漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

李白

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

哭宣城善醸紀叟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -294

哭宣城善醸紀叟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -294


紀叟黄泉裏、還應醸老春。
夜臺無暁日、沽酒與何人。

紀叟 黄泉の裏、還た 應に 老春を醸(かも) す。
夜臺 暁日 無きに、酒を沽りて何人に與たう。


紀おじいさんは黄泉の国にいってしまった、でもきっとまた、「老春」の酒を醸造している。
冥土には明るいお日様は照らされてはないだろう、それにわたしがいないのにそのお酒はどんな人に売るというのか。


哭宣城善醸紀叟
宣城 地図e5座標。○善醸 上手に醸造する。○紀叟 紀というおじいさん。
 rihakustep足跡


紀叟黄泉裏、還應醸老春。
紀叟 黄泉の裏、還た 應に 老春を醸(かも) す。
紀おじいさんは黄泉の国にいってしまった、でもきっとまた、「老春」の酒を醸造している。
黄泉 黄泉の国。地下に死者の世界があると考え、そこを黄泉と呼んだ。黄は、五行思想で、土を表象し、方向性としては中央を意味する。泉は地下の世界、それゆえに、兵馬庸は地下に地上と同じ世界を作った。○老春 お酒の名前。(若さをよみがえらせる。歳を重ねていくことをよろこぶ。ということであろうか。)

夜臺無暁日、沽酒與何人。
夜臺 暁日 無きに、酒を沽りて何人に與たう。
冥土には明るいお日様は照らされてはないだろう、それに(真の酒飲みでこよなく酒を愛するわたしがいないのに)そのお酒はどんな人に売るというのか。
夜臺 冥土。墓の穴。墳墓。○暁日 夜明けの太陽。朝日。明るいお日様。○沽酒 売っている酒。

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「戴老酒店」
戴老黄泉下 還應醸大春 
夜臺無李白 沽酒與何人

戴老(たいろう)は黄泉(こうせん)の下にて、
還(な)ほ応(まさ)に大春(だいしゅん)を醸(かも)すなるべし。
夜台には李白無きに、何人に酒を沽(う)り与へんや。

酒造り名人の戴の爺さんは死んじまったが、黄泉の国でも、
きっと自慢の銘酒「大春」を造っているに違いない。
しかし、冥土には(真の酒飲みでこよなく酒を愛する)李白はいないのだ、
いったい誰にその酒を飲ませるつもりなのだろう。

○大春 酒の銘柄。○夜臺 あの世。

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猛虎行 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -276

猛虎行 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -276
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猛虎行-張旭と飲む

「君に尊敬の念を抱きつつ御馳走になって君のために歌をうたうわけである。自分はまだ志を得ない漢の張良のようなもの、仙人の赤松の跡を逐って上昇するほど、脱俗的の気分にはなっていない。」
張良は下郡の杷橋のもとで黄石公から兵法を授けられ、その後、漢の高祖に仕えて出世して留侯にまでなった。「その黄石公に比すべき人のみ、わが気持ちが分かってくれるものだ」と歌う。最後の句は、李白の希望を述べ、わが心を知ってくれる黄石公のごとき人が出てほしい。そして、再び活躍する場を与えてはしいという。前途に対しての希望はまだまだ消えてはいない。ぞく叛乱軍の侵入の悲惨を歌いながら、それに刺激されて任侠心が勃然とよみがえってきたのであろうか。

洛陽には洛水が流れている。「その辺りは胡兵たる賊軍がいずこにも走りまわっている。戦いのために、野草が血塗られている。財狼に比すべき賊軍は、みな衣冠束帯をつけて役人となり、横暴を極めている」。「流血は野草を塗らし、財狼のもの尽く冠の樫をす」には、安禄山の配下の者が、にわか官僚となって、横暴な振舞いをしていることに対する李白の憤りがこめられている。

凡そ生死の場に損入する遊侠者の悪い部面として賭博行為がつきまとう.したがって司馬遷が遊侠者の性格を述べるに当り,正義に外れる場合のあり得る事を前提とした意中にはこのような行為も入るわけである.
李白「梁園吟」には組分けして滑を賭け遊び暮したことが彼の実際経験としで述べられているが,より切実感を盛った描写としては「猛虎行」がある.これは楽府体の詩であるが辞中の言菜では,溧陽で張旭に留別するに際し作ったものとされている.この中には  李白が安禄山の乱を避けて宣城に至り,この地の太守と親交があったことを語り,また時には自ら  六博をなして賭博的享楽中にその壮心を慰めた様子も詠われている.李白がこのような放浪の旅をしきりに痛快にできたのは,尋常一様の士として、過去の作品の軌を異にするものである.詩の注釈に蕭士賛はこの詩を李白のではないと凝っている。

李白の詩は、論理の流れが滑らかで、使われている語が幾様にも掛けことばとされている。それでいても論理の錯誤はない。立て板に水が流れるような詩であることが一番で、押韻のために無駄な語を使用しない。 しかし、この詩は一貫性がない。論理性もしっかりしていない。この詩は倫理的でないことに尽きる。
だからといって李白のものではないとは言えない。いや、李白の詩、全体的な作品から見て、もう一つの大きな時期的なもの、政情不安、治安も不安な時期であったことが、この詩にさせたものであるようにおもえるのである。
儒教的な視点で李白の詩は語れない。遊侠的実践を好ましくないものとして位置づけ、遊侠・任侠は不正義につながるという儒教者の教条主義的な見方では理解できないのかもしれない。

蕭士賛は論理が通っていない偽物といい
「猛虎行」蕭士賛曰,按此詩似非太自之作,用事既無倫理.徒爾辟鴬狂誕之辞,首尾不相應,詠絡不相貫串 語意斐率.悲欺失拠,必是他人詩,竄入集中,歳久難別. 
王琦は時期的に合致、飲んだ席でのことであり、本物という。
李太白文集韓註巻六 「猛虎行」琦夜是詩当天宝十五載之春,太白与張旭相遇於溧陽,而太白又将遨遊東越,与張旭宴別而作也. 


「函谷関が堅固であることが天子のいる長安を支えることになるし、天下の運命は潼関を守る総司令官の哥舒翰にかかっている。ところが、長き仗を持った唐の軍隊三十万もおりながら、戦い敗れて、関門を開いて賊軍安禄山を潼関より入れてしまった。情けないことだ。一挙に長安は占領され、役にたたぬ公卿たちは犬羊のごとく追いまわされ、なすところを知らず。忠義の者は塩辛や塩漬けにされてしまった。賊軍の横暴略奪は悲惨を極めた」と、当時の乱離の様を追憶している。杜甫もしきりに安禄山の乱を歌い、その悲惨さを多く歌っているが、詩人ならずとも、当時の人々に特に衝撃は大きかった。
李商隠

「行次西郊作一百韻」について李商隠の詩150 -147はじめに

李商隠 148 北徵と行次西郊作一百韻について

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150-149

「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。

猛虎行 ( 此詩蕭士贇云是偽作 )
猛虎のうた ( 此の詩は、蕭士贇が言うに李白の作ではない偽作である。)
#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。

朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
朝に猛虎の歌を作って、日暮れに猛虎の歌を吟じている。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
腹立たしくて腸がちぎれんばかりに怒りがわいてくる関中には天子はいなくて隴山の奥に行ってしまって水が流れてくるばかり。今はただ涙が流れて止まらない、雍城で大敗しその門前で寂しく琴音が響く。
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
今や叛乱軍の軍旗が風に翻っている渭水、洛水の両岸を抑えられてしまった。戦いの際に打ち鳴らされる太鼓は吹きの山々に轟き、これを倒してもらいたいのだ。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
しかし、長安にいた臣下の者たちは、叛乱軍に進んで虜になってしまった。その捕虜たちの奸臣たちは叛乱軍の馬たちに託して洛陽に送られたのだ。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
ひとたび輸送され、ひとたび消失して関中の兵は叛乱軍に下ったのだ。明日に降参した者たちは、ゆうべには幽州の薊の城郭から叛乱は始まったのだ。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

安禄山の叛乱以来そのオオガメは大海原切り開いて出てくることはない。大魚と龍も大暴れしてどうしてそのままおとなしくしておられるものか。

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』

頗似楚漢時。 翻覆無定止。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』 ( 玉一作長 )

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

#4 春、人、塵、賓、親。

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

猛虎の行 (注 此の詩、蕭士贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』
#2
頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』
#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3
#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫れて人を愁殺せしむ。
胡の雛緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌ち鼓を樋きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。


杜甫乱前後の図003鳳翔渭水は秦州から右側に流れ長安を過ぎて、潼関で黄河と合流する。合流して黄河は東流(右に)して洛陽方面から来た洛水と合流する。 


猛虎行 現代語訳と訳註
(本文) #1

猛虎行 ( 此詩蕭士贇云是偽作 )
朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

(下し文)
猛虎の行  ( 此の詩、蕭士贇は云う、是れ偽作。 )
朝に 猛虎の行を作し、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』

(現代語訳)
猛虎のうた ( 此の詩は、蕭士贇が言うに李白の作ではない偽作である。)
朝に猛虎の歌を作って、日暮れに猛虎の歌を吟じている。
腹立たしくて腸がちぎれんばかりに怒りがわいてくる関中には天子はいなくて隴山の奥に行ってしまって水が流れてくるばかり。今はただ涙が流れて止まらない、雍城で大敗しその門前で寂しく琴音が響く。
今や叛乱軍の軍旗が風に翻っている渭水、洛水の両岸を抑えられてしまった。戦いの際に打ち鳴らされる太鼓は吹きの山々に轟き、これを倒してもらいたいのだ。
しかし、長安にいた臣下の者たちは、叛乱軍に進んで虜になってしまった。その捕虜たちの奸臣たちは叛乱軍の馬たちに託して洛陽に送られたのだ。
ひとたび輸送され、ひとたび消失して関中の兵は叛乱軍に下ったのだ。明日に降参した者たちは、ゆうべには幽州の薊の城郭から叛乱は始まったのだ。

安禄山の叛乱以来そのオオガメは大海原切り開いて出てくることはない。大魚と龍も大暴れしてどうしてそのままおとなしくしておられるものか。

(訳注)
猛虎行 ( 此詩蕭士贇云是偽作 )

猛虎のうた ( 此の詩は、蕭士贇が言うに李白の作ではない偽作である。)
猛虎 安禄山の叛乱、叛乱軍の残虐で略奪をほしいままにしたことを踏まえていう。○蕭士 草書を完成させた立派な人。○ 美しい草書 ○偽作 陸機作のものの贋作ということにしてイメージを借りた。

猛虎行 陸機  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -274


朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
朝に猛虎の歌を作って、日暮れに猛虎の歌を吟じている。
○猛虎 自分の意に副わない敵対する側を指すもの。ここでは、反乱軍安禄山の軍が、勝手気ままな治政を行い、各地で略奪をほしいままに繰り返した。唐王朝の貞観の治により、地方の隅々まで、潤っていたものが、官僚取立て制度のシステムの崩壊から、税負担が大きくなり、唐王朝に対する不満があり、安禄山もその不満を受けて当初は支持をされていた。ところが、その軍は、胡の帽子をかぶり、野党、盗賊の群れであった。民衆の支持はたちまち離れた。李白は、陸機の「猛虎行」の雰囲気を借りて歌ったものである。


腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
腹立たしくて腸がちぎれんばかりに怒りがわいてくる関中には天子はいなくて隴山の奥に行ってしまって水が流れてくるばかり。今はただ涙が流れて止まらない、雍城で大敗しその門前で寂しく琴音が響く。
○雍門 756年雍丘の戦いにおいて唐王朝軍が大敗している。○


旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
今や叛乱軍の軍旗が風に翻っている渭水、洛水の両岸を抑えられてしまった。戦いの際に打ち鳴らされる太鼓は吹きの山々に轟き、これを倒してもらいたいのだ。
旌旗 反乱軍の軍旗。○繽紛 ひらひらと風に翻っているさま。○兩河道 黄河の分水、渭水は長安を西に上流を流域とする川と洛陽も黄河の分水の洛水にそっている。この時両都市を反乱軍が抑えていた。 ○戰鼓 戦いの陣列を整える陣太鼓。○驚山 太鼓の音が山に轟いて、そこに住む人間にとって脅威であった。


秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
しかし、長安にいた臣下の者たちは、叛乱軍に進んで虜になってしまった。その捕虜たちの奸臣たちは叛乱軍の馬たちに託して洛陽に送られたのだ。
秦人 長安、洛陽の朝廷の官僚、臣下。○半作 官僚として王朝軍の筋を通さないこと。○燕地囚 反乱軍の捕虜となること。 ○胡馬 反乱軍の軍馬。○翻銜 馬の轡の向きを変える。ここでは西に向かう馬を東に帰ることで、反乱軍の本拠地洛陽に向かうことを示す。○洛陽草 洛陽で捕虜として仕えること。

一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
ひとたび輸送され、ひとたび消失して関中の兵は叛乱軍に下ったのだ。明日に降参した者たちは、ゆうべには幽州の薊の城郭から叛乱は始まったのだ。
幽薊 反乱軍が決起したところを示す。:幽州。・薊:古代中国の都市。春秋戦国時代には、燕の都が置かれた。現在の北京市。


巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』
安禄山の叛乱以来そのオオガメは大海原切り開いて出てくることはない。大魚と龍も大暴れしてどうしてそのままおとなしくしておられるものか。
巨鰲 オオガメ  李白『懷仙歌』 懷仙歌 李白 111
「堯舜之事不足驚。 自余囂囂直可輕。
 巨鰲莫戴三山去。 我欲蓬萊頂上行。」
(尭舜の事は驚くに足らず自余のものの囂囂(きょうきょう)たるは直だ軽んず可し。巨鰲は三山を戴きつつ去ること莫かれ、我は蓬莱の頂上に行かんと欲す)
儒教を国のおしえ覇道として堯帝と舜帝のやったことなど私にとっては驚くべきことではない、まして私に嘆いたり、心配してうるさいものはただ値打ちのない軽んじられるものなのだ
ただ大亀いる、仙人の住む三山をはるか先に背負っていってしまってはいけない、私はこれから蓬萊山の頂上に行こうと思っている。

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陪従祖済南太守泛鵲山湖 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 202

陪従祖済南太守泛鵲山湖 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 202



陪従祖済南太守泛鵲山湖

水入北湖去、舟従南浦囘。

鵲山から来る川が湖の北に流れ込んでいる。わたしの乗った舟は、湖南がわ川の合流点の浦のあたりをまわってから引きかえしてきた。
遙看鵲山傳、却似送人来。

狩猟を終えてはるかに目をやると、舟の位置の移動につれて鵲山が次々に位置をかえ、山がわれわれ人を送ってくれているように思われる


従祖済南の太守に陪し、鵲山湖に泛ぶ

水は北湖に入って去り、舟は南浦より回る。

遙かに看る 鵲山の転ずるを、却って人を送り来るに似たり。



陪従祖済南太守泛鵲山湖 現代語訳と訳註、解説

(本文)
陪従祖済南太守泛鵲山湖
水入北湖去、舟従南浦囘。
遙看鵲山傳、却似送人来。

(下し文)
従祖済南の太守に陪し、鵲山湖に泛ぶ
水は北湖に入って去り、舟は南浦より回る。
遙かに看る 鵲山の転ずるを、却って人を送り来るに似たり。

(現代語訳)
鵲山から来る川が湖の北に流れ込んでいる。わたしの乗った舟は、湖南がわ川の合流点の浦のあたりをまわってから引きかえしてきた。
狩猟を終えてはるかに目をやると、舟の位置の移動につれて鵲山が次々に位置をかえ、山がわれわれ人を送ってくれているように思われる。


(訳註)
陪従祖済南太守泛鵲山湖

従祖 祖父の兄弟。○済南 いまの山東省済南市。○太守 郡の長官。○鵲山湖 山東省済南市歴城区、とされているが鵲山確認できない。山の南に湖があるというが現在地は確認できていない。この詩は、舟遊びではなく、鳧猟をしたものであろう。

李白 済南

水入北湖去、舟従南浦囘。
鵲山から来る川が湖の北に流れ込んでいる。わたしの乗った舟は、湖南がわ川の合流点の浦のあたりをまわってから引きかえしてきた。
 湖に流れ込む川であるが。このあたりは北に黄河があるので、小さな川は北流している。○南浦 鵲山湖の南にある。川が流入するあたりに鴨がいる。


遙看鵲山傳、却似送人来。
狩猟を終えてはるかに目をやると、舟の位置の移動につれて鵲山が次々に位置をかえ、山がわれわれ人を送ってくれているように思われる。
 本来書き付けたものを次に伝えるという意味なので、伝えるにしたがって遠ざかるというイメージで捉える。


 


(解説)
山東省済南市歴城区のあたりで通ったものである。幽州からの帰りに立ち寄ったのか、行く前かは不明であるが。以前、杜甫と狩りをして歩いたのはもっと南の方である。
山東省済南市に大明湖と東湖というのがあって位置関係からして、唐時代この湖がつながっていてもおかしくない感じがする。黄河流域の下流地方であるから、おそらく湿地であったのではないか。詩の雰囲気は理解できる。

江夏別宋之悌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 201

江夏別宋之悌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 201


江夏別宋之悌

江夏で宋之悌に別れる。
楚水清若空、遙將碧海通。
楚の国を流れる長江は、清らかに澄みきっているその上大空のようでもありその境がない。遥かに遠くまで続き東海の碧の大海原へと通じている。
人分千里外、興在一盃中。
人と人とは、千里のかなたに分かれてしまうのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るというものだ。
谷鳥吟晴日、江猿嘯晩風。
渓谷の鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴きひびきわたる、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。
平生不下涙、於此泣無窮。

日頃は涙を流したことのない私だが、ああ、いまここでは、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのだ。

江夏にて宋之悌に別る

楚水 清きこと空しきが若く、遥かに碧海と通ず。

人は千里の外に分れ、興は一盃の中に在り。

谷鳥 晴日に吟じ、江猿 晩風に嘯く。

平生は涙を下さざるに、此に於て泣くこと窮りなし



江夏別宋之悌 現代語訳と訳註 解説
(本文)
楚水清若空、遙將碧海通。
人分千里外、興在一盃中。
谷鳥吟晴日、江猿嘯晩風。
平生不下涙、於此泣無窮。

(下し文)
楚水 清きこと空しきが若く、遥かに碧海と通ず。
人は千里の外に分れ、興は一盃の中に在り。
谷鳥 晴日に吟じ、江猿 晩風に嘯く。
平生は涙を下さざるに、此に於て泣くこと窮りなし。

(現代語訳)
江夏で宋之悌に別れる。
楚の国を流れる長江は、清らかに澄みきっているその上大空のようでもありその境がない。遥かに遠くまで続き東海の碧の大海原へと通じている。
人と人とは、千里のかなたに分かれてしまうのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るというものだ。
渓谷の鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴きひびきわたる、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。
日頃は涙を流したことのない私だが、ああ、いまここでは、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのだ。


(訳註)
江夏別宋之悌
江夏で宋之悌に別れる。
江夏-現在の湖北省武漢市武昌。d-5
rihakustep足跡

 

○宋之悌-初唐の詩人宋之問の末弟。

楚水清若空、遙將碧海通。
楚の国を流れる長江は、清らかに澄みきっているその上大空のようでもありその境がない。遥かに遠くまで続き東海の碧の大海原へと通じている。
楚水 楚(湖南・湖北)の地方を流れる長江。


人分千里外、興在一盃中。
人と人とは、千里のかなたに分かれてしまうのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るというものだ。
興 詩についての興趣、心情。

谷鳥吟晴日、江猿嘯晩風。
渓谷の鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴きひびきわたる、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。

平生不下涙、於此泣無窮。
日頃は涙を流したことのない私だが、ああ、いまここでは、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのだ。


○韻字 空、通、中、風、窮。


735年、開元二十三年の作と考証されているが、詩の雰囲気がその頃のものと違うと思うので、外していた。何となく、朝廷を追われて以降、第二次放浪記の雰囲気の詩のように感じるのだ。

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200


彼は梁園を中心に数年、北方にまた西方に遍歴を続けていたが、鄭中(河南省臨彰県)では、親友の王大に詩を贈って、現在の不遇の心境を述べ、それでもなお世を救済する策を献じたいと、往年の気力を見せている。「贈王大勧入高鳳石門山幽居」(鄭中にて王大勧八、高風の石門山に幽居するに贈る)がそれである。
「王大」については、詩中から察して親しい交際をしている人であろう。まず、現在の飄蓬の境遇を詠う。


贈王大勧入高鳳石門山幽居


一身竟無託、遠興孤蓬征。

人間ひとつの身になり、とうとう落ち着くところがなくなってしまった。現在は孤蓬のような身分で、風が吹くと舞い上がりどこへでも行くのである。
千里失所依、復將落葉幷。

千里四方探しても教理などなく失ってしまっている、今日もまた、落葉と同じような気持ちになっているのだ。
中途偶良朋、問我將何行。

そんな中であなたのようなよい朋に遭遇できたことはよかった。あなたはどこに遍歴の旅をするのかと聞かれ、教理のことを思ってくれた。
欲献濟時策、此心誰見明。

自分は時世を救う策を天子に献上したいと思っているのである。しかし、今の心境は複雑なものであり、だれにこの気持ちを明らかにしたらよいだろうかと思っていたところだった。
投躯寄天下、長嘯尋豪英。

天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
恥学瑯琊人、龍蟠事躬耕。

今は、もう学ぶことを恥と思う『瑯琊の出身の諸葛孔明』ことを。龍ほどの能力を持っているものが、みずからで一から畑を耕すことから始めるということには躊躇するものである。

一身は竟に託するところ無く、遠く孤蓬とともに征く。

千里のかなた依る所を失い、復た落葉と(とも)になる。

中途に良き朋に偶い、我に問う将に何くに行かんとするやと。

時を済(すく)わんとする策を献ぜんと欲す、此の心誰にか明らかに見(しめ)さん。

躯を投げて天下に寄せ、長嘯して豪英を尋ねんとす。

恥ずらくは瑯の人を学び、竜のごと蟠り躬から耕すを事とするを。






贈王大勧入高鳳石門山幽居 現代語訳と訳註、解説

(本文)
一身竟無託、遠興孤蓬征。
千里失所依、復將落葉幷。
中途偶良朋、問我將何行。
欲献濟時策、此心誰見明。
投躯寄天下、長嘯尋豪英。
恥学瑯琊人、龍蟠事躬耕。



(下し文)
一身は竟に託するところ無く、遠く孤蓬とともに征く。
千里のかなた依る所を失い、復た落葉と幷(とも)になる。
中途に良き朋に偶い、我に問う将に何くに行かんとするやと。
時を済(すく)わんとする策を献ぜんと欲す、此の心誰にか明らかに見(しめ)さん。
躯を投げて天下に寄せ、長嘯して豪英を尋ねんとす。
恥ずらくは瑯琊の人を学び、竜のごと蟠り躬から耕すを事とするを。



(現代語訳)
人間ひとつの身になり、とうとう落ち着くところがなくなってしまった。現在は孤蓬のような身分で、風が吹くと舞い上がりどこへでも行くのである。
千里四方探しても教理などなく失ってしまっている、今日もまた、落葉と同じような気持ちになっているのだ。
そんな中であなたのようなよい朋に遭遇できたことはよかった。あなたはどこに遍歴の旅をするのかと聞かれ、教理のことを思ってくれた。
自分は時世を救う策を天子に献上したいと思っているのである。しかし、今の心境は複雑なものであり、だれにこの気持ちを明らかにしたらよいだろうかと思っていたところだった。
天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
今は、もう学ぶことを恥と思う『瑯琊の出身の諸葛孔明』ことを。龍ほどの能力を持っているものが、みずからで一から畑を耕すことから始めるということには躊躇するものである。




(訳註)
一身竟無託、遠興孤蓬征。
人間ひとつの身になり、とうとう落ち着くところがなくなってしまった。現在は孤蓬のような身分で、風が吹くと舞い上がりどこへでも行くのである。
○託 まかせる。たよる。定着する。落ち着く


千里失所依、復將落葉幷。
千里四方探しても教理などなく失ってしまっている、今日もまた、落葉と同じような気持ちになっているのだ。
○所依 しょえ 仏語。教理などのよりどころ。


中途偶良朋、問我將何行。
そんな中であなたのようなよい朋に遭遇できたことはよかった。あなたはどこに遍歴の旅をするのかと聞かれ、教理のことを思ってくれた。


欲献濟時策、此心誰見明。
自分は時世を救う策を天子に献上したいと思っているのである。しかし、今の心境は複雑なものであり、だれにこの気持ちを明らかにしたらよいだろうかと思っていたところだった。


投躯寄天下、長嘯尋豪英。
天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
○長嘯 詩を長く吟ずる「尋豪英」という詩を詠いながら。


恥学瑯琊人、龍蟠事躬耕。
今は、もう学ぶことを恥と思う『瑯琊の出身の諸葛孔明』ことを。龍ほどの能力を持っているものが、みずからで一から畑を耕すことから始めるということには躊躇するものである。
○躬耕 天子が畑を耕す礼式のこと。この場合、能力のあるものが、一から畑を耕すことから始めるという意味である。


(解説)
孤独で頼る人もない寂しい境遇に置かれていることを訴えている。長安の都に入る第一次の遍歴中には、まったく見られぬ心境である。その寂しい中にきみとめぐり会った。
一時挫折した気持ちも、友人に会って再び勇気が出て、政治の舞台に躍り出ようという。ところで、今は天下太平、腕の振るいどころもなく、「憂いに沈み乱れて縦横たり、飄飄として意を得ず」である。しかし、今自分の望むところは、
ここでも世に出たい希望が、まだ胸中に去来している。とはいえ、寄るべなき放浪の身の孤独の寂しさは、隠すべくもなく、王大の友情を頼りにする思いであった。
このときの李白の心境は、おそらく孤独の寂しさに堪えつつ、なお将来、いつかは再び政治の場に浮かび上がる夢を抱いていたにちがいない。
 今の王朝では、家臣のものが天子に世間のことを伝えていない。だから、どんなに一からやり直したとしてもそのことで、「三顧の礼」で迎えられることにはならないのである。
 地方官であっても、多くの知識人に自分を認めてくれる人を多くしたいのだ云っている。



淮陰書懷寄王宗成 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-199

淮陰書懷寄王宗成 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-199

李白詩350 350首を1日1首

沙墩至梁苑。 二十五長亭。
山東の沙墩(さとん)から河南の梁園まで、二十五の亭が一定の長さで位置している。
大舶夾雙櫓。 中流鵝鸛鳴。
大船に双(ふた)つ櫓を挟みのように並べていろ、流水の中ほどで、鵝鳥や鸛(こうのとり)が鳴いている
云天掃空碧。 川岳涵余清。
大空は青く澄みわたっていて高いところに箒雲がたなびく、河水に映る山岳は清らかな水面に浸され似合っている。
飛鳧從西來。 適與佳興并。』

そのとき鴨が  秋の風に乗って西から飛んできたのだ、この風景に適してよい景色に加わったのでいっそうの風流な趣を添える
眷言王喬舄。 婉孌故人情。
振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがある、美しい友情、思いやりのものがたりである。
復此親懿會。 而增交道榮。
再びお会いする機会を作っていただき、親しみ深い宴会を行ってくださり、よりいっそうの交際の筋道を正しくし、また栄えるものしたいと思っている。
沿洄且不定。 飄忽悵徂征。
仕えるところがなく誰かに添うてみたり遡って見たり、いまは定まっていないので会う。いったり戻ったり、飄蓬の暮らしをしておることが悔やまれるのであります。
暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです

斗酒烹黃雞。 一餐感素誠。
充分な酒に黄鶏を煮込んだ料理、この食事は心のそこから温まるもてなしであり感激いたしております。
予為楚壯士。 不是魯諸生。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
有德必報之。 千金恥為輕。
恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致します、千金のお金のために恩を忘れたり、軽挙妄動などを一番恥ずべきことと心得ております。
緬書羈孤意。 遠寄棹歌聲。』

このように書面にひとり孤独な旅の思いを書きとめており、船頭の舟歌に託してここに お届けする次第であります。



沙墩至梁苑。 二十五長亭。
大舶夾雙櫓。 中流鵝鸛鳴。
云天掃空碧。 川岳涵余清。
飛鳧從西來。 適與佳興并。』

眷言王喬舄。 婉孌故人情。
復此親懿會。 而增交道榮。
沿洄且不定。 飄忽悵徂征。
暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』

斗酒烹黃雞。 一餐感素誠。
予為楚壯士。 不是魯諸生。
有德必報之。 千金恥為輕。
緬書羈孤意。 遠寄棹歌聲。』


沙墩(さとん)より梁苑(りょうえん)に至る、二十五の長亭(ちょうてい)
大舶(たいはく)  双櫓(そうろ)を夾(さしはさ)み、中流に鵝鸛(がかん)鳴く
雲天(うんてん)  掃いて空碧(くうへき)、川岳(せんがく)  涵(ひた)して余清(よせい)
飛鳧(ひふ)  西より来たり、適(たまた)ま佳興(かきょう)と并(あわ)す

眷(かえりみ)て言う 王喬(おうきょう)の舃(せき)なりと、婉孌(えんれん)たり 故人(こじん)の情
此の親懿(しんい)の会を復(ふたた)びし、而(しこう)して交道(こうどう)の栄(えい)を増す
沿洄(えんかい)  且(か)つ定まらず、飄忽(ひょうこつ)として阻征(そせい)を悵(いた)む
暝(くれ)に淮陰(わいいん)に投じて宿(やど)る、欣(よろこ)び得たり  漂母(ひょうぼ)の迎え

斗酒(としゅ) 黄鶏(こうけい)を烹(に)、一餐(いっさん)  素誠(そせい)を感ず
予(よ)は楚(そ)の壮士(そうし)たり、是(こ)れ魯(ろ)の諸生(しょせい)ならず
徳有れば必ず之(これ)に報(むく)い、千金も恥じて軽(かる)しと為(な)す
緬書(めんしょ)す  羇孤(きこ)の意(い)、遠寄(えんき)す   棹歌(とうか)の声


山東の沙墩(さとん)から河南の梁園まで、二十五の亭が一定の長さで位置している。
大船に双(ふた)つ櫓を挟みのように並べていろ、流水の中ほどで、鵝鳥や鸛(こうのとり)が鳴いている
大空は青く澄みわたっていて高いところに箒雲がたなびく、河水に映る山岳は清らかな水面に浸され似合っている。
そのとき鴨が  秋の風に乗って西から飛んできたのだ、この風景に適してよい景色に加わったのでいっそうの風流な趣を添える

振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがある、美しい友情、思いやりのものがたりである。
再びお会いする機会を作っていただき、親しみ深い宴会を行ってくださり、よりいっそうの交際の筋道を正しくし、また栄えるものしたいと思っている。
仕えるところがなく誰かに添うてみたり遡って見たり、いまは定まっていないので会う。いったり戻ったり、飄蓬の暮らしをしておることが悔やまれるのであります。
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです


充分な酒に黄鶏を煮込んだ料理、この食事は心のそこから温まるもてなしであり感激いたしております。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致します、千金のお金のために恩を忘れたり、軽挙妄動などを一番恥ずべきことと心得ております。
このように書面にひとり孤独な旅の思いを書きとめており、船頭の舟歌に託してここに お届けする次第であります。




(本文)
沙墩至梁苑。 二十五長亭。
大舶夾雙櫓。 中流鵝鸛鳴。
云天掃空碧。 川岳涵余清。
飛鳧從西來。 適與佳興并。』


(下し文)
沙墩(さとん)より梁苑(りょうえん)に至る、二十五の長亭(ちょうてい)
大舶(たいはく)  双櫓(そうろ)を夾(さしはさ)み、中流に鵝鸛(がかん)鳴く
雲天(うんてん)  掃いて空碧(くうへき)、川岳(せんがく)  涵(ひた)して余清(よせい)
飛鳧(ひふ)  西より来たり、適(たまた)ま佳興(かきょう)と并(あわ)す


(現代語訳)
山東の沙墩(さとん)から河南の梁園まで、二十五の亭が一定の長さで位置している。
大船に双(ふた)つ櫓を挟みのように並べていろ、流水の中ほどで、鵝鳥や鸛(こうのとり)が鳴いている
大空は青く澄みわたっていて高いところに箒雲がたなびく、河水に映る山岳は清らかな水面に浸され似合っている。
そのとき鴨が  秋の風に乗って西から飛んできたのだ、この風景に適してよい景色に加わったのでいっそうの風流な趣を添える



(訳と注)
沙墩至梁苑。 二十五長亭。
山東の沙墩(さとん)から河南の梁園まで、二十五の亭が一定の長さで位置している。
沙墩 山東省臨沂市に位置する県。沭河(じゅつが)が北から南へ流れている。○「梁園」は、梁苑・菟(兎)園ともいう。前漢の文帝の子、景帝の弟、梁孝王劉武が築いた庭園。現在の河南省商丘市東南5kmに在った。駅は宿場である。t30kmごとにあり、亭は凡そ5kmごとにおかれて、茶屋というもので、建物は四阿、あずまやである。



大舶夾雙櫓。 中流鵝鸛鳴。
大船に双(ふた)つ櫓を挟みのように並べていろ、流水の中ほどで、鵝鳥や鸛(こうのとり)が鳴いている
雙櫓 櫓を2本並べている。○鵝鸛 鵝鳥や鸛(こうのとり)



云天掃空碧。 川岳涵余清。
大空は青く澄みわたっていて高いところに箒雲がたなびく、河水に映る山岳は清らかな水面に浸され似合っている。
空碧 李白はこの碧をよく使う。この碧の空が東海の仙界に連なっているということを含んでいる。 



飛鳧從西來。 適與佳興并。』
そのとき鴨が、秋の風に乗って西から飛んできたのだ、この風景に適してよい景色に加わったのでいっそうの風流な趣を添えている
 鴨。○西 五行思想で、秋を示す。色は霜、白。ちなみに東は春風。綠、青。




(本文)
眷言王喬舄。 婉孌故人情。
復此親懿會。 而增交道榮。
沿洄且不定。 飄忽悵徂征。
暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』

(下し文)
眷(かえりみ)て言う 王喬(おうきょう)の舃(せき)なりと、婉孌(えんれん)たり 故人(こじん)の情
此の親懿(しんい)の会を復(ふたた)びし、而(しこう)して交道(こうどう)の栄(えい)を増す
沿洄(えんかい)  且(か)つ定まらず、飄忽(ひょうこつ)として阻征(そせい)を悵(いた)む
暝(くれ)に淮陰(わいいん)に投じて宿(やど)る、欣(よろこ)び得たり  漂母(ひょうぼ)の迎え


(現代語訳)
振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがある、美しい友情、思いやりのものがたりである。
再びお会いする機会を作っていただき、親しみ深い宴会を行ってくださり、よりいっそうの交際の筋道を正しくし、また栄えるものしたいと思っている。
仕えるところがなく誰かに添うてみたり遡って見たり、いまは定まっていないので会う。いったり戻ったり、飄蓬の暮らしをしておることが悔やまれるのであります。
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです


眷言王喬舄。 婉孌故人情。
振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがある、美しい友情、思いやりのものがたりである。
眷言 ふりかえって云う。○王喬舄 底を二重にした冠位の履。王喬は所管の役人だったころ、九族の集う時節ということで王家に集まったが、その時期にはずれ、禁令にも違反しているとして、上奏され、不遇であった。いとこの王基は毋丘倹を平定したあと、安楽郷侯の爵位を賜り、王喬の教育してくれた。この王基の徳にむくいたいと精進した。のち、王喬は関内侯の爵位を賜った。 王喬のいとこ王基に教育され、その上で冠位の靴を貰ったことに由来する。○婉孌 えんれん 年若く美しい。したう、 すなお、 みめよい。○故人情 友情。



復此親懿會。 而增交道榮。
再びお会いする機会を作っていただき、親しみ深い宴会を行ってくださり、よりいっそうの交際の筋道を正しくし、また栄えるものしたいと思っている。
懿親 親しい親戚。うるわしい、ふかい。○交道 交際していく上での筋道。李白「古風五十九首」其五十九



沿洄且不定。 飄忽悵徂征。
仕えるところがなく誰かに添うてみたり遡って見たり、いまは定まっていないので会う。いったり戻ったり、飄蓬の暮らしをしておることが悔やまれるのであります。
○飄 飄蓬。○徂征 行ったり戻ったり。



暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです
漂母 史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。李白「宿五松山下荀媼家」、





(本文)
斗酒烹黃雞。 一餐感素誠。
予為楚壯士。 不是魯諸生。
有德必報之。 千金恥為輕。
緬書羈孤意。 遠寄棹歌聲。』


(下し文)
斗酒(としゅ)    黄鶏(こうけい)を烹(に)、一餐(いっさん)  素誠(そせい)を感ず
予(よ)は楚(そ)の壮士(そうし)たり、是(こ)れ魯(ろ)の諸生(しょせい)ならず
徳有れば必ず之(これ)に報(むく)い、千金も恥じて軽(かる)しと為(な)す
緬書(めんしょ)す  羇孤(きこ)の意(い)、遠寄(えんき)す   棹歌(とうか)の声


(現代語訳)
充分な酒に黄鶏を煮込んだ料理、この食事は心のそこから温まるもてなしであり感激いたしております。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致します、千金のお金のために恩を忘れたり、軽挙妄動などを一番恥ずべきことと心得ております。
このように書面にひとり孤独な旅の思いを書きとめており、船頭の舟歌に託してここに お届けする次第であります。



斗酒烹黃雞。 一餐感素誠。
充分な酒に黄鶏を煮込んだ料理、この食事は心のそこから温まるもてなしであり感激いたしております。



予為楚壯士。 不是魯諸生。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
○楚壯士 楚の国は勇壮な武士をたくさん出している。○魯諸生 山東省魯の孔子の里。李白は儒教を評価していない



有德必報之。 千金恥為輕。
恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致します、千金のお金のために恩を忘れたり、軽挙妄動などを一番恥ずべきことと心得ております。



緬書羈孤意。 遠寄棹歌聲。』
このように書面にひとり孤独な旅の思いを書きとめており、船頭の舟歌に託してここに お届けする次第であります。

(解説)

詩題から、李白は宋城から淮陰(江蘇省淮陰県)に行って、そこから王県令にお礼の詩を送ったものだ。このことから、李白は運河を利用して江南に向かったとわかる。
 長安を去ったあと宋州で遊び、東魯、幽州に行ったかと思うと今度は江南へ下ろうとする、そうした自分の行動を「飄忽」(軽くあわただしい)と言って反省しているようだ。そして淮陰の韓信の故事「漂母」を持ち出して、地元の人々から斗酒と黄鶏の煮物で歓待を受けた。
 都で天子のもとに仕えた人物、地方の人々からすると雲の上のことなのである。


古風五十九首 其四十 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白198

古風五十九首 其四十 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白198


古風 其四十 李白
鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとして、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
幸遇王子晉、結交青雲端。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
懐恩未得報、感別室長歎。

受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。



古風 其の四十

鳳は飢うるも 粟を啄(つい)ばまず、食う所は 唯だ琅(ろうかん)

焉んぞ能く 群発と与(とも)に、刺蹙(せきしゅく)して 一餐(いっさん)を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱(しちゅう)の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ばん。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆す。






古風 五十九首 其四十 訳註と解説
(本文)
鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
幸遇王子晉、結交青雲端。
懐恩未得報、感別空長歎。

  

(下し文)
鳳は飢うるも 粟を啄(つい)ばまず、食う所は 唯だ琅玕(ろうかん)。
焉んぞ能く 群発と与(とも)に、刺蹙(せきしゅく)して 一餐(いっさん)を争わん。
朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱(しちゅう)の瑞に飲む。
帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。
幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ばん。
恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆す。

  

(現代語訳)
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとして、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。


(語訳と訳註)

鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
鳳凰ほうおう。姫を鳳、雌を凰といい、想像上の動物。聖人が天子の位にあれば、それに応じて現われるという瑞鳥である。形は、前は臍、後は鹿、くびは蛇、尾は魚、もようは竜、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似、羽の色は五色、声は五音に中る。椅桐に宿り、竹の実を食い、酵泉の水を飲む、といわれる。李白自身を指す。○ 穀物の総称。賄賂が平然となされていたことを示す。○琅玕 玉に似た一種の石の名。「山海経」には「崑崙山に琅玕の樹あり」とある。鳳がそれを食うといわれる。天子から受ける正当な俸禄。



焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとしても、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
羣鶏 宮廷の官吏、宦官、宮女をさす。○刺蹙こせこせ。



朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
崑邱樹 崑崙山の絶頂にそびえる木。「山海経」に「西海の南、流沙の浜、赤水の後、黒水の前、大山あり、名を足寄の邸という」とある。朝の朝礼、天子にあいさつする。○砥柱濡 湖は早瀬。砥柱は底柱とも書き、黄河の流れの中に柱のように突立っている山の名。翰林院での古書を紐解き勉学する。○朝鳴二句「港南子」に「鳳凰、合って万仰の上に逝き、四海の外に翔翔し、崑崙の疏国を過ぎ、砥柱の浦瀬に飲む」とあるのにもとづく。



歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
海路遠 仙境は海上はるか先の島ということ。李白の住まいは相応のもの以下だったのかもしれない。



幸遇王子晉、結交青雲端。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
王子晉むかしの仙人。周の霊王の王子で、名は晋。笙を吹いて鳳の鳴きまねをするのが好きで、道士の浮邱という者といっしょに伊洛(いまの河南省)のあたりに遊んでいたが、ついには白鶴に乗って登仙したといわれる。「列仙伝」に見える。○青雲 青雲の志、立身出世。
 

懐恩未得報、感別空長歎。
受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。

 

(解説)
李白は朝廷に入っていたこと、その生活を後になって、いろんな形で表現している。放浪生活の中で、招かれたところで披露する詩であったものであろう。
 朝廷にいるときにはたとえ朝廷を仙境と比喩してもこういった詩は詠うことはできない。梁園、北方、鄴中と漂泊轉蓬の中で招かれたところで詠うと効果は大きかったと思う。


北風行 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白196

北風行 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白196
雑言古詩



北風行
燭龍棲塞門、光耀猶旦開。
ともし火をくわえた竜が、北極の寒門山にすんでいる。とぼしい光があり、そしてやがて、朝日がのぼってくるだろう。
日月照之何不及此、唯有北風號怒天上來。
太陽やかがやく月光は、どうしてそこへとどかないのか。ただ北風が吹き怒り叫び、天上から吹いてくるだけなのだ。
燕山雪花大如席、片片吹落軒轅臺。
北方にある燕山の雪の花は、むしろのように大きく、花びらがひらりひらりと吹きとんだ、太古の皇帝の軒轅台の上に落ちる。
幽州思婦十二月、停歌罷笑雙蛾摧。
幽州の女は、真冬の十二月となれば、いくさのことでもの思いにしずむようになる。あれだけはなやかにしていたのに歌もうたわず、笑いもわすれ、うつくしい両の眉もだめになるのである。
倚門望行人、念君長城苦寒良可哀。
城郭の門にもたれかかり、出征した夫の方をながめている。「あなたの身のうえ、万里の長城を守る苦しさ寒さをおもうと、ほんとに気のどくでたまらない」、というのだ。
別時提剣救邊去、遺此虎文金靫鞞。
出征の別れ送ったとき、剣をささげ、国境の救援に行ったのだ。ここに残るのは、形見の虎の模様の金の失をいれる袋だけなのだ。
中有一雙白羽箭、蜘蛛結網生塵埃。
袋の中に一そろいの白い羽根の矢が入っている。だが、長い時が絶ち、蜘蛛の糸で巣をはっており、ほこりがたまっているのだ。
箭空在、人今戦死不復囘。
矢だけが、むなしく、のこる・・・・・・。ところが人は戦死して、二度とかえらないということだ。
不忍見此物、焚之己成灰。
この袋の遺品を見るに堪えられない、とうとう焼いて灰にしてしまった。
黄河捧土尚可塞、北風雨雪恨難裁。

よく氾濫する黄河の水でも、両手で土を運ぶようなわずかな事の積重ねでも、いつかは塞ぐことができるものなのだ。「北風」というのは雨を雪にしてふき積もるし、ずっとこもっている恨みはいつまでも断ちきれるものではないのだ。


北風の行
燭竜 寒門に棲み、光耀 猶お旦に開く。
日月之を照らすも何ぞ此に及ぼざる、唯だ北風の号怒して天上より来る有り。
燕山の雪花 大なること席の如し、片片吹き落つ 軒轅台。
幽州の思婦 十二月、歌を停め笑いを罷めて 双蛾摧く。
門に倚って 行人を望む、君が長城の苦寒を念えば 良に哀しむ可し。
別るる時 剣を提げ 辺を救うて去り、此の虎文の金靫鞞を遺す。
中に一双の白羽箭有り、蜘味は網を結んで 塵埃を生ず。
箭は空しく在り、人は今戦死して 復た回らず。
此の物を見るに忍びず、之を焚いて 己に灰と成る。
黄河土を捧げて 尚お塞ぐ可し、北風雪を雨らし 恨み裁ち難し。


北風行 訳註と解説

(本文)
北風行
燭龍棲塞門、光耀猶旦開。
日月照之何不及此、唯有北風號怒天上來。
燕山雪花大如席、片片吹落軒轅臺。
幽州思婦十二月、停歌罷笑雙蛾摧。
倚門望行人、念君長城苦寒良可哀。
別時提剣救邊去、遺此虎文金靫鞞。
中有一雙白羽箭、蜘蛛結網生塵埃。
箭空在、人今戦死不復囘。
不忍見此物、焚之己成灰。
黄河捧土尚可塞、北風雨雪恨難裁。

(下し文)
燭竜 寒門に棲み、光耀 猶お旦に開く。
日月之を照らすも何ぞ此に及ぼざる、唯だ北風の号怒して天上より来る有り。
燕山の雪花 大なること席の如し、片片吹き落つ 軒轅台。
幽州の思婦 十二月、歌を停め笑いを罷めて 双蛾摧く。
門に倚って 行人を望む、君が長城の苦寒を念えば 良に哀しむ可し。
別るる時 剣を提げ 辺を救うて去り、此の虎文の金靫鞞を遺す。
中に一双の白羽箭有り、蜘味は網を結んで 塵埃を生ず。
箭は空しく在り、人は今戦死して 復た回らず。
此の物を見るに忍びず、之を焚いて 己に灰と成る。
黄河土を捧げて 尚お塞ぐ可し、北風雪を雨らし 恨み裁ち難し。

(現代語訳)
ともし火をくわえた竜が、北極の寒門山にすんでいる。とぼしい光があり、そしてやがて、朝日がのぼってくるだろう。
太陽やかがやく月光は、どうしてそこへとどかないのか。ただ北風が吹き怒り叫び、天上から吹いてくるだけなのだ。
北方にある燕山の雪の花は、むしろのように大きく、花びらがひらりひらりと吹きとんだ、太古の皇帝の軒轅台の上に落ちる。
幽州の女は、真冬の十二月となれば、いくさのことでもの思いにしずむようになる。あれだけはなやかにしていたのに歌もうたわず、笑いもわすれ、うつくしい両の眉もだめになるのである。
城郭の門にもたれかかり、出征した夫の方をながめている。「あなたの身のうえ、万里の長城を守る苦しさ寒さをおもうと、ほんとに気のどくでたまらない」、というのだ。
出征の別れ送ったとき、剣をささげ、国境の救援に行ったのだ。ここに残るのは、形見の虎の模様の金の失をいれる袋だけなのだ。
袋の中に一そろいの白い羽根の矢が入っている。だが、長い時が絶ち、蜘蛛の糸で巣をはっており、ほこりがたまっているのだ。
矢だけが、むなしく、のこる・・・・・・。ところが人は戦死して、二度とかえらないということだ。
この袋の遺品を見るに堪えられない、とうとう焼いて灰にしてしまった。
よく氾濫する黄河の水でも、両手で土を運ぶようなわずかな事の積重ねでも、いつかは塞ぐことができるものなのだ。「北風」というのは雨を雪にしてふき積もるし、ずっとこもっている恨みはいつまでも断ちきれるものではないのだ。


 

北風行 ・『詩経』の邶風(はいふう)に「北風」の詩がある。:乱暴な政治に悩む人、国を捨てて逃げようというの歌。 ・飽照の楽府に「代北風涼行」があり、北風が雪をふらし、行人の帰らないことを傷む。李白もそれにたらい、戦死して帰らぬ兵士の妻の気持をうたう。



燭龍棲塞門、光耀猶旦開。
ともし火をくわえた竜が、北極の寒門山にすんでいる。とぼしい光があり、そしてやがて、朝日がのぼってくるだろう。
燭竜 「准南子」に出てくる神竜。北極の山の、日の当らぬ所に住む。身長は千里の長さ、顔は人間の顔で、足がない。ロにともし火をくわえ、太陰(夜の国)を照らす。日をひらくと、その国は昼となり、目をとじると、その国は夜となる。息をはきだすと、その国は冬となり、大声を出すと、その国は夏となる。また、「楚辞」の「天間」に「日は安くにか到らざる、燭竜は何ぞ照せる」という句がある。○寒門 北極の山。○旦開 朝日が昇るさま。



日月照之何不及此、唯有北風號怒天上來。
太陽やかがやく月光は、どうしてそこへとどかないのか。ただ北風が吹き怒り叫び、天上から吹いてくるだけなのだ。

燕山雪花大如席、片片吹落軒轅臺。
北方にある燕山の雪の花は、むしろのように大きく、花びらがひらりひらりと吹きとんだ、太古の皇帝の軒轅台の上に落ちる。
燕山 山の名。いまの河北省玉田県の西北にある。燕山山脈(燕山、えんざんさんみゃく、Yanshan)は中華人民共和国北部にある山地。河北省の河北平原の北を囲むようにそびえる。名は、南に燕国があったことにちなむ。北京市の北部の軍都山から潮白河の峡谷を超えて山海関までを東西に走る。特に北京市西部の潮白河峡谷から山海関までの間(小燕山)が狭義の燕山であり、大房山、鳳凰山、霧霊山などの名山が点在する。北京北部の軍都山から潮白河峡谷までは大燕山とも呼ばれ、軍都山西端の拒馬河峡谷と居庸関の向こうは、河北平原の西を南北に走る太行山脈である。海抜は400mから1,000mで、最高峰の霧霊山(承徳市興隆県)は海抜2,116mに達する。南の華北と北の内モンゴルおよび遼西を隔てる燕山には多数の渓谷があり、これらは南北を結ぶ隘路として戦略上重要な役割を持っていた。主な道には古北口(潮河峡谷、北京市密雲県)、喜峰口(灤河峡谷、唐山市と承徳市の間)、冷口などがある。また万里の長城の東端は燕山の上を走る。○雪花 雪片を花のようにたとえていうことば。○ むしろ。たたみ。○片片 軽く飛ぶさま。○軒轅臺 中国上古の皇帝と伝えられる黄帝は、軒轅の丘に住み、軒轅氏と称した。その黄帝の登ったという軒轅台の遺跡は、いまの河北省凍涿鹿県附近にあるといわれる。



幽州思婦十二月、停歌罷笑雙蛾摧。
幽州の女は、真冬の十二月となれば、いくさのことでもの思いにしずむようになる。あれだけはなやかにしていたのに歌もうたわず、笑いもわすれ、うつくしい両の眉もだめになるのである。
幽州 唐代の幽州は、鞄陽郡ともいい、いまの河北省のあたりにあった。○思婦 思いにしずむ女。○十二月 スバルの星が輝く12月異民族は南下して攻撃してくる。○双蛾 美人の両の眉。



倚門望行人、念君長城苦寒良可哀。
城郭の門にもたれかかり、出征した夫の方をながめている。「あなたの身のうえ、万里の長城を守る苦しさ寒さをおもうと、ほんとに気のどくでたまらない」、というのだ。
○行人 ここでは、出征した夫。○長城 万里の長城。



別時提剣救邊去、遺此虎文金靫鞞。
出征の別れ送ったとき、剣をささげ、国境の救援に行ったのだ。ここに残るのは、形見の虎の模様の金の失をいれる袋だけなのだ。
○辺 国境。○虎文 虎のもよう。○靫鞞 矢をいれる袋。やなぐい。



中有一雙白羽箭、蜘蛛結網生塵埃。
袋の中に一そろいの白い羽根の矢が入っている。だが、長い時が絶ち、蜘蛛の糸で巣をはっており、ほこりがたまっているのだ。



箭空在、人今戦死不復囘。
矢だけが、むなしく、のこる・・・・・・。ところが人は戦死して、二度とかえらないということなのだ。



不忍見此物、焚之己成灰。
この袋の遺品を見るに堪えられない、とうとう焼いて灰にしてしまった。


黄河捧土尚可塞、北風雨雪恨難裁。
よく氾濫する黄河の水でも、両手で土を運ぶようなわずかな事の積重ねでも、いつかは塞ぐことができるものなのだ。「北風」というのは雨を雪にしてふき積もるし、ずっとこもっている恨みはいつまでも断ちきれるものではないのだ。
黄河捧土 「後漢書」の朱浮伝に、「これはちょうど黄河のほとりの人人が、土を捧げて轟津を塞ぐようなものだ。」とある。



(解説)
 冬になると北方異民族からの攻撃が始まり、寒い冬の闘に備えた。しかし、出征した兵士の多くは帰らないのである。唐王朝は幽州の守りを安禄山に任せきりになっていた。統治能力の全くないものが、唐の国内に充満し、堆積していたフラストレーションを時流に乗っただけのものであった。
西方の戦いでも局地戦で大敗し、南方の雲南でも局地戦を大敗するというもので、安禄山だけが無傷であった。

登單父陶少府半月台 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白191

登單父陶少府半月台 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白191

この詩は李白とも友人で杜甫も親しくしていた孔が病気に託して官をやめてかえり、これから江東の単父の方へでかえるのを送り、同時に李白におくるために此の詩を作った。

送孔巢父謝病歸游江東,兼呈李白 杜甫26
『南尋禹穴見李白,道甫問訊今何如。』
(南 禹穴を尋ねて李白を見ば、道え 甫 問訊す今何如と』)

孟諸沢の東北にあった宋州單父県単父(山東省単県)という街の東楼に上って酒宴に興じている。

秋猟孟諸夜帰置酒単父東楼観妓 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白182
また別に李白に同じ東樓において詠った「單父東樓秋夜送族弟沈之秦」がある。この東樓と今回取り上げる半月台は同じところであろう。孟諸沢の秋の山が海のようであるといい、思いを江南の会稽山、鏡湖へ馳せる。


登單父陶少府半月台
陶公有逸興,不與常人俱。
陶公は趣向に長ておられる、とても一般の文人官僚と一緒にされるものではない。
築台像半月,回向高城隅。
高楼の台地を半月の形に築きあげられた。廻って見たり、正面から見たりして高楼の隅々まで行った。
置酒望白雲,商飆起寒梧。
この半月型の台地に酒をもってきて大空の白雲を眺めていたい。秋の西風、吹き上げる大風、青桐はすっかり葉を落として立っている。
秋山入遠海,桑柘羅平蕪。
すっかり秋の気配の山というのははるか遠い海原に入っていくことだ。桑と山ぐわの葉があり、雑草がどこまでも被っているのだ
水色淥且明,令人思鏡湖。
水面にうつるのは清らかな緑色でありその上明るく輝いている。これは誰が見ても賀知章翁の鏡湖と見まごうはずである。
終當過江去,愛此暫踟躕。

しかしこうしてみていると江南を流浪してそうして長安方面にはもう帰りたくない、暫くはこの地を愛しているので、ここを離れるのにためらいがある。



陶公 逸興有り,常人 俱にあたわず。

築台 半月を像り,回りて向う高城の隅。

置酒 白雲に望む,商飆 寒くして梧を 起す。

秋山 遠海に入り、桑柘 平蕪に羅(つら)なる。 

水色 淥(ろく)かつ明 人をして鏡湖を思はしむ。

つひにまさに江を過ぎて去るべきも、ここを愛してしばらく踟躕(ちちゅう)す。





陶公有逸興,不與常人俱。
陶公は趣向に長ておられる、とても一般の文人官僚と一緒にされるものではない。



築台像半月,回向高城隅。
高楼の台地を半月の形に築きあげられた。廻って見たり、正面から見たりして高楼の隅々まで行った。

置酒望白雲,商飆起寒梧。
この半月型の台地に酒をもってきて大空の白雲を眺めていたい。秋の西風、吹き上げる大風、青桐はすっかり葉を落として立っている。
 あきかぜ、にしかぜ、星座のひとつ ○ひょう つむじかぜ、吹き上げる大風。 ○ あおぎり。落葉樹

 
秋山入遠海 桑柘羅平蕪
すっかり秋の気配の山というのははるか遠い海原に入っていくことだ。桑と山ぐわの葉があり、雑草がどこまでも被っているのだ
桑柘(そうしゃ)桑とやまぐは。○平蕪 平らかな雑草の茂った地。

水色淥且明 令人思鏡湖
水面にうつるのは清らかな緑色でありその上明るく輝いている。これは誰が見ても賀知章翁の鏡湖と見まごうはずである。
清らか。澄みきった水の緑を言う。 ○鏡湖 浙江省の紹興にある湖。李白が朝廷に上がって間もなく賀知章が官を辞して、天子から賜ったもの。

終當過江去 愛此暫踟躕
しかしこうしてみていると江南を流浪してそうして長安方面にはもう帰りたくない、暫くはこの地を愛しているので、ここを離れるのにためらいがある。
踟躕  ためらう。


○韻 興、、隅。/梧、蕪、湖。/去、

沙邱城下寄杜甫 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白190

沙邱城下寄杜甫  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白190


沙邱城下寄杜甫  李白

「さて、お互いに飛蓬のごとくあてどなく遠く去ってゆく身である。まずは十分飲もうではないか」。
再び遇えることもない将来を予想したような詩であるが、事実、二人は再び遇うことはなかった。
李白と杜甫と直接交わって遊んだのは、一年ほどの短期間で、東魯・梁園あたりを遊び歩いていた。
心を許した杜甫に対する惜別の情を表わしている。
彼らは別れて以後、お互いを思う友情はいつまでも続いて、杜甫はその後長安にあって、しばしば李白を憶う詩を作っている。李白がのち夜郎に流されたとき、杜甫は秦州(天水)におり、「李白を夢む」二首を作っている。
一方、李白のほうも杜甫のことを思い、沙邱で、「沙郎城下にて、杜甫に寄す」がある。


沙邱城下寄杜甫

我来竟何事、高臥沙邱城。
わたしはここへやって来たが、結局何をしに来たのだろう。沙邱の城郭にいるがで話の分かる人がいないので昼寝で高枕をしている。
城邊有古樹、日夕連秋聾。
城郭のはずれには、年を食った妓女がたくさんいて、ひるも夜もないほどひっきりなしに秋の聲で泣き続けているのだ。
魯酒不可醉、齊歌空復情。
君がいないと魯の国のうすい酒には酔えないし、斉の国の歌には、ただむなしく気持がかき立てられるだけなのだ。
思君若汶水、浩蕩寄南征。
君のことを思い出すと、あの汶水の流れのように、ひろびろとただようだけなのだ、南に向って流れる水に託してこの手紙をとどけてもらおう。


我来たる竟に何事ぞ、沙郎城に高臥す。

城辺に古樹有り、日夕 秋声を連なる。

魯酒は酔う可からず、斉歌は空しく復た情あり。

君を思うことの若く、浩蕩として南征に寄す。



沙邱城下寄杜甫 訳註と解説


(本文)
我来竟何事、高臥沙邱城。
城邊有古樹、日夕連秋聾。
魯酒不可醉、齊歌空復情。
思君若汶水、浩蕩寄南征。

(下し文) 
我来たる竟に何事ぞ、沙郎城に高臥す。
城辺に古樹有り、日夕 秋声を連なる。
魯酒は酔う可からず、斉歌は空しく復た情あり。
君を思うこと汶水の若く、浩蕩として南征に寄す。
 
(現代語訳)

わたしはここへやって来たが、結局何をしに来たのだろう。沙邱の城郭にいるがで話の分かる人がいないので昼寝で高枕をしている。
城郭のはずれには、年を食った妓女がたくさんいて、ひるも夜もないほどひっきりなしに秋の聲で泣き続けているのだ。
君がいないと魯の国のうすい酒には酔えないし、斉の国の歌には、ただむなしく気持がかき立てられるだけなのだ。
君のことを思い出すと、あの汶水の流れのように、ひろびろとただようだけなのだ、南に向って流れる水に託してこの手紙をとどけてもらおう。


 
(解説)

○詩型 五言律詩
○押韻 城、聲、情、征。

沙邱城 山東省の西端に近い臨清県のとり西にあったという。○杜甫 (712-770年)李白と並び称せられる大詩人。李白より11歳年少。
 

我来竟何事、高臥沙邱城。
わたしはここへやって来たが、結局何をしに来たのだろう。沙邱の城郭にいるがで話の分かる人がいないので昼寝で高枕をしている。
○高臥 世俗を低くみて高枕すること。

城邊有古樹、日夕連秋聾。
城郭のはずれには、年を食った妓女がたくさんいて、ひるも夜もないほどひっきりなしに秋の聲で泣き続けているのだ。
城邊 街の真ん中にある場合もあるが、その場合は旅人を中心とした旅籠、城邊にあるのは芸妓を基本として舞、,踊り、歌のできるものの歓楽地であった。



魯酒不可醉、齊歌空復情。
君がいないと魯の国のうすい酒には酔えないし、斉の国の歌には、ただむなしく気持がかき立てられるだけなのだ
魯酒 魯酒薄くして郡部囲まるという語あり(「荘子」・脾俵篇)。うすい酒を意味している。ここは李白は論じ合って酒を飲み酔うことを言うので杜甫のいないことの雰囲気をあらわしている。次の句の斉歌も杜甫のいないということを考え合わせるとよくわかる。○斉歌 春秋時代の魯の国と斉の国とは、今の山東省にあった。



思君若汶水、浩蕩寄南征。
君のことを思い出すと、あの汶水の流れのように、ひろびろとただようだけなのだ、南に向って流れる水に託してこの手紙をとどけてもらおう。
汶水 山東省、泰山の南の辺を流れている川。地図に示すように泗水は泰山の南を西に流れ、南流して大運河に合流するが、汶水は西流していて南流はしていない。大運河で南に行くことになる。○浩蕩 水がひろびろとただようようすをいう。○南征 南の方にゆく。



(解説)

○詩型 五言律詩
○押韻 城、聾、情、征。


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「沙邱城」は、今のどの辺かまだ判明していない。詩中、汶水が出てくるから、その近くであろう。ただ、山東の掖県に沙邱城があったといわれる。また、泗水は南流して大運河に流入するが、汶水は清流して黄河に流入する。もっとも、その後、だいうんがにはいれば、「南征」できるが、杜甫はこの時洛陽から長安に登っている。少し杜甫を見下していたのかもしれない。

「自分がこの山東の地に来たのは、何のためか。毎日、沙邱城の地で何もせずに暮らしているばかりである」。君と別れてからは、何もすることもなく寂しいという。
「城郭のはずれには、年を食った妓女がたくさんいて、ひるも夜もないほどひっきりなしに秋の聲で泣き続けているのだ。」。君がおれば、ここで飲んでたのしむことができるだろうが、今は君がいないから一人で飲んでもつまらない。「この地方の魯の酒を飲んでも酔えない」。魯の酒は薄いといわれているが、とくにそのことを意識しているわけではなく、地酒ということであろう。「この地方の斉の歌も聞いても、ただむなしく情がかき立てられるばかりである」。酒を飲んでも、歌を聞いても、君がおらないとつまらない。
「近くを流れる汶水の流れのごとく、いつまでも君のことが思われる。はるかかなたに流れゆく汶水の流れに託して、わが思いを君に寄せたい」。杜甫を思う友情を現わす詩であって、寂しく一人酒を飲んでいる李白の姿が想像される。

李白の仙道を求め、自由を愛し、何ものにも拘束されない豪放の性格は、価値観の違いを大いに感じたものであった。

李白は、すべての事物が詩の材料である。杜甫について残された詩が少ないということは、杜甫のまじめな正義感の強い人間に対してどこまで魅力的に感じられたかというと、疑問は残る。

互いに、その詩に影響されることは全くないのである。
杜甫も李白の性格に影響されることなく、その性格のままに、自分の考える詩の道を歩き、李白のような奔放な詩は作らなかった。
お互いの個性を認めて、高く評価して称賛するにとどまるのである。

杜甫は李白の詩をきわめて高く評価して称賛している。『春日憶李白』「白の詩はかなうものが無い」とか、李白の詩の作り方は『不見』「すばやくて千首の詩ができる」とか、『寄李十二白二十韻』「筆を下ろせば風雨を驚かすほど、詩ができると鬼神を泣かせるほど」といっているほどである。


魯郡東石門送杜二甫 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白189

魯郡東石門送杜二甫 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白189



魯郡東石門送杜二甫  李白

 李白と杜甫は中国が生んだ最も偉大な詩人である。
 この二人は李白が11歳年長だったことを考慮に入れても、ほぼ同時代人であった。そこから李杜と並び称されるようにもなるが、これは単に同時代人としての併称であることを超えて、中国4000年の文学の真髄を表したものなのである。

 この二人が生きたのは8世紀の前半、盛唐と称される時代である。唐王朝が誕生して約100年、盤石であった律令体制にほころびが出始めた時期である。則天武后による逸脱、や王朝の権力闘争の陰で、柱であった均田制と府兵制、拡張しすぎた領土、王朝の維持に節度使制により、解決されるが、これが、国を大きく揺るがせる叛乱の大極元年(712)玄宗が皇位について、未曾有の繁栄を謳歌する。李白はよきにつけ悪しきに付けこの時代の雰囲気を体現して、1000首余りに上る膨大な詩を残した。

李杜の作風にはおのずから相違がある。その相違はまた中国文学の持つ二つの特質をある意味で表現したものだともいえる。杜甫の作風は堅実で繊細、しかも社会の動きにも敏感で、民衆の苦悩に同情するあまり時に社会批判的な傾向を帯びる。

それに対して李白の作風は豪放磊落という言葉に集約される。調子はリズミカルで内容は細事に拘泥せず、天真爛漫な気持ちを歌ったものが多い。社会の動きに時に目を配ることはあっても、人民の苦悩に同情するところはほとんどない。こんなこともあって、現代中国では杜甫に比較して評価が低くなってもいるが、その作風が中国文学の大きな流れのひとつを体現していることは間違いない。

李白の出自については長らく、四川省出身の漢民族だという説が有力であった。しかし前世紀の半ば以降緻密な研究が重ねられた結果、李白の一族は四川省土着のものではないということが明らかになった。彼の父とその祖先は西域を根拠としてシルクロードの貿易に従事する人たちだったらしい。その一家が李白の生まれた頃に蜀(四川省)にやってきた。そして李白が5歳の頃に、現在の四川省江油市あたりに定住した。もしかしたら、李白は漢民族ではなく、西域の血を引いていた可能性がある。


 唐の時代には、偉大な文学者はほとんどすべて官僚であった。官僚にならずに終わった人も、生涯のある時期、官僚を目指して進士の試験を受けるのが当たり前であった。ところが李白には自らこの試験を受けようとした形跡がない。彼は生涯を無衣の人として過ごすのであり、放浪に明け暮れた人生を送った。また人生の節々で色々な人と出会い、宮殿の端に列するようなこともあったが、その折の李白は文人としては敬意を評されても、一人の人間として高い尊敬を受けたとは思えない。これらのことが彼の出自と関係していることは大いに考えられる。

  遣懐(昔我遊宋中) 杜甫15大暦3年76857歳夔州

贈李白 杜甫16(李白と旅する)天宝3載74433
贈李白 杜甫17 (李白と旅する) 33

  昔遊 杜甫19(李白と旅する)大暦3年76857歳夔州
與李十二白同尋范十隱居 天宝4載74534

冬日億李白
春日憶李白 天宝5載 746 35

送孔巢父謝病歸游江東,兼呈李白35

飲中八仙歌 杜甫28   35  

10/15現在杜甫755年頃ブログ進行中 この後六首 掲載予定
秦州**********************乾元2年759年48歳
⑧五言古詩夢李白二首其の一  
⑨五言古詩夢李白二首其の二
⑩五言律詩天末懷李白
⑪五言古詩寄李十二白二十韻
成都・浣花渓**************上元2年761年50歳
⑫五言古詩 不見  
菱州**********************大暦3年768年57歳
⑬五言古詩 昔游 
⑭五言古詩 遣懷
⑮五言古詩 壯游
-----------------------------------------------------------------------

李白と杜甫の別れ
 李白と杜甫の交友が始まって、何日も何日も二人は酒を酌み交わす日々が続いたが、二人の生活は一年足らずで終わることとなる。ある時、杜甫が仕官のため魯郡を離れて都に出たいと打ち明け時、李白はその無念さを酒で紛らわした詩「石門にて杜二甫を送る」がある。
これより李白と杜甫との交誼は親密度を加え、しばしば詩文を論じあうことがあった。また、二人して当時の文学の大先輩であり、もはや七十歳に近い李邕を済南に訪ねている。李邕はこのとき、北海の太守であった。李邕は『文選』に注した李善の子であって、父の注の補いもしている文選学者でもある。杜甫が後年、李邕の知遇を得たのは、このときの縁であり、杜甫が『文選』を学ぶようになったのも、この李邕のおかげである。

上李邕 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白188

746年天宝5載35歳

その年の夏、李邕が済州(済南)にやって来たので、杜甫は李邕に従い、済州の駅亭にある歴下亭や、済州城の北方にある鵲山亭での宴遊に加わって、当代の文壇のあれこれについて談じた。話は祖父審言にも及び、李邕は審言の詩の美しきを賛えた。杜甫は祖父の存在を、どんなに誇りに思ったことであろう。
 秋になって、杜甫は兗州に李白を訪ねた。李白は兗州に程近い任城(済寧)に家を構えており、二人の子供をそこに置いていた。杜甫は、すでに高天師のところから帰っていた李白と、東方にある蒙山に登って、董錬師、元逸人という道士を訪ねたり、城北に范十隠居を訪問したりしている。

杜甫③「李十二と同に花十隠居を尋ぬ」詩を見ると、李白の詩の佳句は、六朝梁の詩人、陰鐘に似ていると評している。陰鐙は、自然の美しきを歌うことが多いから、その点が似ているといっているのかもしれない。また、二人は兄弟のごとき親しさをもち、「酔うて眠るに秋には被を共にき、手を携えて日ごとに行を同にす」と歌っている。
與李十二白同尋范十隱居 杜甫
李侯有佳句,往往似陰鏗
余亦東蒙客,憐君如弟兄。
醉眠秋共被,攜手日同行。
更想幽期處,還尋北郭生。
・・・・・・・・

李白と杜甫は、このあとまもなく山東の曲阜近くの石門の地で別れることになる。杜甫は官職を求め希望を抱いて長安の都に行くためであり、李白も新しい遍歴の旅に上ることになったからである。石門の地で手を別って以来、終生再び遇うことはなかった。李白は杜甫に対して送別の詩「魯郡の東 石門にて、杜二甫を送る」を作っている。



魯郡東石門送杜二甫
酔別復幾日、登臨徧池臺。
別れを惜しんで酒に酔うことを、もう幾日くりかえしたことであろう。高い所に登って見晴らすために、池や展望台は、ことごとく廻り歩いた。
何言石門路、重有金樽開。
ああ、いつの日に、石門の路でふたたび、黄金の酒樽を開けることか。
秋波落泗水、海色明徂徠。
秋のさざ波は満水の泗水の川面に落ち、東海のはてまで澄みきった秋の色に、徂徠山は明るい。
飛蓬各自遠、且尽林中盃。

風に飛ぶ蓬根無し草のように、遠くはなればなれになってしまうぼくたち、今はともかく、手の中にある杯を飲みほそう!

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魯郡東石門送杜二甫 訳註と解説

(本文)
魯郡東石門送杜二甫
酔別復幾日、登臨徧池臺。
何言石門路、重有金樽開。
秋波落泗水、海色明徂徠。
飛蓬各自遠、且尽林中盃。

(下し文) 魯郡の東 石門にて杜二甫を送る

(現代語訳)

酔別(すいべつ)()た幾日(いくにち)ぞ、登臨(とうりん)池台(ちだい)(あまね)し。

何ぞ言わん石門(せきもん)の路(みち)、重ねて金樽(きんそん)の開く有らんと。

秋波(しゅうは)泗水(しすい)に落ち、海色(かいしょく) 徂徠(そらい)に明かなり。

飛蓬(ひほう)各自(かくじ)遠し、且(しばら)く林中(りんちゅう)の盃(はい)を尽くさん。

別れを惜しんで酒に酔うことを、もう幾日くりかえしたことであろう。高い所に登って見晴らすために、池や展望台は、ことごとく廻り歩いた。
ああ、いつの日に、石門の路でふたたび、黄金の酒樽を開けることか。
秋のさざ波は満水の泗水の川面に落ち、東海のはてまで澄みきった秋の色に、徂徠山は明るい。
風に飛ぶ蓬根無し草のように、遠くはなればなれになってしまうぼくたち、今はともかく、手の中にある杯を飲みほそう!


魯郡東石門送杜二甫
○魯郡 いまの山東省兗州市。○石門 いまの山東省曲阜県の東北、泗水の岸にあった。○杜二甫 まん中の二は、杜甫が一族の中で上から二番目の男子であることを示す。



酔別復幾日、登臨徧池臺。
別れを惜しんで酒に酔うことを、もう幾日くりかえしたことであろう。高い所に登って見晴らすために、池や展望台は、ことごとく廻り歩いた。
酔別 別れの酒に酔う。○登臨 登山臨水。



何言石門路、重有金樽開
ああ、いつの日に、石門の路でふたたび、黄金の酒樽を開けることか。
何言 「言」が日であったり、時であるばあいもある。 ○金樽 口の広い酒器、盃より大きい。



秋波落泗水、海色明徂徠。
秋のさざ波は満水の泗水の川面に落ち、東海のはてまで澄みきった秋の色に、徂徠山は明るい。
洒水 山東省を流れる川。大運河に流れ込む。黄河の支流。兗州を流れる。○徂徠 山東省奉安県の東南にある山。北に見る泰山に対する山として有名。



飛蓬各自遠、且尽林中盃。
風に飛ぶ蓬根無し草のように、遠くはなればなれになってしまうぼくたち、今はともかく、手の中にある杯を飲みほそう!
飛蓬 風に飛ぶ蓬根無し草。寒山、李賀にみえる。杜甫は「飄蓬」をよくつかう。根はないが、芯はしっかりした場合に使う。ただの風来坊には使わない。


(解説)
冒頭「酔別幾日ぞ」とは、よほど名残り惜しかったことだろう。続いて と詠んでいる。山東省滋陽県の辺りを「魯郡」という。李白は、ここの滋陽県の辺に家族を置いていた。東魯とか兗州と呼んでいたところである。た。当時、李白はこの二つを往来し、「石門」は曲阜の近くにある山である。
それとは別に、汁州の梁園(開封)に再婚の妻を置いていまた、ここを中心に各地方を遍歴していたと推定される。この詩、李白の家族の住む近くで遊んで別れることになった。作られた年代は、黄氏は、天宝三年八七四四)、四十四歳のとき、唐氏は、それよりのちの四十六歳とするが、洛陽で杜甫と会って、それからのことであるから、唐氏の説が当たっているかもしれない。
「いっしょに飲んで別れて幾日たったであろうか。きみとあらゆる名所の池や台に遊びまわった。この石門の地で別れたらもう再び飲んで遊びまわることはないかもしれない」。
「秋のけはいの中に酒水が低く流れている」。「泗水」は石門山付近を流れる。「遠くの海水の色が輝き、近くの徂徠山が明るく見えている」。「徂徠」山は、曲卓の近くにある。東の海ははるかで遠いが、秋波と対句にするためにあえていったもの。「秋波」 は秋の薄雲がなびくさまをいうか。

上李邕 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白188

上李邕 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白188


上李邕
大鵬一日同風起、扶揺直上九万里。
大鵬は一日で風と共に飛び立ち、旋風のように上昇して東の海中に生えているという伝説の大木もとへ  九万里を飛ぶのだ。
仮令風歇時下来、猶能簸却滄溟水。
もし、風がやみ、降りるときが来たとしても、それでもなお、青くはてしない大海原をゆらしたり、もどしたりするのである。
時人見我恒殊調、聞余大言皆冷笑。
世の人は私が常に優れた詩文の調子をもっていると見てはいる、だけどそれは大きな志であるが皆冷笑して聞き流している。
宣父猶能畏后生、丈夫未可軽年少。

孔子は「なおよく、若者は畏るべし」と申されております。歳輪の行かない未経験者であなたさまのようにはいかないかもしれません。(でもよろしくお願いします。)


李邕に上る
大鵬(たいほう)  一日  風と同(とも)に起こり、扶揺(ふよう)  直ちに上る九万里。  
仮令(たとえ)  風歇(や)みて時に下り来るも、猶お能(よ)く  滄溟(そうめい)の水を簸却(はきゃく)す。  
時人(じじん)  我の恒に調(しらべ)を殊にするを見て、余の大言(たいげん)を聞きて皆(ことごと)く冷笑す
宣父(せんぷ)も猶お能く后生(こうせい)を畏(おそ)る
丈夫(じょうふ)  未だ年少を軽んず可からず


李邕に上る 訳註と解説
(本文)
大鵬一日同風起、扶揺直上九万里。
仮令風歇時下来、猶能簸却滄溟水。
時人見我恒殊調、聞余大言皆冷笑。
宣父猶能畏后生、丈夫未可軽年少。

(下し文)
大鵬(たいほう)  一日  風と同(とも)に起こり、扶揺(ふよう)  直ちに上る九万里。  
仮令(たとえ)  風歇(や)みて時に下り来るも、猶お能(よ)く  滄溟(そうめい)の水を簸却(はきゃく)す。  
時人(じじん)  我の恒に調(しらべ)を殊にするを見て、余の大言(たいげん)を聞きて皆(ことごと)く冷笑す
宣父(せんぷ)も猶お能く后生(こうせい)を畏(おそ)る
丈夫(じょうふ)  未だ年少を軽んず可からず


(現代語訳)
大鵬は一日で風と共に飛び立ち、旋風のように上昇して東の海中に生えているという伝説の大木もとへ  九万里を飛ぶのだ。
もし、風がやみ、降りるときが来たとしても、それでもなお、青くはてしない大海原をゆらしたり、もどしたりするのである。
世の人は私が常に優れた詩文の調子をもっていると見てはいる、だけどそれは大きな志であるが皆冷笑して聞き流している。
孔子は「なおよく、若者は畏るべし」と申されております。歳輪の行かない未経験者であなたさまのようにはいかないかもしれません。(でもよろしくお願いします。)




大鵬一日同風起 扶揺直上九万里  
大鵬は一日で風と共に飛び立ち、旋風のように上昇して東の海中に生えているという伝説の大木もとへ  九万里を飛ぶのだ。
大鵬 中国神話の伝説の鳥、霊鳥である。羽ある生物の王。李白の才能を示す。○扶揺 東の海中に生えているという伝説の大木。つむじかぜ。・扶桑東海の日の出る所にあるという神木。日本の別名 ○九万里 36万km大鵬の飛ぶ距離、慣用語。



仮令風歇時下来 猶能簸却滄溟水  
もし、風がやみ、降りるときが来たとしても、それでもなお、青くはてしない大海原をゆらしたり、もどしたりするのである。
仮令 もし、仮に。○簸却 ふるわせたり、静かにさせる。○滄溟 果てしない大海原。



時人見我恒殊調 聞余大言皆冷笑  
世の人は私が常に優れた詩文の調子をもっていると見てはいる、だけどそれは大きな志であるが皆冷笑して聞き流している。
時人 今どきの人。○恒殊調 常に優れた詩文の調子。

宣父猶能畏后生 丈夫未可軽年少  
孔子は「なおよく、若者は畏るべし」と申されております。歳輪の行かない未経験者であなたさまのようにはいかないかもしれません。(でもよろしくお願いします。)
宣父 孔子 ○后生 後に生まれたもの



(解説)

詩型 七言律詩
押韻 起、里。/來、水。/調、笑、少。

 李邕は『文選』に注をほどこした李善(りぜん)の子で、文と書にすぐれた大家で、このとき六十二、三歳であった。青州(北海郡)の太守に左遷されていたのだ。朝廷の高官が一地方郡の知事クラスということは、この頃の李林甫の文人を遠ざける施策の最大の犠牲者であった。
 それでも李白と杜甫にとっては作った詩歌を見てほしいと思ったことであろう。

そのとき李白が李邕に献じた詩が「上李邕」と思われます。李白も天子のおそばで翰林院供奉であった片りんを見せている。この大家に自分を『荘子』逍遥游篇の大鵬に比してみせている。

對雪獻從兄虞城宰  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白186

對雪獻從兄虞城宰  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白186


 李白は任城に「魯の一婦人」という女性を置いており、この女性は李白の三人目の内妻になる。李白と杜甫は任城の家に立ち寄ってから斉州に行ったと思われるが、斉州に着くと李白は道士になる修行をはじめ、道籙(どうろく)を受けるのだが、これには謝礼を必要とした。その金も玄宗の御下賜金で賄われた。この時、李白は道教にすがる思いもあったのではないだろうか。
 杜甫は道士になる気はないので、斉州の司馬として赴任していた李之芳(りしほう)のもとに身を寄せた。
李之芳のもとにいたとき、たまたま隣の青州(山東省益都県)の刺史李邕(りよう)が訪ねてきて、杜甫はこの著名な老文学者と知り合いになる。
 道士になった李白は任城の「魯の一婦人」のもとにもどって冬から翌天宝四載(745)の春過ぎまで一緒に過ごしている。夏のはじめに杜甫が斉州から訪ねてきて、二人は連れ立って任城一帯で遊ぶ。


しかし、李白の周辺は、都追放が人との付き合いに影響していたようだ。かく人情は軽薄にしてつねに反覆するものであることを歌い、世の風の冷酷さを李白はしみじみ感じている。また一方、生活はしだいに窮乏を告げてきた。長安を去るとき、天子から何ほどかの御下賜金があったはずであるが、もはや使い果たしている。
食糧のなかったことを、この貧しさに耐えかねて、従兄とする皓に訴えざるをえなかった。「雪に対して従兄の虞城の宰に献ず」はこの時の気持ちを詠っている。

對雪獻從兄虞城宰
昨夜梁園裏。 弟寒兄不知。
ほんの昨夜まで、朝廷(魏の宮廷の梁園)で大官を相手にしていた自分が、まだ名もなき頃義兄といって付き合っていた、たかだか県知事のところへ逗留するとは、人情にも、懐にも寒さを感じておる弟の自分のことは義兄としてわかってはいないだろう。
庭前看玉樹。 腸斷憶連枝。

朝起きて庭を見ると雪が降り積もって、ちょっと前まで宮廷で看ていた宝玉石で飾った木樹を見られた。腸の絶えるいろんな思いがあるがここは兄弟ということの意味を憶い起してほしい。


對雪獻從兄虞城宰の訳註と解説

(本文)
昨夜梁園裏。 弟寒兄不知。
庭前看玉樹。 腸斷憶連枝。

(下し文)

昨夜梁園の裏(うち)、弟寒けれども兄は知らざらん。

庭前に玉樹を見、腸は断えて連枝を憶ふ。


ほんの昨夜まで、朝廷(魏の宮廷の梁園)で大官を相手にしていた自分が、まだ名もなき頃義兄といって付き合っていた、たかだか県知事のところへ逗留するとは、人情にも、懐にも寒さを感じておる弟の自分のことは義兄としてわかってはいないだろう。
朝起きて庭を見ると雪が降り積もって、ちょっと前まで宮廷で看ていた宝玉石で飾った木樹を見られた。腸の絶えるいろんな思いがあるがここは兄弟ということの意味を憶い起してほしい。

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對雪獻從兄虞城宰
從兄 裏陽の少府をやっていた皓であり、この時、虞城(河南省虞城県)の宰(地方長官)となっている。 ○虞城 虞城は今の河南省の東境で、山東省の単父(ゼンポ)の隣県になる。



昨夜梁園裏 弟寒兄不知
ほんの昨夜まで、朝廷(魏の宮廷の梁園)で大官であった自分が、名もなき頃義兄といってつきあっていた、たかだか県知事ところへ逗留するとは、人情にも、懐にも寒さを感じておる弟の自分のことは義兄としてわかってはいないだろう。
昨夜 昨日の夜。と同時にほんの昨日まで、とういうことをかけている。○梁園 梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。詩にある平臺(宮廷)は梁園にあり、また阮籍は梁園付近の蓬池に遊んだ。李白はそうした史実を引用しながら、過去の栄華と今日の歓楽をかんじさせる。ここでは、漢の宮廷、つまり唐の宮廷の大官であったことを示す。

庭前看玉樹 腸斷憶連枝
朝起きて庭を見ると雪が降り積もって、ちょっと前まで宮廷で看ていた宝玉石で飾った木樹を見られた。腸の絶えるいろんな思いがあるがここは兄弟ということの意味を憶い起してほしい。

庭前 この邸宅の庭ということと宮廷を意味する。○玉樹 雪で宝石、白玉製かと思はせる木。
腸斷 腸が断えるできごとと情交が満たされない思い。○連枝 兄弟と男女の結びつき。兄弟はたかが県令と鼻をくくっていたが援助してもらいたいということ。と同時に男女間のことを表現して、照れ隠しをしたのだ。それくらい困窮していたのだろう。

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 この詩の相手は真の従兄ではなく、李白が同族よばわりして、李氏なら必ず用ひるにせ従兄の、天宝四載からここの県令であった李錫(リセキ)である。このとき救ってもらった礼か、李白には「虞城県令李公去思頌碑」といふ頌徳文もあって、このころの文人の生活も、中々なみ大抵でなかったことを思わせる。県令といふのは県知事には相違なく、いまの日本の知事さんたちと同じくいばったものかもしれないが、昨日までの大官相手がたかだか県令相手とまでなり下ったのである。しかも李白は貧を衒(てら)うことはない。ここまで困窮している場合でも大言壮語するのである。

さらば長安よ「東武吟」 (出東門后書懷留別翰林諸公 )  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白180

 
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人からの讒言がなくても、こうした朝廷の中には、李白の安住の地は見いだせない。ついに李白は辞意を洩らすことになった。

李陽次『草堂集』序によると、
天子は「留む可からざるを知り、乃ち金を賜いて之を帰す」とある。
花伝正の「新墓碑」は、やや詳しく、玄宗が、その才能を情しんだが、「或いは酔いに乗じて省中に出入し、温室(殿)の樹を言わざる能わざるを慮り、後息を擦るを恐れ、惜しんで之を遂す」といって、酔って殿中に自由に出入するから、秘密が洩れはしないかと心配したという。やはり酔態は、当時としては、よほど人の耳目を集めていたらしい。

『本事詩』は、「廊臍の器に非ず、優詔して之姦め遣む」とあり、宰相の器たる政治家でないと判断したという。要するに玄宗としては、詩人としての才能は惜しんだが、しかし李白の心をもはや留めるべくもなかった。

李白は好きにつけ悪しきにつけ、思い出多い長安を去ることになる。思えは742年天宝元年秋に入京し、744年天宝三年春三月、去ることになった。足かけ三年間の短い長安生活であった。去るに当たって、翰林院で職を同じくした仲間たちに一篇の詩を残している。

「東武の吟」がそれである。


東武吟  一出東門后書懷留別翰林諸公―

好古笑流俗。素聞賢達風。
方希佐明主。長揖辭成功。
白日在高天。回光燭微躬。

恭承鳳凰詔。欻起云蘿中。
清切紫霄迥。優游丹禁通。
君王賜顏色。聲價凌煙虹。
乘輿擁翠蓋。扈從金城東。
寶馬麗絕景。錦衣入新丰。

倚岩望松雪。對酒鳴絲桐。
因學揚子云。獻賦甘泉宮。
天書美片善。清芬播無窮。
歸來入咸陽。談笑皆王公。

一朝去金馬。飄落成飛蓬。
賓客日疏散。玉樽亦已空。
才力猶可倚。不慚世上雄。
閑作東武吟。曲盡情未終。
書此謝知己。扁舟尋釣翁 。



李白の友人の任華は、このときの李白の姿を「李白に寄す」の中に次のごとく歌っている。


寄李白  任華 
権臣炉盛名
葦犬多吠撃
有数放君
却蹄隠冷感
高歌大笑出関去


権臣は盛名を歩み
群犬は貯ゆる声多し
勅 有りて君を放ち
却って隠輪の処に帰せしめ
高歌大笑して関より出でて去る



任華が見た李白の「高歌大笑」は果たして何を意味するか。李白の心境は複雑なものがあったにちがいない。




東武吟 一出東門后書懷留別翰林諸公―

歌は辞任の寂しさと宮中出仕のころの回想から始まる。
「自分は、何のしごともできず辞任することは、残念ではある。思えば、三年前に天子から目をかけられて翰林院に召されることになった。それは光栄なことであった。また、天子の行幸にもいつも随行する。鷹山で作った駅はいささかおはめにあずかり、その評判は広く伝わった。都に帰ると、人々から尊敬され、話し相手は王公貴族はかりである。そのときはじつに愉快の極みであった」と、長安時代の生活の楽しさを思い出している。


「東武吟」―還山留別金門知己-
好古笑流俗。素聞賢達風。
方希佐明主。長揖辭成功。
白日在高天。回光燭微躬。
古(いにしえ)を好(この)んで  流俗(りゅうぞく)を笑い、素(もと)  賢達(けんたつ)の風(ふう)を聞く
方(まさ)に希(こいねが)う 明主(めいしゅ)を佐(たす)け、長揖(ちょうゆう)して成功を辞(じ)せんことを
白日(はくじつ)  青天に在り、廻光(かいこう)  微躬(びきゅ)を燭(てら)す



恭承鳳凰詔。欻起云蘿中。
清切紫霄迥。優游丹禁通。
君王賜顏色。聲價凌煙虹。
乘輿擁翠蓋。扈從金城東。
寶馬麗絕景。錦衣入新丰。
恭(うやうや)しく鳳凰(ほうおう)の詔を承(う)け、歘(たちま)ち雲蘿(うんら)の中(うち)より起(た)つ
澄みわたる雲居(くもい)のかなた、宮中に出入りして悠然と歩く
天子は  謁見を賜わり、名声は  虹をも凌ぐほどである
天子の輦(くるま)が  翠羽の蓋(かさ)を差し上げて、長安の東の離宮に行幸(みゆき)する
名馬絶景のような駿馬を馳(はし)らせ、錦の衣(ころも)を着て新豊にはいる



依岩望松雪。對酒鳴絲桐。
因學揚子云。獻賦甘泉宮。
天書美片善。清芬播無窮。
歸來入咸陽。談笑皆王公。
巌にもたれて松の雪を眺め、酒を酌みながら琴を奏でる
漢の揚雄が賦を献じた故事にならい、離宮に扈従(こじゅう)して詩を奉ると
勅書をもって お褒めの言葉をいただき限りない栄誉に浴する
長安に帰ってくれば交際するのは  もっぱら王公貴族のみ



ここで歌は一転して追放後のことになる。

一朝去金馬。飄落成飛蓬。
賓客日疏散。玉樽亦已空。
才力猶可倚。不慚世上雄。
閑作東武吟。曲盡情未終。
書此謝知己。扁舟尋釣翁 。
だが  ひとたび翰林院を去り、転落して  飛蓬の身となれば
よい客人は日に日に疎遠となり、酒樽もからになる
だが 
私の才能は衰えておらず、世の豪雄にひけは取らない、
暇にまかせて東武吟を口にすれば、曲が終わっても感興はつきない
そこでこの詩を書いて知己に贈り、小舟に乗って  釣りする翁を尋ねるとしよう



「さて、一朝にして翰林院を去ると零落して飛蓬のように、あてどなくさまよう身となってしまった」。「飛蓬」は風が吹くと根もとが切れて舞い上がる植物で、曹植が転々として国換えになる身をしばしは喩えたことばである。
また、「賓客もまばらになって、酒樽ももう空になってしまった」。「玉樽は己に空し」とは、李白らしい表現である。「しかし、まだ頼むべき才力はあり、評判をとった名に噺ずかしくない力は持っている」。まだまだ活躍はできると自信のほどを示している。しかし、内心は寂しくてやり切れなかったであろう。
長安を去って寂しい気持ちにはなるが、まだ「頼むむべき才力はある」といって、勇気を奮い起こし、自信をとり戻して長安をあとにするが、まずは「この詩を作って隠棲を願いつつ友人たちに別れを告げて去って行こう」といって歌い終わる。


李白は、長安に住むこと足かけ三年、時に四十四歳、以後、再び長安には姿を現わさなかった。

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古風五十九首 其一 李白 :杜甫紀頌之の漢詩ブログ 明朗な人生観、自然界に自らを一致させた謫仙人李白特集 150

 古風 其一        古風 其の一      
これまで古風五十九首のうち、以下を取り上げた。
古風 其三 李白106
古風 其五 李白107
古風 其六   李白120

古風 其七 李白108
古風 其八   李白117
古風 第九   李白109

古風 其十     李白126
古風 其十一 李白 140
古風 其十二 李白 141

古風 第十八     李白110
古風 其二十三 李白113

李白は道教の道について述べ、人生の問題としている。戦争を取り上げ、政事理念を直接に詩の主題にし、故事の引用や艶情の用語を使用して、「詩経」くにの風(うた)のスタイルにしている。

翰林学士として天子の助言者たりえたいと思っていた。吐蕃に対して「和蕃書」の起草等、それを示すものである。「古風 其の一」は李白が官吏として意欲をもっていた天宝二年夏まえの作品であろうか。


古風五十九首其一
大雅久不作。 吾衰竟誰陳。
詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか。
王風委蔓草。 戰國多荊榛。
王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。
龍虎相啖食。 兵戈逮狂秦。
竜と虎とが食いあうように諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、狂暴な秦に及んでしまった。
正聲何微茫。 哀怨起騷人。
川原で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより騒人を生み出した。
揚馬激頹波。 開流蕩無垠。』
揚雄と司馬相如は、くずれゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。』
廢興雖萬變。 憲章亦已淪。
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化した、正しい詩法はすっかりほろんでしまった。
自從建安來。 綺麗不足珍。
建安以後の詩にいたっては、ただ綺麗なだけで、新しく珍しい良いものはたらない。
聖代復元古。 垂衣貴清真。
唐の聖代というものは、太古の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すっきりとして、ありのままなことを貴ぶようになった。
群才屬休明。 乘運共躍鱗。』
多くの才能ある人びとが、やすらかであかるい御代にいるのだ、時代の運気に乗って、共に魚がうろこをおどらせて活躍し出した。』
文質相炳煥。 眾星羅秋旻。
模様と生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやいている。
我志在刪述。 垂輝映千春。
わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。
希聖如有立。 絕筆于獲麟。』

聖人の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにする。』


詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか。王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。
竜と虎とが食いあうように諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、狂暴な秦に及んでしまった。
川原で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより騒人を生み出した。
揚雄と司馬相如は、くずれゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。』
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化した、正しい詩法はすっかりほろんでしまった。
建安以後の詩にいたっては、ただ綺麗なだけで、新しく珍しい良いものはたらない。
唐の聖代というものは、太古の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すっきりとして、ありのままなことを貴ぶようになった。
多くの才能ある人びとが、やすらかであかるい御代にいるのだ、時代の運気に乗って、共に魚がうろこをおどらせて活躍し出した。』
模様と生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやいている。
わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。
聖人の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにする。』



大雅(たいが)  久しく作(おこ)らず、吾れ衰(おとろ)えなば竟(つい)に誰か陳(の)べん。
王風(おうふう)は蔓草(まんそう)に委(す)てられ、戦国には荊榛(けいしん)多し。
龍虎(りゅうこ)  相い啖食(たんしょく)し、兵戈(へいか)  狂秦(きょうしん)に逮(およ)ぶ。
正声(せいせい)  何ぞ微茫(びぼう)たる、哀怨(あいえん)  騒人(そうじん)より起こる。
揚馬(ようば)  頽波(たいは)を激(げき)し、流れを開き  蕩(とう)として垠(かぎ)り無し』
廃興(はいこう)  万変(ばんぺん)すと雖も、憲章(けんしょう)  亦(ま)た已に淪(ほろ)ぶ。
建安(けんあん)より来(こ)のかたは、綺麗(きれい)にして珍(ちん)とするに足らず。
聖代  元古(げんこ)に復し、衣(い)を垂れて清真(せいしん)を貴ぶ。
群才  休明(きゅうめい)に属し、運に乗じて共に鱗(うろこ)を躍(おど)らす。』
文質(ぶんしつ)  相い炳煥(へいかん)し、衆星(しゅうせい)  秋旻(しゅうびん)に羅(つら)なる。
我が志は刪述(さんじゅつ)に在り、輝(ひか)りを垂れて千春(せんしゅん)を映(てら)さん。
聖を希(ねが)いて如(も)し立つ有らば、筆を獲麟(かくりん)に絶(た)たん。』





大雅久不作。 吾衰竟誰陳。
詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか
大雅 中国の最古の詩集「詩経」の篇名。大きく正しい詩。



王風委蔓草、戰國多荊榛。
王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。
王風 詩経の国風篇巻の六。洛陽を中心とした周の王墓の衰えたころの詩。○戦国 紀元前5~前3世紀までの時代。○荊榛 雑木雑草。



龍虎相啖食、兵戈逮狂秦。
竜と虎とが食いあうように諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、狂暴な秦に及んでしまった。
○兵戈 戦争。 ○ 及ぶ。とどく。 ○狂秦 狂暴な秦



正聲何微茫、哀怨起騷人。
川原で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより騒人を生み出した。
騒人 「離騒」の作者である屈原(前三世紀)をはじめ悲憤條慨の詩を作った一派の詩人たち、それ以来悲憤憤慨の人をたくさん作りだしたことをいう。



揚馬激頹波、開流蕩無垠。』
揚雄と司馬相如は、くずれゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。』
揚馬 揚雄と司馬相如。前一、二世紀の漢の時代に出た文人。 
 かぎり、はて。さかい。



廢興雖萬變、憲章亦已淪。
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化した、正しい詩法はすっかりほろんでしまった。
憲章 正しい法則。



自從建安來。 綺麗不足珍。
建安以後の詩にいたっては、ただ綺麗なだけで、新しく珍しい良いものはたらない。
建安 紀元二世紀末の年号。曹植をはじめ多くの詩人が出た。



聖代復元古。 垂衣貴清真。
唐の聖代というものは、太古の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すっきりとして、ありのままなことを貴ぶようになった。
聖代 唐の時代をさす。○垂衣 大昔の聖天子、責と舜とは、ただ衣を地に垂れていただけで、天下がよく治まったという。○清真 すっきりとして、ありのままなこと

 

群才屬休明。 乘運共躍鱗。』
多くの才能ある人びとが、やすらかであかるい御代にいるのだ、時代の運気に乗って、共に魚がうろこをおどらせて活躍し出した。』
休明 やすらかであかるい時代。



文質相炳煥、眾星羅秋旻。
模様と生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやいている。
文質 文はあやで模様と質は素材、生地。詩の雰囲気と詩の形式。○炳煥 てりはえる。○秋旻 秋の空。



我志在刪述、垂輝映千春。
わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。
刪述 けずって、のべる。良くない所はけずり、良い所をのべつたえる。西周時代、当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる。史記・孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成しなおしたという ○千春 千年



希聖如有立、絕筆于獲麟。』
聖人の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにする。』
獲麟 むかし孔子は歴史の本「春秋」を著わしたとき、「麒麟をつかまえた」という所で筆を絶った。麒麟は、空想の動物で、聖人のあらわれる瑞兆とされている。

宮中行樂詞八首其八 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白149

宮中行樂詞八首其八 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白149


宮中行樂詞八首 其八
水綠南薰殿。 花紅北闕樓。
水ゆたかに、みどりしたたる南薰殿。花は咲きほこり、紅に萌え聳えるような北闕楼。
鶯歌聞太液。 鳳吹繞瀛洲。
うぐいすの歌ごえは、大液池から聞こえてくる。鳳凰の簫の音は、蓬莱山を越え瀛洲の島を廻っている。
素女鳴珠佩。 天人弄彩毬。
宮中の素女は、身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら走りまわり、天の乙女は、美しい鞠を蹴ってたわむれている。
今朝風日好。 宜入未央游。
けさは、風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊ぶことがふさわしい。


水ゆたかに、みどりしたたる南薰殿。花は咲きほこり、紅に萌え聳えるような北闕楼。
うぐいすの歌ごえは、大液池から聞こえてくる。鳳凰の簫の音は、蓬莱山を越え瀛洲の島を廻っている。
宮中の素女は、身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら走りまわり、天の乙女は、美しい鞠を蹴ってたわむれている。
けさは、風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊ぶことがふさわしい。



宮中行楽詞 其の八
水は綠なり 南薫殿、花は紅なり 北闕楼。
鶯歌 太液に聞こえ、鳳吹 瀛洲を繞る。
素女は 珠佩を鳴らし、天人は 彩毬を弄す。
今朝 風日好し、宜しく未央に入りて遊ぶべし。




水綠南薰殿。 花紅北闕樓。
水ゆたかに、みどりしたたる南薰殿。花は咲きほこり、紅に萌え聳えるような北闕楼。
○南薫殿・北闕樓 いずれも唐代の長安の宮殿の名。北の見張り台のある楼閣。左右に石の高さ15メートル以上石壁がありその上に大きな宮殿のような楼閣が聳えるように建っていた玄武殿と玄武門をさす。



鶯歌聞太液。 鳳吹繞瀛洲。
うぐいすの歌ごえは、大液池から聞こえてくる。鳳凰の笙の音は、蓬莱山を越え瀛洲の島を廻っている。
太液 池の名。漢の太液池は漢の武帝が作った。池の南に建章宮という大宮殿を建て、池の中には高さ二十余丈の漸台というものを建て、長さ三文の石の鯨を刻んだ。また、池に三つの島をつくり、はるか東海にあって仙人が住むと信じられた瀛洲・蓬莱・方丈の象徴とした。漢の成帝はこの池に舟をうかべ、愛姫趙飛燕をのせて遊びたわむれた。唐代においても、漢代のそれをまねて、蓬莱殿の北に太液池をつくり、池の中の島を蓬莱山とよんだという。○鳳吹 笙(しょうのふえ)のこと。鳳のかたちをしている。○瀛洲 仙島の一つ。別に蓬莱、方丈がある。



素女鳴珠佩。 天人弄彩毬。
宮中の素女は、身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら走りまわり、天の乙女は、美しい鞠を蹴ってたわむれている。
素女 仙女の名。瑟(琴に似た楽器)をひくのが上手といわれる。○珠佩 真珠のおびもの。礼服の装飾で、玉を貫いた糸を数本つないで腰から靴の先まで垂れ、歩くとき鳴るようにしたもの。宮中に入るものすべてのものがつけていた。階級によって音が違った。○天人 仙女。天上にすむ美女。天の乙女。○彩毬 美しい模様の鞠。



今朝風日好。 宜入未央游。
けさは、風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊ぶことがふさわしい。
未央 漢の皇居の正殿の名。中国、漢代に造られた宮殿。高祖劉邦(りゅうほう)が長安の竜首山上に造営したもの。唐代には宮廷の内に入った。

宮中行樂詞八首其七 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白148

宮中行樂詞八首其七 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白148

高貴な階級ほどエロティックな詩を喜んだ。「玉台新詠集」などその典型で、詠み人は皇帝、その親族、、高級官僚である。ここでいう行楽とは、冬は奥座敷の閨の牀で行った性交を屋外でするという意味を含んでいる。それを前提におかないと宮中行楽詞は意味不明の句が出てくる。この詩の舞台には儒教的生活は存在しないのである。




宮中行樂詞八首 其七
寒雪梅中盡、春風柳上歸。
つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。
宮鶯嬌欲醉、簷燕語還飛。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
遲日明歌席、新花艷舞衣。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
晚來移綵仗、行樂泥光輝。

日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている



つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている。


宮中行楽詞 其の七
寒雪 梅中に尽き、春風 柳上に帰る。
宮鶯 嬌として酔わんと欲し、簷檐燕 語って還た飛ぶ。
遅日 歌席明らかに、新花 舞衣 艶なり。
晩来 綵仗を移し、行楽 光輝に泥かし。



寒雪梅中盡、春風柳上歸。
つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。

宮鶯嬌欲醉、簷燕語還飛。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
簷燕 のきばのつばめ。

遲日明歌席、新花艷舞衣。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
遲日 日が長くなる春。なかなか日が暮れない。「詩経」の豳風(ひんふう)に「七月ふみづき」
七月流火  九月授衣  春日載陽  有鳴倉庚  
女執深筐  遵彼微行  爰求柔桑  春日遅遅
采蘩祁祁  女心傷悲  殆及公子同歸
一緒になりたい待っている女心を詠っている。
歌席 音楽の演奏会。

晚來移綵仗、行樂泥光輝。
日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている。
晩来 夕方。○綵仗 唐の制度では、宮殿の下の衛兵を仗という。綵は、着飾ってはなやかなという形容、飾り物が華麗である場合に使用する。別のテキストでは彩としている。この場合は色のあでやかさの場合が多い。○行楽泥光輝 野外において性的行為をする光景を詠っている。光と影が交錯していること。景色を泥はやわらかくする。

宮中行樂詞八首其六 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白147

宮中行樂詞八首其六 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白147


宮中行樂詞八首 其六
今日明光里。 還須結伴游。
今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
春風開紫殿。 天樂下珠樓。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
艷舞全知巧。 嬌歌半欲羞。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。
更憐花月夜。 宮女笑藏鉤。

北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。


今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。
北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。



宮中行楽詞 共の六
今日 明光の裏、還た須らく伴を結んで遊ぶべし。
春風 紫殿を開き、天樂 珠樓に下る。
艷舞 全く巧を知る。 嬌歌 半ば羞じんと欲す。
更に憐れむ 花月の夜、 宮女 笑って藏鉤するを。



今日明光里。 還須結伴游。
今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
明光 漢代の宮殿の名。「三輔黄図」という宮苑のことを書いた本に「武帝、仙を求め、明光宮を起し、燕趙の美女二千人を発して之に充たす」とある。



春風開紫殿。 天樂下珠樓。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
紫殿 唐の大明宮にもある。「三輔黄図」にはまた「漢の武帝、紫殿を起す」とある。漢の武帝が神仙の道を信じ、道士たちにすすめられて、大規模な建造物をたくさん建てたことは、吉川幸次郎「漢の武帝」(岩波新書)にくわしい。玄宗も同じように道教のために寄進している。



艷舞全知巧。 嬌歌半欲羞。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。



更憐花月夜。 宮女笑藏鉤。
北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。
憐花 北斉の後主高給が寵愛した馮淑妃の名。燐は同音の蓮とも書かれる。もとは穆皇后の侍女であったが、聡明で琵琶、歌舞に巧みなのが気に入られて穆皇后への寵愛がおとろえ、後宮に入った。○蔵鉤 遊戯の一種。魏の邯鄲淳の「芸経」によると、じいさん、ばあさん、こどもたちがこの遊戯をしていたという三組にわかれ、一つの鈎を手の中ににぎってかくしているのを、他の組のものが当て、たがいに当てあって勝敗をきそう。漢の武帝の鈎弋夫人は、幼少のころ、手をにぎったまま開かなかった。武帝がその拳にさわると、ふしぎと閲いたが、手の中に玉の釣をにぎっていた。蔵鈎の遊戯は鈎弋夫人の話から起ったといわれている。
これをもとに宮妓たちの間では送鉤という遊びをしていた。二組の遊びで、艶めかしい遊びに変化したようだ。


宮中行樂詞八首其一  李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白142

宮中行樂詞八首其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白143


宮中行楽詞 其一
小小生金屋、盈盈在紫微。
小さい子供のときから、黄金で飾った家でそだてられ、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
山花插寶髻、石竹繡羅衣。
なでしこの花一輪を、宝で飾った髪のもとどりに挿しはさみ、セキチクの模様のうすぎぬの上衣に刺繍してある。
每出深宮里、常隨步輦歸。
奥の御殿の中から出るごとに、いつも手車のあとについて歩いてゆく。
只愁歌舞散、化作彩云飛。
すこし心配になることがある。美女たちが歌をうたい舞いおわってしまったら、そのまま美しい色の雲となって、飛んでゆくのではないかと。


五重塔(1)


小さい子供のときから、黄金で飾った家でそだてられ、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
なでしこの花一輪を、宝で飾った髪のもとどりに挿しはさみ、セキチクの模様のうすぎぬの上衣に刺繍してある。
奥の御殿の中から出るごとに、いつも手車のあとについて歩いてゆく。
すこし心配になることがある。美女たちが歌をうたい舞いおわってしまったら、そのまま美しい色の雲となって、飛んでゆくのではないかと。



宮中行楽詞一其の一
小小にして 金屋に生れ、盈盈として 紫微に在り。
山花 宝撃に挿しはさみ、石竹 羅衣を繡う。
深宮の裏每び出ず、常に歩を肇めて歸るに従う。
只だ愁う 歌舞の散じては、化して綜雲と作りて飛ばんことを



宮中行楽詞 宮中における行楽の歌。李白は数え年で四十二歳から四十四歳まで、足かけ三年の間、宮廷詩人として玄宗に仕えた。この宮中行楽詞八首と、つぎの晴平調詞三首とは、李白の生涯における最も上り詰めた時期の作品である。唐代の逸話集である孟棨の「本事詩」には、次のような話がある。

 玄宗皇帝があるとき、宮中での行楽のおり、側近の高力士にむかって言った。「こんなに良い季節、うるわしい景色を前にしながら、単に歌手の歌をきいてたのしむだけでは物足りぬ。天才の詩人が来て、この行楽を詩にうたえば、後の世までも誇りかがやかすことであろう」と。そこで、李白が召されたのだ。李白はちょうど皇帝の兄の寧王にまねかれて酒をのみ、泥酔していたが、天子の前にまかり出ても、ぐったりとなっていた。玄宗は、この奔放な詩人に、律詩を十首つくるよう命じた。五言律詩は、対句が基本、最も定型的な詩形である。李白はあまり得意としない詩形であった。玄宗は知っていて、酔っているので命じたのである。そし二、三人の側近に命じて、李白を抱きおこさせ、墨をすらせ、筆にたっぷり警ふくませて李白に持たせ、朱の糸で罫をひいた絹幅を李白の前に張らせた。李白は筆とると、少しもためらわず、十篇の詩を、たちまち書きあげた。しかも、完璧なもので、筆跡もしっかりし、律詩の規則も整っていた。現在は八首のこっている。


小小生金屋、盈盈在紫微。
小さい子供のときから、黄金で飾った家でそだてられ、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
小小 年のおさないこと。○金屋 漢の武帝の故事。鷺は幼少のころ、いとこにあたる阿矯(のちの陳皇后)を見そめ、「もし阿舵をお嫁さんにもらえるなら、慧づくりの家(金星)の中へ入れてあげる」と言った。吉川幸次郎「漠の武帝」(岩波誓)にくわしい物語がある。○盈盈 みずみずしくうつくしいさま。古詩十九首の第二首に「盈盈たり楼上の女」という句がある。○紫微 がんらいは草の名。紫微殿があるため皇居にたとえる。



山花插寶髻、石竹繡羅衣。
なでしこの花一輪を、宝で飾った髪のもとどりに挿しはさみ、セキチクの模様のうすぎぬの上衣に刺繍してある。
寶髻 髻はもとどり、髪を頂に束ねた所。宝で飾りたてたもとどり。○石竹 草の名。和名セキチク。別称からなでしこ。葉は細く、花は紅・自または琶音ごろ開く。中国原産であって、唐代の人もこの花の模様を刺繍して、衣裳の飾りとした。○羅衣 うすぎねのうわぎ。



每出深宮里、常隨步輦歸。
奥の御殿の中から出るごとに、いつも手車のあとについて歩いてゆく。
歩輩 手車。人がひく車。人力車。



只愁歌舞散、化作彩云飛。
すこし心配になることがある。美女たちが歌をうたい舞いおわってしまったら、そのまま美しい色の雲となって、飛んでゆくのではないかと。
彩云 いろどり模様の美しい雲。



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唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
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古風五十九首 其十二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141

古風五十九首 其十二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141


古風五十九首 其十二


古風五十九首其十二
松柏本孤直、難為桃李顏。
松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
昭昭嚴子陵、垂釣滄波間。
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
身將客星隱、心與浮云閑。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
長揖萬乘君、還歸富春山。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
清風灑六合、邈然不可攀。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ。
使我長嘆息、冥棲巌石間。

わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 


松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ。
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 


古風五十九首 其の十二
松柏 本 孤直、桃李の顔を為し難し。
昭昭たり 厳子陵、釣を垂る 滄波の間。
身は客星と将に隠れ、心は浮雲と与に閑なり。
万乗の君に長揖して、還帰す 富春山。
清風 六合に灑ぎ、邈然(ばくぜん)として 攀(よ)ずべからず
我をして 長く嘆息し、巌石の間に冥棲せしむ




松柏本孤直、難為桃李顏。
松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
 かお。かおいろ。かおだち。体面。いろどり、色彩。額。



昭昭嚴子陵、垂釣滄波間。
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
昭昭 きわめてあきらか。強い個性をもって光っている。○厳子陵 漢の厳光。「後漢書」の伝記によると次のとおりである。厳光、字は子陵、会稽の飴桃、すなわち今の漸江省紹興市の東方にある飴桃県の人である。年少のころから名高く、のちの光武帝とは同学で机をならべた仲だった。光武帝が即位すると、かれは姓名をかえ、身をかくした。光武帝点かれのすぐれた能力を思い、その居所をさがさせた。のち斉の国で、一人の男が羊の皮衣をきて沼で釣をしているという報告があった。帝はそれが厳光にちがいないと思った。上等の安楽車を用意させ、使を派遣してかれをまねく。かれは三べん辞退してからやっと来る。宿舎にベッドがあてがわれ、御馳走が出る。帝はすぐに会いにゆく。厳光は横になったまま起きあがらない。帝はいった、「子陵よ、わたしもついに、きみだけは家来にできないよ。」そこでかれをつれてかえり、書生時代のように議論して数日に及んだが、一緒にねそべっていると、厳光は足を帝の腹の上にのせる。翌日、天文をつかさどる役人が上奏した。「客星、御座を犯すこと甚だ急なり。」帝は笑っていった、「朕が旧友の厳子陵といっしょにねそべっていただけのことだ。」諌議大夫という位を授けたが、かれは身を屈めて受けることをしなかった。やがて富春山にこもり、田を耕した。後世の人はかれが釣をしていた場所を厳陵瀬と名づけたという。詳細は、ウィキペディアにもある。○滄波  あおあおとした波。
 

身將客星隱、心與浮云閑。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
客星 一定の所に常には見えず、一時的に現われる星。彗星・新星など。○ のどか、おおきい。静か。のんびり。さく。しきり。
 

長揖萬乘君、還歸富春山。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
長揖 ちょうゆう、敬礼の一種。組みあわせた両手を上からずっと下の方までさげる。○万乗 一万の兵事。転じて、それを統帥する天子のこと。天下。君といっしょで万乗の光武帝。○富春山 浙江省桐盧県銭塘江中流域にあり、一名を厳陵山という。「一統志」に「清麗奇絶にして、錦峰繍嶺と号す。乃ち漢の厳子陵隠釣の処。前は大江に臨み、上に東西二釣台あり」と記されている。
 

清風灑六合、邈然不可攀。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ
六合 上下四方、すなわち、世界、宇宙。○邈然 はるかなさま。


使我長嘆息、冥棲巌石間。
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 
冥棲 ひっそりしたところに黙然と修業してくらす。

送賀監歸四明應制 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白138

「送賀監歸四明應制」:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白138
李白 賀知章の思い出(5) 李白138 



送賀監歸四明應制
賀秘書監が山陰四明に帰られるのを送る 天子の命に応じて作る。
久辭榮祿遂初衣。 曾向長生說息機。
長く命を受けて努めた職をやっと辞することになり栄誉をもって俸禄を受けまだ官についていないときに来た衣服を着るときがきた。これまでながく続けられてこられやっと仕事をおやめになられることをお喜びします。
真訣自從茅氏得。 恩波寧阻洞庭歸。
この朝廷にお別れをすることになり天子より、茅という諸侯名をえられた。波のように降りそそぐめぐみはむしろ洞庭湖に帰るのをさえぎるほどであろう
瑤台含霧星辰滿。 仙嶠浮空島嶼微。
美しい仙人の住まいは かすみを漂わせているが、大空の星々は滿天にある。仙人のいるところへ向かう嶮しい道は大空にまで浮いていて仙人の住む島嶼を微かくしている。
借問欲棲珠樹鶴。 何年卻向帝城飛。

ちょっとうかがいますが 仙境にあるという樹に留まっている鶴はそのままそこに棲もうとお思いであるのか。 でもまあ、何年かしたら、天子のおられる長安城に飛んでこられたらよかろうと思います。



賀秘書監が山陰四明に帰られるのを送る 天子の命に応じて作る。
長く命を受けて努めた職をやっと辞することになり栄誉をもって俸禄を受けまだ官についていないときに来た衣服を着るときがきた。これまでながく続けられてこられやっと仕事をおやめになられることをお喜びします。
この朝廷にお別れをすることになり天子より、茅という諸侯名をえられた。波のように降りそそぐめぐみはむしろ洞庭湖に帰るのをさえぎるほどであろう
美しい仙人の住まいは かすみを漂わせているが、大空の星々は滿天にある。仙人のいるところへ向かう嶮しい道は大空にまで浮いていて仙人の住む島嶼を微かくしている。
ちょっとうかがいますが 仙境にあるという樹に留まっている鶴はそのままそこに棲もうとお思いであるのか。 でもまあ、何年かしたら、天子のおられる長安城に飛んでこられたらよかろうと思います。


賀監 四明に歸るを送る 應制
久辭して 榮祿 初衣を遂う。 曾て向う 長生 息機を說ぶ。
真訣によりて茅氏を得。 恩波は 寧ろ洞庭に歸えるを阻えぎる。
瑤台は 霧を含み 星辰滿つ。 仙嶠 浮空 島嶼とうしょを微かくす。



賀監 四明に歸るを送る 應制
賀監 秘書外警号していた賀知章のこと。詩人賀知章、あざなは季真、会稽の永興(いまの浙江省蔚山県西)の人である。気の大きい明るい人で話がうまかった。かれを盲見ないと心が貧しくなるという人もいた。官吏の試験に合棉して、玄宗の時には太子の賓客という役になった。また秘書監の役にもなった。しかし晩年には苦く羽目をはずし、色町に遊び、自分から四明狂客、または租書外監と号した。李白が初めて長安に来たとき、かれを玄宗に推薦したのは、この人であったと伝えられる。天宝二年、老齢のゆえに役人をやめ、郷里にかえって道士になった。 ・應制 天子の命令によって即興でつくるものとされている。  ・四明  四明山1017m。浙江にある山の名。杭州市、蕭山市の東南100kmの所にある。近くに会稽山がある。「賀監」「賀公」どれも、賀知章のこと。 賀知章 回鄕偶書二首



久辭榮祿遂初衣、曾向長生說息機。
長く命を受けて努めた職をやっと辞することになり栄誉をもって俸禄を受けまだ官についていないときに来た衣服を着るときがきた。これまでながく続けられてこられやっと仕事をおやめになられることをお喜びします。
久辭 長く命を受けて努めた職をやっと辞する。 ・榮祿 栄誉をもって俸禄を受ける ・初衣 まだ官についていないときに来た衣服。・息機 しごとをやめる ・ よろこぶ



真訣自從茅氏得、恩波寧阻洞庭歸。
この朝廷にお別れをすることになり天子より、茅という諸侯名をえられた。波のように降りそそぐめぐみはむしろ洞庭湖に帰るのをさえぎるほどであろう
真訣 真の別れ  ・茅氏 茅という諸侯名。 恩波 波のように降り注ぐめぐみ。 寧阻 むしろ~をさえぎる 洞庭に歸る。



瑤台含霧星辰滿、 仙嶠浮空島嶼微。
美しい仙人の住まいは かすみを漂わせているが、大空の星々は滿天にある。仙人のいるところへ向かう嶮しい道は大空にまで浮いていて仙人の住む島嶼を微かくしている。
瑤台 五色の玉で作った高台。美しい仙人の住まい。
李白「清平調詞其一」、「古朗月行」。  ・星辰滿  星も辰も、ほし。 仙嶠 仙人のいるところへ向かう嶮しい道。 浮空 ・島嶼微  島、嶼もしまをかくす。



借問欲棲珠樹鶴、何年卻向帝城飛。
ちょっとうかがいますが 仙境にあるという樹に留まっている鶴はそのままそこに棲もうとお思いであるのか。 でもまあ、何年かしたら、天子のおられる長安城に飛んでこられたらよかろうと思います。
借問 ちょっとうかがう。 ・珠樹鶴  仙境にあるという樹に留まっている鶴 。  卻向 うえをあおぎみてむかう。 

(掲載予定にはなかったものをいれる。)

送賀賓客帰越 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137

「送賀賓客帰越」:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137

李白 賀知章の思い出(4) 李白137 
 
送賀賓客帰越       
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。

越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。


天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。



賀賓客が越に帰るを送る
鏡湖(きょうこ) 流水 清波(せいは)を漾(ただよ)わし
狂客(きょうかく)の帰舟(きしゅう) 逸興(いつきょう)多し
山陰(さんいん)の道士 如(も)し相(あい)見れば
応(まさ)に黄庭(こうてい)を写して白鵝(はくが)に換うべし



鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。○漾清波、○水漾 陝西省漢水の上流の嶓冢山から流れ出る川の名であるが、澄み切って綺麗な流れということで、きれいなものの比較対象として使われる。きれいな心の持ち主の賀知章が長安のひと山越えて、漢水のきれいな水に乗って鏡湖に帰ってきたいうこと。○この句「鏡湖流水漾清波」は、次の句の帰舟にかかっている。  ○狂客帰舟逸興多 ・賀知章:659年~744年(天寶三年)盛唐の詩人。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人。字は季真。則天武后の代に進士に及第して、国子監、秘書監などになった。・狂客:奇抜な振る舞いをする文人。また、軽はずみな人。常軌を逸した人。狂草で有名な張旭と交わり、草書も得意としていた。酒を好み、酒席で感興の趣くままに詩文を作り、紙のあるに任せて大書したことから、杜甫の詩『飲中八仙歌』では八仙の筆頭に挙げられている賀知章の自号は「四明狂客」で、ここでは彼を指す。 ・賀季真:賀知章を字で呼ぶ。親しい友人からの呼びかけになる。気の大きい明るい人で話がうまかった。かれを見ないと心が貧しくなるという人もいた。則天武后の時、官吏の試験に合格して、玄宗の時には太子の賓客という役になった。、また秘書監の役にもなった。しかし、晩年には苦く羽目をはずし、色町に遊び、自分から四明狂客、または租書外監と号した。これは、李林甫と宦官たちの悪政に対し、数少ない抗議をする役割を借ってもいたのだ。竹林の七賢人の役割を意識してのものであった。政治的な抵抗は、「死」を意味する時代であった。李白が初めて長安に来たとき、かれを玄宗に推薦したのは、この人であったと伝えられる。天宝二年、老齢のゆえに役人をやめ、郷里にかえって道士になった。


山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。
越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。
山陰 浙江省紹興市、会稽山あたりのこと。○道士 道教の本山が近くにあって、賀知章も道士であった。道教の熱心な地域である。○黄庭 王羲之の書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名である。他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などが見られるが、そのうちの『黄庭経』を書いてもらうためにこの地の道士たちが、王羲之が大変好きであった、白鵝(あひる)をたくさん送って書いてもらったことに基づく。賀知章も文字が上手だったので、「黄庭経」を書いて白鵝を貰うといいよ。 賀知章を王羲之に見立てて面白いことが起こるという。

晋の書家。王羲之(最高峰の書家)は当時から非常に有名だったので、その書はなかなか手に入れるのが困難であった。山陰(いまの浙江省紹興県)にいた一人の道士は、王羲之が白い鵞鳥を好んで飼うことを知り、一群の鵞をおくって「黄庭経」を書かせた。その故事をふまえで、この詩では山陰の故郷に帰る賀知章を、王義之になぞらえている。


 天宝二年(743)の十二月、賀知章は八十六歳の高齢でもあり、病気がちでもあったので、道士になって郷里に帰ることを願い出て許された。翌天宝三載(この年から年を載というように改められた)の正月五日に、左右相以下の卿大夫(けいたいふ)が長楽坡で賀知章を送別し、李白も詩を贈っている。
 賀知章がこんなに早くなくなるとはだれも思っていなかった。故郷に帰ってすぐなくなったわけであるから。




 この山陰地方で語るべきは、謝朓と王羲之である。謝朓は別に取り上げているので王羲之について概略を述べる。
王羲之(303年 - 361年)は書道史上、最も優れた書家で書聖と称される。末子の王献之と併せて二王(羲之が大王、献之が小王)あるいは羲献と称され、また顔真卿と共に中国書道界の二大宗師とも謳われた。
「書道の最高峰」とも言われ、近代書道の体系を作り上げ、書道を一つの独立した芸術としての地位を確保し、後世の書道家達に大きな影響を与えた。その書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名で、他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などがある。
  王羲之は魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の家に生まれ、東晋建国の元勲であった同族の王導や王敦らから一族期待の若者として将来を嘱望され、東晋の有力者である郗鑒の目にとまりその女婿となり、またもう一人の有力者であった征西将軍・庾亮からは、彼の幕僚に請われて就任し、その人格と識見を称えられた。その後、護軍将軍に就任するも、しばらくして地方転出を請い、右軍将軍・会稽内史(会稽郡の長官、現在の浙江省紹興市付近)となった。
 会稽に赴任すると、山水に恵まれた土地柄を気に入り、次第に詩、酒、音楽にふける清談の風に染まっていき、ここを終焉の地と定め、当地に隠棲中の謝安や孫綽・許詢・支遁ら名士たちとの交遊を楽しんだ。一方で会稽一帯が飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、この地方の頼りになる人材となった。
 354年、かねてより羲之と不仲であった王述(琅邪王氏とは別系統の太原王氏の出身)が会稽内史を管轄する揚州刺史となり、王羲之は王述の下になることを恥じ、翌355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。官を辞した王羲之はその後も会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、道教の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたという。

内別赴徴 三首 其二  李白

内別赴徴 三首 其二李白123

この詩は、妻に出立のときの心意気を示したものである。
一般的にこの詩の解釈として、“妻子のいつ帰ってくるかという問いに対して、「大臣・大将の位になって帰ってきたら、少しは丁重に出迎えてくれよ」といって、その心意気を示すとともに、やや妻に向かってからかっているかのごとくでもある“というものであるが私は違うと思う。女子の文盲率の高かった時代、故事の喩はその説明を詳しくしてあげないといけないわけで、妻子を題材にしていても妻に対しての詩ではないのである。では誰に対しての詩か、それは男社会に対して、「俺はこんな風に妻との別れをしたのだよ」というものである。それを踏まえて読んでみる。


其二
出門妻子強牽衣。 問我西行几日歸。
門を出る時に、妻子は私の袖や、衣(ころも)にすがりついてきた、そして、都に行けば 帰るのはいつかと尋ねたのである。
歸時儻佩黃金印。 莫學蘇秦不下機。

そこで答えた、もし、帰って来たとき、黄金の印綬(いんじゅ)を佩びていたら、蘇秦の妻は機織りして出迎えなかった故事を学んで出迎えてくれとたしなめた。


門を出る時に、妻子は私の袖や、衣(ころも)にすがりついてきた、そして、都に行けば 帰るのはいつかと尋ねたのである。
そこで答えた、もし、帰って来たとき、黄金の印綬(いんじゅ)を佩びていたら、蘇秦の妻は機織りして出迎えなかった故事を学んで出迎えてくれとたしなめた。


門を出ずれば妻子は強いて衣を牽き
我に問う西のかたに行きておおよそ日いつ帰るかと
歸り来たる時儻もし黄金の印を佩びなん
蘇秦 機より下らざるを学ぶ莫かれ


出門妻子強牽衣。 問我西行几日歸。
門を出る時に、妻子は私の袖や、衣(ころも)にすがりついてきた、そして、都に行けば 帰るのはいつかと尋ねたのである。
西行 都、長安のこと。 ○ 凡と同じ。おおよその意。


歸時儻佩黃金印。 莫學蘇秦不下機。
そこで答えた、もし、帰って来たとき、黄金の印綬(いんじゅ)を佩びていたら、蘇秦の妻は機織りして出迎えなかった故事を学んで出迎えてくれとたしなめた。
 ひいでる。もし、もしくは。ほしいままにする。ここは、もしの意味とする。○ 帯に付ける冠位を示すかざりをつけることをいう ○黄金印 諸侯・丞相・大将が佩びる印。戦国の世に蘇秦が錦を着て故郷へ帰り、「 我をして負廓の田二頃あらしめば豈に六国の相印を佩んや」 といって威張ったという話があるが、 立身出世して六国の相印を佩びる  ○蘇秦不下機 『戦国策』「秦策」にある故事で、「戦国時代、蘇秦が、秦王に説くこと十回に及ぶも、その説が行なわれぬため、家に帰る。家に帰れば、妻は怒って紐より下らず、煙は炊をなさず、父母はともに言わずであった」という。
ここでは「蘇秦の妻のようなことをしてくれるな」とたしなめた。


蘇秦は、秦に対抗する諸国同盟を説いて歩いて成功し、故郷に錦を飾ったわけであるが、これを蘇秦の積極的説得型とすると「内別赴徴 三首 其一」では諸葛孔明が無名の時、劉備が三度も草盧を訪れ礼を尽くして出馬を乞うたとされる、「三顧の礼」を受けた待ち受け型、二つを意識して李白は使っている。 






蘇秦について史記にあるが、ウィキペディアの記述を抜粋しのを紹介してこの詩を見てほしい。

蘇 秦(そ しん、? - 紀元前317年?)は、中国戦国時代の弁論家。張儀と並んで縦横家の代表人物であり、諸国を遊説して合従を成立させたとされる。蘇代の兄。洛陽の人。斉に行き、張儀と共に鬼谷に縦横の術を学んだ。
『史記』蘇秦列伝における事跡である。

数年間諸国を放浪し、困窮して帰郷した所を親族に嘲笑され、発奮して相手を説得する方法を作り出した。最初に周の顕王に近づこうとしたが、蘇秦の経歴を知る王の側近らに信用されず、失敗した。次に秦に向かい、恵文王に進言したが、受け入れられなかった。当時の秦は商鞅が死刑になった直後で、弁舌の士を敬遠していた時期のためである。
 
その後は燕の文公に進言して趙との同盟を成立させ、更に韓・魏・斉・楚の王を説いて回り、戦国七雄のうち秦を除いた六国の間に同盟を成立させ、六国の宰相を兼任した。この時、韓の宣恵王を説いた際に、後に故事成語として知られる『鶏口となるも牛後となることなかれ』という言辞を述べた。
 
趙に帰った後、粛侯から武安君に封じられ、同盟の約定書を秦に送った。以後、秦は15年に渡って東に侵攻しなかった。蘇秦の方針は秦以外の国を同盟させ、それによって強国である秦の進出を押さえ込もうとするもので、それらの国が南北に縦に並んでいることから合従説と呼ばれた。
 
合従を成立させた蘇秦は故郷に帰ったが、彼の行列に諸侯それぞれが使者を出して見送り、さながら王者のようであった。これを聞いて周王も道を掃き清めて出迎え、郊外まで人を出して迎えた。故郷の親戚たちは恐れて顔も上げない様であった。彼は「もし自分にわずかの土地でもあれば、今のように宰相の印を持つことができたろうか」と言い、親族・友人らに多額の金銭を分け与えた。
 
李白のこの詩を理解するためにはここまでにするが、ウィキペディアには李白の時代と現代では蘇秦に対する事跡は異なるようだ。以下ウィキペディアを参照。

五月東魯行答汶上翁 李白119

五月東魯行答汶上翁 李白119

五月東魯行答汶上翁

五月梅始黃、蠶凋桑柘空。
五月になり夏になった、 梅の実は黄ばみはじめた、蚕は蛹となって桑や山ぐわのなにもかも全てなくなる。
魯人重織作、機杼鳴帘櫳。
魯の人は機織りを熱心にしている、はたを織るオサの音は換気するための格子のある小窓から聞こえてくる。
顧余不及仕、學劍來山東。
ところでわたしは いま官途に就くまでに至っていない、剣だけを学んでおり、そうしてこの 山東にやってきたのだ。
舉鞭訪前途、獲笑汶上翁。
剣にたよっていくことでこれからの行くすえが開けてくると力んでみせたら、汶水のほとりの翁に笑われた。
下愚忽壯士、未足論窮通。
愚劣なものだ、理想を求めているものの心意気がわかるものか、道理を極めていくものにとってこんなことを論ずることはないのだ。
我以一箭書、能取聊城功。
わたしは、魯仲連の一本の箭文(やぶみ)だけでもって、聊城を陥落させ、手柄を立てた故事を知っている。
終然不受賞、羞與時人同。
最後まで決して、恩賞を受け取りはしなかった、それは受け取って世間並みの男とみられるのを恥としたからだ。
西歸去直道、落日昏陰虹。
西方の仙人の住むところ帰り、「道」を求めてゆく、夕方には、 陰りのある虹が架かっているであろう。
此去爾勿言、甘心為轉蓬。

ここを去るからには余計な口出しをするものではない、おもいのままにすること、自然に任せて転蓬のように転ぶことなのだ。

五月になり夏になった、 梅の実は黄ばみはじめた、蚕は蛹となって桑や山ぐわのなにもかも全てなくなる。
魯の人は機織りを熱心にしている、はたを織るオサの音は換気するための格子のある小窓から聞こえてくる。
ところでわたしは いま官途に就くまでに至っていない、剣だけを学んでおり、そうしてこの 山東にやってきたのだ。
剣にたよっていくことでこれからの行くすえが開けてくると力んでみせたら、汶水のほとりの翁に笑われた。
愚劣なものだ、理想を求めているものの心意気がわかるものか、道理を極めていくものにとってこんなことを論ずることはないのだ。
わたしは、魯仲連の一本の箭文(やぶみ)だけでもって
聊城を陥落させ、手柄を立てた故事を知っている。
最後まで決して、恩賞を受け取りはしなかった、それは受け取って世間並みの男とみられるのを恥としたからだ。
西方の仙人の住むところ帰り、「道」を求めてゆく、夕方には、 陰りのある虹が架かっているであろう。

ここを去るからには余計な口出しをするものではない、おもいのままにすること、自然に任せて転蓬のように転ぶことなのだ。

(下し文)五月、東魯行 汶上の翁に答える
五月  梅始めて黄ばみ、蚕(さん)は凋(しぼ)み  桑柘(そうしゃ)空(むな)し。
魯人(ろじん)  織作(しょくさく)を重んじ、機杼(きじょ)  簾櫳(れんろう)に鳴る。
顧(ただ) 余(よ)  仕(つか)うるに及ばず、剣を学んで山東(さんとう)に来(きた)る。
鞭を挙(あ)げて前塗(ぜんと)を訪(と)い、笑(しょう)を汶上(ぶんじょう)の翁(おう)に獲(え)たり。
下愚(げぐ)  壮士を忽(ゆるがせ)にす、未(いま)だ窮通(きゅうつう)を論ずるに足らず。

我(われ)は一箭(いっせん)の書を以て、能(よ)く聊城(りょうじょう)を取るの功(こう)たり。
終に賞を受けず然り、時人(じじん)と同じきを羞(は)ず。
西帰(せいき)して  直道(ちょくどう)を去らば、落日  陰虹(いんこう)昏(くら)し。
此(ここ)に去る  爾(なんじ)  言うこと勿(なか)れ、甘心(かんしん)す  転蓬(てんぽう)の如きに。


五月梅始黃。蠶凋桑柘空。
五月になり夏になった、 梅の実は黄ばみはじめた、蚕は蛹となって桑や山ぐわのなにもかも全てなくなる。
○蠶凋 蚕しぼむ。生気がなくなる。 ○桑柘空 桑や山ぐわのなにもかも全てなく。

魯人重織作、機杼鳴帘櫳。
魯の人は機織りを熱心にしている、はたを織るオサの音は換気するための格子のある小窓から聞こえてくる。
○魯人 山東地方の人。○機杼 はたを織るオサ。  ○帘櫳 換気するための格子のある小窓。帘:酒屋の看板の旗。櫳:格子のある窓。

顧余不及仕、學劍來山東。
ところでわたしは いま官途に就くまでに至っていない、剣だけを学んでおり、そうしてこの 山東にやってきたのだ。

舉鞭訪前途、獲笑汶上翁。
剣にたよっていくことでこれからの行くすえが開けてくると力んでみせたら、汶水のほとりの翁に笑われた。
○汶上 山東省聊城県の北西地域。汶水のことで泰山の南を西に流れ黄河に合流する。

下愚忽壯士、未足論窮通。
愚劣なものだ、理想を求めているものの心意気がわかるものか、道理を極めていくものにとってこんなことを論ずることはないのだ。
○壯士 理想を求めている武士というような意味。  ○窮通 道理を追及していること。窮通は『易』に「窮するものは変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」に基づく。

我以一箭書、能取聊城功。
わたしは、魯仲連の一本の箭文(やぶみ)だけでもって
聊城を陥落させ、手柄を立てた故事を知っている。
○一箭書  ○聊城功 「聊城」は、今、山東省に聊城県がある。それにちなんだ故事を用いる。『史記』魯仲連伝に、「戦国の時、斉の田単が、燕軍が占領している聊城を攻めたが退かない。よって魯仲連が箭書を城中に射ると、燕将が感泣して自殺し、聊城が降った。田単は魯仲連に爵位を与えようとしたが、受けないで海上に隠れた」 という。

終然不受賞、羞與時人同。
最後まで決して、恩賞を受け取りはしなかった、それは受け取って世間並みの男とみられるのを恥としたからだ。
○終然 ついに・・・・・・してしかり。 ○時人同 世間並の人間。
李白「古風 其九」青門種瓜人、舊日東陵侯。(青門に瓜を種うるの人は旧日の東陵侯なり。)イメージはよく似ている。

西歸去直道、落日昏陰虹。
西方の仙人の住むところ帰り、「道」を求めてゆく、夕方には、 陰りのある虹が架かっているであろう。
○西歸 西方の仙人の住むところ帰 ○去直道 「道」を求めてゆく。 ○昏陰虹 陰りのある虹が架かっているであろう。実際には、長安、朝廷は西に位置する、友人の呉筠、玉真公主らによって何らかの連絡を期待していたのであろう。

此去爾勿言。甘心為轉蓬。
ここを去るからには余計な口出しをするものではない、おもいのままにすること、自然に任せて転蓬のように転ぶことなのだ。
・甘心 おもいのままにする。心に満足する。 ・転蓬 ヤナギヨモギが(根が大地から離れて)風に吹かれて、ひとつだけで、風に飛ばされてさすらうさま。日本のヨモギとは大きく異なり、風に吹かれて転がるように風に飛ばされる。(風に飛ばされて)転がってゆく蓬。飛蓬。「蓬」は、日本のヨモギとは異なる。蓬が枯れて、根元の土も風に飛ばされてしまい、根が大地から離れて、枯れた茎が輪のようになり、乾いた黄土高原を風に吹かれて、恰も紙くずが風に飛ばされるが如く回りながら、黄砂とともに流れ去ってゆく。映画『黄土地』にもその場面が出てくる。江湖を流離う老人が、転蓬とともに歩み去ってゆく。
飛蓬。孤蓬。

曹植「雑詩六首其二」
轉蓬離本根、飄颻隨長風。
何意迴飆舉、吹我入雲中。
高高上無極、天路安可窮。
類此遊客子、捐躯遠從戎。
毛褐不掩形、薇藿常不充。
去去莫復道、沈憂令人老。

また、曹植「吁嗟篇」に初句に使う。

杜甫「野人送朱桜」
西蜀桜桃他自紅、野人相贈満筠籠。
数迴細写愁仍破、万顆匀円訝許同。
憶昨賜霑門下省、退朝擎出大明宮。
金盤玉筯無消息、此日嘗新任転蓬


また、杜甫「客亭」最終句に使う。

紀頌之のブログ「李商隠8無題」最終語 参照

希望を持ってさすらうことを示すもので、詩の最初か最後に使われ、希望に向かう意思を示すものだ。

烏棲曲 李白125 花の都長安(翰林院供奉)

烏棲曲 李白125 花の都長安(翰林院供奉)

妻子との離別は寂しいが、前途洋々たる思いで花の都長安に着いた。長安の都で天下に君臨する玄宗は、史上において名高き君主であり、唐代文化の極盛期を生み出した人でもあり、政治上、「開元の治」といわれる統一国家を作り上げた人でもある。玄宗の即位の開元元年(睾二)に先立つ三年前には、わが国では、奈良の平城京に遷都し、即位の前年には、太安万侶が『古事記』を上っている。わが遣唐使の往来も随時繁くなってゆくころである。
玄宗期の都長安は、開元の治といわれる中国始まって以来の繁栄を示していた。貴族の家には必ず牡丹を主力にした庭園を造っていた。花の都は、詩人たちにさまざまに歌われた。人口も100万人を超え、世界最大都市といわれた。長安にはシルクロードよりローマ、ギリシャ、トルコ、ペルシャ世界中の人が集まっていた国際都市であった。

都市の設計は、天下に君臨する天子の名にふさわしいものであり、天下に威力を見せつけるものであり、周辺諸国には絶大な影響を与えた。日本もこの超先進国から学び国の制度を整えていったのだ。
長安城は、外郭は、東西約10km、南北8.2km、城壁は5m以上の高さがあった。東西十四条、南北に十一条の街路が通じ、碁盤の目状で、街路の幅も広く、東西の通り広いので約150mの幅員、狭いのでも70mあり、南北の通りは、ほとんどが150m級で火災に対応した都市計画であった。
この都市の優れたものは生活基盤の東西それぞれ市場があったことだ。また、北には官庁のある皇城と天子の住まいの宮城があるが、天子が実際政治をとったのは、北東の隅に当たるところの大明官であった。

李白の出仕したのも大明官であり、小高い丘の上にある。玄宗はしばしば東にある離宮の興慶官に楊貴妃とともに遊んでいる。李白の「清平調詞」の書かれた舞台である。南東の隅には、長安第一の行楽地、曲江池がある。また、その近くには大慈恩寺があり、大雁塔がそびえている。こうした花の大都会に、各地、長い放浪の旅を終え、江南の風土になじんでいた李白にとっては、見るもの珍しく感激ひとしおであったことは想像にかたくない。


李白が都についたのは晩秋九月はじめのころ、李白は老子を祀る玄元廟(げんげんびょう)に宿を取っている。道教の知人、詩人の秘書監(従三品)の賀知章(がちしょう)の指示で泊まったようだ。賀知章は八十四歳である。
賀知章は李白が差し出した詩を読んで「此の詩、以て鬼神を哭せしむべし」と称賛し、李白を「謫仙人」(たくせんにん)と言って褒めたという。「謫仙人」とは天上から地上にたまたま流されてきた仙人という意味であって、道教では最大の褒め言葉である。
「烏棲曲」は楽府題で、春秋呉越戦争の時代の懐古詩は、賀知章によって評価され、天子が三顧の礼をもって李白を迎えたことにつながる評価であったようだ。詩人で道教者の良すぎる評価は後の逆評価で奈落の底へ落とされることを引き起こす原因かもしれない。
朝廷は李林甫が宦官たちと組んで権力を集中化し始めたころであり、その一方で玄宗は、息子寿王の妃楊玉環(ようぎょくかん)を召し上げて女道士とし、宮中に入れて太真(たいしん)と名を変えさせ溺愛しはじめたころでもあった。


烏棲曲
姑蘇台上烏棲時、吳王宮里醉西施。
吳歌楚舞歡未畢、青山猶銜半邊日。
銀箭金壺漏水多、起看秋月墜江波。
東方漸高奈樂何。


烏棲の曲。
姑蘇山の台上で、カラスがねぐらに宿るとき、呉王の宮殿では、絶世の美女の西施の色香に酔いしれている。
呉の歌、楚の舞いも、歓びの宴は、尽きはしない、青い山並みに、沈みかけた半輪の太陽が光輝きを放っている。
時を示す銀の箭と金の壷、水時計はいつしか多くの水を漏らしていた、身を起こして秋の月を見れば、西の太湖の波の中に沈んでゆく。
東の空が次第に白めはじめ、明かるくなってゆこうとも、この楽しみはまだまだ続けられていくのだ。


烏棲の曲。
○烏棲曲 『楽府詩集』巻四十八「清商曲辞、西曲歌、中」。男女の歓楽を詠うものが多い。「大堤曲」「襄陽歌」
「丁都護歌」「荊州歌」「採連曲」などある。


姑蘇台上烏棲時、吳王宮里醉西施。
姑蘇山の台上で、カラスがねぐらに宿るとき、呉王の宮殿では、絶世の美女の西施の色香に酔いしれている。
○姑蘇台 -春秋時代の末期、呉王の開聞と夫差が、父子二代をかけて築いた姑蘇山の宮殿。現在の江蘇省蘇州市、もしくはその西南約一五キロ、横山の北がその跡とされる。(★印)。○呉王  ここでは夫差をさす。○裏  なか。○西施  呉王夫差の歓心を買うために、越王勾践から夫差に献上された美女。参照‥七言絶句「蘇台覧古」李白8蘇台覧古  ・西施ものがたり
  
吳歌楚舞歡未畢、青山猶銜半邊日。
呉の歌、楚の舞いも、歓びの宴は、尽きはしない、青い山並みに、沈みかけた半輪の太陽が光輝きを放っている。
○呉歌楚舞  呉(江蘇地方)の歌、楚(湖南・湖北地方)の舞い。ここでは、呉王の歓楽の象徴としての長江中流・下流地方の歌舞をいう。○青山猶衝半辺日 青い山脈が、まだ太陽の半輪を衝えている。夕陽が半ば青山に沈み隠れた状態をいう。


銀箭金壺漏水多、起看秋月墜江波。
時を示す銀の箭と金の壷、水時計はいつしか多くの水を漏らしていた、身を起こして秋の月を見れば、西の太湖の波の中に沈んでゆく。
○銀箭  水時計の銀の箭。「箭」は時刻の目盛りを指し示すハリ。○金壷 金属製の水時計の壷。○漏水多 水時計の底から水が多く漏れる。長時間の経過を示す。


東方漸高奈樂何。
東の空が次第に白めはじめ、明かるくなってゆこうとも、この楽しみはまだまだ続けられていくのだ。
○漸高 (空が)次第に白く明るくなる。ここでは、「高」は「塙」「呆」の音通で用いられている。○奈楽何 (たとえ夜空が白もうとも)歓楽を尽くすことに支障はない。


韻字   時・施/畢・日/多・波・何


烏棲曲

姑蘇の台上 烏棲む時
呉壬の官裏 西施を酔わしむ
呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず
青山 猶お衝む 半辺の日
銀箭 金壷 漏水多し
起って看る 秋月の江波に墜つるを
東方漸く高し 楽しみを奈何せん

送友人  李白 118

送友人  李白 118

送友人

青山橫北郭、白水繞東城。
草木が青々と茂っている山が、街の城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をながれている。
此地一為別、孤蓬萬里征。
今、この地でひとたび別れることになれば、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の道をゆくのである。 
浮云游子意、落日故人情。
浮ぶ雲は、旅人の心であり、しずむ夕陽は残される友人の感情である。
揮手自茲去、蕭蕭班馬鳴。

手を振って、ここより去りろうとしている、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶いた。

草木が青々と茂っている山が、街の城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をながれている。
今、この地でひとたび別れることになれば、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の道をゆくのである。 
浮ぶ雲は、旅人の心であり、しずむ夕陽は残される友人の感情である。
手を振って、ここより去りろうとしている、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶いた。


青山  北郭に 橫たはり,
白水  東城を遶(めぐ)る。
此地  一たび 別れを 爲(な)し,
孤蓬  萬里に 征(ゆ)く。
浮雲  遊子の意,
落日  故人の情。
手を 揮(ふる)ひて  茲(ここ)より 去れば,
蕭蕭(せうせう)として  班馬 鳴く。


送友人:友人を見送る。人を送るために、しばし同行してゆく。澄んだ水が、都市(城市)の東側をめぐっている。

青山橫北郭、白水繞東城。
草木が青々と茂っている山が、街の城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をながれている。
・青山 草木が青々と茂っている山。また、墓所とすべき山。ここでは、前者の意。 ・橫 よこたわる。動詞。 ・北郭 都市の城郭の北側。・白水:澄んだ水。 ・遶 じょう めぐる。めぐらす。とりまく。 ・東城 城郭の東側。

此地一為別、孤蓬萬里征。
今、この地でひとたび別れることになれば、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の道をゆくのである。 
・此地 この地(で)。この場所(で)。 ・一爲 ひとたび…をなす(やいなや)。ひとたび…をす(れば)。 ・別 別れること。離別。名詞。・孤蓬 こほう ヤナギヨモギが(根が大地から離れて)風に吹かれて、ひとつだけで、風に飛ばされてさすらうさま。日本のヨモギとは大きく異なり、風に吹かれて転がるように風に飛ばされる。(風に飛ばされて)転がってゆく蓬。飛蓬。「蓬」は、日本のヨモギとは異なる。蓬が枯れて、根元の土も風に飛ばされてしまい、根が大地から離れて、枯れた茎が輪のようになり、乾いた黄土高原を風に吹かれて、恰も紙くずが風に飛ばされるが如く回りながら、黄砂とともに流れ去ってゆく。映画『黄土地』にもその場面が出てくる。江湖を流離う老人が、転蓬とともに歩み去ってゆく。
飛蓬。転蓬。
黄色い砂埃がやがて、老人も転蓬をも隠してゆく…。中華版デラシネ表現の一。流転の人生の象徴。。 ・萬里 遙かな行程をいう。 ・征 旅に出る。行く。

浮云游子意、落日故人情。
浮ぶ雲は、旅人の心であり、しずむ夕陽は残される友人の感情である。
・浮雲 浮かび漂う雲。漂う雲のように行方定まらないこと。・遊子 旅人。家を離れて他郷に旅立つ人。ここでは、李白の友人を指す。 ・意 心。・落日 夕陽。 ・故人 旧知の友人。 ・情 思い。

揮手自茲去、蕭蕭班馬鳴。
手を振って、ここより去りろうとしている、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶いた。
・揮手 手を振る。 ・自茲去 …より ここ。 去る。行く。・蕭蕭 馬の嘶く声。また、もの寂しいさま。 ・班馬 離れ馬。 

李白 92 山中答俗人

李白 92 山中答俗人
七言絶句 (山中問答)

山中答俗人
問余何意棲碧山,笑而不答心自閑。
わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
桃花流水杳然去,別有天地非人間。

「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。


わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。


山中答俗人
余に問ふ 何の意ありてか  碧山に棲むと,
笑って 答へず  心 自(おのづか)ら 閑なり。
桃花 流水  杳然と 去る,
別に 天地の  人間(じんかん)に 非ざる 有り。


山中答俗人
山に入って脱俗的な生活をするということに対する当時の文化人の姿勢が窺われる。陶淵明の生活などに対する憧れのようなものがあることを古来よりの問答形式をとっていること、具体的に転句結句の「桃花流水杳然去」である。

問余何意棲碧山、笑而不答心自閑。
わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
  ・何意  どういう訳で。なぜ。 ・棲  すむ。本来は、鳥のすみか。 ・碧山 :緑の色濃い山奥。白兆山、湖北省安陸県にあり、李白は嘗てここで過ごしたことがある実在の山をあげる解説も多いが、ここでは具体的な場所と見ない方がよい。 ・棲碧山 隠遁生活をすること。この語もって、湖北の安陸にある白兆山に住むとするとされるが、「隠遁生活をする」ことにあこがれを持ち

李白 84 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰
の詩で見るように結婚をして住んだ形跡があるものの、間もなくこの地から旅立って、他の地で隠遁している。李白の神仙思想から言ってもここは一般的な場所と考えるべきである ・笑而 笑って…(する)。 ・不答 返事をしない。返事の答えはしないものの、詩の後半が答の思いとなっている。 ・自閑 自ずと落ち着いている。自閑は隠遁者の基本中の基本である。おのずと静かでのんびりすること、尋ねられても答えない、会いに行ってもあえないというのが基本である。

桃花流水杳然去、別有天地非人間。
「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。 
桃花 モモの花。ここでは、モモの花びら。「桃花」は陶淵明の『桃花源記』や『桃花源詩』を聯想させるための語句である。 ・流水 流れゆく川の流れ。 ・杳然 ようぜん はるかなさま。 ・ さる。 ・別有天地 別な所に世界がある。 ・非人間 俗世間とは違う。この浮き世とは違う世の中。 ・人間 じんかん 俗世間。


○韻 山、閑、間。   この詩は、陶淵明の詩のイメージを借りつつも陶淵明を李白自身が乗り越えたことを示す作品と解釈する。


道教は老荘の学説と、神仙説と、天師道との三種の要素が混合して成立した宗致である。老荘の教は周知の如く、孔子孟子の儒教に対する反動思想として起ったものである。
これは仁義・礼節によって修身冶平天下を計る儒教への反動として、虚静、人為的な工作を避け天地の常道に則った生活によって、理想社会の出現を期待する。特に神仙説は、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州、方壷、蓬莱)ならびに西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。ここには神仙が居住し、耕さず努めず、気を吸ひ、霞を食べ、仙薬を服し、金丹を煉(ね)って、身を養って不老長生である、闘争もなければ犯法者もない。かかる神仙との交通によって、同じく神仙と化し延寿を計り得るのであって、これ以外には施すべき手段はなく、これ以外の地上の営みはすべて徒為(むだ)であるとなすに至る。これらのことは、詩人の詩に多く取り上げられた。
徳に李白は若い時ほど、神仙思想にあこがれ、いんとんせいかつにあこがれてきた。



杜甫 詩 独立しました。toshi blog BN

李白 91 山中與幽人對酌

李白 91 山中與幽人對酌
七言絶句

山中與幽人對酌
兩人對酌山花開。 一杯一杯復一杯。
山中で隠者と差し向かいで酒を飲む。二人が差し向かいで酒を飲んでいたら、まわりには山の花が微笑んでくれる。
我醉欲眠卿且去。 明朝有意抱琴來。

わたしは酔ってしまって眠むたくなってしまった。君は適当なところで勝手に帰っていいよ。明日の朝に、そのきがあったら、琴を持ってまた来てください。


山中で隠者と差し向かいで酒を飲む。二人が差し向かいで酒を飲んでいたら、まわりには山の花が微笑んでくれる。
わたしは酔ってしまって眠むたくなってしまった。君は適当なところで勝手に帰っていいよ。明日の朝に、そのきがあったら、琴を持ってまた来てください。


山中にて 幽人と對酌
兩人 對酌すれば  山花 開く,一杯一杯  復(ま)た 一杯。
我 醉って眠らんと欲す  卿(きみ)且(しば)らく 去れ,
明朝 意有れば  琴を 抱いて來たれ。

山中與幽人對酌
山中で隠者と差し向かいで酒をくみかわす

兩人對酌山花開。一杯一杯復一杯。
山中で隠者と差し向かいで酒を飲む。二人が差し向かいで酒を飲んでいたら、まわりには山の花が微笑んでくれる。
 ・山中 山奥に。 ・幽人 世を遁れた人。隠者。隠棲している人。 ・對酌 差し向かいで酒を飲む。『山中對酌』ともする。 ・ 咲く。擬人的に微笑むという感じ。 ・兩人 二人。 ・山花 山中に咲く花。 

一杯一杯、また一杯と(繰り返した)。 ・一杯一杯 酒を飲む動作が繰り返される表現。 ・ くりかえす。ふたたびする。また。ふたたび。

我醉欲眠卿且去、明朝有意抱琴來。
わたしは酔ってしまって眠むたくなってしまった。君は適当なところで勝手に帰っていいよ。明日の朝に、そのきがあったら、琴を持ってまた来てください。
我醉 わたしは酔った。 ・ …たい。…としようとする。 ・ ねむる。 ・ きみ。人の尊称。 ・ しばし。しばらく。短時間をいう。てきとうなところで、かってなときに、 ・去:さる。 私をほったらかしにしといていいよ。 ・明朝 明日の朝。 ・有意 意志がある。 ・抱琴 琴をかかえる。琴は古代より隠者を象徴するものでもある。隠者は弦のない琴を肴に酒を飲んだ。酒を抱えてきてくれと解釈する。 ・ 来る。

・韻 開、杯、來。

李白42 梁園吟

李白42 梁園吟

洛陽の下流、開封近くにある梁園に立ち寄った際の作。梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。詩にある平臺は梁園にあり、また阮籍は梁園付近の蓬池に遊んだ。李白はそうした史実を引用しながら、過去の栄華と今日の歓楽、そして未来への思いを重層的に歌い上げている。


雑言古詩 梁園吟


  我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。

  天長水闊厭遠涉,訪古始及平台間。』

  平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。

  卻憶蓬池阮公詠,因吟淥水颺洪波。』

  洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。』

  人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。

  平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。』

  玉盤楊梅爲君設,鹽如花皎白雪。

  持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』


  昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。

  荒城虛照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』

  梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。

  舞影歌聲散綠池,空汴水東流海。』

  沉吟此事淚滿衣,黄金買醉未能歸。

  連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』

  酣馳輝,歌且謠,意方遠。

  東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晚。』



私は、黄河に浮かんで都を去る。

高く帆を掛けて進もうとすれば、波は山のように連なって湧く。

空は果てもなくつづき、水は広々とひろがって、旅路の遥けさに厭きながら、

古人の跡を訪ねて、ようやく平台のあたりまでやってきた。』

平台の地に旅住まいして、憂い思うこと多く、

酒を飲みつつ、たちまち「梁園の歌」を作りあげたのだ。

ふり返って、院籍どのの「蓬池の詠懐詩」を憶いおこし、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。

洪波はゆらめき広がって、この旧き梁国の水郷に迷い、船路はすでに遠く、西のかた長安に帰るすべはない。』

人として生き、天命に通達すれば、愁い哀しんでいる暇はない。

ひとまずは美酒を飲むのだ、高楼に登って。

平らな頭巾の下僕が、大きな団扇をあおげは、

夏五月でも暑さを忘れ、涼やかな秋かと思われる。』

白玉の大皿の楊梅は、君のために用意したもの、

呉の国の塩は花のように美しく、白雪よりも白く光る。

塩をつまみ、酒を手にとって、ただただ飲もう。

伯夷・叔斉が〝高潔さ〞にこだわった、そんな真似などやめておこう。』


昔の人々は、魏の信陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、

今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。

荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、

世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』

梁の孝王の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。

枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。

舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、

あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る汴水だけ。』

栄華の儚さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。

黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。

「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、

ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』

馳せゆく時の間に酔いしれて、

歌いかつ謡えば、

心は、今こそ遠くあこがれゆく。

かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。

世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』


つづく
この詩はブログ向きではなかったので
漢文委員会 7漢詩ZERO 李白42 粱園吟 雑言古詩 で確認していただけることを希望します。

 

 

 

 

 

 

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李白39玉階怨 満たされぬ思いの詩。

李白39玉階怨 満たされぬ思いの詩。

 この詩は、掛けことばだらけの詩でおもしろい。宮中にいてできる詩ではなく想像の言葉遊びの詩と思う。

玉階怨

玉階生白露、 夜久侵羅襪。
白玉の階きざはしに白い露が珠のように結露し、 夜は更けて羅うすぎぬの襪くつしたにつめたさが侵みてくる。

却下水晶簾、 玲瓏望秋月。

露に潤った水晶の簾をさっとおろした、透き通った水精の簾を通り抜けてきた。秋の澄んだ月光が玉の光り輝くのを眺めているだけ。



白玉の階きざはしに白い露が珠のように結露し、 夜は更けて羅うすぎぬの襪くつしたにつめたさが侵みてくる。
露に潤った水晶の簾をさっとおろした、透き通った水精の簾を通り抜けてきた秋の澄んだ月光が玉の光り輝くのを眺めているだけ。

 面白いのは句は2語+3語だが、3語+2語でもよい。

生↔侵↔水↔望   玉階↔白露↔夜久↔羅襪↔ 却下↔水晶簾↔ 玲瓏↔秋月

それぞれの言葉が、それぞれの言葉で機能しあい意味を深くしていく。

・長く待って玉階に白露、夜久くて羅襪のままで 却下した水晶簾、 玲瓏の秋月、今夜も来ない。
生きている、浸みてくる、潤ってくる、希望したい。

 後宮でこの状態でいるのは、楊貴妃が後宮に入って玄宗に寵愛され始めたころとか、考えがちになるが、時期や人物の特定はこの詩からはしないほうがよい。後宮に入ることは、天使のお声がかかってのこと、一族名誉である。貴族階級、士太夫などでも、夫人は何人もいておかしくない時代だ。貴族夫人の邸の床が大理石であってもおかしくない。一方では喜びと他方では、悶々として暮らすこの矛盾を詠っている。
 満たされない思いを多くの女性たちが持っていたのだ。美貌により、一家が全員がのし上がっていけるそういう現実を考えながらこの詩をみていくと、いろんなことを考えさせてくれる。李白は天才だなと感じる。

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玉階に白露生じ、 夜久しくして羅襪ちべつを侵す。
水晶の簾を却下するも、 玲瓏として秋月を望む 。



玉階怨
 楽府特集『相和歌・楚調曲』。宮怨(失寵の閨怨)を歌う楽曲名。題意は、後宮の宮女が(なかなか来ない)皇帝の訪れを待ち侘びる、という意。

玉階生白露
白玉の階きざはしに白い露が珠のように結露し。 
・玉階:大理石の後宮のきざはし。外を誰かが通っていても玉階からの音で誰だかわかる。大理石に響く靴の音はそれぞれの人で違うのだ。ほかの通路とは違う意味を持っている。 ・生白露:夜もすっかり更けて、夜露が降りてきた。時間が経ったことをいう。

夜久侵羅襪
夜は更けて羅うすぎぬの襪くつしたにつめたさが侵みてくる。
 ・夜久:待つ夜は長く。 ・侵:ここでは(夜露が足袋に)浸みてくること。 ・羅襪:うすぎぬのくつした。 ・襪:〔べつ〕くつした。足袋。 足袋だけ薄絹をつけているのではなく全身である。したがって艶めかしさの表現である。


却下水精簾
露に潤った水晶の簾をさっとおろした。
 ・却下:下ろす。 ・水:うるおす。水に流す。水とか紫烟は男女の交わりを示す言葉。 ・精簾:水晶のカーテン。窓際につける外界と屋内を隔てる幕。今夜もだめか! 思いのたけはつのるだけ。


玲瓏望秋月
透き通った水精の簾を通り抜けてきた秋の澄んだ月光が玉の光り輝くのをただ眺めているだけ
 ・玲瓏:玉(ぎょく)のように光り輝く。この「玲瓏」の語は、月光の形容のみではなく、「水精簾」の形容も副次的に兼ねており、「透き通った『水精簾』を通り抜けてきた月光」というかけことばとして、全体の月光のようすを形容している。「却下・水・精簾+玲瓏・望・秋月。」 ・望秋月:待ちながらただ秋の月を眺め望んでいる。 ・望:ここでの意味は、勿論、「眺める」だが、この語には「希望する、待ち望む」の意があり、そのような感じを伴った「眺める」である。




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漢詩ブログについて、と李白36 楊叛兒と蘇東坡-蘇軾 ⑪江城子 密州出猟

 おもしろくない漢詩、とっつきにくい漢詩、漢詩に触れている人口は増加しているのか、減少しているのか、と考える前に、漢詩を紹介しているサイトが少なすぎるし、漢詩数も少ない。ブログをたたき台にしてほしいと考える。

 このブログは、漢詩を紹介してくサイト「漢文委員会kanbun-iinkai」に掲載するものの一部をブログで李白の場合は時系列で紹介できないができるだけ時系列も尊重しつつ進めていこうと考えている。漢文委員会のサイトもこのブログも今、公開開始して間もない、したがってできるだけ漢詩の数を紹介し、一定程度の量になったら、整理し、中身も充実さて行きたいと思っている。

 一定の量と質が蓄積して初めて次の段階に進もうと考えている。それは、このサイトでほとんどの漢詩を掲載すること、そのレベルも初心者から研究者の段階までを網羅したい。掲載した漢詩をさらに充実した内容のものにしたい。杜甫も、李白も王維も、白楽天、杜牧、蘇東坡も一首残らず掲載していくこと、を目指している。


李白36 楊叛兒

楊叛兒

君歌楊叛兒、妾勸新豐酒。
何許最關人、烏啼白門柳。
烏啼隱楊花、君醉留妾家。
博山爐中沈香火、雙煙一氣凌紫霞。

あなたが、『楊叛兒』の歌を歌えば、わたしは、新豊のお酒を勧めましょう。
一番気にかかるのはどこなのですか、カラスが鳴いている金陵の西門の柳になるだろう。
烏はハコヤナギの花に隠れて鳴いており、あなたは、酔っぱらってわたしの家に泊まる。
博山香炉の沈香の香煙は、二筋の煙が一つとなって、夕焼雲をはるかにしのぐ高さになる。

 もともとが恋歌。柳は男女の絡み合いを暗示している。「『楊叛兒』の歌を歌えば」は女性に今日はオッケーかと聞き、女性が飛び切りのお酒を注ぐことは、「お待ちしていました。オッケーよ」と答える。続いて女性が「酔っぱらても浮気心を起さず、私のところへ来るのですよ」高炉の煙はわかれて出てきてもひとつにむすばれる、情熱は最高峰に。
 これ以上は書きづらいがおおよそ以上である。


君は歌う 楊叛兒,妾は勸む 新豐の酒。
何許いずこか 最も 人に 關する,烏は啼く 白門の柳。
烏は啼いて楊花に 隱れ,君は醉ひて 妾の家に 留まる。
博山爐中 沈香じんこうの火,雙煙 一氣に  紫霞を 凌しのがん。


楊叛兒とはもと童謡で宮中の巫女のむすこ、楊旻ようびんにちなんだ歌詞「楊婆児」がなまって楊叛兒となった、と「叛」は「伴」の意。恋歌。

君歌楊叛兒
あなたが、『楊叛兒』の歌を歌えば。 ・君歌:あなた(男性を指す)は、(大きな声に出して)歌う。 ・楊叛兒:男女の愛情を表す歌。

『楽府詩集』現存八首の古辞の第二首に
 暫出白門前,楊柳可藏烏。
 歡作沈水香,儂作博山爐。
暫く白門の前に出るに,楊柳 烏を蔵すべし。。
きみは沈水の香となり,儂われは博山の爐となる

妾勸新豐酒
わたしは、新豊のお酒を勧めましょう。 ・妾:〔しょう〕わたし。わらわ。女性の一人称の謙称。 ・勸:すすめる。 ・新豐:陝西省驪山華清宮近くにある酒の名産地。長安東北郊20kmの地名。

 王維の『少年行』に新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。
 (紀 頌之のブログ6月11日参照

何許最關人
一番気にかかるのはどこなのですか。
 ・何許:どこ。いづこ。どんな。 ・最:もっとも。 ・關人:気にかかる。心配する。(人の)気になる。

烏啼白門柳
カラスが鳴いている金陵の西門の柳になるだろう。
 ・烏啼:カラスが鳴く。「烏」は人称代詞や疑問詞ともみられる。 ・白門:金陵の別称。五陵関係図参照長安西門の東南に花街があった。 ・柳:シダレヤナギ。前出楽府の「暫出白門前,楊柳可藏烏。」を蹈まえている。
五陵関係図
  五陵関係図   西門付近に花街があった。

烏啼隱楊花
烏はハコヤナギの花に隠れて鳴いており。
 ・隱:かくれる。かくす。前出「暫出白門前,楊柳可藏烏。」 ・楊花:ハコヤナギの花。風に吹かれてゆく、浮気っぽい女性を暗示する。

君醉留妾家
あなたは、酔っぱらってわたしの家に泊まる。
 ・醉:酔う。 ・留:とどまる。とどめる。 ・妾家:わたし(女性)の家。

博山爐中沈香火
博山香炉の沈香の香煙は。 
 ・博山:男女の情愛を暗示する。 ・博山爐:香炉の名。彝器(儀式用の鼎等の道具)の上に山の形を刻して装飾とした香炉。
 ・博山:山東省博山県の東南の峡谷名。 ・沈香:〔じんこう〕熱帯や広東省に産する香木の名で、水に沈むからこう呼ばれる。香の名。

雙煙一氣凌紫霞
二筋の煙が一つとなって、夕焼雲をはるかにしのぐ高さになる。
 ・雙煙:二筋の煙。 ・一氣:一つとなる。男女の意気が一つとなったさまをいう。 ・凌:しのぐ。おかす。越える。わたる。 ・紫霞:紫雲 夕焼雲よりはるかに高い。


博山炉について一番わかりやすいページがあったので。

前漢・錯金銅博山炉 :世界の秘宝 大集合_人民中国)参照

 

博山爐は香炉の一種で、古代貴族の贅沢品の1つ。高さは26センチ、錯金という入念な造りはほかにあまり例がない。錯金とは器の表面に溝を造り、同じ幅の金糸や金片を使って装飾を施した後に、磨いてつやを出すという製作方法で、針金象嵌ともいう。博山炉は、金糸や金片の違いを生かし、山にかかる折り重なった雲の形につくられ、空を行く雲や流れる水のように渋りがない芸術効果をおさめた。金糸は細いものもあれば太いものもあるが、細いものは髪の毛ほどの細さ。


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李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

李白24 子夜呉歌其三 秋
この詩は、李白詩で、日本人に膾炙している秀作作品のひとつ。
李白は兵士の妻の閨怨を詠っているが、だからといってこの詩に反戦思想は感じられません。
 


子夜呉歌其三 秋         
            
長安一片月、万戸擣衣声。
秋風吹不尽、総是玉関情。
何日平胡虜、良人罷遠征。 

長安の空に輝く月ひとつ
あちこちの家から聞こえるのは砧(きぬた)を擣(う)つの声
夜空をわたる秋風(あきかぜ)も  吹きちらせ尽くせない。
それらの一つ一つの音はすべて 玉門関の夫を思うもの
 いつの日に胡虜を平定して
恋しい夫は、遠征をやめてかえってくるのか


 「擣(う)つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

長安一片月、万戸擣衣声。
秋風吹不尽、総是玉関情。
何日平胡虜、良人罷遠征。

子夜呉歌(しやごか) 其の三 秋
長安  一片の月
万戸  衣(い)を擣(う)つの声
秋風(しゅうふう)  吹いて尽きず
総て是(こ)れ玉関(ぎょくかん)の情
何(いず)れの日か胡虜(こりょ)を平らげ
良人(りょうじん)  遠征を罷(や)めん





 李白25 子夜呉歌其四 冬
 「冬」は「秋」のつづき。「秋」が幻想的に比べ、「冬」は極めて現実的。

子夜呉歌其四 冬         
            
明朝駅使発、一夜絮征袍。
素手抽針冷、那堪把剪刀。
裁縫寄遠道、幾日到臨洮。


明日の朝には駅亭の飛脚が出発する
今夜のうちにこの軍服に綿入れして仕立てなきゃ
白い手で針を運ぶ 指はこごえつめたい
はさみを持つ手は もっとつらい
縫いあげて  遠いかなたのあなたに送ります
幾日たてば  臨洮に着くやら


明日の朝に駅亭の使者が発つ、それに託するため、今夜中に冬用の軍服を仕立て上げなければならないと、妻はこごえる手をこすりながら針を使う。なお、唐初の徴兵は、服などの壮備は本人負担であった。「臨洮」は甘粛省にある。広く西方の駐屯地でここから西方の万里の長城の始まりでその臨洮からさらに西に行く。
下に示す図の中心に長安(西安)があり、そのまま左方向(西)に赤ポイントが臨洮、甘粛省は左上に万里の長城を囲むようにずっと伸びる。
 ちょうどこのころ、長く続いた、府兵制度は崩壊します。傭兵は主体になっていきます。しかし、この万里の長城を守る安西方面の守りについては、税金と同様に庶民に義務として課せられていた。当初は、3年官であったものが、やがて帰ってこない出征に代わっていきます。唐時代の人々は、この制度に不満を持っていた。
 出征したら、帰ってこないという詩はたくさん残されています。王維  高適  賈至  岑參 王昌齢、王之渙、杜甫、・・・盛唐の期の詩が多いい。    http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/
辺塞詩をうたう。http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_hensaishijin013.html 
万里の長城を詠う。   http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99banri014.html

名朝駅使発、一夜絮征袍。
素手抽針冷、那堪把剪刀。
裁縫寄遠道、幾日到臨洮。

子夜呉歌(しやごか)其の四 冬
明朝(みょうちょう)  駅使(えきし)発す
一夜にして征袍(せいほう)に絮(じょ)せん
素手(そしゅ)  針を抽(ひ)けば冷たく
那(なん)ぞ   剪刀(せんとう)を把(と)るに堪えん
裁縫して遠道(えんどう)に寄す
裁縫して遠道(えんどう)に寄す
幾(いずれ)の日か  臨洮(りんとう)に到らん





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詩に詠われた 万里の長城・関所  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99banri014

李白22 子夜呉歌 春と夏

李白22 子夜呉歌

 子夜は、東晋以前に子夜という女性が、作った曲であり、その声は非常に悲しく苦しげだった、という。そして、唐時代になると、恋歌になっていた。
 ずっと楽府題(がふだい)が続く。この詩は五言六句を、春夏秋冬に配して季節四首組歌にしている。
 春の「羅敷女」は漢代の楽府に出てくる美女の名で、古辞では邯鄲(かんたん)の秦氏の女(むすめ)である。李白はそれを秦の農家の娘に変え、言い寄る「五馬」をそでにする話にしている。


子夜呉歌 其一 春        

秦地羅敷女、採桑緑水辺。
素手青条上、紅粧白日鮮。
蚕飢妾欲去、五馬莫留連。


秦の地の羅敷女ような美女、桑を摘む清らかな川のほとり。
白い手は緑の枝に伸び、ほほ紅が真昼の光に映えて鮮やかだ
蚕に餌をやるので 私は失礼いたします
太守さまはお急ぎお帰り下さいませ

 五馬とは五頭立ての馬車に乗ることが許されている州刺史(しゅうしし)または郡太守(ぐんたいしゅ)のこと。漢代の郡は行政機関で県の上に位置し、唐代には州と呼ぶようになる。県は市や町にあたる。なお、唐の長安の都は広大でしたので、城内の南の部分には農地もあり、農家や高官の別荘などが点在していた。
○韻 辺、鮮、連。

秦地羅敷女、採桑緑水辺。
素手青条上、紅粧白日鮮。
蚕飢妾欲去、五馬莫留連。

子夜呉歌(しやごか) 其の一 春
秦地(しんち)の羅敷女(らふじょ)
桑を採(と)る  緑水(りょくすい)の辺(ほとり)
素手(そしゅ)  青条(せいじょう)の上
紅粧(こうしょう)  白日(はくじつ)に鮮やかなり
蚕(かいこ)は飢えて妾(しょう)は去らんと欲す
五馬(ごば)   留連(りゅうれん)する莫(なか)れ





夏は一転して越の美女西施の再登場。

李白23
 子夜呉歌其二 夏         

鏡湖三百里、函萏発荷花。    
五月西施採、人看隘若耶。    
囘舟不待月、帰去越王家。
   

 
鏡のように澄んだ鏡湖は周囲三百里
蓮のつぼみが蓮の花をひらく
五月になって西施は花を摘み
見物人が集まって、若耶渓も狭くなる
舟の向きを変えて月の出を待たず
西施は越王の御殿へ帰ってゆく

 「西施」については『西施ものがたり」(李白12を参照)、中国の伝説的な美女。秦の美女、越の美女と、美女の話が李白らしく続けた。



鏡湖三百里、函萏発荷花。    
五月西施採、人看隘若耶。    
囘舟不待月、帰去越王家。

子夜呉歌(しやごか)  其の二 夏
鏡湖(きょうこ)   三百里
函萏(かんたん)  荷花(かか)を発(ひら)く
五月  西施(せいし)が採(と)るや
舟を囘(めぐ)らして月を待たず
帰り去る  越王(えつおう)の家

李白20 辺塞詩 (春思、秋思)

李白20 春思


春を迎えての思い。異郷に旅立っている男性を思う歌。留守を守る女性の立場で詠われた作品である。楽府題。五言律詩。


春思 李白 

燕草如碧絲,秦桑低綠枝。
當君懷歸日,是妾斷腸時。
春風不相識,何事入羅幃。


(男性が出かけている)北国である燕国の草は、緑色の糸のように(生えて春を迎えたことでしょう。
 (ここ)長安地方のクワは、(もう、しっかりと繁り)緑色の枝を(重そうに)垂らしている。
あなた(男性)が戻ってこられようと思う日は       
(それは)わたしが、腸(はらわた)の断ち切られるばかりのつらい思いをする時である。
春風は、顔見知りの愛(いと)しいあの男(おかた)ではない(のに)。
どうしたことか、(わたしの)寝床の薄絹のとばり内ら側に入ってくるではないか。

 ○韻 絲、枝、時、幃。

燕草如碧絲:
(男性が出かけている)北国である燕国の草は、緑色の糸のように(生えて春を迎えたことでしょう。 ・燕草:北国である燕国の草。 ・燕:〔えん〕北国の意で使われている。現・河北省北部。 ・如:…のようである。 ・碧絲:緑色の糸。 ・碧:みどり。あお。後出「綠」との異同は、どちらも、みどり。「碧」〔へき〕は、碧玉のような青緑色。青い石の色。「綠」〔りょく〕は、みどり色の絹。

秦桑低綠枝:
(ここ)長安地方の桑は、(もう、しっかりと繁り)緑色の枝を(重そうに)垂らしている。
 季節も変わり、月日も流れた…、という時間経過を表している。 ・秦桑:(ここ)長安地方のクワ。 ・秦:〔しん〕、女性のいる場所の長安を指している。 ・低:低くたれる。 ・綠枝:緑色の枝。

當君懷歸日:
あなた(男性)が戻ってこられようと思う日は。 ・當:…あたる。 ・君:(いとしい)あなた。男性側のこと。 ・懷歸日:戻ってこようと思う日。(彼女に告げていた)帰郷の予定日。

是妾斷腸時:
(それは)わたしが、腸(はらわた)の断ち切られるばかりのつらい思いをする時である。
 *この聯は、いつになっても帰ってこない男性を、ひたすら待つ身のやるせなさを謂う。 ・是:(それは)…である。 ・妾:〔しょう〕わたし。女性の謙遜を表す自称。 ・斷腸:腸(はらわた)が断ち切られるほどのつらさや悲しさ。

春風不相識:
春風は、顔見知りの愛(いと)しいあの男(おかた)ではない(のに)。 ・不相識:顔見知りの人ではない。知り合いの人ではない。

何事入羅幃:
どうしたことか、(わたしの)寝床の薄絹のとばり内ら側に入ってくるではないか。
 *わたし(=女性)の切なく淋しい胸の内を理解して、春風は慰めてくれているのであろうか。 ・何事:どうしたことか。 ・羅幃〔らゐ〕薄絹のとばり。

燕草如碧絲,秦桑低綠枝。
當君懷歸日,是妾斷腸時。
春風不相識,何事入羅幃。  
                     
燕草は 碧絲の如く,
秦桑は 綠枝を 低たる。
君の 歸るを懷おもう日に 當るは,
是これ 妾しょうが  斷腸の時。
春風  相ひ識(し)らず,
何事ぞ 羅幃らいに 入る。


李白21 秋思

 秋を迎えての思い。異郷に旅立っている男性を思う歌。留守を守る女性の立場で詠われた作品である。楽府題。五言律詩。


秋思

燕支黄葉落、妾望白登台。
海上碧雲断、単于秋色来。
胡兵沙塞合、漢使玉関囘。
征客無帰日、空悲蕙草摧。


秋の思い。
燕支の山で黄葉もみじが落ちるころ、妾わたしは白登台を望みます。
湖上のほとり、真っ青な空の雲も、遠く流れて消え、単于の住むところ、北の国には、秋の気配が満ちてきた。
胡の兵たちは、砂漠の塞に集結したという、漢の国の使者は、玉門関から帰ってきた。
出征されたお方は帰ってくることないのでしょうか、残された者は、空しく悲しい思い、あたかも香草が霜枯れするように。

 玉門関以西に出征したものの帰還はまれだった。本来、3年間が府兵制度の兵役であるが、なし崩しで守られなかったのだ。
 多くの詩人に詠われている邊塞詩、あるいは、この玉門関そのもの名で、あるいは、「涼州詞」と題し詠われている。王翰、王昌齢、王之渙、が詠っている。李白よりすこし先輩である。
 六朝時代より伝統的な戦場に行かないで戦場のことを詩に詠う形式も邊塞詩の特徴である。たいていは、これらには音楽を伴って、酒場などで歌われた。李白の詩は、酒代であったのだろうか。


 ○韻 台、來、囘、摧。

燕支に 黄葉もみじ落ち、妾は望む 白登台。
海上 碧雲 断え、単于 秋色 来る。
胡兵は 沙塞に合わせ、漢使は 玉関より囘る。
征客は 帰える日無く、空しく悲しむ 蕙草の摧くだかれるを。


(1) http://kanbun-iinkai.com
(2) http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
(3) http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/
(4) http://kanbuniinkai.web.fc2.com/
(5) http://3rd.geocities.jp/miz910yh/
(6) http://kanbuniinkai06.sitemix.jp/

 辺塞詩を詠う詩人という特集を掲載している。

従軍行三首(其二)  王昌齢
 海長雲暗山、孤城遥望門関。
 沙百戦穿甲、不破楼終不還。

 青海湖そして長く尾を引く白い雲、その長雲で暗くなった雪の山々がある。はるか平原にただ一つポツンと立っている玉門関をこの塞から望む。
黄砂塵の飛ぶこの砂漠で、数えきれないほどの戦いをしてきたことか、こんなに鉄でできた鎧や兜にさえ穴が開いてしまっている、だけど、あの宿敵楼蘭の国を破らぬ限りは故郷に帰らないぞ!。

 辺塞詩であっても妻の口を借らないで出征した本人が詠ったとすれば、女々しいことは言えない。ただこの詩は、色が散りばめられている点が面白い。


李白18 相逢行 19  玉階怨

李白18 相逢行
 このころ、李白の詩を24歳のころ認めてくれていた官僚で詩人の蘇廷はなくなっていた。王維は10年前に科挙に合格し、洛陽の地方官をしている。結婚し、宗之問の別荘であった、輞川荘を、購入している。張説(64)が没し、張九齢が後継者となっていた。詩を献上したり、何らかの士官活動はみられない。この李白の長安滞在の前後して、盛唐の多くの詩人は長安に集まり、科挙の試験に及第している。杜甫は、呉越(江蘇・浙江)に遊ぶ。


 長安の多数の坊(ぼう)には、もっぱら貴顕の住む坊が出来あがっていて、住んでいることが本人にとって誇りであり、そこの住人と知人であることさえ自慢になる。街で出会った貴族同士の自慢話を描いています。


相逢行 
         
相逢紅塵内、高揖黄金鞭。
万戸垂楊裏、君家阿那辺。


にぎやかな街で出逢い
黄金の鞭を上げて挨拶する
垂楊の陰に  家のひしめく大都会
お宅は確か  あの辺でしたね

 長安で、「土埃」は人馬の賑やかさの示し、「紅塵」という場合、歓楽街を示す。その街で乗馬の二人が、黄金の飾りのついた鞭を上げて挨拶をかわし、「君が家は阿那の辺」と街の一角に視線を投げる。


相逢紅塵内、高揖黄金鞭。
万戸垂楊裏、君家阿那辺。


相逢行(そうほうこう)
相逢(あいあ)う   紅塵(こうじん)の内
高揖(こうゆう)す  黄金(おうごん)の鞭
万戸垂楊(すいよう)の裏(うち)
君が家は阿那(あな)の辺(へん)


  ------------------------------

李白19  玉階怨
 「玉階怨」も有名な楽府題で、宮女の夜の閨怨を詠うもの。

玉階怨 
         

玉階生白露、夜久侵羅襪。
却下水精簾、玲瓏望秋月。


白玉の階(きざはし)に白い霧が珠を結び、
夜は更けて、たたずむ妃(ひめ)の羅(ら)の靴下に冷たさが滲みとおる
水晶の簾(すだれ)をおろした
玲瓏とさらに透明に輝いて、秋の月影をのぞんでいる

  「玉階」は大理石の階(框)のことで、中国宮殿で院子(前庭)から廊に上がる階段のこと。通常左右にふたつあり、王侯の来臨を待って永いあいだ大理石の階段に佇んでいる。「玲瓏」は、透明に光り輝くさま。白露が宮女の薄絹の靴下の中まで滲みとおってくるという濃厚な哀憐の詩情だが、すべて楽府題にもとずく空想の作品。 

玉階生白露、夜久侵羅襪。
却下水精簾、玲瓏望秋月。


玉階(ぎょくかい)に白露(はくろ)生じ
夜久しくして羅襪(らべつ)を侵(おか)す
水精(すいしょう)の簾(すだれ)を却下(きゃっか)するも
玲瓏(れいろう)として秋月(しゅうげつ)を望む
玉階怨(ぎょくかいえん)

李白 17少年行

李白 17少年行
「少年行」というのは楽府(がふ)の雑曲の題で、当時はやっていた。盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っている。王維21歳、李白31歳、二人は長安で杜甫51歳は成都であった。
 
 
 李白は太白山に登り、夢地希望を胸に都生活をする。そこで、遊侠の若者を楽府詩を詠う。

李白31歳の作品

 少年行      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。


五陵の若者は 金市の東、繁華街、銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く。
一面に舞い散る花を踏み散らし  どこへ遊びに出かけるのか
にぎやかに笑いながら、碧眼の胡姫の酒場へ行こうというのか

年少は少年と同じ、日本でいう少年は童。金位置の東寄りに居酒屋があってイラン人の女性がお相手をしていた。長安は、このころ世界一の大都市であった、シルクロードの起点でもあるが、唐王朝はペルシャの一部まで領土を拡大していた。五陵の若者というのは、五つの陵墓を中心に陵園都市が形成され、繁華を誇った。このころは少し荒廃していたようであるが、李白は漢代のイメージで歌っている。それと、貴族の住居地区という意味も兼ねている。
金市というのは下の関係図に示す、西の金光門をさし、次の句の銀の鞍との対比を意図している。

五陵の関係図
五陵関係図
 唐の時代「胡姫」はペルシャ(イラン系)の紅毛金髪、碧眼、白皙の女性を示していた。
 ○韻 東、風、中。

少年行      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。

五陵の年少(ねんしょう)金市(きんし)の東
銀鞍(ぎんあん)白馬春風(しゅんぷう)を度(わた)る
落花(らっか)踏み尽くして  何処(いずこ)にか遊ぶ
笑って入る胡姫(こき)酒肆(しゅし)の中

唐は西に伸びきった領土を有していた。建国当初は、富を得ていたが次第に負担が勝るようになる。
安史期のアジア5s




金陵酒肆留別  李白 7

 天門から北へ流れていた長江が東へ向きを変えると、舟はやがて江寧(こうねい・江蘇省南京市)の渡津(としん)に着く。江寧郡城は六朝の古都建康(けんこう)の跡である。雅名を金陵(きんりょう)といい、李白はほとんどの詩に「金陵」の雅名を用いている。金陵の渡津は古都の南郊を流れる秦淮河(しんわいか)の河口にあり、長干里(ちょうかんり)と横塘(おうとう)の歓楽地があ。そして酒旗高楼が林立している。


李白 7

金陵酒肆留別          
風吹柳花満店香、呉姫圧酒喚客嘗。
風は柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちる
          呉の美女が酒をしぼって客を呼び 味見をさせる
金陵子弟来相送、欲行不行各尽觴。
金陵の若者たちは  集まって別れの宴を開いてくれ
       行こうとするが立ち去りがたく  心ゆくまで杯を重ね合う
請君試問東流水、別意与之誰長短。

どうか諸君  東に流れる水に尋ねてくれ
           別れのつらさとこの水は  どちらが深く長いかと


風は柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちる
呉の美女が酒をしぼって客を呼び 味見をさせる
金陵の若者たちは  集まって別れの宴を開いてくれ
行こうとするが立ち去りがたく  心ゆくまで杯を重ね合う
どうか諸君  東に流れる水に尋ねてくれ
別れのつらさとこの水は  どちらが深く長いかと


 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、726年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。


韻は、香、送、觴。/嘗、短。

金陵酒肆留別          
風吹柳花満店香、呉姫圧酒喚客嘗。
金陵子弟来相送、欲行不行各尽觴。
請君試問東流水、別意与之誰長短


(下し文)
金陵の酒肆にて留別す
風は柳花(りゅうか)を吹きて  満店香(かん)ばし
呉姫(ごき)は酒を圧して  客を喚びて嘗(な)めしむ
金陵の子弟(してい)  来りて相い送り
行かんと欲して行かず  各々觴(さかずき)を尽くす
請う君  試みに問え  東流(とうりゅう)の水に
別意(べつい)と之(これ)と  誰か長短なるやと


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
漢文委員会 ホームページ それぞれ個性があります。
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李商隠の女詞特集ブログ連載中

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