747-0ⅴ【字解集】6首・戰城南二首 ・贈丹陽橫山周處士惟長 ・贈崔郎中宗之 ・贈崔諮議 ・崔四侍御
2018年3月8日 |
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747-0ⅴ【字解集】6首・戰城南二首 ・贈丹陽橫山周處士惟長 ・贈崔郎中宗之 ・贈崔諮議 ・崔四侍御 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog10247
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李白 訳注解説 747年《淮南・廣陵・越方面》 |
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●巻02 戰城南(卷三(一)二二二)
去年戰桑乾源,今年戰蔥河道。
洗兵條支海上波,放馬天山雪中草。
萬里長征戰,三軍盡衰老。
#2
匈奴以殺戮為耕作,古來唯見白骨黃沙田。
秦家築城避胡處,漢家還有烽火然。
烽火然不息,征戰無已時。
野戰格鬥死,敗馬號鳴向天悲。
烏鳶啄人腸,銜飛上掛枯樹枝。
士卒塗草莽,將軍空爾為。
乃知兵者是凶器,聖人不得已而用之。
●巻25補遺 戰城南(卷三○(二)一七一一詩文補遺)
戰地何昏昏。戰士如群蟻。
氣重日輪紅。血染蓬蒿紫。
烏烏銜人肉。食悶飛不起。
昨日城上人。今日城下鬼。
旗色如羅星。鼙聲殊未已。
妾家夫與兒。俱在鼙聲裡。
●巻08-13 贈丹陽橫山周處士惟長(卷九(一)六○八)
周子橫山隱,開門臨城隅。
連峰入戶牖,勝概凌方壺。
時作白紵詞,放歌丹陽湖。
水色傲溟渤,川光秀菰蒲。
當其得意時,心與天壤俱。
閒雲隨舒卷,安識身有無。
抱石恥獻玉,沈泉笑探珠。
羽化如可作,相攜上清都。
●巻09-06 贈崔郎中宗之(卷十(一)六七五)
胡雁拂海翼,翱翔鳴素秋。
驚雲辭沙朔,飄蕩迷河洲。
有如飛蓬人,去逐萬里遊。
登高望浮雲,彷彿如舊丘。
日從海傍沒,水向天邊流。
長嘯倚孤劍,目極心悠悠。
歲晏歸去來,富貴安可求。
仲尼七十說,歷聘莫見收。
魯連逃千金,圭組豈可酬。
時哉苟不會,草木為我儔。
希君同攜手,長往南山幽。
●巻09 贈崔諮議(卷十(一)六七八)
綠驥本天馬,素非伏櫪駒。
長嘶向清風,倏忽凌九區。
何言西北至,卻走東南隅。
世道有翻覆,前期難豫圖。
希君一翦拂,猶可騁中衢。
●巻18-20 崔四侍御(卷十九(二)一一二二)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》說
嚴陵不從萬乘遊,歸臥空山釣碧流。
自是客星辭帝座,元非太白醉揚州。
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【字解集】《6首・戰城南二首・贈丹》 |
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字解集 訳注解説 |
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【字解集】・戰城南二首
戰城南 019
1. (古来よりの征戦の様子を述べて、その惨苦を窺い、兵を弄し、武を黷すものを誡めを詠ったもの。)
2. 742年の北方、西方での戦い。詩は後に掛かれたものであろう。玄宗ものがたり(8)時期的の背景になるものである。
3. 漢代の古辞以来の厭戦・反戦的な作であり。天宝年間繰り返された西方、北方の戦争を批判するものである。領土拡張、略奪、強奪の犠牲者を思い、残されたものの悲しみ、悲惨さは誰もが知っていたことである。ここに至るまでの数百年間の間に他の周辺諸国との間に国力の違いが生まれた。農耕民族の生産高が倍増したためであった。当初はこれをもとにして、国土を拡大し、略奪により、さらに国力を増加させた。
漢の鼓吹鐃歌十八曲中に、戰城南の曲有り。樂府古題に要解、戰城南其辭大畧言「戰城南死郭北、野死不得葬為烏、鳥所食、願為忠臣、朝出攻戰而暮不得歸也。」とある。
ひとたび戦場に出かけたうえは、戦死して屍を息せられ、カラスなどに喰われても構わない、あっぱれ忠臣義士となって、明日には出でて戦い、暮には帰るを得ず、という事だってよいのである。
去年戦桑乾源、今年戦葱河道。
去年は、東のかた桑乾河の水源で戦い、今年は、西のかた葱嶺河の道辺で戦っている。
桑乾 山西省北部に源を発し、河北省東北部を流れる河。下流の北京地方を流れる部分は「永定河と呼ばれる。
太平寰宇記 桑乾河は朔州馬邑縣の東三十里に在り、源は北山の下に出ず。」とある。一統志に 桑乾河は、山西大同府城南六十里に在り、源は馬邑縣北洪濤山下に出でて、金龍池の水と合し、東南に流れて、蘆溝河に入る。」とある。
葱河 葱嶺河の略称。葱嶺(パミ-ル高原)から現在の新疆イグル自治区を流れる葱嶺北河(カシュガル河)と葱嶺南河(ヤルカンド河)およびその下流のタリム河を含めた総称。漢書西域傳に「其の河、兩源有り、一は䓤嶺山に出でて、一は、于闐に出ず、于闐は南山の下に在り、其の河、北流して䓤嶺河と合し、東して蒲昌海に注ぐ。」とある。太平寰宇記に、「西河舊事に云う、䓤嶺は燉煌の西八千里に在り、其の山髙大にして、上に悉く䓤を生ず。故に䓤嶺河と曰う、源は其の嶺分に潛發し、二水と為る。州異物志に云う、䓤嶺の水、東西に分流し、西は大海に入り、東は河源と為る。張騫は、大宛に使いして、河源を窮む、此に極まるを謂う崑崙に達せざる也。」とある。
洗兵滌支海上波、放馬天山雪中草。
刀剣の血のりを、滌支の水辺の波で洗い落とした、戦いに疲れた馬を、天山の雪深き草原に解き放って休ませた。
洗兵 戦い終わって、血のりで汚れた兵器を洗うことをいう。
條支 西域の国名。所在地としては、地中海東岸、ペルシャ湾岸、中央アジアなどの西域の地名として象徴的に用いている。
後漢書西域傳に「條支國の城は、山上に在り、周圍四十餘里、西海を臨む、海水曲環、其の南及東北の三面路絶え、惟だ西北隅のみ通ず。」とある。
天山 新顔ウイグル自治区を東西に横断する大山脈。またその東南、甘粛省の酒泉・張掖の南に横たわる祁連山も天山と呼ばれる。
陸道は元和郡縣志に「天山一名白山、一名時に羅漫山、伊州の北一百二十里に在り。春夏でも、雪が有り。好木及び金鐵出ず。匈奴は之れを天山と謂う、之を過ぐるとき、皆、馬を下って拜す。」史記に索隠すは西河舊事に云う、「祁連山は張掖酒泉二界の上に在り、東西二百餘里、南北百里、松栢五木有り、水草に美なり、冬温夏涼、畜牧養に宜し、一天山、亦た曰白山と名づく也。」とある。
萬里長征戦、三軍盡衰老。』
万里のかなた、遠く出征して戦いつづけ、三軍の将も士も、ことごとくみな老い衰えてしまった。
三軍 大軍。もと周代の兵制。一軍が一万二千五百人。大国(諸侯)は三軍を、王(天子)は六軍をもつとされた。(『周礼』、夏官「司馬」)。
玄宗ものがたり(8)
皇太子側の皇甫惟明が李林甫を弾効する上奏文が、玄宗皇帝の指示で張本人の李林甫の元に届けられる。李林甫は皇太子派の意図を知りそれに備える。一方、皇太子派は皇帝の許可なく外出ができる「元宵節」に行動を開始するが大失敗。李林甫の力をまざまざ見せつられることになってしまう。
玄宗は、宦官の侍従長・高力士を驃騎大将軍という歴史始まって以来の高い地位に任命する。一方で、李林甫糾弾の計画に失敗した皇太子派の韋堅と皇甫惟明が懲罰される。皇太子自身には咎めは無かったものの、李林甫との権力争いで部下を巻き込んだ事を悔い、争いは避けて耐える決意をする。
朝廷と後宮に軍隊に、暗雲がもたらされてくる。ひとつは、「安史の乱」を起こすくわせものの策士・安禄山の重用が、朝廷に不満と対立を生む。もうひとつは、楊貴妃は玄宗の浮気心に悩まされるようになる。道教への傾倒は不老不死につながり、それは回春薬につながる。金丹薬が、政治から女の方にしか関心を持たせなくしてゆくのである。宦官の軍隊が皇帝を守る物と矮小化され、従来の近衛軍三軍は、形骸化していったのである。
潘鎮はそれぞれ力をつけてきた、それを抑え、力の均衡を図るため節度使に力を与えてきたことで、叛乱をだれが起してもおかしくないほどの力をつけさせてしまったのだ。その筆頭格に安禄山がいた。
安禄山は、辺境で戦いの火種をまき、国境防衛を名目に王忠嗣に援軍を要請、王忠嗣の兵力の一部を安禄山の配下に加えことに成功する。この軍勢で東北の敵を壊滅させ、野心を成就していくのである。
#2
匈奴以殺戮爲耕作、古来惟見白骨黄沙田。
異民族の匈奴たちは、人を殺すということを、まるで田畑を耕すような日々の仕事と思っている。昔からそこに見られるのは、白骨のころがる黄砂の土地ばかりだ。
○匈奴 漢代西北の騎馬民族、遊牧民。異民族の代称としても用いられる。
秦家築城備胡處、漢家還有烽火燃』。
秦以前の王家から始まり、秦の始皇帝が本格的に長城を築いて、胡人の侵入に備えたところ、そこにはまた、漢民族のこの世になっても、危急を告げる烽火を燃やすのである。
○秦家築城 秦の始皇帝が慕情に命じて、万里の長城を築いたこと。○備胡 胡人(異民族)の侵入に備える。○漢家 漢王朝。暗に唐王朝をさす。○煙火 危急を知らせる煙火。蜂火台から煙火台へと連絡される。
烽火燃不息、征戦無己時。
烽火は燃えて、やむことがない。出征と戦闘も、やむときがない。
野戦格闘死、敗馬號鳴向天悲。
荒野での戦い、格闘して死ぬ、敗残した馬は、悲しげないななきは天にとどくよう向かう。
烏鳶啄人腸、銜飛上挂枯樹枝。
カラスやトビは、戦死者の腸をついばむ、口にくわえて舞いあがり、枯木の枝の上に引っかける。
烏鳶 カラスやトビ。
衝 口にくわえる。この部分は、漢代の古辞の「城南に戦い郭北に死す、野に死して葬られず、烏食らう可し」を踏まえている。
士卒塗草莽、将軍空爾爲。
兵士たちは、草むらいちめんに倒れて死んでいる、その将軍がこんな空しい結果を招いたのだ。
塗葦葬 草むらの中で無残に死ぬこと。「塗」は、一面に広がる、ばらばらに広がるの意。ここは、兵士の血潮や肝・脳が草むらに広がる・散らばるの意。
乃知兵者是凶器、聖人不得己而用之。』
これで分かったことは「武器というものは不吉な道具、聖人はやむを得ない時しか使わない」という言葉の意味である。
兵者是凶器、聖人不得己而用之 『老子』(三十一章)の、「兵(武器)なる者は不祥(不吉)の器(道具)なり。君子の器に非ず。己むを得ずして之を用うるも、惜淡(執着しないこと)なるを上と為す」や、『六第』巻一「兵道」の「聖王は兵を号して凶器と為し、己むを得ずして之を用う」 聖人 古代のすぐれた為政者。