孟浩然 歲暮歸故園(歳暮帰南山)  李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -323


歳暮帰南山(北闕休上書)


卷160_87  歲暮歸故園


「歲暮歸南山(一題作歸故園作)」孟浩然
年の暮れに南山へ帰る(年がせまってきた澗南園に帰るのに王維の故園によって行こう。)
北闕休上書,南山歸敝廬。
年の暮れになるのを機会に藍田の輞川荘に暫く休暇をいただくために天子に休暇届を出した。私もしばらくいて、南山の澗南園に帰ろうと思う。
不才明主棄,多病故人疏。
どうせ自分には才能がなく、せっかくの天子からもすでに見限られており、その上最近は病気がちであり、引っ込み思案になって旧友とも疎遠になっている。(わたしには詩文の才能がある。天子から見放されようが友達と疎遠になろうがこの詩才をいかしてやっていく。)
白髮催年老,青陽逼歲除。
もうすでに白髪の方が増えてしまって寄る年波、老いてきて真っ白になるのだろう。のどかな春の陽気は大晦日が迫っているのだから間もなくなのだ。
永懷愁不寐,松月夜窗虛。

横になって長い時間、反省をしている、思いがめぐって寂しい気持ちになって眠れない。松の木のを超えて月明かりが窓から入ってくるこの庵には明るすぎて帰って空虚なものになってしまう。 


北闕 書を上つるを休め、南山 敞廬しょうろに帰る。
不才 明主棄て、多病 故人疎なり。
白髪 年老を催し、青陽 歳除に逼る。
永懐 愁いて寐いねられず、松月 夜牕そう虚し。


現代語訳と訳註
(本文)

北闕休上書,南山歸敝廬。
不才明主棄,多病故人疏。
白髮催年老,青陽逼歲除。
永懷愁不寐,松月夜窗虛。


(下し文)
北闕 書を上つるを休め、南山 敞廬しょうろに帰る。
不才 明主棄て、多病 故人疎なり。
白髪 年老を催し、青陽 歳除に逼る。
永懐 愁いて寐いねられず、松月 夜牕そう虚し。


(現代語訳)
年の暮れに南山へ帰る(年がせまってきた澗南園に帰るのに王維の故園によって行こう。)
年の暮れになるのを機会に藍田の輞川荘に暫く休暇をいただくために天子に休暇届を出した。私もしばらくいて、南山の澗南園に帰ろうと思う。
どうせ自分には才能がなく、せっかくの天子からもすでに見限られており、その上最近は病気がちであり、引っ込み思案になって旧友とも疎遠になっている。(わたしには詩文の才能がある。天子から見放されようが友達と疎遠になろうがこの詩才をいかしてやっていく。)
もうすでに白髪の方が増えてしまって寄る年波、老いてきて真っ白になるのだろう。のどかな春の陽気は大晦日が迫っているのだから間もなくなのだ。
横になって長い時間、反省をしている、思いがめぐって寂しい気持ちになって眠れない。松の木のを超えて月明かりが窓から入ってくるこの庵には明るすぎて帰って空虚なものになってしまう。


(訳注)
歳暮帰南山「故園」 孟浩然
年の暮れに南山へ帰る
年がせまってきた澗南園に帰るのに王維の故園によって行こう。
最初の2句目に南山とあるため澗南園の隠棲の関係者と考えるが、詩の内容からすれば、「故園」に変える方が理解しやすい。つまり、王維の別業に帰ることと考えられる。実際には王維に対して、別れを告げるため、王維の別業を意識させて、自分の故郷の澗南園に帰るということを言っている。孟浩然は浪人中だから。


北闕休上書,南山歸敝廬。
年の暮れになるのを機会に藍田の輞川荘に暫く休暇をいただくために天子に休暇届を出した。私もしばらくいて、南山の澗南園に帰ろうと思う。
北闕 大明宮の北門。上奏謁見をする人の出入りする所。 禁中。大明宮の中で丹砂の庭鬼があるとこで謁見するが紫宸殿は真ん中あたりに位置するが、大明宮そのものは長安城の北にあり南に向いてたてられていた。休暇の上申書をねがいでる。それ相応な地位のもので、もちろん孟浩然ではない。王維であろう。○北闕 得家書 得家書 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 182「北闕妖氛滿,西郊白露初。」(北闕妖気満つ、西郊白露の初)、官僚でない孟浩然が上奏文を出して休みを取ることはない。王維が休みを取ったのだろう。
休上書 休暇届。○南山 王維にとっては、終南山、藍田野輞川荘、王後年にとって、鹿門山の南の澗南園青山の見える○敝廬 『夏日南亭懷辛大』「散發乘夕涼,開軒臥閑敞。」『田園作』「弊廬隔塵喧」『澗南園即時貽皎上人』「弊廬在郭外,素產惟田園。」襄陽の孟浩然の農園を示している。


不才明主棄,多病故人疏。
どうせ自分には才能がなく、せっかくの天子からもすでに見限られており、その上最近は病気がちであり、引っ込み思案になって旧友とも疎遠になっている。(わたしには詩文の才能がある。天子から見放されようが友達と疎遠になろうがこの詩才をいかしてやっていく。)
明主 天子。粛宗皇帝、757年杜甫が粛兆区の折に掃海したとき、皇帝を侮辱するととれる分を差し出した。○ 採用されない。○故人 沢山の詩人たちが友人としていた。○ 疎遠になること。中国人がこういうことを言うことは自虐的に言っているのではなく、反対の意味のことを言うのである。


白髮催年老,青陽逼歲除。
もうすでに白髪の方が増えてしまって寄る年波、老いてきて真っ白になるのだろう。のどかな春の陽気は大晦日が迫っているのだから間もなくなのだ。
白髮 白髪交じりの頭は二毛とか斑という表現。ここは白髪の方が多い状況であろう。○催年老 寄る年波によってもよおした。○青陽 五行思想で青は春、東をあらわす。 ○歲除 大みそか。除夜。「霜鬢明朝又一年。」ということ。


永懷愁不寐,松月夜窗虛。
横になって長い時間、反省をしている、思いがめぐって寂しい気持ちになって眠れない。松の木のを超えて月明かりが窓から入ってくるこの庵には明るすぎて帰って空虚なものになってしまう。
永懷 長い時間かけておもうこと。○愁不寐 今までのことを思い悩んで、愁は寂しいこと、反省するという場合のうれい。○松月 松は男性としての希望、月は情勢を示し、男女間の寂しさを感じ取らせる。○夜窗 月の光が入ってくる窓である。通常は閨をいう。○ 隠棲をする住居に月明かりははって明るすぎるために逆に旧居になる。友なし、女なし、ごちそうなし、あるのは反省があるばかり。


この頃孟浩然は何をやってもうまく行かず、悲観的な発想をしていたのだ。いわゆるマイナス思考だ。
しかし、これが詩人としての才能の栄養素になるのである。詩人には貧乏であり、挫折が肥やしになる。何事もうまくいく詩人は全くいない。



これに対して王維は次のように詠っている。


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 送孟六帰襄陽  王維

杜門不欲出、久与世情疎。
以此為長策、勧君帰旧盧。
酔歌田舎酒、笑読古人書。
好是一生事、無労献子虚。


門を杜して出ずるを欲せず、久しく世情と疎なり
此を以って長策と為し、君に勧めて旧盧に帰らしむ
酔うて歌う田舎の酒、笑って読む古人の書
好し是れ一生の事、労する無れ子虚を献ずるを


王維は親友である孟浩然を慮って語りかける。孟浩然も科挙に合格せず、故郷に戻ることになるが、王維との別離を深く悲しむのである。心通じ合う者同士の心遣いが読み取れる作品である。
 人は夢破れた時、その傷心を癒すのは、帰心を誘う故郷の山河なのであろうか。それとも徹底した悲しみを受け入れて、其処から生まれ来る真の生命の覚悟なのであろうか。