漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

秦淮往石頭訪崔四侍御

玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -222

漢詩李白 222 玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -222


#1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』
#2
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
一月一見君。 三杯便回橈。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』
#3
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
翌朝また招かれお相いした、清々しい時の宴の盛り上がりは大空高くひろがっているのだ。
贈我數百字。 字字凌風飇。
私に贈ってくれた数百字、字と字はつむじかぜを凌ぐ勢いのあるものである。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』

この詩文を衣裳のように身に着けていく、そうしてこの長謡を歌う時はいつも思い抱いていることだろう


玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御 #3 現代語訳と訳註
(本文) #3

雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
贈我數百字。 字字凌風飇。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』

(下し文)
雞鳴に復た相い招かれ、清宴は雲霄に逸る
我に贈る数百字、字字風飇を凌ぐ
之を衣裘の上に繋け、相い憶うて毎に長謡せん

(現代語訳)
翌朝また招かれお相いした、清々しい時の宴の盛り上がりは大空高くひろがっているのだ。
私に贈ってくれた数百字、字と字はつむじかぜを凌ぐ勢いのあるものである。
この詩文を衣裳のように身に着けていく、そうしてこの長謡を歌う時はいつも思い抱いていることだろう。

(訳注)
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。

翌朝また招かれお相いした、清々しい時の宴の盛り上がりは大空高くひろがっているのだ。
雞鳴 朝食を庭のテーブルでとる。


贈我數百字。 字字凌風飇
私に贈ってくれた数百字、字と字はつむじかぜを凌ぐ勢いのあるものである。
風飇 こころにつむじかぜをおこすこと。


系之衣裘上。 相憶每長謠。
この詩文を衣裳のように身に着けていく、そうしてこの長謡を歌う時はいつも思い抱いていることだろう。
系之 この詩文、長詩。○衣裘 きもの。


翌朝また招宴にあずかり、その宴会の盛んな気は空にも上るほど。きみはつむじ風をしのぐ勢いある数百字の長詩を贈ってくれた。これを身につけて、いつも思い出して歌い続けよう」。

この詩は崔侍御との友情の詩であるが、前半は遊興にふける歌で、徹底的に酒に酔う、しかも乱れに乱れていくほど、風流を味わえる。友情もしっかり確認し合えるというのが李白である。儒教の人たちから、理解されないのが、酔い乱れることと、風流を味わうというところであろうか。


鉤。樓。頭。裘。/笑。猷。流。侯。揄。羞。橈。橋。搖。/招。霄。飇。謠。


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玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御

昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
一月一見君。 三杯便回橈。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
贈我數百字。 字字凌風飇。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』


(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾を著け、酒客数人と、秦淮に樟歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)

昨(きのう)西城の月を翫(たの)しむ、青天に玉の鉤を垂る。
朝に金陵の酒を清い、孫楚の楼に歌い吹く。
忽ち繍衣の人を憶い、船に乗って石頭に往く。
烏紗巾を草かに豪り、紫椅裳を倒に披る。』
両岸のもの手を拍ちて笑い、疑うらくは是れ王子献ならんかと。
酒客は十数公、崩勝れて中流に酔う。』
諺浪れて海客を綽い、喧呼びて陽侯に倣る。
半道にて呉姫に逢い、簾を巻きて野でて椰拾う。
我は君を憶いて此に到る、狂と差とを知らず。
月下に一たび君に見えは、三杯にて便ちに槙を廻らさん。
舟を捨てて共に袂を連ね、行きて南渡の橋に上る。
興発こりて綠水を歌えば、秦客之が為に揺らぐ。』
雞鳴に復た相い招かれ、清宴は雲霄に逸る
我に贈る数百字、字字風飇を凌ぐ
之を衣裘の上に繋け、相い憶うて毎に長謡せん。』


『金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹しつづけた。それでも朝からさらに飲んで、日暮れになって酔いにまかせて朝廷の制服、紫綺裳、烏紗巾を着て、酒客数人と、船に乗り込み秦淮に行き着くまで舟歌の樟歌をうたった。そして石頭に着いたので、崔四侍御を訪ねたのである。』

昨晩、金陵の西にある孫楚亭で月を楽しむ。大空はいっぱいに広がっていて、三日月は光り輝く鉤をを垂らしたようである。
朝になると金陵の売り酒を持ってこさせた、孫楚楼に楽曲を歌い笛を吹いて楽しんだ。
それから長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人をおもいだし、船に乗って石頭に往くのである。
烏紗巾をおふざけで阿弥陀にかぶり、紫椅裳を裏返しに着てみたのだ。
両岸にいた人たちは手をたたいて笑いっている、これは風流のひとであった王子猷の再来かと驚いている。
舟の中では十数人がぐでんぐでんに酔っぱらってくずれている。

たわむれて海客をのせたまま竿を持ち舟をこいだり、どなりあって、陽侯たちをたかぶらせたりしている。
船を進めていく途中にて呉の美人妓女に逢った、簾を巻きあげて顔をだして、野卑な声をかけて冷やかすのだ。』

わたしは崔君のことを憶い逢いたくてここ石頭まで来たのだ、途中でこんなに酔いつぶれてしまって、だから恥ずかしくて仕方がない。でも大目に見てこんな醜態知らないことにしくれないか。
月がこんなに美しいし、君にこうして会えた、だから、ほんの三杯でも飲んだら、舟のかいをこいで帰るよ。
舟から上がって共に袂をそろえよう、そして南渡橋を渡っていこう。
ともに、風流な興が湧いてきて昔の歌曲、『綠水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせている。

翌朝また招かれお相いした、清々しい時の宴の盛り上がりは大空高くひろがっているのだ。
私に贈ってくれた数百字、字と字はつむじかぜを凌ぐ勢いのあるものである。
この詩文を衣裳のように身に着けていく、そうしてこの長謡を歌う時はいつも思い抱いていることだろう。

玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -221

漢詩李白 221 玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -221

(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾をけ、酒客数人と、秦淮に歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)


玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御
#1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』
#2
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
たわむれて海客をのせたまま竿を持ち舟をこいだり、どなりあって、陽侯たちをたかぶらせたりしている。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
船を進めていく途中にて呉の美人妓女に逢った、簾を巻きあげて顔をだして、野卑な声をかけて冷やかすのだ。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
わたしは崔君のことを憶い逢いたくてここ石頭まで来たのだ、途中でこんなに酔いつぶれてしまって、だから恥ずかしくて仕方がない。でも大目に見てこんな醜態知らないことにしくれないか。
一月一見君。 三杯便回橈。
月がこんなに美しいし、君にこうして会えた、だから、ほんの三杯でも飲んだら、舟のかいをこいで帰るよ。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
舟から上がって共に袂をそろえよう、そして南渡橋を渡っていこう。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』

ともに、風流な興が湧いてきて昔の歌曲、『綠水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせている。
#3
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
贈我數百字。 字字凌風飇。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』

諺浪(たわむ)れて海客を掉(ゆす)り、喧呼し陽侯に倣(おご)る。
半道にて呉姫に逢い、簾を巻きて出でて揶揄(からか)う。』
我は君を憶いて此に到る、狂と羞とを知らず。
月下に一たび君に見えは、三杯にて便ちに槙を廻らさん。
舟を捨てて共に袂を連ね、行きて南渡の橋に上る。
興発こりて綠水を歌えば、秦客之が為に揺らぐ。』


玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御 #2 現代語訳と訳註
(本文) #2
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
一月一見君。 三杯便回橈。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』


(下し文)
諺浪れて海客を棹い、喧呼びて陽侯に倣る。
半道にて呉姫に逢い、簾を巻きて野でて椰拾う。』
我は君を憶いて此に到る、狂と差とを知らず。
月下に一たび君に見えは、三杯にて便ちに槙を廻らさん。
舟を捨てて共に枚を連ね、行きて南渡の橋に上る。
興発こりて綠水を歌えば、秦客之が為に揺らぐ。』


(現代語訳)
たわむれて海客をのせたまま竿を持ち舟をこいだり、どなりあって、陽侯たちをたかぶらせたりしている。
船を進めていく途中にて呉の美人妓女に逢った、簾を巻きあげて顔をだして、野卑な声をかけて冷やかすのだ。』
わたしは崔君のことを憶い逢いたくてここ石頭まで来たのだ、途中でこんなに酔いつぶれてしまって、だから恥ずかしくて仕方がない。でも大目に見てこんな醜態知らないことにしくれないか。
月がこんなに美しいし、君にこうして会えた、だから、ほんの三杯でも飲んだら、舟のかいをこいで帰るよ。
舟から上がって共に袂をそろえよう、そして南渡橋を渡っていこう。
ともに、風流な興が湧いてきて昔の歌曲、『綠水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせている。


(訳注)
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。

たわむれて海客をのせたまま竿を持ち舟をこいだり、どなりあって、陽侯たちの酔った勢いををたかぶらせたりしている。
諺浪 たわむれること。○掉 ゆらせる。○海客 海上を旅行する人。諸方を流れ歩く人。○ おごりたかぶる。陽侯


半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。
船を進めていく途中にて呉の美人妓女に逢った、簾を巻きあげて顔をだして、野卑な声をかけて冷やかすのだ。』


我憶君到此。 不知狂與羞。
わたしは崔君のことを憶い逢いたくてここ石頭まで来たのだ、途中でこんなに酔いつぶれてしまって、だから恥ずかしくて仕方がない。でも大目に見てこんな醜態知らないことにしくれないか。
○王子猷のある雪のある、月明らかな夜、友人戴逵を思い出して船で剡渓までいって彼の門まで行ったが、興ざめしてじき返したという風流人。(前述)この句以降、この王子猷の風流に乗っている。


一月一見君。三杯便回橈。
月がこんなに美しいし、君にこうして会えた、だから、ほんの三杯でも飲んだら、舟のかいをこいで帰るよ。


舍舟共連袂。 行上南渡橋。
舟から上がって共に袂をそろえよう、そして南渡橋を渡っていこう。

連袂 袂を分かつの反対語。

興發歌綠水。 秦客為之搖。
ともに、風流な興が湧いてきて昔の歌曲、『綠水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせている。


「船頭をからかったり、波の神にどなりちらす。途中、遊女に会えば、簾を上げて出てひやかす」。酔客の酔態が出ている。こうした酔態を歌うことは、李白の得意とするところで、他の詩人にはあまり見られない。さて、これから崖侍御訪問ということになる。
「狂」と「羞」といっているのは、急に思いついて崖侍御の住む石頭までやって来た行動と、舟中の異常な酔態を指していっているもので、要するに「きみに会いたくなったので、やって来た。三杯も飲めば帰る」は門まで来て帰ったが、という。背後には王子猷の風流をまねしていることを意識して、王子猷とおなじように自分は君と飲めば帰るという。気心の知れている、風流を理解しあえる友人なのであろう。儒教的な考え、見方からは理解されないものかもしれない。。
「舟から上がって共に南渡橋を渡る。興が湧いて昔の歌曲、『緑水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせる」。

玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -220

漢詩李白 220 玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -220

(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾をけ、酒客数人と、秦淮に歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)



金城付近の自然を鑑賞し、好きな月を楽しみ、友人たちと酒を飲み、歌姫をひやかし、歓楽の興に浸りこんでいる李白の姿が、このころ見られる。長安追放のことなどすべて過去のものとして忘れ去ってしまったかのようである。


鉤。樓。頭。裘。/笑。猷。流。侯。揄。羞。橈。橋。搖。/招。霄。飇。謠。


玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御
『金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹しつづけた。それでも朝からさらに飲んで、日暮れになって酔いにまかせて朝廷の制服、紫綺裳、烏紗巾を着て、酒客数人と、船に乗り込み秦淮に行き着くまで舟歌の樟歌をうたった。そして石頭に着いたので、崔四侍御を訪ねたのである。』

#1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
昨晩、金陵の西にある孫楚亭で月を楽しむ。大空はいっぱいに広がっていて、三日月は光り輝く鉤をを垂らしたようである。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
朝になると金陵の売り酒を持ってこさせた、孫楚楼に楽曲を歌い笛を吹いて楽しんだ。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
それから長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人をおもいだし、船に乗って石頭に往くのである。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
烏紗巾をおふざけで阿弥陀にかぶり、紫椅裳を裏返しに着てみたのだ。
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
両岸にいた人たちは手をたたいて笑いっている、これは風流のひとであった王子猷の再来かと驚いている。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』

舟の中では十数人がぐでんぐでんに酔っぱらってくずれている。


 
#2
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
一月一見君。 三杯便回橈。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』
#3
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
贈我數百字。 字字凌風飇。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』




(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾をけ、酒客数人と、秦淮に歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)


#1
昨(きのう)西城の月を翫(たの)しむ、青天に玉の鉤を垂る。
朝に金陵の酒を清い、孫楚の楼に歌い吹く。
忽ち繍衣の人を憶い、船に乗って石頭に往く。
烏紗巾を草かに豪り、紫椅裳を倒に披る。』
両岸のもの手を拍ちて笑い、疑うらくは是れ王子献ならんかと。
酒客は十数公、崩勝れて中流に酔う。』

諺浪れて海客を綽い、喧呼びて陽侯に倣る。
半道にて呉姫に逢い、簾を巻きて野でて椰拾う。
我は君を憶いて此に到る、狂と差とを知らず。
月下に一たび君に見えは、三杯にて便ちに槙を廻らさん。
舟を捨てて共に枚を連ね、行きて南渡の橋に上る。
興発こりて漁水を歌えば、秦客之が為に揺らぐ。』
難鴨に復た相い招かれ、清宴は雲番に逸る
我に贈る数百字、字字風鵬を凌ぐ
之を衣裳の上に繋け、い憶うて毎に長謡せん』


 現代語訳と訳註
詩題
玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御

(本文) #1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』

(下し文)
詩題

(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾をけ、酒客数人と、秦淮に歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)

#1
昨西城の月を翫しむ、青天に玉の釣を垂る。
朝に金陵の酒を清い、孫楚の楼に歌い吹く。
忽ち繍衣の人を憶い、船に乗って石頭に往く。
烏紗巾を草(おろそ)かに裹(かぶ)り、紫椅裳を倒(うら)に披(き)る。』
両岸のもの手を拍ちて笑い、疑うらくは是れ王子献ならんかと。
酒客は十数公、崩勝(よいくず)れて中流に酔う。』


(現代語訳)
『金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹しつづけた。それでも朝からさらに飲んで、日暮れになって酔いにまかせて朝廷の制服、紫綺裳、烏紗巾を着て、酒客数人と、船に乗り込み秦淮に行き着くまで舟歌の樟歌をうたった。そして石頭に着いたので、崔四侍御を訪ねたのである。』

昨晩、金陵の西にある孫楚亭で月を楽しむ。大空はいっぱいに広がっていて、三日月は光り輝く鉤をを垂らしたようである。
朝になると金陵の売り酒を持ってこさせた、孫楚楼に楽曲を歌い笛を吹いて楽しんだ。
それから長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人をおもいだし、船に乗って石頭に往くのである。
烏紗巾をおふざけで阿弥陀にかぶり、紫椅裳を裏返しに着てみたのだ。
両岸にいた人たちは手をたたいて笑いっている、これは風流のひとであった王子猷の再来かと驚いている。
舟の中では十数人がぐでんぐでんに酔っぱらってくずれている。


(訳注)詩題
玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御
金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹しつづけた。それでも朝からさらに飲んで、日暮れになって酔いにまかせて朝廷の制服、紫綺裳、烏紗巾を着て、酒客数人と、船に乗り込み秦淮に行き着くまで舟歌の樟歌をうたった。そして石頭に着いたので、崔四侍御を訪ねたのである。
孫楚 東晋の酒を愛した詩人。彼の名に因んだ酒楼があったという。○紫綺裳、烏紗巾 ともに李白が、長安の翰林供奉時代に着ていた宮中の官吏服であろう。酔ったまぎれに、昔を思い出しつつ、かつての宮中における李白の権威を見せつける気持ちもあったのであろう。○崖四侍御 名は分からない。排行は四で、侍御史である。


#1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。

昨晩、金陵の西にある孫楚亭で月を楽しむ。大空はいっぱいに広がっていて、三日月は光り輝く鉤をを垂らしたようである
西城 金陵の西にある孫楚亭 ○翫 たのしむ。○玉の鉤 光るもので作った簾を巻き上げて止めるものが三日月に見えるのか、三日月を行として大空に垂しているといったのか。

朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
朝になると金陵の売り酒を持ってこさせた、孫楚楼に楽曲を歌い笛を吹いて楽しんだ。
 売っている酒。


忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
それから長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人をおもいだし、船に乗って石頭に往くのである。
繡衣人 長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人


草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。 』
烏紗巾をおふざけで阿弥陀にかぶり、紫椅裳を裏返しに着てみたのだ。
烏紗巾 黒の紗の頭巾。○紫綺裳 紫のあや絹の上着。この服は後に掲載の「金陵の江上にて、蓬池隠者に遇う」詩を見ると、隠者と飲み、「わが紫扮装を解き、且く金陵の酒に換う」といって、酒に換えてしまうのである。


兩岸拍手笑。 疑是王子猷

両岸にいた人たちは手をたたいて笑いっている、これは風流のひとであった王子猷の再来かと驚いている。
王子猷 王子猷 王徽之[おうきし](?~388年)王徽之は書聖晋の王羲之の第五番目の子供で、彼もまた行・草書を善くしました。『世説新語』「任誕」に
「王子猷嘗暫寄人空宅住、便令種竹。或問、暫住何煩爾。
王嘯詠良久、直指竹曰、何可一日無此君」
(王子猷はかつて他人の空家にしばらく仮住まいをしていたが、すぐに竹を植えさせた。ある人が尋ねた。「少しの間しか住まないのに、どうしてわざわざそんなことをするのですか。」王はやや久しく嘯詠[うそぶ]いてから、竹をまっすぐ指して言った。「どうして一日でも此の君が無くてよかろうか」と。)  たとえ仮住まいであっても、風流な生活を忘れない王徽之は文人の典型と言うべきひとであった。 王徽之にはまた、「人琴倶亡(人と琴ともにほろぶ)」という言葉を残している。これは琴の名手であった弟の王献之(344~386年、字は子敬)の死に際して発した言葉で、『世説新語』(「傷逝篇第十七」)。にみえる。


酒客十數公。 崩騰醉中流。』
舟の中では十数人がぐでんぐでんに酔っぱらってくずれている。
○崩騰 ぐでんぐでんに酔っぱらっているさま

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
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