漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

猛虎行

猛虎行 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -279

猛虎行 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -279
「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。その4回目

#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。
朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』 旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。 一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』
頗似楚漢時。 翻覆無定止。 朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。 暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。 有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』 ( 玉一作長 )

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。 有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。 三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』


#4 春、人、塵、賓、親。
溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
いま、溧陽の酒場で三月春たけなわのころである。いつもなら柳や、春の花が咲き乱れているのに叛乱軍により人を殺しているので愁えで茫茫としたけしきになっている。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
叛乱軍には異民族の緑眼の胡人の野郎が異国の玉笛を吹いているのだ、白紵曲の呉歌の声は高く上がり、ここにいる叛乱軍を塵のようにふっ飛ばすのである。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
私と張旭二人、こうして会っているのは久しぶりのことでとても楽しいものだ、牛を殺して料理をし、太鼓をうちならし音高く、みんな大勢であつまってこの会を大いに楽しむのである。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

自分は別れてから東海に行って釣りをして隠者の生活をしよう。魚が釣れたら、こんなものが釣れたと笑いつつ送ってよこし、互いの友情を温めようではないか。

猛虎の行 ( 此の詩、蕭士に贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』
#2

頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』
#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3
#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫たり、人を愁殺せしむ。
胡の雛(こども )緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌(う)ち鼓を撾きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。
五重塔(2)
 


猛虎行#4 現代語訳と訳註
(本文) #4

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

(下し文) #4
溧陽の酒楼 三月の春、楊花 茫茫 人を愁殺せしむ。
胡の雛 緑の眼 玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見え 且く楽しみを為せ、牛を槌ち 鼓を樋きて 衆賓を会す。
我 此より去って東海に釣りせん、魚を得ば 笑って寄せて情 相親しまん。


(現代語訳)
いま、溧陽の酒場で三月春たけなわのころである。いつもなら柳や、春の花が咲き乱れているのに叛乱軍により人を殺しているので愁えで茫茫としたけしきになっている。
叛乱軍には異民族の緑眼の胡人の野郎が異国の玉笛を吹いているのだ、白紵曲の呉歌の声は高く上がり、ここにいる叛乱軍を塵のようにふっ飛ばすのである。
私と張旭二人、こうして会っているのは久しぶりのことでとても楽しいものだ、牛を殺して料理をし、太鼓をうちならし音高く、みんな大勢であつまってこの会を大いに楽しむのである。
自分は別れてから東海に行って釣りをして隠者の生活をしよう。魚が釣れたら、こんなものが釣れたと笑いつつ送ってよこし、互いの友情を温めようではないか。


(訳注)
#4
 春、人、塵、賓、親。

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
溧陽の酒楼 三月の春、楊花 茫茫 人を愁殺せしむ。
いま、溧陽の酒場で三月春たけなわのころである。いつもなら柳や、春の花が咲き乱れているのに叛乱軍により人を殺しているので愁えで茫茫としたけしきになっている。
溧陽 現在江蘇省常州市に位置する県級市。  三月春 三月は春の終わり、科挙試験、地方においても試験が終わり合格者は貴族の庭に自由に出入りし、祝ってもらえる。長安の貴族の庭には牡丹、梨の花が咲き乱れ、柳絮が飛び交っていた。叛乱軍は略奪、強奪を残虐にしていた。


胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
胡の雛 緑の眼 玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)梁の塵を飛ばす。

叛乱軍には異民族の緑眼の胡人の野郎が異国の玉笛を吹いているのだ、白紵曲の呉歌の声は高く上がり、ここにいる叛乱軍を塵のようにふっ飛ばすのである。
胡雛 当時の漢人が異民族に対する蔑視の表現であり、「胡のくそガキ」という意味である。○呉歌の白紵(はくちょ) 李白「白紵辞」李白81白紵辭其一  82白紵辭其二  83 巴女詞  晋の時代、呉の地方に白紵の舞というのが起った。白紵というのは、麻の着物の美白なもの。それを着て舞い、その舞の歌を白紵辞と言った。
○梁塵 溧陽の地は梁の国の中心であった。その地にいた叛乱軍、異民族の兵士を示す。


丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
丈夫相い見え 且く楽しみを為せ、牛を槌ち 鼓を樋きて 衆賓を会す。
私と張旭二人、こうして会っているのは久しぶりのことでとても楽しいものだ、牛を殺して料理をし、太鼓をうちならし音高く、みんな大勢であつまってこの会を大いに楽しむのである。
丈夫 張旭のこと。○相見 二人があっていること ○且為楽 久しぶりのことでとても楽しいもの。○槌牛 牛を殺して料理をする。○撾鼓 太鼓をうちならし音高くするさま。 ○会衆賓 州知事や地元の文人などがみんなで集まることを言う。


我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。
我 此より去って東海に釣りせん、魚を得ば 笑って寄せて情 相親しまん。
自分は別れてから東海に行って釣りをして隠者の生活をしよう。魚が釣れたら、こんなものが釣れたと笑いつつ送ってよこし、互いの友情を温めようではないか。
釣東海 「東海に釣りをする」は、『荘子』「外物」篇に、任公子が、大きな釣針で牛五十頭を餌にして、会稽山でうずくまり東海に糸を投じたという寓話にもとづくものである。○得魚笑寄 風流人、隠者の楽しみの表現である。


 張旭とは長安時代の飲み仲間である。気心知れている友人である。モれに対しては思う気持ちを偽りなく打ち明けられる。おそらくこのときは、剣中まで行って隠遁でもするつもりではなかったろうか。自分は「策がある」が認められないし、今や安禄山の乱まで起きて大混乱の世である。前途に対する希望は失いかけていたにちがいない。


 深陽から剣中に向かってゆくが、どの道を通ったか分からない。この地方は、かつての呉・越の地である。長安を追放されて以後、詐梁を中心に各地に遊び、南はこの地を通り、会稽方面まで行っている。あるいはそれより前、長安に入る以前にも、この呉・越の地を遍歴していると思われる。この地に関係する詩に、『唐詩選』にも収められている有名な「蘇台にて古えを覧る」と[越中にて古えを覧る]がある。同時期の作でないかもしれないが、亡国の悲しみを歌うところを見ると、安禄山の乱後、乱を避けて刻中に行く途中、呉・越の地を通りつつ、国家の危機を感じて、亡国の感慨を歌ったものではなかろうか。

李白8  蘇台覧古

李白9  越中覧古


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猛虎行 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -278

猛虎行 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -278
「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。その3回目


猛虎行
#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。
朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』
頗似楚漢時。 翻覆無定止。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』 ( 玉一作長 )

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
そういうことでここ最近、旅人となって宣城にきたのだ。鈴を制止して通き交うこと二千石の酒である。
有時六博快壯心。繞床三匝呼一擲。
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
楚人每道張旭奇。心藏風云世莫知。
ここ宣城の楚の国の人、いつも「道」をもとめており、  張旭は興味深い好ましい人間なのだ。 心に秘めて思っていることは機会をつかんで世の中で活躍するには世の人に知られないことだ。 
三吳邦伯皆顧盼。四海雄俠兩追隨。
呉地方の三呉の州知事はどの地域も政治的に振り返ってじっとにらみを利かせている。中国全土においても英雄的なこと、任侠的な事、そのどちらも実行しようとしているのだ。
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

漢の創業の功臣蕭何や曹参が曾て江蘇省の沛県の中の官吏であった。そこから、龍をかかげて鳳凰に附隋して時期が来たときことを成したのだ。

#4 春、人、塵、賓、親。
溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。


猛虎の行 ( 此の詩、蕭士に贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』
#2

頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』
#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3

#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫たり、人を愁殺せしむ。
胡の雛(こども )緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌(う)ち鼓を撾きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。


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現代語訳と訳註
(本文)
#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。
昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』


(下し文)
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3


(現代語訳)
そういうことでここ最近、旅人となって宣城にきたのだ。鈴を制止して通き交うこと二千石の酒である。
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
ここ宣城の楚の国の人、いつも「道」をもとめており、  張旭は興味深い好ましい人間なのだ。 心に秘めて思っていることは機会をつかんで世の中で活躍するには世の人に知られないことだ。 
呉地方の三呉の州知事はどの地域も政治的に振り返ってじっとにらみを利かせている。中国全土においても英雄的なこと、任侠的な事、そのどちらも実行しようとしているのだ。
漢の創業の功臣蕭何や曹参が曾て江蘇省の沛県の中の官吏であった。そこから、龍をかかげて鳳凰に附隋して時期が来たときことを成したのだ。


(訳注)#3
昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

(訳注)

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
そういうことでここ最近、旅人となって宣城にきたのだ。鈴を制止して通き交うこと二千石の酒である。


有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 3~40cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。
 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。○繞床 床を廻る○三匝 三匝さんかいまわる 三方を囲む 、○一擲 一回賽を投げろと連呼する
梁園吟  李白42


楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
ここ宣城の楚の国の人、いつも「道」をもとめており、  張旭は興味深い好ましい人間なのだ。 心に秘めて思っていることは機会をつかんで世の中で活躍するには世の人に知られないことだ。 
○風云 機会をつかんで世の中で活躍する
 
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。
呉地方の三呉の州知事はどの地域も政治的に振り返ってじっとにらみを利かせている。中国全土においても英雄的なこと、任侠的な事、そのどちらも実行しようとしているのだ。
三吳 吳の地の吳郡・吳興・會稽をさす。○邦伯 州の長官。刺史。○盼顧 振り返ってじっと見る。 ○四海 天下。中国全土。○雄俠 英雄的な任侠の人を言う。


蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』
漢の創業の功臣蕭何や曹参が曾て江蘇省の沛県の中の官吏であった。そこから、龍をかかげて鳳凰に附隋して時期が来たときことを成したのだ。
蕭曹 漢の創業の功臣蕭何しょうかや曹参そうしん曾て○沛中 沛公、劉邦。江蘇省の沛県の官吏であったと作す。

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李白『梁園吟』
連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
〇五白-購博の重義が黒く裏が白い五つのサイコロを投げて、すべて黒の場合(六里嘉最上、すべて白の場合〔五日)がその次、とする。〇六博-賭博の毎→二箇のコマを、六つずつに分けて賽する。〇分嘉酒-二つのグループ(曹)に分かれて酒の勝負をする。○酎-酒興の盛んなさま。○馳曙-馳けるように過ぎゆく日の光、時間。

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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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猛虎行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -277

猛虎行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -277

「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。その2回目
宮島(5)

#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。

朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』

頗似楚漢時。 翻覆無定止。
趙の将軍廉頗が楚との戦いで活躍したときは今の唐の時代と似ている。趙楚の戦いも形勢は変わりやすかった、攻めたり攻められたり、体制は流動的で態勢がきまったわけではない。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良は朝に鉄槌を投げて暗殺未遂をした博浪沙をすぎた。夕方にはもう韓信が漂母に出会った淮陰の街に着いていた。
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
張良は韓信が貧しかったうちには未だであっていない.劉邦と項羽は存亡をかけた両雄が鴻門の会を結べたのは張良と韓信の存在があったからだ。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
張良は暫くして下邳では黄石公に平方の戦略を習って倒すことができたのである。韓信は川で漂泊をしているおばあさんに御馳走になりこれを主人とすることで立派な人として抜擢されたのだ。
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
張良という賢人と韓信という哲人でさえあくせくしていたのも昔のことであるがここにいる、私と張旭の二人があくせくするのも当たり前だろう。今、こんな時世であるから、もう若い時に描いていた、天下国家を動かそうなんていう青雲の志い詩を持った指導者なんていらないのだろう。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
策略はいくらでもあるだから無理をして粛宗の龍と永王の鱗をどちらかということ時期ではないはずなのだ。自分らは張良のように身を竄して、湖南や浙江の南國に叛乱軍を避け、情勢をよく見ることにしていよう。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』
( 玉一作長 )
今、叛乱軍によって、翰林院の大切な宝のような書物、受け継がれてきた輝く宝飾で飾られた剣、それらの価値のわからない奴ら間、高閣にただ置かれているだけで生かし切ることができないのだ。貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍つけて、優れて走り抜ける馬に乗っていた長安時代の友人、官僚の友人たちは今はもういないのだ。

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

#4 春、人、塵、賓、親。

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。


猛虎の行 ( 此の詩、蕭士に贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』

#2
頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』

#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3
#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫たり、人を愁殺せしむ。
胡の雛(こども )緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌(う)ち鼓を撾きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。

猛虎の行 #2 現代語訳と訳註
(本文)#2

頗似楚漢時。 翻覆無定止。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』

(下し文)
頗 似て楚漢の時。 翻覆して定むる止むることなし。

朝に博浪の沙を過ぎる。 暮に淮陰の市に入る。
張良 未だ韓信の貧しきに遇わず。劉項存亡在兩臣。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲として 古きこと此くの如し。今時 亦た青云の士 棄る。
策 有りて 敢て龍鱗を犯さず。竄身 南國に胡塵を避く。
寶書 玉劍 高閣に挂かる。金鞍 駿馬 故人に散す。』

(現代語訳)#2
趙の将軍廉頗が楚との戦いで活躍したときは今の唐の時代と似ている。趙楚の戦いも形勢は変わりやすかった、攻めたり攻められたり、体制は流動的で態勢がきまったわけではない。
張良は朝に鉄槌を投げて暗殺未遂をした博浪沙をすぎた。夕方にはもう韓信が漂母に出会った淮陰の街に着いていた。
張良は韓信が貧しかったうちには未だであっていない.劉邦と項羽は存亡をかけた両雄が鴻門の会を結べたのは張良と韓信の存在があったからだ。
張良は暫くして下邳では黄石公に平方の戦略を習って倒すことができたのである。韓信は川で漂泊をしているおばあさんに御馳走になりこれを主人とすることで立派な人として抜擢されたのだ。
張良という賢人と韓信という哲人でさえあくせくしていたのも昔のことであるがここにいる、私と張旭の二人があくせくするのも当たり前だろう。今、こんな時世であるから、もう若い時に描いていた、天下国家を動かそうなんていう青雲の志い詩を持った指導者なんていらないのだろう。
策略はいくらでもあるだから無理をして粛宗の龍と永王の鱗をどちらかということ時期ではないはずなのだ。自分らは張良のように身を竄して、湖南や浙江の南國に叛乱軍を避け、情勢をよく見ることにしていよう。
今、叛乱軍によって、翰林院の大切な宝のような書物、受け継がれてきた輝く宝飾で飾られた剣、それらの価値のわからない奴ら間、高閣にただ置かれているだけで生かし切ることができないのだ。貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍つけて、優れて走り抜ける馬に乗っていた長安時代の友人、官僚の友人たちは今はもういないのだ。


(訳注)#2
頗似楚漢時。 翻覆無定止。
趙の将軍廉頗が楚との戦いで活躍したときは今の唐の時代と似ている。趙楚の戦いも形勢は変わりやすかった、攻めたり攻められたり、体制は流動的で態勢がきまったわけではない。
廉頗(れんぱ、生没年不詳)は、中国戦国時代の趙の将軍。藺相如との関係が「刎頸の交わり」として有名。○翻覆 上に向けたり、下に向けること。変わりやすいこと。


朝過博浪沙。 暮入淮陰市。
張良は朝に鉄槌を投げて暗殺未遂をした博浪沙をすぎた。夕方にはもう韓信が漂母に出会った淮陰の街に着いていた。
博浪沙 いまの河南省原陽県(陽武)。開封の近くにある。李白『經下邳圯橋懷張子房』「椎秦博浪沙」
漢の高祖(鋸鰯の参謀として漢の帝国樹立に功績があり、斎何、韓信とともに、創業の表といわれている。のち、大名に封ぜられ、留侯と呼ばれた。張良の先祖は韓の人で、祖父も父も韓国の宰相をつとめた。
淮陰市 韓信が人生を変えた漂母と出会った街。


張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
張良は韓信が貧しかったうちには未だであっていない.劉邦と項羽は存亡をかけた両雄が鴻門の会を結べたのは張良と韓信の存在があったからだ。
張良・韓信 張良・蕭何・韓信で漢の三傑。○劉項 秦軍を撃破した漢の劉邦、楚の項羽
鴻門の会 咸陽占領を巡る項羽と劉邦の咸陽城外での講和会議。懐王はかねて咸陽を陥落させた者を関中王とすると宣していたが、咸陽を開城させた劉邦は項羽の接近に対して関門を閉じ、一時は交戦となるところを張良・項伯の周旋で鴻門での和睦となった。会盟中、項羽の軍師の范増は劉邦暗殺を謀ったが、項伯・樊噲・張良の機転で果たせず、散会後に項羽を「豎子、ともに図るに足りず」と罵り、これが後の項羽と范増の不和の最初になったという。   

暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。
張良は暫くして下邳では黄石公に平方の戦略を習って倒すことができたのである。韓信は川で漂泊をしているおばあさんに御馳走になりこれを主人とすることで立派な人として抜擢されたのだ。
○この聯は 注釈を参照。
經下邳圯橋懷張子房 李白-272

扶風豪士歌 安史の乱と李白(3215

淮陰書懷寄王宗成李白350-199

李白32 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二



賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
張良という賢人と韓信という哲人でさえあくせくしていたのも昔のことであるがここにいる、私と張旭の二人があくせくするのも当たり前だろう。今、こんな時世であるから、もう若い時に描いていた、天下国家を動かそうなんていう青雲の志い詩を持った指導者なんていらないのだろう。
○賢【賢哲】 (名・形動) [文]ナリ [1]賢人と哲人。[2]賢明で道理に通じていること。
棲棲 いそがしいさま。落ち着かないさま。あくせくする。○青云士
經亂後將避地剡中留贈崔宣城 李白-217-2

古風五十九首 其四十 李白198


有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
策略はいくらでもあるだから無理をして粛宗の龍と永王の鱗をどちらかということ時期ではないはずなのだ。自分らは張良のように身を竄して、湖南や浙江の南國に叛乱軍を避け、情勢をよく見ることにしていよう。
龍鱗 下句の胡塵が対句であるから、ここでは、唐王朝、天子を指す。李白は、玄宗から追放を受けた訳で、龍:玄宗と鱗:粛宗ともいえるが、のち、永王鄰の軍に参加することを考えると、兄弟仲があまり良くなかった:粛宗で、:永王璘というのが妥当であろうと思う。




寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』
今、叛乱軍によって、翰林院の大切な宝のような書物、受け継がれてきた輝く宝飾で飾られた剣、それらの価値のわからない奴ら間、高閣にただ置かれているだけで生かし切ることができないのだ。貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍つけて、優れて走り抜ける馬に乗っていた長安時代の友人、官僚の友人たちは今はもういないのだ。
寶書 翰林院の大切な宝のような書物。○挂高閣 朝廷内の高閣に置いている。それを生かし切ることができないことをいう。金鞍 貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍。 ○駿馬 優れて走り抜ける馬。 ○故人 長安時代の友人、官僚の友人をいう。




○張子房 張良のこと。子房はそのあざな。漢の高祖(鋸鰯の参謀として漠の帝国樹立に功績があり、斎何、韓信とともに、創業の表といわれている。のち、大名に封ぜられ、留侯と呼ばれた。張良の先祖は韓の人で、祖父も父も韓国の宰相をつとめた。秦が韓を滅ぼした時、張良はまだ少年であったが、家財を投げ出して晴箸を求め、秦の始皇帝を警うと決意した。

家柄からして、韓のために仇を報いざるを得なかったのである。かれは捨海君という異民族の夏に力の強い男を芸してもらい、大きな鉄のハンマーをつくり、案の始皇帝が博浪汐という所に行幸したのを狙撃させた。狙いは外れて予備の車にあたった。始皇帝は大いに怒った。天下に犯人をもとめ、捜索は非常にきびしかった。張良は変名して下警身をかくしていた。ある日のこと、張良がぶらぶら散歩して下邸の土橋にさしかかると、一人のじいさんがそまつな着物をきて張良のそばに寄ってきた。

いきなり、自分の靴を橋の下におとし、張良の顔をみて言った。「小僧、おりで靴を警て来い」張良はびっくりした。殴ってやろうかと思ったが、年よりだから、がまんして→りてゆき靴を拾った。じいさんは言った。「わしにはかせろ」張良は是や靴を拾った以上仕方がない。誓まずいて、はかせてやった。じいさんは足で受け、笑って立ち去った。張良があっけにとられて後姿を見送っていると、しばらくして引きかえしてきたじいさんが言った。

「小僧、警がいのある奴だ。音のち、明け方にわしと此所で会晋」張良は怪しみながらも「はい」と答えた。音たって夜明けに張良が行くと、じいさんは先に来ている。そして怒って言う。「老人と約束七で遅れるとは何事だー・」去りながら言った。「音のち、朝早く会おう」こんどは妄鶏がなくころ張良は行った。じいさんはやっぱ。先に来ていた。また怒って言う。「おくれるとは何事だー三富のち、もっと早く来い」張良、こんどこそはと、夜中にもならないうちに行った。しばらくするとじいさんがやってきて、はじめてニ…コした。「こうこなくちゃいかん」-警書を菅出して言った。「これを読めば、王者の師となれる。十年のち、出掌る。

十三年のち、小僧はわしを済北の穀城山のふきに見つけるであろう、黄石がつま。わしなんだ」言い至ると、さっと姿晶した。夜が明けてその書をよく見ると、太公望の兵書であった。張良はふしぎに思い、いつ登れを詞読した。

やがて高祖が兵をあげる主柄豊てたが、十三年のち、高祖に従って済北を過ぎたとき、張良ははたして黄色
の石を見つけたので、警できてそれをまつったということであった。



淮陰書懷寄王宗成 李白
暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです
○漂母 史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。

予為楚壯士。 不是魯諸生。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
○楚壯士 楚の国は勇壮な武士をたくさん出している。○魯諸生 山東省魯の孔子の里。

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首
飢從漂母食。閑綴羽陵簡。
●后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。
●漂母 韓 信(かん しん、生未詳 - 紀元前196年)は、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。こんな有様であったため、淮陰の者はみな韓信を見下していた。とある亭長の家に居候していたが、嫌気がした亭長とその妻は韓信に食事を出さなくなった。いよいよ当てのなくなった韓信は、数日間何も食べないで放浪し、見かねた老女に数十日間食事を恵まれる有様であった。韓信はその老女に「必ず厚く御礼をする」と言ったが、老女は「あんたが可哀想だからしてあげただけのこと。御礼なんて望んでいない」といわれた。老女が真綿を晒す老女であったことから、漂母という。
●丹徒の布衣者と一斛いっこくの檳榔びんろう
 劉 穆之(りゅう ぼくし、360年 - 417年)は、中国五胡十六国時代の東晋末期に劉裕(宋の武帝)に仕えた政治家のことさす。若く貧しかった頃は、妻の兄である江氏の家に食事を乞いに行っては、しばしば辱められ、妻にも行くのを止められたが、これを恥としなかった。後に劉穆之は江氏の祝いの宴会に赴き、食後の消化に檳榔を求めたが、江氏の兄弟に「いつも腹を空かしているのにそんなものがいるのか」とからかわれた。妻は髪を切った金で兄弟に代わり劉穆之に食事を出したが、これ以後、劉穆之の身繕いをしなくなった。後に劉穆之は丹陽尹となると、妻の兄弟を呼び寄せようとした。妻が泣いて劉穆之に謝ると、劉穆之は「もともと怨んでもいないのだから、心配することもない」といい、食事で満腹になると金の盆に盛った1斛の檳榔を彼らに進めたという。

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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猛虎行 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -276

猛虎行 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -276
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猛虎行-張旭と飲む

「君に尊敬の念を抱きつつ御馳走になって君のために歌をうたうわけである。自分はまだ志を得ない漢の張良のようなもの、仙人の赤松の跡を逐って上昇するほど、脱俗的の気分にはなっていない。」
張良は下郡の杷橋のもとで黄石公から兵法を授けられ、その後、漢の高祖に仕えて出世して留侯にまでなった。「その黄石公に比すべき人のみ、わが気持ちが分かってくれるものだ」と歌う。最後の句は、李白の希望を述べ、わが心を知ってくれる黄石公のごとき人が出てほしい。そして、再び活躍する場を与えてはしいという。前途に対しての希望はまだまだ消えてはいない。ぞく叛乱軍の侵入の悲惨を歌いながら、それに刺激されて任侠心が勃然とよみがえってきたのであろうか。

洛陽には洛水が流れている。「その辺りは胡兵たる賊軍がいずこにも走りまわっている。戦いのために、野草が血塗られている。財狼に比すべき賊軍は、みな衣冠束帯をつけて役人となり、横暴を極めている」。「流血は野草を塗らし、財狼のもの尽く冠の樫をす」には、安禄山の配下の者が、にわか官僚となって、横暴な振舞いをしていることに対する李白の憤りがこめられている。

凡そ生死の場に損入する遊侠者の悪い部面として賭博行為がつきまとう.したがって司馬遷が遊侠者の性格を述べるに当り,正義に外れる場合のあり得る事を前提とした意中にはこのような行為も入るわけである.
李白「梁園吟」には組分けして滑を賭け遊び暮したことが彼の実際経験としで述べられているが,より切実感を盛った描写としては「猛虎行」がある.これは楽府体の詩であるが辞中の言菜では,溧陽で張旭に留別するに際し作ったものとされている.この中には  李白が安禄山の乱を避けて宣城に至り,この地の太守と親交があったことを語り,また時には自ら  六博をなして賭博的享楽中にその壮心を慰めた様子も詠われている.李白がこのような放浪の旅をしきりに痛快にできたのは,尋常一様の士として、過去の作品の軌を異にするものである.詩の注釈に蕭士賛はこの詩を李白のではないと凝っている。

李白の詩は、論理の流れが滑らかで、使われている語が幾様にも掛けことばとされている。それでいても論理の錯誤はない。立て板に水が流れるような詩であることが一番で、押韻のために無駄な語を使用しない。 しかし、この詩は一貫性がない。論理性もしっかりしていない。この詩は倫理的でないことに尽きる。
だからといって李白のものではないとは言えない。いや、李白の詩、全体的な作品から見て、もう一つの大きな時期的なもの、政情不安、治安も不安な時期であったことが、この詩にさせたものであるようにおもえるのである。
儒教的な視点で李白の詩は語れない。遊侠的実践を好ましくないものとして位置づけ、遊侠・任侠は不正義につながるという儒教者の教条主義的な見方では理解できないのかもしれない。

蕭士賛は論理が通っていない偽物といい
「猛虎行」蕭士賛曰,按此詩似非太自之作,用事既無倫理.徒爾辟鴬狂誕之辞,首尾不相應,詠絡不相貫串 語意斐率.悲欺失拠,必是他人詩,竄入集中,歳久難別. 
王琦は時期的に合致、飲んだ席でのことであり、本物という。
李太白文集韓註巻六 「猛虎行」琦夜是詩当天宝十五載之春,太白与張旭相遇於溧陽,而太白又将遨遊東越,与張旭宴別而作也. 


「函谷関が堅固であることが天子のいる長安を支えることになるし、天下の運命は潼関を守る総司令官の哥舒翰にかかっている。ところが、長き仗を持った唐の軍隊三十万もおりながら、戦い敗れて、関門を開いて賊軍安禄山を潼関より入れてしまった。情けないことだ。一挙に長安は占領され、役にたたぬ公卿たちは犬羊のごとく追いまわされ、なすところを知らず。忠義の者は塩辛や塩漬けにされてしまった。賊軍の横暴略奪は悲惨を極めた」と、当時の乱離の様を追憶している。杜甫もしきりに安禄山の乱を歌い、その悲惨さを多く歌っているが、詩人ならずとも、当時の人々に特に衝撃は大きかった。
李商隠

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「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。

猛虎行 ( 此詩蕭士贇云是偽作 )
猛虎のうた ( 此の詩は、蕭士贇が言うに李白の作ではない偽作である。)
#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。

朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
朝に猛虎の歌を作って、日暮れに猛虎の歌を吟じている。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
腹立たしくて腸がちぎれんばかりに怒りがわいてくる関中には天子はいなくて隴山の奥に行ってしまって水が流れてくるばかり。今はただ涙が流れて止まらない、雍城で大敗しその門前で寂しく琴音が響く。
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
今や叛乱軍の軍旗が風に翻っている渭水、洛水の両岸を抑えられてしまった。戦いの際に打ち鳴らされる太鼓は吹きの山々に轟き、これを倒してもらいたいのだ。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
しかし、長安にいた臣下の者たちは、叛乱軍に進んで虜になってしまった。その捕虜たちの奸臣たちは叛乱軍の馬たちに託して洛陽に送られたのだ。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
ひとたび輸送され、ひとたび消失して関中の兵は叛乱軍に下ったのだ。明日に降参した者たちは、ゆうべには幽州の薊の城郭から叛乱は始まったのだ。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

安禄山の叛乱以来そのオオガメは大海原切り開いて出てくることはない。大魚と龍も大暴れしてどうしてそのままおとなしくしておられるものか。

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』

頗似楚漢時。 翻覆無定止。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』 ( 玉一作長 )

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

#4 春、人、塵、賓、親。

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

猛虎の行 (注 此の詩、蕭士贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』
#2
頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』
#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3
#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫れて人を愁殺せしむ。
胡の雛緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌ち鼓を樋きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。


杜甫乱前後の図003鳳翔渭水は秦州から右側に流れ長安を過ぎて、潼関で黄河と合流する。合流して黄河は東流(右に)して洛陽方面から来た洛水と合流する。 


猛虎行 現代語訳と訳註
(本文) #1

猛虎行 ( 此詩蕭士贇云是偽作 )
朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

(下し文)
猛虎の行  ( 此の詩、蕭士贇は云う、是れ偽作。 )
朝に 猛虎の行を作し、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』

(現代語訳)
猛虎のうた ( 此の詩は、蕭士贇が言うに李白の作ではない偽作である。)
朝に猛虎の歌を作って、日暮れに猛虎の歌を吟じている。
腹立たしくて腸がちぎれんばかりに怒りがわいてくる関中には天子はいなくて隴山の奥に行ってしまって水が流れてくるばかり。今はただ涙が流れて止まらない、雍城で大敗しその門前で寂しく琴音が響く。
今や叛乱軍の軍旗が風に翻っている渭水、洛水の両岸を抑えられてしまった。戦いの際に打ち鳴らされる太鼓は吹きの山々に轟き、これを倒してもらいたいのだ。
しかし、長安にいた臣下の者たちは、叛乱軍に進んで虜になってしまった。その捕虜たちの奸臣たちは叛乱軍の馬たちに託して洛陽に送られたのだ。
ひとたび輸送され、ひとたび消失して関中の兵は叛乱軍に下ったのだ。明日に降参した者たちは、ゆうべには幽州の薊の城郭から叛乱は始まったのだ。

安禄山の叛乱以来そのオオガメは大海原切り開いて出てくることはない。大魚と龍も大暴れしてどうしてそのままおとなしくしておられるものか。

(訳注)
猛虎行 ( 此詩蕭士贇云是偽作 )

猛虎のうた ( 此の詩は、蕭士贇が言うに李白の作ではない偽作である。)
猛虎 安禄山の叛乱、叛乱軍の残虐で略奪をほしいままにしたことを踏まえていう。○蕭士 草書を完成させた立派な人。○ 美しい草書 ○偽作 陸機作のものの贋作ということにしてイメージを借りた。

猛虎行 陸機  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -274


朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
朝に猛虎の歌を作って、日暮れに猛虎の歌を吟じている。
○猛虎 自分の意に副わない敵対する側を指すもの。ここでは、反乱軍安禄山の軍が、勝手気ままな治政を行い、各地で略奪をほしいままに繰り返した。唐王朝の貞観の治により、地方の隅々まで、潤っていたものが、官僚取立て制度のシステムの崩壊から、税負担が大きくなり、唐王朝に対する不満があり、安禄山もその不満を受けて当初は支持をされていた。ところが、その軍は、胡の帽子をかぶり、野党、盗賊の群れであった。民衆の支持はたちまち離れた。李白は、陸機の「猛虎行」の雰囲気を借りて歌ったものである。


腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
腹立たしくて腸がちぎれんばかりに怒りがわいてくる関中には天子はいなくて隴山の奥に行ってしまって水が流れてくるばかり。今はただ涙が流れて止まらない、雍城で大敗しその門前で寂しく琴音が響く。
○雍門 756年雍丘の戦いにおいて唐王朝軍が大敗している。○


旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
今や叛乱軍の軍旗が風に翻っている渭水、洛水の両岸を抑えられてしまった。戦いの際に打ち鳴らされる太鼓は吹きの山々に轟き、これを倒してもらいたいのだ。
旌旗 反乱軍の軍旗。○繽紛 ひらひらと風に翻っているさま。○兩河道 黄河の分水、渭水は長安を西に上流を流域とする川と洛陽も黄河の分水の洛水にそっている。この時両都市を反乱軍が抑えていた。 ○戰鼓 戦いの陣列を整える陣太鼓。○驚山 太鼓の音が山に轟いて、そこに住む人間にとって脅威であった。


秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
しかし、長安にいた臣下の者たちは、叛乱軍に進んで虜になってしまった。その捕虜たちの奸臣たちは叛乱軍の馬たちに託して洛陽に送られたのだ。
秦人 長安、洛陽の朝廷の官僚、臣下。○半作 官僚として王朝軍の筋を通さないこと。○燕地囚 反乱軍の捕虜となること。 ○胡馬 反乱軍の軍馬。○翻銜 馬の轡の向きを変える。ここでは西に向かう馬を東に帰ることで、反乱軍の本拠地洛陽に向かうことを示す。○洛陽草 洛陽で捕虜として仕えること。

一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
ひとたび輸送され、ひとたび消失して関中の兵は叛乱軍に下ったのだ。明日に降参した者たちは、ゆうべには幽州の薊の城郭から叛乱は始まったのだ。
幽薊 反乱軍が決起したところを示す。:幽州。・薊:古代中国の都市。春秋戦国時代には、燕の都が置かれた。現在の北京市。


巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』
安禄山の叛乱以来そのオオガメは大海原切り開いて出てくることはない。大魚と龍も大暴れしてどうしてそのままおとなしくしておられるものか。
巨鰲 オオガメ  李白『懷仙歌』 懷仙歌 李白 111
「堯舜之事不足驚。 自余囂囂直可輕。
 巨鰲莫戴三山去。 我欲蓬萊頂上行。」
(尭舜の事は驚くに足らず自余のものの囂囂(きょうきょう)たるは直だ軽んず可し。巨鰲は三山を戴きつつ去ること莫かれ、我は蓬莱の頂上に行かんと欲す)
儒教を国のおしえ覇道として堯帝と舜帝のやったことなど私にとっては驚くべきことではない、まして私に嘆いたり、心配してうるさいものはただ値打ちのない軽んじられるものなのだ
ただ大亀いる、仙人の住む三山をはるか先に背負っていってしまってはいけない、私はこれから蓬萊山の頂上に行こうと思っている。

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