盛唐詩 越中逢天臺太乙子#2 孟浩然<30> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -337

孟浩然(越中の天台山で太乙先生に逢う)

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☆前集巻上
★文苑巻二二七(道門)、唐百、全唐詩巻一五九、古今巻一二五、孟浩然集巻一
卷159_43 「越中逢天臺太乙子」孟浩然

越中逢天臺太乙子
仙穴逢羽人,停艫向前拜。問余涉風水,何處遠行邁。
登陸尋天臺,順流下吳會。茲山夙所尚,安得問靈怪。
上逼青天高,俯臨滄海大。』
#2
雞鳴見日出,常覿仙人旆。
鶏が鳴けば朝日が出て一日が始まる。ここでは毎日修行している仙人とその旗じるしとに直接お会いできる。
往來赤城中,逍遙白雲外。
赤城山の中で司馬承禎先生の教えを学び上り下りしている。洞窟岩場から生じる白雲は遠くはるかなところに去っていくように先生も朝廷に召されて全国を回られている。
莓苔異人間,瀑布當空界。
苔生した石橋のあたりはもはや人間世界とは異なる気配があり瀑布が一筋、空を区切るように流れ落ちている。
福庭長自然,華頂舊稱最。
ここにあるすべての自然物は福のもとにあるもので、不死の庭である。中でも華頂峰は古くから福境として最もすばらしいとされている。
永此從之游,何當濟所屆。

以前から思っていたことは「この地において自然と同化できるということを学び、遊んで、何時の時か窮極の境地にいたること」なのである。

僊穴にて羽人に逢はんとし、艫を停めて前に向ひて拜す
余に問ふ風水を渉り、何事ぞ遠く行邁すと。
陸に登りて天台を尋ね、流れに順ひて呉會に下る。
茲の山夙【つと】に尚ぶ所、安んぞ靈怪を聞くを得ん。
上は青天の高きに逼り、俯して滄海の大なるに臨む。』
#2
鷄鳴きて日の出づるを見、毎に神僊と會ふ。
來去す 赤城の中、逍遙たり 白雲の外。
莓苔は人間に異なり、瀑布は空界を作せり。
福庭は長く不死にして、華頂は舊より最と稱す。
永く懷ふ 此に從ひて遊び、何當【いつ】か届【いた】る所に濟らんことを。』


現代語訳と訳註
(本文) #2

雞鳴見日出,常覿仙人旆。
往來赤城中,逍遙白雲外。
莓苔異人間,瀑布當空界。
福庭長自然,華頂舊稱最。
永此從之游,何當濟所屆。


(下し文) #2
鷄鳴きて日の出づるを見、毎に神僊と會ふ。
來去す 赤城の中、逍遙たり 白雲の外。
莓苔は人間に異なり、瀑布は空界を作せり。
福庭は長く不死にして、華頂は舊より最と稱す。
永く懷ふ 此に從ひて遊び、何當【いつ】か届【いた】る所に濟らんことを。』


(現代語訳)
鶏が鳴けば朝日が出て一日が始まる。ここでは毎日修行している仙人とその旗じるしとに直接お会いできる。
赤城山の中で司馬承禎先生の教えを学び上り下りしている。洞窟岩場から生じる白雲は遠くはるかなところに去っていくように先生も朝廷に召されて全国を回られている。
苔生した石橋のあたりはもはや人間世界とは異なる気配があり瀑布が一筋、空を区切るように流れ落ちている。
ここにあるすべての自然物は福のもとにあるもので、不死の庭である。中でも華頂峰は古くから福境として最もすばらしいとされている。
以前から思っていたことは「この地において自然と同化できるということを学び、遊んで、何時の時か窮極の境地にいたること」なのである。


(訳注)#2
雞鳴見日出,常覿仙人旆。

鶏が鳴けば朝日が出て一日が始まる。ここでは毎日修行している仙人とその旗じるしとに直接お会いできる。
○雞鳴 一般的な朝を告げる鶏か。あるいは神話上のことなら、「玄中記」(「芸文類聚」巻九一鶏)に「東南有桃都山。上有大樹。名曰桃都。枝相去三千里、上有天鷄。日初出、照此木、天鷄即鳴。天下鷄皆隨之」とある。○覿 結果・効果が即座に表れる・こと(さま)。まともに見ること。覿面【てきめん】面と向かうこと。また、そのさま。○旆 日月と昇竜・降竜とを描いた大きな旗。これは、天子、将軍が用いた。堂々たる旗印。草木の生い茂ったさま。


往來赤城中,逍遙白雲外。
赤城山の中で司馬承禎先生の教えを学び上り下りしている。洞窟岩場から生じる白雲は遠くはるかなところに去っていくように先生も朝廷に召されて全国を回られている。
赤城、白雲 赤城は孫綽賦に既出の、天台山を代表する赤城山。白雲は一般的には神仙に関わる象徴だが、天台山と関わらせてみると、司馬承禎が白雲を称していた。司馬承禎は、天台山に住んでいた。721年に玄宗皇帝から宮中に迎え入れられ、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるという。737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにしたなど、政治に道教が深く関わるようになったのは、玄宗に対する承禎の影響力を物語る。山肌が火のように赤く、形が城のように見える赤城山には、18の洞窟があり、仏教と道教の神がまつられ、なかでも玉京洞は、道教の神仙が住むとされている。李白『送賀賓客帰越』:


莓苔異人間,瀑布當空界。
苔生した石橋のあたりはもはや人間世界とは異なる気配があり瀑布が一筋、空を区切るように流れ落ちている。
○莓苔 青い苔。孫綽「遊天台山賦」に「踐莓苔之滑石、搏壁立之翠屏」とある。○瀑布、界 孫綽「遊天台山賦」に「瀑布飛流以界道」とある。

望廬山瀑布 二首其二(絶句) 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

夢遊天姥吟留別李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166

福庭長自然,華頂舊稱最。
ここにあるすべての自然物は福のもとにあるもので、不死の庭である。中でも華頂峰は古くから福境として最もすばらしいとされている。
福庭 幸いの土地。「羽人」」、孫綽『遊天台山賦』に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」とある。福を生じるもとの庭。道教では不老を自然に同化するということで死を回避する。自然に帰ることでもある。○華頂、最 浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1138m。華頂峰、仏朧峰、唐渓峰の三つの峰からなり、それが不思議にも三台星宿(オリオン座の三つ星)に応じている福境ゆえに「天台」と名づけられたという。華頂峰は福境の「最」という位置づけなのである。徐霊府「天台山記」に「上華頂峰。此天台極高処也(華頂峰に至る。ここは天台山の最高峰である)」とある。


永此從之游,何當濟所屆。
以前から思っていたことは「この地において自然と同化できるということを学び、遊んで、何時の時か窮極の境地にいたること」なのである
永此從之游 この地において自然と同化できるということを学ぶということ。○濟所届 木華「海賦」(「文選」巻一二)に「一越三千、不終朝而濟所届(一気に三千里を越えて、朝の内に目的地に到達する)」とある。



解説
五言古詩。
韻字 拝・邁・怪・界・届
           会・大・会・外・最


この山陰地方で語るべきは、謝朓と王羲之である。謝朓は別に取り上げているので王羲之について概略を述べる。
王羲之(303年 - 361年)は書道史上、最も優れた書家で書聖と称される。末子の王献之と併せて二王(羲之が大王、献之が小王)あるいは羲献と称され、また顔真卿と共に中国書道界の二大宗師とも謳われた。
「書道の最高峰」とも言われ、近代書道の体系を作り上げ、書道を一つの独立した芸術としての地位を確保し、後世の書道家達に大きな影響を与えた。その書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名で、他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などがある。
 
 王羲之は魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の家に生まれ、東晋建国の元勲であった同族の王導や王敦らから一族期待の若者として将来を嘱望され、東晋の有力者である郗鑒の目にとまりその女婿となり、またもう一人の有力者であった征西将軍・庾亮からは、彼の幕僚に請われて就任し、その人格と識見を称えられた。その後、護軍将軍に就任するも、しばらくして地方転出を請い、右軍将軍・会稽内史(会稽郡の長官、現在の浙江省紹興市付近)となった。

 会稽に赴任すると、山水に恵まれた土地柄を気に入り、次第に詩、酒、音楽にふける清談の風に染まっていき、ここを終焉の地と定め、当地に隠棲中の謝安や孫綽・許詢・支遁ら名士たちとの交遊を楽しんだ。一方で会稽一帯が飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、この地方の頼りになる人材となった。
 
354年、かねてより羲之と不仲であった王述(琅邪王氏とは別系統の太原王氏の出身)が会稽内史を管轄する揚州刺史となり、王羲之は王述の下になることを恥じ、翌355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。官を辞した王羲之はその後も会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、道教の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたという。

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越中逢天臺太乙子
仙穴逢羽人,停艫向前拜。
問余涉風水,何處遠行邁。
登陸尋天臺,順流下吳會。
茲山夙所尚,安得問靈怪。
上逼青天高,俯臨滄海大。』
雞鳴見日出,常覿仙人旆。
往來赤城中,逍遙白雲外。
莓苔異人間,瀑布當空界。
福庭長自然,華頂舊稱最。
永此從之游,何當濟所屆。』
僊穴にて羽人に逢はんとし、艫を停めて前に向ひて拜す。
余に問ふ風水を渉り、何事ぞ遠く行邁すと。
陸に登りて天台を尋ね、流れに順ひて呉會に下る。
茲の山夙【つと】に尚ぶ所、安んぞ靈怪を聞くを得ん。
上は青天の高きに逼り、俯して滄海の大なるに臨む。』
鷄鳴きて日の出づるを見、毎に神僊と會ふ。
來去す 赤城の中、逍遙たり 白雲の外。
莓苔は人間に異なり、瀑布は空界を作せり。
福庭は長く不死にして、華頂は舊より最と稱す。
永く懷ふ 此に從ひて遊び、何當【いつ】か届【いた】る所に濟らんことを。』

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