登科後 孟郊
昔日齷齪不足誇、今朝放蕩思無涯。
春風得意馬蹄疾、一日看尽長安花。
むかし、あくせくしていたことは自慢にはならない
今朝は合格発表心伸び伸び嬉しさ極まりない。
春風は徳満面ひずめの音も軽やかにする
今日一日は見尽くせる長安の花を
この詩は、何度も何度も落第し、50歳前になってやっと合格した作者の嬉しさを表している。昨日まで、きっと
肩身の狭い思いをしていたはずである。得意満面、同じ春風も、ひずめの音も、違っている。とくに、長安の王侯貴族の庭は合格者には無礼講。長安の都はにはボタンの花でいっぱい。作者孟郊は手ばなしに喜んだ。
昔日(せきじつ)の齷齪(あくそく)誇りに足ら不(ず)
今朝(こんちょう)放蕩として思い涯(は)て無し
春風意(しゅんぷうい)を得て馬蹄疾(ばていはや)し
一日看(み)尽くす長安の花
同じ作者の詩です。今年も落第しましたと、郷里の母親に手紙を出しています。この種の手紙の場合、通常母の口を借りた詩が多いのですが、作者はゆとりもなくなっているのでしょう。でも次こそ頑張るぞと決意をしめしています。
游子吟 孟郊
慈母手中線、游子身上衣。
臨行密密縫、意恐遅遅帰。
誰言寸草心、報得三春輝。
母の手の中で糸がおどる。旅立つ私の衣装を作っている。出かける直前まで1針1針ていねいに縫う。帰りが遅くなることの不安を隠せない。子が親を思う心は雑草のごとく小さなもの。三月の陽光みたいな母の愛情にどう応えられようか。
慈母(じぼ)手中の線(いと)
游子(ゆうし)身上の衣(ころも)
行くに臨(のぞ)んで 密密に縫う
意に 恐る 遅遅として帰えらんことを
寸草(すんそう)の 心を持って
三春(さんしゅん)の暉(き)に報じ得がたし
帰信吟
涙墨灑為書、将寄萬里親。
書去魂亦去、兀然空一身。
涙墨は書を為してそそいでいる
まさに心寄せるは萬里の親。
書を去らせるのは魂も亦、去ること
そうなるとこの身は空しいいものだ
今年もまた落第した。そのことを故郷の書をしたためる作者。涙があふれて留めない。
私が手紙を書かなくなったら、心は届かない、きっとむなしいものになってしまう。手紙は心を奮い立たせ、今度こそという気持ちにならせるのだ。
私は、「詩は心に感じるまま」、正しい読み方を考えないで読む。何回も読むことが大切なのだ。書き下し分は昔の言葉、間違ってもいいから、漢字だけを見て意味を考える。受け取る人によって異なる意味にあっても構わないのでないか。
(昔からの下し文)
涙墨をそそいで書と為す
まさに萬里の親に寄せんとす
書去って魂亦去り
兀然として一身空し
渭上思帰
獨訪千里信、囘臨千里河。
家在呉楚郷、涙寄東南波。
ひとり千里の信を訪う
また千里の河に臨む
家は在り呉楚の郷
涙は寄す東南の波
隋時代から始まった科挙試験、20歳前後から30年近く受験し続けた孟郊がすごいのか、息子を元気づける母親がすごいのか。現代人に理解できるのか。当時は貴族時代。当時としては科挙試験を宿命づけられた人にとって、頑張り続けるより道はなかったのだ。通常40歳を超え、45歳までにあきらめる場合が多かったようだが。
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李白が若い時期に長安に出てきたことは現代になって修正されたことである。それまでは20代半ばで蜀を発し、長江の中、下流域から洛陽、太原、山東など各地をわたっているとはされているものの長安にはいかなかった。40代前半までの15年間中、安陸(湖北省安陸市)で10年足らず過ごし、その安陸での結婚生活、それを主要拠点として、歴遊生活をしたこととされていた。妻は名門の末裔許夫人であった。
いまでは、長安においての求職活動をしている事跡が加わった。このブログでも長安における若い時の作であろうと思えるもの、関連性がある物と考えられるものを取り上げている。
若いもの、長安といえば、科挙試験である。名前の通った詩人で、科挙試験を受けていないのは李白だけである。当時は詩人であるためには、あるいは詩人として不可欠要件であったのが科挙に及第することであった。
李白が都長安に出てきた時期に詠われた科挙に関する詩を取り上げてみた。
李白の詩 連載中 7/12現在 75首
2011・6・30 3000首掲載
漢文委員会 ホームページ それぞれ個性があります。
李商隠の女詞特集ブログ連載中李商隠 毎日書いています。
李白の漢詩特集 連載中李白 毎日書いています。