漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

320Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首

744年-046-#1卷182_48 秋夜獨坐懷故山(卷二三(二)一三五七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8117

182_48 秋夜獨坐懷故山(卷二三(二)一三五七)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

201727

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Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-046-#1卷182_48 秋夜獨坐懷故山(卷二三(二)一三五七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8117

 

 

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744年-集06 【字解集】 送族弟綰・送程劉二侍御・前有樽酒行・春日行Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8099

 

 

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Ⅲ 杜詩

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767年-70 灩澦 杜詩詳注(卷一九(四)一六五○)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8137

 

 

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767年-集-4字解 【字解集】 a槐葉冷淘・ b上後園山・c季夏送弟韶字解 杜詩詳注Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8131

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

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杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

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(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

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杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

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744-046-#1182_48 秋夜獨坐懷故山(卷二三(二)一三五七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8117

(秋夜斎中に獨坐し、故郷を懐うで作った詩。)

われは林薮に隠れる小隠者の身ながら、古しえの謝安石を慕い、又平生、遠游を事として秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられなかった屈原【あるいは、高士である向子平】を学び、浮世と隔絶して、自ら打澄まして居た。然るに、天子より詔書を下して、江海の間を尋ね廻られたということで、今まで白雲に臥して居た此身を起して、長安に上京し、天子の寵遇を受くることになったのである。朝廷に入っては西王母の瑤池の宴である興慶宮の宴に侍坐し、出でては天子の玉輦の行くままに陪従し、晨夕、御側を離れなかったのである。また、胡である異民族の者たちに誇るため、新たに賦を作って昇平の盛を叙し、天子の狩猟に耽らせられるを諫めて、短書を草して、上疏したことがある。私はただ、至尊の眷顧に答えんとしたままででなにも、ことさらに、功名をたてて、歴史上不朽の名を迎えようというような考えはない。

 

 

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大明宮正面 003李白集校注タイトル太白山00 

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李白  烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。 東方漸高奈樂何。

(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)  呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

李太白集巻一44

烏  棲  曲

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7485

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-9

423 <1000

 

 
  2016年3月15日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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-371-6502-06楽府烏棲曲  (姑蘇臺上烏棲時,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六二  06

文體:

樂府

李太白集 

02-06

 

 

詩題:

烏棲曲

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 姑蘇台

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

-371-6502-06楽府烏棲曲  (姑蘇臺上烏棲時,) 

  卷162_6 《烏棲曲》李白 

烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。 

東方漸高奈樂何。 


烏棲曲 
烏棲の曲。(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。 
呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

歌楚舞歡未畢、青山猶銜半邊日。 

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

銀箭金壺漏水多、起看秋月墜江波。 
そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

東方漸高奈樂何。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。
呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お銜まんと欲す、半邊の日。
銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。
東方漸く高く 楽しみを奈何。


大明宮の圖003
『烏棲曲』現代語訳と訳註解説
(
本文)

烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。

東方漸高奈樂何。

(下し文)
(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。

呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お銜まんと欲す、半邊の日。

銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。

東方漸く高く 楽しみを奈何。

(現代語訳)
烏棲曲(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

霓裳羽衣舞002
(訳注) 

烏棲曲

(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

1 烏棲曲 梁簡文帝、梁の元帝、蕭子顯、並びに此の題有り之を作る。《樂府詩集巻四十八》に「清商曲辞、西曲歌」の歌中に烏夜啼を列して後よりなる。男女の歓楽を詠うものが多い。また、李白詩に、これに倣った「大堤曲」「襄陽歌」「丁都護歌」「荊州歌」「採連曲」などある。

2 本事詩に李白初めて蜀より京師に至る。賀知章は其の烏棲曲を見て嘆賞苦吟し、曰く「此詩可以泣鬼神矣」。或は言う「是烏夜啼二篇、未だ孰是を知らん。」とある。

3 蕭士贇は「この樂府は然り深く國風諷刺の體を得り、盛んに其の美を言うて、美ならざる者、自ら見わる。」という。

 

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

4 姑蘇台 春秋時代の末期、呉王の開聞と夫差が、父子二代をかけて築いた姑蘇山の宮殿。現在の江蘇省蘇州市、もしくはその西南約一五キロ、横山の北がその跡とされる。16世紀に王世貞撰よってかかれた《豔異編--第五卷》に、「越王越謀滅,畜天下奇寶、美人、異味進於。殺三牲以祈天地,殺龍蛇以祠川岳。矯以江南億萬民輸為傭保。越又有美女二人,一名夷光,二名修明(即西施、鄭旦之別名),以貢於處以椒華之房,貫細珠為簾幌,朝下以蔽景,夕卷以待月。二人當軒並坐,理鏡靚妝於珠幌之,竊窺者莫不動心驚魂,謂之神人。王妖惑忘政。」(越王 越謀し滅さんとし,天下の奇寶、美人、異味を畜えて進む。三牲を殺し 以て天地を祈り,龍蛇を殺し 以て川岳を祠る。矯って以て江南億萬民を輸して傭保為らしむ。越 又た、美女二人有り,一名は夷光,二名は修明(即ち西施、鄭旦の別名である),以て貢ぐ。處らしむるに椒華の房を以てし,細珠を貫いて簾幌と為し,朝に下し 以て景を蔽い,夕に卷き以て月を待つ。二人 軒に當って並坐し,鏡を理めて珠幌の靚妝し,竊に窺うもの動心驚魂せざるは莫し,之れ神人と謂う。王 妖惑し 政を忘る。

《述異記》に王夫差築姑蘇之臺、三年乃成。周旋詰屈横亘五里、崇飾土木、殫耗人力、妓數千人、上立春宵為長夜之飲、造千石酒鍾、夫差作天池池中造青龍舟、舟中盛陳妓樂、日與西施為水嬉。」(王夫差 姑蘇之臺、三年乃る。周旋詰屈 横に亘る五里、土木を崇飾し、人力を殫耗し、妓數千人、上に春宵立てて夜の飲をし、千石の酒鍾を造り、夫差 天池を作し 池中に青龍舟を造り、舟中盛に妓樂を陳じ、日に西施と水嬉を為す。

《述異記》は、中国の南朝梁の任昉が撰したとされる志怪小説集。2巻。 ... 隋書』や『旧唐書』の「経籍志」および『新唐書』「芸文志」で著録される『述異記』10巻は、撰者を祖沖之としている。

5 呉王 夫差をさす。

6 裏  なか。

7 西施  呉王夫差の歓心を買うために、越王勾践から夫差に献上された美女。

李白8  蘇台覧古

(2)西施ものがたり

 

  

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

8 呉歌楚舞  呉(江蘇地方)の歌、楚(湖南・湖北地方)の舞い。ここでは、呉王の歓楽の象徴としての長江中流・下流地方の歌舞をいう。

・呉歌《樂府詩集》卷四十四引《晉書·樂志》にく「歌雜曲,並出江南。東晉已來,稍有增廣。其始皆徒歌,既而被之管弦。」とあり、呉歌は、南方の流行歌。

・楚舞 《史記留侯世家》:「高帝謂戚夫人曰:『為我楚舞,吾為若楚歌.』歌曰:「鴻鴈高飛,一舉千里。羽翮已就,橫四海。橫四海,當可奈何!雖有矰繳,尚安所施!」(鴻鵠高く飛んで、一挙に千里。羽翼すでに就って、四海を横絶す。四海を横絶すれば、 当に如何すべき。矰繳あれど、何処に施さん。)といった南方に行われた舞曲。

9 半邊日 青い山脈が、まだ太陽の半輪を衝えている。夕陽が半ば青山に沈み隠れた状態をいう。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。

そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

10 銀箭 水時計の漏水桶に泛べる銀の箭。「箭」は時刻の目盛りを指し示すハリである。江總詩「虬水銀箭莫相催」

11 金壷 金属製の水時計の壷。鮑照詩 「金壺夕淪劉良」 註に金壺は、貯し、漏水を刻する者銅を以て之を為し、故に金壺と曰う。

12 漏水多 水時計の底から水が多く漏れる。長時間の経過を示す。夜は夜明けまでの五更に別れるので、上の桶の水が下の桶に流れ落ちてゆくので、時間の長さを水の量で表現したもの。

 

東方漸高奈樂何。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

13 漸高 (空が)次第に白く明るくなる。ここでは、「高」は「塙」「呆」の音通で用いられている。

14 奈楽何 (たとえ夜空が白もうとも)歓楽を尽くすことに支障はない。


(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。
呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お衝んと欲す、半邊の日。
銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。
東方漸く高く 楽しみを奈何。

 

 

 

【字解】

   烏棲曲

士贇曰樂録烏栖曲者/鳥獸三十一曲之一也

 

姑蘇臺上烏棲時呉王裏醉西施齊賢曰賀知章見/太白烏栖曲嘆賞

曰此詩可/以泣鬼神呉歌楚舞歡未畢青山欲半邊日銀箭

壺漏水多起看秋月墜江波東方漸高柰樂何士贇曰/此詩雖

只樂府然深得國風諷刺之體盛言/其美而不美者自見觀者其毋忽諸

 

 

  烏棲曲梁簡文帝梁元帝蕭子顯並有此題之作/樂府詩集列于西曲歌中烏夜啼之後

姑蘇臺上烏棲時裏醉西施歌楚舞歡未

青山欲繆本/作猶銜半邊日銀箭金壺一作金/壺丁丁漏水多起看

秋月墜江波東方漸髙奈樂何

述異記王夫差/築姑蘇之臺三年乃成周旋詰曲横亘五里崇飾土木殫耗人力官妓千/

立春宵為長夜之飲造千石酒鍾作天池池中造青龍舟舟中盛陳妓樂日與西施為水

晉書 /歌雜曲並出江南 漢書 為我楚舞 

江總詩「虬水銀箭莫」相催 鮑照詩 「金壺夕淪劉良」 註に金壺は、貯し、漏水を刻する者銅を以て之を為し、故に金壺と曰う。

本事詩に李白初めて蜀より京師に至る。賀知章は其の烏棲曲を見て嘆賞苦吟し、曰く「此詩可以泣鬼神矣」。或は言う「是烏夜啼二篇、未だ孰是を知らん。」

 

743年(96)李太白集944巻二十四56思邊  414-2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 96首-(96) Ⅰ李白詩1780 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7440

李白  思邊

去年何時君別妾,南園綠草飛蝴蝶。

何時妾憶君,西山白雪暗晴雲。

玉關去此三千里,欲寄音書那可聞。

(夫を送り出したころは、春草に蝶々が飛び交っていた、音信がなく寂しい思いの寡婦が、春が来て西の方を見ると雪山がみえ、空が暗い。この思いをどうしたらよいのかわからないと詠う)

去年、何時、君は、妾に別れて出征されたか、それは、南園の草緑にして、蝴蝶の飛びくるときであった。今歳、何時、妾は君を懐うか、それは、西山の白雪、素地の雲を帯びて、ぼんやり暗く見えるときであった。玉門関はここを去ること三千里、なかなか遠いから、手紙を寄せようと思ってもとどくかどうかわからないのにはまいってしまう。

李太白集巻二十四56

思  邊

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Index-23

743年天寶二年43歳 

96-96

414 <1000

 

 

 
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743

天寶二年

43

96-96

卷別:

卷一八四

文體:

七言古詩

李太白集944巻二十四56

詩題:

思邊

【春怨】

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關) 別名:玉關、玉門

交遊人物/地點:

詩文:

 

 

 

 

思邊

(夫を送り出したころは、春草に蝶々が飛び交っていた、音信がなく寂しい思いの寡婦が、春が来て西の方を見ると雪山がみえ、空が暗い。この思いをどうしたらよいのかわからないと詠う)

去年何時君別妾,南園綠草飛蝴蝶。

去年、何時、君は、妾に別れて出征されたか、それは、南園の草緑にして、蝴蝶の飛びくるときであった。

何時妾憶君,西山白雪暗晴雲。

今歳、何時、妾は君を懐うか、それは、西山の白雪、素地の雲を帯びて、ぼんやり暗く見えるときであった。

玉關去此三千里,欲寄音書那可聞。

玉門関はここを去ること三千里、なかなか遠いから、手紙を寄せようと思ってもとどくかどうかわからないのにはまいってしまう。

 

(邊を思う)

去年 何れの時か 君 妾と別れ,南園の綠草に 蝴蝶飛ぶならん。

 何れの時か 妾 君を憶う,西山の白雪に 晴雲暗しならん。

玉關 此れを去ること三千里,音書を寄さんと欲すれど 那んぞ聞く可けんや。

 

 

『思邊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

思邊

去年何時君別妾,南園綠草飛蝴蝶。

何時妾憶君,西山白雪暗晴雲。

玉關去此三千里,欲寄音書那可聞。

(下し文)
(邊を思う)

去年 何れの時か 君 妾と別れ,南園の綠草に 蝴蝶飛ぶならん。

 何れの時か 妾 君を憶う,西山の白雪に 晴雲暗しならん。

玉關 此れを去ること三千里,音書を寄さんと欲すれど 那んぞ聞く可けんや。


(現代語訳)
思邊(夫を送り出したころは、春草に蝶々が飛び交っていた、音信がなく寂しい思いの寡婦が、春が来て西の方を見ると雪山がみえ、空が暗い。この思いをどうしたらよいのかわからないと詠う)

去年、何時、君は、妾に別れて出征されたか、それは、南園の草緑にして、蝴蝶の飛びくるときであった。

今歳、何時、妾は君を懐うか、それは、西山の白雪、素地の雲を帯びて、ぼんやり暗く見えるときであった。

玉門関はここを去ること三千里、なかなか遠いから、手紙を寄せようと思ってもとどくかどうかわからないのにはまいってしまう。


(訳注)

思邊

(夫を送り出したころは、春草に蝶々が飛び交っていた、音信がなく寂しい思いの寡婦が、春が来て西の方を見ると雪山がみえ、空が暗い。この思いをどうしたらよいのかわからないと詠う)

1 解説 去年のことと今年のことを対比して、筆をおこしたのは、初唐、盛唐詩の常套である。

張協詩、謝朓詩の古詞に倣って作ったものである。玉関の二句が足されたところは、対比から共通の事項で總収したのである。一作には【春怨】とする。743年天寶二年43歳 96-96)この詩を含めこの前後の詩は昨時年度は間違っていないが、特定しにくいので同年の最後に掲載したものである。

 

去年何時君別妾,南園綠草飛蝴蝶。

去年、何時、君は、妾に別れて出征されたか、それは、南園の草緑にして、蝴蝶の飛びくるときであった。

2 去年何時君別妾,南園綠草飛蝴蝶 この二句は、古詩二首を習ったもの、遠地に在って帰郷を思う詩《文選張協〈雜詩〉之八》「借問此何時,胡蝶飛南園。」(借問す 此れ何なる時ぞ,胡蝶は南園に飛ぶならん。 2.夫に見放された女の恨みを述べる詩、南朝齊謝朓の文選《和王主簿季哲怨情》:「花叢亂數蝶,風簾入雙燕。」(花叢には數蝶亂れ,風簾に雙燕入る。

雜詩十首其八

述職投邊城, 羈束戎旅間. 下車如昨日, 望舒四五圓。

借問此何時? 胡蝶飛南園. 流波戀舊浦, 行雲思故山。

閩越衣文蛇, 胡馬願度燕. 風土安所習, 由來有固然。

 

和王主簿季哲怨情

掖庭聘國,長門失歡宴。相逢詠蘼蕪,辭寵悲團扇。

花叢亂數蝶,風簾入雙燕。徒使春帶,坐惜紅粧變。

平生一顧重,宿昔千金賤。故人心尚爾,故心人不見。

 

何時妾憶君,西山白雪暗晴雲。

今歳、何時、妾は君を懐うか、それは、西山の白雪、素地の雲を帯びて、ぼんやり暗く見えるときであった。

西山白雪暗晴雲 長安からの西に向かって遠望すると、太白山、隴山が渭水を挟んで並び立ち、その山々に雪が残っている。その山々にまだ冬の厚い雲が垂れこめていて、其処から続く西域に不安なものを感じさせる。

 

玉關去此三千里,欲寄音書那可聞。

玉門関はここを去ること三千里、なかなか遠いから、手紙を寄せようと思ってもとどくかどうかわからないのにはまいってしまう。

玉關 玉門関のことで、敦煌市の北西約90kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で、長城をこの地域に建設し紀元前108年から107年にその最西端に建造されたとされる。その後、六朝時代には交通の要綱として栄え、唐代に再建された際は安西の東側に建設された。同じく南西に設置された陽関とともに、西域交通で北ルートを通ると玉門関、南ルートでは陽関を通過していた。玉門関は、中国で古代より文化人が辺境の地での戦いや孤独な生活を思い詠嘆する地で、唐代の詩人王之渙は「羌笛何須怨楊柳、春風不度玉門関」(羌笛何ぞ須(もち)いん楊柳を怨むを、春風渡らず玉門関)と詠んでいる。俗称は小方盤城。

 

 

 

李白<春怨・思邊・怨情・學古思邊>【字解】

 

1 白馬 若い貴族の出征。「白馬将軍」の名でも知られる公孫瓚がおり、中国の東漢(後漢)〜三国時代初期の人物であり、群雄の一人として北平を中心に勢威を振るった。白馬に乗せた選りすぐりの精兵を率い、自身も武勇に優れていたことから「白馬長史」と呼ばれ、異民族からは恐怖の対象だった。

『優秀な人間は、取り立ててやっても当然と思うだけで恩義を感じない』という理由で、凡庸な人物を重用した。その一方で、当時としては卑しい身分とされていた商人を重用し、交易などで莫大な利益を得ていたという。また、龐徳が白馬に乗るのを常としていたため、関羽の軍勢は龐徳を白馬将軍と呼んで畏れた。 

2 金羈 金をよりこんだ白い手綱。

3 遼海 現在の遼寧省。南満州。

4 羅帷 うすぎぬのとばり。

5 繡被 刺繍で飾ったかけ布団。

6 落月 沈みかけた月。沈みかけた月は性を連想させる。 

7 燭 ともしび。 

8 飛花入 春満開の花びらが舞い散って、戸口から中に入ってくる。梁、簡文帝《序愁賦》「玩飛花之入,看斜暉之度寮。」とあるに基づく。飛花 春満開の花びらが舞い散っている。

9 笑床空 空牀に人無きをあざけり笑う。この笑うという意味は、咲くという意味があり、それが空しいのである。梁、蕭子範、《春望古意》詩「光景斜漢宮,橫梁照采虹,春情寄柳色,鳥語出梅中,氛氳閨裏思,逶迤水上風,落花徒入,何解妾床空。」、の雰囲気其のままである。

 

 

學古思邊 #1

(この詩は、古詩の体に倣うて、邊地に在る夫を思うという意を叙したのである。)

1      學古 楽府、横吹曲辞に、遠征の苦しみと哀しみをうたったものがあり、隴頭歌辭三首に倣って李白は作ったものである。 一、二は原文を示し、之三は詳しく説明した。

之一

隴頭流水,流離山下。

念吾一身,飄然曠野。

 

之二

朝發欣城,暮宿隴頭。

寒不能語,舌捲入喉。

之三

隴頭流水,鳴聲嗚咽。

遙望秦川,心肝斷

《隴頭歌辭》之三 六朝 梁詩 

作者不詳

隴頭流水,鳴聲幽咽。

隴頭の流水,鳴聲  幽咽す。

遙望秦川,心腸斷絶。

遙かに 秦川を 望み,心腸 斷絶す。

 ・隴頭:隴山のほとり。南朝・梁時代の詩。

隴山のほとりの河の流れは立てる音は、かすかににむせぶかのようである。遥かに(郷里の)秦(関中の盆地の平原)を眺めれば、心肝斷絶:腸(はらわた)が断ち切られるほどの悲しさである。 

・隴頭流水:楽府題。意は、甘肅省南部天水附近を流れる川の流れ。(民族戦争の)最前線の地の川の流れ。。南朝・梁の『隴頭歌辭』に「朝發欣城,暮宿隴頭。寒不能語,舌卷入喉。」とある。なお、この山は六盤山のこと。

・鳴聲:立てる音。 

・幽咽 ひそかにむせぶ。一義的には、川の流れの音。

・遙望:遥かに眺める。隴山から東南方向を望むことになる。 

・秦川 陝西省(・甘肅省)地方。この詩で謂えば東南方向の郷里の長安などのある秦(関中)の盆地状の平原。

・心腸:心臓と腸。 

・斷絶:絶える。截断する。人と人の間などで今まであった結びつきが切れること。

 

2【解説】 起首八句は、隴頭()に至って遠望した景色、「白雁從中來」の四句は、雁の書を帯びて来たことを述べ、「離群心斷」から最後まで六句は、歳月すでに移り、相思愈よ切なることを述べたものである。

韻は以下の構成である。

銜悲上隴首  腸斷不見君 

流水若有情  幽哀從此
蒼茫愁邊色  惆悵落日曛 

山外接遠天  天際復有

白雁從中來  飛鳴苦難聞 

足系一書札  寄言難離
離群心斷  十見花成 

胡地無春  征人行不歸 

相思杳如夢  珠淚濕羅衣 

  
  
  
  
  
  
  
  
  

 


3 隴首 隴山のすそ野の小高いところ。隴頭;隴山のほとり、隴山、隴坻・隴坂は山名。陝西省と甘粛省との境にある。昔から、異民族との境界をなす山として、歴代王朝は隴関(ロウカン)などの関を設けた。


4 邊色 邊地の物色、国境周辺の景色。

5 曛 日没後もなお照り残る夕日の光。残照。

 

 

 


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743年(95)李太白集943巻二十四54學古思邊  414Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(95) Ⅰ李白詩1779 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7435

李白  學古思邊 #1

銜悲上隴首、腸斷不見君。 流水若有情、幽哀從此分。

蒼茫愁邊色、惆悵落日曛。 山外接遠天、天際復有云。
(この詩は、古詩の体に倣うて、邊地に在る夫を思うという意を叙したのである。)

別後の悲に堪えかねて、はるばる隴頭の阪路まできて、西の方を望めば、見わたすかぎり、茫漠として君を見ることはできないのは心と腸が断絶せんばかりである。隴頭の流水は、さながら惰あるが如く、その流れの音は、幽哀の意を帯びて咽びつつ、これより東に向って分れてながれゆく。邊地の物色は、蒼茫として、愁うるが如く、殊に夕日影たゆたう頃は、惆悵として、威慨の至に堪へない。山外は遠天に接し、天の邊際には、復た、雲があって、その先は、さえぎられて見えない。

李太白集巻二十四54#1

學 古 思 邊 #1

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Index-23

743年天寶二年43歳 

96-95#1

414 <1000

 

 

 
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743

天寶二年

43

96-95

卷別:

卷一八四

文體:

七言

李太白集944巻二十四56

詩題:

學古思邊

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

隴頭

隴西

邊塞地

交遊人物/地點:

詩文:

 

 

學古思邊 #1

(この詩は、古詩の体に倣うて、邊地に在る夫を思うという意を叙したのである。)

銜悲上隴首、腸斷不見君。

別後の悲に堪えかねて、はるばる隴頭の阪路まできて、西の方を望めば、見わたすかぎり、茫漠として君を見ることはできないのは心と腸が断絶せんばかりである。

流水若有情、幽哀從此分。

隴頭の流水は、さながら惰あるが如く、その流れの音は、幽哀の意を帯びて咽びつつ、これより東に向って分れてながれゆく。

蒼茫愁邊色、惆悵落日曛。

邊地の物色は、蒼茫として、愁うるが如く、殊に夕日影たゆたう頃は、惆悵として、威慨の至に堪へない。

山外接遠天、天際復有云。

山外は遠天に接し、天の邊際には、復た、雲があって、その先は、さえぎられて見えない。

#2

白雁從中來、飛鳴苦難聞。

足系一書札、寄言難離群。

離群心斷、十見花成雪。

胡地無春暉、征人行不歸。

相思杳如夢、珠淚濕羅衣。

 

(古の邊を思うを學ぶ) #1

悲を銜んで隴首に上り、腸斷 君を見ず。

流水 情有るが若く、幽哀 此れ從り分る。

蒼茫として邊色愁いしめ、惆悵として 落日曛す。

山外は 遠天に接し、天際は 復た云有り。
#2

白雁 中より來り、飛鳴 苦にして聞き難し。

足には一書札を系ぎ、言を寄すは 群を離て難しと。

離群 心 斷、十たび見るは 花の雪と成るを。

胡地に春暉 無く、征人 行いて 歸らず。

相思 杳として夢の如く、珠淚 羅衣を濕す。

 

yoshu&choan736 

『學古思邊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

學古思邊 #1

銜悲上隴首、腸斷不見君。

流水若有情、幽哀從此分。

蒼茫愁邊色、惆悵落日曛。

山外接遠天、天際復有云。

(下し文)
(古の邊を思うを學ぶ) #1

悲を銜んで隴首に上り、腸斷 君を見ず。

流水 情有るが若く、幽哀 此れ從り分る。

蒼茫として邊色愁いしめ、惆悵として 落日曛す。

山外は 遠天に接し、天際は 復た云有り。

(現代語訳)
學古思邊 #1(この詩は、古詩の体に倣うて、邊地に在る夫を思うという意を叙したのである。)

別後の悲に堪えかねて、はるばる隴頭の阪路まできて、西の方を望めば、見わたすかぎり、茫漠として君を見ることはできないのは心と腸が断絶せんばかりである。

隴頭の流水は、さながら惰あるが如く、その流れの音は、幽哀の意を帯びて咽びつつ、これより東に向って分れてながれゆく。

邊地の物色は、蒼茫として、愁うるが如く、殊に夕日影たゆたう頃は、惆悵として、威慨の至に堪へない。

山外は遠天に接し、天の邊際には、復た、雲があって、その先は、さえぎられて見えない。


(訳注)

學古思邊 #1

(この詩は、古詩の体に倣うて、邊地に在る夫を思うという意を叙したのである。)

1      學古 楽府、横吹曲辞に、遠征の苦しみと哀しみをうたったものがあり、隴頭歌辭三首に倣って李白は作ったものである。 一、二は原文を示し、之三は詳しく説明した。

之一

隴頭流水,流離山下。

念吾一身,飄然曠野。

之二

朝發欣城,暮宿隴頭。

寒不能語,舌捲入喉。

之三

隴頭流水,鳴聲嗚咽。

遙望秦川,心肝斷

《隴頭歌辭》之三 六朝 梁詩 

作者不詳

隴頭流水,鳴聲幽咽。

隴頭の流水,鳴聲  幽咽す。

遙望秦川,心腸斷絶。

遙かに 秦川を 望み,心腸 斷絶す。

 ・隴頭:隴山のほとり。南朝・梁時代の詩。

隴山のほとりの河の流れは立てる音は、かすかににむせぶかのようである。遥かに(郷里の)秦(関中の盆地の平原)を眺めれば、心肝斷絶:腸(はらわた)が断ち切られるほどの悲しさである。 

・隴頭流水:楽府題。意は、甘肅省南部天水附近を流れる川の流れ。(民族戦争の)最前線の地の川の流れ。。南朝・梁の『隴頭歌辭』に「朝發欣城,暮宿隴頭。寒不能語,舌卷入喉。」とある。なお、この山は六盤山のこと。

・鳴聲:立てる音。 

・幽咽 ひそかにむせぶ。一義的には、川の流れの音。

・遙望:遥かに眺める。隴山から東南方向を望むことになる。 

・秦川 陝西省(・甘肅省)地方。この詩で謂えば東南方向の郷里の長安などのある秦(関中)の盆地状の平原。

・心腸:心臓と腸。 

・斷絶:絶える。截断する。人と人の間などで今まであった結びつきが切れること。

 

2【解説】 起首八句は、隴頭()に至って遠望した景色、「白雁從中來」の四句は、雁の書を帯びて来たことを述べ、「離群心斷」から最後まで六句は、歳月すでに移り、相思愈よ切なることを述べたものである。

韻は以下の構成である。

銜悲上隴首  腸斷不見君 

流水若有情  幽哀從此
蒼茫愁邊色  惆悵落日曛 

山外接遠天  天際復有

白雁從中來  飛鳴苦難聞 

足系一書札  寄言難離
離群心斷  十見花成 

胡地無春  征人行不歸 

相思杳如夢  珠淚濕羅衣 

  
  
  
  
  
  
  
  
  

 

銜悲上隴首、腸斷不見君。

別後の悲に堪えかねて、はるばる隴頭の阪路まできて、西の方を望めば、見わたすかぎり、茫漠として君を見ることはできないのは心と腸が断絶せんばかりである。

3 隴首 隴山のすそ野の小高いところ。隴頭;隴山のほとり、隴山、隴坻・隴坂は山名。陝西省と甘粛省との境にある。昔から、異民族との境界をなす山として、歴代王朝は隴関(ロウカン)などの関を設けた。

 

流水若有情、幽哀從此分。

隴頭の流水は、さながら惰あるが如く、その流れの音は、幽哀の意を帯びて咽びつつ、これより東に向って分れてながれゆく。

 

蒼茫愁邊色、惆悵落日曛。

邊地の物色は、蒼茫として、愁うるが如く、殊に夕日影たゆたう頃は、惆悵として、威慨の至に堪へない。

4 邊色 邊地の物色、国境周辺の景色。

5 曛 日没後もなお照り残る夕日の光。残照。

 

山外接遠天、天際復有云。

山外は遠天に接し、天の邊際には、復た、雲があって、その先は、さえぎられて見えない。
李白の足跡0000 

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李白  怨情

美人卷珠簾,深坐顰蛾眉。

但見淚痕,不知心恨誰。

(恨むことさえなくなった心持を詠う)

寵愛を失った妃賓は、今日も最後に珠簾を巻き上げて準備を整えおわる、それから、なにをするわけもなく、独り、坐して身動きもしないでいて、きれいな眉をひそめている。

じっと見ていると 涙がほほが濡れたまま、心に誰をか恨んでいるのだろうが、傍人にはわからない。たくさんの妃賓がいて、ほとんどのものは寵愛を受けていない者たちなのであるから。

李太白集巻二十四53

怨  情

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7430

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-94

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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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果てのない長い夜、あばらやに住む貧しい女は、織機の前で夜もすがら機を動かし手を休めず働くが、官府の税の催促に悲しみで腸がちぎれそうだ。後宮の美人は珊瑚の枕の上でたえず寝返りをうち、天子の寵愛の衰えたことに悲しみの涙を流す。 - 同じ女でも身分、地位が異なり、彼女たちの生活、境遇、感情、心理もそれぞれ異なる。唐代の女性を理解しょうとすれば、まず各階層の女性たちの生活状況をそれぞれ観察しなければならない。

唐代三百年間の女性の人数を正確に測る方法はない。しかしある時期の人数はだいたい計算できる。記録によると、唐代の最大の人口は天宝十三載(七五四年)の五二八八万四八八人であり、この数字で計算すれば、半分が女性と仮定した場合、女性が最も多かった時、二千六百余万人に達したことになる。

二千数百万人の女性は、それぞれ異なった階層に属していた。彼女たちはおよそ次の十種に分けることができる。①后妃、②宮人、③公主(附郡主・県主)、④貴族・宦門婦人、⑤平民労働婦人、⑥商家の婦人、⑦妓優、⑧姫妾・家妓、⑨奴碑、⑩女尼・女冠(女道士)・女巫 - 以上である。

 

杜甫はかつて《観公孫大娘弟子舞剣器行井序》「先帝の侍女八千人」(「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」)767年-23 #1杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #1 杜甫詩index-15-1141 <1591> 767年大暦2年56-23 #1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7352(序-3分割、本文3分割)と詠い、白居易もまた《長恨歌》」「後宮の佳麗三千人」と言った。これらは決して詩人の誇張ではなく、唐代の宮廷女性は、実際はこの数字をはるかに越えていた。唐の太宗の時、李百薬は上奏して「無用の宮人は、ややもすれば数万に達する」(『全唐文』巻一四二、李百薬「宮人を放つを請うの封事」)といった。『新唐書』の「官者伝」上に、「開元、天宝中、宮嬪はおおよそ四万に至る」と記されている。後者は唐代の宮廷女性の人数に関する最高の具体的な数字であり、まさに盛唐の風流天子玄宗皇帝時代のものである。宋代の人洪邁は、この時期は漢代以来、帝王の妃妾の数が最も多かった時代であるといっている(『容斎五筆』巻三「開元宮嬪」)。うまい具合に、この時期の女性の総人口は先に紹介した数字 - およそ二千六百余万であるから、四万余人とすれば、じつに全女性人口の六百分の一を占める。つまり、女性六百人ごとに一人が宮廷に入ったことになる。唐末になり、国土は荒れ、国勢は衰えたが、いぜんとして「六宮(後宮)の貴・賤の女性は一万人を減らない」(『資治通鑑』巻二七三、後唐の荘宗同光三年)という状態だった。この驚くべき数字の陰で、どのくらい多くの「曠夫怨女」(男やもめと未婚の老女)を造り出したことか計り知れない。唐末の詩人曹鄴が慨嘆して「天子 美女を好み、夫婦 双を成さず」(「捕漁謡」)と詠ったのも怪しむに足りない。

 

 

 

年:743           天寶二年43

卷別:    卷一八四              文體:    五言

詩題:    怨情

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

 

 

怨情

(恨むことさえなくなった心持を詠う)

美人卷珠簾,深坐顰蛾眉。

寵愛を失った妃賓は、今日も最後に珠簾を巻き上げて準備を整えおわる、それから、なにをするわけもなく、独り、坐して身動きもしないでいて、きれいな眉をひそめている。

但見淚痕不知心恨誰。

じっと見ていると 涙がほほが濡れたまま、心に誰をか恨んでいるのだろうが、傍人にはわからない。たくさんの妃賓がいて、ほとんどのものは寵愛を受けていない者たちなのであるから。

(怨情)

美人 珠簾を捲き、深く坐して蛾眉を顰【ひそ】む。

但だ見る 涙痕の湿【うるお】えるを、知らず 心に誰をか恨む を。

李白  怨情 

『怨情』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

怨情

美人卷珠簾,深坐顰蛾眉。

但見淚痕,不知心恨誰

(下し文)
(怨情)

美人 珠簾を捲き、深く坐して蛾眉を顰【ひそ】む。

但だ見る 涙痕の湿【うるお】えるを、知らず 心に誰をか恨む を。

(現代語訳)
(恨むことさえなくなった心持を詠う)

寵愛を失った妃賓は、今日も最後に珠簾を巻き上げて準備を整えおわる、それから、なにをするわけもなく、独り、坐して身動きもしないでいて、きれいな眉をひそめている。

じっと見ていると 涙がほほが濡れたまま、心に誰をか恨んでいるのだろうが、傍人にはわからない。たくさんの妃賓がいて、ほとんどのものは寵愛を受けていない者たちなのであるから。


(訳注)

怨情 

(恨むことさえなくなった心持を詠う)

『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々とあるが、閨の簾の上げ下ろしが日課となった妃嬪は、うらむことさえあきらめたおんなたちである。

 

美人捲珠簾、深坐嚬蛾眉。
寵愛を失った妃賓は、今日も最後に珠簾を巻き上げて準備を整えおわる、それから、なにをするわけもなく、独り、坐して身動きもしないでいて、きれいな眉をひそめている。

美人 古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。《禮記》「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。
珠簾  玉を飾ったすだれ。「捲珠簾」というこういは、閨の準備が整ったことを言う。

深坐 身動きもしないで座ること。

  眉間にしわをよせて愁いの表情をする。
蛾眉  蛾の触角のような三日月がたの女性の美しい眉。

但見涙痕濕、不知心恨誰。

じっと見ていると 涙がほほが濡れたまま、心に誰をか恨んでいるのだろうが、傍人にはわからない。たくさんの妃賓がいて、ほとんどのものは寵愛を受けていない者たちなのであるから。

涙痕  涙の流れた跡。

不知心恨誰 李白が朝廷にいる頃の玄宗には100人以上の妃賓がいたし、それに近い妓優たちもたくさんいたので、寵愛を失えば人知れず死んでゆくものである。

后妃たちの生活は富貴であり、また賛沢でもあった。彼女たちは衣食の心配の必要はなく、内庫(宮中の資材課)が必要なもの一切を支給した。「唐の法は北周、隋の法を踏襲し、妃嬪、女官には地位に尊卑があったから、その品階によって衣服、化粧の費用を支給した」(『旧唐書』王鉷伝)。唐初以来、国庫が日に日に豊かになると、后妃たちの生活もそれに応じて贅沢になった。玄宗の代になると宮中の生活が贅沢になりすぎたので、皇帝は宮中にあった珠玉宝石、錦柄を焼き捨て、また宮中の衣服を専門に供する織錦坊を閉鎖したことがあった。しかし、いくばくもなく開元の盛世が到来すると、玄宗も初志を全く翻したので、宮中生活はまた華美に復した。玄宗は寵愛した妃嬪に大量の褒美を与えた。王鉷は、毎年百億にものぼる銭、宝貨を皇室に寄進し、専ら玄宗が妃嬪に賜る恩賞の費用とした。そして「三千の寵愛、一身に在り」と称された楊貴妃は、さらに一層贅沢の限りを尽したので、宮中にいた七百人の織物職人が専門に彼女のために刺繍をし、また他に数百人の工芸職人が彼女の調度品を専門に制作していた。また、楊貴妃は荔枝が好きだったので、玄宗は万金を費やすのを惜しまず、昼夜駅伝の馬を走らせ、荔枝を蜀(四川)より長安に運ばせた。詩人杜牧はそれを風刺し、「一騎 紅塵 妃子笑う、人の是れ荔枝来るを知る無し」(「華清宮に過る絶句」)と詠じた。

 

后妃たちの生活は優閑かつ安逸なもので、終日飽食し何もしないで遊びくらした。もちろん、時には彼女たちも形ばかりの仕事をしなければならなかった。たとえば恒例となっている皇后の養蚕の儀式や六宮(皇后の宮殿)での繭を献ずる儀式を主催し参加すること〔-これは天下の婦女に率先して養蚕事業の範を示すことを意味していた〕。玄宗の時代、帝は彼女たちに自ら養蚕をするよう命じ、「女が専門にすべき仕事を知らしめようとした」 ことがあった(『資治通鑑』巻二一三、玄宗開元十五年)。しかし、この仕事も当然ながら身分の賎しい宮女たちに押し付けられたはずであり、本当に彼女たちを働かせることにはならなかったに相違ない。この他にも、また祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式にも参加しなければならなかった。

 

『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。
大明宮の圖003 

743年(93)李太白集939巻二十四50怨情  412Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(93) Ⅰ李白詩1777 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7425

李白  怨情

新人如花雖可寵,故人似玉由來重。花性飄揚不自持,玉心皎潔終不移。

故人昔新今尚故,還見新人有故時。請看陳后黃金屋,寂寂珠簾生網絲。

(心変わりしてゆく夫に対して隋の江總の詩を変化させて、その情思をうたう)

新たに迎えられた若き人は、容貌絶麗、さながら花の如くにして、まことに寵愛をうけることであろうが、これまでいた夫人は、温潤玉の如く、従来、重んぜられて居たのである。元來、花はその素性諷揚であり、浮気で自ら支持することができないが、玉は其の心は秀麗皎潔であり、決して移ることはない。以前からいる夫人も、むかしは新しく若く美しかったが、今は次第に老けてゆくもので、やがて、新人もこの循環に乗って、どうように老けたことを実感する時を見るであろう。この典型は、漢の武帝の陳皇后、玄宗の王皇后であり、その初は、黄金の屋に蔵して、君寵を受けて居たが、兎角する内に長門宮に移され、旧屋には、珠簾寂寂として、蜘蛛が鋼を張るように成って仕舞った。つまり、男の心は秋の空、新故逓降、その思いは決して長く続かず、今の新人も亦た故妾の如く、棄てられる時がかならずあるのである。

李太白集巻二十四50

怨  情

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7425

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-93

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紀年:743年天寶二年43歳 94-93

卷別:    卷一八四              文體:    七言古詩

詩題:    怨情

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

寫及地點:無

交遊人物/地點:  

詩文:

 

怨情

(心変わりしてゆく夫に対して隋の江總の詩を変化させて、その情思をうたう)

新人如花雖可寵,故人似玉由來重。

新たに迎えられた若き人は、容貌絶麗、さながら花の如くにして、まことに寵愛をうけることであろうが、これまでいた夫人は、温潤玉の如く、従来、重んぜられて居たのである。

花性飄揚不自持,玉心皎潔終不移。

元來、花はその素性諷揚であり、浮気で自ら支持することができないが、玉は其の心は秀麗皎潔であり、決して移ることはない。

故人昔新今尚故,還見新人有故時。

以前からいる夫人も、むかしは新しく若く美しかったが、今は次第に老けてゆくもので、やがて、新人もこの循環に乗って、どうように老けたことを実感する時を見るであろう。

請看陳后黃金屋,寂寂珠簾生網絲。

この典型は、漢の武帝の陳皇后、玄宗の王皇后であり、その初は、黄金の屋に蔵して、君寵を受けて居たが、兎角する内に長門宮に移され、旧屋には、珠簾寂寂として、蜘蛛が鋼を張るように成って仕舞った。つまり、男の心は秋の空、新故逓降、その思いは決して長く続かず、今の新人も亦た故妾の如く、棄てられる時がかならずあるのである。

 

(怨情)

新人 花の如く寵ず可し雖ども,故人 玉に似て 由來重し。

花性 飄揚 自ら持せず,玉心 皎潔 終に移らず。

故人 昔 新たに 今 尚お故なり,還た見る 新人の故き時有るを。

請う看よ 陳后の黃金の屋を,寂寂 珠簾 網絲を生ず。

 

漢長安城 00 

『怨情』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

怨情

新人如花雖可寵,故人似玉由來重。

花性飄揚不自持,玉心皎潔終不移。

故人昔新今尚故,還見新人有故時。

請看陳后黃金屋,寂寂珠簾生網絲。

(下し文)
(
怨情)

新人 花の如く寵ず可し雖ども,故人 玉に似て 由來重し。

花性 飄揚 自ら持せず,玉心 皎潔 終に移らず。

故人 昔 新たに 今 尚お故なり,還た見る 新人の故き時有るを。

請う看よ 陳后の黃金の屋を,寂寂 珠簾 網絲を生ず。


(現代語訳)
怨情(心変わりしてゆく夫に対して隋の江總の詩を変化させて、その情思をうたう)

新たに迎えられた若き人は、容貌絶麗、さながら花の如くにして、まことに寵愛をうけることであろうが、これまでいた夫人は、温潤玉の如く、従来、重んぜられて居たのである。

元來、花はその素性諷揚であり、浮気で自ら支持することができないが、玉は其の心は秀麗皎潔であり、決して移ることはない。

以前からいる夫人も、むかしは新しく若く美しかったが、今は次第に老けてゆくもので、やがて、新人もこの循環に乗って、どうように老けたことを実感する時を見るであろう。

この典型は、漢の武帝の陳皇后、玄宗の王皇后であり、その初は、黄金の屋に蔵して、君寵を受けて居たが、兎角する内に長門宮に移され、旧屋には、珠簾寂寂として、蜘蛛が鋼を張るように成って仕舞った。つまり、男の心は秋の空、新故逓降、その思いは決して長く続かず、今の新人も亦た故妾の如く、棄てられる時がかならずあるのである。

大明宮の圖003
(訳注)

怨情

(心変わりしてゆく夫に対して隋の江總の詩を変化させて、その情思をうたう)

1 怨情とは、女の夫を怨む情思である。この詩は、夫が新に女を引き入れて、故妻を追ひ出したに因り、その故妻に代って作ったのである。

【解説】乾隆御批には「偶ま古辭を引いて、別に新意を出す、怨意言わずして顕わる」とある。それは故人昔新今尚故の二句が、江總の詩に本づいて、いささか変化したことを言ったのである。

《閨怨篇》隋、江總.

蜘蛛作絲滿帳中。 芳草結葉當行路。

紅臉脈脈一生啼。 黃鳥飛飛有時度。

故人雖故昔經新。 新人雖新複應故。

蜘蛛 絲を滿帳の中に作り。 芳草 葉を結んで行路に當る。

紅臉 脈脈として一生啼き。 黃鳥 飛飛として時に度る有り。

故人 故なりと雖も 昔 新らたなるを經たり。 新人 新なりと雖も 複た故に應う。

江總(519 - 594年)は、中国南北朝時代、梁・陳の政治家・文学者。字は総持。済陽郡考城(現河南省)の人。南朝の名門貴族の家に生まれ、梁・陳の高官を歴任し、陳の後主の時代には尚書令(宰相)となるが、後主の宴席にはべり詩文を作るのみで政務に励まず、陳が北朝の隋に滅ぼされる原因を作った一人とされる。

 

新人如花雖可寵,故人似玉由來重。

新たに迎えられた若き人は、容貌絶麗、さながら花の如くにして、まことに寵愛をうけることであろうが、これまでいた夫人は、温潤玉の如く、従来、重んぜられて居たのである。

新人 新たに迎えられた夫人。

可寵 寵愛を受けるべく若くて美しい。

故人 従来からいる夫人。

唐代とはどのような時代 であったのか。人口の半分を占める女性たちは、未来永劫にわたって回復不可能な二等人となり、二度と再び他の半分である男性と平等になることはなかった。かくして、男を生めば「弄璋」(璋をつかむ)といい、女を生めば「弄瓦」(瓦【いとまき】をつかむ。古代、女子が生れると糸巻を与える習慣があった)といった。そこで、「婦は服するなり」「婦人は人に伏すなり」ということになり、「女子と小人(奴僕)は養い難し」とか、「三従四徳」を守れとか、「餓死しても小事であり、貞節を失うことの方が大事だ……」といった価値観が生れた。後宮に入る、ふじんとしてむかえられるということは、選ばれる幸運を与えることができたということである。その理由は二つの方面から説明することができる。まずは、三百年間も続いた大唐帝国は、まさに輝ける封建時代の盛世にへり、封建道徳も後世のように厳格で過酷な段階にまでは発展していなかったからである。封建支配者が人々の肉体と精神を禁縛する手段としての封建道徳は、もともと支配者の必要に従って一歩一歩発展してきたものである。支配者というものは、いつだって世も末になればなるほど、人々の頭脳、身体、七情六欲を、女性の足とともに取り締まる必要があると感じるようになり、封建道徳もまた彼らのこうした感覚が日ましに強まるにつれ、いよいよ厳格に、かつ周到になっていった。

種々の原因によって、唐朝はこの王朝特有の「家庭の風紀の乱れ」、「封建道徳の不振」という状況を生みだした。こうした状況は後世の道学者たちの忌み嫌うところとなったが、しかし逆にこの時代に生きた女性たちにはきわめて大きな幸運をもたらし、彼女たちが受ける抑圧、束縛をいささか少なくしたので、彼女たちは心身共に比較的健康であった。こうして、明朗、奔放、勇敢、活発といった精神的特長、および独特の行動や風格、思想や精神などが形成されたのである。

七情六欲

『礼記』 の記載にある喜、怒、哀、催、愛、悪、欲の七情と、生、死、耳、目、口、鼻の六つから発する欲。

 

花性飄揚不自持,玉心皎潔終不移。

元來、花はその素性諷揚であり、浮気で自ら支持することができないが、玉は其の心は秀麗皎潔であり、決して移ることはない。

飄揚 花びらや、布などがひるがえり舞い上がること。

皎潔 秀麗皎潔: たいへん立派で、清らかでうつくしいこと。「秀麗」は、他のものより一段とりっぱで美しいこと。「皎潔」は、白く清らかで汚れのないさま。

 

故人昔新今尚故,還見新人有故時。

以前からいる夫人も、むかしは新しく若く美しかったが、今は次第に老けてゆくもので、やがて、新人もこの循環に乗って、どうように老けたことを実感する時を見るであろう。

故人昔新今尚故 昔新悲故,今故悲新

還見 唐代の適齢期は、15~18歳で、23歳から25歳までを盛りとする。この5年から10年のサイクルを言う。

 

請看陳后黃金屋,寂寂珠簾生網絲。

この典型は、漢の武帝の陳皇后、玄宗の王皇后であり、その初は、黄金の屋に蔵して、君寵を受けて居たが、兎角する内に長門宮に移され、旧屋には、珠簾寂寂として、蜘蛛が鋼を張るように成って仕舞った。つまり、男の心は秋の空、新故逓降、その思いは決して長く続かず、今の新人も亦た故妾の如く、棄てられる時がかならずあるのである。

 


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李白  春怨

白馬金羈遼海東,羅帷繡被臥春風。

落月低軒窺燭盡,飛花入笑床空。

飛びちる花びらが家の中へ入ってきて、寝床がからっぽなのをあざわらう。宴も開かれて世間は賑やかにしている。貴族の妻妾について詠っている。)

白馬にまたがり、金の手綱を握りしめた選りすぐりの軍団は、遼海の東へ出征し異民族に恐怖をあたえているという。うすぎぬの帳のなかで、刺繍で飾った布団をかけて横になっているところに、春風が吹いてくる。夜が更けてくれば、しずみかけた月が軒端より低い空から、燈火の燃えつきた部屋の中をのぞきこんでいる。昼静かなるとき、飛びちる花びらが戸口から乱れ入って、寝床がからっぽなのをあざわらうかのように、この様子を見ると、愈々感慨に堪えぬのである。

李太白集巻二十四44

春  怨

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Index-23

743年天寶二年43 

94-92

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年:743年天寶二年43歳 94-92

卷別:    卷一八四              文體:    七言

詩題:    春怨

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

春怨

飛びちる花びらが家の中へ入ってきて、寝床がからっぽなのをあざわらう。宴も開かれて世間は賑やかにしている。貴族の妻妾について詠っている。)

白馬金羈遼海東,羅帷繡被臥春風。

白馬にまたがり、金の手綱を握りしめた選りすぐりの軍団は、遼海の東へ出征し異民族に恐怖をあたえているという。うすぎぬの帳のなかで、刺繍で飾った布団をかけて横になっているところに、春風が吹いてくる。
落月低軒窺燭盡,飛花入笑床空。

夜が更けてくれば、しずみかけた月が軒端より低い空から、燈火の燃えつきた部屋の中をのぞきこんでいる。昼静かなるとき、飛びちる花びらが戸口から乱れ入って、寝床がからっぽなのをあざわらうかのように、この様子を見ると、愈々感慨に堪えぬのである。

 

(春怨)

白馬 金羈【きんき】遼海の東、 羅帷【らい】繡被【しゅうひ】春風に臥す。

落月 軒に低【たれ】て 燭の盡くるを窺い。 飛花 に入って 牀の空しきを笑う

 

楊貴妃清華池002 

『春怨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

春怨

白馬金羈遼海東,羅帷繡被臥春風。

落月低軒窺燭盡,飛花入笑床空

(下し文)
(春怨)

白馬 金羈【きんき】遼海の東、 羅帷【らい】繡被【しゅうひ】春風に臥す。

落月 軒に低【たれ】て 燭の盡くるを窺い。 飛花 に入って 牀の空しきを笑う

(現代語訳)
春怨飛びちる花びらが家の中へ入ってきて、寝床がからっぽなのをあざわらう。宴も開かれて世間は賑やかにしている。貴族の妻妾について詠っている。)

白馬にまたがり、金の手綱を握りしめた選りすぐりの軍団は、遼海の東へ出征し異民族に恐怖をあたえているという。うすぎぬの帳のなかで、刺繍で飾った布団をかけて横になっているところに、春風が吹いてくる。
夜が更けてくれば、しずみかけた月が軒端より低い空から、燈火の燃えつきた部屋の中をのぞきこんでいる。昼静かなるとき、飛びちる花びらが戸口から乱れ入って、寝床がからっぽなのをあざわらうかのように、この様子を見ると、愈々感慨に堪えぬのである。

簷間樹
(訳注)

春怨

飛びちる花びらが家の中へ入ってきて、寝床がからっぽなのをあざわらう。宴も開かれて世間は賑やかにしている。貴族の妻妾について詠っている。)


白馬金羈遼海東、羅帷繡被臥春風。
白馬にまたがり、金の手綱を握りしめた選りすぐりの軍団は、遼海の東へ出征し異民族に恐怖をあたえているという。うすぎぬの帳のなかで、刺繍で飾った布団をかけて横になっているところに、春風が吹いてくる。
1 白馬 若い貴族の出征。「白馬将軍」の名でも知られる公孫瓚がおり、中国の東漢(後漢)〜三国時代初期の人物であり、群雄の一人として北平を中心に勢威を振るった。白馬に乗せた選りすぐりの精兵を率い、自身も武勇に優れていたことから「白馬長史」と呼ばれ、異民族からは恐怖の対象だった。

『優秀な人間は、取り立ててやっても当然と思うだけで恩義を感じない』という理由で、凡庸な人物を重用した。その一方で、当時としては卑しい身分とされていた商人を重用し、交易などで莫大な利益を得ていたという。また、龐徳が白馬に乗るのを常としていたため、関羽の軍勢は龐徳を白馬将軍と呼んで畏れた。 

2 金羈 金をよりこんだ白い手綱。

3 遼海 現在の遼寧省。南満州。

4 羅帷 うすぎぬのとばり。

5 繡被 刺繍で飾ったかけ布団。


落月低軒窺燭盡、飛花入笑床空。
夜が更けてくれば、しずみかけた月が軒端より低い空から、燈火の燃えつきた部屋の中をのぞきこんでいる。昼静かなるとき、飛びちる花びらが戸口から乱れ入って、寝床がからっぽなのをあざわらうかのように、この様子を見ると、愈々感慨に堪えぬのである。

6 落月 沈みかけた月。沈みかけた月は性を連想させる。 

7 燭 ともしび。 

8 飛花入 春満開の花びらが舞い散って、戸口から中に入ってくる。梁、簡文帝《序愁賦》「玩飛花之入,看斜暉之度寮。」とあるに基づく。飛花 春満開の花びらが舞い散っている。

9 笑床空 空牀に人無きをあざけり笑う。この笑うという意味は、咲くという意味があり、それが空しいのである。梁、蕭子範、《春望古意》詩「光景斜漢宮,橫梁照采虹,春情寄柳色,鳥語出梅中,氛氳閨裏思,逶迤水上風,落花徒入,何解妾床空。」、の雰囲気其のままである。

743年(91)李太白集931巻二十四42長門怨二首 其二  410Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(91) Ⅰ李白詩1775 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7415

李白  長門怨,二首之

桂殿長愁不記春,黃金四屋起秋塵。

夜懸明鏡青天上,獨照長門宮裡人。

(漢武帝の陳皇后のことを檃括して玄宗の王皇后を詠う)

その身は、柱の香木の御殿に閉じこもっていて、あまりに悲しく、長い愁に、春が来たのも気づかない、あの「金屋」の黄金を張りつけた四方の壁も、衰えゆく季節とともに、秋塵を散じ立てる。夜になれば、月皎皎として高くさしのぼり、さながら、明鏡を青天の上にかけてくれたようで、心ありげに、長門宮の中にすむあの陳皇后を、さびしく照らすかのようにみえる。

李太白集  巻二十四42

長門怨二首 其二

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7415

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-91

410 <1000

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-90

卷別:    卷一八四              文體:    七言

詩題:    長門怨,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              長門宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:長門殿  

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

長門怨,二首之一 
(秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。
月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。

やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

長門怨,二首の一
天は北斗を囘らして西樓に挂かり、金屋 人無く 螢火流る。 
月光 到らんと欲す 長門殿、別に作す 深宮一段の愁。

 

年:743年天寶二年43歳 94-91) 

卷別:    卷一八四              文體:    七言

詩題:    長門怨,二首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              長門宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:長門殿  

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

長門怨,二首之二

(漢武帝の陳皇后のことを檃括して玄宗の王皇后を詠う)

桂殿長愁不記春,黃金四屋起秋塵。

その身は、柱の香木の御殿に閉じこもっていて、あまりに悲しく、長い愁に、春が来たのも気づかない、あの「金屋」の黄金を張りつけた四方の壁も、衰えゆく季節とともに、秋塵を散じ立てる。
夜懸明鏡青天上,獨照長門宮裡人。

夜になれば、月皎皎として高くさしのぼり、さながら、明鏡を青天の上にかけてくれたようで、心ありげに、長門宮の中にすむあの陳皇后を、さびしく照らすかのようにみえる。

(長門怨,二首の二)

桂殿 長く愁て 春を記せず。 黃金四屋 秋塵起る。

夜 明鏡を懸け青天の上。 獨照らす長門宮里の人。
大明宮の圖003

 

『長門怨,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

長門怨,二首之二

桂殿長愁不記春,黃金四屋起秋塵。

夜懸明鏡青天上,獨照長門宮裡人。

(下し文)
(長門怨,二首の二)

桂殿 長く愁て 春を記せず。 黃金四屋 秋塵起る。

夜 明鏡を懸け青天の上。 獨照らす長門宮里の人。

(現代語訳)
(漢武帝の陳皇后のことを檃括して玄宗の王皇后を詠う)

その身は、柱の香木の御殿に閉じこもっていて、あまりに悲しく、長い愁に、春が来たのも気づかない、あの「金屋」の黄金を張りつけた四方の壁も、衰えゆく季節とともに、秋塵を散じ立てる。
夜になれば、月皎皎として高くさしのぼり、さながら、明鏡を青天の上にかけてくれたようで、心ありげに、長門宮の中にすむあの陳皇后を、さびしく照らすかのようにみえる。

(訳注)

長門怨,二首之二

(漢武帝の陳皇后のことを檃括して玄宗の王皇后を詠う)

 

桂殿長愁不記春。 黃金四屋起秋塵。
その身は、柱の香木の御殿に閉じこもっていて、あまりに悲しく、長い愁に、春が来たのも気づかない、あの「金屋」の黄金を張りつけた四方の壁も、衰えゆく季節とともに、秋塵を散じ立てる。
8 桂殿 香のよい桂の木でつくった宮殿。

9 記 記憶する。心にとめる。気付く。

10 起秋塵 六朝の鮑照の詩に「高墉宿寒霧、平野起秋塵」とある。(高い城壁につめたい霧が立ちこめ、平野に秋の塵がおこる) 


夜懸明鏡青天上。 獨照長門宮里人。
夜になれば、月皎皎として高くさしのぼり、さながら、明鏡を青天の上にかけてくれたようで、心ありげに、長門宮の中にすむあの陳皇后を、さびしく照らすかのようにみえる。
11 夜懸明鏡 司馬相如の「長門の賦」に「懸明月以自照兮、徂清夜於洞房」とある。(明月を空にかけて自分を照らし、清らかな夜を奥深い部屋でくらす)

12 長門宮裏人 陳皇后を言うことで、玄宗の王皇后(廃)をいう。

 

漢長安城 00 


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李白  長門怨,二首之一

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。
(秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

李太白集  巻二十四41

長門怨二首 其一

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Index-23

743年天寶二年43歳 

94-(90)

409 <1000

 

 

 
  2016年2月29日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(90)李太白集930巻二十四41長門怨二首 其一  409Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(90) Ⅰ李白詩1774 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7410  
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韓愈138 #2《 巻01-22秋懷詩,十一首之九 #2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(10)#2<1687> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7411  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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年:743年天寶二年43歳 94-90

卷別:    卷一八四              文體:    七言

詩題:    長門怨,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              長門宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:長門殿  

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

長門怨,二首之一 
(秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。
月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。

やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

長門怨,二首の一
天は北斗を囘らして西樓に挂かり、金屋 人無く 螢火流る。 
月光 到らんと欲す 長門殿、別に作す 深宮一段の愁。

 

 

『長門怨,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

長門怨,二首之一

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。

(下し文)
(長門怨,二首の一)

天は北斗を囘らして西樓に挂かり、金屋 人無く 螢火流る。

月光 到らんと欲す 長門殿、別に作す 深宮一段の愁。
(現代語訳)
長門怨,二首之一 (秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。
やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

漢長安城 00
(訳注)

長門怨
(秋の夜、夜空を眺めて、星、月の動きを見て、漢の陳皇后の怨情を思い、司馬相如に倣い詠ったもの)

1 長門怨 《樂府古題要解》「長門怨、為漢武帝陳皇后作也。後長公主嫖女字阿嬌。及衛子夫得幸、後退居長門宮、愁悶悲思、聞司馬相如工文章、奉黃金百斤令為解愁之詞。相如作長門賦。帝見而傷之複得親幸者數年。後人因其賦為長門怨焉。」(長門怨は、漢の武帝の陳皇后の為に作る也。後は長公主嫖の女、字は阿嬌。衛子夫幸を得るに及び、後、退いて長門宮に居り、愁悶悲思し、司馬相如の文章に工なるを聞き、黃金百斤を奉じて、解愁の詞を為らしむ。相如長門賦を作る。帝見て、之を傷み複た親幸を得るもの數年。後人、其の賦に因って長門怨を為る。

古くからある歌謡の題。漢の武帝の陳皇后のために作られたものである。陳皇后は、幼い頃は阿嬌とよばれ、いとこに当る武帝のお気にいりであったが、帝の寵愛が衛子夫(のちに皇后)に移ると、ひどいヤキモチをやいたので、ついに長門宮に幽閉された。長門宮は、長安の東南の郊外にある離宮である。悶悶と苦しんだ彼女は、当時の文豪、司馬相如にたのみ、黄金百斤を与えて、帝の気持をこちらへ向けなおすような長い韻文を作ってもらった。これが「長門の賦」である。後世の人は、その話にもとづき「長門怨」という歌をつくった。

《三輔黄圖、巻三、甘泉宮》「長門宮,離宮,在長安城。孝武陳皇后得幸,頗妬,居長門宮。」

長安志、巻四「長門宮武帝陳皇后退居長門宮沅按宮在長安故城之東


天囘北斗挂西樓。 金屋無人螢火流。
天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかり、皇后は阿嬌を藏すといったあの黄金造りの御殿には長門宮に追い出されたので人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛び、秋は深まって人を感思せしめる。
2 北斗 北斗七屋。

3 西楼 長安の宮中の西楼。長門宮が長安東に上林苑の中に離宮としてあるので、天子のいる宮殿は西にある。
4
 金屋 金づくりの家。武帝は少年の日、いとこの阿嬌が気に入って言った。「もし阿嬌をお嫁さんにもらえたら、黄金づくりの家(金屋)に入れてあげるといい、建設された宮殿。

124巻三35妾薄命

「漢帝寵阿嬌。 貯之黃金屋。」

147巻四22宮中行樂詞八首 其一

「小小生金屋。 盈盈在紫微。 」

931巻二十四42長門怨二首 其二

「天回北斗挂西樓、金屋無人螢火流。」

939巻二十四50怨情

「請看陳后黃金屋。 寂寂珠帘生網絲。」

宮中行樂詞八首其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141

5 螢火流 句の上にある“金屋”が“北斗”と関連して金星が流れるということで、春夏と過ぎ秋になることを言う。「火」とか「大火」と呼ばれる。陰暦七月末から西に流れる。李白《黄葛篇》「蒼梧大火落、暑服莫輕擲。 
越何の地方、蒼梧県だといっても大火の星が西に流れると秋が来るのだ、軽はずみに夏服だと思って投げ出すことがあってはならない。

黄葛篇 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -237

 

月光欲到長門殿。 別作深宮一段愁。
やがて、月の光が陳皇后の退居する長門殿に差し込んで来ようとしたころには、 眠れぬ夜に、更に一段の愁いが増してゆくことであろう。

長門殿にはやきもちの憂いが漂っている、後宮において皇帝の寵愛を受けている時分、悶々とした怨が最高潮に達する。

 

長門怨,二首の一
天は北斗を囘らして西樓に挂かり、金屋 人無く 螢火流る。 
月光 到らんと欲す 長門殿、別に作す 深宮一段の愁。

長門怨,二首之一

天迴北斗掛西樓,金屋無人螢火流。

月光欲到長門殿,別作深宮一段愁。

6 【阿嬌/陳皇后】

6 【阿嬌/陳皇后】

108巻三19白頭吟

「此時阿嬌正嬌妒、獨坐長門愁日暮。」

108巻三19白頭吟

「聞道阿嬌失恩寵、千金買賦要君王。」

124