漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350

北上行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -304

北上行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -304


北上行 #1
北上何所苦,北上緣太行。
磴道盤且峻,巉岩凌穹蒼。
馬足蹶側石,車輪摧高岡。
沙塵接幽州,烽火連朔方。
殺氣毒劍戟,嚴風裂衣裳。
奔鯨夾黄河,鑿齒屯洛陽。
前行無歸日,返顧思舊鄉。」
#2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
真冬の逃行で氷雪の中で悲惨を極めるひどい悲しみの中に有る、泣き叫ぶこと胸も腹も張り裂けんばかりに追い詰められたのである。
尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
着の身着のままで逃げだしたのでわずかな布きれでは体を覆うこともできない、寒空の中皮膚は寒さに痛いほどになり、まるで枯葉のようになった。
汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
谷沿いの道とはいえ水を汲むには谷川が深いのだ、薪を採るにも岡や 山坂は長いのだ。
猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。
猛虎は勢いよく襲いかかろうと 尾を振り立てている、牙は磨かれていて秋の白い霜よりも白いのだ。
草木不可餐,饑飲零露漿。
あたりの草木も尽きてしってもう食べるものさえなくなった、飲むもの無く飢えてしまいこぼれる露のしずくを啜ってのんだのだ。
歎此北上苦,停驂爲之傷。
この艱難辛苦しても北上したのだ、あまりに悲惨で馬車をとめてこの痛み苦しみを記しておくのである。
何日王道平,開顏睹天光。
いつになったら天子が正道の道を平穏に取り戻してくれるのか、安心して顔を出して歩ける日になり、晴々として 天光を受けることができるのだろうか。


#2
惨戚(さんせき)たり 冰雪の裏、悲しみ号(さけ)びて中腸を絶たつ。
尺布(せきふ)は体を掩(おお)わず、皮膚は枯れし桑よりも劇(はげ)し。
水を汲むには 澗谷(かんこく)に阻(へだ)てられ、薪を采るには 隴坂 長し。
猛虎は 又 尾を掉(ふる)い、牙を磨きて 秋霜よりも皓(しろ)し。
草木 餐(くら)う可からざれば、飢えて零(こぼ)れし露の漿(しる)を飲む。
此の北上の苦しみを嘆き、驂(さん)を停(とど)めて 之が為に傷む。
何れの日か 王道平らかにして、開顔 天光を覩みん。


現代語訳と訳註
(本文) #2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。
草木不可餐,饑飲零露漿。
歎此北上苦,停驂爲之傷。
何日王道平,開顏睹天光。


(下し文) #2
惨戚(さんせき)たり 冰雪の裏、悲しみ号(さけ)びて中腸を絶たつ。
尺布(せきふ)は体を掩(おお)わず、皮膚は枯れし桑よりも劇(はげ)し。
水を汲むには 澗谷(かんこく)に阻(へだ)てられ、薪を采るには 隴坂 長し。
猛虎は 又 尾を掉(ふる)い、牙を磨きて 秋霜よりも皓(しろ)し。
草木 餐(くら)う可からざれば、飢えて零(こぼ)れし露の漿(しる)を飲む。
此の北上の苦しみを嘆き、驂(さん)を停(とど)めて 之が為に傷む。
何れの日か 王道平らかにして、開顔 天光を覩みん。


(現代語訳)
真冬の逃行で氷雪の中で悲惨を極めるひどい悲しみの中に有る、泣き叫ぶこと胸も腹も張り裂けんばかりに追い詰められたのである。
着の身着のままで逃げだしたのでわずかな布きれでは体を覆うこともできない、寒空の中皮膚は寒さに痛いほどになり、まるで枯葉のようになった。
谷沿いの道とはいえ水を汲むには谷川が深いのだ、薪を採るにも岡や 山坂は長いのだ。
猛虎は勢いよく襲いかかろうと 尾を振り立てている、牙は磨かれていて秋の白い霜よりも白いのだ。
あたりの草木も尽きてしってもう食べるものさえなくなった、飲むもの無く飢えてしまいこぼれる露のしずくを啜ってのんだのだ。
この艱難辛苦しても北上したのだ、あまりに悲惨で馬車をとめてこの痛み苦しみを記しておくのである。
いつになったら天子が正道の道を平穏に取り戻してくれるのか、安心して顔を出して歩ける日になり、晴々として 天光を受けることができるのだろうか。

黄河二首 杜甫

(訳注) #2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
惨戚(さんせき)たり 冰雪の裏、悲しみ号(さけ)びて中腸を絶たつ。
真冬の逃行で氷雪の中で悲惨を極めるひどい悲しみの中に有る、泣き叫ぶこと胸も腹も張り裂けんばかりに追い詰められたのである。
惨戚 惨と戚のどちらも、ひどく悲しむいみをもっている。悲惨を極めるひどい悲しみという意味。


尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
尺布(せきふ)は体を掩(おお)わず、皮膚は枯れし桑よりも劇(はげ)し。

着の身着のままで逃げだしたのでわずかな布きれでは体を覆うこともできない、寒空の中皮膚は寒さに痛いほどになり、まるで枯葉のようになった。
 わずか。六尺。ものさし。


汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
水を汲むには 澗谷(かんこく)に阻(へだ)てられ、薪を采るには 隴坂 長し。
谷沿いの道とはいえ水を汲むには谷川が深いのだ、薪を採るにも岡や 山坂は長いのだ。
澗穀 谷川沿いのこと。・穀は谷。○  地形が険しい。「険阻」 2 遮り止める。はばむ。○ おか。あぜ。隴山。
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猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。

猛虎は 又 尾を掉(ふる)い、牙を磨きて 秋霜よりも皓(しろ)し。
猛虎は勢いよく襲いかかろうと 尾を振り立てている、牙は磨かれていて秋の白い霜よりも白いのだ。
【掉尾】ちょうび 《尾を振る意。慣用読みで「とうび」とも》物事が、最後になって勢いの盛んになること。


草木不可餐,饑飲零露漿。
草木 餐(くら)う可からざれば、飢えて零(こぼ)れし露の漿(しる)を飲む。
あたりの草木も尽きてしってもう食べるものさえなくなった、飲むもの無く飢えてしまいこぼれる露のしずくを啜ってのんだのだ。
 飢える。 ○零露 しずく。つゆ。○漿 みずをのむこと。


歎此北上苦,停驂爲之傷。
此の北上の苦しみを嘆き、驂(さん)を停(とど)めて 之が為に傷む。
この艱難辛苦しても北上したのだ、あまりに悲惨で馬車をとめてこの痛み苦しみを記しておくのである。
爲之傷 このことについて傷をつけることと為す。


何日王道平,開顏睹天光。
何れの日か 王道平らかにして、開顔 天光を覩みん。
いつになったら天子が正道の道を平穏に取り戻してくれるのか、安心して顔を出して歩ける日になり、晴々として 天光を受けることができるのだろうか
○叛乱軍のために、各地で、武者狩りをしていたし、略奪、盗賊が横行したのである。安禄山の軍には1/4ぐらい異民族の兵がいた。

nat0002

李白の安禄山の叛乱について情報が少なかったのか、他の詩人の叛乱をとらえた詩とは違っている。特に杜甫の詩と違うのは、杜甫は蘆子関や長安の叛乱軍にとらえられ、拘束されたこと、自分の目で見て確認したことを詩にしていることが違うのである。
 李白は叛乱軍に掴まっていたら、まともではおれなかったであろう。この詩「北上行」は聞いた話を詩にしているのである。李白らしい詩である。

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留別廣陵諸公 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -300

留別廣陵諸公 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -300
3分割1回目

この詩の内容は、二十六句ほとんど殆どすべてが李白自身の過去の生活を歴史的に叙述し反省しているものである。送別の宴を開いてくれた「広陵の諸公」に感謝してその地をあとにすることをいうもので、李白に多く見える、自らを山簡になぞらえて詠っているものである。
tsuki0882

留別廣陵諸公

憶昔作少年,結交趙與燕。
わたしが、青年のであった頃思っていたことだ、趙の国の人で劇辛のように燕のくにの軍師となり趙、燕、など五国連合に導いたことを夢見ていた。
金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
わたしが朝廷に上がった時は金の馬飾りを駿馬に飾り付けていて、錦の帯には龍雲沸き立つ玄宗皇帝に仕えて横に侍っていたものだ。
寸心無疑事,所向非徒然。
これらのことは、たとえわずかなところまで疑うことなど全くない。自分の向かうところ無意味に過ごすことなど思ってもみないことだった。
晚節覺此疏,獵精草太玄。
しかし、この年になって、このように疎んじられたことを感じている、それでもいま、私は、純粋に漢代の哲学書「太玄経」を勉強し「道」を求めていっているのだ。
空名束壯士,薄俗棄高賢。」
#1
空しい名であっても名を遺したいりっぱな壯士はたくさんいる、薄俗な世間の人たちは高貴な賢人であってもすてさるものだ。

中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。
騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
還家守清真,孤節勵秋蟬。
煉丹費火石,採藥窮山川。」#2
臥海不關人,租稅遼東田。
乘興忽復起,棹歌溪中船。
臨醉謝葛強,山公欲倒鞭。
狂歌自此別,垂釣滄浪前。」#3

#1
憶う昔 少年と作るとき,交りを結ぶ 趙と燕 。
金羈 駿馬(しゅんめ)に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」

#2
中にて迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」

#3
海に臥す 人に關せず,租稅 東田に遼す。
興に乗じて忽ち復た起き、櫂歌す 渓中の船
酔うに臨みて葛強に謝し、山公は鞭を倒まにせんと欲す
狂歌して此れ自り別れ、 釣りを垂れん滄浪の前。」
DCF00208

留別廣陵諸公 現代語訳と訳註
(本文)

憶昔作少年,結交趙與燕。
金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
寸心無疑事,所向非徒然。
晚節覺此疏,獵精草太玄。
空名束壯士,薄俗棄高賢。」#1

(下し文)
昔 少年と作るを憶う,交りを結ぶ 趙と燕 。
金羈 駿馬に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」


(現代語訳)
わたしが、青年のであった頃思っていたことだ、趙の国の人で劇辛のように燕のくにの軍師となり趙、燕、など五国連合に導いたことを夢見ていた。
わたしが朝廷に上がった時は金の馬飾りを駿馬に飾り付けていて、錦の帯には龍雲沸き立つ玄宗皇帝に仕えて横に侍っていたものだ。
これらのことは、たとえわずかなところまで疑うことなど全くない。自分の向かうところ無意味に過ごすことなど思ってもみないことだった。
しかし、この年になって、このように疎んじられた
ことを感じている、それでもいま、私は、純粋に漢代の哲学書「太玄経」を勉強し「道」を求めていっているのだ。
空しい名であっても名を遺したいりっぱな壯士はたくさんいる、薄俗な世間の人たちは高貴な賢人であってもすてさるものだ。

(訳注)
憶昔作少年,結交趙與燕。
憶う昔 少年と作るとき,交りを結ぶ 趙と燕 。
わたしが、青年のであった頃思っていたことだ、趙の国の人で劇辛のように燕のくにの軍師となり趙、燕、など五国連合に導いたことを夢見ていた。
憶昔 この詩は李白の反省の詩である。この句は自然体にかかっている。○趙與燕 劇辛はもともと趙の人であったが、先の趙と燕との戦後交渉のときに 燕王に気に入られて燕の相国になった者である。秦の始皇帝に対抗して同盟を結んだ。・劇辛樂毅感恩分 劇辛は趙の国出身の人物で、郭隗の進言を聞き入れた燕昭王が「隗より始めよ」と富国強兵の為の人材優遇を始めて以降に、楽毅や鄒衍らと同様に、賢人を求め優遇する燕昭王の元へと赴き、燕の臣となった。楽毅は、戦国燕の武将で、昭王を助けて仇敵の斉を五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ稀代の軍略家。
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古風五十九首 其十五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白152

古風五十九首 其三 李白



金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
金羈 駿馬に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
わたしが朝廷に上がった時は金の馬飾りを駿馬に飾り付けていて、錦の帯には龍雲沸き立つ玄宗皇帝に仕えて横に侍っていたものだ。
駿馬 足の速い優れた馬。○ 玄宗を示す。


寸心無疑事,所向非徒然。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
これらのことは、たとえわずかなところまで疑うことなど全くない。自分の向かうところ無意味に過ごすことなど思ってもみないことだった。
徒然 あてもなく。いたずらに。無意味に。空しいさま。


晚節覺此疏,獵精草太玄。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。

しかし、この年になって、このように疎んじられたことを感じている、それでもいま、私は、純粋に漢代の哲学書「太玄経」を勉強し「道」を求めていっているのだ。
○晚節 晩年。季節の終わり。末の世。末年。晩年における節操。晩年 老後。○獵精 一生懸命に勉学に励むこと。○太玄 中国、漢代の哲学書。10巻。揚雄撰。易に老荘思想を取り入れ、易占を社会情勢に応じた合理的なものにしようとしたもので、易の陰陽二元論の代わりに、始・中・終の三元をもって宇宙万物を説明した。


空名束壯士,薄俗棄高賢。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」
空しい名であっても名を遺したいりっぱな壯士はたくさんいる、薄俗な世間の人たちは高貴な賢人であってもすてさるものだ。


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唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))

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答友人贈烏紗帽 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -293

答友人贈烏紗帽 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -293


答友人贈烏紗帽
領得烏紗帽,全勝白接蘺。
山人不照鏡,稚子道相宜。


答友人贈烏紗帽 李白                           
烏紗帽を領得して、全く白接蘺(り)に勝(まさ)る。
山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜(よろ)しと道(い)う。


 鳥紗帽たしかに受け取りました                         
 白接蘺よりずっといい                             
 鏡で見てみたわけじゃないけど                         
 子供は似合うと言ってます                           
李白
       ウィキペディア  李白像
 
現代語訳と訳註
(本文)
答友人贈烏紗帽
領得烏紗帽,全勝白接蘺。
山人不照鏡,稚子道相宜。


(下し文)
烏紗帽を領得して、全く白接蘺(り)に勝(まさ)る。
山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜(よろ)しと道(い)う。


(現代語訳)
烏紗帽を届けてくれて確かに受け取りました。白い接羅の帽子よりすべてに勝っている。
山で隠遁すべき人間が街にいるこの私が鏡を見るまでのことはないのだ、山間ではないけれど子供たちはよく似合ってるといっている。


(訳注) 答友人贈烏紗帽
領得烏紗帽,全勝白接蘺。
烏紗帽を領得して、全く白接蘺(り)に勝(まさ)る。
烏紗帽を届けてくれて確かに受け取りました。白い接羅の帽子よりすべてに勝っている。
烏紗帽:絹で出来た礼装用の黒い帽子。
白接羅:白い接羅(せつり)。接羅は帽子の一種。昔、荊の地方長官だった山簡が被っていたことで有名。
山簡は竹林の七賢人である山濤の息子だが、それよりなにより酔ってこの白接蘺を前後反対に被り
町なかで馬に乗ったほどの「酔っぱらい」ぶりで名高い。              
「山公」と言えば酔っぱらいの代名詞であり、李白はしばしば自分をこの山簡に例えている。 

山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接蘺 接蘺は帽子。


山人不照鏡,稚子道相宜。
山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜(よろ)しと道(い)う。
山で隠遁すべき人間が街にいるこの私が鏡を見るまでのことはないのだ、山間ではないけれど子供たちはよく似合ってるといっている。
○山人 山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。ここでは李白自身のことを指す。


     
 帽子01

帽子02
帽子03
 
  唐太宗戴幞頭 禮官戴幞頭 兩文人戴幞頭 
 帽子04
帽子05
帽子06
 
  長腳羅幞頭 翹腳幞頭 翹腳幞頭
 
    

   時代を遡ると、元代の雑劇に登場する山人は例外なくみな占い師であり、かつ自称ではなく他称である。また陸遊の〈新裁道帽示帽工〉(《劍南詩稿》卷39)では、「山人手段雖難及」と帽子作りの職人を山人と呼んでおり、《東京夢華録》巻 5 〈京瓦技芸〉等にみえる張山人は都会の寄席芸人であるなど、総じて山人とは「技術之士」(《太平廣記》巻72「張山人」)であったといえる。同じ現象は唐代にも見られる。宋初の《文苑英華》巻231「隠逸二・山人」に収める唐代の山人の詩の多くには売薬についての記述が見える。そもそも山人という語の出典は、南斉の孔稚圭「北山移文」(《文選》巻43)の「山人去兮曉猿驚」にあり、本来山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。いわゆる「終南の捷径」によって官途を求めた李泌のような人物もまた山人であったし、李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。現に李白は「答友人贈烏紗帽」(《李白集校注》巻19)で「山人不照鏡、稚子道相宜」と自ら山人を称している

 
「山公」
李白と道教48襄陽歌 ⅰ

李白と道教(7)襄陽曲49から52

阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

秋浦歌十七首 其七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集251350

秋浦歌十七首 其九 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -253/350

秋浦歌十七首 其十一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-255/350


 烏紗帽00烏紗帽平巾幘(さく)帽00平巾幘(さく)帽

 
    

襄陽曲四首 李白
「あの儒教者の立派な人格者の晉の羊公でさえ、台石の亀の頭は、むざんに欠け落ちてしまって、苔だらけ。『涙を堕す碑』とよばれるのに、涙さえおとすことも出来ない。心も羊公のために、悲しむことさえ出来ない。
清々しい風、明月を眺め、その上、酒を飲むなら、これにまさることはない。」
どんなに笑われても、山公(山簡先生)のように生きたい。という李白であった。
 中国では、昔から、茶屋、居酒屋のようなにぎやかに人を集めた場所で、「三国志」、とか、「王昭君」、「西施」など節をつけ、唄いながら講談をした。襄陽は交通の要衝で、大きな歓楽街もあった。そこで詠われた詩の「襄陽楽」を題材にして李白が詠ったのだが、同じ内容の絶句四首がある。李白の考え方をよく表している。(再掲)

現代語訳と訳註

李白『襄陽曲四首其一』
(本文)

襄陽行樂處、歌舞白銅蹄。
江城回淥水、花月使人迷。


(下し文)
嚢陽 行楽の処、歌舞 白銅鞋
江城 淥水回(めぐ)り、花月 人をして迷わせる


(現代語訳)
嚢陽はたのしい行楽の場所だ。人びとは、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったりする。
江にのぞむこのまちは、うつくしい水にとりまかれ、なまめかしい花と月とが、人の心をまよわせる。

(訳注)
○裏陽曲 六朝の栄の隋王寵が作ったといわれる「嚢陽楽」という歌謡に、「朝に嚢陽城を発し、暮に大隄の宿に至る。大隄の諸女児、花顛郡の目を驚かす」とある。嚢陽曲は、すなわち賽陽楽であり、李白のこの第一首の結句は、隋王誕の歌の結句と似ている。なお、李白の、次にあげた「大隄の曲」、および 前の「嚢陽の歌」を参照されたい。○襄陽 いまの湖北省襄陽県。漢水にのぞむ町。李白はこの地から遠からぬ安陸に、三十歳前後の頃、定住していた。また、李白の敬愛する先輩の詩人、孟浩然は、裏陽の旧家の出身であり、一度は杜甫に連れられ玄宗にお目通りしたが仕えず、この地の隠者として終った。・白銅蹄 六朝時代に襄陽に流行した童謡の題。 ○淥水 清らかな水。 ○花月 花と月と。風流なあそびをさそうもの。(売春の誘い込みも含むと考えればわかりやすい)


李白 襄陽曲四首 其二
(本文)

山公醉酒時。 酩酊高陽下。
頭上白接籬。 倒著還騎馬。


(下し文)

山公 酒に酔う時、酩酊し 高陽の下
頭上の 白接籬、倒しまに着けて還(また)馬に騎(のる)

(現代語訳)
山簡先生はいつもお酒に酔っている、酩酊してかならず高陽池のほとりでおりていた。
あたまの上には、白い帽子。それを逆さにかぶりながら、それでも馬をのりまわした。

(訳註)
○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接離 接寵は帽子。



李白 襄陽曲四首 其三
(本文)

峴山臨漢江、水淥沙如雪。
上有墮淚碑、青苔久磨滅。

(下し文)
峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し
上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す

(現代語訳)
峴山は漢江に臨んでそびえたつ、ながれる水は清く澄み、川辺の砂は雪の白さだ。
山上には「墮淚碑」が有り、 青苔におおわれたまま永いので磨滅したように彫刻が見えない。
(こんなに哀れに苔だらけになってしまっている。ここで泣けるのか)

(訳註)
○峴山 襄陽県の東南にある山で、漢水にのぞむ。唐代の名勝の地。○漢江 漢水とおなじ。長江の一番大きな支流。 ○堕涙碑 晋の羊祜は、荊州の都督(軍事長官)として襄陽のまちを治めて人望があった。かれは生前、峴に登って酒を飲み、詩を作つたが、かれが死ぬと、襄陽の人びとはその人となりを偲んで、山上に石碑を立てた。その碑をみる人は、かれを思い出して涙を堕さないではいられなかったので、堕涙碑と名づけられた。名づけ親は、羊祜の後任で荊州の都督となった杜預、(杜甫の遠い先祖にあたる)である。



李白 襄陽曲四首 其四
(本文)

且醉習家池。 莫看墮淚碑。
山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。

(下し文)

且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。
山公 馬に上らんと欲すれは、笑殺す 嚢陽の児。

 (現代語訳)
ともかく、習家池で酔いつぶれよう、墮淚碑になんか見てもしかたがない。
山公先生が馬に乗ろうとして、襄陽の子供たちが笑い転げてくれ。(その方がどんなにいいか)

(訳注)
○習家池 山簡がいつも酔っぱらった高陽池のこと。漢の習郁という人が、養魚のためにこの池をつくり、池のまわりの高い堤に竹などを植え、ハスやヒシで水面をおおい、以来、遊宴の名所となったと「世説」の注に見える。○笑殺 穀は調子を強める字。


 死んで世に名を残したって、苔むすだけだろう。それなら、一生どれだけ飲めるのかといっても、たかが知れている。人に笑われたって今を楽しむほうがいい。ここで、酒好きな李白の「酒」を論じるのではない。(酒については別のところで述べる予定。)


 子供についての考え方、に続いて、わらべ歌について、李白の考えを詠ったものだが、端的に言うと、峴山の羊祜、「堕涙碑」は儒教の精神を示している。それに対して、山簡を山公と山翁呼んでいるが、李白は自分のことをしばしばそう詠っている。竹林の七賢山濤の子の山簡、つまり、山簡先生と同じように自分もたとえ子供に笑われたって、酒を飲むほうがいいといっている。酒を飲むというのは現実社会、今生きていることを示すのである。(李白は山東で竹渓の六逸と称し遊ぶ)


 李白は、自分の道徳観を故事になぞらえて正当化する手法をとっている。しかも、わかりやすいわらべ歌を題材にしているのである。

 襄陽は、道教の宗派最大の聖地、武当山のおひざ元、門前町なのだ。ここでも道教の接点があるのだ。
(長安で寓居していた終南山も道教の本家地がある。元丹邱の関連でよく出てくる地名である。)
 しかし、のちに、この道教のつながりで、中央官僚、しかも皇帝が李白のために新しいポストを作って迎えられるのだから、「大作戦」成功を見るのである。

贈從弟南平太守之遙二首 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -289

贈從弟南平太守之遙二首 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -289


贈從弟南平太守之遙二首
( 太白自注:南平時因飲酒過度。貶武陵。)

其一 #1
少年不得意。 落魄無安居。
成年は意識を得ない、落ちぶれた魂は安らかに落ち着くとこもない。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
したがって私は、謹んで、会稽山の釣り人任公子に従っていく、酒を飲んで船に乗って魚を釣り上げようと思う。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
いつもながら、酒を飲んで風流に景色を追うのである、意気盛んな心はともに追い求めこの名をはせて流されるのである。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
蘭の花が谷の底の方に生えていると人は鋤とることはできない、雲が高い山にかかって、むなしく巻いたりのばしたりして広がっているのだ。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
唐王朝の天子は4頭立ての馬車で夜明けに出発した、南方を守る軍隊は蜀へ通じる道に司馬相如の様な賢臣がお迎えをしている。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。

天へと続く門は九つの門で守られ聖天子に拝謁できるのである、本来の天子のお顔をひとたび拝見したならその放たれる佳気で世界は春を迎えた気分になるものである。
#2
彤庭左右呼萬歲。拜賀明主收沉淪。
翰林秉筆回英眄。麟閣崢嶸誰可見。
承恩初入銀台門。著書獨在金鑾殿。
龍駒雕鐙白玉鞍。象床綺席黃金盤。
當時笑我微賤者。卻來請謁為交歡。
#3
一朝謝病游江海。 疇昔相知几人在。
前門長揖後門關。 今日結交明日改。
愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之。
#1
從弟の南平の太守之遙に贈る二首 其の一
少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
愿みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。
天門 九重(きゅうちょう) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。

#2
彤庭(とうてい)に左右 万歳を呼ばひ、拝賀す 明主の沈淪(ち んりん)を收むるを。
翰林 筆を秉(と)って 英眄(えいべん)を回(めぐ)らし、麟閣 崢嶸(そうこう) たり誰か見るべき。
恩を承(う)けて初めて 入る銀台門、0書を著してひとり金鑾殿にあり。
寵鉤(ちょうこう) 雕鐙(ちょうとう)  白玉の鞍 賜った名馬には玉を刻んだあぶみや白玉の鞍をおかせ、象牀(ぞうしょう) 綺 席 黄金の盤
当時わが微賤なるを笑ひし者、かへって来って謁を請うて交歓をなす。
#3
一朝病を謝(つ)げて江海に遊べば、疇昔(ちゅうしゃく)の相知 幾人か在る。
前門には長揖(ちょうゆう)して後門は関 (とざ)す、 今日 交りを結んで明日は改まる。
君を愛するは山岳 心 移さず。君に隨うは云霧 為す所を迷う。
夢 池塘を得 春草生える。我 長價に使う 登樓の詩。
別後 遙に傳う 臨海と作す。 可見 羊 何ぞ 共に之を和す。

miyajima596

#4

其二
東平與南平。 今古兩步兵。
素心愛美酒。 不是顧專城。
謫官桃源去。 尋花几處行。
秦人如舊識。 出戶笑相迎。

東平と南平。 今は古(いにしえ) 兩の步兵。
素心 美酒を愛し。 是 專城を顧ず。
謫官 桃源を去り。花を尋ねて 几そ處行す。
秦人 舊きを識るが如し。 出戶 笑って相い迎う。


贈從弟南平太守之遙二首 其一 現代語訳と訳註
(本文)#1
少年不得意。 落魄無安居。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。


(下し文)
少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
愿みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。
天門 九重(きゅうちょう) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。

(現代語訳)
成年は意識を得ない、落ちぶれた魂は安らかに落ち着くとこもない。
したがって私は、謹んで、会稽山の釣り人任公子に従っていく、酒を飲んで船に乗って魚を釣り上げようと思う。
いつもながら、酒を飲んで風流に景色を追うのである、意気盛んな心はともに追い求めこの名をはせて流されるのである。
蘭の花が谷の底の方に生えていると人は鋤とることはできない、雲が高い山にかかって、むなしく巻いたりのばしたりして広がっているのだ。
唐王朝の天子は4頭立ての馬車で夜明けに出発した、南方を守る軍隊は蜀へ通じる道に司馬相如の様な賢臣がお迎えをしている。
天へと続く門は九つの門で守られ聖天子に拝謁できるのである、本来の天子のお顔をひとたび拝見したならその放たれる佳気で世界は春を迎えた気分になるものである。


(訳注) 其一 #1
少年不得意、落魄無安居。

少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
成年は意識を得ない、落ちぶれた魂は安らかに落ち着くとこもない。
 1 人の肉体に宿り、活力を生み出すもの。たましい。「気魄・魂魄」 2 月のかげの部分。「生魄」 3 落ちぶれる。「落魄」 .


愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
愿(つつし)みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
したがって私は、謹んで、会稽山の釣り人任公子に従っていく、酒を飲んで船に乗って魚を釣り上げようと思う。
 つつしむ。誠実である。○任公子 子明は会稽山の山頂から沖に届くくらいの竿を作り、餌も去勢牛五十頭ほど用意し、一年かけて釣り上げた。それを村人に食べ物を配った。『荘子』任公子にある。


常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
いつもながら、酒を飲んで風流に景色を追うのである、意気盛んな心はともに追い求めこの名をはせて流されるのである。
壯心 雄々しき心。意気盛んな心。


蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
蘭の花が谷の底の方に生えていると人は鋤とることはできない、雲が高い山にかかって、むなしく巻いたりのばしたりして広がっているのだ。
○卷舒 巻いたりのばしたりすること。広げることとしまうこと。


漢家天子馳駟馬、赤軍蜀道迎相如。
(漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。)
唐王朝の天子は4頭立ての馬車で夜明けに出発した、南方を守る軍隊は蜀へ通じる道に司馬相如の様な賢臣がお迎えをしている。
○天子 玄宗のことをたとえる。○駟馬 四頭立ての馬車。○赤軍 南方へ向かう軍隊。○相如 蜀出身の詩人司馬相如。李白のこと。


天門九重謁聖人、龍顏一解四海春。
天門 九重(キュウチョウ) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。
天へと続く門は九つの門で守られ聖天子に拝謁できるのである、本来の天子のお顔をひとたび拝見したならその放たれる佳気で世界は春を迎えた気分になるものである。
龍顏 龍の顔というのは想像上の動物であるが、同時に仙界と王朝を示すものであり、皇帝の顔を示す。○九重 天子の門は九。○聖人 聖天子 

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