猛虎行#2 陸機 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -275
父が亡くし、兄が死んででも守ろうとした祖国、その祖国を滅ぼした国に仕えるときの気持ちをしにしたものである。
故国にいる間は同郷の士に畏れられていたが、晋に仕え始めてからは呉出身の人士のリーダー的存在となっている。
儒学に親しみ、礼に外れることはなかったという。また、相当に負けん気の強い人物であったらしく、たびたび晋の官人と衝突している。それが、彼の不運な最期を招いたのかもしれない。
「猛虎行」その内容から、晋に仕官し始めてからの作で、敵のもとに仕える心情を詠っている。
李白の「猛虎行」はこの詩にイメージを借りているので、李白の詩の前に掲載することとした。儒学に嫌気を持っていた李白、李白の猛虎行は偽作とされている根拠が陸機の詩にあるのだろうか。
猛虎行
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
悪木豈無枝、志士多苦心。整駕肅時命、杖策將尋遠。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。」日歸功未建、時往歳載陰。-#1
崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。
崇高な雰囲気の雲は崖のように立ち上り驚かす、枝を鳴らせて風は吹きいつまでも吟じてくれている。
靜言幽谷底、長嘯高山岑。
しずかで奥深い谷の底にいる時にはこころのなかで思いを巡らせるのだ、そして高い山の峰にいるときには胸をはって長く自分の作った詩を唄ってみるのだ。
急絃無懦響、亮節難爲音。
張りつめた琴の絃で早く強く引けば、低く鈍い音は出ないものだ、心晴れ晴れとして出る高い声で気持ちというものは、この琴によっては弾くことで表せない。
人生誠未易、曷云開此衿。
人生は、誠に容易なものではない、今、どうして此の衿を開いて休んでいられるというものではないのだ。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。」-#2
我が心に抱いた崇高で堅固な志をかえりみると、俯したり仰ぎみて、古今の人に恥じ入るばかりなのである。
○韻 陰、心、遠、林/建、陰、吟、岑、音、衿、今
猛虎の行(うた)
渇すれども盗泉の水を飲まず、熱けれど悪木の陰に息(いこ)わず。
悪木には豈(あ)に枝なからんや、志士は苦心多し。
駕を整えて時命を肅(つつし)み、杖(むち)を取りてまさに遠く尋ねんとす。
飢えては猛虎の窟(あな)に食らい、寒ければ野雀の林に栖(す)む。
日歸(おもむ)いて功は未だ建たず、時往(ゆ)いて歳は載(すなわ)ち陰(く)る。
#2
崇雲(しゅううん)は岸に臨みて駭(おどろ)き、鳴條(めいじょう)は風に従って吟ず。
靜言(せいげん)す幽谷の底、長嘯(ちょうしょう)す高山の岑(みね)。
急絃には懦響(だきょう)無く、亮節(りょうせつ)には音を為し難し。
人生は誠に未だ易からず、曷(いずく)んぞ云(ここ)に此の衿を開かん
我が耿介(こうかい)の懐(おもい)を眷(かえり)み、俯仰して古今に愧(は)ず。
猛虎行 陸機 #2 現代語訳と訳註
(本文)
崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。
靜言幽谷底、長嘯高山岑。
急絃無懦響、亮節難爲音。
人生誠未易、曷云開此衿。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。」-#2
(下し文) #2
崇雲(しゅううん)は岸に臨みて駭(おどろ)き、鳴條(めいじょう)は風に従って吟ず。
靜言(せいげん)す幽谷の底、長嘯(ちょうしょう)す高山の岑(みね)。
急絃には懦響(だきょう)無く、亮節(りょうせつ)には音を為し難し。
人生は誠に未だ易からず、曷(いずく)んぞ云(ここ)に此の衿を開かん
我が耿介(こうかい)の懐(おもい)を眷(かえり)み、俯仰して古今に愧(は)ず。
(現代語訳)
崇高な雰囲気の雲は崖のように立ち上り驚かす、枝を鳴らせて風は吹きいつまでも吟じてくれている。
しずかで奥深い谷の底にいる時にはこころのなかで思いを巡らせるのだ、そして高い山の峰にいるときには胸をはって長く自分の作った詩を唄ってみるのだ。
張りつめた琴の絃で早く強く引けば、低く鈍い音は出ないものだ、心晴れ晴れとして出る高い声で気持ちというものは、この琴によっては弾くことで表せない。
人生は、誠に容易なものではない、今、どうして此の衿を開いて休んでいられるというものではないのだ。
我が心に抱いた崇高で堅固な志をかえりみると、俯したり仰ぎみて、古今の人に恥じ入るばかりなのである。
(訳注)#2
崇雲臨岸駭 鳴條随風吟
崇高な雰囲気の雲は崖のように立ち上り驚かす、枝を鳴らせて風は吹きいつまでも吟じてくれている。
○自分の意志に反した戦いの中で、自然は何も変わっていないことを示す。
靜言幽谷底 長嘯高山岑
しずかで奥深い谷の底にいる時にはこころのなかで思いを巡らせるのだ、そして高い山の峰にいるときには胸をはって長く自分の作った詩を唄ってみるのだ。
○この聯も戦いに来ている自分を風流なことをするにより慰めていると考えられる。
急絃無懦響 亮節難爲音
張りつめた琴の絃で早く強く引けば、低く鈍い音は出ないものだ、心晴れ晴れとして出る高い声で気持ちというものは、この琴によっては弾くことで表せない。
○この詩は,儒教者の陸機が人生観を述べるのにこうした舞台を想像して詩を作っている。 ○亮節 淸く明かるさを持った仁徳に対する淸操。ここでは心晴れ晴れとして出る高い声で詠う詩の一節を言う。
人生誠未易 曷云開此衿
人生は、誠に容易なものではない、今、どうして此の衿を開いて休んでいられるというものではないのだ。
眷我耿介懐 俯仰愧古今
我が心に抱いた崇高で堅固な志をかえりみると、俯したり仰ぎみて、古今の人に恥じ入るばかりなのである。
○耿介 かたく志を守って譲らぬこと。詩人としては誇りだが、政治生活の中ではうとまれるものでもあったろう。
父が亡くなる直前まで心配し、兄が死んででも守ろうとした祖国。その祖国を滅ぼした国に仕えるとき、彼は気持ちだったのだろう……。
故国にいる間は同郷の士に畏れられていたが、晋に仕え始めてからは呉出身の人士のリーダー的存在となっている。
儒学に親しみ、礼に外れることはなかったという。また、相当に負けん気の強い人物であったらしく、たびたび晋の官人と衝突している。(まあこれは呉の方言を馬鹿にされたり、祖父や父を嘲られたことに起因するが)それが、彼の不運な最期を招いたのかもしれない。
陸機(りく き) 261年 - 303年 永安4年(261年) - 太安2年(303年))は、呉・西晋の文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓(朱・張・顧・陸)の一つ、陸氏の出身で、祖父・父は三国志演義の登場人物としても有名な陸遜・陸抗。本籍は呉郡呉(今の江蘇省蘇州市)。ただし家は呉の都であった建業(現在の江蘇省南京市)の南や、祖父の封地であった華亭(雲間とも。現在の上海市松江区)等にあったようである。七尺もの身の丈を持ち、その声は鐘のように響きわたったという。儒学の教養を身につけ、礼に外れることは行なわなかった。同じく著名な弟の陸雲と合わせて「二陸」とも呼ばれる。文弱で親しみやすい弟に比して、陸機は郷党から畏れられていたが、洛陽に出て西晋に仕えてからは、兄弟ともに呉出身の人士のリーダー的存在であった。西晋のみならず、六朝時代を代表する文学者の一人であり、同時代に活躍した潘岳と共に、「潘陸」と並び称されている。特に「文賦(文の賦)」は、中国文学理論の代表的著作として名高い。また書家としては、彼の「平復帖」(北京故宮博物院所蔵)が現存する最古の有名書家による真跡とされる。
陸機(りくき) あざなは士衡(しこう) 中国西晋時代の詩人
呉の名族陸家の出身 祖父に陸遜、父に陸坑を持つ
261(0) 陸抗の四男として誕生
274(13) 父・陸抗病死・兄弟で父の兵を継ぐ
(この間に三番目の兄が死亡か)
280(19) 戦で二人の兄を失う。祖国呉が晋に滅ぼされる。
| この間、弟とともに故郷に籠る。
290(29) 周囲の説得に応じて晋に士官。
|
301(40) 陸機の仕えていた趙王司馬倫、帝位簒奪を狙うが誅殺される。
側近であった陸機は周囲の計らいによって罪を許される。
303(42) 讒言による謀反の疑いをかけられ、処刑。
弟、息子も連座して、陸家直系の血も絶えた。
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