贈丁儀-#2 曹植(曹子建)
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1 ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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贈丁儀-#2 魏詩<36-#2>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1905
丁儀が曹丕に殺害されることになった原因の詩。
贈丁儀
初秋涼氣發,庭樹微消落。
初秋の候となって、清涼感のある気候になってきたようだ。庭の樹々の葉もようやく色づき枯れおち始めている。
凝霜依玉除,清風飄飛閣。
もう固く氷りついた霜が宮殿の階段をおおている。清々しい秋風が、宮中を吹き抜けて高閣に舞っている。
朝雲不歸山,霖雨成川澤。
朝がた山の端を離れた雲がそのまま浮んでいて山のほうには帰る気配を見せない、今度は秋のなが雨になり、河川や沢地をつくるのだ。
黍稷委疇隴,農夫安所獲。
この雨は、収獲の前の黍や稷を田のうねにたおれふしたままにするものなのだ、これでは農夫は収穫など皆無であり、どうするのだろうか。
#2
在貴多忘賤,為恩誰能博。
高貴の位にある人の多くは、貧餞にあえぐ人々のことを多くの事で忘れるものである。恩恵をほどこすことう、誰が誰にでもよくすることがあろうか。
狐白足御冬,焉念無衣客。
また、狐白裘を着て、冬の寒さも感じない高貴のものが、着るべき着物がない人々のことに、どうして思いをはせることがあるというのか。
思慕延陵子,寶劍非所惜。
そして、私はかの延陵の季札を思慕しているように魏王になろうとは思っていないのである。それよりまして、季札のように宝剣など惜しむものでもないのだ。(私ならその場で差し上げるだろう。)
子其寧爾心,親交義不薄。
丁儀君、君の思うところ(私を魏王にしたい気持ち)は理解できるのでもうしばらく心を安らかに保っておいてほしい。我々のこの親しい交わりは、尊蜍そこらの薄情ものとはわけが違って情義において厚いものがあるではないか。
丁儀に贈る
初秋涼気発し、庭樹微【ようや】く銷落【しょうらく】す。
凝霜【ぎょうそう】玉除に依り、清風飛閣に飄る。
朝雲 山に帰らず、霖雨【りんむ】川沢【せんたく】を成せり。
黍稷【しょしょく】疇隴【ちゅうろう】に委【す】てられ、農夫 安んぞ獲る所あらん。
#2
貴に在りては多く賤を忘れ、恩を為すこと誰か能く博【ひろ】からん。
狐白は冬を禦【ふせ】ぐに足るも、焉んぞ無衣の客を念わん。
延陵子【えんりょうし】を思慕【しぼ】すれば、宝剣は惜む所に非ず。
子 其れ爾が心を寧【やす】んぜよ、親交 義【ぎ】薄からず。
『贈丁儀』 現代語訳と訳註
(本文) 贈丁儀 #2
在貴多忘賤,為恩誰能博。
狐白足御冬,焉念無衣客。
思慕延陵子,寶劍非所惜。
子其寧爾心,親交義不薄。
(下し文)
貴に在りては多く賤を忘れ、恩を為すこと誰か能く博【ひろ】からん。
狐白は冬を禦【ふせ】ぐに足るも、焉んぞ無衣の客を念わん。
延陵子【えんりょうし】を思慕【しぼ】すれば、宝剣は惜む所に非ず。
子 其れ爾が心を寧【やす】んぜよ、親交 義【ぎ】薄からず。
(現代語訳)
高貴の位にある人の多くは、貧餞にあえぐ人々のことを多くの事で忘れるものである。恩恵をほどこすことう、誰が誰にでもよくすることがあろうか。
また、狐白裘を着て、冬の寒さも感じない高貴のものが、着るべき着物がない人々のことに、どうして思いをはせることがあるというのか。
そして、私はかの延陵の季札を思慕しているように魏王になろうとは思っていないのである。それよりまして、季札のように宝剣など惜しむものでもないのだ。(私ならその場で差し上げるだろう。)
丁儀君、君の思うところ(私を魏王にしたい気持ち)は理解できるのでもうしばらく心を安らかに保っておいてほしい。我々のこの親しい交わりは、尊蜍そこらの薄情ものとはわけが違って情義において厚いものがあるではないか。
(訳注) #2
贈丁儀
○丁儀 (未詳―220年)字は正札、沛郡(安徴、宿県の西北)の人。曹植の最も親しい側近の一人で、曹植を帝位につけようと種々画策したため、兄の曹丕に忌まれ、曹丕が帝位につくや殺された。この詩は不遇をかこつ丁儀を慰め、信義に厚い自己の心情を打明けたものとされているが、曹植を慕う家臣を排除していかなければ魏王朝が危うくなる。こういった詩を書く背景には曹丕暗殺の計画があって、その時期は今ではないといっているように読み取れる。この詩が、曹丕の知る所となれば丁儀は抹殺されるのは当然だろう。政権初期段階に兄弟で殺し合うのは歴史の必然で、曹植が殺されなかったのは、曹丕の優しい部分が作用したということだ。普通は鬼と化すものであるからだ。
在貴多忘賤,為恩誰能博。
高貴の位にある人の多くは、貧餞にあえぐ人々のことを多くの事で忘れるものである。恩恵をほどこすということは、誰にでもよくするということがあろうか。
狐白足御冬,焉念無衣客。
また、狐白裘を着て、冬の寒さも感じない高貴のものが、着るべき着物がない人々のことに、どうして思いをはせることがあるというのか。(私がその立場なら下々のことがよくわかる。)
○狐白 狐白裘のこと。狐の腋の皮をあつめて作った皮ごろもで、最上の衣料。「量子春秋」に、斉の景公が三日も雪がつづいた時に、狐白裏をきていた。公は貴子に、三日も雪がつづくが一向に寒くないねと言うと、量子は、賢君たるもの、飽食暖衣の時は、人の飢寒を知らねはならぬと諌めた挿話がある。
思慕延陵子,寶劍非所惜。
そして、私はかの延陵の季札を思慕しているように魏王になろうとは思っていないのである。それよりまして、季札のように宝剣など惜しむものでもないのだ。(私ならその場で差し上げるだろう。)
○延陵子 延陵(江蘇武進県)に封ぜられた呉の王子季札のこと。春秋時代の人。徳義のほまれがあり、父が、兄をさしおいて季札に国を譲ろうとしたが、固辞して受けなかった。又、季札が晋の国に使者として赴く途中、徐の国を通り、徐の君主と面会した。徐君は季札が帯びている宝剣に目をつけ、ほしそうな表情をした。季札は徐君の気持を察したものの、まだ外交官としての使命が終っていなかったのだが、後、使命を果して、帰途徐の国に立寄って授けようとしたが、徐君はすでにこの世の人ではなかった。この宝剣を徐君の墓の樹にかけて立去ったというもの。(これが日本なら先に渡すのが上に立つもの(皇帝になるべき)の行い。)
*常識的には曹植が自分は季札と同じで兄を差し置いて皇帝になる気はないという解釈になるが、実際にそう思っているならこの故事はひかないものではなかろうか。曹植の家臣、支持者に対してこの故事をことさら述べるように思えてならない。曹植は皇帝になりたいのである。父曹操が兄弟のどちらにするか迷っていると思っている、むしろ自分を後継者に選んでくれると思っているから、この詩の表現になったのである。
子其寧爾心,親交義不薄。
丁儀君、君の思うところ(私を魏王にしたい気持ち)は理解できるのでもうしばらく心を安らかに保っておいてほしい。我々のこの親しい交わりは、尊蜍そこらの薄情ものとはわけが違って情義において厚いものがあるではないか。
○親交「徐幹に贈る」詩では私との親しい交りは、情義に厚いことで成立っている。私はこれ以上の言葉を重ねてのべるだけの必要性はないと思っている。贈徐幹 (1) 曹植 魏詩<28>文選 贈答二 659 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1853 参照。
贈徐幹
驚風飄白日,忽然歸西山。
圓景光未滿,眾星粲以繁。
志士榮世業,小人亦不閒。
聊且夜行遊,遊彼雙闕間。
文昌鬱雲興,迎風高中天。
春鳩鳴飛棟,流猋激櫺軒。
顧念蓬室士,貧賤誠足憐。
薇藿弗充虛,皮褐猶不全。
慷慨有悲心,興文自成篇。
寶棄怨何人?和氏有其愆。
彈冠俟知己,知己誰不然?
良田無晚歲,膏澤多豐年。
亮懷璵璠美,積久德愈宣。
親交義在敦,申章復何言。