漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
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梁園吟

梁園吟 まとめ 李白42

李白42 梁園吟

洛陽の下流、開封近くにある梁園に立ち寄った際の作。梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。詩にある平臺は梁園にあり、また阮籍は梁園付近の蓬池に遊んだ。李白はそうした史実を引用しながら、過去の栄華と今日の歓楽、そして未来への思いを重層的に歌い上げている。秀作である。

雑言古詩 梁園吟

我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。

天長水闊厭遠渉,訪古始及平台間。』

平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。

卻憶蓬池阮公詠,因吟緑水揚洪波。』

洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。』

人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。

平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。』

玉盤楊梅爲君設,呉鹽如花皎白雪。

持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』


昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。

荒城虚照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』

梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。

舞影歌聲散綠池,空餘抃水東流海。』

沈吟此事涙滿衣,黄金買醉未能歸。

連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』

酣馳輝,歌且謠,意方遠。

東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。』



私は、黄河に浮かんで都を去る。高く帆を掛けて進もうとすれば、波は山のように連なって湧く。
空は果てもなくつづき、水は広々とひろがって、旅路の遥けさに厭きながら、古人の跡を訪ねて、ようやく平台のあたりまでやってきた。』
平台の地に旅住まいして、憂い思うこと多く、酒を飲みつつ、たちまち「梁園の歌」を作りあげたのだ。
ふり返って、院籍どのの「蓬池の詠懐詩」を憶いおこし、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。
洪波はゆらめき広がって、この旧き梁国の水郷に迷い、船路はすでに遠く、西のかた長安に帰るすべはない。』

人として生き、天命に通達すれば、愁い哀しんでいる暇はない。ひとまずは美酒を飲むのだ、高楼に登って。
平らな頭巾の下僕が、大きな団扇をあおげは、夏五月でも暑さを忘れ、涼やかな秋かと思われる。』
白玉の大皿の楊梅は、君のために用意したもの、呉の国の塩は花のように美しく、白雪よりも白く光る。
塩をつまみ、酒を手にとって、ただただ飲もう。伯夷・叔斉が〝高潔さ"にこだわった、そんな真似などやめておこう。』

昔の人々は、魏の信陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。
荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』
梁の孝王の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。
舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る?水だけ。』
栄華の儚さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
馳せゆく時の間に酔いしれて、
歌いかつ謡えば、
心は、今こそ遠くあこがれゆく。
かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』



  我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。
  天長水闊厭遠渉,訪古始及平台間。』
  平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。
  卻憶蓬池阮公詠,因吟緑水揚洪波。』
  洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。』

私は、黄河に浮かんで都を去る。高く帆を掛けて進もう与れば、波は山のように連なって湧く。
空は果てもなくつづき、水は広々とひろがって、旅路の遥けさに厭きながら、古人の跡を訪ねて、ようやく平台のあたりまでやってきた。』
平台の地に旅住まいして、憂い思うこと多く、酒を飲みつつ、たちまち「梁園の歌」を作。あげたのだ。
ふり返って、院籍どのの「郵野の詠懐詩」を憶いおこし、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。
洪波はゆらめき広がって、この旧き梁国の水郷に迷い、船路はすでに遠く、西のかた長安に帰るすべはない。』





   梁園吟
  人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。
  平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。』
  玉盤楊梅爲君設,呉鹽如花皎白雪。
  持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』

人として生き、天命に通達すれば、愁い哀しんでいる暇はない。ひとまずは美酒を飲むのだ、高楼に登って。
平らな頭巾の下僕が、大きな団扇をあおげは、夏五月でも暑さを忘れ、涼やかな秋かと思われる。』
白玉の大皿の楊梅は、君のために用意したもの、呉の国の塩は花のように美しく、白雪よりも白く光る。
塩をつまみ、酒を手にとって、ただただ飲もう。伯夷・叔斉が〝高潔さ”にこだわった、そんな真似などやめておこう。』
 


梁園吟
○「梁園」は、梁苑・菟(兎)園ともいう。前漢の文帝の子、景帝の弟、梁孝王劉武が築いた庭園。現在の河南省商丘市東南5kmに在った、と考えられる。参照‥『史記』巻五十八「染孝壬世家」の「史記正義」所引『括地志』D〔補注讐「吟」は、詩歌の一体。この詩は、第一次在京期の後、長安を離れて梁園に遊んだおり、三十代前半の作と考えられる。

我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。
私は、黄河に浮かんで都を去る。高く帆を掛けて進もう与れば、波は山のように連なって湧く。
京関!都、長安。王本などでは「京朗」に作る。煩語やあるが、七言詩の第一句としては、韻字としての「閑」が勝るであろう。景宋威串本も「関」に作る。○捷席-船に帆(席)を掛ける。船旅をする。「席」はイグサの頬で織った席の帆。○波連山-大波が山を連ねたように湧き立つ。木筆の「海賦」(『文選』巻十九)に「波は山を遵ぬるが如し」とある。先行者訳の「山に連なる」は適切を欠こう。

天長水闊厭遠?,訪古始及平台間。
空は果てもなくつづき、水は広々とひろがって、旅路の遥けさに厭きながら、
遠渉1遠い旅路。○平台-漢の梁孝王が賓客を集めて遊宴した楼台。もとは、春秋時代の宋の平公が築かせた。場所は、現在の商丘市の東北(虞城県の西約二〇キロ)とされる。(『元和都県志』巻八「宋州」)。


平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。
平台の地に旅住まいして、憂い思うこと多く、酒を飲みつつ、たちまち「梁園の歌」を作りあげたのだ。
-動作や行為がスムーズに進むことを表わす副詞。「すぐさま・たやすく・かくして」などの意。「とうとう」ではない。

卻憶蓬池阮公詠,因吟淥水揚洪波。
ふり返って、院籍どのの「郵野の詠懐詩」を憶いお。し、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。
蓬池阮公詠-魏の阮籍の「詠懐詩、其の十六〔陳伯君『阮籍集校注』(中華書局)による〕」に、「蓬池(梁園付近の池)の上を誹御し、還って大梁(開封)を望む」とあるのをさす。○淥水揚洪波-同じく「其の十六」の詩句。「浅水」は青く澄んだ水や川や池。

洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。
洪波はゆらめき広がって、この旧き梁国の水郷に迷い、船路はすでに遠く、西のかた長安に帰るすべはない。
浩蕩-水の広がるさま。○旧国-旧い都の地。梁園のあった商丘地方が、先秦時代の宋国、漢の梁国など、旧くからの都だったので、こう表現した。一説に、長安をさすとする。

人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。
人として生き、天命に通達すれば、愁い哀しんでいる暇はない。
ひとまずは美酒を飲むのだ、高楼に登って。
達令-自己の天命に通達する。

平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。
平らな頭巾の下僕が、大きな団扇をあおげは、
夏五月でも暑さを忘れ、涼やかな秋かと思われる。』
量傾愁-「豊暇愁」(愁えている暇がない)と同義。○平頭奴子-上の平らな頭巾をかぶった下僕、召使い。ただし異説も多い。

玉盤楊梅爲君設,呉鹽如花皎白雪。
白玉の大皿の楊梅は、君のために用意したもの、
呉の国の塩は花のように美しく、白雪よりも白く光る。
楊梅-ヤマモモの頼。〇-白く光るさま。

持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』
塩をつまみ、酒を手にとって、ただただ飲もう。伯夷・叔斉が〝高潔さ?にこだわった、そんな真似などやめておこう。』
夷斉-伯夷と叔斉の兄弟。段周革命の際に・周の武重が武力によって殿の肘王を討つのを諌めた。周の世になってからは、首陽山に隠れて薇(野生のマメの槙)を採って食に充て、餓死して士筈示した。儒教の「名分論」を体現する人物像として、伝承されている。○事高潔-臣下(武王)として主君(肘王)を討つべきではない、という「大義名分論」に殉じた高潔な事跡をいう。

韻字  関・山・間/多・歌・波/国・得/愁・楼・秋/設・苧・潔


  昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。
  荒城虚照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』
  梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。
  舞影歌聲散綠池,空餘抃水東流海。』

昔の人々は、魂の后陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、
今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。
荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、
世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』
梁の孝壬の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。
舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、
あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る抃水だけ。』


  沈吟此事涙滿衣,黄金買醉未能歸。
  連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』
  酣馳輝,歌且謠,意方遠。
  東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。』

栄華の拶さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。
黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、
ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
馳せゆく時の間に酔いしれて、
歌いかつ謡えば、
心は、今こそ遠くあこがれゆく。
かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。
世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』


昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。
昔の人々は、魂の后陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。
○信陵君-戦国時代の讐昭王の公子、名は無忌。信陵(河南省寧陵)に封ぜられた。食客三千人を養い、讐助けて秦を破り、さらに十年後・五国の兵を率いて秦を破った。戦国の四公子(四君)の一人。○信陵墳-『太平宴字記』(彗)によれば、その墓は開封府の富県の「南十二里」にあるという。

荒城虚照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』
荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』
○蒼梧雲-『芸文類衆』彗「雲」に所引の『帰蔵』に、「白雲は蒼梧自り大梁に入る」とあるのを誓えたもの=蒼梧」は、現在の湖南省南部にぁる山の名。一名「九疑山」。

梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。
梁の孝壬の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。
枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。
〇枚馬-前漢時代の文学者、配剰青馬相如。ともに梁苑に来訪して、梁王の栄華に彩りを添えた。

舞影歌聲散綠池,空餘抃水東流海。』
舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る抃水だけ。』
○綠池-澄きった池。○抃水-抃水べんすい。黄河から開封をへて准水に到る。大運河通済渠の唐宋時代の呼称。

沈吟此事涙滿衣,黄金買醉未能歸。
栄華の儚さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。

連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
〇五白-購博の重義が黒く裏が白い五つのサイコロを投げて、すべて黒の場合(六里嘉最上、すべて白の場合〔五日)がその次、とする。〇六博-賭博の毎→二箇のコマを、六つずつに分けて質する。〇分嘉酒-二つのグループ(曹)に分かれて酒の勝負をする。○酎-酒興の盛んなさま。○馳曙-馳けるように過ぎゆく日の光、時間。

酣馳輝, 歌且謠, 意方遠。
馳せゆく時の間に酔いしれて、歌いかつ謡えば、心は、今こそ遠くあこがれゆく。
○歌且謠-楽曲の伴奏に合わせてうたうのが「歌」、無伴奏が「謡」、とするのが古典的な解釈(『詩経』慧「園有桃」の「毛伝」)。ここでは、さ喜まな歌いかたをする、の意。

東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。』
かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』
○東山高臥-東晋の謝安(字は安石)が、朝廷からしばしば出仕を催されながら、東山に隠棲したま基易に承知しなかったこと。人々は、「安石出づる喜んぜずんは、将た蒼生(人民)を如何んせん」と言って心配したD(『世説新語』「排調、第二十五」の二六)。「高臥」は、世俗の欲望を離れて隠棲すること。

韻字-君・墳・雲/在・待・海/衣・帰・曙/遠・晩


  我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。
  天長水闊厭遠渉,訪古始及平台間。』
  平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。
  卻憶蓬池阮公詠,因吟緑水揚洪波。』
  洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。』
  人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。
  平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。』
  玉盤楊梅爲君設,呉鹽如花皎白雪。
  持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』

  昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。
  荒城虚照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』
  梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。
  舞影歌聲散綠池,空餘抃水東流海。』
  沈吟此事涙滿衣,黄金買醉未能歸。
  連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』
  酣馳輝,歌且謠,意方遠。
  東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。』

我黄河に浮かんで京闕を去り 席むしろを挂けて進まんと欲すれば波山を連ぬ
天は長く水は闊くして遠渉に厭き 古を訪うて始めて及ぶ平臺の間』
平臺に客と爲りて憂思多く 酒に對して遂に作る梁園の歌
却って憶ふ蓬池の阮公の詠 因って吟ず緑水洪波を揚ぐるを』
洪波 浩蕩 舊國に迷ひ 路遠くして西歸安んぞ得る可けんや』

人生命に達すれば豈に愁ふるに暇あらん 且らく美酒を飲まん高樓に登りて
平頭の奴子 大扇を描かし、五月も熱からず 清秋かと疑う』
玉盤の楊梅 君が為に設け、呉塩は花の如く 白雪よりも唆し
塩を持ち酒を把って 但だ之を飲まん、学ぶ莫かれ 夷斉の高潔を事とするを
平頭の奴子大扇を搖るがし 五月も熱からず清秋かと疑ふ』
玉盤の楊梅 君が爲に設け 呉鹽は花の如く白雪よりも皎し
鹽を持ち酒を把って但だ之を飲まん 學ぶ莫かれ夷齊の高潔を事とするを』


昔人豪貴とす信陵君 今人耕種す信陵の墳
荒城虚しく照らす碧山の月 古木盡ことごとく入る蒼梧の雲』
粱王の宮闕今安くにか在る 枚馬先づ歸って相ひ待たず
舞影 歌聲 綠池に散じ  空しく餘す抃水べんすいの東にかた海に流るるを』

此の事を沈吟して涙衣に滿つ  黄金もて醉を買ひ未だ歸る能はず
五白を連呼し六博を行ひ  曹を分かち酒を賭して馳輝に酣(よ)ふ』
馳輝に酣ひて  歌ひ且つ謠へば  意 方に遠し
東山に高臥して時に起ち來る  蒼生を濟はんと欲すること未だ應に晩からざるべし』

李白42 梁園吟

李白42 梁園吟

洛陽の下流、開封近くにある梁園に立ち寄った際の作。梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。詩にある平臺は梁園にあり、また阮籍は梁園付近の蓬池に遊んだ。李白はそうした史実を引用しながら、過去の栄華と今日の歓楽、そして未来への思いを重層的に歌い上げている。


雑言古詩 梁園吟


  我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。

  天長水闊厭遠涉,訪古始及平台間。』

  平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。

  卻憶蓬池阮公詠,因吟淥水颺洪波。』

  洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。』

  人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。

  平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。』

  玉盤楊梅爲君設,鹽如花皎白雪。

  持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』


  昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。

  荒城虛照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』

  梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。

  舞影歌聲散綠池,空汴水東流海。』

  沉吟此事淚滿衣,黄金買醉未能歸。

  連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』

  酣馳輝,歌且謠,意方遠。

  東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晚。』



私は、黄河に浮かんで都を去る。

高く帆を掛けて進もうとすれば、波は山のように連なって湧く。

空は果てもなくつづき、水は広々とひろがって、旅路の遥けさに厭きながら、

古人の跡を訪ねて、ようやく平台のあたりまでやってきた。』

平台の地に旅住まいして、憂い思うこと多く、

酒を飲みつつ、たちまち「梁園の歌」を作りあげたのだ。

ふり返って、院籍どのの「蓬池の詠懐詩」を憶いおこし、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。

洪波はゆらめき広がって、この旧き梁国の水郷に迷い、船路はすでに遠く、西のかた長安に帰るすべはない。』

人として生き、天命に通達すれば、愁い哀しんでいる暇はない。

ひとまずは美酒を飲むのだ、高楼に登って。

平らな頭巾の下僕が、大きな団扇をあおげは、

夏五月でも暑さを忘れ、涼やかな秋かと思われる。』

白玉の大皿の楊梅は、君のために用意したもの、

呉の国の塩は花のように美しく、白雪よりも白く光る。

塩をつまみ、酒を手にとって、ただただ飲もう。

伯夷・叔斉が〝高潔さ〞にこだわった、そんな真似などやめておこう。』


昔の人々は、魏の信陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、

今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。

荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、

世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』

梁の孝王の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。

枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。

舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、

あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る汴水だけ。』

栄華の儚さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。

黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。

「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、

ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』

馳せゆく時の間に酔いしれて、

歌いかつ謡えば、

心は、今こそ遠くあこがれゆく。

かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。

世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』


つづく
この詩はブログ向きではなかったので
漢文委員会 7漢詩ZERO 李白42 粱園吟 雑言古詩 で確認していただけることを希望します。

 

 

 

 

 

 

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