獬豸(かいち)という聖獣を用いたことで知られる。獬豸は一角の羊で、生まれながらに有罪者を見分けることができる不思議な獣である。

衛霍 漢武帝時代の衛青と霍去病。・【衛青】少年時代に奴隷であった経験から人にへりくだり、常に下級兵士の事を考えていたと言われる。 その一方で霍去病は物心付いた時には既に一族は外戚であり、叔父が匈奴討伐に大功を上げていた。その事から叔父とは対照的に傲慢であり、兵士が飢えている時に自分達は豪華なテントの下で宴会を開くような事をしていた。 しかし宮廷でも兵士の間でも霍去病のほうが人気が上であった。衛青はへりくだりが度を過ぎて媚を売るような所があったらしく、また霍去病の傲慢も頼もしい勇壮と見られていたようだ。武帝も自身の性格から積極果敢な霍去病をより好んでいた。・【霍去病】(紀元前140 - 紀元前117年)は前漢の武帝時代の武将である。父は、霍仲孺。異母弟は、大司馬大将軍になり、武帝後の政治を取り仕切った霍光。衛青の姉、衛小児の子である。同じく衛青の姉であり、霍去病の叔母にあたる衛子夫が武帝に寵愛されて戻太子を生んだことで皇后に立てられたため、親族にあたる霍去病も武帝に寵愛された 騎射にすぐれており、18歳で衛青に従って匈奴征伐に赴いている。その後も何度も匈奴征伐に功績を挙げ、紀元前121年に驃騎将軍に、更に紀元前119年には匈奴の本拠地を撃破し、衛青と並んで大司馬とされた。 大功と武帝の寵愛により権勢並ぶ物が無くなった霍去病だが、紀元前117年、わずか24歳で病死した。

李白319 《巻十九19侍從遊宿溫泉宮作》319 Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白319-#1> Ⅰ李白詩1632 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6708

李白  侍從遊宿溫泉宮作  

羽林十二將,羅列應星文。霜仗懸秋月,霓旌卷夜雲。

嚴更千肅,清樂九天聞。日出瞻佳氣,蔥蔥繞聖君。
(温泉宮は京畿道、京兆府驪山宮で、天子に供奉して、驪山宮に宿した時に作ったもの。)

天子の禁軍の将軍は羽林十二将で、天上星宿の各御門に応じて順序良く羅列して配置についている。磨き上げて霜の色をした兵仗の刃は白秋の月光に冴える、紅霓の天子の旗は、夜空の雲を巻いてひらめく。夜、刻を告げる太鼓の音、鞺鞺と響き渡り、千戸の家は粛然と静まりかえり、優雅な楽の調べが長く余韻を引いて、九天の上に聞こえているばかり。やがて、夜が明け、朝日が昇ると佳気怱々として、朝礼に叢叢と集まって聖天子を圍繞するように見える。
李白319 《巻十九19侍從遊宿溫泉宮作》319 Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白319-#1> Ⅰ李白詩1632 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6708

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白319 《巻十九19侍從遊宿溫泉宮作》319 Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白319-#1> Ⅰ李白詩1632 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6708  
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韓愈91-#10《 巻二12 縣齋有懷》 #10 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1545> Ⅱ#10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6709  
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  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
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  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
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侍従遊宿温泉宮作 李白128  都長安(翰林院供奉)  

年:742年天寶元年42 18

卷別: 卷一七九      文體: 五言律詩

詩題: 侍從遊宿溫泉宮作

作地點:      驪山(京畿道 / 京兆府 / 驪山)

及地點:      溫泉宮 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:溫泉     

 

 

侍從遊宿溫泉宮作

(温泉宮は京畿道、京兆府驪山宮で、天子に供奉して、驪山宮に宿した時に作ったもの。)

羽林十二將,羅列應星文。

天子の禁軍の将軍は羽林十二将で、天上星宿の各御門に応じて順序良く羅列して配置についている。
霜仗懸秋月,霓旌卷夜雲。

磨き上げて霜の色をした兵仗の刃は白秋の月光に冴える、紅霓の天子の旗は、夜空の雲を巻いてひらめく。

嚴更千肅,清樂九天聞。

夜、刻を告げる太鼓の音、鞺鞺と響き渡り、千戸の家は粛然と静まりかえり、優雅な楽の調べが長く余韻を引いて、九天の上に聞こえているばかり。
日出瞻佳氣,蔥蔥繞聖君。

やがて、夜が明け、朝日が昇ると佳気怱々として、朝礼に叢叢と集まって聖天子を圍繞するように見える。

(侍従して温泉宮に遊宿して作る)

羽林の十二将、羅列して星文に應ず。
霜仗 秋月を懸け、霓旌  夜雲を巻く。
厳更 千戸 蕭たり、清楽 九天に聞こゆ。
日出でて佳気を瞻る、叢叢として聖君を繞る。

 

長安付近図00函谷関長安地図座標005 

『侍從遊宿溫泉宮作』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

侍從遊宿溫泉宮作

羽林十二將,羅列應星文。

霜仗懸秋月,霓旌卷夜雲。

嚴更千肅,清樂九天聞。

日出瞻佳氣,蔥蔥繞聖君。

(下し文)
(侍従して温泉宮に遊宿して作る)

羽林の十二将、羅列して星文に應ず。

霜仗 秋月を懸け、霓旌  夜雲を巻く。

厳更 千戸 蕭たり、清楽 九天に聞こゆ。

日出でて佳気を瞻る、叢叢として聖君を繞る。

(現代語訳)
(温泉宮は京畿道、京兆府驪山宮で、天子に供奉して、驪山宮に宿した時に作ったもの。)

天子の禁軍の将軍は羽林十二将で、天上星宿の各御門に応じて順序良く羅列して配置についている。
磨き上げて霜の色をした兵仗の刃は白秋の月光に冴える、紅霓の天子の旗は、夜空の雲を巻いてひらめく。

夜、刻を告げる太鼓の音、鞺鞺と響き渡り、千戸の家は粛然と静まりかえり、優雅な楽の調べが長く余韻を引いて、九天の上に聞こえているばかり。
やがて、夜が明け、朝日が昇ると佳気怱々として、朝礼に叢叢と集まって聖天子を圍繞するように見える。

(訳注)

侍從遊宿溫泉宮作

(温泉宮は京畿道、京兆府驪山宮で、天子に供奉して、驪山宮に宿した時に作ったもの。


羽林十二将、羅列応星文。 
天子の禁軍の将軍は羽林十二将で、天上星宿の各御門に応じて順序良く羅列して配置についている。
羽林 羽林は、漢称であり、唐では、禁兵という。天子の親衛で十二衛に分かれ、星座に基づいたものである。羽林大将軍、親衛大将軍、虎牙大将軍といった唐名で呼ぶこともあり、左近衛大将・右近衛大将をそれぞれ「左大将」・「右大将」と省略した呼び方もある

十二将 大将左右1名、中将:左右14名親衛中郎将、親衛将軍、羽林将軍、少将:左右24名羽林郎将、親衛郎将、羽林中郎将 

羅列 連なり並ぶこと。 

応星文 12の星座でよんだ門のこと。宮廷の門を守備する軍隊の配置。
 
霜仗懸秋月 霓旌巻夜雲。
磨き上げて霜の色をした兵仗の刃は白秋の月光に冴える、紅霓の天子の旗は、夜空の雲を巻いてひらめく。

霜仗 守備兵の儀仗の刃が霜のように白く鋭く  

霓旌 天子の旗、虹と雲の旗。《文選司馬相如<上林賦>》「乘鏤象,六玉虯,拖蜺旌,靡雲旗,前皮軒,後道游。」鏤象【ろうしょう】に乘り,玉虯【ぎょくきゅう】を六にし,蜺旌【げいせい】拖【ひ】き,雲旗を靡【なび】かせ、皮軒を前にし,道游を後【しりえ】にす。孫叔【そんしゅく】轡を奉じ,衛公【えいこう】參乘【さんじょう】す。天子の乗る、彫刻のある象車は、六頭の玉で飾られた虯に引かれて、虹の旗や雲の旗をなびかせている。行列の先頭には、虎の皮で飾った車が進み、その後に、五台の道草、九台の潜幸が続き、天子の前駆けを務める。天子の車では、公孫賀が中央で手綱をとり、衛青が右に陪乗している。

司馬相如 《上林賦 (23)―#91  文選 賦<110-9113分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩928 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3188


厳更千戸蕭 清楽九天聞。
夜、刻を告げる太鼓の音、鞺鞺と響き渡り、千戸の家は粛然と静まりかえり、優雅な楽の調べが長く余韻を引いて、九天の上に聞こえているばかり。
厳更 五更:日没から日の出までを五に分けた時間の単位。 

千戸 千戸の家。すべての家。

 太鼓の音。

清楽 優雅な楽のしらべ。 

九天 天を九に分け、その真ん中に天子、皇帝がいる。宮廷のこと。九重も宮廷。天文学、地理、山、九であらわした。縁起のいい数字とされた。


日出瞻佳気 叢叢繞聖君。
やがて、夜が明け、朝日が昇ると佳気怱々として、朝礼に叢叢と集まって聖天子を圍繞するように見える。
日出 朝日が昇る 

 あおぎみる。日が昇ると朝礼がある。 

佳気 めでたい香気。めでたい運気. 無我,心が公平無私なこと. 温恭, おだやかで慎み深い. 抱一,ひとつの道を守る. 心如水,心が水のの如く清らかである. 金石交, 決して変わらない交わり。

叢叢 役人がたくさん集まっている様子。 

 朝礼で整列。

聖君 天子。

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李白  遊泰山,六首之六 #2

寂靜清暉,玉真連翠微。想象鸞鳳舞,飄颻龍虎衣。捫天摘匏瓜,恍惚不憶歸。舉手弄清淺,誤攀織女機。明晨坐相失,但見五雲飛。

それは、寂静の中に在って、月の清光を眺めあかしているものと見て楽しんでいて、それは玉真觀の仙女が 翠微の山の間に大勢群がり、連並んでいるのである。龍虎の模様を書いた衣裳を翻して、鸞鳳の舞をおどっているものと思われる。そこで、自分は天を撫でて、匏瓜の星を摘まもうとし、興、愈々たけなわにして、ますます歸ろうとも思わなくなってゆく。やがて、手をかかげで、清く且つ浅い銀河の流を弄すると、誤って、織女の織機に触れた。そうして、夜があけたのであるが、いずれも、消えて無くなっていて、そこには但だ五色の慶雲の飛んでゆくのを見るだけである。

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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

天門關 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

遊泰山,六首之六

(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

朝飲王母池,暝投天門關。

朝に泰山の東南麓なる王母池にて清泉の水を飲み、それから、山に登り、終日難行して、夕方には南天門に投宿した。

獨抱綠綺琴,夜行青山間。

ここまで、「綠綺」の琴をむねで抱き来たり、どこかでこの琴を弾じようというので、夜、青山の間をすすんでゆくとたどりついた。

山明月露白,夜靜松風歇。

そこに、月が山の端から上がって出ていて、露を白くかがやかせ、山山は、 はっきりと見える、やがてしずかに更け行くままに、あたりは、いよいよ静にして、松風さへも吹き罷んで仕舞った。

仙人遊碧峰,處處笙歌發。

そうした寂靜の中で、感覺がしだいに清暉となって、よく見れば、仙人どもが碧峰に遊んで居るのであろう、あちこちで笠歌の聾が聞こえてきた。

#2

寂靜清暉,玉真連翠微。

それは、寂静の中に在って、月の清光を眺めあかしているものと見て楽しんでいて、それは玉真觀の仙女が 翠微の山の間に大勢群がり、連並んでいるのである。

想象鸞鳳舞,飄颻龍虎衣。

龍虎の模様を書いた衣裳を翻して、鸞鳳の舞をおどっているものと思われる。

捫天摘匏瓜,恍惚不憶歸。

そこで、自分は天を撫でて、匏瓜の星を摘まもうとし、興、愈々たけなわにして、ますます歸ろうとも思わなくなってゆく。

舉手弄清淺,誤攀織女機。

やがて、手をかかげで、清く且つ浅い銀河の流を弄すると、誤って、織女の織機に触れた。

明晨坐相失,但見五雲飛。

そうして、夜があけたのであるが、いずれも、消えて無くなっていて、そこには但だ五色の慶雲の飛んでゆくのを見るだけである。

 

遊泰山,六首之六

朝に 王母の池に飲み,暝に 天門の關に投ず。

獨り綠綺の琴を抱き,夜 青山の間を行く。

山 明かにして 月 露白く,夜 靜かにして 松風 歇む。

仙人 碧峰に遊び,處處に 笙歌發す。
#2

寂靜 清暉をみ,玉真 翠微に連る。

想象す 鸞鳳の舞,飄颻たり 龍虎の衣。

天を捫して 匏瓜を摘み,恍惚として 歸えるを憶わず。

手を舉げて 清淺を弄し,誤ちて攀ず 織女の機。

明晨 坐ろに相い失し,但見る 五雲の飛ぶを。

 

『遊泰山,六首之六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

寂靜清暉,玉真連翠微。

想象鸞鳳舞,飄颻龍虎衣。

捫天摘匏瓜,恍惚不憶歸。

舉手弄清淺,誤攀織女機。

明晨坐相失,但見五雲飛。

(下し文)
#2

寂靜 清暉をみ,玉真 翠微に連る。

想象す 鸞鳳の舞,飄颻たり 龍虎の衣。

天を捫して 匏瓜を摘み,恍惚として 歸えるを憶わず。

手を舉げて 清淺を弄し,誤ちて攀ず 織女の機。

明晨 坐ろに相い失し,但見る 五雲の飛ぶを。

(現代語訳)
#2

それは、寂静の中に在って、月の清光を眺めあかしているものと見て楽しんでいて、それは玉真觀の仙女が 翠微の山の間に大勢群がり、連並んでいるのである。

龍虎の模様を書いた衣裳を翻して、鸞鳳の舞をおどっているものと思われる。

そこで、自分は天を撫でて、匏瓜の星を摘まもうとし、興、愈々たけなわにして、ますます歸ろうとも思わなくなってゆく。

やがて、手をかかげで、清く且つ浅い銀河の流を弄すると、誤って、織女の織機に触れた。

そうして、夜があけたのであるが、いずれも、消えて無くなっていて、そこには但だ五色の慶雲の飛んでゆくのを見るだけである。



(訳注)

#2

寂靜清暉,玉真連翠微。

寂靜中愈感覺清暉可弄,玉真仙女下降到翠微峯。

それは、寂静の中に在って、月の清光を眺めあかしているものと見て楽しんでいて、それは玉真觀の仙女が 翠微の山の間に大勢群がり、連並んでいるのである。

(7):樂。清輝:月光。

(8) 玉真 道觀名。這裏泛指泰山上的道觀。仙女

(9) 翠微 山の中腹のうっそうとしたあたり。1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。翠微:指山氣青白色。

兩句意爲:靜夜望月使人心情愉快,遠看道觀與青縹的山氣連成一片。

 

想象鸞鳳舞,飄颻龍虎衣。

彷彿看到鸞鳳與龍虎一起翩翩起舞,衣袂飄舉。

龍虎の模様を書いた衣裳を翻して、鸞鳳の舞をおどっているものと思われる。

(10)鸞鳳:傳中的仙鳥。

(11)龍虎衣:繡有龍虎紋彩的衣服。

 

捫天摘匏瓜,恍惚不憶歸。

舉手就可以攀折到天上的匏瓜,味美甘甜,樂不思蜀,真的不想回家了。

そこで、自分は天を撫でて、匏瓜の星を摘まもうとし、興、愈々たけなわにして、ますます歸ろうとも思わなくなってゆく。

(12)(mén):摸。椚托さする、撫でる。

(13)匏瓜 星の名、匏(páo)瓜:星名。兩句意爲:撫摸天體想摘下匏瓜星,面對似有似無的幻境忘記了歸去。隋書天文志:『匏瓜旁五星曰敗瓜,主種。』正義:『匏瓜五星在離珠北天子果園。』「匏瓜五星は、離珠の北に在り」史記天官書:『匏瓜有青黑星守之,魚鹽貴。』といい、史記索隱:『匏瓜一名天雞,在河鼓東。 』索陰に「荊州占に云ふ、匏瓜、一名は天鶏、河鼓の東に在り、匏瓜明かなれば歳天に熟す」とある。ˇ匏瓜:□劍魚座Dorado 包含中國星座:(金魚)夾白。 □天龍座。

(14) 恍惚 恍惚。仙郷のスン依稀に浸ってとけこむ状況を言う。

 

舉手弄清淺,誤攀織女機。

再舉手,撫弄着銀河的浪濤,清淺可愛,卻不小心摸到了織女的紡織機。

やがて、手をかかげで、清く且つ浅い銀河の流を弄すると、誤って、織女の織機に触れた。

 (15)清淺:指銀河。《古詩十九首·迢迢牽牛星》有“河漢清且淺”之句。

古詩十九首 第十首

 

迢迢牽牛星,皎皎河漢女。

迢迢【ちょうちょう】たる牽牛星、皎皎【こうこう】たる河漢の女。

纖纖擢素手,札札弄機杼。

纖纖【せんせん】として素手【そしゅ】を擢【ぬき】んで、札札【さつさつ】として機抒【きちょ】を弄【ろう】す。

終日不成章,泣涕零如雨。

終日【しゅうじつ】章を成さず、泣涕【きゅうてい】零【お】ちて雨の如し。

河漢清且淺,相去復幾許。

河漢清くして且つ浅し、相去る復た幾許【いくばく】ぞ。

盈盈一水間,脈脈不得語。

盈盈【えいえい】たる一水の間、脈脈として語るを得ず。

古詩十九首之十 (10) 漢詩<97>Ⅱ李白に影響を与えた詩529 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1404

(16)織女 織女,星名,傳織女是天帝之女,住銀河之東,從事織作,嫁給河西的牛郎爲妻。兩句意爲:舉手戲弄銀河的流水,無意中攀住了織女的布機。

 

明晨坐相失,但見五雲飛。

唉,到明天天亮,美夢就會消失,只見五色雲彩飛舞!

そうして、夜があけたのであるが、いずれも、消えて無くなっていて、そこには但だ五色の慶雲の飛んでゆくのを見るだけである。

(17)坐相失:頓時都消失。

(18)但見:只看到。

(19) 五雲:五色彩雲。

李白318-#1 《巻十九12遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》318-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白318-#1> Ⅰ李白詩1630 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6698

李白  遊泰山,六首之六  

朝飲王母池,暝投天門關。獨抱綠綺琴,夜行青山間。

山明月露白,夜靜松風歇。仙人遊碧峰,處處笙歌發。
(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

朝に泰山の東南麓なる王母池にて清泉の水を飲み、それから、山に登り、終日難行して、夕方には南天門に投宿した。ここまで、「綠綺」の琴をむねで抱き来たり、どこかでこの琴を弾じようというので、夜、青山の間をすすんでゆくとたどりついた。そこに、月が山の端から上がって出ていて、露を白くかがやかせ、山山は、 はっきりと見える、やがてしずかに更け行くままに、あたりは、いよいよ静にして、松風さへも吹き罷んで仕舞った。そうした寂靜の中で、感覺がしだいに清暉となって、よく見れば、仙人どもが碧峰に遊んで居るのであろう、あちこちで笠歌の聾が聞こえてきた。

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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

天門關 (河南道 兗州 泰山)             

 

 

遊泰山,六首之六

(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

朝飲王母池,暝投天門關。

朝に泰山の東南麓なる王母池にて清泉の水を飲み、それから、山に登り、終日難行して、夕方には南天門に投宿した。

獨抱綠綺琴,夜行青山間。

ここまで、「綠綺」の琴をむねで抱き来たり、どこかでこの琴を弾じようというので、夜、青山の間をすすんでゆくとたどりついた。

山明月露白,夜靜松風歇。

そこに、月が山の端から上がって出ていて、露を白くかがやかせ、山山は、 はっきりと見える、やがてしずかに更け行くままに、あたりは、いよいよ静にして、松風さへも吹き罷んで仕舞った。

仙人遊碧峰,處處笙歌發。

そうした寂靜の中で、感覺がしだいに清暉となって、よく見れば、仙人どもが碧峰に遊んで居るのであろう、あちこちで笠歌の聾が聞こえてきた。

#2

寂靜清暉,玉真連翠微。

想象鸞鳳舞,飄颻龍虎衣。

捫天摘匏瓜,恍惚不憶歸。

舉手弄清淺,誤攀織女機。

明晨坐相失,但見五雲飛。

 

遊泰山,六首之六

朝に 王母の池に飲み,暝に 天門の關に投ず。

獨り綠綺の琴を抱き,夜 青山の間を行く。

山 明かにして 月 露白く,夜 靜かにして 松風 歇む。

仙人 碧峰に遊び,處處に 笙歌發す。
#2

寂靜 清暉をみ,玉真 翠微に連る。

想象す 鸞鳳の舞,飄颻たり 龍虎の衣。

天を捫して 匏瓜を摘み,恍惚として 歸えるを憶わず。

手を舉げて 清淺を弄し,誤ちて攀ず 織女の機。

明晨 坐ろに相い失し,但見る 五雲の飛ぶを。

泰山案内図01 

『遊泰山,六首之六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之六

朝飲王母池,暝投天門關。

獨抱綠綺琴,夜行青山間。

山明月露白,夜靜松風歇。

仙人遊碧峰,處處笙歌發。

(下し文)
遊泰山,六首之六

朝に 王母の池に飲み,暝に 天門の關に投ず。

獨り綠綺の琴を抱き,夜 青山の間を行く。

山 明かにして 月 露白く,夜 靜かにして 松風 歇む。

仙人 碧峰に遊び,處處に 笙歌發す。

(現代語訳)
(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

朝に泰山の東南麓なる王母池にて清泉の水を飲み、それから、山に登り、終日難行して、夕方には南天門に投宿した。

ここまで、「綠綺」の琴をむねで抱き来たり、どこかでこの琴を弾じようというので、夜、青山の間をすすんでゆくとたどりついた。

そこに、月が山の端から上がって出ていて、露を白くかがやかせ、山山は、 はっきりと見える、やがてしずかに更け行くままに、あたりは、いよいよ静にして、松風さへも吹き罷んで仕舞った。

そうした寂靜の中で、感覺がしだいに清暉となって、よく見れば、仙人どもが碧峰に遊んで居るのであろう、あちこちで笠歌の聾が聞こえてきた。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00
(訳注)

遊泰山,六首之六

(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

 

朝飲王母池,暝投天門關。

清晨飲過泰山瑤池的清泉,夜晚準備在南天門投宿。

朝に泰山の東南麓なる王母池にて清泉の水を飲み、それから、山に登り、終日難行して、夕方には南天門に投宿した。

(1)王母池:又名瑤池,在泰山東南麓。山東通志に「王母池は、泰山の下の束南麓に在り、一名瑤池といい、水、きわめて甘冽、濆沸潾瀞、竭きす、盈たず、郷入、水を取って雨を祈願する、頗る騐あり」とある。

(2):傍晚。

(3)天門關 天門關は,泰山上に在る。泰山の道路を登ると盤旋曲折し,要は中天門、南天門等の處を經過するに,然る後に山頂に到達す。《山東通志》「泰山,周迴一百六十里,屈曲盤道百餘,逕南天門、東、西三天門,至頂,高四十餘里。」(泰山に上る、周迴一百六十里,屈曲盤道百餘、南天門、東、西三大門を経て、絶頂に至る、高さ四十餘里)とある。案内図参照。

 

獨抱綠綺琴,夜行青山間。

懷中抱着綠綺琴,天黑了還行走在青山之間。

ここまで、「綠綺」の琴をむねで抱き来たり、どこかでこの琴を弾じようというので、夜、青山の間をすすんでゆくとたどりついた。

(4)綠綺琴:古代名琴のひとつで,相い傳わるのは、司馬相如 綠綺の琴有り。這裏 名貴の琴として泛指される。司馬相は如鼓琴を善くし,其の「綠綺」の琴を用うる所,是れ傳中の最優秀の琴の一であるとした。司馬相如が原と本と家境貧寒,徒らに四壁有り,但し他の詩賦極めて名氣有り,梁王 盛んに其の才情を高華して讚し,他の一は「綠綺」の琴を把えて名叫し賜給いて,上面には「桐梓合精」の銘文を刻有し,是れ當時 多く得る可らざる名貴樂器とされた。

 [中國四大名琴]は地方によって異なるが、以下が統一的に言われるものである。

號鐘:齊桓公收藏的周代的名琴。號鐘的琴音之宏亮,所奏出的悲涼旋律,能使人感動流淚。

繞梁:楚莊王所有,據由華元所獻[2]。繞梁之名正指其音色特點,乃餘音不斷,纏繞回蕩。

綠綺:原為梁王所藏,後贈予司馬相如。綠綺的音色妙,更成了古琴的別稱。

焦尾:蔡邕所製,因其琴尾留有焦痕而取名[3]。後為齊明帝所有,明朝再由王逢年所藏。

 

山明月露白,夜靜松風歇。

月亮出山了,羣山一片皎潔如玉,夜靜了,連古鬆也停止了嘯吟。

そこに、月が山の端から上がって出ていて、露を白くかがやかせ、山山は、 はっきりと見える、やがてしずかに更け行くままに、あたりは、いよいよ静にして、松風さへも吹き罷んで仕舞った。

(5)松風:風撼松林發出的響聲。

*兩句意爲:月光下山色明亮,露水晶瑩;風停了,松林無聲,夜更寂靜。

 

仙人遊碧峰,處處笙歌發。

寂靜中愈感覺清暉可弄,玉真仙女下降到翠微峯。

そうした寂靜の中で、感覺がしだいに清暉となって、よく見れば、仙人どもが碧峰に遊んで居るのであろう、あちこちで笠歌の聾が聞こえてきた。

(6)笙歌:吹笙伴歌。「綵雲蕭史駐,文字魯恭留。」蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。『玉臺観二首其一』にものべる。

「人傳有笙鶴,時過此山頭。」 このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙を吹いては鳳凰が鳴くような音を出すことができた。伊水、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

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李白  遊泰山,六首之五-#2  

緬彼鶴上仙,去無雲中跡。長松入雲漢,遠望不盈尺。

山花異人間,五月雪中白。終當遇安期,於此鍊玉液。

どんなに高いところでも、彼の鶴に跨れる仙人を思えばいいのであり、そして、ここから一去して雲中に向ったのであろうが、その跡を見つけることはできない。それから、丈の高い松は、雲漢に衝き入る程で、何百丈という位であろうが、ここより去って遠望すれば、一尺にも盈たないのである。この山の登って高いところの花は、人間界に見るものとは異にしている、即ち、琪花瑤草ともいうべきであろう、それに、五月というのに消え残る雪の中に白く吹き出で咲いている。いつまでも、此に居たならば、はては、かの「安期生」に遇い、その教えを受けて玉膏を錬り、仙道を修行することも出来るだろうというので、しばらくは、去ることなくこの地にいることになる。

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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)             

 

遊泰山,六首之一:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

遊泰山,六首之二:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

遊泰山,六首之三: (道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

遊泰山,六首之四:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

遊泰山,六首之五:(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

遊泰山,六首之六:

 

 

遊泰山,六首之五 #1

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

海水落眼前,天光遙空碧。

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

#2

緬彼鶴上仙,去無雲中跡。

長松入雲漢,遠望不盈尺。

山花異人間,五月雪中白。

終當遇安期,於此鍊玉液。

(遊泰山,六首の五)

日観、東北に傾き、兩崖、雙石を夾む。

海水、眼前に落ち、天光、遙空 碧なり。

千峰、爭って攢聚、萬壑、だ凌歷

 

泰山案内図01 

『遊泰山,六首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

緬彼鶴上仙,去無雲中跡。

長松入雲漢,遠望不盈尺。【長松入霄漢】

山花異人間,五月雪中白。

終當遇安期,於此鍊玉液。

(下し文)
#2

緬たる彼の鶴上の仙、去って雲中の跡なし。

長松、雲漢に入り、遠望すれば、尺に盈たす。

山花、人間に異なり、五月、雪中に白し。

終に當に安期に遇ひ、此に於て玉液を錬るべし。

(現代語訳)
#2

どんなに高いところでも、彼の鶴に跨れる仙人を思えばいいのであり、そして、ここから一去して雲中に向ったのであろうが、その跡を見つけることはできない。

それから、丈の高い松は、雲漢に衝き入る程で、何百丈という位であろうが、ここより去って遠望すれば、一尺にも盈たないのである。

この山の登って高いところの花は、人間界に見るものとは異にしている、即ち、琪花瑤草ともいうべきであろう、それに、五月というのに消え残る雪の中に白く吹き出で咲いている。

いつまでも、此に居たならば、はては、かの「安期生」に遇い、その教えを受けて玉膏を錬り、仙道を修行することも出来るだろうというので、しばらくは、去ることなくこの地にいることになる。

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00
(訳注) #2

遊泰山,六首之五 

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

 

緬彼鶴上仙,去無雲中跡。

どんなに高いところでも、彼の鶴に跨れる仙人を思えばいいのであり、そして、ここから一去して雲中に向ったのであろうが、その跡を見つけることはできない。

3 思ふ貌。

4鶴上仙 王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。 それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

 

長松入雲漢,遠望不盈尺。【長松入霄漢】

それから、丈の高い松は、雲漢に衝き入る程で、何百丈という位であろうが、ここより去って遠望すれば、一尺にも盈たないのである。

5雲漢 1 (あま) の川。銀河。2 大空。

 

山花異人間,五月雪中白。

この山の登って高いところの花は、人間界に見るものとは異にしている、即ち、琪花瑤草ともいうべきであろう、それに、五月というのに消え残る雪の中に白く吹き出で咲いている。

6山花異人間 高山植物が花を咲かせること、下界の花と違うことを言う。「琪花瑤草」.琪、瑤:美玉。古代からの想像中の仙境に咲く花草。後になると晶瑩、美麗な花草についての形容となる。王轂《夢仙謠》「前程漸覺風光好,琪花片片粘瑤草。」にみえる。

7五月雪 歳華紀麗「泰山冬夏雪あり」と見える。

 

終當遇安期,於此鍊玉液。

いつまでも、此に居たならば、はては、かの「安期生」に遇い、その教えを受けて玉膏を錬り、仙道を修行することも出来るだろうというので、しばらくは、去ることなくこの地にいることになる。

8安期 古代の仙人、蓬莱山の仙人. 秦の始皇帝が山東地方で出会い、共に語り合ったという神仙。当時、千歳をこえる老人で、始皇帝と別れた後に東海中にあるといわれた蓬莱山(神仙の山)に住んだといわれる。秦 から漢の間の齊人, には琅琊、阜人ともいう。 では他に曾從 河上丈人 黃帝に習う、 老子の 東海の邊に藥を賣る。

秦始皇 東游, 與語三日夜, 賜金璧數千萬, 皆置之 亭而去, 留書及赤玉舄一雙為報。 始皇 遣使入海求之, 未至 蓬萊山 遇風波而返。 生平與 蒯通 友善, 嘗以策幹 項羽 未能用。 後之方士、道家因謂其為居海上之神仙。 事見《史記樂毅列傳》、 劉向 《列仙傳》等。

《史記封禪書》「安期生 僊者, 蓬萊 中, 合則見人, 不合則隱。」とある。

9玉液 江掩の詩「道人讀丹經、方士錬玉液」とあり、玉液に即ち玉膏。

李白317-#1 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#1> Ⅰ李白詩1628 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6688

李白  遊泰山,六首之五 #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。海水落眼前,天光遙空碧。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

李白317-#1 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白317-#1> Ⅰ李白詩1628 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6688

 

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)             

 

遊泰山,六首之一:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

遊泰山,六首之二:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

遊泰山,六首之三: (道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

遊泰山,六首之四:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

遊泰山,六首之五:(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

遊泰山,六首之六:

泰山002 

 

遊泰山,六首之五 #1

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

海水落眼前,天光遙空碧。

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

#2

緬彼鶴上仙,去無雲中跡。

長松入雲漢,遠望不盈尺。

山花異人間,五月雪中白。

終當遇安期,於此鍊玉液。

 泰山案内図01

 

『遊泰山,六首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之五 #1

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

海水落眼前,天光遙空碧。

千峰爭攢聚,萬壑凌歷

(下し文)
(遊泰山,六首の五)

日観、東北に傾き、兩崖、雙石を夾む。

海水、眼前に落ち、天光、遙空 碧なり。

千峰、爭って攢聚、萬壑、だ凌歷

(現代語訳)
(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。) #1

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。



(訳注)

遊泰山,六首之五 #1

(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

 

日觀東北傾,兩崖夾雙石。

日觀峰は、東北に向かって傾き、その先端に於ては、兩崖の間に二つの石が挾まっていて、極めて危険である。

日觀 日觀峰 (河南道 兗州 泰山)。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” 《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。

 

海水落眼前,天光遙空碧。【天光搖空碧】

そこに立って眺めやれば、海水は眼前に落ち、天色は遙空に接して、さながら一碧である。

 

千峰爭攢聚,萬壑凌歷。

近くは、千峰、争って脚下に集まり、萬壑は非常に深邃で目がくらむばかりのたかさである。

1】攢聚 栄二字ともに集まるという意味。

2凌歷 非常に深邃であるすがた。

 

 

(遊泰山,六首の五)

日観、東北に傾き、兩崖、雙石を夾む。

海水、眼前に落ち、天光、遙空 碧なり。

千峰、爭って攢聚、萬壑、凌歷

 

#2

緬たる彼の鶴上の仙、去って雲中の跡なし。

長松、雲漢に入り、遠望すれば、尺に盈たす。

山花、人間に異なり、五月、雪中に白し。

終に當に安期に遇ひ、此に於て玉液を錬るべし。

李白316#2 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#2>Ⅰ李白詩1627kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6683

李白  遊泰山,六首之四 #2

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。海色動遠山,天雞已先鳴。

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。安得不死藥,高飛向蓬瀛。

遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

それから、ひとり、断崖を攀じて、日觀峰に登ってみると世界は広がり、欄干につかまって、広がる東海を見下した。

夜明け前のすべてが海景色の中で、遠山から、曙色が動きはじめて、天上の鶏がよあけをつげる唄を先ず叫ぶ。

やがて、水にうつれる山影の上には、銀臺が高く出てあかるくなったが、それから、長鯨一たび跳れば、白波、忽ち翻って、海も荒れきた。

この壮豁なる遠景に対すれば、仙を願う心が愈よ盛んになるので、どうにかして、不死の薬を得、そして、高く空中を飛んで、蓬莱、方丈、瀛州の山の仙郷に行きたいものである。

李白316#2 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白316#2> Ⅰ李白詩1627 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6683

 

 
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韓愈91-#5《 巻二12 縣齋有懷》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1540> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6684  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)              

 

 

遊泰山,六首之四

(遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

清齋三千日,裂素寫道經。

われ、既に南岳夫人のごとく潔齋することおよそ三千日(30日)、白絹を裂いて、道家の經を写した。

吟誦有所得,眾神衛我形。

そして、平生ずっと、これを吟誦していたところが、さながら、自得するところあるもののごとく、多くの神靈は、我が形骸を護衛していてくれるから、どこへ往っても、少しも心配はない。

雲行信長風,颯若羽翼生。

そこで、長風に任かせて、雲の如く飛行すれば、颯として、身に羽翼を生じたるが如くである。

#2

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。

それから、ひとり、断崖を攀じて、日觀峰に登ってみると世界は広がり、欄干につかまって、広がる東海を見下した。

海色動遠山,天雞已先鳴。

夜明け前のすべてが海景色の中で、遠山から、曙色が動きはじめて、天上の鶏がよあけをつげる唄を先ず叫ぶ。

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。

やがて、水にうつれる山影の上には、銀臺が高く出てあかるくなったが、それから、長鯨一たび跳れば、白波、忽ち翻って、海も荒れきた。

安得不死藥,高飛向蓬瀛。

この壮豁なる遠景に対すれば、仙を願う心が愈よ盛んになるので、どうにかして、不死の薬を得、そして、高く空中を飛んで、蓬莱、方丈、瀛州の山の仙郷に行きたいものである。

 

(泰山,六首の四)#1

清斎三千日、素を裂いて道經を寫す。

吟誦して得る所あり、衆神、我が形をる。

雲行いて、長風に信せ、颯として、羽翼を生するが若し。

#2

崖を攀じて日觀に上り,檻に伏して東暝を窺う。

海色 遠山に動き,天雞 已に 先づ鳴く。

銀臺 倒景を出で,白浪 長鯨を翻す。

安んぞ不死藥を得ん,高飛して 蓬瀛に向わん。

 

 

『遊泰山,六首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遊泰山,六首之四 #2

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。

海色動遠山,天雞已先鳴。

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。

安得不死藥,高飛向蓬瀛。


(下し文)
(泰山,六首の四)#2

崖を攀じて日觀に上り,檻に伏して東暝を窺う。

海色 遠山に動き,天雞 已に 先づ鳴く。

銀臺 倒景を出で,白浪 長鯨を翻す。

安んぞ不死藥を得ん,高飛して 蓬瀛に向わん。

(現代語訳) #2
遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

それから、ひとり、断崖を攀じて、日觀峰に登ってみると世界は広がり、欄干につかまって、広がる東海を見下した。

夜明け前のすべてが海景色の中で、遠山から、曙色が動きはじめて、天上の鶏がよあけをつげる唄を先ず叫ぶ。

やがて、水にうつれる山影の上には、銀臺が高く出てあかるくなったが、それから、長鯨一たび跳れば、白波、忽ち翻って、海も荒れきた。

この壮豁なる遠景に対すれば、仙を願う心が愈よ盛んになるので、どうにかして、不死の薬を得、そして、高く空中を飛んで、蓬莱、方丈、瀛州の山の仙郷に行きたいものである。


(訳注)

遊泰山,六首之四

遊泰山,六首の四(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清の光景の感慨を述べたもの。)

【自註:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

742年天寶元年四月、先に玄宗が登った御道に従って上ったものである。】

○泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

攀崖上日觀,伏檻窺東暝。

それから、ひとり、断崖を攀じて、日觀峰に登ってみると世界は広がり、欄干につかまって、広がる東海を見下した。

4日觀 日觀峰 (河南道 兗州 泰山)。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” 《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。

5伏檻 欄干に倚る

6東暝 東海に同じ。

 

海色動遠山,天雞已先鳴。

夜明け前のすべてが海景色の中で、遠山から、曙色が動きはじめて、天上の鶏がよあけをつげる唄を先ず叫ぶ。

7海色 夜明け前のすべてが海景色の中であるさま。

8天雞 天上の雞。

 

銀臺出倒景,白浪翻長鯨。

やがて、水にうつれる山影の上には、銀臺が高く出てあかるくなったが、それから、長鯨一たび跳れば、白波、忽ち翻って、海も荒れきた。

9倒景 倒影に同じ。極めて高い空に日月の光が下からさして、影がさかさに映ること。水面に映る山の倒影とも解する。前見た逆立ちの景色とは、自然異なっているというほどの意。謝靈運の詩《従遊京口北固應詔》「張組眺倒景、列筵矚歸潮。」(組を張りて倒景【とうえい】を眺め、筵を列ねて歸潮【きちょう】を矚【み】る。)色糸の組紐の飾りある幕を張り、山の上で日月の光が下から射し、影が倒【さかさ】に映る天空を眺め、宴席を敷き列ねて海に帰りゆく潮を見るのである。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<6>  従遊京口北固應詔 #1 詩集 362

 

安得不死藥,高飛向蓬瀛。

この壮豁なる遠景に対すれば、仙を願う心が愈よ盛んになるので、どうにかして、不死の薬を得、そして、高く空中を飛んで、蓬莱、方丈、瀛州の山の仙郷に行きたいものである。

10蓬瀛 中国の伝説上の神山。渤海(ぼっかい)湾中にあるといわれる蓬莱(ほうらい)山、方丈(ほうじょう)山、瀛洲(えいしゅう)山の三山をいう。その発生には、蜃気楼(しんきろう)説、山岳信仰説など諸説がありはっきりしないが、戦国時代(前5~前3世紀)の燕(えん)、斉(せい)の国の方士(ほうし)(神仙の術を行う人)によって説かれ、そこには仙人が住み、不老不死の神薬があると信じられた。戦国末期の燕、斉の諸王や秦(しん)の始皇帝(しこうてい)、あるいは漢の武帝(ぶてい)などが使者を出して海上にその神山を探させ、不死の薬を得ようとした。伝説によると、三神山は海岸から遠く離れてはいないが、人が近づくと風や波をおこして船を寄せつけず、建物はことごとく黄金や銀でできており、すむ鳥獣はすべて白色であるという。こうした記事は司馬遷(しばせん)の『史記』封禅書(ほうぜんしょ)に詳しく記されており、それは神仙説についての最古の記録とされる。しかし後世では説話のなかに伝承されて、むしろ神仙境の象徴的存在となっている。一説に、戦国時代における海上交易の盛行を裏づけるものともいわれる。