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李白集校注 訳注解説ブログ 750年-3 《僧伽歌 【巻七(一)五二三】》 #2 漢文委員会 紀 頌之 Blog11040
750年 |
天寶九年 |
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3. 僧伽歌 【巻七(一)五二三】 #2 |
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李白集校注 訳注解説 |
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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 11040 |
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僧伽歌
(子供頃、天竺から仏教を広めるために来たえらい高僧、僧伽法師と論じ、あるいは懺悔して、重い罪を軽くできると詠う)
#1
真僧法號號僧伽,有時與我論三車。
まことの高僧というべき尊き法師がいらっしゃる、その法号を僧伽といわれるお方である。ある時、このお方は我々とともに、諸賢聖道力の浅深、三車に類することを論じたのである。
問言誦咒幾千徧,口道恆河沙復沙。
いままでに経文を幾千遍唱えてきたかといって、問うてみたが恆河の沙また沙ほどで、とても数え切れるものではない、と申された。
此僧本住南天竺,爲法頭陀來此國。
この大師はもともと天竺に生まれたが仏教を広めるために、行いを澄まして、わざわざ中国まで来たのである。
戒得長天秋月明,心如世上青蓮色。
この法徳堅固なることは、もとより論ずべくもなく、戒を持することは、長天の秋月のように明るく、心は塵埃に染まらない青蓮の色のようである。
#2
意清淨,貌稜稜,亦不減,亦不增。
こうして、意は清浄を旨とされたし、貌は稜稜としてさわやかになるし、一切諸法空相を得て、この上、減らすこともできず、増やすこともできない。
瓶裏千年鐵柱骨,手中萬歲胡孫藤。
瓶の中には千年も経過しているお釈迦様の舎利を納めていて、手には、萬歳を経過した藤杖をもっている。
嗟予落魄江淮久,罕遇真僧說空有。
ああ、予は、江南、淮河地方に漂泊することもすでに長期間になるけれど、空有をたがいに用ち得るような尊い真の僧侶に遭遇できることは極めてまれなことである。
一言散盡波羅夷,再禮渾除犯輕垢。
しかし、今日機縁、幸いにしてむなしくはないことであり、この高僧に邂逅したことは誠にありがたいことで、一言して懺悔すれば、波羅夷のごくごく重い罪をも消すことができ、再度禮をなせば、一切の輕垢をすべて取り除くことができる。
(僧 伽の歌)
#1
真僧の法號は僧伽と號し,時に有って 我と三車を論ず。
問うて言う 咒を誦する幾千徧,口に道う 恆河沙 復た沙。
此の僧 本と 住うは南天竺,法の爲に 頭陀 此の國に來る。
戒は得たり 長天秋月 明らかなるを,心は世上青蓮の色の如し。
#2
意 清淨,貌 稜稜,亦た不減,亦た不增。
瓶裏 千年 鐵柱の骨,手中 萬歲 胡孫の藤。
嗟す予が江淮に落魄すること久しく,真僧が空有を說くに遇うこと罕【まれ】なるを。
一言散じ盡す波羅夷,再禮 渾【す】べて 輕垢を犯すを除く。
李白集校注《僧伽歌》現代語訳と訳註解説
(本文)
僧伽歌
#1
真僧法號號僧伽,有時與我論三車。
問言誦咒幾千徧,口道恆河沙復沙。
此僧本住南天竺,爲法頭陀來此國。
戒得長天秋月明,心如世上青蓮色。
(下し文)
(僧 伽の歌)
#1
真僧の法號は僧伽と號し,時に有って 我と三車を論ず。
問うて言う 咒を誦する幾千徧,口に道う 恆河沙 復た沙。
此の僧 本と 住うは南天竺,法の爲に 頭陀 此の國に來る。
戒は得たり 長天秋月 明らかなるを,心は世上青蓮の色の如し。
(現代語訳)
(子供頃、天竺から仏教を広めるために来たえらい高僧、僧伽法師と論じ、あるいは懺悔して、重い罪を軽くできると詠う)
#2
こうして、意は清浄を旨とされたし、貌は稜稜としてさわやかになるし、一切諸法空相を得て、この上、減らすこともできず、増やすこともできない。
瓶の中には千年も経過しているお釈迦様の舎利を納めていて、手には、萬歳を経過した藤杖をもっている。
ああ、予は、江南、淮河地方に漂泊することもすでに長期間になるけれど、空有をたがいに用ち得るような尊い真の僧侶に遭遇できることは極めてまれなことである。
しかし、今日機縁、幸いにしてむなしくはないことであり、この高僧に邂逅したことは誠にありがたいことで、一言して懺悔すれば、波羅夷のごくごく重い罪をも消すことができ、再度禮をなせば、一切の輕垢をすべて取り除くことができる。
(訳注)
僧伽歌
(子供頃、天竺から仏教を広めるために来たえらい高僧、僧伽法師と論じ、あるいは懺悔して、重い罪を軽くできると詠う)
僧伽は、唐時代の高僧で、その傳は、太平廣記にみえる。
僧伽(そうぎゃ、 628年 - 710年(景龍4年))は、中国の唐代に西域より渡来した神異の僧である。
パミール高原の北の何国の人であり、自ら姓は何氏であると称していた。幼くして出家し、諸国を遊方した後、龍朔元年(661年)に、西涼地方に渡来し、さらに江南に至り、山陽県(江蘇省淮安県)の龍興寺に所属した。しばしば神異にわたる行跡が見られた。臨淮県(江蘇省盱眙県)城の信義坊で、地面を掘らせ、そこに伽藍を建立すると言った。古碑が出土し、そこは北斉代の香積寺の遺地であることが判明した。また、「普照王佛」と刻まれた金像も出土した。そこは賀跋氏の家であったが喜捨して、香積寺の故地に寺を建立した。
詳しくは、#1を参照
#2
意清淨,貌稜稜,亦不減,亦不增⑥。
こうして、意は清浄を旨とされたし、貌は稜稜としてさわやかになるし、一切諸法空相を得て、この上、減らすこともできず、増やすこともできない。
7 稜稜 1 かどだっているさま。また、気性などが厳しいさま。「稜稜たる山々」「気骨の稜稜たる人」2 寒さが厳しいさま。「稜稜たる寒気」
瓶裏千年鐵柱骨⑦,手中萬歲胡孫藤⑧。
瓶の中には千年も経過しているお釈迦様の舎利を納めていて、手には、萬歳を経過した藤杖をもっている。
鐵柱骨 別本に舎利骨とあり、お釈迦様のお骨ということ。
胡孫藤 胡孫藤で作った杖。楊齊賢、曰く「胡孫藤は乃ち藤杖を手にした所執者」をいう。
嗟予落魄江淮久,罕遇真僧說空有⑨。
ああ、予は、江南、淮河地方に漂泊することもすでに長期間になるけれど、空有をたがいに用ち得るような尊い真の僧侶に遭遇できることは極めてまれなことである。
江淮 江南、淮河地方をいう。
罕遇 遭遇することがまれなことである。
真僧說 尊い真の僧侶のお説教。
空有 空有 後漢書西域傳・淸心釋累之訓に「空有」とあり、兼ねて之を宗章懷太子に遣した。 註に「執著せざるを空と爲し、執著するを有と爲す。兼ねて遣謂う「不空不有とは虚實なり。兩忘れるなり。鳩摩羅什維摩詰經の註に佛法に有は二種ある。一には有、二には空、若し常に有に在らば、則ち想著に累せられ、若し常に空に在らば、則ち善本に於て捨てられる。若し空有迭に用いられれば、則ち二過を設けず、猶お日月代明、萬物以成がごとし。」とある。胡三省通鑑の註釋に「氏以て面、陳悔過ぎて懺と爲す。」とある。
一言散盡波羅⑩夷,再禮渾除犯輕垢⑪。
しかし、今日機縁、幸いにしてむなしくはないことであり、この高僧に邂逅したことは誠にありがたいことで、一言して懺悔すれば、波羅夷のごくごく重い罪をも消すことができ、再度禮をなせば、一切の輕垢をすべて取り除くことができる。
波羅夷 波羅夷罪(はらいざい)、あるいは単に波羅夷(はらい、巴:梵:pārājika, パーラージカ、波羅市迦)とは、仏教の出家者(比丘・比丘尼)に課される戒律(具足戒)の内、僧団(僧伽)永久追放に値する最重罪の総称。
輕垢 軽垢罪のこと。たとえ犯したとしても許される軽い罪のこと。四十八軽戒のそれぞれを犯した場合、軽垢罪とみなされる。重罪、波羅夷はらいの対語。軽垢罪は重罪と異なり、犯したとしても仏教徒としての資格を失わないから軽く、しかしながら犯してよいわけではなく、もし犯せば清浄な行いを汚すから垢である。四十八軽戒をやぶり、軽垢罪を犯した場合は、懺悔によってこれが許されるとされる。