漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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古風五十九首

安史の乱と李白(2) 「古風 其十九」 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 214

漢詩李白 214 安史の乱と李白(2) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 214

白ブログ210安史の乱と李白(2)で書いたように、始まりは安禄山の乱、その時李白は敬慕する謝跳曾遊の地に一生を送る気持ちでいた。都追放は大きな痛手であった。心の平静をとり戻したとき、突如、安禄山の謀反の報が入って、詩人を驚愕させた。時に755年天宝十四年11月、李白55歳のことである。安禄山については、李白も長安時代、宮中で会っている。それが叛乱を起こしたと聞き、李白は驚をとおりこしたにちがいない。

 安禄山は、異民族出身でありながら、天宝の初め、平底節度使兼花陽節度使となり、東北地方の実権を握り、長安にしばしば参朝、玄宗に媚辞の男でうまくとり入り信任を得ているのである。楊貴妃に至っては、自分の利益と安禄山の野望が合致にして、このヒグマのような男を楊貴妃の養子にしているのである。馬に乗ること、歩くことも困難なくらい肥満の男であったのだ。750年天宝10年には河東節度使も兼ねるほどの勢力を得、玄宗の絶大の信任を得るに至った。初めは宰相李林甫には頭が上がらなかった。752年李林甫が病死以後、楊氏一族の楊国忠が宰相となるに及んで、楊国忠と対立して、勢力を争うようになってきた。玄宗は安禄山に宰相の地位を与えようとしたが、楊国忠に反対されて実現されなかった。安禄山は、長安から詣陽(北京)に引き揚げてしまった。この時、両者の力を均等にできていたなら、歴史はちがっていたかもしれない。しかし、着々と反乱の準備をととのえた。叛乱前の不穏な動きは、李白、杜甫の詩にもある。

幽州胡馬客歌 李白 紀頌之の漢詩 李白193

行行游且獵篇 李白 紀頌之の漢詩 李白194

聽胡人吹笛 李白 Kanbuniinkai李白特集350- 207


 ついに755年天宝14年11月9日、配下の軍隊十五万人を率いて洛陽に向かって進軍を開始した。そして、一か月後には洛陽を陥落させて、年を越して洛陽でみずから大燕皇帝と名のった。玄宗は哥舒翰に命じて潼関で防備させ、さらに洛陽の回復を命じたが、やがて安禄山軍のため潼関の守りも破られてしまった。この敗戦の前に、玄宗は、朝臣、賢臣の郭子儀を讒言によって詩を命じている。朝臣、賢臣の団結、体制の回復をすべき時、奸臣、宦官らの讒言を取り入れる王朝のたいせいでしかなかったのである。


756年
 天宝十五年六月、玄宗は、楊貴妃姉妹・楊国忠・高力士を従えて蜀に豪塵することになった。蜀に行く途中、長安の西に馬鬼駅があるが、ここが悲劇の場所である。玄宗の率いる軍隊によって楊国忠・楊貴妃の姉妹が殺され、ついで楊貴妃も絞死するという事態になった。この玄宗と楊貴妃の悲恋物語は、のちに白楽天の「長恨歌」によって有名となったことは周知のとおりである、玄宗は蜀に行ったが、皇太子は北方の霊武に行き、即位して、至徳と改元する。これが粛宗である。それは七月のことである。安禄山は長安に入り、略奪をほしいままにして、長安は大混乱となった。

李白は、安禄山の反乱の起こった報を、宣城で聞いた。かつて宮中で会っている男であり、ヒグマのようである、ジャンボ蝦蟇にしか見えない容貌であった。この男は数か国語もしゃべり、玄宗にとり入り、能弁の男であった。  
李白とは正反対の男であり、腰が低く権力者に媚を売ってとり入る性格の持ち主であって親しくつきことなどまったくなかった。しかし、その男が謀反を起こし、しかも東都洛陽を占領したと聞けば、李白の任侠心が許さない。
憤慨の心を抱きつつ、李白は、一生住んでもよいと思った宣城をあとにして、また流浪の旅に出る。行く先は旧遊の地、刻中(新江省煉県)である。江南で最も山水美に富む所で、近くは刻漢の名勝地があり、かつて李白は、長安に入る前に滞在して、その山水美を楽しんだ所である。

--------------古風其十九
この「古風」五十九首中、「その十九」には、はじめに、仙人となって天上に上り、大空を飛んで下界を見る表現をとり、空想的に描いた神仙の世界を歌っているが、その大空から現実の「下界を見れば」として洛陽辺のことを歌う。


古風五十九首 其十九

西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。



古風 其の十九

西のかた蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。

素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡む。

霓裳 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。

我を邀えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿。

恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ

俯して洛陽川を視れば、茫茫として胡兵走る。

流血 野草にまみれ。 豺狼盡々冠纓。





風五十九首 其十九 現代語訳と訳註
(本文)

西岳蓮花山。 迢迢見明星。 素手把芙蓉。 虛步躡太清。
霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。 邀我登云台。 高揖衛叔卿。

恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。 俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
流血涂野草。 豺狼盡冠纓。

(下し文)
古風 其の十九
西のかた蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。
素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡む。
霓裳 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。
我を邀えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿。
恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ
俯して洛陽川を視れば、茫茫として胡兵走る。
流血 野草に涂まみれ。 豺狼盡々冠纓。


(現代語訳)
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。


(訳註)
西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
蓮花山 華山の最高峰。華山は西嶽ともいい、嵩山(中嶽・河南)、泰山(東嶽・山東)、衡山(南嶽・湖南)、恒山(北嶽・山西)とともに五嶽の一つにかぞえられ、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。
 ○迢迢 はるかなさま。李白「長相思」につかう。○明星 もと華山にすんでいた明星の玉女という女の仙人。


素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
素手 しろい手。○芙蓉 蓮の異名。○虚歩 空中歩行。○太清 大空。


霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
○霓裳 虹の裾。○諷払 ひらりひらり。裳と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風を切って飛行する形容。


邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
雲台 崋山の東北にそびえる峰。○高揖 手を高くあげる敬礼。○衛叔卿 中叫という所の人で、雲母をのんで仙人になった。漢の武帝は仙道を好んだ。武帝が殿上に閑居していると、突然、一人の男が雲の車にのり、白い鹿にその車をひかせて天からおりて来た。仙道を好む武帝に厚遇されると思い来たのだった。童子のような顔色で、羽の衣をき、星の冠をかむっていた。武帝は誰かとたずねると、「わたしは中山の衛叔卿だ。」と答えた。皇帝は「中山の人ならば、朕の臣じゃ。近う寄れ、苦しゅうないぞ。」邸重な礼で迎えられると期待していた衛叔卿は失望し、黙然としてこたえず、たちまち所在をくらましてしまったという。


恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
恍恍 うっとり、夢見心地。○ 雁の一種。大きな鳥。○繋冥 天。


俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
俯視 見下ろす。高いところから下を見下ろす。○洛陽川 河南省の洛陽のあたりの平地。川は、河川以外にその平地をさすことがある。○茫茫 ひろびろと広大なさま。○胡兵 えびすの兵。安禄山の反乱軍。玄宗の755天宝14載11月9日、叛旗をひるがえした安禄山の大軍は、いまの北京から出発して長安に向い、破竹の勢いで各地を席捲し、同年12月13日には、も東都洛陽を陥落した。


流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。
豺狼 山犬と狼。○冠浬 かんむりのひも。



 洛陽には洛水が流れている。「その辺りは胡兵たるぞく叛乱軍がいずこにも走りまわっている。戦いのために、野草が血塗られている。財狼に比すべき叛乱軍軍は、みな衣冠束帯をつけて役人となり、横暴を極めている」。「流血は野草を塗らし、財狼のもの尽く冠の樫をす」には、安禄山の配下の者が、にわか官僚となって、かってな振舞いをしていることに対する李白の憤りがこめられている。
安禄山によって長安が陥れられた悲惨な情況は、洛陽の陥落よりまして李白の胸をえぐるものがあった。



--------------------扶風の豪士の歌へ



古風五十九首 其四十 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白198

古風五十九首 其四十 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白198


古風 其四十 李白
鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとして、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
幸遇王子晉、結交青雲端。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
懐恩未得報、感別室長歎。

受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。



古風 其の四十

鳳は飢うるも 粟を啄(つい)ばまず、食う所は 唯だ琅(ろうかん)

焉んぞ能く 群発と与(とも)に、刺蹙(せきしゅく)して 一餐(いっさん)を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱(しちゅう)の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ばん。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆す。






古風 五十九首 其四十 訳註と解説
(本文)
鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
幸遇王子晉、結交青雲端。
懐恩未得報、感別空長歎。

  

(下し文)
鳳は飢うるも 粟を啄(つい)ばまず、食う所は 唯だ琅玕(ろうかん)。
焉んぞ能く 群発と与(とも)に、刺蹙(せきしゅく)して 一餐(いっさん)を争わん。
朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱(しちゅう)の瑞に飲む。
帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。
幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ばん。
恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆す。

  

(現代語訳)
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとして、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。


(語訳と訳註)

鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
鳳凰ほうおう。姫を鳳、雌を凰といい、想像上の動物。聖人が天子の位にあれば、それに応じて現われるという瑞鳥である。形は、前は臍、後は鹿、くびは蛇、尾は魚、もようは竜、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似、羽の色は五色、声は五音に中る。椅桐に宿り、竹の実を食い、酵泉の水を飲む、といわれる。李白自身を指す。○ 穀物の総称。賄賂が平然となされていたことを示す。○琅玕 玉に似た一種の石の名。「山海経」には「崑崙山に琅玕の樹あり」とある。鳳がそれを食うといわれる。天子から受ける正当な俸禄。



焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとしても、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
羣鶏 宮廷の官吏、宦官、宮女をさす。○刺蹙こせこせ。



朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
崑邱樹 崑崙山の絶頂にそびえる木。「山海経」に「西海の南、流沙の浜、赤水の後、黒水の前、大山あり、名を足寄の邸という」とある。朝の朝礼、天子にあいさつする。○砥柱濡 湖は早瀬。砥柱は底柱とも書き、黄河の流れの中に柱のように突立っている山の名。翰林院での古書を紐解き勉学する。○朝鳴二句「港南子」に「鳳凰、合って万仰の上に逝き、四海の外に翔翔し、崑崙の疏国を過ぎ、砥柱の浦瀬に飲む」とあるのにもとづく。



歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
海路遠 仙境は海上はるか先の島ということ。李白の住まいは相応のもの以下だったのかもしれない。



幸遇王子晉、結交青雲端。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
王子晉むかしの仙人。周の霊王の王子で、名は晋。笙を吹いて鳳の鳴きまねをするのが好きで、道士の浮邱という者といっしょに伊洛(いまの河南省)のあたりに遊んでいたが、ついには白鶴に乗って登仙したといわれる。「列仙伝」に見える。○青雲 青雲の志、立身出世。
 

懐恩未得報、感別空長歎。
受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。

 

(解説)
李白は朝廷に入っていたこと、その生活を後になって、いろんな形で表現している。放浪生活の中で、招かれたところで披露する詩であったものであろう。
 朝廷にいるときにはたとえ朝廷を仙境と比喩してもこういった詩は詠うことはできない。梁園、北方、鄴中と漂泊轉蓬の中で招かれたところで詠うと効果は大きかったと思う。


古風五十九首 其二十三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白167

古風五十九首 其二十三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白167



長安において、必ずしも愉快な生活ではなかった李白を慰めるものは、自然の風物と酒である。自然を歌い、酒を歌うことで、美しい白鳳を眺め、それを詩に歌うことに喜びを感じ、酒を飲み、それを詩に歌うことに人生の生きがいを求めた。

李白は、心に苦悩を覚えれば覚えるほど、自然に、酒にひたりこむ。道教の友、道士たちと酒を酌み交わす際は特別なものであった。道教における自然、方向性は一緒だが少し違った自然の中に酒の中に人生の生きがいを求めた。そして、その境地を詩歌することを自分の生きる運命と思っていた。自然への目を覆い、酒に対する口を封じれば、それはそれで李白の人生は全く違ったものであったろう。明朗な性格は李白の人生観でもある。

長安においても、しばしば自然の風物を尋ねる。

「終南山を下り、斜斯山人に過りて宿る。置酒す」詩

李白 88 下終南山過斛斯山人宿置酒
「二人ともに楽しく語りあい、ゆったりとした。かくては美酒を飲もう。松風に吹かれて歌.続け、歌い終わってみると、天の川の星もまばらで、夜もふけた。自分も君も酔っぱらって、ゆしかった。よい気持ちで、すべてのことは忘れた境地である」。「忘機」は、世の俗事を忘れ去て淡々とすること。道家の目指す境地である。山中の自然の美しきを楽しみ、知己の山人とともに、好きな酒を飲み、「陶然として共に機を忘れ」る境地こそ、李白の望むところであった。けして、それは仙人の境地にも通ずる。それは李白の理想とするところであった。

秦嶺山脈の西端の高峰が、太白山であり、常に山頂に積雪がある。南は武功山に連なる。「蜀道難」

蜀道難 李白127
の中にも、その険峻を歌っている。頂上に道教を信奉するものが尊重する洞窟もあるし、李白の字と名を同じくする山でもある。李白はそれにひかれて、ときどき登ったものと思わしる。「太白峰に登る」詩
李白16 登太白峯 希望に燃えて太白山に上る。
があるが、すでに述べた「太山に遊ぶ」
李白 112 游泰山六首
や、また「夢に天姥に遊ぶの吟、留別」
夢遊天姥吟留別 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166
と同じく、仙境にあこがれる気持ちを想像力をたくましくして写し出し、無限の世界を自由に飛びまわる気持ちを表わしている。これも李白の詩の大きな特色の一つであることすでに述べたーおりである。こうして、自然を楽しみ、酒を飲み、仙境を夢みていると、そのときだけ李白の心を満足さるが、一たび現実の長安の生活に帰ると、李白にとっては、何を見てもがまんのならぬことがかった。
これら李白にとって、居心地のよくない宮廷務め、その合間に、気晴らしに、たくさんの詩を書いたはずである。しかし、歴史は、支配者の歴史であるから、李白の宮廷時代のものはおおくはない。


古風五十九首 其二十三
秋露白如玉、團團下庭綠。
秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
我行忽見之、寒早悲歲促。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
人生鳥過目、胡乃自結束。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
景公一何愚、牛山淚相續。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
物苦不知足、得隴又望蜀。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
人心若波瀾、世路有屈曲。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。
三萬六千日、夜夜當秉燭。

人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。



秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。
人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。





古風 其の二十三
秋蕗は 白くして玉の如く、団団として 庭綠に下る。
我行きて忽ち之を見、寒早くして 歳の促すを悲しむ。
人生は鳥の目を過ぐるがごとし、胡ぞ乃ち自ずから結束するや
景公 ひとえに何ぞ愚かなる、牛山涙相続ぐ、
物は足るを知らざるを苦しみ、隴を得て 又た蜀を望む。
人心は 波瀾の若し、世路には 屈曲有り。
三万六千日、夜夜 当に燭を乗るべし


其二十三

秋露白如玉、團團下庭綠。
秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
団団 まるいさま。露が丸い粒にかたまったさま。六朝の謝恵連の詩に「団団たり満葉の露」とある。○庭綠 庭の中の草木。


我行忽見之。 寒早悲歲促。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
歳促 歳の瀬がせまる。


人生鳥過目、胡乃自結束。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
鳥過日 張協の詩に「人生は瀛海の内、忽上して鳥の目を過ぐるが如し」とある。飛鳥が目の前をかすめて過ぎるように、人生はつかのまの時間に限られる。「光陰矢の如し」○胡乃 胡はなんぞ、乃はすなわち。○自結束 窮屈にする。しばりつける。孔子の論語為政篇にある「何為自結束」(何為れぞ自から結束する)に基づいている


景公一何愚、牛山淚相續。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
景公一何愚。 牛山淚相續。 「列子」に見える話。景公は、春秋時代の斉の景公。牛山は、斉の国都であった今の山東省臨消県の、南にある山。むかし斉の景公は、牛山にあそび、北方に自分の国城を見おろしながら、涙をながして言った。「美しいなあ、この国土は。あおあおと草木がしげっている。それに、どうして滴がおちるよぅにこの国を去って死んでいくのだろう。もしも永久に死ということがないならば、わたしはここをはなれて何処へも行きたくないのだ。」そばにいた二人の臣、文孔と梁邸拠とが公に同情して泣いたが、ひとり、大臣の蜃子が、それを見て笑った。なぜ笑うかときかれて、量子がこたえた。「この国の代代の君主は、この国土をここまで立派にせられるのに、死ぬことなどを考える暇もなかったのです。いま、わが君が安んじて国王の位についておられるのは、代代の国王が次次と即位し、次次と世を去って、わが君に至ったからです。それなのに、ひとり涙をながして死をなげかれるのは、不仁というものでし上う。不仁の君を見、へつらいの臣を見る、これが、臣がひとりひそかに笑ったゆえんです。」景公は、はずかしく思い、杯をあげて自分を罰し、二人の臣を罰するに、それぞれ二杯の酒をのませた。


物苦不知足、得隴又望蜀。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
物苦不知足、得隴又望蜀。 「後漢書」の、光武帝が岑彭に与えた書に「人は足るを知らざるに苦しむ。既に隴を平らげて復た蜀を望む」とある。隴はいまの甘粛省除酉県の地表はいまの四川省。物は人間。


人心若波瀾。 世路有屈曲。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。


三萬六千日、夜夜當秉燭。
人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。
三万六千 百年の日数。「抱朴子」に「百年の寿も、三万余日のみ」とある。○夜夜当秉燭 秉は、手で持つ。漢代の古詩十九首の一に「生年は百に満たず。常に千歳の警懐く。昼は短く、夜の長きを苦しむ。何ぞ燭を秉って遊ばざる」とある。李白の『春夜桃李園に宴する序』に、「浮生は夢のごとし。歓を為す幾何ぞ。古人、燭を秉りて夜遊ぶ。良に以あるなり」とある。

春夜桃李園宴序 李白116
『銭徴君少陽に贈る。』にも「燭を秉ってただすべからく飲むべし。」
贈銭徴君少陽 李白114

古風五十九首 其十九 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白153

古風五十九首 其十九 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白153

古風五十九首 其一 李白150

古風五十九首 其三 李白106
古風五十九首 其五 李白107
古風五十九首 其六 李白120

古風五十九首 其七 李白108
古風五十九首 其八 李白117
古風五十九首 第九 李白109
古風五十九首 其十  李白126

古風五十九首 其十一 李白 140
古風五十九首 其十二 李白 141
古風五十九首 其十四 李白151
古風五十九首 其十五 李白152

古風五十九首 第十八 李白110
古風五十九首 其十九李白153
古風五十九首 其二十三 李白113 



古風五十九首 其十九
西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。


西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。


古風 其の十九
西のかた蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。
素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡む。
霓裳 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。
我を邀えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿。
恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ
俯して洛陽川を視れば、茫茫として胡兵走る。
流血 野草に涂まみれ。 豺狼盡々冠纓。



西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
○蓮花山 華山の最高峰。華山は西嶽ともいい、嵩山(中嶽・河南)、泰山(東嶽・山東)、衡山(南嶽・湖南)、恒山(北嶽・山西)とともに五嶽の一つにかぞえられ、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。
 ○迢迢 はるかなさま。李白「長相思」につかう。○明星 もと華山にすんでいた明星の玉女という女の仙人。



素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
○素手 しろい手。○芙蓉 蓮の異名。○虚歩 空中歩行。○太清 大空。



霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
○霓裳 虹の裾。○諷払 ひらりひらり。裳と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風を切って飛行する形容。



邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
○雲台 崋山の東北にそびえる峰。○高揖 手を高くあげる敬礼。○衛叔卿 中叫という所の人で、雲母をのんで仙人になった。漢の武帝は仙道を好んだ。武帝が殿上に閑居していると、突然、一人の男が雲の車にのり、白い鹿にその車をひかせて天からおりて来た。仙道を好む武帝に厚遇されると思い来たのだった。童子のような顔色で、羽の衣をき、星の冠をかむっていた。武帝は誰かとたずねると、「わたしは中山の衛叔卿だ。」と答えた。皇帝は「中山の人ならば、朕の臣じゃ。近う寄れ、苦しゅうないぞ。」邸重な礼で迎えられると期待していた衛叔卿は失望し、黙然としてこたえず、たちまち所在をくらましてしまったという。



恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
○恍恍 うっとり、夢見心地。○鴻 雁の一種。大きな鳥。○繋冥 天。



俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
○俯視 見下ろす。高いところから下を見下ろす。○洛陽川 河南省の洛陽のあたりの平地。川は、河川以外にその平地をさすことがある。○茫茫 ひろびろと広大なさま。○胡兵 えびすの兵。安禄山の反乱軍。玄宗の天宝十四戟(七五五年)十一月、叛旗をひるがえした安禄山の大軍は、いまの北京から出発して長安に向い、破竹の勢いで各地を席捲し、同年十二月には、はやくも東都洛陽を陥落した。



流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。
○豺狼 山犬と狼。○冠浬 かんむりのひも。

古風五十九首 其十五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白152

古風五十九首 其十五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白152


古風五十九首 其十五 
燕昭延郭隗、遂築黄金臺。
むかし燕の昭王は、「まず隗より始めよ」と郭隗をひきたて、ついには黄金台まできずいて天下の英才をまねいた。
劇辛方趙至、鄒衍復斉來。
劇辛は、はたして趙からやって来た。鄒衍も、つづいて斉からやって来た。
奈何青雲士、棄我如塵挨。
ところが、なんということだ、青雲の上に立身出世したやつどもは、われわれを塵や挨のように棄ててかえりみないではないか。
珠玉買歌笑、糟糠養賢才。
珠玉を美人の歌や笑いのために惜しまず買うが、糠や糟でもって賢才を養おうと思っているのか。
方知黄鶴擧、千里濁徘徊。

いまこそ十分に理解した、黄い鶴が舞いあがるように崇高な志をもつ者は、千里をひとりで飛びまわるものなのだ。



むかし燕の昭王は、「まず隗より始めよ」と郭隗をひきたて、ついには黄金台まできずいて天下の英才をまねいた。
劇辛は、はたして趙からやって来た。鄒衍も、つづいて斉からやって来た。
ところが、なんということだ、青雲の上に立身出世したやつどもは、われわれを塵や挨のように棄ててかえりみないではないか。
珠玉を美人の歌や笑いのために惜しまず買うが、糠や糟でもって賢才を養おうと思っているのか。
いまこそ十分に理解した、黄い鶴が舞いあがるように崇高な志をもつ者は、千里をひとりで飛びまわるものなのだ。

その十五
燕昭 郭隗を延き、遂(か)くて 黄金台を築けり。
劇辛は 万に趙より至り、鄒衍も 復た斉より来れり。
奈何ぞ 青雲の士、我を棄つること 塵挨の如くなるや。
珠玉もて 歌笑を買い、糟糠もて 賢才を養う。
方に知る 黄鶴の挙りて、千里に 独り徘徊するを。



燕昭延郭隗、遂築黄金臺。
むかし燕の昭王は、「まず隗より始めよ」と郭隗をひきたて、ついには黄金台まできずいて天下の英才をまねいた。
燕昭 戦国時代の燕の昭王。○郭隗 昭王の臣、「先ず隗より始めよ」の故事で有名。昭王は、一時とはいえ燕を亡国に追い込んだ斉を深く憎み、いつか復讐したいと願っていた。しかし当時の斉は秦と並んで最強国であり、燕の国力では非常に難しい問題であった。昭王は人材を集めることを願い、どうしたら人材が来てくれるかを家臣の郭隗に聞いた。郭隗の返答は「まず私を優遇してください。さすれば郭隗程度でもあのようにしてくれるのだから、もっと優れた人物はもっと優遇してくれるに違いないと思って人材が集まってきます。」と答え、昭王はこれを容れて郭隗を師と仰ぎ、特別に宮殿を造って郭隗に与えた。これは後世に「まず隗より始めよ」として有名な逸話になった。郭隗の言う通りに、燕には名将楽毅は魏の国から、鄒衍は斉の国から、劇辛は趙の国から、蘇秦の弟蘇代など、続々と人材が集まってきた。また、時期は不明であるが、昭王は不老不死の仙人を求めて東方の海上に人を派遣したという。これらの人材を使い、昭王は燕の改革・再建を進めた。○黄金台 易水の東南にあって、昭王が、千金を台の上に置き、天下の士を招いたという。



劇辛方趙至、鄒衍復斉來。
劇辛は、はたして趙からやって来た。鄒衍も、つづいて斉からやって来た。



奈何青雲士、棄我如塵挨。
ところが、なんということだ、青雲の上に立身出世したやつどもは、われわれを塵や挨のように棄ててかえりみないではないか
青雲士 立身出世してしまった人。



珠玉買歌笑、糟糠養賢才。
珠玉を美人の歌や笑いのために惜しまず買うが、糠や糟でもって賢才を養おうと思っているのか。



方知黄鶴擧、千里濁徘徊。
いまこそ十分に理解した、黄い鶴が舞いあがるように崇高な志をもつ者は、千里をひとりで飛びまわるものなのだ。
万知 いまこそ十分に、理解できる。

古風五十九首 其十四 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白151

古風五十九首 其十四 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白151



古風五十九首 其十四
胡關饒風沙、蕭索竟終古。
胡に対する関所塞は風と砂塵がむやみに多いところにある。未開の地で殺風景であること、大昔からのことだ。
木落秋草黃、登高望戎虜。
木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。
荒城空大漠、邊邑無遺堵。
荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。
白骨橫千霜、嵯峨蔽榛莽。』
白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』
借問誰凌虐、天驕毒威武。
だれがいったい、こんな陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、天の騎子とうぬぼれる匈奴が武力を悪用するからである。
赫怒我聖皇、勞師事鼙鼓。
われわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。
陽和變殺氣、發卒騷中土。』
麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
三十六萬人、哀哀淚如雨。
三十六万人もの兵士。人びとのかなしみのなみだは雨のようだ。
且悲就行役、安得營農圃。
かなしみを背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑をいとなんでいけるというのだろうか。
不見征戍兒、豈知關山苦。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。
李牧今不在、邊人飼豺虎。』
李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。』



胡に対する関所塞は風と砂塵がむやみに多いところにある。未開の地で殺風景であること、大昔からのことだ。
木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。
荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。
白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』
だれがいったい、こんな陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、天の騎子とうぬぼれる匈奴が武力を悪用するからである。
われわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。
麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
三十六万人もの兵士。人びとのかなしみのなみだは雨のようだ。
かなしみを背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑をいとなんでいけるというのだろうか。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。
李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。』


胡関 風沙靡く、粛索 責に終古。
木落ちて 秋草黄ばみ、高きに登りて 戎虜を望む。
荒城は 空しく大漠、辺邑に 遺堵無し。
白骨 千霜に横たわり、嵯峨として 榛葬に顧わる。
借問す 誰か陵虐す、天騎 威武を毒す。
我が聖皇を赫怒せしめ、師を労して 輩鼓を事とす。
陽和は 殺気に変じ、卒を発して中土を騒がしむ。
三十六万人、哀哀として、涙 雨の如し。
且つ悲しんで、行役に就く、安くんぞ農圃を営むを得ん。
征戊の児を見ずんば、豈 関山の苦しみを知らんや。
李牧 今在らず、辺入 豺虎の飼となる。



胡關饒風沙、蕭索竟終古。
胡に対する関所塞は風と砂塵がむやみに多いところにある。未開の地で殺風景であること、大昔からのことだ。
胡関 胡地への関所。胡は、中国北方の異民族。農耕民族に対して、遊牧・騎馬民族。○粛索。ものさびしく、ひっそりしているさま。



木落秋草黃、登高望戎虜。
木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。
木落 そのものでなく木の葉が落ちること、詩の慣用語。○終古 いつまでも、永久に。○戎虜 えびす。胡地。



荒城空大漠、邊邑無遺堵。
荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。
大漠 大砂漠。○辺邑 国境の村。○遺堵 のこった垣根。



白骨橫千霜、嵯峨蔽榛莽。』
白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』
千霜 千年のこと。千「□」と千につく語は詩の印象を強めす。例えば、春だと咲き誇る春が千年であり、秋だと、草花が枯れていくさびしい秋が千年となる。ここでは、句の初めに、白骨があり、千霜と冷たくあたり一面広々と霜の白と白骨の白が続く。○嵯峨 山が高くけわしい。○榛莽 やぶや雑草。



借問誰凌虐、天驕毒威武。
だれがいったい、こんな陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、天の騎子とうぬぼれる匈奴が武力を悪用するからである。
天驕 えびすの王の単子が漢に僕をよこして「えびすは天の驕子である」と言った。驕子は我儘息子のこと。*遊牧・騎馬民族は常に牧草地を移動して生活をする。侵略も移動のうちである。略奪により、安定させる。定住しないで草原のテントで寝る、自然との一体感がきわめておおきく彼らからすると天の誇高き息子と自惚れた訳ではなかった。漢民族は、世界の中心、天の中心にあると思っているのに対して、天の息子が漢民族化するわけはない。



赫怒我聖皇、勞師事鼙鼓。
われわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。
聖皇 神聖なる皇帝。唐の玄宗をさす。○労師 玄宗の738年開元26年にチベットに大挙攻めいって以来、唐と吐蕃(チベット)の間に戦争はたえなかった。北方・北西は、契丹、奚、突蕨と、西、南西に吐蕃、ペルシャと戦った。○鼙鼓 進軍太鼓。戦車が基本の戦いのため。

陽和變殺氣、發卒騷中土。』
麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
陽和 うららかな、のどかな生活。○中土 中国。



三十六萬人、哀哀淚如雨。
三十六万人もの兵士。人びとのかなしみのなみだは雨のようだ。



且悲就行役、安得營農圃。
かなしみを背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑をいとなんでいけるというのだろうか。
安得 安は何と同じ。前の聯句は対句を無視して強調され、この聯に受けて、且悲:安得と強調している。
行役 国境守備などの兵役。○農圃 田畑。



不見征戍兒、豈知關山苦。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。
不見 君不見・・・と同じ。 ○関山 関は関所、塞。国境の山山。



李牧今不在、邊人飼豺虎。』
李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。
○李牧 (り ぼく、生年不明―紀元前229年)は中国春秋戦国時代の趙国の武将。『史記』「廉頗蘭相如列伝」において司馬遷は李牧を、「守戦の名将」としている。は趙の北方、代の雁門に駐屯する国境軍の長官で、国境防衛のために独自の地方軍政を許されていた。 警戒を密にし、烽火台を多く設け、間諜を多く放つなどとともに兵士を厚遇していた。 匈奴の執拗な攻撃に対しては、徹底的な防衛・篭城の戦法を取ることで、大きな損害を受けずに安定的に国境を守備した。


古風五十九首 其一 李白 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 明朗な人生観、自然界に自らを一致させた謫仙人李白特集 150

古風五十九首 其一 李白 :杜甫紀頌之の漢詩ブログ 明朗な人生観、自然界に自らを一致させた謫仙人李白特集 150

 古風 其一        古風 其の一      
これまで古風五十九首のうち、以下を取り上げた。
古風 其三 李白106
古風 其五 李白107
古風 其六   李白120

古風 其七 李白108
古風 其八   李白117
古風 第九   李白109

古風 其十     李白126
古風 其十一 李白 140
古風 其十二 李白 141

古風 第十八     李白110
古風 其二十三 李白113

李白は道教の道について述べ、人生の問題としている。戦争を取り上げ、政事理念を直接に詩の主題にし、故事の引用や艶情の用語を使用して、「詩経」くにの風(うた)のスタイルにしている。

翰林学士として天子の助言者たりえたいと思っていた。吐蕃に対して「和蕃書」の起草等、それを示すものである。「古風 其の一」は李白が官吏として意欲をもっていた天宝二年夏まえの作品であろうか。


古風五十九首其一
大雅久不作。 吾衰竟誰陳。
詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか。
王風委蔓草。 戰國多荊榛。
王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。
龍虎相啖食。 兵戈逮狂秦。
竜と虎とが食いあうように諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、狂暴な秦に及んでしまった。
正聲何微茫。 哀怨起騷人。
川原で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより騒人を生み出した。
揚馬激頹波。 開流蕩無垠。』
揚雄と司馬相如は、くずれゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。』
廢興雖萬變。 憲章亦已淪。
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化した、正しい詩法はすっかりほろんでしまった。
自從建安來。 綺麗不足珍。
建安以後の詩にいたっては、ただ綺麗なだけで、新しく珍しい良いものはたらない。
聖代復元古。 垂衣貴清真。
唐の聖代というものは、太古の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すっきりとして、ありのままなことを貴ぶようになった。
群才屬休明。 乘運共躍鱗。』
多くの才能ある人びとが、やすらかであかるい御代にいるのだ、時代の運気に乗って、共に魚がうろこをおどらせて活躍し出した。』
文質相炳煥。 眾星羅秋旻。
模様と生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやいている。
我志在刪述。 垂輝映千春。
わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。
希聖如有立。 絕筆于獲麟。』

聖人の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにする。』


詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか。王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。
竜と虎とが食いあうように諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、狂暴な秦に及んでしまった。
川原で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより騒人を生み出した。
揚雄と司馬相如は、くずれゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。』
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化した、正しい詩法はすっかりほろんでしまった。
建安以後の詩にいたっては、ただ綺麗なだけで、新しく珍しい良いものはたらない。
唐の聖代というものは、太古の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すっきりとして、ありのままなことを貴ぶようになった。
多くの才能ある人びとが、やすらかであかるい御代にいるのだ、時代の運気に乗って、共に魚がうろこをおどらせて活躍し出した。』
模様と生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやいている。
わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。
聖人の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにする。』



大雅(たいが)  久しく作(おこ)らず、吾れ衰(おとろ)えなば竟(つい)に誰か陳(の)べん。
王風(おうふう)は蔓草(まんそう)に委(す)てられ、戦国には荊榛(けいしん)多し。
龍虎(りゅうこ)  相い啖食(たんしょく)し、兵戈(へいか)  狂秦(きょうしん)に逮(およ)ぶ。
正声(せいせい)  何ぞ微茫(びぼう)たる、哀怨(あいえん)  騒人(そうじん)より起こる。
揚馬(ようば)  頽波(たいは)を激(げき)し、流れを開き  蕩(とう)として垠(かぎ)り無し』
廃興(はいこう)  万変(ばんぺん)すと雖も、憲章(けんしょう)  亦(ま)た已に淪(ほろ)ぶ。
建安(けんあん)より来(こ)のかたは、綺麗(きれい)にして珍(ちん)とするに足らず。
聖代  元古(げんこ)に復し、衣(い)を垂れて清真(せいしん)を貴ぶ。
群才  休明(きゅうめい)に属し、運に乗じて共に鱗(うろこ)を躍(おど)らす。』
文質(ぶんしつ)  相い炳煥(へいかん)し、衆星(しゅうせい)  秋旻(しゅうびん)に羅(つら)なる。
我が志は刪述(さんじゅつ)に在り、輝(ひか)りを垂れて千春(せんしゅん)を映(てら)さん。
聖を希(ねが)いて如(も)し立つ有らば、筆を獲麟(かくりん)に絶(た)たん。』





大雅久不作。 吾衰竟誰陳。
詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか
大雅 中国の最古の詩集「詩経」の篇名。大きく正しい詩。



王風委蔓草、戰國多荊榛。
王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。
王風 詩経の国風篇巻の六。洛陽を中心とした周の王墓の衰えたころの詩。○戦国 紀元前5~前3世紀までの時代。○荊榛 雑木雑草。



龍虎相啖食、兵戈逮狂秦。
竜と虎とが食いあうように諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、狂暴な秦に及んでしまった。
○兵戈 戦争。 ○ 及ぶ。とどく。 ○狂秦 狂暴な秦



正聲何微茫、哀怨起騷人。
川原で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより騒人を生み出した。
騒人 「離騒」の作者である屈原(前三世紀)をはじめ悲憤條慨の詩を作った一派の詩人たち、それ以来悲憤憤慨の人をたくさん作りだしたことをいう。



揚馬激頹波、開流蕩無垠。』
揚雄と司馬相如は、くずれゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。』
揚馬 揚雄と司馬相如。前一、二世紀の漢の時代に出た文人。 
 かぎり、はて。さかい。



廢興雖萬變、憲章亦已淪。
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化した、正しい詩法はすっかりほろんでしまった。
憲章 正しい法則。



自從建安來。 綺麗不足珍。
建安以後の詩にいたっては、ただ綺麗なだけで、新しく珍しい良いものはたらない。
建安 紀元二世紀末の年号。曹植をはじめ多くの詩人が出た。



聖代復元古。 垂衣貴清真。
唐の聖代というものは、太古の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すっきりとして、ありのままなことを貴ぶようになった。
聖代 唐の時代をさす。○垂衣 大昔の聖天子、責と舜とは、ただ衣を地に垂れていただけで、天下がよく治まったという。○清真 すっきりとして、ありのままなこと

 

群才屬休明。 乘運共躍鱗。』
多くの才能ある人びとが、やすらかであかるい御代にいるのだ、時代の運気に乗って、共に魚がうろこをおどらせて活躍し出した。』
休明 やすらかであかるい時代。



文質相炳煥、眾星羅秋旻。
模様と生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやいている。
文質 文はあやで模様と質は素材、生地。詩の雰囲気と詩の形式。○炳煥 てりはえる。○秋旻 秋の空。



我志在刪述、垂輝映千春。
わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。
刪述 けずって、のべる。良くない所はけずり、良い所をのべつたえる。西周時代、当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる。史記・孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成しなおしたという ○千春 千年



希聖如有立、絕筆于獲麟。』
聖人の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにする。』
獲麟 むかし孔子は歴史の本「春秋」を著わしたとき、「麒麟をつかまえた」という所で筆を絶った。麒麟は、空想の動物で、聖人のあらわれる瑞兆とされている。

古風五十九首 其十二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141

古風五十九首 其十二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141


古風五十九首 其十二


古風五十九首其十二
松柏本孤直、難為桃李顏。
松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
昭昭嚴子陵、垂釣滄波間。
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
身將客星隱、心與浮云閑。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
長揖萬乘君、還歸富春山。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
清風灑六合、邈然不可攀。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ。
使我長嘆息、冥棲巌石間。

わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 


松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ。
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 


古風五十九首 其の十二
松柏 本 孤直、桃李の顔を為し難し。
昭昭たり 厳子陵、釣を垂る 滄波の間。
身は客星と将に隠れ、心は浮雲と与に閑なり。
万乗の君に長揖して、還帰す 富春山。
清風 六合に灑ぎ、邈然(ばくぜん)として 攀(よ)ずべからず
我をして 長く嘆息し、巌石の間に冥棲せしむ




松柏本孤直、難為桃李顏。
松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
 かお。かおいろ。かおだち。体面。いろどり、色彩。額。



昭昭嚴子陵、垂釣滄波間。
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
昭昭 きわめてあきらか。強い個性をもって光っている。○厳子陵 漢の厳光。「後漢書」の伝記によると次のとおりである。厳光、字は子陵、会稽の飴桃、すなわち今の漸江省紹興市の東方にある飴桃県の人である。年少のころから名高く、のちの光武帝とは同学で机をならべた仲だった。光武帝が即位すると、かれは姓名をかえ、身をかくした。光武帝点かれのすぐれた能力を思い、その居所をさがさせた。のち斉の国で、一人の男が羊の皮衣をきて沼で釣をしているという報告があった。帝はそれが厳光にちがいないと思った。上等の安楽車を用意させ、使を派遣してかれをまねく。かれは三べん辞退してからやっと来る。宿舎にベッドがあてがわれ、御馳走が出る。帝はすぐに会いにゆく。厳光は横になったまま起きあがらない。帝はいった、「子陵よ、わたしもついに、きみだけは家来にできないよ。」そこでかれをつれてかえり、書生時代のように議論して数日に及んだが、一緒にねそべっていると、厳光は足を帝の腹の上にのせる。翌日、天文をつかさどる役人が上奏した。「客星、御座を犯すこと甚だ急なり。」帝は笑っていった、「朕が旧友の厳子陵といっしょにねそべっていただけのことだ。」諌議大夫という位を授けたが、かれは身を屈めて受けることをしなかった。やがて富春山にこもり、田を耕した。後世の人はかれが釣をしていた場所を厳陵瀬と名づけたという。詳細は、ウィキペディアにもある。○滄波  あおあおとした波。
 

身將客星隱、心與浮云閑。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
客星 一定の所に常には見えず、一時的に現われる星。彗星・新星など。○ のどか、おおきい。静か。のんびり。さく。しきり。
 

長揖萬乘君、還歸富春山。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
長揖 ちょうゆう、敬礼の一種。組みあわせた両手を上からずっと下の方までさげる。○万乗 一万の兵事。転じて、それを統帥する天子のこと。天下。君といっしょで万乗の光武帝。○富春山 浙江省桐盧県銭塘江中流域にあり、一名を厳陵山という。「一統志」に「清麗奇絶にして、錦峰繍嶺と号す。乃ち漢の厳子陵隠釣の処。前は大江に臨み、上に東西二釣台あり」と記されている。
 

清風灑六合、邈然不可攀。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ
六合 上下四方、すなわち、世界、宇宙。○邈然 はるかなさま。


使我長嘆息、冥棲巌石間。
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 
冥棲 ひっそりしたところに黙然と修業してくらす。

古風五十九首 其十一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白140

古風五十九首 其十一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白140
古風 十一 李白 140



古風五十九首 其十一
黃河走東溟、白日落西海。
黄河の流れははるか東の海にむかって走り、太陽は西方の海に落ちる
逝川與流光、飄忽不相待。
すぎゆく川の流れも、光矢のようにはやく流れる時間も、たちまちのことであり、人を待ってはくれない。
春容舍我去、秋髪已衰改。
青春の顔かたちはわたしを捨てて変わってしまった。頭はすでに秋霜のような白髪哀しくも変わってしまった。
人生非寒松、年貌豈長在。
人間の生命は、寒い冬がきても葉を落さない松の木のようにはいかないのだ。年齢と容貌は、長く同じところにいてくれないのだ。
吾當乘云螭、吸景駐光彩
わたしは、幸運の竜の背に乗って日月の光を吸いとり、流れる五色の光矢時間をひきとめたいと思う。


黄河の流れははるか東の海にむかって走り、太陽は西方の海に落ちる
すぎゆく川の流れも、光矢のようにはやく流れる時間も、たちまちのことであり、人を待ってはくれない。
青春の顔かたちはわたしを捨てて変わってしまった。頭はすでに秋霜のような白髪哀しくも変わってしまった。
人間の生命は、寒い冬がきても葉を落さない松の木のようにはいかないのだ。年齢と容貌は、長く同じところにいてくれないのだ。

わたしは、幸運の竜の背に乗って日月の光を吸いとり、流れる五色の光矢時間をひきとめたいと思う。


古風五十九首 古風其の十一
黃河は 東溟に走り、 白日は西海に落つ。
逝川と 流光と、 飄忽として 相待たず。
春容 我を舍てて去り、 秋髪 已に衰改す。
人生は 寒松に非ず、年貌 豈に長えに在らんや。
吾 当に雲螭に乗じ、景を吸うて 光彩を駐むべし。

 

黃河走東溟、白日落西海。
黄河の流れははるか東の海にむかって走り、太陽は西方の海に落ちる。
東溟 はるか東の海。○西海 中国人は大地の四方に海があると意識していた。天竺の向こうには大海がある。中国人の宇宙観であり、道教の教えでもある。


逝川與流光、飄忽不相待。
すぎゆく川の流れも、光矢のようにはやく流れる時間も、たちまちのことであり、人を待ってはくれない。
逝川 流れゆく川。むかし孔子が川のほとりに立って流れゆく水を見て言った。「逝く者は斯の如き夫、昼夜を合かず。」そのコトバが連想される。○流光 光矢のようにはやく流れさる時間。○飄忽 急なさま。たちまち。



春容舍我去、秋髪已衰改。
青春の顔かたちはわたしを捨てて変わってしまった。頭はすでに秋霜のような白髪哀しくも変わってしまった。
春容 青春の日の容貌。青春の顔かたち。○秋髪 晩年の白髪。
 


人生非寒松、年貌豈長在。
人間の生命は、寒い冬がきても葉を落さない松の木のようにはいかないのだ。年齢と容貌は、長く同じところにいてくれないのだ。
寒松 寒い冬がきても葉を落さない松の木。〇年貌 年齢と容貌。

 

吾當乘云螭。 吸景駐光彩。
わたしは、幸運の竜の背に乗って日月の光を吸いとり、流れる五色の光矢時間をひきとめたいと思う。
雲螭 螭竜の一種。螭は額に角を持たない龍のことを言う。龍から角を取った感じだ。山や沢に棲む小さな龍で、色は赤や白、あるいは蒼色のものがいる。螭はとりわけ岩や木陰などの湿った場所を好むという。そして小さな虫や動物を食べて生きている。人目に触れる場所にはあまり出没しないという。螭が湿った場所を好むのか、螭が棲む場所を湿らせるのかはよく分からないが、螭がいなくなったためにその場所から湿気がなくなったという話も残されているという。仙界の幸運のいきもの。○吸景 日月の景を吸う。景は、ひかり。○光彩 ひかり。

古風五十九首 其十 李白

古風 其十 李白126都長安(翰林院供奉)


古風 其十
齊有倜儻生、魯連特高妙。
斉の国には英傑の士が多いが、魯仲連は中でもずばぬけている。
明月出海底、一朝開光曜。
たとえば明月の珠が海底から出てきて、一朝にして光輝をはなつようなものだ。
卻秦振英聲、後世仰末照。
秦の軍隊を追っ払ってすぐれた名声をとどろかせ、後世の人はその余光を仰いでいる。
意輕千金贈、顧向平原笑。
千金の贈物を全くもんだいにせず、平原君の方をふりむいて一笑に付した。
吾亦澹蕩人、拂衣可同調。

わたしも同様、さっぱりしたたちだ。思いきって、かれと意気投合しょう。


斉の国には英傑の士が多いが、魯仲連は中でもずばぬけている。
たとえば明月の珠が海底から出てきて、一朝にして光輝をはなつようなものだ。
秦の軍隊を追っ払ってすぐれた名声をとどろかせ、後世の人はその余光を仰いでいる。
千金の贈物を全くもんだいにせず、平原君の方をふりむいて一笑に付した。
わたしも同様、さっぱりしたたちだ。思いきって、かれと意気投合しょう。


古風 其の十
斉に倜儻てきとうの生有り、魯連ろれん 特に高妙。
明月 海底より出で、一朝 光曜こうようを開く。
秦を却しりぞけて 英声を振い、後世 末照を仰ぐ。
意 千金の贈りものを軽んじ、顧みて平原に向って笑う。
吾も亦た 澹蕩たんとうの人、衣を払って 調を同じゅうすべし。


戦国時代勢力図


齊有倜儻生、魯連特高妙。
斉の国には英傑の士が多いが、魯仲連は中でもずばぬけている。
 今の山東省にあった紀元前の国。昔、周のはじめ、有名な太公望がそこに封ぜられ、又、桓公のようなすぐれた君主の出た土地で、傑物が少なくない。○倜儻 志が大きく、人にすぐれ、独立自由であること。○ 先生の略。○魯連 魯仲連の略称。
戦国時代の斉の国の人で、義侠の士として有名である。伝記は「史記」の列伝に見える。つね日ごろ、人とはちがった大志を抱き、仕官せず職にもつかなかった。たまたま趙の国に遊んでいた時、紀元前二四七年、秦の軍隊が趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助けた。同時に、魂の国の王子信陵君もまた、兵を率いて秦を攻撃したので、秦は退却し、超は救われた。郡部の包囲が解かれたのち、平原君は魯仲連に領地を与えようとした。魯仲連は辞退した。平原君はそこで千金をおくろうとした。魯仲連は笑って言った。「天下に貴ばれる士たる者は、人のために患を排し、難をとき、紛乱を解して、しかも何も受取らないものです。もしも報酬を受取るなら、それは商人です。」何も受け取らないで立去り、生涯ふたたび現われなかった。


明月出海底、一朝開光曜。
たとえば明月の珠が海底から出てきて、一朝にして光輝をはなつようなものだ。
明月 明月のような夜光の珠。


卻秦振英聲、後世仰末照。
秦の軍隊を追っ払ってすぐれた名声をとどろかせ、後世の人はその余光を仰いでいる。
 やはり紀元前、今の陝西省にあった国。○末照 余光。


意輕千金贈、顧向平原笑。
千金の贈物を全くもんだいにせず、平原君の方をふりむいて一笑に付した。
平原 平原君。趙の国の王子で、食客数千人をかかえていたので有名。


吾亦澹蕩人、拂衣可同調。
わたしも同様、さっぱりしたたちだ。思いきって、かれと意気投合しょう。
澹蕩 あっさりして、物事にこだわらないこと。○払衣 うわぎをぱっとはねあげてすっくとたちあがること。決然と別れを告げるときに用いることば。○同調 調子が合う。

古風五十九首 其八  李白

古風 其八  李白117

   漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之の漢文 
 Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集   
 Ⅱ.中唐詩・晩唐詩  
 Ⅲ.杜甫詩1000詩集  
 Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集  
 Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩  
      
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                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/ 
      


古風 其八

咸陽二三月、宮柳黃金枝。
咸陽の都。二三月の季節。宮殿の柳は、黄金色に萌える枝をたれている。
綠幘誰家子、賣珠輕薄兒。
縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
日暮醉酒歸、白馬驕且馳。
昼と夜の境もなくのべつ酒に酔って帰るし、乗っている白馬も、驕り高ぶって、そして(街中でも)、走りだす。
意氣人所仰、冶游方及時。』
そのさかんな意気は、人びとがみな見上げる。芸者遊びには、もってこい時候もいいのだ。
子云不曉事、晚獻長楊辭。
揚子雲先生の場合は世間の事に通じない。晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
賦達身已老、草玄鬢若絲。
念願の賦は天子に献上するまでになったが、身はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた。
投閣良可嘆、但為此輩嗤。』

うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、本当にためいきが出る。軽薄な少年の仲間の物笑いの種になっただけであるから。

咸陽の都。二三月の季節。宮殿の柳は、黄金色に萌える枝をたれている。
縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
昼と夜の境もなくのべつ酒に酔って帰るし、乗っている白馬も、驕り高ぶって、そして(街中でも)、走りだす。
そのさかんな意気は、人びとがみな見上げる。芸者遊びには、もってこい時候もいいのだ。
揚子雲先生の場合は世間の事に通じない。晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
念願の賦は天子に献上するまでになったが、身はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた。
うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、本当にためいきが出る。軽薄な少年の仲間の物笑いの種になっただけであるから。

(下し文)古風 其八

咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。
綠幘(りょくさく)誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。
日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。
意氣 人の仰ぐ所、冶游(やゆう)方(まさ) に時に及ぶ。
子云 事を曉(さと)らず、晚に獻ず 長楊の辭。
賦 達して 身已に老い、玄を草して 鬢 絲の若し。
閣より投ずること 良に嘆ず可し、但だ此の輩に嗤(わら)わる。



咸陽二三月、宮柳黃金枝。
咸陽の都。二三月の季節。宮殿の柳は、黄金色に萌える枝をたれている。
咸陽 秦の都。長安の対岸にある。この詩は、実際には唐の都、長安の風俗をうたっている。詩人は唐を秦、長安を咸陽とよく詠う。〇二三月 旧暦だから、春たけなわな頃である。○宮柳 宮殿のそばの柳。○黃金枝 新芽の明るい緑に日がさすと黄金に見える。この時期だけのものである。
  

綠幘誰家子、賣珠輕薄兒。
縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
綠幘 幘;幅は頭巾。みどりのずきん。漢の董偃の故事。「漢書」に見える話。董偃は母とともに真珠を売って歩いていたが、年十三のとき、漢の武帝のおばであり、陳皇后の母でもある館陶公主の邸に出入し、美貌な少年であったので公主の寵愛を得て董君と呼ばれた。そののち公主に従って帝に御目見えしたとき、かれは、綠の頭巾をかむり、腕ぬきをつけて罷り出た。公主は「館陶公主の料理番、臣偃」と紹介し、かれは平伏した。帝はかれに衣冠をたまわった。やがて無礼講がはじまったが、以後かれは武帝の寵愛をも受けるようになり、噂は天下にひろまった。吉川幸次郎「漢の武帝」(岩波新書)。


日暮醉酒歸、白馬驕且馳
と夜の境もなくのべつ酒に酔って帰るし、乗っている白馬も、驕り高ぶって、そして(街中でも)、走りだす。
漢詩ブログ6月9日李白 17少年行  杜甫「少年行」とイメージが似ている。


意氣人所仰、冶游方及時。
そのさかんな意気は、人びとがみな見上げる。芸者遊びには、もってこい時候もいいのだ。
冶遊 芸者遊び。心がとろけるような楽しい遊び。


子云不曉事、晚獻長楊辭。
揚子雲先生の場合は世間の事に通じない。晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
子雲 漢の文人。揚雄、あざなは子雲。前漢の末期、紀元前一世紀、蜀(四川)の成都の人。学問だけが好きで、それ以外の欲望は全くなく、財産もあまりなかったが満足していた。ドモリで議論ができなかったので、よく読書し、沈思黙考した。成帝の時、承明宮に召されて、甘泉、河東、長楊、羽猟の四つの賦を奏上した。かれの著書はすべて古典の模倣で、「易」に似せて「太玄経」を作り、「論語に似せて「法言」を作った。かれは晩年、ある事件の巻き添えで、疑われて逮捕されようとしたとき、天禄閣という建物の中で書物調べに没頭していたので、驚きあわてて閣上から飛び降りて、あやうく死にかけた。
不暁事 世間の事に通じない。○ 晩年。○楊辭 天子に献上する「長楊の辞」のこと。


賦達身已老、草玄鬢若絲。
念願の賦は天子に献上するまでになったが、身はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた
 韻文の一体。漢の時代の流行。○玄楊 子雲、雄の著書「太玄経」。


投閣良可嘆、但為此輩嗤。
うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、本当にためいきが出る。軽薄な少年の仲間の物笑いの種になっただけであるから。
投閣 天禄閣上から身を投げた。○此輩 緑幘さくの軽薄児をさす。 

儒教の貫いて痩せ細ったと同じこと、死んでしまっては何にもならない。世間のことぉ知らなくて、芸者遊びのひとつも知らないで、年を取ってしまった。李白はここでも儒教批判を述べている。



 
毎日のkanbuniinkai紀頌之5大詩 案内
 
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝?・?信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場《李白全詩》
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李白- 1 《715年》李白- 2 《718年》李白- 3 《720年》李白- 4 《724年》李白- 5 《725年》李白- 6《726年》
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●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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古風五十九首 其二十三  李白

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古風 其二十三  李白113


其二十三
秋露白如玉。 團團下庭綠。
秋の露はまるで白い宝玉だ。丸く、丸い、庭の木樹の綠におりている。
我行忽見之。 寒早悲歲促。
わたしの旅先中で、それを見つけた、寒さが早くも来ていて、年の瀬がおしせまる気がして悲しさをさそう。
人生鳥過目。 胡乃自結束。
人生というものは、鳥が目の先をかすめ飛びさるようなものだ。このことはつまらないことだ、自分で自分を束縛するなんて。
景公一何愚。 牛山淚相續。
むかしの斉の景公は、儒教の考えで自分を束縛しているじつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はなぜ死なねばならぬかとなげいて、涙をとめどもなく流した。
物苦不知足。 得隴又望蜀。
人は自ら満ち足りるということがなくて苦しむというが、すでに隴を得たのにも関わらず今度は蜀が欲しくなった、と。
人心若波瀾。 世路有屈曲。
人の心は高揚したり、沈んだりの起伏変化があるもの、世間で暮らしを立ててゆくことは、よかったり、悪かったりという曲りくねりがあるものだ。
三萬六千日。 夜夜當秉燭。

人生、三万六千日。毎夜、毎夜、ともしびをかかげて楽しくすごすべきである。



秋の露はまるで白い宝玉だ。丸く、丸い、庭の木樹の綠におりている。
わたしの旅先中で、それを見つけた、寒さが早くも来ていて、年の瀬がおしせまる気がして悲しさをさそう。
人生というものは、鳥が目の先をかすめ飛びさるようなものだ。このことはつまらないことだ、自分で自分を束縛するなんて。
むかしの斉の景公は、儒教の考えで自分を束縛しているじつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はなぜ死なねばならぬかとなげいて、涙をとめどもなく流した。
人は自ら満ち足りるということがなくて苦しむというが、すでに隴を得たのにも関わらず今度は蜀が欲しくなった、と。
人の心は高揚したり、沈んだりの起伏変化があるもの、世間で暮らしを立ててゆくことは、よかったり、悪かったりという曲りくねりがあるものだ。
人生、三万六千日。毎夜、毎夜、ともしびをかかげて楽しくすごすべきである。


(下し文)
秋露は白くして玉の如く、 團團として庭綠に下る。
我行きて忽ち之を見る、寒早くして 歳の促すのを悲しむ
人生は 鳥の目を過ぎるがごとし、胡こそ乃ち 自ら結束するや
景公ひとえに何で愚かなる。牛山 涙 相続く
物は足ることを知らざるを苦しみ、隴を得て又蜀を望む。
人心は波瀾の若し。 世路には屈曲有り。
三萬六千日、 夜夜當に燭を秉る。

古風 其の二十三

秋露白如玉、團團下庭綠。
秋の露はまるで白い宝玉だ。丸く、丸い、庭の木樹の綠におりている。
団団 まるいさま。露が丸い粒にかたまったさま。六朝の謝霊運の詩に「團團たり満葉の露」とある。李白「古郎月行」では木々のこんもり繁るさまに使っている。 ○庭綠 庭の中の草木。

我行忽見之、寒早悲歲促。
わたしの旅先中で、それを見つけた、寒さが早くも来ていて、年の瀬がおしせまる気がして悲しさをさそう。
歳促 歳の瀬がせまる。


人生鳥過目、胡乃自結束。

人生というものは、鳥が目の先をかすめ飛びさるようなものだ。このことはつまらないことだ、自分で自分を束縛するなんて。
鳥過目 張協の詩に「人生は瀛海の内、忽上して鳥の目を過ぐるが如し」とある。飛鳥が目の前をかすめて過ぎるように、人生はつかのまの時間に限られる。○ ここではでたらめ。あやしい。つまらないこと。 ○結束 窮屈にする。しばりつける。


景公一何愚、牛山淚相續。

むかしの斉の景公は、儒教の考えで自分を束縛しているじつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はなぜ死なねばならぬかとなげいて、涙をとめどもなく流した。
景公二句 「列子」にある話。景公は、春秋時代の斉の景公、牛山は、斉の国都であった今の山東省臨淄県の、南にある山。 杜牧「九日齊山登高」 牛山何必獨霑衣。とある。この牛山に春秋・斉の景公が遊び、北の方にある都を望んで、涙を流して「どうして人はこんなにばたばたと死んでいくのか」と人の死を歎き、涙で濡らしたという。
これは儒教の考えをくだらないものとして比喩している。


物苦不知足、得隴又望蜀。

人は自ら満ち足りるということがなくて苦しむというが、すでに隴を得たのにも関わらず今度は蜀が欲しくなった、と。
○物苦二句「十八史略-東漢[世祖光武皇帝][岑彭]
」の、光武帝が岑彭に与えた富に「人は足るを知らざるに苦しむ。既に隴を平らげて復た蜀を望む」とある。隴はいまの甘粛省隴西県の地。蜀はいまの四川省。物は人間。


人心若波瀾。 世路有屈曲。

人の心は高揚したり、沈んだりの起伏変化があるもの、世間で暮らしを立ててゆくことは、よかったり、悪かったりという曲りくねりがあるものだ。
波瀾 大波、小波。起伏変化のさま。○処世 世渡り。世間で暮らしを立ててゆくこと。(荘子)
 
三萬六千日。 夜夜當秉燭。
人生、三万六千日。毎夜、毎夜、ともしびをかかげて楽しくすごすべきである。
三万六千日 百年の日数。李白お得意のわかりやす協調表現。詩の調子を激変させ集中させる効果がある。○夜夜当秉燭 秉は、手で持つ。漢代の古詩十九首の言「生年は百に満たず。常に千歳の憂を懐く。昼は短く、夜の長きを苦しむ。何ぞ燭を秉って遊ばざる」とある。
この最後の句でこの詩の集約している。李白の「贈銭徴君少陽」に秉燭唯須飲;燭を秉って唯須らく飲べし。
白玉一盃酒、緑楊三月時。
春風餘幾日、兩鬢各成絲。
秉燭唯須飲、投竿也未遲。
如逢渭水獵、猶可帝王師。

李白の「春夜桃李園に宴する序」にも、「浮生は夢のごとし。歓を為す幾何ぞ。古人、燭を秉りて夜遊ぶ。良に以あるなり」とある。

唐・李白
夫天地者,萬物之逆旅;
光陰者,百代之過客。
而浮生若夢,爲歡幾何?
古人秉燭夜遊,良有以也。
況陽春召我以煙景,大塊假我以文章。
會桃李之芳園,序天倫之樂事。
群季俊秀,皆爲惠連。
吾人詠歌,獨慚康樂。
幽賞未已,高談轉清。
開瓊筵以坐華,飛羽觴而醉月。
不有佳作,何伸雅懷?
如詩不成,罰依金谷酒數。


 この詩「古風 其二十三」は、秋になり、夜露が珠になり、やがて年の瀬に向かう。旅先での寂しさを詠いつつ、年老いていく自分を重ねている。ここでも儒教の礼節の強要を無意味なこと度とし、人生は一瞬ですぎていくのと同じである。欲を言い出したらきりがない。よい時も悪い時もある。曲がった道をまっすぐ歩けない、自然に、自由にすること。それには、毎日を楽しくすごさなければいけないのだ。

 李白は儒教的な考えに徹底的に嫌気を持っていた。そのことは、逆に儒教的詩人たちの評価が低かったのも理解できる。

古風五十九首 第十八 李白

古風五十九首 第十八 李白110

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基くものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

其十八
天津三月時、千門桃與李。』
洛陽の天津橋から見わたすと、時は春三月、千門たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲いている。』
朝為斷腸花、暮逐東流水。』
朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆきぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、天津橋下の春の水を迫って東に向って流れてゆく。』
前水復后水、古今相續流。
水は次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくのが「道」である。
新人非舊人、年年橋上游。
橋の上をとおる人達も、顔ぶれが違うものだ。毎年毎年、橋の上で人々の往来は続くのである。
雞鳴海色動、謁帝羅公侯。
鶏が鳴いて夜のとばりの明けそめるころ、朝の朝礼で天子に拝謁する公侯たちが居ならんだ。
月落西上陽、余輝半城樓。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしていた。
衣冠照云日、朝下散皇州。』
やがて、朝廷の吏官の冠が日の彩雲に照らされてでてきた、朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。』
鞍馬如飛龍、黃金絡馬頭。』
鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。』
行人皆辟易、志氣橫嵩丘。
道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。
入門上高堂、列鼎錯珍羞。
門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえていた。
香風引趙舞、清管隨齊謳。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出していた。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でていた。
七十紫鴛鴦、雙雙戲庭幽。』
七十羽の紫のつがいのおしどりたちは、それぞれつがいで、庭の茂みのおくにたわむれている。』
行樂爭晝夜、自言度千秋。
昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 
功成身不退、自古多愆尤。
成功して引退しないでいると、むかしからまちがいが多いものだ。
黃犬空嘆息、綠珠成舋讎。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかって、仕打ちをされた。
何如鴟夷子、散發棹扁舟。』
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。』


古風 其十八
洛陽の天津橋から見わたすと、時は春三月、千門たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲いている。』
朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆきぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、天津橋下の春の水を迫って東に向って流れてゆく。』
水は次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくのが「道」である。
橋の上をとおる人達も、顔ぶれが違うものだ。毎年毎年、橋の上で人々の往来は続くのである。
鶏が鳴いて夜のとばりの明けそめるころ、朝の朝礼で天子に拝謁する公侯たちが居ならんだ。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしていた。
やがて、朝廷の吏官の冠が日の彩雲に照らされてでてきた、朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。』
鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。』

道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。
門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえていた。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出していた。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でていた。
七十羽の紫のつがいのおしどりたちは、それぞれつがいで、庭の茂みのおくにたわむれている。』

昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 
成功して引退しないでいると、むかしからまちがいが多いものだ。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかって、仕打ちをされた。
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。



古風 其の十八

天津 三月の時、千門 桃と李と。』
朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』
前水 復た後水、古今 相競いで流る。
新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。
鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。
月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。
衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』
鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』
行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。
門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。
香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。
七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』
行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。
功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。
黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。
何ぞ加かんや 塊夷子が、撃を散じて 届舟に樟させるに。』



天津三月時、千門桃與李。』
洛陽の天津橋から見わたすと、時は春三月、千門たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲いている。
天津 橋の名。唐の東のみやこ洛陽をめぐって洛水が流れ、その川にかかっている。初唐の詩人劉廷芝の「公子行」は、「天津橋下陽春の水、天津橋上兼葦の子」という詞句で始まっており、李白はその詩の出だしのイメージを借りている。参照。劉廷芝の詩は「怨詩」である。〇千門 宮殿には多くの門があり、迷路のように門戸が連続している。千門万戸という表現は李白の得意とするところ。


朝為斷腸花、暮逐東流水。』
朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆきぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、天津橋下の春の水を迫って東に向って流れてゆく。
断腸花 真っ赤な花の咲き誇っているさまをいう。李白が断腸という語を使用するとき、女心、嫉妬、焦燥の気持ちを表す際に多い。李白「春思」「清平調詞其三」にある。○東流 東が下流で流れ去る、消えていくことをします。

前水復后水、古今相續流。
水は次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくのが「道」である。
前水復后水 水は次から次へと、上流から下流へと流れていくのが「道」理である。この聯と次の聯は道教の真理「道」についての表現である。


新人非舊人、年年橋上游。
橋の上をとおる人達も、顔ぶれが違うものだ。毎年毎年、橋の上で人々の往来は続くのである。
 往来すること。交流する。


雞鳴海色動、謁帝羅公侯。
鶏が鳴いて夜のとばりの明けそめるころ、朝の朝礼で天子に拝謁する公侯たちが居ならんだ。
海色 夜明け前のほのぐらい色。○謁帝 朝の朝礼。夜明けに集合。


月落西上陽、余輝半城樓。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしていた。
○西上陽 洛陽の宮城の西南隅に上陽宮があり、さらにその西側に西上陽宮という宮殿があった。touRAKUYOjou0036
 唐時代 洛陽城図 参照
 
衣冠照云日、朝下散皇州。』
やがて、朝廷の吏官の冠が日の彩雲に照らされてでてきた、朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。
衣冠 衣冠をつけた人。朝廷の吏官。○皇州 帝都のこと。


鞍馬如飛龍、黃金絡馬頭。』
鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。


行人皆辟易、志氣橫嵩丘。
道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

嵩丘 洛陽の近くにある嵩山。道教の総寺観があった。

入門上高堂、列鼎錯珍羞。
門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえていた。
 足が三本ある一種の鍋。○珍羞 珍しい御馳走 


香風引趙舞、清管隨齊謳。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出していた。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でていた。


七十紫鴛鴦、雙雙戲庭幽。』
七十羽の紫のつがいのおしどりたちは、それぞれつがいで、庭の茂みのおくにたわむれている。
七十紫鴛鴦 楽府古辞(漢時代の民謡)の中に、「鴛鴦が七十二羽、二羽ずつつがいになって、きれいにならんでいる」という意味の詩句が見える。鴛おしどりのオス。鴦おしどりの雌。


行樂爭晝夜、自言度千秋。
昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 


功成身不退、自古多愆尤。
成功して引退しないでいると、むかしからまちがいが多いものだ。
退 引退。范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。そのあと引退し悠々自適の生活をした。〇愆尤 けんゆう あやまち。失敗。

黃犬空嘆息、綠珠成舋讎。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。
黃犬 このブログ 襄陽歌 李白49に示す。「咸陽市中歎黄犬、何如月下傾金罍。」咸陽の町のまん中で「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた秦の李斯のさいごを思うと、たとえ出世しなくとも、月の下で、黄金の杯を傾けているほうが、どれだけよいことか。 ・歎黄犬:李斯の故事をいう。〇綠珠 晋の石崇は、富を集め豪奪な生活をした人だが、綠珠という女を愛していた。彼女は美しく、色っぽく、上手に笛を吹いた。孫秀という男が人を遣わして綠珠をしつこく求めた。石崇は立腹して言った。緑珠はわたしの愛人だ、と。恨んだ孫秀は、超王倫に告げ口をして石崇を殺そうとした。綠珠は樓から身を投げて自殺し、崇の親兄妻子はみな穀書された。「晋書」にある話。○舋讎 仲たがいのあだ、うらみ。○ 讐と同じ。

何如鴟夷子、散發棹扁舟。』
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。
鴟夷子 越王勾践は呉王夫差と戦って会稽山で和を請うた。その後二十年、嘗胆の苦しみを経て、氾蠡の助けを得て軍隊を訓練し、呉と戦って会稽の恥をそそいだ。越が呉を滅ぼすと、汚轟は越を去った。小舟に乗り、江湖に浮かび、姓名を変じて斉の国におもむき、怨夷子皮と名のった。鴎夷とは馬の革でつくった袋である。呉の功臣伍子背が呉王夫差に死を命ぜられた上、死体は線夷につつまれて揚子江に投げこまれた。泡轟は賢いから、自分もぐずぐずしていたら、そんな目にあっただろうという意味で、こういう皮肉な名前をつけたのである。○散髪 役人のかむる冠で髪を拘束しないこと。


<ウィキペディアから 抜粋>
范蠡(はんれい 生没年不詳)は、中国春秋時代の越の政治家、軍人。氏は范、諱は蠡、字は少伯。越王勾践に仕え、勾践を春秋五覇に数えられるまでに押し上げた最大の立役者。
范蠡は夫差の軍に一旦敗れた時に、夫差を堕落させるために絶世の美女施夷光(西施(せいし))を密かに送り込んでいた。思惑通り夫差は施夷光に溺れて傲慢になった。夫差を滅ぼした後、范蠡は施夷光を伴って斉へ逃げた。
 
越を脱出した范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。范蠡の名を聞いた斉は范蠡を宰相にしたいと迎えに来るが、范蠡は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと財産を全て他人に分け与えて去った。 斉を去った范蠡は、かつての曹の国都で、今は宋領となっている定陶(山東省陶県)に移り、陶朱公と名乗った。ここでも商売で大成功して、巨万の富を得た。老いてからは子供に店を譲って悠々自適の暮らしを送ったと言う。陶朱公の名前は後世、大商人の代名詞となった(陶朱の富の故事)。このことについては、史記の「貨殖列伝」に描かれている

古風五十九首 其七 李白 108/350

古風五十九首 其七 李白108/350


古風五十九首 其七
客有鶴上仙、飛飛凌太清。
鶴の背にのった仙人が、大空を飛びまわって大酒境まで行こうとしている。
揚言碧雲裏、自道安期名。
あおい雲のなかから名のりをあげて、われこそは安期生であると言った。
兩兩白玉童。雙吹紫鸞笙。
左右に、白玉のように美しいお顔の童子う従えて、ともに紫檀で鷲のかたちの笙を奏でている。
去影忽不見、囘風迭天聾。
ところがたちまち、姿は見えなくなり、向かい風吹き天上の音楽だけを送ってきた。
拳首遠望之、諷然若流星。
首をのばして遠くを望むと、聞こえてきた天上の調が、流れ星のようにきえていった。
願餐金光草、詩興天斉傾。
わたしの願いは、仙人草を食べることであり、生命は天とならび帰服することにある。

鶴の背にのった仙人が、大空を飛びまわって大酒境まで行こうとしている。
あおい雲のなかから名のりをあげて、われこそは安期生であると言った。
左右に、白玉のように美しいお顔の童子う従えて、ともに紫檀で鷲のかたちの笙を奏でている。
ところがたちまち、姿は見えなくなり、向かい風吹き天上の音楽だけを送ってきた。
首をのばして遠くを望むと、聞こえてきた天上の調が、流れ星のようにきえていった。
わたしの願いは、仙人草を食べることであり、生命は天とならび帰服することにある。


(下し文)古風 其の七
客に鶴上の仙有り、飛び飛んで 太清を凌ぐ
言を揚ぐ 碧雲の裏、自ずから道う 安期が名。
両両たり 白玉の童、双び吹く 紫鸞の笙
去影 忽ちに見えず、回風 天声を送る
首を挙げて 遠く之を望めば、諷然として 流星の若し
願わくは金光の草を餐し、寿 天と斉しく傾かん


客有鶴上仙、飛飛凌太清。
鶴の背にのった仙人が、大空を飛びまわって大酒境まで行こうとしている。
凌 のりこえる。○太清 天上にある世界。道家でいわゆる三清の一つ。聖人は玉清に登り、真人は上清に登り、仙人は太滑に登るという。 李白の詩は、道教の説明をきちんと入れなければいけない。
三清(さんちん):
最高神である上合虚道君応号元始天尊、右に霊宝天尊、左に道徳天尊(太上老君)を配した3神のことである。
三清境に住み、玉清には元始天尊が、上清には霊宝天尊が、太清には太上老君がそれぞれ宮殿を構えていると言われている。6世紀以降、それまで最高神として扱われていた道家の創始者・太上老君を三身一体の一部として組み入れ、元始天尊をリーダーとして道教の最高神として祭られるようになった。
元始天尊 三清の中央に位置する神。三清界の玉京(玉清)という場所に住むという。上合虚道君応号元始天尊 玉清元始天尊、玉清とも呼ぶ。道と万物の創造神であると言われ、道士の信仰が熱い。
霊宝天尊 別名太上道君。三清界の上清境に住むので上清、上清天尊とも呼ばれる。
太上老君 別名道徳天尊。三清の1人で道家の創始者。三清境の太清に宮殿を構えることから太清とも呼ばれる。
 
揚言碧雲裏、自道安期名。
あおい雲のなかから名のりをあげて、われこそは安期生であると言った。
揚言 名乗りを上げる。○碧雲 青雲。李白は青い色にこの文字を多用する。好きな文字なのであろう。○安期 仙人の名。安期宅秦の墳邪の人で、学問を河上文人に受け、東海のほとりで薬を売っていた。当時の人は千歳公と呼んだ。始皇帝が山東に遊んだとき、三旦二晩ともに語った。金崗数千万を賜わったが、みな置いたまま立去り、「数十年のちに、われを蓬莱山のふもとにたずねよ」という置手紙をのこした。始皇はかれを海上にさがさせたが、使者は風波にあい引返した。漢の武帝の時、李少君という者が帝に報告した。「臣がかつて海上に遊んだとき、安期生を見た。かれは瓜のように大きいナツメを臣に食わせた、云云」武帝もまた、方士を海に派遣して安期生をさがさせたという。「列仙伝」や「史記」『三国志』「魏書」に登場する話。

兩兩白玉童。雙吹紫鸞笙。
左右に、白玉のように美しいお顔の童子う従えて、ともに紫檀で鷲のかたちの笙を奏でている。
白玉童 白玉のような清らかな顔の童子。○紫鸞笙 王子喬という仙人は笙の名手であったが、かれの笙は紫檀で鳳翼にかたどって製ってあった。鸞は、鳳風の一種。
 
去影忽不見、囘風迭天聾。
ところがたちまち、姿は見えなくなり、向かい風吹き天上の音楽だけを送ってきた。
囘風 向かい風。上句の「去」の対語としての「囘」は帰ることで天からこちらへ送ってくれた調べとなる。回風はつむじ風。○天声 天上の音楽。
 
拳首遠望之、諷然若流星。
首をのばして遠くを望むと、聞こえてきた天上の調が、流れ星のようにきえていった。
 そらんじる。天上の音楽のこと。  ○然若 しかり・・・・ごとく

願餐金光草、壽興天斉傾。
わたしの願いは、仙人草を食べることであり、生命は天とならび帰服することにある。
金光草 仙人草。 
senninso01日本ではよく見かける。
 ○ せい齊 ととのえる。ならべる。 ・さい齋つつしむ。神仏へのそなえもの。学問をするところ。
 心を傾ける。帰服する。

古風五十九首 其五 李白

古風五十九首 其五 李白 107

古風五十九首 其五
太白何蒼蒼、星辰上森列。
太白山は、なんとおごそかなあお色をしているのだ。多くの星、きらめく星たちは上に、いかめしくにならんでいる。
去天三百里、邈爾與世絕。
天上から山頂まで、わずかに三百里。はるか遠くにあり、俗世間からとは遮断されている。
中有綠髪翁、披云臥松雪。
その山中に緑の髪の翁がいる。雲を着物とし、松に積もる雪を枕にして寝ている。 
不笑亦不語、冥棲在岩穴。
笑わないし、語りもしない、ひっそりと雲を湧かせる洞窟の中に棲んでいるのだ。
我來逢真人、長跪問寶訣。
わたしは道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその人に会いに来た、長く両ひざをついてお辞儀をして、悟りと奥義についてたずねた。
粲然啟玉齒、授以煉藥說。
にこやかに笑をうかべ、玉のような歯なみをみせて、仙薬の作り方を教えてくれた。
銘骨傳其語、竦身已電滅。
骨の髄にまでこの言葉をおぼえこもうとしていたら、突然、翁は身をすくめてしまったと思うと、電撃のようにきえ去っていた。
仰望不可及、蒼然五情熱。
あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、およびもつかないのである。すると春の草木が萌えいでるように喜、怒、哀、楽、怨のあらゆる感情が胸をたぎらせてきたのだ。
吾將營丹砂、永與世人別。
わたしは今後、丹砂をつくることにし、永久に世間の人に別れをつげることにしたのだ。

太白山は、なんとおごそかなあお色をしているのだ。多くの星、きらめく星たちは上に、いかめしくにならんでいる。
天上から山頂まで、わずかに三百里。はるか遠くにあり、俗世間からとは遮断されている。
その山中に緑の髪の翁がいる。雲を着物とし、松に積もる雪を枕にして寝ている。 
笑わないし、語りもしない、ひっそりと雲を湧かせる洞窟の中に棲んでいるのだ。
わたしは道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその人に会いに来た、長く両ひざをついてお辞儀をして、悟りと奥義についてたずねた。
にこやかに笑をうかべ、玉のような歯なみをみせて、仙薬の作り方を教えてくれた。
骨の髄にまでこの言葉をおぼえこもうとしていたら、突然、翁は身をすくめてしまったと思うと、電撃のようにきえ去っていた。
あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、およびもつかないのである。すると春の草木が萌えいでるように喜、怒、哀、楽、怨のあらゆる感情が胸をたぎらせてきたのだ。
わたしは今後、丹砂をつくることにし、永久に世間の人に別れをつげることにしたのだ。


(下し文)
太白 何んぞ蒼蒼たる、星辰 上に森列す。
天を去る 三百里、邈爾として世と絕つ。
中に綠髪の翁有り、雲をかぶりて松雪に臥す。
笑わず 亦 語らず、冥棲 岩穴にあり。
我來って 真人に逢い、長跪して寶訣を問う。
粲然として 玉齒を啟き、授くるに煉藥の說を以てす。
骨に銘じて其語を傳うるに、身を竦めて已に電の滅ゆ。
仰て 望むも及ぶべからず、蒼然として五情 熱す。
吾 將に 丹砂を營み、永く世人と別れんとす。

太白何蒼蒼、星辰上森列。
太白山は、なんとおごそかなあお色をしているのだ。多くの星、きらめく星たちは上に、いかめしくにならんでいる。 
太白 長安の西方80kmにある3767m、陝西省武功県、の南にある山の名。標高もあり、山頂には年中積雪がある。○蒼蒼 山があおあおとしている、そのようす。○星辰 星も辰も、ほし。○森列 いかめしくならぶ。

去天三百里、邈爾與世絕。
天上から山頂まで、わずかに三百里。はるか遠くにあり、俗世間からとは遮断されている。
去天三百里 「武功の太白、天を去ること三百里」という言いつたえがある。○邈爾 ばくじ はるか遠くにあること。

中有綠髪翁、披云臥松雪。
その山中に緑の髪の翁がいる。雲を着物とし、松に積もる雪を枕にして寝ている。 
 着物としてきる。 ○云 雲。云は古来文字。

不笑亦不語、冥棲在岩穴。
笑わないし、語りもしない、ひっそりと雲を湧かせる洞窟の中に棲んでいるのだ。
冥棲 ひっそりとしたところに棲む。
 

我來逢真人、長跪問寶訣。
わたしは道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその人に会いに来た、長く両ひざをついてお辞儀をして、悟りと奥義についてたずねた。
真人 道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだ人。○長跪 ちょうき 長く両ひざをついてお辞儀をする姿勢をとること。○寶訣 ほうけつ 修行をして体得した悟りとか奥義。

粲然啟玉齒、授以煉藥說。
にこやかに笑をうかべ、玉のような歯なみをみせて、仙薬の作り方を教えてくれた。
粲然 にこやかに笑うさま。あざやかなさま。○煉藥 仙薬を練ること。丹砂:水銀と硫黄の化合した赤色の土を何回もねり上げると金丹:黄金となり、それを飲むと仙人になれるという。覚醒状態にさせる薬。


銘骨傳其語、竦身已電滅。
骨の髄にまでこの言葉をおぼえこもうとしていたら、突然、翁は身をすくめてしまったと思うと、電撃のようにきえ去っていた。
竦身已電滅 仙人は、上はよく身を雲霄にそばだて、下はよく形を川海にひそめる、という。

仰望不可及、蒼然五情熱。
あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、およびもつかないのである。すると春の草木が萌えいでるように喜、怒、哀、楽、怨のあらゆる感情が胸をたぎらせてきたのだ。
蒼然 春の草木が萌え出るさま。〇五情 喜び・怒。・哀しみ・楽しみ・怨みの五つの感情。

吾將營丹砂、永與世人別。
わたしは今後、丹砂をつくることにし、永久に世間の人に別れをつげることにしたのだ。

五嶽 中国の五つの名山。東嶽(泰山1024m・山東省)南嶽(衡山1290m・湖南省)西嶽(華山2160m・陝西省)北嶽(恒山2017m・山西省)中嶽(嵩山1440m・河南省)


太白山 3767m 五嶽より圧倒的に高い。古来、五嶽を基本のして地方を9つに分けて考えられていた世界観からすれば太白山はその世界を外れた天に続く山とされていたのだろう。  


登太白峯  李白 20
西上太白峯、夕陽窮登攀。
太白与我語、為我開天関。
願乗泠風去、直出浮雲間。
挙手可近月、前行若無山。
一別武功去、何時復更還。
西方登は太白峰、夕陽は山擧に窮めた。
太白星は我に語りかけ、私のために天空の門を開いた。
爽やかな風に乗り、すぐにも出たい雲のあいだを。
手を挙げれば月に近づき、前にすすめば遮るものも無いかのように。
ひとたび去る武功の地、いつまた帰ってこられるのか。

古風五十九首 其三 李白

古風五十九首 其三 李白 106


  これまで約二十首連続で、酒に関する詩を取り上げてきた。それらの詩により、李白の考え方は次のようにまとめられる。
李白は、神仙となって長命を得ることは道を得る機会が増えることであり、奨励されると考えており、真理としての宇宙観には多様性があるとするのが道教の思想であると考えていた。食生活においてはとりわけ、酒飲むことを基本とし、この相乗効果として、さまざまな食物を得ることで均衡が取れ、長生きすると考えていた。


次に李白に人生の集大成とも思われる「古風」五十九首のうちで道教に関するものと思われるものを見ていこう。この詩は、神仙思想というものから見れば、始皇帝の行った数々のことはおろかなことである、神仙を愚弄したものであり、結果は、「金棺の寒灰を葬る。」と。


古風五十九首 其三
秦皇掃六合、虎視何雄哉。

秦の始皇帝は天下国家を一掃し平らげた、虎のような睨みは何と勇壮なことか。
揮劍決浮云、諸侯盡西來。
剣をふるって浮雲を切ると、天下の諸侯は一人のこらず西へ来て秦に降伏した。
明斷自天啟、大略駕群才。
英明なる決断力は天から啓示されたもので、大きな計画は多くの才士を凌駕した。(使いこなしていない)
收兵鑄金人、函谷正東開。
天下の兵や武器をあつめて鋳銅の大人形をつくり、函谷関も、東にむかって門戸を開いた。
銘功會稽嶺、騁望琅琊台。
南は会稽山の嶺にのぼって、自分の功績を石に刻み、東は琅邪台にのぼって、はるかに東方海上を眺めまわした。
刑徒七十萬、起土驪山隈。』
囚人七十万をつかって、驪山のふもとに土木工事をはじめた。(兵馬俑坑の建設)
尚采不死藥、茫然使心哀。
しかもなお、不死の仙薬を採ってこさせようとして、思うようにならず茫然と心をかなしませた。
連弩射海魚、長鯨正崔嵬。
海中に恐ろしい大魚がいて仙島へ行くじゃまをするというので、数十本の矢をつづけさまに発射できる石弓でそれを射たが、あらわれたクジラは岩山のような大きさであった。
額鼻象五嶽、揚波噴云雷。
額と鼻は五嶽のかたち(象)をしており、大波をかき揚げ、雲雷を噴きだした。
鬈鬣蔽青天、何由睹蓬萊。
ひれとひげは大空をもおおいかくししてしまう、これでどうして蓬莱などが見られるというのか
徐市載秦女、樓船幾時回。
徐市は秦の童女をのせて出かけたが、その楼船は何時帰って来るのだろう。
但見三泉下、金棺葬寒灰。
いまはただ、三泉の深い地の底で、こがねの棺につめたい灰が葬られているのを見るだけである。

秦の始皇帝は天下国家を一掃し平らげた、虎のような睨みは何と勇壮なことか。
剣をふるって浮雲を切ると、天下の諸侯は一人のこらず西へ来て秦に降伏した。
英明なる決断力は天から啓示されたもので、大きな計画は多くの才士を凌駕した。(使いこなしていない)
天下の兵や武器をあつめて鋳銅の大人形をつくり、函谷関も、東にむかって門戸を開いた。
南は会稽山の嶺にのぼって、自分の功績を石に刻み、東は琅邪台にのぼって、はるかに東方海上を眺めまわした。
囚人七十万をつかって、驪山のふもとに土木工事をはじめた。(兵馬俑坑の建設)
しかもなお、不死の仙薬を採ってこさせようとして、思うようにならず茫然と心をかなしませた。
海中に恐ろしい大魚がいて仙島へ行くじゃまをするというので、数十本の矢をつづけさまに発射できる石弓でそれを射たが、あらわれたクジラは岩山のような大きさであった。
額と鼻は五嶽のかたち(象)をしており、大波をかき揚げ、雲雷を噴きだした。
ひれとひげは大空をもおおいかくししてしまう、これでどうして蓬莱などが見られるというのか
徐市は秦の童女をのせて出かけたが、その楼船は何時帰って来るのだろう。
いまはただ、三泉の深い地の底で、こがねの棺につめたい灰が葬られているのを見るだけである。


(下し文)古風 其三
秦皇 六合を掃いて、虎視 何ぞ 雄なる哉。
劍を揮って 浮云を決れば、諸侯 盡く西に來る。
明斷 天より啟き、大略 群才を駕す。
兵を收めて 金人を鑄、函谷 正に東に開く。
功を銘す 會稽の嶺、望を騁ず 琅琊の台。
刑徒 七十萬、土を起す 驪山の隈。』

尚 不死の藥を采り、茫然として 心哀しましむ。
連弩 海魚を射、長鯨 正に崔嵬。
額鼻は五岳に象かたどり、波を揚げて云雷を噴はく。
鬈鬣きりょう 青天を蔽おおう、何に由りてか 蓬萊を睹みん。
徐市じょふつ 秦女を載す、樓船 幾時か回える。
但見る三泉の下、金棺 寒灰を葬ほうむるを。



古風五十九首 其三

秦皇掃六合、虎視何雄哉。

秦の始皇帝は天下国家を一掃し平らげた、虎のような睨みは何と勇壮なことか。
秦皇 秦の始皇帝。〇六合 天地と四方と。すなわち、宇宙。世界。天下国家。○虎視 猛虎がニラミをきかすこと。勢意の盛んで強いことのたとえ。

 
揮劍決浮云、諸侯盡西來。
剣をふるって浮雲を切ると、天下の諸侯は一人のこらず西へ来て秦に降伏した。
揮劍決浮雲 「荘子」に「天子の剣は、上は浮雲を決り、下は地紀(大地の根本)を断つ。」とあるのにもとづくもの。○諸侯尽西来 戦国時代の諸侯、すなわち斉・楚・燕・韓・魏・趙の六国の王たちは皆降伏して当時は一番西に位置したので(西のかた)秦に来た。中国初めての統一国家とされているが、実質的には隋王朝の国の体をなした国家、すなわち、律令国家体制こそが初めての統一国家といえるもののではなかろうか。

明斷自天啟、大略駕群才。
英明なる決断力は天から啓示されたもので、大きな計画は多くの才士を凌駕した。(人材をうまく使いこなしているわけではない)
明断 英明な決断力。○大略 大計画。


收兵鑄金人、函谷正東開。
天下の兵や武器をあつめて鋳銅の大人形をつくり、函谷関も、東にむかって門戸を開いた。 
収兵鋳金人 「史記」の始皇本紀の二十六年の条に「天下の兵(武器)を収めて咸陽に集め、これをとかして鐘鐻(しょうきょ:鐘や鼓をかける台)と金人(銅製の大人形)十二をつくり、重さはそれぞれ千石(一石は普通人がかつげる重さ)で、宮廷に置いた」とある。○函谷 秦の東境にある関所の名。いまの河南省の西端。秦は自然の要塞でもあるここを厳重守っていたが、六国を滅ぼして天下を統一したので「東に開」いたわけである。


銘功會稽嶺、騁望琅琊台。
南は会稽山の嶺にのぼって、自分の功績を石に刻み、東は琅邪台にのぼって、はるかに東方海上を眺めまわした。
銘功会稽嶺 「史記」の始皇本紀、三十七年に「会稽山(浙江省紹興)に登って大禹(夏の商王)を祭り、南海を望んで石を立て、文字を刻んで秦の徳をたたえた」とある。杭州が中国南部統治の要衝地であった。その象徴ともいえる山が会稽山である。地図上での南は海南方面であるが李白の時代唐時は交通手段が川・運河であったためこの地を南としていた。○騁望琅琊台 琅邪は琅琊とも、また琅邪とも書く。同じく始皇本紀、二十八年「南のかた琅邪山(山東省諸城県東南)に登って大いに楽しみ、滞留三か月、平民三万戸を琅邪山のふもとに移し、十二年間免税することにし、琅邪台を作って石を立て、秦の徳をたたえた」。この地が最東の要衝地であった。

刑徒七十萬、起土驪山隈。』
囚人七十万をつかって、驪山のふもとに土木工事をはじめた。(兵馬俑坑の建設)
刑徒七十万 同じく始皇本紀、三十五年「始皇は阿房宮を作った。東西五百歩つまり3,000尺・南北五十丈つまり500尺という。なお、メートル法に換算すると、乗数に諸説があるため東西600-800m・南北113-150mなどの幅がある。ウィキペディア中国語版では、693mと116.5mと記述されている。 二階建で上は万人を坐らすことができ、下は五丈の旗を建てることができた。殿外には柵木を立て、廊下を作り、これを周馳せしめ、南山にいたることができ、複道を作って阿房から渭水を渡り咸陽の宮殿に連結した。これは、天極星中の閣道なる星が天漢、すなわち天の川を渡って、営室星にいたるのにかたどったものである。その建築に任じた刑徒の数は70余万に昇った。なおも諸宮を造り、関中に300、関外に400余、咸陽付近100里内に建てた宮殿は270に達した。このために民家3万戸を驪邑に、5万戸を雲陽にそれぞれ移住せしめた。」。○驪山 いまの陝西省臨潼県の東南、つまり咸陽の東の郊外にある山。 

尚采不死藥、茫然使心哀。
しかもなお、不死の仙薬を採ってこさせようとして、思うようにならず茫然と心をかなしませた。
○尚採不死薬 「史記」始皇本紀三十二年「韓終・侯公・石生に仙人の不死の薬を求めさせた」。

連弩射海魚、長鯨正崔嵬。
海中に恐ろしい大魚がいて仙島へ行くじゃまをするというので、数十本の矢をつづけさまに発射できる石弓でそれを射たが、あらわれたクジラは岩山のような大きさであった。
連弩 数本ないし数十本の矢を連続して発射できるような仕掛の石弓。○海魚 大鮫。○連弩射海魚 始皇本紀、二十八年「斉の人、徐市らが上書して「海中に三つの神山があり、蓬莱・方丈・瀛洲と申して、仙人が住んでおります。斎戒して童男童女を連れ、仙人を探したいと思います」と言った。そこで徐市を派遣し、董男童女数千人を出して海上に仙人を求めさせた」。三十七年「方士の徐市らは、海上に神薬を求めて、数年になるが得られず、費用が多いだけだったので、罰せられることを恐れ、いつわって、「蓬莱では神薬を得られるのですが、いつも大鮫に苦しめられて、島に行くことができないのです。上手な射手を附けていただけば、現われたら連弩で射るのですが」と言った。……そこで海上に行く者に大魚を捕える道具を持たせ、大魚が出たら、始皇みずから連弩で射ようと、琅邪から労山・成山(いずれも山東省)まで行ったが、ついに現われなかった。之罘に行くと大魚が出たので、一魚を射殺した」。 〇崔嵬 高くて急な、石山の形容。

額鼻象五嶽、揚波噴云雷。
額と鼻は五嶽のかたち(象)をしており、大波をかき揚げ、雲雷を噴きだした。
五嶽 中国の五つの名山。東嶽(泰山・山東省)南嶽(衡山・湖南省)西嶽(華山・陝西省)北嶽(恒山・山西省)中嶽(嵩山・河南省)

鬈鬣蔽青天、何由睹蓬萊。
ひれとひげは大空をもおおいかくししてしまう、これでどうして蓬莱などが見られるというのか
鬈鬣 ひれとひげ。○蓬莱 海上にあるといわれる仙人の島。

徐市載秦女、樓船幾時回。
徐市は秦の童女をのせて出かけたが、その楼船は何時帰って来るのだろう。
徐市 じょふく(一+巾)秦の始皇帝をだましたイカサマ師。徐福ともいう。日本に来て住んだという。紀州にその墓がある。○楼船 二階づくりの屋形船。

但見三泉下、金棺葬寒灰。
いまはただ、三泉の深い地の底で、こがねの棺につめたい灰が葬られているのを見るだけである。
三泉 始皇本紀に「始皇を驪山に葬る。始皇帝が初めて帝位に即いた時、驪山のふもとに陵をつくるため穴を掘り、天下をあわせたのちは、天下の徒刑の罪人七十余万人をつかって三泉の下まで掘り、銅を以て下をふさぎ、外棺を入れた。塚の中に宮殿や百官の席をつくり、珍奇な器物をいっぱい入れた」とある。三泉とは、地下水の層を三つ掘りぬいた深い地底。○寒灰 つめたい灰。死骸は火葬しないが、次第に風化して灰になることをいう。


 この詩も、神仙を願うことに反対しているのではない。また始皇帝をひきあいにだして、玄宗を諷刺したというものでもなく、ただ神仙の道を求める資格が、なかったことをいっているのである。晩年の豪奢と強権、宦官に任せた始皇帝には、不老長寿を求める資格はない、たとえ徐市(徐福)に始皇帝を欺く意志があったとしてもである。


 ○韻 哉、來、才、開、台、隈、哀、嵬、雷、萊、回、灰。

 
毎日のkanbuniinkai紀頌之5大詩 案内
 
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝?・?信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場《李白全詩》
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●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩全1500首  LiveDoor秦州抒情詩集・紀行集成都草堂ロマン漂泊詩集杜甫総合案内
      
杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首
杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首
 
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載  ●特集  
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集Fc2中國詩人の概要文選(詩)文選(賦)総合案内
(1)上代から漢(2)三国・建安詩人西晋五胡十六国東晋詩人(4)六朝時代の詩人(5)初唐詩人(6)盛唐詩人
(7)中唐詩人(8)晩唐詩人(9)五代十国詩人(10)北宋・南宋詩人(11)金・元・明詩人(12)清・近時代・現代
韓愈の「孟郊(孟東野)」について韓愈「季節の詩80首選定〔未掲載分含む〕」について韓愈『新題二十一詠』と王維『?川集』韓愈『淮西を平らぐの碑』について韓愈『琴操十首』について韓愈哲学『論佛骨表』
儒家論文『論佛骨表奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠と王維『輞川集』韓愈徒然に詠う集韓愈 季節の詩80首選定韓愈 子供におしえる「示児」韓愈の交友者に贈る詩。「皇甫湜」
 
●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性LiveDoor中國の  女性詩人古詩源玉台新詠花間集全十巻
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薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5)
魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10)
温庭?66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛?31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻
毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻
魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔?6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻
      

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