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しばらく滞在した秋浦、村人たちは李白が叛乱軍を征伐に行く水軍に参画するのに別れを惜しんでくれただ。
秋浦歌十七首其十七
祧波一步地。了了語聲聞。
闇與山僧別。低頭禮白云。
秋浦の歌十七首 其の十七
祧波(ちょうは) 一歩(いっぽ)の地なり、了了(りょうりょう)なり 語声(ごせい)聞こゆ。
闇(やみ)に 與(たす)く 山僧(さんそう) 別れ、頭(こうべ)を低(た)れて白雲に礼(れい)す。
秋浦歌十七首 其十七 現代語訳と訳註
(本文) 其十七
祧波一步地。 了了語聲聞。
闇與山僧別。 低頭禮白云。
(下し文) 其の十七
祧波(ちょうは) 一歩(いっぽ)の地なり、了了(りょうりょう)なり 語声(ごせい)聞こゆ。
闇(やみ)に 與(たす)く 山僧(さんそう) 別れ、頭(こうべ)を低(た)れて白雲に礼(れい)す。
(現代語訳)
王朝は波のように代々受け継がれていくものであるがそれはひとたび歩き始めたその地の始まるものである。このたびの戦は大義がはっきりとしており天下世間の人々から語句、声援が聞こえてくるのである。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。
(訳注)
祧波一步地。 了了語聲聞。
王朝は波のように代々受け継がれていくものであるがそれはひとたび歩き始めたその地の始まるものである。このたびの戦は大義がはっきりとしており天下世間の人々から語句、声援が聞こえてくるのである。
○祧波 代々受け継がれていく傾向というもの。・祧 ちゅう(1) 先代の跡を継ぐ. (2) 遠い祖先を祭る廟。・波 水面が揺れて生じる起伏。傾向。走って逃げる。眼遣い。○了了 はっきり。(形動タリ)物事がはっきりわかるさま。あきらかなさま。 「霊知本性ひとり了了として鎮常なり/正法眼蔵」
闇與山僧別。 低頭禮白云。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。
○闇 昼間は叛乱軍の兵士が居るので、夜の行動を示す。黙って。○与 与えられる。たすける。やる。○山僧 山にいる僧侶という意味もあるが、通常僧侶が自分を謙遜して使うもので、「拙僧」という意味である。お坊さんに向かって、「拙僧」とは言わない。李白が僧侶と別れたという解釈はおかしい。したがって、謫仙人といわれた風体の李白が自分自身のことを謙遜の言葉として「山僧」という表現をして村人に別れを告げたのである。○白雲 天帝。ここでは、玄宗のこと。
(解説)新説「秋浦の歌」終わりにあたって。***********
この詩においても解釈が難解のため、従来、語句の写し間違いということにして、無理やり抒情詩を作り上げられてきた。
「祧波」の「祧」(ちょう)を桃(とう)に、「波」(は)を陂(ひ)にかってに修正し、無理やり地名にする。
一歩地を小さな土地としている。
この秋浦の歌は詩経にイメージを借りて、戦に出る前の軍師の李白がその気持ちを詠いあげるというものである。通常、了了という語は天から、霊からのお告げもの様なものがはっきりに聞こえたことを言う。
「了了語聲聞」 ここでは長い間重税に不満を持っていて、一時は叛乱軍に心情的に味方していた世間が、とんでもない異民族の叛乱であったと気が付き、世論は討伐に味方するように変わってきたので、李白に頑張ってくれという声援を送ったのははっきり聞こえてきたというものである。
蛇足ではあるが、この時期、100年から20,30年前までは地方長官が地方の人民に対して手厚い行政を行い、人徳のあるのもほど中央に政府の高官になり仕組みであった。これを私利私欲の藩鎭、地方長官のシステムに変えていったのが李林甫からで、755年ごろになると、重税に耐えかねて逃村、難民が激増したのである。不平不満は人民の中に渦巻いたのである。そこに反乱の手が上がったのである、不平不満の人民が一時的に応援を向けたのである。ところが反乱軍は盗賊の叛乱であった。国の意見は二分され、一方では、これまでの政府批判があるものの、討伐を願う声が次第に大きくなっていった。
お寺のお坊さんに別れる側の人間が「山僧」という語は用いない、身分制の厳格な時代、中国の文化としても等対してさげすんだ言い方をする場合は、敵の場合だけではなかろうか。
白雲についても白い雲か、天帝にしか使わないものである。唐王朝は、古代から血脈が受け継が手てきた王朝であって、これが、異民族の混血のものに穢されてはいけないのだ。
秋浦の歌十七首とひとまとめにしての最後の歌が抒情のみの意味しかないというのはどうしても解せない。儒教的な解釈では、見えないのかもしれない。
通常の解釈(愚訳)を紹介する。
桃陂は ほんの小さな土地
村人の話し声もはっきり聞こえる
山寺の僧と黙って別れ
白雲寺に向かって頭をさげる
これでは、(桃陂という小さな土地で村人にこそこそ噂をされて出ていかないといけなくなった。世話になったくそ坊主に別れも告げず飛び出した。しかし暫く言って頭だけは下げた。)こんな意味の詩がいい詩であるといえるのか、不思議である。
新説「秋浦の歌」ということになるのかもしれない。このような解釈は今まで全くないと思うが、しかし、この方が、李白の詩らしい解釈ではなかろうか。李白は一語、一句、単純な読み方をしない。いくつもの意味に掛け合わせたり、故事をふんだんに使う詩人である。この秋浦の歌のみ単純な解釈が通説になっているのはなぜなのか。長い間疑問を持っていたもののひとつである。
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