漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

贈從弟南平太守之遙二首

答友人贈烏紗帽 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -293

答友人贈烏紗帽 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -293


答友人贈烏紗帽
領得烏紗帽,全勝白接蘺。
山人不照鏡,稚子道相宜。


答友人贈烏紗帽 李白                           
烏紗帽を領得して、全く白接蘺(り)に勝(まさ)る。
山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜(よろ)しと道(い)う。


 鳥紗帽たしかに受け取りました                         
 白接蘺よりずっといい                             
 鏡で見てみたわけじゃないけど                         
 子供は似合うと言ってます                           
李白
       ウィキペディア  李白像
 
現代語訳と訳註
(本文)
答友人贈烏紗帽
領得烏紗帽,全勝白接蘺。
山人不照鏡,稚子道相宜。


(下し文)
烏紗帽を領得して、全く白接蘺(り)に勝(まさ)る。
山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜(よろ)しと道(い)う。


(現代語訳)
烏紗帽を届けてくれて確かに受け取りました。白い接羅の帽子よりすべてに勝っている。
山で隠遁すべき人間が街にいるこの私が鏡を見るまでのことはないのだ、山間ではないけれど子供たちはよく似合ってるといっている。


(訳注) 答友人贈烏紗帽
領得烏紗帽,全勝白接蘺。
烏紗帽を領得して、全く白接蘺(り)に勝(まさ)る。
烏紗帽を届けてくれて確かに受け取りました。白い接羅の帽子よりすべてに勝っている。
烏紗帽:絹で出来た礼装用の黒い帽子。
白接羅:白い接羅(せつり)。接羅は帽子の一種。昔、荊の地方長官だった山簡が被っていたことで有名。
山簡は竹林の七賢人である山濤の息子だが、それよりなにより酔ってこの白接蘺を前後反対に被り
町なかで馬に乗ったほどの「酔っぱらい」ぶりで名高い。              
「山公」と言えば酔っぱらいの代名詞であり、李白はしばしば自分をこの山簡に例えている。 

山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接蘺 接蘺は帽子。


山人不照鏡,稚子道相宜。
山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜(よろ)しと道(い)う。
山で隠遁すべき人間が街にいるこの私が鏡を見るまでのことはないのだ、山間ではないけれど子供たちはよく似合ってるといっている。
○山人 山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。ここでは李白自身のことを指す。


     
 帽子01

帽子02
帽子03
 
  唐太宗戴幞頭 禮官戴幞頭 兩文人戴幞頭 
 帽子04
帽子05
帽子06
 
  長腳羅幞頭 翹腳幞頭 翹腳幞頭
 
    

   時代を遡ると、元代の雑劇に登場する山人は例外なくみな占い師であり、かつ自称ではなく他称である。また陸遊の〈新裁道帽示帽工〉(《劍南詩稿》卷39)では、「山人手段雖難及」と帽子作りの職人を山人と呼んでおり、《東京夢華録》巻 5 〈京瓦技芸〉等にみえる張山人は都会の寄席芸人であるなど、総じて山人とは「技術之士」(《太平廣記》巻72「張山人」)であったといえる。同じ現象は唐代にも見られる。宋初の《文苑英華》巻231「隠逸二・山人」に収める唐代の山人の詩の多くには売薬についての記述が見える。そもそも山人という語の出典は、南斉の孔稚圭「北山移文」(《文選》巻43)の「山人去兮曉猿驚」にあり、本来山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。いわゆる「終南の捷径」によって官途を求めた李泌のような人物もまた山人であったし、李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。現に李白は「答友人贈烏紗帽」(《李白集校注》巻19)で「山人不照鏡、稚子道相宜」と自ら山人を称している

 
「山公」
李白と道教48襄陽歌 ⅰ

李白と道教(7)襄陽曲49から52

阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

秋浦歌十七首 其七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集251350

秋浦歌十七首 其九 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -253/350

秋浦歌十七首 其十一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-255/350


 烏紗帽00烏紗帽平巾幘(さく)帽00平巾幘(さく)帽

 
    

襄陽曲四首 李白
「あの儒教者の立派な人格者の晉の羊公でさえ、台石の亀の頭は、むざんに欠け落ちてしまって、苔だらけ。『涙を堕す碑』とよばれるのに、涙さえおとすことも出来ない。心も羊公のために、悲しむことさえ出来ない。
清々しい風、明月を眺め、その上、酒を飲むなら、これにまさることはない。」
どんなに笑われても、山公(山簡先生)のように生きたい。という李白であった。
 中国では、昔から、茶屋、居酒屋のようなにぎやかに人を集めた場所で、「三国志」、とか、「王昭君」、「西施」など節をつけ、唄いながら講談をした。襄陽は交通の要衝で、大きな歓楽街もあった。そこで詠われた詩の「襄陽楽」を題材にして李白が詠ったのだが、同じ内容の絶句四首がある。李白の考え方をよく表している。(再掲)

現代語訳と訳註

李白『襄陽曲四首其一』
(本文)

襄陽行樂處、歌舞白銅蹄。
江城回淥水、花月使人迷。


(下し文)
嚢陽 行楽の処、歌舞 白銅鞋
江城 淥水回(めぐ)り、花月 人をして迷わせる


(現代語訳)
嚢陽はたのしい行楽の場所だ。人びとは、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったりする。
江にのぞむこのまちは、うつくしい水にとりまかれ、なまめかしい花と月とが、人の心をまよわせる。

(訳注)
○裏陽曲 六朝の栄の隋王寵が作ったといわれる「嚢陽楽」という歌謡に、「朝に嚢陽城を発し、暮に大隄の宿に至る。大隄の諸女児、花顛郡の目を驚かす」とある。嚢陽曲は、すなわち賽陽楽であり、李白のこの第一首の結句は、隋王誕の歌の結句と似ている。なお、李白の、次にあげた「大隄の曲」、および 前の「嚢陽の歌」を参照されたい。○襄陽 いまの湖北省襄陽県。漢水にのぞむ町。李白はこの地から遠からぬ安陸に、三十歳前後の頃、定住していた。また、李白の敬愛する先輩の詩人、孟浩然は、裏陽の旧家の出身であり、一度は杜甫に連れられ玄宗にお目通りしたが仕えず、この地の隠者として終った。・白銅蹄 六朝時代に襄陽に流行した童謡の題。 ○淥水 清らかな水。 ○花月 花と月と。風流なあそびをさそうもの。(売春の誘い込みも含むと考えればわかりやすい)


李白 襄陽曲四首 其二
(本文)

山公醉酒時。 酩酊高陽下。
頭上白接籬。 倒著還騎馬。


(下し文)

山公 酒に酔う時、酩酊し 高陽の下
頭上の 白接籬、倒しまに着けて還(また)馬に騎(のる)

(現代語訳)
山簡先生はいつもお酒に酔っている、酩酊してかならず高陽池のほとりでおりていた。
あたまの上には、白い帽子。それを逆さにかぶりながら、それでも馬をのりまわした。

(訳註)
○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接離 接寵は帽子。



李白 襄陽曲四首 其三
(本文)

峴山臨漢江、水淥沙如雪。
上有墮淚碑、青苔久磨滅。

(下し文)
峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し
上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す

(現代語訳)
峴山は漢江に臨んでそびえたつ、ながれる水は清く澄み、川辺の砂は雪の白さだ。
山上には「墮淚碑」が有り、 青苔におおわれたまま永いので磨滅したように彫刻が見えない。
(こんなに哀れに苔だらけになってしまっている。ここで泣けるのか)

(訳註)
○峴山 襄陽県の東南にある山で、漢水にのぞむ。唐代の名勝の地。○漢江 漢水とおなじ。長江の一番大きな支流。 ○堕涙碑 晋の羊祜は、荊州の都督(軍事長官)として襄陽のまちを治めて人望があった。かれは生前、峴に登って酒を飲み、詩を作つたが、かれが死ぬと、襄陽の人びとはその人となりを偲んで、山上に石碑を立てた。その碑をみる人は、かれを思い出して涙を堕さないではいられなかったので、堕涙碑と名づけられた。名づけ親は、羊祜の後任で荊州の都督となった杜預、(杜甫の遠い先祖にあたる)である。



李白 襄陽曲四首 其四
(本文)

且醉習家池。 莫看墮淚碑。
山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。

(下し文)

且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。
山公 馬に上らんと欲すれは、笑殺す 嚢陽の児。

 (現代語訳)
ともかく、習家池で酔いつぶれよう、墮淚碑になんか見てもしかたがない。
山公先生が馬に乗ろうとして、襄陽の子供たちが笑い転げてくれ。(その方がどんなにいいか)

(訳注)
○習家池 山簡がいつも酔っぱらった高陽池のこと。漢の習郁という人が、養魚のためにこの池をつくり、池のまわりの高い堤に竹などを植え、ハスやヒシで水面をおおい、以来、遊宴の名所となったと「世説」の注に見える。○笑殺 穀は調子を強める字。


 死んで世に名を残したって、苔むすだけだろう。それなら、一生どれだけ飲めるのかといっても、たかが知れている。人に笑われたって今を楽しむほうがいい。ここで、酒好きな李白の「酒」を論じるのではない。(酒については別のところで述べる予定。)


 子供についての考え方、に続いて、わらべ歌について、李白の考えを詠ったものだが、端的に言うと、峴山の羊祜、「堕涙碑」は儒教の精神を示している。それに対して、山簡を山公と山翁呼んでいるが、李白は自分のことをしばしばそう詠っている。竹林の七賢山濤の子の山簡、つまり、山簡先生と同じように自分もたとえ子供に笑われたって、酒を飲むほうがいいといっている。酒を飲むというのは現実社会、今生きていることを示すのである。(李白は山東で竹渓の六逸と称し遊ぶ)


 李白は、自分の道徳観を故事になぞらえて正当化する手法をとっている。しかも、わかりやすいわらべ歌を題材にしているのである。

 襄陽は、道教の宗派最大の聖地、武当山のおひざ元、門前町なのだ。ここでも道教の接点があるのだ。
(長安で寓居していた終南山も道教の本家地がある。元丹邱の関連でよく出てくる地名である。)
 しかし、のちに、この道教のつながりで、中央官僚、しかも皇帝が李白のために新しいポストを作って迎えられるのだから、「大作戦」成功を見るのである。

贈從弟南平太守之遙二首 其二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -292

贈從弟南平太守之遙二首 其二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -292

其二
東平與南平。 今古兩步兵。
東平と南平の二人、今も昔も軍隊の基本は歩兵戦略にあるものだ。
素心愛美酒。 不是顧專城。
純真な心でおいしいお酒を愛することが一番だ。このことはもっぱら城郭の中にいて戦のことは考えることはないということだ。
謫官桃源去。 尋花几處行。
謫仙人といわれたこの私は桃源の里を去ろうと思う。花を訪ねて歩くのでゆく当てのない旅をすることになろう。
秦人如舊識。 出戶笑相迎。

素直で純真な心を持った君たちは、私の過去の歴史を知ってくれたことは唐王朝のことを理解したものと思う。ここの扉から出ていったら今度会う時は互いに笑って迎え合おうではないか。

從弟の南平の太守之遙に贈る二首 其の二
東平と南平。 今は古(いにしえ) 兩の步兵。
素心 美酒を愛し。 是 專城を顧ず。
謫官 桃源を去り。花を尋ねて 几そ處行す。
秦人 舊きを識るが如し。 出戶 笑って相い迎う。


其二 現代語訳と訳註
(本文)

東平與南平。 今古兩步兵。
素心愛美酒。 不是顧專城。
謫官桃源去。 尋花几處行。
秦人如舊識。 出戶笑相迎。

(下し文)  其の二
東平と南平。 今も古(いにしえ) 兩の步兵。
素心 美酒を愛し。 是 專城を顧ず。
謫官 桃源を去り。花を尋ねて 几そ處行す。
秦人 舊きを識るが如し。 出戶 笑って相い迎う。

(現代語訳)
東平と南平の二人、今も昔も軍隊の基本は歩兵戦略にあるものだ。
純真な心でおいしいお酒を愛することが一番だ。このことはもっぱら城郭の中にいて戦のことは考えることはないということだ。
謫仙人といわれたこの私は桃源の里を去ろうと思う。花を訪ねて歩くのでゆく当てのない旅をすることになろう。
素直で純真な心を持った君たちは、私の過去の歴史を知ってくれたことは唐王朝のことを理解したものと思う。ここの扉から出ていったら今度会う時は互いに笑って迎え合おうではないか。


(訳注)
東平與南平。 今古兩步兵。
東平と南平。 今も古(いにしえ)も 兩の步兵。

東平と南平の二人、今も昔も軍隊の基本は歩兵戦略にあるものだ。
○今と昔、両方とも、東平と南平の両人、歩兵の戦略が戦の基本である。


素心愛美酒。 不是顧專城。
素心 美酒を愛し。 是 專城を顧ず。
純真な心でおいしいお酒を愛することが一番だ。このことはもっぱら城郭の中にいて戦のことは考えることはないということだ。
素心 純真な心。なのも染まっていない、損得でない心。○愛美酒 美人を伴って飲むお酒であるから、酒を愛し、美人を愛すという意味。○專城 叛乱軍という先の見えない勢力に対して加担をするなという意味。


謫官桃源去。 尋花几處行。
謫官 桃源を去り。花を尋ねて 几そ處行す。
謫仙人といわれたこの私は桃源の里を去ろうと思う。花を訪ねて歩くのでゆく当てのない旅をすることになろう。
謫官 元役人であったということ。役人を辞めた謫仙人。○桃源 隠遁生活の象徴。○尋花 美人を訪ね歩くということ。決まった幕下には入らないということ、謝安の「両手に妓女を携えて」の精神をいうものである。


秦人如舊識。 出戶笑相迎。
秦人 舊きを識るが如し。 出戶 笑って相い迎う。
素直で純真な心を持った君たちは、私の過去の歴史を知ってくれたことは唐王朝のことを理解したものと思う。ここの扉から出ていったら今度会う時は互いに笑って迎え合おうではないか。
miyajima 697


其一 #1
少年不得意。 落魄無安居。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。
#2
彤庭左右呼萬歲。拜賀明主收沉淪。
翰林秉筆回英眄。麟閣崢嶸誰可見。
承恩初入銀台門。著書獨在金鑾殿。
龍駒雕鐙白玉鞍。象床綺席黃金盤。
當時笑我微賤者。卻來請謁為交歡。
#3
一朝謝病游江海。 疇昔相知几人在。
前門長揖後門關。 今日結交明日改。
愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之。

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贈從弟南平太守之遙二首 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -291

贈從弟南平太守之遙二首 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -291

「天宝の初め、玄宗皇帝は詔を下して李白を召して、金馬門に入らしめ、ここで畏くも輦(こし)を下りて徒歩で迎へられること、かの商山の四皓を漢の高祖が 迎へた如くし、七宝の牀を以て食を賜い、御手ずから羹(あつもの)をととのえて食べさされ、宣うには『卿(おんみ)は布衣(フイ:平民)なるに、その名が朕に知れたというのは、もとより道義を蓄(たくわ)へたのでなけれ ば、どうしてここに及ぼう』と。

金鑾殿に置き、翰林官の中に入れしめ、問うに国政を以てしたまい、ひそか に詔を草せしめたまうた。」

 金鑾殿(きんらんでん)は漢代の名称で、唐代の右銀台門であらう。金鑾殿はこの門を入ったところにある御殿である。玄宗 が賢士を優遇したことは「開元天宝遺事」にも多く見えているから、李白に対して、かくの如き待遇があったといふのも、あながち誇張と見るべきではなかろうが、李白が朝廷時代のことを詩にしたのは、それで、喰うことができたからであろう。長期間無収入ではどうしようもない。詩文を金にし、酒にするには、詩中にきらめくもの雲の上の生活をにじませることにあった。詩そのものが素晴らしいうえに、天子のところで活躍された人だということで、敬われたのであろう。

 安禄山に酔う叛乱、洛陽、長安があっさり陥落し、玄宗は蜀に走ったのである。これは、李白の胸に電撃が走ったものだった。朝廷で何度も顔を合わせており、叛乱軍が王朝軍を徹底的な掃討をかけていたなら、李白も捕獲されればただでは済まないはずである。だから江南から出ようとしなかったのであろう。
miyajima 681

贈從弟南平太守之遙二首
( 太白自注:南平時因飲酒過度。貶武陵。)

其一 #1
少年不得意。 落魄無安居。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。
#2
彤庭左右呼萬歲。拜賀明主收沉淪。
翰林秉筆回英眄。麟閣崢嶸誰可見。
承恩初入銀台門。著書獨在金鑾殿。
龍駒雕鐙白玉鞍。象床綺席黃金盤。
當時笑我微賤者。卻來請謁為交歡。
#3
一朝謝病游江海。 疇昔相知几人在。
ある朝、病気を理由に職を辞して長江江南地方に游旅に出た。その頃互いに知り合った幾人かの知人がいる。
前門長揖後門關。 今日結交明日改。
朝廷に入る、翰林院に仕えるときには恭しくしたものだが官を辞してからは朝廷の門に至ることはない、今日になってその頃知り合ったものと友好を結んで明日にはこれを改めてしまうことになるのだ
愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
君は隠遁生活の山岳を愛しているが心だけでは映らない。君についていこうと思うけど雲霧の中に、あるいはその流れにどうしていいのかわからない現状なのではないか。
夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
夢得るには池や堤に春の草が生えているようにあるのだ。この私をさせようとしている人生の中で最も価値があることというのは高楼登ってあたりを眺め、詩を詠うことにあるのだ
別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之

君と別れて後は、遙か先から伝ってくる滄海に臨んだ詩を作るのである。しかし異民族の叛乱軍の輩とはこうした詩を唱和することはできないのだから。


從弟の南平の太守之遙に贈る二首#1
少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
愿みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。
天門 九重(きゅうちょう) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。
#2
彤庭(とうてい)に左右 万歳を呼ばひ、拝賀す 明主の沈淪(ち んりん)を收むるを。
翰林 筆を秉(と)って 英眄(えいべん)を回(めぐ)らし、麟閣 崢嶸(そうこう) たり誰か見るべき。
恩を承(う)けて初めて 入る銀台門、0書を著してひとり金鑾殿にあり。
寵鉤(ちょうこう) 雕鐙(ちょうとう)  白玉の鞍 賜った名馬には玉を刻んだあぶみや白玉の鞍をおかせ、象牀(ぞうしょう) 綺 席 黄金の盤
当時わが微賤なるを笑ひし者、かへって来って謁を請うて交歓をなす。
#3
一朝病を謝(つ)げて江海に遊べば、疇昔(ちゅうしゃく)の相知 幾人か在る。
前門には長揖(ちょうゆう)して後門は関 (とざ)す、 今日 交りを結んで明日は改まる。
君を愛するは山岳 心 移さず。君に隨うは云霧 為す所を迷う。
夢 池塘を得 春草生える。我 長價に使う 登樓の詩。
別後 遙に傳う 臨海と作す。 可見 羊 何ぞ 共に之を和す

鳥居(3)

#3 現代語訳と訳註
(本文) #3

一朝謝病游江海。 疇昔相知几人在。
前門長揖後門關。 今日結交明日改。
愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之。


(下し文) #3
一朝病を謝(つ)げて江海に遊べば、疇昔(ちゅうしゃく)の相知 幾人か在る。
前門には長揖(ちょうゆう)して後門は関 (とざ)す、 今日 交りを結んで明日は改まる。
君を愛するは山岳 心 移さず。君に隨うは云霧 為す所を迷う。
夢 池塘を得 春草生える。我 長價に使う 登樓の詩。
別後 遙に傳う 臨海と作す。 可見 羊 何ぞ 共に之を和す。


(現代語訳)
ある朝、病気を理由に職を辞して長江江南地方に游旅に出た。その頃互いに知り合った幾人かの知人がいる。
朝廷に入る、翰林院に仕えるときには恭しくしたものだが官を辞してからは朝廷の門に至ることはない、今日になってその頃知り合ったものと友好を結んで明日にはこれを改めてしまうことになるのだ
君は隠遁生活の山岳を愛しているが心だけでは映らない。君についていこうと思うけど雲霧の中に、あるいはその流れにどうしていいのかわからない現状なのではないか。
夢得るには池や堤に春の草が生えているようにあるのだ。この私をさせようとしている人生の中で最も価値があることというのは高楼登ってあたりを眺め、詩を詠うことにあるのだ。
君と別れて後は、遙か先から伝ってくる滄海に臨んだ詩を作るのである。しかし異民族の叛乱軍の輩とはこうした詩を唱和することはできないのだから。


(訳注)
一朝謝病遊江海 疇昔相知幾人在

一朝病を謝(つ)げて江海に遊べば、疇昔の相知 幾人か在る。
ある朝、病気を理由に職を辞して長江江南地方に游旅に出た。その頃互いに知り合った幾人かの知人がいる。
○疇昔 むかし。また、きのう。


前門長揖後門關 今日結交明日改
前門には長揖(ちょうゆう)して後門は関 (とざ)す、 今日 交りを結んで明日は改まる。
朝廷に入る、翰林院に仕えるときには恭しくしたものだが官を辞してからは朝廷の門に至ることはない、今日になってその頃知り合ったものと友好を結んで明日にはこれを改めてしまうことになるのだ
前門・後門 入門することと、退門すること。

侍従遊宿温泉宮作 李白129  都長安(翰林院供奉)

侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌李白131

玉壺吟 雑言古詩李白130

長揖 中国の礼法。両手を組み合わせて前方やや上にあげ、そのまま下におろす略式の礼。


愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
君を愛するは山岳 心 移さず。君に隨うは云霧 為す所を迷う。
君は隠遁生活の山岳を愛しているが心だけでは映らない。君についていこうと思うけど雲霧の中に、あるいはその流れにどうしていいのかわからない現状なのではないか。
愛君山岳 李白は道教に関わり合いを持ち続けた。中國の名山には必ず寺観があり、素での隠遁はしないものの名山にある道教の寺観を活用していた。どっぷり道教に使っていたわけではないが、李白詩に多大な影響を与えているのは間違いないことである。


夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
夢 池塘を得 春草生える。我 長價に使う 登樓の詩。
夢得るには池や堤に春の草が生えているようにあるのだ。この私をさせようとしている人生の中で最も価値があることというのは高楼登ってあたりを眺め、詩を詠うことにあるのだ。


別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之。
別後 遙に傳う 臨海と作す。 可見 羊 何ぞ 共に之を和す。
君と別れて後は、遙か先から伝ってくる滄海に臨んだ詩を作るのである。しかし異民族の叛乱軍の輩とはこうした詩を唱和することはできないのだから。

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贈從弟南平太守之遙二首 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -289

贈從弟南平太守之遙二首 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -289


贈從弟南平太守之遙二首
( 太白自注:南平時因飲酒過度。貶武陵。)

其一 #1
少年不得意。 落魄無安居。
成年は意識を得ない、落ちぶれた魂は安らかに落ち着くとこもない。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
したがって私は、謹んで、会稽山の釣り人任公子に従っていく、酒を飲んで船に乗って魚を釣り上げようと思う。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
いつもながら、酒を飲んで風流に景色を追うのである、意気盛んな心はともに追い求めこの名をはせて流されるのである。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
蘭の花が谷の底の方に生えていると人は鋤とることはできない、雲が高い山にかかって、むなしく巻いたりのばしたりして広がっているのだ。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
唐王朝の天子は4頭立ての馬車で夜明けに出発した、南方を守る軍隊は蜀へ通じる道に司馬相如の様な賢臣がお迎えをしている。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。

天へと続く門は九つの門で守られ聖天子に拝謁できるのである、本来の天子のお顔をひとたび拝見したならその放たれる佳気で世界は春を迎えた気分になるものである。
#2
彤庭左右呼萬歲。拜賀明主收沉淪。
翰林秉筆回英眄。麟閣崢嶸誰可見。
承恩初入銀台門。著書獨在金鑾殿。
龍駒雕鐙白玉鞍。象床綺席黃金盤。
當時笑我微賤者。卻來請謁為交歡。
#3
一朝謝病游江海。 疇昔相知几人在。
前門長揖後門關。 今日結交明日改。
愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之。
#1
從弟の南平の太守之遙に贈る二首 其の一
少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
愿みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。
天門 九重(きゅうちょう) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。

#2
彤庭(とうてい)に左右 万歳を呼ばひ、拝賀す 明主の沈淪(ち んりん)を收むるを。
翰林 筆を秉(と)って 英眄(えいべん)を回(めぐ)らし、麟閣 崢嶸(そうこう) たり誰か見るべき。
恩を承(う)けて初めて 入る銀台門、0書を著してひとり金鑾殿にあり。
寵鉤(ちょうこう) 雕鐙(ちょうとう)  白玉の鞍 賜った名馬には玉を刻んだあぶみや白玉の鞍をおかせ、象牀(ぞうしょう) 綺 席 黄金の盤
当時わが微賤なるを笑ひし者、かへって来って謁を請うて交歓をなす。
#3
一朝病を謝(つ)げて江海に遊べば、疇昔(ちゅうしゃく)の相知 幾人か在る。
前門には長揖(ちょうゆう)して後門は関 (とざ)す、 今日 交りを結んで明日は改まる。
君を愛するは山岳 心 移さず。君に隨うは云霧 為す所を迷う。
夢 池塘を得 春草生える。我 長價に使う 登樓の詩。
別後 遙に傳う 臨海と作す。 可見 羊 何ぞ 共に之を和す。

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#4

其二
東平與南平。 今古兩步兵。
素心愛美酒。 不是顧專城。
謫官桃源去。 尋花几處行。
秦人如舊識。 出戶笑相迎。

東平と南平。 今は古(いにしえ) 兩の步兵。
素心 美酒を愛し。 是 專城を顧ず。
謫官 桃源を去り。花を尋ねて 几そ處行す。
秦人 舊きを識るが如し。 出戶 笑って相い迎う。


贈從弟南平太守之遙二首 其一 現代語訳と訳註
(本文)#1
少年不得意。 落魄無安居。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。


(下し文)
少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
愿みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。
天門 九重(きゅうちょう) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。

(現代語訳)
成年は意識を得ない、落ちぶれた魂は安らかに落ち着くとこもない。
したがって私は、謹んで、会稽山の釣り人任公子に従っていく、酒を飲んで船に乗って魚を釣り上げようと思う。
いつもながら、酒を飲んで風流に景色を追うのである、意気盛んな心はともに追い求めこの名をはせて流されるのである。
蘭の花が谷の底の方に生えていると人は鋤とることはできない、雲が高い山にかかって、むなしく巻いたりのばしたりして広がっているのだ。
唐王朝の天子は4頭立ての馬車で夜明けに出発した、南方を守る軍隊は蜀へ通じる道に司馬相如の様な賢臣がお迎えをしている。
天へと続く門は九つの門で守られ聖天子に拝謁できるのである、本来の天子のお顔をひとたび拝見したならその放たれる佳気で世界は春を迎えた気分になるものである。


(訳注) 其一 #1
少年不得意、落魄無安居。

少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
成年は意識を得ない、落ちぶれた魂は安らかに落ち着くとこもない。
 1 人の肉体に宿り、活力を生み出すもの。たましい。「気魄・魂魄」 2 月のかげの部分。「生魄」 3 落ちぶれる。「落魄」 .


愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
愿(つつし)みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
したがって私は、謹んで、会稽山の釣り人任公子に従っていく、酒を飲んで船に乗って魚を釣り上げようと思う。
 つつしむ。誠実である。○任公子 子明は会稽山の山頂から沖に届くくらいの竿を作り、餌も去勢牛五十頭ほど用意し、一年かけて釣り上げた。それを村人に食べ物を配った。『荘子』任公子にある。


常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
いつもながら、酒を飲んで風流に景色を追うのである、意気盛んな心はともに追い求めこの名をはせて流されるのである。
壯心 雄々しき心。意気盛んな心。


蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
蘭の花が谷の底の方に生えていると人は鋤とることはできない、雲が高い山にかかって、むなしく巻いたりのばしたりして広がっているのだ。
○卷舒 巻いたりのばしたりすること。広げることとしまうこと。


漢家天子馳駟馬、赤軍蜀道迎相如。
(漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。)
唐王朝の天子は4頭立ての馬車で夜明けに出発した、南方を守る軍隊は蜀へ通じる道に司馬相如の様な賢臣がお迎えをしている。
○天子 玄宗のことをたとえる。○駟馬 四頭立ての馬車。○赤軍 南方へ向かう軍隊。○相如 蜀出身の詩人司馬相如。李白のこと。


天門九重謁聖人、龍顏一解四海春。
天門 九重(キュウチョウ) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。
天へと続く門は九つの門で守られ聖天子に拝謁できるのである、本来の天子のお顔をひとたび拝見したならその放たれる佳気で世界は春を迎えた気分になるものである。
龍顏 龍の顔というのは想像上の動物であるが、同時に仙界と王朝を示すものであり、皇帝の顔を示す。○九重 天子の門は九。○聖人 聖天子 

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