宿建徳江 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -329

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孟浩然の「自然(月)と人」についてみてみる。


宿建徳江
移舟泊烟渚、日暮客愁新。  
野曠天低樹、江清月近人。


建徳の江に宿す 

舟を移して 烟渚に泊す、日暮 客愁 新たなり。
野曠【むなし】くして 天 樹に低【た】れ、江清くして 月 人に近し。


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現代語訳と訳註
(本文)

移舟泊烟渚、日暮客愁新。  
野曠天低樹、江清月近人。
 

(下し文)
舟を移して 烟渚に泊す、日暮 客愁 新たなり。
野曠【むなし】くして 天 樹に低【た】れ、江清くして 月 人に近し。


(現代語訳)
銭塘江中流あたり、建徳に宿泊する
私は船を夕靄に包まれた岸辺と漕ぎ寄せさせ、今夜の泊りの用意をする。やがて日は暮れ、旅の愁が新たなものとしてわいてきて胸に迫る。
がらんとしてさびしい原野がひろがり、天空が木々樹の上に低くたれさがっている。銭塘江の水は清くすみきっていて、水面に映る月だけがそ私の身近にあるものだ。


(訳注) 宿建徳江
銭塘江中流あたり、建徳に宿泊する
建徳江 建徳は県名。いま浙江省に属する。その川は銭塘江の中流である。


移舟泊烟渚、日暮客愁新。  
私は船を夕靄に包まれた岸辺と漕ぎ寄せさせ、今夜の泊りの用意をする。やがて日は暮れ、旅の愁が新たなものとしてわいてきて胸に迫る。
烟渚 もやのたちこめた砂浜。


野曠天低樹、江清月近人。  
がらんとしてさびしい原野がひろがり、天空が木々樹の上に低くたれさがっている。銭塘江の水は清くすみきっていて、水面に映る月だけがそ私の身近にあるものだ。
野曠 がらんとして人けのないのが曠。○ ここでは孟浩然自身をさす。

この詩の「人」は作者自身であるが、不特定な人をいう場合もある。王維の『輞川集』「竹里館」
獨坐幽篁裏,彈琴復長嘯。
深林人不知,明月來相照。
竹里館
獨り坐す  幽篁の 裏(うち),琴を弾じて  復(ま)た 長嘯す。
深林  人 知らず,明月  來りて 相ひ照らす。


孟浩然は自身の視線が中心であり、視線の動きが自然の動きとしている。李白などは「月」が自分の動きについてくると、山が動くのに月が自分の動きについてくるというものだが、そうした動きのないはずの「天」「月」も時間の経過で動くというだけでなく、「樹」「人」のほうにひきよせたように描いている。孟浩然が宋の謝霊運に学ぶところがあり、その詩的感覚が同質の傾向を持つと指摘する中で、その例として、右の孟詩の転句・結句と、次に掲げる謝霊運の「初去郡」詩(『文選』巻二十六「行旅」)中の二句とを対比している。
・・・・・・・・・・
負心二十載、於今廢将迎。
理棹遄還期、遵渚騖修垌。
遡渓終水渉、登嶺始山行。
野曠沙岸浄、天高秋月明。
憩石挹飛泉、攀林搴落英。

・・・・・・・・・・
心に負くこと二十載、今において将迎を廢め。
棹を理めて 還る期を遄くし、渚に遵いて修き垌を騖す。
渓を遡り終に水を渉り、嶺に登らんとして始めて山行す。
野は曠くして 沙岸は浄く、天高くして 秋月明らかなり。

謝霊運の詩の大意は、悟った人間は浮世から脱出すべきものである。「低き位をみずから耕すに代えた」というものである。隠棲する心情を詠うための「自然」である。

孟浩然詩の「天」「月」に対して、謝詩の「沙岸」は清いままで動きがなく、また「秋月」は天空に懸かったまま静止していないと隠棲の心情があらわせないと考えている。孟浩然と謝霊運とは、自分の心情の表現として自然描写における詩的感覚が同様であるとしても、描写された自然が動いているか静止しているかという点で、大きな違いがあるといえる。
謝霊運に学んでいるのは李白にもしばしばある。月が上がり落ちていく様子であり、舟を移動する、歩行している・・・・・。