漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

秋浦歌十七首

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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秋浦歌十七首 其十七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 261/350

 
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秋浦歌十七首 其十七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 261/350

しばらく滞在した秋浦、村人たちは李白が叛乱軍を征伐に行く水軍に参画するのに別れを惜しんでくれただ。


秋浦歌十七首其十七

波一地。了了語聲聞。

闇與山僧別。低頭禮白云。



      

秋浦の歌十七首 其の十七

(ちょうは) 一歩(いっぽ)の地なり、了了(りょうりょう)なり 語声(ごせい)聞こゆ。
(やみ)
(たす) 山僧(さんそう) 別れ、頭(こうべ)を低()れて白雲に礼(れい)す。




秋浦歌十七首 其十七 現代語訳と訳註
(本文) 其十七

祧波一步地。 了了語聲聞。
闇與山僧別。 低頭禮白云。


(下し文) 其の十七
祧波(ちょうは) 一歩(いっぽ)の地なり、了了(りょうりょう)なり 語声(ごせい)聞こゆ。
闇(やみ)に 與(たす)く 山僧(さんそう) 別れ、頭(こうべ)を低(た)れて白雲に礼(れい)す。


(現代語訳)
王朝は波のように代々受け継がれていくものであるがそれはひとたび歩き始めたその地の始まるものである。このたびの戦は大義がはっきりとしており天下世間の人々から語句、声援が聞こえてくるのである。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。


(訳注)
祧波一步地。 了了語聲聞。

王朝は波のように代々受け継がれていくものであるがそれはひとたび歩き始めたその地の始まるものである。このたびの戦は大義がはっきりとしており天下世間の人々から語句、声援が聞こえてくるのである。
祧波 代々受け継がれていく傾向というもの。・ ちゅう(1) 先代の跡を継ぐ. (2) 遠い祖先を祭る廟。・ 水面が揺れて生じる起伏。傾向。走って逃げる。眼遣い。○了了 はっきり。(形動タリ)物事がはっきりわかるさま。あきらかなさま。 「霊知本性ひとり了了として鎮常なり/正法眼蔵」

闇與山僧別。 低頭禮白云。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。
 昼間は叛乱軍の兵士が居るので、夜の行動を示す。黙って。○ 与えられる。たすける。やる。○山僧 山にいる僧侶という意味もあるが、通常僧侶が自分を謙遜して使うもので、「拙僧」という意味である。お坊さんに向かって、「拙僧」とは言わない。李白が僧侶と別れたという解釈はおかしい。したがって、謫仙人といわれた風体の李白が自分自身のことを謙遜の言葉として「山僧」という表現をして村人に別れを告げたのである。○白雲 天帝。ここでは、玄宗のこと。


(解説)新説「秋浦の歌」終わりにあたって。***********
 この詩においても解釈が難解のため、従来、語句の写し間違いということにして、無理やり抒情詩を作り上げられてきた。

 「祧波」の「祧」(ちょう)を桃(とう)に、「波」(は)を陂(ひ)にかってに修正し、無理やり地名にする。

 一歩地を小さな土地としている。

 この秋浦の歌は詩経にイメージを借りて、戦に出る前の軍師の李白がその気持ちを詠いあげるというものである。通常、了了という語は天から、霊からのお告げもの様なものがはっきりに聞こえたことを言う。

 「了了語聲聞」 ここでは長い間重税に不満を持っていて、一時は叛乱軍に心情的に味方していた世間が、とんでもない異民族の叛乱であったと気が付き、世論は討伐に味方するように変わってきたので、李白に頑張ってくれという声援を送ったのははっきり聞こえてきたというものである。

 蛇足ではあるが、この時期、100年から20,30年前までは地方長官が地方の人民に対して手厚い行政を行い、人徳のあるのもほど中央に政府の高官になり仕組みであった。これを私利私欲の藩鎭、地方長官のシステムに変えていったのが李林甫からで、755年ごろになると、重税に耐えかねて逃村、難民が激増したのである。不平不満は人民の中に渦巻いたのである。そこに反乱の手が上がったのである、不平不満の人民が一時的に応援を向けたのである。ところが反乱軍は盗賊の叛乱であった。国の意見は二分され、一方では、これまでの政府批判があるものの、討伐を願う声が次第に大きくなっていった。


 お寺のお坊さんに別れる側の人間が「山僧」という語は用いない、身分制の厳格な時代、中国の文化としても等対してさげすんだ言い方をする場合は、敵の場合だけではなかろうか。

 白雲についても白い雲か、天帝にしか使わないものである。唐王朝は、古代から血脈が受け継が手てきた王朝であって、これが、異民族の混血のものに穢されてはいけないのだ。

 秋浦の歌十七首とひとまとめにしての最後の歌が抒情のみの意味しかないというのはどうしても解せない。儒教的な解釈では、見えないのかもしれない。


通常の解釈(愚訳)を紹介する。

桃陂は  ほんの小さな土地
村人の話し声もはっきり聞こえる
山寺の僧と黙って別れ
白雲寺に向かって頭をさげる

これでは、(桃陂という小さな土地で村人にこそこそ噂をされて出ていかないといけなくなった。世話になったくそ坊主に別れも告げず飛び出した。しかし暫く言って頭だけは下げた。)こんな意味の詩がいい詩であるといえるのか、不思議である。

 新説「秋浦の歌」ということになるのかもしれない。このような解釈は今まで全くないと思うが、しかし、この方が、李白の詩らしい解釈ではなかろうか。李白は一語、一句、単純な読み方をしない。いくつもの意味に掛け合わせたり、故事をふんだんに使う詩人である。この秋浦の歌のみ単純な解釈が通説になっているのはなぜなのか。長い間疑問を持っていたもののひとつである。


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秋浦歌十七首 其十六 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集260/350

秋浦歌十七首 其十六 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集260/350

秋浦歌十七首其十六
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。
妻子張白鷴。 結罝映深竹。

 

秋浦の歌 十七首 其の十六

秋浦の田舎翁(でんしゃおう)、魚(うお)を采()りて水中に宿す。

妻子は白(はくかん)に張(ちょう)し、結(けつしょ)  深竹(しんちく)に映ず。




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秋浦歌十七首 其十六 現代語訳と訳註
(本文) 其十六
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。
妻子張白鷴。 結罝映深竹。


(下し文) 其の十六
秋浦の田舎翁(でんしゃおう)、魚(うお)を采(と)りて水中に宿す。
妻子は白鷴(はくかん)に張(ちょう)し、結罝(けつしょ)  深竹(しんちく)に映ず。


(現代語訳)
詩経で周公の叛乱軍征伐のように私も召喚されているけれど、ここ秋浦に留まっているもう初老の田舎爺なのだ、魚を取るように東征して平定しようと出発の準備で真冬にここに留まっているのである。
出征の夫のいない家を守っているここの妻子は、兵士の嫌がる雨、その雨の好きな白鷴を網にかけて捕えようとしている、竹林の奥の方にはっきりとわかるけれど網をしかけているのだ。


(訳注)
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。

詩経で周公の叛乱軍征伐のように私も召喚されているけれど、ここ秋浦に留まっているもう初老の田舎爺なのだ、魚を取るように東征して平定しようと出発の準備で真冬にここに留まっているのである。
田舍翁 李白のこと。秋浦に留まっている自分のことを転句の出征兵士の妻子と対比させて表現するものである。○水中宿 五行思想から真冬の河川という意味と川の中ほどにという意味を含む。・宿 詩経の東山、周公が殷の残党を征伐すべく東方に軍を進める。又、同じ詩経の九罭(こあみ)魚を取る網のことを詠いつつ、中央朝廷が周公を呼び戻す時、その地のものがその帰還を惜しむということ。しばらくその地に宿したということに基づく。

妻子張白鷴。 結罝映深竹。
出征の夫のいない家を守っているここの妻子は、兵士の嫌がる雨、その雨の好きな白鷴を網にかけて捕えようとしている、竹林の奥の方にはっきりとわかるけれど網をしかけているのだ。
 鳥を捕える網を張ること。〇白鷴 鶴に似た雨の好きな鳥。江南に産する雉の一種。白い色で、背には細かい黒い紋があって、飼畜できるという。その羽の姿は刀の白刃にも例えられる。詩経『東山』に「鷴鳴于垤、婦歎于室」夫のいない家を守る妻子は部屋の中にいるということに基づいている。○ 鳥や獣を捕える網。ここは、妻子の心意気を言い、出征するものへ檄を飛ばす意味であろう。詩経 『兔罝』
 

解説

李白は詩経のイメージを借りて詠っている。以下に示す解釈は一般的なものだがこれでは、ただ抒情的に解釈するだけで全く意味不明である。
一般の愚訳
秋浦のいなかのじいさんは、魚をとって川の上で夜をあかす。
妻子たちは白いきじを捕ろうとする。網をはっているのが、竹林の奥にくっきりと見える。

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秋浦歌十七首其十五

其十五

白發三千丈。 愁似個長。

不知明鏡里。 何處得秋霜。


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秋浦の歌 十七首 其の十五

白髪  三千丈、愁いに縁()って  箇(かく)の似(ごと)く長し。

知らず  明鏡(めいきょう)の裏(うち)、何(いず)れの処にか秋霜(しゅうそう)を得たる。

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秋浦歌十七首 其十五 現代語訳と訳註
(本文) 其十五

白發三千丈。 緣愁似個長。
不知明鏡里。 何處得秋霜。


(下し文) 其の十五
白髪  三千丈、愁いに縁(よ)って  箇(かく)の似(ごと)く長し。
知らず  明鏡(めいきょう)の裏(うち)、何(いず)れの処にか秋霜(しゅうそう)を得たる。


(現代語訳)
白髪が三千丈にもなった!
いろんな愁がつもりつもっている、この白髪の白さと長さは愁いの多さと長さが同じなのだ。
月明りのあかるい鏡の中の私の頭へ、いったい何処から秋の霜がふってきたのか、わたしにはさっぱりわからない


(訳注) 其十五
白發三千丈。 緣愁似個長。

白髪が三千丈にもなった!
いろんな愁がつもりつもっている、この白髪の白さと長さは愁いの多さと長さが同じなのだ。
○この詩は唐詩選に見える。○個長 箇のながさ。

不知明鏡里。 何處得秋霜。
月明りのあかるい鏡の中の私の頭へ、いったい何処から秋の霜がふってきたのか、わたしにはさっぱりわからない


 「白髪三千丈」の詩は、秋浦歌十七首中の代表作としてしばしば取り上げられる作品で、唐詩選の中でも目を引く秀作である。
 この詩は李白が老いたことを感嘆しているような解釈もあるが、この詩のテーマは愁いなのである。唐王朝の中には私利私欲の奸臣だらけで、奢侈と大敗で天下の道理が正道でなくなってきた。欲のあるものが国を操り、賢人は隠遁していく。天子が聖人を引き上げていくことが全くなくなってしまった。その結果、安禄山の叛乱を引き起こしてしまった。


 水軍参加で、誰もが思うことはもう少し若ければと思うものである。青雲の志は若い自分の表現である。表現は歳を重ねて抜群である。心に秘めたものをさりげなくいっているのである。それをいやまだまだこれからだという表現をしないで、自分の心は前を向いてこれから戦に向かう、鏡の中の自分の頭を見ると凍えた川を進んでいく間に霜がのっただけなのだ。その十四句を受けているのである。



 

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秋浦歌十七首 其十四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集258/350

秋浦歌十七首 其十四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 258/350
安禄山の叛乱に対し、冬にかけて洛陽に攻め上ろうということを詠ったものである。表向きの意味は、村の銅の精練作業とだぶらせている。


秋浦歌十七首其十四

爐火照天地。紅星亂紫煙。

赧郎明月夜。歌曲動寒川。





秋浦の歌十七首 其の十四

炉火(ろか)  天地を照らし、紅星(こうせい)  紫烟(しえん)を乱す。

赧郎(たんろう)  明月の夜、歌曲(かきょく)  寒川(かんせん)を動かす。


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秋浦歌十七首 其十四現代語訳と訳註
(本文) 其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。
赧郎明月夜。 歌曲動寒川。


(下し文) 其の十四
炉火(ろか)  天地を照らし、紅星(こうせい)  紫烟(しえん)を乱す。
赧郎(たんろう)  明月の夜、歌曲(かきょく)  寒川(かんせん)を動かす。


(現代語訳)
都や各地で烽火が夜空を焦がした、ここ秋浦の街では精錬所の溶鉱炉が赤々と燃える。大空に火星が不思議なきらめきを示し不吉な予感である。しばらくしたら安禄山が反乱を起こし、しばらくして天子の宮殿を攻め落としたそうだとわかった。
安禄山は洛陽で滅んだ周の赧王のようにまもなく滅びる運命をもっている、永王軍に参加した心配しおそれ顔の男が月に明るく照らされる静かな夜だ。ここに集結した永王水軍の兵たちは戦に向かう歌を唄って、凍えそうな川を進んでいく。


(訳注)其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。

都や各地で烽火が夜空を焦がした、ここ秋浦の街では精錬所の溶鉱炉が赤々と燃える。大空に火星が不思議なきらめきを示し不吉な予感である。安禄山が反乱を起こし、しばらくして天子の宮殿を攻め落としたそうだとわかった。
○炉火 秋浦は唐代には銀と銅の産地であった。それらの原鉱をとかす熔鉱炉の火。ということと、都や各地で烽火があがること挿す。○紅星 五行思想では火星を示し、熒惑守心(熒惑心を守る)といい、不吉の前兆とされた。「心」とは、アンタレスが所属する星官(中国の星座)心宿のこと。


五行
五色青(緑)玄(黒)
五方西
五時土用
節句人日上巳端午七夕重陽
五星歳星(木星)螢惑(火星)填星(土星)太白(金星)辰星(水星)

宣城のことを紅星と表現したとも考えられる。そうすると秋浦の近くで烽火があり夜空を焦がしてもおかしくない。○紫煙 天子の宮殿の厳かな香による霞。天子の宮殿。


赧郎明月夜。 歌曲動寒川。
安禄山は洛陽で滅んだ周の赧王のようにまもなく滅びる運命をもっている、永王軍に参加した心配しおそれ顔の男が月に明るく照らされる静かな夜だ。ここに集結した永王水軍の兵たちは戦に向かう歌を唄って、凍えそうな川を進んでいく。
○赧郎 心配し畏れながらの表情を顔に浮かべる男。 ・ 心配しおそれる。赧は周朝の第37代の王最後の王を示し、洛陽で最後の王であった。
赧王(たんおう)は、周朝の第37代の王最後の王。慎靚王の子。在位期間は59年であり、周朝における最長在位の君主であった。在位中は周王室の影響力はわずかに王畿(現在の洛陽附近)に限定されるようになっていた。李白はこのことを「安禄山畏れるに足らず」とかんがえた。


愚訳(この訳では語句の働きが全くないこのような詩は子供の時でもない。物語性もない。)
炉の焔は  天地を焦がし
煙のなかで 火花がはじける
明月の夜に 火に照らされる男たち
その歌声が 冷たい川に轟きわたる

其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。
赧郎明月夜。 歌曲動寒川。



解説
通常の解釈をしたのでは、面白くもなんともない愚作になってしまう。李白が、この秋浦の歌の時だけ、普通の歌人のようになってしまったのだろうか。20年も若い時の詩と同次元の解釈をしたのではおかしい。李白が永王鄰の幕下に入るまでの約2年杭州から九江、廬山の間を行き来している。756年12月永王軍に参加しているその間安全な連絡方法はこの秋浦の歌であるとしたら非常に興味深い詩がたくさん出てくる。このブログはその可能性を追求している。通常、李白の詩の中での秋浦の歌十七首は其十五の「白髪三千丈」とつけた詩みたいに其一、其二が紹介される程度である。其四から其十四までは、関連性が尻切れトンボのように解釈され、ぐさくあつかいがほとんだている。この詩は全体を756年の秋に作ったものか、加筆をされたものである。十三、十四は驚くような意味に展開したのである。


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秋浦歌十七首 其十三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -257/350

秋浦歌十七首 其十三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -257/350


秋浦歌十七首其十三
淥水淨素月、月明白鷺飛。
郎聽采菱女、一道夜歌歸。

 
       

秋浦の歌 十七首 其の十三

(ろくすい) 素月(そげつ)(きよ)らかに、

月明らかにして白鷺(はくろ)飛ぶ。

(ろう)は聴く  菱(ひし)を採()る女、

一道(いちどう)  夜に歌いて帰る。


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秋浦歌十七首其十三 現代語訳と訳註
(本文) 其十三

淥水淨素月。 月明白鷺飛。
郎聽采菱女。 一道夜歌歸。


(下し文) 其の十三
淥水(ろくすい)  素月(そげつ)浄(きよ)らかに、月明らかにして白鷺(はくろ)飛ぶ。
郎(ろう)は聴く  菱(ひし)を採(と)る女、一道(いちどう)  夜に歌いて帰る。


(現代語訳)
この平天湖すみきった水面に白く輝く月の影を映してさらに清らかにしてくれる。月明かりは真昼のように照らすので白鷺は飛んでいる。
こんな美しい光景の中に叛乱軍の慰安婦が大勢いるのだ、明るいから少しは恥ずかしさはないのか、なんの臆面もなく一本道で道すがら、一緒に唄いながら歩いている。(しかし白鷺は永王軍をしめし、藩鎭諸侯も永王軍にすり寄る。)


(訳注)
淥水淨素月、月明白鷺飛。

この平天湖すみきった水面に白く輝く月の影を映してさらに清らかにしてくれる。月明かりは真昼のように照らすので白鷺は飛んでいる。
淥水 すみきった水。平天湖をしめす。其十二参照。○素月 しろい月。

淥水=白 素=白 月=白 、月=白 明=白 白鷺=白 ここで一句に3つの白、聯で6つの白を挿入している。まず起句から、淥水は透明な水昼は緑に見え、夜は黒で、月明かりで白ある。素月は霜月で澄み切ったもの、汚れていないものをいう、それをさらに清らかにする。そういう景色とはどんな景色なのか?承句の白鷺は常識的にはつがいもしくは複数でいるもの。そうであればたくさんの白があることになる。しかし、白鷺が夜飛ぶのか?飛ばない。これも不思議な光景である。


郎聽采菱女。 一道夜歌歸。
こんな美しい光景の中に叛乱軍の慰安婦が大勢いるのだ、明るいから少しは恥ずかしさはないのか、なんの臆面もなく一本道で道すがら、一緒に唄いながら歩いている。(しかし白鷺は永王軍で藩鎭諸侯も永王軍にすり寄る。)
 男。ここでは叛乱軍の兵士。○採菱 菱の実(食用)をつみとる。慰安婦を示す。〇一道 ひとすじの遺。あるいは「みちすがら」という意味? 

 転句において男女が出る、この時代の菱摘みは食料用のはず、そして、沼地である。水に浮いて育ち、水面一面に葉が敷き詰められたような景色である。李白の『蘇台覧古』『越女詞』『淥水曲』などと違っている。結句では道すがら詠って帰るのである。

絶句として、起承転結、李白は、まず、景色の面白さをうたい、清らかなものがさらに清らかであう一転、採菱女と男が道で詠いながら帰っていく景色のギャップを詠ったのだ、夜飛ぶはずのない白鷺が飛び、月が明るいと男女は何もできないはずが堂々と歩くという、この詩は李白の詩の面白さだけなのだろうか、次々と疑問が湧き出てくるのである。ここまで疑問を持っているのは文献を探してもなかなか見つからない。

 秋浦の歌十七首全体不思議なものが多いのであるが、作時を756年秋に設定すると詩における不可解な点はすべて謎は解けた。

 ここでも、李白は安禄山に協力する潘鎮の兵士からマークされていたのだろう。したがって、異民族の文か。漢民族ではしないこと、中国人の奥ゆかしさがなく、平気でやれる民族性を秋浦のうつくしい自然の中に不思議な出来事があると詩の中に織り込んだと考える。


李白『蘇台覧古』では菱歌と月の表現が見える
旧苑荒台楊柳新、菱歌清唱不勝春。
只今惟有西江月、曾照呉王宮裏人。


李白が中国四大美人の一人と呼ばれる西施をうたっているが俗説では絶世の美女である彼女にも一点欠点があったともいわれており、それは大根足であったとされ、常にすその長い衣が欠かせなかったといわれている。逆に四大美女としての画題となると、彼女が川で足を出して洗濯をする姿に見とれて魚達は泳ぐのを忘れてしまったという俗説から「沈魚美人」と称された。それを踏まえて、越女詞の天真爛漫な純真な美しさをうたった。

越女詞其一 李白
長干吳兒女,眉目豔新月。
屐上足如霜,不着鴉頭襪。
長干の呉の娘は、眉目麗しく星や月にも勝る
木靴の足は霜の如く、真白き素足の美しさ

越女詞 五首 其四
東陽素足女,會稽素舸郎。
相看月未墮,白地斷肝腸。
東陽生まれの素足の女と、会稽の白木の舟の船頭とが顔を見あわせている。
月が沈まないので、わけもなくせつない思いにくれている。
○東陽 いまの浙江省東陽県。会稽山脈の南方にある。○素足女 この地方は美人の多い子で有名。素足の女は、楚の国の王を籠絡した女性西施が其ふっくらとした艶的の魅力により語の句に警告させその出発殿のすあしのおんなであった。○会稽 いまの浙江省紹興。会稽山脈の北端にある。○素舸 白木の舟。○郎 若い男。〇白地 口語の「平白地」の略。わけもなく、いわれなく。○肝腸 きもとはらわた


淥水曲          
淥水明秋日、南湖採白蘋。
荷花嬌欲語、愁殺蕩舟人。
(下し文) 
淥水曲(りょくすいきょく)
淥水秋日(しゅうじつ)に明らかに
南湖  白蘋(はくひん)を採る
荷花(かか)  嬌(きょう)として語らんと欲す
愁殺(しゅうさつ)す舟を蕩(うご)かすの人
淥水は、澄んだ川や湖。詩の趣旨は「採蓮曲」と同じ。「白蘋」は水草の名。四葉菜、田字草ともいう。根は水底から生え、葉は水面に浮き、五月ごろ白い花が咲く。白蘋摘みがはじまるころには、蓮の花も咲いている。「南湖」という湖は江南のどこかにあるもので特定はげきないようだ。「愁殺」の殺はこれ以上なというような助詞として用いられている。前の句に「荷花:蓮の花があでやかで艶めかしく物言いたげ」な思いに対して、「船を動かす娘たちのこれ以上耐えられない思い」を対比させている。


 以上みたように、男女を詠いつつもどこかに、気恥ずかしさ、奥ゆかしさを感じさせるものである。
 しかし秋浦の歌十三の男女には、秋浦の美しい自然の景色の中で何の臆面もなくそれに及ぶような雰囲気はどこかに違和感を生じるものであり、異民族の風習ということにはなりはしないか。


其十三
淥水淨素月。 月明白鷺飛。
郎聽采菱女。 一道夜歌歸。
すみきった水にきよらかに、しろい月が浮ぶ。月明りのなかを、白さぎが飛ぶ。
男はじっと聞いている。菱採り女の歌声に聴きほれて
夜道をいっしょに  歌って帰る


秋浦歌十七首 其十二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -256/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其十二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -256/350





秋浦歌十七首其十二

水如一匹練。此地即平天。

耐可乘明月。看花上酒船。

 



秋浦の歌十七首 其の十二

水は一匹の練(れん)の如し、

此の地 即ち 平天(へいてん)なり。

()く  明月に乗じて、

花を看るには 酒船(しゅせん)に上る可し。

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秋浦歌十七首 其十二 現代語訳と訳註
(本文)  其十二

水如一匹練。 此地即平天。
耐可乘明月。 看花上酒船。



(下し文) 其の十二
水は一匹の練(れん)の如し、此の地  即ち 平天(へいてん)なり。
耐(よ)く  明月に乗じて、花を看るには  酒船(しゅせん)に上る可し。

 (現代語訳)
永王軍により、蜀からこの地、すなわち平天湖あたりまで平定されたので、長江は、ゆっくりとはるか遠くまで流れゆく水面一疋の練り絹のように穏やかである。
戦いを進めて長安奪還するには今夜の明月にのっていくことべきであろう、そうすれば花のさくころには都で花見ができるだろう、そして攻め入った戦艦は酒の宴の船になることだろう。


(訳注)
水如一匹練。 此地即平天。
永王軍により、蜀からこの地、すなわち平天湖あたりまで平定されたので、長江は、ゆっくりとはるか遠くまで流れゆく水面一疋の練り絹のように穏やかである。
 織物二反を単位として数えることば。○ ねりぎぬ。灰汁などで煮てやわらかくした絹。白く光沢がある。○平天 天に平らかに連なっているという意味と、平天湖という湖をしめす。この湖は池州の西南3kmほどのところにあり、斉山の麓にあって清渓に通じていたのではないだろうか。

耐可乘明月。 看花上酒船。
戦いを進めて長安奪還するには今夜の明月にのっていくことべきであろう、そうすれば花のさくころには都で花見ができるだろう、そして攻め入った戦艦は酒の宴の船になることだろう。
耐可 当時の口語。「能可」「寧可」とおなじ。むしろ……すべし。長江に映る明月にのる、つまり船団に乗り込み攻め入ったらよいのではないか。長江の支配権は永王銀が抑えたのだ夏から秋にかけ、安禄山討伐の募集をかけて集結してきた諸侯により、数万の軍団になったのである。


(解説)
長江にあった叛乱軍を詩題に追い詰め、蜀から金陵あたりまで、永王軍が一気に抑えた。実際には、玄宗皇帝が長江中流域の荊州、江陵から金陵付近の潘鎮諸公が永王軍に集結して恭順をあらわしたため闘う前で、平定されていったのである。
 粛宗は北の霊武から南下して長安洛陽を奪還する。永王は水路、蜀から東征し、金陵から北上して運河を都まで攻め入ること、この作戦を詩にしたものではないだろうか。李白は、この詩の段階ではまだ永王軍に参加しているわけではないので、漠然とした様子を詠ったのである。



通常の解釈
川の水はちょうど一疋のねりぎぬのように、良くのびて、白く光っている。ここは天に平らかに連なっている。
いっそのこと、明月にのぼって、花をながめ酒の船にのりたいものだ。
(多くの本、WEBでも大方上のような解釈である、これは大きなパズルの一個を取り出して、そのなかにあがかれているものだけを見ているから、意味不明になる。この秋浦の歌十七首、こじつけか意味不明の解釈ばかりである。)



 

秋浦歌十七首 其十一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-255/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其十一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-255/350



秋浦歌十七首其十一

邏人橫鳥道、江祖出魚梁。

水急客舟疾、山花拂面香。

 


 


秋浦の歌十七首 其の十一

邏人(らじん)  鳥道(ちょうどう)に横たわり、

江祖(こうそ)  魚梁(ぎょりょう)に出()ず。

水急にして客舟(かくしゅう)(はや)く、

山花(さんか) 面(おもて)を払って香(かんば)し。
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秋浦歌十七首 其十一 現代語訳と訳註
(本文) 其十一
邏人橫鳥道、江祖出魚梁。
水急客舟疾、山花拂面香。


(下し文) 其の十一
邏人(らじん)  鳥道(ちょうどう)に横たわり、江祖(こうそ)  魚梁(ぎょりょう)に出(い)ず。
水急にして客舟(かくしゅう)疾(はや)く、山花(さんか)  面(おもて)を払って香(かんば)し。


(現代語訳)
叛乱軍の憲兵は鳥道と呼ばれるようなところまで検門している。雄々しく流れる長江にヤナ猟のように出没して検問している。
水の流れの急なうちに旅人は船を疾風のように走らせるのだ。憲兵たちは山椒の様なものを顔に付け香を放っていた。


(訳注)
邏人橫鳥道、江祖出魚梁。

叛乱軍の憲兵は鳥道と呼ばれるようなところまで検門している。雄々しく流れる長江にヤナ猟のように出没して検問している。
邏人(らじん)  安禄山の叛乱軍の憲兵・邏 見まわる。巡察する。「邏卒/警邏・巡邏 羅叉とする訳本がある「人」が「叉」の写し間違いだという、そして無理やり羅叉石としている。それは間違い。○鳥道 大空の鳥のとぶ道。○魚梁 やな。川で魚をとる仕掛け。川での検問。反乱軍の検問は盗賊のような検問だったという。


水急客舟疾、山花拂面香。
水の流れの急なうちに旅人は船を疾風のように走らせるのだ。憲兵たちは山椒の様なものを顔に付け香を放っていた。
山花 木の実の山椒のこと。刺激臭のある木の実を指すから、やはり元来中国語の輸入されたもの。昔の日本人もまさか山椒魚が魚で無い事はわかっていた




ここまでの秋浦の歌其五から其十一 五言古詩として見ていくと物語性が出てくる。
秋浦多白猿。超騰若飛雪。
牽引條上兒。飲弄水中月。」
愁作秋浦客。強看秋浦花。
山川如剡縣。風日似長沙。」
醉上山公馬。寒歌寧戚牛。
空吟白石爛。淚滿黑貂裘。」
秋浦千重嶺。水車嶺最奇。
天傾欲墮石。水拂寄生枝。」
江祖一片石。青天掃畫屏。
題詩留萬古。綠字錦苔生。」
千千石楠樹。萬萬女貞林。
山山白鷺滿。澗澗白猿吟。
君莫向秋浦。猿聲碎客心。」
邏人橫鳥道。江祖出魚梁。
水急客舟疾。山花拂面香。」

#5
秋浦のこんなところ伝説の盗賊白猿みたいなものが多くいる、突然大暴れをして略奪していく、それは雪が舞っているかのように襲っているのだ。
木の枝の上から子猿を引っぱるように、女こともを連れ去っていく、持って行った酒を喰らって、月影に美女相手にしてじゃれついている。ひどい秋になったものだ。
#6
国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった謝霊運、王羲之。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。
#7
酔った時には、山簡のように馬に乗ってふざけてみるのは賢人であることを示している。寒い時には、甯戚のように、牛の角をたたいて貧乏をうたうと名君が見出してくれるかもしれない。
しかし、「白い石があざやかなりー」と歌ってみても、自分を用いてくれる度量の君王がいない。蘇秦のようにボロボロになった黒貂の皮ごろもに、涙がいっぱいになる。

#8
秋浦にきてからはるかに連なる峰の道よりいろんな異民族の部隊が出た。水軍と兵車を要した永王の軍が最も期待されるのだ。
天下はこのため不穏になり、王朝も転覆させようとして反乱を起こし、唐王朝は傾いた。永王の軍でもって、天下を揺るがす叛乱軍を追っ払っていくのだ。
#9
その石は大空に届くかのように大きな画屏風のようであっても、長江の流れは昔も今も大きな河川として流れていることは天の理であり、変わることのないものだ、どんなにりっぱな人格者といわれても一片の石は石なのだ。
石に詩をかきつけて万古に留めようとするのだが、字が緑色になり錦の苔が生えてしまう。
(ここで其七の「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。 空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」
とつながってくるのである。山公のように普段は飲んだくれていてもここはやるときなのだ)

派手な色をした千本のシャクナゲが植えられてそれが千か所続いている。地味だが守り抜く万本のネズミモチの木が植えられ、それが万か所続いているという。
#10
山は連綿と続き白鷺があふれている、谷という谷にまでここ秋浦には安禄山叛乱軍の異民族の兵士の白猿が民謡を吟じているのだ。
永王の君はこの秋浦に向かってきてはいけない、野蛮な猿がせっかくの旅心を砕いてしまうことだろう。

叛乱軍の憲兵は鳥道と呼ばれるようなところまで検門している。雄々しく流れる長江に箭な量のように出没して検問している。
水の流れの急なうちに旅人は船を疾風のように走らせるのだ。憲兵たちは山椒の様なものを顔に付け香を放っていた。
#11
叛乱軍の憲兵は鳥道と呼ばれるようなところまで検門している。雄々しく流れる長江にヤナ猟のように出没して検問している。
水の流れの急なうちに旅人は船を疾風のように走らせるのだ。憲兵たちは山椒の様なものを顔に付け香を放っていた。



秋浦の歌 其十二につづく。



秋浦歌十七首 其十 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-254/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。

秋浦歌十七首 其十 李白
Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-254/350



秋浦歌十七首其三

千千石楠樹。萬萬女貞林。

山山白鷺滿。澗澗白猿吟。

君莫向秋浦。猿聲碎客心。

 





秋浦の歌十七首 其の十

千千たり 石楠(せきなん)の樹(じゅ)

万万たり 女貞(じょてい)の林(りん)

山山に白鷺(はくろ)満ち、

澗澗(かんかん)に白猿(はくえん)吟ず。

君 秋浦に向く莫(なか)れ、 

猿声(えんせい)  客心を砕かん。



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秋浦歌十七首 其十 現代語訳と訳註
(本文) 其三
千千石楠樹。 萬萬女貞林。
山山白鷺滿。 澗澗白猿吟。
君莫向秋浦。 猿聲碎客心。


(下し文) 其の十
千千たり  石楠(せきなん)の樹(じゅ)、万万たり  女貞(じょてい)の林(りん)。
山山に白鷺(はくろ)満ち、澗澗(かんかん)に白猿(はくえん)吟ず。
君  秋浦に向く莫(なか)れ、猿声(えんせい)  客心を砕かん。

(現代語訳)
派手な色をした千本のシャクナゲが植えられてそれが千か所続いている。地味だが守り抜く万本のネズミモチの木が植えられ、それが万か所続いているという。
山は連綿と続き白鷺があふれている、谷という谷にまでここ秋浦には安禄山叛乱軍の異民族の兵士の白猿が民謡を吟じているのだ。
永王の君はこの秋浦に向かってきてはいけない、野蛮な猿がせっかくの旅心を砕いてしまうことだろう。


(訳注)
千千石楠樹。 萬萬女貞林。
派手な色をした千本のシャクナゲが植えられてそれが千か所続いている。地味だが守り抜く万本のネズミモチの木が植えられ、それが万か所続いているという。
石楠 しゃくなげ。北半球の亜寒帯から熱帯山地までのきわめて広い範囲に分布し、南限は赤道を越えて南半球のニューギニア・オーストラリアに達する。特にヒマラヤ周辺には非常に多くの種が分布する。野生状態でも変種が数多く、また園芸植物としても数多くの品種がある。そのため、種類数は定義によって大きく異なるが、おそらく数百種類はあると思われる。いずれも派手で大きな花に特徴がある。花の色は白あるいは赤系統が多いが、黄色の場合もある。つつじ科の花である。石楠花の花ことば:威厳、警戒、危険、荘厳シャクナゲは葉にロードトキシンなどのケイレン毒を含む有毒植物である。摂取すると吐き気や下痢、呼吸困難を引き起こすことがある。葉に利尿・強壮の効果があるとして茶の代わりに飲む習慣を持つ人が多く存在するが、これはシャクナゲに「石南花」という字が当てられているため、これを漢方薬の「石南」と同一のもの(この2つに関連性はない)と勘違いしたためであり、シャクナゲにこのような薬効は存在しない。
シャクナゲは常緑広葉樹にもかかわらず寒冷地にまで分布している。○女貞 ねずみもち。中国のある皇帝がこの樹の実を煎じ飲んでいたところ、強精・強壮作用が強く、皇后を日々愛していたため皇后は十分満足し、皇帝に永遠の貞淑を誓ったという。この木が満々と生えている光景は逃げ隠れる場所のように感じる。花言葉は「先導」「先見」「慈愛」


山山白鷺滿。 澗澗白猿吟。
山は連綿と続き白鷺があふれている、谷という谷にまでここ秋浦には安禄山叛乱軍の異民族の兵士の白猿が民謡を吟じているのだ。
 川のある谷間。


君莫向秋浦。 猿聲碎客心。
永王の君はこの秋浦に向かってきてはいけない、野蛮な猿がせっかくの旅心を砕いてしまうことだろう。


754年に秋から756年秋まで、約2年間、李白の行動は、金陵、宣城、剡中、会稽、廬山、屏風畳、などを転々としている。この詩の秋浦の歌は756年秋の作と見れば、内容もすべてが納得できるものとして位置づけされる。李白は永王の水軍が長江の中流域において、その戦力を増強しているのを理解していた。永王は玄宗の16番目の子供である。756年6末7月初かけて荊州の長官程度だったものを玄宗が蜀に逃避する際立ち寄って、山南、江西、嶺南、黔中の四道の節度使を命じている。このため、永王は、江陵において、将士数万を募った。ここに数万の兵力が集結していくのである。李白はこのことを秋浦の歌其十で詠ったのだ。李白が永王の軍に加わるのは12月である。


 


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秋浦歌十七首 其九 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -253/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。
秋浦歌十七首 其九 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -253/350


秋浦歌十七首其九

江祖一片石、青天掃畫屏。
題詩留萬古、 綠字錦苔生。
 
      
秋浦の歌 十七首 其の九
江祖(こうそ) 一片の石、青天(せいてん)  画屏(がへい)を掃(はら)う。
詩を題して万古(ばんこ)に留(とど)むれば、緑字(りょくじ) 錦苔(きんたい)を生ぜん。
宮島(1)


秋浦歌十七首 其九 現代語訳と訳註
(本文) 其九

江祖一片石。 青天掃畫屏。
題詩留萬古。 綠字錦苔生。


(下し文) 其の九
江祖(こうそ) 一片の石、青天(せいてん)  画屏(がへい)を掃(はら)う。
詩を題して万古(ばんこ)に留(とど)むれば、緑字(りょくじ) 錦苔(きんたい)を生ぜん。


(現代語訳)
その石は大空に届くかのように大きな画屏風のようであっても、長江の流れは昔も今も大きな河川として流れていることは天の理であり、変わることのないものだ、どんなにりっぱな人格者といわれても一片の石は石なのだ。

石に詩をかきつけて万古に留めようとするのだが、字が緑色になり錦の苔が生えてしまう。(ここで其七の「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」
とつながってくるのである。)

(訳注)
江祖一片石、青天掃畫屏。

その石は大空に届くかのように大きな画屏風のようであっても、長江の流れは昔も今も大きな河川として流れていることは天の理であり、変わることのないものだ、どんなにりっぱな人格者といわれても一片の石は石なのだ。
○江祖 秋浦の町の西南にある。大きな石が水際に突立ち、その高さ数丈、江祖石と名づける、といのが従来の解釈であるが、襄陽歌の「襄王雲雨今安在、江水東流猿夜聲。」江水東流という思想のことを示す語である。古来より川の流れは流れ去るもので、歳月等の時間で一度去って再び帰らないものである。・東流:東に向かって流れる。東流するのは中国の川の通常の姿であり、天理でもある。古来、時間の推移を謂う。○一片石 李白『襄陽歌』「君不見晉朝羊公一片石、龜頭剥落生莓苔。」(君は見ないか。あの立派な人格者の晋の羊公でさえ、いまは一かけらの石じゃないか。台石の亀の頭は、むざんに欠け落ちてしまって、苔が生えるじゃないか。) ・君不見:諸君、見たことがありませんか。詩をみている人に対する呼びかけ。樂府体に使われる。「君不聞」もある。そこで詩のリズムが大きく変化する。 ・晉朝羊公一片石: 晉朝 (西)晋。265年~419年。三国の魏に代わり、265年権臣司馬炎が建てた国。280年、呉を併せて天下を統一したが、八王の乱で、匈奴の劉曜らによって316年に滅ぼされた。 ・羊公 呉と闘った西晋の名将・羊のこと。山を愛し、善政をしたため、羊の没後、民衆は羊が愛した山を望むところに石碑を築いた。 ・一片石 羊の石碑。前出の堕涙碑(紫字部分)のこと。 ・龜頭:石碑の土台の亀の頭。石碑の土台部分は亀のような形をして、甲羅に碑を背負っている形になっている。あの亀のような動物は想像上のもので贔屓〔ひいき〕という。 ・剥落:剥げ落ちる。 ・莓苔:〔ばい〕こけ。○画屏 画にかいたびようぶ。


題詩留萬古。 綠字錦苔生。
石に詩をかきつけて万古に留めようとするのだが、字が緑色になり錦の苔が生えてしまう。(ここで其七の「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」
とつながってくるのである。)
○題詩 石に詩をかきつけること。○萬古 これからさきのこと。遠い将来から今を見るという表現。 ○綠字 苔によって緑色になる。詩碑ができた時だけであとは誰も管理するものがいなくて放置されることを言う。○錦 皮肉表現で詩碑ができた当初は金か漆で文字を塗るが、誰もいなくて苔の錦となる。○苔生 苔、草木に覆われるさまをいう。
 これも襄陽曲其四に「涙亦不能爲之墮、心亦不能爲之哀。」
「涙を堕す碑」とよばれるのに、涙さえおとすことも出来ない。心もかれのために、かなしむことが出来ない。
・亦:…もまた。・不能:…ことはできない。・爲:…のために。 ・之:(古びてしまった)羊の堕涙碑。・墮:(涙を)落とす。・哀:哀しむ。
襄陽曲其四
且醉習家池。 莫看墮淚碑。
山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。


(解説)
 李白は儒教者のように見た目からの人格者というものに少しの憧れをもっていなくて、山簡のように子供に笑われていてもしっかりとして清談をしていた。学問をどんなにしていてもそれを表に出さず、いざという時には必ず役に立てられるものだ。いい君主に出会って登用された時は役割を立派に果たす。若い時に夢を抱いて述べることは誰でもするが、秋浦歌其四「猿聲催白發。 長短盡成絲。」とあるように55,56歳の白髪になって云うにはそれなりの理由、すなわち、永王の軍にはせ参じること決意したに他ならない。

秋浦歌十七首 其八 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集252/350


秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。
秋浦歌十七首 其八 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集252/350



秋浦歌十七首其八
 

秋浦千重嶺、水車嶺最奇。

天傾欲墮石、水拂寄生枝。



秋浦の歌 十七首 其の八

秋浦 千重(せんちょう)の嶺(みね)

水車 嶺(みね)は最も奇なり

天傾いて石を堕(おと)さんと欲し

水は 寄生(きせい)の枝(えだ)を払う


現代的下し文
千重にも連なる秋浦の峰
なかでも水車嶺は その嶺は特別いいのだ
天は傾いて 岩が落ちてくるかと見え
水は宿り木の枝を払って流れてゆく
(通常の解釈はこの読みのとおりである)

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紀 頌之の異訳
秋浦歌十七首其八 現代語訳と訳註
(本文)

秋浦千重嶺。 水車嶺最奇。
天傾欲墮石。 水拂寄生枝。

(下し文) 其の八
秋浦 千重(せんちょう) 嶺(みね)、水車  嶺最 奇なり。
天 堕石を欲して傾く、水は 寄生枝を払わん。


(現代語訳)
秋浦にきてからはるかに連なる峰の道よりいろんな異民族の部隊が出た。水軍と兵車を要した永王の軍が最も期待されるのだ。
天下はこのため不穏になり、王朝も転覆させようとして反乱を起こし、唐王朝は傾いた。永王の軍でもって、天下を揺るがす叛乱軍を追っ払っていくのだ。


(訳注)

秋浦千重嶺。 水車嶺最奇。
秋浦にきてからはるかに連なる峰の道よりいろんな異民族の部隊が出た。水軍と兵車を要した永王の軍が最も期待されるのだ。
千重嶺 千の数ほど山道が重なる。○水車 浙江省 杭州 桐廬県 水車嶺、というのが通説であるが、水車嶺と秋浦と間に黄山があり、200km以上離れており、場所的に無理があるということ、水車はこの山ではなく水軍と兵車というように考えられる。○嶺最奇 山脈として最もすてきなものである


天傾欲墮石。 水拂寄生枝。
天下はこのため不穏になり、王朝も転覆させようとして反乱を起こし、唐王朝は傾いた。永王の軍でもって、天下を揺るがす叛乱軍を追っ払っていくのだ。
 天下。唐国家。○ 傾国。○墮石 安禄山の叛乱。○ 永王の水軍。○寄生枝 反乱軍に抑えられた領地を示す。


秋浦の水辺には山が迫っていて、幾重にも連なる峰が見える。なかでも水車嶺は岩が倒れかかってくるように聳えており、その横を岩に寄生している木の枝を払うようにして水が流れていると詠う。李白は小舟で川を下っていることになる。
通上の解釈では、突然、愁いも故事もなくなり、抒情詩に変わることになる。それに加え何ら関係のない、一度も李白の詩に登場していない水車嶺という場所が出てくるのである。特に七首の詩がおかしくなってしまう。私の訳を通して読んでみたら李白の心の動きがよくわかる。振り返って、秋浦の歌十七首のそれぞれの語をみてみよう。
其 一 秋浦 長秋 人愁 客愁 大樓。
 長安 江水流  江水 淚 揚州。
  
其 二 秋浦 猿 夜愁  黃山 白頭
 清溪 隴水 斷腸 薄游 久游。
 雨淚 孤舟
  
其 三 秋浦 錦駝鳥
 山雞 淥水
  
其 四 兩鬢 秋浦 一朝 
 猿聲 白發 長短 成絲。
  
其 五 秋浦 白猿 飛雪
 上兒 水中月。
  
其 六 愁 秋浦客 秋浦花
 山川 剡縣 風日 長沙
  
其 七 山公馬 寧戚牛。
 白石爛 淚 黑貂裘
  
其 八 秋浦 千重嶺  水車 嶺最奇。
 天傾 墮石 水 寄生枝。



其六
愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。

(下し文)
愁えて秋浦の客と作(な)り、強(し)いて秋浦の花を看(み)る。
山川(さんせん)は  剡県(せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は  長沙(ちょうさ)に似るに。

(現代語訳)
国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。


其七
醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。

(下し文) 其の七
酔うて上る  山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛。
空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば、泪は満つ  黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)。

(現代語訳)
酔った時には、山簡のように馬に乗ってふざけてみるのは賢人であることを示している。寒い時には、甯戚のように、牛の角をたたいて貧乏をうたうと名君が見出してくれるかもしれない。
しかし、「白い石があざやかなりー」と歌ってみても、自分を用いてくれる度量の君王がいない。蘇秦のようにボロボロになった黒貂の皮ごろもに、涙がいっぱいになる。

秋浦歌十七首 其七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集251/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。

秋浦歌十七首 其七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集251/350


秋浦歌十七首 其七
醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。


秋浦の歌十七首 其の七

酔うて上る 山公(さんこう)の馬

寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛

空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば

泪は満つ 黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)

李白の足跡5


秋浦歌十七首 其七 現代語訳と訳註
(本文)
其七
醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。
 

(下し文) 其の七
酔うて上る  山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛。
空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば、泪は満つ  黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)。


(現代語訳)
酔った時には、山簡のように馬に乗ってふざけてみるのは賢人であることを示している。寒い時には、甯戚のように、牛の角をたたいて貧乏をうたうと名君が見出してくれるかもしれない。
しかし、「白い石があざやかなりー」と歌ってみても、自分を用いてくれる度量の君王がいない。蘇秦のようにボロボロになった黒貂の皮ごろもに、涙がいっぱいになる。


(訳注)
醉上山公馬。 寒歌甯戚牛。
酔った時には、山簡のように馬に乗ってふざけてみるのは賢人であることを示している。寒い時には、甯戚のように、牛の角をたたいて貧乏をうたうと名君が見出してくれるかもしれない。
山公 西晋の山簡のこと。荊州の知事として湖北省の荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。山簡は泥酔しているのではなく、この時、談義はしているのである。竹林の七賢人の山濤の子であり、山簡はそのような儒教的・既成の倫理観を捨て, 外聞を気にせず, 己に正直にして自由にふるまった。李白が山簡を詠い讃える重要な点である。李白は儒教的価値観に徹底的に嫌気を示している。山簡を象徴的に詠うのである。○甯戚 春秋時代の斉の国の人。生活に困っていた時に、牛の角を叩きながら「牛を飯う歌」をうたって、自分の貧窮と希望とをのべた斉の桓公がそれを聞いて大臣にしたという。道教でいう名君を示す。

空吟白石爛。 淚滿黑貂裘。
しかし、「白い石があざやかなりー」と歌ってみても、自分を用いてくれる度量の君王がいない。蘇秦のようにボロボロになった黒貂の皮ごろもに、涙がいっぱいになる。
白石爛 寧戚の歌の中の文句。白い石がぴかぴか光る。爛1 ただれる。くさる。やわらかくなってくずれる。「爛熟/糜爛(びらん)・腐爛」 2 あふれんばかりに光り輝く。あざやか。「爛然・爛漫・爛爛/絢爛(けんらん)・燦爛(さんらん)」 ○黑貂裘 黒いてん(いたち科の動物)の皮ごろも。戦国時代の論客、蘇秦が、秦の王にまみえて自分の説を進言したが、十回進言して用いられず、その時、蘇秦は非常に困窮して黑貂裘皮ごろもはボロボロだし、黄金百斤はなくなっていた。「戦国策」に見える話の故事を用いる。
名君といわれた桓公の故事を例にとっているのだが、李白はその桓公の背後に魯仲連の存在なくして語れないものであること、李白は、永王鄰のもとに走ることを示唆した詩ではなかろうか。


 
 其の七の詩に「秋浦」という言葉を使わなくて、山簡、甯戚、蘇秦を用いることで、自らの決意をあらわしたかった。したがって、場所と時を示す「秋浦」を使う必要がなかったのだ。李白は、他のどんな詩人より山公(山簡)を例に用いた。「山公馬」というのが特に好んだ。
 李白は、儒教に嫌気がしていたことについては多く詠っている。

寧戚牛というのは春秋斉の桓公時代の説話で、斉に仕えたいと思った寧戚が、斉都臨淄の城門外にたどりついて野宿をした。すると、桓公が門から出てきた。そこで寧戚は連れていた牛に飼い葉をやりながら牛の角をたたいて歌をうたった。その歌が「白石爛」で、それを聞いた桓公は寧戚を上卿に取り立てたという。桓公は名君といわれた。それだけの眼力があったということであるが、太公望の故事と並べて語られる。李白は、嘗て太公望のようにして朝廷に迎えられたしかし、朝廷を追放されたので、こんどは、寧戚を例にとったのだ。
 李白は空しく「白石爛」を吟ずるのだが、名君に認められることもなく「泪は満つ 黒貂の裘」と詠う。 

李白50 襄陽曲四首
其二
山公醉酒時。 酩酊高陽下。
頭上白接籬。 倒著還騎馬。

山簡先生はいつもお酒に酔っている、酩酊してかならず高陽池のほとりでおりていた。
あたまの上には、白い帽子。それを逆さにかぶりながら、それでも馬をのりまわした。

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接離 接寵は帽子。

山公 酒に酔う時、酩酊し 高陽の下
頭上の 白接籬、倒しまに着けて還(また)馬に騎(のる)

詠懐詩  阮籍
夜中不能寐、起坐弾鳴琴。
薄帷鑒明月、清風吹我襟。
孤鴻號外野、朔鳥鳴北林。
徘徊将何見、憂思独傷心。

酒を飲む場所が、酒場でなく野酒、竹林なのは老荘思想の「山林に世塵を避ける」ということの実践である。お酒を飲みながら、老子、荘子、または王弼の「周易注」などを教科書にして、活発な論議(清談、玄談)をしていた。談義のカムフラージュのためである。
この思想は、子供にからかわれても酒を飲むほうがよい。峴山の「涙堕碑」か、山公かとの選択(李白襄陽曲四首)につながっていく

 仙人思想は、隠遁を意味するわけであるが、宗教につてすべての宗教上のすべてのこと、すべての行事等も、皇帝の許可が必要であった。一揆、叛乱の防止のためであるが、逆に、宗教は国家運営に協力方向に舵を切っていったのである。その結果道教は、不老長寿の丸薬、回春薬を皇帝に提供し、古苦境にまで発展したのである。老荘思想の道教への取り込みにより道教内で老境思想は矛盾しないものであった。

秋浦歌十七首 其六  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集250/350


秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。

秋浦歌十七首 其六  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集250/350

李白の詩の中でまともに解釈されていない詩のひとつである。さらっと読んで行ってもすぐ解釈できるが、何か引っかかる詩なのである。裏の裏の意味があるのか、暗号なのか、不思議な詩なのである。



其六
愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。


愁えて秋浦の客と作()り、強()いて秋浦の花を看()る。

山川(さんせん)は  (せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は 長沙(ちょうさ)に似るに。




秋浦歌十七首 其六 現代語訳と訳註
(本文) 其六

愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。


(下し文)
愁えて秋浦の客と作(な)り、強(し)いて秋浦の花を看(み)る。
山川(さんせん)は  剡県(せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は  長沙(ちょうさ)に似るに。


(現代語訳)
国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。



(訳注)
愁作秋浦客。 強看秋浦花。

国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
 初句はじめに使うことは珍しい。安史の乱はすべての人にとっての愁いである。秋浦を上句と下句に使って強調している。○秋浦花 強いてみる花とは、李白にとって、美人である。あるいは女よりもっといいこと。

  愁 作 秋浦 客 = 愁秋浦・・・・作秋浦・・・・秋浦客
  強 看 秋浦 花。= 強秋浦・・・・看秋浦・・・・秋浦花


秋浦について:
① 安徽省貴地県。唐代には池州と呼ばれた。銭塘江の最上流にある。しかし長江にもすぐいける。
② 長沙と剡渓の中間に位置する。
③ 隠遁という意味でなく敵から逃避し、隠れたのではないかと思うところ。
④ 安禄山の叛乱を示唆する語。(秋:秋、浦:謀叛)



山川如剡縣。 風日似長沙。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。
剡縣 浙江省剡県。町の南に剡渓があり、両岸の景色がうつくしく、六朝時代にはことに人びとに愛貸された。謝霊運、王羲之に李白自身を映したのであろう。
長沙 唐時代の長沙郡をさす。帯湘、洞庭などの名勝がすべて郡内にある。同時に長沙は、屈原を連想させる。



1 秋浦歌十七首 其六 について

 李白は自分の書いた詩を違った形で詠いあげるということが多い。その視点からこの詩を見ると、この詩に近いイメージの詩は、「贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊」ということになる。この形をとることによって、詩に味わい深さを増すのである。

贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229


贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊
昔別黃鶴樓、蹉跎淮海秋。
俱飄零落葉、各散洞庭流。』
中年不相見、蹭蹬游吳越。
何處我思君、天台綠蘿月。』
會稽風月好、卻繞剡溪回。
云山海上出、人物鏡中來。
一度浙江北、十年醉楚台。
荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。』
むかし黄鶴楼に別れ、蹉跎(さた)たり 淮海(わいかい)の 秋。
ともに零落の葉を飄(ひ るがへ)し、おのおの洞庭の流に散ず。』
中年あい見(まみ)えず、蹭蹬(そうとう) 呉越に遊ぶ。
何の処かわれ君を思う、天台 緑蘿(りょくら)の月。』
会稽 風月好し、かえって剡溪(えんけい)を繞(めぐ)って廻(かへ)る。
雲山 海上に出で、人物 鏡中に来る。
ひとたび 浙江を度(わたり)て 北し、十年 楚台に酔う。
荊門に屈宋を倒し、梁苑には鄒枚を傾く。』

昔、君と別れの酒を酌み交わしたのは黄鶴楼だった、なかなか別れがたく、ぐずぐず過ごした淮海の秋がとても懐かしい。
お互いに放浪の身で、枯葉のように疲れ切っていた、 だけど 各々分散する洞庭の流のようにわかれたのだ。』
暫くの間、お互い音信不通であったのだ、これといった目標がないままに江南地方で遊んだ。
それでもどこにいても私は君のことを考えていた、緑の蔦のおい茂る天台山に登って月影をあおぎながら。』
会稽地方はさわやかな風、すばらしい月が印象的なところだ。 中でも剡溪の辺りは。気に入ったので何回も廻りまわった。


2.秋浦歌十七首 其六 について 

 一般的な解釈は次のとおりである。
 この詩には「秋浦」が二回も出てきて、しかも対句になっている。転結句は複雑な感情を五言絶句という短い詩形に押し込めているので、すこし分かりにくい。

秋浦の山川風日が剡県や長沙のように美しく似ているのに、それを愁えてみる、強いてみるというように心から楽しめない感情を述べている。なぜなら、それは剡県や長沙を訪れたころはまだ若く希望に燃えていたので、虚心坦懐に風物に没入できたのに、いまはそうでないと言っていると解するべきである。


 このうえのような解釈では、①なぜ愁いなのか、何に対して愁いなのか。②なぜ強いるのか、なぜ強いたのか。③秋浦の花とはなんなのか。
「愁えてみる、強いてみるというように心から楽しめない感情を述べている。なぜなら、それは剡県や長沙を訪れたころはまだ若く希望に燃えていたので、虚心坦懐に風物に没入できたのに、いまはそうでない」
初めの2句の説明、解釈にはなっていない。

結論をいうと
① 愁いは国へのの愁いということである。李白は長安での宮廷内のみならずかなり知れ渡った「謫仙人」であった。だから、叛乱軍に掴まると危ない。国のために何かおこしたいが何もできない。それを「憂い」ているのだ。
② 強いたのは、尋ね人があったのだ。李白はもう第一線には立てないと自覚していた。情報を伝えに来て、花は咲かせないかもしれないが「看る」ことはできるかもしれない。
③ 秋浦の客は李白自身と来客であった。
その話し合いの中でで生まれた共通の決意。それが「花」なのだ。

 転結の句は李白の大好きな剡渓の景色、と同時に謝霊運、王之義は、隠遁していても、国の存亡の時その地から立ち上がった。長沙地方の風光明美と同時に、愁いをもって汨羅に身を投げた屈原の行動。秋浦の花は剡渓から立ち上がることを示すのである。



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秋浦歌十七首 其五 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集249/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其五 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集249/350



秋浦歌十七首其五
秋浦多白猿、超騰若飛雪。
牽引條上兒、飲弄水中月。


      

秋浦の歌 十七首 其の五
秋浦  白猿(はくえん)多く、超騰(ちょうとう)すること飛雪(ひせつ)の若(ごと)し。
条上(じょうじょう)の児(こ)を牽引(けんいんし)し、飲みて弄(もてあそ)ぶ  水中(すいちゅう)の月。


nat0022

現代語訳と訳註
(本文) 其五

秋浦多白猿、超騰若飛雪。
牽引條上兒、飲弄水中月。


(下し文) 秋浦歌十七首 其五      

秋浦の歌 十七首 其の五
秋浦  白猿(はくえん)多く、超騰(ちょうとう)すること飛雪(ひせつ)の若(ごと)し。
条上(じょうじょう)の児(こ)を牽引(けんいんし)し、飲みて弄(もてあそ)ぶ  水中(すいちゅう)の月。


(現代語訳)
秋浦のこんなところ伝説の盗賊白猿みたいなものが多くいる、突然大暴れをして略奪していく、それは雪が舞っているかのように襲っているのだ。


(訳注)
秋浦多白猿、超騰若飛雪。
秋浦のこんなところ伝説の盗賊白猿みたいなものが多くいる、突然大暴れをして略奪していく、それは雪が舞っているかのように襲っているのだ。
白猿 白猿伝説。六朝の梁の時代のこと。平南将軍の藺欽(りんきん)が南方遠征に派遣された時に、別将の欧陽紇(おうようこつ)も同様に南方の長楽の地を占領し、異民族の居住地を次々に平定していった。ところで彼には美人の妻がおり、白猿神のさらわれたことに関する故事、伝説にもとづくもので、安禄山に参画した盗賊に近い者たちという意味であろう。○超騰 とびはねる。突然大暴れをして略奪していく。


牽引條上兒、飲弄水中月。
木の枝の上から子猿を引っぱるように、女こともを連れ去っていく、持って行ったさけを喰らって、月影に美女相手にしてじゃれついている。なんて秋になったのだ。
牽引 引っぱる。○水中月 水に映るの月影。月は女性、水に映すほどの美人の女性。



(この詩の理解のために。)
通常の訳はつぎのとおり、
いま、秋浦には白い猿がたくさんいる。とんだりはねたりしている様子は、飛ぶ雪のようにみえる。
木の枝の上から子猿を引っぱってきて、谷川で水を飲みながら、水中の月影にじゃれている。

であるが、これではなぜ、白猿についてみれば意味不明になる。安禄山の兵士は、黄色隊、白隊、茶隊、帽子や、お面をつけていたという記述は多く残されている。  

杜甫「悲陳陶 杜甫 700- 152


また、白猿について、参考として読んでみると、李白のこの詩はこの伝説に基づいているのである。
六朝時代からある怪奇伝説「白猿伝説」六朝の梁の時代のこと。平南将軍の藺欽(りんきん)や別将の欧陽紇は南方の長楽の地を占領し、異民族の居住地を次々に平定していった。そのとき美人の妻を遠征に帯同していた。ある明け方に一陣の怪風が吹いたかと思うと、その時には妻は既にさらわれていた。

欧陽紇は血眼になって方々へ妻を捜し回り、数ヶ月後に岩窟の入り口が見つかった。その岩窟の門の前で、女たちが歌い合ったり笑い合ったりしていた。この岩窟は白猿神の住処であり、女たちはみな彼にさらわれて来たのだ。欧陽紇の妻もやはり同じように白猿神にさらわれたのであった。彼は岩窟に忍び込んで妻との再会を果たした。白猿神は不思議な力を持っていて、正面から戦いを挑めば百人がかりでも倒せない。


白い衣をまとい、美しいあごひげを伸ばした男が、杖をついて女たち従えながらやって来た。これこそが白猿神の変化した姿である。彼は犬が走り回っているのを見つけると、立所に捕まえてその肉を引き裂き、ムシャムシャと食べ始めた。満腹になると今度は女たちに酒を勧められる。数斗飲んだ所でふらふらになると、やはり女たちが介添えをして岩窟へと去って行った。そこで彼は部下と共に武器を手にとって入ってみると、正体を現した。

白猿神
が寝台に手足を縛られ、ジタバタともがいていた。欧陽紇と部下がその体を剣で斬りつけても、鉄か岩を打っているように傷ひとつ付かない。しかしヘソの下を刺すと、血が一気に吹き出てきた。白猿神は、「わしはお前にではなく、天に殺されたのだ。それにお前の妻はわしの子を身籠もっておる。だがその子を殺すでないぞ。偉大な君主に出会って一族を繁栄させるであろうからな!」と捨てぜりふを残して絶命した。

欧陽紇は白猿神の宝物を積み込み、女たちを引き連れて帰って行った。そして女たちをそれぞれ里に帰してやった。一年後に彼の妻は男の子を出産したが、その容貌はかの白猿神にそっくりであった。これが欧陽詢(おうようじゅん)である。その後欧陽紇は陳の武帝(陳覇先)に誅殺された。欧陽詢は父の友人・江総に匿われて難を逃れた。彼は成人してから書道家・学者として有名となり、隋に仕えた。また友人の李淵が唐王朝を立てると今度は唐に降り、高祖・太宗の二代に仕えた。

秋浦歌十七首 其四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集248/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集248/350

秋浦歌十七首其四

兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。
安禄山が乱を起こしてから秋浦に来きたが、洛陽、長安の二つの都が敵の手に落ち私の左右の鬢も一度にさっと衰えたのだ。
猿聲催白發。 長短盡成絲。
猿の哀しい啼き声は悲愴感漂うように、安禄山に寝返った諸公達も煩く鳴いて、わたしの白髪は増え、髪はことごとく糸のように細くなる。このまま安禄山の天下になってしまうのか

両鬢(りょうびん)  秋浦に入りて、一朝(いっちょう)  颯(さつ)として已(すで)に衰う。

猿声(えんせい)  白髪(はくはつ)を催(うなが)し、長短(ちょうたん)  尽(ことごと)く糸と成る。


nat0022




 現代語訳と訳註
(本文) 秋浦歌十七首 其四

兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。
猿聲催白發。 長短盡成絲。

(下し文) 秋浦の歌 十七首 其の四
両鬢(りょうびん)  秋浦に入りて、一朝(いっちょう)  颯(さつ)として已(すで)に衰う。
猿声(えんせい)  白髪(はくはつ)を催(うなが)し、長短(ちょうたん)  尽(ことごと)く糸と成る。

(現代語訳)
安禄山が乱を起こしてから秋浦に来きたが、洛陽、長安の二つの都が敵の手に落ち私の左右の鬢も一度にさっと衰えたのだ。
猿の哀しい啼き声は悲愴感漂うように、安禄山に寝返った諸公達も煩く鳴いて、わたしの白髪は増え、髪はことごとく糸のように細くなる。このまま安禄山の天下になってしまうのか



(訳注)
兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。

安禄山が乱を起こしてから秋浦に来きたが、洛陽、長安の二つの都が敵の手に落ち私の左右の鬢も一度にさっと衰えたのだ。
兩鬢 左右のおでこ生え際、もみあげ。洛陽と長安を比喩している。○入 入城する。陥落させる。○秋浦 銭塘江最上流の盆地のようなところ。今の安徽省貴池県。唐代では池州と呼ばれた。李白のこの秋浦歌十七首のはじめの詩、ほとんど各詩に必ず秋浦の語が挿入されている。(はいらないのは、7,9、10,11,12,13,14,15,17で安禄山の乱を感じ取れるもの) 、入っているのは、この詩のようにそう鬢を長安と洛陽と思わなければ、ただの抒情詩なのである。秋浦にはそのものの場所を示すことと、秋に叛乱した、秋は西を示すということで、安禄山の動向を心配している詩と考えて、抒情詩であると同時に李白は、乱の行くすえを案じている詩といえるのである。○一朝 ある朝。○颯已衰 一気におとろえた。両鬢に白髪が一気に増えてしまったように洛陽長安が一気に陥落して、国中大混乱であるという意味である。


猿聲催白發。 長短盡成絲。
猿の哀しい啼き声は悲愴感漂うように、安禄山に寝返った諸公達も煩く鳴いて、わたしの白髪は増え、髪はことごとく糸のように細くなる。このまま安禄山の天下になってしまうのか
猿聲 この猿は日本猿と違い手長猿で、啼き方に悲哀が籠って長く引っ張るように鳴く。悲しいこと寂しいことの代名詞である。と同時に、安禄山に媚を売って追随している諸侯を示す。○長短 白髪の長短。別に、安禄山への寝返りの強弱を示す。



(解説)
其の四の詩では「猿声」、中國の南辺に棲む手長猿の哀しい啼き声を歌うのは安禄山に迎合して、略奪をして行った潘鎮、諸侯が多くいたことを比喩したのである。叛乱後わずか1カ月足らずで洛陽が落ち、兵の数は数倍で圧倒的に王朝軍が強いはずで、早晩、おさまるものと誰もが思っていた。ところが半年後には、長安が落ちたのである。中國の二つの都が叛乱軍の手に落ちたので、情勢は一変し安禄山の側に寝返るものが増えたのである。日頃不満を持っていた者たちに多く見られた。そして大殺戮に加担したのである。。
 もし、李白が安禄山を支持するならこの詩に「秋浦」という語はなかったはずである。私は秋浦にいる。国家存亡のこの危機を心配している。李白はそう発信したかったのだ。


秋浦歌十七首 其三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集247/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集247/350


 秋浦歌は李白の人生への思いが込められているものである。その二で「青渓は朧水に非ざるに 翻って断腸の流れを作す」は古楽府にある詩句を踏まえ、また、李白自身が「古風 其二十二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白181参照)で「秦水 朧首に別れ 幽咽して悲声多し」と詠っている。杜甫も出塞九首 其三 杜甫 で隴山のことを詠っている。
 先行き不安な時期に唄っている。現代人にとって「人生」を考えるにつけて、この頃の李白の詩は参考になるものが多い。


秋浦歌十七首其三

秋浦錦駝鳥。 人間天上稀。
山雞羞淥水。 不敢照毛衣。

ここ秋浦に錦の駝鳥がいる、人の世に、いや、天上をふくめてもこの美しさは稀というものだ。
さすがの山鶏も、この清らかな水の前で恥ずかしくなって、自分の羽毛をうつして見ることをできはしないだろう。


秋浦の錦(きんぎんちょう)、人間(じんかん)  天上に稀なり。

山鶏(さんけい)  (ろくすい)に羞じ、敢えて毛衣(もうい)を照らさず。

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現代語訳と訳註
(本文) 其三

秋浦錦駝鳥、人間天上稀。
山雞羞淥水、不敢照毛衣。



(下し文) 秋浦の歌 十七首  其の三
秋浦の錦鄞鳥(きんぎんちょう)、人間(じんかん)  天上に稀なり。
山鶏(さんけい)  淥水(ろくすい)に羞じ、敢えて毛衣(もうい)を照らさず。


(現代語訳)
ここ秋浦に錦の駝鳥がいる、人の世に、いや、天上をふくめてもこの美しさは稀というものだ。
さすがの山鶏も、この清らかな水の前で恥ずかしくなって、自分の羽毛をうつして見ることをできはしないだろう。



秋浦歌十七首  其三 (訳注)
秋浦錦駝鳥、人間天上稀。
ここ秋浦に錦の駝鳥がいる、人の世に、いや、天上をふくめてもこの美しさは稀というものだ。
錦軒鳥 錦の羽毛をもつダチョウ。


山雞羞淥水、不敢照毛衣。
さすがの山鶏も、この清らかな水の前で恥ずかしくなって、自分の羽毛をうつして見ることをできはしないだろう。
山鶏 錦鶏(きんけい)。キジ科の鳥。自分の美しい羽毛の色を愛し、終日水に映して自分の影に見とれ、しまいに目がくらんで溺れ死ぬという。○淥水 みどりの水。澄んだ川や湖。

李白10  採蓮曲
淥水曲  李白 11

(解説)
 貴族、富豪のものは権力と資力により、美女を集めることができる。この頃の潘鎮は君王化していた。中央の王朝の命をも拒絶するものが出始めていた。贅を治めないものも出始め、これを抑えるため、節度使を設置したり、潘鎮同士を互いにけん制させることを行った。山鳥はまさに地方に君臨する潘鎮のことである。権力者はさらに強い権力者には弱いものであるということである。
 美人についてもいえる、上には上がいるということ、でもその最上級の美人であっても年老いて、その地位を後退せざるを得ないのである。
 李白は足かけ3年の朝廷生活で、権力者の頽廃ぶりを目にして、特に李林甫の末路を学習したのである。
一般論ではあるが、この詩の山鷄を李白自身のことと比喩しているとの解説を見かけるが、悲観的な見方であり、間違いである。
自分の人生光を、が、不安であるのではなく、この詩句にいうのは、王朝の行く末が不安なのである。野心はあっても欲がないのが李白である。杜甫とはすこし違った詩人の矜持を感じる。


秋浦歌十七首 其二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-246/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。

秋浦歌十七首 其二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-246/350
 
 其の一で、姿勢を正して長安に向き合うという気持ちが込められていた。長江は世に出ることを目指してはじめて下った江であり、その長江に向かって問いかけ、自分の初心に問いかけたのだ。


秋浦歌十七首其二


其二
秋浦猿夜愁。 黃山堪白頭。
秋浦で、秋が深まってきて猿がかなしそうに啼く夜になると愁いで胸いっぱいになる。ここからすこし南に黄山がある、もう冬になろうというのか、私のように愁いが募って、白髪頭になろうとしている。
清溪非隴水。 翻作斷腸流。
清渓の水は隴頭の水ほどではないけれど、やっぱり君との性交を思い出す腸を断ち切る声に聞こえてくるのだ。
欲去不得去。 薄游成久游。
ここにいると、ここを去ろうと思うのだけれどなぜか去り得ないのだ。ちょっとのつもりの滞在がながい滞在となってしまった。
何年是歸日。 雨淚下孤舟。

もう一二年で、思いを遂げて帰る日となる。いまは雨のように涙をながしながら、この川にただ一槽の小舟にのって下っている。

其の二
秋浦  猿は夜愁(うれ)う、黄山  白頭(はくとう)に堪えたり。
青渓(せいけい)は朧水(ろうすい)に非(あら)ざるに、翻(かえ)って断腸(だんちょう)の流れを作(な)す。
去らんと欲(ほっ)して去るを得ず、薄遊(はくゆう)  久遊(きゅうゆう)と成る
何(いず)れの年か  是(こ)れ帰る日ぞ、泪を雨(ふ)らせて孤舟(こしゅう)に下る。

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秋浦歌十七首其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二

秋浦猿夜愁。 黃山堪白頭。
清溪非隴水。 翻作斷腸流。
欲去不得去。 薄游成久游。
何年是歸日。 雨淚下孤舟。


(下し文) 其の二
秋浦  猿は夜愁(うれ)う、黄山  白頭(はくとう)に堪えたり。
青渓(せいけい)は朧水(ろうすい)に非(あら)ざるに、翻(かえ)って断腸(だんちょう)の流れを作(な)す。
去らんと欲(ほっ)して去るを得ず、薄遊(はくゆう)  久遊(きゅうゆう)と成る
何(いず)れの年か  是(こ)れ帰る日ぞ、泪を雨(ふ)らせて孤舟(こしゅう)に下る。

(現代語訳)
秋浦で、秋が深まってきて猿がかなしそうに啼く夜になると愁いで胸いっぱいになる。ここからすこし南に黄山がある、もう冬になろうというのか、私のように愁いが募って、白髪頭になろうとしている。
清渓の水は隴頭の水ほどではないけれど、やっぱり君との性交を思い出す腸を断ち切る声に聞こえてくるのだ。
ここにいると、ここを去ろうと思うのだけれどなぜか去り得ないのだ。ちょっとのつもりの滞在がながい滞在となってしまった。
もう一二年で、思いを遂げて帰る日となる。いまは雨のように涙をながしながら、この川にただ一槽の小舟にのって下っている。


(訳注)
秋浦猿夜愁。 黃山堪白頭。

秋浦で、秋が深まってきて猿がかなしそうに啼く夜になると愁いで胸いっぱいになる。ここからすこし南に黄山がある、もう冬になろうというのか、私のように愁いが募って、白髪頭になろうとしている。
黄山 山の名。秋浦の南方にある。会稽山、天望山、天台山、廬山など李白が愛した名山が集まっている場所だ。


清溪非隴水。 翻作斷腸流。
清渓の水は隴頭の水ほどではないけれど、やっぱり君との性交を思い出す腸を断ち切る声に聞こえてくるのだ。
清渓 秋浦の近くにある。安徽省貴池地方を北西に流れて長江にそそぐ川。その西側を流れる、秋浦河とともにその美しさにより景勝地となっている。別名、白洋河。

李白64清溪半夜聞笛 66清溪行 67 宿清溪主人

隴水 隴水は甘粛省。「隴頭歌」という古い歌に「隴頭の流水は、鳴声幽咽す。造かに秦川を望み、肝腸断絶す」とある。○隴水 甘粛省隴山から長安方面に流れる渭水に合流する川の名。チベット;吐蕃との国境をながれる。○腸斷 腹の底からの感情を示す。悲哀の具象的表現。「楽府特集」二十五巻≪横笛曲辞≫「隴頭の流水、鳴声幽咽す。はるかに秦川(長安)を望み、心肝断絶す。」李白「清溪半夜聞笛」参照 杜甫「前出塞九首 其三 杜甫」 杜甫 「三秦記」にいう「隴山の頂に泉有りて、清水四に注ぐ、東のかた秦川を望めば四五里なるが如し。俗歌に『陣頭の流水、鳴声幽咽す。遙かに秦川を望めば、肝腸断絶す』という」と。隴山は今の陝西省鳳翔府隴州の北西にあって、ここを経て甘粛省の方へ赴くが、長安地方の眺望がこれよりみえなくなる様子を詠った歌である。鳴咽の水とはむせびなくような水流をいう。腸断声とは水自身に人をして腸をたたしめるような声のあることをいう。○水赤刃傷手 事実は刃が手をきずつけるから血が染まって水が赤くなるのであるが、我々がであう経験からすれば水が赤いのではっとおどろいてみると刃が手をきずつけていることが知られるということになる。 

欲去不得去。 薄游成久游。
ここにいると、ここを去ろうと思うのだけれどなぜか去り得ないのだ。ちょっとのつもりの滞在がながい滞在となってしまった。
薄遊しばらくの旅行。


何年是歸日。 雨淚下孤舟。
もう一二年で、思いを遂げて帰る日となる。いまは雨のように涙をながしながら、この川にただ一槽の小舟にのって下っている
 清溪の下流にすすむと銭塘江に灌がれ、蕭山方面でまた妻のいる開封方面から遠ざかることになる。



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秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。
秋浦歌十七首 其一

其一
秋浦長似秋。 蕭條使人愁。
客愁不可度。 行上東大樓。
正西望長安。 下見江水流。
寄言向江水。 汝意憶儂不。
遙傳一掬淚。 為我達揚州。


其二
秋浦猿夜愁。 黃山堪白頭。
清溪非隴水。 翻作斷腸流。
欲去不得去。 薄游成久游。
何年是歸日。 雨淚下孤舟。


其三
秋浦錦駝鳥。 人間天上稀。
山雞羞淥水。 不敢照毛衣。


其四
兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。
猿聲催白發。 長短盡成絲。


其五
秋浦多白猿。 超騰若飛雪。
牽引條上兒。 飲弄水中月。
 
其六
愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。
 
其七
醉上山公馬。 寒歌寧戚牛。
空吟白石爛。 淚滿黑貂裘。

其八
秋浦千重嶺。 水車嶺最奇。
 天傾欲墮石。 水拂寄生枝。
 
其九
江祖一片石。 青天掃畫屏。
題詩留萬古。 綠字錦苔生。
 
其十
千千石楠樹。 萬萬女貞林。
山山白鷺滿。 澗澗白猿吟。
君莫向秋浦。 猿聲碎客心。
 
其十一
邏人橫鳥道。江祖出魚梁。
水急客舟疾。  山花拂面香。
 
其十二
水如一匹練。 此地即平天。
耐可乘明月。 看花上酒船。
 
其十三
淥水淨素月。 月明白鷺飛。
郎聽采菱女。 一道夜歌歸。
 
其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。
赧郎明月夜。 歌曲動寒川。
 
其十五
白發三千丈。 緣愁似個長。
不知明鏡里。 何處得秋霜。
 
其十六
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。
妻子張白鷴。 結罝映深竹。
 
其十七
祧波一步地。  了了語聲聞。
闇與山僧別。 低頭禮白云。

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秋浦歌十七首  其一
秋浦長似秋。 蕭條使人愁。
客愁不可度。 行上東大樓。
正西望長安。 下見江水流。
寄言向江水。 汝意憶儂不。
遙傳一掬淚。 為我達揚州。

秋浦(しゅうほ) 長(とこし)えに秋に似たり、蕭条(しょうじょう) 人をして愁えしむ。
客愁(かくしゅう) 度(すく)う可からず、行きて東(ひがし)の大楼に上る。
正西(せいせい)して長安を望む、下に江水(こうすい)の流るるを見る。
言(げん)を寄せて江水に向かい、汝の意(い)  儂(われ)を憶(おも)うや不(いな)や。
遥かに一掬(いっきく)の泪(なみだ)を伝え、我が為に揚州(ようしゅう)に達せよ。

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現代語訳と訳註
(本文) 其一
秋浦長似秋。 蕭條使人愁。
客愁不可度。 行上東大樓。
正西望長安。 下見江水流。
寄言向江水。 汝意憶儂不。
遙傳一掬淚。 為我達揚州。


(下し文)
秋浦(しゅうほ) 長(とこし)えに秋に似たり、蕭条(しょうじょう) 人をして愁えしむ。
客愁(かくしゅう) 度(すく)う可からず、行きて東(ひがし)の大楼に上る。
正西(せいせい)して長安を望む、下に江水(こうすい)の流るるを見る。
言(げん)を寄せて江水に向かい、汝の意(い)  儂(われ)を憶(おも)うや不(いな)や。
遥かに一掬(いっきく)の泪(なみだ)を伝え、我が為に揚州(ようしゅう)に達せよ。


 (現代語訳)
秋浦はその名のとおり、いつでも秋のようだ。ここのものさびしさは、人を愁にとじこめる。
旅客としてここの愁はまことに始末におえないものだ。そこで東のかたの大楼山にのぼってみる。
真西の方、秋の真っ最中にあたって長安の方をながめるのだ、眼下にひろがる長江、水の流れを見ている。
ここでわたしは言葉をあなたに寄せようと、長江の流れに向っている。君の心はわたしをおぼえていてくれるかどうか。
ひとすくいの涙は遠い所から伝えてくれて、わしのために、ここと中間の揚州にまで送りとどけてくれないか。


 (訳注) 秋浦の歌 其の一
秋浦長似秋。 蕭條使人愁。

秋浦はその名のとおり、いつでも秋のようだ。ここのものさびしさは、人を愁にとじこめる。
○秋浦 いまの安徽省貴地県。唐代には池州と呼ばれた。揚子江沿岸にある。○粛条 さびしいこと。

客愁不可度。 行上東大樓
旅客としてここの愁はまことに始末におえないものだ。そこで東のかたの大楼山にのぼってみる。
 わたる。かぞえる。計画する。かんがえる。○大樓 秋浦の北の大楼山。

自代内贈 #1~#3 李白
寶刀截流水。無有斷絕時。妾意逐君行。纏綿亦如之。」
別來門前草。秋黃春轉碧。掃盡更還生。萋萋滿行跡。
鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。游云落何山。一往不見歸。
估客發大樓。知君在秋浦。梁苑空錦衾。陽台夢行雨。
妾家三作相。失勢去西秦。猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」
曲度入紫云。啼無眼中人。妾似井底桃。開花向誰笑。
君如天上月。不肯一回照。窺鏡不自識。別多憔悴深。
安得秦吉了。為人道寸心。」


正西望長安。 下見江水流。
真西の方、秋の真っ最中にあたって長安の方をながめるのだ、眼下にひろがる長江、水の流れを見ている。
正西 真西という意味と秋の真っ最中。


寄言向江水。 汝意憶儂不。
ここでわたしは言葉をあなたに寄せようと、長江の流れに向っている。君の心はわたしをおぼえていてくれるかどうか。
 一人称の人代名詞。近世では女性が親しい相手に対して用いたが、現代では男性が、同輩以下の相手に対して用いる。


遙傳一掬淚。 為我達揚州。
ひとすくいの涙は遠い所から伝えてくれて、わしのために、ここと中間の揚州にまで送りとどけてくれないか。
 両手ですくう。○揚州 江蘇省揚州。長江の下流にあり、当時から繁華な大都会であった。ここから運河を北上し、洛陽、長安に向かう。宋州(河南省商丘市)にのこしたままにしている妻宗氏に、秋浦から書信を出したのだ。

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