漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
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どうぞよろしくお願いします。

李白集校注〔二〕巻二十二 古今體詩五十八首

秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝朓 #2 校注(卷二二〔二〕一三〇二)、卷181-32(天上何所有,) 李白詩749年-12 紀頌之Blog12065

秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝朓 #2 校注(卷二二〔二〕一三〇二)、卷181-32(天上何所有,) 李白詩749-12 紀頌之Blog12065

 

 

秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝

朝代:唐代

作者:李白

#1

天上何所有,迢迢白玉繩。
斜低建章闕,耿耿對金陵。
漢水舊如練,霜江夜清澄。

#2
長川瀉落月,洲渚曉寒凝。
獨酌板橋浦,古人誰可徵。
玄暉難再得,灑酒氣填膺。

 

 (秋夜,板橋浦,月に泛んで獨酌し、謝脁を懷う。)

天上 何の有る所,迢迢たり 白玉繩。
斜に建章の闕のに低れ,耿耿として 金陵に對す。
漢水 舊と練の如し,霜江 夜 清澄たり。
長川 落月を瀉し,洲渚 曉寒 凝る。
獨り酌む 板橋浦,古人 誰か徵す可き。
玄暉 再び得びがたし,酒を灑いで 氣 膺を填む。

 

  秋夜板橋浦汎月獨酌懐謝眺            王琦註

 《水經註》江水經三山又湘浦出焉水上南北結浮橋渡水故曰板橋浦

 《太平寰宇記》板橋浦在昇州江寜縣南四十里五尺源出觀山三十七里注大江

 謝𤣥暉之《宣城出新林浦向板橋詩》云、江路西南永歸流東北鶩天際識歸舟雲中辨江樹

天上何所有,迢迢白玉繩。

斜低建章闕,耿耿對金陵。

漢水舊如練,霜江夜清澄。

長川瀉落月,洲渚曉寒凝。

獨酌板橋浦,古人誰可徵。

玄暉難再得,灑酒氣填膺。

謝眺詩 玉䋲低建章。 李善註 春秋元命苞曰玉衡北兩星為玉䋲星。 

宋書永光元年以石頭城為長樂宫以北邸為建章宫

齊書、謝眺字𤣥暉陳郡陽夏人少好學有美名文章清麗江淹恨賦置酒欲

飲悲來填膺。李善註填滿也。

 

 

《秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝》 譯文及註釋

秋夜 (1) 板橋浦泛月獨酌懷 (2) 謝脁

天上何所有,迢迢白(3)玉繩
斜低 (4) 建章闕,耿耿對金陵。
漢水舊如練,霜江夜清澄。
長川瀉落月,洲渚曉寒凝。
獨酌板橋浦,古人誰可徵。
(5)玄暉難再得,灑酒氣 (6) 填膺

 

読み下し文

(秋夜、板橋浦、月に泛んで獨酌し、謝脁を懷う。)

天上 何の有る所,迢迢たり 白玉繩。 
斜に建章の闕に低れ,耿耿として 金陵に對す。 
漢水 舊と練の如し,霜江 夜 清澄たり。 
長川 落月を瀉し,洲渚 曉寒 凝る。 
獨り酌む 板橋浦,古人 誰か徵す可き。 
玄暉 再び得がたし,酒を灑いで 氣 膺【むね】を填【うづ】む。

 

詩意

(秋の夜長、金陵の近くの板橋浦に船を泛べ、月に対して独酌しつつ、かねてより推服している謝朓のゆかりの地であり、それを胸に思い作った詩である。)

天井には何かあるというところであり、北斗の玉繩の星が迢迢として白く輝いている。

そしてその星たちは、建章宮の上の斜めに低く垂れている、そして、耿耿として金陵の山々に対して続いている。

漢水は、“元の練の如し”と言われたぐらいに流れているが、まして、長江の水は極めて冷ややかに、夜色は澄み切っている。

長川はまさに落月に瀉いでいるようだし、河岸の渚、中洲の渚が断続的に連なる間に、曉寒が凝って白靄が川面に広がる。

船を泛べる板橋蒲に、こうして独酌への興も上がってくれば、古くから詩人のだれを徵すべきであろうか。

そうなれば、この地の風景を詠っている謝玄暉は再び得難い詩人であり、酒を灌げば、恨気はこの胸を填ばかりである。

 

 

 

 

訳注解説

秋夜 (1) 板橋浦泛月獨酌懷 (2) 謝脁

(秋の夜長、金陵の近くの板橋浦に船を泛べ、月に対して独酌しつつ、かねてより推服している謝朓のゆかりの地であり、その遺跡を目にすれば、それを胸に思い作った詩である。)

 

長川瀉落月,洲渚曉寒凝

長川はまさに落月に瀉いでいるようだし、河岸の渚、中洲の渚が断続的に連なる間に、曉寒が凝って白靄が川面に広がる。

・長川瀉落月 川面の映る西に落ちかかる月を盃に支流の長川からの流れが注ぎ込む という。

・曉寒凝 深夜から朝が近づくにつれ、空気中の温度が去ってゆくと川面の温度変化に、靄が発生する。

 

獨酌板橋浦,古人誰可

船を泛べる板橋蒲に、こうして独酌への興も上がってくれば、古くから詩人のだれを徵すべきであろうか。

 

 

(5)玄暉難再得,灑酒氣 (6) 填膺。

そうなれば、この地の風景を詠っている謝玄暉は再び得難い詩人であり、酒を灌げば、恨気はこの胸を填ばかりである。

(5)玄暉:齊書に、謝眺、字は𤣥暉、陳郡陽夏の人、少にして學を好み、美名有り 文章は清麗」とある。

(6) 填膺:江淹の恨賦に「置酒飲んと欲せば悲來し膺に填る。」とある。填は満満る。

膺:①むね(胸)。「服膺」 ②あ(当)てる。うける。ひきうける。「膺受」 ③うつ。征伐する。「膺懲」

秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝朓 #1 校注(卷二二〔二〕一三〇二)、卷181-32(天上何所有,) 李白詩749年-12 紀頌之Blog12057

秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝朓 #1 校注(卷二二〔二〕一三〇二)、卷181-32(天上何所有,) 李白詩749-12 紀頌之Blog12057

 

 

秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝

朝代:唐代

作者:李白

#1

天上何所有,迢迢白玉繩。
斜低建章闕,耿耿對金陵。
漢水舊如練,霜江夜清澄。

#2
長川瀉落月,洲渚曉寒凝。
獨酌板橋浦,古人誰可徵。
玄暉難再得,灑酒氣填膺。

 

 (秋夜,板橋浦,月に泛んで獨酌し、謝脁を懷う。)

天上 何の有る所,迢迢たり 白玉繩。
斜に建章の闕のに低れ,耿耿として 金陵に對す。
漢水 舊と練の如し,霜江 夜 清澄たり。
長川 落月を瀉し,洲渚 曉寒 凝る。
獨り酌む 板橋浦,古人 誰か徵す可き。
玄暉 再び得びがたし,酒を灑いで 氣 膺を填む。

 

  秋夜板橋浦汎月獨酌懐謝眺            王琦註

 《水經註》江水經三山又湘浦出焉水上南北結浮橋渡水故曰板橋浦

 《太平寰宇記》板橋浦在昇州江寜縣南四十里五尺源出觀山三十七里注大江

 謝𤣥暉之《宣城出新林浦向板橋詩》云、江路西南永歸流東北鶩天際識歸舟雲中辨江樹

天上何所有,迢迢白玉繩。

斜低建章闕,耿耿對金陵。

漢水舊如練,霜江夜清澄。

長川瀉落月,洲渚曉寒凝。

獨酌板橋浦,古人誰可徵。

玄暉難再得,灑酒氣填膺。

謝眺詩 玉䋲低建章。 李善註 春秋元命苞曰玉衡北兩星為玉䋲星。 

宋書永光元年以石頭城為長樂宫以北邸為建章宫

齊書、謝眺字𤣥暉陳郡陽夏人少好學有美名文章清麗江淹恨賦置酒欲

飲悲來填膺。李善註填滿也。

 

 

《秋夜板橋浦泛月獨酌懷謝》 譯文及註釋

秋夜 (1) 板橋浦泛月獨酌懷 (2) 謝脁

天上何所有,迢迢白(3)玉繩
斜低 (4) 建章闕,耿耿對金陵。
漢水舊如練,霜江夜清澄。
長川瀉落月,洲渚曉寒凝。
獨酌板橋浦,古人誰可徵。
(5)玄暉難再得,灑酒氣 (6) 填膺

 

読み下し文

(秋夜、板橋浦、月に泛んで獨酌し、謝脁を懷う。)

天上 何の有る所,迢迢たり 白玉繩。 
斜に建章の闕に低れ,耿耿として 金陵に對す。 
漢水 舊と練の如し,霜江 夜 清澄たり。 
長川 落月を瀉し,洲渚 曉寒 凝る。 
獨り酌む 板橋浦,古人 誰か徵す可き。 
玄暉 再び得がたし,酒を灑いで 氣 膺【むね】を填【うづ】む。

 

詩意

(秋の夜長、金陵の近くの板橋浦に船を泛べ、月に対して独酌しつつ、かねてより推服している謝朓のゆかりの地であり、それを胸に思い作った詩である。)

天井には何かあるというところであり、北斗の玉繩の星が迢迢として白く輝いている。

そしてその星たちは、建章宮の上の斜めに低く垂れている、そして、耿耿として金陵の山々に対して続いている。

漢水は、“元の練の如し”と言われたぐらいに流れているが、まして、長江の水は極めて冷ややかに、夜色は澄み切っている。

長川はまさに落月に瀉いでいるようだし、河岸の渚、中洲の渚が断続的に連なる間に、曉寒が凝って白靄が川面に広がる。

船を泛べる板橋蒲に、こうして独酌への興も上がってくれば、古くから詩人のだれを徵すべきであろうか。

そうなれば、この地の風景を詠っている謝玄暉は再び得難い詩人であり、酒を灌げば、恨気はこの胸を填ばかりである。

 

 

訳注解説

秋夜 (1) 板橋浦泛月獨酌懷 (2) 謝脁

(秋の夜長、金陵の近くの板橋浦に船を泛べ、月に対して独酌しつつ、かねてより推服している謝朓のゆかりの地であり、その遺跡を目にすれば、それを胸に思い作った詩である。)

作者:李白
(1) 板橋浦:王琦の解説、・《水經註》に「江水、三山を經、又た湘浦に出づ。水上南北、浮橋を結んで水を渡す。故に板橋浦と曰う」とある。

  ・《太平寰宇記》には、「板橋浦は、昇州江縣の南四十里に在り、五尺源は、觀山を出でて、三十七里、大江に注ぐ。」とある。

謝𤣥暉之《宣城出新林浦向板橋詩》に云う、「江路西南永、歸流東北鶩、天際識歸舟、雲中辨江樹。」

・昇州江縣:建康、金陵、南京のことで、隋代には江寧県、唐代には金陵県、白下県、上元県と改称されている。隋唐代には新たに開削された大運河により、長江対岸の揚州が物資の集積地となり、この地域の中心地としての地位を奪われた恰好となり、往時の都としての繁栄は見られなくなった。唐崩壊後の五代十国時代には、南唐の都城である金陵府が置かれ、後に改名されて西都と称する。三国時代になると呉の孫権が229年に石頭城という要塞を築いて建業と称してこの地に都を置いた。西晋にて一旦、建業とされた後に司馬鄴(愍帝)を避諱して建康と改められ、東晋及びその後の四王朝(宋、斉、梁、陳)の都となった。呉を含めた六国が全て同じ地に都を置いたことから六朝時代の名がある。

【意構成】起首四句は、玉縄の星を写す板橋浦の夜更けの風情を詠じ、中四句は、金陵付近の江上の風景を詠う。下四句は、謝朓を思って追慕の念を詠う。

天上何所有  迢迢白玉
斜低建章闕  耿耿對金
漢水舊如練  霜江夜清
長川瀉落月  洲渚曉寒
獨酌板橋浦  古人誰可
玄暉難再得  灑酒氣填

  
  
  
  
  
  

 

(2)   謝𤣥暉之《宣城出新林浦向板橋詩》云、「江路西南永歸流東北鶩天際識歸舟雲中辨江樹

六朝時代の斉の詩人。字は玄暉(げんき)。陽夏(河南省)の人。早くから文才をうたわれ,明帝のとき宣城太守となった。それによって謝宣城とも呼ばれる。のち斉末の勢力争いに巻き込まれて獄死した。沈約らとともに,武帝の永明年間に竟陵王(きょうりょうおう)蕭子良の客となり,いわゆる「永明体」の詩風をつくった「竟陵八友」の第一人者。形式美の追求と繊細清新な着想と表現を示し,特に叙景詩に優れ,その巧みな対句はのちに唐代の近体詩成立に影響を与えた。唐の杜甫,李白からも大いに推重され,一族の謝霊運,謝恵連とともに「三謝」と呼ばれる。『謝宣城集』(5巻)が現存する。

 

天上何所有,迢迢白(3)玉繩。

天井には何かあるというところであり、北斗の玉繩の星が迢迢として白く輝いている。

迢迢」の意味は遠くへだたるさまのこと。《文選.古詩十九首其十.迢迢牽牛星》:「迢迢牽牛星,皎皎河漢女。」

 

斜低 (4) 建章闕,耿耿對金陵
そしてその星たちは、建章宮の上の斜めに低く垂れている、そして、耿耿として金陵の山々に対して続いている。

(4) 建章闕:宋書に、「永光元年、石頭城を以って長樂と為し、北邸って建章宫。」とある。

・耿耿:1 光が明るく輝くさま。「洋 灯(ランプ)が―と輝いて居る」〈独歩・忘れえぬ人々〉2 気にかかることがあって、心が 安らかでないさま。

・金陵: 長江(揚子江)の河口近く、江蘇省の平野部の中心に位置する重要な都市。中国史上、何度か都とされ、その名も変わった。戦国時代の楚国に金陵邑に始まるとされ、金陵は今でも南京の古名および雅名とされている。三国時代の呉が都として建業といわれ、南北朝時代には東晋が都として建康と改名され、宋→斉→梁→陳の南朝の都となり、六朝文化が栄えた。隋は陳を滅ぼすと建康の都城を破壊、地名も江寧と改めた。唐以降は都ではなくなり、隣の揚州(江都)に繁栄を奪われたが、五代十国でこの地を都とする王朝(呉、南唐)が現れ、宋から元にかけても金陵府・江寧府・建康府と改称されたが、江南地方の中心として繁栄をとりもどした。元末の紅巾の乱のさなか、朱元璋は1356年にこの地を拠点として自立、応天府と名付けた。1368年に即位して明を建国、この地に大都城を築いて京師と称し都とした。1421年に永楽帝が北京に遷都してからはその副都となり、それ以降はこの地は南京と言われるようになる。以上、金陵→建業→建康→江寧→南京という地名に変化した。

 

漢水舊如練,霜江夜清澄。

漢水は、“元の練の如し”と言われたぐらいに流れているが、まして、長江の水は極めて冷ややかに、夜色は澄み切っている。

・漢水:漢江(かんこう)または漢水(かんすい)は、長江の最大の支流である。延長は1,532km、流域の面積は17.43km2。をいうものであるが、李白は、板橋蒲に浮かべての表現であるから長江のことを言う。

748年-7《廬江主人婦(卷二二(二)一三○六)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10310

748-7《廬江主人婦(卷二二(二)一三○六)》

 

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748-7《廬江主人婦(卷二二(二)一三○六)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10310

(漢の古樂府「爲焦仲卿妻作」に登場する嫁と同じように、夫の母に家を追い出された女性がいて、この女性を傷んでこの詩を作った)

孔雀は“姑悪、姑悪”といってないて、東南に向かって飛んでいったけれど、何処に止まっているのだろうか、ここに夫の母に家を追い出された女は、漢の古樂府「爲焦仲卿妻作」の母親に追い出された嫁と同じような人である。

烏がその塒をひとり、城樹に宿して、悲しく鳴く声は、夜空に響き渡るが、その声を聴いてどう思うのだろう、その哀れにさびしげな様相は、だれもがまことに傷心な思いをさせるのである。

 

 

 

李白 訳注解説 748遊揚州江陽縣廬江一帶

 

 

748年天寶七年  戊子 玄宗

高力士為驃騎大將軍。 賜祿山鐵券。 楊釗判度支事。

貴妃姊三人皆封國夫人。哥舒翰築神威軍應龍城。吐蕃不敢近青海。

李白四十八。遊揚州江陽縣廬江一帶。

 

748-01   

  口號王美人半醉(卷二五(二)一四八五0分割

  風動荷花水殿香,姑蘇臺上見王。

西施醉舞嬌無力,笑倚東窗白玉床。

 

748-02

  王送杜秀芝舉入京(卷十八(二)一○六四)0分割

秀才何翩翩!王許回也賢。

暫別廬江守,將遊京兆天。

秋山宜落日,秀木出寒煙。

欲折一枝桂,還來雁沼前。

 

748-03

  送楊燕之東魯(卷十七(二)一○三七) ③分割

關西楊伯起,漢日舊稱賢。四代三公族,清風播人天。

夫子華陰居,開門對玉蓮。

#2

何事歷衡霍,雲帆今始還。君坐稍解顏,為我歌此篇。

我固侯門士,謬登聖主筵。

#3

一辭金華殿,蹭蹬長江邊。二子魯門東,別來已經年。

因君此中去,不覺淚如泉。

 

748-04

  寄上王三首其一(卷十四(一)八九二)0分割

淮王愛八公,攜手綠雲中。

小子忝枝葉,亦攀丹桂叢。

謬以詞賦重,而將枚馬同。

何日背淮水?東之觀土風。

 

748-05

  寄上王三首其二(卷十四(一)八九三)

坐嘯廬江靜,閑聞進玉觴。

去時無一物,東壁挂胡床。

 

748-06

  寄上王三首其三(卷十四(一)八九四)0分割

英明廬江守,聲譽廣平籍。

灑掃黃金臺,招邀青雲客。

客曾與天通,出入清禁中。

襄王憐宋玉,願入蘭臺宮。

 

748-07

  廬江主人婦(卷二二(二)一三○六)0分割

孔雀東飛何處棲?廬江小吏仲卿妻。

為客裁縫君自見,城烏獨宿夜空啼。

 

748-08

  敘舊贈江陽宰陸調(卷十(一)六八四)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

#1

太伯讓天下,仲雍揚波濤。清風蕩萬古,跡與星辰高。

食東溟,陸氏世英髦

#2

多君秉古節,岳立冠人曹。風流少年時,京洛事遊遨。

腰間延陵劍,玉帶明珠袍。我昔鬥雞徒,連延五陵豪。

#3

邀遮相組織,呵嚇來煎熬。君開萬叢人,鞍馬皆辟易。

告急清憲臺,余北門厄。

#4

間宰江陽邑,剪棘樹蘭芳。城門何肅穆!五月飛秋霜。

好鳥集珍木,高才列華堂。

#5

時從府中歸,絲管儼成行。但苦隔遠道,無由共銜觴。

江北荷花開,江南楊梅鮮。

#6

挂席候海色,乘風下長川。多酤新豐醁,滿載剡溪船。

中途不遇人,直到爾門前。大笑同一醉,取樂平生年。


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746-017-#2卷一七八 經下邳圮橋懷張子房(卷二二(二)一二九八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9650

始皇帝は自らを暗殺しようとした者に怒り、全国に触れを回して捕らえようとした。そこで張良は偽名を使って下邳(現在の江蘇省徐州の東の邳州市)に隠れた。顧みれば、「韓」の仇に報いるために始皇帝を襲ったのは「勇」であり、こうして、偽名を使って下邳に隠れていることを「智」であるという事を誰がどうして、違うというのか、云えはしないのである。

今、我は、張子房が黄石公と出遭った圯橋の上に来ている、昔のその故事を懐古すると。張子房の英雄の風姿が慕わしくて仕方がないのである。

しかし、ここに嘗て神仙の黄石公が兵書を授けたところであったという事が実際の話であったかどうかこの橋を見ただけではわからない、ここには、ただ透き通った緑の水が昔と変わらず流れているだけである。

思えば、張子房がひとたび去ってより、下邳地方一帯のこの地は蕭條としていて、どんな人物が輩出したかどうかを窺えはしない、まことに、歎息に堪えないことである。

 

746-017

經下邳圮橋懷張子房(卷二二(二)一二九八)

全唐詩卷一七八

李白集校注(卷二二(二)一二九八)

李太白集巻十八15

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經下邳圮橋懷張子房

子房未虎嘯,破不爲家。

滄海得壯士,椎秦博浪沙。

報韓雖不成,天地皆振動。

#2

潛匿游下邳,豈曰非智勇?

我來圯橋上,懷古欽英風。

唯見碧流水,曾無黃石公。

嘆息此人去,蕭條徐泗空。

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

卷二二(二)一二九八)

卷一七八

巻二一34

詩題

經下邳圮橋懷張子房

文體

五言古詩

 

詩序

     初句

子房未虎嘯

天寶五年  746  46

 

作地點

下邳 (河南道 泗州 下邳  圯橋 

及地點

南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村      

 

瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門 

 

博浪沙 張子房が始皇帝を襲撃した地名。現在の河南省中牟県の北にあった。           

 

下邳 (河南道 泗州 下邳)   徐泗

 

0

0

 

交遊人物/交遊地點

 

 

 

經下邳圮橋懷張子房

(李白が齊魯に遊んだ時、張良が隠れ住んだ故跡、下邳の圯橋を通過するとき、張良を思い詠ったものである。)

子房未虎嘯,破不爲家。

昔、秦の末期頃、張子房が漢の高祖、劉邦に出会っていない頃のことであるが、滅ぼされた「韓」の仇を報いようと思って、全財産をなげうって計画を勧めたのである。

滄海得壯士,椎秦博浪沙。

張子房は同志を求めて東へ旅をし、倉海君という人物に出会い、その人物と話し合って屈強な力士を借り受け、重さ120斤(約30kg)という鉄槌をつくり、紀元前218年頃に始皇帝が巡幸の途中で博浪沙(現在の河南省陽武の南)を通った所を狙った。

報韓雖不成,天地皆振動。

五世に亘って「韓」に仕えた恩に報いるためではあったが不成功に終わったのであり、そのことで始皇帝は烈火のごとく怒り、天地、皆、恐怖で震動するばかりとなったのである。

#2

潛匿游下邳,豈曰非智勇?

我來圯橋上,懷古欽英風。

唯見碧流水,曾無黃石公。

嘆息此人去,蕭條徐泗空。

始皇帝は自らを暗殺しようとした者に怒り、全国に触れを回して捕らえようとした。そこで張良は偽名を使って下邳(現在の江蘇省徐州の東の邳州市)に隠れた。顧みれば、「韓」の仇に報いるために始皇帝を襲ったのは「勇」であり、こうして、偽名を使って下邳に隠れていることを「智」であるという事を誰がどうして、違うというのか、云えはしないのである。

今、我は、張子房が黄石公と出遭った圯橋の上に来ている、昔のその故事を懐古すると。張子房の英雄の風姿が慕わしくて仕方がないのである。

しかし、ここに嘗て神仙の黄石公が兵書を授けたところであったという事が実際の話であったかどうかこの橋を見ただけではわからない、ここには、ただ透き通った緑の水が昔と変わらず流れているだけである。

思えば、張子房がひとたび去ってより、下邳地方一帯のこの地は蕭條としていて、どんな人物が輩出したかどうかを窺えはしない、まことに、歎息に堪えないことである。

 

(下邳の圯橋を経て張子房を懐う)

子房 いまだ虎嘯せざりしとき、産を破りて 家を為さめず。

滄海に 壮士を得て、秦を椎す 博浪沙。

韓に報じて 成ずと雖も、天地 皆 震動す。

#2

潜匿して 下邳に遊ぶ、豈に智勇にあらずと曰んや。

我 圯橋の上に来たり、古えを懐うて 英風を欽う。

唯だ見る 碧流の水、曽て黄石公無し。

歎息す 此の人去りて、蕭条として 徐泗 空しきを。

 

 

 

《經下邳圮橋懷張子房》現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

潛匿游下邳,豈曰非智勇?

我來圯橋上,懷古欽英風。

唯見碧流水,曾無黃石公。

嘆息此人去,蕭條徐泗空。

 

(下し文)
#2

潜匿して 下邳に遊ぶ、豈に智勇にあらずと曰んや。

我 圯橋の上に来たり、古えを懐うて 英風を欽う。

唯だ見る 碧流の水、曽て黄石公無し。

歎息す 此の人去りて、蕭条として 徐泗 空しきを。

 

(現代語訳)

始皇帝は自らを暗殺しようとした者に怒り、全国に触れを回して捕らえようとした。そこで張良は偽名を使って下邳(現在の江蘇省徐州の東の邳州市)に隠れた。顧みれば、「韓」の仇に報いるために始皇帝を襲ったのは「勇」であり、こうして、偽名を使って下邳に隠れていることを「智」であるという事を誰がどうして、違うというのか、云えはしないのである。

今、我は、張子房が黄石公と出遭った圯橋の上に来ている、昔のその故事を懐古すると。張子房の英雄の風姿が慕わしくて仕方がないのである。

しかし、ここに嘗て神仙の黄石公が兵書を授けたところであったという事が実際の話であったかどうかこの橋を見ただけではわからない、ここには、ただ透き通った緑の水が昔と変わらず流れているだけである。

思えば、張子房がひとたび去ってより、下邳地方一帯のこの地は蕭條としていて、どんな人物が輩出したかどうかを窺えはしない、まことに、歎息に堪えないことである。

 

(訳注)
經下邳圯橋懷張子房 (下邳の圯橋を経て張子房を懐う)

1. (李白が齊魯に遊んだ時、張良が隠れ住んだ故跡、下邳の圯橋を通過するとき、張良を思い詠ったものである。)

 

潛匿遊下邳、豈曰非智勇。

潜匿して 下邳に遊ぶ、豈に智勇にあらずと曰んや。

始皇帝は自らを暗殺しようとした者に怒り、全国に触れを回して捕らえようとした。そこで張良は偽名を使って下邳(現在の江蘇省徐州の東の邳州市)に隠れた。顧みれば、「韓」の仇に報いるために始皇帝を襲ったのは「勇」であり、こうして、偽名を使って下邳に隠れていることを「智」であるという事を誰がどうして、違うというのか、云えはしないのである。

14. 潜匿 ひそみかくれる。始皇帝は自らを暗殺しようとした者に怒り、全国に触れを回して捕らえようとした。そこで張良は偽名を使って下邳(現在の江蘇省徐州の東の邳州市)に隠れた。

 

我來圯橋上、懷古欽英風。

我 圯橋の上に来たり、古えを懐うて 英風を欽う。

今、我は、張子房が黄石公と出遭った圯橋の上に来ている、昔のその故事を懐古すると。張子房の英雄の風姿が慕わしくて仕方がないのである。

15. 英風 英雄の風姿。

16. 欽  慕う。

ここから、四句 圯橋の故事をいう。5.注の和訳 ある日、張良が橋の袂を通りかかると、汚い服を着た老人が自分の靴を橋の下に放り投げ、張良に向かって「小僧、取って来い」と言いつけた。張良は頭に来て殴りつけようかと思ったが、相手が老人なので我慢して靴を取って来た。すると老人は足を突き出して「履かせろ」と言う。張良は「この爺さんに最後まで付き合おう」と考え、跪いて老人に靴を履かせた。老人は笑って去って行ったが、その後で戻ってきて「お前に教えることがある。5日後の朝にここに来い」と言った。

5日後の朝、日が出てから張良が約束の場所に行くと、既に老人が来ていた。老人は「目上の人間と約束して遅れてくるとは何事だ」と言い「また5日後に来い」と言い残して去った。5日後、張良は日の出の前に家を出たが、既に老人は来ていた。老人は再び「5日後に来い」と言い残して去って行った。次の5日後、張良は夜中から約束の場所で待った。しばらくして老人がやって来た。老人は満足気に「おう、わしより先に来たのう。こうでなくてはならん。その謙虚さこそが大切なのだ」と言い、張良に太公望の兵法書を渡して「これを読めば王者の師となれる。13年後にお前は山の麓で黄色い石を見るだろう。それがわしである」と言い残して消え去ったという。

後年、張良はこの予言通り黄石に出会い、これを持ち帰って家宝とし、張良の死後には一緒に墓に入れられたという。

この「黄石公」との話は伝説であろうが、張良が誰か師匠に就いて兵法を学んだということは考えられる。また、太公望の兵法書というものを『六韜』だと考える向きもあるが、現存する『六韜』の成立年代は魏晋代と考えられているので、少なくとも張良が読んだ書物は、現存する『六韜』ではないと見られる。

 

唯見碧流水、曾無黄石公。

唯だ見る 碧流の水、曽て黄石公無し。

しかし、ここに嘗て神仙の黄石公が兵書を授けたところであったという事が実際の話であったかどうかこの橋を見ただけではわからない、ここには、ただ透き通った緑の水が昔と変わらず流れているだけである。

17. 碧流水  あおい水の流れ。碧流水は、今も昔も同じであることにむなしさを感じさせる語である。

18. 流水  『文苑英華』では「水流」に作り、「集作流水」との注がある。

19. 黄石公  秦の隠士。黄石公は太公望と伴に兵法の祖として仰がれ、その名を冠した兵法書の種類は多く、中でも『三略』が有名である。張良に兵法を教え、『三略』を授けたといわれている。張良に「太公望兵書(六韜)」を与え、「この書を読み10年後には王者の軍師となるだろう」と告げる。さらに「13年後にまた逢おう。済北の穀城(山東省東阿県)の下にある黄色い石が私である」とも。黄石公の予言はすべて的中し、張良は、穀城の黄石を得て、これを祀ったという。

 

歎息此人去、蕭條徐泗空。

歎息す 此の人去りて、蕭条として 徐泗 空しきを。

思えば、張子房がひとたび去ってより、下邳地方一帯のこの地は蕭條としていて、どんな人物が輩出したかどうかを窺えはしない、まことに、歎息に堪えないことである。

20. 此人  張子房を指す。

21. 蕭条  ひっそりとしてものさびしいようす。

22. 徐泗  徐は徐州。泗は泗水郡。すなわち下邳地方一帯を指す。

 

子房 いまだ虎嘯せざりしとき、産を破りて 家を為さめず。

滄海に 壮士を得て、秦を椎す 博浪沙。

韓に報じて 成ずと雖も、天地 皆 震動す。

潜匿して 下邳に遊ぶ、豈に智勇にあらずと曰んや。

我 圯橋の上に来たり、古えを懐うて 英風を欽う。

唯だ見る 碧流の水、曽て黄石公無し。

歎息す 此の人去りて、蕭条として 徐泗 空しきを。

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767年-175 社日兩篇其一(卷二○(四)頁一七四九)注(1191) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9687

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

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花間集 訳注解説 (318)回目顧巻六37《虞美人六首其四 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9674 (12/11)

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-18 雜詩一首  -#2〔張  協〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9633

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玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

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●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

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Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

九、006卷804_6 《浣紗廟》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9697

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746-017-#1卷一七八 經下邳圮橋懷張子房(卷二二(二)一二九八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9643

(李白が齊魯に遊んだ時、張良が隠れ住んだ故跡、下邳の圯橋を通過するとき、張良を思い詠ったものである。)

昔、秦の末期頃、張子房が漢の高祖、劉邦に出会っていない頃のことであるが、滅ぼされた「韓」の仇を報いようと思って、全財産をなげうって計画を勧めたのである。

張子房は同志を求めて東へ旅をし、倉海君という人物に出会い、その人物と話し合って屈強な力士を借り受け、重さ120斤(約30kg)という鉄槌をつくり、紀元前218年頃に始皇帝が巡幸の途中で博浪沙(現在の河南省陽武の南)を通った所を狙った。

五世に亘って「韓」に仕えた恩に報いるためではあったが不成功に終わったのであり、そのことで始皇帝は烈火のごとく怒り、天地、皆、恐怖で震動するばかりとなったのである。

 

746-017

經下邳圮橋懷張子房
(卷二二(二)一二九八)

全唐詩卷一七八

李白集校注(卷二二(二)一二九八)

李太白集巻十八15

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經下邳圮橋懷張子房

子房未虎嘯,破不爲家。

滄海得壯士,椎秦博浪沙。

報韓雖不成,天地皆振動。

#2

潛匿游下邳,豈曰非智勇?

我來圯橋上,懷古欽英風。

唯見碧流水,曾無黃石公。

嘆息此人去,蕭條徐泗空。

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745-027-#2巻181-27 過四皓墓(卷二二(二)一二九四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8855

745-027-#2巻181-27 過四皓墓(卷二二(二)一二九四)

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-027-#2巻181-27 過四皓墓(卷二二(二)一二九四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8855

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745年-06 【字解集】006 【字解集】 a.寓言三首  b.登廣武古戰場懷古 c.單父東樓秋夜送族弟沈之秦Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8844

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-107 先生-巻八-01#26城南聯句 §6 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8856

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745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8772

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-123七絶 解悶十二首 其一一(卷一七(四)頁一五一八)七絶 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8869

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767年-集-16 【字解集】  ・i.-別崔因寄薛據孟雲卿  ・j-寄韓諫議 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8804

杜甫詩(1)736~751年  53

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杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

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(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

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花間集 訳注解説 (215)回目張泌 《巻四41 酒泉子二首其一 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8858 

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花間集 訳注解説 (210)回目張泌 《巻四37 張泌【字解集】 ー1 浣渓沙十首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8828

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

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玉-巻二22 樂府詩七首 其三有女篇 艶歌行 -#1〔傳玄〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8859

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玉集-014【字解集】  樂府二首 【字解集】詠懷詩二首    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8806

●薛濤の全詩

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八、2.6 薛濤 《蟬 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8860

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745-027-#2巻181-27 過四皓墓(卷二二(二)一二九四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8855

隴陂は淋しげに、ただ月は上がっているけれど、松は古くしてかすみも煙もない。木魅は、風に叫びて去り、山精は雨に、うそぶいて、動き回って帰り、真に、凄愴極まる景色というべきものである。ここには四皓の作った紫芝の曲を高唱し、青史に究明を伝えたるを欽慕する。顧みれば、今日あわせてこのように、いかに四皓というのも、この地のように、荒れ果てたる有様は、誠に憐れむべきものである。

 

 745-027-#2 -#2

過四皓墓(卷二二(二)一二九四) -#2

全唐詩巻181-27#2

李白集校注卷二二(二)一二九四#2

李太白集巻一五-19#2

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745-027-#1 過四皓墓(卷二二(二)一二九四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8837

745-027-#1 過四皓墓(卷二二(二)一二九四)

 

 

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806年-106 先生-巻八-01#25城南聯句 §5 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8850

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767年-122七絶 解悶十二首其一○(卷一七(四)頁一五一七)七絶 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8863

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Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞  fc2Blog

花間集 訳注解説 (214)回目張泌 《巻四40 河傳二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8852

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玉-巻二21 樂府詩七首 其二苦相篇 豫章行 -#4〔傳玄〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8853

Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論

八、2.5 薛濤 《月 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8854

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745-027-#1 過四皓墓(卷二二(二)一二九四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8837

(四皓の墓を通り過ぎるとき、これを弔う気持ちを表して作ったもの)

私が旅の足を進めているとき、商山洛水の間に至り、ここにひとりで、神仙の跡を尋ねた。当年の東園公、綺里季などは、いまどこにあるかわからない、ただ、雲羅は今なおそこにある。逢うで二千年のひさしきを過ぎ、そのあと、荒涼に帰している四皓の四つの墓は相連なって草むらの中に倒れたり埋もれたりしている。むかし、ここに金丹を錬ったというけれど、いずれかの年にはその身は死して、玉泉のうちに閉ざされてしまった。

 

 745-027-#1 -#1

過四皓墓(卷二二(二)一二九四) -#1

全唐詩巻181-27#1

李白集校注(卷二二(二)一二九#1

李太白集巻二一-31#1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8837

 


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745-020-#3巻181-26 商山四皓(卷二二(二)一二九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8741

745-020-#3巻181-26 商山四皓(卷二二(二)一二九三)

 

 

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745-020-#1 商山四皓(卷二二(二)一二九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8723

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745-004 a.【字解集】秋夜與劉碭山泛宴喜亭池  b.古風五十九首之二十二 c.情寄從弟邠州長史昭 d.草創大還贈柳官迪 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之8706

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揚雄 《甘泉賦》

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

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806-88 先生-巻八-01#7城南聯句 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8742

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806年-集14- 韓昌黎集【字解集】贈崔復州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8701

・李商隠詩 (1) 136首の75

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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767年-110#2 別蘇徯#2 杜詩詳注(卷一八(四)一五九八 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8755

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767年-集-13 【字解集】・a.-第五弟豐獨在江左近二首 ・b.-秋風二首 ・c.-送李功曹之荊州 ・d.-送王十六判官 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8660

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(13)763年蜀中転々 96

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(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

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花間集 訳注解説 (196)回目牛嶠二十六首《巻四24西溪子一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8744 (05/20)

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花間集 訳注解説 (185)回目牛嶠二十六首《巻四 牛嶠-2 【字解集】 a.女冠子四首 B.夢江南二首 C.恩多二首 D. 應天長二首 e. 更漏子三首 f.望江怨》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8678 (05/10)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

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玉集-013【字解集】  樂府三首 ・樂府 棄婦篇の【字解集】   〔曹植〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8745

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玉集-012 雜詩五首 【字解集】  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8644

●薛濤の全詩

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四-2、公主の生活、婚姻、権勢 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8740

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745-020-#3巻181-26 商山四皓(卷二二(二)一二九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8741

その時、四皓は一度都に出でて日月を助け、太子も、やっとその位に就くことになり、忽然として羽翼を生じたるがごとく、高祖もいよいよ動かし難いと覚悟されたのである。

しかし、功績を為した四皓は、その身に決して賞などを受けず、著舒するも、書卷とするも、出処ともに心のままである。その徳は、窈冥にして、天地の気、帝王の徳化に合し、俗人からすれば、茫昧として、はかりしれないくらいである。その名誉は、一朝にして都にふさがるくらいであり、これは万世の後まで、遺跡を仰いで、その功徳を称するも、もっともなことであろう。

 745-020-#3 -#3

商山四皓(卷二二(二)一二九三) -#3

全唐詩巻181-26#3

李白集校注(卷二二(二)一二九#3

李太白集巻二一30#3

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745-020-#2巻181-26 商山四皓(卷二二(二)一二九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8735

745-020-#2巻181-26 商山四皓(卷二二(二)一二九三)

 

 

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10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-020-#1 商山四皓(卷二二(二)一二九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8723

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745-004 a.【字解集】秋夜與劉碭山泛宴喜亭池  b.古風五十九首之二十二 c.情寄從弟邠州長史昭 d.草創大還贈柳官迪 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之8706

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-87 先生-巻八-01#6城南聯句 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8736

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806年-集14- 韓昌黎集【字解集】贈崔復州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8701

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-110 別蘇徯 杜詩詳注(卷一八(四)一五九八)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8749

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767年-集-13 【字解集】・a.-第五弟豐獨在江左近二首 ・b.-秋風二首 ・c.-送李功曹之荊州 ・d.-送王十六判官 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8660

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (195)回目牛嶠二十六首《巻四23玉樓春一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8738 (05/19)

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花間集 訳注解説 (185)回目牛嶠二十六首《巻四 牛嶠-2 【字解集】 a.女冠子四首 B.夢江南二首 C.恩多二首 D. 應天長二首 e. 更漏子三首 f.望江怨》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8678 (05/10)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二15 樂府 棄婦篇 -#5〔曹植〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8739

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玉集-012 雜詩五首 【字解集】  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8644

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

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745-020-#2巻181-26 商山四皓(卷二二(二)一二九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8735

この頃、おりしも、秦と漢のあいだで龍と虎が争うような豪傑同士の戦いをしており、世の中は、刈菰と乱れに乱れていた、四皓はこの時、山中に休息、隠棲して、世俗と相關せず、打ち澄ましていた。その争いも、秦の人々は、明道を失い、ここで、漢の高祖が紫極殿登られ帝位についた。ところがその漢も、高祖が、妃嬪の戚夫人を寵愛し、太陽の光が陰虹によって濁らされるように呂后と戚夫人の問題が、ついには隠すべき事件の太子を変えようという陰湿な争いとなったのである。

 

 745-020-#2 -2

商山四皓(卷二二(二)一二九三) -2

全唐詩巻181-262

李白集校注(卷二二(二)一二九#2

李太白集巻二一302

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8735


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745-020-#1 商山四皓(卷二二(二)一二九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8723

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謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

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兩都賦序・西都賦・東都賦

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漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

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806年-86 先生-巻八-01#5城南聯句 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8730

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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767年-109#4 贈蘇四徯#4 杜詩詳注(卷一八(四)一五九八 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8743

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杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

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杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

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杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

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杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

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杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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花間集 訳注解説 (194)回目牛嶠二十六首《巻四22定西番一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8732 (05/18)

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二15 樂府 棄婦篇 -#4 曹植Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8733

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玉集-012 雜詩五首 【字解集】  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8644

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